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#あの保存車両を撮る
shirasuphoto · 9 months
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#あの保存車両を撮る No.22
ロマンスカーミュージアム 小田急7000形7003号車
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もう一度,そう言ってしまう特急電車
 5年前の2018年7月.この日を持ってある車両の定期列車の運用が終了し,いよいよラストランが近づこうとしていた.一度は新形式と同じカラーリングに変え新たな伝統をつくったが,かつての伝統を蘇らせようと最後はデビュー当時のカラーリングに戻し走りっていた.久しぶりに見るとつい懐かしいと言ってしまうほど,平成を駆け抜けた最後の昭和の特急電車なのだから.その車両が海老名に保存されている小田急7000形だ.  凹凸が少ないスッキリした前面は,先代の3100形と比べると新しい印象だ.よくこの車両を撮っていたが,前面を間近に見るのは博物館に来てからなので,あの頃撮れなかった角度から何度も撮っていた.  新鮮な気持ちで前面を撮るが,目の前の展望席を眺めるといろいろ蘇ってくる.あの座席に一度は座りたいと羨んだり,LSE同士の並びを撮ろうと展望席近くから眺めたり.そんな懐かしさは遠くからしか眺めることは出来ないが,いつかはあのロマンスにもう一度乗りたいな.
ロマンスカーミュージアム ◆休館日 第2,第4 火曜日 ◆入館料 大人 900円 ◆最寄り駅 小田急小田原線・相鉄本線・JR東日本相模線 海老名
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togekiss4ss · 2 months
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Rockin′On(1993.9 Vol.22) Brett Anderson
Brett Anderson
鋭利な論理で語り尽くす、 降りられない高速道=ポップ·スターの苦悩と栄光。そして、セックスを脱皮していくスウェードの今後
インタヴュー=増井修       翻訳=BRYAN BURTON LEWIS
●デヴィッド·ボウイとの対談の中で、あなたは「創造性というものは緊張がら生まれ、心地好くなった途端にすべては失われる」という発言をしていました。実際、スウェードの曲にはそうした強烈なテンションが感じられますし、ギグでもギリギリの地点でのパフォーマンスがわかるんですが、ではそういうあなたにとって、心の平安とか慰安とは何になるんでしょう?
「うん……そうだな……ほとんどそういう時間はないんだけど、例えばそう、家にいる時にはできるだけリラックスするよう心がけてるけどね……。でも重要なのはずっと進み続けるということだから、ノーマルな生活をする時間なんてあっちゃいけないものなのかもね。こうと決めたからには最後までやり通さなきゃ。音楽を作るどんなアーティストも、バート·タイム気分ではやれないんだ。朝起きてスーパーマーケットに働きに出かけて、夜になると家に帰ってくつろぐ、というのとはわけが違う。自分の一部になってるんだから。つまり音楽を作ることで自分自身を表現してるんだよ。だから、自分の一部が何一つ表現するものを持っていないとしたら、もうアーティストとはいえないんだ······。ある意味ではそうだな、車をぶっ飛ばしてるようなものかな。急に降りて一休みするなんてことはできないんだよ。だからリラックスする時間はほとんどない」
●そういうテンションの高い、言ってみれば常に追い越し車線を走っているような生活によって、抜き差しならない状況、例えばドラッグ中毒に追い込まれる危険というのは常々感じてます?
「うん、まったくそうだよ。常にそういうわき道にそれる危険性がある。ただ、車をぶっ飛ばす"というのは、必ずしも追い越し車線で生きるべきだという意味で言ってるわけじゃないんだ。ロックンロール神話を生きるというのと、ハイ·テンションの中で創造的な作品を作り出すというのは、明らかに違うからね。セックス·ドラッグ·ロックンロールなんていう神話はもう存在しないんじゃないかな。それはともかく、緊張度の高い状況に伴う危険性というのは確かに感じるよ。でもそれはあっても仕方ないんじゃない。喜んで引き受けるよ。それに俺はアーティストである限りはプライヴェートな自分というのはないものと思っているんだ。だからまあそうだね。確かに乗っ取られてしまう部分もあるだろう。インクヴューだとかフォト·セッションだとか、そういったことが日常的なものになると、やっばりポップ·スターとしての生活のほうに比重がシフトしていかざるを得なくなるわけだしね」
●では、モリッシーはかつて「アーディストたるもの今にも死ぬんだという気持ちでステージに立たなければ駄目だ」と言いましたが、この言葉には共感できますか?
「うん、完全にね。『ああ、明日はあれをやらなきゃ』とか『明日もギグがある』なんて考えながらステージになんか立てないよ。いつもツアー終盤になると声が出なくなって「少し手を抜けば」みたいに言われるんだけど、ステージに上がった途端、まるで、何ていうかドラッグでもやってるような感じになるんだよ。これ以上へヴィーな経験はしたことがないってくらいにさ。だからうん、モリッシーの言葉には100%共感できる」
●しかし、そういう気持ちを保持しながら、年を取っていくことは可能だと思います?
「年を取った後もそのままずっと進み続けて、音楽そのものの持つパワーと緊迫感で、若さからくるエネルギーに対抗することだってできると思う。スウェードに関して言えば、俺たちの強さは、若さからくる強烈なエネルギーと音楽そのもののテンションの高さの両方にあると思う。だからそのうち俺たちのすべてをステージで出し切れない気がする瞬間が来ると思うけど、それは、ティーンエイジャー的なテンションの高さが出せなくなったということなんだ。そうなったら俺たち、最終的には音楽だけの世界に引っ込んじゃうだろうな。ライヴだとかインタヴューだとか写真撮影といった対外的なものはすべてやめて、もともと望んでいた音楽作りだけに集中して、純粋に音楽を通してのみ緊迫感というのを表現していくようになると思う」
●ということは、デヴィッド·ボウイが最新アルバムにおいて、そしてボール·ウェラーがスタイル·カウンシルからソロの流れにおいて、ポップ·スター·イメージからの脱皮を図った変化というのも、あなたなりに共感できる部分がありますか。
「うん、そうだね……。自分自身を表現し切ってしまうと、おのれのカリカチュアしか残ってなくて、自分でもうんざりしてしまって何か自分じゃないものに変わりたくなるんだと思う。それに、ミュージシャンの評価というのはイメージじゃなく音楽そのものによってなされるべきだしね。だから彼らには100%共感できるよ」
●では、こういう面ではどうでしょう?あなたがたは事あるごとに、「労働者階級の出身というみじめな記憶は一生消えないだろう」と語っていますが、この気持ちはやはり、あなたがたの意欲を支える復讐としてこれからもずっと変わらずに残ると思いますか?
「うん。猛烈な野心というのは、ある程度"復讐したい"という気持ちからもたらされると言ってもいいだろうね。自分の置かれた抑圧された環境から逃げ出してそして復讐してやりたいっていう気持ちがないと、野心なんて抱かないんじゃないかな。だから、もともと多くの権力を与えられた立場にいたり、裕福な家庭に生まれたりして、そもそも何かと闘う理由のまったくない人間は、何の野心も抱かないし、何もしようとしないんじゃない。だってそういう刺激を受ける要因が少ないからね。“復讐"というのはかなり残酷な言い方だけど、俺たちのことをかなり的確に言い当てた言葉だと思う。俺たちの曲は、性的な意味での自由だとか社会からの逃避について歌っているものが多いからね」
●あなたがたの曲からは、男同士だろうが女同士だろうがセックスこそが究極のコミュニケーションである、というメッセージが読み取れますよね。
「ある意味ではそうだろうね。セックスというのは、最もパーソナルで隠喩的な表現方法だと思う。でも精神的·宗教的なものとは比較にならないとは思うけどね。セックスって、何かを例えば漫画やCMに描いて表現するようなものなんだと思う。『セックス=ロマンス』とか『セックス=精神的親近感』といった単純で分かり易い形でね。俺は、セックスは究極の表現だからほかの何よりも重要なものだ、なんてことは絶対に言わないよ。確かに、ありとあらゆるものがセックスとのつながりを常に持っている。何もかもセックスと同じ線上に並べられているのがわかるんだ。何もかもが性的なイメージや性的なシンボルと結びつけられている。俺だって無関係じゃないさ。だけど俺は、セックスが究極的に重要なものだとは全然思っていないんだよ」
●ということは、曲の中でしばしば性的な言及を行っているのは、セックスこそが人間の持ち得る最高の関係なんだという体験的確信に基づいてのことではなく、ポップ·ミュージックの有効な表現の手法として選んでいるということなんですか?
「うーん……わかんないなあ。へヴィな質問だ(笑)。もちろんセックスへの言及は単なるでっち上げじゃないし、雲をつかむような話をしてるんでもない。すべて実体験を歌ってるんだ。自分が直接体験したものもあれば又聞きしたものもあるけど、どれもすべて俺の人生を一旦通って濾過されたものばかりだからね……。ただ、意識的にああいうメタファーを選んだんじゃないんだ。俺のやることはどれも、ある意味で潜在意識的なもので、とにかく意識してなくても自然に出てくるものなんだ」
●では、「世の中にはアブノーマルなセックスなどあり得ない」というような、ある種の啓蒙的なメッセージを伝えたいという目的意識は持っていなかった、といえますか?
「そんなことはないよ。だってそれは俺たちの音楽から読み取れるすごく重要なメッセージだと思うし、もちろんそう伝えたいと思ってるよ。ものすごく重要なことだ。だけどここでまたせックスを隠喩として扱うなら、そもそもこの世の中にはアブノーマルな人生なんてものはあり得ないと言えるんじゃないかな。実際そのほうが重要なことだよ。大勢の人間が自分の人生を見失ってしまい、そして社会から"アブノーマル"と決めつけられて恥ずかしい思いをしてるんだ。でも異常などというものはこの世に存在しないんだよ。健全さというのは統計で示すことができるものじゃないんだ」
●じゃあ、“ムーヴィング”の中“so we are a boy, so we are a girl”という印象的なフレーズがありますが、「ホモ体験のないバイセクシュアルだ」というあなたがもし実際にホモ体験をしているとすれば、あなたの表現の説得力に影響を及ぼし得る、あなたのものの見方を変え得ると思いますか?
「んー……。そう、あり得るかもね。まあ、変わるか変わらないかというのは、俺にとってはどうでもいいことだけどね。あの引用文の、っていうか、周りの人間があの言葉を引用する時に言う“性的なアンビヴァレンス“っていう考え方の何がイラつくかっていうと、みんながあの発言を読み違えて、すごく肉体的な文脈の中で提えようとするってことなんだ。俺は肉体的な意味でああ言ったわけじゃないんだぜ。俺は精神的な意味でのあいまいなセクシュアリティーに興味があるのであって、バイセクシュアリティーとはまったく関係ないんだよ。もっと精神的なアンビヴァレンスのことを言ってるんだ。一定の性的なアティテュードを伴う肉体としての人間ではなく、精神(スピリット)としての人間について考えてるんだ。“so we are a boy, so we are a girl”って歌う時に俺が言いたいのは、誰に愡れるかということではまったくないんだよ。人間だからといって、必ず何らかの性を感じなきゃならないなんてことはない。単に人間であるというだけでいいんだよ。脳ミソを持ったね。男に対する愛について俺が歌うと、大勢の人間が男に恋焦がれる男の歌だと読み違えてしまいがちだけど、大抵は女性の立場から歌ってるんだ。でも、それは必ずしも俺が女だということを意味するわけじゃない。女性の立場になって考えることができる幅を持ってるって意味だよ。だって人はただの人だもの。社会が人を“お前はへテロ”だとか“お前はゲイ”だとかいうふうに一つのカテゴリーに閉じ込めてしまうのさ。でも人間というのは、こういったカテゴリーを超越できるだけの幅の広さを持ってるんだよ」
●なるほど、よくわかります。ただ、一つすごく興味があって、しかも非常に心配に思うことがあるので是非訊きたいんですけど、スウェードの最大の魅力というのは、あなたがたの音楽によって、我々が普段の自分ではなくなってしまえるところだと僕は思っているんです。そしてこれはセックスにおいて生まれる状況とまったく同じだと思うんですが、曲のテーマがセックスからべつの方向に徐々にシフトしてきているということになるとこの先、スウェードの最大の魅力であるこの“自分でなくなる”というフィーリングも消えてしまう恐れはありませんか?
「そうならないことを願うけど……。だってすごく悲しいことだからね。セックスの話をしなきゃ人じゃないってわけでもないし、セックスの話をしなきゃセクシュアルじゃないというわけじゃ必ずしもないんだ。ポルノグラフィーとエロティカが違うのと同じだよ。すごく明快に直接的に実際のセックスの話をすることもできると、セックスに一切言及しないでもセクシュアリティーの話をすることだって可能なんだ。なぜならセクシュアリティーとは、嫉妬、貪欲、衝動、魅力といった人間の基本的本能と大いに関係しているものだからさ。さっきも話したけど、こういった本能は確かに究極的にはセックスの中ですごく隠喩的に表現されるものだよ。でもその点だけを盲目的に強調する必要はないんじゃないかな。俺たちの曲にも、いろんな感情を直接的なセックスへの言及抜きで表現したものはあるよ。同じ衛動をセックス以外の話によって表現することは可能だからね。そうしないとすごく薄っべらなバンドになってしまう。だからもし実際に“もう全部やった”って思っだら、明日にでもすべて辞めてしまうよ」
●ということは、オーディエンスが自分たちの音楽によって普段の自分をまったく失ってしまう状況を作り出したい、というあなたがたの基本ラインは変わらないということですね?
