2023年も色んなことがあった。嬉しいことも嫌なことも悲しいことも。それでもこの夏はきっと終わらないって、心からそう思わせてくれた特別な日がある。8月19日、あれは猛烈に暑い日だった。そして今年のタラウマラ営業日のなかでも屈指の忙しさと売上を記録した日だ。朝から途絶えることなく自転車修理と整備業務に追われて滝のように汗を流しながらタイヤ交換をしていたときにSTRUGGLE FOR PRIDEの今里さんが「土井さん、久しぶり」と言って朗らかな笑顔で店先に姿を現した。これまでに自分の日記やSNS等でSFPについて何度も書いてきたから、SFPに対する僕の過剰な思い入れについては周知の通りだ。とにかく20代の僕の生活には常にSFPとECDがあった。だからと言って熱心にライブに足を運んだり、血眼になって音源やマーチャンダイズを探し求めていた訳ではない。もちろんライブに行くこともあったが、当時は声をかけたりはしなかった。直接、話をしなくても心で対話をしているような錯覚を抱いていた。そう、当時の僕ははっきりと痛い奴だったのだ。20代の自分を振り返るとなかなかにクソったれな日々を送っていたけれど、無理に同志を見つけようとは思わなかったし、誰かとつるんで何かをしようとも考えなかった。ボクシングのプロテストに挫折してからは、ひたすらに小説を書き続けていた。執筆時に���音で流していたのがSFPやECD、そしてデトロイトのUnderground Resistanceの音源だった。その頃は参考文献と併せてBGMを記載していて、彼らの楽曲は必ずセレクトしていた。
それくらいSFPの存在は僕が生きていく上での一本の「筋」や「芯」だった。彼らが居てくれたから、ウダツの上がらないシミったれた日々も「何とかなるやろ」と肯定できた。前回の日常炒飯事くんのインタビューからの流れで言えば、SFPが僕にとって20年来変わることのない「推し」なのかもしれない。サイクルショップすずめをやっていたときには常連のハタさんが「土井さん、SFPお好きでしたよね?」と言って、超デカい今里さんのポスターをプレゼントしてくれて、それを店頭にデーンと掲示したことでマリヲくんと出会うことになる。そんな今里さんとはじめてお話をしたのが2年前の年末、旧グッゲンハイム邸で開催されたRC SLUM主催のパーティーだった。タカアキ(BUSHMIND)さんに手を引かれ、紹介された。今里さんは「俺、ソウタくんの真似してタラウマラに突撃しようと思ってたんですけど、寝坊して行けなかったんですよ」といつものあの笑い声を聞かせてくれた。
それから2年ぶりの再会、夏、茹だるような暑さの淡路の路上で。今里さん、お久しぶりです、このタイヤ交換をちゃっちゃと終わらせるんで、店内でゆっくりしてて下さいと告げるも、今里さんはお邪魔でなければ外で見てて良いですか?と言ってずっと店頭で僕の作業を見ていた。しかし当のタイヤ交換を終わらせても一向に客足が途絶えず、パンク修理、タイヤ交換、自転車販売、スタンド修理、チェーン交換と立て続く。あまりの慌ただしさを見かねた今里さんが「土井くん!俺も手伝うわ」と手を差し伸べてくれた。車体を押さえてくれたり、タイヤを取ってくれたり、スタンドを調整してくれたり。そのスタンドはタラウマラの主要登場人物シュウ(小学4年生)のもので、このシュウという少年はなかなかの個性持ちで、阪急淡路駅の改札をサラリーマンの後について入場し、そのまま難波や心斎橋まで行って駅員に保護されたり、23時を過ぎた人もまばらな淡路商店街で空き缶やペットボトルを並べてボーリングをしていたり、方々で犬と本気で喧嘩をしていたり、知らないおっさんの部屋で一緒にゲームをして遊んでいたりするような最高に愛すべき問題児なのだが、今里さんの前では珍しく猫を被っていた。途中、今里さんがコンビニに行った際にシュウのお母ちゃんが僕にそっと耳打ちする、うちのシュウがビビってる、と。僕は思わず爆笑した。ちょうど今里さんがコンビニから戻ってきたタイミングで、CHOPPY'S SKATEBOARDの上野さんが来てくれたので僕は修理作業を継続しながら紹介すると、おふたりはスケートボードや共通の知人の話で盛り上がっていた。その頃になるとようやくシュウもギアが上がってきて「どっちかのお兄ちゃん、僕のお母さんと結婚して欲しい」と冗談とも本気とも取れる言葉をぶっ込んできた(シュウの両親は離婚している)ので、みんなで爆笑。お母ちゃんは「お兄ちゃんらにも選ぶ権利があるわ」と言うて苦笑していた。結局シュウのスタンドは完全には直すことができず、ちょうどサイズも小さくなってきたこともあって、まだ整備できてないけど一台シュウにぴったりのサイズの自転車があるからそれが出来上がったらお母ちゃんに電話するからそれまで辛抱しとき、と伝えると瞳を輝かせて、ほんま!絶対やで!約束やで!と嬉しそうに手を振って帰って行った。その後もなかなか客足が途絶えないため、今里さんが「軽くメシでも喰ってくるよ、オススメある?」とおっしゃったので、食い気味に「大阪王将」と言うと「いや、王将が美味いのは知ってるけど、もうちょっとローカルのが良いな、せっかくやから」と苦笑い。