#いつかはすべての者は その運命を負うなら 今すぐ抱きしめて この身が消えるまで
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kennak · 1 month ago
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ジェレミー・ボウエンBBC国際編集長 戦争にさえルールがある。戦争のルールは、兵士同士の殺し合いを止めはしないが、戦闘に巻き込まれた民間人が人道的に扱われ、可能な限り危険から守られるようにすることを、その目的としている。こうしたルールは、すべての当事者に平等に適用される。 2023年10月7日にイスラエルが受けたような、数百人の民間人が犠牲となる残酷な奇襲攻撃をたとえ片方が受けたとしても、戦争法の適用が免除されるわけではない。戦闘を計画するにあたって、民間人の保護は法的要件だ。 少なくともジュネーヴ諸条約は、こうした理屈をもとに成り立っている。第2次世界大戦後に制定・採択された最新の第4条約は、この大戦で行われたような民間人の殺戮(さつりく)や残虐行為の再発防止を目的としている。 スイス・ジュネーヴにある赤十字国際委員会(ICRC)の本部では、「戦争にさえルールがある(Even Wars Have Rules)」という言葉が、丸い建物の窓に大きく掲げられている。 Skip 読まれた記事ランキング and continue reading 読まれた記事ランキング しゃがんで口を開けて泣いている子どもを、スカーフを被った女性が抱き寄せてなぐさめている。近くで別の女性が目を閉じて下を向いている ガザで栄養補助食品を求め並んでいた子どもら、イスラエル軍の空爆で死亡 病院が発表 米ホワイトハウスの記者会見場で演台に立つトランプ氏。紺色のスーツ、白いシャツ、青色のネクタイを着けている 米市民権の「出生地主義」廃止するトランプ氏の命令、連邦地裁が再び差し止め ジーンズと濃いTシャツを着て、ビニール袋と黒いかばんを手にした男性が、建物の階段を下りて駐車場に向かう様子が映っている ウクライナ保安庁の幹部職員、キーウで射殺される 貨物船の後ろ半分が海に沈んでいる。船���は完全に水没し、前側にあるヘリポートから船首がかろうじて水面から出ている フーシ派の攻撃で貨物船沈没、1週間で2隻目 紅海 End of 読まれた記事ランキング この言葉は現状にぴったりだ。まさに今、そのルールが破られているからだ。 ガザから情報を得るのは難しい。ガザは、死の危険がある戦争地帯だ。戦争開始以降、少なくとも181人のジャーナリストおよび報道関係者が殺害されている。そして、ジャーナリスト保護委員会(CPJ)によると、そのほとんどが、ガザにいるパレスチナ人だ。イスラエルは、外国の報道機関がガザに入ることを認めていない。 異論の多い、あるいは厳しい内容が事実か確認するための最良の方法は、現地取材だ。それだけに「戦争の霧」はどこでも濃いのが常だが、私のこれまでの戦争報道の経験の中でも、今回は特に霧の向こうを見るのが難しい。 空のなべを手にした少女画像提供,AFP/Getty Images 画像説明,ユニセフによると、今年1月までに推定1万4500人のパレスチナ人の子供がガザ地区で殺害された こうした状況を、イスラエルが望んでいるのは明らかだ。戦争開始から数日後、イスラエル軍が報道陣を、ハマスの攻撃を受けた国境地帯の集落に案内した。私も取材に参加した。現場では、焼け焦げた住宅から救助隊がイスラエル人の遺体を収容していた。イスラエルの空挺部隊が建物を銃撃しながら、ハマスを追い出したか確認していた。 イスラエルは、ハマスが何をしたのかを我々に見せようとした。そして逆に、自分たちがガザでしていることは、外国人記者に見せたくないのだ。そう結論するしかない。 ハマスに襲われた音楽フェスの跡地画像提供,Getty Images 画像説明,2023年10月7日にハマスはイスラエルに奇襲攻撃をかけ、約1200人を殺害した。その多くが、ノヴァ音楽祭の観客だった この「戦争の霧」をかいくぐるため、私たちは別の方法を模索した。そこで、戦争を規制し民間人を保護するはずの法の枠組みから、状況を捉えることにした。私は、ジュネーヴ諸条約を護持するICRC本部を訪れた。 そのほか、著名な法律家や、人道支援の現場で長年にわたり、法の枠組みの中でガザや他の戦闘地域に支援を届けてきた人道関係者に話を聞いた。欧米諸国の上級外交官らとも話をした。外交官の多くは、イスラエルに対する自国政府の忍耐が限界に近づいているのだと話した。さらに、ガザの大惨事について声を上げなければ、将来的に戦争犯罪の捜査が行われる際、自分たちが���の罪に加担したと見なされるのではないかと、自国政府の懸念が募っているのだとも。 ヨーロッパでは現在、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相が戦争を長引かせているのは国民を守るためではなく、自分を政権にとどめている超右派の強硬な国家主義政党の連立を維持するためだと、広く認識されている。イスラエル国内でも、同様に受け止められている。 ネタニヤフ氏は首相として、自分自身の責任が問われる可能性のある、ハマスに襲撃の機会を与えた10月7日以前の安全保障上の失敗について、国家的調査を阻止することができる。さらに、有罪となれば収監の可能性もある深刻な汚職罪で裁判にかけられているのだが、長年継続中のその裁判についても、首相としてその進行を遅らせることが可能だ。 ネタニヤフ氏はインタビューをめったに受けない。記者会見もほとんど行わない。声明を読み上げる様子を撮影して、ソーシャルメディアに投稿する形式を好んでいる。イスラエルのギデオン・サール外相は、私たちの取材依頼を断った。 ネタニヤフ氏率いるリクード党のボアズ・ビスマス議員は、首相の主張を繰り返した。つまり、ガザで飢饉(ききん)は起きていない、イスラエルは戦時国際法を順守している、英仏カナダなどによる諸外国の根拠のない批判が、ユダヤ人殺害を含む反ユダヤ主義的な攻撃をあおっている――、というのだ。 私が話を聞いた法律の専門家たちは、ハマスによるイスラエルへの攻撃という戦争犯罪に続き、イスラエルも多数の戦争犯罪を犯しており、中にはジェノサイド(集団殺害)に該当するものも含まれていると考えるに足る証拠があると、口々に話す。 ジュネーヴ諸条約の署名画像提供,BBC / Matt Goddard 画像説明,ジュネーヴ諸条約の最新のものは、第2次世界大戦の後、民間人への残酷行為を止めるために作られた イスラエルには厳しい疑問が突きつけられており、それは決して消えてなくなったりしない。これは明白だ。 イスラエルはまた、国際司法裁判所(ICJ)で進行中のジェノサイド(集団殺害)訴訟にも直面している。さらにネタニヤフ首相は、戦争犯罪容疑で国際刑事裁判所(ICC)に逮捕状を出され、渡航先が大きく制限されている。 イスラエル国内の政敵たちは、ネタニヤフ氏が戦争犯罪を主導しており、そのせいでイスラエルは国際社会で、のけ者国家になってしまったと非難する。 ネタニヤフ氏はこれに強く反発している。ICCによる逮捕状が発行された際には、自身を1890年代のフランスで反ユダヤ主義的な冤罪事件に巻き込まれたユダヤ人将校アルフレド・ドレフュスになぞらえた。 数字の証拠 ガザで何が起きているのかを示す証拠は、まず数字から���て取れる。2023年10月7日にハマスがイスラエルに侵入し、1200人を殺害した。うち800人以上はイスラエルの民間人で、残りは治安部隊、救急隊員、外国人労働者だった。約250人が人質としてガザへ拉致され、その中にはイスラエル国籍でない人も含まれていた。 数字には若干の差異があるが、現在もガザに残されている人質は54人とされる。そのうち31人は、死亡しているとみられている。 他方、ガザでパレスチナ人がどれだけ死傷したのか、その人数を集計するのははるかに難しい。イスラエルはガザ内の移動を制限しているし、特に北部地域の多くには立ち入ることができない。 ガザの保健省による最新統計では、2023年10月7日から今年6月4日までに、イスラエルによって少なくとも5万4607人のパレスチナ人が殺害され、12万5341人が負傷したとされる。この統計では、民間人とハマスや他の武装勢力の構成員は、区別されていない。 国連児童基金(ユニセフ)によると、今年1月までにガザでは1万4500人のパレスチナ人の子供がイスラエルによって殺され、1万7000人が親と離れ離れになるか孤児となっている。加えてガザは、世界で最も子供の四肢切断者の割合が高い地域となっている。 黒い服を着て、黒いスカーフを頭に巻き、顔に右手を当てて嘆く女性画像提供,Anadalou/ Getty Images 画像説明,ガザの民間人は今年に入ってしばらく、停戦によって息をつくことができたものの、長期的な停戦合意には至らなかった イスラエルとアメリカはかねて、ガザの保健省が発表する死傷者数を疑問視し、その信憑(しんぴょう)性に疑念を投げかけようとしてきた。ガザに切れ端のようにしてかろうじて残された他の統治機構と同じように、保健省もハマスが運営しているからだ。しかし、国連や外国の外交官はこの保健省の統計を活用しているし、さらにはイスラエル国内の報道によると、イスラエル同国の情報機関でさえ、保健省のの統計を使っている。 過去の戦争の後に、このガザ保健省の統計を検証した際、その数字は他の推計と一致していたのだ。 医学誌「ランセット」に掲載された研究によると、ガザ保健省の統計は、イスラエルに殺された死者数を少なく見積もっている。統計が不完全だというのが、その一因だ。破壊された建物のがれきの下には数千人が埋まっているほか、さらに数千人が、医療を受けられれば助かったはずの病気で、ゆっくりと命を落としているとされている。 ガザの民間人は、今年初めの停戦期間中にしばし、息をつくことができた。しかし、長期的な停戦合意に向けた交渉が決裂すると、イスラエルは3月18日、大規模な空爆を皮切りに戦闘を再開し、新しい攻勢を開始した。この作戦が2023年10月7日に約束した「ハマスに対する完全勝利」を最終的にもたらすものだと、ネタニヤフ首相は主張している。 イスラエルは戦争を通じて、ガザへの食料や支援物資の搬入を厳しく制限し、今年3月から5月にかけては完全に遮断していた。ガザが飢饉の瀬戸際にある中、民間人を保護すべきと定める国際法にイスラエルが違反しているのは明白だ。 イギリス政府の閣僚はBBCに対し、イスラエルが飢餓を「戦争の武器」として利用していると述べた。イスラエルのイスラエル・カッツ国防相は、食料封鎖が人質解放とハマスの降伏を迫るための「主要な圧力手段」だと、公言している。 食料を兵器化することは、戦争犯罪に当たる。 人類の失敗 戦争は常に残酷だ。私はジュネーヴで、ICRCのミリアナ・スポリアリッチ総裁に会った。スイスの外交官だったスポリアリッチ総裁は、ガザの状況がさらに悪化する可能性があると考えている。両当事者がジュネーブ諸条約を無視していることに疑いの余地はなく、それが「戦争のルールは無視してよい」という誤ったメッセージを世界中の紛争地に発していると、総裁は懸念している。 私たちは、ガラスケースの前を通り過ぎた。中には、ICRCが受賞した三つのノーベル平和賞のトロフィーや、手書きされたジュネーヴ諸条約の複製が展示されている。スポリアリッチ総裁はその後、「私たちは、すべての人間の基本的権利を守るためのルールそのものを空洞化させている」と警告した。 私たちは、ヨーロッパでも屈指の穏��かな景色が広がる部屋で対話を始めた。静謐(せいひつ)なレマン湖と、雄大なモンブラン山塊が窓の外に見える。 しかし、ジュネーヴ諸条約を護持する者としての責任を常に認識しているスポリアリッチ氏にとって、アルプスの向こう、地中海を越えた先にあるガザの現状は深刻だ。同氏は2023年10月7日以降にガザを2回訪れており、その状況は「この世の地獄よりもひどい」と語った。 「ガザで人類は失敗している」とスポリアリッチ氏は述べた。「人類が失敗し、人道が崩壊している。私たちは、今起きていることをただ眺めているわけにはいかない。ガザの事態は、法的にも倫理的にも人道的にも、あらゆる許容範囲を超えている。破壊の規模も、苦しみの深さも」。 食料の配給を求めて、なべなど容器を手にフェンス越しに集まるパレスチナの人たち画像提供,Anadalou/ Getty Images 画像説明,イギリス政府の閣僚はBBCに対し、イスラエルが飢餓を「戦争の武器」として利用していると述べた スポリアリッチ氏はさらに、何よりも世界は今、パレスチナ人という一つの民族が人間としての尊厳を奪われていく様子を目の当たりに��ている、それが深刻なことだと述べた。 「これは、私たち全体の良心を深く揺さぶるべきことだ(中略)この出来事は、私たちを長く苦しめることになる。地域を超えて、世界全体をより不幸にするような事態を目の当たりにしている」と、総裁は語った。 私は、イスラエルが2023年10月7日の攻撃で自国民が殺害されたことに対する自衛行為なのだと主張し、軍事行動を正当化している点について尋ねた。 「それは、ジュネーヴ条約を軽視したり骨抜きにしたりすることの正当化にはならない」と、スポリアリッチ氏は答えた。 「どのような理由があっても、どちらの当事者もルールを破ることは許されない。これは非常に重要な点だ。なぜなら、ジュネーヴ条約の下では、すべての人間に同じ���ールが適用されるからだ」 「ガザの子供も、イスラエルの子供も、ジュネーヴ諸条約の下でまったく同じように保護される権利がある」 スポリアリッチ総裁と向き合って座るボウエン国際編集長。背後には窓があり、そのそばにはICRCの旗が立っている。画像提供,BBC / Matt Goddard 画像説明,スイスの外交官出身のスポリアリッチICRC総裁は、「人類はガザで失敗している」と語る スポリアリッチ総裁は静かな口調で語った。その言葉の道義性は力強く明快だった。ICRCは、自らを中立的な組織と位置づけている。戦争においては、すべての当事者と公平に関わることを目指している。 しかし、すべての人間が享受すべき権利について、スポリアリッチ氏は中立ではなかった。ガザで戦争のルールが無視されているせいで、基本的人権が損なわれていることに総裁は深い懸念を示した。 「がれきに変える」 2023年10月7日の夜、イスラエル軍が国境地帯の集落からハマスの侵入者を排除する戦闘を続けるなか、ネタニヤフ首相は、イスラエル国民と世界に向けて短いビデオ演説を発表した。 テルアヴィヴ中心部にあるイスラエル軍司令部から発信されたこの声明で、ネタニヤフ氏は、イスラエル国民を安心させ、敵をおびえさせるための言葉を選んだ。それはまた、首相が戦争をどう進めるつもりで、イスラエルが軍事行動に対する批判にどう対応するつもりか、首相自身の考え方を示す発言でもあった。 ネタニヤフ氏は、ハマスの運命は決まったと約束した。「我々は(ハマスを)壊滅させる。イスラエル国家とその市民にこの暗黒の日をもたらしたことに対し、力強く報復する」と。 また、「ハマスが展開し、潜伏し、活動しているすべての場所、あの邪悪な都市を、がれきに変える」と首相は宣言した。 ネタニヤフ氏は、イスラエルを支持する同盟国を称賛し、特にアメリカ、フランス、イギリスの「無条件の支持」に言及した。その上で、これらの国々と連絡を取り、「行動の自由を確保した」のだと述べた。 人質の写真とイスラエル国旗を手に、人質を「直ちに帰還させろ!」と書かれたTシャツを着た人たち画像提供,AFP/ Getty Images 画像説明,現在もガザに残されている人質は54人とされる。そのうち31人は、死亡しているとみられている。 しかし、戦争において、行動の自由には法的な限界がある。国家は戦うことができるが、その戦闘行為は直面する脅威に対して相応でなけければならない。そして、民間人の命は保護されなければならない。 英オックスフォード大学ブラヴァトニク公共政策大学院のジャニナ・ディル教授(国際安全保障)は、「法を破る権利は決して、誰にもない」と述べた。 「イスラエルがこの戦争をどう遂行するかは、まったく別の法的分析の対象になる(中略)同じことは実は、占領への抵抗にも当てはまる。(2023年)10月7日のハマスによる行動も、占領に対する正当な抵抗の行使とは言えない」 「つまり、自衛権や抵抗権という全般的な権利は存在するが、それをどう行使するかには別のルールが適用される。そして、戦争において法的に相当の大義があったとしても、だからといってそれ以上の暴力が許されるわけではない」 「戦争の遂行方法に関するルールは、なぜ戦争に至ったのかにかかわらず、すべての当事者に等しく適用される���のだ」 スイス・ジュネーヴにある赤十字国際委員会(ICRC)の本部では、「戦争にさえルールがある(Even Wars Have Rules)」という言葉が、丸い建物の窓に大きく掲げられている。 画像説明,スイス・ジュネーヴにある赤十字国際委員会(ICRC)の本部では、「戦争にさえルールがある(Even Wars Have Rules)」という言葉が、窓に大きく掲げられている 戦争において、時間と死は多大な変化をもたらす。ネタニヤフ首相の演説から20カ月がたった今、ヨーロッパやカナダの多くの友好国がイスラエルに寄せていた深い善意と支持を、イスラエルは使い果たしてしまった。 イスラエルは常に、誰かしらに批判され、誰かしらと敵対してきた国だ。しかしそれと現状は違う。自分はイスラエルの友人や同盟国だと自認してきた一部の国や個人が、イスラエルの戦争遂行ぶりをもはや支持していないのだ。特に、国際的に信頼される評価機関がガザは飢饉寸前だと指摘しているなかで、イスラエルが食料支援を制限したこと、そして、パレスチナ市民に対する戦争犯罪を示す証拠が増え続けていることが、問題視されている。 ノルウェー難民評議会のベテラン代表で、元国連人道問題調整官でもあるヤン・エーゲランド氏は「私は心底、衝撃を受けている」と私に言った。「これほどの人数の住民が、これほど長期間、これほど狭く包囲された地域に閉じ込められているのを見たことがない。無差別な爆撃、報道の遮断、医療の否定が続くのも、見たことがない」。 「比較できるのは、アサド政権下のシリアで包囲地域が経験したことくらいしかない。シリアの事態には当時、西側諸国が一斉に非難し、大規模な制裁が科された。だがガザについては、ほとんど何も起きていない」 しかし現在、イギリスとフランスとカナダは、イスラエルによる最新の攻勢の即時停止を求めている。 イギリスのキア・スターマー首相、カナダのマーク・カーニー首相、フランスのエマニュエル・マクロン大統領は5月19日に共同声明を発表。「我々は常に、イスラエルがテロに対して自国民を守る権利を支持してきた。しかし、今回の攻撃の激化は全く不相応だ。(中略)ネタニヤフ政権がこのような悪質な行為を推し進めるのを、我々は座視するつもりなどない」と述べた。 制裁が科されるのかもしれない。イギリスとフランスは現在、どのような条件ならパレスチナを独立国家として承認する用意があるのか、具体的な協議を進めている。 戦争と復讐 イスラエル国民がおびえ、怒り、トラウマに苦しんでいた2023年10月7日、ネタニヤフ首相はテレビ演説で、イスラエルの国民的詩人ハイム・ナフマン・ビアリクの詩を引用した。 「幼い子供の血に対する復讐は、まだ悪魔さえ編み出していない」という一節を、首相は選んだ。 これは、「虐殺の町で」という詩からの引用だ。20世紀で最も重要なヘブライ語の詩文として広く認められている詩だ。ビアリクは青年だった1903年に、この詩を作った。当時は帝政ロシアの都市だったキシナウ(現在のモルドヴァの首都)でポグロム(ユダヤ人虐殺)の現場を訪れた後のことだった。キシナウでは3日の間に、キリスト教徒の暴徒がユダヤ人49人を殺害し、少なくとも600人のユダヤ人女性を強姦したのだ。 ユダヤ人が自分たちの歴史的祖国だとみなすパレスチナに定住し、そこにユダヤ人国家を作ろうとするシオニズム運動の、最大の原因は、ヨーロッパにおける反ユダヤ的な残虐行為と殺戮の歴史にあった。しかし、シオニストの願いは、自らの土地を守りたいというパレスチナ・アラブ人の願いと衝突した。そして、植民地主義の列強だったイギリスは、両者の対立悪化に大いに関与した。 1929年までの間に、アメリカ人ジャーナリストのヴィンセント・シーアンは、エルサレムについて「ここの状況はひどいものだ」、「毎日のように最悪の事態を覚悟している」と書いた。約100年後の記者たちも共感できる、厳しい描写だ。 町にあちこちに暴力の気配が感じられるとも、シーアンは書いている。「ますます不穏だ。手を空中に突き出せば、緊張の高まりが感じられるほどだ」。 シーアンが1920年代のエルサレムについて書いた内容は、イスラエル人とパレスチナ人がどちらも求めていて、共有もしくは分け合う方法を、あるいはそうする意志を、まだ見つけられずにいる土地をめぐり、紛争がいかに体系的に深く根ざしているかを物語っている。 がれきを前に頭をかかえてしゃがみこむ人の後ろ姿画像提供,Getty Images 画像説明,イスラエルが1948年に独立国となったことと、自分たちの社会の破壊、そしてガザ戦争は、一直線につながっていると、パレスチナ人は考えている パレスチナ人は、ガザでの戦争と、1948年のイスラエル独立に伴うパレスチナ社会の崩壊とが、一直線でつながっていると考えている。パレスチナ人は、イスラエル建国を「ナクバ(大惨事)」と呼んでいる。 しかし、ネタニヤフ首相をはじめとする多くのイスラエル人、そして国外の支持者たちは、2023年10月の攻撃を自分たちの歴史と結びつける。ヨーロッパで何世紀にもわたりユダヤ人が受けた迫害は、ナチス・ドイツがユダヤ人600万人を殺害したホロコースト(ユダヤ人虐殺)で頂点に達した。その迫害と、10月7日の攻撃は結びついていると、多くのイスラエル人は受け止めている。 マクロン大統領が5月にイスラエルによるガザ封鎖は「恥ずべきこと」で「受け入れられない」と述べた際にも、ネタニヤフ首相は同じ表現を使って反撃した。 ネタニヤフ首相は、マクロン大統領が「またしても残忍なイスラム過激派テロ組織の側に立ち、その卑劣なプロパガンダに同調し、流血ざたの責任がイスラエルにあるなどと誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)することを選んだ」と述べた。 「流血ざたの誹謗中傷」とは、中世ヨーロッパにまでさかのぼる、悪名高いユダヤ人攻撃のお約束を指す。ユダヤ人がキリスト教徒、特にキリスト教徒の子供たちを殺し、その血を宗教儀式に使ったなどというでっちあげで、欧州ではしばしばユダヤ人が攻撃されたのだ。 今年5月に米首都ワシントンのイスラエル大使館に勤務していた夫妻が射殺された後、銃撃犯は警察に対し「私はパレスチナのために、ガザのためにやったんだ」と供述した。ネタニヤフ首相は、この殺人事件と、英仏カナダ3カ国首脳によるイスラエル批判を結びつけた。 Xに投稿した動画で、ネタニヤフ首相はこう宣言した。「マクロン大統領、カーニー首相、スターマー首相に言いたい。大量殺人犯、強姦犯、幼児殺害犯、誘拐犯があなた方に感謝する時、あなたたちは正義にとって正しくない側にいる。人類にとって正しくない側にいる、そして歴史にとって正しくない側にいる」。 「18年間、事実上のパレスチナ国家が存在した。ガザと呼ばれる。それによって、私たちは何を得たのか? 平和? 違う。ホロコースト以来、最も残酷なユダヤ人虐殺が起きてしまった」 ジュネーヴ諸条約の複製画像提供,BBC / Matt Goddard 画像説明,ジュネーヴ諸条約の複製 ネタニヤフ首相は、オランダ・ハーグの国際刑事裁判所(ICC)が自分と、戦争の最初の13カ月間にわたり国防相を務めたヨアヴ・ガラント氏の逮捕状を発行した際にも、欧州で長く続く反ユダヤ主義の歴史に言及した。 ICCは、10月7日の攻撃の首謀者とされるヤヒヤ・シンワル氏を含むハマス指導者3人に対しても逮捕状を発行していた。3人はその後、イスラエルに殺害された。 ICCの判事たちは、「飢餓を戦争手段に使うという戦争犯罪を、さらに殺人、迫害、その他の非人道的行為という人道に対する罪を、他者と共同で犯した共犯者として」、ネタニヤフ氏とガラント氏が刑事責任を負うと信じるに足る「合理的な根拠」があると判断した。 ネタニヤフ首相はこれに強く反発し、「虚偽でばかげた容疑」を否定。ICCを、1894年にフランス軍のユダヤ人将校アルフレッド・ドレフュスを反逆罪でディアブル島に流罪にした、反ユダヤ主義の陰謀と比較した。無実のドレフュスは後に恩赦を受けたが、この事件は大きな政治危機を引き起こした。 「ICCの反ユダヤ主義的決定は、現代のドレフュス裁判であり、同じ結末を迎えるだろう」と、ネタニヤフ氏は声明は述べた。 「2023年10月7日にテロ組織ハマスが残忍な攻撃を開始し、ホロコースト以来最大のユダヤ人虐殺を犯して以来、イスラエルがガザで遂行している戦争ほど正義の戦争はない」とも、首相は主張した。 迫害の遺産 ICCの主任検察官は、イギリスの勅撰弁護士でもある法廷弁護士ヘレナ・ケネディ氏を含む委員会に、ネタニヤフ氏とガラント氏に関する証拠の評価を依頼した。ケネディ女男爵と同僚たちはいずれも著名な法学者で、逮捕令状発行には十分な根拠があると判断した。裁判所と検察官が反ユダヤ主義に基づいて行動したという非難を、ケネディ氏は否定する。 「ユダヤ人コミュニティーが何世紀にもわたり経験した恐ろしい迫害を、私たちは常に覚えていなくてはならない」と、ケネディ氏はロンドンの法曹院にある執務室で私に言った。「ユダヤ人の経験に、世界中が大いに同情するのは当然だ」。 しかし、迫害された歴史があるからといって、イスラエルがガザでしている行為が正当化されるわけではないとも、ケネディ氏は述べた。 法律書の���ぶ書棚の前に立つケネディ弁護士画像提供,BBC / Matt Goddard 画像説明,迫害された歴史があるからといって、イスラエルがガザでしている行為が正当化されるわけではないと、ケネディ弁護士は述べた。 「ホロコーストは私たちに強力な罪悪感を与えた。それは当然のことだ。私たちも加担していたからだ。しかし同時に今の事態は、たったいま犯罪が行われているのを目にした時、そこに加担してはならないという教訓にもなっている」 「戦争は、法に則って遂行しなくてはならない。そして私は、平和を築く唯一の方法は、正義に基づいて行動することだと固く信じている。正義こそがその全ての根幹だ。しかし、それが実現していないと、私は懸念している」 イスラエルのホロコースト歴史家で、エルサレムのヘブライ大学現代ユダヤ���研究所所長のダニー・ブラットマン氏は、さらに強い言葉で語った。 ホロコーストを生き延びた両親のもとに生まれたブラットマン教授は、イスラエルの政治家は長年、ホロコーストの記憶を「世界の政府や世論を攻撃し、パレスチナ人に対するイスラエルの残虐行為を非難することは反ユダヤ主義だと警告するための道具」として利用してきたと言う。 