MIND TRAIL 2021 参加アーティスト黒川岳さんインタビュー
インタビュー実施日:2021年10月26日(火) 13:15〜14:20
聞き手・編集:西尾美也+2021年度コモンズゼミⅠ(西尾ゼミ)メンバー
__黒川さんには、奈良県立大学の「船/橋 わたす 2019」に参加していただきました。簡単な自己紹介をお願いできますか?
京都市立芸大彫刻専攻の非常勤���師をしています。普段、彫刻をベースに活動しています。彫刻といっても色々ありますが、パッと思いつくような人体とか動物などではなく、どちらかというと、彫刻的な考え方を出発点として制作するというような感じです。学部生のときは音楽を学んでいたので、彫刻と音が関係する作品をつくったりもしています。
今回吉野でも出品している《Listening to stone》では、石に穴が空いていて、人が頭を突っ込めるようになっています。頭を突っ込むと音が反響して、空気の流れや、穴の外の環境音、自分の呼吸や心臓の拍動音が聞こえてきます。石自体と身体が一体化することで、鑑賞者も作品の一つになります。別の作品では、昨年に最初の緊急事態宣言が出ていたとき、街に人が本当にいない状況で、深夜にこっそり外に出て、街中の隙間という隙間にはまってみました。自分の身体がフィットする隙間を探したら3秒のタイマーをセットして、自撮りするというプロセスです。街中はあらゆる空間は誰かの所有する場所だと思いますが、でも誰のものかが曖昧になっている隙間のような空間があって、そこにアプローチしてみようと思いました。
写真:小川美陽
2019年の県立大での展覧会では2つの作品を発表して、ひとつは動かしてしまうとすぐに壊れかねないぐにゃぐにゃなオブジェを作って屋上から色々な音を鳴らすパフォーマンスをしました。鉄板を鳴らしていたら、近隣の住民から苦情が来たこともあって県立大の皆さんにはご迷惑をおかけしてしまいましたが…。もうひとつは、地面を楽譜に見立てて音を奏でるローラーを作りました。リサーチ中に校庭の工事が始まっていて地形が変わっていくという話を聞いたことや、工事中のグラウンドでグラウンド整備などに使うコートローラーが置いてあるのを見てイメージが繋がりました。場所やテクスチャによって音が変わっていくことが面白く、実際に学生さんたちにも楽しんでもらいました。
__黒川さんの作品が面白いのは、彫刻と身体をコラボさせることで、五感で楽しめる点で、それがMIND TRAILにぴったりだと思い依頼しました。当初、杉の木のプランもありましたが、少しそのお話もきかせていただけますか。
視察の際に一通りルートを歩きました。吉野といえば吉野杉とか、外から見たときにわかりやすい情報はなんとなく知っていました。でも実際に行ってみると、お寺や神社、山の深さなどいろいろな情報を現地に行ったからこそ感じるものがありました。吉野の山と人との距離が近いと感じ、これに魅力を感じました。
現地の林業の方とともに杉林に入ったときに、間伐され朽ちて横たわっている木を見つけました。この木に私は大変魅了されました。お金にならないから朽ちさせているという話でしたが、朽ちた木が虫などの新しい命がはぐくまれる場所になっていたり、朽ちた木の何とも言えない表情などが景色の一部となっている様子に魅力を感じました。「なくなっていくものが、また何かを生み出していく」というサイクルが、吉野の山の祈りの場としての場所性に繋がるものを感じました。
ルート上に勝手神社という神社があるのですが、火事により本殿が焼けているため、草が生えているだけの空間が広がっているんです。何もないけど澄んだ空気感が漂っていて、物としての社が目に見えない様子はコンセプチュアルだと思いました。建物がなくても場所はきれいに整備されていて、地元の方によって大切にされているのが分かりました。お社という目に見えるものはなくなったけど、確かに「在る」勝手神社に感銘を受け、ここを舞台に作品を作りたいと考えました。
実際のプランは吉野杉の朽木を大量に使ってインスタレーションを制作するというものでした。目に見えないものや遠くにあるもののことを想像したり、杉林で見たような倒れてはまた生まれ直すサイクルに思いを馳せる装置のようなものを考えていましたが、場所交渉の段階で持ち主の方への説得が叶わず、結局このプランは勝手神社では難しいということになりました。それならいっそ、当初のプランから離れて全く別のことをやったほうが面白いのではと思い、新たなプランを考えたのが展示している写真の作品になっています。
__別のプランのお話の前に、今回の吉野杉や石のような、別の場所にある1人では持てない重いものを運ぶ行為については、どのように位置付けられていますか?
自分の作品では物理的に大きい素材を扱うことも多いです。サイズの大きいものや重いものを動かすのは一人ではできないし、危険な作業でもあるので、そこに特有の距離感が生まれます。動かす時には自然とかけ声が大きくなったり、いつも以上に集中したりと、皆のテンションも高揚し、場の雰囲気もいつもと違ったものになります。普段は公開するようなことはしていませんが、運搬作業自体もとても面白い時間になっていると思います。
京都のまちなかで展覧会をした際も、ギャラリーの目の前の道幅が狭いので、石を200m程離れた大通りから運ばなければなりませんでした。道路にはひびや段差があるため、少しでも揺れるとバランスが崩れて危険です。そのため、石を運んでいる際には、みなピリピリしていました。見えている範囲が限られているから、それぞれが見えている範囲を共有し、それが自然と掛け声となっていきました。すると次第に人々が集まってきたりして、お祭りってこういう風にできていくんだと実感しました。
