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#2.5次元ミュージカル
adohachan · 1 year
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Hii ><
It’s been a very long time since I don’t online, and finally, I’m comeback!!
For now, I’ll make some posts about another 2.5D stage plays, musicals, and any other projects that relate to stage/musical actors ><
So please always support me and donated to my ko-fi, and my DANA for my local donated. Thank you~!
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pinckcloud · 1 year
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Hi everyone!
I've finished the English subtitles for Hakumyu Shinkai Sannan-Hen! I've attached it in the post. As before, if there are any problems or if you just want to chat, please don't hesitate to contact me. For fear of copyright, I'm not including the files in the post this time, but you can DM me for them. Once you have the files, please feel free to share 🌸
Enjoy!
Edit: I've made some revisions to the subtitles here and there. What's up now should be the final version, so I would encourage you to redownload it. Thanks a lot!
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haruipu · 8 months
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江おんすていじ ぜっぷつあー大千秋楽おめでとうございます。
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plaisir-joy · 17 days
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2.5次元ミュージカルに行きました🎵
いつもの如く、後ろから二列目という席運のなさに落ち込んでいたのですが、
始まってからはもうてんやわんやで、そんな事意識の彼方に吹っ飛んでしまいました
チケットに付いてくる母曰く百均の旗、私曰く思い出でプラマイゼロ旗🚩を必死で振りながら楽しみました、とても人に見せられた顔じゃなかったと思います😓
前回と変わった事は、教会で照明に携わるようになり、前まではずーーっと好きな登場人物しか見ていなかったのに(それで内容が頭に入っていないくらい笑)
どんな照明になっているのか、舞台全体を見るようになりました!
相変わらず内容はそんなに理解していないけど、満足度はかなり高いです
また次の公演も楽しみです☺️
(服を決めるのに時間がかかって遅刻、初めて1人でタクシー使いました🚕)
2024.9.4
イスラエル
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yasuderland · 4 months
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死んだ人も生きていて、生きている人も道に迷っていて。
浮世絵師のコメディ劇かと思いきや、しっかりたのしく生と死について考えるお時間やったでしょ。いい意味で期待を裏切るような作品をお届けできたのではないかなあ。ゲネのときに素敵なお写真をいくつも撮っていただいたので、ツイートしたのとはまた違うのをこちらに載せておきましょ。せっかくやからね。
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生きるも死ぬも、時と同じ。
画面に映る白黒の無機質な文字に、どれほどの気持ちを込められるかな。書き起こすと少し軽くなってしまいそうでどうしようか悩んだけれど、やっぱり書きます。言葉にしないとひとつも伝わらないもんね。千穐楽のツイートでも書いたとおり、僕は舞台というものが心から大好きなの。これは最後のご挨拶のときにもすこしおはなししたんやけど、舞台芸術は絶対に無くしてはならない最高の文化やなって思っていて。でも演劇ってね、しっかりと生で観て自ら触れてみないと面白さというのはなかなか伝わらないのよ。生でしか味わえない空気感や観劇後の高揚感というものは、足を運んでみて初めて気付く。僕は少しでも多くの方にその感覚を知ってほしいなあと思ってます。舞台芸術は本当に素晴らしいものがたくさんある。能、狂言、歌舞伎、オペラ、ミュージカル、2.5次元。好みはそれぞれやと思うんやけど、それらの素晴らしい芸術が知らないところで勝手に始まり、勝手に終わっていくのってすごく悲しい。公演期間中は自分がどうというよりも、もっと色んな劇場へ出向いてみたいと思っていただけるように、という願いでいっぱいでございました。いまあなたとはなればなれで過ごしていたら、この作品も知っていただけずにひっそりと終わりを迎えていたかもしれない。きっと目に触れるもの、ひとつひとつが大切な出会いです。少しでも興味のある作品と巡り会えたら、どうかぜひとも劇場へ足を運んでね。僕もまたお声が掛かれば、何度でも板の上で命を削ります。今まで以上に演劇を愛してくださる方をどんどん増やしていきたいな。きっと覚悟を決めた人間がひとりでも居れば、愛情や熱量はたちまち広がっていくはずだから。今回足を運んでくださった方には、またもう一度。そして今回観劇が叶わなかった方には、いつの日にか必ず。僕のすべてを使って、再び生の素晴らしさをお届けできるときが訪れますように。今回はあのよとこのよを実際に彷徨った僕だからこそ、作品により意味を持たせてあげられたのかもしれないね。愛に溢れた夢のような毎日でした。ご観劇、どうもありがとう。最後におまけ!
