#ぼくのフライパン-男がつくる料理と知識
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ぼくのフライパン-男がつくる料理と知識 萩原マリエ カメノコ・ブックス 新評社 カバー・フォト=牛尾喜道、題字・構成=高橋錦吉
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男料理 〜えげつなく地味なクリスマス・ディナーのこだわり〜
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カルボナーラというと、イタリアはローマの本場の味こそが王道であると考える方も多く、そういった方は卵黄のみのソースを好む傾向があることは重々承知しています。しかし、日本フランス料理界の重鎮である三国清三シェフが仰るように、"フランス料理の技法をベースに、日本の風土や文化を表現した料理や料理哲学"であるジャポニゼという考え方が昨今の洋食のトレンドとなっています。この考え方のベースにあるのは、日本人とフランス人では風土が異なるがゆえに体質や味覚が異なるという捉え方です。これは日本人からすれば、重いと感じがちなバターたっぷりの重厚なソースもフランス人からすれば、軽いソースであるという三國清三シェフにカルチャーショックによるものです。(結局のところ、日本人は逆立ちをしてもフランス人にはなれないという良い意味での諦念の境地なのです。)ですから、本場の味こそがすべてであるという考え方は料理の哲学の一つに過ぎず、そういったクラシックな料理が好きであれば、それで構いませんし、それは自分の味覚に合わないと感じるのであれば賛否両論があれど、ジャポニゼを追求されるのも良いかと思います。
さて、作り方のコツです。コツを知りさえすれば、市販のパスタソースに頼らなくても簡単に作れてしまうので、覚えておいて損はありません。
1.卵黄と同量の粉チーズに加えて邪道≠王道ではありますが、少量の生クリームを混ぜます。粉チーズは結構多めに感じるかもしれませんが、カルボナーラはそういうパスタなので、ヘルシーさを意識すると味がぼやけます!
2.ベーコンはオリーブオイルを入れずに外はカリッと中はジューシーに仕上げます。(カルボナーラは豚肉の脂と茹で汁が味のベースなので、オリーブオイルの余計な油は味のバランスを損ねます。)尚、本場はカリカリベーコンですが、日本人は外はカリッと中はジューシーが好みなので、それを目指します。ある程度カリッと仕上がった段階で、黒こしょうを加えると、黒こしょうの香りが引き立ちます。
3.ベーコンを焼いたフライパンの火を消して、パスタとソースを"余熱で"和えます。余熱という点が一つポイントです。
4.盛り付けの時に、フライパンに残ったソースをパスタの茹で汁で伸ばしてあげて、パスタの上からかけてあげます。
夏の暑い時期に、そうめんの代わりに茹でたペンネにかけるのもおすすめではありますが、クリスマスなので、バゲットにつけて食べるのも乙なものです。こういうクリスマスにパン屋でバゲットを買うのもありですが、個人的にはスーパーのフランスパンで十分かと思います。というのも、本場のクリスマスは家族揃って七面鳥のローストを囲んで食べるイメージが強いためか、日本では「せっかくのクリスマスなんだし、リッチに!」と気張りがちです。日本人にとってハロウィン的な行事であることは事実ですが、必要以上に気張らずに楽しむことも大切なのではないしょうか?
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「クリスマスなんだし・・・。」と鴨肉を買って来たものの、割とどう調理したらいいかわからない瞬間がありますが、鴨は手間がかかるので、気張らずに楽しむ楽しむためにも、鶏むねのエスカロップはおすすめです。(参考までに下に鴨肉のローストの調理法を載せます。)「鶏むねって水分量が多くて、生焼けになったり、生焼けが気になって火を入れすぎてパサつくから嫌い・・・」と敬遠しがちなお肉ですが、最低限のコツさえ掴めばなんとかなります。
1.事前に冷蔵庫から出して置いて常温に戻す
2.身側にのみ小さじ半分強(3g)の塩を5分ほどなじませる。
小さじ半分強というとびっくりされるかもしれませんが、塩で下味をつけて味道を作ります。しょっぱくなることを恐れて下味をつけない方はいますが、これが味のベースになるので、大胆に下味をつける習慣をつけましょう。
また、下味の塩は身側だけにふる、���にはふらない、これが原則です。というのも、皮にふっても染み込まずにはじくだけなので、焼くと脂に移って、焦げたようになります。尚、気持ちに余裕があれば、身に塩をしたら、できれば5分ではなく、15分〜30分少し置き、キッチンペーパーで軽く拭いてあげるとベターです。
せっかくのクリスマスなので、一人一枚使って作りましょう!
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鴨肉のローストのキホン
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タコとセロリのマリネです。DEAN & DELUCAとかに定番商品として売っているものの、地味なためか、「わざわざ買うまでもないでしょ」と敬遠されがちなイタリア料理です。ですが、食べたときにいい意味で期待が裏切られるので、食べてみることをおすすめします。ただ、簡単に作れる割には買うと結構いいお値段がするので自宅で作るとベターです。
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イタリア版のラタトゥイユと考えがちですが、こちらはナスが主役のトマト煮です。ナスが主役なので、大きめのサイズで切りましょう。
さて、作り方のコツです。
1.ナスを素揚げする
2.フライパンに素揚げしたナス、市販のトマトソース、オリーブの実、ケイパーを加えて和える。
3.隠し味に少量の砂糖とヴィネガーを加えて味を整える。
フランス版の茶碗蒸しです。クーリ・ド・シャンピニオンはポタージュにも使えるので、覚えておいて損はありません。
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ポタージュは野菜本来の香り・甘み・旨味を味わうスープです。ですから、コンソメといった余計なものを足さないことが大切です。その分、野菜から香り・甘み・旨味を引き出すためにバターで炒めていきます。バターで優しく弱火で炒めていくとかぼちゃがキャラメリゼされていき、鍋底からくるっとめくれるようになる瞬間がやってきます。ここまで"炒め殺す"ことが大切です。時間がかかるので、炒める時に塩をひとつまみ入れてあげること、時々お水を入れてあげること、この2点を押さえると時短できます。
<クリスマス・ケーキ>
冬限定のモンブランがあまりにも有名ですが、チョコレートケーキやショートケーキも定番となっています。今更感のあるクラシックなケーキですが、モダンに仕上がっているので、満足感があります。
あまりにもミルフィーユが有名ですが、クリスマスにはホールのケーキのみの販売となっています。割と、クラシックなケーキが好みの方でしたら、満足感が高いと思います。
ムッシュ・アルノーがあまりにも有名なためか、それ目当ての方も見受けられます。ですが、隠れた定番として、バニラのケーキがあります。他では決して食べることができないケーキで、口に入れた瞬間、サブレ生地のサクサク食感とともに、バニラのなんとも言えない甘美な香りが口いっぱいに広がり、至福の時間となります。
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08.14.2023の日記
日記を書いたのが4時ごろだったので、その後に寝ました。起きたのは7時過ぎです。ねむくなるだろうと思って久しぶりにモンスターを飲みました。関係なくねむかったです。
書店員の賃金が低いことを嘆く声を時々SNSなどで見るたびに、まぁ事実小売業の賃金は大抵がかなり低いのでそうだよなぁ、と頷きつつも個人的にはそこに不満はないなと思っています。私自身がわりとそれにしては高い賃金をもらっているということもありますが言うほど大したことやってないしな、というのが正直な感想です。知識の幅は個人差があまりにも大きいので全員が必ずこなす単純作業、レジ業務とか書籍の品出しなどですね、への対価に支払う給与はどうしても低くなります。+αで知識への評価等々がついてくるといったところでしょうか。判定基準は会社の性格によりますが担当している棚の売上実績や勤務態度などが主だと思います。
専門知への敬意を、という声はありますが、実感として敬意を払うほどの知識がある書店員と一緒に働いた経験はほとんどありません。大半は単純作業をこなすことができる、まぁ凡庸に本がすきな人たち(大体はお客さんよりもよっぽど無知です)の中に一部極端に知識が豊富な人々が紛れているような場所が書店です。
私はそれを特にだめだ、と思ってはいなくて、そもそも私が無知側の人間ですし、それでも本屋をやっていくにあたって専門知がないならないでそういう人たちにも面白い棚が作ることのできるシステムみたいなものを考えられないかなぁー、と最近はよく考えています。知識のある人に頼ってそれに倣う訳ではなく、そ��差を優劣ではなく個々のありようとして面白く反映できた方がいいんじゃないかなぁと。
知識を身につけていくべきでは、という意見は真っ当なようであまりにも個人に頼りすぎている気がします。向き不向きはあるし身につき方には個人差が大きい。別にそれを平らにならすようなことがしたい訳ではないな、と思いますが、これは私がそれぞれの人たちを全く信用していないせいかもしれません。
こういうことをぼんやりお店でスタッフと話していたら険悪になりました。最近よくなります。おそらく私は家族よりも一部のスタッフたちとの方がよっぽど言い合うことが多いですが、いまのところ修復不可能なレベルでの不仲にはなっていないと思います。これからもならないように多少は気遣っていきたいです。
今日は一日随分眠かったんですが、電車の中でもうとうとすることはなく、家についてからも食事の支度にすぐ取り掛かれる程度には元気がありました。家族が『男はつらいよ』を観ていて、さくらが
「おじさんは世間を捨てたんじゃないの。世間に否定されたの」
と、満男に言っている場面が衝撃的すぎてしまいフライパンを再起不能なくらい焦がしました。それでも料理は一応完成したので、家族でそれを食べました。家の食卓は4人が席につけるはずなのになぜか2人分の食事をのせることしかできません。本が積み上がりすぎている。
なので私は立って食べました。食べながらチキン南蛮食べたいなーと思いました。明日元気があれば作ろうと思います。
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シナリオ『Room.I』
【概要】
人数:2~3人 時間:2~3時間 推奨技能:無し

【あらすじ】
「せっかくアイホート様の雛育てるんなら美味しい苗床になってくれ(とある狂信者の手記)」
連れて来られて体重が増えるまで帰れない、と見せかけた、逆ラ〇ザップシナリオとなります。 生贄にならないように部屋から脱出してください。 また、謎解きがメインですが、料理ロールなども出来るので、ワンルームでわちゃわちゃ遊ぶことも可能ではないかなと思います。 ただ若干ややこしい謎解きをしなければ、死にます。 また、窓から���アイホート様がじっと、探索者を見つめています。
【導入】
目が覚めると、探索者は知らないワンルームにいた。前後のことがよく思い出せず、持ち物などは何もない。 部屋にはキッチンやテーブル、ベッド、カーテンの間仕切り、扉があり、ひとつだけある窓からは夕焼けのような真っ赤な光が差し込んでいる。

◎部屋
壁には数字と記号の様なものが書かれている。
窓側の壁:31 扉側の壁:2] カーテン側の壁:25] キッチン側の壁:[4
◎窓
赤く光る窓。それ以外は何も見えない。
もし目星などをふってまじまじと見るのであれば、どこか不気味な光に感じるだろう。 また、窓の下にはハッチのような物があり、その隣に小さなデジタル式体重計が置かれている。(※地図左上、グレーがハッチ、ピンクが体重計)
☆体重計
ボタンの二つ付いた体重計。
右のボタンを押すと「HATCH MODE」と表示される。乗ってみると探索者の名前と、飲み食いをしていなければ「-10kg」という数字が表示される。
この体重計に+10キロのものを抱えて乗るのなら、部屋の中にそれに該当するものは探索者達自身しかない。お互いを抱き上げる、等の行動を取れば、条件を満たせないことは無いだろう。
左のボタンを押すと「KEY ISN’T[WEST]」と表示される。��ると、体重が表示された後に「×LOCK」の文字が出る。
英語技能:直訳すると「鍵は西ではない」となる。
☆ハッチ
取っ手のついたハッチは閉まっている。鍵がかかっているようだ。
このハッチは、体重を10キロ増やして体重計に乗ることによって、開けることができる。 開けると中は、そこそこ急なスライダーのような形になっている。奥は見えない。滑っ��場合は後述。
◎キッチン
ガス台や流しの並ぶキッチン。オーブンレンジや食器棚はキッチンに組み込まれている形となっている。 隣には冷蔵庫が置かれている。(地図左、キッチン横の正方形が冷蔵庫)
☆流し
プラスチック製のたらいが一つ置かれており、水を満たしたその中にはスチロール製の魚の切り身を入れる様なトレイが浮いている。
☆冷蔵庫
食材が入っている。おおよそ1食分であることが分かる。
※何のレシピを作っても、一食分が消耗する。また、全員が食べて寝ると中身はリセットされる。
目星:N極とS極が赤と黒に塗り分けられた、よくある棒磁石が貼り付けてある。
☆食器棚
人数分の皿と茶碗、箸、フォーク、スプーン、ナイフ、包丁、まな板、ハサミが置かれている。
アイデア:最低限の調理器具、といった印象だ。
目星:「美護印のカロリーファイト 1kg」と書かれた袋を見つける。中には白い粉が大量に入っており、使い方の欄に「なんの料理にも合います。100gで1キロ、上手く作れば3キロ、とびきり美味しいものだと5キロ、食べた後にぐっすり寝ると体重が増します。飯マズだと増えないかも」と書かれている。味は何もしない。
クトゥルフ神話技能:美護という単語に聞き覚えがある。ミ=ゴでは、と気付く。詳細はルルブ。
※こちらは日数が経過しても増えない
◎テーブル(※地図真ん中)
ランチョンマットの敷かれたテーブルの上には、メッセージプレートのようなものが置かれている。
アイデア、目星:テーブルが固定されている事に気づく。
※もしもこの後に家具を調べるのであれば、それらが全て固定されていることに気づく。
☆メッセージプレート
かなり軽い。持ち上げるなら、発泡スチロールで出来ているようだと気づく。
「+10キロに増えないと出られません」と書かれている。
また、裏面を見てみるのならば「×=C」とも書かれている。
◎ベッド(※地図右下)
上に一冊の本が置かれている。
アイデア:全て固定されていることが分かる。
☆カロリー満点レシピ
様々なレシピが載っている。簡単なものから凝ったものまで、カレー、シチュー、肉じゃが、ハンバーグなど、総カロリーがたっぷりしたものばかりだ。
本には、それぞれの料理の成り立ちも載っている。
《カレー:Curry》
多種類の香辛料を併用して食材に味付けするというインド料理の特徴的な調理法を用いた料理、またその英語名。 明治時代、日本にはイギリス料理として伝わった。それを元に改良された「カレーライス」は、現在洋食として普及している。
《シチュー:Stew》
シチューは、野菜や肉、魚介類を出汁やソースで煮込んだ煮込み料理の英語による総称である。日本への「シチュー」の伝来がいつかについて明確な記述はないが、明治4年の東京の洋食店の品書きに存在する。しかし本格的に「シチュー」が全国に浸透したのは、第二次世界大戦終結以後のことである。
《肉じゃが:Nikujaga》
広く流通しているのは、東郷平八郎が留学先で食べた「シチュー」の味を非常に気に入り、日本へ帰国後に作らせようとしたが、命じられた料理長は「シチュー」を知らず、イメージして作った「シチューではないもの」が始まりという話である。これは都市伝説であると近年では言われている。
《ハンバーグ:Hamburg steak》
ひき肉とみじん切りにした野菜にパン粉を混ぜ、塩を加えて粘性を出し、卵を繋ぎとしてフライパンで加熱して固めたものである。原型に関しては諸説あるが、一説には「タルタルステーキ」が原型であるとされている。
また、読み進めるのであれば、その中に一箇所だけ「ヒトナベ」という項目を見つける。
《ヒトナベ(hitonabe)》
美護印のカロリーファイトを大さじ一杯と人間一匹を入れてぐつぐつ煮込むだけ!茶碗一杯で10キロオーバーなこと間違いなし!」
と書かれたそこには、文字通り人がぶった斬られ煮込まれている写真が載っているだろう。SANチェック1/1d4。
◎カーテンの奥(※地図右上波線)
五右衛門風呂のある、簡素な風呂場となっている。 固形燃料が入れてあり、��にはマッチが落ちている。
目星:くしゃくしゃの紙切れを見つける。
「方角が分かればいいのか?駄目だ、さっぱりわからない、方位磁針なんてないし、有った所で壁の数字の順番はどうなる?何周りだ?それとも法則があるのか?西は夕陽が差し込んでいる方だと思っていたが、一向に陽が沈まない。不気味だ、食べて寝るだけの生活は悪くない、が、一体どうなってるんだ」
◎扉
鍵がかかっているが、鍵穴などは見当たらない。
【料理について】
楽しいクッキングが出来る茶番パート。 DEX×5とアイデア両方に成功することによって、美味しい料理が作れる。 料理技能がある探索者であれば、料理技能の成功のみでうまく作れて構わない。
DEX×5かアイデアの片方に成功すれば、普通の料理となる。 両方失敗するとまずくなる。料理技能の所持者はファンブルが失敗に値する。
クリティカル:5キロ増える 美味しい:3キロ増える 普通:1キロ増える まずい:増えない ファンブル:SANチェック
ヒトナベ:五右衛門風呂で誰かを煮込めば、大匙一杯の粉で一気に10キロ増える。ダイスの成功の有無などは関係ないものとする。
【扉から出る方法】
方位磁針を作成する。
水を張ったタライの上のスチロール、もしくはそこにメッセージプレートを浮かべ、上に磁石を乗せることによって、方角を知ることが出来る。
水に浮かべた磁石は正しく方位を指すだろう。
なお、方位磁針の作り方が思い浮かばなければ、アイデアや知識、それらしい本を見つけることによって思い出して構わない。
方角は以下のようになる。
南:窓側の壁 北:扉側の壁 西:カーテン側の壁 東:キッチン側の壁
「KEY ISN’T [WEST]」とあるように、鍵は西ではない。
西以外の文字「窓側の壁:31」「扉側の壁:2]」「キッチン側の壁:[4」を時計回りに並べると、[4312]となる。時計回りについては「×LOCK」の「×」にメッセージプレートにあった「×=C」を代入することによって「CLOCK」というヒントが出て来る。
鍵は西ではない=西以外のものを使う、という案が出ない場合、アイデアを振らせてもよいだろう。
出て来た[4312]を同じかっこのある[WEST]と並べ、数字の順番に並べると[STEW]、レシピに出て来たシチューとなる。
「KEY ISN’T STEW」、「鍵はシチューではない」(英語技能で分かってよい)という所から「シチューではないもの」と明記されている肉じゃがが鍵となる。
肉じゃがを作って乗せる、作って食べて乗る、または原材料を乗せても構わない。その方法で体重計を動かすことによって、扉のロックを解除することが出来る。
肉じゃが以外で上記の行為を行うと「ERROR」と出る
正直ややこしい問題だとは思うので、適度にヒントを出してあげてください。
【扉の向こうの部屋】
ドアを開けると、むわりとした腐臭が鼻をつく。中は薄暗く、入ってみるならば真ん中に死体があることが分かる。SANチェック1/1d3。 また、部屋には本棚と机が置かれている。
◎死体
男のようだ。ローブの様なものを纏っている。
目星:周囲に、蜘蛛の子供の様なものが蠢いているのに気付く。一旦視界にとらえれば、その数がかなりあることが分かるだろう。SANチェック1/1d3。また、手に何かメモを握っていることが分かる。 医学:腹が裂けたことにより死んだようだ。また、一部骨まで齧りつくされているのが分かる。
☆メモ
「-29」と書かれている。
◎本棚
ほとんどが洋書の本棚である。
目星:一段だけ空っぽな場所の奥にスイッチのような物があり、本を数冊をはめ込むことで棚が動きそうなことが分かる。 図書館:表紙が真っ黒のぼろぼろの本を見つける。タイトルは書かれていない。
『アイホート
イギリスのセヴァン谷の地下深くにある迷宮に棲んでいる。白く青ざめた肉の塊に幾つもの足が生え、体は目に覆われている。その瞳の色は赤いとも青いとも言われている。彼は人間の犠牲者を隅に追い詰め、質問する。これを拒むとその場で殴打され、殺されてしまう。申し出を受けたのであれば、その人物はアイホートの未成熟な雛を受け入れ、胎内で孵すこととなる。迷宮には多数の門が存在し、世界各地に繋がっていると言われる』
ここまで読んだ探索者はSAN値減少1d4。クトゥルフ神話技能+2。
◎机
上には地図帳が四冊置かれている。 また、引き出しがついている。
☆地図帳
「Ghana」「Japan」「Australia」「Austria」の四冊。
☆引き出し
開くと、一枚の紙が出て来る。本のページのようだ。
『怪談 赤い部屋
ある夜、タクシー運転手が一人の女を乗せた。真っ赤な服を着た俯きがちな女性は非常に美人で、運転手は気になりあれやこれやと話しかけるが、なんの返答もされない。やがて目的地に辿り着き客は降りていくが、気になった運転手は後から付けて行き、鍵穴から部屋をのぞこうとする。しかし、赤い部屋しか見えず、彼女は赤い色が好きだという情報しか得られないまま、その晩はアパートを後にする。
後日、幽霊話をしていた同僚が、赤い服を着た女性の話を持ち出す。あれは幽霊だったのかと驚く運転手は、顔も見た、という同僚の次の一言で、体を固まらせた。
「あの幽霊、格好だけじゃなくて目も真っ赤だったよ」』
オカルト、知識1/2:この話が、有名な都市伝説であることを知っている。
上の本と合わせ、ここまで読んだ探索者がもしリアルアイデアで窓の向こうの存在に気付いたのなら、SANチェック1/1d3。 あなたたちは���どうやらじっと人でない存在に見つめられているようだ。
【脱出】
「KEY ISN’T STEW」から導き出された肉じゃがから29、肉を引く。
英語表記にした時に「JAGA」は、地図帳の頭文字にそれぞれ該当する(オーストリアとオーストラリアの前後は問わない)。 本棚に「Japan」「Australia(Austria)」「Ghana」「Austria(Australia)」の順で地図帳を並べると、ロックの外れる音がする。
本棚を押しのければ、そこには白い光が広がっているだろう。 中に歩みを進めるのであれば、探索者はやがて意識を失い目を覚ます。
気付くと、公園のベンチに倒れていた。知っている場所でも知っていない場所でも構わないが、一応調べれば、探索者の家からそう遠くないことが分かるだろう。
夢だったのだろうか、そう思うにはやたらリアルだった体験を時折思い出しながら、探索者たちは日常へと戻って行く。トゥルーエンド。
また、体重は戻っていない。頑張ってください。増えていた場合、人によってはノーマルエンド。
【ハッチから脱出する】
ハッチから滑り降り���と、探索者は広く薄暗い空間に投げ出される。
そこには夕焼けも何も無かったが、重い足音に振り返ると、白い楕円形に象の足の様なものを生やした、生き物と称するには悍ましい姿をした巨大な存在がいた。
無数の赤い目がまばたきをせずじっと探索者を見つめる。アイデアに成功すれば、その目の輝きに見覚えがあるだろう。それは赤いあの窓の色だった。
アイホートの姿を見た探索者はSANチェック1d6/1d20。
この後は、雛を埋められるか殺されるかのいつもの二択となります。雛を埋められた後、別の門から帰る事は可能ですが、幸運に成功しなければ見たこともない国外に辿り着いているでしょう。残された時間は、ルールブックの通りです。バッドエンド。恐らくロスト。
【生還報酬】
生還した:1d3
太らなかった:1d3
美味しい料理が作れた:1d3
SAN値は上限を超えて回復しないものとする。
【余談】
Room.Eye、もしくはRoom.Eihort。
この狂信者絶対肉じゃがめちゃくちゃ好きだと思います。
お読みいただきありがとうございました。 感想等いただけると喜びます。
詐木まりさ Twitter @kgm_trpg
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10311615
「Hang down your head, Tom Dooley,Hang down your head, and cry.」
「Hang down your head, Tom Dooley,Poor boy, you're bound to die.」
「...にーに、」
舌足らずに呼びかける、無垢な声で意識が引き戻された。
「にーに...」
少しだけ開いた扉の隙間から、太陽に透ける焦茶色の髪と、潤んだ目が覗いていた。兄妹揃って白いが、さらに青白くすら見える妹の肌が、ろくに食べていないガリガリの身体を引き立てているように見えて、俺はベッドに横たわったまま、妹を直視することが出来ずに視線を天井へと戻した。どこでなにを間違えたのか、そもそも、俺が、誰が間違えたのか、答えは神のみぞ知る、のだろうか。
「どした。」
「おじさん、もう、かえったよ、」
「そっか、ありがとう。ちょっと待っててな。すぐ、飯つくるから、」
「にーに、さくら、おへや入ってもいい...?」
「...、いい子だから、リビングで...」
その時、ふと視界の端に写った、ドアから覗いた桜の細い手に、妹のお気に入りの、キティちゃんのタオルが握られているのが見えた。まだ幼い、俺よりも6つも下の可愛い妹は、大人でも顔を顰めるような悪事をなにも言わずとも空気で察し、その上で最大限の配慮を持って来てくれたらしい。断れない。重たい身体を起こして、扉に背を向け床に散らばった服をモタモタと身につける。どうせ洗うのは俺だ。ぐちゃぐちゃに乱したシーツで身体を拭い、丸めて床に放る。部屋にはむわっとした栗の花の匂いが充満していて、こんな部屋に妹を招き入れなければいけない自分に反吐が出る。手を伸ばし、窓を開けると、外の温かな空気が流れ込んできて、少しは息が出来る気がした。
「いいよ、おいで。」
「にぃに、」
桜は薄暗い部屋の中、よたよたとベッドへ近付いて、タオルを持った左手を差し出した。微かに、震えている。俺の目線が、タオルではない箇所に注がれていることに気付いたんだろう、一瞬表情を曇らせた桜は俺から隠すように右腕を背中に回した。
