#オリジナル食器のある暮らし
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るんぺんパリ【RunPenParis】

自己紹介 2024年11月4日追記 6116文字】 三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明 津市にある施設にいたと聞いた覚えがある 三重県亀山市に二つか三つ年上のお兄さんいるらしいが あった事は一度もない 30代の頃に一度だけ電話で話をした 父方に引き取られたお兄さんに 母親の事を聞いた 母親は別の人と再婚し離婚して 娘さんと一緒に暮らしているらしい 父親は再婚して自分と同じぐらい娘さんがいるらしい お兄さんはおじいさんの事を尊敬していて 中国語を勉強してるらしい あとは色々と聞いたけど 覚えているのはそれぐらいの内容で もう二度と話す事はないだろうと その時に思ったけど お兄さんの顔がどんな顔なのかは 見てみたい気持ちは少しある
伊賀市でそこそこ有名なのが 伊賀流忍者で忍者屋敷は今も昔も変わらない内容で 営業している それは去年に末っ子を連れていったから確認済 外観はただの古い家だけど 中に入ると意外と見応えはある 観光施設って感じ 伊賀牛は金谷のすき焼きが有名で 森辻が新しい様相なってから焼肉を食べた 個人的には伊藤の牛丼が好きだ 油が多い感じのお肉だから 100gも食べれば満足感がある 上野天神祭の鬼行列も有名かな ひょろつき鬼が子供の頃は本気で怖かった 銀座通りが歩行者天国になり 的屋がならぶ 高校生の頃はリング焼きが100円ぐらいで 何個も買って食べた 今年は10月18・19・20(金土日) 19(土)は久しぶりに一人で一日中お祭りを楽しむ予定だったけど 昼前から雨が降ってきて鬼行列は中止 午前中は親戚を3件回って、おみやげを渡した 午後に実家によって車を駐車して 歩いて上野天神祭へと向かった いつも泊まる「伊賀上野シティホテル」は1泊10000円以上も高い 16800円だった。この日は駐車場も使えなかった 夜の19時から同級生のお店「クワトロNo.4」に初めていった 30年ぶりにちゃんと会ったガキさんは すぐに気がついてくれた 居心地がよかったので閉店の1時までカクテルを8杯ぐらい呑んだかな 意外と安くて8200円だった 次の20(日)は上野天神祭に参加している同級生のオデに会って 鬼行列の準備風景を写真に撮って 上野天神さんの近く紅梅屋でおみやげを結構買って 桔梗屋で上生菓子とお茶を飲んで 静岡へ帰った 松尾芭蕉は俳句で有名で伊賀出身で 小学生の頃はがっつりと俳句を作らされる 俳句はいやいや作らされたので 俳句番組は見ない 俳聖殿の中には過去の優秀な俳句が収められていたかな 普段はこれといって何もないけど 俳聖殿のたたずまいは何か「The Haiku」という感じ 上野城のお堀の高さ日本2位? 一時期は日本1位説もあった 中学生の頃は上野城で体育の授業があったり クロスカントリーレースで走らされたり 高校生のデートも上野城が定番だったのか それらしき男女がイチャついていた 夜のライトアップは不気味なお城に見えた 一応、桜の名所なのかな 高校生の頃に一つ年下の子とつきあっていた頃は よく上野城をさんぽした 帰りはその子の家の近くまで送っていった この子はとても純粋な子で 自分にはもったいない子だった 半年もつきあっていないが 今でも純粋で幸せになっているかなと思い出す事もある もう向こうは忘れているだろうけど 伊賀の街には銀座通りとか丸の内とか 東京で聞くような名称が多く使われている 地元のうわさでは東京が伊賀の真似をして 街を作ったとの話がよく出てくるから 誰か本気でテレビとかで調べてほしい気もする いまだに東京が伊賀のマネをした説を 親戚がまじめな顔でいいだす時があるから 本当に真実が知りたいけど 自分が調べるほどは興味がない 2004年(平成16年)11月1日に 伊賀市に変わってから 上野市駅が忍者市駅になり 近鉄の電車だったのが伊賀鉄道になり 電車がコスプレになった 駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり 産業会館がハイトピア伊賀になった 産業会館だった時にマルキンのパン屋が近くにあった そこのシナモンパンが子供の頃から大好きで 今はもう手に入らない もう一度、あのシナモンパンが食べてみたい あと小さなパチンコ店「マルト」があった 「フルーツパンチ」という機種で勝った覚えがある あと「麻雀物語」もあったかな 「海物語」という機種が記憶の最終機かな 上野で住んでいた時期に一日で20万近く負けて それからパチンコは完全に辞めた じつはその後もたまにしたが 本当に気晴らし程度で その内にきっぱりとやめた スロットが主流になったら なおさら興味すらなくなった 新天地もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ 新天地には映画館もあった気がする 当時は賑やかな商店街だった 当時からあった「喫茶店フランセ」は今もある 大きな化粧品店は更地になっていた 高校の時の知り合いが「クワトロNo.4」という バーを経営しているが、まだ入った事はない いつか行ってみたい気持ちはある ただダーツバーらしく 常連っぽい人たちのたまり場っぽいイメージで 気楽入れなさそうな雰囲気はある 一度だけ朝方にお店の扉までいったけど バーの扉って感じで雰囲気はあった 最近は実家で一人暮らしのお��んの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、Kマーホの名で出版した 「トイレの閃き」が背表紙の色が抜けた状態で 25年以上も本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる この岡森書店の店長さんは従姉の同級生で 小学校の先輩の同級生でもあり この店長の妹さんは自分と同年代で それにしても伊賀は狭いなと感じる
市部という地区だったと思う 近くに市部駅という無人駅がありその近くの 依那古第一保育所に5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった おかんは去年の年末まで 81歳でまだ自転車に乗って 小田町の坂を下っていたらしい いまは親戚から危ないからと 召し上げられた 小学校6年卒業までは上野市依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ 小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の市部駅とにらめっこしている森 中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった 小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分の部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 バスケ部の試合で名張の体育館で遊んでいて ���階から飛び降りたら右足のかかとがにヒビが入った その夏にはバスケ部をクビになり陶芸部に入った 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ RCサクセションのコピーで 「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」 「ベイベー逃げるんだ」「サマーツアー」 「サントワマミー」「いけないルージュマジック」 「いいことばかりはありゃしない」 「どかどかうるさいR&Rバンド」 旧友が作ったオリジナル曲「ガレージの上のR&Rバンド」 一番のモテ期だった気がする ただバンドをやっている自分を見て 好意を寄せられても違うなと思った バンドをしていない時はただのバイトに明け暮れた 高校生だったから バンドマン目線のそういう女子には興味がなかったから 冷たい感じだったかも 本当にこの時期がこれまでで一番楽しかった。 高校生の頃はたくさん恋をしたが 自分が不器用だったので自分が好きだった人からは つきあえてもすぐにフラれた 人を好きになることに迷走し始めて 最終的に好きになる事はやめて なんとなくという感情で奥手に過ごしていった そのせいか、他校の女子からゲイだとウワサされる事もあった なぜそうなるか不思議だったけど 当時は楽しければなんでもよかった
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 カツカツ生活 家賃と車のローンがきつかった 1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくにカレーめちゃくちゃ美味かった この「ふる川」は今もやっている 当時はお店の小学生の女の子が手伝っていた 夫婦だけでやっていて 週3回ぐらい夕飯でお世話になった 「さば定食」もよく食べた気がする
1997年から パソコンをミドリ電化で38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を��きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロ���した 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい 2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走るという意味から 【RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ(もう51歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」 【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」 【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」 【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」 【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」 【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
#runpenparis#art#paris#artist#artistreet#詩#vogue japan#るんぺんパリ#詩集#japan#アートブラッシュ#アート#アートワーク#アートギャラリー#アート作品#個展#自己紹介#伊賀#伊賀市#上野天神祭#140文字詩#写真#ぺん画#伊賀出身
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Famitsu 1820 Persona 3 Reload part scan and transcription.




続報
リマスターではなく、全ビジュアルを一から描き起こしている本作。3Dモデルも頭身が上がりより魅力的に。
人々との絆が“影”を切り裂く力となる
岳羽ゆかり
声:豊口めぐみ
専用ペルソナ
イオ
↑←弓を武器とするゆかり。テウルギア“サイクロンアロー”は、敵1体に相性を無視して疾風属性の特大ダメージを与える効果を持つ。
月光館学園高等部2年生で、主人公のクラスメイト。専用ペルソナの“イオ”は、ギリシャ神話で女神ヘラに仕え、主神ゼウスの寵愛を受けたという巫女がモデル。
リマスターではなくフルリメイク作品���して18年ぶりに帰ってきた、JRPGの傑作『ペルソナ3』。グラフィックを一新し、システムや操作系に多くの新要素を加えるなど、現在のP-STUDIOの手で生まれ変わっている。今回は、新戦闘服や日常生活について紹介しよう。
現行機種で蘇る少年少女たちの死闘
特別課外活動部(S.E.E.S.)が新戦闘服に身を包んでタルタロスヘ
本作では、特別課外活動部のメンバーがタルタロスに挑む際の戦闘服が新たなものに。オリジナル版をやり込んだ人も、新鮮な気分でバトルに臨めるはずだ。今回は、すでに公開中の主人公に続いて、ゆかり、順平の新戦闘服アートが披露された。合わせて、新要素で戦闘中に条件を満たすと発動できる超強力なスキル“テウルギア”のスキル内容も紹介しよう。
主人公
声:石田 彰
伊織順平
声:鳥海浩輔
↑火炎、斬撃属性を得意とし、両手剣での豪快な攻撃が持ち味の順平。テウルギア“バーストスイング”も、敵1体へ相性を無視した斬撃属性の特大ダメージを与えるという、彼らしいスキルだ。
専用ペルソナ
ヘルメス
主人公とゆかりのクラスメイト。専用ペルソナ“へルメス”は、ギリシャ神話でゼウスの使いとして従事する伝令の神で、旅人や商人から崇められていた。
共用の設備を使って仲間たちとともに過ごす寮生活
主人公たちが暮らす学生寮では、寮内にある共用の設備を使って、仲間といっしょの時間を過ごすこともできる。ときに仲間の意外な一面も垣間見られる共同生活では、主人公の人間性が磨かれるだけではなく、仲間たちがバトルで役立つパッシブスキル“特性”を獲得することも。
コロマルとの散歩
テスト勉強
屋上菜園
読書
料理
DVD鑑賞
共用パソコン
寮のラウンジには寮生共用のパソコンが置いてある。プレイ中に手に入る、サイトのURLが書かれたメモを使うなどしてこれを利用すると、ソフトを使った学習や、情報収集を行うことができる。それらを通じて、主人公の人間性を表し、さまざまな行動に影響する“人間パラメータ”を上げられるほか、戦闘や探索に役立つ技能を習得できることもある。
ネット環境完備の巌戸台分寮
特性の習得
学生寮で、共用の設備を使って主人公とともに寮生活イベントを過ごした仲間たちは、“特性”と呼ばれる特別なスキルを習得することがある。特性は、任意で発動させるものではなく、つねに効果が発生している、いわゆる“パッシブスキル”と呼ばれるもの。その内容は、“クリティカル攻撃の発生率アップ”、“回復スキルの発動に必要なコストが減る”など、戦闘に役立つものばかり。時間があれば積極的に仲間と過ごそう。
放課後に学園内外で
学園で出会う“コミュ”のメンバー
→月光館学園の生徒たちは、部活動や下校時の寄り道など、おもに放課後の時間帯に交流しやすい。
“コミュニティ”、略して“コミュ”とは、主人公が多くの人々と出会い、交流していく中で生まれる辞のこと。交流を重ねてコミュのランクを上げ、特別なイベントを発生させると、主人公のペルソナ能力の強化にもつながるため、非常に重要な要素だ。本作ではコミュ対象キャラクターのイラストが新規に描き下ろされ、イベントも新キャストによるフルボイスで展開する。今回はコミュ対象の月光館学園の生徒たちを紹介しよう。
気のいい男子生徒。クラスメイトとなった主人公に、なかば強引に友だち宣言をした。年上好きで、主人公に恋愛相談を持ち掛ける。
友近健二
クラスメイト
声:羽多野 渉
3年生。港区中の飲食店を渡り歩き、あらゆるメニューを食べ尽くした。トラブルから助けてくれた主人公を、自身のSPに任命する。
末光望美
グルメキング
声:落合福嗣
主人公のクラスメイトで、陸上部の部活仲間。 努力と気合と根性で結果を残してきたエースだが、主人公をライバルと認めている。
宮本一志
運動部
声:宮下英治
2年生。陸上部のマネージャーで、宮本とは幼なじみ。面倒見がよく、入部したての主人公のことも気に掛けてくれている。
西脇結子
女子マネージャー
声:加藤英美里
生徒会の副会長。厳格な性格で一般生徒からの受けはおおむねよくない。美鶴の推薦で生徒会に加入した主人公に一目置いている。
小田桐秀利
平賀慶介
声:松風雅也
1年生で、生徒会の会計を務める。押しに弱く厄介ごとを押しつけられがち。男性に苦手意識があり何とか克服したいと思っている。
伏見千尋
生徒会会計
声:遠藤 綾
美術部部長の3年生。医者の息子だが、医学部進学か芸術方面での留学か迷っている。部活動見学から主人公と交流することになる。
平賀慶介
文化部
声:井口祐一
フランスからの留学生で、着物と時代劇と日本庭園をこよなく愛する大の親日家。“ふぁっしょん同好会”に主人公を勧誘する。
ベベ
同好会の留学生
声:市来光弘
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2月1日 土【暮らし】
たまには太陽光下では無く。
夕から夜にかけて、その刻を楽しんで。
アンバーのような美しいブラウン色は、
なんだか温かくて、優しくて。
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メーカー:Nuutajarvi / ヌータヤルヴィ
シリーズ:Miranda / ミランダ
モデル:デザートボウル / クリーマー
デザイナー:Heikki Orvola
年代:1971 -1975
サイズ(cm):ボウル / φ10.0×H11.0
フィンランド製
フィンランドの有名ガラスデザイナー
ヘイッキ・オルヴィオが手掛けたミランダ。
中央から重なるように、連なる花模様。
見る角度によって映し出される花びらの光と陰。
繊細な美しさについ魅入ってしまいます。
ミランダ デザートボウルは2020年に、
ひと回り大きいサイズで復刻されましたが、
こちらは当時のオリジナルです。
わずか4年間のみ生産された希少なヴィンテージ。
花びらひとつひとつの凹凸が違います。
食器としてだけではなく、
中にドライフラワーをあしらったり、
アクセサリー入れにしたりと。
さまざまな用途でお楽しみください。
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クラシノ
北欧ヴィンテージがなんだか、
各国からたくさん入荷中です。










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大和市の南林間で、口琴や民族音楽が盛り上がっている素敵なお店、チャンドラスーリヤ様にて僕とクズメ君のデュオで演奏します!多分日本で1番のブザーンチュの弾き手であり、カルグラーも得意なクズメ君と僕のデュオで、本格的なトゥバ音楽の演奏を存分にお届けしたいと思います。2人でやる時は話が早いので、いわゆるトゥバ音楽のトラディショナル/スタンダードを多めにやれたらと思っています。乞うご期待!
