Tumgik
#金光教横須賀教会
livingwithkami · 1 month
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Happy Spring Equinox!
Today is the Spring Grand Ancestor Ceremony
春季霊大祭
We completed all the offerings, now time for the ceremony soon!🌸🌻
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assalamutomoko · 10 months
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自己紹介
1975年 横須賀生まれ
セツ・モードセミナー・MJイラストレーションズ
一男一女のほぼバツ2のシングルマザー
イラストレーター、作業療法士 、バックパッカー、不登校経験の親。グラレコ#見えないものが見えるよ プロジェクト。代表。
好きな有名人に何故かたくさん会える人生。サイケ、90UK、インディース、歴史 建築  民族音楽、民族学、民族衣装、お笑いが好き。
家族
祖父は横須賀海軍で戦艦長門の乗組員。ヒットラーを目撃している。
母方の先祖に千利休の師「武野紹鴎」がいる。家紋の絵師等代々芸術文化好きで変わり者が多い。
イラストデザインDTP歴
横須賀、中野、銀座、渋谷、川崎などほぼ数年ごとにグループ展をしている。
(銀座のミレージャ・ギャラリーではオープニングパーティーで、ベリーダンスを踊ったこともある)
● 「CG ARTS GALLERY」に10P作品が掲載(京都書院)
●友人のレコード会社の手伝い。
CAPTAIN HOUSE inc.特にPOPCATCHERの応援をする。POPCATCHER → BEAT CRUSADERS→kuhhttp://www.captainhouse.com/release/POPCATCHER→ toe など
●デザイン事務所社員時代 ユーキャン等
●衣笠洋画研究所にて、画家の田所一紘師に絵画技術だけではなく、心理学、人間発達学、宗教比較論等についての刺激も受ける
● 萬有製薬株式会社創立ロゴマークコンペ一席採用(田所先生と共作)
●遊学先(タイ、ネパール、インド、エジプト、ギリシャ、トルコ、カンボジア等)
チベット難民キャンプ、カースト差別、世界遺産とスラム街、児童売春、地雷、ポルポト兵、民族音楽、オカルト等、、現地語とイラストを使う事を心掛けている。被害、加害者側区別無く話を聞く事にしている。現地の子供が笑う持ちネタのギャグがある。サイババも目撃する。
JAICAは落ちたが、世界ふしぎ発見のミステリーハンターオーディションでは、カメラテストまで進む。
●横須賀美術館監視員 ●縄文土器の発掘
●サウビーチ「Saturday's Sunbeam 」アルバムにイラスト採用
*サウビーチ(現在パフォーマンス集団「禁断の多数決」)
Kuh tour
●青山 月見ル君想フ にてライブペインティング要員として出演。
●医療点数を使っての芸術療法実践のリハビリのため母子家庭制度を利用し最短3年間で医療国家資格作業療法士の資格を取る
精神科閉鎖病棟(600床)や訪問リハビリテーションを経験 芸術療法以外の実践も学ぶ
2021年 開業届
NPO、医療の知識、イラストレーター等の経験を活かして福祉系のグラフィックレコーディングもはじめる。
2022年 中華街コンブチャ専門店『Flora Crown』壁画等を担当
特技
高校生の時巫女さんをしていたので、宿曜や算命学などの占いができる
ベリーダンス
不登校や発達の手続き、ジレンマ、相談先療育部門に近年は詳しくなる
HP
assalamutomoko.tumblr.com
スタンプのホームページ
[引きこもり不登校女子ゆるゆるスタンプ]
https://line.me/S/sticker/16837945/?lang=ja&utm_source=gnsh_stickerDetail
https://elu.jp/mypage
eke
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note
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↑クレジット付き一部切り抜きになりますがフリー素材イラストが好評です
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assalamutomoko
©️ 2021 assalamutomoko
映画みたいな人生って本当にあるんだね。映画みたいな人生を送りましょう。トライ&エラー1度ミュージシャンと結婚してみる事をお勧めします。
セツの先輩樹木希林さんみたいにはなれなかった。
いつか1年のうちの半分位イサーン式ディスコ常連になれるように暮らしたい。
#金子光晴/#北山修 #腐旅人#絵#サブカル#歴史音楽好き心は小3男子 #セツモードMJ/シンママ バツ1/APDADHDみOT/芸人好き/巫女→デザイン芸術→作業療法士精神科勤務とか→壊/タイ🇹🇭住希/反戦/歴女/サイケ/月刊ムー/療育/90UK民族インディ/サイババ遭遇/ #森田療法/連絡はインスタかFBまで😃
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nanaintheblue · 4 years
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春休み
雛が「明日の終業式さぼろうよ」と言い出したので、とりあえずは眉をしかめて「えー」と言ってみた。言っただけだ。 「式じゃん。式休むのはやばくない?」 「でも授業ないし、逆に、どうでもよくない? 『春休みのしおり』とかもらって、それでおしまいじゃん」 でも高二の最後の日だ。クラスメイトが惜しいとか全く思わないんだろうか。雛はふんと鼻を鳴らした。 「女ばっか38人、何が淋しいのよ」 「そうだね」 じゃあわたしも休む、と言った。雛はとても嬉しそうに鼻をくしゃっとさせ、「じゃあ駅に8時ね」 「早いなぁ、せっかくサボるのにどっちにしろ6時半起きしなきゃだ」 「だって、親にバレるじゃん、遅く起きたら。マックで時間つぶそ」 それもそうなのだった。雛は「じゃあ、明日ねえ」と言いながら廊下を走っていった。てらてらと不思議な色に光るリノリウムの床は、春の匂いでほんのりと甘ったるかった。 いつも通り母親がアイロンをかけた制服を着て、駅のマックに入る。「こっちこっち」と場所取りをすでに済ませた雛が、同じ格好でマックシェイクを啜っていた。 「春奈も買ってきなよ」 「うん」 コーラとチーズバーガーを頼む。席に持っていくと、「うわ、飯テロだ」と雛が本気で嫌そうに顔をしかめた。雛はすでにアップルパイとマックシェイクを食べ終えたところだった。 「じゃあ二口あげる。席代ね」 「やった」 両頬のえくぼをくぼませて雛が笑う。真ん中のすきっ歯があられもなく覗けた。ラッキートゥース、と言うらしい。「あたしは治したいんだけど、ママがそんなのいいでしょ、幸運のしるしなんだからって矯正やらしてくれないの。ケチだから」といつも口を尖らせている。 アイラインを引いても潰れない広い二重幅、くるんと丸まった長いまつげ、つんと上向きに尖った小さな鼻、さくらんぼのように可憐なくちびる。雛はお人形のように整った顔をしていて、唯一、歯の隙間だけがコンプレックスだと言う。 「これさえ治せば完璧だと思わない!? 佐々木希だって武井咲だって歯並び治してから売れたんだよぉ」 そんなことを臆面もなくつぶやく。わたしは雛のそういうところが好きだ。 わたしたちは中高一貫の女子校に在籍していて、それぞれ違う意味ではみ出しものだった。雛は容姿が優れすぎて、それ自体は女子校では武器になりうるのに、雛はそれを卑下したり隠そうとはしなかった。異端であるほど美人であることに気づいていないふりをせず、「あたしって可愛いから」と言いまくっていたら雛はいつのまにか学年のなかで浮いていた。もし雛が対して可愛くない、70点くらいの容姿だったら「冗談」とか「面白い女子」としてかえって人気が出たかもしれないのだけれど、  雛はそういった発言が冗談にならないほど、恐ろしく綺麗な顔をしていた。スカートを短くして、髪を綺麗にポニーテールに結った雛がつまらなさそうにスクバを揺らしながら廊下を歩いているところを中学からよく見かけた。美人には孤独がよく似合う、ひそかにそう思った。 一方のわたしは、単純な理由で浮いている。お金持ちの女の子が多いなかで、わたしの両親はごく小さな蕎麦屋を営んでいる。それが知られてわたしは学校で「麺棒」と呼ばれるようになった。わたしがひどく痩せっぽっちだったことも含めての揶揄だった。雛がいう「ママってケチなんだよ」「あーお小遣い足りない」と言う発言とは全くレベルが違う。わたしはみんながコチャコチャいじっているスマホが毎月6千円から1万円近くかかるものだと知った時卒倒しそうになったし、雑誌や本はもっぱら図書館、通学鞄は中学一年生のときから使っている黒い無地のリュック。お小遣いは、月に1万円もらっていると言う雛には「うちは5千円」と言ったけれど、本当は2千円だった。それが恥ずかしいと言うよりも、一か月を2千円で十分まかなえている自分が恥ずかしかった。わたしの生活は、みんなよりずっと彩りに欠けるのだろうか。 雛と仲良くなったのは必然とも言えた。高校一年で初めて同じクラスになったとき、「やっと」と思った。それは彼女も同じらしかった。 「春奈ちゃん、あたしと徒党組もう」 初日に朝礼が始まる前にわたしの席に来て宣言された。間近で見ると、改めて整った顔立ちの女の子だった。中学の頃はもっちりと柔らかそうな頬が彼女を魅力的に見せていたけれど、背が伸びて少し痩せた雛はどこか少年っぽさもあり、頬骨のラインに意味もなくどきどきした。 「徒党て、なにそれ」 「いいから、一年あたしと契約しよう。体育のペアとか、遠足のグループ分けとか、学校の中で生きてる限り面倒くさいことが目白押しじゃん。違う?」 容姿に恵まれている人は頭が悪い、と言う偏見を持っていたわたしはかすかにそんな自分を恥じた。話してみれば雛ほどクールで頭の切れる同世代の女の子はいなかった。 「いいよ」と簡単に答えた。「じゃ、また」とスカートをひるがえして席に戻る雛の、膝の裏の白さが眩しかった。 それ以来、わたしたちはずっと一緒にいる。もし来年高校三年のクラスが別れても、一緒にお昼を食べたりするだろう。 「ねえ、今日何する?」 なんかんだ優等生のわたしは、風邪でも忌引きでもないのに学校を休むのは初めてだった。雛はときどき生理痛で休��でいた。本当に「生理痛」ではない時もあったみたいだけれど、それをいちいち突っ込むほど野暮じゃない。 「鎌倉」 「え? いいけど脈絡なさすぎ」 すると、春奈はひらりとSuicaを振ってみせた。 「定期拾ったの。それが鎌倉行きだから、鎌倉」 わたしは普通にあきれた。 「犯罪じゃん。ばっかじゃないの」 「いいの。こんな大切なもの落とす方が悪いよー」 ふひ、と雛はアニメの悪い子供みたいに笑ってみせた。「はいはい」とわたしは深く追及するのをやめた。 「どうせ混んでいるから」と雛に引き止められるままだらだらマックで時間を潰したあと、ようやく駅に向かった。もう明日から春休みとは言え、何食わぬ顔をして  制服で街にまぎれるのは痛快とほんのりとある恐怖で足取りがふわふわした。 横須賀線はひどく空いていた。「1時間かかるって」と雛が乗り換えのアプリを見ながら言った。 「遠いねえ」 「そりゃあたしたち、船橋から出て来てんだもん」 ふわあ、と雛があくびを漏らす。目の前のサラリーマンが雛にちらりと視線を投げかけているのがわかった。せわしなく目が動いている。気づかれないようにしているのだろうけれど、美人を盗み見ている男ってなんて品がないんだろう。 「明日から何するよ、春休み」 「普通に予備校行くかな。短いし、課題多いし。わたし推薦狙いだから小論文の課題も出てるんだよね」 「楽しみのない春休みね」 「雛はどっか行くの? 去年ドバイ行ったとか行ってなかったっけ」 「あー」 雛は低く呻いた。「行かないんじゃないかな。パパ超絶忙しそうだもん。ママもサロンの友達とどっか行くんじゃないかな」 「へー」 大学教授をしている雛のお父さんの趣味はよく海外でも学会に呼ばれるそうなので、雛や雛のママもよく旅行がてらついて行くのだと言う。「上海行って来た」と冬に雛がくれたのは、お揃いのチャイナドレスだった。とりあえず一緒にプリクラを撮って「あげます」と言う置き手紙を置いてその場に置いて来た。2人には大きすぎて、引きずるような丈だったのだ。 「ねえ、鎌倉って何あるの?」 「えー、あたしもよくわかんないや。大仏とかじゃん?」 「ダッサ」 ケラケラ笑っていたら横のおばさんににらまれた。雛が「この時間、やっぱり年寄りしか電車乗ってないね。あの世行きだったら超やばいんだけど」などと言いだしたので、肘のあたりを叩いた。愉快だった。 「春奈、どうしよう。彼氏が別れたいって言ってる」 弱々しい声で雛が電話をかけてきたのは、先週の土曜日の午後だった。内出血のような重々しい雲が空を覆っていたので、わたしはめずらしく予備校に行かずに家で自習をしていた。 「どうしたの? 電話する?」 「ううんご���ん、彼氏から電話かかってくるかもしれないから、メールでお願い。来年受験生になるから雛も勉強したほうが良いよだって。どうしよう、もう最悪だよー」 涙を流した顔文字が3つ並んでいた。女子校であるからして普段話す異性は先生と父親くらい、という子が多く、わりかし恋におくてな女の子が多いなか、雛は中高で四人の男の子と付き合ったという。そういうことを隠さないところを含めて、色恋に事欠かさないような女子高生であることが、雛が学校で浮いている原因の一つだった。 「受験なんか関係ないじゃん、雛は内部受験だし。そう言いなよ」 「ううん、あたし外部の共学に行きたいの。そしたら、『男と遊びたいの?ビッチだな』って」 思わず鼻で笑ってしまった。 「そんな心の���い男捨てなよ、最低。雛が共学に行って男の子に言い寄られるのがやなだけじゃん」 「でも別れるのはイヤなの。いまの彼氏のことはほんとに好きなの。どうしたら説得できるかな」 結局、メールしているうちに雛の彼氏からラインに不在着信があり、「電話してくる」で音沙汰がなくなった。夜になって、「なんとか持ちこたえたよ」とダブルピースの絵文字が届いた。ダブルピースの絵文字だけを返した。 あれからどうなったのか、学校で訊いたりはしていない。 「今ごろみんな体育館かなあ」 「だねー。ダル〜って思いながら校長の話聞いてるんじゃない?」 「じゃ、行かなくて良かったね」 「ね!」 雛が極上の笑みで笑う。雛が全力で笑うと、比喩ではなく本当に花がほころぶみたいだ。 (あの子よく雛とつるんでるよ、顔面偏差値の高低差ひどすぎ) (雛もわかってて麺棒を選んだんじゃないの。引き立て役) 雛と一緒にいるようになって、女子か、と突っ込みたくなるほどテンプレな陰口ならいやほど叩かれてきた。確かにわたしはちっとも雛とは釣り合っていない。色白顔の瓜実顔に針で引っ掻いたような細い一重、唇はぽってりと分厚い。手足は棒っ切れみたいに細く、可愛らしい女の子ではない。 まだ友達というより「徒党」感が強かった頃、こらえきれずに雛に鬱憤をぶつけてしまったことがある。雛に誘われて、池袋まで出て遊びに行ったのだった。雛より際立って美しい子はいなくても、思わず目を伏せてしまうほど綺麗な子や派手に化粧を施したギャルはわんさかいた。そんななか雛に手を惹かれてゲーセンだのPARCOだのカラオケだのに連れて行かれ、雛が声をかけられることはたびたびあっても、わたしに視線が向けられることはなかった。さすがにいたたまれなくなって、カラオケの個室で言った。 「雛、恥ずかしくないの?」 「何が?」 「わたし、雛みたいに可愛くないからさ」 口にした途端、わっと顔に熱があつまった。勝手に卑屈になってひねくれているのは自分だというのはわかっていても、こんなことを言わせる雛の美しさが憎らしくなった。 雛はきょとんとした。 「え?あたしより可愛い子なんてそうそういなくない?」 「いやあのそういう意味じゃなくて!雛に及ばなくても、わたしがもっと美人だったら、って、そういう」 何も「そんなことない!」