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#電蚊拍
anduwu · 2 years
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#恣蚊飽血 晉代人吳猛,是個出了名的孝子。他因為家境貧寒,到了夏天蚊子特別多,他家連蚊帳都買不起。因為自己年輕,蚊子只會吸自己的血,而不去吸父親的血了,脫衣餵血這樣父親就能安心睡覺了,現今🦟不太吸細皮嫩肉的女兒,確偏偏愛來找粗皮老肉的我,難道陳年老血比較有風味嗎? #二十隻達成 #電蚊拍 https://www.instagram.com/p/Cm4uEzsyfUK/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kaoriof · 1 month
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無題
平穏よりも胸のときめきをいちばんにしたら世界のぶあつい皮膚が一枚めくれたかのようになにもかもが歌い踊りかがやきはじめたのをいまでも覚えている。わたしは親が厳しくて外泊できないけれど、そのあいだに同級生の子たちはうつくしい島の海に反射する満月をみて、だれかと夜通しぴたりとからだをあわせて内緒話をするような、今にもぷつりと切れそうな糸のように細くて鋭い若さを世界の夢に浸らせている。感性を野放しにして、こどものころの感動をひとつずつ取り戻す時間がわたしにも必要だった。けれど思いどおりにいかないこともある、それも定めとおもって歯をぎゅっとくいしばる。わたしには必要だった。路上、白い廊下みたいに澄んだ朝霧をかんじる時間。薄いトップス。ズレた口紅。酔った勢いで入れ墨を彫ってしまう危うさ、煙ったクラブでなにもかんがえずに踊って、好きな男と寝て一限目をサボるとか、夜の街頭を走り抜け、くだらないことに時間とお金を費やすこと。「それだけじゃない、夜に遊ばなくても昼に釣りをしたりサッカーしたりそういう遊び方だってあるだろう。そっちのほうが幾分もまともだ」 おとうさんは夜遅くに帰ってきたわたしを叱りつけ、そう言った。わたしはけしてワルにあこがれているのではなくて、ただただ綺麗なものに飽きただけだった。わたしにとって祈りや信仰はさいしょから型があってそれに当て嵌めてハイ完成みたいなかわいいお菓子作りのようなものじゃなかった。自らを成り立たせるピースを集めた上でそれを食い尽くすくらいの覚悟や貪欲さがあなたにはある?わたしにはそれが足りなかった。昔も今も自分でうつくしい歌をつくれない。うつくしいものがたりをかけない。うつくしい絵を描けない。世の中にはフォロワーが万桁いる女子高生がいて、今、何千もの美術展が開催されていて、明日、いつかオリンピックに出るであろう少年がはじめてスケボーに乗るかもしれない。わたしには何もできないかもしれないけれど、彼らの生き様はわたしをわたしたらしめる微かなエッセンスとしてわたしに溶け込む。それを祈りという言葉で表象してはだめ?これからのことをかんがえると、ずっとどきどきする。目の前の光景が、訪れたことのない地の光が、風が、わたしを、わたしのからだを必要としてる気がする。世界中に張り巡らされた血管がわたしの心臓部にも繋がっているような心地。死ぬ5秒前ってどんな感覚なのかしらないけど、築き上げた塔が崩れてゆく感じなのかな、雪景色のような。
無題
