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#00025:
なんか、自分の好きなものを誰かに説明するのって、すごい緊張する。
......というのに、先々週のある日、仕事中に気づいた。人事やらなんやらをしている先輩(上司...と言ったほうが適切なのかもしれないけど、体感的に、先輩のほうがしっくりくる)から、趣味について聞かれたのがきっかけだった。
自分は音楽を聴くのが幼少期からずっと好きだ。だから、「あなたの趣味は?」と他人から聞かれたときに真っ先に浮かんでくるのは、いつだって、音楽だった。誰が何と言おうと、音楽。これまでの自分は、その時々で自分なりに好きなもの、聴きたいものを聴いてきた。だから、「音楽」の「中身」について話そうと思えば内容はたくさん出てくる。それでも、誰かに話そうとすると、喉が詰まるような、息苦しさを覚えるのだ。
同じくその、ある日の仕事中、(はて、これはなんでなんだろぅ......💭)と早速少し頭を動かすと、割とすぐに昔の記憶が浮かんできた。
⋆
それは、小学生のときの出来事。
クラスメイトが、自分の聴いている音楽が古い、という理由だけでバカにしてきた......ということがあった。自分の頭に浮かんできたのは、まさに、そのときの風景や身体の感覚だった。(ちなみに当時は、母親のMD~カセットテープ~CDのライブラリを中心に聴いていて、90年代~00年代初頭の音楽が自分の日常にあった。どちらかと言えば、90年代の音楽のほうが割合的に多かったと思う。)
その感覚は、今、自分の趣味について他人から聞かれたときに覚えるものと、非常に似通っていた。ちなみに......学校では、自分の趣味をオープンにすることは決して無かった。なのに、なぜ、あのクラスメイトは知っていたんだろう......?と、あれはかなり不思議な出来事でもあった。で、ひとつ思いあたるというか、芋づる式に出てきた記憶なんだけど......これは、自分の聴いている音楽についてバカにされたよりも少し後に起きたことだった。
これも、小学生時代のこと。ある日、自分は学校から帰ると、いつものように手洗いうがいをして、部屋で音楽を聴き始めて......。そのときの自分は、それはそれは...リラックスしていて、放課後の清々しさをめいっぱいに感じていた。そして、聴いている曲に合わせて歌ったりもして......。そんな感じで、2~30分経った頃だったと思う。急に、「おーい」みたいなクラスメイト��声がして......窓のほうを向くと、その、声がしたクラスメイトのほかにもうひとり、クラスメイトが立っていた。ふたりとも、ニコニコして、窓の向こうに立っていた。このとき、季節は夏で、窓を少し開けて網戸の状態にしていたから、いつもは曇りガラスの自室の窓からはっきりクラスメイトの姿が見えていたし、反対にあちら側からも自分が見える状態だった。当時自分たち家族が住んでいたのはアパートで、自室の窓はアパートの通路に面していたから、クラスメイトも覗きやすかったのだろう(当時、ワンフロアあたり3戸あるうち、この部屋に越してきたときには隣の部屋に住んでいた一個上の子の家族が父親の転勤でいなくなっていて、残りの一戸はもとから誰も住んでいなくて……基本的に誰も通らないだろうと思って、自分もすっかり油断していた)。自分は、ただただ、びっくりするというか、心臓がおかしくなりそうになりながら平静を装うために必死だった(回転椅子に座っていたから、転げ落ちそうだった)。そうしているうちに、ニコニコしたふたりは「じゃあね」とそのまま行ってしまい、自分はひとり、心臓バクバクのままそこにいるしかなくて......。しばらくして、また音楽を聴き始めるんだけど......。真っ先に窓を閉めて、いつもより音量をかなり絞って聴いたり、窓のほうをチラチラ見てしまったり......また誰か見てるんじゃないかという恐怖と、自分の日々の楽しみをどうにか守ろうという意思と、その両方で揺れて、あの清々しさはどこへやら~って感じだった。もしかすると、クラスメイトはもっと別の日にもこっそり家の前まで来ていたのかもしれない(そしてそうやって、自分の情報を入手していたのでは......?と思う。本当のところは分からないけども......)。そう思うと、ただただ、ぞっとする............。
⋆
でも、もうちょっと時代を遡ってみると......自分の趣味を公言することへの恐怖の源泉は、もっとほかのところにあったのかもしれない、となった。
⋆⋆
年は2006年、自分が保育園に入園した頃に遡る。
入園式の次の登園日のこと。母親から離れて、いよいよ保育園生活が始まる......という恐怖と心細さで、母親と別れた自分は号泣。先生になだめられながらかばんをロッカーにしまったり、名札をつけたりしたのち、自分は教室内をキョロキョロ、ウロウロしていた。すると、自分の目に留まったのは、持ち運び式のオーディオコンポだった。見つけるなり、自分は、(あ、あれ、うちにあるやつとおんなじだ ※厳密には同じモデルじゃないけど、用途的に同じものだ、という意味)と思った。そばまで歩いて行って、コンポを前にして立つ。そして、考える暇も��く自分の脳内に流れてきたのは......Every Little Thingの"Feel My Heart"のイントロだった。そこからは完全に独壇場。脳内で流れる通りに、自分は歌った(脳内では目の前にスタンドマイクがあるイメージが出来上がっていて、自分はその、スタンドの棒部分を掴みながら歌っている気満々)。すると......通りがかったひとりのクラスメイトが......具体的な言葉は覚えていないけど、「変なの」みたいなことを言って通り過ぎていったのだった。これが、自分にはすごい衝撃的な一言で......(だってたぶん、家族以外の人からマイナスの評価を下される経験はこれが初めてだったから)。自分のシャイ人生は、この日、この瞬間を起点に本格的に始まったと言っても過言ではないくらい......あの一言は、自分の人生の方向を強く変えたものだと思う。そうして自分は、自分のこと......特に、趣味=音楽にまつわることを話すのに、少し、臆病になってしまった(その後、さらに色々ありもっと臆病になるという...)。
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それからの自分は���いうと、一人でいる時間もあるけどそれなりに人付き合いはする人、という立ち位置で(それも、中学生の後半~高校ではかなり放棄していた気がするけど)、さらに、プライベートが謎に包まれたよく分からない人、みたいな感じに見られていたんだろうな...と思う(そういえば、高校時代......部活のメンバーには比較的会話をすることが多い人がいたんだけど、その人から「○○○○○(※自分のあだ名)って、ミステリアスだよね」と言われたことがあった)。心を許した人や、安心できる空間では自分の趣味に関して詳しい話もできるんだけど。。それでも、恐る恐る、な部分が抜けない。つい先日は、例の"恋人関係を解消した彼"から、「前々から不思議だったけど、(音楽の話題に関して)詳しい話になるとだんだん声が小さくなるよね」と言われてしまった。親しいともだちの前でも、緊張しちゃうし......。あぁ、嫌だ。
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......最近の自分の人生のトピックは、「もっと素直に生きたい!!!!!」って感じの気持ち。素直さは、ずっとはちきれそうなくらい持ち合わせ続けてるのにね......。もっと解放したい😖
P.S. 5月末あたりはピンチだったけど、なんか、最近は仕事が楽しく感じるようになってきてる。自動車教習はめんどくさすぎる。。
[2025_06_23]
#life#blog#japanese blog#thoughts#memories#childhood memories#my favorite things#music#ブログ#生活#考え#記憶#子どもの頃#好きなもの#音楽#June 2025#2025#雑感#feelings
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#00024:
先週は、風邪で一週間休んでしまった。
風邪で休んでいる間は時間があるから、久しぶりにiPhoneのGarageBandを開いて音楽でも作りたいな......となってくるんだけど、しんどくてできず...🥲 卒論を書いた時もそうだったけど、音楽を作るときも、がーーっと、長時間集中してしまうというか、自分はそうしないと作れないから、まとまった時間が必要になる。年々「今」に追われてGarageBandを開く頻度が下がっている。単純に「今」が楽しくて音楽を作ることを忘れてる...というときが増えてるのもあるけども。でも、やっぱり、できたときの達成感は、気持ちいいんだよな......。
👆これを作ったときの気持ち良さはものすごかった。音を探っていく流れで、タータッター、タータッター...という部分(ワルツだ)を画面上の鍵盤でなんとなく弾いたところから、「これだ...!」となってそのままそれを録音して、そしたらビートはこんな感じで、メロディーはこうで......と、するする浮かんでいって...。ひとつひとつがカチッとはまっていくのが気持ち良かったな...。この曲をつくってからあと少しで5年経つけど(※これはコロナ禍、時間があるからとGarageBandを初めてちゃんと触り始めてから3か月くらい??に作った、当時の集大成的な感じの曲)、この曲くらい自分が高まる曲をこれ以降作れてないからな......またやってみたい。シャワー浴びてる最中とかに急に頭の中で流れ出す曲がいつも結構良くて、コード感だけでもいいから記憶してアウトプットできるようになりたいんだけど、いかんせんすぐに忘れてしまうからなぁ...(泡みたいにそのとき限りで流れて行っちゃう)。そもそもちゃんと楽器が弾けないし、楽譜も読めないから、iPhoneの画面上で音を探っているうちにどんどん脱線して、初めにやろうとしてたのとまったく趣旨の違う音が並んでる時が大半だし......。あと、今はGarageBandで使えるサウンドパックが増えすぎて、どの音色がいいか選ぶのに時間がかかりすぎてたりもする。こういう作業は、細切れでやると本当に何も進まないから、悩ましいところ。もっと、地図を辿るように音楽が作れたらな...。ボイスメモを活用できるようになりたい。
⋆⋆⋆
👆これは、現時点で一番最近作ったやつ。卒論を提出し終わった数日後(去年の12月10日)に、例の、今は恋人関係を解消した彼の家で、彼が仕事に行っている間の時間のうち1~2時間音色探索をしている中でできていったやつ。基本的な部分は納得してるけど、もうちょっとビートに手を加えたいなとか、手直ししたいところがある(今できてるのは、あくまで骨組み、まさにデモって感じかも)。それに、これはやっぱり5年前のあの曲みたいに作り終わってものすごい興奮する...なんてのはそんなになかったし。。
👆これは、5年前のゴールデンウィークくらい(ちょうど今くらいの時期)のある日の午後に作って、初めてちゃんとした曲ができた...!と思ったやつ。この日は雨が降っていて、実家の自室の格子窓に水滴が垂れているのを時折眺めながら作った記憶がある。この頃に作ったやつはみんな、低音をぶんぶん、力ずくでマックスレベルにしてしまっていて、イヤフォンで聴いてると耳が疲れる。
👆これは、2022年の6月に作ったやつ���シンプルにピアノの音色だけで作ったやつの上に、ノイズだったり、合いの手的にメロウなローズの音(...をイメージしながら作ってたけど使っているのも聞こえるのも全然ローズの音色ではない)を重ねて、それを逆再生したもの。逆再生にしたら弦楽器で奏でられている感が強くなって、"雰囲気"が出た。ピアノは弦楽器に分類されるっていうけど、なるほど~となる感じ。音圧が低い。
👆これは......去年の10月の半ば、風邪でだるかったときに作ったやつ(このときは、今回の風邪よりも頭が働く状態だった)。着信音っぽい感じだな、と思って、30秒くらい作ってたやつを半分の長さにして、そこからさらに、元々入れていた音を抜いてシンプルにした。今では、着信音......というか、目覚まし音として日常使いしている。何気にお気に入り。これも音圧が低めだけど、スマホのスピーカーからこれが鳴り出すと、音量の割に音が目立つ感じがする。(例の彼のiPhoneにも入ってて、同じく目覚まし音として活躍中)
⋆⋆⋆
なんだか、風邪で休んでた時のことを振り返るつもりが、音楽作り回顧録みたいになってしまった。とにかく、疲れに押しつぶされてない状態で、また集中して音楽作りたいな......。
[2025_05_03]
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#00023:
"新社会人"としての、最初の1週間が終わった。
やっぱり、毎日早起きして会社行くのはちょっとハードだ......。というのも、自分は元々夜型人間だから。理想では22時くらいには寝たいのに、頑張っても23時半くらいになってしまった。そこから、8時過ぎの始業に向けて6時過ぎに起きるから、毎日、睡眠時間は7時間いかないくらいになる。
ロングスリーパーでもある自分は、果たしてこれからやっていけるのか......今月は乗り越えられても、来月とか、がっと疲れがきて日中の活動に支障が出たりしないだろうか...と、少し不安になる。
一方、就職先での仕事はというと......気楽にできている(改めて書くと...自分は植物や生物のレプリカ・ジオラマ等を作る会社に就職した)。今週はざっと、こんな感じの内容だった。
★火曜★ 午前: 作業部屋の整理+簡単な作業少し
午後: うちの会社が作ったものを見に、博物館へ行く (新人研修)
★水曜★ 1日作業 (そんなに難しくない)
★木曜★ 骨格標本にする鯨の骨の洗浄作業のサポート
★金曜★ 1日作業 (作るものが細かいが自分としては気楽な作業)
4月1日入社ということで今週は火曜スタートだった。1日目はほとんど"労働感"がなくて、午後の博物館なんか、先生に引率されて"社会見学"しに行く小学生みたいな気分だった。会社があまり忙しくない時期ということもあって、翌日からはのんびり室内作業の日々がしばらく続くんだろうなぁ......と思っていたところ、木曜には突如別棟のアトリエに先輩社員に連れられ、クジラ骨の洗浄のお手伝いをすることになった(「突如」とは書いたものの、さすがに前日に告知はされた)。
クジラ骨は...一旦砂の中で腐らせた後に肉を剥ぎ、放置されていたものだから、ものすごく臭っていた(獣臭ムンムン...個人的に、ホームセンターの魚用の餌がたくさん置かれてるコーナーの匂いを思い出した)。それでも意外とすぐに慣れて、洗浄のための運搬作業も着々とこなし......。と思いきや、帰り道、ハイエース車内の密な空間で、凝縮されたあの臭い(若干酸っぱさを含んだ臭いに変わっていて、言うならばちょっと腐ったよっちゃんイカに包まれているかのような感覚)と一緒に移動したのは辛かった(換気してもあまり効果はなく...😇)。車内ではずっとStereolab(たしか"MARS AUDIAC QUINTET"というアルバム)がかかっていて、行きの道中は幸先が良いな~なんて呑気に思っていたけど......。まぁ、作業は終始気楽にできたから良いっちゃ良いか。
......が!本社屋に戻ってからが本番だった。というのも、身体全体にあの、クジラ骨の臭いがこびりついていることに気づかされたから(作業中に着てた服はもちろん即洗濯)。飲み物などを入れて作業現場に持って行っていたエコバッグにもあの臭いが染みついていて......帰宅後に 浸け置き洗いしたらだいぶマシになったものの、微妙に苦い香りが残った。何より、身体についた臭いが���問題で、帰宅するまでにすれ違う人たちのことや、電車に乗ったときのことを考えるとちょっと緊張モノ...な経験だった。(帰り間際に同期の人から練り香水を1回分だけもらって、その人と一緒に応急措置として髪に塗り込んでみたり......帰宅後にシャワーを浴びてすっきり臭いがとれたからよかった)
...と、そこから続く今日は......昨日から一転、ひたすら指先を動かして細かいものを作る日だった。1週間の疲れと作業の単調さで、ウトウトするかと思いきや......作業が軌道に乗ると楽しめてきて、意外と乗り切れた。
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就職後、はじめの1週間はこんな感じだった。ほんと、朝早く起きなきゃいけない以外は...労働にしてはなんだか楽しい、そう感じる。職場の人も、(事前にバイトしてたから予め雰囲気は充分に掴んでいたけど)ここでならやっていけるかも...と思える人たちでよかった。思いがけず色々なことがあったおかげで、1週目はすぐに終わった感覚だ(いきなりクジラ骨の現場に放り込まれるなんて、なかなかのレアケースらしい)。
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ここから先、自分はどうなってくんだろう.........。
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[2025_04_04]
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#00022:
明日から、いよいよ、「社会人」としての生活が始まる。
(ところで、この「社会人」っていう呼び方......なんなんだろう。これまでの自分たちが「社会」から完全に切り離されて存在してきたわけではないと思うんだけど......)
自分が通っていた大学の卒業式は20日にあった。本当なら、もう10日以上経ってたの...???と言いたいところだけど、胃腸炎罹患イベントが発生したから、もっと時間が経っている気分。
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卒業式は、いつも通りの服装で行った。スーツで行こうか、どうしようか考えてもいたんだけど......この1年で10kg増量したことが響いて、パツパツだったから迷う���などなかった。(これが今の自分の"リアル"ってことで......)
式が始まる前にゼミのみんなと合流できるかな...と思っていたけれど、自分が家を出るまでにいつも通りダラダラしてしまったおかげで、叶わず。でも、会場に着いたときに、既に着席していたみんなから手を振ってもらえた(ちなみに席順は、来た順番に詰めていく方式)。某友人(ちなみにこの友人は、この日はロリィタファッションで来ていた。あるとき、眼鏡が全然似合わない~的な話になったときがあったけど、この格好なら...かっちりした長方形の、シルバーで極細のフレームの眼鏡かけたら良さげな感じになりそう、眼鏡似合いそう、とかひとり勝手に想像したりした)からは「安心する」とか、そんなふうに言われて、いつも通り来た甲斐があったな~と思った。
小中高と、なんで卒業式ってこんなに長いんだろう~......と思っていたけど、この日はそんなに長く思わなかった。でも、学長の話よりかは卒業生代表の人の話のほうが良かったな~......。
式が終わると、学位授与の時間。それぞれの学部の、先行毎の会場に移動して、とりあえず待機。うちのゼミの先生は違うゼミの学位授与やらに追われて(そこのゼミ教員は体調不良で欠席したとか)なかなか来なくて、ちょっと不安になったりもした。ずっと待っているとやっと先生が来て、卒論記録集の冊子やらの配布物をもらうなどした(自分は優秀論文に選ばれたから自分の卒論単体で製本されたもの×30冊も追加)。そして、ついに学位授与。小中高までの「卒業証書授与」と違って、周りがわちゃわちゃした中でやってるから、日常の延長...みたいな感じがした。それでも、おめでたいことには変わりない。これからも...いや、これからこそ、こういう「日常」を大切にしていきたいな。特に、ゼミのみんなと会える時間はこれまでよりも限られてくるし、何より「日常」が「仕事」に侵食されてきて、ぼーっとしたり音楽聴いたり考えたりする時間は減るだろうし。。(ゼミメンみんなで卒業......ではないけど、みんなよくここまできた.........感慨深いねぇぇ😭)
学位授与が終わると、今度は謝恩会。会場を移って、軽食を食べながらおしゃべり......と言いたいところだけど、自分はずっと食べてた。自分を知る人たちは、時間が進むにつれてオードブルの上に点々と残ったものを食べてくれるのはあなたしかいないと言わんばかりにこちらを見てくるし、自分のほうも、なんだかもったいなくて自分のいたテーブルのところにあったものはきれいに食べてしまった(最後に食べた、怒涛の枝豆の量よ...🥲)。
食べたあとは、人がいないテラスで友だちとソロ記念撮影し合ったり、まどろんだり、会場の撤収の手伝いをしたりもした(最後の撤収までいたおかげで、謝恩会中に消費されなかったお菓子をゲット。ゼミ友宅での飲み会に活用されることに)。
その後は、ゼミのみんなと宅飲み。ゼミ友の家へ移動した。