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僕の写真は去年のものなんやけど、この間まるちゃんがまねっこして撮っていたみたい。いとおしい。3年くらいかな?ずっと公演期間が被ってるのよね。偶然の奇跡、おもしろいなあ。
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sdeet · 3 months
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気になる公演
ダイアログ・イン・ザ・ダーク 夏季限定プログラム「暗闇の夏祭り 能登を想う夏」
ダイアログ・イン・ザ・ダークは光を完全に遮断した空間で、視覚障害のある方にアテンドされながら様々な体験をするプログラムです。
能登の応援企画の一種のようですが、石川県輪島市の御陣乗太鼓保存会が参加しているらしく、どういう内容なのか気になる。
ボリス・シャルマッツがピナのカフェ・ミュラーの解釈拡張作品を制作しているらしい
めっちゃ観たい。
ピナといえば、コロナ禍で延期しまくってたアフリカのダンサーで構成された『春の祭典』の日本公演が今年ようやっとありますね。
以前セネガルの砂浜での上演バージョンを映像で見ましたが、春の祭典はやっぱ生で見たいよね。
ところで会場が東京国際フォーラム ホールCになってて、なんで? ってなった。いや……延期になる前の情報段階ではオーチャードホールだったので。ピナの春の祭典は劇場でも床に土をしきつめてやる上演なのでできそうな場所・タイミング・予算とかでなんかいろいろあるんかな。あと円が爆安になっているのでいろんなものがきつそう。日本公演やるよ!て最初に想定した金額で絶対収まらなくなってるだろうし。
オペラ・バレエ関係もそうだが、ここ十年ぐらいずっと「海外作品呼ぶのがきつくなってる」と言われ続けているのがいよいよ「まじで無理」まできつつある。小品はともかく大規模プロダクションの引っ越し公演自体が、環境負荷懸念などもあって避けられつつあるというのもあるけど、単純に金がない。つらいね。こうやって世界の潮流が把握できなくなっていくんだなあとじわっと感じる。余談だが、2010年代に「日本は世界で大人気で経済も上がり調子!」みたいなこと言うひとたちがいっぱいいて本当に不思議だった。いや、不思議では全然なくて、見ている情報が違うからそれぞれそう思ってるてだけなんだけど、経済も上がり調子!みたいな感じは舞台を観ている者の感覚としては全然なくて、文化活動に金払う企業体本当に減ったなと思うし国内の公演規模はど��どん縮小していくし「衰退しているのが実感としてめっちゃある」だったので。とはいえこれは私が見ている範囲のことなので、立場が違えば見えているものがちがうことはわかる。2.5次元系の舞台は昔と比べてめちゃめちゃ増えたしミュージカル系とかはいろいろあっても相変わらずずっとやってると思うが、私の見ているものはいわゆる「固定ファンがボリュームとしてずっといて金払ってくれるのではない・商業ではないタイプの公演」なため社会に余剰があるときでないと維持できない文化なので。今の状態はなるべくしてなっていて、突然のことでは全然ないんだよな。商業だとファンの熱狂と応援力で本家をうごかすみたいな感触があると思うけど、私が見ているジャンルは「ファンの努力」みたいなものが起こりづらいジャンルなんよ。ファンでいることは可能だけど。
話を戻すと、ピナの作品は舞台上に水場作ったり開始早々巨大な壁を倒壊させたり物理的な問題が色々あるので(劇場の床が耐えられないとか)実現できる会場が限られる、という問題は以前からあるので、場所選定からたいへんそうだよね。
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「春の祭典」が強い作品すぎるのでピナ作品の公演であることが大きく出ているけど、同時上演のジェルメーヌ・アコニーGermaine Acogny作品がすごい気になる。とても観たい。
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tonpyan · 7 months
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misosoupjunkie · 8 months
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『イザボー』観劇備忘録
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1回目の観劇
1/25のソワレを一階席上手側の座席にて観劇。
おそらくブリリアホールの問題で、音が潰れてしまって歌詞が聞き取れない部分がかなりあった。アンサンブルの歌唱部分は特にたくさんの音が重なるのでほとんど何も聞き取れず、プリンシパルのソロでも早口だったり一定の高さよりも低かったり高かったりすると部分的に何を言ってるのか��くわからなくなる、という具合だった。 そんな中、望海風斗さんの歌だけは歌詞が全部ちゃんと聞き取れたのには舌を巻いたが、キャスト全員声量も歌唱力もあって滑舌も良く、素晴らしかった。
開幕直後、大きな舞台構造が回り始めた時には思わずあんぐりと口が開いてしまった。構造物そのものの形は変化していないはずなのに、それぞれの位置を組み合わせて変化させることで場面ごとに全く違った表情の舞台になっていて、本当に構造物の形自体は変化していないのか疑ってしまったほどである。 回っている構造物の中を動き回ったり顔を覗かせたり、上を歩いたりするキャストの間を縫うようにスタッフが舞台を動かしていて、キャストの立場でもスタッフの立場でも想像するだに大変そうだが、スタッフもキャストも全く危なげなくて見事だった。
