#イノセンス
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イノセントなスプラのフェスサムネ!
惡影響与えるヤツと一緒にいるくらいなら「ひとりでのんびり」過ごした方がいいぞって言う ブッダのありがたい教え!
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katamu63 · 11 months ago
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ecl1psical · 6 months ago
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i wish bloxxin fucking warned me for whatever the hell was going on in ノー-モア-イノセンス.
i clicked the mod name out of curiosity since it was in japanese which is the language i'm learning, but once you select the mod there's literally no going back, it won't let you click off, you're locked into selecting the song, too, and then it blasts you with scary faces and cheap creepypasta shit, which I COULD HANDLE IF NOT FOR THE FUCKING JUMPSCARE AT THE END. it blasts you with loud noises, scarier flashing faces and flashing lights, and then kicks you from the game.
song was wholly mid imo, 0/10 not worth the panic attack????
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neruzou · 1 year ago
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「芥」
みかづき星雅様の詩歌集『イノセンス・ロスト』の表紙イラストを担当させていただきました
https://x.com/fore_seiga/status/1776897799021572213?s=46&t=BjuR9qp7pHRxJpmRIJCRxw
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kennak · 1 month ago
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「企業のネットが星を 被おお い、電子や光が駆け巡っても」国家や民族が消えてなくなるほどではない近未来が舞台の『攻殻機動隊』などで、後のクリエイターに多大な影響と衝撃を与えた漫画家、士郎正宗さん(63)。デビュー40年を迎え、世田谷文学館(東京都)では初の大規模展が開催される中、読売新聞の単独書面インタビューに応じ、これまで生み出した作品や創作の秘密、AI(人工知能)がもたらす人間の未来などについて縦横無尽に語った。近年ほとんどメディアの取材を受けていない士郎さんの貴重な語録をご覧あれ。(文化部 池田創) 展覧会では、『攻殻機動隊』の主人公の素子の印象的なセリフが印刷されたのれんが来場者を出迎える(東京都世田谷区の世田谷文学館で) 世田谷文学館で大規模展 ――デビュー40年を迎えられて、どのようにお感じになっていますか。  そもそも寡作な上、諸事情による中断・未発表・��ツ作品が多過ぎて読者諸氏に申し訳ないものの、何とかここまで生き残る事が出来て大変に幸運だったと思っています。活動が東京や他業種に広がるに連れて「水中を歩いて進むかの様な状態」になり、40年、色々と大変でした。また書籍などの荷物が転居や避難に適さない分量になっています(笑)。 ――代表作「攻殻機動隊」は海外でも熱狂的な人気が続いています。  最初期に出版物の海外展開を頑張りました。望外に細長く継続しており、ありがたい限りです。 ――今回の世田谷文学館の展覧会は大量の原画が間近で見ることができ、充実した展示内容です。 士郎正宗さんのコメントとともに作品世界を振り返る巨大な年表(東京都世田谷区の世田谷文学館で)  今回このような機会を頂き大変感謝しております。僕程度の小規模 傭兵ようへい 型漫画家でこういった事が可能なら、日本のコンテンツ業界はもっと多様多彩な作家・作品を、深掘り探索・開発活用出来るのではないかと思います。 ――「攻殻機動隊」をはじめ、ご著書は情報化社会を予見していると言われます。  たまたま運良くタイミングや関係者の都合に合致し話題として取り上げて頂いているだけで、僕以外にもそういった作家・作品は多数存在していると思います。情報化社会の好ましくない側面があまり大きくならなければ良いですね。物騒、殺伐、トラブルは架空妄想物語の中だけで十分です。 ――AIの発展についてどのように感じていますか。  利便性と損害可能性は表裏一体、これまで考えられなかったレベルの明るい未来の可能性が開ける一方で、悪用や視野 狭窄きょうさく が起き、見えざる支配も容易になっている。研究開発に係る方々には頑張って頂きたいなと思います。 簡易強化外骨格、遠隔操作系ロボット類の開発が現実的 ――幼少期に親しんだマンガや小説はどのようなものがありますか。 デビュー作『アップルシード』のラフスケッチなどが並ぶ展示室(東京都世田谷区の世田谷文学館で)  アニメ版の「鉄人28号」や「エイトマン」から入って、雑誌「りぼん」(一条ゆかり氏、大矢ちき氏、弓月光氏などなど)、松本零士氏、永井豪氏、細野不二彦氏の影響が大きいですね。大学以降は諸星大二郎氏、星野之宣氏、大友克洋氏の存在が大きいと思います。 ――「攻殻機動隊」で描いた人間の身体と精神の関係はどのように感じていますか。  脳や体が一体として機能している中では、脳が優位の制御系があったり、体が優位の制御系(例えば副腎とか脊髄反射系とか)があったり、交換可能な部分や欠損許容部分(例えば昔は虫垂や 胆嚢たんのう を結構普通に切除していた)があったり、複雑で不思議に出来ていると思います。  義体化のような、身体交換は僕が生み出した要素ではありません。スタニスラフ・レム氏の『君は生きているか?』や、日本のマンガアニメ界においては石ノ森章太郎氏の『サイボーグ009』などの有名作品がすでにありました。サイバネティクスの一般的な目的は医療や軍事だと思いますが、今後は老化・劣化対策というのも存在感を増すかもしれません。個人的には年々増加中の災害現場における簡易強化外骨格や遠隔操作系ロボット類の開発を進める方が現実的かなとは思います。 ――ご著書に細かく書き込まれた欄外文章の役割や狙いを教えてください。  