#教師研習
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calligraphy520 · 15 days ago
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【教師研習】教甄板書特訓工作坊|高雄左營良師教育訓練
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教甄板書特訓工作坊
感謝 吳明亮 老師邀約 🍀
和各位老師分享「教甄板書特訓」3小時
✅ 研習主題
教師甄試的板書特訓工作坊
✅ 研習時間
2025年06月07日,09:00至12:00
只要跨縣市的早上場次
我通常都 5 點多就要起床梳妝打扮 🐣
這次算是比較緊急的任務
⚠ 亮師剛出院,就通話和我聯繫
討論如何加強徒弟們的板書基本功👨‍🏫
Q:為何要加強教甄板書訓練?
板書之於教學演示至少佔10%比重 🌳
之後,我們再思索
如何更系統地引導準教師們
提昇板書基本功、板書教學設計、板書教學運用知能
以及如何在有限時間快速提昇教甄板書美感與專業
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亮師也和我分享著述
耗費 4 年嘔心瀝血才完成的教甄用書
裏頭收錄各種面試的題目
若未提早準備,確實很容易被問垮的......
研習結束後,我們也一起用餐
度過一個愉悅的週末
✅邀約單位
良師教育訓練有限公司
#高雄 #高雄左營 #板書 #粉筆 #板書設計 #板書教學媒體運用 #板書心法 #板書技法 #教師甄試 #教甄重點 #板書基本功 #教師知能 #教學職場軟實力 #良師教育 #教育訓練
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chanretom · 10 months ago
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促進銀髮人才就業計畫--銀髮知識研習講座 -日本考慮老年人定義「調高至75歲」
促進銀髮人才就業計畫--銀髮知識研習講座
-日本經濟界呼籲上調“老年人”定義年齡
共同社 共同社, 社會生活 2024年 8月 16日 - 15:51
【共同社8月16日電】日本經濟界有意見呼籲把通常以65歲以上定義的“老年人”的年齡進行上調。在政府內部,很多人期待此舉有助於解決人口減少造成的人手短缺問題,並增加承擔社會保障的人員數量。另一方面,以社交���台(SNS)為主,對“被要求工作到死”的警惕情緒升溫。
“老年人”的年齡因法律而異。如果出現上調年齡的動向,那麼可能帶動上調通常為60歲的企業退休年齡、以及原則上65歲的開始領取養老金年齡。
調整論調因政府6月敲定的經濟財政運營指針“骨太方針”受到關注。該方針提出,為了讓社保和財政長期持續,擴大老年人就業很重要。在骨太方針的討論中,經濟財政諮詢會議的民間議員提出:“應當探討把老年人的定義延後5歲。”經濟同友會代表幹事新浪剛史7月表示:“把老年人的定義設為75歲比較好。希望建設有工作意願的人能夠一直工作下去的社會。”
背景因素是對勞動力不足的危機感。內閣府的估算顯示,2045年度的70~74歲人士的工作參加率約為56%。SNS上出現了“悠然自得的晚年將不復存在”等眾多負面反應。此外,不少老年人由於養老金微薄而不得不工作。(完)
詹翔霖老師補充台灣報導
日本考慮將老年人定義「調高至75歲」 民眾憂:要工作到死
隨著少子高齡化社會來臨,日本面臨人手不足問題。這也讓經濟界人士呼籲政府將老年人的定義,從本來的65歲調高至75歲。儘管外界認為此舉可以解決勞動力不足問題、且更多人能一起分擔社會保障。但許多民眾也透過社群媒體表示擔憂,認為這可能會導致許多人被迫「工作到死」。
《共同社》報導,日本政府將老年人定義為65歲以上長者,其中65歲至74歲為前期高齡者,75歲以上為後期高齡者。若政府著手提高老年人的定義年齡,許多將退休年齡設定為60歲的企業、以及日本國民年金領取年齡(目前為65歲),都可能跟著調高。
日本政府6月決定的經濟財政運營及改革基本方針(簡稱骨太方針),使老年人的定義再次受到矚目。儘管方針中並未記載要調整定義,但提到為了長期維持財政與社會保障,擴大老年人就業一事至關重要。
日本經濟財政諮詢會議的民間議員,在討論骨太方針時建議「該考慮將高齡者的定義調高5歲」。經濟同友會代表幹事新浪剛史7月則指出,「該把老年人的定義調高為75歲,希望能打造出讓想工作的人,可以持續工作的社會」。但這也引發不少民眾擔憂,認為年金領取年齡若跟著調高,許多人可能真的只能「工作到死」。
不僅房子老、購屋族年齡飆更高!退休買房「4大雷」誤踩:恐血本無歸
台灣即將邁入��高齡化社會,隨著高房價、以房養老觀念的影響,購屋年齡也越來越「高齡化」,根據財團法人金融聯合資訊中心資料顯示,今年首季60歲至80歲購屋核貸案件達2386件較2014年同期成長64%,65歲至80歲成長幅度竟擴大至1.3倍!
資料顯示,檢視2024年第1季65歲至80歲購屋核貸865件,主要分布在六都,前3名分別是新北市228件、台北市203件、台中市123件。若以與2014年同期相較六都中又以台中成長幅度最高,將近達4.4倍。近幾年通膨嚴重,不少人透過買房來抑制通膨,以至於房價高漲的環境下,房市交易熱度依舊看得見。根據金管會統計,截至2024年6月底為止,國銀以房養老核貸件數累計達8302件、核貸額度達472億元,與去年6月底7222件、核貸額度411億元比較,2數據年增皆達15%。
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ryotarox · 7 months ago
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この本がスゴい!2024: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる
努力できる才能こそが才能だ 『ルックバック』藤本タツキ 「才能がある」というのは誉め言葉だと思ってたけど、結果を出している人には、誉め言葉にすらならない。よくいう「天賦の才」や「ギフテッド(gifted)」という言葉には、生まれつきの特別な能力を強調するニュアンスがある。 だが、才能を開花させている人は皆、努力を積み重ねている。「好きだから続けられる」というのはその通りだけど、結果に結びつかないときや、成長が見えないときに、それでも研鑽を重ねられるか。 結果を出せる人は、生まれつきの得意に加えて、後天的な努力を継続できるマインドセットを持っている。だからこそ、成長の停滞期でも黙々と頑張れるのだと思う。 絵の分野では特に顕著で、最初から高い技術やセンスを持っている人もいるが、描き続けてフィードバックを受け取り、それを改善に活かすプ���セスが、最終的な成果を左右する。この「描き続けること」こそが、才能なんだ。 この、努力を続けられる才能は、何によって焚きつけられるのか。『さくらの唄』では鬱屈した日常から目を背けるためだったり、『かくかくしかじか』のスパルタ教師の強制だったり、あるいは『ブルーピリオド』では藝大受験の名を借りた自己実現のためだったりする。 『ルックバック』は、嫉妬になる。 自分より絵の上手い奴がいるのが許せない!という嫉妬に衝き動かされて、他の全てを犠牲にして、ひたすら絵の練習に励むシーンがある。学校の授業中も、家に帰ってからも、休みの日も、四六時中、起きているときは全て絵を描き続ける。描き続ける背中と、積み重ねられたブックと教則本で、彼女がどれだけ努力をしてきたかが語られる(小学生だぜ?)。 彼女の努力は、やがて一つの出会いをもたらすことになる。その出会いを契機に、マンガという共通した夢を目指すようになる。誰かの背中を追いかけるとはどういうことか、ものを創り出すということの苦しみ、いまのままではいられないという葛藤、そして心からの感謝を味わうことになる。 表紙だけでなく、かなりのシーンが「背中」を映している。机に向かい、ひたすら描く(セリフは少なく、まさに背中が語る物語なのだ)。 もし、未読の方がおられたら、幸せもの。ぜひ読んで欲しい。「心揺さぶられる」ではなく、心揉みしだかれるレベルなので、うかつに読むと大変なことになる(140頁の中編なのだが、読むたびに揉みしだかれる)。 劇場で2回観た傑作。アマプラでは前半だけ10回観てる(「私、部屋から出てよかった」のところまで)。
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blr-blue · 1 month ago
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 前の記事で話した合宿から帰宅した。
 学位プログラムの履修要件である授業の一環として行われたのがこの合宿だったが、なんとびっくり、内容はコミュニケーション能力増強合宿だった。大学からバスで1時間程度揺られ、昔ながらの古い合宿所で、1泊2日の合宿がはじまる。メンバーは前回の授業ではじめて顔を合わせただけの、ほぼ初対面どうしだった。研究室の同期(教授に詰められてよく泣く子)しか知らない状態だ。
 言ってしまえば人間関係を構築するために必要なこととか、アイコンタクトとか、傾聴の仕方とか、そういうことに関する講義と演習を通して、コミュニケーションスキルを高めましょう、みたいなかんじ。コミュ難のわたしにはぴったりだった。
 だがひとつ、気になることがあった。合宿のために来てくれた特別講師が、若干スピっていたのだ。スピというか、思想強め、みたいな感じだ。
 その講師はべつに大学教授というわけでもない、フリーのマナー講師��たいなひとだった。企業の新人研修などによく呼ばれているらしい。最初、そのひとに対しては、やさしそうなオバチャンだなあ、くらいのイメージしか抱いていなかった。
 だが、初日午前中の講義がおわって昼食を食べているとき、同じ班のYくんが言った。「あの先生、ヤバいひとらしいよ」と。どうヤバいのか。尋ねると、元気の「気」という字を、旧字体の「氣」を使って書くひとらしい。あと、脳力開発みたいな、そういうワードチョイスを好むらしい。ぞわ、とした。
 とはいえ、授業自体はふつうだし、勉強になることもあった。授業は滞りなく進み、そこそこ得られたものもある。山の中にある合宿所のなかで、メンバー同士の連帯感もそれなりに強まった。
 だが、最終日に違和感を覚えた。
 先生が言う。「わたしたちは幸せになるために生まれてきたんです」と。嘘をつけ。幸せは結果であって目的ではないはずだ。だがみんな頷いている。わたしと同期以外はほぼ理系だ。論理のズレに気付かない。その時点で警戒心を強めた。
 さらに先生が言った。
「暗病反(あんびょうたん)、明元素(めいげんそ)というものがあります。暗病反はネガティブな言葉、明元素はポジティブな言葉です。暗病反は使わないようにしましょう。特に、忙しい、という字は、心を亡くすと書きます。使わない方がいいですよね。こういった暗い言葉は、明元素で置き換えましょう。では、みなさんで明元素の言葉を音読してみましょう!」
 全員で音読をさせられた。「明るい! 楽しい! 元気だ! 素晴らしい! 満足だ!」……等。
 こわこわこわこわ。カルトのはじまりみたいでガチこわ。山奥の合宿所に閉じ込められて、みんなの連帯感が高まってきたところで、人間は幸福になるために生きているという意識を刷り込んで、ポジティブなワードリストを音読��せられる。こわいよ、すごくこわい。はじまりは些細なものだけど、抵抗するのがマイノリティになる。みんなその歪みに気づかない。ネガティブな言葉を使ってはいけないと刷り込むことは、とても危険だと思う。自分の本当の気持ちを無視するのだから。生活がつらい人がいたとして、本当は精神疾患があるかもしれないのに、「ポジティブな言葉しか言ってはいけない」という意識のせいで、適切な機関に助けを求めるのが遅くなってしまうかもしれないのに。そんなこと、心理学をやってたらあたりまえだ。なぜこんな講義が、うちみたいな名門国立大でまかり通る? なぜ? こわいよ。ほんとうにこわい。それに対して誰も意を唱えないのがこわい。でもわたしだって言えなかった。糾弾されるのがこわいから。
 講義後、「あの先生スピってるよ」と教え��くれたYくんの姿を見た。Yくんは熱心に、先生に質問をしていた。ドン引きした。おまえこっち側じゃなかったんかい。なに毒されてんの。きも。
 同じ合宿に参加した研究室の同期の子に、「ちょっと最後の授業やばくなかった?」と言ったら、深く頷いていた。「音読させられたあたりから雰囲気変わったよね」と。よかった。それだけで安心した。
 はじまりなんて結局どれも些細なことなのだろう。オウム事件だって、あの教団の最初はただのヨガ教室だったのだ。徐々に人々が連帯して、毒されて、過激になっていく。とくにメンバーのプライドが高いと尚更だ。あの事件だって、教団員の幹部のほとんどが高学歴。この合宿の参加者は、博士課程の院生。「おれたちはすごいのに、世間が認めてくれない」と思ってる人ほど毒されやすい。ほら、同じだ。この合宿に感じた違和感の正体はこれだった。ほんとうにきもちわるい。
 合宿はぶじに終わったけれど、合宿メンバーでの講義は夏までまだ続く。学位プログラムの必修単位なので行かないわけにはいかない。それがひどくおそろしい。コミュ力なんてなくていいから、おまえは二度とうちの大学で授業をするな。
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sifu-kisu · 1 year ago
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My Journey in Learning Bagua Zhang
In the traditional martial arts world, especially in Tai Chi, it is expected to use Laozi's Tao Te Ching phrase "The highest good is like water" to describe the inclusive and transformative nature of martial arts power. In fact, if we apply the philosophy of water to any form of Chinese martial arts, it makes sense. For example:
• Baji Quan is like a thunderstorm,
• Pigua Zhang is like a windstorm,
• Praying Mantis Quan is like a sudden rainstorm,
• So, what about Bagua Zhang? It is like a dense fog!
