#顔振峠
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茶畑庵→新松戸→水道橋→Motown→蒲田
Saturday 1 March 2014
今日坐禅会は、禅寺の都合でお休み。真観は、始発バスに乗って東京へ向かった。バスが新宿に着きその後山手線に乗り日暮里駅へ。常磐線に乗り換えて新松戸駅へ。余裕で到着したのでマクドナルドで暫し休憩。今日は撮影日。撮影は身体障害者の方だった。中々いい表情が撮れなかったが一瞬の笑顔を逃さず撮影出来た真観。その笑顔の写真を最後に撮影は終了。
スタッフと別れ1人東京のオフィスに戻る真観。帰りは、日暮里駅から秋葉原駅に移動し総武線で水道橋駅まで。オフィスに着くとUさんはまだ来ていなかった。機材をオフィスに起きてランチを食べに餃子の王将へ。餃子とミニ天津飯を食べる。531円也。Uさんといつも水道橋で食事をするがUさんは餃子の王将はガヤガヤとうるさいから好まない。真観は、1983年の上京以来お世話になっている。
オフィスに戻るとまもなくUさん登場。そしてOさんも登場。この3人でおしゃべりすることがオフィスでよくある。��題の一つは、Oさんが撮った真観のポートレイト写真。その写真を真観がFBにプロフィール写真として公開すると結構な数の「いいね!」を頂いた。そのお礼をOさんにしながら真観は。自分の考えたことを2人に伝えた。
今日3月1日は、坐禅会に参加して1周年になる日。 昨年の3月から7月までの4ヶ月FBを休止し再開するに当たってすべての友人のフォローを一旦止め真観の投稿記事に対して反応をしてくれた友人からやり取りを始めた。その後、自分からフォローする友人も少しずつ増やして行った。これはSNSのコミュニケーションから振り回されることに対しての苦肉の策だった。そして今日の朝、晴れて真観はFB上の友人(610人ほど)すべてをフォローすることに決めそれを実行した。これは坐禅の経験から得た回答だった。
夕方になりUさんと2人で新宿で開催されている真観の生徒の写真展に赴いた。この週末又雪が降るのではないかと懸念されていたが小雨止まりであった。水道橋駅から四谷駅、四谷駅から四谷三丁目駅に電車で移動。その後は写真展まで小雨の中歩いた。真観はよっぽどの大降りでないと傘は使わない。写真展は、「Motown』と題され愛知県の豊田市をテーマにしていた。真観のクラスの生徒なので作品内容は知っていたが改めて展示された写真たちは展示用に再プリントされまた違う顔を見せていた。写真は、4x5ネガフィルムで撮影されていて生徒自身でプリントしていたが印画紙が以前と変えた様でコントラストがあり見栄えが良い写真になっていた。Uさんも一通り写真を見て生徒に感想として展示レイアウトについて助言した。このテーマを今後彼が続けて行くかどうかは分らないが1年続け2年続け10年続いた後に同じギャラリーで同じ枚数の写真を展示すれば印象は当然変わって来る。この生徒に対して学校の先生方の期待は大きい。でも期待など全く意味がない。これも坐禅をして得た回答の一つ。ただやる気があるならこのテーマ続けるがよろしい。それだけだ。
写真展を後にしてまた小雨の中歩くのもなんだとタクシーを拾うことして信濃町駅に移動。今夜は、Uさん宅にお泊まりするので蒲田駅までさらに電車で移動。Uさん宅はこれで2回目の訪問となる。蒲田駅に着いてから駅ビルのレストラン街で麦とろ定食を食べる。近くのテーブルで酒を飲みその勢いで声の大きい2人組がいたがやや不快だった。仕方ない公衆の場だ。でも食事は美味しく頂き麦飯をご飯茶碗に2杯食べた。食事の後Uさん宅まで歩く。途中Uさんは酒屋でワインを1本と干しホタルイカを購入。
Uさん宅に着くと家猫のニーチェがいるのだが今夜は真観を警戒して顔を見せない。初めて訪れた時は膝の上に乗ったんだがなぁ。ニーチェにとってはいい迷惑かもしれない。だとしたらごめんよ。でもそれも分らない。分らないなら放っておけばいい。
Uさんとの語らいは、まるで先生と生徒の様。Uさんは惜しみなく真観の疑問から様々なキーワードを与える。真観は、メモを書き込むためペンとノートを用意した。
苦海浄土石牟礼道子>森崎和江全共闘運動のスローガン「連帯を求めて孤立を恐れず」谷川雁キリスト教原罪塩狩峠三浦綾子氷点内藤洋子ビッグバンライプニッツウィトゲンシュタインヒットラー血盟団事件唐牛健太郎60年安保の全学連委員長吉本隆明田中清玄児玉誉士夫渡辺芳則組長・・・
2人でワイン1本飲み干したら深夜1時になっていた。楽しい夜になった。真観は、1月に亡くなったUさんのお母さんが使っていた部屋で寝た。
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はなむけの詩
今きみと別れ行く峠道に春風が吹く はなむけの詩と祝杯で送ろうじゃないか 花びらを撒いてきみの門出を祝おう きみの背中にしあわせよ降れ 心残りなどここに置いて行け 黄昏は近いが道はまだ続く ひとがきみを忘れても 足跡はきみを忘れない いつものように笑って胸を張れ 負けないで行け 今きみとの思い出が 走馬灯のように駆け抜ける はなむけの詩に一しずく涙を添えて 仲間達と共にきみの門出を祝おう きみの行く手にしあわせよ来い 悔し涙なんてここに捨てて行け たとえ日暮れても道はまだ続く ひとがきみを忘れても 僕だけはきみを忘れない 懐かしい笑顔でいつも振りむけ きみらしくあれ 心残りなどここに置いて行け 黄昏は近いが道はまだ続く ひとがきみを忘れても 足跡はきみを忘れない いつものように笑って胸を張れ 負けないで行け 負けないで行け 負けないで行け 負けないで行け 負けないで行け
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演劇って、慣用句だ。
近未来ミイラです。
突然ですが皆さんは、「慣用句」をご存知でしょうか。手持ちの国語辞典によると、慣用句とは「二つ以上の単語が連結した結果、それぞれの語に分解しては出て来ない、別な意味を全体として表すもの」と説明されています。「耳を貸す」「魔が差す」「手を取る」などがその例ですね。
今回は役者と演出の方々にフィーリングで慣用句をあてがっていこうと思います。
〈ホット〉
錫蘭リーフ 「頭角を表す」
ちゃうかの舞台でも、さまざまなタイプの役を演じ続けているところが流石の器用さ。加えてその声と身体を最大限に活用したパフォーマンスでお客さんのみならずちゃうか民までもを魅了する機会が増えているため。にゃにゃにゃ〜〜〜。
園堂香莉 「三拍子揃う」
透き通る声、しなやかな動き、イカれたセンスの3つを何食わぬ顔でしれっと持ち合わせているため。今公演のチケットも大変良くて好。全然偏見だけど三拍子の曲好きそう。本当に知らんけど。
海月 「すみに置けない」
今公演でオムニぶりにちゃんと同じ座組になったが、やっぱり面白い人で、親しみやすい脅威であるから。照明チーフ兼別世界線のオペとして、オペ初心者の私をビシバシ指導してくれている。頼もしい。
森々仙入 「弁が立つ」
1対1の会話も上手で話しやすいのはもちろんのこと、複数人いる会話の中でも、良きポイントに良き間で面白い打球を打ち込んでくるから。ラムダが1人いるだけで場が5000ルクスくらい明るくなる。こらそこ、ピンと来ないとか言わない。
黒井白子 「頭を冷やす」
私の所為で今公演も演補から逃げられなかった男。そうした事情とは大して関係なく、平常運転であっても時折過激な思想や厳しい意見を露骨な言葉で表現することがあるため。冷えピタでもプレゼントしようかしら。
和來 「身につまされる」
俗に言うきなこワールドで、周囲の人間ときなこの感性を同化さ��る能力を持っているため。今回の役といい新人公演の役といい、何かや誰かを受け止めるような立ち位置が板についているし、その温度感がお上手。
粕味 「心を許す」
最近かなり声をかけてくれるから。心を許してくれてるのかなと勝手に思っている。私も許している。今回の役は少しヤなヤツですが、外公に続き役にピッタリ合った若干の毒々しさが醸し出されておりとても良い。
叶イブ 「血も涙もない」
私が仕込みに持ち込むラッコのパペット(愛称は「とろろ」)に近づいたかと思えば、内部に存在する「生」に触れてきたり、見るも無惨な姿に変形させたりと、残虐な行為をする様子が繰り返し確認されているため。周りの人も真似しだし、だいぶ取り返しがつかなくなっている。
水原一PAY 「片鱗を示す」
今回の役、個人的にかなりいいなと感じており、役者としてのなびやの可能性がまた一つ広がったように思えるため。この調子で今後も「少し様子のおかしい役」をたくさんやってほしい。あとなんだその芸名は。役者紹介の画像天才か。
暁レミエル 「箔がつく」
創作物や生活のレベルがめきめき上がっているように見受けられるため。宣美チーフの仕事も全うしており、今公演でもハイクオリティな立て看板を作成してくれた。結構取るに足らない要望ばかり出しちゃったのに、あんなにオシャレなデザインでまとめ上げてくれるなんて。
箏 「身を粉にする」
私が今世紀最大の無理を言ったために突如として演出になったが、ちゃうかで初の演出とは思えないほど的確なダメを出したり、舞台美術の作業と演出としての会議などを両立したりで、とにかく今公演最大の功労者であるため。ごめんなさい。ありがとう。
〈アイス〉
縦縞コリー 「太鼓判を押す」
「近未来ミイラ脚本+主役こり」はまさかの3回目であるから。バケモンだろ。毎度お世話になってます。こりがこの脚本をどう思ってるかをちゃんと聞いた記憶はありませんが、楽しくやってくれていれば嬉しいな。
あろハム権左衛門 「頭が上がらない」
今回はあろハム史上最難関と言ってもいいような役を背負いながら、いつにも増して真剣な態度で公演と向き合ってくれているから。舞台稽古のときに、役に集中していて演出の声が耳に入っていなかったあの瞬間、本当にカッコいいと思った。これマジで。
西峰ケイ 「まんざらでもない」
稽古の初めの頃���(何故かは知らないが)あるシーンを随分やりづらそうにしていたのに、今となっ��はそのシーンを(詳しいことは省くが)まんざらでもない感じで演じきっていて、それが(不思議なことに)妙に説得力があるから。
衿君 「芸が細かい」
役者としての演技、特に今回はセリフがない際のマイムがはっきりしているという点で芸が細かく、それに加えて、作る映像についても細部まで丁寧に作ってくれるあたりも芸が細かいから。映像のために登場人物の下の名前考えて良いかと聞かれたときには思わず面食らってしまった。
テキストを入力 「世を忍ぶ」
なんか似合うから。実は普段のエピは世を忍ぶ仮の姿で、本物のエピは今回の役のような存在なのかもしれない。あるいは東京行って秋葉原に通っている存在なのかもしれない。そういう不気味じゃない得体の知れなさがある。
こけまる 「異彩を放つ」
創作活動や表現の幅がみるみる広がっており、そのいずれにおいても目を見張るものがあるから。同期の中でも一番将来何してるのかが気になる人。あと苔丸の演技はどんな役でも説得力を感じるからす��い。
白 「引けを取らない」
35期が多い座組の中でも、しっかりと自分のキャラクターを演じながら存在感を放つことができているから。テンションと場の空気感があっていて見やすい。小道具の要望が雑だったためにご迷惑をおかけしました。申し訳ない。
紅みそか 「腑に落ちない」
日々の生活の中で、割と色んなことに対してこう思っていそうだから。知らんけど。ちなみに私としては「つぐみそ」のカップリングはどこか腑に落ちてないところはありますけどねぇ。えぇ。
ミル鍋 「耳が早い」
ちゃうかの全ゴシップを手にしてるんとちゃうか、と思うほどに情報通な感じがするから。建築の話になると早口オタクになるゆにが最近の私のお気に入り。あとしれっと差し入れが自作のお菓子なのすごすぎる。
埖麦 「本腰を入れる」
そろそろ単位の取得にも力を入れてほしいため。ごみむぎとは言いつつ、音響の仕事はちゃんとこなしているし、最近は遅刻も減っているとのことで、やるときゃやる人なのは確か。牧野としての振る舞いが秀逸。むぎのおかげであの場が整ってると感じる。
海泥波波美 「胸が騒ぐ」
アサギという男のやること、考えることに触れるたびにワクワクするから。LINEで演出をお願いするという無礼な始まり方だったが、第二回通しで初めて全体を通して観て、シンプルに良い公演だなと思った。楽しくやってくれてたら嬉しいけど、実際どうなんだろう。
〈共通〉
鞠凸二郎 「さまになる」
今回の衣装メイクがあまりにもまんまであるため。いや「まんま」って何のまんまなんだろう。分かんないけど、でも絶対どっかで見たことある。こういうのをイデアって言うのかしら。もう直ぐ公開されるでしょうが、アレも非常に良かった。
中森ダリア 「舌を巻く」
ビジュアルやら喋りやらが公演ごとにこうもはっきり変えられるのかと、驚かされてばかりだから。唯一無二という言葉がよく似合うなと思う。「鬼の……」のセリフがいっちゃん好き。
雨々単元気 「やぶさかでない」
その優しさと演技の勢いで、どんな役でも無茶振りでもノリノリでやってくれそうな感じがするから。今回はツッコミにもボケにも回るようなオールラウンダーな役柄ですが、上手く乗りこなしている印象。流石。
東愛莉 「丸くおさめる」
明るい雰囲気と笑顔でどんなに殺伐とした空気も緩和してくれそうだから。何度でも言うが、やっぱり裏に狂気が見えるような役が似合う。制作とか広報とか云々の話を僕が一旦完全に忘れていてほんまに申し訳ないので顔ない。
帝京魂 「峠を越す」
稽古の中で役の演じ方について悩みに悩み抜いて、あるときそれを突破して、結果的に役を自分のものにしている感じがするから。今回の役はきっとあの映画を参考にしたのだろうし、その点ではかなり早い時期から方向性が固まっていたんじゃないかと思う。なんなら今公演最推しまである。
演劇って、慣用句だ。
一人の人間や一人の部署だけでは成り立たず、全員が、全部署が連結して、足並みを揃えることで、一人一人に分解しては出て来ないような、特別な意味を、特別な作品を、特別な時間を、全体として表すことができる。
本番まで1週間を切りました。最後までみんなで「のべつまくなし」に走り抜けましょう!
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2024年3月24日