リズム感が単調になりがちな説明セリフや会話を物語内部から減らせる、それによってキャラの練度・演出を高めに設定出来る、物語と読者の距離の調整ができる、などでしょうか。昨今、いや昔もこういう方法は 流行はや りではありませんが……。 ――押井守監督のアニメーション映画版のご感想をお聞かせください。  個人的には原作に気を使っている部分が押井氏にしては多めの1作目より、押井氏節全開の『イノセンス』の方が好みです。いずれも一生懸命作って頂いてありがたいなと思っております。 ――ネット社会の広がりやAI技術の発展をどう感じておられますか。  人工知能の偏向学習、悪意ある人 達たち による人工知能活用と、対策する側の人工知能活用の格差、オンライン上に無い膨大な情報の無視や軽視など、課題は山積しているのではないかと感じています。世界は 繋つな がって狭くなると同時に、逆に分断細分化が進んで互いの距離が開き、問題解決の可否、明暗の格差も広がっている様に感じています。今まさに『言葉が通じなくなってバベルの塔が崩壊し始めている』状態でしょうか。人工知能育成では可能な限り、真実や実態に近い情報を得て優先解とするような、何らかの情報検証機構が必要でしょう。 コスパタイパ重視では驚きや発見も無い ――ネットに常時接続することが当たり前になりました。その��とをどのように感じてらっしゃいますか。  一般的なネット通販をほぼ利用しておりませんが、ネット社会になってからの方がサービスの質が低下&商品を探しにくくなったように感じています。便利、合理的、コスパタイパ重視の姿勢は内向きになりがちで、冗長性や余白が少ない分、周囲を見渡す余裕が減少し続けるし、ひいては驚きや発見も無く窮屈ですね。昔のSFでは「監視管理社会」は人々の敵として描かれるのが一般的だったのですが、現代では意外とそういう管理監視社会の利点も許容されているように思います。とはいうものの、今後もDXが進み常時接続が常識常態化し、行政サービスやインフラなどの分野で、高度化し便利で安全で充実した幸福度の高い世の中になっていくと良いのですが……。 ――「攻殻機動隊」ではサイボーグ化しても人間の内にある「ゴースト」という概念が存在します。「ゴースト」とは何でしょうか。 展示室の中央には『攻殻機動隊』の原画が並び、迫力のある筆致を間近で感じられる(東京都世田谷区の世田谷文学館で)  正確か否か、定義可能か、とは別にして、宗教や哲学や文学昔話の分野で古くから使われている「たましい」「霊魂」「ソウル」などの単語が印象として一般的には伝わりやすいのではないかと思います。「何だかよくわからないが、存在しているように思えるモヤっとしたものを『ゴースト』と呼ぶ」のも娯楽分野では分かりやすくて良いかな、ということで単語を使用しています。  犬や小鳥も感情を有することが一般的にも知られており、感情は人間だけが持つ最上位の機能・特別な評価対象ではない、という観点から、マンガ版ではゴーストという単語において「感情に特別な意味を持たせていない」つもりです。当然ながら人の価値観はそれぞれなので、僕と他のアニメ版の監督諸氏とでもこうした諸々に対する考え方に違いがあるわけですが、その事自体も含めて、作品を異なる角度から捉えて楽しんで頂ければ良いなと考えています。 神話は魅力の塊なのだが… ��―ご著書はシリアスな展開と迫力のある戦闘シーンの間にギャグが挟まりますね。作中におけるギャグの効用とはどのようなものでしょうか。  シリアスとギャグの挟み方や割合、そもそも混在を容認するか否か、など受け取る方々の価値観も観点も実に多様なので「万人にとって満足できる作品」というのは僕には難しいなと考えています。僕の取り扱うキャラクターたちは明日をも知れぬ立場なので、悲観的に備え楽観的に対処する、冗談でも言っていないとやっていられない、といったタイプが多めになっています。会話の軽さと行動、判断の速さ厳しさのギャップを楽しんで頂ければ良いかと思います。 ――『仙術超攻殻ORION』は日本神話をモ��ーフにしたファンタジーです。神話の魅力を教えてください。  神話と呼ばれる物語達は限られた要素と根源的な思考や解釈と想像力で織り上げられ、時代や民族の壁を越えて生き残っている、「選び抜かれた精鋭達」です。人々の心情や思考型や文化を映す鏡として、魅力の塊と言っても良いですね。一方で歴史を振り返ると、建築や芸術や情報戦において支配者や宗教組織や抵抗組織の都合や思惑と深く関わったと思しきものも多く、純粋に「素晴らしいか?」と問われると、答えに困る側面もあります。 ――『攻殻機動隊』のフチコマや、『ドミニオン』の小型戦車ボナパルトなど、作品からは戦車愛を感じます。 正義感にあふれる女性警察官のレオナが活躍する『ドミニオン』のコーナー(東京都世田谷区の世田谷文学館で)  「頑丈で壊れにくくて安全度が高い&移動以外にも何か作業が出来る乗り物」が好きですね。作品内に描く機会はなかなかありませんが、消防関連や港湾作業用の特殊車両、土木建築系や農林作業系の特殊機能車両なども同じように楽しくて興味深いと思っています。 気負わず欲張らず、自己ベスト更新維持 ――現在はイラスト制作や、画集刊行に活動の比重を置いておられますね。  マンガやアニメやゲームの企画書・プロット・シナリオなども色々と作っているのですが、なかなか最終商品の形にまで進める事が出来ておらず、イラストや画集は関係者や予算が少なくても実現可能な 為ため か商品の形になりやすい、というのが理由かと思います。 ――女性のエロチシズムを感じさせる美麗なイラストを生み出されています。 展示室の後半は、雑誌に発表した色鮮やかなカラーイラストが目を引く(東京都世田谷区の世田谷文学館で)  モノクロでは描写しにくいがカラーでは比較的描写が容易で、競合が起きにくいと思われる光沢の肌にこだわっています。近年の画集においては、似た構図やポージングの微差バリエーションを連続、重複して描くことで、アニメの原画をパラパラと連続で見る時に近い印象や効果の誘発が起きないかと工夫しています。 ――近況を教えてください。  今も40年前も変わらず東京ではなく関西にいて不規則不健康な生活をしながら昼夜延々と絵やプロットや駄文を描き続けています。視力体力の減少により、未読書籍が積み重なっています。 ――今後の執筆への意気込み��読者へのメッセージをいただければと思います。  気負わず欲張らず、自己ベスト更新維持で変わりなく、他にしたい事も無いので、ダラダラ延々と何かを作る日々を送ると思います。読者諸氏にはまた次の作品でお会いした際に、何らかの形でお楽しみ頂けると幸いです。
「攻殻機動隊」士郎正宗、ネット社会・AI発展に警鐘「言葉が通じなくなってバベルの塔が崩壊し始めている」 : 読売新聞
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cooomingsooon · 2 months ago
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イレニア隊(9課パロ)
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「攻殻立ち」の方が分かりやすいだろうか…?
