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#にっぽん再鎖国論
anamon-book · 11 months
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にっぽん再鎖国論-ぼくらに英語はわからない 岩谷宏 ロッキング・オン社 装幀=平野甲賀、表紙・イラスト=藤岡仁
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xf-2 · 4 years
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メルケル政権が2020年9月2日、「インド・太平洋政策ガイドライン」という72ページの戦略文書を閣議決定し、政治的・経済的に重要度を増すアジア地域への関与と友好国との協力を強める方針を打ち出した。ガイドラインの対象は、インドから中国、オーストラリア・米国までを含む広い地域だ。 【関連画像】 ドイツは、オーストラリアやシンガポールなどと並び、日本をインド・太平洋地域で「共通の価値観」を持つ重要なパートナーと見なしている。 
  さらにドイツ政府は今年、フリゲート艦「ハンブルク」を5カ月間にわたってこの地域に派遣し、すでに展開している英仏の艦艇とともに共同訓練を実施することも明らかにした。 
  ドイツが、欧州から遠く離れたアジアに艦艇を派遣するのは極めて珍しい。ドイツは北大西洋条約機構(NATO)域外での軍事行動に慎重だった。この国は、伝統的に陸軍を重視してきたので、海軍力は弱い。 
  ドイツ国防省のアンネグレート・クランプカレンバウアー大臣は、「21世紀に入って国際政治・経済の重心は大西洋からインド・太平洋地域に移りつつある。世界の大都市33のうち22がこの地域にある」とした上で、「この地域を通過する貨物の輸送路は、EU(欧州連合)にとっても重要だ。したがってインド・太平洋地域の安全保障は、我々にとっても大きな関心事である」と強調した。 
  ドイツの論壇では、ガイドラインの公表とフリゲート艦の派遣決定は、「中国に対する警鐘だ」という見方が有力である。ガイドラインは「北朝鮮の核開発問題と並んで米中間の対立は、この地域の安全保障への脅威だ。この地域では2010年から2019年までに軍事支出が50%増加。中国の軍事支出は85%増えている」と述べ、中国の勢力拡大に対する懸念を間接的に表明している。
  ドイツは、オーストラリアやシンガポールなどと並び、日本をインド・太平洋地域で「共通の価値観」を持つ重要なパートナーと見なしている。クランプカレンバウアー大臣は昨年12月15日、岸信夫防衛大臣とのオンライン会談で、ガイドラインの背景について説明するとともに、日本との防衛協力も深めていく方針を明らかにした。岸大臣もこの姿勢を歓迎した。
  これまでドイツ政府はしばしば「アジアの安全保障の重視」を掲げてきたが、具体的な政策が伴わなかった。同国のフリゲート艦派遣の決定は、遅まきながら「ブーツを地面に着ける」姿勢を示すという、象徴的な意味を持っている。この異例の決定が中国を視野に置いたものであることは明らかだ。 
  中国側は、フリゲート艦を派遣するドイツの方針に反発した。中国共産党系メディア「環球時報」は、「ドイツ政府の今回の発表は、おそらく米国の圧力に屈して行われたもの。内政干渉だ」と論評している。
 ●独政府「一帯一路はEUを分断する」と警告  
ドイツはゲアハルト・シュレーダー前首相の時代から、中国との経済関係の拡大に努めてきた。ドイツにとって中国は、世界最大の貿易相手国である。しかし近年は、中国への姿勢を硬化させるドイツの態度が目立つ。ドイツ産業連盟は2008年、「中国とEUは、政治・経済システムをめぐる競争関係にある」という声明を出した。また同国政府は「中国の一帯一路政策は、EUの分断につながる」と主張する。その1つのきっかけは、東アジア海域の領土問題だった。  フィリピンは2014年、南シナ海に位置する南沙(スプラトリー)諸島などの領有権に対する中国の主張を不当として、オランダ・ハーグの常設仲裁裁判所に仲裁を要請した。同裁判所は2016年7月12日に、「南沙諸島などに対する中国の領有権主張に法的根拠はなく、国際法に違反する」という判決を下した。  EUはこの判決が出た直後、7月15~16日にアジア欧州会議(ASEM)がモンゴルのウランバートルで開かれるまでに、同判決に関する統一見解をまとめようとした。独仏など大半の国々は、中国を批判する判決を支持したが、EUは結局ASEMまでに統一見解をまとめることができなかった。それは、ギリシャとハンガリーが判決を支持しなかったからである。  
なぜギリシャは中国批判を避けたのか。その理由は、アテネ南部のピレウス港にある。このコンテナ港に、中国遠洋海運集団(COSCO) が2009年から投資し始めた。現在は同社が資本の51%を握っている。COSCOはピレウス港に6億ユーロ(約756億円)を投じて、地中海最大のコンテナ港を建設中だ。中国はピレウス港を、自国からの貨物を欧州に送り込むための重要な橋頭保(きょうとうほ)の1つと位置付けている。つまりこの港への投資は、中国の一帯一路プロジェクトの一環なのだ。
ハンガリーも中国依存
 ハンガリーがASEMで造反した理由も、経済だ。同国のビクトル・オルバン首相はEUきっての親中派である。同氏は2017年11月、中国の李克強(リー・クォーチャン)首相と中東欧15カ国の首脳を首都ブダペストに招いて「16プラス1サミット」を開いた。  
オルバン首相は、EUが重視する三権分立や報道の自由の原則に批判的な右派ポピュリスト。近年はEUとの間で摩擦が絶えない。ハンガリーは中国との経済関係を緊密化し、インフラ整備の資金を受け入れることができれば、EUへの依存度を減らすことができる。  
「16プラス1首脳会議」でオルバン首相は、「今や、東アジアの星は絶頂期を迎えている」と中国を持ち上げた。さらに「疲弊し、老いさらばえた西欧諸国には、もはや中東欧諸国のダイナミックな成長を支援する資金がない。このため我々は中国の資金とテクノロジーを必要とする」と述べた。 
  つまりハンガリーも中国によるインフラ投資を頼みの綱としているため、南シナ海問題をめぐる中国を怒らせるEUの決定に反対したのだ。 
  当時ドイツの外相だったジグマー・ガブリエル氏は、ギリシャとハンガリーの造反について、「一部の加盟国が中国と対立したくないと考えたために、EUが共同歩調を取ることができなかった」と不満をあらわにした。このように中国マネーは、EU加盟国の態度にすでに影響を及ぼし始めている。
  もしも他の中東欧諸国が中国マネーに幻惑されて一帯一路に参加し、ギリシャのまねをして中国の政策を追認するとしたら、EUの結束は今以上に揺らぐ。ドイツが一帯一路に強い危機感を抱いているのは、そのためだ。 ●ドイツ大統領が中国の香港政策を公に批判  ドイツの政界では、中国の対香港政策に対する批判も強まっている。フランク・ヴァルター・シュタインマイヤー大統領(社会民主党=SPD)は昨年夏、珍しく歯に衣(きぬ)を着せぬ表現で中国を批判した。  同氏は公共放送局・第2ドイツテレ��(ZDF)とのインタビューで「中国は2020年6月に香港で国家安全法を施行した。これは香港の憲法に違反するばかりではなく、国際的な取り決めにも違反するものだ」と述べた。  さらに同氏は「この国際法違反に対する我々の怒りは、一時的に終わるものではない。もし中国政府が、欧州の憤りはすぐに下火になると考えて国家安全法を撤回しない場合、中国と欧州の関係は永続的に悪化するだろう。これは中国にとって利益ではないはずだ。私は中国が国家安全法について考え直すよう望んでいる」と述べた。 
  同国のハイコ・マース外務大臣(SPD)も「中国が国際的な取り決めを守っているかどうか、EUは結束してチェックしなくてはならない」と発言。 
  緑の党のカトリン・ゲーリング・エッカート院内総務は、「ドイツ政府は中国に対する圧力を高めるべきだ。私はメルケル首相がなぜ国家安全法について沈黙しているのか理解できない」と述べ、政府の中国に対する態度が甘すぎると批判した。来年に予定される総選挙のあと連立政権入りすると予想されている緑の党は、中国での人権問題について最も舌鋒(ぜっぽう)が鋭い政党だ。  さらにドイツ政府は国家安全法の施行以降、「政治的迫害を受けている」と主張する香港市民の亡命を認めた。
  同国の公共放送局「ドイチェ・ヴェレ(DW)」は、「国家安全法が施行となって以来、3人の香港市民がドイツへの亡命を申請した。連邦移民難民局(BAMF)は、2020年9月にそのうちの1人の亡命申請を承認し、ドイツでの滞在を許可した。他の2人の申請は却下した。2020年1月から9月までに、中国・香港から416人がドイツに亡命を申請し、そのうち61人が政治的亡命を認められた」と報じている。つまりドイツ政府は、「香港では一部の市民が政治的理由で迫害を受けている」と判断したのだ。香港特別行政区は、「内政干渉だ」としてメルケル政権の決定を厳しく批判した。
コロナ危機でドイツの対中依存はさらに高まる?
 ドイツにとっての大きな弱みは、同国の経済界が中国に強く依存していることだ。特にドイツ経済がコロナ・パンデミックにより深刻な打撃を受けつつある今、中国市場の重要性はむしろ高まっている。 
  国際通貨基金(IMF)によると、ユーロ圏の2020年の国内総生産(GDP)は前年比で7.2%減った。欧州経済で機関車役を務めるドイツのGDPも5%減少。スペインは11.1%、イタリアは9.2%、フランスは9.0%の下落幅を記録している。日本のGDPは5.1%、米国は3.4%減った。IMFは、昨年の全世界のGDPがコロナ不況によって3.5%減ったと推定する。 
  対照的に中国は、武漢など一部の都市の完全封鎖、外出禁止措置やデジタル技術による個人の行動監視を含めた厳しい感染対策によって、欧米諸国よりも早く感染者数の増加に歯止めをかけることに成功した。
  中国と欧米の経済パフォーマンスの間には、大きな格差が生まれつつある。IMFによると、中国のGDPは昨年2.3%成長した。主要経済国の中で、昨年GDPを増やすことに成功したのは中国だけである。 
  また欧州や米国では昨年秋以降、パンデミックの第2波によって経済活動に再びブレーキがかかりつつある。英国で見つかった変異株B.1.1.7はこれまでの新型コロナウイルスに比べて感染力が20~35%強い。南アフリカやブラジルで見つかった変異株も、欧州大陸で徐々に広がりつつある。 
  このためドイツなどは昨年3月と同じように、国境を閉鎖し始めている。同国の自動車メーカーは東欧からの部品が調達できなくなり、生産停止に追い込まれる。これが、経済成長にブレーキをかけるのは確実だ。 
  ドイツ政府は昨年秋の時点で、2021年のGDPが4.2%増えると予想していた。しかしコロナ第2波が経済活動に再びブレーキをかける恐れが強いとして、今年1月中旬には「2021年のGDP成長率は3%になる」と下方修正を迫られた。  IMFは、今年の全世界の経済成長率を5.5%、ユーロ圏を4.2%と楽観的な予測を発表しているが、パンデミック第2波の影響で、これらの予測値を引き下げざるを得なくなるのはほぼ確実だ。 
  これに対し、中国の2021年のGDP成長率は8.1%に達すると予想されている。これはインド(11.5%)に次いで、世界で2番目に高い予測成長率だ。日独の今年の成長率は、中国に大きく水をあけられる。
  欧州の経済学者の間では、パンデミックによって世界経済における欧州の地位が低下し、中国の重要性がますます高まるという見方が有力だ。欧州の輸出産業がグローバル不況の悪影響を最小限に抑える上で、中国は不可欠の市場となるだろう。中国がコロナ不況というトンネルの出口に向けて、他の地域よりも速いスピードで進んでいることは、各国の企業を中国にひきつけるに違いない。このことは、世界経済が中国に依存する度合いがさらに高まることを意味する。 
  例えばドイツでは今年1月から、食料品店で買い物をしたり公共交通機関を利用したりする際に、フィルター性能が高い医療用マスクFFP2かN95を着用することを政令で義務付けた。このためスーパーや薬局で大量のFFP2マスクが売られている。その大半は中国製である。高コスト国ドイツにとって、人件費が安い中国は製造拠点としても必要不可欠の存在だ。
 ●中国の景気回復がドイツ企業の頼みの綱 
  ドイツ企業にとって中国がいかに重要であるか、昨年の第3四半期の時点ですでに浮き彫りになっている。例えばEU加盟国のGDPは昨年第3四半期に11.5%も増えた。ドイツもこの期にGDPを8.5%増やしている。理由の1つは、中国で消費需要が回復し始めたため、ドイツなどEU加盟国からの輸出量が増えたことだ。 
  例えばドイツ自動車工業会(VDA)の統計によると、同国のメーカーの昨年4月の自動車輸出台数は前月に比べて約91%も減って2万2680台になった。しかしその後、輸出台数は増加傾向を示し、11月には33万8440台となった。自動車業界の関係者は、「これは中国での自動車需要が回復したためだ」と指摘する。昨年11月の単月の輸出台数は、前年同期を11%上回ったほどだ。
  ドイツが中国との経済関係を、短期的に減らすことは考えられない。ドイツ政府は今後、「政治は政治。経済は経済」と分離して、中国のアジアでの勢力拡大や人権問題について批判的な姿勢を強めるだろう。これに対し中国は政経一体を維持して、ドイツ政府に圧力をかけようとするに違いない。 
  まもなく中国は、GDPで米国を追い抜き、世界最大の経済パワーになる。議会制民主主義を採用していない国が、GDPランキングで首位を占めるのは史上初めてのことだ。東西冷戦に敗れて崩壊したソビエト連邦(当時)との最大の違いは、中国が多くの外国企業にとって大きな魅力を持っていることだ。ドイツ人にとって、安全保障・人権重視と収益・雇用の間にあるジレンマを解決するのは容易なことではない。
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ari0921 · 4 years
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江崎道朗先生の論稿より
ジェイソン・モーガン博士が、産経新聞「正論」欄に書いた私の経済政策に関する原稿をミーゼス研究会の公式サイトで紹介してくれました。
アメリカのミーゼス研究所は、減税などを求めるリバタニアン経済学者の集まりで、古典的自由主義を唱えています。
ケイネシアン経済学の日本の愛がついに終わりを迎えるかもしれない
タグ無料市場グローバル経済税と支出
05/20/2020ジェイソンモーガン
武漢コロナウイルスによる感染を逃れた幸運な人でさえ, virusの多くの二次的影響の一つに気づいた: サプライチェーンの混乱. 肉植物, 閉鎖されたレストラン, 隠蔽, そして長い棚の生活を持つ換気器, マスク, カムスティブルなどを要求する突然のスパイクは, 商品やサービスの世界的な流れを解除した. 棚は空っぽ, 畑で作物は腐っています. 供給と需要はもはや一致しなくなり, 世界経済は結び目で結んでいる.
メールでさえボロボロ���なっている. 日前に日本の郵便局に行ったら...... "ごめん, アメリカに手紙を送ることができなくなりました.
この二次効果は, 中国の商品に頼るサプライチェーンへの依存性を懸念することです. 日本が中国に近接し, 中国の権威主義への転向が増加していることから, 多くの日本人は中国なしでビジネスの方法があることを望んでいる.
しかし, 中国政権がポーズされた危険のレベルをどう考えても, 日本人が国内産業を助長するかを真剣に考え始めるのが賢明である.
これを行う方法についてのヒントは, 私たちは, かつての第二番目に大きな経済そのものの興味深い新しい展開を見るかもしれません.
日本は第二次世界大戦の瓦礫から立ち上がり, 最終的には多くの人が日本と呼ばれるようになったものを, ここでどのように働いていたかを一般的に評価することである"鉄 三角形" 日本の政治経済食品チェーンの頂点に経済的方向性について大きな判断を下すための一般的枠組みを提供した産業, 官僚, 自民党(自民党)政治統治. 通商産業省(miti; 現在は経済産業省)と(ハーバード法務経済歴史家mark ramseyerが示したように)がmitiを政治的トラックにとどめた自民政治家たちは, 一緒に指示した 政府が日本全体にとって良いと考えられる産業への電力グリッドや研究資金などの資源. したがって, 株式会社日本は, 経済的な船長, 官僚重鎮, 政治的な関係によって, 民間部門の大きさを持つ.
これでしばらくうまくいった. そうならないまで. 私の最初の本当の仕事の一つは, 日本の茨城県の工場でした. 以前はプリンターを作っていた工場ですが, 生産はコストを削減するためにベトナム地方に出荷され, プリンターセクションに残っているのはオフィスワーカーとエンジニアだけです. 私たちのセクションの人々は, よくベトナムに旅行していたサプライチェーンをコーディネートし, qc (品質管理)が日本の基準に上っていたことを確認してい しかし, かつて茨城であったプリンタ作りの仕事は, 皮肉なことにも, そもそも日本の製造をホストできるレベルに引き上げられた(つまり"公式 開発 支援") 第二次世界大戦終結後の東京から. 株式会社ジャパン株式会社 自分自身を分岐していた. 半分は, 戦後日本が著名であったゆりかご福祉と雇用安定を維持したいと思った. 他の半分はアジアの中でその影響力を高め, 親善を養いたかった. 戦後の日本人の世代が楽しんだことは, 分のに否定された. 株式会社ジャパン株式会社 ここで多くの人に見られるようになったのは, 労働者とその家族のための実質的なブーンよりもノスタルジアで空の約束で それは, 特に, 政府が腐ったお金の投機的バブルと避けられないクラッシュの後, 経済から底が落ちた時は, 年以上前に失われた.
これは, 日本政府が1950年代の大規模なロッキード収賄事件から, 2011年の福島トリプル災害への対応まで, 多くの人が実現していたことを証明した一連の重大な不祥事と結束した. -日本に終止符を打つ 実際, まだ名ばかりでない場合. 現在の安倍晋三氏が, ケイネシアの現金で日本経済を再開しようとするabenomicsは, inc. 最後のガスプ. ここで多くの人は, 数十年前の経済的なパターナリズムから大きな出発である真の自由市場ソリューションを提唱し始めています.
その証拠として, 自由市場と小規模政府の公認者である政策分析者で研究者である江崎道夫が今月上旬に産経新聞にop-edを掲載しました-財政正気政治的明確化に関する記録新聞に呼びかけている. 日本の国内経済を強化し, 日本の共産主義の隣人がステロイド中国の認識された地政学的脅威に反対する... ドラムロールをお願いします. 税金を切っています ボードの向こうに. 2017年のトランプ税カットと, それらがアメリカ経済に与えた深くポジティブな効果を見抜く江崎は, 日本がスーツに従うことを主張した. これは日本のトレンドは確かに. ちょうど昨年, ここの消費税が10 %に引き上げられ, 武漢ウイルスの経済的な失敗に対処するために政治ソーセージ作りマシンを移動しているのは, 確かにさらに高い税金に翻訳されます. あのサイレンの歌を嘆願して, 江崎は税金を切るように言っています. そして, 規制を切って, ビジネスにまたお金を稼ぐよう やったー.
江崎氏は, ビジネスに優しい日本は経済的に多様な日本であり, 経済的に多様な日本は, その必要性の大多数の国にも頼る必要はないと江崎氏は論じている. コロナウイルスパンデミックに銀の裏地は, 日本のr & d (研究開発)の眠りの巨人を目覚めさせ, 日本経済を強化するかもしれません. 今, ケインズの昏睡状態で再び戦いの形に.
著者:
ジェイソンモーガンに連絡して
ジェイソンモーガンは, 千葉県麗澤大学准教授で, 2016 mises instituteの仲間でした. 彼の本と出版物のリストについては, 彼の個人サイトをご覧ください.