アストラム延伸部分 全区間のイメージ動画を地元住民に公開 己斐地区には新しい道路も 広島市(RCCニュース 3月25日)2024年3月24日に追記
広島市を走るアストラムラインの延伸計画について、地元で住民説明会がはじまり、詳しい予定ルートなどが初めて示されました。
アストラムラインは、広島市安佐南区の広域公園前駅から、西広島駅まで延伸する計画です。計画ルートの住民に向けた説明会は、きのうから始まりました。説明会では、新たに設置される6つの駅の詳しい位置や構造が初めて明らかにされたほか、延伸区間のイメージ映像が公開されました。
延伸ルートは、現在の広域公園前駅から高架や地上を走って佐伯区の五月が丘団地に入ります。そして、”ジ・アウトレット広島”がある石内東地区へ向かい、そこからはトンネルになります。
己斐峠の地下を通って己斐上に出ると、再び高架を走って西広島駅へと向かいます。西広島駅では、南側広場の上にアストラムラインの駅ができる予定です。
また、歩道がなかったり道幅が狭かったりする場所の多い己斐地区では、新たに片側1車線の車道と、幅が4メートルの歩道を設置する新しい市道”己斐中央線”を整備し、その上をアストラムラインが走る計画です。

松井一実市長(2015年)「広域公園前駅からJR西広島駅までの延伸を、事業化することといたしました」
延伸計画は、2030年前後の開業を���標にしていましたが、コロナ禍の影響もあって需要予測が遅れ、先月、広島市は2036年ごろの全線開業を目指すめざす方針を固めました。総額760億円の巨大事業。今の街並みが大きく変わる可能性があります。
五月が丘団地の住民 「便利になるかなーと、でも12年後なんですよね? なんかかなり先だなーというのが」
「立ち退きになるかならないのかっていうのが早く知りたい。もしなったときに、引っ越すんなら早めに引っ越したいとかありますし」
石内東の住民 「トンネルの部分の説明がきょうすごく聞きたくて、振動とか騒音とかが心配なんで、何m下とか、どのぐらいのところに通すかとかが知りたかったんですけど」
◆スタジオ解説
改めてルートを見ておきます。現在の発着駅である広域公園前駅から、西広島駅までおよそ7キロを延伸するという計画です。計画ルートの周辺には、己斐や五月が丘という大きな住宅地もありますし、広域公園前駅周辺には大学もあります。周辺へのアクセス向上などが整備を進める理由となっています。また、現在はマイカーやバスが主なアクセスとなっている”ジ・アウトレット広島”の敷地の北東に仮の名前ですが”石内東駅”ができる予定です。

大きく変わりそうなのが、ジ・アウトレット広島からトンネルを抜けた先にある己斐地区です。
学生時代を己斐地区で過ごした田村友里アナウンサー 「己斐エリアは、住宅が多くて道幅が狭かったです。主な移動手段はバスで、結構道が混んだりもしていたので、アストラムラインができると便利になるのかなと思います」
己斐地区は、現在のバス通りとは違うルートに、広い新しい道路”己斐中央線”をつくって、その上を高架でアストラムラインを走らせようという計画です。”己斐上駅”と”己斐中駅”という2つの駅をつくる予定です。

開業も2030年前後だったのが2036年に遅れたり、いろいろ心配されている市民も多いのですが、広島市は「丁寧に説明して、理解をいただけるよう努めていきたい」としています。
youtube
アストラムライン延伸計画で住民説明会はじまる 広島市 開業は2036年度ごろの見込み(広島テレビ)2024年3月24日
広島市はアストラムラインの延伸計画を巡り、24日から地元住民への説明会を始めました。
延伸区間の、広島市佐伯区で開かれた説明会にはおよそ320人が参加しました。
アストラムラインは、「広域公園前」駅から「JR西広島」駅までを延伸する計画です。開業は、新型コロナの影響などで当初より遅れ、2036年度ごろの見込みです。広島市は、再開発が進む西広島駅へアクセスしやすくなることなどを説明しました。
住民 「アストラムラインが延伸することを前提に家を購入したので、���きてもらわないと困る。」
広島市は、沿線の3つの会場で来月にかけて24日を含め5回、説明会を開く予定です。