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南シベリアの喉歌(のどうた)の調べ
寺田 亮平(喉歌、イギル他)
葛目 絢一(喉歌、ブザーンチュ他)
2024. 11/23(土) 開場 17:30 開演 18:30
【料金】1,000円+飲食代1,300円~+ドネーション(ご予約優先15名様)
ご予約はチャンドラスーリヤもしくは予約フォームまで
https://ws.formzu.net/dist/S351818077/
電話:080-8842-8175(チャンドラスーリヤ)
ネパールとインドの料理とお酒
チャンドラスーリヤ 神奈川県大和市南林間1-5-7 2F
企画制作/ハルヴァ・ミュー��ック
問い合わせ: [email protected]
寺田 亮平 Ryohei Terada
ロシア連邦トゥバ共和国の伝統的な音楽や喉歌を長年現地修行しながら トゥバの伝承音楽から自身のオリジナル楽曲、日本の伝承曲のアレンジなど独自の音楽活動を展開している。2017年に共和国政府よりトゥバ文化大使として表彰、2023年11月初のソロアルバム「クズル・トーキ ヨー」をリリース。各方面から高く評価され、ロシア国内の民族音楽チャートでは2023年発売のアルバム7位に選出された。
葛目 絢一 Junichi Kuzume
2004年南シベリア・トゥバ共和国 の喉歌「ホーメイ」に出会い歌い 始める。トゥバの擦弦楽器イギ ル、撥弦楽器ドシプルール、縦笛 ショールなどを自作・共作し、トゥバの伝統曲と日々の暮らしから産まれる楽曲を組み合わせ活動中。2011年喉歌ポップス楽団「マヌルネコ」結成。2013年オンライン国際ホーメイコンテスト優勝。
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個性派盆栽家先駆け!大宮盆栽村出身の加藤文子さんの個展@カフェギャラリー温々(ぬくぬく)で

盆栽家 加藤文子さん
こんにちは。アコレおおみやスタッフのNです!
大宮盆栽村出身の盆栽家・加藤文子さんの個展へいってきました。最終日の6月30日です。会場は、元祖古民家カフェ「カフェギャラリー温々(ぬくぬく)」☆
加藤さんは大宮市盆栽町に生まれ、四代に渡る盆栽一家に育ち、10代後半に、リュックひとつでヨーロッパを巡ります。お金が底をつくまでのその旅は、後の生き方の原点となったそう。
盆栽を学ぶことを決め、 父 ・ 加藤秀男に10年師事。
1985年、大の音楽好きから《奏デル盆栽》と命名し、独立。現在は那須で暮らしています。
盆栽の聖地、大宮盆栽村。最近は若い盆栽家が独自のやり方で盆栽をPRされていますが、、
加藤文子さんは「先駆け的な存在」です。
そんな加藤文子さんの作品をご覧ください☆


加藤文子さんは自身の本も出版されています。





盆栽にとどまらず、絵や写真集なども制作。


今回は盆栽の鉢も展示販売。

パートナーである陶芸家の小沼寛さんと☆
まさに��奏デル盆栽》!那須にある加藤さん夫婦のアトリエへ遊びにいったことあるのですが、とってもアーティスティックなご自宅(アトリエ)でした。
加藤さんのご実家は「蔓青園(まんせいえん)」です。名門を飛び出して、独立されました。ロックな生き方とゆうか、加藤さんだけのオリジナルな盆栽は本当に素敵です。

カフェギャラリー温々(ぬくぬく)でメロンのロールケーキとアイスコーヒーを食しました。美味しかった☆器もカワイイです!
カフェギャ��リー温々
https://cafe-nukunuku.com/
現在、アコレおおみやホームぺージ(https://acore-omiya.com/)はリニューアル中です。(2024年5月)
リニューアル完成まで、こちらのblogで発信いたします!
今までの記事は旧アコレおおみやホームぺージへ ↓
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【季節を彩る雑貨店ハレヨンジュウヨン】
今日の雑貨:丹波焼のうつわ
________________________________________
【通販サイトにアップしました】
https://hale11.base.shop/items/85499535
こちらの器は窯元さんの定番ではないので、あまり出回らないデザインのひとつです。
ハレのオリジナルというわけではありませんが、年々こちらの窯元さんの器が手に入りにくくなっているため、オーダーしたモノです。
お茶碗としても使えますし、中鉢として煮物やサラダ・唐揚げ・豆腐、そして取り皿として鍋のとんすいとしても◎
とにかく使えますよっていうサイズ感に、電子レンジ・食洗機が使えますよってなると、〝買い〟ですよね。
☑️ストーリーズ・投稿欄などでご案内しているモノは、通販サイトに載せていなくてもご購入いただけます。
通販サイトに載せているモノも同梱可能です♡
何でも、お気軽にDMください☺︎
☑️無料ラッピング、お伺いできます。
hale44(ハレヨンジュウヨン)
〠675-0052
兵庫県加古川市東神吉町出河原862番地
イオンタウン加古川
☎︎079-433-0771
10:00〜19:00
不定休
haleオリジナルブランドehaleha(エハレハ)
@hale_ehaleha
hale店主の日常と非日常
@hale_tensyu
________________________________________
#madeinjapan #日本のいいもの
#丹波焼 #平茶碗 #中鉢 #手仕事
#雑貨 #雑貨屋 #雑貨屋さん #雑貨店
#雑貨好き #雑貨屋巡り #加古川雑貨屋
#zakka #zakkashop
#lifestyleshop #lifestyle
#雑貨好きな人と繋がりたい
#日々の暮らし #雑貨のある暮らし
#おうち時間 #おうちで過ごそう
#丁寧な暮らし #暮らしを楽しむ
#hale44 #加古川 #兵庫
販売店 @hale_hale44
姉妹店 @hale_ehaleha
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2023/10/01 ギブミーベジタブル in 宮城県西安寺 宴市
◇10/1(日)「宴市」開催します◇
みんなの台所、みんなの食卓で一緒に美味しいご飯を食べて、ゆるやかな時間を抱きしめましょう。 . . ◇宴市◇ 会場:西安寺(村田町足立漆坊79-1 ) 10時-16時
◉ギブミーベジタブル 11時-14時
お金の代わりに食材を持ち���り、その場で料理人が即興でお料理✨ 皆さんで分け合っていただきます。お金とは違った価値観で生まれる新しい循環を体感してください。
【調理人】 「うえまつ調剤薬局」轡 基治さん @uematsupharm 「紫山のごはん会」佐藤千夏さん @mgohankaibunshitsu 「子どもキッチン」三木俊輝さん
【お皿協力作家さん】 当日、ギブミーベジタブルで使用する大皿を貸していただけることになりました。 ・ガラス工房キルロ @glassstudiokirulo キルロさんの工房は会場の西安寺のお隣さんです。ぜひ、当日お立ち寄りくださいませ♪
◎ギブミーベジタブルについて https://www.givemevegetable.com
食材、マイ箸、マイ取り皿やタッパご持参に ご協力ください。 ※お野菜は洗ってご持参いただけると助かります💡 ゴミのお持ち帰りにご協力ください。
◉同時開催 マルシェ&ワークショップ 10時-16時
1.YAGUI 中国茶・茶器 @yagui0720
2.たべることくらすことSOW オーガニック食品の量り売りと暮らしの雑貨 @sow_no_coto
3.うえまつ調剤薬局 インドのスパイスとスナック @uematsupharm
4.mariとchica mariの手製本ノートchicaの編みぐるみ小物 @mari_udoku @chica_ciic
5.kamitote 紙雑貨 @shizuka.chiba
6.高橋英理子さん 木工ブローチ・陶器・ポストカード
7.ヘッドケアサロンBlissful インド式ヘッドケア・オリジナルスパイス @blissful_kumiko
8.絵本のひろば 青空図書館・射的屋
9.任意団体NPOじぞうあん たい焼き販売
10.空白実習室 音楽・アート作品展示販売 @alt_kuhaku
11.念珠づくり教室 オリジナル腕輪念珠づくり
12.コナミンタル 巡るサータアンダギー・摩訶不思議雑貨 @toranokobus
【フライヤーデザイン協力】 @shizuka.chiba
【主催】 ただいま、おかえり。実行委員会 @tadaoka58
【後援】 村田町
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北海道函館の良き食材を見つけたら、その後は最高の食材を盛り付ける器を探さなきゃって事で訪問させていただいたのがうつわ作家さんの 牧野 潤さんの元 makino magumi @makinomegumi 牧野 潤さんの想い ↓ 【「古さ」や「時間」を感じられるような作品、 そして私自身が使いたいと思える 器づくりを行っています。 釉薬は試行錯誤の末にオリジナルの 配合のものを使用しております。 天然成分も含まれているので、 その時々の環境によって出来上がりの表情も 違ってきます。 陶器の器は美しいものです。 その美しさをもっとも実感できるのが、 器に盛られた料理を いただくときではないでしょうか。 器は、料理の洋服のようなもの。 器次第で料理の見え方や味わいが変わるし、 逆に使い方次第で器の見え方も変わってきます。 器は、誰かの手に渡り、 使われることによって器が育っていきます。 普段使いの器として、それぞれの日常、 あたりまえの暮らしの一部になりたいと 考えております。】 器育てていきます! そしてめっちゃ素敵なシンク! #牧野潤 #makinomegumi #古さや時間を感じられるような作品 #私自身が使いたいと思える器づくり #釉薬は試行錯誤の末にオリジナル #天然成分 #陶器の器は美しい #器は料理の洋服のようなもの #器次第で料理の見え方や味わいが変わる #使われることによって器が育っていく #普段使いの器 #あたりまえの暮らしの一部 #作家 #器 https://www.instagram.com/p/Cnl6dfPS4Rt/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#牧野潤#makinomegumi#古さや時間を感じられるような作品#私自身が使いたいと思える器づくり#釉薬は試行錯誤の末にオリジナル#天然成分#陶器の器は美しい#器は料理の洋服のようなもの#器次第で料理の見え方や味わいが変わる#使われることによって器が育っていく#普段使いの器#あたりまえの暮らしの一部#作家#器
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歌は翼
ようそろ。生きています。それこそ、生きています(それなりに、こそこそ、生きています)。立て続けに様々な体調不良に襲われる。原因はストレスからの過食、免疫低下、不眠、などなど、ストレスの原因はわかっているので割愛。花粉症。自分はたいしたことはないほうだと舐めてかかっていたが、鼻水、目の痒み、喉の痒み、転じて頭皮の痒み、全身の痒み、各種粘膜の痒み、鼻水、鼻水、鼻水、終わらない鼻水、ということで、幼少時〜高校時代までのアレルギー性鼻炎・結膜炎もかくや、という勢いで「症状のひどい人」になってしまった。まさか、ここまでとはな(赤井さん)。耳鼻科なり、病院に行くべき症状のひどさだが、とりあえず市販薬のアレグラ(アレク・グランヴェルとは無関係のようだ)を飲んでいる。自室でもマスクをしている。そのうえで上記の症状のため、今年の免疫力の低下は恐るべきもの。一方、頭痛は「偏頭痛」としっかり診断されたことで気負わず偏頭痛薬を飲めるようになり、痛みが始まる前に対処できている。今日は朝うた(カラオケまねきねこの驚異的施策、30分10円)時間帯にアルトサックスを持っていき、数年ぶりに鳴らした。口の筋肉が衰えすぎていて全然もたなかったが、肺活量や腹筋はそこまで落ちている印象はなかった。学生時代は楽器を「鳴らす」こと(楽器全てを振動させ、豊かな倍音を含み、周囲のものに反響しても不快な音にならないような指向性?を音に持たせる)に執心していた、わりに、結局自分が鳴らせたのかどうかはわからないまま2年で辞めてしまった。今でも鳴らす、の尻尾くらいは捕まえられそうな感覚のあるものの、実際にはやはり相当難しい技術だと感じる。ただ、学生時代の病気真っ只中のまま死相で吹いていた時よりは、今の方が遥かに「鳴らす」ことに近い位置にいるだろうと思う。継続的な練習あるのみ。とにかく楽しい気持ちで楽器に触っている。もう基礎練習なんてそんな���やらなくていいし、コードも適当でいいし、とにかく音が出ればいいんだから、と思ってとても楽しかった。口が疲れて音が出なくなる度に歌った。その様子はTwitterのスペースで流しっぱなしにしていたので、お聞き苦しいところを聞いてくださった方がここを見てくださっていたら感謝。観客がいると盛り上がる(調子に乗る)タイプなので非常にありがたかったです。吹いて歌っていたら2時間半は一瞬で過ぎてしまった。