衣装も素晴らしかった。何度も衣装替えがあって色も華やかなのはイザボーだけだが、黒で統一された他のキャストの衣装も形や素材などディティールが凝っていて、それぞれの身体やキャラクターによく合っていた。 一幕で黒い衣装を着ていたイザボーが、キービジュアルで着ていた例の真紅のドレスで登場するところなどは視覚的にかなり感動的だった。
しかし、歌として印象に残ったのは「最悪の王妃」のサビだけで、歌詞がよく聞き取れなかったこともあって他の歌は印象に乏しい。全体として説明や会話の歌が多く、心の歌みたいなものがあまりない印象。メロディや歌詞、歌に心動かされて感動し、なりふり構わずに説得されるような歌はなかった。全てが終わった時に、ああいい歌だったなと思える歌がなかった。
脚本はなんとなくあらすじっぽい感じで、全体として史実の筋を追うことを主軸にしており、情報量の割には物語としての内容が薄い印象であった。こういう脚本にするなら尚更音楽がもっと心を揺さぶるようなものでないといけないんじゃないかと思った。
ここで一旦望海風斗さんのファンとしての率直な感想を挟むと、タンゴのシーン!最高!ありがとう!興奮して目から湯気出るかと思いました!あとラストシーン双眼鏡で望海さんの顎を一生懸命見てたらものすごい密度の赤がドゥルン‼️って降ってきて視界が赤く染まって度肝抜かれた。息できる?あれ。
ミュージカルとしては、正直言って物足りなかった。 イザボーの心情に寄り添ったままでいられるのは一幕までで、それ以降は振り落とされて着いていけなかった。我欲や本能のまま生きた、と言われても、その我欲や本能というのが実際のところ何であるのか、見ていくうちにどんどんわからなくなっていくような有様である。全体を通して心を歌った歌が少ない中、イザボーだけは結構そういう歌があったが、素直に脚本の流れに乗るとイザボーの心に乗っかっていけないので、何を歌われても歌詞の内容が心に届かないのである。 かといって、音楽に心動かされるわけでも、物語に感動するわけでもない。物足りなかった。傍観者のような気持ちのままで、その日の公演は終わってしまった。 素晴らしかった部分が本当に素晴らしかっただけに、しっくりこなかった部分が致命的にしっくりこなかったという事実を受け入れたくなくて、全部ブリリアホールのせいにしようと思った。歌詞が聞き取れない音響設備とか、腰がめちゃくちゃ痛くなる椅子とかのせいで素晴らしかったはずの観劇体験が損なわれてしまった、会場がブリリアホールでなければ私はもう少しこのミュージカルを楽しめたのではないか、と。
2回目の観劇
1/29のソワレを二階席センターブロックの座席にて観劇。 1回目の観劇から4日経っていたが、いまだに納得できておらず、今度こそ何かしら良いものをゲットして帰りたいと考えていた。
1回目よりもはるかに音響がよく、歌詞がほとんど聞き取れた。内容をすでに知っているということもあろうが、それにしても劇的に変化したのでびっくりした。プリンシパルの歌だけでなく、アンサンブルの歌唱部分もはっきり聞き取ることができた。 キャスト全体の動きもよく見え、アンサンブルの素晴らしい活躍ぶりと振り付けの面白さが実感された。 一階席から見上げるように見ていて全体を把握することができなかった舞台機構の動きも、やや上からそれぞれの構造がどのように動いているのかを見ることができた。それぞれの構造物が床の溝に沿って非常にスムーズに動く様子が見てとれ、よく機構トラブルが起きないなと改めて驚いた。 舞台全体が見えることによって照明の効果もわかりやすかった。個人的な好みと比べるとちょっと派手めでうるさいが、全体の雰囲気にはとてもよく合っていたと思う。逆光の演出もかっこよかったし、二階席から見ると舞台面に投影された飾り灯がよく見えて、ひび割れたガラスを模っているであろう照明は特に印象的である。イザボーが客席に背を向けて立っている場面では、紫色の光の中にマントの光沢ある質感と美しい装飾が浮き上がって見えて、ため息が出るほど美しかった。
歌詞がほぼ聞き取れてストレスがないことと、登場人物全員をすでに知っていることによって、それぞれの芝居や歌、歌詞の深い部分の意味に心を向けられるようになり、1回目の観劇よりも全体的な満足度は高かったと言える。 一階席とは比べ物にならないほど観劇しやすかったため、幕間で客電が灯った時私が最初に抱いた感想は、「ブリリアホールの正解ってもしかして二階席!?」これであった。
最終的な感想
キャラクター演劇としての『イザボー』
2回の観劇を終えて考えたことは、『イザボー』というミュージカルに最も先立つものは音楽でも脚本でもなく、芝居ですらなく、キャラクターなのではないか、ということだった。キャラクターという前提があって成り立っているので、どんなキャラクターがいるのかわからないままに見ても楽しめない。 アニメや漫画などの原作をもとに舞台化するような、いわゆる2.5次元ミュージカルを引き合いに出すと、その観客のほとんどは原作を知っている。観客の中に前提があるからこそ、演者の一挙手一投足に、そのキャラクターの持つ感情や性格、意味を見出すことができる。舞台の上でキャラクターが行う1つのことに、観客が勝手に10の情報を見出して心を動かすという仕組みになっているのである。 『イザボー』というミュージカルはこれと似た構造を持っていると私は考える。歌が状況を説明し、脚本が史実の流れをなぞることに重きを置いて人の心を深く掘り下げていかないのは、このミュージカルの構造が、まず時代の流れの中にいるキャラクターを提示し、それ以上は観客に想像させ意味付けさせるという作りになっているからである。それぞれの内面の機微や心の動きの大部分については、キャラクターの内面を象徴するようなセリフ一言や演者の芝居をもとに、観客が勝手に想像するという作りになっている。 これはそれぞれの関係性にも言えることで、劇中で示されるドラマチックな関係性の多くは、それほど深く描かれることがない。聖女ジャンヌと悪女イザボーが背中合わせで立っているという舞台的な画面構成をはじめとして、狂気の父シャルル6世と正気の息子シャルル7世、王になった兄シャルル6世と王になれなかった弟ルイ、イザボーという女をめぐるルイとジャンの対比のほか、多くの関係性がそれぞれに興味深い物語の可能性をほのめかしながらも深く掘り下げられないまま、その構図が示されるだけにとどまるのは、そこから先のことは観客が好きなように想像する作りになっているからである。