Tumgik
#ひさびさに有塩
ari0921 · 1 year
Text
カルタゴ滅亡をトレースする現代日本
◆カルタゴはなぜ滅んだのか?!
日本と同じような商人国家であったカルタゴが、完膚なきまでに滅ぼされた例を他山の石として日本人は国防を考え直す必要があると切に思うからです。
カルタゴは紀元前250年頃、地中海に覇を唱えていた大国でした。
第2次ポエニ戦争に負けて、戦勝国から武装を解除させられ、戦争を放棄することになったカルタゴは、戦後の復興を貿易一筋で見事に成し遂げ、戦後賠償も全てきれいに払い終えました。しかし、その経済を脅威だと捉えたローマ帝国によって、結局は滅ぼされてしまいました。
滅ぼされる直前、カルタゴの愛国者であるハンニバル将軍は、ローマの考えを悟り、祖国の危機をカルタゴ市民に訴えましたが、平和ぼけした市民は耳を貸そうとしませんでした。
それどころか「ハンニバルは戦争をしようとしている!」と中傷する者さえいました。しかも、最終的にハンニバルはローマに洗脳された者達によってローマに売られ、自殺にまで追い込まれてしまったのです。
平和ぼけした市民は、ローマから無理難題を次々に要求されてからはじめてハンニバルの警告が正しかったことに気が付きましたが、時すでに遅く、徹底抗戦に踏み切るもカルタゴの陥落を防ぐことはできませんでした。この間、たった3年の出来事でした。
ちなみに、生き残ったカルタゴ市民は約5万人でしたが、その全てが奴隷にされてしまいました。城塞は更地になるまで徹底的に破壊され、再びこの地に人が住み、作物が実らぬように大量の塩が撒かれたと言われています。
これはただの負け方ではありません。まさに地上からの抹殺です。
この悲惨なカルタゴ滅亡の理由は2つあると言われています。
1つは、カルタゴ市民が軍事についてほとんど無関心だったことが挙げられます。もともと自国の防衛はおおむね傭兵に頼っていた上に、国内世論も「平和主義的」な論調が強く、有事に備えて軍事力を蓄えておくといったことはままなりませんでした。
2つめは、国内の思想が分裂状態であったことが挙げられます。そもそも挙国一致して事に当たらなければ有事を乗り切ることはなかなか難しいものですが、カルタゴにはそれがなく、戦時中にハンニバルが外地を転戦している間も市民は素知らぬ顔をしていました。そして、ハンニバルを売り渡したのは、ローマに洗脳されたカルタゴの売国奴達でした。
自らの手で愛国者を切り捨てる・・・かくしてカルタゴは「滅ぶべくして」滅んだわけですが、私は今の日本がこのカルタゴに酷似している様に見えて仕方がありません。
今こそ日本の国防を真剣に考えないと本当に危ないと思います。
【対比】日本と似すぎているカルタゴの運命
カルタゴは、フェニキア人が建国した海洋国家で、現在のアフリカ大陸チュニジアに位置しています。
カルタゴは、世界一の造船技術を持ち、スペイン、シチリア島などの海外領土を支配していました。
紀元前3世紀、地中海貿易により富を蓄え、ローマ帝国と並ぶ強国となります。
BC264年、両者の中間にあるシシリー島で紛争がおこります。そして、これを契機にカルタゴとローマは、世界の覇権を賭けて激突します。この戦いは、23年間の中断をはさんで63年間続きます。(第一次ポエニ戦争、第二次ポエニ戦争)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1867年、島国日本は、長い眠りから覚め、明治維新により近代国家への道を目指します。西洋文明を積極的に取り入れ、富国強兵に邁進します。日清・日露の戦争に勝ち、朝鮮、台湾、南樺太と領土を拡張します。
強国となった日本は、戦艦大和を建造して、世界有数の海軍を持ち、
太平洋をはさみ、超大国アメリカと対峙します。
1941年12月、日本連合艦隊は、ハワイの真珠湾の奇襲に成功します。太平洋戦争が始まります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
カルタゴの英雄ハンニバルは、象36頭と兵士5万人を率いて、スペインを出発します。象を連れて、アルプス山脈越えに成功、ローマの本拠地イタリア半島を奇襲します。ハンニバルは、イタリアに、なんと15年も踏みとどまり、ローマを一時追い詰めます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「マレーの虎」山下奉文中将は、マレー半島を南下、シンガポールに侵攻します。インド兵への離反策が成功し、1942年2月15日シンガポールは陥落、イギリス軍は降伏します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
カルタゴは、地力に勝るローマに対して次第に劣勢になります。ついに、名将スキピオ率いるローマ軍が、カルタゴの本拠地に進軍します。カルタゴは、イタリアで善戦していたハンニバルを帰国させ、本土決戦に賭けます。BC202年、天下分け目の戦い(ザマの戦い)が行われます。カルタゴの完膚なき負け戦でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
アメリカは、生産力、技術力で日本に勝っていました。ミッドウェー海戦を境に、戦局は逆転します。ガダルカナル、硫黄島、沖縄。日本は、敗退を続けます。本土空襲が激しくなり、広島と長崎に原爆が投下されます。日本の完膚なき負け戦でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
カルタゴは、ローマに無条件降伏します。
全ての海外領土は、放棄され、軍船、象もローマに引き渡されます。軍隊は、自衛のためのものだけが許されました。そして、自衛のためでも戦争する場合、ローマの許可が要ることになったのです。(この許可の項目が、後に大問題となります)
そして、50年賦で1万タラントの賠償金をローマに支払うことが決まります。
ともかく、カルタゴの町は、無事に残りました。100人会は、貴族の世襲制でしたが、戦後まもなく代議員が選挙で選ばれるようになります。
カルタゴは、民主主義の国家に生まれ変わります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「忍び難きを忍び、耐え難きを耐え・・・」玉音放送が流れ、日本は無条件降伏します。
日本列島以外の領土は、返還されます。アメリカが決めた平和憲法で戦争が放棄されます。(後に自衛隊が誕生します。)国土は焼け野原、アジア諸国には賠償金の支払いが必要でした。ともかく、本土決戦だけは避けられました。
日本は、天皇主権の国家から、主権在民の民主主義国家に生まれ変わります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
カルタゴ人(フェニキア人)は、ユダヤ人やアラビア商人と同じセム語族で、最も商才があるといわれている種族です。
軍事国家への野心を棄てたカルタゴ人は、ますます貿易や商売に熱中するようになります。ローマ人は、楽しむために働きましたが、カルタゴ人は働くこと自体が人生の目的でした。奇跡の経済復興が実現します。
戦勝国ローマは、休む間もなく、マケドニアやシリアと戦わなければなりません。軍備費の要らないカルタゴは、次第にローマに匹敵する経済大国に、のしあがります。
BC191年ローマは、シリアを打ち破ります。
無敵の軍事大国ローマにとっての脅威は、経済大国カルタゴに移っていくのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日本人には、勤勉さと物作りの才能がありました。
焼け原から立ち上がった日本人は、ひたすら一生懸命働くことで豊かになろうとしました。エコノミックアニマルと日本人は、陰口を叩かれます。奇跡の経済復興が実現します。
アメリカの核の傘に入り、軍事費もいりません。戦勝国アメリカは、ソ連との冷戦を戦わなくてはなりませんでした。
10%を超す高度経済成長が続きます。日本は、世界第二位の経済大国になります。
ソ連が崩壊し、日米の経済摩擦が激化します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
BC187年、カルタゴは、50年賦と決められた賠償金を一括払いしたいと申し出ます。いくら叩いても不死鳥のように蘇る、カルタゴ人の経済力に、ローマ人は、羨望と恐怖心を抱きます。ポエニ戦争の悪夢がふと蘇ります。
経済大国カルタゴの最大の悩みは、隣国のヌミディアでした。ヌミディアは、騎馬兵団で有名な、戦争に強い国です。自衛力しか持たないカルタゴを侮り、その領土を侵犯します。
カルタゴは、ローマに調停を頼みますが、黒幕のローマはもちろん取り合いません。ついに、カルタゴとヌミディアの間で戦争が起こり、平和の国カルタゴは、敗北します。
ローマの事前許可のない戦争開始は、条約違反でした。
ローマは、カルタゴに対して、突然宣戦布告をします。
驚いたのは、カルタゴです。ローマの許しを得ようと、300人の貴族の子供を人質に差し出します。しかし、8万人の世界最強のローマ兵が、上陸し、カルタゴに進軍します。
カルタゴの使者が、「どうすれば、許していただけるのですか?」とローマの司令官に聞きます。
「全ての武器を差し出せ。」司令官は、答えます。
カルタゴは、20万人分の鎧、投げやり、投げ矢、2000の石弓を司令官に差し出します。
すると、司令官は、最後の要求を使者に言い渡します。
我々は、カルタゴの街を根こそぎ破壊することを決めた。
カルタゴ人には、今の街より10マイル内陸部に
新しい居住地帯を造ることを許可しよう。
使者からローマの意��を聞いた20万人のカルタゴ人は、驚愕して、嘆き悲しみ、最後に激怒します。
「こんなひどい仕打ちがあろうか。街を破壊するだと。
内陸部に引っ込めだと。どうせ死ぬなら戦って死のう!」
カルタゴ人は、丸腰で戦う覚悟を決めます。返事の猶予期間の30日間、密かに戦争準備がすすめられます。
武器職人は、連日徹夜で武器を作ります。
若い女性は、長い髪を元から切って石弓の弦が作られます。
こうして、始まったのが、第三次ポエニ戦争でした。
(戦争というより、ローマによるカルタゴの民族浄化です。)
カルタゴは、ここで奇跡的な粘りを見せます。なんと丸腰で三年間ローマの猛攻を食い止めたのです。
しかし、戦闘と飢えと疫病で、20万人のカルタゴ市民は、10万人に減ります。
そして、ついに、ローマ兵は城壁を破り、街へ進入します。
女、子供までがレンガを投げて抵抗しますが、5万人が虐殺されます。
ビュルサの砦に逃げ込んだ5万人のカルタゴ人は、オリーブの枝を掲げて投降します。
彼らは、一部が処刑され、残りは奴隷として売られます。
カルタゴの街は、十数日燃えつづけ、灰は1メートル積もります。カルタゴの復活を恐れたローマ人は、この地に塩を撒き不毛の土地にします。
700年続いた経済大国カルタゴと世界の富を独占したカルタゴ人は、BC146年こうして滅んだのです。
Tumblr media Tumblr media
304 notes · View notes
kennak · 5 months
Quote
今回の報告書で「消滅可能性自治体」とされた自治体は、以下の通り。 【北海道】 函館市、小樽市、釧路市、夕張市、岩見沢市、網走市、留萌市、稚内市、美唄市、芦別市、赤平市、紋別市、士別市、三笠市、根室市、砂川市、歌志内市、深川市、富良野市、登別市、伊達市、北斗市、当別町、新篠津村、松前町、福島町、知内町、木古内町、鹿部町、森町、八雲町、長万部町、江差町、上ノ国町、厚沢部町、乙部町、奥尻町、今金町、せたな町、島牧村、寿都町、黒松内町、京極町、共和町、岩内町、泊村、神恵内村、、積丹町、古平町、余市町、赤井川村、南幌町、奈井江町、上砂川町、由仁町、長沼町、栗山町、月形町、妹背牛町、雨竜町、北竜町、沼田町、当麻町、比布町、愛別町、上川町、上富良野町、和寒町、剣淵町、美深町、音威子府村、幌加内町、増毛町、小平町、苫前町、羽幌町、遠別町、浜頓別町、中頓別町、枝幸町、豊富町、利尻町、美幌町、津別町、清里町、小清水町、訓子府町、佐呂間町、遠軽町、湧別町、滝上町、西興部村、雄武町、大空町、豊浦町、白老町、洞爺湖町、むかわ町、日高町、平取町、浦河町、様似町、えりも町、新ひだか町、士幌町、広尾町、池田町、豊頃町、本別町、浦幌町、釧路町、厚岸町、浜中町、標茶町、弟子屈町、白糠町、羅臼町 【青森県】 青森市、弘前市、八戸市、黒石市、五所川原市、十和田市、むつ市、つがる市、平川市、平内町、今別町、蓬田村、外ヶ浜町、鰺ヶ沢町、深浦町、藤崎町、大鰐町、板柳町、鶴田町、中泊町、野辺地町、七戸町、横浜町、東北町、六ヶ所村、大間町、東通村、風間浦村、佐井村、三戸町、五戸町、田子町、南部町、階上町、新郷村 【岩手県】 宮古市、大船渡市、久慈市、遠野市、一関市、陸前高田市、釜石市、二戸市、八幡平市、奥州市、雫石町、葛巻町、岩手町、西和賀町、平泉町、住田町、大槌町、山田町、岩泉町、田野畑村、普代村、軽米町、野田村、九戸村、洋野町、一戸町 【宮城県】 石巻市、気仙沼市、白石市、角田市、登米市、栗原市、蔵王町、七ヶ宿町、村田町、川崎町、丸森町、松島町、七ヶ浜町、大郷町、色麻町、加美町、涌谷町、女川町、南三陸町 【秋田県】 能代市、横手市、大館市、男鹿市、湯沢市、鹿角市、由利本荘市、潟上市、大仙市、北秋田市、にかほ市、仙北市、小坂町、上小阿仁村、藤里町、三種町、八峰町、五城目町、八郎潟町、井川町、大潟村、美郷町、羽後町、東成瀬村 【山形県】 鶴岡市、酒田市、新庄市、上山市、村山市、長井市、尾花沢市、山辺町、中山町、河北町、西川町、朝日町、大江町、大石田町、金山町、最上町、舟形町、真室川町、大蔵村、鮭川村、戸沢村、高畠町、川西町、小国町、白鷹町、飯豊町、庄内町、遊佐町 【福島県】 会津若松市、白河市、喜多方市、二本松市、田村市、伊達市、桑折町、国見町、川俣町、天栄村、下郷町、檜枝岐村、只見町、南会津町、北塩原村、西会津町、猪苗代町、会津坂下町、三島町、金山町、会津美里町、泉崎村、棚倉町、矢祭町、塙町、鮫川村、石川町、玉川村、平田村、浅川町、古殿町、三春町、小野町 【茨城県】 日立市、常陸太田市、高萩市、北茨城市、潮来市、常陸大宮市、稲敷市、桜川市、行方市、鉾田市、城里町、大子町、美浦村、河内町、八千代町、五霞町、利根町 【栃木県】 日光市、矢板市、那須烏山市、益子町、茂木町、市貝町、塩谷町、那珂川町、 【群馬県】 桐生市、沼田市、渋川市、藤岡市、富岡市、安中市、上野村、神流町、下仁田町、南牧村、甘楽町、中之条町、長野原町、嬬恋村、草津町、東吾妻町、片品村、みなかみ町、玉村町、板倉町 【埼玉県】 行田市、秩父市、越生町、小川町、川島町、吉見町、鳩山町、ときがわ町、横瀬町、皆野町、長瀞町、小鹿野町、東秩父村、神川町、寄居町、松伏町 【千葉県】 銚子市、勝浦市、富津市、八街市、南房総市、匝瑳市、香取市、山武市、いすみ市、栄町、神崎町、多古町、東庄町、九十九里町、芝山町、横芝光町、白子町、長柄町、長南町、大多喜町、御宿町、鋸南町 【東京都】 檜原村、奥多摩町 【神奈川県】 三浦市、中井町、山北町、箱根町、真鶴町、湯河原町 【新潟県】 小千谷市、加茂市、十日町市、村上市、糸魚川市、妙高市、五泉市、阿賀野市、佐渡市、魚沼市、胎内市、田上町、阿賀町、出雲崎町、湯沢町、津南町、関川村、粟島浦村 【富山県】 氷見市、南砺市、上市町、入善町、朝日町 【石川県】 七尾市、輪島市、珠洲市、加賀市、羽咋市、志賀町、宝達志水町、穴水町、能登町、 【福井県】 大野市、勝山市、あわら市、池田町、南越前町、越前町、高浜町、若狭町 【山梨県】 都留市、大月市、韮崎市、上野原市、甲州市、早川町、身延町、南部町、富士川町、道志村、西桂町 【長���県】 大町市、飯山市、小海町、佐久穂町、立科町、長和町、阿南町、阿智村、平谷村、天龍村、上松町、南木曽町、王滝村、大桑村、木曽町、生坂村、筑北村、小谷村、坂城町、高山村、山ノ内町、木島平村、信濃町、小川村、飯綱町、栄村 【岐阜県】 美濃市、瑞浪市、恵那市、山県市、飛騨市、郡上市、下呂市、海津市、養老町、関ケ原町、揖斐川町、池田町、七宗町、八百津町、白川町、東白川村 【静岡県】 熱海市、下田市、伊豆市、御前崎市、牧之原市、東伊豆町、松崎町、西伊豆町、川根本町 【愛知県】 津島市、新城市、南知多町、美浜町、設楽町、東栄町、豊根村 【三重県】 尾鷲市、鳥羽市、熊野市、志摩市、木曽岬町、大台町、度会町、大紀町、南伊勢町、紀北町、御浜町、紀宝町 【滋賀県】 高島市、甲良町 【京都府】 宮津市、京丹後市、井手町、宇治田原町、笠置町、和束町、南山城村、京丹波町、与謝野町 【大阪府】 富田林市、河内長野市、柏原市、門真市、泉南市、阪南市、豊能町、能勢町、岬町、太子町、河南町、千早赤阪村 【兵庫県】 洲本市、西脇市、加西市、養父市、朝来市、宍粟市、多可町、市川町、神河町、上郡町、佐用町、香美町、新温泉町 【奈良県】 大和高田市、五條市、御所市、宇陀市、山添村、安堵町、三宅町、曽爾村、御杖村、高取町、上牧町、河合町、吉野町、大淀町、下市町、黒滝村、野迫川村、十津川村、下北山村、上北山村、川上村、東吉野村 【和歌山県】 海南市、橋本市、有田市、御坊市、田辺市、新宮市、紀の川市、紀美野町、かつらぎ町、九度山町、高野町、湯浅町、広川町、美浜町、由良町、みなべ町、日高川町、白浜町、すさみ町、那智勝浦町、太地町、古座川町、串本町 【鳥取県】 岩美町、若桜町、智頭町、八頭町、大山町、日南町、日野町、江府町 【島根県】 雲南市、奥出雲町、津和野町、隠岐の島町 【岡山県】 玉野市、笠岡市、井原市、高梁市、新見市、備前市、真庭市、美作市、久米南町、吉備中央町 【広島県】 竹原市、府中市、安芸高田市、江田島市、安芸太田町、神石高原町 【山口県】 萩市、長門市、美祢市、周防大島町、上関町、田布施町、平生町、阿武町 【徳島県】 鳴門市、小松島市、吉野川市、阿波市、美馬市、三好市、勝浦町、佐那河内村、神山町、那賀町、牟岐町、美波町、海陽町、上板町、つるぎ町、東みよし町 【香川県】 さぬき市、東かがわ市、土庄町、琴平町 【愛媛県】 宇和島市、八幡浜市、大洲市、四国中央市、西予市、上島町、久万高原町、内子町、伊方町、松野町、鬼北町、愛南町 【高知県】 室戸市、安芸市、須崎市、宿毛市、土佐清水市、四万十市、東洋町、奈半利町、田野町、安田町、北川村、本山町、大豊町、いの町、仁淀川町、中土佐町、佐川町、越知町、檮原町、日高村、津野町、四万十町、大月町、三原村、黒潮町 【福岡県】 嘉麻市、小竹町、鞍手町、東峰村、添田町、川崎町、みやこ町、築上町 【佐賀県】 多久市、玄海町、大町町、白石町、太良町 【長崎県】 平戸市、松浦市、対馬市、壱岐市、五島市、西海市、雲仙市、南島原市、東彼杵町、小値賀町、新上五島町 【熊本県】 水俣市、上天草市、天草市、美里町、和水町、小国町、産山村、高森町、山都町、氷川町、芦北町、津奈木町、多良木町、湯前町、相良村、山江村、球磨村、苓北町 【大分県】 佐伯市、臼杵市、津久見市、竹田市、杵築市、豊後大野市、国東市、姫島村、九重町、玖珠町 【宮崎県】 串間市、えびの市、高原町、国富町、諸塚村、椎葉村、美郷町、高千穂町、日之影町 【鹿児島県】 枕崎市、阿久根市、西之表市、垂水市、曽於市、南九州市、三島村、さつま町、湧水町、錦江町、南大隅町、肝付町、大和村、喜界町、天城町