「うん、そう願うよ。変わらないはずさ。まさに君の言うとおり、その中にいると自分を失ってしまって何も考えられなくなるという意味では、音楽はセックスと同義語なんだ。自分を運れ去ってくれる限り、“どうやって”自分を失ってしまうのかは間題じゃなくなるんだよ。無意識の状態に到達したという喜びに満たされてしまってね。そしてそういうことができるのは、多分音楽とセックスのニつだけだろう。俺個人にとって音楽が最もパワフルなアート·フォームなのは、もしかするとそのせいかもしれない。実際、俺にとっては音楽だけが本物のアート·フォームなんだよ。ほかのアート·フォームは頭で考えるものだけど、音楽だけは体と感性に訴えかけてきて、聴く者を遠くへ連れ去ってくれるんだ。そして俺たちはその中で我を忘れてしまうのさ」
●じゃ、今までのスウェードの曲はどれも極限の性描写だと解釈することも可能だったんですが、これはスウェードの発展過程における初期的段階だった、というふうに今は考えているわけですね?
「そう願ってるよ。それこそポップ·ミュージックの持つパワーだからね。ポップ·ミュージックがどんなにパワフルなものか、多くの人間が忘れてしまっている。ラジオでカイリー·ミノーグの次に3分30秒もらって、何百万もの聴衆に向かって自分たちの曲をプレーする時、その中にいろんなものを詰めこむことができるんだってことをね。流れるべきではないメッセージを突っ込んで、みんなの神経を逆撫ですることだってできるわけ。だから、これまでのスウエードにとっては、セックスについて歌うというのが重要なことだったけど、これからは、それ以外のことについて欧うのが重要になることもあると思うよ」
●そういうスウェードの新しい側面というのはシングル「アニマル·ナイトレイト」の“ビッグ·タイム”や、最新シングル“ソー·ヤング”に結構端的に表れているようですね。
「そうだね。いろんな意味で卑しさが消えてきて、いろんな意味で“エレガント”とでもいうべき側面が出てきたと思う。幼さというか若さはもう以前ほど感じなくなったね。でもいいことだと思うよ。ローリング·ストーンズみたいに25年経っても同じことをやっていちゃ駄目なんだ。もちろんストーンズは偉大なバンドだけど(笑)。俺は仲間に入りたいとは思わないね。うんざりしちゃうに決まってるもの。とんどん前進し続けて、自分を刺激し続けなきゃ。今のスウェードには、ヒロイズム、ロマンティシズム、そしてエレガンスといった要素が少しずつ表れ始めているように思う。“ソー·ャング”はそれを完璧に表現している、俺のお気に入りの自の一つなんだ。すごくポジティヴな曲なんだょ」
●わかりました。ところでライヴ·パフォーマンスの話をしたいんですが、実は僕、アムステルダムであなたがたのライヴを見てるんですよ。
「アムステルダムで!」
●イエス(笑)。
「退屈しただろ?(笑)」
●イェス!(笑)。
「アムステルダムのオーディエンスっておかしいんだよね。身じろぎ一つせずじっと立ちつくしたまんまで」
●ほんとそうでした。でも僕はあなたがたの演奏自体は非常に良かったと思うんです。
「ああ、それはわかってるよ。でもオーディエンスが何ていうかさ……とにかくすごく奇妙でおかしなライヴだったよ。つまりこういうこときーライグの良し悪しというのはバンドのコンディションで決まるんじゃない、オーディエンスの反応で決まるんだよ。ある意味では会場にいるすべての人間がパフォーマンスしてるんだ。バンドそし��オーディエンスが参加する、とてつもない規模のパフォーマンスさ。オーディエンスが参加しないパフォーマンスなんて、バンドが参加していないのと同じくらい無意味だ。オーディエンスがパフォーマンスする時は、俺たちと同じょうな格好をし、俺たちと同じようにエキサイトする。ただそれを歌声で表現するか演奏で表現するかが違うだけさ。だからオーディエンスが自分たちの役割を果たさないんだったら、悪いけど俺も果たせないね」
●(笑)。先日アメリカでのッアーのレヴューを読んだんですが、ボストンでは大酷評されていて、サンフランシスコでは大絶賛されてるんですね。で、これはあなたがたのバフォーマンスのせいではなく、観客の態度が違ったからだと?
「その通り。まさにそうだったんだよ。東海岸のほうが西海岸よりシニシズムをより強く感じたんだ。西海岸の人間はあっけらかんとしてるんだよね。LA、サンフランシスコ、サンディエゴでやったギグはベストの中に含まれるよ。東海岸では誰も俺たちのことを信用しようとしなかった。俺たちのことをミュージック·プレスの産物だと思ってるのさ。そんなんじゃないのにね」
●ただ、ここまでスウェードの人気が高まってしまうと、あとはもういきなりスクジアム·ロック化していくしかないという要請が、本当に既に出てきていると思うんですけど、そうなるともう観客の質というのはほとんど問えなくなりますよね。これまでずっと観客との緻密なコミュニケーションを図ってきたスウェードですが、やはり新しい段階に進まなければならないと思うんですけど、あなた自身、そのへんはどう考えてますか?
「うん……大きいなジレンマを感じるよ。しかもこれは甘受しなきゃならないものだ。最初の頃は、ギグの規密なフィーリングというのに固執していたし、何人かの観客と直接会話するようにしてたんだ。だけど結局そういうのは意味がないんだよ。だって直接話をするにしたってそれ以外の観客を拒んでいるんだし、それにそろそろ成長することを学ばなきゃ駄目なんだ。魚のように大きくなっていく方法を覚え始めないとね。小さな鉢しかないのなら小さな金魚を飼うしかないだろ?そして鉢のサイズが大きくなるのに伴って、魚も大きくなっていくんだ。そうやって、必要な時に自ら外に出ていかなきゃね。でも俺たちも今、もっと大きな会場でブレーして、もっと大人数の観客とコミュニケートする方法を実際に学び始めてると思うよ。でもある時点を越えたら、もうどんなバンドにもコミュニケーションなんてできなくなると思うしそう、1万人を越えたら事実上不可能になるだろうね。でもロンドンではブリクストンアカデミーでやった時の6千人が最大なんだけど、どうにかうまくコミュニケートできたと思う。小規模のコンサートに劣らず良い出来だったと思うよ」
●では一番最近のグラストンべリー·フェステイヴァルはどうでした?
「最高だった。確か4万人集まったんだよね?でも俺たちからはせいぜい前方の1万人か1万5千人くらいしか見えなかったんだけどね。グラストンベリーは俺にとって人生で一番エキサイティングな経験の一つだよ。電流が走ったみたいに、信じられないくらい興奮した」
●そうやって英国での人気はすごいものがあるわけですが、アメリカはどうでしょう?成功する自信はありますか?
「うん。でも時間がかかるだろうな。初めてアメリカに行った時は慌てちゃったよ。アメリカに進出しようとする英国のバンドはみな経験すると思うけどね。とにかくシーンの仕組みが英国とはまったく違うんだ。アメリカの音楽的土壌はすごくレイド·バックしてて、俺たちにはまったく馴染めないし、それに音がに対するセンスがすごく伝統的で、ジャズみたいにかなり扇情的な音楽が好まれるという点も、俺たちには全然合わないんだよね。だから成功するにはまだしばらくは時間かかるだろうけど、スミスと似たような状況になるんじゃないかな。スミスも今になってようやくアメリカで評価されるようになって、そういう意味では、スミスが俺たちのアメリカ逃出への下地を作ってくれたと思う。モリッシーも今向こうですごい人気だけど、俺たちの音楽のほうが彼らには受け入れ易いと思うよ。モリッシーの音楽ほどわかりにくくはないからね。とにかくやれると思うし、努力も厭わないけど、2、3度ツアーをやったくらいじゃ無理だろうな。それに“ポップ·ミュージックというのは基本的にティーンエイジャーが舵を執っていくものだ”っていうポップの理想みたいなものがあると思うんだけど、アメリカ人はもう疲れちゃってるというか、“600年ツアーし続ければ55歳でヒットが出せる”的な雰囲気が漂ってるんだよね。そのへんが難しいかもしれない」
●でも、“世界中の人たちに自分たちの音を聴かせてなんぼだ”という方針はあくまでも貫徹するわけですね?
「もちろん。俺たちにとって重要なことだからね」
●最後に、バーナードとあなたの関係について何いたいんですが、バーナードの場合はステージでもにこにこ微笑みながら手を振ったりして、非常にかわいらしいキャラクターの持ち主だと思うんですが、一方のあなたはすごい尊敬を勝ち得ると同時に、非常に敵を作り易い人だという気がするんです。そういう立場でバーナードとのバランスを保っていくというのは難しくありませんか?
「いいや、だってべつにバランスをとるためにやってるわけじゃないし、二人でそんな話をすることもないしね。どうしてああなるかというと、要するに、バーナードはスウェードの音楽面での主戦力であり、奴は普遍的な言語である音楽を奏でてォーデイエンスに語りかけてるつてことなんだよ。そしてき楽っていうのは、それがいい音をしている限り、決して攻撃的にはならないんだ——「なんだこれは!」とか「オエッ」とか思いながら音色を聴く奴なんていないってことさ。音楽というのはそういうことをしないんだ。これってすごい強みだと思うよ。だけど一方のシンガーというのは、自分の意見を他人に押しつけようとする。そしてその意見は、他人に受け入れられないものであることが多いんだ。シンガーは常にギクリストよりも不快で攻撃的なものなのさ。シンガーのほうがより社会的で肉体的なことをやらなきゃならないからね。でも、そういうものなんだからべつに気になりはしないよ」
●でもシンガーのそうした役回りは、あなたとしてはやっぱりへヴイじゃないですか?
「んー……まあつらいなって思うことも時にはあるよ。街を歩いてると「失せやがれ!」って言われることもあるしね。べつに澄ましてるつもりはないけど「君たちもっと実際にネガティヴなものを侮辱したらどうなんだ?」って気分になるよーひどい政治家とか世界の指導者とかさ」
●それでなくても、あなたのように派手な人はマッチョなグループからいつもひどい目に遭わされてきたんじゃないですか。
「ああ、もちろん遭ったよ。俺たちの曲にもそれははっきり出ているしね。バンドの活動自体がいろんな嫌がらせやゆすりへの反発なんだよ。順応や凡庸の名において俺たちをなじり倒そうとする奴らへのね」
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tutai-k · 9 months
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私の週末は雨ばかり
休日になると雨という日が多く、鳥写にほとんど行けなくてこまっている。8月5日も、澁澤龍彦の命日なので絶対に労働しないと決めており、休みを取っていたのだが、探鳥会があるというので出かけたら、会場の山頂が雷雨のため中止になってしまった。 麓はまぶしいくらいの晴れなのに……とロープウェイに乗ると、山頂は霧で真っ白だった。 昨日も雨だった。数分ごとに土砂降りと晴天を繰りかえし、とてもではないがカメラをかまえているわけにはいかない。 それでもすこしだけ砂浜で遊ぶメダイチドリを撮影した。Instagramに載せたら、野鳥の会の人に「これはオオメダイチドリです」と教えてもらった。鳥の同定も少しずつできるようになってきた気がするが、まだまだ難しい。
最近、ササゴイを見つけた。サギの仲間では県内で最も発見数が少ないらしく、会に発見の記録として報告することになった。「見つけた」という報告をしてから、わたしは(荒天続きで!)観察にほぼ行けなかったのだが、ほかの会員のひとたちが足繁く通って様子を見てくれて、いろいろなことがわかったようだ。 今まで漠然と、探鳥会に参加して鳥の探し方を教えてもらったり、鳥の種類を教えてもらったりしていたが、こんな風に生態や生息地の調査をしているんだ! と知った。 ちなみにササゴイを見つけた場所には、天候運最悪ながら見計らって何度か行っていたのだが見つけることができなかった。今日ようやく、見つけることができた。警戒心の強い鳥で、すぐに飛んでしまうし、潮が引いていると遠くにいて、見つけづらい。 そして何より、思ったより「小さい」のだ。 「サギ」という名を聞いてまず思い浮かべるのが、多くの人はアオサギやシラサギと呼ばれるダイサギ・コサギだろうと思う。まあコサギは小さいのだが、「サギ」のイメージとしては「なんかでかいけどそんなに逃げない鳥」というイメージがあるんじゃないだろうか。 だけど、ササゴイは小さい。どれくらい小さいかというと、わたしが最初に見つけたとき、「大きめのシギチ(シギ・チドリ)がいる」と思ったくらいの大きさだ。つまりかなり小さいのである。 写真を撮ってみて、拡大したら、「えっ、これササゴイじゃん」と気づいた。とてもとても小さい……。 もっと大きいと思っていたのに、小さすぎて、まず「サギ」だとすら思わないという……。しかも、派手と言えば派手な色合いだが、これが干潟でたたずんでいると見事な保護色で、見つけづらい。自然というのはうまいことできているなと思う。あんな目立ちそうな主張の強い模様をしているシマウマも、サバンナで見たら「見つからない」のかも知れない。 想像や、書物だけの知識では、わからないことがたくさんある。自然はよくできているし、人間の想像は自分の都合のいいように鳥の大きさや生態を解釈する。
そんなことを考えながらササゴイ��観察し、帰る途中、友達が昨日素敵なササゴイの写真を撮っていた場所に立ち寄ろうと思ったら、大きなカメラをかまえている車がたくさん並んでいて、わたしが入る隙間はなかった。 そこで待っていれば、鳥が来てくれるかどうかは未知数だが、人間は、カメラの性能と、撮りたい写真、鳥の動線や習性を考えて鳥を「待つ」。 あの車を並べていた人たちも、ササゴイがそこに来てくれるかどうかをわからないまま待っている。あそこにササゴイが来てくれたら、きっといい写真になるだろう。 どんな撮影でもそうかもしれないが、野鳥の撮影というのは、「ここにいてくれたらいいのに」と思う場所に鳥は絶対に現れてくれない。人間の都合のいい枝に、サンコウチョウは決して止まらないし、人間が都合のいい切り株で、コマドリは囀ってくれない。
