#人工大理石会���訣別
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generalwonderlandpeace · 7 months ago
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artetpensee · 2 years ago
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『君たちはどう生きるか』
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全てが謎なまま上映開始した『君たちはどう生きるか』ですが、『千と千尋の神隠し』以上のハイスペースで観客を動員していると聞いて驚いています。
徹底的なネタバレ対策が講じられた本作を、「ネタバレされる前に観たい」という人が多いのでしょうか。
私もそのうちの1人で、上映開始5日後に観てきました。そして自分でも不思議なのですが、初めてジブリ映画で涙が出たのです。
アニメーションの美しさ
あまりに当然のことでつい言及し忘れてしまいそうなので敢えてはじめに書きますが、私が感動した理由の1つはアニメーションの美しさです。
冒頭で主人公・眞人が階段を移動するときの描写や、建物に燃え移った炎の躍動感はそれだけでも観客に「映画を観に来て良かった」と思わせるでしょう。
冒頭部分を除くと、監督の若かりし頃の作品で見られるような、誇張された迫力あるアクションは本作ではあまり見られません。
しかし、コップで水を飲む動作、弓を射る動作、船を漕ぎ出す動作、パンにバターを塗る動作など、人が深く考えずに普段から行っている動作が、アニメーション表現のテンプレートを用いることなく極めて写実的に描出されていることで、「動作の美しさ」に対する純粋な感動を覚えます。
アニメにありがちな相槌や独り言のような台詞が一切排除されている点も、この動作の写実性を補強していると思います。
背景美術も非常に綺麗でした。
パラレルワールドに存在する墓の島には、ベックリンの絵画『死の島』を想起させる黒々とした巨大な杉がそびえ立ち、中央には先史時代の支石墓のようなものが鎮座していました。
実在する美術が組み合わされた墓の島は、死の恐ろしさを強く感じさせながらも人を引き込むような魅力を併せ持っており、眞人を迷い込ませる説得力がありました。
このように監督の頭の中にストックされているモチーフが見事に再構築されており、「ジブリの世界」を十分に満喫することができました。
眞人の成長の物語
物語の柱となるのが、主人公・眞人の成長です。タイトルである『君たちはどう生きるか』という問いに対する答えを眞人が見つけていく物語だと捉えることも可能でしょう。
生と死の間の世界で命の偉大さに触れ、少女時代の母と冒険を繰り広げることで精神的な成長を果たす眞人は本作品の見どころの1つだと感じています。
主人公が直面する「生」と「死」の存在
先述の通り、物語の冒頭シーンの迫力は、多くの観客に強烈な印象を残すことだろうと思います。
母が入院する病院の火事の知らせを聞いた主人公・眞人が獣のように階段を駆け上がり、人混みを掻き分けて家事現場に向かうシーンです。炎の描写はビデオ映像を見る以上に肉眼で見るそれに近く、母の「死」を眞人にも観客にも強烈に刻みつける場面でした。
次の場面では数年の時が流れ、眞人は父の再婚相手であるナツコと出会います。
ナツコはすでに夫との間の子を宿していました。ナツコは自己紹介もそこそこに眞人の手を取り、自らの腹を触らせます。
父が経営している飛行機工場とともに疎開してきた眞人は、ナツコの実家に暮らすことになります。
母が炎の中に消える悪夢を見て、夜中に部屋からこっそりと起き出した眞人は、仕事から帰ってきた父と出迎えたナツコが深いキスをかわしているところを目撃します。眞人はそれがどういう意味なのか分からないほど子供ではなく、しかしナツコににこやかに接することができるほど大人でもありませんでした。
眞人はナツコとのやり取りでは礼儀正しいながらも必要最低限の会話のみに留め、今は亡き実母の存在を求めつづけているように見えました。
母の「死」で頭がいっぱいだった眞人は、継母の出現によって「性」に限りなく近いところにある「生」を意識し始めることになります。
ジブリの世界で描かれる「命の営みの尊さ」
パラレルワールドに引き込まれたナツコを追って眞人がたどり着いたのは、現実世界の "下"にあると言われる、生と死の間にあるような世界でした。
そこで窮地に立たされた眞人を救ったのは、死の世界に住むキリコという女性でした。その世界の構成員のほとんどは幻か実体を持たない生命体で、殺生ができるのは自分だけなのだとキリコは眞人に話します。
眞人はキリコとともに魚を獲り、生命体に分け与えた残りを調理して食べ、眠ります。
食事や睡眠など人の生活の根幹を成す部分が丁寧に���かれてい��場面です。また、それまでは他人に心を開かなかった眞人の表情が一気に豊かになる場面でもあり、個人的にとても心に残りました。
眞人がキリコの家のテラスに出ると、まるでサンゴの産卵のように、白い風船のような生命体が夜空いっぱいに昇っていました。キリコによるとこの生命体たちが "上" に行くことで、現実世界で新たな命として誕生するのだそうです。
数えきれないほどの生命体たちを見ているとき、眞人の脳裏にはナツコの赤子の存在があったことでしょう。
その幻想的な光景は、命の営みもまた生活の根幹を成す要素であり、命は尊いということを眞人と観客に語りかけているようでした。
亡き母への未練との訣別
序盤の眞人は母親のことを非常に恋しがっており、フロイトのエディプス・コンプレックスをも想起させました。
生と死の間の世界を出発した後、眞人はパラレルワールドでようやく母親に出会えるのですが、母は母でも少女時代の母だったのです。
実は母親も若い頃に眞人同様パラレルワールドに迷い込んだことがあり、そのときの母親と現在の眞人が時空を飛び越えてパラレルワールドで出会っている、ということになります。
「ヒミ」と名乗る少女時代の母と眞人はナツコを探すための冒険に出ます。
冒険の過程で眞人とヒミは、親子の愛情とは別に同年代の友達同士のような絆を築いていきます。
これによって眞人は「母親」という自ら理想化してしまっていた存在を俯瞰して見ることができるようになり、ナツコのことを新しい自分の母親として受け入れます。そして、今までは同年代の友達を作らず距離を置いていましたが、友達を作るために心の扉を開ける決心をします。
この物語をエディプス・コンプレックスになぞらえるならば、エディプス・コンプレックスは定義上では男性の近親相姦的願望は父親によって抑圧されるか同年代の異性の他人を関係を持つことで解消されるとされていますが、
「実の母親が同年代の友人となることでコンプレックスと訣別する」
という回答は斬新で面白いと思いました。
原始的な感情としての「平和の希求」
私が『君たちはどう生きるか』に最も心を動かされたポイントは、
「善い人でありたい」
「平和な世界を作りたい」
という極めてピュアなメッセージ
です。
眞人が迷い込んだパラレルワールドは、自分の母の大叔父が造った世界であったということが判明します。
天才の大叔父が造り上げた世界で、眞人は生の尊さや自然の美しさを目にします。同時に、パラレルワールドの住民の僅かな「悪意」によって、パラレルワールドの均衡が崩れ世界が瓦解する���間にも立ち合います。
そして、自分が元いた世界では世界中を巻き込んだ戦争が繰り広げられています。
以上の経験を踏まえた上で、眞人は大叔父との問答の中で「平和を目指すこと」「そのために自信が悪意を持たないこと」を誓うのです。
このシーンを見たとき、私は自身の奥底にあった何か強い感情が揺さぶられるのを感じました。
「平和」という言葉を口にするのは、大抵は太平洋戦争を振り返るまさに今の時期や、ニュースで遠い国の争いを見たときや、ミサなどで祈りを捧げるときなどで、今まで平和とは理性で以て考え話し合う対象であると捉えていました。
しかし、眞人の言葉によって引き摺り出された私の感情は、理性とは程遠い原始的なものでした。
安心していたい、大切な人を守りたい、未来を守りたい、そのために悪いことはしたくない……誰しもが持っているこのような強い気持ちに、今まで経験してきたどんな平和学習などよりもこの作品が鋭く迫ってきたのは、戦争の時代を知っている監督の気持ちの強さと表現力の賜物だと思います。
誰しもが持っている平和を望む本能に語りかけてくる本作品は、多くの人の涙を誘うのではないかと思います。
終わりに
『君たちはどう生きるか』ぜひ観てください。動員数を増やして、監督に次回作を作らせてください。
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toubi-zekkai · 4 years ago
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厚着紳士
 夜明けと共に吹き始めた強い風が乱暴に街の中を掻き回していた。猛烈な嵐到来の予感に包まれた私の心は落ち着く場所を失い、未だ薄暗い部屋の中を一人右往左往していた。  昼どきになると空の面は不気味な黒雲に覆われ、強面の風が不気味な金切り声を上げながら羊雲の群れを四方八方に追い散らしていた。今にも荒れた空が真っ二つに裂けて豪雨が降り注ぎ蒼白い雷の閃光とともに耳をつんざく雷鳴が辺りに轟きそうな気配だったが、一向に空は割れずに雨も雷も落ちて来はしなかった。半ば待ち草臥れて半ば裏切られたような心持ちとなって家を飛び出した私はあり合わせの目的地を決めると道端を歩き始めた。
 家の中に居た時分、壁の隙間から止め処なく吹き込んで来る冷たい風にやや肌寒さを身に感じていた私は念には念を押して冬の格好をして居た。私は不意に遭遇する寒さと雷鳴と人間というものが大嫌いな人間だった。しかし家の玄関を出てしばらく歩いてみると暑さを感じた。季節は四月の半ばだから当然である。だが暑さよりもなおのこと強く肌身に染みているのは季節外れの格好をして外を歩いている事への羞恥心だった。家��戻って着替えて来ようかとも考えたが、引き返すには惜しいくらいに遠くまで歩いて来てしまったし、つまらない羞恥心に左右される事も馬鹿馬鹿しく思えた。しかしやはり恥ずかしさはしつこく消えなかった。ダウンジャケットの前ボタンを外して身体の表面を涼風に晒す事も考えたが、そんな事をするのは自らの過ちを強調する様なものでなおのこと恥ずかしさが増すばかりだと考え直した。  みるみると赤い悪魔の虜にされていった私の視線は自然と自分の同族を探し始めていた。この羞恥心を少しでも和らげようと躍起になっていたのだった。併せて薄着の蛮族達に心中で盛大な罵詈雑言を浴びせ掛けることも忘れなかった。風に短いスカートの裾を靡かせている女を見れば「けしからん破廉恥だ」と心中で眉をしかめ、ポロシャツの胸襟を開いてがに股で歩いている男を見れば「軟派な山羊男め」と心中で毒づき、ランニングシャツと短パンで道をひた向きに走る男を見れば「全く君は野蛮人なのか」と心中で断罪した。蛮族達は吐いて捨てる程居るようであり、片時も絶える事無く非情の裁きを司る私の目の前に現れた。しかし一方肝心の同志眷属とは中々出逢う事が叶わなかった。私は軽薄な薄着蛮族達と擦れ違うばかりの状況に段々と言い知れぬ寂寥の感を覚え始めた。今日の空が浮かべている雲の表情と同じように目まぐるしく移り変わって行く街色の片隅にぽつ念と取り残されている季節外れの男の顔に吹き付けられる風は全く容赦がなかった。  すると暫くして遠く前方に黒っぽい影が現れた。最初はそれが何であるか判然としなかったが、姿が近付いて来るにつれて紺のロングコートを着た中年の紳士だという事が判明した。厚着紳士の顔にはその服装とは対照的に冷ややかで侮蔑的な瞳と余情を許さない厳粛な皺が幾重も刻まれていて、風に靡く薄く毛の細い頭髪がなおのこと厳しく薄ら寒い印象に氷の華を添えていた。瞬く間に私の身内を冷ややかな緊張が走り抜けていった。強張った背筋は一直線に伸びていた。私の立場は裁く側から裁かれる側へと速やかに移行していた。しかし同時にそんな私の顔にも彼と同じ冷たい眼差しと威厳ある皺がおそらくは刻まれて居たのに違いない。私の面持ちと服装に疾風の如く視線を走らせた厚着紳士の瞳に刹那ではあるが同類を見つけた時に浮かぶあの親愛の情が浮かんでいた。  かくして二人の孤独な紳士はようやく相まみえたのだった。しかし紳士たる者その感情を面に出すことをしてはいけない。笑顔を見せたり握手をする等は全くの論外だった。寂しく風音が響くだけの沈黙の内に二人は互いのぶれない矜持を盛大に讃え合い、今後ともその厚着ダンディズムが街中に蔓延る悪しき蛮習に負けずに成就する事を祈りつつ、何事も無かったかの様に颯然と擦れ違うと、そのまま振り返りもせずに各々の目指すべき場所へと歩いて行った。  名乗りもせずに風と共に去って行った厚着紳士を私は密かな心中でプルースト君と呼ぶ事にした。プルースト君と出逢い、列風に掻き消されそうだった私の矜持は不思議なくらい息を吹き返した。羞恥心の赤い炎は青く清浄な冷や水によって打ち消されたのだった。先程まで脱ぎたくて仕方のなかった恥ずかしいダウンジャケットは紳士の礼服の風格を帯び、私は風荒れる街の道を威風堂々と闊歩し始めた。  しかし道を一歩一歩進む毎に紳士の誇りやプルースト君の面影は嘘のように薄らいでいった。再び羞恥心が生い茂る雑草の如く私の清らかな魂の庭園を脅かし始めるのに大して時間は必要無かった。気が付かないうちに恥ずかしい事だが私はこの不自然な恰好が何とか自然に見える方法を思案し始めていた。  例えば私が熱帯や南国から日本に遣って来て間もない異国人だという設定はどうだろうか?温かい国から訪れた彼らにとっては日本の春の気候ですら寒く感じるはずだろう。当然彼らは冬の格好をして外を出歩き、彼らを見る人々も「ああ彼らは暑い国の人々だからまだ寒く感じるのだな」と自然に思うに違いない。しかし私の風貌はどう見ても平たい顔の日本人であり、彼らの顔に深々と刻まれて居る野蛮な太陽の燃える面影は何処にも見出す事が出来無かった。それよりも風邪を引いて高熱を出して震えている病人を装った方が良いだろう。悪寒に襲われながらも近くはない病院へと歩いて行かねばならぬ、重苦を肩に背負った病の人を演じれば、見る人は冬の格好を嘲笑うどころか同情と憐憫の眼差しで私を見つめる事に違いない。こんな事ならばマスクを持ってくれば良かったが、マスク一つを取りに帰るには果てしなく遠い場所まで歩いて来てしまった。マスクに意識が囚われると、マスクをしている街の人間の多さに気付かされた。しかし彼らは半袖のシャツにマスクをしていたりスカートを履きながらマスクをしている。一体彼らは何の為にマスクをしているのか理解に苦しんだ。  暫くすると、私は重篤な病の暗い影が差した紳士見習いの面持ちをして難渋そうに道を歩いていた。それは紳士である事と羞恥心を軽減する事の折衷策、悪く言うならば私は自分を誤魔化し始めたのだった。しかしその効果は大きいらしく、擦れ違う人々は皆同情と憐憫の眼差しで私の顔を伺っているのが何となく察せられた。しかしかの人々は安易な慰めを拒絶する紳士の矜持をも察したらしく私に声を掛けて来る野暮な人間は誰一人として居なかった。ただ、紐に繋がれて散歩をしている小さな犬がやたらと私に向かって吠えて来たが、所詮は犬や猫、獣の類にこの病の暗い影が差した厚着紳士の美学が理解出来るはずも無かった。私は子犬に吠えられ背中や腋に大量の汗を掻きながらも未だ誇りを失わずに道を歩いていた。  しかし度々通行人達の服装を目にするにつれて、段々と私は自分自身が自分で予想していたよりは少数部族では無いという事に気が付き始めていた。歴然とした厚着紳士は皆無だったが、私のようにダウンを着た厚着紳士見習い程度であったら見つける事もそう難しくはなかった。恥ずかしさが少しずつ消えて無くなると抑え込んでいた暑さが急激に肌を熱し始めた。視線が四方に落ち着かなくなった私は頻りと人の視線を遮る物陰を探し始めた。  泳ぐ視線がようやく道の傍らに置かれた自動販売機を捉えると、駆けるように近付いて行ってその狭い陰に身を隠した。恐る恐る背後を振り返り誰か人が歩いて来ないかを確認すると運悪く背後から腰の曲がった老婆が強風の中難渋そうに手押し車を押して歩いて来るのが見えた。私は老婆の間の悪さに苛立ちを隠せなかったが、幸いな事に老婆の背後には人影が見られなかった。あの老婆さえ遣り過ごしてしまえばここは人々の視線から完全な死角となる事が予測出来たのだった。しかしこのまま微動だにせず自動販売機の陰に長い間身を隠しているのは怪し過ぎるという思いに駆られて、渋々と歩み出て自動販売機の目の前に仁王立ちになると私は腕を組んで眉間に深い皺を作った。買うべきジュースを真剣に吟味選抜している紳士の厳粛な態度を装ったのだった。  しかし風はなお強く老婆の手押し車は遅々として進まなかった。自動販売機と私の間の空間はそこだけ時間が止まっているかのようだった。私は緊張に強いられる沈黙の重さに耐えきれず、渋々ポケットから財布を取り出し、小銭を掴んで自動販売機の硬貨投入口に滑り込ませた。買いたくもない飲み物を選ばさられている不条理や屈辱感に最初は腹立たしかった私もケース内に陳列された色取り取りのジュース缶を目の前にしているうちに段々と本当にジュースを飲みたくなって来てその行き場の無い怒りは早くボタンを押してジュースを手に入れたいというもどかしさへと移り変わっていった。しかし強風に負けじとか細い腕二つで精一杯手押し車を押して何とか歩いている老婆を責める事は器量甚大懐深き紳士が為す所業では無い。そもそも恨むべきはこの強烈な風を吹かせている天だと考えた私は空を見上げると恨めしい���線を天に投げ掛けた。  ようやく老婆の足音とともに手押し車が地面を擦る音が背中に迫った時、私は満を持して自動販売機のボタンを押した。ジュースの落下する音と共に私はペットボトルに入ったメロンソーダを手に入れた。ダウンの中で汗を掻き火照った身体にメロンソーダの冷たさが手の平を通して心地よく伝わった。暫くの間余韻に浸っていると老婆の手押し車が私の横に現れ、みるみると通り過ぎて行った。遂に機は熟したのだった。私は再び自動販売機の物陰に身を隠すと念のため背後を振り返り人の姿が見えない事を確認した。誰も居ないことが解ると急ぐ指先でダウンジャケットのボタンを一つまた一つと外していった。最後に上から下へとファスナーが降ろされると、うっとりとする様な涼しい風が開けた中のシャツを通して素肌へと心地良く伝わって来た。涼しさと開放感に浸りながら手にしたメロンソーダを飲んで喉の渇きを潤した私は何事も無かったかのように再び道を歩き始めた。  坂口安吾はかの著名な堕落論の中で昨日の英雄も今日では闇屋になり貞淑な未亡人も娼婦になるというような意味の事を言っていたが、先程まで厚着紳士見習いだった私は破廉恥な軟派山羊男に成り下がってしまった。こんな格好をプルースト君が見たらさぞかし軽蔑の眼差しで私を見詰める事に違いない。たどり着いた駅のホームの長椅子に腰をかけて、何だか自身がどうしようもなく汚れてしまったような心持ちになった私は暗く深く沈み込んでいた。膝の上に置かれた飲みかけのメロンソーダも言い知れぬ哀愁を帯びているようだった。胸を内を駆け巡り始めた耐えられぬ想いの脱出口を求めるように視線を駅の窓硝子越しに垣間見える空に送ると遠方に高く聳え立つ白い煙突塔が見えた。煙突の先端から濛々と吐き出される排煙が恐ろしい程の速さで荒れた空の彼岸へと流されている。  耐えられぬ思いが胸の内を駆け駅の窓硝子越しに見える空に視線を遣ると遠方に聳える白い煙突塔から濛々と吐き出されている排煙が恐ろしい速度で空の彼岸へと流されている様子が見えた。目には見えない風に流されて行く灰色に汚れた煙に対して、黒い雲に覆われた空の中に浮かぶ白い煙突塔は普段青い空の中で見ている雄姿よりもなおのこと白く純潔に光り輝いて見えた。何とも言えぬ気持の昂ぶりを覚えた私は思わずメロンソーダを傍らに除けた。ダウンジャケットの前ボタンに右手を掛けた。しかしすぐにまた思い直すと右手の位置を元の場所に戻した。