その結果、「イスラエル人や政治家から反ユダヤ主義者として攻撃されるのを恐れて、口を閉ざす」人たちがいた、批判したくてもできない人たちが大勢いたと、教授は述べた。 イギリスで最高裁判所の判事だったジョナサン・サンプション卿画像提供,EPA 画像説明,イギリスで最高裁判所の判事だったジョナサン・サンプション卿は、イスラエルが自分たちの歴史から学ぶべきだったと考えている イギリス最高裁判所の判事だったジョナサン・サンプション卿は、イスラエルは自らの歴史から学ぶべきだったと考えている。 「過去のユダヤ人迫害と大虐殺の恐ろしい経験から、イスラエルは他の人々に同じことをするのを、恐ろしく思うはずだ」 中東において、歴史は避けがたい。歴史は常にそこにある。そして中東において歴史は、好き勝手に利用される正当化の宝庫なのだ。 アメリカ:イスラエルに不可欠な同盟国 イスラエルが自ら選んだ戦術によってガザで戦争を遂行するのは、アメリカの軍事的、財政的、そして外交的支援なしには不可能だった。とはいえ、ドナルド・トランプ大統領は、多少のいらだちをあらわにしている。そのためネタニヤフ首相は、ガザを飢餓の瀬戸際に追い込んだ封鎖を、わずかながら緩めて、隙間を作るしかなかった。 トランプ氏はガザを「中東のリヴィエラ」にすると提案し、広く非難された。しかしネタニヤフ氏は、パレスチナ人のいなくなったガザをアメリカに引き渡し、再開発させるというこの案を、依然として支持している。パレスチナ人のいないガザとはすなわち、パレスチナ人の大量追放を意味する。そしてそれは、戦争犯罪になる。ネタニヤフ氏を支えるウルトラナショナリストたちは、パレスチナ人の代わりにユダヤ人の入植者をガザに住まわせたいのだ。 トランプ氏自身は、この計画について沈黙している様子だ。しかし、トランプ政権は依然としてイスラエルと、そのガザにおける行動を強く支持しているようだ。 ICRC本部に保管されているノーベル平和賞のメダル画像提供,BBC / Matt Goddard 画像説明,ICRC本部に保管されているノーベル平和賞のメダル アメリカは6月4日、ガザで「無条件かつ恒久的な」停戦と人質全員の解放、そして人道支援への制限解除を求める国連の安全保障理事会決議案に対して、拒否権を発動した。他の理事国14カ国はすべて賛成票を投じた。その翌日にアメリカは、ICCがネタニヤフ首相などに逮捕捕状を発行したことへの報復として、判事4人に制裁を科した。 マルコ・ルビオ米国務長官は、「不当な行動」からアメリカとイスラエルの主権を守っているのだと主張した。 「依然としてICCを支持する国々に、特にアメリカが多大な犠牲を払ったおかげで自由を獲得した国々に呼びかける。我が国とイスラエルに対する、この恥ずべき攻撃に、抵抗してほしい」と、ルビオ長官は強調した。 しかし欧州各国の指導者らは、ICCを支持し連帯すると声明を出した。ガザでの戦争をめぐり、そしてイスラエルの行動を批判することの正当性をめぐり、アメリカと欧州の間には大きな溝が開き、日に日に険悪なものとなっている。 イスラエルとトランプ政権は、戦争法がすべての当事者に平等に適用されるという考えを拒否している。平等に適用されると認めれば、ハマスとイスラエルは同等だなどと、誤った前提を認めたことになるからだというのが、両政府の言い分だ。 前出のエーゲランド氏は、欧州とアメリカの分裂が今後も拡大する可能性があると言う。 「欧州が気骨を示すことを期待している」と、エーゲランド氏は話す。「ロンドン、ベルリン、パリ、ブリュッセルからようやく、これまでとは違う論調が出てきた。これまでもう何カ月もの間、とてつもない規模の偽善がはびこっていた。ガザで援助活動関係者の殺害、看護師の殺害、医師の殺害、教師の殺害、子供の殺害が、世界記録とも言える規模で続いている間に、あなたたちジャーナリストが現地に入れてもらえず、現場で起きていることを目撃させてもらえない、そんな状態が続いている間に 」。 「自分たちがあまりに腰抜けだったことを、西側はこれから本当に後悔することになる」 ジェノサイドの問題 イスラエルは、ガザでジェノサイドを犯しているのか。この問いかけはイスラエルや、アメリカを筆頭とするイスラエルの支持者たちを激怒させる。南アフリカは昨年、イスラエルがパレスチナ人に対してジェノサイドを行っていると主張し、ICJに提訴した。その訴えには証拠の裏付けがないという立場の弁護士たちが、南アフリカの訴えを争っている。 しかし、ジェノサイドだという主張は消えてなくなったりしない。 前出のリクード党のビスマス議員は、ジェノサイドについてこう答えた。 「パレスチナ人の人口が何倍か分からないほど増えたのに、我々がジェノサイドを行っているだなどと、どうやったら非難できるのか? ガザ地区の住民を守るために彼らをガザの域内で移動させているのに、どうして民族浄化だなどと我々を非難できるのか? 敵を守るために我々は兵を失っているのに、どうして我々を非難できるのか?」 リクード党のビズマス議員画像提供,BBC / Anastassia Zatopolskai 画像説明,リクード党のビズマス議員は、イスラエルがガザ地区のパレスチナ人を守っているのだと主張する ジェノサイドが実際に起きたと証明するのは難しい。検察官がジェノサイドを立証するにあたってクリアしなくてはならない法的ハードルは、わざと高く設定されている。しかし、立件可能な証拠があるかどうか、数十年にわたり法的事実を精査してきた一流の弁護士たちは、南アフリカが昨年1月に始めた司法手続きの進捗(しんちょく)を、何年も待つ必要はないと考えている。 元英最高裁判事のサンプション卿に意見を聞いた。 「ジェノサイドかどうか、それを決めるのは意図の有無だ」と、サンプション卿は書いた。「それは、国民または民族集団を全体的または部分的に滅ぼす意図を持って、その人たちを殺傷する、もしくはその人たちに耐え難い状況を課すこと――を意味する」。 「ネタニヤフと閣僚らの発言は、現在の作戦の目的が、アラブ系住民がガザに残るな場合、殺したり飢えさせりすることでことで、ガザから追い出すことにあるとうかがわせる。このことから、今の事態が起きている理由について、これはジェノサイドなのだというのが、最も妥当な説明になる」 イスラエルがジェノサイドを行っているのだと主張する南アフリカは、イスラエル指導者たちの扇動的な言葉をその論拠としている。たとえば、ネタニヤフ首相がイスラエル軍をガザ地区に派遣した際に、ハマスをアマレク人と比較した聖書の引用もその一例だ。聖書で神は、迫害者であるアマレク人を滅ぼすよう、イスラエルの民に命じているのだ。 南アフリカが主張の根拠とする別の発言は、ガラント前国防相のものだ。ガラント氏はハマスの攻撃直後、ガザ地区の完全封鎖を命じた際に、「電気も食料も燃料もなく、全てが封鎖される。我々は人間の形をしたけだものと戦っているので、それにふさわしい行動を取る」と発言した。 英ユニヴァーシティー・コレッジ・ロンドン(UCL)のラルフ・ワイルド教授(国際法)も、ジェノサイドの証拠があるという意見だ。「残念ながら、その通りだ。そして今ではその点について法的に疑いの余地はなく、実際、しばらく前からそうだった」。 ICJはすでに、イスラエルがガザとヨルダン川西岸にいるのは違法だという勧告的意見を出している。ワイルド教授はこの点を指摘したうえで、ロシアが2022年にウクライナ全面侵攻を開始した際の西側諸国の反応を、ガザ戦争への反応と比較する。 「ウクライナでのロシアの行動の違法性について、裁判所の判断は出ていない。それでも各国は既に、ロシアの行動は違法だと、公式声明を出せている。ガザについても、同じような声明を妨げるものは何もない」と、ワイルド教授は言う。 「そこで、もし西側諸国が待つつもりだと言うのなら、ではこう質問するべきだ。なぜもうわかっていることについて、裁判所が言ってくれるのを待っているのかと」 前出のケネディ女男爵は、「ジェノサイドという言葉が気軽に使われるのは、きわめて懸念されることだ。私自身もその言葉は避ける。なぜなら、法律においてそれを立証するには、きわめて高いレベルの意図の立証が必要になるからだ」と言う。 「では、ジェノサイドではないけれども人道に対する罪だと、私たちはそう言っているのだろうか? そういう言い方なら大丈夫だと? 人道に対する恐ろしい罪? 私たちは今、最も悲惨なたぐいの犯罪が起きるのを、目のあたりにしているところだと思う」 「これから簡単に集団虐殺へと向かう軌道に乗っていると、私は考えている。そして弁護士として、そのことを強く主張する議論が、間違いなくあると考えている」 ケネディ弁護士は、もしイギリス政府に助言を求められたならば、「私たち自身が重大な犯罪に加担してしまわないよう、きわめて慎重に注意しなくてはならない」と回答するだろうと話した。 容器を手に援助の食料を求めて行列するガザの子供たち画像提供,Getty Images 画像説明,多くの戦争を目撃した人でさえ、ガザでの被害の規模は把握しきれないと話す いずれ停戦は訪れる。しかし、停戦によって紛争は終結するわけではないし、長くてつらいエピローグを避けられるわけでもない。ICJで審理されているジェノサイド裁判が、それを保証している。ネタニヤフ首相とガラント前国防相に対するICCの逮捕状も同様だ。 ジャーナリストや戦争犯罪を調べる捜査員がガザ地区に入れるようになれば、その時には、実際に何が起きたのかについて、より確かな証拠を明らかにするはずだ。 国連や医療チームと共にガザに入った人々は、多くの戦争を見てきた人々でさえ、破壊の規模をなかなか把握しきれないと話す。がれきの海に浮かぶあまりにたくさんの島のように、人々��苦しみがかたまりとなって無数に点在しているのだ。 戦争が始まってから私がガザに入ったのはたった一度きりだが、その時にイスラエル軍の将校が言った言葉について、ずっと考え続けている。戦争が始まってまだ1カ月しかたっていなかったが、ガザ北部は既に、戦争によって荒れ地と化していた。私は、イスラエル軍と共に廃墟の中で数時間過ごした。 パレスチナの民間人への発砲を避けるため、自分たちは最善を尽くしてきたのだと、その将校は言った。しかしそう言ったそばから言葉がしばし途切れた。 将校は少し間を置いてから、私にこう言った。ガザでは誰もがハマスを支持しているから、罪のない者などあり得ないのだと。 (英語記事 Israel is accused of the gravest war crimes - how governments respond could haunt them for years to come)
【解説】イスラエルが深刻な戦争犯罪と批判相次ぐ、各国の対応次第で将来に禍根か……BBC国際編集長 - BBCニュース
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katsurakeito · 1 month ago
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クリミナーレ
夜のネオンが濡れたアスファルトに映り、冷たい雨がミシカの頬を滑り落ちる。彼女の胸は今夜も疼いていた。想いを重ねるたびに膨らむ病——それは彼女の心臓を締め付け、呼吸を奪う呪いだった。ミシカは薄いコートを握りしめ、路地裏の暗闇に身を潜めた。彼女の視線の先には、屈強なサイボーグの男、テンがいた。無機質な金属の腕が雨に濡れ、鋭い光を放つ。その姿は、ミシカの心を激しく揺さぶった。 「ミシカ、こんな時間に何してる?」低く響く声が背後から聞こえた。振り向くと、そこには兄、ミジョンの姿があった。警官の制服に身を包んだ彼の目は、妹を心配する優しさと、任務��厳しさが入り混じっていた。ミジョンはミシカの病を知っていた。彼女の胸が膨らむたびに、その命が削られることを。そして、それを抑える唯一の方法が、彼の手でその胸を切り落とすことだった。 「ミジョン…私、テンを見ずにはいられないの」ミシカの声は震え、彼女の瞳はテンを追い続けた。テンはミジョンの宿敵であり、街を支配するサイボーグ組織の要人だった。だが、ミシカにとって彼は、病を加速させるほどの激しい想いの対象だった。 「やめろ、ミシカ。あいつは危険だ」ミジョンは妹の肩を強く掴んだが、その手は震えていた。彼は知っていた。テンを倒すことが、ミシカを救う道かもしれない。だが、彼女の心を奪うテンを前に、ミジョンの胸には別の感情が渦巻いていた。嫉妬、怒り、そして妹を守りたいという切実な願い。 その時、路地の奥から別の影が現れた。ゼノ、テンの弟。同じくサイボーグの体を持つ彼は、ミシカを見つめる目つきに獣のような欲望を宿していた。「ミシカ…その胸、俺が触れればどんな感触なんだろうな」ゼノの声は低く、粘つくような響きを帯びていた。彼の視線はミシカの膨らんだ胸に釘付けで、その欲望は彼女の病をさらに悪化させるかのようだった。 「ゼノ、近づくな!」ミジョンが叫び、銃を構えた。だが、ゼノは鼻で笑い、金属の腕を振り上げる。次の瞬間、路地は戦場と化した。テンがミジョンに飛びかかり、金属と肉体がぶつかり合う音が響く。ミシカは恐怖と興奮で胸を押さえ、息を殺す。彼女の病が疼き、胸が熱く膨らむのを感じた。 「ミシカ、逃げろ!」ミジョンの叫び声が響く中、テンが一瞬、彼女に視線を向けた。その瞳には、敵意とは異なる何か——深い悲しみと、抑えきれない情熱が宿っていた。「お前を守りたい…だが、俺には時間がない」テンの声は、機械的な冷たさと人間の熱を同時に帯びていた。 ミシカの体は熱くなり、病の疼きが限界に達していた。彼女は知っていた。この想いを抑えるには、ミジョンの刃が必要だと。だが、テンの瞳を見つめるたび、彼女の心は彼を求める衝動に支配されていた。ゼノの欲望、ミジョンの守護、テンの葛藤——すべての感情が交錯する中、ミシカの胸はさらに膨らみ、彼女を内側から引き裂こうとしていた。 雨が激しく降りしきる中、ミシカは決断を迫られていた。この病を終わらせるのは、兄の刃か、それともテンの手か。彼女の心は、壮絶な戦いの中で揺れ動いていた。
雨は止むことなく、路地の地面を叩き続けていた。ミシカの胸は熱を帯び、病の疼きが彼女の理性を侵食していた。テンとミジョンの激しい戦闘の音——金属が火花を散らし、銃声が夜を切り裂く——が、彼女の鼓動と共鳴するようだった。ゼノは戦いの外縁で不敵な笑みを浮かべ、ミシカをじっと見つめていた。その視線は、彼女の膨らんだ胸を貪るように這い、欲望の刃となって彼女の心を切り裂いた。 「ミシカ、離れろ!」ミジョンの声は切迫していた。彼の銃がテンの肩をかすめ、金属の���片が宙を舞った。テンは一瞬よろめいたが、すぐに体勢を立て直し、ミジョンに突進した。「お前の妹を救う気があるなら、俺を殺せ」テンの声は怒りに満ちていたが、その奥にはミシカへの複雑な想いが隠れているようだった。 ミシカは動けなかった。彼女の体は病の熱に支配され、テンの言葉とゼノの視線に引き裂かれていた。「テン…私を…」彼女の声はか細く、雨音にかき消されそうだった。だが、その一瞬、テンの動きが止まった。彼の機械の瞳がミシカを捉え、まるで彼女の心の奥まで見透かすように輝いた。 その隙を突いて、ゼノが動いた。「お前は俺のものだ、ミシカ!!!」彼の金属の腕がミシカに伸び、彼女の華奢な体を捕らえた。冷たい鋼の感触が彼女の肌を刺し、病の疼きが一気に爆発した。「あっ…!」ミシカの口から漏れた声は、痛みと快感が混じり合ったものだった。ゼノの指が彼女の胸に触れた瞬間、彼女の体は電流が走ったように震えた。病が加速し、胸がさらに膨らみ、彼女の意識を飲み込もうとしていた。 「離せ、ゼノ!」ミジョンが叫び、ゼノに銃口を向けた。だが、テンがその腕を掴み、銃を地面に叩き落とした。「これは俺とお前の戦いだ、ミジョン。妹を巻き込むな」テンの声は低く、抑えきれない感情が滲んでいた。彼はミジョンに拳を振り下ろし、警官の体は壁に叩きつけられた。 「テン、なぜ…?」ミジョンは血を吐きながら呻いた。彼の目は、妹を守る決意と、テンを倒したい衝動で揺れていた。「お前がミシカをこんな目に…!」 「俺じゃない」テンは咆哮した。「この街の呪いだ。俺も、ゼノも、ミシカも…誰もがその一部なんだ」彼の言葉は、ミシカの心に突き刺さった。テンもまた、何かを背負っている。彼の冷たい金属の体に宿る、熱い人間の心。それがミシカの病をさらに煽り、彼女の胸を締め付けた。 ゼノはミシカを強く抱きしめ、彼女の耳元で囁いた。「お前のこの胸…俺が解放してやるよ」彼の手がさらに強くミシカの体を締め上げ、彼女は悲鳴を上げた。だが、その悲鳴はどこか甘美な響きを帯びていた。病の疼きとゼノの欲望が交錯し、ミシカの意識は霞んでいった。 その時、ミジョンが動いた。地面に落ちたナイフを手に、彼はゼノに飛びかかった。「ミシカに触れるな!」刃がゼノの金属の腕をかすめ、火花が散った。ゼノは軽笑し、ミジョンを軽々と弾き飛ばした。「弱いな、警官(サツ)。妹を守るには力が足りないぜ」 ミシカは地面に崩れ落ち、胸を押さえた。病の熱が限界を超え、彼女の視界が揺らいだ。「ミジョン…テン…助けて…」彼女の声は弱々しく、しかしその中に秘めた想いが二人の男に届いた。 テンがゼノに突進し、兄弟の戦いが始まった。金属同士がぶつかり合い、路地全体が震えた。ミジョンは這うようにしてミシカに近づき、彼女を抱き上げた。「ミシカ、俺が…お前を救う」彼の手にはナイフが握られていた。病を止めるには、彼女の胸を切り落とすしかない。だが、その刃を振り下ろす瞬間、ミジョンの目に涙が浮かんだ。 「ミジョン…やめて…」ミシカの手が兄の腕を掴んだ。彼女の瞳は、テンを見つめていた。「私…テンを…」その言葉は、ミジョンの心をさらに引き裂いた。 戦いの火花が雨に溶ける中、ミシカの病は彼女を限界へと押しやっていた。テンとゼノの戦い、ミジョンの決断、そして彼女自身の想い——すべてが交錯するこの瞬間、彼女の運命はまだ定まっていなかった。
雨は止む気配を見せず、路地の空気を重く濡らしていた。ミシカの体は病の熱に焼かれ、胸の膨らみが彼女の命を絞り上げるように脈打っていた。彼女の視界はぼやけ、テンとゼノの戦いの轟音が遠く聞こえた。ミジョンの腕の中で、彼女は必死に意識を繋ぎとめようとしていた。 「ミシカ、しっかりしろ!」ミジョンの声は震えていた。彼の手にあるナイフが、雨に濡れて鈍く光る。その刃は、ミシカの病を終わらせるための唯一の手段だった。だが、彼女の瞳に映るテンの姿を見ると、ミジョンの心は引き裂かれた。妹を救うためなら、どんな犠牲も払う覚悟だった。それでも、ミシカの心がテンに向かっていることを知るたび、彼の胸には焼けるような痛みが走った。 テンとゼノの戦いは、まるで機械と獣のぶつかり合いだった。テンの拳がゼノの胸を打ち、金属が歪む音が響いた。「ゼノ、ミシカに手を出すな!」テンの声には、敵意を超えた何か——ミシカへの深い想いと、己の運命への怒りが込められていた。彼のサイボーグの体は無敵に近く、だがその心は人間の脆さを抱えていた。 ゼノは暗黒微笑し、テンの攻撃を軽やかにかわした。「兄貴、いつまで偽善者でいるつもりだ? お前だってミシカを欲しいだろ?」ゼノの言葉は毒のように鋭く、テンの心を抉った。彼の視線が一瞬ミシカに動き、その隙を突いてゼノの金属の爪がテンの肩を切り裂いた。赤と銀の液体が混ざり合い、雨に溶けた。 「テン!」ミシカの叫びが路地に響いた。彼女の胸はさらに熱くなり、病が限界を超えていた。彼女はミジョンの腕から抜け出し、よろめきながらテンに近づこうとした。「やめて…二人とも…!」だが、彼女の体は力尽き、膝をついた。その瞬間、ゼノの目が欲望に輝いた。 「ミシカ、お前は俺のものだ」ゼノがミシカに飛びかかり、彼女の体を地面に押し倒した。冷たいアスファルトに背中を打ちつけ、ミシカの息が詰まった。ゼノの手が彼女の胸に伸び、その指が強く食い込むと、彼女の体は快感と痛みの狭間で震えた。「この熱…この膨らみ…俺が全部味わう」ゼノの声は低く、獣のような渇望に満ちていた。 「やめろ!!!」ミジョンの叫びが響き、彼はゼノに体当たりした。ナイフが宙を切り、ゼノの腕に浅い傷をつけた。だが、ゼノは舌打ちしミジョンを弾き飛ばし、ミシカをさらに強く抱きしめた。「お前の刃じゃ、俺には届かねえよ、警官(サツ)」 その時、テンが動いた。彼の体は傷だらけだったが、ミシカを見つめる瞳には揺るぎない決意があった。「ゼノ…お前を止める」テンの拳がゼノの顔面を直撃し、サイボーグの弟は後ろに吹き飛んだ。ミシカは解放され、地面に倒れ込んだ。彼女の呼吸は荒く、胸の疼きが彼女の意識を飲み込もうとしていた。 「ミシカ…俺が…」テンがミシカに手を伸ばしたが、その動きは一瞬遅かった。ミジョンが立ち上がり、ナイフを握り直した。「テン、どけ。ミシカを救えるのは俺だけだ」彼の声は冷たく、しかしその瞳には涙が滲んでいた。ミシカの胸を切り落とすことで、彼女の命を救う。それが彼の使命だった。だが、ミシカの心がテンに傾いていることを知るたび、その刃を振るう手は重くなった。 「ミジョン…お願い…やめて…」ミシカの声は弱々しかったが、その中に強い意志が宿っていた。彼女はテンの手を握り、震える瞳で彼を見つめた。「テン…私を…救って…」その言葉は、テンの心に深く突き刺さった。彼はサイボーグとして生まれた呪いを知っていた。人間の心を持ちながら、機械の体に縛られた存在。だが、ミシカの瞳を見ると、彼の中の人間性が再び燃え上がった。 「ミシカ、俺は…」テンが言葉を続ける前に、ゼノが再び立ち上がった。「まだ終わってねぇ!」彼の金属の腕がテンを貫こうとしたその瞬間、ミシカが立ち上がった。彼女の胸は限界を超え、病の熱が彼女の体を支配していた。だが、その中で彼女は一つの決断を下していた。 「もう…誰も傷つけないで!」ミシカの叫びが夜を切り裂いた。彼女は自らの胸に手を当て、病の源を押さえつけるように力を込めた。彼女の瞳には、テンへの想い、ミジョンへの信頼、そしてゼノへの拒絶が宿っていた。「私が…自分で選ぶ!」 その瞬間、彼女の胸から光が溢れ、路地全体を照らした。病の呪いが解き放たれるかのように、彼女の体は輝きを放ち、テン、ゼノ、ミジョンを吹き飛ばした。雨が止み、静寂が訪れた。ミシカは倒れ、意識を失った。彼女の胸は、初めて静かに脈打っていた。
静寂が路地を包み、雨の残響だけが微かに響いていた。ミシカは地面に倒れ、意識を失っていたが、彼女の胸は初めて穏やかに上下していた。病の熱が収まったかのように、彼女の体から溢れた光は今、かすかな輝きとなって消えつつあった。テン、ゼノ、ミジョンはそれぞれ立ち上がり、ミシカを取り巻くようにして彼女を見つめた。三人の男の瞳には、異なる感情が渦巻いていた——��、欲望、義務。 「ミシカ…!」ミジョンが最初に動いた。彼はナイフを握りしめたまま、妹のそばに膝をついた。彼女の顔は青白く、しかしその表情には奇妙な安堵が浮かんでいた。「お前…何をしたんだ…?」ミジョンの声は震え、彼の手はミシカの額に触れた。冷たい肌に触れるたび、彼の心は恐怖と希望の間で揺れた。病を抑えるための刃を振るう覚悟はあったが、ミシカの自ら下した決断が、彼の使命を無意味なものに変えたように感じられた。 テンもまた、ミシカに近づいた。彼の金属の体は傷だらけで、肩から滴る銀色の液体が地面に染みを作った。「ミシカ…お前は俺を…」彼の声は途切れ、機械の瞳に人間の感情が宿った。ミシカの叫び——「私が自分で選ぶ」——が、彼の心に刻まれていた。サイボーグとして生きる呪いの中で、彼女の存在は彼に人間としての熱を取り戻させていた。だが、彼女を救うために何をすべきか、彼にはまだ答えが見つからなかった。 ゼノは一歩遅れて立ち上がり、口元に不敵な笑みを浮かべた。「やるじゃねえか、ミシカ。お前のその力…俺の欲望を上回るなんてな」彼の声には、敗北を認めない執念が滲んでいた。ミシカの胸に触れたい、彼女を我が物にしたいという獣のような衝動は、彼女の光によって一瞬抑えられたが、ゼノの心はその欲望を捨てきれなかった。「まだ終わっちゃいねえ。俺はお前を手に入れるぜ」彼の金属の爪がカチリと音を立て、戦いの準備を整えた。 「ゼノ、十分だ」テンが咆哮し、弟に向き直った。「ミシカはもうお前の玩具じゃねぇ」彼の拳が再びゼノを捉え、金属同士の衝突が路地に轟いた。だが、ゼノは軽笑で攻撃をかわし、テンの傷ついた体を嘲うように反撃した。「兄貴、お前こそミシカを救えるなんて思ってんのか? 所詮、俺たちサイボーグは人間の真似事しかできねえんだよ!」 その言葉は、テンの心を深く抉った。彼はミシカを守りたいと願っていたが、サイボーグの体に宿る限界を痛感していた。彼女の病を癒す力は、彼にはなかった。だが、彼女の瞳に映る自分を思い出すたび、彼の機械の心は熱く脈打った。「黙れ。 俺は…彼女のために戦う」 ミジョンはミシカを抱きかかえ、戦いの喧騒から彼女を守るように身をかがめた。「ミシカ���目を覚ませ…俺がお前を救う…」彼の声は切実だったが、ナイフを握る手は震えていた。ミシカの胸を切り落とすことで病を止める——それが彼の知る唯一の方法だった。だが、彼女の光を見た今、その行為が本当に彼女を救うのか、確信が持てなかった。 その時、ミシカの指が微かに動いた。「ミジョン…テン…」彼女の声は弱々しく、しかしその中に強い意志が宿っていた。彼女の目がゆっくりと開き、雨に濡れた瞳が二人を捉えた。「私…もう逃げない…」彼女は胸に手を当て、病の疼きがまだそこにあることを感じた。だが、その疼きはもはや彼女を支配していなかった。彼女の光——自らの想いを受け入れた瞬間、病は彼女を縛る呪いではなく、彼女の一部となっていた。 「ミシカ、動くな!」ミジョンが叫んだが、彼女はゆっくりと立ち上がった。彼女の体は弱っていたが、その瞳には揺るぎない決意が宿っていた。「この病は…私の想いそのものなの。テンへの想い、ミジョンへの信頼…そして、ゼノへの拒絶」彼女の声は静かだったが、路地全体に響き渡った。 ゼノが鼻で笑い、ミシカに近づいた。「いいね、その気概ぶり。…だったら、俺にその想いを全部ぶつけてみな」彼の金属の爪がミシカを捉えようとしたその瞬間、テンがゼノの腕を掴んだ。「もう終わりだテメェ」テンの声は低く、しかしそこには弟への哀れみと、ミシカへの愛が込められていた。 次の瞬間、ミシカの手がテンの胸に触れた。冷たい金属の感触に、彼女の指が震えた。「テン…私を…信じて」彼女の言葉は、テンの心に深く響いた。彼はゼノを押さえつけ、ミシカを見つめた。「ミシカ…俺は…」 ミシカは微笑み、胸に手を当てた。「この病は、私の力になる」彼女の体から再び光が溢れ、今度はゼノを直撃した。ゼノの体が後ろに吹き飛ばされ、金属の腕が砕ける音が響いた。「ぐっ…!? 何だ、こ……れ……ッ」ゼノの叫びが途切れ、彼は地面に倒れた。 ミジョンは呆然とミシカを見つめた。「ミシカ…お前…どうやって…?」
彼女は兄に微笑みかけた。「ミジョン、ありがとう…いつも守ってくれて。でも、私も戦うよ。自分の心と…この病と」 テンはミシカを支え、彼女の瞳を見つめた。「お前は…強い」彼の声には、機械を超えた熱が宿っていた。ミシカは彼の手を握り、静かに頷いた。
