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#しなければならないの同義語は執着
houteiyugi-movie · 6 months
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特別講義 in 専修大学のイベントレポートが到着!
公開を前に本日10月26日(木)、映画の舞台にロースクールが設定されていることにちなんで、法律家を志す学生が集う専修大学法学部の法廷教室にて本作の特別試写会を開催!上映後には原作小説を手がけた五十嵐律人さん、本作の深川栄洋監督、専修大学法学部の関正晴教授による“特別講義”と称してトークイベントが行なわれました。さらにイベントの途中で、法律家を目指す学生たちにエールを送るべく、主演を務めた永瀬廉さんがサプライズで登場!学生との質疑応答も行なわれ、会場は大きな盛り上がりを見せました。
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弁護士でもある五十嵐さんは、原作となる小説を執筆したきっかけについて「もともと法律が好きだったんですが、その面白さがなかなか法律に携わってない方に伝わらないという思いがあり、小説という形で法律の面白さを描けないかと考えました。映画でも出てくる“無辜ゲーム(※生徒たちがゲームとして繰り広げる模擬裁判のようなゲーム)”がアイディアの着想となり、そこからどんどん発展していきました」と明かしました。
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深川監督は、この小説を映画にする上での難しさについて「まず法律用語が難しい(苦笑)。若い人にどう見てもらい、乗ってもらうか? どういうふうに広い裾野に物語の面白さ、法律の面白さと危うさを感じさせるかが難しいポイントでした」とふり返りました。
そうして完成した映画について、五十嵐さんは「どの時間を切り取っても面白い。事件だけでなくそこに至る過程や裁判のパートも飽きさせない工夫や展開の仕方があって、原作をより面白く、エンタテイメントにして完成させてくださって感謝の気持ちでいっぱいです」と称賛を送りました。
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関教授は法律家の視点で、本作について「いろんな場面で法律の制度や手続きについて出てきますが、そこをうまく使うというのが(よい)アイディアだなと思いました。時効や再審制度、証拠の追加などもそうですし、証人尋問のシーンは特に感心しました。一問一答で現実の裁判に近いものを感じました。普通の刑事ドラマだと主人公が喋りまくって尋問している感じではないんですが、今回の映画は尋問の仕方が実務に近かったです」とそのリアリティを含め、絶賛!これには五十嵐さんも「刑事訴訟法を専門にしている先生のお墨付きをいただけて嬉しいです」と笑みを浮かべていました。
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そして、イベント中盤に完全サプライズで主演の“セイギ”こと久我清義を演じた永瀬さんが登場すると、会場は悲鳴のような歓声に包まれました! 真ん中の裁判長の席に座った永瀬さんは「緊張します…」とはにかみつつ「(映画の中では弁護士なので)こっち側じゃなかったので、ホンマに全部が見渡せる席で、特別な感覚がありますね」とご満悦。学生たちに向けて「弁護士の役をやらせていただき、ロースクール生の頃も少しだけ演じさせていただいて、弁護士になるために並々ならぬ努力をしないといけないことをこの映画を通じて学びました。みなさんも、そういう思いをされてい��かと思うと、少しだけみなさんのお気持ちがわかるし、親近感がわきます」と笑顔で語りかけました。
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そんな、永瀬さんの劇中での弁護士ぶりについて、関教授は「一問一答の形式で、テキパキと杉咲花(織本美鈴役)から言葉を引き出すところの歯切れが良く、まさに法廷でやっている尋問に近かった」と称え、永瀬さんは良い弁護士になれるか? という質問に「訓練を積んでいけば」という条件付きで太鼓判を押しました。これには、法律用語のセリフに苦戦したという永瀬さんは「えげつない訓練じゃないですか!」と苦笑いを浮かべていました。
学生の中には劇中の無辜ゲームのようなことをやった経験があるという人も。ある学生は、この法廷教室で「模擬裁判をやりました。学生が一からシナリオを考えて、役になり切りました」と明かしました。ちなみに裁判の中身は「殺人事件で死刑か? 無期懲役かなど量刑の争い」とのこと。
別の学生は「おとぎ話の『ヘンゼルとグレーテル』を題材に、2人が魔女を殺したことを立証できるか?」というユニークな模擬裁判をやったと語りました。これに“裁判長”永瀬さんは「テーマが面白いですね!」と感心しつつ「ヘンゼルとグレーテルについてそこまで知らないけど、殺すのは良くないですね。有罪で!」と即判決を下し、会場は笑いに包まれました。
また、法律を学んでいた役に立ったことについて、ある学生は相続法の知識を今後の遺産相続の際に活かせると明かし、労働法を専門とする別に学生は、アルバイト先での有給や休業補償について、バイト先に働きかけた経験を明かし、永瀬さんは「法律は僕らの生活と切り離せないので、知っておいて損はないですよね。知識があると、行動もできますもんね」と感心しきりでした。
またある女子学生は永瀬さんに「法律を学んでいる女性のイメージ」についての質問が。永瀬さんは、法律家になるための勉強の大変さやその量の多さに言及しつつ「過酷な状況に耐えられる忍耐力がある強い女性が多いのかなと思います」と語りました。
また、学生からは本作の撮影において苦労したことについての質問も。永瀬さんはやはり、耳慣れない法律用語に苦労したようで「発音も含めそれらをすらすら言わないといけなくて、常にそうした言葉が板についている感じで芝居をしないといけない。一度、法廷シーンで噛んでしまって、長回しでみなさんに申し訳なかったですが、2回目ももっと噛んでしまって…(苦笑)。スイッチが入ると取り戻しづらい空気感で、大変でした」と緊張感のある法廷シーンならではの苦労も明かしました。
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五十嵐さんは、そんな永瀬さんについて「なりたての弁護士という役で、専門家だけどわからないところもあるんですよね。僕も同じ気持ちでしたし、そういう不安や悩んでいる姿や、法律家も完璧じゃないところを表現されていて素敵でした」と自身と重ね合わせてその演技力、表現力を称えました。
さらにある学生からは、King & Princeが歌う本作の主題歌「愛し生きること」について「お気に入りのフレーズは?」というユニークな質問も!永瀬さんは「綺麗な嘘で抱き締めるから」というフレーズを挙げ「全体的に今回の映画のために作られていて、バシッとハマった感覚があるし、どこかで救われた自分がいる感覚もあります。『綺麗な嘘で抱き締めるから』という言葉は、どこかでセイギの美鈴(杉咲花さん)に対する気持ち、馨(北村匠海さん)に対する思いに通じる部分があると思うし、好きです」と明かしてくれました。
イベントの最後に永瀬さんは「この物語はセイギと美鈴と馨がメインで進んでいきますが、それぞれが抱えている過去や思い、人それぞれに自分の正義感があると思うけど、その正義感や信念を突き通すことの苦しさ、つらさ、難しさも含めて描かれてると思います。あまり、法律が近くない存在の人十分に楽しんでいただけると思うし、映画をきっかけにもしかして法律に興味持ってくださる方もいるんじゃないかと思います。余白を残して、考えていただくところが多々ある映画なので、見終わって感想を話し合って、それぞれの意見を交換し合っても面白いと思います」と呼びかけ、温かい拍手に包まれてイベントは終了しました。
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公式サイト
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mlyzvt-no2157 · 7 months
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YさんのAV男優スカウトとOさんのデマ事件
前の会社で起きた変なエピソードをご紹介したいと思います。
就職して間もない新人の頃、私が担当していた地域は、現在担当している中東・北アフリカなどのアラブ圏ではなく、インド・パキスタンが昔から領有権を巡って紛争の火種になっているインド北部のカシミール地方だった。 私はインドへはカシミール地方(主にスリナガルか、ラダック)しか行ったことがないのだが、カシミール地方は、俗に言うインドの有名観光地(デリー、カルカッタ、バラナシ、アグラ、ブッダガヤなど)とは全く異なる雰囲気らしく、インドがイギリス領だった頃のイギリス貴族の別邸があったり、当時、避暑地としての高級リゾート地だった名残を残している。
雪を抱いたヒマラヤの山々と湖が織りなし、三角屋根の可愛らしい家々や、湖に浮かぶボートハウスなどが、雄大な大自然に恵まれたカシミール地方の美しさを引き立てており、治安さえ安定すれば、ここは素晴らしい観光地になるだろうと、訪れる度に思っていた。
カシミール地方を担当していた頃、一緒に取材に行く映像部門のカメラマンに40代半ばのYさんという中間管理職の男性だった。
どちらかと言えば、この会社では、何故か容姿や体格にやたらと恵まれた男性が多い(特に営業部)中、Yさんに至っては、ごく普通の風貌だった。 身長も恐らく、175cmぐらい(当時の40代半ばの175cmだと世間一般では、高いのかもしれないが、大学&大学院で所属していた研究室と、前の職場の男性は異様に背が高い人が多く、仲良くしている男性社員は全員180㎝台後半だったし、私の親兄弟&親戚&夫&夫の親戚も皆異様に背が高く、明治生まれの祖父でさえ、185cmという背の高い家系なので、男性で175cmだと低いと思ってしまう💦)の瘦せ型で、特にイケメンという訳でもなく、ごくごく普通のオジサンという印象だった。
重い機材を持ち運ぶカメラマンらしく、Yさんの浅黒く日焼けした身体は引き締まっており、白髪も無いフサフサとした黒髪は豊かで、弛みの無いシャープな顎は実年齢よりもYさんを10歳ぐらい若く見せており…と誉め言葉を連ねたいのだが、中年男性特有の(?)顔のテカりを営業部の次長のOさん(ハリウッドスターのロバート・レッドフォードさん似の高身長痩身の男前で、海外ハイブランドのスーツを格好良く着こなし、営業成績も良く、見た目だけは、モデルや俳優のような完璧な容姿。だが、性格と言動はかなり問題アリな人)にからかわれ、Oさんからは『てっかりん』と呼ばれていた。
Yさんは、奥様と二人の娘さんがいる、ごく普通の妻子持ちのサラリーマンである。 ちなみに、娘さん二人は、Yさんには全く似ておらず、奥様に似た美人姉妹で日本最高峰の国立大学に公立高校から予備校にも通わずに、通信教育だけで現役で合格した超秀才の、非の打ち所がない才色兼備の美人姉妹である。
だから、心無いOさんは、『Yさんの娘さんは二人共、奥様と間男との不義の子だ』なんて酷い噂を流していた。だが、Yさんはおおらかで、寛大な方だったので、Oさんの悪意も笑って受け流してしている、非常によくできた人間だった(多分、私がYさんだったら、そんな噂を流されたものなら、OさんやOさんの上司のTさんにブチ切れたあげく、人事部の部長に報告し、名誉毀損で損害賠償を請求すると思う)。
そんな、お人好しのYさんが、ある休日に、彼の趣味であるパラグライダーの用品を買おうと渋谷を歩いていたら、スカウトされたらしい。 何にスカウトされたかというと、なんとAV男優へのスカウトだったらしい。 Yさんは、その場で断ったらしいが、1出演あたり、50万円のギャラを支払うから、どうか、撮影現場だけでも来て欲しいとスカウトしてきた人に懇願されたらしいが、YさんはAVなんかには絶対出演したくなかったし、そもそも自分はカメラマンで、撮影する側であり、撮影される側ではないと、断ったらしい。スカウトの人は残念そうに、名刺だけYさんに渡して、気が変ったら、是非連絡をくださいと言い残して、残念そうに去っていったらしい。
Yさんは、帰宅してから奥様に渋谷でAV男優にスカウトされた事を話したらしい。 すると奥様は「よかったじゃない。AV男優にスカウトされるなんて、あなたは、40代だけれど、まだまだ男性として魅力があるってことよ。でも、まあ普通、AVの出演は断るわよね」と言ったそうだ。
すっかり気を良くしたYさんは、次の出社日にスカウトされたときにもらったAV制作会社の名刺を持って、意気揚々として、『渋谷を歩いていたら、一回あたりの出演ギャラ50万円のAV男優にスカウトされた』と誇らしげに語っていた。 YさんがAV男優にスカウトされた話は、お喋りや噂好きのOさんの耳にも届き、会社中どころか、関連会社、子会社の社員までが知る事となってしまった。
YさんのAV男優スカウトの話題が社内で落ち着いた頃、私はセミナーで自分と同じくカシミール地方の紛争取材を担当している同業種の他社で働いている知人記者とバッタリ会った。 その知人記者とお昼休憩で、一緒にランチをしていると、こんな会話になってしまった。
「みずほさんの会社にYさんっていうカメラマンの方がいらっしゃいますよね?」 「ええ、いますよ。私とペアを組んでいるカシミール担当のカメラマンです」 「あのYさんって凄いですよね~。カリスマAV男優の●●さんと共同出演してゲイAV界で華々しくデビューして初版のDVD発売数は500万部って聞きましたよ~」
私は思わず、飲んでいたお茶を吹き出しそうになった。 なぜ、そんな噂が流れているのか?! カリスマAV男優の●●さんは、確かにカリスマAV男優だけれども、ゲイAVに出演するなんて聞いたこと無いぞ?しかも、その相手がYさんだなんて、一体何処からそんな情報が出たの?? 私は心の中で何度も疑問を反芻していた。
「…!!!えっ?それ、完全にデマですよ?Yは確かに、AV男優にスカウトされましたけど、スカウトされたその場でAVの出演を断りましたけど?しかも、ゲイAV男優じゃなくて、普通のAV男優として、スカウトされただけですけど?」 「えっ?だって、御社の営業部のOさんが、ウチの△△部長にそう言ってましたよ」 「いえいえ、その話は、真実に尾鰭が付いたデマです。YはAV男優にスカウトされただけですし、その場で断ってますし。真実と異なるいい加減な情報をOが流してしまい、本当に申し訳ございません。どうか、△△部長殿にも、デマだとお伝えいただけますか?」 「Yさんと一緒に仕事をされているみずほさんが、そう仰るなのなら、それが事実なんですね、分かりました、伝えておきます。」