眠る段になって、宮城県を中心とした大きな地震が起こる。かなり長かった。私自身は北関東の地盤の固い地域に住んでいるのでとくに被害はなかったが、その後2時間ぐらい動悸が早かった。地震に対する備えは、個人では何もしていない。今までも何もしていなかった。これからも、今の精神的状況のままではする気にならないと思う。地震が起こると、「死ねるかも」と思ってしまう。もちろん私は死にたくないはずだが、脳のMRIに動脈瘤のようなものが見える、と可能性を示された時にも一瞬すごく安堵した。「死ねるかも」と思った。自殺ではなく、病気や災害や事故で死ねる、というのはとてもありがたいことだと感じる。できれば自分自身で苦しんで死にたくない、何か不可知の力により殺されたい。本当に、自殺に比べたらなんだっていい。そういう思いが、いつも「死ねるチャンス」の時に、ひとすじの希望として心を浮き立たせる。私の病気は、寛解しなければ基本的にはみんな自殺で死ぬと思うので、それをのがれるために天に祈るような気持ちがある。本当に自殺したくない。もちろん、死にたくない。でも死ぬ時は自殺だろうという、長い年月で凝り固まってしまった「変えようのない未来」のすがたがある。できるだけ迷惑をかける人数や影響が少なくて済むように死にたい。自殺はまわりに長く深く暗い影響をおよぼす。これは暗い話ではなく、自殺願望の話でもなく、ただフラットに考えた場合の予測の話なので、重い話題ではないです。ただ、災害の備えをしなければ、中途半端に助かった時まわりに迷惑をかけると思うので、次に一人暮らしをした時にはきちんとしなければと思う。
友人の小説をたくさんまた読めるようになった。すごく嬉しい。そして、私の数々の未完あるいは書き直し前提(さらに設定だけ公開して書いていないものなど)の話のことを出されて、早く書かなければいけないと思った。ちょうど、今年は個人サイトを作って、そこでオリジナル(一次創作)を書いていこうと色々考えて書き留めていた折だったので、ますますやる気が出た。オリジナルBLも(ついに)書いていきたい。オリジナルは合同企画をメインでやっていたが、個人でこれから文学フリマ、コミティアに参加することを多くしていきたい。賞に投稿することも考えたが、それよりもWebで無料で読めるように個人サイトで書いていこうと思っています。
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るんぺんパリ 【RunPenParis】

自己紹介 2024年10月13日追記 5861文字】 三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明 津市にある施設にいたと聞いた覚えがある 三重県亀山市に二つか三つ年上のお兄さんいるらしいが あった事は一度もない 30代の頃に一度だけ電話で話をした 父方に引き取られたお兄さんに 母親の事を聞いた 母親は別の人と再婚し離婚して 娘さんと一緒に暮らしているらしい 父親は再婚して自分と同じぐらい娘さんがいるらしい お兄さんはおじいさんの事を尊敬していて 中国語を勉強してるらしい あとは色々と聞いたけど 覚えているのはそれぐらいの内容で もう二度と話す事はないだろうと その時に思ったけど お兄さんの顔がどんな顔なのかは 見てみたい気持ちは少しある
伊賀市でそこそこ有名なのが 伊賀流忍者で忍者屋敷は今も昔も変わらない内容で 営業している それは去年に末っ子を連れていったから確認済 外観はただの古い家だけど 中に入ると意外と見応えはある 観光施設って感じ 伊賀牛は金谷のすき焼きが有名で 森辻が新しい様相なってから焼肉を食べた 個人的には伊藤の牛丼が好きだ 油が多い感じのお肉だから 100gも食べれば満足感がある 上野天神祭の鬼行列も有名かな ひょろつき鬼が子供の頃は本気で怖かった 銀座通りが歩行者天国になり 的屋がならぶ 高校生の頃はリング焼きが100円ぐらいで 何個も買って食べた 2024年は10月18・19・20(金土日) 19(土)は久しぶりに一人で一日中お祭りを楽しむ 20(日)は実家と親戚に顔を出して静岡へ帰る 誰か知り合いとばったり会える事を期待しているけど たぶん顔を見てもお互いわからないだろう 松尾芭蕉は俳句で有名で伊賀出身で 小学生の頃はがっつりと俳句を作らされる 俳句はいやいや作らされたので 俳句番組は見ない 俳聖殿の中には過去の優秀な俳句が収められていたかな 普段はこれといって何もないけど 俳聖殿のたたずまいは何か「The Haiku」という感じ 上野城のお堀の高さ日本2位? 一時期は日本1位説もあった 中学生の頃は上野城で体育の授業があったり クロスカントリーレースで走らされたり 高校生のデートも上野城が定番だったのか それらしき男女がイチャついていた 夜のライトアップは不気味なお城に見えた 一応、桜の名所なのかな 高校生の頃に一つ年下の子とつきあっていた頃は よく上野城をさんぽした 帰りはその子の家の近くまで送っていった この子はとても純粋な子で 自分にはもったいない子だった 半年もつきあっていないが 今でも純粋で幸せになっているかなと思い出す事もある もう向こうは忘れているだろうけど 伊賀の街には銀座通りとか丸の内とか 東京で聞くような名称が多く使われている 地元のうわさでは東京が伊賀の真似をして 街を作ったとの話がよく出てくるから 誰か本気でテレビとかで調べてほしい気もする いまだに東京が伊賀のマネをした説を 親戚がまじめな顔でいいだす時があるから 本当に真実が知りたいけど 自分が調べるほどは興味がない 2004年(平成16年)11月1日に 伊賀市に変わってから 上野市駅が忍者市駅になり 近鉄の電車だったのが伊賀鉄道になり 電車がコスプレになった 駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり 産業会館がハイトピア伊賀になった 産業会館だった時にマルキンのパン屋が近くにあった そこのシナモンパンが子供の頃から大好きで 今はもう手に入らない もう一度、あのシナモンパンが食べてみたい あと小さなパチンコ店「マルト」があった 「フルーツパンチ」という機種で勝った覚えがある あと「麻雀物語」もあったかな 「海物語」という機種が記憶の最終機かな 上野で住んでいた時期に一日で20万近く負けて それからパチンコは完全に辞めた じつはその後もたまにしたが 本当に気晴らし程度で その内にきっぱりとやめた スロットが主流になったら なおさら興味すらなくなった 新天地もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ 新天地には映画館もあった気がする 当時は賑やかな商店街だった 当時からあった「喫茶店フランセ」は今もある 大きな化粧品店は更地になっていた 高校の時の知り合いが「クワトロNo.4」という バーを経営しているが、まだ入った事はない いつか行ってみたい気持ちはある ただダーツバーらしく 常連っぽい人たちのたまり場っぽいイメージで 気楽入れなさそうな雰囲気はある 一度だけ朝方にお店の扉までいったけど バーの扉って感じで雰囲気はあった 最近は実家で一人暮らしのおかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、Kマーホの名で出版した 「トイレの閃き」が背表紙の色が抜けた状態で 25年以上も本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる この岡森書店の店長さんは従姉の同級生で 小学校の先輩の同級生でもあり この店長の妹さんは自分と同年代で それにしても伊賀は狭いなと感じる
市部という地区だったと思う 近くに市部駅という無人駅がありその近くの 依那古第一保育所に5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった おかんは去年の年末まで 81歳でまだ自転車に乗って 小田町の坂を下っていたらしい いまは親戚から危ないからと 召し上げられた 小学校6年卒業までは上野市依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ 小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の市部駅とにらめっこしている森 中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった 小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分の部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 バスケ部の試合で名張の体育館で遊んでいて 二階から飛び降りたら右足のかかとがにヒビが入った その夏にはバスケ部をクビになり陶芸部に入った 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ RCサクセションのコピーで 「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」 「ベイベー逃げるんだ」「サマーツアー」 「サントワマミー」「いけないルージュマジック」 「いいことばかりはありゃしない」 「どかどかうるさいR&Rバンド」 旧友が作ったオリジナル曲「ガレージの上のR&Rバンド」 一番のモテ期だった気がする ただバンドをやっている自分を見て 好意を寄せられても違うなと思った バンドをしていない時はただのバイトに明け暮れた 高校生だったから バンドマン目線のそういう女子には興味がなかったから 冷たい感じだったかも 本当にこの時期がこれまでで一番楽しかった。 高校生の頃はたくさん恋をしたが 自分が不器用だったので自分が好きだった人からは つきあえてもすぐにフラれた 人を好きになることに迷走し始めて 最終的に好きになる事はやめて なんと���くという感情で奥手に過ごしていった そのせいか、他校の女子からゲイだとウワサされる事もあった なぜそうなるか不思議だったけど 当時は楽しければなんでもよかった
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 カツカツ生活 家賃と車のローンがきつかった 1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくにカレーめちゃくちゃ美味かった この「ふる川」は今もやっている 当時はお店の小学生の女の子が手伝っていた 夫婦だけでやっていて 週3回ぐらい夕飯でお世話になった 「さば定食」もよく食べた気がする
1997年から パソコンをミドリ電化で38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい 2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走るという意味から 【RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ(もう51歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」 【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」 【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」 【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」 【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」 【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
#runpenparis#art#paris#artist#artistreet#詩#vogue japan#るんぺんパリ#詩集#japan#自己紹介#アート#写真#ペン画#伊賀市#伊賀出身#伊賀#伊賀詩人
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10月30日 水【暮らし】
年末に向けて
スウェーデンからの贈り物。
素敵なヴィンテージ食器は、
眺めている時間が常々長くなり、
店頭出しが遅れがちです。
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メーカー:GUSTAVSBERG / グスタフスベリ
モデル:Salix / サリックス