【全744自治体リスト】「消滅可能性自治体」を一挙公開…北海道から鹿児島まで 出産年代の女性人口が半数以下に 日光市や草津町も  |FNNプライムオンライン
28 notes · View notes
hachikenyakaiwai · 7 months
Text
Tumblr media
【かいわいの時】天保八年(1837)二月十九日:大坂町奉行所元与力大塩平八郎決起(大阪市史編纂所「今日は何の日」)
���波橋を渡った大塩軍は、二手に分かれて今橋筋と高麗橋筋に進みます。森鴎外の『大塩平八郎』には次のように描写されています。
方略の第二段に襲撃を加へることにしてある大阪富豪の家々は、北船場に簇(むら)がつてゐるので、もう悉く指顧の間にある。平八郎は倅格之助、瀬田以下の重立つた人々を呼んで、手筈の通に取り掛かれと命じた。北側の今橋筋には鴻池屋善右衛門、同く庄兵衛、同善五郎、天王寺屋五兵衛、平野屋五兵衛等の大商人がゐる。南側の高麗橋筋には三井、岩城桝屋等の大店がある。誰がどこに向ふと云ふこと、どう脅喝してどう談判すると云ふこと、取り出した金銭米穀はどう取り扱ふと云ふこと抔(など)は、一々方略に取り極きめてあつたので、ここでも為事(しごと)は自然に発展した。只銭穀の取扱だけは全く予定した所と相違して、雑人共は身に着つけられる限の金銀を身に着けて、思ひ/\に立ち退いてしまつた。鴻池本家の外は、大抵金庫を破壊せられたので、今橋筋には二分金が道にばら蒔まいてあつた。(七、船場)
この時の模様は、被害に遭った商人側でも詳細な記録が残されており、たとえば、三井文庫所蔵の史料「天保七年 浪速持丸長者鑑」(写真=コメント欄)には、焼き打ちされた商家に赤線が引かれています。ランク順に並べてみると
鴻池善右衛門(総後見)、三井呉服店(行事)、岩城呉服店(行事)、米屋平右衛門(東小結)、鴻池他治郎(西小結)、鴻池正兵衛(西前頭)、米屋喜兵衛(西前頭)、日野屋久右エ門、炭屋彦五郎、米屋長兵衛、甥屋七右衛門、和泉屋甚治郎、鴻池徳兵衛、長崎屋与兵衛、米屋与兵衛、泉屋新右衛門、紙屋源兵衛、小西佐兵衛、越後屋新十郎、よしの屋久右衛門、大庭屋甚九郎、昆布屋七兵衛、さくらいや八兵衛、平野屋喜兵衛、某
など、25商(店)の名前があがっています。今橋筋、高麗橋筋の商家は軒並み焼き打ちに遇っています。肥後橋の加島屋久右衛門(西大関)はコースから外れていたため難を逃れたようです。
(写真)「天保七年 浪速持丸長者鑑」1837(公益財団法人 三井文庫蔵) 相撲の番付表のように商人をランキングした表で、大塩の乱で被害を受けた商家に赤線が引かれている。三井、鴻池などが被害にあっていることがわかる(三井広報委員会)。
また、諸家の記録から、事件当日の様子や対応策、その後の復旧策を見てみると
(鴻池家)加島屋某筆とされる『天保日記』(大阪市立中央図書館所蔵)では天保八年(一八三七)二月十九日、火見台から望見して「鴻池本宅黒焰大盛二立登、其恐懼シキ事不可云」、幸町別邸めざして落ちのび、そこで加島屋某らが「鴻池於隆君・勝治・和五郎」らと無事出あうところが生々しくえがかれている。和泉町の鴻池新十郎家の記録 『北辺火事一件留』(大阪商業大学商業史資料館所蔵)でも、鴻池本家当主の善右衛門が土佐藩邸、長音は泰済寺、そのほか瓦屋町別荘などへ逃げ、鴻池深野新田農民をガードマンとして急遽上坂させるなど、その被害状況や防衛対策が丹念に記録されている。
(三井呉服店)三井では、同日三郎助高益(小石川家六代)が上町台地の西方寺に避難し、「誠に絶言語、前代未聞之大変にて」と、 ただちにレポを京都に送り、木材・釘・屋根板・縄莚などをすぐ仕入れ、はやくも三月八日に越後屋呉服店大坂店の仮普請完成=開店している様子が詳細に記録されている。(コメント欄参照)
(住友家)住友家史『垂裕明鑑』には、大塩事件のまっただなかで、泉屋住友が鰻谷(銅吹所その他)から大坂城にむけて鉛八千斤(弾丸)を三度にわけて必死で上納運搬したこと、事件による住友の被害として、「豊後町分家、別家久右衛門・喜三郎掛屋敷の内、備後町・錦町・太郎左衛門町三ケ所延焼」に及んだこと、そして住友の親類の豪商としては、「鴻池屋善右衛門、同善之助、平野屋五兵衛、同郁三郎」家などが軒並み“大塩焼け”で大きな被害をこうむったこと等々が、 生々しく記されている。
三井家では、享保の大飢饉の後に起きた江戸における打ち毀し(1733年)に衝撃を受け、以後、食料の価格が暴騰すると近隣に米や金銭を配って援助したり、また飢えた人々に炊き出しをしたりするなど、三都(江戸・京都・大坂)において施行を継続しています。それが、大塩��八郎の乱では標的にされ、襲撃された大坂本店は全焼、銃撃による負傷者まで出るほどであったと伝えています(三井広報委員会)。
儒学者の山田三川が見聞きした飢饉の様子や世間の窮状を日記風に書き留めた『三川雑記』には、乱の前に大塩は鴻池・加島屋・三井の主人らと談じ、富商十二家から五千両ずつ借りれば六万両となり、これで何とか八月半ばまでの「飢渇」をしのげると、「しばらくの処御取替」を依頼していたとあります。同意した加島屋久右衛門は襲われず、三井と鴻池は反対したため焼き打ちに遭ったとも言われています(山内昌之)。
ただし、『浮世の有様』の天保八年雑記(熊見六竹の筆記)には、この話は「或説」として取り上げられており、それによると、「十人両替へ被仰付候処、町人共御断申上候筋有之」とあります。三井はもちろん、鴻池や加島屋にも記録はなく、風評の域を出ないものと思われます。
(参考文献) 中瀬寿一「鷹藁源兵衛による泉屋住友の “家政改革”-大塩事件の衝撃と天保改革期を中心に-」『経営史学/17 巻』1982 三井広報委員会「三井の苦難(中編)」三井グループ・コミュニケーション誌『MITSUI Field』vol.39|2018 Summer 山内昌之「将軍の世紀」「本当の幕末――徳川幕府の終わりの始まり(5)大塩平八郎の乱」文芸春秋2020 山田三川『三川雑記』吉川弘文館1972 矢野太郎編『国史叢書 浮世の有様』1917
16 notes · View notes
harawata44 · 2 months
Text
新千歳空港やスーパーで手にいれる! 地元民もイチオシの「北海道みやげ」6選 - ライブドアニュース
以下引用
●北海道は観光シーズン真っ只中を迎えようとしています!
 北海道を訪れるなら、どんなお土産を買うべきか悩むところ。今回は、「北海道土産(主に函館)」6選をご紹介!。お土産はもちろん、自分用にも買ってしまいたい絶品です!
新千歳空港でも買える絶品スイーツ「チーズオムレット」
Tumblr media
 まずは、函館の人気洋菓子店『ペイストリースナッフルス』の「チーズオムレット」。厳選されたミルクとチーズを使用し、職人が一つひとつ手作りするこの生菓子は、チーズのほどよい酸味とミルキーな甘さが絶妙な一品です。日持ちはしませんが、自分用や親しい人へのギフトにぴったりです。
トラピスト修道会が製造する「トラピストバター」
Tumblr media
 次に紹介するのは、北斗市のトラピスト修道会が製造する「トラピストバター」。フランスのシトー会修道院に伝わる伝統的な製法で作られる発酵バターで、一度食べたら一般的なバターには戻れないほどの美味しさです。ミルクのコク、香り、甘みを存分に堪能できます。 ●過去の掲載記事はこちらからチェック! https://www.syokuraku-web.com/bar-restaurant/84791/
『セイコーマート』限定「山わさび塩ラーメン 改」
Tumblr media
『セイコーマート』の「山わさび塩ラーメン 改」は、各メディアでも話題の一品。北海道ならではの山わさび(ホースラディッシュ)の強烈な刺激と骨太な塩スープがクセになります。筆者自身も帰省のたびにまとめ買いするほどの愛用品です。 ●過去の掲載記事はこちらからチェック! https://www.syokuraku-web.com/column/74572/
北海道限定のご当地ラーメン「スープカレーラーメン」
Tumblr media
 東洋水産の工場がある北海道だからこそ手に入る「スープカレーラーメン」。スパイシーなコクとチキンや野菜の旨みが絶妙で、トッピングに素揚げした野菜や鶏肉を加えるとより本格的に楽しめます。残ったスープでおじやを作るのも通な楽しみ方です。 ●過去の掲載記事はこちらからチェック! https://www.syokuraku-web.com/column/73185/
お酒好きにおすすめ「大人の塩辛 みそ味ラー油」
Tumblr media
 函館七飯町の『有限会社たかせ』が発売する「大人の塩辛 みそ味ラー油」は、辛党のおつまみにぴったり。味噌とワインで仕込んだイカの塩辛は、味噌のコクとラー油のピリ辛が絶品で、ご飯やバゲットにもよく合います。 ●過去の掲載記事はこちらからチェック! https://www.syokuraku-web.com/column/72413/
『ハセガワストア』の冷凍やきとり
Tumblr media
 最後に紹介するのは、函館のB級グルメ「やきとり弁当」を販売する『ハセガワストア』の冷凍やきとり。真空パックされたやきとりは湯煎するだけで炭火焼の香ばしさが蘇ります。濃い味の「塩ダレ」や「うま辛」、「みそだれ」が特におすすめです。 ●過去の掲載記事はこちら。 https://www.syokuraku-web.com/gift/79918/
まとめ
 北海道旅行では、ぜひこれらのおすすめ土産を手に入れてみてください。友人や家族へのお土産、自分へのご褒美に最適です!旅行計画を立てる際の参考にしてください。
5 notes · View notes
oka-akina · 9 months
Text
1207-1211
1207 たくさん洗濯をした。朝から暖かかい日だった。キムチ鍋の残りにごはんと卵と餅を入れておじやっぽいものを食べた。この餅は母が仕事のお客さんからもらったもので(毎年餅つきするらしい)、食べきれないからと毎年わたしのところにもやってくる。わたしも食べきれなくて冷凍していたやつ。いや母はとっくに退職している。これはいつの餅だろう。いつのかわかんないけどふつうに食べられた。スープジャーにこれを入れてお昼にし、入りきらないぶんを朝食べた。
角川ふざけんなとバチぎれた日記を書いた。バチぎれた日記を書くとソワソワしてしまう。わたしはいろんなことをのろのろのろのろ考えているタイプで結論を遅らせがちなんだけど(意図して遅延させている面もある)、この件の差別的な宣伝文に関しては言える人がすぐ言わないとだめだと思った。「伝染する」はひどい。今後いろんな価値観や常識は変わっていく可能性があるけど、いま、この瞬間、「伝染する」にショックを受ける(受けた)人たちがいることを無視しちゃだめだと思った。どのような本も出版を妨げられるべきではないというのはそれはそうなんだろうけど、と同時にNOは言わなきゃと思った。このあいだの日記でも書いたけどわたしにはひどいミサンドリーがあり、自分のあたまで考えたつもりのことはまちがいだらけなんじゃないかと不安でたまらないし、実際しくじりも後悔も多い。でもそれはそれとして「伝染する」はありえねーわ。そう思ったいまのこの気持ちを大事にしたいと思った。
なんかいろいろ終わらなくて観に行きたかった映画を観に行けなかった。しょんぼりしながら帰って寝た。
1208 今日も暖かい。寒さに慣れてきたのもあるかもしれない。デニムのセットアップで出かける。セットアップって好き。太ってからメンズのセットアップをよく着るようになった。 甥の誕生日プレゼントを買う。妹にリクエストをきいたら絵本がいいとのこと。「からすのパンやさん」と「スイミー」が気に入っているからそれ以外のかこさとしかレオ・レオニとの指定。五歳になる。絵本の読み聞かせは書いてある文字をぜんぶ読んであげないと怒るそうで、奥付も音読しているらしい。偕成社、東京都新宿区市ヶ谷砂土原町…とかそういうの。わたしも親向けの解説とかぜんぶ読んでたな。
ブックファーストに行ったら絵本はほぼシュリンクされていて、中身が見られなくてちょっと困った。汚損防止だろうけど表紙しかわかんないんじゃネットで買うより不便だ…。 「どろぼうがっこう」、「だるまちゃんとてんぐちゃん」、「おんがくねずみジェラルディン」、「さんびきのやぎのがらがらどん」をチョイス。中身がわからないから自分の好きなものになる。ジェラルディンはえものおすすめ。だるまちゃんとてんぐちゃんだけシュリンクされてなかったのでぱらっと読んだ。こんないい話だったっけ…ちょっと泣きそうになった。
だるまちゃんがてんぐちゃんの持ち物をつぎつぎほしがり、お父さんに相談して近しいものを手に入れていく。天狗の下駄とか帽子とか。似ているものを探し、自分用を作り出していくさまがかわいくて面白い。あるときてんぐちゃんの鼻にちょうちょがとまって、だるまちゃんも長い鼻をほしがる。最初お父さんは蝶がとまるなら花だと思って色とりどりのお花を並べてみせるんだけど、ちがうそうじゃないんだ、花じゃなくて鼻なんだ、自分は長い鼻がほしいのだとだるまちゃんは訴える。お父さんはお餅をついて鼻を作ってあげて、だるまちゃんは立派な鼻を手に入れる。鼻の先に小鳥がとまって、てんぐちゃんも一緒によろこんで、めでたしめでたし。 めっちゃいい話だな。こういうのって、他人の所有物や身体の特徴をうらやましがるのはやめましょう、自分のあるがままを愛しましょう的なメッセージにしちゃいがちだけど、ほしいものをなんとかこしらえ手に入れるっていうのがいい。めちゃめちゃいい。飛躍しすぎかもだけどこれFTMの話だなって思った。
お昼はピザ。ドミノピザがブラックフライデーで600円というのをやっていて、ブラックフライデーってもう終わってないか?と思ったんだけど(一応ネットでも調べた、12/3までのキャンペーンと書いてあった)、店の窓には600円ですと書いてあるのでこれまだやってるんですかとたずねたらやっていた。一人で昼間からピザ食べるの浮かれてて面白いな。食べたらとても眠くなりやるべきいろいろが捗らなかった。夕方、通販とか書店さんへの荷物を送った。 夜ごはんはかぶと豚の炊き込みご飯。インターネットで見かけたレシピ。あとじゃがいもの煮物と、ほうれん草を炒めたやつ。ほうれん草はナムルかごまあえにしようかと思っていたけどめんどくさくなって塩胡椒で炒めた。炒めただけなのにやけにおいしくて、なんだか感心してしまった。それで(っていうのも意味わかんないと思うけど)久しぶりにヘミングウェイの『老人と海』を読み返した。
1209 甥の誕生日会。妹と妹の夫の勤めている会社の保養所みたいなところですき焼きを食べた。旅館みたいな畳の個室。甥が卵を割ってかきまぜてくれた。駅から保養所への道で父が転んで血だらけになり、店の人にばんそうこうをもらった。何やってんのと母は呆れ、父はばつの悪そうにしていた。これ以上言ったら機嫌が悪くなるからさっさと手当てして話題を変えようという連携プレーがあった。うちの父はいつも威張っていて口が悪く、その一方で信じられないくらいうっかり者で、離れて暮らしていると困った奴だなーとやや笑えるけど毎日一緒にいると扱いづらくて大変だろうなと思う。ただ母も言動に軽はずみなところがありわたしはしばしばぎょっとするので、まあちょうどいいんだろうなと思う。ちょっと飲みすぎた。瓶ビールを何本か飲んだあと、妹と父とわたしで日本酒の四号瓶をあけた。甥がどんぐりをたくさん拾った。一個ちょうだいと言ったら二個くれた。すべすべした立派などんぐりだった。すごく眠かったけど帰り道だったので新宿アルタ前のスタンディングにちょこっとだけ参加。STANDING DEMO QUEERS FOR PALESTINEっていうやつ。人多かった。帰ってから少し寝て、起きて小説を書いた。夜になっておなかがすいたのでコムタンを食べた。
1210 原稿を提出。ちょっとすっきりした気持ち。日記祭に行く。望月柚花さんと待ち合わせ。新しい下北沢にいまだ慣れないという話。ずっと慣れない気がする。バインミーを食べた。レバーペーストがこってりしていてパンがしっかり固くて、これだよ〜!というバインミーだった。 日記祭、わたしの探し方が悪いのかもなんだけど委託?の本がどこにあるのかよくわからなくていくつか見つけられなかった。売り切れもあった。うろうろ歩きまわって見つけらんない感じにきのうの父を思い出した。似てんのかな。口ばかり達者でうっかり者。でもいい天気であたたかくて、見つからないのもしょうがないなという気持ちになった。外でやるイベントいいな。隙間さんの『うつわ日記』と図Yカニナさんの『沖縄に六日間』を買った。 柚花さんと文章の話とか着物の話とかしながらビールを飲んだ。ミントマイナスマイナスのことを覚えていてくださってうれしかった。そしてしゃべっている途中、ネプリにしているステッカーのPalestinaのつづりがまちがってませんかと糸川さんがDMで教えてくださって、自分はほんとにうっかり者だな…と反省した。父はわたしの名前の漢字をしょっちゅうまちがえるのを思い出す。
ドーナツを買って柚花さんとバイバイし、国会前のデモへ。この日は黒のオールインワン(ツナギ)を着ていて、最近イベントとかスタンディングに行くときよく着てる。どこでも座れるしポケットいっぱいあって便利。日記祭行ってビール飲んでドーナツ持ってデモ行くのどうなんだと思いつつ、そのくらいで参加するおっちょこちょいがいてもいいような気もする。あとやっぱりこういうのにぶらっと行けるのは関東民の特権なんだろうなとは思うので、行けるやつは行っとくほうがいいかなと思っている。そこそこ元気で、子育てや介護やぜったい抜けられない仕事とかもないし。 国会前のデモは年齢層が高くてちょっとびっくりした。ナクバを生き延びたパレスチナ人のお孫さんという方がスピーチしていて、胸が詰まった。警察がすごく多かった。地下鉄の出口を出たところで「イベントに参加の人ですか?」と道案内されかけ、イベントではなくないか…?と思った。