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charlietokyojp · 5 years
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(笑)。
もともと島国ということもあり、日本人は閉鎖的で、外国から注意されたり指摘されると逆切れする傾向が強い。
しかし「海外(特に欧米)から学ぶこと」に徹していた戦後〜バブル時代は勢い良く成長した。それが再び井の中の蛙に落ちぶれつつある。
真ん中あたりに「レディファースト」が理解できない人達について書かれている。これも本当に日本人っぽい。
日本人の高知能は何かしら精神性に問題を抱えている確率が高いのも日本民族遺伝子の特性なのか、全般的に理論と精神性を両立させられない不器用さがある。
“知性”についても同じで、文系的(例えばポエミーな)表現を理解できる理系脳を持った人が少ない。だから補足・説明に時間がかかりすぎ生産性が下がるし、社交的かつ知的な会話ができる人が極めて少ない。
「男性は疲れてても女性に席を譲れというのがあなたの男女平等ですか?女性は席を譲られるべきか弱い存在なのでしょうか?男女問わず立つのがしんどい人に席を譲るべきというのは理解できますが、なぜそこにジェンダー論を持ち込むのでしょうか?」
「きっと日本で男女平等が浸透したからではないでしょうか?怪我人や老人、妊婦等の例外はありますが、近年多くの女性の方々が男女に平等な権利をと言われており、それでレディーファーストの考えが消えたのだと思います。より良い男女平等社会に向かってるのだと思います。」
平等の意味がわかっていないんだろう。
完全に平等な社会が訪れても、男と女は生物学上全く別の生き物。女性から「オマエも子ども産めよ」と言われても男性は産めない。
だから“同じ”には成り得ない。
男女平等な社会であっても、男女の体力が同じになるわけでもないし、女性と殴り合いの喧嘩をして「オンナに勝った」と勝ち誇っている男が尊敬されたりもしない。そんな日は来ない。
男女平等とは、男性が男性としての権利を与えられ、同様に女性が女性として権利を与えられ、双方がそれを対等に行使できる状態を指し、男も女も全く同じでなければならない定めではない。
すなわち双方の理解と尊重(立場への配慮が含まれる)の上に成立するものであり、対立によって双方が相手方に負担を強いるためのものではない。
要は「オレもやってるんだからオマエもやれよ」という均等概念ではない。
例えば、女性の身長が伸びているとはいえ、まだまだ男性の方が背が高い。これは物理的な事実であり、「高いところに荷物を置く」という作業は男性側優位の作業と言える。
同じように肺活量も握力も違う。1日に消費するエネルギー量も異なり、必然的に必要とされる栄養量も異なる。
女性が「男は沢山食べ過ぎだから食費が高くついて公平じゃない。食べる量を揃えて」と言われてもソレが真ではないことと同じ。
基本的に全部異なる。
だから均等には成り得ない。
しかし「平等」は本来何の障壁もない。気持ち一つで実現できるから。
プログラミングで例えるならば、AとaはASCIIコード65と97であり異なる。文系的に読み解けば「どっちも似たようなもんだろ」(文脈から理解できるだろうという期待)かもしれないが、厳密には全く別物。
「大文字・小文字を区別しない」というコードを書くことはできても、内部的にはAとaの違いは、Aと1の違いと同じレベル。
しかしAとaに優劣はない。
すなわちAとaは平等であり対等だが、同じでも均等でもない。どっちを選んでも同じ結果になるわけではないから。すなわちそこに適材適所が存在する。
「男女雇用機会均等法」のように、機会を均等化することはできる。
パスワード自動生成プログラムにおいて、Aとaが差別されることなく均等に使われるようにするコードみたいに(偏りがあると推測されるから)。
しかし英文となると冒頭は大文字で始まり、それ以外は小文字という適材適所が存在する。
と言う具合に、全体を理解して初めて平等とは何かが見えてくる���
ミトコンドリアDNAのおかげで、人類はルーツを辿ることができる。がmtDNAは母子遺伝なので、母親から子どもにしか引き継がれない。ということは、子どもが男の子だった場合はそこで途絶えるということ。
これを「不公平だ」「差別だ」とどんなに騒いでも同じにはならない。
全く異なることを前提に、平等とは何かを考える必要がある。
マラソンを始めとし、各種スポーツの記録が男女同じに揃った暁には「何で男が席を譲らなきゃいけないんだ」と言う男が出てきてもいいだろう。
しかしまだまだ体力測定レベルで男の方が優位なんだから、女性に席くらい譲ってもいいじゃないかという単純な話なんだが、ソコでどうしてもはきちがえた「平等」を振りかざすのであれば、「何で高所得者が沢山(高い税率で)税金を払わなきゃいけないんだよ」が成立するということだ。
少なくとも現代社会は、「強い」と見なされた者が「弱い」と見なされた立場に配慮し扶養するようにできている。
それが税金という社会基盤に反映されている。
という「全体における一領域」として見ていかないと、部分の総和=全体とはならないのだから、世の中が必要以上に難解に感じてしまうんじゃなかろうか。
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sorairono-neko · 5 years
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ナンパについていったことはなかった
 ヴィクトルがほの暗いバーに入ると、クリストフがカウンター席でかるく手を上げた。ヴィクトルはうなずき、彼のひとつ奥の席に座った。グレイグースを注文し、クリストフを見ると、「サンテ」と言ってグラスをかるく合わせた。 「ごめん。すこし遅れたかな」 「そうでもないさ。またコーチに叱られてたのかい」 「そう。ヤコフは説教が長いんだ。ひとつ始めたら、その話の中から別のことも言いたくなって、連鎖的に延々しゃべっている。俺、あんなにいい演技をしたのに」 「もっとできると期待されてるからでしょ」  クリストフはくすくす笑った。 「言われなくなるほうがこわいんじゃない?」 「確かに。物わかりのいいヤコフなんて恐怖でしかないな」 「金メダルおめでとう」  クリストフは素直にヴィクトルを祝福した。 「悔しいな。フランスでは絶対勝ちを譲らないつもりだったのに。もしロシア大会で一緒になったら、ロシアの国民にヴィクトルの銀メダルを見せてやるよ」  ヴィクトルはほほえんだ。 「なんだい、その『やれるもんならやってみろ』っていう顔は。自分がいちばんだと思ってるだろう。まったく……ヴィクトルはそうじゃなくちゃね」  クリストフはグラスを傾けた。 「帰りは明日? わりと厳しい日程じゃない? 誘ってよかったのかな」 「問題ないよ。まあファイナルでまた会えるだろうけどね」 「俺はこの大会できまったけど、ヴィクトルはまだでしょ」  クリストフがにやにやしながら言った。ヴィクトルは肩をすくめ、「日本大会がんばるよ」と答えた。 「そうか、次は日本だっけ。日本ということは……」 「なに?」 「いや、べつに」  クリストフはしばらくたわいない話をし、ヴィクトルは笑顔でそれにあいづちを打った。会話しながら、クリストフが扉のほうを気にしていることに気がつき、首をかしげた。 「どうかしたのかい?」 「できれば君に紹介したい子がいて」 「なに? 選手?」 「来るかどうか……」 「俺のファン?」 「さあねえ……」 「ずいぶん思わせぶりじゃないか」 「思わせぶりな子なんだよ」 「へえ。興味あるな。いつ来るんだ?」 「さあねえ……」 「また『さあねえ』」  ヴィクトルは可笑しくなった。 「なんだい、それ。そんなにひみつを帯びた子なの?」 「さあねえ……」  勇利はスケート連盟の役員と別れて部屋へ戻ると、時刻を確認し、急いで着替えた。クリストフに「飲もうよ」と誘われている。そんな気分ではないと断ったけれど、「こういうときこそだよ」とよくわからない励ましをされてしまった。 「でもぼく、連盟の人と話があるから遅くなるかも」 「来られなくてもいいよ。上のバーで待ってるからね」  そんな会話をしたのが数時間前だ。クリストフはもう帰ってしまっただろうか? 携帯電話を調べたけれど、何もメッセージは届いていない。帰るならそう言うだろうから、まだいるのだ、きっと。 「もう寝たいんだけどなあ……」  勇利はぶつぶつ言いつつエレベータに乗りこみ、上階にあるバーへと向かった。入り口にいる係員がうやうやしく迎えてくれる。こういう場所は苦手だ。クリストフがいなかったら絶対に入らない。こんなところでひとりで飲んでも緊張してしまうだけだ。バーが似合うような大人でもない。  ほのかなあかりを頼りに、店内を見渡した。客はそれほど多くなく、ところどころに人影が見えるだけである。比較的近いカウンター席にクリストフの姿をみつけ、ほっとして近づいた。隣に腰を下ろすと、バーテンダーがうかがうように勇利を見た。何を頼もうかと迷った。アルコールはよしたほうがいい。クリストフは何を飲んでいるのだろう? クリス、と呼びかけようとした勇利は、ふいに聞こえた「怒鳴るのが趣味なんだよ、怒鳴るのが」という言葉と笑い声にはっとした。この声は──。 「ヤコフはかえって楽しいはずさ。だから俺は彼のためを思って適当にしてるんだよ。そうしたら彼は俺を叱る口実ができるだろ?」  勇利は頭がくらくらした。聞きまちがえようもない。直接話すことはまずないけれど、インタビューをくり返し動画で見た。ヴィクトル・ニキフォロフの声である。 「向こうは向こうで、ヴィクトルは怒られるのが趣味だと思ってるんじゃない?」  クリストフがからかった。勇利はその声を聞きながら、とっさに立ち上がって逃げ出そうとした。その瞬間、勢いよく腕を引かれ、再び椅子に座りこんでしまった。クリストフがちらと目の端で勇利を見る。彼の瞳は笑っていた。  クリス! どういうことだよ! 勇利は非難をこめてクリストフをにらんだ。クリストフが機嫌よく片目を閉じる。彼はバーテンダーに向かい、フランス語で何か言った。バーテンダーがうなずき、すぐにグラスを勇利の前に置いた。 「どうしたんだい?」 「いや、隣のお客がフランス語ができないみたいだったから」  飲み物を置かれてしまっては帰るわけにはいかない。勇利はおそるおそるグラスに口をつけ、飲んでみた。アルコールは入っているのだろうか? 甘い口当たりだ。いや、飲み物の味などどうでもよい。勇利は、いつクリストフが「この子は日本の選手で君のファンなんだよ」とヴィクトルに言い出すか、気が気ではなかった。勇利を誘い、その店にヴィクトルも呼んだということは、紹介しようと思っているのだろう。勇利が日頃、ヴィクトルと話せるようにしてあげようかという誘いを「絶対にやめて」と断っているにもかかわらずそういうことをする。おせっかいというよりからかっているのだ。まったくゆるしがたい。いや──もちろん、クリストフとしては親切のつもりなのである。勇利があと一歩のところで表彰台を逃し、落ちこんでいるものだから、何か気を引き立てることを、と考えたのだろう。こんなときだからこそなおさら会いたくないというのに。こうして会って、「日本の選手だよ」と説明され、「へえ、そうなんだ。試合に出てたの? 何位だった?」なんて言われたら立ち直れない。まったくヴィクトルの記憶に残っていないことを知らしめられたくないし、残っていたらそれはそれで、あんな無様な演技を見られたのかとせつないし、四位でした、なんて金メダルを獲ったひとに言いたくない。  勇利はそわそわしながら、何度もグラスを口へ運んだ。クリストフが余計なことを言い出さないうちにここを出たい。勇利が来たときに「この子はね」と話し始めなかったということは、クリストフなりに勇利の動向を見守っているのだろう。あれほどいやがる勇利をヴィクトルに紹介してよいものかと迷っているにちがいない。そういう気遣いができるなら、最初から呼ばないで欲しかった。もう、クリスは!  ヴィクトルをこれほど近くで見られる機会はそうそうないので、できればすこし観察したいのだけれど、いくらクリストフを盾にしていてもそういうことをする勇気はない。目が合ったら泣いてしまいそうだ。その代わり、彼の深みのある優しい声は存分に堪能することができたので、それはうれしかった。ときおりクリストフがちらと勇利のほうを見、来てよかったでしょ、というような目つきをするので、それにはふんとそっぽを向くことで意思を示した。 「ヴィクトル、気づいてる?」  ふいにクリストフが言い出した。 「何を?」 「とぼけちゃって。奥のテーブル。こっちをちらちら見てるでしょ」  勇利はどきっとしてそちらへ視線を走らせた。ふたり連れの女性客が、魅惑的にほほえんで秋波を送っている。勇利は、自分が誘われたわけでもないのにまっかになった。 「どうする?」 「どうするもこうするも」  勇利はうつむき、どきどきしながら頬を押さえた。ヴィクトル、一緒に行くのかな。こういうことってあるんだ。映画の中だけかと思ってた。でもヴィクトルだもんな。当たり前だよね。ヴィクトルは大人で、きっとこんな場面にも慣れてるんだろうな……。 「声をかけられたら、俺、フランス語がわからないふりをするから、クリスが断ってくれ」 「おやおや、いいのかい?」 「クリス」 「はは、冗談だよ。わかってるよ。声をかけられる前に退散したほうがいいかな」 「そうかもね」  勇利は、グラスの中身を飲み干しながら、ふたりが帰ったらぼくも帰ろう、と思った。でもこれいくらなんだろう。まあさすがにものすごい値段ではないだろうけど……。 「ここはおごるよ。俺が誘ったからね。ところで、電話を一本かけなきゃいけないのを忘れていた」 「そうなのかい? 早く戻らないと」 「俺はさきに行くから、君は」  クリストフがふいに勇利に視線を移し、ヴィクトルに言った。 「彼のめんどうを見てやってくれないか」 「え?」 「え?」  ヴィクトルと勇利の声が重なった。クリストフが立ち上がる。 「どうも酔っ払っちゃったみたいだ。部屋まで送ってあげてくれ。フランス語がわからないようだし、何かあったら大変だからね。俺が親切にしたついでに、君も優しくしてやってくれ」 「それは構わないが……」  ヴィクトルが戸惑いながらもうなずいた。勇利はというと、「ぼくはぜんぜんよくない!」という気持ちだった。クリス、なんてことを! ひどい! 「じゃあね。君もよい夜を」  クリストフは片目を閉じ、勇利に挨拶して店を出ていった。勇利は追いかけていってなじりたい気持ちだった。ヴィクトルが勇利の顔をのぞきこみ、「大丈夫かい?」と尋ねた。 「も、問題ありません」  勇利はまっかになって、かぼそい声で答えた。 「ああ、英語はわかるんだね。よかった」 「あの、ぼく平気です。お帰りになってくださって構いません」 「そうはいかない��。友達と約束したし、それに言葉がわからないんだろう? 安心してくれ。俺はフランス語は話せるから。まだ何か飲む? それほど酔ってはいないようだ。クリスの見込みちがいだね。飲みたいなら付き合うよ」 「お、お気遣いなく」  勇利の声がふるえた。ヴィクトルと一緒に飲むなんてとんでもない。どんな失敗をするかわからないし、何を話せばいいのかも想像がつかない。 「もう戻ります。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」  ヴィクトルはほほえんだ。 「迷惑なんかじゃないよ。気にしないで」  勇利はぼうっとしてヴィクトルに見蕩れた。ヴィクトル、優しか……。 「ところできみ、いくつ? お酒飲んでいい年齢だろうね?」  失礼なことを訊かれたけれど、こくこくとうなずくだけで精いっぱいだ。ヴィクトルは支払いを済ませ、「さあ出よう」と扉を押した。勇利はうつむきながら彼についていった。 「あ、あの、お金」 「いいよ。俺のおごり」 「そういうわけにはいきません」 「俺のぶんはさっきの友達が払ったんだ。だから大丈夫」  どういう理屈かよくわからなかった。しかし勇利には、ヴィクトルに反論する頭の働きなど残っていなかった。 「どうしたんだい? 顔を上げたら?」 「いえ、いま、とてもみっともないので……」 「そんなに酔ってる? そうは見えないけど」 「あ、えっと、その、大丈夫です。もうここで……」  勇利はエレベータの前で断った。 「このホテルに泊まってるんだろう? 俺もだ。一緒に降りよう。何階?」  さいわい、宿泊している階はちがった。勇利はほっとしたが、ふたりきりでエレベータに乗っている時間は長かった。永遠に続いて欲しい気もしたし、早く終わって欲しい気もした。 「俺がさきだね。じゃあ、気をつけてね。気持ち悪くなったらホテルの人に言って」 「はい。ありがとうございます」 「おやすみ」  いつまでもうつむいていては失礼だ。勇利は最後におもてを上げ、ヴィクトルをまっすぐに見た。ヴィクトルは優しく笑っていた。勇利は全身がとろけそうな気持ちになった。 「お、おやすみなさい。さよなら」  勇利が挨拶すると、ヴィクトルはにっこりした。勇利は気恥ずかしくて、急いでエレベータのボタンを押した。扉が閉じてひとりきりになる。頬に手を当て、ぼうっとしていた。  な、何だったんだ……ぼく、ヴィクトルと話しちゃった……ふたりで……。  ぼんやりしすぎて、勇利はフロントのある階まで行ってしまった。  あの奇妙な会合はいったい何だったのか。勇利はあのあと、クリストフに電話をしてものすごい剣幕で抗議をしたのだが、「でもうれしかったでしょ?」と冷やかされて言い返せなかった。「もういいよ!」となげやりになった勇利にクリストフは陽気に笑った。  しかし、ヴィクトルにそう近づきになりたくはないのだ。勇利は、彼とはもっと別の出会い方があると思っている。ヴィクトル、この子はユーリ・カツキだよ。日本のスケーターさ。へえ、ユーリ。よろしくね。次の試合もがんばってね。なんて……そんな、社交辞令が欲しいわけではない。顔もスケートも知らないのに「がんばって」と言われるなど、あまりにもかなしいではないか。  ヴィクトルとは日本大会でまた会うことになる。勇利は、もう二度とあんな失敗──というほどではないのだけれど、勇利にとっては失態だ──はしないぞとこころぎめをしていた。勇利には、グランプリファイナルに進むことが大事だった。フランス大会では四位だったので、一位になれば──あるいは二位でも、可能性はある。そのことだけをこころにかけた。ヴィクトルはきっとまた金メダルを獲る演技をするだろう。ヴィクトルに勝てばグランプリファイナルは確実となる。ヴィクトルに勝ちさえすれば──。 「あとひと息でしたね」 「……また練習し直してがんばります」  試合を終えた勇利は、悔しそうにしている諸岡にそう答えるしかなかった。とぼとぼとホテルへ戻り、泣きながら眠りについた。エキシビションになんか出たくなかった。バンケットにも行きたくなかった。しかし、すっぽかすわけにはいかない。勇利は翌日、エキシビションの公式練習ではすみのほうでちいさくなり、本番でもそそくさと出番を終え、誰にもみつからないようにしながらヴィクトルの演技をそっと見た。バンケットでは挨拶だけをして早々に退散した。練習がしたいと思った。早くデトロイトに帰りたい。早く、早く……。  その夜は眠れなかった。勇利はベッドで寝返りを打っているのがいやになり、ホテルの庭を散歩しようと思いきって起き上がった。時計を見ると二十二時を過ぎたところである。バンケットがおひらきになったころあいだろう。勇利はそのあたりにほうり出していたホワイトシャツとバンケット用のスラックスを着こみ、そっと廊下へ出た。  エレベータホールでぼんやりしていたら、すぐ隣に誰かが立った。勇利は何気なくそちらを見て、急いで顔をそむけた。ヴィクトルだ。思わず口を押さえた。  え? どうして? なんでヴィクトルがここに? バンケットが終わったところでしょ? もう部屋に帰って寝るだけじゃないの? それにしても同じ階だなんて知らなかった。  エレベータが来るまでのあいだ、勇利はいろいろと考えながら、そっとヴィクトルの様子をうかがった。バンケットを終え、一度部屋へ戻ったのだろうか。ネクタイがゆるんでいる。くたびれているようではないけれど、なんとなくさびしそうに見えた。勇利はどきっとした。  バンケットはお祭りのようなものだ。勇利は苦手だが、写真を撮ったり、交流を深めたりする選手は多い。ヴィクトルは人気者だから、たくさんの選手が寄っていったことだろう。二時間半のあいだ、彼はずっとファンサービスをしていたようなものなのだ。ヴィクトルのファンへの親切心は有名だ。それは選手が相手でも同じである。  勇利は、大変なんだろうな、と考えた。ヴィクトルはファンを愛しているようだけれど、だからといって気疲れしないということはないだろう。ひとりでいたいこともあるにちがいない。最初からヴィクトルに声をかける気などなかったが、なおさら彼に話しかけてはいけないと思った。きっとこれからひとりで飲みに行くのだ。勇利にはできないけれど、ヴィクトルは大人だから、そういう時間で癒やしを得るのだ。  勇利は下に降りるが、ヴィクトルは上階へ行く。ヴィクトルとはそこで別れた。勇利は一階へ降り、庭園を気の向くままにぶらぶらしながら、ずっと上の空だった。  フランスでのことが思い出される。ヴィクトルとクリストフは女性に声をかけられていた。あんなことがまた起こっていたら、とそれが心配だった。日本でもヴィクトルはたいへん人気がある。この機会に近づきたいと思う者がいるかもしれない。ヴィクトルはもちろんしっかりした男だから、もしいやならきちんと断れるだろうが、彼は日本語が話せないのではないだろうか。きっと困る。だが、だからといって追いかけていくのもどうだろうか。勇利はヴィクトルと友人ではない。知り合いでもない。ヴィクトルはフランスでのことなんて忘れているだろう。そもそも、勇利の顔もおぼえていないはずだ。けれど……。  勇利は思いきってホテルの中に戻り、エレベータに乗りこんだ。ヴィクトルがおぼえているとかいないとかはどうでもよい。ただ、彼が困っていたら手助けをすればいいし、もしそうでないならそっと店を出るだけだ。そうしよう。それならヴィクトルも迷惑はしないはずだ。このままでは気になって仕方がない。  ヴィクトルはあのときのようにカウンター席で飲んでいた。勇利は彼からすこし離れて座り、オレンジジュースを頼んだ。アルコールを飲むつもりはない。  案の定、ヴィクトルのことを気にしている女性が幾人かいた。ちらちらと様子をうかがい、声をかける間合いをはかっている。勇利ははらはらした。静かに飲みたくてここに来たのに、またファンに声をかけられたらと思うと、なぜか勇利が困ってしまった。  とうとうふたり連れの女性が立ち上がり、ヴィクトルに話しかけた。サインをくださいとか握手してくださいとかではなく、部屋で一緒に飲みませんかという誘いだった。ずいぶん大胆だなと勇利は思った。きっとそのさきも期待しているのだろう。ヴィクトルにそんなふうに声をかけるなんて、勇利には一生できそうにない。  ヴィクトルが返事に困っている。彼が話せるのはロシア語、フランス語、英語のみだ。勇利は静かに立ち上がった。 「失礼ですが」  ヴィクトルの注意をそっと引く。 「よろしければ通訳しましょうか?」 「ああ、すまない」  ヴィクトルがほほえんだ。 「頼めるかな」  勇利は彼女たちの言い分を正確にヴィクトルに伝えた。ヴィクトルはうなずきながら聞き、女性たちにほほえんで、試合のあとで疲れているので、もうそろそろ部屋へ戻ろうと思っていたと話した。優しい口ぶりだった。勇利は彼のそのやわらかい物言いを壊さぬよう、丁寧に日本語にして彼女たちに伝えた。さいわいしつこくする様子はなく、「わかりました。試合すてきでした。ありがとうございます」と言って素直に引き下がった。 「どうもありがとう」  ヴィクトルが勇利に笑いかけた。 「助かったよ」 「いえ、お役に立ててよかったです」 「帰らなくちゃね。部屋へ戻るところだと言ってしまったから」  勇利が気の毒そうにすると、「いや、もともと、そろそろ帰ろうかと思ってたんだ」とヴィクトルが気軽に言った。 「助けてもらったお礼に、きみのぶんはごちそうさせてくれ」 「いいんです。たいしたことじゃありませんので」  勇利は、前も支払いをしていただいたので、と言おうとして口をつぐんだ。結局ヴィクトルが勇利のぶんも出した。 「オレンジジュース飲んでたのかい? こんなところで?」 「え、ええ……」  夜にバーまで来て、ひとりでオレンジジュースを飲む。ずいぶんおかしな行動である。 「ああ、まだ飲めない年齢なんだね?」  また言われた……。勇利はかぶりを振った。 「オレンジジュースが好きなだけです」 「そうかい?」  ヴィクトルが陽気に笑った。彼とは同じ階だけれど、一緒に戻るのはためらわれたので、勇利はエレベータホールで「ぼくは下ですので」とうそをついた。ヴィクトルがふとおとがいに手を当てた。 「どうされました?」 「いや……」  彼は勇利をまじまじと観察してつぶやいた。 「きみとは会ったことがあるような気がする」  ヴィクトルはひとりでバーに入った。ヨーロッパ選手権を連覇し続けている彼は、今季も同じように金メダルを獲ることができた。うれしいことはうれしいが、自分だけの喜びではないと彼はもう知っていた。ヴィクトルの金メダルを誰よりも心待ちにしているあの子に早く見せたい。  ヴィクトルはベルヴェデールに口をつけ、ほのかなバニラの香りを味わった。せっけん、バニラ、ミルク──そういう優しい匂いはいとしいあの子のことを感じさせる。ベルヴェデールウォッカの中でも、インテンスなので度数が五〇パーセントだ。やわらかな印象なのにそうして酔わせようとするところも彼のようだった。ヴィクトルはほほえみ、二杯目はグレイグースにした。  こうしてバーで飲んでいると、いつかのことを思い出す。フランスと日本。フランスではクリストフと、日本ではひとりで飲んでいた。しかし、どちらのときも途中から──。  左隣に誰かが座った。強い香水の匂いが漂い、ヴィクトルはそちらに顔を向けた。ずいぶんと派手な目鼻立ちの女性が、まるで勝ち誇ったかのような笑みを浮かべながらグラスを取り上げ、英語で言った。 「おごってちょうだい」  美人といえる容貌をしている。しかしヴィクトルは、もっとうつくしい者がこころにいるので、なんとも思わなかった。金持ち娘の遊びといったところか。男はみんな喜んで自分の言うことを聞くと思っている手合いだろう。ヴィクトルのことを知っているのか知らないのかわからないが、かなり自信を持っているようだ。確かに身に着けているものは一級品である。しかし、まったくヴィクトルの好みではなかった。ブランドも、彼女自身も。  ヴィクトルはなんと言って断ろうかと思案した。こういう性質の者は、事が自分の思い通りにならないとなると途端に大騒ぎを始める。めんどうごとは避けたい。 「あなたほどのいい男がひとりだなんて、何かのまちがいじゃないのかしら?」  物言いもずいぶん陳腐だった。君こそ、という言葉を期待しているのがわかる。ヴィクトルはつくり笑いを浮かべながら、さてどうしたものかと考えた。と──。 「失礼します」  かたわらに誰かが座り、清楚な香がふわっと香った。ヴィクトルははっとした。 「それ、なに? 高いお酒?」  右側に来たのは東洋の男の子だった。ヴィクトルは目をみはった。彼はヴィクトルのグラスをのぞきこみ、ちょっと舐めてから、「きつい」と顔をしかめた。 「もうこれだけで酔っちゃった! ぼく、酔うとすごいんです。好きなひとにダンスバトルを仕掛けたりするんだよ」  彼は無邪気そうに笑い、ヴィクトルをみつめて黒い瞳をきらきらと輝かせた。ヴィクトルは、ダンスバトルを仕掛けられたときのことを思い出した。青年が持ってきた自分のグラスには、オレンジジュースがすこしだけ残っていた。 「貴方、かっこいいしすてき。だからおごってあげる」  彼はささやいた。 「その代わり、貴方の部屋に行きたいな……」  純粋な目つきでけなげにヴィクトルをみつめる。 「そこでかわいがって欲しい……。だめ?」 「いいとも」  ヴィクトルは、ものすごく好みの子だったので、すぐに了承した。東洋の子はぱっと顔を輝かせ、ジュースを飲み干すと、「ありがとう!」とヴィクトルに抱きついた。ヴィクトルは彼の腰に手をまわし、青年はふたりぶんの料金を支払った。 「約束ができてしまったので、失礼」  ヴィクトルは、彼女が叫ぼうが騒ごうが、もうどうでもよくなった。バーテンダーが可笑しそうにヴィクトルを見送った。 「ヴィクトル!」  部屋に入るなり勇利はヴィクトルに抱きつき、ヴィクトルはおおはしゃぎで笑い声を上げ、「勇利!」と力いっぱい抱擁した。約束通り、たっぷりとかわいがった。 「来てたの、知らなかったよ」  ヴィクトルは勇利に腕枕をして、低く、優しく話した。 「うん。教えてなかったからね……」  勇利はくすくす笑いながら答えた。 「俺が声をかけられてなかったら、こっそり帰るつもりだった?」 「もちろん……。怒られるかもしれない危険は冒せないよ」 「ひどいな」 「いまから怒る?」 「それはあとで」 「こわいなあ」 「勇利、あそこでひとりでオレンジジュース飲んでたの?」 「そうだよ。ヴィクトルもひとりだったね。クリスがいるかと思ったんだけど」 「彼はバンケットではしゃぎすぎておやすみさ」  ヴィクトルは勇利の髪をさらりと梳いた。勇利がヴィクトルのくちびるをそっと吸う。ヴィクトルは幸福でいっぱいだった。あとで金メダルを見せてやらなければ……。 「勇利」 「んー……?」  勇利が眠そうに返事をした。ヴィクトルは彼のまぶたをくちづけで覆った。 「きみに助けられたのは、これで二度目だね」  勇利はぱちりと目を開けた。 「いつもオレンジジュースなんだね。あのときも、俺を助けようと思って来てくれたのかい?」  勇利は驚いてヴィクトルをみつめている。 「……知ってたの?」 「まあね」 「どうして?」  勇利が口をとがらせた。彼は目つきで「なぜわかったのか教えて」とおどしている。かわいい瞳だ。 「もうひとつ」 「なに? こわい」 「フランスで会ったのもきみだ」 「…………」  勇利はヴィクトルの胸に顔をうめた。彼はぼそぼそと言った。 「確かにあのとき、会ったことがあるってヴィクトルに言われたよ。でも……」 「勇利は『気のせいでしょう』と答えたね。よくもそんなでたらめが言えたものだ」 「だって……」  勇利はヴィクトルに顔を近づけた。 「……どうして? ぼくのことなんて知らなかったくせに」 「なんとなくずっと気になっていた」  ヴィクトルは笑いながら勇利の髪にくちづけた。 「クリスがなぜあのとき、きみの注文を通訳したのか。きみは英語が話せた。ああいう場所では、バーテンダーもいくつかの言語に対応できるものだ。なのにクリスは最初からそんなことには頓着していない態度で話し、そしてきみが英語を使う前に通訳した。変だな、とひっかかっていたんだ」 「だからって、それがぼくだなんて……」 「クリスはきみが来る前、俺に紹介したい子がいると言った。しかし来るかわからないとも言った。俺は来なかったんだと思った。だがちがう。来ていたんだ。きみだった。クリスが紹介したいと言うなんて、俺のファンだという選手しか思い浮かばない。だがその子は、どうも思わせぶりな性質らしい。クリスがそういう口ぶりだった。それから時が経って俺はきみと出会い、きみのことを考えているとき、ふとすべての謎が解けた気がしたんだ。そうだ、あれは勇利だった。どうしても俺に紹介されてくれなかった勇利。でも俺のことが好きで助けに来てくれる勇利。我慢できなくてコーチの試合を見に来てしまう、やっぱり俺を助けてくれる勇利。勇利、俺の勇利──」  ヴィクトルは勇利を抱きしめ、覆いかぶさって熱烈なくちづけをした。勇利がちいさくあえぎ、笑ってヴィクトルの首筋に腕をかけた。 「ぼくに『会ったことがある気がする』って言ったの、フランスでのこと? それとも会場で見たことがあったの?」 「どちらなのかわからない。どちらもかな……?」 「適当なんだから」 「おまえへの愛は真剣だよ」 「ヴィクトル、ぼくさ……、今日、初めて男の人をナンパしたんだ。どうだった?」 「初めてにしては、上手いね」  ヴィクトルは勇利の顔じゅうにキスするのに夢中だった。 「相手がきわめてたやすいせいかもしれないけど」 「ちょろい?」 「ちょろいね」 「でもね、ヴィクトル……」 「うん?」  勇利はいたずらっぽく笑った。 「日本でヴィクトルにファンの女性が声をかけてるのを見たとき、ぼく、自分は一生こんなことはできないなって思ったんだよ……」  ヴィクトルはすばやく答えた。 「俺もナンパなんてしたことがない。勇利、初めての相手になってくれる? 世界選手権のあとを楽しみにしてて。きみより上手く誘えるかな?」