(叡電も、この先はあんまり乗る機会なくなるなぁ...としみじみ。)
ゼミ友宅での飲みには、他ゼミの人も参加(←会場の主の友人。うちのゼミの飲み会に他ゼミの人を巻き込むのが先月から続いている。ここにきて新たな慣習誕生かよ...となる感じ)、さらに、ゼミの先生も参加した。実はこの日、自分は4時間しか寝られていなかった。そのせいか結構お酒の回りが早くて、頭がぼーっとして困ってたんだけど......先生セレクトの赤ワインを飲んだら(この日のんだお酒の中で一番の度数)、頭が急にすっきりしてびっくり...!。ちょっと良い赤ワインだったら、飲酒しても身体はこういう反応になるのか......と、新しい発見だった。そのほかに出前もとりつつ、恋バナをしたり、「好きなもの」の話をしたり......と、あっという間に時間が過ぎていった。そうして、終電の時間に合わせて会はお開きに。

自分がゼミに入ったときは......もっといえば、入学したときはこういう大学生活の終わりかたになるとは思わなかった。誰かと一緒に......なんてことをする発想も、あんまり浮かばなかったかもしれない。自分はひとりで過ごすことに慣れているし、そういう時間が好きで、それが自分に必要だと感じる人間だし。それでも、時々こうやって、誰かと集まって楽しむような時間も、自分には必要だと思う。一緒に過ごす人は誰でもいいわけではない。でも、「誰か」と同じ空間にいて、自分や「誰か」が変に傷ついたり、苦しくなったりしないのなら、そういう「お楽しみの時間」は、自分が生きる上で自分がびびっと、「生きてる!」と感じるための活力になる。今回の宅飲みでも、そう思った。本当に、このゼミの一員で良かった。
(また、ゴールデンウィークに集まろうっていう話も出た。それを楽しみに、仕事頑張るか......😶🌫️)

⋆⋆⋆
そういえば、ゼミメン宅飲みの会場の主が、恋人と別れた、という話をしていた。それも、卒業式の前日に......。自分と比べたら随分とさっぱりした考え方をしていた反面、さびしさも滲ませてたな......。自分の場合は、恋人関係を解消したのがともだちとの卒業旅行へ発つ前日で、旅行があまりにも楽しかったからそれに救われていた部分があった。それでも、旅行が終わると時々泣いたり、決断への疑念を抱えながら3週間を過ごした。そんなこんなでこんなことが起こったり、胃腸炎になって何が何でもじっとしていなくちゃ��らない時間が発生したり...。自分の場合は「肩書き」が変わっただけで相手との関係は良好に続いているし(前回のブログに書いた通り看病もしてもらったし...🫠)、新しい出会いにオモイを馳せたりしちゃったりもして......意外に今は、事実を受け入れつつ落ち着いた気持ちでいることができている(「関係解消」した彼が「"親密な"親戚のおじさん」的な感じで見守ってくれているおかげもあると思う)。いよいよ「新社会人」として世に出るってことも、眼前まで迫ってきているし......。否が応でも変化しなくちゃならないこの感じ。この感じを受けながら、また新たに進んでいくんだな......と思う。あの子も自分も、こういうときに恋人と別れたのは幸運だったかもしれない。どれもこれも全部、少しづつ、春の風に溶けて、流れて.........。そうしているうちに、今は思いつかないような新しい日々が、目の前で動いているんだろう。今の自分は、そんな夢を拠りどころに生きている。
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みんな、さよなら。これからもよろしく。
P.S. 胃腸炎、おかげさまでおさまりました...🥲
[2025_03_31]
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#00021:
胃腸炎になってしまった。
大学生最後の春休み、最後の1週間なのに......🥲
今回胃腸炎の症状が現れたのは今週火曜日(25日)お昼前、だるさとお腹の気持ち悪さで目覚めたのが最初。排便して(もちろん便は完全液状)、それでも収まらず胃液吐いて......1回で終わると思ったら、これを3回も繰り返した。このとき、だるすぎて全然動けなかった。家にはスポー��ドリンクや経口補水液などあるわけなく、自分が引っ越しをした時に「恋人関係」を解消した彼が買ってくれたポンスパークリング(ポンジュースの炭酸版)をとりあえず(糖分も補給できるし)飲んでみるも、やっぱり炭酸だからか刺激が強くて戻してしまった。
そこからしばらく横になって、去年の7月に扁桃炎になったときにもらった頓服薬を飲むと、なんだかだるさが軽くなって、だるいなりにも動けるようになった。この時飲んだのはロキソプロフェン......後で知ったけど、胃腸粘膜を傷つけるからこういうときに飲まないほうがいいとか......でも、なんかちょっと元気になったからいいでしょ、って感じで🙃 ついでにポンスパークリングも飲み干した。おいしかったし、飲んでも全然吐かなかった。おかげでお風呂にはいる気力・体力も湧いたし、夕方には近所の内科に行くこともできた。
火曜と水曜は、夜になると「恋人関係」を解消した彼(なんでいちいちこう書くかというと、まだ、「元彼」というには微妙な...どっちつかずな感じだから)が家まで来てくれて、必要なものを持ってきてもらったり、すりおろしりんごを作ってもらうなど看病してもらったりした(これが本当に心強かった...!)。とにかくだるいから動けないし(背中の腰付近や足の関節も痛かった)、ほとんどスポーツドリンクしか摂れないしで横になりまくっていたら、木曜には頭のだるさがほとんど消えて、うどんが食べられるようになって......。音楽聴いてたら、本調子じゃないながらも自然と身体が動き出すくらいには体の動きも滑らかになった。そして......今日は、頭のだるさも消えた。あとは、ちょっとゴロゴロいってるお腹が良くなってくれればな...というところ(熱も、夜には平熱に戻った)。
⋆⋆⋆
今日の夕飯には、うどんを食べた。お腹のゴロゴロ感は残っているものの、この頃にはだいぶ胃腸の調子が戻ってきたようで、二玉ぶん食べられた。その前に、プチトマトも8個くらい食べたし、食後には清見オレンジ1個も食べた。通常運転の自分からすれば、これじゃあ全然物足りない量だけど......(そうそう、この感じ。食欲が湧いてくるのって、この感じだよな)というのを確認した。