朝起きたら腕に友達の噛み跡と身に覚えのない痣が3つくらいあった。耐え難い疲労がからだのあちこちにひっついて、入れ墨と化している。活字の海を、本をその背に背負えたらよかったのに、今のわたしを崖っぷちに引き止めているのはうつくしい言葉でもなくて、泥に塗れた重いカルマ。イヤホンの先から垂れ流れる音楽すらも風のように軽やかで自由なものではなくて、ねばねばした気持ちわるくてかなしいものに聴こえた。夏と、そのあつさと、その底知れぬ闇に街ゆくものすべてがこころのずっと奥の方で平伏している。昼過ぎにスクランブル交差点前の巨大スクリーンが薄青い空を泳いでいるようにみえたこと、街ゆく人の肌色が、シャボン玉のようにその熱を吸収して発光していたこと、ぜんぶなんか夢みたいにふわふわしているかんじがした。もうすぐでなつやすみなのに、大学入ってからそれまでもずーっと夏休みのような感じだったからあまりどきどきしない。みずみずしくずっと光っていたい。わたしもいつかデカい人間になりたい、いつかいつかいつかという文句ばかりが増えてゆくのを横目でみて、ぜんぶカサブタを剥がすように振り解いて拭ってくれる奇跡みたいな命、日々、音をどうしても期待してしまう。どうすればいいんだろーしにてーと思いながらまたあしたも友人と夜ご飯をたべにいく約束した。それでまた家に帰って、朝起きて虚無感に苛まされて、の繰り返しを大量の課題で中和する。薄暗い中でたべるごはんとか朝早起きして化粧をすることじゃない、今はなにもない海とか草原でなにも繕わずにその自然のデカさとか愛を仰向けになって享受するのがいちばんただしいきがする。たすけてと呼ぶには大袈裟すぎるし。わたしはわたしのことをぜったい見放さない、それだけで充分いっぱいすてきでしあわせで救いだということを今じゃなくてもいい何年もかけて真実にしていく、揺るがない愛に変えていきたい。
end
泣き出しそうに張り詰めた空気に鼻を啜る。世界の彩度が落ちて、ぶあつい服を着た街ゆく人たちが皆んなちっちゃな怪獣みたいにみえる。肌寒い。外はずっと灰色、モスグリーン、レモンみたいな匂い。大きな木が揺れて、木の葉の上に横たわっていた雨の滴が霧のように3秒間くらい降った。最近は毎日毎日やることが多くて、それをこなしているあいだに1日が終わる。3日連続で化粧を落とさずに寝てしまった。多くの人が電車にのっているときに外の景色に目をやらないのと同じ感覚で、わたしも生活の外側にひろがる微かな動きに鈍くなった。ずっと特別でありたかった、1番愛されたかった、そういった思春期的な熱望とどんどん疎遠になっていく自分に日々焦ったり安堵したりしている。だけど同時に、わたしの中をまだ生きている17歳のわたしがその面影をときどき覗かせる。期待させる。突拍子もなく走ったり、ゲラゲラ笑ったりする。些細なことで泣いたり、理不尽な世界に怒っている。良くも悪くも変わっていくのなら、これからの自分に期待をしたい。アルバイト先では後輩が6人くらいできて、みんなわたしよりも仕事ができる。わたしはもともと注意をされると衝動的に泣いてしまうところがあったし、シンプルに忘れっぽかった。あまりにも器用に仕事ができないので、ある日店長とそのことについて話し合ったら意識の問題と言われた。その1、人からのアドバイスに劣っている自分を見出してはだめ。その2、素直に人からの意見を受けとる。その3、自分のためでなくだれかのために働く。この3つを約束した。夜の繁華街で50歳の男性に飲みにいきませんかと声をかけられたり、あした授業にどんな服でいくかを考えながら化粧品を見に薬局に寄り道したり、腕に点々とのこる虫刺され痕をみて、それを残した蚊のことを考える。あした、図書館で借りた本の返却期限。わたしもちっちゃな怪獣になって寒さをまるごと食べてしまいたい、寒い日の、霞んだ光やクリアな淋しさ、果実のようにぎゅうぎゅうに酸っぱい気持ちを。