「......さくら。右腕、見せて。」
「だいじょうぶ、なんにもない。」
「さくら。」
「.........ほんとに、だいじょぶなの、」
眉をぎゅっと寄せた桜のまんまるな目に膜が張って、じわりじわりと溢れていった涙が玉になって零れ落ちる。そっと腕を取り長袖のTシャツを捲ると、赤黒く熱を持った、丸い痕。桜は静かに、壊れた蛇口のようにただただ涙を溢していた。気味が悪い、年端もいかない子供が、こんな泣き方をさせられるなんて。
「誰が、やったの。にーにのお客さん?」
「ううん、ちがうの、おとうさん、さっき帰って来て、おさけ、飲んでて、さくら、おこられて、また、おとうさん出ていったの、」
「...分かった、気付かなくてごめん。おいで。」
桜を抱っこし、手に持っていた濡れタオルを自分の腕に当てさせて、俺は薄暗い部屋を後にした。
リビングにもうもうと立ち込める煙草の煙。まだ4歳の桜の肺は、とうに副流煙でもたらされたタールに侵されているんだろう。咳き込むことも無くなった。俺は冷凍庫にあった氷をビニール袋に包み、濡れタオルの上から当てて火傷痕を冷やすよう告げた。すん、と鼻を啜ってもう泣き止んだ桜は俺を見上げ、「ありがと、にーに。」と笑って、タオルに描かれたキティちゃんを見つめている。
リビングの箱には、父親が放り込んだぐちゃぐちゃのお札が数枚、入れられていた。今月の生活費、まだ16日もあるのに、もう、4千円程しかない。先程取った客の分、追加されるんだろうか。そうすれば少しは増えるのに。
痛みを感じることはやめた。通常、やめられないことではあったが、俺はやめた。桜の前ではせめて、お兄ちゃんをしていたかった。
もう時刻は夕方の4時を過ぎていた。朝から何も腹に入れていないであろう妹は、わがまま一つ言わず黙って客が帰るまで隠れていたらしい。
冷蔵庫を覗くと、粗末だが炒飯が作れそうなメンツが顔を揃えていた。具になりそうなものは、魚肉ソーセージと玉ねぎしかないが。キッチンの床に座り込む桜に、屈んで目線を合わせる。くるん、と俺を見上げる純粋な目。
「夕飯、炒飯でいいか?」
「さくら、にーにのちゃーはんすき。たべる!けど、チチチ、使う?」
「うん。向こうのお部屋で、待ってな。」
「うん。にーに、ありがとう。」
桜は、火が苦手だ。あの子の腕以外、背中や脚、服で隠れるところに、いくつも煙草の押し付けられた痕があった。熱いもの、赤い火、大きくても小さくても火を見るたびに、桜は怯え、静かに泣く。コンロのことがまだ覚えられないらしく、「チチチ」と呼んで、使う度に怖がっていた。
具材を準備しながら、フライパンを握る俺の手がカタカタと微かに震えていた。...馬鹿馬鹿しい。桜が心配していたのは、自分じゃなく、���だ。
俺は、火が怖い。料理の度に喉元を掻きむしりたくなる衝動を抑えて、早く終われと、そればかり願っている。脳裏から離れないのは、あの日、煌々と燃え盛る、自分の家だった火の塊。
確か幼稚園の卒園を間近に控えていた日、突如として、俺の家は燃えた。呆然と立ち尽くす俺の横で、無表情の男、俺の父親は、消し炭になっていく家と、そして母親を見ていた。父親の手の中には己の大切にしていた時計のコレクションと、貯金通帳があった。母は2階で寝ていてそのまま火に巻かれ、翌日ようやく鎮火した家の中で炭になった姿を掘り起こされた。
俺の目には、あの言葉にし難い恐怖を与えた火が、焼き付いていた。美しい、強いなんて到底思えない、ただただ畏怖する存在。
流しに捨てられていた吸殻を捨て、食事の支度をしながら考える。
子供は親を選べない。
学校に行かせず、客を取らせ、気に入らないことがあれば手を出す。程よく金を与え、自由を与え、力で支配し気力を奪う。その上、他人からはそうは見えないよう、極めて常識人のように振る舞い、見える場所には決して痕をつけなかった。人を飼い殺すことに関しては類稀な才能がある、と、他人事のようにあの男を評価して、虚しくなってやめた。
家が燃えてすぐの頃、ボロアパートに引っ越した俺の前に、新しい身重の女が連れて来られた。髪の長い、幸薄そうな女は程なくして子供を出産し、そして子供を置いて、姿を消した。
帰った男の片腕に抱かれた赤ん坊を見たとき、ひどく不釣り合いだと思わず笑ってしまい、腹を立てた男に殴られたことを鮮明に覚えていた。
父は、その赤ん坊に名前をつけるのが面倒だと、俺に命名するよう言った。じんじんと熱を持つ頬を押さえ、さっさと決めろと怒鳴られた俺の視界に、ふと、窓の外の景色が映った。隣の雑居ビルだとか猥雑な看板だとかが見えるその中に、ひらり、現れた影。俺は窓を開け、外に立っていた大きな桜の木を見つけた。ばさり、ゆらり、風に吹かれて、彼は、彼女は、頭を揺らして花弁を振りまいて、呼吸が聞こえてくるような錯覚を覚えた。恐怖と、感動と、僅かばかりの哀しみと、俺は初めて見たわけでもない桜に怯え、同時に魅了された。気づいた時には口から「桜」と零していた。男は大して興味がなさそうに窓を閉め、俺に桜を渡して、また部屋を出て行った。
あの男は、桜が"女"になったらいい商品になる、と思って、捨てずに置いている、と言っていた。妥当だろう。あの男が思いつきそうなことだ。俺が、16になれば。働��口も見つかる。あの男からも逃げられる。それまで辛抱すれば、桜に、この世界がもっと美しくて、広いことを、教えられる。
「This time tomorrow,Reckon where I'll be.」
「Down in some lonesome valley,Hanging from a white oak tree.」
俺は買い物やらゴミ出しやらがあって、男の監視下で外に出ていたが、一度だけ、桜を連れて、男の許可なしに外へ連れて行ったことがある。茹だるような暑さが少しだけ鳴りを潜め、喧しい蝉が死滅しつつあった、夏の終わりだ。そう、俺の、15歳最後の日、桜が9歳の時だった。仕事で遅くまで帰らない、と言い残した父親、あっさり一発だけ抜いた後、内緒だと言って千円札を握らせた上客。俺は客が帰った後、また物置で眠っていた桜を揺り起こした。
「桜、どこか行きたいところないか?」
「うーん...あ、海行きたい。お兄ちゃんの持ってた、本に載ってたから。」
俺は桜を自転車の後ろに乗せ、くしゃくしゃの千円札をポケットに突っ込み、海を目指した。桜のポシェットの中には、俺の愛読書、三島由紀夫の「潮騒」が入っていた。生まれた記録がどこにもない子供だ。桜が学校に行かない代わりに、俺の見える世界の全てを、桜に教えた。日本語の危うさと淡い色彩を、桜の美しさを、海の青さを、全てを。桜は賢い子で、俺の言葉をスポンジのように吸収して、キラキラと目を輝かせ、あれこれ質問した。
「お兄ちゃん、空が広い!」
「あぁ。しっかり捕まってな。」
「気持ちいいね、お兄ちゃん!海、もうすぐ?」
「もうすぐだよ。」
自転車は残暑の蒸し暑い風を爽やかに変えながら、空気を切って下り坂を降りていく。俺の腰にしがみつく、太陽を知らない青白い細い腕。その日桜は、生まれて初めて、外に出た。
浜辺には人が見当たらなかった。もう彼岸が近いから、わざわざ海に近づくことなど誰もしないんだろう。桜はゴミの散らばる都会の砂浜に歓喜の声をあげ、ぼろぼろの靴を脱ぎ散らかし、砂浜を走り回っていた。
「お兄ちゃん!早く早く!」
「怪我するなよ、桜。」
どこかで拾った麦わら帽子を被った桜が、太陽の下でくるくると踊っている。自転車を止めた俺は遠目でその姿を見ながら、浜辺をうろうろと彷徨き、一つ、綺麗なシーグラスを見つけた。真っ青で丸みを帯びた、ただのガラスのかけら。退屈そうにワイドショーを見ていた海の家の親父に札を渡し、ブルーハワイのかき氷を1つ買った。
「桜、おいで。」
足の指の隙間に入った砂を気にしながら戻って来た桜に、青に染まったそのかき氷を見せると、元々大きい目をさらに大き��丸くして、俺の隣に座り、それをマジマジと見つめていた。思わず笑って、その小さな手に、発泡スチロールの容器を持たせてやる。
「食べていいの?」
「早く食べなきゃ溶けるぞ。」
「わっ、いただきます!!ん〜〜〜冷たい!甘くて、美味しい!」
「そか。よかった。」
サクサク、シャクシャク、夏の擬音語が聞こえる。首元を流れる汗も鬱陶しい蝉の鳴き声も、今日だけは何も気にならなかった。
「これ、やるよ。」
「何、これ。ガラス?」
「シーグラスっていって、波に揉まれて角が取れたガラス。綺麗だろ?」
「それなら、私も一つ拾ったの。見て、綺麗でしょ?交換しよう、お兄ちゃん。」
「うん。」
桜の拾った半透明のシーグラスを受け取り、いつか、このガラスでアクセサリーでも作ってやろう、と、ポケットへそれを捻じ込んだ。照りつける太陽が頭皮をじりじりと焼く。かき氷を食べ終えた桜と俺は、ただ黙って目の前に広がる青黒い海を見ていた。
「お兄ちゃん、私がどうして海がすきか、知ってる?」
「潮騒、気に入ったからじゃないのか。」
「それもあるけど、私、青色がすきなの。」
「青?」
「そう。海の青、空の青、どこかの大きな宝石、学校の大きなプール、一面の氷、色んな青がある、って、お兄ちゃんが教えてくれた。」
「...そうだな。」
「お兄ちゃん、私、お兄ちゃんがいたら、大丈夫な気がするの。」
「あぁ、大丈夫だ。桜は、俺が守る。」
「さすがお兄ちゃん。」
「...たまにはにーに、って呼んでもいいんだぞ。」
「バカ。もう私、大きくなったもん。ねぇ、お兄ちゃん。世界って、広いね。」
桜の横顔は、とても狭い世界に閉じ込められ続けたとは思えない、卑屈さも諦めも浮かばない、晴々とした表情だった。
「あ、お兄ちゃん、見て!」
ふと、太平洋に沈もうとする太陽の方を指差して、桜が笑顔を浮かべた。
「空が、私と、お兄ちゃんの色になってる。」
指差した空には淡く美しい桜色と、そして、寂しさを湛えた葵色が、広がっていた。
桜は、俺が世界を教えた、というが、終わりだと思った世界から俺を助け出してくれたのは、桜だ。眩しくて、夕陽をありのまま映し出す瞳が、言葉にならない。ごめん、と、ありがとう、と、愛してる、と、色々が混ざり合って、せめてみっともなく嗚咽を漏らさないように、となけなしの見栄で唇を噛み締める。
「お兄ちゃん、そろそろ、戻ろう?」
「......あぁ。もうすぐ、全部終わるからな。」
「うん。お兄ちゃん、だいすきだよ。」
その夜、いやに上機嫌な父親が帰宅して、持ち帰った土産の寿司を3人で食べた。ビールを飲み、テレビを見て大笑いする父親は、俺にも桜にも珍しく手を出さなかった。風呂に入った桜が、日焼けした。と顔を押さえてぶすくれていたのが可愛らしかった。
「お兄ちゃん、眠いの?」
「ん...あぁ、先、寝てな。」
「今日、ありがとね。私、お兄ちゃんの妹で、良かった。忘れないよ。」
俺は気が緩んでいたんだろうか、飯��後ベッドに戻る前に力尽き、床に横たわったまま眠りについた。
痛みと、嫌に焦げ臭い匂いで目が覚めた。眠った時のまま、床の上で目覚めた俺を蹴飛ばした男が、舌打ちをこぼす。
「起きろ。あと1時間で客が来る。」
「...はい。桜は、」
「消えた。逃げたんだろ、俺が起きた時にはいなかった。」
「消えた、って、そんなはずは、」
「...あぁ、そうだ、今日の客は上客だがちょっと特殊でなぁ。歯ァ食い縛れ。」
「え、」
言葉を挟む間もなく、男の手に握られたビール瓶で頭を殴打され、先程まで寝ていた床に逆戻りする。俺に馬乗りになった男が指輪を嵌めた手を握りしめ、笑う。
「傷モンを手込めにしたい、と。声出すなよ。」
意識の朦朧とする中で、俺に跨った客がもたもたと腰を振り、快楽を得ていた。頭も、腕も、どこもかしこも痛む。左肩の関節は外された。でっぷり太った身体が俺を押し潰して、垂れる汗や涎が身体に掛かる。豚の鳴き声に似た声を上げた客が、俺の顔に精液をかけ、満足そうな顔をしてにちゃり、唇を舐めた。
半日近く拘束され、太陽は沈みかけていた。軋む身体を起こした俺は体液を拭う時間すら惜しかった。桜を、探さなければ。男にどこかに連れて行かれたのかもしれない、本当に嫌気がさして、どこかで一人彷徨っているかもしれない。「明日は誕生日のお祝いするから、晩御飯、お兄ちゃんは何もしないでね!」と海で笑っていた桜を思い出し、俺はスニーカーを履いて外へ出た。
そして足の向かった先を見て、俺は、諦めにも似た絶望を感じていた。漂っていた違和感を拾うことを、人間は辞められないのだろうか。
男の所有する山の一角が、黒く焼け焦げていた。男が、都合の悪いものを燃やしたり捨てたりする場所だと、ゴミ捨てをさせられる俺は知っていた。何もない更地に、灰が少し残っており、土だけが真っ黒に変わっていた。安心した俺の目にきらりと光るものが映る。吐き気を堪えながら灰の中から拾ったそれは、昨日海で見つけた、真っ青なシーグラスだった。
自宅に戻ると、まだ男は帰っていなかった。俺はふらふらと、桜がよくこもっていた物置に入った。心がズタズタに、ぐちゃぐちゃに引き裂かれて、言葉が何も紡げない。手の中には、シーグラスが二つ、淡い色が肩を並べて寄り添っていた。
物置に入ってすぐ、玄関の方から乱暴な足音と、話し声が聞こえてきた。男が、電話で誰かと話しているらしかった。
『.........って、仕方ねぇだろ。』
『なかなか生理も来ねえから、俺が折角女にしてやろうと思った���に、抵抗しやがって。挙げ句の果てに、「お兄ちゃんに酷いことしないって約束して、」なんて、生意気なこと言いやがる。元々そのお兄ちゃんも、お前をダシにして仕事させてたのによ。ハハハ。あのメスガキ、俺をアイスピックで脅しやがったんだ。笑えるだろ?』
『はっ、大変じゃねえよ。二人殺るのも三人殺るのも、同じだっつーの。あー、暫くは葵に稼がせるしかねぇな、だから女は嫌いなんだよ、バカだから。』
俺はその夜、男を殺した。
丁度10歳の女の子を攫って燃やした時、炎に包まれ、ギギギと軋みながら仰反る死体を見ながら、桜も、こんな風に燃えたのだろうか、と思った。お気に入りのポシェットも、キティちゃんのタオルも、桜色のTシャツも、こんな風に、無惨に炭と化したのだろうか。
「This time tomorrow,Reckon where I'll be,」
「Had't na been for Grayson,I'd have been in Tennessee.」
今日の子は、16歳。あの日の俺と同じ歳の、女の子だった。燃えて独特の匂いを振り撒く子供を見つめながら、俺はその火で子供の身分証やら手袋やらを燃やし、これで32人、桜の友達を向こうに作ってあげられたことに気が付いた。知らぬ間に、火が怖く無くなっていた。学校を知らない桜はよく、「一年生になったら」を歌っていた。もう、通常ならとうに1年生になっている年齢だったのに。舌足らずで甘い、キャラメルのような声が今も脳裏に蘇る。にいに、お兄ちゃん、そう呼ぶ声は、何度だって再生出来る。
「妹はこんなこと、望んでない?」
桜の望みは、変わらず俺と、生きたい。それだけだった。もう望みは叶わない。望むことすら出来ない状況で、何を否定出来る?
「不毛だって?」
あの日、冷蔵庫の中には、俺の好きなオムライスの具材が入っていた。あの男に頼んだのか、隠していたお小遣いで買ったのか、分からない。が、普通に手に入れたわけではないはずだった。火の苦手な桜が、オムライスを作ろうとしてくれていた。それに応えられなかった。今更不毛などと、考えること自体が不毛だ。
「あと、67人。」
一年生になったら、一年生になったら、友達100人出来るかな。
「桜、最後は、お兄ちゃんがいくからな。」
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儀式

※縦書きリンクはこちらから https://drive.google.com/open?id=1jHkaTWMSfZG5WgNhHsJnNk1J4rIpP5J2
結婚するとき、私は女房を食べてしまいたいほど可愛いと思った。 今考えると、あのとき食べておけばよかった。
アーサー・ゴッドフリー
■ そうですね。腐る前に食べておけばよかったのです。 女は怖い。わたしもそう思います。女は怖いって。
指先の粘つきを洗い流しながらわたしは言う。生臭さが鼻についた。
◆血 「今日使用する食材はギヅヅギです」 と言っても普通のギヅヅギ料理ではありません。特別な日のための、ごちそうギヅヅギです。
ギヅヅギ?わたしはギヅヅギなんて生き物、聞いたことがない。 「ギヅヅギってだいすきなのよね」 「ついつい食べすぎちゃうのよね」 「うちはギヅヅギ炒めを作り置いて、お弁当のおかずにするわ」
先生は日焼けした太い腕でギヅヅギ——瘤が寄り集まってひとつの大きな瘤になっているみたいな、首の長いだらんとした死体——をまな板の上に乗せる。プロジェクターには、まな板を俯瞰で捉えた映像が映し出されていた。 「今日のギヅヅギは新鮮ですよ。知り合いにギヅヅギ輸入業者がいるので、特別に生きたまま送ってもらいました。頭数が少ないので、今日は一頭を何人かずつで共有してもらいます」
「あらやだ、外国産のギヅヅギなのね」 「輸入物のギヅヅギって、筋増強剤使って育ててるって聞いたことがありますわ」 「まあでも、先生が新鮮だっておっしゃってますし」 侃々と話すマダムたちの口から唾が飛ぶ。わたしは自分の包丁や皿を、マットごと手前に引いた。 テーブルの真ん中には、ギヅヅギの長くて黒い死体が横たわっている。
「ギヅヅギは目で新鮮さがわかります」 先生はギヅヅギのまぶたをひん剥く。カメラがアップになり――ゲル状の目玉を映し出す。 「ほら、瞳の周りが透明でしょう。白く濁っているのは、鮮度が落ちている証拠です」
マダム2が、テーブルの上のギヅヅギのまぶたを剥く。 「あら、うちのはちょっと白くなりかけてるみたい」 確かにプロジェクターに映る目よりもかなり曇っている。隣のテーブルのギヅヅギを見せてもらうと、そちらもほのかな煙が立ち上るみたいに濁っていた。こちらのまな板の上でだらんと身を横たえているギヅヅギよりも随分小ぶりだ。親子みたいに見える。 わたしも自分の指で、自分のテーブルの上のギヅヅギのまぶたを剥いてみる。端に、人間と同じように赤い血管が浮かんでいる。強く引っ張ると、のけぞった瞳が見切れていた。ゼリーのような瞳の光沢は、目に涙を浮かべているようにも見える。
「血抜きはしてあります。スーパーで売っているギヅヅギは基本的にあらかじめ血抜きされていますね。包丁の先は、かすかに当てるだけで大丈夫です。内臓を傷つけないように気をつけて。それでは実際に捌いてみましょう」
「いやだわ、何だかまだ生暖かい気がする」 マダム1が祈り手を組みながら身をくねらせる。 「わたし触れない」
マダム1は比較的まだ若く、わたしと同じくらいの年齢だ。でも既に子どもが二人いて、お腹の中にもう一人潜んでいる。三人目を身ごもった時点で思い切って仕事を辞めて、この料理教室に通っているらしい。 「ほんとに、ご飯を作るのがいーちばん大変よね」 仕事を辞めて、外食や手軽な冷凍食品に頼らなくなってからの方がよっぽど忙しく感じるわ。でも後々の子どもや夫の身体のことを考えたらねえ。ちゃんと身体に良いものを食べてもらった方が良いでしょう?
「わたしがやるわ」 マダム3が自分の包丁を握った。
マダム3はマダム1~3の中で一番年を取っている。どうしてこの教室に通っているのか、理由はよくわからない。みんな包丁捌きが怪しい中にあって、マダム3の手つきには迷いがないからだ。丸々と太った指で、器用に食材を捌いていく。また、こういう生ものみたいなものを触るのにも抵抗がないようで、いつもむしろ生き生きとした表情ではらわたを除いている。
マダム3が包丁を当てると、あらかじめマジックカットされていたみたいにギヅヅギの背中が裂けていく。やがてギヅヅギの身体は真っ二つになった。 「この口のところのコリコリしてるのが、変わった味で美味しいのよね」と、マダム2が赤く塗った爪で口吻を拾い上げながら言った。興奮は細長く鋭く尖り、まだ生きていた頃のしなやかさを残している。
マダム2は新婚で、かなり年上の夫がいる。 時々冗談めかしながら、「うちの旦那はもう半分死んでるようなものだから」と言うことがあった。しわがれた老父がマダム2の妖艶な指先で給餌されている姿を、わたしは時々想像する。 「わたしは料理で彼の胃袋を掴んで結婚したの」 その赤い爪が、枯れて縮んだ胃袋の入口を掴んでいるところをイメージする。 「あの年代の人は家庭的な女が好きなのよ。美味しいだけじゃなくて、身体を気遣った料理にするのがこつね」 マダム2の作った料理を食べれば食べるほど、何故かますます老父は痩せていく。 隣のテーブルで声が上がる。 「わあ、すごい血」 テーブルの端からしたたるほどの血が、となりのギヅヅギからはあふれ出している。 「ああ、すみません。うまく血抜きができていなかったみたいですね」 テーブルを回っていた先生が、ゆっくり落ち着いた口調で言った。 ギヅヅギの血管構成は複雑で、固体によって動脈と静脈の位置や絡まりがかなり異なるらしい。喉を切ってぶら下げておくだけでは血抜きが不十分なことがあって、こうして血が溢れてしまうことがあるのだと言う。 マダムたちは案外平然としている。さっきギヅヅギを触れないと言ったマダム1も、やっぱり新鮮だとあんまり匂いがないわねと呟いていた。 マダム1とマダム2がおしゃべりしている間も、マダム3はプロジェクターで再生され続けている手さばきをちらちら見ながら包丁を振るっていく。鉤鼻の頭に汗をかいていた。 こちらのテーブルのギヅヅギは、少しも血が流れなかった。意識して初めて気が付くくらいの、ほんの少し鼻につく匂いがするだけ。 「あら、サトウさん。そこ、血が付いてるわよ」 「え」 いつの間にかわたしの服の袖に血がついている。 こすっても、それが指に付いたりかすれたりすることはなかった。もともとからそこに浮かび上がっていたみたいに。
わたしは家に帰って今日作ったギヅヅギのキッシュをゴミ箱に捨てたあと、血のついたシャツを丁寧に畳んで箪笥にしまった。
■ あなたたちはわたしたちが作ったものを食べる。それをエネルギーに換えて駆動する。 気づいてなかったですか?あなたもわたし��よって駆動しているんです。わたしの作った料理によって呼吸し、心臓に血液を送り、生きている。 だから、言うことを聞かなくなったらそれまで。 どうして気づかなかったの? わたしがどうして料理を習っていたのか、もっと早く気付くべきでしたね。
◆肉 「先生はどうして先生なんですか」 わたしがそう訊ねると、先生は細長いワインのグラスを持ったまま笑う。わたしの乳首を摘むのと同じ指の形だ、とわたしは思う。 「なんですか、その質問。どうして先生になったかってことですか?」 「はい」 先生はラム肉をナイフで切る。ほんのわずかに、かちゃかちゃと皿にナイフが当たる音が聞こえた。やがて肉は小さく千切れる。 「こう見えて僕は昔、すごくワルだったんですよ」 先生はラム肉をくちゃくちゃと噛みながら話し続ける。 「触るものみな傷つける、なんて。ははは。喧嘩ばっかりしていたんですよね。僕を恨んでいたやつに後ろからバットで殴られて、入院したこともあるくらい」 先生の腕は精悍としている。料理には必要ないくらい。この人の逞しい身体は、喧嘩と自分の作った料理でできているのだ。 「家族との折り合いが悪くて、小さな頃からずっと夜遊びばっかりしていたんですよ。まともな食事なんて給食くらいしか食べたことがなかった。それも中学生までの話です。高校くらいからはまともに家に帰っていませんでした」 わたしはテーブルの上にひじをついて、時々ワインで唇を濡らしながら先生の話を聞いていた。料理はどれも味が濃い。メインディッシュのラム肉は、獣臭さを消すためのにんにくの臭いがきつく、食べれそうもなかった。
マダム2は、こんなもの食べて喜んでいたのだろうか?
「それでふらふらしていたんですが、街である洋食屋さんに出会いまして。あまりにも良い匂いがしたんで、お金もないのに入ったわけです。そこで食べたハンバーグがあまりにも美味しくて。一口食べるたびに自然と涙が流れたんです。ああ、何かを食べるというのはこういうことだな、と。食べたものがエネルギーになって自分を駆動させていくというのはこういうことか、と。そこからはよくある話ですよ。無理を言ってその洋食屋で修行をして、ちゃんとした調理学校に行って、今に至ります」 先生はグラスに残っているワインを飲み干した。顔がワインと同じ色に変色している。まるで飲んだワインがそのまま先生の表皮と肉の間を満たしていくようだ。 「実は自分で店を持ったこともあるんですが、あんまり上手くいかなくて。それで、こうして雇われ料理教室の先生をやっているってわけです。やってみたら、これが案外性に合っていたみたいで。作り方を教えるということは、やっぱり心の込め方を教えることですよね。こういう家庭料理レベルの料理教室だと、単純に美味しいものをたくさん知っているよりも、かつてのあの洋食屋のように、心のこもった料理の味を知っている方が役に立つんですよ」 「そうだったんですか」
そんな話、全部知っている。みんな知っている。
先生は顎ひげをこする。それが自分の男性をアピールする仕草だと知っているからだ。 「口に合いませんでしたか?」 「いえ、なんというか、胸がいっぱいで」 「そうでしたか。次はこういうのじゃなくて、お蕎麦とかにしま��ょう。目黒川沿いに、良い蕎麦屋があるんですよ」 はい、ぜひ、とわたしは答える。この声は何のエネルギーで出来ているのだろう?
先生の息は獣臭かった。不思議とにんにくの香りはしなかった。ということは、この獣臭さは先生自体のものだろうか? 「サトウさん」 この人はさっき食べたラム肉のエネルギーで腰のモーターを駆動させているのだ。わたしは足を開いているだけで良いので楽だった。 「サトウさん」 先生が耳元で息を吐くたび、ベッドごと深く沈んでいくような感覚があった。 「サトウさん、何か言って」 わたしが先生の耳元に呼気を吹きかけると、先生はわずかに震える。これはエネルギーを使った動作ではなく、ただの反応だ。 わたしが吐く生温かい息も、さっきわずかに口にしたラム肉で出来ているのだろうか。 「先生、わたしたち」
今、ひとつですね。
「サトウ、さん」 先生はやがてわたしの中で果てる。エネルギーの塊をわたしの中に放ち、小さくしぼんでいく。わたしはマダム2の夫である、しわくちゃの老父がますます乾いていくところを想像していた。
■ もうすぐ完成です。 先生が教えてくれたのは、真心の込め方でしたね。 それって本当に料理に宿るのだろうか。わたしは正直、当為は先生が言っていた真心というのがどういうものなのかよくわからずにいました。 でも、今ならなんとなくわかります。ああ、心を込めるというのはこういうことなんだなと。一本ずつあなたの指を開いていくと、そこにまだ温もりが残っているのを感じました。この温もりは命の灯火によるものではなくて、わたしの作った料理を食べて蓄えたエネルギーが尽きるまで燃焼しているだけなのでしょう。とても神秘的ですね。 ずいぶん食べましたね。若いときに比べてよく肥えたお腹を見ていると、感慨深い気持ちになってしまいます。これはわたしが悪いのでしょうか?わたしが、美味しいものを作りすぎたからでしょうか?