普段動かないようなサイズのものが動いたり目に見えたりと、生活圏内に現れることはそれだけで人々にとって衝撃なことなんだと思います。
__その「運ぶ」というプロセス自体を作品にしたことはありますか?
それだけで作品を作ったことはありませんが、愛知県で今年3月に開催されたオンライン企画で運搬の要素を作品に取り入れた経験があります。常滑市は窯業地として有名ですが、そこで制作された大甕を利用して作品を作ろうとしました。オンラインなのでわざわざ運ばなくてもよかったのですが、名古屋市内のギャラリーにあえて運び、展示しました。
観客は甕に直接触れられないため、オンラインでさまざまな方面から甕と向き合える工夫しました。甕を移動させること自体も意味を持ちうることとして、作品の要素のひとつとして組み込みました。運んだ場所は3階建ての建物の3階でエレベーターのない場所だったので、そこに運び込むための専用の構造体も作りました。
__噂には聞いていましたが、改めて聞くとすごい話ですね。
よくこのプランが許可していただけたなと思います。モノを運ぶことそのものが大事で、大きいモノが動くということは、古くから人とモノとの関係の中で特殊な感覚を育んできたんだと思います。自分は出雲市の生まれで出雲大社も近く、お祭りでみんなで神輿を運んだり、神輿の上の旗を動かしたりするのをよく見ていました。大きいモノが動くと、危ないから声を出したり、野次が飛んできたりする。そんなお祭りの中で美術だけではないいろいろなモノとの関係を見たと思います。神輿や飾りは美術的な要素だけど、お祭りに伴う歌や楽器、掛け声は音楽的な要素と、それぞれ独立したわけではなくゆるやかにつながっていて面白いと思いました。お祭りは男性優位な社会で難しくはありますが、お祭りの中で見つけた人とモノとの直のやり取りは面白くて、大事にしていきたいです。
__今回の作品は、黒川さんにとっても新しい作品になりましたね。
はい、今回は幅5メートルほどの写真作品で、被写体は実物大以上の大きさで写っています。いわゆる彫刻でもない。「草人間」のようなものを、地元の人たちとやってみるという内容で、吉野の人たちと、吉野に生えている草を探してお気に入りの草を手にとってもらい、その草と人とのやり取りを撮影しました。草の種類によってしっくりくる形態を見つけたり、草を体に巻き付けて服と一体化させたりする様子を写しました。ぴんと張ってハリのあるものや、ふにゃふにゃになっているものなど、草独自の重さを感じながら、しっくりくる形態を探しました。おどりの一歩手前のような状態だと思っています。葛の葉を使った葛職人さん、神社に行く途中の険しい道で木漏れ日のなか草を眺める人、夜中にススキのハリを感じながら動き回る人など、様々な人が協力してくれました。普段自分がライフワークとしてやっていることをあえて吉野の人たちとやってみたいなと思い、この作品を作りました。
__写真のモデルになった方からは、黒川さんの撮影時のモチベーションの上げ方がとても上手だったと伺いました。
作品だけでなく制作中の現場が面白いということはよくある話かと思いますが、草との感覚をみなさん自身が楽しまれたのかなと思います。普段自分一人でやっていたことを自分以外の人と共有してみることは僕にとっても挑戦で面白かったです。他人をモデルに写真を撮るというのは初めての経験でしたが、やってみると案外上手くいって、こういう作り方もあるなという気づきを得ました。
__今回黒川さんの中で写真という新たな表現方法に取り組まれたわけですが、いかがでしたか。
すごく面白かったです。まず、生きているモデルがいる。その人たちとの距離の取り方、かれらとのコミュニケーションを通して作品をつくることはとてもエキサイティングな時間でした。子どもたちは、みんなを写そうとしたら、どんどんカメラに近づいてくる。自分も後ろに猛ダッシュしながら撮影したので写真がブレてしまうことがよくありました。大変でしたが、そのぶれた写真には、解像度的な意味で美しく撮られた写真とはまた別の面白さがあると感じます。
__プロデューサーの齋藤さんも、MIND TRAILに関わるアーティストは、今までにやらなかったことをやってくれることが多いと話されていました。
制作中は地元の方に作品内容に関して強く問われるわけでもなく、お店に入ったときに「どんなのをやるの?」と軽く尋ねられるくらいで、ちょうどいい距離感で接してもらいましたね。確かに新しいことに挑戦できそうな気持ちになりました。
__今回、黒川さんは搬入の時期にマムシに噛まれるという大変な目に遭われましたね。
大阪の山奥の原っぱを作業場にしています。作品の搬入の際に、石にロープをかけるのですが、石の反対側からロープを引っ張り出そうとしたら、なんとそれがマムシで嚙まれてしまいました。毒の量もそれなりだったので、一週間入院しました。マムシに嚙まれると僕の場合は目もおかしくなって、まともに焦点が合わなくなってしまいました。写真作品の入稿作業をそんな環境で行いましたが、どうやっても視界がブレるので、これ大丈夫かなと(笑)
山の中での作業なので、たとえば木の作品を作っているときは、1日放置していると素材を虫が住処にするので、簡単に自分の作品を自分の作品として簡単には維持できない経験があります。「これは俺の作品や!」と虫にどいてもらったりするわけですが、毒が身体に入る経験は貴重でした。自分の身体じゃないみたいな、でも自分で動かせるという。入院中にすることがなかったので、マムシについてかなり調べていました。今後は蛇や毒をテーマにした作品も作りたいと思っています(笑)
学生質問
竹中__黒川さんの作品は、「石人間」や「草人間」など、自然と人間が融合するような作品が多いと感じましたが、そういった作品について何か発想のきっかけはあったのですか?
まず、人と身の周りのものに目を向け、用途とイメージといったものの意味の解体し、普段と違う形で出会いたいと思ったのがきっかけです。ですが、それと同時に出会う「人」の方にも注目しようと考えました。人間も人間じゃないものもよくわからないものにしたらどうなるのだろう。どちらも普段の状態から離れて考えることでモノと人の関係が今までと全然違うものに見えることが面白いと感じました。
楠田__黒川さんは今回の作品で新しくカメラを購入されたということでしたが、今後そのカメラを使って作品をつくっていく予定はありますか?
