#ガジェットと暮らす
Explore tagged Tumblr posts
Text
次世代の暮らしにフィットする外構選び。スマートエクステリアで叶える安心と快適
住まいの“顔”ともいえる外構。最近では、その機能に大きな進化が起きています。玄関の鍵、宅配ボックス、照明、防犯カメラなどをアプリひとつで操作できる「スマートエクステリア」が登場し、ただの“外まわり”ではなく、暮らしを支える大切なインフラとして注目を集めています。
スマート外構ってなにができるの?
たとえば、スマートフォンから玄関の施錠確認ができたり、照明が人の動きに反応して自動点灯したり。さらに宅配ボックスの投函状況もスマホ通知で確認できる時代です。
こうしたスマート機能をうまく使えば、毎日の「ちょっとした不安」や「小さな手間」がグッと減り、生活の質そのものが変わります。
製品選び、どうやって進めればいい?
初めてのスマート外構選びで不安になるのが「どの製品を選べばいいか」という点です。製品によって、アプリの操作性、対応機能、設置条件などが違います。ポイントは、「自分たちの生活スタイルにフィットするか」を基準に考えること。
そのためには、カタログや口コミも大事ですが、信頼できる製品ガイドがあると安心ですよね。
実際の導入事例や製品解説がまとまった便利リンク
スマートエクステリアの概要や活用法、製品ごとの比較、導入後のサポート内容まで丁寧に解説されたページがあります。
▼詳しくはこちら (https://lrs.senseproject.jp/?p=2454)
初めての方でも読みやすく、製品の機能や設置イメージが��かめる構成です。「思っていた使い方ができなかった」という後悔を防ぐためにも、まずはここから情報をチェックしてみてください。
スマートに、でも“らしさ”は大切に。
防犯性や便利さはもちろん大切。でも、外構って家のデザインにも関わってくる部分ですよね。だからこそ、機能性と意匠性、両方を大切に選びたいもの。
そのバランスをとるには、豊富なラインナップとデザイン提案に対応できるメーカーやパートナーを選ぶのがコツです。
今の暮らしに、ひとつ上の安心と快適を
家族の安全を守りながら、毎日をちょっとだけラクにしてくれるスマートエクステリア。きちんと選んで導入すれば、きっと「やってよかった」と思えるはず。
最新の情報はこちらからどうぞ。
1 note
·
View note
Photo

ARグラスメーカーのXRealは、500ドルのXReal One、600ドルのXReal One Proを発表しました。スマホ・パソコンと繋いで使うことで、セカンドモニターとして利用できるのが特徴です。ウルトラワイドモードがあり、AppleのVision Proの視界を圧倒的安価で再現できるのが魅力���個人的にこれをとても気に入っており、今年の自分のCES一押しガジェットにも挙げています。
AR・XRな機能は試行錯誤が続く 250115ces25arglasses01 Image: Rémi Lou / Gizmodo 個人的推しのXReal Oneですが、Gizmodo読者は「それは、AR=拡張現実・XR=クロスリアリティじゃない!」と言うと思います。それは、確かにそう。スマートグラスではあるが、真のAR・XRグラスではない、のかもしれません。
それで言うと、今年のCESで見た真のAR・XRグラスはまだ試作品段階のものばかりでした。CES 2023で私がARグラスの記事を初めて書いて以来、今もずっと試行錯誤が続いているのでしょう。
スマートグラスでの翻訳 TCLのRayNeoブランドブースにて試着したRayNeo X3 Pro。リアルタイム通訳機能があり、中国語から英語で試したところ、できたと言えばできたという結果。というのも、CESの会場ってとても賑やかなんです。なので、周辺の音に邪魔されて、会話や音声コマンドをうまく拾えないことが多くありました。通訳ができたときも、結果としてできてはいるけど、スピードが遅い。実用にたる完成したプロダクトとはいえないと感じました。
メガネなので耳と鼻にかけますが、このポジショニングも適切でないと、画面(レンズ)に表示されるネオングリーンのテキストが見づらい。これも、2年前に同じことを感じており、大きな進化がないように思いました。ただし、プロジェクター投影式ではなくWaveguide方式ディスプレイになっており、モノとしては進化していました。
社内に工房がある? 謎のテック企業に潜入 社内に工房がある? 謎のテック企業に潜入 Sponsored by 株式会社ビットキー RokidというARグラスも同じ。使えるアプリは複数提示されているものの、どれもレンズに表示されるネオングリーンのテキストベースになるのは同じ。LAWK Oneスマートグラスはスポーツタイプのサングラスのようなデザイン。見た目通りスポーツ向けで、タイマー設定などができますが、これもネオングリーンのテキストが数字を表示するスタイル。
てことで、モノは違えど見えているのは主にネオングリーンの文字なわけです。
ARグラスは停滞しているのか? 250115ces25arglasses02 Image: Rémi Lou / Gizmodo CES 2025で感じたのは、スマートグラスは多いものの、AR・XRグラスは製品として不十分だということ。MetaのRay-Banコラボグラスと同様に、端末(メガネ)上でAI処理はできず、外部の端末に頼らなければいけない時点で、AI機能の便利さにも懐疑的になら��るをえません。
ただ、ARグラスの可能性を感じさせてくれた数少ない企業もありました。Metaがその代表で、Orionプロジェクトと呼ばれるARグラスは、モーションコントロール用のリストバンドと処理用の小型パックをセットで使うことで、機能を底上げするといいます。Samsungも視覚的AI機能を取り入れたARグラスを開発中だと噂されています。
期待しているだけに私のARグラスに対する目は厳しいのかもしれませんが、重くてゴツいVRヘッドセットのその先、より一般的なモノとしてアピールをしているものの、実用化される世界はまだ見えてこないのです。
ARグラスは、現状、試作段階で停滞しているというのが今回のまとめ。開発者の楽園ではあるものの、消費者にとって日々の暮らしに馴染むツールではありません。少なくとも、まだ今はね。
(CES 2025で感じたARグラスの進化・停滞・課題 | ギズモード・ジャパンから)
2 notes
·
View notes
Text
スマホの高速充電&バックアップがこれ1つで。データ管理の最新版 | ギズモード・ジャパン
・Apple社公認!累計販売台数100万台突破! スマホに挿すだけで即バックアップ開始。 くらしを変える充電器「Qubii Power」 【スマホバックアップ+急速充電+外部ストレージ】 | GREENFUNDING
以下引用
充電器にmicroSDを挿し込める。 スマートフォンにいろんなものが集約された現代において、容量不足は致命���。写真をクラウドに逃がそうとしても同期されて、スマートフォン上で写真を消すとクラウドでも消えてしまったり…。写真やアプリのデータなどをバックアップするとデータ量が増えて毎月課金する、なんてことも。 バックアップのために毎月課金するのなら、バックアップのためのガジェットをドンと一回買ってしまうのもアリかもしれません。 スマートフォン周辺機器を手掛ける台湾メーカー、Maktarの「Qubii Power」が、7月4日に新登場。このアイテム、45Wの高速充電をしながらデータのバックアップもできる優れものでした。
45Wの高速充電と同時にバックアップも
Maktarは「『暮らしに溶け込むテクノロジー』を理念として、テクノロジーが苦手な人でも無理なく簡単に使える製品を開発」しているとあって、直感的でシンプル。 充電器とmicroSDが一体になっているから、意気込まなくても手軽にバックアップができちゃいます。
USB type CとmicroSDの挿し込み口があり、普通の充電器のような見た目でいてスマートフォンのバックアップも可能。 microSDを本体に挿し込みコンセントにつなぐほか、専用アプリ「Qubii Pro」(iOS、Android対応)のダウンロードすることで、バックアップした内容を見たり、他のスマートフォンにデータを移すことができます。 データはmicroSD内のみに保存されるため、microSDの容量さえ増やせばQubii Powerで保存できるデータはもちろん無制限。microSDを買い足す必要はありますが、Qubii Powerを買ってからアプリ上で課金が発生することもありません。サーバーにアップロードされないのも安心ですね。
充電は、45Wの高速充電。iPhoneを30分で50%まで充電可能なのだとか。充電器としても結構優秀です。
SDカードまわりの安全面も頼もしい
クラウドと違って、データをSDカードという物体で持つからにはセキュリティをより重視したいところ。 Qubii Powerには、特許を取得した2つの技術を搭��。1つは「SDカードチェック」という技術。初めて使用するSDカードが挿入された時に、安全性や品質を確かめるものです。 2つ目は「SDロック機能」。万が一SDカードを紛失した時でも他の人に読み込みができないようにする機能です。ちなみにこのSDロック機能は、アプリ上でのロック時にパスワードの設定が必要。これによって、スマートフォンを替えてもQubii Proアプリでロック解除ができます。
さらに「スマートフィルター」を搭載していて、1つ目のSDカードが満タンになり2つ目のSDカードに交換しても、バックアップするデータが重複しません。 データの整理自体がスマートフォンのデータ管理を面倒にしているふしもあるので、このシンプルさはありがたい。
ちなみに、Qubii PowerはもちろんMFiプロダクト。Apple製品との互換性が保証されています。
Maktarの「Qubii Power」は、クラウドファンディングサイト「GREEN FUNDING」で、7月4日から9月10日までクラウドファンディング中。今なら超早割価格で9,999円(税込)でゲットでき、さらに国際変換アダプタもついてきます。 クラウドのデータ管理もいいけど、買い切りでスマホのデータまわりの悩みをスッキリさせるのもアリだよな〜。
2 notes
·
View notes
Quote
園芸の土やレンガなんかもそうだけど、捨てる方法がなくて途方に暮れるものって結構あるんよね。で、そういうものが仕方なくこっそり不法な捨て方されたりすると巡り巡って困るのは地域の人間。ルールの整備を…
[B! 家電] モバイルバッテリーが膨張して怖い→ 家電量販店も役所も引き取らない→ ダメモトでお願いした結果 | ガジェット通信 GetNews
2 notes
·
View notes
Text
革新的なAIガジェットの未来を描く、Rabbitの挑戦
AI技術の進化が加速する昨今、私たちの暮らしや仕事のスタイルも大きく変化しています。特に、スマートデバイスやウェアラブル技術の領域では、日々新しいアイデアやデザインが誕生し、競争も激化しています。そして今、注目を集めているのが、AIスタートアップのRabbitです。 Rabbitは、従来のアイデアを超えた新しいUIの提案を進めており、その最新デザインを披露しました。このUIは、一見すると親しみやすい子供のおもちゃのような「たまごっち」や「ポケデックス」、「ワイヤレス機器」を連想させるデザインとなっています。まさに、「Tamagotchi-Pokédex-walkie-talkie」といったユニークなコンセプトのデバイス群が融合したもの。これらは、ユーザーの生活やコミュニケーションを便利かつ楽しくしてくれる次世代のAIガジェットです。 しかし、そんな状況下で、世界をリードするデザイナー、ジ…
0 notes
Text
Let’s Try Anywayとは?自由で豊かな暮らしを叶える情報サイト
Let’s Try Anywayは、お金の教養を深め、生活の質を向上させるアイテムを紹介するWEBサイトです💰🏡💡 「自立した快適な暮らしを手に入れたい!」という方に役立つ情報を発信しています。
当サイトのコンセプトは、「知識と実��で自由なライフスタイルを手に入れる」こと。 日々の生活を豊かにし、より良い未来を築くためのヒントを提供します🌟
https://aoi345.com/
1. 当サイトで学べること
💰 お金の教養
資産形成:貯蓄や投資の基本、リスク管理の考え方
収入の多角化:副業、フリーランス、投資による収益向上
節約と賢い支出:生活の無駄をなくし、支出を最適化する方法
🏡 生活の質を向上させるアイテム
仕事効率を上げるアイテム:デスク環境、ガジェット
家事を楽にするアイテム:スマート家電、便利グッズ
健康とリラックス:睡眠の質を上げるアイテム、ストレス解消グッズ
🎯 知識を活かして実践する方法
成功するための習慣:時間管理、思考法、行動力
情報収集のコツ:信頼できる情報源の見つけ方
ライフプランの設計:長期的な視点で目標を達成する戦略
0 notes
Text
わたしのデジタル歴

前回の投稿「『今は昔』のSNS」で、わたしや同世代の人はオンラインネットワークからの離れ際がさっぱりしているのでは、と思い至りました。むしろ、オンラインでのアップデートが余計なものだった、と感じる人も少なくないでしょう。
わたしが生きてきた過去40数年を振り返ってみれば、それは当然。元は何もなかったところにデジタル��化が台頭し、次々と新しいガジェットが現れて(あるいは消えて)いったのですから。書き出してみるとあまりにも目まぐるしくて、ひとつのTVリアリティーショーだったんじゃないかという気すら起きます。実際に身の回りにはどんなガジェットがあったのか――1982年まで遡ります。
◇◇◇
わたしの目の前にあるTVは、流石にモノクロではなかったけれど、カラーのそれは分厚い箱型でした。ファミコンは、誰の家で見たんだったか。日本“出張”で父が土産に持ち返ったものはゲームボーイでした(※)。ドイツ滞在中はあちこち旅行に連れ回してもらったけれど、旅のお供はフィルムカメラと8mmビデオ。VHSはTV鑑賞に活躍していました。
※駐在家族として1987〜1992年の間ドイツ・ハンブルクに在住でした。
ワープロ(リボン! フロッピーディスク!)があった家にパソコンが来たのと、教室にポケベルが現れたのは同じ頃だったでしょうか。音楽は基本的にはCDで聴き、カセットテープはポータルブル、あるいは録音・編集したり友人とプレイリストを交換し合ったりと多用途でした。レコードは、見たことはあっても扱うことはなかったな。ところで、たまごっちに気を取られたのも、この頃でした。自分でプレイした人生最後のTVゲーム機は、スーパーファミコン(スーファミ)です。
そのうちPHS(ピッチ)が使われるようになって、家電(いえでん)の子機との違いってなんだろう、なんて考えたりもしたっけ。公衆電話からPHSへかけるとめちゃくちゃ高額でコインがすぐに無くなってテレホンカードがありがたかったけれど、そんな公衆電話は過去のものになっちゃいましたね。初めてのEメールアドレスは、チリから留学帰りの同級生に手伝ってもらい、高校の図書室のパソコンで作りました。
ポータブルプレーヤーは、カセット・CDに注いでMDなんてものが登場したけれど、短命でした(わたしは結構愛用してたんですけどねぇ)。自分の携帯電話を持ち始めると手軽に写メできるようになり、それがあったのでフィルムカメラからデジタルカメラへの移行に抵抗がなかったように思います。
大学ではノートパソコン(ラップトップ)を活用。Wordで作成したレポート提出は真新しく、ノーパソで覗くインターネットの世界は、情報���海でした。ちなみに、電子辞書は重量と検索速度の面では大いなるメリットでしたが、ひいた単語は記憶には留まりにくくなりました。最近、紙の独日辞書をランダムに開いてそのページを音読するという「遊び」にはまっています。

ペンパルはもはや手紙と切手ではなくインターネット上。外付けカメラをノーパソにセットしオンライン通話をすれば、リアルタイムで世界の友人と“会え”ましたし、ウェブカメラではハンブルクの港を見て、インターネットラジオではドイツのラジオ番組を聴く。そうして、わたしのドイツへの望郷の念は癒やされたのでした。
子育ての最初の何年かは、ベビーモニターのお世話になりました。掃除はロボットとの共同作業。いま、夜中のソファーで思考を書き留めるガジェットはもっぱら、スマートフォン(スマホ)。電話も、メッセージも、ドイツ・日本間のオンライン通話もスマホがあればできちゃいますね。そうそう、電気自動車が家族のクルマになったことはあったけれど1度きりで、再度ガソリン車に戻りました(電動アシスト自転車は、毎日の暮らしに欠かせませんよ)。
そして、デジタルガジェットがAIを備える時代へ。
◇◇◇
激動の変遷! わたしや同世代が目の当たりにしてきた、ライフスタイルを一変させてしまうようなガジェットの連発は、これからまた起こるのでしょうか?
また、息子しかり、人生がスタートしたばかりの世代はわたしから見れば「全て揃っている場所」にいます。これまでの世代が、猛烈に進めてきた機械化・デジタル化を過去にして、彼らは未来をどのように生きていくのでしょうか? 非デジタルで唯一のこの地球で、ひとつの有機物として。
1 note
·
View note
Text
今みんなが見てるアニメはこれ! 「Amazonプライム視聴ランキング」3位は『ドラゴンボールDAIMA』2位は『ギルます』1位は…【2025年2月版】
2/10(月) 8:52配信75

『ギルドの受付嬢ですが、残業は嫌��のでボスをソロ討伐しようと思います』(出典:Amazon)
新旧問わず世界中のアニメや映画が視聴できる「Amazonプライム」。2月の視聴ランキングは『ギルドの受付嬢ですが、残業は嫌なのでボスをソロ討伐しようと思います』をはじめ、異世界転生およびファンタジーものが多数ランクインしている状況です。 【画像】猫猫に癒される日々が帰ってきた! 『薬屋のひとりごと』など人気アニメの場面カットはこちら! 今回は「Amazonプライム2月の視聴ランキング(日本)」の上位3作品のアニメを紹介しつつ、ランキング結果の分析を行います。気になる作品があれば、ぜひチェックしてみてください。 本記事は、Amazon.co.jpのプライムビデオ視聴ランキング(2025年2月9日16:00現在)に基づいてランキングを集計しています
Amazonプライム2月の視聴ランキング:3位『ドラゴンボールDAIMA』
累計発行部数約2億6000万部を超え、今もなお世界中で愛されている伝説的漫画『ドラゴンボール』の完全最新アニメシリーズ『ドラゴンボールDAIMA』。10月の放送開始から初のトップ3入りを果たしました。 原作漫画では見られなかったベジータのスーパーサイヤ人3の姿が話題を呼んだり、さらにクライマックス突入をアナウンスする予告がアップされたりと、2月28日の最終回へ向けて現在注目度が上がっている状況です。 ストーリーとしては、大魔界の王・ゴマーの悪だくみで、悟空やベジータを含む魔人ブウとの戦いに関わった戦士が小さくなってしまうという展開から始まります。仲間を助け、体を元に戻すため、宇宙船(作中では「飛行機」と呼称)で大魔界を冒険する物語です。 魔人ブウ編でダーブラの登場と共に現れた謎の設定「暗黒大魔界」は一体なんなのか……これまでほとんど触れられることのなかった『ドラゴンボール』の真相に迫るシリーズとなっています。原作はもちろんストーリー、キャラクターデザインのほか、大魔界やガジェットのデザインなどに原作者・鳥山明先生が深くかかわっており、独特な世界観が楽しめるのも魅力の1つです。 子供の姿に戻ってしまうという設定自体は『ドラゴンボールGT』を彷彿とさせるところがありますし、如意棒を使って戦う悟空の姿で無印の『ドラゴンボール』を思い出す人も多いかもしれません。賛否両論が飛び交う本シリーズですが、今までと似ているようで少し違う、不思議な世界を旅する悟空たちの活躍をぜひ一度見てみてください。
Amazonプライム2月の視聴ランキング:2位『ギルドの受付嬢ですが、残業は嫌なのでボスをソロ討伐しようと思います』
ギルドの受付嬢が実は最強というエキセントリックな設定の異世界アニメ『ギルドの受付嬢ですが、残業は嫌なのでボスをソロ討伐しようと思います』が2位にランクイン。原作は第27回電撃小説大賞の金賞を受賞したライトノベルです。 異世界ファンタジーと言えば、勇者やハンターがモンスターをどんどん倒していく作品をイメージするかもしれません。しかし本作の主人公は残業したくないことを願う一見普通の受付嬢。冒険に出たり戦ったりするのを好まず、安定安全定時で帰れる穏やかで丁寧な暮らしに憧れる、まるで現実に生きる我々のようなメンタリティーの女の子です。 公務だから収入は安定しているし、福利厚生や終身雇用まで保証されている最高の仕事として紹介されるギルドの受付嬢。転職が当たり前になりつつある現代日本に生きている我々としては、なんともうらやましい仕事です。 しかし現実と同じく主人公アリナ・クローバーの生きる世界の仕事にも、理想とは違う部分はあるようで、その最たる例が残業……。ダンジョン攻略が滞るとカウンターは大混雑。厄介な客への対応、厄介な雑務の数々で、いつの間にか定時をとっくに過ぎていることも。主人公アリナはなんだか共感せざるを得ないような環境に置かれているのです。 こんな残業地獄はもう嫌だと、アリナは立ち上がり、諸悪の根源であるダンジョン攻略へ単身向かいます。誰も倒すことができなかったモンスターをアリナは、大槌(ウォーハンマー)で瞬く間に討伐。それもそのはず、アリナは街では「処刑人」という通り名で知られる謎の凄��冒険者だったのです。 しかしギルドの受付嬢は副業禁止の仕事。バレたらクビにされてしまうと怯えていたら、実は素顔を見られていて……。アリナは安定の公務員ライフを維持できるのか、妙に共感してしまう異色のファンタジーが始まります。
Amazonプライム2月の視聴ランキング:1位『薬屋のひとりごと』
『ドラゴンボールDAIMA』や『ギルます』を抑えて、見事1位に輝いたのは、中華風のとある大国を舞台に、薬師の少女が活躍する一風変わったミステリー作品『薬屋のひとりごと』Season2。Season1の放送当初から高い人気を獲得していた本作。まさしくファン待望の最新シリーズが始まったということで、冬アニメとして登場以降、一気にランキングを駆け上がり首位を獲得する格好となりました。 街で薬師をしていた少女・猫猫(マオマオ)がとある事情により後宮で毒見役に任命され、陰謀渦巻く後宮で起こる事件に、その類まれな推理力と薬学知識などを駆使して、立ち向かっていく物語です。登場する薬学知識の細かさはSeason2でも健在で、独特な発想と共に語られる含蓄のある説明はやはり魅力的です。 薬学のみならず、服や水路の構造など、作中で登場するものには何らかの合理的な意味が与えられており、極めて説得力のあるフィクション世界が構築されています。Season2では隊商(キャラバン)が訪れることで、またもや後宮で不穏な動きが見られるようになり、猫猫の推理がさらに冴えわたります。 後宮のデザインや中華風の衣装、身に着ける装飾品、髪型など細部へのこだわりが強く、どこを切っても画面映えする美的センスの高さも人気を支えているポイントと言えます。 『薬屋のひとりごと』と言えばSeason1の時から音楽に力を入れており、緑黄色社会「花になって」は2025年2月時点で約1600万回という驚異的な再生数を記録。Season2のオープニングテーマ幾田りら氏の「百花繚乱」も公開されて間もないですが、すでに約360万回再生されており、高い評価を集めています。物語や画作り、音楽のどれをとっても良質で、Season2も見逃せない作品に仕上がっています。
Amazonプライム2月の視聴ランキング:トップ10
10位:『アオのハコ』 9位:『アラフォー男の異世界通販』 8位:『悪役令嬢転生おじさん』 7位:『八犬伝』 6位:『SAKAMOTO DAYS』 5位:『Dr.STONE』 4位:『俺だけレベルアップな件』 3位:『ドラゴンボールDAIMA』 2位:『ギルドの受付嬢ですが、残業は嫌なのでボスをソロ討伐しようと思います』 1位:『薬屋のひとりごと』
Amazonプライム2月の視聴ランキング:異世界転生およびファンタジー作品が躍進! 転生作品は“おじさん”のものになりつつあるのかも?
2025年2月の視聴ランキングは、しばらく低調だった異世界転生ものやファンタジーものが上位に多数入る結果となりました。異世界転生ものとしては、2位の『ギルドの受付嬢ですが、残業は嫌なのでボスをソロ討伐しようと思います』、4位の『俺だけレベルアップな件』、8位の『悪役令嬢転生おじさん』、9位の『アラフォー男の異世界通販』の4作品がランクイン。8位と9位に“おじさん”を主人公としたコンテンツが並んでいるのは、少し面白いポイントかもしれません。 昨今は若者が転生する話よりも『転生したらスライムだった件』や『片田舎のおっさん、剣聖になる』など、中年男性を主人公とした作品が多く見られ、視聴者の年齢層が上がっていることが予想されます。3位の『ドラゴンボールDAIMA』も子供に若返って異世界を旅するという構造を取っているため、形としては上記の作品群とつながるところがあります。 依然としてジャンプ原作のアニメの勢いは強く、3位の『ドラゴンボールDAIMA』、5位の『Dr.STONE』、6位の『SAKAMOTO DAYS』、10位の『アオのハコ』の4作品がランクイン。Season2を迎える1位の『薬屋のひとりごと』をはじめ、同じくSeason2の『俺だけレベルアップな件』、第4期の『Dr.STONE』など一定のファン層に支えられているシリーズものは3作品がトップ10入りを果たしている状況です。
Fav-Log by ITmedia
1 note
·
View note
Text
今井祝雄を見て"amachi."を想う