うどんには、玉子と平茸、そしてあおさ(「恋人関係」を解消した彼が今回持ってきてくれたもののひとつ)を入れて食べた。食べている最中、ぼーっと器の中を見つめていたら、うどんの汁の中のあおさ、そして平茸の色が浮かんで見えてきて......あ、これは.........!となった。
頭の中に浮かんだのは、2月は週2、3月は月半ばまで週3で入っていた、就職先でのバイト中の風景。植物の模型を作る作業をする時に見た、木の枝の色。枝先につけた、粉々とした緑色の葉。
うどんの器を見ていたら、(あぁ......もう、仕事が始まるんだな...)と、ちょっと不安でも緊張でもないような、どちらの感覚もあるような気持ちになった。ここまでの時間がどっと押し寄せてくるような気感覚もして、ちょっとしみじみしたりもした。せっかくの春休み最後の1週間が、まさか療養期間になるなんて...っていうがっかり感がないことはないけど(この1週間のどこかのタイミングで夜通しカラオケしたいとかなんとなく考えてたし)、このくらい、ゆっくりいくほうが自分らしくてちょうどいいよな、とも思う(そうは言っても、胃腸炎なんて下手したら10年以上ぶりにかかったし最初の2日間はまじでゆっくりするもなにも辛いだけだった)。
就職しても、できぬ無理はしたくない。。
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P.S. 日付けまたいじゃった......またもや、「気持ちは3月28日にいるつもりで書きました」と書かなければいけない事態に🫠
[2024.03.29]
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#00020:
もう最悪。最悪すぎる......。
さっき、アプリ経由で人と会ってきたんだけど、こんなことしなけりゃよかったっていう気分になってる。
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今回会った人(ちなみに年齢は30代前半)と初めて絡んだのは、遡って去年の4月。アプリには、「何募集ですか?」とメッセージがきて、自分は「友達募集って感じです」と返した履歴が残っていた。彼とはそれっきり何もないと思ってたけれど......この間の金曜、突然メッセージがきたのだった。送られてきたのは、顔写真と、「こんばんは」「やりたいな」という文言。そのときは......急すぎたし、前日の4時間睡眠からの卒業式→ともだち宅で飲んで食べて喋って(楽しかった)をやった疲れが残っててそれどころじゃなく、テキトーに理由をつけて断った。そしたら翌日夜にもメッセージがきて......このときは、自動車の学科教習の効果測定に集中してたからメッセージは見ていなくて、内容を確認したのが翌日→今日、起きてからだった。
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8か月以上「恋人関係」だった彼とは、別れてからもこれまでとそれほど変わらずに過ごしているものの......やっぱり、性的な面でのズレがきっかけで「恋人関係解消」したということもあって、今はほかを試せるんだな、と、彼とは別の誰かと関係を持ってみることについて最近はふんわり考えるようになっていた。前回のブログに書いた通り、別れた日の夜は...それはもう涙が止まらなかったし、10日くらい前の夜は、ご飯食べながら(彼と別れるっていう判断は、果たして正しかったのか、自分にとっていいものだったのか)と考えていたら涙が止まらなくなって、ご飯どころじゃなくなったし(何とか食べ終えたけど)、日常のふとした瞬間に彼との「恋人関係解消」の事実が迫るし......と、こんな感じで今もちょっと辛くなる。けど、「ほかの誰か」のことも考えちゃうし......。
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......つまり、そんなあやふやな自分のところに、例の人からの、連日メッセージアタック(?)が来たというわけ。この人は、正直言って自分のタイプかと言われれば微妙だけど、一緒にセックスするのにはそれほど嫌悪感を抱かない...というルックスだった。なんというか、PTAの会合とか、地区の行事に参加している、小学生の子どもがいる父親の中にいそうな感じ。話によれば、向こうは実家暮らしの身で、野外かこちらの家でヤることを望んでいる様子だった。そんな感じで、ふわ~っとしてしまった自分は、概ね相手方の要望に乗りつつやり取りを進めてしまったのだ。
でも、ひとつ良かったのが、これまたテキトーな理由をつけて今日は家ではできないと伝えられたこと。かわりに、こちらはヤる前に一度家じゃない場所で会っておきたいと伝えると、相手に承諾してもらえた。
でも......相手に提示されたのが、よりによって、夜間はハッテン場になることである���度有名(?)な某所だった。今思えば、ここで警戒すべきなのに......ふわ~っとしている自分は、「向こうは『話すだけ』って言ってるから、大丈夫でしょ」と、OKしてしまった。
.........結果、全然「話すだけ」じゃなくて、ベロチューするはめになったし乳首も耳も舐められたしあそこもしゃぶられたし、お尻も腰も胸も触られたし......。全然、「話すだけ」じゃなかった。でも、ふわ~っとしている自分は「可能性」を求めて相手のムーブに同調してしまったし......正確にいえば、「同調しようと努めた」というだけなんだけど。
何が最悪だったかって、まず、体臭。1年前、何となく流れで付き合ってる前提(丸っきり向こうの思い込み)で接してきたおじさん(今思えばちゃんちゃらおかしい話なのに、当時の自分はまんまとそれに乗せられてしまった...自分、あまりにも初心者すぎるだろ)の匂いと、全くといっていいほど同じだったこと。チューしたときの口臭で記憶が蘇ってきて、(あ、これ、だめだな)と思った。彼の口臭を認識して気づいたのが......洗剤か柔軟剤か知らないけど、身につけているものの香りもあのおじと似通っているということ。このコンビネーションって、もう、最悪オブ最悪だろ。これでは行為に集中できるはずもなく、自分は彼の前で身体と脳をロボットのように動かしながら、ただただ(早く終わってくれ~)と、脳内で祈るのみだった。
そして、もうひとつ。それは、こちらのことなんかお構いなしに行為に持っていっていたこと......これも最悪ポイントだった。(それじゃあ、こっちは何のために「事前に会っている」のか分からないじゃん。自分はあんたの性欲処理のために来たんじゃないんだが......。)と、身体と脳をロボットにしながらもわずかに残る人間の自分が、イライラ怒らずにはいられなかった(自分の生存本能...的なやつで、どんなときにも自分の感情を認識しようとするところがある)。
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......と、こんな感じだった。例の人と別れた後の帰り道は、虚無→苦しみの涙(外だったから堪えた)→○さん(「恋人関係」を解消した彼の名前)を呼びたくなる気持ちがずっとループした。こんなことはしたくはなかったし、するはずじゃなかった。申し訳ないけど、実家住みゲイって、みんな同じ匂いで、同じような行動するの?と思いかねない、そんな感じ。こっちがそんなに興奮してないことは向こうも気付いていただろうに、ひとり興奮して、勃ちまくっていた彼だって、虚しくならないのかな。自分は......家に戻ってから、やっぱり泣いた(「人間」な自分の爆発)。とりあえず、彼に舐められたところは洗った。洗ったら、涙は収まってきたけど......相変わらず、なんか最悪。
⋆⋆⋆
今回会った人に欲情され、チューやら何やらされている最中、彼から、彼氏がいたことがあるか、という質問を受けた。それに対して「は��」と答え、「前の彼氏は?」とさらに聞かれると、「最近別れたばかり」と伝えた。自分にとって、その次の質問が、かなりグサっっときたのだった。
「なんで別れたの?」
......これに対して、自分は何も答えられなかった。相手は、「こんなエロいのに、かわいいのに、なんで?」とぶつぶつ続けていたけど、自分は、そんなことはどうだっていい(というか、この人から自分の身体とか容姿全般を褒められても、全然うれしくなかった)。「恋人関係」を解消した彼のことは嫌いどころか今も好きで、彼といるときは(どうしても頭を使わなきゃいけない場面もあるけれど)基本的に幸せだし、尊敬している部分がたくさんある。ただ、性行為にまつわるキャパシティが噛み合わなかったことと、自分が彼と親子ほどの年齢が離れていて、彼は自分に対して「今の時点でぼくひとりに決め込むのはどうなのか」と申し訳なさそうにする場面があったし、自分は彼のそんなところを見るのが辛くて、そのうち本当に彼の言う通りなのかもしれないと思うようになっていった。(あと、彼が彼自身の部屋に他人を迎え入れるっていう状況に関して色々とセンシティブに反応するとこがあったり、細々とした要因もあるにせよ)それ以外は本当に......少なくとも自分は、満足していた。
「恋人関係」を解消した彼には、自分と関わったことによる感覚の変容(「性的なものを抜きにしても、相手のことをこんなに愛しく思うことがあるんだ」というもの)も起きていたことだし、ここからいくらでも、オープンリレーションシップ的な関係を模索することはできたはず...のような気もするのに。あの日(卒業旅行に出発する前日...なんという偶然)、前々からの違和感を再び提示した彼から「どう?」と聞かれた自分は、関係の解消を選んで彼に伝えた。それでも、その後も週末は大体彼の部屋に泊まっているし、LINEをする頻度もそれほど落ちていない...というか、頻繁にやり取りしている(旅行中も、実況のようなことをしていた)。なんか、「お互いがより『自由に』なるために」、っていう、希望的な「飾り」をつけて納得しようとしている自分がいる気がする。本当に、彼と「関係解消」してよかったのかな......やっぱりこれが、ずっと頭にこびりついてとれない。いつものように彼の家に行ったら香るものだけど、彼の匂いが恋しい。今日会った人のベロチューの味が、うがいをしても微妙に取れない。邪魔くさい。嫌だ。
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P.S. 書いてるうちに日付けをまたいでしまった....🥲 今日も夕方に行ったけど、明日は午前中に自動車教習所に行かなきゃいけない。なのに、もう2時間近。寝よう。何はともあれ、あの人にはもう会いたくない。(というか、ブロックしてしまった)
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#00019:
彼氏と、「恋人」関係を解消した。
今日は、ともだちとの卒業旅行の前日。準備もしなきゃいけないのに......涙が止まらない。泣き止んでも、思い出したようにまた涙。別に、彼と喧嘩したわけでもないし、二度と会えなくなるような、決定的な出来事があったわけでもないんだけどね。
⋆⋆⋆
彼と出会ったのは、去年の6月頭。今は2月の終盤で、あれから9か月が経とうとしている頃、ということになる。付き合おう(実際はこんな、スパッとシンプルなものではなかったけど)、と彼から言われて悩みながらもOKしたのは、出会いから2週間後くらいのことだった。
⋆⋆⋆
気持ちや考えがあまり整理できてなかったり(今だってそうかもしれない)、いつの間にか時期を逃したりしてここにはあまり書いてなかったことだけど、彼氏とは、初秋の頃から......性的な面での、好みというか、キャパシティというか......ズレがちょこちょこ見えるような状況が続いていた。もう少し具体的にいうと、自分のほうが、彼の求める水準までカバーできないのではないか、という疑念。どちらかが、もしくはお互いが「自分」を無下にするようなことをしていては、この先ふたりでやっていけるのか......という不安に繋がっていた。もっとも、主に......というか先に不安を感知していたのは彼のほうで、諸々初心者な自分は、(いや、まだいける、今度こそは......)と、どちらかといえば呑気な感じで何回も彼を付き合わせちゃったけれど。
これまで(不)定期的に、(このままではいかん...!)の気をキャッチした彼によって、話し合いタイムが設けられていた。そこでは何回も、自分が望むものは何なのか、1回1回決断を迫られる感じに対して、身も心も揺るがせてきた。彼の一風変わった過去の経験の影響で、彼にとってはこういうやり方が決して特別なものじゃないことはわかったけど......こんなのはスパルタすぎる、と何度思ったことか。でも、それも回数を重ねるごとに慣れてきて......彼は彼のほうで、ずっと全力でついてくる自分に突き動かされて(自分で書いてるからおかしいけど、でも、この全力さは彼が感じ取ってくれていることなのはたしか)、少しずつ、彼の中で���者との関わりにまつわる価値基準の枠組みが変化していっているのを、自分はここ数か月で見てきた。そうそう、不安が露呈し始めて少し経った10月には、一緒に風邪もひいたな。どんなときも自分は、とにかく彼のことは好きだし、一緒にいたいし......という気持ちだけでやってきた。
⋆⋆⋆
自分が書いた卒論の題には、「自分がいなくなる感覚」というフレーズがあった。これは、ともだちとゼミの先生とのやり取りの中で出てきた言葉を拝借したものだけど、自分が彼と過ごしてきた時間は、こういった感覚に向き合い、考えるための栄養みたいなものだった。なぜなら、肉親から肉体的、精神的な抑圧を受けて育っていて、それが「自分」という存在、感覚を常に小さくするような生きかた(例えば、自身の欲や希望よりも「役割」に忠実に動かなければならない...といった意識とか)にも繋がり......自分が関わってきた彼は、そういう面を持った人だから。「自分がいなくなる感覚」......いかに、「今現在」の状況に自分の意思をないものにしないか、させないか、という問題は、恋愛とか、性的なものが絡んでくるとものすごく厄介になることがこの1年でよく分かった気がする。
自分は相手のことが好きだけど、自分は相手が嫌がったり、苦しく感じたりしているところは見たくない――自分の「好き」という、ものすごいエネルギーを内包した意思と、相手にある思いっきりの「生」を両立するときに、それがそつなく、ひとつひとつマッチすれば楽だけど......いくら「好き」でも、全てが「合う」わけではないし、合わせられるわけではない。すごく辛かったし、怖かったけど、そうして自分は、彼とは「恋人」という枠組みを外すことを選んだ。
彼とは年齢が親子ほど離れていることもあって、彼は、若い自分が、ひとつひとつ自分で考えて、気づいて、行動するのを待ってくれていた。そんなことは微塵も気づかなかったし、年齢による経験の差とか関係なしにズバズバ言って欲しいとか、思わないわけじゃないんだけどね......。
⋆⋆⋆
ここに細かく書くことはしないけど、彼はここまでの人生で深く沈んだ時期があって、そのときを考えると、今は奇跡的な状況らしい。「自分自身の人生を生きる」ことに関して、(単純に考えて)残り時間が長い自分とはまた違った「重み」が彼にはある。今回の選択が、彼が彼の人生に抱く望みや憧れを、より自由に実現するための助けになればいいな......と思う。自分も自分で、人生の探究は続いていくし。ここ最近、周りの人たち......親しいともだちにさえも、彼のことを「彼氏」と呼ぶことにどんどん違和感を覚えていくのを感じてたんだけど......つくづく、彼とは不思議な間柄になったものだな、と思う。「恋人」って、なんだろう。「好き」って、なんなんだろう。さみしいけど、少しずつ、歩みを進めていくしかないな。
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[2025_02_24]
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#00018:
先週の水曜日(2月5日)。初めて、ゲイの宅飲みなるものに参加してきた。
きっかけは......引越しの翌日、ナイモン(9monsters、ゲイの出会い系アプリ)に突然、主催者(40代前半)からメッセージが送られてきたところから。夜の19時から宅飲みをやるから参加しないか、という内容だった。今までこういう誘いはなかったし、そもそも、自分はほとんどナイモンを開いてなかったから......ちょっとびっくりした。引っ越して、自分の位置情報が変わったことによる効果が出てるな、と思った。せっかく誘ってもらったし、なんか気になる...とは思いつつも、その日は引っ越し翌日で疲れていたし、「あいにく今日は都合がつかない」と、断った。けれど、参加のチャンスは逃したくなかった。だから、今後機会があれば声をかけてもらえるように自分は主催者へ頼んだ。そして、先週の水曜に参加した......というわけだ。
⋆⋆⋆
前日、バイトが終わると主催者から連絡が来ていることに気付いた。それは、1時間前に買い出しに参加しないか、という内容だった。(主催者とふたりで買い出し...?ってことなのか??)と、どうしようか、少し迷ったものの、(宅飲み前に主催者の人となりを少しだけでも感じ取れるかもな)と、買い出しにも参加することにした。
⋆⋆⋆
宅飲み当日。この日はそれ以外に予定は無く、起きてからというもの、自分はそわそわしっぱなしだった。だって、こんな機会、自分にはこれまでなかったから。でも、この日はちゃんと眠れた。引っ越してから初めて、8時間ぶっ通しで、一度も目覚めずに。やっと新しい部屋に自分が馴染んできたのかもしれない。だから、体調はすこぶる良くて、(緊張するものの)楽しむ準備はできています!という状態だった。彼氏も、新しい出会いから学びや発見もあるだろうし、満喫してくださいまし☺と、(文字上で)送り出してくれた。
目的地までは電車を2回乗り継がなければならなかった。2年くらい前の自分だったら、こういう乗り継ぎに慣れていなくて多少手こずってしまうはずだった。けれど、今は迷わずに移動できる。すいすい~っと目的地まで......と思いきや、降車駅で、自分が出たい出口がわからず、数分ウロウロ。初めて来た駅だから...というのもあるけれど、少し焦った。結局、出口はホームのすぐ裏にあったことに気づいて、拍子抜けした。小さい駅だから簡単だろう、と思った自分が甘かった。
��んな感じで、気を取り直して買い出しの集合場所(スーパーの待合室)へ。スーパーの入り口付近で、THE NORTH FACEのダウンジャケットを着た人が自分の前にやってきた。まさか、今回の宅飲みの参加者じゃないよね...?と思いつつ、背中を眺めながら待合室へ歩いた。するとなんと、その人も待合室の椅子に着席。自分は違う机のところに着席して、そわそわ、周りを見渡し、少し遠いところにいる、さっきの人のほうをチラ見するなどした。そのときにもうひとり、いかにも会社帰りっぽいような、サラリーマン的格好をした男性も、少し離れた席に着席していた。そうしていると数分後、主催者が到着。まずは自分が彼に存在を知らせ、軽く挨拶をした(向こうが「お疲れさまです」と言ったから、自分もそれに返す形で)。すると、主催者は例のダウンジャケットを着た人、サラリーマン的?仕事人的?格好の人のいるほうに目を向けた。実はなんと、そのふたりも宅飲みの参加者だったのだ(まさか、は本当だった)。さらにもうひとり、買い出しから参加する人がいるようで、来るのを少し待ってから、5人体制で買い出しをスタート。最後に来た人は、自分より少し若いくらいの雰囲気の、眼鏡をかけたナイーブそうな感じの人だった(実際、1コ下だった。宅飲みは今回が2回目の参加の様子)。このときの自分はというと、(買い出しは、ふたりきりで行くわけじゃなかったんだな......ふたりきりだったらやばいくらい緊張しただろうな......)と、ホッとしていた。
買い出し中は、少しよそよそしくそわそわしながらも、ほかの人と一緒に、飲みたいもの、食べたいものを選んだ。買い出し中、最初に自分へ声をかけてきたのは、(スーツ姿ではないけど)仕事が終わったサラリーマン的格好の人だった。自分は集合場所へ来る途中、電車の乗り換えの合間に駅のトイレを使っていて、そのときに姿を見た......とのことだった(今の自分は冷えた緑色の髪色をしていて、その上さらに緑の上着に髪と似たような色の靴を履いていたもんだから「なんか緑色の人がいるな~と思った」と言われた)。記憶を少し辿ると、たしかに、言われてみればこの人は駅のトイレにいたな......となった。その人も、(電車の車両は違ったものの)途中から自分と同じ便でここまで来ていたようだ。お惣菜や、お菓子、飲み物(主にお酒)の買い出しを済ませると、いよいよ会場へと向かった。
会場は、主催者が経営するパン屋の中だった(主催者は建物の2階部分で暮らしているらしい)。お店の中ということで、誘われた当初想像していた「宅飲み」とは異なり、「家」感が薄いぶん、普通にどこかのお店に来ている感覚になった。
参加メンバーは日によって多少変動があるようで、大体毎回5人から10人の範囲内で開催しているらしい。今日の参加者は、さらにもうふたりいるようだったけど、この時点でいるメンバーで、一足お先に会は始まった。自分は新顔ということで、はじめは、もうすぐ大学卒業するんです~とか、就職に向けてついこの間引っ越したばかりなんです~とか、そんな具合にどんな生活をしているかをざっくり話したと思う。この空間には、ゲイ男性だけしかいない。恋人やタイプの人云々の話も相手が男性である前提で話が進んでいくから、なんとも不思議な気分になった(ちょうど1年前くらいにdistaのイベントの後に参加者有志で集まって中華料理を食べたときもそんな感じだったな...と思い出す)。そして、20時ごろには仕事が終わったもう二人の参加者が到着。片方の参加者はなにやらなかなか着席せず、もぞもぞとウロウロと(?)飲み物が置いてあるあたりにしばらくいた。そういえば、部屋ではずっとBGMがかかっていて、例のなかなか着席しない人が来てからはその人のスマホから曲を流しているようだった。松田聖子の「青い珊瑚礁」が流れ出すと、主催者は「若い子もいるのになんでこんな古い曲流すの、(自分たちの)親世代くらいの曲じゃないの」という感じで、文句を言い出していた。それに対し、例の人は「そこまで古い曲じゃない」と反論。周りも、そうだよ、という感じでなだめていた。確かにこの曲は自分の世代からしたら昔の曲かもしれないけど......少し前にはNewJeans(改め今はNJZ)のハニが日本公演で歌ってたし、そもそも有名な曲だから大体の人は知ってる曲だし、どっちにしたって好きなのかければいいじゃん、と思う。主催者の小言をちょっとは意識したのか、その後はいきなり20年時代が進んでhitomiの「LOVE 2000」、次はCHEMISTRYの「PIECES OF A DREAM」と、ちょっとずつ時代が進んでいく感じのプレイリストになっていたような気がする。
......と、それは置いといて。全員が揃ったということで、ここで自己紹介タイムに移った。まずは、サラリーマン的恰好だった人から。この人は現在40代後半で、数年前に脱サラして、今はスポットワーカーとしての暮らしを送っているとのことだった(あの服装は、サラリーマン時代の名残なのか、とひとり勝手に納得)。二人目は、自分より1コ下の人。なんと、この間まで自分が住んでいたところから近い大学に通っているらしい(ただ、2時間くらいかけて、実家から通っているとか)。そして、三人目。この人は遅れてやってきたうちのひとりで、現在30代中盤。働いている会社では経理の仕事を任されていると話していた(ということもあって、この人が来たばかりのときから自己紹介までの間、話題が少し「お金」方面に動いていた)。この人はなぜか自分に質問を振ってきて、少し困惑してしまった。苦し紛れに出した質問は「休日の過ごし方はどんな感じですか?」。すかさず隣の人から「お見合いかよ」と突っ込まれてしまった(だって思い浮かんだのがこれだったんだもん)。次は、主催者の自己紹介。さっきも書いたように、パン屋の店主だ。5人目に自己紹介した人(遅れてきたうちのもうひとり)とは同い年で、20代中盤の頃からの古い付き合いらしい。5人目の人は、介護施設の事務仕事をやっていると話していた。この人は鉄道オタクで、何がどうしてこうなったかは忘れたけど、自己紹介中にオタク語りタイムが挟まれ、主催者から強制終了を喰らっていた(主催者と、この5人目の人はここでお互いに対する文句/愚痴を言いあっていて、なんというか......仲いいですね、(いいニュアンスでの)腐れ縁ですね、という感じ)。参加メンバーの中で、この人は変人枠に入れられてるんだろうな......という雰囲気を感じた。そして、次は6人目=自分の隣に座っていた人=THE NORTH FACEのダウンジャケットを着ていた人。なんと、節分の日に30代に突入したばかりだったらしい。この人も介護施設で働いていて、話からするに健康運動指導士の仕事をしているようだった(利用者さんの中にはこの人のファンがいるとか)。そして、最後は自分。名前を言うと、
主催者「相方さんがいるんだっけ」
自分「はい」
主催者「年が離れてる感じ?」
自分「はい......32歳、ですね」
主催者「32......すごい離れてるね」
隣の人「うわ負けた~」
自分「ん?なんですか?」
隣の人「俺最高で20歳差くらいだった」
......と、こんなやり取りが繰り広げられた。このとき、向かいの席にいる人=サラリーマン的格好をしていた人が、ぼそっと「うわぁ~...夢があるなぁ」とこぼしていたのを自分は見逃さなかった。というのも、買い出しのときといい、宅飲み中といい、定期的にこの人の視線がこっちに向けられているのを感じていて......。(ちょっと、警戒対象にしたほうがいいかも、いや、どうかな...)と思っていたからだ。いやはや、くわばらくわばら......。
この宅飲みでは、用意されたお惣菜やパン(この日用意されてた中ではスコーンが一番気に入った。くるみが入ってた気がする。バレンタインシーズンで、チョコを使ったパンが多めだった)を一番食べているのが自分で(自分のことをよく知る人たちからすれば、これは納得の状況だと思う)、それが、隣の人のツボに入ったようで......「さっきからずっとお箸が止まってない」とか「ちなみに今腹何分目?」とか、食べていることに関して、定期的に何らかの反応をもらった。ついには「昔は自分もいっぱい食べてたし、年上の人からいっぱい食べてる姿がいいねとか言われてたけど、今、その気持ちが分かった。なんか、見てて、かわいいなって思うもん」なんてことを言われる始末...。その人はついこの間まで20代だった人だけど、もう昔みたいに食べれない...って言ってたな。自分は一体、いつまでこんな感じなんだろう.........🫠
そうこうしているうちに、22時。お開きの時間になった。少しだけ料理が余ったから、「持って帰れば」と1コ下の人、そして隣にいた人から促され、お惣菜の入っていたプラスチッ���容器にまとめて持ち帰ることに...(もう「いっぱい食べる人」認定されてしまった😇)。
⋆⋆⋆
帰り道。駅までの道中で、例の鉄オタの人が自分と同じ大学出身ということが判明した。しかも、学部も一緒(当時は名前が違ったものの、実質、同じ学部)。これはさすがに、お互い驚いてしまった。そういえば、主催者の人が、独特の「間」がある人だから自分に会わせたいと思ってた...とか言ってたな。なんだろう......自分の大学に通う人は、うちの大学にいる人は変人とか、冗談なのか本気なのかわからない温度感で言っているのを時折耳にするけど......結構、それは本当なのかもしれないと思ってしまった。というか、主催者はナイモンのプロフとか、事務的なチャットのやり取りだけで自分の人となりをこんなに感知してたのか...! と、軽く驚いてしまう��何気にすごい能力だ...🫢
あと、例のサラリーマン的格好の人。あの人、駅までの道のりで鉄オタの人と話してるときにちゃっかり「寒い~」とか言いながら自分の左腕に抱きついてきたし、どさくさに紛れてお尻にも触ってきた。いきなりだったし自分はびっくりして、「な、なんですか」しか言えなかったし、一方あの人はやけに上機嫌だし......この時点で彼は、要注意おじに認定されましたよ、この自分によって。宅飲みの場自体、楽しかったしこれからも参加できるときに参加したいと思ったけど......あぁ、要注意な人がひとりいますね、という感じで、ちょっと気をつける必要があるな。その後も、帰りの電車の乗り換えで、どうしても要注意おじとふたりきりにならざるを得ない時間が発生して......。電車に乗ってる最中、自分の髪色を褒める流れで「かわいいよ」と言われたり......。
要注意おじ「髪色、いいね、似合ってる。かわいいよ......🌟くん、かわいいよ」
自分「(内心😅状態)ありがとうございます」
なんて感じだった。なんなの。自分が年上の人が好きだからって、誰でもいけるわけじゃないんだけど? 年上好きって言ったって、20代後半から50代とか、そのくらい、好みの範囲は広いんだけど?? 第一、タイプでもないし、絡み方がキモいんだが......。こちとら、誰でもいいからって、32歳上の人と付き合ってるんじゃないんだよ?ほら、そんなんだから相手がいつまで経っても現れないんじゃんか.........と、こんな感じのことを本人に言ってしまいたくなる。いや、彼はパッと見、(いわゆる)「普通の人」なんだけどね......蓋を開けてみたらワンチャン狙いおじでした😇ちゃんちゃん😇(彼氏は、ゲイの世界ではこういうの...彼氏持ちにもアタックするっていうのは、ありがちって言ってた。) ......そういえば、飲み会の最中に「親子ほど歳が離れてるとグルーミングって言われたり大変」とか色々言っていたけれど、結局、あんたもグルーミングしてる奴らとそう変わらないじゃねーか😇
何はともあれ、まぁ......まだ、「楽しかった」感覚のほうが勝ってるから、宅飲みにはまた参加しようと思う。話すのが苦手な自分でも、それなりに話に参加できたしね。(時間が進むにつれてリラックスモードになってきた自分は、時折、全員には聞こえないくらいの音量で誰かの発言に対してツッコミを入れてたんだけど、それが割と、隣の人にウケてた。自分はそれくらいでもすごい満足しちゃうタイプ)
ただ、気安く自分の領域に入ってこないでほしい...! あのおじ、ほんと、頼むよ。。😇
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[2025_02_13]
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#00017:
2025.01.25 (土)