雨は再び勢いを増し、路地の地面を叩きつける音が戦いの余韻を洗い流そうとしていた。ミシカはテンの腕に支えられ、なおも胸に手を当てていた。彼女の病は、彼女の想いそのものとして新たな力を生み出していたが、その代償として彼女の体は限界に近づいていた。光を放った瞬間、彼女の呼吸は浅くなり、足元がふらついた。だが、彼女の瞳には揺るぎない決意が宿っていた。 「ミシカ、無理をするな…!」テンの声は機械的な冷たさを超え、切実な感情に満ちていた。彼の金属の腕がミシカをしっかりと支え、その触れ合いに彼女の胸が微かに疼いた。病はまだ彼女を離さなかったが、今、それは彼女を縛る呪いではなく、彼女の意志を映す鏡のようだった。 ミジョンはナイフを握ったまま、妹とテンを見つめた。彼の心は葛藤で引き裂かれていた。ミシカを救うためなら、彼女の胸を切り落とす覚悟はできていた。だが、彼女が自ら戦う姿を見て、彼の使命は揺らいでいた。「ミシカ…俺は…お前を守るために…」彼の言葉は途切れ、雨に濡れた顔に涙が混じる。 その時、地面に倒れていたゼノが低く軽く笑った。「ハハッ…やるじゃねえか、ミシカ」彼の金属の体は砕け、腕の半分が失われていたが、その瞳にはまだ欲望の炎が燃えていた。「お前のその力…俺をこんな目にしても、まだお前を諦めねえぜ」ゼノはよろめきながら立ち上がり、残った腕を振り上げた。金属の爪が不気味な光を放ち、ミシカに向かって突き進んだ。 「ゼノ、終わりだ」テンがミシカを庇うように立ちはだかり、ゼノの攻撃を受け止めた。金属同士がぶつかり合い、火花が雨に散った。テンの体はすでに限界に近く、肩の傷から銀色の液体が流れ続けていた。「お前は…もう誰も傷つけ���れねぇ」 「黙れ、兄貴ィ!!!」ゼノの声は憎しみに満ちていた。「お前も俺も同じだ! サイボーグの体に縛られた化け物だ! ミシカを愛してる? 笑わせるな! お前はただの機械だ!」ゼノの言葉は鋭く、テンの心を切り裂いた。だが、テンはミシカを振り返り、彼女の瞳を見つめた。その瞬間、彼の機械の心は人間の熱で満たされた。「俺は…ミシカのために生きる」 ミシカは二人の戦いを見つめ、胸の疼きを抑えながら一歩前に踏み出した。「ゼノ…もうやめて」彼女の声は静かだったが、力強さに満ちていた。「あなたの欲望は、私を縛れない。私の心は…私のもの」彼女の手が再び光を放ち、ゼノの体を包み込んだ。光は彼の金属の体を侵食し、欲望の炎を飲み込むように広がった。 「ぐああっ!!!!」ゼノの叫びが夜を切り裂き、彼の体はついに動かなくなった。サイボーグの弟は地面に崩れ落ち、雨に打たれながら静寂に沈んだ。ミシカはその場に膝をつき、息を荒げた。彼女の光はゼノを止めたが、その力は彼女の命をさらに削っていた。 「ミシカ!」ミジョンが駆け寄り、彼女を抱き上げた。「お前…なんて無茶を…!」彼の声は怒りと悲しみに震えていた。ナイフを握る手が震え、妹の胸を見つめた。病を終わらせるには、今しかない——彼の心はそう叫んでいた。だが、ミシカの手が彼の腕をそっと押さえた。 「ミジョン…ありがとう。でも、私の戦いはまだ終わらない」ミシカの瞳はテンに向けられていた。彼女は弱々しく微笑み、彼に手を伸ばした。「テン…私を…見てて」 テンはミシカの手を取り、彼女を強く抱きしめた。「ミシカ…俺はお前を失わない」彼の声は低く、しかしそこには揺るぎない決意があった。サイボーグの体に宿る人間の心が、ミシカへの愛で燃えていた。「お前の病…俺が一緒に背負う」 ミシカの胸が再び疼き、彼女はテンの胸に顔を埋めた。冷たい金属の感触と、彼の心の熱が交錯し、彼女の体を震わせた。「テン…私の想いは…あなたに…」彼女の言葉は途切れ、病の熱が彼女の意識を奪おうとした。だが、その瞬間、彼女の光が再び溢れ、テンの体を包み込んだ。 光は二人の体を融合するように輝き、ミジョンすらもその場に立ち尽くさせた。ミシカの病は、彼女の想いとテンの愛によって新たな形へと変わろうとしていた。彼女の胸の膨らみは、呪いではなく、二人を繋ぐ絆の証となっていた。 雨が静かに止み、夜空に星が覗いた。ミシカとテンは抱き合ったまま、互いの存在を確かめ合った。ミジョンはナイフを地面に落とし、妹の選択を受け入れた。彼の瞳には涙が浮かんでいたが、その口元にはかすかな笑みが広がっていた。 ゼノの倒れた姿を背に、路地は新たな静寂に包まれた。ミシカの病はまだ完全には癒えていなかったが、彼女の心は自由だった。彼女とテンの物語は、この街の呪いを超えて、新たな未来へと歩み始めていた。
星空がネオンの光を突き破り、路地に冷たい輝きを投げかけていた。ミシカはテンの腕の中で微かに息をつき、彼女の胸はまだ病の疼きを宿していたが、その熱はもはや彼女を支配していなかった。彼女の光——自らの想いを受け入れた力——は、彼女とテンを繋ぐ絆として輝き続けていた。ミジョンは一歩離れて立ち、地面に落ちたナイフを見つめていた。彼の心は、妹の選択を受け入れつつも、警官としての使命と兄としての愛の間で揺れていた。 「ミシカ…本当にこれでいいのか?」ミジョンの声は低く、雨の残響に溶けそうだった。彼はミシカとテンを見つめ、妹が選んだ道を静かに受け入れた。ナイフを握る手はもう震えておらず、彼の瞳には穏やかな決意が宿っていた。「お前が幸せなら…俺はそれでいい」 ミシカは弱々しく微笑み、ミジョンに手を伸ばした。「ミジョン…ありがとう。いつも守ってくれて…でも、私も自分の道を歩みたい」彼女の声はか細かったが、その言葉には強い意志が込められていた。彼女の指がミジョンの手に触れ、兄妹の絆が静かに再確認された。 テンはいまだミシカを支え、彼女の瞳を見つめた。「ミシカ…お前は俺に人間であることを思い出させた」彼の機械の体は傷だらけだったが、その声には熱が宿っていた。サイボーグとして生まれた呪い、感情を抑え込む冷たい金属の殻——それ��を突き破るのは、ミシカへの愛だった。「俺は…お前と一緒にいる」 ミシカの胸が再び疼いたが、今、それは痛みではなく、テンの存在を感じる喜びだった。彼女は彼の金属の胸に手を当て、冷たい感触に温もりを重ねた。「テン…私の病は、きっと…私たちの力になる」彼女の言葉は、病を呪いではなく、二人を結ぶ絆として再定義していた。彼女の体から再び光が溢れ、今度は穏やかで柔らかな輝きとなって二人を包んだ。 その光は、ミシカの胸の膨らみを抑え、病の進行を静かに鎮めた。彼女の呼吸が整い、顔に血色が戻った。「これ…何…?」ミシカ自身も驚き、テンを見つめた。彼の瞳には、希望と愛が映っていた。「お前の想いが…病を変えたんだ」テンの声は低く、しかし確信に満ちていた。 遠くで、ゼノの倒れた体が雨に打たれていた。彼の欲望はミシカの光に飲み込まれ、サイボーグの体はもはや動かなかった。だが、ミシカは彼に一瞥をくれ、静かに呟いた。「ゼノ…あなたも、この街の呪いの一部だった。でも、私はもう縛られない」彼女の言葉は、ゼノへの拒絶であると同時に、彼をこの戦いの一部として認める優しさでもあった。 ミジョンはミシカとテンを交互に見つめ、深く息を吐いた。「この街は…まだ変わらないかもしれない。だが、お前たちがいるなら、希望はある」彼は警官の制服を整え、路地の出口へ歩き始めた。「ミシカ、テン…生きろ。俺は…自分の戦いを続ける」彼の背中には、兄としての誇りと、警官としての新たな決意が宿っていた。 ミシカはテンの手を握り、星空を見上げた。「テン…私たち、どこへ行く?」彼女の声は軽やかで、病の重さから解放された自由が感じられた。テンは彼女の手を強く握り返し、微笑んだ。「どこでもいい。お前と一緒なら…それが俺の未来だ」 二人は路地を後にし、ネオンの光と星空が交錯する街へと歩み出した。ミシカの病は完全には癒えていなかったが、彼女の心はテンの愛とミジョンの信頼によって支えられていた。この街の呪いを超え、二人は新たな物語を紡ぐために歩き続けた。 雨が止み、夜は静かに幕を閉じた。ミシカの胸は、想いの熱を宿しながら、穏やかに脈打っていた。
ネオンの光が薄れ、夜明けの淡い光が街の輪郭を浮かび上がらせていた。廃墟と化した工場の屋上、錆びた鉄骨の間にミシカとテンは並んで座っていた。ミシカの胸はまだ微かに疼いていたが、病の熱はかつてのように彼女を支配することはなかった。彼女の手はテンの金属の指と絡み合い、冷たい感触に温もりが宿っていた。 「テン…この街、変わると思う?」ミシカの声は静かで、朝焼けの空を見つめていた。彼女の髪が風に揺れ、病で青白かった顔に今は柔らかな血���が戻っていた。彼女の胸の膨らみは、想いの重さを映す鏡として、穏やかに脈打っていた。 テンは彼女の手を握りしめ、機械の瞳に人間の温かさを宿した。「変わるさ。俺たちがいる限り」彼の声には、サイボーグの冷たさを超えた確信があった。ミシカとの出会いが、彼に人間としての未来を信じさせたのだ。傷だらけの金属の体は、彼女を守るための盾であり、彼女を愛するための器だった。「お前がいるから…俺は戦える」 ミシカは微笑み、テンの肩に頭を預けた。彼女の胸が軽く疼き、病がまだそこにあることを思い出させた。だが、今、その疼きは彼女を縛る呪いではなく、彼女の想い——テンへの愛、ミジョンへの信頼、そして自分自身への誇り——の一部だった。「私も…戦うよ。あなたと一緒に」彼女の指がテンの胸に触れ、金属の冷たさと心の熱が交錯した。その瞬間、彼女の体からかすかな光が溢れ、二人の絆を照らした。 遠く、街の中心では、ミジョンが新たな戦いに身を投じていた。警官の制服を脱ぎ、街の闇と向き合うために独自の道を歩み始めた彼の背中には、妹を守り抜いた誇りが宿っていた。ミシカが選んだ道を信じ、彼は街の呪いを断ち切るための戦いを続けていた。路地裏で彼の姿を見た者は、その瞳に燃える決意と、妹への深い愛を垣間見た。 かつてゼノが倒れた場所は、今、静かな廃墟と化していた。彼の欲望はミシカの光に飲み込まれ、サイボーグの体は街の闇に溶けていた。だが、その残響は、ミシカの心に微かな影を残していた。彼女はゼノを憎んではいなかった。彼もまた、この街の呪いの一部だったからだ。「ゼノ…あなたも、自由になれたらいいね」ミシカの呟きは風に乗り、朝焼けの空に消えた。 ミシカとテンは立ち上がり、工場の屋上から街を見下ろした。ネオンの光と朝焼けが交錯するこの街は、呪いと希望が共存する場所だった。ミシカの病は完全には癒えていなかったが、彼女はそれを恐れなかった。テンの手を取り、彼女は一歩を踏み出した。「行こう、テン。私たちの未来へ」 テンは頷き、彼女と共に歩き始めた。二人の影は朝焼けに長く伸び、街の喧騒を背に新たな物語を紡ぎ始めた。ミシカの胸は、愛と希望の熱を宿しながら、静かに脈打っていた。
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moko1590m · 1 year ago
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四角い紙パックや瓶での販売が一般的な牛乳だが、茶など他の飲料のようにペットボトルに入った商品はなぜ身近にないのか。軽くて持ち運びやすいため、ニーズもあるように思える。北海道で酪農を担当する記者が調べたところ、ごく少数だが流通はしていた。取材を進めると、普及が難しい牛乳特有の事情が見えてきた。 【画像】「ペットボトル牛乳」実現の流れ  手始めに、日本乳業協会に聞いた。日本では、安全面での懸念からペットボトル入りの牛乳の製造は食品衛生法で禁じられていた。乳業メーカー側の要請を受け政府は2007年、「乳及び乳製品の成分規格等に関する省令」(乳等省令、現・乳等命令)を改正。雑菌が繁殖しやすいなどの特性に注意することを条件に、解禁された経緯があるという。  同協会は省令改正を受け、①容量は、常温で持ち運びせず一度で飲み切ると想定される350ミリリットル以下か、直接口で飲む、または常温で持ち運ぶことが想定されにくい720ミリリットル以上とする②10度を超える場所に長時間置かないことなどを容器に表示する──といった自主基準を制定。安全に商品を販売するためのルールは整備されている。 「瓶形状」で差別化  では、現在実際に製造・販売されている商品はあるのか。同協会から「流通量は少ないが、タカナシ乳業(横浜市)が取り扱っている」と聞き、同社に詳細や開発経緯を問い合わせると、書面で回答が得られた。  同社は、17年4月からペットボトル容器の牛乳を販売する。容器の形状が牛乳瓶型で、「瓶容器の親しみのある形状も生かし、差別化できると考えて商品化に着手した」(商品部)という。  原料には北海道浜中町の指定牧場で生産された、乳脂肪分4%以上の特選規格の生乳を���用。容量は同協会の基準を踏まえて飲み切れる200ミリリットルとし、光による風味劣化を防ぐため、専用の遮光性フィルムも導入した。  現行商品の「特濃牛乳 200ml」は一部小売店で販売され、同社のオンラインショップからも購入可能。消費者からは「紙くささがなくておいしい」「小さな子どもでも1人で持ちやすい」などの声があるという。 輸送効率良いが…  同社はペットボトル容器が紙パックや瓶より優れる点について、輸送効率の良さや輸送時の環境負荷の少なさを挙げる。容器の形状や容量の自由度が高い点もメリットとする。  しかし、大手を含めほとんどのメーカーは解禁から15年以上たっても商品化していない。同協会によると、衛生面への根強い懸念や容器の開発、設備投資に高いコストを要することなどが背景にあるという。  同社も「牛乳は日用必需品として購入されることが多く、デザイン性や付加価値を求める人が少ない」(同)ことを指摘する。 取材後記  「ペットボトルで牛乳が売られていたら、買う人は結構いると思いますけどね」。取材のきっかけは、記者の自宅近くにある飲食店の40代店主のこんな一言だった。  当初、もしペットボトルでの販売に消費拡大の可能性があることを報じられたら、現在も厳しい情勢が続く酪農経営に明るいニュースを発信できるかもと、淡い期待を抱いて取材を始めたが、現実問題としてそれは難しそうだ。  ただ、暗い話ばかりではないようにも思えた。タカナシ乳業のペットボトル入り牛乳を販売する浜中町のスーパーの店長は、「この容量ならすぐ飲み切れるので、買っていく観光客が多い」と話す。シェアの大幅な拡大とはいかずとも、確実にニーズはあるようだ。今後の動向にも注目していきたい。(松村直明)
「ペットボトルの牛乳」少ない理由は? 2007年に解禁したものの…(日本農業新聞) - Yahoo!ニュース
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crydayz · 1 year ago
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240614 金
引き寄せの法則ってのを結構素で信じてるって以前書いた
「なんで自分は毎日絵が描けてしまうんだろう?」って今思ってる
これがいいんだよ
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「なんでやれてしまうんだろう?」
「なんでこんなに幸せでラッキーなんだろう?」
ってベクトルで自分を不思議がる
これだけでどんどんやれるし、どんどんラッキーになる
マージ、マジマジ
--- 僕、28歳ん時もうすぐ死ぬ思いました
なんでかってこのまま生きてても「嫌なことの総量が増えていく」ばかりでそれを打ち消すいい事なんて雀の涙程度しか手に入らないに決まってるって思ったから
それが予想できるくらいには主観的踏んだり蹴ったり感を味わっていたし、過去の自分の成功体験に照らしても、もう10代の頃以上のラッキーなんて訪れるわけがないな、思ってた
つまり生きてても主観的にも客観的にもムダ。ふつうの知性と自尊心あるなら惨めで恥ずかしすぎて生きてらんない。格好悪すぎる思ってた
結構「武士的なスタンス」だと思うのね、これ
あとは自分をむっっっっっちゃ主人公として捉えてたよね
でも生きる為、それをやめた。精神を「負け犬ヌケサク敗残兵モード」にチェンジし、虐げられて然るべきモブ・・だけどどっこい最後まで生き残ちまう「ひ���うきんピエロ」的ポジション目指した
しばらくその目くらましでどうにかなってたシーズンもあったけど、やがて冷静になって全部馬鹿らしくなって「幼少期に戻って人生最初からやり直したい」という気持ちになった
20代の頃のような「死にたい」という気持ち(格好良さを貫きたいという気持ち)は最早ない。ただただリセットしたい、今度はうまくやる、あそこで絶対妥協しない、選択ミスしない、へこたれない...って誓った
だからもう一度チャンスが来たら今度こそ間違わないし乗り遅れないって思った
僕の失敗のきっかけは初音ミクに対ししょーもないヘイトを抱いてしまったことだ
DTMを生半可に愛していたがゆえに、それ系の知識と愛が全然ないであろうミーハー絵描き達が初音ミクをハブにして唐突にDTM文化を蹂躙してきた(あるいはDTMカルチャー一切無視して製品のガワだけ浅はかに消費してきた)と感じてしまい、自分の好きなものを穢されたと感じてしまった
これはもう、そう感じちまったんだからどうしようもない...
それに加えpixiv台頭によるホームページの価値消失、友人に初音ミクブーストで狂気レベルの差をつけられたってのもヒステリー加速に拍車をかけた。でも何よりも大きいのは自分がディレクションしていたゲーム企画を取り上げられた事だったな
とにかく「ほう? ここまで俺をコケにしたいんか、世界」って思ったわ。知らんよなそんなの。みんな楽しくミクちゃん描いてんだ...
なぜそのウェーブに乗らないんだ? って知り合いの絵描きから暗に明に言われたさ。同人イベントで色紙にミク描いてって言われた時は内心全ギレしながら描いたっけなあ
ほんと、運気を下げる思考をしていた
何が要因かっつーと結局「愛を侮辱された」っていう主観的感情がきっかけなんすよ
だからそれ以降僕はなにかを愛することをやめました
だって、愛があるからそれを「穢された」とか「バカにされた」って思うんでしょ?
その結果チャンス逃して人から嫌われるようなルサンチマンばっか吐いてたら、結果的に自分が損するじゃん
損する事がわかってる「愛」を維持するの、ある意味純愛かもしれんけどその愛向けてる対象が自分の方振り向いてくれんの? 言ったら無理なわけじゃん、初音ミクの場合はクリプトンとかヤマハなわけ、あとRolandも好きだった
でもそういうオフィシャルは僕じゃなく初音ミクというキャラをサクサク消費しお祭り騒ぎしてる実力派絵描きの方を大事にする
いやもう、何言ってんだ純粋にお前キャラ ド・ヘタじゃんって指摘にはイエス、諸手を上げてイエス
ほんっと、身の程知らずとはこの事よ!!
今でも怒りと悲しみと後悔が蘇ってくるわ。どういうこじれ方してんだアホ!! 普通に魅力的なキャラなりなんなり描いて人心掴めよヘタクソ!!! って言いたい
腐ったアヤナミみてーのばっか描いてんじゃねーよ、と
閑話休題。昔話を繰り返したところでしょーがない
つまり、だ。今ムカついてるその項目、そのムカつきの要因となっているあんたの身勝手な「愛」
それ本当に維持すべき愛っすか? って話なんすよ
僕の場合は「自分が作った箱(Discord)への愛と執着」がまだ強固に残ってる...
こいつが今後間違いなく僕を不幸に導くことだろう
不幸になってでも、多少嫌われてでも自分の好きは決して曲げない
そういう気持ち(他人や社会のことをガン無視したヒステリックなプライド)があるとな、些末な事に侮辱と敵意感じてはヘイト撒き散らし、周囲に呆れられ病人扱いされキャリアも積めぬまま歳だけ食って、どうして自分のこの真摯でキレイで真っ直ぐな気持ちを誰一人理解してくれなかったんだろう? みたいなドンズレ思考抱えた××老害になる(うーん... 極端だ。極端な思考は自分と周りを傷つける。それは結果的に自分を不幸にする。だからよくない)
プライドは、捨てなくてもいいから箱にしまうか、意識的に横に置く
そして皆が食べたがっている料理を丁寧につくる
体力増やしアタマ使って時間捻出し「自尊感情維持する為の城(テリトリー)」を構築する
最初は自閉モードでいい。次第に他者を呼び込む為のサンドボックスなり応接間なり作っていけばよい
そして考えることは「しあわせ」についてだけでいい
「どうしてできないんだろう?」と考えると「できない自分」を引き寄せる
「どうして不幸なんだろう?」と考えると「不幸な自分」を引き寄せる
それは文脈関係なしに最初に見出しに設定したワードの正当性を「肉付け」する思考が脳内で自動的に発生して��まうから
だから「どうして幸せなんだろう?」と考え続ける事で「XXでXXであるがゆえにしあわせなのである」という講式が脳内に刻まれてゆく
どうして不幸だと思うのかを思考するメリットはない
どうして幸せなのか? を自身に問い続けるだけで100%、何をどうやっても幸福になってしまう
幸せな主観があれば精神的バッファがあるわけだから無茶できる
無茶すりゃ歳食ってたってそれなりの出力と他者貢献できる
それさえできりゃいずれ優しい世界が手を差し伸べてくれる
ああ、我々が思うほど世界は悲しくプログラムされちゃあいない
誰も自分という人間に手を差し伸べぬなら、自らが率先して誰かに手を差し伸べてしまえばよい
はい、キモいお節介&パターナル&ハラスメントフラグ、って指摘には同意
同意はするが、潜在的正解は常にそれだろ
自分が救うことや手を差し伸べることを「許してくれる命」を見つけて、まずはそれを応援する事から始めたらいい
人を応援する人をディスる人ってのはもう、それは120%ロクな人間じゃあないから無視していい
無論、犯罪者や極度に反社会的な性格の人を応援するようなムーブしちゃダメだし、それをやりそうになってる自分を止めてくれる人の事は無視しちゃダメだが
善&道徳だわ、基本。子供がいる手前、そうとしか言えん
だって子供はオートで犯罪犯したがるからな。それは子供の本質。そこに親も乗っかりブーストかけちゃったらクソ毒親だろ...
ゆたぼんの父親とかそうだろ。最終的に反面教師として役立ったから結果オーライかもしれんが
とにかく、絵とフィクションの中で悪と不道徳を描くのは構わないが現実のパーソナリティや生活ん中にそれ適用すんのはナンセンスだし何一つメリットがない
マジメすぎると現実と絵の世界を同期させちまうんだよな
自分もその境目がなかった、かつて―
絵は絵、現実は現実。どっちもウケがよく自分を幸せに導くベクトルに「デザイン」してこ
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ashi-yuri · 2 years ago
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FAITHにおける「神はなぜエイミーを助けなかったのか」という神学的問題に対する回答試案
以下は、キリスト教徒でもなければ、神学をちゃんとかじったこともない素人が本問題を考えるための材料を記した覚書である。
※この覚書はどのような事実も保証しない
※全Note、全endingネタバレ注意
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結論
エイミーの救済は、弱く罪を抱える人の子がそれでも人を救えるのかという神の試練である。
事件の概要
(ゲーム開始前)
マーティン夫人が双子を流産により失う
マーティン夫人が双子が生存しているように振る舞うなど、精神不安定状態となる
夫人は治療で一時回復に向かうが再度悪化。
マーティン氏が送った怪しげな人形に触発されて(?)マーティン夫人が双子の依代を作り始める
Chapter3 Note44 ボブへ 君が昔からの友人でなければ、こんな風に患者の秘密を破るようなことはしない。私はこの状況を本当に憂いているんだ。 ナンシーの妄想は、初めの頃よりもずっとひどくなっている。私は彼女に徐々に現実を示すよう注意深く接してきた。君は、彼女がまだあの二人のことを話したり偽のお誕生日会を開いたり、その他諸々についてもとても忍耐強く対応していた。彼女が流産したこと、そして双子が亡くなったことを受け入れたとき、私たちは前進しているのだと思った。 けれど彼女は今、双子が自分とコンタクトを取ろうとし、双子の魂が宿る "代用品 "を見つけられると確信しているようなんだ。 聞き覚えはないか?ニカラグアの村で見つけた家を覚えているか?君が彼女に話したのか?なぜ君がそんなことをするのかわからないが、そうでなければなぜそんな話が出るのか、他に理由が思い当たらない。 できるだけ早��私のオフィスに来てくれ。次にどうすべきか、話し合う必要がある。
エイミーが婦人科クリニック(ゲイリー率いる教団が運営)でボランティアを始める。教団がエイミーと接触を図る
エイミーに悪魔が憑く
1986年9月21日
エクソシスト2名(オルレッド神父とジョン)がエイミーの悪魔祓いを試みる
悪魔に敗北し、オルレッド神父が死亡
エイミーが両親2名を殺害
ジョンはエイミーに対して単独で悪魔祓いを行おうとするが失敗。悪魔に圧倒され、恐怖に負けて逃走しようとする
ジョンに対して、白い謎の存在がエイミーはどうするのか問う
ジョンは逃走を希望する
白い謎の存在は、エイミーの運命をジョンの記憶に封印することを条件に、ジョンをマーティン家から逃がす
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ジョン:これは、私の身には余ります。私は怖ろしいのです。どうかこの場所から逃してください。 ??:少女はどうする? ジョン:私はただ帰りたいのです。 ??:汝を安全な場所まで導けば…彼女の運命は汝の頭に封されるだろう。 ジョン:お望みならなんでもします。どうか、ここから連れ出してください。 ??:誓いなさい。 ジョン:誓います。
事件後、ジョン及びエイミーは精神病院に収容される
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1986年10月23日
ジョンは悪魔祓いを間違いだったと認め、信仰を捨てることで退院を認められる
この時点で、正式な聖職者としての地位は辞しているかも?
(神父を辞したのち、ジョンはモリーと暮らしはじめる)
Chapter1 Note20 1986年10月23日 マクグラーシャン先生へ ここエール精神医学研究所で私の治療が始まってから、30日が経とうとしています。スピネル先生は私に辛抱強く寄り添い、私の苦悩を理解し、私が真実を受け入れて前に進む方法を見つけるのを助けてくださいました。 スピネル先生の助けを借り、私は実際にマーティン家で起こった9月の出来事について受け入れられるようになりました。これは超自然現象の結果ではなく、独断的な両親と前時代的な教会による悪魔祓いといわれる儀式によって、暴力的にならざるをえなかった少女の必死な抵抗であったと受け止めています。 嬉しいことに、真実を受け入れてから、悪夢は止み、事件以来感じたことのない心の平穏を享受しています。こちらに来てからの私の経過を考慮いただいたうえ、今後のスピネル先生の経過観察を条件に、エール精神医学研究所からの退院を謹んでお願いいたします。
1987年9月
エイミーが精神病院から脱走?
