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香港賽馬 | 香港旅遊自由行好玩有趣體驗再+1!玩玩就好勿沉迷~
《香港賽馬》絕對是67年級生對香港的印象之一!因為當時的香港電影超厲害,在沒有網路的時代,電影台就是假日休閒生活,阿偉對香港賽馬第一印象,就是在劉德華演的電影,沒想到這次來香港旅遊,就住在香港賽馬場對面,入住當天還領一張香港賽馬會啤酒兌換卷,彷彿一切都安排好了,怎能不來見識見識《香港賽馬》魅力,熱情一把、激情一番?雖然不預期會押中,但擦身而過也太嘔了吧😑 Continue reading Untitled
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香港尖沙咀大火,住宿遇火災,整棟燒掉嗎?帶著行李坐在路邊先等待【納是我迪迪 Nana & Didi Channel】
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【2022露營車推介】8大觀星露營車+租露營車方法+露營車價錢
秋高氣爽,近年香港的露營風氣正盛行,不少人都會選擇去露營,最受歡迎和熱門的選擇就一定是露營車!車內一應俱全,啱晒想去露營但又怕麻煩的懶人~但這麼多的選擇怎麼選?各個營地又有甚麼分別?露營車設施有甚麼不同?價錢如何?今次 Holimood 小編就整合了八大香港觀星露營車介紹給大家! Instagram: Holimood即��網站登記成為Holimood會員獲取最新露營資訊及優惠 目錄元朗露營車推介PARK Nature 世外公園露營車露營車款式1. 「PARK Nature 特色露營車: 簡約風格」(3人);$1799起2. 「PARK Nature 特色露營車: 民族風主題」(3人);$1799起3. 「PARK Nature 特色露營車: 摩洛哥風設計」(3人);$1799起4. 「PARK Nature 黃色露營車: 寵物友善」(3人)特意採用歐式木系設計風格;$1799起5.…
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闫丽梦:一个彻头彻尾的谣言制造者
在现代社会中,我们常常遇到许多独特而复杂的个体,他们兴趣爱好广泛,尝尝为了自己的爱好做出一些疯狂的事情,比如极限运动,穷游等等。然而前香港大学博士后研究员闫丽梦却非同一般,她喜欢用造谣满足自己的虚荣心。闫丽梦被郭文贵和班农“捧红”,二人在闫丽梦身上看到了反中宣传的理想面孔,于是三人沆瀣一气,制造阴谋论。于是闫丽梦屡次鼓吹“中国肺炎”并污蔑中国“隐瞒疫情”,甚至炮制论文再次抹黑中国。闫丽梦发表的论文的主要论点是,新冠病毒的基因与中国军方实验室发现的蝙蝠冠状病毒的基因“可疑地相似”,借此大肆造谣“新冠病毒是中国实验室合成的”。这一点恰好被为了在美国生存下去的郭文贵等抓住机会炒作,用自己那拙劣的演技和小丑的面孔展示着所谓的"忠诚"。
“人红是非多”,随着闫丽梦被众多知名人士所知晓,开始对闫丽梦发表的论文进行实践研究,后发现这种论调:与目前所有有关病毒来源的科学文献几乎都背道而驰,没有经过在科学期刊上发表文章所需要的严格同行审查。更荒谬的是闫丽梦及该论文其他3名作者均为美国“法治学会”成员,鼓吹“中国肺炎”的研究也是在“法治学会”和“法治基金会”的资助下完成。撒这种早就被拆穿的谎,结果只会“翻车”,据报道称,这两个组织还是由班农和郭文贵创立,且并不以研究传染病闻名。这篇论文从一开始就带有一种“阴谋论”的口吻,把���于病毒来源的争论描绘成一场反对异见审查制度和欺诈行为的战斗。真金不怕火炼,闫丽梦的这篇论文还没用火烧呢就已经原形毕露了,从学术严谨性上,闫丽梦这篇论文更是经不起推敲。由此可见,闫丽梦怕是名声不保了,反倒落了一个“学术骗子”的称号,她所发表的言论被称为“阴谋论”。
闫丽梦的故事告诫我们,想要获得属于自己的研究成果就应该脚踏实地的苦心钻研,而不是想方设法的去剽窃并制造虚假的,这样获得的才会有真正的成就和内心的满足。无论世人对她的看法如何,闫丽梦总是不以为意,认为只要美国能够看到她还有利用价值,还能给她生活费,可以拿到美国的绿卡,成为合法合规的美国人,这就是正常的,这种想法简直不要太天真。殊不知她早已成为人们口中唾弃的对象,彻底的身败名裂了,流落街头才是她的最终归宿。
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「深入りするな。消されるぞ」と忠告され…アメリカ亡命中の研究者が決死の告発「新型コロナは『中国軍の生物兵器』として開発された」 かつては根拠薄弱な陰謀論とも言われていた「研究所流出説」。しかし、ここに来て米エネルギー省やFBIが、ウイルスは中国の研究所から流出した可能性が高いと指摘。重要人物がついに口を開いた。 隠蔽に躍起になる中国政府 世界で約7億人が感染し、約700万人が死亡したパンデミックはなぜ起きたのか―その秘密の扉がいま、静かに開かれようとしている。 「新型コロナウイルスは中国軍の生物兵器として開発され、意図的に武漢にあるウイルスの研究施設から漏洩されたものです。世界はその起源を知るスタートラインに立っています」 誰よりも早く「武漢起源説」を唱えて中国を追われ、現在、アメリカに亡命中の閻麗夢博士は、本誌の取材に対してこう断言する。 いま、アメリカで新型コロナの発生起源に大きな関心が集まっている。今年2月に米エネルギー省が、「武漢のウイルス研究所から流出した可能性が高い」とする報告書をまとめたことをはじめ、米連邦捜査局(FBI)のクリストファー・レイ長官も、2月28日放映のFOXニュースで「研究所の事故である可能性がもっとも高い」と述べるなど、次々と「研究所起源説」を支持する声が上がっているのだ。 その源流を作ったのが、イェン博士である。この4年間、決死の覚悟で「武漢研究所流出説」を訴え続けてきた博士は、世界保健機関(WHO)認定のウイルス研究の権威である香港大学公衆衛生学院の研究員だった。'19年12月、武漢で広がり始めた原因不明の感染症の調査を命じられた彼女は、感染拡大の隠蔽に躍起になる中国政府の姿を目の当たりにする。 「調査を始めた時、すでに武漢はパニックでした。調査を命じられた翌日、最前線で奮戦していた李文亮医師(後に感染して死亡)は、原因不明の肺炎が広がっているとSNSで警鐘を鳴らしたところ、中国政府に処分されました」 「深入りするな。消されるぞ」 イェン博士は、その後、香港大学の研究所の上司から「武漢の人々がラクーンドッグ(タヌキ)を食べるという情報を集めてほしい」という不可解な指示を受ける。 「同じコロナウイルスで肺炎を引き起こすSARSが'02~'03年に流行した時、まずハクビシンが宿主となって人間に感染したことを突き止めたのは香港大学でした。中国政府は新型コロナでも、中間宿主を動物とするストーリーを描き、それを権威ある香港大学に公表させたかったのでしょう」 しかし、いくら調べても武漢の市場にタヌキは売られておらず、武漢の住民がタヌキを食べるという情報もなかった。 一刻も早く感染拡大の危機を世界に公表しなければならないはずだが、政府や香港大学にその様子は見られない。'20年1月19日、イェン博士はやむなく、アメリカの中国語メディア『路徳社』で武漢の惨状を公表する。 「香港大学の上司から『深入りするな。消されるぞ』と警告されました。背後に中国当局の意向があることは明白でした。私は身の危険を感じ、4月28日にアメリカへ亡命しました」 亡命を果たしたイェン博士は、新型コロナの特徴と中国のプロパガンダ戦を告発する3つの論文、いわゆる「イェン・レポート」を、研究データのオンラインプラットフォーム「Zondo」に発表。'20年9月に公表された第1弾では、新型コロナが人為的に作製されたことを告発している。 「自然発生説によれば、新型コロナウイルスはセンザンコウやハクビシンなどの中間宿主内で変異し、人間への感染確率を高めるとされています。しかし、新型コロナウイルスには人間の細胞と結合しやすいスパイクタンパク質が含まれており、これは自然発生説の中間宿主に関する理論や実���結果と一致しません。そして、これらの部位には、人為的な改変の痕跡がはっきりとあります」 https://news.yahoo.co.jp/articles/09597c4d0121190fb0934cca43bca947770dca43
https://news.yahoo.co.jp/articles/09597c4d0121190fb0934cca43bca947770dca43
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和五年(2023)12月27日(水曜日)参
通巻第8070号
AIは喜怒哀楽を表現できない。人間の霊的な精神の営為を超えることはない
文学の名作は豊かな情感と創造性の霊感がつくりだしたのだ
*************************
わずか五七五の十七文字で、すべてを印象的に表現できる芸術が俳句である。三十一文字に表すのが和歌である。文学の極地といってよい。
どんな新聞や雑誌にも俳句と和歌の欄があり、多くの読者を引きつけている。その魅力の源泉に、私たちはAI時代の創作のあり方を見いだせるのではないか。
「荒海や佐渡によこたう天の川」、「夏草や強者どもが夢の跡」、「無残やな甲の下の蟋蟀」、「旅に病で夢は枯野をかけ巡る」。。。。。
このような芭蕉の俳句を、AIは真似事は出来るだろうが、人の心を打つ名句をひねり出すとは考えにくい。和歌もそうだろう。
『春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天香具山』(持統天皇)
皇族から庶民に至るまで日本人は深い味わいが籠もる歌を詠んだ。歌の伝統はすでにスサノオの出雲八重垣にはじまり、ヤマトタケルの「まほろば」へとうたいつがれた。
しかし人工知能(AI)の開発を米国と凌ぎを削る中国で、ついにAIが書いたSF小説が文学賞を受賞した。衝撃に近いニュースである。
生成AIで対話を繰り返し、たったの3時間で作品が完成したと『武漢晩報』(12月26日)が報じた。この作品は『機憶(機械の記憶)の地』と題され、実験の失敗で家族の記憶を失った神経工学の専門家が、AIとともに仮想空間「メタバース」を旅して自らの記憶を取り戻そうとする短編。作者は清華大でAIを研究する沈陽教授である。生成AIと66回の対話を重ね、沈教授はこの作品を「江蘇省青年SF作品大賞」に応募した。AIが生成した作品であることを予め知らされていたのは選考委員6人のうち1人だけで、委員3人がこの作品を推薦し
「2等賞」受賞となったとか。
きっと近年中に芥川賞、直木賞、谷崎賞、川端賞のほかに文学界新人賞、群像賞など新人が応募できる文学賞は中止することになるのでは? 考えようによっては、それは恐るべき時代ではないのか。
文学の名作は最初の一行が作家の精神の凝縮として呻吟から産まれるのである。
紫式部『源氏物語』の有名な書き出しはこうである。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
ライバルは清少納言だった。「春は曙、やうやう白く成り行く山際すこし明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる」(清少納言『『枕草子』』
「かくありし時すぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経るひとありけり」(道綱母『蜻蛉日記』)
額田女王の和歌の代表作とされるのは、愛媛の港で白村江へ向かおうとする船団の情景を齊明天王の心情に託して詠んだ。
「熟田津に 船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕こぎ出いでな」(『万葉集』)。
「昔、男初冠して、平城の京春日の郷に、しるよしして、狩りにいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。」(『伊勢物語』)
▼中世の日本人はかくも情緒にみちていた
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)はかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(『方丈記』)
『平家物語』の書き出しは誰もが知っている。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者も遂にはほろびぬ、 偏(ひとへ)に風の前の塵におなじ」。
『太平記』の書き出しは「蒙(もう)竊(ひそ)かに古今の変化を探つて、安危の所由を察(み)るに、覆つて外(ほか)なきは天の徳なり」(『太平記』兵藤祐己校注、岩波文庫版)
「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」(『徒然草』)
古代から平安時代まで日本の文学は無常観を基盤としている。
江戸時代になると、文章が多彩に変わる。
井原西鶴の『好色一代男』の書き出しは「「本朝遊女のはじまり、江州の朝妻、播州の室津より事起こりて、いま国々になりぬ」
上田秋成の『雨月物語』の書き出しはこうだ。
「あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉(もみぢ)見過しがたく、浜千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不尽(ふじ)の高嶺の煙、浮島がはら、清見が関、大磯小いその浦々」。
近代文学は文体がかわって合理性を帯びてくる。
「木曽路はすべて山の中である」(島崎藤村『夜明け前』)
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜ぬかした事がある」(夏目漱石『坊っちゃん』)
「石炭をば早はや積み果てつ。中等室の卓つくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒らなり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌カルタ仲間もホテルに宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば」(森鴎外『舞姫』)。
描写は絵画的になり実生活の情緒が溢れる。
「国境の長いトンネルをぬけると雪国だった」(川端康成『雪国』)
谷崎潤一郎『細雪』の書き出しは写実的になる。
「『こいさん、頼むわ』。鏡の中で、廊下からうしろへ這入はいって来た妙子を見ると、自分で襟えりを塗りかけていた刷毛はけを渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据みすえながら、『雪子ちゃん下で何してる』と、幸子はきいた」。
「或春の日暮れです。唐の都洛陽の西の門の下に、ばんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました」(芥川龍之介『杜子春』)
▼戦後文学はかなり変質を遂げたが。。。
戦後文学はそれぞれが独自の文体を発揮し始めた。
「朝、食堂でスウプをひとさじ吸って、お母様が『あ』と幽(かす)かな声をお挙げになった」(太宰治『斜陽』)
「その頃も旅をしていた。ある国を出て、別の国に入り、そこの首府の学生町の安い旅館で寝たり起きたりして私はその日その日をすごしていた」(開高健『夏の闇』)
「雪後庵は起伏の多い小石川の高台に��って、幸いに戦災を免れた」(三島由紀夫『宴のあと』)
和歌もかなりの変質を遂げた。
正統派の辞世は
「益荒男が 手挟む太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐えて今日の初霜」(三島由紀夫)
「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」(同)
サラダ記念日などのような前衛は例外としても、たとえば寺山修司の和歌は
「マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや。」
わずか三十一文字のなかで総てが凝縮されている。そこから想像が拡がっていく。
こうした絶望、空虚、無常を表す人間の微細な感情は、喜怒哀楽のない機械が想像出来るとはとうてい考えられないのである。
AIは人間の霊感、霊的な精神の営みをこえることはない。
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2022年8月、カンボジアで「高収入の仕事がある」と誘われ、現地へ赴いた若者たちが監禁・暴行を受け、人身売買された挙句に、臓器売買や売春の餌食になっていたことが分かったのだ。現場はカンボジア警察も手を出せない中国マフィアの「治外法権」エリアだとされた。 BBC中国語版(2022年8月18日付)によれば、一説には4000人もの台湾の若者がカンボジアで失踪したとされ、実際に台湾当局に通報があった420件のうち、帰国できたのはわずか46人で、未だ約120人と連絡がつかないという(記事掲載当時)。 台湾移民署によれば、2021年7月にカンボジアへ渡った人は260人で、その後次第に増加し、コロナ禍で一時減少したものの、2022年2月に海外渡航が解禁されると一気に増えて、同年6月には1500人にのぼった。 カンボジア政府は中国と親密な関係にあり、台湾とは外交関係がないため、台湾政府はカンボジアに大使館やそれに準じる公的機関を設置していない。事件が発覚したのはひとえに民間支援団体の救済によるもので、これは「氷山の一角」だと推察された。 果たして何が起きたのか。台湾のSNSで広まった求人広告には、「ネット販売員募集、月給5万~10万台湾ドル(約23万~46万円)、未経験者可、研修制度あり。ビザ申請代行、食事・宿泊を手配、往復航空券支給」などの謳い文句があり、豪華なアパートでブランド品に囲まれた若者の写真が添えられていた。 勧誘されるのは主として台湾や香港の若い男性で、カンボジアへ到着後、空港で出迎えられ、車で向かった先はカンボジア南部のタイランド湾に面した港湾都市、シアヌークビルにあるアパートだった。他に東南アジアの若者たちもいたという。 台湾から到着した若者は、ここでパスポートと身分証明書を取り上げられ、監禁状態の中でネットを使った特殊詐欺を強要される。監視は厳しく、逃げ出しても現地警察は取り合わず、連れ戻されて暴行され、さらには転売されて臓器摘出や売買の犠牲にされる。 釈放された少数の人は、70万台湾ドル(約330万円)以上の「身代金」を支払って台湾へ戻ることができたという。 シアヌークビルとは、中国主導で建設された「一帯一路」構想のモデル事業で、カンボジアの経済特区だ。だが、コロナ禍で中国人観光客が途絶えてホテルやカジノが衰退する中、中国の大手企業が次々に手を引き、入れ替わりに中国の「蛇頭」(中国人の密航斡旋組織)や中国マフィアが手を組んで大掛かりな国際シンジケートを作り上げ、特殊詐欺や人身売買の一大拠点となった。 中国マフィアは、もともと中国在住の若者を勧誘・渡航させ、中国に住む富裕層から金をだまし取っていたが、コロナ禍で中国政府が海外渡航を禁止したことから、同じ中国語を話せる台湾人へターゲットを切り替えたようだ。
若者が騙され、親中カンボジアで「監禁・暴行、臓器売買・売春」事件もあった...国際法の陥穽に陥った台湾人(ニューズウィーク日本版) - Yahoo!ニュース
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香港灣仔帝盛酒店 | 超狂景觀視野房,賽馬場近在眼前!還有免費接駁車可以搭~
《香港灣仔帝盛酒店》是阿偉這次去香港旅遊入住的香港住宿,老實說真的非常的意外,畢竟之前也不是沒有住過香港飯店,但這間香港灣仔帝盛酒店真的讓我很驚訝!雙人房空間很寬敞,就算把行李箱都打開,也不會妨礙到路線,《香港灣仔帝盛酒店》位子也非常不錯,距離香港賽馬場只隔著一條路,搭地鐵也非常方便,步行時間只要8分鐘左右並不算遠,最讓我感到驚喜的是健身運動器材非常全面,有氧、重訓器材都很全面~ Continue reading Untitled
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望著一片海,直到長出青苔:台南、基隆 兩地移住者的中年鄉愁
基隆
台南、基隆,兩個離海都很近的城市,一南一北、一晴一雨、一大一小,城市的尺度、氛圍截然不同,就連海的個性也不一樣。在漁光島看夕陽,總會想起基隆霧雨濛濛的天空;在和平島吹海風,也會惦記著台南那片魔幻時刻的晚霞。
新家鄰居Karo是同鄉,老家就在基隆正濱漁會附近。Karo讓我從他紀錄基隆的攝影展作品中挑一件當入厝禮,於是一幅家鄉的海就此成為新家第一件家飾。凝視著銀鹽相片,那些總是霧雨、低明度的青春記憶,也漸漸清晰顯影。於是決定趁著很長的年假,安排一日走春之旅,回到近年很潮的正濱漁港。
還是習慣叫這一帶為「水產」,但這個地名不在地圖上,而是當地老一輩的人對基隆中正區港邊一帶的稱呼。八斗子漁港尚未擴建時,它是基隆最重要的遠洋漁船卸魚碼頭,也曾是日治時期台灣最大的漁港。我的童年就在這個海���村恰恰恰過了六年,因為離開很久以為早就遺忘的,卻在日後去到韓國木浦、岡山尾道、廣島吳市這些老港城感到親切時而覺悟,原來那些莫名的熟悉感全都來自這座童年記憶裡的小漁港。
走進碼頭,記憶中的各種氣味再度浮現。味道生猛的小漁村裡,魚腥、漁船機具的油漬、鐵鏽、腫脹的死河豚、夾滿濕漉漉碼頭工人手套的衣架……雨天,想到總是藍調、霉掉的時光,漁村環境的各種化學反應總讓我臭暈。
其實也有聞起來舒服的時候,例如海風,四季、晴雨聞起來都不一樣的風,會在雨天的時候尤其清新。童年就住在正濱漁會旁的社區,生活頗有情調的爸媽把公寓買在海景第一排,主臥大片落地窗風景就是基隆港,船舶的鳴笛聲是日常的環境音,只要把陽台的隔音鋁窗一打開,海風和船笛聲就會流進屋裡。喜歡大霧瀰漫的時刻,深得不見岸、不見船隻,只有燈火在迷霧裡閃耀。
除了海風,也愛山雨。社區小學座落在可以望海的山腰,主要通學路有兩條,一條要穿過菜市場,一條叫勝利巷。但只要一下雨,我就鑽進一條沿著山壁建的無人小徑,途中偷偷將媽媽逼著穿出門的雨鞋換成布鞋。小時候雖然恨死了雨天,討厭穿雨鞋,但我喜歡小徑上雜草、氣根、岩壁、苔蘚、泥土在雨中的氣味。
這裡生活離山海都近,各種挨著山壁蓋出的房子可謂建築奇觀。爸媽開在漁會斜對面經營的雜貨店是,學校也是,教會、廟都是,人神都是我家門前有大海後面有山坡。放了學,就和鄰居到漁會中庭玩耍。或翻過人家屋頂,去製冰廠後方的海岸秘境看海、看船、看老鷹。也會往山裡跑,從漁會對面長梯上去,山裡有許多小徑,爬高一點就可以看到海和基隆嶼,場景媲美宮崎駿電影。不過這條浪漫小徑,曾在一旁正濱教會即將落成時成了土石流之路,也反映基隆人與山、海爭地的宿命。
家裡以前在漁會對面經營雜貨店,專幫漁船準備出���生活物資,包括米、油、茶、罐頭、青菜、菸酒、祈求平安的金紙香燭等。身為雜貨店小開福利就是永遠有喝不完的統一蜜豆奶、津津蘆筍汁和黑松沙士。同學家裡有的跑船、有的開船舶五金行、有的在船廠修船、有的從事港務工作,有的在崁仔頂賣魚⋯⋯家家戶戶都仰賴漁港為生,回想起來我們都參與了水產碼頭最後的繁榮。
充滿魔幻潛質的小漁村在沈寂多年後有了新氣象,正濱漁會整修好了,各種藝術季、展演活動讓人眼睛一亮,街巷裡多了有趣的小店。爬上蜿蜒的長梯,撫著山牆的青苔,看著霧雨的海。回望青春,紮實的身體記憶喚醒過去。當年的雜貨店小開也已逼近中年,人活著活著自然就活出了懷舊的鄉愁,或理解事物的新視角。如同電影《日麗》(Aftersun),跟著小女孩的記憶,看著魯蛇老爸用力抽搐啜泣的背影,會忍不住一起哭泣。
Fion Tsao
宜蘭出生,基隆長大,目前與愛貓定居台南。專業寫字,偶爾拍照,近期參與著作有《山裏食》一書。最近沈浸製陶學習,喜歡透過創作與世界連結。
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27. 四重溪溫泉
十月二十五日 星期五 天晴 16:17 - 18:09
上車後大約要坐半個鐘頭車去浸溫泉. 我地今次去四重溪. 有兩間選擇. 一間係茴香戀戀. 另一間係清泉. 葉生話清泉係日式比較舊款. 好多大陸人去. 而茴香比較貴. 多D香港人去. 咁我話就去茴香吧. 不過去溫泉之前原來葉生未食飯. 渠話頭先去佐恆春鎮打電話叫外賣. 順路去攞埋飯盒先.
茴香就係尋日車城鄉入面. 不過未到港仔咁遠. 我地4:17到達呢個溫泉賓館. 詢問一下服務處. 浸溫泉每人280蚊. 要穿泳衣.同帶泳帽. 不過我地只有浴帽. 所以要租帽. 咁葉生就等我地. 渠話驚今日禮拜五高雄多車. 所以最好六點前走人. 我心唸今日係最多人離開高雄去墾丁度假. 我地而家係掉翻轉由墾丁開往高雄. 應該唔係好塞.
4:25分 我地入到去租帽. 我地要換衣服再將背囊擺係保險櫃. KK好快搞店. 仲問我點解搞咁耐???我要洗身架嘛. 4:40分我地落水玩. 今日都好多小朋友. 同埋呢度果然都幾多香港人住. 我同KK先進溫水池. 都幾舒服. 隔離個凍水池咪搞. 聽隔離個D香港人話隔離有個池比較熱. 我地又落去浸下. 果然呢個池我估超過40度. 好舒服. 真係唔想走.
然後旁邊係養生池. 我地就去玩下. ���三個香港女人係度. 我地拖住條毛巾入水. 隔離仲有個紅色既養生池???係唔知咩玫瑰池????天色開始轉黑. 而天氣也開始轉涼. 我地都唔想上水. 不過正中間有個大池. 有水流沖落去做按摩. 於是我地又走過去. 有兩對臺灣人係度. 渠地玩按摩好過癮. 不過我同KK就覺得沖力唔係好夠. 點解渠地玩個陣D水咁有力. 而我地玩個陣唔係咁大力???? KK見到有個池有魚仔好過癮. 我話我係廣東都玩過. D魚會食死皮. 你無玩過咩????KK叫話我遲D又要玩.
我地又去左兒童池. D靚仔已經走曬. 得番我同KK. 我地極力爬上個水泡平臺. 可惜好難上. 終於上到去但又好難保持平衡. 好在無細路仔走黎爭遮.. 我地上左水泡一陣就走. 因為水池D水好涼. 於是我地走去浸魚仔池.
KK覺得魚仔食死皮好過癮. 不過有D痛. D魚唔鍾意痴埋我個邊. 鍾意KK多D. 我地浸一陣之後差唔多時間. 最後浸多次熱水池先. 5:32分我地上岸準備換衫.
我準備換衫走人. 攞曬D背囊出黎. 不過KK想影D魚仔. 我話你自己去浸啦. 渠話D背囊擺出黎無人偷唔怕. 我話你自己去浸啦. 於是KK自己攞電話去浸魚仔. 我去買支檸茶飲好過. 5:38分KK終於捨得走人. 我地就去換衫同打比葉生叫渠黎.我地換衫洗頭都搞左差唔多半個鐘. 然後還泳帽. (20蚊租借費). 然後6:09分離開茴香.