とか「春奈も可愛いよ、何言ってるの」だの女子特有の慰めを引き出したかったわけじゃない。断じて。ただ、雛にわたしの屈折をぶつけたかった、ただのエゴだった。けれどあまりに想定外の返事が来て、頭に熱がこもるのがわかった。わーっと早口になってもごもごしていたら、雛は「えー」と困ったように笑った。 「まあ確かにあたしレ ベルと比べちゃうと劣るけどさ、春奈ってちゃんと顔立ち整ってるよ。パーツパーツは地味で目立たないけど、位置のバランスはいい感じだし。日本画みたいだなって中学のときから思ってた」 女医が患者をチェックするみたいな冷静な口調で言われ、思わず「ぶははっ」と喉を仰け反らして笑ってしまった 「何それ予想外の反応すぎるよ!冷静すぎ!」 「え? 何? なんなの」 雛はきょとんとしていた。自分たちの温度差にまた笑えて、じんわり涙がにじんだ。 雛は多分、最初から、誰のことも容姿で分けたりしていない。そう思った。誰よりも容姿のことで振り分けられたり勝手な期待を持たれたりしただろうに、なんて素敵な子なんだろう。そして、「顔がうんと綺麗な人」としてしか雛のことを見ることができていなかったことを心から恥じた。 この子と友達になれてよかった。そう思えて心から嬉しかった。 電車が駅名をいくつ過ぎた頃だろう。雛が「あのさ」と小さな声で言った。 「あたしって綺麗じゃん」 雛のこういう口ぶりにはなれているのだけれど、静かな口調とそぐわない内容だったので思わず噴き出した。 「何。真面目に聞こうとして損した」 「違くて! なんか、それって、『足が速い』とか『数学が得意』くらいのことだと思うのね、あたしは」 「うん」 騒音のなか、ポソポソと言葉を並べる雛の声は聞き取りにくい。顔を近づけて、耳をそばだてて言葉を待つ。 「足が速い子は陸上部に入ったり、数学好きな人は理系に進んでバリバリ研究とかするじゃん。そんで、綺麗なあたしはそういうふうに、ふるまうわけよ」 「うん」 自分で言うんじゃないよ、といつものように突っ込んでも良かったのだけれど、雛の声はいまにもちぎれてしまうんじゃないかと思うくらい、かぼそかった。 「でも、それをおかしいとか、ナルシストとか自意識過剰ってぐちぐち言う人も、いるじゃん。あたし、女子校なんか受験なんかしなきゃ良かったよ」 「あー、そうかもね」 電車が停車し、たくさんの人が降りていく。視界がひらけて、車窓の向こう側が見えた。すぐにたくさんの人が乗り込んできて、見えなくなってしまう。 「顔が綺麗じゃなきゃよかったなんて絶対それは、思わない。それは違うから。……でも」 怖くて雛の方を向けない。黙って手を握る。赤ちゃんみたいに汗ばんであっつかった。逃げようとするのを掴んで自分の手と強く結ぶ。 「あたしはただのあたしなのになってよく思うよ」 電車が走りだす。雛と仲良くなる前のわたしは、とても綺麗な雛がそんなふうに悩んだり傷ついたりしているなんて少しも信じていなかっただろうな、と思った。 鎌倉に着く頃には、終業式は終わっているだろうか。 ふいに青いものが景色の向こうに見え始めた。「あ、海」と言うと、「まじでっ」と雛が跳ね起きた。よだれがくちびるの端を濡らしている。 「えー……普通に綺麗」 「海見ながらごはん食べたいよね」 「それいい、コンビニでおにぎりと飲み物買って食べよ」 色鉛筆で薄く塗ったような水色が見え隠れしている。一気に非日常感が強くなって、胸が弾んだ。 「お腹すいた。マジ眠い」 「あと15分くらいだと思うよ」 「本当に? 長かったー、尻痛いよぉ」 首をポキポキ鳴らしながら雛が首を回す。 「そういや定期ってどこで拾ったの」  へ、雛が動きを止める。 「どこって……家」 「はあ?」 それ以上は言わず、雛はまた目を閉じ、わたしの肩にすうととても自然に頭を載せた。眠っていないのは肩から伝わる気配でわかっていたけれど、重みと熱が心地良かったから黙って載せていた。柔らかい細い髪が電車の震度に合わせてさらさらと揺れていた。 鎌倉駅を降りると、観光客で賑わっていた。 「ねえ、ノリで降りちゃったけど海までどれくらいかなあ」 「15分くらいだってさ」 派手な旗を立てているしらす丼の店をしり目にコンビニに入っておにぎりとリプトンを買った。 朝はそうでもなかったのに、陽射しが強くて思わず目を細める。ヒートテックなんて着てこなければ良かった。「あちー」と雛が手で庇を作っている。 「海、サーファーばっかだろうねえ」 「だろうね。ナンパされたらうざいなあ」 「制服だしね。人いなさそうなとこ探そう」 陽射しの強さのせいと電車の眠気のせいで口をきくのも億劫だった。ぺったんペったんとローファーを引きずるようにして道路を歩く。サーフボードを担いだ男たちが次々にわたしたちを追い抜いていく。 「海きれー」 「ね。晴れててよかった」 「なんか、海来ると時間の経ち方変わるよね。時計見なくなるからかなぁ」 「ゆっくりになるのに、帰る頃には『えっもうこんな時間!?』ってなるやつね」 「う〜ん、超気持ちい」 会話が間遠になる。空が視界のぶんだけ広くて、水でたっぷりと薄めような透き通った青だ。 「あのさー」 「ん?」 風で髪が煽られ、結んでいない雛の長い髪がほつれながら舞い上がる。 「定期拾ったって言ったじゃん。あれ、彼氏のなの」 「えっ?」 「別れたの。彼氏の家を出るとき、最後に玄関にあったSuica、かっぱらっちゃった」 けろりとした口調を心がけているけれど、雛の目はほんのりと揺れていた。 「最後に、やなことしてやろうと思ってさ」 ばばばばばば、とバイクが後ろから追いかけてきてわたしたちを抜き去る。ぶわん、と前髪が持ち上がったのを手のひらで押さえた。 「でも、鎌倉ってこんな綺麗なところなんだね。なんか、思ってたのと違う」 「そうだね。わたしもちゃんと来たのは初めて」 「あーあ。毎日こーんな綺麗な海見ながら通ってたのか。かっこいいわけだよな。はーあ」 雛が目元をそっとぬぐう。バレエの所作のような、鳥が羽を広げるような、さりげなくて美しいしぐさで、思わず見とれた。 涙の跡でひとすじ、濡れて光っている。 「ちゃんと好きだったんだけどさ。あたしがナルシストっぽいところがなんかずっと嫌だったんだって」 「なにそれ! 雛が美人なのは誰が見たってそうじゃん」 「そうなんだけど、『あざとくて、計算高いのがいやだ』だって。はーあ。こんな綺麗なのに『そんなことないですう』とかってぶりっこする方が性格悪いっつうの。そんなのばかばかしくて絶対できないよー」 「そうだよ。そんな男つまんないよ」 「あ〜。うん、そうなの。そうなんだよ」 でも、と雛がわたしを振り向く。水があふれてこぼれるように、雛の長い髪が肩からさらさらと落ちた。 「好きだったの」 うん、とわたしは雛の手を握る。汗をかいて、しっかりと熱い。 「大丈夫だよ。雛」 「うん」 「おにぎり食べよ。どっかベンチに座って、海見ながら食べよ」 「うん。食べる」 小さな子供のように雛が心細そうな顔をしてわたしに寄り添う。美しい雛に簡単に男が見惚れて近づいてこないよう、わたしは背をピンと正して、彼女の隣を歩く。 2019.5
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fujimoto-h · 4 years
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2019年の出来事と読んだ本と観た映画と年末と
 実際にはすでに年は明けてしまっているが、この記事に関してはまだ年末という体で。またあとでべつの記事に年末については書きます。  今年は『フィルムメーカーズ19 ギジェルモ・デル・トロ』(宮帯出版社)に『クリムゾン・ピーク』について書かせてもらったり、『文芸誌 反省しない犬』に短篇を書かせていただいたりと、私個人としてはわりと文章発表の機会が増えた。『白鴉』31号に載せた作品が外部合評でやたら高評価だったが、同人誌評でどうなることやら。  仕事の激務化が進んで読書量が53冊と計測史上最低記録を更新してしまった。昨年は66冊。韓国文学の割合が増したのと、岡和田晃氏に勧められていた山野浩一をようやく読めた。  映画の観賞回数は126回。昨年は116回。『フィルムメーカーズ』に書くのにデル・トロをあらためてまとめて何作か観たのも増えた要因か。わりと邦画ががんばっていた印象。ずっと観たいと思っていた『サタンタンゴ』の上映はまさに事件であった。  あと、ライムスターが結成30周年で全国47都道府県ツアーを行ない、そのうち、岡山、和歌山、滋賀、兵庫、京都、大阪、東京、と参加。白鴉の例会がなければ奈良も行っていただろう。東京ポッド許可局のイベントも楽しかった。  2月に大阪入管前抗議、9月に日韓連帯アクション0907に参加し、神戸と東大阪の在日朝鮮学生美術展へ足を運ぶなどもした。  疎遠になっていたmixiの知り合いとふたたび縁がつながるということがふたり分起き、思えばいちばん実人生に影響を与えているSNSはmixiだなあと。よくも悪くも。
2019年の本と映画の記録。2018年はこちら。
読了本53冊
ファン・ジョンウン『誰でもない』(晶文社) ファン・ジョンウン『野蛮なアリスさん』(河出書房新社) チョ・セヒ『こびとが打ち上げた小さなボール』(河出書房新社) 姜英淑『ライティングクラブ』(現代企画室) 村田沙耶香『コンビニ人間』(文春文庫)
ハン・ガン『ギリシャ語の時間』(晶文社) イム・チョル『別れの谷──消えゆくこの地のすべての簡易駅へ』(三一書房) 石垣りん『表札など』(童話屋) 樺山三英『ドン・キホーテの消息』(幻戯書房) キム・スム『ひとり』(三一書房)
石垣りん『略歴』(花神社) ハン・ガン『少年が来る』(クオン) 草野理恵子『パリンプセスト』(土曜美術社) メアリー・シェリー『フランケンシュタイン』(新潮文庫) パトリシア・ウォー『メタフィクション──自意識のフィクションの理論と実際』(泰流社)
チョン・スチャン『羞恥』(みすず書房) 古田徹也『言葉の魂の哲学』(講談社選書メチエ) ハン・ガン『すべての、白いものたちの』(河出書房新社) 野間秀樹『日本語とハングル』(文春新書) 黄英治『こわい、こわい』(三一書房)
キム・ヨンハ『殺人者の記憶法』(クオン) 廣野由美子『批評理論入門──『フランケンシュタイン』解剖講義』(中公新書) チェ・ウニョン『ショウコの微笑』(クオン) アラン・ロブ=グリエ『消しゴム』(光文社古典新訳文庫) レベッカ・ソルニット『説教したがる男たち』(左右社)
松岡政則『あるくことば』(書肆侃侃房) 内藤千珠子『帝国と暗殺──ジェンダーからみる近代日本のメディア編成』(新曜社)2回目。 内藤千珠子『愛国的無関心──「見えない他者」と物語の暴力』(新曜社)2回目。 アラン・ロブ=グリエ『新しい小説のために──付 スナップ・ショット』(新潮社) 『カム』17号
サミュエル・ベケット『モロイ』(河出書房新社) 鈴木道彦『余白の声──文学・サルトル・在日』(閏月社) アントワーヌ・コンピニョン『文学をめぐる理論と常識』(岩波書店) 原佑介『禁じられた郷愁──小林勝の戦後文学と朝鮮』(新幹社) 林浩治『在日朝鮮人日本語文学論』(新幹社)
サミュエル・ベケット『伴侶』(書肆山田 りぶるどるしおる)通算7回目 林浩治『戦後非日文学論』(新幹社) 金時鐘/佐高信『「在日」を生きる──ある詩人の闘争史』(集英社新書) 『星座盤』vol.13 『骨踊り──向井豊昭小説選』(幻戯書房)
トーマス・ベルンハルト『凍』(河出書房新社) 『babel』3号 『白鴉』31号 サミュエル・ベケット『マロウン死す』(河出書房新社) チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ『なにかが首のまわりに』(河出文庫)
山野浩一『殺人者の空──山野浩一傑作選II』(創元SF文庫) 山野浩一『鳥はいまどこを飛ぶか──山野浩一傑作選I』(創元SF文庫) 山野浩一『X電車で行こう』(ハヤカワ文庫) 山野浩一『ザ・クライム』(冬樹社) 『現代韓国短篇選(下)』(岩波書店)
北村紗衣『お砂糖とスパイスと爆発的な何か──不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門』(書肆侃侃房) 谷賢一『従軍中の若き哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインがブルシーロフ攻勢の夜に弾丸の雨降り注ぐ哨戒塔 の上で辿り着いた最後の一行「──およそ語り得るものについては明晰に語られ得る/しかし語り得ぬことについて人は沈黙せねばならない」という言葉により 何を殺し何を生きようと祈ったのか?という語り得ずただ示されるのみの事実にまつわる物語』(工作舎) ジャン・ジロドゥ『トロイ戦争は起こらない』(ハヤカワ演劇文庫) 馳平啓樹『かがやき』(水窓出版)
映画観賞回数126回
『審判』(ジョン・ウィリアムズ)シネ・ヌーヴォ 『ヨーロッパ横断特急』(アラン・ロブ=グリエ)テアトル梅田 『嘘をつく男』(アラン・ロブ=グリエ)テアトル梅田 『エデン、その後』(アラン・ロブ=グリエ)テアトル梅田 『快楽の漸進的横滑り』(アラン・ロブ=グリエ)テアトル梅田
『鈴木家の嘘』(野尻克己)塚口サンサン劇場 『ヴェノム』(ルーベン・フライシャー)塚口サンサン劇場 『囚われの美女』(アラン・ロブ=グリエ)テアトル梅田 『不滅の女』(アラン・ロブ=グリエ)テアトル梅田 『ハード・コア』(山下敦弘)塚口サンサン劇場
『リンダリンダリンダ』(山下敦弘)通算2回目。塚口サンサン劇場 『教誨師』(佐向大)塚口サンサン劇場 『ア・ゴースト・ストーリー』(デヴィッド・ロウリー)塚口サンサン劇場 『ギャングース』(入江悠)通算3回目。第七藝術劇場 『寝ても覚めても』(濱口竜介)シネ・ヌーヴォ
『きみの鳥はうたえる』(三宅唱)シネ・ヌーヴォ 『KICKS』(ジャスティン・ティッピング)塚口サンサン劇場 『銃』(武正晴)塚口サンサン劇場 『ヘレディタリー 継承』(アリ・アスター)塚口サンサン劇場 『メアリーの総て』(ハイファ・アル=マンスール)塚口サンサン劇場
『アリー──スター誕生』(ブラッドリー・クーパー)塚口サンサン劇場 『ボヘミアン・ラプソディ』(ブライアン・シンガー)塚口サンサン劇場 『クリムゾン・ピーク』(ギレルモ・デル・トロ)通算2回目。DVD 『デビルズ・バックボーン』(ギレルモ・デル・トロ)DVD 『MAMA』(アンディ・ムスキエティ)DVD
『サスペリアpart2』(ダリオ・アルジェント)DVD 『嵐電』(鈴木卓爾)阪急梅田ホール。第14回大阪アジアン映画祭オープニングセレモニー。 『フランケンシュタイン』 (ジェイムズ・ホエール)DVD 『金子文子と朴烈』(イ・ジュンイク)シネ・ヌーヴォ 『クリムゾン・ピーク』(ギレルモ・デル・トロ)通算3回目。Blu-ray
『いつか家族に』(ハ・ジョンウ)塚口サンサン劇場 『22年目の記憶』(イ・ヘジュン)塚口サンサン劇場 『バーニング』(イ・チャンドン)塚口サンサン劇場 『バーニング』(イ・チャンドン)2回目。塚口サンサン劇場 『ホイットニー── オールウェイズ・ラヴ・ユー』(ケヴィン・マクドナルド)塚口サンサン劇場
『クリード──炎の宿敵』(スティーブン・ケイプル・Jr.)塚口サンサン劇場 『バーニング』(イ・チャンドン)3回目。塚口サンサン劇場 『天才作家の妻──40年目の真実』(ビョルン・ルンゲ)塚口サンサン劇場 『ヴィクトリア女王──最期の秘密』(スティーブン・フリアーズ)塚口サンサン劇場 『未来を乗り換えた男』(クリスティアン・ペツォールト)塚口サンサン劇場
『フロントランナー』(ジェイソン・ライトマン)塚口サンサン劇場 『キャプテン・マーベル』(アンナ・ボーデン/ライアン・フレック)Movixあまがさき 『ちいさな独裁者』(ロベルト・シュヴェンケ)塚口サンサン劇場 『ギルティ』(グスタフ・モーラー)塚口サンサン劇場 『ファースト・マン』(デイミアン・チャゼル)塚口サンサン劇場
『女王陛下のお気に入り』(ヨルゴス・ランティモス)塚口サンサン劇場 『グリーンブック』(ピーター・ファレリー)塚口サンサン劇場 『幸福なラザロ』(アリーチェ・ロルバケル)シネ・リーブル梅田 『ペパーミント・キャンディー』(イ・チャンドン)シアターセブン 『オアシス』(イ・チャンドン)シアターセブン