こんばんは。
・
電車に揺られて、当初は神戸市立博物館で開催中の「デ・キリコ展」でも見に行こうかと思っていたのだけど、綺麗な青空を車窓から見ていたら、なんとなく芦屋市立美術博物館に行きたくなった。
・
車内アナウンスで「芦屋」の案内が流れると、一瞬悩んだものの思い切って席を立った。

「今井祝雄 - 長い未来をひきつれて」が9/14から11/17まで、芦屋市立美術博物館で開催されている。
興味があって、チェックはしていたもののまさか、こんな軽いノ��でくることになるとは思っていなかった。
・
僕が前回、芦屋市立美術博物館を訪れたのは2016年の春のこと。
「美術と音楽の1日」という企画で、コンサートと美術展が開催された展示以来となる。
・
気持ちの良い音と、時間が経過することで表情を変える天井からの光が美しかったことを思い出して、こんな気持ちよく晴れた日にはぴったりな美術館ではないだろうか。
8年前の記憶を辿って訪れることにした。
・
芦屋市立美術博物館は、ひっそりと閑静な住宅街の中にあるものの、海の気配を感じるような気持ちの良い場所だ。
・
街にある大きな美術館とは違い、街に溶け込むようにひっそりと佇む美術館だ。

今回の企画、「今井祝雄 - 長い未来をひきつれて」は、今井祝雄のこれまでの活動を「現在」・「70年〜80年代」・「60年〜70年代」と過去へと遡り、振り返る展示だ。
・
具体のメンバーとして活動を始めた今井。
「空間」・「時間」・「現象」・「存在」といった根源的なテーマを軸に制作を行う作家の姿勢や眼差しを、過去へと遡りながら振り返ることで、今井の作品の根幹へと繋がる展示構造が刺激的だった。
・
また、作品の横には、今井が掲載された雑誌などのインタビューも抜粋されて掲示されることで、一層作品を楽しむことができる。
・
「空間」・「時間」・「現象」・「存在」といった根源的なテーマを軸に作品を制作するということを先ほどお話ししたけど、今回の展示を通じて制作のプロセスの中で生じる「現象」の可視化、「時間」の堆積といった点を感じることができた。
・
「作品とは完成を目的としない思考と行為の副産物であるという考えは。70年代から変わらないものとあらためて思います」
・
そのように話す今井。
つまり、制作プロセスの可視化が作品となる。
���空間」・「時間」・「現象」・「存在」に対するアプローチ、その結果が作品となっているに過ぎないのだ。

瀑布 - ビデオの時代 (2024年)
VHSのテープが滝のように上から落ち、下に堆積する。
録画し、記録した時間の堆積を感じることができる。


デイリーポートレート (1979年〜)
1979年から続ける、自身のポートレート。
前日に撮った自身のポートレートを手にして撮影をすることで、過去と現在を繋ぐ。
時間の堆積、ポートレートを撮影するという行為の可視化とも言える。

タイムコレクション (1981年)
ブラウン管に映し出される様々なテレビ映像を、一定時間シャッターを開放して撮影した作品。
数秒単位で変わる画像の積み重ねは何を示すのか分からなくなり、テレビ画面に変わらず存在する時間表示だけが読み取れる。

時間の風景 / 阿倍野筋 (1977年)
信号の赤と青に塗りつぶし、走る車と歩く人を二重に写した作品。
空間は定点でありながら、その空間に流れる時間の差異を一つの画面に同居させた。

Red Light (1976年〜1977年)
赤信号になった瞬間にシャッターを押すことで生まれる、偶然性によって生まれた風景写真とも考えられる。

SQUARE - glass/grass (1970年 / 2013年)
夏のある日。草の上に透明のガラス板を置き、その空間における現象の変化を記録した作品。

左:白のセレモニー ・90度 (1967年 / 2013年)
右:白のセレモニー HOLES 3 (1966年)
空間に落ちる影や光も作品の一部であるという考えから、空間そのものを作品として提示した。
・
���のように、今井の一貫した「空間」・「時間」・「現象」・「存在」といった根源的なテーマを、多くの作品を通じて感じることができる展示だった。
「空間」・「時間」・「現象」・「存在」というテーマは、どの時においても誰しもに、平等に与えられているものである。
そんなテーマを扱った作品に触れることで、私たちも「空間」・「時間」・「現象」・「存在」に対してこれまでと異なった眼差しを向けてしまうのだ。
・
また、今井のこのような作品に触れることで、「偶発性」という言葉も合わせて紹介したい。
作家の制作プロセスの可視化は、そこに映し出される風景は作家の支配下を離れ、偶然映し出された風景であったり、時間であったり、現象である。
・
ここ数年、僕自身がそういった偶発的というか、自分のコントロールを離れる環境に、出来る限り身を置く時間を作るようにしている。
行き先をルーレットで決めてみたり、事前の下調べを最低限に留めて、出会いをその時に委ねたり。
もっと身近なことで言えば、晩御飯の買い出しをその日の特売を見て決めたり。
・
インターネットやガジェットの普及によって、無数の情報にアクセスが可能となった社会において、SNSやサブスクリプションといったサービスは自分の思考や行動を、ある方向へと強めていると考える。
情報化社会において、私たちが目にする投稿であったり、広告というものは、そういった過去の検索履歴を元にして選ばれている情報になるのだ。
知らず知らずに私たちの思考や行動というものは、ある一定の方向へと導かれている。
・
例えば、選挙において自分の主張や主義は、SNSで大数を占めているような錯覚に陥る。
しかし、いざ蓋を開けてみると、世間とは乖離しており、自分の投票した支持者が負けているなんてことはよく経験することだ。
・
だからこそ、そんな情報化社会によって導かれる道から外れるために、自分の意図しない偶発的な出会いを求めている。
・
「今井祝雄 - 長い未来をひきつれて」で、今井の作品に触れることで、「空間」・「時間」・「現象」・「存在」を通じた、作家のコントロールを離れた風景というものは、改めて僕自身にとても刺激を与える展示と作品だった。
・
さて、僕はこの展示を見ながら、この展示に"amachi."の服を着て訪れれば良かったなんて思った。

今井と対象は異なるかもしれないが、"amachi."は自然の観察を通じて、作品へと落とし込む。
そして、時に、自然にデザインを委ねるような手法も取る。
ある種、"amachi."の発表する服というのは、"amachi."が行った自然の観察結果とも言える。
・
雪が堆積したようなデザインのニットは、実際にデザイナーが雪の降る日に外に出て、服の上に雪が堆積した部分をトレースし、デザインへと昇華させている。
・
また、実際に降ってきた雪の結晶を顕微鏡で観察し、そのまま刺繍に落とし込むといったアプローチをとったアイテムもある。

2つの天然染料を使って生み出したシャツの色は、1着ごとに色の入り方も異なり、色のムラが存在する。
・
雨の降る日に外に出て、雨に濡れた部分をトレースしてニットの柄に落とし込んだこともある。
・
多くを紹介すればキリがないことなのだが、確かにデザインはきちんと考えられているのだけど、自然に委ねる余白の面白さ。
自然という現象の可視化であり、偶然の積み重ねによって当店に到着しているのだ。
・
目を向ける眼差しは全く異なるし、作品も全く異なるのだけど、僕は今井の作品を見ながら、"amachi."の服のことを思ってしまった。
この日、気持ちに任せて、ふと芦屋で降りたという行為もそれはコントロール不可の状態だったのかもしれない。
そんなことを思いながら美術館を後にした。

帰り道。
僕は、Googleマップを放棄し、気の向くままに歩いて帰路についた。
駅から10分ちょっとの美術館。
帰りは1時間かけて歩いて帰った。
・
芦屋川の河口。
大阪湾の夕暮れ。
じめっとした潮風。
波の音。
・
その全てが、そのまま駅へと向かえば出会いない風景であり、時間だった。
その気持ちよさを一層感じた1日となった。

0 notes
Text
来年こそこれになりたい。あこがれている「暮らし」のyoutubeチャンネル4選
こんにちは。この記事は以下のアドカレの12月2日向けの記事です。
12月2日の記事なのに12月20日に投稿されてる? なんなら12月1日から19日までの記事が12月20日以降に投稿されてるって? ああ、これただのバグですよ。バグ。ふふ。
まったく丁寧な暮らしができない私という人間が、憧れの目でちょくちょく眺めているyoutubeチャンネルがいくつかあります。 本当に素敵だと思ってるのでこの機会に皆さんにも是��見ていただければなと思って紹介することにしました。
はじめのあたりの記事があんまり気合い入りすぎててもよくないのでサクサクやっていきますね。
まずはこれ。NIKO LIFEさん。ほんとにこの空間で生きてるの?マジ?っていつも思いながら眺めてます。私がゲーム実況見てる間にきっとこの方は雑貨の手入れしたりかわいい器で飲み物飲んだりしてるんだと思う。そしてそういうことを優先してるっていうのは、何より自分のことを大事にしてるんだろうなあって。「いいなあ。」っていう気持ちになります。
次はこれ。器のある暮らしさん。丁寧に丁寧に丁寧に食卓を用意してて、先日松屋のうまトマチキンの感想を投稿していた私にはまぶしすぎる。どっちも美味しいけどね!私が旦那さんだったらこういうの見るたびに自己肯定感あがっちゃうな。すごい愛されている気がしちゃうとおもう。季節を意識した食材が多くて、日本の移り行く季節を感じられるような食卓だなって思います。
3つ目はこれ。おいしいは嬉しいさん。ジャミロクワイのベースの方の奥さん(日本人)がやってらっしゃるチャンネル。最近ご病気がみつかっていろいろ心配ではありますが、その中でも静かに豊かに暮らしてる感じがして、心に沁みます。お子たちとのお料理動画は絵物語かな?とおもうほどあたたかさと豊かさにあふれています。
4つ目はこれ。ちーとん。さん。毛色の違うチャンネルもってきたとおもったでしょう。ぜひ動画をみてみてくださいよ。ゲテモノをまずいまずいと騒いで食べるチャンネルとは一線を画す知識と経験で、丁寧に説明し、調理し、時にはお子さんにも自然について説明をしながらできるだけ美味しいものをつくってきちんと食べてるチャンネルなのです。石を削って石焼ビビンバ作った回は本当にうらやましかった。おいしそう!たべたい!とおもっても、私はたぶん死ぬまで同じものは食べられないでしょう。これもまた豊かなくらしのひとつの形だと思います。来年はもっと自然に触れたいなあ。
てな感じで紹介おわり。もっといろいろ紹介したいチャンネルはありますがそれはまたちょこちょこSNS投稿でやっていきたいと思います。
ではでは皆さん良いお年を。
1 note
·
View note
Quote
パックを開けなくても牛乳が新鮮か分かってしまうアプリ 2024.11.07 07:00 author 岡本玄介 世の中にはパック詰めしたは良いけれど、飲み切ることなく腐ってしまい、捨てられる牛乳がけっこうあるのだそうです。口が開いていればグラスに注いで目で見たり、臭ったりして確認ができます。でも未開封だと状態が分かりませんよね。 この牛乳、まだ飲める? シドニーにあるニュー・サウス・ウェールズ大学では、スマートフォンが持つ機能を活用した検知アプリ、「VibMilk」の開発が進んでいます。 パックの横に貼り付けてアプリを起動すると、中の液体の揺れで振動信号を読み取り、機械学習アルゴリズムの解析で23段階のpHレベルに振り分けるとのこと。 新鮮な牛乳は値が6.6ですが、腐るにつれて凝固していき、4.4で完全に腐った状態になります。 知っておきたい、AI時代のPCの選び方 知っておきたい、AI時代のPCの選び方 Sponsored by HP Japan Inc. 241106_milk2-1 Image: UNSW 大量に廃棄される牛乳を救おう 世界では毎年、乳製品の20%が廃棄されているとのこと。そのほとんどが牛乳だと考えられています。食品廃棄物の削減と、食品の安全性向上が主な目的でこのアプリが生まれたのだそうです。 飲めるという判断もできる たとえ賞味期限内でも、管理が悪いと傷んでいる可能性もありますよね。逆に保管状態が良ければ、賞味期限を過ぎても飲めることもあるかと思います。 特に牛乳が不足している時期や、食糧不足の地域ではこのアプリは重宝されるでしょう。 みんなが持ち歩くガジェットになるかも みんなが持ち歩くガジェットになるかも Sponsored by Nicebuild LLC 使い方がチョイ面倒 パックの横に貼り付けるには、現状だとセロテープを使うことが推奨されています。野暮ったいですが、悪臭を嗅いだり味わうよりマシですよね。 Source: UNSW, IEEE Xplore via NEW ATLAS
パックを開けなくても牛乳が新鮮か分かってしまうアプリ | ギズモード・ジャパン
0 notes
Text
【工事不要】地獄のようなコンセントを「3口+USB充電対応」へアップデートした話
Photo:小暮ひさのり日本中のご家庭の充電・電源問題、これで解決できるのでは?最近のガジェット、どれもUSB充電。今やUSB充電器は必要不可欠であり、どこのご家庭も電源タップからニョキニョキと生えていることでしょう。例に漏れず僕の家もそうで、子供部屋の壁コンセントが気がつけばこんな感じ(before)でした。カオスすぎる…。この地獄のような状態は見た目にも良くないし、なんだか危険な気配もするので https://www.gizmodo.jp/2023/11/polaris-cube-wall-usb-pd-65w-review.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=tumblr GIZMODE JAPAN
0 notes
Text
The Sequential Vector
追悼デイヴ・スミス そして祝Sequential TRIGON-6発表