カメラは、値段は張りましたが映像を撮れるものにしました。今後は映像も撮っていきたいと考えています。また、フォトグラメトリーを利用して作品を作って行けたらなあとも思っています。
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5月の各地句会報
花鳥誌 令和元年8月号
坊城坊城選
栗林圭魚選 岡田順子選 吉岡乱水選
平成31年5月4日
零の会
俊樹選
百合開ききらずを供へ慰霊堂 和子
戦とは全てを熔かし切つて初夏 梓渕
更衣まはしは長く干されをり 佑天
若葉風奈落のごとき土俵へと 美佐子
北斎の生魂さがす聖五月 公世
廻し干す力士敲きに水打ちて 順子
熔塊へ現の野辺の花咲きぬ 瑠璃
慰霊堂の尖頭の上の夏の雲 和子
椎の花匂ふ劫火の記憶へと ゆう子
戦災の鉄のかたまり風光る 美佐子
青白くまろき慰霊の灯涼し 小鳥
慰霊堂より夏服は手をつなぐ 同
順子選
北斎の生地ジャングルジムの初夏 梓渕
熔塊の列柱に咲く姫女菀 俊樹
北斎の達磨は春の白昼夢 同
めまとひや江戸の残像搔きまはす ゆう子
五六人力士がゐたり夏の路地 伊豫
そのむかし画狂人ゐて麦の秋 同
砂糖菓子の冷たさを持ち白躑躅 野衣
熔塊へ現の野辺の花咲きぬ 瑠璃
逆しまに拡ぐる古地図春惜しむ 眞理子
砂利に足しづませ見上ぐ聖五月 小鳥
(順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
平成31年5月7日
武生花鳥俳句会
俊樹選
老鶯を沈めて山雨走り去る 越堂
空を割り日輪砕き代田掻く みす枝
ものの芽のざわめく程に育ちけり 世詩明
鯉のぼり靡かせ観覧車は満員 昭子
園児みな溺れてゐたり花菜畑 時江
新婚の窓流れ入る若葉風 みす枝
新キャベツ乳の匂ひの甘さ持つ 世詩明
松蟬や百の古墳の眠る丘 越堂
(順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
平成31年5月9日
うづら三日の月句会
俊樹選
クレマチスピカソに青の時代あり 都
藤の雨人待つ女歩き出す 同
端然と坐る仏や夏立ちぬ 同
朧夜のかすかな記憶母の唄 同
(順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
平成31年5月11日
枡形句会
圭魚選
新樹の香纏ひ令和の始まりぬ 和代
アカシアの花に誘はれ一人旅 多美女
介護の手菖蒲湯の香を残しをり 和代
ジャムパンの皮つやめきて夏来る 美枝子
昆布締めの鯖の大皿卓真中 ゆう子
句碑裏に木洩れ日届き風五月 百合子
柿の花薄黄に光り日に透けて 三無
若楓葉の広がりに影あらた 瑞枝
甲斐駒の残雪仰ぐ立夏かな 教子
薔薇抱くをとこは靴をとがらせて ゆう子
(順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
平成31年5月13日
なかみち句会
圭魚選
花水木散るも咲くのも隣から エイ子
更衣してより風の纏ひつく 秋尚
海亀の一途や波に迎へられ 和魚
更衣母の面影このなかに ます江
海亀に少年となる夫の顔 エイ子
お早うの声の眩しき更衣 秋尚
更衣樟脳疾くに果ててをり 有有
新開地共に育ちし花水木 怜
(順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
平成31年5月15日
福井花鳥句会
俊樹選
麦秋の野辺より夜の明けて来し 越堂
月光に濡れて匂へる夜の新樹 同
子等の声遠くにありて麦の秋 和子
黄昏を引き寄せてゐる麦の秋 嘉子
麦秋の上を何かが翔びゆけり 昭子
(順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
平成31年5月17日
萩花鳥句会
思ひ出す亡母と蚕豆むきしこと 祐子
母育て妻の作りし豆の飯 吉之
五月葬世界へ躍つた京マチ子 健雄
筍を鎌でなで切り指月山 圭三
豆飯や令和の御世は余生なり 克弘
(順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
平成31年5月17日
芦原花鳥句会
俊樹選
藤房の棚はみ出して風を追ひ よみ子
寺処丘陵多し木下闇 寛子
(順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
平成31年5月19日
風月句会
俊樹選
木洩れ日に鈍く光りて小判草 三無
弁天池浮きて沈みて竹落葉 眞理子
竹落葉ほろほろ水に誘はれ 圭魚
青空に高くけむりて花樗 秋尚
ソーダ水買うて見上ぐる喪服かな 和子
葉桜となりし古木の苔あをし 三無
日に晒す墓石みどりのにほひして 幸子
清流を底に海芋の白を措く 斉
整列の尼寺の礎石や大夏木 炳子
夏草や遊女のぞきし水濁る 和子
圭魚選
風の道は空にもありぬ夏柳 和子
武蔵野は雲も豊かな夏の空 同
輝うて雲の階段夏めきて 斉
本多姓その一軒が茄子苗売る 千種
青空に高くけむりて花樗 秋尚
ソーダ水買うて見上ぐる喪服かな 和子
すかんぽを噛んで昨日のこと忘れ 要
白白と夏日に晒す尼坊跡 千種
水湧きて海芋の白を濃くしたる 政江
風騒ぐ樗の花の空青き 秋尚
(順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
平成31年5月22日
鯖江花鳥俳句会
俊樹選
葉ざくらの木洩れ日騒ぐ裸婦の像 越堂
黒牡丹彩を深めてゐる夕日 同
吾も縄文人の裔かな蓬摘む 同
田植機に跨がりタバコ燻らせり 信子
早苗田の浮雲白きまま流る 同
臥竜松塀に添はせて緑立つ みす枝
羅に大きな嘘を隠しけり 世詩明
(順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
平成31年5月22日
九州花鳥会
俊樹選
夏川に泳ぎ習ひし父遥か 眞理子
まだ誰も泳がぬ海に指浸す 美穂
水郷の蛍の中に嫁ぎゆく 孝子
遠泳を戻り来し子の肩うすく 要
背泳ぎの空は孤愁の青春期 かおり
泳ぎつつ眠る大魚や昼の月 ひとみ
鱚泳ぐ玄界灘の島躱し 慶月
白薔薇の崩れ白紙となる話 寿美香
姉見上ぐ弟にだけある幟 慶月
幟竿ぎぎとしなひて里静か 眞理子
圭魚選
宇治橋や息青むまで若楓 美穂
上り窯一子相伝初幟 郁子
遠泳を戻り来し子の肩うすし 要
(順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
平成31年5月23日
壱岐吟行第一回句会
俊樹選
朱夏の潮地蔵の足へ透きとほる かおり
玄室に入らぬやうに黒揚羽 要
いちまいの紺は曾良へと朱夏の潮 かおり
夏潮に唄ふはらほげ六地蔵 志津子
一支国の韓くれなゐの夏落葉 要
城跡の虎口に句碑と花薊 由紀子
弥生よりうす緑なる夏の蝶 慶月
人を呑む灘は涼しき色を立て かおり
乱水選