日比谷公園でドーナツを食べ、さっき買った日記を読む。隙間さんの日記、写真(LINEの画面のスクショ)がたくさん袋に入っているもので、公園でこの束をカサカサめくる時間がすごくいいなと思った。内緒話みたいな感じ。futouさんのツイッターから流れてきてなんとなく日記を眺めたことが何度かあって、すっかり忘れていたんだけどちょっと前にツイッターをフォローしてくださってああそういえばと思い出した。日記祭でお話してみたかったんだけどfutouさんから来ましたとか意味わかんないことしか言えなかった。このあいだ角川にバチギレた日記を書いたとき、「毎日書いてる日記だけど、怒っていることについて書くと日記ではなくなるな…。でもこの日これを考えていたという記録だからまあいいかという日記。」というツイートにいいねしてくれてうれしかったの。でもわざわざ言うことでもないなと思った。『沖縄に六日間』は旅日記的なものが読みたくて買った。装丁がすごくいい。国会前の時点でスマホの充電はだいぶ少なかった。電源のあるカフェとかに行けばよかったんだけど天気がよくて思わず公園でぼーっとしてしまった。『ピュウ』を読みすすめた。 体力的にきついかなーと思ったんだけど渋谷ハチ公前のプロテストレイヴをちょっと見に行った。すごくよかった。スピーチがパワフルなのもよかったけど、音楽がすごくよくて…。赤と緑のスモークもよかった。渋谷駅前、スリバチの底に煙と音と声が溜まり、うねっていた。通りすがりに足を止める人も多かったように見えた。これ何やってるんですかと聞かれたのでちょっと説明。ステッカーをあげた。つづりまちがってないほうのやつ。帰って肉を焼いて食べた。
1211 何も捗らない一日だった。きのうおとといと活動的に過ごして疲れているんだと思う。そりゃそうだよなと思う。労働の電話がかかってきたのを無視した。「こわいよお」とか言って布団にもぐった、部屋に一人でいるのにかわいこぶって。メールは返した。春菊とキムチでチヂミを作って夕飯にした。食べながら蘭たんの動画を見た。8番出口のやつ。夜になっても洗濯物はあんまり乾かなかった。今度参加するアンソロの小説を書き進めた。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
9 notes · View notes
fukagawakaidan · 1 month
Text
「お化けの棲家」に登場したお化け。
1、骨女〔ほねおんな〕 鳥山石燕の「今昔画 図続百鬼』に骨だけ の女として描かれ、 【これは御伽ぼうこうに見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交をなせし形にして、もとは剪灯新話のうちに牡丹灯記とてあり】と記されている。石燕が描いた骨女 は、「伽婢子」「牡丹灯籠」に出てくる女つゆの亡霊、弥子(三遊亭円朝の「怪談牡丹灯 籠」ではお露にあたる)のことをいっている。これとは別物だと思うが、「東北怪談の旅」にも骨女という妖怪がある。 安永7年~8年(1778年~1779年)の青森に現れたもので、盆の晩、骸骨女がカタリカタリと音をたてて町中を歩いたという。この骨女は、生前は醜いといわれていたが、 死んでからの骸骨の容姿が優れているので、 人々に見せるために出歩くのだという。魚の骨をしゃぶることを好み、高僧に出会うと崩れ落ちてしまうという。 「鳥山石燕 画図百鬼夜行」高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 「東北怪談の旅」山田 野理夫
2、堀田様のお人形
以下の話が伝わっている。 「佐賀町に堀田様の下屋敷があって、うちの先祖はそこの出入りだったの。それで、先代のおばあさんが堀田様から“金太郎”の人形を拝領になって「赤ちゃん、赤ちゃん」といわれていたんだけど、この人形に魂が入っちゃって。関東大震災のとき、人形と一緒に逃げたら箱の中であちこちぶつけてこぶができたから、修復してもらうのに鼠屋っていう人形師に預けたんだけど少しすると修復されずに返ってきた。聞くと「夜になると人形が夜泣きしてまずいんです」と言われた。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
3、ハサミの付喪神(つくもがみ)
九十九神とも表記される。室町時代に描かれた「付喪神絵巻」には、「陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を訛かす、是を付喪神と号といへり」 という巻頭の文がある。 煤祓いで捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返しをするという内容だ が、古来日本では、器物も歳月を経ると、怪しい能力を持つと考えられていた。 民俗資料にも擂り粉木(すりこぎ)や杓文字、枕や蒲団といった器物や道具が化けた話しがある。それらは付喪神とよばれていないが、基本的な考え方は「付喪神絵巻」にあるようなことと同じで あろう。 (吉川観方『絵画に見えたる妖怪』)
4、五徳猫(ごとくねこ)  五徳猫は鳥山石燕「画図百器徒然袋」に尾が2つに分かれた猫又の姿として描かれており、「七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者と言いしためしも あれば、この猫もいかなることをか忘れけんと、夢の中におもひぬ」とある。鳥山石燕「画図百器徒然袋」の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれた五徳猫を頭に 乗せた妖怪をモデルとし、内容は「徒然袋」にある「平家物語」の 作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だったが、七徳の舞という、唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、2つを忘れてしまったために、五徳の冠者のあだ名がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫はこのエピソードと、囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛けて創作された 妖怪なのであろう。ちなみに土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれている妖怪は、手には火吹き 竹を持っているが、猫の妖怪ではなさそうである。 ( 高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』)→鳥山石燕『百器徒然袋』より 「五徳猫」
5、のっぺらぼー 設置予定場所:梅の井 柳下 永代の辺りで人魂を見たという古老の話しです��その他にも、背中からおんぶされて、みたら三つ目 小僧だったり、渋沢倉庫の横の河岸の辺りでのっぺらぼーを見たという話しが残っています。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収) のっぺらぼーは、顔になにもない卵のような顔の妖怪。特に小泉八雲『怪談』にある、ムジナの話が良く知られている。ある男が東京赤坂の紀国坂で目鼻口のない女に出会い、驚き逃げて蕎麦 屋台の主人に話すと、その顔も同じだったという話。その顔も同じだったという話。
6、アマビエアマビエ 弘化3年(1846年) 4月中旬と記 された瓦版に書かれているもの。 肥後国(熊本県)の海中に毎夜光るものが あるので、ある役人が行ってみたところ、ア マビエと名乗る化け物が現れて、「当年より はやりやまいはや 6ヵ月は豊作となるが、もし流行病が流行ったら人々に私の写しを見せるように」といって、再び海中に没したという。この瓦版には、髪の毛が長く、くちばしを持った人魚のようなアマビエの姿が描かれ、肥後の役人が写したとある。 湯本豪一の「明治妖怪新聞」によれば、アマピエはアマピコのことではないかという。 アマピコは瓦版や絵入り新聞に見える妖怪で、 あま彦、天彦、天日子などと書かれる。件やクダ部、神社姫といった、病気や豊凶の予言をし、その絵姿を持っていれば難から逃れられるという妖怪とほぼ同じものといえる。 アマビコの記事を別の瓦版に写す際、間違 えてアマビエと記してしまったのだというのが湯本説である。 『明治妖怪新聞」湯本豪一「『妖怪展 現代に 蘇る百鬼夜行』川崎市市民ミュージアム編
7、かさばけ(傘お化け) 設置予定場所:多田屋の入口作品です。 一つ目あるいは、二つ目がついた傘から2本の腕が伸び、一本足でピョンピョン跳ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に現れたなどの記録はないようである。(阿部主計『妖怪学入門』)歌川芳員「百種怪談妖物双六」に描 かれている傘の妖怪「一本足」
8、猫股(ねこまた)  猫股は化け猫で、尻尾が二股になるまで、齢を経た猫 で、さまざまな怪しいふるまいをすると恐れられた。人をあざむき、人を食らうともいわれる。飼い猫が年をとり、猫股になるため、猫を長く飼うもので はないとか、齢を経た飼い猫は家を離れて山に入り、猫股 になるなどと、各地に俗信がある。 このような猫の持つ妖力から、歌舞伎ではお騒動と化け猫をからめて「猫騒動もの」のジャンルがあり、
「岡崎の猫」「鍋島の猫」「有馬の猫」が三代化け猫とされる。
9、毛羽毛現(けうけげん) 設置予定場所:相模屋の庭 鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」に毛むくじゃらの妖怪として描かれた もので、 「毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふ か。或いは希有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなれば なりとぞ」とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陝西省陰県の西 獄華山)に住み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため 山に逃げ込んだ。そのとき、谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと「列仙伝」にある。この毛羽毛現は家の周辺でじめじめした場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖 怪のようである。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』→鳥山石燕「今昔百鬼 拾遺」より「毛羽毛現」
10、河童(かっぱ) 設置予定場所:猪牙船 ◇ 河童(『耳袋』) 江戸時代、仙台藩の蔵屋敷に近い仙台堀には河童が出たと言われています。これは、子どもたちが、 なんの前触れもなく掘割におちてしまう事が続き探索したところ、泥の中から河童が出てきたというも のです。その河童は、仙台藩の人により塩漬けにして屋敷に保管したそうです。 ◇ 河童、深川で捕獲される「河童・川太郎図」/国立歴史民俗博物館蔵 深川木場で捕獲された河童。河童は川や沼を住処とする妖怪で、人を水中に引き込む等の悪事を働く 反面、水の恵みをもたらす霊力の持ち主として畏怖されていた ◇ 河童の伝説(『江戸深川情緒の研究』) 安永年間(1772~1781) 深川入船町であった話しです。ある男が水浴びをしていると、河童がその男 を捕えようとしました。しかし、男はとても強力だったので逆に河童を捕えて陸に引き上げ三十三間堂の前で殴り殺そうとしたところ、通りかかった人々が河童を助けました。それ以来、深川では河童が人 間を捕らなくなったといいます。→妖怪画で知られる鳥山石燕による河童
11、白容商〔しろうねり〕
鳥山石燕「画図百器 徒然袋」に描かれ、【白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふ��き布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ】 と解説されている。白うるりとは、吉田兼好の『徒然草」第六十段に登場する、 芋頭(いもがしら)が異常に好きな坊主のあだ名である。  この白うるりという名前に倣って、布雑巾 の化けたものを���容裔(しろうねり)と名づけたといっているので、つまりは石燕の創作妖怪であろう。古い雑巾などが化けて人を襲う、などの説 明がされることがあるが、これは山田野理夫 の『東北怪談の旅』にある古雑巾の妖怪を白 容裔の話として使ったにすぎない。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編
12、轆轤首〔ろくろくび〕
抜け首、飛頭蛮とも つな いう。身体から首が完全に分離して活動する ものと、細紐のような首で身体と頭が繋がっているものの二形態があるようである。 日本の文献には江戸時代から多くみえはじ め、『古今百物語評判』『太平百物語』『新説 百物語」などの怪談集や、『甲子夜話』『耳 囊」「北窓瑣談」「蕉斎筆記』『閑田耕筆』と いった随筆の他、石燕の『画図百鬼夜行」に 代表される妖怪画にも多く描かれた。 一般的な轆轤首の話としては、夜中に首が 抜け出たところを誰かに目撃されたとする内 容がほとんどで、下働きの女や遊女、女房、 娘などと女性である場合が多い。 男の轆轤首は「蕉斎筆記』にみえる。 ある夜、増上寺の和尚の胸の辺りに人の 首が来たので、そのまま取って投げつけると、 どこかへいってしまった。翌朝、気分が悪いと訴えて寝ていた下総出 身の下働きの男が、昼過ぎに起き出して、和 尚に暇を乞うた。わけ その理由を問えば、「昨夜お部屋に首が参りませんでしたか」と妙なことを訊く。確か に来たと答えると、「私には抜け首の病があります。昨日、手水鉢に水を入れるのが遅い とお叱りを受けましたが、そんなにお叱りに なることもないのにと思っていると、 夜中に首が抜けてしまったのです」 といって、これ以上は奉公に差支えがあるからと里に帰って しまった。 下総国にはこの病が多いそうだと、 「蕉斎筆記』は記している。  轆轤首を飛頭蛮と表記する文献があるが、 これはもともと中国由来のものである。「和漢三才図会』では、『三才図会」「南方異 物誌」「太平広記」「搜神記』といった中国の 書籍を引いて、飛頭蛮が大闍波国(ジャワ) や嶺南(広東、広西、ベトナム)、竜城(熱 洞省朝陽県の西南の地)の西南に出没したことを述べている。昼間は人間と変わらないが、夜になると首 が分離し、耳を翼にして飛び回る。虫、蟹、 ミミズなどを捕食して、朝になると元通りの 身体になる。この種族は首の周囲に赤い糸のような傷跡がある、などの特徴を記している。中国南部や東南アジアには、古くから首だけの妖怪が伝わっており、マレーシアのポン ティアナやペナンガルなどは、現在でもその 存在が信じられている。 日本の轆轤首は、こうした中国、東南アジ アの妖怪がその原型になっているようである。 また、離魂病とでもいうのだろうか、睡眠中に魂が抜け出てしまう怪異譚がある。例えば「曽呂利物語」に「女の妄念迷い歩 <事」という話がある。ある女の魂が睡眠中に身体から抜け出て、 野外で鶏になったり女の首になったりしているところを旅人に目撃される。旅人は刀を抜いてその首を追いかけていく と、首はある家に入っていく。すると、その家から女房らしき声が聞こえ、 「ああ恐ろしい夢を見た。刀を抜いた男が追 いかけてきて、家まで逃げてきたところで目 が醒めた」などといっていたという話である。これの類話は現代の民俗資料にも見え、抜け出た魂は火の玉や首となって目撃されている。先に紹介した「蕉斎筆記』の男の轆轤首 も、これと同じように遊離する魂ということ で説明ができるだろう。 轆轤首という妖怪は、中国や東南アジア由 来の首の妖怪や、離魂病の怪異譚、見世物に 出た作りものの轆轤首などが影響しあって、 日本独自の妖怪となっていったようである。 【和漢三才図会』寺島良安編・島田勇雄・竹 島淳夫・樋口元巳訳注 『江戸怪談集(中)』 高田衛編/校注『妖異博物館』柴田宵曲 『随筆辞典奇談異聞編」柴田宵曲編 『日本 怪談集 妖怪篇』今野円輔編著 『大語園』巌谷小波編
13、加牟波理入道〔がんばりにゅうどう〕
雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の「画図百鬼夜行」には、便所の台があるよう 脇で口から鳥を吐く入道姿の妖怪として描かれており、【大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道郭公」と唱ふれば、妖怪を見さるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠 神名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍 とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日 は龕のの談なるべし】と解説されている。 松浦静山の『甲子夜話」では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、 その頭を取って左の袖に入れてまたとりだすと 頭は小判に変化するなどの記述がある。 「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異 にあわないというのは、江戸時代にいわれた 俗信だが、この呪文はよい効果を生む(前述 ことわざわざわい ●小判を得る話を含め)場合と、禍をよぶ 場合があるようで、「諺苑」には、大晦日に この話を思い出せば不祥なりと書かれている。 また、石燕は郭公と書いてホトトギスと読ませているが、これは江戸時代では郭公とホト トギスが混同されていたことによる。 ホトトギスと便所との関係は中国由来のようで、「荊楚歲時記』にその記述が見える。 ホトトギスの初鳴きを一番最初に聞いたもの は別離することになるとか、その声を真似すると吐血するなどといったことが記されており、厠に入ってこの声を聞くと、不祥事が起 こるとある。これを避けるには、犬の声を出 して答えればよいとあるが、なぜかこの部分 だけは日本では広まらなかったようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『江戸文学俗信辞典』 石川一郎編『史実と伝説の間」李家正文
14、三つ目小僧