slow burning
大学一年生というよりも、高校四年生というような振る舞いをしているなあ、と自分のことを客観視する。新宿の横断歩道橋から行き交う人々を眺める。つい最近まで、委員会の同期の仲の良さにムラができていて、グループとかカーストとかそういう言葉が浮上してきてしまうほど揉めそうになっていた。それでも、それぞれが居心地の良い場所にしようと歩み寄っている。こういう、諦めによる愛想ではなくて心からの気持ちに胸を打たれる。明大前の飲み屋で酔っ払って「俺みんなのこと愛してるよ」と照れ笑いする先輩に、わたしたちみんな、キモいねーなんて言って茶化した。そのあと夜の大学で騒いでいたら警備員に注意された。机の下に10円玉を落としたのを拾わないで帰る。いつまでも赦されていたい、わたし、山猫のような女の子でいたかった。すぐ隣、肌すれすれにだれかの温もりを感じて弱さを誤魔化すのではなくて弱さを共鳴しあっていたい。「東京の人は生き急いでいる」なんて言葉があるけれど、わたしは美しい光景がそこに広がっていれば��ず立ち止まる人でありたい。仕事に遅れそう、とか、終電が、とかじゃない、好きな人たちのためだけに忙しくありたい。恋人は待ち合わせをするとき、「どこでおちあう?」と聞くのだけど、高2の頃、初めて会う日、それを「(恋に)落ち合う」と勝手に解釈して死ぬほどどきどきしたのを思い出した。それからわたしも「どこで落ちあう?」と聞くようにしている。ドア窓の形に切り取られた青い影が電車のフロアに映って、がたんごとんという音に沿ってフィルム映画みたいに小刻みにうごいていた。池袋で新疆料理をたべて、お腹を下す。スペイン語の中間試験。木曜日、ほんとうは1限に英語の授業があったんだけど、財布を忘れたいせいで交通費が若干足りなくて新宿駅から乗り換え先の電車に乗れなかった。その旨をインスタのストーリーに載せたら、一度しか喋った事ない同じクラスの男の子から「抜け出していくわ、」とだけ連絡が来て、本当にきてくれた。クラスで唯一金髪で、派手で、いつも高そうな服を着ている。ピーナッツをぼりぼり食べながら、ダーツをする。わたしが2回勝って、可哀想だったからあとの1回は負けてあげた。それからは何も無かったかのように授業では一言も喋らない。お互い、目を合わせないふりをしているような、ふしぎな距離感を保つ。渋谷で5分1000円の手相占いをしたら、鎖みたいにいくつもの線が絡まっていますね、と言われた。意外と気にしいなんじゃないですか?「そうですね」と答える。駄菓子屋で1000円使い切ったほうが幸せになれそうだとおもった。電車の隣の線路にカラスが一羽いた。こんなに近くでみるのははじめてだ、と思って、じーっとみつめた。黒なのに黒じゃなくて、光を受けて渋いグリーンや紫っぽくみえる羽毛に目を見張る。なんか、空はどこまでも真っ青なのに光の細部だけ色があたたかい夕方前みたい。ふわっとなにかに気付いて、じーっとそれを見つめて、そこになにかが“視える”とぜんぶ途端にスローモーションになって、焦燥感や虚しさがたちあがってくる瞬間がある。からっぽなのにぎゅうぎゅうな感じ。AirPodsをケースにしまう音が体感的に5秒間くらい耳に残ったり、自分の息遣いにどきどきしたり、すれ違う男子高校生の会話声や、鳥が羽をはためかせる様子がクリアに輪郭が保ったまま空中を転がる。ガムを買って噛みながら、心のもやもやしたなにかを同時に小さく噛み砕いてゆく。光の洪水。家に帰ってパスタをたべたあと、お風呂で下の毛をつるつるにする。夕方終わりにお風呂に入るの、とても好きだなあと思う。コンタクトレンズを外さないまま、化粧も落とさずベッドへダイブする。瞼の裏に東京タワーの赤がたましいの塊みたいにまあるく光っている、はやく何もかも諦められる年齢になりたいと思う。