野鳥の撮影をはじめて、わたしは「ままならない創作」というものを発見したような気がする。 小説というのは、まあプロットというものがそこにあって、それに従って書いていくものだ。わたしが止まってほしいと思ったところに鳥を止めることができるし、それはどんな珍鳥でも「止められる」。なんならこの世に存在しない迦陵頻伽を「私の目の前に」現すことができる。 そして迦陵頻伽と「どんなふうに」接触したかまで決めることができるのだ。 だけど、カメラを持ってフィールドに入れば、すべてがままならない。「素敵な写真を撮りたい」と思っても、その「素敵な写真」は、どれだけ足繁くフィールドに通っても、撮ることができないかもしれないし、もっというと、「撮ったものを解釈される、その方向性」をコントロールすることができない。 「わたしはこのような「考え/創作の方向性」を持って鳥を撮りました」というものを、一枚の鳥の写真では表現ができないことがある。解釈の自由度が高い故に、「ままならない」のだ。
それは私自身の「考え」の漏出から私が隠れられる、という消極的なメリットもあるような気がするが、だが最終的に、「この写真をどう撮ったか」が写真一枚では、語られないし、読み取られないという大きなデメリットがある。 例えば、極端な例だが、絶滅が心配される鳥のひな鳥を撮影したとして「ここでこんな営みがされている」と写真のみで語るとき、ひとはその注意喚起であったり、環境をまなざす視線というものをまたぎこしてしまう。 そういう「ままならなさ」を発見し、表現すると言うこと/表現を手渡すことについて日々考えるはめになってしまった。 そして、それはきっと、自分が文章表現という場に「だけ」身を置きつづけていたら、自省することのなかったままならなさだ。
すべての表現物は、ほんとうはみんなままならない。小説だって、写真だって、言葉と絵の両方で訴えかける漫画だって、このコントロール不可能な領域で表現をしている。
そんなことをつらつらと考えて、小説を書くようになってしまったので、「書きたいもの」というのが最近いまいちよくわからない。 「届く/届かない」だけが営為でないのに、それに拘泥していると思っている。
とまあ、こんなことを考えながら、ぼちぼち文章はいくつか作っている。みじかい作品が多いし、習作のようなものばかりで、どこかで出せることがあるのか?と思うような作品ばかりだが。 そろそろ長い、そして起伏のある物語が書きたい。
ここからは少し宣伝。
9月に刊行予定の短編集のKindle版の予約が開始しました。 紙書籍との違いは、『オメガのライカと、わたしたち』『迎え火』の収録がないことです。 『オメガ~』は単著がKindleに、『迎え火』は『山梔の處女』Kindle版に収録されています。 紙書籍の通販は、また追って。
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petapeta · 1 year
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Teen Vogueがインタビューしたクレアさん(仮名)の本名を検索すると、数百万人のチャンネル登録者数と10億回超の総再生数を誇るYouTubeチャンネルがヒットするとのこと。このチャンネルにはクレアさんの幼少期からティーンエイジャーになるまでを撮影した数百本の動画が投稿されており、InstagramなどのSNSでは人々がクレアさんについてコメントしているほか、公の場でもファンから話しかけられたり写真撮影を求められたりすることがあるそうです。 しかし、当然ながら幼少期のクレアさんが動画投稿を始めたわけではなく、動画投稿をしているのはクレアさんの両親です。Z世代の若者にとって、親によって自身の日常写真や動画がインターネットに投稿されているのは珍しいことではなく、クレアさんのように本人の同意なしでコンテンツとして収益化されてしまうことすらあります。 クレアさんは幼児の頃にインターネットで人気となり、家族は仕事を辞めてYouTubeの動画収益によって生計を立てるようになったとのこと。クレアさんはかつて両親に「もうYouTube動画に出たくない」と伝えたものの、そうすれば両親は普通の仕事に復帰しなければならず、裕福な生活もできなくなってしまうと反対されてしまったそうです。Teen Vogueの取材に対し、クレアさんは「私が家族全員を養わなければならないのは不公平です。私は怒らないようにしていますが、本当は怒っています」と述べています。 プライベートな関係であるはずの親が仕事の上司でもあるという状況は、クレアさんにとって大きなプレッシャーになっているとのことで、18歳になったら家を出て両親との関係を絶つことを考えているそうです。もし両親と別居することができれば、クレアさんは本名で「YouTubeチャンネルのスターになること」の問題について公の場で話したいと思っています。 クレアさんは、親のせいでソーシャルメディアのスターとなったことが子ども時代にどのような陰を落としたのかを、両親や他の人々に知ってもらいたいとのこと。「両親が今更何をやったところで、私が仕事をやらなければならなかった年月を取り戻すことはできません」とクレアさんは述べました。 また、クレアさんの両親は大学進学のための費用を貯金していると言っていますが、正確な金額をクレアさんが知ることはできません。アメリカのカリフォルニア州には、子役が稼いだ収入の15%以上を子どもに残すことを義務づけたクーガン法という法律がありますが、「インフルエンサーの子どもの収入」を保護するための法整備は遅れており、2023年にようやくワシントン州でインフルエンサーの子どもの収入を保護する法律の議論が始まったところです。 一方、一部のインフルエンサーは子どもを苦しませないために行動を変えています。TikTokで360万人以上のフォロワーを抱えるBobbi Althoff氏とその夫は、2人の娘を動画に写さないだけでなく、「Richard(リチャード)」「Concrete(コンクリート)」と呼んで本名がわからないようにしています。 実は、Althoff氏らは長女が2歳になるまでは本名や生年月日、名前、顔などをコンテンツ内に登場させていました。しかし、2022年になって「長女が生後6カ月で話し始めた天才だ」というネタ動画を投稿したところ、長女に対する誹謗(ひぼう)中傷のコメントが書き込まれるようになってしまったことで考えを改めたとのこと。 Althoff氏は、「私はインターネットに身を置く大人ですが、それでも自分自身に対する悪意のあるコメントを読むのはつらいです」と述べ、長女に対しても悪意のあるコメントが書き込まれることに耐えられなくなったと説明しています。Althoff氏はその日のうちに長女が写っているすべての投稿やコンテンツを削除し、その後は娘たちを動画に写さないようになりました。「リチャードはいつまでも私の小さな娘であるわけではありません。彼女はいつか大人になります」「彼女には自分の物語を自由に描けるようにしてあげたいのです。私は人々を楽しませることを仕事にすると決めましたが、それは子どもの仕事ではなく、子どもたちの仕事にしたいわけでもありません」とAlthoff氏は述べました。 また、投稿するコンテンツに子どもたちを載せないことは、Althoff氏が「子どもたちの母親であること」以外のアイデンティティを見つけるのに役立ったとのこと。Teen Vogueは、20代の親にとって自分たちの写真や動画をインターネットに投稿するのは自然なことであり、子どもが写ったコンテンツもインターネットに投稿しがちであるものの、成長するに従って考えを変えることもあると述べています。 近年ではAlthoff氏以外にも、子どもの顔を出さないインフルエンサーが増えています。TikTokで「Violet(バイオレット)」「Scout(スカウト)」という双子の娘が写った動画を投稿し、850万人以上のフォロワーを獲得したMaia Knight氏は、2022年12月から子どもたちの顔を絵文字や手で隠すようになりました。この決定に対するユーザーの反応は賛否両論ありますが、Knight氏はTikTokへの投稿で「今の彼女たちは幼児であり、私はもう彼女たちを見せないことに決めました」「この選択は娘たちを守るためです」と説明しています。 また、TikTokで270万人のフォロワーを抱えるLaura Fritz氏は、約2年にわたり継続してきたTikTokへの投稿を終了すると発表しました。Fritz氏はInstagramへの投稿で、「これで私たちのTikTokアカウントは終了です。約2年間にわたり私たちの生活の大きな部分を占めていたので、手放すのは困難ですが、これが私たち家族にとってベストなことです。子どもたちには、ソーシャルメディアのプレッシャーにさらされることなく、普通の生活を送ってほしいと思っています」と述べました。 近年では、オンラインで子どもの写真や動画を共有することに警鐘を鳴らすインフルエンサーも増えています。TikTokで16万人のフォロワーを抱えるsoftscorpio氏は12歳だった頃、1万人のフォロワーを持つ母親のFacebookアカウントで個人情報を投稿されてしまい、知らない男性から「友達と自転車で走っているのを見た」というメッセージを受け取ったことがあるとのこと。この経験で不安を覚えたsoftscorpio氏は、母親に自分のことを何も話したくなくなってしま���たそうです。 2023年にワシントン州議会に提出された法案には、インフルエンサーの子どもに「自分の写真や名前を永久的に削除することを要求する権利」を与えることが含まれています。動画で議員らに向けて呼びかけたsoftscorpio氏は、「この世代の子どもたちの声に耳を傾けるよう、あなたたちに懇願します。なぜなら私は、自分が作ったわけでもないデジタルの足跡が一生付いて回るという選択肢がどんなことか、身をもって知っているからです」と述べました。 また、普段はコメディ系の動画を投稿しているインフルエンサーのcaroline_easom氏は、匿名で自分のもとに届いた「家族系Vロガーの子どもの手紙」を読み上げています。手紙の中で子どもは、「家族Vログを始めたり、公共のインターネットで子どもたちの生活を収益化したりしようと考えている親には、ここに私のアドバイスがあります。やらないでください」「あなたが得たお金は、長年に苦しみによって覆い隠されるでしょう。あなたの子どもは決して普通になれません。私はネット上に存在することに同意したわけではないのです」と述べました。
インフルエンサーの親によって自分の生活が「コンテンツ化」されてしまった子どもの苦しみとは? - GIGAZINE
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flamingo-rex · 4 months
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2023.01.13
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いつものアプリで書いて投稿したら
バクって、フリーズしてアップロード出来ず…
しばらく待っても、反映されておらず
下書きにも保存されて無かった。
翌日、書き込み、投稿すら出来ずで、困り果てて
WEB版から操作。投稿、書き込みが
WEBの方から出来そうなので、再度、記憶を辿って
2024.01.13の出来事を書いてみる
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深夜、帰宅したら母親がベットの下のフローリングに
座り込んで居るのを発見。
聞くと、ベットから滑り落ちた後、
身体が動かず、立ち上がれなかったとの事
ワイが帰宅するまで2時間もこの状態だったそうだ。
昨日行った整形外科では、頭部の検査、
レントゲン、CTの撮影は無かったので
ドクターの知人から絶対に調べた方が良いと助言。
朝方、4時過ぎだったが、座り込んでた母親を
ベットに戻し、オムツを交換してから仮眠。
朝8時。母親を総合病院へ連れて行く段取りをしてたが
昨日の様に、座る事も厳しそう。
肋骨骨折の痛みが酷く、病院と話した上、救急車搬送
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午前中、ガッツリ検査。
頭部の怪我は、問題無いそうだが
肋骨骨折の他、右膝も骨折してるそうだ。
昨日の整形外科は何やった?
セカンドオピニオンは大事だと思ったが
見落としてた病院には、
2度目の検査代は負担して欲しいくらいだ。
即、入院が決定。
土曜日の為、事務局は休みなので
週明けの月曜日に、入院手続き、CSセットの申し込み
などの事務的作業があるらしい
もう、5年連続の入院手続き。半年介護
こちらも慣れたもんだ。
とりあえず入院して貰って、一安心
こちらの負担も無くなる
ただ、病床が空いてないので
短期入院になる予定だそうだ。
今、現在、ドバドバ出てた脳汁も出なくなり
アドレナリン効果ゼロの母親は、肋骨、両膝、
両手首、顎、右こめかみ…色んな部位の痛み勃発中で
歩行も出来なくなってる
このまま寝たきりの可能性もあるだろう
心を鬼にしてリハビリをしないと復帰は無理だろうな
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aizumin · 10 months
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ムー旅 平将門巡り「胴と首をつなぐ」崇敬の旅 ・その2
さて、再び🚍に乗り込み、次の目的地は東京に戻って神田明神……ですが、高速に乗ってしばらくした所で渋滞にハマりました😰
運転手さんが頑張ってくれて、何度も車線変更しつつ行ってくれるのでそれ程はノロノロ運転というわけではなく、完全に止まることもほぼありません。ところが、ここで地獄に陥った方がお1人。🚍内で缶🍺を持ち込みほろ酔い気分になってたのが、いきなりの尿意に襲われたそうで。いつものクールなイメージがすっかり崩れ落ちるほど悶絶しまくられた挙げ句、松原タニシ氏からは、
「尿意(如意)輪観音のご加護」
という凄ぇパワーワードを送られーーあまりにも素晴らしい弄りに🚍内大爆笑でした。さすが関西出身だけあって、弄り方がプロですな😅他にも「平将門の呪い」って仰ってたけど、そこは濡れ衣だと思います😂
そうこうして東京はまだかーーなどとなっているうち、三郷を過ぎいよいよ限界が……😖となったところで。
八潮PAの看板が!!