顔に三つの目を持つ童子姿の妖怪。 長野県東筑摩郡教育委員会による調査資料に名は見られるが、資料中には名前があるのみ で解説は無く、どのような妖怪かは詳細に語られていない。 東京の下谷にあった高厳寺という寺では、タヌキが三つ目小僧に化けて現れたという。このタヌ キは本来、百年以上前の修行熱心な和尚が境内に住まわせて寵愛していたために寺に住みついたものだが、それ以来、寺を汚したり荒らしたりする者に対しては妖怪となって現れるようになり、体の大きさを変えたり提灯を明滅させて人を脅したり、人を溝に放り込んだりしたので、人はこれ を高厳寺小僧と呼んで恐れたという。困った寺は、このタヌキを小僧稲荷として境内に祀った。この寺は現存せず、小僧稲荷は巣鴨町に移転している。 また、本所七不思議の一つ・置行堀の近くに住んでいたタヌキが三つ目小僧に化けて人を脅したという言い伝えもある。日野巌・日野綏彦 著「日本妖怪変化語彙」、村上健司校訂 編『動物妖怪譚』 下、中央公論新社〈中公文庫〉、2006年、301頁。 佐藤隆三『江戸伝説』坂本書店、1926年、79-81頁。 『江戸伝説』、147-148頁。
15、双頭の蛇 設置予定場所:水茶屋 「兎園小説」には、「両頭蛇」として以下の内容が著してある。 「文政7年(1824)11月24日、本所竪川通りの町方掛り浚場所で、卯之助という男性 が両頭の蛇を捕まえた。長さは3尺あったという。」
文政7年(1824)11月24日、一の橋より二十町程東よりの川(竪川、現墨田区)で、三尺程の 「両頭之蛇」がかかったと言う話です。詳細な図解が示されています。 (曲亭馬琴「兎園小説」所収『兎園小説』(屋代弘賢編『弘賢随筆』所収) 滝沢馬琴他編 文政8年(1825) 国立公文書館蔵
16、深川心行寺の泣き茶釜
文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られています。群馬県館林の茂 林寺の話が有名ですが、深川2丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したといいます。『新撰東京名所図会』 の心行寺の記述には「什宝には、狩野春湖筆涅槃像一幅 ―及び文福茶釜(泣茶釜と称す)とあり」 とあります。また、小説家の泉鏡花『深川浅景』の中で、この茶釜を紹介しています。残念ながら、関 東大震災(1923年)で泣茶釜は、他の什物とともに焼失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が 化けたという同名が残るのみです。鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」には、館林の茂森寺(もりんじ)に伝わる茶釜の話があります。いくら湯を 汲んでも尽きず、福を分け与える釜といわれています。 【主な参考資料】村上健司 編著/水木しげる 画『日本妖怪大辞典』(角川出版)
17、家鳴(やなり) 設置予定場所:大吉、松次郎の家の下)  家鳴りは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に描かれたものだが、(石燕は鳴屋と表記)、とくに解説はつけられて いない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の 「画図百鬼夜行」では、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで描いており、家鳴りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。 昔は何でもないのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのような妖怪のしわざだと考えたようである。小泉八雲は「化け物の歌」の中で、「ヤナリといふ語の・・・それは地震中、家屋の震動 する音を意味するとだけ我々に語って・・・その薄気 味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし此語 はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居た もので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また) ヤナ リと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る 家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像してゐたものである」と延べ、「狂歌百物語」に記載された「床の間に活けし立ち木も倒れけりやなりに山の動く掛軸」という歌を紹介している。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』、『小泉八雲全集』第7巻)
18、しょうけら 設置予定場所:おしづの家の屋根 鳥山石燕「画図百鬼夜行」に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、 ショウケラは庚申(こうしん) 信仰に関係したものといわれる。 庚申信仰は道教の三尸(さんし)説がもとにあるといわ れ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身 体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を告げる。この報告により天帝は人の命を奪うと信じられ、対策とし て、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出さ ないようにした。また、これによる害を防ぐために「ショウケラはわたとてまたか我宿へねぬぞねたかぞねたかぞ ねぬば」との呪文も伝わっている。 石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。
19、蔵の大足
御手洗主計という旗本の屋敷に現れた、長さ3尺程(約9m)の大足。(「やまと新聞」明治20年4月29日より)
20、お岩ちょうちん
四世鶴屋南北の代表作である「東海道四谷怪談」のお岩 を、葛飾北斎は「百物語シリーズ」の中で破れ提灯にお岩が 宿る斬新な構図で描いている。北斎は同シリーズで、当時の 怪談話のもう一人のヒロインである「番町皿屋敷のお菊」も描 く。「東海道四谷怪談」は、四世南北が暮らし、没した深川を舞台にした生世話物(きぜわもの)の最高傑作。文政8年(1825) 7月中村座初演。深川に住んだ七代目市川團十郎が民谷伊 右衛門を、三代目尾上菊五郎がお岩を演じた。そのストーリーは当時評判だった実話を南北が取材して描 いている。男女が戸板にくくられて神田川に流された話、また 砂村隠亡堀に流れついた心中物の話など。「砂村隠亡堀の場」、「深川三角屋敷の場」など、「四谷怪 談」の中で深川は重要な舞台として登場する。
21、管狐(くだぎつね)  長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東 南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は鼬(いたち)と鼠(ねずみ)の中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わる個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という表現をしている。管狐を飼うと金持ちになるといった伝承はほとんどの土地でいわれることで、これは管 狐を使って他家から金や品物を集めているからだなどという。また、一旦は裕福になるが、管狐は 大食漢で、しかも75匹にも増えるのでやがては食いつぶされるといわれている。 同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐が勝手に行動して金品を集 めたり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐の場合は使う者の意図によって行動すると考えられているようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山 (きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏は それを竹筒の中で飼育し、管狐の能力を使うことで不思議な術を行った。 管狐は食事を与えると、人の心の中や考えていることを悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の 命令で人に取り憑き、病気にしたりするのである。このような山伏は狐使いと呼ばれ、自在に狐を 使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、いったん竹筒から抜け出た狐を再び元に 戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令する者がいないので、人に憑くことはないという。 (石塚尊俊『日本の憑きもの』、桜井徳太郎編『民間信仰辞典』、金子準二編著『日本狐憑史資料 集成』)
22、かいなで 設置予定場所: 長屋の厠 京都府でいう妖怪。カイナゼともいう。節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文を唱えればよいという。 昭和17年(1942年)頃の大阪市立木川小学校では、女子便所に入ると、どこからともなく「赤い 紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなければ何事もないが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があったという。いわゆる学校の怪談というものだが、 類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校の便所を使うことはないだろうから、節分の夜という条件が消失してしまったのだろう。 しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜とは、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に��められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。 寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび) (何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、 本妻がそれを妬み、旧暦正月 15 日に便所で何媚を殺害した。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に、何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神として祭祀するようになったという(この紫姑神は日本の便所神だけではなく、花子さんや紫婆(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神のルーツとするのは安易だが、影響を受けていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ、その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれてくるようである。 新潟県柏崎では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた灯明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山田野理夫『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「神くれ神くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月までまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものといえる。また、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えて いる。便所神の祭りで紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の 男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろう か、白い紙やろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったのではないだろうか。さらに、学校の怪談で語られる便所の怪異では、妖怪化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というようになり、より妖怪化が進ん でいったようである。こうしてみると、近年の小学生は古い信仰の断片を口コミで伝え残しているともいえる。 島根県出雲の佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデという が、氏子がこの日の夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝 承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるのかもしれない。 (民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙』、大塚民俗学会編『日本民俗学事典』、『民間伝承』通巻 173号(川端豊彦「厠神とタカガミと」)ほか)
23、木まくら 展示予定場所:政助の布団の上 江東区富岡にあった三十三間堂の側の家に住んだ医師が病気になり、元凶を探した所 黒く汚れた木枕が出た。その枕を焼くと、死体を焼く匂いがして、人を焼くのと同じ時間がかかったという。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
24、油赤子〔あぶらあかご〕鳥山石燕の『今昔 画図続百鬼』に描かれた妖怪。【近江国大津 の八町に、玉のごとくの火飛行する事あり。土人云「むかし志賀の里に油うるものあり。 夜毎に大津辻の地蔵の油をぬすみけるが、その者死て魂魄炎となりて、今に迷いの火となれる」とぞ。しからば油をなむる赤子は此ものの再生せしにや】と記されている。 石燕が引いている【むかし志賀(滋賀) の】の部分は、「諸国里人談』や『本朝故事 因縁集」にある油盗みの火のことである。油盗みの火とは、昔、夜毎に大津辻の地蔵 の油を盗んで売っていた油売りがいたが、死 後は火の玉となり、近江大津(滋賀県大津 市)の八町を縦横に飛行してまわったという もの。石燕はこの怪火をヒントに、油を嘗める赤ん坊を創作したようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『一冊で日本怪異文学 100冊を読む」檜谷昭彦監修『日本随筆大成編集部編
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
3 notes · View notes
moko1590m · 3 months
Quote
クマに襲われ、「命に別状はない」とされた80代男性の症例写真を見て、あまりのすさまじさに言葉を失った。額から上あごにかけて顔がなくなっているように見える。左の眼球はだらりと飛び出ている。 「クマは明らかに顔を狙って攻撃していると感じます」  こう語るのは、秋田大学医学部付属病院の高度救命救急センターでクマ外傷の治療にあたった土田英臣医師だ。  この男性は15時ごろ自宅前の畑でクマに襲われた。意識は明瞭で、自ら119番通報したという。 「鼻が取れ、皮膚が左右に裂けていました。救急隊員が道端に落ちていた鼻を見つけて運んできてくれたので、形成外科の先生が手術して、くっつけたのです」  傷の見た目はひどいものの、出血量は比較的少なかった。血圧や呼吸などの全身状態は安定していたので、すぐに手術できたことも幸いしたという。 ■容貌が変わるほど重大なけが  昨年度、クマに襲われた被害者は過去最多の219人。その大半がツキノワグマによる被害者で210人、約96%を占める。ツキノワグマは主に人の顔や頭に一撃を与えた後、すぐに逃走する場合が多く、いわゆる「人食いグマ」による「食害」はまれだ。  だが、クマに人が襲われ、「命に別条はありません」と報道されても、実際は顔貌が大きく変わるほどに重大なけがであることが少なくない。  昨年度、クマによる人身被害が最も多かったのが秋田県だ。死者こそ出なかったものの、70人が負傷した。このうち、重傷者20人が同病院に搬送された。18人が顔を負傷。失明は3人、顔面骨折は9人にのぼる。  冒頭の男性の被害は、搬送されたなかでは特別深刻なケースではないという。 ■クマによる外傷は「特殊」  一般的に外傷は、交通事故や転落事故などによる「鈍的外傷」と、ナイフなどによる「鋭的外傷」に分けられるが、クマに襲われた際のけがはその二つの特徴をあわせもつ「特殊な外傷」だという。 「強いパワーによって骨折し、傷口は深く、筋肉までぱっくりと開く」(土田医師) ■小さな傷でも「細菌」で化膿  別の70代男性は早朝、山中で植林作業をしていた際、クマに襲われた。自力で道の駅まで車で移動し、救急要請をした。  頭部と顔面に裂創を負い、左ほおの傷は口の中まで貫通していた。口腔内にたまった血で呼吸が困難になった。病院に到着したとき、意識は薄れつつあった。 「出血がひどく、血圧が下がってしまった。『出血性ショック』という状態で、緊急輸血を行いました。圧迫止血を行うとともに、耳鼻科の医師が電気メスで動脈を焼いて出血を止めました」  その後、頭骨の骨折や、頭蓋内の出血などを治療する緊急手術が行われた。 「クマ外傷」は傷の状態がひどいだけでなく、細菌に高度に汚染されることも特徴だ。外傷ではなく、敗血症で亡くなった人もいる。そのため、大量の生理食塩水による傷口の洗浄や、抗生剤治療などの感染対策が必須になる。土田医師はこう訴える。 「クマの牙による傷は一見、ぽちっと穴が開いているだけですが、深い傷です。後で化膿する患者さんもいます。クマに襲われてけがをしたら、どんなものでもすぐに病院で治療を受けるべきです」 ■顔面の筋肉や骨がボロボロ  秋田赤十字病院の形成外科部長・渡邊理子(あやこ)医師は「クマに引っかかれた」と報じられることに違和感を抱いてきた。昨年、同院にはクマによる外傷で7人が搬送された。 「実際は顔の中心、特に目のまわりをものすごく強い力で殴打される。皮膚を引きはがされる剥脱創(はくだつそう)が目立ちます。顔面の筋肉や骨はボロボロになる」  皮膚組織を欠損してしまうことも珍しくない。