『主戦場』(ミキ・デザキ)第七藝術劇場 『カメラを止めるな!』(上田慎一郎)11回目。塚口サンサン劇場 『カメラを止めるな!スピンオフ ハリウッド大作戦!』 (上田慎一郎)塚口サンサン劇場 『ROMA/ローマ』(アルフォンソ・キュアロン)塚口サンサン劇場 『ビール・ストリートの恋人たち』(バリー・ジェンキンス)塚口サンサン劇場
『運び屋』(クリント・イーストウッド)塚口サンサン劇場 『ブラック・クランズマン』 (スパイク・リー)塚口サンサン劇場 『記者たち』(ロブ・ライナー)塚口サンサン劇場 『ふたりの女王──メアリーとエリザベス』(ジョージー・ルーク)塚口サンサン劇場 『バイス』(アダム・マッケイ)塚口サンサン劇場
『ゴジラ──キング・オブ・モンスターズ』(マイケル・ドハティ)塚口サンサン劇場 『多十郎殉愛記』(中島貞夫)塚口サンサン劇場 『マイ・ブックショップ』(イザベル・コイシェ)塚口サンサン劇場 『ビューティフル・ボーイ』(フェリックス・ヴァン・フルーニンゲン)塚口サンサン劇場 『コンジアム』(チョン・ボムシク)塚口サンサン劇場
『パドマーワト──女神の誕生』(サンジャイ・リーラ・バンサーリー)塚口サンサン劇場 『オーヴァーロード』(ジュリアス・エイヴァリー)塚口サンサン劇場 『希望の灯り』(トーマス・ステューバー)塚口サンサン劇場 『ドント・ウォーリー』(ガス・ヴァン・サント)塚口サンサン劇場 『ジョーズ』(スティーヴン・スピルバーグ)塚口サンサン劇場
『アナと世界の終わり』(ジョン・マクフェール)塚口サンサン劇場 『愛がなんだ』(今泉力哉)塚口サンサン劇場 『アメリカン・アニマルズ』(バート・レイトン)塚口サンサン劇場 『スノー・ロワイヤル』(ハンス・ペテル・モランド)塚口サンサン劇場 『荒野にて』(アンドリュー・ヘイ)塚口サンサン劇場
『嵐電』(鈴木卓爾)2回目。塚口サンサン劇場 『そうして私たちはプールに金魚を、』(長久允)塚口サンサン劇場 『WE ARE LITTLE ZOMBIES』(長久允)塚口サンサン劇場 『東京裁判』(小林正樹)シネ・ヌーヴォ 『ハッピー・デス・デイ』(クリストファー・ランドン)塚口サンサン劇場
『ハッピー・デス・デイ2U』(クリストファー・ランドン)塚口サンサン劇場 『イメージの本』(ジャン=リュック・ゴダール)堂島リバーフォーラム 『僕たちは希望という名の列車に乗った』 (ラース・クラウメ)塚口サンサン劇場 『ダンスウィズミー』(矢口史靖)塚口サンサン劇場 『よこがお』(深田晃司)テアトル梅田
『新聞記者』(藤井道人)塚口サンサン劇場 『よこがお』(深田晃司)2回目。テアトル梅田 『サウダーヂ』(富田克也)シネ・ヌーヴォ 『RAP IN TONDO』(富田克也)シネ・ヌーヴォ 『ラップ・イン・プノンペン』(富田克也)シネ・ヌーヴォ
『海獣の子供』(渡辺歩)塚口サンサン劇場 『ドッグマン』(マッテオ・ガローネ)テアトル梅田 『サタンタンゴ』(タル・ベーラ)テアトル梅田 『神と共に──第1章:罪と罰』(キム・ヨンファ)塚口サンサン劇場 『神と共に──第2章:因と縁』(キム・ヨンファ)塚口サンサン劇場
『永遠に僕のもの』(ルイス・オルテガ)塚口サンサン劇場 『工作──黒金星と呼ばれた男』(ユン・ジョンビン)塚口サンサン劇場 『ひろしま』(関川秀雄)シネ・ヌーヴォ 『存在のない子供たち』(ナディーン・ラバキー)塚口サンサン劇場 『世界の果ての鼓動』(ヴィム・ヴェンダース)塚口サンサン劇場
『クリムト──エゴン・シーレとウィーン黄金時代』(ミシェル・マリー)塚口サンサン劇場 『ピータールー──マンチェスターの悲劇』 (マイク・リー)塚口サンサン劇場 『イングランド・イズ・ マイン──モリッシー、はじまりの物語』(マーク・ギル)塚口サンサン劇場 『ブルーアワーにぶっ飛ばす』(箱田優子)テアトル梅田 『米軍が最も恐れた男カメジロー不屈の生涯』(佐古忠彦)塚口サンサン劇場
『やっぱり契約破棄していいですか?』(トム・エドモンズ)塚口サンサン劇場 『感染家族』(イ・ミンジェ)塚口サンサン劇場 『守護教師』(イム・ジンスン)塚口サンサン劇場 『ベルリン──天使の詩』(ヴィム・ヴェンダース)たぶん通算5回目ぐらい。塚口サンサン劇場 『ガリーボーイ』(ゾーヤー・アクタル)シネ・リーブル梅田
『よこがお』(深田晃司)3回目。塚口サンサン劇場 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(クエンティン・タランティーノ)塚口サンサン劇場 『ラスト・ムービースター』(アダム・リフキン)塚口サンサン劇場 『アス』(ジョーダン・ピール)塚口サンサン劇場 『ジョーカー』(トッド・フィリップス)OSシネマズミント神戸
『メランコリック』 (田中征爾)塚口サンサン劇場 『ブルーアワーにぶっ飛ばす』(箱田優子)2回目。シネマート心斎橋 『ブラインドスポッティング』(カルロス・ロペス・エストラーダ)塚口サンサン劇場 『ひとよ』(白石和彌)MOVIXあまがさき 『第三夫人と髪飾り』(アッシュ・メイフェア)テアトル梅田
『ある精肉店のはなし』(纐纈あや)第七藝術劇場 『象は静かに座っている』(フー・ボー)シネマート心斎橋 『アイリッシュマン』(マーティン・スコセッシ)シネマート心斎橋 『家族を想うとき』(ケン・ローチ)シネ・リーブル梅田 『去年マリエンバートで』(アラン・レネ)十何年かぶり2回目。シネ・リーブル梅田
『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』(片渕須直)テアトル新宿
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kuwane · 4 years
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2020年1月:九州ほか訪問メモ(1/24 呉〜松山)
2020年1月20日〜25日にかけて、九州から山口・広島・愛媛と回った旅のメモのその5。
5日目は呉市街と江田島を見、松山へ移動という具合。
起床後、荷物をまとめて呉駅へ。駅のコインロッカーに荷物を入れて江田島(小用港)行きの高速船に乗る。
写真を見ても分かる通り大きくはない船が飛ばすので揺れる揺れる。小用の港の桟橋につけたあとも結構揺れていたので帰りはフェリーにしようと決めた。(呉〜小用は高速船とフェリーの2タイプの船が結んでおり、所要時間が10分ほど異なる)
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小用港〜江田島(第一術科学校)正門を徒歩で移動し(雨でなくよかった)、10:30の回で第一術科学校見学。
平日ながら20人ほどでガイドの方に連れられて基地内を歩く。
これははいふりのロケ地巡りとなるのだろうか…(はいふりの劇中に登場する横須賀女子海洋学校の建屋のデザインと配置は江田島の海上自衛隊幹部学校、大講堂のもの)。
幹部学校にはちょうどどなたか海将補が来校されていたらしく��海将補の階級章をダッシュボードにさした公用車が止まっていた。
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大講堂(海側)。
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大講堂(内部)。
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これも戦前からの建物である教育参考館(内部撮影禁止)では時間がとにかく足りない。ちゃんと見ようと思ったら少なくとも都合3回くらい来ないとならないのではないか…。
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意外だったのは館内に横山大観と藤田嗣治のかなり大きなサイズの絵が展示されていたことか。後者については戦後、藤田嗣治がフランスに移住するきっかけともなった戦争画の展示であった。
海龍や甲標的などもざっくりと見てタイムアップ。
見学者も利用可能な食堂で(ちょうど金曜だったこともあり)カレーをいただいてから小用港に戻り、フェリーで呉へ。
フェリーだと揺れが少ない上、外で撮影できるので岸壁の護衛艦(と、もしいれば米艦)の写真が撮りやすい。
今回はちょうど出航して行くおやしお型潜水艦の写真を撮ることができた。この写真、いずれも小さいが奥の方に画面右から音響測定艦はりま、潜水艦救難艦ちはや、さらにX舵を備えたそうりゅう型を含む第1潜水隊群の潜水艦も写っている。
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他にも色々と写真は撮れたが、あぶくま(左)とやまゆき(右)の写真を貼っておくことにする。(画面右で桟橋を挟んで見切れているのはうみぎり、左に艦体の端がうつっているのはくにさき)
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呉の陸地に戻ってだいたい13時過ぎ。呉の市街も歩きたいとなると、やまとミュージアムとてつのくじら館のどちらかを選ぶしかない‥…ということで潜水艦の現物が見られるてつのくじら館を選ぶ。
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同じく海上自衛隊の施設である佐世保のセイルタワーが海軍から海上自衛隊の歴史を概観しようとする網羅的な内容なのに対して、てつのくじら館は掃海と潜水艦にスポットを当てているのが非常に面白かった。……向かいにやまとミュージアムがあるからかもしれないけど。
あきしお艦内ではレバーなどの細かい写真を撮っていたら、平日でお客さんが少ないせいもあったのか、ありがたいことにブリッジにいた解説員の方(現役時代は潜水艦に乗っておられた方なのだろう)が警報ブザーを実際に鳴らしてくださった。(ブザーはちゃんと鳴るようになっているのに驚いた)
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その方曰く、上の写真にあるように警報は3種類あるが、(ベントが破損して)沈没に直結する可能性が一番高いのが衝突なので、この3つのレバーを同時に操作した場合は鳴るのは衝突警報とのことであった。
上の写真でちらっと見切れている艦内の状況チェック用の板がこちら。
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こちらの使い方も教えていただけた。整備盤の方は右か左かのどちらかに動かすだけだそうなのだが、潜航準備盤の方はいざ潜るとなったとき、部署からの準備完了連絡があったらまずは中央に板を動かして、さらに部署の担当幹部の確認(ダブルチェック)ができた段階で済にする、とのこと(上の写真では全部署が準備済となっている)。非常に興味深い細かい話を伺えた。
鉄のくじら館を退出後、呉の街をふらふら。
青山クラブや呉海軍病院の階段、さらにはJMUのドックを見られる公園などを歩いて巡る。
青山クラブ(旧海軍下士官・兵集会所)。
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呉海軍病院の階段。
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JMUの呉事業所、大和を建造したドックがあった跡地。建屋のあたりが大和ドックの跡地で、大きな屋根の左半分あたりがまさに建造中の大和を隠匿するために作った屋根とのこと。
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そうこうしているうちに松山行きのフェリーの時間が近づいてきた。呉駅で荷物を出して、再び呉港に戻る。
気がついたらずいぶんと船に乗る機会が多かった今回の一連の行程だが(都合6回船に乗っている)、最後に乗るのが呉港から松山観光港へのフェリー。乗ったのは瀬戸内海汽船所属の四万十川という船だった。
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今回この呉港〜松山観光港の航路のフェリーにはじめて乗って驚いたのが、呉を出てすぐの音戸の瀬戸という非常に狭い水路を抜ける箇所。左右の窓から間近に街灯が見えて何事かと思った。これは日中乗るともっとおもしろそうなので、今度は日中に乗ってみたいもの。
あと日曜にしか公開しない施設(現在呉地方隊が使っている旧呉鎮守府の建物とか)があるようなので再訪にあたってはそのあたりも要検討。
松山観光港からは伊予鉄道にて松山市街に出、投宿。この日の行程を終了した。
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2ttf · 12 years
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xf-2 · 5 years
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濱口和久(拓殖大大学院特任教授)(青林堂『日本版 民間防衛』より)
 日本は工作員天国といわれている。日本には世界の国ならどこでも持っている「スパイ防止法」がない。
 工作員にとっての天国とは次のような状態だ。①重要な情報が豊富な国、②捕まりにくく、万一捕まっても重刑を課せられない国のことである。
 日本は最先端の科学技術を持ち、世界中の情報が集まる情報大国でもある。しかも、日本国内で、工作員がスパイ活動を働いて捕まっても軽微な罪にしか問われない。スパイ活動を自由にできるのが今の日本なのである。つまり、工作員にとっては何の制約も受けない「天国」だということを意味している。
 アメリカに亡命したソ連KGB(国家保安委員会)少佐レフチェンコが「日本はKGBにとって、最も活動しやすい国だった」と証言している。ソ連GRU(軍参謀本部情報総局)将校だったスヴォーロフは「日本はスパイ活動に理想的で、仕事が多すぎ、スパイにとって地獄だ」と、笑えない冗談まで言っている。日本もなめられたものである。
 日本は北朝鮮をはじめとする工作員を逮捕・起訴しても、せいぜい懲役1年、しかも執行猶予がついて、裁判終了後には堂々と大手をふって出国していく。  中国が得意とするスパイ活動に「ハニー・トラップ(甘い罠)」という手段がある。ハニー・トラップは、女性工作員が狙った男性を誘惑し、性的な関係を利用して、男性を懐柔、もしくは脅迫して機密情報を聞き出す諜報活動のことだ。中国にとって、ハニー・トラップはサイバー攻撃と並んで機密情報を奪い取るための重要な手段となっている。
 イギリス紙タイムズ(電子版)が2014年11月に報じたところによると、イギリス国防省の諜報機関の上級職員向けに、中国のハニー・トラップ対策マニュアルを策定。マニュアルは中国のハニー・トラップに関して「手法は巧妙かつ長期的。中国人諜報員は食事と酒の有効性を知り尽くしている」としたうえで、「中国の情報に対する貪欲さは広範囲かつ無差別だ」と分析。「中国には諜報員が存在するが、彼らは国の諜報機関の命令によって動く中国人学生、ビジネスマン、企業スタッフの裏に隠れている」と指摘した。
 また、中国でのイギリス製薬大手グラクソ・スミスクライン(GSK)の汚職疑惑に絡んで、同社の中国責任者が自宅で中国人ガールフレンドとセックスしているところを隠し撮りされ、その動画がGSK役員らに送りつけられた。中国のハニー・トラップの標的になるのは、政府や諜報機関の関係者にとどまっていない。
 中国人女性工作員の“活躍”はイギリスだけではない。アメリカ軍の最高レベルの機密情報にアクセスできる立場にあった元陸軍将校が、国際会議で出会った女性と2011年6月から恋愛関係となり、戦略核兵器の配備計画や弾道ミサイルの探知能力、環太平洋地域の早期警戒レーダーの配備計画といったアメリカ軍の機密情報を伝えたという。この元陸軍将校は国防機密漏洩の罪などで逮捕、刑事訴追された。(SankeiBiz 平成28年1月11日付)
 中国人女性工作員は、日本人男性に対しても、ハニー・トラップを仕掛けてきている。中国の公安当局者が、女性問題をネタにして日本の領事に接近。この領事は総領事館と本省との間でやりとりされる暗号通信にたずさわっている電信官で、中国側は日本の最高機密であるこの電信の暗号システムを、領事に強要して手に入れようとした。だが、電信官は「自分はどうしても国を売ることはできない」という遺書を残して、平成16(2004)年5月に総領事館内で首吊り自殺をしている(上海日本総領事館領事の自殺事件)。