このとき、私は口から心臓が飛び出るかと思うほどビックリしたし、顔から火が出るほど恥ずかしかった。 なぜ、Oさんは、いつもいつも真実ではなく、余計な尾鰭、背鰭、胸鰭、尻鰭まで付けてデマを流すのか。 しかし、よくこんなぶっ飛んだデマを思い付くモノだなってOさんの発想力に感服すると共に、冷静になればなる程、Oさんに対する不信感が募ってきた。 百歩千歩譲って社内や関連会社の人間だけならまだよしとしても(本当は全然よくないが)、全く違う会社の人に、こんなデマを伝えるなんて、この業態に身を置く人間として許されないのではないか?という怒りがこみ上げ、午後からのセミナーは殆ど身に入らならかった。
その日は直帰していい事になっていたが、私はセミナーが終わるなり、会社へと急いだ。 自分の部署の扉を開けるなり、私は大声で
「Mさん!!Oさんのせいで、大変な事になりかけてましたよ!!」
と叫んだ。 てっきり、私が直帰するとばかり思っていた上司で部門長のMさんは私が物凄い剣幕でまくし立てたので、ビックリして飛び上がりそうになっていた。
Mさんは、取り合えず、私に落ち着く様にと言い、何が起こったのか順を追って説明してくれと言った。 私は知人記者から聞いた「YさんAV男優スカウト事件」について、Oさんがトンデモナイ尾鰭、背鰭、胸鰭、尻鰭まで付けて、社外の人に真実と異なる事を喋っていた事を伝えた。 そして、これは職務上、聞き洩らしや言い間違いなどの齟齬を防ぐための、私のいつもの習慣なのだが、ボイスレコーダーを再生し、知人記者との会話をMさんに聞かせてみせた。
Mさんは、Oさんが盛った話があまりにコミカルでぶっ飛んでいたので、最初はお腹を押さえて大笑いしていたが、一通り笑った後、「イカン、イカン、笑い事じゃなかったな。営業部と人事部に報告に行こう」と言い、私を同行させた。
この業界は色々な人間や組織を相手に取材を行い、取材から得た情報を提供する事が仕事である。 だから、提供する情報は真実と異なる物であっては絶対にならない。 勿論、知っている情報から憶測でモノを言うこともご法度である。 これは、新入社員の時に厳しく言い聞かされた事であり、私のように執筆に携わる者だけでなく、間接部門や管理部門でも周知徹底している当然の鉄則である。 ましてや、社外の人との交流が多い、営業部の、部門長のTさんの次に偉い人間であるOさんがデマを話すなんて言語道断である。
幸い、Oさんが話した内容は、相手方企業の方があまり興味を持たなかったので、事無きで済んだ。 しかし、Oさんが盛った話の中で、Yさんの相手役になっていた●●さんというAV男優は、AV界では、カリスマAV男優として名を馳せている(特定の分野に限ってではあるが、ある意味)著名人である。 もしも、Oさんがデマを話した相手方企業が、Oさんの話に興味を抱き、カリスマAV男優の●●さんへ取材を申し込んでいたりしたら、当社は信頼を失墜する恐れすらあったのだ。
この事は人事部長の逆鱗に触れ、Oさんは1週間の出勤停止処分となり、Oさんの上司のTさんも部下の監督不行き届きで厳重注意処分となった。
人事部長と営業部の部門長のTさんには、よく炎や火事になる前に煙の状態で火消ししてくれたと感謝されたが、当然ながら、Oさんには恨まれた。私はこのAV男優スカウト事件以来、Oさんにしょっちゅう落とし穴を掘られたり、地雷や罠を仕掛けられるようになり、Oさんとの長い戦いの始まりであった。
だが、滅茶苦茶酷い噂を流されても、「まぁまぁ、Oさんは面白い話をしたかっただけだと思うし、よくそこまでぶっ飛んだ噂に飛躍できるなって、ある意味Oさんも盛った話は笑いのネタとしてはもってこいだから、僕は気にしてないよ」と、笑いながらOさんを許したYさんは、本当に寛大な人間だと思う。 私もYさんの寛大さとおおらかさを見習わなければならないと思った瞬間だった。
残念ながら、私は���年後にカシミール地方の担当を外れ、アラブ圏(主に中東・北アフリカ)担当になったので、Yさんと一緒に仕事をしたのは2年間だけだった。
中東・北アフリカ担当になり、カシミール担当時代よりも、遥かに過酷な現実や心が折れそうになる悲惨な世界や事柄を沢山目の当たりにした。だが、挫けそうになる度に、私はYさんの事を思い出した。 まだ、右も左も分からない新人の頃に、Yさんからは、この業界に身を置く者としてのイロハを沢山教えて頂いた。
Yさんから教えて頂いた沢山の事は、今でも私の心の支えである。
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lllusioninthehead · 2 months
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2024/3/5
いま、思えばなぜ紹介してくれた女の子は話してくれたのだろうと思う。人によってはアレルギーのある話だ。その友人の女の子が凄い霊能者と会ったと興奮気味に語ったときも最初はやや眉唾であった。占いは信じない質なのだが、本当に見える人が世にいるのは知っていた。友人の中でも2人いてよく面白半分で体験談を聞いていたし、常識や科学では説明がつかないようなことも自身でも経験したことがある。まぁ、時としてこういうのって全能感に繋がったり、自分は選ばれた人間だ。なんて勘違いした輩を生むし、金持ちがお金を吸い取られる様も見てきた。1時間20分で10000円が高いのかわからない。占いにしては高いし、本当に見えるのならば安い気もする。
紹介者の女の子からは10000円以上の見返りを求められたという話はなく、客を選んでる感じもない。誰でも紹介してくれて大丈夫だと言われてるそうだ。
ならば、早速と紹介を頼むとあっさりとLINEの友達紹介が送られてきた。ここでは仮に“四季さん”としよう。◯◯から紹介されました。お会いしたいのですが可能でしょうか?と送ると数時間後に時間と金額と場所、そして日時の提案があった。
一度、四季さんの仕事の都合でリスケはあったもののすんなり会うことができた。別で仕事をしてるんだと頭に浮かんだが。まぁ、そういう人もいるかとすぐに疑問は打ち消された。
会うまで2週間程度。何を相談しようかと考えていた。当面の課題いくつもあれど、大体は方向性が決まっている。相続問題には弁護士が入った。家を建てる話には土地が決まり地盤調査が無事に終わりそうだ。奥さんの家族とそりが合わない問題も心のなかで決着を見ている。奥さんにも素直に話せているので距離感が遠くなり楽になると思う。新しい仕事を1つ考えていてこれは確かに相談したいかもしれない。あとは何と言っても拠り所のない自分のこと、知りようも無い飼っていた犬の気持ち。そして四季さんへの好奇心もある。ただ、最後のこれはどこまで聞いて良いのかわからなかった。
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当日はひとつMTGをこなし、都心の街に出た。待ち合わせに遅れるのは苦手なので30分前に着いてしまった。まぁ、いいか。と久々に訪れた街をブラブラ歩いた。もし、すべて見れる人ならばこんな光景も見られているのかもしれない。雨がぽつりぽつりと降ってきた。終わる頃にはお昼だなとどこで食べようか検索したりしていると時間になった。
待ち合わせの喫茶店で席番号を伝えると少し年配の優しい感じの女性はすべて心得てるようで「はい、承っております」と答えた。ひとつ階をあがり、上着を脱いで席につく。「着きました、お待ちしております」とLINEでメッセージを送ると今向かっておりますとすぐに返信が来た。
浮ついた気持ちを抱えながら待っていたものの、不思議と猜疑心はなかった。友人からさんざん凄さについては語られていたのもある。
現れた四季さんは普通に少し遅れたことを謝り、特別な服装や髪型ではなく、少しおせっかいそうな雰囲気あれど、神秘性なんて何も無い話し方で、慌ただしくアイスレモンティーを頼んだ。おしぼり使ってくださいね、席は奥側でいいですよ。と気遣いできる人で身構えたこちらとしてはホッと何かひとつ肩の力が抜けた気がした。
事前に聞いた通り録音しても構わないと言われ、スマホの録音ボタンを押して、子供がお絵かきに使うような消せる小さな黒板に聞きたいことの周辺者を書いてくださいと差し出された。
差し出される際は「相続ってのが出てるんだよなぁ」や「複雑な家庭ですよね?」とすでに見透かされているような発言をされていて胸の鼓動が早まる思いだった。自分の名前、奥さんの名前、母の名前、義父の名前、義父の息子の名前、父の名前、兄の名前と書く。そして、そこに年齢を足していく。
まだ、完全に信用していたわけではないのでこちらから情報を出すことはしない。
まずはお母さんからと話す出す。お母さん相手を間違えてしまったね。ただ、そこをいまさら責めておかしいし。この人は責められるの苦手だし溜め込んでしまうんですよね。
母の写真に手をかざす。すると、母がたまに話す愚痴と同じ語り口調でつらつらと母の心境が出てくる。まるで、そこに母がいて自分には見えなくて、その通訳をしてくれてるかのよう。それくらい母が話す言葉と語尾までほぼ同じだった。
「お母さん、良く喋る人ですね?」と笑う。そして、「実の父親」という言葉が出てくるんですけどと言われた時にドキリとした。母は養子縁組を祖父としていて、祖父に育てられた。その情報は四季さんにもちろん伝えていない。
自分は違うんですけど母方は宗教にどっぷりなんです。と伝えるとずばり宗教法人の名前が出てきた。これも伝えていない。
潜在意識と会話をしているんです。と四季さんは言う。その後に話される言葉も核心をつくようなことばかりだった。
奥さんが出会えてよかったと言っている。運命の人だからここは大丈夫ですよ。と言われた時にはすっと胸の澱がいくぶん落ちた気がした。
四季さんが言うには
人は家庭でもらった愛情しか自分の子供に伝えることができない。例えば1%の愛情しか貰ってない人は2%の愛情を子供に渡すことは出来ないと言う。
なので、あなたの場合はお母さんが愛情をもらってない。そして祖母も愛情をもらってないと伝わってきてるものなんです。
少しここで胸が傷んだ。では、自分は?自分も子供が出来たとしてやはり愛情を渡せないのではないか?
疑問をぶつける間もなく話は進んでいく。
「お仕事などんなことをされてますか?」という質問から「事業拡大というのが出ているんですが」
未来を見ることができる仕組みはわからないし確かめようがないがこれから取り組もうとしている仕事について話した。
人は、誰もが使命を持ってこの世を生きていると言う。それは大きい人もいれば、小さい人もいる。その使命に気づいてほしくて自分はこの仕事をしている。と前置きをされて言われたことは自分の周りに散らばったものを集めたようなもので、とにかく困難で緻密でとても到達できないんじゃないかと思えるようなものだった。
その後は前世の話をされ、それもなぜかすっと納得いくようなもので。そして、ずっと見守ってくれる人がいることを伝えてくれた。それは父性というものを経験したことがない自分にとっては嬉しく、自分はずっと一人ではなかったのだと思った。
その見守ってくれる人の風貌を教えてもらい、母に確認すると母方の高祖父ではないかと。母には四季さんに見てもらったことを伝えていないので「なんで急にそんなこと聞くの?」となっていたがややこしいので話さない。四季さんは見守ってくれてる人は背が高く母のようにお喋りでしっかりしていて頼りがいのある感じだとのこと。高祖父は昔の人にしては珍しく身長が高かった(180センチ以上だった)と訊く。
高祖父が昔飼っていた犬と一緒にいる。ボールで遊んだり、散歩をしたりしている。と聞いて少し泣きそうになってしまった。それを知れただけでも来てよかったなと思えた。思春期の頃に飼っていた犬で可愛がっていたけど、充分にしてあげれたとは思えなかったし、ツラく当たってしまうこともあった。
気にしてない。大丈夫。もっと遊んでほしかったけどね。とそう言っていると伝えてくれた。
帰り際に「次に来るとしたら◯◯の件だと思いますよ」と予言めいたことを言われた。その前世があるからあなたは戦ってしまうところがあるのだと。
また来るのかな。まぁ、人生は悩みが尽きないしそうかもしれない。
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当然ながら1時間20分の内容をここにすべて書けるわけもない。終わったあとは驚きと納得と情報処理で頭がグルングルンしていた。
帰り道、Recorderとして使っていたせいで充電が少なくなったスマホを眺めながら、紹介者にお礼を打ち送信した。
四季さんからは誰でも紹介してもらって大丈夫です。LINEを教えてあげてください。と言われていた。悩んでる友人やこういった話にアレルギーがない人の顔が浮かんでくる。とはいえ、実際に行く人は一握りだろう。未来視を受けたくない人だっているはず。そこには凄惨な未来も少なからずあったから。奥さんもそのひとりで、未来を知るのは怖い。人の気持ちを知るのは怖いと言っていた。
なんとなくだけど、四季さんはその人が変えられることだけにフォーカスしてくれてるような気がした。2年先のことが見えない人もいるとぽつりとこぼしたし、何かに固執して柔軟に生きていけないのもそれは仕方ないことだとも言った。
自分には知らなくても良いことは伝えずに、良くなる可能性があることをたくさん話してくれた。基本的には内容はポジティブで誰にとってもこう胸が温かくなったり、何か支えや指針ができたりする話だった。
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さて、不思議な体験談は以上としよう。
あなたもきっと見てもらったらびっくりするはず。恐ろしい程に自分だけが知る自分や、自分の周りにいる人のことを当てられる。疑う余地がない。
ただ、四季さんが話した未来のことや前世のことや守護霊みたいな人のことはわからない。だって確かめようがないから。答え合わせはずっと先。いつだって人生はそうだし不満を言っても仕方ない。
この投稿を見て、これ書いた人はスピに被れたイカれた人だなと思われるのも仕方ない。人の感性はそれぞれだし。もし、あなたが何かに悩んでいたり好奇心旺盛で体験をしたい、四季さんに会いたいという人がいれば連絡をくれると良い。東京近郊、または東京に来る予定があるならば会えるはず。
知るということに臆さない、勇気のようなものがあればたぶんそれを人生の糧にできるだろう。
もちろん、自分に何も見返りはない。でも、前世でもそういうお節介な人だったようだ。そして、なにより好奇心が大きい。あなたが何を四季さんと話したのか教えてくれればそれで嬉しい。
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kennak · 2 days
