Tumgik
#防滴仕様
kennak · 13 hours
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大口病院連続点滴中毒死事件(おおぐちびょういん れんぞくてんてきちゅうどくしじけん)とは、神奈川県横浜市神奈川区の大口病院(当時、現・横浜はじめ病院)で2016年(平成28年)9月に発覚し、2018年(平成30年)7月、同病院で当時勤務していた看護師の女が逮捕された連続殺人事件。事件の名称について、神奈川県警察は「大口病院"入院患者殺人事件"」[3]、『神奈川新聞』は「(旧)大口病院"点滴連続殺人事件"」[4][5][6]としている。 被害者として立件された死亡者2人のほか、同時期に死亡していた別の2人の入院患者の遺体からもヂアミトールが検出された。事件発覚前の7〜9月の82日間で48人の患者が死亡し、その後の約70日間の間は死亡者がゼロということから、4人以上の被害人数が疑われたが、発覚以前の死亡者は医師の診断により“自然死”扱いで火葬されていたため、既に証拠は失われていた[7]。 経緯 捜査 事件は2016年9月、最初に判明した被害者の容体が急変した際、看護師が投与中の点滴袋をベッドに落とし、袋内の輸液が急激に泡立ったことから偶然にヂアミトールの点滴混入が発覚した。さらに調べると2日前に同じ部屋で死亡した別の患者の遺体からも同成分が検出された。ナースステーションに残されていた未使用の点滴袋約50個を調べると、10個ほどの点滴袋でゴム栓部分に封をする保護フィルムに細い針で刺した穴が見つかった。そして、同じフロアで亡くなった患者の数が、事件発覚までのおよそ3か月の間に48人に上ることが明らかになった。神奈川県警察は、何者かが点滴から異物を体内に入れ、被害者を殺害した殺人事件と断定し、神奈川警察署に特別捜査本部を設置[2]。点滴に混入させる手口から病院内部の者による殺人事件の犯行が疑われたが、捜査は難航した[8]。 犯行に使われたヂアミトールは、業務上使われるもので、院内各所に置かれており、犯人を特定することは困難を極めた。県警は院内にあるものの鑑定を実施[9]。当時担当していた看護師全員の看護服を調べたところ、被疑者の服からのみ、ポケット付近からヂアミトールの成分が検出された[10]。他にも、被疑者が事件発覚直後の夜勤中、投与する予定のない製剤を手に院内を歩き回る姿が県警の設置した防犯カメラに映っていた[11]ことや、被害者の病室に1人で入っていくのを同僚が目撃していて、そのおよそ5分後に容体が急変し死亡していた[12]、といった状況証拠から絞り込んでいった。 被疑者の逮捕 2018年6月末、県警は状況証拠を踏まえ被疑者の看護師に任意の事情聴取を開始。この看護師は消毒薬(ヂアミトール)を注入したことを認めたうえで、「入院患者20人ぐらいにやった」との趣旨の話をした。7月7日、神奈川県警は被疑者を殺人容疑で逮捕した[13]。また同月28日には、2016年9月に死亡した入院患者の点滴に消毒液を混入し殺害したとして、殺人容疑で再逮捕した[14]。 被疑者は、事件後、様々なテレビ局や新聞社によるインタビューや取材に応じ、逮捕前にもテレビ局に「何故、こんなひどいことをしたのか、自分の家族が同じことをされたらどう思うのか。絶対許せません」と、直筆の手紙を送る[15][16]などして自らの関与を否定する発言をしていた。 「点滴にヂアミトールを入れた」事に関し「間違いありません」と容疑を認めた上で、「入院患者20人ぐらいにやった」と供述。犯行の動機については「自分の勤務時に患者に死なれると、家族への説明が面倒だった」という趣旨を供述した[17]。さらに「患者が亡くなったときに同僚から自分の落ち度を指摘されたことがあり、それ以来、勤務時間外に死亡させることを考えるようになった」[18]、「勤務を交代する看護師との引き継ぎの時間帯に混入させていた」[19]、「混入を繰り返すうちに感覚がマヒしていった」[20]とも話している。 供述では「(事件の)2か月くらい前から点滴に消毒液を入れた」[21]と話しており、その時期同病院に勤務していた看護師は「(亡くなったのは)最初は1日1人。それが3人になり、5人になり、9月になったらもっとひどくなって(1日に)8人とか。4階はおかしいな、という話があった」[15]と証言している。 事件前、現場病棟では「看護師の筆箱に、10本以上の注射針が刺され、針山のような状態になっていた」ことや「白衣が切り裂かれる」「カルテが紛失する」「ペットボトル飲料を飲んだ看護師スタッフの唇がただれる」などの看護師同士の壮絶ないじめトラブルが報告されており[22]、以前より「『あのクリニックの先生は嫌いだから』『あの患者の家族は嫌いだから』患者を受け入れない」といったことまで言う「『女帝』と呼ばれる60代パワハラ看護師の存在」や「人事査定でえこひいきがあったり、自分だけ忙しい仕事を回されたりしているといった不平不満があり、看護師同士で言い争いになったこともあった」という。被疑者自身も、逮捕前に「看護部長は看護師たちをランク付けして、気に入った子とそうでない子の扱いが極端だった。そういうのってよくないですよね」と述べている[23]。 病院では、そういった人間関係のトラブルや虐めが原因で複数の看護師が辞職しており、「看護師同士の世代間の対立が原因で、大口病院では患者のケアまでもが疎かになっていた」といい、「見舞いに行った家族の前で看護師が患者さんを怒鳴りつけ、その家族が『本当にひどい。ビデオに撮って告発すればよかった』と激怒していた」こともあったという[24]。事件の被害者遺族も「女性看護師が別の看護師を怒鳴りつけたり、点滴袋が公共スペースに散見されたりするなど『今考えればおかしいところもあったかもしれない』」[25]と指摘している。 精神科医の片田珠美は「担当患者が以前死亡した際に同僚らから自分のミスの可能性を指摘されたとも説明しているので、もともと同僚や上司などに対して怒りを覚えていた可能性がある」と指摘し、(「白衣切り裂き」や「カルテの紛失」「ペットボトル異物混入」も同一犯によるものだとすると)他の看護師に対する怒りをこのような形で表現したのではと推測する。その怒りの矛先を患者に向け変えて(精神分析では「置き換え」)、患者の点滴に無差別に消毒液を入れる事によって「別の看護師の勤務時間中に患者が死亡するように仕向けたわけで、復讐願望を満たそうとしたともいえる」としている[26]。 刑事裁判 横浜地方検察庁は2018年12月7日、患者3人の殺人罪と5人分の点滴液に消毒液を混入した殺人予備罪で、看護師を横浜地方裁判所へ起訴した。4人目に対する殺人罪については、別の患者を殺害しようと消毒液を混ぜた点滴が結果的にこの患者に投与された可能性があるとして不起訴処分とした[27]。 横浜地裁における本件の事件番号は、平成30年第2033号(殺人、殺人予備)[28][29]。審理を担当する裁判長は家令和典で[注 2][32]、家令が当時担当していた係属部は第1刑事部(合議係)である[33]。起訴後、横浜地裁から委託を受けた精神科医の岩波明(昭和大学附属烏山病院長)が2019年(令和元年)8月から11月まで被告人の精神鑑定を実施した[6]。 第一審 2021年(令和3年)10月1日、横浜地裁(家令和典裁判長)で裁判員裁判の初公判が開かれ、被告人の元看護師は起訴内容を全面的に認めた一方で、弁護側は「被告人は犯行当時、統合失調症により心神耗弱の状態だった」と主張した[32]。 同年10月22日に論告求刑公判が開かれ、横浜地検は元看護師に死刑を求刑した[34]。 同年11月9日に判決公判が開かれ、横浜地裁は被告人の責任能力について、「犯行時は(発達障害の一種の)自閉スペクトラム症の特性があった」と認定[35][36][37]。その上で、弁護側が主張した統合失調症の影響については否定し、「違法な行為であることを認識していた」として完全責任能力があったと認めた上で、元看護師に無期懲役を言い渡した[35][36][37]。横浜地裁は被告人の完全責任能力や計画性を認定し、動機も「酌むべき事情はない」としたが、被告人に自閉スペクトラム症の特性(対人関係が苦手、問題解決に対する視野が狭いなど)があり、患者の家族から怒鳴られて強い恐怖を感じた経験が殺人の動機形成に至った点を挙げ[38]、それに対する情状酌量の余地や、自ら死刑を望むなど贖罪の意思を強く示している点などから「更生可能性が認められる」と判断、死刑を回避した[35]。1983年(昭和58年)に最高裁判所から死刑適用基準として、いわゆる「永山基準」が示されて以降、3人以上を殺害した被告人の完全責任能力を認めた上で死刑を回避した司法判断は異例とされている[39]。 同年11月22日、検察側と弁護側の双方が一審の無期懲役判決を不服として東京高等裁判所に控訴した[40]。 控訴審 控訴審における事件番号は令和3年(う)第2081号[41]。控訴審初公判は東京高裁(三浦透裁判長)[注 3]で2023年(令和5年)12月15日に開かれ、検察官は「無差別型の連続殺人」として改めて死刑適用を求めた一方、弁護人は「死刑選択は裁判員裁判の否定だ」と主張した[43]。また検察官は第一審で採用されなかったKの供述調書を取り調べるよう申請したが、東京高裁はこれを却下した[44]。2024年(令和6年)3月12日の第2回公判で被告人質問が予定されていたが、弁護人の申し出によって撤回され、公判は結審した[45]。 同年6月19日の判決公判で、東京高裁は双方の控訴を棄却する判決を宣告した。同高裁は殺害された被害者が3人に上る結果の重大性、犯行の計画性などから死刑選択も十分に考えられると指摘した一方、原判決が死刑回避の理由として示した動機形成過程や更生可能性は、死刑選択の可否を検討するにあたって相応の意味があるものであるとして、原判決の判断は不合理ではないと結論付けた[46]。また、犯行は確定的殺意を伴う残虐なものではあったが、恨みや不満から他人の命を積極的に奪ったような犯行とは異なるとも指摘し、裁判員裁判による慎重な評議で死刑選択が真にやむを得ないと認められた事件でなければ、死刑選択は許されないという判断を示した[47]。 検察側と弁護側がそれぞれ上告を断念し、同年7月4日付で無期懲役の判決が確定した[48]。 横浜市・病院の対応と課題 横浜市には事件前、「看護師のエプロンが切り裂かれた」、「看護師の飲み物に異物が混入された」など、この病院内のトラブルに関する情報が複数寄せられていたが、市は病院に詳細な内容を確認しなかった。市が設置した第三者検証委員会は「患者の安全に関わる内容もあったのに、後手に回った」と、市の対応を批判した[49]。市が設置した第三者検証委員会による報告書「横浜市の医療安全業務に関する検証報告書(大口病院に関する対応について)」[50]の中で、医療法上、病院から市への報告義務も、市から病院への検査・指導権限も無いという問題が指摘された。医療法を根拠に市と病院の関係がある以上、医療法の範囲を超えた「制度の狭間」となるところに問題が発生したとき、市はどこまで対応できるのかという課題があり、今後、法的、制度上の課題に対しては、国に改善に向けた要望を行うことも考えられる、としている。 病院側にも、複数の看護師のエプロンが切り裂かれているのが見つかったり、6月にはカルテの一部が抜き取られ、8月には看護師のペットボトルに異物が混入されていたにも関わらず、院長は「院内の出来事で、まして看護師の中の出来事だったので院内で何とか処理すべきだと思った」[51]としながら、有効な手立てをとれず病院から県警に相談するという事もしなかった[52]ため、「病院が対処していれば事件はなかったかもしれない」などの批判の声が病院関係者からも寄せられた[53]。 脚注 [脚注の使い方] 注釈 ^ 犯人である看護師の女は1987年(昭和62年)1月7日に福島県で生まれ、小学校6年生で神奈川県に引っ越した[1]。 ^ 家令は本事件の第一審判決から約20年前の2001年、福岡地裁に赴任していた際、市民との交流イベントで死刑制度について「自分の名で死刑を言い渡したい裁判官はいない。廃止してほしいが、世論は違う」と発言していた[30][31]。 ^ 三浦の担当する裁判部は第11刑事部[42]。 出典 ^ 加藤益丈「【詳報・第9回】×××被告 出会い系サイトを利用「男性に褒められるのがうれしくて」 3人点滴中毒死」『東京新聞』中日新聞東京本社、2021年10月20日。オリジナルの2022年9月11日時点におけるアーカイブ。2022年9月11日閲覧。 ^ a b 「異物投与され入院患者が死亡、殺人容疑で捜査 横浜」『朝日新聞デジタル』朝日新聞社、2016年9月23日。オリジナルの2016年9月23日時点におけるアーカイブ。 ^ 点滴中毒死、元看護師逮捕 消毒液「20人に入れた」 KyodoNews(共同通信)/YouTube 2018年7月7日公開 ^ 「県警の歴史で最も難しい事件の一つ」大口病院・点滴連続殺人事件1年 神奈川新聞〈カナロコ〉 2017年9月23日配信 ^ 『神奈川新聞』2023年12月10日朝刊一面1頁「旧大口病院事件控訴審 量刑 更生可能性焦点 15日、東京高裁で初公判」(神奈川新聞社) ^ a b 『神奈川新聞』2023年12月10日朝刊第二社会面22頁「旧大口病院事件 一審精神鑑定医 岩波明氏に聞く 診断 非常に難しい事案 現行方法への課題指摘」(神奈川新聞社 聞き手・田崎基) ^ 大口病院の点滴殺人 2カ月で48人死亡も44人は自然死扱いに デイリースポーツ/ライブドアニュース 2018年7月10日配信 ^ 病院で何が? 点滴異物混入事件の深層 NHK クローズアップ現代+ 2016年10月5日放送 ^ 横浜「大口病院」、事件発覚以降に死亡患者が激減 捜査は難航 デイリー新潮/週刊新潮 2016年12月8日号掲載 ^ 決め手は看護服のポケット、消毒液成分付着 連続中毒死 朝日新聞デジタル 2018年7月7日配信 ^ 防犯カメラに「インスリン手に院内巡回」 毎日新聞 2018年7月11日配信 ^ 病室に逮捕の女 5分後急変 横浜・連続点滴中毒死 FNNプライムオンライン 2018年7月8日配信 ^ 患者中毒死 31歳○○を逮捕 殺人容疑で神奈川県警 毎日新聞 2018年7月7日配信 ^ 点滴中毒死、元看護師を再逮捕 共同通信/ロイター 2018年7月28日配信 ^ a b 「犯人を絶対許せません」 元看護師 逮捕前 直筆400文字の手紙 FNNプライムオンライン 2018年7月9日配信 ^ 大口病院事件「私は関わりありません」 本紙などに元看護師 東京新聞〈TOKYO Web〉 2018年7月8日配信 ^ 「20人前後に消毒液」=患者中毒死で元看護師-勤務時死亡は「面倒」 時事ドットコム 2018年7月9日配信 ^ “落ち度”指摘され消毒液混入か NHKニュース 2018年7月10日配信 ^ 逮捕の元看護師「20人以上殺害した」横浜 日���レNEWS24 2018年7月8日配信 ^ 「次第に感覚マヒ」 1日5人死亡日も、犯行エスカレートか 産経ニュース 2018年7月13日配信 ^ 患者中毒死、元看護師「2か月前から点滴に消毒液を入れた」と供述 TBS NEWS 2018年7月11日配信 ^ 「点滴殺人の大口病院 現場病棟で看護師同士のいじめトラブル」 NEWSポストセブン/女性セブン 2016年10月20日号掲載 ^ 大口病院事件逮捕1カ月 実像と乖離「***容疑者像」 神奈川 産経ニュース 2018年8月8日配信 ^ 「点滴殺人」の病院 患者を怒鳴りつける看護師の対応に家族が激怒 NEWSポストセブン/女性セブン 2016年10月27日号掲載(ライブドアニュース 2016年10月13日配信) ^ 「大口病院選ばなければ」 中毒死から1年 遺族、心境語る 産経ニュース 2017年9月19日配信 ^ 大口病院・20人殺害か…○○容疑者、他の看護師への復讐願望を患者に「置き換え」か (2/2) Business Journal 2018年7月11日配信。記事名に実名が使われているため、この箇所を省略した。 ^ 「大口病院事件、患者8人への罪で一括起訴 産経新聞 2018年12月7日配信 ^ “裁判員裁判開廷期日情報(横浜地方裁判所本庁)”. 裁判所ウェブサイト. 最高裁判所 (2021年10月1日). 2021年10月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月1日閲覧。 “殺人,殺人予備(事件番号平成30年(わ)第2033号)” ^ “傍聴券交付情報”. 裁判所ウェブサイト. 最高裁判所 (2021年11月9日). 2022年9月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月1日閲覧。 ^ 『朝日新聞』2001年11月1日西部朝刊福岡県版第一地方面31頁「居酒屋でクダ巻く判事嫌でしょ 福岡・早良区で裁判官と討論/福岡」(朝日新聞西部本社) ^ 山本浩輔、「文春オンライン」特集班「《死刑制度の矛盾》「20人以上殺った」女性看護師の“異例の死刑回避判決”はなぜ下されたか?「自分の名で死刑を言い渡したい裁判官はいない」 判例から死刑制度を考える #3」『文春オンライン』文藝春秋、2022年8月27日、3面。オリジナルの2022年9月11日時点におけるアーカイブ。2022年9月11日閲覧。 ^ a b 「横浜・旧大口病院点滴中毒殺人 元看護師、起訴内容認める」『カナロコ』神奈川新聞社、2021年10月1日。オリジナルの2021年10月1日時点におけるアーカイブ。2021年10月1日閲覧。 ^ “横浜地方裁判所担当裁判官一覧”. 裁判所ウェブサイト. 最高裁判所 (2021年10月1日). 2021年10月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月1日閲覧。 “横浜地方裁判所第1刑事部の担当裁判官一覧 > 合議係 家令和典,橋本健,大西惠美,増田雄太” ^ 「旧大口病院の連続中毒死、元看護師に死刑求刑」『読売新聞』2021年10月22日。2021年10月22日閲覧。 ^ a b c 「元看護師は「更生の道が相当」 無期懲役判決で横浜地裁」『産経新聞』2021年11月9日。2021年11月9日閲覧。 ^ a b 「横浜・旧大口病院点滴殺人 元看護師に無期懲役判決 責任能力認定も「死刑に躊躇」」『神奈川新聞』2021年11月9日。2021年11月9日閲覧。 ^ a b 「元看護師に無期懲役判決 患者連続死事件、責任能力認めつつ死刑回避」『朝日新聞』2021年11月9日。2021年11月9日閲覧。 ^ 「死刑回避に点滴死遺族「納得できない」…裁判長「苦しい評議」」『読売新聞オンライン』読売新聞社、2021年10月10日。オリジナルの2022年9月11日時点におけるアーカイブ。2022年9月11日閲覧。 ^ 加藤益丈「なぜ3人殺害でも死刑回避されたのか? 旧大口病院事件の判決読み解き」『東京新聞』中日新聞東京本社、2021年11月10日。オリジナルの2022年9月11日時点におけるアーカイブ。2022年9月11日閲覧。 ^ “入院患者3人の中毒死事件、検察・弁護側が控訴 無期懲役判決に不服”. 朝日新聞. (2021年11月22日) 2021年11月22日閲覧。 ^ 「傍聴券交付情報詳細」『裁判所ウェブサイト』最高裁判所、2024年6月19日。2024年6月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年6月19日閲覧。 ^ 「東京高等裁判所 担当裁判官一覧」最高裁判所、2024年5月15日。2024年6月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年6月19日閲覧。 ^ 「入院患者連続死「死刑を」 元看護師控訴審で検察側―東京高裁」『時事ドットコム』(時事通信社)2023年12月15日。オリジナルの2023年12月16日時点におけるアーカイブ。2024年6月18日閲覧。 ^ 「横浜点滴3人中毒死、極刑回避維持求める 控訴審始まる」『日本経済新聞』日本経済新聞社(共同)、2023年12月15日。オリジナルの2023年12月18日時点におけるアーカイブ。2024年6月18日閲覧。 ^ 中山岳「旧大口病院の3人点滴中毒死事件 被告人質問を撤回して控訴審結審 判決は6月19日」『東京新聞』中日新聞東京本社、2024年3月12日。オリジナルの2024年5月30日時点におけるアーカイブ。2024年6月18日閲覧。 ^ 加藤益丈「旧大口病院の3人点滴中毒死、二審も無期懲役 「元看護師の死刑、やむを得ないとは言えない」 東京高裁判決」『東京新聞』中日新聞東京本社、2024年6月19日。オリジナルの2024年6月19日時点におけるアーカイブ。2024年6月19日閲覧。 ^ 井口慎太郎「患者3人連続死 旧大口病院の元看護師、2審も無期懲役 東京高裁」『毎日新聞』毎日新聞東京本社、2024年6月19日。オリジナルの2024年6月19日時点におけるアーカイブ。2024年6月19日閲覧。 ^ “入院患者3人の点滴に消毒液を入れて中毒死の殺人罪で無期確定 検察、弁護側が上告断念”. 産経新聞. (2024年7月5日) 2024年7月5日閲覧。 ^ 点滴中毒死逮捕 医療への信頼が大きく揺らぐ 読売新聞 2018年7月10日配信 ^ 横浜市の医療安全業務に関する検証報告書(大口病院に関する対応について) (PDF) - 横浜市医療安全業務検証委員会 2017年3月 ^ 点滴混入殺人「大口病院」看護師たちにトラブル?風評恐れて警察届けず J-CASTテレビウォッチ 2016年9月26日公開 ^ 解決至らぬ“点滴殺人” 元看護師からの手紙 テレ朝news 2017年4月8日配信 ^ 大口病院中毒死 消毒液、原液投与か 元看護師の殺意、裏付け 毎日新聞 2018年7月10日配信