カルト教団が儀式を行い、エイミーの顔を削り、器とする
ジョンが悪夢を見る
Chapter1 Note18(抜粋) モリーへ 私はあの家へ戻らなければならない。私の見ている悪夢は現実だ。エイミーはまだあそこにいて、私を待っている。まだ彼女を助けられる。
Chapter1
1987年9月21日
ジョンはマーティン家へと戻り、器となったエイミーと邂逅
ジョンは悪魔を祓いきれず、エイミーは脱走
ジョンは銃を手に取るが、エイミーに手をくださないまま、家へ帰る
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chapter2
ジョンが悪夢を見る
悪夢から目覚めると、ガルシア神父の手紙が届い��いる
(モリーは家を去っている)
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chapter3
1987年10月28-30日
ガルシア神父の手紙に従って、カルト教団の目論見を阻止するためクリニック・アパート・保育園を探索する
1987年10月31日(冒涜の安息日)
(Neutral ED)
ジョンはカルト教団の本拠地で、白い謎の存在に誓ったことを思い出す
ゲイリーを退け、カルト教団の目論む冒涜の安息日を阻止する
エイミーの悪夢を見続ける
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ジョン:神父さま、去年初めてエイミーと会った時に……悪魔を見たのです。悪魔は私を惑わしました。これからずっと、私はエイミーから解放されることはないでしょう。
(Good ED)
ジョンはカルト教団の本拠地で、白い謎の存在に誓ったことを思い出す
封印を解き、カルト教団の最奥「坩堝」の中でミリアムとゲイリーとマルファスの穢れた三位一体と対戦
撃破後、エイミーに出会い、悪魔祓いを終える
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(Bad ED)
ジョンはなにもしない
自宅にいたエイミーに取り憑く悪魔に呑み込まれ、天罰「Damnatio Memoriae」(記憶の抹消)が下される
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前提 
人間には善を為すor悪を為すことを決める自由意志がある。これを尊重し、原則、人の子の問題は人の手により解決すべきである。
ただし、神の恩寵を実現させるため、自由意志を助ける形で神は介入を行う場合がある。(傾かせるが強いない)
この項における「救い」とは魂が悪魔から解放されることを指す。
(白い謎の存在の補足)
白い謎の存在をジョンの空想上のイメージと見なした場合でも、ジョン自身がイメージとの対話により意志を持つに至った結果を重��し、以下の推論を妨げないとする。
白い謎の存在が天使か悪魔かは、作中で明言されないのでここでは問わない。開発者のAirdorf氏は「コリント信徒への手紙二11章14節」を引き、あの存在は悪魔が天使を装ったものと示している。
コリントの信徒への手紙二/ 11章 14節 しかし、驚くには及びません。サタンでさえ光の天使を装うのです。 「旧約聖書」日本聖書教会 聖書教会共同訳より
推論の過程
マーティン家の状況は、オルレッド神父とジョンが来た時点ですでに破綻状態にある。神父たちがエクソシストとしてできることは、エイミーに憑いた悪魔を祓うことだけだ。けれど、悪魔祓いは失敗する。
オルレッド神父が死亡したのち、エイミーが救われるか否かはジョンの手に委ねられる。ジョンにとってははじめての悪魔祓いであり、ジョンは悪魔にたやすく圧倒され、恐怖にのまれてしまい、人智を超えた存在となってしまったエイミーから逃がれたい一心で助けを求める。
ここから、なぞの白い存在との対話が始まる。
白い存在にこのまま逃げたらエイミーはどうなるのか、暗に見殺しにするのかと問われたとき、ジョンはそれでも恐怖から逃げることを選択する。
この選択により、エイミーが現世で救われないこと、悪魔の器となる運命は確定する。人間だけでは悪魔の目論見を防ぐことができなかったことも。悪魔から逃げることを選択し、エイミーが悪魔の器となる運命を最終的に決定した人間はジョンである。
救うべき者を見捨てた罪の代償は「エイミーの運命をジョンの頭に封じる」ことだ。それはジョンにとって誓いであり、呪いでもある。
白い謎の存在:汝を安全な場所まで導けば…彼女の運命は汝の頭に封されるだろう。
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頭に封印された記憶は悪夢となり、1年後にジョンは再びマーティン家へと赴く。信仰を捨ててあたたかなはずの愛を得たにも関わらず、ジョンはそれらを捨てて、あの家へ戻らなければならない。
誓いを果たすため、または呪いを解くために。自らが犯した罪、助けなければならなかった無垢な子どもを見捨てた罪へと向き合い、今度こそ悪魔を祓うために。悪魔の器となってしまったエイミーから悪魔を祓い救うことができるのは、そうなる道を選択してしまったジョンしかいない。
エイミーを救うことは彼個人の願いであるとともに、神の意思でもある。悪魔を祓う力を持つ十字架は、ジョンの願いを助け、神の意思を示す。エイミーを救うという神の意思を達成するか否かは、良き神の子たるジョンの行いにかかっている。
それは、救うべき者を救わなかった罪深き者が、なお人を救えるのかという神の試練である。
悪魔の器となったとしても、誰の手にも及ばない存在になったとしても、エイミーはまだ救われる可能性がある。ジョンが歩み続ける限りは。
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(おまけ)神に頼らない世俗的な救済について
ついでに、神の助けを借りずとももっと早く助けられなかったのかなあと考えてみる。
世俗的な救済は一般人が対応するため、家庭が破綻に至る前の早期対応が重要だと思われる。
具体的には、親戚・近隣・公的団体等による早期のエイミー母への共感的なメンタルケアやグリーフケア、エイミーの状況把握及び学校への登校支援、適切なコミュニティ(信頼できるボランティア団体や普通のバイトなど)への参加誘導などが必要だったんだろう。
だけど、1980年代という時代背景や孤立化しやすい森の一軒家という環境を考慮すると、救済難易度高めでいろんな難しさを感じる……そしてエイミーが器となり死亡が確定した時点で、世俗的にできることはもうない……
器となったエイミーを救うことができるのは、結局ジョンだけなんだろう。
あとがきと感想
神の存在を前提とする場合、残酷なこの事件をどう神学的に解釈するんだろうという個人的興味により書いてみました。
理論的に導くならこんな感じかなと思ったけど、神学者の方の解釈を聞いてみたいなあ。ちゃんと書くなら、アウグスティヌスとかの著作やそれに続く自由意志論争を読みとかなきゃいけないんで無理。結局ただの感想文に近いけれど、ふしぎ論理学っぽく色々考えられたのは楽しかったです。
もし、白い謎の存在が天使を装った悪魔なのだとしたら、作中いちども神の意思は直接示されることはなく、ほんとに十字架だけが頼りであまりに信仰ハードモード……
ヴァチカン非公認でも、神との一対一の信仰を果たすためとにかくやるんだ!という感じはアメリカのプロテスタントっぽいかもね。本作はテキサス在住のキリスト教徒(notカトリック)の方が開発してるので。
神を信じるならここまで考えてきた問いに意味があるけれど、そうでなければ、ジョンの所業は罪悪感や後悔による偏執的な思い込みにしか見えないし、半分おかしくなってるんだと思う。エイミーのことは手遅れなので、ふつうに考えたら贖罪にもならないし。そうせざるをえない心理状況に追い込まれてしまったのだとしても。
でも、本当の結論はあなたの心のなかの信仰次第です。
そして、ゲイリーはなんだったのとかそもそもなんでエイミーに悪魔が憑いたの?という話はまた次回。
※ゲーム画面、日本語翻訳は非公式日本語modを使用しました。
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picnicism · 1 year ago
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学校教育の公平性とは何かって永遠の課題だと思うんですよ。  貧しくても優秀な子どもには、良い学問・勉強の機会を得られる良い環境を与えるべきだという議論は正しいんですが、一方で、勉強することが苦手でまともに掛け算もできない人々には学習の機会を与えなくてもよいのでしょうか。国が憲法で定めている無条件の子どもの学習権は義務教育(小学校と中学校)までであって、高校無償化や大学授業料減免など高等教育に関する政策も、ある一面ではばら撒きと変わりありません。  それでも必要と国民が思うのは「老人に対する年金や健康保険で、国や国民が負担する税金や社会保険料が教育費とは比較にならないほど重い」ことと「伸びやかな子どもへの投資は社会にとって豊かさを実現してくれる確実な手段」だからでしょう。  そして、技術が高度になり技術分野も多岐に渡る複雑な経済や社会になってくると、大人になって社会で生きていくために必要とされる専門性は中卒や高卒ではなかなか身につきません。それどころか、大学4年間通っても専門性が足りないから大学院にいって修士なり博士なり取り、留学も経験しないと世界との競争で立ち行かないという危機感も出てきました。そういう人材を、日本はちゃんと育てられていますかという問題は、政策上、極めて重要であると言えます。 大学の経営を安定させるには、学費を大幅に上げるし���ないのでは  本稿の結論を先に書きますと、こうなります。 ・ そもそも現在の国立大学は戦前から旧制大学として1886年の帝国大学令により設置された流れで、国が奨学し研究開発を先導する時期に定着したものです ・ 国立大学の学費が安く抑えられているのは戦前からの国策によるもので、戦後1949年、新制国立大学69校が設立されたのも高等教育の主体は国であったからです ・ 他方、技術革新の進展もあってアメリカを中心に公立大学でも学費の値上がりと寄付金による研究所運営も含め莫大な資金を研究に費消するセクターとなりました ・ 結果、日本は大学運営の面で他国に劣後し、研究資金の調達に困難をきたして教員の疲弊や研究論文数の低迷が問題となりました ・ 貧困家庭の優秀な人が大学に行けないのは国難だけど、学費が安い国立大学をとりあえず目指す戦前からの仕組みを盲目的に維持するのではなく、成績優秀者には特待制度による授業料減免や給付型奨学金を充実させるかわりに国公立も私立も学費を大幅に上げて、大学の経営を資金面で安定させるしか方法ないんじゃないですか ・ 少子化の時代に、人の集まらない大学を統合・廃止したり、意味の分からない大学や学部の新設はハードル上げる必要があるし、そもそも高等教育の必要のない人は大学にいかなくても良い仕組みにしたらどうですか 大学が多数乱立した結果、経営を成り立たせるのに四苦八苦  かくいう私自身も、今回問題となった提言を出した伊藤公平君が塾長を務める慶應義塾大学を卒業し、国立大学である新潟大学から修士(法学)を取り、現在後期博士課程におります。三田会の幽霊会員であると同時に、激安国立大学の学費の恩恵を一身に与る者として、割と国立大学と私立の関係はこれでいいのかと肌身で感じる面はあります。また、他の国立大学では学内コンプライアンスも見させていただいております。 慶應義塾大学の伊藤公平塾長 オフィシャルHPより引用写真を見る 慶應義塾大学の伊藤公平塾長 オフィシャルHPより引用  今回問題となった伊藤公平君の中教審での提案書面はこれで、科学振興と大学教育の現状を見る者からすれば、そう間違ったことは書いていません。 大学教育の多様化に向けて https://www.mext.go.jp/content/2020327-koutou02-000034778-5.pdf  伊藤公平君が言いたいことは、要するに国が教育機関にカネをいっぱい出せないなか、中途半端な私立大学が多数乱立した結果、過当競争になっていて大学間の競争どころか、大学当局の学務と学生さんの高度教育、大学が担うべき研究に充分な資金が回せない、カネが足りないので著名研究者を海外から招聘できないし、経営を成り立たせるのに四苦八苦してるってことですよ。ごもっともですね。  そのうえ、インターネットによる情報革命以降、技術革新が産業に与える影響がどんどん大きくなって、国の産業力強化に対する技術開発のウェイトがどんどん増えてきて、素材産業から人工知能まで主要論文数が将来の競争力をもたらす決定的要因になったのもまた事実です。  これらの先端技術をどう担うか、というロードマップが国家(産業振興や科学技術政策など)でうまく打ち出せず、優秀な学生ほど博士課程にいくころには海外大学を目指すことになりかねないのです。 大学教授の互選でトップを決めても、経営の能力が保証されるわけではない  他方、沖縄OIST(沖縄科学技術大学院大学)や秋田県の公立大学法人国際教養大学など、従来の国立大学の文脈とは異なる大学が文部科学省からの予算投下の枠組みから外れて資金調達に成功したことで、研究でも教育でも大変な成功を収めることになりました。  国立大学は独立行政法人の一形態として国立大学法人へと運営方式が移行し、さらに16年に指定国立大学法人制度が制定されました。一連の施策は、国立大学の経営を教授会など学務組織から分離し、経営能力を高め、国内での競争関係を促す目的も含まれています。  よく大学の学長(総長)選において、折につけ実弾も飛び交う「民主的な」投票による選出が是とされてきましたが、大学教授の互選でトップを決めたところで大学経営の能力が保証されているわけでもなく、本来ならば民間の経営者も含めたマネジメント能力のある人をトップに据えないといけないんじゃないのかという議論はかねてあります。  いまの大学で学長(総長)選挙が教授や有力OB間での互選と投票で決まる仕組み自体が本来は異様なのであって、普通の会社組織で言えば現役幹部と退職者が社長を選ぶようなものです。 担う学問領域はほぼ大差ないのに…国立のほうが学費が安い“謎”  その中で、どうしても出てくるのが伊藤君の書いていた「国立大学と私立大学の公平性」です。国内最大の42兆円産業である医療分野を担う医学部を筆頭に、高度な先端技術を扱う理系分野では、研究はもちろん最低限の専門知識を涵養するためにもかなりの研究設備投資が必要な領域です。  それこそ富国強兵で頑張っていた戦前や、経済的混乱期の戦後すぐのタイミングならともかく、インターネットも含めた巨額の情報基盤、原子炉や素材研究、光学望遠鏡といった大規模な設備投資が必要な領域で、国立と私学がそれぞれバラバラに設備計画を立て研究を実施しているものの、担う学問領域はほぼ大差ないのに国立のほうが学費が安いってのはどういうことなのって話になります。  さらには、学務関係では特に、海外から一線で研究する准教授や教授レベルを招聘するための予算確保でも難渋することになります。平たく言えば、日本人研究者で世界で頑張れるだけの一線級開発を担う能力のある人が、アメリカやシンガポールの大学に倍以上の俸給で移籍することはザラに起きます。  逆に、海外の大学の人を日本へ講演に呼ぶとき、日本の大学などが提示するその金額では来られませんという話ですら起き得ます。  これらは国から出てくる大学への運営費交付金では大学が担う各分野の費用を賄い切れないから起きる問題ですが、国が丸抱えで高等教育をやるんだ、国の言うことを聞いていれば大学はそれでいいんだとはなりませんので、やはり各大学が地域や特徴に合わせた経営をしていかないといけません。島根県知事の丸山達也さんが出てきて伊藤公平君に対して「福沢諭吉が草葉の陰で泣いてる」的な揶揄をしてましたが、話は逆で、国や丸山さんはじめ自治官僚が戦前の教育制度を思考停止で漫然と続けてきているから日本の高等教育が荒廃して論文数も減り、島根で大学出ても地元に仕事がないから人口が流出する体たらくなんですよ。アンダスタン? 国立も私学も無関係に、ポスドクさんの待遇がヤバすぎる  文系では、特に著作権法や情報法、デジタル関連法などのトピックでは、国や大学からの研究費では現地渡航費も満足に出ないので、大学に籍を置いている教授・准教授や研究員などが特定の法人から受託する研究費を取り現地調査をやることが当たり前になっています。  国内で完結する学問領域ならば、2000万どころか数百万の研究費でも泣いて喜ぶレベルであって、研究の観点からすれば荒廃の一語に尽きます。  研究だけでなく、教育も学務も行わなければならない大学教員からすれば、自前の研究室を維持するためのアドミンさん(教授や研究室の雑務を担ってくれる人)やポスドク、博士課程の皆さんへの給金、謝礼にも事欠く事例が多くあります。一時期は研究するために大学に残っているポスドクさんの待遇がヤバすぎてどうにかならないか深刻に検討する大学も多くありました。これは国立も私学も無関係に大変なことです。 激安の講義料で教育と校務に忙殺される大学教員  伊藤君の提言の冒頭にある通り、大学も研究領域を担う一方で高付加価値な教育産業を担うポジションですから、少子化の影響はモロに受けます。子どもが減ったら、減った子どもの数に見合った大学の数や、大学生の総定員数にしなければならないのが本来です。しかしながら、大学教育においては自由化の文脈もあって新大学開校や新学部新設が一定のハードルを超えれば認めなければならない面もあり、最近ようやく新学部に関してはむつかしくなったものの微妙な大学ほど新しい学部を設置しないと死んじゃうということで申請ラッシュになるのもむべなるかなといったところです。  結果的に、どうしても入学してくれる大学生が足りないところは中国や東南アジアなどからの留学生で無理矢理穴埋めしようとし、それでも足りないので看護学科やデザイン学科など「即戦力」の外国人を入国させる受け皿になってしまっている面もあります。  日本は少子化なのに大学の定員が増えれば当然「大学全入時代」でも成り立たない大学が出て質の低い高等教育を行うことになりかねませんので、今後はいかに政策的に不要な大学を取り潰すかというところまで来ているように思います。  そういう経営の状態であるからには、大学教員の一部は研究に手が回らないぐらい教育と校務に忙殺されてこき使われ、足りない授業のコマはいずれ准教授ポストもというニンジンをぶら下げられた非常勤講師が激安の講義料で担当させられ、大学院生を量産しても研究費不足から論文数は増えず、ポストもないため大学に残れず経済的理由から就職を余儀なくされます。  まともな教員を揃えられない新設大学が、そのかなりの割合を何の学識を持つわけでもない「実務家教員」を並べているのはどういうことなんだって思うんですが、最近では、六大学として名を馳せる著名大学や東西私学の雄とされる大学ですら、招聘教授や特任教授に問題のある人物が並び、学識も論文もないのに世に出る前の子どもや学びに来た社会人を指導する側に回っている場合もあります。大丈夫なのかと心配になるわけですよ。 近年、AOや推薦で大学の門をたたく学生が増加  世の中そんなもんだ、不公平でもしょうがないんだよというのは諦観として私も持たざるを得ませんが、まともな研究ができる環境や予算が国内で失われて久しく、次世代を担える研究者が国公立も私立も少なくなってきています。  結局大学が国から取ってきたり産学連携窓口から降りてきたりする研究費では満足に研究室を回すことができないので、業界団体や特定企業に共同研究や研究委託をもらってくることになります。ただ、少なくとも校務に関わるものや、教育に直接費消される、本来大学が基礎的な財政力で担うべき経費のところは、やはりその主たる部分が通う大学生の授業料負担と寄付金で賄えないと厳しい、というのが本音でしょう。  これは、私学で言えば慶應や早稲田のようなトップ目よりも、GMARCHとその下あたりの総合大学で経営難の噂が出る核心がここなんじゃないかと思います。結果として、高齢化日本で42兆円という巨大市場である医療費にアクセスできる医学部を持ち、医学部附属病院を運営することで得られる利益で大学の経営を安定させたい、とみんな思うのも事実でしょう。  そして、最近では大学入学共通テストよりも総合型選抜、AOや推薦で大学の門をたたく学生が増えてきています。試験一発勝負で学生の資質を見抜けるわけではない、学問を修める意欲や未来への志向など人間性を判断して大学に入れたいというのが本旨ですが、実際には有力大学による青田買いに近い割に勉強を詰めて行い学ぶ習慣が乏しく、入学時点での学力が低いう��に卒業後も目立って活躍しているわけでもないデータも一部で初めて議論になってきています。  そもそも国立大学は一校しか受けられないのはなぜか、特定学科と小論文での入試で入ってくる学生の卒業時点での学力が不足している(ように見える)問題をどう解決するのか、AO入試は一定レベル以下の子どもを大学にかき集める手段になっているのではないかといった、いわゆる高大接続と、いま進めている初等中等教育における「資質・能力」とは具体的に何なのかという出口論に直結していきます。  さらには、貧しいが学問を修めたい意欲を持つ優秀な学生を、安い学費で学ばせる国立大学の仕組み自体がハックされ、いまでは東京大学や京都大学、国公立医学部への入試は専門塾や予備校の独壇場となり、そこの専門塾に入らないと入学しづらいが専門塾に行かせられる財力のある家庭の子どもが有利な時代になってしまいました。  一部の調査では、東京大学に入る子どもの家庭の年収は6割以上が950万円以上というデータも出ています。学費の安い国立大学へ入る受験戦争が高度化した結果、安い学費に依存しなくて良い高収入の家庭の子弟が増え、本来国公立大学が求めていた「いろんな都道府県出身の、多様な階級の子どもが国立大学で学ぶ」という多様性もすでに失われていると言えます。 大学に研究費を落とす“仕組み”を再考慮する必要がある  さらには、世界の中の日本で教育を観た場合、先にも述べた通り4年間の学部卒で充分な専門教育を受けたとは到底言えず、修士卒、博士卒の新卒が充分な初任給と待遇を持って迎えられるような仕組みにしていかないとなりません。  というのも、国立大学では特に、国が安い授業料で迎えた優秀な子どもたちが日本社会を担う職業ではなく外資系金融機関やコンサル会社に志望する割合が増えているからで、国でカネをかけて育てた優秀な日本人を外資にくれてやるミスマッチも起こしているのは一考するに値する議論と言えます。  優秀な新卒修士・博士諸君にとって日本企業(JTC)に魅力がないのは、市場価値��見合った金額で人材を採用するのではなく、自社の組織で各層従業員の不平不満が出ないような賃金テーブルを死守しようとするからに他なりません。  同じことは、年間生まれる子どもの数が70万人を切ろうかというところで、国公立医学部を志望する理系人材が日本では特に多いなか、いまなお医学部の定員が9000人以上いて、100人に1人以上医者にする社会が健全であるかは考えなければなりません。  優秀な医師・歯科医師など医療従事者は日本社会にとって必要なのは間違いありませんが、高齢者が増えるので医師が必要という状況で医師を増やしても、特に社会的に生産するわけではない高齢者が長生きさせるため医師が頑張ったところで国の富は増えないし、社会の生産性も上がらないのです。  2042年には団塊の世代が鬼籍に入り始め、高齢化問題がピークアウトした後に医師として本格化されても医者あまりの世の中になってしまうことは想定しておかなければなりません。  このような状況の中で、我が国の高等教育をどうするのかというのは大変重要な問題です。他方で、我が国の「大学行政」は民間の組織である学校法人・私立大学では当然統制も強制もなかなか効きませんから、本来であれば税金としての交付金や科研費のあり方だけでなく、政府が各民間に対して研究費を大学に落とさせるための仕組みもまた考え直す必要はあるでしょう。 「貧乏だから、国立に」というのは富国強兵のころの残滓  そして、授業料の問題は特に、学生一人ひとりの人生に関わるものですから、本来国公立が担ってきた貧困家庭でも優秀な子どもに門戸を開く仕組みを維持するのならば、やはり成績優秀者に対する特待制度(大幅な授業料減免)と給付型奨学金が必要になります。  場合によっては、AOなどの選抜型入試や学校推薦だけでの入学は控え、一発テストの点数も加味する方法で日本全国の多様な学生を公平に入学させられる仕組みを模索しなければならないかもしれません。あまり書きたくありませんが「君、どうやってうちの大学に入学してきたの」っていうレベルの学生は、残念ながらそのほぼすべてがAO入試で門をくぐってきた諸君であることは特筆しなければなりません。  しかし、本来であれば学振であれ奨学金であれ、大学とは別に篤志的な財団が運営することが主で、ここは大学固有の機能として優秀な学生の選抜には主体性を持って取り組むべきだと思うんですよ。「貧乏だから、国立に」というのは、それこそ富国強兵のころの残滓であって、国の方針で求める子どもを選抜していた時代の名残をいつまで引っ張るんだというのが本音です。  蛇足ながら、日本は初等中等教育は非常にうまくいっていて、国際的な学力比較であるPISAではゆとり教育の懸念をものともせず世界上位に入っているのは、紛れもなく日本の公教育の仕組みの良さとそれを支える過酷な教員教師の皆さま方の努力の賜物であることは間違いありません。 日本の大学を良くするためには…  であるにもかかわらず、日本は論文数が低迷し、世界的な大学ランキングでも上位に入らない理由は「大学に行ってもペイしないほど、多くの大学が乱立し、質の低い教育をし、スキルを得ることなく大卒になっている」誤謬の部分と、それとトレードオフになっている大学経営のまずさ、マネージメントの不在、ガバナンスの不良があると考えています。  いろんな大学の本部に呼ばれてコンプライアンスの話をする機会がありますが、専門の研究を続けてきた大学教授を輪番制で校務の責任者にした結果、研究者としては良いけど人間としてはアカン奴がコンプラ担当に就任してしまい、公私混同が横行して本人も学内もアカハラセクハラし放題の現場を見ると悲しくなります。これで卓越大学がどうだとか言ってるんだから笑っちゃうわけですよ。  学長選挙にしても、大手国立大学でパワハラの果てに居座り騒動を起こしたり、不正論文を指摘されてももみ消したりするような体たらくでマネージメントなんてできるはずもなく、やはりちゃんとしたKPIを立ててお金を外部から集め、しっかりと経営できる人を連れてこないと良くならないんじゃないかといつも思います。  そのように思っておりますので、私も国立大学に通う身として、また息子も国立に入れている親としても、慶應義塾の伊藤公平君の主張に惜しみない賛同の意を表するのであります。慶應義塾に於かれましては、出入りしている変な教員を一刻も早くつまみ出していただき、本来の意味で世界に通用する研究分野の充実と生涯教育の拠点として一層の奮励を期待しております。
《国立大学は貧困層のものなのか?》慶應義塾・伊藤公平君の「国立大学を学費3倍に」の波紋について | 文春オンライン
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virtualofficeoyakudachi · 6 days ago
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【見本付き】訂正印の正しい押し方|二重線の引き方から契約書の訂正方
近年バーチャルオフィスが普及し始め、簡単に企業ができるようになりました。契約書や公的書類など、重要な文書を作成する際に、書き間違いは誰にでも起こりうることです。そんな時、適切な方法で訂正しなければ、その書類自体の信頼性が損なわれたり、最悪の場合は法的な効力が認められなくなったりする可能性があります。特にビジネスシーンにおいては、訂正印の正しい押し方を知っているかどうかは、個人の信用、ひいては会社の信用にも関わる重要なビジネスマナーと言えるでしょう。修正テープや修正液で安易に消してしまうのは、重要な書類では絶対に避けなければならない行為です。なぜなら、「何をどのように訂正したのか」という履歴が不明瞭になり、後から改ざんを疑われる原因となるからです。この記事では、そうしたトラブルを未然に防ぐため、訂正印の基本的な押し方から、使用する印鑑の選び方、複数箇所を訂正する場合や契約書での特殊なケースまで、図解を交えながら徹底的に解説します。訂正印と混同されがちな「捨印」との違いや、そのリスクについても詳しく説明するため、この記事を読めば、もう訂正印の押し方で迷うことはありません。いざという時に慌てないよう、社会人として知っておくべき必須の知識を身につけましょう。
はじめに:訂正印とは?なぜ正しい押し方が重要なのか
訂正印は、書類上の誤記を訂正した際に、その訂正が正当な手続きによって行われたことを証明するために使用される印鑑のことを指します。単に間違いを修正するだけでなく、「誰が、いつ、どの部分を訂正したか」を明確にする役割を担っており、書類の作成者本人、あるいは契約の当事者全員がその訂正内容に合意していることを示す重要な証拠となります。もし訂正印がなければ、後から第三者が勝手に内容を書き換えたとしても、それを見分けることが困難になります。つまり、訂正印は書類の改ざんを防ぎ、その文書が持つ証拠能力や信頼性を維持するために不可欠な存在なのです。特に、金銭の貸し借りに関する契約書や、不動産取引の重要事項説明書、役所に提出する公的な申請書類など、法的な効力を持つ文書においては、訂正方法に厳格なルールが求められます。間違った方法で訂正してしまうと、その訂正箇所が無効と判断されたり、書類全体の有効性が問われたりする可能性があり、予期せぬトラブルや経済的な損失に繋がるリスクも少なくありません。だからこそ、正しい訂正印の押し方を理解し、実践することが極めて重要なのです。
訂正印は書類の信頼性を担保する重要な役割
訂正印が果たす最も重要な役割は、書類の「信頼性」と「証拠能力」を担保することにあります。ビジネスや行政手続きで交わされる書類は、その内容が正確であることを前提として扱われます。しかし、人間が作成する以上、誤記の可能性はゼロではありません。誤記が発見された際、その訂正が正当な権限を持つ者によって、適切な意図のもとで行われたことを客観的に証明する手段が訂正印なのです。例えば、契約金額を訂正する場合、訂正印が押されていれば、契約当事者双方がその金額変更に合意したことの証となります。逆に、訂正印がなければ、一方の当事者が勝手に金額を書き換えた可能性を否定できず、その契約は紛争の火種となりかねません。このように、訂正印は「訂正の正当性」を証明することで、第三者による不正な改ざんを抑止し、書類の完全性を守ります。結果として、その書類は取引や手続きの安全性を確保するための信頼できる証拠として機能し続けることができるのです。たかがハンコ一つと侮るのではなく、書類の命運を左右するほどの重要な役割を担っていると認識することが大切です。
間違った訂正は書類の無効やトラブルの原因に
訂正印の押し方を間違えたり、不適切な方法で訂正したりすると、その書類は法的に無効と判断されたり、深刻なトラブルを引き起こしたりする原因となります。最もやってはいけないのが、修正テープや修正液で元の文字を完全に消してしまうことです。これは、「何をどのように間違えたのか」という訂正の履歴を隠蔽する行為と見なされ、改ざんを疑われる最大の要因です。特に契約書などの重要書類でこれを行うと、相手方からの信頼を失うだけでなく、裁判になった際にその書類の証拠能力が著しく低下する可能性があります。また、訂正箇所にただ二重線を引いただけ、あるいは訂正印の押し忘れ、連名契約書での一部の人の押し忘れなども、訂正の意思表示が不完全であるとして、その訂T正が無効になることがあります。例えば、返済期日を訂正したつもりが無効と判断されれば、元の期日で返済義務が発生し、遅延損害金を請求されるといった事態も起こり得ます。このように、安易で不適切な訂正は、当事者間の認識のズレを生み、後々の紛争リスクを増大させる危険な行為なのです。正しい知識に基づいた慎重な対応が求められます。
この記事でわかること
これから書類の訂正を行う方が抱えるであろう様々な疑問や不安を解消するため、この記事では訂正印に関するあらゆる情報を網羅的に解説します。最後までお読みいただくことで、あなたは以下の知識を確実に身につけることができます。まず、最も基本的な「訂正印の正しい押し方」を、二重線の引き方から捺印、文字数の記載まで、具体的な4つのステップに分けて図解付きで理解できます。次に、どんな印鑑を使えば良いのか、シャチハタがなぜNGなのかといった「訂正印として適切な印鑑の種類」が明確になります。さらに、複数箇所を訂正する場合や、金額を訂正するときの注意点といった「ケース別の応用的な訂正方法」もマスターできます。また、ビジネスシーンでよく混同される「捨印」と訂正印の根本的な違いや、捨印に伴うリスクについても詳しく解説するため、不利益を被ることを未然に防げます。最後に、契約書、履歴書、公文書といった「書類別の注意点」も紹介するので、あらゆる場面で自信を持って対応できるようになるでしょう。この記事一本で、訂正印に関するあなたの「知りたい」がすべて解決します。
【図解】訂正印の正しい押し方|基本の4ステップ
訂正印の押し方には、社会的に広く認知された基本的なルールが存在します。これからご紹介する4つのステップは、どのような種類の書類であっても通用する、訂正の「型」とも言えるものです。この手順を正確に踏むことで、誰が見ても「いつ、誰が、どこを、どのように訂正したか」が一目瞭然となり、訂正の正当性と透明性を確保することができます。自己流の曖昧な方法で訂正するのではなく、この確立された手順に従うことが、書類の信頼性を守り、後々のトラブルを避けるための最も確実な道筋です。特に、契約書や公文書といった重要度の高い書類を扱う際には、この基本ステップを一つひとつ丁寧に行うことが、ビジネスマナーであり、自らの信頼を守る行為にも繋がります。ここでは、それぞれのステップが持つ意味を理解しながら、具体的な方法を学んでいきましょう。この4ステップをマスターすれば、今後いかなる書類の訂正においても、自信を持って対応できるようになるはずです。
ステップ1:訂正したい箇所に「二重線」を引く
書類の訂正における最初のステップは、間違えた文字や文章の上に、明確な「二重線」を引くことです。この時、ただ線を引けば良いというわけではなく、いくつかの重要なポイントがあります。まず、なぜ一本線や黒塗りではなく「二重線」なのでしょうか。その理由は、訂正前の元の文字が判読できる状態を保つためです。これにより、「何を」「何に」訂正したのかというプロセスが透明化され、不当な改ざんではないことを証明できます。もし元の文字を完全に消してしまうと、後から「都合の悪い文言を隠したのではないか」と疑われる余地を与えてしまいます。また、この二重線はフリーハンドで引くのではなく、必ず定規を使い、まっすぐ丁寧に引くことがビジネスマナーとされています。曲がった線や乱雑な線は、書類全体の品位を損ない、作成者の注意力が散漫であるという印象を与えかねません。書類の訂正は、単なる修正作業ではなく、その書類に対する誠実な姿勢を示す行為でもあるのです。したがって、訂正の第一歩として、定規を用いて正確な二重線を引くことから始めましょう。
二重線は定規を使ってまっすぐ引くのがマナー
訂正箇所に二重線を引く際、定規を使用することは、単に線をきれいに見せる以上の重要な意味を持つビジネスマナーです。フリーハンドで引かれた揺らいだ線は、たとえ訂正内容が正しくとも、相手方に「雑な仕事をする人だ」「この書類を軽んじているのではないか」といったネガティブな印象を与えてしまう可能性があります。特に、取引先と交わす契約書や、顧客に提出する見積書など、会社の信用を背負う書類においては、細部までの配慮が全体の信頼性を左右します。定規を使って引かれたまっすぐで美しい二重線は、訂正という行為自体に真摯に向き合っている証拠となり、丁寧で信頼できる人物であるという評価に繋がります。文書の訂正は、誤りを認めた上で、それを正式な手続きに則って修正するという、責任ある行動です。その第一歩である二重線を丁寧に引くことは、その後の手続き全体の信頼性を高めるための基礎となります。些細なことと感じるかもしれませんが、このような細部へのこだわりが、ビジネスにおける信頼関係を構築する上で非常に重要な要素となるのです。
元の文字が読めるように引くことがポイント
訂正の際に引く二重線は、元の文字を完全に隠蔽するものではなく、あくまで「この部分が訂正対象である」と示すためのものです。したがって、最も重要なポイントは、二重線を引いた後でも、その下にある元の文字が明確に読み取れる状態を維持することです。もし、線を何重にも引いたり、ボールペンで黒く塗りつぶしたりしてしまうと、訂正前の情報が失われてしまいます。これは、訂正プロセスの「透明性」を著しく損なう行為です。後日、その書類を確認した第三者(例えば、監査役や裁判官など)は、「なぜ元の文字を隠す必要があったのか?」という疑念を抱く可能性があります。それは、単なる誤記の訂正ではなく、何か不都合な事実を隠蔽するための改ざんではないかと疑われるリスクを生じさせます。正しい訂正とは、間違いを認め、その上でどのように修正したのかという履歴を明確に残すことです。元の文字が読める状態で二重線を引くことは、その訂正にやましい点がないことを無言のうちに証明し、書類の証拠能力を維持するための大原則なのです。
ステップ2:正しい内容を二重線の上または近くに「追記」する
二重線を引いて訂正対象を明確にしたら、次のステップとして、その近くに正しい文字や文章を「追記」します。この追記は、訂正後の正式な内容となるため、誰が見ても正確に読み取れるように、はっきりと丁寧に記入することが極めて重要です。一般的には、二重線を引いた箇所の真上や真下のスペースに記入しますが、もし十分な余白がない場合は、訂正箇所のすぐ横に記入しても構いません。ここで注意すべきは、文字が小さすぎたり、他の文字と重なってしまったりして、判読が困難にならないようにすることです。走り書きや崩し字は避け、できるだけ楷書体で、一文字一文字を丁寧に書きましょう。もし行間が詰まっていて、訂正箇所の上や下にどうしても記入スペースが確保できない場合は、無理に詰め込まずに「引き出し線(引出線)」を用いる方法もあります。訂正箇所から線を引いて、書類の余白部分に正しい内容を記入することで、見やすさを損なわずに訂正することが可能です。いずれの方法を取るにせよ、訂正後の情報が誤解なく伝わることが最優先であると心得ましょう。
文字が潰れないよう、読みやすく丁寧に記入する
訂正のプロセスにおいて、正しい内容を追記する際の丁寧さは、書類の信頼性を保つ上で決定的な要素となります。訂正の最終目的は、誤った情報を正し、正確な内容を関係者全員が共有することにあります。そのため、追記した文字が小さすぎて潰れていたり、急いで書いたために判読が困難だったりすると、訂正そのものの意味が失われてしまいます。せっかく正しい手続きを踏んで訂正しようとしても、その内容が読み取れなければ、新たな誤解や混乱を生む原因となりかねません。特に、数字や固有名詞、契約の根幹に関わる重要なキーワードなどを訂正する際には、細心の注意が必要です。誰が見ても一目で正確に認識できるよう、普段以上に意識して、はっきりとした楷書体で記入することを心がけましょう。小さなスペースに無理やり書き込むのではなく、必要であれば少し大きめの文字で、文字と文字の間隔にもゆとりを持たせることが大切です。この丁寧な一手間が、あなたの誠実な姿勢を相手に伝え、訂正された書類の信頼性を確固たるものにするのです。
記入スペースがない場合は引き出し線を使っても良い
書類のフォーマットによっては、行間が非常に狭かったり、文字が密集していたりして、訂正箇所の上や下に正しい内容を追記するための十分なスペースがない場合があります。このような状況で無理に文字を詰め込もうとすると、かえって判読しにくくなり、訂正の意図が正しく伝わらないリスクがあります。そうした場合に有効なのが、「引き出し線(引出線)」を活用する方法です。具体的には、まず通常通り訂正箇所に二重線を引き、そこから書類の上下左右にある十分な余白スペースに向かって、定規を使ってまっすぐな線を引きます。そして、その線の先に、正しい内容をはっきりと丁寧に記入します。この方法を用いることで、訂正箇所と訂正内容の関連性を明確に示しつつ、読みやすさを一切損なうことなく、スマートに訂正を完了させることができます。引き出し線を使うことは、イレギュラーな対応ではなく、正式に認められている訂正手法の一つです。スペースがないからといって諦めたり、雑な訂正をしたりするのではなく、このようなテクニックを知っておくことで、どんなフォーマットの書類にも適切に対応できるようになります。
ステップ3:訂正箇所に「捺印」する
訂正のプロセスにおける核心部分とも言えるのが、この「捺印」です。訂正箇所への捺印は、「この訂正は、書類に署名捺印した正当な権限を持つ人物(または当事者全員)が、責任を持って行いました」という意思を明確に表明する行為です。この印影があることで、その訂正は単なる書き損じではなく、正式な手続きを経たものであることが証明されます。捺印する場所は、引いた二重線と、その近くに追記した新しい文字の両方にまたがるように押すのが最も一般的です。これにより、「元の文字を消し、新しい文字を加えた」という一連の訂正行為全体を、一つの印鑑で承認したことになります。特に重要なのが、契約書のように複数の当事者(例えば、甲と乙)がいる書類の場合です。この場合、訂正箇所には、必ず当事者全員の印鑑(甲と乙の両方)を押さなければなりません。もし一方の印鑑しか押されていなければ、それは当事者全員の合意を得た訂正とは見なされず、法的な効力が認められない可能性があります。捺印は、訂正を完成させるための、最も重要な最終確認行為なのです。
二重線と追記した文字の両方にかかるように押すのが基本
訂正印を押す際、その位置は非常に重要です。最も適切とされるのは、訂正のために引いた「二重線」と、その訂正内容として「追記した文字」の両方に、印影がはっきりとまたがるように捺印することです。なぜこのような押し方が求められるのでしょうか。それは、訂正行為の全体性、つまり「何を削除し、何を追加したか」という一連の作業を、一つの捺印で包括的に証明するためです。もし二重線の上にだけ押してしまったり、追記した文字の横にだけ押してしまったりすると、後から悪意のある第三者によって、追記部分だけをさらに書き換えられるといった改ざんのリスクが残ります。しかし、二重線と追記文字の両方に印影がかかっていれば、その訂正箇所は一体のものとして固定され、部分的な改ざんが極めて困難になります。この押し方は、訂正の事実を確定させ、その完全性を保護するための、論理的かつ効果的な方法なのです。印鑑を押す際には、ただ押すのではなく、この「またがって押す」という原則を常に意識することで、書類の安全性を格段に高めることができます。
複数人が署名している場合の押印方法(全員の訂正印が必要)
売買契約書や業務委託契約書など、二者以上の当事者が署名・捺印して成立する「連名書類」の訂正には、最大限の注意が必要です。このような書類で訂正を行う場合、原則として、その訂正箇所には契約当事者「全員」の訂正印が必要となります。例えば、A社とB社の間で結ばれた契約書に誤記があった場合、A社の担当者だけが訂正印を押しても、その訂正は法的に有効とは認められません。なぜなら、契約は当事者双方の合意によって成立するものであり、その内容の変更(訂正)にも、当然ながら双方の合意が必要だからです。そして、その「合意の証」となるのが、当事者全員の訂正印なのです。誰か一人でも訂正印を押し忘れてしまうと、その訂正は一方的な変更と見なされ、後日「そのような訂正には同意していない」と主張される可能性があります。これは、契約の安定性を著しく揺るがす深刻な事態に繋がりかねません。したがって、連名書類を訂正する際には、必ず関係者全員に訂正内容を共有し、各自の訂正印をもれなく捺印してもらうという手続きを徹底することが不可欠です。
ステップ4:欄外に「訂正内容」を記載する
訂正印を押して完了、と安心するのはまだ早いです。訂正の正確性と安全性を万全にするための最後の仕上げが、書類の欄外(余白部分)に「訂正内容」を具体的に記載することです。これは、そのページで「何文字削除し、何文字追加したか」という事実を明記することで、将来的な改ざんを完全に防止するための非常に重要なステップです。例えば、「東京都」を「大阪府」に訂正した場合、欄外に「削除三字、加入三字」といったように記載します。この記載があることで、後から誰かが勝手に文字を付け加えたり、さらに別の言葉に書き換えたりすることができなくなります。つまり、訂正箇所だけでなく、訂正の「規模」までを確定させることで、書類の完全性を二重にロックする役割を果たします。この記載は、法律で厳密に義務付けられているわけではありませんが、特に不動産登記や商業登記など、公的な手続きで用いられる書類においては、慣習として必須とされることがほとんどです。重要な契約書などにおいても、この一手間を加えることが、より高いレベルの信頼性を確保することに繋がります。
記入例:「削除◯字、加入△字」
書類の欄外に訂正内容を記載する際の書き方には、一般的に用いられる定型句があります。これを覚えておけば、どのような場面でも迷わず対応できます。基本形は、「削除◯字、加入△字」という形式です。ここで使用する数字は、算用数字(1, 2, 3…)でも問題ありませんが、より丁寧で改ざんしにくいとされる漢数字(壱、弐、参…)を用いるのが望ましいとされています。例えば、誤った「商品A」という3文字を消して、正しい「商品B」という3文字を追記した場合は、欄外に「削除参字、加入参字」と記載します。もし、単に不要な文字を削除しただけであれば「削除参字」のみを、逆に文字を付け加えただけであれば「加入参字」のみを記載します。また、これらの文言は、訂正箇所の上部の余白に記載することが多いですが、下部や横の余白でも構いません。この欄外の記載と、訂正箇所本体の訂正印がセットになることで、訂正の正当性がより強固に証明されるのです。
なぜ文字数の記載が必要?改ざんを防ぐため
訂正の際に、わざわざ欄外に「削除◯字、加入△字」といった文字数を記載する最大の理由は、悪意のある第三者による「追記型の改ざん」を徹底的に防ぐためです。考えてみてください。もし、訂正箇所に二重線と訂正印があるだけで、文字数の記載がなかったらどうなるでしょうか。例えば、あなたが「100万円」を「150万円」に訂正したとします。この時、欄外の記載がなければ、誰かが後から「150万円を貸与し、さらに金利10%を加える」といった文言を、訂正箇所の近くにこっそり書き足すかもしれません。しかし、欄外に「加入壱字」と明記してあれば、そのような不正ができない。このように、文字数を確定させることで、訂正箇所の完全性を担保する役割があることを詳しく解説する。このように、文字数を特定し明記することは、訂正の範囲を確定させ、それ以外の部分が変更されていないことを保証する「封印」のような役割を果たします。この一手間が、あなたの権利と財産を、予期せぬ改ざんのリスクから守るための強力な防御策となるのです。
【重要】訂正印に使える印鑑・使えない印鑑
訂正印の押し方と同じくらい重要なのが、「どの印鑑を訂正印として使用するか」という問題です。どんな印鑑でも良いというわけではなく、書類の種類や性質によって、使用すべき印鑑、使用が認められない印鑑��明確に区別されています。もし不適切な印鑑を使用して訂正してしまうと、その訂正行為自体が無効と見なされ、書類の信頼性を損なうことになりかねません。特に、インク浸透印であるシャチハタの使用可否は、多くの人が迷うポイントですが、原則として公的な書類や重要な契約書での使用は認められていません。なぜなら、訂正印には、その訂正が「本人によって行われた」ことを証明する、身分証明書のような役割が求められるからです。ここでは、訂正印として最も適切とされる印鑑の原則から、シャチハタがなぜNGなのかという理由、そして訂正専用の小さな印鑑(簿記印)の正しい使い分けまで、詳しく解説していきます。この知識を身につけることで、あなたは場面に応じて最適な印鑑を選択し、訂正の有効性を確実なものにすることができるようになります。
原則は「書類に署名捺印したものと同じ印鑑」を使用する
訂正印を選ぶ際の最も基本的かつ重要な大原則は、「その書類に署名・捺印した際に使用した印鑑と、全く同じ印鑑を使用する」ということです。例えば、個人の場合は、契約書に実印を押したのであれば、訂正にも同じ実印を使用します。認印で契約したのであれば、訂正にもその認印を使います。法人の場合も同様で、契約書に代表者印(会社実印)を押したのであれば、訂正にも必ず同じ代表者印を使用しなければなりません。なぜこの原則がそれほど重要なのでしょうか。それは、書類の署名者と訂正者が同一人物であることを明確に証明するためです。もし署名印と訂正印が異なると、第三者が見たときに「本当に本人が訂正したのだろうか?別の誰かが違う印鑑で勝手に訂正したのではないか?」という疑念が生じる余地を与えてしまいます。契約の当事者が、自らの意思で内容を訂正したという事実を揺るぎないものにするために、署名印と訂正印を一致させることは、書類の整合性と信頼性を保つ上での絶対的なルールなのです。訂正の際には、まず「この書類にどの印鑑を押したか」を確認することから始めましょう。
なぜNG?シャチハタ(インク浸透印)が訂正印に使えない理由
多くの人が日常的に使用しているシャチハタ(インク浸透印)は、手軽で便利な反面、訂正印として、特に重要な書類に使用することは原則として認められていません。その理由は主に二つあります。第一の理由は、「印影が変形しやすい」という性質です。シャチハタの印面はゴム製であるため、押印時の力加減や経年劣化によって印影が微妙に変形したり、摩耗したりする可能性があります。正式な印鑑に求められる「恒久性」や「不変性」に欠けるため、長期的に証拠能力を維持する必要がある書類には不向きなのです。第二の、そしてより決定的な理由は、「同じ印鑑が大量生産されている」という点です。シャチハタは同じ苗字のものが工業製品として大量に作られており、容易に入手できてしまいます。そのため、本人のみが所有する唯一無二のものであるという「本人証明性」が極めて低く、悪用されるリスクが高いと判断されます。公的な手続きや法的な契約において、その行為が間違いなく本人によるものであることを証明する必要がある場面では、こうした大量生産品のシャチハタではなく、個別に作られた印鑑(認印、銀行印、実印など)の使用が不可欠となるのです。
訂正印専用の小さな印鑑(簿記印)はいつ使う?