この日は、引っ越しをした。結局一睡もせず朝を迎えて......8時過ぎまで余裕だったけど、朝食を食べてしばらく経った9時半過ぎから雲行きが怪しくなって、結構ギリギリで引っ越した。それでも持ちこたえたのは彼氏のおかげ。10時過ぎから、彼に来てもらって最後の荷造りを手伝ってもらった(思ったより面倒なやつを頼んでしまったのがちょっと申し訳なかった...。そして実は、その前も年明け前に1度、荷造りを手伝ってもらっていたんだった。ほんとにいつも、ありがとうございます……🥲)。
彼に作業をまかせている間、11時台に一旦新居の鍵をもらいに不動産屋に行き、また戻り...。引っ越し業者が来るのが13時~15時のいつになるか分からないからそわそわしていると、電車から降りる間際に電話がかかってきた。業者は、13時前に着く見込みと話していたけど......ちょっと待ってもらって、13時になってから来てもらうようにした。そのことを彼にも連絡し、自分がこれまで住んだアパートに戻る頃にはほぼ13時。徒歩15分→スクールバス→地下鉄→不動産屋→地下鉄→スクールバス→徒歩15分と、どうしても時間がかかってしまった。急いで階段を上ろうとすると、なんかの業者っぽい人も階段を上り始める所だった。(もしや......)と思って声をかけると、予感的中。自分の帰宅とともに業者がやって来る形になってしまった。自分が鍵を取りに行っている間に、彼氏は業者が運びやすいように荷物を玄関付近から詰めて置いてくれていた。あわてて彼氏のところへ行き、状況を説明したりしているうちに積まれた荷物はどんどん運ばれていった。詰めきれていない荷物をどうしようかと悩んでいると1個箱を用意してもらえるなど、作業の手際が良い上に状況を見た気配りができるのだから、想像以上に良い業者さんだったと思う。