以下 イレニア隊の攻殻パロに関して妄想をしていたメモ
9課パロに関して思いを馳せてました。 妄想が膨らんで滅茶苦茶楽しかったので少し書きとめておきます。 ホドリックさんはボーマのポジションでお願いします。
わたしが楽しいイレニア隊(ジョセフさん含む)9課パロ
各キャラのポジション的な奴。あくまで雰囲気。 イレニア様:荒巻&少佐 ジョセフさん:バトー ルノーさん:トグサ アルチーナさん:イシカワ&サイトー ホドリックさん:ボーマ ゲイリー:パズ
・イレニア様はお偉いさんとのやりとりから実戦のカチコミまで。役割上、交渉事が多いので結構眉間おさえてる。そこにアルチーナさんなお茶とかいれてあげたりする。 ・正義感で時々暴走するルノーさんを諌めつつ、「ふふ…昔の人は良い言葉を残したものだ。"理非無きときは鼓を鳴らし攻めて可なり"…。談判破裂して暴力の出る幕だ。ルノー、行くぞ」ってめっちゃ生き生きとドンパチやりだすジョセフさん (若い時のやんちゃ具合がでる。台詞はイノセンスのバトーさんの台詞から) ・アルチーナさんは情報収集と遠距離攻撃担当。一途に狙った獲物は逃がしません。前線には基本出ない。イレニア様とは仲良し。メンズ全員に平等に冷たい。 ・ホドリックさんとゲイリーおじは足で情報得たりドンパチ担当。勿論機械系も強い。基本ゲイリーおじが先頭で交渉や���き取りなどを担当するけど、態度が大きく印象が悪くなる事が大半な為最終的にホドリックさんが相手も宥めつつ「いい警官と悪い警官」みたいな感じでなんか上手く情報とってくる。失敗した時は暴れるゲイリーおじを体格差を活かしてホドリックさんが小脇に抱えて持って帰る。ドンパチする時、ホドリックさんにはバズーカとか対戦車ライフルとかデカい武器ぶっ放して欲しい。ゲイリーおじはその小さい体からどれだけでてくるの?って位多様な武器使いこなして戦って欲しい。
パトレイバーではひろみちゃん推しなので、デカくて優しい男にはデカくて威力の高い武器を使って欲しい。
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highvoltg · 1 year ago
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「孤独に歩め 悪を成さず 求めるところは少なく 林の中の象のように」
押井守の『イノセンス』で有名なこの言葉は、仏教の仏典の一つダンマパダ(巴: Dhammapada)の23章にある。
引用されている部分には前段が存在する。曰く「もし正しい生活をする賢明な仲間を得たら共に歩みなさい。思慮深い心で気づきをもって歩み、あらゆる困難を克服するだろう」と諭しつつ、もしそれが叶わないなら、という流れで「王が征服した国を捨てるように、森の中の象のように独りで歩け」と説く。そして、次の句でいよいよ冒頭の言葉に繋がる。
パーリ語の原文では、「独りで歩むほうがより良いのだ、愚かな人と付き合うよりも。独り歩め、悪を成さず、楽は少なく、林の中の象のように」といった調子であり、「孤独に歩め…」の訳は雰囲気を壊さないよい訳であり、また引用しやすいところが秀逸だと思う。
中国語でこれを訳すると
独步天下,吾心自洁,无欲无求,如林中之象
となるらしい。「天下」は「世界」、「洁」は潔白の「潔」、「无欲无求」は「無欲無求」にあたるので、「この世界を独りで歩め 心を清廉に 欲��ず求めず 林の中の象のごとく」となるか。世界で独りぼっちで歩むことと、林の中の象が持つ静かな孤独に繋がりを持たせた、これまた良い訳だと思う。
よく引用される部分単体で見れば、他者との関係に難しさを感じている人に諦観にも近い悟りを与える言葉だが、前段の「もし良き仲間がいるならその人と乗り越えよ」という教えを踏まえると、いずれそのような人に出逢うかもしれないことは否定していない。誰かと居るのも良い、独りでも良い、どちらも否定しない教えなのだなと思った。
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lovebyt9s · 1 month ago
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案外そんなフューチャー
先天的なフューチャー
案外そんなフューチャーだよ
わんつーさんはい、いちにさん
そろそろ起きたらどう
驚く顔なら知ってるよ
いっつもそういう顔をする
Welcome to the メルティランド
ここはひとりもふたりも無い場所
Welcome to the メルティランド
美しい夢だけが遺る場所
貴方はドアを開けたの
僕の世界のドアを選んだの
十年前から待っていたわ
Welcome to the メルティランド
疑ってしまうような
不可侵のスターリーナイト
ずっと前の空想が
今日の君の白昼夢
時間すら 止まったら
見え始める君のナイトメア
正常なグッドモーニング
人生のハッピーエンディング
僕達は何ひとつ叶わないのなら
疑ってしまうような
不可侵のスターリーナイト
一瞬だけ忘れないでよね
案外そんなフューチャー
先天的なフューチャー
案外そんなフューチャーだよ
君とは今日で五千回目
またまた悪夢を観ましたね
お母さんに何か言われたの?
クラスの誰かが冷たいの?
パパが言うには明日隕石が降って
世界が瞬く間に終わりを迎える
僕はちょっとだけ期待してみた
アダムの言いなりはお終い
もう千年前から待っていたわ
Welcome to the メルティランド
疑ってしまうような
とびきりのディナータイム
溶けあってしまいそうだ
君と僕のナイトメア
名前すら 夢ん中
触れ合うのはガラスハートだけ
正常なグッドモーニング
人生のハッピーエンディング
僕達は何ひとつ叶わないのなら
疑ってしまうような
とびきりのディナータイム
一生だけ忘れないでよね
溶けていく
運命が溶けていく
ぎゅっとしてしまいそうな
イノセンスなロンリーガール
泣きたいほど純情だ
あとちょっとのナイトメア
時間すら 止まっても
片方だけワガママ言うの
朝6時の警鐘が
僕達のタイムオーバー
からからのハートだって息を吸うことを
ぎゅっとしてしまいそうな
イノセンスなロンリーガール
目が醒めても忘れないでよね
愛したって君は目を覚ます
ゼロになってゼロになって
愛したって君は僕を忘れる
ゼロになってゼロになってゼロになって...