尊富士が110年ぶり新入幕Vの快挙!右足負傷を乗り越え歴史的賜杯、所要10場所の“史上最速V”で三賞も総なめ(TBS NEWS DIG)
尊富士 強行出場で110年ぶり新入幕V!記録ずくめの初賜杯、所要10場所は史上最速 やったぞ!大拍手(スポニチアネックス)
尊富士の母は感涙 優勝の瞬間は「会場の近くでスマホで」「震え止まらず」心配で急遽大阪入りも館内入れず(スポニチアネックス)
大相撲春場所千秋楽の取組が24日、エディオンアリーナ大阪で行われ、東前頭17枚目の尊富士(24=伊勢ケ浜部屋)が西前頭6枚目の豪ノ山(25=武隈部屋)を押し倒しで破り13勝2敗で初優勝を決めた。前日の朝乃山戦で右足首を負傷し、出場も危ぶまれた中での強行出場で気迫の一番を見せた。新入幕優勝は1914年(大正3年)夏場所の両国以来110年ぶりの快挙。初土俵から所要10場所目での優勝は両国の11場所目を抜く史上最速となった。
取組後は土俵上で少し表情を崩し万感の表情。場内から「凄いぞ~!」「良くやった!」「尊富士!」「バンザ~イ!」の大歓声と、割れんばかりの大拍手を浴びながら花道を引き揚げた。花道では関係者が涙する中、笑顔で握手や��い抱擁を交わしていた。
館内に歓声がこだました。勝てば歴史的初賜杯となる豪ノ山との大一番。右足首の負傷を感じさせない五分の立ち合い。そこから豪ノ山の圧力に屈することなく前へ出続けた尊富士は、徐々にペースを握り、最後はこん身の押し倒しで110年ぶりの快挙を手繰り寄せた。
強行出場する息子を心配し、いてもたってもいられなかった。尊富士の母・石岡桃子さん(47)は「心配で急遽来ました。勝ってほしいのと、足が心配なのと…複雑でした。大丈夫かな?という気持ちで見てました。急遽でチケットが取れなかったので、会場の近くにはいたけど、スマホで見てました」とドタバタだった千秋楽の大阪入りを明かした。「今朝9時の飛行機で来ました。顔を見て安心したかったので。(学生時代)毎回いいところまでいった時にケガしてきてたので、それがちょっとよみがえってしまって…。初めての日本一がこの形でって震えが止まらなかった」。これまでを思い返し、言葉を絞り出すと感極まり涙がこぼれ落ちた。
その後、支度部屋で無事対面。偉業を成し遂げた息子と抱擁を交わし再び涙した。
優勝力士インタビューでは24歳の孝行息子が「おかげさんで、僕もそんなに体は大きくないですけど、こうやってしっかり幕内の土俵で勝てるように育ててくれて、感謝しても感謝しきれないです」と母への感謝の思いを照れ笑いを浮かべながら口にした。
年6場所制となった1958年以降、幕下付け出しも含めた初優勝の最速記録は1972年夏場所に初土俵から15場所目で賜杯を手にした輪島だった。尊富士は日大の大先輩でもある偉大な横綱の記録も塗り替えた。
最速新入幕を果たした尊富士は今場所、初日から11連勝。9日目には三役初挑戦で小結・阿炎を下すと、10日目には大の里との新鋭対決を押し出しで制した。11日目には大関・琴ノ若を寄り切りで破り、1960年初場所の大鵬に並ぶ歴代1位タイとなる新入幕初日からの11連勝を達成。出世が早過ぎて大銀杏の結えないちょんまげの24歳があの大横綱がつくった記録に並んだ。
12日目には99年度生まれの同学年の大関・豊昇龍に土俵下まで投げ飛ばされて初黒星を喫したが、「何も考えずに自分を信じてやるしかない」と切り替え。13日目は関脇・若元春を圧倒し、歴史的な新入幕優勝に王手を懸けた。しかし、14日目の朝乃山戦で右足首を負傷。花道を自力で歩けず車椅子で医務室に直行し、ギプスで固定した状態で救急搬送されていた。
尊富士はこの日、午後2時17分、エディオンアリーナ大阪に到着した。14日目の朝乃山戦で右足首を負傷。この日はゆっくりとした足どりで、右足を少し引きずっているようにも見えた。1差で追う大の里(24=二所ノ関部屋)は午後1時25分に会場入りしており、尊富士は通常よりかなり遅めの到着だった。そして、負傷した右足首にサポーターを装着も、しっかりとした足取りで土俵入り。大歓声にも表情を崩さず、鋭い眼光で前を見据えていた。
青森県五所川原市出身で鳥取城北高、日大と強豪校を歩んだ。22年秋場所で初土俵を踏むと序ノ口、序二段、三段目は1場所で通過。今年初場所に新十両に昇進すると13勝を挙げて新十両優勝を果たし、部屋の横綱・照ノ富士とアベック優勝でパレードでは旗手を務めた。
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二篇 下 その九
それより手越の里(静岡市)に着いたら、またもや、雨が降りだして、たちまち前も見えないほどのどしゃぶりになったので、半合羽を取り出してかぶると、足を早めて、まもなく丸子の宿(静岡市)についた。
ここで昼飯にしようと茶屋へ入り、北八が、 「やれ、飯を食おうか。ここはとろろ汁が名物なのか。」 茶屋の中を見まわして言うと、弥次郎兵衛がそれに答えて、 「そうよ、もし御亭主、とろろ汁はありますか。」 それに、茶屋の亭主が答える。 「へい、今、出来ず。」 弥次郎兵衛は、それを聞いて、 「なんだ、出来ねえのか。しまった」 実は、この辺の方言で、すぐ出来ることを今出来ずと言うのだが、弥次郎兵衛は、それを知っていてふざけているのである。
「へいへい、すぐに出来ますから、ちょっと待っててください。」 と、亭主は、芋の皮もむかずに、さっさっとおろしだし、 「おなべや、おなベ。この忙しいにのに何をしている。 ちょっとこっちにこい。」 と、けわしく呼び立てる。 すると、裏口から小言をいいながら出てきたのは、女房とみえ、髪は全然梳かしていないし、背中に乳飲み子を背負って、険しい顔をしている。 「今、弥太のとこのおん婆どんと、話をしていたのに、やかましい人だ。」 亭主それに答えて、 「何が、やかましいだ。ほれ、そこへお膳を二膳用意しろ。 ええい、それ、前だれが引きずっている。」
女房は、仕方がないと言う感じでゆっくりと支度を始めたが、しきりにきょろきょろしている。 「お前さん、洗った箸は、どこにあるんだい。」 「なに。俺が、知るもんか。おい、その箸をよこせ。」 女房が、手元の箸をつかみ上げて、顔の前でぶらぶらさせながら、 「これかい。」 「ええい、箸で芋がすられるか。すりこぎのことだ。 何年この仕事をやってるんだ。ほれ、その膳へつけるのじゃない。 ここへよこせと言うことよ。本当に、じれったい女だ。」 と、すりこぎをとって、ごろごろと芋をすりだす。
女房は、その様子をおかしそうに眺めながら、 「それ、お前さん、すりこぎが逆さまだ。」 「いいから、俺のことはほっとけ。このほうが、キメが細かくなるんだ。 それより、ほら、海苔がこげている。」 と、がみが��と言う。 「やれやれ、やかましい人だ。」 と、背中の子が、泣き出した。 「あらあら、またこの子は、おんなじように吠えだした。」 「おい、このすり鉢を押さえてくれ。 ええい、そういうふうに持ったら、擦られないじゃないか。 まったく、馬鹿な女だ。」 と、女房に言うと、 「なんだって、あんたのほうがよっぽど、馬鹿だよ。」 「なにを、このアマ。」 と、すりこぎで一つ殴ると、女房はやっきになって、 「この野郎め。」 と、さっきまでここの亭主が擦っていたすり鉢を取って投げつけた。 すると、そこら辺りにとろろが飛び散る。 「なんてことをしやがる。」 と、すりこぎを振り回して殴り掛かったが、とろろ汁のせいで滑って、その場にどっさりところんでしまた。 「あんたなんかに、負けているもんか。」 と、女房もつかみ掛かろうとしたが、これもとろろ汁に滑ってこけてしまった。 この騒ぎを聞きつけ、向かいの家のおかみさんが駆けて来て、 「あれまあ、また始まった。みっともないからやめなさいな。」 と、両方をなだめにかかったのだが、これもとろろで滑ってころんでしまった。