救いの神です。迷わず🚻休憩が入りました。戻られたあとは、再び「今度からオムツした方がいいんと違います?」と弄られておられましたけど😅
そのままスカイツリーを横目に、堀切~鐘ヶ淵~両国で高速を降りて、浅草橋からお茶の水へ。ここら辺になると、ほぼ庭ですね😊神田明神に到着した頃はとうに6時をまわってましたが、このようになお明るい。
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⛩️の前で一礼して山門を潜ると、おお、さすが6月。夏越の祓の茅の輪がデデーンと目に飛び込んできましたo(^-^o)(o^-^)o
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穢れを祓う為の人形(ひとがた)が貼り付けられています。取りあえずここで神職の方の説明(多分待ちかねておられたんじゃないかと💦💦)があるので、一旦茅の輪くぐりは脇に置いといて。
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神田明神(神田神社)についての説明を受けました。何度かお詣りに来てるので概要は知ってましたけど、やはり奉職なさっておられる方からの説明はそれ以上に知識が深い。
前編では、延命院や國王神社には常駐の神主さんも住職さんも居られないと書きましたが、例祭の折は神田明神(正式名称は神田神社だけど、生まれも育ちも東京在住者にはこちらの方が馴染みが深いので、そのまま神田明神と呼ばせてもらいます)からも神職者が派遣されるそうです。なるほどー😲
そもそも、将門塚保存会から石碑を贈ったりするくらい、坂東市と東京の繋がりって深いんですよね。将門ネットワーク。
神田明神は関東大震災で本殿が焼失しており、現在のものは「二度と燃えるところを見たくない」という氏子さん達の意見を取り入れて、鉄筋コンクリート造りで再建したそうです。当然構造上は木造より強度が増しているので、柱はそれほど必要とはしていない。なのに本殿の支柱が多いのは、日本の神社建築に沿った建物にする為。確かにこの方が威容がありますもんね。
説明のあとは茅の輪を慌てて8の字にくぐり、ツアー参加の皆さんがずらっと並んでいるのを尻目に境内にある波除神社を参拝。ここだけは将門さんとは関係がありませんが、父方の祖父が戦前築地に勤めていた関係で(波除神社は築地からの分霊なんです)どうしても頭を下げておきたかったの!!
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時間に余裕があったら他にも(神社裏の階段とかw)寄りたいところですが、それはまた個人で💪😁
ようやく待っている人が少なくなったところで、本殿に二礼二拍手一礼。本当は神拝詞も唱えたいところですが、あれをやると隣にいる人がぎょっとして、変な人認定される可能性があるのと、時間がないからカット💦💦
すぐに🚍に戻り、最後のそして最大の目的地である将門塚(首塚)へ。流石にここでは日没しており、
薄暗い逢魔が時の中での参拝になりました。
しかーし、
2020年からの改修工事により、以前あった筈の植え込みがほとんど失くなっちゃってる😳
もうね、まっ更な綺麗な塚以外は何んにもない空間なんですよ。
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子供の頃とか、よく「首塚の写真を撮ろうとファインダーを覗くと生首が飛んでくる」という噂がまことしやかに囁かれて、都市伝説となっていましたが、そんなおどろおどろしさは全くなく。単なる史跡になっちゃってました。確かに参拝はしやすくなったろうけど、これはちょっとクリーンになり過ぎ💦💦
恐らく、パワースポットとしての役割はほとんど消えちゃったんじゃないでしょうか?お詣りする人の念が溜まっての意味もあるもんな、アレは😥
ちなみに将門塚の改修工事に伴い、将門塚と延命院とで互いの土を交換しているとのこと。
ともかく、私にとっては付近はさんざん歩くものの、生まれて初めての将門塚訪問。
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い・ろ・は・すで簡単にお清めをして、手を合わせました🙏お賽銭入れにはやはり九曜紋。こちらの石碑が先程の神田山延命院と対をなすものか……どうぞ安らかに東京の街を護って下さいーーそう願って、ここを後にしました。
さて。時間は7時を過ぎ、トークショーとディナーを頂く為に浅草ビューホテルへ到着。こちらが最終地点となる為に、🚍とはお別れです。お疲れさまでした。そして、ツアー初めから色々とお世話になりました🙇‍♀️
運転手さんが親切に教えてくれたお陰で、座席難民にならずに済みましたもん💺
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ホテルでのイベントはムー旅のみだったので、至る所で案内板が💦💦
そして通された宴会場広ーーーい!!
いちテーブル大体5名ほどで、まずは乾杯用のソフトドリンク(オレンジジュースとウーロン茶の2択)が配られました。
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司会はムー編集部のM氏。三上編集長との阿吽の呼吸の掛け合いが楽しいです。ここでパワーポイントを使っての旅の振り返り。松原タニシ氏と同行されたカメラマンの方が撮影されてたのかな?
トークショーは撮影禁止でしたが、ディナーのフルコースのみ撮らせてもらいました。
凄い豪華だったんですよ。こんな本格的なご馳走にありつけると思ってなかった😍💕
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蓴菜の餡といくらの乗った胡麻豆腐、お刺身はマリネされてサラダ仕立て、白身魚(スズキっぽかった)の香草焼き ラタトゥイユソース添え、ほたて入りのパエリア?(サフランライスかな?バターが効いててコクがあり、とても美味しかったです💕最初ちょい少なめについじゃったので、後から余っていたのをおかわりさせてもらいました💦)、コンソメスープ。デザートはいちごのムース フルーツ添え、コーヒーはデミタスカップでしたが、エスプレッソではなかったです。香りが良かった💕
ツアー参加者が食べている間もずっとトークショーは続き、ちょっと申し訳なく思ってしまいました💦💦
トークの内容は、事前に🚍の中で記入してホテル到着時に回収された、参加者からの将門さんに関する質問が中心……の筈だったのに、いつの間にか三上編集長個人への質問が😳
それアリなんですかーー🤣
Q:いつも黒い服を着ていらっしゃいますが、私服なのですか?
A:私服です。そろそろクリーニング代を計上しようかな(え!?)
Q:正月カレーは何日続きましたか?
A:100日続けました(元旦から🍛を食べ続けておられたそうで……それを知ってるムー民の方からの質問が濃いい😂)
Q:お化けを見る方法を教えて下さい
A:出るところに行けば見れます。
ここで、聞きたくなかった情報が……霊能者の方はほぼ体温が低いそうなんですね。私、平均体温が35.6℃なの😰更にコロナが5類になるまでは、外出��で体温測ると大概エラーマークが出ました。34.6℃とかが普通だったから💦💦
ほぼ零感だけど、たま~に怪音を聞いちゃった経験があるのに加えて視える人間が周りにごろごろいるの。てことは、今は視えてなくてもいつか条件が合致しちゃうと、視えちゃうようになる可能性もあるのかも😱
嫌だー、面倒臭いぃーー‼️
トークショーの締めくくりで、三上編集長が「無事かえる」の話をしておられました。これは、将門さんの首が晒されていた京都から戻ってきたことを表しているという説が主流ですが、更に蛙(かわず)⇒河衆⇒河童の意味もあるそうで。行きの🚍の中でたたらの話も出てたもんなー。ともかく、旅から無事に家に着きますように、と。
楽しいツアーでした。ムー的にも歴史的にも、多方面で濃いい話が満載でした。
余談ですが、家にある将門さん関連で読みたいなと思っていた何冊かの📚
もしかしたら、今なら簡単に見つけられるんじゃないかな🤔と考えて、探してみました。どこに置いたかすっかり忘れてて、見つかるまで何時間かかかっても仕方がないかな😥って思ってたんですが……何とわずか15分くらいで全部出てきちゃったんです😌
ご縁が出来るって、こういうことか!!
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chibiutsubo · 1 year
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#おでかけ #INAXライブミュージアム
やきもの散歩道から車で少し移動して、INAXライブミュージアムにやってきました。ここにも国際芸術祭の作品が展示されていたので、まずその作品を鑑賞に向かいます。
時間に余裕があったらタイル博物館も見てみたかったんですが、残念ながらもう閉館時間ギリギリ……。また次に常滑に遊びに来た時におあずけです。
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資料館の中には、両面焚倒焔式角窯が保存されていて、プロジェクションマッピングのようなリアルな映像で、窯で焼き物が焼かれる様子を見ることができます。窯の内部に回る炎が結構リアルに表現されているので、一瞬中に入るのを躊躇うほど。この写真は、上映が終わって明るくなった時に撮ったもので、上映中は真っ暗の状態です。
窯の中の壁が妙にツヤツヤしているのは、焼き物の釉薬が付着したものなんでしょうか?光に当たると独特のぬめりを見せて、不気味でもあり綺麗でもあり……。
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資料館の中に残る、保存された窯跡。
そして煉瓦の補強として使われている鉄骨が独特の形をしていて、よくよく見てみるとやっぱり古レールですね。
刻印されている文字は「SCRANTON」と読めます。恐らく社名だろうな、と調べてみたところ、当たりでした。スクラントン・スチール。アメリカの製鉄会社だそうです。
調べたサイトでは、このスクラントン・スチール社製の古レールは名鉄の本揖斐駅で見つかったと書かれていたので、やっぱりこの古レールも初期の名鉄、もしくは名鉄に買収されていった会社のどこかで使われていた可能性はありそうです。
こうやって推測していくのは楽しい……けれど、傍から見たら錆びかけた鉄骨にかじりついて写真を撮っている変人なので、あまり人目に付くところ(駅とか)ではやりにくいのが悲しいところです。
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INAXライブミュージアムの中には、タイルで作品を作ったり、陶器に絵を描いたりできるような体験工房のエリアもあります。
で、その体験工房、所謂衛生陶器メーカーでもあるINAX(LIXIL)ならではの、トイレ型陶器に絵付けができるコースもあるのです。
で、工房の窓際に作品の見本が飾ってあるのですが、その中に明らかにぴよりんらしきものが……。
実は10年くらい前に私もこのトイレに絵付けを体験していて、その時に嬉々としてイコを描いてイコ型トイレを作り上げた私が言えることは何もないんですが……しかし……何でトイレにぴよりん描いた?
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poddyshobbies · 1 year
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JR 福岡近郊大回り 2023春(8)
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博多→西小倉→城野→田川後藤寺→新飯塚→桂川→原田→南福岡の大回りの後、南福岡→原田→桂川→長者原→香椎→千早(寄り道)→博多の逆回りで帰りました。上りの原田線があったのと帰りに舞鶴公園で夜桜見物をするための時間調整でした。
原田 15:58 発の桂川行きに乗車しました。(南福岡まで行って戻ってくるまでちょうど1時間ありました。南福岡 15:25 発の普通か 15:37 発の快速に乗れれば戻ってこれます。 )
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筑前山家駅 ~「うお~、いつの間にか新しい車両が増えてる~。」(2022年9月にはなかった。)
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それも、複数車両!
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かしいかえんで保存されていた西鉄324号車と621号車、筑豊電鉄2002号車が搬入されてるそうです。(クラウドファンディング中 ~「保存車両ヤード福岡」をみんなで見守ろう ライブ配信カメラ設置プロジェクト)
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桂川 16:26 着 ~ 後は野となれ山となれです。
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この記事の投稿時(4月)にはすでに閉店の売店「コラボ倶楽部」~ 最後の撮影となりました。( > 関連投稿)
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キハ40 ~ 折り返しの原田行きに
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YouTube > 原田線上り(35分18秒)… 右車窓(国道側)ノーカット
2023.3.29 ~ つづく
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sabakan-news · 2 years
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本ビジュアル&本予告解禁!