文房具店などで、「訂正印」という名称で販売されている、6mm程度の非常に小さなサイズの印鑑を見かけることがあります。これは一般的に「簿記印」とも呼ばれ、その名の通り、主に会社の経理部門などで、帳簿や伝票といった内部書類の訂正に使われることを想定したものです。帳簿のように記入欄が狭く、細かい修正が頻繁に発生する書類において、通常の認印サイズでは訂正印が大きすぎて邪魔になってしまうため、このような小さなサイズの印鑑が重宝されます。しかし、この訂正印(簿記印)の使用は、あくまで限定的な場面に限られるということを理解しておく必要があります。社内ルールで認められている帳簿や伝票、回覧書類などの訂正には使用できますが、社外の取引先と交わす契約書や、役所に提出する公文書、銀行への提出書類といった、法的な効力を持つ重要な文書の訂正に、この小さな訂正印を使用することは絶対に避けるべきです。これらの重要書類では、前述の原則通り、署名・捺印に使用したのと同じ印鑑(認印や実印、代表者印)で訂正するのが鉄則です。
訂正印がない場合の対処法
外出先で急に書類の訂正が必要になった場合など、訂正に使うべき印鑑を手元に持っていないという状況も考えられます。このような緊急時、どのように対処すれば良いのでしょうか。まず、最も確実な方法は、印鑑が手元に戻るまで待つか、書類を持ち帰り、後で正規の印鑑を使って訂正することです。安易な代用はトラブルの元となります。もし、どうしてもその場で対応しなければならない場合、一つの方法として、訂正箇所に印鑑の代わりに自筆で署名(サイン)するという方法があります。二重線を引いて正しい内容を追記し、その横にフルネームで署名することで、誰が訂正したかを明らかにします。ただし、この方法は印鑑による訂正と比べて証拠能力が劣ると見なされることが多く、書類の種類や提出先によっては認められない場合もあるため注意が必要です。法人の場合、代表者印がないからといって担当者の認印で代用することは、原則としてできません。結論として、訂正印がない場合の最善の対処法は「安易な代用をせず、正規の印鑑で後から訂正する」ことであり、代替手段はあくまで最終手段と心得るべきです。
訂正印の押し方に関するよくある質問
ここまで訂正印の押し方について詳しく解説してきましたが、実際の運用においては、さらに細かい疑問や、想定外の事態に直面することもあるでしょう。例えば、慎重に押したつもりの訂正印が、滲んだり欠けたりして失敗してしまったらどうすれば良いのでしょうか。あるいは、書類全体に訂正箇所が多すぎて、もはや訂正印で対応できるレベルではない場合はどうすべきでしょうか。また、手軽な修正テープや修正液は、本当にいかなる場合も使ってはいけないのでしょうか。ここでは、そうした実践的な場面で多くの人が抱くであろう「よくある質問」をQ&A形式で取り上げ、それぞれの疑問に対して明確な答えを示していきます。これらの知識は、いざという時にあなたを助け、よりスムーズで確実な問題解決を可能にするはずです。
Q. 訂正印を押し間違えてしまいました。どうすればいいですか?
A. 訂正印の捺印に失敗してしまった場合、例えば、印影が滲んでしまったり、上下逆さまに押してしまったり、あるいは全く違う場所に押してしまったりというケースが考えられます。このような場合、慌てて失敗した印影を黒く塗りつぶしたり、修正液で消したりしてはいけません。正しい対処法は、まず、失敗した印鑑のすぐ隣に、もう一度、今度は正しく印鑑を捺印することです。そして、失敗した方の印影に、明確に二重線を引いて、その印影が無効であることを示します。これにより、「この滲んだ印影は間違いであり、隣のきれいな印影が正しい訂正印です」という意思表示をすることができます。この方法であれば、訂正のプロセスが透明に保たれ、後から見ても何が起こったのかを正確に理解することができます。重要なのは、失敗を隠そうとせず、失敗した事実も含めて、正しい手続きに則って処理するということです。この誠実な対応が、書類の信頼性を維持することに繋がります。
Q. 訂正箇所が多くて、きれいに訂正できません。
A. 一つの書類に訂正箇所が1つや2つではなく、10箇所以上あるなど、訂正が全体に及んでしまう場合があります。このような書類に、全ての箇所で訂正印による修正を施すと、書類全体が二重線と印鑑だらけになり、非常に見づらく、何が正しい情報なのか判読が困難になってしまいます。また、それだけ多くの訂正がある書類は、相手方に「内容を十分に確認せずに作成したのではないか」という不信感を与え、書類そのものの信頼性が根本から揺らいでしまいます。このような場合は、もはや小手先の訂正で対応するべきではありません。最善かつ唯一の解決策は、その書類を一度破棄し、完全に新しい用紙に、正しい内容で一から作り直すことです。契約書であれば、改めて製本し、再度当事者全員の署名・捺印をもらう手続きが必要になります。手間と時間はかかりますが、信頼性の低い書類を無理に使うよりも、完璧な状態の書類を準備し直すことが、結果的に将来のトラブルを未然に防ぎ、当事者間の良好な関係を維持するために最も賢明な判断と言えるでしょう。
Q. 訂正印ではなく、修正テープや修正液を使ってもいいですか?
A. 結論から言うと、契約書、公文書、会社の経理書類といった、証拠能力が求められる一切のビジネス文書において、修正テープや修正液の使用は絶対に認められません。なぜなら、これらの道具は元の文字を完全に覆い隠してしまうため、「何をどのように訂正したのか」という訂正の履歴が全く分からなくなってしまうから���す。これは、訂正ではなく「隠蔽」や「改ざん」と見なされても仕方のない行為です。修正テープや修正液の上から文字を書くことは可能ですが、剥がれてしまったり、時間が経つと変色したりする可能性もあり、情報の恒久的な保存という観点からも不適切です。また、誰でも簡単に行える修正であるため、本人が修正したという証明もできません。これらの道具の使用が許されるのは、あくまで個人的なメモや、社内のごく私的な回覧物など、証拠能力が一切問われない文書に限られます。ビジネスシーンや法的な手続きにおいては、修正テープや修正液は法的に無力であると心に刻み、必ず訂正印を用いた正式な手続きを踏むようにしてください。
Q. 海外の契約書でも訂正印は使えますか?
A. 海外、特に欧米諸国との間で交わされる英文契約書などにおいては、日本の「訂正印」という文化は存在しません。欧米では、印鑑(Seal)よりも本人の直筆署名(サイン)が最も重要視される文化が根付いています。そのため、英文契約書で訂正が必要になった場合の一般的な作法は、訂正箇所に二重線を引き、その近くに正しい内容を追記し、さらにその箇所の欄外(margin)に、契約当事者全員が「イニシャルサイン」を記入するという方法が取られます。フルネームのサインではなく、名前と苗字の頭文字などを簡略化したイニシャルサインを書き込むことで、「この訂正に全員が合意しています」という意思表示を行います。日本の訂正印の代わりに、当事者全員のイニシャルサインがその役割を果たすわけです。したがって、海外企業との契約で訂正が必要になった際に、日本の常識で訂正印を押してしまうと、相手方を混乱させるだけで、法的な訂正の効力が認められない可能性があります。国際契約においては、印鑑文化の違いを理解し、サインによる訂正というグローバルスタンダードな方法に従うことが不可欠です。
最後に
この記事では、訂正印の正しい押し方の基本ステップから、使用する印鑑の選び方、ケース別の応用方法、そして関連する印鑑との違いまで、幅広く掘り下げて解説してきました。訂正印は、単なる間違いを修正するための道具ではありません。それは、書類の訂正という行為に、作成者としての責任と誠意を込め、その書類の信頼性と法的効力を維持するための、極めて重要な手続きです。正しい知識を持たずに安易な修正を行えば、意図せずして書類の価値を損ない、将来的なトラブルの火種を生んでしまうことにもなりかねません。逆に、今回学ん��知識を身につけ、どのような場面でも自信を持って、スマートかつ正確に訂正対応ができるようになれば、あなたのビジネスパーソンとしての信頼は大きく向上するでしょう。書類の訂正は、ミスをリカバリーする機会であると同時に、あなたの丁寧さや誠実さを示すチャンスでもあります。この記事で得た知識をぜひ実践の場で活かし、円滑で安全な文書管理にお役立てください。
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shigerunakano · 9 days ago
Text
Stinco -スティンコ- (2)
車窓の外の風景は摩天楼の存在と、秋の訪れを告げていた。車を走らせていれば、様々な視覚的アスペクトが展開されていく。しかしドライバーを除く搭乗者にとっては液晶画面に映る色の配置とそう変わらない。そのような穏やかなドライブへの理解が私に、車窓の風景を子どもの頃見た、SFアニメのタイムスリップした先にある未来都市への理解とオーバーラップさせ小気味よくなる。100年前の人々からすれば、今の東京は充分未来都市と言えるものだろう。しかし今、私が走る環状線やその前にあるビル群や工業施設、マンション、アパートのような中高層建築以上の建物の群れは、実は50年前とさして変わらない風景なのだとかつて仕事の関係者にしつこく聞かされ続けてきたことだった。東京に詳しくならないとまともな記者にはなれないんだぞと。銀色のトヨタ プリウス。最新のバージョンだった。今は取材が終わり出版社に帰るところ。深夜から朝9時ぐらいまで降り続いた雨は止み、午後1時すぎの現在の東京は見事に晴れ渡っている。今日は排気ガスによる大気汚染など微塵も感じなかった。
紀尾井町にある東莖春集(とうけいしゅんしゅう)社の敷地内にある小学校のグラウンドの半分はあろうかという、都心にしてはかなり広い駐車場にプリウスを駐めて会社の中に入る。ガラス張り地上8階地下1階建ての黒いビルで、非常にどっしりとした印象を受ける。日本で最も権威のある文芸賞を複数主催する出版社ならではの自負に満ちた、威厳と、巌窟のような屈強さであった。
エントランスから会社に入ると、少し先に受付があり係員が横並びに3人、座している。それを横目に通り過ぎ、セキュリティーシステムが併設された両開きの自動ドアへと向かう。今日は受付の者と話さなかったが、客人を連れているような特殊な場合は声をかける必要がある。セキュリティーシステムに社員証をかざし自動ドアを開いた。そのまま向かい合った4つのエレベーターのうち手前右側のものに乗る。週刊誌の編集部署である5階で降り、自分のデスクに向かう。このような工程を経ないと、週刊誌の記者として存在しえないというのは、38歳になろうかという今の自分でさえ信じられない。我々は普段から雑誌を読むだけで雑誌の内側になった、内側に迎え入れられたような気がするものだ。それは雑誌の魅力もあるだろうが、なによりも編集部の情報処理業務の賜物なのだ。自分のような出版業界の者たちが世の中のことを調べ尽くしているからこその操作性とインタラクションが断固としてあり、息子がやっているNintenhoのようなゲーム機ははじめからこの世界にいらないのでは、とさえ思えてくるのは傲慢さによるものか、それとも活字に慣れすぎた自分の脳みそが誤作動を起こしたがゆえの錯覚なのだろうか。
自分のデスクに着き30分ほど経ってから、今日の取材の内容をゆるりとまとめようとしていたところだった。ようは仕事をするふりをしていた。すると同じ編集部の後輩、与川が話しかけてきた。
「佐藤さん。今日の記者クラブ、代理で佐藤さんに行ってほしいって編集長が」与川は私より一回り下の女性で、今年27になるのだったか……。とても容姿端麗であり、地味な印象を与える、大人しく小さな声で話す人だ。しかし主張しない立ち振舞が日本的美女のイメージに彼女を近づかせていた。ある程度計算しているのだ。私の職種には多いタイプだ。
「うん、分かった。何時?」
「4時半です」
「分かった。行けるって言っといて」私は即答する。
私は手元の腕時計を眺める。今は午後2時15分なので、すぐに向かうべきだろうか……。それともコーヒー1杯は飲めるか……。
日本記者クラブの会見会場のすぐ手前の長椅子に座りながら、腕時計を眺める。いわゆるソファーに含まれるものではなく、パイプが剥き出しの簡素でミニマルな椅子である。結局すぐに会社を出てここに向かった。時間にはかなり余裕があるがぞろぞろと人が入っていく。日本記者クラブの会見会場はただの囲み取材を目的としたものではなく、我々記者たちにとっての情報共有の場であり、そのためだけに人材を送る会合の場でもある。そして会見を行う人物のタレコミが特定の会社にだけこっそり行われたりするといういわば取材にとって不可欠な生命線であり、自分がスカウトを行い今度は逆に自分がスカウトを行われるという終わらない朝ドラの撮影のような場所だと思っていた。他の職業では絶対に味わえないやりがいがある。きっと俳優や女優でさえこのような特権は享受できないだろう。しかしそれらはあくまでもとくダネという知識のみに関わる領域のために発生したシステムなのだ。記者たちはここに食べ物を獲得しに来ているわけではなかった。
スマートフォンをじっと眺めていると、同業他社の男性がこちらに歩いてくるのが見えた。3メートルほど先の光景。私は立ち上がる。この人とは1、2年前に知り合った。同世代のマスキュリンな雰囲気と出で立ちの色黒で、東北出身だった。
「あぁ、どうも」私は先に声をかけた。まるで戦闘機のパイロットのようだ。
「はい。今回の会見はあのスクープと陳謝のあとだから世間的にもダレますよね」
「まぁ、企業的にも人前に出しとけばいいだろうということなんでしょう。まぁ、見せしめですよ」
「うぅん……」目の前の同業他社が感慨深そうに首をかしげる。あえておじいちゃんっぽく振る舞っているという様子。これに安心する人も多い。
「あ、そうそう。こちらはうちの編集部の���木です。ご挨拶させたくて」
男の横に立っていたのは鈴木と紹介された30代ぐらいのロングヘアの女性だった。かなり小柄のようだがそうでもないのか。さして太っているわけではなく、ぽっちゃりした体型という印象では決してなかった。私は女性がいると思ってあえて目を逸らしていた。
「はじめまして。鈴木です。佐藤さんのことは記事で見て伺っておりました。非常にパワフルで、人の心を動かす筆で、すごいと思います」
目の前に差し出された名刺を受け取り、自分の名刺を財布から取り出す。名刺入れは持ち歩いていなかった。「佐藤四郎」と明朝体で書かれたかなりシンプルな名刺だ。名刺に関してはどんどんシンプルになる傾向がある。我ながら貧相な名刺だと感じる。相手から手渡された名刺も断然シンプルかつ質素なもので、まるで平安時代の儀式のようだ。きっと大人になるというのはこういうことなんだろうと思う。たぶん、ここには紙と人体だけがあるのではないか。
2人は別れの挨拶もせずに去っていった。このような形式主義とフレキシブルさが両立する奇妙な雰囲気と様相は、入ってみないと分からないだろう。やたら几帳面だが、肝心なところはがさつなのだ。たしかにこれは芸能界に近いようだ。
品川にある自宅に帰り、リビングダイニングに入ると、妻が皿に晩飯を盛りつけていた。冷蔵庫から発泡酒を取り出し一口飲む。そしてそれをテーブルの上に置き、自分の書斎に荷物を置きに行く。
リビングダイニングに戻って食事にとりかかる。麻婆豆腐とスーパーの惣菜のイカフライ、サラダだ。イカフライはかなり量が多いようで、大きなトレーに20個以上乗っている。いやもっとか……。おかずとしては申し分なく、ご飯が進むので自然と自分の書斎に意識が向かう。食事が終わるとそこに向かい作業を行う習慣があった。
「今日雑誌見てたらねぇ、今季ジーンズが流行るって言ってて、2015年ぐらいを思い出したわ。その頃、私、超ギャルだったからね��デニムオンデニムっていうのが流行ってたわぁ。2015年ってもう15年前だからね」
「あぁ、そうなの。ちょっと分からないな。俺ファッションもともと関心ないから」
「え、私のナイスバディーを見ろよ」
「いや、その頃知り合ってないし。ノームコアっていうのがなかったけぇ。あれはどうなったの」
「ノームコアは自然に消滅したんだよ。単純なものは消える運命にあるんだよ」
「え、そうなの本当に。違うよね」
「知らん」
そろそろ自分の書斎に行こうかと思い、発泡酒を持って腰を上げる。今日は比較的早いので作業が進みそうだった。自宅への郵便は無視することにした。
午後3時20分。今日も日本記者クラブで1日の半分を過ごしたことになる。1週間の半分、いや三分の二を日本記者クラブで過ごすことも決して珍しくはないからだ。しかし、ここ3ヶ月はそれほど日本記者クラブに席を用意してもらっていないと言えるだろう。週1度あるかないかほどだ。「あなたはいつも遅刻するんだから。早めに行動しなくちゃだめでしょ」といつも母に言われた。それはアブラカタブラだ。母の言葉は呪の呪文である。きっと誰にとってもそうだろう。
AI規制法を受けてのリーディングカンパニーによるアジェンダおよび勧告、という趣の1時間強の濃厚かつ迫力のある会見だった。3人の役員による会見だが、主に喋ったのはひとりの爽やかな印象の見た目の真ん中の中年男性だった。ジム通いか何かだろうか、やけに筋骨隆々に見えた。後で映像を見ればはっきりするだろうが。このような企業はすでにリーディングカンパニーというよりも寡頭政治の実力者と呼ぶべき政治性を示しつつある。もちろんそれでは企業の独立が毀損されてしまうのではあるが、しかしすさまじい迫力だった。私と会話しても五里霧中で、マネキンを前にしたような態度しか取らないであろう、という確信を抱かせるいかにもな巨大企業の悪のありさま……。純粋なデウス・エクス・マキナと化したアジア人男性の姿にはアラン・チューリングもびっくりだろう。堀江貴文が活躍したICTバブルの時代に乗り遅れて以降、我が国のICT産業は曖昧に、しかしはっきりと橙色の恐慌を示し続けていた。きっとそれは日没の頃の空であり、日付が変わる頃のときめきと背徳感に違いなかった。目の前にパソコンがある。だから国民全員で心中しようとでも言っているかのようだった。私はICT産業が国と国民の精神を蝕むさまをリアルタイムで見てきたのだった。
スマートフォンをつけると同業他社からの着信があった。同業他社であって同僚ではないのだから、言葉遣いに気をつけなくては、と毎回意識させられる。折り返しの通話を発信する。
「もしもし。着信があったので折り返し電話しました」私は言う。
「菓垣(かがき)です。突然すいません。折り入って相談したいことがあるので、居酒屋かどこかで会えませんか」と同業他社が言う。菓垣というのは、東莖春集よりやや小さいが大手から中堅に確実に数えられる出版社に務める、自分より少し年下の男だった。我が社より小さいというのはあくまでも傾向のことだ。厳密には我が社より大きいとみなすべき時期もしょっちゅうである。
「えぇと……、今日ですよね」私は尋ねる。
「はい」
私は少し考えた。これから人と会って会食し、そのあと自宅に帰るのはやや億劫に思えた。しかしこの後の仕事もなく、直帰が許されていた。
「えぇ、分かりました。どこですか」
「午後5時、横浜の呑んべいというお店です」
「横浜ですか……。分かりました。細かい場所はメッセージで送ってください」
私は通話を切る。そして会社に通話を発信し、直帰する旨を伝える。
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projecthedz · 6 months ago
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250209 日
【0:45】
今日もただただ幸せだった
感情のままに笑い、感情のままに泣き
特にその感情を言語化しない
内から湧き出る情動を抑制する事なく動物のように垂れ流し、すぐ忘れる
哀しみや痛みに対しなにも我慢せず痛がるのは気持ちいい
強い情動や痛みを無視しようとするからおかしな理屈で補強せざるを得なくなる
だんだんミッドサマー方式の別れの許容を肯定し始めてる
感情を理屈から解き放ちつつある
-----------------------
感情と理屈を切り離すと同じ感情を留めておくのは難しくなる
XXだから悲しい、XXだから腹立たしいという因果関係が希薄になる
子供のような曖昧で即物的な主観で生きる
決意や覚悟も時には解除して泣く。嫌だ嫌だと泣き喚く
素直な感情の解放に脳がそれに適した脳内麻薬を放出し、最終的にはスッキリする
本能任せの感情デトックス
———
【10:30】
6時間は寝たかな
娘が家にいる日は満たされすぎていて疲労と関係なく眠い
安心しているがゆえの眠さ
パパ寝ないで、起きて と言われながら寝そうになる
心の中にクスクスと楽しい気持ちが湧き起こってくる
世界の親切さや優しさを信じきっている存在の責任感ゼロの行動と発言は可愛らしい
再び義実家に娘を預け、誰もいなくなった自宅へ戻る
———
【14:20】
自宅で3h寝て起きたらザ・ノンフィクション見ちゃって泣く。感情失禁用コンテンツだよこれ
ちゃんと人間関係の内側にがっつり入ってカメラマン自身も物語の一員になって撮ってるのに、食器棚のガラスに映ったカット撮ったり泣いてる二人をドリーアウトしたり、撮れ高を抑えることは欠かさない
そのプロ意識にも感服する…
人の死は至る所に普遍的に転がっており、そこにそれぞれ人間関係があり物語があり、絆と愛がある
繋がりなんだよな、それが
繋がりの温かさを感じた時に「生きててよかった」と感じる(主観感動ブースト入ってると言葉が全部安っぽくなって困らあ)
「この歳になったらもう何も考えない。ただ生きてればいい」
80代のスナックのママの言葉が心に響く
この寂しさと温みを手放さずずっとこの家にいたいという欲に駆られる
私にとっての家族や友人の温みというものはダメ人間ホイホイという認識だ
それに捕まると幸せなまま何も生産する事なく朽ち果ててしまう最高に優しい処刑システム
それが絆の温み。孤独を尊ぶ人々よ、共に生産していこう。まだ動く手足、考えられる脳があるのだから
———
【15:15】
自分の存在を許し認めてくれる全ての人々に感謝する。宇宙は本質的に生き物を拒絶している。だから生きとし生けるものは互いに支え合い絶滅を拒絶し続け��ければならない
私の自然な滅びの運命を捻じ曲げてくれた人々と動物たちよ、ありがとう
憎しみも愛情もこの世界に在り続けたいという想いを維持する為に必要なエネルギー
虚空に浮かぶ暖かい光に他ならない
借金抱え中央線に飛び込む寸前だってその事実が変わる事はない。むしろその光を汚さない為に、闇を抱えた自分に自らの手で決着をつけるのだ
はい! 食事‼︎ うまいもん食べよう。ここで肉食べないとこのまま8時間同じテンションが持続しちゃう
———
【15:40】
ちゃんと家から出てサイゼに来たぞ。この温もり墓ゾーンから抜け出すには強固な理性の力で自分の活力を上げてゆく必要がある
理屈はさておき手続き化と習慣化。温みや優しさに浸りすぎず、決着や滅び(カタルシス)を求めすぎないこと。奇跡に感謝しすぎないこと
サイレンというゲーム。あれは不死の呪いにかかったが故に家族や仲間達と過ごす温みに囚われた不死者により維持される地獄について描かれた物語
自分じゃなかなかのご機嫌なパラダイス。人に言わせりゃヘルさ
電気グルーヴのこの歌詞は私の中で過度な自己肯定にブレーキかける上で非常に役立っている
ああ、この手の駄文は外食の待ち時間や電車の移動中に書くべきことで、拠点や仕事場で書くものじゃないな
ご飯食べられたので自信+0.01V 総自信2.0V
----------------------- 【18:35】
家から出る。ただそれだけのことであっても2時間かかる。自分の意思で家から出ることは基本的に不可能
会社にメインPCが置いてあって家だと100%仕事の遂行が不可能だから外に出て生産行為ができる。趣味の寄せラクガキ会や同人作業も進められる
家にPCあったら会社に行く必然性薄れるし家の片付けと家事が無限にできるし、仕事も趣味も同人活動もやらぬまま数日が吹っ飛ぶ
生産に結びつかない満足度高い行為が消費なら、家族の匂いが濃厚な、あるいは自分の人生の足跡が一望可能な空間で穏やかに過ごすことに勝る完璧な消費はない
生産と創作は程よい飢餓と焦りに基づく狩猟欲アンド農耕欲(競争欲とクラフト欲)によって実現アンド維持される
持続が約束された完璧なインフラと温みの中では、人は移動と運動とその負荷に耐えるメリット見出せず堕落した生活送り、やがては身体とメンタルが自立活動不可能なほどに衰弱化し寝たきりとなる
なんもせず安全な自宅で自己憐憫に浸って寝てる時、このままこういう虚無時間の比率が増えていってこっちが人生の本体になって、それをもったいないと思う人間も誰一人いなくなりアパシー化が進み理性が摩耗し脳出血オア心臓マヒで死んでいくんだろなー、と
さっきもっと明るくて前向きな駄文をサイゼで沢山書いてたのにスマホ電池切れでデータ飛んだから反動で暗いこと書いちゃってる
頬に少し肉がついてきた。お腹も出たかな思ったけどそうでもない
つくづく、やるべき仕事があって良かったと思う。この地平に立ってなきゃ私の思考と行動の全ては私にとっても皆にとっても「無視するに値するガラクタ」に過ぎない
行ってきます。そう、行ってきますとただいま
それの繰り返しがちゃんとある。それが平穏。それが健康
うあああ
----------------------- 【19:10】
寄せラクガキ会また数日いじれなくなるので、いつものルーティーンで透過PNGと名前タグをぽぽぽーんと置いておいてください
と書いて数日放置しよう。戻ったらすぐ線画作業だ、くそったれキャノン砲の
負債化し見るのも嫌になった案件は憎しみながら対処する。無論悪いのは全部自分だが罪悪感に飲まれて足踏みしててもなんも始まらないし誰も幸せにならんからな
落ち度棚上げしてモチーフの悪口言ってでも片付ける
人間を取り扱う仕事でこれやっちゃマズいけど、絵はいざとなったら材木同然切り刻める。そんで夢の中で自分が切り刻まれる材木サイドとなって飛び起き、誰も求めてない内省するとこまでがセット
----------------------- 【22:20】
Tumblr media
会社戻り肩慣らしに昨日娘の為に描いたアバターアレンジ画をスキャンし調整。自信+0.03V 総合2.03V
4月までには自信平均値を2.5Vまで持ち上げたい。多分今後見て見ぬふりしてたものと向き合う過程で余裕で-1.5Vとかの自信喪失イベントが発生するから空自信で3.5Vくらいまでガンガン自信吹かしてその勢いでエンタメ系実績積んだ後、現実直視し2.0Vくらいまで急降下させたらいい
常人ならヒョロガリゾンビ化しておかしくない負荷に耐える為、自己同一性失うこと前提で「戦略的にマッチョになっておく」という人生マネジメントはありだろう。無論、マッチョになってる際は思考がヘンになってるから別人ムーブする事は避けられない
声変わりした男性は新しい声の低さに応じたロールを遠からず獲得する。精神は常に自分が乗っている乗り物の印象に引きづられるのだ
変わることを恐れず、弱体化し旧バージョンに戻った際もアッパーバージョン時に稼いだバッファを有効利用できるよう、未来の自分に魂レベルで(旧Ver.の自分との互換性最優先の積み上げすることを)オーダー出しておく
----------------------- 【23:05】
大体数年後の成長した自分がなに考えてるかは3年前に予測できてんだ、いつも
私は一瞬ものすごく強くなり、そしてまた転落し今くらいのメンタルに戻る。そうなるオチはもう視えている。主にお金絡みで、だ
ヘテロ男性は20歳過ぎて以降、月収が自身の年齢を下回る年を連続3年以上味わうと元気と自信失うと私は思ってる。生まれてこのかた自信底値な男性、月収が自分の年齢越えたためしが無いんじゃあないか?