 領事の自殺により、電信の暗号システムの情報流出は防げたが、中国に出張した際、ハニー・トラップに引っ掛かった政治家、企業家、研究者(技術者)は1000人をはるかに超えているといわれている。彼らの中には、中国側が欲しい情報を提供したことがある日本人もいるかもしれない。いや、発覚していないだけで、間違いなく情報を提供していると考えるべきだろう。
 もし��なたが、これらの職業に就いていて、中国人女性が近づいてきた場合は、ハニー・トラップを警戒し、不用意に女性と深い仲にならないようにすべきだろう。また、中国人女性と結婚した自衛官は500人を超えている。その中には幹部自衛官も含まれる。女性から自衛官に接触し結婚したケースが大多数だ。自衛隊の情報が中国側に漏れているとしたら、日本の安全保障上にも影響を与えていることになる。
 実際、平成19(2007)年1月、神奈川県警が海上自衛隊第1護衛隊群(神奈川県横須賀市)の護衛艦「しらね」(イージス艦)乗組員の2等海曹の中国籍の妻を入管難民法違反容疑(不法残留)で逮捕。家宅捜索したところ、イージス艦の迎撃システムなど機密情報に関する約800項に及ぶファイルが発見されている。2005年6月に中国のシドニー総領事館の一等書記官だった陳用林がオーストラリアに亡命した。彼は、日本国内に現在1000人を優に超える中国の工作員が活動していると証言している。
日本国内に北朝鮮の工作員はどれくらい潜伏しているのだろうか。不審船や木造船を用いて不法上陸したり、他人に成りすまし偽造パスポートなどで入国している工作員も間違いなくいる。
 一方、工作員は日本人の協力者や在日本朝鮮人総聯合会(略称は朝鮮総聯)に関係する在日朝鮮人らと共謀して、日本からヒト、モノ、カネなどを持ち出してきたことは周知の通りだ。日本人拉致、核開発関連の研究者の勧誘、ミサイル技術流出への関与、日本製品の不正輸出、不正送金など。麻薬・拳銃売買などの非合法活動にも手を染めているのが朝鮮総聯である。祖国防衛隊事件や文世セ光事件を引き起こした歴史的経緯から、公安調査庁から破壊活動防止法に基づく調査対象団体に指定されている。  北朝鮮で製造されるミサイル部品の90%は日本から輸出されていた(2003年5月、米上院公聴会での北朝鮮元技師の証言)。北朝鮮の核施設元職員で1994年に韓国に亡命した金大虎は、各施設には多数の日本製の機械や設備があったと証言。平成24(2012)年3月、北朝鮮にパソコンを不正輸出したとして外為法違反罪で在日朝鮮人の会社社長が逮捕された。北朝鮮への経済制裁で全面禁輸となった後も、パソコン機器1800台を無承認で輸出。関連機器の輸出総数は約7200台にのぼるとみられている。
 平成29(2017)年秋ごろから日本海沿岸に北朝鮮船籍と思われる木造船が数多く漂着している。以前から同じような木造船が日本海沿岸で発見されていたが、報道はほとんどされてこなかった。同年11月23日、秋田県由利本荘市の船係留場に全長約20メートルの木造船が流れ着き、乗組員8人が警察に保護された。8人は調べに対し、イカ釣り漁の最中に船が故障し、およそ1カ月漂流していたと話したという。
 これ以外にも、北海道や青森、秋田、山形、新潟、石川の各県で北朝鮮籍の漁船と思われる木造船が漂着・漂流している。中には船内から遺体が発見されたケースもあった。だが、一連の漂流・漂着を単なる漁民の漂流・漂着として片づけることのできない事態が起きた。日本は6852の島嶼(周囲が100メートル以上)から構成されているが、そのうちの約6400が無人島で、それに伴う海岸線の総延長距離は3万3889キロメートルに達している。
 24時間体制で海上保安庁が海上から不審船等を監視・警戒しているとはいえ、すべてを確認することは難しい。木造船はレーダーでは見つけにくいという問題もあるなか、北海道松前町の無人島である松前小島に一時避難した北朝鮮籍の木造船が、北朝鮮人民軍傘下の船とみられることが同年12月5日に明らかになったのだ。船体には「朝鮮人民軍第854軍部隊」というプレートがハングル文字と数字で記されていた。
 北朝鮮では、軍が漁業や農業などの生産活動にも従事しており、乗組員9人は、北海道警の事情聴取に対して、秋田県由利本荘市の事案と同様に「約1カ月前に船が故障し、漂流していた」と話しているが、信用していいか疑わしいところだ。普通に考えれば、1カ月も海上を漂流すれば、食料や水が底をつき、栄養失調になったり、衰弱していてもおかしくない。
 乗組員が元気ということは、普段から訓練をしている軍人もしくは工作員であると思って間違いないだろう。平成29年12月23日に見つかった秋田県由利本荘市の船係留場に漂着した木造船が、2日後の25日朝に沈没したが、明らかに海保や秋田県警が船内を捜索する前に、証拠隠滅を図ったと考えるのが妥当だ。また、発見を免がれた乗組員以外の工作員が、上陸し潜伏している可能性もある。
 また、日本海沿岸は北朝鮮による拉致事件が多発した場所でもある。拉致被害者の1人である横田めぐみさん(当時13歳)が、新潟市内で学校からの下校途中に拉致されたことを考えれば、一連の木造船が漁業だけを目的とした船とは到底思えない。間違いなく何らかの任務を与えられていると考えなければならない。
平成29(2017)年11月30日の参議院予算委員会で、自民党の青山繁晴議員が「北朝鮮の木造船が次々に漂着している。異様だ。北朝鮮は兵器化された天然痘ウイルスを持っている。もし、上陸者ないし侵入者が、天然痘ウイルスを持ち込んだ場合、ワクチンを投与しないと無限というほど広がっていく」と問題提起したうえで、バイオテロにつながりかねないとの認識を示した。
 青山議員が提起した天然痘ウイルスの感染や生物兵器を使用しバイオテロが現実となれば、日本国内は間違いなくパニックに陥るだろう。韓国国防白書によれば、北朝鮮は複数の化学工場で生産した神経性、水泡性、血液性、嘔吐性、催涙性等、有毒作用剤を複数の施設に分散貯蔵し、炭疽菌、天然痘、コレラ等の生物兵器を自力で培養及び生産できる能力を保有していると分析している。
 アメリカ科学者連盟(FAS)は、北朝鮮は一定量の毒素やウイルス、細菌兵器の菌を生産できる能力を持ち、化学兵器(サリンや金正男氏の暗殺に使われたVXガスなど)についても開発プログラムは成熟しており、かなり大量の備蓄があるとみている。アメリカ国防総省も、北朝鮮は生物兵器の使用を選択肢として考えている可能性があると指摘している。
 そのため、韓国に駐留する在韓アメリカ軍兵士は、2004年から天然痘のワクチン接種を受けている。アメリカはテロ対策のため天然痘ワクチンの備蓄を強化し、2001年に1200万人分だった備蓄量を2010年までに全国民をカバーする3億人分まで増やしている。日本でも天然痘テロに備えて、厚生労働者がワクチンの備蓄を開始しているが、備蓄量は公表されていない。
 ここで青山議員が提起した天然痘ウイルスについて、もう少し詳しく説明したい。日本では、昭和31(1956)年以降に国内での発生は見られておらず、昭和51年にワクチン接種は廃止された。感染経路は、くしゃみなどのしぶきに含まれるウイルスを吸い込むことによる感染(飛まつ感染)や、患者の発疹やかさぶたなどの排出物に接触することによる感染(接触感染)がある。
 患者の皮膚病変との接触やウイルスに汚染された患者の衣類や寝具なども感染源となる。潜伏期間は平均で12日間程度。急激な発熱(39度前後)、頭痛、四肢痛、腰痛などで始まり、一時解熱したのち、発疹が全身に現れる。発疹は紅斑→丘疹→水疱(水ぶくれ)→膿疱(水ぶくれに膿がたまる)→結痂(かさぶた)→落屑と移行していく。ワクチン未接種の場合、20~50%の感染者が死亡する。
 ただし感染後、4日以内にワクチンを接種すれば発症を予防したり、症状を軽減できるとされている。だが、日本では半世紀発生していないため、医師も実際の症状を見たことがない。そのため医師によるスムーズな対応ができず、感染の拡大を招く恐れもある。北朝鮮による天然痘ウイルスをはじめとする生物兵器を使用するバイオテロは、私たちの身近なところで起きる可能性もある。不法に上陸をする工作員によって、日本国内に生物兵器が持ち込まれる可能性は拭いきれない。
「スリーパー・セル」。この言葉をめぐり論争が勃発した。平成30(2018)年2月11日放送のテレビ番組「ワイドナショー」(フジテレビ系)で、東京大学の三浦瑠麗講師が「スリーパー・セル」に言及すると、途端に激しいバッシングを浴びた。
 英語で「潜伏工作員」の意味で用いられる表現だ。平時は一般市民に同化して目立たないように生活しており、有事には組織から指令を受けて諜報活動、破壊工作、テロ行為などに及び、内部から攪乱する。スリーパー・セルの個々の分子は単に「スリーパー」と呼ばれることもある。
 日本において北朝鮮のスリーパーが都心部などに潜伏している可能性は決して否定できない。北朝鮮からの呼びかけに応じて、各都市で破壊活動やテロ活動をする準備をしながら、一般市民に紛れているとみられている。現在、日本に潜伏しているスリーパー・セルだが、その活動内容は、北朝鮮のサポートをすることが目的とみられている。ただ、公安当局も詳しくはつかんでいないようだ。
 スリーパー・セルは、北朝鮮のラジオなどから流される暗号を受信して行動に移ることになっている。現在は目立った活動はしていないが、北朝鮮がいつ、どんな指令を下すのか。それは分からない。スリーパー・セルは銃器も持っているし、もちろん扱える、爆発物や生物・化学兵器なども扱える可能性がある。それに加えて情報操作などを行い、嘘の情報を流すことでパニックを起こさせることだってやりかねない。
 韓国の高永喆元国防相専門委員・北韓分析官によると、日本人を拉致し、そのパスポートで韓国に入国し、工作活動をした辛光洙が代表的なスリーパー・セルだったと。現在も、日本国内には第2の辛光洙のようなスリーパー・セルに包摂された協力者が、約200人は潜伏している可能性があるとしている。
 2017年2月、金正男氏がマレーシアのクアラルンプール国際空港で毒殺されたが、当時、協力者として逮捕された李正哲という北朝鮮人は、現地製薬会社の社員に成りすまして暗躍したスリーパー・セルであることが明らかになっている。スリーパー・セルは、あなたの近くに普通の会社員や学生として潜んでいるかもしれない。また、不審な行動をする人がいたら、すぐに警察に通報することも忘れずに。
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va134on · 5 years
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おめでたい
 なぜかというと年が明けたから。年が明けたのは3ヵ月ほど前のことだけど、あれほどみんなでおめでたいと言い合ったのだからいまだにおめでたいはずだと思う。ちなみになぜ年が明けるとおめでたいのか理由を知っている人がいたら教えてください。
 出不精の私には非常に珍しく3月は2回も旅行に行ってしまった。人生で飛行機に乗るのも新幹線に乗るのも二桁年ぶりぐらいなので非常に緊張した。なにせ一本乗り逃しただけで一万なんぼもお金をロストするのだから怖い。でも見栄っ張りなので新幹線用の改札を通るとき年間80回ぐらい新幹線を使っている顔をして通り過ぎた。駅員に泣きながら道を尋ねることもなかった。
 新幹線に乗った先は新大阪で、私は大阪の人に強い偏見があるので新大阪では全員がボケと突っ込みを繰り返し行き交う人がガヤのような笑い声をあげているものだと思っていたのだけれど、特に誰もボケていなかった。ただエスカレーターの右側がきれいに埋まっていただけだった。
 そのまま高速バスで向かった有馬温泉はずいぶん賑やかで、静けさのなか硫黄の匂いにまみれる那須塩原をつい振り返って思い出した。あまり混んでいる場所は落ち着かないので、ごてごてと入り組んだ坂道を登ってホテルの屋上にある風呂に入った。お風呂なので大声で男性器の話ばかりしていたら「学生時代はもうちょっとしっかりしていたのに、どうして男性器の話しかしない人間になってしまったのか」と問われたので、心配事と人間関係の軋轢が少ないからだよと答えた。人間心配事が少なくなると男性器の話が多くなるはずだ。
 有馬温泉の近くは炭酸ガスが噴き出していて昔は砂糖だけでサイダーが作れるお得な土地だったらしい。炭酸ガスで虫や鳥が死ぬのでガスが噴き出す地点に「虫地獄」と書かれた石が置かれたが、今はガスもないので石の下に湿った土があるだけだった。「虫地獄」というネーミングがよかったという理由だけでわざわざそんなものを見に行ってしまったことをやや後悔した。のどが渇いたので帰り道にあった家庭的すぎるカフェ(民家の一階をカフェスペースに直している)で蜂蜜をお湯に溶かしたものを300円出して飲んだ。「ビタミンミネラルたっぷり」とお経のように唱えながら手渡されたので曖昧に頷くほかなかった。
 二日目は大阪の中心地を回った。関東から来たことが知れたら語調の強い関西弁でまくしたてられジャンプさせられて小銭までむしり取られるのだろうと怯えながら梅田に向かったがこてこての関西弁など誰も使っていなかった。梅田の街並みと東京の区別は最後までつかなかった。東京と同じようなビルで同じようなものを売っているので知らない街なのに全く新鮮な感じがせず、並行世界の池袋を歩いているような気分になった。ちょっと怖かった。
 道頓堀に沿って歩いたとき観光客向けの遊覧船から手を振られつい手を振り返したが観光客同士で馴れ合ってもしょうがないのだった。道頓堀の色あいを眺めていたら急にタピオカミルクティーが飲みたくなり、タピオカぐらいどこかで飲めるだろうと思いながら街をうろつくも本当にタピオカミルクティーが見つからなかった。タピオカミルクティーのない街なんばという記憶だけが残��た。結局東京でもありそうな��ェーン店でカフェラテを飲んだ。
 最後は通天閣に登り、自撮りが大してうまくいかなかったことに憤慨した。見下ろした大阪の街並みは発展具合のわりに人間と車が少ないので変な気分になった。むしろ蟻のごとく人が沸く東京がおかしいのかもしれない。でも私は都民なので東京が大好き。レイア姫に会ったら「八王子と共にあらんことを」って言ってくれると思う。多分。住民票横須賀にあるけど。
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alexswak · 5 years
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Hikawa Ryusuke’s Akira Article(jp)
Hikawa Ryusuke is probably the most famous Japanese anime critic. He wrote an extensive article on the anime industry before and after Akira, articulating what lead to Akira and how Akira influenced the industry thereafter. This article was published in "Akira Animation Archives” which is rather hard to find in good condition, so I thought I might copy the article somewhere. It’s in Japanese nonetheless, as I’m not capable of translating such a sophisticated text, but I hope me publishing this article would lead to someone being interested in translating it. I believe it contains some pretty useful and valuable information. 