大口病院連続点滴中毒死事件 - Wikipedia
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myonbl · 17 days
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2024年9月8日(日)
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昨日は今後の生活を<節約と倹約>と宣言したばかり、その舌の根も乾かぬうちに何と言うことであろうか。DISCOVER WEST mallのDMで<ごちそうの宝箱>をクリックしてしまい、小鼓のメルマガで<2024年度頒布会>を申し込んでしまった。私の辞書から<反省>という言葉が消えたのはいつのことだろう・・・。
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5時45分起床。
日誌書く。
洗濯機回す。
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朝食には煮麺をいただく。
洗濯物干す。
珈琲淹れる。
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ツレアイ用のAppleWatchUltra2が届く、早速iPhoneと同期させる。watchOSのアップデートもあって、少し時間がかかる。女性にはかなりサイズが大きいが、バッテリーの持ちを何よりも優先させた結果だ。
彼女はあちこち買物に、この物価高に抗する意欲は私には真似ができない。
私は京都ポルタへ、ポルタのポイントもWesterポイントもお得になるのは今日までのこと。昨日は長男に渡すためのレトルトカレー、今日は自宅用のレトルトカレーを仕入れる。
二つ手前のバス停で下りてセブンイレブンへ、クーポン利用でサッポロ黒ラベル(500ml、50円引き)とジンジャーエール(30円引き)を買って帰宅。
ランチ、息子たちには炒飯、彼女は賞味期限切れのカップ麺を食べて、友人の展覧会へ向かう。
スギ薬局のクーポンを使うべく出かけたが、欲しかったココ用のカルカンがなく、セントラルスクエア花屋町店で購入する。向かいのセブンイレブンでやはりサッポロ黒ラベル(500ml、50円引き)とシュークリーム(30円引き)を購入する。アプリによるクーポン配信は、確かに効果的であることを身を以て証明した一日だ。
軽く午睡。
今日も洗濯物の乾きがはやい、早めに取り込んでたたむ。
帰宅したツレアイは、三男と一緒にココに点滴。
早めに夕飯準備。
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豚バラ肉とキャベツの酢蒸し・ナスの煮浸し・カツオのたたき・レタスとトマト、息子たちにはスパークリングワイン、私は飲み過ぎ防止のために小鼓を燗でいただく。
録画番組視聴、落語2席。
<らくごのお時間>から「半分垢」桂楽珍 <日本の話芸>から「ひまわり」桂かい枝
名探偵ポワロ
第4話「オリエント急行の殺人」/ Murder on the Orient Expressシーズン 12, エピソード 4 パレスチナで事件を解決したポワロはイギリスに戻るため、イスタンブールからオリエント急行に乗車する。列車は満席で、国籍も階級も様々な人々が乗ってい た。そこで、ポワロは、アメリカの富豪ラチェットから「殺されるかもしれないから警護してほしい」と頼まれるが彼に反感を抱き、断る。しかし翌朝、そのラ チェットの死体が見つかる。彼は何か所も刺されていて、複数犯による犯行の疑いがあった。
今夜も途中でダウン。
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細々動いて、なんとか10,000歩クリア。
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exciting-funeke · 10 months
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ゲームメモ:常世ノ塔
半分くらいこのゲームのことを理解した気がするのでいろいろ文章にしました 非常に自己満
※注意
・ネタバレ(注意って言うほどでもないけどラスボスの情報を含むので)
・チュートリアル以外で忌火ちゃんしか使ったことありません(半分くらい理解したとは?)僕が一番忌火ちゃんをうまく使えるんだ…!
・『登頂』よりも『スコア』を重視して記載しています
・だいたい主観です
・おもくそ長文
『スコアの伸ばし方』について
登頂したことある人なら分かると思うんですけど、普通に道中ちょいちょい被弾しつつ進んで、普通にラスボスを倒してもおよそ15万程度のスコアにしかならないんですよね
では、ランキングに載ってるスコア20万とか50万とかはどうやって実現しているのか?
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画像左の表記が階層毎に計算されるスコアです
上から順に簡単に説明すると、
【突破した階層で取得したコインと、それによる基礎スコア】
×【階層の高さに比例した倍率】
×【その階層をノーダメージで突破したボーナス】
×【その階層のコインを全て取得したボーナス】
×【チェインボーナス(以下『連鎖』と表記)】
=【その階層の合計スコア】
となります
ここで非常に重要なのが『連鎖』で、そもそも『連鎖』が起こる条件が、「その階層をノーダメージかつ、その階層のコインを全て取得して突破する」という感じなんですよね
要はノーダメでコイン全部集めながらひたすら登っていくことでどんどん連鎖させて、トンデモ高倍率をスコアに掛けていけば自ずと50万とかも見えてくるってことです(できるとは言ってない(26万までは行けました
アーティファクト評
【超当たり】
反物質 : フロアを切り替えるとMPが回復する
登頂目的でもスコア目的でも非常に強力。単純にスキルが早く回るようになるので便利で強い。反物質が豊作な日は道中の快適度が増す。こんなんなんぼあってもいいですからね。
【大当たり】
しあわせハニワ : 人型の敵を倒すとカルマが回復する
このゲーム、「人型の敵」の範囲が非常に広く、人型っぽかったら大体の敵に適用されるので予想以上にカルマ管理が楽になる(実はボスも「人型の敵」判定である)特に2個以上積むことができた時に効果を実感しやすい。いぶし銀。
世界樹の一滴 : フロアを切り替えるとHPが回復する
普通に登頂目的なら最強の一角に君臨する強力なアーティファクトだが、「スコア理論値」を目指す場合は不要で、「高スコア」を目指す場合もやや優先度は落ちるので超当たりには入れてない。それでも変なアーティファクトを拾うくらいならこれの方がありがたい。
陰陽の式神 : スキル発動で式神を召喚する
菊理のスキルの簡易版。ダメージは高くない。
特に忌火、ココア、カナエ等のスキルの射程がある程度制限されるキャラを使用する時に重宝される。このゲームのボス戦は"どのくらいダメージを与えるか"ではなく"何回ダメージを与えるか"という仕様なので、本来射程外にいるボスに対して遠距離から攻撃を命中させることができる。つまりこのアーティファクトに関しては『1つでも所持していること』が重要である。(シッポや菊理を使用している時でも微力ながら単純に火力が強化されるので悪くない選択肢ではある)
【当たり】
マッハダッシュモーター : 足が早くなる
限りなく大当たり寄りの当たり。身体強化アーティファクトなので純粋に弾を避けやすくなるが、複数個積むと操作感がもはや別物になるので注意。
ハイピュリアの羽 : ジャンプ力が上がる
マッハダッシュモーターと大体同じ。
温かい桃 : カルマの下がり値が大きくなる
階層を跨ぐ際のカルマ減少量が多くなり、単純にカルマ管理に貢献する。複数個積むことができた場合はそこそこ頼もしく感じられるだろう。
魔法の招き猫 : コインを取ると確率でMPが回復する
MP回復が割と低確率なので安定はしないが、上手いこと発動すれば恩恵は感じられるし複数個積むことができれば運ゲーは多少マシになるというもの。
ニコールの壺 : 体力回復アイテムの効果が上がる
普通の登頂目的ならもう一段階優先度は上がる。ハートだけでなく休憩所の飲み物にも適用されるので案外発動箇所は多い。
ヴァンパイアの古刀 : 人型の敵を倒すとHPが回復する
普通の登頂目的ならもう一段落優先度は上がる。前述の通り「人型の敵」の範囲が広いのでその分発動する機会も多くなるだろう。
まじかるステッキ : スキルの威力が上がる
割と地味だが忌火や菊理等やや低火力なキャラを使う場合は雑魚処理の速度が少し早くなる。ボスに対する攻撃には適用されないので、確定数が変わるなどには期待しない方がいい。
【微妙】
百科事典 : ダメージを確率で5分の1に抑える
わりと低確率発動なうえ、スコア目的であればそもそも被弾したくないのでここでは微妙とさせて頂きたい。発動さえするなら登頂目的では心強い。
死ねないホタル : 暗闇で見える領域が拡がる
死"な"ないではなく死"ね"ないので実はかなり業が深い。性能はというと、暗闇下に於いて視野が少し広くなるという結構地味で限定的なものと���っている。役に立たない訳ではないが拾って嬉しいかと言われると……
淫魔の残り香 : 状態異常を短くする
完全に私の意見だが、状態異常攻撃なんてモノはスコア的にも登頂的にもそもそも喰らいたくないので喰らった上での微妙なアフターケアしかできないこのアーティファクトをあんまり強いと思っていない。確かに魅了や出血という厄介な状態異常への対抗策としては良いのかもしれないが。
奇妙な蛹 : 無敵時間が長くなる
効果自体は悪くないがダメージを喰らって初めて発動するアーティファクトなのでそこをあまり評価していない。二次被害防止にはなるだろうか。
名刀カネサダ : ダメージを受けると妖刀を召喚する
あまりにも受動的なダメージソース故にあんまり評価していない。ボスにも効かない。威力自体は高いので、HPが多いドラゴンなんかにはまあまあ有効かもしれない。
【いらない】
刺客の下駄 : トゲのダメージを軽減する。
確かに25ダメージも喰らってしまうトゲのダメージを抑えられるのは優秀なのだが、そもそもトゲなんて喰らいたくないし喰らってられないという話である。
ブラックダイヤ : HPが20以下になるとMP回復速度が上がる
所謂「火事場力」。モンハンとかフロムゲーで一部の変態玄人が好んで使う系統の能力でポテンシャル自体は高いが、スコア目的ならそもそも被弾してはいけないし、登頂目的にしてもあまりにリスクリターンが噛み合わなすぎであるのだが、RTAという限られた戦場に於いては最強のアーティファクトと化す。
エネミー評
ドラゴン【厄介度:上】
飛行、壁貫通、前方広範囲攻撃、高HPという厄介のハッピーセットである。冷静に対処すれば意外となんとかなるが、狭いところや複雑な地形で来られると非常にめんどくさい。大人しくスキルを切るが吉。
雪女【厄介度:上】
通常種はさほど強くないが上位種がヤバすぎる。十字型またはクロス型に放たれる氷結は地形によっては詰みかねない。上位種を射程圏内に収める算段があるならば、即スキルを切るべき。
ヴァンパイア【厄介度:上】
厄介な状態異常である出血を付与してくる。飛ばしてくる麻痺弾の弾速が結構早く、油断していると被弾しやすい。特に避けやすい地形でもない限りスキルを切って対処することを推奨する。
スキュラ【厄介度:極悪〜中】
個人的に環境依存で厄介度の上下が一番激しい敵だと感じている。暗闇下で遥か上空から墨玉で爆撃してくるスキュラはもはや存在するだけでそのルートを回避したくなるレベル。明るく平坦な地形だと割と対処は容易。
バニー【厄介度:上〜中】
一見挙動が読みにくいが、観察してみるとパターン化されておりジャンプのタイミングは読みやすい。なんだかんだ攻撃範囲が広く、喰らうと状態異常でジャンプが止まらなくなり甚大な二次被害を産むことがあるので、配置によってはスキルでの対処を推奨する。
メイドサキュバス【厄介度:上〜中】
わりと序盤から出てくる。ゲーム内テキストに突進方向は読みやすく回避は難しくない的な感じで書かれているが、それはそれとしてあまりにしつこいので大抵スキルを切らされる。
くのいち【厄介度:中】
くのいちの下を通る時にクナイを投げてくる。意外と避けやすいが、ステージギミックと相まってなかなかに厄介な場合がある。
ハーフオーク【厄介度:中】
もはや破壊可能なステージギミックである。冷静になれば鉄球の回避はさほど難しくないが、大抵他の厄介な要素と一緒に現れるので、結局スキルの錆になってもらう場合が多い。
ウィザード【厄介度:中】
単純に自機狙いのリングを飛ばしてくるので厄介。回避は容易だが、他の脅威に対処しながらウィザードに相対すると思わぬ事故に繋がるので注意されたし。
サキュバス【厄介度:中】
上位種は厄介度を一段階上げても良い。通常種はわりと大したことはないのだが、ハート弾が背景や他の弾幕に同化して被弾しかねないことや、魅了という状態異常がそもそも厄介なので結局対処する羽目になったりする。
ハーピー【厄介度:中】
自機目掛けて弧を描いて突撃してくる。それだけ。それだけだが充分にめんどくさいのは迷い人であれば知るところであろうか。
スライム、スケルトン、ゾンビ、スピリッツ、メイジヘッド、エレメント【厄介度:小】
上記の敵に比べれば対処は容易なので省略。
デモンズヘッド【厄介度:EX】
敵には変わりないので一応記載。カルマの番人。カルマが0になるとどこからともなく現れて、自機目掛けて高速で突撃し出血状態にしてくる。初見じゃどうすれば良いのか分からなくて大抵そこで墓になる。
非常に厄介であるのだが、スキルを準備してどっしりと構えていれば案外対処はできるものである。カルマが尽きたからと言って諦めるのはまだ早い。
ボス評
碧き星雲の守護者
慣れればそこそこ安定して被弾無しで倒せる相手。討伐に必要な攻撃回数は2回。たまに乱数でひどい攻撃をしてくるので、できるだけ広い空間に向かって逃げると吉。
紅い恒星の破壊者
慣れれば(ry。討伐に必要な攻撃回数は3回。守護者よりも攻撃が苛烈になっているほか、たまに乱数によってひどい攻撃をしてくるところも健在である。あまりに攻撃の回避に集中していると忘れた頃に中央のトゲに被弾して墓が増える。
しにぞこないのナナハ
つよい。討伐に必要な攻撃回数は5回。おそらく三種のラスボスの中では一番乱数による攻撃が少なく、慣れれば安定してノーダメージ討伐が狙える相手(できたことないけど)。
初見殺しの塊みたいな相手なので、対処方法は純粋に経験を積むことであろうか。スライディングには要注意。
大魔王エルロア
デスタムーア娘。つよい。討伐に必要な攻撃回数は5回。体感ラスボスの中で一番厄介。あからさまに攻撃が通り破壊できそうな手をしているが、こちらの攻撃が通るのは頭部だけである。
一見ビームを打ってくるだけの手だが、手のせいで微妙に視認性が悪くなり弾幕の厄介さに貢献している。そして、HPが4割以下になると普段の攻撃に手からのビームが加勢してより攻撃が苛烈になる。
暗き星のルゥラ
かわいい!!!!!!!!!!!つよい。討伐に必要な攻撃回数は5回。個人的にはまあまあやりやすい相手だが、ラスボスの中では一番弾幕弾幕しており狭い空間での弾避け技術が試される。あと反射神経。
ルゥラの難易度を上げている要因として、ラスボス随一の乱数攻撃の多さが挙げられる。個人的にやりやすいと前述したが、どう考えても避けられないひどい弾幕を連続されて常世ノ塔をそっと閉じる日もある。
その他
・道中で拾うことがある黄色い四角こと『シールド』だが、地形含むあらゆるダメージとそれに伴う状態異常まで無効化することができる。つまりノーダメージボーナスも適用される。重ね掛け不可
・休憩所の飲み物はメロンフロート一択(スキル短縮という効果があまりに強すぎるため)
・ジャンプ中にすり抜けられる床を通過すると、なんとジャンプの権利が復活する。覚えておくと役に立つこともある。
・黒ルート、白ルートどちらを選んでもスコアの変動は(おそらく)無い。ちなみに、【白→黒の後半の黒】と、【黒→黒の後半の黒】は同じ構造では無い。
・忌火のスキルは早出ししてボスのバリアに当てると弾け飛ぶので、スキル早出しをする際は弾け飛ばない猶予を狙うか、ボスからある程度離れて領域に触れさせない等の工夫が必要である。
ところで……
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こちらは各ボスの再戦ができる場所なんですけど、中ボス2人にラスボス全3人と戦って再戦の解放は終わっているはずなんですよね
───であれば、この右上の空白は……?