5月5日“こどもの日”に、『サバカン SABAKAN』の本ビジュアルと本予告が解禁となりました。
今回解禁となる本ビジュアルは、本編に登場する「子供時代の友達との思い出」である「サバの味噌煮の缶詰」がモチーフとなっています。上の缶詰では「1980年代の子供時代(番家一路)」を、下の缶詰では「大人になった今」の主人公久田(草彅剛)が子供時代を懐かしむかのように見上げる構図となっています。1980年代の缶詰では、主人公の久田(番家一路)と友達の竹本(原田琥之佑)が自転車に乗り、母ちゃん(尾野真千子)は小言を言いながら追いかけ、父ちゃん(竹原ピストル)はノリで追いかけています。キャラクターたちの表情に個性とユーモアが溢れ、「缶詰から想い出が飛び出��てくる“あの頃”に誘われるような」楽しさが漂うビジュアルとなりました。そして「ここは80年代。子供が主役です。」というキャッチコピーが添えられており、いったいどんな青春映画なのか、とても気になる本ビジュアルが完成しました。
さらに本予告も解禁となりました。主題歌はORANGE RANGEの大ヒット曲「キズナ」をANCHORが編曲、さらに、りりあ。の涙腺を刺激するピュアな歌声が予告編を盛り上げます。音楽はベテランの大島ミチルが手掛け、物語を奥深いものにしています。空と海に囲まれた長崎の美しいロケーションと煌めく夏が、観る者を懐かしく包み込み、“すべての人の子供時代”の記憶を呼び覚ます、胸を熱くする予告編となりました。
『ミッドナイトスワン』に続く温かな愛、新たな青春映画の誕生。ご期待ください。
「キズナ」編曲:ANCHOR 主題歌を担当させていただきましたANCHORと申します。初めて作品の詳細を伺った際、自分の生まれ育った故郷の田園風景を思い浮かべました。学生時代、その景色の中でMDウォークマンから流していたORANGE RANGEさんの楽曲「キズナ」をカバーさせていただけて大変光栄であると同時に、制作中はまるで作品の中に迷い込んだような不思議なノスタルジーに包まれました。大人になった今、まさに憧憬と呼ぶに相応しい夏の1ページを、りりあ。さんの歌と私の音、そして変わらない名曲と共に楽しんでいただけましたら幸いです。
「キズナ」歌唱:りりあ。 金沢監督からオレンジレンジさんの「キズナ」を主題歌として歌って欲しいとお話をいただいた時は私で良いのかと戸惑いました。監督から「キズナ」への熱いこだわりをお聞きして、この素晴らしい作品が完成した時に私の歌声で幕を閉じる事がとても光栄で「やらせていただきたいです。」とお返事しました。この作品はとにかく観て!の一言です!後悔しないと思うので是非観ていただきたいです。
音楽:大島ミチル 映画「サバカン」の作曲は金沢監督が私の音楽の「風笛」が大好きとのことでお話をいただきました。監督はとても穏やかで、でも音楽のイメージを明確に持っていらっしゃいました。映像を最初に見た時、長崎出身の私はその懐かしい風景や言葉に湿度を感じました。春や秋は少し生暖かく、夏はセミの鳴き声とジリジリした暑さ、冬場は底冷えではない寒さ・・・この映像は記憶であり、優しさでもあります。私の中では故郷の家族、友達はいつも温かくそこにあって遠くから見守ってくれる存在です。その甘酸っぱく、ほろ苦くかつ包み込むような思い出を今の心と重ねて作曲をしました。素敵な映像と役者さんたちと一緒に音楽も楽しんでくださると嬉しいです。
《ストーリー》 1986年の長崎。夫婦喧嘩は多いが愛情深い両親と弟と暮らす久田は、斉藤由貴とキン消しが大好きな小学5年生。そんな久田は、家が貧しくクラスメートから避けられている竹本と、ひょんなことから“イルカを見るため”にブーメラン島を目指すことに。海で溺れかけ、ヤンキーに絡まれ、散々な目に合うが、この冒険をきっかけに二人の友情が深まる中、別れを予感させる悲しい事件が起こってしまう…。
《出演》 番家一路 原田琥之佑 尾野真千子 竹原ピストル 村川絵梨 福地桃子 ゴリけん 八村倫太郎(WATWING) 茅島みずき 篠原篤 泉澤祐希 貫地谷しほり 草彅剛 岩松了
監督:金沢知樹 エグゼクティブプロデューサー:飯島三智 小佐野保 プロデューサー:佐藤満 高橋潤 脚本:金沢知樹 萩森淳 音楽:大島ミチル 音楽プロデューサー:丸橋光太郎 ラインプロデューサー:福田智穂 監督補:小川弾/撮影:菅祐輔/照明:渡邊大和/録音:田辺正晴/美術:岡田拓也/装飾:佐藤孝之/衣裳:松下麗子/スタイリスト:細見佳代/ヘアメイク:永嶋麻子/スクリプター:外川恵美子/助監督:新谷和弥人/制作担当:林みのる/編集:河野斉彦/制作プロダクション ギークサイト 主題歌:ANCHOR「キズナ feat. りりあ。」(VIA / TOY'S FACTORY)  撮影協力:長与町 時津町 西海市 島原市 長崎県フィルムコミッション 助成:文化庁 文化庁文化芸術振興費補助金(映画創造活動支援事業) 独立行政法人日本芸術文化振興会 宣伝:モボ・モガ/配給:キノフィルムズ/製作:CULEN ギークサイト
2022年8月19日全国ロードショー
©2022 SABAKAN Film Partners 
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shirasuphoto · 9 months
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#あの保存車両を撮る No.23
辻堂海浜公園 小田急2600形クハ2658
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すごかった,推しの話
 特急電車より通勤電車が好き.通勤電車しか来ない路線に住んでいると,憧れより馴染み深さに魅力を感じていた.近くを走る小田急ではRSEやEXEといった新たな時代を予感させるロマンスカーより,旧来の田文字型の二段窓に豚鼻ライトを付けた小田急顔と言われる5000形や2600形が昔から好きだった.  小田急顔は既に引退していて,身近なところだと辻堂に保存されている2600形だけだ.辻堂海浜公園の交通公園に保存されていて,子どもたちの遊び場になっている.車体の整備が行われたのかクリーム色に青い帯が綺麗になっている.ただ片側だけやって終わったのか,反対側の側面は今も大きな錆びがあり,過酷な環境を物語る.  それでもあの豚鼻ライトの顔の車両が今も残る.子どもたちにとってこの公園でしか見られない車両.でもかつてはこの車両が凄かったんだぞ,そんな自慢をつい語ってしまいそうになる.そんな話が出てくるのって,もしかしてどんどんおじさんになっているからなのか.
辻堂海浜公園交通公園 神奈川県藤沢市辻堂西海岸3-2 ◆休館日 月曜日 ◆最寄り駅 JR東日本東海道線 辻堂
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jurassicdaina · 2 years
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んんーーーッ!!!近所に幹線道路の地下を潜る道があるんだけどさ、車一台分くらいでさ、トンネルの両側入口に対向車きてるよってランプが回るんだけど、向こう側のランプ回ってたからこっちが進んだわけさ。そしたら対向から来たのさ。ランプ回ってましたけど???と思って下がらないでいたら(イラついて頑なに下がらなかったこっちも悪いけども)下がってくれたのはいいんだけど助手席に座ってた奥さん?なのかな?にスマホで写真撮られてめっちゃ気分悪いギリィ
とりあえずドラレコの映像保存しとこ…
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565062604540 · 2 years
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 俺がタイムスリップしてから1週間が経過した。  一節には、時間の主観的長さは『1/年齢』なんて法則があるらしいが、あれはどうやらガセだ。実際に13歳になってみてわかった。時間はふつうに過ぎていく。俺の精神が52歳のままだということもあるかもしれないが、それ以上に、あの現象は、余暇の長さと、なにより記憶の錯誤じゃないかと思う。  この一週間のあいだに始めたことはいくつかある。  まず、詳細な日記を書いてみることにした。  前世の俺は、読むことは大好きだったが、書くことはあまりしていなかった。中途半端に開設したブログと、某短文SNSでなにやらつぶやくくらいが関の山だった。  しかしいま、俺はいま、歴史といっていいくらいの過去にいる。これを見逃す手はない。本当はカメラが望ましいのだが、うちのつましい家計では、当時『バカチョン』と呼ばれていたカメラですらも高嶺の花である。なんで、メモである。  しかしだ。 「ノートねえ……」  休みで家にいる母さんが渋い顔をする。 「どんなのでもいい。なんならチラシの裏でもいい。いや、やっぱ保存性が悪いからノートがいい」 「書くものは?」 「安ければなんでもいい」 「じゃあ、はい」  と、母親が財布から取り出したのは五百円札である。  うわあ……まだ現役なんだこいつ……。  そういや、俺がバイトを始めたのは高校に入ってからで、場所はコンビニだった。その当時でもよく五百円札は見かけた気がする。 「予算はこれで全部。この範囲内で買って、使いきったら次。いい?」 「ありがたや……」  思わず土下座した。まあ居間なんだけど。 「やめてよ気持ち悪い。それにしてもあんた、ほんとに変わったわね……」 「すべては事故のせいだ」  もうそれで押し切ることに決めた。  さっそく買いに行くことにする。玄関で靴をはいていると、衣紬がすっ飛んできた。 「お兄ちゃんどこ行くの?」 「買いものだ」 「おやつ!?」 「母さんが一人で買いに行くことを許すわけないだろ」 「じゃあなに?」 「ノートだ」 「衣紬もいくー!」 「んじゃ着替えてこい」 「うん!」  ぱたぱたと衣紬が奥へと消えた。 「雨降りそう……」 「予報では降らないって言ってたけどな」  家の17型のテレビで確認してきた。テレビといえば、映像の色あせ具合もそうだが、テロップその他の手書き感あふれる感じがいかにも1983年って感じである。全体的に予算かかってる感じがある。そしてアイドル全盛の時代だ。  最高気温は7月頭なのに22度。2022年の首都圏ではちょっと考えられないくらい過ごしやすい。まあまだ梅雨明けしてないしな。  うちのアパートは、上山らしい急傾斜地��上のほうにある。それとボロいという合せ技で、駅から徒歩10分なのに35000円という、この当時としても破格に安い家賃になっている。階段を下って、急坂を下って、駅前通りに出る。 「ノート、どこで買うの? ミナミ? それとも田代?」  ミナミというのは駅前のスーパーである。駅前広場に面していて異常に立地がいい。これは2022年現在でも現存する。田代というのはやはり駅前広場に面している田代書店だ。こっちはかなり前にコンビニになった。  ちなみにこの時間軸に来てから、俺は一度も本屋に行っていない。行ったが最後だ。いずれ時間をとって、上山の地下街にある協栄堂に行ってみようと思っている。上山駅では最大の本屋だ。 「ちょっと遠いけど、山辺町のイ、サ……えーと、ニチイまで行こうと思ってる」  あの店、名前変わりすぎである。イオンになったのはつい最近だが、その前はサティだった。おお、そうか……この世界、バブルの前か……。 「えー、とおいー」 「500円しかないし、できるだけ安く手に入れたいからな。ま、ちょっとした遠足だと思ってくれ」 「おやつもないのにー?」 「あとで粉ジュース買ってやる」 「わーい」  衣紬、ちょろい。  そしておっかなびっくり出した『粉ジュース』という単語だが、ちゃんと通じたらしい。 「お兄ちゃん、手つなご、手!」 「はいはい」  衣紬が、体格に見合ったちっちゃい手で俺の手を握ってきた。  この一週間で、衣紬はますます俺にくっつくようになった。リアル中1の俺ならわずらわしく感じたかもしれないが、いまの俺にとってはかわいくてしかたない。狭い家のなかにいても、ちょっと俺の姿が見えないと「お兄ちゃん、どこー?」とか声かけてきて、俺の姿を見つけると「いたー、お兄ちゃん」などと抱きついてくる。こんないきものがかわいくないはずがあろうか。いまもつないで手をごきげんにぶんぶんと振っている。だいじょうぶかなこの子。小6にしてはやってること幼すぎない? かわいいなあ。 「ね、ね、お兄ちゃん」 「なんだ、衣紬」 「へへー、呼んでみてだけー」  腰に抱きついてきた。歩きづらい。そしてかわいい。 「こら、離せ」 「やだー」  きゃーきゃー笑いながらさらにぎゅっとしがみついてくる。 「離さないと、頭つかむぞー」 「いいもん。衣紬、あたまかたいもん」 「言ったな」  ちらっと見える衣紬の顔は、目をぎゅっと閉じている。きたるべき衝撃に備えているらしい。  ならば不意打ちだ。 「なでなでー」 「ひゃあ」 「頭いっぱいなでてやるー」 「なでられたぁ……」  よくわからんが、頭をごしごしとこすりつけてくる衣紬。  そして俺はあることに気づいた。衣紬の髪がさらさらではない。  こんなちっちゃい姿でも成長期だ。とうぜん新陳代謝は激しい。いくら体を拭いても、三日目となるとちょっと髪がべたついてきたりする。 「あー、帰ったら銭湯だな」 「衣紬、くさい?」 「どうかな」  せっかくなので、衣紬のショートカットの頭に顔をうずめてみた。 「やだーお兄ちゃん、かいじゃやだー」  うん。ちょっと汗くさい。 「衣紬、へんなにおいしない?」 「ぜんぜん」 「ほんとに?」 「ああ」  健康的ですばらしいにおいだ。これなら一週間くらい経ってたほうが嗅ぎがいがあるというものだ。 「お兄ちゃん、へんな顔してる……」 「変な顔ってのは、こういうのかーっ」 「むぎゅー鼻押しちゃやだー」  ああ、衣紬はかわいいなあ。ほぼバカップルだ。  景色なんかぜんぜん見てなかったが、駅への道は、図書館に行くときにけっこう通った。駅は広場を介して片側一車線の生活道路に面している。その道路の両側が商店街だ。もちろんシャッターが下りている店などほとんどない。なにより人通りが多く、平均年齢が若い。あたりまえだよなあ。この時代、団塊世代がまだ30代なんだから。ちょっと信じられないよな。  そして徒歩1時間ほどかけて、目的のニチイへとやってきた。  スーパーである。あらゆる商品が揃っている。  ここに入るには、ちょっと心構えがいる。  昔の日本を撮影した動画で、再生数が伸びるのは、やはりCMや商品、その当時の流行についてのものが多い。つまり『モノ』というのはいちばんダイレクトにその当時のことを思い出させる。  その『モノ』が、ここにはぎっしりと詰まっている。 「なあ衣紬」 「なにー」 「お兄ちゃんな、ここに入ったら、ちょっとおかしくなるかもしれない」 「え、意識戻ってからずっとへんだよ、お兄ちゃん」 「そうか……」  変なのか……。そのわりにおまえ、躊躇なくなついてるよな。  まあいい。いざ参らん。  俺は、ニチイのなかに足を踏み入れた。 「へえ……こんな感じなのか……」 「さっそくお兄ちゃんがへんです」 「ひさしぶりに来たからな」 「お母さんとたまに来るじゃん……」  建物は2階建てで、まだ新しい。この、自分の意識から来る『古そう』というイメージと、現物の新しさのギャップにいまだに慣れない。