目まぐるしくあっという間に部屋が空になり、彼と一緒に床拭き掃除をして、最後に名残惜しく部屋の写真も撮って......。そうして、旧居を後にした。自分は初めに鍵の返却...からの新居へ移動、彼は先に出発した引っ越し業者に対応するべく、鍵を返却する自分より先に新居へ移動......というように、ここからは二手に分かれて動いた。
まず、これまでお世話になった不動産屋の店舗まで徒歩10分程度......。大きなリュックを背負い、パンパンのトートバッグに肩掛けかばんも持って歩いたから、これが結構疲れた。不動産屋の用事が済んだら、スクールバスで駅まで行って地下鉄に乗るために大学まで徒歩約25分。このときは、もう死にそうだった。そもそもこの日は一睡もしてないから、午後になると眠気からくる身体の倦怠感も徐々に発生。地下鉄に乗ったとき、大きなかばんを網棚に載せるときは腕が震え、こんなに疲れてるのか、と少しショックで......(1回乗り継ぎもあった。乗り継いだ電車の網棚にかばんを載せるときは、そのときの自分のパワーの具合を二の腕の筋肉プルプルの1回目で把握したからか、腕は震えず勢いよくかばんを載せられた)。そんなんで、この日は引っ越し完了までよく身体が持ったと思う。
新居までやっとのことで到着すると、ちょうど業者が帰るところで、挨拶をしたらすぐに車を走らせて行ってしまった。新居の部屋に入ってみると、家具の配置を旧居にいたときと同じにしてもらっていることに気づいた。とりあえず彼からパンをもらって栄養補給。そして水分補給もしてから、必要最低限の荷物を彼と取り出し、最低限生活を送れる状態にした。この日は彼が持ってきてくれたおかず(大根と鶏肉を煮たやつ)と冷ごはんを食べ、彼が帰った後、しばらくしたらすぐに眠りについた。
一睡もしていなかった......から、早寝して15時間寝てやる!!!!と思っていたけれど、結局6時間くらい寝たところで覚醒。家具の配置が同じなのに、部屋の匂いは違うし微妙に雰囲気も違うしで、変な気分になっていたからかもしれない。ちなみに、その後もしばらくこんな調子で、予定時間より早く目覚めてしまう毎日を過ごした(今週の火曜=2月4日からやっと調子が戻ってきた)。
先週末からは、4月から就職する会社でのバイトも始まったし、ようやく、新居での生活リズムが構築されてきた感じがする。近くに業務スーパーがあるとか、地下鉄がすぐそばとか......これまで住んでた場所がコンビニ以外何も無さすぎるところだからかもしれないけど、驚くほど便利で、これはまことか......????という気分になる。バイト終わりで帰って来るときも、道を間違えたんじゃないかと思って一瞬不安になるけどたしかに地下鉄の駅から徒歩5分程度で家に着いている。風呂トイレ別だし、日当たりがいいし、なぜか自分が部屋にいると湿度が上がるけど湿気が籠り続ける感覚もないし(前の部屋は酷すぎた)。唯一残念なのは収納スペースが減ったことくらいかな(特にキッチンの収納が前のとこと比べて軽く半減くらいはしてるのが衝撃)。
......と、こんな感じで、引っ越しが終わったことで👇
いよいよ自分の給料で、経済的にも自立して生活するまでのタイムリミットが......迫っている......
ということが現実味を帯びてきた感じがある。でも、焦ると後に響くし。ぼちぼち、新しい生活に慣れていく......今は、そんな時なのです。
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(眠すぎて疲れすぎて、今回のブログはとにかく起こったことを記録するので精一杯、って感じ満載だな......必死にカタカタ、キーボード打ち🫠)
[2025_02_08]
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#00016:
先週の金曜日(1月10日)は、パスポートを申請しに行ってきた。
なんでパスポートがいるかというと、来月末、友だちと卒業旅行に行くから。パスポート申請は、人生初。だから、海外に行くのも初、なのだ。行き先は香港。まだまだ現実味がないけど、行くんだよ、香港......。
京都駅ビル8階の旅券事務所に行って、申請書書いて、列に並んで......。どうやら年末年始は混むらしく、この日もたくさん人がいた。勝手がわからなさすぎて、記入コーナーで申請書の書き方をググったりしながら記入してたんだけど、普通に、机の前に記入方法が書かれた紙が貼ってあった。かなり書き進めたあとに気づいて笑うしかなかったよ...😇 さらに、列に並び始めてから裏面にも記入欄があることに気づいて...😇 列の半ばまで進んでたのに、また並び直したよ😇 そんな具合で、旅券事務所に着いて申請手続きがが完了するまでは大体1時間ちょいかかった。人がたくさんいたから時間はかかったけど、手続きのやり方自体はそんなに難しくなくてよかった。収入印紙や手数料は後日(手数料は即日コンビニで払ってきた)、ちゃんと払ってきた。申請から1週間後の今日から受け取りに行けるらしいから、パスポートを手に入れたら、あとは旅行の計画を練るだけだ。
自分は、旅行っていうとピンとこないというか......とりあえずは、今暮らしてる場所で生活を回していくことに集中しちゃうし、今いるところで十分に楽しみは見つけられるし。そもそも自分がインドア派だってこともあるけど...。だから、こうして友だちから誘われたりしない限り、旅行するっていう発想はほとんど浮かんでこない。行ったら行ったで楽しめるのはわかるんだけどね......。もちろん自分の欲求の優先順位としては、旅行はそれほど優先順位の高いものじゃないんだけど...それでも経験として、人生で1回くらいは海外に行ってみたいとは思ってた。誘ってくれる人がいなけりゃ、最低でも人生で1度は海外に行ってみたいという、自分のふんわりした考えがいつまで経っても実行に移されないわけで......改めて、友だちに感謝だな、と思う🥲
旅行のメンバーは、自分と度々このブログにも書いてる人と、もうひとりの、計3人。海外旅行に慣れてるメンバーがいるから心強いというか、ここまで、結構お任せ気味な気がする(ホテルの部屋は良さげなところをみんなでちゃんと吟味したけど)。飛行機も、高2のときに修学旅行で沖縄に行って以来人生2度目だし、しかも海外は初めてだから、飛行機のチケット購入から搭乗まで、まだまだ頼ることになりそう...。
⋆⋆⋆
実は、旅券事務所に行く前に、京都駅でちょっと迷って...。烏丸線を降りて、中央口のほうへ移動するところまでは順調だったんだけど、京都ビルの8階への行き方が分からなくて、まずは、旅券事務所のある方向とは反対側のエスカレーターをのぼってしまった。でも、これまでなかなかこうして京都駅の空間をじっくり眺めるなんてことはなかったし、本来の目的を少しの間忘れて、楽しんでいたのは事実。迷った先で、写真をパシャパシャ撮ってしまった。












👆ちなみにこの人、「可愛くてごめん」弾いてた

👆京都タワー。撮ったときはピント合ってる気がしてたけど、後で大きい画面で見たらちょっとぼけてた🥲

なんだかんだで50分近くぶらぶらしちゃってたな......。

(おまけ) ようやく旅券事務所のあるところにたどり着きそうなときに発見した、離れ眼のスマイル☻
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[2025_01_17]
#life#blog#japanese blog#2025#January 2025#travel#passport#ブログ#生活#旅#パスポート#Kyoto station#京都駅#my photos#写真#Youtube
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#00015:
2025年になった。(早いもので、月半ば。1月も12月の延長みたいな感じで毎年あっという間に過ぎる気がするのは自分だけ......?)
今週の月曜日(13日)には、京都劇場へ、青葉市子の15周年記念コンサートを観に行ってきた。
この日も、いつものように彼氏の家に泊まっていたから、会場へは彼氏の家から向かったんだった。16時半過ぎに出発して、自分が京都劇場に到着したのは、大体17時過ぎくらい。
京都駅中央口手前の左手にあるエスカレーターをのぼって駅ビルの入口へ......と思うと、同じ公演を観に来た人たちでいっぱい。自分が行ったときには、入り口から少しはみ出て、行列ができていた(SNSの書き込みによると、14時くらいから列ができてたらしい......先行物販開始は15時からだったはず)。
列に並んで、ホールへの入り口に到着するまでの時間は......周りに人がいっぱいでそわそわするし、かと思えば、(そうか、もうすぐ始まるのか、青葉市子の演奏が聴けるのか...😮!)と、来たる時間のことをおもって背筋がいつもよりぴん、と伸びる(ような)心地にもなった。青葉市子の生演奏を聴くのは今日が初めてだから、なおさら背筋は伸びますよ......という具合。そもそも建物の空間がそれほど広くないから、列はできていたものの、10分くらいで中に入ることができた。入るときには、缶バッジをもらえた(通販やライブ会場で時折売られてる、直筆イラストが封じ込まれた1点ものの手作り缶バッジではない)。

自分の席は、2階席��一番前の列の、右側端に近いところだった。公演が始まるまで、3~40分ずっと座ってるときも、自分はそわそわと背筋ぴん、を繰り返した。そして、18時ごろ、照明が暗くなるといよいよ公演スタート。
まずは、挨拶から始まった。その最後、付け加えるようにして本人から発せられた「寝てもいいです(ニコっ)」という一言に、会場が笑いに包まれる......なんて一幕も(自分も思わずニコリ)。そうして始まった1曲目は、「ココロノセカイ」。これが、青葉市子が初めて作った曲......というのは予め知ってたし(この日のMCでも本人が話してた)、この曲から始めるのはほんと、周年記念にうってつけだよね🥹、と思った。演奏が始まるや否や、自分の座っているところから演奏中の青葉市子のいるステージまで、1本の道ができているような感覚になって、そわそわも背筋ぴん、も、どちらも消えた。スポットライトを浴びながら椅子に座ってギターを弾きながら歌う青葉市子の周りには、マイク、アンプや譜面台はもちろんのこと、大きな貝殻が置かれた小さなスツール、小さなキーボードとマグカップが置かれた小さな机が、本人を囲むように置かれていた。バックには、星空のような照明。その下には、曲に合わせて明滅する、小さくて丸いオレンジ色の光。ただただ、ぽわ~ん、と浮かぶ目の前の景色を前に、聴き入った。そのまま「不和リン」→「重たい睫毛」→「少女と檻」→「灰色の日」→「おもいでカフェ」と、続けて演奏。ここまでの演奏を終えた本人は、「一筆書きのようにばばばっとやっちゃいました」と話していた。曲と曲が、グラデーションのようにするすると流れるような、本当に「一筆書き」な演奏だった。個人的には、「灰色の日」が聴けたのはうれしかった。しかも、「少女と檻」から続けて演奏されるという、アルバムそのままの流れ!「灰色の日」は......ある日、自分が出かける支度をしているときに『檻紙』を流し始めて、そこからすぐにイヤフォンに切り替えてこの曲を聴きながらそのまま家を出たときのことを思い出す(2年くらい前かな)。外出前は大抵焦りや緊張に包まれがちな自分が、そのときは焦りも緊張も、軽やかに乗りこなせるような心持ちで家を出ることができた。「わたし、軽やかです」というような、「強さ」をちょっと、気取りながらだったのは否めないとこ...だけど、そうやって、気取りながらでも軽やかに外に出られるくらい、あのときは妙にすごく幸せだったな。あれ以来、すごく好きな1曲になった(歌詞は、そんなに幸せいっぱい、軽やか!!!って感じじゃないけどね)。「灰色の日」とタイトルにあるように、なんてことない淡々とした1曲なんだけど、なんというか、(青葉市子に限らずだけど)こういうさりげない曲は、たまにすごく気に入ることがあるんだよな。(例えば、テニスコーツの「かざな」もそんな感じの1曲。1曲を繰り返し聴くわけじゃないけど、アルバムをちゃんと最初から聴いてる流れで聴くと、うれしくなる。)
MCの後は「いきのこり●ぼくら」「うたのけはい」「機械仕掛乃宇宙」と、4thアルバム(メジャーデビューアルバム)『0』の収録曲が続いた。1st『剃刀乙女』収録曲→2nd『檻紙』収録曲、と、1作1作時系列に辿っていくのかと思いきや、3rd『うたびこ』は飛ばすのね......。と思っていたら、何やら、ゲストを呼んできている様子。ここでまた、自分のそわそわが復活!青葉市子曰く、これから来るのは「音でたくさん遊んでくれるお友だち」だという。ステージのセッティングが完了すると............なんと、小山田圭吾がやってきた。そして、まず初めに演奏されたのが......「IMPERIAL SMOKE TOWN」。ここで、『うたびこ』の曲がきた!というか、この曲は、2013年の元旦に「坂本龍一のニューイヤースペシャル」として放送されたセッションでもやっていた曲だった。(そのときのメンバーは、青葉市子、小山田圭吾、坂本龍一、細野晴臣、U-zhaanの5人。同年8月には再ミックスを施して、『ラヂヲ』として音源化もされた[発売時の青葉市子のツイート]。それに伴って、「出張ラヂヲ」と題したツアーを小山田圭吾とふたりで回ったりも。)
続いて、「外は戦場だよ」。このふたりコラボといったら、外せない曲...!原曲よりキーが高かった。そして何より、感動したのが「あなたがいるなら」でのコラボ(しかも今回が初披露😳)。こちらも、原曲よりも高いキー設定。キーが高いのもあるし、青葉市子のキャラクターも相まった結果だと思うけど、少し、夕方に公民館から流れるチャイムみたいな普遍性があった。あと、青葉市子に触発されてか、小山田圭吾の歌唱がちょっとエモーショナルだった気がする(生歌唱が不安定だった...という話ではなくて、抑制された発声に見え隠れする揺らぎをすごく感じた)。その後、知り合ったころの思い出話などをした後、ふたりに縁のある細野晴臣(小山田圭吾と青葉市子が初めて対面したのが、「デイジーワールドの集い」の中でのことだったとふたりは話していた。幾多のミュージシャンとの縁がうまれるきっかけがこのイベントだったということは、このインタビューでも本人が話している)の「悲しみのラッキースター」をカバーして、コラボコーナーは終了した。小山田圭吾がはけた直後のステージで、「(ゲストに沸いた会場の空気感に、思わず)もう、これでおしまいにしちゃったほうがいっか!......でも、まだ、あとちょっと、ばばばーっとやって終わりますね」的なことをしゃべり、「(思い出しながら、のような感じで自身と対比して)小山田さんは30周年...わぁ、2倍、ですね。あ、細野さんなんて50年.......大変だ」とつぶやいた数秒後には「マホロボシヤ」を演奏し始める青葉さん。青葉市子は、曲の世界観や歌声、ビジュアル、演奏スキル等々の要素から、「非人間的」なものが見出だされて、いわゆる「神格化」を通して評価されているところがあるのは確かなことではある(そうなる感覚は自分にもあるから他人事ではない)。けれど、あくまで本人にとってはすべて、「ごく自然に」成立しているんだな......ということが、この、自分という「いちリスナー」にも、こういう場面を通して実感を伴う形で伝わってきた。
さらに、「月の丘」(役者の友人が亡くなる夢をみたことがきっかけでできた曲、と話していた。起きたあとにそれが「夢だ」と実感した後に、でも、「あの子」はたくさんの役を演じている=たくさんの魂を自分の中に宿して、演じ終わる度に、その魂を葬っているのかもしれない、と思ったらしい)、「アンディーヴと眠って」(発売済みのアルバムのうち現時点で最新の『アダンの風』の曲はやらなかった......もう、あれから4年経ったんだな...でも、来月、いよいよ新しいアルバムが出るよ🥹)を演奏した後、楽器をキーボードに変え、新曲の「SONAR」を演奏。すごく良い曲だった(これを先行シングルで出さないのがにくいところ......アルバムのほうにもキーボードの弾き語りで収録されてるのかな...それとも、オーケストラとか、ほかの楽器も入ってるんだろうか🤔)。その流れでキーボードのインプロビゼーションを演奏したら終わるのかと見せかけ、さらにもう1曲、「うちゅうのみなしご」もキーボードで弾き語り。今度こそ、インプロビゼーションのアウトロをつけて、終演。
演奏が終わり、鳴り響く拍手の中で青葉市子が舞台袖へと消えていくと、ステージの灯りが消えた。かわりに観客席の照明がついても、しばらくずっと、拍手は続いた。自分も、周りの人に負けじと......いや、そんなのは関係なく、たくさん拍手した。すると、ステージの照明が再び点灯。スキップをしながら青葉市子はステージに戻ってきた。アンコールは「もしもし」(キーボード弾き語り)と、「おめでとうの唄」(ギター弾き語り、マイク・アンプ通さずの演奏......こちらこそ、おめでとうだよ~🥲と思いながら聴いてた)の2曲。そうして、今度こそ、終演。
⋆⋆⋆
約2時間の公演だった。本人でさえ「寝てもいいです」と言ってしまうくらいだし、演奏を聴きながらうとうと寝ないか心配だったけど......あっという間に終わってしまった。公演の冒頭で、15周年記念公演に関して「(15周年という事実を目の前にすると、ここまで関わってきた人たちの姿や、たくさんの風景が思い出されて)生きながら走馬灯を見ているよう」と本人が話していたように、演奏を聴きながら自分は自分で個人的なあれこれを思い出していた。「この15年は、ただただ、音楽が好きなひとりとしてやってきたような気がします。みなさんも、どうか、好きなことを貫いてください。きっと、ご褒美が待ってます」――今回のコンサートの終盤で、青葉市子はこんなことを話していた。コンサート、観に来れて本当によかった。言葉に言い表せない「好き」も、言い表せる「好き」も、自分なりの速度で、もっともっと、育てていきたいな。