デザイナー:Stig Lindberg / スティグ・リンドベリ
デコレート:Bibi Breger / ビビ・ブレガー
年代:1954 -65
サイズ(cm):カップΦ6.8 × H6.1
ソーサーΦ12.8 × H2.0
プレート Φ17.0 × H2.4
スウェーデン製
※復刻品ではなく当時のヴィンテージ品です
スティグ・リンドベリの代表作でもある、
サリックスは柳の葉をモチーフに
1954年に誕生しました。
単色ながらその繊細で華やかな作品は、
今なお復刻版もリリースされているほど
人気のあるモデルです。
こちらは復刻品ではなく
当時のオリジナルになります。
個人的な主観ですが、
現行品に比べて葉の線が細く
繊細に感じます。
またプレートもカップ&ソーサーも、
現行品には無いサイズ・形になります。
アンティークに近い大変希少なモデルは、
棚に飾っておくだけでも絵になります。
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暮らし】の企画展
「クリスマスギフト展 2024」
~12/25 wed










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▼インドの布で作るエコラップ▼ 4月に1回目を開催しましたWSです (お写真など前の投稿をご覧ください) キャンセル待ちを多くいただきました、 6月に2回目を開催します ご参加募集受付スタートします お申込みお待ちしております🙏 ▽ ▽ ▽▼インドの布で作るエコラップ▼▽ エコラップとは プラスチックを使わずに、抗菌・保湿作用のあるミツロウで布をコーティングして、撥水性をもたせ、洗って繰り返し使うことができるラップです。 食品を新鮮に安心安全に保存でき、環境にも優しい 簡単に生活に取り入れられる可愛いエコなアイテムです🌍 使い方はいろいろ ⚪︎使いかけの野菜の切り口に ⚪︎器のフタに ⚪︎サンドウィッチやおやつを包んだり... 使用する布は、 現地に足を運んで調達したブロックプリントと呼ばれる薄手のインド綿。 職人さんが天然染料でひとつひとつ手作業でプリントされた優しい風合いが、エコラップとの相性抜群です◎ ワークショップ たくさんのインド買い付けの生地をお持ちしますので、お好きな柄 / 大きさの生地からお選びいただけます。あなただけのオリジナルのエコラップを作っていただきます。 …………………………………… 日時 6月12日(土) 11:30〜13:00くらいまで ※バスの方は、近鉄奈良駅10:25発に乗られるとちょうど良いです (お帰りは15:24のバスがあります) 会場: 四方換気の広々空間vanam 2F 募集人数:8名(前回のキャンセル待ちの方のお申し込みを優先し先着順) 料金: 2500円 当日支払い (エコラップ2枚分の材料費、テキスト代) ➕1ドリンク以上オーダー ※お食事ご希望の方は、お申込み時に合わせてお知らせください。 ◎当日はエコラップ手作りキットの販売もあります 講師: chainowa YUI インドをはじめとする旅先で出会った布でお洋服や雑貨をオーダーメイド制作•販売しています👣 @chainowa ⭕️お申し込み/お問い合わせ ✈︎ダイレクトメッセージ✈︎ にて以下をお知らせください ○名前 ○携帯電話番号 ○当日のご来店交通手段 ○お食事のご予定 ……………………… 講師のYUIちゃんは世界を旅する友人です。インドにてインドローカルに溶け込む具合はナンバルワンな人。可愛くて頼もしい彼女をリスペクトしています。 #インド家庭料理vanam #インド定食 #thali #エコライフ #インド家庭料理 #弁当できます #indiancookingclass #スパイス販売 #インドの雑貨販売 #スパイス料理 #インド通の友人 #エコラップ作り #エコラップ #エコラップワークショップ #エコラップのある暮らし #エコラップの使い方 #エコラップ講座 #ブロックプリントエコラップ #ブロックプリント生地 #インド買付 #奈良市東部山間 #奈良ランチ #インド料理 #インド料理教室 #マスク必着😷 #インド布ワークショップ毎月やります (インド家庭料理 vanam) https://www.instagram.com/p/CPE0Hf2suJE/?utm_medium=tumblr
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Gesuidoの紹介と影響を受けたRoguelike
この記事は Roguelike Advent Calendar 2020 23日目の記事です。
私が開発しているGesuidoというローグライクを紹介します。iPhone専用で、オリジナルのRogueとあまり変わらないゲーム性で、初期Macintoshのような白黒のタイルグラフィックのゲームです。
まだ開発は途中でApp Storeで販売するまでには至っていませんが、開発中のバージョンを無料配信していますので試してみてください。またご意見、ご感想、バグ報告などいただけましたら大変ありがたいです。
開発者Twitterアカウント: @oinariman
Gitコミットメッセージが流れるTwitterアカウント: @gesuido
最近インコレJAPANというTwitch配信番組の中でこのゲームを紹介しましたが、そこでうまく話せなかったゲームの内容について、私が影響を受けたローグライクゲームの紹介を交えてもう少し掘り下げて記します。
Gesuidoとは
あなたは東京都在住のプログラマーです。あるとき東京の地下の廃下水道に謎の宝石が出現しているという噂を耳にし、どうにかそこへたどり着きます。実はあなたはそこそこ大きな借金を抱えており、噂の宝石を集めて売りさばいて返済に当てようと考えたのです。果たしてその宝石は下水道内に実在しましたが、それと同時に、先行して宝石採集している集団、凶暴な野生動物、謎の怪物などの脅威も多く存在しており、あなたの目論見を阻みます。・・・というのがこのゲームの設定です。現代日本を舞台としていますが、魔法のポーションが出てきたり忍者が出てきたりと、整合性抜きに入れたい要素を入れています。
Rogueのようにターン制で、地形はプレイ毎にランダム生成。全部で3階層になる予定(現在は1階層目だけプレイ可能)ですが、一つの階層には16のエリアがあり、各エリア間は便器を通じて移動できます。
アイテムについてもほとんどRogueと同様で、武器、防具、空腹を満たす食べ物、使うまで効果がわからない水薬(ポーション)などがありますが、それに加えて「カード」があります。これは「使用」したり額に貼り付けることで魔法的な効果が得られるもので、下水道のどこかで拾うかカードの自動販売機で購入することができます。
使用するカードの例: 幽霊
貼り付けるカードの例: ミニマリスト
開発の経緯
2008年にiPhone用のアプリをサードパーティが販売できるApp Storeのしくみができて、自分でも何かアプリを作ってみたくなりました。ふと、昔ローグライクゲームのようなものをふざけて作っていたのを思い出しました。それは「下水道」というタイトルで、昔のMacintoshに同梱されていたHyperCardで作っていました。
ゼルダの伝説のような画面の端まで行ったら切り替わる方式で、画面単位のマップの自動生成にはなっていたような。当時NetHackにとてもハマっていて、そういうのを作りたい、という気持ちだけが走っていた感じ。ローグライクの初期衝動。これを、iPhoneアプリとしてしっかりと作り直してみようと思い立ちました。
NetHack
Gesuidoを説明する際に「不思議のダンジョンシリーズ」をよく例に出してきましたが、実はそれらはあまりやったことがなく、おそらく人生で最も多くプレイしたのはNetHackです。さらに正確に言えば、沼田一成氏が日本語化したJNetHackです。
沼田氏のJNetHack.org
現在も続くJNetHack Project
ASCII文字表示だけのゲームなのに、とても深みがあるのに驚きました。YASD(yet another stupid death = さらに別の馬鹿な死に方)という言葉があります。新しく見つけた変な死に方を面白がる、といった感覚です。そんな言葉ができるくらいに、たくさんの事象が起きえるように仕組まれていて、何度もやりこむうちに出会う思いがけない事故に興奮しました。
使い道のないように思えるアイテムにも、必ずなにかしら役目があります。たとえば、脂っぽい缶詰を食べたら手が滑って装備中の武器を落としてしまいますが、「タオル」はその手を拭くのに使えます。そんなことをスポイラー(攻略ページ)を読まないで気づけた気がしませんが、スポイラーを読むのも楽しかったです。このタオルの記事によれば、”アイテムの由来は「銀河ヒッチハイク・ガイド」(ダグラス・アダムス)”とのことですが、こんな具合に個々のアイテムやモンスターや事象にいちいち由来や元ネタがあります。NetHackをきっかけに『銀河ヒッチハイク・ガイド』や『ディスクワールド騒動記』(テリー・プラチェット)を読んだりもしました。
自分の好きなものの断片を盛り込んだローグライクを作るのは楽しそうだ、と思いました。お話や絵がかけなくても作れる箱庭世界。もっとも、NetHackは一個人の手によるものではなく、その名のとおりネットを介して大勢によって「伽藍とバザール」方式で作られたものですが。
変愚蛮怒
Rogueから派生した二大ローグライクのNetHackではないほう、Angbandの変種の一つの変愚蛮怒にもハマりました。日本の漫画などの要素が沢山追加されています。NetHackと交互に遊んでいました。こちらはキャラクターやアイテムの性質・属性が豊富で、ダンジョンでの戦闘に重きを置かれた感じです。Diabloのアイテムのバリエーションのしくみは*band(Angband系をこう呼ぶ)から引いたんだと思います。Gesuidoの射撃の仕組みも、NetHackではなくこちらから引きました。
The Dungeon of Doom (The Dungeon Revealed)
NetHack以前に遊んでいたローグライクがあったことにあとで気づきました。
The Dungeon Revealed - Wikipedia
youtube
本の付録のMac用のフ���ーウェア/シェアウェア集のフロッピーに入っていました。遊んでいた当時はこれがRogueというゲームのフォロワーだということは知らず。Macintosh 128K(初代Macintosh)というただ重いだけのアイテムがあって、敵に投げつけてダメージを与えられることはできたのが記憶に残っていました。
Catacomb Kids
2008年から一人でちまちま作っていたGesuidoを、2014年にインディーゲームのイベントBitSummitに出展してみました。そこからインディーゲームというものを知り、ローグライクという言葉がランダムレベル生成のあるアクションゲームなどにも使われているのを知り���した。Downwell作者のもっぴんさんからローグライク的アクションゲームのSpelunkyとNuclear Throneを教わってハマりましたし、参考にもしています。
youtube
Catacomb KidsはSpelunkyを下敷きにしたNetHackという感じです。罠の仕掛けやモンスターとの戦闘はいつも緊張感があって、16ビット的なピクセルアートの雰囲気もいいし、名前と性質がランダム生成されるプレイヤーキャラクターもかわいいし、最高。なお、Steamページに「この製品はmacOS 10.15 Catalinaと互換性がありません。」との表示がありますが、私の環境では動きました。
突発的危機状況
東京ゲームショウのインディーコーナーでGesuidoを展示したこともあります。自宅から会場の幕張メッセまでは遠かったので、幕張近辺で間借りできる部屋をAirbnbで見つけて、会期中はそこから通いました。
会期中のある夜、部屋に戻るのが深夜0時近くになってしまいました。家主は寝ていて、呼びかけても気づかず、部屋に入れませんでした。あきらめて最寄り駅に戻っても宿泊したり朝までやり過ごせそうな施設がありません。そこで、野宿することにしました。駅から少し歩くと川があり、その河原で寝ました。9月でまだあたたかく、多少蚊には刺されましたが、風邪引くこともなくやり過ごせました。
しかし早朝に目覚めた直後に問題が。生理的欲求が、突如急激に高まりました。かろうじて充電が残っていたiPhoneのGoogleマップアプリで周囲を探査すると、近くに一件コンビニを見つけました。トイレを貸してくれるのか、営業中なのかどうかもわかりませんでしたが、とにかくそこを目指しました。行っては止まりを繰り返して思うように歩けませんでしたがなんとか進みつづけ、たどり着いた先は、幸いにも蛍光灯の灯った生きたコンビニでした。店頭に店員の姿は見えませんでしたが、勝手にトイレを借りました。助かった!