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私の祖父は今年亡くなりましたが、あなたはそれを知らないでしょう。   実際、彼はあなたがそうしないことを望んでいたのです。   レイ・ハレルは 1930 年代にカタルーチー渓谷で 8 人兄弟の末っ子として生まれ、ピューマを追い抜き、牛を山から追い落とし、借りたジープを衝突させました。そして 90 年後の 1 月 20 日、彼は音もなくこの世を去りました。   それが彼が望んでいた方法です。   墓石は見つからないでしょう。   葬儀には誰も集まりませんでした。   彼はここにいて、70年近く連れ添った妻と共有していたポーチに座っていましたが、その後、彼はいませんでした。   塵から塵へ。 一日の授業を終えて車で家に帰る途中、おばあちゃんから電話がありました。  過去 1 年間、ガンのせいで徐々に命を奪われ、その朝彼はベッドに横たわり、残りの人生はそこに留まり続けるのではないかと思われた。 「あなたのパパの死亡記事を書いてくれませんか?」  彼女は、最愛の人を失ったにもかかわらず、常に現実的な質問をした。 伝えたいことはたくさんありました。  彼は10代の頃にスクールバスを盗み、教師の車の上でバックさせたことがあった。  彼は 1950 年に陸軍とともにドイツに派遣され、そこで空家から誤って大砲を発砲したにもかかわらず、階級を上げていった。  彼は人生のほとんどをそこで働いた繊維工場で労働組合を率いていた。  しかし、彼はそのことについては決して多くを語らなかった。  彼がやろうとしたのは、ノースカロライナ州フルーツランドで小さな生活を築き、娘たちを育て、皿洗いをし、壊れたガレージのドアを直すことでした。  彼は静かに暮らすことを目指したが、その後、同じように亡くなった。 座って執筆していると、テンプレートに詳細を落とし込んでいる自分に気づきまし た 。   死亡届は、何が重要で、何が記憶され、称賛されるべきかについて特別なプレッシャーを与えるが、新聞紙に載る名前や新聞での賞には何の興味も持たず、陰で生き続けることを目指した人生について人は何を語るだろうか。マントルピース?   ジムとコーラの息子であるレイ・ハレルは、じっと座って風が葉を散らすのを眺めて満足していたでしょうか?   レイ・ハレル一等軍曹は、財布の中のお札を金額の高い順に並べましたか?   グレースによって生き残ったレイ・ハレルは、小屋の中で正しい釘を探しながら、毎年同じ発明曲を口笛で吹き続けていました。   私は予想通りの詳細を記入して訃報を新聞社に送りましたが、それが正しくないことはわかっていました。   それは彼の生きた人生を何も捉えていませんでした。   彼が亡くなった数日後、教会の女性たちがキャセロールでテーブルを覆い、おばあちゃんが19歳以来初めて一人でベッドで寝たとき、私が戻ってきたのは、静かな生活のまったくの大胆さでした。 洗濯トラックを運転して一日を終えたレイ・ハレル。  彼の花嫁グレースは、最初の家の外で写真を撮りました。 私たちの時代の著名な人物が亡くなると、私たちのスクリーンに彼らの功績を記録した短いクリップが流れ、彼らの影響について議論するトーキングヘッドが登場します。  しかし、静かな生活は背後で音もなく流れていきます。  しかし、それらは私たちの皮膚の中にある命であり、朝食から就寝まで私たちを導いてくれます。  彼らの命が私たちを作り、世界を動かし続けているのです。 彼らは私たちが気づく前にゴミを出したり、郵便物が来ているかどうかを確認するために道路を歩いたりしています。  ビスケット生地を適切な厚さに並べる方法を教えてくれます。  春の午後、彼らは私たちの息子たちをトラクターに乗せました。  彼らは壊れたシンクを隣の人に手伝ってもらいました。  彼らは18か月の赤ちゃんを引きずり出すために川に飛び込みました。  彼らはフォークリフトに挟まれて腰を折った男性を捕まえ、そのまま抱きかかえて死亡した。  彼らは甥が自分の名前に一銭も持っていなかったとき、彼らのポケットにお金を滑り込ませましたが、恥ずかしくてそれを認めませんでした。  彼らは洗濯をしました。  彼らは床を掃除した。  彼らは子供のように庭で遊びました。  彼らは塩味のパックを食べて、夜がなくなるまで毎晩ベッドに潜り込みました。フルーツランド・ロードから離れた土地で小さな生活を営むことは最も神聖なことだから、残されたのは生き続ける人々だけです私たちは考えることができます。 私たちの周りには、派手なアメリカの個人主義、明るい照明、そして表舞台のサイレンの呼びかけを無視して、頭を下げて両手を広げた生活があります。   私は大丈夫、ここに 部屋の端からの反応があり、その満足感はまったく破壊的です。   どうしてそれだけを望むことができますか?   世界が求めています。   持つべきものは常にもっとあります。   ノースカロライナ州フルーツランドにあるグレースが幼少期を過ごした家の外でポーズをとる新婚夫婦。  その家は、レイとグレースが一緒に家を建て、住んでいる場所の道路を挟んだ向かいに建っていました。 レイ・ハレルが持っていたのは、頼もしいトラクターと、燃えるような女性だった。   彼は正午の夕食時にコーンブレッドを一口食べ、毎晩寝る前にRCコーラを飲んでいました。   彼には子供、孫、曾孫がいて、毎年クリスマスになると家がいっぱいになりました。   それで十分でした。   「私たちは良い人生を送れました」と、最後の年に私が訪問するたびに、彼はほぼ毎回私に言いました。たとえ遠くから見ると奇妙に見えたとしても、私はそれが真実であると確信していました。 やもしものことを後悔する長いリストを残したはずだ   理論的には、クリアクリークの上空にあるこの小さな生命は、もしものこと 。   しかし、この人生こそが人生そのものであり 、  1954年に彼と私の祖母グレースが道の先にある小さな教会で結婚したときに目指したものそのものでした。 それらの訪問では、私はコーンブレッドを食べて落ち着いて話を聞きました。  時間が経つにつれて、私はこれまで知らなかった歴史を収集しました。  スクールバスが盗まれ、ジープが墜落し、牛が泥にはまってしまったことを知りました。  私は、朝鮮戦争中にドイツに駐留していたパポーが高額のトランプを獲得し、その収益を持ってヨーロッパ中を旅したことを知りました。  私は彼が繊維工場から何度も何度も解雇されたことを知りました。 "どうして?"  私は尋ねた。 「そうですね、私がイライラしていたからだと思います。」 ほとんどその通りでした。  彼は誰も聞きたくないときはノーと言い、上司たちが聞きたくないときは労働組合を結集させた。  ハーネスなしで10フィート登って自分でローラーを交換するように言われたときのように。  「私は彼らに、そんなつもりはないと言いました。」  彼らは彼を解雇し、労働組合の弁護士が介入し、彼は仕事に戻った。 「頑固なおじいちゃんだよ」とおばあちゃんは言った。 おそらくそれも正しかったのですが、世界を見て不正義と闘う物語をつなぎ合わせてみると、静かな生活は受動的な生活ではないことに気づきました。  ポーチにじっと座っていることは、世間をやり過ごすことを意味するものではありません。  彼とおばあちゃんはキャンピングカーに乗って国中を旅しました。  彼は組合の会長を務めた。  満足しているということは、盲目であるという意味ではありません。  それは、善良な戦いと利己的な戦いの違いを知ることを意味します。 「私は正しいことのために立ち上がることを信じています」と彼はトウモロコシを一口食べながら言った。  「こんなこと言うべきじゃないけど、みんな私のことが好きでした。」 "なぜ?"  おばあちゃんは尋ねました。 「あなたがそんなことを聞かないといけないとは思っていませんでした。  私は良い歳をした少年だよ。」
静かな生活のための訃報 — THE BITTER SOUTHERNER
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elle-p · 27 days
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Persona 3 Portable 100 Mysteries contents page
まえがき
P3P年表
キャラクターの謎
伊織順平はなぜ野帽がトレードマークなのか?
荒垣真次郎はなぜ夏でもコートなのか?
真田明彦はなぜいつも絆創膏をつけているのか?
コロマルの服にはなぜ羽根がついている?
望月綾時のマフラーの素材は何?
桐条美鶴は寮で何を食べているのか?
真田明彦の午丼の好みは?
山岸風花はいつもPCで何をしているのか?
「グッジョブ!」 「ブリリアント!」 という真田明彦と桐条美鶴の口癖は誰かの影響? それともどちらかに癖がうつった?
荒垣真次郎の特技、料理はどこで覚えた?
桐条美鶴は「じゃじゃ馬を乗りこなすのは苦手」と言っているが、本当か?
エスカペイドと荒垣真次郎との関係とは?
アイギスの名前の意味は?
アイギスの稼働寿命はどのくらい?
コロマルはいくつくらい?
幾月修司はいくつ?
幾月修司は「頑張って影時間の耐性を付けた」と言っているが何をどう頑張ったのか?
幾月修司がダジャレを好むのは本性を隠す仮面なのか?
ストレガの名前の意味は?
タカヤはパンツしか持っていないのか?
エリザベスとテオドアは武器マニア?
主人公には武術の素質があったのか?
どうしてベルベットルームの面々はお金持ちなのか?
真田明彦の妹・美紀はどんな少女だったのか
真田明彦が孤児院を去った後、荒垣真次郎はどうしていたのか?
シャイだけど優しい荒垣真次郎はモテたのか? 彼の恋愛経験は?
荒垣真次郎の懐中時計は誰にもらったもの?
望月綾時はどこに住んでいる?
望月綾時はなぜ女性を口説こうするのか?
モノレールと競争している宮本一志の脚力は?
黒沢巡査が武器調達に協力する事になった経緯は?
小田桐秀利は刑事マニア? 単なる正義感の溢れ出ている人?
伏見千尋の好きな少女マンガの作者は誰?
伏見千尋はいつか男性恐怖症?
保健の江戸川先生がオカルトにハマったのはなぜ?
趣味がネットゲームの92歳のおばあちゃんは何のネットゲームにハマっている?
主人公はどこから来たのか?
ストーリーの謎
主人公がかつて過ごした街に戻ることになった経緯は?
主人公はなぜ寮の到着が24時になったのか?
主人公が最初にオルフェウスを召喚した際にタナトスが現れたのはなぜか?
幾月修司が固執した予言書とはなんだったのか?
幾月修司の語る予言書にあった 「皇子」 とは何を指すのか?
最後の戦いの時、一般の人の象徴化が解けたのはなぜか?
ファルロスが言う 「毒のある花」 とは何を指すのか?
「刈り取るもの」 とは何者なのか?
なぜ 「刈り取るもの」 は時限式なのか?
特殊なシャドウはどんな人間から坂け出たのだろうか?
なぜタルタロスには多くの敵が出現するのか?
影時間になるこ現れる床や外観に付着・垂れている赤い血のようなものは何か?
タルタロスに迷い込んだ人々はなぜ迷い込んだ?
10年前、主人公はなぜムーンライトブリッジに一人で居たのか?
10年前の事故はどのくらいの被害者が出たのか。また、その被害者の中で、特別課外活動部のメンバーに関連する人物はどのくらい居た?
主人公は月光館学園に来るまでの間、影時間を体感していたのか?
寮と月光館学園では距離が離れているが、11月4日の影時間には鐘の音が聞こえてきた。鐘の音はそんなに大きかったのか?
召喚器はどういうもの?
影時間以外でもペルソナは使える?
荒垣真次郎とストレガはどうやって知り合った?
ストレガはどこからペルソナ制御剤を調達しているのか?
天田乾は荒垣真次郎をどうやって呼び出したのか?
学園の謎
月光館学園はどんな学校?
伊織順平は授業中に野球帽を被っていても怒られないのはなぜ?
月光館学園の制服に関する校則は?
どうして修学旅行が2・3年合同なのか?
桐条美鶴は何人の立候補者の中から生徒会長になった?
アイギスと望月綾時の転入時に席を奪われた生徒はその後どうなった?
寮の部屋の共有部分の間取りはどうなっている?
寮にはどれくらい監視カメラがついているのか?
なぜ桐条美鶴か真田明彦がいなければ出動できないのか?
出動時の制服にはどこで着替えるのか?
最後の戦いが終わった後、武器と防具はどうしたのか?
寮の自販機は、なぜ3種類しか飲み物がないのか?
寮のキッチンの設備は?
共用の風呂の用など寮生活での家事は誰が行っていた?
「特別課外活動部」 に所属することで手当てや免除などあるのか?
街の謎
ベルベットルームはなぜエレベーターなのか?
ベルベットルーム (エレベーター) の高さは何メートル?
ベルベットルームの人たちは普段何をして過ごしているのか?
桐条グループはどのくらいすごい?
主人公はなぜ当日にきなりアルバイトできるのか?
辰巳ポートアイランドの人口はどれくらい?
モノレール 「あねはづる」 の名前の由来は?
モノレール 「あねはづる」 は何分間隔で動いている?
黒沢巡査はなぜいつでも交番にいるのか?
黒沢巡査はどこから装備品の調達をしているのか?
青ひげファーマシーの夏のシャーベットは何でできている?
鍋島ラーメン 「はがくれ」 は、あつさりとした印象の見た目に反し、スープの複雑な旨味が麺に絡むのはなぜ?
「たこ焼き・オクトパシー」 はたこが入っていないのに、なせ 「たこ焼き」 と言い張るのか?
「わかつ」 のDHA定食の内容は?
「ワイルダック・バーガー」 のカエルバーガーは本当にカエルを使っている?
フェロモンコーヒーの成分は一体何?
ツカレトレールの成分は?
1日50個限定のメロンが人気のパン屋はどこにある?
白河通りのホテルの料金設定はどのくらい?
「クラブ エスカペイド」 はいつも閑散としているが経営は成り立っているのか?
「時価ネットたなか」 のテーマソングは誰が作った?
「時価ネットたなか」 の荷物は誰が部屋に運び込んでいる?
デビルバスターズ・オンラインとはどんなゲーム?
ニュースを賑わす謎の人物たちの正体は?
不死鳥戦隊フェザーマンRは全何話?
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ari0921 · 27 days
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桜の季節を迎えました。
今週は、私がTBS系テレビドラマ「VIVANT(ヴィヴァン)」の放映で注目された陸上自衛隊の秘密情報部隊「別班べっぱん」について、ダイレクト出版のビデオ講座で〝証言〟したものをご紹介します。
下記は、ダイレクト出版のPRですが、ご覧頂ければ幸甚です。
 連載中の「金王朝の歴史」は、「金正日による日本人拉致」のうち、「日朝首脳会談」について書きました。
 近日中に五島列島・宇久島をモデルに「故郷の防衛戦略」というビデオ講座を発売します。乞うご期待!!
//////編集部からのお知らせ//////
「皆さん、私が嘘を言っていると思いますか?