Ahh melty
IM SO MAD I RECOGNISED THIS TOO FAST
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capybara-is-watching · 4 months ago
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押井:やっぱり映画って、つくった側が用意したものの2割か3割しか見られないものなんですよ。どんなに頑張っても半分見られたらたいしたものです。実写映画だと、演じた役者さんの思いみたいなものが1カット1カット全部にあるわけだけど、それを全部受けとめられる人は当たり前だけどいない。これはつくる側と見る側の決定的なギャップで、だからこそ観客ひとりひとりが別のものを見ている。映画の感想をつっこんで話しあってみると、実はそれぞれまったく違うものを見ているなんてことが判明することもよくあるんです。 ――そういうことよくあります。 押井:「そんなことあったっけ」「何を見てたの?」って話に必ずなるものなんです。表現ってそういうもので、特に映画は見逃したり勘違いしたりがめちゃくちゃ多い表現ですからね。だから面白いし、繰り返し見る意味がある。映画を見るんだったら、気にいったものを10回、20回と見たほうが良いに決まってますから。僕はそうしているし、実は数を見ても意味がないんですよ。仕事でやっているときなどは、数を見ないといけない時期もあるのかもしれないけれど、僕自身はあるときから「数なんてどうでもいいよ」となった。テレビでなんとなく垂れ流して見ることは多いけれど、映画館では今は年間1、2本ぐらいしか見ないから。そのかわり見ているあいだはがっちり見ます。そうすると、いろんなものが見えてくるから。それで気に入ったらそれこそ何十回でも見る。  見る数のこともそうだけど、僕が考える映画の見方と一般に流布されているものは決定的に違うなと思うことが多くて、どうしてそういうふうに見ちゃうかなということを最近は特に思う。それこそコスパやタイパのために倍速で映画を見るのは、何も見ていないのと同じなんだよね。コスパにもなってないというか、倍速で見たその半分の時間を損しているだけで、元も子もない。本末転倒もいいところっていうさ。それだったら映画の頭10分を見て、見るのをやめたほうがよっぽどましだと思う。倍速で見ても「見た」と思いこんじゃうだけなんだよね。
押井守監督が20年目の“今だから”語れる「イノセンス」の真実 そして本作を“今”劇場で観る意義とは? : ニュース - アニメハック
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pix-ied · 6 months ago
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24年12月2週目
新しい職場での勤務。先輩がとても優しく教えてくれる。でも元上司から口が悪いと聞いているので、裏で何か言われているのかそのうち私にもその矢印が向くのか怖い。でもとりあえず優しくしてもらえているおかげで、なんとかやれた1週間だった。他の先輩と話をする機会がほとんどない。さすが東京、お昼ご飯の選択肢はたくさんある。お店で食べても良いし、多くの店はテイクアウトをやっていたり、お弁当を売っていたり、そちらの方が安い。今のところそれが楽しみ。ゆっくり楽しんでいろいろ開拓していきたい。
通勤は意外と楽だったんだけど、さすがにテキストと電卓を出して勉強する程のスペースはなく、勉強時間が極端に減っている。早く帰ってきたら公民館で勉強することもあるけど、いい加減自分の部屋で勉強できる環境を作らないと勉強時間の確保は難しいかもしれない。
先週まで読んでいた『小さきものたちの神』はハードカバーで東京への通勤に向かないので、それは家に置いて、川野芽生『無垢なる花たちのためのユートピア』を読んでいる。無垢な少年が楽園を目指す、みたいなあぁ一部のみんな大好きよくあるイノセンス系ねぇと思いながら読んでいたら、途中からグッと面白くなった。まだ短編の2作しか読んでいないけど、最初はなんとなく読みにくい雰囲気を感じるんだけど、後半にグッと引き込まれる展開や構成で面白い。
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1-mini-1 · 2 years ago
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Soraru & Rib- Alocasia (アロカシア) English Lyrics
再会って 怖いよね
それぞれのテリトリー
夕立はもう上がりそうさ
みてよ 背中は汗ばんでる
Reunions are scary, aren’t they?
Each with their own territory
It looks like the rain will stop soon
Look. My back is drenched with sweat
夢の中 呼びかけた
そばに来て欲しいよって
聴こえたのは懐かしいメロディ
過去に囚われた 苦いイノセンス
In my dreams, I called for you
Saying that I want you to come closer
What I heard was a nostalgic melody
A bitter innocence trapped in the past
蘇るこの感情に
名前をつけてくれないか
もう一度 愛してくれないか
抗えない夜の情事に
罪悪感など 大した悪じゃない
揺れるアロカシア
Tu Lu Lu…
These rekindled feelings
Won’t you please give a name to them?
Won’t you please love me again?
In this irresistible night affair
Guilt isn’t the greatest evil
The alocasia sways
Tu Lu Lu…
矛盾だらけさ 君も僕も
再会って 不思議だね
腐れ縁か必然か
絡んだ糸 解く暇さえ
惜しくなるよ せわしない
タンデム ナイトフライト
We’re full of contradictions, both you and me 
Reunions are strange, aren’t they?
Is this a toxic relationship? Or a necessity?
Even the leisure of untangling these threads
Is a moment too precious to spare. A hectic
Tandem night flight
どちらが月で太陽か?
輝きたいって願うこと
消えたくないって足掻くこと
ナンセンスな蟠りを捨て
ただ歌うことで 暦は巡った
なびく a lonely plant
Which one of us is the sun and which is the moon?
Wishing, saying we want to shine
Struggling, saying we don’t want to lose this
Throwing away my nonsensical grudges
Just by singing, I cycled through the seasons
A lonely plant flutters
言葉を整理しても
どうして離れてしまったんだ
散らかる一方だよ
考えても無駄さ
窓べにただ飾る 思い出
���いイノセンス
Even if I organize my thoughts
Why did we break up
Everything is just getting messier
There’s no use thinking about it
My memories simply decorate the windowsill
Bitter innocence
蘇るこの感情に
名前をつけてくれないか
もう一度 愛してくれないか
抗えない夜の情事に
罪悪感など 大した悪じゃない
黄昏に咲く徒花よ
色褪せずに そこにあるさ
見境をつけた旅の途中
君と僕らにはどんな花が似合う?
These rekindled feelings
Won’t you please give a name to them?
Won’t you please love me again?
In this irresistible night affair
Guilt isn’t the greatest evil
Oh, the fruitless flower blooming in the twilight
It hasn’t faded. It’s still there
I learned how to tell black from white on my journey
Which flower suits you and us?
