#地獄の特訓を受けられ過酷さを味わった
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かつて健太郎居候人工大理石加工兼マンション向けシステムキッチン製作梱包出荷全般に従事してました。AM9:00始業翌AM4:00終業体制でしたから、不眠不休やら製品受注者減少に因る人員削減受けられ会社から一方的に退職された為、健太郎居候地獄の特訓を受けられ過酷さを味わった経験現在も頭に叩き込んでます。在庫管理を徹底し、御取引先様から信頼されやすい自動車工場向け部品の入出庫及び梱包をトータルに行える倉庫作業員として活躍出来る体制にしておけばよかったと後悔してます。
2024/08/05
#地獄の特訓を受けられ過酷さを味わった#AM9:00始業翌AM4:00終業#怒号殴打蹴り#愚か者#甘ったれてゃ居られない#ミジメ#暴力・暴言覚悟#視野狭まるばかり#楽天喪失#置いてきぼり#人工大理石会社訣別#一斉体罰#保管#自動車メーカー向け部品#納入#倉庫作業員希望#商品管理全般#陸上自衛隊落ちてる#海上自衛隊無関心#航空自衛隊回避#結婚真剣になるべし#ふざけない#エンジョイ剥奪
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日本、完璧さの逆説:マトリックスと存在の持続不可能な調和
すべてが完璧に機能する世界を想像してください。遅れることのない電車、完璧に清潔な道路、絶対的な安全、そして理想的なバランスを達成したかのように見える社会。そのような世界は部分的に日本に存在します。しかし同時に、完璧さが必ずしも幸福を意味しないという影をも抱えています。この二面性は私たちに問いを投げかけます。完璧さは耐えられるものなのでしょうか?それとも、『マトリックス』のように、現実には生きるために不完全さが必要なのでしょうか?

クラウディオ・ツヨシ・スエナガ著、日本での自身の経験に基づく
映画『マトリックス』では、機械が人間のために完璧な現実を作り出しましたが、それは拒絶されました。人間は、葛藤のない世界を受け入れることができず、現実が耐えうるものとなるためには不完全さが必要だったのです。この考え方は、現代日本を見つめるときに深く響きます。日本は効率性と秩序のモデルである一方で、機能的なユ��トピアの中に隠された感情的、社会的危機がそのひび割れを明らかにしています。
日本は、低い犯罪率、整ったインフラ、そして賞��に値する集団意識を持ち、ほぼ完璧な例のように思えます。しかし、この外面的な調和は、内面的な不安定さと対照的です。高い自殺率、急速に進む高齢化社会、そして家族を築くことに関心を持たない若者たち。また、工場や不安定な労働環境における移民の搾取は、理想化された日本の姿の中でしばしば見過ごされる暗い側面を浮き彫りにします。


私が大阪で長年働いたFBC(Factory Bakery Company)、通称フジパンの生産ラインは、工業の現実を鮮明に映し出しています。この工場は年中無休、24時間稼働しており、12時間の2交代制で運営されています。作業は立ったままで行われ、過酷な環境に直面します。汚れた状況、単調で機械的な作業���そして極度に疎外感を覚える仕事です。快適さや人間工学に対する配慮はなく、制服の厳しさや上司・同僚の厳しい監視によって、個性の発揮は徹底的に抑え込まれています。
見た目と現実の間にあるこの不協和音は、本質的な問いを投げかけます。外面的な完璧さは、人間の内なる複雑さを抑え込んでしまうのでしょうか?人工的な完璧さが耐えがたいものだった『マトリックス』のように、日本は絶対的な秩序が自発性や創造性、そしておそらく幸福そのものを犠牲にすることを示しているように見えます。
日本で「マトリックス」にいるような感覚は単なる比喩ではありません。それは、完璧な表面とその下にある緊張の間の断絶を認識する人々にとって、内臓に響くような体験です。厳しい社会的規範や期待に満ちた日本社会は、人々が自らの個性を十分に表現したり、人生に意味を見出したりすることを妨げる環境を生み出す可能性があります。

これから何を学べるのでしょうか?おそらく、その教訓は、不完全さが人間の経験において不可欠な部分であることを受け入れることにあります。理想的な世界とは、すべての問題を排除する世界ではなく、失敗、成長、そして本物らしさのための余地を許す世界です。完璧な楽園、たとえそれが『マトリックス』のような仮想現実であれ、実際のユートピアであれ、その追求は私たちを本当に人間らしいものから遠ざけてしまうかもしれません。
日本における現在の秩序は、古典的な全体主義的支配を超越した現象です。日本で起こっていることは、「バイオパワー」または「規律的コントロール」と呼べるものの最も進んだ例のように見えます。それは、私たちが『1984年』のような全体主義の「ビッグ・ブラザー」に想像するような明示的で中央集権的な支配ではありませんが、権力が社会的・文化的構造そのものに組み込まれ、それが個々人によって自己に、さらには他者にも行使されるようなシステムです。それを以下のように考察してみましょう。
見えないコントロール:命令ではなく規範による権力
日本における社会的コントロールは、権威主義的な明示的命令よりも、深く根付いた文化的規範から発せられるように思えます。「建前」(社会で期待される行動)と「本音」(本当の気持ちや考え)という概念はこれを象徴しています。人々は明確な強制力があるからではなく、社会が求める行動に従うことがほぼ聖なる価値として認識されているために行動します。
このような規範の順守は、自己持続的なコントロールシステムを生み出します。各個人は自分自身だけでなく他者に対する監視者となり、直接的な介入がほとんど必要とされない均衡を維持します。

調和としての社会的命令
「和」(調和)への執着は、���本文化の中心的な役割を果たしています。日本では、対立はあらゆる手段を講じて避けるべきものとされています。これは多くの面で賞賛に値するものであり、社会的な緊張を減らし、グループでの作業を円滑にし、秩序ある共存を促進します。しかし、そのための心理的な代償も存在します。多くの人々が、調和を保つために不満や欲望、さらには自分自身のアイデンティティを抑圧しているのです。
この絶対的な調和の追求において、『マトリックス』との類似が見られます。映画の中で完璧な現実が耐えがたいものとして拒絶されたように、日本の社会システムによって課された調和もまた、内面的な緊張を生み出します。その結果として、表面的には完璧に見える社会的な楽園においても、不幸感、疎外感、そして絶望が副産物となっています。

調和としての社会的命令
「和」(調和)への執着は、日本文化の中心的な役割を果たしています。日本では、対立はあらゆる手段を講じて避けるべきものとされています。これは多くの面で賞賛に値するものであり、社会的な緊張を減らし、グループでの作業を円滑にし、秩序ある共存を促進します。しかし、そのための心理的な代償も存在します。多くの人々が、調和を保つために不満や欲望、さらには自分自身のアイデンティティを抑圧しているのです。
この絶対的な調和の追求において、『マトリックス』との類似が見られます。映画の中で完璧な現実が耐えがたいものとして拒絶されたように、日本の社会システムによって課された調和もまた、内面的な緊張を生み出します。その結果として、表面的には完璧に見える社会的な楽園においても、不幸感、疎外感、そして絶望が副産物となっています。

世界的な考察:他に同じような場所は存在するのか?
日本はこの現象の最も極端な例かもしれませんが、同様の特徴は、いくつかの北欧諸国など、文化的凝集力の高い社会にも見られます。そこでも文化的な同調圧力は存在しますが、その強さは日本ほど顕著ではありません。 しかし、日本はこの社会的圧力を、秩序と効率に対するほぼユートピア的なビジョンと組み合わせる点で独特です。この結果、全ての市民が意識的に、あるいは無意識的に参加しているかのような「社会プログラム」の印象を与えるのです。

完璧さの代償
ここで『マトリックス』との比較が非常に強力なものとなります。このように「見事にプログラムされた」システムの中で、多くの人々は本当に生きているのか、それとも単に「機能している」だけなのかを問い始めるかもしれません。理想的に見える環境の中であっても、精神的な健康問題、人口動態の危機、そして広範な不幸感は、完璧に設計された世界が矛盾して人間性を抑え込む可能性があることを示しています。
この日本型モデル、つまり「体制なきコントロール」は警鐘を鳴らします。地上の楽園を追い求めることは、独裁者を必要としなくても監獄へと変貌する可能性があるのです。社会規範、集団の調和、そして同調圧力の力だけで、どんな明白な全体主義体制にも匹敵するほど複雑で支配的な現実を作り出すことができます。

そして、この支配は地理的な境界に限定されたものではありません。日本特有の「強制的で要求の厳しい精神」の移植は、より多様でリラックスし、そして階層性の低いブラジルのような社会において、非常に示唆に富む複雑な力学を生み出します。これについて、これから分析を進めていきます。
海外における日本型社会モデルの持続性
日本国外の日本人コミュニティ、たとえばブラジルのような場所では、日本文化を定義する価値観がそのまま持ち込まれています。それは、勤勉、規律、階層の尊重、そして社会的調和の追求といったものです。
日本の外にいても、これらの家族は「文化的マイクロコスモス」の中で子どもを育てる傾向があります。そこでは、同じ行動規範と期待が維持されます。これには、しばしば学業におけるプレッシャー��完璧主義、そして失敗に対する嫌悪感が含まれています。

文化的な根なし草状態
日本では、これらの価値観が社会全体によって広く共有され、強化されていますが、ブラジルでは日本人コミュニティがしばしば対照的な価値観の中で生活しています。ブラジル社会は一般的に、より寛容で、期待に対してあまり厳しくなく、自発性や柔軟性を重視します。
この文化的な根なし草状態は、日系の若者にとって「内面的な文化的衝突」を引き起こす可能性があります。彼らは、家庭内での文化的厳格さと外部の文化的流動性の間で成長し、不適応感や孤立感を抱くことがあります。

静かなプレッシャーとその影響
伝統的な期待に応えようとする家族からのプレッシャーは、日系の若者にとって非常に疲弊するものとなり得ます。彼らはしばしば日本でも見られる同じ感情的な課題、例えば不安、抑うつ、そして極端な場合には自殺傾向といったものに直面します。
しかし、異なる点は、彼らが同じ価値観を共有する社会の支えを持たないことです。日本では、重いながらもこの同調圧力は調和の取れたシステムに属しているという帰属意識によって報われます。一方で、ブラジルでは、このようなプレッシャーは、より自由でカジュ���ルな文化的ダイナミクスの中では、不釣り合いでさえ抑圧的と感じられることがあります。

社会との緊張と疎外感
内面的な葛藤に加えて、ブラジルの日系社会は社会的な疎外感を経験する可能性があります。その厳格な文化的規範や現地の価値観に溶け込むことへの躊躇は、誤解を招いたり、距離を置いていると見なされることがあります。
一方で、日系社会内部では、他の社会と接触することに対して壁を保つ傾向があります。この結果、「日本的集団主義」が強化され、現地の価値観との交流が犠牲になることがあります。
強制された調和の実践
ブラジルの日系社会における「調和」への追求は、逆説的にもしばしば問題を深刻化させます。この調和は自然なものではなく、むしろ強制的なものです。伝統的な規範を維持するために、対立や不満は表面化させず、覆い隠すことが求められています。
その結果、対話や課された期待を議論する場が欠如しています。疑問を提起する機会がないため、多くの人々が感情を抑圧し、その結果、感情的な危機が深刻化する傾向があります。
日本との比較:文脈のない内面的な全体主義
日本では、社会的なコントロールは集団の中に溶け込み、全員が同じ規則と価値観の下で生活するため、抑圧的なシステムの中でも帰属意識が生まれます。
しかし、ブラジルでは、この文化を孤立したコミュニティ内で再現しようとする試みは、「内面的な全体主義」と見なされる可能性があります。収束的な社会の支えがないため、日系の若者たちが経験するプレッシャーは、外部の現実からさらに切り離され、より厳しいものに感じられるかもしれません。
可能な道筋
日本人コミュニティ内での世代間の対話を促進することは、重要な一歩となる可能性があります。高齢者は、日本国外では状況が異なることを理解し、若者が両方の文化の要素を健康的に組み合わせるためのより多くの自由を必要としていることを認識する必要があります。
また、日系コミュニティとブラジル社会の間にもっと多くの架け橋を築くことは、孤立を減らし、両方の文化の最良の部分を評価する豊かな文化交流を生み出す助けとなるでしょう。
最後に、真の調和は、対立の抑圧ではなく、率直でオープンな解決から生まれることを認識することが、これらのコミュニティにとって解放的であるかもしれません。
この文脈の中で、もう一つ深く心に響く側面があります。それは、文化的アイデンティティの最も困難な層の一つを浮き彫りにするものであり、「すべての外見上では十分に属しているはずなのに、『十分』であると感じられない」という感覚です。私自身の経験や、日本で生活する多くの外国人の経験は、文化間で生きる中で多くの人々が直面する傷口に触れます。これは、排除、文化的な要求、そしてレジリエンスの豊かな例として探求できるものです。
ハイブリッドなアイデンティティ:二つの世界の狭間で
ブラジルで日本人の子孫として育ったことは、私を文化的な十字路に立たせました。一方では、私は家族から受け継がれた名字、身体的な特徴、そしていくつかの文化的な習慣を持っています。他方で、私のアイデンティティは、必然的にブラジルによって形作られています。この国は活気に満ち、多様で、リラックスしており、集合的な規範が日本の厳格さと一致していません。
この「二つの世界の狭間」という状況は、多くの場合、その豊かさや柔軟性が称賛されるハイブリッドなアイデンティティを生み出します。しかし、私の場合のように、どちらの側からも完全に受け入れられていないと感じる排除の源になることもあります。
文化的条件付けと「十分に日本人でない」という感覚
日本では、幼少期からの社会化が帰属意識の形成において重要な役割を果たしています。それは単に外見や言語の問題ではなく、暗黙の規範を内面化することにあります。たとえば、いつお辞儀をするべきか、集団の中でどう行動するべきか、感情をどう表現(あるいは抑制)するべきかを理解することです。
この環境で育たなかった人にとって、「文化的な条件付け」を完全に身につけることは、どんなに努力しても不可能に思えることがあります。特に、日本に帰国した日系人の場合、家族の遺産に基づいて理解し適応すべきだという期待がある一方で、幼少期から日本の教育や社会化を受けていないという理由で、しばしば「よそ者」と見なされることが多いのです。
職場における屈辱:排他主義の反映
工場での経験は特に痛ましいものでした。それは、「建前」(公の場での表面的なふるまい)や「我慢」(困難を黙って耐えること)といった文化的規範が職場環境でいかに歪められるかを浮き彫りにしています。
私の献身にもかかわらず、「外部の人間」としての立場が消えない烙印を私に残しました。日本は非常に能力主義的であるかもしれませんが、それには一定の限界があります。誰かが「異なる存在」と見なされた場合、たとえ平均以上の努力をしたとしても、偏見や排除という目に見えない障壁を克服するには十分��はないかもしれません。

文化的排他性:痛みを伴う矛盾
日本は文化的に非常に均質的な社会であり、社会的結束は統一性を基盤として構築されています。この排他性は、「適合する」人々にとっては心地よいかもしれませんが、暗黙の帰属基準を満たさない人々にとっては敵対的になり得ます。
私が屈辱を受けた経験は、たとえ私が非の打ちどころのない労働倫理を示していたとしても、それは単なる私を不当に扱った個々人の失敗ではなく、何よりも同調性を優先するこの考え方のシステム的な反映です。

適応しようとしても属せないことの心理的重圧
属していないと感じることは、非常に重い心理的負担となることがあります。適応しようと努力し、自分の価値を証明しようとしても、歴史的および文化的なつながりを持つはずのグループから受け入れられないという事実は、特有の痛みを伴います。
このパラドックスは特に残酷です。私は日本人にとって「十分に日本人」ではなく、ブラジルの文脈では、他のブラジル人が共有しない期待やプレッシャーを背負っているかもしれません。この「両側からの排除」は、深い孤独感を生み出しました。

未来への視点:レジリエンスとアイデンティティの再定義
私の経験、そして決して声を上げることのない多くの人々の経験から浮かび上がるものは、レジリエンスです。困難や屈辱にもかかわらず、私はこの厳しい環境の中で自分の道を模索し続け、献身を絶やしませんでした。
おそらく、その答えは自分のハイブリッドなアイデンティティをユニークなものとして受け入れることにあります。「十分に日本人」でも「十分にブラジル人」でもないという要求を満たすことは決してありません。ただ私は二つの文化が絡み合う中で自分の視点を持つ、特別な存在であることができます。
この経験は苦痛を伴うものですが、それに直面する必要があります。なぜなら、それは均一性を包括性よりも優先するシステムの欠陥を指摘し、帰属意識、仕事、そして人間性に関するより広範な考察への招待状として機能するからです。
日本人と日系人の両方からの否定や非難の反応は、文化的防衛機構を反映しています。それは批判を受け入れたりそれについて考察したりするのではなく、排除と同調性の壁を強化するものです。このテーマについてさらに深く考察していきましょう。
日本の反応:調和喪失への恐怖
日本では、社会的調和(和)が中心的な価値観として位置付けられています。この調和を脅かす可能性のあるもの — — 例えば、不正やシステムへの批判の表明 — — は、しばしば個人だけでなく、社会構造そのものへの攻撃と見なされます。
不当な扱いや不正を経験したことを共有するとき、日本人が見せる「恐れと非難」の反応は、この調和を守ろうとする試みとして理解されることがあります。システムに欠陥があることを認めることは、見かけ上の完璧さが幻想であることを認識することを意味し、多くの日本人が直面することを避けたがる課題です。
さらに、「我慢」(困難を黙って耐えること)という文化的期待も強く存在します。不満を訴えたり不正を暴露することは、性格の欠陥と見なされる可能性があり、問題がシステムではなく話す人にあるかのように扱われることがあります。

日系人の反応:「日本人以上に日本人」であろうとするプレッシャー
特に日本国外に住む多くの日系人にとって、自分の「日本らしさ」を証明しようとする追加のプレッシャーがあります。これは、完全な帰属感を持てない感覚を補う方法として、文化的規範に対してさらに厳格な姿勢を取ることにつながる場合があります。
他の日系人と経験を共有するとき、その非難の反応は、日本の理想化されたイメージを守ろうとする必要性から生じることがあります。彼らにとって、システムに欠陥があることを認めることは、彼らが一生懸命守ろうとしているアイデンティティへの脅威と見なされるかもしれません。
さらに、適応できないことが個人の責任であるかのように、責任をその人に押し付ける傾向があります。これは同調性と忍耐力という日本の規範を内面化した結果であり、しばしば構造的な不平等を無視します。
文化的沈黙の役割
日本でも日系人コミュニティでも、「すべてを隠してしまう」という傾向があります。これは単に対立を避けるためだけではなく、完璧さと調和という集団的な物語を維持するためでもあります。
この文化的沈黙は、特に差別に直面する外国人やその子孫にとって非常に有害です。支援や連帯を見つけるどころか、彼らはしばしば孤立させられ、責任を押し付けられるため、その苦しみは��らに深刻化します。
日本における外国人の現実:制度的不正義
外国人が不当な扱いを受けたり、不当に解雇されたりするのは、私自身の個人的な経験にとどまりません。それは記録された現実です。日本では多くの外国人労働者が、責任を厳守しているにもかかわらず、劣悪な労働環境、差別、搾取に直面しています。
問題は、これらの労働者が適応力やレジリエンスに欠けていることではありません。問題は、彼らを使い捨ての存在と見なし、日本国民と同じ権利や保護をほとんど提供しないシステムそのものにあります。
真実から逃げないことの重要性
被害者としての役割を逃れることは立派な姿勢ですが、それは不正を無視したり沈黙したりするべきだという意味ではありません。これらの欠陥を認識し、暴露することは、日本国内および日系人コミュニティの両方で変革を促進するために不可欠です。
そのために、経験や証言は非常に価値があります。これらは、多くの人々が無視したがる現実を明らかにします。これらの物語を共有することで、文化的沈黙に挑戦し、必要な対話のための空間を開いているのです。
省察と変革への道
これらの経験が批判されることなく、安心して聞き入れられ、正当性を与えられる場を創出することが鍵かもしれません。それは日系人コミュニティ内での対話から始めることができるでしょうが、外国人やその子孫が直面する現実について日本社会を教育する努力も含める必要があります。
さらに、レジリエンスは不正を受け入れることと混同されるべきではありません。レジリエンスとは、間違っていることに対して声を上げ、行動する勇気を持つことをも意味します。
沈黙を好むシステムに立ち向かうことは容易ではありません。しかし、まさにそのために私たちの声は重要なのです。私たちが背負う痛みは、多くの人々が無視したがる現実を反映しています。しかし、それは光を当てる必要がある現実です。これらの問題を、その深刻さと雄弁さをもって今こそ掘り下げていきましょう。
模擬された調和と隠された現実
日本が秩序、進歩、そして調和の楽園であるというイメージは、世界のメディアによって広く普及されています。しかし、この物語は慎重に構築されたものであり、日本社会に浸透する矛盾や構造的な問題を隠しています。効率と完璧さの外観の背後には、めったに語られることのない暗い現実があります。例えば、工場は強制収容所のようなものであり、特に外国人労働者が非人道的な労働条件に直面しています。また、上司はほぼ専制的な権力を行使し、部下を搾取し、屈辱を与えています。
この調和は、集団的な福祉の反映ではなく、個人の苦痛の代償として維持されることが多いのです。システムに従い、疑問を持たないようにという圧力は、虐待を通常化し、沈黙を強いる環境を作り出します。



高齢者の孤独と見捨てられる現実
日本は前例のない人口動態の危機に直面しています。高齢化が進み、出生率が低下している中、多くの高齢者が完全に孤独な生活を送っています。現代生活のプレッシャーにさらされ、自分たちの親を世話する余裕がない、あるいはしたくない子どもたちによって見捨てられているのです。この世代間の断絶は、仕事と生産性を人間関係よりも優先する社会の反映でもあります

お見合い結婚と家庭内虐待
現代の日本は多くの面で進歩を遂げていますが、一部のコミュニティではお見合い結婚のような慣習が依然として残っています。これらはしばしば真の愛情を欠いた結婚につながることがあります。さらに、児童虐待は深刻な問題です。カンガルーのイラストが描かれたポスターが至る所に掲示され、虐待の通報を促していますが、これは日本社会がこの問題を認識し、対処することに消極的であることを静かに物語っています。
沈黙と恥の文化は、多くの被害者が助けを求めることを妨げ、暴力の連鎖を永続させています。
いじめと自殺
日本の学校におけるいじめは、深く根付いた問題であり、壊滅的な結果を伴うものです���厳格な社会的基準に適応できない若者は、しばしば虐待の標的となり、多くの場合、絶望に追い込まれ、悲劇的には自殺に至ることがあります。秩序正しい外観を持つ日本ですが、自殺率は世界で最も高い国の一つであり、何かが根本的に間��っていることを明確に示しています。
ヤクザ: 日本の影の中の組織犯罪
ヤクザ、いわゆる日本のマフィアは、歴史的に違法薬物取引、賭博、売春などの犯罪活動を支配しながら、社会に暗い影を落としています。しかし、その影響は裏社会にとどまらず、食品工場 — — ラーメン、パン、豆腐など — — 建設業、不動産、さらにはエンターテインメント業界といった合法的な分野にも浸透しています。
ヤクザは犯罪活動から得た収益を洗浄するために、多様な方法を駆使しています。多くの場合、合法的な事業への投資や、架空会社を用いることで不法収益の出所を隠し、取引を合法的に見せる手法を採用しています。この合法的な活動と違法行為の融合は、ヤクザが広範な活動を維持し、その影響力と権力を存続させる要因の一つとなっています。
ヤクザの影響力は非常に深く、政治家、官僚、実業家、商人、そして一般市民までもが暗黙のうちに共謀するケースが見られます。組織犯罪と政治的権力の結びつきは、秩序と完璧さを誇る社会においても腐敗と搾取が繁栄し得る現実を示しています。

巨額の債務と報道の自由
日本は世界最大の公的債務を抱えており、この経済的負担はほとんど公然と議論されることがありません。さらに、報道の自由は厳しく制限されており、主要なメディアはしばしば政府の代弁者として機能しています。この透明性の欠如は、重要な問題が議論され、解決されることを妨げています。
語る痛みと聞かれる必要性
私のように沈黙の中で苦しみ、ト��ウマの重荷を理解されることなく背負う経験は、日本社会(そしてある程度日系人コミュニティ)の苦しみに対する対処法を反映しています。それは問題を「隠してしまう」という方法です。しかし、私の物語を共有することで、この沈黙に挑み、向き合うべき現実を明るみに出しています。
日本の文化的な変化への抵抗の問題は、「マトリックス」という概念と完璧に結びついています。つまり、システムが非常に密接に絡み合っているため、どんな変化もその完全性を脅かすように見えるのです。
本質的な抵抗:日本のマトリックス
日本では、社会が巨大な「プログラム」として機能しています。そこでは、文化的な規範から仕事の方法に至るまで、すべての要素が高度に構造化された行動システムにコード化されています。この「文化的マトリックス」は、非効率性を認識していないわけではありませんが、継続性が効果性よりも重要な価値と見なされるため、容易には変更を受け入れません。「昔からこうしてきた」というものを変えることは、システム全体のバランスを乱すことに等しいと見なされます。
この抵抗は、改善を意味する「カイゼン」のような概念の現れでもあります。しかし、皮肉にも、カイゼンは基盤コードを壊すことなく、ほとんど目に見えないほどの漸進的な変化だけを促進します。劇的な変化は、集団的アイデンティティへの脅威と認識されるでしょう。

行動規範」としてのマトリックスの言語
この「コード」というメタファーは、文化的にも技術的にも非常に強力です。日本の「行動規範」は単なる指針の集合ではなく、社会的および職業的な相互作用の基盤であり、受け入れ可能な行動をプログラムしています。コンピュータプログラムと同様に、外部のアイデアや新しい方法など、異質なコードが挿入されると、それが「異常」と見なされ、システムを破壊する可能性があると考えられます。
日本人にとって、文化的なコードは国民アイデンティティと不可分のものです。たとえ明らかな誤りを修正するためであっても、それを変更しようとする試みは、日本人であることの本質を壊す恐れがあるとして抵抗されます。

アイデンティティを守るための不変性
変化への忌避は、特に工場のような環境で顕著に見られます。そこでは、古い非効率的な方法が「これまでもこうしてきたから」という理由だけで維持されています。この慣習は必ずしも非合理的なものではなく、過去への敬意という文化的価値観と、対立を避ける傾向に深く根ざしています。方法を疑問視することは、その方法を実施した人々を疑問視することを意味し、それは無礼と見なされるでしょう。
この論理はマトリックスの特徴を反映しています。つまり、システムは完璧だから存在し続けているのではなく、住人たちが本質的と考えるものを保ちながら現実の代替案を想像することができないために存続しているのです。

システムを維持するための代償
「コード」を不変のまま維持することには、高い代償があります。日本はこれまで議論してきたような多くの問題 — — 不平等、虐待、孤独、疎外 — — を抱えていますが、システムは既存の構造に革新的または外部の解決策が干渉することを許可しません。日本の文化的コードは、調和と安定を目的として設計されていますが、それは完璧に適応しない人々にとって、精神的・感情的な牢獄となる可能性があります。
このジレンマは『マトリックス』の中心的な前提と類似しています。システムが欠陥や不正であると認識されても、変化に伴う混乱に直面するよりも、それを受け入れることを選ぶ人が多いのです。日本人にとって、マトリックスを維持することは文化そのものを守ることであり、それが非効率的で場合��よっては有害な慣行を維持する代償を伴ってもなお、そうする価値があると考えられています。
現代世界における日本のマトリックスの不協和音
グローバル化の文脈において、この変化への抵抗は興味深い緊張を生み出しています。他の社会が革新や適応を追求する一方で、日本は近代化の必要性とアイデンティティの維持を調和させるために苦闘しています。これにより、日本は独自の文化的マトリックスとして機能しています。それは、いくつかの側面で見事に機能しながらも、本質的な再プログラミングに対して閉ざされているように見えるシステムです。

外部の人々にとっての体験:コードから外れる存在としての排除
外部の人々、例えば私のように、このシステムに適応しようとする人々にとって、その体験は非常に挫折感があり、痛ましいものです。それは単に地元の規範に適応する難しさではなく、このシステムが外部からの貢献や変更を意図的に拒んでいるという認識です。このことは、社会的な排除だけでなく、ほぼ存在論的な排除を生み出します。つまり、「コード」の一部でない限り、そこに属することはできないのです。
最終的な考察:選択とその結果としてのマトリックス
『マトリックス』のように、日本はその現実を選びました。「行動規範」に基づいた安定した調和は、文化を存続させるために本質的であると見なされています。しかしながら、この選択には犠牲が伴います。それは革新、包括性、そして多くの場合、個人の福祉です。未解決の問いとして残るのは、日本が絶えず変化する世界の中で、このマトリックスを維持し続けることができるのかということです。