あなたは一度も、わたしが作った料理を残しませんでしたね。
◆魂 一方でわたしのお腹は、別の生き物によって膨らんでいく。
鍋に水を張り、鶏ひき肉を強火で煮込む。
ボウルに水を張り、じゃがいもをつけておく。
一合分の米を釜に入れ、水を加える。二、三回底から混ぜたら、糠の臭いが米についてしまわないうちにすぐに水を捨て、研ぐ工程に入る。米同士の摩擦によって、余計なものが剥がれていく。もう一度水を入れて、白く濁った水を流しに捨てる。それを二回繰り返す。釜に米を入れて水を線まで注ぐ。炊きムラができないように、水の中の米を優しく揺らしながら平らにする。炊飯器に釜をセットして、スイッチを押す。
ひき肉を鍋から取り上げたら、ダシスープ、コーンクリーム、ごま油、塩を入れ、よく混ぜて、強火で温める。沸騰しそうになったところで片栗粉を入れて中火にする。スープにとろみがついたら、溶き玉子をまわし入れ、ひと煮立ちさせたら缶詰のコーンを加える。
じゃがいもの表面の、柔らかくなった泥を落とす。包丁を使って、毒素のある芽を取り除いていく。皮は剥かずにおいて、輪切りにする。皮にもたくさん栄養が��るからだ。
肉は大きめのフライパンで焼く。あらかじめ常温に戻しておいた肉を、ごくごく弱火で温めたサラダ油の上に置く。肉汁を外に出してしまわないように、表面を焼いてコーティングする。肉が少し白くなってきたら、中火にして焼き色をつける。この時、動かさずに表裏それぞれ1分くらい焼いて、塩胡椒を振る。 焼いたばかりの肉はすぐに切らず休ませる。アルミホイルに包んで保温し、肉汁を中に閉じ込める。その間に、肉を焼いた油でじゃがいもをソテーにして、付け合せにする。
ご飯をよそい、コーンスープをスープ皿に注ぎ、肉とじゃがいもを皿の上に横たえる。
自分の中に、二人分生きている命があるというのは、妙な気分だなと思う。 わたしは自分が作ったものを食べる。口から繋がっている細長いホースを通って、直接エネルギーがお腹の中にある命に渡っていくところを想像しながら。それは得体の知れない闇にも似ている。
あなたもさっき食べたものをちゃんと思い出した方がいい。 それがなんだったのか、そしてそのエネルギーがあなたの中の何に注がれているのか、ちゃんと考えた方が良いと思う。
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「しがや」でごはん。
――はじまりは「味噌豆」だった。
底の深いフライパンに油を敷き、軽く水洗いした大豆を入れながら、志賀真幸(しがまゆき)はそう思う。 ゆっくりとへらでかき混ぜて大豆に油をまわし、強火にかける。十五分ほど煎っていると、豆がしわしわになっていく。さらに煎り続けていけば、しわがなくなって、ぱちぱちと音をたてはじめる。表面が少し割れてもくる。 ちょっとずつ焦げ目がつく、この過程が真幸はとても好きだ。 どんなメニューを組む日でも、「味噌豆」は必ず作ってタッパーに入れておく。あまり甘くしないから、ごはんのおともにも、お酒のアテにもなる。 真幸がひとりで切り盛りする『しがや』は、昼の十二時から夜の十一時までが営業時間だ。ランチが午後二時まで。三時間の休憩を挟んで、午後五時から再開する。 八人でいっぱいになるカウンター席と、二人かけのテーブルがふたつに四人かけのテーブルがひとつの小さな店。 夕方からの営業には、食事だけでなく、お酒をメインにする常連さんも多いため、「味噌豆」を含むお通し三点付けはとても喜ばれる。もっとも、真幸はアルコールには詳しくなくて、ごく普通のビールと廉価な焼酎、日本酒しか置いていない。こだわりのある飲兵衛には向かない店だ。 それでも、『しがや』の個性や、ある法則をもったメニューのほうが重要だと言ってくれるお客さんに守られていた。 いまは、ランチあとの休憩時間。 ランチの片づけをして、食材のチェックをしてみたら、今朝作った「味噌豆」がこころもとない残量になっていた。夜の営業で足りなくなるのは困るので、追加で作っている。 中火にし、砂糖と味噌を入れて擦り合わせつつ混ぜはじめたとき、まだ暖簾を出していない店の引き戸が開いた。
「姐さん、これ置かせて」
挨拶もなく入って来た青年がよく通る声で軽やかに言う。
「ちょっと待って」
真幸は声の主を見ようともせず、ちゃっちゃとフライパンの中の豆を仕上げていく。砂糖も味噌も焦げやすいので、眼を放せないのだ。
「おう」
青年は短く答えると、カウンターの角席に腰かけたようだった。椅子を引き、とんとなにかを置く音が聞こえた。 彼はその席が好きだ。絶対にそこでなければいやというわけではないのだが、何人かの仲間と顔を出してもテーブル席ではなく、角席を含んだ数席を選ぶ。 胡麻を加えて「味噌豆」を完成させてから、真幸はカウンター内を移動した。青年の真ん前に立った。
「見せてよ」 「あ、おう」
青年はまた短く答えて、手元にあったA4サイズの封筒を真幸に差し出した。一センチほどの厚みがある。 真幸は受け取った封筒からぺらっと一枚引っ張り出してみた。「ふうん」と呟いて紙を見つめる。
「正之丞(せいのすけ)さん、出世したよねぇ」 「出世ってこたぁねぇですよ」
正之丞と呼ばれた青年はへっと鼻先で笑い、カウンターに支度されている透明なポットに手を伸ばした。トレイに並んだグラスをひっくり返し、冷えた緑茶を半分ほど注ぐ。ごくごくと咽喉を鳴らして一気に飲み干した。
「でも、たいしたもんだよ。菱野ホールってキャパ二百五十くらいあるでしょ。そこで毎月やれてるんだもん」
真幸の手にある紙は、いわゆる宣伝チラシだ。青っぽい背景の中央に着物姿の正之丞がいて、寄席文字と呼ばれる独特の太い筆致の文字で『日月亭(たちもりてい)正之丞月例独演会』と二行に分けで書かれていた。 ちなみに、寄席文字とは、提灯や半纏に使用されていた字体と、歌舞伎などで用いられていた勘亭流の字体を折衷して編み出したビラ字をもとにしている。天保年間に神田豊島町にあった藁店に住んでいた紺屋の職人が改良したものらしい。 たくさんの客が集まって、空席が少なくなるようにとの縁起を担いで、文字と文字の間隔を詰め、隙間を最小限にして書く。その際になるべく右肩上がりにもする。
「次からはチラシデザイン、もっと凝ったら? 正之丞さんイケメンなのにふつうのデザイン過ぎてつまんないよ、これ」
真幸は淡々と言うと、チラシを封筒に戻した。 正之丞はもう一杯緑茶を注ぎながら、「だったら姐さんがやってよ」と唇を尖らせた。
「じょーだんでしょ。もうわたしは引退したのよ。いまはただの食堂のおばちゃん」
自嘲気味に笑って、真幸はできたばかりの「味噌豆」といんげんと山芋のおひたし、小女子の佃煮入り卵焼きを三点付け用の小皿に盛り合わせ、正之丞の前に置いた。 正之丞は「うまそう」と呟いて、割り箸を手に取った。
「おばちゃんだなんて���ってないくせに」
まず卵焼きを口に運び、正之丞はにっと口角を引き上げた。
「わたし、何歳だと思ってんの?」 「おれより四歳上だっけ?」
正之丞はもぐもぐと咀嚼しつつ、首を捻った。真幸はすぐに「五歳」と返した。 正之丞は、スポーツ医療系専門学校卒業後に日月亭正治(せいじ)に弟子入りし、八か月の見習い期間のあと、前座として寄席に入った。四年半務め上げ、五年前に二ツ目となった。確か、早生まれの三十歳だったはずだ。 二ツ目になってからしばらくは、三十人キャパ程度の会場で勉強会を繰り返していたが、ある新鋭監督の映画に準主役で期用されてから注目されはじめた。 端は整った見た目ばかりが話題にされていたものの、ネタ的にほうぼうに呼ばれているうちに噺家としての実力もあがっていった。 真幸は、集客に苦労していた姿も知っているから、とんとん拍子に飛ぶ鳥を落とす勢いの存在となっていく正之丞に圧倒された。 多くの注視は自信の裏付けになると同時に、敵も生まれる。諸刃の剣だ。ファンの好意はちょっとしたボタンの掛け違いで嫌悪に変わってしまう。 そして、それを含め、目立ってナンボの世界だ。潤沢とはいえない客の数を多くの噺家たちで食い合いするのだから、売れていて、魅力がなければ勝ち抜けない。 真幸は『しがや』を開店するまで、日本橋にあるデザイン事務所に所属して、多種多様のチラシをデザインし、寄席文字を書いていた。売れはじめるまえの正之丞のチラシを作ったことも、独演会用に高座のめくりを準備したことも一度や二度ではない。 真幸のデザインするチラシは、噺家たちにも落語会に足を運ぶ客たちにも好評だった。 母が亡くなり、『しがや』を継ごうと決めて一線を退くとき、相当に残念がられたものだ。事務所を辞めても個人的に仕事を請け負ってほしいと頼まれたけれど、それではなんだか示しがつかないような気がして、すべて丁重にお断りをした。 仕事としてかかわらなくなっても、落語そのものは好きだったから、『しがや』のメニューに演目にちなんだものを出すようになった。 「味噌豆」も落語の演目からきている。 主人が隠れて「味噌豆」を食べようと便所にこもる。使用人もやはり隠れて食べたくて、椀によそった「味噌豆」を持って便所へ向かう。そこには主人がこもっているから鉢合わせになり、使用人は機転をきかせておかわりを持ってきたと言い放つというオチを迎える噺である。 もともと「味噌豆」という言葉の響きが妙に好きで、どんなものなのか興味があって個人的に調べて作って食べていた。いろいろなパターンのレシピに挑戦し、自分なりに改良を重ね、『しがや』の落語にちなんだ新メニューのトップバッターに決めたのだ。 真幸が作っている「味噌豆」は、落語に登場するものとはちょっと違うのだけれど。 「味噌豆」が好評だったから、真幸は少しずつ落語の演目絡みのメニューを増やしていった。 「目黒のさんま」にちなんださんま料理、「かぼちゃ屋」や「唐茄子政談」に絡めてかぼちゃ料理、「二番煎じ」に出てくる味噌味の肉鍋風煮物、などなど。 あとは、ランチ時には「時そば」にちなんで、もみ海苔を散らした花巻そばや、玉子焼き、蒲鉾、椎茸、くわいなどをのせたしっぽくそばを常に出している。 夏場には「青菜」に登場する鯉の洗いを用意したこともある。 つまり。 これが『しがや』のある法則をもったメニューなのだ。 このおかげで、母の代からのお馴染みさんや地元だから贔屓にしてくれるお客さんとともに、落語好きの常連さんが多くなった。飲みながら、落語話に花を咲かせているお客さん同士も、落語会帰りに一杯というひとたちもいる。 そのため、多くの噺家たちがチラシを置かせてほしいと言ってくる。去年からは頼まれて彼らのCDや著作物なども販売するようになった。置いてあるチラシやCDなどを目当ての客も結構いた。 正之丞の初CDが出た際には、サイン会を兼ねた特別落語会を開催もした。二百五十のキャパをコンスタントに埋められる正之丞なのに、二十程度の席しかないため、チケットはとんでもない争奪戦となった。 この会がうまくいけば、隔月くらいで落語会をやってみてもいいかなと思ったけれど、ファンの血眼ぶりがトラウマで、尻込みしている。正之丞ほどの動員能力を持つ噺家ばかりではないし、まだまだこれからの若手を呼べば、あんなことにはならないだろうとは頭ではわかるのだが。 思い切るにはもうちょっとの勇気が必要そうだ。
「正之丞さん、まだ時間ある?」
真幸はチラシの入った封筒をカウンター下の棚に収めてから、ふわっと訊いた。
「ん? あるよ。今日は寄席の昼席二か所だけだから、夜は空き。なんで?」
山芋のおひたしを口に入れて、正之丞は訝しそうな顔をした。眉間に薄く皺が寄る。
「さんまのつくね食べる?」
「ランチ残ったの?」
正之丞はいたずらっぽく眉を上げた。
「あーー、やな言い方するなぁ。そういう態度だと出してあげないよ」
真幸はむっとしている振りをした。 正之丞とはついじゃれ合いをしてしまう。異性であることを意識したことは、少なくとも真幸側からはない。きょうだいか喧嘩友達みたいな関係をずっと続けている。 真幸には大勢の噺家の知り合いがいるが、たぶん正之丞がいちばん親しい。家族関係もつきあっていた女性のことも知っている。 そして、ひとつひとつの恋愛があまり長く続かないことも。 正之丞がいろいろな女性と交際をしている間に、真幸は取引先の会社にいた相手と恋愛をし、シンプルな式を上げて結婚した。二歳上の物静かな男性だった。軽口を叩き合うような関係性ではなかったけれど、しっとりと静かに穏やかに時を重ねていけると思っていた。 だが、ともに暮らしはじめて三年目に突入して間もなく、「好きなひとがいる」と離婚を切り出された。相手が女性であればもっと引き止めたり、もめたりしたかもしれない。 でも、夫が選ん��相手は同性だった。 それも、高校時代からひそやかに続いていた。「女性の中ではいちばんきみが好きだけど、それ以上にどうしても彼がいとしい。もう嘘はつけない」と言われれば、もう返す言葉はなかった。 惚れていたぶんだけ、離婚直後は恨みめいた気持ちもあったものの、真幸といっしょにいるときよりも自然に幸せそうに、よく笑う元夫を見ているうちに、これで良かったのだと思えるようになった。 元夫は、いまでもあの彼氏とともに生きているらしい。 真幸は、職場ではずっと旧姓で通していたから、たぶん正之丞は結婚離婚を知らないだろう。
「食べる?って訊き方したんだから、ひっこめんなよ。オトコに二言はねぇだろ」
正之丞はぶんっと割り箸を回した。
「行儀悪いことしないっ!」
真幸は腕を伸ばして、正之丞の割り箸を掴んで止めた。
「あと、誰がオトコだ!」
そのまま握り締めて拳にすると、正之丞の額を小突いた。正之丞はでへへっと笑った。
「いしる汁、ひとりぶんにちょっと足りないくらいなんだけど」 「いしるってどこの料理?」 「料理っていうか、能登の調味料ね。いしる出汁っていうの」 「能登かぁ。能登ねぇ」
正之丞が感心したように頷き、「一昨年呼ばれて行ったなぁ」と続けた。
「噺家はいろんなとこ行けていいねぇ」 「行くだけで観光もうまいもの食うのも、めったにできないけどね」
真幸の拳の中から割り箸を奪い返し、正之丞は今度はいんげんのおひたしを食べた。 噺家たちは、確かに地方公演は多いが、余裕をもったスケジューリングにはされていない。 たとえば、福岡公演の翌日の昼に東京公演が組まれていたり、昼は名古屋、夜は仙台なんてむちゃくちゃなことになっていたり。その合間に師匠方に稽古をつけてもらいに行ったり。 噺家は、大抵は個人事業主で、事務所などがマネージメントしているわけではないのに、ファンの多い人気者や名人ほど大事にされていない。ひっぱりだこと言えば聞こえが良いが、ただの過重労働だ。 売れ出して以降の正之丞のスケジュールもそうなっている。昼席のあと、空いているというのは珍しい。
「正之丞さん。もうあとがないんなら、ごはんも食べて呑んじゃう? 奢るよ」
真幸は断っても問題ないのだという隙間を持たせて、言ってみた。
正之丞は性格的に年上や先輩からの誘いにノーと言わない。多忙な売れっ子をやっかむ先輩たちや、人気者を連れまわしたいタニマチ風の主催者たちにも従ってしまう。 だから、落語を離れたプライベートの場では気にせずに首を横に振っていい。つまらない上下関係や重圧を離れて、羽根を伸ばせばいい。夜が空いているのなら、彼女とデートだってしたいだろう。 そんな思いも内包していた。 まあ、もっとも、いまの正之丞に交際している女性がいるかどうかは知らないが。
「いいの?」
正之丞は間髪あけずに返してきた。 真幸の見る目が歪んでいなければ、だが、正之丞にいやがっている様子��ない。年上からの誘いだから仕方なく了解したという感じもしない。 正之丞の如才なさの賜物で、うまく本音を覆い隠している可能性もあるな、なんて臍の曲がったことを考えつつ、真幸は薄く笑みを浮かべた。
「ランチの残りと、普段、大皿で出してるような料理しか、まだ用意できないけど」 「充分充分。助かるよ」 「そう? じゃあ、ビール? 焼酎?」 「う~~ん。焼酎かな。ここの緑茶で割るから、グラスに氷と焼酎だけ入れてくれたらいいよ」
真幸は「おっけー」と答えて、大きめのグラスに氷を四つと七分目ほどの焼酎を注いだ。正之丞の手元近くにグラスを置く。 正之丞はいかにも嬉しそうに「ありがと」と笑んだ。 正之丞は結構酒が強い。深酒も泥酔もしないし、醜態も晒さないが、酒量はいつも多いほうだ。真幸も酒飲みだから、ふたりで飲めば長くなる。 正之丞が緑茶で軽く割った焼酎を飲みはじめるのを見やり、真幸は残りが少ないので小鍋に移してあったいしる汁を火にかけた。汁には、つくねの他に大根、人参、牛蒡、三つ葉が入れてある。 さんまのつくねは、「目黒のさんま」にちなんだ料理のひとつとして作っている。 あの演目だと、「さんまは目黒に限る」で形容されるさんまの丸焼きがメインだ。もちろん『しがや』でも九月に入るとさんま焼きを提供する。 それ以外の時期に出すのが、さんまのつくねなのだ。演目の後半に、殿様が屋敷に戻って「さんまが食べたい」と言ったときに、使用人たちがさんまの脂っぽさや小骨をとりまくってぼろぼろになったものを椀に入れて出す場面を参考にしている。 汁に入れる以外では、揚げたり照り焼きにしたり、にんにくたっぷりでソテーにしたりする。 さんまを使ったメニューとしては、他に味噌煮、蒲焼き、野菜あんかけ、竜田揚げなど、我ながらレパートリーに富んでいると思う。お客さんにも人気がある。 真幸はいしる汁とごはんをカウンターに置くと、続けて、大皿料理として常に用意している筑前煮、かぼちゃの煮付、きんぴら、切り干し大根、肉じゃが、小松菜とツナと玉子炒め、オクラの豚肉巻き、鶏の唐揚げを少しずつ取り分けて出した。 ひとつひとつは凝ったものではなくても、全部が並ぶと途端に贅沢な食卓となる。和食中心の店だから、どうしても色合いが茶色っぽくなってしまうのは否めないが。
「こりゃ豪勢だな。ありがてぇ」
落語の登場人物の江戸弁めいた口調で喜んで、正之丞は箸をつけていく。 緑茶割を飲みながら、ほんとうに美味しそうに平らげる。細い身体のどこに入ってしまうのかと思うくらいの食欲だった。見ているだけで楽しくて、嬉しくなる。 よく食べる人間は好きだ。ひとは食べたもので作られるのだから、気取って小食のふりをするよりも、食べるべきものをちゃんと食べる姿のほうが素敵なのは当然なのだ。
「おかわりする?」
グラスの中身が残り少なくなったのを見て、真幸は訊いた。正之丞は「う~~ん」と低く唸って、グラスの底の薄い緑色と、皿に残った惣菜を見比べた。
おかわりを頼むには、つまみが足りないということか。
「えっとさ」 「うん?」
真幸は、珍しく歯切れの悪い正之丞を見つめた。
「おれね、真幸……姐さんの料理好きなんだ」
正之丞は、真幸の呼称代わりにしている姐さんの前に名前を入れた。これも珍しいことだ。
「このいしる汁も肉じゃがも筑前煮も豚肉巻きもぜんぶ美味いし、どれも好きだ。ほんとに口に合う」 「あ、ああ。そうなんだ。ありがとう」
淡々と、だが、真摯に料理を誉める正之丞の口調が妙に照れくさくて、真幸はさり気なく目線をずらした。正之丞を正面から見ているのが、なんともいたたまれない気分だった。
「実家のおふくろのメシより好きだ」
正之丞の「好き」は更に続く。真幸はかあっと顔が熱くなるのを感じた。 いま、彼が言い続けている「好き」は、あくまでも真幸の料理に対するものなのに。
すべてが自分に直接跳ね飛んでくるみたいな感覚だった。
「できれば、これからもずっと姐さんのメシを食いたい」
「……う、うん」
真幸は小刻みに頷いて、「いつでも食べに来てよ。毎回は奢らないけど」と続けた。 正之丞はふうっと深く大きなため息を吐いた。こんなに誉めたのに奢らないと言われて、つまらないと思ったのかもしれない。 でも、正之丞みたいな健啖家を毎回ロハで食べさせていては、『しがや』が立ち行かなくなってしまう。
「そうじゃないよ」
少しの間を置いて、正之丞は低く言った。 なんとなく怒っているように聞こえて、真幸はちらっと正之丞を覗った。正之丞はまっすぐに貫くように真幸を見つめていた。
「『しがや』の客としても、だけど、それ以上に個人的にって意味」 「え、え? あ?」
あまりに意外な言葉で、真幸は間抜けな反応しかできなかった。声もいびつに裏返った。
「どういう……」 「おれ、姐さんが好きだよ。何人かの女性とつきあってみて、余計にはっきりとわかった。おれは姐さんが好きだし、おれに合うのは姐さんだけだ」
訊き返そうとした真幸の声に被せて、正之丞は一気に言い切った。手にしていた割り箸を肉じゃがの小皿に置いた。
「え、いや、でも、ほら、わたし年上だし」
間抜けな動揺を色濃く残したまま喋るから、真幸の声は自分でも笑ってしまいそうなくらいに上擦っていた。 きょうだいや喧嘩友達のような存在の正之丞からこんなことを言われるなんて、想像したこともなかった。いまのふたりの関係に変化が起こるわけがないと、ずっと思っていた。
「五歳くらいどってことないんだけど」
すかさす正之丞が答えた。
「え、でもね」
なおも否定を続けようとした真幸に、正之丞は「姐さんのでもでもだっては、ぜんぶ打ち返せると思うよ、おれ」と微かに笑みを浮かべた。
「いますぐに答えがほしいわけじゃないんだ。おれの言葉を聞いた今日から、考えはじめるんでいい。姐さんの恋愛対象におれがいなかったんなら、これから加えてほしい。そういうことなんだよ」
「……でも、正之丞さん……」 「でもは、もうなし」
うだうだと「でも」を並べる真幸を迷いなく見つめ、正之丞はびしゃっと切り捨てた。噺の中で誰かを叱りつけたときのような口調だった。 思わず背筋が伸びた。 真幸はぎくしゃくと正之丞に向き直った。正之丞は微笑みを湛えたま��、その動きを待っていた。
「考えてみて」
正之丞は真幸と眼が合うのを待って、ひどく穏やかにそう言った。
「たくさんたくさん考えてみて。姐さんとおれがいっしょに生きていけるかどうか。真剣にちゃんと考えた結果がごめんなさいなら、おれは受け止めるから」
あまりに真剣な口調に、真幸は唇を引き締めた。 いままで正之丞と自分を男女として意識したことはなかったけれど、ここまでしっかりと伝えられた以上、直視しないわけにはいかない。誤魔化したり予想外だからなんて言い方で逃げてはいけない。
「時間はいっぱいかけていいよ」
正之丞は、これまで一度も見たことがないくらい穏やかに優しく頷いた。笑みの形になったままの表情がひどく美しかった。
――考えよう。これから、きちんとまっすぐに。
真幸は言葉にはのせずに、ただ強く頷いていた。
「……良かった。ありがとう」
心底から嬉しそうに、正之丞が頭を下げた。
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無題
5/3
午前中にキッチンの換気扇周りの掃除をした。思い起こせば”概念”はしばしば換気扇周りに現れるので、ここを綺麗にしておけば状況はマシになるかもしれない。
午後からは帰省。地元に着いたその足で押尾コータローのライヴを母と観に行った。バリトンギターの音が最高に良かった。彼の演奏には歌心がある。メロディを大事にするギタリストだなァとしみじみ感じた。
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5/4
母と妹と俺の3人でお昼ごはんに寿司を食べた。 その足で下宿に帰った。夜は先輩とお酒を飲んだ。
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5/5
先輩宅で昼過ぎからお酒を飲みご飯を食べレ・ミゼラブルを観た。ここのところ連日飲酒しているな。インジョイしすぎである。
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5/6
俺「数ある怒りの中でも『赤信号に連続100回引っかかる類の怒り』だけはどう処理すべきか未だに分からぬ。『赤信号に連続100回引っかかる類の怒り』=自分ではどうしようもないがある種自分が招いたと言えなくもない状況下でエンドレスに小さな失敗が発生し続ける状況に対する怒りなんですけど。」
俺「今日玉ねぎ3玉をみじん切りしてて涙が止まらない、玉ねぎ古かったぽくてメチャクチャみじん切りしにくい、炒めてる途中にフライパンから玉ねぎが吹っ飛びまくる、などの状況下で『赤信号に連続100回引っかかる類の怒り』が発動してヴァアアアってなったんだけど」
俺「最終的に『怒ってる俺ってウケるな』でgot事無き(事無きを得た)だった。でも『ヴァアアア!!!』ってなるターンを回避できなくて、このターンをうまくスキップしたいわけよ」
俺「怒ってる時は主観100%みたいになるわけじゃないですか。んで『怒ってる俺ってウケるな』ってなってる時には既に主観からある程度脱しているんですよ。」
〜以下俺と先輩のリプライ〜