身透くまで浸る若葉と潮風と 由紀子
夏霞縫うて壱岐指す船迅し 圭魚
天空を鳶に許して壱岐は夏 同
(順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
平成31年5月24日
壱岐吟行第二回句会
俊樹選
猿岩の唄ふか夏の鶯か 乱水
猿岩はただ炎帝と語るのみ 千種
灯台は岬の仏卯波立つ 孝子
青空に砲台の黙草茂る 由紀子
うすごろもまとひ男神に仕へたる 千種
猿岩の孤高に夏草の迫る 要
乱水選
猿岩のそつぽ向きたる夏怒濤 俊樹
夏の鳶浮力揚力演技力 寿美香
月を読む素敵な話木下闇 とし子
(順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
平成31年5月26日
鳥取花鳥会
順子選
田園の後継祝ぎて鯉幟 俊子
恋の石投げ上ぐ向う夏霞 美智子
そこ此処に宮の裏なる蟻地獄 幸子
石段に熱閉ぢ込める薄暑かな 佐代子
この寺は祖父の���家や夕薄暑 幹也
蜻蛉生る白兎神社の御霊とす 和子
日参の幟を宮へ日焼の子 栄子
蚊に食はれ吾の手足はてんてこ舞 悦子
あめんぼや不増不減の池の水輪 史子
玉垣を梳かせて涼し菊座石 益恵
蟻地獄杖でいたぶる齢かな すみ子
新緑の宮に一礼幼去る 立子
衣更へ中学生のペダル軽し 萌
若葉風からから燥く恋の絵馬 都
(順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
平成31年4月12日
芦原花鳥句会
俊樹選
寄ればすぐ逃げる鶯乳母車 よみ子
白木蓮あるかなしかの白を見る 孝子
蛇穴を出て大木に絡みたり 同
(順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
さくら花鳥会
順子選
背伸びして神輿を担ぐ豆絞り みえこ
母の日に贈る一句にルビを打つ 登美子
画用紙の角に石置き若葉描く 同
藤の花長き読経を共に聞き 紀子
少年の指のしなりや祭笛 登美子
柿若葉朝日の中で揺れながら 光子
お稽古はいつも楽しや新茶くむ 栄江
(順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
伊藤柏翠俳句記念館句会
俊樹選
万緑が包みきりたる故山かな かづを
蚯蚓にも意志あるやなし身をよぢり 清女
一匹の乱れに千の蟻乱れ 英美子
笹粽解き遠き日の母のこと 同
神島の礁だたみの卯波かな 千代子
白山の水たつぷりと代田掻く みす枝
浜風に女一人の夏座敷 世詩明
(順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
立待花鳥俳句会
俊樹選
黒牡丹好きで勝気で俳人で 越堂
椿落ち古刹の静寂轟かす 同
上品とは仏の位白牡丹 同
蛙田の恋の賛歌や夜もすがら 同
ふらここや母の掌いつも背にありし 世詩明
厚化粧稚児百人の花まつり ただし
稚児よりも僧の喜ぶ灌仏会 同
糸崎の仏の舞や花の寺 同
代掻きや何処の川も濁り水 誠(順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
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30th Dec. 2018, Sunday
PLPロンドン_15週目_Yuki OSA
《旅の備忘録》
12/22 05:55 LTN → 09:50 BRI
N16のバスに乗って、旧市街手前で降ろしてもらう。バスの中の譲り合いや、チケットの受け渡しに南伊の人々の暖かさを感じる。
歩いて15分ほどで大通り沿いにある宿の近くまで着いたが、Googleマップの場所に宿がなく、右往左往。近くのビルの警備員の人に聞いてみたところ、その人もわからず、一緒に探してくれる。キオスクの友人に聞いてくれたりして、地図のポイントがワンブロックずれていることが判明。御礼を言って別れる。
宿の中は旧式のエレベーター。それを取り囲むように階段が螺旋状に上がっている。エレベーターは少し乗るのが気が引けて、階段で登る。
4階の宿に着く。両開き扉が狭い。片側だけ開いていて、肩幅ぎりぎりで荷物が引っ掛かる。
中には宿のおばさんと招き猫の人形が腕を振っている。受付前に立つイタリア人らしい長髪に少しパーマのイケメンがおばさんと話している。挨拶をするとその人もなんとフローレンスで学んだ建築家らしい。今晩エンジニアの友人とご飯を食べるけど一緒に来て語らわないかと言われたが、アルベロベッロに経つのでいけなかった。誘ってくれるだけで嬉しいと伝えた。またマテイラに行くことも伝えたら、マテイラは来年ヨーロッパのカルチャー首都に2019からなるという情報を教えてくれた。
部屋から若い女性がチェックアウトをして出て行く。
支払いを済ませると、おばさんが入浴用タオルを貸してくれた。優しい。お茶も飲まないかと言われたが、アルベロベッロ行きの電車が迫ってい��ので、丁寧に断った。
宿泊用の荷物を置き、手提げだけ持ちバーリの駅まで徒歩で向かう。10分ほどだが碁盤の目状の道はとても長く感じる。
駅に着いてみると掲示板に乗る予定の電車がなく焦る。駅員のおじさんに聞くと、違う駅だから地下を歩いて左に行けと言われたが、行ってみても何もない。引き返し通行人のおばさんに聞くがイタリア語でわからず。そうこうしているうちに、時間が迫りのこり3分。焦っていたところ、駅員の若い女性が地下に潜り反対側の車線のところが違う駅なのだと教えてくれる。ややこしい。
また地下に潜り反対側の車線まで走ってなんとか間に合うことができた。
12:03 Bari central→ 14:05 Alberobello
プッティガーノに着くとバス停があり、そこで待機。待つこと30分ようやくバスが来る。そこでもタバコを吸ったおばさんに助けられる。南伊の優しさに感謝。
アルベロベッロに到着。するも新市街に降ろされ場所不明。Wi-Fiもないので右往左往。ガソリンスタンドの売店のおじさんに教えてもらう。
トゥルッリの地域着。石積みのとんがり屋根状の家々が建ち並ぶ丘陵の眺めに感動。
インフォメーションセンターを探していると、美味しそうなパン屋。朝から何も食べていなかったので、プンチャをオーダー。15cmほどの温められた丸く薄べったいパンに、トマト、モッツァレラチーズ、ベーコンが挟まっている。美味。
バンダナっぽい旧式の帽子を被ったパン屋のダンディなおじさんに、インフォメーションセンターの場所を聞くと、何しに行くんだと聞かれ、地図をもらいにと答えると、うちにもあるからちょっと待ってろ、と引き出しを開けて地図を取り出すと、名所や巡った方が良いところを丁寧に教えてくれた。感謝。