無題
なんかまじでわたしが疲弊していて悲観しているのか、世界が残酷なのかわからなくなってきた。脳科学の講義を受講したあと、テキトーに混雑した休日の街をあるいていたら皆んなの脳みそが透けて浮きでてきそうで気持ち悪くなった。地球4周分の神経線維。そう、どでかい爆弾が街ゆく人々の頭蓋骨に葬られている。ニューロンが軸索を介してつながってゆく、放出と受容を繰り返してみんな手を繋ぎあってゆく。セール中でバイトの雰囲気がぴりぴりしていて、みんな資本主義の豚みたいに働いていた。うつくしくないとおもったし、私も美しくなかった。結いた髪に、ぴたっとあげられた前髪。なにを思っているのかを書くのがずっと怖かった。もしかしたら私の感じているこの欲望はとても汚らわしいもので、それゆえにだれかを傷つけてしまうかもしれない。でも、言葉にしなければすぐにわすれてしまう感情に名前をあげなくなって、水をあげなくなって、そうしたら、じぶんの脳みその溝をうめていたみずみずしい苔までもがすっかり枯れきってしまって虚構を連ねるようになった。空洞に哀しみの音だけが響き渡る。友達はいるけど、私はその友達の1番になれない。恋人みたいな人はいるけど、私はその恋人の1番にはなれない。1番っていうのはほんとうの意味での1番、2番とか3番とかがいない1番。圧倒的な2人の世界の中でのフェアで高貴な1番。有名になりたかった。文章でも外見でも写真でもなんでもいい、だれにも敵わない羽根で世界を羽ばたいてみたかった。わたしを選ばないで、そこらへんのそれっぽくかわいい女の子を選ぶかっこいい男の子たちを信じられないでいる。外国に行ったらモテるよ^_^と投げかけられた言葉について何回も考えるけど、考えるたびにかなしくなる。でもね、神様はいるとおもうの。木漏れ日の首筋に、砂丘のしずけさに、広大な空の一枚下に、その温もりと永遠が芽吹いているのをしっている。そのたびに、わたしはこの世界に愛されていて、まだ19歳で、まだ何にでもなれて、そして世界を(気持ちがあふれてしまいそうなくらい)等身大で愛しているドラゴンみたいにかわいい女の子だとまじないを唱えるようにして心を強く保つ。アスファルトに散った桜が朽ちて、吐瀉物のようにグロテスクにぬるい光を浴びている。走り抜ける!だれかの憎悪の中に、疑念の中に、見下しの中に憧憬の眼差しを覚えながら。東京で灯される光の数だけ、アフリカの広原でつややかな花が咲けばいいのに。光の重さの分だけ、銃弾が軽くなればいいのに。帰り道、ひさしぶりにパンを買って帰った。
日記
弟がiPadのタッチペンを無くしたらしくて、それを聞いた母がすぐにAmazonで検索して新しいのを買った。こういうとき、ほんとうになんか小さなことだけれど、すごく心が愛にみちる。
大学の新校舎の建物のにおいが400人もの人が集まった大教室の縁をすべっていく。扉を開けた瞬間、目と目と目がわたしの顔を捉える。湿気漂うフロアにだれかがペンを落とす音、先生のマイクが吐息までもを拾って湿った熱を加速させる。「儚いって聞いて何を思い浮かべますか?蝶?蛍?蝉?トンボ?」 教授がそう聞くと、みんなのえらぶ選択肢がちょうど均等に分かれる。講義が終わるといつもすぐに帰るイケてる男の子が蛍を選んでいて、なおさらかっこよく見えた。わたし、インスタのフォロワーが490人いるんだけど、その人数って今見てるこの人たちよりももっともっと多いのかと思うとなんか心強いような息苦しいような、不思議な気持ちになるなーとぼんやり思った。君たちはぶっちゃけ勝ち組です、という先生がキモかった。海外の大学院に行きたい。わたしはもっともっと色々な人を知るべきだし、美しい景色にであうべきだし、貪欲に学ぶべきだとおもうから。聡明になって、お金を稼いで、将来だいすきなひとたちにたらふくご飯をたべさせてあげたい。お母さんとお父さんが育ててくれた、守ってくれたこの心の真ん中にそびえる愛情のかたまりを誰かに分け与えていきたい。でも、そうとも思うけど、逆にそれをこなごなにさせてくれる危険性や若さゆえの解放にも目が眩んでしまうの。「今しかできない」ってとてもずるい言葉だなあ。