#常世ノ塔   #ゲームメモ
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bakinginstruction · 4 months
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mori-mori-chan · 5 months
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読書感想文40
娼年/石田衣良
ネタバレを含みます
今月上旬に"(電池の都合で)極力スマホを使わないようにして長時間を過ごさなければならない"状況があったため文庫本を数冊調達しまして、今回感想文を投稿する『娼年』もその中の一冊だったりします。
いい意味で想像と真逆の爽やかな話でした。何というか、もっと「滾る肉棒を濡れそぼった裂け目に突き立て……」的な、淫欲!売春!疼く肉体!暴力!荒廃そして退廃!!みたいな内容かと思っていたんですね。そしたら極めて健康的かつ明るい話で、ラストは胸がすく思いでした。タイトルで判断してはいけませんね(もしかして:にんじん)。
ものすご~くざっくり内容を記しますと、"世のなかすべてつまらない"と大学もろくに行かずバーテンダーのバイトに明け暮れるリョウこと森中領がとある女性との出会いをきっかけに体を売るようになり、女性に買われる体験を通じつまらないものと考えていた(特定の人物ではなく全体としての)「女性」と向き合い、新しい自分に成長していくストーリーです。主人公が春を鬻ぐ身である以上当然セックス描写は沢山盛り込まれているのですが、フランス書院的な生々しさはそんなにない……ように感じました。断じて読んでいて退屈とかリアリティがないとかそういう訳ではないのですが、恐らく石田衣良もこの部分はそこまで力を入れる部分ではないと判断したのではないでしょうか。
2018年には松坂桃李主演で映画化も果たしているのですが、松坂桃李はWiki曰く現在35歳だそうなので、上映当時は……え、29歳か30歳ってこと……???わ、若見えすぎて怖いです。
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あとNETFLIXくん、何故リョウじゃなくてアズマ???
※視聴していない為あくまでこのキービジュアルを目にした個人的な感想になりますが、アズマのイメージが自分のものとかなり違っておりました。いや、あの、原作に"肩にかかる長髪が揺れると、さらさらと乾いた砂がこぼれる音がきこえそうだ"とか"家出中に保護された少年のようなポラロイドだった"とか、彼の口調であったりとか、こう、全体的に未成熟で幼い、華奢で中世的な美少年というイメージなんですが……アズマ役を演じた猪塚健太は1986年生まれだそうなので、正直もう10歳くらい若い俳優でもよかったんじゃないかな!?と思いました。映画化より前にされていた舞台化にて、やはり同様にアズマ役を演じていたため、そのまま引っ張ってきたんですかね。別に役者のアンチとかではなくちょっとビジュ等が私のアズマ像とかけ離れていたなぁ……というだけなんですけれども(個人的には清水尋也ぴったりすぎんじゃね!?と思ったのですが、彼は186cmもあるんですね……)。
閑話休題。冒頭にて極めて健康的かつ明るい話であると書いたのですが、正直タイトルからはそうは思えないことでしょう。
ここからはがっっっつりネタバレ(とツッコミ)ありで書いていきます!
リョウは10歳の時に当時37歳だった母を病で失い、大きな喪失感と絶望感を味わいます。そして、その影響か彼は年上の女性を好む傾向があり、交際や性行為に対しても何の抵抗もなく受け入れられる人間になっています(終盤で明かされるのですが、リョウが春を鬻いでいたのと同じく、リョウの母親もまた"そういうこと"をしており、彼女は売春をしにいった出先で亡くなっております)。リョウは"大学に行こうとすると足が動かなくなる"程度には学業にやる気がなく、"女なんてつまらない"と公言する程度には色恋沙汰にも興味がありません。"大学も友人も家族も、世のなかすべてつまらない"のです。若造がこんなこと抜かしてたら腹立つな……というのは置いといて、現状に倦んでいることが冒頭部分で嫌というほど伝わってきます。
なお、本作に於いて母親はキーパーソンとして扱われておりますが父親は全くストーリーに絡むことはなく、リョウの回想に出てくる(1Pにも満たない)程度です。まぁ家族つまらね~って言っちゃってますしね……不仲なんでしょうかね。中盤で"娼年"の収入を持て余している描写があるのですが、学費は誰が払っているのかが気になって仕方ありませんでした。国公立の大学に通っているのでしょうか。知らんけど
リョウが務めることとなる会員制ボーイズクラブ『Le Club Passion』のオーナー・御堂静香……彼女との出会いは、中学時代の同級生で現在はホストのシンヤがバーへ連れてきたことから始まります。静香は太客になる、と張り切るシンヤのイキりぶりがアイタタタ……となりました、えぇ。静香2回目の来店にて、リョウは彼女から「セックスを退屈なものだと言っていたリョウの、そのセックスを採点してやろうじゃねーの、あーん?(※意訳)」と言われ、その誘いに乗り、静香の娘にして聴覚障害者の咲良とセックス→咲良の力添えのもと静香のテストに受かりそして娼年へ……(はしょりすぎ)。
静香は初めてリョウと会った時に、アンニュイで達観したような、言い換えれば落ち着きのある振る舞いであったりセックスをつまらないと切り捨てる傲慢さであったり、通常の若者らしからぬ部分に興味を持ったのでしょう。そして挑発するようにセックスに誘いますが、いざ相手をするのは静香ではなく静香の娘・咲良で、何故かというとひとつは静香がHIV罹患者であり、もうひとつは咲良自身が静香の仕事を手伝いたいと考えているからです。静香は咲良の為に高度な医療を受けさせようとブルーオーシャンだった女性向け風俗店の経営を始めるのですが、咲良が義務教育を終える頃、咲良自身から商売の手伝いをしたいという申し出があり、買い出しであったり試験の際に肉体を提供したりしており、素性の分からぬ初対面のリョウにも体を許すのです。と言っても静香はクラブで働かせたいと判断した人間しか連れてこないでしょうから、ある程度は安全なのかな、と……いや安全か?
それ以降は実際に娼年として働くリョウの仕事ぶりや生活の変化などが描かれています。年の離れた女性相手でも決して嫌がったり怯んだりしないリョウは、次第に頭角を現します。たとえ一般的にはエグいとされるような性癖をぶつけられ、求められようとも……(ex.放尿、NTR)。娼年になる前はセックスはつまらないと言っていた彼ですが、安くないお金を支払い彼を買う「客」に対しては切り捨てず、寧ろ「客」だからかこそ欲求を満たせるよう彼なりにひとりひとりに向き合い真摯に対応していきます。とはいえ決して媚びることはなく、あくまでベースにあるのは「森中領」であり商売用の別の人格を作ったりはしていないので、そこが客達から好評のようで……まぁ確かにスレていたりこなれている、いかにもな人は好まれないでしょうしね……。おい聞いてるかシンヤ
"年の差はたぶん十五歳プラスマイナス2。子どものころから大人の女性が好きだったぼくには、障害にはならない数字だなぜ彼女たちは自分が年上であることを罪のように感じるのだろうか。そちらの方が長いあいだぼくの不思議だ。""普段は言葉もたりなく、面倒くさがりなくせに、そういうときには精一杯のサービスをするのが楽しくなるのだった。ものを手に入れるより女性を満たす手助けをする方が、ぼくにはずっとおもしろかった。どんなに高価なプライスタグがついていても、ブランド品など問題にならない。あれは結局、ほんとうは自分に価値がないのだと思っている人が欲しがる勲章だ。"
VIPクラスへ移ってからもリョウはバーでのバ���トを辞めないのですが、それは自身の金銭感覚等を「普通」に留めておくためです。そのことを知ったアズマは「普通」の仕事をするリョウを見たいと言い出し、色々あってアズマによるオーラルセックスを体験します。性欲によるものではなく、アズマなりの感謝の意なのです。この後少しぎょっとする描写があるのですが、割愛します。気になった方は買ってくだしあ
そして幸せの終わりを予感させる出来事が起こります。バーにやってきたメグミとシンヤが、リョウの売春を非難し、止めさせようとしてきたのです。シンヤとメグミに面識のある描写がなかったので「え、知り合いだったっけ?」となったのですがその辺は置いといて、彼らはあくまで良かれと思って足を洗うよう促してくるんですよね……作中では余りにもいともたやすく行われているので忘れがちですが、我が国では売春防止法により売春は禁止されております!……今更ながら買売春禁止法にした方が良いのではないでしょうか。売るのは勿論良くないですが、誰も買わなければ売り手もいなくなるでしょうに。
メグミはリョウへの好意と、それを(一方的に)寄せていた相手が"汚い"人物だった事実への落胆で感情的にリョウの仕事を否定し続けます。その一方で、意外なことにシンヤがメグミとは異なる極めてまともな観点ー自分のような立場に身を堕とすな、昼の世界で真っ当に生きろーから彼を諭すのです。リョウからすれば、退屈な自分の人生にようやくやりがいという一滴の雫が降ってきたところに、それを理解しようともせずひたすら正論パンチを連打されたわけですから理解はすれど不快ですよね(二人の気持ちもわかるんですけどね)。
若い女性客からの依頼だと静香から告げられ訪れた先には、メグミがいました。彼女は、そんなにやりがいのある仕事なら自分の体で証明してみせるよう言うのです。あくまで「客」と「買い手」の関係性、公私混同せず続けてきた娼年の仕事ですが今回はわけが違います。
リョウはプロとして持ちうる技術を駆使し、マグミの(肉体)を満足させたのですが、彼には「このセックスがあくまで業務の一環であり他の客とも何度もこういうことをしてきたし今後もそうである」とわからせる必要があったのです。ですがやはりメグミは仕事を辞めさせようとするのです。いえ、寧ろ今後も売春を行っていくであろうリョウを案じより意志が強くなったのかもしれません。結局、『Le Club Passion』はメグミの通報により幕を下ろします。北風と太陽ではないのですが、メグミのやり方は結果的に正しくはあるのですがリョウに対しては悪手でしかないのが悲しいですね……というか余りにも表面的な部分しか見ることが出来ていなくて、リョウの内面をしっかり知ろうとすべきだったでしょうに、静香から引き離そうとするあまり、ね。
ラストが非常に健康的なんですが、バーにやってきたアズマと咲良の三人で『Le Club Passion』を再建しようと誓い皆で語り合う(※咲良は筆談で参加)場面で終わります。ここ、すごく爽やかな終わり方でびっくりしましたよ私は。セックスに耽り退廃的な生活に落ちていく青年の話かと思いきや、関わってきた多くの女性達のおかげで可能性に気付き人生が楽しくなってきた青年が未来へ歩き出す話だったわけですから。ダーティで精液と愛液の匂いが立ち込めるような内容だと勘違いしていたのでいい意味で裏切られました~!ラストは冗談抜きに3人組が「努力・友情・勝利」を見せつけてくるので、少年ジャンプ味すら感じさせるものがあります。
面白かったです!
追記
「これ性別が逆だったらどんな話だったんだろう」と妄想したのですが、男に興味のない女子大生が斡旋所ありのパパ活をし、客の為に頑張ろうとする気持ちにより空っぽだった自身が満たされていく……といった、ご都合主義モリモリのキモい話になってしまい……。
本作は設定勝ちというか、現状女性向け風俗が少なく、壮年の女性が財力を駆使し若い男の子を買うことが非現実的だからこそ成り立った内容だったんだなと感じました。極端な話、おじさんに変われる女の子が主人公だったら普遍的すぎてエンタメ性に欠けるかもしれませんもんね(※買売春は勿論違法ですが、SNS等で当たり前のように情報が行き来してしまっているため……)。 今後女性用風俗が男性用風俗レベルに「当たり前」となったら、改めて読み返してみたいですね……。                       
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rada25 · 5 months
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イヤホン新調!Huawei Freeclip
音楽制作の時や、最高の音で映画を観たい時なんかは、オーディオテクニカのモニターヘッドフォンを使うが、日常の場面では「ながら聴き」ができるオープンイヤー型のイヤホンをずっと愛用している。近年だと、Ambieのイヤーカフ型有線→、そしてここ2年位はSony式の耳を塞がないイヤホン・Linkbudsを使ってきたが、Huawei Freeclipにスイッチしてみて、この一週間は使い心地の良さとおしゃれ具合に感動しっぱなしなのだ。
楽器の練習用途に最適なHuawei Freeclip
楽器をしていると、伴奏音源や、共演者の音源に合わせて演奏、練習したい時がある。Huawei Freeclipはその用途にピッタリだ。
楽器の音(外部音)を阻害しない
「耳を塞がない」点はSony Linkbudsと変わらないが、Linkbudsは耳穴の半分はふさがってしまうのに対してFreeclipはほぼ完全オープンなので、楽器の音色が100%自然な形で耳に届く。細かな演奏ミスや、ちょっとした音の引っ掛かりも、イヤホンをしていない時と同じように注意することができる。
装着感が心地よい
Huawei Freeclipはイヤーカフ型なので、耳穴に入れ込むような窮屈さが無く、本当に付けているのを忘れてしまうくらい。イヤーフック型と違ってメガネのツルに干渉しないのも良い。Linkbudsも同様、軽い付け心地ではトップクラスだったと言えるが、個人的にHuawei Freeclipはそれ以上の快適さだ。
音源が聴きやすい
そもそもイヤホンではなく据え置きスピーカーで練習しても良いのだけど、イヤホンの方が音量を抑えても伴奏を耳元で感じられる分、伴奏の細かい動きを感じやすい。スピーカーで合わせ練習をすると、うるさくなるからあんまり好きじゃないのだ。音質面でもSony Linkbudsとほぼ同じレベルで素晴らしい。ながら聴き用途でよく出ている骨伝導イヤホンに比べても、やっぱりこっち(空気振動)のほうが圧倒的に音質が良い。
レビューブログじゃないのでこれ以上は書かないけれど、楽器の練習以外に、平日の仕事でも、webミーティングでも、Audibleを聴くときも、ガシガシ便利に使っているところ。「中国製」という言葉も、電気製品においては今ではほとんどマイナスイメージが消えたように思う。万岁万岁。
Huawei Freeclipのようなおしゃれイヤーカフ型をしている人は少数派で、付けていると目を引いてしまう点がやや難点(?)
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ashrhnkarchive2 · 8 months
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https://web.archive.org/web/20200107215433/http://ashihara-hina.jugem.jp/?page=1
いただきもの
2013.07.24 Wednesday19:50
いただきもののハーブ飲料
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世の中にはオシャレな飲み物がいっぱいありますねえ。
お水やソーダで薄めて飲むんだって。
仕事中、カフェラテばっか飲んじゃうので、体内浄化すべくさっそくゴクゴク。。
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先日頂いたばかりのタンブラーです。
頂きものと頂きもので、素敵生活演出
ぜいたく~。ソーダ買ってこよっと。
アシスタントさんお休みの日は、すぐに脱線してしまう。
今描いてる漫画、食べものが沢山出てくるので 作画にいつもよりずっと
時間がかかっちゃうんですよ。
下絵終わってからアシスタントさんに入って貰うと もう間に合わないので、
下絵やりながらペン入れやりながらアシスタントさんに指示出しながら
作業を続けてるわけですが。。つまり頭ん中とっ散らかってます。
休憩したら仕事しなきゃ。
明日、アシスタントさんにサボってたのがバレる。
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日記---
100万部☆
2013.07.16 Tuesday00:23
「Piece」の100万部超えのお祝い会をして頂きましたよ~♪
昨年末に超えてたらしいんですけど、色々有難いことに祝い事が重なってバタバタしてたので、
先週ゆっくりと。
北京ダックをごちそうして頂いたのですが・・・
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ダックに「ピース」の文字が・・!!!
若干、血が滴ったように見えなくも?ないですが?(笑)、水飴で書いてあるそうです。
すごい!ピースダック!!
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現担当さんから、素敵なタンブラーや・・
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お花もいただいてしまいました。。
左のオレンジの薔薇はプリザーブドで、ついこないだまで担当してくださってた編集さんが
「芦原さんのイメージに合わせて作りました」と、プレゼントしてくださいました。
オレンジ大好きなので、もの凄くうれしい。
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月餅は、「Piece」初期の担当さんからです
この仕事をしてると、時々ふつうじゃ考えられないような豪華なおもてなしをして頂く事があって、
楽しい事も美味しい事も大好きなので、もの凄くもの凄くものすごーく嬉しくて
私はなんて贅沢な時間を頂いてるんだろうと、毎度毎度新鮮に感動します。
なんで感動するのかっていうと、たぶん未だ慣れてないからです。
とてもフツウの庶民的な家庭で育ったので。
その場その場は100%楽しくて、でも「こんなに沢山色々して頂いても、私何も返せないんじゃ?」
っていう微かな罪悪感も、後からうっすらと。
こういう罪悪感は全く持たない方が良い気もするし、多少は持っておいた方が良い気もするし。
罪悪感の出処を掘り下げてみると、いつも必ず「自信の無さ」なんですよね。
「期待されても何も出ませんよ~」っていう、逃げの防御。
今、そういう漫画を描いてます。
相変わらず地味目ですけど、柔らかくて楽しい物語になるといいな、と。
今、仕事しながら食べてるお菓子
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プリッツなのに「いちごポッキー」の味がする
プリッツ大好き。ふだんは「ロースト」派。
小麦粉大好き!
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お仕事---
出てますよ~!
2013.07.01 Monday03:10
「Piece」10巻、発売中です!
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巻末に、ドラマ撮影現場にお邪魔した時の、レポート漫画も載ってますよ~。
「Piece」がらみのお仕事は、これでオシマイです。多分。
最後までお付き合い頂いた皆様、ほんとうに有難うございました!
そして・・今月発売の「Cocohana(ココハナ)」に、すでに名前が小っちゃく載ってましたね。
「ココハナ」11月号(9月28日ごろ発売?)~新シリーズスタートです☆
取りあえず、4号連続で載りますよ。
まだまだ先ですが、がんばってコツコツ描いてますので、チェックしてみてくださいね!