揺れるアロカシア
Tu Lu Lu…
なびく a lonely plant
The alocasia sways
Tu Lu Lu…
A lonely plant flutters
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孤独に歩め。 悪をなさず、もとめるところは少なく。 林の中の象のように。
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jpopstreaming · 1 year ago
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🚫「 真夏のイノセンス 作詞家・売野雅勇Hits Covers 」 compilation by HITOMITOI is still not available outside Japan, and we understand the frustration! Tell us which release/artist you're most eager to stream globally. 🎶
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redringnr · 2 years ago
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私なんかにSAC_2045の考察なんてできるわけがない
 どうやら自分はアニメとかドラマとか映画が苦手らしい、と最近気づいた。  昔から何となく、違和感というか、集中しきれないなぁ、とは思っていた。  今までその原因を言語化できるほど明確にできていなかったのだけど、どうやら物語の進行ペースを自分で調整できないのが良くないらしい。  自分のペースを崩されるのがそんなに嫌なのか、それとも単に頭の回転が遅いが故なのか。  なんにせよ世間と自分のズレが顕れているような気がしてちょっと辛くなってしまう。
 そんなワケで、「好きなアニメ」というものがないぐらいにアニメにこだわりがなかったのだけど、ある日アマプラで「攻殻機動隊」シリーズが無料になっていたのをなんとなしに見始めたところ、不思議なこ���にちょっとハマってしまった。  たたでさえアニメが苦手な自分なので、複雑な世界観で知られる攻殻機動隊の物語を理解できた自信なんて無いのだけど、「草薙素子のビジュアルが好みだったから」などというファンに怒られそうな理由で旧SACシリーズ(この呼び方で良いんだろーか)を最後まで見終わってしまった。 「素子がエロかった」以外に明確な感想がない。私は世界で一番不真面目な攻殻機動隊ファン、いやにわかです。申し訳ありません、自分の脳みそは下半身にあります。電脳化するときどうしよう。
 ……いやさすがに物語自体には一切思うところなんて無かったぜ! ってことはないけれど、理解に自信がなさすぎて本当に何も言えることがない。 考察とか書いてる人見ると「わぁ、すごい」という小学生みたいな感想ばかりが頭を埋め尽くしていく。 いかに自分が成長というものができなかったのかを思い知らされる。人生やり直したい。異世界転生キメたい。なろう的世界観で赤ん坊から強くてニューゲームしたい。チートスキルも頼む。  しかし現実はなろうではない。この厳しい現世でどうにかなるしかないのだ。何の話だ?
 ……ともかく、よーわからんなりに好きになれそーなシリーズだなぁと思い旧SAC以外の最初の劇場版だイノセンスだARISEだと、この攻殻機動隊シリーズの為だけにネトフリに登録し、その複雑さに頭をショートさせながらも鑑賞し続け、つい数週間前ぐらいに最新の「SAC_2045」にたどり着いた。 アニメ苦手マンにしては快挙である。誰か褒めてくれ。褒められ慣れてねぇんだおれは。
 で、その「SAC_2045」を見終わった私はあろうことか、その感想みたいなのを書きたくなってしまった。アニメ苦手マンの分際で。  見終わった後もふと気づけば「SAC_2045」について考えさせられてしまいどうにも落ち着かない。  先日公開が始まった映画「攻殻機動隊 SAC_2045 最後の人間」も見にいこうと思っている。なんかアニメシーズン2の総集編みたいなモンだと思ってたら新カットとかもあるらしく……
 映画を見る前に軽く頭とか感情の整理をしたいな~と思ったので、このロクに更新されないブログに無責任に書き散らしてみます。    誰も読まないと思うけど一応注意書き。  他の人が書いてた考察とかを引き合いに出してそれに反するようなことも書く予定だけど、当然否定や批判の意とかがあるわけでは無いです。こちとらアニメ苦手マンやぞ。マジのアニメファンとやり合う能力なんてあるわけがない。「多分間違ってるけど自分はこう思いますはいすみません……」ぐらいのテンションです。予防線を張らないと何も安心ができない。自分のアニメIQの無さはよくわかっております。アニメIQとかじゃなくてシンプルに頭が悪い可能性もある。基本このブログは自分の為だけに書かれています。そういうのをネットに放流するのが性癖なだけです。
>>>正直2期ラスト近くまで微妙な作品だと思っていた
 「SAC_2045」の1期はネット上ではなんか評判悪いっぽいが、6話までは攻殻シリーズ中でも見やすくてこれはこれで良いと思っていた。  戦闘シーン多めでエンタメ寄りというか、こういう風にわかりやすくしていくのか~と感心したくらい。まぁ古参ファンにとってはキツかったんだろうけど。  短い期間で一気に見た自分にしてみればまぁこういうのも悪くないな~と受け入れられた。  3DCGになった点にも批判が集まっている感覚だけど、これも自分の嗜好的には問題無く、楽しく見られてはいた。6話までは。
 ……1期を見終わった直後はかなりキツい気分になった。  「コレ大丈夫か?」と。  視聴前軽く見かけていた、批判されている部分。  それが個人的には大して気にならなかったので、そのまま楽しく見続けられるかと思ったのだが甘かった。
 江崎プリンが……新参ファンの自分としてもすごく……アレで……
 マジで好みじゃなかった。そりゃどんな作品にも苦手なキャラの一人くらいはいるけれども、攻殻において彼女はビジュアル的にも言動的にも目立ち過ぎていた。  「この作品にそーいうの求めてない」――言葉にしてみると傲慢過ぎるようなその感触、どうしても無視できなかった。  新参の自分すら拒否反応を起こしたのだから、古くからのファンの反発が目立つのは自然なことなのかも。
 正直2期で色んな新事実が発覚した後も全く好きになれなかった。なんなら今も好きじゃない。  「あ~また美少女がかわいそうな目に遭っちゃう系のヤツか……5億回ぐらい見たわ」というお気持ち。  あのエピソードで印象変わった人結構いるっぽいんですが自分には全く響かなかった。同情を強制されてるみたいで……  タチコマやバトーを始めとするキャラ達と完全に真逆な反応をしてました。血も涙もないのか?  ポストヒューマン化した後は元からのハイスペックがさらに過度になり、「メアリー・スー」な印象を受けてかなりキツかった。  「死んじゃったものは仕方ない」じゃないんだよ。どんだけ悪い意味でアニメキャラ的なんだよ。
 ……こんな受け取り方してる自分にドン引きする。人の心が無いのかもしれない。
 まぁネガティブなことを書きたかったワケではないのでこの辺にしときますが。  ともかく、1期を見終わった段階では「SAC_2045」に対しての期待は大きく萎えていた。  一度刻まれたイメージはなかなか変わらない。なんとか気力を振り絞り2期を見始めると少しずつ持ち直してきたけれど、ラスト近くになるまで、いやラストを迎えても微妙な気持ちが振り払えなかった。  まさか最終的に、こんな感想文を書きたくなるような作品になるとは、この時点では思いもし���かった……
>>>強烈なラストが、それ以前のストーリーに思いを馳せるきっかけに
 2期の最終話まで、1期を引きずって「エンタメ寄り攻殻」として消化しようとしていた自分にとって、あの最終話は背後から突然後頭部をブン殴られたかのような衝撃だった。  おいエンタメどこいった。考えさせられちゃう系(度を越して軽薄な表現)やんけ!?