三人が体中を、とろろだらけにして、あっちへ滑り、こっちへころんで大騒ぎしている。 弥次郎兵衛は、 「こりゃ、埒があかねえ。先へ行こうか。」 と、おかしさをこらえて、ここを立ち出て行った。
北八は、茶屋をでると、 「変な奴等だ。あのとろろ汁で一首詠んでみた。」
喧嘩する 夫婦は口を とがらして 鳶とろろに すべりこそすれ
それより宇津の峠に差し掛かったが、雨は激しくなる一方で、杖にすがって、峠の細道を歩いていたが、小さな団子を十個串にさした名物の十団子を売る茶屋の近くで、弥次郎兵衛が、思わず坂道で滑りころげてしまった。
降りしきる 雨やあられの 十団子 ころげて腰を うつの山道
その辺りには、岡部の宿場の客引きが待ちうけて、 「お泊りでございますか。」 と、袖を引こうとするので、 「いや、俺らは今日、川を超すつもりだ。」 と、弥次郎兵衛は答える。 すると、岡部の客引きが、 「大井川は留まりました。」 と、増水で川留めになったと言う。 大雨が降ると、川越しは危険として通行が禁止される。 これを川留めといい、雨が止んで水位が下がって、川越しが許可されることを川が明けるといった。 「そうか。この雨じゃ無理もないが。」 と、北八が弥次郎兵衛の方を見ていう。 「さようでございます。先へいかれても、お大名様が五組、島田と藤枝にお泊りでございますから、あなた方の泊まれるような宿はありません。岡部で、お泊りなさいませ。」 弥次郎兵衛は、仕方がないというふうに、 「そんなら、そうするか。」 と、北八と、顔をみあわせる。 「で、お前、何屋だ。」 「はい、相良屋と申します。すぐ、お供いたしましょう。」 と、連れ立て行き、早くも大寺河原の坂道を越え、岡部の宿場に着いた。
豆腐なる おかべの宿に つきてつく 足にできたる 豆をつぶして
��人は、この宿場に泊まって、川留めの明くまでしばらく旅の疲れを癒すことにした。
これで、二篇 下は終わりです。三篇 上に続きます。
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937 底名無し沼さん (ワッチョイ a72b-CyVu [220.247.41.179]) 2023/08/17(木) 13:43:52.84 ID:anAEmUep0
涼しくなったら東吾野で下車して顔振峠に登頂し吾野駅から電車で帰宅したい。
吾野駅周辺にご飯食べる所ないかな。地元の食材か蕎麦を食べながら日本酒を一杯やりたい
938 底名無し沼さん (アウアウウー Sa6b-GMim [106.128.62.95]) 2023/08/17(木) 18:40:57.96 ID:sWuoQpbga
>>935
あーわかるわかる
参道と杉林の組み合わせっていいよね
旧峠とか山城跡とか、里山は人の手が入っているからこそのロマンを感じる
939 底名無し沼さん (ブーイモ MM9e-Fsiw [163.49.208.100]) 2023/08/17(木) 20:20:03.72 ID:JZykCGUyM
>>937
おそらくイメージしている様な店は山上の2軒の茶屋しかない
酒は我慢してそこで雰囲気を味わうか、吾野駅なら美晴休憩所の普通のうどんと缶ビール
940 底名無し沼さん (ワッチョイ afdf-PPqB [222.227.182.87]) 2023/08/18(金) 03:53:10.81 ID:E7lkItng0
顔振茶屋のおじさんとビートルズやローリングストーンズの話しながらビール飲むの好き
941 底名無し沼さん (ワッチョイ a72b-CyVu [220.247.41.179]) 2023/08/18(金) 12:19:16.88 ID:GbJT4IOV0
山頂でビール飲んでしまったらどうやって帰って来るんですか。
誰かにおんぶして下山するとかですか。
飲酒しての登山/下山は禁止ですよ。
酔っ払い運転に準じる悪質行為です。
飲酒して下山途中に崖から転がり落ちても救助隊に救援を頼むんでしょうね。
救援隊も我が身の危険を感じながら救援に駆け付けるのです。
低山と言っても山を舐めたらいかんぜよ。
942 底名無し沼さん (ワッチョイ e657-0GSK [153.171.215.157]) 2023/08/18(金) 14:33:03.77 ID:G21Dc0np0
かあふり峠からなら車道歩いて帰ればいい
943 底名無し沼さん (ワッチョイ 16e3-RsQ3 [113.149.183.1]) 2023/08/18(金) 15:14:38.70 ID:/OHDtkEf0
>>941
顔振峠てそもそも山頂なの?
1回だけ歩いたことあるけど覚えてないや
944 底名無し沼さん (アウアウウー Sa6b-PPqB [106.146.28.194]) 2023/08/18(金) 20:04:49.60 ID:5TbUSYdJa
>>941
顔振峠から吾野駅ってそんな危ない道かい?
あれくらい歩けないとアメ横で飲んで電車乗って最寄駅から自宅まで歩いて帰れないと思うんだが
気に入らないなら顔振茶屋と平九郎茶屋に行って酒出すなって言ってきなよ
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Cairns Ironman 2023 Race
アイアンマンレース@ケアンズ オーストラリア 2023/6/18 レース編
ケアンズでのアイアンマンレースのため、23年ぶりにオーストラリアへ。熱帯モンスーン気候帯に属するということで暑いと思いきや、冬季の快適な気温・湿度感にものすごく癒されてきた。アジアの熱に慣れている自分からすると、25度前後のレースは快適としかいいようがない。
6月15日木曜日の午後にシンガポールを出発、パース経由かつ夜行便で金曜の朝にケアンズに到着する、という謎の行程で現地入り(バイクをもって、トランジットはなるべくしない方がよいのに…)。こじんまりとした街が総出になって、アイアンマンレースを盛り上げてくれた。 前日・前々日から街中、いたるところにランナーやサイクリストがたむろし始めるのは見ていて励みになる。トランジションの場所が2か所、双方離れていることもあって、幾つかチェックインの作業を済ませなければならないんだけど、両日ともわりとリラックスできたと思う。特に金曜日の夜は、前夜一睡もできなかったために、ものすごくぐっすりと眠ることができた。金曜にウォーキングとプールでのスイム、バイクの試し乗り、土曜日に30分ジョギングをして体を暖めてた。
今振り返っても、本当に大変なレースだったんだけど、挑戦してみてよかった。アイアンマンぐらいすごいレースだと、なんでやるのか?という動機がみんなそれぞれあるんだろうと思う。Jacques Steinberg が書いたYou Are an Ironmanという本を7-8年前に読んだんだけど、参加者は三者三様にそれぞれの思いや理由をもって、この挑戦に立ち向かうことを知った。果たして僕の動機は?,ということだけど…それと、この挑戦を達成した後に見えた景色はどんなものなのだったのだろうか?一言では言えないし、それはひとつでもないと思う。さらっと言えちゃう動機、ではなくて、むしろその大部分は”なんとなく楽しそうだから”、というふわっとした応えのような気がする。そう、一番の理由はそれで良いと思う。だから笑顔で終われたことこそが、何よりも楽しんだことの証明なんじゃないかな。