40代、50代になると月収が年齢下回る層は一気に増えてくるだろう。成長が頭打ちになって減給され始めるから。ちょうど身体的不調も増加するシーズンであり、自信喪失に拍車がかかり鬱になりやすくなる
35歳で月収35万(年齢と月収同期)だと年収420万
正直結婚対象として見なされるには厳しい収入だろう。だから30代以降は年齢=収入のハードル設定では低すぎるって事になる
私の今の目標はとにかく「大成功した友人たちに合って負い目感じて消えてなくならないレベルまで人生のライフステージ進めクリエイターとしても実績積むこと」である。夢ではない、現実的な目標だ
早くしないとみんなヨボヨボになってしまって同窓会どころではなくなるので巻きでやりたい
やっぱ、20代前半の頃仲良かった「すげぇやつら」だけが、自分の中で「真の仲間 / 友達」って感じする。多感かつエネルギーにあふれていた頃の繋がりは自分の中で一生輝き続ける(もしくは呪いとして残り続ける)
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takahashicleaning · 7 months ago
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TEDにて
マイケル・サンデル:メリトクラシー(能力主義)の横暴
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
私たちの社会生活が、二極化してしまっているのはなぜでしょうか?どうすれば緩和できるのでしょうか?
政治哲学者マイケル・サンデルは驚くべき答えを提示します!!「成功した人々は、鏡を見る必要がある!」と。
サンデルは、いかに「メリトクラシー(能力主義)の傲慢」のせいで、多くの人が、自分の成功は、自力で成し遂げたものであると信じ、成功していない人を見下してしまい
反感を引き起こし、新しい経済における「勝者」と「敗者」の分断を広げてしまうかを考察します。
なぜ?より平穏で懐の広い社会生活を実現するためには、成功の意味を再考し、運の役割を認識する必要があるのかをお聞きください。
今更ながら、私たち皆が問うべき問題があります「どこで道を誤ったのだろうか?新型コロナウイルス対策だけでなく、私たちの市民生活において!」です。何が?私たちを政治的に二極化しギスギスしたこの局面に導いたのでしょうか?
ここ数十年で、勝者と敗者の隔たりは深まり続けており、政治に悪影響を与え、私たちをばらばらにしました。隔たりの一部は、不平等に関するものです。
しかし、不平等に伴う勝���負けに対する態度もその一部です。
経済学は、大前提としてある個人、法人モデルを扱う。それは、身勝手で自己中心的な欲望を満たしていく人間の部類としては最低クズというハードルの高い個人、法人。
倫理がなく、メリットやデメリットのみで判断する極端な人間もこの部類に入ります。
頂点に立った者は、成功は、自力で成し遂げたものであり、自分の優秀さの尺度である。そして、敗者に対しては、その人自身が悪いのだ。新自由主義のような自己責任だ。と思うようになりました。
成功についてのこのような考え方は、一見、魅力的なある原則に由来します。すべての人に平等に機会が与えられるなら勝者が得た勝利はその人にふさわしいというものです。
これが、能力主義が掲げる理想の本質です。もちろん、実際問題としては理想通りにはいきません。足掛かりとなる機会が誰にでも、平等に与えられているわけではないのです。
貧困家庭に生まれた子供は、成長しても貧困のままという傾向があります。
アメリカの場合は、長らくアメリカンドリーム。つまり、全てに人が公平に競争できる状況を善しとしてきた。
この考えはもはや人々を動かさない。アメリカは階層社会の影響が強い特徴があるので、政治家は、機会の平等を提供し、階層間の移動を積極的に高め、古代ローマを学ぶ必要があります。
裕福な親は、自分たちの優位性を子供に受け継がせることができます。例えば、アメリカでは、アイビーリーグの大学では、アメリカで収入が上位1%の家庭出身の学生の数が、下位50%の家庭出身の学生を全員合わせたよりも多いのです。
しかし、問題は、私たちが謳うメリトクラシー(能力主義)の原則を逸脱していることだけではありません。メリトクラシー(能力主義)の理想そのものに不備があります。
負の側面があるのです!!
メリトクラシー(能力主義)は公益をむしばみます!!
勝者を思い上がらせ、敗者に屈辱を与えます!!
メリトクラシー(能力主義)のせいで、成功者は過度に成功に酔い、成功途上でのツキや幸運を忘れてしまいます!!
そして、自分よりも運に恵まれなかった人や資格面で劣る人を見下すのです!!
これは政治においても問題です。基本的人権の尊重の強化が人工知能時代には重要になります。
大衆の反発の強力な源泉の一つは、多くの労働者が持っている感覚でエリート層に見下されているというものです!!
このような不満を抱くのも当然です。グローバル化が不平等を深め、賃金の停滞を招いたときにグローバル化の支持者は、労働者にもっともらしい助言をしました。
「グローバル経済の中で競争して勝ちたかったら、大学へ行きなさい」
「何を勉強したかで、どれだけ稼げるかが決まる」
「やればできる」など
エリートは、この助言に隠された侮辱が見えていないのです。大学に行かなければ、新しい経済で成功しなければ、失敗は、新自由主義のような自己責任です。
これが隠された意味です!!
多くの労働者が能力主義のエリートに反発するのも無理もありません。
では どうすべきでしょうか?市民生活を3つの観点から考え直す必要があります。
大学の役割。働くことの尊さ。成功の意味です。
私たちは、将来の選択肢を増やしてくれる最高学府としての大学の役割を考え直すことから始めるべきです。高い資格を持つ人々に囲まれて日々を過ごす私たちは、基本的な事実を忘れてしまいがちです。
それは、たいていの人が4年制大学の学位を持たないことです。それどころかアメリカでは、3分の2近くの人が持っていません。
ですから、学歴である大学の卒業証書を、立派な仕事やまともな生活の必要条件とするような経済を構築するなど、愚かなことなのです。
人々に大学への進学を勧めることは、よいことです。金銭的に余裕のない人でも大学に進学できるようにすることは、さらに、よいことです。
しかし、これは、必ずしも不平等の解決策ではありません!!
私たちは、メリトクラシー(能力主義)の闘争のために、人々を武装させることより、大学の卒業証書は持たないが、社会に欠かせない貢献をしている人々の生活をよくすることに注力すべきです(日本独自のクリーニング師などのエッセンシャルワーカーなども)
働くことの尊さを再定義し、政治の中心に据えるべきです。働くこととは、生計を立てることだけではなく、公益に寄与し、それに対する認識を得ることであるということを忘れてはいけません。
このことをロバート・ケネディは半世紀前に次のように言い表しています。
「仲間意識。コミュニティ。共通の愛国心。これらの必要不可欠な価値観は、単に、モノを一緒に購買し、消費することによって生まれるのではない!適切な賃金での尊厳のある雇用によって生まれるのである」
「それは、被雇用者が「私は、この国の建設を手助けした。私は、壮大な公益事業の参加者なのだ」と言えるような雇用である」このような国民感情は。こんにちの社会システム内の生活からは、ほとんど見当たりません。
私たちは、ある人が稼ぐお金をその人の公益への貢献の尺度として、とらえることがよくあります(広告でも、売り上げナンバー1など)
しかし、これは間違いです!!
その理由をキング牧師が説明してくれています。牧師が、暗殺される少し前に起きたテネシー州メンフィスでの清掃作業員によるストライキを顧みてキング牧師は言いました。
「私たちのごみを収集してくれる人は、突き詰めて考えると医師と同じくらい重要です。なぜなら、もし、彼が仕事をしなかったら、病気が蔓延するからです。仕事は、すべて尊いのです!」(日本独自のクリーニング師などのエッセンシャルワーカーなども)
こんにちの新型コロナウイルスのパンデミックを見れば、明らかな話です!!
普段、私たちの目に入らないような労働者たちに、実は、どれだけ依存しているかが露呈しました。
日本独自のクリーニング師。配達業者。保守作業者。食料品店の店員。倉庫作業者。トラック運転手。看護助手。保育士。訪問看護従事者。こういった職業は、給料がいいわけでも、特に、尊敬されるわけでもありません。
しかし、今、私たちは、この人たちをエッセンシャルワーカーとして認識しています。
今こそ、まさに、デフレスパイラルの原因の安売り店に行く回数を減らし、もしくは、行かないようにし、この人たちの賃金と認知度をいかにその仕事の重要性に見合ったものにするか!について、公けに、政治や行政府がアピールするときです。
また、私たちが持つメリトクラシー(能力主義)の傲慢を、道徳的。さらには、精神的にも、方向転換し、疑問視するときでもあります。
自分の活躍を可能にしている才能に、私は道徳的に見合っているか?私に、偶然、備わった才能を賞賛する社会システムで生活しているが、それは私の手柄なのか?
それとも運なのか?自分の成功を当然、自分に相応しいと主張することは、他の人の立場に立って自分を見ることを難しくしてしまいます。
人生における運の役割を認めることは、それなりの謙虚さをもたらします。生まれや神の恵み。運命の神秘といった巡り合わせが悪ければ、自分もああなっていたし、今後もそうなってしまうので底上げが必要だ!と。
この謙虚さの精神が、今、私たちに必要な公徳心です。
この謙虚さの精神が、私たちを隔てる過酷な成功の倫理から引き返す道の始まりなのです。
世界的な最低年収保証。ゼロサムではないプラスサムなユニバーサルベーシックインカムなど。貨幣の再分配。底上げが必要。
この謙虚さの精神がメリトクラシー(能力主義)の横暴の先にあるより平穏で懐の広い社会生活へと私たちを導くのです。
さらに、真理をもうひとつ!!
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイトの方)という前提です。
「フォース」の特徴の1つは、横暴や傲慢さです。「パワー」は謙虚さによって特徴づけられます。
どんな場合でも、「パワー」が「フォース」に出会えば、いずれは打ち勝ってしまうのです。
最後に、マクロ経済学の大目標には、「長期的に生活水準を高め、今日のこども達がおじいさん達よりも良い暮らしを送れるようにする!!」という目標があります。
経済成長を「パーセント」という指数関数的な指標で数値化します。経験則的に毎年、経済成長2%くらいで巡航速度にて上昇すれば良いことがわかっています。
たった、経済成長2%のように見えますが、毎年、積み重ねるとムーアの法則みたいに膨大な量になって行きます。
また、経済学は、大前提としてある個人、法人モデルを扱う。それは、身勝手で自己中心的な欲望を満たしていく人間の部類としては最低クズというハードルの高い個人、法人。
たとえば、生産性、利益という欲だけを追求する人間。地球を救うという欲だけを追求する人間。利益と真逆なぐうたらしたい時間を最大化したいという欲を追求する人間。などの最低生活を保護、向上しつつお金の循環を通じて個人同士の相互作用も考えていく(また、憎しみの連鎖も解消する)
多様性はあるが、欲という側面では皆平等。つまり、利益以外からも解決策を見出しお金儲けだけの話だけではないのが経済学(カントの「永遠平和のために」思想も含めて国家や権力者は透明性を究極にして個人のプライバシーも考慮)
(合成の誤謬について)
合成の誤謬とは、ミクロの視点では正しいことでも、それが、合成されたマクロ(集計量)の世界では、必ずしも意図しない結果が生じること。物理学では、相転移みたいな現象です。性質が変わってしまうということ。
ミクロのメカニズムが個人同士の経済における仕組みであるのに対して、マクロのメカニズムは、国家間や経済全体の循環における仕組みだからである。
例えば、家計の貯蓄などがよく登場するが悪い例えです。前提条件が、所得が一定の場合!!所得が一定じゃない増加する場合は?これは、論じていませんので参考になりません!!(法人が提供する製品やサービスの価格も一定の場合も前提条件です)
1930年代のアメリカ経済が金融危機2008と似たような状態に陥った時、ケインズは、「倹約のパラドックス」というケインズ経済学の法則を発見しています。
それは、ポール・A・サミュエルソン(1915-2009)が、近代経済学の教科書「経済学」の冒頭で「個人を富裕にする貯金は、経済全体を貧困にする!(所得が一定の場合)」というわかりやすい言葉で表現しました。しかし、庶民の所得が増加し、貯蓄が投資、消費に回る場合には、「倹約のパラドックス」は生じません。
その後、この「倹約のパラドックス」は、アメリカの経済学者・ケネス・J・アロー(1921- )が「合成の誤謬」を数学的論理に基づいて「個人個人がそれぞれ合理的選択をしても、社会システム全体は合理的選択をするとは限らない」を検証してみせた。 要するに、部分最適ではなく、全体最適させていくということ。
つまり、新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との 戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!ということに集約していきます。
なお、金融危機2008では、マイケル・メトカルフェも言うように、「特別資金引出権(SDR)」は、2008年に行われた緊急対策で、一国だけで行われたのではなく、驚くほど足並みの揃った協調の下に国際通貨基金(IMF)を構成する188ヶ国が各国通貨で総額2500億ドル相当を「特別資金引出権(SDR)」を用いて世界中の準備通貨を潤沢にする目的で増刷してます。
このアイデアの根本は、元FRB議長であったベ��バーナンキの書籍「大恐慌論」です。この研究がなければ、誰一人として、変動相場制での当時の状況を改善し解決できなかったと言われています。
それ以前では、固定相場制でのマーシャルプランが有名です。
続いて、トリクルダウンと新自由主義
インターネットの情報爆発により隠れていた価値観も言葉となり爆発していくことになった。
しかし、法定通貨の方が、その価値、概念に対する通貨量拡大として価格で応じることができず、圧倒的に通貨量が足りない状況が生まれていたのが、2010年代の問題点のひとつでした。
リーマンショックの後に、新自由主義が誤りであることが、ピケティやサンデルによって指摘され、当時のFRBバーナンキ議長が、通貨供給量を大幅に増やした対策により、ベースマネーの金融、銀行間の相互不信を解消して収束した。
それでも、まだ足りないが、適正水準に収まったことで、さらに価値も増幅され、マネーストックの財政政策から再分配、事前分配を大規模に行い、さらなる通貨供給量が重要となっている現在の日本国内。
例えば
Googleがしようとしてた事は、まだ新産業として、基礎研究から発展できない機械学習の先端の成果をすべて持ち込んだ社会実験に近いこと。
シュンペーターの創造的破壊は、一定数の創造の基礎を蓄積後に、未来を高密度なアイデアで練り上げてから破壊をするのが本質です。
こうして、憎しみの連鎖や混乱を最小限にする。
アルビン・トフラーの言うように、法人と行政府とのスピードの違いが縮まらないのは、構造上の違いであって、それを補うためにプラスサムな連携するということが、必要になってくることを説いています。
三権分立が、規制のないGAFAMを非政府部門としてMMT(現代貨幣理論)からプラスサムに連携したらどこで均衡するのか?という社会実験も兼ねています。
このような前提で、あらゆるインターネット企業が、創業時、貢献するためコンセプトの中心であったものが、今では、悪性に変質して違う目的に成り下がっています。
再分配、事前分配の強化がスッポリ抜けてる欠点があり、ここに明かしたくないイノベーションの余地があります!!
2021年には、新自由主義のような弱肉強食では自然とトリクルダウンは生じないことは明らかになる。
確かに、トリクルダウンは発生しないが、法律で人工的に同じ効果は、貨幣の再分配、事前分配という形にできる可能性は高い。
再分配や事前分配をケムにまく「金持ちを貧乏にしても、貧乏人は金持ちにならない」「価値を生み出している人を罰するつもりがないのであれば税に差をつけないほうがいい」(サッチャー)
とあるが、新自由主義は誤りで、ピケティやサンデルによると違うみたいだ。
2024年のノーベル経済学賞でも指摘しているように・・・
国家システムが繁栄するかどうかは、幅広い政治参加や経済的な自由に根ざす「包括的な制度(ポジティブサム)」の有無にかかっているとデータでゲーム理論から実証した。
欧州諸国などによる植民地支配の時代のデータを幅広く分析し、支配層が一般住民から搾取する「収奪型社会(ゼロサム)」では経済成長は長く続かない(収穫遁減に陥る?)
一方、政治や経済面での自由や法の支配を確立した「再分配や事前分配を同時に行う包括型社会(ポジティブサム)」なら長期の成長を促すと理論的に解明した(乗数効果とは異なる経路の収穫遁増がテクノロジー分野とシナジーしていく?)
「再分配や事前分配を同時に行う包括型社会(ポジティブサム)」は、日本の高度経済成長時代のジャパンミラクルが、一度、先取りして体現しています。
2020年代からはもう一度、ジャパンミラクルが日本で起こせる環境に入っています。安倍総理が土台、管、岸田総理が再分配や事前分配の包括型社会(ポジティブサム)の土台を形成しつつあります。
日本の古代の歴史視点から見ると・・・
安土桃山から江戸幕府初期の農民出身徳川家康が国際貿易を促進しつつ再分配や事前分配の包括型社会(ポジティブサム)を形成してます。
その後、大航海時代の覇権争いを避けるため数代かけて「収奪型社会(ゼロサム)」になってしまい、綱吉の頃には基本的人権の概念も希薄になり選挙もないため
低収入者の農民から商人も収奪していきます。
江戸幕府末期まで数度改革をしましたが、ノーベル経済学賞の人達によると包括型社会(ポジティブサム)に転換しずらい
結局、薩摩と長州が徳川家康式の国際貿易のイノベーションを復活させるも(水戸藩の文献から)国民主権の憲法や選挙がないため
明治維新を起こすしかなく、第二次大戦で原爆が投下されるまで軍備拡大して資源が枯渇します。
国家システムの独裁から法人や個人の優越的地位の乱用にすり替わるため、財産権や特許権などを含めた低収入者の基本的人権を尊重することで独占禁止法の強化も必要になっていくことも同時に示しています。
(個人的なアイデア)
複雑性の研究からも、個人の才覚に関係なく貧富の差は生じる。
超裕福層に集中するとマネーに渋滞が生じるため、税金をかけることと現象が似ている。
こうすると平等性が増すと結果も出ている。
確かに、トリクルダウンは発生しないが、法律で人工的に同じ効果は、貨幣の再分配、事前分配という形にできる可能性は高い。
課税は、ネットワークに何本かのリンクを人工的に加えることと同義ということも、複雑性の研究からデータで明らかになっています。
日本は、消費税の運用など。課税は、強制的な交換の一形態。この知見は、MMT(現代貨幣理論)にも導入されてる。
複雑性の研究から産まれた従来とは異なる新しいマクロ経済学です。テーラワーダ仏教概念にもある欲を中和するツールとも言えます。
幸田露伴?分福?
人工的な課税をしないと、この歪みがエネルギーとして形態が相転移するので、超裕福層一族たちの幸福感が変質して心の歪みに転換していく。
人間が、一日に扱える時空間は、限定的に対して、お金はマルチバースでエネルギーが交換されるので、人間の一日で扱える許容量を超えてしまう。
ナポレオンヒル?エンスージアズム?そこには引き返せない一線というか?境界線があって、耐えられれば良いが、知らない方が幸せな場合も多々あります。
日本には古来から同様の概念があり、成金や悪徳商人とも言われる場合もある。
600万円以下に貨幣の再分配、事前分配することで社会システムの安定が強化される。
ダニエルカーネマン。詳しくは、論文を見ていただいて、日本の実情を深く考えた年収として記載しています。
直訳を指摘しても、未来を描けない人々なので、みんなは心の中で、あぁ残念な人なんだと軽蔑して下さい。
メリトクラシー至上主義、競争主義社会システム新自由主義を古代中国から、たとえて簡単に言うと乱世。
意図して均衡させて、奸雄は排除していくことが鉄則。カントの永遠平和を実現が重要に。
つまり、IT産業長者は、乱世の奸雄。テロ抑止にもなる現代では、競争時代の奸雄を排除することと同様の概念になります。
これも教科書に載らない歴史でもあります。
競争時代の乱世の奸雄たちが、本来の趣旨を歪めて異なる方向に変わってしまう傾向は多々あります。
お金を大量に持ってると・・・
エネルギーに毒され知らずの内に傲慢になるのは、人の理。研究結果にも示唆されている。
マクロ経済学は、社会の全儲けは、低収入者に還元しかない歴史の教訓。
古代から代理人の政治家が破ると災厄が降り注ぐとも。神の理(多神教では天の理)は迷信とも言えない。
スターウォーズでわかりやすく表現してるフォースの導きに似ている。
これによって・・・
「パワーかフォースか」の本で言うところの「パワー(ライトサイドのフォース)」の高まりが落ちてしまいます!!
東洋では・・・
古代中国の歴史でも「乱世の奸雄」で有名な「曹操」が歪めてしまい「司馬懿仲達」が苦労して統一するまで。などは有名です。
他の非中国系の西洋の記録は、残っているかわかりません・・・権力者が書き換えている可能性も多々あります。
GAFAMなどのプラットフォームのビジネスで本来の趣旨が歪み、思い違いされていますが・・・
TED ロン・マッカラムも言うように・・・
規格を統一することで、あらゆる視覚障害者用のコンピューターや機械からアクセス可能にするためです(低収入者も含む)
これが���インターネットの本来の原点です!
これが、インターネットの本来の原点です!
これが、インターネットの本来の原点です!
Appleなどは、「アクセシビリティ」などの設定で原点を忘れていません!!
それ以外は、Googleなどは、トランスフォーマーアルゴリズムが有名になりましたが・・・
他の無名の基盤技術などの開発で貢献しています。
そして
2021年では、自動運転車が登場しています。
Appleシリコンでも、メモリ主導型のアーキテクチャーに変更しています。
量子コンピューターや量子超越性もメモリが重要な要素でもあります。
これは、兆し。始まりにすぎません!!不思議と「風の時代」と連動してます。
2020年後半くらいから様々な占いで出てきてた時代の変わり目。それが、西洋占星術で具体的に「風」の時代という形で出てきました。
私が、感じとってたインスピレーションは、たぶんこれかな?
兆しは、世界的な金融ビックバンの1970年代、IT革命のミレニアムの前から出ていたけど。
これは、これまでの約200年間。物質やリアリティの影響力優位「土」の属性の時代から、量子コンピューター、ビットやインターネットなどといった物質ではないものに影響力が増していく「風」の属性の時代に。
そして、本格的に軌道にのっていく属性は、今後200年程続くことになるのです(2020年12月22日から、2100年当たりをピークに少しずつ衰退していく2220年まで)
100兆円以上も稼いでいるなら・・・
そろそろインターネットの本来の原点に戻って、他のプラットフォーマー法人も事前分配や再分配をして低収入者に貨幣で還元してもいい頃かもしれません。
古代中国の「史記」にも戦国四君(古代中国で活躍した4人の武将の物語)で現代までの歴史の良い手本として二千年近く残ってます。
たしか、食客に諭されて「こんな国家の存亡の際に私財を溜め込んでいるのに、なぜ?それを低収入者に事前分配や再分配をしないのか?」
という助言に心を打たれて私財を全て投げ撃ちしたことで低収入者が奮起して国家の滅亡を阻止した!
さらには、当時最強レベルのあらゆる武将でも打ち破ることができなかった。
と言う話があります。
「パワーかフォースか」の本で言うところの「パワー(ライトサイドのフォース)」が高いからかもしれません!!
これも教科書に載らない歴史でもあります。
<おすすめサイト>
エピソード9 Episode9 - 各宗教と政治のチェックと指標について「パワーか、フォースか 改訂版―人間のレベルを測る科学 - デヴィッド・R・ホーキンズ Amazon」
ニコラ・スタージョン:行政府が低収入者へのウェルビーイング(幸福度)を最優先するべき理由
ユバル・ノア・ハ��ーリ:ナショナリズムとグローバリズム:新たな政治的分断
マイケル・サンデル:失われた民主的議論の技術
マイケル・サンデル:なぜ、株式市場に市民生活を託すべきではないのか?
エピソード4Episode4 - 政治の善性について(パワーか、フォースか―人間のレベルを測る科学 - Amazon)
カイラシュ・サティーアーティ:怒りの昇華で世界に平和をもたらす方法?
トム・ティーブス:マスメディアは死亡事件などの犯人を有名にしてはならない!