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ミツバチのオスは一回交尾すると生殖器が爆発する。
アンコウのオスは、身体の半分が睾丸である。
世界で生産される塩の一割は、アメリカのハイウェイにまかれている。
猫は一度に四匹ほどの子供を産むが、オス親はみな違っている。
ゴキブリは、電子レンジでチンしても死なない。
1グラムの金を伸ばしてやると、3キロメートルの長さになる。
アルマジロは、たかっている蚤がすべて駆除されると死んでしまう。 ゴキブリは頭をとっても死なない。えさが食べれずに二週間後に餓死する。
シベリアのバイカル湖には深海魚が住んでいる。
魚を船に乗せると船酔いする。
多くの植物は、酸性雨の中でよく育つ。NOX窒素が肥料となるため。
胃酸は金属も溶かすことができる。
カシミール地方のフンザ族は、誰一人としてガンを患ったことがない。 肉食性のタランチュラは、テーブルから落ちるとベチャっとつぶれてしまう。
輸血用の血液が足らないとき、ヤシの実の汁で代用できる。
ドイツの化学者ペッテンコーファーは、病原菌説に反対し、培養したコレラ菌を飲み干したがぴんぴんしていた。
兵隊アリは一匹にすると迷子になってしまい、餓死するまで同じところをぐるぐる回り続ける。 ダニのメスは無性生殖で産卵し、そこから生まれたオス(つまり息子)と交尾する。
19世紀のイギリスでは、入院患者の半分が院内感染が原因で死亡している。
アラスカでは、食品を凍らせないように冷蔵庫にしまっておく。
「悪貨は良貨を駆逐する」のグレシャムの法則を考えついたのは、天文学者のコペルニクスである。
目と耳が不自由だったヘレン・ケラーは、臭いで人を識別できた。
コロンブスの航海のために支出された予算は、イザベラ女王が主催する宴会の三回分だった。
ウラジオストックは、ウラジオ・ストックではなく、ウラジ・オストック。
プエルトリコは、プエル・トリコではなく、プエルト・リコ。
マックワールドエキスポは、マック・ワールドエキスポではなく、マックワールド・エキスポ。
アラビア数字は、アラビアではなくインドで生まれた。
ウルトラの兄弟は、血縁関係ではなく義兄弟。ウルトラの父はその上司だった。 アインシュタインの相対性理論の解説書は、戦前ワイセツ書だと思われて発禁処分になっていた。
イルカは、泳ぎ疲れると溺れる。
コペンハーゲンにある人魚像のモデルは、岡田真澄の親戚。
西武ライオンズのマークとして使われているのは、レオではなく、お父さんのパンジャ。 スイフトは「ガリバー旅行記」の中で、未発見の火星の衛星フォボスとダイモスの質量、軌道半径、公転周期などを正確に予言していた。
エスカルゴはぶどう畑にたかる害虫で、駆除するついでに食べていたのが始まり。
日本でいちばん早く初日の出が見れるのは、北海道ではなく千葉県の犬吠崎。
美空ひばりは、デビュー前にNHKの素人のど自慢に出演して、鐘ひとつで落選したことがある。
ほとんどの森林は、酸素よりも二酸化炭素を多く生み出している。
多くの原子力発電所は、建造、運営、撤去に必要な電力以下しか発電することができない。
野口英世は梅毒菌を発見したときに、嬉しさのあまり甘茶でかっぽれを踊ってしまった。
セガの元々の社名は日本娯楽物産。その英語名がService Games Japan。そこからSeGaとなった。
エプソンは、Electoronic Printerの息子たち(Son)を作っているので、EPSON。
マッキントッシュは和品種名「旭」リンゴ。明治23年に札幌農学校に輸入されて以来、北海道で栽培されている。
マックのコマンドキーのマークは、元々バイキングの装飾模様だった。
ニュートンはプリズムで分離した日光の色を5色しか見分けることができず、目のいい助手を雇って見てもらったら7色になった。
かなキーボードの配列は、大正12年に作られた。
大量の放射能は人体に有害だが、ちょっとだけ浴びると肩凝りが治る。
ドンキホーテは、ドンキ・ホーテではなく、ドン・キホーテ。
ゼロ戦は、離陸するとき、左の車輪が右よりもちょっとだけ早く格納される。
金毘羅さまに祭られているのは、ガンジス川に住んでいるワニ。
伊豆半島は元々、熱帯にあった小島で、南から流れてきて本州とくっついた。
色を再現するのに三原色は不要。ポラロイドの創立者ランドは、二原色システムのカメラを発明している。
雁の中にはメス同士で卵をかえすレスビアン夫婦がいる。
シャコは光の受容細胞を10種類もっている。つまり、10原色で世界を眺めている。
ハエがなぜ飛べるのかは、最新の科学でもわかっていない。
土星の衛星タイタンには、春夏秋冬の四季がある。
チャレンジャー号の乗組員の死因は爆発ではない。爆発後もコクピットは保護されて���て、意識はあった。その2分後、海面に激突したショックにより死亡したと見られている。
コブラはコブラにかまれると死ぬ。
キスをすると、1秒間に2億個の細菌がやりとりされる。
虫歯は、口を介してうつる伝染病。
オリンピックの金メダルは、実はめっきである。
クマムシという虫は、高温、低温、放射線、真空などのあらゆる悪環境に耐えるが、指でつぶすとつぶれる。
原子力研究所にある実験炉が自動停止したときに、叩いてみたら再び動き出した。
東名高速が開通したばかりのころ、路肩に車をとめて、レジャーシートをしいて富士山を眺めながらおにぎりを食べることが流行った。
初期の打診法は、大きな木製のへらで患者の横腹をひっぱたくというもので、しばしば患者の肋骨を骨折させることがあった。 幼児は紫外線の領域まで見える。
第二次世界大戦中にレーダーを発明したイギリスは、カムフラージュのために「パイロットににんじんを食べさせているので、夜目がきくようになった」という噂を流した。それ以来、夜目にはにんじんがいいと信じられている。
光の速度をはじめて測定しようとしたのはガリレオ。遠く離れた丘の上にランプをもって立ち、一方が覆いを外したのを見た他方が覆いを外し、光が見えるまでの時間を振り子で測るというものだった。練習不足だったのか、測定するたびに結果が異なりうまくいかなかった。
スズメバチは、飲み残しの缶ジュースを餌とするが、その中でも乳酸菌入りグレープジュースが特に気に入っている。
「サイボーグ」は、タカラの登録商標である。
サメやマグロは、浮き袋を持っていないので、泳ぐのやめると溺れてしまう。
カタツムリは葉緑素をもっているので、光合成をしている。
ホタルは川の流れがきれいになると死滅してしまう。
お腹に回虫を飼っている人は花粉症にならない。
切り株の年輪の幅は南の方が広がっているというのは真っ赤なウソ。実際はばらばら。
市販されている備長炭の多くは、中国やアジア産である。
野生動物が畑を荒らしたり、登山者の食べ残しをほしがるのは、自然の餌が不足しているからではなく、人間の食べ物の方がおいしいから。
最新のコンピュータシミュレーションによると、月が誕生するのにかかった時間は3日。
細胞に含まれる核、ミトコンドリア、葉緑体は、もともと別の独立した生物が寄生したもの。
無重量状態でも、野球のボールをぶつけられると、やっぱり痛い。
月は常に一方の面だけを地球に向けて公転している。これは月だけでなく、太陽系の衛星のほとんどがそうなっている。
体重比で睾丸が最も大きいのはチンパンジー。人間は残念ながら第二位。ちなみにタヌキはトップテンに入っていないことだけは確か。
音楽CDのラベル部分やエッジを緑色に塗ると音質がよくなるという迷信はほんとう。ただし、自分で塗ってむらがある状態では効果はほとんどない。
欧米人は肩凝りにならないというのは真っ赤な嘘。同じ症状を英語圏ではstiff-necked(首が凝った)というだけ。
フンコロガシは、糞団子ひとつを12時間かかって食べ、3メートル以上もの長さの糞をする。
スプーン一杯の食用油を池の上に落とすと、半径20メートルにまで広がり、その下にいる魚は酸素不足になる。
地球温暖化の影響を最初に受けたのは、エロマンガ島。海水面の上昇によって、沈んでしまった。最新の地図のどこを探しても「エロマンガ島」の文字を見つけることはできなくなってしまった。失ったものは大きい。
古生代ペルム紀(2億5000万年前)の塩の結晶の中から発見されたバチルス細菌を水につけたら、生き返ってしまった。
ロシアの宇宙ステーションミールは、大量の放射線を浴びているにもかかわらず、細菌が繁殖して困っていた。
アポロ12号のクルーたちは、月面に生物を発見していた。2年半前に着陸していた無人探査機サーベイヤーに付着していた連鎖球菌が月面で繁殖していたのだ。
運動をすると、筋肉は破壊される。破壊された筋肉繊維が修復するときに、以前よりも強い筋肉となる。
コンタクトレンズの原理を発見したのは、レオナルド・ダ・ビンチ。 50億年前の地球の球表面面積は現在の1/4。つまり、当時できた薄皮が、地球の膨張にともなってひび割れたのが陸地だと考えられている。
花粉症とアトピー性皮膚炎は、日本人と旧西ドイツ人の間で急増している。しかし、不思議なことに旧東ドイツ人の間では増えていない。
蚊が刺すときは、道路工事のドリルのように、一秒間に8回のスピードで針を打ち込んで皮膚を貫通させる。
蚊は刺す直前に麻酔薬を注入する。この麻酔薬が欠損している蚊に刺されるともうれつに痛い。
” - 一行サイエンス (via hisaruki, etecoo) 2008-07-24 (via gkojay) (via takaakik) (via mnak) (via oho777) (via storadio) (via mktx) (via yasayasa83) (via idoyesido) (via appbank) (via ipodstyle) (via yaruo) (via tanakamp) (via krbysh) (via reservoir) (via overdope) (via peckori) (via uessai-text) (via cellbuu)
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benediktine · 5 years
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うぃっちわっち(丁稚) @Witchwatch99 - 午後6:16 ・ 2020年1月5日 : https://twitter.com/Witchwatch99/status/1213751221787353088 : https://archive.ph/j0jkt 腕時計業界では知られた話だそうですが、とある特殊な構造の腕時計の電池交換の為の機材(数千万)を輸入しようとしたら関税が疑って中開けて、元に戻せなくなって機材廃棄した話がありましてね。 基本、触りたくないんですよ察してあげて下さい今回はゴーン氏の取り巻きが優秀でしたよ。 ≫――――――≪ うぃっちわっち(丁稚) @Witchwatch99 - 午後6:30 ・ 2020年1月5日 : https://twitter.com/Witchwatch99/status/1213754521731522561 : https://archive.ph/l5DlR 関税じゃねぇよ税関だよ何で税金が疑って輸入機材バラすんだよ ≫――――――≪ 連鎖球菌 @rensakyukin - 午前1:44 ・ 2020年1月6日 : https://twitter.com/rensakyukin/status/1213863904536748032 : https://archive.ph/LIXLd 返信先: @Witchwatch99 それ、税関は弁償したんでしょうか? ≫――――――≪ うぃっちわっち(丁稚) @Witchwatch99 - 午前1:50 ・ 2020年1月6日 : https://twitter.com/Witchwatch99/status/1213865407460720641 : https://archive.ph/0CWZh 返信先: @rensakyukin 聞いてる話では弁償してなくてその機材が再び輸入される事はなく、その腕時計は電池交換するのに本国のメーカーまで送り返さないといけないままです。 ≫――――――≪ 連鎖球菌 @rensakyukin - 午前1:51 ・ 2020年1月6日 : https://twitter.com/rensakyukin/status/1213865691788402688 : https://archive.ph/C4WBj 返信先: @Witchwatch99 迷惑なだけの話ですね。 ≫――――――≪ うぃっちわっち(丁稚) @Witchwatch99 - 午前1:55 ・ 2020年1月6日 : https://twitter.com/Witchwatch99/status/1213866620663169025 : https://archive.ph/5Qf2K 返信先: @rensakyukin 勿論揉めますし金額次第じゃ訴訟沙汰不可避ですから税関ってヤバそうなブツはよっぽど怪しく無ければ触りたくないんですよ。 特に日本の場合は国内から出て行く物に関しては問題少ないですんで、今回のゴーン氏の件は上手い事やりやがったな、という所存です。 ≫――――――≪ 連鎖球菌 @rensakyukin - 午前2:04 ・ 2020年1月6日 : https://twitter.com/rensakyukin/status/1213868766431285248 : https://archive.ph/wwfsN 返信先: @Witchwatch99 外野が批判するのは簡単ですから、現場としては相手が一枚上手だったという訳ですね。 ありがとうございました。 ≫――――――≪
うぃっちわっち(丁稚) @Witchwatch99 - 午後6:16 ・ 2020年1月5日 : https://twitter.com/Witchwatch99/status/1213751221787353088 : https://archive.ph/j0jkt
うぃっちわっち(丁稚) @Witchwatch99 - 午後6:30 ・ 2020年1月5日 : https://twitter.com/Witchwatch99/status/1213754521731522561 : https://archive.ph/l5DlR
連鎖球菌 @rensakyukin - 午前1:44 ・ 2020年1月6日 : https://twitter.com/rensakyukin/status/1213863904536748032 : https://archive.ph/LIXLd
うぃっちわっち(丁稚) @Witchwatch99 - 午前1:50 ・ 2020年1月6日 : https://twitter.com/Witchwatch99/status/1213865407460720641 : https://archive.ph/0CWZh
連鎖球菌 @rensakyukin - 午前1:51 ・ 2020年1月6日 : https://twitter.com/rensakyukin/status/1213865691788402688 : https://archive.ph/C4WBj
うぃっちわっち(丁稚) @Witchwatch99 - 午前1:55 ・ 2020年1月6日 : https://twitter.com/Witchwatch99/status/1213866620663169025 : https://archive.ph/5Qf2K
連鎖球菌 @rensakyukin - 午前2:04 ・ 2020年1月6日 : https://twitter.com/rensakyukin/status/1213868766431285248 : https://archive.ph/wwfsN
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technocat1026 · 5 years
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また、山口組と旧後藤組の関与か。
しかも、フリーメイソン森喜郎の少女買春
他に覚醒剤利用してませんかね?
MDMAとかね。
押尾学冤罪事件のアレなw
以下引用
プチエンジェル事件は、今から16年前に東京で起きた児童監禁売春強要事件だが、「自殺?」したとされる容疑者の単独犯行とされ、2000名もの政財界の大物が羅列された名簿を警察が押収したにもかかわらず、犯行経過と名簿の具体的内を示す、ほぼすべてが警察によって隠蔽され、マスコミもこれを報じずに、見事にうやむやにされた、戦後最悪の権力による極悪犯罪隠蔽事件である。
 このとき、日本社会が腐敗した「法治国家」である現実が、世界に明らかになったといってよい。権力と金さえあれば、小学生少女を監禁、強姦しても、事件は隠蔽され、罪にも問われないと警視庁=警察権力が示したのである。
 現在、安倍政権によって、法治主義を無視、破壊する権力濫用が続いているが、こうした自民党政権による国家ぐるみのマフィア的犯罪は、すでに、このとき完成していたと���えるべきである。
 名簿を一部の記者が見ていて、そのなかに、自民党の現役政治家や元大臣、元警察官僚などが含まれていたと証言している。
 中には、森喜朗元総理の息子が含まれていたとの週刊誌の報道もあった。
 名簿の捜査は、警察上層部からの命令で停止させられ、その理由は「偽名が多い」というものだったが、捜査現場からのリーク情報では、携帯電話番号まで記載され、番号と公表された氏名が一致していることも多かったといわれる。
 この事件には、関わった少女や、事件を調査していたフリーランス記者などに数名の不審死者が出ているが、これらも、すべてうやむやに処理され、徹底した隠蔽が行われた。
 私は、この事件の真相について、いつか、まとめて報告したいと思っていたが、情報が少なすぎるため果たせず、今回、YouTubeに現場を取材した記者の証言がアップされて、はじめて詳細を知ることができた。
 https://www.youtube.com/watch?v=z7NpsAmX48g
 https://kirari-media.net/posts/454
 事件の経過
① 2003年7月上旬、稲城市に住む小学生少女が、渋谷周辺で女子高生スカウトから「アルバイトしないか」と誘われ、主犯とされる無店舗型少女売春クラブ経営者の吉里弘太郎(29)と接触、マンションの部屋を1時間くらい掃除して1万円を渡され「友達も連れておいで」と誘った。
 このとき、友達を連れてくれば、一人について3万円を渡すと約束していたようだ。
② 誘いに応じて、少女は友人3名を加えて、7月13日、再び吉里の元を訪れた。
 彼女らには二台のタクシーが用意され、7月11日に吉里が契約したばかりの赤坂のウイークリーマンションに連れて行かれた。(インターナショナルプラザ赤坂No.1最上階の11階1101号室)
 すると、吉里は態度を豹変させ、「ここに来たのは、どういう意味か分かってるな?」と、スタンガンを手に四人の少女を恫喝した。
 怯える少女たちに、手錠と目隠しをして、重しのポリタンクにつないで監禁が始まった。少女たちのなかには、逃げだそうとしてスタンガンで負傷させられた者もいた。
 吉里がマンションを短期契約した7月11日、彼は保有していた二代のフェラーリを売り払っていて、7月17日には、警察が以前の少女売春事件で、吉里に逮捕状を執行しようとしていた。つまり、死亡した7月17日以前に、吉里は自分が逮捕されることを知っていた。
③ 7月13日、夜になっても帰宅しない少女たちの家族は、不安にかられて、警察に通報、通常、この種の事件では、少女たちの命が危険に晒されるため、ただちに公益報道されるはずなのだが、この事件では、警察は、なぜか7月16日まで、マスコミにも公表せず、秘密裏に、学校教師と家族だけによる捜索が行われた。
 なぜ、警察が誘拐行方不明事件でありながら、公開捜査を拒否したのかは、まったく理由が分からない。
 また、警察上層部から、「少女売春事件であり、本人のプライバシー保護のため、周辺での聞き込み捜査は行うなとの指令が出た」ことで、稲城警察による聞き込み捜査が中断された。
 警察は、事件発覚前から、これが少女監禁売春強要事件であることを知っていたようだ。
 しかし、事態が進展せず、警察は、これ以上の隠蔽は無理と判断して、16日未明にマスコミに情報公開、やっと報道が始まった。
④ 7月17日、監禁された少女たちは、室内の物音がしなくなったことから、自分で手錠を外して部屋を逃走、裸足で逃げて、インターナショナルプラザ赤坂No.1の隣にあった花屋に駆け込んだ。
 通報を受けて1101号室に警察が立ち入ると、そこには、吉里が、椅子に座ってビニールを被って死んでいた。死後、十数時間を経過していたとされる。
 
⑤ 警察は、吉里の単独犯行で、発覚を恐れて自殺したと「断定」し、捜査を早期に打ち切った。
 死因は、ビニールテント内に置かれた七輪の練炭による一酸化炭素中毒という説明だったが、いくつかのメディアが検証したところでは、七輪は高熱を発し、ビニールテントなど、たちまち溶けてしまい、外気が侵入して死には至らないこと。
 また、吉里の死体には、ビニールが溶けたり、七輪の熱による火傷があるはずなのに、それらが一切なく、普通のきれいな死体であったこと。
 ビニールテントは、外部からテープで目張りされていて、中に入った吉里が外から貼ることは不可能であること、したがって、警察による自殺という結論は、極めて不可解であること、を明らかにした。(『真相報道 バンキシャ!』)
 つまり、吉里弘太郎は、事件を起こしてから、外部の人間によって、自殺を装って殺害された可能性が極めて大きい。吉里が逮捕されて、警察にペラペラと自白されては困る人物の指示によって殺害が行われたと考えられる。
 つまり、17日に吉里が逮捕されることを知っていた、警察関係の情報を得られる立場の人間によってである。
 不可解なことに、警察は、法医学解剖調査など遺体の詳細な調査を行わないまま、慌てて遺体を始末させた。
⑤ 吉里弘太郎は、無店舗型、非合法未成年者デートクラブ「プチエンジェル」を経営。女子高生数人をスカウトとして雇い、渋谷や新宿で「カラオケ5,000円、下着提供10,000円、裸体撮影10,000円」などと書かれたチラシを配ってローティーンの少女を勧誘し、男性客に斡旋、その他わいせつビデオの販売も合わせて多額の利益を得ていた。また本人も過去に買春で逮捕歴があり執行猶予中だった。
 吉里は、この種のデートクラブ経営者としては、破格の成功を収めていて、年収は、数億円以上に達していたとみられている。死後発覚した預金は35億円と報道されている。
 この金額は、一介のデートクラブ経営で得られるような額ではなく、背後に想像を超える大規模な組織があったことを示すものである。
 本人、自ら、小学生少女にしか興奮しないという児童性愛趣味者であり、小学生少女を多数、提供することで莫大な利益を得ていたが、おそらく組織的な活動だっただろう。
 その相場は、小学生なら、一回の性行為で、10~20万円というものだったようだ。当時、流行していた「援助交際」で、女子中学高校生との性行為が、一回1万円程度とされていた相場に比べれば、小学生の相場が、どれほど高額なものか分かるが、これに対し、全国の政治家・財界人・医師など社会的地位の高い者たちが、このクラブに殺到していたことが明らかにされている。
 この事件が、警察によって完全に隠蔽された理由は、顧客たちの社会的地位を守るためであることは明らかである。
 ⑥ 吉里弘太郎のプライバシーを調べると、とんでもない事実がたくさん出てきた。
 
 吉里弘太郎容疑者の父親は元警視庁幹部であり、朝日新聞に転職して幹部社員から西部本社社会部長に転属した。
吉里は東京芸術大学出身でデザイナーをしていたが、大学時代から複数の女性と交際しヒモ生活を送っていた。住所は「横浜市港北区篠原東1-2」や「埼玉県久喜市」だと言われている。
 吉里は、大学在学中の頃あたりから立て続けに肉親が自殺している。父親は1993年に難病指定されている頭頸部ジストニアを発症し、病苦によるものなのか、朝日新聞社西部本社に異動になったためか1996年に自殺している。
 その後、兄が1999年に自殺。母親は悲観して2001年に自殺未遂を起こした。
 吉里は、多摩地区を中心に主婦売春組織を運営していたことから警視庁にマークされていたという。
⑦「プチエンジェル事件」は、なぜか突然、メディアから消えて収束を迎えた。
 吉里弘太郎の単独犯行とされ、捜査も終了させられた。
「プチエンジェル事件」の顧客リストに、日本を代表する、2000名もの政財界、医療界、司法界、政府官僚などの大物が掲載されていたことが暴露されたが、なぜか警察当局は「偽名が多いため、捜査不能」と警察が発表し、警察も報道陣も示し合わせたようにこの事件から手を引いた。
「プチエンジェル事件」の翌日には警察による一斉補導が渋谷で行われ、約1500人もの少年少女が補導された。 
 吉里が借りていた埼玉にあるアパートからは1,000本以上の小学生少女が主役となった猥褻ビデオテープと2000人以上が記された顧客リストが押収されたが、警察は、一切摘発に動こうとしなかった。
 同時にマスコミも警察と示し合わせたように「プチエンジェル事件」について報道をしなくなり、突然のように事件は終幕を迎えた。
 被害に遭った少女たちの証言から、客引きの女子高生やマンションへの誘導役の男、部屋を借りた名義人である”ヤマザキ”という男など、確実に3人以上は共犯、関係者がいることが明らかにされていたが、なぜか、すべて吉里の単独犯行とされて、それ以上の捜査は行われなかった。
 1101号室に出入りしていたふたりの男女が目撃されており、ある捜査官は後に「男の方は警視庁幹部の息子だった」と暴露しており、「プチエンジェル事件」はその警視庁幹部の働きかけもあって捜査打ち切りになったとも言われている。
⑧ マンション「インターナショナルプラザ赤坂No.1」は小沢一郎の資金管理団体「陸山会」が所有する物件だと言われている。
 この事件について小沢一郎は一切触れていない。
⑨ 顧客リストに糸山英太郎も。
「プチエンジェル事件」顧客リストの人物として名前が上がったのが、糸山英太郎だった。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B3%B8%E5%B1%B1%E8%8B%B1%E5%A4%AA%E9%83%8E
 糸山英太郎は実業家であり個人投資家で、テレビ東京の大株主である他、過去には日本航空の筆頭株主だったこともある日本屈指の富豪で、2007年のフォーブス発表の「日本の富豪ランキング」では7位にランクインし、総資産額は4500億円だった。
「プチエンジェル事件」の筆頭顧客とも言える糸山英太郎は、事件が発覚する4日前の2003年7月12日に所有する自社ビル「ザ・イトヤマタワー」の18階にある自宅で、16歳の少女に15万円を支払って買春をした。
 この少女を斡旋したのは元暴力団組長で、警察の捜査にひっかかり組長ら3人が児童福祉法違反で逮捕されている。
 しかし、買春をした本人である糸山英太郎は「相手が18歳未満だとは知らなかった」と容疑を否認し、罪には問われなかった。
 当時、援助交際による女子中高生の性交渉の相場が一回1万円程度であることを考えれば、糸山が出した一回16万円が何を意味するか分からない者はいないはずだが、これも警察により無罪放免とされた。現在では、小学生相手の売春は重罪で強姦罪が適用され、最低でも5年程度の実刑判決となる。
 この事件は当時の五代目山口組若頭補佐だった後藤組組長の後藤忠政により揉み消されており、糸山は後に慰労金を支払ったといわれる。
⑩ フリージャーナリスト・染谷悟が殺される
 権力により封殺されてしまった「プチエンジェル事件」を暴こうとしたフリージャーナリストの染谷悟は、中国マフィアに殺された。
 「プチエンジェル事件」から約2ヶ月後となる9月12日に、東京都江東区東雲2丁目の東京湾に男性の死体が浮いているのを通りがかりのトラック運転手が発見し通報した。
被害者は「柏原蔵書」の名前で活動していたアングラ情報専門のフリージャーナリスト染谷悟で、背中8箇所を刃物で刺された痕があった他、頭部に2箇所殴られた痕があった。
 発見当時、染谷悟は岸壁から2メートルほどのところに浮いており、服の上から鎖で巻きつけられて縛られ、両手は紐で縛られている状態で、両足も紐の痕が残っていた他、腰には潜水用の重しの入ったベルトが巻かれていた。
「プチエンジェル事件」は中国人身売買に通じていた?