 始めてあのラストを見た時は喪失感のような、置いてけぼりにされたかのような、本当に自分の中でどう処理していいかわからなくなってしまった。  過去の攻殻シリーズも全容を理解できなかったのは同じなんだけど、自分は深く考えないタチなので「わからんかったけどわからんなりに面白かった~しばらく経ったら見直してみるかな?」ぐらいで終わっていた。  が、今回はソレではどうにも収まりがつかなかった。  モヤモヤを解消したく、「SAC_2045 考察」でググり始め、他の方の考察を見始めたばかりの頃抱いていたのは……「怒り」、だった気がする。
 本作はジョージ・オーウェル氏の「1984年」からの引用が多く見られ、その中の一つに「ダブルシンク」というワードがある。  「相反し合う二つの意見を同時に持ち、それが矛盾し合うのを承知しながら双方ともに信奉すること」らしい。  らしい、と言っているのは原著読まずにネットで調べただけだからである。どこまでも不真面目。……すみません、いつか時間が出来たら読みます……     で、あの問題のシーン――
 1.シマムラタカシのコードを引き抜き、全人類のN化(ダブルシンク)は解かれた。
 2.コードは引き抜かれず、そのままN化が続行される。
 どちらの結末になったかをはっきりさせないような終わり方は、視聴者をもダブルシンク状態にするのが狙いだった、という考察を各所で読み、ようやくなぜあそこまでぼやかしたのかを悟りました。  そしてすぐに、「そんなのありかよ! 卑怯じゃねぇか!」とキレてしまった。    「物語の解釈は画面の前の君が自由に考えてくれ!」みたいなスタンス、大して珍しくもないし、「無し」とは普段では思わない。  が、この「SAC_2045」はあまりにも事実と確定していない描写が多過ぎる。  例えばこの物語を「つまらない」と評価したとしても、「つまらないと思ったのは貴方が物語がつまらなくなるような解釈をしただけ! 本来はもっと面白い話! 不当な評価だ!」なんて言い訳ができてしまうような。  上手く言い表せなくて歯がゆいけど、物語のクオリティそのものを視聴者に委ねているようなやり方に、「無責任さ」――のような何かを感じてしまった。
 大体ポストヒューマンがあまりにも反則的過ぎる。  もうヤケクソ気味な言い分だけど、あんなポンポン人が観測する「現実」を歪められちゃうならこのアニメの全描写が信用ならない、夢まぼろしのようなものと解釈しちゃってもいいじゃねぇか、とも考えたことすらあった。  ギャグ系以外では禁忌ともいえる「夢オチ」というヤツ。こんなモン考察したってしゃ~ないだろ、と投げやりな気分になっていました。
 まがりなりにも好きだったシリーズがこんな終わり方をしたのがショックでした。好きだったものを嫌いになるのはいつだって辛い。  もう忘れてしまおう、としばらく他のネトフリ作品を見たりしていました。
 ……すると不思議なことに、忘れてしまおうとしていた「SAC_2045」について、日が経つにつれてどんどん考え続けてしまうようになっていました。  正直今でも「こんなやり方ありかよ」と感じる部分はあるのですが、悔しいことにあの仕掛けの面白さがジワジワと理解できるようになってしまった。  やっぱ考えちまうよずりぃよ………あのコード結局抜いたの!? 抜かなかったの!? うーわ俺自身もダブルシンクしちゃってね!? みたいな。頭悪すぎる表現で申し訳ない。
 その結果いつの間にか「2週目」に突入してました。既に見た映像作品をもう一度見るなんて本当に初かもしれない。
 ここからはその「2週目」の過程で気づいたことや考えた事を雑に書き並べてみます。
>>>シマムラタカシ以外のポストヒューマンって結局なんだったの
 ポストヒューマンの面々は、基本的に人間らしさというものをあまり表に出さない。  出さない、のだが、ポストヒューマンになる前の思想が、なった後の行動にもかなり反映されている様子がある。  その内の一人、矢口サンジは日本に現れた3人のポストヒューマンの中では唯一2期にすらたどり着けない程にあっさりと捕まってしまうのだけど、このキャラは恐らくそういう部分を強調する為のキャラだったのだろう。
 犯行理由にも思想が強く表れているし、素子と対峙した時に、彼女の「ボクシングスタイルを使う」という誘いにあっさりと乗る辺りも。  脱線だが、「急に素子がボクシングに目覚めたんだけど……」なんてネットの声も見たが、普通にやり合ったら超演算による変態的な格闘技術全開の相手では勝ち目が薄いので、敢えてボクシング縛りを選択した、と解釈してます。  ボクシング縛りに持ち込んでいたからこそ、バトーが軍隊格闘で乱入した時にあっさり型にハメられたのでは。
 ……その点ミズカネスズカはマジでなんだったんだ。  数学オリンピックの元チャンピオン、ぐらいの情報しかないし、シマムラタカシに協力していた理由もいまいち不明。  シマムラタカシが操っていただけとか?  トグサの回想にそっくりな女性がいたが何か関係があるのだろうか?
>>>シマムラタカシ、自分の理想を全肯定していなかった説
 正直シマムラタカシもプリンと並んで……って程ではないにしてもあまり好きになれないキャラだった。  ナヨナヨし過ぎで同族嫌悪が凄い。これは自業自得か。  こんなナヨナヨ中学生の手のひらの上で、9課が終わってみればほぼ完封と言って良いほどに踊らされていた、というストーリーもあってう~ん……とモヤっていて、彼に対してそんなにしっかり考察しようとは思わなかった。
 ただ、ネットの考察を通して「1984年」の知識を得ていくにつれて、妙に気になるキャラになってきた。
 「ビッグブラザー」だの「ミニラブ」だの「ダブルシンク」だの、これらの「1984年」由来のワードは物凄く乱暴に言えば敵側、悪役側の名前だったり、その悪役が掲げているキーワードだったりする。
 シマムラタカシは「1984年」で悪役として描かれた者達を、一概に悪と解釈しなかったのでは、という考察を見たが、自分はむしろ悪であることをはっきり自覚している気がする。
 根拠は1期の彼が学校にいた頃の一連のシーン。  この辺り、1期の中ではかなり理解しがたかったが、これまた考察の「妄想と現実が入り混じっている」という解釈に助けられ、ようやく腑に落ちかけている。  まぁ恐らく、空挺部隊がやってきたくだりの方が妄想なんだろうけど(軍隊が大真面目に学校に攻め入るワケないし)……  この妄想、妄想にしては都合良くないのだ。なんせ空挺部隊にシマムラタカシ自身が撃たれちゃうから……
 まるで自分が罰せられるべき人間であると考えているかのようだ。
 最終局面、素子がN化作業中のシマムラタカシの元にやってきた場面。  いくら素子がNにならないロマンチストだったとして、ポストヒューマンである彼ならいくらでも妨害できたはず。  だが、そうはならなかった。  コードを抜かれて全てが水の泡になるリスクを背負ってしまった。    これは素子がコードを抜かないことを選択することがわかっていたから、という考察があって、あり得ると思う。
 が、自分はシマムラタカシが自分の思想を全肯定しきれておらず、その迷いは掲げるキーワードを「1984年」の悪役由来のモノに設定したり、素子がNにならなかった時点で彼女を妨害することを止めた、という形で表れてしまったのではないだろうか。
 これ、自分が知る限り自分オリジナルの考察もとい感想なんでちょっと気に入っている。  まぁ無理あるとも思うけど。
>>>で、結局コード抜いたの? 抜かなかったの?