My experience with Bagua Zhang comes from my grandmaster, Liu Yunqiao. Before that, I had also learned about the 64 palms of Bagua Zhang elsewhere. At that time, I did not understand it, and after learning it, I forgot almost everything. I still remember the first time I learned Bagua Zhang, from the initial excitement and joy before learning it to the later disappointment and frustration. This significant psychological shift made me resent "Bagua" for many years. I thought Bagua Zhang was just about spinning in circles to confuse the enemy (actually, it was me who got confused), a fancy, complicated, and impractical martial art. One day after I joined Wutan, the martial arts center in Taipei, Grandmaster Liu saw me practicing Baji Quan and suddenly said, "You should learn Bagua Zhang; it will absolutely help you." My first reaction was, "Oh no, not this again!" But I dared not disobey my master. I thought, "It's okay. It's just spinning in circles again." However, when I encountered this unusual Bagua Zhang passed down from our grandmaster Gong Baotian, I was utterly convinced and finally understood what Bagua Zhang truly is. This feeling reminded me of when I first came to the United States to study in 1974. My Italian American roommate asked if I had ever eaten pizza. I replied that I had, but it wasn't delicious. He said he would show me authentic Italian pizza. True to his word, after I tried the pizza he introduced, I completely changed my view and fell in love with traditional Italian pizza. My passion for Bagua Zhang grew in the same way.
Bagua Zhang seems shrouded in a mysterious veil or like a dense fog to outsiders. Compared to some ancient martial arts with hundreds or thousands of years of history, Bagua Zhang is merely a baby in traditional martial arts. However, it should not be underestimated; it inherits the core philosophy of Chinese martial arts culture. It possesses the finest martial arts DNA, absorbing the essence of various martial arts styles. Years of practicing, teaching, and researching Bagua Zhang have made me deeply respect the experience and wisdom of the Bagua Zhang predecessors.
Next time, I will begin to write about the principles and techniques of our school’s Bagua Zhang.
我學八卦掌的心路歷程
傳統武術界尤其是太極拳喜歡用老子道德經的 ”上善若水”來形容武術的勁道如水一般的包容與變化,其實如果我們將水的哲學應用到任何一種中國拳術都講得通,例如:
八極是雷雨,劈掛是風雨,螳螂是驟雨等等那麼八卦是什麼呢?它是濃霧!
我的八卦掌是來自師爺劉公雲樵。在這以前也曾在別處學過八卦64掌。 學時不知所云,學後遺忘殆盡。猶記得第一次學八卦掌,由學之前的激動與喜悅,到後來的灰心失望,那種心理大幅度的轉變,使我多年望“卦”生厭.認為八卦掌不過是轉轉圈,讓敵人昏頭 (其實是我昏頭) 一種花俏,複雜又不切實際的武術。加入武壇後有一天師爺看我練習八極拳,突然說道:“你應該學學八卦掌,那對你有絕對的幫助.”。我當時第一個反應是“天啦,怎麼又是它!” 但師命不敢不從, 我心想:“沒事,不過是再回到轉圈而已”。 那知道當我接觸到本門傳自宮師祖寶田的八卦掌後我徹底地心服口服,才開始知道什麼是八卦掌。那種感覺使我想起1974年當我初來美國留學時,我的意大利後裔室友曾問我吃過披薩嗎? 我的回答是吃過但不怎麼好吃。他說我帶你見識真正的意大利式披薩。誠不我欺, 我吃過他介紹我的那家披薩後,從此對披薩改觀。 進而愛上傳統的意大利披薩。我對八卦掌的愛戀亦復如此。
外人看八卦掌像是蒙了一層神秘的面紗 或是看不清楚前��的濃霧, 其實,八卦掌是比起一些動徹就是幾百幾千年歷史的老拳種,它不過是個傳武中的小嬰兒,然而絕不能小看它,它繼承了中國武術文化的中心思想。 它有著最優良的武術DNA, 吸取了各家武術的營養。多少年來對八卦掌的練習,教學與專研,使我我深深地敬佩八卦先輩們的經驗與智慧。
下囘我會開始寫寫本門八卦掌的原理與技術。
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kennak · 4 months ago
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2025年2月3日 東京地裁でのHPVワクチン薬害裁判傍聴記録【前半】 世界で唯一、非科学的で激烈な反HPVワクチン報道を行ってきた日本のマスコミ。 彼らが決して詳細を報じない、HPVワクチン薬害訴訟。 今回は自分のこれまでの傍聴レポートの中でも最も長いのですが、最も読む価値があると思います。 一人でも多くの方に読んで頂きたいです。 特にマスコミ関係者の方々は、マスコミの権力を用いて医学的に誤った情報を流布した事の影響力を知って下さい。 また、鹿児島大学病院と信州大学病院の関係者にも読んで頂きたいです。 マスコミの方々が、あたかも正義の味方かのように祭り上げたHPVワクチン薬害弁護団ですが、その実態を記録しています。 自分にとっては5回目の傍聴。 4回目までの傍聴記録は、この裁判傍聴のツイートに引き続いて貼り付けておきます。 マスコミが大々的に取り上げた"HPVワクチン後遺症"は、法廷でも複数の医師から誤診の疑いやワクチン接種と無関係だと指摘されてきました。 ジャーナリストの鈴木エイト氏も、長年に渡ってこの問題を記録しています。 氏のこれまでの傍聴記録も参考にして下さい。 例によって法廷は録音録画が禁止されているので、自分のメモからの書き起こし。 なので、一字一���が正しい記載ではない点はご了承ください。 傍聴券の配布に並んだが、最終的に希望者全員が傍聴可能。 会場に入って納得したが大阪地裁や福岡地裁よりも会場のキャパシティあり、およそ100名を収容可能。 なお入場の際に、近くの傍聴者の一部の中年女性たちからは 「オーガニックな韓国料理レストランが近所に出来てね、やっぱオーガニックは安心...」 「こんな危険なワクチンを3回も接種させるなんて...」 との声。 今回の裁判は、以前にも証言台に立った角田郁生先生(近畿大学医学部微生物学講座教授)に対して、原告のHPVワクチン薬害弁護団が順番に尋問する形で進行。 個人的な感想ですが、原告弁護団の対応は終始に渡り角田先生に対して礼を失した態度で接しており、極めて不快でした。 余談だが、奇しくも角田先生は、自分が先週傍聴した福岡地裁での証人である畑澤先生と同じ東北大学医学部卒。 以下、利便性の為に薬害弁護団を"原"、角田教授を"角"と表記する。 原(小柄な女性弁護士) 証人はHPVワクチン後遺症の診察はしていますか? 角 基礎研究者なのでしていません。 論文などで把握しています。 (会場の原告支援者から失笑) 原 証人は未知の疾患の診断基準を作成したことはありますか? 角 ありません。 原 原告側がその意見を裁判で用いている ・鹿児島大学の高嶋先生(鹿児島大学神経内科教授高嶋博) ・信州大学の池田先生(信州大学神経内科もと教授池田修一・HPVワクチンの不適切な研究発表で厚労省と信州大学から厳重注意) ・横田先生(もと小児科学会理事長横田俊平) ・高橋先生(静岡てんかん・神経医療センターてんかん科高橋幸利) が臨床経験が豊富であることはご存じですか? 角 豊富かは分かりませんが、会ったこともあるし、会っていない方もいる。 原 質問には、"はい"か"いいえ"かでお答えください。 グラクソスミスクライン(以下、GSK)弁護士 それはいくらなんでも、質問がおかしい。 原 HPVワクチン後遺症に関して、前述の4人の医師の診療経験を知っていますか? 角 知りません。 原 HPVワクチンの後遺症では、多様で重層的な症状が出現することはご存じですか? GSK弁護士 具体的にお願いします。 原 池田修一先生(信州大学神経内科もと教授池田修一・不適切な研究発表で厚労省と信州大学から厳重注意)の論文ではHPVワクチン後遺症の72例が取り上げられており、疲労・頭痛・自律神経症状・広範囲にわたる痛み・学習障害・神経障害などが、HPVワクチンで引き起こされたとあります。 HPVワクチン接種者では頻度が高いですか? 角 これだけでは分かりません。ただですね... 原 質問には、はい、いいえ、で答えてください。 