 染谷悟は殺される直前に周囲に「中国人マフィアに命を狙われている。殺されるかもしれない」とこぼしていた。
 警視庁東京水上署の捜査本部が染谷悟さんの刺殺体が発見された2日後の14日に発表した内容では、染谷悟さんは「プチエンジェル事件」が明るみになる前から身の回りに起こる不可解な出来事に悩まされており、2002年頃から自宅の窓を割られたり、空き巣に入られたりしていた。
 染谷悟は組織的な児童買春の実態を暴くために動いていたが、2002年9月には当時住んでいた豊島区のアパートで空き巣被害に遭い、取材で使っていたカメラやパソコンなど計77点が盗まれていた。
 染谷悟が殺害されてから2日後に、2ちゃんねるに大手出版社の編集員を名乗る人物が事件の詳細について語った。
 染谷悟は「中国マフィアのしっぽを踏んでしまった」と語っていたという。
 このことを編集員は「(「プチエンジェル事件」を追う内に)中国マフィアと日本やくざの児童売買ネタに当たってしまった」と解釈した。
 「プチエンジェル事件」には中国マフィアと日本のやくざが密接に絡んでおり、児童人身売買も疑われた。
 吉里が小学6年生の女児4人を拉致監禁した理由は中国マフィアに売り飛ばすつもりだったのかもしれない。
 少女らを監禁した翌日にはすでに警察が吉里弘太郎容疑者が犯人だと目星をつけて捜査を開始したため進展が早く、このままだと捕まるのは時間の問題だと踏んだ中国マフィアが吉里弘太郎容疑者を葬った疑いもある。
⑪ 2ちゃん書き込みログ
 赤坂署に配属になったから事件資料を調べようとしたら全て処分されていた」
染谷悟は、プチエンジェル事件発生の2003年7月に「歌舞伎町アンダーグラウンド」という著作を出版したばかりでした。次の題材として、プチエンジェル事件を独自に取材を進めていた。
 プチエンジェル事件の取材をしていく中で、周囲に「中国人マフィアに命を狙われている」と漏らし始め、プチエンジェル事件から2ヶ月後の2003年9月、染谷は東京湾に浮かんだ。
 プチエンジェル事件は赤坂で発生しているにも関わらず、当初「渋谷で発生した」と報じられた。これは永田町の近くでそういった醜聞が報道されるのをいやがった政治家からの圧力があったからだ、と言われている。
 参議院議員であった鴻池祥肇(当時:防災担当大臣)は、2003年7月18日の衆議院予算委員会にて、「少女4人も、加害者か被害者か分からない」という答弁を行った。鴻池は藤井孝男委員長から発言の真意を問いただされ、発言を撤回した。
⑦ 冒頭に紹介したリンク動画では、記者が、数百名といわれるプチエンジェルクラブに関係した少女たちに不審な死者が出ていると述べている。
 https://www.youtube.com/watch?v=z7NpsAmX48g
 また、関係者の家族全員が、稲城市などから遠方に引っ越してしまったとも言われる。この事件の闇は、とてつもなく深い。
 *****************************************************************************
 以上が、16年前、2003年に起きた、大規模な児童売春事件の概要であるが、問題の核心は、犯人とされた吉里弘太郎が借りていたアパートから発見された、2000名もの顧客名簿に、日本の上流階級、権力者たちが、ずらりと顔を出していたことである。
 警察は「偽名」として捜査を中断したが、これを見た、一部の記者や捜査員は、誰でも知っている日本の顔が、そこにあったと証言している。
 つまり、大臣や行政官僚、医師、弁護士、警察関係者、著名人たちである。名簿は、ひどく早い捜査終了後、ただちに廃棄され、現在では行方不明になっている。おそらく証拠保全義務を無視して焼却処分されたのであろう。
 「日本を代表する権力者・著名人」の性癖が、このように卑しいものであったことに驚愕させられただけでなく、安倍晋三のお友達、山口敬之による詩織さん強姦事件を権力で揉み潰した、安倍官邸の警察官僚、山口格の行為にも通じるものがある。
 というより、戦後、日本の自民党権力は、長い間、自分たちに都合の悪い事実が発覚すると、権力を使って隠蔽し、潰してきたのである。
 つまり、日本の戦後権力は、中国共産党の悪辣な司法への介入と、それほど変わらないことを行ってきた。
 日本は、決して法治国家や民主主義国家とはいえない、深い闇に閉ざされた社会だったことを示している。
 この事件は、たとえ長い年月を経ようと、絶対に闇に葬らせてはならない。
 児童売春の顧客名簿に掲載された権力者たちは、たった今も、国家権力の第一線で政治経済に携わっていて、こんな犯罪者たちに日本を委ねることは許されない。
 あるいは、安倍政権の人脈、安倍首相自身も、もしかしたら名簿に記載されているかもしれない。
 もしも、この名簿が、どこかに保全されていて、それが明るみに出たならば、時効は経過しているが、懲役五年相当の犯罪に関与した者として、すべての信用を失う結果になるだろう。
 今の、自民党や経団連の体制は根底から崩壊することが避けられないのである。
 私は、それを強く期待したい。また名簿を覗き見た一部の捜査員や記者たちも、すでに引退した者なら、積極的に真実を公開してもらいたい。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-700.html
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003年4月15日夜、福岡市中央区の日本語学校に魏と王、楊らが職員室に忍び込み、現金約五万円を盗んだ。そこは王が在籍していた学校だった。王、楊はその1月にも、同区のファストフード店に侵入し、現金230万円を盗んでいた。ここは楊のアルバイト先。4月9日には魏が別の中国人留学生2人と共謀し、中国人留学生から現金約26万円を奪うという事件も起こしている。 「3人で何かやろう」  5月上旬には、楊のアルバイト先だった同市博多区のラーメン店経営者襲撃を計画する。「面識があると発覚の危険性が高い」として断念したが、この時すでに「殺害して金を奪う」ことを念頭に置いていた。 http://yabusaka.moo.jp/fukuokaikka.htm
中国人留学生
王亮(ワンリャン 当時21歳)
出典福岡・一家4人殺人事件
吉林省出身。父親は土木会社を経営し、裕福な家庭に育った。02年春、日本の大学進学を目指して福岡市内の日本語学校に入学し、同級生とともに寮で暮らし始めた。当初授業の出席率は96%と高かった。(出席率が95%以下になれば入国管理局に報告されるという。さらに低くなると強制送還される)だが王はこの年の9月、同級生とトラブルを起こし、その時の学校の対応に不信感を抱き、ほとんど学校に出てこなくなった。同級生��よるとこの頃から王の様子が変わっていったという。03年4月の時点で、王はMさん宅から700mほどのところにある家賃2万円のアパートに楊とともに住んでいた。5月15日に日本語学校から、このままで除籍処分になると通告された。就学生が除籍処分されると、就学ビザを取り消され不法滞在になる。王は1度中国に帰り、両親に再編入のための授業料の工面を依頼していた。だが、両親が王持たせたはずの授業料は学校に納めておらず、除籍処分となっていた。
楊寧(ヤンニン 当時23歳)
出典福岡・一家4人殺人事件
吉林省出身。父親は長春市の中日友好協会に勤め、母親は同市の製紙工場に勤務。王とは両親同市が古くからの知り合いだった。01年10月に就学ビザで来日し、日本語学校を卒業した後、私立大学国際商学部に入学し、アジアの貿易経済について学んだ。02年には1科目を履修しただけでさぼり、後期には病気と称して休学したが、実際は福岡市内のハンバーガーショップでアルバイトをしていた。03年4月に1度は復学したが、年間50万円余の学費が払えず、納入期限の6月末を前に「親から学費を受け取るために一旦帰国する」と大学側に説明して出国した。この時、実家には戻っていない。
魏巍(ウェイウェイ 当時23歳)
出典福岡・一家4人殺人事件
河南省出身。父は工場を経営する資産家。魏自身も高校卒業後、3年間人民軍(※)で班長を務めた。その後大連の外国語学院で日本語を学び、日本留学後は先端技術を学ぶという希望を持ち、01年4月、福岡の日本語学校に入学している。02年4月には予定通り、コンピューターの専門学校に入学した。ここでは成績もよく、奨学生候補だった。故郷には恋人もいて、ごく普通の学生だったが03年になると一転して学校を欠席がちになった。魏のアパートには中国人の女性が何人も出入りするようになり、4月には留学生仲間と中国人宅に押し入り、26万円を強奪、6月には知人の女性に暴力をふるったとして傷害容疑で逮捕された。この頃、インターネットカフェにしばしば通うようになり、王や楊と知り合った。4月9日にはかつて住んでいたアパートへ強盗を押しこんだこともある。また、他人名義で携帯電話を契約する詐欺も働いている。金��も対して困っていない優秀な学生だった彼が、03年春を境に突如犯罪行為を繰り返すようになっていた。
出典blog-imgs-34.fc2.com
福岡一家4人殺害事件
福岡一家4人殺害事件
Mさん一家
殺害されたMさん一家は、Mさん(41歳)、妻C子さん(40歳)、小学6年の長男K君(11歳)、小学3年生の長女H子ちゃん(8歳)の4人暮らし。  Mさんは1962年福岡市で生まれた。私立博多高校を中退し、中州のクラブ勤めを経て上京。東京・麻布十番の焼肉店などで修行した後、88年に福岡市中央区で韓国料理店をオープンさせた。この店は繁盛し、有名人なども多く来店、テレビでも紹介されるほど有名店になった。その後、東区にも別の焼肉店を開店し、売上も好調だった。    C子さんも福岡県出身。九州女子高校を卒業後、94年頃まで化粧品会社の美容部員として福岡空港の国際線ターミナル店で働いていた。MさんとC個さんは高校時代から交際しており、90年5月に結婚した。Kくん、H子ちゃんも生まれ、幸せ家庭を築いていた。  しかし、最初の悲劇が起こった。01年9月、BSE(牛海綿状脳症)騒動が起こり、その煽りを受けて経営していた両店は廃業に追い込まれたのである。  MさんはC子さんの親族と一緒に婦人服販売会社を始めるが、売上が低迷、さらに東区の焼肉店開店のために自宅を抵当に入れて借りた4000万円の返済も滞るようになった。  03年3月、夫婦は婦人服販売業の業績が上がらないことから、C子さんの親族から独立して、衣料品などをデパートに卸す仕事を始めた。その2ヶ月後、Mさんの知人から休眠中の会社「W」を継承して復活させた。C子さんを社長にして、衣料品販売業を本格的に乗り出した。  また失業し、金に困ったMさんは闇ビジネスと呼ばれる仕事にも手を広げていく。事件後、家宅捜索で福岡市中央区のマンションから大麻草が発見されている。Mさんは大麻草を栽培して、売りさばいていたとされている。  またMさん一家は94年から96年にかけて、外資系生保会社と、99年には国内の生保会社と、一家4人の生命保健契約を締結した。保健金額はMさんが1億2000万円、C子さんが2500万円、KくんとH子ちゃんが各2100万円の総額1億8700万円に上り、その月々の保険料は14万円近くになっていた。  ちなみにMさん一家は王、楊、魏の3人とは面識はなかった。 http://yabusaka.moo.jp/fukuokaikka.htm
強襲
凌遅刑
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%8C%E9%81%85%E5%88%91
凌遅刑(りょうちけい)とは、清の時代まで中国で行われた処刑の方法のひとつ。生身の人間の肉を少しずつ切り落とし、長時間苦痛を与えたうえで死に至らす刑。歴代中国王朝が科した刑罰の中でも最も重い刑とされ、反乱の首謀者などに科された。また「水滸伝」にも凌遅刑の記述が記載されている。また、この刑に処された人間の人肉が漢方薬として売られることになっていたとされている。この刑罰は李氏朝鮮(朝鮮王朝)でも実施されていた。また、これに酷似したものとして隗肉刑がある。
Mさんの帰宅
日付が変わって翌午前1時40分頃、Mさんが帰宅してきた。愛車のベンツC200に乗って、自宅の車庫前まで帰ってきた時、携帯電話で友人と会話している。Mさんは「今、家についた。これから駐車場にいれるから、後でかけ直す」と電話を切ったが、その友人に再び電話がかかってくることはなかった。家に入ろうとしてきたMさんを犯人達は玄関で待ち伏せていた。工事現場から盗んできた鉄パイプを、いきなり後頭部を殴りつけた後、前に向かって横から額を殴り、さらに左目周辺や頬を殴ったり、全身を蹴ったりした。さらに犯人達は2階で失神していたH子ちゃんを担ぎ下ろし、父親の目の前でいたぶったり殴打しながら、Mさんに何かを聞き出そうとリンチを加え続けていた。だが、Mさんはなにも答えず、「用がなくなった」ということで、H子ちゃんの首を絞めて殺そうとした。Mさんは土下座して、「娘だけは助けてくれ」と言ったが、彼らはこれを嘲笑し、殺害した。さらにMさんの首を白いビニール紐で絞め、気を失った彼を浴槽に浸けて溺死させた。  3人は一家の遺体を運びやすくするため、まずMさんの両手に手錠をかけ、首から足にかけて工事現場で盗んできた太い電線で縛り、H子ちゃんを背負わせる格好で固定した。また、ちょうど血のついて放置しておけない玄関マットがあったので遺体を覆い隠すために持ち出し、車を乗り捨てる際に近くの草むらに捨てた。  3人は一家4人をベンツに乗せ、その車に一緒に乗りこんだ。 博多港箱崎埠頭の岸壁に到着した3人は遺体を海に沈めるために、前もって用意しておいた重りを1個ずつつけ始めた。Mさんの腕とH子ちゃんの足を手錠でつなぎ、その手錠のチェーンの部分に別の手錠をつないで、鉄アレイをつけるなど、万全を期した。C子さんとKくんはそれぞれ両手に手錠をかけ、鉄アレイをつけた。千加さんは服を着ていないので浮き上がりそうだったので、特別に鉄製の重りを針金で巻きつけていた。  遺体を捨てた後、Mさんのベンツを運転して久留米市に向かった。これはNシステム(自動車ナンバー自動読み取り装置)でも確認された。ベンツは「ブリジストン久留米工場」クラブハウスの専用駐車場に乗り捨ててあるのが発見されてい。3人はベンツ放置後、JR久留米駅から福岡に戻った。  20日午後、博多港箱崎埠頭付近の海中から一家の遺体が次々と発見された。これほど早く遺体が発見されることは、3人にとって誤算以外の何物でもなかったはずだ。  なお事件当日の行動については3人の供述をもとに書いたが、3人が責任をなすりつけ合ったり、供述そのものを変えているので、不確かな点も多い。 http://yabusaka.moo.jp/fukuokaikka.htm
3人の浮上
事件に使われた手錠は台湾製でレバー操作をすれば簡単に取り外しができる金属製のおもちゃ、鉄アレイは重量20kgのもので、それぞれ福岡市内にある量販店で売られていた。この店の防犯カメラにそれらを買った人物が映し出されていた。その映像から似顔絵が公開されると、日本語学校の生徒が「同級生(王)に酷似している」と証言、ここで王とその交友関係が洗われるようになった。ここで楊の存在が浮上し、楊の携帯電話の通話記録から魏の存在も明らかになった。  また、遺体に付けられていた直方体の鉄製の重り(重量30kg)は魏が過去に頻繁に出入りしていた女性宅がある福岡市博多区の賃貸マンションの所有会社が非常階段への鉄製扉を開放させておくために特別注文したものだった。  事件後、魏は出国2時間前に空港へ向かう途中の路上で、別の暴行事件により身柄を拘束された。だが、この時すでに王は楊とともに福岡空港から上海に出国していた。この航空券は犯行の3日前に楊が用意していた。2人は中国の公安当局に身柄を拘束されることになった。 供述 「窃盗目的で侵入した。黒幕は存在しない」(王、楊) 「Mさんは高級車を持っていて金持ちそうだったから狙った」 「5月下旬に王から『おまえは格闘技ができるだろう。それなりに荒っぽいが、カネになる仕事がある』と誘われ、楊を入れて3人でMさん一家を襲った。家族4人の首を絞めて殺した後、遺体をMさんのベンツでう実まで運んで投げ捨て、その車も遠くまで捨てに行った。王は誰かに殺しを依頼されていたようで、私は成功報酬として約1万円を受け取っただけだ。残りの報酬はまだもらっていない」 (魏) http://yabusaka.moo.jp/fukuokaikka.htm
出典kyushu.yomiuri.co.jp
公判を終え福岡地裁を出る魏被告
福岡一家4人殺害事件
王被告土下座にも消えぬ怒り 遺族、厳罰求める
出典kyushu.yomiuri.co.jp
福岡一家4人殺害事件
中級人民法院裏門で、通行人をチェックする職員
憤りは収まらなかった。昨年六月に起きた福岡市の松本真二郎さん一家四人殺害事件。遼寧省遼陽市の中級人民法院で十九日に開かれた初公判で、孫たちの命を奪った元留学生二人と初対面した遺族には、日本語での謝罪もむなしく響いた。「頭を下げれば済むと思っているのか」。一年四か月を経ても消えない激しい怒りが、異国の法廷に広がった。  王亮被告(22)は白いワイシャツ、白っぽい綿のズボン姿で法廷に姿を見せた。楊寧被告(24)は、黒いトレーナーに白っぽいズボンをはき、二人ともオレンジ色のベストを着ていた。両足には鎖、両手には手錠がかけられていた。  起訴状が読み上げられる間、楊被告は、検察側の質問に対し、はきはきと答えたが、何度もまばたきするなど緊張が見て取れた。王被告も時折、目元に手をやるなど、落ち着かない様子だった。  犯行現場となった松本さん宅の子供部屋や浴室、廊下に残された血痕などの写真がスクリーンに次々と映し出されると、王被告は終始目をそらし、楊被告も顔を上げようとしなかった。  静寂が破られたのは、王被告の意見陳述の途中だった。突然、後ろを振り返り、約三メートル離れた傍聴席の最前列に座っていた松本さんの妻千加さんの父親、梅津亮七さん(78)に向かって土下座し、約三十人いた傍聴席から驚きの声が上がった。さらに、裁判長に向き直った後、もう一度後ろを向き、日本語で三回、「すみません」と繰り返し頭を下げた。  数日前に遼陽市入りした梅津さんは、公安当局などを回り、両被告の逮捕に謝意を伝え、厳罰を要請したという。公判終了後、「頭を下げて済むものではない。それ以上にひどい目に遭わされた」と怒りが収まらない様子だった。 http://kyushu.yomiuri.co.jp/news-spe/20090427-462876/news/20090427-OYS1T00564.htm
裁判経過
楊寧被告人は1審で死刑判決を受け、控訴棄却を経て2005年7月12日に死刑執行された。一方、王亮被告人は遼寧省遼陽市人民検察院により無期懲役が確定した。 日本で逮捕起訴された魏巍被告人は1審の福岡地裁で事実を認めた後、ほぼ黙秘を通し、死刑判決を受けた。2審では、一転して動機や犯行過程、3人の役割、遺族への謝罪などを詳細に証言したが、控訴は棄却された。上告したが2011年10月20日に最高裁第1小法廷(白木勇裁判長)は上告を棄却して死刑が確定した。 2014年現在、魏巍は福岡拘置所に収監されている。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E4%B8%80%E5%AE%B64%E4%BA%BA%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
出典stat.ameba.jp
福岡一家4人殺害事件
福岡一家4人殺害事件
日中の捜査共助と問題点
同事件は主犯格2人が中国に逃亡したため、中国との捜査共助が最大の焦点となった。結果的には日本国内の反響の大きさに配慮した中国当局が積極的に協力したため、早期逮捕が実現したが、一方で他の事件では日中間の捜査協力がほとんどなされていない実態や、アメリカ、韓国以外と犯罪人引渡し条約が結ばれていない現状も指摘され、国際化する犯罪に各国捜査当局の対応が遅れている点が浮き彫りとなった。 また、福岡地裁で行われた魏巍被告人の公判では、中国公安当局が作成した王亮、楊寧両被告人の供述調書が日本の裁判で初めて証拠採用された。これまで日本の刑事裁判では、海外の捜査当局が作成した調書は「証拠能力なし」とされることが多かったため、この判断は「国際犯罪の捜査に道を開く」と評価されたが、黙秘権が存在しない中国の調書を問題視する意見もあり、議論を呼んだ。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E4%B8%80%E5%AE%B64%E4%BA%BA%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
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ミツバチのオスは一回交尾すると生殖器が爆発する。
アンコウのオスは、身体の半分が睾丸である。
世界で生産される塩の一割は、アメリカのハイウェイにまかれている。
猫は一度に四匹ほどの子供を産むが、オス親はみな違っている。
ゴキブリは、電子レンジでチンしても死なない。
1グラムの金を伸ばしてやると、3キロメートルの長さになる。
アルマジロは、たかっている蚤がすべて駆除されると死んでしまう。 ゴキブリは頭をとっても死なない。えさが食べれずに二週間後に餓死する。
シベリアのバイカル湖には深海魚が住んでいる。
魚を船に乗せると船酔いする。
多くの植物は、酸性雨の中でよく育つ。NOX窒素が肥料となるため。
胃酸は金属も溶かすことができる。
カシミール地方のフンザ族は、誰一人としてガンを患ったことがない。 肉食性のタランチュラは、テーブルから落ちるとベチャっとつぶれてしまう。
輸血用の血液が足らないとき、ヤシの実の汁で代用できる。
ドイツの化学者ペッテンコーファーは、病原菌説に反対し、培養したコレラ菌を飲み干したがぴんぴんしていた。
兵隊アリは一匹にすると迷子になってしまい、餓死するまで同じところをぐるぐる回り続ける。 ダニのメスは無性生殖で産卵し、そこから生まれたオス(つまり息子)と交尾する。
19世紀のイギリスでは、入院患者の半分が院内感染が原因で死亡している。
アラスカでは、食品を凍らせないように冷蔵庫にしまっておく。
「悪貨は良貨を駆逐する」のグレシャムの法則を考えついたのは、天文学者のコペルニクスである。
目と耳が不自由だったヘレン・ケラーは、臭いで人を識別できた。
コロンブスの航海のために支出された予算は、イザベラ女王が主催する宴会の三回分だった。
ウラジオストックは、ウラジオ・ストックではなく、ウラジ・オストック。
プエルトリコは、プエル・トリコではなく、プエルト・リコ。
マックワールドエキスポは、マック・ワールドエキスポではなく、マックワールド・エキスポ。
アラビア数字は、アラビアではなくインドで生まれた。
ウルトラの兄弟は、血縁関係ではなく義兄弟。ウルトラの父はその上司だった。 アインシュタインの相対性理論の解説書は、戦前ワイセツ書だと思われて発禁処分になっていた。
イルカは、泳ぎ疲れると溺れる。
コペンハーゲンにある人魚像のモデルは、岡田真澄の親戚。
西武ライオンズのマークとして使われているのは、レオではなく、お父さんのパンジャ。 スイフトは「ガリバー旅行記」の中で、未発見の火星の衛星フォボスとダイモスの質量、軌道半径、公転周期などを正確に予言していた。
エスカルゴはぶどう畑にたかる害虫で、駆除するついでに食べていたのが始まり。
日本でいちばん早く初日の出が見れるのは、北海道ではなく千葉県の犬吠崎。
美空ひばりは、デビュー前にNHKの素人のど自慢に出演して、鐘ひとつで落選したことがある。
ほとんどの森林は、酸素よりも二酸化炭素を多く生み出している。
多くの原子力発電所は、建造、運営、撤去に必要な電力以下しか発電することができない。
野口英世は梅毒菌を発見したときに、嬉しさのあまり甘茶でかっぽれを踊ってしまった。
セガの元々の社名は日本娯楽物産。その英語名がService Games Japan。そこからSeGaとなった。
エプソンは、Electoronic Printerの息子たち(Son)を作っているので、EPSON。
マッキントッシュは和品種名「旭」リンゴ。明治23年に札幌農学校に輸入されて以来、北海道で栽培されている。
マックのコマンドキーのマークは、元々バイキングの装飾模様だった。
ニュートンはプリズムで分離した日光の色を5色しか見分けることができず、目のいい助手を雇って見てもらったら7色になった。
かなキーボードの配列は、大正12年に作られた。
大量の放射能は人体に有害だが、ちょっとだけ浴びると肩凝りが治る。
ドンキホーテは、ドンキ・ホーテではなく、ドン・キホーテ。
ゼロ戦は、離陸するとき、左の車輪が右よりもちょっとだけ早く格納される。
金毘羅さまに祭られているのは、ガンジス川に住んでいるワニ。
伊豆半島は元々、熱帯にあった小島で、南から流れてきて本州とくっついた。
色を再現するのに三原色は不要。ポラロイドの創立者ランドは、二原色システムのカメラを発明している。
雁の中にはメス同士で卵をかえすレスビアン夫婦がいる。
シャコは光の受容細胞を10種類もっている。つまり、10原色で世界を眺めている。
ハエがなぜ飛べるのかは、最新の科学でもわかっていない。
土星の衛星タイタンには、春夏秋冬の四季がある。
チャレンジャー号の乗組員の死因は爆発ではない。爆発後もコクピットは保護されていて、意識はあった。その2分後、海面に激突したショックにより死亡したと見られている。
コブラはコブラにかまれると死ぬ。
キスをすると、1秒間に2億個の細菌がやりとりされる。
虫歯は、口を介してうつる伝染病。
オリンピックの金メダルは、実はめっきである。
クマムシという虫は、高温、低温、放射線、真空などのあらゆる悪環境に耐えるが、指でつぶすとつぶれる。
原子力研究所にある実験炉が自動停止したときに、叩いてみたら再び動き出した。
東名高速が開通したばかりのころ、路肩に車をとめて、レジャーシートをしいて富士山を眺めながらおにぎりを食べることが流行った。
初期の打診法は、大きな木製のへらで患者の横腹をひっぱたくというもので、しばしば患者の肋骨を骨折させることがあった。 幼児は紫外線の領域まで見える。
第二次世界大戦中にレーダーを発明したイギリスは、カムフラージュのために「パイロットににんじんを食べさせているので、夜目がきくようになった」という噂を流した。それ以来、夜目にはにんじんがいいと信じられている。
光の速度をはじめて測定しようとしたのはガリレオ。遠く離れた丘の上にランプをもって立ち、一方が覆いを外したのを見た他方が覆いを外し、光が見えるまでの時間を振り子で測るというものだった。練習不足だったのか、測定するたびに結果が異なりうまくいかなかった。
スズメバチは、飲み残しの缶ジュースを餌とするが、その中でも乳酸菌入りグレープジュースが特に気に入っている。
「サイボーグ」は、タカラの登録商標である。
サメやマグロは、浮き袋を持っていないので、泳ぐのやめると溺れてしまう。
カタツムリは葉緑素をもっているので、光合成をしている。
ホタルは川の流れがきれいになると死滅してしまう。
お腹に回虫を飼っている人は花粉症にならない。
切り株の年輪の幅は南の方が広がっているというのは真っ赤なウソ。実際はばらばら。
市販されている備長炭の多くは、中国やアジア産である。
野生動物が畑を荒らしたり、登山者の食べ残しをほしがるのは、自然の餌が不足しているからではなく、人間の食べ物の方がおいしいから。
最新のコンピュータシミュレーションによると、月が誕生するのにかかった時間は3日。
細胞に含まれる核、ミトコンドリア、葉緑体は、もともと別の独立した生物が寄生したもの。
無重量状態でも、野球のボールをぶつけられると、やっぱり痛い。
月は常に一方の面だけを地球に向けて公転している。これは月だけでなく、太陽系の衛星のほとんどがそうなっている。
体重比で睾丸が最も大きいのはチンパンジー。人間は残念ながら第二位。ちなみにタヌキはトップテンに入っていないことだけは確か。
音楽CDのラベル部分やエッジを緑色に塗ると音質がよくなるという迷信はほんとう。ただし、自分で塗ってむらがある状態では効果はほとんどない。
欧米人は肩凝りにならないというのは真っ赤な嘘。同じ症状を英語圏ではstiff-necked(首が凝った)というだけ。
フンコロガシは、糞団子ひとつを12時間かかって食べ、3メートル以上もの長さの糞をする。
スプーン一杯の食用油を池の上に落とすと、半径20メートルにまで広がり、その下にいる魚は酸素不足になる。
地球温暖化の影響を最初に受けたのは、エロマンガ島。海水面の上昇によって、沈んでしまった。最新の地図のどこを探しても「エロマンガ島」の文字を見つけることはできなくなってしまった。失ったものは大きい。
古生代ペルム紀(2億5000万年前)の塩の結晶の中から発見されたバチルス細菌を水につけたら、生き返ってしまった。
ロシアの宇宙ステーションミールは、大量の放射線を浴びているにもかかわらず、細菌が繁殖して困っていた。
アポロ12号のクルーたちは、月面に生物を発見していた。2年半前に着陸していた無人探査機サーベイヤーに付着していた連鎖球菌が月面で繁殖していたのだ。
運動をすると、筋肉は破壊される。破壊された筋肉繊維が修復するときに、以前よりも強い筋肉となる。
コンタクトレンズの原理を発見したのは、レオナルド・ダ・ビンチ。 50億年前の地球の球表面面積は現在の1/4。つまり、当時できた薄皮が、地球の膨張にともなってひび割れたのが陸地だと考えられている。
花粉症とアトピー性皮膚炎は、日本人と旧西ドイツ人の間で急増している。しかし、不思議なことに旧東ドイツ人の間では増えていない。
���が刺すときは、道路工事のドリルのように、一秒間に8回のスピードで針を打ち込んで皮膚を貫通させる。
蚊は刺す直前に麻酔薬を注入する。この麻酔薬が欠損している蚊に刺されるともうれつに痛い。
” - 一行サイエンス (via hisaruki, etecoo) 2008-07-24 (via gkojay) (via takaakik) (via mnak) (via oho777) (via storadio) (via mktx) (via yasayasa83) (via idoyesido) (via appbank) (via ipodstyle) (via yaruo) (via tanakamp) (via krbysh) (via reservoir) (via overdope) (via peckori) (via uessai-text) (via cellbuu)
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【パトリック・バーン】 2021/2/19 11:34 JST
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タブレットマガジン サーティータイランツ(※30僭主せんしゅ) アメリカのエリートが中国との取引を選択したことは、アテネとスパルタの歴史の中に前例がある。……
※続きで、記事の和訳をしてみた。けっこう長文。
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※オリジナル英文は元リンク参照。
サーティータイランツ(※30僭主せんしゅ) アメリカのエリートが中国との取引を選択したことは、アテネとスパルタの歴史の中に前例がある  2021年2月4日 リー・スミス による
『王子』の第5章で、ニコロ・マキアヴェッリは、征服した大国が戦争で敗北した人々をどのように扱うかについて、3つの選択肢があると述べた。第一は彼らを破滅させること、第二は直接支配すること、第三は「あなた方に友好的な状態を維持するために、少数者の状態を作り出すこと」である。
マキアヴェッリが最後の例として挙げるのは、紀元前404年の27年間の戦争の後、アテネを敗北させた際にスパルタが設立した友好的な政府である。すでに民主主義を軽蔑していた���テネの上流階級のエリートにとって���ペロポネソス戦争での敗北はスパルタのシステムが好ましいことを確認した。それは恒久的な召使階級、ヘロット、定期的に屠殺された彼らの人間以下のステータスを受け入れるためにそれらを条件とした上で、高奮発軍の貴族の支配であった。対照的にアテネの民主主義は下層階級にあまりにも多くの権力を与えた。親スパルタ派の寡頭制は、市民の権利を奪うためにパトロンの勝利を利用し、国内のライバルとの争いを解決し、彼らを追放して処刑し、彼らの富を没収することに成功した。
アテネの法律に不誠実で伝統を軽蔑するアテネ政府は「三十人の暴君」として知られており、その役割と機能を理解することは、現在のアメリカで何が起こっているのかを説明するのに役立つ。
前回のコラムでは、ニューヨーク・タイムズ紙のトーマス・フリードマン氏に、10年以上前のバラク・オバマ大統領就任1年目に彼が書いた記事について話を聞いた。彼の重要な記事は、アメリカのエリートが民主主義が自分たちのために機能していないと判断したまさにその瞬間を記録している。共和党のせいでアメリカ国民を蹂躙することができないと非難した彼らは、自分たちを豊かにしている関係を強化するために民主党に移った。
「グローバル化した世界で競争する必要性から、実力主義者、多国籍企業の経営者、東洋の金融業者、技術起業家は、共和党が何を提供するかを再考せざるを得なくなっている。原則として、彼らは党を離れ、現実的な連立ではなく、イデオロギー的な批判者の集団を残してきた」と、ある貿易コンサルタントはフリードマンに語った。フリードマンのコラムが発表されてから10年以上の間に、タイムズのコラムニストが特定した幻滅したエリートたちは、アメリカの労働者をさらに困窮させ、自分たちを豊かにしてきた。彼らが生きるようになった一言のモットーはグローバリズム、つまり、彼らがたまたま生計を立て、子供を育てている特定の社会の幸福に言及することなく、商業関係や社会的企業を構造化する自由であった。
グローバリスト企業を支えたのは、2001年に中国が世界貿易機関(WTO)に加盟したことである。何十年もの間、アメリカの政策立案者や企業クラスは、中国をライバル視していたが、フリードマン氏が述べたエリートたちは、啓蒙された中国の独裁政治を友人として、またモデルとしてさえ見ていた。なぜ彼らは権威主義的な政権と貿易をし、何百万ものアメリカの製造業の仕事を中国に送り込み、働くアメリカ人を困窮させたのだろうか。それは彼らを豊かにしたからです。彼らは、中国と取引する以外に選択肢がないと自分たちに言い聞かせることで、自分たちの良心を救ったのです。中国は大きく、生産性が高く、効率的で、中国の台頭は避けられない。それに、中国との取引で傷ついたアメリカの労働者は罰せられて当然だった。進歩のためには何が最善なのかを邪魔する反動的で人種差別的なイデオロギーの評論家を誰が擁護できるだろうか?