先輩「emotionに対してmood(気分)は持続性が強く、長期的な感情の傾向である。例にあるmood的怒り状況を自分で認知している場合、日常のネガティヴな事象について無意識に選択的な知覚を行い、逆にそれに反する事象について選択的無視をしている可能性がある」
先「選択的無視の理由としては、一旦認知した「怒り」という気分と矛盾する事象の受容は、自身の態度にさえも矛盾を生起させ、別の不快感を生じさせる可能性が高いからと考えられる。 これら一連の感情プロセスをメタ認知することによる合理的解釈が怒りを鎮めるかも」
俺「『メタ認知』によって怒りを鎮めるという点で今回僕が行った『怒ってる俺ウケるな』と通じますね。しかし僕の今回の処方が対症療法的でしかない一方で、この感情プロセスの理解は怒りを鎮めるという即効性に加えて、原因療法としても有効かもしれない。知識としてこのプロセスを理解しておけば、そもそも怒ること自体を回避できるかも。」
先「これ、でもあんまり理屈ばっかりこねてると本当に感情が表に出てこなくなっちゃいそうだよね(今更)」
俺「ネガティヴな感情に関してはそれでも良いんじゃないかなと思います。側から見たらただのイエスマンというか、ハッピー野郎にしか見えないかもしれませんが、少なくとも害はない。人間らしさみたいなのは損なわれちゃうんでしょうけれど。。」
俺「あれ、これって僕のことだな」
先「怒りの表明って必ずしも悪いことばっかりじゃないよ。それが関係性を強くすることもあるし。筋細胞が一旦切れてそれを補強しようとする繰り返しが筋トレであるのと似てる(らしい)」
俺「怒りの表明による関係性の強化、革命なんかが典型でしょうか。『筋細胞が〜』というのはつまり、怒り(≒相手への不満)を表明することで一旦は関係性が悪化ないし破綻するかもしれないが、結果的によりよい関係性として再構築されていくということですかね。」
先「革命は随分極端な例かもだけど、、小さい頃、よくケンカした幼なじみや同級生ほど結局仲良くなってたりしない?心理的に傷つけられたぞ、という意思表明の繰り返しが、傷つけ合わない距離や表面では分からない他人の信念を少しずつ掴むんでしょうね」
先「おおよそ合ってるんじゃないかな。心理学でも感情の研究は特に難しいらしいよ」
俺「革命の例はアレですね、共通認識による団結において、怒りという感情が団結の拠り所となる〜みたいな文脈で考えてしまっていたので誤りですワ!なるほど、ハリネズミのジレンマの話を思い出しました。お後がよろしいようなのでこの辺りで。またお酒飲んでやりましょう!」
先「せやな〜 Let'sPlay心理学部つくるか」
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5/10
「お互い長生きしような」
夜風が心地よい。昼の気怠い暑さが夜の冷涼さを際立たせている。
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5/15
ACIDMANの一悟のドラムセット(電子ドラム)で本人(生ドラム)と「世界が終わる夜」をセッションする夢を見た。彼からスティックも借りたのだが、右手だけなぜか振るのも精一杯なくらいにとにかく重くて太い大きな人参で、問いただすと真面目な顔で「めちゃくちゃこだわって選んで、理想のシェイプのために(人参を)削ったりした」などと言い出した。そしてなぜか俺もそれに感心してしまい、結局人参でドラムを叩いてみたものの、なにぶん人参の重量がすごすぎてエイトビートもまともに叩けなかった。
今日の授業でhazel eyesという単語を知って、ウィキで虹彩についてのページを読んだ。hazel eyesは日光によって色が変わったりするので「七色の眼」とかなんとか呼ばれるらしい。hazelはヘーゼルナッツのヘーゼルだ。
ついでにアルビノの記事も読んだ。ひとさまに比べて幾らか色が白い方なのでシンパシーを感じる部分もあったのだが、全体的に程度が違った。特に目に関しては俺は羞明(日差しが人よりも眩しくて痛い)くらいで済んでいるが、アルビノの人は弱視、眼球振盪といったことにも悩まされるらしい。
プールの授業の時に「女かよ」とからかわれ、周りの男子が更衣室から出て行く中ひとりで日焼け止めを塗っていたことなどを思い出した。当時は仕方ないと思っていたが、思い返��と少し辛いものがある。
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5/16
失くしていた時計を見つけた。どこにやったものかと気が気でなかったのでとても安心した。すごく気に入っている時計だ。ここ数日身に付けていないからフワフワとした気分で生活していた。
授業中に定規を使って線を引いていたら、隣にいた友人に「君って定規とか使うんだ」と驚かれた。そんなにずぼらに思われていたのか、はたまた定規なんかじゃはかれないビッグな人間だと思われていたのか。
夢を見た。
①手話の会合のあとの打ち上げの席でしこたま飲んで、終電を逃した人を家まで送った。「かなり歩くんですけど大丈夫ですか?」と告げられた住所をグーグルマップに打ち込んでみると、徒歩で2時間近くかかることが分かって眩暈がした。獣道みたいなところを頑張って歩いたのだが。
②都心より少し離れたところのワンルームに住んでいた。屋上に上がれる部屋だったので布団を以って屋上で寝っ転がったりした。低い建物なので通行人から俺の姿が見えるのだが、彼らの視線もお構いなしに俺は布団にくるまりグウタラしていた。部屋に戻ると父が遊びに来ていた。スーツを着ていた。会話は特になかったが別に息苦しくもないし、穏やかな時間だった。
③学校に行かなければいけない用事があったので、高速バスに乗って東京から大阪へ向かう。添乗員がヒッピーみたいな陽気なオッサンで、必死に乗客を盛り上げようとする。高速道路の沿線でヤンキーがたむろしていたのを見とがめた彼はバスからやおら飛び降りて彼らに因縁をつけに行って返り討ちに合っていた。バスは彼をおいて先を急いだ。以上。
夢を見るということは眠りが浅いということだぞと言われたので、音楽を消して寝てみているが、こんな有様なのでアテにならないな。
これは俺の持論なのだが、外国語を覚える際に長続きしそうなポイントの一つに「綺麗な発音を心がける」というのがある。自分の口から出てくる言葉が、普段使わない言語でしかも発音もよかったら嬉しくなってどんどん口に出したくなるからという単純な理由なのだが、俺が大学まで英語を続けられたのはそういう小さな喜びを無下にしなかったからじゃないかな、なんてふと思った。
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5/19
最近人のために料理を作る機会が何度かあった。先日は手羽元の甘酢和えなどを、今日はカレーを供した。「これなら胃袋つかめるね」「深みが違うね。学食とかレトルトのカレーを地上ないし地下一階くらいだとしたらこれは地下四階くらいの深さだ」といった言葉をもらった。ともかく皆美味しいと言ってくれるのは嬉しい。料理は生存戦略の一環だと割り切っているのだが、人のために料理を作るのも、それはそれですごく良い。やはり主夫として家のことをやる方が性に合っている気がしてならない。
好きな子の天使のような寝顔を見てしまい、愛がとめどなかった。
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失われた広島と五月二七日の基町アパート
わたしがその喫茶店に入ったとき、既に中継は始まっていた。喫茶店の名前を仮にHとしよう。喫茶Hでは、いつものように小柄なママがひとりでカウンターに立ち、常連客のための夕食を一刻も早く提供すべく、細い腕を機敏に動かしていた。フライパンに油を熱した匂いが立ちこめ、コーヒーポットの中の湯が店内の湿度を上げている。わたしは瓶ビールを一本、注文した。店の隅にある細長い棚の上に小さな液晶テレビが載っていて、その画面には現職のアメリカ合衆国大統領が映し出されている。彼の背後に原爆ドームが見える。喫茶Hは、彼と原爆ドームとを結ぶ線の延長線上、中継の現場からおよそ一・三キロメートルの位置にある。さっき地図で確認したからたぶん間違いない。わたしはまるで潜望鏡を覗くように中継映像を見ている。“Seventy-one years ago, on a bright, cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed”──現職のアメリカ合衆国大統領がゆっくりと、だが明瞭な口調で話し始めた。彼がいる平和記念公園以外の広島はすべて砂漠になっていて、どういうわけか、見ることができない。 わたしは驚いて、思わず店内を見回し、木製の扉に取り付けられたレースカーテンの向こうを見つめた。外はぼんやりとしていて、はっきりとは見えない。店の前の通路を通り過ぎる人の影がときたま確認できるだけだ。店内は少し薄暗く、食器棚のガラス戸にはママのお姉さんが折り紙でつくったポストカードが貼ってあり、カウンターの隅にあるダイヤル式の電話が客からの連絡をあてもなく待っている。いつもと変わらない、ごくありふれた喫茶Hの風景だった。だが、テレビ画面の中では平和記念公園以外の広島がことごとく失われている。まるでそんなものはもともと存在しなかったというように、画面に映るはずのものがぽっかりと空白になっているのだ。わたしはビールを飲み干して、今日は奇妙な日ですね、とママに向かって呟いた。本当に、と言って、ママは少し間を置いてからビールを注ぎ足してくれる。ひょっとすると、この店に入ったとき、正確にはあの演説が始まった瞬間にすべてが終わってしまったのかもしれないとわたしは思った。一〇〇万人以上の人口を擁するこの都市も、四〇〇〇人以上の住民が暮らすこの街も、一瞬にして消滅してしまった。 “Their souls speak to us”──神妙な面持ちで現職のアメリカ合衆国大統領が話している。中継は淡々と続いている。わたしはこの街で出会った人々のことを思い出していた。いや、何か得体の知れない巨大なものがわたしの記憶を喚起したと言ったほうがいいかもしれない。ある種の危機に瀕したとき、人間の脳は信じられない働きをするものらしい。大いなる力、と彼女は言っていた。彼女の名前を仮にIとしよう。Iさんはかつてこの街のすぐ傍にあった中国軍管区司令部の防空司令室で都市の終わりを見ていた。
広島が全滅しましたという第一報を発するときでも、大いなる力──神様って言ったらおかしいかもしれないけど、次から次に考えが浮かんできたんですよ。外に出たら建物が潰れてる。普通の爆弾や焼夷弾だったら火が出ていないとおかしいのに、出ていない。で、もやってる。こういう状態って何? って思ったの。今まで敵機が来てこういう状態になったことはなかったと思った。じゃあ、広島市内はどうなっているんだ、見てみよう、って。もう、次々に頭に浮かぶんですよ。本当に、自分ひとりの力じゃなくて、大いなる力が次々に命令を出すみたいに。それで、土手に上がったら、瓦礫の街になっていた。あのころはほとんどが民家だったけど、もう、建物がなくて、遙か向こう、宇品のほうに海が見えて。キラキラ、キラキラ、海が光って、大変だ、と思ってね。広島の街が全滅してる、って。街がなくなってると思って。
この街の外れにある美術館で話を聞いたとき、Iさんは学徒動員されていた一四歳に戻ったような表情でそういうことを言った。だが、どうして今そのことを思い出すのだろうか。“Yet in the image of a mushroom cloud that rose into these skies, we are most starkly reminded of humanity's core contradiction”──演説は続いている。カウンター席に座った常連客たちはその映像を物憂げに見つめたり、おかずを口にしたり、焼酎の水割りを飲んだりしている。演説が始まってから新たに店に入ってきた客はいない。外はどうなっているのだろうか。平和公園以外の広島が砂漠になっているのに、どうしてこの店はまだ存在しているのだろう。ひょっとすると最初からこの店は土の中に埋もれていたのかもしれない、そう思ったとき、食器棚に貼られた折り紙のポストカードが目に入って、原爆傷害調査委員会(ABCC)で働いていたというママのお姉さんのことを思い出した。仮にRさんとしよう。Rさんとはちょうどこの店の中で話した。
当時のABCCというのは、広島の人からはいい風には捉えられてないよね。でもね、わたしはそこへ入所してからは本当に、親切丁寧にしてもらった。そりゃあ、広島市民の人は敵みたいに言いよったけど、全然、そんなことはないよ。初めはね、わたしが看護婦になると言ったら、おじいさんが「汚いことをする看護婦になるんなら、我は勘当じゃ」と言われたから、親戚の家からABCCに通いよったんよ。でも、やっぱり孫だから、結局は下宿させてくれてね。それから結婚して、娘をひとり産んで、離婚したんじゃけぇ。親子で苦労をしたわけよ。そのときは民間のアパートだったけど、わたしが夜勤に行くでしょう。夜勤のときは配車制度があって、家まで車で迎えに来てくれるんよね。じゃけど、娘がわたしの出勤を泣いて見送ることもあってね。運転手さんが「わしゃあ、あんた方へ迎えに来るのが一番辛いよ」と言いよっちゃったね。家庭持ちじゃろうがなんじゃろうが、関係なくローテーションはあるわけじゃから。仕事がきついとは思わんかったよ。ただ、子供が待っとると思うてね。いつもそう思うて。この街に来たのはそのころじゃったね。娘が六歳のときよ。
Rさんの上品で穏やかな声が蘇る。記憶は、わたしの意思とは無関係に、ほとんど強制的に再生されている。だが、それに支配されているわけではない。記憶を再生している間もビールを飲むことができるし、常連客とママとの間で交わされる冗談を聞き、必要に応じて応答することもできる。何というか、この店の全体をプロジェクターの映像が照らしているようなイメージだ。“Hiroshima teaches this truth”──前後にたっぷりと間を取って現職のアメリカ合衆国大統領が言った。わたしはそれを見ているが、その間にも在日コリアン二世の女性の生き生きとした表情が店内に照らされる。仮にOさんとしよう。
土手は今、綺麗になっとるけど、昔はもうガタガタ。石ころだらけでね。今みたいに綺麗な芝生なんかないけぇね。とにかくバラックが密集しとった。板べ一枚だから、寒い寒い。道は入り組んどるし、わかりにくいけど、でも、住んどったらわかるんよ。人はみな明るかった。距離が近いから、隣同士で声をかければね、お互いのことが全部わかるから。喧嘩してもみな聞こえるじゃない。だから、日本の人も、朝鮮の人も、みな仲がよかったよ。わたしは五、六年、そこに住んどったんじゃけど、わたしが覚えとるだけでも三回の火事があって、それは怖かったね。竜巻のような火柱がゴウゴウいうて追ってきて、すぐ隣に火が移って。まぁ怖かった。昼が多かったんじゃけど、近所で「火事よ、火事よ」いうて声が聞こえてね。出てみたら煙が出てるじゃない。あたふた、あたふた、してね。でも、避難しなきゃいけないから、末っ子を背中におんぶして、どこまで火が来てるのか見に行った��もう、何十軒がいっぺんに焼けるのよね。バラックで、板だからね。高層アパートはあのとき、まだ建ってなかったかな。工事を始めるころなんじゃろうね。何年かしたら立ち退きがあったから。
Oさんの抑揚のある声が蘇って、わたしは街が走馬燈を見せているのではないかと思い始めた。これまでに再生された記憶は、この街の住民が何かを決定的に失った瞬間に関するものだったからだ。だが、街の走馬燈を見るというか、受信するということがあるのだろうか。ママはわたしに三杯目のビールを注いでいる。わたしが礼を言うと、Sさんはここへ通うようになって何年になるかね、とママがわたしに聞いた。三年ですね、と答えると、もうそんなになるかね、とママは感慨深そうに頷いてみせた。この店に初めて来てから、つまりこの街に初めて来てから三年が経とうとしている。最初にこの店に来たとき、ママはわたしの現住所と両親の職業をぴたりと当ててみせた。そのときの穏やかな笑顔は、ここにいてもいいんだよ、と言っているように思えた。 三年前、わたしはすべてに対して無気力になっていて、都市の中心にありながらほとんど顧みられることのなかったこの場所に逃げ込んだのだった。“We listen to a silent cry”──と液晶テレビから聞こえている。この街が人々の意識から消えたのはいつのことだったのだろうか? 広島城の掘の近く、ちょうどこの街が遠目に見える場所に《基町地区再開発事業完成記念碑》というものがある。この街が原爆で何もかも失ったあと、公的住宅と違法に建てられた簡素な住宅で埋め尽くされ、さらにそれらが取り壊されて中層アパートと高層アパートに建て替わったときに設置されたものだ。三年前にこの記念碑を見たとき、奇妙な感じがした。新しい街の始まりなのにどういうわけか墓石のように見えたからだ。まだ生き続けているのに勝手にピリオドが打たれ、終わったことにされている。わたしはこの街がどこか自分と似ていると思った。それから街の人の話を聞き始めた。 さっきから再生されているのはこの三年間で聞いた話の断片だ。わたしがその話を聞いた時間そのものは既に失われている。だから、わたしは別の時間と場所でそのときの話を反芻しているのかもしれない。よかったら食べんさい、とママがわたしの前に皿を出す。ふっくらとしたオムレツと、プチトマトが添えられた千切りのキャベツだった。いただきます、と言ってそれを食べ始めると、Sさんは真面目なからね、とママが呟いた。“Mere words cannot give voice to such suffering"──現職のアメリカ合衆国大統領は同じ調子で演説を続けている。単調だというわけではない。テレビから聞こえる演説にはスロー再生をしたヒップポップのような特有のリズムがあり、世界の終わりを告げているような緊迫感もあって、常連客の誰もテレビのチャンネルを変えることがない。案外長いこと喋るんじゃのう、と常連客のひとりが愚痴とも畏怖ともつかない口調で言ったとき、店内を満たしていた秩序のようなものが少し乱れて、例の声が奇妙な形で聞こえてきた。
ぼくは本当は、本当言やぁ、日本におりたくない、ここに中国のドクターが、中国帰りたい、入ってくるのが、日本人嫌いとか、ええんじゃないかと、日本の国嫌いじゃなくて、ぼくは思う、
声が混線している。聞こえているのはおそらく二つの声で、岳父が中国残留孤児だという男性の声と、この街で四〇年間にわたって診療所の医師として働いてきたという男性の声がそれぞれ分節され、交互に聞こえている。前者をHさん、後者をIさんとしよう。Iという記号は二回目だから、二人目のIさんだ。わたしはまずHさんの声に集中して記憶を分離しようと試みた。Hさんと二人目のIさんの声はどこか似ていたが、Hさんのほうが少しトーンが高く、中国語の訛りがあって、分離するのは難しいことではなかった。
ぼくの生まれは河北省。北京のちょっと南。十代からはずっと北京にいたよ。四〇年間、中国にいたね。二〇年前に日本に来た。ぼくは残留孤児じゃなくて、妻のお父さんが残留孤児。日本に来て、最初は大阪の日本語学校、あとは専門学校に行った。それから東京で中華料理の店をやったんです。浅草だったけど、バブルが終わったあとで、よくなくて、辞めて、広島に来た。今はアルバイトやってる。機械の検査の仕事。なかなか仕事、つかない。しょうがない。ぼくは本当はね、日本におりたくない。中国帰りたい。日本人嫌いとか、日本の国嫌いじゃなくて、ここで生活しにくい。馴染めない。日常生活のトラブル、あるんですよ。日本人はみんな口を開いたら「中国人! 中国人! 帰れ! 帰れ!」って。なかなかね、この街は難しい。でも、息子が成人したけど、日本で育てたから、自分の国、帰ってから、すごい差別されるから、わたしは怖い。でも、国は別に、国境なくて、同じ人間だから。地球の中に生活してるからね。
“We may not be able to eliminate man’s capacity to do evil”──Hさんの記憶が再生されたあと、そこに割り込むようにして液晶テレビから演説が聞こえてきた。その一節は少し強い調子で読まれたために意識の中に嵌入したのかもしれない。その一節が終わると、間髪を置かずにこの街で診療所を営む二人目のIさんの記憶が再生された。
昭和五一(一九七六)年に開業したころは、小学校に七八〇人とか、それくらいおったからね。子供もたくさん来たよ。すごい風疹が流行って、一日に二〇人も三〇人も風疹の患者が来たりした。それで、当時の老人っていうのは半分くらいが被爆者だったからね。いろんな種類の患者を診たよ。病院に入院したくないという老人も多くて、そういう人たちを看取りに行くこともあった。一番ひどかったのは、正月の一日、二日、三日と毎日人が亡くなったことがあったね。でも今は、そういうふうになる前に病院に入るよね。本人が最後までここにおりたいと言うても、子供たちが「それはいけん」って、入院させる人もおってだから。まぁ、それが時代の流れでしょうからね。今は患者は少ないよ。日本人の子供がおらんし、年寄りばかりになった。ここは原爆の街から外国人の街になる可能性が高いと思うよ。本当言やぁ、ここに中国のドクターが入ってくるのがええんじゃないかとぼくは思う。内科はもう一人、日本人がおるんじゃけぇ。ぼくのほうが七歳くらい年上で、早く辞めるから。だから、ここは中国の人が入ってきたほうがええような気がするけどね。
二人目のIさんの渋くしゃがれた声を聞きながら、わたしは走馬燈のようなものが終わりに近づいているのではないかと思った。再生される記憶は、この街の住民が何かを決定的に失った瞬間に関わっている。だが、その瞬間が、七一年前のあの日から、次第に現在に近づいてきている。考えてみると当たり前のことだが、再生される記憶が現在と重なったとき、走馬燈は終わる。その時点で死を迎えるからだ。つまり、街の走馬燈が終わるということは街そのものが失われるということだ。普段は笑い声の絶えないこの喫茶Hが少し沈んでいるのも、ママや常連客たちがそのことを予期しているからかもしれない。中継の映像では、あいかわらず平和記念公園以外の広島がすべて砂漠になっている。わたしはオムレツを口に運んで、おいしい、とママに伝えた。還暦を過ぎたママは、本当? と初めて彼氏に料理をつくった女の子のように喜んだ。オムレツは本当においしかった。何というか、この街の味がするのだ。数十年間にわたる常連客の反応が層となって織り込まれている感じがした。卵やじゃがいもや挽肉は化学反応を起こしたように渾然一体となって口の中で溶けていく。それを味わっていると、一瞬、再生され続ける記憶のことを忘れた。 この商店街の清掃員のことを思い出したのはそのときだった。どういうわけか、それまでとは記憶の再生のされ方が違った。何かに強いられるのではなく、自発的に再生することができた。カチッと音がしてどこかのスイッチが入ったようだった。まるでそのことを知らせるように、ほとんど同時に、カウンターの隅にあるダイヤル式の電話がジリリリ、と鳴った。ママがピンク色の受話器を取り、はい、はい、今からですか、大丈夫ですよ、どうぞいらしてください、と応答する。“Those who died ─ they are like us”──現職のアメリカ合衆国大統領が自信に満ちた顔で言う。そこにオーバーラップするように、画集出しても誰も見向きもせんわけよ、という清掃員の声が聞こえる。清掃員は、画家でもあった。掃除をしながら自分の生きる半径一キロメートルをまるで引っ掻くように絵にする画家で、清掃員画家と呼ばれていた。彼の名前を仮にMとしよう。Mさんの底抜けに明るい声が聞こえる。
画集出しても誰も見向きもせんわけよ。じゃけぇ、タダで配っとった。いちおう何百万の銭、かかっとるんよ。メディアにも送ったんじゃけど、礼状のひとつもない。ほんまに、ドブに銭を捨てたんかと思うた。ドブに捨てたら「ぽちゃん」と音でもする。でも、何の反応もないわけじゃけぇ。ただ、わしは、それでもたったひとり、こんな画集出した奴がおるんじゃというて声を上げてくれたら、出した意味があると思うとった。たったひとり、気持ちを鷲づかみにする奴がおったらええと。そういうことなんだよね。ラブレターを書くようなもんよ。どこか、届かぬ人に向けてね。広い世界に、わしと似たような心情の人がおって、おもろいな、ええなぁ、言うてくれたらもう、それだけでいい。たったひとりの人間に、お前好きだよって、こんなにお前のことを好きだよって、レターを送れるかどうか、そういう世界を持ってるかどうかが、芸術じゃないの? あ、ちょっと、いいこと言い過ぎた?