プンチャを片手に食べながらトゥルッリの街並みを登る。石積みの狭い階段の両脇は、観光客向けの店で犇めいている。お土産には興味がないが、トゥルッリの内部が気になるのでいくつか入ってみる。とんがり屋根の裏側上部まで塗装されているところが多いが、石積みをそのまま見せているところも。円形の平面を長い二本の木製の梁が流れる。
観光店通りを離れ、住居群を歩くと、屋根の補修工事現場にあたる。しばらく眺めていると、その場で石を砕き、丁寧に石を積み上げていく技術はまさに職人技。1273年から続く技術の伝承。厚さ大きさの違うライムストーンを使い分け積み上げていく。分厚く大きな石は円形の壁に使われ1.3~1.8mほどよ壁を形成する。その上に木製の梁を二本流しつつ、屋根が上に乗る。屋根は三層構造で、まずはじめに屋根の構造となる20cmほどの少し厚めの石を内部空間側の斜め状の角度に合わせカットしながらとんがり状に積んでいく。この角度には緩やかさ加減を徐々に変えて、長年の構造に耐えうる知識が詰まっているらしい。次に隙間を埋めるための砕けた細かい砂礫を詰め込んで、最後に薄い石板を瓦状に積んでいく。屋根の最上部には、十字架だけではなくユニークなシンボルが、キリスト教の様々な願いや想いを込めた形豊かなかたちで表現されていると同時にキーストーン同様の役割も持ち、屋根全体のアーチ構造の重しにもなっている。外壁を白く塗装するようになったのはいつからか不明だが、1つの家が同じ素材で出来上がっていく光景は感嘆に値する。しかもその素材は、同じ地域から産まれた石なのだ。風景に対して相性が良く感ずるのはそういう事由であると感心。
17時過ぎに日が暮れて、そこからは夜のバスまでの6時間をどうするか考える。最近の色々な悩みなどを抱えつつ、思索に耽りながら直線上に歩き続けていると、大きなバシリカ様式の教会にあたる。中世の都市構成の誘導的意図を感じる。
中へ入り、お祈りなどをしつつ、座っていると、子供のためのクリスマス礼拝が始まる。賑やかな子供達が礼拝を済ませ帰っていく。
どれくらい座っていただろうか。気がつくと今度は大人たちのクリスマス礼拝が始まっていた。壮大なパイプオルガンの音や賛美歌の音、僧侶の聖書を読む声などが、幻想的に礼拝堂内に響き渡り、目を閉じて耳を澄ませる。
教会に滞在すること3時間半。とても心が落ち着いていた。
あてもなく夜の街を歩く。
夜のトゥルッリは、昼とは違った趣を見せる。月明かりと街灯に照らされた影の陰影が深いためか。
子供達が夜にもかかわらず大人も伴わず出かけていく。街角には井戸水の蛇口があり、そこへ首を傾けて口を近づけ飲んでいる。私も飲んでみようか。
20分ほど歩くと、広場にでる。広場はとても賑わっており、様々な店舗が出ている。
徐々に子供の数が減っていき夜も更ける。
23:25 Alberobello → 00:40 Bari
バスの中で寝過ごさないか心配であったが、なんとか宿に到着。
STAY@ Bari “MoViDa CaVour”
12/23
カフェでバスを待つ。本場のカプチーノは濃い。
クロワッサンも密度あり。
7:25 Bari → 8:35 Matera
マテーラに到着する。が、徒歩30分程度離れた新市街にて降ろされる。
途方に暮れていたところ、同じバスでバーリから来た、2人の若いカップルに話しかける。2人ともバーリで法律を学んでいて、来年就職らしい。今日はクリスマスイブ前日のワンデートリップにマテーラまで来たと言う。彼女の方は日本に二回も行ったことがあるらしく、話が弾む。旧市街広場までは道のりが同じで、一緒にローカルバスに乗り向かう。
旧市街着。カップルと別れる。
別れ際に教会になぜドクロが彫り込まれているのかについて少し話した。
南伊では結構多いらしい。
STAY@ Matera “L'Ostello dei Sassi”
宿着。荷物を置く。荷物といってもA4サイズのリュックだが、一日中担ぐのは応える。
15分ほど待つと受付の人が出勤してきたので、荷物を置いて良いかと聞くと、チェックインもできるということなので、そうする。イタリアのユースは一泊16ユーロくらいが相場で、どこも安い。
今回泊まるところは、マテーラ特有のサッシと呼ばれる岩窟住居をホステルに改装したところ。
荷物を置き、街へ出る。
光と影のコントラストが素晴らしい。街全体がどこを切り取ってみても彫刻作品として成り立つのではないか。
階段の折り重なる迷路のような街路を歩き、散策する。
サンタルチア教会を前に、殉難をあらわす聖杯のシンボルを目にする。この土地の人々が受けてきた、耐え抜いてきた苦悩や災難を思う。私事の悩みが小事に思える。
農家の家の跡、復元などを見つつ、土地の特性に合わせて工夫された生活様式を学ぶ。雪を貯めるシステムなども面白い。
歩き続け、登り続け、大聖堂手前の高台の道の途中にあるカフェで立ち止まる。
昼もとうに過ぎていた。
喉がとても乾いていたため、カフェアメリカーノを頼むと、バシリーカ州産のクッキーを一緒に出してくれた。とても美味しい。
1時間ほど座りながら景色を眺め、考え事をする。
続きの坂道を登ると、大聖堂があり、その眼下のもう1つの集落が見渡せる高台に着く。
日も上りきり15時くらいにはなっていたかと思うが、高台広場にあるベンチで、鞄を枕に横になる。
とても心地よい。
太陽と、風と、温湿度が最高のバランスでミックスされた感じ。
その後は当てもなく歩き続け、日も傾き、そろそろ帰ろうかという気持ちがよぎった時に、ダリの作品である彫刻が見えた。
どうやら、サルバドール・ダリの美術館が岩窟住居の跡地に整備されているようだ。
ダリの天邪鬼というべきか、すべてに対する反骨主義の徹底した作品コンセプトに感銘を受ける。
時間の速度は個人の感情や心の景色、触感、聴感、嗅感、立場であったり、周りの環境であったり、すべてに触発されて、まったくもって安定したものではない。不合理、不条理という言葉を久しぶりに目にした気がする。合理的なものと非合理的なものの狭間。不条理は時に災難もあれば、圧倒的な美を生み出す時もある。それを取り持つ合理的な知性といったところであろうか。
また、女性の秘める美しさに対する彫刻表現にも驚嘆した。シュールレアリズムの作家についてはほかにあまり知らないが、コンセプトはとても強い不条理に対するメッセージやイデオロギーを持ち合わせているが、その反面コンセプトと作品自体の一貫性はとても強く感じると思う。これほど説明を聞いて、なるほど、と感じる芸術作品はあまりないと思った。
だいぶ遠くに来ていたのか、帰路がかなり長く感じる。
旧市街を出ると、新市街との境界沿いの細長い広場に出る。そこを東の端にある宿まで、歩いていく。
途中で突然名前を呼ばれ、誰かと思い振り向いたら、今朝のバーリから来た法律を学ぶ学生カップルであった。どうやら彼らは30分後のバスでバーリへ帰るらしい。一日中誰とも話していなかったからか、珍しくとても話したい気分ではあったが、彼らのバスの時間もあるため、惜しみつつお別れをした。
宿に荷物を置き、寒さに耐えられる服を着込み、夜の街へ再び出かける。