そして、こうした関係性の情趣を味わうためには、キャラクター的な前提が必要となる。 したがって、キャラクター的な前提を持たない初見の観客がこのミュージカルを楽しむためには、舞台上で行われたこと1つに対して10くらい受け取らんとするような前のめりな姿勢が必要であり、椅子に深く腰掛けて物語に身を任せ、目の前で起こるスペクタクルを待っているような観客には、そもそも向かない作りになっているのだ。 逆に言えば、複数回観劇するような観客は、前提のある状態でそれぞれのキャラクターや関係性にフォーカスすることができるので、楽しみやすい。歌にもセリフにも表れない芝居の機微を繰り返し見て、ここで彼女がこんな表情をしているのはこういうことなんじゃないかしら、と想像を膨らませていくというわけである。 また、このような構造をもつ演劇を好む観客にとってはむしろサービスと言える。筋書きと関係性のエッセンスだけを散りばめますので、あとはいかようにでも美味しく召し上がってくださいという、サービスなのである。
そして、今思うとこのことは『イザボー』のキービジュアルが発表された段階ですでに示されていた方向性であるように感じる。
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それぞれの目線がイザボーとの関係性をほのめかしている。まさにこのミュージカルの構造を象徴したキービジュアルであると言える。私はもともと関係性のオタクなので、こういう仕掛けにはめっぽう弱く、このキービジュアルを見て衝動的に2枚目のチケットを購入した。
関係性のオタクとして『イザボー』を見に行っていたとしたらあるいは初見でも十分に楽しめたかもしれない。しかし私はミュージカルのオタクでもあって、ミュージカル『イザボー』と言うからには、いわゆるミュージカル、すなわち、グランドミュージカルと呼ばれるものや、ブロードウェイオリジナルの日本版ミュージカルのような、私が普段観劇しているミュージカルに類するものが出てくることを期待して座席に着いてしまったのである。 しかし、この作品が「日本発のオリジナルミュージカル」であることを考えれば、こういうのも「アリ」なのかもしれない。 個人的には、本作のような細かい部分を見せて観客に想像させる演劇は、もっと規模が小さくて演者の顔や芝居がよく見える会場でやるべきなのではないかと思う。ブリリアホールのような大きな会場では、初見で細かい部分まで見切ることは難しい。 私が一つの楽しみ方を自分なりに咀嚼できたのは2回観劇できたからで、1回しか見られなかったとしたら、実に釈然としないまま終わっていただろう。しかし、チケットは安くないのであるから、1回しか見られなかったとしてもなんかすごいもの見た!となるように作って欲しいと思ってしまうのは、貧乏な観客のわがままだろうか。一度きりの観劇であっても観客を感動させんがために、わかりやすい音楽の素晴らしさが必要なのではないだろうか。 いわゆるミュージカルとしての説得力にはやや欠けるものの、それでも質の高いスペクタクル感が担保されているのは、キャストや��タッフの素晴らしい仕事のために他ならない。
イザボーとは何だったのか
『イザボー』というミュージカルの性質について自分なりに咀嚼したとしても納得しきれないのは、イザボーという女性が結局どんな人で、何をしたかったのかということである。1度目の観劇でわからないのは当然としても、2度目も見ている間ずっと、この人はなんでこんなことするんだろう?なんでこんなこと言うんだろう?今までの言動と矛盾してない?みたいなことを繰り返し考え続けていた。
ひとつ思うのは、作・演出の末満さんはイザボーのそういう「わからなさ」に魅力を感じていて、それを何か形にしようとしてこの劇を作ったのではないかということ。 打ちのめされて泣いたり蹲ったり怒ったりする度に、結局立ち上がって悪役面で笑うイザボーを劇中で何度も見た。矛盾を孕んだイザボーの行動原理を考え続けることで、一筋縄ではいかない悪女の趣を味わおう!という趣旨なのかもしれない。
規模の小さい会場でやるべき内容を含んでいると先に述べたが、思うに、小劇場的演劇の本質的価値は、「生身の人間が目の前で」演じているということである。生身の人間であるということが、役の存在についての説得力に直結し、その多くを占めているからである。 その文脈で考えると、観客としてどんなに理解し難かろうと、イザボーという人は生身の人間としてそこに存在し、確かにそのように生きている。彼女の生の様相というのは、彼女以外にはわかり得ないもの、あるいは彼女自身にすらわからないのかもしれず、とすれば、実際にその生を生きて、生き抜いた人間に対して、ただ見ているだけの観客が安易にわかりませんなどと言うべきではないのかもしれない。故に、「御託はいいわ、これが私の人生」、「文句があるなら受けて立ちましょう」と、イザボーは観客に言い放つのだろう。
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jpf-sydney · 1 year
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Theatre yearbook. 2022, Theatre abroad
New item:
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Shelf: 770.59 ITI A2022 Theatre year-book. 2022, Theatre abroad = Kokusai engeki nenkan. 2022, Sekai no butai geijutsu o shiru. edited by Kokusai Engeki Kyōkai Nihon Sentā?