「ココハナ」は集英社の雑誌ですヨ。
20年近く小学館の雑誌でしか描いて来なかったので、
「えっ?なんで急に集英社?小学館と喧嘩したの??」とか深読みされそうな気が
しないでもないですが。。
別になんもないですよ。喧嘩とかしてないです(笑)
小学館さんとも、勿論今後もお仕事させて頂く予定ですよ~。
小学館は専属契約が存在しないので、デビューしてからずっと、実は「フリー」なのでした。
(単行本ごとの出版契約は、勿論その都度してます。)
何の保障もない、毎日が綱渡り状態のこんな仕事を選んじゃって私ったら大丈夫かしら??なんて
思いながら漫画を描いてきたけれど・・気が付けば時代の方が変わってきちゃって、
今や本当に「安定」した仕事なんて思いつかないですね。
進化なのか退化なのかはよく分かんないですけど、「変わっていくこと」は、個人的に、ワクワクする。
長生きするつもりなので(笑)
仕事以外も色々試せたらいいな。
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お仕事---
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tamuras-focus · 8 months
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今回のフォーカスは「田村」+難病
難病なんて・・・・・。自分自身がそうなるとは思わなかった。看護師として、患者に向き合うお手伝いはしていても・・・何で、私が!と言うのが正直な感想。
発症から紐解いてみます。
約4年くらい前、(当時、熊本に在住していました)風邪から喘息が悪化して、喘息の症状が改善された頃から、鼻水・鼻詰まりが出現しずっと継続していました。「なかなか感冒症状が改善されないな??」というくらいで特に気に留めず、過ごしてきましたが・・・。ある日、再度、発熱し鼻を中心に顔面の痛み・鼻詰まり・鼻水がものすごい勢いで症状として現れました。鼻水と言っても、透明なものでもなく、いわゆる青鼻でもない。黄色(オレンジかかったもの)が出ているため、副鼻腔炎(蓄膿症)なんだろうな?と。
その当時は、なかなか仕事も休めず、耳鼻咽喉科のかかりつけもなかったので、今思えばあまりいい対応ではなかったと思いますが、市販薬でしのぐようなことをしていました(看護師として良くないですね・・・)ティッシュペーパーも5パックが1週間でなくなるような、鼻水と鼻詰まりを解消するために、鼻をかんでました。その頃には、嗅覚はなくなっていました。ものすごい、QOLにも影響して、どうにもこうにも・・・・悩み抜いて近くの耳鼻咽喉科へ受診。当時は、コロナウイルスが猛威を奮っており、コロナの症状にも「嗅覚障害」があるため、受診するにも抗原検査必須。ハードルは上がるし、時間もかかる。
「副鼻腔炎」とだけ言われ、処方薬を内服していたのですが、若干よくなった感があるのみでした(クラリスロマイシン処方、慢性副鼻腔炎の標準治療ですね)
その耳鼻咽喉科の医師と折り合いがつかなくなり、喘息でかかっていた内科の医師に継続処方していただいていました。
月日は流れ・・・大阪に引っ越してきました。
引き続き、喘息もありましたので、近医で同じ処方をしていただいて過ごしていましたが、鼻を中心に顔面の痛みがひどく、仕事もままならないようになり「これではダメだ。QOLも含めて改善しないと!このしんどさに決着をつけよう」と思い、市内の耳鼻咽喉科クリニックへ受診。そこは、日帰りでも手術を行っているため、手術をするとしても仕事を休む日数も大丈夫かな?と思いきや医師から「田村さん、好酸球性副鼻腔炎だと思う。それもかなりひどい。全身麻酔で安全に確実に手術した方がいい」とコメント。
やっぱりな!←この感想しかなかったです。
とってもいい先生が診てくれるから、紹介先は任せてもらっていい?とのことで、紹介された病院はJCHO大阪病院。この病院が、今後、私にとってキーポイントになる病院になるとは、考えもしなかったです。
比較的、大きな病院で受診するのは幼少の時の「群馬大学医学部附属病院」以来。ぶどう膜炎(原田病)でした。その頃から、自己免疫に何かしら問題がある日々を過ごしてきたなぁ。成人になってからのアトピー性皮膚炎→喘息(アスピリンNGの体質も)看護師として病院受診の同行はあるにせよ、若干の緊張感・・・。どんなドクターが診察して下さるのだろう?と不安になりましたが、挨拶しお話しはじめたら、その不安は吹っ飛びました。きちっと向き合い、時々、雑談などあり、なにせ目線を合わせていただいた。悩み抜いてここに来た思いを受け止めてくださったのは、本当に救いだったの思い出します。
「その医師は誰よ???」と思っている方もいらっしゃるかと思いますが、JCHO大阪病院の耳鼻咽喉科診療部長の医師です。検索してみてください。SNSやyahoo!オーサーなどメディアによく出演されている方です。めちゃくちゃイケメンです。
様々な検査をして、病理検査などが進みいざ、9月に手術。診断は「好酸球性副鼻腔炎」疾患(名)はさておき、厚生労働省の指定難病である事が、私の頭を支配していました。
好酸球性副鼻腔炎とは
指定難病とは
手術後は、鼻洗浄(炭酸水素ナトリウムと塩化ナトリウムを水に溶かしたもので)を毎日2回、ナゾネックス点鼻、モンテカスト10mg の内服を開始。
手術後、嗅覚がまたなくなりつつあり、プレドニン内服して様子観察しておりました。
   ↑この太字が今後の流れを左右するものになるとは、この時は思いもしなかった。。。
難病の特定医療補助の申請・・・。これをしておいた方がいいと、医師にも勧められ医師に「調査票」を書いていただき、他資料を揃えて保健所へ。
申請については
これ、医師の書類はいいのですが、マイナンバーカードでどうにかならないものですかね???
術後の恐怖・・・。この疾患は再発が予想されるものなのです。私の場合は、鼻詰まりと嗅覚がなくなるというものでした。術直後は、鼻の具合もスッキリし嗅覚も戻り、当時住んでいた地域では、海が近いため「潮の香り」を感じられ、清々しいものでしたが一変「何でこうなるんだ!」と怒りにも似た感情が湧き起こり、モヤモヤした日々を過ごしていました。
そんな中、何か体調もおかしいことに気がついたのです。四肢中心に強い痒みを伴う湿疹(赤い膨隆疹)と腹部膨満感、腹痛・下痢・嘔吐。夏も長かったため、季節の変わり目で胃腸の風邪くらいに捉えてました。特に、受診もせず安静と某胃腸薬(市販薬)を飲み改善してきました。
その時、ちょうど上部(↑)太文字もあり、特に気にしていなかったのです。
師走。仕事もバタバタしており、引っ越しの準備もあり胃���の不調もあったのですが、はっきりとした症状がなく「まずまずだなぁ」と感じながら迎えた2024年。
年明けで仕事でもある2024年の訪問診療も始まり、気合を入れてやろうとした矢先にまたあの症状が。
腹痛・下痢で睡眠不足、腹部膨満感・嘔気・嘔吐で食事もままならなくなり、どうしたものか?と思っていました。
この辺で、きちんと受診してある意味「決着」をつけよう。そうでないと、何も解決しないと決心し症状がある中、比較的、調子のいい時にあれこれ調べながら、辿り着いた疾患がありました。
そう「診断され治療に入りたい」気持ちと
そう「診断ではなく、他の疾患で今しっかり治療して完治できるものがいい」という気持ちが行ったりきたりを繰り返し、複雑な思いを抱えながら、さて?病院はどこにしようか?と。
耳鼻咽喉科の印象がとてもよかったので、JCHO大阪病院に決め飛び込みで受診。検査予約などして待機していました。
そうこうしている矢先に、夜間ですが今まで経験したことのない腹痛・下痢・嘔吐・腹部膨満感による呼吸困難に襲われました。本当に初めてで、看護師でもありますがパニックになりました。「これは、本当にヤバいな」と思い、スマホを握りしめ救急車を手配。深夜でもありますが、消防職員はしっかりと、不安を解消できる声かけなど対応していただき、もしかしたら処置終了し帰宅する可能性もあるなか、JCHO大阪病院に受け入れ要請。許可していただき病院へ。
救急車内で過ごした時間は、正直、はっきりと覚えていません。不安から解放されるかもしれない「藁をもすがる」というのはこういう気持ちなんだろうなぁ。
かなり、消耗しきった体力。食事も取れておらず、痛みも著明ということで即入院。
入院中は、点滴による補液と痛みや嘔気に対する対症療法(アセリオ点滴、プリンペランの静脈内注射)整腸剤投与です。
入院中、上部・下部消化管内視鏡検査をしましたが、当時の症状から下部の内視鏡を行う際に飲む下剤は地獄そのもの。上手く検査できるために必要な事ですが、1クールでダウン。(ドクターすみません・・・。)鎮静をかけて、上部も下部も検査をしました。もちろん、生検(病理検査)も同時に。腹部の超音波検査もしましたね。
ここだけの話ですが、下部消化管内視鏡検査の後、ドクターが「検査の時のこと覚えてる?」とおっしゃっていました。鎮静をかけていたため、朧げながらではありますが、何となくくらいでしたが「はい。覚えています(`・∀・´)」と言ってしまいましたが、正直、何の事だかわからず答えてしまった・・・(汗)私、何をしでかしたのだろう・・・(汗)恥ずかしいなぁ。
日に3回以上の腹痛・嘔気に下痢や身の置き所のない感じ、不安が入り混じる中、早く何かしらの治療を進めて欲しくて(苦痛や不安を払拭したい一心で)看護師に愚痴を言ってしまった。
「心不全なども詳細検査結果もないまま、下肢の浮腫などで利尿剤を使ったりするよね。どうして、医師は~疑いとして、次の治療を始めないのかな?この痛みや苦痛、不安でどうにかなりそうだよ」と。主治医の方針にクレームというか、疑問がメインで心身ぐちゃぐちゃな思いを吐露してしまったのです。
その時も、ドクターは毅然とした口調とエビデンスを踏まえて「病理検査結果が出ないと、その治療をして、他の要因の場合、体に悪さしてしまう。しんどいのは見てわかる。他の痛み止めなど試してみよう」とベッドサイドで肩をさすりながら話してくださった。
医療従事者として、検査結果→治療方針→実施という一種のアルゴリズムは分かっていても、どうしようもない気持ちの時は、マズローの方式みたいになってしまうのですね。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
1月22日、病理検査の結果が出ました。
確定診断「好酸球性胃腸炎」
予想した答えが、最悪な形で正解する。頭の中がポカーンとする同時に、得体の知らない不安感?感情が支配しつつ、ステロイドパルス療法が開始されました。
プレドニン内服もし、あの腹痛や嘔気、腹部膨満感が消えていく感覚を感じ、ステロイドの薬理や投与リスクも感じつつ「神!!」と崇めてもいい。
好酸球性胃腸炎とは
主治医は、きっちりしている印象に加えて寄り添い、私の意向を取り入れて下さる。それに加えて仕事が早い。週末指示内容などもカルテに記載し看護師に指示を出していたそうです。当たり前に思いますが、病院ですから「当直の医師」に依頼することもあります。患者の診療に対し、責任をもった対応に好感しかなかったです。難病の調査票についても、入院中に書き上げてくださり(検査結果出て2日後には連絡あったな)スムーズに手配・手続きできるようにできるのは、患者にとってありがたいことです。誠実さもありエンジ色のスクラブが似合うイケメンです。。。
(白衣のポケットに緑茶のペットボトルが入ってましたね)←わかる人がわかるネタです(笑)
プレドニン(ステロイドパルス)が始まり、比較的にスッキリして「あの腹痛・下痢・嘔気・腹部膨満感」がなくなると思っていました。が、日に数回、腹痛や嘔気がある。藁をもすがるような治療・神と崇めているステロイドでしたが、スッキリ感がなく「どうしてなんだろう?」「よくなって体力回復しバリバリ活動・仕事ができるんじゃなかったのか?」という思いが支配されてきました。難病に向き合う姿勢。良くなったり悪くなったり。完治するものではなく、付き合っていくもの・・・。この意味を痛感させられました。ふと我に返って難病との向き合い方を見失っていました。
幼少期からの「自己免疫」との闘いから今に至る状態。がん告知にも似た衝撃もありつつ、「今は気持ちに正直に泣けるだけ泣こう」と。
事実には抗えない!
未来を生きるため、どうすれば良いか?
ある程度、生活できているにも関わらず、助成を受け治療をしている後ろめたさは消えません。
悲劇の主役ではないけれど、この文章や発信が、誰かの役に立てれば「今の私」は救われるのではないかな?と思います。
これから、この2つの指定難病と向き合い、付き合う中で治療の内容や思い、周囲の関わりも含め、制度など発信できればと思います。
SNSをはじめ、全ての皆様の励ましやお心遣い本当に感謝いたします。
また、長期休業にて職場をはじめ活動をするメンバー、すみません。「あの田村」になって戻って参ります。
私の治療など支えてくださる、主治医をはじめJCHO大阪病院の皆様、役所の皆様、今後ともよろしくお願いいたします。
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manganjiiji · 8 months
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家格は屑星の二にて候
さて。仕事が始まってございますな。ぜんぜん。ぜんぜん4時間とかです。でもいつもの通り立ち仕事(本屋)なので、まだ2回しか行っていないのでとにかく帰宅してから脚が痛い。結構、結構ね、乗換駅で歩くんだよね。毎日とくに伸縮性のないジーパンを履いているためとにかく階段がきつい。でも2回目の今日は1回目の勤務より痛みがましだったので、このままちょっとずつましになるといいですな、と思う。最近、連日5000歩ほど歩いただけで、とにかく横になった時に足にしびびび!という稲妻が走るかのような痛みが発生する。この状況になるともう動く気が起きない。よくないことだ。この痛み自体は何年も前からある、というか小さい頃からあるようなないような気もするのだが、とにかくぴりぴりとした痛みが足からふくらはぎ、太ももにかけて駆け抜けてゆく。急激に太った頃もこれが酷かった気がするので、最近また太りすぎて下半身に負荷がかかっているのであろう。だいたい62kgだと思う。60kgがたぶん、せめて私の脚が支えられるぎりぎりの体重だと思う。食べすぎているんだ。お腹いっぱいでも、空いていなくても、とくに飢餓を感じていないのに、ただ「間が持たないから」という理由で1日4食くらいになっている日がある。普段は1日2食なので、異常である。これを1日2食に戻して守ったところでとくに痩せない。特に痩せなくても、健康のためにせめて59〜60をふらふらするくらいの体重にはなりたい。危険だ。もう4年前になるのか、20kg太った。正確にはまず16kg太り、その後8kg太ったので24kg太り、4kgなんとか落として今。20kg太ったのは度を越した飲酒と暴食である。毎日が急性アル中のような状態で毎日尿失禁していた。そのおかしさを認識できずへらへらと号泣しながら生きていたため、限界を越えてどんどん太っていった。社会的にも最終的には総崩れになったが、まあいい経験だったと思う。そもそも酒が一滴も飲めないサラブレッドの家系で飲むと体調不良(頭痛ゲロ)必至だったのだが、慣らせば馴れるもので、体と脳と筋肉はぶっ壊れたが、酒が「全く飲めない」ではなくなった。人間としても様々なことを経験して全く何をやっているのか、22〜23歳のやるであろうことを32〜33歳で経験した。嵐のような日々だった。その後の反動というか、まほやくジャンルでかなり知的で成熟して落ち着いた人種と交流したことにより、わ、わたしって、かなりやばい……。ということにようやく気づき、そこからさまざまな意識改革が行われた(友人には「全く根本をわかっていない、意味が無い」と評されるであろうが)。9歳年下の同居人大学合格のための住み込み家庭教師を経て、なんとか人間としての感覚を身につけていったような気がする。そこ(同居人氏合格)からもうすぐ2年が経とうとしている。相変わらずあまり自分が「ましになった」という感覚は少ないが、病状はかなり改善したと思う。不眠に陥ることが少なくなったし、うつ状態(希死念慮を伴う)も月に1~2回、つまり2日〜4日で済んでいる。カウンセリング、主治医変更、投薬(通院)の安定、偏頭痛薬の注射、生家との距離を置けたこと、障害年金の受給が始まったこと、など、この2年で変化したことが多くある。これらの変化がなければ、今私はここまで穏やかに生きることはできていなかった。さまざまな友人がつねに物心両面で支え続けてくれたからこそであって、私の努力というのはほとんどない。本当にこんな頑固でわがままでナルシストでとくに旨味のない(コンテンツとして面白みのない)ただおちゃらけているだけの人間に、よくもまあここまで徳の高い友人達が繋がっていてくれるものだ、と思う。恩返しとしては私が元気で楽しく小説でも書い��生きていくことだと思う。小説といえばあんさんぶるスターズ!!の大人気カップリング、燐一(りんひい)のラブコメを7000文字ほど一日で書き、数年ぶり(体感)にpixivに投稿した。本当に久しぶりの事だった。Twitterで文庫ページメーカーに収まる程度の正体のない短文を書いたりはしていたが、二次創作をきちんと(対外的に姿勢をただして)投稿するのは2年ぶりくらいで、かなり緊張した。というのも、私はmusicのメインストーリーの第1部を読み終わった+αくらいの人間なので。せめてメインストーリー第2部まで読み終わりたかったのだが、結局書いてしまった。また読んだはずの第1部の記憶も怪しい。というわけで、もう石を投げて下さいという趣旨のキャプションをつけて投稿した。あんスタの二次創作をしている方々は基本的にストーリーは全履修が当たり前だと思っていると、私は勝手に思い込んでいるので、こういう半端者が書いたブツはそもそも読まれないことが多いと思う。読んでもらえてもライト層とか(キャラが好きなだけでストーリーは読まない層)。私はソシャゲのストーリーを読むのがかなりかなりかなり苦手な人間であるため、これからもすごく遅い進捗なのではないか、と思うが、あんスタのメインストーリーはかなり好きである。テーマが民主主義と主権者の政治参加の話だし、それを封建制の君主の家に生まれ、そこから逃れてきた天城燐音が大衆に訴えるという図が何よりも説得力があってよかった。明治維新で、天城燐音のような自発的に民主主義に目覚める人間がいたとしたら、日本はまあ違っただろうな、と思うが、私たちが戦後生まれだから天城燐音を創り出せるのであって、まあそれは旧日本には無理だ。民主主義ではなく、議会制度という程度の認識、江戸幕府+列藩が共和政になり、議院内閣制を採用したくらいの理解がせいぜいだったろうと思う。これは絶対王政や産業革命を経ていない日本ではごく当たり前のことと思う。よくこの、自前の頭の良さと勤勉だけで、民主主義国の歴々に立ち向かえたなあと思う。ただ、結局はトップダウン式の政治を人々が「望んでいる」のもあって、日本の民主主義というのはかなり保守的だ。今の日本の左派を見ても、「政治家は○○をしろ/するな」というだけで、自分が政治家になるとか、政治家に対して影響力のある活動をするとか、そういうことではないらしい(ように私には見える)。そもそも結局議員も世襲が強く、派閥も世襲議員を中心に回っている。このトップダウン式の1番頂点は何かと言うと、日本人が勝手に忖度している「幻想のアメリカ」だ。アメリカを初めとする欧米の意識に合わせよう、嫌われないようにしよう、というのが結局この国の大勢だ。現実的に、アメリカの核を初めとした軍事力に金を払って、防衛をアウトソーシングしているのもあり、そこにはやはり敗戦国としての力関係と悲しい自己評価の低さがあるため、「アメリカに従う」ことが与党ならびに自民党に求められることの第一義になっている。まあ私は個人的にアメリカがそんなに嫌いではないが、アングロサクソンははっきりと日本人をバカにし続けているので(というか、彼らには民主主義を生み出したという誇りがあり、日本人の猿真似など見るに耐えないと思っているだろう)、かれらの尺度でわざわざ自分たちを見なくてもいいだろうと思う。私たちは私たちの基準で世界を見ていいはずだ。そして当然アメリカより日本のほうが面白い国だし(僅差ながら)、この国に潰れてほしくないので、はやくアメリカから独立してきちんと(軍事力をバックにした)発言権のある国際社会の一員となって欲しいと思っている。17の頃から変わらない思想だ。軍事力を持つ=戦争の準備、ということで現在の日本では軍事力を持つことは忌避されているが、日本以外のほとんどの国は、どこもみな軍事力という「いざとなったら戦争してでも自国民を守る覚悟、世界すべてを敵に回しても自国民の命を優先する覚悟」を持っており、それが基本的には国家の仕事の最重要のうちの一つである。「戦争できない国」に住むということは、働いて稼いだ金の一部を税金として納めていると思いきや、捨てていると同じことだと思う。他国が攻めてきた時に、自国民を守れない政府に税金を支払っても意味がない。命の保障が国家の仕事の第一である。それは外圧はもちろん、内政においても同じ。だから人権という考え方があります。金を払ってアメリカの軍事力を頼るということは、自分たちには軍事力の決定権がないということ。イスラエルを支援しているアメリカの軍隊に多額の金を支払っている日本は、ガザ侵攻においても明確に加害者です。そのうえで、政府=国民ではないから私たちはイスラエルにNOを言い、デモをする。政府がアメリカに対して「NO」を言うことができないのでそうするわけですが、そもそも政府がアメリカに対して「NO」を言える世の中になったほうがいいと私は思います。国際社会の一員になるということは、公的にアメリカに「NO」を言える国であるということです。残念ながら、今は核兵器を持たねばそれは難しい事態となっていますが。