19さい
19歳とかいちばん呪われていた1年だった。まだハタチじゃないけど、もうそうさせて、と思うくらいに、1年のあいだに10年分くらいの幸せと不幸せがぎゅうぎゅう詰めに、どっちがどっちかわからなくなるくらいに入り乱れててくるしくてさみしくて悲しかった。くるしかった。わたしと同じ純度で、等しく、あいしてほしい。あいされたい。
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kennechu · 1 month
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【Machino MT01 便𢹂式滅蚊燈】完全物理式滅蚊蟲 無化學物更安全
無論你住在哪裡、是否高層,只要到了夏天都會有蚊子來襲,今次介紹的 Machino MT01 便𢹂式滅蚊燈 設有加大電擊網面積,以及紫光變頻光波,以 365NM 全波段變頻吸引烏蠅、蚊蟲靠近,然後瞬間釋放 2800v 電壓擊斃,仿如一塊流動大滅蚊拍,完全物理式滅蚊蟲,無化學物更安全,而產品內置電池,備有掛繩可掛壁使用,更可放房、廳或戶外,隨時隨地幫你滅蚊。 Continue reading 【Machino MT01 便𢹂式滅蚊燈】完全物理式滅蚊蟲 無化學物更安全
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mouniassn · 1 month
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培養感情先從打招呼開始
以下一位有緣人分享,來文照登:
自己貢高我慢的習氣很重,對人很冷漠,中風之後學到了一件事,就是嘴巴上客氣一點、甜一點,別人才會樂意幫助你、與你來往。說來慚愧,搭電梯遇到鄰居打招呼,是學佛之後才漸漸學會的事情。一開始要踏出第一步主動打招呼真的很難,但多年堅持下來,漸漸的變成鄰居看到我,先跟我打招呼。他們的孩子出電梯也會揮手跟我說:「阿姨再見!」雖然都只是點頭之交,但是還是覺得很暖心。
現在天氣漸漸暖了,蚊蟲、螞蟻出現的頻率也高了,一般人遇到蚊蟲、螞蟻,第一個反應大概是覺得很煩、很礙眼,大多會隨手捏死、拍死,不然就是拿藥劑毒死。
淨空法師講經時,曾經分享過他移民到澳洲的經驗:「在澳洲我住在鄉下,房舍不夠大,我在房子後面再蓋了一棟。蓋好之後,我第一天搬進去,睡了一覺,第二天早晨上洗手間,洗手間全是螞蟻。我沒有辦法,我就跟螞蟻合掌,螞蟻菩薩,你們從哪裡來,就從哪裡出去。牠們從哪裡來的我不知道,那是新房子,怎麼會跑進來的?我說我給你半個小時,半個小時之後,我要到這裡來用洗手間,我現在到外面念佛迴向給你們;半個小時之後回來,一個螞蟻都沒有,全走了。我們可以跟牠溝通的,很好商量,很好講話。所以蚊蟲、螞蟻、老鼠、蟑螂這些東西,統統可以溝通,不可以殺害牠,牠會跟我們合作。」(引用結束)
我初學佛時,就知道不能殺生,看到淨空法師說的作法很感動,想向他看齊,但是一時改不過來,怎麼辦?淨空法師說小動物都可以溝通,可是我跟牠不熟怎麼溝通?遇到不熟的人要怎麼辦,就先從打招呼,開始培養感情吧!