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[2025_01_16]
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#00014:
早いものでもう、2024年が終わる。
おかげさまで、無事に卒論を提出できた。来たる1月の下旬には、来春の就職に先がけて引っ越しをする。そしてそうこうしているうちに、その日が来るまで、もう1か月を切ってしまった。引っ越しのために少しでもものを整理しなきゃ......と思ったところ、(ひょいっ)と、これを発見。

去年の1月末某日、自分はめちゃくちゃ泣いてしまって、それを忘れたくないから、そのときの涙やら鼻水が染み込んだティッシュたちをなんとなくずっと残していたんだった。ちょっと具体的にいえば......その日は次年度の大学のカリキュラムに向けて、各々が立てた計画を発表する日だった。自分がやろうとしていたことを説明するにあたって、自分は個人的な経験を少し、同席していた他学生や教員に向けて話す場面があったんだけど......質疑応答の場面で、ある学生からかけられた言葉が発端となって、発表が終わって着席した後に、涙がとめられなくなった。この20年あまりの人生を送る中で、他者からかけられた何気ない言葉が積み重なって、他者から向けられる視線と自分が自分自身として生きている実感から導き出されるものとのギャップがどんどん顕わになって......。自分がこのとき話したのは、そうした自分の経験の一部だった。それに対して、「そういうことを言った人たちは、必ずしも、悪気があって言ったとは限らないと思うんですけど」ということを、自分は言われたんだった。
「必ずしも、悪気があって言ったとは限らない」――自分は、それを重々承知で、ああいう発表をした。分からないとでも思ったのかな、と、腹立たしい気持ちもあったけれど、同時に、ものすごく孤独な感覚に襲われて......質疑応答のときまで、自分は気丈に振る舞っていたけれど......やっぱり伝わらないのかな、と、発表が終わった後は辛くて、そこから会が終わるまでの約1時間半は涙が止まらなかったし、帰り道も、帰ったあともしばらく断続的に涙が溢れ続けた。帰宅後は鼻水をすすりつつおやつは食べたものの(ちなみに、とんがりコーンを食べた)、何もしたくなくて、あるいは疲れて、そのまま寝ちゃったな......なんてことを思い出す。相手に悪気が無ければいいのかな。こちらはなんか、喉が詰まるような、胸が締めつけられるような感覚になっていくんだけど......相手に悪気がないことは充分にわかるからこそ、言葉を投げかけられたこちらとしては、孤立無援的な、そんな気持ちになる。「悪気がない」って、本当に厄介なんだよ。世の中には、悪意など、何らかの意図をもった行為主体によって、何らかの存在が貶められたり、時には抹消されたりすることがあるのは明白だろう(例えば...イスラエル軍によるガザ侵攻およびジェノサイドとか)。それを分かった上で、勇気を出して、人前で話したんだけどな......。自分も、この先「悪気無く」誰かを傷つけるかもしれないし、もうすでに傷つけているかもしれない。それは、誰しも逃れられないことだと思う。だからこそ自分は、そういう「悪気の無さ」にある落とし穴に真っ向から向き合って生きていく気概でいる。そのためには、ものごとを取り巻く権力関係に注目する必要があるし、そうしたときに「どっちもどっち」のような態度をとってしまえば、見逃されやすいものや、相対的に「弱い」存在は、「強い者」が行使できる権力を支える構造の維持に加担することになるだろう。(ここで言う「弱さ」や「強さ」はあくまで存在そのものの本質とは全く関係ない。) もし、自分個人の経験や感覚に関して、「どっちもどっち」を適用させてみれば......今の自分は楽になれることもあるかもしれないけれど、過去の、「あの時の自分」が確かに感じていたものは置き去りになる。一度起こってしまったことに、後から「どっちもどっち」という判断を下して片づけてしまえば、「そこに関わった存在があの時感じていたもの」という、変え難い事実と、その背後にあるはずの各々の物語(「人生」といわれるような時間性)は行き場を無くし、孤立していくだろう。そうした置き去りの感覚は、結局、何かのきっかけで後になって蘇る(知らず知らずのうちに風船に空気が充填されていって、ゴムが耐え切れなくなって破裂するような形で)。それならば、やっぱり、「これは誰々が悪い」というように、ひとつひとつ判断をつけていくしかない場面はあるだろう。人間関係は「できるだけ対等に」「可能な限りフラットに」ということが目指される世の中だけれど、ひとり一人が持つ背景や立場は違う。自分は、こういったことが「理想」として掲げられるときに、それらに同意したくなる一方で、違和感を覚えてきた。自分がそう感じるのは、そうした「理想的な文言」は人々に「やさしさ」を喚起すると同時に、人々がそれぞれ持ち得る背景や立場の「差異」への注意を曖昧な状態にするからなのかもしれない。だから、自分はむしろ、「対等さ」「フラットさ」を重視することは危険だとすら感じるときがある。私たちがそれぞれに認識して���る「世界」は、「わたし自身」が見聞きするなどして認識可能な範囲でしかないのであって、そこに含まれない存在は「ありえない」ものとして映る。他者との「差異」を認めることは切なくもあり、怖くもあることだけれど、自分が自分自身の存在を認識するのは他者あってのことだから、「差異」を認めることは、実のところ私たちの生存に不可欠なレベルにあるものなんじゃないか??この世界では、そうした「差異」を持つ私たちが共に生活をしているわけだから、相対的にパワーの差――権力構造が生まれてしまうのは仕方がない。だからこそ、その「権力」がどのように行使されているかに注意を払うことは必要だろう。逆説的ではあるけれど、自分は他者から「差異」に気を配られることによって、その「場」における「安心」を得ているように思うし、結果として、他者とひとつに繋がれたような、そんな気持ちになるんだよなぁ。
⋆⋆⋆
......と、あの日からもう、2年近くが経って、自分を取り巻く状況は大きく変わった。けれど、自分の関心の方向とか、考えていることそのものはあまり変わっていない。こうしてずっと、自分の感覚を自分の中で育ててきたことが助けになって(もちろん、その過程には「他者との交わり」があったんだけど)、絶対書けないと思って現実逃避してばかりいた卒論執筆は、なんとかやり切れた。おまけに、自分の卒論は、専攻ごとに選出される優秀論文にも選ばれてしまった(!)。例年だと1~2人、もしくは0人の年もあるらしいところ、今年は、自分の専攻からは(自分含めて)3人が優秀論文に選ばれたようだ。#00008に登場した例のともだち曰く、これは特例が適用されてのことだという。そして、3人とも、うちのゼミメンバーという......(笑)。去年もうちのゼミの同郷の先輩が選ばれてたし、なんか、絶好調だな?という感じ。ちなみに、例のともだちも優秀論文に選ばれていた。彼女は提出2日前くらいから(あれ、意外と無理かも......?)的な状況に陥り、自分は提出期限の前夜からリモートで添削したり、アドバイスをしたりした。卒論を提出して、彼氏の家でゆっくり過ごすはずが......(途中疲れてしばらく寝たものの)提出期限ギリギリまでリモートで付き合って、こちらとしてもめちゃくちゃヒヤヒヤしてしまった。自分もともだちも無事に提出できて何より......だけど、まさかお互い優秀論文に選ばれるとはねぇ......。良かった良かった。自分はゼミメンバーの中で1番最後に書き始めたから、まわりのみんなからは(こいつ本当に大丈夫かよ......)と思われてたかもしれない。でもなぜか、提出2日前あたりから余裕が出始めて、自分はゼミメンバーの卒論執筆のヘルプに入ったり、ゼミメンバーで(おそらく)1番最初に提出完了したり、執筆に集中しすぎてわけわからん事態になってたな。(ともだち――さっき言及したのとはまた別のともだちには、ヘルプ中に作業丸投げ同様のことをされたというのもあるけどキツくあたってしまった......本人に面と向かって「ごめん」は言ったけど、ここで改めて、ごめん......。無事提出できてよかった🥹)
ちなみに、自分の卒論は、ざっくりいうと......自分自身の経験を記述しながらジュディス・バトラーの諸理論を整理して、他者との関係の中で「自分がいなくなる感覚」を和らげるための考えかたを示す、という感じの内容。自分の経験を記述する、ということで、オートエスノグラフィー形式の論文になった。今回のブログの冒頭に登場したティッシュ袋の涙(それと鼻水)の感覚と記憶は、改めて考えてみるとそれほど意識しなくともちゃんと卒論に活きていたんだな、と思う(ほんと、切羽詰まりすぎて執筆期間中は完全に忘れてた)。執筆の作業は......逃避し続けたツケが回ってきて、短すぎる期間の中で、文献の理解は本文執筆をやりながらだったし、論文の骨組みも半ば書きながら組み立て(および組み直し)て、我ながらかなりチャレンジングなことをしてしまった。自分の経験したことにバトラーの理論を適用させると、こうなるよな......いや、違う......じゃ、こうか......う~~ん、ちょっと違う......うーん......そうか、これだ!、というような作業を3時間くらいで済ませたり(いや、4時間だったかな?どちらにせよ、集中したら止まらない自分の性がここで発揮されて、この作業は休みなしぶっ通しでやってた)、振り返ると、あの時の自分はどうかしてたよ。朝活......的な感じで、優雅に、華麗に(?)、作業を済ませて、夜にしっかり寝るっていう理想はあったけど、自分は結局夜型人間で、日付けがかわってから調子が出てくるのが常だった。調子が出始めるのが午前2時半っていう日もあって、おかげで作業終盤の約1週間は連日昼夜逆転状態。気持ちが昂ったり提出までの緊張だったりでちょっと不眠症的になったりした。そんなこんなで卒論を提出したのが今月の5日。それから10日くらい経った頃にようやくマシになってきたような気がしてた卒論執筆の疲労蓄積も、結局まだなくなりきってない感じがある。終わってみると、目まぐるしすぎてすべてがあっと言う間だったような気がしてくるな(渦中にいた頃は「早く終わってくれ」っていう具合に必死だったのに)。とにかく、自分は頑張った。年末年始は、彼氏とゆっくり過ごすもん😤