‘80時代----「Akira」が”ANIME”にもたらしたもの
本書では、アーカイヴよしてアニメーション映画「AKIRA」の現存する制作資料を句能な限り良好な状態で収録した。完成フィルムとは異なるプロセス上熱気や思いが、そこに見えたことと思う。では、こういった成果物を生んでいった周囲の状況はどうだったのだろうか。あるいは歴史の中で「AKIRA」という作品はどう位置ずけられるのだろうか。あとがきにかえて、ここにその俯瞰図をまとめてみた。
アニメ史から見た’80年代
アニメーションは今や会社にとって、子供のための娯楽映像という存在のみの状態から完全に脱皮し、広く青年、大人へ、あるいは世界へと観客層の拡がりを見せている。
そのきっかけは、1977年、「宇宙戦艦ヤマト(映画版)」の巻き起こした”アニメブーム”である。ところが「AKIRA」の上映された1988年。。。それかれあ約10年が過ぎたころには、原初のアニメブームが持ってータ熱は��め、明らかに大きな陰りと断層が見えていた。富野由悠季監督作「機動戦士ガンダム」(1979年作品)を産み、アニメブームを牽引した巨人ロボットアニメ作品がTVから一時撤退しているのがそれを象徴しており、オリジナリティや作家性に期待されたビデオアニメもぱっとせず、時代の節目となる兆候がいたるところに見られた時期である。
ブームを陰らせた原因は、大きく以下のつではないかと推定される。
1つ目は学生時代に「ヤマト」や「ガンダム」でアニメに目覚めたいわゆる第1世代(1960年生まれ中心)が、だいたい1982年ごろから「卒業」し始めて会社人になり、’80年代中盤ごろにはほど全員の「卒業」が完了したこと。2つ目は、娯楽性を持った新メディアとして家庭用ゲーム機(ファミコン)が五すぐ急成長したこと。これによって「ドラゴンクエスト」(’86)など高い物語性を有るし、観客が参加する句能なRPGという、アニメよりもおもしろいものを購買層が見つけてしまう。3つ目は、この時期にレンタルビデオが300~500円という価格で全国配備完了したこと。これ以後アニメはハリウッド娯楽大作と同額という、激しいコンペティションに常時さらされていくようになる。
こういった状況下では、アニメ企画も変化さざるを得ない。作品企画をたくさん回して何本か当たるものがあれば良いという風潮よりは、いわゆる”選択と集中”が行われ、セグメンテーションがシフトしていく。ひとつの例がビデオアニメの変化だ。1987年ごろまで、オリジナルビデオアニメ(OVA)の主流は「プチ劇場アニメ」であった。つまり興業規模や尺の観点からすると映画館にかけられるほどではないが、スター性のあるスタッフやキャストを前面に押し出してセールスする方向性だった。これが輝きを失った対抗策として、1988年の「機動警察パトレイバー」が30分6本シリーズの新フォーマットとブロックバスター価格(4,800円)を提示し、逆転ヒットを果たす。結果、OVAは「プチ劇場」から「デラックスなTVアニメ」へとセグメンテーションをシフトさせていった。「AKIRA」が登場した1988年は、日本のアニメーション界自体が、こういった大きなパラダイム・シフトにされされていた時期であった。この周囲状況の変化を念頭におくと、なぜ「AKIRA」がこのような作風となったか考えるとき、理解の一助となるだろう。
’80年代前半、劇場アニメの新時代到来
ビデオアニメという、”TVアニメ以上劇場アニメ以下”というジャンルが新設されたことは、逆に劇場アニメに要求される価値レベルを上げた。それと呼応するように、劇場用アニメーションは’80年代前半に新時代を迎えている。
1983年末に、成人向け以外で初のOVA「ダロス」がバンダイビジュアルから発進する。同年春には角川書店がアニメ制作に進出、マッドハウス制作「幻魔大戦」を公開する。それがキャラクターデザインに大友克洋を起用した初の作品であるのも因縁めいている。1984年には、それを迎撃するような動きがある。講談社が夏に同じマッドハウスで「SF新世紀レンズマン」を制作。だがこれは慘敗に終わる。一方、徳間書店は春にアニメージュ誌に連載されていた「風の谷のナウシカ」を原作者・宮崎駿目身が監督という形で劇場アニメ化、大ヒットとなる。
結果、東映長編漫画映画の血脈を持つ宮崎駿監督と盟友・高畑勲監督の作品をつくる目的で徳間書店の出資によるスタジオジブリが結成され、1986年の「天空の城ラピュタ」を経て1988年には「となりのトトロ」が「火垂るの墓」と2本立て興行で公開、”ジブリ” ”宮崎アニメ” というブランドこの時期に完成した。
玩具や出版に携わる会社は、アニメブームの当初は著作権のニ次使用者であった。ところがその利用側だった会社が発信側に回って一次著作者となるとともに、コンテンツを多彩な展開に使うことを開始、勝者を生み始めていった時期と見ることができる。
「ナウシカ」と同じ1984年春には、押井守監督の名を一躍有名にした「うる星やつら2ビューティフルドリーマー」が公開、その作家性を世に知らしめた。同年春には「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」が劇場公開。河森正治が弱冠24歳で監督し、それまで版権イラストでしか描かれなかったような細密な描き込みを行ったことで、大きな話題を呼んだ。
こういった”作家性” ”緻密さ” ”リアリティ重視” ”若手” ”新規参入会社” という流れの頂点に立つのが、1987年の「王立宇宙軍 オネアミスの翼」である。この映画はバンダイ制作による劇場アニメの第1作で、のちに「新世紀エヴァンゲリオン」(’95)を制作するガイナックス初の作品でもある。山賀博之監督以下、中核スタッフは大阪でSF大会用映像をつくっていたアマチュア集団ダイコンフィルムの出身で、いわゆるオタク第一世代にあたる若手だ。
彼らの劇場映画「王立宇宙軍」は、そういうパロディ色の強いフィルムになるというおおかたの予想を裏切り、市井の若者が持つ等身大の挫折と野心を当時としては画期的なリアリティをこめて描ききった野心作として公開された。
リアル系作品を貫く人の流れ
このように、’80年代の動きを追っていくと、やがて’90年代になって世界に日本発の”ANIME"の名をとどろかせるべき、ほとんどの役者(アニメクリエイターと会社)が出そろいつつある様が見えてくる。
この流れに、’80年代後半の2つの出来事を追加したい。一つはビデオアニメの覇者「機動警察パトレイバー」が1989年に映画化され、その制作現劇が後に「攻殻機動隊」(’95)をつくるプロダクションI.Gになって、ビデオシリーズから格段にアップグレードした映像を見せたこと。そしてもう一つが本書で取り上げた作品「AKIRA」---そのもたらしたアニメ映像への考え方と、人の流れである。
’90年代につながる流れを見ておこう。「AKIRA」制作末期には、スタジオジブリで「となりのトトロ」を終えたばかりの原画マン(高坂希太郎、 二木真希子、金田伊功)が参加。その”お返し”という意味か、ジブリの次回作「魔女の宅急便」(’89)には森本晃司、井上俊之らが原画で参加している。ここで森本晃司と当時ジブリの制作デスクを担当していた田中栄子が出会い、片渕須直や佐藤好春らとともにスタジオ4Cを結成。大友克洋原作・監督「MEMORIES」(’95)や大友克洋XX成・総監修の「スプリガン」(’98)生む母体となっていく。
また、「AKIRA」における出会いが北久保弘之監督作品「老人Z」(’91)を生み、大友克洋は原作・脚本・メカニックデザインを担当している(キャラクターデザインは江口寿史)。この作品には緻密な絵を描く漫画家として知られていた今敏(こん・さとし)が美術設定でアニメ初参加。今敏は大友克洋のアシスタント経験もあり、実写映画「ワールド・アパートメント・ホラー」(’91)を漫画化した作家だ。「MEMORIES彼女の想いで。。。」の脚本を経て、マッドハウスで「パーフェクトブルー」(’98)、「千年女優」(’02)を監督する今敏は、「老人Z」で北久保弘之、沖浦啓之と机を並べていたという。
インタビューページにもあるように、沖浦啓之は「人狼 JIN-ROH」(’00)、北久保弘之は「BLOOD THE LAST VAMPIRE」(’00)と、90年代未にプロダクションI.Gの成表作を監督することになる。
ここでこういった流れを全部追うことはできないが、「AKIRA」を振り出しにした連鎖反応は多い。人と人に展する技術は流れ、人の進団たる会社を媒介として継承されていくという認識は重要だ。そのように見ていくことで、作品と作品の間に血が通い、ときに遺伝子のように形質を移し替えながら進化をうながす、そういった有機的な結合が見えてくるからだ。この認識を持った上で、アニメーション映画「AKIRA」の位置ずけと、この作品がもたらしたものへの考察をもう少し進めていこう。
アニメーション界に到来した二度の”黒船”
こういう説はどうだろうか。日本のアニメーションは、”黒船”の到来を二度受けているというのは?
非常の失礼な考え方かもしれないが、鎖国をしていた日本が欧米から開国させられ、欧米文化を取り入れて”近代日本”になったように、”アニメーションの国”に”漫画の国”から黒船がやってきて、大変革があったーーーそういうイメージが、どうしても脳裏に浮かぶのである。
一度目の”黒船”とは、手塚治虫のTVアニメ「鉄腕アトム」である。手塚漫画の功績は、乱暴にまとめると、描き割りじみた平面的な日本の戦前漫画に、映画的・映像的なカット割りと構図を連想させるコマ割りを導入し、エポックをもたらしたということになる。
しかし、手塚がアニメ版「アトム」で導入したのは、逆に電気紙芝居と揶揄されたほど非映画的で、止め絵のズームや強引なカットバックでフィルムをつないだものだった。これは、漫画のコマ割りの間にある断層をそのまま持ち入んだような作法である。TVシリーズ予算の問題に対する解決案として、よく槍玉にあげられる3コマ打ち(★1)の導入よりも、このカット割りの方が後世に対する影響は強いのではないか。よく動かそう、アニメ―トしようと見せ場をつくるよい、1枚絵の密度を上げ、少ない枚数、場合によっては止めの積み重ねで見せていくという”アニメ”(呼称も省略形が似合う)の手法は、これは現在でもTV作品の主流になっている。
こう考えて来ると、二度目の”黒船”が大友克洋の本作「AKIRA」という考え方も、何となく成立するように思えてる。”アニメ”は、ここで”ANIME"(★2)への第一歩を踏み出した。。。というと、作り手側は違和感を覚えるかもしれないが、観客サイドからのこういう整理もアリと思って大目に見て欲しい。
1980年前後、大友克洋が漫画界へもたらしたショックは、かつての手塚治虫に匹敵するものがった。日本人の”日本人らしさ”を骨格、骨相とも正確にとらえた人物造形、メカニズムやビル群といったものを緻密に描き込んで厚みを加えられた世界観、映画的な構図とコマ割りなど、漫画に新しい潮流をもたらした。実際、大友克洋以前と以後では、漫画全体に密度感やリアル感という要素は、もし定量化できるとすれば明らかに増大しているであろう。
「AKIRA」以前以後の変化とその要因
問題は、アニメーション「AKIRA」の場合に何が起きたか、「AKIRA」以前以後で何がどう変化したかということに紋られていく。
まず、「AKIRA」の公開時によく言われた「2コマ打ち、リップシンクロ」については、新規技術でも何でもないフルアニメーションの本来的な定義である「画面内にあって動くべきものはすべて自然に滑らかに動かす」という観点からすれば、対費用効果を無視すれば当然の手法である。クイックアクションレコーダー(★3)も制作プロセス上の省力の問題であり、表現には影響しない。黎明期のCG導入(スペシャルパターンの回転)も、光学合成の代用的な使われ方しかしておらず、見せ場となったわけでもない。
こういった宣伝向けに言われてきたことではなく、もっと表現の根幹部分に、むしろ本質的な変革があったように思われる。
キーワードとしては、大友が漫画に与えた影響の劇合と同じく、密度感とリアル感(リアリティ)が中心に来るのでないか。
「AKIRA」で新しい試みのように言われていることは、実はディズニーを代表とするフルアニメーションの作法であった。では、それを導入して「AKIRA」がディズニーのようなアニメーションになったかというと、それとはまた違うところがおもしろい。ここで密度感とリアル感の問題が浮上してくる。ディズニー的なアニメーション作法は、教科書の1ページ目に「スクオッシュ&ストレッチ(漬しと伸び)」と書いてある。つまり、実際の自然現象を省略と誇張することによって、人間の動体に対する感覚をブーストしてある種のトリップ感を引を出すということが、彼らのアニメーション哲学というか、大前提の考え方として存在しているわけである。
ところが、これがわれわれの目からすると、このゴムのような動きはリアリティを損なうものと映る場合が多い。これはディズニー的なものを貶めているわけではなく、文化・作法の差の問題だ。では、「ゴムのようにグニャグニャしないフルアニメーション」があるかというと、それはある。太平洋戦争中のフライシャーによる短編アニメ「スーパーマン」がまさしくそうだ。ここに登場するメカニカル・モンスターは、重心を移動させながら足を出して歩くと、一瞬遅れて手がぶらつくといった、破綻なくもっともらしいアニメートを見せることで確保されたクオリティが、リアリティの震源地である。
だが、それと比較しても「AKIRA」は異なっている。「AKIRA」の場合、ショット全体が抱える重みと、それがフィルムの流れの中で生み出していくリズムが、密度感とリアリティを発生させているように思えるのである。その重みの大半は、作画(原画)段階のモーション部分もあるが、大半はそれ以前の画面の設計図であるレイアウトの段階で盛り込まれている。
ここで大きく要求されるのは、情報量の盛り込み方と取捨選択、すなわちコントロールである。
仮想映画的な考え方
アニメーションの構図は、実はアニメート優先で考えられてきた歴史がある。連続的に絵を積み重ね、軌跡を追って描くときに有利なアニメ的画面構成というものが存在する。歪みのないやや広角気味のレンズ、ピントはパンフォーカス、ライティング位置下明(平行光線の屋外)、そして足が地面につかないようややアオリ気味にして背景が楽になる空、室内なら天井が大きく映り、人物の傾きはシチサン(7:3)でという、ひどくスタンダード臭の漂う画面である。
「AKIRA」原作者の大友克洋は、自主映画で監督をつとめるほど実写映画のフィルムメイキングの演出に詳しく、漫画にもそれを仮想映画的なものとして反映してきた作家である。対して当時のアニメの水準では、そのような”仮想映画的に撮る”という考え方は、まだ主流ではなかった。レンズを意織した構図をとり、フレームを決め、ショット内に重みをもたらす飾りつけを行い、観客のエモーションを巻き込む求心力となる役者やメカの芝居といったものを細かく指定し、極力雑多な情報を少しでも多く取り込み。。。という、実写的な姿勢、考え方は、「AKIRA」の絵コンテからレイアウトいたる段階まで通底している。
そして集ったアニメーターは、その考え方に基づくレイアウトが次にアニメーション段階で求めるもの。。。当時としてはまだ夢のようであった”仮想的リアリティ”という要求条件に対して苦闘し、スタジオが解散した後も見果てぬ夢のようにそれを望み続け、各々の作品で各人なりの咀嚼で追求することを始めていったにちがいない。もちろん、そこから離れる場合もあったろうか、しかし何かを意識して離れるということは、実はその何かを求めることと、そんなに遠い行為ではないはずである。
ここで言う要求条件とは、作品に臨場感をもたらすためのものである。なぜ臨場感が必要かとさらに突っ込めば、”絵で描いた世界”に没頭して物語を世界ごと”そこにいる感覚で”楽しむためである。
ごく当たり前のことだ。だが、その一番当たり前のことも、すべて
が作り物のアニメーションのフィルム中では、実は非常にいろんなことを意識的に考え、実行しないと違成できないということなのかもしれない。
15年目の 「AKIRA」
こういった考え方がスタッフにじわじわと浸透しながら完成したフィルムが、「AKIRA」なのだろう。クリエイターたちがそこで夢見ながら違成できなかったことを追求し、続く作品でどんどnアニメーション表現を深化させ、リアリティ追求をエスカレートさせていったのが、その後15年の”ANIME”の歩みと総括できるかもしれない。
もちろん「AKIRA」だけが単独でこういう考え方をとっていたわけではない。恐らくそれは時代の要求だったのだろう。「王立宇宙軍」が代表するように、同時代的にいくつもの作品、何人ものスタッフが挑戦していった果てのことだ。だとしても、世界的知名度やセールスの成功事例として、「AKIRA」がきっかけであり分水嶺であったとは確実に言えるだろう。
結果的に作画や背景の描き込みは年を追うごとに幾何級数的に増え、人間のアクションは細かい関節部まできちんと追われ、レイアウトはパースに狂いがなく、光源は常に意識され、特殊な仕上げや撮影効果は常時ふんだんい。。。と、青天井のようにアニメーション作品の密度は濃くなる一方だ。初公開時にはあれほどリアルに思えた「AKIRA」が、今観ると非常に漫画的にも見えるのが、何よりの証拠だろう。
臨場感のせいで「リアルな作品」呼ばれるようになったがゆえに、レアリティ追求のため、底なし沼のようにアニメ作品は情報量を飲み込むようになっていた。情報量とはアニメの場合は人手そのものであり、金であり時間である。そして、スキルやノウハウは人に溜まるから、「リアル作品」とは非常に属人性の強いものとなる。その状況は、この種の作品リストから原画マンやレイアウトマンの名前を横に並べたりすれば、すぐに���解できることだろう。
15年を経過して、「AKIRA」に匹敵する新たら分水嶺は、はたしてどのような形で来るのだろうか。それには大友自身の新作「スチームボーイ」がある回答を提示してくれるのだろうか。非常に楽しみである。
次の15年を考えるために、15年前のブレイクスルーがヒントになるかもしれない。
そのためにも、本書が役立てば幸いである。
★1「3コマ打ち」---同じ絵を3コマずつ撮影して動きを設計するアニメーション技法。「打つ」というのはアニメーターがタイムシートに番号を書き込む行為を感常的に表したもの。それまでのアニメーションは、2コマ打ちが標準で速い動きのみ1コマ打ちだった(フルアニメーション=1コマ打ちは誤った定義)。3コマ打ちだと滑らかさは喪失するが、当初TVはブラウン管自体に残像があるので良い等とされたという。ところがこれはコスト削減にも直結するため、やがて劇場作品も経営者によって3コマをスタンダートとするようになっていく。
★2「ANIME」---マスコミで使われる”ジャパニメーション”という単語は、X称(ジャップのアニメーション)という説がある。事実、米国の雑誌や店頭ではほとんど目にしないため、ここでは”SAMURAI”のように日本語がそのまま英語化した”ANIME”を用いた。
★3「クイックアクシオンレコーダー」---’80年代から導入きれるようになった機械。アニメーターは何枚かの原画・動画が完成するごとに、指でパラパめくって動きに狂いがないかをチェックする。通称、「指パラ」と呼ばれる作業で、これは動きをチェックする第一段階だ。当然「指パラ」だけでは確認しきれない、複雑な動きも出てくる。米国でのフルアニメーション制作にはライン・テスト(ペンシル・テスト)という工程があり、ペイントする前に動画にブレ等の破綻がないかチェックする。フィルム撮影を使用するため、コストの関係で国内ではほとんど省略されていた(間に合わせのダミーとして線画を撮影することはあるが、目的が違う)。それを擬似的に行う装置がこれで、ビデオによってタイムシート通りに動画をビデオに取り込み、完成フィルムではどう見えるか、ペイント前にチェックする機械である。「AKIRA」のクイックアクションレコーダーによる画像が、「AKIRA DVD SPECIAL EDITION」(バンダイビジュアル)に特典映像として収録されている。
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べーる/BELL interview
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8月14日、アーティストとして活躍する、べーる さんにインタビューをしました。
英語版はこちらから
https://invisiblereality-kua.tumblr.com/post/674240607557992449/bells-interview-english
こちらの記事でもべーるさんとのインタビューで得た事について紹介しているので是非ご覧ください!