 結論から言うと、「抜いた」と自分は考えている。  これこそ雑な言い分ですが、コードの描写後の一見それまでと辻褄の合わないような流れがN化した後、誰かが見ている仮想現実の描写だった、として。  いくらでも都合良くできる「現実」の光景にしては、ボーマが車椅子のままだったりプリンが泣き出してしまったりと、都合良くなりきれていないと感じる。    Nキメちゃったんなら、誰の視点だったとしてももうちょい理想的で構わんやん? というクソ雑な理屈です。
 まぁ自分の願望も含まれているとは思う。  自分はダブルシンクという考え方に現実逃避的なニュアンスを感じてしまっているから。  そりゃ自分だって大した人生歩んでないので理想の仮想現実に心惹かれなくは無いが……やはり何の苦労もなく理想を手に入れる、という行為には妙にモヤモヤしてしまう。  ちょっと脱線だけど、個人的にはシマムラタカシの計画の肝は「自覚のないうちに」行われる、という部分だと思う。  嫌いな言葉が「努力」と「苦労」である自分ですらモヤるのだから。
 辻褄の合わないような描写も疑似的な記憶を植え付けられることすらある攻殻の世界観だと絶対に説明つけられないことではないと思う。これこそ乱暴な考察過ぎるが。
 あとこれは考察漁って思い出したことだけど、旧SACにて素子は「夢は現実の中で戦ってこそ意味がある」というセリフがあった。  こんな事言っちゃう素子がコード引き抜かないなんてある……?
 ただ「じゃあコード抜いた方に賭けるんかぁ~!? 賭けるか!? 金とか命とかよぉ!?」と言われるとチワワみたいになってしまうけど(ネット上に抜かなかったに5兆円賭けるとか言ってる人いてすげぇ~ってなった)。  それに、元は即コード抜いちゃうような思想だった素子がプリンを見て考えを変えた、というのもありそうに思える……
 ……なんか考えをまとめればまとめるほど、抜かなかった方が色々綺麗にまとまる気がしてきた……うぅ……
>>>ラストシーンの各キャラの反応から考えてみる
 ここでいうラストシーンは、素子がコードを掴んで暗転した直後から。    まずは素子、バトー、トグサ、プリンとその他のメンバーに分けて考えてみる。
 こんな慈悲のない分け方をするのは心が痛いけれど、まずはその他のメンバー。  「ずっと一緒に働いていたはずのプリンが新人として加入してくる」、という妙ちくりんな展開にも違和感を抱いた印象は感じられない。  ここだけ切り取れば、まぁ普通にコードは抜かれてないからこういう構図が成り立っちゃってるんだろうな~という解釈が一番無理がない。
 次はプリン。9課メンバーに改めて自己紹介しようとするタイミングで涙ぐんでしまう。  明らかにそれまでの記憶……9課メンバーと一度敵対してしまった事実を認識している。  「ゴーストがない」のでN化できないとはいえ、素子やシマムラタカシならその記憶を消してやり直す、なんてこともできなくは無さそうだが、恐らくそうはしていない。    仮にこのシーンが、誰かの仮想現実の光景だったとするとプリンにこういう反応をさせる必要は基本的にはないはず。  コードがどうなっているにしても、現実の光景ではあるのだろう。
 ……あれっ、コレ前述した「都合良くなりきれていないからコード抜いてる!」という主張��自分で否定してしまったじゃねぇか!  いつの間にか「コード抜いてなかったとしたらあのシーンは仮想現実」という謎の先入観を持ってしまっていた……  現実であればボーマが車椅子のまんまのかわいそうな状態であることにも説明はつく。  でも現実であればなんで「それ以外のメンバー」が初対面っぽい感じなの? という疑問も出てくるけど。  まぁそれこそクソ雑に疑似記憶ブチ込んで~ってすればいい話か。    次は素子。9課メンバー全員で話しているシーンからは特に特別な感情は読み取れないが、その後のバトーと二人きりの場面でのセリフ群からは明らかにそれまでの記憶をしっかり持っていることが読み取れる。
 次はバトー。9課のムードメーカー的な部分がある彼であれば、「新人の」プリンがやってくればしっかり反応してあげる、と思うのだけど、このシーンでは浮かない……というか、何とも言えない表情。プリンにも言葉はかけない。  そこだけを切り取れば、以前の記憶――プリンが死んでしまったという事実を知っていて、複雑な思いを抱いている。  あるいは、ロマンチックな解釈だが記憶は無いが本能的に「何か」を感じ取っているとか。
 コードを抜かなかった素子がバトーにだけは事実を伝えた、という考察をしていた方もいた。  この想定なら、その後の素子への「あんまり一人でしょい込むんじゃねぇよ」というセリフの解釈も綺麗にできる。  全人類をNにすることを選んだ、という大きすぎる事実を一人で抱えるな、という。  まぁ逆でもいいけど。N化、というある種の救いを人類に手放させてしまった、という事実を以下同文。    最後はトグサ。プリンに対して普通にコミュニケーションを取っているので、一見「その他のメンバー」と同じ条件のように思えるし、バトー「だけ」は事実を知っている、と解釈している人も結構いた。  が、何とも言えない表情をしているバトーを気遣うように肩を叩く様子は、全てを知っているようにも思える。  勿論、単純に「どうした?」という気持ちを込めた行動なのかも知れないが……流石にちょっと苦しいか。それなら「旦那?」と問いかけるぐらいだと思うし。  素子が事実を伝えたのはバトーとトグサの二人だったのだ、という解釈もあるだろう。
 が、自分にはまた違う考えが思い浮かんだ。  トグサが全てを知っている、と想定するとする。  しかしバトー「だけ」と考える視聴者が出る程に、彼は最初なんともないような態度でプリンと接している。
 だったら、「その他のメンバー」も同条件、つまり事実を全て知っていた可能性があるのでは……?