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[2024_12_29]
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#00013:
ある人の、Twitterの投稿を見てしまった。
今はもうXか。Xになって1年以上経っても、自分はどうしてもTwitterと言い続けてしまうよ............それはここでは一旦置いといて、その、「ある人」とは、今年の春先に某ゲイアプリを通じて知り合って、関東の某県から自分の住む京都まではるばる会いに来てくれた人。自分の"ゲイデビュー"は今年に入ってからで、アプリ経由で個人的に会う約束をして会ったのは、彼が2人目だった。彼は毎回朝早く出発して、電車を乗り継いで夕方に京都まで来ていた。彼と関わっていたのは1か月半にも満たない短い期間だったけれど、3回も、自分に会うためだけに京都まで来てくれたのだった(彼は「電車好きだから移動は苦じゃない」と話していたけど)。
彼と過ごす時間は楽しかったし、見た目もすごくタイプで、自分はみるみるうちに彼に好意を持ってしまった。一方彼は、初対面時に食事をしたときからこの自分に対して何らかの"ハンデ"があると見なし、自分は彼から一方的に「かわいそうな人」認定されていたのだった。「かわいそう」だから「助けなくちゃ」と、彼なりに悶々としていたようだ。それをLINEで彼から明かされたのは、最後に会った翌週末あたりだった。それがきっかけで(「アスペ」や「あたおか」なんていう言葉も持ち出しながら、「🌟くんはこのままじゃ不幸になる」と散々言われた)、自分は、彼との関係においてひどく苦痛を覚えるようになった。彼からしてみれば「かわいそう」なのかもしれないけど(最後に会ったときに自分が彼に好意を伝えたことで、それを受けた彼は彼なりに、自分に愛する気持ちを表現したくなったのかもしれない)、それなりに楽しく生きているし......こちらはちゃんと意思を持った存在だということを彼に思い知らせるように、自分はとことん反論した(そもそも、出会ってそんなに時間が経ってないのにも関わらず、彼からそこまで言われる筋合いはないし)。そしてしばらくして、結果的に自分は彼と連絡を取らなくなったのだった。彼からしてみれば、この自分は彼の慈愛を裏切った、わけのわからない年下くんに映ったかもしれない。反論する自分に対して彼は『「自分はこうです」しか言わないじゃん、もっと俺のことも考えてよ』としきりに言っていたけど、今になってみると(彼のほうこそ自分の話を聞かずに勝手に作り上げた"虚像"に向かって話し続けるからこうなったんじゃん......)と、思わずにはいられない。彼の「俺が正しいこと言ってるのが気に入らないの?」という気持ちが収まる気配が無かったから、めんどくさくなって最後のほうで下手に出てしまったのをちと後悔......🥲(してもあとの祭り。)
それでも、"虚像"に話しかけてしまうのは、仕方のないことだ。なぜなら、人と人がコミュニケーションを図るとき、相手の様子から一定の記号的情報を拾い上げ、判断することでやっと事が運んでいくのだから。けれど、いつまでも"虚像"に向かって話しかけるというのは、"虚像"になっている身からすると、本当に苦痛でしかない......ということを、あの時、自分は身を以て知った(これまでの人生にも何度かこういう場面はあったものの、自分が好意を持っている相手から一度こういうことをされると、さすがに立ち直るのに時間がかかる)。
⋆⋆⋆
今付き合っている彼氏とは、出会ってから5か月が経った。自分は思っていること・感情を人前で分かりやすく表出することが少ないようで、彼のことを何度も不安にさせてしまっている。その度に、その不安を自分に対して包み隠さず話して、「🌟くんはどう思ってるの?」と聞いてくれる彼氏。彼氏の不安レベルが尋常じゃなく高いことがよく伝わってくるから、それに圧倒されてフリーズしたり、言葉が上手く出てこなかったり......そんな状況は、できたら今すぐ逃げ出したいくらい苦痛なものだった。それでも、彼と一緒にいたい気持ちが自分に溢れているのも事実で、不器用なりに好きな気持ちを表現してみたり......。思い返してみると、今の彼氏は、"虚像"ではない自分を見ようとしてくれていることがよく分かる。彼氏は「その人がその人らしく生きてほしい」という気持ちを、自分に対して、こうやって表現しているんだな......と思う。それと同時に、彼自身の不安を解消していくという意味合いで考えれば、彼氏は「自分が自分らしく生きる」ということも大切にしているのだろう。そうやって、彼の心も自分自身の心も揺るがしながら今を迎えている......
......のだけども。
友人たちのほうからも、彼氏が自分に対して思っているように、この自分の感情・思っていることが分からなくて不安になることがある...もしくは、不安になったことがある、と言われてしまった。それと同時に、適応できる居場所(職場とか恋人とか)を見つけられているしこのままで変わる必要はないとも言われたけど......さすがに、もう少し思ってることを瞬間瞬間で相手に示すことは意識して生活していかなければ......そう思う今日この頃......🫠(いつまでも あると思うな なんちゃらほい😇)
(確かに自分は、特段不満があったり差し迫った感情が発生しなければ何も言わないくらい、何も話さないのがデフォルト状態なのです😇)
⋆⋆⋆
例の彼の、Twitterの投稿...。実は......厳密には、彼の投稿を見たのは今日が初めてではなかった。初夏くらいの時期、Twitterのおすすめに上がってきたのをすでに見たことがあったのだ。そのときから片鱗は見せていたのだけど、4桁いいねもついちゃったりして、今や完璧に......いわゆる"ツイドル"と化していた(今は'Twitter'ではなく'X'だから、"ツイドル"って言葉は、今や液晶テレビ時代の「チャンネルを回す」的フレーズなのか?)。4月のはじめ、自分の前では「(同じくゲイの)ともだちがTwitterを使いこなしてて、結構いろんな人から反応をもらってたりするんだけど、俺は使い方もよくわからないし、興味もないからともだちの様子を見るくらいなんだけどね~」と話していたのに......。わざわざ覗きに行ってしまう自分が気持ち悪いけど、投稿を遡っていくと、彼がツイドル化を遂げ始めたのは、自分と最後のやり取りをした1か月後あたりだということが分かった。実際のところの因果は不明でしかないのに、こうやって勘繰り始める自分がさらに気持ち悪い。自分はただただ、彼のことが知りたかった(彼はその実、彼自身の価値基準が唯一の正解だと思っていたらしく、今思うとそれが、この自分が自発的な形で自己開示に勤しみ始めるくらいの緊急事態モードを発動させていたんだと思う。逆に、今付き合っている彼氏は真反対の考え方をしているから、それが自分に"安心感"を覚えさせて、自分は特に何も言わなくても満足OKという状態になってしまって......。結果、彼氏は不安でたまらず......という状態に陥りがちに😇)し、同じくらい自分のことも彼に知って欲しかった。けれど、彼の持つ"やさしさ"は、彼の作り上げたファンタジーが原動力になって動いていただけだったんだ......ということ。それを、また、思い出して少し悲しくなってしまった。"自分"は確かにここにいるのに、それを完璧に表現することは本当に難しい。相手に伝わらなければ、相手には"無"と同然になってしまう。"自分"は確かにここにいるのに。わかりあえないことをわかりあうことすらできなかった人たちのことを、自分はどうしても手放せずにいる。どうしようもない。これを諦めたら、もうこの世で生きていく意味なんてないとすら思う。だから、自分はこうして夜中にひとりうだうだと、どうにか言葉にしようとしてしまうのだろう。
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P.S. それはそうと、卒論を書かねば......とうとうやばくなってきたよ[´;ω;`]
[2024_11_13]
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#00012:
















:)
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[2024_09_14]
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#00011:
もう10日以上経ってしまったけれど......8月31日。母方のおばあちゃんの家へ行った。
自分は、母方のおばあちゃんのことを「ばあ」と呼んでいる。周りの人がそう呼んでいたから自分もそう呼ぶようになった...というだけで、この呼び方には特段深い意味はない(妹や弟も、同じように呼んでいる)。

(👆ばあの家に行くまでは、しばらく山を車でのぼる必要がある。途中、下の景色がよく見えるポイントが2~3か所あるからシャッターを切ったものの......タイミングを逃して、失敗してしまった。)
ばあの家に行くのは、2年ぶり......前回行ったのは大学2回生の夏休みだった。ばあの家には母親の一番上の姉家族が12年前くらいか住んでいて、前回行ったときにはいとこ姉妹にも会って話せたけど...今回はちょうど用事があったようで挨拶をするとすぐに出かけてしまったり、何かとバタバタしてちゃんと話せなかった。自分たちがここに来るのが決まったのは2日前の夜だったし、無理もない。

ばあの家に行くと、いつも大体、すいとん粉で作ったおやきを作って出してくれる。ばあのおやきの具のレパートリーは、なす(+味噌)・切り干し大根・野沢菜・あんこ(水分少なめ、甘さ控えめ)の計4種類だと思う。今回は、丸なすと長なすを使って、なす味噌おやきを振る舞ってくれた(写真は丸なすおやき)。
ばあが作った場合、いつも大体、なすの割合に対する味噌の割合が少ない。丸なすおやきの場合、大きな輪切りのなすから出てくる水分と一緒に、ほのかに味噌の風味が口に流れ込んでくるような具合だ。自分はこれが好きだし、慣れてるけど......弟や妹は、長なすおやきの味噌のバランスのほうが好みのようだった。(長なすおやきの場合、長なすを刻んで入れてるから、その分味噌の入る隙間が増える👉結果、味噌の量が増える...ということ。)
おやきを食べながら、ばあや、母親の姉(自分から見たら叔母さんに当たる人)としばらく話した。この前日に内定が決まったから、話題はそれ中心になった。「どんなことをしてる会社なの?」と聞かれ、答えると......「同じような会社はこっち(長野県)のほうにもあるの?」という反応が返ってきた。ばあも叔母さんも、このことを聞かれ、話したタイミングは別々だったのに......反応が全く同じで、思わず笑ってしまった。ニッチな業界なもので、残念ながら似たような会社は長野にはないんだけど......。あったとしても、自分は地元があんまり近いところには就職するつもりはなかったし、両親もそれほど強要はしてこなかった。だから、田舎社会特有のこの感じ(?)は久々な感じがした。(おやきは...最終的に6個食べた🙃)
⋆⋆⋆
この日は日本列島に台風が来ている最中だったから、天気があまりよくなくて......自分たちがばあの家に到着するくらいのタイミングで、かなり雨が降り始めていた(それでもこの日にしたのは、時間に余裕を持って、みんなで出かけられるのがこの日くらいしかなさそうだと判断したから)。天気が良かったら、まわりを散歩したりできたんだろうけど......できなかったのがちょっと残念だった。

(👆母親の姉家族が飼っている犬......雨が降る中、手持ち無沙汰状態)
そうして、12時過ぎ。ばあの家を後にした。




(👆晴れてたら散歩行けたねぇ......。※ブタクサアレルギーの症状が出ていて、皮膚に炎症が出ている関係で顔がちょっと黒くなってしまっている。前日には病院に行って来たらしい※)
(���まで降りてから、もらってきたものを置いてきたことに気付き......叔母さんが持ってきてくれる、という事も起こりつつ、)
昼食は、あっぷるぐりむで、ミックスグリルや、ピザを食べた。


母親が言うには、はるか昔に、あっぷるぐりむに来たことがあるらしいけど......あんまり覚えていない(でも、全く来たことがない気もしなかった)。ピザの具が結構ゴロゴロしていたし、個人的にサイゼリヤよりもこっちのほうがおいしいな...と思った。

デザートはフルーツパフェ!(ごちそうさまでした😌)
[余談: あっぷるぐりむ店内BGMの話]
そういえば、ちょうどフルーツパフェを食べ始めるくらいのタイミングで、Strawberry Switchbladeの"Since Yesterday"が流れてたな...。ラ~ラララ~♪と、浮かれ気分でパフェを食しておりました。で、退店前にトイレに寄ると......ん?Neil & Iraizaの"Our Housing"???いや、なんかめちゃくちゃ聞き覚えがある曲が流れてるけど、それでも、歌ってる人が違う???となってShazamしたら......。Madnessというイギリスのバンドの、"Our House"という曲だった。なんだ、こっちが元ネタか......。結構売れた曲っぽいけど自分は知らなかった。N&Iのほう、いくらなんでもなぞりすぎてて笑えるぞ......🤭という感じ。自分らの入った店舗は、店内BGMを80年代初頭の英国音楽縛りにしてるのかしら......。
⋆⋆⋆
お腹いっぱいになった後は......ちょうど通り道にあるから......ということで、父親にお願いしてBOOKOFFに寄った(いくつか店舗はあったけど、なんとなく、ここかな?と思ったところを選んだ)。
実はこの2日前くらいの夜中、ネットを探索していたら佐藤伸治(ex.フィッシュマンズ)のCD棚の内容を書き写してるページを見つけて...。ザーッと見ていくと、TOKYO No.1 SOUL SETの『夜明け前』(シングル)のタイトルが目についた。T1SSのCDはそれ1枚しかなかった(後でレコード棚のほうをみたら、『Jr.』のアナログ盤もあったけど)。そしたら、(なんでこの1枚だけなんだ...?)と、なんとなく、気になってきて...。T1SSは、彼氏がCDをほぼコンプリートするくらいお気に入りのバンドで......だから、余計に気になったというか、注目してしまった...ということなんだけど。この日、BOOKOFFに入ると、無意識にそのCDを探してしまっている自分がいた。そしたらなんと、あった。

(👆購入したCD=TOKYO No.1 SOUL SET『夜明け前』。今回入った店舗には、T1SSのCD自体この1枚しかなった。)
結局、BOOKOFFには大体1時間近く滞在したけど……なんだかちょっと、品揃えがあんまり良くないような感じがした。ほかに、今そそられるものがこれと言って見つからず…結局、『夜明け前』のシングル1枚だけを購入(ちょうど配信されてたクーポンと、溜まっていたポイントを使ったら¥0になった)。
そんな感じで、退店。早くも、16時近くになっていた。その後は、ほかに目当ての場所を希望する人もおらず、帰宅モードに切り替え。この日は1時過ぎに寝て、6時起床だったから......夕方頃になってくると、ものすごい眠気がやってきた。車が走り始めて3~40分もすれば、助手席に座ってうとうと...😴
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起きたり寝たりを繰り返していると、あっという間に馴染みのある風景が見えてきた。

また、途中でスーパーに寄りつつ......19時過ぎに帰宅。
今回のお出かけは、なんとなく、父親の機嫌が良かった気がする(父親から「出かけよう」と言うときは、基本的に調子よさげなときだけど、それにしても)。車中BGMのセレクトは基本的に自分がやっていたけど......運転しながらリズムを取っている父親の姿を見る頻度が高かったのが、advantage Lucyのアルバム(およびEP)を流していたときだった。音楽も一役買ってたのかな......???と思うと、advantage Lucy様様だなぁ...なんて感じになってくる。上の写真の、踏み切りの近くまで来たくらいのタイミングでちょうど「風にあずけて」が流れ始めてきたりもして......季節的にも、時間的にも......似合いすぎていて、自分はなんだかしんみりしてしまった。そんな余裕があるくらい、今回のお出かけは落ち着いて楽しむことができたから......本当に良かったと思う。
⋆⋆⋆
と......まぁ...今回も、ブログに書こう、ブログに書こう...と、ついつい後回しにしてしまって今に至る、という感じになってしまった。前回=日曜日のブログは(珍しく)ちゃんとその日に起こったことを書いていたから、時系列が前後して、後から見返す場合には少々ややこしいかもしれない。そうこうしているうちに、今回の帰省ももうすぐ終わりが近づいてきた。京都に戻ったらいよいよ、卒業や、来春からの新生活に備えて色々進めていくフェーズに入っていく。ちょっと心細くなりそうだけど......周りの人たちに助けてもらったり、手を取り合ったりしつつ......一歩一歩、向き合いながら乗り越えていきたいな。
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*追記* TOKYO No.1 SOUL SETのシングルは、記録部が8cmCDと同等の面積で、周りが透明な12cmサイズのCDだった。帰宅後、実家に持ってきていたPC用のディスクドライブに入れてみると読み込めず......。京都に戻るまで、このシングルを聴くのはおあずけになってしまった。なんだか悔しいので、後日2ndアルバムの『Jr.』(初回8cm CD付き...なんと、彼氏はこれを持っていなかった!)と、『9 9/9』をポチっ。届いたら早速聴いて......この2枚に収録されている曲だったかは覚えていないけれど、彼氏がちょっと聴かせてくれたときに抱いた「なんとなく、ランニングとか、マラソンしてるときにめちゃくちゃ合いそう」的な印象は変わらず。でも、ちゃんとアルバムを聴いてみたら、なんかこう、忘れられないというか......こちらにジワジワ浸透してくる感じがした。自分は、あの2枚だったら『9 9/9』のほうが好み。トラックと、ボーカルのバランスがちょうどいいと思った。
[2024_09_11]
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#00010:
今朝は、家族と一緒に高ボッチ高原へ。眠い身体を起こして、朝日を見に行った。
今日は、午前3時起床。昨日は23時ごろに寝て、5時間は眠れるか......と思いきや、就寝後1時間くらいして目が覚め、そこからずっと、あまりよく眠れなかった。もう眠れないならもういいや、と......3時になったら、えい!と、布団から出て支度。素早く支度を済ませ、30分後には父親の車に乗車。この時点では、(意外と、寝てなくても大丈夫かも...???)という感じだった。
いい感じで出発した...!かと思いきや、5分後、母親が懐中電灯を家に置いてきたことに気付いた。それに対して父親は、「なんでそんなに大事なものを忘れるかなぁ......」などとぶつぶつ。そこから数分間、少し言い合いが続く。ぶつくさモードの父親はしぶしぶハンドルを回し、Uターン。「この往復だけでも時間が無駄になった」など、父親は相変わらずぶつぶつ言いつつ、懐中電灯を持ったことを確認。気を取り直して再出発した。(父親に対しては、いちいちピリピリしなくてもいいじゃん...と思うことが多々ある。父親は、一度目的に向かて進み始めたら、問題が起きたときに一旦引き返すとか、そういうことが大嫌い......というか、他人が問題を起こして作業が中断するのが嫌い、と言ったほうが正しい。自分の行いを棚に上げたり、自分の問題点をおちゃらけてあやふやにしたりした上で、父親自身以外の大体の人にはそういう態度をとる父親が、自分は嫌だ。たぶん、父親は家族の前でだけ、こういう態度が取れるんだろうなぁ......ということを考えると、だいぶ嫌悪感が...。)
⋆⋆⋆
最後は車で15分くらいのぼって、高ボッチ高原の駐車場に到着したのは4時半ごろ。まだあたりは暗くて、日の出までは時間に余裕がある感じだった(全然余裕あるし、時間が無駄になったとか、あんなピリピリする必要なかったじゃん...)。