「You've got to keep moving forward.」 「いっつも前を向いて進んでいかなきゃね」 (上段:Dave Smith Instruments PRO2英語取説より。 下段:同Nemo版超訳)
上記、レジェンダ��ー・エンジニアのお言葉。
そりゃ確かにほんまにほんまに新しいものを作ったのかと詰め寄られると、ものすごくざっくり申し上げるならMoogと言えどパテントをとったのはトランジスター・ラダー型VCF回路のみ。名門Sequential社を興したデイヴ・スミスに至ってはありものの組合せで済ませているわけだが、ただその組合せ方というかアレンジが絶妙に新しいと言える。
事実Prophet-5が名機なのは決して日本でYMOおぢさんらが神格化して礼賛するからではない。過去は知らない。歴史なんてどうでもいい。今ここで実際に音をつくってみると何をどうひねってもどこをどうひねっても面白い音がするからだ。スイートスポットが広い、もはやスイートゾーン?
電子楽器の司馬遼太郎をめざす者と言えど、名刀その切れ味その音色あざやかなるを知るのに歴史は無用。切り捨て御免。そしてそれを音に語らせるデイヴ・スミスの名機、その数々。
そのデイヴ・スミスが口ぐせのようによく言うのが冒頭に掲げた言葉:
「You've got to keep moving forward (いっつも前を向いて進んでいかなきゃね)」
だから基本的に復刻はしない。Prophet-5 Rev4? あれって復刻? Rev4ってことは新バージョンなんちゃうのん? 俺様だけがプロフェットを次のステージへ持っていける、どこぞのパクリ屋とは違うぜ!というやばいメッセージ。真似されるくらいならセルフカバーする。しかも単なるカバーにあらず、永遠に進化し続けるプロフェットその最新版。その生みの親としての誇り高き宣言がRev4。その象徴的な橋頭堡がRev3で止まらずにRev4まで回るVintage Knobだとしたら?
しかもRev4が全てそろって安定して理想状態だったとしても、何をどうそろわせるか、どう安定させるかにはメーカーの意図があり、その帰結たる音はメーカーからのメッセージなわけ。だって揃った結果が面白くない凡庸な音だったら意味ないし、そこはメーカーが描く理想の音を込める余地があるはずです。
最新型プロフェット5ことRev4サウンドに未来を聴く、ベクトルが指し示す未来を聴く。
しかも彼はつねに新しい機種をつくる。だから彼のラインナップは統一性が無く、ありていに申し上げれば散らかし放題すっちゃかめっちゃか。把握しづらい。MaxとかTetr4とかってあったよね? マルチティンバーのフルアナログシンセ、操作性に難ありで消えてしまった。でもそれら無秩序な機種ラインナップは、ほとばしる彼の創造性が描く樹形図なのだ。だからどの機種もみんな骨太の個性派ぞろい。理解するには難しく、発散はなはだしく、安易に飛びつこうものならやけどするぜ! でもオキニの機種が見つかれば一生もん。
生い茂る精鋭のラインナップ。100人中3人しか振り向かないかもしれないが、その3人のハートはガッツリわしづかみにして離さない。そしてこれを生み出したSequentialというメーカーが示したベクトルを、そのファウンダーへの追悼として描いておきたい。前進あるのみ!と微笑む彼のためにも。私たちが前進するためにも。
♬ ♬ ♬
Act I 「たまたまいろいろ作れてしまう人」
デイヴィッド・ジョゼフ・スミス(David Joseph Smith)はミュージシャンではない。ホビイストである。
ボブ・モーグならテルミン、ロジャー・リンならギター、皆さん立ち返る原点があるのであり、だからこそボブさんがMoog社を再起動させるべく最初に作ったのは現代版テルミンであり、ロジャーはlinnstrumentという近未来的フレット楽器に回帰した。
しかしデイヴ・スミスには回帰する楽器がない。彼は趣味としてギターやベースをたしなむ程度。ピアノはもっと適当。お気楽な感じで仲間とバンドを組んでギターを弾くことはあってもガチなプレイヤーではなくホビイ。
ホビイといえば彼、なんとスポーツ大好き人間。のちにハワイのアイアンマン世界選手権なるトライアスロン競技大会に参加したこともある。とかくサイクリングに登山、趣味がアスリートであった。さわやかですねぇ。
♬
たしかに彼が暮らしていたサンフランシスコ湾岸には、すでに60年代から人工知能を開発していたスタンフォード大学があり、やはり60年代から同大学にてチョウニング博士がFM音源を研究していたのであり、同地域にはかのMoogとならぶシンセの始祖なのにぶっちぎりとんがりすぎた影のシンセメーカーBuchla社もあり、天才デイヴ・ロッサムが大好きなキメるヤクから名付けたE-mu社、シンセのチップメーカーとして押しも押されもせぬ存在となるCurtis社、そして充実した濃いぃ内容を誇る米国キーボード・マガジンの本社も生まれたばかり。
この、やがてはシリコンバレーへと変貌してゆく最先端ハイテク産業エリアにて、既存の体制に反発する若者たち、ヴェトナム反戦、ドラッグでトリップ、ラヴ&ピース、いぇ〜いとなっていたアメリカ西海岸カウンターカルチャー反骨精神がぱんぱんに充満する中、毎日まぶしい晴天、からっと乾いたカリフォルニアの風がそよぐ空の下、のびのびと自由な空気を胸いっぱいに吸いこんですごす彼デイヴ・スミスは、それでもごくごく普通に航空産業ロッキード社のソフトウェア・エンジニアとして暮らしていた普通の二十代の若者なのであった。
ただハードではなくソフト担当であったというところは、やはりデジタル産業シリコンバレーto beな場所に負うところが大きいのかもね。それに彼は1950年生まれ。のちに西ドイツでPPGを興したヴォルフガング・パームとタメ。戦前生まれのロバート・モーグやトム・オーバーハイムと比べても戦後生まれかつ15歳ほど若い、よけいデジタルには馴染みがあったであろう。しかも同い年のヴォルフガング・パームが子供のころから既にフォースが強い選ばれし者だったこと、それが鬼気迫るぶっちぎりの最先端をつっぱしる鬼才発明家になったことを思えば、対照的にデイヴ・スミスはただのおおらかメリケンなホビイストというところから、のほほんと始まったのだ。
♬
そんな彼が仲間からすごい楽器が新発売されたから見に行けよと言われ、わけもわからず楽器屋でご対面したのが発売されてまだ日も浅い初期ロットのMinimoog。音楽とエレクトロニクスの出あいもん、むぅっちゃ新しい! でもしょ〜もない新車が一台買えるくらいの値段もする。道楽がすぎたのであろうか彼はロッキード社員融資を使ってなんと1台お買い上げ! ホビーのために融資までしてもらって迎えられたMinimoogさんも幸せ。まだ手元にあるとかって言ってなかったっけ。
自宅で趣味まるだしにMinimoogで音を作ったり弾いたりしているうちに、自分用に周辺機器がほしくなったデイヴ・スミス。ひとまずちゃちゃっとガジェットをこしらえてみたものの、ひょっとして他にもほしがる人がいるかもしれない、ふとそう思って売り物になりそうなものを作ってみた。
彼が最初に作ったのは16ステップ3チャンネル・アナログシーケンサー。なんでって当時シーケンサーと言えばでっかくて高価なMoog 960アナログシーケンサーしかなかったから。それに手弾きしなくて鳴るってのもホビイストにとっちゃあ、うれしいかもね〜。
ただ、この時点で彼はあくまでユーザーとしてつくってみただけで、決してガチなメーカーとして作った覚えはない。
そもそも彼は楽器メーカーを興す気などまるでなかった。自作シーケンサーなどのガジェットは週末にこしらえるウィークエンド・プロジェクトとして作って売ろうと思ったまで。二次創作にも近いのかもしれない。
ともかく小さく安く作ってみたのがModel 600。屋号はSequential Circuits。シーケンサーつくったんだからSequential(シーケンシャル:順番に動作する)、でも他にもなんか将来つくるかもしんないし音楽とか楽器とかじゃないかもしんないし其のうちパソコンを使った何かも作ってみたいなぁ取り敢えず漠然とCircuits(サーキッツ:いろんな回路)、ほんでSequential Circuits(シーケンシャル・サーキット:順番に動作するいろんな回路とかまぁそのあれだそのうちいろいろなんや知らん作るんちゃうかぁくらいには思てます的な:超訳 by Nemo)。
名前に含みをもたせただけのことあって早速おもしろいのはModel 600に「Sequencer and Complex Wave Generator」とサブタイトルをつけたこと。というのも一足早くE-muを立ち上げていた天才デイヴ・ロッサムの門を叩いてアドバイスを乞うたところ、流石ロッサム、シャープな切れ味するどく彼が言うには
「あんたにとっちゃゼロから設計すんのってめんどっちぃだろうからさぁ、うちのE-muモジュラーで使ってるちっちゃいVCOサブモジュールあげるよ、それ使いな。Moogのよりピッチが安定してるぜ、岩みてぇによぉ♬ 」
ってな感じで気前よく譲ってくれたおかげでそれを組み込んで設計。
かくして単なる16 ステップ x 3チャンネル・アナログシーケンサーとしてのみならず、可聴域でぶん回せば最大48ステップで1周期を描く複雑波形オシレーターとしても使えるようにしてみた次第。ぶん回しながらリアルタイムでノブをひねっていけばどんどん波形が変わるんじゃね? もうこれ1基だけでモノシンセたりうるポテンシャル。さしずめ自由波形ジェネレーター! その自由過ぎる波形こそがSequential初のシンセサイズ、その自由すぎる産声だったのである。
基礎技術に長けた天才テクノロジー野郎デイヴ・ロッサム。 応用技術に長けた天才ホビイスト野郎デイヴ・スミス。 技術開発と商品開発。 テクノロジーとプロダクト。 2人のデイヴ。 2人のエンジニア連携プレイお初。
アナログシーケンサーなのに高速回転させれば音が出る!というのでツウな数寄者たちからは「なんやしらんえらいまた若いもんが気の利いたおもろいもんこしらえてきよったで」と噂になったのだとか。
この時点でもまだ楽器メーカーを興す気など毛頭ない、ただ単に「たまたまいろいろ作れてしまう人」。
え、ちょっと待って。さっき「其のうちパソコンを使った何かも作ってみたいなぁ」って言ぅてたけど、それって70年代巨大メインフレーム・コンピュータービジネス?まさかメインフレームでDTM?いやいや、まだまだこの時点ではば〜くぜ〜んとして、クラウドなみに雲をつかむような話。
このフォーカスも定まらないままになんとなぁ〜く作れちゃう、しかもソフトも作れてしまうというところが、彼をしてカテゴリーを超えた間口の広さを与え、その間口の広さが業界標準となった名機シンセやはたまた世界標準となった通信プロトコルなどを発明せしめることになろうとは、だが誰が予想しえたであろう。
しかもデイヴ・スミスの場合、それらは気の利いたものなのだ。分かってるねぇ!と思わせる気が利くアイテム。これがデイヴ・スミスを生涯つらぬくひとつの通奏低音となる。エンジニアに止まらないアーティスティックなセンス。しかもなんとなぁ〜く作れてしまう。漠としていることは、漠然としていることは、だからこそ実にさまざまな可能性をはらんだ胎動なのであった。だいたい自由波形ジェネレーターが最初のプロダクトだったなんて、自由すぎて素敵じゃないですか。
「たまたまいろいろ作れてしまう人」デイヴ・スミス。
ベクトルが自由な人であるがゆえに許容範囲も広いふところ深い天才ホビイスト、その自由すぎるシンセよちよち歩き、初めてのお使いのようなスタート、とにもかくにもその幕が、ひょとしたら本人すらもが分かっていないまま、ぽわ〜んとここに切って落とされたのであった!
♬ ♬ ♬
Act II 「たまたまいろいろと解が見えてしまう人」
ウィークエンド・プロジェクトとして作ってみたModel 600。とはいえ売り物にする以上、それなりに数を作らないといけない。するとアナログなのでいちいちハンダこてこてめんどっちい。そこでデジタル化したのが弐号機デジタルシーケンサーModel 800。さすがソフトウェア・エンジニア、やっぱデジタルですよ。
さらにプロのライヴで坊やがMinimoogのノブをいちいち目盛りみたくバミってるのを見て、MinimoogやARP2600の音色を部分的に記憶してくれるプログラマーModel 700を開発。目盛りはメモリー。そして「部分的に記憶」というのは音色パラメーターをすべて完全再現するわけではなく、要はCVをいくつかデジタルメモリーに記憶しまとめて一括でシンセへ送るだけ。裏を返せばどんなモジュラーシンセでも部分的に音色設定を記憶できるという、これまた気の利いた粋なアイテム。
Model 700で明らかなように「たまたまいろいろ作れてしまう人」とは「たまたまいろいろ見えてしまう人」でもあった。即ち「それ、こうやったら解決できるよ」というソリューションが見えてしまう、目的と方法ともに見えてしまう透視力を持った天才。
しかもコスト意識のおかげでむやみに仕様を広げたりしない。このバランス感覚は肝要。フォースが強すぎるあまり採算度外視して会社をつぶすヴォルフガング・パームでもない。ヴォルフガング君なら自由波形ジェネレーターを8つそろえていきなり8音ポリ自由波形しかもフィルターレス波形わしづかみシンセをつくらんとして、それはそれでぞくぞくする音、めまいがするお値段、すべてが前人未到の極北プロトタイプだったやも?
かくしていろいろ見えすぎるも、それに対してぽんぽんと気が利くデジタル・ガジェットをこしらえる楽しき日々。
そこへごろんごろんとロール・アウトしてきたるは、ついに出たプログラマブル(音色を保存できる)ポリシンセ実現のための三種の神器すなわちCPU Z80、SSM社製音源チップ群、そしてE-mu謹製デジタルスキャニング・キーボード。でも「たまたまいろいろ見えてしまう人」デイヴ・スミスにとっては、そんな気の利きまくったものをつくるなんてあまりにも自明の理すぎてきっと大手資本MoogやARPがとっくに開発すすめてるにちげーねーってんで放置プレイ。
ところが数ヶ月たっても誰からも何も音沙汰がないゆえ「ならボクがやってみることにした」のが、たまたまいろいろ見えてしまう人が思いついた史上初CPU制御式プログラマブル・ポリシンセ、その名もModel 1000。
そしてこのころには数名を雇えるくらいには彼のものづくりも進展。よって彼はロッキードを退職、ようやく楽器メーカーに専念すべく腹くくった。さりとて個人商店であり零細ガレージメーカーにすぎないSequential Circuits社。そのModel 1000設計にはE-muの天才テクノロジー野郎デイヴ・ロッサムにも助けてもらった。そもそもロッサムはSSMチップの設計にも関わっていたし、同じくロッサムが作ったデジタルスキャニング・キーボードに至ってはよけい貢献。
試しにブレッドボードで1音だけシンセを組み上げてみたらさすが名器SSM、良い音がする♬ コスト意識から5音ポリ。複雑な音も出せるようVCOとEGを流用して周波数変調を実現。しかもソースとディスティネーションとが1対1ではなく1対「多」で変調かかるがゆえ「ポリ」モジュレーションと命名。外観はMinimoogにインスパイアされ木部が美しいアートな仕上がりに。思わず見とれてしまうね。
と言いつつ誰にも見せなかったのだが、ふと試作をリック・ウェイクマンにだけ見せてみたら 「これは型番ではなく、ちゃんと名前をつけるべきだ」
さっそく小さな社内でブレスト。いろんな候補の中にはSeerという名前も出てきた。
・予言者:Seer。未来を予見して語る者、予言者=予見者 ・預言者:Prophet。未来だろうがなんだろうが関係なく、とにかく神の言葉を預かって人間へ伝える者。神の言葉を預かるから「預」言者
どちらもデイヴ・スミス本人の案らしい。
♬
1978年1月、ナムショーでデビューすることになったModel 1000。
しかも当日の朝までかかって徹夜で試作機の不具合を直し、ようやく昼下がりにそれを脇にかかえてナムショー会場に飛び込んだ27歳デイヴ・スミス。
広大きわまりないコンベンションセンターにて開催されるナムショー、いくつもの大ホールにまたがる展示会場。なんせアコースティック楽器もエレクトロニック楽器もメーカーの皆さん出展、スコア出版社に至るまで出展するのだから、ホールがいくつあっても足りないくらい大規模な音楽産業すべてにまたがる祭典、見本市というにはあまりに壮大。
そんな居並ぶ大ホールのひとつにこれまた巨大な地下ホールがあり、そこへエスカレーターで降りながら見渡すと毎年おびただしい数のガレージメーカーたちが蜂の巣みたいに細かくブースをぎっしり並べ、全体でうわ〜〜〜〜〜〜〜〜〜んと群衆のざわめきが飽和し、まるでスターウォーズのエイリアンたちによる有象無象のガジェット市場のようでわくわくどきどき、目にしみるような色彩コントラストと異形の機械たちと雑多な騒音とで充満するホール、あふれる思いに目頭が熱くなる、広がるパノラマ、そのさなかへエスカレーターでゆっくり舞い降りて埋没するように着陸するちっぽけな自分。
そう、歴史とは、名もなき群衆のものではなかったか。群衆こそが、歴史の真の主役ではなかったか。
だが時として漆黒の闇の中から思わぬダークホースが躍り出る。そしてその無名の英雄たった一人に全世界が熱狂して湧くことがある。
それこそ太古の昔、初めて陸に上がって空気にあえいだ肺魚のごときモノシンセMinimoog。そして果てなき大空を初めて征服した始祖鳥のごときプログラマブル・ポリシンセSequential Circuits Model 1000。やがては大海の覇者となる鯨類が突如として浮上するがごときEnsoniq Mirage。あるいはモノマネする知恵と学習にめざめたヒトザルのごときClavia Nord Lead。直近では学ぶ機械というものを目撃するかのごときASM Hydrasynthなのか。
あげくの果てに、眼前に呈された現実を目の当たりにしてもなお
「なんだミニモーグをポリフォニックにしただけじゃね〜か〜ぁ」
と、地下ホールの一角にて大山鳴動ねずみ一匹とばかりに笑い飛ばし片付けてしまった地上界から降りてきたつもりの既存列強メーカーたち。名もなき新人が天界から彗星のようにワープアウトしてきても、まだその意味するところを見抜けなかった地上の大人たち。
上を見ろ。さらに上がある。
若き預言者の顕現。
そのあとの伝説はYMOおぢさんならずともご存知であろう。そう、名機中の名機Prophet-5の誕生であった。
♬ ♬ ♬
Act III 「たまたまピンチが逆に次の時代をつくってしまった話」
さぁ、イケるとは思ったけどいくらなんでもこんなにたくさん!?という大量受注。文字通り看板商品となったProphet-5。シンデレラ・デビューを果たしてしまったSequentialにとって今まで通りちんたら家内制手工業みたいな作り方をしていたのではとてもとてもオーダーを消化できっこない。
だいたい最初期のプロ5などというものは、ご自慢の音色メモリーが時々吹っ飛ぶことがあるという恐るべき信頼性の無さ! ライヴステージでここぞ!というときにメモリーがぱーぷりんになってしまい、破格に打ちひしがれるミュージシャンを輩出していたことは、実はあまり知られていない。きれいなバラには棘がある。伝説のシンセにはぱーぷりんファクターがある。太陽と戦慄?戦慄の旋律!弾いてるほうもピリッとしますわな。
そんなおっとろしい楽器であるにもかかわらず人気はヒートアップするばかり、ありえねー事態。またたくまに1年待ち、いや2年待ちにも達してしまった空前のバックオーダー。チョモランマよりも高いかも知れない受注残伝票の山頂から見下ろしましますビッグネームのお歴々お怒りお電話殺到。ったって工場なんてどないして立ち上げたらええのん?え?ノリ一発?やっちまえって?Oh yeah!勢いで工場をおったててしまったデイヴ・スミス、プロ5の設計を量産に耐えうるようやり直し、かくしてProphet-5は量産型とも言うべきRev.2となった。
♬
飛ぶ鳥を落とす勢いで飛ぶように売れる量産型預言者快進撃!プログラマブル・ポリシンセという新しいマーケットを切り拓いた若きニュータイプ、新時代の寵児デイヴ・スミスの名は全地球に轟きわたれり!
だがオーバーヒートせんばかりの人気の一方、今度はSSMチップの歩留まり(不良率)がひどすぎてどうにも生産数を確保できない。アイムソーリー謝り営業サーセンばかり続いて売り逃しも重なる中、やがてついに体勢を建て直したトム・オーバーハイムから逆襲のOB-Xファイア! そのままElka Synthex、Roland Jupiter-8などと各社からもフォロワー艦影多数! ぼやぼやしてると大事なお客様をライバルに奪われかねんゆゆしき事態、堪忍袋の緒が切れたSequential社は根本的にSSMチップをやめてCurtis社のものに乗り換え、回路設計を全面改訂。これがRev.3。見た目は同じでも中身はまるで違うものに。経営はつらいよ。
一方、じつはそのころデジタルスキャニング・キーボードをSequentialへライセンス提供していたE-muはE-muで、めんどうな訴訟問題に直面していた。
ほんとうは我こそがデジタルスキャニング・キーボードを発明した者なり!とか、いやどのみちそのパテントはオルガンに限定した話でシンセでは無効ですよとか、E-muの特許をめぐっていろんな人がいろんな事を主張しはじめたから大変。ひょっとしてひょっとして、かつてオルガンが最先端電子楽器だったところへ新参者みたいなシンセ市場が急拡大したのでいろんな人が注目しはじめたんでしょうかね知らんけど(要出典)、ともかく訴訟は幾年にもわたってぐだぐだと足を引っ張る。最終的にE-muは法廷で勝ったものの全面勝訴でもなくいくつかの主張は取り下げざるを得なかったらしい。
そんなわけでE-muへライセンス料を支払うメーカーは、徐々に減少していたとも言われる。SequentialといえどProphet-5におけるデジタルスキャニング・キーボードとSSMベースの旧タイプ基板設計という2つのライセンス料を律儀に払う根拠がグレイになってきた。じゃあもういいんじゃね?とばかりに支払い停止をE-muに通知したSequential。ところがこんなときに限って密かに未来への生命線とすべく次世代巨大アナログシンセAudityを開発中だったE-mu、ここにプロ5Rev.3のライセンス料を支払うべきかをめぐって訴訟勃発。最後は和解金で決着がついた一方、これがE-muをしてサンプラー市場へ、コンテンツ・ビジネスへと跳躍するきっかけとなった。
♬
知的財産権とその解釈をめぐる攻防、結果的に電子楽器をPCMサンプリングという次のフェーズへとドライヴした面もあったとなっては、日経ビジネスばりに示唆に飛んでますね。人生ほんま分からんもんです。経営はつらいよ。
そしてそんなビジネスのごたごたなんかよりも「たまたまいろいろ作れてしまう人」デイヴ・スミスは「たまたまいろいろ見えてしまう」がゆえに遥か彼方に聴こゆる音の銀河に、それが手招きする驚異の未知なる惑星に、すっかり心を奪われていたのである。
♬ ♬ ♬
Act IV 「可能性が見えてしまった私企業が公共事業に乗り出すような話」
プロ5をめぐるライセンス料争いが進行している裏番組で、もうひとつの技術的エピソードがひそかに展開しつつあった。
プロ5のようにCPUでシンセを制御できるということは、CPU同士をデジタル通信させてシンセ同士がおしゃべりしあえるということ。元ロッキード社のソフトウェア・エンジニアだったデイヴ・スミスにとって、こんなことポリシンセ同様あたりまえすぎる自明の理であった。そんなコンセプトから自前のシーケンサーやKeytarであるRemote Prophetなども作ってみたが、1社だけでは市場は拡大しない。
新規マーケットというものは、他社が参入しないことにはどうにも広がりに欠けるものなのだ。
同様にデジタルにさとい若手の各社がめいめい自分勝手な通信プロトコル規格でもって群雄割拠しはじめたわけで、Oberheim Parallel BusもあればRoland DCB(Digital Control Bus)規格もあった。ドイツの鬼才が生んだPPG Busに至っては8bit/8パラレル転送でもって誰よりも先にサンプルデータまで送受できたのだから恐れ入る。流石フォースが強い選ばれし者ヴォルフガング・パームいぇい!
でも他社までつながる規格が無い。こんな不統一が横行するようでは皆さん我が道をゆくばかりで参入障壁どころかパイが細切れになっていくばかり、だ〜れも新規参入しようがないじゃないか。
♬
実は最初に行動を起こしたのは当時Roland社長だった梯郁太郎(かけはし・いくたろう)氏であった。
すでに1980年ナムショーから帰国してきた時点で、梯氏はHz/VoltやOct/Voltが乱立するシンセ業界において共通通信規格の必要性を痛感し、なんらかの規格を案出ができないかと社内に指示していた。その結果DCBと、もう一つ、即ちのちにMIDIとなる共通規格の原案というかプロトタイプ、その2つが同時に誕生。 つまりDCBとプロトタイプMIDIとは、ある意味、二卵性双生児みたいな側面があるとも言えた。そして前者DCBが、先にローランド独自規格として実世界にて展開されることとなったのである。
先陣切ったDCBはデジタル通信規格ではあったが、かなりそれ以前のアナログによるCV/Gate規格の面影を残したところがあった。 例えば音符をひとつ鳴らすにしても、打鍵してから離鍵するまでの間、Note On信号を連続してずーっと送信し続け、離鍵した時にNote Offを送るという発想であった。これはまさしくアナログシンセにおけるゲート開閉という挙動をまんま真似たものである。
またDCB端子もアンフェノール14pinを利用したものだが、ピンごとにノート情報やピッチ制御、カットオフ制御、音量制御といったメッセージが別々に割り当てられており、ノート情報に至っては送信専用ピンと受信専用ピンとがあった。従ってもしも将来メッセージの種類が増えるとなると、端子もピンが多いものに変えなければならなくなる。
とはいえ楽器同士が通信しあえるという事自体は計り知れない大きな利便性と可能性をはらんだものであり、またDCBには1本のケーブルだけで双方向通信できるという今のUSBにも通じる利点があった。そしてこの次世代テクノロジーをすみやかに運用すべく、Rolandはひと足先にDCB規格をJUNO-60から展開し始める。Jupiter-8も途中から対応、DCBシーケンサーJSQ-60も誕生した。
♬
一方、後にMIDIとなるもう一方の規格のプロトタイプを作ったのはTR-808やTB-303の生みの親、さらにのちに数々のデジタル音源方式やモデリング技術、VariPhraseなどを生み出すことになるローランド尖端テクノロジーの父、天才エンジニア菊本忠男その人であった。
菊本氏はRolandへ中途入社する前にプラント制御システムを構築したことがあり、そこでつちかったデジタル制御のノウハウを楽器に応用することにした。 例えばノート情報にしても打鍵時のみにNote Onメッセージを��発のみ送信、そのあとは何もせず、離鍵時にNote Offメッセージを一発だけ送信する。こうすることでNote On信号をゲートタイム全般に渡って連綿と送信し続ける必要が無くなる。 また既にTR-808などのリズムマシン開発を担当していたことから、シーケンサー同期も重要課題として認識していた氏は、同期クロック信号、スタート/ストップ/コンティニューなどの各種コマンドも盛り込んだ。
しかし合理的かつシンプルに分かりやすく効率的な規格をめざして案出してみたものの、正直、菊本氏にとってこの原案が業界各メーカーや学会に乱立するおびただしい案を超えて標準プロトコルになるなどとはとても思えなかったという。 それもその筈、もはやこれは一つの私企業が自発的に公共事業に乗り出すような前代未聞の話だったからである。
♬
そんな菊本氏が作ったプロトタイプ規格を持って梯氏は1981年のナムショーにてトム・オーバーハイムを訪れ、さらにそこからデイヴ・スミスを紹介された。
梯氏と会話したデイヴ・スミスは、早速部下に命じてシーケンシャルなりの原案を作成。同年10月のAESショーにてなんでもいいから電子楽器業界に広く共通のシンセ通信規格を作ろうと業界全体に広く呼びかけ、叩き台としてしシーケンシャル案「USI - Universal Synthesizer Interface(汎用シンセサイザー・インターフェイス)」なるコンセプトを提示。無論たたき台はあくまでたたき台に過ぎないのであって、なにもこの通りにしようというのではない。とにかく業界全体にまたがる標準規格がほしい。
電子楽器業界を牽引する先導者として、シーケンシャルは私利私欲を捨ててひろく万人にささげるという公的な意識で広く呼びかけたのであった。あるいはメーカーとしてではなく、ユーザーとしての気持ち、つまり天才ホビイスト・スピリットならではのユーザー本位の視点が、デイヴ・スミスをして梯氏の案にレゾナンス共鳴して動かしめたのであろうか。 ちなみにこの時のシーケンシャル叩き台案では、端子には通常の1/4インチフォーンプラグを使う仕様となっているというのも、いかにもフレンドリーな印象がするよね。
だがあいかわらず欧米各社たちは自社規格の優越性をテコに我田引水したがるか、はたまた安全なところから様子見するかでしかない。え〜? 電子楽器って前を向くものじゃなかったの? 結局だ〜れも参加せずがっくりきてると梯氏がやってきて曰く、日本勢、すなわちYAMAHA、KORG、KAWAI、そしてRolandと一緒にやろうという。僕が日本勢に話つけてまとめてくるからレッツ前を向こうトゥギャザー!前進あるのみトゥギャザー!新しい時代をつくろうトゥギャザー!という。
そんなわけで合衆国1社と日本4社とでシンセ標準規格を策定開始。メールもないのでファクシミリと国際郵便と国際電話でしかない。言葉の壁にも相当に難儀した風情。いやいやブロークンでいいから質問しよう質問。新時代をつくるべくミーティングを何度も重ね、各社のアイディアを取り入れていると、あるとき梯氏が名称として「USI(汎用シンセインターフェイス)」あらため「UMII - Universal Musical Instrument Interface(汎用楽器インターフェイス)」というのはどうか?と言う。略してUMII「ゆぅみぃ」つまり通信規格だけに「you - me」と読ませる可愛いダジャレ♬ 流石、大阪人!なにわ商人なにわエンジニア世界に羽ばたく! Roland DCB通信規格の転送速度は31.25k baudで実はMIDIと同じって知ってた?
この名は没ってしまったものの、そこからヒントを得たデイヴ・スミス、確かに「シンセ」と言うより「楽器 = musical instruments」と一般化するが吉と気付き、MIDI - Musical Instruments Digital Interface(楽器のためのデジタル・インターフェイス)と提案。ミディ! そいや80年代後半になっても「えむあいでぃーあい規格」って呼んでた人いたね!
ところでシーケンシャルは当時開発中だったマルチ音源シンセSix-Trakを具現化すべく、あとからMIDIにOmni Mode4を日本側に意図を気付かれないようさりげなく盛り込んだと言われている。 しかし、その時シーケンシャルはマルチ音源時における各MIDIチャンネルはモノフォニックと規定するも、それに対して日本側は最初からローランドの菊本氏を中心に各チャンネルはポリフォニックで問題ないというマルチティンバー論を提唱していた。これは先に1980年時点で菊本氏がナムショーから帰ってきた梯氏に依頼されて作成したプロトタイプ規格においても既にそうなっており、MIDI策定会議が始まってからヤマハが持ち込んできた案においても同じくマルチティンバー駆動が可能となっていたのであった。 かくしてOmni Mode 4は、MIDI策定という過渡期に生まれた肺魚かカモノハシみたいな進化途上のものとなり、今ではモノフォニックな仕様ゆえ使われることなく、過渡期の歴史を物語る史跡のようなものとなっている。
そしてその発想の延長線上に、菊本氏は史上初MIDI対応リズムマシンRoland TR-909にて史上初MIDIドラムマップを搭載したという。 すなわち単一MIDIパートであってもノート番号ごとにインストゥルメントを割り当てることによって、ドラムキットを丸ごと鳴らすことが可能だと実証したのである。今では当然すぎることだが、そんなものが全く無かった当時に提案し具現化していたところにポイントがあった。そんなふうにゼロからイチを生み出した菊本氏によるTR-909マップは、今なおGM音源などに広く採用されて生き残っている。
♬
とにもかくにも1982年にMIDI規格が誕生することが公に予��され、翌1983年始のナムショーでSequential Prophet-600とRoland Jupiter-6、JX-3Pという3つのアナログシンセがMIDI接続。ノート情報はちゃんと送受できて音は鳴ったのだが、ピッチベンダー情報は8進数16進数の解釈が違ってしまい、うまく動作しなかったという。しかもおおらかな時代だったのでセレモニーもプレス・カンファレンスもせず、2社の社員が集まってつなげて鳴らしていぇ〜いと拍手して内輪だけではははと盛り上がって終わり。とどのつまり、電子楽器なんて結局それくらいニッチなマーケットなのよ。それでも地球は動いている、それでも歴史は動いている、それでもMIDIはここに始まった。前を向いて行こう。
前向き? 確かに技術仕様だけ見ればMIDIよりもOberheim Parallel BusやPPG Busのほうが優れていたのであり、彼ら海外勢の大半がMIDIを疎んじたのも無理はない。そもそもあっちの鍵盤弾いたらこっちが鳴るって、それ嬉しいの?ってなもんでいぶかしむ人も多かった。たくさんシンセを積み上げてスターシップのコックピットみたく操縦するプログレ要塞マルチキーボーディストもいたわけで「んなもん両手で弾け!」というロックだましいだったのかもね。いつの世も新コンセプトのご利益や可能性が理解されるには時がかかるもの。
が、ポイントは制定にたずさわった人たちが誰一人として自社を優位に立たせるようなことをせず、あくまで中立をたもち、音楽産業その全体に貢献するのだという意識で常に臨んでいたこと。だからどのメーカーも独占せず、ライセンス料もとらなかったこと。
つまり前向きとは、シェアすることであった。MIDIの本質とは、83年制定時点ですでに無料のシェア文化だったことであり、以来ずっと無料のシェア文化のままであること。MIDIは、仕様やテクノロジーの現代化よりもまず先にシェアされることに意味がある。
誰でも手にできるMIDIを当たり前と思うなかれ、数多くの規格が自社優位性の上に成り立ってきたことを思えばMIDIの中立性と成立はまさに奇跡。この、時代を先取りする精神があったからこそMIDIは世界のすみずみまで拡散し、そのグローバル・プラットフォームの上に数々の電子楽器が咲き乱れ、万人に寄与し、世界の音楽に貢献したのであり、シェアされたからこそデイヴ・スミスは梯郁太郎氏とともに後年テクニカル・グラミー賞を受賞した。気の利いたものをつくり続けてきた天才ホビイストことデイヴ・スミス、メーカー都合でなくユーザー目線の面目躍如。その哲学はユーザーへの共感だ。ビバ新時代! 前を向こう!
♬
そのMIDIはたちまちにして恐ろしい勢いで地球を塗り替えることとなった。
MIDI制定直後YAMAHAがDX7筆頭に、DXデジタルシンセ/TX音源モジュール/RXリズムマシン/QXシーケンサー/KXキーボードコントローラ/SPXマルチエフェクトという怒涛のXシリーズで畳みかけデジタル革命を起こしえたのは、まだMIDI ver.1.0にすらなってない混乱をもろともせずにMIDI対応を謳った英断と武勇があったからでもある。すなわちXシリーズのアドバンテージは卓越した新音源のみならず、YAMAHA機種を買いそろえれば誰でもMIDIネットワークを構築できるという未来的ヴィジョンにもあったのであり、その双璧でもってデジタルであることの優位性を唱えたからであった。
言い換えれば、あれほどまでにYAMAHAが台頭できたのはYAMAHAだけでライヴギグ・ステージでも録スタでも自宅ベッドルームでも誰でも最先端の環境でもって演奏も制作もできるという明快なメッセージを世界に発信したからであり、当時あれほどまでにリフレインされたキーワード「デジタル」とは、だがその夢をかなえる手段に過ぎなかった。まぶしく光り輝くYAMAHAのブランディングは、世界最大の楽器メーカーゆえ世界標準たりうるを自認する、その重い責任を自負するものであり、強大な力とリソースでもって電子楽器を進化させ普及させるための大いなる発明であった。
そしてそのビッグY一強とその他大勢という圧倒的な奔流に業界全体が呑まれる中、押し流されまいと踏ん張る劣勢メーカーたちの中、史上初MIDI対応アナログシンセRoland JX-3Pが予想外によく売れて緒戦に善戦。すなわちJX-3Pは既存技術の寄せ集めにすぎなかったが、まばゆい最新テクノロジーだけが全てではないというビジネスの奥深さを物語るエピソードにもなった。
そして歴史に残る最大の金字塔を打ち立てた王者YAMAHAが落とす黒い影の中、からくもJX-3Pで命をつなぎとめたRolandは、たった一人のサバイバーとしてもがきながらも、なんとホームマーケットへ向けてMIDI対応家庭用電子ピアノHP-400、そのレッスンに最適な家庭用MIDIレコーダーPR-800、ピアノが楽しくなるを願った家庭用MIDI対応伴奏マシンPB-300、少年少女への共感に満ちたフレンドリーなMIDIアナログシンセJUNO-106、エルトン・ジョンも愛したステージピアノの名機RD-1000、シーケンサーと呼ぶには可愛そうな音楽コンピューター的デバイスMC-500、多彩な音源波形とタッチセンス表現力をもたらしたαJUNOシリーズ、アナログでもまだやり残したことがありますと苦し紛れに言ってのけたJX-10、グラフィック画面編集サンプラーS-50、そしてついにデジタルシンセの英雄D-50に到達するまで、じつに4年間に及ぶ長い長い苦闘を始めるのである。
電子楽器すべてのグローバル水準を確立する重責と自負心とプライド、それらを担ったYAMAHAの偉業、そしてそれをリスペクトしつつそれでもなお多様性を確保した礎たるMIDI初号機Roland JX-3Pとに敬礼。2023年は、MIDI生誕40周年。MIDI 2.0が上位互換なのは、シェアされることこそが至上命題だというMIDIの本質を踏まえてのこと。ビバ新時代。前を向いて行こう!
♬ ♬ ♬
Act V 「見えてしまった産業界パラダイムシフト」
一方デイヴ・スミス。
MIDIテクノロジーが指し示す音の銀河宇宙、その彼方で見つけた秘密のスターゲイト、それはコンピューターミュージックシステム、今で言うDTMであった。
いろいろ見えてしまう作れてしまうソフトウェア・エンジニアにとって、CPU制御シンセから通信プロトコル統一からパソコン・ミュージックに至るまで、もう分かりやす過ぎるくらい明るく煌々と照らし出された一本の宇宙航路であった。「こっち弾いたらあっちが鳴る、それっておいしいの?」としかMIDIの効用を理解できなかった凡人からすると、彼の天才ホビイスト頭脳は何光年も先のご利益を先取りすべく楽しくスキップでもしながらワープしていたのであった。
MIDIがデビューしたのと同じ83年ナムショーにてSequentialは早くもDTM機器を発表、すなわち史上初パソコン用MIDIインターフェイスModel 64、そしてMIDIマルチ音源シンセSix-Trak。先手必勝! MIDIとともに誰よりもその可能性を見抜き、遠く先まで見渡し、間髪入れず機種展開、流石いつもあたらしいことが好きなデイヴ・スミス!
融通が効くソフトウェアを使ってたのしく演奏をプログラミングしよう!と彼が提唱した新世界。これはもう、天才ホビイストがもたらす自由で柔軟な発想そのままに、まぎれもなく全く新しいマーケットを約束する次世代チケットであった。特にSix-Trakはそのあとも後継機種が続き、やがてはのちのRoland MKS-7やMT-32的業界標準機となるはずであった。
振り返ってみればそもそもSequential Circuitsという社名自体が、創立当初「なんやかやいろいろ作ると思います」というぼやっとした意味���ったのであり、なんとなぁくば〜くぜ〜んとコンピューターで何かできてもおもしろいよねぇ〜というおぼろげなヴィジョンから始まってたよね。それが急速にはっきりとした輪郭をともなって可視化されてきたのだ、めきめきと進歩するテクノロジーに裏打ちされし魅惑の新規開拓市場として。
♬
だが、彼には見えすぎていた。
当時はMIDIがなんたるかを説明するだけでもいっぱいいっぱい。パソコンの話をする以前に皆さんアナログなアタマがデジタル・ストーリーで飽和。そのパソコン性能もまだまだ未熟。 そして楽器屋は「うちはパソコン屋じゃねぇ」PC屋は「うちは楽器屋じゃねぇ」と意識が新しい世界へ追いついてなくて販路開拓しようにも時期尚早、楽器業界からも���ンピューター業界からも共感を得られなかった宙ぶらりんSequential、夢あふれるはずのスターゲイトが閉じたままそのDTMシステムは一気に沈没。しかもその隙にProphetシリーズの本丸だったシリアスなキーボードシンセ業界では安価な日本製デジタル勢が席巻。
「あっち弾いたらこっちが鳴る。それっておいしいの?」から出られなかった幻のDTM世界。
DTM市場を形成できないまま、キーボードでも存在感を失ったSequential。せっかくカネかけて開拓せんとしたDTMを棄て、再び楽器業界に戻らんとハイ・プロファイルな高額機種を次々投入。デジアナハイブリッドシンセの名機Prophet-VS、業界最高音質サンプラーProphet-2000、AKAI MPCへの先手となりえたはずのサンプリングリズムマシンStudio 440などなどプロ機種を送り出すも、DTMでコケてる間にデジタルシンセにて出遅れてしまったは痛かった。
さらに皮肉にもSequentialが撤退したあとひと呼吸おいて、コンピューター業界を塗り替える大人気パソコンATARI STやCommodore Amigaという、お利口さんなニューフェイスたち爆誕&爆誕。これにあやかって新参者Ensoniq社のマルチ音源シンセESQ-1とパソコンとを組み合わせ、海外でまさかのパソコン・ミュージックが開花! MIDI新時代にふさわしくマルチパート音源モジュールESQ-mもあるでよ、MIDIって便利だね♬ ならば出でよシーケンスソフト! 召喚の呪文に導かれ登壇するは、Mark of the Unicorn Performer、Opcode Vision、C-LAB Notator、Steinberg Cubeat…出る出る雨後のタケノコのごとく湧き出るパソコンMIDIソフトの数々、しかも中には今なお続くMOTUとかスタインバーグとか名ブランドまであるじゃないか。Oh yeah, right timing, right product! 挙げ句あろうことか銀河の彼方よりスターゲイトが開いて飛び出したるスターチャイルドの如く、人類史を永遠に書き変える超巨大頭脳スティーヴ・ジョブズ降臨、そしてその彼とともに革命的巨大母船Apple Macintosh降臨。そのあと日本でワンテンポ遅れて「DTM」という名前を引っさげた初の機種Roland「ミュージくん」オールインワン・パッケージ発売、ここにガラパゴス・ジャパン定番パソコンPC-98をプラットフォームとするDTMブーム着火、Roland RC-8なんて今を思えばオーパーツみたいにぶっちぎり突き抜けたシーケンスソフトがあったこと覚えてる? 忘れてたとしてもそのままDTMは爆発的に広まりアマチュア音楽製作からゲーム・ミュージックから通信カラオケから着メロ市場形成に至るまで異形の引火爆発誘爆大爆発大躍進!
なんという運命のアイロニー、デイヴ・スミスはこれら全てを先駆けるはずだったのに!!!
♬
早すぎたSequential、そして今や遅すぎたSequential。ぱっくりあいた奈落の底へと凋落する業績。最盛期には180人いたという社員の多くが転職、それもエンジニアはこぞってE-muへ行ってしまい、営業マンは大挙してensoniqへ行ってしまい、社内で「Sequentialでは、E-muの技術者とensoniqの営業マンとを育成トレーニングしております」などと自虐ネタを言うようになってしまい、そのままがらんどうになってしまったSequentialはYAMAHAが技術提携を持ちかけてきたときになんと逆に身売りを提案、ついにそのままYAMAHAの傘下に入ったのであった。
時にDW-8000が売れなかったKORGがYAMAHAの傘下に入った直後。最後のSequential機種は初の16bitサンプラーProphet-3000。それもほんの少し生産しただけで叩き売られて消し飛んでしまう切なさ。ほんと経営はつらいね。でも従業員とその家族は守らなきゃいけないから、それすら路頭に迷わしたら犯罪だから、会社つぶすわけにはいかないのよ。
まぶしいキャリフォルニアン・サンシャインのもと、旧Sequential本社はそのままYAMAHAの旗の下でKORG R&Dとなった。そしてそこからデイヴ・スミスは亡きSequentialの弔い合戦に着手。お家再興なるか、リベンジ戦の初号機として世に送り出したるは幻の名機Prophet-VS復権、その生まれ変わり、そう、KORG WaveStation。
デイヴ・スミス、ついにちゃっきちゃきの最先端、徹頭徹尾フルデジタルシンセを作る!
♬ ♬ ♬
Act VI 「フルデジタル・プロフェット」
もともと旧SequentialにてProphet-VSをつくったのは、PPGのウェーヴテーブルにヒントを得たエンジニアがOberheim 2Voiceにあった4基のVCOを正方形の頂点に置き、ジョイスティックで自在に音量合成できるようにしてみたのが発端。その正方形を45度傾けてダイヤ型に配置し「vector=ベクトル」と数学用語で呼称するようになったのが、ベクター音源(Vector Synthesis)の始まり。1次元ではなく2次元の音色変化。線ではなく面で考える画期的な新音源。ある意味KORG KAOSS PAD的KAOSS OSCILLATOR的な発想の先駆だよね。
Prophet-VSでは同社初のデジタルオシレーターを新規開発し、それを4基搭載してベクトル合成し、そのあとを馴染みのCurtis社製VCF、VCAで加工。
じつはこの機種、デイヴ・スミスにとってかなり理想的な機種だったようで「音とは時間・空間上のアニメーションみたいなもの」という持論がこのあたりから明確になってくる。MoogがLFOやエンベロープを取り入れたように、音とは時間軸にて展開するタイムドメインなアートなのであり、それを空間軸にまで意識的に広げた初めてのシンセがProphet-VSでもあった。それが証拠に4波形ベクトル合成による経時変化だけでなく、8ボイス個別パン設定、モジュレーション・マトリクス初搭載、しかもパン・モジュレーションまで可能。かくしてProphet-VSは時間軸と空間軸の両方をまほるシンセ、時空にわたる音色の演出にこだわった恐らく初めての機種となった。
このProphet-VSの構造は、ずっとのちのDave Smith Instruments社から出た青い弁当箱シンセEvolverへの萌芽となるものであった。ベクター音源こそKORGのお家芸となったが、それでも時空を支配する音というアインシュタインみたいなEvolver企画コンセプトが、すでに'80年代半ばのProphet-VSにはあったのである。デイヴ・スミスはのちのちにわたり繰り返しProphet-VSを参照していたようで、以降、幾度となくリフレインされる設計テーマとなった。
時空座標音色演出。もはやタイムドメインなアートをもたらすシンセの相対性理論たらんとしたのか、今まではホビイストに由来してソリューション提供型エンジニアだったのが、はじめて自分が込めたいメッセージを込めてつくるジェネレーター型エンジニアになったのか。その中核に据えたVSとはversusでありVector Synthesisのしるしであり。
皆さん、プロフェットは「5」だけじゃないんですよ。5のほかにも画期的なプロフェットがあったのです。だからArturia Prophet Vには、この偉大なプロフェット2機種「5」と「VS」とが網羅され統合すらされているのかもね。
だがProphet-VSが販売されたのは86年から87年にかけてのみ。
フルデジタルこそが正義だった当時、アナログには未来が無いと絶望視され、夜明け前が一番暗いなか、夜が明ける前に未明のうちに息絶えてしまったデジアナハイブリッドシンセ、たった1年で終了、夭折してしまった英雄、無念。
そしてそのまま同87年、SequentialはYAMAHAの軍門へとくだる。同年3月、ついに唯一の生き残りとなったRolandからD-50が発売。その斬新な音色はデジタルシンセ新時代の曙光となり、デジタルシンセ群雄割拠の幕開けとなり、それとあたかもクロスフェードするかのごとく、バトンタッチするかのごとく、名門Sequentialは朝焼けのなかへ溶けていく淡く蒼い月のようにフェイドアウトするのであった。
♬
翌88年、KORGは社運を賭けた渾身のワークステーションシンセM1でまさかの劇的逆転満塁ホーマー。そして同時にCASIO VZ-1、KAWAI K1と各社からデジタルシンセ百花繚乱! 息を吹き返したKORGはさらなる次世代カスタム音源チップを開発。それを使って、今やKORG人となったデイヴ・スミスは幻の名機を蘇生させるプロジェクトに挑む。しかも今度はかっこいい最先端フルデジタルシンセ。
このときに彼らが新規開発したテクノロジーWaveSequenceは、まだグラニュラー音源などが実用化できていない時代になんとかしてウェーヴテーブルそのものをユーザーが自作できないか考えた末に編み出したという、さすがデイヴ・スミスならではの独創性が光るアイディア。言わば巨大グレインを時間軸上で数珠つなぎにしてMIDIクロックとも同期させるというこのメソッドは、ベクター音源同様、静的なPCM音源に動的な経時変化をもたらすユニークな革命児であった。
ベクター合成とWaveSequenceとを重層的に兼ね備えるように開発された零号機KORG WaveStation WS-1は、常にゆらぎつづけるサウンドスケープを真っ正面に押し出した機種となった。それは、PCMの台頭によってもたらされし「サンプリングしたらなんでも終わり、PCMで誰でも同じ音」という90年代サウンドの閉塞状況に、ひとつの打開策を提示すべく生まれた音の表現であった。 すなわちWaveStationとは、停滞してしまったシンセサイズをふたたび進化させるという明確な使命を帯びて誕生した問題作なのであり、「PCMのせいで没個性まっしぐらのシンセはこんなことでいいのか!?」という骨太な異議申し立てであり、モノマネへと堕落せし既存シンセへケンカをふっかける目的と決意と意思のかたまりのような鉄拳であり、綾波レイのごとく蘇らせた幻の名機を前にゲンドウの眼鏡の奥にひそむ鋭い眼光の如きデイヴ・スミスから叩きつけられし挑戦状であった。
気骨あるおっさんグレイト。つねに前を向くおっさんグレイト。これはもうProphet-VSならぬProphet-WS、いや、もはや幻のプロフェット、フルデジタル・プロフェット、Prophet Digital!
かくしてWaveStationは、M1以来「ワークステーション」本舗となっていたKORGにとって「ウェーヴステーション」という名の通り、曲作りオールインワンではなく音創りにフォーカスしたシンセ原理主義という電子楽器の本分に立ち返った最初の旗印となる。だからこ��WaveStationの日本向けキャッチコピーは「無い音は、僕がつくる」となったのであった。シンセなんだから「無い音は、僕がつくる」なんて当たり前過ぎるはずなのに、わざわざそう言わなければいけないところにシンセの曲がり角があった。シンセ原理主義者見参!
♬
夭折せしProphet-VS没後3年、1990年1月ナムショーでKORG WaveStationをデビューせしめたデイヴ・スミス。そのブースへ旧友がやってきて曰く、
「2機種もシンセ出せて爽快だろう?」 「2機種? WaveStation1機種だけだよ」 「え? YAMAHAのやつは、あんたがつくったんじゃないの?」 「YAMAHAのやつって?」 「SY22ってやつ、WaveStationみたくジョイスティックでベクター・シンセサイズするやつさ」
.....ほっほ〜ぉ、なんかどっかで聞いたことある話やないかえ〜( ͡° ͜ʖ ͡°) ♬
WaveStationは操作性がアタマ良すぎたこともあってニッチな機種となってしまったが、それでもマイケル・ジャクソンやジェネシス、デペッシュ・モードなどが使い、特にニューエイジ音楽系ではそのカラフルな音色のゆらぎやウェーヴシーケンスが言うなればエスノ・テクノはたまたデジタル・トライバル的にもてはやされ、コアなファンを多く生んだ。また、当時の雑誌レヴューでは「また当分この音ばっか聞くことになるんだろうなあ(笑)」という一行を必ずレヴューワーの皆さんが異口同音に書いて締めくくったという思わず微笑む怪現象もあった笑。
なお、中域に味があるサウンドも抜けがよく、楽器としても素性が良いキャラのため普通に音源波形が豊富なPCMシンセとして使っても楽しい隠れた名機でもある。ぶっちゃけM1なんかよりよっぽどこっちのほうが音も面白いと思うので、そろそろ飽きてきたらオルタナというかダークホースとしてどう?