裁判長 証人の回答を妨げないでください。 原 池田修一先生(信州大学神経内科もと教授池田修一・不適切な研究発表で厚労省と信州大学から厳重注意)の論文では、HPVワクチン接種により多様な症状が生じたと き・さ・い、されている。 そうですね? 角 記載はされているが、それは科学的な正しさを示さない。 その論文には対照群すらも存在しない。そしてですね、、、 裁判長 回答は、はい、いいえ、だけでよいです。 原 72名のHPVワクチン接種後の方には、症状の共通性がある。 よいですね? 角 分かりません。これだけでは。 原 次は高橋論文です(静岡てんかん・神経医療センターてんかん科高橋幸利) HPVワクチン接種後に32例が中枢神経症状をきたしています。 運動障害22例、知覚障害13例、脳神経障害16例、精神障害22例などです。 それらは複数の患者で共通して生じている そのように、高橋先生の論文には書いていますね? 角 そんなことは書いていません。 そもそも論文として欠陥があります。 原 記載されているか、されていないか、そのことを確認しています。 記載されていますね? 角 記載されていません。 原 次の質問です。 高嶋先生(鹿児島大学神経内科教授高嶋博)の論文です。 HPVワクチン接種後の36例の神経症状です。 頭痛・疼痛が89%、運動障害が72%、自律神経症状が64%に生じている。 そう記載されていますね? 角 記載と言うか、その対照群がない。 原 西岡先生(西岡久寿樹・東京医科大学)・横田先生(もと小児科学会理事長横田俊平)らはHPVワクチン接種後にめまいなどの神経症状を生じた例を、日本では104例、デンマークでは84例あると発表しています。そのように記載されていますね? 角 対照群がない。そもそも比較対象が不適切。 そして2020年と2021年に、デンマークからはHPVワクチンによってそういった症状の有無に有意差がないという論文が、、、 原 聞かれたことにだけ答えてください。 GSK弁護団 いいかげんにしてください。 都合の悪いことになると、原告弁護士は証言を妨げています。 裁判長が仲裁に入る。 原 いいから質問に答えろ!と、別の原告弁護士(のちに登場する壮年男性)が大声で介入。 GSK弁護士 先ほどから原告側は、記載の有無ばかりを確認している。 それは法廷で必要な手続きではない。 証人は専門家として答弁している。 原(痩せぎすの壮年男性の弁護士、また再登場するので乞うご期待) 記載があるかどうか、それだけを答えろと言っている! 長々とした答弁は最終尋問でやるべきで、まずは地裁なら地裁でのやり方がある。 GSK弁護士 証人は質問にきちんと答えている。 原告側が、証人の回答の途中で話を遮るべきではない。 原 いや、答えていないでしょ。 GSK弁護士 証人が話しているのに、原告代理人がそれに被せて話し始めるのはおかしいでしょ。 ここで原告側と被告側の弁護士たちが言い争いを始め、怒号が飛び交って何を言っているかわからない状況。 これを法廷で、弁護士たちが繰り広げる姿は非常に滑稽(笑)。 しかし、これもまだ序章である、、、 裁判長 では、証人は可能な限り、はい、いいえ でお答えください。 それが難しそうならばGSK代理人が質問して、証人はそれに答えてください。 原告側は "記載されていますか?いませんか?" のような、法廷において無駄な質問は控えてください。 角 まだ質問にお答えしきれていないかと思いますが、、、 原 疲労・頭痛・めまいを訴えている方が、デンマークでも日本でも75%を超えていますね? 角 ���表された表を見る限り、有意差のあるデータではありません。 ただ発熱・痛みにに関しては、接種群の方が有意に多いですね。 デンマークと日本のデータを比較しても、症状に一貫性はありません。 原 はい、いいえ、で答えてください。 もういいです(明らかに苛立っている)、次の質問です。 厚労省研究班の岡部(川崎市健康安全研究所所長岡部信彦)らの報告では、、、 GSK弁護士 これは証人が詳細を知らない可能性が高いので、どのような報告か説明を。 角 初めて見ました。 どのようなデータですか? 原 次の質問に移ります。(記入ミスではなく、原告弁護士はしばしば証人の質問を無視して次の質問へ) SLE、全身性エリテマトーデスは症候群ですね? 角 はい。 原 SLEの代表的な症状は、皮膚症状・関節炎・腎障害ですね? 角 はい、それらは他にも関節リウマチなどでも見られます。 原 SLEは自己免疫疾患ですね? 角 はい。 原 自己免疫疾患では自己抗体が見られ、一つの症候群だけではなく、症状に共通性のある症候群が含まれる。 共通の自己抗体がなければ、必ずしも同一で一連の症候群とは診断されるのでしょうか?されないのでしょうか? 角 それぞれの診断基準を確認してください。 抗核抗体や抗DNA抗体なども参考になります。 原 そんな回答を要求するような質問はしていません。 角 私は教えてあげたにすぎません。 原 証人は以前に、HPVワクチン後遺症に関しては多様な病態を寄せ集めたに過ぎない、そう言いましたよね? 角 SLEをそのような疾患に含めるべきではない、そのようには言ったかと。 原 自己免疫性疾患では、共通する症状があるかないかを聞いています。 SLEの話はしていません。 角 いえ、あなたがSLEの話を始めたんですよ。 GSK弁護士 SLEの話は終わったんですか?終わっていないんですか? 原 次の質問です。 シェーグレン症候群では抗SSD抗体が20-30%に見られる。 そうですね? 角 そうです。 原 自己抗体が検出されなくとも、自己免疫疾患であると言えますね? 角 必ずしもそうではありません。 原 未知の自己免疫疾患で、抗体が未発見である疾患もあり得ますね? 角 あり得ます。 原 潰瘍性大腸炎は、近年になって自己抗体が発見された。 だから自己免疫疾患と判明した。 そうですね? 角 潰瘍性大腸炎は自己抗体が発見されたが、自己免疫疾患と判明したわけではありません。 GSK弁護士 私が聞いていても、原告代理人が法廷で何を確認したいのかが分かりません。 はっきりお願いします。 原 HANS(HPVワクチン関連免疫異常症候群)は自己免疫性疾患であり、自己抗体が発見されていないだけ、という事です。 次は松平論文です。(静岡てんかん・神経医療センター松平敬史) 12人のHANS(HPVワクチン関連免疫異常症候群)患者では、脳の糖代謝異常と炎症が生じている。 そう記載されていますね? 角 医学的に正しいかは何とも言えませんが、、、 原 分からないなら、答えて頂かなくても結構です。 角 いえ、相関係数などを考慮する必要があるのですが。 まぁ、いいです。 原 もう答えなくてもいいです。 次はPETによるHANS(HPVワクチン関連免疫異常症候群)の診断や、IAPP(免疫吸着療法)の有効性に関しては証人は"不明"と答えていましたね? 角 そうです。 原 では、複数の自己抗体が検出される自己免疫疾患もありますね? 角 はい。 原 以下の先生たちはそれぞれHANS(HPVワクチン関連免疫異常症候群)患者から、異なった自己抗体を検出している点には同意できますか? ・鹿児島大学の高嶋先生(鹿児島大学神経内科教授高嶋博) ・信州大学の池田先生(信州大学神経内科もと教授池田修一・不適切な研究発表で厚労省と信州大学から厳重注意) ・高橋先生(静岡てんかん・神経医療センターてんかん科高橋幸利) 角 一人��患者から複数の自己抗体が検出されたわけではない。 従って、HANS(HPVワクチン関連免疫異常症候群)から複数の自己抗体が検出されるかと言えば、それに同意はできません。 原 自己免疫疾患では診断基準のすべてを満たさなければならない、そうですね? 角 違います。 原 高橋論文(静岡てんかん・神経医療センターてんかん科高橋幸利)では、HANS(HPVワクチン関連免疫異常症候群)患者群ではNMDA型グルタミンに関与する抗体が、健常者よりも多く検出されました。 そう記載されています。 それは認めますか? 角 高橋先生の生データを確認すると、NMDA抗体をELISAという手法で検出しています。 しかし、国際的にはELISAでの検出は認められておらず、高橋先生もその点には同意している。 そもそも適していない方法で検査を施行することの問題が、、、 原 そんなことは聞いていません。 質問に答えてください。 記録には、記載はありますか? GSK弁護人 原告代理人は、証人の証言をきちんと聞くべき。 原 いいから質問に答えるべきです。 証人は話が長すぎる。 裁判長 原告代理人は 記載がありますか? という無意味な質問はやめて下さい。 証人は、できるだけ簡潔な回答をお願いします。 原 じゃあもう結構です!(唐突に声を荒らげて) 次の質問です! HANS(HPVワクチン関連免疫異常症候群)患者らへ施行した検査が、保険収載されているかはご存じですか? 角 知りません。 原 HANS(HPVワクチン関連免疫異常症候群)と���う診断に合理性がないとお考えですか? 角 はい。合理性はありません。 原 免疫学の教科書によると、遺伝や感染や外傷やワクチンでも数年から数十年後に自己免疫疾患を発症する可能性がある、と記載されています。 HPVワクチンで自己免疫疾患を発症するのは、一般的な教科書の知見でも明らかではありませんか? 角 それは古い教科書の記載でしょうかね。 衛生仮説などに基づいているのかもしれません。 結核や寄生虫などによる、成人後のアレルギー性疾患などを念頭に置いているのかもしれません。他にも可能性として、、、 原 もう結構です! 次の質問は、、、 裁判長 原告側代理人は、一部の文書の切り取りではなく、その前後の文脈も説明するように気を付けてください。 原 いえ、証人は関係のない話ばかりをしています。 それが問題です。 GSK弁護人&裁判長 いや証人の発言は、さすがに質問に関係があるでしょう! 原 次の質問です。 GSK弁護士 次の質問に移る前に、、、 原告代理人は都合が悪くなると "次の質問です" と証言を打ち切るのはやめてください。 証人は正しく質問に答えています。 それを妨害しているのは原告代理人です。 原 いや、証人の回答は終わってるでしょ! 裁判長 証人は、回答が終わっているとお考えですか? 角 いえ。 回答としては、今までの医学的な知見からは、ワクチン接種と自己免疫性疾患との関連性はありません。 原 SLE 115例を解析した論文では、症状出現の3年前から自己抗体が出現していたと報告されています。どうお考えですか? 角 それもワクチンとは関係がない。 ここで分子相同性に関する質問があったが、後半へ持ち越し。 ここまでで、全体の半分未満です。 裁判は合計で3時間弱。 日本のマスコミが決して報じないHPVワクチン裁判の実態が、ある程度把握できたのではないかと思います。 後半はさらに見どころがあります。 ぜひ最後まで、お付き合いください。 1時間の休憩後に後半開始。 原 証人が証言すると論点が増える。 とにかく、はい、いいえ、で答えるべき。 それが無理なら端的に。 超過時間に関してはサッカーのロスタイムみたいなものであり、状況によってはノーカウントにしてほしい。 