年始から何を長々と喋っているんでしょうね。私はbasicを読んでいないのでまだはっきりとはわかっていないのですが、結局天祥院英智がアメリカみたいなものなのかな。でも英智様よりも上に老害たちや、ゴッドファーザーなる旧世代がいるみたいだし(これは旧列強になぞらえられる)、basicでTricksterが何をやったのかがわかれば、あんスタ世界もさらに分かると思うので、basicを読むのも楽しみにしています。とにかくmusicは天城が面白い。突然の封建社会の申し子。そこからアンサンブルスクエアに飛び出してきた異分子2つ。ほかに注目株はやはり七種茨。主人公のあんずはどうなのかというと、今のところmusicでは目立った動きなし。主人公が番狂わせみたいな立ち位置だと面白いと思うんだけど、musicの第1部ではそれは天城一彩の役目だった。爽快に誰も彼をも救っていく、というか、天城燐音を救うためのスーパーヒーロー天城一彩。まさに主人公はこちらだった。ということはbasicでの番狂わせは明星スバルなのか?と思うが、そこはあんずに期待したい。あんスタは世界観構成だけではなくてキャラクターの絆や関係性も多種多様でおもしろいので、ありがたいなあと思っている。まほやくはこの点、「恋」にすべてが集約されていた(魔法使いは何にでも恋をする、恋こそが生きる理由)ので、関係性というか執着の度合いにあまりバリエーションがなかった。あんスタはユニットというものがあり、事務所というものがあり、学校があり、シャッフルユニットがあり、過去の因縁があり、過去の因縁があり、過去の因縁があるので、色々な人間が、人間との関わりに励んだり諦めたり反発したり愛したりしていて、バラエティ豊かに感じる。そもそもキャラクターが49人以上いるうえ、9年も続いているコンテンツだから、まほやくと較べることはできないのだが。ただ、まほやくのメッセージ性がかなりわかりやすいのに対して(話をしよう、よく話し合ってお互いを知った上で共に生きる道を模索しよう)、あんスタはかなりばっさりと「終わった関係」も描いており、まあ人生ってきれいごとだけじゃないよね、という冷めた、現実的に大人として生きるなら切り捨てざるを得ない人生のパーツというものを結構散りばめている気がする。まあちょっと期待しすぎかもしれないけど、三毛縞斑なんかは、見ていて痛々しいキャラクターだと思う。だからこそ桜河こはくと出逢ったことが、三毛縞斑ファンにはかなり感動的だったのではないかと思う。(この辺はよく知らないので適当ぶっこいてます。)
あんスタのスケジュール帳に日々のゲームの進捗や予定、コメントを書き込み、博文館懐中日記にその日の行動記録を書いているため、tumblrまで書きに来る気力が最近ない。上の二つをだいたい0時頃書いて寝るのが日課になっており、1月1日から続いている。
最近読んでいる本は『差別はたいてい悪意のない人がする』『客観性の落とし穴』『現代思想入門(千葉雅也)』。資本主義の〈その先〉へと、精読アレントも再開したいのだが、なぜ次から次へと新しい本に手をつけてしまうのだろう。いい加減にしてほしい。『母という呪縛 娘という牢獄』を昨晩3時間ほどで読み切ったが、何が言いたいのかわからないノンフィクションだった。というか、もし言いたいことがあるのだとして、それが私の予想通りであるならば、それは結論としては「糞」としかいいようがない本だった。児童虐待をなめている?教育虐待や精神的虐待、身体的虐待をここまで詳細にえがいておいて、なぜ「虐待」という単語が出てこないのか。虐待被害者は虐待加害者を殺すしか、もう生き延びる道がなかった、とすべての状況が言っているのに、ここにきてまだ「家族のあり方」「学歴偏重社会」だとか抜かしているのは、頭が沸いているのか?社会的養護に至れなかった被虐待児が成人してからも虐待を受け続け、トラウマケアなど遠い話で、物理的に母親という加害者から逃げられなかったという話を、ここまで「マイルド」な表現にしたのには、もはや悪意すら感じる。異常な人間が子供を虐め続けて、そのあげく子供に殺されたというそれだけの話なのに、なぜまだ子供を加害者かのように取れる余地を残すのか。異常な人間は周りがいくら何をしようが異常なまま子供を虐待するので引き離して子供を保護するしか方法がないです。こんな簡単なことをあと何千回この人生で言っていかなきゃいけないんだろう。社会との戦いは続く。私だって、「悪」なんて本当には無いよ、と言いたいよ。でもどこかで線引きしないと、誰も悪くなかったで終わるどころか、被害を訴えたやつが悪い、になっちゃうじゃん。たとえ自分がなんらかの被害を受けたとして、その憎悪の連鎖を断ち切って、自分は加害しない、と、「被害」を引き受けて生きていくのが人間ってもんだろう。好き勝手に加害して生きているやつは、逮捕されて、きちんと刑罰を受けるべき。虐待でもいじめでもなんでもそう。加害者側にも事情があった、っていうけど、事情のない人間なんかいないからね。弱いものを虐めてうさを晴らす人間の事情など斟酌する余裕はこの世にはないと思う。
2024.1.15
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harinezutaka · 10 months
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二年前日記48(2021年11/26〜12/2)
11月26日 朝、少し歩いて銀行のATMに行く。その足でコメダに行く。ノンカフェインコーヒーとサラダとバケットとゆで卵のプレートを。雑誌を読んだり、本を読んだりした。本は『れもん、うむもん』を。出産、育児のしんどいところがありのままに書かれていてとても参考になった。ハウツーみたいなのばかりではなく、こういうのも読んでよかったな。入院生活も結構孤独なんだなとか。なるべく長く入院させてもらいたいなんて思っていたが、案外早く帰りたいと思うのかもしれない。分娩もだけど乳腺のマッサージの痛そうさにびびってしまった。今のうちになるべくできることはやっておこう。帰ってから、昼寝、お風呂、晩ご飯の準備。晩ご飯は、鰤焼いたの、はまちの刺身(夫が買ってきた)、温やっこ、ピーマンとカニカマの生姜炒め、マカロニサラダ。定期的に子宮収縮があるような気がして、もしや来たか?と思ったが前駆陣痛だったみたい。
11月27日 朝からおでんとクラムチャウダーを仕込む。朝と昼に少し寝る。寝ても1時間ぐらいで起きられるようになった。しかも結構すっきりしている。産後モードに変わってきてるっぽい。今日は散歩していなかったので、夕方近くの薬局へ。リップクリームとペットボトルにつけるストローを買う。ひとつは買っていたが2つあった方がよいとのことなので。晩ご飯は、おでん、もずく、水菜とトマトのサラダ。
11月28日 朝、家族会議。入院時にして欲しいこと、なにかあったときのいろいろを連絡する。午前中、鍼に行く。もう自力で行くのはちょっとしんどいので、夫に送ってもらう。これで出産前は最後。寂しいけどいまいち感情がわいてこなかった。今は自分と赤ちゃんのことに気持ちが集中してるんだろうな。先生は少し感極まってる感じがした。気のせいかもだけど。お昼はサイゼリヤで、私は鳥ささみのスープ、青豆のサラダ、ご飯。マタニティ姿を撮っておこうということで、写真を撮りに行くことに。その辺でと思っていたが、三木の防災公園まで行くことに。晩ご飯は、うどん、ひじきの混ぜご飯、おでん。
11月29日 朝、オカヤさんのレシピでオートミールのパンケーキを焼く。美味しかった。ぼんやりしていると、目がなんかおかしい。視界の一部がぼやっとしているような。怖くて病院に電話すると、軽く入院の準備をしてすぐに来てくださいとのこと。タクシーを呼んで、病院に向かう間に症状は少しおさまった。病院で血圧を測ると上が160を超えていて、「これでは帰せないのでできるのなら入院してください」と言われる。エコーでは赤ちゃんは元気な様子で安心した。2800グラムぐらい。LDRに通されて、採血とNSTをして医師からの説明があった。このままできたら産んじゃうことになるみたい。明日から誘発。夫は、たまたま今日休みだったので昼から残りの入院の荷物を持ってきてもらう(午前中は新しい洗濯機の設置があった)。なんとなく定期的にお腹も張るようになってきていて、赤ちゃんも空気読んでくれているのかなという感じ。晩ご飯は白身魚のおろし煮、トマトとチーズのサラダ、あともう一品は忘れてしまった。減塩食だけど、結構美味しい。ご飯を食べたら少し元気になってきた。血圧も正常値になる。病院ってすごい。あったかくて快適だし。同じ部屋の人はみんな静かに苦しそう。明日からはわたしもこんな感じなんだろうか。いろんなお産があるんだな。
11月30日 入院2日目。どうやら聞こえてくる話からすると、同じ部屋の人は切迫早産の人っぽい。朝食後、内診。めっちゃグリグリされるがバルーンよりはマシだった。慣れてきたのか、徐々に柔らかくなってきてるのかは謎。産婦人科の先生って怪力だな。11時15分から一錠ずつ飲み薬(プロスタグランジン)を飲む。6錠。それなりに収縮している感じはあるが陣痛って感じではない。そこまで痛くはないし、ごろごろしてるだけで、これでいいのかなという気持ちになってくる。「チャポンといこう」を聞いたり、認知シャッフル睡眠法を試しながらうとうとしたりしていた。なんやかんやで、助産師さんがやってくるので結構慌ただしかった。晩ご飯は、かきあげ、白菜と枝豆の和えもの。血圧はたしかに下がったのだけれどヘルシーすぎて痩せてしまいそうだな。仕事帰りに夫が寄ってくれる。なんかちょっと頼もしい感じになっている気がしている。これも二人にとっては必要な時間だったのかもしれないな。
12月1日 夜中に目が覚めることもなくく、四時台には起きる。昨日のほうがまだそれっぽい痛みがあったような気がする。この部屋には3人の妊婦がいて1人は双子ちゃんのお母さんっぽいので、4人の胎児がいるんだなぁ。なんか尊い気持ちになる。時々外から赤ちゃんの泣き声も聞こえてくるし、しあわせな空間だ。7時過ぎにLDRに移動。NST、血圧、体温などを測り、朝ごはんの後で内診。今日もグリグリ。少しは進んでいるみたいだけどまだまだな様子。「やってみて、進まなさそうなら一度家に帰るのもありかも」とちらっと言われる。9時25分からアトニンの点滴開始。様子を見ながら30分ごとにスピードを調整していく。痛いかどうかを頻繁に聞かれ、だんだんよくわからなくなってくる。寝ているよりも座ってるほうが進みやすいみたいなのでゆらゆら揺れる椅子にまたがって点滴される。13時ぐらいから段々と陣痛らしきものが。夕方みてもらうと子宮口は3センチぐらい。点滴は夕方には終わるけど、できたらこのまま産んじゃいたい。と思っていると、17時ごろに破水。そこからどんどん進み、18時過ぎに夫も到着、立ち会ってもらって19時3分に無事出産。ちょうど2500グラムでした。産後の処置をしてもらい、晩ご飯を食べたのが22時頃。ちらし寿司、おひたし、おすまし。
12月2日 今日しか寝れないのでゆっくり休む気満々だったが、夜は痛みと興奮とでなかなか眠れなかった。最初の授乳は11時。赤ちゃんとは昨日ぶりのご対面。ずっと寝ていたらしい。母乳は全然だろうとおもっていたけど、何となくじわっとは出ていてびっくり。人間ってすごいな。40年生きてきて初めて本来の目的で使った。14時から退院後の生活についての指導。18時ごろに夫が来てくれる。晩ご飯は、豆腐の煮物、白いんげん豆。ご飯は残念ながら減塩食のまま。養生養生。明日は忙しそうなので、今日のうちにと思ってコインランドリーへ。洗濯と乾燥で1時間ちょっとかかった。『傍点』を読みながら待つ。帰ってから預かってもらっていた子を迎えに行く。夜、全然寝てくれなくて、おっぱいをあげても泣きやまず、さっそく焦る。これは大変だ。
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shukiiflog · 11 months
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ある画家の手記if.? 雪村絢視点 告白
俺が光さんを抱っこして、俺がソファに座ってる真澄さんの膝に乗って、三人でうとうとするお昼寝の時間。
真澄さんも光さんもほとんど眠らないけど、俺のわがままに付き合ってくれる。 真澄さんの体に体重を預けて眠る。俺ももとは眠れなかった。ここにきて、真澄さんと暮らし始めてからいっぱい眠るようになった。 俺にとって、絶対の安心をくれる、誰より強い人。 まこの手つきをお手本にしてあれから何度かバスルームで一人でしてみて、少しだけど前よりは要領よく吐けるようになったと思う。おかげで体が楽になった気がする。 こういうとき想像する相手って前は理人さん一人で、小さい頃の痛くて苦しい記憶も入り混じってたから、快感一直線ってわけにいかなかった。それも原因だったのかな。 なにも思い描かなくてもヌケる人はいるんだろうけど、俺は何か想像しないと難しい。
…まこに告白した頃から不思議に思ってたこと。こういうとき俺の頭が勝手に想像するのは直にぃと真澄さんで、…でもなんでこの二人なんだろ、俺の好きな人まこなのに。 と、思って、いろいろ考えてみたけど人の心だし正解はない…。唯一の収穫は、俺は現実の直にぃに恋愛感情とか劣情をリアルに抱いてたり欲情してたりするわけじゃないらしいこと。今の俺にとっての直にぃは…ああやって優しく愛おしく構われるのがくすぐったいようなちょっとムカつくような照れるような、なにしても許してくれる絶対に俺を最後まで裏切らない、ちょっと情けないいとこの兄ちゃん。 それに対して、真澄さんは………… 「…っ」 ザブッとバスタブの中に潜ってお湯の中まで息をとめて潜る。……真澄さんには…ある。現実の真澄さんへの欲求が。 「…ぷは!」 お湯から顔を出してちょっとクラクラする頭を整理する。髪からお湯が滴る。……あるからなんだっての…今更… 真澄さんと一緒に��ると安心する。今はすり寄ってってもよくて嬉しい。最初は俺たちそういう雰囲気じゃ全然なかったから。
抱きついたら頭撫でてくれる。ちょっとしたことで抱えて運んでくれる。三人で家の中でじゃれて。いっぱい甘えてもわがまま言っても怒られない。俺はこの家が一番すき。…真澄さんが、すき。 俺を助けてくれたから刷り込みで?それとも俺は「父親」ってポジションの相手に欲情しやすいタチだとか?真澄さんを理人さんの代わりに仕立てようとしてる?嫌な言い方すればいくらでもできそうだけど、…でもそれだけでも終わりそうにない。 俺が憧れるがっしりした大きな体とか、落ち着きない俺に比べていつでも落ち着いてたり、すぐ判断して行動に移せたり、いつでも隣にひっついてたい、ずっと甘えてたい、甘やかされたい、…抱かれたい …あげるとキリないけどこういうの、フツーは今の俺と真澄さんの関係で抱いた素直な気持ちなら「憧れ」とか「尊敬」とかって言葉で片付ける…べきなんだろうな。 まこが言ってた、俺との友達っていう関係が壊れるのが怖いって、ちょっとだけなら今の俺にも分かるような気がする。 風呂から上がってから、ノックしないで静かに寝室のドアを開けたら真澄さんが一人で椅子に座って仮眠とってた。
椅子に近づいてって気づかれないように片膝を椅子の上に乗り上げる。肘掛けに手をついて至近距離から顔を見つめる。長いまつげ…俺みたいな童顔じゃなくて綺麗に整ってしっかりした大人の顔。 一線越えたら前の関係にもう戻れないんじゃないか、これまでの関係も愛おしかったら、…それでも俺は俺の望みと感情を大事にしたい。真澄さんはきっとそれで傷つかない。 こんなときでも自分の中に予防線張る自分が臆病で嫌になるけど、もし目を覚ましちゃってバレても俺なんかにされたこと、真澄さんはうさぎにひっつかれたくらいにしか思わないよ、多分。 鼻先が触れそうなほど近づいた顔を寄せて傾けて、眠ってる真澄さんの唇にキスした。 「!」 ちょっと唇軽く食んだだけなのに目ぇ覚まされた! 「!わっ、ちょ」 焦った拍子に椅子からぐらついて落ちそうになる、のを真澄さんが咄嗟に支えてくれた…。 中途半端に乗り上げてた椅子の上で、真澄さんの膝の上に両脚広げてきれいに座りなおす。 姿勢が姿勢でどこに手置いたらいいのか分かんなくて落ち着かない。 自分がしたことを思い返して軽く俯いた。「……」でも謝らないし言い訳もしない、真澄さんがすごく不快だったとかじゃないなら。 真澄さんの胸元に両手をついて俯いたままでいたら真澄さんの顔が近づいてきて、誘導されるように顔を上げたら今度は逆にキスしかえされた。 唇を軽く食むだけ、って、それ、いま、俺がやった、 「寝たフリやめようよ?!」 唇が離れた瞬間に大きめの声で抗議する。 「フリなんてしちゃいねえよ。寝てたけど絢が起こしたんだろうに」 「う…」 絶対顔赤くなってる…俺からはじめたのに恥っず…。 「寝込みを襲うんなら相手を間違えてんじゃないかい?僕はお姫さまじゃ無いぜ」 真澄さんとなら俺は俺がお姫様がいいよ! 「俺から迫らないと山の如く不動のひとに言われたくありませんーー!!」 「なんだ、迫ってたのか?」 口の端上げて笑われてプイッと横を向く。 「……どーせガキですよ、手管の一つも知らないし色気もないしキスで真澄さんを落とせないガキですよ」 ぷくっと頬を膨らませて不機嫌顔になる。すぐに頰がしゅんとしぼんだ。…子供の俺じゃ話になんないかな。 しゅんとしてたら真澄さんが笑うのをやめてただじっと黙って俺のこと見てくる… 「迫ってたのか?」 もう一度同じこと訊かれて耳まで赤くなる。ちょっとしたいたずらのキスだったのか本気だったのかどうか、訊かれてる…? なんて言えばいいのか分からなくて目が泳ぐ。体が熱くて目に涙が溜まってきた。 「………よ…くないことかな…」 真澄さんと俺は義理だけど親子で、俺には恋人いて、真澄さんには光さんがいて、そういうの全部知ってて、 しかもその人たち全員と俺は仲良しで、仲良くしてほしくて、これからもそばにいてほしいって思うのに、 こうしたことが知られたら確実に俺のそばから去っていく人がいるのに、知ってて俺は ただ黙って、自分が幸せになりたいばっかりの願いの中に、事実を沈めて隠そうとしてる ーーーここは治外法権地帯の特殊性をいかすところ …光さんの声 でも 真澄さんは?俺がそういうこと願うのを軽蔑する? さっきの俺の言葉に真澄さんが答えた。 「そうだな」 しょんと首を垂れた俺に頭上から真澄さんが続ける。 「そんならなおさら寝てるとこに来るんじゃ落とせねえさ。仔兎の坊やが人肌であったまりに来たのかと思っちまうだろ」 「……」 俺のことうさぎ扱いされるのすっごく好きなんだけど、今はだめだよ、今は俺は… 真澄さんの顔に顔をゆっくり近づける。今度こそ不意打ちじゃなくて嫌ならどうにだって避けられるように。 唇が触れそうな距離で、上気した頰と涙の溜まった目元で真澄さんの頭の両側を挟むように掴んだ。 近くてお互いの吐息が空気中で触れて交わる。 「ただの人肌じゃだめだよ………真澄さんがすき…」
啄ばむようにじゃなくて今度は初めから深く唇を屠る。強く拒まれたりはしなかった。 たまに口を少しだけ離して糸を引く唾液を舐めて絡めながら唇と口内の感触を何往復もする。 真澄さんの頭を挟んでた手は真澄さんの首に腕ごと回って唇と唇を、体と体を密着させる。熱い…我慢できなくて溜まった涙が頰に溢れ落ちた。 無意識に反った体がすりあったとき反応しちゃいそうだと思ってそこで唇を離した、俺の口端から飲み損ねた唾液が垂れて落ちる。 「……っはぁ、…はぁ…、…っ…、…」 息が上がって、酸欠みたいでくらくらする… ふらついて椅子から落ちちゃうと思ったけど、いつの間にか真澄さんの腕が落ちないように俺の腰をしっかりガードして守ってくれてた。 後ろに倒れそうになった姿勢のまま支えられて、背中から喉と頭まで反らして荒い呼吸で空気を吸い込む。 ぼんやりした頭で考える、…キス、応えてくれてた、真澄さん…無反応だと俺ががっかりして落ち込むから…? 少し呼吸が落ち着いてきたところで、体をまっすぐ起こして真澄さんともう一度正面から向かい合う。 口の中に今度は舌先だけ細く伸ばして差し込んで、唇は合わせないで俺が口内に残しちゃった唾液だけ舐めとっていく。 真澄さんの肩に手を置いて唾液を舐めとりながら訊く。 「ねえ…俺どこまでしていいの」 このままだと、とまらなくなる ふいに真澄さんに抱き寄せられて、胸元に額をつけられた。…真澄さん?顔伏せてて見えない… 「ーーー…」 でも多分、拒絶されて…ない…。抵抗感とか、嫌悪感とかも、持たれてない…嫌われてない …安心して、全身からくたっと力が抜ける…こうしてる間にも、相手の負担とか不快感とかを気にかけて守らなくていいのは久しぶりで… 真澄さんは嫌なことに無理に挑戦しようとしたりする人じゃないし、もし俺の何かが嫌だったからって引くわけじゃなくてそっと距離を置くだけだし、それだって、 俺個人を徹底的に嫌ったりしない 残った体力で真澄さんの胸に頬をすり寄せた
目を閉じた向こうで滲むように聴こえる会話 この声…光さん?