僕も思わず、ですよね、と吹き出した。さっき今里さんが行かれたコンビニの裏手に「いしかわ」という定食屋があって、そこのカスうどんめちゃ美味いですよ、と伝えると、じゃあ行ってくるー、と今里さん。僕は一度、頭から水を被って残りの作業を続ける。ようやくひと段落つこうかというタイミングで今里さんが戻ってきた。え、もう喰ってきたんですか?と驚くと、いや、やっぱり土井さんと一緒に食べようと思ってお好み焼きを買ってきた、と手に下げた袋を見せてくれた。僕らは一枚のお好み焼きを半分こして食べた。そこでようやくゆっくり話せるかと思ったんだけど、またしても来客があり、整備依頼が舞い込んでくる。ついつい話し込んで僕の手が止まることを懸念して、今里さんはこれ以上いたら邪魔になるので今日はもう行きます、と店を出る。たくさんのプレゼントを頂いたお礼に僕は自分の作品を手渡した。そのときたまたま定食屋「いしかわ」の社長がタラウマラにやってきたので、今里さん、この方がさっき言うてたカスうどんの美味い店をやってるお父ちゃんですよ、と伝えると、ああああ俺やっぱりカスうどん喰っときゃ良かった、とほんまに悔しそうにしていたのが可笑しかった。社長は、わしはカスうどんなんて認めへん、あれは孫が勝手にやっとるだけや、とか言うて何やねんそれ(笑)。そんな訳で2年ぶりの再会はゆっくり話せるなんてことはほとんどなかったけれど、その時に流れていた時間は僕にとってはSFPのライブの激しさとDJ HOLIDAYのミックスで聴ける優しさが全部つまった特別な瞬間だった。この夏はきっと終わらない、心の底からそう思った。汗だくヘトヘトで閉店作業をしているときに今里さんからメッセージが届いて、スマホを持つ手が喜びに震えた。
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見事な岸田演説、覚悟して実現を
櫻井よしこ
日本ルネッサンス 第1095回
国賓としてワシントンを訪れた岸田文雄首相を米国は厚くもてなした。岸田氏は好感のもてる指導者の姿で、日本国の意志を明確に示し、米国と共に世界秩序を作っていくとの意気込みを語った。
一例が4月10日、首脳会談後の合同記者会見だ。岸田氏はバイデン大統領より1.5倍長く語り、日米は今や、人間の尊厳を基にした価値観を地球社会に提示するグローバルパートナーとしての責任を果たすべきだとし、中国の「力による現状変更」を名指しで牽制した。
11日の米議会上下両院合同会議では、「未来に向けて~我々のグローバル・パートナーシップ」と題してユーモアを交えて語った。ブリンケン国務長官は「(恐竜がのし歩いていた石器時代を舞台にした米国のテレビ漫画の)フリントストーン一家の話で上下両院議員を笑わせたのは岸田首相が初めてだ」と、ほめ上げた。
岸田氏の柔らかな表情、満足そうな笑み。国内では余り見られない感情発露で首相が米国人の心の琴線に触れたのは確かだろう。同じことが日本でも出来るとよいのに、とつい思ったものだ。上下両院で岸田氏はまず日本の覚悟に言及した。
「今の私たちは、平和には『理解』以上のものが必要だということを知っています。『覚悟』が必要なのです」
中国の対外的姿勢や軍事動向がこれまでにない最大の戦略的挑戦をもたらし、経済的威圧や「債務の罠」外交で経済を武器化する事例が増えているとの指摘は驚くほど率直だった。ウクライナ支援を渋る米国議会(共和党)に対しても正論を語った。
「ロシアのウクライナに対するいわれのない、不���で残酷な侵略戦争は3年目を迎えました。今日のウクライナは明日の東アジアかもしれません」
岸田氏は米国の支援なしにはウクライナは敗北する、それではいけないのだと訴えたわけだ。
重大な責任 そして、こう語りかけた。
「ほぼ独力で国際秩序を維持してきた米国。そこで孤独感や疲弊を感じている米国の国民の皆様に、私は語りかけたいのです。そのような希望を一人双肩に背負うことがいかなる重荷であるのか、私は理解しています」「世界は米国のリーダーシップを当てにしていますが、米国は、助けもなく、たった一人で、国際秩序を守ることを強いられる理由はありません」「日本国民は、自由の存続を確かなものにするために米国と共にありますそれは日米両国の国民にとどまらず、全ての人々のためにであります」
大きな拍手。当然だろう。
4月10日付けでランド研究所のジェフリー・ホーヌン氏が『フォーリン・アフェアーズ』誌に寄稿した内容を思い出す。冷戦時代、米国が最も頼った同盟相手は、北大西洋条約機構(NATO)だった。21世紀の今、最大の脅威、中国に対峙するには日本こそが最重要の同盟相手だという内容だ
日本を、「自由で開かれたインド・太平洋」だけでなく「自由で開かれた国際秩序」を支える国だと評価し、従来の米戦略であるhub-and-spoke system(自転車の車輪の中心軸つまりハブが米国で、車輪を支える1本1本の棒が米国の5つの同盟国、日豪韓比タイ、という意味)の中心軸を、米国一国でなく、日米同盟に置きかえるべき時が来たと提言しているのだ。