インタビューの中では、彼女のパーソナルな経験や現在のセクシュアリティに関しても答え、また掲載の許可をして下さいました。更に、社会のセックスに対する考え方、姿勢や性教育の在り方とその未来の展望についても深い見解が聞く事が出来、本当に読み応えのある内容となっています。
本プロジェクトの1月24日から28日まで京都芸術大学内で開催される展覧会『間接証拠-Circumstatial Evidence-』ではメンバーのWanがべーるさんとコラボした作品を発表する予定です。是非ご覧くださいませ。
———自己紹介お願いします。
横須賀市出身で、ベースの隣の学校に行ってた。大学入る前から東京に引っ越してきて、その時は絵は昔から好きで書いてきたけど、そんな真剣にやろうと思ってなくて、書いてなかったけど、大学3年の夏ぐらいから真剣に画材を買って描き始めて、投稿していったら反響が良くて、今に至ってる。
それと同時に、今はヌードモデルをやり始めた。知り合いの写真家がヌードやってるって教えてくれて、彼の写真がすごく好きで、ずっと被写体になりたかったんだけど、普通の被写体はやりたくなくてずっとやってなかっけど、やりたいってなって、初めてやったのがヌードで、この家と外で撮った。これやってたら色んなマガジンとのコラボ(purple millennium)とか写真のネガのコラボとか色々やってたら、色んな所からライブペイントやったり、広がっていって、今はnose(Nose Art Garage) で展示をしてる。
———アーティスト以外は何をしてるの?
立教大学の文学部歴史学科のイスラム教専攻で、家が創価学会で日蓮宗系統。私も名前は入ってるんだけど信者ではなくて.。でも高校生まで朝1時間夜1時間で、お経を読む儀式をやってた。小中高もキリスト教、プロテスタントの学校で育って、聖書読んだりとかしてた。何教っていうより、信じる心が面白いなと思って大学でイスラム教を知りたいなと思って専攻した。で、イスラムのジェンダーをやりたくてやってみたけど、元々違う文化構造でやってきた所に西洋的なジェンダーを重ねても無理だなと気がついて、日本のジェンダー、アメリカのジェンダー、人種差別も調べたけど、インテリの権力が強すぎると思ったから、大学院に行くのやめて、普通なミクロな視点でやっていこうと思った。学んでたけど、客観的な、一般的な視点で伝えることが多い。今後はオンラインの仕事をメインにしようと思ってる。それは、日光過敏症が激しく出過ぎちゃって、やめなきゃいけなくなっちゃった。一番力を注いでるのは、人との関係性作りかな。
―――自分のセクシャリティに気がついたのはいつ?
自分のジェンダーアイデンティティに気がついたのが先だった。男の子と趣味があって、男の子と一緒に小さいときは遊んでいて、あんまり女の子の会話についていけない所があって、小学校の時から自分はずっと男の子だと思ってた。でも保健体育の授業で、男と女は生まれたときから身体が違うということを知って、自分で確認したんだけど、ついてなくて(笑)それで、成長していくにつれ、100%女だって気が付いてきた。無意識にそれまで生きてきたんだけど、高校生になって、思春期もあって、自分は女じゃないなって思って、ベリーショートに髪を切った時期もあったんだけど、男にもなり切れなくて。それで、genderの本を手にとって読み始めた時に、x gender とか、グラデーション、っていうのがあることを知って、自分はこれなのかなって薄々気が付いてきた感じ。大学1年生の後半から大学1年生の後半まで、男性と付き合ったんだけど、別れてから、女として扱われたのがきつかったなって思った。そこで自分がnon binary だって自覚した。付き合った時は、女の子らしくしようって頑張ってたんだよね。
Youtubeの「CUT」 をみた時に。自分の思っていたアセクシャルとは違う人が出ていて、自分に近いと思って調べていったら、どっちかというとアセクシャルよりなんかなって自覚している。
【最近のべーる/BELL】
べーるさんにインタビュー文の内容を確認したところ、彼女から現在のセクシュアリティについて教えてくださいました。
「最近アセクシャルも当てはまるけどアロマンチックの方がアセクシャルにより近いグラデーションにいると思う!セックスが気持ち悪いという感情の理由に恋愛感情が薄くてみんなの事を友達としてみているって感じてたけど、今はパートナーがいて、セックスも大丈夫。でも今までにない特別な感じなんだよね。だからデミセクシャルでアロマンチックが今のところ合ってるのかなぁって思う。恋愛感情が無くて良いって思えたらすごい自由になった感じ!自分らしく生きながらパートナーと暮らせてる。恋愛感情がないから寂しいとかは無くて、親友レベルの人の中で一緒に暮らせて一緒に人生歩んでいきたいっていう想いに近い」
―――color wheel みたいだね。
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本当にそう思う。もしかしたら、変わるかもしれないし、自分も変わるかもしれない。けど自分が心地良いのは、この感じだなとは思ってる。
―――クイアコミュニティはどのように探しているの?
昔は、二丁目のビアンバーにいってた。自分のセクシャリティが分からなかったから女の子からアプローチを受けても居心地悪かったんだけど、分からなかったからとりあえず行ってた感じ。でもセクシャリティが違うから共通の友達は見つけられなくて、tinderを始めた。クィアって書いてある人とどんどんマッチングさせていった。使っている人が日本人だけじゃない、海外のクイアの人で友達探しをしている人もアーティストもいるし凄い広がった。
――――アーティストになったきっかけは?
ここ数年は、5年前に受けた教師からの性被害でPTSDの診断を受けている。頻繁に症状が出てしまうんだけど、それで学校に行くのも、過去にやっていたアルバイトにも支障が出てしまう程、強い痛みを伴う症状が頻繁に出るんだけど、今でもそれが何なのか分かってなくて、色々調べてる。それで、レディーガガがテレビで、性被害を受けた過去の経験から、線維筋痛症っていう病気と戦っている事を話していたのを見て自分が抱えているPTSDの症状が似ているなと思った。それを知る前からも、色んな病院に行ったり、大学の無料カウンセリングを受けたりしてたけど全然効果が無くて合わなかったんだけど、2017年に受け始めていたバウムテストが一番続けられたから絵だけに絞っていった。描いている間は、何も考えなくていいからそういう時間が初めて自分にやってきて、今もヒーリングみたいな感じで描いているのもある。でも絵を描いてても、今抱えている頻繁に発症する痛みはまだ治らないから、今もこれからも向き合っていくし、解決策を探している。
※PTSDについて追記 frm Bell
「発症した時は、発症した自覚がないままおかしい自分の状態を何とかしようと精神科、心療内科をものすごい数行ってみて、大学の無料のカウンセリングも受けた。でも誰からもPTSDだと診断されなくて、性被害についても話すことが出来なかった。強い抗うつ剤が出された時、体に合わなくて一晩中胃痙攣が止まらない時とかあった。フラッシュバックしたときの前身の痙攣と痛みと記憶が飛んでしまう症状の中、無意識に大量に薬を飲んでしまうときがあって怖くなったから薬はやめた。症状が出始めた2017年は殆ど働くことが出来ず、お金もない中病院に行くのも精神的にも経済的にも苦しかった。そもそもスーパーに行っても電車に乗っていても涙が止まらなくて過呼吸になり、家にたどり着けないことがほぼ毎日だったため、玄関を開けるたびにフラッシュバックするようになっていった。その間に精神科で実施したバウムテストで絵のヒーリングの力に助けられた。この時の私の絵は人に見せたりするものではなくて、私が生きていて唯一怒りではなく悲しみだったり、初めて涙が出たのもこの時だったし、PTSDで歪んだ感情が少しずつ感じられるようになった。
それから2018-2021年まで、様々な精神科に行ったが何もいい結果やいい薬をもらえたことは無かった。さらに生活できないほどのPMDDのためにピルを服用し、腹部の激しい痛みのために何回も救急車に運ばれて何か月もかけて検査をした結果何も見つからずストレス性過敏性胃腸炎と診断され、持病の光線過敏症が悪化した。2021年、酷いフラッシュバックが再発した時に初めて性被害者支援所の24時間受付の電話番号にダイヤルをした。そこで何があったか、5年も前の話をし、サポートの対象となりその紹介の性被害者の通う心療内科を受診してPTSDと診断された。そこで認知心理療法を受け、精神的な性被害からのダメージが軽くなっていった。そして現在は初めて全身の痛み��治療を受け始めている。この間、仕事をしなくては生きていけなかったために無理やり働いていたが、酷いフラッシュバックが起こるたびに一か月以上安静にしなくては全身胃の痛み、激しい痛みを伴う胃腸炎、フラッシュバックのために一睡もできない状況が続くため、仕事を長く続けることが困難であった。」
―――クイアアーティストとして生きていく上でのむずかしさはある?
むずかしさは、どっちかっていうと日常生活の中で感じる事が多いかな。アートに関しては、LGBTQとかが話題になっている時代だからこそ、良いように作用する場合がある。自分はアセクシャルでも、シスジェンダーにも見えるし、セクシャルな人にも見えるからパスされやすいのが大変かも。ヌードの写真撮影の時とかは、すごいグイグイくる男性が多い。自分は全然したくないし、オッケーとも言ってないけど、密室だったり、夜遅くて外とかだと、そういうのが多かったのはある。
(追記:以下の文章は特定の理由により、匿名にしております。)
この前は結構有名な写真家Mが私の事を撮影したポートレートが美術館に許可無く飾られていた事があった。最初にMとあったのはMがオーナーのギャラリーで写真家の友達が展示をしていて、その期間中搬出を手伝っている時だった。そこで、Mに自分の作品を見せる機会があって、作品と私の事も気に入ってくれて、それから、食事に誘われるようになったり、自分の作品を撮影してくれたり、それをギャラリーの出版社を通じて出版する話も持ちかけられたりした。最終的に、Mの作品として自分が映ったポートレートを撮る事になった。これは自分の展覧会を開く事も、アートの世界を知る前だったからこれが普通なのかと思っていた。でもこんなに尽くして上げているんだから愛人になってほしいってMから言われて凄く嫌な思いをした事があったの。すごく嫌だったから後日ギャラリーにMがいない日を確認して自分の作品を回収して、会わないようにした。でも数日経ってから、友達が東京の美術館に自分のポートレートが飾られているのを聞いて撮影する時に紙でちゃんと掲載の許可を取ってなかったし、展示に写真を使う事も伝えられても無かったのにおかしいと思った。これは、クイアとかは関係なくて、男女差の感覚によるものだと思うけど、画廊のオーナーとアーティストのパワーバランスの関係性で生まれたんだと思う。
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――――ヌードになる意味ってなんだと思う?
一番最初、好きだからやってた。一番最初に撮ってくれた人の作品が凄く好きで。被写体の女性を凄い崇めているように撮る人ですごいレスペクトしているから、凄いエキサイティングで楽しかったんだよね。それからもっとやろうと思って、他のカメラマンとかインスタからDMとかで声かけてくれる人もいたんだけど、結構、性的な目で見てくる人が多かった。それからヌードになることについて考えた時に、ケヌスクラークのヌードの本の読書会に参加した時に、「楽しいから、向いているからやりたい」っていうだけのままでいたいなって。別に何かに対して抗議しているつもりはないけど、抗議しているつもりなくても性的に見えたり、誘惑しているって思う人もいるから、そういう性的な目線で見られないヌードを自分が出来るかどうかっていうのを考えてやっている。だって作品ってみる人の意見によって違うと思うし、私も正解がないから。その人が見たモノが正解だなと思うから、自分から性的な目で見ないで、ともいえない。これに関しては、コンプライアンスも結構関係していて、これがあるからより性的に見えてしまったりするから。
――――撮影者はどのように選んできた?
むこうからちゃんとした撮影の説明があることと、変な意味の手出しはしないって相手から言ってくれる人を選ぶようにしている。写真業界、ヌードを撮るってなったら、そういう事件が起こる傾向があることは否めないから、敢えて写真家からやらないっていうのは、配慮がないのかなって思い始めた。その人にヌードの経験がない人や、そういう下心がない人もいると思うけど、選ぶうえでもう嫌な思いをしたくないから、そういう事を言ってくれる人ってなったら、殆ど女性のカメラマンになっていた。男性もいるけど、身を守る為にも、ちゃんとした人を選ばないと、責任もお金も精神的にも辛いから。
――――ヌードモデルをやる事で感じる良い所は?
解放されるのもあるし、身体のラインを動かしたり、見るのがすき。自分でインカメで写真を撮ったりもする。人体の動くラインや体型が、変わった時に、そのラインにどう影響を与えるのかを見るのが好きだし自信を持ている瞬間かな。
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――――将来的な自分自身の目標は?
画家のキャリアを重ねていく事かな。絵のゴールは無くて、ゴール決めたら終わりだから。だからゴールを持たずに書き続ける事が一番難しいし大事だと思うから、アトリエをもって写真のスタジオのある部屋でアーティストと一緒に制作をこれから続ける。あとマガジンを作りたい。ダダの時代に連盟を組んで、雑誌を販売していたような事をしていきたい。アセクシャルについての雑誌も作ってみたいなと思う。アセクシャルってマイノリティだし、凄い人によって違うから、色んな人に会って作りたい。あと、ラジオも続けていきたい。やりたい事がいっぱいある。
――――もし制作に予算を考えずに、なんでも作っても良いって言われたらどうする?
家を建てたい(笑)アーティストハウスみたいにしたい。ずっと夢なのが孤児院みたいな施設で絵の先生をずっとやりたくて、絵を通して愛とか、道徳とか宗教、セックスについて考えるとか、人として大事な事を勉強できる絵画教室見たいな、話しあえる絵画教室をやりたいなと思っている。これまで絵とか音楽とか芸術に救われてきたから、絵画カウンセリングとか、マイノリティの学校とかに行って、その人たちに教えてもらったり、、、そういう事を考えている。あとは、布だけめっちゃ大きいもの買って、めっちゃ大きい絵、ライブペイントしたい。結構コンテンポラリーダンサーとかとコラボして、祭りみたいな事をしたい(笑)
――――BELL ちゃんにとってクイアネスとは?
生きやすくなる人もいるんだとおもう。男とか女という枠組みを消すんじゃくて、そこに入らなくてもいいっていう選択肢としてクイアがあると思うから。
――――日本社会で同性婚が合法化しない現状についてどう思う?
その人が生きてる視点はその人にしか分からないし、社会的にシスジェンダーの男性が一番差別を受けにくいって本人たちに行ったところで分からない。本人たちもこの社会で苦労して生きているし、それなりに社会的地位の上にいるってことは、そこにいなければいけないプレッシャーも収入面とか、みんな生きにくさを抱えているからこそ難しい。だからこそ、一つ一つ丁寧に、違う立場の人が会話を重ねていく事しか解決策がないなとおもう。いろんな差別を敢えて傷つけようと思っている人は少ないとおもうから、何が傷つくかを言っていかなきゃならないと思う。今までは当事者だから、怒りの感情が先に出てしまうことが多いけど、それだけだと相手に謝る余地を与えない会話に発展してしまう可能性を与えてしまうよね。これは、当事者だからやってられない気持ちもあるけど、普段の生活の中でも、人と歩み寄ることは大事。だから会話を重ねていく機会をアートを通じて出来たらいいなと思ってる。
――――日本社会でのクイアについてどう思う?
法律的、政治的には人権はないと思う。あるかもしれないけど、ちゃんと保護されてないよね。結婚もそうだとおもうし。結婚はパートナーシップがあれば良いという人もいると思うけど、家族になるって凄く重要な事だと思う。そこで、出来る事も選択肢も変わってくるから、そういった意味での人権は保護されてないなと思う。あと、学校の教育の中に入っていないよね。一つのらしさに吸収されていっちゃうから、教育の意味でも、そういう人達が普通にいるって事を当たり前の前提で話してほしい。性教育とか、セックスとかコンドームの使い方を教えるとかも日本ではないじゃない?ゲイ、レズのセックスとか、インターセックスの事とかも、保険教育のレベルでいいから普通に書いていれば、自分を否定する事もいじめも、学校っていう場で教えたら、改善されるんじゃないかなと思う。
――――性���育は具体的にどう変えていけば良いとおもう?