そのため、傷を縫い合わせた後、皮膚を移植し、傷痕を目立たなくするなど、複数回の手術が必要となることが多い。  一般的な骨折と違って、顔面の骨は細かく砕けていることが多く、骨片をパズルのように元の位置に戻し、金属製のプレートでつないでいく。それもできない場合は破片を取り除いた後、骨の代わりとなる大型のプレートを埋め込むこともある。  筋肉の挫滅がひどかったり、神経が傷ついたりすると、顔面をうまく動かせなくなる。傷が治っても痛みや違和感を訴える人は多い。  こうした恐るべき被害の実態が十分に伝わっていないため、クマからの防御手段が軽視されている。それが被害を広げる一因にもなっていると、指摘する専門家がいる。 ■致命的なダメージ防いで  NPO日本ツキノワグマ研究所の米田一彦所長は、10年前からこう訴えてきた。 「クマに遭遇した場合、立った状態で攻撃を受けるのが最も危険です。ただちにうつぶせになり、両腕で頭部を覆ってください。致命的なダメージを防ぐことが重要です」  3年前に改訂された環境省の「クマ類の出没対応マニュアル」にも、うつぶせになって頭部を守れ、と記述されるようになった。  ところが、インターネット上では「机上の空論」「うつぶせになって顔や頭を守っても食われるだけ」「攻撃こそ最大の防御!」と、防御姿勢を軽視するコメントを見ることがある。背景には深刻な人身被害の実態が十分に理解されていないことがあるのだろう。  前出の渡邊医師は言う。 「顔面は社会生活を営むうえで非常に重要です。人の顔面は頭部に比べて脆弱ですから、クマに攻撃された際、うつぶせになって身を守るという方法は妥当だと思います」 ■口腔顎顔面の再建治療を  島根県ではクマの目撃が年間1000件前後にもなる。島根大学医学部歯科口腔外科学講座の臨床講師を兼務する雲南市立病院の歯科口腔外科部長・小池尚史医師は、クマに顔面を攻撃された際、負傷者を迅速に大学病院、またはそれに準ずる高次医療機関に搬送することの重要性を強調する。防災ヘリやドクターヘリも有用だという。 「例えば、顔面の涙小管や耳下腺管、三叉神経や顔面神経などを損傷した場合、時間との勝負になってきます。緊急手術を行って、即時再建できる病院に搬送することが大切で、これが遅れるほど機能回復に遅れが生じてしまいます」  島根大学医学部付属病院の高度外傷センターでは、救命医をはじめ脳神経外科医、歯科口腔外科医、整形外科医など、複数の医師が密な連携のもと治療にあたる体制が整っている。  クマ外傷の場合、あごを負傷することも珍しくない。あごを骨ごと持っていかれてしまう場合もある。 「口元がなくなってしまうと、摂食、嚥下、咀嚼、咬合など社会生活に大きな影響が出ます。外傷によってあごの骨や歯を大きく失った際、歯科インプラントも公的医療保険制度の対象となる場合がありますから、機能と審美の両面から、あごと口を再建して社会復帰していただきたいと強く思います」 (AERA dot.編集部・米倉昭仁)
クマは「明らかに顔を狙って攻撃」「骨もボロボロ」と医師たちが証言 「命に別状はない」の実態(AERA dot.) - Yahoo!ニュース
2 notes · View notes
indigolikeawa · 3 months
Text
2024年7月8日月曜日
病院の待合室にて22
くちずさむ歌はなんだい?思い出すことはなんだい?(4)
 他にもいろいろな昔話をした。その中で久しぶりに聞いた言葉があった。その言葉とは「安倍教」である。安倍、とは私の苗字なので、きっと私が開いた新興宗教なのであろう。しかし、この言葉を作り出したのはTくんである。私とTくんがバンドを組んでいた時、私がポップ・ミュージックについて過度に考え、頭でっかちになってしまった挙句、明文化されたわけではないが、様々な決まりが生まれ、我々はそれに雁字搦めになってしまった。その悲劇の元凶となった思想を揶揄して、Tくんは「安倍教」と呼んでいるのである。安倍教の戒律には「しなければならない」とか「してはならない」という風に結ばれる文が多かった。例えば、「他の人と同じことをしてはならない」。シンプルな戒律であるが、実現するのは大変である。ただこの戒律に関していえば、「我々が他の人と同じような事をした場合、より上手く仕上がっているものを人々は買うことになるだろう(ここで買うものとして念頭に置かれているのは、CDやライブのチケットになります)。だからなるだけ人と違う事をして、出来は今いっちょうかもしれませんが、オリジナリティーでひとつ、どうですか、ということで買ってもらおう」という魂胆があった。少しでいい、一歩でいい、半歩でも、四分の一歩でもいいから、他人と違う事をする。たとえば十分の曲を書くとか。Eメロまである曲を書くとか。五拍子の曲を書くとか。曲の中に登場人物が四人出てくる曲を書くとか。何でもいい。ここまでに挙げた例は、ポップ・ミュージックの歴史の中で誰かがやっていることである。それでもいい。やっている人数はきっと少ない。それくらいのことでいい、とにかくチャレンジしなくてはならない。まかり間違っても「四分半くらいで、四拍子で、ABサビという構成の、僕は君のこと大好きなんだソング」だけは書くな、とそういうことである。
 改めて考えると、最初は誰もが書くような曲を書いたっていいと思う。少しずつでいいから形にしていくことが重要なのだ。そして次に書く曲が、これまでの曲と少しだけでも変わっていればいい。大切なのはプロセスである。他者との比較ではない。自分がどう進んでいくか。そして自分の思ったこと、やりたいことを、素直に、無防備に、真摯に行うように努めること、それこそが肝心なのであり、それこそが新しいものを生んでいくのだと思う。ただ、私は十代の若者のこういった頭でっかちなところも嫌いではないし、正しい部分もあると思う。だから仕方ない。Tくんがその後バンドでやったことや、私がひとりで書いた曲は、その時期に対する批判という風に捉えられるものも少なくない(例えばTくんのバンドの『世界史』という曲の1stヴァースからコーラスにかけての歌詞は「僕と君が出会った/ハイカラの町で/ごめんね/今日は下北で練習だ/ごめんね/今日は会えそうにはないよ/それでも君を殺しはしないよ」というもので、何の変哲もないボーイミーツガールで始まる曲が、私小説味を帯びていき、突拍���もないコーラスの歌詞へと繋がり、オリジナリティーを生んでいる。ていうかタイトル『世界史』って)。だが最後まで安倍教の教義として我々の中に残ったもの、それが「新曲至上主義」である。とにかく新しい曲を絶えず書き、アレンジし、リハし、ライブで下ろしているバンドないしはシンガーソングライター、それこそが真にかっこいいミュージシャンであり、そうでなければやっている意味などない、という教義である。今でもちょっとその価値観は残っている。でも。でもでも。新曲なんてやんなくてたって別にいい。続けることが大事だという価値観もあるし、その中でひょんなことから曲が生まれることだってありうる。ここでも尊重されるべきはやはりプロセスである。続けなければ過程など生まれない。だからそんな教義捨てていい。かっこいいかもしんないけど捨てていい。まず何より大事なのは、形はどうあれ楽しむことである。そのことも今だからこそ分かるような気もするし、やっぱり全部間違っているような気もする。それでいい。すべては途中経過なのだから。
 店員さんがラストオーダーの注文を取りに来て「あっ特にないですー」と答えた次の瞬間、「お会計ですー」という言葉と共に伝票が来る。とにかく生中のエンドレスワルツを踊っていた私は結構酔っ払っていた。会計を済ませて店を出ると、隣のビルの二階が居酒屋だったので、すぐさま我々は入店した。何を食べたのかあまり覚えていないが、スウィートハート生中は常に私の傍にいた。鯖の塩焼きを食べましたかね。鯖はおいしいね。私は何かを喋っていたが、もうどうにもこうにも瞼を開けていられなかった。目を閉じたまま、Tくんと話していて、そのうち血流が良くなった影響なのか、体のあちこちがかゆくなってきた。それに気付いたTくんが「ホテルに戻ろうか」と気を回してくれた。私に拒否権などなかった。店を出て、ホテルに戻った。Tくんは「また持ち直したら部屋で飲もうよ」と優しい言葉をかけてくれた。「そうだねー、明日の朝ごはんもねー、一緒にねー、なるー、かもねー」と私はヘラヘラしながら言い、おやすみと声を掛け合ってお互いの部屋に戻った。なんと時刻は午後八時前。早い。夜通し飲むはずだったのに。でも今日はTくんとたくさん話せてよかったし、今はなんだか頭も痛いし、ひとまずはベッドに横になろうかな。
Tumblr media
 ベッドに横たわって、テレビをつけた。テレビではTHE SECONDというお笑い賞レースをやっていた。今夜は一晩中飲むつもりだったので、リアルタイムでは見られないと思って録画してきた番組だが、あまりに早く部屋に戻ったために、ほとんど見ることができてしまった。ザ・パンチかタイムマシーン3号が優勝したらいいなと思っていたが、どちらも優勝しなかった。番組が終わって、シャワーを浴びた。睡魔の気配が全くしなかった。いつもならここで眠剤を飲むはずだが、アルコールを飲んだ日には眠剤を飲む気になれない。そんなことをしたら二度と目が覚めなさそうだから。ホテルの自販機に行って一番搾りのロング缶を買って、また一人で飲み始めた。
 目が覚めると朝五時だった。朝食バイキングにはまだ早いようだったので、日課のストレッチをした。ストレッチをじっくりやって、身支度を整えたくらいで、Tくんからショートメールが来た。そこには「おはよう、10時にロビーで待ち合わせでいいかしら?」とあったので、「いいよー」と返した。朝食バイキングの会場であるロビーに下りると、大きな窓の向こうで雨がザンザン降っているのが見えた。Tくんの来徳が昨日で良かったと思った。必要以上にウインナーやスクランブルエッグを食べた後、コーヒーを淹れて部屋に戻った。まだかなり時間があったので、ひたすらゆっくりした。二度寝したら終わりだなと思いながらも二度寝しそうなくらいゆっくりした。十時五分前になったので荷物を持ってロビーに戻った。十時きっかりにTくんが下りてきた。おはよう。聞くとTくんは昨夜、部屋に帰るやいなや眠ってしまい、次に目が覚めたら朝だったという。長旅と仕事(と観光)で疲れていたのでしょう。私もそれを聞いてちょっと罪悪感が薄れました。続いて、これからどうしようか?という話になったのだが、もう飛行機までの時間もそんなにないし、とりあえず空港まで行って、時間までお土産買ったりお茶したりしようということになった。チェックアウトを済まし、中がどうなっているか結局わからなかったエレベーターみたいな立駐からオンボロ軽四を取り戻して出発した。
 降りしきる雨の中、空港まで向かう車の中で話したことの一つはandymoriのことだった。「昔のandymoriの曲がTikTokで凄いバズってるんだよ」とTくんに話すと、「どの曲?」と言うので「『すごい速さ』っていう曲だよ」と言ってメロディーをハナモゲラで歌った。適当に打ち切った後で「andymoriってフォークみたいなメロディーが多いから、鼻歌だと分からないかもしれないけど…」と私が言うと、Tくんは「ああ、フォークミュージックだよね」と言った。私は、上手く言えないけど、自分の言った意味がすんなり正確に伝わったような気がして何だかびっくりしてしまった。こういう経験は久しぶりな気がした。文脈や前提が説明しなくても予め共有されている感覚。こういう友達がいることに改めて感謝(驚)しなくてはいけない、と思うや否や私は、「我々は定期的に会う必要があると思う!一年に一回とか!」と無意識のうちに言っていた。Tくんは「そうだね」と言って笑っていた。
つづく
2 notes · View notes
chaukachawan · 4 months
Text
こんに負けたのまじで遺憾
(書き始めは楽st終わり二次会カラオケから帰宅して布団に入った頃です。その時の気持ちを想像して読んでね❤)
どうも、緒田舞里です。書かなくてもいいかなーとか思ってtumblr見たら思ったより書いてる人多くて、焦って描き始めます。現在月曜の朝5時30分です。寝すぎて逆に生活リズムおかしくなりそう。
打ち上げの後、5時までカラオケをしてから寝たら起きたのは23時でした。怖いね。人生最大睡眠時間更新です。ネタっぽくするのは苦手なので毎度の如く長文です。35期は割と1年前のこと書いてます。34期は知らん。文章少なめですごめんね。稽古場で全然同期と会えなくて不安だったけど、会えた時はやっぱり嬉しかったです。色々言うけどやっぱり同期っていいね。
縦縞コリー
こりちゃん!1stの時に思ったんですが、こりちゃんがちゃうかに入ってちょうど1年ですね。こんなに立派になって...😭こりちゃんは一発で「ええやん」を提供することが出来る人です。隣で激焦りしてました。でもそこで止まることなく、出したダメにちゃんと向き合って模索して、本人意識してたか分かりませんがのせる感情が少しづつ変わってたのが凄いなーと隣で思ってました。お祭りの村上さんと会うところや子ポリの独白が好きでした。堂々とした役は元々得意だったけど、この1年で特に悩みとかマイナスの感情の表現も上手くなったな〜って思ってます。3場とか特に。声量あんまり変わんないのにちゃんと気持ちが伝わってくる。出し加減や塩梅も好き。独白系のセリフかなり参考にしてました。これからもこりちゃんの色んな役を見たいです。
帝京魂
こんちゃん!オムニから推し。いい表情しますね〜本当に。イケおじ系が似合う。オムニから思ってたのは雰囲気とかを出すのがお上手。アローも書いてたけど「入ってる」のが分かる。稽古期間中みるみる顔色が悪くなっていってたので健康には本当に気を付けてください。7場のラップの後、ずっと気にしてたけど上手かったよ!周りは良いって言ってるのに本人は納得いってないのまじで分かります。個人的には3stが1番好きでしたね。1年を経て表情がより動くようになった。近くでやっててこんなに顔動く人だったっけ?って気づきを得ました。少なくともオムニはそんなこと無かったので、成長ポイントですね。カラオケ前はすみませんでした。自重します。あとベガから大集で大量にダメ貰ってショートしてたのが面白かった。最近元気で嬉しい限りです。
水琴冬樹
ベガ。1st噛んだのを帰り道までずっと気にしてたの可愛かったですね。1セリフ事にダメを貰おうとしてこたちを困らせていたベガを見てそういやこういう人だったと思い出しました。それだけちゃうかでの役者を久々に見た気がします。居残り練習等、誘ったら予定がない限り必ず付き合ってくれるという確証があります。そしていいダメを必ずくれます。悩んだ時に一回ベガにダメを貰うフェーズがあります。多分。箱での発声しんどかったけど楽しかった。演技面、本当に頼りにしてます。
七枚目
おみそ。今回もハート写真が取れました。大満足です。引退まで絶対に継続させます。カラビニマジで似合ってた。頑張ってよかった。
打ち上げでも話したけど、1年前のおみそは西南図書館の和室で方言を一生懸命直してました。それがもうこんなに大きくなっちゃって...😭😭感涙どころの騒ぎじゃないですよほんともう。仕込み週に会った時、おみそだ〜と近寄ったら「来ただけでこんなに喜んでくれるとは思わなかった」って言ったけど、次の日そっくりそのまま同じ事が立場逆で起こりました。シンパシーです。郷田の切り替え良かった!!中モンも本番信じられないくらい声量出ててビビりましたね。あの時二宮さん戸惑う演技でよかった。素でした。誰!?ってなりました。ずっと頑張ってた発声がここぞとばかりに活かされてたね。これからもおみその色んな役を見てみたいです
苔丸
苔ちゃん!浴衣と私服の色を揃えたり、カラビニエリにポケット付けたりと各所に細かいこだわりが見えて、苔ちゃんを見てるとものづくりってこれが楽しいんだよな〜を思い出します。香夜から1年。おばあちゃんもびっくりの役幅になっちゃった。毎回こんなにも役が変わる人が今までいただろうか。細かいニュアンスを拾い上げて表現するのがますます上手くなってる。その積み上げが演出達に「苔丸なら任せれる」って思わせるに違いない。オムニの時はずっと声量頑張ろ!!って言ってたはずなのに全く言わなくなった。外公〜秋公辺りで一気に声量が伸びた気がする。今回キャスパを一緒に作りながら、苔丸のこだわりや世界を垣間見た気がします。やりたい事に体と思考がついて行かないのもどかしいよね。きっと苔ちゃんならそれも何とかできると期待を寄せ続けます。
岡崎仁美
カヌレ。知らない間にバイト戦士になってた。どうやったら涅槃像が出てくるのかその頭の中を覗かせて欲しい。LINEのスクショを苔丸のTwitterでみたけど何も分かりませんでした。七瀬を見ながらこういうのやらせたらやったぱりカヌレだわってなりました。さすカヌ。幼い役やらせて違和感ないの誇るべき。留学に行くとか聞きました。出来れば最後まで一緒に引退したいなーという気持ちが有ります。寂しいもんね。
西峰ケイ
らび!今公演の相方!らびが八戸じゃなければ居酒屋のシーンはあんなにいいものにはならなかったし、漫才はもっと拙かったと思う。漫才を1回通す度にリアクションや間のここを直そう、っていうダメが尽きなくて楽しかった!アンケート総ナメだったのも、知り合いに聞いても二宮の夢のシーンが1番印象残ったっていう意見が多いのも、稽古中の音声録音して聞き返したり私が現実シーンをやってる間もずっと居酒屋のセリフ読みを考えてたらびの努力の結果だと思います。
らびはなんか気づいたら上手くなってた。秋と新人の間に何があった?ってぐらいグンっと上手くなった。声がいいですね。大好き。最近公演で関わる機会が激増してるからか、一緒に悪巧み考えてる感じかずっとある。役が近いのもあるけど。やっちゃえ!!ってやり始めてしっかりといいものを届けれる爆発力が魅力的。また共演したい切実に。
あろハム権左衛門
アロー!黒川まじで好き。なんで深山のところ客席から見れないんだって何回も思いました。毎stちょこっとずつセリフ変えて全部辻褄あってたって聞いたんですけど本当ですか?私は楽stしか気づかなかった。
オムニの時から、え初心者ま?と思ってました。シュールな笑いが似合うというか、表情があまり動かない役が似合うというか。だからこそ少し表情が動いた時に伝わる情報量が多い。下手すれば誤解を与えそうな所を上手に使いこなしてるなって思う!白子と稽古場で「いやアローいいですよね(*´ω`*)」「いいよね(*´︶`)」を何回��ったことか。毎稽古なにかしらで上達していて、家でやってきてるんだろうな~と感じます。努力を他人から見てわかるほどすることの大変さたるや。36期が入ってきても努力の人とライナーを突然やりだすギャップを見せつけてほしいね。
大福小餅
こふく!ビバ九份。こふくの裁判長めっちゃ好き。こふくにしか出せないふわふわ感が、劇の始めっていう大事なシーンの雰囲気を変えてる気がします。頼りなさが本当に頼りない感じで大変良き良きのの良き(役の話です!!!)