安全保障問題において重きをなす保守系シンクタンクのランド研究所の提言とほぼ同じ内容を、岸田氏が語ったことになる。日本国の歩むべき道、方向性としては正しいと私は思う。しかし、それは重大な責任を引き受けることでもある。その責任を果たすには何をしなければならないかは後述するとして、岸田氏はこうも語った。
「私は理想主義者であると同時に、現実主義者です。自由、民主主義、法の支配を守る。これは、日本の国益です」「世界中の民主主義国は、総力を挙げて取り組まなければなりません。皆様、日本は既に、米国と肩を組んで共に立ち上がっています。米国は独りではありません。日本は米国と共にあります」
広島出身の政治家として核なき世界を目指すと主張してきた岸田氏が、日本は米国と共にあると誓って、さらに発言した。
「日本は長い年月をかけて変わってきました。第二次世界大戦の荒廃から立ち直った控えめな同盟国から、外の世界に目を向け、強く、コミットした同盟国へと自らを変革してきました」「地政学的な状況が変化し、自信を深めるにつれ、日本は米国の最も近い同盟国という枠を超えて、視野を広げてきました。日本はかつて米国の地域パートナーでしたが、今やグローバルなパートナーとなったのです」
新たな中東戦争
岸田演説の二日後、イランがイスラエルを攻撃した。昨年10月7日にテロ組織ハマスがイランの支援の下、イスラエルを攻撃した。その上に今回のイランによる攻撃である。世界はイスラエルの出方を固唾を呑む思いで見詰めている。米国は無論、イランでさえ、全面戦争に突っこみたくないと考えているのは明らかだ。イスラエルにとっても事は容易ではないが、新たな中東戦争が始まらないという保証はどこにもない。
日本周辺では韓国の与党「国民の力」が4月10日の総選挙で大敗した。日本を敵と見做す左翼勢力が大勝し、韓国政治はいつでも親北朝鮮、親中国路線に転換しかねない。
台湾でも親日勢力の民進党は、総統職は確保したが立法院で敗北した。親中国の国民党が第一党となり、政権運営は非常に厳しくなった。
韓国、台湾の政情不安定の中で、日本は米国と共にこの地域の安全保障環境を安定させる役割を買って出たのである。そのためにすべきことが、今回の日米首脳共同声明に記されている。
その中で評価すべき第一点は自衛隊が統合司令部を常設し、米国が在日米軍司令部の作戦機能を強化するとした点だ。日米の緊密な連携に加えて、韓国、豪州、フィリピン、タイ、台湾、インドなどの力をどう結集していくかが重要になる。
第二点として、日米の2+2(外相・防衛相会合)で拡大抑止に関する突っ込んだ議論をするとの合意も非常に大きい。中国が核の増産に走る中、中国の核攻撃をどう抑止するのか、攻撃にどう備えるのかを日米で具体的に話すことほど重要なことはないはずだ。
わが国の軍事力は、弾薬の備蓄ひとつとっても中国に及ばない。足りないところを早急に補い、憲法を改正することなしには、米国のグローバルパートナーには到底なれない。首相の発言は日本国としての誓いである。その目標に向けて岸田氏は現実志向で、具体策をひとつひとつ実現していかなければならない。
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Rockin′On(1993.9 Vol.22) Brett Anderson
Brett Anderson
鋭利な論理で語り尽くす、 降りられない高速道=ポップ·スターの苦悩と栄光。そして、セックスを脱皮していくスウェードの今後
インタヴュー=増井修 翻訳=BRYAN BURTON LEWIS
●デヴィッド·ボウイとの対談の中で、あなたは「創造性というものは緊張がら生まれ、心地好くなった途端にすべては失われる」という発言をしていました。実際、スウェードの曲にはそうした強烈なテンションが感じられますし、ギグでもギリギリの地点でのパフォーマンスがわかるんですが、ではそういうあなたにとって、心の平安とか慰安とは何になるんでしょう?
「うん……そうだな……ほとんどそういう時間はないんだけど、例えばそう、家にいる時にはできるだけリラックスするよう心がけてるけどね……。でも重要なのはずっと進み続けるということだから、ノーマルな生活をする時間なんてあっちゃいけないものなのかもね。こうと決めたからには最後までやり通さなきゃ。音楽を作るどんなアーティストも、バート·タイム気分ではやれないんだ。朝起きてスーパーマーケットに働きに出かけて、夜になると家に帰ってくつろぐ、というのとはわけが違う。自分の一部になってるんだから。つまり音楽を作ることで自分自身を表現してるんだよ。だから、自分の一部が何一つ表現するものを持っていないとしたら、もうアーティストとはいえないんだ······。ある意味ではそうだな、車をぶっ飛ばしてるようなものかな。急に降りて一休みするなんてことはできないんだよ。だからリラックスする時間はほとんどない」
●そういうテンションの高い、言ってみれば常に追い越し車線を走っているような生活によって、抜き差しならない状況、例えばドラッグ中毒に追い込まれる危険というのは常々感じてます?