いくつかの派生機種があるのだがオススメはiOSアプリシンセiWaveStation。なんせユーザーインターフェースが秀逸すぎて初めてWaveStationの意義が分かるという、最高のユーザー・エクスペリエンス。こんなにヲタな音創りしつつも楽しいスマホアプリなんてそうそうない。KORG GadgetからMilpitasとして見えて使えるのもいいね。Milpitasというのは旧Sequential本社、KORG R&Dがある場所の地名だよ♬
じつはOASYSやKRONOSでもWaveStationは完全再現されているね、HD-1の中に埋没してね。
21世紀のWavestateでは、従来WaveStaionシリーズとの互換性を切ったかわりに過去のしがらみもなくシンプルかつ本質が分かりやすい構造へと劇的進化! あいかわらず操作性が天才すぎるものの、音はぐっと今風になり澄み切った解像度の高いサウンド、Roland VariPhraseのごとくPitch, Timing, Sampleなどと要素ごとにオートメーション・レーンを設ける斬新なWaveSequence 2.0、緻密に構築したものをランダマイズしたりノブで予測不可能なカオスにする快楽物理楽器、音の経時変化も洗練され昇華されあざとさも無ければ当てつけがましさも無いプリセット音色、のちのVer.2からユーザーサンプルも読み込んでWaveSequenceやベクトル合成できるようになり、ようやくベクター音源は飛び道具を超えて、成熟した大人になった。