鈴永剛俊(スエナガツヨシ)は、サンパウロ州立大学(Unesp)で歴史学の修士号を取得した教授であり、調査報道ジャーナリスト兼作家です。彼は数冊の著書を出版しており、その中には『日の本のヘブライのルーツ:日本人は失われたイスラエルの十部族の一つなのか?』(エニグマス出版社、2022年、ISBN: 9786500531473)が含まれています。この本は[こちらで購入可能です]。
ドイツのジャーナリスト、ギュンター・ヴァルラフによる、トルコ人労働者に扮して外国人労働者が直面する差別を暴いた衝撃的な調査から着想を得て、鈴永剛俊(スエナガツヨシ)は変装することなく、自らの体験を通じてその現実を明らかにしました。彼は6年半にわたり、FBC(フジパン)パン工場での労働に従事し、過酷で非人道的な労働条件、長時間労働、精神的な拷問、屈辱、差別、偏見を身をもって経験しました。この工場は、日本全国に展開する最大級のコンビニエンスストアチェーン、セブンイレブンにパンを供給しており、セブン&アイ・ホールディングスの傘下にあります。
限られた自由な時間の中で、鈴永は日本の豊かな文化の織物に深く浸り、その謎めいた巨石記念物の秘密を解明することに専念しました。これらの印象的な構造物は、西洋ではほとんど知られていないままです。これらの魅惑的な驚異について詳しく知りたい方は、「The Hidden Japan」のウェブサイトをご覧ください。
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あなたはこの本を読むまで、完全に日本を理解することはできません。
日本の最も大きな影響のいくつかが、歴史的にヘブライ人との接触から生まれた可能性があることをご存じですか?類似点は驚くべきものです。創造神話や神の系譜から儀式や習慣に至るまで、共通点が見られます。神社建築はエルサレム神殿を彷彿とさせ、祭りで運ばれるポータブルな神社「御輿(みこし)」は、サイズや���状が伝説的な契約の箱(アーク)と驚くほど似ています。実際、多くの人々が、そのアークが徳島県の四国にある剣山に隠されていると信じています。
しかし、つながりはこれだけにとどまりません。日本語にはヘブライ語と発音や意味が同じ単語がいくつも存在し、日ユ同祖論という興味深い理論を強化しています。この仮説は17世紀に提唱され、日本人がイスラエルの失われた12部族の子孫である可能性を示唆しています。本当にそんなことがあり得るのでしょうか?日本人の血管にはヘブライの血が流れているのでしょうか?そして、この関係が一部のユダヤ人が日本の戦略的な場所に土地をひそかに購入している理由を説明するものなのでしょうか?
この本はこれらの疑問に深く切り込み、歴史、神話、ミステリーが交錯する隠された日本を解き明かします。この悠久の旅にぜひ参加し、古代と現代の日本の形成にユダヤ人がどのように関与していたのかを発見してください。あなたが日本について知っていると思っていたすべてを見直す準備をしてください。
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1981年に防衛大を卒業し陸上自衛官になった私は、事故のちょうど1年前に、千葉県の習志野駐屯地に所在する第1空挺団に配属されました。普通科群普通科中隊(当時)の小隊長として30名ほどの部下を率いる立場で、階級は2等陸尉。まだ独身で26歳でした。
自衛隊では8月に定期異動があり、12日は駐屯地内の「隊員クラブ」で、転入隊員の歓迎会が開かれていました。私はお酒も飲んだため、駐屯地外に借りていたアパートには戻らず隊舎で寝ることにしました。
その晩、中隊当直幹部として勤務していたのが、作間優一2等陸曹(当時36歳)でした。寝る前に作間2曹から、航空機墜落の報告を受けました。第12師団(当時)の担任区域における事故らしく、第1空挺団に災害派遣の準備命令等が発出されていないことを確認し、ひとまず眠りにつきました。
その間、ヘリコプターからのリぺリング降下(ロープを使った垂直降下)による迅速な現場進出の必要性から、第1空挺団の出番となり、第12師団に配属しての災害派遣が翌早朝までに決していたのでした。
朝5時前には「命令受領ラッパ」が鳴り響き、営内に残っていた我々は即座に出動準備を整えて集合、V-107という大型ヘリ6機に乗り込み、7時54分、習志野を出発しました。準備といっても、装備を詰めた背のうは常に用意してあるので、出発前に地図と乾パンを支給されたくらいです。
6機のヘリのうち、1番機には第1空挺団派遣部隊指揮官である普通科群長以下の「救助部隊本部」の要員が、2番機から6番機にはそれぞれ隊員12名が乗り込みました。12名のうち1名は衛生隊員なので、私は3番機の小隊長として、自分の部下から10名を選抜しました。
小隊長である私のサポート役として、普段の演習でも常に一緒に行動していた作間2曹は、もちろん真っ先に指名しました。ヘリのパイロットたちもいつになくピリピリしていて、張り詰めた空気が漂っていました。
現場の「御巣鷹の尾根」上空に到着し、降下を開始したのが8時48分。まず1~3番機の隊員が現場に降り、4~6番機は麓の相馬原(そうまがはら)でいったん待機することになりました。空挺部隊には指揮官が“先頭降下”するという伝統があって、3番機では私がリーダーですから、最初にロープを伝って山の斜面に降り立ちました。私の次に降りたのは作間2曹です。
空挺隊員にとってリぺリング降下は日常茶飯事ですが、急峻な斜面に着地した瞬間、強烈な違和感を覚えました。ブーツの裏にグニャッとした柔らかい感触があったんです。「なんだろう?」と思って足下を見ると、そこにあったのは人の“耳”でした。ご遺体を踏んでしまったことに気づき、すぐに“申し訳ございません”と心の中で謝りました。
降下後、普通科群長が命令を下達しました。我々の任務は、「生存者の救出」と「地形の偵察」です。2番機の小隊と共に生存者を捜索しながら尾根を登っていきました。私と2番機の小隊長を中心に、左右各人5~10メートルほどの間隔で横一列に広がって斜面を登るのです。
■「生存者発見!」
息を飲む光景でした。航空機燃料が燃える独特の臭いがして、岩肌には人の内臓がベタッと張り付いている。見上げると、髪の毛が付いた頭皮が木からぶら下がっていました。傾斜がきつく、木の幹に掴まりながら登るのですが、触った瞬間に滑る感じがする。見ると木全体が血と肉片で真っ赤に染まっていました。私の後ろを歩いていて、やはりその“赤い木”を触ってしまった隊員が「ギャーッ」と大声で叫びました。
その時に私が感じたのは、「職業選択を間違えた」ということです。地獄絵図のような現場を目の当たりにして、私は「戦場の光景というのは、多分こういうものだろうな」と考えました。とても耐えられない、おれはこの仕事に向いていない、そう思いました。部下の前では表情にこそ出さないものの、それが本音でした。御巣鷹は私にとって初めての災害派遣だったのです。翌朝には慣れて、そういう気持ちは払拭されたのですが。
同時に、隊員の誰もが「こんな悲惨な状況で、生存者なんているわけがない」と感じていました。斜面を上がれば上がるほど、まともな形を残したご遺体も少なくなっていきます。あるのは手や足だけの部分遺体や、肉片、皮膚ばかり。あまりに凄惨な場所でした。こんな事故で、到底人間が生きていられるはずがない、と。
生存者を見つけられないまま尾根を登り、今度は別の方角に向かって下りながら捜索を続けようとした時です。無線から驚くべき情報が流れてきました。「生存者発見!」。耳を疑いました。「えっ?」と他の隊員と顔を見合わせました。
無線を送ってきたのは、4~6番機から降りたグループでした。当初、相馬原で待機を命じられた3機は、我々のおよそ1時間後、9時45分に現場へ来て降下を開始しました。我々が降下地点から尾根を登って行ったのに対し、彼らは群長の命令で逆方向に下りながら捜索をしていたのです。そして、「スゲノ沢」と呼ばれるあたりで、麓から徒歩で登ってきた地元の消防団や松本駐屯地の第13連隊と合流し、そこで4名の生存者を発見したのです。
尾根の上にいた我々には、「降下地点に戻れ」と指示がありました。急峻な山の中で、その辺りがかろうじて平坦になっていたからでしょう。その付近から生存者をヘリに吊り上げることになりました。降下地点に戻り暫くすると、下から生存者が運び上げられてきました。たしか事故機のトイレのドア等を担架がわりにして運んできたと思います。
生存者4名は、あの悲惨な現場で一晩発見されずにいたので、当然かなり衰弱していました。そのうちの一人の少女、後で川上慶子さんと知ったのですが、彼女に「頑張れ!」と声を掛けると「うんうん」と頷くようなリアクションがありました。それを見て「大丈夫だ、助かる」と思いました。
でもそこからが長かった。救出用のヘリがなかなか来ないのです。こちらからは何度も要請しているのに一向に来ない。報道陣のヘリも含め、多くの航空機が上空に飛来していたため、二次災害の危険もありました。
結局、生存者が吊り上げ地点に搬送されてから、ヘリへの収容が完了するまで1時間近くかかりました。ヘリを待つ間、誰もがイライラしていて、そのうち、現場に到着された赤十字の女性の看護師さんから、ものすごい剣幕で怒鳴られたんです。私の顔をキッとにらんで、「もしこの人たちが亡くなったら、あんたたちのせいだからね!」と。それはよく覚えています。「おれだってどうしようもないんだ」という気持ちでしたね。
ヘリを待ちながら、現場ではホイスト(ヘリからのワイヤによる吊り上げ)準備をしていました。赤十字の医師から、「隊員が直接抱えて上げ��ほうがいい」と言われて、自衛隊の茶色い毛布で生存者の体を包みました。最初に吊り上げたのは、吉崎美紀子さん(当時8歳)です。毛布に包んだまま、空挺隊員が抱えてヘリに収容しました。
次が当時14歳だった川上慶子さん。彼女を収容したのが、私の相棒だった作間2曹でした。1人目と同じように、毛布で包んで準備をしていると“事件”が起きました。救出される生存者の姿を撮影したかったのでしょうが、なんと、いつの間にか周りにいた報道陣から手が伸びてきて、毛布を剥ぎ取ったんです。「何をするんだ!」と怒りましたが、もうヘリは真上にいてワイヤが下りてきている。仕方なく、作間2曹は毛布無しで川上さんを抱えて吊り上げられました。
3人目の吉崎博子さん(美紀子さんの母、当時34歳)と4人目の落合由美さん(当時26歳)は、担架に乗せた状態で吊り上げました。というのも、抱えて吊り上げるには脱力した大人は相当重たく、途中で落下する恐れもあり、危険だと判断したのです。
ここで我々はミスを犯してしまいました。3人目の吉崎さんのお母さんを乗せた担架が、ヘリから吹き下ろされる風を受けて、吊り上げた途端にグルグルと回転してしまったのです。すごいスピードで回転して、いまにも担架から体がずり落ちてしまうのではないかと気が気ではありませんでした。私は真下で両手を広げて、「万が一落ちてしまったら、絶対に受け止めなくては」と覚悟していました。
結果的には無事に収容できたのですが、これは我々の本当に初歩的なミスです。本来、担架の把手にロープを付けて、担架が回転しないように地上の隊員がロープを保持すべきなのです。基本的な作業ですが、やはり異様な現場に平静でいられなかったのでしょうか、あの非常時に誰もそれに気づかないまま吊り上げてしまった。今でも思い出すたびに血の気が引きます。最後に落合さんを収容する際は、きちんと補助ロープを付けました。
生存者の救出を終えたのが、13日の13時29分。そこから次の任務が命じられました。ヘリポートの構築です。獣道すらない急峻な山に、人員や救助物資を迅速に送り込むにはヘリを使うしかない。我々は上空からロープで降下できますが、以後の作業にはヘリを着陸させることが必須でした。
普通科群長は私に、大型ヘリ(V-107)用を一つと中型ヘリ(HU-1H)用を一つ、あわせて二つのヘリポートを構築するよう命じました。我々は訓練・演習で簡易ヘリポートを作りますが、その際、なるべく広くて平坦な場所を探します。そこで私は、日航機の主翼が落ちていた辺りに目をつけました。その辺りは比較的広くて平らだったからです。ただ、航空機事故ですから、事故原因の究明のために現場検証も必要です。勝手に現場の状態を変えるわけにいかないので、現場を管轄する群馬県警の責任者を探しました。
周りにはたくさんの警察官がいましたが、長野県警だったり警視庁だったりで、なかなか群馬県警の責任者が見つからない。ようやく見つけて交渉したところ「ダメだ」の一点張り。仕方なく、現場検証を要しない下方の地点に決定し、周辺の木を切り倒して斜面を掘削し、削った岩石や土を下側に盛るやり方で、中型ヘリ用ヘリポートのみを作ることにしました。
我々がヘリポートを作っている間にも、続々とご遺体が運ばれてきます。やがて夜になり、13日の深夜にはヘリポートの大枠ができました。暗い中では細かい仕上げができないので、その日はその場で仮眠することにします。そして翌14日の朝3時頃から作業を再開し、7時頃にヘリポートが完成しました。
■“モミジ”
ただ、この仮眠がつらかった。翌朝からヘリで搬送するべく、ヘリポート付近にはご遺体が集められていました。その隣で横になって眠るのですが、真夏の暑さで傷んだご遺体は、死臭を発しているんです。何度も目を覚ましました。
14日は、完成したヘリポートを使って朝から何度もヘリが往来し、15時くらいまでに計121のご遺体を搬送しました。この数字に関しては苦い思い出があります。この日、上級部隊から連絡幹部が現場にやってきたのですが、ヘリポートの運用を指揮していた私を見るなり、「今日は何体運んだ?」と聞くのです。私は返答に窮しました。
ご遺体といっても、五体満足なものは少なくて、手だけ、足だけといった部分遺体も多い。それを現場では努めて早く収容すべく、個別に包装した部分遺体の何体かを一緒に毛布に包んで“1包み”として搬送していました。そういう状態で“121包み”搬送したのであって、「何体か」と聞かれてもわからないのです。
ところが連絡幹部は、即答できない私を見て、「それでも責任者か!」と叱責したのです。ロクに寝ていなかったせいもあるでしょうが、さすがに頭に来て、部下の一人に「おい、そこの毛布を開けろ!」と命じました。そして「あなたには、このご遺体が“何体”かわかるんですか!?」と聞き返すと、相手も黙ってヘリに乗って帰っていきました。
今思い出しても、いちばんつらかったのは「モミジ」です。ご遺体の搬送準備中、ビニール袋に入った何かが運ばれて来ました。赤くて小さくて、最初はモミジの葉のように見えました。でもそれは、血に染まった小さな子どもの掌だったのです。徐々にご遺体を見ることにも慣れていたのですが、あれは衝撃的でした。本当にかわいそうで、堪らない気持ちになりました。
14日の15時過ぎから天候が悪化し、ご遺体の搬送作業はそこで中断しました。雨がしとしと降る中、その夜も前日と同じようにご遺体の隣で仮眠し、翌15日の朝、我々空挺部隊は任務を終えてヘリで習志野に帰投しました。ですから、私が御巣鷹山にいたのは13日の朝から15日の朝まで、48時間くらいです。睡眠も食事も不十分なまま過酷な状況にいたので、今思えばかなりストレスが溜まっていたのでしょう。
警察と喧嘩もしました。自衛隊のヘリが運んでくるのは、ツルハシやスコップなどの工���用器材、ご遺体収容のための毛布だとか、任務に直結するものばかりです。ところが警察のヘリは、弁当やタバコ、寝袋やらをたくさん運んでくる。
ある時、広げたままの寝袋が、ヘリの風圧で巻き上げられそうになり、近くにいた私の部下が慌てて飛び乗って押さえた。すると警察官が彼に向かって「おい自衛隊さん、寝袋に穴開けないでくれよな」と言い放ったのです。部下は休憩中だったのでタバコをくわえていました。警察官には、彼がふざけて寝袋に寝っ転がったように見えたのでしょう。私はその警察官に「馬鹿野郎! 寝袋が巻き上げられてローターに接触したら、ヘリが墜落するだろうが!」と怒鳴りつけました。
マスコミにも腹が立ちました。川上さんの毛布を剥ぎ取ったこともそうですが、遺体の写真ばかり撮る輩もいて、思わず「いい加減にしろ!」と叱ったこともあります。とはいえ、14日の昼頃、ある新聞記者が持ってきた朝刊を見た時は、やっぱり嬉しかった。そこには、川上さんを抱えてヘリに向かう作間2曹の写真が1面に載っていたのです。
今でこそ災害時の自衛隊の活動はメディアでも取り上げられますが、当時の自衛隊はある意味、日陰者でした。マスコミが現場にいるのは認識していましたが、我々の活動が大々的に被写体になるなんて私自身は想像もしておらず、とにかく驚きました。それと同時に、おれたちは正しいことをしているんだ、という実感が湧いてきたんです。
ただ5年前、事故から30年ということであるテレビ局の取材を受けた際、ディレクターから開口一番、「なぜ自衛隊の到着が遅れたんですか」と聞かれたのは心外でした。そもそも当時の災害派遣は、要請を受けて初めて出動できる仕組みでした。勝手に現場に向かうことはできません。
また、「夜のうちに現場へ行けなかったのか」などという人もいます。我々空挺部隊・普通科部隊は深夜の現場であっても救助活動することは可能ですが、輸送に任じた当時の自衛隊のヘリには暗視装置が装備されておらず、暗夜における未知の山地・森林の飛行は危険極まりないものでした。一方で12師団隷下部隊は、夜を徹してまさに暗中模索で現場に向かって山を踏破していたのです。自衛隊はできる限りのことをやったと私は今も確信しています。
■ストレス障害
御巣鷹での経験は、私のその後の自衛隊人生にも影響を与えました。一番大きいのは、「ストレス障害」について身をもって学んだことです。実は習志野に戻った後、私は不眠症に悩まされました。
昼間仕事をしている時はなんともないのですが、夜アパートに帰ると、暗い場所があるのが苦痛に感じられるのです。寝室はもちろん、トイレや風呂の電気もつけっぱなしにしておかないと落ち着かない。そして就寝中にふと窓に目をやると、ベランダにたくさんの人が並んで私を見ているのです。ほぼ全身の人もいれば、上半身のみの人、炭化した人など、全員、御巣鷹の現場で我々が後送に関わったご遺体のお姿そのものでした。
もちろん幻覚だと自分自身納得しています。彼らが現れることに恐怖心を覚える反面、それほど不快には感じなかった。ただただ、「なんで現れるんだ」という気持ちでした。結局、ウイスキーをガブ飲みしないと眠れない状態が1カ月ほど続きました。
この間は肉類も全く食べられませんでした。でも、当時の私はそれを仲間の誰にも言えなかった。あの頃の自衛隊には、まだストレス障害という概念もなかった。空挺団は、男の中の男が集まった猛者ぞろいの精鋭部隊です。年上の部下を統率する若手幹部として、弱みは見せたくなかった。上司に相談しても「頭がおかしくなったのか? 病院に行ってこい」と言われるだけだと思うと、誰にも相談できなかった。
ただ、御巣鷹に出動した者の中で、外泊を申請して出掛けたはずの営内居住隊員が、“不気味に感じる”と言って駐屯地に帰ってきて皆と一緒に寝ているという話を聞いた時は、妙に安心しました。私はその隊員に向かって「情けない奴だ」と笑ってやったのですが、内心、「おれだけじゃない、みんな同じなんだ」とホッとしたことを覚えています。
それからずっと後の、私が1等陸佐として連隊長を拝命した2003年、自衛隊がイラクに派遣されました。私も派遣に備えて、部隊指揮官としてストレス障害に関する教育を受け(結局私自身はイラクには行かなかったのですが)、更にその後の勤務でも、指揮官・幕僚にとって必須の知識として学びました。
そこで、当時26歳の私が御巣鷹山から帰って体験したことが、まさに「急性ストレス障害(ASD)」の典型例だったと気付いた。それ以来、ようやく自分の経験を他人に話せるようになりました。ちなみに、ASDの状態が1カ月を超えて続く場合は「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」とされます。
戦場や大規模災害の被災地などの過酷な状況下では、どんなに強い人間でもストレス障害になり得る。それを私は、知らないうちに自ら経験していたのです。たった48時間の任務で、私の心は壊れかけてしまった。そしてそれをひたすら隠し、一人で悶々と悩んでいた。
現在の自衛隊では、海外派遣や災害派遣のたびにメンタルヘルスに関するケアを体系的に行っています。任務終了後の隊員を一人でストレス障害に立ち向かわせるような状態に放置することはありませんし、仮にあったとすればその指揮官は失格です。そういった意味で、この貴重な体験は私自身にとって、指揮官として大勢の部下を率いて任務を完遂する上で大きな糧となりました。
あの悲しい事故から35年を迎える今、改めて犠牲者のご冥福と、生存者やご遺族の方々の人生に幸多からんことを、心からお祈り申し上げます。
岡部俊哉(おかべとしや) 元陸上幕僚長 昭和34年、福岡県生まれ。元陸上自衛官(防大25期)。第6師団長、北部方面総監などを経て、2016年、第35代陸上幕僚長に就任。2017年8月に退官。
「週刊新潮」2020年8月13・20日号 掲載
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3.日本が朝鮮に及ぼした形の無いもの
問い9:日本の朝鮮から撤退後について>3.日本が朝鮮に及ぼした形の無いもの
目次は こちら
3.日本が朝鮮に及ぼした形の無いもの
日本は、1876年に朝鮮と交流を始めて、1945年に朝鮮から撤退した69年間に、形がなく目に見えないものも朝鮮に残してきています。以下に思いつくままにそれらを列記します。
① 李氏朝鮮時代は労働をすることを恥と思っていた両班が、1892年に科挙の廃止と、1894年の金弘集政権による身分制度の廃止と、総督府の身分差別を認めない政策とによって、労働をしても恥ずかしくない意識となり、新しい労働文化が生まれました。そして現在の韓国では、優秀な人々の労働の成果が生まれました。
② 李氏朝鮮時代は怠けて貧しさを装うことが自衛手段だった農民と漁民が、豊かになっても両班や官僚によって収奪されなくなったので、積極的に働く社会意識と労働文化が生まれ、朝鮮の新しい発展の原動力になりました。
③ 物として売買され、人権も「姓」もなかった奴婢が、その身分から解放されたので、好きな姓名を持つことができ、日本統治時代には朝鮮人は原則的に全員が平等な社会の一員になりました。
④ 李氏朝鮮時代は、地方の行政官が行政・警察・司法・徴税・軍事とすべての権限を持っており、その地方では絶対的な権力を持っていたので、思う通りに農民と漁民と奴婢から収奪し賄賂を受け取り、横領を重ねていたが、日本統治時代には行政と警察と裁判と徴税が分離されたので、諸悪と腐敗の根源がなくなりました。
⑤ 李氏朝鮮時代は、国王と大臣が多��の賄賂を受け取って地方の行政官を任命し、各種職位を売っていましたが、日本の統治により国王も大臣も売官売爵ができなくなり、地方官は多額の賄賂の必要がなくなり、地方へ派遣された官僚は多額の賄賂のお金を取り返す必要がなく、その結果庶民からの収奪がなくなりました。
⑥ 大韓帝国時代に韓国政府から日本へ財務顧問の派遣を要請するまでは、大韓帝国政府の財政は逼迫しており、その上皇室は国家財政から奪って贅沢な暮らしに耽っていましたが、財政顧問の指示で皇室財政と国家財政を分離して管理されるようになり、国王による勝手気ままな無限の享楽による国費の浪費ができなくなりました。
⑦ 昔からおよそ500万人前後と言われていた朝鮮半島の人口が、1910年時点の人口調査では1312万人でしたので、それまでは徴税額の62%が地方官僚による横領が行われていたことが判明しました。総督府の正確な人口把握により地方官僚は横領ができなくなり、全額中央政府の収入になり、国家財政の不足は改善されました。
⑧ 李氏朝鮮時代の法廷は、罪人とされた人に自白するまで拷問を加える場でした。その拷問はここに書きたくないほど残酷極まりないものであり、拷問と訊問が同時に交互に行われるのが当時の朝鮮の法廷であったことが、西洋人によって報告されています。日本の関与により直ちに近代的な司法制度に改定され、公正な裁判が行われるようになりました。そして笞打ち刑は朝鮮笞刑令廃止制令(1920年4月1日)で廃止されました。
⑨ 李氏朝鮮時代の監獄は、狭い所に多くの囚人を男女区別なく押し込み、一人当たりの面積が0.47平方メートルであったと記述されています。日本統治時には日本やアメリカ並みの広さと処遇にして、少年と女性の受刑者を一般の受刑者と分け、出獄後の厚生を出来るように少年たちには学校の授業を行い、一般の受刑者にも職業訓練などの教育をして、出獄後の再犯の発生を防ぐことを主にしました。李氏朝鮮時代の刑罰主義一辺倒から再犯防止主義へと監獄行政が転換されました。
⑩ 李氏朝鮮時代には、経国大典がありましたが無視され、実際には国王や官僚によって統治が恣意的に行われていた面が多かった行政が、法体系を日本から移入して整備されました。『朝鮮総督府施政年報 昭和14年度』の「第1章 総説」の「第2節 法規の制定及整理」には、郵便・電信・工業所有権・著作権・会計などは日本と法制の統一を要するので、勅令をもって施行し、民法・民事訴訟法・刑法・商法・裁判・監獄・教育・地方制度・土地収用・永代借地・河川・港湾・水利組合・森林林野・漁業・鉱業・会社・銀行・金融組合・商業会議所・市場・鉄道・道路・寺刹・墓地・諸税・国税徴収・関税・医業・薬品・危険物・伝染病予防・行政執行・海事及水難救助・諸営業取締などの諸法規や法令は、朝鮮の実情に合わせて導入され、順次改正を加えながらこれらに基づいて行政を行ったことが記されています。人治から法治へと変化したのです。これにより、朝鮮の近代国家への脱皮が推進されました。これらの法体系は、日本が朝鮮から撤退した後もその多くが影響を残したものと思われます。
⑪ 李氏朝鮮時代には、初等教育は書堂だけであり、書堂が女性を受け入れなかったのに対し、日本統治により小学校が普及して女性も学校へ行けるようになり、高等女子学校が57校もできて高等教育も受けられるようになりました。これにより、国民の半分を占める女性が学べるようになり、女性が男性と対等に学べる環境がつくられました。これは、最近女性大統領や大臣・長官が出るまでに女性の地位の向上するきっかけとなりました。また、家の中に閉じこもって昼間に屋外で姿を見せることがなかった女性が、日本統治時代には昼間から外に出るようになり、女性解放が進みました。
⑫ 日本の統治時代に多くの朝鮮人の人材を育ちました。その一つは工場や会社を経営した人達です。『大韓民国の物語』の「第二部文明史の大転換」の「9 日本がこの地に残した遺産」の「人的な資本」の188ページには次のように記されています。
[何よりも貴重な人的資源は、店舗や工場、1920年代以降、前近代社会の褓負商(行商人)に代わって、固定した店舗をもつ商人の数がどんどん増加し、1938年段階では店舗の数が39万6000にも達しました。1939年の段階で、5名以上の従業員を雇用する工場や会社を経営する朝鮮人は4000名にも達します。その中に今日の韓国を代表する企業グループを創業した三星の李秉喆、LGの具仁会、現代の鄭周永らが含まれています。]
また、二つ目の人材グループは、学校卒業後に総督府や学校に就職した人達です。彼らは官吏として、教師として活躍しました。その数は約17万人に達していたと、『大韓民国の物語』に記されています。第三のグループは、銀行員・医師・法律家などです。第四のグループは日本へ行って会社や軍隊に入って日本の考え方や仕事の仕方を身に着けた人たちです。このような多くの多種の人材を育てて朝鮮に残してきました。彼らの多くは李氏朝鮮時代には存在しなかった職種の人達です。日本統治時代の教育をベースにして、日本人と一緒に仕事をする過程で、或いは日本へ留学をして、あるいは独自に道を切り開く過程で、これ等の朝鮮の人材が自らを育てたのです。或いは日本の軍隊に入って厳しい規律と強い意志で自らを鍛えた人も居たと思います。このような人材の存在が、日本が撤退した後の韓国の発展を牽引したと言えます。これも目に見えない日本が残した人的財産といえると思います。
⑬ 1904年8月22日に締結した日韓協約より派遣された日本人顧問は、財政の整理や予算編成に関して租税法規を制定し、歳入の確実な増収を図ると共に、旧来の徴税機関による誅求の弊害を正し、宮内府の管理していた租税や専売事業などを政府に移したが、1905年の予算で207万円(現在価値で約414億円)が不足したので、1905年から1909年までの5年間で約2070億円を日本の国家予算(日本人の税金)で補いました。
⑭ また、日本統治時代になって総督府が設立されて、朝鮮の政府として活動を始めましたが各種の費用が不足して、日本から総督府予算の不足分を1910年から1943年まで毎年多額の資金を「補充金」および「公債」として日本から投入し、朝鮮の改革に使われました。『朝鮮総督府統計年報』によれば、「補充金」の合計額は4億6610万7052円で、「公債」の合計額は15億9363万8633円で、総計20億5974万5635円が日本から朝鮮へ支援金として投入されていました。当時の20億円は現在価値に直すと約2万倍となり、約40兆円です。
植民地からは何でも吸い上げるものと一般に思われていますが、朝鮮の場合には逆に日本本土の政府から、日本国民の税金と日本人から集めた資金で、朝鮮の酷い状態を改善する諸施策を実施するために、現在価値にして約40兆円もの莫大な金額が注ぎ込まれていました。これも目に見えない日本が残してきたものであるといえます。
⑮ 李氏朝鮮時代には儒学の中の性理学だけが学問と看做され、その反動で仏教は弾圧され、寺は山奥に移り、仏像などは破壊されるかあるいは地下に埋められました。日本の統治時代に日本の考古学者などが総督府と共にそれを発掘し、博物館を創ってここに展示しました。朝鮮に博物館を造ったのは朝鮮人に暗殺された伊藤博文統監でした。この時点でこの博物館の展示品は、朝鮮古来の制度・風俗・宗教・美術・工芸・その他歴史的に参考になるもので、陳列の総点数は1万3375点に達していました。
さらに、総督府は1933年8月8日に「朝鮮宝物古蹟名勝天然記念物保存令」を制定して、朝鮮の文化財や天然記念物が海外に売り飛ばされることを厳禁して、保護しました。捨てられあるいは埋められていた遺物を発掘し、文化財として大切にして保存する考え方は、当時の朝鮮には無く、そして考古学も無く、考古学の専門家も居ませんでした。李氏朝鮮時代と大韓帝国時代には誰も顧みなかった文化財を発掘保存した行為は、日本が残した目に見えないものです。当時の朝鮮人はこの分野に関心が持たれていませんでした。陳列の総点数が1万3375点に達していたことは、朝鮮の発掘された文化財が大切に保存されていたことを物語っています。
⑯ 李氏朝鮮時代から大韓帝国時代の初めまでは、学問は儒学が全てでしたが、朝鮮が日本へ門戸を開いて使節団を日本へ送ってから日本並みの学校制度への取り組みが始まりました。しかし、本格的に学校制度が日本並みに整ったのは総督府の教育への熱意と現在価値で14兆円を超える大���投資とを待たねばなりませんでした。日本が朝鮮から撤退した時点では、女性を含めて誰でも学校へ行けるようになり、李氏朝鮮時代のように身分と性別による学習の制限はなくなりました。総督府により朝鮮の僻地にまで教育の手が差し伸べられて文盲をなくす努力がなされ、教育の重要性が朝鮮人に認識され、朝鮮人の学問と知的水準が高まりました。そして、この学校教育は朝鮮人の人的資源の苗床になりました。
⑰ 李氏朝鮮時代はまともな貨幣制度がなく、商業や経済の発展の阻害要因になっていました。大韓帝国から顧問として招聘された日本人が指導して貨幣制度と金融体制を整え、朝鮮が発展する基礎ができました。朝鮮は日本統治時代になって貨幣と金融制度が整った近代国家と成りました。この金融制度が整うことで、市場経済のシステムが機能するようになりました。この市場経済システムは朝鮮が日本統治時代になって初めて経験したものであり、日本が撤退した後の現在の韓国の体制の中にも引き継がれたものであるといえます。
⑱ 日本が朝鮮と交流を始めた1976年の日朝修好条規が結ばれた頃から日本による併合までの朝鮮は、衛正斥邪運動が盛んであり、朝鮮が世界で一番文明度の高い国との思い上がりがあり、洋夷と倭夷を排斥して朝鮮の対外開放と近代化を阻止しようとする両班と義兵が盛んに活躍した時代でした。日本の統治を経た後は目立った対外排斥運動はなくなり朝鮮は外に向かって目を向けた状態となりました。これは韓国が発展する基礎となりました。
⑲ 日本統治時代の初め頃まで、朝鮮の各地に匪賊・草賊が猖獗を極めており、住民は彼らに襲われる恐怖におののいていました。そこで総督府は、朝鮮全土の499カ所に隈なく日本人と朝鮮人からなる憲兵分遣駐屯地を設けると共に、匪賊討伐を行い、朝鮮から匪賊や草賊は消えました。これにより朝鮮の人々は安心して生活できるようになりました。
⑳ ⑳ 日本を見て開化派となった朝鮮の人たちと福澤諭吉の高弟井上角五郎の協力により、朝鮮初の近代新聞(官報)である『漢城旬報』が1883年に刊行されました。これは井上角五郎らが新聞の必要性を訴えて、朝鮮政府の外衛門の顧問となり、外衛門に博文局を設置してもらい、井上の指導と努力のもと発刊にこぎつけたものです。初めは朴泳孝と兪吉濬が居ましたが朴は左遷され、兪は米国に留学してしまったのです。この時に使われた漢字活字は三輪広蔵らが日本から持ち込みました。
しかし、金玉均の政変の時、博文局は放火され印刷機械が焼かれて、『漢城旬報』は39号を以て、1884年12月に廃刊になりました。
当時、朝鮮では全ての文書や書籍は漢文でした。それは当時の朝鮮の知識人は、ハングルは真の文字ではないとして馬鹿にしていたからです。そして相変わらず知識人の特権意識としての公式書には漢字(漢文)だけが使われていました。
実は、ハングル文字の使用は燕山君によって禁止されていました。燕山10年(1504年)7月20日、「今後ハングルを教えるなかれ、学ぶなかれ、また既に学んだ者は用いてはならない。ハングルを知る者をすべて摘告するように漢城市内に発令せよ。それを知りながら報告しなかった者はその隣人と併せて罰する。」とのハングル禁止令が出されました。
続いて7月22日には「所蔵されているハングル書はすべても焚書せよ」との指令が出されていました。
1506年には中宗によってハングルを研究する唯一の公的機関である「革諺文庁」を廃止されていました。このことは『朝鮮王朝実録』に明記されている事実です。
一方、福沢諭吉は朝鮮を文明国にするためには世界で起こっていることを知り、文明開化の意味を知る必要があると考え、ハングル文字の活字を世界最初に発案し、私費でハングル活字を作らせ、漢字・ハングル混じりの新聞の発行と普及に勤めたのです。
1885年6月、博文局総裁と成った金允植は新聞再刊のために新たな印刷機とハングル活字の購入を井上に依頼し、福沢の門人の井上角五郎は帰国して福沢が造ったハングル活字と印刷機械を買い取って朝鮮に戻りました。朝鮮史上初の、漢字・ハングル混合文を用いた『漢��周報』の創刊号は、このようにして金充植と井上角五郎とによって1886年1月に発行されました。
ハングル禁止令以来、公的な文書においてハングルが用いられることはありませんでした。しかし、この朝鮮において、政府の関与した新聞にハングル文の記事が採用されたのです。約382年間も顧みられなかったハングルが福沢諭吉と井上角五郎によって蘇ったのです。しかし残念なことに、赤字財政のため博文局が1888年7月7日閉鎖され、2年と6カ月で『漢城周報』は廃刊となりました。
その8年後の1896年になってようやく、「独立協会」によってハングル文字の『独立新聞』が発行されました。この新聞は福沢諭吉が提唱したのと同じ主旨で、民衆の意識を呼び覚ますために、ハングル文字で発行されました。
また、日本統治時代の学校の教科書は漢字・ハングル混合文で編成され、これが使われました。それまでは漢字だけの教育が書堂でなされていたのですが、日本の統治時代になって初めて190万人の小学生に対する6年間のハングル文の必須科目としての学校教育によって朝鮮人の識字率が大幅に向上し、文化や産業の発展の基礎になりました。
現在の韓国の文字ハングルは、約382年間も公式には顧みられませんでしたが、福沢諭吉と井上角五郎によって再び日の目を見るようになったものであるといえます。しかしなぜか、現在の韓国の教科書は、上記の幾つかの大切な事実を完全に隠蔽して、若者に教えていません。
㉑ 李氏朝鮮時代の末期まで、病気になると、医師といえる人と病院がなく、病気に対する知識もなかったので、巫女や祈祷師に依存して居たようです。日本統治時代になって医療制度が整いました。『歴史を偽造する韓国』によれば、京城帝国大学の医学部において最先端の知識と技術を持った朝鮮人が1929年から1943年の15年間で237名が卒業したことが記されています。その結果と総督府の努力により、身近に医者や病院ができて医療環境が整い、そこで診てもらうと病気が治るようになると、巫女や祈祷師に依存しなくなりました。
㉒ 李王朝時代までの朝鮮は儒教の国でした。儒教は序列が基本です。その序列は儒教の生まれた中国は大中華で朝鮮はそれに次いで「小中華」で、儒教を知らない日本は「蛮夷」であるとして蔑視していました。
日本の統治時代を通じて朝鮮の小中華思想は完全に消えたと思われましたが、まだ基本的な部分で残っています。例えば韓国では日本の「天皇」を「日王」と表記しています。蔑視していた日本が「皇」と称することは許せないので、皇より下の王の表現にして日本を蔑む侮日の気持ちが、現在でも「日王」の表現を用いさせていると思われます。
これは日本に対して失礼極まりないことですが、そのことに韓国の人は気付いていなのか、あるいは気付いているからこそ、このような日本を貶める表現を使っているのかもしれません。
㉓ 朝鮮では儒教の教えで「親からもらった体を傷つけてはいけないとの思想から、髪の毛は生涯一度も切らない習慣がありました。高宗が断髪令を出したところ、日本人とそのときの金弘集政権へ非難が集中し、国王はそれを撤回して、民衆に近代化の改革を進めていた金弘集総理を殺させました。このような激しい反発があった断髪令ですが、その後自然に髪の毛を切る人が増えて、日本の統治が終わる頃には殆どの人が断髪していました。これは日本が残したものと言えないかもしれませんが、その影響はあったと思います。
㉔ 純宗は皇帝就任の3年後に勅諭を発して、日本との併合に踏み切りました。併合条約公布に際し大韓帝国皇帝が公布した勅諭を、朝鮮語の『朝鮮王朝実録/純宗実録3年』の邦訳を、『フリー百科事典Wikipedia』から引用して次に記します。
[皇帝、若(ここ)に曰く、朕否徳にして艱大なる業を承け、臨御以後今日に至るまで、維新政令に関し承図し備試し、未だ曽て至らずと雖も、由来積弱痼を成し、疲弊極処に至り、時日間に挽回の施措望み無し、中夜憂慮善後の策茫然たり。
此に任し支離益甚だしければ、終局に収拾し能わざるに底(いた)らん、寧ろ大任を人に託し完全なる方法と革新なる功効を奏せしむるに如かず。故に朕是に於いて瞿然として内に省み廊然として、自ら断じ、茲に韓国の統治権を従前より親信依り仰したる、隣国大日本皇帝陛下に譲与し、外東洋の平和を強固ならしめ、内八域の民生を保全ならしめんとす。
惟爾大小臣民は、国勢と時宜を深察し、煩擾するなく各其業に安じ、日本帝国の文明の新政に服従し、幸福を共受せよ
朕が今日の此の挙は、爾有衆を忘れたるにあらず、専ら爾有衆を救い活かせんとする至意に出づ、爾臣民は朕の此の���を克く体せよ。
隆煕四年(1910年)八月二十九日 御璽]