日本の性教育は家庭に任されているんだよね。日本の性教育に西洋のオープンな性教育を取り入れても、先生が対応できないからね。この間、ラジオのゲストが、高校生からニュージーランドに行った人から聞いたんだけど、性教育では愛について学んだって聞いた。フェミニズムとかが最先端の国で、研究者とかも行くらしいんだけど、性教育の授業で、隣の人を傷つけない為には何ができますかとか、それがセックスの場面になったらどうですかっていう話をするんだって。それって皆出来る事だよね。だから愛について話す時間があっても良いよね。性教育ってなるとコンドームの使い方とかになるけど、それがなぜなのかについて勉強する時間が必要だよね。クイアネスが難しいところが、男女の恋愛とはちがう事があるからきずつく。だから、その人が自分とは違う考え方を持った人で、愛を持って接さなくちゃいけないっていうマインドが必要なのかなって。
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komagome-soko · 2 years
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Making poetry with solid objects
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この度駒込倉庫にて、グループ展「それは、つまり物を以って詩をつくることである」を開催いたします。
展示作家|エドワード・アーリントン、さわひらき、髙田安規子・政子、杉浦亜由子、曽我英子、大木美智子、中島裕子、西永和輝 会期|2022年1月22日(土) - 2月13日(日)*土日祝のみオープン 時間|12:00 - 18:00   協力|白石正美(アーリントン作品提供)、土井つかさ(デザイン)
「彫刻とは、現実にあるもので、現実世界を表すことである。 それは、つまり物を以って詩をつくることである。」 エドワード・アーリントン (「牛を選別するための方法」1997、p.11)
Komagome SOKO is pleased to announce the group exhibition, “Making poetry with solid objects”.
Artists | Edward Allington, Hiraki Sawa, Akiko and Masako Takada, Ayuko Sugiura, Eiko Soga, Michiko Oki, Hiroko Nakajima, Kazuki Nishinaga Dates | Sat. 21 January - Sun. 13 February, 2022  *Open on Sat., Sun., and Public holidays. Hours | 12:00 - 18:00   Cooperation|Masami Shiraishi (Loan of Allington’s works), Tsukasa Doi (Design) 
“Sculpture is looking at real things by making real things. It is making poetry with solid objects.” Edward Allington (A Method for Sorting Cows, 1997, p.11)
「ニュー・ブリティッシュ・スカルプチュア」の代表作家として知られるエドワード・アーリントンは、日本とゆかりの深い作家です。1984年に国立近代美術館で開催された「メタファーとシンボル」展への参加や、フジテレビジョンギャラリーでの個展*、また、ライフワークとして実践していた日本近代彫刻の研究**など、イギリスと日本を往来しながら、活動してきました。また、制作の傍ら、批評家としてもさまざまなテキストを書き残すとともに、長年、ロンドン大学スレード校でも教鞭をとりました。制作、執筆、教育を自らの活動の三本柱に据えていたアーリントンは、どの活動も広い意味において、彫刻と向きあう行為であると考えていました。本展では、近年日本で目にする機会が少なかったアーリントンの作品やテキストを、アーリントンが教えた日本人作家であるさわひらき、髙田安規子・政子、杉浦亜由子、曽我英子、大木美智子、中島裕子、西永和輝らの作品とともに紹介していきます。また、本展は、アーリントンと彼の教え子との初めての合同展になります。作品を一堂に会することで、形を変えながらも、時代や国を超えて継承されるものにも光を当てていきます。 アポロン神からプラスチックのパイナップルまでさまざまなモチーフを用い、独特の作風で数々の彫刻やドローイング作品を残したアーリントンは、記憶を主題に、オリジナルとは何かを問いつづけた作家です。オリジナルやそれを支えた神話が失われた今もなお、私たちの日常生活のなかに生き残りつづける古典的な形や、コピーとしてしか存在しない大量生産品にこそ、現代の真理があるのではないかと考えました。アーリントンは、これらのモチーフを変形・援用し、ユーモラスかつ独特の組みあわせで作品として蘇らせます。時間や場所、既成概念(共同幻想)を飛びこえ再構成されたこれらの作品は、私たちに新しい世界の見かたを提示します。 記憶、神話、再生といったテーマや、モノやフォルムへの人類学的アプローチは、アーリトンの教え子の作品のなかにも見ることができます。たとえば、映像・立体・平面作品などで構成されたヴィデオ・インスタレーションを制作するさわひらきは、自身の心象風景や記憶をたよりに、実態のない、しかし確実に存在する感覚領域を表現します。おなじように、名前のない感覚や実態のない祈りなどに着目する杉浦亜由子は、人々の意識にしみついた触覚やかたちを見る者に模索させる彫刻を手がけます。一方、髙田安規子・政子は、トランプや切手など身近なものに手を加えることでスケールを転換し、私たちが拠りどころとする価値や基準を揺るがし、世界の見かたを変えようとします。中島裕子も、身近な既製品やファウンド・オブジェを用いた立体作品を制作しますが、ものを本来の機能やコンテクストから切りはなすことで新しい言語を構築し、言葉だけでは捉えきれない人間の内的世界の表現をこころみます。曽我英子は、アイヌ文化を学ぶ活動をとおして、資本主義、植民地主義や国家主義が生みだしてきた現代の価値観を見なおします。アイヌ着物「チカルカルペ」や鮭靴 「チェプケリ」づくりを習い、自身でそれを再生することで得た知識や、出会う人びととの記憶をたどりながら、日常の些細なプロセスやはかない感覚的な側面が、集団性や文化発展といった大きな現象につながる様子を観察しながら制作します。西永和輝は、「装飾芸術」への新しいアプローチを提案します。地球上もっとも普遍的に行われてきた造形活動ともいえる「装飾芸術」。それは一方で、発達すればするほど機能性や生産性を損ない、不合理化していくという性質も持ちあわせます。こうした相反するあり方に注目し「装飾は植物や癌細胞のように人の都合を顧みず成長する」というアイデアを提示します。最後に、イギリス在住の大木美智子は、Black Lives Matter(ブラック・ライヴズ・マター)運動やコロナ以降、これまで以上に社会のあらゆる局面でポリティカル・コレクトネスが叫ばれる現在、コンテンポラリーアートとは、芸術を鑑賞するとは、美的経験とはいかなることかをめぐり考察します。 * 1988年に開催された「エドワード・アーリントン」展 ** 武蔵野美術大学とヘンリー・ムーア・インスティテュートとの国際共同研究
[作家プロフィール] エドワード・アーリントン:1951年イギリス、ウエストモアランド生まれ。ランカスター美術カレッジ(1968-71)、セントラル美術学校(1971-1974)、ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(1983-84)で学んだ。作家として活動する傍ら、2000年から2017年まで、ロンドン大学スレード校の教授兼大学院研究科長を務めた。主な展示に「Object and Sculpture」ICA(1981)、「The Sculpture Show」The Hayward Gallery (1983)、「Drawing Towards Sculture」ICA(1983)、「メタファーとシンボル」国立近代美術館(1984)、「Ideal Standard Forms」Northern Centre for Contemporary Art(1985)、「エドワード・アーリントン」フジテレビジョンギャラリー(1988)など。
さわひらき:石川県生まれ。2003年ロンドン大学スレード校美術学部彫刻科修士課程修了。ロンドン在住。映像・立体・平面作品などを組み合わ せ、それらにより構成された空間/時間インスタレーションを展開し独自の世界観を表現している。自らの記憶と他者の記憶の領域を 行き来する反復運動の中から、特定のモチーフに光を当て、そこにある種の普遍性をはらむ儚さや懐かしさが立ち上がってくる作品 群を展開している。主な展示に「Memoria Paralela」Museo Universidad de Navarra (2019,スペイン パンプローナ)「Latent Image Revealed, KAAT Exhibition 2018」神奈川芸術劇場 (2017,横浜)「Under the Box, Beyond the Bounds」東京オペラシティアートギャラリー / Art Gallery of Greater Victoria (2014,東京/カナダ ビクトリアBC)など。 http://hirakisawa.co.uk/
髙田安規子・政子:1978年東京生まれ。2005年ロンドン大学スレード校美術学部彫刻科修士課程、2007年研究生修了。一卵性双生児でユニットとして活動している。身近なものや日常風景のスケールを操作し、モノの大きさの尺度や時間感覚について人々の認識に問いを投げかける作品を発表している。2005年ロンドン大学スレード校修士課程修了後、主な展示に、「いちはらアート×ミックス2020+」白鳥保育所(2021)、「日常のあわい」金沢21世紀美術館(2021)、「縮小/拡大する美術 センス・オブ・スケール展」横須賀美術館(2019)、「Through the Looking Glass」Cob Galleryロンドン(2018)、「装飾は流転する」東京都庭園美術館(2017)、「さいたまトリエンナーレ2016」旧部長公舎(2016)、「線を聞く」銀座メゾンエルメス フォーラム(2015)、「春を待ちながら やがて色づく風景をもとめて���十和田市現代美術館(2015)など。https://www.amtakada.com/
杉浦亜由子:1984年東京都うまれ。2007年武蔵野美術大学彫刻学科卒業。2010年ロンドン大学スレード校美術学部彫刻科修士課程修了。ただの物質が人の手によって美術作品として形づくられたときに、物質以上の何かを見出す効果に注目し、宗教建築や自然界にある形や素材から発想を得て、本能的な「信仰心のようなもの」を想起させる作品を発表している。主な展示に、「ロンリーロンリー論より証拠 」(2021)、「アースライト—SFによる抽象の試み」(2020)、 「Matrix Session」 (2019)、「ART VACANCES」(2017)、「Spring Fever」 (2017)、 「Inside the Layers」 g-FAL, 武蔵野美術大学(2014)、「Kaleidoscope」ロンドン(2012)、「The Charter of the Forest」 The Collection, Usher Gallery & Chambers Farm Wood (Wragby), リンカンシャー(2011)、London Art Fair - 「Art Star Super Store」 by WW gallery, ロンドンアートフェア、ロンドン(2011)など。http://www.ayukosugiura.com/
曽我英子:ロンドン大学スレード校彫刻学科卒業後、北海道でフィールドワークを行うようになる。アートの視点から、社会環境から感じる違和感をどう理解し「問う」ことが可能であるかを探求しながら活動を続ける。現在、オックスフォード大学ラスキンスクールオブアートで博士課程に在籍。主な展示に「My Neighbour's Meal / More-Than-Human World」オックスフォード大学TORCH x Fusion Art, オックスフォード(2021), 「ご近所さんの食事」いちはらアートxミックス(2021), Video Forms Digital Arts, パリ ( 2021)「Autumn Salmon」Pitt Rivers Museum, オックスフォード(2021), 「Ainu Hunter, Mon-chan」Bagri Foundation,ロンドン(2020),「いま、宮本常一から学ぶこと~ つくり手たちの視点から~」市原湖畔美術館(2019-20), 「KUROKO」Index Festival、リーズ(2019)「根曲竹」ウイマム文化芸術プロジェクト~」(2018)など。https://www.eikosoga.com 大木美智子:ロンドン在住、美術史家、作家、翻訳家。文学博士(比較文学・芸術学、University College London, School of European Languages, Culture & Society、2014年)。近・現代芸術・文学において、寓話やフィクションという形式で表象される暴力と権力の様々な様相について研究・執筆を行う。現在、ロンドン芸術大学セントラル・セント・マーチンズ校 パフォーマンス:デザイン&プラクティスコース講師、東京藝術大学 大学院美術研究科 グローバルアートプラクティス専攻卓越助教。2016-2018年、ロンドン大学スレード校、リサーチ・アソシエイト。主な近著論文に以下がある。'Dreams and Thresholds: Violence of Doors That Never Close in Magritte, Kafka and Buñuel', in Dreams and Atrocity: Reflections on Modern and Contemporary Trauma in Literature, Art and Film, eds. Emily-Rose Baker and Diane Otosaka, Manchester University Press, 2022 (forthcoming). 'Hunchback as a Visual Paradigm of Violence in Modern Art: Géricault, Dix, and Salomon’, in The Body in Theory: Essays After Lacan and Foucault, eds. Becky McLaughlin and Eric Daffron, McFarland Press, 2021.      https://www.michikooki.com/about 中島裕子:1980年東京生まれ。大学卒業後、会社勤務を経て、2010年に美術留学のため渡欧。2012年スウェーデン王立芸術工芸大学(Konstfack)学士課程(コンテンポラリー・ジュエリー)修了、2016年ロンドン大学スレード校修士課程(彫刻)修了。主な展示に「そのうちマイルストーン」NORA HAIR SALON(2022)、「プロセスの冪乗」SICF22(2021)、「The thing is」Kingsgate Project Space、ロンドン(2021)、「金継ぎ」旧平櫛田中アトリエ(2020)、「KUROKO」Index Festival、リーズ(2019)、「Art Triangle」駐日オランダ大使館(2018)、 「ODDS」 Assembly Point、ロンドン(2017)、「PILLOW, SWALLOW, HOLLOW, YELLOW」The Artwall、アテネ(2017)、「string of subsequence」room.、ロンドン(2016)、「ONE BARE FOOT SQUARE」The Hermitage Museum、アムステルダム(2016)、「monoCHROMA: Black & White Issue」The Crypt Gallery、ロンドン(2016)など。https://hirokonakajima.tokyo 西永和輝:1993年東京生まれ。2016年武蔵野美術大学彫刻学科卒業。2019年ロンドン大学スレード校修士修了。木彫や実験的機械の制作などを中心として制作を行う。人の理性と非合理を解き明かしていく手段として彫刻に注目している。主な展示に「Shortlist Exhibition/ The Ashurst Emerging Artist Prize 2020」Ashurst's London HQ、ロンドン(2020)、「A Third Map」 Rochester Square、ロンドン(2019)、「Shortlist Exhibition/ The John Ruskin Prize 2019: AGENT OF CHANGE」The Holden Gallery、マンチェスター(2019)、「Asteroid'」Workshop 53、ロンドン(2018)など
Edward Allington, best known for his contribution to the New British Sculpture movement, had strong ties with Japan. In 1984, he participated in the group exhibition “Metaphor and Symbol” at the National Museum of Modern Art in Tokyo, which later led to his solo exhibition at the Fuji Television Gallery*. His fascination towards the country, and its craft and art, eventually developed into his lifelong research into modern Japanese sculpture**, taking him back and forth between Japan and England throughout his career. Allington was also a critic and an educator. He wrote various texts not only of his work, but also of others, and taught for many years at the Slade School of Fine Art. Making, writing, and teaching formed the three main pillars of his practice, as he considered writing and teaching as parts of a broader spectrum of sculptural practice. This exhibition explores these three facets of his practice by showcasing Allington’s works and writings, which in recent years had few opportunities to be presented in Japan, alongside works by Japanese artists whom Allington taught, including Hiraki Sawa, Akiko and Masako Takada, Ayuko Sugiura, Eiko Soga, Michiko Oki, Hiroko Nakajima and Kazuki Nishinaga. This exhibition also marks the first group show between Allington and his Japanese students. By bringing together their works, the exhibition also seeks to shed light on the various links which connect Allington and his students; to the things that remain unchanged, shared across time and beyond borders. Using diverse motifs–from the ancient Greek god Apollo to mass-produced plastic pineapples– Allington was an artist who meditated on the meaning of the original. Allington was especially interested in how these ancient motifs and mass-produced products, which only exist as copies, are remembered or dwell in our times. He believed that the truth of our era lies in these classic forms or in the mass-produced objects which have survived even after the originals or the myths surrounding them have been lost. Allington playfully transforms and appropriates these motifs to identify the truth hidden in these motifs. The reconfigured motifs, by their own very nature, transcend time, place, and preconceived notions (communal illusions), offering us a new way of looking at the world. Subjects such as memory, myth, rebirth, as well as an anthropological approach to objects and forms, can also be traced in the works of Allington’s students. Hiraki Sawa, a video installation artist, combines videos, sculptures, and images to create a sensory landscape–imaginary, yet real, inspired by his own experiences and memories. Similarly, Ayuko Sugiura, who focuses on unnamed sensations and intangible prayers, creates sculptures that invite the viewers to explore the tactile sensations and forms that are ingrained in our consciousness. Akiko and Masako Takada, on the other hand, challenge our existing values and norms by shifting the scale of everyday objects, such as cards and stamps, in an attempt to change the way we see the world. Hiroko Nakajima also creates sculptures using everyday and found objects, but by removing these objects from their original functions and contexts, she constructs a new language to explore an innerscape which words alone cannot capture. Through her site-specific research project with the people of Ainu, Eiko Soga seeks to reevaluate contemporary values that have been shaped by capitalism, colonialism, and nationalism. Her practice begins from learning the Ainu traditions, such as making Ainu kimono (chikarukarupe) and salmon shoes (chepukeri). Soga traces her memories of the people she has met and the knowledge she has gained through the process to observe how minor, ephemeral, and sensory aspects of everyday processes can lead to bigger phenomena such as collectivity and the development of culture. Kazuki Nishinaga proposes a new approach to the ‘decorative arts.’ The decorative arts are one of the most universally practised forms of art, but the more it develops, the more it loses its functionality and productivity, and the more it becomes irrational. By focusing on this contradiction, Nishinaga proposes a hypothesis that ‘decoration is like a plant or a cancer cell, growing irrespective of human needs.’ Finally, Michiko Oki, who lives and works in the UK, explores how the nature of contemporary art and aesthetic experience has been transformed in the current climate where since the Black Lives Matter movement and the pandemic, has increasingly been seeking a post Western-centric and multicultural society. *  Exhibition “Edward Allington” held in 1988. ** A joint international research project with Musashino Art University and Henri Moore Institute.