“コレ“が嘘であればいいですね。」
自衛隊元陸将・福山隆先生が
不敵な笑みを浮かべながらそう話した時、
スタジオは静まり返っていました…。
というより、“先生の話す
「あまりに現実離れしたストーリー」に、
その場の全員が飲まれていた“と
言った方が正しいかも知れません…
先生の口から語られたのは…
誰も知らなかった日本人スパイの裏面史…
私たち日本人が知らなければならない…
自衛隊のもう一つの姿でした…
=====
From 福山隆
「ミサイル発射や
核開発を進める北朝鮮。
日朝関係は、常に緊迫した状態だ。
正しい状況判断をするための手立ては
『金王朝の歴史』を熟読することである」
金王朝の歴史(50)
金正日による日本人拉致(4)日朝首脳会談
今から20年以上も前、
時の総理の小泉純一郎と
北朝鮮の金正日が
初めて対面する
「日朝首脳会談」が行われ、
拉致被害者5人の帰国が実現した。
北朝鮮はその後、
金正日に引き続き
後継者の正恩も
核ミサイル開発に狂奔し、
世界の中では孤立化の道を
突き進んでおり、
日朝の対話も進展が見られない。
残念なことに、
今も12人の拉致被害者は
帰国できないままである。
〇 第一回日朝首脳会談
2002年9月17日、
小泉純一郎首相(当時)が
北朝鮮の平壌を訪問し、
金正日と会談した(日朝首脳会談)。
金正日は、その席で、
日本人13人を拉致したことを認め、
「遺憾なことであり
率直におわびしたい。
私が承知してからは、
関係者は処分された」と
口頭で謝罪した。
また、犯人については、
「特殊機関の一部の盲動主義者らが、
英雄主義に走って
このような行為を
行ってきたと考えている」とし、
関係者はすべて
処罰したと述べた。
金正日の
「特殊機関の一部の盲動主義者らが、
英雄主義に走って
このような行為を行ってきた」
という言い訳は、
明らかに嘘である。
金正日自らが首謀し、
指揮を執ったのである。
「嘘と誤魔化し」は、
彼らの本性とさえ言える。
この際、日本側が
安否確認をしたことに対して、
北朝鮮側は地村保志さん、
浜本富貴恵さん、蓮池薫さん、
奥土祐木子さんの4人の
「生存」を明らかにし、
横田めぐみさん、田口八重子さん、
市川修一さん、増元るみ子さん、原敕晁さん、
松木薫さん、石岡亨さん、有本恵子さんの
8人を「死亡」と発表した。
更に、日本側も
把握していなかった
曽我ひとみさんの拉致・生存と、
横田めぐみさんの娘の生存も
明らかにした。
久米裕さん、曽我ミヨシさんについては
入国自体を確認できないとした。
北朝鮮側は「死亡」したとされる
8人に関する「死亡診断書」などの
情報を提出したが、
これらはすべて
捏造であったことを
日朝実務者協議
(2004年11月)で認めた。
この首脳会談で、
「2国間の懸案を解決し、
国交正常化へ努力する」ことを記した
「日朝平壌宣言」を
発表した。
同宣言には
書かれていないが、
小泉首相は「拉致を認め
被害者を帰国させれば
100億ドルを払う」と
約束していたという
(元北朝鮮外交官・太永浩)。
日朝平壌宣言では
「国交正常化の後」、
「経済協力を実施」することと
なっているが、
日本政府は
「拉致問題の解決なくして
国交正常化はありえない」と
当然のスタンスを
維持している。
その後の交渉で、
北朝鮮が生存していると証言した
5人の拉致被害者については、
一時帰国を条件に
2002年10月15日に
帰国が実現した。
交渉は外務省アジア大洋州の
田中均局長(当時)と
“ミスターX"の間で行われた。
田中局長は
「生きている拉致被害者を
4人から5人程度出せばいい」と提案、
北朝鮮側が了承し、
5人の一時帰国が実現した。
こんな提案を行った
外務省の田中局長は、
実に薄っぺらで、いい加減で、
無責任極まりない人物と
言わざるを得ない。
こんな外交官が日本の外務省の
局長になるのであれば、
我が国の外交は寒心に耐えない。
日本政府は
世論や拉致被害者家族会の
要望などにより、
一時帰国した5人の被害者を
「北朝鮮へ帰す」ことを拒否し、
5人の家族の帰国も
要求する方針をとった。
このため、北朝鮮側は
「日本政府に対し約束違反だ」と
主張した。
このような北朝鮮政府の抗議により、
その後の交渉は、
北朝鮮政府が
「日程を決めない」
などした為に中断した。
第一回日朝首脳会談で、
金正日が、
一連の拉致事案や工作船事案を
認めて謝罪した事で、
拉致を巡る世論は一変した。
マスメディアは連日、
日本人拉致問題を報道して
北朝鮮を激しく糾弾し、
国民の多くは
北朝鮮に対する制裁を
強く訴えるようになった。
韓国の東亜日報は、
当時の日本国民の激怒の有様を
「憤怒」と報じた。
報道の世界における
「タブー」として有名であった
北朝鮮の呼称方法
――「朝鮮民主主義人民共和国」――が
一斉にマスメディアから姿を消し、
単純に「北朝鮮」と
呼ぶ様になった。
日本人拉致問題を
「でっちあげ」と言い続けてきた
朝鮮総聯は、
本国から梯子を
外された格好となった。
朝鮮総聯は、
「拉致事件に怒りを覚えた
一部の日本人によって
チマチョゴリを着用した
女子生徒への嫌がらせ事件
(チマチョゴリ切り裂き事件)や
朝鮮学校生徒への暴言・
暴行がある」と主張したが、
日本の警察は、
それらの事件について、
「政治的背景はない」と
クールな判断を示した。
在日朝鮮人社会のショックは、
相当なものであった。
在日朝鮮人で
詩人の金時鐘は
「植民地統治を強いられた
被虐の正当性も、
これで吹っ飛んだ
気にすらなった」と嘆いた。
北朝鮮に対して、
比較的友好的な立場を採っていた
日本人の一部(左翼)は、
日本の世論の大転換を
目の当たりにして、
日本人拉致事件について
言及せざるを得ない状況に
追い込まれた。
日本人拉致事件を
「捏造・デッチ上げ」と
主張していた人々は、
事実認識の誤りを撤回して、
謝罪を迫られる状況に
追い込まれた。
〇 第二回日朝首脳会談
2004年5月22日、
小泉首相は2度目の
平壌訪問を果たし、
日朝首脳会談を行い、その帰途に、
蓮池・地村夫妻の子供たちを伴って、
祖国日本への帰還を叶えた。
また、曽我ひとみさんの場合は、
夫が脱走・亡命した
元アメリカ兵であるゆえ、
アメリカ軍による
軍法会議訴追の問題があるため、
北朝鮮政府側に執拗に
北京での面会を求めたが拒否され、
同年7月に
インドネシアのジャカルタで
家族と再会し、
その後、
日本に帰国を果たした。
〇 拉致被害者問題は解決が困難な重い課題――
一段と進む被害者家族の高齢化
北朝鮮が核ミサイル開発する中、
我が国は米国などと
制裁を課しているが、
これを解決する
決め手はない。
拉致被害者等は
令和の時代に至るも
全く進展していない。
拉致被害者等は、
事実上の「人質」であり、
日本国民・政府にとって
極めて重い課題として
今後も推移することだろう。
この20年余で、
政府が認定している
拉致被害者のうち、
安否が分かっていない
12人の親で、
子どもとの再会を果たせずに
亡くなった人は、
8人に上る。
このうち、市川修一さんの
父親の平さんは
2014年に99歳で亡くなった。
2020年には、有本恵子さんの
母親の嘉代子さんが94歳で、
横田めぐみさんの父親の
滋さんが87歳で死去するなど、
高齢化が進む中、
肉親との再会を果たせないまま
他界する親が相次いでいる。
健在な親は、
横田めぐみさんの母親の
早紀江さん(88)と
有本恵子さんの父親の
明弘さん(96)の
2人だけとなっている。
被害者のきょうだい世代も
高齢となり、
体の不調を訴える人が
多くなっていて、
2021年12月には、
被害者の家族会代表を
14年にわたって務めた
田口八重子さんの兄の
飯塚繁雄さんが83歳で死去した。
拉致問題は、今年、
最初の事件発生から47年、
北朝鮮による
拉致被害者家族連絡会が結成されて
27年が経過した。
家族は「親の世代が
被害者と抱き合うことなしに
拉致問題の解決はない」として、
政府に全力の
取り組みを求めている。
戦後の平和憲法・
憲法9条下の日本は、
外敵から国民の生命財産を
守れない体制にある。
一刻も早く、この
〝ハンディキャップ状況〟から
脱しなければならない。
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jinsei-pika-pika · 3 months
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「芸術新潮」2月号 特集「会田誠が考える新しい美術の教科書」
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現代美術家・会田誠。自身の作品《MONUMENT FOR NOTHING - にほんのまつり》(部分)の前で。 Courtesy of Mizuma Art Gallery
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――「芸術新潮」の編集部から、「新しい美術の教科書をつくりませんか?」というオファーを受けた時はどう思われましたか?
会田 おもしろい企画だと思いました。迷うことなく、「やります」と返事をしました。でも落ち着いて考えると、これはなかなか難しいお題だな、とも思いましたね。僕には息子がいて、最近の美術の教科書は実際に見ていたのですが、僕らの時代の教科書と比べると、ずっと良い方向へ進化していると思っていました。僕が何か提案しても、それはもう今の教科書に出ていますけど、ということになりそうで……。
――それで、どのように内容を構想していったのでしょうか?
会田 結果的には、ずばり言ってしまえば、「ドクメンタ」的現代美術の紹介が中心になりました。ドクメンタは、ドイツの田舎町カッセルで4~5年に一度開催されている芸術祭です。つまりは「社会派アート」というようなことになるわけですが、日本の一般社会から、あるいは美術の世界からも比較的無視されがちなジャンルかなと思って、そのあたりを多く紹介することになりました。とはいえ、僕個人が社会派アートが大好き!というわけではありません。ドクメンタには、2002年に1回行ったことがあるだけです。ナイジェリアのキュレーター、オクウィ・エンヴェゾーが欧州人以外で初めて芸術監督をつとめた時でしたが、すべての作品が社会正義を訴えるような、ドクメンタとしてもちょっと極端な回だったようです。「これが芸術? 社会科の発表会じゃないんだから」と、僕はその時は反発しました。しかし僕の作品も、もともとは絵画中心だったものがそうではない形式の作品も増えていって、この20年ほどで、ドクメンタ的な美術もやはりいいなと思うようになりました。第一印象で嫌いだった人がだんだん好きになっていくような感じでしょうか。美術の教科書であれば、まずは「形」と「色」、というのが当然のことだし、僕もそう思っているのですが、今回の教科書では、あえて「形」と「色」については何も語っていません。そして「絵画」と「彫刻」についても、それ自体をテーマとしてはほとんど扱わずに、ドクメンタ的な、社会に拡張してゆく美術を中心に紹介することになりました。
――教科書の「1時間目」のテーマは、「美術に政治を持ち込もう!」ですね。
会田 いちばん最初に出てくる図版が、酒井抱一の《四季花鳥図屏風》です。我ながら節操がなくて笑ってしまいますが、僕はまるで日本絵画大好き人間のような感じで、「死ぬまでにこの目で見たい日本の絵100」という「BRUTUS」の特集を監修していたりするのに、いきなり否定材料として抱一の絵を出しています。日本美術の特徴のひとつに「花鳥風月」があって、それにはいい面もありますが、裏返すと悪い点も抱えている。また、それに続いて、フランス革命と並走して近代芸術が生まれていった、という話になりますが、それも若い頃には、反発して、「オレたちは西洋と同じようにしなくていいんだぜ」と心の中で吠えるために調べていたことでした。立ち位置ひとつで全否定から全肯定に変わったり、出だしから、僕自身の矛盾した姿をそのままさらけ出すことになりました。
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――会田さんが教科書すべてを執筆するのではなく、ゲストの執筆者も何人か招いています。フェミニスト・アートについては岡田裕子さんが執筆したり、課外授業として、卯城竜太さん(Chim↑Pom from Smappa!group)と松田修さんの対談があったり、他の美術家の方々にも登場してもらっています。
会田 僕がすべて書くのでは読者もおもしろくないだろうし、僕が不得意なジャンルもありますから。ゲスト執筆者を招待したのはうまくいったと思います。
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――掲載作品は、どのように選んでいったのでしょうか?
会田 ほとんどは僕の頭の中から、つまり記憶にあるものから引っ張り出してきています。ただ、「美術から性のいろいろを学ぼう!」というパートでは、X(旧ツイッター)で呼びかけて教えてもらいました。性にはややこしい側面があって、男女が恋愛して結婚して子供を産む、というだけではない部分がある。それを考えるのに、最初に僕の頭に浮かんだのは男性作家の作品が多かったので、なるべく男女半々にしたいと思って、「現代美術で、女性アーティストで、みずからの性を題材にしている人は誰でしょうか」とXで質問を投げかけました。そこで教えてもらった名前を検索して、作品を見たりしましたね。ただ、この教科書全体で言うと、使いたかった図版で使えなかったものがいくつかあったのは残念でした。使用許諾や使用料の問題などで……。
――「3時間目」の「美術でバカ♡万歳!」というパートがとても楽しいです。
会田 乱暴なカテゴリーで、冗談で許していただけたら、というコーナーです(笑)。アブラモビッチみたいに命がけでバカをやっている人と、泉太郎さんや僕のような、ちょっとひねくれた白けた笑いのものを、「バカ♡」のひとことでまとめるのもひどいなと思いつつ(笑)。
――これについては、詳しくは誌面をご覧いただくことにしましょう。今回の教科書は、今私たちが生きている、この時代のアートとはどういうものなのか、それを知るための最高のガイドブックになったと思います。
会田 現代美術のとっつきにくい部分の入口づくりとしては、これ以上やさしくはならないだろう、というぐらい、やさしいものになったと思います。僕はそういう語りは割合得意なほうで、でも一方で、あまりオタク性がないというか、知識の奥の細道に分け入っていくような癖がないんですよね。作家ならではの偏ったこだわりさえも、あんまりないのかもしれない。
――会田さんの作品に通底しているのは、「アートとは何か?」という問いかけが常にあることだと思います。今回の「芸術新潮」の「新しい美術の教科書」特集も、「アートとは?」と考えていくための恰好のテキストになりました。美術部で今デッサンのトレーニングに励んでいるような生徒たちに、ぜひ読んでもらいたいです。
会田 そうなんですよね。仕方がないのかもしれないけれど、日本の美術大学へ入るための勉強は、やはり「実技」が中心です。日本の美大は、入ってからも、「作品をつくることが社会に対するアピールなんだ!」と熱く語って教える先生は少ないのではないかと思います。だから、そういう作家になる人は、海外留学を経験してから、というパターンが実際に多いです。深いところで言うと、そもそも日本語がそういうものに向いていない抒情的な言葉なのかもしれず、だから美大の教授が悪いのだとか、そんな単純な問題ではないのかもしれません。この教科書には、そういうものを補えるような読物になってくれたらいいな、という思いも込めています。
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jinmon0168 · 5 months
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冬を渡るワンマン
前書き
「ウルトラマリン」という言葉が好きだ
青という顔料は昔、ラピスラズリという鉱物を砕いて作っていたからとても高価で、中々使えるものではなかったみたい。
アフガニスタンでしか採れない貴重なラピスラズリを、日常の足しにもならない絵画で使うっていうんだから、とてつも無い贅沢だったんだろうな。
言葉の語源は、海を越えた青 小さな地球の長い長い距離を超えてまで誰もが欲しがった青
僕らにはどんな青より鮮やかな海があるのに、どうしてそこまでこの色が欲しかったんだろうか。
いや、だからこそ表現したくて求めたんだろうな。
フェルメールの絵画、真珠の耳飾りの少女はそんな青を惜しげもなく使っているんだから、そりゃ破産するよなって思う。そこまでして青じゃなければならないこだわりって一体何なんだろう。
「日常の足しにもならない絵画」なんて誤植を招くような言い方したけれど、絵画に掛けられた時間や信念、志はもっと崇高で、それを形として垣間見れる僕らはとても幸せだと思うし、恵まれた環境だなと心底感じる。
値段をつけて天秤にかけるなら僕の音楽はこの話のスケールの砂粒よりも小さいのかもしれないけれど
同じようにこれじゃなきゃいけない、これこそが表現したかったものだ、と思う気持ちは同じだと信じたい。分かりやすさや商業音楽云々は置いておいて、僕が表現したいものを曲げてまで作りたい音楽なんて、本当はきっと無いんだと思う。
たとえ自分を滅ぼす形になっても、表現を妥協できない。そんな大きな呪いを抱えて生きている気分に、最近はよく苛まれる。
ごめんなさい、びっくりするぐらい脱線しました!