GSK弁護士 専門性が高い領域の裁判なので、はい、いいえ、での回答は困難。 むしろ原告側は都合が悪くなると話を遮る。 ロスタイム制なんてものは不要。 既に原告側の複数の代理人が、裁判の進行を妨げている。 裁判長 こちらの裁量で判断します。 証人が前提などを説明する必要がある場合、一言その旨は伝えてください。 原告側は質問の際に "記載されていますか?" "はい、いいえ、でお答えください" と答弁を行うのは、避けてください。 原(午前中の小柄な女性弁護士から、水口弁護士に交代) 池田先生(信州大学神経内科もと教授池田修一・不適切な研究発表で厚労省と信州大学から厳重注意)のマウス実験は、実際にはシオザワ先生が行ったことはご存じですか? 角 シオザワ先生ですか?さあ、、、 原 ウェッジという雑誌が関わった、村中璃子氏と池田先生(信州大学神経内科もと教授池田修一・不適切な研究発表で厚労省と信州大学から厳重注意)の裁判はご存じですか? 角 はい。 原 証人は、youtubeで池田先生(信州大学神経内科もと教授池田修一・不適切な研究発表で厚労省と信州大学から厳重注意)の研究を捏造と発言したり、村中氏をサポートする旨を述べていますか? 角 たぶん、、、 原 池田先生(信州大学神経内科もと教授池田修一・不適切な研究発表で厚労省と信州大学から厳重注意)には、研究結果の捏造はなかった。村中氏は名誉棄損を行った。 そうですね? 角 まあ、、 原 HPVワクチン・インフルエンザワクチン・B型肝炎ワクチンの成分をマウスの脳に振りかけて、緑色の変化があるかどうか。 緑色の変化があれば、異常があると判断して良いですか? 角 そうです。 原 証人は、池田先生(信州大学神経内科もと教授池田修一・不適切な研究発表で厚労省と信州大学から厳重注意)のこの報告に対して、信州大学が行った実験では再現性がなかったと述べましたか? 角 はい。 原 信州大学はその原因を、検体の保存が困難、実験でのプロトコルが煩雑、と判断しました。 それでよいですか? 角 よくありません。 検体の保存は簡単であり、プロトコルも単純。 信州大学の判断には同意できません。 原 自己抗体は血液脳関門(BBB)を通過しませんか? 角 しません。 原 一般論としては、通過するともいわれていますがどうですか? 角 しません。 原 自己免疫性の小脳性運動失調症の論文では ①タイトジャンクションの破綻 ②ケモカインや炎症性サイトカインの侵入 によって BBBは破綻することがあるとされています。 これは正しいですか? 角 はい。 原 ではワクチンでも生じるのでは? 角 ワクチンでは生じない。それが一般的な医学的判断。 原 BBBの機能低下は疼痛やサイトカインでも生じる。 つまり一般的にはワクチンでも生じるのでは? 角 一般的には生じない。 原 BBBの知見に関する論文では、インターロイキン6などのサイトカインでもBBBの変動が生じると記載がある。 記載はありますね? 角 記載はあるが、非常に特異な現象であり、一般的には生じない。 GSK弁護士 原告側代理人は、文献を提示する際には前後の文脈を含めて正確に提示してください。 また何度も指摘されているように "記載がありますか?" という質問は止めてください。 原 BBBに関するこの論文での知見を踏まえると、、、 GSK弁護士 この論文は知見としてそもそも確立していない。 それを一般論とするには異議があります。 原 HPVワクチン接種で、BBBが破綻して、様々な症状が生じる。 その可能性は否定はできませんよね? 角 これまでの論文やMRIなどの知見からは、その可能性はあり得ません。 原 もう一度質問します。 HPVワクチンが、医学的に中枢神経の機能を破綻させる可能性はありませんか? 角 ありえません。 世界中でHPVワクチンが多数接種されて... 原(原告弁護士が痩せぎすでメガネの壮年男性へ交代、個人的にはこの裁判で断トツ��興味深い人物) ワクチンの学会誌で、HPVワクチンの毒性を訴えた論文が取り下げられたでしょうが! 角 そうです。それは取り下げられた論文ですね。 原 編集長の要請で、取り下げられたんだ! よく読んでください。 角 分かりました。読みます。 原 こちらで読みましょうか? 角 私は老眼ですが、文字は読めますので。 原 メガネを持ってきましょうか? 角 いえ、メガネはありますので。 このレターを読むと、、、 ワクチン誌の編集長には、製薬会社との癒着の可能性がある。 利益相反の為に、HPVワクチンの毒性を指摘する論文が取り下げられたのではないか、と書かれています。 バカげていますね。 原 はぁ!?ちゃんと答えろ!!! GSK弁護士 いくらなんでもこの答弁はおかしい。 質問を明確にしてください。 裁判長 証人は、質問に答えているにすぎません。 証言を続けてください。 角 このレターは論文の不備を指摘された執筆者が、その学会誌の編集長を個人攻撃しているに過ぎない。 論文に不備があって論文撤回を指示されたら、それに従うのが普通。 このようなレターを作成するのは普通ではない。 原 だから!質問に答えろ! 裁判長 角田先生の証言は、妥当だと考えます。 角 サイエンティストとして、おかしいものにはおかしいと言ったまでです。 GSK弁護士 そもそも原告代理人は、何度も何度も証人の発言を遮っている。 法定での行動として、さすがにおかしい。 原 質問しているだけだ! 編集長のホランド博士は、製薬会社と利益相反があるんだ! 角 いや、そうではなくて、、、 GSK弁護士 原告代理人の質問への回答は 答えなし で、よろしいでしょうか? 原 よいです。 でも、百日咳毒素を使ったのが問題だから、この論文が取り下げられたのでしょうか? 角 それも問題の一つです。 原 百日咳毒素が、BBBへダメージを与えて、BBBを開かせると明示されていますね? 角 BBBが開かれた、開かれていない、それぞれを比較していますね。 原 ワクチン自体の使用量が多いのも問題と言いましたね。 角 言いました。 原 実験手順を確認すると、アルミニウム及びHPVワクチンのマウスへの投与量は、ヒトに換算すると特別に多いとは言えないのでは? 角 そうであれば、私の記憶違いかもしれません 原 では次にその取り下げられた論文を見ていきます。 ガーダシルやアジュバントの水酸化アルミニウムや百日咳毒素を比較した論文です。 図1を見てください。 結果に有意差がありますね。 角 図1だけでは判断しない。 図4まで見た上で論文全体を見る。 一貫性があるかを判断する。 原 しかし、図1のP値は0.05以下である。 角 図1から4まで見れば、その結果に一貫性はありません。 原 だから!図1は有意差があるでしょ! はい次の論文。 これも1回は査読を通っている。 しかし学会誌の編集長によって撤回。 この論文は百日咳毒素を用いたことと、HPVワクチンの投与量は問題ないはず。 角 百日咳毒素はヒトには普通は投与しない。 他にも論文撤回の理由は多数ある。 原 動物実験では、ヒトより多めの投与を行うのは一般的でしょう。 角 なので、それだけではない論文撤回の理由があったのだろう。 撤回された論文なので、それ以上の検証は出来ない。 原 ナカシマDrとアラタニDrは、別々の論文で同量のHPVワクチンを使用しているが? 角 それぞれの実験の意図が異なる。 異なる実験を同一視すべきではない。 原 病理学的分析に移ります。 以前証人は、マウス1匹の脳切片の論文で判断すべきではないと証言している。 角 言ったかな、、、 原 しかし証人が指摘した図は、マウス3匹の画像ではないか? 角 確かに、これは論文の文言を読んだだけでは分からない。 健常なマウスをも含めた画像分析だった可能性がある。 改めてみると、やはりこの取り下げられた論文はおかしいとしか言いようがない。 原(また弁護士交代、メガネの中年女性で自己紹介。矢吹弁護士。ここの項目は自分も理解不能なので簡潔に) 分子相同性に関しての質問です。 エピトープ、アミノ酸の最小単位ですが、長さは5-8でよろしいでしょうか? 角 正確には今ここで分からないが、もっと長いのでは? 原 線形エピトープはどうでしょうか? 角 線形エピトープとされているのは、実際には立体エピトープでしょう。 原 次の分子相同性の論文です。 この論文でのB型肝炎ウイルスなどでの全長は? 角 分からない。マウスじゃなくてラビットなので、その長さにコンセンサスはないはず。 原 チロシンからグルタミンまでは6個でよいですか? 角 そうです。 原 6つのアミノ酸を共有していれば、分子相同性からも交差反応は生じ得る。 自己抗体を産生し得る。 それがHPVワクチンと自己のタンパク質で生じ得る。 それでよいですね? 角 そうですね。 ここで2回目の10分間の休憩。 そして再開。 後半へ続く。
Xユーザーのたぬきちさん
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ari0921 · 6 months ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
   令和六年(2024年)12月22日(日曜日)参
      通巻第8562号 
 10億ドルを馬鹿げた教育に注ぎ込んでいた
  トランプが教育省の解体を唱える根本理由はDEIプログラムだ
*************************
 アメリカの小学校でトランスジェンダーになりたい少女たちを育てていた。左翼教師が子供達を洗脳していたことは、ひろく知られるが、同様なことが我が国でも行われる危険性がある。
 なにしろ岸田政権はエマニエル大使に強要されてLGBT法を成立させてしまった。
アメリカの親たちの団体は「教育省がDEI(多様性、公平性、包摂性)を推進するために巨額の資金を費やしてきた」とする報告書を発表した。
 「教育を守る親の会」は 「有害な政策を押し付ける活動家から学校を取り戻す」ために活動してきたが、報告書では 、2021年以降、教育省が「大学、学区、非営利団体」でDEIを推進するために1,002,522,304.81ドルを費やしてきたこととした。
「DEI 採用」に 489,883,797.81ドル、「DEI プログラミング」に 343,337,286ドル、「メンタルヘルス/社会情動的学習」に169,301,221である。
なかには、アイオワ大学に1,261,718ドルを支給し、「提携するK12学区で『公平性を重視した教育を実施』できるよう40人の小学校教師を訓練する���こと等が含まれていた。
 カリフォルニア大学サンディエゴ校理事会に「低所得で人種的マイノリティグループの高校生を直接関与させる」プログラムのために提供された400万ドルの助成金があった。
 国立衛生研究所はまた、 ニューヨーク市立大学に1,900万ドル以上の助成金を提供し、新たな「少数派の健康、公平性、社会正義のためのセンター」を設立した。
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quotejungle · 2 months ago