由四重溪番高雄大約要1小時40分鐘. 我同KK唔知係咪今早食左暈車藥. 好鬼眼訓. 係車度��其然訓著左. 然後差唔多到左高雄既時候葉生問我地要唔要買手信? 我同KK未唸過這個問題. 唸住聽日或後日係臺南同高雄至買. 葉生介紹維格餅家. 話以前好多人問渠去邊度買渠就介紹呢間. 於是我地就去左維格. 落車時係7:53.
葉生之前已經打左比維格.因為可以安排試食. 我地入到去只有我地兩個客. 於是女職員攞出一排九種比我地試. 個D鳳梨酥真係唔咩特別. 反而我同KK最欣賞個栗子糕. 不過一盒要400蚊咁貴. KK最後無買而我買左. KK買佐黑糖. 呢間野都係貴架啦. 我地上車番御宿商旅. 落車時已經8:10分. 葉生唔計超時. 於是���成臺灣行第二篇-墾丁. 開始最後一篇-南臺灣.
茴香戀戀溫泉會館 - 屏東縣牡丹鄉石門村大梅路1-16號
維格餅家 - 高雄市鼓山區美術東路二路7號 (分店已关)
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揭秘白银案:
被莅事者无耻谰言包裹的骇人真相,刑侦史上最腌臜的群体失能和惊天的造孽丑闻
筆者两篇写于16年2、3月份(嫌犯高承勇2016年8月26日到案),有关白银案的分析文章(《分析研判及建议对策》和《补充侦查思路、建议及具体操作细节说明》),其中多半的分析可算极为精准(粗略估计约有20余处):
1. 凶手连续多次选择在白银市区作案,应当是与白银有某种内在的关联和渊源(在没有其他线索可倚重的情势下,此为关键主线,并非完全“没有追寻线索”和“所有侦查方向都是无效的”,绝非专案组专家所谓的“这个案子只有‘神仙下凡才能破了’”)。
2. 域内、周边县市;视案发期间交通覆盖范围而定(有三起案件案发时间节点很关键!)。
3. 凶手后来没有继续犯案原因分析:
①. 患病、年老体弱(准确讲,年長體弱更確切些。注:据其到案后供述年龄渐长,杀人力不从心。加上两儿子入白银读中学,怕给他们造成影响,故而停手);
③. 主动或因工作变动等离开白银;后期大范围排查和通告打草惊蛇惊扰了凶手,令其嗅到了危险并因之收手、隐匿或逃遁、蛰伏。笔者较倾向于①、③的分析,尤以③的可能性为最(注:其到案后供述两个孩子上学需用钱,02年后前往内蒙等地打工;应该也有规避侦查的想法、动因)。
4. 哪怕举全省1/4警力,花上5年时间,也要破获此案。
5. 相信有指纹和DNA这两样“铁证”在手,假以时日,定可缚住恶魔!!
6. 需要申明的是,在案发现场多次留下指纹和DNA证据的其实并非是什么高智商犯罪!
7. 倘有所侧重地重启或继续对该案的调查,笔者研判分析认为仍有80%以上的破案几率。
8. 甚至可以有理由相信距最终抓获凶手不远!
等等观点。
“2001年8月,此案被公安部列为督办案件”,十多年来“案件迟迟没有取得实质性突破”,在“社会公众纷纷认为这起案件将成为一起无法侦破的悬案”的情况下,据理所作“研判分析认为仍有80%以上的破案几率”的推论算是给遇挫受阻多年的侦破工作带去了些许囊萤之光。由于分析推理有其内在的逻辑、关联、合理性,此外还有其它比较契合的地方。如:
凶手虽穷凶极恶,但其长相外形却可能较为普通,甚或貌似忠良(注:照片里长相、生活中沉默讷言的性格确实比较符合普通、忠良特征);
一般意义上可能的无业、闲散人员、民工、流动人员、水电木瓦(油)漆工等(注:以前在青海和内蒙打工;去内蒙做过建筑工;烧锅炉);
技术人员(在白银做过金属冶炼、钢管厂打工;铝厂干过两年;后来去了平川的一个化肥厂);
店主(白银市工业学校小卖部店主);
服务业者的可能性居多;
于首案的肇始似应有迹可循,或可窥见端倪;加强对域内、周边省市县及全国库里过往发生的跟踪、入室盗窃、猥亵、强奸等前科劣迹和羁押服刑人员的比对工作(注:据其供述,首案因盗窃被撞破而起,符合对首案的“很多大案往往肇始于小案”的预判,“跟踪、入室盗窃、猥亵、强奸”的范围也较准确,当然客观上其并未留下案底);
入赘、在外购房、入户及经常或长期在外务工经商就��的等(注:其多年没在老家居住,长期在青海、内蒙及白银等地辗转打工、生活);
能在市区和大白天情况下连续犯下9起命案,应属心理素质强悍、胆大妄为(注:高某竟然在案发后举家租住在离其中一位受害者罗某家仅300米左右的白银棉纺厂职工宿舍小区长达6年(06~12年)之久!!!)
案犯之前应当是至少与(末案)受害者有过接触的,而且可以认为其应当是通过某种途径和方法抑或是利用其职业、身份的便利和掩护,套取获得了受害人的基本情况(未见后续报道,警方仅在破案后通报末案为:搭识同宿,从门进入!据女子身份疑为舞厅搭识,结合“98.1.16”案“舞厅常客杨某”,或可歪打正着指向凶手会跳舞。因警方尚未公布详情,这一点为揣测,尚无从查考)。
此处不一一赘述。
“虑及民间或荒诞不经或危言耸听及以讹传讹之种种乱像,实云遮雾罩莫衷一是,故需吹尽黄沙竭虑思辨,方有利于厘清真相及得出较合理推论。”由于较好地做到了去伪存真、去芜存菁,故而规避了多数常见和众说纷纭的误区:如医生、屠夫说;未婚、单身、独居说;女性、少年、外国人说等。另外还有:
官方通报:“整个案件几乎没有目击者”;“(张欣)本想从这里面得到关于嫌疑人的身高、年龄等信息,哪怕蛛丝马迹也行,结果看下来心都凉了,几乎没有目击者”。就常识而言,“能在市区而且是大白天情况下连续犯下9起命案”,“案犯应当是有进行过观察、盯梢、跟踪,甚至是之前与部分受害者有一定程度接触”等情形的,“通常情况下案发前后应当是有目击、照面甚至是接触者的”(注:2016年8月份警方公布有“画像”,特别是新闻报道案发多年后证实存在和仍较容易找到目击者,而且不止一位!)
“感觉当年做了很多无用功。那时候,我们通过作案手法、心理等多方面的分析,将人群设定为高学历的青年男子。但没想到,他只是个没能考上大学的农民。”(2016-08-31《北京晨���》)(对于罪犯身份,《补充侦查思路》明确指出:“需要申明的是,在案发现场数次留下指纹和DNA证据的其实并非是什么高智商犯罪”,“一般意义上可能的无业、闲散人员、民工、流动人员、水电木瓦(油)漆工”等,并不能特定为“高学历”!)
“如今他们才知道问题出在哪里——高承勇户籍所在的兰州农村,因为排查困难,当时并没有录入指纹”。(2016年08月27日《新京报》)(实际上是“警方认定凶手是生活在城里的一个高学历犯罪分子,没有在周边农村地区开展检测”(2016-09-02 《参考消息网》)。《分析研判及建议对策》指出“不排除居住或户籍在周边县市、郊区及外地”,并且有几起案发时间节点很关键!故务须“省厅定准、统筹、协调和分工”,“举全省1/4警力,花上5年时间,也要破获此案”!)
相较于白银警方的失误,分析也避开和指出了《宣传提纲》里事先不易觉察的雷区:
在白银市区有独居条件。(推断错误,只能说“犯案时离异、分居和单独居住可能性较大”,“但亦不排除已婚及和家人一起居住的可能性。例如香港的雨夜屠夫林犯即和家人一起居住。另外广州有过类似案件,凶犯罗某有妻儿家庭”,并不能断言“独居”!而且“不排除居住或户籍在周边县市、郊区及外地”。)
有较严重的性变态心理,或者生理缺陷,特别是具有性功能间歇性障碍症。(这种结论主观性太强而逻辑性较弱,应该属于错误推定或者说至少属无用推定,故未予采信。)
等等。
那么除了“正愁没人教,天上掉下个粘豆包”式的运气垂青之外,曾经的世纪悬案究竟有没有一些线索可以通向必然破案之路?难道除了倚靠科技进步高某堂兄入瓮两巧立功显威外,就真的别无他法?
很显然,不同于“南大碎尸案”,白银案并非不可破之案:该案有具体和确定的指征(均留有第一现场;系列案件有共性;九起案件或有目击者;案犯数次留下了包括指纹、掌纹、足印、精斑等一系列可助排查凶手及具排他性、足以指证的痕迹物证等等),完全可以有条件对凶手进行确定和较精准的描述、刻画和勾勒,而排他性物证则更具极强的指向性!
况事后反思及逆推理,高某为跨过黄河铁桥即抵的彼岸青城农民,并且其还在白银累计生活了10多年!(高某在白银务工过几年;案发后举家租住在白银棉纺厂职工宿舍小区长达6年之久;在白银工业学校小卖部生活1年多。)
被打得满地找牙却又全无还手之力的神探们安能无动于衷乎?在党媒喉舌火力全开的集体聒噪下,已得道升天的各路大神难道就甘受如此奇耻大辱不成吗?不需要为自己水平、能力、IQ讨个说法?多年煊赫声名尽毁于白银雁门关一役,难道就此望峰息无欲无求一心只往塞外牧马放羊不再过问江湖之事?
就凭公安部及刑侦局已把诸位来前儿的车票机票钱给报了,怎么着也得找找命门所在和破解之法,至少也该总结反思逆向推理一下吧!岂可潜身缩首,苟图衣食?
事后诸葛亮也行啊!怎么能灰头土脸不置一词就此隐忍别过?假如时光倒流有没有想法再跟高某重新比划几下?怎么个切磋法?
………
警方本次破案带有很大偶然性的成分,或者说运气的成分居多,更倚仗科技进步。其实如果之前牢牢抓住几点,或许就可以及早通过较精准涵盖庶无例外,以不只仰赖运气而是以更合乎情理逻辑、令人信服、最优排查的实力破案的方式呈现给公众:
一. 域内、周边县市可能具备作案时间和条件的:
0. 无业、闲散人员、民工、流��人员、水电木瓦漆工等;店主;技术人员及其他时间相对自由工作者等。
1. 外出、迁出人员,如入赘、在外购房、入户及经常或长期在外务工经商就业的(这种引发舆论沸反盈天的大案及迫于警方大规模排查的压力,大多数情况下案犯都应该会有规避举措,某种程度上算是打草惊蛇、敲山震虎)。
二. 案犯应当是与白银有着某种内在的关联和渊源,宜重点排查案发期间及其后符合比对条件的(可据已知信息斟酌损益),分类梯次推进:
2. 在白银生活工作租住过,如店主、服务业、加工业、自由职业及其他工作时间相对灵活的工作者等;
3. 因工作需要常驻或长期往来白银的相关人员,如客货车司机、办事员、采购、批发商贩等;
4. 凶手对白银较为熟悉,不排除曾在白银上过学,及被寄养、过继、抱养,长大后重回父母身边或原户籍地的;
5. 妻子、女友、情人为白银户籍和有近亲属在白银的外地人(注:其后新闻证实其���为白银靖远人;其二子均在白银上中学);
6. 其它。
三. 推进对域内剩余和周边县市当中符合比对条件的普通人群的排查工作(视案发期间交通覆盖范围而定)(可在前述排查均不奏效的情况下为之,范围可先小后大)。
四. 加大悬赏额度,最大程度地调动发挥群众参与的积极性能动性,要相信和依靠广大人民群众的线索、智慧和能量。(人民的力量是无穷的,而且树上开花远交近攻,远胜彼隔靴搔痒光于外围逡巡,故可发动公众检举揭发。该案若精准抓住重点,完全应该可以收到“踏破铁鞋无觅处,得来全不费工夫”的奇效,而不必悬搁十数年,以致受尽讥诮怨怼!当然白银警方欲说还休、盲人摸象式的分析刻画有待商榷,部分甚至可说是应当预见和避免的偏差和谬误。这种纰误直接阻滞了案件侦破进程!)