外国との戦争や不法移民を終わらせることと一緒に、これらの雇用をアメリカに戻すことは、ドナルド・トランプ大統領の大統領職の中心的な政策公約であり、2016年にトランプ氏が驚くべき勝利を収めた源でもある。トランプ氏は、企業や政界の確立された中国との貿易関係が一般のアメリカ人を売り渡したと主張したのは、ほとんど初めてではなかった。元民主党下院議員で1988年大統領候補のリチャード・ゲファードは、奴隷労働者を雇用している国家との貿易はアメリカの雇用を犠牲にし、アメリカの名誉を犠牲にすることになると警告した、重要だが最終的にはあまり影響力のない選出された民主党幹部や政策専門家のグループの第一線で活躍していた。トランプ氏の言うことを真に受けたのは、6,000万人以上のアメリカの有権者だけだった。
トランプ氏が「沼」と呼んでいるのは、最初は産業、機関、人物が無作為に集まっただけのように見えたが、それらが新大統領によって非難されているという事実以外には、何の共通点もないように見えた。しかし、トランプ氏の絶え間ないエリートへの攻撃は、彼らに集団的な自己認識と連帯のための強力な動機を与えた。彼らは、同じ偏見や憎しみ、文化的嗜好、消費習慣だけでなく、同じ重心である米中関係も共有している官民の利害の結びつきを代表していることがわかったのである。こうしてチャイナ・クラスが誕生したのです。
かつては、曖昧に見えた、あるいは存在しないように見えた関係が、トランプ氏の軽蔑と、トランプ氏を憎むエリートたちの相互の軽蔑の光の下で、鮮明になったのである。
10年前には、NBAのスーパースターであるレブロン・ジェームズとアップルのティム・クックCEOを同じファミリーアルバムに入れる人はいなかっただろうが、彼らは今、安価な中国の製造業(ナイキのスニーカー、iPhoneなど)と成長する中国の消費者市場のおかげで、素晴らしい富で結ばれている。デジタルサービスプロバイダーのテンセントとのNBAの15億ドルの契約は、中国の会社は、アメリカ以外のリーグの最大のパートナーになりました。感謝の意を込めて、これらの二股大使は無知な同胞に中国共産党の知恵を伝えた。NBAの幹部が香港の反体制派を擁護するツイートをした後、社会正義活動家のキング・レブロンはアメリカ人に「舌に気をつけろ」と言った。「たとえそうであっても、我々には言論の自由がある。それは多くのネガティブなことをもたらすことがある」とジェームズは言った。
トランプ氏が米中関係から贅沢な利益を得たアメリカ人に圧力をかけたため、これらの奇妙な相棒たちは、マルクス主義者が階級意識と呼ぶものを身につけ、反撃のために団結し、中国の後援者との関係をさらに強固なものにした。今では、これらの異質なアメリカの機関は、中国共産党が奴隷労働者収容所の囚人にどんな恐怖を与えようとも、中国のスパイサービスや人民解放軍が国家安全保障にどんな脅威を与えようとも、中国共産党からの小切手を現金化することについての慎重さや恥ずかしさの感覚を失った。大西洋評議会、アメリカ進歩センター、イーストウエスト研究所、カーターセンター、カーネギー国際平和基金、ジョンズ・ホプキンス高等国際問題研究所などのシンクタンクや研究機関は、中国の資金を食い物にしていた。世界的に有名なブルッキングス研究所は、中国の通信会社である華為技術を賞賛する中国の華為企業が資金提供した報告書を公表することに何の抵抗もなかった。
中国がアメリカの主要な研究大学、例えばスタンフォード大学に58,000万ドルのような数十億ドルを提供したことで、アメリカの法執行機関は、機密研究を盗むための中国の防諜活動に警告を発していた。しかし、これらの大学とその名の知れた教員は、実際にはその研究を販売するビジネスを行っていた。その多くは米国政府から直接支払われていた。
実際、学界の中国共産党とのペイ・フォア・プレイ取引の多くは、特に微妙なものではなかった。2020年6月には、1500万ドルの研究助成金を受けたハーバード大学の教授が、「中国の科学開発、経済繁栄、国家安全保障を促進する」ために、「ハイレベルな科学的才能を募集し、育成する」ために、中国共産党の機関に代わって月5万ドルの仕事をしていたと嘘をついたとして起訴された。
しかし、ドナルド・トランプ氏が米国と中国を切り離すことが、自分を憎み、米国の雇用を海外に送り出した寡頭制を解体する方法だと考えていたとしても、そのビジョンを実行に移すことはできなかった。米国のエリートの腐敗の原因、中間層の貧困化の理由、米国の平和に対する内外の脅威を正しく特定した後、彼はアメリカ人に彼を選んで戦ってもらうように頼んだ戦争に勝つためのスタッフを配置し、準備をすることに失敗した。
そして、中国がチャイナクラスの力の源であることは事実だったので、武漢から出てくる斬新なコロナウイルスは、そのクーデターのためのプラットフォームになりました。つまり、アメリカ人は反民主主義的エリートの餌食となり、コロナウイルスを使ってアメリカ人の気力を奪い、中小企業を荒廃させ、盗み、焼き、殺すのが自由な暴徒に弱いままにし、子供たちを学校から遠ざけ、死にかけている人たちを愛する人たちの最後の抱擁から遠ざけ、アメリカの歴史、文化を冒涜したのだ。そして、アメリカの歴史、文化、社会を冒涜し、普通のアメリカ人が実際にはエリートの民間部門と公共部門の代理人がすでに用意していた地獄に値する理由を説明するために、この国をシステム的に人種差別主義者として中傷している。
約1年の間、アメリカの役人たちは、中国経済がアメリカの上に乗っかっている間に、より多くの権力を自分たちに横領するという唯一の目的のために、意図的に我々の経済と社会を荒廃させてきた。中国の封鎖は結果の違いとは何の関係もない。封鎖はウイルスの蔓延を抑えるための公衆衛生上の措置ではない。だからこそ、ニューヨーク州のアンドリュー・クオモ知事やシカゴ市長のローリ・ライトフット氏のように、長期にわたる封鎖を繰り返している民主党幹部は、トランプ氏が無事に去った今、直ちに封鎖を再開させることが急務だと公に表明しているのだ。
民主党の役人が意図的に命を破壊し、老人ホームで高齢者に感染させるために病人を送り込むことで何千人もの命を奪ったことは、アメリカ版「三十人の暴君」とは無関係である。仕事は、トランプを倒すためにコロナウイルスの犠牲者を増やすことであり、彼らは成功した。アテネの反民主主義派と同様に、アメリカの優秀な人材はとっくの昔に道を失ってしまった。30人の暴君の先頭にいたのはクリティアスであり、ソクラテスの最高の弟子の1人であり、詩人であり、劇作家であった。彼は体制の怒りからソクラテスを救うのを助けたかもしれないし、まだ哲学者は彼の方法、すべてに質問するために、伝統のためのクリティアスの広範囲の軽蔑を供給したことを後悔したようである。権力を握った後、クリティアスはアテネの彼の虚無主義を回し、都市を破壊した。
----- アメリカのエリートと中国の間の毒された抱擁は、約50年前、ヘンリー・キッシンジャーが、当時敵対していた2つの国の間に関係を開くことで、中国とより脅威的なソ連の間の溝の拡大を暴露することになるだろうと考えたときに始まった。2つの共産主義の巨人の間の衝突の中心にあったのは、ソ連の指導者がスターリンを拒絶したことであり、これを中国はソ連共産主義体制の終焉の始まりと見なし、彼らが犯してはならない過ちであった。
一方、キッシンジャーの地政学的な作戦は、彼の歴史的遺産の礎となった。また、キッシンジャーは中国の高官にアクセスを売る大金持ちにもなった。また、キッシンジャーは、ビル・クリントン政権の国防長官ウィリアム・コーエンのように、他の元高官の政策立案者が自らの対外影響力を利用した身売り作戦に従事する道を開拓した。コーエングループは、4つの海外事務所のうち2つを中国に構えており、トランプ前国防長官のジェームズ・マティス氏をはじめ、多くの元高官が参加しているが、彼は最近、社説でトランプ政権の中国に対する「我々と一緒か、我々に反対か」というアプローチを批判した際に、コーエングループでの仕事を公表しなかった。「米国の同盟国やパートナーの経済的繁栄は、北京との強力な貿易・投資関係にかかっている」と書いたマティスは、文字通り、まさにそのような立場を取るために中国から金をもらっていた。
しかし、1972年にリチャード・M・ニクソン大統領と一緒に欧米人が当時北京と呼んでいた中国の首都を訪れたとき、キッシンジャーが元アメリカ政府関係者のために中国を換金地にするとは考えられないだろう。「中国人は、毛沢東が死ななければ開国できないと感じていた」と、トランプ元政権関係者は言う。「ニクソンとキッシンジャーがいた時には毛沢東はまだ生きていたのだから、1979年に鄧小平の指導の下で始まったような改革を彼らが思い描くことはできなかっただろう」。しかし、1980年代になっても中国は米国と競争していたわけではない。中国が商業的なライバルになったのは1990年代に入ってからであり、「中国に貿易上の最恵国としての地位を与えることについて毎年議論が行われていた」という。
冷戦後の秩序の首席広報担当者はフランシス福山であり、彼は1992年の著書『歴史の終わり』の中で、ベルリンの壁が崩壊したことで、西欧の自由民主主義が最終的な政府の形になったと主張した。福山がベルリンの壁崩壊後に間違っていたのは、政治形態の強さの評価ではなく、彼の哲学的モデルの深さであった。福山は、半世紀近く続いた超大国の睨み合いが終わったことで、対立する政治モデルをお互いに対立させていた歴史的弁証法が解決されたと信じていたのだ。実際には、弁証法はまた別の方向に転じた。
ソ連で共産主義を破った直後、アメリカは生き残った共産党に新たな息吹を吹き込んだ。そして西洋の民主主義原理が中国共産党を変質させる代わりに アメリカの権威が東洋のテクノ独裁主義の味を手に入れたのです。ダイアン・ファインスタイン氏は、キッシンジャー氏に次いで、その後の20年間、米中関係を牽引した第二の影響力を持つ役人となった。
1978年、サンフランシスコ市長に就任したばかりのファインスタインは、当時の上海市長であり、後に中国の総統となる江沢民と親交を深めました。アメリカのハイテクの中心地の市長として中国との結びつきは、成長を続けるアメリカのハイテク産業に中国からの投資を呼び込み、中国を世界第3位の経済大国にしました。また、江氏との提携は、彼女の投資家である夫のリチャード・ブルムを大金持ちにした。上院議員として、彼女は中国の人権侵害を合理化して中国の最恵国待遇の恒久的な貿易地位の確立を推し進め、一方、友人の江氏は権力を強化し、天安門広場に戦車を送り込んで共産党総書記になった。ファインスタインは彼を擁護した。"中国には地元の警察がいなかった」と、ファインスタイン氏は江氏が彼女に語ったという。「それ故に戦車を送った。しかし、それは過去のことだ。人は過去から学ぶ。繰り返すことはない。中国は教訓を得たと思う」とカリフォルニア州の上院議員は安心して説明した。
しかし、実際には過去は、ワシントンのファインスタイン議員の聴衆に別の話を伝えるべきだった。米国はモスクワと貿易をしたり、ロシア人が多額の選挙献金をしたり、配偶者とのビジネス・パートナーシップを結んだりすることを許していなかった。冷戦時代のアメリカの指導者たちは、そのような行為がモスクワへの扉を開き、危険な方法でアメリカの政治や社会に直接影響を与えることを許してしまうことを理解していた。彼らの工場で私たちの商品を製造したり、私たちの商品を購入して海外に出荷したりすることは、技術や知的財産を脆弱なものにしてしまうことになる。
しかし、それは国家安全保障を危険にさらすだけではなく、アメリカの価値観に反するシステムにアメリカをさらすことにもなっていたのだ。この期間を通して、アメリカは、私たちが考えているソビエトに対する考え方とは反対の立場で自分たちを定義していた。ロナルド・レーガンは、ソ連を「悪の帝国」と呼んだことで軽率だと思われていたが、第二次世界大戦末期から 1990 年までの通商・外交政策では、これがコンセンサスとなる立場であったことが反映されていた。
実業家のアルマンド・ハマーが有名だったのは、彼がモスクワと取引をしていたアメリカ人だったからである。彼の視点が役に立ったのは、ソ連社会、政治、ビジネス文化に関する彼独自の洞察力がアメリカのメディアとよく共有されていたからではなく、彼が政治局がアメリカの聴衆に広めたいと思っている見解を提示していたことが理解されていたからだ。今日、アメリカには何千人ものアーマンド・ハマーがいて、そのすべてが彼らの富、名声、権力の源を主張している。
それは、1994年にビル・クリントンが人権を貿易の地位から切り離すことを決定したことから始まった。彼は、ジョージ・H・W・ブッシュ政権とは対照的に、人権に焦点を当てることを約束してホワイトハウスに入り、就任2年後に顔を上げた。クリントン氏は「我々の関係をより大きく、より生産的な枠組みに置く必要がある」と述べた。アメリカの人権団体や労働組合は愕然とした。クリントンの決定は明確なメッセージを送った、と当時のAFL-CIO会長レーン・カークランドは言った。「アメリカが民主主義と人権について何を言おうと、最終的な分析では利益であって、人ではなく、最も重要な問題である」。当時の上院院内総務ジョージ・ミッチェル氏のような一部の民主党員は反対し、ジョン・マケイン氏のような共和党員はクリントン氏の動きを支持した。クリントンの国家経済会議のトップであるロバート・E・ルービンは、中国は「これまで以上に大きく、より重要な貿易相手国になるだろう」と予測した。
それから20年以上が経過した今、中国の技術をアメリカの技術から切り離そうとするトランプ政権の措置に反対してロビー活動を行ったアメリカの産業や企業の数は、相反する価値観や慣行を主張する2つのライバルシステムがどれだけ密接に統合されてきたかを示す驚異的な指標となっている。フォード、フェデックス、ハネウェルなどの企業や、華為にチップを販売し続けるために争ったクアルコムなどの半導体メーカーは、片足をアメリカに、もう片足をアメリカの地政学的に重要なライバルであるアメリカにしっかりと植え付けて存在している。両者のビジネスを守るために、彼らは中国を競争相手と呼ぶことで、危険なライバルを後押ししている自分たちの役割を隠蔽するために、この問題をソフトに売り込んでいるのだ。
アメリカのほぼすべての主要産業が中国との利害関係を持っている。ウォール街、シティグループ、ゴールドマン・サックス、モルガン・スタンレーから接客業に至るまで。マリオットホテルの従業員が解雇されたのは、彼がチベットについてのツイートを気に入ったことに中国当局が異議を唱えたためだ。彼らは皆、中国共産党のルールに従うことを学んだ。
ランプ政権の元幹部、ロバート・スポルディング元退役軍人は、「中国に縛られていない人に聞いた方がいい」と言う。
当然のことながら、かつては頼りにされていた共和党の米国商工会議所は、トランプ氏の中国政策に反対する先頭に立っていた。関税案だけでなく、パンデミックが発生した場合でも、米国企業が重要なサプライチェーンを別の場所に移動し始めるよう求めたのだ。全米防衛産業協会は最近、防衛関連の請負業者が特定の中国の技術を使用することを禁止する法律に不満を表明した。同団体のスポークスマンは「連邦政府と仕事をしているすべての請負業者は、それを止めなければならないだろう」と述べた。
トランプ政権でさえも、タカ派と融和主義者に分かれており、前者は『パンダハガー』と皮肉っぽく呼ばれていた。トランプ政権の高官の大半は後者の陣営に属しており、特に元ハリウッドのプロデューサーであるスティーブン・ムニューシン財務長官はその中でも特に注目されていた。映画業界は、中国が知的財産を盗んでいると最初に声高に訴えていたが、最終的には北京と手を組むようになり、北京をなだめるようになった。スタジオは、中国共産党のレッドラインを守らずに、中国の巨大な市場に参入することはできません。例えば、「トップガン」の続編では、パラマウント社がトム・クルーズの「マーベリック」のジャケットに台湾と日本のパッチをぼかして中国で公開することを提案したが、中国共産党の検閲官は、世界のどのバージョンでもパッチを表示しないようにと主張した。
トランプ政権時代には、「中国との疑う余地のない協力を続けようという非常に大きな後押しがあった。反対側には、反発を望む少数の人々がいた」とスポルディング元顧問は言う。
アップル、ナイキ、コカ・コーラは、ウイグル強制労働防止法に反対するロビー活動までしていた。トランプ大統領就任最後の日に、マイク・ポンペオ国務長官は、米国が「中華人民共和国が中国の新疆ウイグル自治区で、ウイグル族のイスラム教徒やその他の少数民族・宗教団体のメンバーを標的に、大量虐殺と人道に対する犯罪を犯していると判断した」と発表した。2020年のオーストラリアの調査によると、ナイキ、アディダス、ギャップ、トミー・ヒルフィガー、アップル、グーグル、マイクロソフト、ゼネラルモーターズなど、ウイグル人の強制労働力を使用している多くのアメリカの主要ブランドがジェノサイドに加担していることになる。
基本的人権や民主主義を軽視している国が、アメリカの産業界から直接資金を提供され、アメリカ国民のものであるべきアメリカ政府の研究や技術の成果を特権的に利用できるようにすべきではないという考えは、党派的な考えとは言い難く、ドナルド・トランプ氏とはほとんど関係がない、あるいは関係がないはずである。しかし、歴史的な記録を見れば、アメリカと中国のエリートの融合はトランプ政権時代に頂点に達していたことがわかるだろう。ミッチ・マコーネル上院共和党党首の造船会社の億万長者の義父であるジェームズ・チャオ氏は、大学の同級生の江沢民氏をはじめとする中国共産党との関係から大きな利益を得ている。チャオ家からの贈り物は、マコーネルを、最も裕福な上院議員のリストの中で、ファインスタイン氏よりも数段下の地位にまで押し上げました。
トランプ憎しのメディアの津波に乗って、チャイナクラスは国家機関や安全保障官僚の中でその力を固めた。1990年代後半から続いている中国共産党政権の最悪かつ最も脅威的な側面への対応は、早送りになっていた。ナイキが中国の奴隷労働収容所でスニーカーを作っていたという話は、もはや流行らなくなった。中国がアメリカの科学機密や軍事機密を盗み、シリコンバレーで大規模なスパイ活動を行い、エリック・スワールウェルのような下院議員を危険にさらし、アイビーリーグのトップ教授に多額のリテイナーを払い、知的窃盗のプログラムを組織的に実施している、あるいは何らかの形で自国の国民や近隣諸国、さらにはアメリカの生活様式に危険をもたらしているというニュースは、トランプ支持のプロパガンダとしてミュートされ、却下された。
中央情報局(CIA)は、アメリカの制度を弱体化させようとする中国の努力を公然と保護していた。CIAの経営陣は、情報アナリストをいじめて、中国の影響力と私たちの政治プロセスへの干渉についての評価を変えるようにして、彼らがトランプ氏の政策に同意しない政策を支持するために使用されないようにしたのです。アメリカを守ることがCIAの経営陣にとって最も急務なことではないのは当然のことである。
中国の行動を実際に理解している人たちにとっては、党派性は明らかに二の次の関心事だった。中国の行動は、アメリカの中核的な安全保障機関がそれを真剣に受け止めていないように見えたことと同様に、真に憂慮すべきものであった。「1980年代までは、共和制政府の形態に反する考えを持つ外国勢力の利益を推進する人々は排除されていた」と、オバマ政権の元情報当局者は言う。「しかし、グローバリズムの出現で、彼らは中国を言い訳にし、自分たちの好みに合わせて情報を曲げた。ブッシュとオバマの時代、標準的な評価は、中国は青水軍を作る気がないというものだった。それは彼らの見方には不都合だった。中国は現在、第3の空母を生産中である。」
トランプ氏を憎むことは、彼らの政治的な言い訳になっているが、アメリカの安全保障と国防の確立は、中国を見て見ぬふりをすることに自分たちの利益を持っていた。ジョージ・W・ブッシュの「対テロ戦争」から始まった軍事作戦に人、金、名声を浪費してきた20年間は、米国にとって戦略的価値が低いことが証明されている。しかし、中東の殺戮現場にアメリカ人を派遣して安全を確保することは、北京にとって大きな利益となっている。先月、中国のエネルギー大手である善華は、イラク経済の低迷に乗じて、5年間の石油供給(日量13万バレル)に20億ドルを支払った。価格が上がれば、この取引で中国は石油を転売することができる。
アフガニスタンでは、大規模な銅、金属、鉱物の鉱山は、アメリカ軍が表向きの安全を確保しているが、中国企業が所有している。また、アフガニスタンは新疆ウイグル自治区と国境を接しているため、習近平は「米国がアフガニスタンから軍を撤退させた後、アフガニスタンやパキスタンの辺境に位置するテロ組織がすぐに中央アジアに侵入してくるのではないか」と懸念している。言い換えれば、米軍がアフガニスタンのような場所に海外展開しているのは、中国の「ベルト・アンド・ロード構想」のための安全保障よりも、アメリカの利益を守るためである。
「ソ連とのように中国とは対立しているわけではないという考えがある」とオバマ前大統領は言う。「しかし、我々はそうなっている問題は、民主党を中心としたアメリカの既成政党のほぼすべてが、断固として反対側にあるということだ。」
------ 2019年の夏の終わり頃、トランプ氏はホワイトハウスでの2期目に向かっているように見えた。経済が急騰し、失業率が記録的な低水準になっただけでなく、彼はまさに彼が選んだフィールドで対立候補と対決していたのだ。トランプ氏の北京との貿易戦争は、トランプ氏が本気でアメリカ企業にサプライチェーンの移動を迫ろうとしていることを示している。7月には、デルやHPのようなアメリカのトップテック企業が、生産の大部分を中国国外にシフトすると発表した。アマゾン、マイクロソフト、アルファベットもまた、製造の一部を他の場所に移す計画を立てていると述べた。
武漢の住民が通りを埋め尽くし始めたのは、2019年の6月下旬と7月上旬、まったく同じ瞬間だった、武漢の1100万人の健康と繁栄に責任を持つ役人が裏切ったことに怒りを覚えた。彼らは病気になり、病気になるのを恐れていた。高齢者は息を切らした。行進する人たちは、「毒されたくない、新鮮な空気を吸いたい」という横断幕を掲げていました。親たちは子供たちの命を心配した。病人が免疫系と神経系に永久的なダメージを受けていることを恐れていた。
当局はソーシャルメディアのアカウント、写真、抗議のビデオを検閲し、おとり捜査官はトラブルメーカーを監視し、最も声の大きい者を拘留した。企業は閉鎖を余儀なくされ、抗議者が隠れる場所はどこにもなかった。何人かはバンで運び出された。彼らは当局から「公安機関は悪質な扇動や挑発などの違法な犯罪行為を断固として取り締まる」と警告を受けていた。
当時、武漢の住民を街頭に送り出したのは、COVID-19ではなかった。2019年初夏、武漢の公衆衛生を脅かしたのは大気汚染の疫病だった。これは、アメリカの悲惨な最後の年の物語のこれまで語られてこなかった部分である。
大気を汚染するゴミの山に対処するため、当局はゴミ焼却場の建設を計画した(2013年、武漢では5つの焼却施設から危険な汚染物質が排出されていることが判明した)。他の都市でも同様に、2007年のシアメン、2015年の上海、2016年の成都、2017年の清原など、大気汚染に対する抗議行動が街頭で行われたが、その都度、中国共産党指導部にパニックの波が押し寄せた。不安が次から次へと広がり、14億人の国全体が制御不能に陥ったとしたらどうだろうか。
中国共産党は、騒動が流行らないようにする方法は、隔離することだと学んでいた。中国共産党は、中国の少数民族であるチベット人、そして最近ではトルコ系の少数民族であるイスラム教徒のウイグル人を、大規模な検疫や監禁によって無力化することに特に長けていたが、これは電子監視ネットワークによって管理され、刑務所や奴隷労働収容所への道を開いた。2019年までには、中国のウイグル人の悲惨な運命は、彼らの強制労働から大きな利益を得ている多くの人々の間でも、心からの関心事となっていたのか、それとも単に広報活動を重視していただけなのかを問わず、関心事となっていた。
新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)は、イランとほぼ同じ大きさの中国北西部に位置し、石炭や石油、天然ガスなどの資源が豊富な地域である。パキスタンと国境を接する新疆は、ベルト・アンド・ロード構想の重要な供給ルートの終着点であり、世界的な中国の利権圏を創造するための1兆ドルのプロジェクトである。BRIの潜在的な混乱は、中国の重要な利益への脅威を構成する。習近平は2014年4月、ウイグル族の戦闘員が駅で150人以上を刺した事件を、取り締まりの機会と捉えた。
「壊滅的な攻撃を備えよ」Xi は警察官および軍隊に言った。彼の副官は、一斉に命令を出した。「全員を切り上げろ」との命令が下された 情けをかけた役人は自ら拘留され、屈辱を受け、「新疆のための党中央指導部の戦略」に背くための手本とされた。
2019年11月のニューヨーク・タイムズ紙の報道によると、中国当局が最も心配していたのは、省外の学校から帰宅したウイグル族の学生たちだった。学生たちは「国全体に広く社会的なつながりを持っていた」し、当局が恐れていた『影響力』が『広く、根絶するのが難しい』ソーシャルメディアを使用していた。任務は、収容所内で実際に起こっていることのニュースを隔離することだった。学生が愛する人はどこにいるのか、何があったのかと尋ねると、当局は「彼らの親族はイスラム過激主義の『ウイルス』に『感染』しているので、隔離して治療しなければならない」と学生に伝えるように助言された。
しかし、中国の封鎖政策の対象となったのは、テロ攻撃を実行する可能性の高い若い男性だけではなかった。文書によると、当局者は「暴力を振るうには年を取りすぎていると思われる祖父母や家族でさえも免れない」と言われたという。
2019年秋に本物のウイルスがヒットしたとき、中国当局は同じプロトコルに従い、問題を起こす可能性のある者だけでなく、武漢のすべての人を隔離し、わずか数ヶ月前に同じ都市で鎮圧したものよりもさらに大きな世論の反発を避けることを望んだ。
病気ではない者を隔離するロックダウンが、これまで公衆衛生対策として採用されてこなかったのには、それなりの理由がある。都市、州、または国の主要メンバーは、彼らが大規模な人口に集団的な罰を課していることを示すために意味がない限り、自分自身を投獄しない。政治的抑圧の手段として広く認知されているため、これまで公衆衛生対策として使われたことはなかった。
2019年12月末、中国当局は、新しいウイルスに言及したソーシャルメディアアカウントのロックダウンを開始し、それを警告したり、同僚とそれについて話したりした医師は叱責され、COVID-19に感染したとされる別の人が死亡しました。武漢を出入りする国内旅行はすべて停止されました。もし封鎖の目的が感染の拡大を防ぐことだったとすれば、国際便が継続していたことは注目に値します。むしろ、ソーシャルメディアの検閲と同様に、国内旅行の禁止は、政府の失態が中国全土に広がらないようにし、大規模な、おそらく制御不能な不安を招くことを防ぐためのものだったように思われる。
6月と7月に武漢の通りが埋め尽くされたのは、ある都市の人口を蝕む焼却炉の計画を隠していた当局の致命的な無能さに抗議するためだったとしたら、中国全土を蝕む運命にある呼吸器疾患の原因が、当局が主張するような湿った市場で起こった自然の偶然ではなく、中国共産党の武漢ウイルス研究所であることを知ったとき、中国国民はどのように反応するだろうか?