「うん、まったくそうだよ。常にそういうわき道にそれる危険性がある。ただ、車をぶっ飛ばす"というのは、必ずしも追い越し車線で生きるべきだという意味で言ってるわけじゃないんだ。ロックンロール神話を生きるというのと、ハイ·テンションの中で創造的な作品を作り出すというのは、明らかに違うからね。セックス·ドラッグ·ロックンロールなんていう神話はもう存在しないんじゃないかな。それはともかく、緊張度の高い状況に伴う危険性というのは確かに感じるよ。でもそれはあっても仕方ないんじゃない。喜んで引き受けるよ。それに俺はアーティストである限りはプライヴェートな自分というのはないもの���思っているんだ。だからまあそうだね。確かに乗っ取られてしまう部分もあるだろう。インクヴューだとかフォト·セッションだとか、そういったことが日常的なものになると、やっばりポップ·スターとしての生活のほうに比重がシフトしていかざるを得なくなるわけだしね」
●では、モリッシーはかつて「アーディストたるもの今にも死ぬんだという気持ちでステージに立たなければ駄目だ」と言いましたが、この言葉には共感できますか?
「うん、完全にね。『ああ、明日はあれをやらなきゃ』とか『明日もギグがある』なんて考えながらステージになんか立てないよ。いつもツアー終盤になると声が出なくなって「少し手を抜けば」みたいに言われるんだけど、ステージに上がった途端、まるで、何ていうかドラッグでもやってるような感じになるんだよ。これ以上へヴィーな経験はしたことがないってくらいにさ。だからうん、モリッシーの言葉には100%共感できる」
●しかし、そういう気持ちを保持しながら、年を取っていくことは可能だと思います?
「年を取った後もそのままずっと進み続けて、音楽そのものの持つパワーと緊迫感で、若さからくるエネルギーに対抗することだってできると思う。スウェードに関して言えば、俺たちの強さは、若さからくる強烈なエネルギーと音楽そのもののテンションの高さの両方にあると思う。だからそのうち俺たちのすべてをステージで出し切れない気がする瞬間が来ると思うけど、それは、ティーンエイジャー的なテンションの高さが出せなくなったということなんだ。そうなったら俺たち、最終的には音楽だけの世界に引っ込んじゃうだろうな。ライヴだとかインタヴューだとか写真撮影といった対外的なものはすべてやめて、もともと望んでいた音楽作りだけに集中して、純粋に音楽を通してのみ緊迫感というのを表現していくようになると思う」
●ということは、デヴィッド·ボウイが最新アルバムにおいて、そしてボール·ウェラーがスタイル·カウンシルからソロの流れにおいて、ポップ·スター·イメージからの脱皮を図った変化というのも、あなたなりに共感できる部分がありますか。
「うん、そうだね……。自分自身を表現し切ってしまうと、おのれのカリカチュアしか残ってなくて、自分でもうんざりしてしまって何か自分じゃないものに変わりたくなるんだと思う。それに、ミュージシャンの評価というのはイメージじゃなく音楽そのものによってなされるべきだしね。だから彼らには100%共感できるよ」
●では、こういう面ではどうでしょう?あなたがたは事あるごとに、「労働者階級の出身というみじめな記憶は一生消えないだろう」と語っていますが、この気持ちはやはり、あなたがたの意欲を支える復讐としてこれからもずっと変わらずに残ると思いますか?
「うん。猛烈な野心というのは、ある程度"復讐したい"という気持ちからもたらされると言ってもいいだろうね。自分の置かれた抑圧された環境から逃げ出してそして復讐してやりたいっていう気持ちがないと、野心なんて抱かないんじゃないかな。だから、もともと多くの権力を与えられた立場にいたり、裕福な家庭に生まれたりして、そもそも何かと闘う理由のまったくない人間は、何の野心も抱かないし、何もしようとしないんじゃない。だってそういう刺激を受ける要因が少ないからね。“復讐"というのはかなり残酷な言い方だけど、俺たちのことをかなり的確に言い当てた言葉だと思う。俺たちの曲は、性的な意味での自由だとか社会からの逃避について歌っているものが多いからね」
●あなたがたの曲からは、男同士だろうが女同士だろうがセックスこそが究極のコミュニケーションである、というメッセージが読み取れますよね。
「ある意味ではそうだろうね。セックスというのは、最もパーソナルで隠喩的な表現方法だと思う。でも精神的·宗教的なものとは比較にならないとは思うけどね。セックスって、何かを例えば漫画やCMに描いて表現するようなものなんだと思う。『セックス=ロマンス』とか『セックス=精神的親近感』といった単純で分かり易い形でね。俺は、セックスは究極の表現だからほかの何よりも重要なものだ、なんてことは絶対に言わないよ。確かに、ありとあらゆるものがセックスとのつながりを常に持っている。何もかもセックスと同じ線上に並べられているのがわかるんだ。何もかもが性的なイメージや性的なシンボルと結びつけられている。俺だって無関係じゃないさ。だけど俺は、セックスが究極的に重要なものだとは全然思っていないんだよ」
●ということは、曲の中でしばしば性的な言及を行っているのは、セックスこそが人間の持ち得る最高の関係なんだという体験的確信に基づいてのことではなく、ポップ·ミュージックの有効な表現の手法として選んでいるということなんですか?
「うーん……わかんないなあ。へヴィな質問だ(笑)。もちろんセックスへの言及は単なるでっち上げじゃないし、雲をつかむような話をしてるんでもない。すべて実体験を歌ってるんだ。自分が直接体験したものもあれば又聞きしたものもあるけど、どれもすべて俺の人生を一旦通って濾過されたものばかりだからね……。ただ、意識的にああいうメタファーを選んだんじゃないんだ。俺のやることはどれも、ある意味で潜在意識的なもので、とにかく意識してなくても自然に出てくるものなんだ」
●では、「世の中にはアブノーマルなセックスなどあり得ない」というような、ある種の啓蒙的なメッセージを伝えたいという目的意識は持っていなかった、といえますか?