そう、この成熟した大人感覚こそがコンテンポラリー。思えば90sまでは子供であった。子供ゆえの破天荒が楽しかったわけ。
♬
もとのWaveStationを出したあと、デイヴ・スミスはKORGを去る。だが彼が去ったあとも、KORGが立派に引き継いで宿題を成し遂げ、さらに現代にふさわしいカタチへと育てているのは感慨深い。
そしてついに古巣から旅立ったデイヴ・スミス、次はソフトシンセをつくる! かつてMIDI黎明期に手掛けて失敗したコンピューター・ミュージックへのリベンジ? いやむしろデジタル・ハードシンセを作った彼にはデジタル・ソフトシンセが、あたりまえすぎる自明の理だったのであろうか、またしても。ヴァーチャルアナログシンセだってデジタルなんだからね。ハードウェア卒業。おさまり切らない進撃の巨人デイヴ・スミス、彼が指し示す音の外宇宙、ぶっちぎり最先端、グレートアトラクターの果てとは。
♬ ♬ ♬
Act VII 「質量からの解脱」
デイヴ・スミス、ソフトシンセをつくる。
とんがったやつ、当時最高のやつ、それまで誰もやってこなかったやばいやつ。まるで宇宙飛翔体。
史上初のガチ本格的ソフトシンセSeer Systems社のReality。 史上初たった1機種で加算・減算・ウェーヴテーブル・FM・物理モデリングまでこなす破格の八面六臂獅子奮迅シンセ。なんでもパソコンでできてしまう、時代を先取りしてはみ出まくる。まるで空間をねじ曲げてワープする実態なき仮想エネルギー生命体。
そして社名Seerとは予言者の意。そう、預言者ではなく、予言者となることを選んだのだ、デイヴは。
♬
今やサイバー・デイヴにとって、もはや木目調プロフェットも過去の記念碑だったのかもね。だってそれが現実=realityなのだから。virtualだからこそ、realityと念押すデイヴ。Prophetほにゃららとかっていう機種名ではなかったところに、彼が託したメッセージがあった筈。未来を予見する者として、未来はソフトウェアにあると。それが現実なのだと。
質量からの解脱。フィジカル抜け殻さようなら。
「自分は(ひとつのことに凝り固まる)原理主義者ではない」と最後まで念を押していたデイヴ・スミス。 すなわち「たまたまいろいろ作れてしまう人」、しこうして「いろいろ可能性が見えてしまう人」、だからアナログもデジタルもハードもソフトも、あらゆる選択肢が彼の前にあって、等価に並んでいて、おのおのに良さがあって、どれをどう選んでどう組み合わせるかは彼の自由。間口が広いからこそ見渡せるパノラマが、彼にはあったのだ。ホビイストの彼ならではの、めくるめく広い視野によるヴィジョンが。
そしてその中でもぶっちぎり最先端が、質量からの解脱。無限に広がる仮想世界。サイバー・スペースこんにちは。今日のアバターまた素敵ですよスミスさん。超光速スターゲイトのジ・アザー・サイドでウィンドウショッピングしませんか。クラウド生命体ディスカウント使いましょう。
ひるがえって、狭きのみに固執するアナログ原理主義者めんどっちぃ。 VCO原理主義者めんどっちい。 ポリプレッシャー原理主義者めんどっちぃ。 ACアダプターお嫌い主義者めんどっちぃ。 口調はさておき、実際そんなこと言ってたのです彼。
だから、彼は過去を振り返らない。 デイヴ・スミスという名は、過去を振り返るためにあるのではない。
至上命題としていたのは、原理がなんであれミュージシャンにとって可能性を秘めていてわくわくする機種であること、ただそれだけである。
♬
よって、彼はソフトシンセをつくった。
そこに新しい音があるから。ラインホルト・メスナーそこのけの動機で、彼はあたらしい可能性へ挑戦せずにおれない。
ソフトウェアであれば、シンセもエフェクトもレコーダーもミキサーも全てがパソコンという単一の箱に収まる。今で言うITB - in the box。トータル・リコールに、オートメーション。今ならダウンロード販売があたりまえだから、プロフェット時代のごとき梱包箱も���送費も倉庫保管料も在庫管理システムも固定資産税も無くて、身軽〜♬
過去に対して距離感が出てきたからか、このころナムショーが行われるたびに、デイヴ・スミス、トム・オーバーハイム、ロジャー・リン、ボブ・モーグ、そして梯郁太郎氏とが「4人のデッド・カンパニー社長と、1人の現役カンパニー社長の会」と称して非公式に集まって呑み会していた。梯氏は下戸なでの呑まなかったと思うのだが、それでもえらい親密にやってたらしい。
過去を振り返らないレジェンドたちがそれでも織りなす過去への回顧と総括。解脱して落ち着いて距離を置いて眺められる者だけに許されしその冷静に突き放した眺望。そんな話、聞いてみたかったね。
思えば遠くへ来たもんだ? あほなこと言ぅたらあかん、まだまだまだまだ開発するネタなんぼでもあるねやさかい。原理主義おっさんどもに現実realityという鉄槌を振り下ろしたソフトシンセの次は何?
最先端ソフトシンセちょ〜便利なれど毎年OSアプデに追いつかざるをえないMS-Apple開発奴隷。シジフォスの岩そこのけに永遠に続く科学奴隷。流石に苦行。
してからに表計算みたくマウスポインターぽちぽちうじうじするより、やはり手でがぁ〜〜〜っとわしづかみして気ままに感覚いっぱつノリいっぱつで奏でるフィジカルな楽器こそデイヴ・スミスにとっては楽器。せやかて音ってライヴひねりかぼちゃしたいやん! パソコンにジョイスティックつくよね? ベクトル合成ジョイスティック今いずこ!?
誰よりも先に本格的ソフトシンセをつくったデイヴ・スミス、Seer Systems社を退職!!!
♬
ソフトウェアを極めつつも諦めた彼は、とてつもなく大きな市場を失うことになった。世界の大半すら失ったのかもしれない。咲き誇るプラグインシンセ・ビジネスぜ〜んぶ諦めたんだから。
だがそんなことどうでもいいのです。彼が選んだ市場がちっちゃかろうが知ったこっちゃない。彼の眼前には別な次元の大宇宙が広がっていたのです。まるで亜空間。すなわちProphet-VS以来、動きある音をフィジカルにつくりたいというテーマが出てしまった以上、彼はそれを最後まで追求せんと取り憑かれてしまったのです。亜空間断層形成準備!次元潜航艦、ごぉ!
どうしても知りたい亜空間を究めるため、彼はたった1人のメーカーDSI - Dave Smith Instruments社としてさらなる創業。まるでちっちゃいカプセルみたいな脱出ポッドで大宇宙の大湾を横切らんとするが如き異次元への出航。しかもミレニアムが変わる時、彼もまたハーフセンチュリーを超えたのだから、これはもう初老の抜錨、なのであった。
♬ ♬ ♬
Act VIII 「自分史上最強シンセ」
2002年、新生デイヴ・スミス、新たな自己紹介としてDSI社から初号機Evolverなる青い弁当箱みたいなハードウェア・モノフォニック音源モジュールを投入。そこに搭載されしは、
アナログ・オシレーター2基 デジタル・オシレーター2基
え、アナログ・オシレーター?
「たまたまいろいろつくれてしまう人」ゆえに、アナログのたおやかさとデジタルの荒涼とした音の景色と両方出せるフィジカルなシンセってんで、こないなったわけ。ちなみにDCOよ。VCO原理主義者さようなら。
しかもただのデジアナハイブリッドシンセにあらず、非常に変わっているのは最初から最後まで完全に左右独立ステレオ仕様���あること。すなわち:
・左アナログオシレーター ・左デジタルオシレーター ・右アナログオシレーター ・右デジタルオシレーター
・左 VCF ・右 VCF
・左 VCA ・右 VCA
…こんな具合に全てが左右にカタマラン構造になって配置。
双胴シンセ浮上! 双頭シンセ参上!
見たこともない変態音源構造。 音の時間変化やステレオパンも意識しつつ空間演出を奇抜なまでに創造できてしまうこれは、Prophet-VSのコンセプトを引き継ぎ発展させた機種。デジタル・オシレーターに至っては、音源波形ナンバーを内蔵16ステップシーケンサーで切り替えることで16ステップのウェーヴ・シーケンスまで実現。おんやプチWaveStationしかもまろやかなCurtisアナログフィルター付きじゃないですか〜♬
Evolverは、新生デイヴ・スミスの理想をぎゅうぎゅうに詰め込んだ高密度な原点。あたらしく濃いぃ原点となった。
ちなみにデイヴ・スミスはかねてから「noise」という機種名をシンセにつけたく思い、今度こそって思うも経時変化でめくるめく音が展開するを聞いた妻が「evolver=進化する者」という名を思いつく。あ〜ら奥さんDSI社の裏番長笑
♬
以来、しばらく数年間デイヴ・スミス一人で会社を切り盛りし、Prophet’08でひとやま当てる前後くらいから地味に増員。今では14人くらい。
わくわく驚愕科学技術魔道士たちの小国 Dave Smith Instruments 職業別人口
・3人:ソフトウェア担当 ・1人:ハードウェア担当 ・1人:機構&ユーザーインターフェイス担当 ・1人:マーケ・営業担当 ・5人:顧客サポート担当 ・1人:デイヴ・スミス ----------------------------------------------------------------- ・12人:統計当時の総人口
少数精鋭!
デイヴ・スミスは顧客サポート大好き人間、困ってる人を助けてあげるのが好き、だから会社の三分の一が顧客サポート! そんな会社ある?(いつぞや基板交換したらいいよって送りつけてきたカスタマー・サポート・エクスペリエンス笑 やりましたとも、ちゃんと静電気を逃がした上で!)
そしてほとんど全員で協力しあって仕事。もう経営はつらくない?
会社をつぶした経験からむやみに増員せず、それでできる範囲のことしかしない。その代わり着実にばっちしやる。吾、唯、足るを知る。
だからファブレス。つまり開発は自社、製造は外部委託。中国生産すりゃ安くできて魅力的だが、なんかあった時この目で確かめたいから自社から数ブロック離れた工場に生産を委託。だから開発も製造も同じサンフランシスコの空をシェア。明快!
仕様もユーザーに言われるままに機能マシマシにはせず、すぱっと割り切って、すっきり分かりやすく限定。かえってユーザーにもわかりやすく、ややこしいこと製造に言わなくて済む。ソフトシンセとはまた別な形で、彼また身軽〜♬
なのでデイヴ・スミス曰く 「僕にはソーシャルメディア(SNS)を見ないという悪い癖があってね笑」 すなわちお客様のご意見はすべて正解なのであり故に聞いても聞いてもきりがないし最後には矛盾すらきたすから敢えて最初から聞かず、自分で考えた仕様のみでつくる。顧客より先に思いつけ! iPhoneが世に出る前に誰が「iPhoneがほしい」なんて言った? この点において、彼はスティーヴ・ジョブズや梯郁太郎氏と同じ天才肌の創業者。顧客の声を全く聞かずに自分が考えた機種を出し,あとからユーザーのご要望を聞いて改良アプデし完成度アップ。 事実、はなからお客様の言うことを聞きすぎて予定調和しかない家電と化したWindowsを見ると、その言葉の深さに唸らされる。デイヴ・スミスだってお客様にリクエストされてプロ5をつくったわけじゃないもんね。ものづくりの正解、って、なんやろね。
♬
というわけで、常に違うもの、常に新しいものをつくる。驚きの新機種。想定外の斬新なモデル。生い茂る樹形図を描くラインナップ。
とかくアナログポリシンセの守護神みたく思われがちな彼だが、エンジニアなんだからそんな保守的テーマよりも未知との遭遇をつづけたい。SF的センス・オヴ・ワンダー、テクノロジーが切り拓く新しい未来の音、そのサウンドが自分の手にみなぎる楽器。
それゆえEvolverやProphet 12、PRO2、Prophet X、PRO3といった新規アイディア満載デジアナハイブリッドシンセをさわれば、彼がほんとうにやりたかったことがよく分かる! 仮想現実みたいなデジタルと、魔性の不確定をもたらすアナログとの幸せなカップリング。
中でもProphet 12とPRO2とは、彼自身が自分史上最高傑作だと自信を持って送り出した機種。Evolverシリーズを大々的にリノベーションしたかのような大規模アーキテクチャを誇るシンセ。
実はそれまでたった一人で一切合切きりもりしていたデイヴ・スミスが旧シーケンシャル時代の旧友エンジニアことアンドリュー・マクゴワン(Andrew McGowan)を迎え二人体制でProphet'08からmopho keyboardあたりまで作ったころ、そのアンドリューが激務すぎて燃え尽き症候群になってしまい、さらにアンドリューは自分でスピンナウトすることを考え始め ①アナログによるシグナルプロセッサー ②アナログモノフォニックシンセ ③デジタルオシレーターにアナログフィルターを組合せたデジアナ・ハイブリッドポリフォニックシンセ という三つの企画を考えたという。そして自分の会社を立ち上げるべくペーパーワークをこっそり進めていたら,ある時デイヴが 「実はこの次はデジアナハイブリッドのポリシンセを作ろうかと思ってるんだよ。デジタルオシレーターにアナログのフィルターを組合せたやつ」 と言い出し,へぇ、そりゃ面白そうだね,とかって適当なこと言ってるうちにだんだん話が嵩じてきてアンドリューも我慢できず自分があっためてたアイディアをぽつりぽつり差し込むようになり、やがてそれがほとばしる奔流となって二人で意気投合してホワイトボードの前であーだこーだ言い合ってものの15分から20分くらいで仕様とユーザーインターフェイスの90%くらいを考えついてしまったのだと言う!笑
しかもアンドリューが後日回想して言うには,二人があれほどまでに意気投合してシンセを構想し設計したのは、そん時くらいなものだったという笑
かくして出来上がったのがProphet 12。
そのProphet 12デビュー時、デイヴは 「今までの全機種を叩きのめす機種! This one beats 'em all!」 って有頂天になって言ってたもんねナムショー会場でガッツポーズして。
でもこれらは流行も産まず、ここから流行のジャンルも出ず、むしろ流行とは無縁。それでも秀逸なるプリセット音色。やわらかいアナログな音、とらえどころ掴みどころない幽玄な音が出る一方、ノンリニアなポリフォニックDSPキャラクターブロックが生み出す奇想天外破綻音しかも当然ポリフォニックで処理、さらに破局的なポリフォニックのTuned Feedback機能、これらが広大極まりないモジュレーションマトリクスと組み合わさったときProphet 12が生み出すのは最高に破壊力みなぎるド迫力のソニック・スペクタクル。だってビット落とし、レート落とし、ドライヴ・サチュレーション、これら全てがポリフォニックで効くんだからね、しかもアナログ・レゾナントフィルターとカップリングされて。そは荒涼とした極地の砂漠に轟く嵐、はたまた最強預言者の重装甲、その重厚な輝きがにじむ音。しかもそれが自分の指先の感覚ひとつでベロシティやらアフタータッチやらホイール群やら2連タッチスライダーやら2連タッチスライダー自体のアフタータッチ機能やらで鋭敏に俊敏に繊細にさまざまな彩りを描く。その未知なる音の景色。攻めてるねぇ、デイヴ・スミス、わが道を行く、ええ音色の数々♬
それどころかDSIはProphet 12にあったCurtis社のフィルターやDSPキャラクターモジュールをベースに、独創的ユーロラックモジュール群を出した。中でもDSM02 Characterユーロラックモジュールは、DSI唯一のフルデジタル・モデル。5だけが名機ではない、12こそ中興の祖なのですよ。
ちなみにそのあとに出たPRO2は,決してProphet 12のモノフォニック版ではない。PRO2にあってProphet 12に無いものは以下のとおり。中古で買う時の参考にでもしてみてね:
・4音パラフォニックしかもローテーション・トリガー(Moog のはリセット・トリガー)なので疑似4波形ウェーヴシーケンスが可能 ・Prophet 12の19波形に加えて、7波重ねスパソなどスーパー版デジタル音源波形13種類追加、計32波形 ・2連VCFがCurtis製CEM3397によるHPF + LPFではなくディスクリートで起こしたというアジのあるProphet-5 SSMエミュとSEMエミュしかもアナログ回路で起こしたエミュ2発 ・2連VCFシリアル・パラレル連続可変、しかもシリパラ加減をデスティネーションとして変調可能! ・2連VCFを個別にon/off可.両方ともoffにはできなかったごめん ・4基デジタルディレイのうち1基はBBDをエミュレート ・EG1基追加、計5基 ・51ソース、149デスティネーションへと拡大したモジュレーション・マトリクス ・16ステップ×16トラックないし32ステップ×8トラックの大規模パラフォニック・ステップシーケンサー ・Fスケール44鍵
広大な構造、広大なモジュレーション・マトリクス、もはや巨大モジュラーシンセを単体キーボードへ「ばあぁん!」と圧縮したかのような機種がPRO2。緻密に凝縮したシンセのきらめき。
しかもProphet 12がSHARCのDSP1基で2音を生成しているのに対し、PRO2は1基で1音しか生成せずかえって贅沢に演算リソースを使用可能。それゆえにスーパー版波形はもちろん、通常の音源波形も質が高い。Prophet 12にあった薄曇りが無くなってクリアにはっきり視認できる感じ。 このようにデイヴ・スミスがPRO2をして「最強のモノシンセ」と呼んだのには、ちゃんと裏付けがあるのであり、PRO2こそは史上最大規模のシンセシスを搭載した怪物DSIシンセとなった。
そしてPRO2は、のちのProphet-6とOB-6という双生児を生む母体となった。ディスクリートで新規に開発したSSM/SEM型VCFのおかげである。
ちなみにProphet 12もPRO2も、バージョンアップによってYAMAHA型FM音源を「Linear FM」として追加。しかも4オシレーターを4オペに見立ててモジュレーションマトリクスを組むことにより,全くの自作アルゴリズムも制作可能。なんなら円環状にオシレーターを並べた無限FM変調アルゴリズムすら、デフォの設定を生かして超簡単にできる。それをご自慢のVCFで加工。
パテントが切れたからとはいえ、かつて自社を買収されるまでに追い詰めたFM音源が今や自社シンセでゴキゲンさんにええ声で鳴いているのを聴いた彼は、さぞかし感慨深かったのではなかろうか。だってProphetやPROからDXベルとか鳴るんですよエンヤみたいに笑 そして昨今のFM音源は、またアナログっぽくもありながらも不思議にエッジの立った、鋭い倍音を含むいい感じにこなれた音色として鳴らされることが多い。流石現代、平賀源内、いやほんまにシンセはエレキテル、これキテる。
だが世間はそんなとんがったデジアナハイブリッドシンセなんかよりも、彼にプロ5とプロワンの再来をリクエスト。いつまでたってもレジェンダリー・アーティストに往年の名曲をライヴ演奏してほしいと叫ぶオールド・ファンみたいなものか。あたらしいテクノロジーを開発せしエレキテル平賀源内よりも水戸黄門の印籠がVCOなのか。史上最強預言者Prophet 12は、クエーサー銀河ばりに宇宙の地平線に屹立する孤高の存在だったのか。遥けく望む特異点、その降着円盤による極超高速乱流回転音を聴きたいと希求する人はなかなかおらんかったのか。
それに対し彼は3回返答、Prophet’08、Prophet-6、そしてProphet-5 Rev.4。
デイヴ・スミス、ついにアナログ・シンセに回帰? 事象の地平面にて、運命の円環もまた閉じてしまうのか?
♬ ♬ ♬
Act IX 「前を向くん違ごたっけ?」
デイヴが回答したのは、現代版プロ5ではなく「現代風に再解釈・再構成したプロ5哲学」であった。しかもその都度その都度、その時に見あった回答。円環は開かれたまま螺旋を描く。
♬
2007年時点での回答がProphet’08。
当時まだ初号機Evolverシリーズが出て一段落したころであり、アナログポリシンセを新規に出すメーカーは皆無といってよく、デイヴ・スミス自身もEvolverみたいに多彩な音色が出るシンセがありながら、なんで今さらアナログポリシンセばっかリクエストされるのかと嫌で嫌で仕方がなかったという。苛立つデイヴ・スミス「てめ〜ら後ろ向きすぎんじゃね」。師匠こころの叫びをダダ漏れにしてみました。
でもさすが名匠、しぶしぶ試しに作ってみたら、あ〜ら存外いい音す���じゃないの〜これ〜♬となり、当時まだ存在しなかった新品アナログポリシンセちゃきちゃきの新機種として出そうと、しからば名刀Prophetの名を再びというのでDCOアナログ8音ポリシンセProphet’08誕生。びみょ〜にロゴが違うけどそんなこと誰も気づかず実際よく売れたのです。のちに16音ポリREV2まで作ってしまったもんね。
これが事実上DSI出世作となり、ひとやま当てたおかげでラインナップ飛躍的に拡大。
モノフォニック版MophoっていうPro-Oneみたいなシリーズもあったよね、黄色いファンキーなカラー、Push me! Push me!って書いた〜ったトリガーボタン笑 サブオシ追加でphat sound! 4パートマルチ音源TET4A(Tetra)もあった。マルチ音源アナログシンセって、今またあったらいいのに。
そして今なお伝説のリズムマシン、ロジャー・リンとのコラボ作、神器Tempest! あれがProphet’08からProphet 12へと橋渡しするミッシングリンク的アーキテクチャだったって、だから凄腕リズムマシンっていうか、いやもはやリズムシンセなんだって、お釈迦様でも気づくめい♬ ついでにTempestの有機ELディスプレイとその周りに配置した汎用ロータリー・エンコーダー4基+ボタン4基このユーザーインターフェイス,これがそのまんま次のProphet 12とPRO2になったって、気づいてた?
名刀その切れ味もさわやかに、すっかりアナログポリシンセ・メーカーとして認知されるようになったDSI。そのサクセスの上に2013年にデジアナハイブリッドProphet 12、デイヴ・スミス最高ポリシンセは生誕したというわけ。
以来、アナログシンセが当たるたんびに、本当に自分がやりたかったデジタルをやる。堆積岩の互層の如きこの繰り返しがDSI社のひとつの深みある魅力となる。
♬
2015年時点での回答がProphet-6。
至高Prophet 12が出たにもかかわらず、まだ皆さんプロ5の再来を求める。しかもDCOじゃやだVCOでなきゃやだとか言う。ったくもう、じゃ次は原理主義者も黙り込むような弩級VCO戦艦シンセつくってみようか。PRO2でプロ5SSMばりのディスクリートVCFも開発できたしね。ほなガチでプロ5復刻? いやいやあくまで現代にプロ5的な前向きコンセプトを具現化すると考えて新規挑戦ネタを盛り込みましょう、何を追加するって例えばモーフィングするVCO波形、ハイパスフィルター、2連デジタルエフェクト、アルペジエイター、ポリフォニック・ステップシーケンサー、ベロシティ、アフタータッチ、ステレオ出力、MIDI、USB、ついでに今風に49鍵にして軽量コンパクト、フットワーク軽いところがまたコンテンポラリー。若い軽いあったかいフーディみたく軽快な出で立ち、良質なアナログの音、当世風VCOアナログ6音ポリシンセ���参!
事実、現代風に音色が良いがためにタンテ屋さんPioneer DJと組んでサンプラーTORAIZ SP-16へDSI謹製SSMエミュもののディスクリートVCFとなるLPF/HPF移植、さらに極太アナログモノシンセグルボことTORAIZ AS-1というスピンオフも誕生。AS-1に至ってはほぼProphet-6のモノフォニック版であり、ただそこから内蔵エフェクトとしてのリバーブを省き、アナログの単独オーヴァードライヴをマルチエフェクト内部へ統合して分かりやすくしたのみ。まさにプロ5に対するPro-One的な位置付け。それらは音の面白さはもちろんビルドクォリティと言おうかハードとしての質感も高く、AS-1などはガジェットのレベルを引き上げた名機となった。
そのProphet-6を開発中、偶然にもRoland創業者でありMIDI策定の盟友・梯氏がYAMAHAへ「もう使こてへんねんさかい、ええかげん返してあげはったらどないです?」ってんでYAMAHAからデイヴ・スミスへSequentialの商標が平和裏に返還! まれに見る善意の連鎖、MIDIシェア文化なみの叡智、ありがとう!!
というわけで歴史的な新生Sequentialブランド再起動リブートその初号機として、Dave Smith Instruments Sequential Prophet-6を感慨深くローンチした次第。
しかも翌年かつてのライバル、トム・オーバーハイムとのコラボDave Smith Instruments Oberheim OB-6も感慨深くローンチ。ディスクリートによるSEM型VCFゆえ、OBの名を冠するとはいえOB-XやOB-8よりもむしろOberheim 4Voiceや8Voiceの系譜に近く、これもこんにち的な良質なアナログの音がするコンテンポラリーなヴィンテ。そしてそこにSequentialとOberheimのロゴが仲良く共存。
さらに次のPROPHET Xにおいては元Emuデイヴ・ロッサムが設計せしSSMチップ復刻発展版SSI2144も搭載。しかも若きサンプルライブラリ・メーカー8DIOとも共作。たたみかける共作連発、シンセヲタ胸アツ案件続出。
こうしてEmu、Oberheim、Sequentialという合衆国レジェンダリー・シンセメーカーたちがコラボして機種開発、それをYAMAHAとRolandというビッグネームが善意の商標面で支える、8DIOが現代コンテンツで支える、ありえない夢の伝説大同盟時代が到来したわけ。どうですこの友情この協力。戦争だ炎上だなんだとすさんだ今の時代、だがこれほどまでにメーカーたちが助け合う時代が今まであったであろうか。思い返せばこんな優しい人たちだからこそMIDIはシェア文化になりえたのかもね。そしてその土台の上に、それすら意識することなく私たちはレジェンドたちの共作の数々を目撃。これを先人たちの叡智と言わずしてなんであろう。
♬
やがてデイヴ・スミス自身「いずれ僕は会社を後人に引き継がないといけないから」と言ってDave Smith Instrumentsという社名から自分の名を消し去るために、会社の名前もふたたびの「Sequential」。Prophet-5生誕40周年に社名変更したというのは、単にひとつのメルクマールとしてのタイミングあわせに過ぎない。時代のクロックに自分を同期。時に西暦2018年。
ちなみに同年Prophet 12生産完了、5年にわたる販売期間は近年むしろ長いほう。デジアナハイブリッドシンセは同年発売Prophet Xと2020年デビューしたPRO3シリーズへとバトンタッチ。
せめてもの花道をというのでProphet 12最後の百台はリミテッド・エディションとして「アークティック・ホワイト(北極白色)」にカラーリングされ、独自の製造番号も貼り付けられた。デイヴ・スミス引退準備開始とともに引退した最強預言者12。よっぽど愛されていた機種だったのでしょう。なお2023年はProphet 12爆誕10周年かつMIDI生誕40周年である。
新旧Sequentialとは何か?
それは原理主義や前例主義や様式美におちいること無く、とらわれずスタイリッシュにいっつも新しい回答を見せてくれるメーカー。コンテンポラリーだからこそ時代を超える。でもそれにあぐらをかかない。
何よりも音を創っていると、どういうふうに音をたおやかにさせたいか、はたまた破綻させたいか、見透かされているかのように音がおいしく変化する。アナログ、デジタル、ハード、ソフト、すべて対等なパノラマ。たとえ枯れたテクノロジーであろうと、どう転んでもいい音がする手練れのエンジニアによる楽器。Slopというデジタル音痴パラメーターですらタダのランダマイズではなく、アナログを真似てズレ度合いやズレている時間すらもが刻々変化する有機的な機能。そんなもん誰が気づく?とも思うかもだが、そんなところまでシンセを熟知しているデイヴ・スミスだからこその精緻。神はディテールに宿る。そしてディテールに宿りつつも見晴らし良い視点から大局を見渡す。
♬
Prophet-6がProphet 12より売れた理由のひとつにWYSWYGユーザーインターフェイスがあると知った新生Sequential社、以降すべて表に出ている操作性を念頭に置くようになり、PRO3などもその新しいパラダイムの続きにある。それでいてPRO3ではEvolver伝来Tuned Feedback機能が健在なのは嬉しいポイント。
またエンリケ・イグレシアスもリミックスしたDJ Pabloから「パクられる前にやったら?」と言われたのをきっかけにいろいろ考え直し、結果、踏み切ったるはあんだけやらないと言ってたProphet-5のリ・イマジネーション。オリンピックイヤー2020年に驚きの発表。しかもデイヴ・スミス古希! んで現役! かくして新しいプロ5は復刻にとどまらないRev4というデイヴ・スミスならではの名答となった。タッチセンスとUSBがついたプロ5ってだけじゃないよ、コピーキャットには絶対真似できないVintageノブ! そしてここにもデイヴ・ロッサムによるSSM進化型VCFチップが入ってピース! 即ちかつて裁判までして揉めたSSMとCurtisの両方を網羅する設計! しかもRev1、Rev2、Rev3のサウンドを全てカヴァーするばかりか、新しいRev4サウンドまで提示! おまけにダメ押しProphet-10同時発表!!!!! ちょっと遅れて5声を10声にする拡張基板までご用意いたしましたとも!!! なにこの秀逸すぎるゴージャズなリマスター+新規セルフカバー・ボックスセットみたいな商法。
そしてそのあと飛びいでたるはPro-OneでもPRO2でもPRO3でもない、まったくあたらしいスピンオフとして2021年TAKE5誕生。小脇に抱える名機、小脇に抱えるプロフェット、さしずめフレンドリーなコンパクト・プロフェット、しかも新規シリーズ名となるのか、期待が止まらない。
♬
そのさらに翌年5月10日、Prophet-5 Rev4と同じく進化型としてOberheim OB-X8がOberheimブランドにてデビュー。その開発にはトム・オーバーハイムはもちろん、デイヴ・スミス、そしてかつてOberheim若手の天才エンジニアに始まりAlesis、Line6という伝説の数々をものしたマーカス・ライルも参加。3大レジェンド連合開発。
そはOB-X8であってMatrix-12でなく Prophet-5であってProphet 12でなく miniKORG 700FSも700Sベースであって700でもTRIDENTでもPolysixでもない。でも喜多郎も難波弘之も加藤孟会長も好き。
即ち最高傑作やのぅて デビュー作でものぅて 自身にとってゲームチェンジャー的なんをつくる。
人は晩年に自分の原点というか出世作というか、名刺代わりになる機種をもっぺん出して、現代への磨きをかけて未来へ投擲したくなるもんなんかな。
そのOB-X8開発を手助けしたデイヴ・スミス、そのデビューを嬉しさ満面で語る盟友トム・オーバーハイムの、積年の宿題を果たしたかのように抑えきれない、とめどなくあふれる喜びが止まらない、その笑顔を見届けた矢先、わずか20日ほど後、2022年5月31日、若すぎる享年72歳。2週間ほど前のBerlin Superbooth 2022ではあれほど元気だったのに、心不全だったとか。そしてその時ダンス系電子音楽イベント「Movement」のためにクラブ音楽の都デトロイトにいたのだという。
♬ ♬ ♬
だが歴史はここで終わらない。いや、断じて終わらせない。
♬ ♬ ♬
死せる諸葛孔明、生ける仲達を走らす。
OB-X8が誕生し、デイヴ・スミスが没して半年。 時に西暦2022年11月18日、新生Sequential社から突如浮上した大型シンセTRIGON-6。それはデイヴ・スミスが開発にかかわった最後の機種、その遺児。その姿を表した今、スミスの子供たちがゆく。
♬
PRO3にてMoog型ラダーフィルターをディスクリートで新規開発し搭載せしめたSequential社は、このVCFをもとに最強アナログポリシンセ開発に挑んだ。 これはかつてPRO2にてやはりディスクリートで開発したProphet-5型VCFとOberheim SEM型VCFとをもとに、Prophet-6とOB-6とを開発したのと同じ戦術。
6音ポリ、1ボイスあたり新規に起こしたVCOを3基搭載、4pole/2pole切替可能となった機能拡張型ディスクリート・トランジスター・ラダー型VCF、充実のポリモジュレーション、お家芸フィードバック、2連デジタルマルチエフェクト、アルペジエイターにポリフォニック・ステップシーケンサー、ユニゾンモードで3VCO x 6ボイス=18VCO斉射、ベロシティ・アフタータッチ対応鍵盤、コンテンポラリーに49鍵軽量コンパクト、無論USB装備、あげくProphet-5 Rev4みたくVintage Knobまである!
トライゴンは三角形という意味。 ポリゴンが多角形の意につき、その三つ角版と考えれば良い。むろんVCOが3基あるがゆえのネーミングであろう。
だからってMemorymoogの真似ではない。むしろMoogには無かった仕様を惜しげもなくガンガン投入、ぎゅうぎゅうぱんっぱんに押し込めた最強アナログポリシンセ。それら諸機能が結びつき一つの個体の内部で有機的に相互作用しあったとき、そのシナジーから新しい音が生まれる。モーグに似てモーグでない、新しい音。
Prophet-5ですら名機であれこそすれ最強ではなかったのだ。だからこそ、TRIGON-6には既存とは違う新しい名前が与えられた。そは未来のヴィンテ。未来の古典。今までありそうでなかった新時代アナログシンセの音。側板の木の色すらもがいつになく白い。フロントパネルのフォントも外観デザインも、いにしえへのリスペクトを踏まえつつもこんにち的。
Prophet-6 OB-6 TRIGON-6
アナログ6音ポリシンセ三部作堂々完結。しかもローンチ順に徐々にインスパイア源となったヴィンテ���らキャラが離れ、独自の遊びカラーが濃くなったのは、やはり時代が進んで市場が成熟し、それだけ審美眼も前を向いてきた現れ。亜空間銀河のはずれ、いつわりの虚空に影ばかり落とす惑星、新天地TRIGON-6、デイヴ・スミスが残した隠し玉、そこで聴く音の景色、そこに隠されたベクトルの向き。
まだまだアナログでやり残したことはあったのだ。 まだまだアナログにもデジタルにもハードにもソフトにも未来があった。それこそまだ見ぬなにかにも。 そのことを死後もなお教えていただけるとは、どこまであなたは前向きなんですか。
死せるデイヴ・スミス、電子楽器業界を走らす。いや、走らせ続ける。
♬
本稿の最後に、私も大好きなPRO2取説の冒頭文を、ここに引用ならびにNemo版超訳にてご紹介。それをもって追悼の意を込めたい。それをご覧いただくことで逝去せるデイヴ・スミスが指し示したベクトルの向きをお察しいただけたなら望外の喜びである。そのベクトルの指し示す先をめざして、私たちで彼の遺志を継いで、ともにぎっしり輝いてきらめく音の銀河を探検すべく出かけましょう。物理操作子を見てそのトルクを味わいつつ音をつくるとき、私たちは音を見て、映像を聴き、指先の圧に耳を傾けるのです。その情緒こそがフィジカルな楽器。 その伝統を継承すべく、2024年5月16日にOberheimブランドからTEO5(トム・オーバーハイム氏の本名Thomas Elroy Oberheimのイニシャルのつもりなのであろう)という5音ポリ廉価版シンセが、TAKE5と同じ設計思想のコンパクトアナログシンセとして登場したこともまた、伝説が今なお現在進行形であることを示していて喜ばしい。
なお、MIDIにおけるメーカーIDナンバーその栄えある1番は旧Sequential社であり、旧Dave Smith Instruments社であり、現Sequential社である。つねに前を向いてきた者にこそふさわしいIDナンバーと言わずしてなんであろう。
Thank You
No doubt about it: It's an exciting time to be a synth geek. You only have to look around you to realize that we're experiencing a renaissance of sorts for synthesizers. From stompboxes to modulars, synths are here in a very big way.
With the current demand for all things analog, I've been asked many times if I would ever consider reissuing the Pro-One monosynth. My response has always been the same: "You've got to keep moving forward." The simple truth is, I'm happiest creating new instruments-synths that put more power and better sounds into the hands of musicians with every iteration.
But actions speak louder than words, so here's the last one on that particular subject: the Pro 2. It's light years beyond the Pro-One in every way and is the culmination of my many years designing synthesizers. It's also the deepest and most powerful monosynth I've ever created, so it should keep you busy exploring the outer limits of sound for quite some time.