Tōkyō : Kokusai Engeki Kyōkai Nihon Sentā, 2022. 237 pages : illustrations ; 22 cm.
Text in Japanese.
Table of contents:
ワールド・シアター・デイ メッセージ/ピーター・セラーズ(演出家)
世界の舞台芸術を知る 2020/21
〈アジア・アフリカ〉
中国:ポスト・コロナ時代の幕開けと中国共産党建党100周年/田村 容子.
中国・香港:身体を整えることと自己の再発見をめぐって―示唆的テーマに挑む香港演劇/張 秉權.
韓国:労働と環境、そして人類の生存について/李 星坤.
インド:演劇のありか/鶴留 聡子.
インドネシア:パンデミック初期数か月の生活/アート――ダンス・フィルム、Zoom空間、そしてワヤン・オラン/ヘリー・ミナルティ.
タイ:終わらないパンデミックとアートによる抗議活動/パーウィニー・サマッカブット.
ウガンダ:劇場閉鎖――悲劇的だが避けがたい/ジェシカ・アトウォーキー・カーフワ.
〈南北アメリカ・オセアニア〉
アメリカ 分断の修復と変容へと向かう試み/外岡 尚美
〈ヨーロッパ〉
イギリス:演劇再開の兆しが見えた一年/ナターシャ・トリプニー.
ドイツ/オーストリア/スイス:忍耐の冬、歓喜の春/萩原 健.
フランス:やまないコロナ禍の嵐 不透明な見通し、刻まれる歴史/藤井 慎太郎.
ベラルーシ:弾圧を生き抜く――ベラルーシ・フリー・シアター決断の年/ニコライ・ハレジン.
ロシア:「再起動」した劇場、200年後のドストエフスキー/篠崎 直也.
●シアター・トピックス 2021
東日本大震災から10年―それぞれの持ち場で/くらもち ひろゆき、大信 ペリカン、芝原 弘、畑澤 聖悟.
生誕160年・没後100年 森鷗外と舞台芸術/井戸田 総一郎.
新たな観客を生む「2.5次元ミュージカル」というシステム/鈴木 国男.
〈インタビュー〉TPAMのしてきたこと、YPAMのめざすさき――同時代舞台芸術の国際的プラットフォーム構築の歩み/丸岡 ひろみ(インタビュー:藤原ちから、中島香菜)
特集 紛争地域から生まれた演劇 13
密度の濃い短編動画5作/谷岡 健彦
日本の舞台芸術を知る2021
能・狂言:謡の演劇性を中心に/小田 幸子.
歌舞伎:続くコロナ禍と中村吉右衛門の逝去/矢内 賢二.
文楽:名人の引退と新たな可能性/亀岡 典子.
ミュージカル:一気に再始動/萩尾 瞳.
現代演劇:現代社会を衝く、亡き人たちと出会う/山口 宏子.
児童青少年演劇:コロナ禍で子どもたちとの出会いをどうつくるかの1年/太田 昭.
日本舞踊:新型コロナ禍に輝く舞踊/平野 英俊.
バレエ:コロナ規制、対応に苦慮しつつ少しずつ正常を取り戻す/うらわ まこと.
コンテンポラリーダンス・舞踏:生と死の境界に舞う――鎮魂と未来への希望/堤 広志.