そうして幾度となく決意と逡巡の間を行き来している間に段々と駅のホーム内には人間が溢れ始めた。強風の影響なのか電車は暫く駅に来ないようだった。  すると駅の階段を昇って来る黒い影があった。その物々しく重厚な風貌は軽薄に薄着を纏った人間の群れの中でひと際異彩を放っている。プルースト君だった。依然として彼は分厚いロングコートに厳しく身を包み込み、冷ややかな面持ちで堂々と駅のホームを歩いていたが、薄い頭髪と額には薄っすらと汗が浮かび、幅広い額を包むその辛苦の結晶は天井の蛍光灯に照らされて燦燦と四方八方に輝きを放っていた。私にはそれが不撓不屈の王者だけが戴く栄光の冠に見えた。未だ変わらずプルースト君は厚着紳士で在り続けていた。  私は彼の胸中に宿る鋼鉄の信念に感激を覚えると共に、それとは対照的に驚く程簡単に退転してしまった自分自身の脆弱な信念を恥じた。俯いて視線をホームの床に敷き詰められた正方形タイルの繋ぎ目の暗い溝へと落とした。この惨めな敗残の姿が彼の冷たい視線に晒される事を恐れ心臓から足の指の先までが慄き震えていた。しかしそんな事は露とも知らぬプルースト君はゆっくりとこちらへ歩いて来る。迫り来る脅威に戦慄した私は慌ててダウンのファスナーを下から上へと引き上げた。紳士の体裁を整えようと手先を闇雲に動かした。途中ダウンの布地が間に挟まって中々ファスナーが上がらない問題が浮上したものの、結局は何とかファスナーを上まで閉め切った。続けてボタンを嵌め終えると辛うじて私は張りぼてだがあの厚着紳士見習いの姿へと復活する事に成功した。  膝の上に置いてあった哀愁のメロンソーダも何となく恥ずかしく邪魔に思えて、隠してしまおうとダウンのポケットの中へとペットボトルを仕舞い込んでいた時、華麗颯爽とロングコートの紺色の裾端が視界の真横に映り込んだ。思わず私は顔を見上げた。顔を上方に上げ過ぎた私は天井の蛍光灯の光を直接見てしまった。眩んだ目を閉じて直ぐにまた開くとプルースト君が真横に厳然と仁王立ちしていた。汗ばんだ蒼白い顔は白い光に包まれてなおのこと白く、紺のコートに包まれた首から上は先程窓から垣間見えた純潔の白い塔そのものだった。神々しくさえあるその立ち姿に畏敬の念を覚え始めた私の横で微塵も表情を崩さないプルースト君は優雅な動作で座席に腰を降ろすとロダンの考える人の様に拳を作った左手に顎を乗せて対岸のホームに、いやおそらくはその先の彼方にある白い塔にじっと厳しい視線を注ぎ始めた。私は期待を裏切らない彼の態度及び所作に感服感激していたが、一方でいつ自分の棄教退転が彼に見破られるかと気が気ではなくダウンジャケットの中は冷や汗で夥しく濡れ湿っていた。  プルースト君が真実の威厳に輝けば輝く程に、その冷たい眼差しの一撃が私を跡形もなく打ち砕くであろう事は否応無しに予想出来る事だった。一刻も早く電車が来て欲しかったが、依然として電車は暫くこの駅にはやって来そうになかった。緊張と沈黙を強いられる時間が二人の座る長椅子周辺を包み込み、その異様な空気を察してか今ではホーム中に人が溢れ返っているのにも関わらず私とプルースト君の周りには誰一人近寄っては来なかった。群衆の騒めきでホーム内は煩いはずなのに不思議と彼らの出す雑音は聞こ���なかった。蟻のように蠢く彼らの姿も全く目に入らず、沈黙の静寂の中で私はただプルースト君の一挙手に全神経を注いでいた。  すると不意にプルースト君が私の座る右斜め前に視線を落とした。突然の動きに驚いて気が動転しつつも私も追ってその視線の先に目を遣った。プルースト君は私のダウンジャケットのポケットからはみ出しているメロンソーダの頭部を見ていた。私は愕然たる思いに駆られた。しかし今やどうする事も出来ない。怜悧な思考力と電光石火の直観力を併せ持つ彼ならばすぐにそれが棄教退転の証拠だという事に気が付くだろう。私は半ば観念して恐る恐るプルースト君の横顔を伺った。悪い予感は良く当たると云う。案の定プルースト君の蒼白い顔の口元には哀れみにも似た冷笑が至極鮮明に浮かんでいた。  私はというとそれからもう身を固く縮めて頑なに瞼を閉じる事しか出来なかった。遂に私が厚着紳士道から転がり落ちて軟派な薄着蛮族の一員と成り下がった事を見破られてしまった。卑怯千万な棄教退転者という消す事の出来ない烙印を隣に座る厳然たる厚着紳士に押されてしまった。  白い煙突塔から吐き出された排煙は永久に恥辱の空を漂い続けるのだ。あの笑みはかつて一心同体であった純白の塔から汚れてしまった灰色の煙へと送られた悲しみを押し隠した訣別の笑みだったのだろう。私は彼の隣でこのまま電車が来るのを待ち続ける事が耐えられなくなって来た。私にはプルースト君と同じ電車に乗る資格はもう既に失われているのだった。今すぐにでも立ち上がってそのまま逃げるように駅を出て、家に帰ってポップコーンでも焼け食いしよう、そうして全てを忘却の風に流してしまおう。そう思っていた矢先、隣のプルースト君が何やら慌ただしく動いている気配が伝わってきた。私は薄目を開いた。プルースト君はロングコートのポケットの中から何かを取り出そうとしていた。メロンソーダだった。驚きを隠せない私を尻目にプルースト君は渇き飢えた飼い豚のようにその薄緑色の炭酸ジュースを勢い良く飲み始めた。みるみるとペットボトルの中のメロンソーダが半分以上が無くなった。するとプルースト君は下品極まりないげっぷを数回したかと思うと「暑い、いや暑いなあ」と一人小さく呟いてコートのボタンをそそくさと外し始めた。瞬く間にコートの前門は解放された。中から汚い染みの沢山付着した白いシャツとその白布に包まれただらしのない太鼓腹が堂々と姿を現した。  私は暫くの間呆気に取られていた。しかしすぐに憤然と立ち上がった。長椅子に座ってメロンソーダを飲むかつてプルースト君と言われた汚物を背にしてホームの反対方向へ歩き始めた。出来る限りあの醜悪な棄教退転者から遠く離れたかった。暫く歩いていると、擦れ違う人々の怪訝そうな視線を感じた。自分の顔に哀れな裏切り者に対する軽侮の冷笑が浮かんでいる事に私は気が付いた。  ホームの端に辿り着くと私は視線をホームの対岸にその先の彼方にある白い塔へと注いた。黒雲に覆われた白い塔の陰には在りし日のプルースト君の面影がぼんやりとちらついた。しかしすぐにまた消えて無くなった。暫くすると白い塔さえも風に流れて来た黒雲に掻き消されてしまった。四角い窓枠からは何も見え無くなり、軽薄な人間達の姿と騒めきが壁に包まれたホーム中に充満していった。  言い知れぬ虚無と寂寥が肌身に沁みて私は静かに両の瞳を閉じた。周囲の雑音と共に色々な想念が目まぐるしく心中を通り過ぎて行った。プルースト君の事、厚着紳士で在り続けるという事、メロンソーダ、白い塔…、プルースト君の事。凡そ全てが雲や煙となって無辺の彼方へと押し流されて行った。真夜中と見紛う暗黒に私の全視界は覆われた。  間もなくすると闇の天頂に薄っすらと白い点が浮かんだ。最初は小さく朧げに白く映るだけだった点は徐々に膨張し始めた。同時に目も眩む程に光り輝き始���た。終いには白銀の光を溢れんばかりに湛えた満月並みの大円となった。実際に光は丸い稜線から溢れ始めて、激しい滝のように闇の下へと流れ落ち始めた。天頂から底辺へと一直線に落下する直瀑の白銀滝は段々と野太くなった。反対に大円は徐々に縮小していって再び小さな点へと戻っていった。更にはその点すらも闇に消えて、視界から見え無くなった直後、不意に全ての動きが止まった。  流れ落ちていた白銀滝の軌跡はそのままの光と形に凝固して、寂滅の真空に荘厳な光の巨塔が顕現した。その美々しく神々しい立ち姿に私は息をする事さえも忘れて見入った。最初は塔全体が一つの光源体の様に見えたが、よく目を凝らすと恐ろしく小さい光の結晶が高速で点滅していて、そうした極小微細の光片が寄り集まって一本の巨塔を形成しているのだという事が解った。その光の源が何なのかは判別出来なかったが、それよりも光に隙間無く埋められている塔の外壁の内で唯一不自然に切り取られている黒い正方形の個所がある事が気になった。塔の頂付近にその不可解な切り取り口はあった。怪しみながら私はその内側にじっと視線を集中させた。  徐々に瞳が慣れて来ると暗闇の中に茫漠とした人影の様なものが見え始めた。どうやら黒い正方形は窓枠である事が解った。しかしそれ以上は如何程目を凝らしても人影の相貌は明確にならなかった。ただ私の方を見ているらしい彼が恐ろしい程までに厚着している事だけは解った。あれは幻の厚着紳士なのか。思わず私は手を振ろうとした。しかし紳士という言葉の響きが振りかけた手を虚しく元の位置へと返した。  すると間も無く塔の根本周辺が波を打って揺らぎ始めた。下方からから少しずつ光の塔は崩れて霧散しだした。朦朧と四方へ流れ出した光群は丸く可愛い尻を光らせて夜の河を渡っていく銀蛍のように闇の彼方此方へと思い思いに飛んで行った。瞬く間に百千幾万の光片が暗闇一面を覆い尽くした。  冬の夜空に散りばめられた銀星のように暗闇の満天に煌く光の屑は各々少しずつその輝きと大きさを拡大させていった。間もなく見つめて居られ無い程に白く眩しくなった。耐えられ無くなった私は思わず目を見開いた。するとまた今度は天井の白い蛍光灯の眩しさが瞳を焼いた。いつの間にか自分の顔が斜め上を向いていた事に気が付いた。顔を元の位置に戻すと、焼き付いた白光が徐々に色褪せていった。依然として変わらぬホームの光景と。周囲の雑多なざわめきが目と耳に戻ると、依然として黒雲に覆い隠されている窓枠が目に付いた。すぐにまた私は目を閉じた。暗闇の中をを凝視してつい先程まで輝いていた光の面影を探してみたが、瞼の裏にはただ沈黙が広がるばかりだった。  しかし光り輝く巨塔の幻影は孤高の紳士たる決意を新たに芽生えさせた。私の心中は言い知れない高揚に包まれ始めた。是が非でも守らなければならない厚着矜持信念の実像をこの両の瞳で見た気がした。すると周囲の雑音も不思議と耳に心地よく聞こえ始めた。  『この者達があの神聖な光を見る事は決して無い事だろう。あの光は選ばれた孤高の厚着紳士だけが垣間見る事の出来る祝福の光なのだ。光の巨塔の窓に微かに垣間見えたあの人影はおそらく未来の自分だったのだろう。完全に厚着紳士と化した私が現在の中途半端な私に道を反れることの無いように暗示訓戒していたに違いない。しかしもはや誰に言われなくても私が道を踏み外す事は無い。私の上着のボタンが開かれる事はもう決して無い。あの白い光は私の脳裏に深く焼き付いた』  高揚感は体中の血を上気させて段々と私は喉の渇きを感じ始めた。するとポケットから頭を出したメロンソーダが目に付いた。再び私の心は激しく揺れ動き始めた。  一度は目を逸らし二度目も逸らした。三度目になると私はメロンソーダを凝視していた。しかし迷いを振り払うかの様に視線を逸らすとまたすぐに前を向いた。四度目、私はメロンソーダを手に持っていた。三分の二以上減っていて非常に軽い。しかしまだ三分の一弱は残っている。ペットボトルの底の方で妖しく光る液体の薄緑色は喉の渇き切った私の瞳に避け難く魅惑的に映った。  まあ、喉を潤すぐらいは良いだろう、ダウンの前を開かない限りは。私はそう自分に言い聞かせるとペットボトルの口を開けた。間を置かないで一息にメロンソーダを飲み干した。  飲みかけのメロンソーダは炭酸が抜けきってしつこい程に甘く、更には生ぬるかった。それは紛れも無く堕落の味だった。腐った果実の味だった。私は何とも言えない苦い気持ちと後悔、更には自己嫌悪の念を覚えて早くこの嫌な味を忘れようと盛んに努めた。しかし舌の粘膜に絡み付いた甘さはなかなか消える事が無かった。私はどうしようも無く苛立った。すると突然隣に黒く長い影が映った。プルースト君だった。不意の再再会に思考が停止した私は手に持った空のメロンソーダを隠す事も出来ず、ただ茫然と突っ立っていたが、すぐに自分が手に握るそれがとても恥ずかしい物のように思えて来てメロンソーダを慌ててポケットの中に隠した。しかしプルースト君は私の隠蔽工作を見逃しては居ないようだった。すぐに自分のポケットから飲みかけのメロンソーダを取り出すとプルースト君は旨そうに大きな音を立ててソーダを飲み干した。乾いたゲップの音の響きが消える間もなく、透明になったペットボトルの蓋を華麗優雅な手捌きで閉めるとプルースト君はゆっくりとこちらに視線を向けた。その瞳に浮かんでいたのは紛れもなく同類を見つけた時に浮かぶあの親愛の情だった。  間もなくしてようやく電車が駅にやって来た。プルースト君と私は仲良く同じ車両に乗った。駅に溢れていた乗客達が逃げ場無く鮨詰めにされて居る狭い車内は冷房もまだ付いておらず蒸し暑かった。夥しい汗で額や脇を濡らしたプルースト君の隣で私はゆっくりとダウンのボタンに手を掛けた。視界の端に白い塔の残映が素早く流れ去っていった。
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enomoto22 · 5 years ago
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次世代へつなぐ・わがまち榎本へのエール
※ふれあいえのもと通信39号(9/26発行)掲載
楽生会会長座談会 2020.8.5(榎本福祉会館)
平均年齢は80 歳越え。榎本地域を支える続ける楽生会(老人会)の 4 人の会長さんにお話をお聞きしました!
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◯さて榎本、いかがです? 〈‥ということでゆるゆるとプロローグ〉
濱田: 放出に生まれ、放出で育ち88 年。戦争の一番厳しい昭和18 年に卒業した榎本小の卒業生は250人。今も同窓会は続いていて、昨年は11人。今年はどうかな。
脇田: そやな‥小学校の思い出といえば、消防署を折り返してのマラソン大会。大きな建物もないから見渡せたし、ズルのしようもなかったな。
境: 放出に高層マンションが建ち始めた頃、この地に。東京オリンピックの頃には東京に、万博の頃には吹田住まい。ずっとサラリーマン生活で子どものPTAにも係ることもなく、楽生会が地域活動の始まり。
坂東: 大阪は仮の住まい、老後は徳島に帰るつもりで。しかし折角建てた故郷の屋敷も30 年間両親が住んだ後は空いたまま。広すぎて売りたくとも売れず‥。
◯ズバリ、榎本の魅力���?〈理由はわからんが何となく住みよい〉
濱田:寺が2つに神社が1つ。長い歴史財産をもつ放出。ずっとこの地で鉄工所をしてきたが、70 歳で車も仕事も全部卒業。11 年前に家内に先立たれたが、娘も息子も放出住まい。まだまだ百まで住みますよ。
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脇田:サラリーマン時代、転勤になるかなとも思っていたが、私がどこかに行こうと家族はここに住み続けると。便利やしね。特に娘には住心地良過ぎたかも(笑)
坂東:子ども3 人が榎本小、今津中と通ううち、家内が様々な活動に参加、榎本でネットワークができ、そして手芸クラブを立ち上げ定住。
境:転勤を重ねてきたが、ここに来て住まいを購入。もう動かないと覚悟を決めたのは、やはりその居心地の良さでしょう。
◯マイブームを教えて下さい〈次は八十の手習いやな、何しよう〉
坂東:60 過ぎて子どもの勧めで夫婦でパソコンを。家内は指一本打ちで株を始め、亡くなるまで1 日1回はパソコンに向かっていたね。私は独学でCAD を習得。設計が好きなんでCAD なら精密な線引きができるし、酒も飲まんのでパソコンで遊んでいます。
境:津軽三味線を始め30 余年、この10 年ほどは鶴見区の小ホールで月に2 回、民謡の講習会を(現在は休止中)。民謡で人の役に立てればいいなと。
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濱田:放出は古くは水害の多いところ。児童公園の大きな石碑にも大橋房太郎さんの治水の偉業が記されてますな。
坂東:そのお陰もあってか、大阪っていうか、ここらは豪雨災害も少ないね。また大雨が降っても今津公園のポンプが作動するとみるみる引いていく。
脇田:それでも昔は雨降ったら、床下まではよく水に浸かっとったな。地震に台風、コロナも予想外の災害やね。
◯自粛期間はどのように?〈地域のイベントは引きこもりがちな高齢者を誘ういい機会〉
境: 1 年に20 や30 は演奏活動をしていたけど今は中止。教室も休止中。飲みに行くのも自粛中(笑)
坂東: コロナ以前から、特に男のひとり暮らしは外へ出てこない。年寄りが増えているのに、楽生会は減る一方。私自身50 歳になって町会の班長になり、地域に係わり始めて30 年。その頃に出そびれると、いよいよ億劫になるのかな。まつりや行事があると声かけて出る機会も作れるが‥。
脇田: 百歳体操なんかも中止で、みんな家でじっとしてどうにかならんかなと心配。卓球は再開したが、みんなで集まってできることはないかなと考えている。今年は盆踊りもないしな。
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◯ご家族のお話をお聞きしたいです〈元気の秘訣はやはり家族愛〉
境: 生家は製材業。兄弟は中学校卒業したら家業に勤めていた。私は林業試験場で技術を身に着け、28 歳の時、結婚して故郷を離れ東京へ。運輸会社でトラックの運転をしていたが大阪の営業所開設とともに転勤。35 歳過ぎて経理を習い、真面目が取り柄で勤めてきました。え、今?あはは。
坂東: 最近はずっと家内の病院へ行くのが日課のようになっていたが‥いくつもの病院へ出向き、夜間の付き添いも。車は特別仕様(接近アラーム付)ですが、今はキーも取り上げられて(笑)。初盆を迎え、老後の資金計画を含め、様々な面で家内には感謝しかない。また葬儀の参列者の多さに地域との関わりの厚さをあらためて実感。娘たちにも地域とのつながりの大切さが伝わった。「私らも出来ることはせなあかんな」との感想は嬉しい。
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◯児童の見守り活動も15 年〈声かけてくれるのは嬉しいな〉
脇田:馴染みの子どもも増えて、中学生や高校生も挨拶してくれるのは、長く見守り活動が続いている証拠かな。こっちからの声掛けは難しい世の中やけど、普段でも声かけてくれるのは嬉しいな。
境:見守り活動が始まった頃の子らが働きはじめて、年金を払う歳に差し掛かってる。回りまわって助けてもらってるんかもね。
脇田・坂東:昔の子どもいうたら、上が下を見るのは当たり前。それが自然につながってゆく。夕方遅くなっても、親も「どっかで遊んでんねんやろ」ぐらいにしか思ってない。親の言うことは聞かんでも年長の子が世話してたな。今は子どもも忙しいし、自由もなくてかわいそうやな。
◯今後の楽生会は?〈なんとか次へと繋げたい〉
脇田:鶴見区でも老人会は3 分の1 ぐらいに。大方は会長の引き継ぎが難しく潰れてゆく。本人は元気でも奥さんが認知症になったり介護が必要になったりと。榎本も役員の後継でそれぞれ苦労している。歳を重ねるごとに、頼みに来られた前会長の想いが分かってきた。
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◯榎本へのエールを!〈これからも地域のために〉
濱田:「奉仕」という気持ちを忘れたらあきません。そしてまだまだ地域のためにがんばりたい。
坂東:地域のためにと手伝ってきた事は間違ってなかった。身体が続く限り、楽生会のために尽くしたい。
境:地域との関係をできるだけ密にして、自分に出来ることが、少しでも人の役に立てばと願っている。
脇田:会議以外で、地域でこんな風に喋ったことはない。たまにはこんな時間もええな。
本年度は敬老慰安大会の開催も見合わされました。 マスクを外し自由に語り合い外出できる日常が1日でも早く戻ります様に。 和やかな時が流れ、癒やしの空気に満ちたこの日。 地域の先輩の皆さまに心より感謝いたします。
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脇田 広志 さん(榎本在住77 年)榎本・放出出身 NPO 法人理事会監事・榎本第3楽生会会長(2018 年楽生会会長就任) 一番の若手!