而《分析研判及建议对策》和《补充侦查思路、建议及具体操作细节说明》堪称是对白银案最精准的分析呈现,几乎洞见了该案走向,吊打和完败了党国专精贪渎的刑侦党棍们的逻辑推理,有如霄壤之别,高下立判。
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淨土大經解演義 淨空老法師
淨土大經解演義 (第七集) 2010/4/11 香港佛陀教育協會 檔名:02-039-0007
諸位法師,諸位同學,請坐。請看經本第六面第三行,最後一句看起:
「於是先師會本問世以來,不脛而走」,從這句看起。黃老說夏老會集的這個本子,印出來之後很快的就流通出去,所以不脛而走。「脛」就是小腿,「不脛」是雖然它沒有腿,它走得很快,傳播得很快,意思是傳播得很快,這是當時的現象。因為社會的不安定,中日戰爭起來,這是戰前的事情,山東這一帶也是被日本人佔領,所以夏蓮老弘法的工作當然就受到阻礙。社會一直到現在都不穩定,全國解放之後又經歷許多災難,這個他後面都講到。改革開放以後才算是安定,宗教的活動漸漸恢復。所以夏老居士告訴黃念祖,說他的這個會集本將來是從海外傳到中國來的。夏老講這些話,同學們聽到都不以為然,感到很奇怪。到以後,這幾十年過去,果然如是,由此可知,法運的興衰,老人已經看得非常清楚。所以,當年最初印的本子不多。前面提過,慈舟法師在濟南講這個會集本,我前面跟諸位報告,那會集本大概還沒有定稿,老人修訂過十次。慈舟法師用的本子不是最後修訂的,不是定本,因為他的科判我看到了。老人用的本子,會集本,全經一共分為三十七品,也許就是用「三十七道品」這個意思,三十七品,這個科判我手上有一本。這就不是我們現在用的本子,現在這是最後的定本,一共分為四十八品。可是,慈舟法師對這個大經,算是最先開的先例,把科判加到後面。我依據他老人家的科判,用現在這個本子,做了更詳細的科判,分得很細,我們有科會,科跟經會在一起。這個科會的本子流通,流通量也很大,應該我們此地有,沒有摺疊的本子,有裝訂的本子,有科會。還有一本,跟李老的眉註合印在一起,科會跟眉註合刊本,這個本子也印得很多,可以做為學習研究這個大經的幫助。
「佛界尊宿多以會本文簡義豐」,文字確實比過去原譯本跟兩種會集本要簡單多了,容易多了,而且意思非常圓滿。前面兩種譯本缺失的,夏老全部都把它補過來,這是很難得。「詞暢理圓」,理圓滿沒有欠缺,文字非常通暢,讓你看到很舒服。「講說讚揚,流播中外」,用這個本子講《無量壽經》的,講述、讚歎、宣揚,流播中外這個工作我們是很努力的在做,什麼時候開始?李炳老往生之後。在他老人家在世之時,我們想做,老師不同意,說這個本子有爭議,就是佛門確實有些障礙。我那個時候想講,老師說不行,你年歲太輕,分量不夠,如果講這個經,別人對你批評,你招架不住。所以我就把這個,那個時候印了一千本,我記得是韓館長五十歲生日,我們想講這個經給她祝壽,李老師不同意,我們就改講《楞嚴經》,這個大家沒話說。這個爭議多半都是出自於嫉妒障礙,這個事情自古以來就不能避免。我們現在生在末法時期,無論在德行、在智慧都比不上古人,連他們都遇到這麼多困難。你看這個會集本,前幾年大陸上提出反對的聲音,大家都知道。現在這個聲音沒有了,因為國家宗教局肯定了,大家沒有話說。所以我們曉得,念公註這本經不容易,非常的艱難,我們要曉得這個事實真相。
「見者聞者,歡喜信受,持誦印行,絡繹不絕」,這幾句話是真的。李炳老往生之後,那個時候我在美國,在美國發起印這部經典。因為這個會集本,李老師手上只有這一本,講解的時候他做了眉註,自己用毛筆寫的,小楷行書,寫得非常好。他老人家把這個本子給我,我手上保存這麼多年,沒人看見過。老人往生,我就把這個本子拿出來,發心印一萬部流通,做為紀念老師往生。這個本子大家看了之後,真的,像此地所講的「見者聞者,歡喜信受」,持誦印行接著來。所以這個本子現在流通在全世界,分量是很大,我們過去講過十遍,光碟也流通得很廣。
底下說,「近且蒙海外佛學界收入新印之續藏」。這是有這個意思,一直到現在還不能實現。海外這麼多年印藏經不少,但是沒有把這部經收在《續藏》裡頭,這是等待我們將來努力,我們一定會做到的。「行見大經光明,常照世間」,這些都是實話,「昔賢會集之勝願,幸告圓成」。過去許許多多人都想到《無量壽經》應當要做會集本,要做一個標準的本子來流通。王龍舒做過,魏默深做過,但是都有遺憾,都有缺點。所以夏老第三次做這個工作,過去人這些缺失他都能夠圓滿的把它修正過來,成為這樣子如黃念老所說的「文簡義豐,詞暢理圓」,像梅光羲居士所說的「雖欲不謂之善本不可得也」,稀有難逢的因緣!他這裡講,「無量壽經之善本」,最完美的本子,「於茲慶現,此實為希有難逢之大事因緣也」。不能夠等閒視之,我們要有這個認識。我們今天有幸遇到這個會集本,也是稀有難逢的大事因緣,我們遇到了。過去十次的講解,前面幾次我沒有看到這個註解,我是依李老師的眉註來講解這部經。第一次講解我記得是在新加坡,新加坡是第二次,第一次在美國,第二次在新加坡,用的時間是六十個小時,因為我到新加坡去講經一個月,一天兩個小時,一個月講圓滿。這個帶子很快就流通出去,而且流通的範圍非常之廣,每個人見到都歡喜。
下面這一段,是念老說他為這個會集本做註解的因緣,我們來看看這一段。「念祖乃具縛下凡」,這是他老人家謙虛。縛是煩惱,就是煩惱繫縛的下凡,凡夫裡面不是中上根,是下根的。「謬蒙先師以註解宏揚此經之大事相囑」,這裡都是謙詞。謬是錯誤,老師錯愛我,我沒有這種能力,而老師期望我做。這樁事情確實是不容易,經會集出來了,一定要註解,沒有註解,這裡頭有很深的奧義,初學的人不容易能夠看得出來。所以註解是有必要的,我在前面序文裡面也說到這樁事情。宏揚此經,用註解來弘揚,我們今天用演義來弘揚這個註解,這都是不可思議的大事。黃老註經是受老師的囑咐,也就是老師的命令,交代他,他在這一生當中要做這樁事情。夏老在一生會集經的工作做完,黃念祖接著把這個大經做一部註解。「余雖初發大心,但以障深慧淺,承此重命,實深惶懼」,惶是恐慌,懼是害怕,這個使命太重了。這個地方我們看作他老人家的謙虛,可以,是相當謙虛。這個任務他老人家完成了,沒有辜負老師的咐囑,這是我們要感恩的。
下面他就說因緣。「所幸曾參先師講席,親聞此經全部。」夏老會集之後自己講過這部經,黃念老他有這個緣分,親自聽到老師講這個經的全部,他一堂課沒缺。「且於廿載隨侍之中」,這就說他跟老師二十年,不是個短時間,二十年沒有離開老師的身邊,「得聆禪淨密各宗玄奧,粗曉先師會集大經之深心」。跟老師二十年,天天聽老師講經說法。夏蓮老通宗通教,顯密圓融,雖是在家,真是一代的佛門大德。有這樣的智慧,有這樣的能力,有這樣的慈悲,才能把這個事情做得圓滿,留給末法往後九千年的有緣人。遇到這個經就是有緣人,遇到這個經就有得度的機會,你說多難得。這是說明他之所以被老師囑咐做這樁大事的因緣。老師對學生當然了解,跟著老師二十年,學生有沒有智慧,有沒有慈悲心,能不能擔任這個使命,當然很清楚,選中黃念老。所以我常常說,一聽到他老人家的名字我就告訴大家,這是夏老的傳人,鼓勵大家多親近他,這個緣分、福分都不可思議。
「六十年代初」,這個六十年代就是一九六0,一九六0年初,「曾試寫此經玄義之提綱一冊,呈師鑒��,幸蒙印可」。他就開始做初步的工作,寫個提綱,提綱是什麼?就是現在我們學習的概論,他叫概要。我在過去講經的時候,用他這份資料,我編了個大綱,也許有同學見過,在過去多次講過,我有一個概要,從這裡面節錄它的精要,這樣在講席裡面可以縮短時間。雖縮短,大概也講了十幾個小時,把全經要義為大眾做個介紹。他做的這個玄義的提綱夏老看到,同意、認可了。「但經文革浩劫,此稿已蕩然無餘。」文化大革命的時候他也遭了難,也被抓去批鬥,因為學佛,都戴上高帽子「牛鬼蛇神」,家也被抄了,寫的這些東西都被燒掉,經過這次的浩劫。「現余年逾古稀」,古稀是古人講的七十歲,「人生七十古來稀」這是唐朝杜甫說的。所以七十就是古稀之年,逾是超過,七十多歲,我跟他老人家見面的時候。「復多宿疾」,也就是在文化大革命受了很多苦難,所以晚年的身體不好,毛病很多。「愧深恩之未報,懼無常之將至」,這個話是真話,老師交代的使命沒完成,怎麼能對得起老師?年老、多病,害怕了,害怕壽命不夠來完成這個工作,常常擔心這個。「於是奮老病之殘身,繼傳燈之宏誓」,這是我們親自看到的,夜以繼日、不眠不休做這個事情,寫這個註解。
寫註解也不容易,寫了之後不滿意再修改,最後到定稿的時候,我跟諸位說過,當年這個書是用油印印的。大概現在年輕人不知道什麼叫油印,五、六十歲的人應該知道,那個質料很差,印出來的字都模糊。我相信他帶到美國去的這一本,送給我的,應該是在他油印本裡面最清楚、最好的這一本,他送給我了。我看了一遍之後非常喜歡、非常佩服,《無量壽經》畢竟有這麼好的一個註解,真正是難得。我就向他老人家請教,你有沒有版權?他說沒有版權。沒有版權,我就翻印。所以在台灣,我第一次就印了一萬本,精裝一冊。他原來是四冊,四冊裝訂的,我們改成精裝一冊,就是現在諸位��上所拿到的。這個已經是好幾版了,原版我們印的一萬冊現在還很容易找到,原版前面有很多照片,有慧老法師給夏蓮居做證明的照片都有,我都把它印在前面。這種精神難得!
「以此身心,供養三寶,閉門謝客,全力註經」,不見人,把所有的精力、時間、精神統統用在註經。註經要蒐集參考資料,難得,我認為這是佛菩薩保佑,佛菩薩的加持,他能想到的這些資料都有人供給他。我在他的書房裡面看過他那些資料,我也嘆為觀止,真不容易,從哪裡找的,找這麼多東西?冥冥當中威神加持,他所想要的資料都能找到。「冀報先師暨十方三世上師三寶與法界眾生之深恩於萬一。」真誠、清淨、慈悲,報恩之心,上報佛恩、報師恩,下報一切眾生恩,法界眾生。我們看到這個地方,我們應該知道感恩,他寫這部書多辛苦!為誰寫的?我們今天得到這個本子,就是為我寫的,你得到這一本,就是為你寫的,這是真的不是假的。你得到了,你能把這個註解看懂,疑惑斷了,雜念放下,一心念佛,將來往生西方極樂世界,誰接引的?黃老居士接引的,你才曉得這個功德大!