1年経ってもこふくだけが持ってる独特の雰囲気はそのままに、雰囲気を声にのせたり、そもそもの発声が良くなってる気がします。舞監としても役者としても絶対に手を抜かないで上を目指し続けるのって誰にもできることじゃない。誇って欲しい。
そしてこふくにはひとつ謝らなければならない。キャスパ負担をかけてしまってマジでごめんなさい。あんまり夜残らないのに、残ってくれて練習してくれてありがとう!!「自分キャスパ苦手なんで」って言ったこふくを見た時に1番反省しました。胸がぎゅってなりました。ごめんなさい。
肆桜逸
スチル。最初の罪状マジで噛みそうになるから読めるのすごいよあれ。スーツガチにあってた。写真撮ってなかったのが本当に悔やまれる。これは同期全員に言えることですが、引越しや予定であんまり来れない人多くて大変寂しかったです😭っぱ同期なんですよ。というのはさておき、ついに吹田在住になったスチルくん。聞いてる感じ豊中住みで良かったと思います。朝ママチャリこいで30分からの稽古は死んでしまう。時折自分が吹田在住なのを忘れて豊中勢のフッ軽遊びに行こうとしてるの可愛いですね。
たぴおか太郎
🍆。ちゃうかに入って3年、ようやく舞台上で話すことが出来て感涙。皆さん知ってますか??これまで一回も舞台上で話したことないんですよ!?私はこんなにもなすかを愛しているのいうのに!2セリフぐらいしか掛け合いないけど小さな1歩だと信じてます(フラグじゃないです)
そして奈良脱出おめでとう🎊私の知る限り1番部屋に女の子!!って感じで統一感ある部屋で感動した。ヨギボー最高や。
ミル鍋
ゆにちゃ!建築と戦ってますね。製図室とお友達どころかズッ友。課題やばいとは聞いてたけど思った以上にヤバそう。私後から映像見て知ったんだけど、本番動きめっちゃ良かったってか可愛かったんだけど。何あれ見たかったんだけど。特に登場が好きすぎて有罪。ゆにちゃんは最初っから上手だった。動きが上手い。最初っからそれだ!っていう動きが出せてスタートラインが既に違う感じがします。オム二の時点でコルクさんについていけてるのスゴすぎる。各脚本、少しのセリフで存在感をひしひしと感じさせる役が上手い。この一瞬でお客さんの脳にインパクトを残せる役者は...ゆにしかいない!!!ってなるんだろうねきっと。いや演出じゃないから知らんけど。不揃いバーム美味しかった。今度いっぱい食べ物上げたくなっちゃった。
園堂香莉
なぽちゃ!なぽなぽなぽりだね。想像以上の鯛焼き愛で愛おしいです。役幅広っ。小さい子供からアナウンサー、エレベーターガールまで全部ハマってました。私のイチオシはエレベーターガールです。声に艶があるからか、役のイメージ、場の雰囲気と、衣装と全てに合致していてやべえええって幕裏で見てました。あれなぽりオム二出てなかったっけ?って思うぐらい上手。外公から既に上手かったんだけどね。最近自分の持ち味を活かしはじめてるのをみてニコニコしています。なでなでしたくなるね。照明もお疲れ様!これからも忠実なる照明班員でいます。何回かしてる、仕込み中に照明チーフにコンビニスイーツあげるやつ、毎回考えるのが楽しい。なぽちゃんの仕込みは照明えっへん感があって楽しい。それと事故には気をつけて本当に。
海泥波波美
あさぎ!新歓ありがとうこざいました!あさぎが副隊長ってこんなにも頼もしいんですね。やる気が〜とか言ってたけどちゃんと頑張ってるのか可愛いですね。オチャラケてる風に見えて1番人の事を見ているし、考えている。あさぎがいなかったら恐らく35期はまた違った関係性になっていたことでしょう。みんな言ってる。あとは温故知新の温故部分ファイト。あさぎはオムニから良いところはそのまま、良くないところもどんどん改善アップデートしている気がします。でもオムニからうるさかった。あんなうるさいやつがこんなに人のことをよく見てる人だとは思いもしなかった。ギャップやね。あさぎにはそのままでいて欲しいな。パチンカスにだけはならないでください。
衿君
えりちゃん!!ラジオパーソナリティ最高だった。まじでいい顔してる。「いい顔してる」が似合う人なかなかいないけどえりちゃんには声を大にして言える。表情がより活き活きするようになって慣れてきたのかなと思ったりしてみてました。私はずっと覚えてます。香夜楽stで爆発してたえりちゃんを。これを見るために演補やってたと言っても過言では無いってぐらい感動した。正直香夜の稽古期間中よりも仕込み期間でグッと仲良くなれた印象。こんな人だったの!?を沢山見ました。このたまらなすぎるギャップをぜひ36期にも見せつけて欲しい。あと映像。えぴが追いつかれそうって言っててすげえなって思いました。タイトルコール見た時、これで名前出るんですか??え??って嬉しくなりました。チラ見すら出来なかったあの立ち位置が今となっては悔しい。
黒井白子
白子!演補とオペお疲れ様!稽古場に白子とみーらが帰ってきた時の安心感ったら無い。白子はみーらのオタクって聞いてたけど思ったよりオタクで笑いました。それ以降シーン練見るのとかほぼ全任せですみませんでした。行き詰まった時にこうしてみたら?と代わりに演じたり、意見がスっと出てくるのは本当にすごい。誇ってほしい。少なくとも私にはできない。でも通しでこりにダメが出せないんですよ〜...って言ってるのを見て白子でもそんなことあるんやって思いました。完璧超人はいないってことですね。でも演技はずっと好き。香夜の時からまじで。香夜はじめロキとすごく不安に思ってたけどそれが払拭されたのは白子のおかげの部分が多々あります。多分私と意見が合わないって時も沢山あると思うけど、少なくとも白子がちゃうか嫌だ!って思ってしまうちゃうかにはしたくないなと思ってます。
近未来ミイラ
みーら!2連続演出おつかれ!と思ったら3連続だね!がんばれ!毎回、みーらの脚本!!っぽさを残しつつ新しいアイデアもあって色んな脚本がかけてしまうのが本当に凄い。いや、新しいアイデア自体がもうみーらって感じだから結局みーらの脚本だね。今回でいう就寝刑みたいな、よくそんなん思いつくなっていうのが随所に散りばめられていて毎回読むのが楽しみです。それにみんなが普段感じているような些細な悩みや普段すぎて言葉にしにくいもやもやを脚本に起こせるのが本当に凄い。そして演じるのが楽しい。
今回演補に選んでくれたけどまじで予想外すぎました。だって新人のコンビに入るんだぞ!?何か助けになれていたら幸いです。楽st前に「もしまりおさんいなかったら〜」と言ってくれたけどそれを受け止めるのにはまだもう少し時間がかかるのでちょっと待ってください。でも嬉しかった。二宮本当に楽しかったです。個人的に大きい役をやりたいなとも思っていたので本当に嬉しかったし、推しのこんこりと一緒に出来たのも楽しかった。まじで夢みたいな公演でした。まさに夢にまで魅せられてってね!!心も体も体調だけには気をつけて!
長い!!!長すぎるね!!
(書きながら香夜の我が子感やばいなって思いました差があったらごめん)
今回は去年外部公演で沢山得たインプットがちゃんと活かされてるなと実感した公演でした。自分の中の演技の選択肢が増える感じ。あの瞬間のために去年頑張ったんだな〜とも。その機会をくれたみーらと白子に感謝ですね。アンケートや人伝で沢山褒めてもらいました。それを真に受けると天狗になりそうで怖いので1回着信拒否してます。お��めを受け入れるのには時間がかかるのです。そんなめんどくさい人間なんです。ごめんな!!何はともあれ本当に楽しかったです。やばい36期来ちゃうよ!!ってかもう来たよ!!
オム二全力で楽しませようぜ!
2 notes · View notes
tokyomariegold · 5 months
Text
2023/12/11〜
Tumblr media
12月11日 昨日つけ置き洗いをした加湿器の給水タンクのキャップを捻り開ける力がなくて水を捨てられず、朝そのままで出かけた。浴室乾燥していた洗濯物も気温が下がって乾きが悪くなり3時間では乾かなくなってしまい干したまま出かけた。
この調子で毎晩毎晩掃除や片付けや、やらなくてもいいのに儀式的にやってしまうことを減らしたい。その日の感じに合わせて必要ならばやる、程度にしたい。
お昼休みに歩いていたら、向かいから坂を降りて来た自転車の方がすっころんでズボンの膝が破れてしまった。私含め近くにいた人たちは遠巻きに心配そうに、でも声をかけたりもできずにいる様子で見守っていて、本人はやっと少しずつ起き上がって、そんな時に後ろから悲観するばかりでない明るい声で「あら〜大丈夫かしら?」と声をかけてくれた年配の女性がとても救いの存在だった。 心配そうに「大丈夫ですか?!」と言われたら「大丈夫です」しか言えなそうだけれど、余裕を持った明るさで声をかけてくれたら「ズボンの膝が破けちゃった…」と、少し泣き言を答えることも許してくれそうだな、と思った。
お休みに入った上司の代わりを務めてくださる方と、まだ様子見あってお仕事をしている感じがなんだか煮え切らなくてぎくしゃくして話す度に泣きそうになっている。
Tumblr media
12月12日 向かいのデスクの方が自分で設計した自邸が1月末に完成するお話を聞かせてもらう。写真も見せてもらって白と木が良い塩梅の素敵なお宅だった。 すごい!うらやましいとか尊敬するとか目標としたいとかそうゆう次元でなくて、なんかこれはとても嬉しいだろうな!?と率直に思ってしまい、他人のことだけれど「嬉しくないですかこれ!」と少しテンションが上がってしまった。 年が近い彼女よりお仕事でできないことが多い(と勝手に思っている)私は、時々それに落ち込んだりしていたけれど、彼女は本当に建築が好きなんだ!と嬉しくなる発見ができた。 私は建築はお仕事でしかなくて、作家さんの作品や考え方を観るのは好きだけれど自分で作りたい分野ではない切り分けはできているので、全く別の類の方としてやっと彼女を捉えることができた気がする。 お家ができたら遊びに行かせてもらうお願いもできた。
Tumblr media
昨晩、教えていただいた大阪のギャラリー情報を確認し、ちょっと違うかな〜となっている。 今日から京都のギャラリーも少しずつみてみよう。
友人へ次会った時に渡そうとしていた京都限定のルルルンのパックと光線さんのガチャガチャをレターパックライトに詰めて送ろうとしたらポストに入らなかった。また3センチ(今回はプラスの5センチも)をオーバーしてしまった。
マスクが苦し過ぎてくらくらするの��、日中の噛み締めがひどくて顔が痛くなるので、2日間外す生活をしてみたけれど、なんとなく人と喋る時の飛沫恐怖が発生してしまい、唾が飲み込めないことがたくさんあった。また良くない症状を発症させてしまったかもしれない。
Tumblr media
12月13日 ガスの点検の立ち会いのため午前中はお仕事をお休みをした。 そのため昨晩は出来る限りの掃除をしたり日記を更新したりとても忙しく過ごし、22時からの一食目のご飯は栄養補給でしかなくて味がしなかった。
でも朝起きて、まだ薄暗い中で大島さんの新しい読み切りの漫画を読んで二度寝をしたら、夏に展示をしたギャラリーの白濱さんと大学時代の好きな友人が夢に出てきてとても幸せだった。alt_mediumで小規模のブックフェア的なイベントを開催していて、私はそれに参加して写真集を販売したり自分の作品についてトークをしたりして、出版関係のお仕事をしている友人はたまたま仕事でこのイベントに来ていて、写真を通してお仕事でこうやって好きな方々と再会できた幸せな夢。
Tumblr media
朝起きても、半日仕事を終えても、まだどことなく今日良かったことがあった、と思う気持ちはこの夢のおかげだと思う。 こうなると今の仕事を続けることを少し悩んでしまう。
フィルムカメラで写真を続けるためにNikonF100の修理をするべきだと、もう一度修理店を探して、インターネットで見つけた2店舗に連絡をとってみた。修理するより中古機材を買った方が安いのかな。
午後から出勤する道中、イルミネーションの準備が進められていて、夜帰宅するときちゃんと光っていた。
いつも行くスーパーの品揃えについて、私がお決まりで毎日買い続ける商品が、ある時から私が買うごとに一つずつ減ってき、最後の一つを購入した次の日からその商品の取り扱いが終わってしまうことが何回か続いていて悲しい。その中の需要と合わないものを嗜好してしまっているの?
無事でいたすぎて、年明けの有給の予定を立て始めている。
Tumblr media
12月14日 ティカ・αが作曲、最果タヒが作詞した曲が、1月24日にリリースされる情報を知る。え?!と、なってしまう。え?!ティカ・αと最果タヒが作品を作ってしまったのですか。嬉しさや楽しみな気持ちより、もうこれまでの空虚な気持ちに近い感覚。
ティカ・αエピソードのひとつ、“愛・テキサス”のMステ動画のコメント欄が意外と愛が溢れていて(山Pファンでない人達の山Pへの評価について)、なんかよかったことをたまに思い出します。
ポストに入らなかったレターパックライトを郵便窓口でプラスに変えてもらう。差額と手数料だけ払って、使用済みだけれどライトを返却して完了した!