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濱田 照雄さん(榎本在住88 年)榎本・放出出身 榎本第1 楽生会会長、放出の歴史地域・中高野街道が南北に走る2町会
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坂東 尚さん(榎本在住50 年)徳島県吉野川市出身 榎本第2 楽生会会長。電気設備設計士。60 歳から独学でCAD 習得。
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境 傳(つとう) さん(榎本在住46 年)岩手県東磐井郡出身 榎本第4楽生会会長。50 の手習いで津軽三味線を。 日本民謡鶴見区連合会事務局長他
楽生会〜楽しく前向きに生きていこう〜
「カラオケ ・ 健康体操 ・ グランドゴルフ」の3つの部会を作り、年間行事としては歩こう会、菖蒲・紅葉・梅の花に誘われての行楽会などがあります。 平成17年より 子どもみまもり隊 を組織して週1回木曜日安全な下校を目指して12箇所に立ち、子どもに声を掛けています。 60歳以上で榎本校区に居住される方は入会できます。
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shinjihi · 6 years ago
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‪韓国元徴用工の肉声 本当に金による解決を望んでいるのか ‬ ‪2019年12月下旬、1年3か月ぶりの日韓首脳会談が実現しようとしている。そこで焦点となるのが徴用工問題だ。昨年末の韓国最高裁の判決によってくすぶり続けている問題は、実際に「元徴用工」たちの肉声を聞くことによって、違う核心が見えてくる。ジャーナリストの赤石晋一郎氏が現地取材で得た証言とは──。‬ ‪ * * *‬ ‪ ソウル市の郊外、城南市で待ち合わせした老人は、独りで暮らす自宅で取材に応じてくれた。‬ ‪「日本人のほうが韓国人より、いい人が多かったと私は考えています。私が炭鉱で働いていた時代、日本人にはとても親切にされた思い出があります」‬ ‪おすすめ情報‬ ‪「モンド最高金賞」これがフサフサの秘訣!この育毛剤凄い‬ ‪ビタブリッドジャパン on TREND NEWS‬ ‪ こう語る崔漢永氏(91)は、徴用工として日本で働いた経験を振り返り、「私は日本人が好きでした」と語った──。‬ ‪ 11月22日に韓国政府が下したGSOMIA継続の決断以降、日韓関係の焦点として再浮上しているのが「徴用工問題」だ。‬ ‪ 昨年末に元徴用工が日本企業を訴えた裁判で、韓国大法院(最高裁)は日本製鉄(元・新日鉄住金)、三菱重工に対して、相次いで賠償を命じる判決を下した。同判決を契機に韓国内では徴用工問題は“奴隷労働”の歴史だったという議論が沸騰し、ソウル龍山駅前などの各地に徴用工像が相次いで建設される事態となった。‬ ‪ そうした状況の解決を目指し、11月末に文喜相・国会議長が「記憶・和解・未来財団」の設立を提唱した。‬ ‪「この文議長案は日韓企業と個人による自発的寄付金をベースとして財団を設立するというものでしたが、元徴用工に高額な慰謝料を支払うという方針をめぐっては、異論の声も出ている」(ソウル特派員)‬ ‪ 韓国大法院判決では日本企業が元徴用工に対して1億ウォン(約910万円)の慰謝料を支払う判決が出た。さらに文議長案では元徴用工を対象に1億~2億ウォン(約910万~1820万円)を支払う予定といわれ、慰謝料は高騰の一途を辿っている。‬ ‪ しかし、果たして当事者である元徴用工たちは、本当に金による解決を望んでいるのだろうか。‬ ‪◆「日本人も同じ賃金だった」‬ ‪ 冒頭の崔漢永氏が日本に渡ったのは15歳の時だったという。‬ ‪「私は自分の意志で日本に行きました。当時、父親が傷害事件を起こして逮捕され、罰として日本での強制労働を命じられた。しかし父を失うと9人の大家族なので困る。そこで私が代理として『日本に行く』と手を上げました。年齢も18歳と偽りました。‬ ‪ 日本での働き先は、福岡県飯塚市にある三菱炭鉱でした。炭鉱には私以外にも何百人もの動員された朝鮮人がいました」(崔氏)‬ ‪ 徴用工として日本で働いた崔氏。しかし、日本人からの差別を感じることはなかったと振り返る。‬ ‪「私は坑道を作る仕事を主にしていました。現場では日本人と朝鮮人が一緒に働いていた。休みは月に1日か2日でしたが、日本人も朝鮮人も同じ労働条件で、同じ賃金をもらっていました。朝鮮人だからと差別や暴行を受けるということもなかった。‬ ‪ 特に私は15歳と若かったこともあり、上司のサキヤマさん(日本人)に大変可愛がられた。『私の娘と結婚しないか?』と言われたこともありました」(同前)‬ ‪◆「賠償裁判では何も得られない」‬ ‪ 崔氏は日本人に悪感情はないという。私が「徴用工に慰謝料は必要だと思うか?」と問うと、崔氏はこう語った。‬ ‪「(元徴用工が)裁判を起こしても何も得られるものはないよ。この高齢でお金を手にしてもしょうがないだろう。私はお金もいらないし、補償をして欲しいとも思わない」‬ ‪ そのハッキリとした物言いは、慰謝料ありきで徴用工問題を語る文在寅政権に、静かに異を唱えているようにも思えた。‬ ‪ 同じように差別はなかったと語るのは金炳鐵氏(96)だ。金氏は20歳のときに地元・麗水郡庁からの徴用命令を受けた(※注)。行き先は佐賀県だった。‬ ‪【※注/戦中の労働力不足を解消するために1939年に制定された国民徴用令によって、日韓から多くの人間が動員された】‬ ‪「私が派遣されたのは佐賀県西松浦郡のウラサキ造船所でした。私は資材課に属し、工場内で出る屑鉄を集める仕事をしていました。集めた屑鉄は、鉄工場に輸送され再び製鉄されるのです。造船所で働く2000人のうち、700人が朝鮮人でした。朝9時から4~5時頃まで働き、日曜日ごとに休みはありました」‬ ‪ ウラサキ造船所とは、当時、佐賀県に存在した川南工業の浦崎造船所だと思われる。軍需工場だった浦崎造船所では二等輸送艦や人間魚雷「海龍」などが大量建造されてい���。‬ ‪ 戦争末期ということもあり、食料事情は日本全体で厳しかったと語る。‬ ‪「そこはおかずが良くて、よく美味しいブリとかトビウオが1~2匹出た。でも原則はお米と麦を混ぜたご飯を一杯しか食べられない。だからお腹が減る。あるとき、ご飯を盗み出して山中で食べた。そのことがバレて、日本人管理者に殴られたこともありました。でも、(ルールを破ったので)たいしたことではないと思っています。基本的に日本人が朝鮮人に暴力を振るうとか、虐めるようなことはありませんでした」‬ ‪ 金氏の証言もまた、韓国内で語られている“被害者像”とは異なるものだった。‬ ‪「私は労働が強制的だったとか、奴隷的だったとは思っていません。そのときは(植民地時代なので)日本人の命令が全てですから、言う通りにするしかなかった。徴用工時代がいい思い出とはいえませんが、学校で日本語を勉強していたので日本語で職員と話を出来たのは良かったですね。ただ鹿児島や宮崎県の人だけは方言がきつくて、何言っているかわからなかったですけど(笑)」‬ ‪ 派遣された場所によって労働環境や実情が違うと感じさせられるのが、姜彩九氏(92)と孫義奉氏(91)のケースだ。同郷だった二人は10代の頃に徴用命令を受けて、ともに大阪のクボタ鉄工所に送られた。‬ ‪「500人ほどの朝鮮人がクボタ鉄工所に送られていました。日本人から差別とか、奴隷のように働かされたという記憶はないですね。クボタでの仕事は鉄材を運ぶ仕事ばかりでした。それよりも恐ろしかったのは米軍の空襲です。夜に米機が姿を見せると、空襲警報が鳴りみな逃げ惑った。とても仕事を覚えるというような状況ではありませんでした」(孫氏)‬ ‪ 1945年に米軍による本土爆撃が本格化、ますます仕事どころではなくなったという。姜氏が苦笑いしながら回想する。‬ ‪「空襲が酷くなってからは、工員は散り散りとなり、私は兵庫県の山中に逃げ込んで野宿生活を送っていた。だから大法院判決で元徴用工に対して慰謝料1億ウォンの支払い命令が出たと聞くと、私はその金額をもらえるほどの仕事を日本ではしていないと思ってしまうよ。補償はして欲しいけど、(高額な慰謝料の話を聞くと)私たちがお金を吸い取る掃除機みたいだと思われてしまうね(笑)」‬ ‪ 元徴用工の口からは、全ての人が“奴隷労働”に苦しんでいた訳ではないという事実が語られた。歪んだ歴史論争のなかで当事者たちの声はかき消されている。‬ ‪http://a.msn.com/01/ja-jp/AAK4ClL?ocid=st‬
http://a.msn.com/01/ja-jp/AAK4ClL?ocid=st‬
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cosmicc-blues · 4 years ago
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2021/4/25
朝、日差しで目が覚める。今日は隣町の親分にご飯をご馳走になるから、早めに支度をして、散策がてら隣町まで歩くことにする。今日も鈴の鳴りがいい。玄関から外に出ると、三軒となりのSさんが玄関先で何かしているのが見える、長髪がゆっさゆっさ揺れているのが遠目からも見える。歩いていくと、Sさんはカメのお世話をしている。目が合ったものだから、つい「こんちわ~」と挨拶してみると、無言で会釈だけ返してくれる。音を察知して、鈴に視線の動くのがわかる。
暗渠づたいに隣町まで。この暗渠通りには民家の玄関先の花や、雑草の花が点々と続く。いつも花摘みに行く公園とはちがう種類の花がたくさんあって押し花たましいをくすぐられる。いまは無人になっていて、建て壊しにもならず、もうすぐで廃墟になる寸前の木造家屋がある、庭には���戸もある。石造りの旧土手から小さな階段がのびていて、すぐに樹に遮られて行き止まり。階段のひび割れからは雑草が繁っていて、相当の年月を思わせる。もしかすると、ここが小川だった時分から階段はここにあって、小川に下りていくための道だったのかもしれない。いったん暗渠がひらけて、複数の団地とそのさなかに慎ましやかな緑の公園がある。公園は雑草がぼうぼうで黄色い花がたくさん咲いている。ここを秘密の花園と名付ける。秘密の花園の奥に暗渠はさらに続いてゆく。暗渠はやがて川に突き当たり、その対面に待ち合わせの駅がある。待ち合わせの時間には少し余裕があるから、しばらく川沿いを歩く。鳥や亀や昆虫をかたどった銅板が柵の上に立てられていて、くり貫かれたほうの空洞の銅板も柵に張り付けられている。川が二つに枝分かれるところまで歩いて、駅に引き返して親分を待つ。スーツケースをもった女のひとも誰かを待っている。改札のほうを見ていると、後ろからチリンチリンと自転車の呼び鈴、女のひとがスーツケースをほっぽって自転車の男のひとに駆け寄る。男のひとが「あれ、カゴに乗せてく?」と言う。自転車のカゴにスーツケースが収まるはずもなくて、斜め向きにほとんどはみ出たスーツケースを女のひとが支えながら、男のひとは自転車を押してゆく。親分がニコニコ微笑んで登場、春らしい薄いベージュのジャケットを羽織っている、おじいさんのくせに洒落てるなぁと思う。これ、やるよ、と紙袋をもらう。受け取るとその紙袋はずっしり重たくて、なかには大量のさつまいもが入っている、安納芋と紅はるかだという。せっかくご飯をご馳走になりにきたのに、ほんとうにどこのお店もお酒は提供していないようで、親分がまえから行きたがっていた(行きたいけど行列に並ぶのがイヤで行けなかった)人気のラーメン屋に並ぶことにする。親分は時間に対して几帳面なひとで、こんな行列に並ぶなんて普段ならあり得ないな、でも、今日は仕方がないし、せっかくだから並んでやるか、なんて言いながら、けっこうウキウキで店内の��子を覗いている。この町が地元の親分から、この町の昔のはなしを聞く。並びはじめて40分ほどでようやくラーメンにありつく。ラーメン全部のせ。美味しい! チャーシューの下から大好きなほうれん草が出てきてうれしい。ふたりともスープを底まで飲み干して店をあとにする。親分にホームセンターまで案内してもらって、また明日。
でかめのゴミ箱と、観葉植物のチェック。ゴミ箱はちょうどいいのがない。それにしてもこのさつまいもをどうしよう。もらったはいいものの、ぜったいに食べないだろうなって思っていたら、ふと、いも好きのNさんことが思い浮かぶ。ヨシッと連絡しようとしたら、なんともちょうどよくNさんからほう���らもリプの通知がきている。いもの件を伝えると、なんと、いまから取りに来てくれるという。うちのほうに帰りながら、去年のことを思い出している。親分の地元からうちのほうは長くゆるやかな坂道になっていて、坂道が段々にずっと続いている。去年の暑くなってきた季節、その日も親分からご飯をご馳走になった帰り道で、Nさんにもらった歌詞を見ながら、続いてく坂道って歌っていたのを思い出している。親分とNさんには不思議な縁があるらしい。
公園を通過して駅の公園口に着くと、ちょうど道路を挟んだ駅の対面に手を振るNさんの姿! 路線バスが通って姿が見えなくなる、バスが過ぎ去って、Nさんはさっきよりも大きく手を振っている、信号が青になって駆け足ぎみで合流、このあいだTさんもこの横断歩道をひらひら渡ってきたっけなってことを思い出しながら。もらったさつまいもをそのまま渡す、青いイヤリングがいいね! そのままなし崩し的に散歩へ。昨日、Rくんから連絡をもらったことをはなしつつ、はるか遠くの海へ送り出してしまったことをかなり後悔しつつ、Tさんも呼ぼうよって言ったら、さすが準備のいいNさんはすでに誘っている。じぶんのなかではRくんはRくんなんだけど、Rくんのことを呼ぶとき、なんか恥ずかしくて、Oくんって苗字のほうに言い直してしまう。
Sさんの家の前まで行ってカメ(顔がSさんに似ているような気がする)を見る。またしても、じぶんの声が聞こえる現象。でも、それ以上によく響いている鈴の音。Nさん、猫を散歩させてるみたいって言う。近所の暗渠からスタート、道端のたんぽぽに反応するNさん、そういえばとたんぽぽの綿毛のリースのはなしになって、たんぽぽの綿毛の不思議とたんぽぽリースの作り方を学び、たんぽぽだらけで大変なことになったNさんの部屋のことを知る。押し花のはなしにも。色黒のモヒカンのひとが今日もいる。イチゴミルクみたいな白と赤の花からいい匂いが漂ってくる。階段のところで大通りに突き当たり、見晴らしのいいマンションにのぼることにする。今日はいつものマンションではなくて、その近くのマンションにチャレンジしてみる。エレベーターの中に騒音注意の張り紙、そこに描かれた騒音に苦しむひとのイラストをNさんがかわいいって。耳を塞ぐひとの左右に騒音のパチパチがあって、その色が赤や黄色の危険色ではなく、なぜか青と緑という優しそうな色をしている。最上階に着いて、ドアが開くと、そこがいきなり家のなかというか事務所みたいになっていて、大慌ててドアの閉じるボタンを連打する。ひとつ下の階におりる。このマンションは外側に面しているのが吹き抜けの螺旋階段だけで、しかも、けっこう老朽化していて錆びなんかが目立ち、急に底が抜けたらと思うと足が震える。Nさんは普通に平気そうで、柵から顔を乗り出して、遠くのほうや真下をのぞいている。スマホで写真も撮る。スマホは完全に柵のそとに出ていて、落とすんじゃない��ととても心配になる。落とすな、落とすな、落とすな、と念じるとほんとうに落ちちゃいそうだから、落とせ、落とせ、落とせ、と念じる。Nさんが遠景を指差すのにつられて、じぶんも知らずしらず柵のそとに顔を乗り出している、ハッとそのことに気がついて、こわっと身を引っ込める。今日は晴れつつも雲が盛大にひろがっていて、雲の隙間から巨大なカーテンのような光の帯が注いでいる。Nさん、これちょうど今日買ったんです、とフクロウのかばんから出てくるのは雲の図鑑。Nさんのかばんから毎回なにかが出てくるなぁ、ほんとうに四次元に繋がっているのかもしれないと感心する。図鑑のなかから今日の雲を探す。隙間から注ぐ光の帯は、天使の梯子というらしい。いつか花火の日の夕暮れにみたケルビンヘルムホルツ雲の写真も図鑑にちゃんと載っている。NさんがUFO見たことある? って言うから、見たことあるよって答える。遠景にくっきりと白い線を伸ばす、あの給水塔を目指して歩いてみることにする。さらっと口にしたし、さらっと書いてもいるけれど、心の中では胸の高鳴りが大変なことになっていた! 冒険は唐突にはじまる! 小学生の夏休みの午後、テレビで観ていらいの『鉄塔 武蔵野線』のことを思い出している。どこかの映画館でかかれー!
一階のロビーで住人とすれちがう、Nさん、こんにちはーと住人のフリをする。地上にもどってくると、あんなに高くそびえていた給水塔はどこにも見られない。歩道橋を渡って大通りの向こう側へ。歩道橋からも給水塔は見えない。ふだんは歩道橋にのぼるだけで高いところにいるような気がするけれど、もっと遥かに高いところについさっきまでいた今にかぎっては、ずいぶんと低いところにいるような気がするってことを言うと、Nさんも同じことを思っていたみたい。いも、重いだろうなぁ、交代で持とうよって持ち掛けようとしたら、Nさんはいもを全部かばんの中に入れて背負ってしまう。いま思えば、途中で鈴の付いた軽いかばんと交換してあげればよかったなぁと反省! 反省してます! 給水塔は見えないから方角とカンを頼りにそっちのほうを目指す。また鳴りはじめる鈴の音にNさんが猫を散歩させてるみたい。曲がりくねる墓場道のカーブの向こうから自転車に乗った家族がやってくる、音でそのことがわかって、カーブの先に顔を覗かせると、いきなり自転車が目の前にあってわっとびっくり。おぼろげながら記憶にのこる一軒家のわちゃわちゃした玄関先。コンビニでお茶割りの茶割り、我ながらこれは天才的な発明である。お寺に寄る。葬式か法事帰りの黒い服の一族がいて、中学生くらいの女の子が小脇に故人の額縁写真を抱えている。お堂の裏手の杜、Nさんでもきいたことのない鳥の鳴き声、たまに絵馬たちの風に揺れる音をききにくるところ、絵馬に書かれた目がこわいとNさん、たまに来るのに目のことには気づかなくて、この社には眼病に御利益のある目の神様が祀られているらしい。おたがい目には疲れを感じているから参拝する。賽銭箱に投げ入れられるNさんの五円玉がきんきらきん。墓場をぐるっと一周して入口にもどる、峠のだんご屋さんのような休憩所。
方角とカンを頼りに給水塔を目指す。学校がある。前にもいちど、この学校に出くわした記憶がある、そのときは体育館からバスケットシューズのキュッキュッと鳴る音と、審判の笛の音と、応援の音がきこえていたような気がする。学校のなかも探検してみたいと思ったけれど、そんなことを喋っていたら校門の守衛さんとばっちり目が合ってしまい断念。犬に唐突に吠えられてからだが宙に浮いたのはいつだっけ? ベランダから飼い主さんがごめんなさいって。暗渠を捕まえる、階段のキケン、キケン、キケン。どうやら、このあいだTさんと歩いた暗渠のようで、Tさんが歓喜して写真を撮っていた子どもの絵がある。給水塔は行方不明で、でも、とりあえずこの暗渠をつたっていけば川に辿り着けることがわかって安堵する、給水塔があるのはきっと川の近くにちがいないから。観葉植物の育て方の秘訣、Nさんの元気いっぱいなアクションがおもしろすぎる。
暗渠を抜けたところにカラスがいて立ち止まる。のどのところに変な膨らみのあるカラスで、どうやらカラスのほうもこっちの存在を認知しているようで、顔を頻りに動かして両の目でこっちを見ようとしているようにみえる。こんな至近距離でカラスと対面するのは生まれて初めてのことで、それはやっぱりNさんが隣にいるからなのか、手を伸ばせば触れそう、クチバシのカーブがかっこいい。落ち葉がしゃくしゃく。はじめてNさんに会ったときに見た額縁から飛び出すキリンがこんなところにもある、キリンだけではなくパンダのバージョンもあって、パンダは逆に額縁の世界に入ろうとしている。ポップコーンのマシーンでポップコーンをつくる子どもたち、マシーンの愉快な声、兄弟みたいな二人が出来上がりを待っていて、じぶんたちもわくわくで出来上がりを待っていて、いちばん年上のクールな感じの女の子もやれやれって感じで遠巻きに兄弟と出来上がりを待っている。ようやく完成、そしたら遠くから見ていた女の子がスッと兄弟のなかに割って入って、まるで横取りしたかのようにポップコーンのカップを手に持っている。Nさんとふたり、あの子がとるの?! ってツッコむ。カラスの鳴き声がきこえる、道角を曲がると、その主はカラスそっくりの鳴き真似をする女の子、顔を空に向けて鳴いている。川の橋を渡って、工事現場の迂回路を歩く。やたらと険しい山道のような迂回路で、急勾配な丸太の階段をのぼったところに緑に囲われた変な空き地(兼迂回路の続き)がある。木肌の模様がおじいさんの顔になってもごもごと喋り出しそうな樹がある。いい場所だなぁ~とNさん。丸太の階段を下るところで、おたがいに何か喋りはじめようとして声がかぶさる、Nさんが声をとどめる。同じことがほかにも何度かあった。川沿いにもどってくる、きのう映画で観たような川沿いに群生する菜の花たち。広い球技場があって、そこなら風景がひらけて給水塔が見えるかもしれないと立ち止まって辺りを見渡してみる。ないな~と諦めかけたそのとき、Nさんが給水塔を発見! かなり近くまで来ている! でも、ここからが意外と遠くて、近づいて行こうすればするほど、給水塔のほうも場所を変えて遠ざかっているように思える。さっきまでは鉄塔と鉄塔のあいだにあったはずの給水塔が、鉄塔の近くまで来てみると何故かもっと遠くにある。急に強い風が吹きはじめる。夕方、雨の降り始める合図のような。一軒家の軒下にしゃがんでいる女の子のところから何かが風に飛ばされてくる、絵具の筆入れのようなそれをNさんが追いかけて女の子に渡してあげる。満月に限りなく近い、白い透明な月が見える、うさぎの餅つきがくっきりと。
大通りに突き当たり、ついに目と鼻の先に給水塔の半身が見える。給水塔の背後にはさざ波のような雲が暮れの陽光を薄っすらと反射させている。雨が降るという予報だったけれど、雲を散りばめながらも空は淡い水色をしていて、歩いてきた方向に振り返ると、なんと、なんと、なんとまあ、あの夏の輪郭と陰翳のある入道雲が夕陽に照り輝いている! あの入道雲の下はもしかすると大雨かもしれなくて、どうやら給水塔を目指して歩いているうちに雨雲が逃げていたらしい。雨が降りそうなときは給水塔を目指して歩けばいいんですねっとNさん。
ついに、とうとう、給水塔の真下に辿り着く。もっともっと延々と遠ざかってくれたらよかったのにって想いがすこしありながら、真下から望む給水塔のあまりの凄さに感動して写真を撮りまくる。淡い水色の空に真っ直ぐ伸びる白い給水塔、高すぎて写真にも納まりきらない、給水塔の下で風に揺らいでいる樹の緑の陰翳がなおのことよい。いよいよ日が暮れてきて、白く点滅していた給水塔の光が赤色に点滅するようになる。
隣接する区営の施設に行ってみる。大きな窓の前でダンスの練習をする二人組。なかには銭湯と温水プールがあって、プールと銭湯の混ざったようないい匂いがする。温水プールを上から展望できる小さなデッキがある。歓喜して泳ぎの様子を眺める。沈みかけながら泳いでいるおじいさん、おじいさん頑張れ、おじいさん頑張れ、おじいさん頑張れ、あとちょっと、もうすこし! 数いるスイマーのなかでも推進力がいちばん素晴らしく、ひときわ目を引く女のひと、とくにバタフライでの泳ぎがイルカの泳いでいるように美しい。外にもどると、すっかり日の暮れた濃紺の空、給水塔のすぐ隣に月光がひかっている。カメラを向けてみたけれど、月のほうは上手く映らない。