Mさんがおどけてみせる。その話をわたしは何度となく聞いた。Mさんはまるでこの街の部品のひとつだというように、毎朝同じ時間に現れて掃除を始めた。わたしはそのこぢんまりとした背中を見つけるのが好きだった。今日も街が目覚め、昨日と同じように、ほとんど見分けがつかない微細な変化を含みながら動き始めたのだと、確認できるからだ。記憶の再生は続いている。記憶の中で、Mさんはいつもと少し違うことを言った。いや、同じなのだが、何かが充填されたというように、力強い言葉だった。
いやマジでね、たったひとりに届けられる世界を持っているかどうか。世界なんだよ、それはね。個人から個人にやったように見えても、それは世界なんだよ。便所の掃除道具を掻きやがって、とぐぐっときた奴がいたら、そいつにとってはもう、ぼくが世界になる。
木製の扉が開いて団体客が入ってきた。開かれた扉の向こうに眩い光が見える。いらっしゃい、とママが声を上げて、常連客のグラスに入った氷が音を立てて溶ける。走馬燈ではない、とわたしは思った。“The world was forever changed here. But today”──演説はおそらく終わりに近づいている。それを遮るようにこの街が強い信号を発している。だが、それは街が失われるということではない。わたしはその信号を抱き寄せるようにして受信する。被爆から三日目じゃったかね、とその声は言った。この街に来て四〇年が経つという女性の声だった。仮にAさんとしよう。
被爆から三日目じゃったかね。お父さんが、市内に連れて行ってあげようと言うから、行ってみたんですよ。もう原爆で、家は全然ない。家が、ないなった。何もかもなくなったの。で、お米屋さんがあったんです。あそこに大きなお米屋さんがあるね、と言うて、ひょっとこう、見たら、死体の山。米じゃない、死体の山よ。兵隊さんだったのかよくわからないけど、もう、誰が誰やわからんのよ。顔もぐじゃぐじゃになっとるけぇ、わからんのよ。それがものすごい山になって、家の高さくらい積んであったね。ああいうことくらい、覚えているけどね。戦後、少ししてから、原爆の話をしてくれという学生さんが来たことがありましたよ。でも、わたしは、絶対せんかった。もう何があっても、嫌だったから。言いとうなかったよ、やっぱり。じゃけぇ、原爆の話は抑えとったんじゃけど、今、うちの曾孫がいるんですよ。まだ五歳じゃのに、原爆の劇をやったらしいんです。電話ですけど、おばあちゃん教えて、おばあちゃん教えて、言うけぇ、びっくりしたんですけど、それで、話したんです。
店を出て、商店街の通路を歩いた。通路に沿って取り付けられた線状の天窓から夕方の穏やかな光が差し込んでくる。帰り際、喫茶Hのママは少し寂しそうな顔をして、また来るときは寄ってくださいね、とわたしに言った。いつものように。わたしはいつものように、また来ますよ、と応えた。喫茶Hの隣の中華料理店から中華鍋とお玉がぶつかる音が聞こえ、その先のラーメン屋から手を打って笑う声が聞こえる。計三本の通路が交わる広場に出ると、袋一杯の食材を自転車に乗せて走る中年男性と杖を突いて歩く高齢の女性がすれ違い、空の車椅子を押して歩く若い男性とロングヘアの若い女性が挨拶をするのが見えた。その傍を、五歳くらいの女の子が斜めに駆けていく。見上げると、頭上を数千のベランダの群れが取り囲んでいた。人の姿はない。だが、耳を澄ませるとまるで真夜中の草原のように無限の声が聞こえてくる。基町アパートの、縦に積み重ねられた人々の生活の蠢きだ。その集積が命をかけたひとつの表現となって街に漂っている。だが、誰も見ようとしなければ、それは永遠に失われる。商店街のスナックから女性の歌声が漏れ聞こえてくる。わたしはふと、Aさんが商店街でよくカラオケをすると言っていたことを思い出した。童謡が好きで、十八番は確か「故郷(ふるさと)」だった。わたしはね、今、残るものは歌しかない、そのまま歌で倒れてもええというくらいにね、Aさんはそう言っていた。わたしはその微かな音の出所を探るように商店街を歩き始めた。
(初出:『現代思想』2016年8月号、青土社���
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月が殺したハンバーグ
「やるか」
居心地のいいソファに埋もれた骨喰は、パタリと音を立てて手元の料理本を閉じた。
英語で言えばrecipe。フランス語で言えばrecette。しかし今夜の予定はドイツの都市ハンブルクを起源とするハンバーグ。ドイツ風にrezeptと呼ぶべきだ。
家主が子供の頃に食した思い出の味とは少し違う、酒にも合う大人のハンバーグとやらを作ってやろう。エプロンの紐をキュッと結び、ザッと音を立てるように気合を入れて白いシャツの腕まくりをした。
自身にハンバーグの作り方を教えた男がやってみせたように、皮をむいた玉ねぎを1/4にカットする。そいつに縦に切れ目を入れ、90°パタリと回転させて、また縦に切れ目を入れる。そして右から丁寧に刻めば簡単にみじん切りができるという寸法だ。
「横に切れ目を入れて切るより簡単だろう?」
得意げに語る、妙に包丁さばきが上手い男の手つきを見よう見まねで真似してみたあの頃よりは、ずっと上手に玉ねぎを刻めるようになった。まな板と刃が触れても音はしない。
シャクッシャクッ。繊維が断ち切られる玉ねぎの押し殺したような密やかな悲鳴が聞こえるだけだ。そのうえよく冷やされた玉ねぎは、無闇に汁を飛び散らせない。ツンと鼻に刺さる匂いはするが、涙腺を刺激するほどではない。
涙。
「俺が最後に泣いたのは、いつなんだろうか」
骨喰には記憶がない。一番古い記憶は、手に温かいミルクココアを持ち、この家のソファに腰かけている場面だ。外はしとしと雨が降っていて、見慣れない光景に骨喰は目をぱちくりさせた。そして目の前には綺麗な顔をした男がひとり。彼が家主の三日月宗近だった。何一つ反応を返さずされるがままだった骨喰の目に光が宿ったのを見て、三日月宗近はほっとしたように笑った。
「やっと人心地ついたか。何より何より」
奴が言うには、『雨の中傘もささずにふらふら歩いていたから保護した』とのことだった。たぶん、三日月が言うのならそうなのだ。骨喰にとっては、今はそれで十分だった。
鉄製のフライパンを十分に温め、バターを入れて、回す。溶けてフライパン全体に広がったバターの上に、みじん切りにした玉ねぎをそっと敷き詰める。玉ねぎをしっかり炒めて甘みを出すのだ。ジュワッ、パチパチパチパチパチパチ。鼻の奥にツンと刺さる香りが消え、香ばしい匂いがふわりと広がる。油跳ねに気をつけながら、木べらで焦げ付かないようにかき混ぜていると、細かく刻まれた玉ねぎはほどなく透き通った。飴色、とまではいかないが実に美味そうな色をしている。こいつは少し冷えるまでフライパンごと濡れ布巾の上に置いておこう。
今のうちにたねの準備だ。まずは卵をひとつ。コンコン、パカリ。無機質な硬と硬がぶつかる音は、たったひとりのキッチンにはよく響く。卵は上向きに開け、器用に白身と黄身をえり分けた。今日使うのは鮮やかな赤みがかった黄色の卵黄。こいつはもうボウルに入れてしまおう。卵白は玉子焼きにでもしようか。卵白のみの淡白な味わいの玉子焼きは、たっぷりと具を混ぜ込むにはよく合うのだ。
次は同じくつなぎに使うパン。普通はパン粉を使うが、今日は朝食のバケットのあまりものをすりおろして使うことにした。おろし金でゴリゴリ音を立てて削る。少し硬くなったパンはいとも簡単に粉へと姿を変えた。
「待たせたな」
勝手知ったる冷蔵庫の中から取り出したるは本日の主役。牛ひき肉だ。目の高さに掲げると、ほれぼれするほど肉の赤さが美しい。高度経済成長期の日本の中流家庭において、安価な合いびき肉で作られているにもかかわらずとろけるような柔らかさで人気を博したハンバーグ。だが、肉にこだわると、やはり美味い。当然のように合いびき肉のハンバーグも美味いのだ。わかっている。しかし。あれは包み込む母の愛のようであって、悲哀と悔恨を苦酒であおる大人とは路線が違う。ビールを片手に一杯やるのなら牛ひき肉のデミグラスハンバーグに限る。いや、限りはしない。限りはしないのだが、合いびき肉ハンバーグは甘い甘いケチャップソースと白いご飯がセットでなくてはならないのだ。言うなれば、酒で流し込まなければ飲み込めない大人の悲哀を忘れ、絶対的な庇護の下、子供の丸い舌で鼓を打つべき食べ物。しかし自分に縁がないとはいえ、骨喰は家族団欒の象徴のような合いびき肉のハンバーグも同じように愛しているのだった。
卵黄と削ったパンを入れてある、よく手入れされた銀色のボウルに、牛ひき肉、触れられるくらいに粗熱の取れた玉ねぎ、そして塩胡椒、ナツメグ、その他調味料。肉が挟まらないよう短く切り揃えた爪の右手で混ぜる。水分と油分が出て粘りが出るまでぐにぐにとこねる。ひんやりした生肉は、骨喰の白い手と炒めた玉ねぎの温度を吸収した。成形できるまではこの調子で混ぜ続ける。
「こんなところか」
一塊になったたねを見て、骨喰は一息ついた。あとは成形して焼くだけだ。手のひらに収まるくらいのたねをすくい上げ、右手から左手、右手、左手、右手。繰り返すたびにぺったん、ぺったんと小気味のいい音が鳴る。ひたすら無心に、手のひらにたねを打ち続けるこの作業を、骨喰は気に入っていた。記憶のことも、過去のことも考える必要がない。ただ、目の前のハンバーグにだけ集中していればいいだけだ。
ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん。
一定のリズムを刻み続けると記憶が戻るというのはどこで聞いた話だっただろうか。きっと催眠術の一種か何かだろう。規則正しく生肉が叩きつけられる音でも、どうやら俺の記憶は戻らないらしい。
四つの肉塊ができあがる。小判状で、真ん中を少しくぼませてある。これにどれほどの意味があるかを骨喰は知らない。かと言って、くぼまずに焼いた結果、本当に中が生焼けになるかどうかなんて試したいとは思わなかった。
時計を見る。一九時一三分。ちょうどいい。弱火でじっくり焼いている途中で奴が帰ってくるだろう。きっと熱々のハンバーグを食わせてやれるはずだ。一度に4つ焼いてしまおう。2つの鉄のフライパンにサラダ油を回し入れ、じっくり温める。ハンバーグ表面の肉を熱で固くして肉汁を閉じ込めるために、焦げ付かないギリギリのラインまで熱しておく。洋食屋ではオーブンを使うそうだが、家庭用ならばフライパンで十分だ。形を崩さないようにそっと持ち上げた生ハンバーグをこれまたそっとフライパンに乗せた。
刹那。
パチパチパチパチパチパチパチパチ。ジャヮジャヮジャヮジャヮジャヮジャヮジャヮジャヮジャヮジャヮジャヮジャヮ。
玉ねぎを炒めた時よりずっと激しく油が舞う。黒いフライパンを背景に躍る油の反射は、さながら花火大会だ。二つずつハンバーグを乗せ、焼き色を付ける。焦げ付かないように、揺すって、ずらして。周りをしっかり固めなければ、ひっくり返したときにバラバラになってしまう。土台がしっかりしたところで、フライ返しを器用に使ってひっくり返す。途端に肉の焼ける香ばしい匂いがふわりと鼻をくすぐり、口の中にじわりと唾液が湧く。いやいやあまりにも先走りすぎた。まだだ。弱火にして、焦らすように火を通すのだ。大体十分を目安としよう。あつらえたようにぴったりの蓋をかぶせ、中まで熱々のハンバーグにする。
焼いている間に、昼食のついでに作って冷やしておいた、たまごたっぷりのマカロニサラダとレタスをサラダボウルに盛り付ける。マカロニサラダとポテトサラダはサラダじゃないだと?無粋なことを言うな。
「パプリカ、トマト、いんげん……。こんなところか」
冷蔵庫の中から見つけ出した付け合わせの野菜は簡単に水洗いして、布巾で軽く水けを取り、食べやすい大きさに切ってからオーブントースターで焼く。焼いたトマトは味が凝縮して美味いのだ。それに定番の人参のグラッセは奴が好まない。人参の良さを最も殺す料理だ、というのが奴の定説だ。
今日は赤いランチョンマットにしよう。赤に少し橙が混ざった夕焼け色だ。この色は深い茶色の食卓に良く似合う。生成りのテーブルセンターにマカロニサラダと常備菜のピクルスを設置。そしてランチョンマットにはハンバーグと付け合わせの野菜のワンプレートが追加される。自分も食が太い方ではないし十分だろう。奴も日頃から、他愛もない話こそが良い肴になる、と言っている。これでよし、と。晩酌は三日月の気分次第。必要になるのはワイングラスかウイスキーグラスか。今はまだわからない。
チン、とキッチンタイマーがハンバーグの焼き上がりを知らせる音と同時に、インターホンが鳴った。
「帰ったぞ」
亭主のような顔をして、三日月宗近が帰ってきた。骨喰はそれに構わずキッチンへ向かう。奴より焼きあがったハンバーグの方が大事だ。それを三日月宗近もわかっているから、特に顔も出さずに着替えに向かった。
フライパンの蓋をゆっくり開けると、幾分か静かになった油の歓声と、一拍遅れて焼けた肉の匂いが立ち昇る。たまらない。フライ返しで軽く押してみると、柔らかさの中に強かな弾力を感じる。どうやら成功らしい。フライパンには肉の油と肉汁の混ざったエキスが残っている。ソースを作るには十分だ。
ゆったりした紺の着流しに着替えた三日月が後ろからひょいと手元を覗き込む。骨喰の頭上から覗き込むものだから、邪魔にはならないが、なんとなく腹立たしい。
「邪魔だ」
「こいつは失礼をした」
軽々しく手を振り、三日月は食器棚へ向かった。コトンと1つ器を取り出す音がする。ワインだったら先週栓を開けた赤があったはずだ。今夜はそいつを飲みきる算段か。香り高くほんのり渋みの混ざった酸味、それに隠れるように広がる甘味は牛ひき肉のハンバーグにはお誂え向きだ。それに何といってもビジュアルがいい。まるでつい先ほどまで血管を流れていたように見える暗い赤色というのがいい。大人だ。飲んだことがない骨喰には味はわからない。白は白で美味いし香りも良いと三日月は言うが、味はもちろんのこと香りに至ってはアルコールの匂いが先行してわからない。今はわからなくていいことなんだろうと自分自身に言い聞かせているが、酒の味がわかるようになればもっと料理の幅も広がるだろうか。
とはいえ”わからない”状態でわかることも重要だ。見えないからこそ見えないものがある。思い出せないからこそ気に留まることもある。昼間の空だからこそ白い月が見えるのだ。
ハンバーグをプレートへ移し、焼きあがった付け合わせの野菜と一緒に盛り付ける。もちろん、これで終わりではない。肝心要のソースが待っている。レシピは何度も繰り返し読み込んだ。デミグラスソースに挑戦だ。ごくごく普通のウスターソースとケチャップ、醤油をハンバーグを焼いたフライパンへ投入する。料理用の赤ワインを取り出したところへ三日月が話しかけてきた。
「骨喰。こいつを使え」
ゴトリと音を立てて置かれたのは先週栓を開けたフルボディの赤ワインだった。
「……いいのか」
「ああ。飲む分はなかったのでな」
骨喰は頷き、ふつふつと音を立てるフライパンへ赤ワインを注ぎ込む。ツンとしたアルコールと酸味の匂いが沸き立つ。全体をひと煮立ちさせたところで弱火にし、焦げ付かせないよう時折かき混ぜる。
いいぞ。ただの赤茶色の液体がだんだんとろりとしてきた。もう十分だ。ケチャップの甘味が十二分に引き出されている。調整用のみりんは不要だろう。
ホカホカのハンバーグへこれまたホカホカのソースをそっとかける。そうだ。こいつはこうあるべきだ。焼けた肉と水分をとばしたソースとケチャップ、添えるような赤ワインの香り。完成だ。
「できたか」
「ああ」
「では持っていってしまってもいいな」
「たのむ」
骨喰がソースとにらめっこをしている間に三日月は洗い物を終えてしまったらしい。肉を混ぜたボウルやマカロニサラダをしまっていたタッパーがきれいに洗われて水切り籠に並んでいた。
プレートをランチョンマットに置いて、やっと食事だ。
「いただきます」
ほかほかと湯気を立てるハンバーグに磨き上げられた銀色のフォークを突き立て、揃いの銀色のナイフで滑らせるように切れ目を入れる。さらさらと粘度の低い肉汁が白い皿へあふれ出してくる。一拍置くように、香ばしい肉の香りが嗅神経をくすぐる。正直、たまらない。今すぐにでも口に放り込みその肉を味わいたくて仕方がないが、このままでは熱さで舌をやけどするし、味の半分もわからないに違いない。はやる気持ちを抑えながら、湯気の立つハンバーグの一欠けらを唇を窄ませふう、と吹く。もう十分だ。ぱくり。
美味い。圧倒的に美味い。味蕾から脳へ、そして全身へ。『美味い』と駆け���る。肉が主張している。俺はここにいると。俺がこの舌を、意識を、身体を支配した。この高揚感はなんと言ったらいいのだろう。
無口な男と、彼を補うようによく喋る男。ふたりのことを、俺は何と呼んでいただろうか。記憶の底のどこかにいる名前の知らない誰かを思い出すとき、骨喰はかの人が目の前にいるかのように振舞う。背中を向けたその人をちょうど呼び止めるように、口が動くままに任せるのだ。……叔父さん。
「……叔父だ」
「どうした?」
骨喰の唐突な呟きを聞き逃さず、三日月は柔らかく聞きなおした。
「俺には叔父がいる。……たぶん、ふたり」
こうして何かを食べるたび、記憶の断片が骨喰の心を満たす。はじめて戻った記憶は、呼ばれる記憶。
『骨喰!夕飯だってさ!』
そのときは、黒い髪の、顔の良く見えない少年のことを思い出した。胸の奥がきゅっとするような、不思議な痛み。それが”懐かしさ”であることに暫く気づくことができなかった。
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夢売り
寄ってらっしゃい見てらっしゃい、
ありとあらゆる鍵があり、ありとあらゆる扉あり、
ありとあらゆる持ち主が、ありとあらゆる客招く。
どんな鍵をご所望で?どんな夢がお望みで?
なあに扉の向こうには、見知らぬ世界が待っていて、
それを夢と呼ぶのです。
おとぎ噺の夢はこちら、甘美な恋はあちらの扉。
戦場もあればペットの夢もあれば懐かしいあの人の夢もありますよ。
その店は最近そこにできたのかそれともいつも横の道を通り抜けるはずの俺の視野が狭くて気づかなかっただけなのか知らないがちょっと古い建物の並ぶ団地の一角に建っていた。何でそこに建っているんだろうと思わずにいられないような立地で、漆喰で固めた崖からはんぶんはみだして、そのはみでた分は崖の下からわざわざ鉄骨を組んで支えている。周りの家はほとんどがおそらく築70年とか80年とかそれ以上とかそろそろ建て替えろよ状態で、そんな日本の家屋の建ち並ぶ中にある中世ヨーロッパ風建造物はいやでも人目をひき、異彩を放っていた。この空気を読まない建物にちっとも気がつかなかった俺の注意力は大丈夫なんだろうか。
何でそこが店とわかったかと言うと白地の看板にでかでかと赤い字で「店」と書いてあったからで、何の店だかさっぱりわからないその看板に興味を引かれて近寄るとそれでもやっぱりわからなくてよーく見ると表札の所に「夢屋」とちっこい字で書いてあった。
夢屋。子供服の店だろうか。だいたいこれが店の名前とも限らない。表札に書いてあるのだから常識的に考えれば夢屋というのはこの家に住む人の名字である。
「いらっしゃいませ」
いきなり背後から声がして俺は何もやましい事はしていないのだがぎくりと硬直してしまった。恐怖を感じるのでせめて足音をたてて近づいて欲しい。
声をかけてきたのは「店員」というやたらと目立つはがきサイズの名札を付けた女の人だった。名札が無かったら「店員」とわからなかったに違いない。それらしい制服などではなく光沢のある薄緑のドレスを着ていたから。厳しかった残暑も終わり、朝晩は少々冷えるようになったこの季節にうす布の袖無しドレスで寒くないのだろうか。俺は制服の冬服移行期間になるなり夏服をクリーニングに出したというのに。
「あー…ここ何のお店なんだ?」
「夢屋です」
だから何を売ってる店なんだよ。
細い目をする俺を無視して「店員」はカツコツとハイヒールを玄関に続く石畳に左右交互におろして行った。
「どうぞ中へ」
それだけ言ってカツコツとハイヒールの音を響かせながらさっさと中に入って行く。俺はあわてて後を追って中に入った。
入って、驚いて立ち尽くした。店なのだからと陳列棚があってそこにずらりと商品が整列している様子を想像していたのだがそこは服屋でも酒屋でもなかった。壁いっぱいに、床にも天井にも、様々な大きさの、様々な形の、様々な色の、様々な扉が、ところせましと並んでいたのだ。
扉には一つ一つ「海」だの「飛翔」だのへたくそな赤い字が書きなぐられた白い紙が赤茶色に錆びたねじで打ち付けられていた。ほとんどの扉に取っ手があったがどうやって開けるのかさっぱりわからない扉もあった。
「初めてかね?」
後ろで太い声がしてぎくりとした。さっきほどではなかったけど。
振り向いてその服装のセンスに絶句した。背の低い太ったおじさんである。立派な黒ひげはこの建物の雰囲気に非常に似つかわしい。青いシルクハットというものを俺はおそらく初めて見たがなかなかフォーマルな色である。そして赤い蝶ネクタイ。シルクハットの色に合う色だ。そして黄色いシャツに濃い黄緑の燕尾服、真っ赤なズボン。健康に気をつけていらっしゃるのか紫色の腹巻きを燕尾服の上からしている。首か��下は見るべきではなかったのかもしれない。「店長」という名札からしておそらくこの店を経営している人なのだろう。
「ここって何売ってるんだ?扉?」
「店長」の奇妙な服装から無理やり目をそらして気になっていた事を尋ねる。「店長」はにこにこして片手で立派な髭を撫で付けながらもう片方の手でズボンのポケットから鍵の束を引っ張り出した。束が揺れ、じゃらじゃらと金属非金属のぶつかり合う音が部屋に響く。
「夢じゃ」
「店長」はニタニタとこちらに笑いかけ、手元も見ずに束から二、三の鍵を選び出して「店員」の持ってきた木製の机に並べた。
「わしは、夢を売っておる」
言いつつ、赤い色鉛筆で何やら紙に書きなぐっていく。扉のプレートや「店員」の名札と同じ、汚い字だ。
「嬉しい夢も、腹立たしい夢も、悲しい夢も、楽しい夢も、何でもござれ。さあさあ、ひとつどうだね」
俺は右から二番目の鍵を手に取った。思ったよりも重さを感じる金属製の鍵で、クローバーを模した持ち手に緑色の石がはまっている。
「値札がついてないけど。何円?」
「税込一万九千八百円じゃ」
…高価(たけ)えよ。とても俺の所持金で買える値段じゃない。ため息をついて机に戻す。
「安価なものをお望みならどうぞ奥へ」
「店員」が淡々とまるで台本を棒読みするかのように告げると同時に「店長」が足下に落ちていたはしごをかつぎあげた。三段しかないはしごが何の役に立つのか非常に疑問だが。はしごをがしゃがしゃ鳴らしながら壁の扉の一つにどすどすと入っていく「店長」の後ろを「店員」が無表情についていく。俺はあわてて後を追いかけた。
夢を売り続けてはや三年、数人常連もいて不景気だろうが好景気だろうがおかまいなしに商売年中大繁盛のこの店はもちろんお金のない一見(いちげん)さんも大歓迎。わざわざそういう人たちのために無料貸し出しコーナーも用意してあるのだという。ただしレンタル用の夢は時間が五分から十分と短いもの、内容がいまいちのものが多いそうだ。最も高価な夢は四十八時間のオーダーメイド品。値段は恐ろしくて俺の口からは言えない。国家一つ潰しそうな値段と言えば想像つくだろうか。しかし購入者は年に数人いるのだそうだ。金くれ。
「さあさあここがレンタルエリア。種類は豊富、でも短くてちょこっと物足りないとお思いならばさあさああちらへ、お金はいりますがもっといいのを見られます」
「店員」はセリフを棒読みし、みょうちくりんな服装に似合わず「店長」はシルクハットをとって優雅に一礼してみせた。そして顔を上げるとともにさっきと違う鍵の束をさしだす。すべて似たり寄ったりの形のプラスチック製だ。
「どんな夢があるんだ?」
「それは見てのお楽しみ」
「札を見るのじゃ。それでわずかなりとも予測がつくじゃろう」
俺はところせましと扉の敷き詰められた広間を見まわしてため息をついた。どれだけ広いのだろうこの家はと思う程にたくさんの部屋と長い廊下にまだ他の部屋に続くのではないかと思われる扉がうんざりするほどあるのだ。外から見ると普通の、そんなに巨大だと言うわけでもない洋館だったはずだ。家の構造がどうなっているのか知らないが怪しい店に入ってしまったらしい事が今更遅いがわかってきた。そもそも夢を売ると言うが、睡眠時に脳が情報をごちゃまぜにして作る映像を売れるはずがない。夢は個人が見るものであって第三者がどうこうできるものではない。
でも興味があった。俺は駄目元で適当に鍵束から一つ引き抜いた。
「これにするよ。どの扉だ」
「店長」が無言で広間の端の木製の古そうな扉を指差した。近づいていって試しに鍵穴に突っ込んで回してみて回らなかった。
「夜に夢で来るといい。早寝をする事。遅刻厳禁じゃ」
夢を貸し借りできるわけが無いと決めてかかっているくせにわざわざいつもより三時間も早くベッドに潜り込んだ俺はなんだかんだ言って騙されやすい奴なのだろうか、それともただたんに週末課題をやっつけるのが面倒でさっさと寝てしまいたい気分だったのだろうか。とにかく俺は「店長」の言いつけ通り早寝をして意識が沈んだらいつの間にかあの「店」とでっかい看板を掲げた洋館の前に突っ立っていた。夢で来る、とはこういうことを言うらしい。ようこそいらっしゃいました、と丁寧に礼をする「店員」の横をどすどすと「店長」が通り抜けていく。俺はあわてて後を追って中に入り、扉の廊下を走った。
「これじゃ。どう考えて、どう行動するも自由。さあ行くのじゃ。お前さんの世界へ」
他にも客が来ていてそちらの対応に行くのだろうか、昼に見た扉の前に俺を残して「店長」はまたどすどすと他の扉へ入っていった。もはやどこもかしこも扉だらけでどこが入って来た廊下に繋がる出口やらさっぱりわからない。どうやらこの扉の中に入るしか無いようだ。昼間回してみて開く気配がなかったんだから、夜になったから、��で来たからといって同じ扉を開けられなかった鍵で開けられるわけが無いと全く期待せずに突っ込んだ鍵はぐるりとまわった。少々勢い余ってそのまま扉は開いた。真っ暗だ。でもかすかに、草のにおいがする。
開いた扉の先に、吸い込まれるように足を踏み入れた。ゆったりした風がさあっと通り過ぎてさわさわと音がした。一面の雑草がまるで水面のように波打つ。どこかでちろちろこぽこぽと水の流れる音がする。小川があるのかもしれない。
揺れる草の間に埋もれるように小川がきらきら一部分だけ光らせていて、そのほとりに人がいた。無地の白い半袖シャツ、茶色の長ズボン。髪が中途半端に長いがたぶん男。同い年かもしれない。時折吹く風にシャツやズボンや髪をはためかせながらそいつは何かを両手で大事そうに包んで立っていた。
「何、それ」
近づいて尋ねるとそいつは俺の声にぴくりと反応し、ばっと振り向いた。まるで背後の敵に対峙するかのような反応だったので俺は思わず身を引いた。そいつはじいっと俺の目を疑わしげに見て、いい加減居心地が悪くなって目をそらしかけた頃にようやくすっと警戒を解いた。
「誰?どうしてここにいるの?」
いきなり質問かよ。しかも質問の答えを聞く気は全く無いようですぐに何かを包んでいる両手に目を落とし、俺に見せるようにそっと開いた。
さあっと黄緑色の柔らかい光が現れ、少し暗くなってまた明るくなった。呼吸をするようにゆっくりと明滅を繰り返す光はすうっとそいつの手を離れてしばらくその場で浮遊し、どこかへ飛んでいった。
「ほたるだよ。久しぶりに見つけたんだ」
そいつの言葉を片耳で聞きながら俺はほたるの飛んでいった先を追った。どこへ行ったか完全にわからなくなって空を仰いで思わず息をのんだ。
月の無い空に、一面の星。どこまでも続く、濃紺の大きな空いっぱいにひろがる星のうみ。
「わあ…」
俺はつい声を漏らしていた。はるかかなたまで何に邪魔される事も無く手で触れられそうな空が続いているのだ。いつもビルや電線で切り取られた平べったい空を見ていたから、こんな星で彩られた球面の空ははじめてだった。俺はそのままその場に寝そべって空を見上げた。背中の土と草が冷たくて気持ちいい。
「届くかな」
隣に寝そべったそいつがせいいっぱい手をのばした。もちろん空の星はひとつもつかめず、指は宙をかく。
「無理だろ。っていうか、その体勢で手が届いてたらとっくに俺たちは宇宙で頭打ってるぜ」
そいつは頑固にもしばらく口をへの字に曲げて右腕をゆらゆらさせていたが急に何かを思い出したようにそばに置いてあった小さなリュックサックを探って何やら取り出した。その筒の片端を目に当ててまた寝転ぶ。
「望遠鏡?」
「うん。こっから見るとさ、みんな同じに見えるけどこれで覗いたらみんな少しずつ違うんだよねえ」
渡されたそれで空を見てまた驚いた。そんな小さな望遠鏡では普通に見るときと大差ないと思っていたのだが全部白だと思っていた星が青や赤や緑や色んなもやもやした雲みたいなのを引き連れているのまで見えた。もっと見ていたくなった。
「ねえ、もしあのうちどれか一つに行けるんだったら、どの星に行きたい?」
望遠鏡を受け取りながらそいつはもう一方の手で星々を指した。どの星と言われても俺は個々の星の名前など太陽と月と水金地火木土天海冥(すいきんちかもくどってんかいめい)ぐらいしか知らない。
「おまえはどこ行きたいんだよ」
「へへ、ぼくは、…ひみつ。そのうち教えるからさ」
要するにおまえもどの星に行きたいかなんてちぃっとも考えてなかったんだな。ため息をついてまたこの壮大な星空を見上げて、俺もどれかに行ってみてもいいかもな、みたいなことを考えた。
こう言うのも何だか変な表現だが俺は夢から帰って来た後(たぶん出口があってそこから出て来たと思う)目覚ましの設定を忘れた寝室の時計がとんでもない時間を指しているのを発見して大慌てで通学路を暴走した。一限目にギリギリセーフで間に合った。昨日早寝をしたせいで英語の予習をしておらず十分間立たされたり友達に借りた漫画を朝急いでいたせいか忘れて来ていたりレンタルした夢の弊害はさんざんだったのだが俺の頭の中身は一日じゅう夢の事でいっぱいだった。今日も友達のカラオケの誘いを断ってそうそうに帰宅しさっさとインスタントラーメンで夕食を済ませて普段より四分の一日も早くベッドに潜り込んだ。
開けた扉の先はやはり昨日と同じ草原だった。あいつはまだ来ていない。昨日と同じ場所で昨日と同じように寝っ転がって空を眺める。少しずつ動いているように見えて面白いなあなどと見ながら考えて、しばらくするまでそれが当たり前の事だというのに気がつかなかった。昔の人が地球がとまっていて空が動いているのだと主張した気持ちはよくわかる。このきらきらの粒をのせた紺色の空はゆっくりゆっくりと移動しているように見えるから。ふと気がつくと、昨日あいつを届くわけないだろうと笑ったくせに今懸命に寝転がったまま空に手を伸ばしている自分がいて苦笑した。
それにしても。あいつは本当に男なんだろうかという今日の昼休憩に星図鑑を眺めていてふと疑問に思った事をもう一度考えてみる。あの雰囲気は何か男らしくないような気がする。とはいえ女だったら「ぼく」という一人称は明らかにおかしい。ズボン履いてたから服装から判断はできないし、髪も中途半端な長さだったし、胸は…確認してなくてよかった。もしあいつが女だったら俺は変態だ。
「はやいね」
噂をすれば陰ということわざはよく知っているが考えただけで本人が来るとは思わなかったので思わず飛び起きて三メートルぐらい走った。昨日と同じ服装のそいつは目をまんまるにしたが俺のオーバーリアクションよりはまだましだ。
「悪い。びっくりした。…で、何それ」
俺はそいつが右手に提げた馬鹿でかい旅行鞄を指差した。まさかここで野宿する気じゃないだろうな。俺の質問にそいつは無言でそのチャックをジイイと開けておもむろに…スコップと土木作業用ミニ手押し車を取り出した。用途も旅行鞄の中に入っていた理由も全然理解できない。何を考えているんだ。
「塔をつくるんだよ。河原の石で」
「何のためにそんなものをこんなところで作るんだ」
「決まってる」
そいつはにやっとわらって俺を見て、ばっと突き上げるように空を指差した。
「星に行くんだよ。ずっとずっと積み上げていったらそのうち着くかも」
「ありえねえ」
ばっさり切り捨ててため息をついた。夢の中でまで寝言を言うな。しかしどうやら俺は怒らせてしまったようでそいつは涙目になって俺を睨んだ。
「もちろん色んな方法を試してみるよ。はしごも作ってみるさ。宇宙船だってつくるさ!どの星でもいい、どんな星でもいい、」
ああ、まあ確かに宇宙船なら行けるだろうが…。
「何をしてでもぜったいぜったい…わたしは星に行く」
はあ、と俺はため息をついた。論点がずれている。
「手っ取り早く宇宙船つくって飛んで行った方が早いだろうが。ここ夢の中だしそのくらい簡単にできるだろ?石積み上げてみるとか無意味な事してないで」
「意味なんかいらない。ぼくは意味が欲しいんじゃない。そんなもの後から勝手についてくるんだよ。意味が欲しければとっとと宇宙船組み立ててひゅーんと宇宙の果てまで行けばいいじゃないか、ぼくなんかほっといてさ」
ほっとけるわけねえよ。泣いて高くなった声を聞いていられなくなって目をそらした。そらした先は光の海のような空。誘うようにゆらゆらと波立って見える。足に比較的大きな石がぶつかり、ため息をついてそれを拾い上げる。しばらくそれを見つめて片手に持ち替え、思いっきり振りを付けて直上にぶちあげた。
どの星でもいい。俺の願いが届きますように。
「…何してるんだよ。今のが宇宙船?」
「宇宙船の…発射テストってことにしてくれ。あれに乗って星にたどり着けるとは思えない」
そいつはしばらくぽかんとして俺の顔を見つめていたがやがてふっと吹き出し、きゃらきゃらと笑い転げた。しばらくしてどすんと俺がさっき投げた石が積み上げられた石の上に墜落してくずしてしまい、いっきにそいつは仏頂面になって手伝えとばかりにスコップを持たされた。
手の届かないものは最初から望まない。そうやって俺は色んな事をあきらめてきた。でも、本当に手の届かないものかどうかなんて実際に手を伸ばしてみないとわからないじゃないか。
でかい石を一個拾い上げて積む。積んで高くなったところで星に届かないのはわかっている。でもそこまで高くなったら下を見下ろせばいい。そこは広大な宇宙の一点だ。自分自身がその一点だ。そこからのびる逆さまの石の塔の先に星があるはずだ。俺は今その星に思う存分体をくっつけてその星の一部を使って塔をつくっている。それでいい。見下ろしてみて、それでどうするかなんて知らない。意味なんかなくていい。たぶん後からついてくる。
唐突に目が覚めて、何か不安な気持ちで寝室を見回した。普段と全く変わりない。時刻を確認するために勉強机のライトをつけて見たらまだ五時にもなっていなかった。ベッドに入る時間が早すぎたせいだろうか、そのまま眠れず漫画を読みあさって起床予定時刻を待った。朝食は適当に割った卵をフライパンに載せて調理して食パンと一緒に食べていつもよりだいぶ早めに家を出た。自転車にまたがって、��つもと同じ通学路を学校目指してこぎ出した。
その空き地は最近空き地になったのかそれとも前から空き地でそこに店があったという俺の記憶が間違っているのか知らないがちょっと古い建物の並ぶ団地の一角にあった。何をどうしたって狭すぎて宅地としては使えなさそうな立地で、隣の家からトラック一台分ぐらいの幅の先は漆喰で固めた急な崖になっている。周りはどこもかしこも家が密集状態で、そんなひしめき合うような家屋の群の中にぽつんとある空き地はいやでも人目をひいた。
しかしおそらくそこに店があったというのは俺の記憶違いではないようだ。なぜそう言えるかというと「売地」というどこぞの不動産会社の看板の下に汚い赤い字ででかでかと「店跡地」と書いてあったからで、よーく見るとその下に「長年のご利用、誠にありがとうございました」とちっこい字で書いてあった。
からからと自転車を押して歩く音が聞こえて振り向くと、俺と同じ高校の制服を着た女子が歩いてきて空き地の前で立ち止まった。そしてしばらく何も言わずに看板を見つめていた。中途半端な長さの髪と制服のスカートが後ろから吹いてくる風にはためく。女子の制服を着ていたが、そいつが誰だかすぐわかった。俺は風の音に負けないように、そいつに届くように、そいつが一字一句逃さず聞き取れるように、大声を出して言った。
「俺さ、将来絶対宇宙飛行士になる。どの星でもいいから行ってみせる」
突然の宣言に驚いたようにそいつは振り向いて、そっと微笑んだ。
「わたしも絶対どこかの星に行く。先に行ったら待ってるから」
「俺が先に行って待ってるさ」
しばらくじっと見つめ合ってからふたりしてにぃっと笑った。そして「店跡地」の看板に目を落とし、空き地の上に広がる空を見上げる。
早朝のうすい青色の空には白くかすれた雲が浮かんでいた。電線で切り取られた、平坦な空。でも、きっとあの雲の向こうには、無数の星の散らばる広大な夜空がひろがっている。
寄ってらっしゃい見てらっしゃい、
ありとあらゆる鍵があり、ありとあらゆる扉あり、
ありとあらゆる持ち主が、ありとあらゆる客招く。
どんな鍵をご所望で?どんな夢がお望みで?