いろんなロゴや商品のデザインなど古さを感じる要素はいくらでもあるのだが、ここは、この当時なりの最新なのだ。  目指す文房具コーナーは2階である。  目移りしないうちに、さっさとエスカレーターに乗る。  上った先にあったのはレコード屋だ。  レコード屋!  あーCDが普及したのっていつごろからだっけ……。俺が高校に入ったころにはあまりレコードは見かけなくなっていた気がする。  店頭のポスターはアイドルのものが中心だが、それに混じって洋楽がちらほら見受けられる。エイジア、フォリナー、ジャーニー、そうか。アリーナロックの勃興期だ。俺が洋楽を聞くようになったのは、中学の国語教師の影響で、もうちょっと先の話だ。  入りたい。しかし入ったら衣紬の存在すら忘れる可能性がある。  つんつんと、衣紬が袖を引っ張ってきた。 「お兄ちゃん、レコードほしいの?」 「金が……金があったらな……」 「しかたないよ。うち貧乏だもん」 「それなー」 「どれ?」  あ、この言い回し通じませんね。  しかしあれだな。俺、世代的には完全にCD以降で、しかも上述したようなバンドはほとんど興味がない。なのにこう、欲しくなる。これが新譜の時代に居合わせてるだけで欲しくなる。だいたいこの世界線、ジョン・レノンが暗殺されてから3年しか経ってねえんだぞ。そして2022年現在でも愛聴していたザ・スミスはまだアルバムすら出てない。ファーストが来年だぞ。フレディ・マーキュリーが存命だしさあ。  買えないと入るだけつらい。 「よし、行こう、衣紬」 「お兄ちゃん、なんで泣いてるの?」 「金がないのは首がないのと一緒や……」  俺、しばらく物欲で苦しみそう。 「あー、おもちゃやさん!」  衣紬がててーっと店内に入っていってしまう。  うわあ、店頭でサルのおもちゃがシンバル叩いてるぞ。  まあ、おもちゃにはさほどの興味はない。俺がプラモデル好きだったりしたら話は別だろうが、家が貧乏すぎてガンプラのブームにも乗れなかったからね、俺。  ま、スライムとかヨーヨーとか置いてあったらちょっとは興奮するかな。そんなことを考えつつ衣紬のあとをついて行った俺を待ち構えていたのは『任天堂ファミリーコンピューター近日発売』の文字だった。  ……やばい。  なんかよくわかんないけど、やばい。歴史が始まる瞬間に立ち会ってる。7月15日発売。まあうちにはなかったけどね。貧乏だったから! ちなみにここで家庭用ゲーム機に乗りそこねてしまった俺は、その後、どうしても『虹色町の奇跡』を自宅でやりたいという理由でセガサターンを買うまで、家庭用ゲーム機とは無縁の生活をしていた。 「ほしいなー、ゲームウォッチ……」  衣紬の姿を探すと、ガラスのショーケースにへばりついていた。その中に各種のゲームウォッチが並んでいる。あー欲しかったよなあ、これ。たぶんこれより前、小学生のころに、すでにLSIゲームというのがあって、それは友だちの家でやったことがある。画面は、あれはLEDだったのかFL管だったのかは定かじゃないけど、黒い背景に電卓の文字のようなしょぼいグラフィックだった。ゲーム内容はインベーダーもどき。色だけはわりとカラフルに出てた記憶があるな。 「友だちにやらせてもらったりしないのか?」 「学校に持ってくるの禁止だもん」  歴史は繰り返す。いまのスマホとなんも変わりゃしねえ。 「見てるとつらくなるだけだから。な、行こう衣紬」 「うー、わかったぁ……」  さんざん寄り道をしつつ、ついに目的の文房具屋にたどりついた。けっこうでかい。そして売場の半分ほどはファンシー文具である。衣紬がさっさとそっちに行ってしまったので、俺は目的のものを探す。  文房具にはこだわりがある。俺が最後まで愛用していたのは、コクヨの野帳と三菱の証券用細字ボールペンだ。オタクの性で、パソコンに触れたのはかなり早かったし、デジタル化の波にも対応してきたつもりだが、メモだけは最後まで手書きだった。ちなみに証券用ボールペンは、2020年あたりで廃盤になって、そのあとボールペン難民になった。  そして、そのボールペンは、当然のように売場にあった。てゆうか、売場にラバーグリップがついたものが見当たらない。ゼブラのラバー80くらいだろうか。  証券用ボールペンを2本と、ノートは5冊300円のものを。もちろんB罫である。いまの俺に老眼はない。この当時の安物ノートなんて書き味なんてレベルじゃないくらいだろうが、書ければいいのだ。  レジに行って、なけなしの500円札を差し出す。こんな大規模な店でも、まだPOSレジではない。手打ちのレジスターだ。消費税もない。  商品は紙袋に入れて渡された。  受けとると、不思議な高揚感が湧いてきた。  40年の時を経て、いま、俺の手には前世と同じ筆記具がある。それで、書いていく。  なにを書くのか。それはわからない。でも、きっと、すべてだ。俺が見て、聞いたもの。感じたこと。晩ごはんのおかず。そのときに見ていたテレビのこと。公園のブランコ。梅雨のどんよりとした空。衣紬のこと。  俺は、すでに知っている。いま、この時間は、もう二度と戻らない。戻ってきた俺だからこそわかる。ここは本来ありえなかった世界線だ。衣紬がいて、笑っていて、そのそばに俺がいる。  後悔はしたくない。でも、きっとするだろう。それでもいい。瞬間ごとに、俺は生きたい。奇跡なんて口にするのもいやになるような安っぽい言葉。衣紬が死んでから何度も願ったそれ。それがここにある。記録しよう。覚えていよう。  願わくば、過去を振り返ったそのときに、衣紬も俺も、周囲にいるすべての人々が笑顔でありますように。 「あれ、三森の妹?」  自分の名字が聞こえたので、振り返った。  そこには衣紬がいる。そしてその隣にいる女子を見て、俺は固まった。  その女子の名を、芹ヶ谷茜という。  同じ教室にいても一週間、避けつづけることができたというのに、なぜよりによってこんな場所で会うのか。  芹ヶ谷は、露骨にいやそうな顔をして言った。 「三森……」  それは小学校のときに俺が告白して、玉砕した女子だった。  俺は、早速、ここに来たことを後悔していた。
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shintani24 · 24 days
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2024年4月6日
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時速6キロ以上で歩道は走れない 時速20㎞以上は原付バイクと同じで免許が必要 利用者急増の電動キックボード あなたはルールを知っていますか?(RCCニュース)2024年4月6日
利用者が急増している電動キックボード。街で見かける機会も増えてきましたが、交通違反や事故も増えてきています。あらためて交通ルールなどを調べました。
広島市の中心部でも見かける機会も増えてきた電動キックボード。シェアリングサービス「LUUP」が広島市で事業を開始して8ヶ月。貸し出し・返却する場所はおよそ120箇所にも上ります。
利用者の男性 「バランスがちょっとだけ取りにくいけど、あと車道を走らないといけないというルールがあると思うので、そのあたりは自転車のほうがいいけど、新感覚で楽しめるかなと思っています」
利用者の女性 「最初はちょっと怖かったんですけど、そんな車くらいの速いスピードは出ない乗り物なので、慣れたら操作もしやすかったです」
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「LUUP」の利用に必要なアプリのダウンロード数は100万を超えています。記者も初めて体験してみました。
隈元大樹 記者 「加速が結構スムーズですね。地面に段差があるとなかなか怖いですが、バランスも保てる感じで進んでいきます。操作も簡単で、ちょっとした移動にはすごく便利だと思いました」
初心者でも簡単に楽しめる電動キックボード。一部の機種では運転免許が必要ですが、「LUUP」などは16歳以上であれば、免許を持たなくても乗ることができます。その手軽さから、仕事や観光など幅広く利用されています。
しかし、利用者の急増に伴い、事故や交通違反も全国的に増えてきています。去年12月、長野県では電動キックボードに乗った女性が、信号を無視して交差点に進入。バスにはねられて死亡する事故が起こりました。
今年2月には、愛知県で電動キックボードに乗った男性が、歩行者をはねたうえ逃走する事故も起こり、歩行者の男性は大けがをしました。広島市中心部の本通り商店街でも、スマホを操作しながら電動キックボードを運転する人の姿も見られました。
県警は対策室を発足 交通ルールを周知し取り締まり活動を強化
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広島県警 大木晋 交通部長 「”自転車小型モビリティ対策室”を発足させました。新たな小型モビリティに対する対策というのが、喫緊の課題となっているというところでございます」
広島県警では、利用者が増えてきている電動キックボードなどに対応するため、「自転車小型モビリティ対策室」を新たに発足させました。
自転車小型モビリティ対策室 宮庄律和 室長 「正しく乗っていただくために、交通ルールの周知と、街頭での指導取締り活動を強化していくと言う目的で設置したものでございます」
広島県内では、去年7月1日から先月末までで、電動キックボードの交通違反は6件。そのうち1件は、禁止されている2人乗りで走行したものです。残りの5件は、車道を走る必要があるのに歩道を走行した、通行区分違反です。
「LUUP」などの電動キックボードは、最高速度が6kmに制限されるモードと、それ以上の速度が出せる2つのモードに切り替えが出来ます。6km以上にスピードが出る状態で歩道を走ると、通行区分違反になります。
宮庄 室長 「まずは交通ルールをしっかりと、まだ理解されていない県民の方も沢山おられると思いますので、広報啓発をしていきたいと思っております。」
少し遠い場所へも楽に移動ができる電動キックボード。利用者ひとりひとりが、ルールを守って安全に使用することが求められます。
電動キックボードのルールをおさらい
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■年齢について 16歳未満の人はいかなる種類の電動キック���ードも乗ることが出来ません。損保ジャパンが全国のおよそ1000人に実施した調査では、約半数の人が、16歳未満は運転できないことを知らなかったそうです。
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■免許の有無 「LUUP」などは、免許が無くても乗ることが出来ますが、実は、市販されている電動キックボードの中には運転免許が必要なものも存在しています。
最高速度が20km以下であることや、車体の長さが190cm以下かつ、幅が60cm以下など、決められた要件を満たさない電動キックボードは、原付バイクと同様に運転免許が必要となります。
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■歩道か車道か どこを走るべきかですが、原則としては車道です。ただし時速6キロ以下のスピードリミッターがついている車両では、リミッターを作動させることで歩道での走行が可能になります。このリミッターですが、緑色に光るランプ(最高速度表示灯)が点滅していれば、作動していると判断することができます。
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■飲酒運転 当然ですが、飲酒運転は絶対にいけません。自動車と同様、電動キックボードや自転車も道路交通法違反で摘発の対象となります。
「LUUP」でも電動キックボードの交通ルールの周知に向けて、利用者へ講習会を実施するなどしているということです。
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自宅が爆撃され、家族を失った少女。もうひとり生き残った親族の男性と並んで座り込み、言葉を失っていた=2024年3月26日、パレスチナ自治区ガザ南部ラファ、ムハンマド・マンスール撮影
吹き飛ばされた子どもたちはハマスなのか 絶望の街ガザからの報告(朝日新聞 テーマ特集:イスラエル・パレスチナ問題)2024年4月6日
イスラム組織ハマスの奇襲に端を発したイスラエル軍のパレスチナ自治区ガザへの報復攻撃が始まり、7日で半年となる。ガザでは3万3千人以上が犠牲になってもなお戦闘に終わりが見えない。避難民ら150万人が身を寄せる最南部ラファの状況を、ムハンマド・マンスール朝日新聞通信員(28)が報告する。
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【動画】ガザ南部の避難民キャンプ 軍事衝突から半年=ムハンマド・マンスール撮影
人々の心まで変えられてしまった
イスラエル軍の攻撃が始まってからのこの半年で、ガザは大きく変わった。あまりにも多くの罪のない人々が殺された。街は、空爆や砲撃で跡形もないほど破壊し尽くされた。そして生き残った人々の心まで、変えられてしまったと感じる。
「イスラエル軍は、早く殺しに来てくれないだろうか」「長い時間をかけて、恐怖を与えられ、死んでいくことにもう耐えられない」
1週間ほど前からだろうか。ガザ全域からの避難民が身を寄せる最南部ラファでは最近、そんな声が目立ち始めた。これまでになかったことだ。
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イスラエル軍の攻撃から避難した人たちが殺到し、約150万人が集まるパレスチナ自治区ガザ南部ラファの市街地=2024年3月27日、ムハンマド・マンスール撮影
2週間ほど前、ラファの東の方で爆撃音がして、私は現場に向かった。飛び散ったミサイルの破片、がれきにこびりついた大量の血痕……。もう、嫌と言うほど見てきた光景があった。巻き込まれた小さな女の子が病院に運ばれた。追いかけていくと、まもなくその子が亡くなったと聞かされた。
「自分の家が爆撃され、自分の子どもが爆撃されると思わなかった」。父親のムハンマド・アルアサムナさん(35)は、何度も繰り返した。
もちろん、ガザで安全な場所など、とうの昔からない。アルアサムナさんもそれは分かっているはずだ。だが、爆撃されるとは思わなかったのだ。
アルアサムナさんは、ラファで人気の飲食店を経営していた。死亡したイリーンさん(6)は、心優しく、勉強が得意で、誰からも愛される女の子だった。爆撃される理由はどこにもなかった。まさか、とはそういうことだ。
アルアサムナさんは言う。
「これまで不安と緊張、疲労の中で生きてきた。飢えに苦しみ、たくさんの死を目の当たりにし、今日、わが子を失った。これ以上、イスラエルは何を望むんだ?」
これのどこが「自衛」なのだろう
1週間ほど前の夜には、ラファ北部の民家が爆撃され、一家10人と、その家に身を寄せていた避難民らが殺された。近くの電線には、爆風で吹き飛ばされた子どもたちの遺体がぶらさがっていた。
8歳ほどに見える女の子が、爆撃を免れた父親と並んで座っていた。話を聞こうとしても、二人の口から言葉は何も出てこなかった。父親が大粒の涙を流しながら、破壊された家を力なく指さす。