1月、トランプ政権の元国家安全保障副顧問マット・ポッティンジャー氏は英国当局者に、最新のアメリカの情報によると、COVID-19の最も可能性の高いソースは武漢のウイルス研究所であると語った。ポッティンジャー氏の発言を報じた数少ない欧米の報道機関の一つである英紙デイリー・メールによると、ポッティンジャー氏は、病原体が��洩か事故によって逃げ出した可能性があると主張した。
1月に発表された国務省のファクトシートによると、米国は「武漢の研究室内の数人の研究者が2019年秋、最初に確認された感染例が発生する前に発病したと信じるに足る理由がある」としている。ファクトシートはさらに、中国政府の研究室が2016年からCOVID-19に最も類似したコウモリコロナウイルスの研究を行ってきたことを説明している。少なくとも2017年以降、WIVは中国軍に代わって機密研究を行ってきた。「米国は長年にわたり、中国の過去の生物兵器作業について公に懸念を表明してきたが、北京は生物兵器禁止条約の下で明確な義務を負っているにもかかわらず、文書化も実証もしていない。」
パンデミックが武漢の湿った市場で始まったのではないという証拠は、北京が1月23日に封鎖を実施した数日後の2020年1月に早くも発表されている。イギリスの医学誌「ランセット」によると、最初のものを含む41例のうち13例は市場との関連性がなかったという。5月には中国の疾病管理・予防センターの責任者が、COVID-19と湿潤市場を結びつけるものは何もなかったことを確認した。「新型コロナウイルスは、市場で発見されるずっと前から存在していた」と、中国の関係者は述べた。
ランセットの報告の後、トランプ政権に近い共和党当局者は、北京の公式アカウントに異議を唱えた。「我々はそれがどこで発生したかを知らないし、我々はそれの底を取得しなければならない」上院議員トム・コットンは2月に言った。「また、その食品市場から数マイル離れたところには、中国唯一のバイオ安全レベル4のスーパーラボがあり、ヒト感染症を研究していることも知っている。」コットン氏は、中国は二枚舌で不誠実だったと述べた。「私たちは、少なくとも証拠が何を示しているのかを確認するために質問をする必要があります。中国は今、その質問に対して何の証拠も提示していない」とコットン氏は述べた。
アメリカのマスコミは、コットンの答えを探す姿勢を軽蔑した。ジェフ・ベゾスのワシントン・ポスト紙は、コットンは「専門家によって何度も否定されてきた陰謀論の火種を撒き散らしている」と主張した。トランプ氏は、コロナウイルスが武漢の研究室で発生したものであると確信していると大統領が発言した時、アメリカのスパイサービスと矛盾していると嘲笑された。テッド・クルーズ上院議員は「パンデミックの起源についての明白な疑問を否定することで、マスコミは中国共産党のプロパガンダを作り出すために、ジャーナリズムのすべてのふりを放棄している」と述べた。
昨年の冬以来、トランプ氏とGOP当局者が行っていたのと同じケースを主張したニコルソン・ベイカー氏によるニューヨーク・マガジンの記事が1月に発表されたことは、有益な疑問を投げかけている。なぜジャーナリストたちは、北京のコロナウイルスの起源についてのトランプ政権の懐疑論を自動的に否定しようとしたのだろうか?なぜ選挙後まで待って、中国共産党の話が偽りであるという証拠の公表を許したのか。確かに、メディアはバイデン氏を好んでおり、何としてでもトランプ氏を追い出そうとしていたが、中国とCOVID-19についての真実をアメリカ人に伝えることが民主党の選挙にどのような影響を与えるだろうか?
中国はアメリカのマスコミに多くの友人を育ててきたからこそ、マスコミは中国政府の統計を素直な顔で伝えている。しかし、重要なのはこの事実である。中国共産党のナラティブを正当化する際に、メディアは主に中国のためではなく、中国から権力、富、威信を得ているアメリカ人階級のために報道しているのだ。いや、北京は悪者ではなく、国際的に責任ある利害関係者なのだ。実際、私たちは中国のリードに従うべきだ。そして3月までには、トランプ氏が最初に同意したことで、アメリカの当局者は、歴史上、独裁大国が自国民を黙らせるために使ってきたのと同じ抑圧的な措置をアメリカ人にも課した。
やがて、親中派の寡頭政治家たちは、封鎖がもたらした恩恵の全容に気づくようになった。ロックダウンは主要な寡頭政治家をより豊かにし、ベゾス単独の場合は850億ドルもの富を得たが、その一方でトランプ氏の中小企業基盤を困窮させた。市や州の当局は、不定法な規制を課すことで、独裁政治を正常化したのである。そして、少なくとも、アメリカの組織には、代議員の3分の1しか選ばれていない候補者に指名を与え、大統領選挙期間中は地下室に閉じ込めておくという、もっともらしい理由があった。しかし、ある意味では、ジョー・バイデンは、数十年続いた米中関係の軌道を正常に戻すことを意味していたのである。
----- バイデン氏の当選後、中国の外相は米中関係のリセットを求めたが、中国の活動家はバイデン氏の対中���策はすでに決まっていると言う。「私はバイデン政権に非常に懐疑的��。なぜなら、彼が中国を21世紀のウイグル人の大量虐殺である正常な状態に戻すことを許すのではないかと心配しているからだ」と、ある人権活動家は選挙後、ニューヨーク・タイムズ紙に語った。バイデン氏が大統領になったことで、ある人権活動家は「ホワイトハウスに習近平氏が座っているようなものだ」と語った。
11月には、北京政府に近い中国のシンクタンクのトップが行った公開演説を記録したとするビデオがソーシャルメディア上で流通した。「トランプ氏は我々に対して貿易戦争を仕掛けてきた」と中国の聴衆に語った。「なぜ我々は彼に対処できなかったのか?1992年から2016年までの間、我々は常に米国との問題を解決してきたのはなぜか?それは、我々には上に人がいたからです。アメリカの中心的な権力の輪の中に、我々には古い友人がいるからです」と述べた。感謝する群衆は彼と一緒に笑った。「過去30~40年の間、私たちはアメリカの中心的な輪を利用してきました」と彼は続けた。「私が言ったように、ウォール街は非常に大きな影響力を持っています...私たちはかつてウォール街に大きく依存していました。問題は、2008年以降、彼らが衰退していることだ。最も重要なのは、2016年以降、ウォール街はトランプ氏をコントロールできなくなったことです...米中貿易戦争では、彼らは助けようとしました。アメリカの友人は、彼らは助けようとしたが、助けられなかったと言っていました。バイデンが選挙に勝った今、伝統的なエリート、政治的エリート、既成政党は、ウォール街と非常に密接な関係を持っています」
本当だろうか?ジャネット・イエレン財務長官がウォール街の聴衆の前で演説しただけで稼いだ小金は公の記録である。しかし彼女は先月の公聴会で北京に厳しい言葉を浴びせ、中国共産党のウイグル人に対する『恐ろしい人権侵害』を批判した。しかし、バイデン氏が国家安全保障のトップポストに指名した人物の履歴書は、別の話を物語っている。次期国家情報長官のアヴリル・ヘインズと国務長官のアントニー・ブリンケンは、選挙の直前に中国共産党のための仕事をウェブサイトから削除したWestExecというベルトウェイの会社で働いていた。
ペンタゴンの3番手に抜擢されたコリン・カール氏は、スタンフォード大学の研究所に勤務していた。この研究所は北京大学と提携しており、元中国共産党のスパイチーフが運営する学校で、欧米の諜報機関からは安全保障上のリスクがあると長い間見られていた。
アメリカ進歩センターのシンクタンクの責任者として、バイデンが管理予算局の長官に指名したニーラ・タンデンは、中国共産党の「政策と権威に対する潜在的な反対の情報源を共謀して無力化し、中国共産党の「海外の中国社会、外国政府、およびその他の行為者に影響を与え、北京を支持する行動を取るか、または立場を採用する」ための隠れ蓑として創設された米中交流組織と手を組んでいた。
バイデンの大統領人事特別補佐官トーマス・ジマーマンは上海社会科学院の研究員で、中国の国家安全保障省との関係があるとして欧米の諜報機関から注目されていた。
リンダ・トーマス・グリーンフィールド国連大使は、ジョージア州サバンナで開催された中国政府が出資する孔子学院で2019年の講演を行い、アフリカにおけるグッドガバナンス、ジェンダー・エクイティ、法の支配を推進する上での中国の役割を称賛した。「中国がこれらの価値観を共有できない理由はない。実際、中国はアフリカ大陸に強い足跡を残していることから、これらの理想を広めるためのユニークな立場にある」と述べた。
次期司令官の家族は、中国軍とつながりのあるビジネスマンから500万ドルの無利子融資を受けたと報じられ、バイデンの息子ハンターは中国のビジネスパートナーを『中国のスパイ長』と呼んでいた。ハンター・バイデンの中国共産党との結びつき疑惑の選挙前の報道をマスコミやソーシャルメディアが検閲したのは、彼を守るためではなかった-500万ドルは、ベゾスがパンデミックの間に毎時稼いでいた額よりも少ない。いや、親中派の寡頭制にとって、ジョー・バイデンを当選させたのは自分たちを守るためだったのだ。
バイデン政権はトランプ政権の積極的な中国の技術産業の巻き戻し努力を継続すると主張する報道は誤りである。新政権には、米中関係を軌道に乗せようと躍起になっているアメリカのハイテク産業のロビイストがいっぱいいる。バイデンのロン・クライン参謀長は、ワシントンのシリコンバレーを代表してロビー活動を行っている業界団体「テックネット」の元役員会メンバーでした。バイデンのホワイトハウス顧問はスティーブ・リチェッティで、弟のジェフは選挙直後にアマゾンのロビー活動のために雇われた。
イエレンは、「中国は明らかに我々の最も重要な戦略的競争相手である」と述べている。しかし、親中派の寡頭制は、富、権力、威信を得ている国と競合しているわけではない。中国の独裁政治が彼らのモデルなのだ。ワシントンD.C.全体に2万人以上の米軍メンバーを配備したことを考えてみよう。反乱やクーデターとされた散発的に暴力的な抗議デモ行進の結果、公の場ではほとんど姿を見せない大統領の就任式の警備のために、ワシントンD.C.に2万人以上の米軍メンバーを配備したこと、ソーシャルメディアからの反対の声の除去と、競合するソーシャルメディアのプラットフォーム自体の除去、トランプ支持者のアメリカの半分の人々が医療、クレジット、法的手段、教育、雇用へのアクセスから遠ざかるようにしたこと、現政権の政策への抗議を「国内テロリズム」として再定義するという究極の目標を持っていること、などを踏まえて考えてみてほしい。
明らかなのは、バイデン氏の就任は、中国との関係を自国の同胞に対する盾と剣と見なしているアメリカの寡頭制の覇権を示すものであるということである。アテネの「三十人の暴君」のように、彼らは、創造主によって与えられた全市民の自然権を認める政治システムを単に軽蔑しているのではなく、自分たちが支配している人々が、自分たちと同じ権利を持っているという考え方を特に軽蔑している。言論は、それを適切に使う方法を知っている賢明な少数の者だけが自由にできるものであるべきだ、という考えに対する彼らの新たな尊敬の念を見るといい。クリティアスや親パルタ派のように、新しいアメリカの寡頭制は、民主主義の失敗は自分たちの権力に対する独占的な権利の証明であり、自分たちの同胞を破壊するのを助ける外国の力と協力して統治することを喜んでいると考えている。
歴史はこの瞬間について何を教えてくれるのだろうか。悪いニュースは、30人の暴君がアテネの著名な民主主義者を追放し、アテネの人口の推定5%を殺害しながら彼らの財産を没収したこと。良いニュースは、彼らの支配は1年未満であったということだ。
[リー・スミスは、新たに出版された本『The Permanent Coup』の著者である。国内外の敵はどのようにしてアメリカ大統領を標的にしたのか』の著者である。]
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arthur-meursault · 7 years
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日記、ゲッベルス、タチカンツバキ
お昼を王将でオーダー。 例のごとく天津チャーハン。王将にいくと天津飯か天津チャーハン。 あと餃子一人前。 お腹いっぱいになる。 880円ちょいと値段的には大して食ってないが腹一杯になる。 とおもったが牛丼大盛りとミニサイズを食べてるようなものと思えばこれくらいはいくか。 毎度毎度想像力が欠如しているのか予想外の膨満感に苛まれることになる。 予想外もなにもない。まあお腹が膨れることは悪い気はしないけど。でも苦しいなあ…。 腹が減るたびにこの苦しみを求めてしまうのは何故だ? 食性生物は快楽を中継して痛みから痛みに行くことしかできないマゾ体質なのだと思われます。 永劫回帰であります。 もぐもぐ。うまい。 ゲッペルスの思想について再考。 嘘も100回繰り返せば真実になるとはゲッベルスの思想として語られるが、これ自体が名言なのは当然。 しかしながらナチスは現状報告を国民に怠ったりしているものの政略面で国民の支持を得る際には虚偽を謳っていない。 ユダヤ人の作る映画にはナチスは間違いだらけと言う描写しか出て来ませんが、少なくともドイツ国民がナチスを支持した理由は第一次世界大戦の敗戦国たる雪辱、ベルサイユ条約で課せられた負担に対する怒りがあるんですね。 その不満を上位搾取層を占める資本家・ユダヤ人たちに向けたのがナチスだったわけですが、これも社会主義が台頭して来た頃合いで資本家に市民や知識人の怒りが向くのは当然といえば当然だったわけです。 そうやって市民の心をうまいこと掴んだナチスは順繰りにドイツを支配していきました。 それだけならまだいいんですが、こうした急進派にありがちなことにナチスの思想は絶滅政策やらゲルマン人によるヨーロッパ支配やらとどんどん過激な方に向かっていきました。 まずもってこの時代は占領支配の思想が何よりも重視されましたので、各々の国がどう歴史観を最新の侵略論と結びつけようかと必死だったわけです。 日本の場合は、せっかく開国したわけだしどうせならアジア全域を牛耳ってアメリカやヨーロッパと対等にやってやろうか。ロシアは前に倒したし、ドイツもww1でやっつけたし、いけるだろ多分、という方向でうまくまとまりまして。 手始めに国王の溥儀が持ち込んで来た満州国を実験場及び拠点とし、植民地支配というやつをやってみようということになりまして。 この発想に白人のみなさんは大層お怒りになりまして。アメリカは手始めに貿易を妨害しまして、これに日本が切れまして。 めでたく第二次世界大戦へと相成るわけです。 そんな中でドイツが国民をまとめ上げるために他の民族の絶滅思想を流布しようと考えるのは、当時にしてみればそんなに不自然なことではないわけです。 なんせドイツは世界的な敗戦国でいじめられまくってましたし、誇りを取り戻すためならなんでもやるのが人間です。 よそ者のユダヤ人たちが豊かで自分たちが惨めな貧乏人だったらさすがに腹も立ちましょう。 そして都合良いことにドイツは職人層や技術者層が厚かった。ナチを支持する人々には高度な技術をもちなおかつ戦勝国にうんざりする労働者層が多かったんですね。 これが彼らの敗因ともなりました。 まず技術が高く、侵略行為も過剰であったため、兵站線を『延ばせすぎた』のです。 物資や兵の流通が叶わず本土と断絶した部隊が多かったことが敗北の主な原因として挙げられます。 技術と誇りがあっても物がなければ負けるのが戦争というわけですね。 そういうわけでドイツはww1、ww2と連続して負け、おまけに東西分裂するという日本より残念な敗戦国になってしまったわけです(原発投下を被ることは回避できましたが)。 当然いまは盛り返してきてますし、日本と同じく立派な技術国です。 僕はディーゼルエンジン好きですね。スターリングエンジンの次に好きなエンジンです。 余談ですが、 日本がGDP世界二位とかいうのはアメリカの威光が影響してる部分もあるので単なる国力としては語れませんが、もののない技術国としては国際的にかなり上位なのは間違いないです。 日本はこれから物量で中国に押し負けることが決まってるので残念ながら世界二位という日の目はもう見ることができないでしょうが、常に破裂寸前の中国のように国ごとぶっ潰れるような事態に陥ることもまあありませんのでそこそこでやって行くぶんには大丈夫でしょう。それこそドイツくらいのね。 下手なことせずに防衛力だけ維持して半鎖国状態で技術を提供しとけばいいわけです。 目障りなのは中国と北朝鮮とロシアでしょうか。 そのうち中国が周辺国の反撃でも食らって潰れてくれればいいんですけどね。難民は一切受け入れず既存の在日外国人を安い労働力として使えばいいわけです。 その時はアメリカの犬になる必要があるのでそれはそれで嫌ですけど。 まあ国と国の関係なんてそんなもんですけどね。日本も当然ながら防衛力としてアメリカを利用してるわけですから。 さて余談は終わり。 そんなこんなで宣伝に成功し戦争で負けたドイツですが、ゲッベルスがやったプロパガンダ戦略とはなんだったのかと言いますと、「国民に情報を与えて不安と不満を煽り、それに答えを提示する」のが骨子だったわけです。 嘘八百をでっちあげてコントロールするわけでもなんでもなく、単にムカついてる人たちに武器を与えて戦わせたというそれだけです。 それこそがプロパガンダの真価だとゲッベルスは言っています。 国民は決してバカではないのです。 子供が大人の嘘に案外気がついてるように、隠し事には気づくし、騙されたら怒ります。 騙してはいけないのです。真実を受け入れさせてからこっちの来て欲しいところに来てもらうのがプロパガンダなのです。 そして、そういう事実を利用したプロパガンダは批判しようにもなかなかできないもんなのです。 正しいことに量を与えたらスピードを伴ったエネルギーになります。 プロパガンダを否定するためには確固たる情報と理念信念を持たねばなりません。そして、往々にしてそうあることができるのは国民とか市民とかそういう民草単位ではなく、個人だけなのです。 政治家と知識人の最大の違いはここにあります。政治家は公人で、知識人は個人です。国という公の場で個人は公人に対抗できません。できっこありません。 ���イツ国民には表面上の薄っぺらな敗戦国思想よりも血統を拠り所にする誇りある国政が欲しかった。それがナチスです。 アメリカ人にとっても、本音を言えば英語も話せないわけのわからない国の連中は切り捨てたい。 なんならオバマ大統領というポリティカルコレクトが働いた結果の有色人種大統領の直後にトランプ大統領というゴリゴリの保守派を連れてきたのも彼らの本音です。 国民全員の本音ですね。 そりゃそうですよ。だって言葉の違いってイライラするし。それは当たり前なんですよ。そこをどう維持するかに頭を悩ますのが普通なわけでして、アメリカも百点満点の答えなど出せるわけもなくいろいろ間違えてきました。 そしていまアメリカという大いなる偽善の国に国民が限界を感じ始めてる。 なんだかんだ言いながらビンラディンを射殺して喜んでるオバマとブッシュとなにか違いがあるのだろうかと。 そもそもアメリカ自体銃を手に取り先住民を襲い殺し奪うことでできた国なのに。 国民を騙すことはできません。 だから騙そうとしなかったトランプが勝ったわけです。ゲッベルスならそれが当然だというでしょう。 人は勝利を選ぶとき社会倫理を超越するもんです。 そういうわけで、もういまの時代ナチスはともかくゲッベルスの宣伝戦略思想を否定する人もいないでしょうね。 ヒトラーの我が闘争は規制本ですけどゲッベルスの本は普通に出とるので。 彼にはまだまだ学ぶところが多いなと感じた次第です。 帰りにスーパーですじこの醤油漬けとフリーズドライの雑炊を買う。 ここのところ宇宙食に興味がありましてなにか欲しかったのですが、ふとスーパーでセブン&アイ・ホールディングスのフリーズドライを目にしまして。業務提携してるんでしょうね。入り口のところにセブン銀行あったし。 宇宙食といったらフリーズドライをさらに厳しい環境に晒して、なおかつ液体がパッケージの外にこぼれないように工夫されたものなわけです。 ということは。 単なるフリーズドライの食品を不可視の入れ物でパッキングしてジュルジュルすすったら特殊宇宙食っぽくなるんではないでしょうか。 要は乾燥してて味気なくて無菌なら宇宙食っぽいわけです。 そういえば普通のレトルトカレーを国際宇宙ステーションに持ち込んだ海外のクルーの話もありました。 宇宙食ってそんな変なもんではないかも、ということで夕飯に試してみたく思います。 すじこはふつうに好物です。 スーパーの帰り道、近所の小学校の垣根に『タチカンツバキ』と札があった。 タチカンツバキ。 ツバキはわかるがタチカンとはなんだろう? 疑問がムクムク湧いてきまして、調べたらでました。 まず椿の一種ということで、寒椿(カンツバキ)というものがさきにあるそうです。 ツバキと同様日本固有種だそうですが、カンツバキが純粋にツバキを祖とする植物なのかどうかははっきりせず、中国由来のユチャとツバキの交配種だとか、サザンカの変異種だとかいろんな説があります。 実際ツバキとサザンカ両方の特徴を併せ持つ種らしいです。 寒椿ということで椿より寒い時期に咲く花なのかなと思いきや、ツバキ自体寒い季節の花なのでこれは当たらない。 というよりツバキは9月から5月ごろまで長いこと花期を経るわけですが、カンツバキは11月から2月ごろまで。 短いんですよ。 確かに寒い時期に集中して咲く花という意味でカンツバキとは当たってるかもしれませんが、寒さのトータルでいえばふつうにツバキの方が勝ってる気がして腑に落ちない感じもある。 そんななんだかもやもやするカンツバキのさきにタチカンツバキがあるのです。 立寒椿(タチカンツバキ)はカンツバキの中でも特に背が高いもののことを言うらしいです。 たしかに垣根になってるわけですからこれは納得ですね。 カンツバキの背の低いものを獅子頭(シシガシラ)といいます。 まあ椿の花はたてがみっぽく見えないこともないので当たりでしょう。 ところでシシガシラという名前は同名のシダ植物がありまして、こちらの方がポピュラーだという方も多いのではないでしょうか。 山菜採りとかいくと山の斜面に生えてるやつです。僕はどっちかといえばこっちのシシガシラの方が好きですね。 シダ植物シシガシラ科ヒリュウシダ属シシガシラというシシガシラの中のシシガシラであります。 シダ植物といいますとコケなんかの生える湿った森の中に鬱蒼としていて、葉の上に常に水滴をつけてて、特に鋭くもなく毒もない、かといって食べられもしない毒にも薬にもならない優しい植物というイメージがあります。 もののけ姫やナウシカのイメージですね。 森の中にコケやシダ植物が生えてるともののけ姫感が増しますよね。 神秘的で好きなんです。 植物のなかでも由緒ある方ですしね。 そういえば動物が滅ぶ時はまず広葉樹が絶滅して小動物が消え、済し崩しに大型動物が消え、次にわずかに残った小動物と共に針葉樹林が消え、最後に昆虫と一緒にシダ植物が消えるそうですよ。 シダ植物の環境下ではデボン紀以降に出てきた爬虫類や両生類だのといった通常の動物は生きていけないそうです。たしかにコケと虫とシダしかない環境下でどう生きればいいんでしょうね。虫をだんごにして食べますか。うおえっ。 でも、言われてみればたしかに昆虫とシダ植物はシルル紀に最初に陸地へ出てきたチャレンジャー二人組ですのでそれぐらいの優位はあっていいと思いますね。 たとえ軍事戦争の果てに核の炎で人類が滅びたとしてもタチカンツバキ含む広葉樹や動物は生き残ってくれるでしょう。 またもしタチカンツバキ含む広葉樹や大型動物が滅びても針葉樹林は残るだろうし、哺乳類や爬虫類が滅びたあとの世界でも昆虫とシダ植物とコケは残ってくれるだろうことを祈ってます。 核の炎で世界が滅びるリアリティってのも時代遅れ感ありますが、怖いもんはいつまで経っても怖いもんです。 それではまた。
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hint-lab · 4 years
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『現代美術史』著者・山本浩貴に聞く「コロナ時代の(と)アート」
「社会と芸術」の視点から第二次大戦以降の西洋と日本の美術を総覧した『現代美術史 欧米、日本、トランスナショナル』(中公新書)を昨年上梓した山本浩貴。気鋭の文化研究者の山本に本書の狙いと「コロナ後」のアートに対する見解を聞いた。
「美術史を複数化する」意識
──手に取りやすく、かつ本格的な現代美術史の入門書は本書が国内で初めてではないかと思います。山本さんは1986年生まれで、正直その若さに驚きました。まずはその出版の経緯を教えていただけますか。
 留学先であったロンドン芸術大学博士課程在学中にサントリー文化財団の若手研究者対象の研究助成に応募し、2016年度の助成をいただきました。その中間報告会が東京で行われ、そこで出版元の編集者と話したのがきっかけです。当初は90年代以降のいわゆるソーシャリー・エンゲージド・アート(SEA)に絞って書きたいと考えましたが、新書なので「現代美術の流れがたどれる通史的な本にしてほしい」と要望があり、この形になりました。
 入手しやすいせいか、現代美術というさほど売れない分野の本にしてはいろいろな人の手に取っていただいているようです。教科書的な部分もあるので、先生が生徒に勧める学校もあると聞きました。