たくさん歩いてお腹が空いたから、お弁当を買って、川沿いのベンチで食べることにする。川の上を一匹のコウモリがずっと右往左往している。あのコウモリは何を食べて生きているんだろうなぁと考えていたら、Nさんがぼそりと同じことを口にして、まったく同じこと考えてたって言う。その川は数時間まえに枝分かれを見た川の延長線上。橋から川を覗くと、トサカみたいのがあるペンギンみたいな水鳥が暗渠から水の流れ出る合流地点で水の流れをじっと見つめている、魚が流れ出てくるのを待っているんだろうか。歩道橋、そのすぐ向かいが駅のホームになっていて、電車を待っているひとがいるのが何か不思議な感じ、電車がきてホームのひとたちが見えなくなる、電車が走り去ると、ホーム上にいたひとたちがひとりもいなくなってい��、当たり前のことなんだけど、そのことにふたりで驚いている。ずっと足を動かしていたから足がじっとしてくれなくて、川沿いのベンチで足をバタバタさせながら色んなはなしをする。時おり、川沿いを電車が走り過ぎる。窓のなかに映る人影。過ぎ去る電車の数だけ帰りの時間が差し迫っていることを知らせる。この電車の行き先は二人の帰り道の乗換駅で、この川の行きつく先もどうやら同じ場所らしくて、それならいっそのこと川沿いを歩いていきたいと思うけども……。
どちらでもなくバスで帰ることにする。路線バス大好き。けっこう時間が経ったのに謎の水鳥はまだ同じところにいる。バスのなかでMさんの「天使に消された分の記憶を取り戻したい」のはなし。この毎日の日記も「天使に消された分の記憶を取り戻したい」と思いながら書いている。駅に着く。お別れのときはいつもしょんぼりしてしまうけれど、Hさんの必殺技を見習って元気よく! 元気よく! ふと、唐突に思い出す、それは何年もむかしのこと、生理のこないAさんのはなしを聞いていた夜、その明け方にくる、朝のS駅でAさんを見送りながら大声で叫んでいる「Aさ~ん! 無事に生理きてよかったね~!」これから出勤するひとたちが声の内容にびっくりして驚いている。べろべろんに酔っぱらっていて、そんな声を上げたことは憶えていなかったけれど、後日Aさんにあれはほんとうにすごい嬉しかった、通りすがりのひとたちの驚きも痛快で最高だったって言われたことは何となく憶えていて、へええ、そうなのって何となくよかったなぁって思っていたときの、失っていたほうの記憶がふっと唐突によみがえる。色んなことをはなして、やっぱりさいごに思い浮かぶのは、このあいだの帰りのとき、Tさんとじぶんが時の止まったようにまったくおなじような表情をしていたということと、それを見ていたNさんのこと。そんなことになっていたなんて全く気付かなったし、あのときは、ただただしょんぼりしているじぶんがそこにいて、その様子をNさんの目を借りて俯瞰してみると、ちょっとあまりにも可笑しすぎてニコニコしてしまう。たまにはしょんぼりした顔もしてみるもんだね。
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madoka33 · 5 years ago
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【#円華流四柱推命 #恋愛番長 #石川円華 です】🔮#占い と 💕#恋愛 などコミュニケーションに関する仕事をしてます!⑤(2020年10月9日)🍁〝2020年 今年の秋を元気に過ごすには?🍁 ❄️冬に備えるための心と体の整え方〟🌰 🔑キーワードは 〝オンライン〟 〝深呼吸〟 〝早寝早起き〟です🌰 🌾2020年〝寂しくなったり〟 〝怒りっぽくなったり〟〝悲しくなる〟 年周りなのです。 🍂特に、秋はそのような気持ちが強くなります 🍠自分の心が弱くなったわけでもなく、自分が悪いわけじゃない。 🍁2020年秋はそのような時期だからしょうがない‼️ 開き直るのも大事ですよね🌰 🍁〝寂しい〟 🍠〝人とのつながりが欲しい〟 の感情に陥りがちだからこそ! 🖥️オンラインビジネスは、 2020年秋の、世の中の需要とマッチしていますね☆ 🌾何か新しいことを始めたい方なら 🖥️オンラインを 本格的に始めるのに 🍂最適な時期であると、わたしは思います🍂 🌰🌰🌰 🍠また、乾燥 🍠〝乾邪〟の季節ですから、 🍁身体が乾燥しない工夫、 🍁不足しがちなビタミンやミネラルを補う。 🍂喉や肺を潤す、 ことを日常に取り入れるのも大事です。 🍁🍁🍁 それと、 🌰〝深呼吸〟ですね。 呼吸‼️ ❣���心身 ココロも身体も、健康に過ごすための、2020年秋に大事な要素です。 🍂🍂🍂 ❄️冬の足跡はもうそこまで来ています。 ❄️冬に向けて養生するなら 冬も元気に過ごしたいと思われるなら❄️ ズバリ‼️ 😴秋は疲れやすい季節ですから 😴今から早寝早起きの習慣をつけておくのが健康の秘訣です。 😴〝早寝早起き病知らず〟 と言いますからね。 🌾🌾🌾 今日は、 寂しいですが笑  🥩お昼から、 1人しゃぶしゃぶを堪能しました。 今日は一日オンラインで仕事‼️ 家で一人‼️(寂しい(笑)) 🥩こんなときこそ 身体を潤す、 身体に栄養を与える、 豚しゃぶしゃぶ🌰 🐷肉を300グラム、 🥗野菜と 🍄大好物の生きくらげを1パック ばりばりと食べました(笑) ココロも身体も満足です。 🍠🍠🍠 🔯わたしの占いは、 東洋医学、 養生の要素がふんだんに関わっている学問です。 👣身体のこと、 気になるようでしたら、ご相談くださいませ。 🍂🍂🍂 🔮円華流四柱推命 恋愛番長 石川円華(いしかわまどか)とは🔮 ① ♥モテる男の四柱推命著者♥商業出版しています。 ② 個人鑑定を承っております。 個人鑑定では、経営者相談、恋愛・婚活・離婚等を得意ジャンルとし、現在から未来への動線づくり、戦略法、失敗しない判断の思考作りのお手伝いをしています。 🔮「#円華流四柱推命  鑑定」 オンライン鑑定♥30分 10000円 60分 18000円 📹YouTubeチャンネル開設割引 「YouTube チャンネル登録」に登録した方は 鑑定料 今なら2000円割引(2020年12月末までのキャンペーン) ③ 四柱推命教室運営 四柱推命をわかりやすく学べます✍短時間で理解できるメソッドを作りました。 120分 個別講座 20000円~(グループレッスンも承ります) ④セミナー講師 コミュニケーション講座、婚活者向け講座、恋愛講座、独身男性向け個別レクチャー、等セミナー歴多数。 ⑤恋愛講師 #恋カレ恋愛教習所 https://koicare.jp/ ☆オンライン鑑定やっています。個別相談承ります。 お仕事のご依頼はこちらから、もしくは個別メッセからお願いいたします。 恋愛番長 石川円華 HP https://madokaownroad.wixsite.com/madoka ⑥YouTube始めました!!! #恋愛番長まどか姐ちゃんねる ~#これがあなたの生きる道 ~ 「人生のシナリオの作り方、ストーリーの構成、どんな世界を描くのか」 ♥️チャンネル視聴、登録お願いいたします♥️ https://youtu.be/PiO8zzM2gW8 #プラグマ #ミセスモデル #美魔女 #美魔女モデル #美意識 #美 #ウェディングドレス #ドレス #撮影会 #花嫁 #プレシャスコーポレーション #美肌 #カリスマコレクション #ブライダルモデル #ヘアメイク #美容 #結婚式 #bridaldress #bridal #モテる男の四柱推命 #恋占い #相性占い https://www.instagram.com/p/CGG_37eAWY7/?igshid=ifrfzb07gt2g
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mashiroyami · 5 years ago
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Page 113 : 疑念
 朝日が建物の隙間から差し、遠景の空は透く。  日の出を見る時刻は、車の往来も少なければ、人の出入りも殆ど無い。僅かな足音が妙に響くような静けさを伴っている。  アランは重い足取りで細い道をとぼとぼと歩く。  キリの地理には詳しくないが、探せる範囲はできるだけ足を伸ばした。大通り、湖の周囲、暗い路地も含めて、目を凝らし、呼び続けた。道行く人々の口から彼の噂が流れてくるのではと耳を澄ませ、時には尋ねて、捜索を続けたが、ついに手がかりを掴めなかった。万が一にも殺傷事件を重ねていれば多少なりとも耳に入ってきそうなものだが、アランもザナトアも足取りを追えないでいた。それは不幸中の幸いであると言えるかもしれない。しかし、まだ人目についていないだけで、闇夜に紛れた静寂なるうちに、誰の目にも止まらぬ場所で死体が転がっている可能性はあるのだった。たった一晩の間でそれが明らかになるとも限らない。  爽やかな陽光に照らされるアランの表情は暗かった。太陽に愛されたエーフィの足取りも流石に重い。ふらついた足はぽつんと誰もいない町を歩く。  見つけた電話ボックス。彼女が一人でこの町までやってきてまず入ったものと同じ。おもむろに入り、皺が増えてはじが破れかけているメモ用紙を開いた。以前スバメの足に括り付けられて運ばれた、所狭しと美麗な字が詰められた小さな手紙を、アランは一種の御守りのように持ち歩いている。  指先に触れる金属は冷たい。一つ一つ、番号を押していく。休息をできるだけ味わうように足下で寝転がるエーフィに彩りの無い視線を落としつつ、流れる音が途切れる時を待つ。まだ朝は早い。眠っているかもしれない。だが、遠慮を考えられるほどアランには余裕が残されてはいないのだろう。  やがて切れて、繋がる。 「はい」  彼は名乗らない。聞き慣れた、というにはまだ浅い。けれど今、縋る他ないその声に、アランは湿った吐息をついた。 「エクトルさん」  受話器を強く握りしめた。 「お願いしたいことがあるんです」  声に力は無かった。  そしてアランは、事の顛末を簡潔に説明した。以前から体調を崩していた様子だったブラッキーが、急に昨晩、野生のヤミカラスを襲ったこと。アランの声は一切届かず、彼から攻撃してきたこと。エーフィが身を張って暴走を止めようとしたが、失敗し、キリの町に姿を消したこと。夜を通して探しているが、手がかりすら掴めずにいること。  エクトルは特段動揺する様子も嘆く様子も無く、小さく相槌を打ちながら、アランの話に耳を傾けた。 「ブラッキーを見つけなくちゃならないんです。どこかでまた被害が出る前に」 「捜索を手伝ってほしいということですね」  長い前置きから先手を打たれ、アランは表情を引き締め、短く肯定した。  わかりました、とエクトルは静かに応える。 「まずは合流しましょう。今どこにおられますか?」  アランは逡巡し、宿泊しているホテルの名前を伝えた。現在地から遠くなく、アランが知っているキリに関する位置情報の中で、正確に伝え���れるものである。同時に、ザナトアも泊まっている場所であり、縁が切れて久しい二人が出会う可能性が浮かぶのだが、アランはそれについては何も言わず、エクトルも勘付いているのか否か、普段と変わらぬ冷淡な調子で了承した。  電話を切ると、エーフィはたおやかな身体をするりと伸ばし、アランを不安げな顔で見上げた。疲労は隠せないが、立ち止まる余裕は無かった。エーフィもまたブラッキーを深く案じている。昨晩、ヤミカラスを屠る獣に対し、躊躇わずに電光石火で懐へ跳び込んだ彼女は、果たして彼の理性が弾ける可能性に気付いていたのか。今更想像を巡らせたとて、詮無きことだが。 「うん、行こう」  彼女達は並んで歩き始める。朝の陽光は僅かに明るくなっていき、町は青い影を纏い始めていた。  薄い光の中を急ぐと、既にエクトルは指定場所に立っていた。連絡をしてからそう時間は経っていないが、彼はまるでずっと待ち構えていたように、慌ただしい気配など一切感じさせず皺の無い黒いスーツを着こなしている。傍らには、やはりいつも傍に老いているネイティオが静かに鎮座して、まばたきもせずに正面を見つめている。過去と未来を見通すという、両のまなこには曇りが無い。体格のみでも圧倒する気難しげな男と、妙な存在感を放つネイティオの組み合わせは、どこにいても彼等と分かる、異様な雰囲気を作り出す。  性急な足音を耳に入れたのだろう、入り口からずれた壁に沿って立っていたエクトルは視線を動かす。  髪を乱し、息を切らしたアランに向けて、エクトルは黙って会釈する。若々しい肌に出来た隈がここ数日間の心労を克明に示しており、一瞬口を厳しく噤む。しかし、恐らくそう悠長に構えている暇は無いのだと、すぐに察した。 「詳細を聞いてもよろしいですか」  息が整ってきた頃合いを見計らって説明を求めると、重くかさついた口から改めて事のあらすじが語られた。首都を出て以来、ブラッキーの具合が悪かった点、それに卵屋の傍で死んだポッポにも触れる。  悪の波動を直接受けた腹部に自然と手があてられる。痛みはとうに消えている様子だったが、目に見えぬ傷は生々しいだろう。漠然とした不安に気を病むのも無理はない。 「ブラッキーが急に我を忘れて他のポケモンを襲ったことは、今まで無かったんですよね」 「はい」  勿論と言いたげに、アランは語調を強くする。  躊躇無く危機に跳び込む果敢な姿、鋭利な視線の強さは、彼の獣としての好戦的な本能を彷彿させる部分ではあった。しかし同時に、悲哀に寄り添う思慮深さや、一歩周囲から引いて達観している側面を持っており、突発的な暴走、ましてや主人や仲間のポケモン達に危害を加えるなど、正常からはかけ離れた行動だった。人懐っこいエーフィとは対照的に馴れ合いを拒む傾向があるが、情には熱い。  殆ど行動を共にしていないエクトルでも、漠然と彼等の性格や立ち位置は理解している。嘗てキリでもっと賑やかな一行であった時、子供とはいえ、主人に害を成す可能性は無いか、楽しげに時間を過ごす輪の外側から観察していたものだった。そのエクトルにとっても、今回のブラッキーの件は予想できぬものだっただろう。  可能性があるとすれば、もっと根本的な部分に由来する。 「性格や種族によって程度に差はあれど、そもそも、ポケモンには戦闘本能があります」  エクトルは話す。  だから、ポケモン同士を闘わせるポケモンバトルという文化が生まれ、発展してきている。此の国においては、スポーツと似た側面が強いが。相手を直接攻撃するということは、当然一歩間違えれば取り返しのつかない事態に陥る。不思議な生き物達の、未だはっきりとメカニズムの証明されていない技や進化といった神秘は、元来彼等が生き残り、子を残し種を繁栄させていくための潜在能力だ。時には戦い、そして生きるため。時には縄張りを守るため、群れを統率するため。単純に戦闘そのものを好む種もある。そして、生存のためには食事は必須であり、時には相手を喰らう目的で戦うことも、野生の世界ではなんらおかしいことではない。だが、人間に飼われている彼には本来その必要性が無い。たとえ強い敵意識が芽生えたとしても、本能を抑え付ける訓練も十分なされている。性格を考えても不可解な点は多い。  何故急にブラッキーが、理性を手放したのか。 「なんらかの条件が揃って戦闘本能が呼び起こされたと考えるのが自然ではありそうですが、心当たりは」  アランは考え込むように手を唇に当て、暫く黙り込む。 「……ありません」  ぽつりと応え、すぐに顔を上げた。 「原因も気になりますけど、まずは、ブラッキーを見つけたいです。ポッポの時は、一晩明けたら、誰かを襲うような様子はありませんでした。今も、どこかで冷静になっているかもしれません」 「貴方は、ポッポの件もブラッキーによるものだと考えているんですね」  アランは一呼吸を置き、頷く。昨晩は狼狽を隠せなかったが、既に冷静を取り戻していた。 「他に思い当たりませんから。勿論、野生のポケモンによるものという可能性は、捨てきれませんけど」  視線を下げてから、続ける。伸びた前髪に隠れた瞳に、黒い影が蹲っている。 「以前は、ザナトアさんは野生ポケモンを追い払うために用心棒のポケモンを用意していたんですよね」  アランの確認するような言いぶりに対しはじめエクトルは違和感を抱いたが、直後に理解する。彼女は、恐らくザナトアと自分の関係について、知っている。それを知っていて、敢えて尋ねるような口調を使った。  エクトルが答えずにいると、先にアランが口を開いた。 「でも、決して全く野生の対策をしていないわけではないんです。一応、育て屋を囲う柵は健在ですし、周囲には、刺激の強い香りを放つ植物が植えてあります。家にある資料に書いてありました。慣れてしまえば気にならなくなる程度みたいなんですが。林に棲み着いた野生ポケモンだとしても、林から建物は離れているうえ、わざわざ広い草原を渡って卵屋の方まで獲物を取りに来るでしょうか」  アランのポケモンに関する知識は付け焼き刃に等しい。それでも、彼女は考えていたのだった。ポッポの死の真相について。毎晩見張りながら、何も起こらぬ夜を過ごし、観察していた。  ザナトアが言うように、野生に命を奪われる事故は珍しくはないのだろう。しかし、今は育て屋を辞め、人のポケモンには触れず野生ポケモンの保護に尽力するようになった。 「あの付近には小麦畑や野菜畑もあります。卵屋でなくとも、食料はある。勿論、そうとは限らないという可能性があるというのも、解ってるんです。でも、そもそも、ポッポの死体が首だけを抉っていたというのが、おかしい気がして」  だって、と見上げたアランの瞳は、光に照らされてもなお暗がりを広げていた。 「食べるために襲ったのだとすれば、殆んなど食べずに放っておくなんて、変じゃないですか。それに、夜で殆どのポケモンが眠っていたとはいえ、外から敵がやってきて、少しも騒いでいないっていうのも。保護されているとはいえ、あの子達だって野生なのだから、敏感なはずだと思うんです。……見知った気配か、気配を消して近付くだけの賢さがないと」  それでもブラッキーだとは限らない。あくまで可能性の一つに過ぎない。  エクトルは何も言わなかった。正しくは、言えなかった。彼自身は現場を見ていないためでもあるが、アランの思考の流量に、目を見張っていた。ザナトアからすれば呆れたものだったが、ポッポの死に執着している中で、彼女は様々な可能性を浮かび上がらせては、否定し、繋ぎ合わせていたのだろう。  以前アランに再会した時の印象をもう一度彷彿させた。果たしてこんな人間であっただろうか、と。 「だから私は初め、誰かが何らかの理由で意図的にポッポを殺した可能性があると疑ってたんです」  黒の団の関与については、ポッポが死んで明けた朝、エーフィに対して疑念として打ち明けた。 「でも、その意図が全くわからない。……もしかしたら、ザナトアさんを恨んだ誰かの仕業かもしれない。脅迫のような。或いは、全く別かもしれない。でも、そうだとして、あのポッポを選んだのは、どうしてなのか、解らなかった。恨みでポッポを殺したのなら、その人はザナトアさんのことを解っていない。そんなことをしても、あの人は動じないです」 「……そうですね」  たった一匹の命が軽いものとはザナトアは言わないだろう。しかし、一匹が死んだことで、嘆きに囚われてしまうことはない。たとえ長く生活を共にしたポケモンだったと���ても平等に扱う。死は必然として訪れる。ザナトアは身に沁みるほど知っているから動じない。 「ブラッキーだとしたら、辻褄が合うんです。私の中でも」  エクトルは目を細める。 「……他を疑ってきた中で、ブラッキーが犯人である可能性は、疑いようがないと言い切れるんですね」 「絶対じゃないですよ。もしかしたら、もう本当のことは解らないかもしれないです。でも、ブラッキーだったら……信じられないけれど、有り得てしまうのかもしれないって。それに、あの日がどうであろうと、ブラッキーが昨晩ヤミカラスを殺したのは事実です」  でも、とアランは不意に微笑んだ。 「だからといって、ブラッキーを見捨てたくはありませんから」  疲弊が滲んだ笑みに、エクトルは言葉を返せない。代わりに小さく首肯し、無言のうちに鞄を探った。  目当ての物はすぐ出てきて、アランに差し出される。大きな手に包まれて手渡されたものをアランは自らの掌で確認し、目を丸くした。  白いポケギアだ。型には彼女にも見覚えがある。旧式で、使い古された浅い傷が残っている。 「これは」 「お嬢様の私物でした。もう必要のないものです。貴方にお譲りします」  アランは言葉を続けられず、無言で操作する。自ら操作するのは初めてだったが、旧式である分構造もシンプルであり、機能もごく限られている。時計と、電話と、ラジオ。登録されている電話番号の一覧にはエクトルの名前のみが鎮座している。 「貰っていいんですか?」 「ええ。いずれ捨てる予定のものですから」  その理由は今更語るものでもない。アランは暫し沈黙した後、疑り深い視線を寄せた。 「これ、発信器がついてたんじゃ……」  エクトルは一瞬言葉に詰まる。 「そんなこと、覚えていらしたんですか。……不要な機能は除いています」  小さな狼狽は強固な面には表れない。アランはじっと見つめ、頷いた。 「ありがとうございます」  そう言って、すぐに取り出せるように上着のポケットに差し込んだ。 「一度、お休みになられてはいかがですか」  先程から妙に過敏な傾向もみられる。青い顔色も見かね、エクトルが慮るように提案すると、力無くアランは首を横に振る。 「少しでも早く、見つけないと」 「しかし……エーフィも疲れているでしょう」  ふとアランは足下を見やる。  陽気とまではいかずとも、いつも穏やかに明るく振る舞うエーフィも、流石に一睡もせずに町を走り回ったのは身に堪えるだろう。元気に動く二叉の尾も、垂れ下がって沈黙している。 「急いては事を仕損じる、と言います」  隣国の諺ですが、とエクトルは補足する。 「いざブラッキーに相対した時、万が一に戦闘となればこちらもそれなりの心積もりでいなければならないでしょう。朝になれば通常ブラッキーは大人しくなります。一度休めて備えるのも一手かと」  アランは納得し難いように口を噤んだが、その間エクトルが町を詮索すると説得して、漸く頷いた。 「駄目ですね」  唐突に零した声音が自棄的であった。 「周りが見えなくて、焦ってばかりで」 「貴方は当事者ですから」  仕方ないでしょう、と言いかけたところを、アランは首を振る。 「大丈夫です。……お言葉に甘えて、少し休みます。何かあったら、連絡してください。すぐに出ます」  エーフィに声をかけ、アランは背後のホテルに戻っていく。エクトル自身も予想はしていたが、宿泊している場所だったようだ。ザナトアとエクトルが邂逅する可能性も零ではなかったが、老婆は最後まで姿を現さなかった。それを果たして彼女は解ったうえでこの場所を指定してきたのか、エクトルは危ない橋を渡っている感覚から脱せない。  あの様子では忠告を無視して捜索に乗り出してもおかしくはなかったが、彼女自身も疲弊は頂点に達していたのか、大人しくホテルの奥へ姿を消していったのを硝子越しに確認し、エクトルは踵を返した。
 周りが見えない、と言う。エクトルからしてみれば彼女は若いというよりも幼く、それは当然のことだと片付けられた。だが、子供だと見くびっていると、思わぬ矛先が向けられることもある。  実際、あんなに冷酷な考えに至る子供だっただろうか、とエクトルは思う。  己が目撃したわけではない凶悪犯が、付き従えてきたポケモンだと断定することに、さほど躊躇は無いように見えた。むしろ、納得していた気配すらある。暴走の理由は解らないと言い淀みながらも、辻褄が合うとは不可解だ。彼女は重要な事項を隠しているのかもしれない。それゆえにブラッキーを疑っているのか。  まだ何も明らかにはなっていない。  エクトルは彼女について何も知らないも同然だ。ほんの少しだけクラリスと過ごしただけの、友達と呼べるのかも断言し難い、あまりに刹那であった夏の終わりの出来事に出会っただけの人間である。それでもエクトルには今の彼女が妙に冷たく感じられるのは、クラリスの境遇に対し強い抵抗感を示した彼女とも、楽しげに料理を囲んで笑っていた彼女とも重ならないからだ。あの訣別の朝、湖上を飛翔しクラリスの名を呼び続けたという熱意が思いがけず鮮烈であった印象でもある。終始凪いで他人を見張っている暗い顔つきをした現在からはかけ離れている。ポケモンの食嗜好と性格を結びつける、エクトルからすれば他愛も無い知識に対して目を輝かせた顔が懐かしい。  そういえば、あの時、彼女は言った。ポケモンが好きなんですね、と。  当時、濁りの無い言葉になんの感情も浮かび上がってはこなかった。 「ネイティオ」  隣に立つ存在を呼びかけると、特徴的な黒目のみが動きエクトルをぎょろりと捉えた。 「未来予知だ。彼女のブラッキーは記憶してるな。探し当てろ」  指示を受け、やや間を置いてからネイティオは頷いた。空白の時間に彼の頭で駆け巡ったのは、記憶の引き出しを一瞬で開いていく音だろう。ネイティオをできるだけ外に置いているのは、できるだけ視界に情報を与え、記憶させるためでもあった。不審な人物の行方を追う際に何度も使ってきた手法だ。クラリスでも知らないことだ。  エクトルはスーツの裾を捲り、腰のベルトに装着したボールを取り出す。紅白でデザインされた一般的なモンスターボールではなく、黒字に緑の円が重なった特殊なボールは、暗闇を生きる獣に対して効果的とされる種である。  まだ夜が明けたばかりの朝。伸びる影は濃く、夜の気配は残滓のように辺りに張り付いている。  隣でネイティオの黒い瞳に赤い光が浮かんだ。かの視界は時を渡る。瞬き一つせずに虚空を見つめ、エクトル達人間には見通すことのない世界を視る。  ポケモンの力は強大だ。不可能を可能にできる、異次元の世界が彼等の中には広がっている。それを全て意のままに操るなど、人間の傲慢に過ぎないだろう。しかし、クヴルールはその傲慢を払いのけ、不可能を可能にした。  人間の科学や想像力は、理想は、ポケモンの底知れぬ力すらねじ伏せるのか。しかし、自然に対する逆行が、良い方へ作用するとは限らない。ブラッキーの暴走に対し、エクトルは不吉な予感がしてならなかった。