伝えたかったこと
冬を渡るワタリドリ 最適な環境を求めて自分の危険を顧みずに海を渡る。
寒さから逃れるように熱狂の渦へ
渦中にいないと俺は俺を見失ってしまう。
それがどんなに自分を苦しめたとしても、自分を見失ってしまうくらいならば、俺はずっと溺れないように足掻いていたい。一度足が攣ってしまえば最後、
引き摺り込まれないように準備運動はしっかりと。
今は誰よりも自由が欲しい。
真珠の耳飾りの少女はフェルメールの生前、誰にも理解されなかった。
あの青色のこだわりへの執着は、俺の中で納得できるよう慮ることしかできない。
同じように俺の言葉も、メロディも、音も、みんなの中で受け入れてくれたり、涙したり、奮い立ったり勘繰ったりするしかない。
今だって伝わらないんだ本音はきっと。
「誰にも理解されないことを理解する」
これは俺の座右の銘だし、きっと俺が求めているものだ。
寒い冬を越えて、永い夜を切り抜けて、再び故郷へ帰るその日まで振り返らず、ただひたすら海を越える。
これが美しく、逞しい以外の言葉でどう喩えようか
俺はそれをずっと考えることが楽しくて、また唄を書き続けるんだと思う。
喉から手が出るほど欲しかったウルトラマリンは、きっと俺の中にあるんだ、それに気づけるまでこの渇きは収まらないんだと思う。
冬を渡るワンマンツアー Atomic Skipper 神門弘也
後書き
SNSとは程良い距離感で付き合えるようになった今日この頃です。フォロワーやインプレッションに縛られることが苦しくてたまらなくなったのが本音。
みんなの後押しや支えがあって音楽が続けられています。だから、俺の気持ちや日常をコンテンツとして垣間見てくれたのはすごく嬉しかったし、沢山発信できなくなってしまってごめんね。
ワンマンライブ、名阪ソールド 東京もかなり少なくなってるみたいです。
少しずつみんなが拡げてくれた輪があって今の俺たちがあります。
友達とも違う、お客様って訳じゃない。
親しみは持っているけど、馴れ馴れしくしない。
チヤホヤされたいんじゃなくて、憧れと共感が欲しくて始めたロックバンド。俺はまだステージの上から君を見つけられなくなった夜はない。
ってことは、まだまだ成長できるんだって思う。
大きくなることが正義じゃない、でも大きくならなきゃ君を振り向かせ続けられない。
これからもそばに居続けてもらえるよう、いいワンマンツアーにします。期待してて。
ありがとう。
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patsatshit · 7 months
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今年の8月末日、短編小説と音源がセットになった『JAGUAR』というZINEを制作した。200冊限定ナンバリング入りで、現時点(10/13)での在庫が30冊程度となった。ところが4月にリリースした『ほんまのきもち』と違って、本作についての感想がほとんど聞こえてこない。もちろん直接口頭、あるいはソーシャルメディアのダイレクトメッセージで読後感を伝えて下さった方々は沢山いる。しかし書評と呼べるものは実はいまのところ皆無に等しい。批評することを躊躇わせる斥力のようなものが作品に内包されていたのかもしれないと密かに勘繰ってみたりした。虚しかった。そこで、である。敢えてこの場を借りて、稀有で貴重な『JAGUAR』評を紹介しようと思い立つ。当ブログへの転載を快諾してくれた評者の方々にはとても感謝している。ほんまにありがとう。早速おふたりの素晴らしいレビューを読んで頂きたいのだが、いましばらく当方の四方山話にお付き合い下さい。
まず最初に『JAGUAR』という物語がかれこれ10年以上も前に執筆していたものであるということを前提に、すでに読んで下さった方々には当時の僕の意識混濁っぷりが窺い知れる内容になっていると思う。ビルメンテナンス会社の営業職に就いて忙殺される日々、精神と肉体が泥のように疲弊していくなかで書き上げた小説。大袈裟でなく、このままでは生きるという行為を自ら手放してしまうのではないかという危うい精神状態だったが、幸運にも当時に知ることができた偉大な哲学者、思想家、精神科医たちの言葉に背中を押され、結果的に今日まで生きのびた。以下に引用した名著の言葉たちが『JAGUAR』と僕を根底から支え、励まし、作品を世に放つ機会を与えてくれた訳だ。特に大気を裂く稲妻のように強烈な『千のプラトー』は、書かれている内容がわかるわからないというスノッブな価値観を遥かに超越した位置から自分を叱咤激励してくれた。こんなにぶっ飛んだ内容の読み物は他にないし、未読の方は絶対、ぜぇぇったいに読んでほしい。
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小説は、自分の名も、自分が探しているものも、していることも、すべて忘れ、記憶喪��、運動失調症、緊張症となった登場人物、なすすべを知らない登場人物の冒険によって定義されてきた。(中略)。宮廷愛小説の騎士のすることといえば、自分の名前、自分がしていること、人が自分に言ったことを忘れることであり、どこに行くのか、誰に話しているのかも知らずに、たえず絶対的脱領土化の線を引き、またたえず道を失って立ち止まりブラック・ホールに転落することである。『千のプラトー』ドゥルーズ+ガタリ著
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各人は、他者の世界の中での一客体であるばかりではなく、自分の世界の中で自分の体験や構成や行為がそこから生じるところの、時空間における一つの場所でもある。人は自分自身の視点をもった自分自身の中心である。そしてわれわれが見つけたいと思っているのは、まさに、他人と共有する状況において各人がもつところのパースペクティヴである。『狂気と家族』R.D.レイン/A.エスターソン著
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私にはひとつ、ことばを≪見る≫という病気がある。ある風変わりな欲動があり、それは、願望がまちがった対象に向かうという点で倒錯的な欲動なのだが、そのせいで、本来なら単に聴くべきものが、私には一種の≪ヴィジョン≫として現れるのだ。(中略)。言語活動に関して、私は自分が幻視者で、また、のぞき見の倒錯者であるような気がしている。『彼自身によるロラン・バルト』ロラン・バルト著
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そして小説版『JAGUAR』と一蓮托生の身である特級呪物、音源版『JAGUAR』については、僕が最も敬愛する女性DJにその制作を依頼した。マルコムXの演説を逆再生させたところから始まるMIXは、いくつかの世界線が交錯と混濁を繰り返し、正気と狂気の狭間を湿気をたっぷり含んだ低空飛行でかいくぐり、やがてひとつの景観ヘと辿り着くまでの過程をコラージュを交えた手法でドキュメントした、とんでもない内容に仕上がっている。揺るぎないベースライン、不意に降り注ぐ天啓となる言葉の数々、妖艶極まりない夜の気配、そして匂い。ぜひとも爆音で体験してほしい。以上のことをふまえて、OBATA LEO、moanyusky両名による書評をご覧下さい。
「JAGUAR」評① :評者OBATA LEO(ROLLER SKATE PARK作者)
土井政司の新作「JAGUAR」を読んだ。内容の理解云々以前にまず、地を這いずるような具体性の塊、描写に喰らった。自分が普段労せずざっくり物事を把握するための便利な道具として使っている言葉という同じものを使って、この作品はレンズのように細密にものを描き出す。ひとがきちんと見ずに済ませているような部分にまで光を当てる。そんな驚きもありつつ、やはり気になる。「JAGUAR」とは何なのか?
-「彼女は常に超越的な地位にあり、私たちとは隔たれた外部に位置している。そうであるにもかかわらず内部であるここにも存在しているのだからタチが悪い。絶えず外にいて内にあるもの、それがJAGUARだ。」最も端的にJAGUARについて書かれたこの部分を読んで、体内・体外の関係を想起した。普段「体内」と何気なく口にしているが、胃袋のように体には空洞がある。皮膚や粘膜などの体表に覆われて血液が流れている内部を体と呼ぶのだとしたら、その空洞は体に囲まれた「体外」ともいえて、私たちは体内に体外を抱えているという言い方もできるというわけで。それで繋がるのは、口腔内の歯の溝に落ちたタブレットを舌で触る場面である。「体内」でありながら自分では視認することのできない、舌で探るしかないその空間は確かに「体外」であるし、JAGUARもまた、己にとって内なるものでありながら断絶した他者でもあるような何かとして捉えられるのかもしれない。そんな線で読んでいくと、-「だが実際に私の目の前で何者かの手によって鍵の施錠は実行され、おまけに用心深くレバーハンドルを何度か動かしてしっかりと鍵がかかっていることを確認した。」という作品の終盤に出てくるこの部分で、文法的なエラーに感じる違和感は、そのまま私とJAGUARとの関係の違和感そのもののように思えてくる。得体の知れない何かに鍵をかけて、何食わぬ顔で電車に乗って仕事場へ行くなかでの体の軋み、のような何か。体といっても、いわゆる「(近代的な)身体」というキーワードで片付けるにはあまりに繊細な、大いにパーソナルな部分を含む体の感覚が、この作品にはあると思う。
出かけた「私」は、電車のなかで女性が着ている服のボーター柄の反転を目にするが、ここまで読み進めてくると、気持ちの良い幻惑に襲われはじめる。異常にディティールが詳しいのでそうと気づいていなかったが、やはりこのフィクションの中で起こる出来事たちは、出来事の形をとった何か夢やイメージのようなものだったのではないか。そして冒頭のリフレインまで突き当たると、この作品は初めから何についての話だったのだろうかと、今までひとつひとつ理解しながら読んできたはずの物語が全く違う相貌を携えているように見えてくる。そんなぐにゃんとした気持ちになるのは、良い小説を読む醍醐味のひとつだ。
「JAGUAR」評②:評者 moanyusky(音楽レーベルprivacy主催)
当たり前の様に無造作にある事で、それを見るか見ないか、それだけのことだと思います。土井政司の最新作「JAGUAR」を読みました。ここではJAGUARとなっていますが、人によってそれの名称は変わると思っています。よくわからぬ相手との対話や闘いがあるかどうかというところが、この作品の感じ方が分かれるところだと思っていて、私はどちらかといえば、その相手に困らされた事があったので、この作品を読んで、え!土井さんもやったんやとびっくりしました笑。ここは勘違いして欲しく無いところなのですが、人それぞれという言葉があるようにそれは一緒ではないのですが、構造はかなり近いと言ったような事でした説明がつかないわけですね。私は人の「想像」は人を殺しにかかるような死神として、隙があれば、それは現れるわけです。世の中ではアートであったり、想像力は良いように言われていますが、全くもってそれは何かが隠されているわけで、私は良かった試しが無いわけです。出来れば普通のルートで現代社会を楽しみたかったです。でも多分知っていくという事はそういう事なのかもしれない。想像力に悩まされてきた身としては、この作品は、別の場所で、それと闘って、きっちり答えが出ているというところ、しかも、10数年前の作品という事で、私は土井さんに出会って、色々な対話を交わして、初めて彼の濃厚な苦悩との生活に出会う事となったわけです。各人の時間軸が理解の範疇を超えて、重なり合って手を取ったのだと思っています。その時に置いてきぼりになってしまう、その真ん中で産まれゆく、刻まれた何かがずっとどこかで成長していたら、人は正気を保てるだろうかと思ってしまいます。誰かが入ったであろう、部屋のノブをあなたは回せるかどうか。私はそれには名前をつけなかったが、もう二度と会いたくないですし、いつまた来るのだろうと、恐れを感じます。彼は人が地面を無くした時に現れるように思います。浮遊した瞬間、命をもぎ取ろうとする。
でもそれはオカルト的なアレとか、スピリチュアル的なアレなんてものではないのですね。確実に自分、自分を構成する設計図の謎のようにも思え、それが薄らぐために生活をやり、音楽をやり、愛し合い、話し合い、何かを育てるのだと思います。現実社会で経験した摩擦は地面をはっきりさせ、そいつのいる世界から距離が出て、薄めてくれるように思うわけです。だからこそ。JAGUARの言葉を借りれば「痛みと不安から自分自身を取り返し、その自分に立ち止まるために語りを紡ぎ出す」。が救いの言葉となっているように思います。2部構成で出来上がる、この作品のバランス感覚は、人と創作の関係性をSFとして描いているように感じます。同じ場所にて語る事は嫌がられるかもしれませんが、私が映画を観に行った時に続々と子供たちが外へ出て行った宮崎駿の最新作「君たちはどう生きるか」を出したタイミングと、土井政司がこれはいけると思ったタイミングで出されたJAGUAR。それは何もかもを抜きにして考えると、世の中の人たちに対して彼らは同じことを���っているのだと思います。今それを出さなければならなかった。その「灯り」の意味を考えなければならないのです。
〆はもちろんこの曲で!
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myonbl · 10 months
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2023年7月6日(木)
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8/12(土)に横浜まで落語会に出かける。お盆の混雑は必至、<スマートEX>の事前申込は発売日一週間前から可能ということで昨日手配したことは報告済み。今日は帰路の8/13(日)分を申し込んだ。やれやれと思ったが、あれ、帰路の料金が第1候補と第2候補で異なるではないか。何が違うのだろう・・・と悩むこと数分、そうか、第1候補は<のぞみ>だけれど第2候補は<ひかり>を選んでいたのだ。3分後の発車で到着が28分遅くなる、その差が640円か、微妙だな〜。
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寝るのが早かったので午前2時に目覚め、日誌を書いてから二度寝する。
5時30分起床。
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ツレアイは健康診断のため、朝食は私1人。
洗濯。
木曜日は弁当2人分。
洗濯。
プラゴミ、45L*1。
私はO姉と7時50分に、ツレアイは自転車で健診会場へと向かう。
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順調に到着する。
O姉は1限の授業へ、私は原稿執筆。
10時を待って<スマートEX>で8/13(日)の新幹線を事前申込、よくみれば5時30分から可能とのことだった。
ホンダに電話、担当者が不在だったので伝言を託す。
弁当を食べ終わった頃にホンダから着信、7/9(土)11時にアポを取る。
��曜日3限は<スタディスキルズ(教育学科)>の13週目、スライド作成と発表練習。今日はバレー部員が試合のために欠席だが、来週は卓球部の試合があるとのこと。それならと、1グループだけ15週目の発表に変更する。
早めに退出する。
帰宅して原稿執筆作業、大分のってきたので気分が良い。
ツレアイは、仕事を終えてまっすぐ帰宅。今日は同居猫・ココの点滴、3男の部屋で処置、5分程度で無事に終了。その間、私は夕飯準備。
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3日間昆布締めにした厚切りポークをオーブンで焼く、さんだかん燻製工房のベーコンとジャガイモをストウブで蒸し煮に、レタスとトマト。
福岡の義兄からいただいた福島県の酒、3本の内2本をみなで味見する。
録画番組視聴。
サラメシ シーズン12(13)「ロケットも開発!町工場 ▽インターナショナルスクール」
初回放送日: 2022年7月14日
北海道 赤平市。ロケットも開発している町工場では、弁当部を作り、月に2回ほど近くの居酒屋さんの店主に考案したメニューを注文するというユニークな活動をしている。弁当部を通じて働く人と店主の心あたたまる交流をお伝えする。▽インターナショナルスクール教員の「おにぎり百景」を紹介。工夫して、効率よく一週間分を作り置きしているという、その中身とは?
(56)「葬儀を終えて」
世界が愛した名探偵、エルキュール・ポワロ。アガサ・クリスティー原作の人気ドラマシリーズ。兄の葬儀の翌日に妹が殺害された。相続人たちの隠された秘密とは…? 