テレビドラマ:分断を超えて、死者と生きる/岡室 美奈子
【編集長】新野守広 【発行者】公益社団法人 国際演劇協会日本センター
文化庁 令和2年度 次代の文化を創造する新進芸術家育成事業
〈収録作品〉
The 24 Hour Plays『Viral Monologues』(アメリカ)より5編 翻訳=月沢李歌子
『今回の旅行』(This Trip) 作=チャーリー・オリアリー(Charlie O’Leary)
『発信者不明』(Unknown Caller) 作=ダン・オブライエン(Dan O’Brien)
3. 訪ねてきてくれてありがとう(Thank You for Visiting Me) 作=ジュ・イー(Zhu Yi/朱宜)
無敵の私たち(Invincible) 作=ジェシカ・ブランク & エリク・ジェンセン(Jessica Blank and Erik Jensen)
なによりつらいこと(The Hardest Part) 作=ハワード・シャーマン(Howard Sherman)"
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tumnikkeimatome · 1 year
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4751 サイバーエージェント、2.5次元舞台業界のリーダー「ネルケプランニング」を連結子会社化
新たな協働を迎えるサイバーエージェントとネルケプランニング 2023年6月5日、IT業界の大手企業であるサイバーエージェントは、「ネルケプランニング」を連結子会社化すると発表しました。株式取得額や保有比率の詳細は非公開となっています。サイバーエージェントが展開するコンテンツを舞台化するなどの相乗効果を狙い、リアルとデジタルの融合した新しい形の演劇創出を目指します。 ネルケプランニングの業績と特色 ネルケプランニングは、1994年設立の映像・舞台関連会社です。東京都目黒区に本社を置き、ミュージカルや演劇のプロデュース、映画製作、声優のキャスティング、イベント企画など幅広い業務を行っています。社名の「ネルケ」はドイツ語で「小さな花が集まって一つになる花」を意味し、その精神を持って業界をけん引しています。 特に注目すべきは、ネルケプランニングが2003年から手掛けてきたミュージカル「テ…
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pinckcloud · 1 year
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Hello everyone!
I've made English subtitles for Hakumyu Shinkai Saito-hen! You can find it along with the show itself + the behind the scenes video in the attached Google Drive link. If there are any problems with the link, the files, the subs, or anything in any way, please don't hesitate to contact me! If not, please feel free to hit me up to talk about, I dunno, Hakuouki or something anyway if you want lol.
Enjoy!
Edit: I've removed the video files for fear of copyright. Allow me to direct you to the Fancom Livejournal at https://hakumyu-fancom2.livejournal.com/.
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brdc-a · 2 years
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源川瑠々子の『星空の歌』 2022/12/29 20時配信
ゲスト:演劇ライター 森洋三さん
今回のゲストは、演劇ライターの森洋三さんをお迎えします。
<再生はこちら▶️>
※スマホ/タブレットはアプリからご視聴ください。 過去の放送はBack numberで🎧
今回は、「演劇ミュージカル総決算 2022!」と題して森さんが今年観た演劇とミュージカルの中から心に留まった作品についてお聞きします。
劇団四季「バケモノの子」や「千と千尋の神隠し」、「フィスト・オブ・ノースター ~北斗の拳~」などアニメ・漫画を原作とする2.5次元ミュージカル作品から世界中で人気のファンタジー大作、舞台「ハリーポッターと呪いの子」、松本白鸚主演の「ラ・マンチャの男」など…様々な作品を森さんの視点でご紹介して頂きました。どうぞ、お楽しみに♪
【BGM】
「カラー」 作詞:スミダガワミドリ 作曲:神尾憲一 歌:源川瑠々子
<源川瑠々子の『星空の歌』>
音楽、舞台、写真などの芸術をはじめ、さまざまな分野で活躍する方々をお迎えし、魅力的なお話をお聞きします。夜空の星のようにきらきらと輝くゲストのお話で、リスナーのみなさんへパワーをお届けできたら……、こんなに嬉しいことはありません。
過去放送一覧はこちら 源川瑠々子 公式サイト
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kei139-line · 2 years
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WOWOW「2.5次元男子推しTV シーズン5」いよいよ最終回!10月14日(金)#6のゲストは唐橋充!収録写真とコメントも到着! 10月14日(金)午後10時~ #6(全6回/月1回放送) [WOWOWプライム] [WOWOWオンデマンド]