「そんなことはないよ。だってそれは俺たちの音楽から読み取れるすごく重要なメッセージだと思うし、もちろんそう伝えたいと思ってるよ。ものすごく重要なことだ。だけどここでまたせックスを隠喩として扱うなら、そもそもこの世の中にはアブノーマルな人生なんてものはあり得ないと言えるんじゃないかな。実際そのほうが重要なことだよ。大勢の人間が自分の人生を見失ってしまい、そして社会から"アブノーマル"と決めつけられて恥ずかしい思いをしてるんだ。でも異常などというものはこの世に存在しないんだよ。健全さというのは統計で示すことができるものじゃないんだ」
●じゃあ、“ムーヴィング”の中“so we are a boy, so we are a girl”という印象的なフレーズがありますが、「ホモ体験のないバイセクシュアルだ」というあなたがもし実際にホモ体験をしているとすれば、あなたの表現の説得力に影響を及ぼし得る、あなたのものの見方を変え得ると思いますか?
「んー……。そう、あり得るかもね。まあ、変わるか変わらないかというのは、俺にとってはどうでもいいことだけどね。あの引用文の、っていうか、周りの人間があの言葉を引用する時に言う“性的なアンビヴァレンス“っていう考え方の何がイラつくかっていうと、みんながあの発言を読み違えて、すごく肉体的な文脈の中で提えようとするってことなんだ。俺は肉体的な意味でああ言ったわけじゃないんだぜ。俺は精神的な意味でのあいまいなセクシュアリティーに興味があるのであって、バイセクシュアリティーとはまったく関係ないんだよ。もっと精神的なアンビヴァレンスのことを言ってるんだ。一定の性的なアティテュードを伴う肉体としての人間ではなく、精神(スピリット)としての人間について考えてるんだ。“so we are a boy, so we are a girl”って歌う時に俺が言いたいのは、誰に愡れるかということではまったくないんだよ。人間だからといって、必ず何らかの性を感じなきゃならないなんてことはない。単に人間であるというだけでいいんだよ。脳ミソを持ったね。男に対する愛について俺が歌うと、大勢の人間が男に恋焦がれる男の歌だと読み違えてしまいがちだけど、大抵は女性の立場から歌ってるんだ。でも、それは必ずしも俺が女だということを意味するわけじゃない。女性の立場になって考えることができる幅を持ってるって意味だよ。だって人はただの人だもの。社会が人を“お前はへテロ”だとか“お前はゲイ”だとかいうふうに一つのカテゴリーに閉じ込めてしまうのさ。でも人間というのは、こういったカテゴリーを超越できるだけの幅の広さを持ってるんだよ」
●なるほど、よくわかります。ただ、一つすごく興味があって、しかも非常に心配に思うことがあるので是非訊きたいんですけど、スウェードの最大の魅力というのは、あなたがたの音楽によって、我々が普段の自分ではなくなってしまえるところだと僕は思っているんです。そしてこれはセックスにおいて生まれる状況とまったく同じだと思うんですが、曲のテーマがセックスからべつの方向に徐々にシフトしてきているということになるとこの先、スウェードの最大の魅力であるこの“自分でなくなる”というフィーリングも消えてしまう恐れはありませんか?
「そうならないことを願うけど……。だってすごく悲しいことだからね。セックスの話をしなきゃ人じゃないってわけでもないし、セックスの話をしなきゃセクシュアルじゃないというわけじゃ必ずしもないんだ。ポルノグラフィーとエロティカが違うのと同じだよ。すごく明快に直接的に実際のセックスの話をすることもできると、セックスに一切言及しないでもセクシュアリティーの話をすることだって可能なんだ。なぜならセクシュアリティーとは、嫉妬、貪欲、衝動、魅力といった人間の基本的本能と大いに関係しているものだからさ。さっきも話したけど、こういった本能は確かに究極的にはセックスの中ですごく隠喩的に表現されるものだよ。でもその点だけを盲目的に強調する必要はないんじゃないかな。俺たちの曲にも、いろんな感情を直接的なセックスへの言及抜きで表現したものはあるよ。同じ衛動をセックス以外の話によって表現することは可能だからね。そうしないとすごく薄っべらなバンドになってしまう。だからもし実際に“もう全部やった”って思っだら、明日にでもすべて辞めてしまうよ」
●ということは、オーディエンスが自分たちの音楽によって普段の自分をまったく失ってしまう状況を作り出したい、というあなたがたの基本ラインは変わらないということですね?
「うん、そう願うよ。変わらないはずさ。まさに君の言うとおり、その中にいると自分を失ってしまって何も考えられなくなるという意味では、音楽はセックスと同義語なんだ。自分を運れ去ってくれる限り、“どうやって”自分を失ってしまうのかは間題じゃなくなるんだよ。無意識の状態に到達したという喜びに満たされてしまってね。そしてそういうことができるのは、多分音楽とセックスのニつだけだろう。俺個人にとって音楽が最もパワフルなアート·フォームなのは、もしかするとそのせいかもしれない。実際、俺にとっては音楽だけが本物のアート·フォームなんだよ。ほかのアート·フォームは頭で考えるものだけど、音楽だけは体と感性に訴えかけてきて、聴く者を遠くへ連れ去ってくれるんだ。そして俺たちはその中で我を忘れてしまうのさ」
●じゃ、今までのスウェードの曲はどれも極限の性描写だと解釈することも可能だったんですが、これはスウェードの発展過程における初期的段階だった、というふうに今は考えているわけですね?