野宿した場所
私がローグライクに求めているのはこういうことだな、と思いました。こういった「突発的危機状況を限られたリソースでなんとか切り抜けること」がローグライクの面白さの肝じゃないかと。人類が狩猟採集民だったころの暮らしぶりに照らし合わせれば、危機的な状況でなんとかする(例: 食糧がない状況で食べ物を見つける)ことで大きな快感が得られるように脳ができているというのは、理にかなっているように思います。
あるとき、ほかの大きな川の河川敷を散歩していたら、橋脚の下にたくさんの野犬が眠っているのを見つけました。なんとなく近寄っていったら一斉に犬たちが目を覚まし、追いかけてきたので必死に走って逃げた、ということもありました。この体験はGesuidoの中に、狼が眠る部屋として盛り込みました。
それほど危険な状況でなくとも、たとえば『孤独のグルメ』のようなシチュエーションもローグライクだと思うようになりました。仕事でたまたま訪れた街で、自分のその時の気分に合った食事ができる店とメニューを知恵と勘で見つけ出せれば成功、失敗すれば自宅に戻ってカップ麺をすすることも。拡大解釈しすぎでしょうか。
(おわり。とりとめのない話におつきあいくださり、ありがとうございました。)
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「工芸批評」展のため、桃居・広瀬さんから届いたもの。村上躍・銀彩ポット。 下記テキストはやはり書籍『工芸批評』より。なお、座談会はお陰をもちましてただいま満席、キャンセル待ちのみの受付となっています。 広瀬一郎 Ichiro Hirose 「近代工芸の終焉」 では、近代日本工芸史とはどんな物語だったのか。「工芸」は西欧から輸入された「美術」概念に対抗する、日本独自の造形分野として始まりました。あらゆる分野で欧化の圧力が高まった明治初期に工芸が担った役割は、有力な輸出産品であると同時に、「美」による西欧への抵抗と、ナショナル・アイデンティティの昂揚でした。その後、大正昭和戦前期には、中国陶磁を鑑賞陶器としてコレクションするブーム、朝鮮陶磁の発掘研究、古作への憧憬から生まれた新古典派と呼ばれる工芸作家たちの活動など、注目すべき流れはいくつもありましたが、最終的には、一九三〇年代に形成された、桃��陶を「日本的なるもの」として日本工芸の最高峰とする陶磁史観の確立へと向かいます。ここにも当時の時代背景――日中戦争から太平洋戦争へと突き進む危機の時代にあって、「東洋の盟主」たる日本オリジナルの美的伝統を陶磁史に投影したいという欲求が見てとれます。戦後も、この桃山陶を中心とした「伝統工芸」的なものの権威化は、占領米軍の文化政策のあと押しもあって、いっきに進みます。一九五五年(昭和三〇)に成立した人間国宝(重要無形文化財及び保持者)制度はその完成形といえるでしょう。 一九六〇年代、七〇年代、八〇年代は、この工芸史的な秩序が定着した時代、その余熱のなかにあった時代でした。この相対的な安定期――制度としての工芸が機能した時代を、私は「五派分立の時代」と定義しています。五派に分立した様式がそれぞれの居場所を確保し、棲み分けた時代でした。五派とは伝統工芸派、民藝派、日展派、クラフト派、前衛オブジェ派です。この五派はそれぞれに日本的工芸美を追求したのですが、その背後にはなにがしかの「西洋の影」が見え隠れしています。 「桃居」店主。一九四八年生れ。慶応大学法学部卒業後、出版社勤務、飲食店経営を経て、一九八七年東京都港区西麻布にて、暮らしのなかで愉しむ現代工芸を扱う店「桃居」を開業。 (工藝風向) https://www.instagram.com/p/B7VRXialZj_/?igshid=132u7rptst0mx
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映画『リビング・デッド サバイバー』 〜孤独こそ本当の恐怖〜
2018年 フランス 原題:La nuit a dévoré le monde/英題:The Night Eats the World 監督:ドミニク・ロッシャー 脚本:ギョーム・ルマン、ドミニク・ロッシャー 出演者:アンデルシュ・ダニエルセン・リー、ゴルシフテ・ファラハニ、ドニ・ラヴァン、シグリッド・ブアジズ
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僕はゾンビ映画が好きで、しばしばゾンビ関連の映画を見ます。増殖していくゾンビにより文明社会が崩壊し、ゾンビが蔓る終末世界の中で、生存者たちは生き残るために協力し、定住できる場所を構築したり、安全な場所へ移動したり、時には生存者同士が争う。ゾンビ映画の多くは、そのような様子を描くことによって、人間社会で起こる問題を代弁して問題提議したり、絶望的な状況の中であっても実はゾンビより怖いのは人間なのではという問いを投げかけてきます。
しかしよく考えると、何とか生き残ったとして他の生存者と出会える人たちばかりではないはずです。自分以外はみんな死んでゾンビ化してしまい、生き残ったのは自分だけという状況は容易に起こり得るはずです。そのような状況は多くのゾンビ映画では描かれないか、描かれても短時間ということが多いのですが、そんな“ゾンビ・アポカリプスをただ一人でサバイブするしかない状況”を、丁寧に繊細に見せてくれるのが、今回紹介する「リビング・デッド サバイバー」です。
あらすじ
内気な青年サムは、元カノに預けてていたコレクションのカセットテープを受け取るために、彼女を訪ねて彼女のアパートで開催されているホームパーティーを訪れる。パーティーを楽しむこともせず、一人お酒を飲み、やっと彼女に案内してもらった人気のない奥の部屋で目的のカセットテープを受け取ることができるが、そこで休んでいる間にウトウト寝てしまう。目覚めると、一夜のうちに世界は変わり果て、人々はみなゾンビとなって生存者を襲っていた。自分だけが生存していることを知ったサムは、アパートの中に立てこもり、たった一人でゾンビを避けてサバイバル生活を始める・・・。
パッケージが詐欺!

引用元
まず本作の日本版パッケージ、これが完全に間違ったイメージを作るための詐欺パッケージです。ショットガンを背負ったイケメン男性と、彼に寄り添う不安げな表情の女性、背後には建物に手を伸ばし群がるゾンビたち。これだけ見ると、生存した男女2人が協力しながら、銃を片手にゾンビが溢れる世界を歩んでいくような印象を与えますが、先に言っておくと、劇中で彼らが地上を歩くシーンはほとんどありません(猫を助けようとするシーンくらいかなたぶん)。基本的に、アパートに立てこもっている話なので、銃を撃ちながら地上でゾンビとバンバンやり合うことはないです。本作は日本では劇場未公開なのですが、こうした無名なジャンル映画にありがちな、タイトルやパッケージが作品性とかなり乖離しているパターンですね。パッケージの印象だけで手にとってもらうためなのでしょうか、勝手にイメージを変えるために日本で行われている改悪です。こういう作品の中にも、実は低予算だったり無名だけど刺さる人には刺さる映画が隠れていたりするので、紛らわしいことをされると困りますね。
・フランス版ポスター
死は恐怖、孤独もまた恐怖
本作の最大の特徴は他のゾンビ映画と異なり、基本的に主人公一人だけの視点で物語が進行し、徹底的に孤独な生活の描写を見せつけてくることです。
主人公のサムは、自分以外のみんながゾンビとなってしまい、外に出て襲われて死ぬ人を目撃したことから、外に出ることは断念し、アパートを封鎖して籠城することにします。籠城はゾンビ映画の定番パターンですね!ここからアパート内の各フロア・各部屋を探索しながら、食料や武器、役に立つ物資をかき集めてきます。この辺りもゾンビ映画でありがちな流れで、主人公の知性やサバイバル力や問われるシーンです。サムはしっかりそれらをこなして、何とか生活を維持できそうな状況を作り上げます(ちなみにこの映画は水道が止まってしまったら、水の確保はどうするのか問題もちゃっかり解決してくれる点が好感持てました)。
しかし他のゾンビ映画と違い、これらをすべて彼がたった一人で行うのです。人と会話しないため、彼のたまに出る独り言やリアクションの発語意外でほぼ発言はありません(エレベーターの柵に閉じ込められたゾンビを殺さずにいるのですが、そのゾンビに一方的に話しかけたりすることはあります・・・)。
発語は少ないのですが、彼の表情や行動だけでキャラクターや心情を伝えてくる点は素晴らしいと思いました。説明的な台詞が無くてもよく分かりましたし、BGMも少ないし静かに話が進むようですが、サム一人の視点しかない分、サムと同じタイミングで情報が得られるので、静かで淡々としているようで意外と没入感がありました。映像で主体で魅せてくる、映画ならではの表現が巧みです。
アパートを封鎖し、物資も調達し、ある程度安全な生活を維持できるようになったサムですが、アパートに居る限りゾンビに襲われない反面、彼はひたすら孤独を味わうことになります。そして次第に孤独であることに苛まれます。自分は安全に生きているが、誰にも自分の思いを伝えることはできず、たまらなくなってエレベーターの柵内に閉じ込められたゾンビに話しかけたり、カセットテープに録音された家族の声を聞いて懐かしみます。また自分が住む場所には確かに人が暮らしていた跡が残っていて、かつては自分と同じ人間が暮らしていたのに、もう誰も居ないことの寂しさで彼はどんどん神経をすり減らしていきます。だから自殺したひとを埋葬したり、生き残っている猫を助けようとしたり、ゾンビとそのゾンビの生前の写真を見比べたりするわけです。その後ゾンビの群れすら移動して近隣から居なくなり、完全に孤独化したサム。そして自暴自棄になって、ドラムを叩きまくり音で再びゾンビの群れを引き寄せる行動に出る。
死は恐怖ですが、一方で孤独もまた恐怖を生むのだと言うことをこの映画は示してくれます。
後半から女性の登場人物サラと出会うことになりますが、それ以後はネタバレを避けるため、ここでは記載しません。サラとの出会いで、物語が急展展開していきますが、最後は彼の中で大きな一歩を踏み出すことに成功し、世界がひらけてくるような妙な感動をサムとともに味わうことになります。孤独と戦い続けた内気なサムが、最後はこれまでの自身を乗り越える前進する様に心を撃たれました。さほど期待して見始めたわけではなかったのですが、正直ここまで良作だとは思っていませんでした。


引用元、引用元
珍しいフレンチ・ゾンビ映画
本作は珍しくフランス産ゾンビ映画です。前述したように映画は比較的静かに、淡々としたテンポで進んでいきます。余韻や空気感を大切にしたような美しい映像の撮り方や、時折見えるパリの景色、室内のインテリアなど美術のおしゃれな感じは、まさにフランス映画。ゾンビ映画にもかかわらず、娯楽映画的なテンションではなく、まるでアート映画のような趣です。
余談ですがフランス産ゾンビ映画として、他に思いつくのは「ザ・ホード 死霊の大群」という映画ですね。こちらも個性的な作品でした。僕は未見ですが、他に「ゴール・オブ・ザ・デッド」という映画もあります。
・映画「ザ・ホード 死霊の大群」予告 ・映画「ゴール・オブ・ザ・デッド」
またサムは一体何者なのかが謎。アパートにパンクキッズの部屋と思われる一室があり、そこで見つけたMP2プレーヤーでパンクロックの音楽を聞いてニコニコしたり、置いてあったドラムセットを気晴らしに叩き始めるのですが、結構上手で早いビートも叩ける。パンクロッカーなのか?しかしその後、自分のお気に入りカセットテープの音源に、部屋にあるいろんな日用品を打楽器的にかき鳴らした音を重ねて、多重録音的な演奏を楽しんだりするシーンが出てきます。カセットテープの曲も、おそらくオリジナル音源と思われ、かなりローファイなヘンテコリズムの楽曲が流れます。その印象からは、彼は前衛的な音楽を作っているミュージシャンなのかなと思いました。どうやら音楽ができることは間違いないですが、一体どんな音楽を好んでいるのか、とても気になります。この日用品をかき鳴らして音楽を作るシーンも、何だか妙な上品さとおしゃれさが漂っていて、さすがフランス映画。
この映画はBGMを意識的に絞っていると思われます。BGMがあっても控えめで環境音楽的なものばかり。これは主人公以外に生存者がいない、静まり返った世界を強調するのに効果的だし、その分主人公が奏でる音楽、さらにはゾンビを含めた自分以外の何者かの音が際立つような演出になっていて、本作の良い雰囲気や緊張感を生み出しています。
最後に
パッケージに騙されますが、じつは美しいフランス映画とゾンビ・アポカリプスを合体させた良作です。低予算と思われますが丁寧に作られており、孤独の恐怖を静かに突きつけてくる上、最後は緊張感あふれるゾンビ戦が待ち受けているので、ゾンビ映画好きは是非見てみてください。
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エンリケ後悔王子
※本テキストはPCでご覧頂いた場合雑誌風の縦書き表示となります。
先が見えない。行き詰まりのどん詰まりで我々は今抗ったり、受け容れたり、或いは諦めたりしている。想像した未来はもっと華やかで便利で、そうじゃないとしてもマトモだったはずなのに。
効率化を突き詰めればその先には『死』しかない。バンドは非効率の極みだ。その非効率を更に極め、自ら修羅の道を行く痴れ者たちことエミリーライクステニス。今回メンバー全員にインタヴューを敢行することにより、その哲学がヴェールを脱いだように思う。まずは唯一のオリジナルメンバーであるエンリケ後悔王子だ。
(聞き手:早瀬雅之)
友達もいないけど、いじめられるでもない。何もない。毎週ブックオフに行ってた
●まず生い立ちを訊こうかなと。
「出身は群馬の前橋っていう県庁所在地なんですけど」
●結構中心地というか栄えてる?