なあに扉の向こうには、見知らぬ世界が待っていて、
それを夢と呼ぶのです。
さあさあ鍵を手に取って、さあさあ足を踏み入れて、
きっと見つかる探し物。
きっと見つけるあなたの未来。
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偶然≠必然
1 俺はここ数年、前までは見なかった雑誌やテレビを見るようになった。思ったよりも時間に余裕がある仕事に転職したからであり、かつ、見たくない顔がメディアから姿を消したからだ。 毎日似たような、それでいて偏った内容を報じているのは正直つまらないと思っている。しかし今の俺がやっていることが世間にバレていないと確かめるにはこれ以上適した媒体が無いのも事実だった。 そのたくさんのどうでもいい情報の中のどこかで見たことあるような気がする顔が足元に落ちていた。燃えるごみの日に指定されている今日、自治体に決められた場所に燃えるごみがあることに何ら問題はないのだが、しかし、いくら燃えるとはいっても。 「……火葬場じゃあないんだから、人そのままはさすがに回収してもらえないだろ……」 雨が降っているため左手に傘、右手には捨てるために袋にまとめたごみを持っているせいで両手がふさがっている。 眠っているのか気を失っているのか見ただけでは判断がつかないが、胸が上下しているところを見ると一応生きてはいるらしい。適当な場所にごみを捨て、しばらくそのままその人を見ていたがふとあることを思い出し、俺はその人を持って(引きずって)帰ることにした。見た目から想像していたよりもその人は重かった。どう頑張っても俺の力では引きずることしかできず、しかも雨が降っていたから盛大に俺もその人もびしょ濡れになってしまったが、別にどうでもよかった。 ひとり暮らしをしている男の家に空き部屋というものは無く、今は閉店している店舗のホールにしか人を横たわらせる場所がなかったため、ホールの床に直にその人を転がし状態を確認していった。 少し高めの熱に体温に似合わない血の気のない顔、酸と血の臭い。意識を落としても脇腹を押さえている右手の下には開腹の痕。抜糸が済んでいないところを見ると相当酷い状態だったらしい。 「……」 べちべちと無駄に良い顔を叩いても意識が覚醒する気配はなかった。どうしたものかとしばらく悩んだ挙句、俺はこの人を、この男を、ここに留め置くことにした。 ふと意識が浮上して瞼を開けようとしたものの、しばらく開いていなかったからだろうか、やたらと重い。力を込めてさらに閉じてから勢いに任せて瞼を上げる。 最初に視界に入ったのは人工的な光。そして落ち着いたワインレッドの天井にシンプルなライト。天井に等間隔に設置してある。天井からするとここはそんなに広さがあるわけではないらしい。 ここはどこだ、と思った。次に俺は生きている、と自覚した。右手を上げればわずかな痛みが背中に走る。何か言わなきゃと思って口を開いたものの声が出せない。水分が不足して喉が貼り付いているのだ。 ゆっくりと身体を起こすとそこはどこかの室内らしく、よく見渡せばカウンター席しかないカフェかバーのように見える。窓はあるもののシャッター……雨戸だろうか、光が入らないように閉めきられていて外の様子はわからなかった。どの壁を見ても時計はかかっていないから今の時間はわからない。 床に寝かされていた俺は最後の記憶のままの服を着ていたが、臭いは酷いものだったし明らかに汚れているとわかる。 そして自分では絶対に身に着けることはないと断言できるものがいくらか痩せた足首に絡みついていた。 「おや、目覚めたのか」 「……」 どこからか声が聞こえてきてそっちを向けば、まあ、無表情ではあるが女受けしそうな顔がカウンター越しに俺を見ていた。 警戒すべきなのだろうが、長く意識を失っていたらしい俺に何かしたかったら目覚める前にしていただろうから(実際、既に足首にされているし)逃げることも声を荒げることもしなかった。それ以前に声を出せる状態じゃないんだけど。 俺以外に居るのはこの男だけだろうか……? 「何か飲めそう? 白湯とかお茶とか」 用意するよ、と接客業の経験があれば自然とこぼしてしまう愛想なんてものがまったくないまま言ったその男は、俺が何も答えな��でいると白いティーカップに白湯を入れて差し出してくれた。火傷しない程度に温められたそれは俺の身体にとっては異物だったらしい。しばらく機能していなかった喉がその刺激に耐えられなかったのだ。盛大に咽てしまった。 「……大丈夫?」 「げほっ……は……ごほ……はぁ、なんとか」 「うん。声出せるようになったね。ゆっくり飲みな」 「……」 こくり、と今度は咽ずに飲み込んだ白湯はゆっくり身体の中を流れていく。その温かさが今も俺は生きている、と実感させてくれた。 「ところで倉橋くん」 唐突に名前を呼ばれてぎくり、と体に力が入る。 この男は元プロボクサーである俺を知っているのだ。それならまだいいのだが、裏社会のリングに立っていた俺を知っているなら。 「倉橋直己、で合ってるよね? 俺、名前間違えてる?」 「いや……合ってる」 「そう、よかった」 「あんた、どこで俺を知った?」 「言った方がいい? 言ったところで現状が何か変わるとは思えないけど」 「じゃあいい」 「……メディアだよ。一時期賑わせてただろ?」 「不本意だけどな」 「だろうね。倉橋くんさ、そこの、この店の前のごみ捨て場で倒れてたから勝手ではあるけど連れて来た。そのままここに寝かせておいたのは……君が救急車に乗りたくなさそうだったからだよ」 「……」 「だから結果論にはなるけど、無事に目を覚ませたんだから俺を恨むのはやめてね。その足首に着けてるのにも理由があるんだから」 その男に指さされた先、俺の左足首には長いチェーンに繋がれた金属製の足枷がはめられていた。 「……俺をどうするつもりだ?」 「悩んでる途中」 「悩む……?」 「君が目覚めたら本格的に考えようて思ってたんだ。ねえ、知ってて尋ねるけど、倉橋くん。帰る場所はあるの?」 「ある……いや、ない。なくなってる」 前まで身を置いていた世界からは前まで身体の中にあった臓器ひとつを引き換えにして逃げている。プロのボクサーとして新しく活動を始めるのは、あるいは再開するのは難しいだろう。あのリングから逃げ出すのに賞金の他に臓器ひとつを要求されるぐらいだ、家などの財産は差し押さえられているだろうし、生活の面倒を見てくれるような家族も友達も恋人もいない。 どういった意味でも帰る場所はなくなっていた。 「だそうね」 「だろうね、って……あんた……」 「じゃあまずはしばらくここに居るといい。俺は今のところ、これ以上倉橋くんに何か酷いことをするつもりはないし、少なくとも抜糸が済むまでは面倒をみるつもり。あと二日だけど」 「……これが何の手術かわかってる、のか?」 「まあ、大方察しはついてるつもりだけど」 自然と溜息が出る。この男は俺が今すぐに死んでも何も問題ないことをわかっているのだろう。そんなただ荷物にかならない俺を面倒だと知りながら置いておくのだから相当の変わり者らしい。 「……あの、どうして俺を拾った?」 「あー……言い方は拾った、になるのか。さっきも言ったよね。君がメディアを賑わせてたからだよ」 「見たことがあったから、ってことか?」 「そんなところかな。あ、あと理由をつけ加えるなら」 「?」 「同い年なんだよね。俺たちって」 「……そう」 同い年……30歳にならない成人男性がこんな運営していない店舗を抱えて生活していけるのだろうか? 俺が今居る場所は明らかに金を稼ぐために利用する場所だ。そんなところで汚れた人が寝ていたら仕事にならないのは嫌でも理解できる。 ゆっくりと身体を動かし繋がれたチェーンの先を辿って行くと、カウンターの中の給水管に繋がっていた。逃げようと無理矢理壊せば水が溢れて大惨事になるというわけか。 「なんのための足枷なんだ?」 「倉橋くんが逃げないように。トイレと風呂には一応行けるだけの長さは確保してある。このホール内だったら問題なく歩ける長さだね。でも外への扉には届かないはずだ」 生活には不便を感じないはず、とこれもまた愛想のない顔で言われてしまった。 この男とやりとりをしているとなんかもう、どうでもよくなってしまった。一度、生きることを諦めた俺だ、この後どうなってもいいや。 「呼び方は? 倉橋くんでいい?」 「呼び捨てで構わない。あんたは……」 「俺は綾香。こっちも呼び捨てで構わないから」 「……ふうん。世話になる」 女っぽい名前だと思ったものの、言ったところで変わらない、とさっき言われた言葉を思い出し俺は口を噤んだ。 外からはもう雨の音はしなかった。 2 ああ、その窓防音だから、と言ったら倉橋はひどく寂しそうな顔をしていた。俺は何か言葉を間違えただろうか……? 倉橋の意識が戻ってから2日後、俺はとある男を呼んだ。本来なら客であるこちらから出向くべきなのだろうが、今回はチェーンで繋がれた、俺が繋いだ倉橋にその男と会ってもらいたかったため、平和的な手段(脅しという名の話し合い)を用いた結果この店に来てもらえることになった。 「倉橋、あと数分でひとり、男が来るから、用意しておいて」 「用意? なんの?」 「抜糸」 「ばっし……え、抜糸?」 「そう、いつまでも糸つけっぱなしでは衛生的にも見栄え的にも悪いだろう?」 「見栄えの問題なのか……?」 ピンポン、とよくあるインターホンの音が鳴り、カウンターで作業してた俺は「二重」扉になっている入り口で男を迎える。ごちゃごちゃした模様のアロハシャツに短パン、ビーチサンダルをはいているその相手はお世辞にも「いい男」とは言えなかった。嫁がいるかどうかは知らない。興味もない。 「綾香ちゃん。元気してたかい?」 「してたよ。はい、中入って」 外側の扉を閉めきってから内側の扉を開ける。システムで管理されているこのふたつの扉は同時に開けることができないようになっていた。管理が厳重であるに越したことはないと思っているので、この建物には裏口というものがない。私生活の用事で外へ出る時も俺はこの扉を使っている。 「しっかし手荒な呼び方なんじゃないの? うち、回診はやってないんだけど?」 「だけど一応医者なんだろう? 金は出すんだから患者のところへぐらいは来てくれてもいいだろう……倉橋、この男が、」 「っ、なんで、あんたが、ここに……」 見るからに嫌そうな顔をした倉橋にバンクは貼り付いた、見てて違和感を覚える笑顔を向けて言った。 「久しぶり、でもないかな。君の抜糸に来たんだよ。綾香ちゃんの頼みでね」 「ついでに経過も診てやって。お前が捨てた患者だろう?」 「捨てた、なんてそんな。退院手続きしてますー、ちゃんとー」 「綾香、そいつと知り合い、なのか……?」 口をとがらせてぶーぶー言ってるバンクを睨みながら倉橋は言った。バンクには数少ないカウンター席のひとつに座らせるが、倉橋はカウンターの奥からホールへは来そうもなかった。来るよう呼んでも動こうとしない。 「知り合い、と言われて否定はしないけど……『死んだことになっている』君が一般の病院には行けないだろう?」 「一般……いや、『死んだことになっている』……?」 「あー……理解ってなかったのか……おいバンク、説明不足すぎやしないか?」 「いち医者にそんな役目ないから」 「いちスカウトマンでいち売人としてはどうなんだ」 「生きるか死ぬかの世界から逃げた人にそういう説明はいらないでしょ」 「逃げた、って、彼は正式な段階を踏んで来たはずだ」 「規則を定めた書類にはそういったことは決められていないからね。むしろ決められてた方が怖いでしょ……それより金にならない雑談をしにここに来たわけじゃないんだよ。抜糸、するから来て」 「っ……」 「相当嫌われてるみたいだな」 「この仕事してると好かれることってまずないのよ。だからこそ病院だけでもクリーンなイメージで印象良くしておきたいんだよね」 まるで警戒心バリバリの手負いのネコのように今いる場所から動こうとしない倉橋に若干のイラつきを覚える。しかし抜糸をしてもらわないことには、それこそ本当に「見栄えが悪い」上に、バンクへと出す金が無駄になるのだ。 「……倉橋、疑問や不満があるなら後でいくらでも付き合うから。だから、抜糸だけでもさせてくれないか?」 「どうしてもそいつじゃなきゃだめか?」 「プロがいる以上、素人が手を出すべきではないと俺は思ってる」 「そいつがちゃんと免許もってるかどうか怪しいもんだな」 「もしかしたら抜糸程度だったら免許は関係ないかもしれないけどね、でも腎臓を摘出したのがこの男だってこと、忘れてない?」 「……」 「人権の無いお前が、持ち主の手を煩わせるな」 「……」 おやおや、とバンクがからかうように小さくつぶやいたその言葉は意外にもしっかりと俺の耳に届いていた。 ああ、躾の場なんて、こんな男に見せたくなかったのに。 それにどうせ躾けるなら、もっとちゃんとしたかったのに。 むすっとしたまま一向に俺の方を見てくれない倉橋はカウンター席に座っている。隣には座られたくはないだろうと一応カウンター向かいのキッチン側に立ってはみたものの、あまり効果はなさそうだ。 チャラチャラと足枷のチェーンの音がホールに小気味よく響く。 「特に問題はなさそうでよかったじゃないか」 「……あいつの言うことが信じられるかよ」 「うーん、お金を出してるから大丈夫だと思うし、それに……」 「……」 「一応、面子っていうものがあると思うんだよね。で、何か言いたいことはある?」 ふたつの白いマグにコーヒーを入れ、一つを倉橋に差し出す。 渋々といった態度ではあったがゆっくりとした手つきで受け取ってくれた。倉橋はお茶の類よりもコーヒーを好むらしい。 「……あいつと知り合いだったんだな」 「まあね。仕事の都合、時々見かけるし、話もする。彼が売人として商品を管理して、俺は客と売人との仲介をする」 「!?」 「ここはそういう『商談』をするための場なんだよ。昼はカフェで夜はバーだけど、やることはどちらも『商談』だ。昼にするか夜にするかの差なだけ。俺と客でやりとりすることもあれば客同士ですることもある」 「じゃあ今まで店を開けなかったのは……」 「ここを使いたいっていう客からの連絡を俺が受け付けなかったからだね」 「……あんたも裏社会の人間だったってことか」 「そういうこと。だから毎日仕事しなくてもそれなりに生きていけるだけの収入はあるし、倉橋のことも知ってた。表のメディアででも、裏のリングででもね」 「っ……」 「ちなみに嘘は言ってないよ。前も、今も」 ティースプーンではちみつをすくって自分のマグに入れる。黄金色の粘度の高い液体は黒の液体に溶けていき、その色に染まっていった。 「……俺は……」 「ん?」 「俺は、死んだことになってるのか?」 「なってるだろうね。裏リングで闘えるようになった時点で書類上生きてはいない。だからどんな理由で闘っても、勝ち続けて裏社会から解放された時に持ってる金はほとんど人権を得るために消える。違法な手段で売られた人権を違法な手段で買い戻すと生活ができない程に金が消えていくんだ。でもそこで人権を買わないと表の社会では生きていけない。だから買うし、無一文になるし、お金を稼ぐために人権を手放してまた裏の社会に来る」 「……」 倉橋はマグに入っているコーヒーから目を離せないでいる。俺を見たくないからか、突きつけた現実を信じられないからか。 てっきり俺は倉橋がそのあたりのことを理解していると思っていた。 「馬鹿ばっかりだよ、本当に」 「そういう、俺みたいな奴がいるからあんたも生きていけんだろ」 「否定はできないね」 「じゃああんたも馬鹿なんだ」 「そうだね。こういう仕事をしてるからね、俺も馬鹿なんだよ」 「……寝る」 「もう訊きたいことはないの?」 「あるけど……訊いたところで生き返るわけじゃないし」 コーヒーを飲み干し、カウンターの隅に畳んでおいてあった毛布を掴む。イケメンは絶望する姿も絵になるものだ、とどこか的外れたことを考えていた。 いままでどうするか悩んでいたけど、身体の経過も問題ないということだったし、話が合わないわけでもない。なにより、これ以上のチャンスはない。 「じゃあ俺からひとつ、話をしてもいい? 今後の倉橋の生活に関わることだ」 「……いいように使われて殺されるわけ?」 「それは無いな。少なくとも俺は君に危害を加えるつもりはない。今以上の酷い扱いはしないよ」 「……」 「ここで、働かないかい?」 「……」 「……」 「返事はいつでもいいよ……おやすみ」 チェーンの届く範囲で布団も用意したのだが、倉橋は風呂とトイレ以外の時間はほとんどこのホールで過ごしていた。眠るときも毛布にくるまってホールの隅でだ。 店舗の後ろを住居としている俺とは一緒に居たくないのだろう。 質問に答えただけだけど俺は倉橋に嫌われてしまったらしいから、距離を詰められるようになるのはまだまだ先になりそうだ。 だけど倉橋は理解ってるのだろうか。書類上死んでいる人の命の権限は本人にはないということを。 裏社会に生きる人間の命の軽さを。 毛布にくるまって目を閉じたものの、まったく眠くならなかった。綾香へ対しての警戒心は目が覚めた初日にほとんど消えてしまっている。そして悔しいことに数日たった今���警戒心を抱きなおすということもなかった。鎖で繋ぐという軟禁行為以外、あいつは生活の世話しかしなかったからだ。身体のことを考えてくれた温かい食事も綺麗な風呂も清潔な服も、俺が欲しいと言えば用意してある範囲で提供した。仕舞にはダンベル等の筋トレの用具まで。 ……俺はまだボクサーを諦めきれなかった。心臓や手足、目に問題があれば潔く諦めもついたかもしれないが、腎臓ひとつ失ったぐらいでは健康だった頃のトレーニングは無理でもそれなりのところまでできるはずだ、と。そう思っていたのに。わずかな希望の光が見えたところで綾香に「死んだことになっている」と絶望を知らされてしまった。 俺の身体は動くのに。 やる気もあるのに。 望めば場所だって。 なのに。 「ここで働かない?」 綾香の言う仕事とは何だろう? また体を犠牲にしなければならないのだろうか。綾香がどこで生活するだけの金を稼いでいるか疑問だったが、それも解決してしまった今だからこそ、俺にあの提案をしたのかもしれない。 俺に表の世界の人権が無いことを教えたこのタイミングで。 ……俺には逃げ場がない。進むべき先も見えない。 どうして俺は生きているんだろう。 どうして俺は今、暖かい毛布にくるまって横になっているのだろう。 どうして俺は。 「……綾香の言いなりになっているのだろう……?」 3 この家の居住スペースにキッチンというものは無い。綾香はいつも料理をホールにあるカウンターに面したキッチンスペースでしている。 どんな時間になっても眠っている俺を綾香は起こしに来ないが、いつも俺はこの料理の音で目覚めていた。ひとり暮らしをするには困らない程度の技術だが、それでも問題なく食べられるその食事は俺の警戒心を溶かすのに絶大な効果を発揮した。 毛布をたたみ椅子の上に乗せるとフライパンをふっている綾香の前に座る。 それが理由でメディアに取り上げられていたと自覚がある俺から見ても、綾香の顔は整っていた。 「床で寝てて寒くないの?」 「毛布があるから問題ない」 「そう。朝食は? 食べられそう?」 「何?」 「スクランブルエッグと野菜炒め、昨日の残りの味噌汁と食パン」 「……食べる」 「倉橋は嫌いなものないの? 特に気にせず作って食べさせてるけど」 「大体のものは食べられる」 「そうなんだ。羨ましいね」 「……食べられないもの、あるのか?」 「牛肉が苦手、かな。食べられないわけじゃないけど一人前を食べきるのが難しい……俺が作る料理に牛肉は出ないと思って」 「わかった」 「食べたくなったら外にでも……繋がれてたね、そういえば」 「繋いだのあんただよ」 「そうだったね。はい、できたよ」 相変わらず表情を出さずに淡々と話す綾香をなんとなくだけど嫌いではなかった。この男は俺を利用した金儲けの話も、自分のステータスのために関係を築く話もしてこなかったからだ。 軟禁しているという現状がなければ、互いに表社会で出会っていたなら、きっとそこそこ良い友人関係が作れただろうに。 「表社会に居たままだったら、俺ら出会えてなかっただろうね」 「え?」 一瞬、心を読まれたかと思って身構える。しかし俺の方を見ずに食事をしているところを見るとそれは単なる偶然だったらしい。 「というより、ふたりとも裏社会にいたから、今こうして一緒に食事できてるんだろうな、と思って」 「……なんでこの仕事してるの?」 「元々、父がこの仕事をしてたんだ。ちょっと、うっかりね、問題を起こしちゃって……世間にバレてはいないけどこのまま表社会に居るのもやだなと思って、父の仕事手伝って、そしたら父が亡くなった。数か月前に話だよ」 「ふうん。なんか、大変だったな」 「そうでもないよ。普通のこと」 「……」 「倉橋は? その技術でプロのままいることも……いられなかったんだっけ?」 「メディアの力って思ったより強大だった。俺の意図しないところで持ち上げられて、望まないままに落とされて……あの世界に居場所が無かった」 綾香が作った食事を摂るようになってから、俺は意外にも食パンに味噌汁が合うことを知った。温かい食事は気持ちを落ち着かせてくれる。 「まあ、メディアが恐ろしいことは俺もよくわかるよ」 「でもまだボクシングは続けたかったし……俺にはボクシングしかないから……母さんがさ、ボクシングをやる直己はかっこいいって、言ってたから」 「マザコン?」 まだ数日しか一緒に過ごしていないが、時々、綾香はこうやって相手のことを何も考えてない失礼な発言をする。 「小さい頃の話だ。もう母さんは亡くなってる」 「おや……そうじゃなきゃ裏の世界には来ないか」 「……」 「まだ、ボクシング続ける気、ある?」 「あのリングには立ちたくないね」 「俺の護衛をしない? ボディーガードってやつ」 「……」 「……」 「……昨日言った、働かない、って……それ?」 「そう」 「……人を殺せ、と?」 「それはまた別の人の役目だね。俺を守って、倉橋自身も守って、相手を動けないようにする、それが護衛だと思う」 「……」 「向こうから手を出してこなければ君は俺の隣に居るだけでいい。どう?」 「俺にメリットは?」 「既に人権を失って死んでいることになっている君に今こうやって食事を食べさせている俺にそれを言う?」 「っ……!」 「……なんてね。別に倉橋を死ぬまで雑に扱おうなんて考えてないよ。言っただろう、酷いことはしないって」 そして綾香は給料がつくこと(この給料はそのまま表社会での人権を入手するのに使われる、それ以降は俺のものになる)、今後もここを出ていくまでの生活の面倒をみること。ただし外出は綾香同伴時のみとし、外出しない時は常に足枷をはめること、逃げたら死んだほうがマシだと思うほどに容赦しないことを朝食の献立を教えてくれるのと同じように教えてくれた。 「翼をもがれた鳥は飛ぶことができない。ならばかっこ悪くても地上でもがいてみるのもいいんじゃないか、と、俺は思うんだよ」 俺は倉橋にその地上を用意できるし、なにより倉橋はまだ生きてるんだから、そう言った綾香はわずかにではあるが笑っていた。その笑顔がなんというか、どうしようもないくらい、目が離せないぐらいに、優しいものだった。 足枷をそのままに繋がっているチェーンだけを外された。これから数時間、俺はこの店の外へと出ることができる。ただし仕事としてだ。 仕事の契約が無事に結ばれたその日の夜、俺にとっての初仕事が待っていた。用意されたスーツに腕を通し、見た目を整える。 「うん、やっぱりかっこいいね。さすがイケメン」 「あんたも随分、きれいだと思うけど」 「あ、俺、自分の外見が嫌いだから、それ以上言わないでくれる? この顔が嫌いでね」 「……わかった」 俺と同じようにスーツに身を包んだ綾香はどこかヤクザくさい俺と違って、まるでアイドルみたいだった。男くささは無いものの、男らしさは確かにあって、オーラを纏っているのだ。 「じゃあ、行こうか」 店の外で待っていた「わ」ナンバーの黒塗りの高級車に乗って、連れていかれたのは俺もよく知っている建物だった。都会によくあるビルによくあるスポーツジムが入っている。実際にジムを運営しているため、あまり怪しまれることはないし一般の利用者もいる。 建物を「よく知っている」とは言ったものの、外観を見たのはバンクとの契約を済ませて中に入った時と、同じくバンクと新たな契約をして病院に連れて行かれた時の2回だけだ。ここはそういった選手の居住スペースも併設している。だから内部はいやというほど知っていた……無理に逃げ出そうとして、どうなるのかも。 ビルの内装はオフィスビルというより商業ビルに近く、通路が広ければ天井も高い。その中を綾香は慣れ��足取りで中を進んでいく。まっすぐ向かったのはリングがあるメインホールだ。 「……綾香、訊いてもいい?」 「何?」 「今日は客?」 「ではないよ」 エレベーターに乗ってカードキーをセンサーにかざすとボタンを押す前に勝手に昇ってゆく。 「商品の確認と商談のアポの受付かな。前も言ったけど何事もなければ倉橋は隣に立ってるだけでいいからね」 「わかってる……呼び方は、その」 「綾香のままでいいよ。あの場でもそう呼ばれてるから」 チン、と小気味いい音が鳴り扉が開くとエレベーターに乗る前のシンプルな内装とは打って変わって、豪奢な内装のエントランスが目の前に広がる。そこに群がる(と表現してはいけないのだろうが)人々は皆、一目でお金があるのだとわかる見た目をしていた。そしてここに居るのだからそういう趣味を持つ、こういう世界を理解している人たちなのだろう。 