I really hope you enjoy playing it as much as we enjoyed designing it.
Thanks for the purchase, from all of us here at DSI!
Cheers,
Dave Smith
(以下、Nemo版超訳)
PRO2を買ってくれて、ありがとう。
シンセヲタにとって、間違いなく楽しい時代になったね!! まわりを見渡すだけで、今はシンセ・ルネッサンスとも言うべき一種の復興期、その真っ只中に僕たちは今いるんだって分かる。ちっちゃいストンプボックスみたいなのから、でっかいモジュラーにいたるまで、今やさまざまなシンセが堂々と闊歩している。
ちかごろアナログはなんでもかんでも大人気だから、かつての名機モノシンセPro-Oneを頼むから復刻してくれっていう声も、たくさんいただいてきたよ。でもそれに対する僕の答は、いつもと同じく「いっつも前を向いて進んでいかなきゃね」なわけ。
ぶっちゃけ言うけど、僕はシンプルに新しい楽器を作っているときが一番ハッピーなんだよ。アーティストが使うたんびに両手にパワーとサウンドがみなぎる、もっとパワーを、もっとすばらしいサウンドを両手にもたらしてくれる、そんな新しいシンセをね。
でも言ってるだけではなんだから行動で示すことにしたよ、それがこの復刻版ご要望への最新回答ことPRO2。
Pro-Oneと比べても、どの部分どの側面をとってみても何光年も先を行くくらい、ぶっちぎりの最先端モデル。それは僕が長年にわたって続けてきたシンセサイザー開発の集大成でもある。さらには僕が創ったもっともディープでパワフルなモノシンセでもある。だからこいつを使えば、皆さん新しい音色を探求するので当分のあいだ忙しくなるだろうこと請け合いだよ。
そんなわけで僕たちがこの機種を楽しく開発したのと同じくらい、皆さんが楽しく演奏してくれることを、こころから願ってます。
そしてここにいるDSIのみんなから言うね、ほんとうに買ってくれてありがとう!
じゃあね!
デイヴ・スミス
2022年11月20日 初出 2024年12月29日 MIDI策定部分を追記改訂
#dave smith#Dave Smith Instruments#sequential#dave rossum#e-mu#tom oberheim#oberheim#marcus ryle#alesis#line6#roger linn#linndrum#linnstrument#moog#bob moog#roland#ikutaro kakehashi#korg#tsutomu kato#yamaha#synth#synthesizer#analog synthesizer#digital synthesizer#vintage synthesizer#vintage synth#prophet-5#prophet-6#prophet 12#pro2
4 notes
·
View notes
Text
エンリケ後悔王子
※本テキストはPCでご覧頂いた場合雑誌風の縦書き表示となります。
先が見えない。行き詰まりのどん詰まりで我々は今抗ったり、受け容れたり、或いは諦めたりしている。想像した未来はもっと華やかで便利で、そうじゃないとしてもマトモだったはずなのに。
効率化を突き詰めればその先には『死』しかない。バンドは非効率の極みだ。その非効率を更に極め、自ら修羅の道を行く痴れ者たちことエミリーライクステニス。今回メンバー全員にインタヴューを敢行することにより、その哲学がヴェールを脱いだように思う。まずは唯一のオリジナルメンバーであるエンリケ後悔王子だ。
(聞き手:早瀬雅之)
友達もいないけど、いじめられるでもない。何もない。毎週ブックオフに行ってた
●まず生い立ちを訊こうかなと。
「出身は群馬の前橋っていう県庁所在地なんですけど」
●結構中心地というか栄えてる?
「いや、死んでますね(笑)。オリオン通り商店街っていうのが近所にあったんですけど、ブラックビスケッツが一体五万円の木彫りのブラビ像を売っていて、どうしても売れなかった最後の一体を買い取ったのがその商店街で。商店街の人が『この通りの名前もブラビ通り商店街にしましょう!』って言ってた(笑)。そんな街です」
●ええ…。今もその名前なの?
「多分…。僕が大学生くらいの時にその近くにモールが出来ちゃって、商店街は蹂躙されちゃったんですけど、そこに新星堂があってD☆SELDOMっていう安いオムニバスと、フリーペーパーを毎月取りに行ってた記憶が」
●ああ、出してたね。それが情報源みたいな。
「そうそう、音楽雑誌かそれ。タワレコは高崎に行かないとなかった。県庁は前橋なんですけど高崎の方が栄えているんですよね」
●何か栄えているイメージがあるよね。
「自分の思春期で結構(高崎に)持ってかれたかな。ヤマダ電機の本店とか」
●ライブハウスもclub FLEEZが高崎に移って。
「そうそう、G-freak factoryの根城でお馴染みの」
●家族構成はどんな感じだった?
「祖父母と両親と姉と兄と…」
●三人兄弟?
「姉貴が九個上で兄貴が二つ上ですね。だから僕が小学生のうちに大学進学で家を出ていきました」
●何か姉弟仲が良いイメージがある。
「今でも年数回会うし、兄貴も姉貴もうみのてのライブ観に行ったことがあったはず(笑)」
●その節はどうも(笑)。
「洋楽を最初に教えてくれたのが姉貴で、後は兄貴とオルタナを掘ってたかな」
●なるほど。やっぱり上に兄弟いると強いというか影響受けるし、早熟になるというか。
「そうですね。一番最初は小学生の時に、姉貴がミスチルのファンクラブに入ってたので、当時出たDISCOVERYかな。あと深海をずっとカセットで聴いてた記憶が」
●いい入りなんじゃない?
「入門編としては(その二枚は)間違っているような(笑)。あとは兄貴がビーズが好きだったから聴いてましたね」
●じゃあ結構音楽には入っていきやすい環境だったんだね。
「両親は大学の合唱団か何かで知り合ったんだっけな。あとはクラシックが好きで。音楽番組を観てると「最近のは全然わかんねーな」って機嫌が悪くなるような感じの人でした」
●タチが悪いやつだ。
「かと言ってクラシックを強要するでもなかったですけどね」
●学校ではどんな感じだったの?
「小学校入るまではものすごく引っ込み思案で。それが小学校入ってからすごい、何か陽キャみたいになって」
●え?そうなの?
「文集のランキングに入ってる『面白い人』とか『将来有名になりそうな人』とかあらかた名を連ねてるんですよ。今じゃ考えられないんですけど(笑)」
●何でこうなってしまったんだ、みたいな(笑)。
「いわゆるクラスの中心人物だったんですよね。アクティブな。でも小五くらいからかな、今思うと些細なことですけど、自分の家庭が新しいガジェットに対してものすごい嫌悪感を出すというか。プレステとかアドバンス買ってくれないみたいな。それで段々みんなの話題についていけなくなって、翳りが見えてきた(笑)」
●(笑)。
「結局小学生の「面白い」「つまらない」の尺度って如何に話題を共有できるかがほとんどじゃないですか」
●そうだね。特にゲームとか。
「あと漫画、昨日のテレビ、流行りの音楽くらいか…。段々それについていけずに、スクールカーストが下がっていく(笑)」
●でも野球やってたし、運動なんかは出来る方だったの?
「小学生までは自分が主人公だったから(笑)。少年野球で打率六割くらいあったし。『ヒット打つの簡単じゃないですか?』とか言って調子に乗ってた」
●ムカつくなぁ(笑)。
「シングルヒットしか打てなかったんですけど。早熟だったのかな。当時は背も小さくて痩せてて。段々みんな身体が大きくなって。中学くらいだともう置いてかれちゃったみたいな」
●今の感じに段々近づいてきたね(笑)。
「中学くらいで陰と陽が逆転して陰の者に(笑)。タウン&カントリーの黒い方になっちゃった」
●陰陽のマークね(笑)。部活はずっと野球?
「中学は野球で、高校も途中まで軟式をやってたけど「勝つぞお前ら!」みたいな顧問に代わって���。高校の軟式野球ってすごいヒエラルキーが低いんですよ」
●そうなの?
「甲子園もないし。甲子園決勝の一週間後に明石の球場で偽甲子園みたいなのをやってるけど、誰も気にしてないというか」
●硬式と軟式ってまったく別物?
「全然違う。硬式はボールがまず痛い」
●(笑)。
「練習が好きだったんですよ。でも試合は緊張するから嫌いで。それと硬式は甲子園を目指してレギュラー争いもそうだし、負けたらお終いみたいな…。野球は好きだけど、競争とかバトルしたくない、みたいな精神性でしたね」
●ああ、そうなんだ。
「こっちは楽しく野球やりたいのに、強要するなよ。って。その顧問は初心者をすごくないがしろにしていたし。それで辞めちゃった」
●勝ちたいよりも楽しみたかったんだね。高校のカーストは?
「中学で底辺で…。紅白戦でわざとデッドボール当てられたりするんですけど」
●イジメじゃん(笑)。
「『先輩、塁に出られてよかったッスね』みたいな。だからとにかく、輩とかしょうもないいじめっ子がいない進学校に行くしかないっていう強迫観念だけで勉強してました」
●その頃は頭はよかったんだ
「うん。学年で十番以内だった」
●おお、すごい。
「それで前橋高校っていう男子校の進学校に行って。そこはね、スクールカーストがなかったんですよ、何もない。いい大学行けるように自由にやれ。みたいな」
●グループがないの?
「いや、グループはあるしもちろんイケイケな奴もいましたけど、男子校なのでカーストを思い知らされる現場に遭遇しない。『あ、あいつ俺の好きな子と一緒に帰ってる…!!』みたいなシーンを見ないで済むというか。たぶん九割以上童貞だったはずですよ」
●男子校だとそういう劣等感は生まれにくいのかもね。
「そう、友達もいないけど、いじめられるでもなく。何もない。部活が終わったら自転車圏内にある三つのブックオフを毎週ローテーションするだけ。三週間後に行くと微妙にラインナップが変わってて。あとはツタヤで安い日に下北系を借りまくる日々」
●なるほど。
●話が戻るというか変わるけど、兄弟の影響とかありつつも、高校くらいは自分の意思で音楽を聴いてたの?
「そうですね。中学終わりくらいまで洋楽を聴いてなくて。兄貴がツェッペリンとかハードロックが好きで聴かせてきたんですけど、ハードロック伝説みたいなエピソードあるじゃないですか」
●はいはい。ありますね。
「オジーオズボーンがコウモリ食べたとか、ホテルでグルーピーと…とか。それがすごくカッコ悪く感じて」
●ああ、ロッククラシック的なエピソードが。
「『俺たち、ロックだぜ』みたいなのが嫌だったんですよ。でも中三の時に姉貴がWEEZERを『これ聴きやすいよ』って貸してくれて。それですごく衝撃を受けた。こんな冴えない人がバンドやってるんだ!みたいな」
●大味なロックバンドよりもうちょっとパーソナルなのが好みだった?等身大の。
「そうそう、等身大の。中学の野球部引退した後から邦楽のギターロックにハマりだしたんですよね。くるりから始まりモーサムとかシロップとか。ちょうどその頃全盛期だったんですよ。アジカン、アシッドマン、レミオロメンの御三家を筆頭に…」
●一番アツい時期だね。後に続けとたくさんのバンドが。
「あとアートスクールとバーガーナッズかな」
●UKプロジェクトとかQuipマガジン的な。下北が盛り上がってた頃だ。
「で、洋楽はWEEZERからオルタナとかシューゲイザーにハマっていった」
●今でもその辺りは好きだと思うんだけど。その時期に聴いていたものがバンドのルーツになってる?
「そうですねぇ、初めてやったバンドはNIRVANAのデモみたいな音質の、汚くて演奏が酷い感じだったような(笑)」
●ライブ初体験は?
「一番最初は中三の時に行ったゴーイングアンダーグラウンドかな」
●おお、意外。
「受験期にハートビートが出て、ずっと聴いてたんですよ。後は高校のとき、FLEEZにアートスクールとか観に行ってた。早瀬さんも行っていたとされる…」
●パラダイスロストのツアーだっけな。モーサムと。
「あと結成当初の秀吉が出ていた」
●意外と群馬はバンド大国だよね。
「当時はメロコアと青春パンクが強かったですね。で、陽キャがそういうのを聴いてるから逆張りで内省的なギターロックが好きだったのかも知れない。バンドに一切罪はなくても、銀杏とかが聴けなかった」
●ああ、自分が入っていく余地がないみたいな?
「そうですね」
●そこから大学に行くタイミングで上京?
「はい。東京じゃなくて横浜だったけど」
橋本君に『こんなくだらないとこ���さっさと抜け出そうぜ』って言って軽音部を辞めた
●そういえば楽器っていつ始めたの?
「中学の選択授業で体育選んだのに手違いで音楽になっていて、ピアノも辞めちゃったしどうしよう。ってなって」
●ピアノやってたんだ。
「小一から小六までやったのに何も身につかなかったけど。ト音記号の場所しかわからない。コンクール用の曲をひたすら半年前から練習してやり過ごしてたと思う。で、その授業でどうしようかなと思っていたら、いとこで駅でギター弾いている子がいて、その人がギターを貸してくれて。ゆずの楽譜とともに(笑)」
●まったく(ゆずを通った)イメージない(笑)。
「それでその曲は簡単だから何となく発表も乗り切れて。でもある日家に帰ったら兄貴がギター弾いてて、既にFとか抑えられるんですよ。『俺が借りたのに!』って。すごくムカついて(笑)」
●ああ、利用されたみたいな。
「そう。それでロクに弾いてなかったけど、高校受験の直前にギターロック聴きだしたからエレキが欲しいってなって。親に受験終わったらいいよって言われたんです。そしたら兄貴が『絶対ベースを買うべき。エレキは俺の弾けばいいから。ベース弾ければ高校でバンド組むとき重宝されるぞ』って言うんですよね」
●そうかな…。
「そしたら受験真っただ中で最初に話したオリオン通りにある新星堂が潰れることになって、弾くのは受験終わってからって約束で閉店セールでベースを買ったんです。で、勉強しててこっちは弾けないのに兄貴が弾いてるんですよ(笑)」
●ズルい奴だな(笑)。
「結局自分が弾きたいから弟に買わせると」
●それで「ベースを買った方がいい」って力説してたんだ。
「そうなんですよ。で、兄貴が僕が高二のときに大学進学でエレキ持ってっちゃって。家にアコギとエレキベースだけがある状態(笑)」
●厳しいね。
「しょうがないからアートスクールのベースをずっと耳コピしてて。部屋を暗くしてコンポ爆音でヘッドフォンつないで、小さいアンプからベースを弾いてる。親からしたら心配ですよね。子供部屋から重低音だけが鳴っている」
●うちの息子は大丈夫かって(笑)。
「受験の時もそうだしいろいろと心配をかけましたね」
●大学はどうやって選んだの?
「結果論というか、もともと大学デビューしたくて関西の方の大学を目指してたんですけど、高校の先輩が行ってた大阪大学ってところを志望校にして。センター試験って会場が適当な高校に割り振られて受けるんですけど、なんと会場が自分の高校の自分のクラスだったんですよね」
●えーすごい偶然だね。
「そのホームグラウンドで何故か受験科目を間違えて(笑)」
●何で(笑)。
「一日目にロッカー開けて確認したら『あ、阪大受けられないじゃん』って。それでやる気がなくなって高校も行かずに、もうA判定のとこならどこでもいいやって思ったら国公立の前期も落ちて、たまたま後期で引っかかって、気づいたらビーズの稲葉の後輩になっていたと。進路が決まったのが三月の二十日過ぎだったと思う」
●めちゃくちゃギリギリだな。
「ロックコミューン(立命館の音楽サークル)に入りたかったですね。くるりを輩出したでお馴染みの」
●あとヨーグルトプゥね。
「そうそう(笑)」
●そこでエミリー結成したの?
「満を持して『バンドをやるぞ!』って軽音サークル入ったんですけど。上下関係が厳しくて。しかもみんなメタルのコピバンをやっている。学園祭になるとOBたちが集結してジューダスプリーストとかやってるみたいな(笑)」
●すごいサークルの良くない感じが出てるね。
「新入生はすぐバンドを組んで五月にお披露目ライブで一曲やらなきゃいけないんですけど、僕は何故かたまたま同じ大学に進学した高校の同級生三人とバンドを組んだんですね(笑)」
●意味ないじゃん(笑)。
「陰の者同士で(笑)。それで何かコピーしようとしたけど全員下手過ぎてコピー出来なかったんです。ドラムはドラムマニア上がりでベースとギターはほぼ初心者で。だからオリジナル曲をやることにしたんです。で、同時期に橋本君ていうサークルの同期のミクシィが炎上しちゃった子がいて。『軽音部は内輪ノリでクソ寒いカスの集まりだな』みたいなのが先輩に見つかって」
●うわ怖いなー。
「その子もお披露目ライブで頭脳警察みたいなオリジナル曲やって。すごいカッコいいんですけど、めちゃくちゃ物を投げられるんですよね。ライブ中に。その後何故か僕のバンドも物を投げられまして(笑)」
●すごい荒廃してるな(笑)。
「終わった後橋本君に『こんなくだらないとこ、さっさと抜け出そうぜ』って言って辞めましたね。で、他の音楽サークルにロバートジョンソン研究会っていうのがあったんですけど」
●なんだそりゃ(笑)。
「あんまり研究してる感じはなかったかな(笑)。まぁ、ブルースとかハードロックのコピーをする割と穏健派のサークルだったんですけど。新歓行ったら最後に名のあるOBみたいなのが袖からわらわら現れて、十人ぐらいで「いとしのレイラ」を弾いてるんですよ(笑)」
●それは、ダメだね(笑)。
「ここもダメだって(笑)。で、ある日ロック研究会っていうサークルが大学の路上でライブをやってて。JR ewingっていうノルウェーのハードコアバンドのカバー…その時はカバーって知らなかったんですけど。それを演奏してて、ドえらいカッコよかったんです。赦先輩の同級生たちだったんですけど。で、そこに入ろうと思ったら、『ここはサークルというか半年5000円でスタジオ利用権をバンド単位で買う人たちの集まりだから、まぁ好きにしなよ』みたいな」
●へー。
「当時赦先輩はすごい怖い先輩とスリーピースやってて、赦先輩も怖かったんですよね」
●ちょっとイメージと合わないね(笑)。
「そうですね。『後のバンドメンバーである』って漫画だったらナレーションがつく」
●『この時はまだ知る由もない』みたいな。
「(笑)」
今日大学ですごい面白いことあったのに、ライブで今歌ってるの、めちゃくちゃ暗い歌詞だなぁコレ
●なかなかエミリー結成しないね…
「いや、その同級生とのバンドが大学一年の終わりくらいに解散しちゃって、遅いハードコアをやってたんですけど」
●遅いハードコア(笑)。
「で『よし、今度はシューゲイザーをやろう』ってエミリーライクステニスが結成された」
●シュー…ゲイザー?
「当初はギタボが自分で、ベースが女の子で、ドラムは残留して、あとギター兼フルートがいた」
●編成だけ聞くとそれっぽいね(笑)。
「そうなんですよ。で、新歓ライブをやったらフルートが『カッコ悪いことしたくないわ』っ���抜けちゃって」
●曲はオリジナル?
「全部自分が作ってましたね。で、スリーピースになっちゃって、ギター二本ないとキツいわって思って。当時僕とドラムがポストパンクにハマってたんで、じゃあそういうのをやろうってなって。それが2008年の夏くらいかなぁ」
●なるほど。バンド名はずっとエミリー?
「そう。でもその後ドラムがギャンブルにハマっちゃって」
●ああ、良くない方向に。
「どうしたんだよ、って家に行ったらスロットの筐体が置いてあって」
●もうダメだ。
「それで脱退して途方に暮れてたらバイト先にクロアチア人が入ってきて。『ドラム出来ます』って言うからあ、ちょうどいいじゃん!って。デヤンさんっていうんですけど」
●加入したの?
「うん。クロアチアン・パンク時代ですね」
●そんなのあるの?
「いや、わかんないです(笑)。で、その人がライブの前日に『もうすぐ子ども生まれるからライブ無理かも』ってメールがきて、マジかと思ってたら翌日普通にリハ来てるんですよ(笑)」
●(笑)。
「『赤ちゃん大丈夫?』って訊いたら『昨日生まれて今ガラスん中入ってるから大丈夫』って」
●ガラスん中(笑)。
「それがきっかけかわからないけど、家族の圧により2009年の春くらいに脱退して。その後ベースも辞めるってなって」
●とうとう一人に。
「そう、で、どうしようと思ったんだけど、サークルの一学年後輩に泉君っていう毎日JOJO広重のブログを読んでる子がいて」
●だいぶオルタナティブだな(笑)。
「その子にベースをやってもらって、あと二つ下の武井君って子がドラムに加入した」
●だいぶ変わったね。
「でもその頃の音楽性はポストパンクとニューウェーブみたいな感じのままですね。で、どこでライブやっていいかわからないから、横浜…中華街の近くのライブハウスに毎週出てた」
●あーあそこね。
「そう、あれは本当に時間の無駄だった」
●(笑)。
「ブッカーにすごいナメられてたんですよね。暇な大学生の穴埋めバンドって」
●学生のバンドっていうのはねぇ…。
「酷い時は『来週の水曜日出れる?』みたいな。で、『面白いイベントになりそうなんだ』って言うから出てみたらアコースティック・ナイトってイベントで(笑)」
●酷いな(笑)。ありがちですね。いや、ありがちじゃよくないんだけど。じゃあ横浜が多かったんだ?
「あと下北のいろんなところに、殊勝にもデモを送ってたんですよ。モザイクとか251とか、今思うとちょっと違うんだけど(笑)」
●カラーが違うね(笑)。でもちょっとずつ広げようとする気持ちが。
「あと当時MySpace全盛期で」
●流行ってたね。
「そこでモーションとグッドマンと…葉蔵さん(中学生棺桶、例のKのボーカル)が働いてた頃のバベルかな。誘ってもらって。『あ、あっちから誘ってもらえることあるんだ!?』みたいな」
●『音源を聴いて連絡しました』みたいなのね。
「そうそう。まぁ、いわゆる平日の条件で今思えばアレですけど、それでも嬉しかったですよね。だからその人たちの悪口は言えない」
●(笑)。見出してくれたから。
「別にそこから鳴かず飛ばずですけど(笑)」
●(笑)。でもそこで知り合ってまだ付き合いがあるバンドがいる。
「そうそう。だから初めてモーション出たときのブッキングは今でも覚えてて、クウチュウ戦(現Koochewsen)、ギター大学、プラハデパートっていう」
●すごいメン��だな(笑)。
「すごいですよね。で、クウチュウ戦なんて年下じゃないですか。なのに上手過ぎて。『え!?東京ってこんなにレベル高いの??』。もう、幽遊白書の魔界統一トーナメントみたいなモンですよ」
●こんなすごい奴らが何の野心も持たずに…っていうやつね(笑)。
「そう、雷禅の喧嘩仲間のくだりね。で、初めてバンド友達が出来たというか。otoriとかもかな」
●音楽性的にも共鳴出来て。
「同世代だし。そんな感じでやってたんですけど、ライブやった後めちゃくちゃテンション下がるんですよね。当時の音楽性が」
●自分たちの音楽性のせいで?
「そう、お葬式みたいな気持ちになるというか。早瀬さんは四人になってからしか観てないと思うんですけど。当時は歌詞も暗いし」
●今とは全然違うね。
「うん。リフとか再利用してるのはありますけどね。普段部室で泉君とムーの話とか未解決事件の話をいつもしてて、そういう瞬間はテンション高かったり楽しかったりするのに、ずっと暗いことを歌ってなきゃいけないのはしんどいなって」
●最初の部活の話と少し繋がってくるかもね。
「うん。あと暗いバンドをやっていると暗くなきゃいけないと思っていて。打ち上げはしちゃいけない。みたいな思い込みもあり(笑)」
●イメージに縛られ過ぎてる(笑)。
「でも『死にてぇ』とか歌ってた人が打ち上げで乾杯してたら違和感あるじゃないですか。そういう強迫観念で自家中毒になってしまったというか。『今日大学ですごい面白いことあったのに、ライブで今歌ってるの、めちゃくちゃ暗い歌詞だなぁコレ』って」
●過敏だったんだね。
「センシティブだったんですよ。グッドマン出ても(ブッキングの)鹿島さんにすごいディスられてたし」
●ダメ出しが。
「で、MCだけすごい褒められる(笑)。当時三曲くらいやると僕が小噺をして(笑)」
●面白エピソードみたいなのを。
「『この間バイト先で…』みたいな。今思うとああ、平日のモーションだなぁって思うんですけど(笑)」
●そうだね(笑)。
「でも『この後もカッコいいバンドばっかり出るんで最後まで楽しんでいってください』とかは言ったことないですよ」
●『名前だけでも覚えて帰ってください』みたいな奴ね。
「(笑)。そう、それも言ったことないです。で、だんだんしんどくなってきたんで、どうしようかなと。当時の曲作りが僕がリフを持っていって、泉君がめちゃくちゃにするみたいな感じでやっていて。ドラムの武井君はすごいいい奴なんですけど、当時から曲の展開が多くて、たまに展開を忘れて、止まっちゃうんですよドラムが(笑)。ドラムの音がなくなったその瞬間僕と泉君がキレて楽器を投げつけてしまう。そういうことをしてたら『正直もうしんどいッス』って言われて、本当に申し訳なかったなと思いますけど」
●行き詰ってるね…。
「当時二学年下に獣-ビースト-とT-DRAGONがいたんですよ。僕が四年生、泉君が三年生の時です。みんなロック研究会にいたからそれなりに話してたんですけど、T-DRAGONは当時ノイカシのシグマとよくわからないバンドをやってて、あんまりパっとしなくて。獣-ビースト-はもっと謎で、時折八時間くらいスタジオ抑えてるんですけど、一人で入ってて何やってるかよくわからないんですよ」
●怖いな(笑)。
「本人曰くテクノっぽいのを作ってたらしいんですけど、結局一度も日の目を見ることなく。で、見た目がセドリック(At the Drive-Inのボーカル)っぽいじゃないですか。当時今よりもセドリックっぽかった。それでT-DRAGONに武井君の代わりに叩いてってお願いしたら、ライブとか観に来てくれてたのもあり割と快諾してくれて。で、獣-ビースト-に『At the Drive-Inみたいなバンドをやることになったから。ボーカルやって。この日スタジオいるから』ってメール送って。返事がなかったんですけどちゃんとその日スタジオに来てくれて、漸く今の編成の原型が出来たんですよ」
●やっと今の形に!
「いやー長いですね。この時点で大学卒業する直前ですね」
仕事に好きとか興味とか求めない方がいいな。土日休みならバンド出来るから
●就職とかはどうしたの?
「大学三年の秋くらいに『どうしよっかなぁ』って出版社とか何となく受けていて。で、僕はマルチタスク機能がものすごく低いんですよ。いろんな会社を同時に受けるみたいなのが出来なくて、一社受けてそこそこのところまで行って、落ちて、また別のところにエントリーして、みたいな」
●落ちるとゼロになっちゃう。
「そう。変に真面目なところがあるんですよ。面接で絶対「弊社が第一志望ですか?」って訊かれるんだからそこ以外受けちゃダメだよな。みたいに思っていた。あと某音楽雑誌の会社も受けたんですけど圧迫面接だったんで逆ギレして帰った」
●えー圧迫面接なんだ。
「エントリーシートに物凄い熱量をぶつけたんですよね。そしたら面接官に鼻で笑われたというか。『随分音楽が好きなんですね。ハハッ』みたいな。ライターの坂本真里子が好きだったんで受けたんですけど。まぁ入る価値のない会社ですね!って」
●すごいな。
「そういう感じで疲弊してきたからとりあえずモラトリアムを伸ばそうと、大学院行こうかなぁって思ったんですよね。そしたら親もそうだけど姉がすごい説教をして。うちの姉はすごい傾き者なんですよね(以下、傾き者エピソード)。で、大学院も行かない方がいいか、と。それでもう仕事に好きとか興味とか求めない方がいいな。土日休みならバンド出来るから。って今の会社に入ったんですよ」
●就職してからバンドとの両立はどうだった?
「難しいというか、当時僕が一番年上で唯一社会人だったからノルマとかスタジオ代全部負担してたんですよね。それがキツかったかな(笑)。たぶん2014年初頭くらいまで」
●結構最近までじゃん(笑)。
「獣-ビースト-とかT-DRAGONが就職するまでは基本的にあまり負担させないようにしようと。赦先輩も当時サポートだったし。でもグッドマンとモーションは本当に良くしてもらったから。あと両立と言うか…。僕大学を卒業する時に大学の近くに引っ越したんですよ」
●卒業するときに?
「意味がわからないんですけど。入った会社が家賃補助がないということに気づいて、極限まで安いところに住まなきゃって。本当にヤバい、タックルしたら崩れるような家。後にT-DRAGONもそこに住むんですけど」
●安いってどれくらいなの?
「えっとね、18000円」
●安すぎでしょ!!
「七畳+キッチン+風呂トイレ別でそれですからね。本当は20000円だったけど入るときに『大学院生です』って言ったら安くしてくれた(笑)」
●いいなぁ。
「いや全然良くない。ボロいなんてもんじゃないですよ。木造の長屋を三分割して三部屋になってるんですけど。築は…五十年くらいかな。で、風呂が外にあるんですよ」
●共用?
「いや、共用じゃなくて、もう一つのプレハブ長屋みたいなのがあって、それが三分割されてるんですよ」
●なるほど。
「で、その外風呂が、外からしか鍵がかからない(笑)」
●閉じ込めることしか出来ない(笑)。
「そう。で、大学が近いので土日のスタジオは大学でやってたんですよね。ライブは基本土日で。平日のライブの時は誰か後輩に楽器を託して…。無理やりやってましたね」
●その頃はもう割と東京のオルタナシーンに食い込んでる感じの。
「確かうみのてと対バンしたのが2012年初頭で」
●一月だった気がする。
「グッドマンでね。あれが転機っていうと大げさですけど」
●いわゆるライブハウスに良く来る人たちに知られた感じかもね。
「その頃はやたらトリプルファイヤーと対バンしてた気がする。2012年から今でも親交がある人と一緒にやり始めた」
●まだ2012年だ。
「長いですね。とりあえず赦先輩が入るまでの話をすればいいかなって…」
●いつだろ
「2013年の春くらいかな。で、2012年の春に泉君が大学院に進学するんですけど、関西に行っちゃったんですよね。もう続けられないねって。で、サークルのかなり下に内海君ていうスキンヘッドの子がいて、見た目がいいから誘った。それが失敗だった(笑)」
●まぁいろいろ、あったね(笑)。
「うん、いろいろあった(笑)。それでバンド辞めてもらって。赦先輩はしばらく連絡もとってなかったんですけど、サポートやってもらえませんか?ってお願いして。で、なし崩し的に正規メンバーになってもらった。現在に至る」
●赦さんが入ってだいぶ音楽性に幅が。
「内海君の頃までほとんど僕が考えてたんですけど、赦先輩が入って初めてスタジオで曲を練り上げる、みたいな。バンドっぽくなってきた」
●他のメンバーのエッセンスが入ってきて
「こういうフレーズはどうかな、とかイメージを膨らませたり」
●やっとバンドらしいエピソードに(笑)。
「そこまで辿り着くのに五年くらい要してる(笑)」
●そこからは今に至る。
「メンバーは変わらないけど、音楽性はだいぶ変わったかな。ハードコアが薄れて…何というかメタ的な曲が増えた」
●そうだね、ハードコアでもプログレでもない、何とも言えない。
「何とも言えない(笑)。演劇の要素だったり、曲の中にもう一曲あったりとか」
●はいはい。
「構ダンカンバカヤロー!を観て『あ、こういうのでもやっていいんだ』とかボーダーを再確認させてもらってますね」
●アウトとセーフの線引きを。
●バンドの成り立ちはこれくらいにして、曲のアイデアとかどういう時に考える?
「基本のリフは今でも僕が考えるんですけど、スタジオで試して、カッコいいだけだとボツになるんですよ(笑)」
●(笑)。
「後はコンセプトをみんなで固めて。リフのパーツを無数に作っておいて、当てはめる感じ。シチュエーションとか」
●コンセプトありきでそこから曲と歌詞?
「それがないと今は逆に作りづらいですね」
●歌詞は誰が?
「今はほとんど獣-ビースト-です。Brand-new suicides(エミリーの楽曲の中に登場する架空のバンド)の曲だけ僕ですね」
●そうなんだ(笑)。ライブの時の意識は変わってきてる?
「昔はカッコよく思われたいみたいなのが多少あったと思うんですけど、今はもうとにかく面白いかどうか、みたいな。『さぁ、消費しろ!』って。最悪『何も思い出せないけどとにかく楽しかった』でいいや。って。���よくわかんなかったけど面白かった』でいい」
●それはすごくいいことだと思う。
「『よくわかんないけど凄い』という方向だと絶対勝てないじゃないですか。グランカとかルロウズとか。最高峰に。そっちは無理だから、変化球で攻めるしかない」
●ライブ中ってどういうことを考えてる?
「なるべく仕事のことを考えないようにしている(笑)」
●(笑)。
「ハンターハンターのシャルナークのオートモードみたいな。あれに近い感じになると割といいライブが出来ますね。今何を弾いてるとか一切考えずに弾けるときがあって。逆に『このフレーズ難しいんだよな』とかふと思い出すと弾けなくなっちゃう」
●邪念が入ってくるとね。
「だからなるべくオートモードで弾くようにしたい」
●展開がすごく複雑だから身体が覚えるまですごく時間がかかりそうな印象があるけど。
「でも正直、曇ヶ原(エンリケ後悔王子が過去在籍していたプログレバンド)より全然覚えやすいですよ」
●マジか(笑)。
「曇ヶ原はA→B→フォントが違うA→フォントが違うBみたいな感じで繰り返しが多いけど微妙に違ってて。でもエミリーはとにかくAからZまで覚えるだけなので(笑)」
●なるほどね。
●平日はどういう生活をしてる?
「仕事に行って、帰って、疲れて寝る。みたいな(笑)。『無』でしかない」
●仕事終わった後に何かするって難しいよね。
「平日何も出来ない病なんですよ。かれこれ十年」
●音楽は聴いてる?
「精神的にキツいと音楽も聴かなくなるというか、耳馴染みがいいやつしか聴けない時がある」
●新しい物を受け入れる体力もない時はあるよね。
「昔のJ―POPとか、中高のとき聴いてたのとか」
●最近はどんなのを?
「ジャンル的にはユーロビートですかね」
●ええ!?
「あれって速いんですけど、リフ的にオイシイというか。ファミレスで言うとミックスグリル定食みたいな曲ばっかなんですよ。キラーリフてんこ盛りみたいな」
●詰め込んである感じで。
「これは意外とヒントがあるなと」
●なるほど。バンド的に取り入れるぞ!って意識で聴いてるの?
「サウンドは取り入れようがないので、和音のリフとかフレーズを参考にしている感じ。あとは昔J―POPとして聴いてた、例えばglobeとかSPEEDとか、それをCDで聴き返すとめちゃくちゃ発見がある。『この曲のバンドサウンドすごいな』とか『あ、あの曲のパロディーなんだ』みたいな」
●メロディーしか覚えてなかったけど、聴き返すとアレンジがすごい、みたいなのはあるよね。
「そうそう。小さい頃はマイラバの声は『すごい声だな』って。オーバーダビングの概念がないから(笑)。みんなホーミーみたいにああいう声を出せるんだと。ミスチルとかめちゃくちゃハモれてすごいなって(笑)」
●すごい技術だ(笑)。
記録媒体として一番長持ちするのは石か壁画なんですよ。レガシーをね、遺したい
●バンドをやってもう結構な歴があるけど、やってなかったらどうなってた?
「うーん。土日関係ない仕事をしてたかなぁ。あの…中学の時の夢が『オリックスの球団職員になること』だったんですよ」
●球団職員なんだ(笑)。
「プレイヤーとしての限界は悟ってたので(笑)」
●裏方でもいいから野球に携わるという。
「もっと前は小説家とか、マンガ家とか。いわゆるキッズが憧れるクリエイティブ職になりたかったけど。バンドやってなかったら…。ちょっと想像つかないですね」
●例えば今の生活からバンドが何らかの理由でなくなったとして、今の仕事だけ続けてくのは気持ち的にしんどい?
「しんどいですね。実際今それに近い状況になっているけど…。表裏一体というか、それでバランスとってたんだなぁって。普段はバンドと野球とハリエンタルラジオだけで生活出来たらいいなって思ってたのに(笑)」
●なるほどね。
「仕事以外のコミュニケーションが欠乏してて、ストレスが溜まっていく。バンドメンバーって十年近く、今まで少なくとも二週間に一回は会ってたのに。その人たちに一ヵ月以上会わないのは違和感がすごくて」
●フラストレーションが溜まってる感じ?
「この間スカイプでバンド会議みたいなのをして『いやぁ、楽しいなぁ』って(笑)。普段赦先輩がスタジオ遅刻するとすごく嫌な対応をみんなでしてたのに(笑)」
●失って初めてわかる大切さみたいな。
「前よりも優しくなれるかも知れない(笑)」
●今はこういう状況ですけど、また落ち着いた頃にこうしていきたいとかバンドである?
「昔の自分みたいな、基本的に陰の者に『楽しいなぁ。バンドやってみたい』とか思われたいですよね。以前モーションで話しかけてきた男の子が、二十歳くらいなんですけど。『僕もバンド組みたいです!』って言ってて、あ、嬉しいなって思って。その後コンパクトクラブで群馬に行ったときにその子がまたいて『僕、バンド組みました!』って嬉しそうに報告してくれたんですよ」
●普通にいい話だ(笑)。エミリーは水とかうちわとかいろんな形態でリリースしてるけど、今後こういうのを出したいとかある?
「そうですね。僕が考えていたのがダウンロードコード付土地なんですけど]
●(笑)。
「10万円くらいの離島の土地を買って、そこに看板とQRコードを貼って、辿り着きさえすればフリーでダウンロード出来るみたいな(笑)」
●なるほど。
「アドベンチャー型音源」
●面白いな(笑)
「石碑でもいいけど。記録媒体として一番長持ちするのは石か壁画なんですよね。だから最終的にはそれでリリースしたいんですよね。将来オーパーツみたいになるかも」
●遺跡として遺っていくかもね。
「レガシーをね、遺したい」
6 notes
·
View notes
Text
Stay Home