「そう願ってるよ。それこそポップ·ミュージックの持つパワーだからね。ポップ·ミュージックがどんなにパワフルなものか、多くの人間が忘れてしまっている。ラジオでカイリー·ミノーグの次に3分30秒もらって、何百万もの聴衆に向かって自分たちの曲をプレーする時、その中にいろんなものを詰めこむことができるんだってことをね。流れるべきではないメッセージを突っ込んで、みんなの神経を逆撫ですることだってできるわけ。だから、これまでのスウエードにとっては、セックスについて歌うというのが重要なことだったけど、これからは、それ以外のことについて欧うのが重要になることもあると思うよ」
●そういうスウェードの新しい側面というのはシングル「アニマル·ナイトレイト」の“ビッグ·タイム”や、最新シングル“ソー·ヤング”に結構端的に表れているようですね。
「そうだね。いろんな意味で卑しさが消えてきて、いろんな意味で“エレガント”とでもいうべき側面が出てきたと思う。幼さというか若さはもう以前ほど感じなくなったね。でもいいことだと思うよ。ローリング·ストーンズみたいに25年経っても同じことをやっていちゃ駄目なんだ。もちろんストーンズは偉大なバンドだけど(笑)。俺は仲間に入りたいとは思わないね。うんざりしちゃうに決まってるもの。とんどん前進し続けて、自分を刺激し続けなきゃ。今のスウェードには、ヒロイズム、ロマンティシズム、そしてエレガンスといった要素が少しずつ表れ始めているように思う。“ソー·ャング”はそれを完璧に表現している、俺のお気に入りの自の一つなんだ。すごくポジティヴな曲なんだょ」
●わかりました。ところでライヴ·パフォーマンスの話をしたいんですが、実は僕、アムステルダムであなたがたのライヴを見てるんですよ。
「アムステルダムで!」
●イエス(笑)。
「退屈しただろ?(笑)」
●イェス!(笑)。
「アムステルダムのオーディエンスっておかしいんだよね。身じろぎ一つせずじっと立ちつくしたまんまで」
●ほんとそうでした。でも僕はあなたがたの演奏自体は非常に良かったと思うんです。
「ああ、それはわかってるよ。でもオーディエンスが何ていうかさ……とにかくすごく奇妙でおかしなライヴだったよ。つまりこういうこときーライグの良し悪しというのはバンドのコンディションで決まるんじゃない、オーディエンスの反応で決まるんだよ。ある意味では会場にいるすべての人間がパフォーマンスしてるんだ。バンドそしてオーディエンスが参加する、とてつもない規模のパフォーマンスさ。オーディエンスが参加しないパフォーマンスなんて、バンドが参加していないのと同じくらい無意味だ。オーディエンスがパフォーマンスする時は、俺たちと同じょうな格好をし、俺たちと同じようにエキサイトする。ただそれを歌声で表現するか演奏で表現するかが違うだけさ。だからオーディエンスが自分たちの役割を果たさないんだったら、悪いけど俺も果たせないね」
●(笑)。先日アメリカでのッアーのレヴューを読んだんですが、ボストンでは大酷評されていて、サンフランシスコでは大絶賛されてるんですね。で、これはあなたがたのバフォーマンスのせいではなく、観客の態度が違ったからだと?
「その通り。まさにそうだったんだよ。東海岸のほうが西海岸よりシニシズムをより強く感じたんだ。西海岸の人間はあっけらかんとしてるんだよね。LA、サンフランシスコ、サンディエゴでやったギグはベストの中に含まれるよ。東海岸では誰も俺たちのことを信用しようとしなかった。俺たちのことをミュージック·プレスの産物だと思ってるのさ。そんなんじゃないのにね」
●ただ、ここまでスウェードの人気が高まってしまうと、あとはもういきなりスクジアム·ロック化していくしかないという要請が、本当に既に出てきていると思うんですけど、そうなるともう観客の質というのはほとんど問えなくなりますよね。これまでずっと観客との緻密なコミュニケーションを図ってきたスウェードですが、やはり新しい段階に進まなければならないと思うんですけど、あなた自身、そのへんはどう考えてますか?
「うん……大きいなジレンマを感じるよ。しかもこれは甘受しなきゃならないものだ。最初の頃は、ギグの規密なフィーリングというのに固執していたし、何人かの観客と直接会話するようにしてたんだ。だけど結局そういうのは意味がないんだよ。だって直接話をするにしたってそれ以外の観客を拒んでいるんだし、それにそろそろ成長することを学ばなきゃ駄目なんだ。魚のように大きくなっていく方法を覚え始めないとね。小さな鉢しかないのなら小さな金魚を飼うしかないだろ?そして鉢のサイズが大きくなるのに伴って、魚も大きくなっていくんだ。そうやって、必要な時に自ら外に出ていかなきゃね。でも俺たちも今、もっと大きな会場でブレーして、もっと大人数の観客とコミュニケートする方法を実際に学び始めてると思うよ。でもある時点を越えたら、もうどんなバンドにもコミュニケーションなんてできなくなると思うしそう、1万人を越えたら事実上不可能になるだろうね。でもロンドンではブリクストンアカデミーでやった時の6千人が最大なんだけど、どうにかうまくコミュニケートできたと思う。小規模のコンサートに劣らず良い出来だったと思うよ」
●では一番最近のグラストンべリー·フェステイヴァルはどうでした?