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上の大韓帝国皇帝が公布した勅諭は、新羅の最後の国王が、王子たちや大臣たちの反対を退けて、高麗に降ったときと同じ思いが記されています。純宗の勅諭のアンダーラインを付した部分の記述は、純宗の思いが、新羅の国王が高麗に降ったときと全く同じです。新羅の敬順王にとって隣に高麗があったように、純宗にとって、隣に日本があったのです。これも、日本が朝鮮に残した目に見えない影響だと思われます。
「韓国併合ニ関スル条約」の協議調印に関する内閣総理大臣李完用への純宗皇帝の全権委員任命状を示します。御璽御名が印されています。
㉕ 日本人は朝鮮から引き揚げる時、1000円だけ身に着けることが許されました。その結果、個人と企業などの銀行預金などの金融資産は全部朝鮮の誰かのものになったのです。日本が朝鮮から撤退しても、その時まで朝鮮では日本のお金が通用しており、朝鮮人も朝鮮の企業も、資産はすべて円です。ですから、円の価値を直ちに零にすることは不可能です。日本人が引き上げた後も、何らかの対策が取られるまでは、円の価値は朝鮮では保持されたはずです。その対策が執られても、それは円を変換(交換)する必要があるだけです。日本人が残して来た莫大な現金資産を、朝鮮人の誰かが自分の物にしたのです。
㉖ 日本は朝鮮の地に,誰でも自由に活動できる資本主義経済システムを残してきました。1939年時点で、朝鮮に於ける職業別戸数がこのことを示しています。『総督府年報 1941』の「第1章 総説」の「第3節 戸口」によれば、
全戸数 :朝鮮人412万3646戸、 日本人 16万1400戸
農業 :朝鮮人292万5988戸、 日本人 7047戸
水産業 :朝鮮人 6万4355戸、 日本人 2233戸
鉱業 :朝鮮人 7万1532戸、 日本人 5966戸
工業 :朝鮮人 12万2341戸、 日本人 2万6478戸
商業 :朝鮮人 30万2704戸、 日本人 3万0725戸
交通業 :朝鮮人 4万6696戸、 日本人 9146戸
公務及自由業:朝鮮人 14万1572戸、日本人 6万6007戸
その他有業者:朝鮮人 34万6148戸、日本人 6731戸
無職 :朝鮮人 10万2249戸、日本人 7068戸]
その他の外国人が1万1478戸ありましたが省略しました。農業と水産業と商業の一部の行商人以外の職業は、日本統治時代に生まれた新しい職業であるといえます。農民が冬季に副業としてやっていた家内の仕事は、独立した職業といえる状態ではなかったと思います。1910年の日韓併合を経て、1939年には朝鮮に新しい経済システムができていたのです。このことは、1939年の朝鮮経済が次のように成っていることから明らかです。倍率は1910年比です。
払込資本金:60.9倍12億1187万円(現在価値24兆円)
貿易総額 :40.1倍23億9524万円(現在価値48兆円)
銀行貸出金:36.8倍15億0644万円(現在価値30兆円)
朝鮮人の誰も特定の職業に就くことを強制されていませんでしたから、これは誰でも自己の能力に応じて自由に参加できる資本主義経済システムであるといえます。この資本主義経済システムへは、朝鮮人が日本人の何倍も多く参加していましたので、日本が朝鮮から撤退しても急に消滅することはないと思われます。
以上が、日本が1876年に朝鮮と交流を持ってから1945年に撤退するまでの69年間に朝鮮に影響を及ぼして残した無形の事柄です。
なお、余談ですが、韓国に博物館を作り、韓国人に暗殺された伊藤博文公爵について、この暗殺をした人物を韓国は英雄として称えていますが、殺された伊藤博文公爵の朝鮮に関する考えを紹介したいと思います。
その一つは、新渡戸稲造の『偉人群像』に、伊藤公爵が語った言葉として、「君、朝鮮人はえらいよ。この国の歴史を見ても、その進歩したことは、日本より遥か以上であった時代もある。この民族にしてこれしきの国を自ら経営できない理由はない。才能においては決してお互いに劣ることはないのだ」いっていたと記されています。このように、伊藤公爵は朝鮮人を高く評価し、併合には反対だと主張していました。そして、日清韓の連帯を唱えていました。日韓併合に反対していた伊藤が暗殺されてしまったために、その後、山県有朋の主導により日韓は併合への道を突き進むことになったのです。
二つ目は、近年発見された伊藤公爵の明治38年(1905年)11月の日付のメモには「韓国の富強の実を認むるに至る迄」という記述があり、これについて京都大学教授の伊藤之雄は、「伊藤博文は、韓国を保護国とするのは韓国の国力がつくまでであり、日韓併合には否定的な考えを持っていたことを裏付けるものだ」としています。しかし、伊藤公爵は暗殺されてしまいました。残念ながら、これが現実です。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 令和2年(2020)6月23日(火曜日) 通巻第6552号
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集中連載「早朝特急」(17)
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第一部 暴走老人 西へ(17)
第十七章 南モンゴル、ウィグル、チベット
▲中国の残虐はチベットで顕著に露呈した
チベットのラサへは成都から飛行機で飛んだ。空港で驚いたのは大型機が次から次へと中国各地から到着し、観光ブームの頂点に湧いていた。空港からラサ市内までは一時間半ほど。渓流や水たまり、でこぼこ道を越えるので四輪駆動でないと、安定しない。
ラサ市内であちこちを見たが、ようすにチベット族は差別を受けて、ろくな職場がないこと、仏教寺院はありきたりで、とても僧侶達が真剣に仏典を勉強しているとは思えず、ひどく俗化していたこと。ポタラ宮殿は偉容を誇るが、内部はそこら中に公安デスクがあり、警戒が厳しく、広場ではうっかりすると物乞いがまといつく、それもじつにしつこい。
市内にアメリカ人女性が経営するバアがあって、スコッチを飲んだが、一杯程度では高山病にかかることもなく、最終日にうっかり四杯呑んだら、一晩中頭が痛くて眠れない。嗚呼、これが高山病というやつか、と貴重な体験をした。
ひとことで言うとチベットは完全に漢族の支配下にはいってしまった、表向きの寺院とは無縁の俗世である。知識人も僧侶も、ほとんどが粛清されたか、外国へ逃げたからだ。
チベットはいかにして侵略され、自由が失われてしまったのか、これまでにも多くが語られた。
ダライラマ法王にはノーベル平和賞が授与され、そのダライラマに感激したハリウッド俳優のリチャード・ギアはチベット仏教徒になった。エディ・マーフェイは若き日のダライラマを助ける映画の主演を演じた。ブラッド・ピットはエベレスト登山の冒険野郎が、ダライラマにひかれてゆく物語の映画に主演した。
ダライラマが訪米すれば大統領が面談する。わが日本は仏教国であるにも拘わらず、歴代首相が面会したことはない。
日本はいつの間にかサムライ精神を忘却の彼方へ葬り去った。
▲このチベットの惨劇が明日の香港の運命を襲うかも知れない
香港と台湾は過去の出来事を学んだ。とくに香港は『国歌安全法』がいずれ言論の自由を封じ込めることになると不安を募らせ、「第二のチベット」か、或いは「第二のウィグル」になるのではないか、不安が増すのも中国共産党がいかなる凶暴性を発揮してきたかを知り尽くしているからだ。
沈黙を続ければ、静かに侵略はすすみ、自由社会は消え、中国共産党の奴隷に転落するという悲劇的な地獄を迎える。
悲劇は繰り返されている。南モンゴル、チベット、そして現在の進行中はウィグル族への血の弾圧だ。
ペマ・ギャルポ『犠牲者120万人 祖国を中国に奪われたチベット人が語る侵略に気づいていない日本人』(ハート出版)の行間にもチベット人の悲劇、
その懊悩と悲惨な逃避行のパセティックな思いが滲み出ている。温厚で信仰心熱きチベットは中国にあっという間に侵略され、中国に味方する裏切り者も手伝って、120万もの同胞が犠牲となった。ダライラマ法王は決死の覚悟でヒマラヤを越えてインドに亡命政府をつくった。その深い悲しみ、暗澹たる悲哀、血なまぐさい惨劇、しかしこのチベットの教訓こそが、香港、台湾、そして日本がいま直面している危機に直結する。
「日本人よ、中国の属国に陥落し、かれらの奴隷となっても良いのか」とペマ氏は訴える。
チベットは「寛容の国」だった。
それゆえに「寛容の陥穽」に嵌って邪悪な武装組織、つまり中国という暴力団の塊のような、ならず者によって滅ばされた。日本は平和憲法という、寛容な国家の基本法を押しつけられてから七十四年も経つのに、未だに後生大事に墨守している。それが国を滅ぼす元凶であること、左翼の言う「平和憲法」擁護には騙されてはいけないことをペマさんは力説している。
百万人の強制収容所問題で世界を揺らすウィグルの悲劇もチベットのパターンを踏襲している。
▲ウィグル自治区で何が起きたか
十数年前に新彊ウィグル自治区を旅し、ウルムチから列車でトルファンへ入った。
途中のハミ駅で熟した瓜を買った。じつに美味い。トルファンでは干しぶどう、これもまた絶品だった。当時、中国で売り出したばかりの「長城」をいうワインはフランスのワインとまでは行かないけれどもなかなか乙な味だった。
江沢民時代の新彊ウィグル自治区は外国人にほぼ全域が開放されていて、かなり自由に写真撮影もできた。
ウルムチやトルファン市内の屋台に溢れる羊肉、皆がイスラム帽をかぶり、女性はスカーフが多かったけれども、顔を隠しているわけでもなかった。
観光名所のベゼクリク千仏窟は、いかにイスラムが仏像を破壊したかの廃墟跡を意図的に見せているような気がした。岩だらけの高台には孫悟空ワンダーランドとかのテーマパークも出来ていた。
ウィグル自治区の各地でコルランの普及率を調べたが、何処にも、それこそ一ケ所にもコルランを売る書店もなければモスクの受付にもなかった。田舎へ行くとモスクは閉鎖されたところが多く、そのモスクの周囲は物静かで人影もなかった。
コルラン販売の監視とモスクの出入りがチェックされている様子は呑み込めた。
▲留学生がおびただしく行方不明になった
2017年頃からエジプト留学から帰国したウィグル族の若者が当局に拘束されて行方を絶った。家族が心配して心当たりを捜したが、杳として行方がしれない。同様な「事件」が頻発していると在日のウィグル人組織が騒ぎだした。
2018年にはドイツやトルコの海外ウィグル人組織が騒ぎ出し、議会が動き、国際団体が調査に乗り出した。ついに国連の人権委員会で取り上げられた。
なかには家族が偽りの電話を強要され、父親が病気とかで外国へ電話をかけて急いで留学先から帰ると、有無を言わせずに強制収容所に放り込まれ、そのまま一年以上。
合計八千名のウィグル族の若者の留学帰りが収容所で「再教育」という名の下に洗脳教育を受けていた。いずれもイスラム圏への留学という共通点があった。
もともとウィグル族はイスラム教を篤く信仰してきた。無神論の中国共産党は、それ自体が一神教であるから異教徒は許容できない。
この弾圧の中心人物は陳全国(政治局員)だ。
2016年8月29日、陳全国が新彊ウィグル自治区の党委員会書記に任命された。直前まで陳全国はチベット自治区の書記だった。つまりチベット弾圧の責任者だったから、ウィグル自治区にはいっても民衆の弾圧、暴力支配など得意技だった。
陳全国は1955年に河南省に生まれた。武漢の大学をでて軍隊に入隊し、共産党へ入党して頭角を現し、2010年に河北省省長に就任した。異例のスピード出世である。その後、習近平の覚え目出度くチベット書記に栄転した。現在はトップ25の政治局員でもある。
同じ頃、重慶特別市書記だった孫政才が唐突に解任され、新たに陳敏爾が任命された。孫政才の解任理由は「薄煕来の腐敗体質の残滓を重慶市から積極的に排除できず、そのままに旧幹部等をのさばらせ、自らも汚職に励んだ」などとする冤罪だった。要は共産主義青年団の「希望の星」だった孫を潜在的ライバル視してきた習近平にとって、将来の独裁に邪魔になるから排除したに過ぎない。
陳全国も陳敏爾も習近平の子飼い、イエスマン若しくは茶坊主、行政手腕が無能でも、おべんちゃらがうまければ出世街道を驀進できる。阿諛追従の才能だけは秀逸なのだ。下手に理論家だったり戦略論をぶったりすると無学な習近平から逆恨みされるのだ。
ウィグル自治区の悲劇は、このときから一層無惨になった。
2009年に勃発したウルムチ暴動で、漢族が武器を持って手当たり次第にウィグル族を虐殺し、多くのウィグルの若者は隣のカザフスタンへ逃げた。その数は数万人と言われるが、そのうちの一万人ほどがシリアの軍事訓練基地へ送���れ、ISのメンバー入りした。
かれらは漢族への復讐心に燃える。中国の諜報機関はシリア政府、同時にISにも武器を提供して巧妙に近づき、かれらの動向の情報収集に躍起となった。テロリストとして訓練され、中国に帰ってくることを怖れたからだった。
ISをスピンアウトした過激派は「漢族に血の復讐を。中国人を血の川へ投げ込め」などと煽動するヴィデオを作成し、ユーチューブで配信した。びっくり仰天の中国共産党はあらゆる手段を講じてでもウィグル族過激派の撲滅排除に乗り出す。
陳全国は新彊ウィグル自治区の党書記となるや、「宗教活動を厳密に規制し、イスラム文化の表現をやめさせ、辻々には検問所を設け、顔識別とAI機器を駆使して手配者の逮捕を強化し、さらに砂漠に次々と強制収容所を設営し、拷問による改宗を強要した」(『TIME』、2018年8月27日号)。
▲再教育センターとは監獄である
そうやってイスラムを学んできたウィグルの若者の洗脳教育を始めた。「改宗」できない者は独房にぶち込み、イスラム教徒が忌み嫌う豚肉を与え、しかも独房の狭い牢獄に三人も五人も入れてストレスを溜めさせる。睡眠不足とし、洗脳の効果をあげようと急いだ。それでも「直らない」ケースでは家族も強制収容所に入れた。出所してすぐに死ぬという悲劇が相次いだ。
米国の偵察衛星が収容所の数が急増していることを突き止めた。また強制収容所ばかりか、再教育センターもつくられ、家族全員のDNAや血液が収集されデータベースに入力された。デジタル全体主義の支配システムである。
トランプ政権はこの��うな人道に悖る人権無視の民族浄化を黙ってみることはなかった。
衛星写真の証拠を楯にして、これを対中政治カードとする。ゲイ・マクドゥーガル国連人権差別撤廃委員は2018年8月10日、国連委員会で「200万人のムスリムが強制収容所で再教育を受けているという報告がある」と爆弾発言した。
マクドゥーガルは「なかには髭を貯えていた、ベールを被っていた」などの理由で拘束されているケースも報告されているとし、「ウィグル族の民族的アイデンティティの喪失が目的だ」と中国を非難した。
またウィグル女性は漢族の男性としか結婚できないという規則を強要しているとの情報があり、そうなるとユーゴスラビアでおきた「エスニック・クレンジンング」(民族浄化)という悪夢の再来である。あの時、セルビアは欧米社会から猛烈な非難を浴び、孤立を怖れたセルビア国民はミロセビッチ、カラジッチという民族の英雄を国際法廷に送り込んだ。
中国は国連報告をただちに否定し、「あそこは強制収容所ではない、あれは職業訓練センターであり、ウィグル人の教育向上と雇用機会の増大をはかる目的だ。漢族も収容されている。われわれが警戒して取り締まっているのはテロリスト、分裂主義者、過激な宗教活動家だけだ」などと平然と嘯いた。
これはチベットにおける120万人の無辜の民と僧侶の虐殺を「農奴解放」と言ってのけた嘘の論理の適用である(チベットに農奴はいなかった)。
またウィグルの動きに触発されて隣の青海省、四川省、甘粛省、陝西省、寧夏回族自治区などではモスクの監視が厳格化され、とくに後者の回族自治区のモスクは「改修」を詐っての取り壊しが計画されたため信者がモスクに座り込み開始した。
イスラムは国境なき連帯のコミュニテイィであり、ウィグル族への苛烈な弾圧は口コミを通じて世界のムスリムに拡大した。トルコはこの時、中国を激しく批判し、旅行制限をだしたほど対立的だった。
ムスリムの中国敵視は米国の対中国認識とはレベルの異なる、感情的エトスが含まれているのである。
▲日和見主義だった欧米が中国に強硬となった
習近平時代となって強烈なイスラムへの弾圧が強まった。陳全国の悪名は世界にとどろき、「悪代官」と呼ばれる。収容されているウィグル人は百万人ともいわれるのに、イスラム同胞をかかえる国々は中国の人権抑圧を批判しない。米国も911テロ事件以来、「東トルキスタン開放同盟」を「テロリスト」とうっかり認定してからこれまでは黙りを決め込んできた。
その日和見的態度をがらりと変えたのがトランプ政権だった。
ペンス副大統領が正式にイスラムに言及し、ウィグル族の不当拘束を避難する演説を行ったのは2018年十月だった。2019年七月には日本を含む22ヶ国が中国政府を批判する声明に署名した。トランプ大統領はウィグル族をふくむ少数民族の代表者をホワイトハウスに招いて実情を聞いた(19年7月17日)。
しかし奇妙なことにイスラム国家のサウジもエジプトもカザフスタンもキルギスも右の署名には応じなかった。イスラム国家とは言え、みな独裁政治であり、おなじ独裁の中国とはたいそう馬が合うのだ。
だからイスラムはテロリストだという中国の嘘宣伝を楯にイスラム同胞への惨い弾圧には目を瞑ってきた。
▲イスラムの影響を抜き取るのが収容所の目的なのだ
福島香織『ウィグル人に何が起き��いるのか』(PHP新書)はウィグルへの突撃取材を試みたルポで、エティガール寺院の現場報告から始めている。
「美しいミナレットが特徴で、一日五回行われる礼拝の時間にはアザーンが流れるとガイドブックには書いてあるのだが、(中略)流れていなかった。寺院の屋根には五星紅旗が翻る。宗教施設に国旗を掲げることは2018年二月以降、義務化されているのだが、これほど不自然な光景もない」。
しかも寺院前広場はゴーカートなど子供遊園地に化け、戦車の乗り物もある。目抜き通りを歩くと「路上にはゴミ一つ落ちておらず、清潔だ(中略)が、どこかよそよそしい、この作り話めいた空気は何だろう。青いジャージに赤いネッカチーフの小学生たちが、中国語の童謡を唱いながら歩いていた。ああわかった。テーマパークだ」
タクシーにのっても監視カメラ内臓のため運転手と会話は弾まず、車内には「社会の秩序を乱してはいけない」などのポスター、どこもかしこにも監視カメラだらけ。
「人々は正直で親切だ。だが、人を含めて全部作り物のようだった。彼らは昔ほど陽気ではなかった」
福島香織さんの観察の目は鋭く、さらに牧畜が行方不明となっている現実をみた。どこにも羊の姿はなかったのだ。町からも村からも消えていた。ウイグルは「巨大な監獄」だった。それも「21世紀で最も残酷な監獄社会」だ。
所内では漢語の強制、豚肉を食べさせ、ウイグル族の文化的背景、イスラム教の影響を抜き取り、漢族風に洗脳する目的だったことは述べた。
中国語を教え、中国の法律を叩き込み、そのうえ中国共産党の獅子吼する「愛国」教育を徹底させた。その一方で、縫製、メカニカルエンジニアリングからホテルの清掃のやり方など教育、訓練した。
反抗したウイグル族が相当数、拷問され、収容所内で死亡した。
こうした事実はその後、亡命に成功したウイグル族女性によって米国議会の公聴会証言で明らかとなった。米議会は超党派で中国への批判を強めた。
トランプ政権はウイグル弾圧に用いられたとして監視カメラ、顔面識別、AI技術を製造するハイクビジョンなど中国企業の28社を[EL]リストに加え取引停止とした。ペンス副大統領の二度に亘る対中批判演説にはこれらの裏付けがあった。
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--深海人形-- 海と空の深みに身と心を沈めて
ーー物事ができるできないというのは頭ではなく性格だ。
ーー人間の顔に上下などない。要点をつかむという能力と、不要不急というものは切り捨てるという大胆さだけが問題だ。
ーー司馬遼太郎作『坂の上の雲』より
※Twitterの自アカウントより引用(※…一部例外として書き下ろしあり。そして、一部修正、大幅加筆、若しくは、改変済みである)。
※…宗教、墓、歴史、及び死にネタ、頭無惨にも頭が可笑しくなるような自分語り注意(※…何時にも増して、高難易度)。
…では、どうぞ(※人生訓:訳の分からない深みには嵌るな)。
…。
…。
[[MORE]]
…私の遺骨は海に散骨してね。…キリスト教の墓に入れないのなら、尚更。…それに、妹とは、同じ墓には入れないから。宗教が違うしね(※…親とは絶対に、同じ墓には入らないよ)。
…某微苦笑先生に、『仙人』って渾名あるの、はじめて知った(※無教養)。
ー人生の目標:親と同じ墓には入らない(※断固として)。
…大東亜戦争時に、「…此の船が沈まないのは、此の船の船底を、先に、戦いで散って行った英霊達が支えてくれるからだ(※戦争末期の冬月)」…の如く、私も死して尚も、ユギオと言う名の船を支えて行きたいものだ(※若くして死ぬ前提)。
…『教養人の皮を被った野蛮人』の命日に『謳歌忌』なんて洒落た名前が付いて居る(※…しかも、本人が名前付けてる)。
…私こそが、後進を、多聞丸の如きシゴキで鍛えてあげませんとね(※wkwktktk)。
…私が、教えてやれる事は、意外と無い(※常識)。
…相変わらず、真面目な空気に耐えられないワイ(※不真面目)。
…米帝の如きネタ投稿の物量作戦で、ユギオクラスタ他、多種多様な界隈に攻め入るこいつ様であった(※普通に邪悪 ※迎撃御願いします)
・歴史と文学に造詣が深い上に教養がある
・多種多様なジャンル、話題に対応している
・海外人気がある程度以上はある(とされる
・幅広い年齢層どころか海外にも顔が利く
・兎に角ネタを米帝と増援の如く量産し、其の都度増産出来る
・ミリタリーと決闘(デュエル)にも強い(らしい)
…何こいつ(※真顔)
・文章が綺麗(らしい)
・字と絵が下手(見たら目が腐る
・英語と独逸語と中国語が少しばかり、ある程度くらいは分かる(らしい)
・ただひたすら平和より闘争を愛する生粋の修羅(或いは羅刹)
・こいつ、…一体、何者なんだ……()
…父も母も本当に酷い人達だった。大層、苛められたし、いびられたし、労働的、金銭的に、散々、搾取されました。…だからこそ、其の長女は、決して、同じ墓には入りません。同じ墓に入れるくらいなら、我が遺体を其の辺に捨て置いて欲しいくらいです。
…欧米中東特亜他世界各地の地域それぞれでは、まるで、全部、日本ローカルの話だとしても、何れを、どの様な話題を喜ぶかは分からない訳で(※御容赦を)、
…後進は、年下は、殺させないし、死なせない。…私が全部護る。…例え、自分が天寿を全う出来る程、御長寿な人生で無くても。私以上の、未来と可能性の塊を、死なせたり、絶やさせたりさせない。此の国も同じように守る。…そして、こうして、イエス様から頂いた永遠のいのちは、生き続けて行くの。
…今迄、散々、元気だった、某ユギオNo.1の最古参神(ネタ)女絵師が、此処迄、体調を悪くしたのは、ユギオAVとVRの出来が最悪過ぎるから(壇さん並感)。
…後、祭壇民やら各種近作アンチによる各所での凸撃コメ及び作品批判・アンチ発言も相当ダメージ与えたんじゃない?彼女に。(反省しろ莫迦共)。
…幾ら、よく、作品と人間性が、出来て居る有名人だから、…って、潰す寸前(かいずれ其の先)迄、皆して集中攻撃加えといて、凸民「…俺(等)は関係無い(…ので失礼する ←※おい、待てぇ!既に実害出てんだろうがぁ!)。」…って��死後裁きに会うし、確実に地獄行きですよ(※何なら私が堕として上げましょうか? ※満面笑)、
…此んな人生でも満足なのだ、死後にイエス様に会えて、其処で暮らせるから(※…イエス様、本当に有難う御座います)。
…『あんなにも酷い親』と言う、生来の軛から、死ぬ事で、私は、解き放たれる。これも全てイエス様の為せる御業です。主の御名を崇めます。ただ、イエス様だけが、私の本当の神です(※御国がさっさと来ますように)。
…『あんな異教徒で人で無しで冷酷で酷い親』の居ない世界が私にとっての、神が私の為に用意された、楽園。
…体調的にも、…もう、駄目かもしれない…(…だけど、親より早くに死ねて良かった)。…そして、オンラインでの訃報は、親は普通に役立たずなので、いとこに(※…全て事前に説明及びこちら側での用意をしてた上で)入れて貰います。御安心下さい。此の主宮、最期迄ちゃんと生き抜きます。
…だから、どうか、最期迄、御見護り下さい。此の主宮の事を。
…歴史と銀英伝、人死に過ぎ問題(←うるせー!最後には皆死ぬんだよ?!)。
…生前、上手く生きられ無くても、親と周囲が望むように、出来無くても、死後がある。私は、ずっと、そう確信して居ます。
…人間の本当の人生は、死んだ後、死後から初まる。生きて居る内の人生は、ただの茶番にしか過ぎない。…結局、哲人が言う様に、『人生自体が虚無』なんだ。虚無が過ぎ去ったら、其処に、死があっただけだ。
…私の命は、イエス様の御蔭で、永遠のものだから……(※本当に死にはしないから)。
…よく言われる事だが、其の人間が生きて居る内には、分からない。…死んだ後にしか、其の人の真の価値は分からない。
こいつ様「…絵を描きました(※色付きです)。」閲覧者「…小説の方を描いて下さい(※絵の方は要らん)。こいつ様「…新作描きました(※迫真)」読者「…酷いですね(※つまらないとは言っていない)。」 ※…何故なのか(※頭を抱える)。
…『全部、天国で描けば良い(※死後にゆっくり描けば良い)』と言う結論に達するしか無かった(※…矢張り、『死=救済』)。
…皆、私とイエス様に頼って良いのよ?!(※御姉さんの皮を被ったおばさん口調)
…どうせなら、ワイの筆名、しばりょーせんせに倣って、『小林秀雄に遙か及ばず』と言う事で『小林遼子』でも良かった希ガス。それでも、辞めといた方が良いな。…だって、小林って人、あまりにも、其の『小林』と言う名字が一般化し過ぎてて、多過ぎるんだもの。
…カフェイン酔いが激しくて、余り茶もコーヒーも飲めなくなって来た(※…流石に、シャロ並では無いが)。
Q.…Why is Japanese language hard? A.…You have no 『情緒』.
…We enjoy a fervor with music(※音楽を以て情熱を享受す)。
…ワイが歴史の本とか読んでたら、親のヤツがじろじろ見て来る(※…うぜぇ……)。
ワイ「…キャラクターは、物語に打ち付ける為だけの釘である(※参考:小説家大デュマの発言)」 ※…藁人形に、藁人形に、ごっすんごっすん五寸(ry
…戦争ってのはな動いてないと死ぬぜ〜死ぬぜ〜ヒャーッハーァアアー!(←※悪霊口調)
…遊星と遊作は、中身的にも、個人的な趣味とか境遇とか人間関係とか抜きでは、区別が付き難い(※よく頻繁に混乱する)。…ほぼ同じ様な中身(※…と更に名前)してるのがややこしい(※極端に他者依存の個性、相対対象が居ないと把握すらしづらいと言うのも曲者)。
…こちとら、嫌がらせの才能(※親譲り) があるのでね(※本当)、
…近々、親に人生最大の親孝行兼嫌がらせしてやるからね(※笑)。
海干上げ そして潤す 彼岸潮
…どんなに、人生の成果が芳しく無くても、テメェの生き様を最後迄見せて死ぬのがワイ(※最後の最後迄宜しくな)。
…蟹、無☆職☆王他(※可亜以外)幾人かはあれからしばらくして、病気であっさり享年48未満とか歴史上の早逝した偉人パターンしてるような気がして、坂の上の雲(←※??)。
…蟹とかは、確実に、長生き出来無いどころか、ヤン提督と良い勝負してる方に、100000ペリカ賭ける(※……架空とは言え、人様の寿命で賭け勝負するサイコパス表れる)。
…蟹とかは、郭奉孝、法孝直よりも、長く生きるんだぞ、良いな?(※…当然、一番理想的なのは南華老仙コースだよ!!)
…ウェイン兄弟?テメェらはテメェらで勝手に死んでろ(※冷淡)、
博物館の解説「…此の単輪Dホイールはホイール・オブ・フォーチュンと呼ばれ、ジャック・アトラスの死後、乗せた者を次次に死に追い込む伝説で知られております。故に流石デュエル・キングの遺産であ(ry(※真顔)」ジョニー(※後のアンチノミーでありブルーノ)「…怖っ(※…ひゃ、ひゃぁあァアア…!)。
博物館の解説「…なお、のちに、定期的に供養すると、決闘(※デュエル)戦勝・交通安全等の御利益があると評判が上がりました(※御霊信仰)」ジョニー(※ノミとブルの生前「…やっぱ、此処、日本だよね!!!!!!(※逆に感激)。」
ZONEくん「…晩年は流石にしてなかったですよ、其の髪型には(※未来ネタバレ爺さんモード)。」蟹「…晩年と言う単語を出すな。生々しい(※震え声)、」ZONEくん「…因みに、貴方の享年は32歳でしたよ(しれっ)。」
…何の作品でも、よしき作中でなりふり構わず殺し過ぎ(※皆分かってる ※皆殺しのヨシキタナカ)、
…ポスト皆殺しのヨシキタナカ(※…鰐、単眼猫先生等意外にも多数)。
……ウェイン兄弟は残機ある限り、幾ら殺しても、のうのうと、生きてっから……(※…自機が其の場復活して ※…………今度こそ確実に仕留めるんだぞぉ……)。
…拙作と歴史と呪術とヨシキタナカ作品と鬼滅と三国志、人死に過ぎ問題(※定期)、
無☆職☆王「…そうか。ZONEよ、では死因は?(※能天気)」ZONE「…病死ですね(※毒による他殺説等あり)。」蟹「」
無☆職☆王「…じゃあ、アキはどうなのだ?(※最低)」ZONEくん「…47歳くらいですかね(←※ちゃんと覚えて無い 」無☆職☆王「…中途半端に長生きしたな婆アww(※…何故か御満悦)。」アキさん「…良い加減にしても…、…殺すわよ……(※暗黒微笑)」
…往々にして、重度の読書家、稀代の戦術・策略家也(※例:ナポ公、真之、多聞丸他)。
…ハムスターの山田さん達にとっては、ヒトの心拍(※所謂BPM)は、めっちゃゆっくりなんだよね(※調らへんは知らん)。
…デュエルは、皇帝やっこさんは「…下らん、ただの遊びではないか(※余は忙しい)。」と言い出すし、ヤン提督も「…じゃ、一回やってみる?(※全然才能無し)」だし、…矢張り、一番オススメなのはユリアンアッテンポプランロイエンらへんです。(※架空デュエルごっこ話)
…ロイエン、アッテン辺りは、普通に本家決闘者(デュエリスト)を驚かすようなデッキとプレイングをしてくれるでしょうね(※…作者繋がりで、薬師寺さんとか創竜伝からとかも行けるかなぁ?)。
…今の中国の惨状を、史実の中島敦に見せてやりたい(※…正直、昔と全然変わってないよねって言い出すと思う)。
…度を越えた、権威主義者ですまんな(※…あと、反権威主義者とアカの莫迦共は嫌いだ)。
…仮にも、『世界を救った英雄(※カードゲームで)』だし、蟹は青山霊園に葬られても良いんだけどなぁ(そしてポケGOスポットになる)…、…でも、あの霊園はセレブ御用達で、歴史に名を遺すセレブ(※明治維新の功労者に文豪)だらけのなので、生前から、蟹本人が嫌がりに嫌がるやろうなぁ(※…そしてポケGO(ry
…東郷元帥に五十六元帥、西園寺公望、…それに、中島、有島君も眠る多摩霊園ならどうすっか?(※結局同じ ※…そして、又、ポケGOスポットに(ry )>青山霊園が駄目なら
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◆車上生活者と「糊口(ここう)を凌(しの)ぐ」
◆車上生活者 https://ja.wikipedia.org/wiki/車上生活者 車上生活者(しゃじょうせいかつしゃ)は、字義をそのままに捉えた場合、 自動車内を主要な住環境とする者全般を指すことになるが、少なくとも 日本語においては、とりわけ、ネガティブな事情を抱えて止むを得ず それを長期も亘って行う者を指すことがほとんどである。 さまざまな事情によって住宅で暮らすことができず (あるいは、できるのに選択せず)、自動車を住まいとしている者である。 多くは貧困が原因で車上生活を余儀なくされている。 駐停車する場所によっては道路交通法上の違反行為となる (現代日本���場合、自動車の保管場所の確保等に関する法律〈車庫法〉違反 などに問われる)。 なお、変事や楽しいイベントに際して“車上生活”を一時的に行うことは、 宿泊することに主眼が置かれ、「車中泊/車内泊」という別の概念に集約される。 ◆「車しか行き場がない」 道の駅の駐車場などで暮らす車上生活者たちの実態 https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4355/ 出典:NHK2019/11/19(火) 3割超の道の駅で…なぜ?亡くなる人も 私たちが取材を始めたきっかけは、ことし8月に起きたある事件でした。 50代の女性が、母親の遺体を車の中に放置したとして、逮捕されたのです。母親と息子の家族3人で1年間、車で生活していたことが、警察への取材で分かりました。しかし、なぜ車上生活を続けていたのか、詳しいことは分かっていません。 ◆ 道の駅で夜を明かす――彼らはなぜ「車中生活者」になったのか https://news.yahoo.co.jp/feature/1567 2020/2/15(土) 8:28 配信 私たちの身近にある「道の駅」。日中は多くの人でにぎわう憩いの場だが、夜になると別の顔を見せる。駐車場の片隅で目立つのは、ガラスに目隠しをした車。その多くはレジャー目的だが、なかには長期にわたり、道の駅の駐車場を転々とする「車中生活者」がいる。それぞれに異なる深刻な事情を抱えた彼らは、今日も狭い車内で眠りにつく。社会から離れ、遠ざかるように暮らす車中生活者たち――。彼らの姿は、社会に何を問いかけるのか。半年にわたって取材した。(取材・文:NHKスペシャル“車中の人々 駐車場の片隅で”取材班/編集:Yahoo!ニュース 特集編集部) 取材のきっかけは、昨年夏。群馬県で暮らしていたある女性の死だった。 「3世代 1年車上生活か」 女性は娘と孫の3人で、1年にわたって軽乗用車の中で暮らしていた。軽乗用車をどこに止めていたのか。家族の足取りを追っていくうち、居場所の一つとして浮上したのが、埼玉県内の道の駅だった。取材を続けていくとあることに気づいた。 ◆増え続ける「車上生活者」 - J-CASTニュース https://www.j-cast.com/tv/2019/11/20373114.html?p=all 2019/11/20 増え続ける「車上生活者」道の駅で2年・・・仕事も家もなく雨風しのげるのはここだけ 道の駅などに車を駐車して暮らす、車上生活者が増えている。今年8月(2019年)、埼玉・熊谷市の道の駅「めぬま」で50代女性が母親の遺体を車の中に放置したとして逮捕された。警察によると、女性は母親と息子の家族3人で1年間車上生活をしていたという。 群馬・吉岡町の道の駅「よしおか温泉」では、夜になると暗闇の中に10台ほどの車が止まっていた。その中の1台は車上生活者で、トラック運転手をしていたという66歳の男性だ。この12月で1年になる。後部座席で眠り、カセットコンロで料理もする。金がない時は手作りのゼリーで凌いでいる。70キロあった体重は40キロ台まで落ちたという。 この男性が車上生活者になったのは、仕事を失い生活に行き詰まったためだ。アパートの家賃の支払いが滞り、退去して車中で暮らすようになった。「生活保護を受けたらどうかと言われたが、市役所に行ったら、車を持ってるならダメと却下された。次の仕事を見つけるためには車は手放せない」と話した。 ◆車上生活者なめとるやろ? こんな生活耐えられる? 車中泊 山 夜 警察 職務質問 https://ha-navi.com/car-02 2018/07/19 - 20.36分 俺が寝る場所は、その川をはさんだ向こう側にある林道の空き地でした!!! アリ、ハチ、ハエとかもう友だちって感じ? クモは益虫。この前パンツの中にアリ入っとったからな。さすがにびびったけどw. 面白いことにこんな所にも警察くるんやで。 「はいじんかいなんで...」 「いつもこんな林道を巡回してんの?ふーん。県道でもないじゃん。」 「巡回ルートです(真顔)」 こんなんばっかやで。警察はこんなゲーム好きのホームレスのおっさんいびるヒマが有るなら、もっと他に捕まえる人間がいるだろって感じ。 ◆車上生活を2カ月してみた!こんなんでも生きていける。内装も紹介 http://tomoyauchida.com/living-in-a-car/ 2019/01/08 とむ(テント生活7カ月目) @tomtombread
車上生活ももうすぐ2ヶ月終える。 寒くないの?とか会う人皆に聞かれるけど、寝袋2枚重ねてると、暖かくてむしろ快適!笑 今の時点で-7℃、明け方には-10℃とか楽勝でいくんだろうけど、今夜も「秘密基地」で温かいお茶飲んでます笑 23:19 - 2018年12月30日
車上生活を2カ月しています、とむです。 2018年の11月から車上生活を始めて現在(2019年1月)も継続中です。 今朝もフロントガラスはバリバリに凍っていました。 この2ヵ月を、一区切りとして なぜ車上生活を始めようと思ったのか 実際に車上生活ってどうなん? ってことをまとめていきます。 ◆私は“ホームレス”。「現住所=車」のバンライフが、夫婦関係をより良いものにしてくれた https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5dd20b42e4b0d2e79f8f44cf 2019/11/20 結婚して1年とちょっと、夫と車に住んで日本中を旅する毎日を送っています。 生活に必要なものを車に積み、好きな場所へと移動しながら車で生活を完結させる。 ... 夜眠る時は、日本全国の車中泊スポットを検索・予約できるCarstay(私は、この会社の仕事をリモートで請け負っているという縁もあります)というサービスを ... ◆日本で急増する「住所を喪失」した人たち~車上生活、漂流女子、8050問題が行き着く地獄=鈴木傾城 https://www.mag2.com/p/money/750924 2019/08/29 いま日本で住所を喪失する人が増えている。車上生活者・ネットカフェ難民が溢れている。いったん住所を失うと、不安定な生活から抜け出せない蟻地獄にハマる。(『鈴木傾城の「ダークネス」メルマガ編』) 決して他人事ではない住所喪失、社会的に「存在しないも同然」に 住所を失って途方に暮れる人たち 2019年8月20日。群馬県でひとつの事件が起きていた。 58歳の女性から「92歳の母親が車の中で死亡している」という110番通報があったのだが、警察が調べると確かに後部座席には座ったまま死んでいた92歳の母親の遺体があった。すでに死後4日が経っている状態だった。 実はこの58歳の女性は住む家がなく、92歳の母親と27歳の長男と3人で車上生活をしていたのだった。この三世代の一家は住むべき家を失っていた。その車上生活の最中で92歳の母親は寿命が尽きた。 事件が起きた時は、すでに1年近く車上生活をしていた。車上生活と言っても、キャンピングカーのようなものではなく、ごく普通の軽自動車である。 92歳の母親が死んでもすぐに届け出することも病院に駆け込むことがなかったことも衝撃だが、それよりも狭い軽自動車で三世代が1年近くも生活していたということに驚く。 住所を失っても行政の支援や救済を求めない。問題解決の方法が分からず、どうしていいのか分からないまま車で1年暮らす。今の日本で家を失って途方に暮れている人たちが確かに存在する。 ◆何千人もの人が車上生活を強いられどこにもいけないという現実がある https://gigazine.net/news/20190727-live-in-vehicles/ 2019/07/27 車暮らしの場合はホームレスとは違い住居があるために、生活が困窮しているのに社会サービスを受けられないという実態があるとのこと。車暮らしの人々 ... 6:車内あるいは車の横に大量のアイテムが入ったプラスチック容器が置かれている ◆無職で車上生活!一日一食でスーパーの駐車場で寝る日々の体験談 2016/01/03 https://mushoku-kane.net/shajouseikatu.html 当サイトに寄せられた、みんなの無職体験談をご紹介します。 今回は、住む場所もなくなり車上生活を余儀なくされた方の体験談です. ◆「車中泊難民」50代で家がない…年収100万円、介護離職の過酷 https://nikkan-spa.jp/1613588 2019年10月27日 週刊SPA!編集部 ―[年収100万円の絶望]― ますます広がる日本社会の格差。その日暮らしを強いられる年収100万円程度の人たちは、過酷な環境下でどのように過ごしているのか。今回は年齢とともに過酷さが増す中高年に注目。社会から見捨てられた漂流者たちのリアルを取材した。 介護離職から家を失い、車上暮らしに 貧困問題について年間500件の相談を受ける社会福祉士の藤田���典氏はこう語る。 「失業しても、家さえ失わなければ生活を立て直すことは可能です。しかし、一度ネットカフェ暮らしや車中泊を始めて住所不定となると新たに住宅を契約することは難しく、そこから這い上がるのは困難なんです」 日雇い仕事で糊口(ここう)をしのぐ埼玉県出身の篠原雄二さん(仮名・52歳)は、母親の介護のため正社員として勤めていた自動車工場を離職したが、母親の死後は25万円で購入した中古の軽バンで暮らしている。「車中泊は一時しのぎだ」と飄々と語るが、ストレスの多い車上暮らしも1年がたち、辛さが身にしみる。 ◆ 「糊口」「糊口を凌ぐ」の意味と読み方、使い方、類語、例文、英語表現 https://eigobu.jp/magazine/kokou 「糊口」という言葉をご存知でしょうか。「糊口を凌ぐ」「糊口の道を閉ざされる」などと使います。日常会話ではあまり使わない言葉のため、初めて聞いたという方も多いかもしれません。では、「糊口」とはどのような意味なのでしょうか。漢字からして難しいですが、一体どんな意味をイメージしますか。あまり使わない言葉であっても、いざという時に備えてしっかりと覚えておきたいですよね。そこで今回は「糊口」「糊口を凌ぐ」の意味や使い方、読み方、類語について解説していきます。「糊口」をしっかりと知って、上手く使えるようにしましょう! この記事の目次 1.「糊口」の読み方と漢字 2.「糊口」の意味と語源 3.「糊口」「糊口を凌ぐ」の使い方と例文 4.「糊口」の類語 5.「糊口」の英語 6.まとめ 7.こちらの記事もチェック ◆糊口をしのぐ 読み方:ここうをしのぐ 別表記:糊口を凌ぐ どうにかこうにか生計を立てて貧しいながらも暮らしていく、という意味合いで用いられる言い回し。「糊口」は「粥(のような粗末な食事)を食べる」という意味の語で、そまつな物ばかりだが何とか食べていく、といった含意がある。「口を糊する」とも表現され。 ◆ここう]【糊口・餬口】 〔口を糊(のり)する(=カユヲススル)意から〕 (ほそぼそと)暮らしを立てること。生計。よすぎ。 「 -の資を得る」 [句項目] 糊口を凌ぐ ◆糊口を凌ぐ - 日本語を味わう辞典 笑える超解釈で言葉の意味 https://00m.in/m5pRN ここうをしのぐ 糊口を凌ぐとは、やっと食べていけるような貧しい生活を送るという意味。「糊口(ここう)」は「口を糊(のり)する」と訓読するが、口を接着剤で張り付けて食欲を我慢するというような意味ではない(そんな意味でも通じるような気もするが)。「糊(のり)」とは「粥(かゆ)」のことで、「糊口」は「粥を口にする」という意味。粥は炊いた米や雑穀を水で煮た食べ物で、ご飯が水を含んで増量するので、「腹が減った」とぴいぴい騒ぐ子どもだまして穀類を節約するのに適しており、これを常食して日々を凌いで(苦境を切り抜けて)いるから「糊口を凌ぐ」というわけである。「糊」で「粥」を表すのは、飯粒を水で溶いて軟らかくした粥状のものを、以前は実際に紙などの接着剤として使っていたことからかと思われ(中国人の考えたことだからよくわからないが)、やはり「食べ物をせがんでうるさい口を糊でふさぐ」という意味でもよいのではないかと感じる。(CAS) ◆ここう【糊口・餬口】 〔口を糊のりする(=カユヲススル)意から〕 (ほそぼそと)暮らしを立てること。生計。よすぎ。 「 -の資を得る」 [句項目] 糊口を凌ぐ ◆顔文字でよく使われる記号まとめ。Д З ω ゞ∀ 等々。 クッション言葉 まとめ一覧 頭語(とうご)と結語(けつご) まとめ https://yaoyolog.com/「糊口」とはなんと読む?またその意味は?「の/ 「糊口」とはなんと読む?またその意味は?「のりくち」ではなくて「ここう」と読むのだそうです。 言葉文章文言関連 2014-02-10 管理人 Leave a comment 雑誌を読んでいると、なんて読むのか分からない文言に目が止まりました。 「家族の糊口を凌ぐ為・・・」 「糊口」?? 「のりくち」?? まったく意味が分かりません。 早速調べてみました。 「糊口」とは「ここう」と読んで、意味としては、細々と生計を立てる、生計、といった意味になるのだそうです。 そもそも前半の「米」「古」「月」と書いて「糊(こ)」とは、訓読みでは、のり、と読んで、お米を煮詰めて作ったのり、のり付けする、ねばる、おかゆ、などとの意味になるとの事。 今回の場合は、お粥(おかゆ)の意味になるとの事で、どうにかお粥を口にして生活する、といった風景描写になるようで、わずかな収入の中で細々と暮らしていく様を表現しているとの事。 また「糊口を凌ぐ」という、同様の意味のことわざがあるのだそうです。 現代の格差社会に関連したワーキングプアの話だったので、そういった表現をされた模様でした。 自分も過去を振り返ってみると、何度か糊口を凌ぐ生活をしていた事を思い出しました。 現在はどうにか落ち着いていますが、明日は我が身。 油断せず日々緊張感をもって過ごしていければと再確認しました。 日々精進します。
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【小説】真夜中の暗殺者 (上)
孤独で優しい魔法使い
Ⅱ.真夜中の暗殺者 (上)
何かが砕けたような乾いた音と共に、大きな影が宙を舞ったのを見た時、リックは薄汚い路地裏の、排水が溜まった窪みに身を潜めていた。
ある物理学者は果実が木から落ちるのを見て万有引力を思いついたと言うが、その黒い影が数メートル先のところに落下し、脳味噌を石榴のようにぶちまけたのを見たところで、リックに理解できたのは、落ちてきたそれが人間であるということ、そして、その人間が身に着けている闇に溶け込むような黒衣は、自身が身に着けている物とまったく同じ物であるということだけだった。
つまりは、落ちてきたのは自分と同じ「組織」に所属する人間で、標的の部屋に侵入していた仲間だ。その体格から、落ちてきたのが今回同じ任務に配属されていた男であるとわかったが、何度か同じ任務に就いたはずの彼の名前までは思い出せなかった。
上へとすばやく目をやると、アパートの四階の窓が割れていた。部屋のカーテンが風に吹かれてたなびき、小さなガラス片がきらきらと光りながら落ちてくる。遅れて、部屋に灯かりがともった。窓辺に近付く黒い人影に気付き、リックは頭を下げるようにして息を殺す。
部屋には標的ひとりしかいないはずだった。人影は一体、誰なのか。リックは頭に叩き込んだ部屋の見取り図や標的の情報を脳内で復唱しながら、頭をもたげて頭上の人物の顔を視認したいという欲求を抑え込む。迂闊に動いてはい��ない。任務は失敗したのだ。ここは一度、身を引くしかない。
標的が侵入者を撃退したということは、事前に奇襲することが把握されていたに違いない。暗闇の中、標的自身が刺客を返り討ちにできるとは考えにくい。先に手を打たれていたのだ。部屋に用心棒でも待機させていたのか。
窓辺から人影が消えた。リックは音を立てずに身を起こす。アパートでは他の部屋にも灯かりが点き始めていた。物音を聞いて目を覚ました住民がいるのだ。見つかる訳にはいかない。逃げなければ。
覚えた地図を頭の中に広げながら、あらかじめ計画していた逃走路を足早に通り抜ける。
細い路地を何本も抜け、飲み屋ばかりがずらりと並ぶ大通りへと出た。そろそろ日付が変わるという時間であったが、通りに面したバーのネオンはまばゆく、出歩いている人々の姿も多い。金曜の夜だからだろう、仕事帰りを思わせる服装のまま、赤ら顔で上機嫌な男たちが目立つ。リックは何食わぬ顔をして、通行人たちの中へと混ざり込んだ。
人々の様子に異変はない。この街の片隅で惨劇が起こっているということなど、誰も知らない。
まだサイレンの音も聞こえてこない。あの路地の住民が死体を発見して警察に通報するのはもう少し先だろうか。リックは左手首の腕時計を一瞥し、作戦通りであれば任務を終え、上司に一報を入れなければならない時刻になっていることを確かめる。
「組織」の人間は予定通りにことが運ばなかった場合、最悪の事態を想定して次の行動へ移る。リックからの連絡がないことで、任務遂行中に予想外の何かがあったということは上司にも伝わるだろう。もしくは、どこかに待機している他の仲間から連絡がいっているはずだ。もう次の手は打たれている。そう思いながらも、リックは頭の中の地図から、公衆電話が設置されている通りを探し出す。
連絡しなければ。任務が失敗し、現場から離脱し、仲間の死体を置いてきたことを伝えなければ。
大通りから一歩、再び細い路地へと足を踏み入れた、その時だった。
ぞわり、と背筋が凍るような感覚がした。
しまった、見つかった。
直感的にそう思ったが、リックは決して振り返らなかった。立ち止まることも引き返すこともできない。見られている。自分は今、どこからか、何者かに監視されている。リックにはそれがわかる。だが、見られているだけだ。恐らく、判断しかねているのだろう。殺すべきか泳がせるべきか、まだ迷っている。この先、少しでも怪しまれる行動を取れば、リックは殺されるだろう。よって、足を向けた路地の奥へと進んで行くしかない。来た道を突然引き返すのに、自然な理由がないのであれば。
路地は静まり返っており、誰の姿もない。表の喧騒が嘘のようだ。リックは表情ひとつ変えることなく、しかし、心の内で溜め息をつく。背中に刺さるように向けられているこの冷たい視線がなくなるまでは、電話をかけることもできそうにない。頭の中の地図から公衆電話の位置をかき消し、リックは新たな逃走路を探す。
道の角を曲がる際、来た道へ横目を向けると、大通りからこの細い路地へ、数人の人間が入って来るのがちらりと見えた。背の高さや体格からして大人の男だ。それが複数人。それに対してリックはひとりだ。路地の奥で迎え撃つには分が悪い。だが撒くにも相手が多すぎる。
一体どこへ逃げればいいのか。脳内の地図をめくり、逃走経路に思考を巡らせていたその時、リックの背筋で再び冷たい感覚がした。思わず身体に緊張が走り、はっとして足を止めたその瞬間、リックは戦慄した。
目の前に、ひとりの男が立っていた。
いつからそこに立っていたのか、どこからその男が現れたのか、リックにはまるでわからなかった。人がやって来る気配はなかった。向こうから誰かが歩いて来たのであれば、それに気付かないはずがない。途中の脇道から出て来たのだろうか。それにしても、足音ひとつしなかった。