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ゲイツ氏はこれを「フリー・インテリジェンスの時代」と呼ぶ。かつては希少で高価だった専門知識が豊富になり、誰でもアクセスできるようになる時代だ。コンピューターが贅沢品から誰もがポケットに収まるものになったように、専門家レベルのアドバイスも民主化されようとしている。 AIは既に乳がんの検出において放射線科医よりも優れた成績を収めており、AIシステムが偽陰性を最大30%削減するという研究結果もあります。バーチャルチューターは、生徒のニーズにリアルタイムで適応する個別指導を提供しており、従来の教室での指導を上回る学習効果が得られることもあります。
ビル・ゲイツ氏、AIが医師や教師に取って代わると予測 ― AIで利益を上げる方法とは? | HeviTech AI | Mr. Plan ₿ Publication | 2025年4月 | Medium
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moko1590m · 9 months ago
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2024年09月17日 08時00分 人間の子どもは「ごっこ遊び」や「何かのふり」を驚くほど早くから学ぶという研究結果 「何かのふりをする」というスキルは、子どもの頃にするごっこ遊びやおままごとに役立つだけでなく、パートナーの好きなものに自分も興味を持っているように振る舞ったり、仕事に熱意を持っているように上司へアピールしたりと、生涯を通じて役に立つ重要なスキルです。0歳~4歳の子どもの発達を調べた新たな研究では、子どもは驚くほど早い時期から「ごっこ遊び」や「何かのふり」を身につけることがわかりました。 The Early Pretending Survey (EPS): A reliable parent-report measure of pretense type development for 4- to 47-month-olds - ScienceDirect https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0885201424000686 August: Babies pretending | News and features | University of Bristol https://www.bristol.ac.uk/news/2024/august/babies-pretending.html We Learn to Pretend Surprisingly Early in Our Lives, Study Shows : ScienceAlert https://www.sciencealert.com/we-learn-to-pretend-surprisingly-early-in-our-lives-study-shows イギリスのブリストル大学で心理学教授を務めるエレナ・ホイカ氏らの研究チームは、��ギリス・アメリカ・オーストラリア・カナダに住む合計902人の親を対象に、出生時~生後47カ月(3歳11カ月)の子どもの行動についてアンケートを実施。「ごっこ遊び」や「何かのふり」といった行動を取ったかどうか、それはどのような行動だったのかについて聞き取りました。 その結果、子どもたちは早ければ生後4カ月で、何らかのごっこ遊びや何かのふりをすることを理解し始めることが判明。生後13カ月までには、約半数の子どもが何らかのふりをしていることがわかりました。 生後すぐの段階で行われる「何かのふり」の内訳には、自身の体��関与する「寝たふりをする」といったものが多かったとのこと。また、「指で歯を磨くふりをする」「空のコップから水を飲むふりをする」「何かの物体や道具のまねをする」など、物体や行動にまつわるジェスチャーも含まれていました。 そして1歳児になると、「バナナを電話に見立てて電話で話すふりをする」など、ある物体を別の物体に見立てるごっこ遊びをするようになると報告されています。このようなごっこ遊びをすることで、子どもたちは創造的な遊びのセンスを拡張できるとホイカ氏は考えています。 2歳児はより抽象的な思考を示すようになり、「ロケットのおもちゃを飛ばす」など、日常的な生活ではしないような動作をまねするようになります。また、この年齢になると全身を使って「木や動物、他の人、アニメなどのキャラクターのふりをする」ようになるそうです。この頃には言語スキルも発達しているため、精巧なストーリーラインを作って遊ぶこともあるそうです。 最後に、3歳児は「宇宙を飛ぶマンガのキャラクターになりきる」「空想上の友達と一緒に遊ぶ」など、非常に創造的なごっこ遊びをし始めます。ホイカ氏は、「私たちの発見は、ふりをすることがいかに複雑で、進化するプロセスなのかを浮き彫りにしています。それは人生の非常に早い段階から始まり、認知的・社会的スキルの発達を助けます。『ふり』は子どもたちの学習・創造性・友達作り・他者理解の重要な部分なのです」と述べました。 今回の研究はあくまで親からの申告に基づいて行われたものであり、必ずしも子どもの正確な状況を反映したものではない可能性があります。しかし、過去の研究では親によるレポートが実験室での観察と相関していることが示されているとのこと。 研究チームは子どもの発達段階における「ふり」を調べることで、親や幼児教育の教師たちが子どもたちの発達をより良く理解し、学習や創造性、友達作りを支援できるようになることを期待しています。ホイカ氏は、「さらに研究が進めば、この研究結果は幼児期の発達の違いを診断するツールとして使える可能性があります」とコメントしました。
人間の子どもは「ごっこ遊び」や「何かのふり」を驚くほど早くから学ぶという研究結果 - GIGAZINE
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kozy-ogawa · 11 months ago
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TBSテレビの学園ドラマにみる政治哲学
自分の好きなドラマの一つにTBSテレビ、日曜劇場「ドラゴン桜」がある。
大学卒業後、地元の大手進学塾の社員として小学4年生から中学3年生の学習指導、社会科の教科主任としてカリキュラム、教材、テストの開発ならびに講師の採用、研修などの業務を行ってきた経験がある。
また主演の阿部寛は中央大学の同じ学年ということもあり(但し在学中に彼をキャンパスで見かけたことはなかったが…)とても親近感を持っており、ドラマをTVerで見て楽しませてもらっている。
TBSテレビには「ドラゴン桜」の他にも「金八先生」や「スクールウォーズ」といった名作学園ドラマがある。さて、この3つのドラマは、「ハーバード白熱教室」で知られるマイケル・サンデル教授の政治哲学における代表的な4つの立場を理解するのにとてもわかり易い学習材料となっている。
マイケル・サンデル教授は「ハーバード白熱教室」で、政治哲学における基本的な4つの考え方を整理した。 1.功利主義 2.リバタリアニズム 3.リベラリズム 4.コミュニタリアニズム
これを図式化するとこうなる。
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(橘玲「正義をめぐる4つの立場」)
サンデルの政治哲学についてはこちらの記事がわかりやすい。
功利主義は置いておいて、残りの3つの政治哲学をTBSの学園ドラマ、「ドラゴン桜」「金八先生」「スクールウォーズ」に当てはめてみると
1.リバタリアニズムの「ドラゴン桜」 「バカとブスこそ東大に行け」という名台詞は、市場原理、自己責任を重視するリバタリアニズムを体現している。
2.リベラリズムの「金八先生」 「人という字は人と人とが支え合う」という名台詞は、相互扶助、福祉を重視するリベラリズムを体現している。
3.コミュニタリアニズムの「スクールウォーズ」 「One for all, All for one」という名台詞は、共同体、共通善を重視するコミュニタリアニズムを体現している。
自分は、その人の政治哲学を探るために『TBSテレビの3つの学園ドラマ「ドラゴン桜」「金八先生」「スクールウォーズ」のどれに一番共感しますか?』という質問をすることがある。
自分の答えはもちろん「ドラゴン桜」だ。橘玲の著作を愛読書にしており、35歳で「FIRE(ファイア:Financial Independence, Retire Early)経済的自立による早期退職」を実現した自分にとっては、「ドラゴン桜」が最も共感できるドラマだ。
リバタリアニズムについては橘玲「これからのリバタリアニズム」の連載記事が参考になる。
自由に生きることは道徳的である――人生って、なんて簡単なんだろう! 橘玲「これからのリバタリアニズム」第1回|Hayakawa Books & Magazines(β)
チンパンジーも「自由」「平等」「共同体」を重んじる!? 橘玲「これからのリバタリアニズム」第2回|Hayakawa Books & Magazines(β)
平和→格差→絶望死。残酷すぎる「現実」が明らかに! 橘玲「これからのリバタリアニズム」第3回|Hayakawa Books & Magazines(β)
ディストピアを拒絶しユートピアを実現する、たったひとつの冴えたやりかた(��のか?) 橘玲「これからのリバタリアニズム」最終回|Hayakawa Books & Magazines(β)
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the-don-crow · 6 months ago
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yutakayagai · 11 months ago
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浩志の通夜を翌日に控えた前夜、浩二は生前に交流のあった遠方の友人等に電話で挨拶をしていた。やはり、大学時代にお世話になったみいや正樹などだったが、いずれも受話器の方からすすり泣く声が聞こえた。特に、正樹は号泣していたのか言葉すら出ない状況で、
「…浩志君、死んじゃったンですかァ〜?」
と聞き返すのがやっとだった。
時計が午後九時前だったので、とりあえず絆が強い方々には電話できたと安堵のため息をつき、受話器を置いた。翌日になれば美津雄と小百合がまた戻って来る。そう思った矢先、呼鈴が鳴った。誰だろう…? そう思いながら浩志は引き戸の鍵を開けた。目前に立っていたのは、浩志の教え子だった広樹と、後に浩二と関係を持つことになる一人息子の大樹だった。利江子は、今夜は夜勤との事でいなかった。広樹は、
「夜分に申し訳ありません。佐伯先生が亡くなったって…」
と聞いた。浩二は言った。