「いや、死んでますね(笑)。オリオン通り商店街っていうのが近所にあったんですけど、ブラックビスケッツが一体五万円の木彫りのブラビ像を売っていて、どうしても売れなかった最後の一体を買い取ったのがその商店街で。商店街の人が『この通りの名前もブラビ通り商店街にしましょう!』って言ってた(笑)。そんな街です」
●ええ…。今もその名前なの?
「多分…。僕が大学生くらいの時にその近くにモールが出来ちゃって、商店街は蹂躙されちゃったんですけど、そこに新星堂があってD☆SELDOMっていう安いオムニバスと、フリーペーパーを毎月取りに行ってた記憶が」
●ああ、出してたね。それが情報源みたいな。
「そうそう、音楽雑誌かそれ。タワレコは高崎に行かないとなかった。県庁は前橋なんですけど高崎の方が栄えているんですよね」
●何か栄えているイメージがあるよね。
「自分の思春期で結構(高崎に)持ってかれたかな。ヤマダ電機の本店とか」
●ライブハウスもclub FLEEZが高崎に移って。
「そうそう、G-freak factoryの根城でお馴染みの」
●家族構成はどんな感じだった?
「祖父母と両親と姉と兄と…」
●三人兄弟?
「姉貴が九個上で兄貴が二つ上ですね。だから僕が小学生のうちに大学進学で家を出ていきました」
●何か姉弟仲が良いイメージがある。
「今でも年数回会うし、兄貴も姉貴もうみのてのライブ観に行ったことがあったはず(笑)」
●その節はどうも(笑)。
「洋楽を最初に教えてくれたのが姉貴で、後は兄貴とオルタナを掘ってたかな」
●なるほど。やっぱり上に兄弟いると強いというか影響受けるし、早熟になるというか。
「そうですね。一番最初は小学生の時に、姉貴がミスチルのファンクラブに入ってたので、当時出たDISCOVERYかな。あと深海をずっとカセットで聴いてた記憶が」
●いい入りなんじゃない?
「入門編としては(その二枚は)間違っているような(笑)。あとは兄貴がビーズが好きだったから聴いてましたね」
●じゃあ結構音楽には入っていきやすい環境だったんだね。
「両親は大学の合唱団か何かで知り合ったんだっけな。あとはクラシックが好きで。音楽番組を観てると「最近のは全然わかんねーな」って機嫌が悪くなるような��じの人でした」
●タチが悪いやつだ。
「かと言ってクラシックを強要するでもなかったですけどね」
●学校ではどんな感じだったの?
「小学校入るまではものすごく引っ込み思案で。それが小学校入ってからすごい、何か陽キャみたいになって」
●え?そうなの?
「文集のランキングに入ってる『面白い人』とか『将来有名になりそうな人』とかあらかた名を連ねてるんですよ。今じゃ考えられないんですけど(笑)」
●何でこうなってしまったんだ、みたいな(笑)。
「いわゆるクラスの中心人物だったんですよね。アクティブな。でも小五くらいからかな、今思うと些細なことですけど、自分の家庭が新しいガジェットに対してものすごい嫌悪感を出すというか。プレステとかアドバンス買ってくれないみたいな。それで段々みんなの話題についていけなくなって、翳りが見えてきた(笑)」
●(笑)。
「結局小学生の「面白い」「つまらない」の尺度って如何に話題を共有できるかがほとんどじゃないですか」
●そうだね。特にゲームとか。
「あと漫画、昨日のテレビ、流行りの音楽くらいか…。段々それについていけずに、スクールカーストが下がっていく(笑)」
●でも野球やってたし、運動なんかは出来る方だったの?
「小学生までは自分が主人公だったから(笑)。少年野球で打率六割くらいあったし。『ヒット打つの簡単じゃないですか?』とか言って調子に乗ってた」
●ムカつくなぁ(笑)。
「シングルヒットしか打てなかったんですけど。早熟だったのかな。当時は背も小さくて痩せてて。段々みんな身体が大きくなって。中学くらいだともう置いてかれちゃったみたいな」
●今の感じに段々近づいてきたね(笑)。
「中学くらいで陰と陽が逆転して陰の者に(笑)。タウン&カントリーの黒い方になっちゃった」
●陰陽のマークね(笑)。部活はずっと野球?
「中学は野球で、高校も途中まで軟式をやってたけど「勝つぞお前ら!」みたいな顧問に代わって…。高校の軟式野球ってすごいヒエラルキーが低いんですよ」
●そうなの?
「甲子園もないし。甲子園決勝の一週間後に明石の球場で偽甲子園みたいなのをやってるけど、誰も気にしてないというか」
●硬式と軟式ってまったく別物?
「全然違う。硬式はボールがまず痛い」
●(笑)。
「練習が好きだったんですよ。でも試合は緊張するから嫌いで。それと硬式は甲子園を目指してレギュラー争いもそうだし、負けたらお終いみたいな…。野球は好きだけど、競争とかバトルしたくない、みたいな精神性でしたね」
●ああ、そうなんだ。
「こっちは楽しく野球やりたいのに、強要するなよ。って。その顧問は初心者をすごくないがしろにしていたし。それで辞めちゃった」
●勝ちたいよりも楽しみたかったんだね。高校のカーストは?
「中学で底辺で…。紅白戦でわざとデッドボール当てられたりするんですけど」
●イジメじゃん(笑)。
「『先輩、塁に出られて���かったッスね』みたいな。だからとにかく、輩とかしょうもないいじめっ子がいない進学校に行くしかないっていう強迫観念だけで勉強してました」
●その頃は頭はよかったんだ
「うん。学年で十番以内だった」
●おお、すごい。
「それで前橋高校っていう男子校の進学校に行って。そこはね、スクールカーストがなかったんですよ、何もない。いい大学行けるように自由にやれ。みたいな」
●グループがないの?
「いや、グループはあるしもちろんイケイケな奴もいましたけど、男子校なのでカーストを思い知らされる現場に遭遇しない。『あ、あいつ俺の好きな子と一緒に帰ってる…!!』みたいなシーンを見ないで済むというか。たぶん九割以上童貞だったはずですよ」
●男子校だとそういう劣等感は生まれにくいのかもね。
「そう、友達もいないけど、いじめられるでもなく。何もない。部活が終わったら自転車圏内にある三つのブックオフを毎週ローテーションするだけ。三週間後に行くと微妙にラインナップが変わってて。あとはツタヤで安い日に下北系を借りまくる日々」
●なるほど。
●話が戻るというか変わるけど、兄弟の影響とかありつつも、高校くらいは自分の意思で音楽を聴いてたの?
「そうですね。中学終わりくらいまで洋楽を聴いてなくて。兄貴がツェッペリンとかハードロックが好きで聴かせてきたんですけど、ハードロック伝説みたいなエピソードあるじゃないですか」
●はいはい。ありますね。
「オジーオズボーンがコウモリ食べたとか、ホテルでグルーピーと…とか。それがすごくカッコ悪く感じて」
●ああ、ロッククラシック的なエピソードが。
「『俺たち、ロックだぜ』みたいなのが嫌だったんですよ。でも中三の時に姉貴がWEEZERを『これ聴きやすいよ』って貸してくれて。それですごく衝撃を受けた。こんな冴えない人がバンドやってるんだ!みたいな」
●大味なロックバンドよりもうちょっとパーソナルなのが好みだった?等身大の。
「そうそう、等身大の。中学の野球部引退した後から邦楽のギターロックにハマりだしたんですよね。くるりから始まりモーサムとかシロップとか。ちょうどその頃全盛期だったんですよ。アジカン、アシッドマン、レミオロメンの御三家を筆頭に…」
●一番アツい時期だね。後に続けとたくさんのバンドが。
「あとアートスクールとバーガーナッズかな」
●UKプロジェクトとかQuipマガジン的な。下北が盛り上がってた頃だ。
「で、洋楽はWEEZERからオルタナとかシューゲイザーにハマっていった」
●今でもその辺りは好きだと思うんだけど。その時期に聴いていたものがバンドのルーツになってる?
「そうですねぇ、初めてやったバンドはNIRVANAのデモみたいな音質の、汚くて演奏が酷い感じだったような(笑)」
●ライブ初体験は?
「一番最初は中三の時に行ったゴーイングアンダーグラウンドかな」
●おお、意外。
「受験期にハートビートが出て、ずっと聴いてたんですよ。後は高校のとき、FLEEZにアートスクールとか観に行ってた。早瀬さんも行っていたとされる…」
●パラダイスロストのツアーだっけな。モーサムと。
「あと結成当初の秀吉が出ていた」
●意外と群馬はバンド大国だよね。
「当時はメロコアと青春パンクが強かったですね。で、陽キャがそういうのを聴いてるから逆張りで内省的なギターロックが好きだったのかも知れない。バンドに一切罪はなくても、銀杏とかが聴けなかった」
●ああ、自分が入っていく余地がないみたいな?
「そうですね」
●そこから大学に行くタイミングで上京?
「はい。東京じゃなくて横浜だったけど」
橋本君に『こんなくだらないとこ、さっさと抜け出そうぜ』って言って軽音部を辞めた
●そういえば楽器っていつ始めたの?
「中学の選択授業で体育選んだのに手違いで音楽になっていて、ピアノも辞めちゃったしどうしよう。ってなって」
●ピアノやってたんだ。
「小一から小六までやったのに何も身につかなかったけど。ト音記号の場所しかわからない。コンクール用の曲をひたすら半年前から練習してやり過ごしてたと思う。で、その授業でどうしようかなと思っていたら、いとこで駅でギター弾いている子がいて、その人がギターを貸してくれて。ゆずの楽譜とともに(笑)」
●まったく(ゆずを通った)イメージない(笑)。
「それでその曲は簡単だから何となく発表も乗り切れて。でもある日家に帰ったら兄貴がギター弾いてて、既にFとか抑えられるんですよ。『俺が借りたのに!』って。すごくムカついて(笑)」
●ああ、利用されたみたいな。
「そう。それでロクに弾いてなかったけど、高校受験の直前にギターロック聴きだしたからエレキが欲しいってなって。親に受験終わったらいいよって言われたんです。そしたら兄貴が『絶対ベースを買うべき。エレキは俺の弾けばいいから。ベース弾ければ高校でバンド組むとき重宝されるぞ』って言うんですよね」
●そうかな…。
「そしたら受験真っただ中で最初に話したオリオン通りにある新星堂が潰れることになって、弾くのは受験終わってからって約束で閉店セールでベースを買ったんです。で、勉強しててこっちは弾けないのに兄貴が弾いてるんですよ(笑)」
●ズルい奴だな(笑)。
「結局自分が弾きたいから弟に買わせると」
●それで「ベースを買った方がいい」って力説してたんだ。
「そうなんですよ。で、兄貴が僕が高二のときに大学進学でエレキ持ってっちゃって。家にアコギとエレキベースだけがある状態(笑)」
●厳しいね。
「しょうがないからアートスクールのベースをずっと耳コピしてて。部屋を暗くしてコンポ爆音でヘッドフォンつないで、小さいアンプからベースを弾いてる。親からしたら心配ですよね。子供部屋から重低音だけが鳴っている」
●うちの息子は大丈夫かって(笑)。
「受験の時もそうだしいろいろと心配をかけましたね」
●大学はどうやって選んだの?