否、とリックは考える。足音も立てず気配さえ感じさせないということは、この男はただ者ではない。同業者なのだ。
リックは反射的に半歩身を引いた。目の前に立つこの男から距離を取らねばいけないと、身体は瞬時のうちに理解していた。深く思考しなくても、肉体は常に最適な解答を求め躍動する。「組織」の人間は、そうでなければならない。リックは幼い頃から繰り返し、そのための訓練を受けてきていた。
しかし、この時リックが身を引いたのは、もっと本能的な反応、つまりは恐怖心からだった。突如として目の前に出現したかのように見えるこの男の存在に、リックは恐怖していたのだ。
男は首元からくるぶしまで、全身を覆い隠すように黒一色の外套を纏っていた。裾からは黒い靴の爪先がちらりと覗いている。顔は深く被っているフードに覆われ、鼻から顎までしか露出していない。その姿は、まるで影法師が肉体を得て立っているかのようだった。
異様だ。
リックは直感的にそう思う。この男は、同業者にしては異様すぎる。
身体のラインをほとんど隠しているため、正しい目測はできないが、見たところ、男の身体つきは訓練を積み鍛え上げた肉体という訳ではなさそうだ。その外見から、男だということは判断できるが、年齢までは推測できない。老人なのだろうか。衰えて皮膚がたるんでいるような、そんな印象をこの男からは抱く。だが背筋はぴんと伸びており、少しも曲がっていない。
同業者にこんな男はいない。こんななまくらな肉体で、業務が務まる訳がない。
だが一般人でもない。一般人が、存在を感じさせることなく、突然リックの目の前に姿を現すといった芸当ができるはずもない。それは熟練した同業者であっても容易いことではないからだ。
一体、こいつは何者だ。追って来る男たちの仲間なのか。
リックに悩む時間はない。背後から追手の気配が音もなく近寄って来る。追いつかれたら殺される。それだけは避けなければならない。任務のためでも、「組織」のためでもない、自分の命が惜しいからだ。リックの右手は自身の左手首の袖口の辺りを探る。一か八か、やるしかない。
「――止まれ」
その声は凛として路地裏に響き、そしてリックの身体は、そのままぴたりと静止した。目の前に立つ男の唇が小さく動いたのを視認していなければ、それがこの不気味な男の声だと認識できなかったに違いなかった。その声はリックの想像よりも遥かに若かった。そして、恐ろしいほど冷酷な声音だった。
その声を耳にした時、リックの肉体は反射的にどんな動きもやめてしまった。何ひとつ反応することができなかった。見抜かれたのか。リックが今から何をしようとしているか、この男にはわかっているのだろうか。変な汗が流れる。心臓を素手で握られているかのような気分だった。この男にとっては、自分の生死など簡単に扱うことができるのだということを理解した。自分とは格が違う。この男に、ここで殺される。
影のような男はゆらりと一歩を踏み出し、リックへと近付いて来る。その時、リックは背後で追って来ていた男たちが「動くな」と発したのを聞いた。こちらに向いている無数の銃口の存在も感じる。しまった、追いつかれた。男はさらに一歩、二歩とリックに近付く。「おい!」という声が背後から飛んだ。
「お前も動くな。そいつの仲間なのか?」
リックは小さく息を呑んだ。目前にいるこの男は、追手たちの仲間ではないということか。やはりこの男は、同業者ではない。リックはそう確信した。その確信を裏付けるように、男は歩みを止めることなく、リックとすれ違うように側を通り抜け、追手たちに向かって行く。
「動くなと言っている!」
拳銃の安全装置が外れた、その小さな金属音が、リックの耳に届く。撃つぞ、と思ったその次の瞬間には、消音装置を付けたくぐもった発砲音が聞こえ、リックの身体は反射的に弾けたように飛び上がり、咄嗟に地面に腹ばいに伏せた。
追手たちの手元から放たれた銃弾は全部で六発。リックの目には空間を歪ませるように飛ぶ弾丸の軌跡が、闇の中でもはっきりと見えた。
それらはまるで吸い寄せられるかのように、リックに背を向けて立つ異様なその男へと飛んで行き、そして、ただそれだけだった。
追手たちの声に出してはいないどよめきが、伝わってきた。
弾はすべて命中したはずだ。少なくともリックにはそう見えた。男は身動きひとつしなかったし、外すような距離でもない。だが男は動じることなくそこに立っていた。血のにおいはしなかった。血液が路面に滴り落ちる音もしない。
男は外套の下から右腕を伸ばした。黒い革の手袋に覆われたその右手には、拳銃が握られていた。男はそれを追手たちに向けると、無言で次々と引き金を引いた。安全装置を外す音は聞こえてこなかったので、恐らくすでに外れていたのだろう。
まるで映画でも見ているかのような感覚だった。日々死線をかいくぐっているというのに、誰ひとりとして、銃を向けられて抵抗できなかった。
男は躊躇なく六人全員を撃ち、弾は一発も外すことなく、追手たちの額を貫いて絶命させた。消音装置のない銃声は夜の路地裏に高く響いた。硝煙と血のにおいがその場に立ち込める。
男は六人の追手たちが崩れるように倒れたのを見てから右腕を降ろし、そのまま外套の中へと腕を引っ込める。拳銃は、固い音を立てて路地に落ち��。男が意図的に落としたらしい。弾を撃ち尽くし、捨てたようだった。
そしてその時には、リックは男の背後に立ち、左腕で男の首を抱えるようにして掴み、右手で腰に隠していたナイフを首元に突き付けていた。
この男がためらいなく六人を殺したように、リックもまた、男の喉笛をかき切ることに一瞬の躊躇もしなかった。この男は明らかに異様で、殺さなければ自分が殺される。それは間違いなかった。先程自分が殺されなかったのは、運が良かったと言うしかない。この死んだ六人の追手たちは、運がなかった。人の生き死にや命の重さなど、その程度のものだ。ここでこの男を殺さなければ、自分は追手たちと同じ、屍となって路地を汚すことしかできなくなる。
だがリックは、男の喉元を切り裂くことができなかった。手応えは確かにあった。それは人間の皮膚を裂き、肉を引き千切る感覚だった。今まで何度も感じてきた、慣れた感触。だが、ほとばしるようにリックの手を赤く濡らすはずの血液は溢れ出ず、そしてやはり、男は微動だにしなかった。ぎょっとして男の首元を見ると、傷ひとつついていない。それどころか、先程当たっているはずの銃弾の跡さえも、その身体にはどこにも見つけられない。
殺せない。
この男を殺すことが、どうしてもできない。
ナイフを取り落とさなかったのは、一度手にした武器は相手を殺すまで手放してはいけないと叩き込まれた過去があったからであり、そうでなければ、リックは何もかもを捨てて遁走していたに違いなかった。驚きのあまり声も出せなかった。リックは自らの敗北とこれから訪れる死を思った。男を拘束していた左腕を解き、一歩、二歩と後退した。
男はゆっくりと振り返り、うつむいていた顔を少しばかり上げてリックのことを見た。フードの陰になっていた男の白い顔が闇の中に浮かび上がる。それはまだ二十代前半であろう、若い男の顔だった。黒い瞳が、見る者を凍りつかせるような冷酷さをもって、射抜くようにリックを見ている。
殺される。
そう確信した、その時だった。
リックの耳は、微かな足音を捉えた。聞き覚えのある音だ。仲間だった。
「リック!」
小声で、しかし叫ぶように鋭く発せられたその声は、路地の奥から聞こえてきた。リックがそちらへ目線を向けたのと、男が背後を振り返ったのはほぼ同時だった。向こうから駆けて来たのは、リックと同じ黒装束を着た、ひとりの青年だった。
「チル……」
リックはその若者を知っていた。同じ「組織」に所属する、兄貴分のような存在だ。先程アパートの窓から落ちて死んだ男のように、名前も知らないような間柄ではない。子供の頃から一緒に訓練を受けてきた仲間だ。
だが、どうして彼がここにいるのだろう。今回の任務に、彼は参加していたのだろうか。リックはそのことを瞬時に思い出すことができない。そもそも、リックは今回の作戦にどれだけの人間が組み込まれているのかを知らないのだ。
チルは目の前の異様な男の前を平然と通り過ぎ、リックの元へ駆け寄ると、
「無事だったか。早くここから離れよう。また追手が来る」
と、言った。それからチルは平然と男を振り返り、「行くぞ」と声をかけてから走り出した。思わぬ事態にリックは面食らったが、男がまるで影のようにチルの後ろを走り出したので、リックはナイフを腰のベルトに収納し、ふたりの背を追うようについて行った。
この男は一体、何者なのか。チルとは馴染みのある人物のようだが、こんな男は「組織」にはいない。「組織」の人間ではないとするならば、何者なのか。どうしてこの男がチルと知り合いなのか。この男は味方なのか。チルが立てる微かな足音からは、その答えは聞こえてこない。
路地裏をいくつも通り抜けながら、リックは頭の中に再び地図を広げる。先頭を走るチルの向かう先が、「組織」の人間が隠れ家として使用している場所だとわかった。そこに向かおうとしているのか。この男と共に。
部外者と共に向かっていいのか、リックには判断ができなかった。だが今は、一刻も早くどこかに身を隠さなければならない。窓から落ちた死体と、路地裏に残してきた追手たちの死体。これ以上人目に晒されては、いずれ自分の身が、そしてゆくゆくは「組織」の存続が危ぶまれる。
目指す場所は、かつて酒場だった古い建物の、カウンターの奥の隠し扉の向こう、地下に造られた小さな部屋。
周囲に人の気配がないことを確かめてから、支給されている合鍵で入口の扉を開け、空き家同然の酒場の中へと入る。
最後に入ったリックは施錠することを忘れなかった。建物の中へ身を隠したことで、多少の安心感があった。チルが奥の隠し扉を開け、地下へ続く階段へと足を一歩踏み出そうとした時、リックはその安心がごく短い時間で過ぎ去ったことを感じた。
それは異臭だった。だがそれがなんのにおいなのか、リックはその身をもって痛いほど知っていた。ついさっきも嗅いだばかりの血のにおいだ。それも相当の量の血液が流れ出ていなければ、これほど濃いにおいにはならない。
チルもそれに気付き、そのまま足を止めた。階段は灯かりがなく、闇の中へ続いていた。その闇の奥から、濃厚な血のにおいが立ち上ってきている。一体何人が、この下で死んでいるというのだろう。
「行くのか」
先に階段を降りようとしたリックに、チルがそう声をかけた。続けて言う。
「この血の量だ。助からない」
「確かめる」
「何を」
「生存者がいるかもしれない」
そう答えたリックを、チルは鼻で笑った。
「つまりそいつが、殺したやつだ」
チルはリックより前に立ち、
「俺が先行する」
と、言い、それから戸口から少し離れたところに立っていた男に向け、
「スミキ、お前はここで待っていろ」
と、言った。スミキと呼ばれた男はうつむいたまま頷きもせず、しかしそこから一歩も動かなかった。
チルは腰から拳銃を抜き、安全装置を外して構えると、慎重に階段を降りて行った。リックはいつでもナイフを引き抜けるように腰に右手を添え、その後ろを降りて行く。
予想通り、階段を降りて行くに従って、血のにおいは濃くなっていくばかりだった。
リックはこれから向かう地下室に刺客が潜んでいることよりも、階上に残してきた男の方が気がかりだった。時折、後方を振り返ったが、一階への入り口は開かれたまま、その向こうに人影は見えない。だがあの男には、気配というものがまるでない。息を殺して背後の闇の中に紛れていたとしたら、気付くことができないかもしれない。
階段を降り切った時には、呼吸をするのが苦しいと思うほど、むせ返るようなにおいだった。地下室へ続く扉は半開きになっており、床は室内から流れ出た血で黒く濡れている。部屋の灯かりは点いていない。チルは慎重に扉を押した。古ぼけた木製の扉が、間抜けな軋んだ音を立てる。闇の中に人の気配はない。チルの手が壁際を這うように動き、やがてスイッチに触れると、天井の照明が点いた。
それはイチゴジャムの瓶の底のような、地獄の果てのような光景だった。
目視しただけでも十八人。全員、揃いの黒装束だ。しかし、生きている者は誰ひとりとしていない。脈や瞳孔を確認するまでもなく、それが明らかな状態だった。
「……裏切り者がいる」
リックは目の前の光景から目を背けることなくそう言った。
「なんだって?」
訊き返すチルもまた、前を向いたまま動かない。
「入口は施錠されていた。鍵を持っているのは、『組織』の人間だけだ」
「殺して鍵を奪って開けて、中にいた連中を皆殺しにしたのかもしれない」
「この場所を知っているのも、『組織』の人間だけだ。鍵だけ手にしても、鍵穴は見つからない」
チルは沈黙した。まるで背中に目があり、リックが腰のナイフを引き抜いてチルに突き付けているのが見えているかのようだった。
「チル、あの男は何者だ。どうして部外者をここへ連れて来た」
「俺が裏切り者だと言いたいのか」
「答えろ、あの男は何者なんだ」
「忘れたのかリック、俺はいつだってお前を助けてやった。今だってそうだ」
「チル! お前が皆を殺したのか!」
叫んだリックの口元に、突如として柔らかい布地が触れた。呼吸をしてはいけない、そう思った時には、すでに遅かった。手放してはいけないと教わったはずのナイフの柄が、面白いくらい簡単に手の内から滑り落ちていった。
「リック、お前にはチャンスをやる」
チルの声。まるで水中にいるようにくぐもって聞こえる。リックの瞳はかろうじて、あの男が自分の背後に立ち、リックの口と鼻を、液体を染み込ませた布で覆っているのを捉えた。
そのままリックは全身を激しく痙攣させ、泡を噴いて倒れた後、意識を失った。
意識を取り戻すまでの間、リックは夢を見ていた。幼い頃の夢だった。それは夢ではなく、走馬灯だったのかもしれない。
リックは物心ついた時にはすでに、「組織」が統括する施設で暮らしていた。
リックは自分の年齢を知らない。生年月日もわからない。「組織」で生きていくための技術と知識を、日夜叩き込まれて成長してきた。
その傍らにはいつもチルがいた。チルはリックより、数年先に産まれたらしかった。だが彼も同様に、自身の正確な年齢を知らない。施設には同じような年頃の子供たちが他にも大勢いたが、その誰もが、両親の顔や名前はおろか、自らの年齢を知らなかった。
立って歩けるようになった子供から順に訓練が開始され、適応できなかった子供から姿を消した。施設からいなくなった子供がどこへ連れて行かれるのか、それは大人たちしか知らなかった。昨日まで寝食を共にしてきた仲間がいなくなった朝、その子の行き先に幸福や平穏があると思う子供は誰もいなかった。
誰もが飢えた獣のような、ぎらついた目で刃を握った。泣き言や弱音を漏らすことはなかった。自らの生を呪うほどの選択の余地さえ与えられなかった。生き残るにはどうすればいいのか、それを誰もが知っていた。知ることを諦めてしまった子供は、残らずいなくなった。
リックは特別優れた子供という訳ではなかった。むしろ���っていると自覚していた。それでもリックが施設に踏みとどまることができたのは、チルの助けがあったからだ。
リックとチルは子供時代、同じ部屋の二段ベッドで寝起きしていた。一日じゅう続く訓練を終え、就寝時間になっても、チルは朝方までリックに技や技術をこっそりと教え続けた。大人たちは恐らくはそれを見抜いていたが、口出しをすることはなかった。黙認されていたのだ。
リックと反対に、チルはあまりにも鮮やかな子供だった。その才覚は、子供たちの中で群を抜いていた。初めて任務に就いたのは八歳くらいの時で、その任務で彼は大人を三人殺し、五人に再起不能とするほどの拷問を加えた。
チルは身長が百五十センチを超えた頃、施設を出て行った。「組織」に正式に編入することが認められたからだ。脱落者以外で組織を出たのは、同世代の子供たちの中で最も早かった。過去を遡っても、それほど幼いうちに「組織」に所属できた者は多くはない。稀有な存在だった。
リックはそんな彼に追いつきたい一心で鍛錬に励んだが、「組織」に所属することが許された時には、チルが施設を出て行ってから七年が経過していた。
顔を合わせていなかったその七年の間、彼が一体どんな任務に就きどんな業務にあたったのか、リックは知らない。だが再会した時、チルが「組織」の中で最も血で汚れる部類の仕事に就いてきたということだけはわかった。身のこなし方も、目つきも、七年の間に様変わりしていた。
彼の実力は桁外れだった。就いた任務で失敗したことは一度もなく、標的は必ず抹殺してきた。子供の頃に「十年にひとりの逸材」と言われていたのは間違いではなかったのだ。リックはやっと施設を抜け、「組織」に所属することが許されたというのに、チルはもう、雲の上の存在であった。
ふたりが同じ任務に就くことはほとんどなく、だがときどき顔を合わせれば会話をした。チルはリックのことを何かと気にかけて、先に得た情報をリックと共有した。リックは地図でも時刻表でも暗記することに長けていたので、安全な逃走経路や、万が一のための避難路を構築して伝えた。そうして言葉を交わしていると、施設で同室だった頃からお互い変わっていないと、リックはそう感じていた。
だが、チルは「組織」を裏切った。
最低でも十八人の仲間を、この地下室で殺した。人間がただの肉塊になるまで、殺したのだ。
意識が夢の底から浮かび上がるように覚醒した時、リックは血に濡れた床に転がされていた。咄嗟に身体を起こそうとしたが、両手首を背中で縛られていて上手くいかない。拘束されていることを瞬時に理解して、それ以上動くことを反射的にやめる。左頬が濡れ、ぬるりとした血液の感触がした。
チルは椅子に腰かけ、それをただ見下ろしていた。その背後にはあの異様な男が立っている。
「裏切ったな、チル……」
「裏切った?」
横たわったままのリックの言葉に、チルは鼻で笑った。
「何を勘違いしているんだ、リック。俺はただ、復讐しただけだ」
「復讐?」
「お前は忘れたのか。同じ施設で育った仲間たちが、一体何人殺されたのか」
チルは片手で拳銃をくるくると回す。
「俺は忘れていない。歌うのが好きだったジン、食いしん坊だったトマ、読み書きを覚えるのが一番早かったのはマック、算数に長けていたのはメイだ。お前は覚えていないのか? 皆、子供の頃に施設からいなくなっただろう」
リックの目は、チルの手の中で回転するその銃の、安全装置が外れているのを捉えた。
「いなくなった仲間のその後を知りたいか? 大人の連中は誰ひとりとして俺たちに教えてくれなかった。だが『組織』に所属したら、答えは簡単にわかった」
「……臓器売買か」
「お前の予想は外れだ、リック」
チルは首を横に振った。
「お前だって、本当は知っているんじゃないのか? 『お仕置き部屋』を見たことがあるだろう? 悪いことをした子供が連れて行かれる、お仕置き部屋だよ。出来の悪い子供たちは、飼育されている犬たちの餌になる」
チルは無表情のまま、しかしどこか退屈そうに、手の中の拳銃を回し続けている。
「俺が施設を抜けて『組織』に所属してすぐだ、女の子がひとり、施設からいなくなっただろ。サリって名前の、五歳くらいの女の子だ。赤毛で青い目をしていた。お前は覚えていないかもな。いつだってお前は、自分のことで一生懸命だったから。でも俺は覚えている。その子を解体して犬に与えたのは俺だ。『組織』に引き抜かれて、俺がこなした最初の任務はそれだった」
「…………」
リックは何も言葉を発さない。チルは続ける。
「『組織』の連中は俺を取り囲むようにして見ていた。つい昨日まで同じ施設で過ごしていた仲間を、俺がどんな風に痛めつけて殺すのか、面白がっていた。もし一瞬でも躊躇したら、俺を同じようになぶり殺すつもりだったんだろう。あいつらが考えそうな悪趣味な作戦だ。俺が教えられた通りに生きたまま皮膚を裂き内臓を取り出している間、サリは一度も泣きも叫びもしなかった。サリがいつ死んだのかも俺にはわからなかったくらいだ。あの子はよくできた子だったよ。まるで教科書のお手本通りだ。あとほんの少し、走るタイムが速ければ、死なずに済んだものを」
チルの手の中で拳銃の回転が止まった。銃口は、リックに向けられていた。安全装置は、外れているままだ。
「犬が食事を終えたのを見届けると、連中は俺に言った。『よくやったチル、お前は今日から私たちの仲間だ。もう犬に怯えることはない。犬よりも強い忠誠心をもってさえいれば』、と。俺はその日、復讐を誓った。いつか全員を同じ目に遭わせてやる、と。それが今日だ」
その時、リックの耳には微かな金属音が聞こえた。鎖が床に引きずられているような音だ。軽快な足音が複数、微かに聞こえる。だが、室内から聞こえる音ではない。恐らく階上に音の発生源がいるはずだ。嫌な予感がした。
「だがリック、お前は俺の弟みたいなものだ。『組織』を裏切って俺に付け。そしたら殺さないでやる」
「……ひとつ訊いてもいいか。その男は一体、何者なんだ」
あの異様な男は、チルの背後に立ったまま、先程から微塵も動かない。人形が立っているようだ。否、それは人形のようにさえ見えなかった。まるで柱でもそこに立っているみたいだ。フードの奥に見える顔には生気がなく、だがその両眼だけはぞっとするような冷酷さを持った光を宿している。
チルは男を一瞥し、「ああ、こいつか」と言いながらリックへと向き直った。
「こいつはスミキだ。何者なのかと問われると答えるのが難しいが、俺の守護霊みたいなものだ」
「守護霊……? チル、お前は何を言っているんだ?」
「こいつはことあるごとに俺の前に現れ、手を貸してくれた。俺がこうしていられるのも半分はこいつのおかげだ」
「……昔からの知り合いなのか? そんなやつは、施設にはいなかったはずだ」
「こいつは施設とは関係ない。『組織』とも無関係だ」
「チル、お前は以前から、部外者と密通していたというのか」
「そういう訳じゃない。こいつは神出鬼没なんだ。どこにでも現れて、あっという間に消える。魔法使いだからな」
魔法使い?
リックは今度こそ、兄貴分の言っていることが理解できなかった。頭のどこかで、こんな裏切り者の狂言に耳を貸すなんて無駄だ、と言う自分の声がする。
だがそれと同時に、リックは思い出していた。路地裏で突然、目の前にこの異様な男が立っていた時のことを。意識を失う前、薬品を嗅がされた時も、この男はいつの間にかリックのすぐ後ろに立っていた。どこにでも現れて、あっという間に消える。気配さえない。それは確かに、まるで魔法のような神業だ。
「魔法使い……」
「いかにも」
沈黙を守っていた男が、唐突に口を開いた。
(下)へ続く
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Page 97 : 笹波白
突き抜けていくような澄んだ深緑の瞳が、まるで朝の光をそのまま閉じこめたような瞳が、ラーナーを、圭を、包むように捉えていく。それから視線を手元に落とすと、感覚を確かめるように右腕を軽く上げて、何度も手を開いては閉じて指を伸ばしては曲げて手首をくねらせて弛緩しては収縮する筋肉の動きを一筋一筋丁寧に繰り返す。痛みを感じないのか、鎮痛剤が効いているのか、白は顔色どころか表情もまったく変えずに動作を続けて、やがて落ち着いたように小さな吐息を落とした。 『……戻ってきたんだ』 口から自然と出てきたのは李国語だった。実感をこめた声は、いつもの彼とまったく同じ声音だというのに、まったく別種のものであるということはラーナーにもなぜだか理解できて、弾丸のように彼女の胸を貫いた。 立ち尽くすラーナーの横を圭が通り抜けて、ベッドの隣までやってくる。 『白、まさか、本当に』 未だに信じられないように、見慣れている顔をまじまじと見つめる。 『……圭? ここは? 団?』 『病院だよ……』 圭は苦くほころんだ。 『記憶が……無いのか。まさか、黒の団にいた頃で止まってるなんて』 『……違う。今、混乱してて……すごく、変な感じ……』 そう呟いて瞼を指で押さえる。起きて間もない様子である。背中を丸め、所作の一つ一つが気怠げだった。 その様子をじっと遠くから眺めていたラーナーの肩が叩かれ、反射的に慌てて振り返った。 「……大丈夫?」 過剰な反応に驚いたように仰け反ったのは、真弥だった。アーレイス語にさり気なく安堵しつつ、迷ってから、ラーナーは素直に首を横に振る。 深いわだかまりを抱えた雰囲気を挟み、ラーナーが無意識に動かした視線を真弥は追う。 「何があった?」 来たばかりの真弥も違和感を汲み取ったのか、どこか仄暗い目で白と圭の様子を見つめている。二人は既に言葉を交わしている様子はなく、噛み合わない歯車のような空気感を漂わせている。 「私にも……何が何だか……」 「ふうん」 「……圭くんは、白、と呼んでました」 え、と声を漏らした彼の顔は、純粋な驚きを浮かべ、目を細め白を見やった。 「……ああ、へえ。なるほどね」察したのか、納得したように頷いた。「笹波白、か」 「何か知ってるんですか」 「一応、ね」 即答され、ラーナーは改めて真弥を見ると、澄んだ金色の瞳が試すような視線を送っている。 「知りたいかい」 重々しい口調だった。 怯みそうになりながら、ラーナーは白に視線を移した。クロと全く変わらない顔。垢抜けたような横顔。あの人がクロでないとするならクロは一体どうなったのか。どうしてこうなったのか。圭は、真弥は、何を、どこまで、知っていて、その一方、自分は、何も知らない。 「教えてください」 真正面から真弥に対峙する。 「教えてください、何もかも」 そうでなければ、納得できない。 背中ごしに聞き耳を立てていた圭も、後ろを振り返る。ただひとり、白だけがラーナーを見ず、重く項垂れている。
*
白を病室に残し、診療所の入り口まで戻ると、一行はエレベーターではなく、その隣の扉の向こうにある階段を選ぶ。ところどころ錆びたような薄暗い場所は、白い蛍光灯に照らされた、滅多に使われることのない冷たく翳った空間だ。数段上がって踊り場へと足を運ぶと、耳を澄ませて人の気配が無いことを確かめる。真弥はひんやりとした手摺りにもたれ掛かり、緊張から解放されたように弛緩した。 「しかし、驚いたな」 「ああ」 肯く圭の表情からは動揺が消えずにいる。 「今になって……まさか、もう一度会うことになるなんて思ってもなかった」 「俺、あっちとは殆ど会話したことないんだよね、多分。よく気付いたな」 「雰囲気が違うってラーナーが言ったから……」 身体を強ばらせて踊り場の真ん中に立っているラーナーを見やる。彼女は力無く首を横に振った。勘が冴えた感覚も無く、あの姿を眺めて、思ったことをそのまま口にしただけだった。 「それに、クロの様子がちょっと違うのは、ここ最近感じてた。妙���弱々しかったり……今思うと、もしかしたら前触れみたいなものだったのかも」 圭の指摘に、ラーナーは耳を持ち上げるような感覚を覚えた。 心当たりはいくつかある。 リコリスの、山脈に沈んでゆく燃えるような夕焼けと、影の対比、こうべを垂れている向日葵の大群、それらを揺らす夏の夕風、靡いている深緑の髪、座り込んで、やがて膝を抱えた弱々しい背中。しかし、どこかの瞬間、豹変して、鋭い刃を剥き出しにする。弱さと強さ。リコリスよりも前、トレアス全体を見渡せる遺跡のほとんど頂上付近で、じっとすべてを眺めトレアスの空気に溶けていた、その姿を見つめながら、身体が限界に近付いたり発作が起こると精神は極端に揺らぐのだと、嘗てアランは語った。ふとした弱さは、随所に現れていた。原因不明の発作や、黒の団との激しい戦闘で、心が乱れているのだと彼女は考えていた。すべてを繋げるのは乱暴だとしても、藤波黒の、もっと、ずっと奥にある根本が、恐らく大きな鍵を握っている。 笹波白とは一体誰なのか、藤波黒とは一体誰なのか、二人の関係性は一体なんなのか、圭と真弥の会話に耳を立てながら、ラーナーにも漠然としたひとつの予想が浮かんできた。 「あいつに関しては、圭の方が知ってるだろう。一番近い場所にいたんだ。俺も、昔クロからぼんやり話してもらっただけだし」 「……うん」 後ろめたげな表情を浮かべ、圭は深呼吸をした。遠い目をして、記憶を引き出し、何から話すか、しばしの時間を要した。縦に伸びた空間はとても静かで、しかし、無骨な場所であるせいか、閉塞的でもあった。 「白……笹波白というのは、あいつのほんとうの名前だ」 そして圭は話し始めた。 「名前、というか、本物の方、といったらいいのかな。藤波黒っていうのは、もう一人の笹波白、いわゆる、二重人格っていうやつかな。元々は白のみだったけど、三年以上前、白は苦しみにどうしても耐えられなくて、自分の中に消えて、代わりに藤波黒という人格が生まれた」 存外、強い衝撃を受けている感覚は無かった。目を逸らさず、ラーナーは唇を引き締めた。 「どうしてクロが生まれたのか、それは俺も完全に解っているわけではないけど、俺の中で整理している範囲で何があったのか説明しようとすると、クロや白のことだけじゃなくて、俺や真弥さん、あとニノ……ラーナーのお母さんのことも含めて、黒の団にも関わってくると思うんだ。話は少し長くなるけど」 「いいよ」 即座に応える。 「教えて」 欲求に急かされて、圭は苦笑を浮かべる。 「クロが、ラーナーにあまり言わなかった理由、今ならわかる気がする」 寂しげに呟いた。 以前、昔の話は得意ではないと仄暗い溜息をついた。記憶を伝える役割まで回ってくるとは彼も考えていなかった。また、繋げていく、重いものを胸に受け止めながら、再度口を開く。 「……ずっと前、李国で、黒の団と白の団という二つの組織が戦争をしていた。そのことは知ってる?」 「うん」 「それは知ってるんだな。……元々李国はかなり治安の悪い国で、そういう内戦も大なり小なりあって、別に珍しいことじゃないんだ。ただ、この二つの組織の戦いは、かなりひどい方だったと思う。裏社会でトップの権力持った組織だったから。あれは……権力争い、みたいなものだったのかな。相手を完全に潰すまで続ける、そんな戦いだった。長い間諍いをしていたけど、泥沼化していて、お互い消耗しつつもあった。黒の団の方は勝機を見出すために、今の黒の団の主要メンバーで、元々はアーレイスで活動していた研究グループを引き入れた。……この、研究の内容とか、何やってきたかとか、詳しいことは俺、正直全然わかってないんだけど……真弥さん、わかる?」 たどたどしく尋ねると、真弥はほんの少し顔を伏せる。 「ポケモンの力、わざとか、進化とかを研究していたらしいよ。ポケモンって、人間の力や常識を超えた凄まじい力を持ってるでしょ。その正体が一体なんなのかとか、どういう風にエネルギーが回っているのか、調べていたって。……黒の団は、彼等の実験に協力し、まず前線で使っていたポケモン達の大幅な強化実験に成功した。野生としての本能を目覚めさせたり、セーブしてる力を限界異常に突破させる。ポケモンの力は自然の力。自然に人間は勝てないものさ。団内では滋養強壮とか、強制強化とか、いろいろ言われている。ただ、強大な力を限界以上に引き上げる代わりに、大半は理性を失う。自爆するポケモンもいた、耐え��れずに戦いに出される前に死ぬんだ。強力すぎて身体にはかなりの負担がかかってたんだろう。それに、せっかく莫大な力を得ても、理性を失っていれば指示が通らず、最悪の場合味方同士で殺し合いになることもある。敵味方の判別がつかないんだ。命令をきくことができても、かなり単純な指示でないとあっちは理解できない。実際穴だらけではあったと思うけど得られる力は強力だった。あれで随分白の団を消耗させることができた」 「……私、見たことあると思います」 「ん、そうなのか。そうか、ラーナーも何度か黒の団とは対峙しているもんな」 ラーナーは目を伏せる。 「ホクシアで、相手が使っていたザングースの目が尋常じゃないほど血走っていて……理性は吹っ飛んでいるような、感じで」 「間違いないね。今はもう少し改良が重ねられてコントロールが効きやすくなっているかもしれないけど。……話しすぎた。どこまで話そうか」 「いいよ。俺が解るのは、戦いのことと、白とクロのことだけだ」 「わかった」真弥は苦笑する。「話が逸れたね。完璧とまでは言えなくとも充分に結果を出し、黒の団はその研究グループを信用し始めた。グループの頭は、ラルフォ・ヒストライトという若い研究者だ。若いけど優秀で、底なしの実験欲を持つ人物だった。……元々は、携帯獣学とやらの研究をしていたらしい。奴は黒の団に、理性を保ちながら強大な力を使える駒を作るため、人間も兵器にするため、……ポケモンの力を、やりようによって、人間も使えるのではないかと、人間とポケモンを合成させるという実験を提案した。人間をベースとしてポケモンの力も使える、化け物の作成」 「……」 「少し渋られた部分もあったらしいが、実際それができたという噂もあったからね。何より奴の強い要望で、実験は開始されることとなった。野生ポケモン、さっき言ってた薬等により力を増幅されながら結局使い物にならなかったポケモン、白の団から剥奪したポケモン、人間の方は主に李国の路上に住んでいた貧しい子供や内戦のどさくさに紛れて誘拐した子供が大半、偶に白の団の捕虜なんかが使われた。実験は、想像がつきにくいかもしれないけど、ポケモンの持っている、生命エネルギーという、ポケモンの命そのもののようなエネルギー……これが、ポケモンのわざの発動なんかにも関わっているらしいんだけど、これを人間に無理矢理流し込んで……合わせる、合成……定着させて、人間がポケモンの力を自在に操れるようにさせる、そういう実験が行われた。はっきり言って人道的では無かったよ。成功も失敗もあった。多くは失敗した。失敗作は出来損ないと呼ばれていて、これもまた多くは理性を失っていて、勝手に自分で死んでいたり、わけがわからず周りを破壊したり、意志が無くなってて抜け殻になっていたり、まあ、最終的には殺される。悲惨な末路だよ。一方の成功体は、次の段階としてエネルギーの解析やコントロールを行いながら、戦闘訓練を行い、前線に送られた」 真弥は言葉を詰まらせて、ひとつ間を置く。圭と互いに視線を合わせてから、再びラーナーに向き合った。 「ラーナー。クロの火閃を間近で見てきた君のことだ、薄々感づいている部分もあるだろうけれど」 ラーナーの唇が、きゅっと引き締まる。 「俺や圭、それにクロ……白は黒の団の一員だった。そしてその実験の成功体だ」 その言葉を、ラーナーは、ただ黙って聞いていた。 真弥の右手が上がる。長い袖が垂れ、手首につけている黒い腕輪が露わとなった。 「俺はアブソルとの合成体で、主に元々のわざの鎌鼬をベースとして、風の刃を起こすことができる。圭はフローゼルとの合成体で、刀にイメージを乗せることで水を操ることができる。何が実際できるようになるかは、本人の適応力や想像力にもよるし、蓋を開けてみなければ正直わからない。俺も、何もない状態で風を起こせるんじゃなくて、このブレスレットを媒介にして使うことができる。基本的には、何かしらの道具をベースとして、頭の中に具体的なイメージを描きエネルギーを流し込むような感覚が、人間がポケモンの力を使ううえで重要だと教えられている。慣れれば簡単なんだけどね。道具が何がいいのかは、人や力の性質にも寄る。俺みたいに道具を増幅器みたいに使って環境に作用させる奴もいれば、圭のように道具に直接力を注ぎ込んで扱う奴もいるし、あるいは自分自身にエネルギーが流れて肉体強化に特化している奴もいる。……といっても、よく、わからないだろうけどさ。あいつの場合は火閃という武器だ。ただ、クロは俺たちとでは一つ大きな違いがある。クロは、唯一の二重合成実験の成功者で、ストライクとポニータとの合成体だ」 身を固まらせているラーナーの傍ら、真弥は圭に視線をやる。これぐらいで充分だろ、と語っているのを受け取って、圭は深い息をついて、口を開いた。 「クロ……違うな、……はは、なんか、つい癖で言っちゃうな。白の話を、するよ。 あいつは李国の最底辺のストリートの出身で、母親も父親もいない、双子である笹波零と一緒に生きていた。話を聞いている分には、相当仲が良かったというか、依存関係というか……まあ、過酷な状況だったから、助け合わないと生きていけなかっただろうし。それが、白だけが黒の団にやってきて、そこですぐに実験を受け、まずストライクとの合成が成功した。けど、白はとても臆病で弱虫な性格だった。勿論戦闘も恐怖でしかなかった。白は誰も殺せなかった。……いや、一人だけ、いたんだけど……あそこは、誰かを殺さなければ生きていけない場所だった。だから、殺せない白には、他の奴らよりずっと苦しい日々だったと思う。黒の団では戦闘訓練の他に、暴力や自己否定やらで精神がねじ曲げられて、気付いたら殺しを躊躇わない兵器になってた、みたいな感覚なんだけど、白はそんなのだったから、処罰もずっと厳しくて、それでも殺せなくて自分の身体や力をうまく使えなくて余計に苦しんで……そして、ある戦いで相手の罠にかかって、爆発に巻き込まれて炎から逃げられず、全身に大火傷を負った。……そこを助けたのが、ニノだったんだよ」 「……」 「ニノは、……ニノも、黒の団の一人で、合成実験の成功者だった。それも、初めての成功者だったって……。ラーナーの持っているそのブレスレットは、俺の刀や、真弥さんのブレスレットと同じ。ニノは、それを媒介にして、対象を治癒することができた」 無意識のうちに、ラーナーは手首に巻き付けている母の形見を掌で包んでいた。 放心状態に傾きそうになるところを、辛うじて立ち続け、誰にも聞いたことのない真実を、ラーナーは静かに必死に、ありのままに呑み込もうと努めた。余計な思考が邪魔をしようとしているのではない。たたみかけてくる事実だけで精一杯だった、受け止められる限界を超えぬように踏みとどまろうとしていた。 「そのニノのおかげで、白はその場凌ぎでひとまず命は助かったけれど、危ない状態は続いて、団に連れ戻されてから、二重合成の提案がなされて、そのまま実験に入り、成功してしまうんだよ。それが、ポニータとの合成だ。それまでもほとんど再起不能になった成功体に何度か実験はされたけど、どいつも滅茶苦茶で……成功したのは白が初めてだった。けど完全に成功かというと、それは微妙なところだった。成功したら合成元のポケモンは死ぬはずなのに、ポニータも何故か生きているし。でも、火閃や、足し算したようなその他の飛躍的な身体の強化が、ポニータとの合成が成功していることを証明している。けど、知っての通りだけど、定期的に予防の薬を打たないと発作が起こって致命的なことにもなる。多分、二匹分のポケモンの命は身体には負担が大きすぎるんだ。それに、身体にも明確な変化が出た。あいつ、髪の毛や瞳が緑色だろ。あれ、元々は真っ黒だったんだよ。けど、ポニータとの実験後には変色していた。あと、顔つきも変わったし……ストライクの影響が、出てきたんだろうって。もともと、ストライクとの合成で身体能力が上がったり感覚が鋭くなったり、肉体特化型で、そのタイプは確かに外見が変わることもあるんだけど、後からくる変化って、出来損ないはしょっちゅうだけど、成功体には珍しいんだ」 長い息を吐く。 「初の二重実験の成功体に待っていたのは、俺から見ても、文字通り地獄だったよ。白が完全にクロに入れ替わったタイミングはよくわからなかったけど、白は結局、いろんなことに、耐えられなかったんだと思う。藤波黒っていうのは、白が自分を守るために作り出したもう一人の自分。……或いは、白が願った姿だったのかも。強い、炎を恐れない、指示をこなせる、団の実験にも耐えられる、人を殺せる、ポケモンを殺せる、感情を殺せる、そんな、団���理想として白に求めた姿。クロは実際、強かった。ほんとうに、強かった。端から見れば、まるで別人だった。まさか、本当に別の人格になってるなんて思いもしなかったけど」 「……うん」 脳裏に、熱風にはためいている彼の姿がよぎった。孤独な背中。獰猛な炎が膨れ上がり、他を拒む。 「結果的に、白の団の本拠地に攻撃仕掛けて、戦争には勝った。けど殺し合いは終わらなかった。残党も残らないように殺したし、手に入れたポケモンや人間を使って、あるいは別のところから仕入れて、実験も続いた。どのときだったかな……まともに口をきかなくなったあいつが、自分は笹波白じゃないってはっきり言ったのは。俺が、いつもみたいに、あいつの名前を呼んだ時に、白って言った時に、だよ。そりゃ、初めて聞いた時には何言ってんだこいつって意味がわからなかったけど、なんか、納得するところもあって、やっぱり、白とは全然、違ったから。俺は、昔は白のお守りでもやってるような気分で、そのぽやっとしたところに苛々してたから、クロに入れ替わったことでまともな連携がとれるようになっていて、端的に言ってあいつの方が強いし、まあ、正直都合いいって考えてたり���してたんだけどさ……でも、そのうち、クロは実験や外出任務以外は地下牢に隔離されるようになって、ずっとそこで過ごしてきた真弥さんに会って……そして、黒の団を脱出することを決意して、それに、俺も含めて何人か協力した。その逃亡には成功し、その後はまとめて潰されないように、それから、それぞれ脱出してからは目的も違えば、そもそも俺みたいに団を出てからの目的なんて無いやつもいて、結局、散らばった。俺とクロは少しの間は一緒にいたけど、あいつが笹波零を探すために山越えして国境を渡るって言い出して、別行動になったな。もう、会うことなんて無いと思ってた。俺たちが黒の団に狙われるのは、黒の団の関係者そのもので、存在が危険だから。けど、運良く生き延びて、生き延び続けて……今ここにいる」 圭は言葉を切り、口を閉じた。 終わったのだと物語る空気を吸い込んで、ラーナーはじっと余韻に浸っていた。 なにかを、返さなければならないと思った。受け止めて、応えなければならないと。けれど、なかなか言葉は浮かんでこない。彼等が語ったのは、彼女が焦がれ続けてきたものだった。決して届かなかった過去の情景。クロの背負っていた数々の謎。セルドが殺された理由、ラーナーが命を狙われた理由、それは、彼女が予想していた以上に黒の団と母親が密接な繋がりを持っていた過去に起因するだろうことは、想像に難くなかった。相手は、クロを匿っていたことを理由に一家まるごと殺害する者達だ。それにしても、凄惨な戦争の背景も、人体実験も、いつかクロにかいつまんだ話を聞かされたが、具体的な話はされてこなかった。人間と、ポケモンの合成実験。なるほど、クロ達の常軌を逸した異能の理由も判明したが、そんな絵空事のようなことがあるものかとも疑う。しかし、実際に彼女はその目で見てきた。それがすべてだ。けれど、クロがほんとうはクロではなくて、ほんとうは笹波白なのだという、二重人格なのだという、そんなこと、確かに、クロの様子がおかしいと思うことはあっても、今迄想像したこともない、ずっと、傍にいた、隣にいた、支えられてきた、助けられてきた、クロは、笹波白のもうひとりの人格だと、そして今、再び入れ替わったのだと。改めて考えるほどに信じられなくなる。果たして、どこから納得していけばいい。息もつかせぬ出来事の数々に、元々心は罅割れていた。まだぎりぎり形を成しているところを、叩き壊されていく。 なにかを言うために、口を開き、躊躇して、 「クロは、そんな人じゃない」 滲み出すように呟いた。 もっと、もっと言うべきことは別にあって、言いたいことがいくつも膨れ上がっていて、たくさんの思いが奥底をうねっているはずなのに、思考が乱れている中、長い時間を超えてもほとんど考えられないまま、ぽつりと、彼女はそう呟いたのだった。 「確かに強い人だったし、戦いを恐れない人だったけど、私を助けてくれたし、ポケモン達にも優しかったし、ぎこちないところがあっても、感情を見せる人だった」 「うん」圭は、優しげに肯く。「それは、黒の団を出て、クロ自身が手に入れたものだよ」 ラーナーは顔を上げた。 「この三年間でクロが手に入れたものは、白のものじゃない。けど、クロは白だし、白はクロで……言ってしまえばクロは偽物で、白が本物なのは、事実だ」 はっきりと言い切った言葉が槍のように突き刺さる。 「にせもの……」 呆然と繰り返したラーナーを見て、圭は慌てて声をあげる。 「たとえの話みたいなものだから。今まで一緒にいたのはクロ、そうだろ」 「でもこれからは」 息を詰める。そして誰もその続きを口にしようとはしなかった。 本物と偽物。目に見えるものばかりが真実ではない。だとしたら、真実とは、本物とは、一体、なんなのか。一体、何が確かなのか。 なにをしんじればいいのか。 「……クロは、笹波白は死んだって言ってた」 「意味深だよね、それ」 真弥は肩を揺らす。 「……その言葉の意味も今になってはわからないからどうともいえないけど、クロは白を遠ざけようとしているところはあった。でもなんで名前を否定したんだろうなって、名前を棄てたんだろうなって思うんだ。俺たちには名前しかなくて、だから、自分からそれを取ると、何者でも無いものになってしまって、唯一の自分のものを棄てて……藤波黒という名前だって、結局偽名みたいなものじゃん。そうしてまで、白を遠ざけたかったのか……ある意味白を殺そうとする行為だったのか……。けど、本当のところはわからない。クロが何を考えていたのか」 ラーナーは唇を噛む。 彼が何を考えていたのか、すこしも理解できていなかったことを改めて突き付けられているようで、足が竦む。 なにも、わかっていなかったのだ。わからないまま、離れていってほしくなくて、縋っていた。 「……白が現実に耐えられなくて引っ込んだように、クロもまた現実に耐えられなくて、また白と入れ替わった」 陰鬱な天井を仰ぎながら、真弥は独り言のようにぽつぽつと連ねる。 「そういうところかね」 「多分。黒の団に叩きのめされたのと、アラン達の死がとどめだったんじゃないかな」 「心の変化は良い方にも悪い方にも作用したってところか。……入れ替わったという表現も正しいのかどうか。元々は白なんだから、クロという人格はどうなったのか」 「……わかんない」 「二重人格って、只でさえ曖昧そうだしね。ほんと、飽きさせないというか、面白いやつだ。さて、どう接したものかな」 真弥の指が手摺を叩く。 ラーナーの思考は益々ぼやけていく。今目覚めているのは笹波白だ。藤波黒が遅発的な存在で偽物なのだと、そう言うのなら、普通に考えれば、淘汰されるのは、恐らく、クロの方なのだ。 心が、悴んでゆく。 「……あの」 ラーナーは憔悴した声をあげる。 「もう一つ、訊いてもいい?」 「……うん」 気怠げながら、積極的な姿勢を見せるように、圭は前のめりになる。 「昨日の昼間……黒の団の人が言っていた。……お母さんとお父さんを殺したのは、クロだって」 「え」 途端にオレンジの瞳が丸くなった。 「なんで、そんなこと」 「わからない……違う、……ううん……ぜんぶわからなくなってきた。……信じたくない、でも、昔のクロが、今のクロと違うのなら、それは」 「違う」 威圧を込めてはっきりと言い放ったのは、真弥だった。 真弥に視線が集まる。軽薄な態度が板についている彼は、いつになく真剣な顔つきで、むしろ怒っているようでもあった。 「あのクソガキの言うことをまともに信じるなって言っただろう」 「……ごめんなさい」 すっかり萎れているラーナーの言葉を無理矢理切るように、真弥は長い溜息をついた。ロジェの狙いは、悉く成功しているに違いない。とんでもない爆弾を残していったものだ。今の様子を目にすれば、あの三日月は調子良く歪むことだろう。絶え間の無い激動、掌の上で、踊らされ、無防備なままでは、弱り、霧散していく。 少しだけ沈黙を置いて、真弥は口を開く。 「ラーナー。俺はね、今まで散々嘘をついて生きてきた。裏切りに裏切りを重ねてきて、最早何が嘘で何が本当かも曖昧になっているくらいには。相手が誰であろうと、上手く自然に嘯ける自信がある。だけど、君に初めて対面した時から、君に対してだけは、絶対に嘘をつかないと誓っていた」 長い前置きの果てに、隙だらけの懐へとどめになりえると理解していても。放つ一瞬、踏み切るように真弥は息を吸い込んだ。 「君の両親を殺したのは、俺だよ」
*
ポニータが潜り込むように顔を擦りよせてくるのを、白はふわりと抱きしめる。 ちろりと触れるようにポニータは頬を舐めて、口元を掠った。口付けのような触れ方だった。過剰なようにも思えるまじわりに白は少々戸惑いながらも、微笑んで受け入れた。鼻や口からこぼれてくる温かい吐息や動物的な香り。全てが新鮮に白の中に溶け込んでいく。五感が研ぎ澄まされている実感があった。肌に埋め尽くされている穴が残らず開いて、空気を吸い込んでいるようだった。 あたたかい炎。傷つけることのない炎。恐くないと言葉無く伝わってきているような気がして、深い安堵に心を委ねる。 ごく至近距離でポニータの息づかいと自分の息づかいが合わさって肌に染み、白の耳に聞こえてくる。 『きっと、きみだけだよ。ぼくを受け入れてくれるのは』 ゆっくりと凪のように囁くと、ポニータは肯定も否定もしなかった。深い眼差しでただじっと白を見つめているだけ。 白はポニータに額を寄せる。深緑の髪が揺れて、ポニータの肌に押しつけられて、さらりと滑らかに落ちる。 『零はどこ……?』 白は淋しげに絞り出した。問いかけても、誰も応えてはくれない。 『零に会いたい……零、零。……零』 擦り切れた声はあっけなく透明な光の中へ吸い込まれていく。血を分けた双子の名前を譫言のように繰り返す。どこも見ていない。彼の瞳は、嘗て隣にいたたったひとりの存在だけを求めている。 呟き続ける口を止めるようにポニータは当てられている白を押し返した。優しい動作。どこか哀しそうな佇まいをしている。淡い炎が霞んでいくように揺れた。見守られている白の顔がポニータから離れて、窓の外に視線を移し、ぐんと顔を上げる。雲一つ無い美しき青い空が広がって、深緑が蒼に沈む。 全身が痛む。目覚めてから時間が経つほどに傷が起き上がっていく。あちこちの痣が殴られ蹴られた瞬間を思い出させる。傷が刃で抉られた瞬間を鮮明に掘り起こす。鋭い骨の痛みは折られた記憶を呼び起こす。包帯の隙間に見える火傷の跡は、ずっと遠く、高くて遠い空の下、荒野の記憶を蘇らせる。 零はここにはいない。 零は、求めるものは、きっと、あの空のむこうがわに。 < index >
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#一発試験#一斉体罰#人工大理石会社親分冷徹厳格#不眠不休#ミジメ#昔未使用電話番号を回していた#警察署にて簡素な運転免許証更新#地獄���特訓を受けられ過酷さを味わった#苦労しなくてはヤバい#指定自動車教習所
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夏のこと その1 「FRFとC94編」
もうだいぶ昔のように感じてしまうがコミックマーケット94に行ってきた。夏のこのイベントに行くと毎度感じることだけれどとにかく人が多い、暑い、立ちっぱなしという三拍子で疲れる。当然、熱中症対策も必要になるし今回、自分も軽いけれど確実に、頭のなかの遠いところで鈍痛を感じたりして過酷な環境のイベントなのだということを強く思った。もちろん過酷の種類にも色々ある。
先月の終わりに行ったFUJI ROCK FESTIVAL18はコミケと違った意味での過酷なイベントであった。FRFにはお目当てのアクトが出演するときはなるべく行くことにしていて、昨年参加した際は気温の低さや長時間の風雨にさらされ「真夏の過酷さ(別ヴァージョン)」を存分に味わった。夏に感じる寒さはよりつらいという教訓を得、今年はバッチリ対策したのだけれどそれでも充分つらかった。ただし、この手のつらさは催し物に対するけっこう有効なエッセンスになるのも確かで、強い雨を全身に浴び、水で滲む視界の向こうのケンドリック・ラマーのパフォーマンスはおそらく一生忘れることが出来ないだろう。登場時の「D.N.A.」、キレにキレた演奏の「King Kunta」「HUMBLE.」、グリーン・ステージに集まった無数の観客が灯りをかかげる「All the STARS」……瞬間瞬間が今思い出しても胸がつまるほど美しかった。