「えぇ、今週の初めに急に…。奥様がちょうど、急搬された病院の夜勤中で」
「…そうでしたか。利江ちゃ、否、妻から聞きまして」
「立ち話も何でしょうから、どうぞ」
仏間に通された広樹は、浩志の亡骸を見るや大樹の手を握っていた手を離し、その場に泣き崩れた。両胸を抱え、大粒の涙を流した。そんな父親の姿を、恐らく未だ小学三、四年くらいの大樹は不思議そうに見つめていた。彼は、
「おじちゃん。お父さん、何で泣いてるの?」
と聞いた。嗚呼、子どもって残酷だなと、浩二は思った。
ようやく線香をあげられた広樹は、茶の間で浩二からお茶を出された。未だすすり泣いてはいるが、
「ご、御免なさい…。先生は、『愛のキューピット』なンです」
と言った。
「『愛のキューピット』…?」
「えぇ。私、先生と関係があったンです」
「『関係』…、関係!?」
「…えぇ」
浩二は心の中で、
『どれだけ手を出したンだよ!?』
と叫んだ。しかも、未だ第二成長期は迎えていないだろうが、未だ無垢な様子の我が子の目前で…。彼は呆然とした。広樹は、浩志と出逢った頃のことを話し始めた。
浩志は、私立M大学を卒業した後、地元に戻って県立M高校で英語教師をした。クラスの担任も受け持ったが、ある事情で退職し、しばらく東京で仕事をしながら生活をしていた。しかし、当時の同僚が私立S高校を勧めてきたのだ。浩志は、最初は昔の過ちをまた繰り返すのではと断ったが、どうしても彼に来て欲しいとその同僚が懇願し、再び水戸に帰ることになったのである。
当時、私立S高校は所謂「名前を書けば入学できる」ことで有名だった。制服は当時���しては珍しい、男女ともにブレザーであった。浩志はラグビー部の顧問もしながら担任も持ち、そこで妻・満代とも出逢った。男女ともに生徒に慕われ、いつしか「ヒロシ」と愛称で呼ばれる様になっていた。
そんな環境の中で、広樹も高校に入学して初めてラグビー部に入り、元々陸上部で走るのは早かったが体格には恵まれなかった。彼なりに筋力トレーニングをしたがなかなか報われず、このまま辞めてしまおうかと悩んでいた。浩志とは、そんな心中にあった矢先に関係を持つことになったのだ。
新人戦を控えた初秋のある放課後、いつもの様にグランドで練習をしていた。時折、漫画研究会に所属していた利江子が同級生と見に行きては、
「ラグビーってさァ〜、何かカッコいいよね〜」
と、もやしの様にひょろ細い広樹には目を留めていなかったが、同級生の一人が広樹を見ながら、
「額田君って、どう思う? アタシ、どちらかと言えばあんな男(ひと)が気になるのよ」
と聞いた。少し間を置きながら、
「そうねぇ〜。もし広樹君が『ホモ』だったら、ほら、『薔薇族』って雑誌でさァ、例えば加藤先輩の様な男に抱かれたら、何かイイよねぇ〜」
と利江子が言った。彼女は、この頃から「やおい」系の漫画を描いていた。
「え〜、気持ち悪くない〜!? 利江子ってさァ、本当に『やおい』系が大好きだよね〜」
「だって、男同士でキスするって、何かカワイイじゃん!?」
そんなやり取りをグランドでたまたま聞いていた二年生の加藤克也は、そっと広樹の方に視線を向けた。オレが額田君と? でも、彼は他の一年の連中より素直だし、嫌いではないなァ…。最近、試合が近いからか元気ないし。気付くと、克也は広樹が何気に好いていた。否、オレはどうしちゃったンだ!? 彼は顔を振り、練習に集中しなければと気持ちを切り替えた。
一方、広樹は克也には殆んど関心がなかった。���だ厳しいだけの先輩としてしか見ておらず、早く練習が終わって欲しいとしか思っていなかった。ラグビーボールがちょうど広樹の方に跳び、それを受け取るがフェンスまであともう少しのところでつまずき、転倒してしまった。その時、変な方向に足首をひねってしまい、左下肢に痛みがはしった。
「あぁぁぁぁぁ!」
彼は左膝を抱えながら痛みを訴えた。部員が一斉に駆け付け、練習を見守っていた浩志も、
「額田!」
と駆け寄った。彼はとりあえず保健室に連れて行こうと、広樹を背負った。三十代半ばではあったが日頃から千波湖畔でのジョギングやストレッチを欠かさずやっていたからか、フットワークは軽かった。克也も気になって付いて行こうとしたが、
「加藤は練習を続けろ! お前、リーダーだろ!?」
と浩志に止められてしまった。
そんな二人のやり取りを見ていた利江子たちは、
「あらら。額田君、ケガしちゃったわね」
「加藤君、やっぱり好きなのかなァ?」
「どうだろうねぇ〜。ヒロシってさァ、昔、教え子とセックスしたンでしょ?」
「解ンないけど、何かその気あるよねぇ〜」
と勝手に盛り上がっていた。
保健室に連れて行った浩志は、後に妻となる満代に広樹の左下肢を診てもらった。彼女の旧姓は「市毛」と言った。浩志は、
「市毛先生、どうですか?」
と聞いた。彼女は言った。
「捻挫ですね。今すぐ整形外科にかかった方がイイかも」
「じゃあ、オレ、今から連れて行きます」
「Y整形外科なら、隣にM短大附属高校の隣だし、診てもらえるンじゃない?」
「オレ、車、取って来ます」
その間、広樹は満代に両膝の擦り傷を手当したが、彼は泣きじゃくっていた。それは痛みの故ではない様だった。いくら頑張っても上達しない自分自身に対して苛立っていたのだろう。
「…うぇッ、うぇッ、どうせオレなンて! オレなンて!」
まるで子どもの様に泣き続ける広樹に、
「額田君。今、佐伯先生がY整形外科に連れてってくれるから」
と、満代は背中を擦るしかなかった。
白い日産のスカイラインを昇降口の前に付け、再び広樹を背負って浩志は保健室を出た。なかなか泣き止まない広樹に、
「お前、チ◯ポ付いてるンだっぺ!? いつまでもメソメソ泣いてるンじゃねぇよ!」
と怒鳴り、浩志は彼の股間を握った。突然、自分の「ムスコ」を触られたからか、広樹は浩志に平手打ちを食らわした。
「他人(ひと)の気持ちも知らねぇのに、いきなりチ◯ポ握らなくてもイイじゃんかよォ!」
と大声を張り上げ、慟哭した。
「わ、解った! 悪かった! さっさと行くぞ!」
広樹の泣き声が止まない中、意外と痛かったなァと平手打ちをされた方の頬を擦りながら、浩志はY整形外科へ車を走らせた。
触診やレントゲンの結果、広樹の左足首は捻挫であることが判った。抗生物質を処方され、ギブスで固定された。診察代は浩志が立て替えた。後で教頭に報告しなければと、松葉杖をついた広樹を介抱しながら思った。一方、広樹は泣き疲れたのか、自宅のある城東まで眠っていた。とりあえず身体だけは送っておかなければと、浩志は広樹の母親に事情を説明し、制服等はいったん学校に戻ってから持って来ますと伝えた。
学校に戻った浩志は、練習を終えて制服に着替えた克也に声をかけられた。彼は聞いた。
「額田君、どうですか?」
「Y整形外科に連れて行ったら、捻挫だって…。三ヶ月はかかるなァ」
「そ、そんな…。じゃあ、新人戦は…」
「残念だが、ダメだね」
「…」
克也は、このまま広樹が退部してしまうのではないかと恐れた。胸が絞め付けられそうになり、涙ぐんだ。滅多に見せない克也の涙に浩志は、
「お前…」
「…オ、オレ、額田君が好きなンです」
「加藤…」
「…だって、アイツ、他の一年の連中より素直だし。一度、誕生日だってオレの好きなレコードをプレゼントしてくれて…」
「でも、額田とは会えるだろ? 校内で」
そう言われると、すすり泣きながらも克也は頷いた。
浩志は、まさか克也が広樹のことを好いていたとはと、いつしか自分も大学を卒業してすぐ赴任した県立M高校で出逢った教え子のことを思い出した。最終的には、内部告発で関係を持っていたことが保護者にまで知られ、懲戒免職となったが…。しかし、彼もオレを求めていたし、ただ未成年だったのと、自分が教師だったからヤバかったのだ。
色々考えながら、浩志は言った。
「男が男を愛することは、決しておかしいことではないよ。頑張れ」
この言葉に克也はただ頷いた。
翌日、広樹は松葉杖をつきながら職員室を訪れた。片手には「退部届」を持っていた。声をかけられた浩志は、彼を隣の相談室で話したいと言った。広樹は、家に帰っても泣いていたのか、両方の目蓋が赤くなっていた。
向かい合って椅子に座ると、まずは浩志が、
「昨日、いきなり君のチ◯ポを握っちゃったりして…悪かった」
と詫びた。広樹は無言のまま、頭を垂れていた。
嗚呼、何て言葉をかけようかと、浩志は悩んだ。下手なことを言えばまた泣き出しそうな勢いだなァ…。まァ、泣いたら泣かせておけばイイやと、とりあえず広樹から受け取った退部届に目を通した。意外とキレイな字を書くのだなと思った。
「…辞めちゃうのか?」
「…はい。元々、陸上をやってたので、自分なりに筋トレもして努力はしたけど、辛くて…」
「『辛くて』、か…」
浩志は、そもそも何故、中学校時代は陸上をやっていたのに、高校に入学してからラグビーを選んだのか、不思議で仕方なかった。それを確認してみようと、彼は思った。
「じゃあ、聞くけど、何故ラグビーをやろうと思ったの?」
この質問に広樹はチラッと浩志の方を見た。何だか恥ずかしくて言いにくそうな様子だった。それでも、
「…先生や加藤先輩のラガーシャツ姿がカッコよかったから」
と小声ながら答えた。
それを聞くや、浩志は噴き出し、声を出して笑った。突然笑い出したので広樹はバカにされたと腹が立ち、
「わ、笑わなくてもイイじゃん!」
と訴えた。別に可笑しかった理由ではないと言いながら、
「誰だって、カッコよく見えりゃ、自分もそうなりたいって思うよ! それを加藤が聞いたら、絶対に『辞めないでくれ』って言うよ!」
と話した。
「『加藤』って…?」
「昨日、学校に戻った時に加藤が額田を心配してたよ。新人戦は絶望的だって言ってたら、すごくショックを受けてね。君のこと好きだったみたいよ」
「え…?」
「もし練習についていけないなら、マネジャーでもイイよ。せっかく縁があってラグビーを始めたンだから、このまま居ろよ」
「…」
広樹は頬が赤く染まっていくのを感じた。別に選手を目指す必要がないなら、このままとどまろうか? 彼は、克也の気持ちを浩志が��弁したことで、突っかかっていたものが取れた感じを得た。
結局、広樹はマネジャーとして、とりあえずラグビー部にとどまることに決めた。
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chanretom · 11 months ago
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銀世代人才應用實務影片-詹翔霖副教授企業躍升關鍵力講座-【知識管理與經驗傳承】銀髮人才資源中心#勞動部勞動力發展署北分署企業躍升研習活動
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harawata44 · 1 year ago
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え、そうだったんだ…医師が教える「朝一番のコーヒー」のリスク | クックパッドニュース
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以下引用