WOWOW「2.5次元男子推しTV シーズン5」いよいよ最終回!10月14日(金)#6のゲストは唐橋充!収録写真とコメントも到着! 10月14日(金)午後10時~ #6(全6回/月1回放送) [WOWOWプライム] [WOWOWオンデマンド]
2.5次元ミュージカル界で活躍する俳優たちの舞台上ではうかがい知ることのできない素顔に迫る番組「2.5次元男子推しTV」。10月14日(金)午後10時より放送・配信のシーズン5の最終回のゲストに、唐橋充の出演が決定した! “2次元”の漫画・アニメ・ゲームを原作とし、“3次元”の舞台コンテンツの総称が「2.5次元ミュージカル」。再現度の高さに注目され、数多くの原作が舞台化されており、いまや日本から世界に発信されるコンテンツとなっている。その2.5次元ミュージカル界などで活躍する俳優たちの素顔に迫る番組「2.5次元男子推しTV…
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alohawaii405 · 2 years
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今年5回目の京都劇場。 今回は鬼滅の舞台です。 コミックスよりアニメを意識してる演出(まあ、声や動きがあるもんね)で、なんせほぼ列車内と夢の中の話。野田歌舞伎みたいな演出で、列車内見事に表現してたー。 前回も思ったけど、舞台なので遠眼鏡持ってない人は人物のアップを観ることができないのがネック。母上に褒めてもらった煉獄さん、最後どんな表情だったんだろう… 禰󠄀豆子は俳優さん代わってたんだけど、安定の可愛さでした。可愛いよ〜禰󠄀豆子ちゃ〜ん💕 あと、魘夢役の俳優さんがずば抜けて歌上手いしめちゃくちゃエエ声やった。声の伸びがハンパなかった。 もちろん皆さんミュージカルの俳優さんなのでエエ声なんやけど、頭どころか一馬身飛び抜けてた。 声とかはアニメの声優さんと比べられちゃうから大変やろなー。炭治郎の人はアニメとは声質全然違うけど、すごく炭治郎なんよね。喋り方を寄せてるからかなぁ。 2.5次元って生で観るのは鬼滅くらいやけど、俳優さんたち凄いわー。自分の個性を消さずに、コスプレして声優さんの(言い方悪いけど)真似をして演技せないかんもんね。 まあ、それを言うたらすべからく原作モノは比べられる運命ではあるんやね。 #鬼滅の刃 #舞台鬼滅の刃其ノ参無限夢列車 #京都劇場 (京都劇場) https://www.instagram.com/p/Ci3iJddPnFH/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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sdeet · 2 years
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ノートルダム・ド・パリとノートルダムの鐘
劇団四季のミュージカル『ノートルダムの鐘』を観た。
もともとディスニーアニメ映画の『ノートルダムの鐘』が好きで、ミュージカルでもやっているとは知っていたのだけど観ないまま今まで来てしまい、ようやく観た。
以下、ディズニー映画アニメの『ノートルダムの鐘』を履修済み前提で書いています。ネタバレというかアニメ・ミュージカル・原作比較をしたりしますので未見の方はご注意下さい。
この舞台作品はディズニーアニメ映画の『ノートルダムの鐘』を元にはしているが登場人物の設定、ストーリーが原作寄りになっている。原作はヴィクトル・ユゴーの『ノートルダム・ド・パリ』で、古典だしアニメももう二十年以上前の作品なので、今更ネタバレもなにもないと思うので結末を言うけどアニメ映画の『ノートルダムの鐘』はカジモドがエスメラルダを救出して民衆に迎えいれられハッピーエンドだが、ミュージカル版はカジモドはフロローを明確に殺すしエスメラルダも死ぬ。なのでアニメのキャラクター性やストーリーを期待するとだいぶ違う味わいなので戸惑うと思う。
ミュージカル版『ノートルダムの鐘』の初期はアニメ映画に沿った形の作品だったようだ。紆余曲折あり作品の改定が行われて、曲も追加や変更等があり、アニメから離脱して原作寄りの割と大人向け作品になった。売春宿とかも普通に出てくる。
アニメではフロローは判事だったがミュージカル版では原作の通り聖職者になっているし、ジプシーを憎むようになった経緯、最愛の弟とのエピソードも描かれる。カジモドのイマジナリーフレンドであるガーゴイルたちはキャラクター自体がなくなり、コロスがその役割を負っている。フィーバスが戦場から離れパリにきて聖堂の護衛騎士になるくだりはアニメにはない新しい歌が追加されていてフィーバスの登場の見せ場になっている。アニメでは物語の外枠を語るクロパンが語り部であり狂言回しとしてかなりいい位置にいたのだけど、ミュージカルでは普通の脇役になっていて、持ち歌も減っている、というか違う歌になっているシーンもある。
パンフレットに書いてあった解説でなるほど、と思ったのが、ユゴーの『ノートルダム・ド・パリ』では聖職者のフロローを教会権力、騎士であるフィーバスが王権、カジモドを民衆の力として、三つの属性がエスメラルダというシンボル(価値のあるもの)を求め奪い合うという意味が読み取れる、というもの。アニメでは民衆の勝利で終わったが(エスメラルダの恋人はフィーバスになるが、フィーバスは護衛隊長ではなくなるし、救ったのはカジモドで、民衆はそれを助け迎え入れているので)、ミュージカル版は原作に近づけたので、だれも何も得られないほぼ全滅エンドのようなものだ。
民衆の力、ミュージカルというとやはりユゴー原作の『レ・ミゼラブル』も思い出す。レミゼは主人公の運命の諸々ののち次世代へ、という希望があるが、『ノートルダム・ド・パリ』にはない。
アニメではクロパンが「では聞かせよう、怪物の物語を」と言ってスタートし、最後は「誰が怪物かわかっただろう?」と終わる。ここで示唆されている「怪物」とは、怪物と蔑まれているカジモドではなく、ヴィランであるフロローである。
ミュージカルではこの形をとらない。
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以上、アニメとミュージカルの違いについてのメモ。