「ねえ、ーーーーかなえてあげられないことだよ 絢はーーーーわたしにこの話をしにきた 社会規範からもいまの絢の恋ーーーーーくモラルからも逸脱したねがいであることをしってるし、それらをーーーーーもかまわないーーーーーがすき かなえてあげーーの? ーーも絢のこと すきだよね」
「うん…」
「じゃあーーーーーー わたしたちが絢にできることがどれほどーーーーか、わかってるの真澄は~ 」
「惚れたはれたは苦手なんだよ…」
***
「ねえ光さん。俺が真澄さんに告ったら怒る?」 数日前のこと。 昼間に、二人でソファに座ってるときに話した。 いくら俺の個人的な感情からの行動だって、光さんを傷つけたくなかったから。 「…俺は真澄さんに光さんて奥さんがいるの知ってるわけだし、俺は俺で恋人もいるし、親子だし、問題ありすぎかな…」
光さんはいつものまん丸の大きな目で、怒ってるふうでもなく普通に答えた。 「この場合の絢がいうもんだいというのは表層だけ社会のがわから提示されたものをよそおっているけど実態は絢の内側からわいたものだから、やりようはいくらでもあるよ」 「やりよう…」 「わたしが以前、家庭という治外法権地帯ですきなようにされても社会のどこにも問題は発生しなかったのの逆をつくの」 相変わらず分かるようでわかんないようなこと言う…。 「光さんは怒んない?万が一だけどさ、真澄さんと俺がそういう関係になったりしたら」 訊いたら光さんは優しく目を細めて俺の頭を撫でた。 「それが真澄の幸せに繋がるなら」 優しく髪の毛を梳いて言われる。 「それにわたしたちは三人でみんな両想いでしょ。そして意思疎通のとれたかぞく。ここは治外法権地帯の特殊性をいかすところ。」 …なんか光さんの目が怪しく光ったような気がした。
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kennak · 8 months
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11月9日 九死に一生(その1) みなさん、ごぶさたしています。お元気ですか? まだ進行中ではありますが、心がだいぶ元気になってきたので、少し書いておきます。 実は、2023年8月24日10時、自宅事務所で仕事中、突然上半身に激痛が走りました。それは下腹部全体から始まり、胸部に波及していきました。 椅子から滑り落ち、床にはいつくばって耐え、武道前進でトイレに向かいました。そのときは、経験したことのない激痛を「前夜に食べた鮨にいたアニサキス」ではないかと疑っていたからです。 ところが吐こうとしても何も出ず、寝室にいきベッドに横たわりました。それから4時間、激痛に耐えていましたが、まったく収まる気配もない。そこで妻に頼んで救急車両で都立病院に搬送してもらいました。 即刻検査をしてもらうと、救急医から「このままICU(集中治療室)に入ってもらいます」と告げられました。24時間、絶対安静。家族も含めて完全に面会謝絶となります。今、会っておきたい人かせいたら、すぐ連絡してください。 病名は、急性大動脈解離。そのときは初めて聞く名称だと思いましたが、ICUに運んでくれる看護師さんから「びっくりしたでしょう。でも大丈夫。九死に一生を得たんですから、がんばりましょう」といわれた時、思い出しました。 30年ほど前、父の死に立ち会ったときに聞いた病名が大動脈解離。父の場合、大動脈の解離(亀裂)が心臓の近くまで達し、担当医からは「この亀裂が心臓に達したら助かりません。覚悟しておいてください」と言われました。 熊本に赴任していた兄に連絡し、飛んできてもらいました。しかし、彼の到着を待たずに翌日、父は「やってしまった」と口にした後、黄泉の国に旅立ちました。享年74歳。私は67歳で、父と同じ病気に罹ったことになります。 ICUの病室に入る前、長男、長女が会いにきてくれました。一人1分くらいで、話しができます。私は「ついにゆく みちとはかねてききしかど きのうけうとは おもはざりしも」と頭に浮かんだ辞世の句を伝えたのです。 結果的に、ICUには7日間、お世話になりました。1日目は、一睡もできませんでした。というのも、ドラマの知識ですが、冬山で遭難した人が「眠ったら死ぬぞ」と言われていた気がしたからです。 点滴と酸素マスクでスパゲッティ状態の私は、強い痛み止めを処方されていたので激痛は減っていたのですが、5分ごとに酸素マスクを外そうともがき、24時間時間、常に監視していてくれる看護師さんに直されました。 「廣川さん、酸素マスクを外してはいけません。外したら死にます。しっかり息をしてください。わかりますか。生きましょう。自分で生きようと思わなければ、このまま死んで仕舞います。わかりますか。もっと生きてください」 それから7日間、右にも左にも動けず、寝返りもできないまま、ひたすら絶対安静の時間のなかにいて、モルヒネで痛みは減少したものの、数分に一回、幻覚を見て死にたくなり、看護師さんが飛んできてくれる日々が続きました。 ICUで、絶対安静の身体も苦しかったけれど、もっと苦しかったのが、どこにも外界の情報がないことでした。面会謝絶は、情報謝絶であり、心から「このまま死にたい」と思えるほど「圧倒的に不自由な状態」だったのです。 ものごころがついたときから、いつも自由な時間につつまれていた自分にとって、初めて、自分の意思ではどうにもならない場所に入り、「出してくれ。自由にしてくれ」と叫びたくなるような閉塞感に襲われていたのです。 そんな私に、ICUの看護師さんは、延べ10名ほどが交代で、つきっきりで励ましてくれました。私はイビキが強く、いわゆる無呼吸症候群なのですが、呼吸が止まると看護師さんが飛んできてくれます。 「廣川さん、わかりますか。息をしなければ死んでしまいます。生きましょう。はい、息を吸って、吐いて。そうです。その調子。続けてください。息を吸って、吐いて。一緒に、血中酸素濃度を上げましょう」 ICUの7日間、一滴の酒も飲まず、食事も摂らず、ひたすら点滴の力で命をつなぎました。7日後、絶対安静と面会謝絶は続いたものの、一般病棟に。そのときは、1カ月以上、ベットで安静にする生活が続くとは思っていませんでした。 ICUから一般病棟に移れたとき、別の看護師さんでしたが「よかったですね。よくがんばりました。廣川さんは、まさに九死に一生を得ましたね」と言ってくれたのです。ああ、とにかく助かったらしい…と思っていました。 その後、都立病院での40日間の入院から退院し、大動脈解離の再発防止のための動脈瘤切除の手術をするために私立病院にも通うようになったのですが、手術してくれる先生も、同じ言葉を使われました。 先生は、都立病院��ら申し送りされたCT��料を見て「廣川さんの場合、脚から腹、そして胸部まで大動脈の解離(亀裂)がみられます。ところが、心臓の手前で亀裂が止まりました」 「え? どうして止まったのでしょう」 「理由は、わかりません。こんな激しい亀裂が全身をめぐったのに心臓までは達していません。達していたら、緊急手術をしても助かったかは、わかりません。九死に一生を得たのですから、再発防止も、がんばりましょう」 私は、ICUに入って「こんなに苦しいなら、不自由なら、死んでもいいから自由にさせてくれ」と思い続けた自分を、後悔していました。みんなが、生かしてくれた生命なんだと、ようやく理解していたのです。 11月10日 九死に一生(その2) 2023年8月24日16時ころから、私は7日間、都立病院のICUに隔離され、絶対安静と面会謝絶の状態に入っていました。 仕事も途中で放り出し、生れて初めて救急車で救急病院に搬送されたのですが、アニサキスによる腹痛だと思っていたので「急性大動脈隔離」だったと知り、本当にびっくりしました。 まったく、そのような人生が待っているとは考えてもいなかったからです。亡き母を二度、救急車で搬送したときは、息子として付き添っている立場。そのときは、自分が搬送される未来があるとはつゆ、知りません。 それまでは、テレビのニュースや映画のワンシーンでしか見たことのないICUに、自分が運ばれていくなんてことも、考えたことはなかったのです。とうに還暦を過ぎていたので、十分、ありうることだったのですが。 まず、おどろいたのが、右へも左へも寝返りが打てないコト。両手には点滴の針が刺さり、クチと鼻は透明な酸素マスクで固められています。水を飲む場合だけ、外されるマスクは、本当に「邪魔くさい」ものでした。 ICUのベッドに横たわったときは看護師さんに「ここが有名なICUなんですね」などと余裕で減らず口をたたいていましたが、次第に「これは大変なことになった」と自覚していきました。 初日は(その1)で記したように、このまま眠ったら死んでしまうのではないかという不安と緊張から、興奮して一睡もできませんでした。そして、たぶん何百回、何千回と「夢」を見たと思います。 ロシアの文豪ドストエフスキーのデビュー作「貧しい人々」か、獄中の出来事を描いた「死の家の記録」か、あるいはそのどちらかの「あとがき」で読んだのかは定かではありませんが、そこにこんなことが書いてありました。 ドストエフスキーは、学生のときに書いた「貧しい人々」がベストセラーとなり文壇デビューしたわけですが、その後、「無神論者」として、ニヒリズムに侵されて、時の政権への反対運動に身を投じます。 ところが、逮捕され、獄中で様々な犯罪者たちと出会い、そのあげく非民主的な裁判で「死刑」を宣告されました。そして、縛り首になる日がきました。 神父に最後の説教を受け、目隠しをされて13階段を上り、首に縄を回され、あとは床が抜けるだけという状態。その13階段をゆっくりと歩いていく数分間に、ドストエフスキーは、それまでの自分の人生についての夢をみたのです。 その数分間は、無限に近い「夢の時間」だったそうです。 そのエピソードを知ってから、私はこう確信していました。死ぬときは、自分も人生をふり返り、たくさんの夢をみるに違いない……しかし、ICUで絶対安静にしていた私は、人生を夢でふり返ることはありませんでした。 代わりに、今まで見た記憶がない、キラキラしてサイケデリック調の世界に行き、そこで何かを作っているシーンや、見たこともない人にプレゼンをしているシーンや、凄い物語を思い付いてノートに書いているシーンをみました。 ところが、そのサイケ調ではあるものの、やたらリアルで細かい字まで見えている「成果物」を、どこにも保存することができません。ノートをしまう引き出しも、パソコンも、伝えるスマホもありません。 あ、どうしよう。せっかく思いついたのに、保存がきかない。きっと目を覚ましたら、何を創り出したのか忘れているのだろうな、という意識が沸き上がり、そこで目を開けると、ICUの天井があるのです。 天井には緊急手術用の大きな照明が1つあり、それは幸いなことに私のいた天井で光ることはありませんでしたが、何だか脳に直接働きかけて未来の夢を見させている新しい装置のように感じていました。 ああ、そうだ。私は、きっと何も残せないまま死んでいくに違いない。死ぬことは、成果を保存できずに、ただ、消えていくことなのか。死にたくない。もっと何かを作り、それを保存して、みんなに伝えたい。 そう考えたとき、いつも強い不安に襲われました。このまま、プツンと世界が終わってしまう。何も遺すことなく、自分が生み出した世界を誰に伝えられることもなく、ただ終わってしまう。それが、今、目の前にある現実なんだ。 そして、私は手元にあるナースコールを押すか、あるいは狂ったように酸素マスクを外してしまうか、衝動的に何らかのアクションをとっていました。ICUの看護師さんは、いつも、何百、何千回と、いつも飛んできてくれたのです。 ICUで隔離されてから二日目か三日目、カーテンを吊るしている金具のところに異変があるのに気づきました。私は、看護師さんに聞きました。「あそこにある文字は何ですか」 看護師さんは「ああ、文字が見えますか。それは幻覚です」と言います。「え? 看護師さんには見えないのですか」「はい。私には見えません」「そんな…では、カーテンの下にある、ひらひらしているその文字は、ありますよね」 「ああ、カーテンの影が文字に見えているのですね。それも幻覚です。気になりますか。」「はい」「興奮すると身体にさわりますから、専門のスタッフを呼んでおきます」「では、本当に幻覚なんですね」 それから小一時間もたたないうちに、白衣を着た、目を見るだけで美しさが匂い立つ精神科医がやってきて、私の話し相手になってくれました。彼女は、私が何をしている人か尋ね、根気よく、幻覚について聞いてくれたのです。 11月11日 九死に一生(その3) 2023年8月24日に急性大動脈解離でICUに運ばれた私は、24時間絶対安静を強いられる中、激痛を緩和してくれるモルヒネのせいで、さまざまな幻覚を見るようになりました。 私が見ている幻覚について、精神科の女医さんが解説してくれました。「夢から覚めても、幻覚は実際にみえるものです。もちろん廣川さんにしかみえていませんが、薬がぬけていけば、自然に見えなくなるものです」 キラキラした瞳で「どんなふうに見えているか、教えて」と女医さんは小首をかしげる。彼女との距離は、規則なのか、2メートルほどあった。それ以上近づくと、私の心の範疇に入り込んでしまうのかもしれません。 私は、「カーテンの上、金具のあるはずのところには、筆で漢字4文字の言葉が書いてあります。崩してあるから正確には読めませんが、なんだか京都の禅寺で写生をした般若心経ではないか。そんな気がしています」と応えました。 白衣の彼女は、す、と半歩だけ前に来て、私の目を覗き込んだ。私は、夜に見ていた夢の話をしたかったが、どんな内容だったか、すでに忘却していた。それで、夜中に感じていたことを話しました。 いままで、いつも情報につつまれていました。朝起きればBGMを流し、スマホのメールをチェックする。新聞を読み、気になる記事があればテレビをつけてNHKのデジタルかBS1でニュースを見ていました。 本も雑誌もSNSも、見たい時に開くことができた。それが当たり前の日常として、ずっと続いていたんです。ところが、ICUに入ってから、すべての情報が遮断されています。今、何時なのかもわからない。 朝食も昼食も夕食もなく、飲み会もない。ただ、絶対安静の姿勢でいる。こうして先生と話すときは鼻から酸素を吸っているけど、夜は酸素マスクでがんじがらめになっている。 ICUに入った当初は、酸素マスクや点滴や、じっとしていること自体が不自由で、逃げ出したいと感じていました。でも、今は違う。私が耐えられないのは、情報の遮断です。これまで、したことも考えたこともない状態でした。 不自由で息が詰まるのではなく、何もない真っ暗闇のなかにいる感覚。情報がない世界、それが死ぬということなんだと意識すると、ぞっとしました。今、まさに暗闇のどん底にいる自分が意識されてきたのです。 もう、ここから出たい。情報に触れたい。行きたいところに行きたい。人に会いたい。想い出の中、夢の中ではなく、街を歩き、空を見上げ、自由に歩き回りたい。そして好きな人たちの声を聴き、話しもしたい。 煎じ詰めると、私は「もっと生きたい」と、「まだ死にたくない」と、女医さんに訴えていたのです。逆に言えば、情報から遮断されていることそのものが「黄泉の国の入口」になると気づいていたことになります。 女医さんが、「お仕事は?」と聞きました。��れまで「ビジネス作家」と応じていたのですが、黄泉の国の入口でうろうろしている私は、「しがない物書きです」と応えました。一度、言ってみたかったのです。 「凄い。どんなものを書かれるのですか」私は、迷うことなく「パズル小説」と応えました。「あら、面白い。私、パズル大好き」私は、パズル小説について、かんたんに説明しました。 ところが、ICUでは絶対安静なので、しばらく、といってもたぶん1分もたたないうちに、ピコピコ音がして看護師さんが飛んできました。「血圧、上がってます」女医さんが謝り、「また来ます」と小さく手を振りました。 次に、彼女が姿を見せるのはICUを出て一般病棟のベッドに移ってからのこと。私は、まだ絶対安静のままでしたが、ひとまず生命の危機は去り、意識も明確になり、幻覚は収まっていました。 それから3回、彼女は話に来てくれました。私は、主に自分の生い立ちについてしゃべりました。彼女に、自分の存在について、原点となっている経験について、聞いてほしかったのでしょう。 「生きていて、よかった」と言われるたびに、私は嗚咽しました。言葉にできない何かを伝えたくて、それでもまったく伝わらないもどかしさもあり、涙があふれてきたのです。 彼女がいたのは1回10分程度と思うのですが、去ったあと、私は幻想にひたりました。マスクで顔はわかりませんでしたが、たとえば村上春樹のノルウェイの森にでてくる哀しい少女の雰囲気がありました。 生死の瀬戸際にありながら恋愛感情に励まされるのは一つの発見でもあり慰めでした。二度と戻りたくないICUを卒業(と私は言ってました)した後、私は恋愛経験をなぞることで、絶対安静を維持することができたのです。 そして、退院したらパズル小説「愛夢永遠」を書き始めようと強く願っていました。愛夢永遠というのは、20年前に書いた自伝小説で、メルマガで配信していました。ところが収集がつかなくなり、原稿用紙で500枚ほど書いて中断。 それを、今度はパズル小説にしてみようと思い立ったのです。我ながら、ほんとうに懲りないですね。 11月12日 九死に一生(その4) 人は誰でも、「死」というものがあることを知っていますし、いずれ自分も「死」の瞬間を迎えることは、直観的にわかっています。ただ、それが「どんな瞬間」なのかは、想像できません。 私も、2023年8月24日にICUに運ばれ、身動きができない状態に置かれるまで、数々の「人の死」に向き合ってきたにもかかわらず、死ぬということの本質がわかっていませんでした。 死について考えてしまうと、結局「死んで見るまではわからない」し、死んでしまっては「もう何もわからない」から。結局、自分は一生、生きている間は、「死」について理解することはないだろうと、思っていました。 しかし、ICUで私は、明らかに「死」の姿に触れていました。「あ、このまま終わるのかもしれない」と思える瞬間が、何度か、あったからです。すぐ目の前に「終焉」がありました。 あ、ここに陥ると、死ぬな、と思ったのです。それは、とても苦しい時間でした。息をしたくても身体が動かず、脳内に快楽物質も出ず、ひたすら苦しい。これが続くなら、もう耐えられない。 天国も地獄もなく、ただ「終わってほしい」という感覚。もう、止めたいという感覚。それが「死」の正体なのだと思いました。生きるのを止めたい、そう感じたら、その向こうに「死」があるとわかるのです。 他の人は、もともと、どう「死」を迎えたのか、私は知ることはできません。