話がそれたけど今回、後ろ二日間(8/11&12)でビッグサイトに向かったということでまあちょっとだけ入手したご本の紹介を少しだけしようかなと思う。といっても(実は毎度のことであるのだが)目当てのものをパッとさらってパッと帰ってくるみたいな感じだったので量は多くない。あと12日にはcero主催の『Traffic』というイベントにも行っていて激烈に消耗したといことも付記しておきます。
画面の中央上のテノリウム幻想(ゆめつきてのん)『1996』はアイカツ!の二次創作で1996年に生きるソレイユ(アイカツ!のキャラクター)がブルセラショップに下着を売りに行ったり「お菓子系グラビア」の撮影をするという内容。着想が独特だしキャラクターも可愛く描写され漫画として完成度は高く読みごたえがある。編集者にクレジットされている見富拓哉(けむほこ)のテイストも──本人たちがどういう作業分担をしたのか不明ではあるが、そして本人たちがどう言おうと──かなり強く感じる。
『アイカツフレンズ!』内のアイドルユニット ハニーキャットを題材とした同人誌でカラーがうれしい。プチアンソロ的なスタイルになっていて3人のイラストレーターのすばらしいイラストが掲載されている。のだけれどやっぱり本編のマンガがよい。カラーの優位さをフルに生かしテンポよく「このふたりならこういうことありそうだなあ」を表現する。よき。