以下、ミュージカルの感想メモ。
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音楽がめちゃめちゃいいよね。劇場で聴くの最高。音楽だけで泣くってあるんよ。ストーリーがどうでもいいと言ってしまうと身もふたもなさ過ぎて申し訳ないんだけど、音のエモーショナルさは強力すぎる。言葉や意味の読解の前にくる、感情を喚起する力がある。音楽が良すぎるのよ。(ミュージカル版のストーリーは構成があんまりよくないって思ってます)
アニメ版が好きであほほど見てるしサントラもめちゃめちゃ聞きこんでいるので曲は知っているし、ミュージカル版のサントラが出てからは舞台を観ないままミュージカル曲も周回して聴いているので、全部知ってて観て「音楽いいよね……」をした。アニメ版の日本語吹き替えも、当時の四季の俳優さんたちだったのだ。やっとミュージカル版も観れたので満足。作品制作の時代の前後関係的に無理だろうけど日下武史さんの舞台版フロローがあり得たら観たかったなあ。
私は劇団四季のミュージカルを生で観るのは片手で数えられる程度でしかないのだけど、私の中では劇団四季・宝塚歌劇団の作品は期待したものを期待通りに体験できる、絶対安全レベル作品と呼んでいる。お金をかけたプロダクションでロングランしている安定したものを観る安心感・充足感がすごい。普段観ている舞台ジャンルが実験的要素が強い作品だとか、コンテンポラリーダンスなので、特に新作はマジで何が見られるかわからないことが多いため、四季でやる作品はものすごく安心してみられるなとしみじみ思った。2.5次元系や歌舞伎はほとんど観てないのであまり詳しくは語れないけど、原作履修ののち観るのが当然、というのは古典分野の構造なんだよね。歌舞伎や宝塚もゲームアニメマンガコラボがそれなりにあるのはそのあたりの相性がいいからではと思う。芸能の基礎には「みなさんご存じ! 話題の・有名な・アレを私が語ります!」があるからな。
脱線したのでミュージカルの話に戻る。
ミュージカル版を観てしみじみ思ったのが、エスメラルダは本当になんも悪いことしてないのに、3人の男から好意を寄せられ状況に翻弄されて死ぬの理不尽すぎる。救いがなんもない。歌が美しいし強いし、他者への心にあふれている、自立した女で、すごく良いのにまじでなんも救いがない。普通に生き延びたいだけなのに。
実際舞台の中でも捕まったエスメラルダがフロローに向かって「なんでこんなことになっているのかわからない」と言っていたと思うけど、フロローも「私にもわからない」とか言ってて、お前、お前ーーーお前が勝手に惚れて勝手に憎んで一方的に殺そうとしてるのに!? ってなる。加害者が被害者意識を持っている、というのはよくある構造なんだけど、情念+権力持った人間の絵にかいたような振る舞いすぎてうわーってなる。
ミュージカル版の主人公はフロローだよね。
カジモドが生まれるまでの過程をフロローの半生として描いてるあたりで誰の心情に沿って作品を観るべきか、という導入になっているし、カジモドは物語の展開への関与が薄すぎるので。
とはいえカジモドの描き方がよくて、素の状態で出てきた俳優が姿勢がいびつで顔が歪んだ「せむしおとこ」の状態に変化するところを客に見せて「カジモド」が現れる。喋り方も、フロローやエスメラルダと話すときは発話がかすれてぎこちない(カジモドは耳があまり聞こえず唇を読んでいるという設定がある)が、石像の友達と話すときは詰まりもなく流暢に話す。肉体を持ったカジモドは障害があり「劣ったもの」として扱われてしまうが、精神世界では不具合はなく自由にふるまえるのだ。
そういえばHellfireの部分はアニメではフロローの心象風景だったので、舞台では演出どうするんだろうと思っていたけど、コロスが若干その役割を負っていたけどどちらかというとヴィジュアル効果ではなく歌唱に重点を置いたシーンになっていたな。
カジモドがフロローを殺すところは、聖堂のバルコニーからフロローを投げ落とす様になっていて、舞台の奥行を使って担がれた俳優がザーッと下がっていくのを「落下していく人を上から見ている」様にしているのが面白かった。
ちなみに、フロローとカジモドの関係は、アニメ版、ミュージカル版、原作で全部違う。
アニメ:フロローが追い詰めて殺したジプシーの子供がカジモド。カジモドのことも殺そうと思ったが司祭に説得されて神の意志を感じ育てることにした。
ミュージカル:フロローは最愛の弟とともにみなしごとして聖堂で暮らす。フロローはまじめに教会に学ぶが弟は放蕩しジプシーと駆け落ちして生まれた子供がカジモド。病にかかった弟の死に際にカジモドを託され、育てることにした。
原作:フロローの両親が亡くなり、歳の離れた弟が残され、自分が育てなければと強い愛情を感じている。往来で捨て子(カジモド)を見かけ、自分が死んだら弟もこうなってしまうのかという心痛から、放っておけないと感じ、その捨て子を拾って育てる。カジモドはフロローに従順に、弟は素行不良な若者に育ってしまう。
アニメ版のフロローの性根が邪悪なのはディズニーアニメのヴィランのキャラ性を鑑みれば理解できるけど、ミュージカル版は業が深すぎんか???? カジモド甥じゃん???
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kamagaya · 3 years
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上田麻由子『2.5次元クロニクル』
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上田麻由子さんの著書『2.5次元クロニクル』を恵贈いただきました。
2017年から2018年に上演された2.5次元演劇とカテゴライズされる演劇の劇評を中心としつつも、それらの演劇が生まれた背景や、その後の2020年の演劇状況なども網羅した、とても読み応えのある劇評集です。
私が2017年に脚本・演出をした舞台『ACCA13区観察課』の劇評も紙幅をさいて書いていただいています。上田さん、ありがとうございました。
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