「結果論というか、もともと大学デビューしたくて関西の方の大学を目指してたんですけど、高校の先輩が行ってた大阪大学ってところを志望校にして。センター試験って会場が適当な高校に割り振られて受けるんですけど、なんと会場が自分の高校の自分のクラスだったんですよね」
●えーすごい偶然だね。
「そのホームグラウンドで何故か受験科目を間違えて(笑)」
●何で(笑)。
「一日目にロッカー開けて確認したら『あ、阪大受けられないじゃん』って。それでやる気がなくなって高校も行かずに、もうA判定のとこならどこでもいいやって思ったら国公立の前期も落ちて、たまたま後期で引っかかって、気づいたらビーズの稲葉の後輩になっていたと。進路が決まったのが三月の二十日過ぎだったと思う」
●めちゃくちゃギリギリだな。
「ロックコミューン(立命館の音楽サークル)に入りたかったですね。くるりを輩出したでお馴染みの」
●あとヨーグルトプゥね。
「そうそう(笑)」
●そこでエミリー結成したの?
「満を持して『バンドをやるぞ!』って軽音サークル入ったんですけど。上下関係が厳しくて。しかもみんなメタルのコピバンをやっている。学園祭になるとOBたちが集結してジューダスプリーストとかやってるみたいな(笑)」
●すごいサークルの良くない感じが出てるね。
「新入生はすぐバンドを組んで五月にお披露目ライブで一曲やらなきゃいけないんですけど、僕は何故かたまたま同じ大学に進学した高校の同級生三人とバンドを組んだんですね(笑)」
●意味ないじゃん(笑)。
「陰の者同士で(笑)。それで何かコピーしようとしたけど全員下手過ぎてコピー出来なかったんです。ドラムはドラムマニア上がりでベースとギターはほぼ初心者で。だからオリジナル曲をやることにしたんです。で、同時期に橋本君ていうサークルの同期のミクシィが炎上しちゃった子がいて。『軽音部は内輪ノリでクソ寒いカスの集まりだな』みたいなのが先輩に見つかって」
●うわ怖いなー。
「その子もお披露目ライブで頭脳警察みたいなオリジナル曲やって。すごいカッコいいんですけど、めちゃくちゃ物を投げられるんですよね。ライブ中に。その後何故か僕のバンドも物を投げられまして(笑)」
●すごい荒廃してるな(笑)。
「終わった後橋本君に『こんなくだらないとこ、さっさと抜け出そうぜ』って言って辞めましたね。で、他の音楽サークルにロバー���ジョンソン研究会っていうのがあったんですけど」
●なんだそりゃ(笑)。
「あんまり研究してる感じはなかったかな(笑)。まぁ、ブルースとかハードロックのコピーをする割と穏健派のサークルだったんですけど。新歓行ったら最後に名のあるOBみたいなのが袖からわらわら現れて、十人ぐらいで「いとしのレイラ」を弾いてるんですよ(笑)」
●それは、ダメだね(笑)。
「ここもダメだって(笑)。で、ある日ロック研究会っていうサークルが大学の路上でライブをやってて。JR ewingっていうノルウェーのハードコアバンドのカバー…その時はカバーって知らなかったんですけど。それを演奏してて、ドえらいカッコよかったんです。赦先輩の同級生たちだったんですけど。で、そこに入ろうと思ったら、『ここはサークルというか半年5000円でスタジオ利用権をバンド単位で買う人たちの集まりだから、まぁ好きにしなよ』みたいな」
●へー。
「当時赦先輩はすごい怖い先輩とスリーピースやってて、赦先輩も怖かったんですよね」
●ちょっとイメージと合わないね(笑)。
「そうですね。『後のバンドメンバーである』って漫画だったらナレーションがつく」
●『この時はまだ知る由もない』みたいな。
「(笑)」
今日大学ですごい面白いことあったのに、ライブで今歌ってるの、めちゃくちゃ暗い歌詞だなぁコレ
●なかなかエミリー結成し��いね…
「いや、その同級生とのバンドが大学一年の終わりくらいに解散しちゃって、遅いハードコアをやってたんですけど」
●遅いハードコア(笑)。
「で『よし、今度はシューゲイザーをやろう』ってエミリーライクステニスが結成された」
●シュー…ゲイザー?
「当初はギタボが自分で、ベースが女の子で、ドラムは残留して、あとギター兼フルートがいた」
●編成だけ聞くとそれっぽいね(笑)。
「そうなんですよ。で、新歓ライブをやったらフルートが『カッコ悪いことしたくないわ』って抜けちゃって」
●曲はオリジナル?
「全部自分が作ってましたね。で、スリーピースになっちゃって、ギター二本ないとキツいわって思って。当時僕とドラムがポストパンクにハマってたんで、じゃあそういうのをやろうってなって。それが2008年の夏くらいかなぁ」
●なるほど。バンド名はずっとエミリー?
「そう。でもその後ドラムがギャンブルにハマっちゃって」
●ああ、良くない方向に。
「どうしたんだよ、って家に行ったらスロットの筐体が置いてあって」
●もうダメだ。
「それで脱退して途方に暮れてたらバイト先にクロアチア人が入ってきて。『ドラム出来ます』って言うからあ、ちょうどいいじゃん!って。デヤンさんっていうんですけど」
●加入したの?
「うん。クロアチアン・パンク時代ですね」
●そんなのあるの?
「いや、わかんないです(笑)。で、その人がライブの前日に『もうすぐ子ども生まれるからライブ無理かも』ってメールがきて、マジかと思ってたら翌日普通にリハ来てるんですよ(笑)」
●(笑)。
「『赤ちゃん大丈夫?』って訊いたら『昨日生まれて今ガラスん中入ってるから大丈夫』って」
●ガラスん中(笑)。
「それがきっかけかわからないけど、家族の圧により2009年の春くらいに脱退して。その後ベースも辞めるってなって」
●とうとう一人に。
「そう、で、どうしようと思ったんだけど、サークルの一学年後輩に泉君っていう毎日JOJO広重のブログを読んでる子がいて」
●だいぶオルタナティブだな(笑)。
「その子にベースをやってもらって、あと二つ下の武井君って子がドラムに加入した」
●だいぶ変わったね。
「でもその頃の音楽性はポストパンクとニューウェーブみたいな感じのままですね。で、どこでライブやっていいかわからないから、横浜…中華街の近くのライブハウスに毎週出てた」
●あーあそこね。
「そう、あれは本当に時間の無駄だった」
●(笑)。
「ブッカーにすごいナメられてたんですよね。暇な大学生の穴埋めバンドって」
●学生のバンドっていうのはねぇ…。
「酷い時は『来週の水曜日出れる?』みたいな。で、『面白いイベントになりそうなんだ』って言うから出てみたらアコースティック・ナイトってイベントで(笑)」
●酷いな(笑)。ありがちですね。いや、ありがちじゃよくないんだけど。じゃあ横浜が多かったんだ?
「あと下北のいろんなところに、殊勝にもデモを送ってたんですよ。モザイクとか251とか、今思うとちょっと違うんだけど(笑)」
●カラーが違うね(笑)。でもちょっとずつ広げようとする気持ちが。
「あと当時MySpace全盛期で」
●流行ってたね。
「そこでモーションとグッドマンと…葉蔵さん(中学生棺桶、例のKのボーカル)が働いてた頃のバベルかな。誘ってもらって。『あ、あっちから誘ってもらえることあるんだ!?』みたいな」
●『音源を聴いて連絡しました』みたいなのね。
「そうそう。まぁ、いわゆる平日の条件で今思えばアレですけど、それでも嬉しかったですよね。だからその人たちの悪口は言えない」
●(笑)。見出してくれたから。
「別にそこから鳴かず飛ばずですけど(笑)」
●(笑)。でもそこで知り合ってまだ付き合いがあるバンドがいる。
「そうそう。だから初めてモーション出たときのブッキングは今でも覚えてて、クウチュウ戦(現Koochewsen)、ギター大学、プラハデパートっていう」
●すごいメンツだな(笑)。
「すごいですよね。で、クウチュウ戦なんて年下じゃないですか。なのに上手過ぎて。『え!?東京ってこんなにレベル高いの??』。もう、幽遊白書の魔界統一トーナメントみたいなモンですよ」
●こんなすごい奴らが何の野心も持たずに…っていうやつね(笑)。
「そう、雷禅の喧嘩仲間のくだりね。で、初めてバンド友達が出来たというか。otoriとかもかな」
●音楽性的にも共鳴出来て。
「同世代だし。そんな感じでやってたんですけど、ライブやった後めちゃくちゃテンション下がるんですよね。当時の音楽性が」
●自分たちの音楽性のせいで?
「そう、お葬式みたいな気持ちになるというか。早瀬さんは四人になってからしか観てないと思うんですけど。当時は歌詞も暗いし」
●今とは全然違うね。
「うん。リフとか再利用してるのはありますけどね。普段部室で泉君とムーの話とか未解決事件の話をいつもしてて、そういう瞬間はテンション高かったり楽しかったりするのに、ずっと暗いことを歌ってなきゃいけないのはしんどいなって」
●最初の部活の話と少し繋がってくるかもね。
「うん。あと暗いバンドをやっていると暗くなきゃいけないと思っていて。打ち上げはしちゃいけない。みたいな思い込みもあり(笑)」
●イメージに縛られ過ぎてる(笑)。
「でも『死にてぇ』とか歌ってた人が打ち上げで乾杯してたら違和感あるじゃないですか。そういう強迫観念で自家中毒になってしまったというか。『今日大学ですごい面白いことあったのに、ライブで今歌ってるの、めちゃくちゃ暗い歌詞だなぁコレ』って」
●過敏だったんだね。
「センシティブだったんですよ。グッドマン出ても(ブッキングの)鹿島さんにすごいディスられてたし」
●ダメ出しが。
「で、MCだけすごい褒められる(笑)。当時三曲くらいやると僕が小噺をして(笑)」
●面白エピソードみたいなのを。
「『この間バイト先で…』みたいな。今思うとああ、平日のモーションだなぁって思うんですけど(笑)」
●そうだね(笑)。
「でも『この後もカッコいいバンドばっかり出るんで最後まで楽しんでいってください』とかは言ったことないですよ」
●『名前だけでも覚えて帰ってください』みたいな奴ね。
「(笑)。そう、それも言ったことないです。で、だんだんしんどくなってきたんで、どうしようかなと。当時の曲作りが僕がリフを持っていって、泉君がめちゃくちゃにするみたいな感じでやっていて。ドラムの武井君はすごいいい奴なんですけど、当時から曲の展開が多くて、たまに展開を忘れて、止まっちゃうんですよドラムが(笑)。ドラムの音がなくなったその瞬間僕と泉君がキレて楽器を投げつけてしまう。そういうことをしてたら『正直もうしんどいッス』って言われて、本当に申し訳なかったなと思いますけど」
●行き詰ってるね…。
「当時二学年下に獣-ビースト-とT-DRAGONがいたんですよ。僕が四年生、泉君が三年生の時です。みんなロック研究会にいたからそれなりに話してたんですけど、T-DRAGONは当時ノイカシのシグマとよくわからないバンドをやってて、あんまりパっとしなくて。獣-ビースト-はもっと謎で、時折八時間くらいスタジオ抑えてるんですけど、一人で入ってて何やってるかよくわからないんですよ」
●怖いな(笑)。
「本人曰くテクノっぽいのを作ってたらしいんですけど、結局一度も日の目を見ることなく。で、見た目がセドリック(At the Drive-Inのボーカル)っぽいじゃないですか。当時今よりもセドリックっぽかった。それでT-DRAGONに武井君の代わりに叩いてってお願いしたら、ライブとか観に来てくれてたのもあり割と快諾してくれて。で、獣-ビースト-に『At the Drive-Inみたいなバンドをやることになったから。ボーカルやって。この日スタジオいるから』ってメール送って。返事がなかったんですけどちゃんとその日スタジオに来てくれて、漸く今の編成の原型が出来たんですよ」
●やっと今の形に!