スイム 3.8km
スイムのスタート地点はケアンズ市内(メイン会場)から車で30分ぐらい北のPalm Cove。予約した送迎バスに揺られ、朝5時半ぐらいにトランジションに到着。大体1時間半ぐらいかけてゆっくりとバイクの最終調整、ワセリン塗ったり、トイレ・着替え・準備体操をして、その後は波打ち際で試泳。そのぐらいになると徐々に明るくなってくる。素晴らしく良い天気。気温もよい具合で、むしろ僕のノースリーブのウェットスーツがちょうどいい気がしたぐらい(ほぼ9割以上は袖ありだった)。前日に試泳���てなかったから、この時海に入れたのはよかった。緊張がほぐれる。

7時40分からプロがスタートして、僕が出発したのは50分ぐらい(カテゴリー2)。ドキドキの中、ローリングスタート。水中ではぶつかったり押し合ったりもなく、わりと無難にスタートした感じ。
スイムは全体的にタイムの出やすいコンディションだったと思う。63分というのは台湾でのレースと一緒のタイム。1m1秒のペースは、やっぱり海流が味方してくれないと出ないと思ってる。今思えば、波の向きが露骨で、泳ぎやすいところとそうじゃないところがはっきりと別れるコースだった。例えば沖合に出れたら流れが弱いとか、沖に向かってる時は進みづらい、みたいに。水質はあんまり良くなくて、腕の先が見えないくらい濁ってる。恐怖心が削がれるっていう意味で、それもありかなと思った。だけどそのせいでドラフトがしずらい…あとは、右側でしか息継ぎをしない僕にとっては、反時計回りの3.8キロはやややりづらいんだけど、前方目視をこまめにしたせいか、そこまで���ースを外れることなく、泳げたと思う。
ウェアに関しては、下だけちゃんと履いたトライスーツの上から、ウェットスーツを着てた。袖ありのトライスーツは腕のあたりの擦れが辛かったから(ダバオでの経験)、なるべく着たくない。あと、ウェットスーツがノースリーブだから、袖ありトライウェアが下から見えるのはかっこ悪いかなと。そういう理由もあって、トライウェアを下半分だけ着て、残りは丸めて腰の辺りに収納して泳いでた。練習でもこの方法を試して問題なかったから大丈夫だった。1周周り終わる頃にはむしろ名残惜しい、と思うほど快適で最後の1キロぐらいの直線もぐんぐん疲れ知らずで行けた。

バイク 180km
トランジションはすごくゆっくりだった。バナナとアミノバイタル食べながら、アームカバーとか手袋つけたり。これから長い長いバイクが始まるんだと思うと若干憂鬱だったかも。バイクコース、全然予想していたのと違うじゃん…というのがバイク始まってすぐの感想。デサルーの時のようなフラットなものを想像していたのに、初っ端から続くアップダウンの連続。結構がっつりな峠もあるし。乗り始め、ということと、追い風、という条件もあって、はじめのうちにかなり勘違いのスピードが出てた。ドラフティングの反則も気になったせいか、遅めの人を意識的に抜かしたりもしてた。あの時は、体力温存のために力を少し抑えめに行くのが正解だった気がする。すごくシーニックなコースだと思うんだけど、もう気が気でなくて、ほとんど景色なんかみてない笑。早いところでは時速55㎞以上出てたみたいだし、あまりよそ見をできる状況じゃなかった。北に40㎞弱進んだところで折り返し、風向きが変わる。そこから一路、上り坂と風のダブルに悩まされてかなり体力を使ってしまった。1周目終わったあたりで(80㎞ぐらい)、もういい加減やめたくなってきたのが正直な思い。体力が最後まで持たないんじゃないか、というリアルな恐怖を感じてた。でもそうも言ってられないから、ちゃんと計画通りに栄養補給したり、下り坂でうまくスピードを捕まえたりしてなんとか体力をキープしてた。後半にかけては抜かされる一方。凸凹道が終わる150㎞地点以降は、フラットな幹線通りを一路ケアンズ市内に向けて走っていく。思っていたほど、向かい風が強くなかったこととフラットな道に救われて、最後までぎりぎり足が動いてくれたことに感謝。ラスト30㎞はほぼ泣きべそ状態で、一刻も早く終わってくれーと懇願している感じ��った。この頃になると、理性的な判断が鈍ってきて、食べる物も好きな羊羹とマグオンだけになってた。幸いバイクに何事もなく180㎞走破してくれたし、足や体も特に痛みもなく、トランジション2にたどりつけた。その時はどっと安堵したのを覚えている。半分ちょっと過ぎまでは時速30㎞をキープしてたんだけど、さすがに後半はばてたね。それでも6時間10分はかなり予想していたよりも速いタイムだったから嬉しかった。