 資産家のリチャードが急死する。彼に子どもはなく、お気に入りだったおいのジョージが遺産の大部分を相続すると思われていた。だが、遺言状には相続人で平等に分配せよとあり、ジョージは相続人から除外されていた。不穏な空気に包まれる中、リチャードの妹のコーラが「兄は殺された」と葬儀で口走り…。そして翌日、コーラは遺体で発見される。
途中で寝落ち、気がつけば布団の中。
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残念ながら、リング完成には及ばず。水分は、1,860ml。
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ogawa-xd · 2 years
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「声の文化と文字の文化」
オング「声の文化と文字の文化」を読む。多くの文献がひかれていて難儀もしたが、ここ数年でも最高度におもしろかった。ページをめくるごとに刺激があり、すべての内容を読み切れてもいないが、熱いうちにまとめておく。この刺激が揮発してしまうのは、あまりに残念すぎる。
「声の文化と文字の文化」W-J・オング
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大筋:
文字の文化の前に声の文化があった。 現在われわれは、文字文化の中にいる。文字文化は手書きからはじまったが、途中では印刷という大きな波を経験し、今はエレクトロニクスという第二の波の最中である。
(ただし執筆は1982年であり、テレビやラジオが主で、コンピュータといってもインターネット普及以前でWebもSNSもない時代だ。BBSがかろうじてあったくらい。2003年に亡くなられているようだが、この時代に関する感想を聞きたかったものだ。)
われわれもはや、声の文化における思考の仕方やものごとの捉え方を忘れてしまっているが、両方をしっかりと考えて位置づけることが、未来をとく鍵にもなる。
文字の文化の前にあった声の文化の重要性。 声文化が文字のベースになっていることはそのとおりとしても、少なくとも、それは文字文化の改良以前の「劣った」前バージョンではない。別のものだ。
第1章 声としてのことば (一次的)声の文化 文字を書くことをまったく知らない人びとの文化、その人たちの世界認識のしかたは、現代のわれわれの想像をはるかに超えたものである。 ことば(声)の獲得以後/ことば(文字)の獲得以前
P.24 現存する言語:3000、そのうち文字を持っているのは78言語 自然言語 → 無意識から生じる コンピュータ言語 → 意識から直接生じる(ので扱わない)
ogawa: 彼の述べている「コンピュータ(言語)」は、インターネット/Web/SNS/ビッグデータ/クラウド/AI以前であり、コンピュータにまつわる彼の理解は今となってはあまり現実的ではない。プログラムによって自然言語を解析したり処理することも、含まれていない。 「プログラム言語」自体の言語性については、彼のスタンスで問題はないと思われるが、コンピュータが「自然言語」に影響する在り様は、印刷術(という技術)が言語に与えたインパクトに匹敵する、というかそれ以上の影響力を持っていると自分は考えている。今はまだその途上であって、途上にして大きな影響が顕在しているので、最終的にはどこまでのことが進展していくのか予想がつかないが、これは自分の最終課題である。
p.26 声 → 一次的なモデリング・システム(表現方法) → 研究が起きない → 集団的な過去に参加することによって学ぶ、見習う 文字 → 二次的なモデリング・システム(表現方法) → 研究は文字あって起きる → 「研究」によって学ぶことができる
p.33 「(ことばで表された)概念は、絶えずその語源を引きずっていく傾向がある」
p.34 ことば → 口頭での話し(声)に基礎を持つ 書くことば → ことばを ”視覚的な場に、むりやり永久に固定してしまう
p.39 声文化の人びと → 今日では文字を学びたいと強く思っているが、同時に、声の文化の心を沸き立たせる多くの愛するものを手放さなければならないことに哀惜の念もいだいている(「ピダハン」は、どうなのか?) → 「生き続けるためには、死ななければならない」
p.40 文字文化 → 先行する声文化を食べ尽くす/声文化が存在したという記憶すら破壊する しかし → 文字文化かぎりない順応性があり/完全でないにしろ声文化の記憶も再建されうる 文字文化による声文化の再建によって、人そのものの意識を高める
ogawa: [声→文字]の変遷の形式を、[文字→コンピュータ化] にシフトさせて見ることに意義がある。
第2章 近代における一次的な声の文化の発見
p.57 ホメロスの時代のギリシア人は陳腐な常套句を評価 → 声文化の認識世界/思考世界全体が、きまり文句的な思考の組立に頼っていたから → 声文化では、獲得した知識を忘れないように絶えず反復しなくてはならなかった   → 知恵をはたらかせ、効果的にものごとを処理するために、型にはめて固定した思考パターンが欠かせない
ogawa: 好きなジュリアン・ジェインズについてまるまる1ページ割かれていてにうれしくなる。細部には難を示しつつも、大筋において好意的や賞賛が感じられる。
第3章 声の文化の心理的力学
p.73 すべての感覚は時間の中でおきる。 なにかをよく調べるためには、それを静止させる必要がある/視覚は固定するのが得意で、それによって視覚は動きを記録する。 しかし、音には静止画にあたるものがない。
p.74 声文化の人にとってことばには魔術的な力がある。 かれらにとって、ことばは話され、音として響くもの、ゆえに力によって発せられる 文字文化の人はそれを忘れがち。 かれらにとって、ことばは投げだされた「モノ」で、非活動的で「死んでいる」 → 魔術とは結びつかない
p.76 「知っているというのは、思い出せること」
複雑な問題を考えて解にたどり着いたとする。その問題も解もある程度は複雑である → それらを文字や記録無しで、記憶しておくことは困難である なんの助けも借りず、もう一度思考の流れをたどり、吟味することは不可能である。
声文化の人の長く続く思考は、つねに人とのコミュニケーションと結びついている
どうするか → 記憶できる範囲内で思考する すぐ口に出せるくらいの記憶(量)に基づいた思考に留める
口に出せることが、記憶を助ける → 強いリズムを持つ、均衡の取れた記憶しやすい「型」にはめる、反復や対句、韻を踏む、あだ名のような形容句、きまり文句、紋切り型のテーマ、などなど。
p.92 声文化の中での知識の獲得 → 何年もかけて何度も口に出して根気よく習得し憶えていなければならない → 知識は得がたく貴重で、これを保存している古老が高く評価される  (文字として知識が外化されるようになると古老の価値はさがる   /新しいことの発見者としての若者の価値があがる) → 精神は伝統主義的で保守的な構えとなり、知的な実験を禁止する
p.102 声文化は定義に無関心 辞書にあたるものがない/語の意味はつねに現実の状況に固着している(その変遷や経緯は問わない/問えない)
p.119 声文化の人に関するさまざまな実験から見いだしたこと: 声文化の人の不得手なこと → 幾何学的な図形、抽象的なカテゴリーによる分類、形式論理的な推論手続き、定義、包括的な記述、ことばによる自己分析 → だから劣っているという意味ではない → そういった能力は、テキスト(文字)によって獲得したものであるという事実
p.153 視覚は分離し、音は合体させる 聞くことの中にひたることはできるが、視覚の中にはひたれない 視覚は切り離す感覚、音は統合する感覚。 視覚の理想は明晰判明性/分けて見る、聴覚の理想はハーモニー/一つにすること 知識は究極的には、分断ではなく統合であり、ハーモニーを求めること
p.161 ことばを記号と考えること → 人間的な経験を視覚に類似したものと考えがち カレンダーや時計で時間を理解することは、時間を空間扱い(視覚物扱い)して、わかった気になっているにすぎない → 空間還元主義
空間還元主義 → 計り知れぬほど有用で、技術的な必要性が高い → 否定できない but: 空間還元主義には知的な限界もあるし、ときに人を欺く
第4章 書くことは意識の構造を変える
p.166 書くことは、どんな発明にも増して、人間の意識を作りかえた
p.174 技術は、たんに外的なたすけになるだけのものではなく、意識を内的に変化させる
p.176 道具をみずからの一部とし、技術的なわざを学習することによって、人間が非人間的になることはまずない。むしろ、技術の使用によって、人の心は豊かになり、人間の精神は広がり、内的な生は密度を濃くする。
p.201 印刷物によって、書くことが人々の心に深く内面化されるまでは、人びとは、自分たちの生活の一瞬一瞬が、抽象的に計算される時間のようなもののなかに位置づけられているとは思ってもいなかった。中世、さらにルネサンス期になってもまだ、西欧の人びとの大部分は、いまが暦のうえで何円にあたるかといったことを日常生活のなかで意識していたっとはとても思えない。
p.223 文字言語の語彙が豊かになりはじめたのは、書くことにともなってだが、その豊かさの開花は印刷のおかげである。 文字言語があるところには、その文法と慣用がならずある 秩序(文法や慣用)という概念そのものの感覚的な基盤は、かなりの部分、視覚(文字言語が書かれ印刷されること)にある。
第5章 印刷、空間、閉じられたテクスト
p.242 印刷が → ルネサンス、宗教改革、近代資本主義、大航海時代を引き起こし → 生活と政治、知識を広め、万人識字、近代科学の興隆、社会的、知的生活を変えた そして印刷が人の意識を変えた
p.249 印刷によって、聴覚優位から視覚優位が確固たるものになった。 読みやすさ、速読、黙読を可能に。 語を空間の中に位置づける〜空間の中に釘づけにする → 索引、リスト(一覧表)、内容とレッテル(タイトルページ)、図像的なレッテル
p.260 版面が意味を運ぶ 正確に反復できる視覚情報(※ページの統合的なデザイン/デザインルール) → 近代科学はその一つ:正確な観察を正確な表現に結びつけたこと
p.263 タイポグラフィックな空間/空白 活字の作りだす空間 → 科学的想像力、哲学的創造料、文学的想像力に、はたらきかける
p.266 印刷が → 西洋人の認識のエコノミー「心性」に直接的影響を与えた → レトリック(声の文化にもとづく)技術を学問的教養の中心から追い出した → 数学的分析、ダイヤグラム、チャートによって、知識の数量化をおしすすめた → 辞書(あらゆることばを網羅)、正しい言語規則を打ち立てる欲求を喚起 → 小さく持ち運びできる本 → 一人で静かに黙読 → 内容の私有感覚
p.270 印刷は → テクストが閉じられている感覚をうながす → テクストの「内容」が、ある終わりによって区切られ、「完成」しているという感覚
認識の場が閉じられている感覚 → 書くことにより、思考は、対話相手から切りはなされ、紙面に隔離される
印刷物は → どんな反論にも無関心 → 内容(発話と思考)は、独立し、自足し、完全なものとして提示される (印刷は、同じ作品についての、まったくおなじ視覚的、物理的堅牢さをもった何千部もの版本のなかに、その作品の思考を閉じ込めてしまう。)
第6章 声の文化に特有な記憶、話しのすじ、登場人物の性格
p.285 物語は、いつどこでも、言語芸術の主要なジャンル もっとも抽象的な言語芸術形態の根底にさえ、物語は存在する。 人間の知識は、時間(と、それにしたがう物語)から生まれる。 → 抽象的な科学的知識の背後にさえ、観察の物語があり、抽象的な知識は、そうした物語にもとづいて定式化される。 → 実験室の学生たちは、実験結果を「書きあげ」なければならない。つまりおこなったことと、それをしたときに何が起こったのかを物語らなければならない。ある種の一般化や抽象的結論が引き出されるのは、物語からである。
第7章 いくつかの定理〔応用〕
p.363 声の文化と文字の文化の相互作用 → 人間の究極の関心と願望(としての宗教)にもかかわる   → 宗教的伝統は、声の文化に根ざした起源をもち、話されることばを重んじている   → また聖なるテクスト(ヴェーダ、聖書、コーラン)の発展によって内面化された
p.364 声の文化と文字の文化に関する問題は、いまや無数にある。 声の文化と文字の文化の力学は、現代の意識の進化の流れである、いっそうの内面化と開放にむけて合流していく。
(220929読了)
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keredomo · 11 months
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心臓
 課の会議中に、会社に受診を義務づけられている健康診断の結果がメールで届いた。今年は健康診断前にうっかり食事を摂るようなミスも回避できたのできっとよい結果になっているだろなと喜び勇んで開いたところ、画面にあらわれた判定はEだった。思わず「いー」と口走る。突然の奇声に、課のメンバーから怪訝な顔を向けられて「すみません何でもないです」と取り繕う。連日連夜の野蛮な飲酒にとうとう肝臓が悲鳴を上げたかと診断をスクロールすると、警告よがしに表中の列が真っ赤に塗られている項目は心臓だった。
 心電図を採るためには、ベッドに横たわって上衣をめくりあげ、身体のあらゆるところに冷たい機械をあてられる。手早く特定箇所に機器を当てるこの担当女医に、私の乳と腹はどう見られているのだろうかと不安に思いながらも、被験者の矜持があるので微動だにしない。
 女医は医師として無数の乳房を見てきたのだろう。品評するだろうか。乳首の形と色とがさまざまであることを誰よりも知っているだろう女医は、乳房というものをどう捉えているのだろうか。そんなことを考えているうちに検査が終わり、次の部屋への移動を促されてそれに従う。結果、私の脈は不正で、疾患を疑われるほどの異常値を叩き出していたのだった。乳房の優劣のことを考えていたせいだろうかと一瞬よぎったが、専門機関で精密検査を受けるまではその真偽はわからない。検査で異常を確認するのがなんとなく億劫で、病院にはまだ行っていない。
 *
 父も、心臓をやって死んだ。あの人の場合は、糖尿病を患って、酒も煙草も大いにやったあげく脳もだめにしていたから、死因は心臓とは断言できない。私も父と同じく酒と煙草をやるが、酒については父のおそらく倍量以上を煽りつつも、煙草の量は吸わない人間と大差ない程度だ。それでも、身体的遺伝とは怖いものである。
 顔のつくりはまったく似なかった。美男の色男であった父の美醜の感覚で「ブス」と面と向かって蔑まれる程度には可愛くない容姿に生まれついたにもかかわらず、疾病だけは執念深く遺伝するのだから面白くない。
 父から引き継いだ心臓の弱さによって死ぬことで、父をもう一度殺したい。父が容姿の醜さを笑って娘の自尊心をずたぼろにした結果が私の孤独死であると、見せつけてその心のなさを責めてやりたい。
 病気を糧に親を責めたい気持ちがむくむくと湧く。とはいえ、父はそのだらしなさがゆえに数年前にとっくに死んでいて、たとえ私が父の遺伝のせいで若くして死んだところで彼にはもはや何のダメージもないのだった。一人相撲の、この徒労感。私と父は、生きていても死んでいても、どのみち交わらないのだった。
 おのれの死を父に見せつけて父の未熟さを思い知らせたい、などと馬鹿げたことを妄想して鼻で笑う。くだらない未練だと思いつつ、これがあの男の心臓なのだと思うと、死んで地獄でやりあおうかという気にもなるのだった。お前の心臓を受け継いで死んで、お前と殴り合ってやろうかと。
 そんなことを考えるということは、おそらく、私は今になってようやく父を愛しているのだった。彼が死ぬまで愛せなかった父を、死後になってから悪あがきのように愛しているのだから愚かなことこの上ない。
 *
 心臓の疾患を疑われた以外は、私の身体はほとんどがAの判定を受けていた。当然だ。一般的でない飲酒量とそれを切実に必要とする不眠以外、私に不摂生はなかった(まあ、それこそが致命的なのだが)。毎日、おびただしい量の野菜を摂取する異常な食生活。過剰な飲酒による酩酊と気絶がもたらす十分な暴力的睡眠。適度な運動。ノイローゼを呼ばない程度の仕事量。すべてを肯定してくれる友人たち。この世の誰よりも健康的な日々を送っている。心だけが異常に繊細で、激しい怒りや激しい悲しみのあまりストレスで生理が止まったりはするが、そういうことがあっても、女だなあと思うだけだった。
 毎晩ワインを一本あけるほどの過分な飲酒にもかかわらず、肝臓の数値は良好だった。煙草を吸うわりには血圧もヘモグロビン量も正しい。理想的な痩身を保っているわけではないが、BMIも適正値だった。
 ただ、父親から受け継いだ心臓だけがだめになっていた。ばかな男。私をまともに愛さなかったくせに、形骸的に執着して、まさか引き連れていきたいのか? 否、そんな情は奴にはあるまい。母に対する恋情はずっとあった。倒れて理性を失ってからも、うわごとで母に「愛してます、結婚してください」と語り続けていた男だ。私の母と結婚する以前に二度結婚して子供を作って、その子供たちは父の死後に弔問に来て「父には可愛がってもらった」と思い出を口にしていた。私だけが、父の愛を知らない。
 けれど私は、父親の愛を知らないからこそ未だに父に執着していて、父の本来の愛情深さを想像してはそれが自分に振り向けられなかったことを恨みながらも、愛情深い人間であった父を無碍にできないのだった。なぜか。心臓の疾患のみならず、その愛情深さも、私に遺伝しているのだろうか。わからない。なぜなのだろう。父の死後、その死をきっかけに私の知らなかった父の生を聞かされるたび、私は父に自分を投影してしまう。父の人生が私の人生であるように思えてしまう。私だけが一方的に父を愛しているのだった。
 私の死因がもしあなたからの遺伝によるなら、いいよ。受け入れる。ほかのどの死因よりいいよ。あなたと同じ死に方をして、ようやく私は父親とのつながりを思い知ることができるんだ。ようやく愛されたと思えるんだ。
 *
 ずっと、「私を殺してくれる男」を待ち侘び続けてきた。
 私をはるか凌駕している男。私の命がその手にかけられることに悦びを感じられるほどの男。圧倒的存在をずっと待っていて、十何年かけてずっと探して、ようやく見つかったと思ったらその男は私を深く愛してしまったので、私を殺すことなどとうていできなくなった。そりゃそうだよな。ふつう、愛する人には生きていてほしいものだ。
 心臓のことが判明して、死因のことを考えて、ここに書いて、私が探していたのは「父」だったのだと、ようやく思い至った。「父」の不在が、私に「私を殺してくれる男」を探させた。
 それがゆえに私の人生はこうなった。安定も安心も遠ざけて、苛烈な情念だけを頼りに猛獣のように世界に牙を向ける人生。けれど心の奥底には「父」を持てなかった少女がうずくまって泣いていて、父親にあたたかく抱きしめてほしいという感情をこらえている。あなたにあたたかく抱きしめてほしいという感情がずっとくすぶっている。父に抱きしめられたい。父に愛されたい。父を愛したい。大好きだと叫んで抱きしめたい。
 どうしてそれが叶わなかったんだろう。男を使い捨てても使い捨てても満たされない理由をようやく自覚して、ぽかんとしている。埋める努力をしたところでどうしたって埋まることのない穴を、私はこれから先、どう扱えばいいんだろう。これまでについた不毛な傷を、どう見捨てればいいんだろう。
 いつ、父親への執着が消えるのだろう。もうこれ以上苦しみたくないのに。
 できるだけ早く心臓が破裂して、私が死んでしまえたらいいなと思う。父親のせいで狂ってしまった人生を、父親のせいで終わりにしたい。あなたの娘はあなたに愛されなかったせいで、彼女が決死の思いで築きあげた素晴らしく美しい人生をあっけなく台無しにして死にましたよ。死後の父にそう伝えて、後悔に苦しんでほしい。
 そんな日は永遠に来ないことはわかっている。私は心臓の疾病を放置して、不整脈が起こるたびに父を呪う。父を愛する。父を憎む。酒を飲む。煙草を吸う。男を抱く。絶対に許さない。私を愛さなかったことを許さない。せめて私を早く殺してほしい。受け継いだ心臓の疾患で、私を殺してほしい。すでに不在となった者へのこの憎しみから、この愛情から、愛おしさから、執着から、苦しみから、もう逃れたい。逃してほしい。あなたを思うことから、逃してほしい。
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ysnsgt · 1 year
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【刀剣乱舞】映画黎明感想2:解釈『刀剣乱舞』と刀剣と日本人
映画「黎明」、端的に言��ば「最高でした」になるんですが、もう少し言葉を尽くしましょう。
物語の中の刀剣には元々興味があったのですが、2015年1月14日PC版「ONLINE」を始めてから本格化。以来実物の鑑賞勉強と多方面の本をちまちま続け、2022年12月だったかにやっと入り口としての問いに自分なりに解を出せました。
「なぜ刀剣なのか」 「日本刀とは、日本人にとって何なのか / 何だったのか」
一年の計は元旦、ならぬ春にあり。旧暦の春は一旦勉強を離れて5月から本腰を入れて刀と向き合おう。そういうタイミングだった2023年3月31日に公開された「黎明」は、私が8年かけてたどり着いた境地への「答え」そのものでした。
というわけで、この機に映画「黎明」の筋書きをベースに解を記したいと思います。
刀剣に関わり始めて幾度となく言われた言葉があります。
「人殺しの道具を見て何が楽しいの?」
たしかに刀剣は武器です。映画「黎明」でも冒頭では、罪なき(と思われる)人々が為政者によって無惨にも刀で斬り殺されている。それでもふしぎなことに、戦や暴力とは程遠い世界で生まれ育った少女が「綺麗」と見惚れる魅力を持っている。なぜなのか? その答えへと、天下五剣の中で最も「美しい」とされる三日月宗近と、「綺麗とか言うな」山姥切国広が主軸となって導いていく。これだけで映画「黎明」を喝采せざるを得ません。
先に答えを言ってしまうと、どんなに社会に溶け込めなくても、どんなに報われなくても、人を傷つけることを厭い、人を傷つける己を律する、そんな心を持った人間が刀と共にあり続けたからだよ。象徴するのは「美しい」刀2振りの仮の主、琴音と伊��でした。
ユング心理学者の��合隼雄は、人間の精神性を「包含」と「分断」の2軸で説明しました。全体主義と個人主義とも言いかえられるでしょうか。日本人は前者の気質が強く、そのために時として他者どころか己の子を(心理的に)喰い物にする「山姥」のようになってしまうとのこと。それを防ぐためには「分断」の気質も高めて相互補完し、心のバランスを保つことが大事であるとかなんとか。
こうした説明を読んだ時、新渡戸稲造『武士道』の記述を思い出しました。
刀は不断の伴侶として愛せられ、固有の呼び名を付けて愛称せられ、尊敬のあまりほとんど崇拝せられるに至る。
刀は基本的には斬るための武器で、つまりは「分断」の機能を持っています。そんな刀を「伴侶として愛」することは、己の「包含」気質を抑え、心のバランスを取ることに寄与していた……つまり、概して日本人て刀と向き合い刀と共にあることで、やっと真っ当な人間でいられたのでは?