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 アランがホテルの部屋に戻ると、ザナトアは既に起床し、ラジオをかけながら、身支度を整えているところだった。元々ザナトアの朝は始まるのが早い。普段も殆ど夜明けと共に目覚めて卵屋や広い放牧地に赴いてポケモン達の体調や環境を確認し、墓地を訪れるのが日課なのだった。場所が違えど習慣は身体に染みついている。だから、部屋に戻って一番にザナトアに会うこと自体に関して、アランには動揺は無かっただろう。  手前側のベッドの枕元を、まだ眠っているアメモースが占拠しており、些細なことで布など簡単に傷つけ破ってしまうフカマルは、テーブルに寄りかかって、持参した傷だらけのクッションに身を委ねて寝息を立てている。  ザナトアは開いた扉に立つアランを、驚く素振りもせずに振り返り、収穫は無かったのだとすぐに理解した。 「おかえり」  たった一言、いつも通り、つっけんどんに言うと、アランは頭を垂れた。 「見つからなかったかい」  解りきっていることだが、あえて尋ねる。きっと彼女からは言い出しづらいことだろう。慣れぬ町を深夜もうろつくとは、いくら彼女が旅で昼夜放浪しているとはいえ勧められたものではなかった。反対を押し切ったものの結果を出せなくては、気まずさもあるに違いない。  早朝のニュースを伝えるラジオ音声を背景に、静かな首肯を見て、ザナトアはアランに近付き背中を叩いた。 「今のところニュースにはなっていないようだよ。ブラッキーも今頃頭を冷やしているかもね」  励ますように言葉をかけてみるが、彼女の顔は晴れない。ザナトアは肩を落とす。 「少しおやすみよ。朝になってしまえばいつ探しても変わらないだろうさ」  アランの口元が僅かに緩んだ。師弟揃って似たようなことを言うものだった。 「……のんびりしていてもいいんでしょうか」 「はあ? のんびりしていいなんて誰も言ってないよ。英気を養えって言ってるんだ」  思わず突き放すように言うと、漸くアランの頬が上がる。何かが腑に落ちたようだった。 「そうですね。のんびりはできません」 「そうだよ」  エーフィが我先にとベッドに乗り込むと、つられてアランも布団の上に転がった。瞬く間にまどろみが瞼にのしかかっていくのか、抵抗なく目を閉じた。 『――次のニュースです。またも火災事故です。昨夜未明、アレイシアリス・』  ラジオの音声が唐突に途切れる。ザナトアが電源を切ったためだ。沈黙の朝がむず痒く流していたものだが、眠りゆく者たちには弊害だろう。シャワーも浴びずに真っ先にベッドに倒れ込んだのだから、苦労は想像するまでもない。若さはそれだけで価値がある。多少の無理をしても身体がそう簡単には堪えない。老婆の手元からはとっくの昔に消えてしまったものだ。  空調が効いているとはいえ、秋も深まりつつある暁は冷える。布団もかけずに寝転がって、彼女はそのまま眠りにつこうとしていた。仕方無く、ザナトアは昨日羽織っていた上等な上着を彼女の肩からかけてやる。エーフィには、備え付けのブランケットをかけた。  アメモースに、エーフィに、アラン。一匹欠けてしまった彼女のパーティの侘しさが引き立つ。  窓辺に立ち、薄手のレースカーテンをそっと開ける。広い道路に面した窓辺からは磨かれた硝子を通して、突き抜けるような秋空が天にたたずみ、青い朝が一望できる。外にひとたび足を踏み入れれば、冷めた風が肌を撫でて身を引き締めるだろう。室内にいても容易に想像できるような、澄んだ朝である。  祭当日、ポッポレース本番としては、この上無くお膳立てされた空模様である。  今頃湖は昨日の雨を忘れて波一つ立てずに凪いでいることだろう。普段なら早朝に船を出して漁に励む男らがいるものだが、今日は祝日。季節の変わり目と、祭日に限っては、湖への侵入が暗黙の了解で禁じられている。  時間が立てばみるみる湖畔は人やポケモンで賑わうようになり、湖畔の一角を陣取る自然公園を中心に催しが繰り広げられ、収穫の秋に相応しく食材やその加工品といった出店が所狭しと並ぶ。花をあしらった目にも鮮やかな装飾品も名物の一つだ。明るいうちから大人は酒を呑み、子供は旬の食材を使ったお菓子を貰っては飛び回るように遊ぶ。朝から昼間にかけてポッポレースが開催されて大いに盛り上がり、場外ステージでは小規模ではあるが公式のポケモンバトル大会も行われる。そして夕方には、毎年、美しい夕陽に照らされて輝く湖の傍に集まって、空に向けて風船を飛ばす。その先端には羽や花が添えられ、人によっては誰かへ向けた手紙を付ける。暗くなっても賑やかに夜店が並び、盛大のうちに幕を下ろす。  楽しい祭を快く過ごせない事態になろうとは、ザナトアも予想していなかった。折角渡した駄賃も、残念ながら楽しむのに使うどころではない。  今のアランには、祭を楽しむ余裕など当然ないだろう。ブラッキーが早く見つかればいいのだが、見つかったとしても収集が着くのかは不明である。捜索に加わりたいのは山々だが、外付き合いというのは億劫なものだ。それに、日々訓練に励んでいた野生の子たちを放置するわけにもいかない。  しかし、ブラッキーの消失した夜が明け眠りから覚めて、ザナトアは一つ心に決めたことがあった。戸惑うだろうが、きっと理解してくれるだろう。  窓枠に手を添い、秋の恒例行事を想像する。  あのポッポが飛べなかった舞台、チルタリスやクロバットをはじめとして多くのポケモン達が味わえなかった舞台を、あのちいさき者達が羽ばたく。  その光景は、何にも代え難い。  可能ならば、アランにもその瞬間を見せてやりたかった。  無数の翼が希望を抱いた青空に向かって一気に飛翔する、圧巻の空間を共有させてやりたい。生命が叫ぶ瞬間である。あの瞬間、ザナトアは自分は翼を持たないにも関わらず、彼等に引��張られるように、生きなければならないという高揚がみぞおちの底から湧いてくるのだ。驚いて泣き出す子供も少なからずいるくらいだが、喜怒哀楽が極端に薄い彼女にはむしろ驚かせるぐらいが丁度良いだろう。  今年もその日が遂にやってきたのだと、感慨に耽っていると、不意に落とした視線の先に、黒スーツの後ろ姿が見えた。あまりに遠く、黒い後頭部からは体格はおろか顔も判別がつかない。隣にはネイティオを従えていた。  それ以上ザナトアの視界に留まる間も無く、次瞬には跡形も無く姿を消した。恐らくは、ネイティオがテレポートを使ったのだろう。  まさかね。  絶縁となった彼に繋がっているというアランと生活をしているから、ここ数年は存在も殆ど頭から抜け落ちていたというのに、妙に思考を過るようになってしまった。そんな偶然がこうして簡単に起きるなら、同じキリに住んでいれば、もっと早く鉢合わせたっておかしくないだろう。  影も形も男の気配が残されていない地上からはすいと目を離し、カーテンを閉め、薄い陽光は遮断された。
 *
 彼方で花火のあがる音がした。三発、空砲のようなからりとした音である。その音をきっかけにしてアランは目が覚めた。つられて、他の二匹も身体を起こした。  まどろむ顔で浸っているうちに、町に住んでいるのであろう鳥ポケモンが硝子の向こうで小さく囀っている。  眠りにつくのは早かったが、深くは眠れていなかった。遠い音で簡単に起きてしまう。しかし、部屋に備え付けられた時計を確認すれば、二時間ほどが経過していた。  結んだままにしていた髪ゴムを取り、少し長くなった髪が垂れる。身だしなみを気にする生活をしていないから、奔放に伸びている。気怠げな所作ではあるが、その下の顔色は、格段に良くなっていた。  机の上に置かれたメモを確認し、ザナトアは先に会場へ向かったと知る。今の花火は祭の始まりを報せる合図だったのだろうか。  ポッポレースは午前中のうちに始まる。ヒノヤコマをはじめとしたザナトアのチームが飛ぶのは第二部。正午には終わるだろう。  メモの隣にはパンが二つ置いてある。ビニール袋に入れられたそれを出して、齧り付く。塩を混ぜ込んだ生地はとっくに冷めていたが、柔らかげな風合いを保っている。流し込むように一つ平らげたら、残りの一つはエーフィとアメモースに分け与えた。それだけではポケモン達は足りないから、持参した固形のポケモンフーズを取り出し、それぞれに食べさせる。  小さな咀嚼音を聞きながら、アランは視線を伏せる。  いつもの存在がいない朝は寂しさが漂う。喪失は突然やってくるものだと、彼女は既に身を以て痛感している。幾度も経験しては、時に驚き、嘆き、受け入れてきた。だが、喪失感に暮れる暇などはない。戸惑いは夜に置いてきたように、顔つきは引き締まっていた。  ザナトアの上着を丁寧に畳んでベッドに置くと、一つ深呼吸をした。  触角を上下させるアメモースを傷だらけのモンスターボールに戻し、鞄にしまいこむ。紺の上着を着直した時、ポケットの固さが気になったように手を入れると、譲り受けたポケギアをまじまじと見つめた。今後二度と会わないかもしれないというクラリスが使っていたという機械は丁寧に扱われており使用感がほとんど無いほどだったが、よく目を凝らすと、薄い傷がはじを静かに抉っていた。 「いける?」  エーフィに向けて言った。アイコンタクトと言葉での簡単な意思確認が交わされる。エーフィも活力が戻ったのだろう、力強く肯いた。 < index >
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release-info · 6 years ago
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堀田茜さん流・スッキリした部屋をつくる片づけ術 住宅・インテリア電子雑誌『マドリーム』Vol.26公開 すがすがしい始まり。暮らしを整える 無料で読める電子雑誌を発行する株式会社ブランジスタ(本社:東京都渋谷区、代表取締役社長:岩本恵了、証券コード:6176)は、本日、堀田茜さんが表紙の、住宅・インテリア電子雑誌「マドリーム(https://madream.jp)」Vol.26を公開いたしました。 ■ 暮らしスタイルマガジン「マドリーム」 https://madream.jp/  「マドリーム」は、20代後半~40代の男女に向けて暮らしを楽しくするヒントを提供し、自分らしさを大切にしたライフスタイルを指南する、暮らしスタイルマガジンです。  最新号には、モデルで女優の堀田茜さんが登場!自分の部屋にいる時間をとても大切にしているという堀田さん流の片づけ術とは?仕事柄、洋服などが増えやすい堀田さんのクローゼットの整理整頓方法など、居心地のいい空間づくりの秘訣や自宅でのリラックス方法などを伺いました。 ■ Vol.26 テーマ 「すがすがしい始まり。暮らしを整える」 第一特集:引き算の暮らし――Throw away something you don’t need 暮らしの実例で見る「スッキリ身軽な住まい」 http://bit.ly/2ItNBkc  暮らしを整える――それはまず必要なモノを見極めて身の回りを整理することから。いつの間にか必要以上に溜め込んでしまっているモノをいま一度見直して引き算してみると、本当に必要なモノに気づき、いま以上に暮らしを大切にすることができそうです。今回は、上手にモノを手放してスッキリ身軽な住まいをつくる3つのお宅を取材しました。“持たない暮らし”をサポートする便利なレンタルサービスもご紹介します。 第二特集:もっとシンプルに暮らしたい。整理をするなら思い切って引っ越しを! http://bit.ly/2I7oDYI  スッキリとした部屋に憧れるけれど、なかなか片づけられない……。長い年月で溜め込んだモノたちの整理整頓、どこから手をつけたらよいかわからない……。そんなときにはいっそ「引っ越し」を活用してみてはいかがでしょう。引っ越しは、所有しているモノの量を把握し、断��離をするチャンス! シンプルで美しい部屋を手に入れるため、モノを減らす上手な「引っ越し段取り術」をご紹介します。 ◎ 特別企画:街の目利きが案内する 住まいのタウンガイド http://bit.ly/2IxYUYJ  自分の家を持とうと考えたとき、場所選びは大切です。そんなとき、頼りになるのが街のことをよく知る「目利き」。暮らすことに焦点をあて、街の魅力や生活に役立つ情報を教えてくれる不動産会社を取材した、住むためのタウンガイドです。全国各地の気になる街をチェックできます。 [賃貸編]はこちらから:http://bit.ly/2I7eQCg ◎ その他企画 ・<連載>世界の名作住宅 Vol.2「フィッシャー邸」 ・<動画企画>1分動画でわかる! 暮らしのHowTo Vol.2「収納棚」の作り方 ・こんなとき、どうすればいい? 快適な暮らしのコツ ・買える! 「ワントーンインテリア」 From LIFULLインテリア ・知っておきたい! 気になる住まいのトレンド事情 ・<動画企画>簡単アレンジが嬉しい! 朝&夜ゴハンレシピ ■ 株式会社ブランジスタについて URL  :http://bit.ly/2mluzUo 社名  :株式会社ブランジスタ 代表者 :岩本 恵了 設立  :2000年11月 事業内容:電子雑誌出版・電子広告・ソリューションサービス ■ 当リリースに関するお問合せ 株式会社ブランジスタ  広報担当:田口隆一 TEL :03-6415-1183 E-MAIL :[email protected] #マドリーム #madream #インタビュー #堀田茜 #表紙 #巻頭 #インタビュー #趣味 #電子雑誌 #住宅 #インテリア #ブランジスタ #暮らし #理想の暮らし #ライフスタイル #プライベート #動画 #片づく #片づけ #片づけ術 #洋服 #服 #住まい #アンティーク #植物 #部屋 #無料 #空間づくり #空間 #快適空間 #マンション #電子 #雑誌 #共用施設 #管理費 #タウンガイド #趣味 #家探し #物件 #不動産会社 #不動産 #売買 #おもてなし #レシピ #風水 #ソファ #家具 #ベッド #ショールーム #庭 #自然 #中庭 #緑道 #街 #風水インテリア #HOMES #ホームズ #自分らしさ #暮らしスタイルマガジン #生活 #居心地よく #すきなモノ #整理整頓 #テクニック #収納力 #賃貸 #住まい探し #女優 #インテリアグリーン #グリーン #食器棚 #DINKS #家 #マイホーム #分譲 #一戸建て #分譲マンション #持ち家 #投資 #運用 #アパート経営 #家賃収入 #安定収入 #資産運用 #分譲住宅 #観葉植物 #ベランダ #ガーデニング #緑 #空中庭園 #床 #タイル #土間 #玄関 #プランター #ラグ #マット #ラグマット #眺望 #リフォーム #リノベーション #中古住宅 #中古マンション #新築 #ローン #キッチン #エクステリア #内装 #ガレージ #システムキッチン #戸建て #購入 #耐震 #間取り #土地 #借りる #買う #こだわり #面積 #平米 #賃料 #家賃 #敷金 #礼金 #ペット可 #角部屋 #バス #トイレ #バス・トイレ別 #独立洗面 #オートロック #管理人 #宅配ボックス #エアコン #オール電化 #専用庭 #フローリング #エレベーター #CATV #ケーブルテレビ #インターネット #ネット #駐車場 #バイク #バイク置き場 #駐輪場 #デザイナーズ #デザイナーズマンション #免震 #タワーマンション #バリアフリー #保証人 #工夫 #実例 #LIFULL #LIFULLインテリア #経年変化 #ヴィンテージ #自然素材 #味わい #北欧 #北欧 #年代モノ #DIY #リビングボード #スタイリッシュ #古民家 #愛着 #思い出 #無垢フローリング #天然素材 #メンテナンス #照明 #ヴィンテージ家具 #セルフリノベ #LIFULL FLOWER #旬の花 #花 #定期便 #定期便で届く #季節 #目利き #案内 #ダイニングテーブル #テーブル #コンパクト #小さな部屋 #アイデア #アイテム #狭い #実例 #スケルトンリフォーム #スケルトン #開運 #お掃除 #掃除 #建材 #ゴハン #IT #生活習慣 #規則正しい #IT技術 #住人 #ドイツ製クリーナー #整える #整理 #整頓 #朝&夜ゴハン #自然素材 #自然派 #健康 #掃く #デザインクロック #トレンド #住まいのトレンド #リビング #くつろぐ #寛ぐ #一軒家 #開運風水 #飾り #料理 #移住 #田舎暮らし #セカンドハウス #拭く #デジタルインテリア #男前リノベ #シンプル #美学 #スマート #モノトーン #カフェスタイル #片づけ術 #インダストリアル #インダストリアル・リノベーション #無機質 #梁 #柱 #配管 #構造部 #構造部分 #無骨 #躯体あらわし #躯体 #磨く #本棚 #デジタル #オンライン #ネットショッピング #ネット予約 #デジタルライフ #IoT #IoTマンション #家電 #家事 #スマホ #遠隔操作 #IT #洗う #宅配ボックス #効率的 #賢い #ゆとり #ムダ #ミニマル #余裕 #豊かさ #お金 #効率化 #片付け #片付け術 #時��� #レンジフード #外壁 #断熱窓 #サヴォア邸 #名作住宅 #建築家 #石井健 #知的家事 #本間朝子 #省略化 #アレンジ #簡単アレンジ #引っ越し #引越し #断捨離 #段取り #収納棚 #ワントーンインテリア #青椒肉絲どんぶり #青椒肉絲焼きそば #ダストボックス #モデル #収納 http://bit.ly/2F33oW7
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generalwonderlandpeace · 7 months ago
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wwiearlybird · 8 years ago
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日本人は「限界費用ゼロ社会」を知らなすぎる 文明評論家リフキンが描く衝撃の未来
 ジェレミー・リフキン:文明評論家2015年10月28日
現在、GDP3位の日本と4位のドイツ。両政府の産業政策には埋めがたい差がある。写真は2014年4月にベルリンを訪問した際の安倍晋三首相(左)とドイツのアンゲラ・メルケル首相(写真:picture alliance/アフロ)10月29日、『限界費用ゼロ社会』(NHK出版)が刊行される。原著者であるジェレミー・リフキン氏は、日本での刊行に合わせて、特別章を執筆した。ドイツと比較し日本が「限界費用ゼロ社会」に向けた取り組みが遅れていることを指摘すると同時に、今後の取り組み次第では世界のリーダーになれるともいう内容だ。今回、東洋経済オンラインではこの特別章の全編を掲載する。
日本は、限界費用ゼロ社会へのグローバルな移行における不確定要素だ。この国は今、中途半端な状態にある。
その苦境を理解するには、日本の現状をドイツの現状と比べてみさえすればよい。両国はグローバル市場における、世界一流のプレイヤーだ。日本経済は世界第3位、ドイツ経済は世界第4位に位置する。ところが、ドイツがスマートでグリーンなIoT(モノのインターネット)インフラへと急速に移行することで共有型経済と限界費用がゼロの社会を迎え入れようとしているのに対して、日本は過去との訣別を恐れ、確固たる未来像を抱けず、岐路に立たされている。
アンゲラ・メルケルの決断
『限界費用ゼロ社会―〈モノのインターネット〉と共有型経済の台頭』書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします
2005年、アンゲラ・メルケルはドイツの首相になると、就任後数カ月のうちに私をベルリンに招いた。在任中に彼女の政権が、どのようにドイツ経済を成長させ、新しい企業や職を創出するかという問題に取り組むのを手伝ってほしいというのだ。
私はベルリンに着くと新首相に「この大工業化時代の最終段階にあるドイツ経済を、さらに言えば、欧州連合の経済やグローバルな経済を、あなたはどう成長させるおつもりですか?」と真っ先に尋ねた。そして、中央集中型の電気通信、化石燃料と原子力、内燃機関を用いた路上・鉄道・航空・水上輸送を特徴とする第二次産業革命がすでに成熟し、生産能力を出し尽くし、ドイツもヨーロッパも世界も、時代遅れで瀕死の経済パラダイムの中でもがき苦しむ羽目に陥ってしまっていることを指摘した。
ドイツ滞在中、私は新たに始まりつつある第三次産業革命の要点を次のように概説した。既存のコミュニケーション・インターネットが、創成期にあるデジタル化された再生可能エネルギー・インターネットや、自動化されたGPS誘導(で、まもなく自動運転となる)輸送/ロジスティクス・インターネットと一体化してスーパーインターネットができ上がり、ドイツ経済のバリューチェーンに沿って、経済生活を「管理」し、それに「動力を供給」して「動かす」ようになる。
間もなく、IoTと呼ばれる新しいプラットフォームに支えられながら、このスーパーインターネットが「核」となり、あらゆる機器が他のあらゆる機器や、あらゆる人間とつながり、経済と社会で起こっていることに関する情報を、誰もがシェアできるようになる。当時、IoTは依然として概念段階にあり、センサーはようやくほんの一握りの機器に組み込まれ始めたところだった。
だが、近い将来、IoTのおかげでドイツの家庭や企業は、国内各地で起こっているあらゆる経済活動に関するリアルタイムのデータに、一日中いつでも好きなときにほぼゼロの限界費用でアクセスできるようになるだろうと、私は述べた。
収集されたビッグデータを分析技術を用いて調べれば、アルゴリズムやアプリケーションを生み出すことができ、個人も企業も、それぞれのバリューチェーンにおけるすべての段階で総効率を劇的に増し、それによって大幅に生産性を上げ、限界費用を減らし、新興のスマートな第三次産業革命の経済パラダイムの中で、ドイツは世界一生産的な経済システムになることができる。
2005年時点で「限界費用ゼロ」は始まっていた
ジェレミー・リフキン(Jeremy Rifkin)/文明評論家。経済動向財団代表。広い視野と鋭い洞察力で経済・社会を分析し、未来構想を提示する手腕が世界中から高い評価を得ている。独メルケル首相のブレーンとして“インダストリー4.0”を理論的に牽引し、欧州委員会をはじめ世界各国の首脳・政府高官のアドバイザーを務めるほか、TIRコンサルティング・グループ代表として協働型コモンズのためのIoTインフラ造りに寄与する。ペンシルヴェニア大学ウォートン・スクールの経営幹部教育プログラムの上級講師
メルケルが首相に就任した2005年の時点でさえ、早くも一部の財とサービスの限界費用はゼロに近づいており、インターネット・ユーザーは揺籃期の共有型経済において、ほぼ無料でモノを生産し、交換することが可能になっていた。