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memomemomomo222 · 10 months ago
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衆院本会議 石破首相 初の代表質問 公認方針などで論戦
2024年10月7日 19時50分 衆議院
国会は衆議院本会議で石破総理大臣の所信表明演説に対する各党の初めての代表質問が行われました。
目次
立民 野田代表
自民 小野寺政調会長
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自民党の政治とカネをめぐる問題で収支報告書への不記載があった議員の一部を公認しない方針について野党側から甘い対応だなどと指摘が相次いだのに対し、石破総理大臣は、引き続き地元の理解が得られているかなどを判断していくと説明しました。ニュース7 各党代表質問に首相はニュース7で詳しく【動画5分23秒】10/14(月) 午後7:30 まで配信国会中継「代表質問」NHKプラスで全質問をチェック10/14(月) 午後6:00 まで配信
立民 野田代表
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立憲民主党の野田代表は、衆議院の解散・総選挙をめぐり「『予算委員会を開いて判断材料を整えて信を問うべきだ』と言っていたのに、総理に就任したら戦後最短で解散・総選挙を行おうとしている。また、総理就任前の一国会議員だった際に天皇の国事行為に踏み込んで発言したことは断じて許せない」と追及しました。 これに対し石破総理大臣は「新内閣の発足に伴い、国民の意思を確かめる必要があるとの観点から解散を行うと判断した。あくまで『総理大臣に選出されれば』、『諸条件が整えば』という2つの前提を置いた上での発言で、天皇の国事行為に踏み込んだとの指摘はあたらない」と述べました。 また野田氏は、石破総理大臣が政治資金収支報告書に収入を記載していなかった議員の一部を公認しない方針を示したことについて「『裏金議員』に相当程度の非公認が生じるというが、大半が公認されるのではないか。甘い対応をせざるを得ないのは自民党の処分が大甘だったからで、この大甘を基準にしているから問題がおかしくなっている」とただしました。 これに対し石破総理大臣は「党総裁として公表した方針に基づき手続きを進めており、現時点で公認となる人が誰かは具体的に確定はしていない。一連の党の処分は外部の有識者を含めた党紀委員会で議論し公平に判断されたもので、甘い処分で幕引きを図ろうとしたものとは認識していない」と述べました。
自民 小野寺政調会長
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自民党の小野寺政務調査会長は、政党から議員に支給される政策活動費をめぐり「国民から不信を抱かれないよう、そのあり方を真摯に検討する必要がある。不断の政治改革と党改革に取り組み、ルールを徹底して守らなければ、政治不信は解消しない」と質問しました。 これに対し石破総理大臣は「国民の信頼なくして政治の安定はなく、政治の安定なくして政策の推進もない。政策活動費の将来的な廃止も念頭に、そのあり方の検討や透明性の確保に取り組むなど政治資金の透明性を高めるための努力を最大限にしたい」と述べました。 また小野寺氏は、憲法改正をめぐり「自民党の党是であり、8月末には党の憲法改正実現本部で論点整理が行われた。幅広い会派と協議を進め、速やかな改正原案の起草と国会提出につなげる方針であり、党総裁としての見解を示してほしい」と求めました。 これに対し石破総理大臣は「自民党総裁としてあえて申し上げれば、党では緊急事態条項のあり方や自衛隊の明記などについて活発な議論が行われ、論点整理などが進められてきた。これらの議論の積み重ねを引き継ぎ、後戻りさせることなく前に進めていく決意だ」と述べました。
維新 馬場代表
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日本維新の会の馬場代表は、自民党の政治とカネをめぐる問題について「衆参両院あわせて72人の議員がいまだに政治倫理審査会への出席を拒んでいる。国民感情からすれば、きたる総選挙では『裏金・脱税』に関与した全員を非公認とすべきではないか」とただしました。 これに対し石破総理大臣は「政治倫理審査会への出席は規程に基づき判断されるべきではあるが、国民の納得を得る努力がなされているかという観点から公認の是非を判断する一要素とした。最終的な公認権者は党総裁であり、不記載があった議員は引き続き適切な方法で地元の理解が得られているか判断していく」と述べました。
公明 石井代表
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公明党の石井代表は、政治改革をめぐり「改正政治資金規正法の実効性を担保するため、『政治資金監督委員会』を設置し、不記載や虚偽記入の疑いがある場合の調査権限を持たせるほか、政策活動費の廃止を含めたもう一段の改革を実行すべきだ」と求めました。 これに対し石破総理大臣は「いずれも政治活動の透明性を高めるものとして大変重要だ。党に総裁直轄の政治改革本部を設置することにしており、国民にもう一度、政治を信頼してもらうため、早期に結論を得られるよう党内での検討や各党・各会派との協議を進める」と述べました。
共産 志位議長
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共産党の志位議長は、消費税をめぐり「暮らしを支え、格差をただす税金と財政の��主的改革が必要だ。富裕層と大企業に応分の負担を求め、消費税を緊急に5%に減税し、インボイスは廃止することこそが物価高騰への最良の特効薬ではないか」とただしました。 これに対し石破総理大臣は「消費税は社会保障給付費が大きく増加する中、すべての世代が広く公平に分かち合う社会保障財源と位置づけられており、税率の引き下げは考えていない。インボイス制度も課税の適正性を確保するため必要な制度で廃止は考えていない」と述べました。
国民 玉木代表
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国民民主党の玉木代表は、衆議院の解散・総選挙をめぐり「自民党を変える前に自身が変わってしまった。予算委員会を開くと言ったのに翻して解散・総選挙を行うことに申し訳ない気持ちや恥ずかしい気持ちはあるか。言行不一致で信頼されない政治家そのものになっている」と批判しました。 これに対し石破総理大臣は「総選挙に向けては国民に判断してもらえる材料を真摯に提供することが重要で、自分自身のことばで語り、誠心誠意、材料を提供していく。公認についても厳しい姿勢で臨むことで、ルールを守る自民党を確立していく」と述べました。
安全保障について
石破総理大臣は、みずからが構築に意欲を示すアジア地域の新たな多国間安全保障体制「アジア版NATO」について「これまで一国会議員としての考えを述べてきたが、一朝一夕で実現するとは当然、思っていない。一国の総理大臣としてまずは喫緊の外交・安全保障上の課題に取り組む必要があり、同盟国や同志国のネットワークを有機的・重層的に構築し抑止力を強化する観点から検討していく」と述べました。 また日米地位協定の改定については「日米同盟の抑止力と対処力を強化するとともに、その強じん性や持続性を高める観点から検討し対応していく」と述べました。
日米地位協定とは
日米地位協定は、在日アメリカ軍の円滑な駐留を確保するためとして1960年に締結されました。 アメリカ軍の関係者が日本国内で事件や事故を起こした場合��司法手続きや、在日アメリカ軍基地の管理権などについて定められていて、アメリカ側に多くの権利が認められています。 例えば、日本の捜査機関はアメリカ側の同意がない限り、アメリカ軍の財産について差し押さえや検証などはできないことになっています。 石破総理大臣が防衛庁長官を務めていた2004年8月に沖縄県宜野湾市の沖縄国際大学にアメリカ軍のヘリコプターが墜落した事故では、アメリカ軍が6日間にわたって現場を封鎖し、警察や消防による現場検証が許されませんでした。 また、軍人などが公務中に起こした犯罪についてはアメリカ側に優先的に裁判を行う権利があり、アメリカ側が訴追をしなかった場合も、日本側が裁判を行うことができるのは、アメリカ側の同意が得られた場合となっています。 日米地位協定はこれまでも運用の見直しなどは行われてきていますが、協定自体の改定は一度も行われておらず、沖縄県などが抜本的な改定を繰り返し求めています。
石破首相が執筆「日本の外交政策の将来」
石破総理大臣は就任前、「日本の外交政策の将来」と題する論文を執筆し、9月27日にアメリカの保守系のシンクタンク「ハドソン研究所」のホームページで公表されました。 この中で、「今のウクライナは明日のアジア。アジアにNATOのような集団的自衛体制が存在しないため、相互防衛の義務がないため戦争が勃発しやすい状態にある」と述べ、中国を抑止するために「アジア版NATO」の創設が必要だと主張しています。 その上で、中国やロシア、北朝鮮の核への抑止力を確保するために、「アジア版NATOにおいても米国の核シェアや核の持ち込みも具体的に検討せねばならない」という考えを示しています。 また、日米同盟の強化に言及する中で、「アメリカは日本『防衛』の義務を負い、日本はアメリカに『基地提供』の義務を負うのが現在の日米安全保障条約の仕組みとなっているが、この『非対称双務条約』を改める時は熟した。日米安全保障条約と地位協定の改定を行い自衛隊をグアムに駐留させ日米の抑止力強化を目指すことも考えられる」としています。 そして最後に、「米英同盟なみに日米同盟を引き上げることが私の使命である。そのためには日本は独自の軍事戦略を持ち、米国と対等に戦略と戦術を自らの意思で共有できるまで、安全保障面での独立が必要である」などと締めくくっています。
NATOとアジア版NATO
NATO=北大西洋条約機構は、アメリカやヨーロッパ諸国などによる政治・軍事同盟です。 東西冷戦中の1949年、旧ソビエトに対抗するため、アメリカやイギリス、フランスなど12か国によって設立され、現在は32か国が加盟しています。 北大西洋条約の第5条には、加盟国に対する武力攻撃が起きた場合は、すべての加盟国に対する攻撃とみなして、集団的自衛権などを行使して攻撃を受けた国を援助することが明記されています。 石破総理大臣が就任直前にアメリカのシンクタンクに寄稿した「日本の外交政策の将来」には、「今のウクライナは明日のアジア。アジアにNATOのような集団的自衛体制が存在しないため、相互防衛の義務がないため戦争が勃発しやすい状態にある」として、中国を抑止するために「アジア版NATO」の創設が不可欠だとしています。 集団的自衛権について日本政府は2014年に憲法解釈を変更し、アメリカなど密接な関係にある外国が攻撃を受け、日本の存立が脅かされる場合に行使できるとしましたが、行使が容認されるのは日本の自衛を目的とした限定的なものだとしています。 このためアジア版NATOの枠組みで集団的自衛権を行使できるようにするためには、憲法改正や憲法解釈の変更が必要だという指摘が出ています。
「選択的夫婦別姓」について
夫婦が希望すれば結婚前の姓を名乗れる「選択的夫婦別姓」をめぐり、石破総理大臣は「国民の間にさまざまな意見があり、政府としては国民各層の意見や国会での議論の動向などを踏まえ、さらなる検討をする必要がある。制度の導入の是非や導入時の家族への影響などについて私の立場から個人的な見解を申し上げることは差し控える」と述べました。
金融所得課税強化の必要性について
石破総理大臣は、金融所得課税の強化の必要性を問われ「貯蓄から投資への流れを引き続き推進していくことが重要で、現時点で金融所得課税の強化を具体的に検討することは考えていない」と述べました。
旧統一教会をめぐる問題について
旧統一教会をめぐる問題で、石破総理大臣は、安倍元総理大臣らが2013年の参議院選挙直前に教団の幹部らと面談していたとみられるなどとした報道について「指摘の報道のみで『党と旧統一教会との間に組織的関係はなかった』というこれまでの説明を覆さなければならない事情があるとは考えていない。新たな接点が判明した場合は速やかに説明し、未来に向かって当該団体と関係を持たないことを徹底することが大切だ」と述べました
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kennak · 1 year ago
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婚活ツールとして普及するマッチングアプリ。今や、結婚した人の4人に1人が出会いのきっかけはアプリだという調査結果もある。登録者に真剣な出会いを提供する一方、結婚しているにも関わらず独身を装う「独身偽装」が紛れ込む問題も発生。信じていた人からの裏切りにより、心に消えない傷を負わされる被害者も少なくない。長崎県内に住む30代後半の沙月=仮名=は、半年以上たって相手が既婚者と発覚し、ショックで心身の不調、人間不信に陥った。自身が苦しめられているのに、「なぜ相手は今も普通の生活を送っているのか」と怒りの感情が押し寄せる。「彼は詐欺師。だから人の心を踏み付けてもなんとも思わない」。自身が経験した独身偽装の悪質な実態を語った。 「真剣交際しか考えていない」と話した拓。将来についても沙月と語り合っていた(写真はイメージ)  沙月は年齢的なこともあり、結婚を視野に入れた真剣な出会いを求めていた。昨年3月、友人が勧めてくれた有料のマッチングアプリに登録。翌月、マッチングが成立した10歳下の拓=仮名=と会った。見た目も言動も「好青年」。5月の大型連休の時期に交際が始まった。  「遊び半分なら断る」。付き合う前にそう伝えると「真剣交際しか考えていない」と返ってきた。沙月にとって4年ぶりの恋人。純粋に「うれしかった」。電話やLINE(ライン)で頻繁にやりとりした。連絡が途切れるタイミングもあったが、互いに仕事は忙しく、そこまで気に留めることはなかった。    拓は多いときで週に3回、少ないときも月に5、6回は沙月の家に宿泊。性交渉もあった。「一緒に住むなら、どっち(の居住地)がいいかな」。そんな将来を語り、笑い合った。  拓は実家に住んでいると言っていた。「近所の人に見られたらめんどくさいから」と、沙月が車で送迎する時は、彼が言う「家の近く」まで。「(彼が周囲に知られたくない)気持ちも分かったから」。沙月は何の疑いも持たなかった。拓は友人にも恋人として会っていたし、「そのうち両親に会ってほしい」という頼みも拒みはしなかった。   付き合い始めて半年がたった11月初旬。家具量販店に一緒に行き、新しい枕やベッドカバーなど寝具類を新調した。この先も続くと信じていた2人の生活。明るい未来を思い浮かべ、幸せに満ちていた。  寝具を購入した2日後、沙月は親族の結婚式に出席。2次会に拓を誘ったが、彼は同じ日に「友人の結婚式」が入っていた。式の4日後。拓はいつものように沙月の部屋にいた。「結婚式はどうだった?」とたわいのない会話を楽しみ、夜になって彼は帰っていった。  沙月はベッドに入り、スマホを触りながら、彼が口にしていた式場名をキーワードに、インスタグラムで何げなく検索した。  「えっ」。目に飛び込んできた写真を見て、絶句した。  スマホの画面の中で幸せそうに笑っている新郎。それは、さっきまで隣にいた彼だった。 新郎の「彼」 拓が結婚式を挙げたことを知った沙月。動揺しながらも真相を確かめる決意をした(写真はイメージ)  インスタの写真は彼の親族がアップしたものだった。「友人の結婚式」。拓がそう説明していた日、実は友人ではなく彼自身の結婚式を挙げていた。  でも…。  沙月は思った。結婚式の2日前に一緒に寝具を買いそろえ、式の4日後には自分の部屋に来ている。もし家庭があるならば、普通の感覚があるならば、そんな行動はできるはずない、と。  彼とお酒を飲んだり、一緒に部屋で過ごしたりするだけで楽しかった。「(写真を)見なかったことにすれば続くのかな」。そんな考えも頭をよぎったが、すぐにかき消し、真相を確かめる決意をした。 「結婚してる?」  インスタの写真を見つけて1週間後。外で食事を終え、彼を送る車でハンドルを握ったまま、沙月が核心を突く。  (沙)「結婚してる?」  (拓)「えっ、何で?」    (沙)「インスタで出てきたから本人かと思って…」  (拓)「えっ、分かんない」  勇気を振り絞って問いかけた沙月だが、拓はしらを切り、自分が既婚者だとは認めなかった。  沙月は感情を押し殺し、その場をやり過ごした。  翌月、再び問い詰めると拓は開き直った。  「俺が違うって言っているのに。そんなに疑うなら傷つけるだけだから別れよう」  その日のうちに彼がLINEをブロックした。 「普通の生活」奪われ  好きだった人に、半年以上もうそをつかれていたという現実。沙月はショックで食事が喉を通らなくなり、10キロ近く痩せてしまった。今も、ふとした時に涙が止まらなくなる。精神科にも通い、体調不良が続く。「普通の生活」が奪われた。  後に分かったことだが、拓はマッチングアプリで沙月と出会う前年に入籍していた。今はマイホームを建築中で子どもも生まれる予定だという。  「彼は詐欺師。だから人の心を踏み付けても何とも思わない」 罪に問われない「心の傷」  「既婚者だと知っていたら絶対に付き合うことはない。性交渉をすることもなかった」  沙月はショックで心身不調に陥り、毎日「���葉にできない」怒りの感情に押しつぶされそうになっている。交際前に見抜けなかったのが悪いのか、だまされた方も悪いのか―。不倫と一緒くたにされ、置かれた状況を社会に理解してもらえない苦しみも抱える。  沙月は弁護士を立て、貞操権の侵害を訴え、損害賠償を求めた。拓はうそを認めたものの、「真摯(しんし)な対応には見えなかった」と沙月は話す。慰謝料は支払われたが、その金で心の傷が癒えることはなかった。  「体に傷を付ければ傷害罪。なのに、どうして心の傷は罪に問われないのでしょうか」  沙月は独身だと偽られて行った性交渉は「性犯罪」だと訴え、警察の相談窓口にも電話。「許せない」と一緒に怒り、全面的に寄り添ってくれたが、暴力や脅し、金銭的被害はなく、不同意性交罪などの構成要件には当てはまらなかった。    マッチングアプリには今も拓の名前がある。また誰かをだまし、自己の欲求を満たすつもりだろうか―。  沙月は「悲しむ人が1人でも減ってほしい。加害者が得する世の中にだけはなってはいけない」と独身偽装問題に対する社会的関心の高まりを求めている。 4人に1人がアプリで出会い  明治安田生命保険のインターネット調査によると、昨年1年間で結婚した人の4人に1人はマッチングアプリが出会いのきっかけだった。ただ、出会いの有効な手段として定着する一方、利用者数の増加に合わせて関連する被害も増えている。  年間約200人の相談を受ける恋愛カウンセラー、野田亜希子さんは、2015年ごろからアプリを通じた出会いが増え始め、新型コロナウイルスの流行で外出が制限されたこともあり、近年はさらに増えてきていると実感を語る。相談者の中にも男女問わず、既婚者にだまされたり、離婚して子どもがいることを隠されたりと、トラブルは少なくないと明かした。  アプリの登録情報だけで「その人が何者か、書いてある内容の全てが事実かどうか判断するのは難しく、実際に会って見極めるしかない」と野田さん。これまでの相談経験などを踏まえ、独身偽装者の特徴として、「優しい」「気が利く」「紳士」「好青年」などのキーワードに当てはまる人が多いと指摘。「自身の過去の悲しいエピソードを語り、『こんなに心が休まることはなかった』など付け入ってくる手法も目立つ」  デートは基本的に「相手の家」など家族からばれない場所。ただ、それさえも「自分のために来てくれる優しい人」だと思い込んでしまうという。性交渉の際、避妊を拒むケースもよくあるとし、「避妊しなければ妊娠だけでなく、性病の心配もある。避妊を拒否することは『自分は大事にされてない』と考えてほしい」と訴える。  既婚かどうか見極める効果的な方法として、時機を見て、それぞれの友人に会うことを勧める���「『お互い』が重要。相手がかたくなに拒むなどしたら何かを隠していると疑ったほうがいい。マッチングアプリの出会いは1対1で完結してしまう世界。少しでも不安な点があれば、他人の目を入れて判断を」と促す。 新たな社会現象  増加するマッチングアプリ被害に対し、法整備はどうしていくべきか。  長崎大多文化社会学部の河村有教准教授(刑事法)は「昨年の刑法改正で性犯罪の構成要件は拡張されたが、今回のようにアプリ(の運営会社)が間に入る3者間は想定されていない」と指摘。「行政介入が適切かどうかは議論の余地がある」とした上で、被害を抑えるためには、本人確認の厳格化など、まずはアプリ運営会社への行政規制の導入を検討すべきとする。  規制を強化しても被害が減らない場合、処罰の必要性を裏付ける事情などに基づいて「加害者の責任を問う仕組みについて社会として議論していく必要がある」と主張。マッチングアプリは「新たな社会現象」だとし、そこに潜むリスクについてのリテラシー教育を充実させる必要性も訴える。 【相談窓口】 ▽性犯罪被害相談電話の全国共通番号 #8103(ハートさん) ▽性犯罪・性暴力被害者のためのワンストップ支援センターの全国共通番号 #8891(はやくワンストップ) ▽法テラス・サポートダイヤル 0570・078374(おなやみなし) ※この記事は長崎新聞とYahoo!ニュースによる共同連携企画です。
「彼は詐欺師」アプリで出会った“独身偽装”にだまされた女性 ショックで心身不調(長崎新聞) - Yahoo!ニュース
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stormfrozen · 1 year ago
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サンディエゴの決意とアイヴァンヌの想い
駄目だよ!2人とも!特にイヴは!
グゥエルの目の前に立つアイヴァンヌとサンディエゴを必死に止めるジニーエイラ。それは当然の事、グゥエルに対して相手するには余りの相性の悪さに、本来なら逃げの一手を打つのが筋なのだが…今はそうも言ってられないと言わんばかりに、アイヴァンヌはジニーエイラを見て首を横に振る。
ごめんね、ジニィ。誰かの時間稼ぎの為に、時には出なければならない時があるの。それは今。フェリンソワ様とエオレンスタ様の為に、グリッシーニ様もマリナディア様も、ウバーデゴス様も、そして他の神様も。自分が傷を負う事も厭わずに、時間を稼いでグゥエルのバリアを割ってくれた。次は私達の番だから…。
これを渡す。それを使って、他の人達を復活させてくれ。聖なる灰はグゥエルと戦う前にもう使い切ってしまってな、今残っているのはこのかけらしか無え。
頭を下げて目を瞑り、申し訳なさそうにするアイヴァンヌの横でサンディエゴが元気の欠片を渡した。既に最初に戦っていた「アヴェック・スター」の6人は勿論、神様達も気を失っており、さっき戦っていたウバーデゴス、グリッシーニとマリナディアもダイマックスエネルギーの嵐の余波によるダメージで倒れ、またしても戦闘不能となっていたのだった。
うん………でも何で欠片なの。塊は? 無い。聖なる灰は持って来たが、元気の塊は持って来る余裕が無かった。
サンディエゴによると、どうやらインベントリに余裕が無く、聖なる灰と元気の欠片しか持てなかったらしい。回復の薬は「アヴェック・スター」の6人が持っていたのだが、3姉妹との対決で使ったが故にグゥエルと戦うまでに使い切ってしまった為、傷を治す余裕が無くなっていたのだ。
取り敢えず、ジニィと2人にヘイトが向かないように戦う。復活するまでの時間は稼ぐ。それと………1つだけ伝える事があるの。
アイヴァンヌはジニーエイラの耳元で何かを話し、最後の想いを伝える。そして、サンディエゴと共に、グゥエルとの戦闘に立ち向かった。
よーし、行くぜ! え………?あっ!ちょっと!! ジニーエイラさん、今の内です。 僕達が倒される前に、手を打ちましょう。 ………はい!
ジニーエイラは2人に声を掛けたが、後ろからフェリンソワとエオレンスタに止められた。2人の時間稼ぎが間に合えばまだ勝機はあると言い、元気の欠片を1人ずつに食べさせる事に。
俺が上を取る。アイヴァンヌはそれ以外を狙ってくれ。 ええ。何とかしましょう。
その初っ端、サンディエゴの燃え上がる攻撃がグゥエルの上から来る。そしてその隙に、アイヴァンヌの決死の体当たりが繰り出された。
腑抜けた事を………!唯の命知らずか!!
ダイナックルで2人を飛ばそうとするがアイヴァンヌにはダイウォールでガードされ、その隙にサンディエゴからの素早い一撃が飛んで来る。三度、張られたバリアが割れて薄くなっていく。
ぐぐ………なら力で捩じ伏せてやろう。此処で貴様らも塵となれ!
グゥエルの繰り出す、力業の巨大一撃。凄まじい殺気に満ち溢れた彼だからこそ、為せる大技。
(………来る!)
それに負けじと、アイヴァンヌも彼の使う暗黒強打を模倣して剣に乗せ、使ってみるが………
ハッ!愚か者が!!我が拳法の真似事など、100世紀早いわ!!!
叩き付けられた地面の衝撃波に、大きく吹き飛ばされるアイヴァンヌ。やはり模倣したところで所詮はコピーしただけの偽物、それは本物を前にただ沈められる運命でしか無い。だが彼女は最初から、暗黒強打で攻撃する気は無かった。
そう。「本来なら」剣は使わない。暗黒強打はその強烈な一撃を叩き込む拳法………おかしいと思ったよね。
吹き飛ばされた反動で飛び上がり、彼の後方を取る。そして頸を狙い、毒の刃が突き立てられた。
がはああああっ………!!
首筋からは流血し、彼の身体は既に血に塗れている。そのまま、サンディエゴが2度目の火炎の突撃を繰り出す。
ふ、ふふん………勝ったつもりか?まさかそうはならんよな!
吹き飛ばされても尚、この状況で不敵な笑いを浮かべるグゥエル。そのまま、早業の巨大連撃が襲い掛かる。
貴様の炎も岩も、全てこの水で消し流してやろう。ふははははは!!
水流連打が元になった巨大連撃。水の苦手なサンディエゴがこれを喰らえば、当然ただでは済まない。
ぐはっ………!!
突きの連打がサンディエゴを襲う。威力こそ落ちるが、それでも追撃するには十分であった。グゥエルはそこから間髪入れずに水流連打を3発喰らわせ、攻撃で動きが鈍った彼を吹き飛ばす。
うっ…がはぁっ!!!………後は………頼む………
アイヴァンヌにそう伝え���後、ダウンするサンディエゴ。しかしグゥエルもまた、アイヴァンヌから喰らった毒により時折跪いている。その隙に彼女が襲い掛かり、止めを刺そうとする。
ふん!!
しかしながら、グゥエルは突きの連打で逆にアイヴァンヌを防戦一方に追い込んでいく。剣を構えていた彼女は途中からダメージを喰らい、盾に持ち替えていた。
やはり貴様はあの日から………殺しておくべきだった。俺が得た力と代償に失った日常………この重さが分かるか?
空の瞳と桃の瞳、その2つを光らせたアイヴァンヌは込められた怒りと共にグゥエルに返す。
きゃあっ!………それは貴方が………ジニィを………いや、私の友達を奪いに来ていたからじゃない。貴方の様な胡散臭い人に、ジニィを殺される訳にはいかない。でも…後に王に就任したけど、他の世界の人達を守れなかった。だからこそ、綺麗事かもしれないけど………神界に身を置いていた時から言われていた貴方の様な危険な人を、もう放っては置けない。今此処で………他の人達の為に命を賭けて、貴方を止めなければならない!
並々ならぬ想い。それは[Aile]の王になったアイヴァンヌが抱えていた葛藤だった。彼女は時に血を流しながらも、真性のメレンジアとしての生き様を貫く事を決意する。
ふっ。ふはははは、ははは!!流石は真性………メレンジアの頂点に立つ者で無ければ出ない言葉だな。俺の作った失敗作どもとはえらい違う。だがそんな貴様が、何故あんな他にいるであろう友達と言う女の為にその力を振るう?
飛び掛かるアイヴァンヌの剣を止め、そう話すグゥエル。また距離を取るアイヴァンヌは止まって話した。
………ジニィは、私の大事な幼馴染にして友達だからだよ。それ以外には誰かを守る為の理由なんて無い!
膨大なダイマックスエネルギーの暴走と、野生の本能にも似た凄まじい殺気。それが更に加速し、塔が崩壊を始めている。
ほう。………いいだろう。ならばこの殺意、貴様とジニーエイラと言う女に向けて、あの日の復讐を果たしてやろう。死ぬがよい!
互いの暗黒強打による一撃。それらがぶつかって相殺され、力で押されたアイヴァンヌはブロッキングで防御しようとする。だが、それはグゥエルの前では無意味だった。
防御など無駄だ!俺の拳は盾をも貫く!!
手刀により吹き飛ばされ、再びダイウォールを出すアイヴァンヌ。不利であるが故なのか、防戦一方である。
何度やっても同じだ!!巨大な攻撃の前では、その防御など無意味!続けてこれも喰らえ!!
そのアイヴァンヌの胸元に、打ち込まれたのは巨大一撃。そして両腕と両脚に、巨大連撃が叩き込まれた。体勢を崩した彼女に、止めの拳が襲い掛かる。
終わりだ。派手に散れ!
その痛打が彼女の心臓に刺さったのだった。打ち上げられたアイヴァンヌは高い悲鳴を上げ、吹き飛ばされて地面に叩きつけられた。
きゃあああああぁぁぁ!!!………はぁ………はあっ………
しかし、グゥエルも飛ばされて顔面が血に濡れている。実は彼女は、痛打をする機会を狙いカウンターを決めようとしていたのだが、それが何と彼女の右足による蹴りでグゥエルの顔面を薙ぎ払う様に吹き飛ばしていたのだった。
………イヴ!!
元気の欠片を全員に使い切り、アイヴァンヌに駆け寄るジニーエイラ。既に意識が朦朧としており、息絶え絶えの状態である。
大丈夫!?しっかりして! ………ごめんね………もう、だめかも………
涙を流すジニーエイラ。幾らアイヴァンヌが想いを伝え、覚悟を決めた戦いだったとは言え、やはり目の前で彼女を失うのはジニーエイラにはあの時の恐怖が蘇るトラウマでしか無かった。
そんな!私の所為で………また、イヴを失いたく無いよ………。お願い!死なないで!!
首を横に振るアイヴァンヌ。瞼がうっすら閉じており、息が切れそうになっている。だが彼女は、それでも伝えた。
………君の、所為じゃ無い………。私が、決めた事、だから………。責めなくていい………。
………グゥエルを、倒して………。
そして、そう最後に伝えた彼女の瞳は閉ざされ、2度と起き上がる事は無かった。
………え、嘘………嫌だ!やめて!イヴ!!起きて!!いやああああぁぁぁぁっ!!!うわあああぁぁぁん………!!!
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crydayz · 3 months ago
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250521 水
【4:50】
おっさんおばさんって押し並べて自尊感情高すぎなイメージあるんだよな
しかも何の根拠もなく
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まあ「根拠ある自尊感情の低さを維持」しても「なにも得しない」ってのは私も身をもって知っているが、前向きさを演じるに際して何かしらの批判意識は持っておきたい
ネガティブを維持すると事故が起きやすいから消去法でポジティブを選択する
うん、うん。戦略として正しい
戦略とは「戦闘を略す」という事だからな
ネガティブな状態だと足踏みが発生するし迷いが生まれて余計な遠回りをしがちである。これは間違いない
遠回りが発生した時点で戦略は破綻していると評して差し支えあるまい(持久戦に陥ったら基本的に損失は青天井に増えていくと考えるべき)
複数名で戦闘するなら誰かを切り込み役に据えなければならないし、「独りでやる」なら身体の何処かを犠牲にする構えで打ってでなければならない
ウォーキング・デッドでも主人公のリックはいつも被害を最小限に留めようと「様子見」ばかりした結果、身内に甚大な被害を出してしまっていた
つまり仲間にバカが大量にいて、外には人を出し抜こうとするカス人間がうようよいて、その繋ぎとして「ゾンビ」が徘徊しているようなメチャクチャな世界では、犠牲ありきで攻めて攻めて攻めまくるのが正しいのだ
戦争は後手に回ったらダメ
だからまあ、引きこもってても結局なんの可笑しみも感動もなく死ぬ未来が確定してるならば、手続き的にポジティブでアッパーになって自分や他者が被る「残酷さ」を許容してしまえばいい
結局すべては「損得勘定」なんすよ
私は刺激ゼロで退屈に20年生き続けるよりかは、刺激MAXを100日全力で味わって、身体と脳を使い倒してから死にたい
退屈が欲しい! 無感動な時間が欲しい! と思いながら分単位で理不尽な義務に追われるようなデスゲームめいたメチャクチャが一番いい
海外の特殊詐欺集団にでも拉致られて無理やり働かせられたら脳に入ってくる情報多すぎて「願い叶ったァ!!」ってなるだろうな。なんかいずれ●されそうだし
ああ、もう全部台無し。おしまいだ!!
と心の底から本気で思っている時って、なんかちょっと気持ちいいんすよ
事が済んじゃって「もうこんな事するんじゃないぞ?」って言われたあとはつまんない
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そういうのない?
「取り返しがつかない」って感じている瞬間こそが、一番「今を生きてる」感じがするんです、私は
ここでの一挙手一投足、判断の一つ一つが今後の自分の運命をガラっと変えてしまう、極論、寿命を数年、ン十年単位で変動させてしまうという確信
まあ、鉄骨渡り級の「ひりつき」っす
やるんじゃなかった、バカバカバカバカバカ!! わかってただろ!!! って過去の自分にダメ出ししてる時の自分が大好き
半年くらい経つと「まーたやろ♪」ってなる
結構これ、女性っぽい思考だと勝手に思ってます
「壊せる限界まで自分を壊したい」って気持ち、男性よりも女性の方が抱えやすいと思うんですよ
あの負荷を味わったら自分の中の「動物」はどういう反応するんだろう???
という嗜虐心ベースの好奇心
自分の中に理性とは明らかに異なる「動物的で身勝手ななにか」がいて、いつも人生の主導権をそいつに握られてるなーという認知になると、その身勝手なやつを「とことんいじめて」みたくなる
まあ、途中で理性サイドも後悔し始めますけどね...