朝起きたらまずコーヒーを飲んで目を覚ますという人は多いのではないでしょうか。でも、朝一番のコーヒーには注意が必要らしいです。特に、高血圧の人にはリスクもあるのだとか…。朝一番のコーヒーのリスクと逆にコーヒーが持つ健康上のメリットについて、YouTubeチャンネルの登録者数が37万人を誇る、医師でヘルスコーチの石黒成治先生に教えてもらいました。
コーヒーを飲むと「血圧」が少し上がる
実はコーヒーを飲んだ後は血圧が少し上がります。これはカフェインの影響によるもので、カフェインを摂った3時間後くらいに血圧を測ってみたところ、平均で上が8、下が6上がっていたという研究結果もあります。 血圧の薬の効果は上を10くらい下げるものなので、コーヒーを飲むと血圧の薬の効果を打ち消すくらいの上昇を短期的に見せることになります。 また、睡眠中の明け方4~5時くらいも血圧は上がりやすいです。心臓発作などが明け方に多いのはそのためと考えられます。 起床してすぐは自律神経もまだ整っていないので、高血圧の人が朝一番にコーヒーを飲むのは特にリスクが高いと言えるでしょう。
コーヒーには“抗酸化作用”もある
ただ、コーヒーには心臓病のリスクを下げるというメリットもあります。強力な抗酸化物質が入っていて、コーヒーの茶色い色素も抗酸化物質と言われています。 焙煎の途中に出てくる物質が抗酸化作用を持つので、フレンチローストなどの深く煎ったもののほうが抗酸化作用は強いです。 ほかにも、コーヒーには数々の健康上のメリットがあります。毎日3~5杯のコーヒーを飲む人は、心臓病リスクが15%下がり、早期死亡のリスクも減るといった研究結果も出ているほどです。
ライフスタイルを考えながらコーヒーを飲むこと
高血圧の人はコーヒーを飲んではいけないのではなく、飲むタイミングが重要なのです。特に、高血圧の薬を飲んでいる人は、朝一番の薬を飲む前はリスクが非常に高い。朝はコーヒーを飲んで目を覚ますという習慣もNGです。 日頃からたくさんコーヒーを飲んでいる人はカフェインに対しての耐性ができて、反応を起こしにくいです。だから、血圧が高めの人がコーヒーを長期的に飲むことは、健康上のメリットを得られる可能性のほうが高いでしょう。 ただ、1回1回の短期で見ると、ポンと血圧が上がる可能性があることは注意してください。 まずは、全体的に血圧を下げるライフスタイルを送ることを意識しながら、コーヒーのメリットも考えたほうがいいです。果物や野菜など、抗酸化作用のあるものを積極的に摂りながらコーヒーも飲むようにするのがベストですね。
画像提供:Adobe Stock
(TEXT:山田周平)
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blr-blue · 5 months ago
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 胃のあたりが、そわそわしている。胃というよりは、胃と食道の間らへん。みぞおちのような気もする。
 どうしても文章が書きたくなったので書いている。何かを書いていないと落ち着かない。そういう発作がたまにある。今日はそういう日だ。夕方に別の場所で乱文を書き散らしたし、個人的につけている日記だって書いたのに、それでも飽き足らずTumblrまで開いている。だが今日はいつもの発作とはすこし系統が違う。感情を出したい、のではなく、とにかく何かを書いていたい。落ち着かない。なので適当に色々書いてみる。
 最近鎖国気味である。
 他人と話したくない気持ちが爆発して、誰もわたしに話しかけんな! みたいなオーラを出してしまう自分のことを鎖国状態と勝手に呼んでいる。
 鎖国の起源は塾講師バイトをしていたときであった。信頼のおける先輩の先生たち(学生バイト)が全員卒業し、学生バイトではわたしが一番歴が長くなった(お局のようなかんじだったのかもしれない)。どちらかといえば器用なタイプだったので誰とも助け合わず、全部自分一人で仕事を完結させていた。そのとき、鎖国していた。
 後輩から挨拶をされたらもちろんそれには返していたが、世間話なんか一切せず、指導終了後2分後には教室を出て帰宅していた。基本的に、指導のコマは連続するようにシフトが組まれるが、完全マンツーマンの個別指導塾だったので、たまにどうしても調整がきかなくて、1コマ時間が空いたりする。ふつうならそういう時間で他の先生と話したりするのだろうが、わたしは尖りまくっていたので、生徒が使う自習ブースを1区画借りて、ふつうに院試の勉強をしていた(おかげさまで今があります)。
 ていうか、当時、他の先生のことがうっすら嫌いだった。とくに、ひとつ歳下のT先生。わたしはアイツを目の敵にしていた。アイツは教職課程をとっており、生徒に対してブイブイ言う系の先生だった。宿題をやらないのはなんで?? と生徒を詰めるタイプの先生であった。だがソイツは、大学の授業を落としまくってる系だった。そして彼は、わたしが卒塾するのと同じタイミング(つまり彼からしたら、大学3年の終わり頃)に退職した。理由は、「教職課程の取得があやしくなるくらい単位がやばいから」である。この時点で無理だった。生徒にガミガミ言っておきながら自分が本業を疎かにしてんのマジでキモすぎる。わたしはさ、院試に命かけて、しぬほど勉強と研究して首席になって、それでも生きるためにバイトして、飲食と掛け持ちしながら4年間勤め上げて、辞めたくても辞められなくて、教え子を医学部とか高専に送り出しても絶対に驕らないようにって自分を律して、叱るべきところと引くところのバランスを見て、どうしたらストレスなく塾に通って、無理のない範囲で勉強できるか考えて、そんなふうに、そんなふうにやってるのにお前はやることもやらずに生徒に怒鳴りつけてそして指導途中の生徒投げ出して辞めるんですね??ってなってまあ途端に無理になった。(ごめん、たかがバイトなので別にそんなに責任はないはずなんですけど) まあ、そういう人が多かった。やる気ないならずっとやる気ないままの方がいいって。熱血な先生装いながら自分の学業がおざなりなのが一番キモいねん。マジで。
 すごく話が逸れた。まあ、そう言う感じで当時、鎖国をしていたって話です。
 大学のゼミでも鎖国をしていた。大学のゼミには大体10人くらいが所属していた。ゼミは2年から4年まで基本的に持ち上がりだった。最初のうちはみんなと話せていたけれど、そのうちわたしは一人の友人としか話せなくなり、そのうち他の人たち(とくに女子たち)とはほとんど話さないまま卒業した。これも鎖国だった。絶妙な関係性の彼女たちに、自分から世間話を振ることができなかった。相手はきっと自分に敵意はないはずなのに、なぜだか怖かった。
 その鎖国の波は今まさに第n波として到来中である。塾講バイトや大学のゼミで鎖国していたわたしは、さいきん、大学院の研究室でも鎖国しはじめている。数日後に卒論・修論発表会があるのだが、それが終わると研究室で追いコンが開催される。クソしょうもない飲み会ね。なんか、ずっと行くか行かないか迷って、それでもやっぱり行きたくなくて、意を決して欠席ボタンを押した。
 わたし流・鎖国の悪いところ。ほんのすこしだけ、それが寂しいと思っているふしがある、ということ。
 自分で離れたくて離れてるの。だけど、社会とのコミットメントが失われるのがこわい。研究室のコミュニティの居心地があまりよくないから離れようとしてるのに、それでもほんのすこしだけ、その中に混ざりたい自分もいる。はあ〜〜なんなんでしょうね?
 これ、たぶん少し前の投稿でも話したけれど、わたし、理由がないとそこに居られないの。授業があるから、とか、面談があるから、という理由があれば大学に行けるけど、なんの意味もなく研究室に行って、共有スペースでそこにいる人とダラダラ喋る、みたいなのができない。つねに、「わたしってここに居ていいのかな?」みたいなことを考えてしまう。そういう体験が一つでもあるとそのコミュニティの居心地が悪くなる。だからわたしは研究室に行けない。
 鎖国の波はSNSにも到来中である。
 最近、SNSで他人と絡むのがこわい。自分の存在がうざくないだろうか、と考えてしまう。まあ、ここは大丈夫なんだけど、特に表の世界(Twitterを表の世界だと思っている節がある)が窮屈に感じてきた。だけどコミットはしていたいから、ひたすらにいいね押しマンになっている。わたしはここにいるよって伝えたいんだと思う。自分から絡めないから、絡むのにすごく勇気と体力がいるから、ツイートにも気を遣うから、とにかくフォロー中の他人のポストのハートマークを赤く染めて、界隈にコミットメントを図ろうとしている。そろそろ限界が来そうな気がしているけれど、わたしはスマホ・SNS依存症なので絶対にTwitterは辞められない。鎖国中だから、新しい作家の方からのフォローも返せない(悪意はないのよ)。交友関係が広がるのが恐ろしいと感じる。FFをこれ以上増やしたくない。これ以上増えたら、一人一人を大事にできなくなる。フォロバしないからか、たまにリムられる(ごめん、わたしはちゃんと気づいてます、気づいてない・気にしてないふりしてるんだよ)。ヒイ、と思い震える。さらに対人恐怖の波が来る。ソトとウチ。すべてを分けて、自分を守ろうとしてる。はあ、よくないですね。
 鎖国の波にずっと呑まれていてつらい。一人になりたいのに一人になりたくない。これ、しんどいのが、うつ病とかそういうのじゃないとこなんだよね。もうここ5年とか、そういうレベルで起きてることなの。でもわたしは一応ちゃんと生きてるし、なんなんでしょうね。
 わたし、恋人が途切れないタイプだけど、途切れないタイプなんじゃなくて、途切れさせると死ぬから途切れさせていないのかもしれない。指折り数えたらここ7年くらい、恋人がいなかった期間は多分6日とかだと思う(短すぎる理由はお察しの通りです)。恋愛依存とかじゃなくて、たぶん死ぬんだよな。恋人がいなくなったら、わたしはそれこそ、ほんとうの意味で他人と関われなくなる。唯一の生命線なの。そこが切れたらわたしは対人恐怖が悪化して引きこもりになる(もうすでに引きこもり気味ですが)。
 鎖国の話はここまで。
 さて、文章を書きたい欲求は留まるところをしらないのでこのまま書き続けます。今日、ほんとに調子がおかしい。もしかしたら泣きたい気持ちを文章を産出したい欲に置き換えているのかもしれない���とも思う。でもなぜ泣きたいのかはわからない。
 そういえば最近、泣いていない。いや、この間ほんとうにほんとうにほんとうに大好きな作家さんのweb小説を読んだとき文章がうますぎて綺麗すぎてちょっとだけ泣いたけど、そういうのじゃなくて、ふつうに泣くやつ。悲しくて泣くやつ。
 泣くのって、ストレス発散なんだよね。中学〜大学のときはよく、悲しいときはきちんと泣いてスッキリして眠るみたいことをよくやっていた。ていうか一昨年(2023年?)はわりと生活が変わって全てに追い込まれていたからわりとシクシクやってたんだけど、ここ一年くらいはいい意味で情緒が安定していたのであまり泣いていなかったような気がする。だけどその波が久しぶりにやってきたのかもしれない? でも別に泣きたいくらい悲しいことって今べつにないんだよな。あーマジで何言ってるんだろう。
 これここまで読んでる人っているんですか?