4月になりましたね 新型コロナウィルスにより世界中で外出自粛・禁止要請 衛生品の入手困難が続いているなか 出無精在宅ワーカーで潔癖症な私と 非常時こそ強制出勤な肉体系公務員の夫の生活は 今の所なにも変わっていないのですが…
本来は、各世帯様々な理由で 外出自粛はフラストレーションが生じることではないかと思います これから家づくりをされる方は、インドア派でもアウトドア派でも家での時間を思い切り楽しめるよう、どんな環境であればより快適なのか、どうか熟慮して建築計画を… インドアな我が家の場合 室内にいながらにして屋外の空気感も常に楽しめるよう 内と外との繋がりを強く意識した家づくりにしてあります 内側からは、中庭や公園の木々で季節を感じられるように 外側からは、風と光を心地よく取り込む計算を入念にしました これは、ウィルス以前に普段からの体調や精神衛生、家自体(木材など)にも密接に作用してくることで 多くの家に対して良い効果が出ることだと思います 風を通す・光を当てる・水分と温度を最適にする・汚れたら清潔にする
私はこの単純なことを大切にしていて 人間、動植物、菌、家自体に対しても、共通して心がけるようにしています

家の前の公園の桜が、今ちょうど満開です 窓を開けると花弁がふわふわ入って来る…(そして捨てる😂) 木々のラインナップに魅了されて借景出来るこの土地を選びました 都市計画も調べたし、公園なので基本的になくなることはないんですが あくまで借りているだけの景色なので永遠のものではないと覚悟しつつ 今年も見られたこの光景に感謝だけして いつか変わるかもしれない景色も窓越しに見つめていこうと思っています
ポエミーじゃん…