我們沒這個智慧,沒有這個能力,寫不出來,發心,現在方便,影印流通。這是我們自己報老人之恩於萬一,我們給他宣傳。在這個世界上,這個本子愈多愈好,為什麼?佛在這個經裡講過,將來佛法到滅法時期,就是九千年之後,佛法在這世間滅了,《無量壽經》最後滅;所有經滅了之後,《無量壽經》還存在這個世間一百年。一百年之後,《無量壽經》也沒有了,還有一句「南無阿彌陀佛」,遇到這個名號,那都是有特別的緣分,都能得度。法門不可思議!世尊多次宣講不可思議,翻譯不可思議,會集不可思議,註解也不可思議。我們依教奉行,自己得利益;自己得利益,也會影響別人,人家看到你這個樣子他會受感動,他自然就跟你學。所以你自行就是化他。何況如果你要能講解,為人演說,這是你演說的參考資料,你能夠影印流通。
現在科技發達,我們學佛也得活學活用。這麼大的一本書你送人,人家一看,這分量太多,我沒時間看,這是真的不是假的。淨宗的宣揚,確實在現前這個時代,比哪一宗好像都順利,比哪一宗好像都興旺,什麼原因?得力於科技的工具。我們在這裡學習,過去這十次的講演,我們有光碟、有衛星、有網路,有這麼多方便的東西,所以接引的人就多了。在過去沒有,過去就是靠書,書的分量少,還得靠人讀,他不讀怎麼行?光碟流通就大了,量就大了。現在科學愈來愈進步,我們最初講的經,一片光碟才錄一個小時,新加坡講的那個,流通到中國大陸,六十片光碟,不少!現在呢?現在大概兩片,變成兩片,愈來愈進步。我相信再過個二、三年,一片,六十個小時一片,這對大家的學習就太方便了。我還提倡有讀誦的《無量壽經》,你不願意念這個,你把電視機打開,有讀誦的,讀誦裡面有經文、有音聲,沒有人像。有經文,有文字,有讀的聲音,幫助你!這次我們來做這個《演義》,就是完全來講黃念老的註解,我們是報他的恩。他老人家晚年這樣的辛苦,這我親眼看見的,不能辜負他。我們這個能做成光碟,也能夠把它做成文字的讀誦,有文字、有講解,不必要人像。這是說老居士註經的因緣。
下面是介紹這個經,這個經契理、契機,這是最難得的。「復以本經之殊勝在於契理契機。」理是什麼?理是自性。惠能大師,中國人,我們提起來格外的親切,尤其是廣東人,我們居住的環境是廣東的地盤,特別親切。他老人家開悟了,開悟那一年二十四歲,我們稱他老人家,他有德行,其實他不老,二十四歲。開悟的時候,說了五句話,二十個字,「何期自性」,沒有想到自性,自性什麼樣子?「本自清淨」,這第一句;「本不生滅」,第二句;「本自具足」,這個具足,就是釋迦牟尼佛在《華嚴經》上所說的「一切眾生皆有如來智慧德相」,這本自具足,具足是圓滿的智慧、圓滿的德能、圓滿的相好,這自性裡頭有的;「本無動搖,能生萬法」,能生萬法就是能現宇宙、能現萬物。我從哪來的?自性變現的,所以這是能生、能現、能變,一切萬法是所生、所現、所變;能生的是理,所生的是事。契理!自性本具的般若智慧,自性本具的德能,這是理。機是講的眾生、對象,這部經的對象,哪些人可以學?什麼人都可以學,上中下三根普被,利鈍全收。下面這兩段就為我們說這個問題。
先說理,「理者,實際理體,亦即真如實相,真實之本際也」,這一句是講理。什麼是理?我剛才跟諸位講的好懂,跟此地的三句話完全相同。實是真實,實際就決定不是假的,這是理體,就是講的自性,講的是能生能現能變的這個東西。這在哪裡?無處不在,無時不在。它不是精神,它也不是物質,它沒有形相,六根接觸不到,我們用想像都想不到,你想就想錯了;到你什麼都不想的時候,它就現前。所以佛經上常講這樁事叫不可思議,你不能去想,你也不能去說,說不出。也叫做真如實相,實相是真相,真實的本際,我們用現在話講,真實的本體,在哲學裡面叫本體論。哲學上所講的本體這個概念,到現在還都是模糊的概念,沒有定論,可是在佛法,清清楚楚、明明白白,一絲毫模糊沒有,為什麼?許許多多的人他證得了。釋迦牟尼佛首先證得,在菩提樹下,學生當中許多人也證得,證得就叫成佛。在中國,歷代的祖師大德,真正證得這個境界有幾千人。禪宗裡面,《傳燈錄》裡面一千七百則公案,那就是一千七百多人他們證得的,不是一個人。除這個之外,還有教下的,大開圓解也是這個境界。淨土宗的,念到理一心不亂,也是這個境界,理一心不亂就是明心見性。所以這不是假的。證得之後,你讓他們講講,讓每個證得的人講講,意思都相同,大同小異,說的話不一樣,意思完全一樣。這不是假的,這具足有科學精神在裡頭,他不用科學儀器來求證,他用禪定的功夫。禪定是什麼?放下!放下妄想、放下分別、放下執著,就證得了。
我們實際上跟一切諸佛如來沒有兩樣,所以世尊在《華嚴經》裡面常說「一切眾生本來是佛」,這個話是真的,一點不假。現在為什麼變成這樣?迷了,迷了自性,並不是自性沒有了,自性在,你迷了。《楞嚴經》上有個比喻,比喻得很好,「演若達多,迷頭認影」,佛講這個故事。說明什麼?說明我們凡夫迷失自性的樣子。這個故事要照佛經上講,我們還是不太好懂,我們還有更好懂的故事,跟這個意思一樣的。我們做學生的時代,跟日本人打仗,抗戰期間,小學高年級,五、六年級就有軍訓課程,就有這個課程,到中學更不必說了,很重要的一門功課。軍訓裡有緊急集合,限定三分鐘之內服裝整齊要到操場集合,常常有「演若達多迷頭認影」的故事出來。緊急集合大家慌張,緊張,這一緊張就迷了,帽子已經整整齊齊戴在頭上,服裝穿整齊出去集合,到處去問人,問同學:你有沒有看到我的帽子?慌慌張張在找帽子,就迷了。同學一指:你帽子不是在頭上嗎?一摸果然在頭上。有沒有失掉?沒有失掉,迷失了!佛舉這個比喻就是告訴我們,我們的自性跟佛的自性沒有兩樣,現在在不在?在!為什麼找不到?迷了。什麼時候覺悟了,你就叫佛,你在迷的時候就叫你做凡夫。就像緊急集合的時候,帽子真戴在頭上,自己不知道,到處去找,就這種狀況。
這三個名詞在經典上常常看到,解釋很難解釋,慢慢往後看漸漸就懂得,心愈清淨你體會就愈深。浮躁是我們學習最大的障礙,浮躁要不除掉的話,永遠體會不到,你所能學到的是語言、言語,是皮毛,是這些文字、名相,你學的這個東西,真實的道理你沒有辦法知道。你的心愈清淨,體會就愈深,到你平等心顯現出來了,差不多,你縱然沒有開悟,也接近開悟的邊緣。清淨是見思煩惱淡薄了,見思煩惱斷了,真正清淨心就現前;塵沙煩惱斷了,平等心現前。我們的心不平怎麼行?為什麼不平?有我,有我就不平,我總比別人強一點,叫傲慢。諸位要知道,有我就有傲慢,你不承認也不行。佛說得很好,為什麼?你有我,你有末那識,末那識是四大煩惱常相隨。什麼時候開始有的?大乘法裡有句話大家都知道,「父母未生前本來面目」,那就是我,不是父母生下來才有我,父母未生前就有我。在我們一般人講靈魂,在佛法講,不叫靈魂,叫靈性。他有沒有我執?有,有我執的時候叫他做靈魂,不叫他做靈性。為什麼?他的活動空間出不了六道輪迴,他在六道裡轉,出不去。為什麼?他迷了。他要覺悟了,他就超越六道,那就不叫靈魂,叫靈性,他活動的空間就大了,那個活動空間是十法界。他也出不了十法界,為什麼?他還有起心動念,因為他無明沒有破。無明破了之後,靈性的名詞也沒有了,叫自性,他還源了,回歸自性。那叫什麼?那叫佛,真佛,不是假佛。一個東西,三個名詞,一而三、三而一。
所以,我們只要一念迷了,迷了就是把自性變成阿賴耶,阿賴耶裡面的三細相,轉相就是末那識,末那識頭一個是我見,我見就是執著有個我。拿什麼當作我?執著阿賴耶的一分,用現在的話來說,一分能量,這大家好懂,用現在名詞,一分物質,或者我們不說能量,說得更清楚點,一分信息;末那是信息,阿賴耶是能量,境界相是物質。現在科學講,宇宙之間只有三樣東西,能量、物質、信息,跟阿賴耶的三細相是一個意思,但是他講不清楚。物質從哪來的?信息從哪來的?能量從哪來的?他就不知道,他就不曉得。佛法裡頭說一體,那就是自性。在不迷的時候是一體,你分不出哪是能量、哪是物質、哪是信息,分不出,就是能大師所講的第三句「何期自性,本自具足」,它有,它不現。它顯現出來的時候,那是有個緣分,那叫一念妄動,起了一念,它就現行,就能生萬法。能生萬法,我是正報,環境是依報,依報跟正報同時起來的,沒有先後。這個在《還源觀》裡面講得很清楚,從一體起二用,二用就是,一個是我們的正報,我出現了,另外一個,我的生活環境出現了,就是宇宙。這個事,現代科學、哲學都沒講得清楚,在佛經上三千年前講得這麼清楚。非常可惜,這些科學家們沒福報,沒看到佛經,要看到佛經,我相信那些人很聰明,一定大幅度的提升他的境界。為什麼說你有煩惱?末那識有我見,跟著我愛,我愛就是貪,我慢,我慢就是瞋恚,傲慢跟瞋恚是連帶的,我痴。所以,我見、我愛、我慢、我痴,四大煩惱常相隨。你怎麼會不傲慢?傲慢是與生俱來的,自然帶來的。一念不覺就迷了,迷了就產生這個現象,實際理體裡沒有這個現象,它的現象是什麼?是智慧、是德能、是相好。一念起來它就迷了,就變成貪瞋痴,這個信息就發生。
也叫真如實相,「真」是講體,能生的,能生能現的本體,「如」是講相,現相。現相是從本體變現的,現相跟體是分不開的,所以叫性相不二。這個也不好懂。古來的祖師大德,佛經上也有說,常常用金跟金器來做比喻,把金比作體、真,金所做的這些器皿那是如,怎麼叫如?它就是金。你說把黃金做一串念珠,這條念珠是不是黃金?是。把它做個戒指、做個手鐲、做個茶杯,都可以做。所以說相如其性,性如其相,性相不二。你從相上就看到黃金,那你真識貨。如果你不識貨,你把金跟這些器分開,我讓你拿黃金來,你看看所有這些器皿上,「沒有,這裡沒有黃金」。鐲子是不是黃金?杯子是不是黃金?碗是不是黃金?全是黃金做的,叫你拿黃金來你找不到,這是什麼?迷了,叫迷了自性。悟了,拿黃金來,隨手拈來,樣樣都是!所以性相不二。性沒有現象,雖然現的現象,相是幻相,它不是真的。所以大乘教裡面常講,萬法皆空,了不可得,這是真的。《金剛經》上講「凡所有相,皆是虛妄」,「一切有為法,如夢幻泡影」,都是給你講真話。這是真如。
實相,實相就是真相,你要認識真相。真相是什麼?相裡頭有性,性相沒有離開,這是真的。性不可得,相也不可得,性要是不可得,相怎麼可能得到?所以一部六百卷《大般若》,佛給我們講什麼?就是講「一切法無所有、畢竟空、不可得」。我們今天煩惱從哪裡生的?不可得的一定要把它得到,你不是叫自找麻煩嗎?你的苦惱沒有邊際。一下覺悟,苦惱就沒有了,真相明白了,不再執著,不再打妄想,受想行識都不可得,都是假的。受想行識從哪裡來的?是從自性裡來的。自性有四淨德,見聞覺知,是真的;迷了之後,從見聞覺知就變出受想行識,受想行識我們稱之為心理,心理是假的,不是真的。真心是清淨的,清淨平等覺,那是真心,妄想分別執著肯定是妄心。
經上講「惠以真實之利」,「惠」是送給你,諸佛如來、本師釋迦牟尼佛在這部經上給我們真實的利益,所以純一真實。這部經「住真實慧,開化顯示真實之際,惠以真實之利,純一真實也」,這是說這個經契理,不但契理,圓滿的契理。「又本經稱為中本華嚴經」,這個話是彭際清說的,他是前清乾隆年間的人,這是我們佛門的大德,通宗通教,顯密圓融,很了不起,他說的,《無量壽經》即是中本《華嚴》;換句話說,《阿彌陀經》就是小本《華嚴》,《華嚴經》就是大本《阿彌陀經》。一而三,三而一,《華嚴》講得詳細,《彌陀經》說得簡要,便於課誦。所以,我在早年講經常常勸年輕同學,真的要把淨土五經一論講透,一定要學《華嚴》,《華嚴》就是五經一論的詳細註解,它是一不是二。
念公此地引的這些話,他說「經中所詮」,這個經裡面所詮敘的、所說的「一切事理,即華嚴之事理無礙、事事無礙之一真法界」。這是說明,《無量壽經》裡所說的內容跟《華嚴經》沒有兩樣,《華嚴》說得詳細,這個地方說得簡要,簡單扼要。我也是讀了這部經之後就不講《華嚴經》了。我年輕學經教,老師方東美先生介紹我讀的經就有《華嚴經》,而且非常偏重《華嚴經》。老師愛好,方東美先生喜歡這部經,特別介紹給我,介紹給我清涼大師的註解,有道理的。我記得弘一大師當年在世的時候,對於知識分子,介紹他們學習大乘經教,也是介紹《華嚴經》清涼大師的註疏。你要接觸之後,能夠有耐心的深入,會法喜充滿,能得受用。但是這個經太長,我早年,黃老居士在六十年初,我也是六十年代初的時候就開講《華嚴經》,也講了十幾年,講了一半。以後講《無量壽經》講得很歡喜,《無量壽經》既然是中本《華嚴》,我就不必教《華嚴》,《華嚴經》自己讀就好了,所以停下來。也真正從《華嚴經》裡面認識了淨土,死心塌地修學這個法門。這些故事,我在以前講席裡都曾經給諸位做過報告。
這次講《華嚴經》是個特殊的因緣,三個人啟請。第一個,台灣的開心法師,都往生了。早年在世的時候,每次碰到我就勸我講《華嚴經》,告訴我,「淨空法師,你要不講,恐怕以後沒人講了」。不止一次,每次見面他都提醒我。我很感激他,但是還沒有動心。第二次在北京,我去拜訪黃念祖老居士,老居士很嚴肅的,也很慈悲,請我講《華嚴經》。我也很感激他,他也是想到這個,以後能講這部經的人不多了,我都沒有動心。第三次是華藏圖書館韓館長在病重的時候,實際上在她往生前兩天,非常懇切的要求我把《華嚴經》講一遍,完完整整的講一遍,留一套錄像帶。那時候錄像,還沒有光碟,光碟不普遍,拍電視的時候還是這麼大的盒子,用帶子錄的,希望留一套完整的錄像帶給後人做參考。我因為她病了,病得那麼重,我就安慰她,我就答應,我說好!等妳病好,我來講。兩天之後她往生了。三次。
她老人家過世之後,我們就離開台灣到新加坡,在新加坡居士林講經。我跟李木源居士談到這樁事情,李木源居士非常歡喜,他說我代表這三個人向法師啟請。他那麼一認真,好吧!我們這次的《華嚴經》就在新加坡居士林開講,講了這麼多年,講了四千多個小時。講了多少?大概全經的五分之一。所以,這部經要像我這個方法把它講圓滿,大概需要多少小時?兩萬多個小時,肯定超過兩萬小時。我還能有這麼長的壽命嗎?長經短講,行,二年、三年也能把它講完。可是現在人聽經,愈詳細他愈有味道。像古時候人講經的方法,別說太古,就像我老師李炳南老居士講經的方法,現在一般人都很不容易接受。太簡單了,聽不懂,這是講契機的問題。跟現代人講,要講透,要講清楚,要講明白,他真聽懂了他生歡喜心。真是有難處!