ラビオリを食べる。
量は少ないが、黒トリュフの香りがとてもよい。
旧市街へ再び行き、今朝とは違うルートで歩く。
満月である。
ふと、隙間風を感じる。
崖沿いの厚さのある石積みの手摺に腰をかけ、崖に足を投げる。
12/24
08:35 Matera → 12:20 Naples
朝起きて、30分程度歩く。
バスを待つ。
ナポリへ向かう。
マテーラは高木と呼べる木々がとても少なく、そのために岩窟住居が発展していったのかもしれないが、西へ向かうにつれて、風景が変化し、木々が増えていく。
太陽の照らす芝に寝そべる牛を見る。
ナポリに昼に到着する。
いつものようにインフォメーションセンターで地図を貰うべく、探すが一向に見つからない。
昼も食べてから宿に行こうかと思っていたが、仕方なく、歩き始める。
街が汚い。
パリ北駅などの治安の悪さと同質の雰囲気を感じる。
足早に歩き続ける。
いつのまにか道幅がとても狭い旧市街へ。
歩いていると、上の方から名前を呼ぶ声が聞こえる。ユースホステルを利用して、こんなことは今までなかったから正直驚いた。
むしろ、呼んでもらえなかったら入口を見つけられなかった、と後から思う。
STAY@ Naples “Giovanni's Home”
3階に上がり、ジョバンニの家に入る。
70過ぎの小太りな優しいお爺さんといった印象だ。
奥の方で、1人の青年が手作りパスタを、丁寧にトレイの上に並べている。
ジョバンニ曰く、今からこのパスタを茹でて、宿泊している皆んなとランチを食べるという。
もちろんお前も食べるよなと言われ、驚く。
状況が読めない。
奥の青年は誰なのか。
ジョバンニは荷物をとにかくロビーにおいて、キッチンに来いと言う。
バシリーカ州特有の、とてもシンプルなパスタを作ると言う。Stracinati con i peperoni cruchi e mollica と言うパスタのようだ。ドライチリペッパーと乾燥したパン屑を使うガーリックとオリーブオイルの効いた素材の味がわかるパスタ。
その後、シンガポール人の2人が宿に帰ってきて、さっきパスタを並べていた青年(ブラジル人のジョアオと言うらしい。彼も私の2時間ほど前に到着し、突然パスタ作りを手伝わされたと言う)と、ジョバンニと私のその日宿にいたメンバー全員で出来上がったパスタを頂く。
とても美味しい。
話が弾み、全員の距離がぐっと縮まる。
今日がクリスマスイブであることを忘れていた。
その後、ジョアオとともに、ジョバンニからのナポリレクチャー(とても歴史に対しても話が深く、地理学的な観点から、火山の種類、彫刻芸術、現代建築家の作ったメトロの駅まで話が及ぶが、とにかく話が長い。)を聞く。
16時前になっていた。
ジョアオとともに街に出る。
ジョバンニお勧めの教会や円形競技場が住宅に変化したところ、地下通路などを探してみるが、どこもクリスマスイブのため閉まっていた。
途中雨が降ってきた。
やたらとジョアオはセルフィを撮っている。
彼からすれば私はやたらと路地を撮っている、と思っただろうか。
旧市街はどこも開いていないから、海でも見に行こうと言うことになり、海岸沿いの城や広場などを眺めつつ歩く。
彼とビールを片手に海沿いで飲む。
In to the wildの映画の話で盛り上がる。
さておき、彼はなんと19歳。私より10歳も若い。political science の中のstates sienceという、地方行政のマネジメント、デモクラシー、それらの歴史を学んでいるという。特に中世が好きらしい。シンガポール人にあとでブラジルの政治は酷いよねとからかわれていたが、そんな事はない、夢のある学問だと思う。
12/25
8:30 Naples → 10:00 Amalfi
アマルフィ着。
クリスマスなのでナポリにいても仕方がないと思いアマルフィに来たが、ここもほぼ閉まっている。
一件だけ海岸沿いに開店しているカフェを見つける。
とりあえずエスプレッソ。
海と崖と集落の奏でる光景が素晴らしい。
1時間ほど座りながら景色を眺める。
ガラガラだった周りの席も、客で賑わいを見せる。そろそろかと思い、立ち上がる。
クリスマスで唯一開いているのは教会。アラブシシリア様式の縞模様の入った列柱廊のある大聖堂に繋がる大階段を登る。
天気が良い。
太陽がクリスマスを祝福している。
教会に入るとミサの最中であった。
アルベロベッロの経験でクリスマスミサの流れや、お祈りの仕方なども分かっていたので、参加する事にした。
特に隣の人々と握手をして、隣人を愛し助け合うことを確認することがとても良い。
太陽の差し込む礼拝堂と、とても美しい歌声に、本当に自分でも驚いたが、涙が止まらなかった。
ハンカチで顔をふく姿が周りの人々には不思議だったかも知れないが、感動したのだから仕方がない。
ミサの後、街に出た。
観光客の姿が朝よりも増えている。朝閉まっていた店もぽつぽつと開いていた。2割弱の開店率といったところか。
中央通りを登っていくと紙に関する美術館があるとの情報を得たので登っていくが、見当たらず。当然のように閉まっていて見つけられなかっただけなのか。
その代わり、その道を登り続け、途中から獣道に変わる。
渓谷が深くなってゆく。
地元の人がBBQをした跡などがあったが、基本山道で枝を避けながら進んでいく。
渓谷の反対側は陽があたり、レモン畑が傾斜地に並んでいる。
どうにか反対側へ行く事はできないかと思い、渡れる橋を探すが見当たらない。
まっすぐ行くと、唯一昔の水道橋のような廃墟が現る。入口手前まで歩いて行ったが、昼にも関わらず、先が見えない暗闇。
仕方なく引き返す事にする。
アマルフィの街は、渓谷の中央に車が一台通れるくらいの幅の一本の道が海岸まで貫通していて、基本的にその道沿いに商店や薬局、クリニック、教会、ホテルなど小さいながらに隣りあいながら並んでいる印象だ。その道から一つ脇に入ると渓谷の両側に登るような感じで入り組んだ階段状の通路が張り巡らされている。通路の幅は人1人が歩ける程度なので80センチくらいだろうか、すれ違うのは肩を傾けなければいけない。とにかくこの通路が面白い。階段を登っては等高線に並行に歩き、また登る、を繰り返す。陽が当たるところもあれば、洞窟状に家々の下をくぐり抜けるものもある。
どのくらい登っただろうか、階段の両脇は家や高い壁で囲われているので、自分のいる場所を把握するのが難しい。
谷側の廃墟の壁の柵状の開口部から、明るく漏れる光があった。
覗くと廃墟の中には陽が溢れんばかりに入り込み、青々と茂る草の上に寝そべる一匹の猫がいた。最初警戒していたが、やがて堂々と再び寝そべりこちらを眺める。こちらも優しく見つめ返す。
猫を側に、頭をあげて目の前を見ると、廃墟の谷側の壁は崩れほぼ在らず、アマルフィ全体の街並みが見渡せた。
先程のクリスマスミサを受けた教会やその塔も見える。渓谷の反対側の家々もよく見渡せる。