「最高だった。確か4万人集まったんだよね?でも俺たちからはせいぜい前方の1万人か1万5千人くらいしか見えなかったんだけどね。グラストンベリーは俺にとって人生で一番エキサイティングな経験の一つだよ。電流が走ったみたいに、信じられないくらい興奮した」
●そうやって英国での人気はすごいものがあるわけですが、アメリカはどうでしょう?成功する自信はありますか?
「うん。でも時間がかかるだろうな。初めてアメリカに行った時は慌てちゃったよ。アメリカに進出しようとする英国のバンドはみな経験すると思うけどね。とにかくシーンの仕組みが英国とはまったく違うんだ。アメリカの音楽的土壌はすごくレイド·バックしてて、俺たちにはまったく馴染めないし、それに音がに対するセンスがすごく伝統的で、ジャズみたいにかなり扇情的な音楽が好まれるという点も、俺たちには全然合わないんだよね。だから成功するにはまだしばらくは時間かかるだろうけど、スミスと似たような状況になるんじゃないかな。スミスも今になってようやくアメリカで評価されるようになって、そういう意味では、スミスが俺たちのアメリカ逃出への下地を作ってくれたと思う。モリッシーも今向こうですごい人気だけど、俺たちの音楽のほうが彼らには受け入れ易いと思うよ。モリッシーの音楽ほどわかりにくくはないからね。とにかくやれると思うし、努力も厭わないけど、2、3度ツアーをやったくらいじゃ無理だろうな。それに“ポップ·ミュージックというのは基本的にティーンエイジャーが舵を執っていくものだ”っていうポップの理想みたいなものがあると思うんだけど、アメリカ人はもう疲れちゃってるというか、“600年ツアーし続ければ55歳でヒットが出せる”的な雰囲気が漂ってるんだよね。そのへんが難しいかもしれない」
●でも、“世界中の人たちに自分たちの音を聴かせてなんぼだ”という方針はあくまでも貫徹するわけですね?
「もちろん。俺たちにとって重要なことだからね」
●最後に、バーナードとあなたの関係について何いたいんですが、バーナードの場合はステージでもにこにこ微笑みながら手を振ったりして、非常にかわいらしいキャラクターの持ち主だと思うんですが、一方のあなたはすごい尊敬を勝ち得ると同時に、非常に敵を作り易い人だという気がするんです。そういう立場でバーナードとのバランスを保っていくというのは難しくありませんか?
「いいや、だってべつにバランスをとるためにやってるわけじゃないし、二人でそんな話をすることもないしね。どうしてああなるかというと、要するに、バーナードはスウェードの音楽面での主戦力であり、奴は普遍的な言語である音楽を奏でてォーデイエンスに語りかけてるつてことなんだよ。そしてき楽っていうのは、それがいい音をしている限り、決して攻撃的にはならないんだ——「なんだこれは!」とか「オエッ」とか思いながら音色を聴く奴なんていないってことさ。音楽というのはそういうことをしないんだ。これってすごい強みだと思うよ。だけど一方のシンガーというのは、自分の意見を他人に押しつけようとする。そしてその意見は、他人に受け入れられないものであることが多いんだ。シンガーは常にギクリストよりも不快で攻撃的なものなのさ。シンガーのほうがより社会的で肉体的なことをやらなきゃならないからね。でも、そういうものなんだからべつに気になりはしないよ」
●でもシンガーのそうした役回りは、あなたとしてはやっぱりへヴイじゃないですか?