有言ジーザスなので朝デスクについてから始業まで年賀状の宛名を書くようにしている。でも裏面のデザインが定まりきらずにいて今年は出すのがギリギリになってしまいそう。
昨日の日記にスーパーの品揃えについて書いた矢先、いつも買っていた商品がまた取り扱い終了となってしまった様子。これまでの取り扱い終了商品履歴。ナチュラル豆腐ビヨンド、揚げなすとトマトのフリーズドライスープ、豆のサラダ、雑穀のサラダ、殻が剥いてあるゆで卵、畑生まれのまろやかソイ、サラダ豆。これ以上私に食の不自由を与えないでください。
来週もどこかでお休みを取れないか探してしまう。
Tumblr media
2 notes · View notes
ari0921 · 6 months
Text
無責任体制で自民党の迷走が続く
  櫻井よしこ
岸田政権の政治には何の脈絡もない。連帯し、心をひとつにして難関に当たる気風がなく、およそ全てがバラバラに動いている。2月29日と3月1日、2日間にわたる国会での政治倫理審査会を見て感じたのはこのことだった。
岸田文雄首相は、われこそは正義の人だとでもいう気持ちで政倫審に出席したのであろう。確かに首相の出席によって清和会座長や事務総長経験者らが全面公開の審議に応ずることになった。率先垂範で局面打開を図ったのであろうが、国民目線で見ると首相自身も同じ政治資金疑惑を抱かれていることに気づいているのか、訝らざるを得ない。
宏池会には3年間で約3千万円の不記載資金があり、会計責任者の元事務局長の有罪が確定した。野党は同件を追及しなかったが、結局岸田氏も清和会と同罪かとの疑念は残る。
もう一点、岸田氏には政治資金問題に区切りをつけて一日も早く内外の課題に取り組むことが求められている。が、政倫審への出席によって新たな課題を自分自身で作ってしまった。不記載問題を起こした政治家の道義的責任を問うて処分を検討すると約束したことだ。
岸田氏は疑惑が報じられた時点ではまったく何の調査も行わず、新聞報道に驚いて清和会所属議員の処分に走った。閣僚を筆頭に副大臣、政務官、党役員等の全ての役職を、清和会というだけで解こうとした。政務官は1年生議員が多いことから彼らには責任はないとして、萩生田光一前政調会長が抗議して彼らだけは任務を継続した。だがその他の役職者は処分され罰せられている。これからさらなる処分、とは一体どんなことになるのだろうか。岸田氏はどこまで問題を引きずるのだろうか。ここまでくれば、全ての議員はいずれ選挙で審判を受ける。
それで十分ではないのか。
安倍総理の懸念
3月1日の「言論テレビ」で政治ジャーナリストの石橋文登氏が自民党内の動きを説明した。
「幹事長の茂木敏充、国対委員長の浜田靖一の両氏が全く機能していない。そのために森山裕総務会長が前面に出てきた。森山さんは萩生田さんの政倫審出席を止めて、岸田さんを守ろうとした」
萩生田氏は自ら政倫審に出ると申し入れたが、森山氏が萩生田氏は清和会の閥務には携わっておらず無関係だとして止めた。石橋氏が続ける。
「もし萩生田氏を政倫審に呼べば、次は二階氏だ、その次は岸田氏だという流れになる。森山氏は総裁に事が及ばないようにと、手を打っていたわけです。そんなことも全く配慮せず、岸田さんは自分が出席するといきなり発表した。これでは岸田さんを守り立てていこうという人はいなくなります」
政倫審ではもうひとつ、清和会座長及び事務総長経験者らが徹頭徹尾無責任集団であることがはっきりした。とりわけ座長の塩谷立氏の責任は重い。
立憲民主党の寺田学氏が塩谷氏に、安倍総理は政治資金の不記載を問題視していたのではないか、と問うた。
塩谷氏は、「安倍総理は『還付を現金で行うことはやめよう』とおっしゃった」と答えた。寺田氏は尚も食い下がったが、塩谷氏は「不記載」という言葉は、自分を含めて安倍総理の部屋に呼ばれた全員が聞いていないと思うと断言した。
もし、安倍総理が塩谷氏の言うとおり現金での還付はやめようと語ったのであれば、それはその行為自体が政治資金規正法に違反していることを危惧していたからだ。ノルマ以上のパーティ券を売り上げ、余剰分を個々の政治家に還元する際、それを政治資金収支報告書に記載せず現金で還付していた。この一連の動きが政治資金規正法違反だと認識したからこそ、安倍総理は派閥の座長、事務総長らに厳しく言い渡した。「現金」還付への懸念は、それが不記載のお金であり、不記載は法令違反だという認識の中でのことだったはずだ。
『正論』発行人の有元隆志氏が言論テレビで指摘した。
「安倍氏は2021年11月に派閥に戻り、清和会会長に就任しました。翌22年5月に予定されていた清和会の資金集めパーティに備えて事務局長の松本淳一郎氏の報告を受ける内、不記載問題を知り驚愕したのです。すぐに事務総長の西村康稔氏を自分の事務所に呼びつけた。これが22年2月24日のことです」
西村氏を指導したものの安倍総理の懸念は晴れなかった。再び有元氏が語る。
「2月24日に続いて、3月2日、4月7日にも呼びつけています。3月2日に招集されたのは西村氏、参議院幹事長の世耕弘成氏の他、前会長の細田博之氏です。4月7日には西村、世耕、塩谷、松本氏に加え、事務総長経験者の下村博文氏を呼んで還付金不記載をやめるよう指示しています」
有権者の審判
このような事実を知れば安倍氏が正そうとしたのが「不記載問題」だったことが分かる。塩谷氏らが理解できなかったとは実に不思議だ。
塩谷氏ら全員が、事の本質が不記載だとは気がつかなかった、と証言したが、これ以上の無責任はない。
そして立憲民主党だ。彼らはこれまで安倍氏を汚い言葉で罵ってきた。だが寺田氏は、そんなことは忘れたかのように安倍氏を持ち上げ、「安倍総理のご遺志」を蔑ろにするのかと、塩谷氏らを責めた。正論を展開しているように聞こえるが、この手の平返しの立憲民主党の言葉にも耐えがたいものがある���
塩谷氏は政治資金の還流を続けたことに関して、「還元を求めた人たちが多かった、それでそのままになった」という趣旨で答えた。だが氏は座長だった。多くの若手後輩議員たちに資金の不記載を継続させたことについて、長として責任をとるべき局面ではないかと、私は思う。検察が法的に詰め切れなかったからと言って、知りませんでしたで逃れるのは、再度言う、無責任だ。
塩谷氏が、座長の自分が悪かったとして真っ先に政界引退を宣言すれば、あるいは状況はここまで悪化しなかったのではないか。こう考えるのは、今回の問題が朝日新聞などが取り沙汰するような悪質な裏金作りだったとは思わないからだ。明白な法令違反ではあるが、朝日が強調してやまない悪質さはそこにはないと思う。だからこそ、最も責任ある人が非を認めて謝罪し、一身を犠牲にして反省の気持ちを明確に示すことが大事だった。現実には真逆の現象が起きた。責任をとるべき人々の言い訳によって、逆に有権者の反発は強まり、
怒りが増幅したのではないか。
苦々しい気持ちは自民党議員に対してだけではない。幾人かの野党議員が声高に自民党を糾弾したが、彼らにそれ程の資格があるのかとも、私は疑問に思っている。
前述したがやがて選挙になる。一人一人の政治家には日本国と国民のための政策を掲げ、有権者の審判を潔く受けてほしいと思う。
3 notes · View notes
kennak · 28 days
Quote
宅配便業界最大手である「ヤマト運輸」の倉庫で働く正社員の男性(55歳)が、会社に対し熱中症対策が不十分だとして改善を求め、8月19日に1人でストライキを決行。同日、東京都内で記者会見を行った。 男性が働く兵庫県内の倉庫は、18台の車が停車できる大きな営業所だというが、建物の構造上、風通しが悪く、外壁が金属パネルで熱を持ち、さらに窓がさびていて半分程度しか開かない状態だという。 男性によれば、最大40度まで計測できる気温計が40度に振り切れ、熱中症指数が「危険」を指している日もあったという。しかし、当時実施されていた熱中症対策は、塩あめの配布と、業務用扇風機1台、スポットクーラー2台、ウォーターサーバーの設置のみだった。 団体交渉で“改善”も…ストライキに踏み切った理由 すでに行われた男性側とヤマト運輸側の団体交渉により、業務用扇風機とスポットクーラー2台の追加導入およびさびついた窓の修繕などは約束されたが、男性は十分ではないとして、さらに以下の対策を求めストライキに踏み切った。 ①倉庫内でつけっぱなしにすることで温度上昇をもたらしている配達車のエンジンを可能な限り切ること。 ②倉庫内の温度・熱中症指数を記録、管理すること。 ③空調服、首に巻く扇風機、スポーツドリンクなどの支給および、通風または冷房設備の充実。 ④労働者の健康状態の確認、安全衛生教育の実施、応急処置の流れの共有をすること。 ⑤全社的な熱中症対策の実態調査。 男性を支援する労働組合「総合サポートユニ��ン」の佐藤学氏は会見で、「物流で社会を支えるエッセンシャルワーカーが、命を危険にさらされながら働いている実態がある」として、ヤマト運輸に対し全社的な改善を求めた。 吐き気や立ちくらみ「通り越している」 配送ドライバーとしてヤマト運輸に25年以上勤務していた男性は、昨年8月中旬から倉庫勤務に異動。倉庫内を回り荷物の仕分けなどを行う業務をしているが、今年の6月末頃から倉庫内の暑さを感じ、7月には倉庫内の気温計も40度を示すようになっていた。男性が慢性的な頭痛などを抱えて8月に病院を受診した際には、医師から熱中症と診断されたという。 「とにかく暑さがひどく、ヘルメットをかぶっているのであせもも治りません。吐き気や立ちくらみはもうとっくに通り越していて、慢性的に頭が痛い状態を薬で散らしながらなんとかやっています。倉庫内の労働環境がいかにひどいかを会社にも知っていただきたく団体交渉を求めました」 しかし、7月23日に男性側が団体交渉を求めると、営業所から気温計が撤去されたという。 8月9日に行われた団体交渉では、ヤマト側は気温計について「壊れていて、最大でも36度だった」等と主張。しかし、実際の倉庫内が何度だったのかについて、ヤマト側は記録を残していなかった。 また、倉庫内の温度上昇は、配達車のエンジンをかけっぱなしにしていることが原因のひとつだとして、男性はエンジンを切ることを求めた。ところが、ヤマト運輸のサービスである「クール宅急便」のためには一部の配達車のエンジンを切ることができないため「クール宅急便がある以上は仕方がない」との回答だったという。 しかし、倉庫の管理者によっては、作業する労働者がいるときは「できる限り」エンジンを切るよう呼びかける人もいるといい、同じヤマト運輸の倉庫であっても管理者によって労働環境が異なる実態もあるという。
「ヤマト運輸」倉庫で働く社員が“熱中症対策”求め一人ストライキ決行 佐川は空調服「支給」、ヤマトは「自腹」の環境差も(弁護士JPニュース) - Yahoo!ニュース
4 notes · View notes
hachikenyakaiwai · 1 year
Text
Tumblr media
【かいわいの時】承応二年(1653)七月晦日:青物市場、天満橋北詰に移転(天満青物市場の成立)(大阪市史編纂所「今日は何の日」)
天満青物市場の前身ともいうべき旧市場は、大阪夏の陣のあと、元和元年(1615)から翌2年のころ淀川に面した京橋南詰の京町1丁目の淀屋个安の屋敷地において開設された。それは大阪城主の松平忠明の時代における市街地の復興・整備とも重なり会っていた。その後、その場所は幕府の御用地として公収されたので、慶安4年(1651)に京橋北詰の片原町(現在の都島区片町)に移転した。ところが、この場所は京街道に沿っていたので人馬の往来が激しく、また新市場の家主たちは家賃を引き上げて不当の利益をむさぼるなどの不都合が生じ、さらにこの市場では青物・魚類の混合営業をおこなっていたので不便な点が多くなり、同市場の諸商が協議を重ねた結果、青物・魚類は分離して移転する決意をかためた。大阪町奉行では、このような意向を認め、生魚・塩干魚商は靱町に移り、青物商ならびに生魚商・乾物商の一部は天神橋北詰東角から竜田町西角にいたる大川筋の北側のいわゆる「市の側」*に移転した。永市寿一氏の「天満市場誌 上巻」によると、移転した問屋の人数は次の32名であった(宮本又次)。「天満来歴考」『大阪春秋 第13号』1977より。 *ママ。鐘成の『浪華の賑ひ』1856には、「(天満菜蔬市)天神橋北詰より東へ浜側通三丁ばかりの間なり。北詰より西を市の側といふ。荒物・乾物の店多し」(下記)とあります。宮本さんの勘違いでしょう。
(写真)「天満菜蔬市」 鶏鳴舎暁晴『浪華の賑ひ 初篇』1856(ボストン美術館蔵)より。 天神橋北詰より東へ浜側通三丁ばかりの間なり。北詰より西を市の側といふ。荒物・乾物の店多し。もとこの市場は京橋南詰において年久しく有りしが、慶安の頃その地御用地となりて、京橋片原町に引き移す。しかるに商人の往来に煩いありとて、替地を免され、今の所に移りてより、日々に店々を飾り、売買市人鳥のごとくに集ひ、鱗のごとくに集り、賑はしき事、常にたゆむ事なし(同書)。
22 notes · View notes
harawata44 · 10 months
Text
実は間違い!やってはいけない「おばあちゃんの知恵袋」時代の変化と根拠のない過去の常識 - ライブドアニュース
以下引用
民間療法は過去の常識を疑おう
「昔は今のように便利なものがすぐに手に入ったり、情報にアクセスできなかったので、身近なもので編み出した“苦肉の策”的なアイデアも多いんです。ただ、医師の立場から言えば、実際に効果があったというエビデンスのないものは、おすすめしません」  と話すのは、公衆衛生学が専門の医師、柳澤綾子先生。
「民間療法はあくまで補助的に行うべきもの。例えば、切り傷の治りが悪いぐらいならまだいいですが、菌が入って化膿(かのう)させてしまうような危険なケースもあります」(柳澤先生、以下同)
逆効果で害に!正しい治療法を知ろう
「昔はアロエがすぐに手に入ったため、『切り傷にはアロエを塗る』といった民間療法は日本だけでなく、海外でもよく知られている方法です。アロエの成分には収れん作用があるので、小さな傷であれば有効である可能性があります。  ただ、土や雑菌がアロエに付着していれば、それが傷口に入り、化膿する危険性も。その結果、傷痕が残る可能性がないとはいえません」  さらに、今も一般家庭で行われている、市販の殺菌消毒薬を使う傷治療も、医学の世界では“時代遅れ”。 「正常な細胞まで破壊してしまう危険性のほうが高いので、泥などを水で洗い流すだけというのが、現在の傷治療の常識。昔の常識が間違っているというより、研究が進んで新常識に塗り替わっているのに、広まっていないということなのでしょうね」  最近の研究では、植物や食材を皮膚に塗ると刺激になってかぶれたり、口にするとじんましんが出る「食物アレルギー」発症のリスクが上がることがわかってきた。 「例えばキュウリパックなどで食物アレルギーになった場合、その発症をきっかけとして同じウリ科のメロンなども食べられなくなってしまうことも。“おばあちゃんの知恵”的な『自然のものだから安全』という思い込みは捨てたほうがいいです」  ほかにもヨーグルトやレモン、米のとぎ汁などでも発症する可能性があるので、皮膚につけるのは避けたほうがベター。乾燥しやすかったり皮膚が弱い人は特に要注意だ。  この時期、風邪のひきはじめや体調が悪いときの言い伝えを試す人もいるのでは? 「『風邪をひいたときにネギを首に巻く』のも効果はないですね。ウイルスが引き起こす風邪に特効薬はありませんし、ましてや特定の食べ物を食べて治ることはないです」  このような民間療法は、誰かひとりに何か良い結果が出たことが、噂として広まっただけかもしれない……と柳澤先生は語る。 「実害がなければ、個人の判断で行うのは構わないでしょう。『心地がいい』『気持ちいい』というのも、私たち人間には大事な要素。ただし、イメージで妄信せず、その民間療法が安全かどうかを事前に確認すべきです」
おばあちゃんの知恵【風邪対策編】