他のエレベーターからも続々と人がおりてくる。審査が終了した者から奥のメインホールへと行ける構造になっているが、定員が決まっていて満員の場合は入れないこともあるのだ。 「催し物」にはそれぞれランクが付けられていて、人気が高いカードの時は中に入るための審査の条件がさらに厳しくなる。資金力だったり名声だったり過去の実績だったり。 「今日はさらに審査のハードルが高そうだ。そういう内容だったかな……?」 受付をしてる男に名前を告げると身体検査のみであっさり通してもらえた。客ではないから資金力などの審査はないが、共通して武器や凶器の類の持ち込みは禁止らしい。 「……俺が出た時、やたら観客が少ないなとは思ってたんだ……」 「顔が良くて若くて強いんだから安く買われてはバンクも困るだろう。一戦目はそれなりに観客の人数が居たけど、三戦目には半分に減ってたもんね」 「……見てたような口ぶりだな」 「見てたからね。ほら、倉橋みたいなファイターは珍しかったから」 空いていた壁際の椅子に座る。俺は言われるまでもなく隣に立つと、ひとりの女性が躊躇いなくこちらへ近づいて来た。真っ赤なドレスに包まれたふくよかすぎる身体、お世辞にも美しいとは言えない顔立ち。日本人であるはずなのに、年齢が読めない…… 「久しぶりね、綾香ちゃん。なんでしばらく来なかった……あら、あなた……」 「ぺっとを拾ったからね、躾けるのに手間取って」 「ふうん。綾香もこういうのをステータスとして見せびらかすようになったのねぇ。ね、貴方、直に話すのは初めてよね? 名前を教えてくださる?」 「……」 「いいよ、名乗って」 「……倉橋、です」 「あたしフーリエ。ここのオーナーの一人よぉ」 「オーナー……? 貴方が……?」 俺が居た頃、選手を管理し、売買するオーナーは皆男性だったと記憶しているが……あれから女性が入ったのだろうか? 「なんで倉橋のオーナーがバンクだったのか……ほんと、もったいないと思ってたのよぉ? あたしの元に来れば貴方はもっと長く多く稼げたでしょうに……」 「は?」 歩いている給仕からシャンパングラスを2つ取ったフーリエはひとつを綾香ではなく俺に差し出した。受け取るか遠慮するか迷っていたら横から綾香が手を差し出し「倉橋は仕事中ですから」と遠慮したため、シャンパンは給仕の元へ戻っていった。 「倉橋がリタイアしてからもうひとつステージが用意されたんだ。倉橋がやってたような命を賭けた闘いではなく、操を賭けたバトルがね」 「げっ」 「参加者は全員、男か女よ。性別でステージは別なのぉ。常々、女を買いたいって客もいたからねぇ。死なないからバトル数も増えるしそっちはそっちでバトル後のショーも盛り上がるし、結構いい儲けになるのよ?」 「なるんだよ、これが……」 「……」 「人間の欲はとことん醜いからな……運が良かったな、あのタイミングで腎臓ひとつでリタイアできて」 「好きでしたわけじゃないんだけど」 「だけどあそこで臓器提供を断ってたら確実に倉橋の操は奪われてたと思うね。格闘戦かバトルか……選手は選べないからな」 「不細工が泣き喘いでも金にならないしぃ、弱いやつが一方的に殴り殺される闘いもやっぱり金にならないのよぉ」 だから、と言葉を区切りフーリエはにやりと気持ち悪い笑みを浮かべる。こんなに悪寒を感じたのは久しぶりだ。 「貴方たち、後ろを気をつけなさいよ。落とし物は拾った人のものなんだから」 「そんなの届けるのが普通だし、それは盗むと変わらないんだけどと言いたいところだけど、この世界、この社会じゃあ盗まれる方が悪いのは明白だからな」 「わかってるじゃない」 ショーが終わったら商品について話があるから待ってて、とそう言葉を残して去って行ったフーリエの後ろ姿を睨みつける。 「……何あれ」 「いつものことだから」 「感じ悪い」 「だから護衛を頼んだの。と言っても倉橋が盗まれたら俺にはどうにもできないな」 「されないから……大丈夫」 「そう」 まあ、金ならあるから倉橋の身に何かあったら俺は敵を札束で殴るつもりだけどね、とつぶやいた綾香の頭を小突いておいた。 想像以上にこの世界は腐っている。 そして想像以上に神様は不公平だ。 「思ってたより、見た目で生き方が左右される世界なんだな」 「そんなの人間も動物も野菜も変わらないでしょ」 「野菜と一緒か」 「果物でもいいよ?」 4 「今日、午後に客が来るから、準備しといて」 「わかった」 この前の会場でやりとりしていた商品の話が進んだのだ���う。綾香は一切表情を変えずに商談をしていたが、俺にとっては気持ち悪くなる話でしかなかった。俺も提供した臓器がどう扱われるかなんて知りたくもなかった…… なぜ綾香はこの仕事を続けているのだろう。俺みたいにボクシングを続けたいという理由だけで裏の社会に入ってしまったわけではないし、親の仕事を受け継いだだけであるならやめることも可能ではないか? 商品になった俺とは違って綾香には人権があるはずだ。表の社会でも十分に生活していけそうだけど…… 「……ああ、今日の客ね、ものすごい面食いだから、何言われても気にしないこと。商売として割り切ること。いいね?」 「はい」 左足首にからまる足枷が聞きなれた音をたてる。相変わらず建物内にいるときにつけている足枷は、綾香に拾われてから1か月以上経った今、あってもなくても変わらないものになってしまっていた。むしろ、この足枷があることに安堵している俺がいるのだ。 足枷のチェーンは必ず綾香が外し、綾香がつけてくれる。行動できる範囲が変わったわけでも眠る場所も食事する椅子も最初から何も変わらない。未だに俺の人権はもどらない。 仕事を初めてすぐに人権が戻ってくるとは思ってなかった。前に説明してくれた綾香の口ぶりからすると相当な金額がかかるはずだ。俺はいつまでここにいることになるのだろう。 一か月も一緒に過ごしていると、いやでもそこにいる人がどういう人かが見えてくる。 整った自分の顔が嫌いで性格は大雑把。気持ちに余裕ができるとどこかで聞いたことあるような数年前の歌を口ずさむ(誰の曲かを聞いても教えてくれなかった)。コーヒーははちみつを入れないと飲めなくて、料理はシチューを作ることが多い。朝早く起きるのは問題ないが夜に弱く、仕事で遅くまで起きていると確実に次の日までひきずること。 そしてはっきりとした理由はないが、俺を気に入っているらしいということ。 ついでにそのくらい綾香のことを把握している俺もまた、綾香のことを気に入っているらしいということ。 意図的に何かを隠すことが多い綾香ははぐらかすことはあっても嘘を言うことはほとんどなかった。裏の社会に生きる人間も意外と悪い人ではないのかも、と綾香を見てふと思ったのだ。 「そういえば貴方、弟を殺したんですって?」 今日の客はフルオーダーのパンツスーツを来た女性だった。秘書だか護衛だか……女性をひとり背後に従えている。 双方で現金の確認をしながら世間話の一つとして軽い口調で振ったその話題に綾香は表情を変えずに(この一か月で綾香は表情が無いのではなく、感情を表現するのが苦手だということを知った)乗った。 「そのようなことをした記憶はありませんが……どなたか話してらっしゃいましたか?」 「まあ、誰が、とは言わないけど、金に困らない、表のメディアでそれなりに人気があった綾香がどうして裏の社会で働いているのか、メディアで見た時にいつも隣に居たもう一人はどこに行ったのか、とか……勘ぐってしまうのは必然ではなくて?」 「そう言われてしまえば反論はできませんが、俺は人を殺したことはないんですよ。殺された者はよく扱いますけど」 「そ。残念だわ」 私、貴方が元々弟だったものを商品として扱うのを楽しみにしてたのに、商談を終えそう言葉を残して去っていった女性客を見送り戻ってきた綾香は重い溜息をした。 「……ヤなことを思い出させてくれる」 「弟が、いたのか?」 「いたよ。いたけど、今はもういない。どこに行ったのか俺は把握してないからね」 「ふうん。殺したの? その、弟」 「殺してはいない。捨てたけど」 「……」 「……何さ、そのうわぁって顔」 「……」 「綾香はそんなことしない、とでも思ってた?」 「……」 「でも、そういうことをしたから今ここにいるんだよ」 想像以上にがっかりしている俺に驚いた。確かに嘘はついていない。でもこの男は、綾香は、身内を捨てることができるんだ。 その事実は俺の中に言いようのない不安を残した。 5 なんとなく嫌な予感がした。 いつの日からか、どこまでも見張られているような気がする……その感覚もこの建物に入ってしまえば完全にシャットアウトされるのだが、たかがごみ出し程度で外に出る度に視線を感じるのも気持ち悪いものだ。 何度か倉橋を連れて会場に行っている以上、前まであのリング戦っていてリタイアした倉橋が綾香の傍らに立っている、ということを客・売人含めほぼ全員に把握されていると思っていいだろう。 あの世界では商品を購入したいと希望する客は多く、金を稼ぎたいと動く売人も多いが、何かと取引の証拠を残したがる双方が直接やりとりをしてしまうといざというときに足がついてしまうため、万が一にも足がつかないよう仲介人が間に立つのだが、その仲介人がここ最近めっきり数を減らしてしまった。売人ほど稼ぎがおいしくないくせに証拠を残したがる客と売人が納得できるように仲介人自身が証拠となるため、売買するリスクは大きく下がるが仲介人の負担は相当なものになる。ましてやなぜか仲介人はそこそこ見目の良い奴が多いのだ。裏の社会の売人がさらにとっておきの商品として裏社会の表には見せることのない見目の良い仲介人を売りさばく。 その仲介人を失えば困るのは他ならぬ商品を買いたい客と商品を売りたい売人だろうに……ほとんどと言っていいほど仲介人同士は関わりあわないため、もしかしたら俺の知らないところであまり商品にしたいと思えないような見目の仲介人が増えたのかもしれない。 まあ現状がどうであれ、商品として扱われるのはご遠慮願いたいところなので、先手を打つことはできないが迎え撃つことはできる。 もうそろそろ一方的に手綱を握る時期は終わりではないか…? 「倉橋」 「ん?」 「ひどいことはしない、とは言ったけど、今後のお互いのために……ピアス、つけてくれる?」 「……は?」 怪訝な顔をした倉橋の耳は一度も穴をあけたことのないきれいな耳だった。まあ、早いうちから仕事をしていた俺もピアスを通したことはないのだが。 初めて見た時から比べたら倉橋はずいぶんきれいになった。過度なトレーニングのせいで痛んでいた肌も髪も食事と生活の面倒をみた甲斐あって艶を取り戻したし、痩せていた身体も倉橋自身の努力によって整ってきた。今の倉橋の姿にピアスが、似合うと思ったのだ。 あのリングで初めて見た時にあの顔が好みだと思った。そしてボクシングをする姿がものすごくかっこよく見えた。 仲介人の権限がなくても商品のオーナーが誰かは知ることができる。そしてオーナーが商品をどう扱いたいのかも……少ない人数の強い選手を長くリングに立たせ賞金を回収するオーナーもいれば臓器や選手自身を売りさばき、抱える商品の回転が早いオーナーもいる。バンクは前者の人間だった。 仲介人という立場を利用して……今後、贔屓をする、などの取引を持ち出して……倉橋を買い取ろうかとも考えた。資金は足りていただろうがそれをしなかったのは、俺の元に来てしまったら闘う倉橋の姿が見られないからだ。 臓器を提供することで違約金を確保してリタイアした、という話はバンクから直に聞いた。ああ、もうあの姿は見られないんだな、と少しだけがっかりしたのを覚えている……あの世界では仕方ないなと、長くこの社会に足を突っ込んでいたからこそ、少しのがっかりで済んだのだろう。 だから偶然拾った倉橋を、ここまで一緒に居てくれた倉橋を、失いたくないと思った。これ以上ないくらい思い入れを強くするのに一か月という期間は十分すぎる長さだったのだ。 「今後、もしかしたら仕事中にはぐれることがあるかもしれない。俺がお金に余裕があって、もっと多くの護衛を雇えたらこんなことしなくてもいいんだろうけど、それはちょっと財政的に難しいから」 「嫌だ」 「ピアスひとつつけてくれないの? 今まで他にも痛い思いしてきてるだろう?」 「綾香が他の護衛を従えるなんで嫌だ」 「……」 「ピアスひとつつけるぐらいわけない。ピアッサーとかあるのか?」 「ああ、うん……」 「……なんだよ」 「いや、その、驚いて……」 「は?」 「もうそろそろ足枷外してもいいかなあなんて思ってたんだけど、俺のわがままで、もうしばらくつけさせてね」 「好きにしてくれ。人権の無い俺は綾香のものなんだろう?」 そのピアスは発信機だと言う。数分に一回、電波を発信し、通信機器がその電波を受け取ると大体の位置がわかる……ピアスを付けられると同時にスマホも渡された。 「いいのか? 人権のない俺に通信機器なんか渡して」 「何か悪いことに使おうとでも考えてるの?」 「……いや、何も思いつかないけど」 「じゃあいいじゃないか」 綾香の両耳には小さめの赤色ピアスが、俺の両耳に同じサイズの緑色のピアスがついていた。よっぽどのことがなければ外さないこと、とお互いに約束をしている。 人権がないことを除けば今の生活はそれほど悪いものではなかった。安定した生活でも安心できる生活でもないが、いつも通りの生活と言えばいつも通りの生活を過ごすことができているからだ。だからこそ個人の連絡手段を得ても今の生活を壊すようなことをしようとは考えもしなかった。 「今日は目ぼしい商品はなさそうだな。数週間はここに来なくてもいいかも」 「客からのアポが来ないこともあるんだな……」 「既に商品を手にしている既存客ばかりな上に目玉となる人や商品がないからだろう。俺が見てもそう思うんだから、商品を扱う売人はたいへn……」 「綾香!? っ……」 背後から黒いスーツに包まれた腕に口を鼻を覆われ意識が落ちる。 いつもなら壁に背を向けて背後から何かされないように警戒をするのだが、今日はランクが低いカードのせいか客の入場の条件が低く、そもそも会場が満員だったのだ。この会場には人に危害を加えられると思われるもの……刃物や銃器や電気の類……を持ち込めないことになっている。そのために身分確認を兼ねて会場の入り口で審査と検査があるのに。だからこそ素手で戦える俺を綾香は護衛として連れていたのに。 盗んだ人よりも盗まれた人が悪い……そう言っていたのは誰だったか……? 「いっ……!」 逃げようとした矢先、体を床に押さえられ左の足首を思いっきり蹴られた。骨を折るには程遠い、しかし関節をずらす程度の衝撃に思わず声を出してしまう。 俺を捕えているのが一人だったら無事に逃げられたかもしれない。しかしここには主を含め5人いては捕まるのも当たり前だ。 「逃げようとしないことね。商品として登録する前にキズモノにしたら価値が下がるから骨を折ったり腱を切ったりしないけど、歩けないようにするぐらいにはできるんだから」 「……」 「それにしても倉橋を置いて逃げようとするなんて、貴方にとってこの男はその程度なのかしら? あるいは……自分の弟を殺すぐらいですもの、そんなに自分が大事?」 ああ、あの女性客に噂を吹き込んだのはこの女だったのか…… 気持ち悪い笑みを浮かべながらフーリエは俺を見下ろす。人の外見の良し悪しは欲深さと比例するのか? 誘拐の際に同じ薬を嗅がされたらしい倉橋はまだ目覚めていなかった。二人同時に連れ去られては発信機の意味も無いな……まあ、一番の目的は俺が倉橋の位置を把握するためだったりするのだが。 「ん……」 「あら、やっと目覚めたかしら?」 「ぅ……あんた……フーリエって言ったか……?」 「そう。覚えていてくれて嬉しいわ。ついでに言えばこれからあなたたちを管理するオーナーになるの。よろしくね」 「……」 「貴方たちが立つリングはもちろん命を懸けるほうのではないわよぉ。客は皆貴方たちを知ってる! いい観戦代が稼げるだろうし、しばらくしたらオークションを開くの! 貴方たちのために客はどんどん金を積んでくれるわぁ……」 「ねえ、フーリエ」 「なにかしら、綾香?」 「オーナーにはペットを躾ける能力が試されるんだぜ……?」 「……何を」 ふわ、と後ろで俺の手を押さえていた男の身体が持ち上がり、受け身をとることができないまま床にたたきつけられる。相手に蹴られた方が運悪く軸足だったため鋭い痛みが走るが構わずにもう一人の男の手首を取り床に転がす。最後に稽古をつけてもらったのはかれこれ5年以上前だから技術がさび付いているのは自分でも痛いほど理解していた。起き上がろうとする男の手首をさらに締め上げて動きを封じる。 倉橋の方を見れば綺麗に二発づつ左側の腹部へと拳を入れて昏倒させていた。元プロボクサーにレバーを殴られたら俺も倒れるだろうな…… 「綾香、大丈夫か」 「ひとまずこいつらの意識を奪ってほしい。俺では動きを止めるので精いっぱいだから」 「……手荒な方法しかないんだけど」 「いいよ。こいつらに足首やられたし」 「っ……」 倉橋は慣れたように敵の顎を足で蹴っていく。もうボクサーとか関係なくただの暴力になっていた。 「……これ、リングを引退する必要あった?」 「どういうこと?」 「人の意識を奪うことに慣れてるみたいだからさ、ここまで来たら殺すのも変わらないのでは?」 「全然違うだろ」 「……あんたら……」 この女は自分では何もできない甘ちゃんだった。金をちらつかせ人を使う。暴力��前ではいくら金があっても紙屑同然だった。 暴力の使い方にも上手下手があるものなんだな、とどこか冷めた頭で考えた。 「ペットはちゃんと躾けないと。最初にしなきゃいけない躾はペットに誰がご主人様か教え込ませることだと思うよ。ねえ? 倉橋?」 「それ、俺がペットなのか?」 「え、違うの?」 「ふざけるな!!」 「……綾香、どうする?」 「ねえフーリエ、俺は今回で仲介役をやめてもいいんだよ? ひとりオーナーがいなくなったところですぐに新しい人が来るだろうしさ……もし次に同じことをしたら容赦なく命を奪うよりきついことをするつもりだから、その覚悟があるならまた攫いに来るといい」 「……綾香さ、俺がいなくてもなんとかなったんじゃないのか?」 「だから、俺は動きを止めるので精一杯で、意識までは奪えないんだってば」 「でも少しそういった格闘技の経験があることを話してくれてもよかったんじゃないか? てっきり、俺は綾香は何もできないもんだと思ってた」 「……昔、アイドルだった頃、テレビの企画で合気道の段位をとろうってのがあって……3年ぐらい、企画が続いたんだよ」 「……見たことあるような気がする」 「相方だった弟と一緒にね、やったよ。たぶん向いてたんだと思う。楽しかったし、実際に段位とれたし。それでも最後に稽古をつけてもらったのは5年前だから、技術は無いに等しいかなって」 「……ほんとにアイドル、だったんだな」 「まあね、数年前までだけど」 「だからか……どこかで見たことあると思ったんだ。ユニットの相方だった弟を捨てたのか……思い切った���とやったなあ」 「だから今ここにいるんでしょ……いてて」 相変わらず「わ」ナンバーの黒塗りの高級車に乗って店へと帰ってきた俺らは中に入るとカウンターの椅子に綾香を座らせる。靴と靴下とを脱がせスラックスをまくり上げると、そこにあったのは赤く腫れた足首だった。陽に当たらないせいで肌が白いからか、その赤が痛々しくもどこか綺麗なものに見えた。救急箱からテーピングテープを取り出し固定していく。 「でも、今もそのオーラはあるよ」 「別になりたくてなったわけじゃないから」 「だけどアイドルは10年続けたんだろう? 俺のプロボクサーとしての活動期間より長い」 「倉橋のボクシングをしてた期間には負けるよ」 「ボクシングはこれからも続けるつもりだから。選手としてリングには立つつもりはないけど」 「……」 「でも、全部綾香次第だから、綾香が決めて」 「俺が?」 「捨てられていたものは拾った人のものなんだろ?」 「……ふうん。じゃあ態度で示してもらおうかな」 「態度……」 「ここ、キスして」 テーピングで固定された足がゆらゆらと揺れる。俺よりも身長が低い綾香から女王様よろしく椅子に座りながら見下されているこの事実になにかクセになりそうなモノが背中を走る。 持ったままだった綾香のその足首に唇で噛みつき、そのまま甲をなぞっていき、つま先、きれいに形の整った親指の爪にちゅ、と音をたてて唇を落とす。 これでいいのかと恐る恐る見上げるとそこにはにやける口元を手で隠す綾香がいた。 「あー……やばい。本当にするとは」 「今後の俺がかかってるからな」 「そうだね、そうだよね。倉橋、人権取り戻してもずっと隣にいてよ」 「それは……綾香が俺を隣に置いてくれるってこと……? 弟みたいに捨てたりしない?」 「倉橋の顔好きだからね、捨てることはまず無いよ。それより倉橋が俺に愛想尽かさないかそっちの方が心配」 「大丈夫。問題ない」 「そう? ならいいや」 ふわり、と今まで見た中で一番の笑顔を見せる。その笑顔の破壊力と言ったら! ああ、世のファンはこの笑顔見たさにアイドルとしての彼を追いかけたんだろうなと確信をしてしまうほどに、その笑顔は見事なものだった。 人を好きになるのに男も女も生い立ちも状況も関係ないのだと身を持って知ることになろうとは。 「……綾香は、本名なのか?」 「あれ、名乗ってなかったっけ? 名前はまもるだよ、綾香士(あやかまもる)」 「まじで本名だったのか」 「一回ですんなり受け入れてもらえない名前なんだ。苗字は女の名前っぽいし名前の漢字は読んでもらえないし。ま、好きに呼んでよ」 「……」 「これからもよろしく、倉橋」 「綾香、こちらこそよろしくな」 終
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パンドラ、その箱を開けて12
ジョルジュの怒鳴り声を、ルネは朦朧とした意識の中で聞いた。 彼の声はまるでプールに沈んだ状態で聞こえてくる監視員の「飛び込まないで! プールサイドで走り回らないで!」という怒鳴り声と同じように、ぼやけている。
不思議なのはルネは確かにジョルジュのその声を聞いたはずなのに、その声が何と言っていたのかをまるで思い出せない事だ。 彼は「チクショウ!」と言ったかも知れないし「クソ野郎!」と言ったかも知れない、あるいは「死んじまえ!」か「殺してやる!」かも。 いずれにせよ、どれが本当なのかはわからない。
その時、つまりガスパールが地下室の扉を開けた時、既にルネの正気はドラッグと彼の身に起きた様々な身にあまる恐怖によって失われていたからだ。 ルネはただメトロノームのように左右に揺れ続けていた。 扉が開き、ジョルジュの怒鳴り声が響き、ガスパールが青ざめる。 「ジョルジュ、俺は」 ガスパールの声はピストルのパンッ! という音によって無理矢理ピリオドを打たれた。 ガスパールの体は糸が切れた人形か、中に人の入っていないテレダビーズのきぐるみのように一瞬で命を失い、背後に倒れる。 彼の額に空いた小さな赤い穴。それから血が流れ出し、床に新しい血溜まりが出来上がった。 あまりにもあっけなく、ガスパールは死体になった。 すでに魂の抜けた彼の青灰色の瞳から涙が流れ、彼の頬に一筋伝って彼の血に濡れた髪の毛の中に吸い込まれて消えた。 ガスパールの死体の横でルネはまだ左右に揺れていた。だらしなく開いた口の端からよだれが垂れ落ちる。 ジョルジュはピストルの銃口をルネに向けたまま「出て行け。俺は今、感傷的な気分なんだ」と静かに命令した。だがルネはただ薄笑いを浮かべて揺れるばかりだ。「ヒッヒィッィイ」という引きつった声が部屋に響く。 ジョルジュはため息を吐くとルネの額にまだ熱い銃口を押しあて、引き金を引いた。 「……運がいいな」 ジョルジュは弾が発射されなかったピストルを一瞥してルネに言った。 「不発。こんな事もあるらしいね。弾切れのわけはないんだ、ちゃんと2発入れてきたんだから。……ガスパールと、ヴェルニュの分」 ジョルジュは銃口をルネから外して天井に向けた。そしてカチャカチャと引き金を引く。 「お前が、まだ生きてるなんて思ってなかった。いい教訓だ。弾は余分に持つ事、それから安物は買うなって——」 パンッと音がして突然銃口が火を吹いた。 天井の蛍光灯が割れてガラスの破片がジョルジュと床に降り注ぐ。ジョルジュはハッハァ! と笑ってから濡れた犬のように体を振るわせて体に落ちたガラスを払い落とす。 「買うなってことだなぁ! そうだろ、おい」 ジョルジュが軽くルネを小突くと、ルネはビクンと体を跳ねさせて床に倒れた。瞼が痙攣し、眼球がでたらめに動き回る。 「ご覧ください……ナイルの……蟹が……デザートをどこに?」 呼吸する度にうめき声が漏れる。 ジョルジュはルネの側にしゃがみ、彼の頬をペチペチと叩いた。ルネは反応を返さない。ジョルジュはルネの瞼を指でつまんで持ち上げ、彼の眼球の動きを観察する。ジョルジュが「ドラッグか?」と聞くとルネは喉の奥で笑い声を上げた。 「……本当にお前は運がいいよ、少しわけて貰いたいくらいだ」 ジョルジュはルネの頬を撫でるとジーンズのポケットからガスパールがルネに飲ませたのと同じカプセルを取り出した。1粒や2粒ではない、掌に山になるほどの量。彼はそれを1粒摘むとルネの口に押し込んだ。
ルネはそれを床に吐き出して咳き込む。
ジョルジュは吐き出されたそれを拾い上げると、もう一度 ルネの口に押し込む。