 うちがわから湧き出てくる感情って負の感情ばっかだな。わたしだけ?
 自分のTumblr読むと暗い話ばっかでびっくりするんだけどみんなはポジティブな感情とネガティブな感情って同じくらいの割合で存在しているんですかね? 割合を教えてください、わたしは8割ネガ1.5割ニュートラル0.5ポジです。
 誰だっけ、太宰治だっけ、知らんけど、誰かが、不幸というものはモワモワした質量の軽い雲みたいな真綿みたいなもので、幸福は質量の高い一粒の金属塊?砂金?みたいなこと言ってませんでしたっけ? わたしそれがすごく共感できるんだよね、苦しいことってぜんぶを覆い隠すの、だけど質量は幸せも同じくらいあるのよ。でも密度が違うの。密度が違うから、不幸がおっきくもわもわして体積がデカいんだよ。ごめんちゃんとした言葉は覚えてないけれど調べるのダルいので誰か調べといてください。でも誰か言ってたはず。
 わたしが病んだところでサブカル鬱病クネクネ界隈(笑)と揶揄されるカテゴリーにしか属せないからふつうに死にたいです。だけど死ぬのはこわいので死にません。てか死ぬのってこわすぎるだろ、ふつうに。
 ていうか自分が死にたい時期と、自分以外の全員が死ねよって時期と、誰も死ぬなって時期が一生交互にやってくるんだよねって感じだけど、今日Twitterを見ていたら同じことをツイートしている人がいて自分の思考は結局ちゃんと若者のステレオタイプでやっぱりちゃんと死にたいなと思いました。だけどやっぱり死ぬのはこわいです。以下略。
 希死念慮をかかえられるほど世界に絶望しきってるわけじゃないけれど、確実に生きづらくはあるんですよ。わたしはインセルの亜種なので、健常と異常の間にある細くて長い道をそろりそろり渡っているだけ。
 家庭環境だってそう。きょうだい児で我慢することは幼少期から多かったし何かを諦めることも割と得意だけど、親ガチャは経済力がFランクであるところ以外はスーパーレア星星星って感じなので教育にも理解があって大学院まで通えているけど、だけどそれでも苦労はしてきたし親はクソほど借金あるし自分の奨学金だって死ぬほどあるし、親が死んだらきょうだい2人を施設に入れてなんやかんやしなければならないのは自分だから、ふつうにあたたかい家庭で育ってきた他人に対してはなんか話合わないな違うなって思ってしまうし、だからといってゴリゴリの毒親育ちってわけじゃないからそっちに共感を示せるわけじゃない、結局その間にある細い道をひたひたと渡ってるだけだからなにかと無理だなと感じてしまう。
 うちの親みたいに、ふつうの人だったら潰れてしまいそうな高ストレス状況下でふつうに生きていられるのってある意味才能で、ていうか普通に内因が強いので多分うちの家系は精神疾患にはならないんですよ。そしてその遺伝子はきっちり減数分裂を経てわたしにも受け継がれているわけで。だからわたしは風呂キャンセル界隈を極めていてもべつに全然うつ病じゃなくてただ単にお風呂が嫌いすぎる不潔な人だし、引きこもっていても別にまあ希死念慮もないんですよ。それこそ鎖国をしたって死なずにここまで社会の中でなんとか生き延びてきたわけだし、不眠症なのにそんなに病まないし。むしろずっと恋人つくってちゃっかりストレスコーピングしちゃってんの。なんなの。生き方へたなくせに精神病まないし無駄に生命力強いから生きちゃってんのかって。マジで自分キモイよ。
 そろそろみぞおち付近のそわそわ感がなくなってきたのでおわりにします。(ここまで読んでくれた人、もしいたらマジでありがとね、ラブ)
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vamossports · 3 months ago
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黃楷倫的第二人生 帶著笑容爭取帕運金牌
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「我是一個平凡的人,但是現在過著不平凡的人生。」在國手選拔賽的一場意外,讓黃楷倫無法繼續在柔道場上拚戰,卻不曾動搖他熱愛運動的心,坐上輪椅後的「第二人生」,改練身障田徑三鐵(鉛球、標槍、鐵餅)和射擊,想挑戰最高殿堂的決心不變,他的目標很明確,「想拿帕運金牌!」
黃楷倫的父親黃建龍過去也是運動員,曾參與1988年漢城奧運(角力)、1996年亞特蘭大奧運(柔道),並曾在1990年北京亞運奪下柔道銅牌。黃楷倫從小跟著爸爸進出道場,慢慢也對柔道產生興趣,進而跟隨爸爸走上柔道運動員之路。
黃楷倫曾經的夢想,是和父親一樣前進奧運的舞台,卻在最愛的柔道場上遭逢重大變故,胸口以下癱瘓,無法以柔道選手身份圓夢,他曾經怨天但從不尤人,因為還想回歸運動場,他用一貫樂觀正面的態度,面對新的身體和生活型態,「我受傷後還有想當運動員這個目標,所以不會迷惘太久。」
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(照片提供:黃楷倫)
回到學校後,黃楷倫改練身障射擊,之後又在復健醫師的建議之下,開始接觸田徑三鐵,因為傷後身體無法排汗,訓練時間多排在太陽下山之後,雙手中指、無名指及小指沒有知覺,練習時也需要更多輔助,這些都不曾讓他想過放棄。
「運動是我覺得最快樂的事,因為面對其他生活中的瑣事,可能會覺得有壓力,但在運動的過程或是競技的過程,我是快樂的、是真心喜歡這件事,所以在遇到困難時,不會有放棄這個想法。」黃楷倫坦言,肯定有灰心的時候,「就是再練習,讓成績更好。」
不曾選擇放棄,而是去找出解決問題的原因,並讓自己更進步,黃楷倫說:「對我而言,放棄比堅持更難。」他在運動場上持續要求自己、追求更好的表現,「受傷之後,其實會覺得沒有什麼事情辦不到,只要腦筋是還是活的,雖然辛苦一點,但最終目地都可以達成。」
臉頰上深深的酒窩和溫暖的笑容,是黃楷倫的招牌。看在田徑教練陳家玉眼中,黃楷倫無論面對生活、工作或訓練,都散發著滿滿的正能量,在運動場上則是很不服輸,但也能夠接受失敗,「他會愈挫愈勇,就算遇到困難,他還是會繼續往前。」
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黃楷倫目前在田徑鉛球、標槍及鐵餅的成績,都是國內該級別的全國紀錄保持人,其中以鉛球的表現在國際上最具競爭力,去年在全國身心障礙國民運動會男子鉛球F53級擲出5公尺65的新全國紀錄。
如今黃楷倫成為帕拉田徑的潛力新秀,幾次出國參賽的經驗,也讓他眼界大開,「出國就會發現自己有多渺小,知道自己要加強的地方還有很多。」看著國外選手的表現,更激起他想讓自己更好的野心,「會覺得為什麼他辦得到,我辦不到,就想要努力看看能不能超越他們。」
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為了想讓自己能更專注於訓練,同時兼顧工作維持生計,黃楷倫思考起創業這條路,從一開始以賣咖啡當副業,生意逐漸穩定後,黃楷倫就辭去工作專心做咖啡,選在平時練習的明德中學旁開設咖啡廳,傍晚店打烊後就是他的訓練時間,遇上比賽期,時間也能更靈活調配。
當然創業並不容易,黃楷倫笑說:「開店前我有上網查過,失敗率最高的就是咖啡廳,那我也有心理準備。」因此黃楷倫將這間店定位為「咖啡豆」專賣店,品牌取名為「Coffee Life 咖啡人生」,「受傷前的是我第一個人生,受傷後是第二個人生,那這個就是我做咖啡的人生。」
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「Coffee Life 咖啡人生」賣的是黃楷倫鑽研咖啡的專業與手藝,他希望,客人是真的喜歡他的豆子才來光顧,「因為他們喜歡,才會持續訂購,然後跟我說『你的咖啡烘得很好啊』,那我就會很開心,當然賺錢很重要,但也會希望自己創造出來的東西能讓大家喜歡。」
無論是烘豆、經營咖啡廳,或是訓練,爸爸黃建龍認為,黃楷倫對於所愛的事物都十分執著且投入,「他都說,能做多少就會盡量去做。」對於黃楷倫的決定,家人也都給予最大的支持,「如果他的事業越來越好,能有更多收入的時候,就也能有更多時間可以練習,把兩方面都顧得更好。」
沐浴在咖啡香之中,每天例行的烘豆作業,也如同黃楷倫的人生縮影,「烘咖啡跟我的人生滿像的,就像是生豆需要經過淬煉,在熱火烘焙後才會變成��氣四溢的豆子,我現在的過程可能還在這個過程的中段,就是繼續努力,看之後可不可能變成好咖啡的味道。」
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