×:ネギを首に巻く  首に巻くとネギの成分「アリシン」が鼻から入ってきて良い……というのが、この対策を“本当のように”思わせてしまう理由。 「アリシン自体は免疫活性化に役立つといわれていますが、風邪を直接、治すものではありません。そもそも、首の皮膚から経皮吸収できませんし、分子が大きいので吸い込んでも吸収されません」(柳澤先生、以下同)  免疫を高めるためには「寝ることに勝るものはありません!」 △:風邪のひきはじめには卵酒  酒に卵と砂糖を混ぜ、温めたのが「卵酒」。卵であれば常備している家庭も多く、液体なら体調が悪くてもとりやすい。 「身体に異物が入ってくると、細胞性免疫や白血球が抗体を使って戦うのですが、この抗体を作る原料がタンパク質。  卵の主成分であるタンパク質(アミノ酸)をとると免疫の原料が増えるという意味では、卵に限らず、良質なタンパク質をとるのは良いことです。ただ、お酒はいらないのでは。  私たちはお酒を消化する際、免疫に必要な栄養素を消費してしまうので、免疫力低下につながります」 △:風邪をひいたらチキンスープ  風邪のとき、欧米ではポピュラーな“おばあちゃんの知恵”が「チキンスープ」。鶏肉や玉ねぎ、セロリなどの野菜を煮込んで作る。 「諸説あるものの、米国胸部疾患学会(ACCP)の報告書では、しっかりしたエビデンスはみつかりませんでした。卵酒と同様、鶏肉はタンパク質が豊富とはいえると思いますが……」  療養食としては適しているが“治る”のは期待しないほうがいい。 △:喉のイガイガにははちみつ大根  咳が止まるといわれている「はちみつ大根」。皮をむいてカットした大根をはちみつに漬け、半日程度冷蔵庫に置いてからその大根やシロップをとるというものだ。 「はちみつには咳を止める効果があるという論文がありますが、大根には今のところ裏付けはないはず。はちみつは上気道炎で咳が出ている小児での調査でも、咳止めの薬と同程度の効果が見込まれました。  抗酸化作用や抗菌作用のある成分が多いからとされていますので、喉が痛いときには、はちみつのみを少しとってみては」  ただし1歳未満の小児に与えるのはNGだ。
昔ながらの生活の知恵
×:ひじきで貧血予防  鉄欠乏症などの貧血を防ぐ食品として日本では知られるひじき。しかし、1950年から発表されている『日本食品標準成分表』では、ひじき100gあたり55mgあった鉄分は、2020年版では6.2mg、つまり9分の1に減っていた。 「そもそも、この鉄分は食材に含まれていたものではなく、鉄釜で調理していたから。今はステンレス鍋などを使うので含まれる鉄分が減ったのだとか。これは切り干し大根も同様」  動物性と植物性の鉄は作用が異なるので、レバーや肉、魚の赤い部分、豆類や小松菜などをバランスよく食べよう。 △:こりや痛みに「こんにゃく湿布」  昔はこんにゃくを温めて、こりや痛みのある患部に当てていたそうで、今もナチュラリストの間では実践する人も。 「現代では温めたいなら、こんにゃくである必要性はありません。湯たんぽやカイロなどで良いはず。ただ急性の炎症の場合は冷却が基本だったり、慢性期は温めるのが基本であったり、症状によって違います。  炎症の種類によって変える必要があるので、自己判断で決めず受診したほうがよいでしょうね」 △:お酒を飲む前に牛乳  お酒好きの人は飲酒前に何かをとって二日酔い予防をしたいという人も多いだろう。そのひとつが、「お酒を飲む前に牛乳を飲むと胃に膜ができてアルコールの吸収を遅らせ、酔いにくくなる」という説。しかし、効果は期待できないという。 「タンパク質は分解酵素の原料としては役には立ちますが、即効性はありません。乳脂肪は胃の動きを抑制してアルコールの吸収を遅らせるという作用はありますが、微々たるもの。酔いがまわるのがほんの少し遅くなるというだけです」 ×:塩で歯磨き  塩で歯磨きをすると浸透圧で歯茎の中の老廃物を排出しやすくなるといわれているが、「浸透圧で分子の小さな水分は外に出てきますが、老廃物は外には出てきません」と、柳澤先生は一刀両断。 「塩の結晶が大きいので、歯や歯茎を傷つける可能性しかないです。塩で歯茎のマッサージなんてもってのほか。刺激は強いので爽快感はあるのかもしれませんが……」  汚れを落とす効果もなく、塩分過多で血圧や腎臓への影響も心配だ。 △:りんごが病気を遠ざける 「1日1個のりんごで医者いらず」ということわざが有名。加えて「りんごポリフェノールが豊富なので皮ごと食べるとよい」、「抗酸化物質の塊」ともいわれ、まるで“万能薬”のようにうたわれるりんご。 「ポリフェノールという意味ならぶどうや緑茶にも入っています。ポリフェノールには脳卒中や高血圧、多くの心疾患リスク要因を減らすという効果が期待できても、その作用を起こすほどの量を食べることは現実的ではありません」  さらに果糖もたっぷりあるので食べすぎると、血糖値の上昇や血中の中性脂肪の増加を招く危険性も。 ×:魚の骨が喉に刺さったらご飯を飲み込む 「ご飯の粘度で魚の骨が取れる人もいるそうですが、ますます深く刺さることもあります。たまたま取れた人がいたとしても、ほかの人も成功するとは限らず、おすすめできません」  食道は縦に裂けやすくなっているため、硬い骨を無理して取ると神経などが通る部分に炎症を起こすことがある。 「人の身体には異物を排除する機能があるので、ある程度は自分の身体に任せておいて大丈夫」  どうしても気になるときは、耳鼻咽喉科で取ってもらおう。 △:やけど・傷はアロエで治る  日本だけでなく世界中で、ケガをしたときによく使われている多肉植物のアロエ。この成分を使ったゲルを塗ることで、にきびの回復、やけどの回復が早まる可能性が研究で報告されている。 「やけどの初期対応としてアロエの葉を使う場合、冷却作用は期待できますが、今はそれより冷蔵庫の保冷剤を取り出すほうが、葉っぱを取りに行くより早いのでは?水道水で良いのでとにかく早く冷やしてください」  また、土にはさまざまな雑菌が含まれているので、アロエの葉とともに雑菌が傷に入れば感染症を起こす可能性が。人によっては皮膚がかぶれたりすることもあるので要注意。 ×:蚊に刺されたらアルカリ性の石けんで洗う  蚊の唾液が酸性なので、アルカリ性の石けんで洗うとかゆみがなくなるといわれている。 「まったく効果はありません。そもそも蚊の唾液が酸性であるという証拠がないのです。それに、皮膚の上に石けん水を塗ったからといって、皮膚内に入った蚊の有害成分に届くことはないですよ」  異物が体内に侵入するのを防ぐ役割を果たしているのが皮膚なので、特殊な医療技術を使わない限り奥まで浸透することはない。 ×:わかめで髪が黒くなる&増える  見た目が“緑の黒髪”という言葉を連想させるためか、伝説のように語り継がれているわかめの効果。 「白髪の予防になるという科学的なエビデンスはまったくなく、増毛作用の根拠もありません」  だが、海藻にはビタミンやミネラル、食物繊維といった、毛髪にも良い成分が豊富に含まれているのは事実だ。 ×:美白のためにキュウリのパック  キュウリに含まれるビタミンCには美白効果、βカロテンには美肌効果などの効用は認められているものの、キュウリに含まれる量は少ない。さらにいえば肌に直接のせてパックをしても、ほとんど肌に浸透することはないという。 「キュウリをパックするというのは、そのメリットがまったくわかりません。冷たくて気持ちいい程度の意味しかないと思います。それに刺激物だと身体が認識して、かぶれてしまう心配もあり、こちらのほうが心配です」
今は効果なし!おばあちゃんの節約術
 健康法だけでなく、おばあちゃんの節約術にもハイテクになった現代には使えなくなったワザが。節約に詳しい丸山晴美さんは、次の3つにダメ出しした。 ×:水道水はチョロチョロ少しずつ出す  昔は水道メーターの精度が悪かったため、少量ならカウントされず水道代が安くなるといわれており、洗濯機や風呂の水をためるときに実践している家もあった。しかし、今はメーターの精度が高いので、この方法では意味がない。 ×:冷蔵庫内にビニールカーテン  冷蔵庫の開閉時に冷気が逃げないようカーテンをつける人が続出。しかし、電気代の節約効果はいまいち不明……。それよりは食材を詰め込みすぎないこと、無駄な開閉はしないことを心がけてみては。 ×:コンセントはこまめに抜く  何でもかんでも電源プラグからコンセントを抜いていたが、家電の進歩により今は待機電力がほぼかからない。10年以上前の保温式の電気ポット、旧式のガス給湯器についてはプラグを抜くか、主電源を切って。
教えてくれたのは……柳澤綾子先生●医師、医学博士。東京大学医学系研究科公衆衛生学客員研究員、国立国際医療研究センター元特任研究員。集中治療・麻酔科専門医指導医。年間500本以上の論文を読破し、著作本『身体を壊す健康法』(Gakken)では、世界中から集めた情報をわかりやすく解説。
(取材・文/オフィス三銃士)
8 notes · View notes
kiyomumibu · 5 months
Text
信州ぶらり旅上田編
コロナ禍前から上田はずっと行きたい、否、行く。と決意していたものの、こっちからだと、上田はなんというかぽっかり空いた穴に転がったような場所というイメージで、松本で高速を降りて下道(おそらく山道だろうなあ〜)を行くか、上田を超えて長野市の方まで行って、かくっと左下に折れるか(ずっと高速だけど遠回り)のどちらかで、どっちにせよ行きにくいな〜〜と思っていたのでした。
しかし、このたび、つまり去年、自分の逃げ場をなくすために(現実逃避の旅行なのに逃げ場をなくすとはこれいかに)、ふるさと納税で上田市の宿泊券をどどーんと購入(納税?)し、とうとうその日がやってきたのでした。
このブログも(ブログなのかな?)、旅の記録にしようと思って登録したんですよね、1年前に。1年間どこにも行かなかったというわけではない。
なので、こんなタイトルなのですが、早速東名がメインではない場所に行っているのは気にしない。
【1日目】
自宅から上田駅まで休憩なしでも4時間弱かかってしまうので朝イチで出発し、諏訪で昼食。インスタで見ていいな〜とおもったレストランに行こうと思ったのですが、インスタの直リンクの住所をナビに設定したら何もない山奥に到着してとほほである。
レストランどころか、建物の影も形もない。
ことりの声が素晴らしいな……
しばしぼんやりしたあと、改めてきちんと調べてきちんとお店には行けました。インターから降りてすぐのとこやんけ。
行ったのは前菜・スープ・メイン・デザートが順番に出てくるタイプの北欧料理屋さんで、平日だったこともあり(?)お店は貸切でしたうれしい。
Tumblr media
こんな感じ。大人なのでこちらのイワシはオプションつけました。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
その後、上田城へ。
ちょうど桜まつりをやっていて、屋台もたくさん出ていて人もたくさんいてにぎやかでした。
上田城といえば、真田の城として有名ですが、思い起こしてみるとわたしは真田幸村が出てくるような小説ないしフィクションを読んだことがないかも
たぶん戦国時代の登場人物(?)の多さについていけてないですね……
夕食はジビエの食べられる焼肉屋さんへ。
宿から徒歩30分くらいだったのでぶらぶら歩いて行こうと思ったのですが、思ったより寒くて暗かったので即効でくじけてしまい、駅前でレンタサイクルを借りたのですが、電動自転車すばらしいですね!
かなり長い坂道があったのですが、全然苦労することなくらくらくで登ることができました。
Tumblr media Tumblr media
↑鹿といのしし
塩で食べるのがおいしかった!
帰りに繁華街をぶらぶらしていたら、辻占い?さんがいて、そこに「観相」という言葉があったので、思わず見ていただきました。
実は観相学というのに少し前から興味を持っていて、というのも、わたしが大好きなジェフリー・フォードの『白い果実』という小説の舞台が観相学が一番の権力を持った世界という設定なのです。
観相というのは「手相」の「相」と同じで、手相は手のしわなどを見て運勢?運命?を占うのですが、観相というのはその人の顔・立ち居ふるまい・態度などを見て占うもの。というのはストーリーを読んでだいたいわかったのですが、詳細がよくわからん(・w・)ぐぐってもよくわからん(・w・)となったので、ずっと気になっていたので、直接聞ける機会だ! と思って話しかけてみました。
こんなふうに辻占いに占ってもらうのそういえばはじめてですね。
結果は、ざっくり言うと「わたしはいい人なのでもっと思ったことを言っていいし行動していい」ということでした。
そうします(?)
「あなたはスピリチュアルにも興味がある人なので、ぜひ本を読んだり調べたりしてみてください」と勧誘もされたよ(・w・ゞ
そうそう、東畑開人さんの『野の医者は笑う』も読んで、たしかにスピリチュアルにも興味を持っていたのでした。パワーストーンとかほしい。最終的には魔法が使えるようになりたいなあ(?
そんな未来に思いをはせた一日目でしたとさ
Tumblr media
2 notes · View notes
hibikore-archives · 10 months
Text
よしもとかよ 「日々是好日」。vol.121 (2023/11/22 + 11/29)
2023   22nd + 29th november  
M1 powered by nature (Secret garden feat.Espen Grjotheim + Tracy Campbell)
  M2 vihma (Varttina)     M3 autumn leaves (Nana Mouskouri & Michel Legrand)
  M4 ちいさい秋みつけた (おおたか静流)     M5 ye Jacobites (Eddi Reader)     M6 we are blood (Rita Coolidge)     M7 les chose qui arrivent (Austine)       M8 meu pobre capitao (Maria Mendes)  
< 好日の素…球根を育てること、再び >
Tumblr media
  晩秋ともなると 木枯らしが吹いて、 枯れ葉が舞って…と、どこか 淋しいきもちになりそうなものですが… ヒヤシンスなどの球根植物は 晩秋から春にかけてのおたのしみ。   前回のテーマではないけど、 ここしばらくのうちに 球根植物が手元にいろいろ集まってきて たのしみが増えています。   昨年購入したヒヤシンスの球根は 鉢植えにして花を咲かせたあと 夏前に球根を掘り上げて乾燥して保管。 再び植えたところ、無事に芽が出てきました。   能登の祖父母の庭から 引っ越しさせたシラーは 芽は出たものの花を咲かせるには至らず。 植えっぱなしでよいとのことだったので 放置していたのですが、 さすがに先日、気になって 少し掘ってみたところ、 球根は無事のよう。 来春に芽吹いてくれることを期待しています。   草花交換会でやってきた 風知草の鉢に同居していたシクラメンは、 どんな花が咲くのかわからないので 夏越しにチャレンジ! シクラメンはいつも 夏にダメにしていたので 今回は事前に学習しました(笑。 そして…無事に夏越し成功! 目下は数ミリほどの葉が見えています。   同じく交換会で輿入れした ヒモサボテンの鉢の中には 謎の球根がひとつ。 ムスカリか何かかな?と思い ポリポットに植えて 放置していたら発芽!そして 花まで咲きました(笑! 咲いた花をもとに調べたところ、 チオノドクサという植物だったようです。 こちらも植えっぱなしOKとのことで 先日球根を確認してみると、 無事のよう。そして、もしかしたら 増えているかも…!   こんな風に球根植物の成長を 観察していると、 晩秋の淋しさよりも わくわくする気持ちの方が おおきくなってくるのです。
 
 
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *   
< 日々是食べたい! … 里芋のバターケーキ >
Tumblr media
普段、おかずとして 食べている食材が、 お菓子にもなる、と知ったときって うれしい驚きがあるもの。   もうずっと前に お土産でいただいた、 里芋農家のおかあさんたちが つくったという 里芋のマドレーヌが おいしくて、忘れられなくて。   しかしレシピがないので… 試行錯誤しながら焼いてみたのです、 里芋のバターケーキ。   ヒントになったのは、バナナブレッド。 バナナを焼き込む際に フォークの背でつぶして たたくようにしていると 特有の粘り気が出てきます。 里芋にも粘り気があるので、 同じ手法でなんとかならないか、と やってみたところ、 生地の中に里芋らしさが残って しっとりほっくり、いい塩梅に。   ごまをたっぷりトッピングしたら しっとりした里芋の生地と クリスピーなごまの食感と香りが いい感じ!   晩秋になると思い出す、 大好きな一品になりました。
6 notes · View notes