駐車場には、それなりの数の車が停めてあった。自分たちのように、朝日を見に来た人もいると思うけど......おそらく、ほとんどがキャンプをしに来た人たちだろうと思う。しばらく高ボッチ山の頂上まで行く道順を確認していたら、準備が整ったくらいのタイミングで辺りが明るくなり始めた。ということで行かねば...と、みんなで歩きだす。駐車場から頂上までは歩いて10分もかからないから、ものすごく楽ちんだ。





道中からすでに薄っすら霧がかかっていた。それが頂上に着くと、霧や雲がたちこめていて......(自分たちだけここに浮いているのか?)とか、(もしかしてこの世には自分たちしか存在しないのか...?)的な感覚になった。自分は、霧の中にいると...妙に落ち着くし、わくわくする。このふたつは一見矛盾しているけども...そういうことは、生きている限り簡単に起こるものだ。そういえば、去年の夏休み、お墓参りの帰りに長門牧場に寄ったときも霧に遭遇したことを思い出した。あの日はあまり天気の良くない日で、雨雲とともに、あっと言う間のスピードで辺りが霧に包まれていた。車を運転する人だったら迷惑かもしれないけど、自分は(幻想的だな......)(なんか、無になれるな......)と、のんきな具合に一面の霧の世界に浸っていた。

風に吹かれた雲が、みるみるうちに形を変えていって......色んな形の雲が見れたもんだから、写真を撮るのが楽しくなってしまったりもした。





だんだんと霧が薄くなって、雲が流れていって......

太陽が顔を出してきた!
それでもやっぱり......今日はちょっと雲が多い日で、太陽が昇ってきてもずっと、靄がかかっていた(雲海を望もうにも、ちと厳しい感じ)。


もわ~ん。これはこれで、神秘的な眺め。
眠さも忘れて、頂上には1時間近く滞在していた。もう、これ以上雲は引かなそうだな...と判断すると、みんなで一旦車に戻った。
...ところが。あと数十メートルで車のある場所に着く...というタイミングで、手を滑らせて自分のiPhoneが砂利の上に落下。画面の保護フィルムに長めのヒビが入ったのと......極めつけは、フィルムがギリギリかかっていない、右上の角のダメージ。そこだけ、液晶画面が映らなくなるという......😶🌫️
元々、今回の帰省中にスマホを買い替えるかiPhone16が出るまで待つか、親から聞かれてはいたんだけど......この件をきっかけに、一気に話が進展。明日、iPhone15を買いにいく運びとなった(ダメージが入ったのが買ったばかりのスマホだったら絶望だった😫)。
そんなこんなで車に戻ると、おにぎりでこの日最初の食事(景色に見とれて空腹なこともすっかり忘れていた...)。すると...急激に眠気が......。
それでも、だんだん雲が晴れてきてるのでは...?もう少し粘れば山の下の景色も見えるのでは......???と、もうひと踏ん張り、もう一度頂上へ。超激烈に今日の活動を始めた大量の羽アリに絡まれつつ、またもや1時間程度の滞在。最後の方にはようやく、諏訪湖が見えるくらいには青空が顔を出してきた。


植物に朝露がキラキラ反射してきれいだったな......。
⋆⋆⋆
と......そんな感じで、9時ごろ帰宅。まだ朝なのに、一日たっぷり過ごしたような心地。水分を摂ったり、こうしてブログをカタカタ書いたりしてたら......あっという間に11時になってしまった。睡眠時間短めで早起きした分、みんな疲れて寝てるよ......😴
ということで、自分もこれから寝ます。外から漏れる太陽の光に、もう溶けそう...おやすみなさい......😪

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[2024_09_07]
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#00009:
......そうこうしていたら、あっという間に9月。夏休みも折り返し地点に突入した。
ここでひとつ、朗報。
8月30日の午後2時ごろ、電話が来て......なんと、内定が決まったとの連絡が!先月、2時面接を兼ねて3日間バイトをした結果(詳しくは#00007を参照)、受かったんだ...。よかったよ......[´;ω;`]
この間ブログで触れたとおり、就職後は週5の8時間労働に耐えることができるのか、とか...不安はあるけれど...。室内で、黙々と手先を使う作業をやるだけじゃなくて(自分にとってはそれも魅力的だが)、全国各地へ出張に行く機会もあったり、面白そうだと思うことだってある。今回内定を取った会社は特殊性がある業種......��ていうのも影響してるかもしれないけど、よくある"就活マナー"で臨まなくても、ほんとに、ほとんど自然体でいったら受かった。自分は、自分である以上のことはできないと思っている。だからこそ、こういう会社に巡りあうことができて、本当に運が良かった。
この会社に巡りあえたのも、大学のキャリア支援の職員さんが自分の"自然体"を受け止め、考えてくれたからだ。内定の連絡を受けてから、その職員さんにも連絡すると、とても喜んでくれた。このとき、自分は「内定が取れた」という事実を受け止めるだけで胸がいっぱい...という状態だったから、自分よりも職員さんのほうが「ぃやったー!」と、分かりやすい反応をしていたと思う。また、夏休み明けに会ったときは改めてお礼を伝える予定だ。(実は、内定の連絡が来る少し前に職員さんから電話が来ていて......そのとき、あいにく自分は出られなかった。ちょうど、内定が決まる日に連絡してくるとは......すごい偶然だ。何はともあれ、最終的に、無事、良い知らせを伝えることができて良かった。)
そして、友人にも、彼氏にも、両親や兄弟にも......。これを報告したときは、("胸いっぱい"感は残りつつ)ちょっと誇らしげな気分だった。これで、この先も京都で生活していくことが決定。ふぅ...という感じだ。
⋆⋆⋆
自分が、大学生として就職活動でエントリーシート(履歴書)を送って面接を受けたのは全部で2か所。おそらく、ほかの就活生に比べたら活動レベルは著しく低いけど......。とりあえず、上手くいったから良かった。最初に受けたのは、CDとか、音楽メディアの製造や、流通をやっている某企業だった。そこは、春先に関東の某県から何回か会いに来てくれた人(※アプリ経由で知り合った)に自分がコロッと恋をしてしまいったことが原動力になって、受けたところだった。(この先、彼と会うのにできるだけ苦労しないところに住めたらな......という気持ちの波に乗りながらエントリーシート提出にこぎつけた、という具合に。)
もちろん、その企業を選んだのは自分の興味関心・得意なことと仕事の内容が結びついていたからだった。それでもちょうど、エントリーシート提出の2日前あたりから、例の関東の人との関係の雲行きが怪しくなってきて......。2日間散々格闘した末に、一応、こちらが折れて?下手に出て?、"仲直り"したはいいけど......もう、こちらは以前のように、無邪気に「好き」と思える状態にはなれないな......という感じになっていた。それでも就活は進めなくちゃならないし、どっちにしろ自分にとって魅力的な企業だったから、そのままエントリーシートを提出した。(エントリーシートの作成と、例の人とのいざこざが重なってしまって......もう、息が詰まって死にそうだったけど......幸い、友人宅にいたからなんとか乗り越えられた🥲)
その後、1次面接に進んだものの...面接の日程が来る頃には、例の人とは連絡をすることもなくなり......。彼のことを無邪気に「好き」と思えない、でも、やっぱりなんか諦めきれない......。そんな日々を過ごしていた。結果、落選。もうどうしよう......就活も、恋愛も、なんかめんどくさい......。ここまでが、今年の4月~5月のことである。
そうして、6月に突入。その頃には一応、関東の彼のことは踏ん切りをつけることができていた(なんだかんだで切り替えが早いかも...?)。それでも、依然として就活へのやる気は起こらず......(辛うじて、大学のキャリア支援の職員さんとの面談は続けられていた)。新卒向けの就活サイトを見ながら(はぁ......就活だる...)となったその指で、気づけば、某ゲイアプリを開いていた(恋愛めんどくさ、となっていたはずなのに)。開いてチラチラ見ていくと、"ど・タイプ"ではないものの、なんだか忘れられない人を見つけ......。プロフィールを見ると足跡がつくから、それがきっかけで相手のほうからもプロフチェックされ......「イイね!」の通知にあわあわし......メッセージを送ってやりとりを続け、その週末にはその人の家に泊まるという流れになった。
そして、週明け。その週の面談で、職員さんから「🌟くんに合うんじゃないかな~」と、とある会社の求人を紹介してもらった。職員さん曰く、会社直々に求人をもらったばかりで、まだ公には出てないんだけど......ということだった。給料がめちゃくちゃ良い......というわけではないけども、自分的に、惹かれるものがあった。そうして、なんとなくその会社に応募することを決めたのだった。
上手くいくかも分からなかったけど、「やるしかない...!」と、やる気を再び取り戻し......。そして、この週の土日も"なんだか忘れられない人"の家に泊まり、そしたら、いわゆる「告白」をされ......。その人が、彼氏になった。今年の頭にゲイデビューを果たした自分は、短いながらも色々経験して......。初めて、胸を張って「彼氏」と呼べる人ができて、まろやかな気持ちになった。そんなこんなで翌週には、紹介してもらった会社に履歴書(と健康診断証明書)を提出。
...その"会社"こそ、今回内定が決まった会社だった。あのときの自分は、こうもトントン上手くいくとはつゆ知らず......。関東の彼のことが好きだったときは、面接に落ち、彼とのやり取りも途絶え......。つまりはあの会社にも、彼にも、縁がなかったんだ、ということを突き付けられた。だから今回も、(もし落ちた場合は結局彼氏とも縁がなかったってこと...?)と、勝手に恋愛と結びつけて考えて、不安になっていた。でも、その不安を外に出したらすべて台無しになるかも......と、結果が分かるまでは意識的に我慢したりもした。結局は全て、「なってみなくちゃわからない」んだけど...。
⋆⋆⋆
今年の春、自分が恋をしていた関東の彼は、「思いやり」のある人だった。けれど、その「思いやり」とは、彼の中にあるコンプレックスを解消するためだけに存在しているようだった。自分が彼に「好き」の気持ちを向けた結果、彼の正義が暴走しだしたのだ。自分のことをそこまで深く知らないのに「その生き方じゃ不幸になる」とか、「見てて悲しくなってくる」とか......。彼は、できるだけ「普通」の価値観に近づいていくことこそが唯一の「幸せ」への道であり、「正義」であることを疑わなかった。一方自分は、「普通」に囚われそうになっていたところで全て面倒くさくなって、「普通」をあきらめてみるといくらか調子よく生きる道を見つけられるようになり...と、そんなところだった。
自分はとにかく、彼の"型"にはめられていくのが、苦痛で仕方なかった。彼は彼で、「普通」から外れた生き方をしているんだけど(※これは、彼がゲイであること以外の要素を指している)、誰よりも「普通」��なりたがっている、という......(やけに「自分は変なんだ、○○がうらやましい」というような言動をしていた)。それを見た自分は、彼が彼のままで素晴らしいことを伝えようとしたけどあまり響かず......。思い返してみると、これじゃあ上手くいくはずもないよな...という感じだった。
今付き合ってる彼氏のほうは......。彼も、「普通」ではない人生を送ってきた人だった。けれど、無理をして「普通」を目指したり、「自分が一番正しい」なんてことを言う人ではなかった。彼は、彼自身のことを「いわゆる落ちこぼれ的な失敗例」と言うけれど、同時に、これまでの人生において積み重ねてきたものを大切にしている感じもある。いってしまえば、彼は彼の人生に、ちょっとした「誇り」のようなものを持っているようにさえ感じられるのだ。前にも書いた通り、大切な人に対して「その人がその人らしく生きるための手助けをすることに喜びを感じる」という性質を自分に向けてくれているし、自分は彼と過ごしていて、基本的に苦痛を感じることはない。自分は、彼が彼なりに経験したことを話してくれるのが好きだし、常に彼は、自分に考える余地を与えてくれている(その都度頭を働かせなくてはいかないから時にハードだけど)。これがどんなに安心するか......。時間が経つほどに、胸に迫るものがあることに気付かされるのだった。(そもそも、彼が「イイね!」をくれたのは、自分がプロフに書いていた「安心する人間関係」にまつわる考え方に反応してくれていたから......という話もある。)
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自分は、(彼のために頑張らなくちゃ...!)的な考えに陥りがちだ。一方で彼氏のほうは、基本的に「自分のことには自分が責任を持つ(だから、迷惑かけたとか思わなくてもいいんだよ~)」というスタンスでいる。実は、彼氏は母親から(肉体的なもののみに限定されない形で)暴力を受けながら育ってきており(いわゆる、「虐待」というもの。それと同時に、それなりの愛情も受けて育ったようだった)、それが彼の人生に影響を及ぼしているという。自分はこの「自分のことには~」という考えの背景に、彼が他人軸に振り回されてきた人生を送り、それを自覚する過程が色濃く反映されているように感じる。それでも自分は、良いことであれ悪いことであれ、人が誰かと関わるときに影響しあうことはどうしても避けられないように思う。だから、彼には......全て彼自身の"せい"じゃなくて、たまには...必要な時には、こっちのせいにもしてほしいと思ってしまう(いつか彼に対して「もっと自分の願望に正直に、わがままになってもいい」と話したけど、���れには、こういう意味も含まれている)。そして、自分は......彼の辿ってきた(辿っている)道を信じて、自分には自分にしか歩むことのできない人生があることを忘れないこと......それかな、と思う。
「普通」とは...あるようでいて、人によって捉えかたが違う概念なんだし。自分には自分なりの「普通」があり、彼には彼なりの「普通」がある。彼と自分という組み合わせから成る「普通」というものもあるだろう。彼とはこれからも、そんないくつもの「普通」を楽しめたらな......。自分は今、そう願わずにはいられない。
改めて。ここに書くのは照れるけど...自分は、彼のことが大好きだ。

*写真: 6月3日(現彼氏から「イイね!」が来た翌日)に見た、不思議な空*
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[2024_09_04]
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