ラン 42.195km
もちろんバイクをやってる頃は、そのあとのランのことなんて一切頭になかった。体力を温存しておく、という考えがあるわけもなく、そのままランへの準備を開始。ここでもアミノバイタルを食べ始めながら、腰ベルト、ゼッケンベルト、カーフスリーブ、キャップ、五本指ソックスを身に着けて、早速出発へ。トイレに立ち寄った(上にサングラスを便器に落とした…から水で洗ってた)時間が加味されているから、トランジションは10分とすごく長くなっている。ランを開始してすぐ、目の前を一位でゴールしたプロのBraden選手が通り過ぎていって、一気に歓声があがった。まじか、、と思った。でもおかげですごくテンションが上がった;頑張ろうって。不思議なことに、バイクの疲労感は一切感じなくて、体の痛みも何もなかった。気温と湿度も影響しているのかもしれないけど、まさに快適そのものだった。逆に、スピードが出すぎないようにすごく気を付けてた。10㎞を4周するコースだから、きっと勝負は3-4周目だろうって感じてた。逆に1-2周目はすごく快調で、いつものごとく、水・コーラ・氷をエイドステーションで調達して、快晴のウォーターフロントと公園を走ってた。30分おきにエネルギージェルもとるようにして(羊羹・マグオン・塩キャンディ・塩タブレット)、いっぺんに食べちゃうのではなくて、10分以上かけてゆっくりと接種してた。お腹を壊して立ち止まってる人も周りにちらほらいたから、それを避けようと思っての対策だった。あとやったのは、肩と首を1キロおきに回すこと(肩こり対策)、氷の入ったコップを持ちながら走って、溶けた冷たい水を膝や太ももにかけてた(足攣り対策)。30キロ以降は自然な流れでスピードが落ち込んできてた。大体6分40分ペースで走っていたと思う。もちろんスピードを持ち直すことも考えたけど、それはやめといた。日が沈んで、真っ暗な中で走る4周目でつぶれるのが怖かったから。結局、お腹も足も何も故障せずに、最後までいけそうなところまできてた。スタート地点を通過するたびに、ゴールする人たちの歓声が聞こえて、もらい泣きしていたぐらいだから、自分の時はさぞやばいだろう、と思ってた笑。沿道のお客さんの盛り上がりもよかったし、Donnaがハイタッチしてくれるおかげで、気分は最後までめげなかったのかも。そして、最後の直線入ったあたりからが、もうやばかった。笑顔と涙でハイタッチしながら最後のフィニッシュを迎えた感じ。Kenya Endo, you’re an ironman! と言われたときは心の底から嬉しかった。今でも忘れない。タオルをもらって、日本のスタッフさんに労われて、顔クシャクシャだったはず。ランのタイムは4時間17分。キロ6分ちょっとのペースだった。総合タイムは11時間50分で、12時間を切れたことは素直に驚きだった。レース終わった直後は、ゴールエリアで15分以上放心状態で、まったく動けず…でもケアンズの夜はもちろん濡れたままいるには寒すぎて、しばらくしたら、震えが止まらなくなってきてた。友人がゴールするまでの間、いったんホテルに戻って、温かいシャワーを浴びたとさ。



まとめ
それ以降のことはもちろん夢心地。筋肉痛はひどかったけど、でも大きな達成感があったから、すごくハッピーにケアンズでの残りの時間を過ごしていた。翌日午後4時のフライトに乗るに合わせて、月曜日の午前中はバイクパッキングがメインで、あとはメタスポーツから参戦していた3人でシャンパンランチをいただいてた。無性に肉が食べたくなって、メインを二つ頼んだんだけど、分量は全くもって問題なかった。

大会自体に関して、とてもよくオーガナイズされていて、参加してよかったと思ってる。アジアオセアニア地区のチャンピオンシップレースということで、結構強豪が多かったんじゃないかな。日本からもたくさんの人が参加していたよう。大会ホテルのシャングリラに3泊したけど、ここもまあ快適だった。朝飯はついていなかったので、スーパーに買いに行ってパン・ハム・チーズ等を適当に食べてた。
幾つか細かいことを列挙すると、Personal Needs Bagは両方とも結局使わなかった。まあ保険としてはありかなと思った。
タイミングチップは靴下の上からしめるのがおすすめかもしれない。地肌に直接結びつけていたら、擦れて終わったとき血まみれになってた…
バイクバッグ・ランバッグを前日にチェックインしないとならないのだけど、その日の夕方(レース前日)に雨が降ったので、できればビニール袋にいれるのがベストだと思った。
空港から市内までの送迎は、僕は行きは空港付属のTransfer serviceを使って30ドル(乗り合い)。帰りはUberを使って同じぐらいの値段。
ケアンズはグレートバリアリーフにも近いし、山も海も楽しめるエンターテイメントがあるようだから、次回あるとしたらもう少し長居してもいいかなと思った。

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テント泊装備で奥武蔵縦走

奥武蔵を縦走ついでに「歩荷練習も兼ねてしまえ!」と、元々は日帰り装備で歩く予定だったロングコースを大荷物で歩いて来ました。
武蔵横手駅からスタートし、愛宕山から北向地蔵、越上山、顔振峠、黒山三滝、関八州見晴台を経由して西吾野駅へ下りるという20キロ強の道のり。 今思えば、完全に無理のある(無謀な)計画でした…。 途中、辛過ぎて何度「エスケープ」の文字が頭を過ぎったことか。
写真は、最初に登る愛宕山。 武蔵横手の駅を出るなり進む方向を間違えて、この日最初のロスト。

住宅街を抜け、水の綺麗な川を渡ります。

YAMAPの地図とGPSでは横断歩道を直進となっていたけれど、正面にはお寺。 進んで良いのか迷っていると可愛い丸太の人形が方向を教えてくれました。 そうだ、だれかの日記で見たことがある…名前は確か「あたごくん」!

お寺の境内を抜けて鐘撞き堂の前を通ると、 鐘付き中の住職さんから話し掛けられ、案の定荷物について聞かれました。 そりゃこんな所でテント泊装備を背負って歩いていたら気になりますよね…。
鐘撞き堂の脇の道を突き当たりまで直進すると、愛宕山への登山道の入口。 私は間違えて鐘撞き堂のすぐ後の池のところで右折して お墓の敷地に入ってしまい、本日2回目のロスト。

先ずは栗林の中を歩いて行きます。

鉄塔の脇を抜け、ここからが本当の登山道。 害獣除けの高圧電流を跨ぎます。 こんなに低いと動物も飛び越えられるのでは…?

雨上がりで滑りやすい急坂を登り切れば、最初のピーク、愛宕山。 標高250m。山頂には神社の祠と鳥居があります。

ここにも丸太の可愛い人形。馬、笑ってる〜。

ベンチには小さなテーブルも付いています。

ここからは細かいアップダウンの繰り返し。 途中、子どもの背丈ほどもある大きなウラジロシダ(裏白羊歯)が。

2座目、水晶山。え、まだ標高266m。結構アップダウンあったよ???

3座目、深沢山。標高350m。ジリジリと上がっていきますね。

十字路に再びの「あたごくん」。

沢山峠の十字路を通過して…

4座目、西大峰。標高391m。あんまり上がってない…。

またまた「あたごくん」登場。ここの子は名札付けてます。 で、あたごくんの指さす方へ行くと戻ってしまうので、私は北向地蔵へ。

途中、斜面一面がウラジロシダに覆われたゾーンがありました。

お久し振りの北向地蔵。今日の安全を祈願しました。
ここのベンチで5分ほど荷下ろし休憩。 休んでいると、目の前の山道へ入っていくトレランの方がいたので 私もつられてその道へ入ってしまったのですが…

あれ?また愛宕山? そう、ここは通る予定じゃ無かったピーク。一応5座目。標高不明。 予定していた林道と並行に道が続いていて、元に戻れたから良かったものの、 これも一種のロストと言うことで、本日3回目。

6座目、スカリ山。435m。ここで先にいたトレランの男性と暫しお喋り。 この後、新宿で「トップガン・マーヴェリック」を観るのだそうで。 凄い…私は山の後で映画館に行く元気は無いな〜。

スカリ山からは武甲山の横顔も見えました。

スカリ山からは急な岩場を下って行き、7座目の茶嶽山。標高450m。 ちなみにYAMAPでは茶ノ岳山と書かれています。
この後、いったん林道に出て舗装道路を歩くのですが、 登山道への入口を見落としてズンズン進んでしまい引き返しました。 これで本日4回目のロス。 今日は荷物の重さに気を取られて分岐の確認をし忘れてばかり…。