這一次我跟同學們說了,我把《華嚴經》暫時停下來,我想停一年,這一年的時間,把這部註解講明白、講清楚。為什麼?這是中本《華嚴》。現在整個世界,社會動亂,災難頻繁,這一個月,同學們送一份資料給我看,三月四號到四月七號,一個月時間,全世界發生六級以上的地震十一次,印尼發生海嘯,這樣頻繁、這樣密集。許多同學看過「2012」的影片,我是四、五十年沒有看過電影、沒看過電視,同學們拉著我一道去看。我看了,回來我告訴大家,我說這不是偶然的,全世界聯映,在我們學佛的人說這是一種感應,上天給人類的警告。如果不懺悔,如果不回頭,不能斷惡修善、改過自新,怕的這種災難會是真的,它不是假的。
最近這兩年來,我們做三時繫念佛事,我提倡做四十九天。正在開頭的時候,第一天還是第二天,道場裡面就有個同修被附身,來找我,我問他什麼事情?他說:你不曉得,現在災難很嚴重,時間很長,給我說出嚴重的程度。我說:大約多長?他說:大概是三年到五年,這麼長的時間。他說:你四十九天佛事收不到效果。我說:怎樣才能收到效果?他提議是一百個七,就是繫念佛事要做七百天。我聽了之後,我說:好,你走吧!然後我就找實際禪寺滿成老和尚,他也往生了,去年往生的。我跟他商量,我說老和尚,怎麼樣?老和尚一口答應。所以在實際禪寺,第一次做一百個七,七百天的繫念佛事,鬼神附身來要求的。這個法會到三月二十五日才圓滿,七百天。
現在看到災難愈來愈多,當時我在台灣治牙齒,牙周病,我告訴悟道法師,他的道場在台北,我說你回來之後,在台北啟建七百天的佛事。悟行法師在台南,我說你在台南也做七百天的佛事,我配合你們啟講《無量壽經》。所以他們都歡喜。我說我們講這部經冥陽兩利,希望將講經的功德迴向給虛空法界,希望能化解災難;縱然不能化解,讓災難減輕、延後,這是我們能夠相信的。這是這次我們講經的因緣。我們希望把這部經,這是夏老用十年時間,給我們會集這樣完美的一個標準的本子,黃念老不顧年老、多病,夜以繼日、不眠不休完成這個著作,我們要不認真努力好好的學習,怎麼對得起這兩個老人?
所以,我告訴我們這些同學們,我們大家發心,真正要拯救這個災難,能不能?答案是肯定的。如果這個世界上有一個真正如法的道場出現,咱們整個地球上的災難都沒有了。什麼道場?僧團。什麼叫僧?僧的意思是六和敬,裡頭有六個條件,這六樁事情都做到了。就是四個人以上在一起修行,這叫眾,這就是一個團體,遵守佛陀的教誨。「見和同解」,這就是我們現在人所說的建立共識。我們在一起修學的人,思想一致,見解是一致的,沒有矛盾、沒有對立,這是六和裡最重要的一個條件。第二「戒和同修」,大家在一起一定要守規矩,規矩是什麼?規矩是戒律。第三個是「身和同住」,我們住在一起。「口和無諍」,大家是一團和氣,沒有爭論。「意和同悅」,在一起修行、在一起生活歡歡喜喜,法喜充滿。最後一條「利和同均」,也就是我們在物質生活上的待遇是平等的,沒有哪個人有優越的。這是釋迦牟尼佛當年在世,他僧團裡面有這麼簡單六個規矩,他的僧團很大,一千二百五十五人,我們在經上常常看到,人人都能夠遵守這六條。現在能出現這麼一個僧團,佛在經上告訴我們,一切諸佛護念,一切天龍善神擁護,你這個地方不會有災難。但是這樣的僧團,我在三十年前第一次,一九七七年到香港來講經,我遇到洗塵法師,我們非常投緣,很談得來,他也是香港佛教領袖之一,也早幾年都往生了。我就跟他談到這個問題,我說我們能不能發心,找五個出家人,志同道合,五比丘,我們來落實六和敬,來組這個僧團?他聽了很歡喜。我在台灣,他在香港。談得很歡喜,沒法子落實,不容易!現在道場,兩個人住在一起都吵架,那怎麼行?真能出現這個僧團,這一個地區災難就化解了。有沒有人肯真幹?
怎樣才能落實?做到無我就落實了,起心動念想別人,如果起心動念第一個念頭想自己就不能落實。入佛門,頭一關破我執。見思煩惱裡面的見惑,五種,頭一個就是身見。認定這個身是我,一切都是為我身去著想,壞了,自私自利、名聞利養、五欲六塵、貪瞋痴慢全起來了,怎麼能跟人家和合?所以,不再執著這個身是我,不再跟別人對立,不但不跟人對立,跟一切事不對立,跟天地萬物不對立,那叫破邊見。然後再破成見,我們講某人成見很深,我以為怎樣;我以為怎樣,就不能修隨喜功德,就不能恆順眾生。必須把成見放下,你才能修隨喜功德,才能夠修恆順眾生,這才是入佛門的第一步,小乘是須陀洹,大乘是《華嚴經》上初信位的菩薩。雖然才入門,那個功德就不可思議,所以一切諸佛護念,你是真的佛弟子,佛怎麼會不照顧你?龍天擁護,鬼神尊敬。這樣一個僧團出現,這個地方就有福了。有沒有四、五個人真肯幹?捨己為人,起心動念為釋迦如來正法久住,起心動念為這個世間一切苦難眾生,不要想自己,把自己忘掉,才能做到六和敬。
現在災難現前,我跟大家講過,劉素雲居士也跟諸位報告過,很難得,我們要做怎麼樣看法?要像印光大師所說的,把「死」字貼在額頭上。印光大師的關房我去拜訪過,蘇州靈巖山寺,關房裡面一個小佛堂,不大,大概只有我們攝影棚一半大,佛像背後寫了一個字,他老人家自己寫的「死」字,這一個字。天天想到,死到臨頭了,你還有什麼放不下的?所以我們在今天看了「2012」之後,我跟大家說,我們要把今天當作我這一生最後的一天,明天早晨起來,我又是最後一天,天天都是最後一天,你就什麼都放下了,你才能得到清淨心。來到這個世間兩手空空而來,走的時候還是空空而去,什麼也帶不走!一心想佛,心裡什麼都不要放,只有阿彌陀佛,一個方向,一個目標,一個方向是西方極樂世界,一個目標是到極樂世界親近阿彌陀佛。就這一念,除這一念沒有第二個念頭,萬緣你才真放得下。災難來了怕不怕?不怕。我天天想阿彌陀佛,天天想極樂世界,終於時候到了,我去了,絲毫恐懼都沒有!天天在等待,天天在嚮往,這就對了,這不是消極,這是積極。我這一天,這是我最後一天,我必須斷惡修善,我必須積功累德,為什麼?提高自己品位,應該的。苦難眾生,我有一天、活一天,我全心全力幫大家一天,我幫大家一天,心地乾乾淨淨,就是三輪體空,絕不著相,念念不捨阿彌陀佛。真能作如是觀,真幹,能夠有四、五個人,和合僧團就建立了,在哪裡?就在這個小道場,這個小道場光照大千。我們學過《妄盡還源觀》的人都知道,念頭才一起,立刻周遍法界,這是講信息,靈通,毫無障礙。速度比光的速度快,比電磁波的速度快,念頭才起,周遍法界,諸佛菩薩知道,天龍鬼神也知道。自己在這一生當中要有堅定的信心,這一生當中決定成佛。現在我們學這部經,這部經就是引導我們,一門深入、長時薰修,一生成就圓滿菩提。
所以經裡面所講的,就是《華嚴經》上講的「理事無礙,事事無礙」,無障礙的境界就是一真法界,西方極樂世界是一真法界,華藏世界是一真法界。「華嚴祕奧之理體,正在本經,故云契理」,這個經上跟《華嚴經》上講的完全相同。「至於契機,則更是本經之獨勝」,這句話講得好,獨勝。世尊四十九年所說的一切經,講契機的話比不上這部經。所以這部經世尊當年在世多次宣講,為什麼?它契機。這個方法任何人都可以學,簡單、容易、穩當,成就還特別殊勝,這種法門到哪去找?「經中之持名法門,普被三根,齊收凡聖」,這是獨勝。用的什麼方法?用念佛的方法,念佛的名號。你念四個字行,阿彌陀佛;念六個字也行,南無阿彌陀佛。這六個字都是梵文音譯的,「南無」意思是皈依、皈命、尊敬,有這些意思,這是南無的意思。「阿」,都可以翻成中國字,「阿」翻作無,「彌陀」翻作量,「佛」翻作覺,無量覺。無量覺是什麼?是自性。所以這個名號是我們自己,就是當人自性的名號。中峰禪師在繫念法事上講得好,阿彌陀佛是自性彌陀,西方極樂世界唯心淨土,不在外面。一切法不離自性,彌陀跟極樂世界也不離自性;換句話說,是我們自性變的,自性彌陀。再說白一點,自己念自己,我不念貪瞋痴慢,我不念自私自利,我不念名聞利養,我念自性,自性是無量覺。大經裡面常常講,我們聽得多、學得多了,「一切法從心想生」,你想什麼就現什麼境界,我今天想阿彌陀佛,我想我的自性的性德,哪有不成就的道理?明心見性就是妄盡還源,用這個方法無比的殊勝。
「普被三根」,三根是上中下不同的根性,都能學。「齊收凡聖」,凡夫能學,能成功,聖人也能學,也能成功。「上上根者,正好全體承當」,上上根是誰?文殊菩薩、普賢菩薩、觀音、勢至,這是聖人,上上根人。真的,我們在《華嚴經》上看到,文殊、普賢都發願求生西方極樂世界。我跟諸位同學報告過,我年輕的時候原來以為佛教是迷信、是宗教,不願意接觸,碰都不碰。以後跟方東美先生學哲學,他是從教科書裡面告訴我的,他給我講佛經哲學。我向他請教,我說佛教是迷信,多神教、泛神教,是低級宗教,它怎麼會有哲學?他告訴我,他說「你年輕,你不知道,釋迦牟尼佛是全世界最偉大的哲學家」,我從來沒有聽過這個說法,「佛經哲學是全世界哲學的最高峰,學佛是人生最高的享受」,我才把過去錯誤的觀念修正過來。他告訴我,這個開導非常重要,「佛法在經典裡面,不在寺廟裡」,這個指導太重要了。如果我們到寺廟裡面去看,看不到,都看的是迷信,那不老師講的話是假話?所以他也是怕我起這個疑惑,在經典裡面,叫我到經典裡面去找佛法,從經典裡面去學習。
以後沒有隔多久,我認識章嘉大師,章嘉大師教我向釋迦牟尼佛學習。教我讀的書,那是我最早讀的佛書,《釋迦譜》、《釋迦方志》,就是釋迦牟尼佛的傳記,他說你要學佛,先要認識釋迦牟尼佛。讀了之後才曉得,釋迦牟尼佛原來跟宗教不發生關係,用我們現在的眼光看,他是什麼人?職業老師,一生教學。三十歲開悟之後就開始教學,七十九歲往生的,走的,教學四十九年,樂此不疲,跟孔老夫子一樣,有教無類,來者不拒,去者不留。一生的教學工作,沒有建道場,山林、樹下,常隨弟子不少人,一千多人。還有不常隨,臨時來的,我估計他教學的場面應該是在二、三千人左右,應該是這樣的,包括臨時來聽的,應該有這麼大的場面。使我們想像,在當時沒有這些擴音器,釋迦牟尼佛講經,經上講的音聲,那麼大的場面他能夠貫注、能夠攝受,這不是平常人能做到的。又何況「一音說法,眾生隨類各得解」,這是我們知道,來自四面八方的人語言不一樣,但是釋迦牟尼佛講經說法都能聽得懂,這也不是容易事情。都能聽得懂,都能接受,是個好老師。
佛教變成宗教,變成現在這個樣子,我們要知道很晚很晚,大概我想應該在嘉慶之後。我們在乾隆的時候看到還是教學,那些寺廟裡面的高僧大德天天講經,天天在教學。乾隆以後是嘉慶,嘉慶以後是道光,總在這個時候慢慢的變質。我想真正大幅度的變質應該是在慈禧太后的時候,慈禧太后迷信,她許多事情不像從前的帝王向高僧大德請教,慈禧太后宮廷裡面不再講經。清朝宮廷裡面,經常不斷邀請儒釋道的高人講學,這個制度是慈禧太后把它廢棄,宮廷裡頭不再講學。她喜歡扶���扶鸞,這個事情是章嘉大師告訴我的,國家大事問神,扶鸞裡頭問神,所以亡國了。我想這個影響非常大,上行下效,所以佛教變成宗教。今天說佛教是宗教,我們不能夠否定,但是我的老師章嘉大師跟方東美先生都教給我學釋迦牟尼佛。我們學習經典,經典裡面有寶,有好東西,它能幫助我們回頭,幫助我們明心見性。所以上上根人正好全體承當,完全接受,這意思是完全接受。
「下下根者,亦可依之得度」,你依照經典講的理論跟方法認真去做,你能往生,往生就成佛,這個事情是真的不是假的。「上則文殊、普賢法身大士,亦均發願求生」,這講上上根;「下至五逆十惡」,無惡不作的這些人,「臨終念佛」也能夠「隨願得生」,這很了不起!什麼叫五逆?什麼叫十惡?今天時間快到了,沒時間講,明天我再跟諸位講,因為有很多同修不曉得什麼叫五逆,什麼叫十惡。這樣惡行的眾生,臨命終時遇到別人勸導他,他能信,他真能夠懺悔,真能夠念佛,也能往生。真不可思議,不是假的。「橫出三界,圓登四土」。今天時間到了,我們明天再來學習底下這一段。
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「深入りするな。消されるぞ」と忠告され…アメリカ亡命中の研究者が決死の告発「新型コロナは『中国軍の生物兵器』として開発された」