デジタル世代はすでに音楽や動画、ブログニュース、ソーシャルメディア、無料の電子書籍、自動車サービス、家やアパート、3Dプリントした製品、その他の財やサービスを、低い限界費用あるい��ゼロに近い限界費用で生み出し、シェアしていた。
私は次のように首相に説明した。IoTはピアトゥピアという特性を持っているので、ドイツの中小企業や社会的企業、それに個人が集まって財やサービスを生み出し、直接交換することになり、第二次産業革命を通してドイツで限界費用を高く保ち続けてきた中間業者の生き残りを一掃できるだろう。経済活動の仕組みと拡がり方にかかわるこのテクノロジー上の根本的な転換は、少数の人から多数の人へと経済力が移り、経済生活が大衆化する大規模な変化の前兆なのだ。
ただし、第二次産業革命から第三次産業革命への移行は一夜にして起こるわけではなく、30~40年をかけて実現することを忘れないようにと、私は警告した。今日のグローバル企業の多くは、旧来の第二次産業革命のビジネス手法を守りながらも、第三次産業革命の新しい分散型・協働型���ビジネスモデルをも採用することで、首尾良くこの移行を果たすだろう。今後、資本主義企業は、垂直統合型の市場で個々の製品やサービスを販売するよりも、水平展開型のネットワークをまとめ、管理することに、より大きな価値を見出す可能性が高い。
会見を終えるにあたって、首相はこう言った。「ミスター・リフキン、私はドイツのために、この第三次産業革命を実現させたいです」。私が理由を聞くと、第三次産業革命のインフラは分散型・水平展開型なので、自国の政治地理に打ってつけだからだという。なにしろドイツは連邦であり、各地方がそれぞれある程度の自治権を持ちながらも協働して、ドイツ全体のコミュニティの福祉を増進してきた歴史を持っている。デジタル方式でつながり、ネットワーク化したドイツという発想は、ドイツ国民には大いに納得がゆくものだとの見解を、首相は示した。
第三次産業革命とは実質的には、デジタルによる計算と記録の方法の普及に伴って1960年代に始まったデジタル革命が長期にわたって展開してゆくことにほかならず、あらゆる機器をあらゆる人間とつなぎ、グローバルな形で相互接続したスマートな世界を生み出すべく設計されたデジタル方式のIoTが構築されることで、今やこの革命は完成しつつある。
2012年、ボッシュ社とドイツ工学アカデミーのエンジニアたちが、「インダストリー4.0」と呼ぶ計画をドイツの連邦政府に提示し、スマートな工場へのIoTの導入は、第四次産業革命の表れだと主張した。第四次とうたって注目を集めようとしたのだろう。その動機はともかく、IoTはけっして第四次産業革命の表れなどではなく、第三次産業革命のスマートインフラの構築によって、社会全般にデジタルテクノロジーを普遍的に応用することでしかない。この点に関しては、エコノミストもエンジニアも政策主導者も広く意見が一致している。
さて、日本では2011年3月11日、巨大な地震と津波が福島の原子力発電所を破壊し、放射性物質が放出されて広範な土地が汚染され、1986年のチェルノブイリの原発事故以来、最悪の核災害が起こった。その後日本政府は、全国の原子力発電所の運転をすべて一時的に停止した。
福島の原子力発電所の事故が引き起こした政治的な衝撃波は全世界に及んだ。ドイツではメルケル首相が2022年までに国内の原子力発電所をすべて段階的に稼働停止にし、分散型の再生可能エネルギー体制への移行をただちに加速するという驚くべき発表を行い、事実上、グリーンな第三次産業革命のパラダイムへの転換を速めた。2011年9月、世界第35位の企業であるドイツの製造大手シーメンス社が、今後、原子力発電所の建設には関与しないと発表した。
今日、ドイツがIoTによる第三次産業革命の土台を築き、資本主義市場と共有型経済の両方から成るハイブリッドの経済体制に向かおうとしているのに対して、日本は、老朽化しつつある原子力産業を断固として復活させる決意でいる堅固な業界と、日本経済を方向転換させて、スマートでグリーンなIoT時代への移行によってもたらされる膨大な数の新たな機会を捉えようとする、新しいデジタル企業や業界との板挟みになってもがいている。
本稿を書いている時点で、両国の根本的な違いは、20世紀の化石燃料と原子力を脱し、限界費用がほぼゼロで採取できる分散型の再生可能エネルギーへと迅速に移行するのが、将来ドイツが経済的に成功するカギであることを、ドイツの政府も産業もシビル・ソサエティもすでに理解するに至った点にある。
IoTは高い水準の総効率と生産性を実現する
まだ日本は気づいていないが、台頭しつつあるIoTは、これまでの歴史上のあらゆる経済革命を特徴づけてきた三つの決定的に重要な要素から成り立っている。
その三つとはすなわち、経済活動をより効率的に管理する新しいコミュニケーション・テクノロジー、経済活動により効率的に動力を提供する新しいエネルギー源、経済活動をより効率的に動かす新しい輸送手段だ。仮に日本が従来の道を進み、ユニバーサル・サービスの高速ブロードバンドと自動運転輸送だけを推進し、おもに原子力と化石燃料のエネルギーに頼り続けたなら、限界費用がほぼゼロのグリーンエネルギーで動く経済がもたらす、総効率と生産性の著しい向上や限界費用の削減を達成することはできないだろう。ドイツはこの点を理解しているのだ。
これに劣らず重要なのだが、IoTのプラットフォームは、第一次・第二次産業革命のインフラとは構造設計が根本的に異なることも、ドイツは理解している。過去二つの産業革命のコミュニケーションとエネルギーと輸送の様式は、中央集中型で専有的なものとなるべく設計されており、規模の経済によって総効率と生産性を最適化する、垂直統合型の企業に有利なビジネスモデルを伴っていた。
それとは対照的に、IoTはすでに論じたとおり分散型で、開かれた透明な形で稼働し、協働によって機能し、水平展開型のビジネスモデルを伴い、第一次・第二次産業革命で達成されたものよりもはるかに高い水準の総効率と生産性を実現し、限界費用を劇的に削減する。IoTプラットフォームによって旧来のビジネスモデルは脇へ押し退けられるので、日本の起業家たちは、もしスマートでデジタル化したグローバル経済への移行を生き延びて成功したいなら、自らのビジネス手法を再考せざるをえなくなる。
この新たな現実が最も如実に表れているのが、新しい再生可能エネルギーへの移行だ。すでに述べたように、ドイツでは再生可能エネルギーの大半が、一緒になって電力協同組合を結成した何百万もの家庭と何千、何万もの企業によって、おのおのの場所で生み出されている。そのグリーン電力はデジタル化されたエネルギー・インターネット全体でシェアされる。これはピアトゥピアのエネルギー生産・流通という新時代の始まりを告げている。
ドイツを動かしている電力は、2025年には、その45パーセントが太陽光と風力のエネルギーから生み出され、2035年には6割が再生可能エネルギーによって生産され、2050年にはその数字は8割に達する見通しだ。言い換えれば、ドイツは、財とサービスの生産・流通における電力生産の限界費用がしだいにほぼゼロに近づく、スマートでグリーンなデジタル経済への道を順調に進んでおり、生産性は劇的に上がり、限界費用は減少し、グローバル経済での競争で優位に立てるだろう。一方日本は、中央集中型でますますコストのかかる原子力と化石燃料のエネルギー体制におおむね執着しているので、日本企業は国際舞台での競争力を失う一方だ。
IoTインフラの導入を切望する日本の主要産業
皮肉にも、日本の主要産業の多くは、IoTインフラの導入を切望している。IoTインフラは新たなビジネスモデルやビジネス手法を助長し、利益を生み、膨大な新規雇用機会を創出しうるからだ。ところが、これらの産業は電力業界に手足を縛られている。電力業界は、古い原子力発電所をなんとしても再稼働させ、日本を輸入化石燃料に依存させ続ける気でいる。だが、日本の電気通信企業や情報通信テクノロジー企業、家庭用電化製品メイカー、輸送・物流企業、製造業者、生命科学企業、建設・不動産業界、小売部門、金融業界などは、これまで語られなかった、新しいデジタル経済パラダイムへの移行に伴うチャンスを理解し始めている。
現在日本はドイツの後塵を拝しているとはいえ、20世紀後半の第二次産業革命で挙げた目覚ましい業績からは、限界費用ゼロ社会へのデジタル・パラダイムシフトにおいても、先進工業国の間で圧倒的優位に立つ潜在能力があることがうかがえる。
日本企業は過去半世紀にわたって、生産性を上げて限界費用を減らすうえで総効率が果たす役割を直感的に理解してきた。一般には知られていないが、20世紀最後の数十年間には、総効率の向上の点で、日本はアメリカをしのいでいた。総効率は、第二次産業革命のインフラが成熟するのに伴い、20世紀の最後の25年間に、アメリカでも日本でも頂点に達した。アメリカの総効率は約13パーセントで横ばいになり、日本では20パーセントほどで頭打ちになった。それ以後、生産性は両国でも世界各国でも伸びが鈍った。第二次産業革命のコミュニケーション/エネルギー/輸送プラットフォームが、四半世紀以上前に生産性の限界に達したからだ。
だが今、第三次産業革命のデジタル化されたコミュニケーション・インターネット、再生可能エネルギー・インターネット、輸送/ロジスティクス・インターネットの構築により、今後30年間に総効率を40パーセント以上へと伸ばし、極限生産性を実現して、限界費用がほぼゼロの社会へと、かつてないほど近づく見込みが出てきた。日本には過去に総効率を上げた高度な専門的知識が備わっているのだから、スマートでグリーンなIoTを急速に拡大する上で、潜在的な強みがある。日本は世界を次の素晴らしい経済の時代へと導くのを助けられるのだ。
原子力産業と電力の公益企業が非妥協的態度を崩さないにもかかわらず、日本のさまざまな業界は、台頭する限界費用ゼロ社会のために、密やかに基礎を固めている。
最優先の課題は、コミュニケーション・インターネットを、揺籃期の再生可能エネルギー・インターネットおよび、新生の、自動化されたGPS誘導自動運転輸送/ロジスティクス・インターネットと統合して、単一の稼働システムにし、IoTプラットフォームに接続した何十億という機器が生み出すビッグデータの流れを処理し、経済活動をより効率的に管理し、そこに動力を供給して動かせるようにすることだ。
日本は、ユニバーサル・サービスの超高速ブロードバンド接続でコミュニケーション・インターネットの性能を高める点では、すでに飛び抜けており、IoTプラットフォームにおけるビッグデータの流れと処理の総効率を上げることが可能になっている。そして日本は今、毎秒10ギガビットのインターネット速度を家庭と企業に導入する計画を立て、ブロードバンド接続を次なる段階に導こうとしている。このコミュニケーション・チャンネルが実現すれば、現在アメリカに存在するものの数百倍の速さを持つことになる。シスコ社に言わせれば、「この高速接続は重要だ。なぜなら、IoE(万物のインターネット)の普及が速まり、日本は他の国々よりも迅速にその恩恵にあずかることが可能になるからだ」。
日本は独特の地理的利点にも恵まれており、そのおかげで、より迅速に再生可能エネルギー・インターネットへと移行することができる。日本の一般大衆にとってさえ意外かもしれないが、日本は先進工業国のうちで再生可能エネルギー源(太陽光、風、地熱)を最も豊富に有している。ロッキーマウンテン研究所の共同創立者でチーフ・サイエンティストのエイモリー・B・ロビンスが指摘しているように、日本はドイツの9倍の再生可能エネルギー資源を持っていながら、そうしたエネルギー源による発電量はドイツの9分の1しかない。たとえば、「日本はドイツと比べて、国土は5パーセント、人口は68パーセント、GDPは74パーセント多く、太陽光や風もはるかに豊富だが、2014年2月までに増やした太陽光発電量はドイツのおよそ5分の1にすぎず、風力の利用の増加はないに等しい」。
日本を引き留めているのは、やはり、一握りの垂直統合型の巨大な電力公益企業で、これらの企業は日本では途方もない影響力を振るっており、原子力発電を断念することを頑として望まない。福島の惨事のときに日本の首相の座にあった菅直人は、2015年8月、震災以来初めて川内原子力発電所が運転を再開したことを、「大きな誤り」と評した。菅はさらに、「原子力発電は20世紀のテクノロジーであり……長期的観点に立てば、エネルギー源としては劣っている」と述べた。
日本はゆっくりと慎重に前進
とはいえ日本は、デジタル化された分散型の再生可能エネルギー・インターネットの確立に向けて、ゆっくりと慎重に前進している。日本の経済産業省が2015年6月に発表した、新しいエネルギー長期計画は、2030年までに全エネルギーのうちに再生可能エネルギーの占める割合を22~24パーセントにするという、控えめと呼ぶのがせいぜいの増加を求めるにとどまったが、三菱電機、東芝、パナソニックなどの日本企業は自ら、しだいに積極的なマーケティングを行って、家庭用ソーラーパネルの設置を促進し、スマートな家庭エネルギー・システム実現に向けた戦略を展開している。
断続的なエネルギーに依存する分散型の再生可能エネルギー・インターネットで電力のピーク負荷とベース負荷を効果的に管理するには、当然ながら、最先端の電力貯蔵技術が必要とされる。この分野では日本は世界をリードしている。2015年までに日本全国で、地産エネルギーを貯蔵するために設置された家庭用水素燃料電池の数は10万に達した。福島の原発事故のあと、エネルギー貯蔵は日本政府にとって喫緊の課題となっている。政府はエネルギー貯蔵設備の拡充のために、水素テクノロジーに的を絞り、7億ドルを刺激策に充てることにした。
総効率と生産性の劇的改善──繰り返しになるが、日本の得意分野だ──のための、送電網のデジタル化の面でも、日本は前進している。日本は今後10年間に8000万台のスマート電力メーターを設置するという目標を掲げた。日本最大の公益企業である東京電力は、首都圏だけでも2700万台のスマートメーターを設置する計画だ。
経済産業省も、断続的な再生可能エネルギーの流入量増大対策として、電力網のデジタル化に約6億8000万ドルを投入することを決めた。経済産業省はまた、中小の企業や工場におけるエネルギー効率向上用機器の設置を奨励するために、さらに7億7900万ドルを割り当てた。これも、生産性を上げるためにたゆまず総効率を最適化する、日本の昔からの傾向を示す別の例と言える。
日本では、デジタル化されたコミュニケーション・インターネットと再生可能エネルギー・インターネットが一体化することで、GPS誘導型の自動運転輸送/ロジスティクス・インターネットの創出が可能になりつつある。電気自動車と燃料電池車による輸送への移行では、日本の自動車メイカーはドイツのメイカーと張り合っている。
トヨタは18年以上前、初のハイブリッド車プリウスを導入して競合企業の先頭に立ち、電気自動車輸送のリーダーとなった。今やトヨタとホンダと日産が手を組んで、水素燃料電池を搭載した自動車、バス、トラックを導入するための土台を築いている。これらの車両は、すでに生産が始まっている。
燃料電池車への移行を加速
日本政府は、持続可能性への傾倒をますます深める若い世代を引きつけようと、1台の購入につきおよそ2万ドルという巨額の補助金を出すことで、燃料電池車への移行を加速している。これに加えて東京都は2020年のオリンピックに向けて、燃料電池車への補助と、水素ステーション35カ所の建設のために3億8500万ドルを費やす予定で、これは2020年には路上に出ている見込みの燃料電池車6000台に対応するためだ。燃料電池車用水素ステーションの建設費の8割近くが、東京都の補助金で賄われることになる。
電気自動車と燃料電池車への移行は、輸送部門の改編を引き起こし始めている変動の一部にすぎない。日本の都市部でカーシェアリング・サービスが普及するにつれ、インターネットの使用に長けたミレニアル世代は、自動車の所有から移動手段へのアクセスへと急速に関心を移してもいる。カーシェアリング・サービスは、指数曲線を描きながら、芽生えつつある共有型経済で急成長している。2009年から2014年の間に、カーシェアリング・サービスの登録者数は、6396人から46万5280人に、カーシェアリングに供される自動車の数は563台から1万2373台に、それぞれ増えた。
日本の政府と輸送・物流業界はすでに、移動手段革命の次なる段階の計画を練っており、これは台頭してくる、デジタル化された輸送/ロジスティクス・インターネットでGPS誘導によって動く自動運転車の配備を伴うものだ。インターネットサービス会社のDeNAは、自動運転車テクノロジーを開発する日本の新規企業ZMPと提携し、自動運転車を日本の路上で走らせるためのジョイントベンチャーを展開している。
日本の主要自動車メイカーであるトヨタ、ホンダ、日産は、ドイツの自動車メイカーに後れをとっていることに気づき、自動運転車を商業市場に持ち込むために、今や自らも大急ぎで手を打っている。
限界費用がほぼゼロの再生可能エネルギーで動く自動運転の電気自動車や燃料電池車が、自動化された輸送グリッド上で稼働するIoTのスマート社会で十分な競争力を獲得することを願っての対応だ。2015年、日産は2016年から2020年の間に自動運転テクノロジーを市場に出すために、アメリカ航空宇宙局(NASA)と提携することを発表した。
一方、日本政府は、台頭しつつあるデジタル化された輸送/ロジスティクス・インターネットにおける、自動運転テクノロジーの普及に向けたグローバル標準の確立で、ヨーロッパとアメリカの自動車メイカーに先を越されることを懸念し、この方面にも介入してきた。
日本の国土交通省は、国内の三大自動車メイカーを動かし、日立、パナソニック、デンソーなどの部品供給業者や、名古屋大学と東京大学の研究機関と手を組んで、安全規則と部品仕様書のための規約や規制、基準を協働して定めるよう促している。
これと並行して、日本政府はドイツの競争相手に追いつくために、自動運転車の試験道路の建設用にも8300万ドルを注ぎ込んでいる。
極限生産性を実現する日本のスマートシティ
コミュニケーション、エネルギー、輸送/ロジスティクスを統合し、IoTプラットフォーム上で稼働する単一のシステムにまとめ上げたスーパーインターネットが出現することにより、日本全国でいわゆる「スマートシティ」創出のためのインフラが整う。
現在日本には、京都・大阪・奈良にまたがるけいはんな学研都市、横浜市、北九州市、豊田市の四つのスマートシティ・プロジェクトがある。これらのプロジェクトは、あらゆるスマート器具・機械・家電製品を互いにつなぎ、あらゆる家庭、近隣地域、オフィス、工場、倉庫、自動車、道路網、小売店とも接続し、リアルタイムでビッグデータを提供するというものだ。
分析技術を用いてそのビッグデータを調べれば、アルゴリズムやアプリケーションが作成できるので、これらの都市圏における無数のバリューチェーンでの経済活動を管理し、それに動力を供給して動かすにあたり、個人、家庭、企業、政府機関は総効率と生産性を劇的に上げ、限界費用を減らすことができる。
日本のスマートシティは極限生産性の実現を可能にするので、日本企業はデジタルで限界費用の低いグローバル経済で競争力を維持できる。これも、生産性を高めるうえで不可欠の総効率向上に対する、日本人のこだわりを示すさらなる例だ。
スマートシティが日本中に広まるにつれ、しだいに多くの財とサービスの限界費用がゼロにさえ迫り、共有型経済は従来の資本主義市場と並んで成長し、繁栄することが可能になる。日本人、わけても若いミレニアル世代は、新世代のアプリを活用し始めており、そのおかげで、バーチャルとリアルの両方の財とサービスを低い限界費用やほぼゼロの限界費用でシェアできるようになってきている。
若者たちは音楽やブログニュース、ユーチューブの動画、電子書籍、ウィキペディア上の情報、大規模公開オンライン講座MOOC(ムーク)を生み出してシェアしており、しだいに相互接続してゆくデジタルスペースで、まさに今、有形の財の生産とシェアを始めている。
2020年の東京オリンピックに向けて観光事業を促進するために、日本政府は経済成長の青写真を用意し、自宅所有者やアパートの住人がホームシェアリング・サービスで観光客に住まいをシェアしやすくしようとしている。エアビーアンドビーだけでも、シェア可能な家やアパートをすでに1万件以上ウェブサイトに載せている。
SUSTINAは衣類のシェアサービスで、月額5800円の料金を払えば、シェア用の再利用衣類の膨大な在庫に自由にアクセスできる。シブカサは東京の、傘シェアリングのウェブ・プラットフォームだ。にわか雨に見舞われた人は、このサイトのスマートフォン用アプリを利用し、この共有ネットワークに所属する最寄りのレストラン、店舗、劇場を見つけ、傘を借りられる。ユーザーは、このサイトに登録したほかのどの場所でも、あとで傘を返すことができる。
これらは、日々登場する新しいアプリの、ほんの数例にすぎない。このようなアプリは、提供者と利用者を結びつけて、いわば一つの社会的な大家族にまとめ、日本全国でモノをシェアできるようにする。
IoTは日本にとっても世界にとっても、現状を根本から覆すものだ。シスコ社の調査によると、IoTがもたらすグローバルな価値のうち、今後10年間における日本のシェアは7610億ドル(グローバルな価値の合計の5パーセント)になる見通しだという。その内訳は、市場での売買の時間短縮を含むイノベーションが2390億ドル、新たな顧客の獲得が2130億ドル、サプライ��ェーンとロジスティクスにおける無駄の削減が1810億ドル、資産活用コストの減少が820億ドル、労働効率の向上が残る460億ドルだ。
これらの数字が示す価値の増加は、しだいに自動化され、相互接続が進むスマート経済における、旧来の資本主義市場で達成されるだろう。だが、シスコ社の調査には反映されていないものがある。それは、成長する共有型経済においてIoTインフラが可能にする価値の増加だ。バーチャルな世界と従来型の経済の両方において、限界費用がほぼゼロでシェアされる無料の財とサービスの増加は、GDPの値に表れないものの、日本の膨大な数の人、とくに若いインターネット世代の生活の質を一変させるだろう。
IoTの世界と限界費用ゼロ社会における日本の将来を評価するにあたり、高齢化する人口がこの国の展望に与える影響をめぐって高まる不安を、無視するわけにはゆかない。労働人口が減れば必然的に日本の生産性が落ち、成長能力が損なわれるというのが一般的な見方だ。
だが、歴史の流れは人口動態で決まり、将来性があるのはつねに、人口再生産率が最も高い社会であるという考え方はもはや通用せず、高度に自動化されたスマート経済においては、人口動態あるいは人口再生産率は、経済的健全性の唯一の指標ではなくなるかもしれない。
歴史上の岐路に立たされている日本
第一次・第二次産業革命の両方で総効率と生産性を向上させた日本の幅広い歴史的経験は、日本が舵を切り、第三次産業革命を迎え入れるためのスマートIoTインフラへと向かううえで、強みとなりうる。資本主義市場と共有型経済の両方から成る、完全に自動化されたハイブリッド経済の創出は、極限生産性がもたらすものであり、今後、より少ない人口で比類のないほど質の高い生活を享受することを可能にしうる。
日本は今、歴史上の岐路に立たされている。もし日本が、汚染の根源、すなわち持続不可能な20世紀のビジネスモデルの特徴である、古いコミュニケーション・テクノロジーやエネルギー様式、輸送/ロジスティクスから抜け出せなければ、その将来の展望は暗い。
実際、日本は急速に零落して、今後30年のうちに二流の経済に成り下がるかもしれない。だが、日本がもし時を移さず起業家の才を発揮し、エンジニアリングの専門技術を動員し、それに劣らず潤沢な文化的資産──効率性向上への情熱や非常に意欲の高い未来志向の活力を含む──を生かせれば、限界費用ゼロ社会と、より平等主義的で豊かで、生態学的に持続可能な時代へと、世界を導くことに十分貢献できるだろう。
Copyright©Toyo Keizai Inc.All Rights Reserved.