気を取り直して8座目の蟹穴山。標高460m。

ユルユルの道を進むと、突然開けた場所に出ました。

眺望はなかなか良いけど、日焼けしそう…。

その先には、コアジサイ(小紫陽花)ロードが待っていました♬

その先の岩場を登って行くと、9座目の越上山(おがみやま)。標高566m。
実はここ、2014年に初めてのボッチ登山で訪れた記念すべき山でして。 その時は顔振峠からユガテへ抜けるショートコースでしたが、 初のソロ山行で当時の私にはドキドキの大冒険だったのを覚えています。 特にその時は山頂に誰も居なくて(ソロの男性が一人来たけど)、 眺望も無くて寂しいお山…という印象でした。
でも今日は山頂手前の危険な岩場を越える前から賑やかな声が…。 シニア5人組の皆さんがランチ中で、またもや荷物について突っ込まれ。 私も荷物を下ろし、立ったままランチを頬張りつつ皆さんと暫しお喋り。 この夏行く予定のアルプスや八ヶ岳について色々と教えていただきました。
別れしな「頑張ってるご褒美」とバウムクーヘンまで頂いて…。 「何だか新1年生のランドセルみたいだな!」というお声も 背中でしっかり聞いておりましたよ〜(笑 そんなにヨタヨタしてたかしら…?

越上山からの下りが結構急で、顔振峠に着く頃には足の裏がジンジン痛く…。 8年前に来た時は時間が早くて誰も居なかった峠、今日は賑わっていました。 そうか、もう昼過ぎだもんね…。もうここでやめて帰っても良いけど…。

とりあえず、黒山三滝へ向かう道へと入り、展望台方面を振り返ります。 止めるなら今だけど…。でもでも、行っちゃえ!

顔振峠からは砂利道を沢沿いに下り、川にぶつかると舗装道路に合流。 左手にズンズン下って行くと、渋沢栄一の従弟(かつ見立て養子)、 渋沢平九郎自決の地がありました。 「青天を衝け」の悲しいシーンを思い出し、思わず手を合わせて参りました。

更に下ると、漸く黒山三滝の入口に到着! 日本観光百選なのか…埼玉に居ながら、その存在は去年知りましたよ私。

滝へ向かう道沿いに咲いていたユキノシタ(雪の下)。 有り難いことに、この道沿いにはトイレも自販機もありました。

迎えの滝。暑い日だからか、駐車場は観光客の車でいっぱいでした。

小天狗滝(こてんぐだき)。 奥まで何段か続いているようでしたが、乳幼児連れのファミリーが何組かいて、テント装備ではすれ違えそうにないので諦めることに。
三滝全てを廻っていると時間的に厳しそうだったので、この小天狗滝の少し先の分岐から関八州見晴台方面への山道に入り、沢沿いの木陰で10分ほど休憩しました。

長いロードを歩きを挟み、沢沿いの道を歩いていると目の前を茶色い物体が! 大きな雌鹿が登山道を横切り、対岸からこちらを伺っていました。 カモシカには何度か遭遇したけれど、奥武蔵の山に鹿がいるとは…。 動��してカメラの向きとピントが合ってませんが、何とか写ってますね。
見つめられて、小さく手を振ってみたら「キョーーーーーン!(文字化するのが難しい音)」と2回ほど大きく嘶いて、元来た斜面へと戻って行きました。
ハァ〜、ビックリした! けど、何だか元気をもらえたのか、そこからはハイスピードでガツガツ歩くことがで来ました。ありがとう、鹿!!!

花立松ノ峠を越え、またロード歩きを挟んで再び登山道へ。 この尾根を歩いている時は吹く風が冷たくて風邪を引くかと思いました。

そして緩い道に出たと思ったら…あの明るさは、山頂ですかね?

正解!3年振りの関八州見晴台です。標高771.1m。 10座目にして、本日の最高峰!低い!

ここに登るといつも山頂がガスっていて全然見晴台って感じじゃ無かったけど、今日は都心部など遠くまでよく見渡せました。

そして山頂の手前はカルミア(アメリカシャクナゲ)ロード。
もう14:30だけど、ここで残りのランチを平らげました。 今日は疲れすぎていて、あんまり食べてなかったな〜。

さぁ、後は駅に向かって下るだけ。 先ずは丸山(展望台がある県民の森のとは別物です)のピークを越えて…

高山不動まで下ったら…

パノラマコースを下って、この看板の右下の道へヘアピンカーブで下るのですが、私は間違えて道なりに進んでしまいました(しかも右下に道があるのに気付いていたのに、今来た道の迂回路だと思い込んで…)。
名もなきピークを3つも越えてから「待てよ?ここまで下って来たのに今さらこんなにピークを越えるのおかしくないか?」と気付いてGPSを確認。 ヘロヘロになりながら、このムーミンの標識まで引き返したのでした。 これが本日5回目、最後のロスト。大荷物なのに、ロスト多すぎ!

パノラマコースっていう割には眺望良くないな〜と思っていたら、 急に視界が開けました。ARによればアレが川苔山だというんですが、怪しい。

何とかパノラマコースの入口まで辿り着きました。 ここは観光案内所、兼、お休み処だそうですが、どうやら無人のようでした。

沢に沿ってひたすら歩き、最後に急坂を登れば西吾野駅にとうちゃこ〜! トータル21.4キロ。5回ロストした分だけで、優に1キロ越え。 いや〜、今日は本当に無駄に歩いた。腰骨にはザックの痕がクッキリでした。 良い子のみんなは、絶対に真似しないでね〜!
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顔振峠 ~ 和食と豚みそ丼 ちんばた (ベストオブ豚味噌丼👍️✨) わい『FLHXでここ大丈夫ですか?』 ↓ ハーレー『曲がれ無いので皆さん先行って下さい』 ↓ わい『下り、先行ってゆっくりで大丈夫ですよ~』 ↓ わい『。。。。!!!』『おいてかないで(泣)』 #harleydavidsonmotorcycles #cbr650r #cbr250r #ftr223 #バイクツーリング #秩父グルメ #顔振峠 (和食と豚みそ丼 ちんばた~亭端~) https://www.instagram.com/p/CbSxbz-pbje/?utm_medium=tumblr
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#顔振茶屋 #顔振峠 #埼玉ドライブ #fujixpro1 #voigtlander35mmf25 #voigtlander https://www.instagram.com/p/CIfE7esgnYo/?igshid=6x5es6es4d1l
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#sign #関東ふれあいの道 #顔振峠 #吾野駅 #ig_japan (吾野駅) https://www.instagram.com/p/B3HgDJFFS-y/?igshid=776wehvw8tyn
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生命の樹~Tree of Life~
今きみと別れ行く峠道に春風が吹く はなむけの詩と祝杯で送ろうじゃないか 花びらを撒いてきみの門出を祝おう きみの背中にしあわせよ降れ 心残りなどここに置いて行け 黄昏は近いが道はまだ続く ひとがきみを忘れても 足跡はきみを忘れない いつものように笑って胸を張れ 負けないで行け 今きみとの思い出が 走馬灯のように駆け抜ける はなむけの詩に一しずく涙を添えて 仲間達と共にきみの門出を祝おう きみの行く手にしあわせよ来い 悔し涙なんてここに捨てて行け たとえ日暮れても道はまだ続く ひとがきみを忘れても 僕だけはきみを忘れない 懐かしい笑顔でいつも振りむけ きみらしくあれ 心残りなどここに置いて行け 黄昏は近いが道はまだ続く ひとがきみを忘れても 足跡はきみを忘れない いつものように笑って胸を張れ 負けないで行け 負けないで行け 負けないで行け 負けないで行け 負けないで行け ―――――――――…
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ツミツミしました。 #登山 #ハイキング #越上山 #顔振峠 #道を間違え予定と真逆に到着 https://www.instagram.com/p/BwwSjkAnKIzWGzgPTrmsaSws5Rf0mEzBf5hb7o0/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=wj46pisjgze3
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顔振峠は何度も振り返りたくなる原風景です。 #風景 #日本の風景 #japan #lovers_nippon #landscape #奥武蔵 #顔振峠 #景色 #原風景 #癒し
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白石にある秀岳荘でエレベーターを待っていたら「バイクのおじさん」と呼びかけられて振り返ると目線の下に3歳くらいの男の子がいた。「バイクの、、おねえさん♡」と返すと顔をじっとみられる間があった。子どもって目が大きいよな、と思っていたら「バイクのおねえさん、どこいくの?」とその目がキラキラし始めた。
もっと粋な返しをして、その子が将来バイク乗りとなるように仕向ければ良かったとバイクで帰る途中に思ったけれど、わたしのヘルメットを持つ後ろ姿でバイク乗りだとわかった男の子だ。きっと、その子の近くに“バイクのおじさん”がいて、楽しくてワクワクする記憶があるのだろう。わたしが仕向けなくとも、15年もすればバイク乗りになっていると夢見しながら待っていようと思う。
バイク乗りの中で女性は1割程度だという。男の趣味かもしれないが、“カッコいい”に性別は関係ない。しかも、一般人がイメージする何倍もバイクには楽しみ方がある。膝が擦れるんじゃないかと思うくらい(実際のところレーサーは膝を擦る)峠道を攻める人たちもいれば、わたしのようにトコトコ走る人たちもいる。バイクをいじるのが好きか、乗るのが好きか、みるのが好きか、バイク乗りである自分が好きかでも、バイクとの付き合い方は変わってくる。
世の中に楽しくて面白くて愛おしいことは五万とあるから、バイクを乗らないなんて後悔するなんて一切思わない。けれど、バイクに乗って後悔はないとも思っている。少しでも興味があるなら尚更のめり込める趣味だと思う。けどわたしは興味なかったけれど、「元彼がバイク乗りたいって言ってたからわたしが先に免許取���!」と中指立てながらバイクに乗っていたらハマってしまったたちだ。バイクに乗ってふと見上げた時の木漏れ日や季節の匂い、突然見える川や湖に心踊る。アクセル捻ればバイクはちゃんと応じてくれて、わたしを風に乗せてくれる。ハンドルじゃない、体の傾きと目線でカーブするのなんて踊っているみたいで楽しくなってくる。生憎そんなきっかけをくれたその元彼はバイクには乗らずにパパになっている。その子どもの成長を見守る愛しさはわからないけれど、そっちの人生も豊かだろう。スマホの待受画面がバイクだろうが子どもだろうがかけがえないことには変わりない。その上でバイクを嗜む人生に出会えてわたしは本当に良かったと声にする。