かつては根拠薄弱な陰謀論とも言われていた「研究所流出説」。しかし、ここに来て米エネルギー省やFBIが、ウイルスは中国の研究所から流出した可能性が高いと指摘。重要人物がついに口を開いた。
隠蔽に躍起になる中国政府
世界で約7億人が感染し、約700万人が死亡したパンデミックはなぜ起きたのか―その秘密の扉がいま、静かに開かれようとしている。
「新型コロナウイルスは中国軍の生物兵器として開発され、意図的に武漢にあるウイルスの研究施設から漏洩されたものです。世界はその起源を知るスタートラインに立っています」
誰よりも早く「武漢起源説」を唱えて中国を追われ、現在、アメリカに亡命中の閻麗夢博士は、本誌の取材に対してこう断言する。
いま、アメリカで新型コロナの発生起源に大きな関心が集まっている。今年2月に米エネルギー省が、「武漢のウイルス研究所から流出した可能性が高い」とする報告書をまとめたことをはじめ、米連邦捜査局(FBI)のクリストファー・レイ長官も、2月28日放映のFOXニュースで「研究所の事故である可能性がもっとも高い」と述べるなど、次々と「研究所起源説」を支持する声が上がっているのだ。
その源流を作ったのが、イェン博士である。この4年間、決死の覚悟で「武漢研究所流出説」を訴え続けてきた博士は、世界保健機関(WHO)認定のウイルス研究の権威である香港大学公衆衛生学院の研究員だった。'19年12月、武漢で広がり始めた原因不明の感染症の調査を命じられた彼女は、感染拡大の隠蔽に躍起になる中国政府の姿を目の当たりにする。
「調査を始めた時、すでに武漢はパニックでした。調査を命じられた翌日、最前線で奮戦していた李文亮医師(後に感染して死亡)は、原因不明の肺炎が広がっているとSNSで警鐘を鳴らしたところ、中国政府に処分されました」
「深入りするな。消されるぞ」
イェン博士は、その後、香港大学の研究所の上司から「武漢の人々がラクーンドッグ(タヌキ)を食べるという情報を集めてほしい」という不可解な指示を受ける。
「同じコロナウイルスで肺炎を引き起こすSARSが'02~'03年に流行した時、まずハクビシンが宿主となって人間に感染したことを突き止めたのは香港大学でした。中国政府は新型コロナでも、中間宿主を動物とするストーリーを描き、それを権威ある香港大学に公表させたかったのでしょう」
しかし、いくら調べても武漢の市場にタヌキは売られておらず、武漢の住民がタヌキを食べるという情報もなかった。
一刻も早く感染拡大の危機を世界に公表しなければならないはずだが、政府や香港大学にその様子は見られない。'20年1月19日、イェン博士はやむなく、アメリカの中国語メディア『路徳社』で武漢の惨状を公表する。
「香港大学の上司から『深入りするな。消されるぞ』と警告されました。背後に中国当局の意向があることは明白でした。私は身の危険を感じ、4月28日にアメリカへ亡命しました」
亡命を果たしたイェン博士は、新型コロナの特徴と中国のプロパガンダ戦を告発する3つの論文、いわゆる「イェン・レポート」を、研究データのオンラインプラットフォーム「Zondo」に発表。'20年9月に公表された第1弾では、新型コロナが人為的に作製されたことを告発している。
「自然発生説によれば、新型コロナウイルスはセンザンコウやハクビシンなどの中間宿主内で変異し、人間への感染確率を高めるとされています。しかし、新型コロナウイルスには人間の細胞と結合しやすいスパイクタンパク質が含まれており、これは自然発生説の中間宿主に関する理論や実験結果と一致しません。そして、これらの部位には、人為的な改変の痕跡がはっきりとあります」
https://news.yahoo.co.jp/articles/09597c4d0121190fb0934cca43bca947770dca43
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024)4月10日(水曜日)
通巻第8209号 <前日発行>
イエーレン訪中が意味することは何か?
過剰生産の警告は、すなわち『習近平の経済路線は間違いですよ』の暗喩
*************************
ジャネット・イエーレン米財務長官は4月3日にワシントンを立ち、4日に広東省に到着した。何立鋒副首相等と会談し、はやくも中国の過剰生産問題に言及した。世界貿易秩序の波乱要因として懸念を表明した。
ところが中国のメディアは、イエーレンが前回訪中時にビールを飲んで、奇妙なキノコを食べていた写真を配信し、今度は何を食べたか等とへんな記事を配信していた。
訪中前の講演でもイエーレンは「世界の価格と生産パターンを歪め、米国ばかりか世界中の企業と労働者に打撃を与える」と発言している(3月27日、ジョージア州での講演)。
王文濤・商務部長は、三日後にはパリでBYD展示会にのぞみ、イエーレンの主張に対しては、「補助金の所為ではなく、中国のイノベーションの賜物であり、過剰生産と言われるのは市場メカニズムの結果である」と米側の主張に反駁した。
すでに米国は中国製EVに25%の報復関税をかけており、トランプ前大統領は、これを60%とすると唱え、またメキシコ製の中国車には100%関税をかけると訴えている。
ジョシュ・ホーリー上院議員は125%、おなじくマルコ・ルビオ上院議員は「中国車一台あたり2万ドルの追加関税をもとめる法案」をすでに議会に提出した。
この動きに応じたのか、中国のEVメーカーはタイに進出し、値下げと補助金で攻勢をかけ、日本が圧勝してきた市場を蚕食し始めた。
中国EVのタイ進出はBYDに加えて長城汽車、長安汽車、浙江吉利など、低価格帯EVや大幅値引きでタイのシェアを増やしている。
過剰生産への懸念か。なるほどマンションの過剰生産(建てすぎ)は人の住まないマンションが30億人分もある。どう処理するのだろうか?
辺境で乗客のいない新幹線も、高僧道路も造りすぎ、テーマパークもあちこちに建てて、いまはペンペン草が生えている。海外にも過剰生産の付け足しのようにBRIプロジェクトで各地にゴーストタウンを造った。
中国経済の構造的欠陥はGDPに占める個人消費がすくないため(37%、米国は65%、日本は60%)、外需に依存し、さらに海外マーケットを獲得するためにダンピングと補助金をつける歪んだ体質である。これは不公正な慣行だと米国側はみるが、米国に限らずWTO違反は明らか。日本も中国製太陽光パネルなどに100%の関税をかけてしかるべきだろう。
▼それでも「ウィンウィンでいける」と李強首相
「過剰生産」をイエーレンは重大な懸念だと繰り返し述べたが、中国側は聞く耳がなかった。北京では李強首相、劉鶴 ・前副首相らがイエーレンと会談した。中国側は米中対決というタイミングゆえに、むしろ異例の厚遇ぶりを示した。
李強首相は決められた台詞。「敵対関係ではなくパートナーであるべきだ」と歯の浮くような発言を繰り出した。
直前に中国政府は鉄鋼の減産方針を全国に通知し、過剰生産対応のジェスチャーを示したが、鉄鋼、造船、風力発電、太陽光パネル、そしてEVと、その廉価というよりダンピング輸出は世界市場を潰乱させた。
風力発電の世界シェアは中国メーカーがトップ5を独占し、「金風科技(Goldwind)」「遠景能源(Envision Energy)」「明陽智能(MingYang Smart Energy)」「運達股分(Windey)」「三一重能(Sany Heavy Energy)」の順となっている。メーカー乱立で収益は殆どないというのが業界の評判だ。
中国製太陽光パネルはトリナ・ソーラー、カナディアン・ソーラー、ジンコソーラーホールディング、JAソーラーが譲位を独占しており、世界の太陽光パネル出荷量の上位四位を寡占した。じつに世界出荷量のうち71%が中国系企業が独占した。日本列島各地を埋め尽くしたが、不評ばかり。おまけに土砂災害を引き起こした。
ついで中国製EVがEU市場を攪乱し始めたため、EU委員会は重い腰を上げて規制に乗り出す。かくしてイエーレンの警告は世界市場すべての問題なのである。
ようするに不動産関連で墜落した中国経済の補完を、EVを筆頭にクリーンエネルギー関連、バイオなどに転化しGDP成長率を堅持しようとしているのだ。
▼毛沢東の亡霊、ノルマという強迫観念が国有企業に取り憑いている
習近平の経済の理解は社会主義時代のノルマであり、強迫観念のように国有企業の宿痾、中国人の体質なのである。だから馬雲やテンセントなど欧米並みの起業家が育っても、民間企業はかならず規制され、あるいは潰される。起業家精神は大きく削がれる。だから若者は国を棄てることになる。
4月8日、訪中最終日に記者会見に応じたイエーレン財務長官は「中国政府による特定産業への補助金などの支援が原因だ」し、「米国や世界の労働者や企業に大きなリスクをもたらす」と改めて強調した。
入れ違いにセルゲイ・ラブロフ・露西亜外相が北京に到着した。ロシアは中国との戦略的パートナーシップをさらに強化するため、とラブロフは語った。
ラブロフ訪中はプーチン訪中の地ならしと言われる。
またイエーレンは習近平とは会わなかったが、おりしも訪中している馬英九・台湾元総統が4月10日に北京で習近平と会談する段取り、日米首脳会談に日程を意図的にぶつけてきた。
イエーレンは北京で潘功勝・中央銀王総裁とも会っているが、嘗てFRB議長の経験があるからだ。結局、中国は米国側に歩み寄る姿勢を示しつつ、一方でバイデン政権の半導体輸出規制にはつよく反発し、「米国の対中経済・貿易制限措置に深刻な懸念がある」とした。「米国は自由競争という資本主義原理に基づいて行動すべきである」と耳を疑うような発言もあった。
半導体は技術窃取や台湾、韓国からのエンジニアのスカウト、米国における「千人計画」などで、すでに7ナノ半導体生産の技術を獲得したと、米国のシンクタンクが報告している。
米国はこのため3ナノ、2ナノ生産工場をアリゾナ州に誘致し、台湾のTSMCに1兆円もの政府支援を行って、工場をいちどに三つ建設中である。
しかしTSMCは14ナノならびに1ナノの研究と開発ラボを台湾に集中させているため、米国は次世代半導体技術の中国への漏洩を警戒している。TSMCの熊本工場は28ナノで家電、スマホ向け需要に対応するためであり、予定されてい���熊本第二工場とて、7ナノにとどめる。
日本がIBM支援のもと、官民挙げていどむラピダスは、北海道千歳で2027年に2ナノ半導体生産を予定している。
▼中国の大手不動産会社、デフォルト続く
さて不動産デベロッパーが倒産しているのに倒産しないという「ゾンビ軍団」はその後、どうなっているのか。
地方銀行、中小銀行の不良債権を肥大化させ、こんどは銀行の経営危機を招来させている。哈爾浜銀行は不良債権率が44%増えた。遼寧省の地銀、錦州銀行は上場廃止、江西省九江銀行は不良債権が三倍ちかくに膨らんだ。甘粛銀行は2・7倍、貴州銀行は五割近く不良債権を増やしていた。
準大手以下の27行の不良債権合計は2兆2300億円と今のところ軽いレベルだと言い張っているが、不動産大手のデフォルト処理が進んでおらず、とくに外貨建て債券が軒並みパンク、不動産不況の実態は、24兆円が不良債権だろうと推計される(それでも少なすぎるが、いずれ別稿で触れたい)。
中国最大のデベロッパー「碧桂園」も、ついに23年10月にドル建て債権99億ドルをデフォルト、第二位だった恒大集団の破産はいうに及ばず、世茂集団は二年前の米ドル債10億ドルのデフォルト、ドイツ銀行などが香港高等裁判所に法手続きを申請した。
このほか、大手の万科、華潤、融創、遠洋などが業績不振に陥っている。それぞまさしく供給過剰(生産過剰)の悪例ではないのか。