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nzchao · 5 years
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「ムラカミロキ」映像上映
今週末、本日から来週末の4日間にかけて京都ルーメンギャラリーで開催される、ヴィデオパーティーに初参加します。 自分は明日28日の15:00〜、プログラム3にて新作『Whole Globe Canaria』が上映されます。 関西方面の方、夏休みで京都方面に遊びに行ってる方はぜひとも足をお運びください。
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VIDEO PARTY 2019
■会期
第1期 2019年7月27日(土)〜28日(日) 第2期 2019年8月3日(土)〜4日(日)
■上映スケジュール
7/27(土) 15:00〜 プログラム1 17:30〜 プログラム2
7/28(日) 15:00〜 プログラム3 17:30〜 プログラム4
8/3(土) 15:00〜 プログラム5 17:30〜 プログラム6
8/4(日) 15:00〜 プログラム7 17:30〜 プログラム8
■入場料 1プロ:一般1,000円/学生500円 4プロ:一般2,000円/学生1,000円 フリーパス:一般3,000円/学生1,500円
■会場 京都 Lumen Gallery http://www.lumen-gallery.com/ Mail: [email protected] Facebook Page https://www.facebook.com/lumengallery.kyoto Twitter: @lumen_gallery https://twitter.com/lumen_gallery
〒600-8059 京都市下京区麩屋町通五条上る下鱗形町543 有隣文化会館2F
京都市営地下鉄「五条」駅1番出口より東へ7分 阪急電車「河原町」駅11番出口より南へ10分 京阪電車「清水五条」駅3番出口より西へ5分 京都市バス「河原町五条」停留所から西へ徒歩2分
------------------------------------------------------- 個人映像のアンデパンダン 
 個人によって創られた映像作品はストーリーが無いものもあり、一見すると内容が難解と思われがちですが、その可能性は無限であり、次々と新たなイメージが産み出されています。しかし残念ながら、そのジャンルを越えたバリエーションに触れる機会は、多いとは言えません。私たちは、確実に増殖する個人映像作品を上映し記録することで、個人映画公開の機会をさらに増やしていきたいと考えています。 VIDEO PARTYは京都を中心に、所属、立場、ジャンルを越えた、ドラマ、アニメーション、実験映像からドキュメンタリーまで内容も様々な、個人で作られた映像を発表する場として企画され、2013年より公募作品の上映活動をしています。
 また、2014年より海外映像祭や教育機関、上映団体等と連携し作品の交換上映も進めています。2016年は台湾、韓国、マカオ、中国、札幌での上映をし、VIDEO PARTYの参加作品を各地で紹介しています。  個人の眼差しによって紡がれる映像の行く末と更なる可能性を探る〈場〉へのご参加をお待ちしております。 2019年は7月27日(土)〜28日(日)8月3日(土)〜4日(日)の4日間、京都のLumen galleryにて開催します。
Announcement for VIDEO PARTY in KYOTO 2019 There are many video works created by various independent artists these days, many of which seem to have no storylines and contents hard to comprehend. But the potential of this media is limitless and there are many fresh imageries being created continuously. Unfortunately, we do not have enough occasions in which we can come in contact with borderless variations of the genre. It is for this reason we assemble this VIDEO PARTY, where we can screen and make records of these ever-growing works of independent artists, as well as to simply increase the opportunity for Indies video works to be seen. Based in Kyoto, the VIDEO PARTY has been organized for independent artists to exhibit their works, regardless of their nationality, affiliation, standpoint and genre - ranging from drama, animation, experimental and documentary - and has been screening publicly offered works, since 2013. For this year, the PARTY will be held in July (provisional), at the “Lumen Gallery”, a video-specialized gallery established in Kyoto. We have also started the work exchange program since 2014, in cooperation with several overseas film festivals, educational establishments and Indies film screening organizations. In 2016, we had successful screenings in Taiwan, South Korea and Macau and China, to introduce participating works of the VIDEO PARTY. We plan to expand the interaction and create more opportunities to screen in more locations this year. We anticipate your joining to this opportunity of witnessing the future and exploring the potentials of video works, woven by various independent artists. Hence, we would like to invite everybody to subscribe your works. This year's event will be held at Lumen gallery in Kyoto on July 27 (Sat)-28 (Sun) and August 3 (Sat)-4 (Sun) for 4days.
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■主催 Lumen gallery + AF PLAN ■協力 新視角・株式会社電気蜻蛉・ファインダーズビューロ・光束舎
AF PLAN http://www.af-plan.com/ Twitter: @AF_Plan_info https://twitter.com/AF_Plan_info
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■プログラム参加作家(全119作品)
●プログラム1(14作品103分) 7/27(土)15:00〜
區 諾言 / AU NOK IN はなび / Hanabi Jiang Tingxuan 甘 梓熊,胡 燕婷 / Kam Chi Hong,Wu In Teng 山田 香凜 / Karin Yamada 柳瀬 昇 / Noboru Yanase 小野 ハナ / Onohana 西田 知司 / Satoshi Nishida 伊藤 早耶 / Saya Ito 大原 とき緒 / Tokio Ohara Yüiho Umeoka 小林 優美子 / Yumiko Kobayashi 三ツ星レストランの残飯 / ZANPANO
●プログラム2(18作品94分) 7/27(土)17:30〜
野田 ちか子 / Chikako Noda 和島 ひかり / Hikari Wajima ないとう日和 / Hiyori Naito 赤堀 香菜 / Kana Akahori 桑田 真帆 / kuwatamaho 丸山 真貴子 / Makiko Maruyama 陳 美齡 / Mei-Ling Chen ライオンズ マイケル / Michael Lyons ラランブザツブ ナリアンザ ブルルニアイナ / Ralambozatovo Narianja Vololoniaina 高山 隆一 / Ryuichi Takayama 蘇 茵 / Su Yin 片岡 拓海 / Takumi Kataoka 岡松トモキ / Tomoki Okamatsu 冼 永昇 / Vincent Sin Weng Seng さとうゆか / Yuka Sato 前原 佑柾 / Yuma Maehara 三木 由也 / Yuya Miki
●プログラム3(12作品99分) 7/28(日)15:00〜
山中 千尋 / Chihiro Yamanaka 大西 宏志 / Hiroshi Onishi Hosomi Omaki I-hui Lee / I-hui Lee 荒木 優光 / Masamitsu Araki 加藤 菜々子 / Nanako Kato 横須賀 令子 / Reiko Yokosuka ムラカミロキ / MurakamiLoki 聖和学園高校3年生 / Seiwagakuen High School 伊奈 新祐 / Shinsuke Ina うえだしょうた / Syota Ueda 岡澤 侑希 / Yuki Okazaki
●プログラム4(12作品93分) 7/28(日)17:30〜
笠原 明枝 / Akie Kasahara 三宅 章介 / Akiyoshi Miyake ARCHIVES PAY / ARCHIVES PAY しゅ げいぜん / Zhu Yiran 相内 啓司 / Keiji Aiuchi Kimberly Quah 聖和学園高校3年生 / Seiwagakuen High School 河原 雪花 / Setsuko Kawahara 宮崎 渉大 / Takahiro Miyazaki 吉田 孝行 / Takayuki Yoshida 映像基礎1チーム+相内 啓司 / Team Video basis1+Keiji Aiuchi 由良 泰人 / Yasuto Yura
●プログラム5(17作品99分) 8/3(土)15:00〜
KUAD情デ・アニメーション基礎受講生 / Animation basics students of KUAD Information Design 三木 はるか / Haruka Miki 景 燁 / Jing Ye K.Kotani 丁 凱馨 / Kaixin Ding 奥野 邦利 / Kunitoshi Okuno 小野寺 海香 / Mika Onodera 吳 嘉恩 / NG KA IAN/Hsu, Yun Ting 林 紗綾香 / Sayaka Hayashi 聖和学園高校3年生 / Seiwagakuen High School 半田 泰一 / Taichi Handa 三輪 隆 / Takashi Miwa 大谷 たらふ / Tarafu Otani Tomo & Ryota Younghee Shin Zoyeon / Zoyeon
●プログラム6(14作品103分) 8/3(土)17:30〜
iY0Yi (Atsushi Hashimoto) 豊田 がく / Gaku Toyota はなび / Hanabi 万城目 純 / Jun Manjome 馮 祉穎 / Kasee Fong 林 恭平 / Kyohei Hayashi Kyu Nyun Kim 伊藤 仁美 / Masami Ito もりなか みく / Miku Morinaga おりえ / Orie Nakamura 伊東 哲哉 / Tetsuya Ito 冼 永昇 / Vincent Sin Weng Seng 黃 榮俊 / WONG WENG CHON 昼間 行雄 / Yukio Hiruma
●プログラム7(17作品91分) 8/4(日)15:00〜
櫻井 篤史 / Atsushi Sakurai 楠本 博登 / Hiroto Kusumoto 長田 華音 / Kanon Nagata 高橋 幸太郎 / Kotaro Takahashi 中村 古都子 / Kotoko Nakamura Mahzoun Maryam 橘 雅也 / Masaya Tachibana MATSUMO 陳 美齡 & 鄭 宇翰 / Mei-Ling Chen & Yu-Han Cheng Plan B Workgroup Rikako Kamomae 高橋 良太 / Ryota Takahashi 吳 俊 / Steven 小池 照男 / Teruo Koike tschoe one うずしむ / uzushimu 後藤 由香里 / Yukari Goto
●プログラム8(15作品97分) 8/4(日)17:30〜
相馬 あかり / Akari Soma 鈴木 杏奈 / Anna Suzuki 林 展揚,湛 穎深 / Cecilia Cham, Lam Chin Ieong 鍾 俊彥 / Chong Chon In FMCイラスト工房 / FMC illustration Factory 中島 楽人 / Gakuto Nakajima ミタニハルカ / Haruka Mitani 張 翛慧 / Hui swift Zhang 近藤 利洋 / Kazuhiro Kondo 金井 啓太 / Keita Kanai 張 焯敏 / Kobe Cheong 呂 昕揚 / Lyu Xinyang 岡 むつみ / Mutsumi Oka 渡井 登紀子 / Tokiko Watai tschoe one
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WebSite http://lumen-gallery.com/vp/ Facebook Page https://www.facebook.com/video.party.kyoto/ Twitter: @VIDEOPARTYKYOTO https://twitter.com/VIDEOPARTYKYOTO
#VIDEOPARTY
https://murafake.hatenablog.com/entry/2019/07/27/061228
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seiichikatou · 5 years
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読んだ本 2019.4月に読んだ本1 ①何もしないままフリーランスになっちゃいましたが税金で損しない方法を教えてください!/若林杏樹(漫画) メモ:中小機構とふるさと納税、税金を払うのは義務、ただし有意義に使って!! ②いまどきの納骨堂/井上理津子 メモ:「ピッ」のお墓、永代供養、シニアシンプルライフ、手を合わせる行為は変わらない、檀家は法的に死語 ③雪かきで地域が育つ〜防災からまちづくりへ/上村靖司、筒井一伸、沼野夏生、小西信義 メモ:雪は観光資源!とは言え、住んでいる僕等はなかなか…しかしそこにチャンスはある!夏場スノーダンプでゆるスポーツやれたら面白いかも! ④地場ものづくりブランドの感性マーケティング/長沢伸也 メモ:山形の事例!ブランディングが逸脱している、ターニングポイントをリマインドする、30年間の収入見込み ⑤雇用ビッグデータが地方を変える/梅野真一郎 メモ:東北や四国のチャレンジ型、移住希望者は多い、ではなぜ人口流出は止まらないのか?愛媛や横須賀の事例、成功事例の水平展開が必ず当てはまらない ⑥1分ではなせ/伊藤洋一 メモ:ショートストーリー、ビジネスにおいては結局は結論である、断言のできる自信、頑張りはいれない、俯瞰視点、大きな声で強弱つけて話せば7割はオッケー👌 本は最高! 本に出会う! #つんどく消化中 #本好きな人と繋がりたい #本が好き #積ん読 #社会起業家 #地方創生 #山形県 https://www.instagram.com/p/Bv-cUAVndjN/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=7u20zman1cuh
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benediktine · 5 years
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高野 @chapter_22 - 18:41 - 2019年3月9日 : https://twitter.com/chapter_22/status/1104316300623376385
さらっと「公立の博物館や図書館について、観光資源やまちづくりの拠点として活用しやすくするため、所管を都道府県と市町村の教育委員会から自治体の観光政策課などに移せるようにすることも盛り込みました」て、とんでもないこと書いてあって何回か読み直した。うん???
 {{ 地方分権一括法案「放課後児童クラブ」の設置条件緩和 2019年3月8日 9時29分 - NHKニュース : https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190308/k10011839871000.html : http://benediktine.tumblr.com/post/183373463061/ }}
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高野 @chapter_22 - 19:25 - 2019年3月9日 : https://twitter.com/chapter_22/status/1104327415449366528
柄にもなくポリティックなことを書くけど、ほんと「儲けを産めない事業を全切りしていく姿勢」なんだな、金銭で表現できない豊かさを補償するのが公共事業じゃないんですかね実家が太い方はその辺空気と同じように思ってるから考えたことがありゃしまへんねやろなあ、と嫌味な気持ちになった。
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高野 @chapter_22 - 20:06 - 2019年3月9日 : https://twitter.com/chapter_22/status/1104337642030678018
怒りすぎてて、最後のほう句読点がなくなって「オタク特有の早口」みたいになってるね…(オタク…)
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Ray @Ray_publi - 9:36 - 2019年3月10日 : https://twitter.com/Ray_publi/status/1104541596672962560
返信先: @chapter_22さん 1949年に制定された博物館法と現状の乖離が大きいようです。首長部局が管理する博物館は登録博物館ではないことになっていましたが、今回の法案でそのような博物館も登録博物館と扱えるようになるのではないでしょうか。  {{ (案)提言 「21 世紀の博物館・美術館のあるべき姿 ― 博物館法の改正へ向けて」 平成29年(2017年)○月○日 日本学術会議 史学委員会 博物館・美術館等の組織運営に関する分科会 : http://www.scj.go.jp/ja/member/iinkai/kanji/pdf23/siryo243-5-4.pdf }}
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瓢箪庵提督@横須賀鎮守府 @awapie - 18:25 - 2019年3月10日 : https://twitter.com/awapie/status/1104674673281851392
返信先: @chapter_22さん 一度消えかけたリーディングミュージアム構想の復活かと。
 {{ 2018.6.3 文化庁に聞く「リーディング・ミュージアム(先進美術館)」の真意。作品売却は否定 - 美術手帖 : https://bijutsutecho.com/magazine/interview/16085 : http://benediktine.tumblr.com/post/183376843621/ }}
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中浜万次郎 @nekotoma - 10:14 - 2019年3月10日 : https://twitter.com/nekotoma/status/1104551143835721728
返信先: @chapter_22さん、@J_geisteさん 博物館や図書館は文化遺産を守る場所が先にあって、その上での観光資源やらなんやらが来ると思うのですが…。 奈良時代の文物をまた作るってわけにはいかないんですから。
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melonmama2 @melonmama21 - 15:47 - 2019年3月10日 : https://twitter.com/melonmama21/status/1104634801879900160
返信先: @chapter_22さん 美しい日本を何度も口にした人が、博物館、図書館をこともあろうに観光施設課 せめて文化課ならまだ少しは理解できる。つまりお金を出さないということでしょ? 放課後に児童を預かるのは一人でいいって  つまり複数の子供の命を預かるのは大人一人でいいってことでしょ?
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pensamiento salvaje @yasei_shikou - 20:32 - 2019年3月10日 : https://twitter.com/yasei_shikou/status/1104706480299630593
返信先: @chapter_22さん 文化や教養は国民が享受すべき権利ですよね。 金儲けの道具ではないはずですよね。 教育と文化は、月や年単位では儲けを生まないでしょうし、その「儲け」は数値に表すことできないでしょう。 だからこそ、守っていかなければならないと思います。
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