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二篇 上 その二
それから、二人はしばらく歩いて兜石というところに着いた。 この兜石には源頼朝が兜を置いたと言う由来がある。 そこで、弥次郎兵衛が一首詠む。
誰がここに 脱ぎ捨ておきし かぶと石 この難所にて 降参したのか
さて、二人は、更にその先に歩いて行って、山中という小さな町につく。 ここは道の両側に茶屋が軒をならべている。 「休んでいきなされ。関西から持って来た名物もたくさんあります。 それ、餅をあがりなさい。それ、一膳飯をあがりなさい。 休んでいきなされ。休んでいきなされ。」
その声につられるように、弥次郎兵衛が、 「北八、ちょっと休んで行こうか。」 と、一軒の茶店へ入る。
この家の庭の衝立てで囲ってあるかまどの前に、かごかきの人足たちがたむろしている。 布団を体にまいた者もあり、つないだ渋紙やあるいはござをまとった者、合羽を看た者などが、寄り集まって火にあたっている。 かごかきの人足たちは、普通一年中、殆どふんどし一本の裸で暮らしているだが、どういう訳か、ここの人足たちは、めいめいいろいろなものをまとっていて、珍しい。
すると表の方から竹の煙管をくわえた人足がずいっと入り込み、 「まったく、手におえねえ馬鹿野郎だ。 赤熊とどぶ八の奴等、峠まで長持(六百文)で客をのせたそうだ。」 それを聞いた別の人足が、 「ほう、それなら、酒代に、四十か五十文ぐらいふんだくろう。」 と、言うと、また別の一人の人足。 「おお、そりゃいい。それより、こいつを見ろ。 どうだい、このオシャレぶりは。紋付ときたもんだ。」 と、指差す方をみれば、そこには、なにやら、紋の入った菰をまとっている人足がいる。
「なあに、昨日、小田原の甲州屋でな、やっとのことで筵を一枚もらって着たんだ。 でも、あんまり裾が長くて、まるで、お医者さまのようだとみんなが言いいやがる。」 と、頭をかきかき照れくさそうに答える。
<二五の三文> そんな様子を見ていた、弥次郎兵衛と北八は、この連中の話を面白く聞いていた。 やがてここを立ち出て街道を行くと、長坂、大時雨と言うところのあたりから、旅人が一人、後になり先になりして行きだした。 その旅人は、紺の木綿の合羽を着て、風呂敷包と柳行李を振り分けに肩に引っ掛けて、旅なれた様子だ。 この男の名は十吉という。 その旅人の十吉がつい話し掛けてくる。 「あなた方は、どこから来たのでございます。」 弥次郎兵衛は、その丁寧な物腰に、 「私ら、江戸でございます。」 と、言うと、十吉は、嬉しそうに、 「私も江戸でございます。で、あなた江戸のどの辺でございます。」 「神田でございます。」 と、聞くと、十吉は、また嬉しそうに、 「神田には私もおりましたが、なんだかあなた方を見かけたことがあるような気がする。 神田はどのあたりでございます。」 というのを、弥次郎兵衛、生来のいたずら心がおきてきて、 「神田は、八丁堀で、私の家は栃面屋弥次郎兵衛と言って、間口が二十五坪に裏庭が四十坪、土蔵づくりで、かなり大きな屋敷でございます。」 「ははあ、その店の裏でございますか。」 「いやいや、裏には、店はない。 私が商っていて、そこに住んでいます。」 十吉は、うすうす嘘だということに気がついたらしく、 「へえ、そんなら、例の土地家屋の売買に必要な証文には、いくらと買いてあります。」 「ええと、たしか千八百両だったと。」 十吉は、驚いたように、 「では、お前様は、それを売る仲介でもしているのですか。 それなら、私も売る手伝いをするので、手数料は、折半と言うことにしましょうか。」 「なんだ。お前は、何を言ってるんだ。」 と、弥次郎兵衛が戸惑っていると、 「いえ、私は、土地の売買のお話かと思いまして。」 と、十吉は、答える。
弥次郎兵衛は、顔の前で手を振ると、 「俺が言いたいのは、そんなことじゃねえ。まあ、いいや。 俺らが、旅に出るときは、本来なら、供の五人や十人は連れて歩くんだが、 それじゃ、気が休まらないんで、今回は、この男一人連れて、物好きのにも、二人旅人としゃれ込んだんだ。」 それを聞いていた十吉は、ぽんと手を打って、 「そういえば、 あなた様のおふくろ様をお見掛けしたと思いますが、あれは、たしか、浅草だったと思いますが、何やら、包を下げて杖にすがって歩いていた。」 「ははあ、それは、大方、寺参りにでも行った時の事だろう。 で、お前さんは、何か言葉をかけたのかね。」 弥次郎兵衛は、とまどいながらも、答えると、 「わたくしが、声をかける前に、見つけて、駆け寄ってこられまして、はて、どうしたのかと思っていると、一文おくれと、いわれたんです。」 と、十吉は、すまなそうに答えた。
その様子を黙って見ていた北八が、大笑いする。 「ハハハ。」 弥次郎兵衛もつられて笑うと、 「いや、お前さん、なかなか冗談がうまい。」 「面白い。どうだ、今夜俺たちといっしょに泊まらないか。」 と、北八がさそう。 十吉に、不満があるはずもなく 「いいですよ。」 と、すっかり気が合って、それからは道すがら、互いに洒落冗談を言い合い、やがて、国沢に着いた。
つづく。
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