足元にはレモン畑も広がっている。
そこからは素晴らしい景色が続いていて、等高線状に歩みを進める。
テラスがあり、そこの手摺に腰掛ける。
誰も来ない。
洗濯物を干しているおばさんが家の中の誰かと話をしている。
犬が吠える。
猫が足元のレモン畑をこっそりと通��抜ける。
波の音がざわざわと耳に届く。
すべての音が陽の光と調和しているように感じる。
傾斜地の家々が開けている狭い通路をそれらの音が風に乗って通り抜けてくるかのような感触。
もちろん陽で暖められた風の音だから、気温は寒いが暖かく感じる。
夕日が沈み、中央広場に行く。
16:45 Amalfi → 18:15 Naples
待ち合わせ時間の15分前に運転手が来ていた。
礼をいい、ナポリまで乗せてもらう。
途中アマルフィ側では沈んでいたように見えた太陽が山を越えると、まだそこにいて、ナポリの街を紅く照らしていた。
ヴェスーヴィオ火山の稜線が綺麗に浮かび上がっていた。
尾根と谷側をぐるぐると回りながら降りていくので、同じ景色を微妙な高さの違いと、刻一刻と太陽が下がっていく時の変化を感じながら降りるのが面白い。
STAY@ Naples “Giovanni's Home”
ナポリの中央駅で降ろしてもらい、宿まで30分ほど歩いて帰ると、パスタ(ペンネアラビアータ)を全員分の量をまとめて料理している最中だった。
宿泊する人が昨日の3人から6人に増えている。
全員男。
バーリで農業を学ぶイラン人、アメリカ人、耳の聞こえないフィンランド人だった。
夕食は筆談で盛り上がり、さすがアメリカ人はデリカシーないこともずばすば聞くんだなと、思いながらも夜は更けた。
普段はお酒が禁止なホステルだが、今日はクリスマスだからと、解禁してみんなで瓶ビールを開けた。
即席の旅のチームを結成し、明日のポンペイ日帰り計画の予定を立てている。どうやらみんなは明日7:30の列車に乗るらしい。早起きなのにこの時間まで起きていて大丈夫か。
私はすでに別行程で予約を取っていたので、フィンランド人と筆談を続ける。
12/26
朝10:20のバスだったので、8時頃には宿を出て、ナポリの街を散策することにした。
朝起きた時には即席チームメンバーの姿はなかったので、無事起きれたのであろう。
8時半からカペラ・サンセベッロがオープンするということなので、行ってみた。
噂には聞いていたが、とても地味な路地裏にチケット売り場と入口がある。
フリーメイソンの集会所としての教会でもあったらしい。
路地裏に着くとまだ10分くらい時間があったので、周辺をふらついていると、お馴染みのペペロンキーホルダーを大量に持ったおじいさんがいたので、五つお土産用に購入することにした。
ペペロン=チリペッパーはナポリの特産品であることを、ここに来て初めて知った。
カペラ・サンセベッロに入ると、教会としてはかなり小振りな側廊もなく、長方形の中廊のみがある小さな空間であったが、中は至極の彫刻であふれていた。時間を忘れて作品の前に立ち尽くす。
他にナポリでは古代地下通路なども見てみたかったが、時間が無いため諦める。
Half day Pompeii tour from 10:20
ポンペイ着。
ギリシャ人達がクリスチャンニズム以前に神達を祀っていた神殿がバシリカといい、それがローマ人によって教会として使われるようになったという話を聞く。
他にも2度のヴェスーヴィオ火山の噴火の話、2万人いた都市の4千人しか遺体が見つかっていない話、都市の1/3は未だ地中に眠っていること、ローマ人の円形劇場の一日の使い方、パン窯がシェルター兼保存食置場になっていたこと、ローマ人は朝7時から13時までの6時間しか働かず、その中に1時間の昼食時間が含まれており、ロバの馬車で渋滞を作りながら、商店のカウンターに並んだ話、商店の昼食のテイクアウト皿はパンで出来ていて、それを奴隷達に食べ終わった後に与えていてそれがピザになったのでは説の話、仕事が終わるとスパに並び、風呂に入り家に帰っていた話、風呂場のトイレのお尻を拭くスポンジは一つしかなく、遅くいくと他の人が使ったやつで尻を拭かなければいけないことからsomeone’s spongeということわざができた話、下水処理設備が無かったため、道路の車道を垂れ流しで、膝高さ程度の歩道が整備されて道を渡��ときは飛び石が使われていた話、その飛び石はロバ二匹に馬車を引かせていて120センチの車輪幅でそれが今でもヨーロッパの鉄道規格として使われている話、娼婦館のレッドライトの起源の話など、いろいろ驚くべき話を英語フランス語スペイン語を使い分けるガイドから聞き、ポンペイで半日過ごす。
フロリダに家族を置いて一人旅をしているお爺ちゃんのジョンと仲良くなる。
ジョンが奥さんにハート型のお土産を買っている。
ナポリに到着。
PLPで同僚のマリアと15時に海岸沿いのピザ屋で待ち合わせ。
時間通りに着くが、一向に現れず。
30分ほど待ち、仕方がないので道行く子供連れのピンク色のダウンジャケットを着たお母さんに、iPhoneのネットワークをシェアしてもらい、WhatsAppでマリアに連絡する。
どうやら車で来ており、駐車場が激混みで見つからないとのこと。
マリア到着。
まだ駐車場が見つからないらしい。
車に移動。
マリアの妹のリザが助手席に座っている。
リザめちゃくちゃ美人。
2人ともナポリ生まれで、クリスマスに合わせ実家に帰省しているとのこと。
リザはマドリードでエクスペディアでイタリア担当の企画マネジメントをしているらしい。
ファッションも好きで、将来は自主ブランドを立ち上げたいらしい。確かにオシャレ。
車を止めて、ピザ屋を探す。
当初の行こうとしていた店はすでにいっぱい。
ウェイティングリストも一杯で名前をかけないほどの人気店。
仕方なく、3人で海沿いを歩く。
雲ひとつない快晴の天気だ。
時間は4時を回り、太陽はすでに夕日と呼べるほど空を紅く染めている。
リザが足を止め、店のウェイターに声をかける。
他にも列を作り並んでいる客がいるにも関わらず、即座にテラスの座席に案内してくれる。
これが美人の力か。
男一人旅にはありえない光景を目の当たりにする。
マリアが赤ワイン大好きなので、MOIO57(モイオ チンクエットセッタ)という赤をボトルで頼む。
運転大丈夫?と聞きつつ、イタリアはいいのよ、と自慢気。
ダメだろ、と思いつつ聞き流す。
ここまでパスタしか食べておらず(ラビオリ、ストラッシナーティ、パスタグリル、タッリアテッレ、ペンネアラビアータ、トルティーニといった感じ)、ようやくピザを食べることができた。
1人ひとつづつ注文し、みんなで分ける。
3時に遅い昼飯をブランチ的に食べようと言っていたのが、もはや夜飯も兼ねることに。
定番のマルゲリータは最高。
シシリアーナピザは旧シチリア王国の南イタリアならではのピザで、マルゲリータと同じトマトベースだが、茄子や諸々地域の野菜が使われていて美味。