我讓自己養成一個習慣,看到蚊蟲、螞蟻不要用手拍死,先跟對方招呼說:「哈囉!」然後用輕輕吹氣的方式,或是在蟲子附近用手指頭輕輕點幾下,讓牠們往另一個方向去。也可以暫時離開去別的地方,繞一圈回來蟲子通常就會離開了。
有一陣子我不管在家或在公司,身邊都有一隻小果蠅菩薩在飛。我非常肯定不是同一隻,因為開車時車上沒有,而且持續出現好幾個月,果蠅沒有這麼長的壽命。
一開始還會覺得很煩,後來我慢慢就忽略牠了,要是一直黏我身上讓我發癢,就揮揮手讓牠飛遠一點,一直停在桌面就跟對方喊話:「你去旁邊一點,不然我等一下沒注意到你,把你壓死了。」要是停在水杯,就當對方提醒我喝水,洗碗時就讓牠離遠一點,不要被水噴濕,漸漸的果蠅菩薩出現的頻率就降低了。
之前曾經請示過果蠅菩薩出現的原因,開示為沒有干擾。仔細想想,我以前看到蚊蟲、螞蟻,都是隨手拍死、捏死。甚至年幼時,還曾經拿殺蟲劑殺害過一整窩的螞蟻,果蠅菩薩應該是來考驗我不殺生的心,堅不堅定的。
目前果蠅菩薩比較少出現,接棒的是一位蟑螂菩薩,牠就像一位隱形室友,不知何時會現身一下,讓你知道牠還在,然後就消失。曾經我家裡有養鸚鵡當寵物,蟑螂很多。母親在幫我整理環境時,殺了不少。我目前在還這筆業障經文,我就當這位蟑螂菩薩是當代表來聽經的,這次不知道要考多久,希望能早日及格。南無阿彌陀佛。
(分享完畢)
「我慢」,是眾生很普遍的習氣,對於看不慣的,就感到不悅,總是認為自己是對的,凡事都以自我為中心,這種習氣非常不得了!首先,心中容不下不同的人事物,就容易脾氣不好。接著因為貢高我慢,心裡失去一種平衡性,對人容易缺乏平等、同理心。當然對於動物,就更不知道尊重與愛護了!
有緣人學佛之後,很難得能夠坦承、正視自己的我慢習氣。從待人接物開始,先主動在電梯和鄰居打招呼,這種方式不但可以減少自我意識,磨掉較強烈的自尊心,還能夠一邊做到「未成佛道,先結人緣。」僅僅用個微笑點頭,或是親切的打個招呼、寒暄幾句,就都能幫自己多結一些善緣。善緣廣,未來做任何事自然助緣多、障礙少。
而修行往往就是從日常生活當中去實踐的,並非只有在讀經時才是修行,當我們可以找出自己最難改的問題,並且試著從生活當中去改變自己的心態及落實,那麼佛法就會持續在心中不斷地成長、開花。
淨空法師:「有『我』就決定就有『慢』,我總比別人高一截,別人總不如我。人家再有本事,那個地方比我強,還有不如我的地方。所以這個『我慢』煩惱,你才曉得多深。
傲慢心障礙禪定,你的心得不到清淨。你有高下之心,這個要斷,要修平等心。平等心不容易修,先修謙下心,對待一切人謙虛卑下。為什麼要這樣修法?破除我慢。
以我們最尊貴的頭,頂禮對方的足,最卑下的足,用意就是破除我慢。行禮的時候,我們在《六祖壇經》裡面看到,學人參訪六祖大師,禮拜的時候頭沒有著地。六祖看到這個情形,起來之後就問他:你一定有值得驕傲之處,你有什麼值得驕傲,頭沒有著地?這一問,果然問出來了。法達禪師他讀過三千部《法華經》,值得驕傲,別人沒有這種功力。
所以你有傲慢之處,你一定覺得自己哪一方面有長處,別人不如你,你生傲慢心。傲慢心從哪裡來?卑慢;不如人的地方產生起傲慢,卑慢。所以慢有很多種,很多類別,我們要曉得,一定要把它拔除。」
殺生,也是我慢心的一種。看小昆蟲不順眼,覺得是害蟲,就隨手殺生,這在一般人看來是很平常的行為,但佛告訴我們,眾生皆有佛性。《圓覺經》:「一切眾生本來成佛。」即使是與我們不同形體的動物、昆蟲,牠們亦有自己的佛性,只是墮落在惡道形體不同,我們看不出來。我們應當以平等心來對待牠們,不能隨意決定牠們的生死,任意殺之。殺害物命,為自己添加罪業,也加重了自己的「我慢」心。