反対に、武器である刀を「包含」気質の強い日本人が持っていたからこそ、「分断」の機能が抑制され武器を超えた存在として千年受け継がれてきた。そういうことなんじゃないでしょうか。
さて。美しき刀の仮の主、琴音と伊吹からその辺りのことを見ていきましょう。
まず琴音。彼女は特殊能力故に居心地の悪さを覚えていますが、高校に通い、友達にも恵まれた、「平凡」の範疇に入れて良い少女です。日本のたどる歴史の中ではぬるま湯と呼んでも支障がないだろう21世紀にどっぷり浸かり、だからこそ事態が切迫しても理解が追いつかない。友達が被害に遭っているし察しはついていますが、解決策として人を殺すという選択肢がどうしても採れない。
大義のためには、という男士……刀の「分断」機能から見れば鬱陶しくなるくらいの甘ちゃんでしょう。私も実は最初ちょっと苛ついていたのですが、あれが日本人の持つ「包含」気質の象徴と思えばむしろああでなくてはいけないと思い直しました。ことここに至っても有害だからと切り捨てられない、だからこそ三日月は友の信じる主であり、歴史の流れに踏みにじられた弱者を斬る「汚れ」にはまみれずに済む。
そして琴音も、三日月という刀と繋がりを持ったことで、協力は嫌だと駄々をこねるだけのところから、彼女なりに伊吹を心の鬼と「分断」する力添えをするに至る。琴音はひたすら伊吹に言葉を投げかけていましたが、河合隼雄に言わせると言葉は「分断」属性なんだそうです。つまり彼女はあそこで象徴的に刀を振るっていると同義とみなせます。最後に物の「言葉」に耳を傾けられるのも「分断」機能が向上したからかもしれません。見事な相互補完関係です。
次に伊吹くんですが。まず目下の人間に暴力を振るうのは「低次の「包含」機能に支配されている」と河合隼雄はズバリ言ってます。要はまず父親からして「包含」気質の奴隷。そんな父親に支配された伊吹もまた「包含」に呑まれており、弟への執着……依存は、見ていて心配になるほどでした。実際弟との離別(「分断」)に気付いた瞬間伊吹は心の均衡を失い、父と同じ属性を持つ酒呑童子と一体化してしまいます。
そんな時、「分断」機能の権化たる刀・山姥切国広が問います。「それは本当に“あんたの”願いなのか」と。これは明確に、酒呑童子と伊吹を分断するための言葉です。三日月の影響を受けた琴音の言葉による介添えもあり、伊吹は己の「分断」能力を高め、山姥切国広と共に己の心の鬼を断つ。
さらに言うと、伊吹に対して山姥切国広は刀としての「分断」機能だけでなく山姥切という属性の持つ「包含」機能も活きたんじゃないかと考えています。
実は包含機能は母性原理(地母神)、分断機能は男性原理(天父神)として説明されることもあります。だからこそ負に働く包含機能が「山姥」に例えられるんですが、伊吹の家は、父、兄、弟で女が不在なんですよ。包含機能のモデルケースがいない。だからこそ父は暴力をふるい、伊吹も悪役として活動し鬼になりかけたんだと思うんですが、そこを補ったのが山姥切国広でした。
とにかく彼は言葉を挟まず伊吹に寄り添う。彼がすがる醜い「弟」をも込みで伊吹の心を守ろうとする。それで世界が滅んだとしてもその結果をも受け入れるつもりだったのでしょう。こうしたどこまでも温かな「包含」を与えられたからこそ、彼は鬼を分断する心を得られたんじゃないかなと。そして恐らく保護員である女性と繋がることができたのは、やはり象徴的です。
母性原理と父性原理はあくまで心理学上の便宜上の説明であり実際の男女の役割を固定化させるものではないんですが、まぁ21世紀から見るとちょっと野暮ったいですよね。実はその辺もうまく配慮されてて、映画「黎明」本当にすごいなと感心しました。
琴音は物の声を聞く審神者に近い存在。伊吹は鬼に憑依される依代に近い存在。古来審神者は男、依代は女に多く(絶対ではない)、両者の二人三脚で祭政が行われてきました。でも審神者に近い琴音は女、依代に近い伊吹は男で男女の役割が逆転しています。そして両者が恋仲……一対になるわけでもなく物語は幕を下ろす。
実弦と加々美も伝統的な男女の役割が逆転しているように思えました。実弦は恐らく黒田家の末裔。そういうポジションは従来だったら男が担うものです。そして加々美。為政者たる男に侮られ、細かな気配りでお茶を出し、長義には絶対服従というレベルで絶大な信頼を寄せて言葉少なに彼の意に添う。これ普通に良妻モデルですよ。でも彼は男です。けれどそれでおかしいわけじゃない。実弦は黒田家の末裔たるギャルだからこそ、加々美はまるで良妻な男だからこそ、それぞれの刀と最高の相棒関係を見せてくれた。ジェンダー規範に囚われず生きたい現代審神者への全力のエールだと思います。
そしてそういう現代的な生き方をする彼らを、日本の歴史そのものたる神道に携わる倉橋さんと、あの大江山急襲に参加していた髭切(渡辺綱が腕を切り落としていた)とその弟の膝丸が付かず離れず見守っているというのが、なんか、途方もなく優しかったなと、今思い返してちょっと涙目になってます。『刀剣乱舞』どこまでも推せる。
そろそろ終わりに向かうため、最初の問いに戻りましょう。
「人殺しの道具を見て何が楽しいの?」
たしかに刀は武器だ。けれどそれは、何も生身の人間を斬るだけじゃない。
日本最古の物語『古事記』には既に刀の物語が多く語られています。そのうちの一つである布都御魂剣は、初代天皇・神武天皇の東征時に以前の持ち主の加護を受け、霊障治癒、怪異退治を果たしています。これ、映画「黎明」で刀剣男士が行うそのままなんですよ。
彼らは元は異なる人の持ち物ですが、そこで培った力を活かして「新たな」主を守っていく。鬼を斬り、想いを吸われ病にかかったように倒れ伏した人々を回復させました。
そして持ち主が心をしっかり保っていれば、彼らは血に汚れることもなく、誰を傷つけることもなく、ひたすらに持ち主の心を守ってくれる。
「こんな素晴らしい“伴侶”を見て、楽しくないわけがありましょうか」
この言葉を胸に、ゲームに実物に物語に、死ぬまで刀と向き合っていきたいなと改めて思いましたし、改めて思わせてくれた映画「黎明」に心からの感謝を送ります。円盤ぜったいに買いますからね!
補記。刀の話に終始しましたが、刀にこだわる必要もないよっていうのを示しているのがまた映画「黎明」の憎いところでした。
大事な人からもらったブレスレット。ずっと身につけている腕時計。文字通り十把一絡げで売られているスーパーボール。どんなものだって、思い入れを込めた物なら心を守ってくれるんだよと。
「誰もが審神者になる可能性を持っている」という台詞はゲームのユーザー数を増やしたい的なメタ要素を置くとして、日本人と日本刀は長らく蜜月だったのでそりゃもう日本人や日本文化に興味を持つ人なら誰だって刀の加護を得られるでしょう。けれど刀に興味を持てない、どうしても怖くて近づきたくない人だっているわけで。そういう人だって、身近にある何かがあなたのことを守ってくれるよというメッセージは普遍的なもので、すっごく良いですね。
補記2。以上は人間たる私から見た解釈でしたが、主題歌「DESTINY」が刀からのアンサーとして見事で私は泣きました。別れは避けられないけどせめて彼らに悔いを残さないように死なないとなぁ。
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yui-on · 1 year
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閑話休題 伍
「YoshimiO & U-zhaan
LIVE IN POLARIS Release Commemorative」
at 結音茶舗
【日時】5/3 2023 (水曜日・祝) open 18:00
【会場】結音茶舗
    大阪府大阪市中央区谷町六丁目14-2 路地奥
【料金】限定20名先着(※要予約) 4,000円+ワンオーダー
【予約】E-mail : mailto:[email protected]
    Tel : (06)4305-4926 (12:00-24:00・月曜休)
出演
LIVE
YoshimiO x U-zhaan
Hideo Nakasako
にしもとひろこ
DJ
あらゆるゔぇーだ
Sound: Kabamix
YoshimiO & U-zhaan
LIVE IN POLARIS
シタール奏者のヨシダダイキチが結成した実験的インド音楽ユニット「SAICOBABA」のメンバーとして1999年から数多く共演をしてきたYoshimiOとU-zhaanが、出会って23年目にして突発的に初開催したデュオ即興ライブのフル音源をBandcamp限定でリリースする。マスタリングはkabamix。
YoshimiO and U-zhaan, who have performed together numerous times since 1999
as members of SAICOBABA, an experimental Indian music unit formed by sitar player Yoshida Daikichi, will release the full soundtrack of their first duo improvisation live performance, which was held suddenly and unexpectedly 23 years after they met, exclusively on Bandcamp The mastering was done by kabamix.
YoshimiO/
Vocal, Piano, Bamboo Flute, Triangle, Synthesizer
 
U-zhaan/
Tabla, Kanjira, Alto Horn
Mastered by kabamix.