そしてホワイトベースのサルシッチャ&フリィアリエーリ パンナ プロスキュート エ マイスは、リザの好物らしく、スパイシーなソーセージと青物の葉とチーズが相まってとても美味しい。
そのあと店を変えて、リモンチェッロを3つ食後酒としてみんなで飲んで、お別れ。
バスの出発時刻に遅れそうで走ることになったが、なんとか間に合いローマ行きのバスに乗る。
21:00 Naples → 23:30 Rome
ローマ23:30着。
バスターミナルなのでタクシーなども見当たらず、ローカルバスもこの時間だけに止まっている。宿までの地図も分からず、仕方なしにターミナルの誘導員の黄色いジャケットを着たおじさんに、タクシー乗り場知らないかと聞いてみると、まってろといい、バスターミナル外の柵側の暗闇にひたすら誰かの名前を呼び続ける。
そういうシステムか、と思いつつ、暗闇から現れたタクシーもどき運ちゃんらしき人を紹介される。
まぁ他に手段がないから仕方ないと思い、値段と行き先を交渉する。一応値切り交渉は成功。
英語があまり喋れないらしく、なぜかフランス語で道中会話。ローマの治安情報や、ローカルバスの乗り方や、オススメのレストランなどを聞く。
宿に到着。
STAY@ Rome “The Yellow”
イエローホステルは受付ロビーと宿泊部屋、バー、などが普通の二車線道路を向かい側に挟んで、道路やテラス席などを取り囲むように構成されている。
先程まで暗く治安が悪そうに感じたローマの街がこの道の中央の一画だけ明るくかつWi-fiも飛び、人で溢れ、とても安全に感じた。
6人部屋の二段ベットの下に荷物を置き、バーで1人IPAを飲みながら、明日の飛行機までの時間とルートを考える。
プライベートな悩みも相まってすこし孤独モード。
周りはパーティらしく、おそらく知らない人同士が出会い話し盛り上がっているが、混ざる気になれず、地図を眺める。
1時半に就寝。
12/27
8時前にチェックアウトをし、荷物を預け街に出る。
道端の地元民が行きそうなカフェでエスプレッソを飲む。
パンテオンに向かう。
30分程度の道のりを50分程度かけて歩く。
途中トレビの泉をたまたま通り過ぎたが、朝にもかかわらず、観光客が中央でセルフィーを撮らんと押し合いしている。
昔は泉の水の循環システムってどうしていたんだろうか、などぶつぶつ考えながら通り過ぎる。
パンテオン着。
9時開館と書いてあったが、すでに開いている。
人少なめ。
1時間以上滞在する。
太陽の動きを見る。
想像していたよりスケールがとても大きく感じた。
重機ない時代にどうやって施工したんだろうか。
そして幾何学の床モチーフ含め、厳格な構成美を体感する。
あとで帰り道にもまた来よう、陽の光がどう動いているのか確かめようと思い、パンテオンを出る。
人通りの少ない裏路地やノヴァ広場、駐車場などを抜けて、エンジェル橋を渡りながらバチカンに到着。
サン・ピエトロ広場は確かに大きいが思っていたよりもヒューマンスケールよりかな、と感じつつ列に並ぶ。
途中のインド人らしき自称ガイドが、列に並ぶと数時間入れないけど、ガイドツアーチケット(75€)買えば並ばずに入れるよ、と言っていて胡散臭いなと思っていたが、案の定、何のことない30分ほど並べばセキュリティゲートに着き、無料で入れるではないか。
並んでいる途中、そのチケットを買ったであろう人が列を抜かして行ったが、セキュリティゲートの手前で止められて結局並ばされていた。詐欺なのか。騙されなくて良かった&よく教皇のいるバチカンの目の前で詐欺ができるもんだ、と感心しながら並ぶ。
広場と反対に教会の建物自体は若干のオーバースケール感を感じた。ただ中の光の取り入れ方は計算され尽くしているように感じ、来場者が神秘性を感じるように光の移動と芸術品の配置や側廊のリズムなどが決められているように感じた。
ただアマルフィで感じたような涙は出なかった。権力的な威圧感も同時に感じたからだろうか。
建築が言葉なくも語りかける空間の性格みたいなものに、この旅の中で敏感になっているように感じた。
クーポラに登る。
ひたすら螺旋階段をあがり、最上部に到着。サン・ピエトロ広場だけでなく、ローマ全体が見渡せる。素晴らしい都市軸。
すべての道はローマに通ずという言葉があるけど、正確にはローマのどこを目指しているのだろう、バチカンか、でもそうも見えなかったなぁ、などとぶつぶつ言いながら螺旋階段を降りる。
帰り道パンテオンに立ち寄る。
正午過ぎの光。
奥まで入り込んでいたが、不思議なことに、朝よりも全体が暗く感じた。
なぜだろうか。
コントラストを強く表現して、神秘性を高める効果を狙っているのだろうか。
ちなみに中央の屋根のガラスはもともとガラスだったのだろうか、勉強不足だからあとで調べよう、などと思いつつ宿へ荷物を取りに帰る。
昼食をとりつつ、空港までのバスを待つ。ローマはFCO空港まで1時間ほどかかる。
遠いいが、国際線なので早めに到着。
18:00 Rome FCO → 20:40 Croatia ZAG
STAY@ Zagreb “Hotel Central”
クロアチアの首都ザグレブに着く。
22時前にホテルに着き、MJS同期2人と待ち合わせ。
3人で夜の広場を巡る。
三ヶ月振りの再会で、近況を話し合う。
やはり楽しい。
12/28 Zagreb
朝からマーケットや旧市街を巡る。チェッダーチーズというヨーグルトを固めたようなチーズが有名らしく、同じ商品を10人くらいのお爺さんお婆さんがそれぞれ違う屋台を出して、売っている。買う人はどこを選べばいいのやら。
クロアチアの伝統料理を食す。サルマという名のロールキャベツうまし。
チーズと薄肉ポークのハムカツにチェッダーチーズをすこし付けて食べる料理もうまし。まさにハムカツだよね、といって盛り上がる。
午後4時のバスでプリトヴィッツェ国立公園へ向かう。
12/29 Plitvice Lake, Dubrovnik
朝8時15分に宿の主人に車で国立公園第二入口まで送ってもらう。
5時間歩く。
虹鱒の唐揚げが有名らしいが、食べることができなかった。
ザグレブ経由で、ドブロブニクへ向かう。
ドブロブニクの宿23時着。
夜の城壁で囲われた街を散策。
12/30
朝、日の出を海岸沿いから眺める。
カフェで朝食を食べ、城壁を巡る。
一周するのに約2時間。天然の要塞と人工の石積みと自然の美しさを兼ね備える素晴らしい都市である。
その後ロープウェイで山頂まで登り全体を見渡す。
クロアチアの国旗が快晴の空をはためいている。
旅もここまで。
ドブロブニク特有の海鮮料理をみんなで食し、お別れ。
次会うのは9ヶ月後になるか。
後ろ髪引かれる思いの中、空港へ向かう。
ロンドンへ向かう。
16:30 DBV → 20:45 LHR
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