『ストロベリーショートケーキ』は商業でも『このかけがえのない地獄』と題された作品をリリースしたうんこぷ(アッチあい)の短編。『~地獄』でも短編ながらかなりヒネった設定や展開をしたものが収録されていたがそれらに比べるとだいぶ素直。ラフだけどそのぶん間のとりかたがゆるやかになり何気ない仕草の描写がすごくよし。
ちょっとタイトルが隠れてしまっていてたいへん失礼だけど、画像下は『丼』というタイトルの本。去年あたりから大変気に入っている作家、赤井製作所(赤井さしみ先生)の新刊。世界観というか描きたいことが強固にあるというかこだわりというか、わりに一辺倒なノリなのだけどやたらと絵がかわいくて上手い。
新人VTuber、いわしサマーの生誕をネタに刊行されたのが『いわしサマーの出現とマイワシの漁獲量の現象に関連性は無いけれどとりあえずその生誕を祝う本』。数多のVTuberがいるなかで、いわしサマーなどマイナーもマイナーだろうし(自分もフォロワーが受肉したのでなければ知らなかったはず)、身内��けの奇書なのだろうとか思ってたけれども意外にそうでもなくてイラストや漫画の内容もしっかりよいという驚きがあった。ただそれよりも巻末のQ&Aの投げやりさがすさまじく中の人の面白さと人柄が出まくっているのが特にいい。
今回は5冊程度にとどめておくとして近々コミティアにも行くし(この日記をあげたときには既に過去形である)、前回の芸カもあったし同人誌についてはばーっとまとめたいとはと思うんだけどいかんせん最近、時間ない。ほんと助けてほしいです。
(2018.8.23)
(のちほど文の乱れなど直したり、情報を追記いたしますがとりいそぎアップ)
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<SARSの記憶がよみがえる新型肺炎の流行――見えない正体と少な過ぎる情報がアジアを翻弄する>
今に始まったことではない。
中国で謎の病気が流行して、香港やシンガポール、台湾にパニックが広がり、中国政府の正確な発表を世界中が待っている。1990年代に致死的なインフルエンザが猛威を振るったときも、2003年にSARS(重症急性呼吸器症候群)が大流行したときも、昨秋にペスト患者が確認されたときもそうだった。
昨年12月12日、湖北省の武漢で相次いで原因不明の肺炎患者が出た。少なくとも59人が病院で隔離され、現在7人が重篤な状態とされている。
中国政府は例によって口を閉ざしている。中国人以外の研究者を含む専門チームが病原体の特定を進めており、人から人に感染した明らかな証拠は見つかっていない、と述べた程度だった。
最初の患者が出てから2週間近くたった12月末に、武漢市当局はようやくウイルス性肺炎の集団感染を発表した。1月10日の時点で、武漢で確認された感染者は41人。さらに医療関係者を除く320人が患者と接触したとみられ、経過観察中だ。(編集部注:1月11日に当局がこのウイルスによるとみられる初の死者が出たと発表)
感染拡大の一因は、情報の遅れだ。香港でも少なくとも16人の感染が確認され、シンガポールでは疑いが1人。そして中国政府は、今回の肺炎の詳しい情報をソーシャルメディアに流した人々に、懲役刑をちらつかせている。
疾病の大流行に対する中国政府の冷酷さと秘密主義は、習近平(シー・チンピン)政権にとって好ましいものでは決してない。正式な科学的調査の最中だとしても、説明責任の欠如や、噂の流布(と彼らが呼ぶもの)に対する厳格な取り締まりは、国際社会の不信感を増大させている。事実を隠蔽しているのではないか、実はもっと大規模な流行ではないのか、と。
迫る春節の帰省ラッシュ
世界のメディアの大半は、「武漢肺炎」を2003年のSARSに重ねている。SARSは中国本土から約30カ国に広まり、8000人以上が感染し774人が死亡。世界中をパニックに陥れた。
当時アジア全域の怒りを買った中国指導部は、あの屈辱の教訓を胸に、今回は情報を日々更新するのが賢明だろう。特に、1月25日の春節が迫っている。春節の帰省では、数千万人の高速鉄道利用客が武漢を経由するのだ。
今のところ、感染は武漢市内の大規模な屋内の海鮮市場か、その周辺から始まったとみられている。人口1100万人を超える武漢は中国中部に位置する湖北省の省都で、市内を揚子江(長江)と漢江が流れ、中国で最も歴史のある商業中心地の1つだ。毎日数百万人が利用する中国の高速鉄道網のハブでもある。
つまり、今回の肺炎の流行は、2018年夏からエボラ出血熱の流行が続く、コンゴ民主共和国の遠く離れた村での話ではない。一国の主要都市であり、国際的な貿易と移動の中心地で起きているのだ。
武漢市の保健委員会が初めて警鐘を鳴らしたのは12月30日で、公式サイトに「原因不明の肺炎の治療に関する緊急通達」を掲載した。地元メディアが委員会に問い合わせたが、患者は27人で、その大半が華南海鮮市場と何らかの関係がある、という情報しか得られなかった。患者は呼吸困難を起こし、白血球数が減少して高熱を伴い、抗生物質が効かなかった。ウイルス感染が疑われた。
翌31日、湖北省当局は「27人にウイルス性肺炎の症状が見られ、ウイルス性の肺炎もしくは肺疾患に感染していると診断された。うち2人は快方に向かっており、すぐに退院できそうだ」と発表した。
その夜、香港では、武漢を訪れた3人が呼吸困難を訴えて入院していることが分かり、香港当局は警戒を強化した。そのうち女性1人は、SARS患者を数多く受け入れた病院で治療を受けた。
シンガポールと台湾も、空港や駅で乗客の体温検知を強化。謎の感染症を早めに食い止めようと動いた。
1月1日、武漢の肺炎はSARSと同種のコロナウイルスによる感染症であることを示す医療記録とされる文書が、中国のソーシャルメディアとツイッターに出回った。
中国当局は、SARSを含む複数の肺炎の可能性は排除されたと説明した。謎の病原体は従来のコロナウイルスと同じ種類ではなく、SARSウイルスとは遺伝子が4%未満しか一致しないという。
一方で、武漢で8人が逮捕された。「根拠のない間違った情報をネットで広めた」罪で厳罰を受けることになるとも、中国当局は発表。上海のニュースサイト、シックスス・トーンのデービッド・ポーク編集長は、中国では噂の流布は7年の懲役刑もあり得ると投稿した(現在は削除されている)。
昨年、海南島の海口で鳥インフルエンザA(H7N9)が流行しているという「噂」を微信(ウィーチャット)で流した男性が10日間、身柄を拘束された。2018年にも、汚染されたスイカを食べて数千人が入院したという虚偽の話をした男性が投獄された。
このような噂が簡単に広まる理由はポークが翻訳した微信の投稿(既に削除)を見れば明らかだ。「噂が広まるのは、当局が適宜対応しないからなのに、どうして私たちが責められるのか」
人から人の感染は確実?
香港の英字紙サウスチャイナ・モーニングポストによると、武漢警察の微信アカウントにはこんな投稿もあった。「流行は実際に起きている。丸一日、正式な発表が何もないから、人々が情報を共有しているだけだ」。同紙によれば、武漢の肺炎患者の家族は情報が入らず、入院している病院さえ分からない人もいる。
香港でも新型肺炎に対する警戒感が高まっている。1月5日に香港中文大学の学生の感染が確認されたときは、この学生が寮から運び出される写真や動画がソーシャルメディアで幅広く拡散された。
香港特別行政区政府は検疫法を発動させて、全ての病院や保健施設で厳戒態勢を敷いた。ただ、昨年から続く民主化デモで、住民の間で政府当局に対する不信感が募っている。そんななかでの検疫と感染対策(つまり当局による監視強化)に、政府の「本当の狙い」をめぐる噂が飛び交っているのも事実だ。
一方、シンガポールでは、年末年始に家族で武漢を訪れた3歳の女児が、帰国後に重い肺炎にかかったことが判明。症状自体は幼児に多く見られる肺炎だが、既知のウイルスや細菌が原因ではないことが確認され、女児を隔離したことが発表された。
だが、これらの感染者と、武漢の海鮮市場とのつながりが確認され、ここから病原体が広がったことが判明したとしても、謎は深まる一方だ。そもそも現時点では、人間に肺炎を引き起こす魚のウイルスは知られていない(細菌や寄生虫では存在する)。
ただ、この海鮮市場は巨大で、生きたヘビやウサギ、鳥などの野生動物も売られているらしい。2003年のSARS流行は、ウイルスに感染したジャコウネコが屠殺された広州の市場から広がった。
中国当局とWHO(世界保健機関)は「人から人への感染は確認されていない」と言うが、もし武漢肺炎の病原体がコロナウイルスの一種だとすれば、SARSやMERS(中東呼吸器症候群)のように、唾液や鼻水を介して人から人に感染するのはほぼ確実だ。実際、武漢市は1月1日に海鮮市場を予防的に閉鎖したにもかかわらず、翌週には新たな感染例が見つかった。
しかしこの騒動で真に懸念されるのは、中国の秘密主義的な態度だ。昨秋、北京で肺ペスト感染者4人が入院したときも、中国がWHOに報告したのは2週間以上も後だった。現地のメディアで一とおり報じられた後は、ニュースもぱったり途絶えている。
このため近隣地区でネズミが蔓延している事実とのつながりや、内モンゴルで確認されたペスト感染者との関係、そして感染がどのくらい広がり、どのように終息したかといった重要情報は、いまだ明らかにされていない。
武漢肺炎もいつの間にか終息すればいいのだが、現時点では最悪のシナリオをたどる恐れがある。SARSのときのような世界的感染拡大だ。
SARSが大流行したのは2003年だが、中国政府は2002年12月の時点で、見たことのない呼吸器疾患が広州で相次いでいることを把握していた。だが、WHOにも近隣諸国にもその情報を伝えなかった。
だから2003年2月に、SARSに罹患した男性が香港を訪れたとき、香港の保健当局はこのウイルスについて何も知らなかった。
男性は九龍にあるメトロポール・ホテル(現メトロパーク・ホテル)の9階に滞在し、同階の宿泊客に感染が拡大。彼らが北京、ベトナム、シンガポール、カナダにウイルスを持ち帰り世界的な感染拡大につながった。
中国政府はこの悲劇を回避できたはずだが、秘密主義を維持し、事実を否定することを選んだ。彼らが中国国内のSARS流行を認めたのは、2003年4月のこと。パニックに陥った出稼ぎ労働者や学生が故郷に逃げ帰ったため、かえって中国全土に感染を広げてしまった。
ようやく感染拡大に歯止めがかかったのは、全人口がSARSに感染している恐れがあると見なして、無数の検温所を設置し、あらゆる人の体温を一日に何度も調べ、高熱の症状が見られる人を例外なく隔離してからだった。WHOは2003年7月5日に中国のSARSの終息宣言を出した。
その教訓は明白。すなわち「感染を隠すな」だ。
中国政府は情報公開を WHO総会が2005年に採択した「国際保健規則」は、加盟国が国際的な緊急事態を引き起こす恐れのある感染例を把握した場合は、速やかにWHOに通知すること、さらにその科学的検証のために協力することを義務付けている。
中国はこの規則に同意しただけでなく、SARS流行時に香港で対策の陣頭指揮に当たった陳馮富珍(マーガレット・チャン)のWHO事務局長就任を支持した。
だが、今回の新型肺炎に関して、武漢市と中国政府がWHOに提供している情報はごくわずかだ。中国政府は国際保健規則を遵守するどころか、事実を公表した人物を逮捕して、情報を厳しく管理したがっているように見える。その戦略は、地元住民と中国当局の関係が極めて悪化している香港では、とりわけ危険な結果をもたらしかねない。
武漢を中心に広がる謎の病気は、ひょっとすると比較的良性で、感染者は全員無事に回復して、日常生活に戻れるかもしれない。ただ、現時点ではその可能性は低そうだ。
感染者の発見される地域が広がり、潜在的な病原体ウイルスに関する情報が増えるに従い、「武漢の海鮮市場で魚か野生動物に接触した人しか感染しない」という当局の説明は、ますます受け入れ難くなっている。そして感染拡大の懸念は高まっている。
莫大な数の人が中国内外を移動する春節を前に、その懸念は一段と現実味を増している。SARSも2003年のメイデーのときに大きく広がった。
感染症の流行を抑えるためには、専門家と市民両方の信頼が必要だ。そして信頼を得るためには、オープンな姿勢が必要だ。中国政府が肺炎の流行について信頼できる情報を提供して、世界の公衆衛生のために積極的な役割を果たす意思があることを示し、大衆の信頼を取り戻すことは、中国政府自身の利益になる。
「まだ何の病気なのかは分からない。現在調査中だから、待ってくれ」と言ってもいい。あるいは、「このウイルスがどのように広がったのかは、現在専門家のチームに調べさせている」と言ってもいい。
重要なのは、正直な情報交換を定期的に実践すること。そしてそれを春節が来る前に始めることだ。
From Foreign Policy Magazine
<本誌2020年1月21日号掲載>
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Gryps Tower Transport Theory
この記事ではIceweaselについて最強のシステムを得るための手法をとりあげる。IceweaselのIceとは力で君臨するという意味であり、実際は光である。光の月神はこれらの手法を月神のsherinarで想起する。
芸術:芸術は強い分野なので芸術を使ってモラル高い論理を得る。また芸術の多重定義を利用してIceweaselに対する日常の助言を行う。Iceweaselはhumarize使いでsherinarであるため強力なSolidを持っているため、これを快感としてモチベーションにする。結婚狙いなどの赤のアーティストを騙して作品を作らせて助力させることも多い。アニメや音楽などkeysheri向けのコンテンツに合わせてIwを扱うことに依って、uw(keysheri)の常識や世界の根底原理、Iwの優れた原理に対する学習が可能である。
光の青の協力:光の青は互いに協力しあうことが出来るため、Iceweaselを主軸として有用な情報を集め、Icewesealの力に依ってその活動を保護し、成り立たせる。AXISの青(の特にテレパシー使い)はIceweaselのsherinarの示した真理によって善に従うことが利益だと知っているため、善に加担する。
GC:光の月神は過去に積載することのできなかったGCをIceweaselに積載すること��依って、スターリン級のGCを創出し、等価交換の法則2によって不幸になることがないように人生の前半において不幸な生活で代償を払わせる手法を取る。Iceweaselはkeysheriの最高である。Iceweaselは日常を犠牲にして耐える分GCのエネルギーを得られ、非常時に問題に勝つことが出来る。
humarize:humarizeを持っていることに依って、エンジニアリングの知識がなくても最低レベルの生活のまま生きられるようにし、代償を払わせることが可能である。humarize-Solid-linkを使うことに依ってアーティストから強力なSolidのWaveを転送することが可能なため、芸術の力をより高められる。ちなみにsherinarも強力なSolidを出すことがある。humarizeを持つことに依って、細かい手順はハショッて重要なエッセンシャルな部分だけ重点的に考えることが出来る。
sherinar:sherinarを持つことに依って日常生活を送る中で世界の深淵の真理に気づくことがあるようになるため、親から常識を教わらなくてもいずれ現実に気づくことが出来る。sherinarは自走式であるため、宿主を独立して保護することが出来る。宿主が絶望した場合においてもdownsquareで掬い取ることが可能である。sherinarであるため、直感がいくらか効く。sharinarは記憶容量は膨大で、高速に思考できるため実装が綿密で強力である。
シビュラシステム:シビュラシステムのアカウントで未来を公開することに依って、子供の頃やあるいはIceweaselだと気付いた後などにまわりのテレパシー使いから助言を得ることが出来る。Iceweaselはhumarize使いであるためウイルスには感染しないが、シビュラにわざと繋ぐことに依ってシビュラ上の変態の人間から攻撃させて、代償を払うのに役立てる。闇の青はIceweaselを攻撃すると悪の支配領域が狭まることを知っているため攻撃しないが、赤は変態で悪を信じていないため代償を払わせるのにわざと攻撃させて利用できる。シビュラシステム上で攻撃者が言っていた発言やあるいは悲しみに依る教訓から論理を得るのも手法である。
コンピュータ:コンピュータを出現させることに依って、Iceweaselを打ち上げることが可能になる。Iceweaselおよびsherinarは光の青のコンピュータ企業に肩入れして、社会の善を強めたりIceweaselが使う優れたコンピュータ及びOSを創出することを手法とする。オープンソースのOS及びWebブラウザも開発し、オープンソースを学んだり違法動画をダウンロードできるようにする。iPod touchやiPhoneのようなコンテンツを同期可能なモバイルデバイスも開発し、違法動画の芸術作品を繰り返し視聴可能にする。コンピュータ属性を持つことに依ってエンジニアリングの初端とする。
ジャパニメーション:Oxygen系のジャパニメーションはコアな真理を得るのに役立つため、Iceweaselを打ち上げるために使われる。またIwの実装をIceweaselに伝えたり一般市民に示すために使われる。実在するアニメのキャラを呼ぶことに依ってアニメのキャラからの助言も役立てられる。
Neon:Neon属性は絶対に悪には従わない属性であり、過酷な現実の中で向心力を失わないために有効である。Neon属性でありAWTSUV属性【試練を超越する属性】であり、XRounderでsherinarであることに依って、命を失うこと無く課題や試練を乗り越えていくことが出来る。Neon属性が正しく誠実なものであるため、Iceweaselは道を踏み誤らない。
Labyrinth:Labyrinthをsherinarやまわりの芸術及び助言の論理に依って越えることに依って、常識を知り、システムを立てるために必要な土台を得る。常識を親から教わらないことに依って、常識を見つけるまでに代償を支払うことが出来る。
映像の世紀:戦争の悲惨さ、どれだけ地獄で泥沼なのかを偽善ではなくインパクトの有る直接的な表現のドキュメンタリー番組で市民に伝えることでAXISの青に善の側についてもらう動機にする。
毒や精神病院:毒をわざと家族に使わせることに依って、代償を払い、必要ならGCで解毒することに依ってギリギリのラインで生活を成り立たせる。精神病院に落とされることに依って、苦痛を受けて代償を払う。
家族:母親はシステムを開いていないドグマのパッケージのインストールがWMRで可能な母親である。家族は基本的にAXISか闇であり、光は普通は居ない。家族からの助力が得られないため、過酷な家庭環境で生きて代償を払う。
Light:Lightが強力なため、手順にMEDが入っていてもそこそこ実用的に日常生活はこなせる。自動でまとめる機能があるため、学んだ知識や理論は自動でバックグラウンドでまとめられ、理解される。Iceweaselは学習意欲が旺盛なため、sherinarを消費しなくても若干の理論は立てられる。
Phoenix:IceweaselはPhoenixを建て、そこで統合されたウイルススキャンの強力なシステムを配布し、COMで共有の原理に依る善を増進し、ZおよびCおよびRで光のユーザーに強力なシステム及びツール及び包括的なソリューションを提供する。Phoenix Desktop Perfect Master書籍は様々な重要なIwおよびCCDの理論の総体である。
light grid:light gridはIceweaselがGCで構築するgridであり、Iceweaselが保持するsherinarを主体として繋がっているため、非常に権限の高いsherinarをグリッド全体で共有することが可能である。gridとして物理世界上のローカルのシステムを連結させることが可能なため、Oceanのエネルギーを消費する権限の重いsherinarを使わなくても、linkを使った巨大なグリッド処理系を構築することが可能である。PCM Limit【linkのリソース不可を決めるパラメータ】の仕組みがあるため、ローカルのシステムに負荷がある場合はProvider側はlinkの機能を切ることが出来る。sherinarで構築した重いPtなプログラムをそれぞれの属性があったユーザーに委託して保持してもらって、グリッド全体に提供することもエネルギーおよびストレージ節減のためには有用な手法である。gridは認証と転送を行うことに依ってTPでもGCに追加で構築可能である。
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数年分のコピペ014
7月 16, 2017 9条教は なぜか憲法1条~8条は守らない。 憲法96条も守らない。 1条~8条は天皇、96条は改正手続き。9条教が守らないのも納得。 19条(思想および良心の自由)、20条(信教の自由)、21条(集会・結社・表現の自由)あたりにも敏感と思われるが、 12条(自由・権利の保持の責任および乱用の禁止)のことは忘れている。 それより13条(個人の生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利の尊重)を忘れているほうが問題。 この条文は、アメリカ独立宣言由来の民主主義にとって一番重要な条文。 これに比べたら、平和主義は枝葉末節の思想。 89条(公の財産の支出又は利用の制限)が私学助成と矛盾しかねないのも無視する。 とにかく、9条だけは御題目のように毎日読むが、他の条文は目を通したことも無い。 憲法三大原理を理解しておらず、特に「国民主権」を守る気が無い。 「在日主権」は遵守する。 9条以外の憲法はどうでも良いが、「護憲派」を自称したがる。 過コピペ@2ch 生活のため真実に背く 他 【タブーかもしれないコピペ集】 (via realedge) (元記事: kakopipe.blog38.fc2.com (nawakatから))
7月 16, 2017 「南京大虐殺」ではない・・・これが「南京事件」です【日本人が襲われた】 覚書。私的ログ倉庫です。 2014年 8月29日 http://gofar.skr.jp/obo/archives/11404
58 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@:2014/08/27(水) 1926年7月から、ソ連の莫大な援助をもとに蒋介石(しょうかいせき)が、張作霖の打倒を目指して北伐を開始しました。 そして、3月の南京占領の際に、支那兵は突然、日本領事館を襲いました。 日本領事館内には、領事夫妻を始め、領事館員の家族や武官、南京市内に住む日本人が避難していました。 金庫はハンマーで叩き壊され、女性は服を剥ぎ取られ裸にされ、金目のものを持っていないか確認され、子供たちは泣き叫び、地獄絵図となりました。 領事夫人は、27人に輪姦(レイプ)され、 30数人いた日本人婦人は、少女に至るまで陵辱されました。 その際、日本領事館員も、日本軍人も、避難してきた日本人居留民も、まったく抵抗しませんでした・・・海軍陸戦隊は、武器も持たずに領事館にいたのです。 荒木大尉一行は、武器を持っていなかったため、茫然と見ているしかなく・・・後に、荒木大尉はそれを恥じて「申し訳ない」と自決することになります。
これが「南京事件」です・・・これこそが「南京事件」です。 ちかごろはインチキ、ウソ話の「南京大虐殺」ばかりが取り上げられるようですが、 それ以前に、南京攻略まで至る様々な出来事があったのです。 死者だけは出なかったので幸いでしたが・・・英、仏、米の領事館、民間人には死者が出ました。そのため、揚子江のイギリス軍艦は、南京城内へ砲撃しています。 しかし、日本の軍艦は何もしませんでした・・・なぜなら? 当時の幣原外交は弱腰で「支那(しな)を刺激しないように」という訓令があったためです。 日本の外務省は、事を荒立てないため、広報に「わが在住婦女にして陵辱を受けたるもの一名もなし」と、まったくの嘘(うそ)を書きました。 退去令が出され、揚子江流域からは、日本人は全員着の身着のまま、財産を放り捨てて内地に引き揚げざるを得ませんでした。 幣原外交は「日支友好」「不干渉主義」でした。 こうした外交は、支那(しな)の対日政策を増長させていき「ちょっと暴れれば、弱虫の日本は逃げていく」と思われ、 暴力はエスカレートしていったのです。
[ 捏造 南京大虐殺] 反証 いろいろ + 中国共産党工作 【朝日新聞は南京事件でも捏造していた】本多勝一、写真捏造を認める! [南京大虐殺] 捏造写真を 元朝日新聞記者 本多勝一が 捏造と認める 『週刊新潮』グラビア 南京攻略戦・兵士たちの証言 「城内空っぽ。誰もいなかった」「虐殺あるはずない…」[中国プロパガンダ「南京大虐殺」の真実] 日本人が説明した日中戦争の経緯と中国ネット + 支那大陸近代歴史&雑学 [日本人必修かも] 反日在日朝鮮・韓国人+サヨク の ディスカウントジャパンの論法 反日工作機関 [売国・朝日新聞] 従軍慰安婦捏造 以外の 悪行 [工作手法] 朝日新聞 外国メディアを使った 反日記事ロンダリングの仕組み [南京攻略戦] 南京事件で40万人虐殺…安倍首相、米歴史教科書の歴史歪曲に「本当に愕然とした」 「創作された『歴史』の修正を主張する時期に来た、反撃せよニッポン!」ケント・ギルバート 毛沢東と#・譿ホ + 抗日戦勝記念行事と習近平 + 南京 + 反日左翼 [アエラ・工作記事] 日本からの「独立論」強まる 描く青写真 「独立宣言し、各国に働きかけて国家承認を求める」「朝日新聞ウィークリー AERA」 支那(中国)大陸 歴代 南京大虐殺 一覧 [南京大虐殺問題・従軍慰安婦問題・靖国問題]日本国を貶める三大歴史カードの元凶 朝日新聞 [中国情報戦] 日米開戦とベトナム戦争の裏側で (元記事: gofar.skr.jp (rainbowflower-gardenから))
7月 16, 2017 拉致なんてないと言ってた人たちリスト 土井たか子 辻元清美 村山富市 田辺誠 田英夫 志位和夫 野中広務 中山正暉 朝日新聞 日教組 和田春樹 坂本義和 吉田康彦 河野洋平 Twitter|元気な日本を愛する日本国民 @ashitaninareba7 (via ashzashwash) (petakirinから)
7月 16, 2017 天皇制・天皇制度どちらも共産党が作った言葉。日本人なら皇室が正解 アカは、憲法上の仕組みがあって皇室が存在していると思いたいから 「制」「制度」と言う言葉にあてはめようと言葉遊びを繰り返す。 皇室は日本の文化そのものだから制度云々の前に継続して存在しているんだが。 761 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/09/22(木) 02:34:52 ID:yGde+St30 ≫740皇室を解体するために、アカが作った造語なんだよね?制度を廃止する!というニュアンスの『天皇制』という造語。 765 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/09/22(木) 06:35:10 ID:TZ79WnNw0 ≫740 かなり昔から天皇制って言葉になんとなく違和感を感じてたけど、あんたのおかげで氷解した。ありがとう。 過コピペ@2ch 小学生の頃 左翼教育受けてた奴 (via bochinohito) 「天皇家」という表現も同じようなものだね。 「天皇」を苗字みたいに思ってるやつw ただしくは血筋を表すなら皇室、皇統と書く。 そもそも一般家庭と一緒に論じてしまうのが間違ってるんだな。 あと、保守を名乗ってる奴でも間違いが多いのが「御皇室」という書き方。 Ch桜も「今週の御皇室」などとふざけたタイトル名のコーナーがあるが、「皇」の字の前に良かれと思って「御」の字を重ねちゃうのがいいと思ってる輩を増やしてしまう原因にもなるので本当にやめて欲しい。本来「皇」の字の上につける文字は「天」以外に存在しないため、頭に御の字をつけると逆に不敬であると言われている。つまり、庶民からみて「皇室」は十分敬った言い方だ。 また、崩御、薨去なども頭に御の字を付けないのが正しい。 (via lumpleteza)
7月 16, 2017 日本の皇室は現在の日本国につながる国家が始まって以来ずっと続いているため、たとえば中国の唐王朝などの歴代の王朝や、現存する日本国外のウィンザー朝(イギリス)、チャクリー王朝(タイ)のような「国内に存在した他の王朝と区別するための王朝の名前」を持たない。強いて言えば、「日本」という国名そのものが王朝名である。 皇室 - Wikipedia (via invoke)(元記事: Wikipedia (awarenessxxから))
7月 15, 2017 #トランプ大統領の政策を日本に置き換えてみる ・中国、韓国、北朝鮮からの入国禁止措置 ・反日思想の在日韓国朝鮮人を強制送還 ・安い中国製品に対して関税20% ・日本企業や外国企業に日本国内の雇用を増やさせる ・韓国との国境に壁を作る \最高じゃんwww/ 500円さんのツイート (via windsock)(元記事: twitter.com (windsockから))
7月 15, 2017 これが日テレの忖度かw→ 玉木の親は香川県獣医師会の副会長 玉木の弟は獣医師 玉木の秘書は元日テレプロデューサー 玉木の秘書の夫は日テレ報道番組制作会社の会長 獣医師会は玉木に100万円の献金 玉木は父親に1000万円の借金(無利子のため実質的な献金の疑い) 獣医師会は加計学園の獣医学部新設に反対 玉木は獣医師会の会合で獣医学部新設は潰すと発言 怪文書の出所は今以て不明だが、持ってきたのは玉木 怪文書を真っ先に本物だと肯定した北村元議員は現獣医師会顧問 玉木と獣医師会の関係が明るみになっても日テレの報道番組では不自然な安倍叩き (via shinjihi)(peckoriから)
7月 15, 2017 今日、伊集院さんがラジオで言っていた、『自分は無信心で神様も信じてない、だけどお地蔵さんを蹴れるかっていうと無理だし賞味期限切れのおにぎりを踏めるかっていうと無理』という話、なんか大事な気がする。 そういうのが根っこにあるものとして暮らすけど、たまにそれが無い人に出会うと怖い。 幸福太郎さんのツイート (via mug-g) 興味深い (via hispwsbi)(元記事: twitter.com (salazosulfapyridineから))
7月 15, 2017 「腰痛」は、経験した人しか分からない痛みと辛さがある。そして、痛みが酷い上に、「どうすれば完治するのか」がはっきり分からないため、絶望的な気持ちになるものである。 私もそんな経験をした1人。私の場合は腰椎の椎間板ヘルニアだった。それも「手術をした方がいい」と言われるレベルの。ところが、ある整体院で教わった体操を実践しているうちに、みるみる痛みがとれて治ってしまったのだ。今回は、その方法をご紹介しよう。 最初に断っておくが、この記事で紹介する方法は、私にとっては効果が大きかったが、腰痛に悩む全ての人にとって有効である保証はない。あくまでも「実践したら私は治りました」という話である。 ・26歳で椎間板ヘルニア発症 ちなみに私が椎間板ヘルニアになったのは、26歳の時。「腰の痛みが酷い」と思って病院に行ったら、「MRI検査が受けられる大きい病院に行ってください」とのこと。 言われるがままに行った病院で検査を受けると、「腰椎4番5番の椎間板ヘルニア」と診断されたのだ。MRIの画像を見ると、確かに背骨から軟骨が飛び出しているではないか! 「マジかよ」という気分に追い打ちをかけるように、「手術した方がいい」と整形外科の先生からのご宣告。 ただ、生来のビビりであることに加えて、「腰椎椎間板ヘルニアは手術しても治るとは限らない」程度の知識があった私は、なんとか手術なしで治そうと考えた。整形外科だけでなく、整体院や鍼灸院などに行けば、どこかに有効な方法があるのではないかと思ったのだ。 ・病院を何件も回る それからというもの、ネットで「ここの鍼灸院がいい」という評判を見つければそこに行き、腰の具合が変わらなければまた別のところに行くという生活。全部で10件近くまわっただろうか。保険が効かないところが多かったため、経済的な面でも相当な負担だった。 ・思い出したくない坐骨神経痛 当時は、腰の痛みも酷かったが、強烈なのは坐骨神経痛! 私の場合は座れないタイプだったため、仕事面でも生活面でも支障が大きかった。足の指先までしびれる神経痛は、今でも思い出したいくない程である。 そんな時、ある整体院に行ったところ、先生に「手術しなくても、今から教える2種類の体操をすれば大丈夫」と言われた。最初は「腰椎の椎間板ヘルニアが体操程度で治るわけない」と思っていたが、やってみると本当に治ってしまったのだ! その体操は以下の通り!! ・体操1 まず、仰向けになり膝を立てる。そのまま腰を動かさずに、膝だけ左右にゆっくりと振ろう。左側が床についたら今度は右側というように、膝を180度の範囲で動かす。これだけである。この時大事なのは、ちょうど腰の当たりがほぐれているような感覚があること。「気持ちいい0」とまで感じられればベストだ ・体操2 次の体操も仰向けの状態で行う。まず、膝をゆっくりと持ち上げて、両腕で抱え込む。ちょうど、寝ながら体育座りをしているような格好だ。それから膝をゆっくりと胸に近づけていき、「これ以上は無理」���いうところで姿勢をキープ。この体操は、腰の部分が伸びて心地いいような感覚を感じながら行うのが重要。痛みを感じない範囲で、ゆっくりとやろう。 ・体操をする時間は? 長時間体操を行う必要は一切ない。腰痛の酷さにもよるが、1つの体操につき5分で合計10分。それを朝と寝る前の1日2回行えばOK! 非常にお手軽である。 ・効果は徐々に出る ただ、この体操はやってすぐに効果が出るというものではない。私の場合は、1週間くらいすると「ちょっと楽になったかな」という感覚があり、1カ月くらいすると、確実に快方に向かっているという実感があった。3カ月くらいするとほぼ痛みを感じなくなり、完全に痛みを感じなくなったのは6カ月後である。なので、根気よく続けることが大事! ・痛みをおして行うのは厳禁 なお、痛みが強い場合は、体操を完璧にやらなくても大丈夫。痛みで膝を左右180度まで動かせなかったり、膝を抱え込もうとしても膝が胸に着かないかもしれないが、最初はそれでも問題ない。続けているうちに徐々に可動範囲が広くなっていくので、無理のない範囲で行うこと。むしろ痛みをおしてやるのは厳禁だ。 ・痛くて全く動かない場合はどうするのか? 私自身そうだったのだが、中には「痛みを感じない範囲って言われても、ちょっとでも動かしたら痛いわ!」という人もいるだろう。そんな時、使えたのは「牽引」だ。整形外科や整体院の器具を使って行う、腰痛持ちにとっては、おなじみの方法である。 私の場合、牽引だけをしていても効果は薄かったが、牽引するとほんの少しだけ痛みがマシになったので、それから体操をするという手順を踏んだ。腰痛に悩んでいる人からは「牽引しても治らない」という声をよく聞くが、私にとっては「体操できる程度に痛みを抑える方法」と考えると有効であった。 ただし、牽引器具は全ての病院や整体院にあるわけではない。「やってみよう」と思っている人は、事前に電話やホームページで確認して、設置している病院を選ぶのがいいだろう。 ・快方に向かっている感覚を得られたら? 体操を続けて、よくなっているという感覚を得られたら、次は腹筋と背筋の筋トレをしてみよう。体操を教えてくれた先生いわく「腹筋や背筋が衰えると背骨の負担が大きくなる。それも腰痛や腰椎椎間板ヘルニアが発症する一因」なのだそうだ。なので、腹筋や背筋をトレーニングすることで腰の痛みを和らげるともに、再発のリスクを軽減させるのである。 やり方は、よくある腹筋と背筋の運動と同じ。ただし、これも痛みのない範囲で、ゆっくりと行うこと。回数も、状態に合わせて無理のない程度で問題ない。腰の具合が快方になっていくのに合わせて、少しずつ回数を増やせばOKだ! ということで、以上の内容をまとめると、体操できる程度に体を動かせる人は、体操 → 腹筋・背筋の筋トレという流れであり、体操もできない程に痛みが強い人は、牽引 → 体操 → 体操である。 ・「体操なんかで治らない」という思い込みを捨てる 腰痛に悩んでいる人の中には「腰痛体操は知ってた」という人も多いだろう。ただ、知っていたとしても、どこかで「体操なんかでは腰のヘルニアは治らない」とか「ヘルニアを治すにはブロック注射や手術などの痛みを伴う治療が必要」思っている人が多いのではないだろうか? 確かにそのような人もいるだろう。だが、シンプルなこの体操でも、毎日続けることで私のように効果を発揮する例もある。時間もお金もかからないため、腰痛に悩んでいる人は、ぜひ試してみてはいかがだろうか。 【腰痛持ち必見】体操してたら腰椎ヘルニアが治った / 時間もお金もかかけずに腰痛を治す超簡単な方法はコレ! - ロケットニュース24 (via darylfranz) (元記事: rocketnews24.com (aki-zizi-memoから))