「いやー長いですね。この時点で大学卒業する直前ですね」
仕事に好きとか興味とか求めない方がいいな。土日休みならバンド出来るから
●就職とかはどうしたの?
「大学三年の秋くらいに『どうしよっかなぁ』って出版社とか何となく受けていて。で、僕はマルチタスク機能がものすごく低いんですよ。いろんな会社を同時に受けるみたいなのが出来なくて、一社受けてそこそこのところまで行って、落ちて、また別のところにエントリーして、みたいな」
●落ちるとゼロになっちゃう。
「そう。変に真面目なところがあるんですよ。面接で絶対「弊社が第一志望ですか?」って訊かれるんだからそこ以外受けちゃダメだよな。みたいに思っていた。あと某音楽雑誌の会社も受けたんですけど圧迫面接だったんで逆ギレして帰った」
●えー圧迫面接なんだ。
「エントリーシートに物凄い熱量をぶつけたんですよね。そしたら面接官に鼻で笑われたというか。『随分音楽が好きなんですね。ハハッ』みたいな。ライターの坂本真里子が好きだったんで受けたんですけど。まぁ入る価値のない会社ですね!って」
●すごいな。
「そういう感じで疲弊してきたからとりあえずモラトリアムを伸ばそうと、大学院行こうかなぁって思ったんですよね。そしたら親もそうだけど姉がすごい説教をして。うちの姉はすごい傾き者なんですよね(以下、傾き者エピソード)。で、大学院も行かない方がいいか、と。それでもう仕事に好きとか興味とか求めない方がいいな。土日休みならバンド出来るから。って今の会社に入ったんですよ」
●就職してからバンドとの両立はどうだった?
「難しいというか、当時僕が一番年上で唯一社会人だったからノルマとかスタジオ代全部負担してたんですよね。それがキツかったかな(笑)。たぶん2014年初頭くらいまで」
●結構最近までじゃん(笑)。
「獣-ビースト-とかT-DRAGONが就職するまでは基本的にあまり負担させないようにしようと。赦先輩も当時サポートだったし。でもグッドマ���とモーションは本当に良くしてもらったから。あと両立と言うか…。僕大学を卒業する時に大学の近くに引っ越したんですよ」
●卒業するときに?
「意味がわからないんですけど。入った会社が家賃補助がないということに気づいて、極限まで安いところに住まなきゃって。本当にヤバい、タックルしたら���れるような家。後にT-DRAGONもそこに住むんですけど」
●安いってどれくらいなの?
「えっとね、18000円」
●安すぎでしょ!!
「七畳+キッチン+風呂トイレ別でそれですからね。本当は20000円だったけど入るときに『大学院生です』って言ったら安くしてくれた(笑)」
●いいなぁ。
「いや全然良くない。ボロいなんてもんじゃないですよ。木造の長屋を三分割して三部屋になってるんですけど。築は…五十年くらいかな。で、風呂が外にあるんですよ」
●共用?
「いや、共用じゃなくて、もう一つのプレハブ長屋みたいなのがあって、それが三分割されてるんですよ」
●なるほど。
「で、その外風呂が、外からしか鍵がかからない(笑)」
●閉じ込めることしか出来ない(笑)。
「そう。で、大学が近いので土日のスタジオは大学でやってたんですよね。ライブは基本土日で。平日のライブの時は誰か後輩に楽器を託して…。無理やりやってましたね」
●その頃はもう割と東京のオルタナシーンに食い込んでる感じの。
「確かうみのてと対バンしたのが2012年初頭で」
●一月だった気がする。
「グッドマンでね。あれが転機っていうと大げさですけど」
●いわゆるライブハウスに良く来る人たちに知られた感じかもね。
「その頃はやたらトリプルファイヤーと対バンしてた気がする。2012年から今でも親交がある人と一緒にやり始めた」
●まだ2012年だ。
「長いですね。とりあえず赦先輩が入るまでの話をすればいいかなって…」
●いつだろ
「2013年の春くらいかな。で、2012年の春に泉君が大学院に進学するんですけど、関西に行っちゃったんですよね。もう続けられないねって。で、サークルのかなり下に内海君ていうスキンヘッドの子がいて、見た目がいいから誘った。それが失敗だった(笑)」
●まぁいろいろ、あったね(笑)。
「うん、いろいろあった(笑)。それでバンド辞めてもらって。赦先輩はしばらく連絡もとってなかったんですけど、サポートやってもらえませんか?ってお願いして。で、なし崩し的に正規メンバーになってもらった。現在に至る」
●赦さんが入ってだいぶ音楽性に幅が。
「内海君の頃までほとんど僕が考えてたんですけど、赦先輩が入って初めてスタジオで曲を練り上げる、みたいな。バンドっぽくなってきた」
●他のメンバーのエッセンスが入ってきて
「こういうフレーズはどうかな、とかイメージを膨らませたり」
●やっとバンドらしいエピソードに(笑)。
「そこまで辿り着くのに五年くらい要してる(笑)」
●そこからは今に至る。
「メンバーは変わらないけど、音楽性はだいぶ変わったかな。ハードコアが薄れて…何というかメタ的な曲が増えた」
●そうだね、ハードコアでもプログレでもない、何とも言えない。
「何とも言えない(笑)。演劇の要素だったり、曲の中にもう一曲あったりとか」
●はいはい。
「構ダンカンバカヤロー!を観て『あ、こういうのでもやっていいんだ』とかボーダーを再確認させてもらってますね」
●アウトとセーフの線引きを。
●バンドの成り立ちはこれくらいにして、曲のアイデアとかどういう時に考える?
「基本のリフは今でも僕が考えるんですけど、スタジオで試して、カッコいいだけだとボツになるんですよ(笑)」
●(笑)。
「後はコンセプトをみんなで固めて。リフのパーツを無数に作っておいて、当てはめる感じ。シチュエーションとか」
●コンセプトありきでそこから曲と歌詞?
「それがないと今は逆に作りづらいですね」
●歌詞は誰が?
「今はほとんど獣-ビースト-です。Brand-new suicides(エミリーの楽曲の中に登場する架空のバンド)の曲だけ僕ですね」
●そうなんだ(笑)。ライブの時の意識は変わってきてる?
「昔はカッコよく思われたいみたいなのが多少あったと思うんですけど、今はもうとにかく面白いかどうか、みたいな。『さぁ、消費しろ!』って。最悪『何も思い出せないけどとにかく楽しかった』でいいや。って。『よくわかんなかったけど面白かった』でいい」
●それはすごくいいことだと思う。
「『よくわかんないけど凄い』という方向だと絶対勝てないじゃないですか。グランカとかルロウズとか。最高峰に。そっちは無理だから、変化球で攻めるしかない」
●ライブ中ってどういうことを考えてる?
「なるべく仕事のことを考えないようにしている(笑)」
●(笑)。
「ハンターハンターのシャルナークのオートモードみたいな。あれに近い感じになると割といいライブが出来ますね。今何を弾いてるとか一切考えずに弾けるときがあって。逆に『このフレーズ難しいんだよな』とかふと思い出すと弾けなくなっちゃう」
●邪念が入ってくるとね。
「だからなるべくオートモードで弾くようにしたい」
●展開がすごく複雑だから身体が覚えるまですごく時間がかかりそうな印象があるけど。
「でも正直、曇ヶ原(エンリケ後悔王子が過去在籍していたプログレバンド)より全然覚えやすいですよ」
●マジか(笑)。
「曇ヶ原はA→B→フォントが違うA→フォントが違うBみたいな感じで繰り返しが多いけど微妙に違ってて。でもエミリーはとにかくAからZまで覚えるだけなので(笑)」
●なるほどね。
●平日はどういう生活をしてる?
「仕事に行って、帰って、疲れて寝る。みたいな(笑)。『無』でしかない」
●仕事終わった後に何かするって難しいよね。
「平日何も出来ない病なんですよ。かれこれ十年」
●音楽は聴いてる?
「精神的にキツいと音楽も聴かなくなるというか、耳馴染みがいいやつしか聴けない時がある」
●新しい物を受け入れる体力もない時はあるよね。
「昔のJ―POPとか、中高のとき聴いてたのとか」
●最近はどんなのを?
「ジャンル的にはユーロビートですかね」
●ええ!?
「あれって速いんですけど、リフ的にオイシイというか。ファミレスで言うとミックスグリル定食みたいな曲ばっかなんですよ。キラーリフてんこ盛りみたいな」
●詰め込んである感じで。
「これは意外とヒントがあるなと」
●なるほど。バンド的に取り入れるぞ!って意識で聴いてるの?
「サウンドは取り入れようがないので、和音のリフとかフレーズを参考にしている感じ。あとは昔J―POPとして聴いてた、例えばglobeとかSPEEDとか、それをCDで聴き返すとめちゃくちゃ発見がある。『この曲のバンドサウンドすごいな』とか『あ、あの曲のパロディーなんだ』みたいな」
●メロディーしか覚えてなかったけど、聴き返すとアレンジがすごい、みたいなのはあるよね。
「そうそう。小さい頃はマイラバの声は『すごい声だな』って。オーバーダビングの概念がないから(笑)。みんなホーミーみたいにああいう声を出せるんだと。ミスチルとかめちゃくちゃハモれてすごいなって(笑)」
●すごい技術だ(笑)。
記録媒体として一番長持ちするのは石か壁画なんですよ。レガシーをね、遺したい
●バンドをやってもう結構な歴があるけど、やってなかったらどうなってた?
「うーん。土日関係ない仕事をしてたかなぁ。あの…中学の時の夢が『オリックスの球団職員になること』だったんですよ」
●球団職員なんだ(笑)。
「プレイヤーとしての限界は悟ってたので(笑)」
●裏方でもいいから野球に携わるという。
「もっと前は小説家とか、マンガ家とか。いわゆるキッズが憧れるクリエイティブ職になりたかったけど。バンドやってなかったら…。ちょっと想像つかないですね」
●例えば今の生活からバンドが何らかの理由でなくなったとして、今の仕事だけ続けてくのは気持ち的にしんどい?
「しんどいですね。実際今それに近い状況になっているけど…。表裏一体というか、それでバランスとってたんだなぁって。普段はバンドと野球とハリエンタルラジオだけで生活出来たらいいなって思ってたのに(笑)」
●なるほどね。
「仕事以外のコミュニケーションが欠乏してて、ストレスが溜まっていく。バンドメンバーって十年近く、今まで少なくとも二週間に一回は会ってたのに。その人たちに一ヵ月以上会わないのは違和感がすごくて」
●フラストレーションが溜まってる感じ?
「この間スカイプでバンド会議みたいなのをして『いやぁ、楽しいなぁ』って(笑)。普段赦先輩がスタジオ遅刻するとすごく嫌な対応をみんなでしてたのに(笑)」
●失って初めてわかる大切さみたいな。
「前よりも優しくなれるかも知れない(笑)」
●今はこういう状況ですけど、また落ち着いた頃にこうしていきたいとかバンドである?
「昔の自分みたいな、基本的に陰の者に『楽しいなぁ。バンドやってみたい』とか思われたいですよね。以前モーションで話しかけてきた男の子が、二十歳くらいなんですけど。『僕もバンド組みたいです!』って言ってて、あ、嬉しいなって思って。その後コンパクトクラブで群馬に行ったときにその子がまたいて『僕、バンド組みました!』って嬉しそうに報告してくれたんですよ」
●普通にいい話だ(笑)。エミリーは水とかうちわとかいろんな形態でリリースしてるけど、今後こういうのを出したいとかある?
「そうですね。僕が考えていたのがダウンロードコード付土地なんですけど]
●(笑)。
「10万円くらいの離島の土地を買って、そこに看板とQRコードを貼って、辿り着きさえすればフリーでダウンロード出来るみたいな(笑)」
●なるほど。
「アドベンチャー型音源」
●面白いな(笑)
「石碑でもいいけど。記録媒体として一番長持ちするのは石か壁画なんですよね。だから最終的にはそれでリリースしたいんですよね。将来オーパーツみたいになるかも」
●遺跡として遺っていくかもね。
「レガシーをね、遺したい」
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