言葉はなくても、気持ちは分かる。吹き飛ばされた子どもたちは「ハマス」なのか。その父親の年老いた両親は、イスラエルの人々に何かしたのか。米国はイスラエルには自衛権があると言うが、これのどこが「自衛」なのだろうか。
女の子が無言でかがみ込んでいると、その頭の上に父親が、なだめるように手を置いた。女の子は父親を見上げた。その目は涙でいっぱいだったが、「パパ、泣かないで」と語りかけているように見えた。
この半年間で希望は失われた
罪のない子どもが爆撃で殺されるのも、思い出の詰まった家が突然破壊されるのも、ガザではこの戦争前から「日常」だった。
だから、人々は明るかった。絶望していては生きていけないから、時に憤り、泣き叫び、それでも「また頑張ろう」「何とか生きていこう」と声を掛け合ってきた。
だが、今回は規模がちがう。この半年間で、人々は希望を持って生きていけなくなった。
私も、その一人だ。
侵攻が始まる2カ月前に結婚したばかりだった。経済状況は厳しかったが、何とか幸せな暮らしを築いていきたいと思っていた。
しかし、新しい家も、買いそろえた家具も、爆撃で粉々にされた。祖母は、粉じんを長期間吸い込んだことで肺を病み、避難生活の中で命を落とした。5日には、移り住んでいた家の近くが爆撃され、私たちはテントに避難した。
あまりにも早い速度で友人や親戚が命を落とし、悲しむことさえ難しくなった。
食料や水、燃料など、命をつなぐものすべてが足りず、それらを探し求めて歩き回り、長い行列に並ぶことが一日のほとんどを占めている。
時間の感覚がまひしていき、記者の仕事をしていなければ、もう6カ月経つのだということは分からなかったと思う。
この残酷な戦争が終わってほしい――。自分を捨てず、希望を捨てず、そう祈り続けることは、もう難しい。(ガザ南部ラファ=ムハンマド・マンスール、構成・高久潤)
コメントプラス
高久潤(朝日新聞エルサレム支局長=文化、消費)【視点】 エルサレムを拠点に、イスラエルとパレスチナを取材しています。
ガザについては、外部からガザの中に記者は入ることができないため、この記事を一緒に書いたマンスール通信員ら現地の記者たちが担っています。私たちは携帯電話がつながる限り、必ず毎日その日起きたこと、ガザの市民の間でどんなことが話題になっているのか、そして記者よりも先にガザの市民である彼らが今何を考えているのかについて「おしゃべり」をしています。そこから取材を広げていくのです。
戦闘が始まって、まだほどないとき。「こんなことは経験したことがない」「こんなことは見たことない」「こんなこと聞いたことないという表現について、よく話題になりました。
ガザへの空爆の規模、回数、そして死者数・・・・・・。あらゆる意味で、今回の戦闘でのガザの惨状は「未曽有」というしか言いようがありません。私もこれまで書いてきた記事でそうした地元の人の声をたくさん書いてきました。実際にみな口をそろえて言うからです。
ただ、いくらなんでも「こんなこと起きたことがない」が続きすぎじゃないか? 私はガザに比べればよっぽど安全なエルサレムにいることもあり、口がさけても私からいうことはありませんが、ふとマンスール通信員がそんなことを漏らしました。
「私の表現はおおげさだろうか」と。
もちろんそんなことはありません。確かに日々数十人から百人近くがイスラエル軍の攻撃で死んでいくので、報じていると悪い意味で「慣れてしまっている」と思うこともあります。ただ、やはり現地の様子を伝える映像や写真、そしてマンスール通信員の話を聞いていると、それが「大げさ」とは思わない。だから「そんなことないよ」と伝えます。
ですが、戦闘が始まって3カ月たったころ。彼が「やはりおおげさなんだろうか」と言ってきました。だからそんなことないけど、なぜそんなことを聞くのかと尋ねたらこう言われました。
「いや、こんなにひどいことがおきているのに、どうしてイスラエルの攻撃をとまらないのか。いや国際社会はとめようとしないのだろう。私たちの表現や声のあげかたがおかしいのだろうか」
私は絶句してしまいました。もちろんそんなことはありません。止まらない、止められない理由の責任を最も感じる必要がない人たちにそのように感じさせてしまう私も含めた国際社会、そしてイスラエルとは何なのか。
本日の朝刊2面に引用しましたが、イスラエルのユダヤ人たちは、ガザでの戦闘の継続を決めるファクターとして、ガザの市民の苦しみをまったく考える必要はない、またはそんなに考える必要がない、と答える人が8割にのぼります。どうしてイスラエルのユダヤ人たちがこのように考えるのか。これについては、本日から始まる連載「イスラエル軍の実像」で書いていく予定です。
ただ、理由がなんであれ、半年以上もこのような戦闘が続いてしまっていることをまったく恥じる必要がないのは、ガザの人たちだけだと私は思います。
程度の違いはもちろん人や国や立場で違うと思いますが、少なからずは恥じないといけない私を含めた人たちはまずはガザで何が起き、どうしてこんなことになっているかを知らなければならない。残念ながらこの戦闘の行く末は見通せません。どうして見通せないのか。どうしてそんなことになってしまっているのか。そういうことがわかるような記事をしつこく、書いていきます。
マンスール通信員は日本に来たことがありませんが、日本がとても好きです。いつも「いつか自分たちも日本のようになれるだろうか」と言います(この地域では日本は戦後復興をへて先進国になった『すごい国』と言われることが多いのです)。
でも。もはやこの言葉を私は素直に受け取ることはできません。やはりこの言葉にふさわしくない恥ずかしい存在だと日本や自分のことを感じてしまうのです。半年たって、そう強く感じています。
「FREE GAZA」ガザ侵攻から半年 市民グループが原爆ドーム前で抗議のアートイベント(RCCニュース 4月8日)2024年4月6日に追記
イスラエルによるガザ侵攻について、市民グループが7日、原爆ドーム前(広島市)で抗議するアートイベントを行いました。
「私たちは、パレスチナの人々が解放を求め続けるために、この大量虐殺を終わらせるために行動しています」
抗議活動を行ったのは、「広島パレスチナともしび連帯共同体」です。このグループは、パレスチナ自治区ガザでイスラエルとイスラム組織ハマスの戦闘が始まって間もない去年10月から毎日、原爆ドーム前で停戦を訴えています。
「FREE」「GAZA」と書かれた2枚の横断幕に呼びかけに応じて、集まった市民や観光客などがメッセージを書き込みました
広島市立大学 田浪 亜央江 准教授 「今、どんなことが起こっているのかを考え、自分の体で表現するアクションに参加してほしい」
今後もSNSなどを通じて世界へメッセージを発信したいとしています。
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蛇口に尻こすりつけ使用不可に=「性欲のため」男逮捕―警視庁 (時事通信)
公園の水道に尻をこすりつけ、使用できない状態にしたとして、警視庁が器物損壊容疑で自営業の男(56)=東京都杉並区=を逮捕していたことが6日、捜査関係者への取材で分かった。
「性欲を満足させるためにやった」と容疑を認めているという。
捜査関係者によると、男は1日午前2時20分ごろ、世田谷区粕谷の都立芦花公園で、水道の蛇口に肛門をこすりつけた疑いが持たれている。
公園側は、衛生上の観点から蛇口の使用を禁止した。後日交換する予定という。
同日午前3時ごろ、同区南烏山の路上で、下半身を出して自転車に乗っている男を警察官が発見。男の携帯電話から公園で全裸で自身を撮影した写真が見つかったため、公然わいせつ容疑で逮捕した。その後、蛇口に肛門をこすりつけている写真も見つかり、4日に器物損害容疑で再逮捕した。
男は持ち歩いていた双眼鏡で付近に人がいないことを確認した上で撮影していたという。
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ゆうちょ銀行 通常貯金の金利20倍に引き上げ 利率改定は17年ぶり(FNNプライムオンライン)
ゆうちょ銀行は、8日から通常貯金の金利をこれまでの年0.001%から、20倍の0.02%に引き上げると発表した。
日銀のマイナス金利政策解除決定を受けたもので、通常貯金の利率改定は17年ぶり。
1月に引き上げたばかりの定期貯金の金利もさらに引き上げ、預入期間5年の場合で、年0.07%から年0.2%にする。
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kennak · 1 month
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昨年末、安保3文書を改訂し、日本の防衛政策を大転換させた岸田文雄首相。現在世界10位の日本の防衛予算は、2027年には3位にまで上がる見込みだ。国の財政は、借金である国債残高が1000兆円を超えて火の車。膨張する防衛予算の財源を賄うため、増税もする。 今年5月、米国の雑誌『TIME』が岸田首相の顔写真を表紙にし、次のような見出しを載せて報じた。 「岸田文雄首相は数十年続いた平和主義を捨て、日本を真の軍事大国にすることを望んでいる」 ところがその直後、TIMEは見出しを変更する。 何があったのか。TansaはTIMEとやりとりした外務省の内部文書を情報公開請求で入手した。 米誌「TIME」の岸田首相インタビュー掲載号=撮影/辻麻梨子 「G7前のパーフェクトなタイミング」 TIMEは1200万人以上が読む、世界最大の週刊英字ニュース誌だ。政治、経済、環境などのテーマのほか、毎年「世界で最も影響力のある100人」のリストを発表している。 TIMEから外務省に対してインタビューの申し込みがあったのは、今年2月6日。シンガポール支局に勤務する、チャーリー・キャンベル記者からの依頼だ。キャンベル記者はアジア各国に関するテーマを幅広くカバーしている。 インタビューの依頼は、5月に開かれるG7広島サミットを見据えたものだった。キャンベル記者のメールには、こう書かれている。 「G7広島サミットが近づいている中、私たちは岸田首相が日本の地域防衛に関する新たな積極的役割について話すのに、今がパーフェクトなタイミングだと考えます」 さらに「宣伝効果」についても、こう伝えた。 「このインタビューはG7会議の直前に、TIMEの表紙として取り上げられる可能性があります」 メールには18の質問項目も添付されていた。岸田首相の生い立ちから、米国のジョー・バイデン大統領との協調体制まで、質問の内容は多岐に渡る。 最初に書かれていたのが、日本の防衛政策の転換に関わる質問だった。 「なぜ今が、日本の防衛政策を転換し、地域の安全保障においてより大きな役割を果たすべきタイミングなのでしょうか」 4月3日、シンガポールにある日本大使館のテラド・ヒロツグ氏(メールでは英語表記のため漢字表記が不明)が調整し、大使の石川浩司氏とTIMEの関係者の面会が実現した。開示された資料では、TIME側の担当者の名前は黒塗りになっていた。 外務省がTansaに開示したメールのコピー=撮影/辻麻梨子 「発売前に100部欲しい」官邸 首相インタビューに向けて、具体的なやりとりが進んでいった。 メールの内容からは、政府が今回のインタビューに期待をかけていた様子がうかがえる。翌月に迫るG7広島サミットの開催と、岸田首相の存在感を世界に印象付けられる機会と捉えたのだろう。 例えば4月11日、テラド氏は外務省のホームページに記事を無料で掲載できるかをTIMEに尋ねた。外務省としての依頼だという。外務省のホームページには外国メディアが報じた首相や大臣のインタビュー記事のリンクを、一覧にして公開している。そこに今回のインタビューを掲載できるか、という確認だ。TIME側はこれを了承した。 24日には、外務省の岩渕系氏が官邸からの要求だと伝えた上で、TIMEに問い合わせのメールを送った。岩渕氏は外務省の大臣官房国際報道官室に勤める人物だ。 官邸が知りたかったのは、TIME誌の入手ルートだ。日本でTIME誌を取り扱う業者の連絡先を、尋ねた。雑誌が店頭に並ぶ前に、官邸内で紙面を確認したいという。 29日にも同様のメールを送った。 「官邸が出来るだけ早く、雑誌を100部入手することを希望しています」 「官邸スタッフはインタビューにとても満足していた」 岸田首相へのインタビューは首相公邸で、4月28日午後6時30分から7時30分まで実施されることになった。この1時間でインタビューと表紙の写真、記事内に掲載する写真の撮影も行われた。 当日、取材は和やかに行われたようだ。同日の深夜1時すぎ、岩渕氏がTIMEにメールを送った。掲載日の確認などの連絡と合わせて、インタビューの感想を英語でこう綴っている。 「首相官邸のスタッフはインタビューにとても満足していたように見えました」 記事は5月10日にオンラインで公開、11日、13日にそれぞれ雑誌の米国版とアジア版が発売されることになった。 NY総領事館にTIME編集担当を呼び出し TIMEは雑誌の表紙とオンラインで、それぞれ次の見出しをつけた。 雑誌表紙:「岸田文雄首相は数十年続いた平和主義を捨て、日本を真の軍事大国にすることを望んでいる」 Prime Minister Fumio Kishida Wants to Abandon Decades of Pacifism-and Make His Country a True Military Power オンライン記事:「岸田文雄首相はかつて平和主義だった日本を、軍事大国に変えようとしている」 Prime Minister Fumio Kishida is turning a once pacifist Japan into a military power 5月9日、在NY総領事館で日本情報センターのディレクターを務める森和也氏が、TIMEにメールを送った。 「1〜2日後に出る岸田首相のインタビュー記事に関して、TIMEの編集担当者に会って話がしたい」 「記事に関して、官邸からいくつか緊急の問い合わせがある」 同日の午前中、NYの総領事館で両者は面会した。 その場でどんな話し合いが行われたのかは、わからない。その後も何通かのメールが交わされたが、話し合いに関するほとんどの部分が不開示になっている。 だが翌日10日、TIMEが森氏に送ったメールには、次のように書かれていた。 「もし他にも心配事があれば連絡してください」 首相発言自体が実態と乖離 印刷してしまった雑誌の見出しは変更できない。だが、5月9日の在NY総領事館との面会を経て、TIMEはオンライン版の見出しを変更した。オンライン版の見出しは雑誌の表紙ほど踏み込んだものではなかったが、それでも表現を変えた。 変更前:「岸田文雄首相はかつて平和主義だった日本を、軍事大国に変えようとしている」 Prime Minister Fumio Kishida is Turning a Once Pacifist Japan into a Military Power 変更後:「岸田総理大臣は、平和主義だった日本に国際舞台���より積極的な役割を持たせようとしている」 Prime Minister Fumio Kishida Is Giving a Once Pacifist Japan a More Assertive Role on the Global Stage 5月11日になり、日本国内のメディアが見出しの変更を報じ始めた。 定例の大臣記者会見の場で質問された茂木敏充外務大臣は、「表題と中身に乖離があることを指摘した」とだけ答えている。 表題と中身の乖離というのは、何を指すのだろうか。 記事の中では、日本が戦後最大規模の軍備の増強を行ったことが説明されている。 「岸田首相は12月、第二次世界大戦以来最大規模の日本の軍備増強を発表したが、これは日本と同様に戦争で打撃を受けたドイツを含む欧州全体の国防費の増加を反映したものである。この約束により、2027年までに防衛費がGDPの2%に引き上げられ、日本は世界第3位の防衛予算となる。そして、これまでの日本の指導者たちが国際制裁の発動をめぐって迷っていた一方で、岸田氏は米国主導の措置に機敏に参加した」 この後に続く段落では、岸田首相が「自分の唯一の目標は広島のような悲劇が再び起こるのを防ぐことだ」と語ったコメントが紹介されている。 確かに岸田首相は、TIME誌の表紙にあったように「日本を真の軍事大国にしたい」とは発言していない。茂木外務大臣はそのことで「表題と中身が乖離している」と言っているのだろう。 だが、記事中にある「第二次世界大戦以来最大規模の日本の軍備増強」、「2027年までに防衛費がGDPの2%に引き上げられ、日本は世界第3位の防衛予算となる」はいずれも事実だ。記事では「日本の指導者たちが国際制裁の発動をめぐって迷っていた」とも書いているが、戦後の歴代首相が憲法9条の制約のもとで踏みとどまっていた一線を岸田首相が越えたことも事実だ。 岸田首相は「自分の唯一の目標は広島のような悲劇が再び起こるのを防ぐことだ」とインタビューで言っている。しかし、日本は世界で唯一の被爆国でありながら核兵器禁止条約に参加していない。この言葉の方が現実と乖離している。 2023年5月開催のG7広島サミットで議長国記者会見を行う岸田首相(出典:首相官邸ホームページ)