文中的有緣人應對小昆蟲的騷擾,試著打招呼,再用溝通的方式與昆蟲們交流。所謂心誠則靈,雖然語言不通,當我們用善心誠意,對待語言頻率不同的昆蟲時,牠們是能感受到我們的心意傳達。小編自己也曾有經驗與小螞蟻們溝通,很誠心地勸勉牠們改道而行,遠離危險路段,另覓食物地點,避免生命危險,牠們漸漸聽懂,後來全都再也沒有出現在對螞蟻生命有威脅的地方了。
由此可知,昆蟲動物牠們是有感受的,也愛惜自己的生命,我們不但不能傷害牠們,更要以平等心對待,用誠心溝通與相處,有時也要適時包容一下這些不速之客,讓自己可以學習平等心、謙虛心。
牟尼精舍的Logo底下,是卑下心、歡喜心、慈悲心所構成。這也是我們修行奉行的指標,我們想要破除貢高我慢的習氣,可以從這三項做起。世上凡事越有成就與智慧的人,他就越顯得謙虛、卑下與慈悲,而佛菩薩是慈悲與智慧的圓滿,所以看眾生皆是佛,渡眾生並無「我有渡眾生的相」。
《阿伯的話—現場開示精華語錄》:「渡眾生要有智慧;牟尼精舍的修行根本為慈悲心、歡喜心、卑下心,是修行的次第,以慈悲為根基,進而生出歡喜心,再以卑下心作為處事準則。
何謂慈悲?慈是愛護眾生、不忍其受苦,悲是拔苦與樂、導正教化;真正的慈悲即是教化眾生,使其不要犯過。
何謂歡喜?即平等正覺,以平等心面對眾生,不論其貧富貴賤,都心生歡喜,一視同仁,無分別心。
何謂卑下?即是慈悲心與歡喜心之大集,以恆心、愛心、耐心、悲心來面對眾生;己立立人,己達達人,懂得懺悔、反省與改善自己,並能謙虛地容納聽取別人的意見;海納百川,心繫蒼生,有教無類,不起分別,隨緣渡眾,導正眾生使其免於六道輪迴之苦。」
長久輪迴以來形成的「我執」、「我慢」,是每個修行人很難一時放下的關卡,但若能時時把「慈悲、歡喜、卑下」放進心裡,再頑強的我執、我慢,相信也能夠逐漸消融!南無大慈大悲觀世音菩薩!
南無本師釋迦牟尼佛
南無藥師琉璃光如來
南無阿彌陀佛
南無大悲觀世音菩薩
南無大願地藏王菩薩
南無韋馱菩薩
南無伽藍菩薩
南無十方一切諸佛菩薩摩訶薩
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manbolo88 · 2 months
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用個科幻腦黎抗疫&準備促進經濟復甦(二十九)要真係做到夜繽紛係咪先要有兩個條件?
八點放完煙火又好、放完煙花都好,就算放完幾咁壯觀嘅無人機都好⋯
我睇完食個杯面,甚至拍下囉油返屋企,你吹我唔脹固喎!?!
咁又點樣夜繽紛呢!?!
要夜繽紛要 D 乜嘢先決元素呢?
持續互動交流——>導致感覺良好而開心消費!
煙火、煙花甚至無人機唔係唔好睇,但對於上面呢兩樣嘢係咪真係有幫助呢?
有聊得很先前提出嘅「中華美食巡禮」可能真係未有人睇得明!?!可能可以講得更加清楚一 D ⋯
唔同嘅地方有唔同嘅美食,尤其係基層市民,平時比較少接觸其他地方嘅美食,打個比喻,你去到長沙嘅黃興路夜市,行晒成個場有九成以上都係長沙本土嘢,好似北京片皮鴨都冇乜喎!上海小籠包唔見!廣東點心更加冇!(或者我走馬看花睇唔到囉)至低限度話九成以上冇外地美食。省會中心區最多人去嘅夜市都冇乜外地美食。
可能有人會話地方飲食文化係咁固喎!改唔到固喎!有網紅話黃興路夜市唔夠冬瓜山一條街地道添(邊個好食 D 有聊得很就冇興趣講啦,我只係想講飲食文化係有非常大嘅開發空間啫)!