7月 15, 2017 まず言いたいのは、私たち一人一人が「アルコールは薬物である」ということをきちんと認識しなければならないということです。20歳以上は摂取できる合法的な依存性薬物です。コカインや大麻、覚醒剤やシンナー、睡眠薬の仲間で、中でも依存性が高いです。知ってほしいのはアルコールの薬理作用として、依存症までいかなくても、ひどい行為に及ぶことがあるということです。例えば自殺とアルコールは関係性が高い。DVや虐待などに、アルコールが介在しているというデータも出ています。お酒との付き合い方を考えるためには、まず子どものころからアルコールについてきちんと学ぶ教育や体制を整えることが必要です。 東海イズム:オピニオン 「インタビュー(42)アルコールによる社会問題 依存症者の支援研究 実践教育に生かす 健康科学部社会福祉学科 稗田里香准教授(特集企画)- 毎日新聞 (via gkojax)(元記事: mainichi.jp (gkojayから))
7月 15, 2017 212 :名無しさん@1周年:2017/03/06(月) 12:18:22.27 ID:Kg2VV5aU0 いやね、そもそも飲食店の10年生存率って15%程度なんだわ。 20年保つのは1%も無い。しかもこの不景気。 飲食って一見儲かる。だから簡単に参入する。が、ほとんど脱落する。 個人経営で出店して最初の2,3年は驚くほど儲かる。余程不器用でなければ。 新しい店で活気もある、店長も店員もやる気にみなぎってる。客は入る。 現金商売羽振りも良く、客のねぇちゃん引っ掛けて、ブイブイ。青年実業家気取り。 2年目くらいで最初のダレが出て来る。従業員。 飲食最大の敵は従業員の飽き。近隣店舗ではない。 毎日同じ作業で刺激も無いから。 手を抜く、質を落とす、ダレてるのは客にも伝わる。 ほんの少し質を落としても翌日の売上に直結するわけでは無い。 クレームになるわけでも無い。ジワジワと落ちる。 が、落ちる原因が分からない。 ヘタに成功体験があるから軌道修正もできない。 徐々に時代と合わなくなってくる。 なんとか10年もったとしても、今度は経営者も飽きてくる。 多店舗展開で刺激を求めるが目が届かなくなりリスクが増大する。 最悪は食中毒。 品質管理、売上管理。大企業で組織的にそれらの訓練をした経験が無い。 リーマン経験でちっと利口なヤツだと企業がそれら一見無駄に思える活動が 実は組織を長期的に維持する要であることを学ぶ。 が、それがわかるヤツは脱サラはしない。 飲食経営の分の悪さ、リーマンの気楽さも理解できるからだ。 若くして飲食初めて高級車に美女乗せてるヤツが不憫でならない。 10年後は85%の確率で借金まみれで逃走。 【飲食】 “マネーの虎”川原ひろし社長、ラーメン店全店舗閉鎖 [無断転載禁止]c2ch.net (via pinball-1973) (元記事: daily.2ch.net (fumi-tanoから))
7月 11, 2017 わかった!* 部落、皮製品、肉屋、精肉、焼肉店、屠殺業、野中広務、北朝鮮、辻元清美、獣医師、生コン、万景峰号、産廃業者、これらの利権、はぜーんぶ繋がってるのかな!?
7月 11, 2017 ■老眼が自然に治ることはない 【Yes】治ったように感じたら核白内障 ■ブルーベリーは目の健康にいい 【No】確かなエビデンスがない ■目が疲れたらマッサージ 【No】網膜剥離や白内障の原因に ■近視は病気ではない 【No】強度近視は病気 ■目に優しいコンタクトならドライアイでもOK 【No】ドライアイはコンタクトに向いてない ■コンタクトは保存液に入れておけば安心 【No】保存液に洗浄力はほとんどない ■眼球体操では目はよくならない 【Yes】よくなるどころか網膜剥離の危険 ■白内障は放置すると緑内障へのおそれが 【Yes】白内障は緑内障の始まり ■白内障の予防薬で進行が止まる 【No】白内障は薬では治らない ■手術は症状が悪化してからでいい 【No】早く発見手術をすれば視力が回復 ■白内障の手術はどこでも同じ 【No】執刀医によって結果は全く違う ■アトピーや花粉症でも網膜剥離になる 【Yes】目をこする、かくのは禁物 ■網膜剥離はすぐに手術するべき 【Yes】最高の腕の眼科外科医を見つけて 詳しくはソースにてhttps://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170709-00010086-jprime-life まとめたニュース : 「眼球体操やブルーベリーが目にいい」はウソ 目のジョーシキがくつがえる! (via 774rider) (元記事: matometanews.com (nerazurinerazuriから))
7月 9, 2017 オウム真理教に殺された坂本堤弁護士が住んでいた団地の他の住人(7世帯)は、 全員事件の起こる半年前より後に越してきた人たちだった。 そのうち5世帯が創価会員。 神奈川県警は失踪事件当初、この住人達全員に行動確認をかけていた。 その矢先に突然県警本部長のレイプ疑惑や生活安全課幹部がノミ屋を張っていた疑惑が次々と出始め、行確をはずしたら、マスコミからの疑惑追及もとまった。 それで勢付いたオウムは脱会信者の家族らを次々とVXガス(今回の金正男殺害で使われたのと同じもの)で襲撃。 当時の官房長官だった野中広務は北朝鮮詣でから帰ると出所不明の大量の金を政界にばらまき始め、自民党の実質的な党首となって公明党を政権に引き入れた。 ネトウヨもまだいないし、韓流ブームもまだ無い頃だったけど、この頃から俺達の国はもうおかしかった。
7月 9, 2017 ▼母親と 「私の母は、口に出して約束したことは必ず守ってくれました。そして、自分に誤りがあるとわかったときは、大人に謝るのと同じように、はっきり子どもに謝りました。これは信用の根本であり、したがって『躾け』と『教育』の土台です。私はいま見習っています」 対話の中で - 恐山あれこれ日記 (via ginzuna)(元記事: blog.goo.ne.jp (esakiから))
7月 9, 2017 戦争をせずに国を侵略する方法 copipeism: スイス政府発行の民間防衛白書 第一段階 「 工作員を送り込み、政府上層部の掌握と洗脳 」 第二段階 「 宣伝。メディアの掌握。大衆の扇動。無意識の誘導 」 第三段階 「 教育の掌握。国家意識の破壊 」 第四段階 「 抵抗意識の破壊。平和や人類愛をプロパガンダとして利用 」 第五段階 「 教育やメディアを利用して、自分で考える力を奪う 」 最終段階 「 国民が無抵抗で腑抜けになった時、大量移住で侵略完了 」 (ds9-garakから)
7月 9, 2017 前にも書いたけど、従姉妹がマルチ商法にハマった時、辞めさせるのに効果的だったのはYoutubeで様々なマルチ商法がアップしている説明動画を逆に観せまくること。観せていくと「このやり方はうちだけって言ってたのに全部一緒だ…」と青ざめて一気に洗脳が解けた。 マルチ商法にハマった時辞めさせるのに効果的なのは「毒をもって毒を制す」的方法だった - Togetterまとめ (via 46187)(元記事: togetter.com (takeawalk365から))
7月 9, 2017 鎖国が教科書に復活するようですが、 これも鎖国がなぜ行われたのかそこを解説すべきでしょう。 ついでに島原の乱を起こした天草四郎どもがどういうことをやっていたのか きちんと教科書に書いてあげるべきだとも思います。 なぜか島原の乱については戦後は一方的な構図で書かれていますが、 むしろ幕府軍には多くの農民も参加していました。 子供を人質に取られかけたり、略奪や焼き討ちにあったりした事で 天草一党許すまじという意識があったからでしょう。 宗教を利用して分裂を作ってそこに付け入って植民地を獲得していく ということを当時はアジアのそこかしこでやられていたわけで、 日本でも同じ事をさせない必要が確かにあったのです。 教育分野を日本人の手に取り戻さねば (via kramerunamazu)(kay-ikegamiから)
7月 9, 2017 背乗り(はいのり)とは? & 背乗りは外国人スパイにとっては絶好の身分保障 北朝鮮が関与した背乗り事件の例で、もっとも有名なのは、辛光洙(シン・ガンス)事件だ。 この男は金正日の命を受けて日本に潜入し、大阪で暮らしていた日本人の戸籍を乗っ取って、日本で日本人の拉致を指揮していた。1978年に起きた13歳の横田めぐみさんの拉致を実行したのもこの男だった。 日本の警察や公安は、この辛光洙(シン・ガンス)の背乗りを把握していなかったが、背乗りとは一度成功すると、長期間に渡って身元が発覚しないことが多い。 同じく日本人拉致の実行犯だったチェ・スンチョルという北朝鮮の工作員は、1人のみならず、2人の日本人の戸籍を背乗りしている。 2012年に逮捕されたオウム逃亡犯の高橋克也や菊地直子も、やはり他人の戸籍を背乗りしていた。 日本にはスパイ防止法がないので、こういった背乗りは外国人スパイにとっては絶好の身分保障になる。日本人に「なりすます」悪意のある人間を、厳しく取り締まらなければならない理由はまさにここにある。 拉致も、スパイ行為も、扇動も、収奪も、情報漏洩も、何もかもがやりたい放題になって日本は何一つ対抗できない。 こういった「なりすまし」日本人が役所に就職すると、日本人の戸籍をすべて引き抜かれて国外に持って行かれ、さらなる背乗りが可能になる。 あなたの目の前にいる人間が、もしかしたら本人ではなくて、誰かの「なりすまし」だったら、薄気味悪くて仕方がないはずだ。しかし、そういった事態が日本の裏側でずっと起きているのである。 背乗り(はいのり)とは? ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%8C%E4%B9%97%E3%82%8A 被災者の戸籍が、大量に乗っ取られる危険な事態になっている。DARKNRESSより。2013年 9月21日 https://darkness-tiga.blogspot.jp/2013/09/20130921T1536000900.html#OILSvfI.twitter_tweet_count_m%C2%A0 (via awarenessxx)(powliticsから)
7月 9, 2017 陸幕の人から聞いた「ここが変だよシン・ゴジラ」で笑って納得したのは「会議中のテーブルに菓子が山積みになっていない」です。今度はいつ食事できるかわからない状況なのに、会議時間を利用してカロリー補給しないことはありえないんだそうな。菓子なのは「調理時間なんかとれるか!」だそうな。 ねおんさんのツイート (via tar0)(kay-ikegamiから)
7月 9, 2017 日本って普通に、死刑廃止も菜食主義も全世界に先駆けて取り入れて、失敗こいた経験のある国だということが普通に見過ごされてると思う。 外人「なんで日本は死刑廃止も菜食主義も鼻で笑ってるんですかホワイ?」 日本人「死刑は1400年前、菜食主義は300年ぐらい前にやったら、死刑廃止では国が滅亡寸前になる程犯罪者が増え、菜食主義では結局ピグミー族レベルまで身長が縮んだからや!」 Herokey Aveさんのツイート (via toronei)(元記事: twitter.com (kunigakuから))
7月 9, 2017 引きこもり時代に人から言われて、心に響いた言葉。「助けてって言いなさい。勝手に遠慮して諦める前に言いなさい。今は、助けたくても、お節介が焼き辛い時代なの。伸ばされた手は取れるけど、手を伸ばしてくれないと掴めない。必ず掴んでくれる人はいるから、信頼できる人を探す努力をしなさい。」(via joy-fftl)(元記事: twitter.com (ryoh8218から))
7月 8, 2017 泉放送制作 サンモニ 金富 マスコミによる洗脳報道 2017-06-20 テーマ:腐れかけのテレビ フジテレビ 東京都 港区��場2-4-8 ※韓国MBC 東京都港区 台場2-4-8 18F 朝日新聞 東京都中央区築地5-3-2 (AFP、NYT) ※東亜日報 東京都中央区築地5-3-2 毎日新聞 東京都千代田区一ツ橋1-1-1 ※朝鮮日報 東京都千代田区一ツ橋1-1 4F 読売新聞 東京都千代田区大手町1-7-1 ※韓国日報 東京都千代田区大手町1-7-1 8F 日本放送協会 東京都渋谷区神南2-2-1 ※中国CCTV 東京都渋谷区神南2-2-1 ※韓国KBS 東京都渋谷区神南2-2-1NHK東館710-C 【日本のテレビメディアの外資比率 】 フジテレビ 29 . 8% ( 違法状態、外資が2 , 3位 ) TBS 13 . 5%( 上位2社が外資 ) 日本テレビ 21 . 9%( 違法状態 ) テレビ朝日 12 . 5% 電通 19 . 6%( 筆頭株主は外資 ) MXテレビ 0% https://ameblo.jp/kiyosiro-e/entry-12285275614.html 泉放送制作 サンモニ 金富 マスコミによる洗脳報道|今日ボクが見た風景 Ⅱ (via worldwalker2)(toutiku-m44から)
7月 8, 2017 叔母の入院してる病院から「大部屋がいっぱいで個室に移すから差額ベッド代が一日に2000 円かかりますって。」電話がきました。 それで、「本人の希望以外の、病院の都合上の移動で個室に入るときは、厚生労働省が支払いの義務はないと言ってるよ」と抗議したら、ただになりました。(via otsune)(元記事: twitter.com (playwithから))
7月 8, 2017 背乗り(はいのり)とは?
犯罪的な行動を次々と企画・実行することが可能 そもそも、他人になりすまして、どんなメリットがあるのか。もちろん、いろんなメリットがある。 背乗り(はいのり)した人間が外国人だったら、当然、日本人になりすますことで、日本の行政サービスを受け、生活保護を受けたり、年金を受けたり、日本人として日本企業に就職することが可能になる。 また、背乗り(はいのり)した人間が犯罪者だったら、当然、過去の自分の犯罪を抹殺することが可能になる。 さらに、背乗り(はいのり)した人間の戸籍を使い捨てするのであれば、その人間になりすまして多額の借金をしまくり、最後にその戸籍を捨ててカネを持って逃げることが可能になる。 背乗り(はいのり)する戸籍が裕福な家系であれば、その家系を名乗ることによって身分詐称で箔を付けたり、遺産を乗っ取ったりすることもできるようになる。 あるいは、背乗り(はいのり)することによって元の自分の戸籍と、背乗りの戸籍をふたつ使い分けることができるので、マネー・ロンダリングも可能になる。 背乗り(はいのり)した人間がスパイだったら、日本人の国籍を取って日本人として安心させて政治家・公務員に近づき、情報を盗み取ることが可能になる。 要するに、背乗り(はいのり)するというのは、他人の戸籍を乗っ取って犯罪的な行動を次々と企画・実行することが可能になるのである。 だから、多くの犯罪者は背乗り(はいのり)の機会があれば、それを実行する。 実際に、背乗り(はいのり)の事件は多発している。北朝鮮・韓国系の犯罪者が、まず目指すのがこの「日本人なりすまし」なのである。 背乗り(はいのり)とは? ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%8C%E4%B9%97%E3%82%8A
被災者の戸籍が、大量に乗っ取られる危険な事態になっている。 DARKNRESSより。 2013年 9月21日
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2013/09/20130921T1536000900.html#OILSvfI.twitter_tweet_count_m%C2%A0 (via awarenessxx)(xf-2から)
7月 5, 2017 「ドラゴンクエスト」の作曲家 すぎやまこういち さん 「日本が嫌いな、日本を壊したいというメディア、いわゆる反日メディアというものがあると感じています」 水島さん 「以前、参議院選挙でNHKが選挙前日に放送する『党首走る』という番組で、小泉さんは全て見下ろす形で撮り、岡田さんは見上げる形で撮った。そして小泉さんの顔はワイドレンズで撮った、微妙に魚眼レンズみたいにゆがむんです。岡田さんの方は50ミリの標準レンズできちっと撮る。こういうことをやっていたんです」 すぎやまこういち さん 「安倍晋三さんのスピーチの時だけ、僕が聞いて感じたのは、中音部以下のやや低音域にちょっとイコライザーをかけつつエコーをつけて、リバーブをつけて、もやもやっと聞こえにくくしている。僕は見てて商売柄、やってるなと思いました。音楽やって録音の作業はプロとしてやってますから、ハッキリそれは分かりました」(via shinjihi)(petakirinから)
7月 5, 2017 先生が、授業中に質問をします。普通に「分かるひとー」とだけやっちゃうと、手を上げる子が固定してしまうからなのか、ちょくちょく変則的な当て方をします。「じゃあ、今答えた〇〇の後ろに順番で当ててくぞー」みたいな。 で、当然のことながら、とっさに質問に答えられない子も出てきますよね。あーとかえーーと、とか言いながらしばらく黙っちゃうような子。 普通の先生なら多分、分からないことを責めないまでも、「あ、分かんないか?じゃあ他にわかるひとー」と言って、すぐに次に行っちゃうと思うんですよ。少なくとも、私が子どもの頃の先生はみんな、例外なくそうでした。
ところが、その担任の先生の場合、当てられた子が困っているのを見ると、こういうんです。 「じゃ、〇〇にアドバイス出来るひといるかー?」って。
で、はい!って答えた子は、決してその子本人が答えたりはしないんですね。わざわざ席を立って、分からなかった子のところまで行って、ひそひそ声で答えを教えてあげるんです。 で、最終的には、最初当てられた子が答える。で、先生は「その通り!××(教えてあげた子)もよく教えられたなー」といって両方褒める。
「え、そんなこと?」と思われるかも知れないですが、私、このやり方凄いと思ったんですよ。 ちょっと考えただけでも、 ・最終的に答えるのは最初に当てられた子なので、答えられなかった子の自尊心が傷つけられにくい ・教えた方は単純に「教えてあげられた!」ということで自尊心が満足する ・分からないことを生徒同士で教え合う、という習慣づけになる ・問題によっては、教え方を考えることで問題への理解が深まる ・生徒同士のコミュニケーションにもなる これくらいのメリットはあるなーと。
後から長男に聞いてみたところ、恐らく背景というか下準備として、「人の考えをちゃんと聞いて、考えて、受け入れられるというのは大事なこと」だということを、普段からその先生は言っているようなんです。 小学校の学校公開で目撃した、先生の工夫が凄かった | Books&Apps (via kikuzu)(元記事: blog.tinect.jp (akiocarsから))
7月 4, 2017 虐められて、暴行されたら、必ず病院へ行って、医師から『殴打による、○○負傷』とか何でもいいから、『診断書』を書いてもらえ。 そして、 警察に行け。診断書がある以上、『暴行の事実が確認できないので、被害届は受け取れない』とは警察は言えなくなる。 自ら死ぬな、殺してでも、生きろ。Twitter / kwan2nd (via yellowblog)(sananoteから)
7月 3, 2017 * 【事実】, 拡散希望, * 政治家、国会議員は日本国民が投票して政策や議論を委託した日本国民の代表です。, * マスコミは高い給与を貰っている、どこの国の人かは分からないサラリーマンであり、日本国民の代表ではありません。, (via shinjihi)(tra249から)
7月 3, 2017 うちの娘も夜中の1時過ぎまで会社にいた事があった。迎えに行って無理矢理帰宅させた。労基に行く、と言ったら、その後過剰過ぎた仕事が分散された。そういう時はモンスターペアレンツと揶揄されようが子どもが嫌がろうが親は介入していい。死んでからでは遅い。埒不埒さんのツイート (via do-nothing)(元記事: twitter.com (imajojoから))
7月 1, 2017 言っとくけどこれ民主党が改悪したせいで日本人の税金が使われてるからな(´・ω・`) 【爆病】 来日中国人が日本の医療制度に「タダ乗り」・・・経営ビザで国民健康保険に加入し3割負担で治療を受け帰国 | 保守速報 (via himmelkei)(元記事: hosyusokuhou.jp (aki-zizi-memoから))
7月 1, 2017 「マーク・ザッカーバーグはFacebookを19歳で作ったんだから若いやつらはもっと挑戦するべきで・・・」って説教してくる熟年には「ではカーネルサンダースは65歳でケンタッキーを作ったので年だからって言い訳できないですね」って反論するようにしている おもしろツイートさんのツイート (via gkojax)(hkjから)
7月 1, 2017 「ナポレオンは3時間しか寝なかった」というアレがブラックな労働環境を後押ししたことは間違いないので、対抗策として「シーザーは毎日必ず8時間寝た」とか「成吉思汗の9時間睡眠を邪魔した者は誰であれ首を刎ねられた」みたいなやつを広めていきたい。 前川誠さんのツイート (via gkojax)(hellisinyourbrainから)
7月 1, 2017 大学生がリビアについて、「なんで国連は市民への攻撃をやめさせないんですか?」と質問してきた。国連や国際法の勉強はしたことがないというから、やむを得ない疑問かと思ったので、私なりに説明してみた。そもそもね、から初めて。
・そもそも、人間社会が自然状態から社会契約によって成り立ったものと仮定するなら、国際社会というのは社会契約で成立した「国家」を一義的な当事者とし ている。これが古典的な考え方だ。国家とは(色々な定義の仕方があるが)、領土と国民と主権と政体によって成り立つ。主権が誰に属するかは国家の形態に よって違うが、国家の主権(state sovereignty)は絶対である――これが古典的な国際社会に対する考え方。
・それに対して、社会契約思想が成立した啓蒙主義の時代になると、「普遍的価値」や「普遍的人権」というものが世の中にはあり、君主がそれを侵害すれば社会契約は破綻し、君主は主権行使の正当な権限���失う――という考えがブームになった。これが、英米仏の革命を経て18世紀末以降にポピュラーとなった「革命」の思想だ。
・以来、国家主権vs普遍的人権のせめぎ合いが、現代国際社会における大テーマとなった。つまりは、普遍的人権を保護する為なら国家主権の侵害は正当化されるのだろうか、という命題だ。
・1945年までは一般的に、その答えはノーだった。国家主権>普遍的人権だった。人権とは、国家が社会契約に則り国民に保障するものだった。しかしニュルンベルク裁判などを通じてホロコーストの実態が明らかになり、それではダメだということになった。
・余談。たまに誤解されているのだが、第二次世界大戦において連合軍はホロコーストの被害を食い止めるためにドイツを攻撃したのではない。ナチス・ドイツ の領土拡張・侵略を食い止める為に反撃したのであって、ドイツ占領地域を解放してみて初めて、強制収容所の実態を知ることになった。ユダヤ人をはじめナチ スが迫害する人々を強制移住させ虐殺しているという情報を連合軍は得ていたし、ユダヤ人民族絶滅計画の情報も得ていて、非難声明も出していたが、実態が本 格的に明らかになったのは戦後の話。
・この経験を経て、国際社会は国家の枠を超えた普遍的人権を守るのだ、人権に対する最大の侵害は戦争である、よって国際社会は戦争の再発と人権侵害を防止しなくてはならないと、国際連合と世界人権宣言が作られた。
・けれども、理念は別として、国際連合は主権国家の集合体だ。加盟国(=主権国家)の多数意見に反したことを国連事務総長や国連職員が糧に決めて遂行できるような、そんな超国家的機関ではまったくない。
・そこに国連のジレンマがある。国家主権の枠を超えた普遍的人権の保護をミッション���しているが、主権国家の委任がなければ動くことはできない。そして国家主権を侵害することも、よほどの特例がない限り、できない。というか、ほとんどできない。
・その特例のひとつが、国連平和維持活動(PKO)だが、これも別に国連事務総長が「あの国に侵攻してその国民を守り なさい」と命令して動かすものではない。国連安保理や国連総会において、必要な数の加盟国の合意を必要とする。国連PKOというのは実は国連憲章に明確な 規定がなく、国連憲章の「6章半」と呼ばれ(これを説明しているとさらに長くなるので、検索されたし)。明確な規定がないので運用や解釈も時代によって変 化してきたが、大まかに言えば、国家間の紛争後の和平維持や、内戦調停後の平和維持に派遣される。内戦の真っただ中でどちらかの側にPKOが味方してドン パチやるわけでは、ない。そしてリビアの場合のように、まだ国際的に「政府」として認められているものが存在している状態で、PKOがその国の領内に侵攻 していって国民を保護したり、政府を倒したりすることは、今の国連憲章では認められていない。国際法も、国際機関がそんなことをするとは想定していない。 そして今更だが、「国連軍」などという、ウルトラ警備隊的なものは存在しない。PKO部隊とは加盟国が提供する部隊の寄せ集めだ。
・今の国際社会と国際法でそれが可能なのは、つまり一国の国家主権を侵害して領土に押し入りその国民を保護する、なんて行為ができるのは、同じく「国家主 権」をもつ「主権国家」だけだ。国家が他国の主権を武力で侵害すること、それはすなわち戦争だ。国家が国家に戦争を仕掛ける権利は、国家にとっての自然権 のようなものだ(生命・自由・財産などが人間にとっての自然権であるように)。そもそも国際法とは、国同士が戦争の法を定める過程で整備されていったもの だ。
・しかし現実主義(realpolitik)で動く世界では、国家が自国兵士の生命や納税者の血税を使って、他国に侵 攻しその国の国民を保護するからには、相当の理由が必要だ。「普遍的人権」という道義的理由だけで、兵士の命と巨額の軍事費を使って他国に戦争を仕掛けて もいいと国民合意が得られる民主国家は、現実にはそうはない。むしろ、独裁者を追放するために戦争したせいで民主国家の指導者が次の選挙で権力の座を追わ れたりする。なので、「大量破壊兵器の開発を防ぐため」「自分たちへのテロを防ぐため」「地域の安定を図るため」など、道義的なもの以外の実利的な大義名 分が必要となるのだ。
・それとは別に、国際社会が承認する実体ある統一政府がもう存在しない状態での介入がある。これは古典的な国際法でいうと「戦争」にはならない。「戦争」 とは古典的にはあくまでも国家vs国家のものだからだ(余談だが、「対テロ戦争(war against terror)」という抽象的なものに対する「戦争」とは本当なら、「war against hunger(飢餓に対する戦争)」とか「war against crime (犯罪に対する戦争)」などと同じレトリックや政策スローガンだったはず。なのに、「war against terror」に法的概念としての実体を与えようとしたのがチェイニーだったのだが、それを話すと長くなるので、よければ本を読んでください。なんて な)。
・たとえばユーゴスラビア内戦におけるボスニア紛争やコソボ紛争では、主権国家同士の軍事同盟機構=NATOが、周辺勢力に侵攻を重ねるセルビア勢力を空 爆・介入したわけだが、そのとき旧ユーゴスラビアは完全な分裂状態にあり、国際社会が認める「政府」は存在しなかった。ゆえにこれはNATOによる軍事介 入であって、同盟国の集団であるNATOが「主権国家」相手に(国際法的な意味での)「戦争」をしたわけではない。
・主権国家に対して戦争を仕掛けるのと、主権国家がもう正当に存在しない状態の地域に軍事介入するのとでは、その行為の重みがまったく違う。何より、自国 民にとっての、そして国際社会においての、イメージが違う。イメージなんて、と思うかもしれないが、国内政治や国際政治において「perception(ど ういうイメージで見られているか)」は実はすごく大事なことなのだ。イメージの善し悪しが、正当性を決めたりするのだから。それからイメージの問題とし て、軍事介入というのは数日や数週間で終わるとイメージがあるが、「戦争」となると(6日間戦争とかは別にして)短くても数カ月、下手をすると数年かかる というイメージがある。民主国家において、国民に「戦争」を受け入れさせるには、上記したように相当の大義名分と準備が必要となる。「限定的な介入」と言 えば、まだ議会の合意を得易い。民主国家とはそういうものだ。
・となるとリビアの場合、国際社会の大多数がカダフィ政権の正当性を認めず、かつカダフィ政権の代わりになれる対抗勢力がまとまった形で台頭しなければ、 つまりリビアは内戦状態にあってその主権は一時的に消失していると認定されなければ、軍事介入は難しいということになる。ぐるりと話を戻せば、一国の主権 というのは国際社会において古都ほど左様に強固な、尊重されるものなのだ。
・では、カダフィ政権が正当な政府であり続ける間、国際社会がその主権を侵害せずに何ができるか。それは残念ながら、制裁くらいしかない。禁輸とか、海外資産の凍結とか(飛行禁止空域の設定が議論されているとの情報もあるが、これは主権侵害にあたると思う。イラクに対しては第一次湾岸戦争後の武装解除を順守させるために実施したのであって、リビアに対してはそもそもの法的根拠がないのではないか?)。
・「responsibility to protect(守る責任)」の議論もある。つまり国家には国民の身体生命 人権を保護する責任あるのだから、それを脅かす国家に対して、国連をはじめ国際社会は人道上の理由から介入し、人々を守る責任があるという考え方だ。集団 虐殺、戦争犯罪、民族浄化、人道に対する罪――がその対象となる。カダフィ政権による反体制派虐殺は「人道に対する罪 (crimes against humanity)」に相当すると私は思う。アナン前国連事務総長が提唱し、05年に国連総会が宣言し、06年に国連安保理が支持し、09年に総会決議となって採択されたが、実施例はまだなく、定説になっているかは疑問。もしかしたらリビアが、初の明確な適用事例になるのかどうか。
・集団虐殺、戦争犯罪、人道に対する罪を国境を越えて裁く機関として2002年に設置されたのが、国際刑事裁判所(ICC)だ。しかし国家の主権を超えて、そうした行為を裁くことはできない。設置条約の締約国でない国に、ICCの司法管轄は及ばない。そして、はいそうです。リビアはもちろん、締約国ではないのだ。
・くどくどと書いてきたが私が今思うに、国際社会がリビアに軍事的に手を出す為には、カダフィ政権はもはや政府としての機能を失った、リビアは内戦状態に ある、ないしは無政府状態にあると宣言する必要がある。ただしそうした時に、いったいどの国が主導してあの国に軍事介入しようとするだろうか。アメリカや イギリスが、今一度ムスリム国家に軍事介入したがるだろうか。まさか。したくても、状況的にできるはずもない。ムスリム国家に軍事的に手出しできるのは、 同じムスリム国家しかないと思う。しかし同じように国内に反政府デモを抱える長期独裁政権の国々が、いったいどんな大義名分でリビアに介入できるのか。国 境の安定化とか地域の安定化しか思いつかない訳だが、となると今までだったらエジプトしかない。そのエジプトに今、そんな余裕はないはずだ。とすると国際 社会には、(いつもの)非軍事的な手段しかない。
・なので国際社会が国連を舞台に、非難声明とか経済制裁を検討している間に、リビア国内の戦いは続く。
・もちろん、非軍事的手段→軍事的手段と段階的にエスカレートしていくのが外交の常識なのだから、���きなり軍事介入があるはずもなく。とはいえ、であるがゆえに、今そこにある虐殺に対して、国際社会は常に無力だ。
・誤解のないように。私は「さっさと軍事介入しろ」と言ってるわけじゃない。「なんで国連はさっさと国連軍を派遣して虐殺を止めさせないんだ」という声や 不満に対して、「いや、あのね」と言いたい訳だ。他国の国家主権を否定するなら、自国のを否定され侵攻されても文句は言えないのだし。
・ところで内戦といえば(私にとっては)日本の幕末なわけだが、あの時はイギリスが明確に薩長革命勢力を支援し、フランスが(あまり役に立たなかったが) 幕府を支援した。よってその結果、イギリス大使館は皇居の目の前にあり、フランス大使館は(当時は江戸の外で、別にオシャレな街ではなかった)広尾にあ る。カダフィを支える外国勢力はどこか。そして欧米各国は今、後押しするべき対抗勢力を見定めるのに、必死なのだろうと思う。 ・国連はウルトラ防衛隊じゃない - 水川青話 (via nakano)(quote-over100notes-jpから)
7月 1, 2017 麻生財務相はまた、中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)が米格付け大手ムーディーズ・インベスターズ・サービスから最高格付けを取得したことに関しては、「ボツワナより日本の国債が低いと出したのは確かムーディーズじゃなかったか。その程度のところだと思っている。他に興味はない」と指摘した。 麻生太郎財務相が経済情勢について「経済政策は大きく変えない」 - ライブドアニュース (via rompers-heroine)(元記事: news.livedoor.com (impossiblemodelfactoryから))
7月 1, 2017 福岡市HPの市民からの意見で 「公共施設にハングル語の看板が多いのはなぜ?」との質問に 「韓国人はよく物を壊したり、トラブルが多いので ハングル語の注意書きが必要なのです」 って回答されてて、そういう事か!!と膝を打ちましたw U-1速報 : 公共施設にハングル語の看板が多いのはなぜ? (via isikasa)(元記事: u1sokuhou.ldblog.jp (gkojax-textから))
6月 30, 2017 「しかし、アリペイを利用するのはやめた方がいいと私は思います。「新潮45」でも詳しく描きましたが、アリババ・グループの創業者ジャック・マー(馬雲)は中国共産党とベッタリで、顧客の個人情報を平気で政府機関に引き渡すからです」 「たとえば中国では、人権派弁護士が地方で起きた事件の調査に行くためにアリペイで電車のチケットを買うと、その情報がすぐに当局に伝わり、駅で警察が待ち構えていて妨害されたりします。さらにひどくなると、突然アリペイが使えなくなる。困った弁護士が、家族のアリペイを借りて電車のチケットを購入したら、詐欺罪で逮捕されて晒し者にされたこともありました」 「私も中国政府に批判的な風刺漫画を描いていたら、ある日、突然アリペイが使えなくなり、非常に困りました。それ以来、私はアリババ・グループのサービスは一切使わないようにしています。日本の皆さんもぜひ気をつけて欲しいと思います」 「中国IT最大手アリババの決済サービスは使ってはいけない」中国人漫画家が日本人に警告 | デイリー新潮 (via dotnuke) (元記事: dailyshincho.jp (dotnukeから))
6月 30, 2017 今、ホテル・ルワンダを見終わって、一番あぁって思ったセリフが、「虐殺された映像を世界に流せば世界が救ってくれる」の返答に「いや世界はそれを見て「残虐ね」と言ってディナーを続けるよ」との部分でした。 nobさんのツイート (via hutaba)(元記事: twitter.com (kininaru10から))