──本書は冒頭、限られた紙幅で包括的な現代美術史を書く困難を断ったうえで「芸術と社会」をテーマに掲げています。このテーマを選んだ理由を改めてお聞かせください。
 僕の場合、美術研究は社会学から入りました。イギリスの社会学者ジャネット・ウルフの81年の著作『The Social Production of Art』の序文に「芸術は社会的産物である」という一文があります。要するに芸術は自律的な天才たちによる自然発生的な産物ではなく、社会的状況や歴史的文脈に絡めとられて、そのなかから生まれてきたものであると。
 そうした言説に影響は受けましたが、芸術がすべて社会的なプロダクトであるという見方を僕は取りません。芸術は社会から影響を受けるし、逆に社会を変える力を持つこともある。つまり芸術は社会に対して常に受動的でもないし、完全に社会から切り離された能動的な営みでもないと考えています。その相互関係や重なり合い、あるいは重ならない部分を含めて、現代美術の流れを丁寧に見つめ直したいと思い、「芸術と社会」という軸を立てました。
 とは言っても、「芸術の神秘性」は確かにあって、言葉や理論だけでは説明できない部分は残ります。その点は自覚的に認識しているつもりです。
──本書では幾つかの点でいままでの通史と異なる現代美術史を提示しています。例えば手元にある『20世紀の美術』(美術出版社)はフォーヴィスムやキュビスムの画家から始まりますが、本書は前史としてアーツ・アンド・クラフツ、民藝、ダダ、大正期の前衛芸術集団マヴォという4つの芸術運動を置いていて、意表を突かれました。
 19世紀後半にイギリスで始まったアーツ・アンド・クラフツと日本の民藝は共に手仕事の復権を目指した工芸の革新運動でした。民藝に注目したのはロンドンで指導教官だった菊池裕子先生(現・金沢美術工芸大教授)が民藝運動の創始者・柳宗悦の研究者だった影響もあると思います。日本ではかつて工芸と美術の境界はかなり曖昧でしたが、西洋美術が本格導入された明治期以後は完全に分離され、工芸は一段低い扱いを受けてきました。でも、「社会」というフィルターを通したとき、アーツ・アンド・クラフツと民芸の意義と影響は極めて大きい。
 個人的にも美術と工芸は基本的に分離しない考えを取っており、自分のステートメントとしてふたつを冒頭に置きました。さらに、それぞれの美術側のカウンターパートを考え、西洋は「コミュニケーション創出装置」の側面を持つダダ、日本はマヴォを選びました。
 本書にも引用しましたが、美術史家の北沢憲昭さんはマヴォを含む大正期の前衛芸術運動と民藝はいずれも急速な近代化に対する反応の側面があったと指摘しています。別の方法ではあったけれど、それぞれ近代に対する違和感をラディカルに表出したと言えます。
 一口に通史といいますが、じつは研究者により様々な意見があり、そうした複数性を提示するのは学問の大事な役割だと思います。美術においても、西洋を中心とした規範的な美術史に異議を申し立て、非西洋や「周縁」とされてきたものの視点から書き直す挑戦が進んでいます。本書もそうした試みのひとつだと受け止めてもらえればと思います。
見えない存在を可視化するのが美術
──「美術史を複数化する」意識を持って執筆したわけですね。本書では第一部の欧米編、第二部の日本編に続いて、第三部は戦後イギリスのブラック・アートや在日コリアンの美術を取り上げています。
 これまで「傍流」とされてきたものを「正史」とぶつけたらどんなほころびが見えるのか。忘れられたり無視されたりしてきたけれど、実は大事なものをどう語り直すか。そうしたことに関心があります。在日コリアンの美術なら、「在日コリアンの美術史」として別個に扱うのではなく、日本美術と一緒にしたときにどのようなつながりが、もしくは不調和が浮かぶのか、見ていきたいと思います。
「正規の美術史ではない」という批判はあります。ただ、鶴見俊輔の『限界芸術論』(1967、勁草書房)をはじめ、芸術の概念を拡張する試みはいまに始まったわけではありませんし、本書も先行研究者の仕事に多くを負っています。
 本書では「正史」からあまり顧みられなかった九州派や万博破壊共闘派、1969年に多摩美術大学の学生が結成した美術家共闘会議を織り込みました。ただ、地方の前衛芸術を十分紹介できなかったのは反省点です。紙幅の都合で新潟のGUNや静岡の雨土耕作などの興味深い運動も削除せざるを得ませんでした。その点は「大都市中心主義」と批判されても仕方ないと思います。
 僕は86年生まれなので、前衛芸術が熱を帯びた時代をリアルに体験したわけではありません。プラスとマイナス、両面もあるでしょうが、距離がある分、定説にこだわらず、判断できた部分はあるかもしれません。
──元々の出自は社会学ですが、研究対象に現代美術を選んだのはなぜですか。美術史や美学出身者と手法や意識に違いはありますか。
 一橋大学社会学部に在学していた2009年ごろ、女性や子供の貧困問題が注目され始め、そうしたテーマに関するルポルタージュを何冊か読みました。そのときに気づいたのは、社会的問題は突然出現するのではなく、見えない状態で潜在的に存在し、まず弱者が危機にさらされることです。元々美術は好きでよく見ていて、目に見えない存在を見えるようにできるのが美術だと感じていました。社会には見えない問題が数多くあり、それを可視化するうえで美術は面白いアプローチではないかと考えるようになったんです。
 具体的には2009年に東京都現代美術館で開かれたドイツの現代美術家、レベッカ・ホルンの個展が印象に残っています。当時は作品の背景や文脈はわかりませんでしたが、人間感覚をつかむビジュアルの強さが強烈で、美術に進むきっかけになりました。 
 最初はつくり手になりたいと思い、ロンドン芸大に留学してカレッジのひとつのセントラル・セント・マーチンズで実作を学びました。文化研究に本格的に取り組んだのは博士課程からで、いまも制作は続けています。手を動かしてつくり、それを基に考えるループが自分はしっくりくるんですね。
 もし美術史出身と違いがあるなら、「美術」のレンズを通して社会の様相を浮かび上がらせようとする点かもしれません。自分の言説が社会に何を投げかけられるか、意識している面はありますね。論争を呼ぶと分かっていても自身の考えを提示して、反応があれば議論が深まっていいと考えています。
美術がレスポンスできること
──現在、世界を震撼させている新型コロナウイルスと美術についてお尋ねします。中世ヨーロッパを席巻したペスト禍は「死の舞踏」のモチーフを生んだとされます。20世紀以降も「スペインかぜ」「アジアかぜ」と呼ばれたインフルエンザのパンデミックやふたつの大戦が起き、近年は国内で自然災害が相次いでいます。こうした“大惨事”に対して美術はどう反応したか、文化研究や現代美術を総覧してきた観点から思うことがあればお聞かせください。
 美術とは直接関係ありませんが、まず「スペインかぜ」の呼称がひっかかります。国名が冠せられたのは流行した第一次大戦時、中立国だったスペインは情報統制がなく、大きく報道���れたからで、死者数がとくに多かったわけではないからです。今回、最初に感染が確認された中国・武漢をウイルス名に付ける動きが一時ありました。地名は避けるWHO(世界保健機関)が「COVID-19」と命名して収まったものの、浸透していたら欧米でのアジア人差別に拍車がかかったかもしれない。いま「スペインかぜ」と言っても実害はないでしょうが、正確でない名称を使い続けるのはどうかと個人的には思います。
 その「スペインかぜ」は一説で5000万人もの人が亡くなり、ウィーン世紀末美術を代表するエゴン・シーレやフランスのシュルレアリスム詩人のギヨーム・アポリネールも犠牲になりました。目に見えない存在が恐ろしい速さで広がり、次々と命を奪っていく。その衝撃はダダやシュルレアリスム、アブストラクト・エクスプレッショニズムといった芸術潮流にも影響を与えたと言われますが、具体的にはよくわかりません。ただ、死生観や生への意識といった人々の「心性」に影響を及ぼしたのは確かだと思います。
 戦争との関わりがよく指摘されるのはダダですね。第一次大戦中、永世中立国のスイス・チューリッヒで誕生したダダは、戦争を忌避してこの地に移ったアーティストたちによる「否定と破壊」の芸術運動でした。世界戦争による未曽有の破壊と荒廃に反発し、既存の秩序や価値観を転覆させたうえで再生しようとしたのです。ダダは明確に戦争反対をうたったわけではありませんが、「反戦」あるいは「厭戦」の意識は確かにあったと思います。
 1923年に結成されたマヴォは同年の関東大震災後、代表的なプロジェクトを行いました。焼け野原に建てられた仮設建築に派手な装飾を描いて回る通称「バラック・プロジェクト」です。危機をある種の「チャンス」に転化し、新しい芸術をつくりだしていく。そうした動きも美術史から見て取れるし、「コロナ後」にもそうした可能性はあると考えています。
「制約を創造に変える」ことも美術が得意とすることです。例えば1960年に具体が大阪で開いた国際展「国際スカイフェスティバル」は輸送費節約のため、国内外の作家に出品作のスケッチを郵送してもらい、それを転写した垂れ幕をバルーンに取り付けて、凧のように大空を泳がせました。金銭的制約を斬新なアイデアに昇華させたのです。
 カルチュラル・スタディーズに関する理論面では最近、共に思想家のアントニオ・グラムシとヴァルター・ベンヤミンの言葉を思い返しています。グラムシは「危機はまさしく古いものが死に、新しいものが生まれることができないという事実にある」「この中間的空白期にはさまざまな病的現象が現れる」と言っています。資本主義が機能しなくなり、かといってほかの選択肢もなく、他民族や罹患者への差別が横行し、人々がいら立ちを募らせている現状と重ならないでしょうか。
 いっぽう、ベンヤミンは遺稿となった小論「歴史の概念について」のなかで「危機の瞬間をとらえる」という趣旨を述べています。現状に引き付けていうと、いまは八方ふさがりだけど、この状況はいつかは終わるでしょう。そのときまで社会の病理が噴出しているいまの危機的状況に目を凝らし、心に刻み付けておきたい。
 いまは人間の「想像力」が試されていると強く感じます。身近な例を挙げると、大学が閉鎖されてオンライン授業が推奨されていますが、パソコンやネット環境がない学生は一定数おり、僕が務める東京藝術大学では、現在、学生のネット環境についてのアンケート調査が進められています。恐らくほかの大学も似たような状況ではないでしょうか。
 コロナ関連情報の多くが日本語だけで発信されているのも気がかりです。国内に日本語がわからない人は相当いるはずで、そうした人々は取り残されてしまう。自分が「当たり前」と思い込んでいることがじつは「当たり前でない」と気づくのは想像力の力で、それは美術が強い領域です。そのため、想像力の「拡張」に関して、美術がレスポンスできることはあるのではないかと思います。
問われるシステムの変革
──見通しが立たない現在、話しづらいと思いますが、「コロナ後」の美術はどうなると思いますか。『現代美術史』ではSEAやリレーショナル・アート、アート・プロジェクトなど交流や協働が前提の近年の動向に注目し、かなり紙幅を割いていますが、その傾向は変わるでしょうか。
 短期的には恐らく影響があるでしょう。森美術館(東京・六本木)の「未来と芸術展」(すでに閉幕)で見られたような、AIやテクノロジーを使った作品が世界的潮流になっています。コロナのせいだけとは言いませんが、今後その傾向が強まり、人間同士のコミュニケーションを創出するアートが古びたものに見えてくる可能性はあります。もちろん、AIやテクノロジーを駆使した芸術が、必ずしもすべて人間のコミュニケーションや関係性を軽視しているとは思いませんが。
 ただ、長期的には決してなくならないと思います。空間や経験の共有体験はオンラインでは代替できず、「自粛」期間中に改めてそう認識した人は多いのではないでしょうか。これからも人間同士のコミュニケーションや集合知の大切さに変わりはなく、コミュニケーションを促す装置としてのアートは必要とされ続けると思いますね。
 短期的には制作方法の変化も出てくると思います。先日、映画『カメラを止めるな!』のスタッフが完全リモートで短編映画をつくるというニュースがありました。アートも個々につくったものを組み合わせたり、編集したりといったリモート制作が行われ、コロナ収束後も定着するかも入れません。オンラインのなかでいかに意義あるコミュニケーションを生み出せるか、新しいクリエイティビティを打ち出せるか、創造性が問われている気がします。
 限りある資金や知恵を共有し、サバイブする手段としてコレクティブ(グループ)で活動する作家が増えることも考えられます。リモートなら国籍・場所を問わず、地球の裏側ともつながれるので、よりトランスナショナル(国を超えた)な動きが生まれる可能性があります。
 現在、展覧会の中止・延期を余儀なくされた美術館がオンラインで会場や作品を紹介する動きが広がっています。視聴者との双方向性を取り入れるなど、オンラインならではの仕組みを強化しておけば、将来的に役立つかもしれません。
 中長期的に考えると「システム」の変革が問われる気がします。現代美術は「動き続ける」ことを生存の要件とする資本主義に紐づいているわけですが、その動力が止まったり衰えたりすれば、必然的にアート市場や美術館、展覧会などの仕組みも変わっていくでしょう。無論、すべてが変わるべきだとは思いませんが、問題や矛盾が指摘されている制度が見直されるきっかけにはなると思います。
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“──畜生! 人類がかぜをひいてほろびるなんて、なんて人を小馬鹿にした結末だ。アーメン”
 こちらは日本SF界の巨匠・小松左京が1964年に発表した『復活の日』に登場する一節だ。イギリス陸軍細菌戦研究所から漏れた新型ウイルス「MM-88」が全世界に拡大する物語を描いた名作である。
「MM-88」は3月ごろから世界に広まり、当初は「チベットかぜ」という新型インフルエンザだと思われていたが、強力な感染力と高い致死率、完治後も再発する、発熱症状がない者も突然コロリと死亡する――といった特徴を持っていた。やがて5月下旬にソ連首相が病死したころから、各国の医療体制やインフラの崩壊がはじまる。
 日本でも6月中旬から主要交通網や電気・水道網が寸断され、同月末には日本国民の8割が死亡する。事態の悪化は止まらず、7月第3週には大統領を含めたホワイトハウスのスタッフが全滅してアメリカ合衆国が崩壊。そして9月上旬までに、南極の基地にいた約1万人をのぞいて、全人類と陸上哺乳類の大部分が死滅してしまう。
新型コロナウイルスが「ウイルス研究所から流出」というデマ
 良質なパニック小説を読むと、大事件が起きたときに大局的な視点を保つ訓練ができる。ゆえに『復活の日』は私の座右の書のひとつで、過去にもSARS(2003年)やH1N1インフルエンザ(2009年)の流行のたびに読み返してきた。もちろん現在も再読中である。
 2019年12月に中国武漢市で発生した新型コロナウイルスCOVID-19(2019-nCoV)も、都市封鎖にともなう中国国内の深刻な混乱を招いている。ほぼ陰謀論とみていい話とはいえ、今回はウイルスが中国武漢市のウイルス研究所から流出したというデマも流れている。過去の再読時と比較しても、『復活の日』の内容にかなりのリアリティを感じる事態だ。
 人類にとってさいわいなことに、今回の新型コロナウイルスCOVID-19は『復活の日』のMM-88と違って、各報道を読む限りは致死率が2%程度にとどまる。おそらく今年夏までに、ウイルスの流行自体も収束するだろう。
 ただし、ウイルス禍が今後の中国社会に与える影響は甚大だ。今回の記事では、主に庶民層の動きと政治的な事情についてまとめつつ、今後の見通しを考察してみたい。
SARS当時よりも「のんき」に見えた庶民層
 新型コロナウイルスの流行は、昨年12月の時点から中国に詳しい外国人の間では知られていた。ただ、多くの中国人が深刻になるのは、1月20日に習近平が「重要指示」を出して情報公開にゴーサインを出し、さらに同月23日に武漢市が封鎖されてからである。
それ以前、中国国内の報道はゼロではなかったが、報道統制によりかなり小さな扱いだった。医療関係者たちが現場レベルでは認識していたヒト・ヒト感染の発生も隠蔽されていた。ゆえに大部分の中国人は新型肺炎に注意を払わず、リスクにも鈍感だった。
 これは17年前にSARSが流行したとき、公的なアナウンスがごく少ない時点から、庶民層でも口コミで危うさがジワジワ語られていたのとは大きな違いだ。「酢に予防効果がある」と謎の対策が噂されて商店の酢が品切れになったり、それなのに多くの人が公衆衛生にあまり気を使わなかったりと、突っ込みどころは多かったとはいえ、さておき中国人の危機意識自体は高かった。
 SARS当時の中国はよくも悪くも発展途上国で、政府や社会に対する庶民の信頼度がかなり低かった時代だ。新聞記事を含めたあらゆる公的情報は信用されておらず、国家権力が真相の隠蔽や捏造をおこなうのは常識���前の話。大事な話は口コミで共有された。これはデマが生じやすい社会環境だったのだが、反面で当時の中国人は、情報面では当局にコントロールされにくかったともいえる。
 いっぽう、今回は公的なアナウンスが出るまで、中国の庶民の反応はかなりのんきに見えた。理由のひとつは、現代の中国人が往年と比べて、報道や政府発表を信じやすい傾向が圧倒的に強まっていたからだろう。
自称「情強」になった中国人
 近年、中国ではスマホの普及によって、従来はしっかり新聞を読まなかった層の庶民まで気軽にニュースに触れるようになった。彼らがなんとなくダウンロードしたニュースアプリの今日頭条や新浪新聞、チャットアプリの微信(WeChat)、ショート動画アプリの抖音(海外市場では「TikTok」)などを通じて、大量の情報が流れ込んでくるようになったからだ。
 本来、中国の国内報道は2003~2013年の胡錦濤時代にかなりの自由度があり、対して習近平時代には大幅に制限された。だが庶民レベルの主観では、スマホ時代の習近平時代のほうが、自分たちが「情強」(情報強者)になったと考えられている。
 理由は彼らが触れるニュースの分量が往年の数十倍以上に増加したからだ。しかも新聞と違い、アプリを通じて配信されるネット記事は圧倒的に読みやすく、娯楽性も高くて頭に入りやすい。
 結果、統制下にある膨大なニュースを通じて当局的な価値観が庶民の頭に無意識に刷り込まれ、報道を信頼する人がぐっと増えた。いわば官製のエコーチェンバーが起こされていたと言ってもいい。
習近平の「中国の夢」に染まる人民
 また、中国経済の発展や中国人の海外旅行の拡大、スマホ普及と軌を一にした国内社会のスマート化などによって、「貧しい祖国を強くて豊かにした中国共産党」という当局のプロパガンダを、中国人自身がある程度は事実だと実感してしまったことも大きい。
たいていの人は、祖国が「偉大」で「富強」(強くて豊か)だと嬉しい。これも当局への信頼度が向上する理由になった。ネット世論においても、投稿内容の厳しい検閲も理由とはいえ、一昔前とちがって体制擁護的な意見が多数派になった。現代の中国を、漢や唐の絶頂期とならぶ「盛世」だと呼ぶ声も少なからず聞かれた。
 習近平政権の発足以来のスローガンである「中国の夢」(中国夢 Zhōng guó mèng)は、中国人民が当局のコントロール下にある情報を素直に信じ、体制を疑わないことでハッピーな幻想に酔える状態を出現させた点において、ある意味で実現していたのである。
 ……だが、2020年の1月20日以降、こうした従来のムードは大きく崩れている。
メディアやSNSが異例の活発化
 これまで習近平体制下の中国では、重大ニュースは「新華社」などの中央メディアの報道を他のメディアが転載する形式が推奨され、またあらゆるニュース内容が体制にポジティヴなメッセージを含む内容(「正能量」)に変換されてきた。
 だが、いまや各メディアによる独自報道や、不都合な事実を指摘する内容の報道が少なからず見られはじめている。当局側の情報統制や摘発が間に合わないのか、これまでは鳴りを潜めていた、ネットを通じた問題告発や政治主張の発表も活発化している。
 特に武漢市内や湖北省内からは、病院内で錯乱する医師・看護師の姿や数多くの遺体を映したとみられる現地の動画や、体制批判の演説動画などをSNSに投稿する例がかなり多く見られるようになった。
 保護者が強引な隔離を受けたことで1人残された脳性まひの少年が死亡した例や、病院の手が回らず治療が受けられない老人が死亡した例など、社会的弱者が犠牲になったことへの怒りを、遺族らがSNSに投稿する事例も増えた。
 2月7日にある医師の死亡が報じられたことで、同様の傾向はより強まった。この33歳の李文亮医師は、昨年12月末にいちはやく新型コロナウイルスの流行に警鐘を鳴らしたことで「デマを流した」と処罰され、やがて本人もウイルスに感染して死亡した人物だ。
 彼の理不尽な処罰と感染死はウイルスの流行の発生当初の当局の隠蔽体質を象徴するものと言ってよく、中国のネット上では(従来は反体制的ではなかった人も含めて)「李医師にノーベル平和賞を」という声まで出ている。
 中国のSNS・微博には言論の自由を求めるスレッドが立てられて多くの反応を集め、名門大学の教授や弁護士らが情報隠蔽の停止や言論の自由の実現を求める公開書簡を発表する例が複数出ている。いずれも昨年までの中国では、かなりの勇気を要した行動である。
すでに「都市封鎖」は70以上――「偉大な祖国」はダメダメだった
 武漢市内や湖北省内では、ウイルス禍による医療体制の崩壊と社会混乱、当局に対する不信感の強烈な高まりのなかで、他にも一般市民が従来の禁忌をあえておかすケースがあらわれている。
たとえば2月11日付けの『朝日新聞』は、武漢市内の「隔離ポイント」の残酷な実態を告発する記事を当事者の実名入りで掲載している。習近平体制下の中国では、当局に目を付けられそうな問題を一般市民が実名で外国メディアに告発する事例が激減していたが、そのタブーが破られた形だ。
「偉大」で「富強」なはずの祖国は、いざ自分や家族が本当にヤバい状況になると頼りにならない存在だった――。武漢市をいちはやく封鎖した習政権のウイルス対策は、客観的にはそう悪くないとみる専門家の声もある。だが、庶民レベルの感覚では、体制への強い不満と不信感を生むものになっている。
 ウイルスの広がりとともに、中国の言論状況はさながら7年前までの比較的自由な胡錦濤時代に逆戻りした感すらある。現在、「外出禁止」を含めた都市封鎖は70都市近くに拡大した。結果、不満や不安を持つ人は全国規模でどんどん増えており、おそらく新型コロナウイルス感染者の数十倍以上の規模に膨れあがっている。
 この傾向は短期的にはより強まっていくだろう。タブーの赤信号はみんなで渡れば怖くないのだ。
「GDP成長率0%」から逃げる習近平
 対して習近平政権は、初動段階での情報隠蔽を口実に、ウイルス流行が拡大した責任を湖北省や武漢市などの地方幹部に押し付ける方針をとっている。
 たとえば湖北省黄岡市では、2月2日までになんと現地の党幹部ら337人が処分された。政権は庶民の怒りが中央政府や党体制の全体に向かないように懸命だ。
 そもそも、ウイルス禍が予想以上の規模で広がってからの習近平は存在感が薄い。彼は1月28日にWHOのテドロス・アダノム事務局長と会談後、2月5日まで1週間にわたり表舞台に顔を出さなかった。2月10日には北京市内の病院視察が報じられたが、いまだに武漢入りはしていない。
 1月末に新設された国務院の新型コロナウイルス感染肺炎対策指導特別チーム(指導小組)の組長も、総理の李克強となっている。習近平は2013年の政権の発足以来、金融やネットセキュリティなどの大量の指導小組を作ってその組長を兼任し、李克強ら他の高官の権力を削いで独裁体制を固めてきたのだが、ウイルス問題だけは李克強に仕事を投げている形だ。
2月7日、著名なエコノミストとして知られるアメリカISIグループ会長のエド・ハイマンは、CNBCのインタビューに応える形で、2020年第1四半期の中国のGDP成長率が0%であると予測するコメントを出した。この数字の真偽はさておき、ウイルス禍が中国経済に天文学的な規模の損害を与えるのは間違いない。
 中国の中央銀行である中国人民銀行は、経済テコ入れのために1兆2000億元(約19兆円)を金融市場に供給すると発表したが、これは体調不良を覚せい剤で無理やり回復させるようなもので、副作用も大きいだろう。
 今回のウイルス流行は、もはや中国政府が何をやっても中国に巨大なダメージと民心の動揺を残すことが確実だ。習近平の顔の見えなさが、責任問題から逃げる目的ゆえだと推測するのは容易である。
 過去の台湾のヒマワリ学運(2014年)や香港の反政府デモ(2019年)への対処のまずさを見ても、習近平は突発的な大規模トラブルへの対処を苦手とする政治家ではないかとも思える。
ウイルス収束後、“大量処罰”が待っている
 新型コロナウイルス発生以来の習近平の動きは、中長期的にはすくなからぬ禍根を残すはずである。普段は大いばりをしていながら、本物のピンチの際には部下に責任をなすりつけて前線から逃亡する指揮官は人心を得られないからだ。