經濟好唔好都好⋯民以食為天⋯
你去旅遊,花幾十蚊去食個麻辣雞翼,去食兩塊北京片皮鴨,再唔啱加埋東南亞嘅、日本嘅、歐式嘅⋯
遊客嚟到香港,如果可以用一百幾十夜晚去到維園又好、尖東都好食到平時喺佢哋自己屋企附近食唔到嘅嘢,你話佢哋願唔願意幫襯試下新鮮事物呢?
最重要嘅仲係,食落肚嘅嘢係身體官能感受,暖笠笠嘅,與同行朋友互動嘅,返到鄉下又可以吹下水嘅⋯「我食過血鴨你食過未吖🤭」
更加重要嘅係,美食文化博大精深!兩個星期粵菜主題,兩個星期搞下法國菜,兩個星期又搞返川菜主題⋯咁樣持續有不同感受,長時間互動如果配合電視節目比如係維園食神大賽⋯咩咩阿爺阿媽阿姐廚房⋯
煙花、煙火、無人機段估都唔可以變得出中式日式法式俄式啩(就算得,同食落肚嗰種唔同感受有得比咩)!?!
再者,食都有平有貴,維園尖東可以擺幾十蚊有交易嘅(建議唔好擺咁多廿蚊燒賣呀,十蚊魚蛋呀呢 D 嘢啦,係都擺碗仔翅陳皮紅豆沙啦),總之冇特式嘅就免得就免啦!行過對面酒店又可以豪 D 食一千幾百嘅東南亞、川式、日式(總之可以輪流轉口味,條件係比平時平 D 又花臣多 D )。甚至同澳門、廣州、深圳互動都得㗎,香港食滿五百送澳門、廣州、深圳美食卷各一百(或者任選一張囉,抽獎都得㗎🤭)。
總之要持續嘅、互動嘅、不斷有新感受嘅⋯呢 D 都係冷冰冰十五分鐘嘅 show 比唔到嘅!
有得食有得玩⋯要開心先至有消費動力㗎!
作者:有聊得很(manbolo88)
請繼續追看「獻給哈勃的退休禮物(第二季——續航至宇宙邊緣)」後記
密切留意⋯
coming soon⋯
登。登。登。凳⋯
有聊得很腦殼中嘅 真。科。幻
獻給哈勃的退休禮物(第二季——續航至宇宙邊緣)完結篇之後嘅「有聊得很之情書下集」⋯好正㗎!咪錯過呀
即。將。上。映
另外,獻給哈勃的退休禮物第二季完咗之後,有聊得很會重新上載有聊得很嘔心瀝血之作——歐頓紀元直至六十三集第一季完結(只在 WordPress & Facebook 先至會有完全版,留意啊)
又再另外,比歐頓紀元更加真。科。幻嘅歐頓外紀(歐頓紀元番外篇)亦在構思中,請密切關注
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kennechu · 4 months
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【Machino MT01 便𢹂式滅蚊燈】內置電池 室內或戶外都適用
夏天就是多蚊蟲,所以有好多人都會買一部滅蚊燈,而今次介紹的 Machino MT01 便𢹂式滅蚊燈 ,設有加大電擊網面積,以及紫光變頻光波,以 365NM 全波段變頻吸引烏蠅、蚊蟲靠近,然後瞬間釋放 2800v 電壓擊斃,仿如一塊流動大滅蚊拍,完全物理式滅蚊蟲,無化學物更安全,而產品內置電池,備有掛繩可掛壁使用,更可放房、廳或戶外,隨時隨地幫你滅蚊。 Continue reading 【Machino MT01 便𢹂式滅蚊燈】內置電池 室內或戶外都適用
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