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newsletterarchive · 5 years ago
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NEWSLETTER  vol.51
ニュースレターの第51号をお届けします。 今回は2019年11月25日にArt Jewelry Forumに掲載された、マルゲリータ・ポテンザさんから、ベッペ・ケスラーさんへのインタビューです。 ほんとうはもう少し待って公開しようかと思ったのですが、
昨今のコロナ騒ぎで外出の機会が減って自宅での時間を持て余している方にも楽しんでいただければと思い、配信することにしました。 日本にもたびたび訪れているベッペ・ケスラーさん。 彼女の作品を見たことがある、あるいはワークショップに参加した方がある、という方もいらっしゃると思います。 この記事でぜひ、その制作に対する考えをのぞいてみてください。
メールだと画像が小さくて見づらいので、元の記事でぜひ大きな画像で細部まで見てみてください。
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https://artjewelryforum.org/beppe-kessler-a-painter-who-makes-jewels  
ネザーランド
2019年11月25日
ベッペ・ケスラー:絵描きが作るジュエリーと、ジュエリー作家が描く絵
マルゲリータ・ポテンザ
マルゲリータ・ポテンザと写真家のダニエーレ・ディ・カロリスは先ごろ、コンテンポラリージュエリー界でも屈指の実力派にして息の長いアーティストのひとり、ベッペ・ケスラーのもとを訪れた。そのスタジオは、穏やかな水面をたたえたウィッテンブルゲルヴァールト運河に面する元小学校の建物の一画を占める。がっしりとした扉に隔てられたその美しい空間で、ケスラーは腰をかけ、近年のプロジェクト、アートジュエリーの世界における初期の活動、絵画作品の主題としてきたはかない存在に対する長年にわたる関心について、話を聞かせてくれた。
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ベッペ・ケスラーの作業机の上のムードボードと素材サンプル、撮影:ダニエーレ・ディ・カロリス
マルゲリータ・ポテンザ:「ニレの種」は、先ごろGalerie Rob Koudijsで行われた個展で発表されたコレクションですが、この作品についてお聞かせいただけますか。物と素材、それらを入手した場所とを結びつけることで、アムステルダムの街との関係を構築して制作を進めたかったというお話を聞いて、関心を惹かれました。
ベッペ・ケスラー:このプロジェクトを始めるに至ったきっかけは、とるにたらないものや、無価値なものとは何かという概念を考察したかったからです。私は2年前から、糸くずや小さな端切れ――つまり小さくて「価値のないもの」を使ってジュエリーを制作しています。これらの作品は、そのような「とるにたらなさ」を支えるのは記憶の総体であり、それが作品に価値を与えているのだという考えを表しています。実質的に無意味な物にすべてが含まれうるという矛盾が気に入っています。その後、絵画の一部やジュエリー、古いコンピュータの部品などの素材へと手を広げていき、それらを使って新たな構成を創り出すようになりました。ニレの種を使ったプロジェクトは、歩道の上を風でくるくると舞い上がるニレの種を見たのが着想源になっています。それをテーマにした短い動画を作り、ジュエリーと一緒に展示しました。いま振り返ると、これらのイメージは、私が絵画で繰り返し扱うもうひとつのテーマである風を視覚化しようとしたのだとみなせるように思います。
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ベッペ・ケスラーの作業テーブルの上に並んだネックレスパーツとファウンドマテリアル、撮影:ダニエーレ・ディ・カロリス
関連記事: サビーナ・ティムロートが生み出すテキスタイルのジュエリー
関連記事: 展覧会評:CODA美術館「ジュエリーの裏の顔」
関連記事:Art Jewelry Forumインタビュー:ベッペ・ケスラー(2014年)
この秋から2020年3月1日にかけては、もうひとつの重要な展覧会である大規模な個展が、CODA美術館で開催されています。
ベッペ・ケスラー:この「まなざしの時間」展では、過去40年間にわたる絵画とジュエリー制作の歩みをご覧いただけます。もし私が、自分がどんなアーティストなのかを説明するとしたら、小さなものを作る画家であり、絵画を制作するジュエリー作家でもあるのだと答えます。私にとって、絵画と「小さなものを作る」ことは、密接につながり合った行為です。絵画からジュエリーが生まれることもあれば、その逆も起こります。絵画とジュエリーのどちらにも、人生について私が抱く思いや感情が表れています。展覧会では、出品作には、断片化した時間――つまりは、ジュエリーと絵画との関係がもっともわかりやすく表れている作品を選びました。最終的な形はバラバラでも、生まれ出た土壌を同じくするという点ではみんなひとつ。作品で扱うテーマは、風や時間、ぬくもり、無など、目に見えない実態のないものが多いです。私は自分のキャリアを通してずっと、時間とは何か、無とは何かという問いに、絵画やドローイング、ブローチという形で答えを見つけようとしてきました。
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ベッペ・ケスラーの曲面絵画(2017)、バルサ材、鉛筆画による壁面絵画に設置、撮影:ダニエーレ・ディ・カロリス
あなたは最初にテキスタイルデザイナーの職に就き、その後、絵画とジュエリーの制作に転向したそうですね。
ベッペ・ケスラー:私はテキスタイルデザインを学びました��、ドローイングも長年の習慣のひとつなので、はじめからこのふたつは結び付いていました。その枠組みにジュエリーが加わったのは、80年代に輪ゴムで作品を作るようになった時のことです。当時は多くのジュエリーアーティストが、それまで使われなかった新しい素材に挑戦していた時代でしたから、私の作品も時流と一致していました。その後もテキスタイルを使ってジュエリーの制作を続け、90年代終わりにテキスタイルデザインから足を洗い、自分の描く絵と呼応するようなジュエリーを制作して、自分の道を進むことに決めました。
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制作中の絵画が並ぶベッペ・ケスラーのスタジオの一画、撮影:ダニエーレ・ディ・カロリス
あなたが昨年制作した絵画シリーズのことが思い出されます。この作品では、キャンバスの一部を取り外してブローチとして身につけられるようになっていましたね。
ベッペ・ケスラー:あの作品は、直観のままにジュエリーと絵画とをかけ合わせた良い例です。あのシリーズの絵を描きながら、絵の一部を切り取って装身具にしたらきれいだろうな、と思ったのです。
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ベッペ・ケスラーの絵画作品(無題)(2011)、皺を寄せたキャンバス、撮影:ダニエーレ・ディ・カロリス
このような平面と立体との両義性は、あなたの作品に頻出する要素のようですね。別の作品では、絵に穴が開いていて、首周りに装着すると襟に変わるようになっていました。
ベッペ・ケスラー:私はいつも平面と立体を行き来して制作しています。小さい作品を作っていると細かいことに目が行きがちですが、絵画やドローイングは、そんな時に距離を置くためにも必要な存在です。それによって心が自由になり、またジュエリーの制作に戻ろうと思えます。このふたつの分野の間のサイクルを繰り返しています。
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ベッペ・ケスラー、コゴメグサ、2011、ブローチ、バルサ材、骨、撮影:ダニエーレ・ディ・カロリス
あなたはよく「マテリアルガール」を自称して、ご自身の制作態度を表現していらっしゃいますね。あなたが好んで用いる素材にはどのようなものがありますか? 近年もテキスタイルを使った作品作りを続けていらっしゃいますか?
ベッペ・ケスラー:テキスタイルデザインという形で使うことはないものの、いまでも布はある意味でごく身近な素材です。ある絵画シリーズを制作したとき、糸でキャンバスを覆って全体を白く塗り、その表面に鉛筆でドローイングをしたところ、布の質感によって壁ができて、鉛筆からまるで違う表情が引き出されていました。私はこのような障壁を作って、作品に想定外の要素を持ち込むのが好きなのです。
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ベッペ・ケスラー、1月、2016、ブローチ、金、真鍮、真珠、アクリル、紙、溶岩、撮影:ダニエーレ・ディ・カロリス
あなたの作品には樹脂素材もたびたび登場します。たとえば、ニレの種のシリーズでは、はかなく傷みやすい花びらを、丈夫で長持ちさせるために樹脂が使われています。
私は時にとても弱い素材を使います。そのため、アクリルを覆いとして使いますが、これは保護膜を作��と同時に、素材本来の触覚性が封じ込められるがために、距離を生み出しもします。その作用を打ち消すために、しばしば布を使って、作品の触覚的な要素を取り戻すようにしています。素材としてアクリルが好きというわけではありませんが、ルーペ状に造形して中の素材を大事なもののように見せられるところに魅力を感じます。
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ベッペ・ケスラー、ムーブメント、2011、ネックレス、銀、雪花石こう、木、絵具、撮影:ダニエーレ・ディ・カロリス
金属についてはいかがでしょうか? あなたはいつも、ロウ付けをせずに制作しますね。
ベッペ・ケスラー:私はロウ付けを習ったことがありませんが、もし習っていたらまったく新しい展開が待ち受けていたでしょうね。また、今の私には興味のない、もっと伝統的なジュエリーの道を進むことになっていたでしょう。ロウ付けせずに制作することは生易しいものではありませんが、限界を越え、創意工夫して代替案を見つけようと思えることに惹かれます。これによって自分だけの方法を確立できますから。ほかには、絵画の制作でも金属を使います。アルミの板をキャンバスに見立てて、エッチングのペンで表面を加工するのです。これらのアルミ作品は、平面性を扱っているという点で、(しばしば私の代表作だと見なされる)「曲面」絵画と対を成す作品だといえます。「平面」作品のシリーズは、最初にドローイングの素地として木の板を使い、その後、アルミからただの壁へと発展していきました。
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ベッペ・ケスラー、ピラミッド、2001、ネックレス、バルサ材、テキスタイル、糸、ガラスビーズ、撮影:ダニエーレ・ディ・カロリス
自然はご自分の作品で扱うテーマとしてふさわしいとお考えになりますか?
ベッペ・ケスラー:私は特に自然というテーマを追求したいとは思いません。それよりも、水の流れや気候、風といった、視覚で理解や説明がつかないものの方に惹かれますが、これらの要素の多くは自然とつながりがあります。私が探しているのは、平面のイメージでは表現しえないテーマであり、動きや光、時間で構成されるもの。以前に「時間の海」と題したジュエリーシリーズを制作しましたが、このようなテーマはとても奥が深く、何年でも実験を続けられます。私は見てすぐにわかる物を作ることを特に重要視していませんので、例えば風景画を描いたりはしません。これが、私が「自然を扱うアーティスト」を自称しない理由です。私はむしろ、哲学や、自分の制作を通じて哲学に付与できる物事の方に興味があります。 
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ベッペ・ケスラー、飛ぶのはもうおしまい、2019、ブローチ、アクリル、バルサ材、テキスタイル、撮影:ダニエーレ・ディ・カロリス
ある引用によれば、あなたにとって不完全さや失敗はインスピレーションの源だそうですね。アートジュエリーの世界では、不完全さの称賛はほとんど常套句と化しているほど、この分野の言説における不可欠なテーマであることを踏まえたうえで、この点について詳しく説明していただければと思います。
ベッペ・ケスラー:失敗はそれまで思いつかなかった道を示してくれるという点で、すばらしいインスピレーションの源になりうると考えています。間違いや失敗は放置しないことです。なぜなら、思いもよらないものの見方を獲得できたり、制作における新しい道が開けることがあるからです。制作中は常に「第三の目」が私たちの行いを見ているものです。だから私は、アトリエの壁の高いところに人形を掛けています。これはすべきこととすべきでないことについて私たちが抱く考えを表しており、私にとってこのように現状の約束事を問い続けることは、とても重要なことです。特にドローイングにおいて、間違いをそれ自体でテーマとして扱うようになったのは、ドローイングの最中に描き間違えても、消さずに上から塗り直したりテープを貼ってしまえばターニングポイントになるからです。間違いには独特の美しさがあると思いますし、それをとことん追求することで新しいものに変容します。これは、私たち自身の直観や筆跡による表現であり、技術的な知識や「正しい方法」とは対極を成すものです。私は、ワークショップをやる時に、この手作業が紡ぎだす表現という概念を伝えるよう努めています。というのも、学生は時にルールや善悪に関する既成概念でがんじがらめになっているからです。誰しも自分だけの基準を見つけ出さなければなりませんし、それでこそ面白くなってくるというものです。
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ベッペ・ケスラー、ニレの種、2019、ピン、ニレの種、アクリル、撮影:ダニエーレ・ディ・カロリス
教職はいまも続けていらっしゃいますか?
ベッペ・ケスラー:ええ。ほぼ毎年ワークショップを行っています。最近もお誘いを受けて大阪でワークショップをやりました。テーマは日常の素材とその加工にともなう忍耐です。私が学生のために考えたコンセプトは、安価な素材を使い、それをバラバラに壊すこと――切ってもいいし、穴を開けてもいい。そうしたら、それを直す。これは素材について深く学ぶ方法として効果的だと思います。日本の学生と接するのは興味ぶかかったですよ。目上の人に対する気づかいやゴーサインをもらうことをうんと気にする印象を受けたからです。壊していい、最初は少しぐらいとっちらかっていい、ということをわかってもらうには、ねばりづよく言い聞かせなければなりませんでした。ワークショップをやると、最後にはいつも美しい作品が並ぶので、私の方法論の効果のほどは実証ずみですよ。その極意をひとことでまとめるなら「私を喜ばせようとするんじゃなくて、自分をびっくりさせてやれ!」でしょうか。
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ベッペ・ケスラーのスタジオ、撮影:ダニエーレ・ディ・カロリス
ここ最近、ジュエリーやそれ以外の分野で、興味をひかれたのはどのようなことですか? これまでに足を運んだ展覧会や読んできた本の中で、この記事の読者に紹介したいものはありますか?
ベッペ・ケスラー:先週、ライクス美術館に行って「レンブラントとベラスケス」展を鑑賞しました。スペインとオランダの2人の画家が描いた17世紀の絵画が26点集められ、両者が親密に呼応し合う、私的な展覧会でした。ほかには最近、フランス人の小説家のマリー・ダリュセックが書いた、パウラ・モーダーゾーン=ベッカーという画家の人生を描いた本を読みました。原題は「Être ici est une speldeur」で英語版は「Being Here Is Everything(ここにいることがすべて)」といいますが感動しました。この短命の画家は生前1枚の絵しか売らなかったそうですが、画業に対する情熱が深く、ほとんどの時間を制作に費やしたそうです。
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アムステルダムのスタジオのベッペ・ケスラー、撮影:ダニエーレ・ディ・カロリス
最後に、アーティストの方の取材をするときに必ずお尋ねしている質問をして、締めくくらせてください。あなたが活動をはじめたのは70年代終わりですが、今なお創造性にあふれておられるのは、すごいことだと思います。飽きずに芸術の道を貫いてこられた、その秘訣とは何でしょう?
ベッペ・ケスラー:それについてはしょっちゅう聞かれるのですが、正直私にもわかりません。せいぜいわかっていることといえば、たとえば旅行中などで制作できない期間が2週間も続くと不機嫌になってくるということぐらいです。ありあわせのものでやり過ごせはしますけど……自分が何者でいまどこにいるのかを知るには、目の前に無地のキャンバスがないとダメなんです。確かに飽きが来る時期はあります。そういう時は何を見ても驚きを感じられず、繰り返しに陥ってしまう。でも、それは、どうにかきっかけを作って新しく何かを探すべきタイミングだということです。そうやって新しいインスピレーションが必要になった時、いつでも帰っていける場所がドローイングなのです。
マルゲリータ・ポテンザは、両極的な世界に身を置くことを常とする。それを最大の欠点にして、おそらく最大の美点とするこのデザイナー兼ライターは、イタリアとフランスの血を受け継ぎ、アムステルダムとロンドン、ミラノをまたいで暮らす。人生で唯一不変のものは創造性への愛。制作者兼デザイナー、そしてライターとしての興味の対象は、サイトスペシフィックな作品と身体に関連するオブジェである。
応用芸術分野の経歴を持ち、ロンドンにあるロイヤル・カレッジ・オブ・アートのジュエリー&金工科を卒業。近年の仕事には、フランソワーズ・ファン・デン・ボッシュ財団主催2017年AiRプログラムへの参加、限定生産のジュエリー販売の開始、ダニエーレ・ディ・カロリスとのコラボレーションによるアーティストやデザイナーへのインタビューがある。    
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ありそうでなかった!TSBBQのライトステンレス ダッチオーブンの人気が、止まらない!!
ありそうでなかった!TSBBQのライトステンレス ダッチオーブンの人気が、止まらない!!
  最終更新日:2019/05/07   公開日:2019/05/07
 キャンプ用品
クラウドファンディングサイトMakuakeで驚異の支援者数・支援金額・達成率を記録した、日本で一番注目を浴びている「TSBBQ」のダッチオーブンが、サイズダウンしてさらに使いやすくなって登場しました!今回は、そんな「TSBBQ」と、各アイテムの魅力をご紹介していきます!
アウトドアブランド「TSBBQ」って知ってる?
ものづくりの町「燕三条」
出典:nd3000/ゲッティイメージズ
新潟県の燕市と三条市をひとくくりにした名称ながら、その名を轟かせている日本有数の「ものづくり」が盛んな町、燕三条。両市ともに、金属加工技術は国内でも群を抜いており、世界でもトップクラスを誇っています。江戸時代から長い時を経て磨かれてきた伝統的な鍛治技術は、近年の最先端加工技術へと受け継がれているのです。
アウトドア用品の新ブランド「TSBBQ」
そんな燕三条で誕生したアウトドアブランド「TSBBQ」は、おしゃれで、気がきいていて、しかも簡単!技術をひたむきに磨いてきた株式会社山谷産業と、アートディレクター石川竜太さんとで立ち上げた、アウトドア用品の新ブランドです! 燕三条の、Tsubame Sanjo BBQという頭文字と、バーベキューシーンをスタイリッシュにしたいTry Stylish BBQという想いが込められ、「TSBBQ」というブランド名になっています。さりげなくあしらわれているツバメがかわいいロゴデザインも特徴的ですよね。
スタイリッシュバーベキューのすすめ
Try Stylish BBQ!
Try Stylish BBQ!とは、欧米で親しまれているパーティ・バーベキューをイメージしたTSBBQのコンセプト。読んで字のごとく、スタイリッシュなバーベキュースタイルを提案しています。ありそうでなかった、かゆいところに手の届くスタイリッシュバーベキューを楽しむためのアイテムを、次々と発表しています。
他にない技術を形に!これまでのヒット商品
ローストスタンド
TSBBQの第1弾商品は「さして・回して・焼くだけで、ローストビーフが作れる」をうたった、ローストスタンド。デザイン・携帯性・機能性・使い勝手と、使用する上で重要な要素がしっかり詰め込まれたアイテムです。簡単に組み立て、分解できるのも使いやすさの秘訣!
TSBBQ ROAST STAND
【基本情報】 素材:ステンレス・木 使用サイズ:15cm 重さ:379g
コーヒーセット
続く第2弾商品は、スタンド部分にペグを組み込むという斬新なデザインのコーヒーセット。白を基調としたマグカップと、ドリッパースタンド(ウッドパーツ)、ペグ、ドリッパーはそれぞれ別売りとなっています。ちなみに、18cmのペグ4本セットは、好きな色を選んで組み立て時にカスタマイズ可能!遊び心満載のアイテムです。 購入はこちらから:TSBBQドリッパースタンド ウッドパーツ 購入はこちらから:鋳造ペグ18cm
TSBBQ ホーローマグカップ 360ml
【基本情報】 素材:ステンレス(ホーロー仕上げ) 使用サイズ:8.8cm×11.5cm 重さ:170g
TSBBQホットサンドメーカー
同時に発売開始となったのが、上下が着脱可能なためお手入れも楽チンなホットサンドメーカー。しっかりと端を押さえてくれる構造のため、サンドした中身がはみ出しにくくなっています。独特な焼印の、きれいなホットサンドが作れるアイテムです。
TSBBQホットサンドメーカー
【基本情報】 素材: [本体] アルミニウム合金 [ハンドル] ステンレス・フェノール樹脂 サイズ:16cm×37.4cm 重さ:777g
ライトステンレス ダッチオーブン 10
そして第3弾として発売され、未だその人気が衰えることを知らないのが、「ライトステンレス ダッチオーブン 10」。一般的なダッチオーブンといえば、鋳鉄製のためとても重く、お手入れも決して容易ではないため、初心者には嫌煙されがちなアイテムのひとつでした。
しかし、TSBBQが生み出したのは、世界初のステンレス×アルミで作られた特別なダッチオーブン!アウトドアシーンでも自宅のキッチンでも使える2way仕様を、見事に叶えたアイテムです!熱伝導率の高い3層構造鋼板を採用しており、さらには約30%も鋳鉄製のダッチオーブンより軽量化されています!
さらに、洗剤洗浄可能なため汚れも落としやすく、自然乾燥でもOK!サビにくく、シーズニングの必要もありません!これなら初心者でも、これまでのダッチオーブンに悩まされていた人でも、簡単にダッチオーブンメニューを楽しむことができますね♪
TSBBQ ライトステンレス ダッチオーブン 10インチ
【基本情報】 素材:ステンレス三層鋼 サイズ: [内径] 25.5mm [深さ] 約155mm 重さ:4.18kg
第4弾は、ヒット商品のダウンサイジング&別カラー登場!
ライトステンレス ダッチオーブン 8
そんな大人気商品「ライトステンレス ダッチオーブン 10」をダウンサイジングしてこの春から発売を開始したのが、「ライトステンレス ダッチオーブン 8」。今年2月から先駆けてクラウドファンディングを行った際、支援者445名、支援金額9,555,932円、達成率1990%という偉業を成し遂げた驚異のダッチオーブンです。
「ライトステンレス ダッチオーブン 8」は、ダウンサイジングされた分、適量での調理がしやすくなっています。平日は自宅のキッチンで使って、週末はアウトドアで使う、といった勝手のよさに磨きがかかっているため、使い始めたらその魅力の虜になってしまうこと間違いなし!
TSBBQ ライトステンレス ダッチオーブン 8インチ
【基本情報】 素材:ステンレス三層鋼 サイズ: [内径] 19.7mm [深さ] 約95mm 重さ:2.76kg
TSBBQホットサンドメーカーシルバー
1年間で10,000個以上を販売したTSBBQホットサンドメーカーからは、限定色のシルバーが登場!通常のホットサンドメーカーより明るいカラーのため、晴れやかな気持ちで料理を楽しめそうなアイテムです♪
【限定】TSBBQ ホットサンドメーカー シルバー
【基本情報】 素材: [本体] アルミニウム合金 [ハンドル] ステンレス・フェノール樹脂 サイズ:16cm×37.4cm 重さ:777g
TSBBQホットサンドメーカーカバー
同時に発売開始となったもうひとつのアイテムが、本革のホットサンドメーカーカバー。食パンをモチーフに、淡い色合いの本革を使用しています。その遊び心と、長く使って欲しいという製作者の想いが伝わってくるアイテムです!