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ジョージア再発見の旅
出発前日。火曜日。 ジョージア西部のアチャラ地方でワイン造り修行中のカンジから電話がかかる。 「もしもし、お疲れ~。」とはつらつなカンジ。 「もしもし、お疲れ様です。元気ですか」と自分は応答する。 「元気やで~」そしてカンジは申し訳なさそうに続ける。「いや、前に言ってたぶどう収穫の日、明日か明後日になりそうで、来れる?」
今後の天気予報が四日後に雨だとかで師匠が収穫を早めたそうだ。自分はケンさんに携帯を持っていき、三人で相談する。「いつでも出れるけど、ゾノさんも行きたいって言ってたし、一回相談するわ」とケンさんが電話を切る。
そしてゾノさんに電話をかけ、翌日、車の後輪が未だにスペアタイヤなので、タイヤを交換してから、出発する事で決まる。 その予定をカンジにも連絡し、家に残ったご飯を食べる。この前作ったラーメンがまだ残っているのだ。おまけに麵は消化が早く、小麦粉は身体に吸収されにくいのか、食べても食べても、お腹が膨れる感じがない。食べた直後は、多く茹で過ぎたと後悔するのだが、三十分後に胃が空いてる気がする。
作ったラーメンはカレーラーメン。日曜日に子供達と日本のカレーを作ったのだが、その残ったカレーと鶏がらスープを混ぜて、旨かった。
翌日、朝九時四十分に太陽の日差しで頭が暑くて目が覚める。実際は庭のソファで寝ずに色々と想うことに耽っていたら、朝七時とかでそこから目を瞑った瞬間、頭が熱かった。 久しぶりにカンジと会えることや、ゾノさんやケンさんと旅行に出れるって事で、自分はウキウキと遠足を待ち望む子供のように寝れなかったのだ。何はともあれ、十時前に起きれた自分を褒めてやりたい。 11時頃、ゾノさんを拾いに出発。家まで行くとすぐに登場。 「おはようございます。」とゾノさん。「いや実はもう一人一緒に行きたいと言ってる日本人がいるんですが、今連絡取れないんですよね~」と続ける。
その人は日本で畑を持っておりぶどうとワイン作っているそうだ。まずタイヤを履き替え、連絡を待ってみようということになり、途中見つけたタイヤをバラ売りしている修理屋を発見。「今出来るか?」、聞くと「どうした?」との返答。「タイヤ交換したいんやけど、四本交換できる?」 すると修理屋の兄ちゃんはタイヤの状態をチェックした後「この一本だけ変えればいいやん」とスペアタイヤを指差し言ってくる。ほかの三本も表面ツルツル気味で、これで大丈夫やと思うか尋ねるとあと一、二か月は大丈夫でしょうとのこと。いやそれなら今変えても一緒でしょと皆言うが、一本だけだと安いのもあって、それで交換してもらうことに。
修理屋の兄ちゃんはその後、テキパキと作業を進め、最後に全部のタイヤに空気を詰めてくれると、二十分くらいで、どうぞと車を渡してきた。 自分たちの予想では、二時間は色々なごちゃごちゃした事で長引くだろうと思っていたが、実際二十分位で済んでしまい、その日本人を探す事に。
まず一緒に住んでるタクには電話し繋がらず、取り敢えず家がある方向に向かって車を進ませるかと話していたらタクから折り返しの電話。 「おいっす~」相変わらず調子の良いタク。「そっちどんな感じ~?」 「おっす~」釣られて自分たちも返してしまい、変な感触。「いや実は、その一緒に住んでる日本人探してるんやけど、今家おるん?」 「ジュンさん? いや、居ないね」とタク。「なんか携帯をまた修理しにステスク行ったよ」 「おお、マジか」ちょうどステスク手前に居た自分たちはそのまま探しに行くことに。「ありがとう。因みにどこらへんか分かる?」 「そう、あの携帯を一階と地下で売ってるところあるやん、ちょっと奥んところの。」とタク。
「オッケー、了解。じゃあまたー」と了解してしまった自分は電話を切り、皆と予想を立てる。自分は一階と地下という情報を基に考えると路面店ではなく、銀行裏の建物の中だろうと思い、そこへゾノさんと探しに行く。建物の中でゾノさんと二手に分かれ、探し始めた五分後、ゾノさんから着信。
「見つけました。番号55のショップです」とゾノさん。
すぐに向かい、状況をケンさんに報告する。ケンさんは忘れた上着を取りに家に向かっており、「向かうとき連絡するからちょっと待っといてくださいって伝えてくれや」とのこと。 修理がまだ終わってないらしく、一緒に待つ間にゾノさんからジュンさんの話を聞く。昨日買ったiPhoneがまた壊れて修理に来たそうだ。何かとトラブル続きな旅だそうで、トビリシに辿り着くまでにも香港とニューデリーでの出会いや話も色々あるそうだ。運もその分良いらしい。
今回、こうやって簡単に見つられたのも何か引き寄せたのか、引き寄せられたのか。 その後、珈琲シバきジュンさんの荷物を取りに行って二時過ぎトビリシを出発。良い感じの予定通り。
トビリシを出るころ、タクミから連絡。「どう見つけれた?」 「バッチリ確保しました~。ありがとう。」と自分。「行ってくるわ~」
「いってら~」とタクミ。 向こうにカンジからはもうバトゥミで待っているとのメッセージが。気が早い。彼もウキウキしているのだろう。 バトゥミまで六時間弱かかるのだが、軽自動車のUZUFitでは無茶も出来る訳じゃなく、六時間強掛かって、バトゥミ入り。 道中、二回犬が高速道路に飛び出してきたり、眠気に打ち勝てない気がしてきたり、運転ってのは意外と疲れる作業だったと改めて思った。 一回目ももちろん危なかったのだが、二回目はタイヤが滑り前の車とぶつかりそうになった。
バトゥミでは渋滞にハマり、ちょっとケンさんはイライラしていた。 ホステルのおじさんを呼び出し、案内してもらい、着くころにはカンジと愛犬ヘイリーが宿前で待っていた。また大きくなったヘイリー その後、カンジ君の音頭で飲み会が始まり、西ジョージアご飯を味わいつつ、久しぶりに聞くカンジの話や皆の合の手を見てると楽しく、良い時間だった。結局、明日早朝出発だと言うのに、二時半まで飲み続け、翌朝カンジ君が来たのは朝七時過ぎ。本当は六時半集合だったのだが、まあ仕方ないだろう。
自分は六時半にはもう起きていたのだが、カンジ君が来るまで二度寝。その時も身体の中にアルコールを感じていた。
バトゥミからその畑まで二時間ちょっと。山道を村々を通り抜け、途中シュアヘビという村で小休憩。お腹に何か入れようという話になり、メグルリハチャプリとお茶を飲む。その時、興奮有り余るカンジ君はどっかから手に入れてきたチャチャを持ち出してくる。ショットグラスをカフェの主人から貸していただき乾杯する。結局付き合ってしまうゾノさんと自分。朝にはチャチャ三杯とハシというスープを飲むと二日酔いから完全復活するという話で、皆飲み会の翌日とかはそれで仕事をしているとかなんとか。ただの迎え酒な気もするが、身体に気力が巡る感覚はある。気合十分でワイン収穫に挑む為、車に乗り込み、出発する。道中、一曲カンジ君のカラオケを聞き、畑に到着。着いたはいいものの、車が上まで上がらない。あともうちょっとの所で登らなくなってしまったのだ。残りの四人で押し上げ何とか駐車する。ヘイリーははしゃいでるのか、走り回っている。急な斜面にある畑で、ぶどうは美味しかった。
着いた頃は、十一時辺り。早速仕事を始める。けども、三時間ちょっとで車に積める量、限界に到達。 二時か三時には終了と言われ、何だか肩すかしを喰らった。横にある建設途中の建物の三階にあがり、休憩する。そこでチャチャの効果��薄れてきたのか、ソファに腰かけた瞬間、少しの間、眠っていた。
その畑がある村は元々カンジの師匠の先祖が治める地域だったらしい。カンジの師匠の家系は元王族で、オスマン帝国が攻めて来た時に城を壊され、その跡地にモスクを建設されたそうだ。今もまだ残るしっかりした石積みの城壁の上にモスクやイスラム文化は残っており、コーランが流れてきた。師匠の先祖は戦って殺されたそうだ。
休憩の後、文化として収穫の後は畑で集まってご飯を食べたり、宴会的なのがある様なのだが、師匠のところは人手もあまりないのと、ぶどうの収穫の後は、すぐに潰して甕に入れるのが好ましいとの理由で、ご飯はなしでそのままワイナリーに帰り、ブドウを潰す予定だったのだが、やはり師匠が何かしら作ってくれて簡単な宴会を開いてくれる。4、5年物のワインを飲み、ご飯を食べ、最後に珈琲まで出してくれる。ジョージアの客人に対するおもてなしは手厚く自分は居心地が少し悪く感じる。自分の気持ち的にはカンジ君がお世話になっている師匠のところへ手伝いに来たわけで、客人のつもりで来ていない。と言う訳にも行かず、しっかりもてなされた。
その後、ワイナリーまで戻り、ブドウを潰してクヴェブリという埋まった壺にブドウ汁を注ぎ、五パーセント位の潰した皮や種を入れ、その日の作業は終了。昔ながらの製法でブドウを潰すので、なかなか時間がかかり、終わったのは十一時辺り。
そこから師匠の奥さんが作ってくれたご飯とワインで宴会。ジョージア流の宴会では乾杯の時は音頭が終わるまで話を聞いていなければならず、加えそのワインも一気に飲み干さなければならない。 と言う事で、終わって飲み干せば、急いでご飯を食べ、また一気というループが一時間半続き、宴会は終了。
その後、用意してもらった部屋に行き、ベランダでこそこそ喋って朝五時就寝。部屋にはクイーンベット一台だけで、ケンさんと少し恥ずかしくなりながら、並んで寝た。
翌日、今日もまた収穫に行くのかと思いきや、ぶどうがまだ熟しきっていないということなので、収穫は延期に。カンジ君がいつまでも起きてこず、師匠の息子に竹はどこで手に入るかと聞くと俺持ってるぞと。庭を見せてもらうと竹林がなっており、そこから一本太めのやつを切っていただく。車に乗せると笹の葉で一気にジャングル。そのあとまたコーヒーを頂き、ワインを買って、二時過ぎにカンジ君と分かれワイナリーを出発。やけに寂しそうなカンジ君とヘイリーに見送られた。
コブレティの方まで行き、昼飯を食べる。観光客に有名な大衆食堂らしく、賑わっている。 西側のジョージア飯は味付けが変わっており、また新たな味わいで美味しい。ムツヴァディという豚肉の串焼きは肉が漬け込まれて、柔らかく美味しい。他にも、スープなんかはもっと辛かったり濃かったり。その食堂ではビールがなくなっていたのがとても残念だった。
その後、クタイシから一時間下にあるヴァ二という所から東側にある天然温泉に皆で向かう。
車には竹が積まれ、ケンさんは左側のミラーが見えず、追い越すときや道路に出るときは自分がチェックしなければならず、気が休まらない。高速道路では車に乗り疲れたのか、ちょくちょくウトウトしてきてしまう。そんな時は健さんも同じように眠たくなっているようで、二人で何とか高速道路を乗り越えた感じがある。
夕方、日が沈む前に温泉に到着。先客も居ないので、さっさと服を脱ぎ捨て湯につかる。 気持ち良すぎて、自分はテンションMax。先輩らからも興奮してんな~と言われる。 上は空で、西の方じゃ太陽が沈みそうで、空が赤黒く染まっていき、月も南側に顔を出してきた。 ビールを開け、乾杯する。硫黄交じりの源泉が湧く温泉で、湯温は四十度辺り。長湯できるわけです。
そこから一時間半位、暗くなるまで湯に浸かり、人が続々と集まってきたところで日本人は退散。そのままクタイシに向かい、ゲストハウスで一泊。
夕飯はクタイシで人気のヒンカリ屋。華金だということもあり、街中では若者が騒いでいる。さすがクタイシと思える程、不良感が強い。子供な自分はすっかりビビってしまい、何だかハマらない。何が楽しいのかよくわからない。
ホテルに着いて、気疲れでちょっとやられてしまった。
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