しかし、私にとっての「死」は、単純に「もう生きている状態を止めたい」と感じたときに、そこに姿を現した気がしています。 私は、1日、90分しか眠れません。もう20年くらい、そんな生活をしています。もちろん、90分では休息が足りませんので、起きてトイレに行き、水を飲んだら、再びベッドに入ります。そこでまた、90分間ほど眠ります。 それを3~4回、くりかえすと、目をつむっても眠れなくなります。あ、今日はもう眠れない、と思ったら、それが起床の時、そんな生活を続けてきました。 ところが、ICUでは、90分も眠ることができません。24時間、食事をすることも、トイレに行くことも(膀胱から直接排尿されるので尿瓶も必要ありません)原稿を書くこともありません。 ひたすら、じっとしています。ですから、いつも起きているし、いつも眠っている状態。そこには考えている自分しかいませんでした。しかも、考えたことを「記録に残す」こともできません。 このまま、ずっとICUに居続けるのかもしれないと考えた時、「死」というものが身近にいました。死は、生きることができなくなることだったんです。当たり前のようですが、2023年8月24日まで、そのことを私は知りませんでした。 そして、「生きることができないかもしれない」から「生きることを止めたい」と思ったとき、私には「生きたい」という力が、ぜんぜん沸いてこなかったのです。それまでは、ここで死んでなるものかという思いがあった。 しかし、ICUで3日目あたりに、「もういいや。生きるのをやめてもいい」という気になっていたのです。そんなときに、苦痛が襲い、息ができなくなり、もがいていると、自然に「死にたい」と思っていたのです。 そして、それを救ってくれたのが「廣川さん、生きましょう。もっと生きてください。ここであきらめたら、死んでしまうんです」と、叫んでくれた若い看護師さんでした。 私は、「ああ、ここで終わるのか」という思い、「終わりにしたい」という思いでいた自分に、怒っていました。外から見たら、きっと自分は「死んでいく」ように見えていたのです。 自分もまた、「終わりでいい」と思い、「終わりが来た」と思っていました。そして、ドストエフスキーが語ったように「一生の夢」を見ることなく、プツンと生命の糸が切れて、終わるのだと感じていました。 それは、日々、眠るときと同じかもしれません。自分は、毎日、疲れ果てて眠るときに、「死んでいた」のではなかったか。だから、90分後に目を覚ました時、自然に「ほっ」として、起きていたのではなかったか。 起きれなくなる、それが「死」の正体。 そんなことを考えながら、私は「廣川さん、ちゃんと呼吸してください。深く吸って、吐いて。吸って、吐いて」「どうしました」「血中酸素濃度低下」「ほんとだ」「呼吸していません」「廣川さん、もっと生きましょう」 男性と女性の看護師さんが、それからつきっきりで、私の枕元で「吸って」「吐いて」と繰り返してくれました。たぶん、1時間くらい私は合いの手に合わせて、酸素マスクから出てくる酸素を吸い続けました。 その呼吸が、あまりにも強く、深く、長時間続いたせいで、私の肺はあちこちで破れ、血液がたまり、猛烈に痛み始めました。翌朝、検査をすると、肺の20%ほど「水」がたまっていると診断されました。 この「水」が引くまで、1カ月かかったのです。しかし、そこで何かを乗り越えられたおかげで、何とか生き延びることができたのだと、今はわかっています。 ICUと、医師と看護師さんちたが、私を救ってくれたのです。 11月12日 九死に一生(その5) 急性大動脈解離でICUに入り、寝返り厳禁の絶対安静、家族もふくめての面会謝絶で外界から閉じた時空間で、私は7日間、暮らしました。 ICUには、特別の時間が流れています。私は、身体の自由を奪われ、生死を何かに託していました。生きていることが当たり前だった場所から、いつ、生きるのを止めてもいい場所に移っていたのです。 それで、病状が落ち着いているときには、何もすることがないので、しかも未来について考える気力がわいてこないので、どうしても過去のことに思いを馳せることになります。 とくに「死」と向き合っていた時代を想い出そうとしていました。せっかく「死」が向こうからやってきているのに、それについて何も考えないというのも、間が抜けています。 私は、生れてから順番に、いつ、死ぬことを意識したのか、思い出していました。おそらく、最初に「死」について考えたのは、小学校1年か2年生のときでした。 私は、鉄棒ができなかったので、一人で逆上がりの練習をしていました。何度目か、冷たい鉄棒を握る手がかじかんできて、身体が空中にあるときに、手が離れました。落ちてしまった私は、地面に後頭部をぶつけてしまったのです。 私は、すり足で家に帰りました。後頭部に「瘤」はありません。そのことが気になってしまい、食事ものどを通りません。夜、床についても、目が冴えてしまって眠れず、やがてしくしくと泣き始めました。 テレビ番組で見たのか、誰かに教わったのか。私は「後頭部を打つと内出血で死ぬことがある」という知識を持っていました。幼い子どもは、このまま死んでしまうことを確信していたのです。 母が、眠らない私に気づき、声をかけました。「どうしたの? 何かあったの?」私は鉄棒から落ちたことを報告し、「死んでしまうかもしれない。怖いよう」と訴えました。 死ぬことが、どのようなことなのか、まだ考えたこともなかったのですが、直観的に「死んでしまう」と感じ、不安で気が狂いそうになりました。母は、私を抱きしめ、大きな温かい手で後頭部をなでてくれました。 「痛いの痛いの、飛んでいけ」 翌朝、目覚めたとき、眠った場所に戻れたことが、とても幸せなことだと理解しました。 あれは、小学4年か5年生の夏。乳首が硬く、ふくらんでいることに気づきました。これもテレビからの知識だと思いますが、私は自分が乳がんになったと思い、愕然としました。 何日も悩み、百科事典で「がん」を調べ、図書館に行き、近くの書店で大人が読むがんの本を読みました。わからない漢字がたくさんあるものの、だいたいのことは、わかりました。 1週間も経つと、乳首のしこりは、もっと大きくなっていました。泣き虫だった私は、一人、ふさいでいました。母は「風邪」だと思い、小学校を休みにして、かかりつけ医の片田先生のところに連れて行きました。 片田先生は私に「どうしました」と聞くので、私はシャツをたくしあげて胸を突き出し、「乳がんになりました」と伝えました。 先生は「ほう、乳がんですか。どれどれ」と胸に触れ、乳首をつまんで「大丈夫、これは乳がんではないから、心配はいらないよ」とにっこり。1週間ほどふさぎ込み、死んでしまうのかと考えていた私は、そこで救われたのです。 中学1年か2年の初夏。私は、最寄り駅である東上線の上板橋駅から小川町駅まで行き、そこから三峰口の峠に向かう山道に入りました。とくに登山用の服装はしていません。 小学生の頃、家族でピクニックに来たことを想い出し、一人で歩いてみたくなったのです。そして数時間かけて峠の頂まできて、景色に見とれてしまった。気が付くと、夕暮れ時になっていました。 もちろん、私は夜の山がどんなものか知りません。経験もありません。ただ、あわてて下山しなければいけないことは、わかっていました。小学生のときに一度歩いた山道とはいえ、懐中電灯もありません。 足元は、どんどん暗くなっていきました。幸い、月明りがあったので、まったくの暗闇にはなりませんが、場所によっては足元どころか、数メートル先に黒いカーテンが引かれたようになっています。 灯りのある山小屋も、売店も、電灯のある電信柱もない山道を、私は、ゆっくり、足場を確認しながら下っていきました。 私は、「死」を意識していました。今度は、助けてくれる母も、かかりつけのお医者さんもいません。携帯電話もなく、山道に自販機はありません。ただ、知識が少しありました。 整備されているハイキング用の山道から外れてはいけないこと。そして、下山していくと、どこかで舗装されている車道の近くに出る。その後、しばらく車道と並行して山道が続く。そんな場所がありました。 2~3時間ほど下山すると、車道を走る車のライトが空の空気を照らして動いていくのが見えました。まだ少し距離はありましたが、車道には街灯があったのです。私はハイキング道を逸れ、山肌を上り始めました。 その後は、残念ながら覚えていないのですが、長ズボンはズタズタになり、両手は傷だらけになっているものの、私は車道を歩いていました。車とすれ違った記憶はありませんが、やがて東上線の駅に着くことは確信していました。 駅舎は無人で、もう終電はありませんでしたが、そこは見知った場所。そこで夜が明けるのを待ち、始発で帰りました。 その頃、私は父が所有する3畳ひと間、トイレ共用、炊事施設はないアパートで一人ぐらしをしていましたから、三度目の「死」を考える時間を持ったことは、父も母も気づきませんでした。 12月19日 起死回生(その1) 2023年8月24日に、突然救急搬送され、ICUで7日間、生死の際まで行って幻覚をみていた私ですが、思い起こせば、その日は突然にやってきたわけではありません。半年前から血圧が高くなってサプリメントを飲んでいました。 この年の夏は地球沸騰といわれる極端気象で、東京も真夏日が続いていました。おまけに、仕事をしている事務所のエアコンが故障し、熱風だけでしのいでいました。半年前から右足がふくれ。足の爪の一部は壊死。 そこにコンサル業界の本の執筆が重なり、30年前のような忙しさ。どこまで肉体を酷使できるか、自分でも先が見えないまま、「これまでやってきたのだから、何とかできるだろう」と高をくくっていたのです。 正直、なめていました。こんなことでつぶれるわけにはいかないと、根拠のない自信をもって、突き進んでいたのです。その結果が、20代から走り続けた結果が、突然の急性大動脈解離だったのです。 ICUで、天井しか見られない時間を過ごしながら「ひょっとしたら、このまま死んでしまうのか」と気づいたのですが、すでに手遅れ。私は、自らのチカラで、この危機を乗り切ることしかできませんでした。 しかも、おそらく、たまたま、生き延びたにすぎません。帝京大学医学部の教授に言われました。「ほら、心臓の手前から両足の部位まで、大動脈が避けているでしょう。これが、心臓の手前で、とまっている」と。 私は「なぜ、心臓の手前で?」と聞くと教授は「理由は、わかりません。心臓のところも、裂けていても不思議はなかった。だから、九死に一生を得たということになります」と。本当に、危なかった。 そして、ICUから出て1ヶ月ほど安静にして回復を待ち、退院。その後、見つかった身体の「懸念材料」を、具体的なは3ヶ所で発見された腫瘍の検査と、それが終わってから「カテーテル」を通して血管の状態を調べました。 血管が丈夫でなければ、退院しても、いつかまた大動脈解離になるか、知れたものではありません。もちろん、塩分を控え、高血圧を治し、肥満状態を変換するなどの体質改善を勧めながら、最後の難関に向かいました。 それは、左足の付け根にあった「大動脈瘤」の処置です。大きさが3.5センチもあり、いつ破裂してもおかしくない状態。ここを適切に処置しておかなければ、社会復帰はありえません。 私は、帝京大学医学部の医師のみなさんに命運を託し、開腹手術にチャレンジすることにしました。大変難しい場所にできた大動脈瘤なので「決して簡単な手術ではなく、後遺症のリスクも1割と、この手のものにしては高い」とのこと。 それでも、私の答えは決まっていました。せっかく九死に一生を得ることができたのだから、起死回生ができる身体にするためにも、医師の腕にすがることにしようと、それこそ腹をくくっていたのです。 12月19日 起死回生(その2) 療養中に、考えました。人間は、あっけなく死んでいくものなんだとわかった上で、それでも生きている間に何をしたいか、日々意識していこうと思っていました。 今しか生きられない宿命に生まれた自分。ただ、その今も、いずれ終わりが来ます。68年間、終わるということを経験せずに生きてきた自分は、何と幸運だったことか。 何の準備も、心構えもないまま「まだ先のこと」と思っているうちに、激痛に見舞われ、病院に搬送されてICUに入っていたのです。 寝返りも禁止された7日間。15分くらい眠っては目を覚まし、口を覆ったマスクを外そうとする。それに気づいた看護師が飛んできて、私を止めた。 「外したら、死にますよ」「生きましょう、頑張って」そのとき、私は悟りました。みんな、こうして死んでいくんだな、と。自ら、終わりにしてしまうのだな、と。 それくらい、生きるという選択肢は、肉体的に苦しかった。こんな苦しいことが続くなら、もう終わりにしたいと思っていたんです。 1月7日 起死回生(その3) 新年、あけましておめでとうございます。パラダイムシフトが起きているなかで迎えた元旦、書初め、2024年初の通院と、初詣は除いて、だいたいのイベントを終えて、ようやく一息ついています。 今年も、厳しい時代は続くと思いますが、みなさん、身体に注意して、健康第一でお過ごしください。無理を重ねると、いつしか、私のように起死回生を狙う道しかなくなってしまいます。 さて、本文は、起死回生の3回目になります。前回は、途中で用事が入って、中断したままになっていました。しかし、年が変わったのですから、新たな気持ちで、起死回生について期しておきたいと思っています。 2023年8月24日に緊急入院してから、2024年1月7日現在、私はお酒を一滴も口にしていません。二十歳を迎えてから、私はお酒を呑まない休肝日は、累積しても30日に満たないと思います。 というのも、眠る前に、晩酌をするか、もの思いにふけりながらいっぱいやるか、いずれにしろ、今日が人生最期の日かもしれないと感じ、生きている幸せをかみしめなければ、寝床に入れなかったからです。 とくに、ここ10年は、一回に90分以上、睡眠することができなくなっていました。そう、今、急性大動脈解離での入院は必然だったと考えているのは、そんな自分の身体の構造が、それこそ身をもって感じていたからです。 ということで、今回は、ここまで。薬を飲み、軽いリハビリをして、無理ない程度に仕事をする時間です。 1月11日 Facebookページ 二十歳のとき、南池袋にあるスナック・サンフラワーに、足しげく通っていました。夜の8時ごろから翌朝6時まで開いている店でした。 お客さんがいなければ、水割り1杯300円で飲ましてくれました。ママが、貧乏学生を応援してくれたんです。 私はカウンターの入口近くに陣取り、お客さんが来るまで、ママと話したりして休んでいました。 あるとき、カウンターの一番奥に、地味な服装をした女性が座っていました。たぶん夜9時ころ。カウンターには、私と彼女しかいませんが、端と端で飲んでいたことになります。 ママが、私に小声で教えてくれました。 「あのこ、あきちゃん。ヒット前に、たまに来てくれた。有名になっても、ちっとも変わらない。ヒロちゃんも見習いなさい」 私が、サンフラワーに通っていたのは半年くらいですが、ずいぶん勉強になりました。ご冥福をお祈りします。
死んだ(はずの)人からのメッセージ | えちごトキめき鉄道社長(いすみ鉄道前社長) 鳥塚亮の地域を元気にするブログ
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aoi--zine · 1 year
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夕すぎより降り出した雨は、刺すように続いている。私は歩いているが、すっかり濡れた服を着ながら、今すぐに脱いでしまえといった強引な気持ちにもなるけれど中々にそうはいかない。それは何匹か、しかしかなり多くの蟾蜍が、蛞蝓が、まいまいなどがが皮膚の至る処で図太い居眠りをしているのに一匹ずつそれらを引き剥がすような膨大な作業を想像し、諦め私はただ、今の私を犠牲にし、今の私をただ受け入れるしかないように思えるからだ。散るような雲が右から刻々と形を変えて、左へ行っているのに気がつき、漸く雨も止むようだと気持ちから先に晴れてゆく心地もしている。しかしそれもどれ程後のことなのかわからない。それならばなお、繰り返し、今の自分がどうであるかということを咀嚼する様に認めてやっと、時間というものを意識せずに済むのだ。それでも、それでもやはり私は、遠からぬ未来、白雲の隙間を縫って私にぶつかって来るような、無遠慮な太陽を全身で浴びているところを想像し、正確に言えば硝子のことを思い浮かべてこの妙にじっとりとした生活を見送るのである。
大きな夢を見ている若者たちは、そのため、働かなくては当日ですら暮らしていくことも叶わない。朝から働き、夜まで働き、まして夜から働き、二十五歳の、眩しく、透明で美しい時間は長方形の皺寄った、手の黒くなる様な円形の輪郭を与えられ、実際に我々の手中からこちらを見つめている。いや、違って見つめているのは私か。何か言いたげに、それでいて何も言わないかつて時間だった金は、甘い味がする。貴様も舐めてみるといい。少女の股の若々しく酸い味や、明後日食う肉脂の味、布団で鎮座する、安全な午睡の塩っぱい涎の味が、一切合わさり甘い味がする。酒は旨いが、苦労した金で飲む酒は殊更である。気がつくと私や、彼らは便器の中を覗き込んで、貴様に向かって叫ぶみたいにして、私たちしか知らない言語で「殺してやる」と、繰り返し、また繰り返す。目に浮かぶものが涙でないならあれは何か。それは彼方である。海水を掬って、掌の隙間から零れた点滴を逆さまに貫通して来た楽園が尖って、両目に突き刺さっている。時系は最早無意味に右へ行き、過去へ戻っていく。そこに立っているのが、せめて自分の愛する人であればいいと、立て掛けられたような依代に両肩をだらし無く預けて、真っ白のエネルギーを屑籠に堆く積み上げていくのである。
「今日は大変でした。私には黄色がいる、それは高木くんも承知のことかと思われますが、とにかく私の彫刻を買いたいって言ってしつこいやつがいたのです。私は一万でなら売ると何度も言いました。そうしたら急にあいつ、自分のポートフォリオなんて取り出してルックザットワーク!なんて言って結局自分の作品の話をしたがるんですもの。私はすごいね、かっこいいねなんて適当おべっかこいてたんだけど、あの手のやつには珍しくそういうのに聡いんだな。どの辺がいいだとかなぜそう思ったとか、ねちねち聞いてきてさ。俺はそれに説得力のあるようなこと言ってやり過ごしていたら今度はあんたの作品を見せなさいよっつって、見せたらこれを買いたい、一万でなら売る、私の作品を見ろ、この順を三繰りくらいしてたのさ?」
「ああ」