「んー……まあつらいなって思うことも時にはあるよ。街を歩いてると「失せやがれ!」って言われることもあるしね。べつに澄ましてるつもりはないけど「君たちもっと実際にネガティヴなものを侮辱したらどうなんだ?」って気分になるよーひどい政治家とか世界の指導者とかさ」
●それでなくても、あなたのように派手な人はマッチョなグループからいつもひどい目に遭わされてきたんじゃないですか。
「ああ、もちろん遭ったよ。俺たちの曲にもそれははっきり出ているしね。バンドの活動自体がいろんな嫌がらせやゆすりへの反発なんだよ。順応や凡庸の名において俺たちをなじり倒そうとする奴らへのね」
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私の週末は雨ばかり
休日になると雨という日が多く、鳥写にほとんど行けなくてこまっている。8月5日も、澁澤龍彦の命日なので絶対に労働しないと決めており、休みを取っていたのだが、探鳥会があるというので出かけたら、会場の山頂が雷雨のため中止になってしまった。
麓はまぶしいくらいの晴れなのに……とロープウェイに乗ると、山頂は霧で真っ白だった。
昨日も雨だった。数分ごとに土砂降りと晴天を繰りかえし、とてもではないがカメラをかまえているわけにはいかない。
それでもすこしだけ砂浜で遊ぶメダイチドリを撮影した。Instagramに載せたら、野鳥の会の人に「これはオオメダイチドリです」と教えてもらった。鳥の同定も少しずつできるようになってきた気がするが、まだまだ難しい。
最近、ササゴイを見つけた。サギの仲間では県内で最も発見数が少ないらしく、会に発見の記録として報告することになった。「見つけた」という報告をしてから、わたしは(荒天続きで!)観察にほぼ行けなかったのだが、ほかの会員のひとたちが足繁く通って様子を見てくれて、いろいろなことがわかったようだ。
今まで漠然と、探鳥会に参加して鳥の探し方を教えてもらったり、鳥の種類を教えてもらったりしていたが、こんな風に生態や生息地の調査をしているんだ! と知った。
ちなみにササゴイ���見つけた場所には、天候運最悪ながら見計らって何度か行っていたのだが見つけることができなかった。今日ようやく、見つけることができた。警戒心の強い鳥で、すぐに飛んでしまうし、潮が引いていると遠くにいて、見つけづらい。
そして何より、思ったより「小さい」のだ。
「サギ」という名を聞いてまず思い浮かべるのが、多くの人はアオサギやシラサギと呼ばれるダイサギ・コサギだろうと思う。まあコサギは小さいのだが、「サギ」のイメージとしては「なんかでかいけどそんなに逃げない鳥」というイメージがあるんじゃないだろうか。
だけど、ササゴイは小さい。どれくらい小さいかというと、わたしが最初に見つけたとき、「大きめのシギチ(シギ・チドリ)がいる」と思ったくらいの大きさだ。つまりかなり小さいのである。
写真を撮ってみて、拡大したら、「えっ、これササゴイじゃん」と気づいた。とてもとても小さい……。
もっと大きいと思っていたのに、小さすぎて、まず「サギ」だとすら思わないという……。しかも、派手と言えば派手な色合いだが、これが干潟でたたずんでいると見事な保護色で、見つけづらい。自然というのはうまいことできているなと思う。あんな目立ちそうな主張の強い模様をしているシマウマも、サバンナで見たら「見つからない」のかも知れない。
想像や、書物だけの知識では、わからないことがたくさんある。自然はよくできているし、人間の想像は自分の都合のいいように鳥の大きさや生態を解釈する。
そんなことを考えながらササゴイを観察し、帰る途中、友達が昨日素敵なササゴイの写真を撮っていた場所に立ち寄ろうと思ったら、大きなカメラをかまえている車がたくさん並んでいて、わたしが入る隙間はなかった。
そこで待っていれば、鳥が来てくれるかどうかは未知数だが、人間は、カメラの性能と、撮りたい写真、鳥の動線や習性を考えて鳥を「待つ」。
あの車を並べていた人たちも、ササゴイがそこに来てくれるかどうかをわからないまま待っている。あそこにササゴイが来てくれたら、きっといい写真になるだろう。
どんな撮影でもそうかもしれないが、野鳥の撮影というのは、「ここにいてくれたらいいのに」と思う場所に鳥は絶対に現れてくれない。人間の都合のいい枝に、サンコウチョウは決して止まらないし、人間が都合のいい切り株で、コマドリは囀ってくれない。
野鳥の撮影をはじめて、わたしは「ままならない創作」というものを発見したような気がする。
小説というのは、まあプロットというものがそこにあって、それに従って書いていくものだ。わたしが止まってほしいと思ったところに鳥を止めることができるし、それはどんな珍鳥でも「止められる」。なんならこの世に存在しない迦陵頻伽を「私の目の前に」現すことができる。
そして迦陵頻伽と「どんなふうに」接触したかまで決めることができるのだ。
だけど、カメラを持ってフィールドに入れば、すべてがままならない。「素敵な写真を撮りたい」と思っても、その「素敵な写真」は、どれだけ足繁くフィールドに通っても、撮ることができないかもしれないし、もっというと、「撮ったものを解釈される、その方向性」をコントロールすることができない。
「わたしはこのような「考え/創作の方向性」を持って鳥を撮りました」というものを、一枚の鳥の写真では表現ができないことがある。解釈の自由度が高い故に、「ままならない」のだ。
それは私自身の「考え」の漏出から私が隠れられる、という消極的なメリットもあるような気がするが、だが最終的に、「この写真をどう撮ったか」が写真一枚では、語られないし、読み取られないという大きなデメリットがある。
例えば、極端な例だが、絶滅が心配される鳥のひな鳥を撮影したとして「ここでこんな営みがされている」と写真のみで語るとき、ひとはその注意喚起であったり、環境をまなざす視線というものをまたぎこしてしまう。
そういう「ままならなさ」を発見し、表現すると言うこと/表現を手渡すことについて日々考えるはめになってしまった。
そして、それはきっと、自分が文章表現という場に「だけ」身を置きつづけていたら、自省することのなかったままならなさだ。
すべての表現物は、ほんとうはみんなままならない。小説だって、写真だって、言葉と絵の両方で訴えかける漫画だって、このコントロール不可能な領域で表現をしている。
そんなことをつらつらと考えて、小説を書くようになってしまったので、「書きたいもの」というのが最近いまいちよくわからない。
「届く/届かない」だけが営為でないのに、それに拘泥していると思っている。
とまあ、こんなことを考えながら、ぼちぼち文章はいくつか作っている。みじかい作品が多いし、習作のようなものばかりで、どこかで出せることがあるのか?と思うような作品ばかりだが。
そろそろ長い、そして起伏のある物語が書きたい。
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