米誌TIME「岸田首相が望む軍事大国化」の見出し変更で何が? 外務省とのやりとりを情報公開請求で入手 | Tansa
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johnelic · 2 months
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Wikipedia書き抜き(更新中)
異歯性は顕著であり、頭蓋骨は後頭部でオーバーハングしている。二次口蓋は、咀嚼と同時に呼吸が出来た事を示している。大量の酸素を必要としていた彼らは恒温性を獲得しつつあった。身体を丸め、眠った姿のまま化石化した。
夜はボクシングジムで鍛練を重ねる裏の顔を持ち、部長の愛人を麻薬とセックスで籠絡する。1億円強奪殺人事件で奪った1億円を安全なヘロインに換えるため、市会議員の磯川とも接触。刺客たちも難なく始末した。
「しまったー! 99800円のパソコンなんてどう考えても安くしすぎだ! うっかり、してました」という特徴的なコーラスでインパクトを与えたが、「ウソテック」や「総鉄屑」「粗ーテック」「糞ーテック」といったあだ名(インターネットスラング)が登場するなど、同社は著しく株を落とした。
2019年に特化則非該当の「サラセーヌAZ」へとさらなる進化を遂げ、「サラセーヌ堅鎧(タフガイ)システム」が実現した。
その影響はこれ以外にもジバンの機械的な動作や、各種メカニックの描写などにも大きく現れており、このようなロボット戦士路線は宇宙刑事シリーズのような正統派ヒーロー路線への回帰が意図されたものとなった。また、当初は主人公とヒーローが同一であるような演出をしない効果的にアナクロニズムを生かした手法や、主人公と深く繋がる少女である五十嵐まゆみの登場など1950年代の特撮ヒーローを彷彿させる設定となっている。
再び首と身体が一緒になるのではないかと恐れて、頭と身体を二つの岩の頂上に置いて、その岩の裂け目の中に石像をおき、それぞれの寺院を建立した。二つの寺院の間は、以前は4ヨージャナあったが、今は1クローシャしかないと言われている。 わたしの師匠が見たとき、寺院は岩壁がくっついて入り口がなく、窓から見ると、両方とも台座の上に石像の破片のようなものがそれぞれ置いてあったと言う。
土間基礎のコンクリートを打設しました。仕上げに『ヘラコプター』を使用しています。 業界入りたての頃、先輩に出力を2倍にすると空に飛べると教えられ、しばらく信じていた事を思い出しました。
サマラの「蜘蛛歩き」と呼ばれる四つん這いで、手(肩)よりも足が前に出る股関節が外れたような人間では考えられないような不気味な動きはCGではなく、実際にサマラを演じたボニー・モーガンが行なっている。
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素晴らしい時間の過ごし方だと思います。将来私のために勉強することができて嬉しいです。 私は自分のPTSDと複数の外傷性脳傷��で正社員として働けなくなりました。 精神的にも身体的にも社会人として生活することは難しいけど、将来につながる勉強と大麻が今の私の希望です。
エチゼンクラゲが地球で果たしている役割が明らかになっている。エチゼンクラゲは体がベタベタしており、弱って泳げなくなると体の表面に細かいごみがまとわりつき、重くなって沈んでしまう。このような形で、地球の生物地球化学的循環(生物循環)に寄与している。 ズワイガニもエチゼンクラゲを捕食している。 細かくしてアイスクリームに入れ、エチゼンクラゲアイスとして販売されることもある。 2009年は大発生して日本各地で漁業に大きな被害を与えたが、2010年度はその千分の一に激減した。
広く好まれた見世物であり、熊や猿を連れた旅芸人が犬をけしかけたり、観衆に石を投げさせて娯楽とした。狂人の観察などと並ぶ人気の興行であり、芝居見物などと等しいごく普通の習慣だった。
シーモンキー(アルテミア)は普通の塩とエサではうまく育ちません。孵化は容易ですが、その後の育成は難しいです。シー藻はシーモンキー飼育に最適な藻。シー藻を入れると良質なバクテリアが繁殖し、それをアルテミアが食べるので餌やりが全く不要になります。死んだシーモンキーや糞はシー藻の養分となって水槽内で循環します。併せてシー藻が酸素を出すため酸欠が起きず水も腐りません。過去に失敗された方にもおすすめです。小さな容器では水温や水質が安定しないため、なかなかうまく育ちません。大きな容器で飼うほどに失敗が激減します。孵化率の低い中古の飼育セットも出回っているようです。アルテミアは生き物です、おもちゃではありません。小さな生物だからこそ最上の環境で育ててあげてください。お子様の教育にもお役に立ちます。
マディディティティはオレンジ色から茶色の体毛で、頭に特徴的な金色の王冠のような模様を持つ。尾は白く、手足は赤褐色である。自然保護の基金を作るために命名権を競売に出し、オンラインカジノ会社のゴールデンパレスが65万ドルで落札した。そのため、ゴールデンパレスドットコムモンキー(http://GoldenPalace.com monkey)とも呼ばれる。
26世紀の愛のピアノ音楽。Limb 1st。辺境の惑星でいま二人のピアニストの魂が出会う。どうしてわかりあえるのにこんなに時間がかかってしまったのか。さる東欧のX地区でソ連解体以前、アンダーグラウンドピアノレジスタンスがロケット基地を占拠した。ピアノを演奏する事により推進力を得るピアノエンジンが積まれたロケットに乗り、宇宙に脱出するレジスタンスの演奏記録。ヴァルカンピアノ砲照射、大気圏脱出後の強烈な光が。ピアノが宇宙に行くとどうなるんでしょうか。
最弱童貞の俺、非モテ女子に告ってイチャイチャライフを送ることにしました。~今更羨ましいと言ってももう遅い~
また、オリジナルデザインにしたらもっと良い物ができたのではないかという質問に対しては「デザインは全くのオリジナル。至る所に新しい機軸を取り入れている」と、このデザインはあくまでもオリジナルだという事を主張した。 今後の方向性としては、カラーバリエーションは考えず、トランスルーセントではないバージョンやPentium IIIなどを搭載した高速化を考えているという。 ゲストとして招かれていたインテル株式会社の傳田代表取締役社長は、「今までパソコンはデザインが良くなかった。このe-oneでリンゴのマークの人たちがこちらに来てくれる事を期待している」と語り、会場の笑いを誘った。
生きているロゴマークは、ずっと「変わりたい」と願っていました。ある時、清い水と出会ったことで、色々な形に姿を変えることが出来る様になりました。その時から、ロゴマークはこのキャラクターと、ひとつになりました。ロゴマークは「なりたい自分になる」そう願いながら日々、より善き姿を求めて変化しています。
リング状に成型して焼き上げたいちご味のもちもち生地を、いちごチョコでコーティングしました。リング状に成型して焼き上げたいちご味のもちもち生地を、いちごチョコでコーティングしました。ファミマのいちごモッチうますぎて、口に入れた瞬間女の子座りして泣いちゃいました。
HONUMIスーパーナチュラルシステム 海の作り方発明しました。 水換え不要の凄い生簀・活魚水槽の特長 従来の生簀と当社の凄い生簀の比較
車が炎上、爆発。全身にヤケドを負い、病院で息を引き取るが、亡くなったのは替え玉で、本人は生きていた。亡くなった替え玉も、死んでも死にきれず、真棹を絞殺しようとした。しかし真棹を殺せず、それが事件にとって最大の誤算を生み出したため、洞窟で真棹を殺そうとした。
パンダは大量に竹を食べ、快速に排出する食べ方で、自分の体の需要を満足しています。一日の食糧は大体:筍23~40㌔、笹は104~18㌔、竹の枝は17㌔です。 パンダは垂直移動する習性があります。夏には高山へ筍を取り、秋と冬には雪のない中低山の地���へ移動します。 多量な竹が開花し、枯死することはほかの植物の更新を促進する役目があるから、生物種と生物系統の多様性を保持するには必要な過程です。一種の竹が開花しても、まだほかの食べられる竹があるから、竹の開花はパンダの生存を脅かすことにはならないはずです。しかし、現在パンダの生息地がごくわずかしかないし、分断化されているから、この「小島」での唯一の竹が一旦開花したら、パンダも食物に困る状況に迫られるのです。
クロムウェル夫人は、自分が設立した町が北京の裏側にあると思っていたため、町を「ペキン」と名付けたと言われています。(1700年代後半から1800年代初頭にかけて、中国と米国は地球の正反対の側にあると考えられ、町はしばしば中国の場所にちなんで名付けられました。別の例はオハイオ州カントンです。
藤原さんの主たる活動は北見の基地にて隊員(何十人という、最大時は84人と聞いています。元自衛隊員が多かったと聞いています。)と共に、地下に潜り火山の爆発と地震を止める仕事をしていました。
最初に迷乱する因は、3つの無明である 。 自己を認知しないという局面は、所取と能取としては生じていないので、実際上は「不迷乱」であるが、それが迷乱になる。たとえば「無名」が名前になるようなものである。これが①「同一性の無明」である。 「それを認知しない境界」という対象化、それが②「倶生の無明」であって、「輪廻と涅槃の両者」という顕現として生じる。 対象としての顕現を、知によって単なる二元的顕現に分割分離し、名称の指示対象を実体として概念構想する局面に至っては③「遍計の無明」と呼ばれる。
世界で唯一のアルビノゴリラ・スノーフレークは、かつてスペインの植民地だったアフリカの赤道ギニア共和国で捕獲された。群れの仲間は皆ハンターに殺され、スノーフレークだけが1966年にバルセロナ動物園に連れてこられた。2003年に皮膚がんで死ぬまで同動物園で暮らした。
4人は進級し、堂郷和太郎の協力を得て楓は写真部を創部する。そこに声をかけたのは憧憬の路で楓の写真を撮り、賞をとった三谷かなえだった。写真部は楓とかなえ、そして楓を支援する3人が集まる「ぽって部」を合わせた5人で活動する。楓は、父の訪れた場所を訪ね、父の残した足跡を辿る。 また5人とかおるの姉の塙さよみは横須賀に行き、ちひろとその友人のともちゃんに会う。しかしかなえは受験のため、私たち展を最後に部活を引退する。その後かなえは大学に合格し、高校を卒業した。
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ya-sojiro-blog · 2 months
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最期のキハ66
 2024年2月10日、福岡県のJR九州小倉総合車両センターで「キハ66・67形国鉄色 キハ40形 783系ハイパーサルーン 車両見学会」が開催された。主にキハ66・67形を撮影する。
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※写真は全て管理人が撮影・編集したもので、著作権があります。複製や加工などの二次利用を厳しく禁止しています。ルールが守れない方は必要な措置を講じる場合がありますので、ご注意ください。
 キハ66・67形は1974年に製造された国鉄型気動車。15編成30両(キハ66・67-1~15)が製造された。落成当初は福岡県で活躍し、末期は長崎県で「シーサイドライナー」の愛称で2021年6月30日まで活躍した。国鉄急行色、シーサイドライナー(SSL)色、ハウステンボス(HTB)色が存在していたが、SSL色とHTB色は解体されて消滅している。
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 今回展示された車両はキハ66-1、キハ67-1の1番ユニット国鉄急行色。キハ66・67形のトップナンバー車だ。最後まで生き残った1編成2両である。撮影会ではキハ66側先頭車で字幕回しが行われた。個人的に好きな幕「ワンマン 諫早」が撮影できた。
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 車体の横に記された「キハ66-1」の文字。キハ66・67形の証拠だ。青空に映えるクリーム色と赤色の車体が美しい。
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 キハ66・67形は車内の見学や撮影も可能であり、運転席に座ってみる。一部の部品が取り外されて、解体の時が近いことを実感させられる。キハ66・67形の運転席は初めて座ったが、狭いスペースに驚いた。
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 運転席から見える光景。現代の車両と違い窓が非常に小さく、視認できる範囲が狭いのが分かる。
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 こちらへ向けて走ってくる(ように見える)キハ66・67形。前照灯を点灯させて佐世保へ...とは残念ながらもうないだろう。前照灯はPhotoshopで点灯風に加工、効果線はスローシャッターでレンズのズームリングを回すテクニックを活用した。
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 今後キハ66・67形に会うことはできないと思うが、写真として残すことができたのは非常に嬉しい。天候にも恵まれ、素晴らしい撮影会で満足している。
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