「するとベイビーがこっちに来てお友達?とかって聞くから俺は仕方なく、俺の彫刻が買いたいんだって説明してあげて、話の流れでさ、いや俺もわざとらしいとは思ったよ。けどとにかくベイビーは俺の彼女なんだってそいつに言ってやったらそいつ、I already know だなんて冷たく言い放った。冷えたね俺、いや熱かったね、あいつが放った言葉がベイビーの眉間に跳ね返って火花散らしてた、そんな感じだった」
私は自転車を押しながらそのことについて考えるのだが、ケイが本気で言っているのか、冗談として言っているのか分からない。結局何も言えなかった。ちょっとコンビニと言い残し、蛍光の直方体に吸い込まれていくケイの背中だけ妙に暗かった。ケイが私に追い付く前に自宅へ辿り着いた。シャワーを浴びて部屋の戸を開けるとケイは私の部屋で火のついた煙草を咥えて、熱心に何かをノートに描いていた。骨董市に一緒に行った時に買った、白い表紙に古い紙のノートで、背表紙にローマ字で論外と書かれた瀟洒なノートで、私はそのノートが気に入っている。なかには良いものしか描かれていないからだ。ケイのまえがみを潜って自由な煙は、次々に形をなくしていき、シェードの下で行き場のなさそうにうろうろとしている。いつになったら私は正直になれるのだろうか。ケイは決���てノートを私に見せようとはせず、ただ黙りこくって真剣にノートを埋めていた。
つまり145番辺りで。なんて言って通じる者たちの間には不思議な了解がある。それは、今生きているのが何らかの偶然の加減だということである。
我々は109番と、110番に腰掛けて順繰り根元まで吸い干した煙草を海に投げ捨てていた。水平線は燃え、そして暗闇に溶けていった。
「昔付き合っていた女が、女の部屋で知らない男と寝ているのを見た時に私が何を思ったかわかりますか」
兎の瞳のように白々しくルークはそう私に問うた。
「私はすぐさま自分を客観したのです。きっとそれがよくなかった。自分の身体を盾に後ろ図去し、精神として事実を見守ったのです。言いたいことはわかりますか?」
恐らく、と答えて一際高い波が私の履いたズボンの裾を染めた。私は反射するように体勢を変えた。何となくそんな自分を恥じて、失礼と言った。ルークは続けた。
「精神は傷つきません。観察するだけですから。ただし私の精神が私の身体に収まっているなら話は別で、点のような隙間を満たすのが悲しみや怒りです」
「喜びも同様ですか」
「はい、喜びもまたそのようです」
「だとしたら愛はどこにあるのですか」
「愛は在るものではなく、探すものではないですか?あなたがいま尋ねたように。目の前にあっては既に愛ではないはずです。浮気や不倫は簡単ですが、愛は難しい。空気を抱くのにも似た曖昧な理想の中浮気や不倫は最高として形を取ります。しかし愛は既にそこにあるから、既に愛ではないというジレンマを常に抱えている。私はそういった試みのような関係性に疲れたのでしょう。両方とも完璧ではないが、両方とも中々良いということに甘んじて、常に自分自身を防いでいるのです」
しばし独白が続き、私は思い切って口を開いた。
「何からですか」
愛からです、とルークは言わずに私の挑発を躱す余裕が彼の諦めの堅さを伺わせて私は悲しくなった。
「私は硝子の為なら傷つくことができます。私を笑いますか」
ルークは私に対して何も言わなかった。爪に電話をかけると言って、テトラポットを伝ってどこかへ行ってしまった。
57
沈黙の扉を開けると、ケイと黄色と、ルークを除くラタンタラの連中が下品に笑っているのを横目に沈黙のマスターが仕方なくグラスを磨いていた。私はカウンターの右端に座ると、驚くべき一、二の間でアイスコーヒーが給仕され、マスターは何もなかったようにまたグラスを磨き始めた。そのグラスは既に綺麗だよと声をかけると、汚くはないだろうねと言われ、その言葉の意味を考えた。マスターは思い出したようにこちらに急いで駆け寄って「あ、深い意味なんてないよ」と言ってまたグラスを磨き始めた。
「やっぱり僕は紙が好きですね、紙でないと見えない景色があります」とケイの声が聞こえる。
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kiriusa-etc · 1 year
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映画、呪詛を見て
主にTwitterでぶちまけた感想のアーカイブ。追記ではより詳細にネタバレしてます。(追:)と記載。
映画の感想とホラーへの姿勢と諸々の話
ウワ〜なんだろ、呪詛、そこまで怖いとは正直思わなかったんだけど、気味の悪さとか雰囲気だけずっと糸を引いてる感じ 後味の悪さとか名残だけがこびり付いてる
いやぁね、あれはね〜、主人公のマッマと反りが合わねぇなぁと思っちまったよな
そもそも初っ端から引っかかったもんな 祈りの話 そういう哲学的な…心の持ち方の話はねぇ、そうですか、でも私はそうは思いませんのでさようなら(シャッターを下げる) となりがち(追:心のあり方に関しては結構芯があるというか、自分の考えを確立してる故)
観覧車がどっちに回るとかそういう事やないやん 祈り……要は自分の心次第で世界の見え方なんて変わるよって話でしょ? でもそういう事やないやん 時計回りの観覧車は時計回り
まずもってそこでおや……?と距離を取ってしまったんだよな 怖さを体感したいからホラーが見たい そのためには主人公や登場人物に入れ込むのが一番だと思うんだけど…ちょっと俯瞰的な視点になっちゃったんだよねぇ
そう、そもそも怖がりたいからホラーを見るっておかしな話では無いはずなのに矛盾して来るような気がする 怖がることを楽しみにしすぎというか……考えすぎだろ
それなら散りばめられた恐怖の種を自分で繋ぎ合わせて、カチリとハマった瞬間に感じる恐怖、みたいなのでも味わえたら良いんだけど、なんせおつむが弱いので分からない 例えるならばアイデアロールにことごとく失敗している感じ そもそも多分、アイデア値が超低い
ミステリーもそうなんだけど、私は自分ではさっぱり分からないので、登場人物が謎を解き明かしていってそれをはえ〜すげ〜と感心してるだけ なるほどそういうことね(分かってない)
呪詛に戻るけど、主人公が想定できる選択肢のうちやべーやつをひたすら選んだから迎えたバッドエンド、って感じ 自業自得って言葉がピッタリじゃない
主人公のマッマはまぁ、巻き込まれた感あるけど、そんでもノリノリで動画撮りに行ったのは違いなかったから擁護できない あとひたすらカメラ回してるのがどうにも気になっちゃった(追:もともとYouTuberみたいな事やってた名残というか癖であるって形で設定に落とし込んでるんだろう。でもそんなずっとカメラ回してんのは私からすれば理解できない) そこにメタ的理由(追:映像が無ければ映画として成り立たないよな。よりリアルな感じの映像にするために登場人物が撮ってる体にしてるんだろうな〜。カメラ写りが妙にいいですね。怖がってカメラ落としてるのにちゃんとお顔が映っていらっしゃる)を浮かべてしまったのもな〜 私は考えすぎだと思うんだ
あと最後の方、娘に語りかけるシーンがあったけど、そういう理解出来ねぇの積み重ねもあって感情移入出来んかった……罪悪感からちゃんと母親で居られなかったかもみたいなこと言ってたけど、(追: 母親の自覚は生まれた時にできる、けど私にはあったか分からない。罪悪感から優しくしてただけかも、なんて赤裸々に語っていた)あくまで娘に向けた言葉なら言うんじゃないよ☹️(追:心に留めておけそういう事は。言いたくなる気持ちは分かるけど)
娘さん、とても聡明なんだろうね、だから私を捨てたの?って言うぐらいだし、自分が助かってもママはどうするのって聞けるくらい そんなことまで理解出来るような子なら最後までしがみつくか、過去に一度捨てたのならいっそ貫き通した方がマシ(追:引き取らずに居れば良かったって本人も思ってたけどね。私は正直そっちが最適解だと思う)とか考えちゃったぜ
あとね〜ラスト(追:呪いの元凶、邪神である御本尊?をカメラに映し広めることで娘を呪いから解き放とうとした?主人公ママのシーンである。一緒に唱えて、と何度も出ていた宗教の呪文も幸せになるためとかじゃなくて「呪いを引き受けるため」だったと明かした直後のことだ。やはりろくなもんじゃなかったし、これ以上周りを巻き込むなお前は)目隠ししたとこなぁ、目隠ししたのは発狂を防ぐためなんだろうか?(追:過去に顔を隠していた御本尊の顔を見た恋人が発狂した映像が残っていた)分からないけどそれでああなる(追:主人公ママも布を剥ぎ取った途端に発狂。恋人やパパになりたかった男性と同じく御本尊前の岩の机に頭を打ち付けた。あのまま彼女は助からなかったんだろう。)なら直視して自分が全て引き受けるくらいの覚悟決めて欲しかったな〜と なんか半端に助かりたいのかなって捉えちゃった
(追:可哀想なのは娘にパパと慕われて覚悟決めちゃった里親の男性だよな。娘連れ去ってもまぁ、呪い解けてないからダメなんだろうけど。あとお守り買ってくれた施設のおばさん。高温になってるガラスの元を口に含んで多分死んだ。あれはよく意味が分からない。その後も特に出てきてなかったようだし、同じ例もなかった。意味のわからない恐怖のためだろうか)
少年漫画に影響されてますわ( ͡° ͜ʖ ͡° ) フィクションだからって命かけろは怖すぎるだろ私
あと集合体は…ちょっと戦きはした(追:隠されていた御本尊の「顔」は人の顔ではなく、ぽっかりと開いた穴に無数のブツブツが敷き詰められているもの。どれだけ美しい顔なのか、あるいは醜い顔でもしてるのかと思ってたんだけど…人の顔じゃなかった。だが思えば呪いの影響で体に浮き出たブツブツはここから来ていたのかも。キモいけど、キモいだけって感じ。あれってお口だった?)
追: 呪いといえば全身爛れてたよな?爛れというには血がボトボト滴ってましたけど。血で怖さを強調したかったんやろか。出血多量で死ぬんじゃねぇのと思ったが皆しぶとかったね。儀式をしてくれたけど主人公が娘に言いつけ破って食べ物食わして死なせたおばあちゃんとかさ〜。血を滴らせながらボリボリ頭かいてたよな。そもそも幻覚だったのかしら。唯一と言ってもいい程のビックリ要素のあるシーンでもあった。あとそそのかした友人もばっと襲いかかってはきたっけ?歯が痒いって言って全部抜けてたけど。分からないものが分からないままだったから怖いにまで行かねぇんだよな〜。歯が抜けたのは本尊が欲しがってたからか?髪と歯と耳をお供えしてたもんな。それも何でかよく分からんが。元々の宗教がそんな感じなんだろうか。そもそも邪神をなんで信仰してんの?わざわざ。そこが知りたいよ。
結局映像越しだからなぁと一線引いてる節はある ホラー見て怖がれるのもある意味素質というか素養というか、要るのかもしれない( ͡° ͜ʖ ͡° ) あるいは素直さ?斜に構えすぎてね
ここら辺から映画の感想ではなくなってく
怖いと声出るんかな 私は声出なくなりそうだよね あまりの恐怖を感じると声出なくなるって言いますしおすし
お天道様が見てるんですよ 罰当たりなことはするもんじゃありません 色んな理由からね(追:これは映画の感想ですね。主人公というより友人の人がやめなさいって言われてるのに地下道に入ったり祭壇の奥の扉蹴破ったりしてたから。そもそも親族以外集落に入れるなって言われてたのに。自分たちに原因があって死んでたからな〜。同情も出来ない。)
お天道様が見てる、をどう解釈するかってな〜 そこでお天道様なんて居ないで終わらせるのは勿体ない
ま、(居ないもなにも)単純にお天道様はお空におりますからねぇ(追:ツイートする時って割とぼかしてるから見返すと何言ってるか分かんないよね、すまん)
訳が分からない、とか知らないという感情や状態は恐怖に繋がる、これは分かる あるいは理不尽さ…自分にはどうにも出来ないという抑圧による恐怖のパターンもあるよね ホラー作品を見てるとそういうシーンはよくあるように思う
けどなぁ、私の場合そういう訳の分からなさや理不尽さは恐怖ではなく怒りに繋がっちゃうんだよな… 私は理不尽が嫌いなので( ◠‿◠ )
ねえやっぱ考えすぎだよね?? 考えすぎて怖いから遠ざかってるんだよ(追:これ結論)
例えばですよ、ホラーステルスゲームってあるじゃないですか 私はあの裸エプロンジジイお姉様(ネタバレ)(追:リマザード トーメンテッドファーザーズのこと。)で初めてプレイしたんだけど あれは明らかに対人間の、多分サイコホラーだと思うんだが、相手が人間なのにただ逃げるしかないのにアァン???ってキレ散らかしちゃって…
あんなクソジジイぶん殴ろうぜってさあ……やはり私は蛮族である 心の拳で殴り合おう
所詮は人間なんですよ!人間なの!皮と骨と肉とあと諸々の塊なんですよ!
まぁ相手が人間には理解の出来ない上位存在(例えば神とか。創造主とか……あるいは怪異やクトゥルフに出てくるようなヤツらとか)みたいなもんだとしてもキレるけどな ほんとに歯が立たなくて何も出来なくたってキレますよ私は(追:抗うこと辞めたらそこで終わりだからね。)
理不尽が嫌いな私はしたがって、人間社会も嫌いです(追:言うまでもないが、理不尽の温床であるから)
嫌いなのに何もしないから自分のことも嫌い!😊(追:ほんとに笑顔で言えることです)
そりゃあ(理不尽が)好きな人は居ないと思いますけどね、それでも受け入れるしかないこともあるじゃないですか だからクソなんですよクソ 社会はクソ
嫌いなものは多いけど、皆のことはちゃんと好きなんですよ 関わって来た人たち一人一人は
理不尽さで形作られ血塗れになった人間の歴史と人間社会(追:今更この理不尽な仕組みをリセットできないのでクソなのです) 救いようがないよな!好きになる要素ある? 面白いけどね(追:嫌いであることと、興味深いこと面白いことは別の話。)
ねえこれなんの話?ホラー映画の感想ぶちまけたかっただけなんだけど(追:お決まりの流れみたいになってる)
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hisoca-kyoto · 1 year
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onlyone craftさんよりシェーカーボックスの新作が色々入荷しています。前回企画展にご参加いただいた際は小さいタイプのオーバルボックスが中心だったので、今回は収納を意識した大きめのサイズを中心に制作いただきました。
背の高いボトルなどが収まるDEEP BOXはメイプルとチェリー2カラー届いています。パウダールームで使うメイク周りのものを収納したいとのリクエストから生まれたサイズだそうです。お掃除アイテムやキッチンアイテムの整理に使われても良さそうです。
縦型のDEEP BOXを二回りほど小さくしたサイズのTEA CANISTERはメイプル、ウォールナットの2カラー(チェリーは売約済)。こちらは内側は無塗装。中蓋が付いていて、木の調湿性生かした仕様に仕上げられています。茶葉やコーヒーのキャニスターとしてお楽しみ下さい。
OVAL BOXはサイズ4と5の大きめのタイプが2種類、メイプルにてご覧いただけます。リビングやキッチンで目につく小物や趣味のものの整理に便利にお使いいただける大きさです。蓋は底に嵌めることも出来るので蓋を開けて見せる収納にもお楽しみ下さい。
以前リクエストしていたTRAYはチェリーが入荷しています。シェーカーのデザインを生かした大きめのトレーです。両サイドに持ち手が付いていて持ち運びしやすくフックにかけての収納もできます。トレーは水滴などのシミを防ぐためにオイルウレタンをベースに施されてからオイルにて仕上げられています。
お部屋の雰囲気にスッとなじむ美しい佇まいは、インテリアを穏やかに引き締めてくれます。ぜひ取り入れてみてください。
今日、明日共に通常通り18時までオープンしております。お近くにお越しの際はお気軽にお立ち寄りくださいませ。
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jkdfkopi · 2 years
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ぜひこの機会に「カンパノラ」の究極のメカニズムと美しさをもつ独創の世界をご体感ください。
ラ・ジュー・ペレ (La Joux-Perret SA) 社の機械式ムーブメントを搭載した、カンパノラ メカニカル コレクションを中心に、多数のモデルを取り揃えております。ぜひこの機会に「カンパノラ」の究極のメカニズムと美しさをもつ独創の世界をご体感ください。
カンパノラ 20周年記念モデル NZ0000-07L  暈響 (かさねきょう) ¥1,100,000 (税込)
煌めく螺鈿(らでん)の光が暈(かさ)を帯び、響きあう。その美しい情景を名にした「暈響(かさねきょう)」には、匠の技を惜しみなく注ぎこまれています。
会津漆の伝統工芸士、儀同哲夫氏が丹精をこめて漆の文字板を制作。英語で「JAPAN」と呼ばれる漆は、文字どおり日本が世界に誇る匠の技です。漆は採取できるまでに20年という時間を要し、一本の木からたった一度わずかな量しか採れません。その一滴も無駄にせず、工芸家が芸術へと昇華させる。縄文時代の装飾品が現存することからわかるように、それは時間を超えて美しさを保ち続けます。
その漆地に手作業で一枚一枚切り貝を散りばめ、丹念に磨き上げた文字板と外周部の螺鈿(らでん)オメガ激安細工は、ひとつとして同じ表情がありません。
心臓部であるムーブメントには、スイスのラ・ショー・ド・フォンにある多くのハイエンドブランドにムーブメントを提供し、卓越した技術と高いクオリティで知られる「ラ・ジュー・ペレ」を搭載。時計職人がひとつひとつ丹念に部品を組み上げた、まさに匠の技と呼ぶにふさわしい精緻なメカニズムで美しい時を刻みます。
スイスと日本の匠の技が、ひとつのかたちに融合した芸術性の高いタイムピースです。 オメガ コンステレーション ダブルイーグル 1389.75 ダイヤモンド YGコンビ ホワイトシェル レディース A品価格:14400円 S品価格:23700円 N品価格:43000円 サイズ レディース
ケース径 24 × 24 mm
各部名称とサイズについて ムーブメント クォーツ
防水性能 100m防水
仕様 2針
付属品 メーカー純正BOXあり 国際保証書あり
ケース素材 (ゴールド:18K)イエローゴールド/ステンレススチール
ケース / 宝石 ダイヤ
ベルト素材 (ゴールド:18K)イエローゴールド/ステンレススチール
ベルトタイプ なし
手首サイズの測り方 文字盤カラー ホワイト
文字盤 / 宝石 ダイヤ
文字盤タイプ シェル
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