そのやらかしの過程で他の何にも変換できない「虫歯や腹痛めいた苦痛」を抱えるとさ
これまでの人生経験で「呼吸困難」「骨を切断された痛み」「虫歯(歯というより顔全部が痛い)」「膀胱炎(激痛伴う無限尿意)」だけはどう理性で味付けしても「純粋苦痛」としてしか認識できなかった
「それが死ぬまで続きます」って言われたら「あ、じゃあもういいですすぐ氏にます、一分一秒でも早く終わりたいです」ってなるやつ
限界まで耐えて1週間かなー、もちろん1週間後には痛みが半分くらいになってる想定ですよ? 痛みMAX状態のまま一週間は無理ですよ
だもんで、それ以下の精神的苦痛なら私全然「味変」できるんですよね
全然話が合わない人達と徹夜でカラオケしたりとか
まあ、そんなもん緩いか...
すげーアッパーな陽キャ集団とインラインスケート一緒に滑ったりとか
なんつーか明らかに自分のこと嫌ってる感ある人と気まずいまま何時間も過ごすのとか、かなり好きっす
なんだろう、今俺、存在してるだけでこの人達の中の何かを侮辱しちゃってる?? って感じた時、けっこうゾクゾクする
うわあ、今俺「ハエみてーな不愉快さ」を他人に与えてる...思って
うわ長。なんだこのテキスト
何が言いてーんだ...
共感する人間なんかいるのかこんなもん
【感想】
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shintani24 · 1 year ago
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2024年4月4日
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(耕論)教育勅語という亡霊 長谷川亮一さん、林恒子さん、佐久間邦彦さん(朝日新聞 連載:耕論 4月3日)2024年4月4日に追記
広島市長が市の職員研修で教育勅語を引用していた。しばしば政治家から擁護発言が出るのはなぜか。戦後、国会で失効を決議したにもかかわらず亡霊のように漂う教育勅語を考える。
■「天皇」切り離しはできぬ 長谷川亮一さん(歴史学者)
戦後、しばしば教育勅語を擁護する発言が物議を醸してきました。政治家や財界人など発言者はさまざまですが、擁護の仕方はワンパターンで、要は「中身はすばらしい」です。広島市長の発言にも、「またか」とあきれます。
いうまでもなく、教育勅語は戦前の忠君愛国主義の教育を生んだものであり、天皇のために道徳的であれ、いい国民であれと説いています。それなのに擁護する人たちは、歴史的文脈や天皇の存在を切り離して、「父母ニ孝ニ」や「夫婦相和シ」などの���目だけを取り出して評価します。「天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」、つまり「永遠に続く天皇の運命に命を捧げなさい」という目的が消されているのです。
教育勅語から天皇を消し去れば、もはや「教育勅語」ではありません。教育勅語は「明治天皇の言葉である」ことが大前提で、それが正しさを保証しました。「教育勅語」を語るのであれば天皇は不可分の存在ですし、親孝行などを説きたいのなら教育勅語である必要はありません。
1970年代に本格化した右派による教育勅語復活運動が、今なお続く擁護の声の背景にあると考えています。運動が広めたのが、教育勅語のさまざまな「口語訳」です。「天壌無窮ノ―」の箇所をすっぽり飛ばしたり、「天皇」を「国」にすり替えたりした上で、まるで平和を説いているかのように装う「誤訳」もありました。今なお「中身はいい」という人たちが頻繁に現れることを考えれば、運動はある意味「成功」したと言えるでしょう。
評価する人たちが天皇を切り離すのは、「国体を守れ」などと言っても人々に支持されないと分かっていることの裏返しでもあります。政治家による擁護発言でも全て肯定はせず、「問題はあったけれど」など必ず留保をつける。
それなのに、なぜ教育勅語を語らずにいられないのか。「これしかない」に尽きるでしょう。日本独自の、広く知られる唯一の道徳律が教育勅語なんです。「これしかない」けれど原文は直せない。だから、解釈し直そうという欲望が生まれるのです。
教育勅語を擁護するのであれば、「日本社会を戦前に戻したい」ともはっきり言うべきです。そうであれば、私は評価はしませんが、理解はします。さまざまな文脈を切り離して「中身はいい」と言えると考えるのは、無知に他なりません。(聞き手・田中聡子)
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はせがわりょういち 1977年生まれ。立教大学日本学研究所研究員。専門は日本近現代史。著書に「教育勅語の戦後」「『皇国史観』という問題」。
■子ども、素直に染まる怖さ 林恒子さん(元高校教員)
私が現在の小学校にあたる国民学校に入学したのは1942年です。学校教育は戦争と共にあり、その象徴の一つが教育勅語です。
教育勅語は「畏れ多い」存在でした。入学式や「旗日」に、モーニングを着た校長が教頭からうやうやしく捧げられた勅語を広げて奉読する。子どもたちは直立不動で、頭を下げてじっと聞く。書き写す「謹書」も一生懸命やりました。
今でも印象に残っているのは、学校の2階の廊下の壁一面に掲げられた教育勅語の「絵解き」です。十数枚あったでしょうか。徳目などを描いた日本画が、一枚ずつ額に入れられて並んでいました。「内容も分からずに覚えた」と振り返る人もいますが、私はあの日本画を見て自分なりに意味を理解していました。
一方で、違和感も抱いていました。「我カ皇祖皇宗国ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠(こうえん)ニ」の絵解きには「天孫降臨」が描かれていました。天照大神が地上に送った神々が雲の上に乗っている。「雲は水蒸気なのに、あんなにたくさんの神様が乗れるだろうか」と疑問を抱いたものです。「常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵(したが)ヒ」は、選挙の投票風景なのですが、男しかいない。「日本は天照大神の国なのに、どうして女の人は投票できないんだろう」と思ったことは、我ながらいささか感心します。
当時の私に「天皇のために」という思いを抱かせたものは、教育勅語だけではありませんでした。学校には天皇の写真が掲げられ、修身の教科書を開くときは頭を下げる。天皇の写真が載った新聞を、先生が「汚したり踏んだりしたらいけない」と、写真だけを切り取っていたこともありました。「まじめな良い子」だった私は、そんな雰囲気を吸収したのです。
そこには、子どもだからこその怖さがあります。よく聞き取れない玉音放送を聞いては「しっかりせよ!」という励ましの言葉と受け取り、敗戦を知った後もしばらくは「いつか復讐の時が来る」と闘志を燃やす「軍国少女」に、私は意図せずともなっていました。子どもは素直に染まってしまうのです。
戦後、民主的な教育が目指された一方、その反動も現在まで存在し続けています。教科書検定や教育基本法の改定などを通じて、戦前の教育への揺り戻しがじわじわと進んでいる。そして教育勅語を「中身はいい」と「つまみ食い」する政治家。「バカヤロウ」と言いたいです。(聞き手・田中聡子)
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 はやしつねこ 1935年生まれ。北海道の高校教員として平和教育��取り組み、退職後も講演や執筆活動。編著に「平和と平等を求めて」。
■広島らしからぬ動き、心配 佐久間邦彦さん(広島県原爆被害者団体協議会理事長)
「国際平和文化都市」を掲げる広島市で職員研修に教育勅語が使われたことに大変、衝撃を受けました。私たち被爆者団体は松井一実市長に強く抗議しました。
教育勅語は、親孝行や兄弟、夫婦仲良く、などと述べますが、明治天皇が、当時「臣民」と呼んだ国民に向けたものです。そもそも天皇が家庭のことに介入するのはおかしい。それぞれの家族で判断すればいいことです。
戦後、国会で教育勅語の排除や失効が決議されたのは当然のことです。主権在民の日本国憲法の精神と相いれないのですから。松井市長はそんな古証文を引っ張り出してきたのです。
私自身は終戦の前年に生まれたので、教育勅語による教育は受けていません。しかし、勅語をよく読めば、天皇のための戦争に国民を動員するのが目的だと分かります。そうした侵略戦争の結果、起きたのが広島、長崎への原爆投下でした。だから、被爆者は怒るのです。市長は、教育勅語を使うことについて撤回しないどころか、市民にきちんと説明もしていません。
第2次安倍政権は2017年、教育勅語について「憲法や教育基本法に反しない形で教材として用いることまでは否定されない」との答弁書を閣議決定しました。こうした政府のお墨付きがあるからこそ、松井市長は職員研修で堂々と使えるのでしょう。
歴代の広島市長は、保守的な人も少なくありませんが、被爆者の立場を配慮した慎重な行動をしてきました。しかし最近、松井市長のもとではヒロシマらしからぬ動きが起きています。
昨年は、広島市立の小中高校で平和教育に使われている教材が改訂され、漫画「はだしのゲン」が削除されることが明らかになり、論議を呼びました。市教育委員会は「被爆の実相に迫りにくいから」などと述べています。しかし、戦争がいかに悲惨で人々の心を傷つけるものなのか、「ゲン」ほど、いい教材はないと思っています。
また、平和記念公園と米ハワイ州のパールハーバー記念公園との姉妹協定をめぐり、市の局長が市議会で米国の原爆投下の責任について「議論を現時点で棚上げする」と答弁しました。これも納得できません。
生後9カ月で被爆した私も79歳です。被爆体験の風化という言葉は、使いたくありません。ただ、一連の動きに市民から大きな反応が出ないことが心配です。(聞き手・桜井泉)
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佐久間邦彦 1944年生まれ。生後9カ月で広島市内の自宅で被爆した。三菱重工広島製作所を退職後、被爆者相談所相談員などをへて現職。
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(耕論)「自分の名前」とは 出口顯さん、小国香織さん、高山朝光さん(朝日新聞 連載:耕論 4月4日)2024年4月4日
偽名で何十年も逃げた末、死の間際に本名を明かした容疑者がいた。自分にとって、社会にとって、名前とは何だろう。そして自分の名前を失うこと、名前を取り戻すことの意味とは。
■誕生と死、結びつけるもの 出口顯さん(文化人類学者)
指名手配されながら、半世紀近くも偽名を使って警察から逃げ続けた容疑者が、「最期は桐島聡で死にたい」と語り、名乗り出たと報じられました。
名前は「親からの贈り物」と言われることがあります。何かにちなみ、あやかり、メッセージが込められる。マルセル・モースは人類学の古典「贈与論」で、贈り物を贈られた相手は、同等の返礼をしなければならないという負い目を感じると指摘しました。
名前が贈り物なら、子は親に負い目を感じますが、親に名付けはできません。代わりに、次世代を名付けます。あるいはメッセージを込めようとする。
しかし、偽名で生きた容疑者は、そうした返礼ができなかった。好意を寄せた女性に「幸せにできない」と語ったのも、それを物語っていると感じます。
ただ、名付けをめぐる現在の日本のあり方が普遍的なわけではありません。イヌイットではかつて1人にいくつもの名前があり、ブラジルの先住民には自分が知らない名さえある。名前を口にしてはいけない決まりもあります。
日本の現代の名付けも、明治維新後に始まったものにすぎません。しかし、多くの人は、生まれた時に名付けられた自分の名前が無くなれば、世界が壊れてしまうような感覚を覚えるはずです。生活の中で何度も呼ばれることで、名前が内面化されるからでしょう。
夫婦別姓を求める議論で、自身の家の姓を残すという家父長制的な側面があるにもかかわらず、旧姓にこだわるのは、実務的な不便さだけでないはずです。
容疑者もその感覚から逃れられなかったのではないでしょうか。ただ、それは都市的、あるいは現代的な感覚だとも思うのです。
かつては誕生と死の風景は、土地や家族の結びつきの中にありました。人を名前ではなく、屋号で呼ぶ文化も残っていました。しかし、いまや地域は過疎に直面し、墓じまいも広がる。
結びつきが失われゆく中で、自分自身の誕生と死を結びつけられるものは少ない。生まれた時に与えられた名前はその一つです。
容疑者が偽名で亡くなっていたら、葬儀もなく火葬場に直接送られ無縁仏とされたはずで、時代を体現した死とも言えます。自分を追い続けた権力を出し抜くことにもなった。それをしなかったのは、彼の誕生と死を結びつけるものが、本名しか残されていなかったからなのかもしれません。(聞き手・岡田玄)
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出口顯 でぐちあきら 1957年生まれ。放送大学島根学習センター所長、島根大学名誉教授。著書に「名前のアルケオロジー」。近著に「声と文字の人類学」。
■改姓で実感、失われた人権 小国香織さん(「別姓訴訟を支える会」副代表)
桐島聡容疑者が最期に本名を名乗ったと知り、偽名で生きている間は「本当の自分を生きていない」と感じていたのかも、という思いがよぎりました。結婚により改姓した私には、その感覚が分かります。
ラジオのロシア語講座で聞いたなぞなぞがあります。「自分のものなのに、他人が使うのなんだ?」で、答えは「イーミャ(名前)」。私は「半分合ってるけど、半分足りない」と思いました。「名前は個人の識別のためにある」という認識しか感じられなかったからです。
確かにそういう面はありますが、一方で、自分の名前は常に自分と共にあり、一番使っているのは自分です。名前を呼ばれれば返事をし、名乗ったり、名前が書かれたものを受け取ったり。名字も含めて自分の名前であり、自分が使う自分のものでもあるのです。
選択的夫婦別姓を求める訴訟の原告になった時、ニュースを見たある米国人の顧客が応援の言葉をかけてくれて、こう言いました。「It’s your name,not government’s name!(君の名前なんだから、政府の名前じゃないんだから!)」。まさに「my name(私の名前)」の話をしているのが、選択的夫婦別姓です。それなのに日本では「家族のあり方」の議論にされてしまい、「名前を変えたくない」という本質的な部分が十分には理解されていないように感じます。
この感覚は、名前を失ってみないと分からないのかもしれません。「人権は普段は分からないものだけど、皆さんをこの教室に閉じ込めたらすぐに理解できる」。以前、ある法律家が講義でしていた話です。侵害されないと理解しづらいけれど、失ったとたんに分かるのが人権なんだ、と。私はやっぱり、名前は人権だと思います。
かつて夫婦別姓訴訟で原告団長を務めた塚本協子さんは、事実婚を経て、仕方なく夫の名字に変えていました。集会などで話す時の訴え���とてもシンプルで、「塚本協子で生き、塚本協子で死にたい」。そして、2019年に、塚本協子に戻れないまま亡くなってしまいました。
今、新たな訴訟を支援していますが、細かい情報を集め、積み上げている弁護団の作業を見ていると、ここまでやらなければ自分の名前で生きることの意味や失うことの重大さが伝わらないのか――と残念な気持ちになります。(聞き手・田中聡子)
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小国香織 おぐにかおり 行政書士。2006年、結婚により夫の名字に改姓。11年に提起された選択的夫婦別姓訴訟で、原告団副団長を務める。
■立ち上がる、戦没者の人生 高山朝光さん(元沖縄県知事公室長)
1992年から沖縄県の「平和の礎(いしじ)」建設を担当しました。礎は「いしずえ」の沖縄の読み方です。鉄血勤皇隊として沖縄戦に動員されながらも、くしくも生き残った大田昌秀知事の公約で、戦争終結50年の95年に完成させる計画でした。
沖縄戦は、私が10歳のころでした。沖縄本島北部で、撤退する日本軍の後を追って山を逃げ回る中で、多くの遺体を目にしました。どこの誰かなどわかるはずもない、名もなき遺体です。顔さえわからない日本兵の遺体もありました。
遺骨もない遺族もいます。沖縄には各地に慰霊碑があります。そこに刻まれた名前を、遺族が指先でなぞる姿を、私たちは見てきました。まるで本人がそこにいるかのように。
礎には、敵も味方も関係なく沖縄戦の全戦没者名を刻む。その名を永久に残し、沖縄戦を風化させず、平和を世界に発信する――それが目的でした。
問題は戦没者名の確定でした。すでにあった戦没者名簿には欠落があると研究者から指摘を受けました。
名前は尊厳であり、生きた証しです。完成が遅れる心配もありましたが、趣旨を考え、市町村の協力を得て、全戸調査を実施しました。すると、記録されていない犠牲者の情報が県民から次々と寄せられました。
家族全員が死亡したため戦没者の記録にない一家、確かに生まれた姿は見たけれど、混乱の中で戸籍も登録もなく、誰も名前を覚えていない赤ちゃん……。そうした子は「●●の子」として刻まれています。
20万を超す名が刻まれた礎が物語るのは、沖縄戦の激しさです。名前を刻んだ石が平和を願う波のように押し寄せる、その前で毎年、沖縄戦没者追悼式が行われています。
敵だった米兵や、沖縄の住民を殺した日本兵の名も刻まれていますが、県民から反対意見は一つもありませんでした。憎いのは兵士ではなく、戦争だという県民の思いなのでしょう。
戦後が遠くなり、戦争体験者も減っています。礎が物として残っても、その精神が失われないか心配でしたが、心強い動きも始まっています。礎に刻まれた名前を読み上げる、市民有志の取り組みです。
参加した中学生が言いました。「この人たちが、もし生きていたら」。名前を読むことで、一人ひとりの人生が立ち上がり、あったかもしれない現在を想像する。名前には、そんな力もあるのです。(聞き手・岡田玄)
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高山朝光 たかやまちょうこう 1935年生まれ。NHK沖縄放送局副局長、沖縄県知事公室長、県政策調整監、那覇市助役などを歴任。沖縄平和の礎の会会長。
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男性で国内最高齢の112歳死去 千葉・館山の薗部儀三郎さん(時事通信)2024年4月4日
男性で国内最高齢だった千葉県館山市の薗部儀三郎(そのべ・ぎさぶろう)さんが死去したことが4日、同市や厚生労働省への取材で分かった。112歳だった。死去した日時や死因は公表していない。
薗部さんは1911(明治44)年11月生まれ。2022年11月に広島県の男性が111歳で死去して以降、国内の男性で最高齢だった。
新型コロナ 広島県の新規感染者2%増 8週ぶりわずかに増加 4日発表(テレビ新広島)
新型コロナウイルス。広島県は4日、先週1週間(3月25日~3月31日)に広島県内の定点調査で確認された新規感染者数は417人、定点あたり3.69人と発表しました。
1月29日の週は、去年5月8日に新型コロナが5類に移行して以降、最多となっていましたが、先週は前週と比較すると感染者数は2%増となり、8週ぶりにわずかに増加しました。(前週は410人、定点あたり3.63人)
広島県は、現時点で医療がひっ迫している状況にはないが、引き続き手洗いや換気など基本的な感染対策をするよう呼び掛けています。
このほかの感染症ではインフルエンザ、咽頭結膜熱について、県は引き続き警報を発令し警戒を呼び掛けています。
※「5類」移行後、広島県内の感染者数
5月8日~14日 259人 定点あたり2.31人
5月15日~21日 253人 定点あたり2.26人 前週比 横ばい
5月22日~28日 266人 定点あたり2.38人 前週比 横ばい
5月29日~6月4日 344人 定点あたり3.07人 前週比 微増
6月5日~11日 443人 定点あたり3.92人 前週比 微増
6月12日~18日 493人 定点あたり4.36人 前週比 微増
6月19日~25日 532人 定点あたり4.71人 前週比 横ばい
6月26日~7月2日 771人 定点あたり6.88人 前週比 微増
7月3日~9日 1,060人 定点あたり9.46人 前週比 微増
7月10日~16日 1,245人 定点あたり11.12人 前週比 微増
7月17日~23日 1,548人 定点あたり13.82人 前週比 微増
7月24日~30日 1,783人 定点あたり15.92人 前週比 微増
7月31日~8月6日 1,639人 定点あたり14.77人 前週比 横ばい
8月7日~13日 1,302人 定点当たり11.94人 前週比 微減
8月14日~20日 1,601人 定点あたり14.29人 前週比 微増
8月21日~27日 1,633人 定点あたり14.58人 前週比 横ばい
8月28日~9月3日 1,637人 定点あたり14.62人 前週比 横ばい
9月4日~10日 1,697人 定点当たり15.02人 前週比 横ばい
9月18日~24日 1,073人 定点あたり9.58人 前週比 微減
9月25日~10月1日 880人 定点あたり7.79人 前週比 微減
10月2日~8日 535人 定点あたり4.73人 前週比 減少
10月9日~15日 411人 定点あたり3.64人 前週比 微減
10月16日~22日 303人 定点あたり2.71人 前週比 微減
10月23日~10月29日 321人 定点あたり2.84人 前週比 横ばい
10月30日~11月5日 285人 定点あたり2.52人 前週比 微減
11月6日~12日 189人 定点あたり1.67人 前週比 減少
11月13日~19日 194人 定点あたり1.72人 前週比 横ばい
11月20日~26日 300人 定点あたり2.65人 前週比 増加
11月27日~12月3日 306人 定点あたり2.71人 前週比 横ばい
12月4日~10日 313人 定点あたり2.77人 前週比 横ばい
12月11日~17日 356人 定点あたり3.15人 前週比 微増
12月18日~24日 360人 定点あたり3.19人 前週比 横ばい
12月25日~31日 671人 定点あたり5.94人 前週比 増加
1月1日~7日 682人 定点あたり6.04人 前週比 横ばい
1月8日~14日 918人 定点あたり8.21人 前週比 微増
1月15日~21日 1,291人 定点あたり11.42人 前週比 微増
1月22日~28日 1,598人 定点あたり14.14人 前週比 微増
1月29日~2月4日 1,944人 定点あたり17.36人 前週比 微増
2月5日~11日 1,751人 定点あたり15.77人 前週比 微減
2月12日~18日 1,056人 定点当たり9.43人 前週比 微減
2月19日~25日 849人 定点あたり7.51人 前週比 微減
2月26日~3月3日 623人 定点あたり5.51人 前週比 微減
3月4日~10日 593人 定点あたり5.25人 前週比 横ばい
3月11日~17日 538人 定点あたり4.76人 前週比 微減
3月18日~24日 410人 定点あたり3.63人 前週比 微減
3月25日~31日 417人 定点あたり3.69人 前週比 横ばい
※前週との比較
急増減…1:2以上の増減
増減…1:1.5~2の増減
微増減…1:1.1~1.5の増減
横ばい…ほとんど増減なし
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picnicism · 2 years ago
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 年初来、能登半島を襲った大地震で身の回りも騒がしくしております。被災された方々や亡くなられた方、ご遺族の皆さまには深くご同情申し上げます。  また、激甚災害への対応につき、救難や復興に努力されている政府関係者や公務員の皆さま、消防・警察・自衛隊や海保の皆さま、道路や電気関係、通信関係など民間事業者の皆さまにも深く御礼申し上げます。  私の関係する大学や施設が甲信越に集中していることから、年始早々から慌ただしく私もあれこれ対応しておりました。通学していた大学生が帰省中に被災し残念なことになってしまったのはさすがにショックで、居ても立っても居られない学友の皆さんが大学の手配で現地の復興ボランティアに登録することになったのは、凄惨な災害に対する人々の心のつながりが再確認できたところではあります。  現在、被災地各地ではボランティアの募集をしている自治体もありますが、ボランティアなどが現地入りして問題ない状況であるかは受け入れ先の自治体によって状況が異なりますので、検討されている方はまず自治体サイトなどでチェックしてみていただければと存じます。  で、今回能登地震といっても被災地の「石川県」は能登と加賀では状況が異なり、金沢では震源地よりやや遠く普段通りの生活となっている一方、逆に震源地に近い富山県氷見市などでは一部の生活インフラに影響が出たと見られます。  経済的な復興支援をお考えであれば、被害はなかったけど客足の途絶えた石川県の金沢周辺や富山県、福井県あたりを訪れて飲めや歌えとおカネを落とすのが最適ではないかなと思いますのでご一考ください。 過酷な状況に心を折ってしまって失意のうちに帰ってくる子たち 「まずはできることから」ということで、大学や関係先に集まってきたボランティア希望者のうち40名ほどが避難所での物資輸送や割れた道路にはみ出たがれき撤去などの作業をするというので送り出したのですが…現地に行って、数日ほどで過酷な現状に心を折ってしまって失意のうちに帰ってくる子が複数出ております。  この記事を書いている間にも、メンタルやられ気味の子からのSOSが舞い込んできたので「世話になったお礼だけ頭下げてしてきて、すぐ帰っておいで」と促したりしております。  送り出した側からすれば「え、もう帰ってくるの」と言いたくなるところではありますが、オンラインとはいえ窓口をしている私としては彼らが直面した被災地の状況に思いを致すと「確かに非日常すぎて、単に善意で現地に行ってもなかなか大変なんだろうな」と思う部分はあります。  ボランティアとして入れる避難所は割と震源地より遠く、道路も復旧して二次避難も要らない(かもしれない)という状況だったようなのですが、その避難状況というのは声もかけられないぐらい悲惨で、職員も被災者も疲労困憊の状態のため口数も少なく、報告を聞く限りでは、ボランティアの若い人に対して「動きが遅い」とか「こんなこともできないのか」などと非常に攻撃的な口調で命令されたり批難されたりされるケースもあったようです。  人間、長く生きていても想定外に辛いことが起きるとギスギスしてしまうことは往々にしてあり、ましてや突然の被災で住み慣れた我が家を追われて不自由な避難所生活を送ったり、身近な家族・親族の不幸もあって心に傷を抱いたりしながら、はっきりしない未来に不安を抱いて暮らしている人たちのことを考えれば、恨み言のひとつも言いたくなって当然です。  福島で復興庁の作業も多少は経験している私からすれば、そういう彼らの「ボランティアで行ったのに召使のように使われた」というのは定番の愚痴ですが、それを乗り越えて被災した人たちや、日々現地で奔走する地方公務員の皆さんに寄り添えるかどうかはかなり人格の深さを持った子か、黙々と物事に取り組めるタイプの子しか順応できないように思います。 後悔ばかり抱いて何とか戻ってきた  また、状況が分からず所属したNPO団体の仕立てたワゴン車に乗ったまま能登半島奥地まで行ってしまった子が精神的にも肉体的にも大変衰弱した状態で帰ってきていました。  さながら現地は戦場みたいなもので、被災者を差し置いて勝手に水洗トイレを使うことはできないが軽装備でNPO団体が現地入りしたため手持ちのトイレットペーパーもすぐに底をついただけでなく、食糧も水も不足しているばかりか帰りのガソリンも心許ない状況だったことで、何のために現地に行ったのかという疑問と調べず安易に来るんじゃなかったという後悔ばかりを抱いて何とか戻ってきたとのことでした。  さらに、野外活動中に割と強めの冷たい雨が降ったことで、これはもう居られない、助けに来たのに自分がどうにかなってしまいそうだと感じたそうです。  人生、勉強の連続であります。  そういう非常時もあるのだといういい経験をしたのだと声を掛けてあげたいけど、人間、若くても数日飯が喰えず先が見えない環境に放り込まれると途端に衰弱してしまうのだ、というのは大事な知見だろうと思うのです。とはいえ、いい経験したじゃないかと肩を叩いて激励できるような状況に戻るまでどのくらいかかるのかよく分かりません。  通信が回復した被災地の避難所からは、一日何回か、まだ現地で頑張っている子たちから連絡を頂戴します。現地で盗難があるという噂でピリピリする中で変な疑いをかけられそうになって参ったとか、普段運動していなかったので被災地では朝から晩まで荷物を運ぶことになり身体が辛いとか、そういう話はたくさん来ます。  何事もない日常が、こんなにありがたいものなのだと思えたというのは共通した意見で、靴底の薄いスニーカーを履いて現地に行った子が倒壊した家屋のがれきに刺さっていた釘を踏み抜いてしまい帰ってきたのを見ると、学びというのはそういうところにあるのだと思わずにはいられません。  地方の大学は特に、地方公務員を目指す子たちが一定数いることもあって、公的な仕事で頑張るに当たって、こういう天災が起きたときに率先して住民のために働く使命を負っていることを体験できるのは大事なことだろうと思います。他方で、普段見ていて人格円満で、褒められて育った自信満々の子たちが、現地入りした割と早期からストレスを溜めた被災地の皆さんとのコミュニケーションに行き詰まり、帰ってきてしまう現象が今回特に多いような気がしています。 同情や善意だけでは、理不尽な環境を乗り越えられない  落ち着いたところで全員に話を聞きたいところなのですが、少し話を聞いた限りでは、やはり大変な経験をされた被災地の人たちへの同情や善意だけでは、理不尽な環境を乗り越えられるだけの覚悟や準備ができていなかった、ということのようです。 キラキラした瞳で「被災地を助けたい」と両手に同情と善意とを抱えて悲惨な現地に行った若者が、理不尽で不合理な現実に打ちのめされて死んだ魚の目になって帰ってくるわけですよ。  そもそも天災なんてものは理不尽の塊で、その理不尽な事態で苦労している人たちは疲れ切っており、剥き出しの人格がストレスで表出してしまうのは仕方のないことなのです。  そして、いまの若い人たちの普段の家庭や学生生活において、存在自体をいきなり否定されたり、身に覚えのないことで叱責されたり、本人なりに頑張っているのに感謝されないどころかまったく認めてもらえず、新たなしんどいタスクをどんどん要求されたりするような過酷な状況は昨今そこまでないんじゃないかと思うんですよね。  意味のない変な校則に縛られたり、不思議な教師からブチ切れられる程度の経験しかないと、なかなかこの辺の理不尽を捌くコントロールはむつかしいのかなあとも感じます。  何かしてあげて、素直に「ありがとう」と返してくれる人が少数であったとしても、あるいは、挨拶をしても無視してくる人たちが仮に過半だったとしても、気持ちの続く限り何かをしてあげ続けなければならないし、皆さんに挨拶やお声がけを繰り返す必要があります。  かといって、女の子が現地入りして気さくに対応していたら性被害を受けかねない状況になったという話もある以上、なるだけ妙齢の女性は単独で現地入りしないことはやっぱりマストなのかなと思ったりもします。ジェンダー問題というのはある程度状況が落ち着いている環境でしか成立しない面もあるのかなと強く感じるところです。  被災した人たちに対して必要���ことは圧倒的な物資とそれに伴う安心感に尽きるのかなあと思うところがあって、あなた方の生活は当面大丈夫ですよと一刻も早く言ってあげられる状況にすることが政治に期待されることなのでしょう。 被災した方々の生活をどこまで復興させるか  他方で、災害復興に関しては東日本大震災とそれに伴う福島第一原発事故の影響で15兆円以上の国富が復興庁などを通じて被災地に注ぎ込まれ、また、熊本地震や北海道胆振東部地震でも激甚災害の指定と共に被災した人たちの生活をどこまで復興させるのかという議論が繰り返し行われてきました。  おそらく、今回被災した奥能登の集落などは高齢者の極めて多い人口構成から、復興で「元の生活に戻す」選択は政策的に採用し得ないことも踏まえて地域や住む人たちにとって何が最善かは考えていく必要があります。  元旦の災害対応としては総理の岸田文雄さんの対応はほぼ完璧だった一方で、限られたリソースの中で、どこまで現地に寄り添って能登半島の復興に力を注ぐべきなのかという程度問題について、きちんと議論していかないとなあと感じる次第です。  …と、ここまで書いたところで、学校でボランティア部なるものに入っている長男が被災地に行くかどうか悩んでいたので、いやせめてちゃんと大学入って超身体鍛えてからにしろよと、親として思いました。
褒められて育った子が災害ボランティアをすぐにやめる理由…綺麗事ではない理不尽な世界を生き抜く知恵の不足 | 文春オンライン
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