 確かに、プリンは一度9課と敵対関係になってしまった。  しかし、9課のメンバーは元々プリンに対し好意的で、もしかしたら同情的だった。  故に、プリンの「9課とやり直したい」という希望を叶えようと、全てを忘れてしまったように振舞ったのかも知れない。  だがバトーはプリンと特に関係性が深く、彼女の事を思い出さないままに死なれてしまった後悔がある。
 優しい男でもある彼「だけ」はどうしても、プリンに対して忘れた演技ができる自信が持てなかった。  そしてあのような煮え切らない反応をしてしまい、トグサに気遣われた……なんて、ロマンチック過ぎるだろうか。
 実のところあの場にいた全員が、全てを忘れてはいなかった、という想定は、ある意味で綺麗にまとまる部分があるように思える。  少なくとも「疑似記憶無双じゃい! 電脳ってのはこういう時の為にあるんだよォ~~~!!」とヒャッハーするよりはカッコいい理屈にはなる。タブン。
 この想定では、コードを引き抜かない選択をする意味はあまり無いと思う。  コードを引き抜いたが、ほんの少し優しい仕掛けをした、と考えたほうが収まりはよさそうだ。    もう9課には戻れない、と自らの理想に向かって歩めないプリンに、素子がその苦悩をくみ取った上で、「夢は現実の中で戦ってこそ意味がある」という自らの哲学にのっとり、また9課に戻るというある意味での茨の道へ、その背を押した。  しかし、プリンの境遇、シマムラタカシの思想にも思うところがある素子は、「プリンが9課メンバーを直接あるいは間接的に死に追いやった」というあまりにもどうしようもない事実だけは、疑似的にだが消し去ることにした。  それで素子は、9課メンバーに疑似的な記憶を与えたり記憶を消したりこそしなかったが、プリンに関して「忘れたことに、無かったことにしろ」と命じ、彼らはそれに従った。    ……自分で書いてなんだけど、ちょっと感動的過ぎないだろうか。   恥ずかしくなる筋なんてないはずなのに恥ずかしくなってきた。    これも前述のシマムラタカシについてと同じく、自分の知る限り自分オリジナルの考察なので、すっかり気に入っ��しまったのだけど、逆のコードを抜かなかった説を強力に支えている根拠はまだある。
 素子のバトーと二人で話していた時の、
「おそらく次に人類が特異点を迎える時、それはこの星を飛び出しはるかかなたへと広がっていくだろう。忘れないで。私たちがこの時代に存在していたことを」
 というセリフは、コードを抜かなかった、つまり人類がN化、ダブルシンクという特異点を迎えたので、そのさらに次はもっとスケールの大きいことになる、という解釈が自然だと思う。  でもこれも、「N化、ダブルシンクすら止めてしまったからこそ、次は本当に抵抗できないほどに大きな波なのかも知れない」とも言えるのでは。苦しいか。
 現実で戦って欲しい(自分自身にはそんな度胸が無い癖に)という願望があるからか、どうしても「コードを抜いた」という自分に都合の良い解釈をしてしまっている。  結構コード抜かなかった説の方がうまく説明つけられてる部分あるのに。
 もしやこれもダブルシンクってヤツなんだろうか……
>>>
 ということで考察――じゃない感想文でした。  これ、映画見に行く予定の日の前日にひぃひぃ言いながら書いています。  しかも深夜。深夜テンション。  確実に誤字、勘違いだらけでしょう。辛い。 
 なんでこんな夏休みの宿題を31日にやるみたいな状態になっているかというと単純に忙しかったから……  もう劇場版公開��てから2週間ぐらい経ってるんだわ。ネタバレ踏まないようにするの大変だった。  勢い任せに書きなぐったので、朝起きてみたら悶絶するかも知れない。あぁ怖い。  映画版見てまたなんか思いついたらこっそり修正したい。
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sjkim1016 · 1 year ago
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欲望
欲望 スタジオ: ラスト & イノセンス 時間: 100分 女優: Bastian Dufy Damien Chapelle Danny Defoe Henrik Bjorn Jamie Durrell Jean-Luc Bisset Liam Efron Nino Valens Remember what it was like to be young and innocent and... horny? ***********************************
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jurassickindy · 15 days ago
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備忘005
内田樹メモ
成長への階段に続く扉のノブは内側にしかついていない。外から扉を開けて、子どもを連れ出すことはできない。子どもたちに内側から開けてもらうしかない。そのためには、子どもたちの中に「この人の話をもっとクリアーな音声で聴きたい」という願いが兆すまで、私たちはひたすら情理を尽くして子どもたちに語りかけるしかない。
うーん、いいことをいうなぁ。
「学ぶ」というのは「自分を開く」ということである。自分を開くこと、自分にまとわりついていた「臆断(ドクサ)」を古い衣を脱ぎ捨てるように惜しげなく捨てること、それが「自己刷新」ということであり、学校教育で子どもたちが学ぶべきはこれに尽くされる。  他者の言葉に対して、防衛的に構えない機制を「無防備・無邪気(innocence)」と呼ぶ。  私が経験的に言えることは、この世の中を住みやすいものにする上で最も大きな貢献を果たすのは、「イノセントな大人」たちだということである。長じても、子どものような柔らかさ、無垢を失わず、笑顔で周囲の人たちをなごませ、人の言葉に耳を傾け、決して敵を作らない人たち、そのような大人たちが集団が生き延び「よきもの」を生み出すためには絶対に必要である。  だから、どうやって子どもがその「イノセンス」を失うことなく成長できるか。教育に携わる者が何よりも配慮すべきはこのことだと私は思う。  とりあえず私たちにできるのは子どもたちに学校にいる限り「無防備になっても大丈夫だ」と確約することである。「君がどれほど脆く、傷つきやすい状態になっても、誰も君を傷つけない。だから、臆せずに自己防衛の殻を脱ぎ捨てて、自分を開いてよいのだ。」教師が子どもたちに贈ることのできる最もたいせつなメッセージはこれだろうと私は思う。  でも、その言葉の意味は子どもにはわからない。だから、情理を尽くして語りかけるしかない。頭では理解できなくても、私たちが身を乗り出して話しかける言葉は子どもの身体には浸み込むはずだ。身体に浸み込んだら、今は理解できなくても、あるいは死ぬまで理解できなくても、その言葉は生き続ける。「理解できる言葉」と「共に生きる言葉」は違う。  もし道徳というのが子どもの倫理的成熟をめざす教科なのだとしたら(そうであることを願うが)、教師がなすべきは子どもたちに「自分を開く」仕方を教えることである。そして、それは、恫喝によっても利益誘導によっても査定の恐怖によっても教えることはできない。  成長への階段に続く扉のノブは内側にしかついていない。外から扉を開けて、子どもを連れ出すことはできない。子どもたちに内側から開けてもらうしかない。そのためには、子どもたちの中に「この人の話をもっとクリアーな音声で聴きたい」という願いが兆すまで、私たちはひたすら情理を尽くして子どもたちに語りかけるしかない。
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