今度もルネはそれを吐き出そうとしたが、ジョルジュが口を抑えていたので飲み込むしかなかった。 「嫌な事ばかりだ、本当にな、ほら、飲め」 もう1粒カプセルを摘むとジョルジュはまたルネにそれを飲ませる。ルネはまた吐き出そうとしたが、また無理矢理に飲まされた。1粒、次に2粒一気に、それを飲み込むと今度は3粒、4粒、5粒。最後には10粒近い数のカプセルを口の中に押し込まれる。 「おっ! おっ! っ!」 ルネの背中が反り、体が痙攣を始める。フライパンの上のポップコーンのようにルネの体は床に横たわったまま弾けて跳ねる。 ジョルジュは跳ね続けるルネをそのままにして地下室を見渡し、長いため息を吐いた。 「馬鹿ばっかりだ。こいつも」 ジョルジュはヴェルニュを見てそう呟く。 「こいつも」 ガスパールを見て呟く。 「お前も」 ルネを見て呟く。 「お前らも」 壁一面に張り付いた少年達の写真に向かって呟く。 「……俺は違うけどな」 ジョルジュは壁に貼付けられていた自分の写真を丁寧に剥がしてポケットに押し込んだ。 それからまだ跳ね続けているルネを見つめる。ただ無言で。そして静かな声で言う。 「お前、ガキの頃の俺にちょっと似てるな」 ジョルジュは携帯電話を取り出し、ボタンを押して耳にあてる。彼はごほんごほんと何度か咳払いをし、怯え、狼狽した声で喋り始めた。 「……け、警察ですか? あの、お、俺、俺、あの、い、今、ひ、人を人を殺したんです……で、でも、わざとじゃなくて、俺、俺どうしたら……」 振るえる声とは真逆の冷静な意思の宿る表情で彼は電話に集中する。 「はい、今、人を殺しました……はい……ここは、ここは、あの、あの、俺刑務所に入るんですか? どうし、どうしよう……」 うぅっと涙ぐむような声を上げてジョルジュはしばらく黙る。そして今にも泣き出しそうなのを耐えているような声で言葉を続けた。 「はい……ここは旧開発区の、3丁目です。ヴェルニュさんのキャンディ工場。俺、ジョルジュ、ここで働いて……こ、殺したのはガスパール、俺の友達です、ほ、 他にもたくさん、みんな、みんな死んでいて、あぁ……どうしよう……ルネが、はい、ルネが一緒にいる、あの、行方不明の子です……あぁ、電話を、切らない で……怖い、人を殺しちゃったんだ……助けてください」 そう言いながら彼はルネに向かって小さく舌を出し、それからもう一度だけガスパールの死体に目を向けると無表情のまま数滴、涙を頬へ伝わせた。そしてそれっきりガスパールの方もルネも見ようとはしなかった。
*
「……す、すいません、ちょっと僕、外の空気吸ってきます」 壁の穴からピストルの弾を取り出していた中年の捜査官に早口でそう告げると、レオン・ヴィレールは返事を待たずに地下室から地上へと続く階段を駆け上がっていった。 「おい、大丈夫か?」 階段を上がった所で待機していた刑事に軽く手を振って応え、レオンはキャンディ工場の建物を囲む茂みに駆け込むと、その場で胃液を吐き出した。 「……うっ……うぇ……ぇっえっ……」 「おーい、新入りぃー?」 心配そうな刑事の声にレオンは弱々しい声で「大丈夫です」と応えたが、刑事の耳には届かなかったらしく彼はもう一度レオンを呼んだ。 「大丈夫! 大丈夫です、ちょっと、空気が悪くて」 口を拭い、レオンは茂みから出る。胃が突き上げてくるように痛み、頭がクラクラした。川辺でレナルドの遺体を見つけた時と違い、今回はあらかじめ地下室内にどんな死体がどんな状況で幾つ転がっているかを聞いていたが、それでも中の陰惨な状態は彼の心にダメージを与えた。 ダメージを負ったのは彼だけではない。顔を蒼白にした刑事が現場撮影用のカメラを手に階段を上がって来た。彼はレオンと同じように茂みの中へと走っていった。数秒後に胃液を吐き出すびちょびちょという音がレオンの耳に届いた。 「……相当酷いみたいだな」 「地獄ですよ、血と、死体だらけ。死体の数が多過ぎて袋が足りないです」 「今頃リシュパンの奴、悲鳴を上げてるだろうな」 中年刑事は苦笑いを浮かべた。 「それって言葉通りの意味の悲鳴の事? それとも歓喜のって意味の?」 レオンは以前レナルド・ジュネの死体を担当した時に顔を会わせたパメラ・リシュパン検死捜査員の顔を思い浮かべながら聞いた。大きな眼鏡をかけた、とても子持ちにはみえない童顔の女。死体の話をする時だけ目をキラキラと輝かせる、いささか不謹慎な人物だ。 「両方さ」 「……でしょうね」 地下室からレオンを呼ぶ声が聞こえて来た。 「おーい、新入り! いつまで遊んでる、さっさと戻れ。運びださなきゃいけない「体」がまだたくさんあるんだ。「手」や「足」や「モツ」もな」 レオンはげんなりした顔をして返事をし、重い足取りで階段を降りていった。
*
その日、ヴェルニュ・バルバトールのキャンディ工場のガレージの裏にあった地下室から運び出された死体の数は2体、それと268袋だ。 268袋というのは、死体が既に腐ったり、溶けたり、あるいは焼けたりして原型を留めていなかったため、とりあえず散らばっている肉片を手当たり次第に小袋に詰めたからだ。それが268袋。 現在その中身はパメラ・リシュパン検死捜査員を始めとする検死チームが復元中だが、未だその袋の中身が何体の死体がミックスされたものなのかわからない。 一方で2体の死体はその身元も死因もはっきりしていた。 死体の名前はヴェルニュ・バルバトールとガスパール・シャルダン。 ヴェルニュは腹部の傷からの出血死。ガスパールは頭部を撃ち抜かれて即死だった。 床に落ちていたナイフからはヴェルニュの血とガスパールの指紋が見つかり、状況からみてもヴェルニュを殺害したのがガスパールだという事は明白だった。 そのガスパールの頭を撃ち抜いた人物は既に自主をしている。 ジョルジュ・デュシャン。
ヴェルニュ・バルバトールの工場で制作現場監督をしていた15歳の少年だ。
ガスパール・シャルダンとは『エー・ハウス』という孤児院で兄弟のように育った仲で、孤児院を出て別々の家の養子になった後も交流を続け、同じアパートで暮らしていた。
警察に電話をかけて来た時、ジョルジュ・デュシャンはとても混乱していた様子で、声は涙に震えて、電話を取った警察官は彼が妙な気を——例えば自殺などを——起こさないようになだめるのにかなりの根気と繊細な注意を要したという。 警察が駆けつけた時、彼は地下室へ続く階段に座り、ドラッグの過剰摂取でエクソシストのリンダ・ブレアのように床の上で跳ね回っているルネ・ベッテンドルフを途方に暮れた顔で見つめていた。
手にはガスパールを撃ち抜いたピストルを握っており、彼はその場で逮捕され、連行された。 ルネ・ベッテンドルフは病院へ搬送されたが、精神的なショックとドラッグの影響とでまともな会話もままない廃人状態が続いている。 彼の体からはヴェルニュ・バルバトールとガスパール・シャルダン両名から性的暴行を受けた痕跡が見つけられた。 ルネの体内に残されていた精液のDNAを検査した結果、レナルド・ジュネの体内に残されていたものと完全に一致したため、警察はヴェルニュとガスパールをレナルド・ジュネと複数の少年達への拉致、監禁、暴行、強姦、殺人、第二種死体侮辱罪および、ルネ・ベッテンドルフへの拉致、監禁、暴行、強姦罪の容疑者とする事となった。 ルネ自身の父親を含む大人の男が側に近づくと彼が激しい興奮状態になるため、聞き取り調査は女性警察官が担当しているが、彼の精神が落ち着くのはずっと先になりそうだった。それは彼が棺桶に入る頃かも知れないし、骨になっている頃かもしれないし、とても運が良ければ50年の時効が過ぎた後かもしれない。 いずれにせよ、この事件の詳細を知るにはジョルジュ・デュジャンの供述に頼るしかなかった。 供述によると、ジョルジュ・デュシャンはルネ・ベッテンドルフが失踪した日にジョゼット・ジュネの見舞いから帰るルネに出会ったという。 ルネは病院から帰る途中に道を間違えたと様子だったので、彼はキャンディ工場までルネを送っていった。 彼が工場の前に着いた時、工場のガレージの明かりが点いていたので、彼はヴェルニュがまだ工場に残っているのだと思い、彼の携帯電話に電話をかけた。もし残っているのならルネを車に乗せておくっていって欲しいと頼もうと思ったのだそうだ。 だが、電話には誰も出なかった。 このコール記録はジョルジュとヴェルニュの携帯電話と、電話会社の記録からも照会出来たので疑う余地はなかった。 ジョルジュが工場に入ろうとすると、ルネが「1人で帰れるから」と言うので、彼は渋々ルネを工場の前に残してその場を立ち去った。 それからしばらくして、彼はルネ・ベッテンドルフが行方不明だという噂を聞いた。 先日レナルド・ジュネの死体が発見されたばかりなので、彼はルネをとても心配したが、ルネのクラスメイトだという女の子や——フェリシー・ブーグロー—— 男の子達が——パメラ・リシュパンの息子、ドミニクもその中に含まれた——口々に「ルネは家出したんだよ、彼は家が嫌だったんだ」とある種の確信を持ってそう言うので、その内ルネがふらっと戻ってくるような気持ちになっていたという。 事実、町の人間の間でもルネ・ベッテンドルフは家出だろうと考えられていた。彼の両親がルネをジョゼット・ジュネの自殺未遂が起きた時に彼が店に鍵をかけなかったせいで財産を盗まれてしまった事で激しくせめ、一日中店の手伝いをさせていた事は、小人のパン屋の客なら誰でも知っていた。 町の人間の中でルネがふらっと戻ってくると信じている者は多かった。 だがジョルジュはガスパールの自室の中からルネの写真を見つけた。 ルネの裸の写真だ。 怯えきったルネの顔にジョルジュはガスパールが何かとてもとんでもない事に関わっているのだと確信した。写真は何枚もあり、中にはヴェルニュとルネではない別の少年を撮影したものもあった。……死体の写真も。 その写真は現在証拠品として警察の手元に渡っている。地下室とヴェルニュの自宅で回収された写真と合わせて三百枚以上の写真が見つかっている。その中には先日死体で発見されたレナルド・ジュネの物もあった。望遠カメラで遠くから撮影した盗撮写真と思われる物と、拷問を受けている彼の近接写真と、彼の死体の写真だ。 ジョルジュは以前自衛のために季節労働者から買ったというピストルを手にキャンディ工場へと向かった。 なぜ警察を呼ばなかったかと訊ねられるとジョルジュは顔を抑えて泣きふした。 「だって、あいつは、ガスパール、あいつは本当にいい奴なんです。大事な、弟みたいな奴だった! だから、まず話をしようと思った。自主して欲しかった……俺の話なら聞いてくれるって思ってたんです」 警察が「話を聞くだけならピストルはいらないし、彼が部屋に戻ってくるのを待って2人で話せばいいだろう? なぜヴェルニュ・バルバトールがいる工場へ向かったんだい? いわば君は殺人者の巣穴に飛び込んだんだぞ?」と問いつめるとジョルジュは涙で濡れた顔を起こし、顔を引きつらせた。 それから唇をわなわなと振るわせ、何度か躊躇した後で「考えてたんだ」と言葉を続けた。 「…… ガ、ガスパールは、あなたは知らないだろうけど、こんな酷い事を出来る人間じゃないんだよ。だから、もし、彼が本当にこんな酷い事をしたのなら、誰かが彼をそそのかしたに違いないんだ。……ヴェルニュ・バルバトールさ。あいつが、あいつが全部悪いんだ。だ、だから、悪いのはあいつ。罰を受けるのだって、あ いつ。だ、だから、俺、も、もしガスパールが心から……」 ジョルジュはそこで言葉を区切ると、長い間黙り込んだ。 「……ごめんなさい、嘘を吐いたんだ。じ、自主なんか、させる気なかった……う、埋めてしまおうと思ったんだ、ヴェルニュを……こ、殺して、そ、それで全部なかった事にしてしまいたかった……ごめんなさい……ごめんなさい」 警察はジョルジュに「君はそれがなんだかわかるかい? 犯罪行為だよ。もし実行していたなら君は計画殺人と第一級犯人隠匿罪で老人になるまで刑務所だ」と説教をし、更に彼の供述を聞いた。 地下室の扉を開いた時、ジョルジュの目に飛び込んで来たのは床に倒れて痙攣しているルネと、彼に向かってナイフを振り下ろそうとしているガスパールの姿だった。 ガスパールはジョルジュの顔を見て唖然としていたという。それでナイフを慌てて背中の後ろに隠し、何か「違う」とか「誤解なんだ」とかいう言葉を叫んだらしい。 らしいというのは、ジョルジュの耳には彼の叫び声が殆ど入らなかったからだそうだ。彼の目はガスパールの背後に転がっていた血だらけのヴェルニュの死体と、その死体の下敷きになっている腕や足に釘付けだった。 ガスパールが一歩、ジョルジュに向かって足を踏み出した時、ジョルジュはその場に尻餅をついた。ガスパールがナイフを振り上げるのが見えたと言う。 「俺、俺、混乱していて、だって、死体だらけ、一面死体だらけで! あんた達もみたでしょう? あの地下室! ヴェ、ヴェルニュは、あそこはただの資料置き場だって言ってたんだ! 時々ガスパールと二人で『資料整理』に行ってたけど、俺、あそこがあんな風になってるなんて知らなかった! そ、それに、それに あいつのナイフ、血だらけで、お、俺も殺されるって、殺されるんだって、それで頭が真っ白になって……」 ジョルジュは反射的に手に持っていたピストルの引き金を引いた。 目をつぶり、狙いも付けずにただ引き金を引いただけだったので弾はただ天井に穴を開けただけだった。 ガスパールはジョルジュがピストルを持っているのに驚いた様子だったが、すぐに薄笑いを浮かべて「撃てるもんか!」とジョルジュの首にナイフを突きつけてこう言ったという。 「お前に人殺しなんか出来ない! ほら、撃ってみろよ! ほら!」 ガスパールは自分からジョルジュのピストルの銃口に自分の額を押し付けた。ガスパールの言った通り、ジョルジュの手はガタガタ震えるばかりで引き金を引く事も狙いを付ける事も出来なかった。 ジョルジュは泣きながらガスパールに「どうしてこんな事を?」と聞いたがガスパールは笑うばかりで何も応えなかった。 「俺、すごく怖くて……ガ、ガスパール……あいつの目、目が、真っ暗にみえた。サメの目みたいに……お、俺、すごく自分が馬鹿だってわかった、だ、だっ て、あいつもう言葉通じないんだ、じ、自主とか、話なんか聞くわけない……こ、殺されるって思ったんだ。ナ、ナイフ、あいつが俺を殺そうとしたんだよ! あいつが! この俺を……。友達だって思ってたのに……それ、それで、き、気がついたら……パンッ! って音がして、あ、あいつ、死んでて……お、俺が殺 し……殺しちゃったんだ……そんなつもりなかったのに……殺す気なんか……!」 間もなくしてジョルジュ・デュジャンのガスパール・シャルダン殺害は正当防衛が認められ、ジョルジュは釈放された。 ガスパール・シャルダン、ヴェルニュ・バルバトールは少なくとも38名の少年の殺害に関与した事と、ルネ・ベッテンドルフへの監禁、暴行、強姦の罪で第一級死後刑に処せられた。
彼らの死体は歯車大通り裏に吊るされている。 未成年への死後刑が執行されたのは半世紀ぶりの事で、寺院と県の一部議員などは執行に反対したが、シャルダンとバルバトールの犯行が解明されてくるとその残虐性に次第に反対の声は消えていった。 彼らの死体に物が投げつけられない日はない。町中の住人が2人の死体に小石や卵を投げつけた。
ル��・ベッテンドルフは薬物の過剰摂取と拷問により精神に深刻な傷を負い、現在精神科に入院している。 意識はあるようだが反応は微弱であり、起きている間はただじっと天井を見上げているだけだ。 時々言葉も発するがその殆どがただのでたらめな単語の羅列と繰り返しだ。 ルネは壊れた。 もう治る事はないだろうと誰もがわかっていた。
前話:次話
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ささやかなくすりゆび
「なあ、おれたちはずっといっしょだ」 嘘つきは泥棒のはじまりなんてよく言ったものだ。たったひとことでお前は真っ赤にきらめく心臓を持って行って食らってしまった。 「ああ、」 まだまだ若くてきれいで二十数年俺を生かしてきたその心臓が、いたくて痛くて心拍数で張り裂けそうなほど唸ったその瞬間、もうあちらの手の中にあった。無意識に人のいちばんを持っていくなんて、酷い。人に聞く恋というのはころんと落ちるものばかりだったけれど、もぎ取られるみたいだったなあなんて経験から勝手に解釈している。一昔前の自分にそれを伝えようものなら恐らく、ものすごい形相で食べたもののひとつやふたつ吐いて死ぬだろう。 「きどーくん」 「何だ」 「腹減った」 沈黙。当たり前のように鬼道を見上げる眼がくりりと涙でつやめき捉えて離さない。もうずいぶんと長いことやたらうるさくフライパンの汚れにくさを語る深夜のテレビを放ったらかしに、ごろんと寝返りを打つ。ひとの温もりが残ったままのシーツが心地よく肌に吸い付く感触。じわじわ遠くから染み出している睡魔に知らんふりをして、息を吐き出すように言った。 「あったかいのがいいねえ」 「おい、俺は作るなんて」 「なんかない?」 もう腹減っちゃって死にそう。つるん、するん、画面の向こうでは焼かれた美味しそうな黄色い玉子が金属の上を滑っていく。真似をするみたいにベッドの上でごろごろと転がりながらまたじっと見つめられれば強引に目と目が合って、ぱちぱち小さく視線の戦争。ぶつかって砕けてまたぶつかって、折れたのは向こうだ。この男は案外そういう攻撃に弱いから。瞳を丸めてじっと見上げれば鬼道は簡単にたじろいで、どうすることも出来ないまま。 「…今日だけだからな」 普段の調理担当は自分だ。とは言っても時間の都合で、作るほとんどが夜だけれど。ぴ、高い電子音が何回か鳴って、湯を沸かしているであろう気配がする。料理が上手いと言ったら向こうの方だし、もちろんそこは育ちの良さが出ていると言えるけれど、レシピのどれもがあまりに家庭的でない。本人にも自覚はあるらしい、多分世間を知らないのではなくて単にそれしか作れないんだろう。よく分からない国のよく分からない葉っぱなんてご用達のすぐそこのスーパーには置いていない。教えたら覚えるんだろうが、面倒だし、それを発揮してもらうときも特にない。さっきシーツから這い上がったまま薄い寝間着にカーディガンだけを羽織って鍋を見守る変てこな頭の後ろ姿が何故かしら可愛らしく見えて、頬杖をやめて立ち上がった。さすがスポーツしてるだけある、無駄なぜい肉のない締まった脚がぎこちない動きのたびちらちら裾から覗く。普段ないはずの人や物が、ないはずのところにあるそわそわが堪らない。いつもこういうことについては自分の方が要領がいいのだ、スケジュールやら何やらそういうものからしても家のことは自分がやった方がいい。 でもたまにはこんなのもきっと許されるはずだ。 「鬼道くんうどんなんて作れんの」 「それぐらいは作れる」 「意外、また変なタイ料理とかかと」 空気はすっかり初冬、よく冷える。あちらこちらから冬の匂いがする。鬼道の家はいつでもぜいたくにあたたかくこんな薄着でもまず凍えることはないし、しっかりと空調がなされているけれど、それでも隠し切れないしいんとしたこの匂いが好きだ。不思議なそれを部屋中の壁が吸い込んでは吐いていく。ゆっくり後ろから近づいてぎゅっと抱きしめれば若干の鬱陶しそうな表情をまんざらでも無さそうなその顔色に無理くり乗せて、林檎飴のような赤がつるんとこちらを見た。 「あったけえ」 冬の匂いは何故かしらどうしてもこう人肌恋しくさせるのだ。多分きっとストーブとか毛糸とか北極星とか、そんなものを一緒にとろとろ煮詰めてかき回したみたいな匂い。 「作れないだろう、邪魔をするな」 「やる気が出るようにお手伝いしてあげてんの」 「あのなあ、」 くるくる、ぼこぼこ、鍋の湯が回ると徐々にうどんが解けていく。ゆっくり攪拌する箸を持つ指は細くしなやかで、だけれどどこか力強くて女のそれではない。彼女たちのような可愛らしさを知らない薬指が、真っしろ湯気の中で踊る。自分もそうなのだろうか。憎くて憎くて折ってやりたいほど憎らしかった薬指が今は何よりもとうとくて折ってしまいたいほどだなんてそんな都合のいい文句があるものか、言いたいのに目の前にその実物があってしまってはうんともすんとも言葉が出ない。 「もう茹であがってんじゃん。お腹空いた、まだ出来ねえの」 「もう少しだから大人しく待っていろ」 「めんつゆ冷蔵庫の中だから」 そういうとその薬指はまたふらふら宙を歩き出して、ゆっくり冷蔵庫の扉を開いてごそごそ騒ぎ始め、閉じたあとにはめんつゆのボトルにとまっていた。きれいな透き通る錆びた金色のようなつゆがとくとく注がれるのを抱きついたまま眺める。決して細くはない腰がちゃんと女じゃないと教えてくれるようで少し安心した。面白可笑しな話だ、強く腰を抱いて安心するくせに薬指に泣くなんて。泣いてはいないや、まだ今は。 「どうだ、味は」 「うまい」 そう伝えると誇らしげに口角がほんのちょっぴり上がるのに子供かよ、なんて突っ込みたくなってしまう。 「星三つあげるよ」 「それは良かったな」 愛嬌のないやけに大人びた子供が、そのまま成長したみたいだ。そういう意味ではある意味子供っぽいのかも知れないし他人と比べて抜けているところなんて──山ほどある。些細な仕草のあちらこちらに型だけ中味のないいろんな何かが転がっているのだ。そんなことを言い始めたらふたりともなのかも知れないけれど。 「カーテン閉めろよ、冷える」 きらきら大きな大きな窓の向こう夜景が冷えて、舞い散る雪にもなり切れない水分にあてられていた。あの頃、まだ大人びた「こども」だったころ満ちていた憎しみはどこへ行ったのだろう。あまつさえ頭はこんなふうなのに外の世界まで綺麗すぎていやで、ずるずるのそのそ座ったまま動いてしゃっきり閉めてやった。一枚をふたりして被っていたふかふかの毛布はぐしゃぐしゃになってしまった。 「動くな、寒い」 「寒くないように閉めてやったんだろ、別にそこそこ暖房きいてんじゃん」 ふわふわうどんからはまだ湯気がのぼっている。それをつるつる掃除機みたいに吸い込みながら話せるこの関係がいちばん好きで嫌い。 「昔はよく外で練習できたよなあ」 「同じようなことは今もしているだろう」 「するけど。でもあんときより堪えるわ、やっぱ」 ぴったりくっついて離れないようにまた一枚の毛布をふたりで被った。その声を忘れてしまわないように。思い出だけはいつもいつまでもうつくしく輝くけれど、音だけはどんな夜にどんなに泣いても忘れてしまったら最後だ。愛おしい心の写真が映像になるのは声があってはじめてのことだ。自分で覚えておくしかない、本当の切なさを記憶は察してはくれない。離れていた頃寂しさに教えてもらった、ひとりで生きるための処世術。 けれどそれも時すでに、昔のお話。 「もうこんな歳なんだなあ」 時間はずるい。どんなに遅くても過ぎてみると酷く早い。ちりちりふたり分の長い髪が離れない肩と肩の間で絡んで混ざって、あのころにはなかった感触だ。もう額縁の中の夢だけを見させてはくれない。 「そろそろって感じ」 ふう、と息を吐いた。 「俺も相手を見つけなきゃねえ」 「ふん、よく言う」 中味のないすっからかんの会話がふたりの指を透かす。意味も理由もない、何もない言の葉。 好きの反対は決して無関心ばかりじゃない。けれど憎しみと愛しさは紙一重だ。恋が落ちるものじゃなくもぎ取りもぎ取られるものなら、この男が奪って行ったのはきっと、こいつを憎んでいた自分や、こいつに無関心のまま生きられた自分や、ただ男であって、女の子が好きだった自分だろう。この男が取って喰ったものはきっとそうだ。だって今ここにもう、残っていないから。 どうせ恋に持っていくならこの目も奪い去って、盲目にしてくれたらよかったのに。つるり、うどんのなくなったつゆだけの器が光に揺れた。 「俺も相手を見つけなきゃねえ」 「そうなったら浮気してやる」 「はは、出来っこないくせに」 「さあ」 淡い照明の反射をたたえた瞳に目が眩む。 「どうだか」 ぎゅうと抱きしめた手のひらにろっ骨と肉の感触がきれい。横たわる脚にはどんどん北極星のかけらが降り積もっていく。白く細かくはらはら麻薬のように毒するそれで一度構築されてしまった感情を指折り数えて、崩す痛みのぶんだけまた指を伸ばして、開いた手のひらと薬指に空虚がさっきみたいに踊っていた。この空いた手に掴めるものはきっとあって、それは一番近くてとげだらけで寒さに弱くて、冬のたびに消えて言ってしまいそうになる。 「いつでも、いいから」 そう、まさにそんな声で。 「いつでもお前は、俺を手放してどこへでも行けばいい」 そんなこと言って、お前はすべて持って行っちゃったくせに。手放すためのひとりで生きるためのすべてを。どんなに頑張ってもきっと記憶の幻想に君を作ってそれに縋って生きていくしかないようにそうしたのは、お前なのに。胸倉掴んで言ってやりたい、確信犯じゃないことなんか言い訳にならないんだと。 「馬鹿言ってんじゃねーよ」 強請るようにくすりと鼻が鳴った。 「そんなこと出来たら、とっくにしてる」 もしそうだったらとうの昔にお前のことなんか眼にないよ。深夜徘徊をするみたいな気持ちのままひとつ屋根の下でさらさら、さらさら、時間は積もって流れていく。外はまだ暗い。 幸せには限りがある。知りたくもなかったけれどもうずっと前から知っている。虚ろな双眸の宵闇を吸い込んで大きく膨らんだ瞳孔がすべてを写して脳裏に像を結ぶ。いつこのすべてがここから消えてしまってもいいように、無くなってしまってもいいように、今だけの小さな魔法でせめてあなたの薬指を縛ってしまうことだけ。許してくれなくてもいい。贖罪に失っても構わないからせめて、薬指だけ。脆弱で不毛な魔法の糸を。 「おれたちはずっといっしょだよ」
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