TSBBQ ホットサンドメーカーカバー
【基本情報】 素材:本革(ヌメ革) サイズ:18cm×21cm 重さ:170g
まとめ
いかがでしたか?TSBBQのアイテムは、ありそうでなかった「かゆいところに手がとどく」発想力と、その発想を実現できる高い技術力、そして何よりも使っていて感じる実用性の高さに魅力が詰まっています。ひとつあれば長く使えるアイテムを手に入れて、自宅でもアウトドアでも、美味しい時間を楽しんでみてください。
fuji
「赤毛のアン」が人生のバイブル。 写真を撮るなら専らフィルム派です。 思い立ったらすぐどこにでも旅に出ます___✈︎
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asa-ko · 7 years ago
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ウイスキーと今後の計画の話し合い
2018.6.21.20:21
こわがらないで、もう八時よ 安心して、まだ八時よ
お話の続きをしましょう
柔らかな闇と動き出す光
あたたかいケーキと あたたかくなる飲み物 ケーキは抹茶色で 飲み物は琥珀色です
喉があつくなって 安心します
こういうとき お水はチェイサーという名前に変わります
ずいぶんと平凡で わけのわからないところまで 歩いてきてしまったという気になります
わたしは 昨年の冬に弾いたピアノを聴いています なにもかもはじまりがなくて はじまりらしいところがしっかりあります
白熱灯は 火のそれよりも 優しい色なのかもしれません それはお日様に近いからかもしれません
今日はもう火を使う気になりません だからこうして気楽にやっています わたしたちは栄養失調で死ぬかもしれないけれど その前になにかべつのことで死ぬかもしれません
今日はピアノを弾きました とても良いラインになりました それはずっと肉付きを帯びて どんどん色気を増していくように思えます
今聴いているピアノは ほとんどの人が下手くそだと言うと思います 音をそこで繋ぎました 道がわからずにてくてくと歩くと なにか知らない場所に行きついたりするものです そこには迷子の音がありました たしかにどこかにたどりつこうとする 迷子の音が聴こえます これをわたしばかりで 美しいと思い続けます 今日の音は たくさんのことが詰まっていたので いつもよりも美しかったし 本当に近い気がしました それでもこのときほど透明な音ではありません そんなことはわたしばかりが感じていることです
今日弾いたラインの ほとんどすべてが この日の迷子の歩みの道を そっくり辿ることで 道という道になり得てきました
線と湯気、道と足跡
今日は名刺がどうしてもすれなくて そのままなぞの会合へと向かいました 思いがけず一人顔を知る女の人がいた気がしました すぐに見えなくなって わたしはなんのこともなくその広場を後にしました
なにか懐かしい気にはなりました
羊だろうと狼だろうと みんな群れて固まることで安住の土地を得ます
正しさも美しさも楽しさも つねに自らの手で更新され 選択されていくものだと思います
なにがみんなにとっての幸せになるでしょう?
そこそこよくできたパッケージを 共有し合うことでなく 皆がそれぞれに何かを掴み取っていくことができる土台
ピアノが高揚モードに入ってきたのでオフしましたよ
個と個があるということをわすれずにおいておいて 個と個の狭間でない場所で なにかを示すことをしていくことがこれからの仕事になる気がします わたしのこれまでの役割はそのままで やり方は変わっていかなくては わたしの身体がもう多分もたないと思います
飲んだくれて墓石になるんですよ
わたしはもうわたしのために生きようと思います それが一番のだいじなことです
わたしは不快を感じたくありません わたしの意識する範囲で何者かが苦しんでいることが不快です 完璧な配列になっていなくては不快です なにもかもが慈しみ合う関係性が成り立っていない場に身をおくことが不快です 意識を広げれば広げるほど不快が大きくなるなら せめて小さな家の中の不快を排除したいだけです 家の中は世界と繋がっています 何もかもがまるっきり関係をたてるところはありません もしあるとすればそれは わたしとあなたという ひとつとひとつが対峙したときのみです 世界の輪郭がぼやけて ほかのなにもかもが見えなくなるとき そういう場所をしっています
それはひとつとひとつのみにありますが それはつらなって 大きなあみになったりします
それがその網の外を排他することになってはいけません
なにってわたしは これからのために考え事をしたいんですよ
今までのように頭ばかりで考えていたら 完璧なように思えたとしても わたしが疲れる計画になってしまうから 頭を麻痺させながら 身体と心に聞くんです
わたしが楽しくて みんなも楽しい しあわせでうれしい計画にしたいんです
キャット ロマンス ロマンティカ
しあわせの食卓 って、もうすでにあったじゃない
ここはテーブルであり、ベッドである
寝食
ねるところからたべるとこまで
ハレの日もケの日も
ここはテーブルでありベッドである ねこであり花であり器である 今日であり昨日であり明日でありその日である あなたであり、わたしである
ねこのくちづけふれずにおいで わたしに教えて だいじなこと
なんて説明したら良いの?
物が時と場所をつなぐ あなたとわたしをつなぐ
教えてわたしの案内人 教えてキスキャット
テーブルを囲いほほ笑みかける 灯りを消して夜に寄り添う
永遠のロマンスを このひと時に小さくこめて
Tomorrow Toyama
河内の意見 ゆるやかであったかいイメージにしたい 制作もゆるやかであったかく 守られているこの状態を持続させる中 熱を持って魅力を曝け出してやわらかに、しなやかに、アピールしていく感じ 連携プレーをもっと組む
女性的なつながり
犬的な社会でなく 猫的な社会 縦社会でなく横社会 このへんのガラスの社会はもともとこれに値する
キャット、なんだったっけ Creative Air Team methodology
CAT
汗だくにならない
物ではなく 人は背後にあるストーリーを買う
富山弁のシーエム(?)
富山ガラス Glass CAT made in Toyama
Glass Creative Air Team
GCAT じいネコ富山
ロマンスにつなげて売っていく いろんな時代の幸せの時がある いつだってそこにあなたとわたしがある
ペット 子供
富山の薬
薬瓶 暮らしの薬瓶 しあわせなきもちになるテーブルウェア、ベッドウェア
こしのひすい、腰の青シリーズがあるなら、 薬瓶由来のものをこもんてーまにするべき
薬瓶の形を抽出するのでなく 薬瓶の概念を抽出し生活雑貨に注入する
乾杯が楽しくなるグラス ワインを冷やす、お花もいれられる大きな瓶 あたたかなきもちになるキャンドルホルダー 空間を包み込む灯りをデザインするランプシェード 普段のお水がおいしくなるグラスとジャー
薬売りはどこへでも
ふだんの暮らしに必要なのは お医者様ではなく 家の中の住民の あたたかく美しいこころである
富山のガラスは 家の中の特効薬に 変わらぬ形をとどめて いつも大切なものを守る 美しい時をかざる
先用後利 「用いることを先にし、利益は後から」とした富山売薬業の基本理念である。創業の江戸時代の元禄期から現在まで脈々と受け継がれている。始まりは富山藩2代藩主の正甫の訓示「用を先にし利を後にし、医療の仁恵に浴びせざる寒村僻地にまで広く救療の志を貫通せよ。」と伝えられている。
富山市は、ガラスのまちへと… ということを決めた時、 産業にすることを先ずの目的にせず、 その環境を整え、広く知識を学ぶこと、価値観や可能性を広げることを試みた。 富山のガラスは、不思議なほどに多様性に富んでいる。 誰もが独自の道を各々に探す 研究所は、技術習得よりも、自己の表現追求に重きを置いた 伝統的なものを引き継いで習得することに囚われることなく、多文化のものも取り入れることに躊躇することなく、国内外の様々な作家を招いての教育に取り組んできた。 工房は、作家たちが各々の制作に取り組みやすくなるような仕組みを作り、県内外からも作り手の集まる場になった。 まちの様々な注文をうけ、たくさんいろいろな種類のガラスの製品を作り出してきた。 たくさんの人びとがガラスの魅力、ガラスの楽しさを感じ、喜んでもらいたいという思いから、体験の工房ができた。
それは、薬のときにもあった、先用後利の思いがもとにある。 約25年経ち、富山のガラスは、たくさんの人びとの支えによって、思いによって、深く大きくなった。 これから、富山のガラスは、今までよりも、もっと人びとの生活に寄り添い、人びとの暮らしを豊かにすることに、新しい一歩を踏み出していくことを決めました。
市民の方々に支えていただいた恩恵を、返していく より発展させていく ガラスウェアを一大産業にしていく
事前使用システム
使いやすさを感じていただくために 〜日間レンタル可能
おまけ(おみやげ) 編集 富山の売薬の1つの特長としておまけ(おみやげ)を渡すことがあげられるが、江戸時代後期から行われているおまけで人気があったのが、富山絵(錦絵)と呼ばれた売薬版画(浮世絵)で、歌舞伎役者絵、名所絵(風景画)、福絵などいろいろな種類が擦られ全国の家庭に配られた。そのほか紙風船をはじめ、「食べ合わせ」の表や当時の歌舞伎の情報や、紫雲英の種など軽いものを中心に日本中に配った。また上得意には、輪島塗や若狭塗の塗箸、九谷焼の盃や湯飲みなどをおみやげとして渡していた。現在もおまけは渡しているが、高級品の進呈は業界の取り決めによりほぼなくなっている。
北原照久は『「おまけ」の博物誌』(PHP新書)で「おまけ」のルーツを求め、「富山が生んだ日本初の販促ツール」という一章を設けている。wikiより
富山のガラスを買ったら、薬のパッケージ入りのお菓子がつく、など
このガラスがあることで、家の中にしあわせがやってくる、不調(不幸)が回避される、というようなワクワク、あたたかい気持ちになるようなパッケージ、商品を考える。
お菓子が難しいならミニレターセットなどでもいい。
うれしくなるノベルティ
紙風船
小さなグラス拭きの布などでも。
バレンタインのときはそれにちなんだ、アクセサリーに近いもの、クリスマスの時は愛に効く薬、など、シーズンなどによって変えることで、商品そのもののビッグチェンジを毎回しなくても、スタンダードラインはそのままで、喜んでもらえる。
また、「庶民哲学」のような言葉を広めたとされる[10]。例えば、「高いつもりで低いのが教養 低いつもりで高いのが気位 深いつもりで浅いのが知識 浅いつもりで深いのが欲の皮 厚いつもりで薄いのが人情��薄いつもりで厚いのが面の皮 強いつもりで弱い根性 弱いつもりで強い自我 多いつもりで少ない分別 少ないつもりで多い無駄」などである。
ラグジュアリー層にこそ受け入れられる可能性のある、文字入り(手書き風)グラス、など
遊び心のある人に、「お薬グラス」などとして。もちろん、ステムをつけるなどして、安っぽくならないように。ラグジュアリーの中に、ラグジュアリーに浸るのをもうよしとしない、すこし?さらに教養の高い?層を狙う、またそういう人たちが増えることを願って。
海外にも飛翔した「富山売薬」
 この「売薬歌」で「満州支那の奥地よリ メキシコ南洋の果てまでも」と歌われている点についてだが、富山売薬は明治期に日本人の大陸進出などに伴ない、海外にまで進出していった。主として海外へ移住する日本人を追ってのものだったが、明治42年(1909)の『富山売薬紀要』によると、同19年に藤井諭三がハワイで配置売薬を始めたのを皮切りに、土田真雄が韓国へ、隅田岩次郎が清国アモイヘ、寺田久平や重松佐平が上海へと飛翔した。明治40年代の輸出売薬従事者は43名と4社。朝鮮半島、中国大陸、ハワイ、台湾、ウラジオストックなどから、さらに、遠くブラジル、インドにまで、富山売薬は日本人の行くところ、どこへでも進出して行ったのである。
ガラスも海外へ!
ブランドネーム、ロゴ、コンセプト
とやまる
とやま
富玻璃
Ecchu
こしの
越の国
便
BIN TOYAMA
BIN
phial phi・al /fάɪəl/ 【名詞】【可算名詞】 小型ガラス瓶; (特に)薬瓶,アンプル.
Phial of T
phial 【名詞】 1. 薬を入れるビン(特に針から注入できるよう殺菌して密閉した容器)(a small bottle that contains a drug (especially a sealed sterile container for injection by needle)) ちょっとちがうかな
KOBIN
KOBIN ROBIN
ばいやく ちょっといや
Kusuri たぶんだめ
薬瓶をモチーフにしたロゴがあるべき ハートとかつけたい 家庭の病、なんにでもきく!!っていう当初のむだな彼らの自信を、喜んで反映させたい
くすりだちゃ びんっちゃ とやまだちゃ おくすりいるけ のまれんか しとかれ しられ
Koshinoharu 越波瑠 越春 越治(これでもこしのはる、と読む!) 越晴!
おくすりのように人を癒し生活を豊かにする的な〜
過去の歴史より
気をつける?こと
富山売薬最大の試練「売薬印紙税」
 富山売薬はこうして明治以降も伸張・発展を続けた。 しかし、それは厳しい試練にさらされてのものだった。 明治政府は「維新」の言葉からもわかるように、諸事を西欧化に一新することを基本とした。それは医薬・医療制度でも同様であった。政府は明治3年(1870)、衛生上、危害を生ずる怒れのある薬の販売を禁止し、有効な薬の製造を奨励する-との趣旨から「売薬取締規則」を発令し、従来の売薬の取り締まりに乗り出した。  当時、「神仏・夢想・家伝・秘方・秘薬」などの言葉を用い、「万病に効く」といった、あまりにいい加減な「妙薬」なるものが巷に野放し状態だったからである。富山売薬にとって不幸だったのは、西洋医学を第一とする維新政府関係者あるいは当時の有識者らには、漢方薬などとともに富山売薬の和漢生薬類の薬も、巷の「まがいものの薬」と同様に写り、「効果のない気休めだけの薬」との偏見の目で遇されたことである。  こうした政府の偏見で導入されたのが、明治15年(1882)に布告され、翌16年1月1日から施行された「売薬印紙税」だった。明治10年(1877)の西南の役以降の財政破綻の打開と、その後の伝染病対策費捻出のためとされているが、その背景には、「売薬の薬など害にさえならなければ、あってもいいが、なくなっても一向に構わない-」とする政府の売薬に対するいわゆる無効無害主義の立場があった。  新税は、定価1銭から10銭までは1割、それ以上は5銭増すごとに1銭の印紙を製品に貼付することを義務づける形で課せられた。これは売薬業者にとって大変な重税であった。特に当時、全国の売薬で大さな地位を占めていた富山の売薬業界が受けた打撃は深刻で、同15年に富山の売薬生産額672万円、行商人9,700人だったものが、「売薬印紙税」導入後の同18年には生産額50万円、行商人5,000人にまで激減した。わずか3年でおよそ12分の1にまで規模が縮小したのである。まさに壊滅状態に近かった。  「売薬印紙税」は、大正15年(1926)に廃止されるまで、44年もの間、売薬業界を苦しめ続けた。実は、前述した富山売薬人らの海外飛翔も、海外売薬にはこの重税が免除される特典があったからともされる。
 近代薬事法規制度への対応
 しかし、明治政府が行った、西欧にならった薬事関係法制などの近代化は、富山の売薬業界などには過酷なものであったが、反面、近代国家建設にとっては当然なことであった。明治10年(1877)に太政官布告された「売薬規則」では、薬の品質確保を重点に、製薬を主とする売薬営業者を規定し、さらに製薬せずに販売だけを行う請売業者、実際に薬を売り歩く行商人といった区分を初めて明確にした。製薬を行う売薬営業者は、「薬の品質に個々に責任を負うべし」とされたため、こうした政府の方針に対応して、より良質な医薬品製造のため明治9年(1876)に現在の広貫堂の前身である調剤所広貫堂が設立された。明治10年代に入ると、富山では売薬業者らが共同で次々と会社を設立し、また、薬学校も設立した。  これには政府も呼応し、売薬に対する考えを「無効無害主義」から「有効無害主義」に転換していく。 それが「売薬印紙税」の廃止につながっていくのだが、それに先見ち大正3年(1914)、政府は「売薬法」を制定し、より有効で安全な医薬品製造のため、西欧先進諸国と同様に薬剤師制度を設け、「薬剤師あるいは薬剤師を使用する者、または医師でなければ薬を調製してはいけない」とした。ここで初めて製薬に「薬剤師」の関与を義務づけたのである。  それまでの売薬業者は、行商から帰っては自宅で思い思いに次に配置する薬を自ら製造し、また行商に出かけた。だが、この「売薬法」制定の後は、薬剤師を使用するか、あるいは薬剤師を雇用している会社においてでなければ製造ができなくなった。また、その薬の処方も、従来のように「家伝」「秘方」などと称して秘密にしておくことは許されず、配合成分を公開することが義務づけられた(各業者は一部に家伝などの未公開の薬も扱った)。  ちなみに「売薬」という言葉は、戦時下の昭和18年(1943)に公布・施行された薬事法の制定まで、現在でいうところの「市販医薬品」の意味で法律上でも使用されていた。しかし、薬事法で薬は「日本薬局方医薬品」と「局方外薬品」に大別され、「売薬」は「局方外薬品」と同一に医療品全般に一括されることとなり、法律の文面から「売薬」の文字は消えた。
 「富山売薬三百年」存続の秘訣
 富山売薬の家の次男に生まれ、昭和26年(1951)に単身東京に出て、一代で都内を中心に約150店舗、従業員約600名を擁するドラッグストアを育て上げた人がいる。平成12年(2000)9月に東証2部に株式上場も行なった全国有数のドラッグストアチェーンである株式会社セイジョーの創業者で社長の斎藤正巳氏である。  同社は、他の大手ドラッグストアとは少々趣が異なる。社員1人当たりおよび売り場面積単位当たりの売上高が抜群に高いのだ。徹底した社員教育と説明販売で「薬局の東大病院」の異名をとり、利益率はドラッグストア業界ナンバーワンを誇る。その斎藤社長が、経営に積極的に取り入れているのが「富山売薬三百有余年存続の秘訣」であるという。  斎藤社長は言う。「富山売薬とは本来、個人業者のものだ。いろんなことを勉強していて話題が豊富で、話もうまい。知識プラス説得力もある。説得する貫禄もある。また、話し相手のいないご老人の話も上手に聞いてあげる。だからお客さんは『いい話を聞いた』『この人にまた訪ねてきて欲しいから、この人の置き薬を飲もう』という気になった。値引きも言い出さない。これがただの物販だったら、『もっと���くしろ』『もっと安く薬が手に入るよ』となる。富山の売薬さんは置き薬以外のところで、仲人もしたり、田畑の作り方の指導をしたり、いっぱい『タネ』を撒いてきたのだ。これが富山売薬に限らず、ほんとうの意味での商いではないでしょうか」。  同社の社員教育は、まず徹底した顧客への接客態度に始まる。挨拶から釣銭の出し方に始まり、それから医薬品などに関する知識へと移る。最近では、ロイヤルカスタマー登録という顧客サービス制度も設け、幾度も来店する顧客に関しては、レジなどで名前で呼びかけるように社員教育しているという。店頭販売において顧客一人ひとりを「個」で捉えるまでに指導しているというのだ。コンピュータによる情報管理でそれがいっそう可能となった。  では、この顧客一人ひとりの「顔」を実際に見て、その一人ひとりに個々に対応してきたビジネスの代表は何か。それは言うまでもなく一軒一軒の家庭を訪ね、その家の人の「顔」と「生活の揚」をしっかりと見て商いを行なってきた、他でもない富山売薬だった。
 「礼儀作法」「教養」「モラル」
 そうした「他人の生活の場」に足を踏み入れるにあたって、富山売薬人たちは砕身の注意を払ってきた。それには決して欠かしてはいけないルールがあった。それは「正直」であり、「勤勉さ」であり、さらに仏壇があれば必ず手を合わせ、その家のご先祖さまにまで敬意を表するといった「礼儀作法」であった。  置き薬を長年愛用してきた、ある地方のお得意先が作った川柳に、「戸を閉めて、またおじぎするクスリ売り」というのがある。富山売薬人にとっては、薬を売ることだけが商いではなかったのである。その前に、いかに礼偽正しく、美しくお客さんの前で振舞うか、自分の身のこなし、一つ一つをいかに洗練されたものにするかが勝負だったのである。その礼儀正しい態度にお客さんも応え、決して粗末に応対はしなかった。かつて、50年間に一度も値引きをしたことがなかったと話した富山の売薬さんは、その秘訣を「それはひとえに、正しい礼儀作法のお陰です」と語った。  富山売薬が三百有余年の風雪に耐えてきた要因に「先用後利の商法」「懸場帳」等などいろいろ挙げられる。そのいずれもが正しいかもしれない。しかし、それを超えて、その基本にあったものは、顧客を「個」で捉え、「個々」に対応し、その際に「正直」「勤勉」「倹約」を旨とし、さらに「礼儀作法」「教養」「モラル」に裏づけされた売薬人個々の「人間カ」だった。ひとえに、この「ヒト」に支えられて、富山売薬は江戸期から明治・大正・昭和という時代の風雪を乗り越えてきたように思えてならないし、この基本は平成の世になっても、その後も、なんら変わらないのではなかろうか。
わっしょいわっしょい
どうどう!
乾杯しましょう
なにも決まっていないけれど!
きっとなにか良いものに決まる気がするよ
とにかくこのあたりまで、こられてうれしい
抱きつきたいきぶんです!なにかに
なにかと楽しみですよん
おやすみなさぁい
とぅるとぅとぅとぅ〜
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泡鈕必不可少的四個秘籍妳知道嗎?
泡鈕有套路,千萬別相信金誠所至金石為開。不然女人也不會大部分喜歡壞男人了。今天黑馬君在這裏說的是泡鈕寶典中的四大秘訣:“摸,靠,粘,審”
  第壹訣:摸
  這個“摸”不同於妳想象的那個摸,是摸清底細。俺孫子說:知己知彼,百戰不殆。兄弟是個大老粗,不會抽象思維,說不太清楚。妳們都是什麽生物生的,化學化的,應該能懂這個道理。
  摸有分會摸,不會摸兩種:會摸者摸其心,不會摸者摸其表。對她的喜歡什麽、厭惡什麽,用什麽香水、唇膏,有什麽口頭禪、癖好,家庭出身、政治背景,等等等等,全部分門別類,記個滾瓜爛熟。記住,妳不是在應付考試。這不,說難也不難,說易也不易,只要肯下工夫。當年兄弟我,每每見到心儀的美眉,比差諸姐妹把她摸個清清楚楚。有了這些資料,便能立於不敗之地。
  第二訣:靠
  兵馬未動,糧草先行。戀愛中的人心緒很不穩定,有時壹句話都能引起波瀾萬丈,形勢陡轉。因此,先把美眉身邊的人打點仔細羅。
  如果她有男朋友,先和她男朋友成為鐵哥們,伺機而動,用盡妳肚子裏的壞水,妳總有扶正的那壹天。試看古史,趙高,燕王,雍正等大哥,做得豈止漂亮。如果她沒有男朋友,那就簡單壹些,但亦不可大意。兄弟我這壹點做得不好,結果她眾姐妹壹句“他只是壹種距離美而已!”害得兄弟我形影相吊,煢煢孑立好幾個禮拜。
第三诀:粘
  顾名思义,粘住她不放。所谓精诚所至,金石为开。这方面,李白兄弟知道的很清楚,他知道拿根铁棍去磨,也能磨出根针来。女孩是水做的,易动。工夫下到家,肯定是“有情人终成眷属”,再没人说三道四了。要做好这一步,建议先读几遍厚黑。这粘也别粘得那么死扳,出点花样。该刚就刚,该柔则柔。什么玫瑰、张学友、大宝送勤点。刘欢说:该出手时就出手。他是为了你好!
  这一点,屡试不爽。迄今无失败的病例。美眉们别笑,如果你碰上这样的对��,偏偏那厮又不属于白马系列,你就准备哭吧。你要求我,我也会给你解招。谁叫我老人家有一腔热血呢。
  第四诀:审
  所谓第四诀,即可有可无也。审,就是仔细想想你和她属于那一类,说白了就是配不配,否则追到手也没好果子吃,不值啊!不过那全在你,你说配就配,你说不配就不配。如果她说你不配,兄弟我把她关起来,每天喂她二十斤猪油,五年之后,看她还配不配!
持久液 益粒可 日本藤素 美國黑金 性藥品 壯陽藥 美國威樂 日本藤素哪裡買 持久液那種好 一炮到天亮
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generalwonderlandpeace · 7 months ago
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