Artwork by UTA
YoshimO・ヨシミオ(a.k.a.Yoshimi P-We)
1986年BOREDOMSのEYE等とUFO OR DIEを結成。
初めてドラムを叩き、初動でシャウトするステージから、
1988年より30年以上世界で最も先鋭的なエクスペリメンタル・ハードコアバンド・
BOREDOMSのコアメンバーとして活動。
1993年Kim Gordon,Jullia CafritzとのFREE KITTENのドラマーとして加入後、
1995年より自身のプロデュースバンドOOIOOを結成し、ギターヴォーカル&トランペットでの表現は現在進行形である。
1999年からシタール奏者のヨシダダイキチが結成した実験的インド音楽ユニット「SAICOBABA」を経て、
2015年には古代ヌメロロジカルな手法をもとに演奏されるラーガコアバンド
[SAICOBAB]をヨシダダイキチ、HAMA(滞空時間)等と結成し
Vocalist・YoshimiOとしての活動を始める。
2020年よりYoshimiOのすべてのインプットは和泉希洋志からアウトプットされる
YoshimiOizumikiYoshiduOでピアノを奏で発声。
複数のパーマネントな音楽活動はもちろん、世界中を舞台にした数え切れないセッション・ワークやレコーディング、プロジェクトへの参加、  映画のサウンドトラックをはじめとするソロ=YoshimiO名義での音源制作、他ミュージシャンへの楽曲提供、 CM音楽制作、さらには、自身のブランドemeraldthirteenでの服飾デザインまでをもこなす、正にポリフォニックな多層型アーティスト。
音楽制作、延いてはその根幹となる器楽演奏や発声の方法までもが完全にオリジナルなメソッドで
貫かれており、楽器や音そのものから放たれるバイブレーションと素直に対峙することから始まる
身体的反応を第一義としたプリミティブな表現を核に、同時代性を伴う鮮烈な色彩感覚をちりばめた、独自のエートスを獲得している。 
U-zhaan・ユザーン
オニンド・チャタルジー、ザキール・フセインの両氏からインドの打楽器「タブラ」を師事。2000年よりASA-CHANG&巡礼に加入し、『花』『影の無いヒト』など4枚のアルバムを発表。2010年に同ユニットを脱退後、U-zhaan × rei harakamiとして「川越ランデヴー」「ミスターモーニングナイト」等を自らのサイトから配信リリース。2014年にはゲストに坂本龍一、Cornelius、ハナレグミ等を迎えたソロ名義のアルバム『Tabla Rock Mountain』を発表した。2021年にU-zhaan×環ROY×鎮座DOPENESSによるアルバム『たのしみ』、2022年に蓮沼執太との共作アルバム『Good News』をリリースしている。
Hideo Nakasako
関西を拠点にAmbient〜Dub〜Technoに影響を受けた電子音楽を制作するプロデューサー。現在は自身で録音したフィールドレコーディングやシンセサイザーで作ったテクスチャーをレイヤーしたAmbient Musicに傾倒している。
Blue Arts Music,shrine.jp,Muzan Editionsなど国内レーベル中心にリリースを重ね、自身のBandcampにて精力的に作品をリリースし続けている。2023年2月Muzan Editionsより「Collected Sound Fragments」をリリースする。
2017年よりクラブの音響、環境でアンビエントミュージックを楽しむパーティーDon't Danceを主宰する。
https://hideonakasako.bandcamp.com
にしもとひろこ
散らばる光と戯れるように、独特な声色でうたを紡ぐ。
アコースティックデュオ「たゆたう」、女性5人バンド「Colloid」などで活動するほか、主に声のみで物語を奏でるソロパフォーマンスやボーカル・コーラスサポートも行う。
2014年 劇団sunday『友達』、2016年 423アートプロジェクト『とちのこゑ』、 2017年 瀬戸内サーカスファクトリー主催『サカイデマングローブ』、2018年 『大阪府障がい者舞台芸術オープンカレッジ2018「うみのうたごえ」』、BRDG vol.5『Whole』、2020年BRDG vol.6『ふれる~ハプロス』などで楽曲提供、劇中での生演奏に参加。
日々の暮らしの中、歌ったり、描いたり、作ったり、多岐にわたるアーティスト活動をめぐりながら独自の世界観を表現する。
あらゆるゔぇーだ ARAYURUVEDA
コロナ禍において自宅をインドに近づけるために、インドのレコードを聴きながらカレーをつくる活動をはじめる。インドの音楽をより楽しむために、近隣諸国のレコードも買うようになり、戸惑う。BGMにより空間が唐突にアジア、アラブ化するのを楽しんでいる。
結音茶舗
542-0012
大阪府大阪市中央区谷町6丁目14-2 路地奥 結音茶舗
電話 06 4305 4926
map
https://goo.gl/maps/ePqVuHhzoU72
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営業時間
お昼 12:00 - 深夜24:00
ランチタイム 12:00 - 15:00
喫茶 15:00 - 17:00
日本茶バー 19:00 - last
定休日毎月曜 第三火曜
イベント・催しによって変動あり
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ymkkrhr2 · 1 year
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【自作を語る⑫】腐れる
【自作を語る⑫】『腐れる』
 2022年に書いた小説です。
 執筆中のBGMは、大森靖子「少女3号」でした。
  ※動画がYoutubeにありましたので、URLを貼っておきます。大森靖子「少女3号」→(https://www.youtube.com/watch?v=zSZ8BSn7x9Y)
 この小説は、伴美砂都さんが主催するロゼット文庫「増刊号クラウン vol.1」に掲載して頂いた作品です。「クラウン」は、以前寄稿させて頂いた、「文芸同人誌ロゼット」の増刊号であり、私を含め7人の書き手が「屈託」をテーマに書いた作品を集めたアンソロジーです。
 私は伴さんがこのアンソロジーの構想を練ってらっしゃる時から、ぜひ参加させてほしいと思っており、それは当初から、「クラウン」が「エロ・グロ表現があってもOK」なアンソロジーとして、構想されていたからです。私はその構想に非常に興味を持ち、伴さんから参加のお誘いを頂いた訳でもないのに、このアンソロジーに寄稿するにはどんな小説がいいかを考え始めました。それが、『腐れる』という小説でした。
 小説を書く時にまず考えるのは、どんな話にするか、ということです。「クラウン」が「エロ・グロ表現があってもOK」であるアンソロジーならば、作品の中にエロ表現もグロ表現も入れたい。そのためには、エロくてグロい話を書くのが最適解だ。では、エロくてグロいとは、一体何か。
 その時に辿り着いた答えが、「肉体が溶解しながらするセックス」でした。私は最初に、この小説を「肉体が溶けながらセックスする話」にしようと決めたのです。
 どんな話にするか考えている時、世間は新型コロナウイルスの影響を、引き続き受けていました。生活は変わり、今まで大掃除の時くらいしか装着しなかったマスクを毎日身に着けるようになり、手指消毒用のアルコールがいたるところで見られるようになりました。友人・知人、職場の同僚が感染するということももはや珍しいことではなくなり、テレビは毎日増減を繰り返す感染者数について報じ続けていました。
 私は未だ、コロナ以後の世界を舞台にした小説を書く勇気を持てずにいました。それは、あと数年経てば事態が収束し、コロナ以前の世界に戻るのではないか、と思う気持ちと、私たちの生活様式がコロナ以後のままで、もう元に戻ることはないのではないか、という気持ち、そのどちらもあったからです。コロナ渦を描いた小説を見つけるたび、「これから先もコロナ以前の世界ばかりを書いていくのは、現実を正確に捉えられていないということの表れではないか」と思ったり、しかし、「私がこの先書く小説はすべてコロナ以後の世界を舞台にしなければならないというのも、嫌だ」と思ったり、複雑な感情になっていました。
 何も、コロナ渦を主軸に据えた小説を書くべきだと思っている訳ではありません。しかし、たとえば、学生の話を書く時にリモート授業の様子を書いたり、会社員の話を書く時に在宅勤務の描写をしたり、そういう風に小説の内容を変化させていくべきなのか、否か。当時の私は、小説を書く上で、そういったことに頭を悩ませていました。
 考えた末に、直接的にコロナの話を書くのではなく、私なりの、感染症が蔓延している世界の物語を書くことにしました。そこで書いたのが、今作に登場する「接腐病」という病気です。この病を今作における大きな要素としたことで、今作は私なりの、「ふれ合わない」世界の物語となったのです。
 私が創作した、この「接腐病」は、人間の皮膚と皮膚が触れ合うと、そこから腐敗して溶けてしまうという病気です。その病によって、セックスをすると身体が溶けて死ぬ。この小説を「肉体が溶けながらセックスする話」にすることができる、と思ったのです。
 人と人が触れ合うと溶けてしまうので、人間はお互い、触れ合わないように生活をしなければなりません。ならば、防護服を着るだろう。頭部はヘルメットで覆うだろう。そんなところから、今作の世界の設定を考えていきました。
 触れ合えない世界で生殖はどうするのか。人工授精にするしかない。胎児を子宮で育てることはできるのだろうか。「人工授精で、受精卵も胎児も培養器で育てられるのであれば、必ずしも自分自身の生殖細胞を使用することはないのではないか」と思い、「カタログベビー」という設定も生まれました。
 そしてもうひとつ、考えた設定が「生活の変化に伴う、言葉の変化」です。この小説の序盤、私は下記のような文章を書きました。
 「ふれる」という言葉が、かつては「触れる」と表記されていたと習ったのは、中学一年生の時。歴史の授業だった。
  この文章は、現代において「触れる」という言葉が使用されていないことを示しています。では、「ふれる」という言葉は、どう表記されているのでし��うか。今作の文中では、ずっと「ふれる」とひらがな表記にしていますが、実際は「腐れる」と表記されているというのが、この世界の設定です。「触れる」と、そこから「腐って」しまうので、いつしか「ふれる」ことを「触れる」ではなく、「腐(ふ)れる」と表記するようになったのです。
「接腐病」という病気の名前も、私たち読者の感覚では「せっふびょう」とでも読みそうなものですが、この世界ではこれで「せっしょくびょう」と読みます。つまりは「接触病」なのです。「触」という字が、「腐」に置き換わっている。「触れる=腐る」ためです。
 その設定から、この小説の題名を『腐れる』と付けました。「くされる」ではなく、「ふれる」と読むのは、これで「触れる」の意となるためです。
 この「言葉が変化している」という設定を思いついた頃には、今作のあらすじはほとんど決まっていました。物語の最後の場面を冒頭に置き、ラストから始まるというのも、実際に書き始める前から決めていたことです。
 しかし、それでも、物語の終盤は書きながら悩んでばかりいました。「肉体が溶けながらセックスする話」を書く、というのがこの小説の目的であり存在意義ではありましたが、「肉体が溶けながらセックスをする」ということは、はたしてどういうことなのか、そこにはどんな感情があり、どんな光景があるのか、そのことに最後まで悩まされました。
 最終盤の描写は、人が死ぬ間際に見る走馬灯を想像しながら書いたものです。自分で書いておいてこんなことを言うのもなんですが、筆者としてはこの最後の描写が一番の気に入っている箇所です。この物語は決してハッピーエンドではないと思うのですが、だからと言って、バッドエンドでもない。その塩梅をなんとか見極めることができたのではないかと思っています。
 そしてもうひとつ、これは接腐病とは関係のない設定ではありますが、この物語の世界では、女性の名前は「ミチカ」、「セリカ」、「ホノカ」と最後に「カ」が付き、男性は最後に「キ」が付く(残念なことに、作中で名前が明かされる男性が「ヒロキ」しかいないので、断言できないのですが……)ことになっています。こういった、物語の本筋と関係のない設定を考えるのも、筆者なりの小説を書く楽しみのひとつです。
 この小説を書き上げてから思ったことは、「アンソロジーに寄稿させて頂く時に、こんな小説が書けることは、もう今後はないだろう」ということです。「エロ・グロ表現があってもOK」という条件を頂けたことも大きかったですが、今回このアンソロジーを主宰された伴さんが、筆者の原稿を何度も掲載して下さった方だということ、つまりは、私の小説を数作読んで下さっている読者であるということ、その安心感と信頼が、この『腐れる』を書くことができた最も大きな理由だと思います。重ね重ね、主催の伴さんに感謝です。そして、「増刊号クラウン vol.1」を手に取って下さったすべての皆様へ、ありがとうございました。
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foucault · 2 years
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『民藝』6月号が発刊しています(最近、郵便自体が遅い上に第三種郵便の配送が軽んじられているのか、到着がますます遅くなっています。5/31に駒場で出して、6/6に福岡に着く…)。特集は日本民藝館での展示会に合わせ「復帰50年記念 沖縄の美」です。澤地久枝さんに執筆いただけたことも嬉しいですし、その文章も、復帰とは誰にとって、どこへの復帰なのかを地に立っ���問うもので、ありがたかったです。他執筆陣も充実ですし、坂本万七・白崎俊次による写真など、入れたかったものをだいたい詰め込めた嬉しい特集です。ご笑覧ください。 また昨日、赤木明登さんから冊子『禅と工藝』をお送りいただきました。まだ全てに目を通していませんが、原田住職による、「空」とはZEROである、「空」は存在しないが、欠けた存在であるが故にそれを基点として創造がはじまる、というお話がとてもよかったです。ゼロ記号として「空」は存在し、「安心」という「空」が「決定」という運動性を呼び込んでくる。「空」とは何か、を規定することは「空のZERO性」を毀損するだけでしかない。同じ意味において「民藝」もまたゼロ記号なのだと僕は考えています。柳がこう書いたように。 > (道元)禅師が支那から帰朝された最初の説法に「空手にして郷に還る」といわれたという。ある注釈書を見たら、伝教、弘法その他の宗祖は、皆万巻の経文や仏像等を携えて帰られた。しかるに道元禅師は、そんなものは後廻しにして、空手で帰って来られたのだという。こういう解釈にも、ある程度の意味はあろうが、おそらく真意はそんな外形的な事ではあるまい。「空手」を「如心」の意味にとる方が更によくはないか。ある人が禅師に、支那で何を学んで帰られたかと尋ねたら、「柔軟心」を学んで来たといわれたという。柔軟心は「やわらかい心」の意である。この「柔軟心」と「空手」とは、互に通じる内容があろう。それを易しく「素直な心」といってもよい。我執に囚われて、弾力性を失った「こわばる心」となっては、仏を見失い、法を見誤る。空手にしてのみ仏からの贈物がそのまま受けられる。「空手還郷」の言葉に続いて、「故に仏法なし」といわれたという。ここが素晴らしい見方で、同じく民藝を見つめて、「民藝なし」とまでいい切る程にならねばならぬ。(「改めて民藝について」) また、matohuの堀畑さんによる、ヴィトゲンシュタインの「私の言語の限界は、私の世界の限界を意味する」をひっくり返して、「私の言語をひとつひとつ掘り下げて行けば、世界はまだまだ拡がる」と捉えるお話しも腑に落ちるものでした。それをヴェイユは「わたしたちは、知性でとらえられないものの方が、知性でとらえられるものよりもずっと実在的であることを、知性のおかげで知っている」「信仰とは、知性が愛の光を受けるという体験である。ただ、知性は、知性に固有の手段を通じて、すなわち、確認し証明することによって、愛の優越を認めなければならない。知性は、その理由を、のこりなく確実に、明瞭に知った上で、はじめて服従しなければならない。そうでないと、知性の服従は誤りということになるし、その服従しているものも、どんなレッテルが貼られていようと、超自然的な愛とはちがうものである。たとえば、社会的な影響といったものである(『重力と恩寵』ちくま学芸文庫版)」という形で記したのだとも思います。 だからこそ僕は、「美しいというのは人それぞれじゃないですか」なんていう言葉がいつまでも信用できないんだな、とつくづく考えました。「美」を定義すること自体は確かに不可能でしょう。それは「ゼロ記号」であり、まさに河井寬次郎が言った通り「追えば逃げる美」なので。絶対的な美があるとも思わない。けれど、個別の事象については、それが手の届かない美、不可知なものであるかどうかは、徹底して吟味するべきだと僕は考えます。3手先も読めない人が、将棋を解り尽くすことはできないよね、と言うのと、藤井n冠が同じ言葉を使うのではだいぶ意味が違う。 柳宗悦にしても、例えば「美の標準」と題した文章を記した時に企図していたのは、これが美のスタンダードなんだ、これ以外は認めない、民藝ではない、といった意図ではなく、個別の品々を「美術的」と「工藝的」に分析することによって、当時主流であったものの見方が含んでいる、ヴェイユ言うところの「社会的な影響」、つまりは当時「美」とされたものが抱えている権力構造を明らかにする、ということであって、オルタナティブ(と、その二項対立の不毛さ)の提示だったはずです。そして、その当時、柳の言説は実に鮮やかなメス捌きであったし、有効性を持っていた。そこには、身を賭した決意表明があった。そういった身を捨てるような覚悟、自分自身の価値観の転換なしに、「肌が合う」程度の話を「美」なる概念、「民藝」なる用語にまで持ち込むこともないな、と思うのです。好きなものだけの王国に自分を閉じ込めてしまうのは、あまりにも幼いし、もったいないし、かえって「美」や「民藝」を軽んじてるよな、とも。民藝多子無し、ですよ。 いずれにしても、甘さの少ない、真摯な対話に接することができてとても嬉しかったです(生活工芸への言及は他が良かっただけに蛇足かなと思いましたが)。ありがとうございます。 (at 工藝風向) https://www.instagram.com/p/Ceh4Hc6v3_9/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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