 習近平は政権の成立以来、従来の中国ではながらくタブー視されてきた個人崇拝や個人独裁を積極的に推し進め、毛沢東並みともいわれる強大な権力を手にした。結果、中国の官僚たちは保身と習近平への忖度が最優先課題になり、失点を犯さないために最低限の仕事しかしなくなったり(「不作為」)、まずい情報を上にあげる行為をためらう傾向が常態化した。
 ウイルス流行の初期段階で地方政府が情報隠蔽をおこなったことや、問題に言及した医師らへの処分は、習近平体制の負の側面が要因だとみていい。すくなくとも当局内部の常識的な人間や、知識人・メディア関係者、さらにネットユーザーにはそうした考えを抱いた人がかなり多い。
 おそらく数カ月後、ウイルス流行が収束したあとは習近平からの巻き返しがある。現在、必死で問題告発の声をあげている一部の武漢市民に対する大規模な処罰や、習近平に対して批判的な動きをみせた当局関係者やメディア関係者に対する猛烈なパージがおこなわれるはずだ(中国語で「秋後算賬」という)。
ただ、現在のウイルス禍が、これまで習近平の方針にいやいや従っていた一部の官僚やメディア関係者の心をさらに冷めさせているのは確実だ。今後の「秋後算賬」に対する庶民の反発もかなり強いだろう。これまで社会を包んでいた「中国夢」の甘い時代は、今回の事態によっておそらく終わる。
 もちろん今回の件だけで習政権は倒れない。ただ、数年後あたりに再びなんらかの大規模な突発的事件(地震やデモなど)が起こった場合、現在のウイルス対応問題が習近平失脚の伏線になる可能性も、それなりに高くなったように思える。
 毛沢東死後の1976年10月、実権を握る四人組を打倒した華国鋒や葉剣英らのクーデターは、庶民から支持された。中国人の価値観では、反乱には天下万民に対するなんらかの大義名分が重視される。今回、習近平は彼を引きずり下ろしたい勢力に対して、「民を苦しめた疫病蔓延の責任者」という非常にわかりやすい大義名分を与えてしまった。
「災厄が終わった時――」
 禍福はあざなえる縄のごとしだ。たとえば前回のSARSの流行は結果的にアリババの台頭を生み、近年の中国社会のスマート化のきっかけを作った。人々が屋内にいたままで商品を購入するニーズが高まり、従来は不信感が強かったオンラインショッピング市場が一気に人気を集めたためだ。近年のイノベイティブな「キラキラ中国」の出現は、SARSが流行しなければずっと遅れていたはずである。
 新型コロナウイルスの流行も、中国で先進国を大幅に上回るリモートワークのシステムが確立されて全世界的な働き方改革のきっかけになったり、ウイルス感染者の追跡に役だったことで中国の監視社会化に対する庶民の評価が現在以上に高まったりと、思いもよらぬ結果を生むかもしれない。
 人間は忘れっぽいので、もしかするとウイルス収束の3カ月後くらいには一切がなかったことになり、人々が「中国の夢」に酔う社会が復活する可能性もある。ことに中国であれば、これも意外とあり得るシナリオだろう。
 ただ、習近平政権が発足以来で最大の危機に立たされたことも確かだ。最後に『復活の日』から、私がいちばん好きなパートを引用してこの原稿を終えておこう。
“「──それよりも、このどたばたが終ったあと社会の勢力関係がどうなるかを考えといた方がいい(略)」”
“終った時──老人たちは、大ていこの災厄が終った時のことを考えていた。老人たちは災厄に出あった経験を豊富にもち、それがどんな形で終るか、終ったあと、どんなことになるかも知っていた”
“終った時──誰しも、この災厄が、いつかは終るものと考えていた。「人類」にとって、災厄というものは、常に一過性のものにすぎない、と”
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『ウエスト・サイド・ストーリー』シーズン1、終演しました。
2018年秋に 「これからは手がけた作品についてのブログを 真面目に書こう」と決めたので、 第2弾として、書き残しておこうと思う。 もちろん、演出作品ではなく演出補としての参加では あるので、その立場からの文章を。 IHI ステージアラウンド東京における 『ウエスト・サイド・ストーリー』、シーズン1。 (以下の文章はネタバレとは少し違うと思うが、 読み手が観劇済みであるという前提で書いたので、 真っさらな状態で観たいという人の楽しみを殺ぐ 恐れはある。 「『ウエスト・サイド・ストーリー』という作品を これから、そして真っさらで観たい」という方は、 良かったらどうぞ観劇後にご覧ください) わたしにはいわばシーズン0的な存在がある。 2018年1月に東京で、同年7月から8月に大阪で、 公演された宝塚歌劇団宙組の『WSS』に、 翻訳家として関わっていたのだ。 (訳詞は演出補も兼ねた稲葉太地さんが手がけられた) わたしの中で『ウエスト・サイド・ストーリー』は 【原点にして、頂点】だ。 誰もが知り、 また誰もが一度でも関われれば誇りに思う、名作。 この作品を境にミュージカルいや演劇そのものが 不可逆の変化を遂げた、まさに【原点】であり、 初演から62年の時を経てもあらゆる意味で 未だに超えるもののない、【頂点】でもある。 しかしそれはとても恐ろしいことだ。 そんな作品を今の日本の観客に届けるという 責任の大きさ重さ以上に、 「知ってるつもり」という恐ろしさがある。 「別プロダクションで(何回も)観た」 「原作の映画を見た」 (注:映画は舞台を映画化したものであって  【原作】ではないのだが、映画があまりに   有名すぎるため、しばしば目にする誤解だ) 「現代版『ロミジュリ』でしょう」 「曲は知ってるし大好き」 初演から62年間【名作】として君臨してきた せいで、演劇として取り組んだり見つめたりする ためには邪魔なる余計なブヨブヨが、たくさん くっついている。 作品にではない。我々の目に、だ。 ので、まずは目を開く必要があった。 いわば【曇りなき眼】を。 具体的には、ディスカッションの時間を多く取った。 これはアメリカ側演出補マストロの意向と重なった こともあり、集団で思考する時間を、通常より かなり多めに取れたのではないかと思う。 ディスカッションとはいえ、まずはこちらから、 1957年のアメリカNY市アッパーウェストサイド という、彼らが生きる場所と時代、その背景に 関する情報を、渡せるだけ渡した。 『WSS』は今でこそ【不朽の名作】だが、発表当時は、 劇場の数ブロック先で今まさに起きている社会問題を 鮮烈に切り取った、衝撃作かつ問題作だったのだ。 だから、情報といっても、本やインターネットで 調べれば出てくるような知識ではなく、 人物たちが生きていて感じただろう感覚に近そうな、 肌で実感できそうなことや、 大きな意味での時代の空気みたいなものを、 なるべくたくさん。とにかくたくさん。 わたしは偶然、作品世界を訪れるのが3回めだったし 別の演目だが時も場所も近い作品に関わった経験も あったため、それらの蓄積が大いに役立った。 それに加え、実際に普段ニューヨークで暮らす アメリカ側演出補 マストロ(イタリア系) 振付リステージング フリオ(プエルト・リコ生まれ) からの(時代は違えど)本物の実感のこもった言葉が もらえたことも、非常に有益だった。 トニーがポーランド系という台詞が印象的なので ジェッツはポーランド系と紹介されてしまうことが多いが 実際にはジェッツはイタリア系やアイルランド系も 入り混じっていると台詞にある。 だから我々はジェッツ側、シャークス側それぞれの、 いわば生の言葉が(時代は違えど)もらえたわけだ。 しかし、それだけでは足りないとわたしには思われた。 『WSS』で描かれる人種間の偏見や断絶は、 多くの日本人が無自覚に「他人事」と感じている問題だ。 差別をされる側としての当事者意識も、 差別をする側としての当事者意識も、持ったことがない ‥‥という日本人は多いのではないかと思う。 そういった土壌がないところに幾ら実感の種を ざくざく植えたところで、育つものは限られる。 そこで、日本生まれ日本育ち日本国籍でありながら 香港チャイニーズ移民2世でもあることで いわば日本における被差別当事者であるわたし自身の 体験や眼差し、実感も、積極的にカンパニーにシェア していった。 しかし、わたしは常々、 差別される側の意識よりも、 差別する側の意識を持つことの方が この作品にとってずっと大切だ、と考えてきた。 そしてそれは、日本で暮らす人にとって 差別される側の意識を持つことより 更に機会が少ない。 しかも、自分の中のそんな部分と向き合うことは、 人間であれば誰にとっても難しいことだ。 だから、その問題に対する免疫がない日本人でも 身近に、肌で実感できそうな手がかりを、少しずつ 見つけては、取り上げて、育ててゆくよう 心がけたつもりだ。 稽古を始めてすぐの時期には特に意識して このディスカッションの時間を多めに取ったが、 それにより、結果的に「対話しながら進める」という スタイルを、稽古の中に確立できたように思う。 そのおかげだろうか。 わたしは25年の間、 「外国人作家の戯曲や外国人演出家の演出を 日本人のカンパニーが表現する」という構図の 演劇作品に数え切れないほどたくさん、 それも橋渡しという立場で携わってきたが、 もしかしたらこの『WSS』シーズン1で初めて、 翻訳や通訳が介在したのでは追いつかないレベルにまで 表現を、そのためのコミュニケーションを、 探求することができたのではないか‥‥と、 そんな気がしている。 それはつまり、 外国の文化や価値観を基に与えられた作品や演出を 日本人側が咀嚼する、その咀嚼の仕方や、 そのためのコミュニケーションが、 今までのわたしの体験にないほどの頻度や深度や精度に 到達できた‥‥ということなのかもしれない。 一言で言うならば 「自分のものにする」といったようなことだ。 そうやってこの大きすぎる作品を カンパニーが自分たちのものにし、 世に届けるにあたり、 目指したことが、わたし個人として幾つかあった。 わたしはもちろん演出家ではないのだが、 送り手側に立つ以上、 そして演出家をやっている人間として 演劇作品に関わる以上、 どうしてもクリアしたいことはある。 1つめは、人物たちの筋を通すこと。 『ウエスト・サイド・ストーリー』は 【愚かな不良の若気の至り】という断定も できてしまう物語だ。 『WSS』の登場人物たちは1人として 社会的に恵まれた立場にない。 明るい未来を思い描くために必要なものを、 社会や大人世代によって、与えられていない。 ところが、作品を届ける我々スタッフキャストの 多くは、演劇という夢を叶えてそこにいる。 また、観劇する観客の多くも、1万5000円を 観劇という体験のために支払えるからそこにいる。 つまり、劇場に集まる我々はいわば、 人物たちの誰より、恵まれているのだ。 彼らより多くの選択肢を持ち、 彼らよりずっと広い世界を知っているのだ。 よほど意識しない限り、人間は 他者の苦しみを感じることができない。 ましてや自分より恵まれず余裕もない人間の 苦しみなど、なかなか理解できないどころか、 知らず知らずのうちに上からジャッジすること すらあるのではないだろうか。 しかしこの戯曲では、 若者たちの、一見若さの暴走とも取れる言動、 その一つ一つに、非常に丁寧に、筋が通されている。 選択肢が極めて少ない社会の中で、 「数の論理」「やられたらやり返す」という、 いつの時代でも国家すら動かす明快で単純な 理屈を基にして、この戯曲には全てにおいて 細かく詳細に、因果の鎖が描き込まれている。 人物たちはその因果の鎖の上を、 信じ、大切にしているものを 信じ、大切にすることによって、突き進んでゆく。 しかし、人物それぞれの筋や それが互いに分かち難く絡み合うように 編み上げられた因果の鎖は、 人物たちの背景という裏付けを知ることなくしては 読み取れないようになっている。 また、(これはもう作者たちが意図的に仕組んだ としかわたしには考えられないのだが) この戯曲ではきっちり編み上げられた因果の鎖、 それを繋ぐリンクのうち、最も重要なものが幾つか、 スコッと、抜けているのである! 我々は代数の問題を解くように、抜け落とされた 幾つかのリンクを割り出さなければ、 物語の真髄というか、ラストシーンまでも、 到達できないようになっている。 そんな戯曲なので、人物たちを上からジャッジ するような眼差しを持っているうちは、 物語のスタートラインにすら立つことができない。 だいいち観客の方だって、1万5000円も出して 人物たちを「愚かな若者たちだ」と一蹴にするより、 もっと奥へと分け進みたいものだろうと思う。 『WSS』を世に届ける上で、個人的に どうしてもクリアしたかったことの2つめは、 舞台上に生きる人物一人一人が常に、 本物の人間の感情を、とんでもない色濃さと とんでもない熱で、一瞬一瞬生きている‥‥ ということだった。 ‥‥まぁそれは、敢えて言語化するまでもなく、 全ての演劇が目指すことではあるかもしれない。 しかしこの劇場では、通常と少々、事情が違う。 何しろ機構が大掛かり。 何しろ美術が超リアル。 少し補足説明をすると、 IHI ステージアラウンド東京では、 客席の方が動いてくれるため、 まず舞台が8面も存在する。 そのため、転換をする必要がない。 動かす必要がないから、 舞台美術というよりは建築物と呼ぶべき 重厚なセットが建て込めるし、 本当に人が暮らしているかのように 小道具を細かく飾り込めるのだ。 そんな超リアルな美術が、 客席が回転するという大掛かりな機構が、 芝居を助けてくれると思ったら大間違いだ。 少しでも緩い芝居ぬるい芝居をしたら、その瞬間、 機構に、セットに、 役者は飲まれてしまう。 「アトラクションみたい」と言われる 機構の、美術の、インパクトを上回るほどに 必死に生きていないと、負けてしまうのだ。 本当に心が動いたわけでもないのに 唇が触れ合ったというだけで、 それをキスと呼び恋と呼ぶような、 そんなミュージカルや演劇や映画やドラマは 世界中にいくらでもある。 しかしそんな芝居は、この劇場では通用しない。 (本当は、どこでも通用しないのだが) これについては、 対話を重ねる稽古を通して 人物たちそれぞれの【筋】を通せたことで 俳優たちはその分、人物の言動を信じて 生きることができたのではないかと感じている。 自分の言動を信じて生きている人間には、 信じて生きている人間にしかない熱がある、と わたしは思う。 とはいえこの物語���はもちろん 理屈を超えたものも描かれているから、 【筋】=理屈だけでは太刀打ちできない。 しかし、理屈や筋といった理知の部分を 余すことなく追求し抜いた先でしか、 理屈を超えたり、打ち壊すような激情には 到達できないのではないかとわたしは考える。 人物たちが一瞬一瞬を精一杯命いっぱいで生き、 それを俳優たちが持っているもの全てを賭けて、 生きる。 わたしが演出補として観たいと願い 取り組んだのは そんな『ウエスト・サイド・ストーリー』だ。 そんな『ウエスト・サイド・ストーリー』に なっていたかの判断は、 観客ひとりひとりにお任せするとして。 そんな探求を共に歩んだシーズン1の 出演者たち一人一人についても書いておこう。 (これを目にする出演者たちへ。 一人一人への言葉、ここには全然 書ききれなくて、こんな感じになった。 書ききれなくって、ごめんね) トニー、宮野真守。 オーディションで見せてもらった、 全てを包み込むような圧倒的な包容力が、 わたしにとってはキャスティングの決め手だった。 (キャスティングは集団で段階的に行ったので 審査をした一人一人にそれぞれの決め手があったと 思うが、わたしにとっての決め手はこれだった) 宮野真守という表現者は世間から「器用」と 評されているのではないかと思うことがあるが、 わたしから見たマモはむしろその逆だった。 傷だらけになったり失敗したりしつつ恐れることなく 常に心の全てで、全力でぶつかってゆく、 不器用で人間くさいトニーを生きてくれた。 トニー、蒼井翔太。 「この人は本当に新しい世界、新しい自分が 見たいんだな」とオーディションから伝わってきた。 それこそまさに、トニーではないか。 与えられたり見つかったりした手がかりの 一つ一つを、一瞬にして、しかも物凄く本質的に、 捉える翔太持ち前のセンスと、 やはり翔太持ち前の、脱帽する他ない勇敢さで、 翔太にしか表現できないトニーを切り拓いた。 本当に対照的な2人のトニーだったけれど、 演じた2人のお名前にそれが象徴されていたことが わたしにはとても運命的に思われた。 大切な人や、自分なりの真実を、守りたいトニー。 新たな世界を求めて、蒼い空高く飛翔するトニー。 対照的でいて、確かにどちらも、トニーだった。 マリア、北乃きい。 オーディションの時から、一般的なマリア像、 通り一遍のヒロインとは一線を画すような、 熱と情念、そして同じだけの繊細さが、感じられた。 若さゆえに兄から色々と押さえつけられてはいても 既に情熱と官能が成熟した、プエルト・リコの女。 ベルナルドと同じ、熱く誇り高い血が流れていて、 たった1日だけでも、一生分の愛を生きることが できる——きいちゃんは、そんな説得力を持って、 マリアを生きてくれたと思う。 マリア、笹本玲奈。 これほどミュージカルを知り尽くした女優が これほど裸で飛び込むということそれ自体に、 オーディションでも、稽古でも、本当に多くを 教えてもらった。裸で飛び込むからこその、 少女が女になる直前の、儚い煌めきと愛らしさ。 舞台上で起きて転がった全て、命も死も、 本当に全てを、その身に引き受ける、 あのとてつもない大きさ。強さ。そして気高さ。 玲奈ちゃんに、大きな愛を、見せてもらった。 アニータ、樋口麻美。 太陽のように、熱くあたたかいアニータ! 全てを受け止め、全てを受け入れられるほどに 大きな器を、絶えず愛や悲しみでいっぱいに 満たして、アニータを生きてくれた。 アニータ、三森すずこ。 自信がなさそうにも見えた稽古の最初の頃が、 今ではもう信じられない。 花って、大輪の花って、こうやって咲くのかと思う。 愛と自信が大輪に咲き誇る、強く美しいアニータ。 リフ、小野田龍之介。 ブレなくて頼れるリーダーでありながら、実は一番 やんちゃで、負けず嫌いで、いちいち何でも悔しくて、 甘えん坊。本当はジェッツを一番必要としているのは リフだって、リフ之介は心から納得させてくれた。 リフ、上山竜治。 何も持っていない若者が、まるで全てを持っている 者かのような優しさで、仲間たちを丸ごと愛していた。 それがとても頼もしく、同時に切なくもあった。 男の気骨、その脆さは、竜治ならではのリフだった。 ベルナルド、中河内雅貴。 何て愛の大きい男だったろう。 でっかい夢を見て、仲間と家族を愛し抜き守り抜き、 手が届かないことを心底悔しがって、時に吠え、 世界に立ち向かう。男だね。雅のベルナルド。 ベルナルド、水田航生。 シャークスならではの隙のない物腰と殺気。 恋人はもちろん妹や仲間たちに対しても細やかで 紳士的で、余裕と器の大きさを感じるけれど、 敵に回すと実は一番怖い。それが航生のベルナルド。 ドク、小林隆。 こばさんのドクは、トニーだけじゃなくジェッツを、 そしてこの荒んだ街での営みの一つ一つを、 たゆみなく、時に父のような厳しさで、愛してくれた。 作品世界を映し出す、鏡のような存在。 シュランク、堀部圭亮。 シュランクの存在によって物語は常に追いつめられる。 戯曲より今回、それが際立ったのは堀部さんのお力だ。 現代東京とは全く違った警察という存在を 理屈でも理屈じゃない部分でも体現してくれた。 クラプキ、吉田ウーロン太。 作品世界において本当に大切な警察という存在の うち、シュランクとはあまりに対照的な一面を、 ウーロン太さんはたった1人で担ってくれた。 グラッドハンド、レ・ロマネスク TOBI。 TOBI さんは3つの役を通して、 物語が曲がり角を迎える時に必ずいてくれた。 大切な役回り、ありがとうございました。 アクション、田極翼。 超絶頼れる我らが(ダンス)キャプテン翼。 芝居の面でも、まるで生まれ変わったみたいに 目覚しい変化を見せてくれた! ビッグディール、樋口祥久。 矛盾を抱えて複雑なビッグディールという人物を、 ぐっぴーは繊細で柔らかな感性で演じてくれた。 A-ラブ、笹岡征矢。 ベビージョンとA-ラブの2人が物語で辿る旅が、 かつてのトニリフと完全に重なるということを、 征矢の芝居が教えてくれた。 ベビージョン、工藤広夢。 工藤広夢の【いま】に『WSS』上演が重なった 奇跡を、演劇の神さまに、幾ら感謝しても、 感謝し足りない。 スノーボーイ、穴沢裕介。 スノーボーイからリフへの愛とリスペクトが 徹底的に貫かれていたことが、ジェッツの底力の 基礎になっていたと思う。 ディーゼル、小南竜平。 無口で頼れるディーゼルそのもの!芝居の話を するたびに、竜平のまなざしの細やかさと深度に、 いつもいつもハッとさせられた。 エニィバディズ、伊藤かの子。 オーディションで一目惚れしたエニ子! この作品世界の描く希望を、そして絶望を、体現し、 背負い、繋ぎ、抱きしめさせてくれた。 グラッツィエーラ、酒井比那。 たった1人でリフとのあのとんでもないダンスを 78回踊りきってくれたことに拍手したい。 リフを亡くした後の芝居、好きだったなぁ。 ヴェルマ、今井晶乃。 一分の隙もない美しさとシャープさ、 これぞ誇り高きジェッツ・ガール! かと思えばバレエでは、浄化を体現してくれた。 ザザ、井上真由子。 ジェッツの複雑な男女関係を一手に引き受けた その姿、かっこよくて、哀しくて、大好きだった。 ホッツィ、笘篠ひとみ。 小柄でキュートなとまちゃんが、踊り始めると 空気が変わる。ジェッツ男子も顔負けの切れ味、 これぞ COOL! マグジー、鈴木さあや。 ダンスパーティでもスケルツォでも 子鹿のようなダンスと存在感を見せてくれた。 ジェッツにも希望がある、といつも思えた。 チノ、高原紳輔。 大人なチノだからこその悲劇を見せてくれた。 「一つ違ったら、チノは王子さま」それを 体現しつつ、それに囚われずにもいてくれた。 ペペ、斎藤准一郎。 表情の豊かさと、クールなシャークスの ナンバー2を、絶妙のバランスで生きてくれた。 コンスエロとの睦まじさ、好きだったなぁ。 インカ、前原雅樹 aka パッション。 パッションのインカが持つ熱さと暖かさと、 ジェッツに対して見せる猛烈な怒り。 その振り幅に、いつも釘付けだった! ボロ、東間一貴。 シャークスの中で突出して爽やかに見せて おきながら、真っ先にトニーに飛びかかっていく あの熱さ。忘れられない。 ティオ、渡辺謙典。 大人っぽい佇まいのけんけんティオなのに、 フェルナンダとのカップルっぷりは とってもキュートで‥‥素敵だった! フェデリコ、橋田康。 ダンスパーティでの色っぽさはシャークス 随一だったと思う。いつも目を奪われていた。 コンスエロ、大泰司桃子。 桃ちゃんの頼れるコメディエンヌっぷりが 思う存分発揮されたということは、シーズン1の 成果の一つではないかとさえ思う。 しかも、我らが頼れるヴォーカルキャプテン。 フェルナンダ、山崎朱菜。 あんなにハードな『アメリカ』のナンバーを あんなに嬉しそうに楽しそうにキラキラ踊る人が、 いや踊れる人が、他にいるだろうか! ロザリア、田中里佳。 ガールズにどんなにプエルト・リコを悪く 言われても、ロザリアの心のプエルト・リコは いつも変わらず、負けずに、美しい。その強さが 『アメリカ』には不可欠だった。 アリシア、内田百合香。 ブレないロザリアの隣で、プエルト・リコへの 悪口に心を痛めたり憤慨したり、そして最後には‥‥ くるくる変わる表情にいつも楽しませてもらった。 ベベシータ、淺越葉菜。 『アメリカ』では地に足ついて自信に溢れて‥‥ でもバレエの時は幻想を全て纏うかのような、 心溶かす美しさ! 最高に頼れる、我らがダンスキャプテン! スウィング、大村真佑。 ジェッツの一員アイスとして毎公演『Cool』を 踊り、公演によってはバレエもセンターで踊り、 アシスタントダンスキャプテンでもあって‥‥ 大活躍の、頼れるダイソン。 スウィング、畠山翔太。 翼の代わりにアクション役を務め上げた 勇姿はシーズン1の忘れ難き光景の1つだ。 日々シャークスのニブルスを演じ、 バレエも踊り、その上ファイトキャプテンも‥‥! スウィング、脇坂美帆。 シャークスとしてダンスパーティを艶やかに彩り、 時にはバレエもセンターで踊り‥‥ 頼れるアシスタントダンスキャプテンとしても 日々活躍してくれた。 スウィング、矢吹世奈。 『アメリカ』での、独特のウィットと女っぽさ、 茶目っ気ある色気に溢れた魅せ方は実に鮮やか! 存在感があって、流石だった。 41人の出演者全員、それぞれに、心から、 ありがとうございました。 「〜してくれた」という表現は ちょっと上からな印象を与えてしまうかも 知れないが、舞台に立って物語を伝えるということが どれだけ大変か、そして勇気の要ることかを知り、 かつそれを見せてもらう立場であった わたしなりの、精一杯の言葉のつもりです。 次は演出補でなく演出家としてみんなに 再会できるよう、精進したいと思います。 本当はこのままスタッフ一人一人についても 書きたいけれど、絶対に行き届かないことに なってしまう気がするので、割愛します。 最後に、 『ウエスト・サイド・ストーリー』シーズン1を ご観劇いただいた皆さま、 愛してくださった皆さま、 ありがとうございました。 次は演出補でなく、 わたしの演出家としての仕事をご覧いただけるよう、 精進したいと思います。 (敬称略) 薛 珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)
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