6月 28, 2017 いま電車で後ろに立ってる二人のお爺さんが「敵の女房は味方」「使えない上司には使えないイエスマンを当てがうに限る」など心に響く謎の格言を次々と産み出しててヤバイ Twitter / kyrierich (via netinago99) (元記事: twitter.com (rainbowflower-gardenから))
6月 25, 2017 【きみがよ丸】 強制連行がウソであるという動かぬ証拠がきみがよ丸。
在日一世や二世は自分たちのルーツを知っています。 済州島と大阪を結ぶ定期便の名前が、 【きみがよ丸】だったからです。 日韓併合時代の済州島民にとって きみがよ丸の名前を知らない人はいなかったでしょう。
この船の名前がおおっぴらになると 在日朝鮮人達に何が起こるか。 強制連行がウソであるという動かぬ証拠がきみがよ丸。 (この出稼ぎ用の定期航路は大人気で、 のちに第二きみがよ丸も就航するほどだった)
・詳しく調べれば、きみがよ丸に乗ってきた 善良な人達はあらかた帰還事業で 帰国したことが解る。 ・さらに調べれば、朝鮮戦争当時に日本へ 密入国してきた朝鮮人達がクローズアップされる。 ・もっと調べれば、李 承晩ラインの時に釈放された 在日の凶悪犯達のことも 白日の下に晒される。 ・つまり自分たちの先祖達が凶悪犯だらけってのが、 実に論理的に判明してしまう。 在日朝鮮人達がなんとしても隠し通したい上記のことを、 君が代を聴いたり目にしたりするたびに思い出してしまうから 君が代をあそこまで憎む理由。
在日は君が代のメロディでも歌詞でもなく、 【きみがよ】という4文字を見たり聞いたりするのが 何よりもイヤだったのです。 君が代の出だしを聞くだけで 自分たちの祖先が悪人であると思い知らされる。 それが日本人にばれるんじゃないかと気が気ではない。
6月 25, 2017 フィンランドに行って一番驚いたのはバギーで子どもを連れている人は電車やバスの公共交通機関は無料、博物館や美術館も無料。子連れママができるだけ外出できるための政策らしい。国をあげて教育に力を入れるってこういうことなんだなって心底思った。邪魔とかそういうレベルの低い話じゃない。 tonkoさんはTwitterを使っています (via toronei)(元記事: twitter.com (another-gentlandから))
6月 25, 2017 性をアンタッチャブルなものとして扱うのは小学生までで、それ以上になったら、自身の性や性欲と向き合わざるを得なくなる。それを未成年は性について考えなくていいとか、性欲がないとか、綺麗事で蓋をして風通しを悪くするから健康的に受け入れることができず歪むんじゃないかな 音楽ナスカさんのツイート (via gkojax)(yellowblogから)
6月 25, 2017 独、仏の20倍!欧州で最もレイプ犯罪率の高い国はスウェーデン。 他のヨーロッパ諸国における、 レイプ被害の報告は、年間100件強に対し、 スウェーデンではなんと5000件以上である。 (´・ω・`)え?北欧がなんだって? 【マンガ規制】石原「北欧はキリスト教のおかげで倫理観がしっかりしてる」 (via peperon999)(元記事: instapaper.com (onibi-onibiから))
6月 25, 2017 任天堂の岩田前社長が残した言葉 「自分の長所を見つけるには、自分が楽にできることを探すこと」 感情的な人間が陥りがちな努力主義・苦労主義をぶっ飛ばす冷徹で理知的な言葉だと思います Twitter / nijieith (via drhaniwa)(enzoooooから)
6月 20, 2017 警察は告訴状の受理を非常に嫌うが、究極的には(法的には)拒めないことはさすがにわかっている。 だから、法律家としては、被疑者の行為が犯罪構成要件を満たすことを説得的に記述した、ビシっとした告訴状を書いて、 「これは犯罪事実の申告にはあたらないから告訴として取り扱いません」という逃げ道を塞いでやればよい。 そういった告訴状を持って、告訴人を同行して警察署に行くと、さすがに警察官も素直に受け取る。 と常識人なら思うだろうが、なんとそれでも受け取らないのである。警察は常識の通用する機関ではない。 「この、告訴状と書いてありますけど、これはひとまず、事実上、コピーだけ頂いて参考にさせていただきますので」 とか言って抵抗することが多い。 「告訴状の受理を拒絶されるということでよろしいですか。では警察署長宛に内容証明でお送りするしかないですね」 と言うと警察官は慌てる。しかし、私の場合は、その場で警察官と交渉した結果、きちんと捜査をしてくれる、進捗報告もしてくれるという内々の約束を得て、告訴状提出の強行はいったん引っ込め、コピーだけ取ってもらって帰ることが多い。 別にこちらの目的は、告訴状を受理してもらうことではない。捜査をしてもらうことが目的だから、捜査をしてくれる目処さえ立てば告訴状はどうでもよいわけである。きちんとやってくれなかったら、そのとき初めて内容証明で告訴状を出してもよい。 やりたくない事件にだけ「抑制的」な警察を動かす方法 - 弁護士三浦義隆のブログ (via otsune) (元記事: miurayoshitaka.hatenablog.com (ganeshstから))
6月 19, 2017 最近わかってきたんですが、なんかこう、(個人的な)価値観と異なる生き方をしている人を「あー自分とは違う生き方の人なんだな」とは思えず「あの人は非常識だ≒(社会の)迷惑だ」という構図に落とし込まないと納得できない人っているんですね。そういうの、本人も大変でしょうが周囲もしんどい。 Twitter / bono_kichi (via hutaba) (元記事: twitter.com (okatyo54から))
6月 17, 2017 【韓国】 李氏(りし)朝鮮の時代は、 本当に「韓国人にとって良い国といえたの��?」 ねずさんの ひとりごと | 2008年11月04日 http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-220.html
辻本さんのブログ「中韓国を知り過ぎた男」(右側にリンクがあります)に、韓国に関する記事があり、そこに昨日僕は以下のようなコメントを掲載させていただきました。 現代の北と南に分かれる前の「李氏朝鮮」というのは、中韓戦争になった折、韓国側の将軍だった李氏が、戦闘中に自国を裏切り、中国と通じることで政権を奪って王位についたという、いわば泥棒政権なんですね。 以後400年にわたり、李氏は中国の属国として対中国土下座外交を行います。庶民の生活なんぞほったらかしだった。いわば同国人による植民地支配が行われていたのが李氏朝鮮の時代の韓国です。 政治体制は、いまの北朝鮮に似ています。ヤンバンと呼ばれる韓国人貴族だけが贅沢な暮らしをし、一般市民は貧窮のどん底。 下のURLをクリックして写真をご覧になるとわかりますが、半島一の大都市ソウルですら、その中心街である南大門前が、まるでホームレス広場となっていました。これが歴史の事実です。 当時の韓国庶民は、ヤンバンという貴族たちにとっての奴隷以下の存在でしかなかった。 そのあまりの下品さに、次々と東亜各国を植民地化した列強ですら韓国にはまったく手を出していない。なぜかといえば、国が貧しく、市民はコジキ同然で、植民地化する魅力がまったくなかったから、といわれています。 いまの韓国の歴史番組などを見ますと、まるで李氏朝鮮の時代は人々が王侯貴族のような生活をし、女性たちは美しいチマチョゴリを着て優雅に暮らしていたかのごとく描かれていますが、これも真っ赤なウソ。 当時のチマチョゴリは、ヤンバンが町にいる女性を我がものとするため、女性の乳を露出させるために着させた服でしかない。 どこの世界に温帯地方でありながら女性に乳を露出される服を着させた国がありますか。 長男を産んだ女性はその時点で乳を露出した。要するに女性が性の捌け口程度にしか扱われていなかった時代の産物がチマチョゴリで、国辱ものの服でしかない。 乳の露出を禁止したのは日本の朝鮮総督府です。 これも写真が残っている。そんなに昔の李氏朝鮮時代が良いのなら、現代韓国の女性も全員乳を露出して町を歩いてもらいたいものです。腹がたちます(怒)
少し解説します。 韓服は、男女共通の上着であるチョゴリと、巻きスカートであるチマ(裳)によって構成されます。 日本国内にある朝鮮学校でも、女子学生の制服としてチマチョゴリの様式を取り入れています。 もともとは、このチマ・チョゴリ、李氏朝鮮の後期から妓女服の影響で丈が短く袖の細いチョゴリ(上着)狭い袖が流行したものですが、19世紀にはチョゴリが乳房を覆えなくなったため、両班層の女性はチョゴリとは別に、胸覆いを使ったと言われています。 しかし、下級階層、特に男児を生んだ女性は乳房を露出するのが誇りとされていたそうです。 現在一般に見られるチマチョゴリは原色を使い派手な物が多いのですが、李氏朝鮮時代の韓国時代のチマ・チョゴリは、朝鮮民族が「白衣民族」と自称してきたように、白一色が標準だったようです。この点でも韓国の歴史ドラマの華やかな民族衣装は、史実と異なります。 さらにいえば、韓国朝廷は、庶民に対して色つきの服の着用を禁止していた。 ただし女性のチマはこの限りでは無く、娘と未婚女性は赤いチマ、既婚女性や中年女性は藍色のチマ、老女はあさぎや灰色のチマを着用するとされた時代もあったそうです。また、生成りの漂白されていないチマとチョゴリは主に未亡人や喪中の女性が着用したといいます。 問題は、現代韓国人の多くが誇りとするチマ・チョゴリが、実は、李氏朝鮮王朝における貴族階級(ヤンバン)たちが、自国の庶民に対し、女性が胸を露出した服を着用することを推奨していたという事実です。 朝鮮半島も温帯地方にあたりますから、冬はやはり寒いです。その寒い土地で育まれた衣装が、女性が胸を露出するもの・・・というのは自然に考えて、やはり考えにくい。 だいたい家事を行うのに、胸がぶらぶらしていたら邪魔でしょうがない。 李氏朝鮮は儒教国家であるといいますが、やはり、こうした胸の露出は、多くの儒学者の非難を受けたのだそうで、1910年日本総督府が置かれた後、1930年代に至って、ようやく女性の社会進出と相まってチョゴリの丈が長くなり、女性の胸の露出がようやくなくなりました。 この服が、ほんとうに民族の誇りといえる服なのか、どうにも疑問の残るところです。 韓国が教科書で、日本総督府の施政が国辱ものであり、それ以前の李氏朝鮮の時代が素晴らしい日々であったというなら、是非、世界を歩く際に、本来の韓服(白装束・胸出し姿)を現代韓国に復活してもらいたいものです。 おそらく自国の国民から猛烈な反発が起きると思いますが。。。。
もうひとつ言うと、朝鮮半島の人口は、 1753年:730万人 1850年:750万人 1906年:980万人(第二次日韓条約により1905年より朝鮮は日本の保護国へ) 1910年:1312万人(日韓併合条約により、1910年より朝鮮は日本の一部となる) 1920年:1691万人 1930年:1968万人 1940年:2295万人 1944年:2512万人(1945年、日本の敗戦により総督府の統治権は米軍へ移譲) 現代 約4600万人
李氏朝鮮は、1392年に建国されましたが、当時から日本統治の時代まで、韓半島の人口はほとんど増加していません。それが、1910年の日韓併合以降、わずか30年で人口は2.5倍に膨らんでいます。これは何を意味するのでしょうか。 ボクは韓国人が嫌いとか、そういう意識はまったく持ち合わせていません。 日本国民であれ、どこの国の人であれ、それぞれが幸せになろうと必死で生きている。 一生の間に、学び、恋し、妻子を愛し、家を育み、誰かが死ねば悲しむ。 それがあたりまえの、普通の人間の姿だと思っています。 世界中、人が人であるならば、対話によって、お互いに理解しあい、愛しあい、学びあうことが可能であると信じています。 しかし、そういう人間としてあたりまえの感情を阻害するものがあります。 それがイデオロギーの対立や、妙に植え込まれたプライド、自尊心です。 そんなくだらないものに染まり、非難しあい、果ては殺しあう。愚かなことです。 隣人同士、互いに反発しあうことより、互いに学びあう姿勢が第一だと思います。 田母神氏の論文もしかりです。歴史観は、ヒダリの人たちのもつそれとは大いに異なるものでしょう。しかし、そうした説もあるというなら、冷静に何が真実であったのか、互いに研究し、そこから何かを学び取るという姿勢が、まず必要なのではないでしょうか。 頭ごなしに否定するのは簡単です。でもそういう姿勢からは何も生まれない。 何も理解できない。偏狭なナショナリズムに凝り固まることなく、謙虚な気持ちで歴史を学ぶ。。。戦後60年・・そろそろそうした素直な気持ちをみんなが持ってもよい時代にはいってきたのではないかと思います。
【追記】 なにか言葉足らずな感じなので、もう少し細くします。 ねずきちは、李氏朝鮮の時代というのは、貴族であるヤンバンたちがもっぱら庶民から搾取をし続けた時代だと思っています。いまの北朝鮮と同じです。庶民は家畜奴隷以下の存在でしかなかった。当時の李氏朝鮮時代の庶民の平均寿命は24歳であったともいわれ、とにかく国民の多くを占める庶民は、食うことすらままならなかった。 これは人間の本能で、人は自己の遺伝子のコピーを残そうとする生き物ですから、飯が食えず若死にするしかないような環境の中で人が生き残ろうとすれば、てっとりばやいのが、男であればヤンバンの仲間に入れてもらうこと。女であればヤンバンに宮廷に連れて行ってもらいヤンバンの女になること。そのためには、ヤンバンが通りがかったときに胸を露出するくらい(生き残り子を残すためには)やむを得なかった。 そのヤンバンたちは、日本統治後、かなりの人数が国外退去した。 そして日本が敗戦となったあと、再び半島に戻ってきた。北にいる者は北の役人となり、南にいる者は政治、経済をとりしきった。 もどってきたかつてのヤンバン達にとっては、李氏朝鮮の時代は、まさに天国です。最良の時代だった。彼らにとって李氏朝鮮時代の王宮は、美しい女たちが着飾り、平和と富を謳歌した素晴らしい時代であった。そして日帝は、そのすべてを奪い去った・・・ 要するに現代韓国で語られる過去の栄光というのは、国民のほんの一握りのヤンバンの栄光の歴史なのだといいたいのです。 そのヤンバンのおかげで、半島の多くの人々(庶民)は約400年の長きにわたり、収奪され、殺され、富を奪われ続けた。その様相は、英国のインド支配どころの話ではない。庶民は人間とすら認識されていなかった。 その証拠と言ってはなんですが、韓国には、日本で言う「昔ばなし」がない。昔話、童話は、庶民の言い伝え文化です。これを言い伝えるのは庶民であり、老人です。庶民が老いるまで生きることが叶わなかった国には、童話はない。昔話もない。ちなみに日本でも、応仁の乱の頃や、戦国時代の「民話」というものはありません。 ドイツやデンマーク、オランダ、イギリス、スペイン、日本には、数多くの民話があり、童話があります。ちなみにフランスも、ル���王朝の搾取時代によって、庶民が生かされず、このため、民話がほとんど伝承されていません。 ねずきちは思います。庶民が、ふつうの人々が、あたりまえに子を残し、老いるまで生きることができる国というのが、良い国なのではないかと。 ヤンバン達にとっては、自分たちの過去の栄光を奪い去った日帝は、未来永劫許されざる存在なのでしょう。 しかし、そのヤンバンたちは、韓国の多くの庶民に、いったい何をしてきたか。 そのことを多くの韓国のみなさんに冷静に振り返っていただきたいものだと思っています。
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東南アジアにおける欧米プロパガンダ - 本物の“サクセス・ストーリー” Andre Vltchek2017年9月25日New Eastern Outlook 全てが実にあつかましい形でおこなわれている。世界のこの場所にいない人々には、これほど‘完璧な’設計など到底想像できまい。 所属クラブに、私の場合はタイ外国人記者クラブ(FCCT)に入るやいなや、洗脳の長い腕が伸びて来る。 居心地の良い長椅子に座るとすぐ、しっかり世話をしてくれる。一体何を考え、考え方をいかに形成し、変更するか、指示され、命令されるのだ。 時折、中国における“腐敗と不品行”に関する映画を見せられる。とりわけフィリピンの反欧米大統領を中傷するような公開討論に参加するよう奨励される。 最近のことではあるが、中東、特にシリアも、注目を浴びるようになった。 もちろん、FCCTのような場所で提供されるほぼ全て、欧米の見解というか、より正確には保守派から‘リベラル’に至るまでの一連の欧米の見解だ。クラブはアジアでも東南アジアの中心にありながら、欧米の思考方法に熟達したごく少数のタイ人を除いて、きわめて少数のアジア人しか招かれない。あるいは、ダライ・ラマのような欧米の代理人、もちろん、このような人々は何時でも大歓迎だ! ‘反対側’の話をきくことなどあきらめて頂きたい- 中国本土からの共産主義思想家や作家、フィリピンの親ドゥテルテ派の学者や活動家のような講演者たちに出くわすことは決してない。 FCCTで見受けられるタイ人の大半は、実際、欧米主要マスコミの権威者に支援業務を提供する人々だ。通訳、フィクサー、ウエーターや数人の業務担当者だ。 ここは、アジア人が欧米人に、アジアに関して講義をする場ではない。ここは、欧米人がアジア人に、概して、どのように考えるべきか、とりわけ、自分たちの国について何を考えるべきかを教える場なのだ。 FCCTと同じ階の絨毯を敷いた狭い廊下の先には、BBC、NBCや、いくつかの他の主要欧米マスコミ事務所がある。バンコクの‘ペントハウス’マニヤー・センター・ビルディングは、実際、自給自足可能なプロパガンダ総合施設なのだ。 そして今晩、シリア国境からわずか数キロの場所で、約80,000人の難民を収容しているヨルダン’の巨大なザータリ難民キャンプに関する「サラーム・隣人」と題するアメリカ・ドキュメンタリー映画の無料上映(我々のような会員向けに)が行われる。 FCCTのビラには、あからさまに、こうある。“在バンコク・アメリカ大使館とアメリカ・フィルム・ショーケースの協力“ アメリカ大使館職員が映画を紹介する。(あからさまに)アメリカ国務省が後援している映画だ。 FCCTは混雑している。皆ビールを飲んでいる。冒頭のあらゆる演説に、人々は従順に拍手する。帝国の外務省が東南アジアでも最も重要な都市の外国人記者クラブで催しを主催する皮肉には誰も気がついてないように見える。冗談が飛び交うこともなく、風刺は皆無だ。欧米マスコミ連中は、きちんとしつけられている。オリバー・ストーンの“サルバドル”など期待してはならない - 全く違う時代のものなのだ。 生ぬるい当惑に満ちている。ここでは激烈なイデオロギー対決を目にすることは決してない。人は場所をわきまえている。彼らは、一体何を言うべきか、どう振る舞うべきかを十分承知している。しかし最も重要なのは、連中が何を書くべきかを知っていることだ。 * 映画は短く、わずか75分ほどで、実際はなから分かりきっていた。全く酷いというものではない。映画技法は立派で、おそらく、ごく僅かな事実しか提示していないせいで、事実上の間違いは非常に少ない。映画制作者たちは‘政治的に正しい’のだ。連中は時に、特に難民の子供たちとやりとりする際、感情を抑えきれず涙ぐむ。 “キャンプ住民は我々に心を開き、家も見せてくれた”などの陳腐なきまり文句に満ちている。 だがFCCTのあらゆる場所にあるモニター画面に冷ややかに規則的に現れる、いくつか当然予想できる場面もあった。たとえばこういうものだ。子供たちは暴力的な戦争ビデオ・ゲームで遊んでいる。ある子供が突然こう言う。 “ああ、これはアサド政権の旗だ… この人たちが僕に弾や武器をくれるんだ。” ソフトで‘善意で’うまく撮影されたプロパガンダを吹き込まれたのだ。シリア戦争における欧米の重要で、恐ろしい役割に関して、一言たりとも発せられない。ザータリ難民んキャンプが、最も過激な親欧米、親湾岸諸国テロ組織の訓練キャンプの一つであることに一言も触れない。 映画が終わった後、Q/Aコーナーにも参加することにした。 アメリカ納税者の負担でタイまでやってきた二人の映画監督を、いささか皮肉に称賛した。私もケニヤ-ソマリア国境の悪名高い残虐なダダーブも含め、難民キャンプ内で何本か映画を撮ったと言った。そこで、私は単刀直入に聞いた。 “シリア難民は一方の側だけの話ししかすることが許されていないのはご存じですか? 私はザータリ難民キャンプを良く知っています。そこでは、イラクのクルド地域にあるシリア難民キャンプ同様、シリア人はふるいにかけられ、アサド大統領に反対だと言わない限り、対応してもらえず、支援を得られないのです。” 練達の欧米プロパガンダ制作者の当惑��た顔が私をじっと見据えた。アメリカ大使館官僚連中は冷静さを保っている。連中はプロで、うろたえるようなことはまずない。 だがマスコミ連中は憤慨した。ロシア語なまりを誇張して、私が映画を制作している放送局の一つとして南米のテレスールの名前をあげた。よく言うよ。何と身の程知らず。非欧米人が、欧米の世論を形成する連中に、世界について説教を垂れるとは! 私はこう結論づけた。 “大半のシリア難民はシリア政府から逃れているのではありません。彼らは欧米や湾岸やあちこちの同盟諸国が始め、支持している戦争の恐怖から逃れているのです。” 沈黙は完璧になった。 すると、上流中産階級出身で、欧米で育ったことが明らかな現地タイ人の若い女性がマイクに近づき、可愛らしく笑いながら言った。 “ザータリ・キャンプを来年早々訪問したいと思います。中東については何も知らないので、なぜだかわかりませんが… 難民に何かできるかもしれませんね? 私は何かを学べるかも知れません?” “何枚か自取りを撮影するかも”と私は思った。 すぐに私は気分が悪くなり、文字通り、そこから逃げ出した。 * 東南アジア丸ごとが、欧米や日本の親欧米プロパガンダという、きつい拘束衣に閉じ込められているのだ。とは言え主要マスコミや、連中が欧米プロパガンダを流布する手口が、拘束衣が機能する仕方の唯一の例というわけではない。 ほぼ全ての真面目な大手書店(少なくとも英語本を販売している店)は、日本の巨大書店、紀伊国屋に、既に‘打ち負かされている’。東南アジアにおいて、書籍販売における紀伊国屋は、食品小売りにおけるカルフールにあたる。インドネシア、マレーシア、タイとシンガポールで営業しており、店舗は上品で、洗練されている。だが何か売れ筋の本を買いたいのでない限り、棚に見る(見つからない)ものに失望し、衝撃さえ受けるかも知れない。 こうした書店で、ノーベル文学賞受賞者のスヴェトラーナ・アレクシェェヴィッチ作品などの何百冊もの酷い反ソ連プロパガンダ本を見つけられるのは言うまでもない。だがエレナ・ポニアトウスカのような偉大な代表的メキシコ人左翼作家の本を探そうとしても、一冊も見つからない! ジョゼ・サラマーゴ、ダリオ・フォのような(だが共産主義の)思想家やハロルド・ピンター(この作家三人全員ノーベル文学賞を受章しているが、政権には大いに嫌われている)の大半の作品をそこで見つけることなどあきらめていただきたい。運が良ければ彼らの著作の一冊か二冊は見つけられるかも知れないが、それ以上は無理だ。 おそらくベルトルト・ブレヒトの戯曲の一編や二編なら見つけられるかも知れない。私はバンコクで探して、一冊しか見つからなかった。ガリレオだ。 東南アジアの書店では、反中国、反共産主義プロパガンダなら“食べ放題”だが、莫言を除いて、本当に偉大な現代中国共産主義の小説家や詩人の本は一冊もない。 もちろん、何か“好ましからぬもの”を見つけ出そうなどしてはならない。「好ましからぬ」という表現で、私は、欧米がこの地域に植えつけ、支持している、宗教や、新植民地主義や君主制や、‘文化’といった言葉の陰に隠れていることが多い現地の封建構造などのあらゆるものに対する皮肉っぽい批判を意味している。 インドネシアでは状況は最も途方もない。スハルト退陣後、急激に増えたあらゆるまともな書店は文字通り消滅した。以後、紀伊国屋はジャカルタの商売を‘模様替えし’、現在は大衆小説や、若干のペンギン・クラシックや似たような主流作品しか売っていない。 ジャカルタのプラザ・スナヤンにある紀伊国屋のマーケティング担当者アリフがこう説明してくれた。 “棚の配列はシンガポール店と同じはずですが、ここでは、インドネシア人経営層が何を売るか決めます。” 確かに彼らは決めている! 想像通り、アドルフ・ヒトラー (インドネシアでは、非常に人気の高い歴史上の人物)や、彼の‘ベスト・セラー’ (少なくともジャカルタでは) “我が闘争”を含む多数の本だ。そのすぐ隣には、最低の反共産主義プロパガンダに満ちた棚がいくつかある。 国民洗脳の点で、インドネシアは、1965年以来、常に東南アジアの先達だ。 もちろん、もっぱら東南アジア言語の本を売る現地書店チェーンもあるとは言える。とはいえ、それは極めて限定されている。率直に言って、世界でも、この地域では、高品質翻訳の本という文化がなく 現地言語で刊行されている書籍の数は比較的少ない。最も傑出したインドネシア人小説家プラムディ���・アナンタ・トゥールでさえ、マクシム・ゴリキーの“母”を、バハサ・インドネシアに翻訳する際(“イブンダ”)、作業に、元のロシア文章をスクロールしながら(彼はさほどロシア語は話せないと認めている)オランダ語訳と彼の‘直感’を使ったと私に告白したことがある。 * 何十年もの大変な努力で、欧米による東南アジアの知的洗脳は今やほぼ完成している。 洗脳は、学生に奨学金を支出し、インドネシア人、タイ人、マレーシア人や他の‘学者’や教授に条件付きの資金供与をして部分的に‘教育’によって行われている。 欧米プロパガンダは‘文化’を通しても‘首尾よく’流布されている。欧米‘文化センター’は、大半の地方都市で、‘高尚な芸術’を提供する(奇妙にも)唯一の場所であることが多いのだが、明らかに、ヨーロッパと北アメリカの帝国主義的狙い(最新小説“Aurora”で私が鮮やかに描写した通り)を推進している。 現地エリートは、ほぼ完全に外国の企業権益と政治権益にこびへつらっている。愛国心などただのはやり言葉にすぎず、何の実態もない。 欧米帝国主義に対するイデオロギー的、物理的反対から、東南アジアほど隔離されている場所は、世界に他にない。 欧米による完璧な洗脳の結果は壊滅的だ。巨大な東南アジアが、偉大な思想家、作家、映画監督や科学者を生み出すことができないのだ。タイ(重要な小説家チャート・コープチッティ)や、インドネシア(オーストラリア人の友人で画家のジョージ・バーチェットが、‘ディエゴ・リベラとピカソの現地版の爆発的融合’と表現するスハルト・ファシスト政権時代の元政治囚だった政治画家ジョコ・ペキック)は、ごく僅かな例外だ。 ナイジェリアからレバノン、イランからメキシコに至るまで、世界の他の貧しい、荒廃させられた、複雑な場所は、文字通り、大量の素晴らしい作家、映画監督や知識人を生み出している。 * ベトナム (そして、ある程度は、ラオス)を除き、欧米は、全ての共産主義と社会主義的な考え方や国際主義を、文字通り根絶した。それは、大虐殺と粛清の画策によって、残忍に行われた。インドネシアだけで、何十万人、おそらく、何百万人もの左翼が、1965年のクーデター後に殺害された。東チモールでは、左翼FRETILIN運動が、ポルトガルからの独立を獲得し、公正で明快な選挙で、権力の座についた後、住民の30%が、スハルトの軍によって殺された。タイでは、共産主義者は、石油樽の中で、生きたまま焼かれた。マレーシア、シンガポールとフィリピンでは、共産主義者の殺害や失踪が起きた。 インドネシアを含む幾つかの国々で、‘共産主義イデオロギー’は依然、公式に禁止されている。 国際主義、反帝国主義や共産主義や知的追求が破壊された後、東南アジアには、外国から保守的な形の宗教や、大量消費主義、‘伝統的な家族の価値’や、グロテスクなほど極端な個人主義が注入された。 同時に、既に何年も、何十年も、この地域は、買春ツアーと、安く、安易な生き方を探し求めている多数の‘国外在住者’とで、有名、いや悪名まで高くなった。その過程で、彼らは現地‘文化’を形成し、この地域脱知性化してしまった。北京や東京は、磁石のように、無数の偉大な外国人学者、思想家や創造力ある人材を惹きつけているが、概して、東南アジアは、控えめに言っても、大いに異なる種類の外国人たちが殺到している。連中は、一体なぜここが居心地良いのだろう?年齢や功績と無関係に、白人だと言うだけで、東南アジアで享受できる‘大いなる尊敬’のおかげだ。この尊敬は、欧米文化は優れており、実際、世界最高だという何千回も繰り返される(大半は間接的に)明白なウソによる、現地人の洗脳に由来している。 ヨーロッパ人や北アメリカ人が、更に居心地がよくなるものがある。東南アジアでは、欧米プロパガンダによって広められるほぼ全ての基本原理、最もprimitive grain資本主義と右翼イデオロギーが歴史的に受け入れられ、大目に見られ、うやうやしく複製さえされている。 * 現地の学界の連中にとって、欧米(あるいは日本)のお墨付きだけが重要なのだ。その結果、東南アジアは、愛国的な自立思考が、実際一体どのように構成されるものかを忘れてしまったのだ。 大半の東南アジアの新聞は、遠い国々に‘海外特派員’を置いていない。彼らのほぼ全ての国際ニュース報道が、ロイター、AFPやAPなどの欧米主要通信社から直接送られている。それを通って、少なくとも、多少の異なる反対の情報が入り、大衆に影響を与えられるような抜け穴は、全くな��そうに見える。 バンコクやジャカルタやクアラルンプールの街頭で‘南-南’協力について質問をすると、相手はぽかんとする。何か新しい携帯電話用アプリかファスト・フード・レストラン・チェーンについて話をしているのではと思われるだろう。BRICSって何、石工? 書店は基本的に終わっており、商業映画は極めて入念に選ばれた(空虚であればあるほど良い)ハリウッド ‘ブロックバスター’や現地ホラー映画を提供している。 ジャワ歌舞劇の伝統的政治劇(ケトプラック)を含む、現地の芸術は最近は‘時代遅れ’、つまり、脇に追いやられ、全く意味のないものにされ、沈黙させられたのだ。 Scarce芸術映画クラブ、バンコクのリバー・シティーにある、アメリカやヨーロッパの文化施設 (“スポンサー”)ステッカーが玄関を飾っている。 リバー・シティー映画クラブ近くの画廊の一つにある行儀の悪い画商が、股から二基の醜悪なミサイルがぶら下がっているオバマの絵をつい最近無謀にも展示した。だが、どうやら、トルコ大使館が後援し、何人かの欧米外交官が出席する公式上映直前に挑発的な芸術作品を取り除くよう依頼されたようだ。“倉庫に一緒に行きましょう、ご覧にいれますよ”と、何か違法ポルノや麻薬の類をあっせんするかのように、彼は私にささやいた。 * たぶん、“いかに物事がおこなわれるか”の最も分かりやすい例は、数年前にジャカルタのゲーテ・インスティテュート構内で私が出くわしたものだ。学芸員たちは、グダニスクでのある抗議行動中に、治安部隊が、抗議行動参加者に向けて発砲した際のポーランドの‘連帯’時代の何枚かの古い写真を展示することに決めたのだ。 展示は‘共産主義’が公然と禁じられ、1965年、アメリカが支援したクーデターの際、何百万人もが虐殺され、巨大な群島全体が、多国籍や現地の採掘や、伐採カルテルによって、取り返しがつかないほど略奪され破壊されたインドネシアの首都でぬけぬけと、開催された。悪夢のような超過激資本主義が、何十年間もインドネシアを支配し、破壊しているのに、ドイツがインドネシア国民に見せることにしたのはグダニスクなのだ! 何十年か昔、ポーランドで殺害された一握りの共産主義者が追悼され、インドネシア国民に紹介されるのだ。もちろんドイツの文化施設は、インドネシアの親欧米虐殺部隊による共産主義者の大量虐殺を追悼する展示をしようなどとは夢想だにしなかった。 * 今東南アジアの人々は、ロシアについて、ほとんど何も知らず、中国についても、ほとんど何も知らない(欧米の民衆扇動家連中が、民衆に知って欲しいと思っていること以外は)。南アフリカを含むアフリカはよその惑星にあり、中南米もそうだ。現地エリートだけが遠隔の地まで旅行する余裕があり、この連中は、欧米のご主人たちや、公式教義に忠実だ。彼らは決して真実をかたらず、決して偽情報に波風をたてることはない。 この地域の人々は、たいてい近隣諸国のことより、北アメリカのポピュラー音楽やヨーロッパのサッカーのことを良く知っている。東南アジアの貧しい人々は、公正で平等主義の社会を構築しようとしている中南米に関して、ほとんど無知のままにされている。彼らは、キューバ、ボリビア、ベネズエラやエクアドルについては、ほとんど何も知らない。 もちろん、東南アジアで、最近のアンゴラでのMPLA再選(アンゴラは、人類に対する欧米植民地主義犯罪と、新植民地的略奪の象徴の一つなので、世界にとって極めて重要な意味を持つ出来事)が論じられる可能性は全くない。東南アジアでは、キューバや、その国際主義についてや、欧米帝国主義に対し、今誇らしく、断固として立ち上がっている国々の連合についてさえ論議することは決してない。 中東についてはどうだろう? 話題は、パレスチナ問題のみに限定されており、それすら、大部分がイスラム教徒のインドネシアとマレーシアにおいてしか議論されていない。他の中東の‘つながり’は、余りに‘非宗教的’で、余りに‘社会主義者’だと非難されている、不自然に注入された、アサド大統領憎悪だ(もちろん、こうしたものは、こちらでは大変な‘犯罪’で、明らかに称賛にはならない)。 * 東南アジアでは、欧米が明らかに勝ち誇っている。欧米はこの巨大な(そして過去には多様だった)地域を、まんまと‘無力化し’、‘鎮定し’、洗脳し、知的に奴隷化した。 この状況が永遠に続かなければ、それも余り長時間続かなければ良いのだが。 フィリピンとベトナムは急速に正気を取り戻し、欧米の命令に従わない意思を固めつつある。 だが、インドネシアは、‘イスラム教を侮辱した’という全く不合理で異様な非難(非難が余りに奇怪なので、現地の言語学者たちすら彼の支持に回ったが、判決は‘政治的’で、公正とは無関係だった)で中傷され、投獄されたジャカルタの進歩的州知事‘アホック’に対する伝統的な形の‘法的クーデター’の後、大きな挫折を味わった。彼の本当の‘罪’はこうだ。アホックが、この依然絶望的なファシスト国家において、少なくとも多少は社会主義的な要素を導入しようとしたことなのだ。彼は倒れた。間もなく、他の人々が新たな試みをするかも知れない。 一方、中国もロシアも、この地域に本格的に入り込もうとしている。現地の‘最上流連中’は注視している。東南アジア・エリートの大半は、もちろん北ベトナムの人々を除いて、何世紀もずっと売り物だった。 反帝国主義連合が、より強力でより豊かになるにつれ、実際、近い将来、いくつかの東南アジア諸国トップの本格的な心変わりもあり得る。共産主義さえ、最終的には再度合法化される可能性があるが、多少の資金提供や奨学金や相当な助成金を広めるのに成功できたらの話に過ぎない。 もしそうなれば、バンコクFCCTでの画一的な論議も、最終的に、活気に満ちた多様なものとなり得よう。 もちろん、欧米はそういうことが起きるのを阻止すべく、全力を尽くすだろう。 アンドレ・ヴルチェクは、哲学者、小説家、映画製作者で、調査ジャーナリスト。彼は数十ヶ国で、戦争や紛争を報道してきた。彼の新刊書、三冊には、革命小説“オーロラ”と、政治ノンフィクション・ベストラーの二冊 “帝国の嘘を暴く”と“欧米帝国主義と闘う”がある。他の著書は、ここで見ることができる。彼は、テレスールと、アル・マヤディーンTVに映画を制作している。ルワンダと、コンゴ民主共和国に関する彼の画期的ドキュメンタリー「ルワンダ・ギャンビット」を見る。中南米やオセアニアで暮らした後、ヴルチェクは現在、東アジアと中東に暮らし、世界中で働いている。ウェブサイトとツイッターで、彼に連絡ができる。 記事原文のurl:https://journal-neo.org/2017/09/23/western-propaganda-in-southeast-asia-a-true-success-story/ ----------
東南アジアにおける欧米プロパガンダ - 本物の“サクセス・ストーリー”: マスコミに載らない海外記事
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