少し前は、枝物の桜を飾っていました 卒業シーズンで本来売られるはずだった切花😭

デスクまわりです 差し込む光と季節に合った少しの植物があれば… 大丈夫…豊かな気持ちになる…充分なるなる…… (借景がなくなった時のための自己暗示)

通年通り、家の中で春を楽しむのが好きです この家が好き過ぎるんだ…

1Fのフリースペース どう使うかあえて用途を決めていないSOHO部屋で 将来的には民泊やテナント等、基本的に収入を見込んでいますが 最近、イートイン出来る数量限定のおにぎり屋さんとかやりたくなってきました…空いた時間でロゴとか名刺のデザイン考えちゃってる… ちょこちょこあれやりたいこれやりたい言うと思うのでユーザー様も私の迷走を見守ってください… 迷走するビジョンを見られる部屋です😂 こちらにはミモザを買っておきました

春告げの花^^ ミモザにも色々あるけど、これはギンヨウアカシアかな 南側のバルコニーではサンカクバアカシアとパールアカシアの苗を育てていて そちらも苗ながら少し花をつけてくれました

寝室から見る北側の小さいバルコニー 一点置きしているモミジが芽吹き始めています

私は趣味が少なく、衣食住を追求するくらいしか興味がないのですが 家での主な娯楽は映画鑑賞です!(クソど定番だった…) 使っているのは、SONYのポータブル超単焦点プロジェクターLSPX-P1 明るさが100ルーメンで高額なのがウィークポイントだったんですが 販売終了が心配だった&価格が予算内になった(ま〜たAmazonアウトレット張り込んだ)ことで、昨年勇気を出して買いました 結局日没後しか真剣に映像を観ない生活になったので明るさは特に問題もなく(日中の場合はポスター感覚) 今では後継機種が出てくれなかったらどうしようと既に不安な程に我が家に必要不可欠なツールです 1日4時間の使用で5年程が寿命らしいコワイ 壁にピッタリつけるとテレビのようなサイズ感で 壁から少し離すと非日常の大画面になります また、本体を回転させるとテーブルなどにも映せるので 投影場所を選ばず気軽に使えます! 超単焦点で人影が写る心配もなく、充電式でポータブル、設定も操作もスマホで簡単に出来るし、何より意匠性が群を抜いて好き 単体でも使えますが音がザラつくのでBOSEのポータブルスピーカーに繋いでいます ガジェット感覚なので、本気でシアタールームにしたい人には映像が未熟だし定価10万の商品としては高すぎると思いますが もし低価格で売られたら(売らない)教材レベルで全国民持って欲しいアイテム これがあれば時の概念など消える…

プロジェクターに絡めていつか話したいな、と思っていたのですが テレビ(地上波)を観なくなって3年経ちました
今まではある程度テレビをBGMに暮らしてたのが 新居でアンテナ設置のタイミングが合わずテレビなしで生活がスタートし 音も情報も自分で精査するようになったのがきっかけです その後、久々にテレビをつけた時に放送内容の多くが自分の価値観に合わないことに気付きました 今後は多様性の時代であること 性別・人種・年齢・見た目・人生設計そのどれもがセンシティブなことで 自他境界線を守るのが大切だと私は思っているのですが 私自身も過去に得た偏見から抜けきれない所がまだまだあって それは次世代のために早急にアップデートすべきだと思っています そんな中いまだにメディア側が、時代に逆行した同調圧力・偏見の再生産をしていたり 問題に対して不安を煽るだけだったり、本質を取り違えていたりするので ワイドショーやバラエティはもちろんニュースも違和感ばかりになってしまいました 逆に地上波の外で倫理観ゼロの人もいれば、地上波の中で真摯に発言をしている人もいる でも第三者を挟んで切り貼りする放送では、それが正しく捉え辛いです どんな思想の人が、どういった目的で発信してるのかを意識した時 無意識にメディアを観ることは怖く、情報源として扱えなくなってしまいました 非常時の今はまさにそれが顕著だと思うので 日々状況が変わる中でも自分で選んだ情報を迅速にとるようにしています

先ほど自他境界線の話を少ししましたが どんな人間も否定はしないけど、加害性だけは批判の対象なので買い占め転売ヤーは滅んでという気持ち😇 ちなみに私は潔癖症なので衛生用品のストック(1つ使い切ったら1つ買い足すルールで)の絶対値を決めています その他にも非常時に役に立つものは大体ローリングストックしています 建築計画中から何をどこにどれだけ入れるか逆算して必要な分だけ収納を作って頂きました 潔癖症って“そんなに気にしても死なないよ”くらいの印象持たれがちだし パートナーにすら理解してもらうのに時間がかかったのですが “気にしないと死ぬ”今の状況下になってこのストックが役に立っている皮肉…
でもこれは結局、潔癖の人間にとって精神安定剤のようなものだし多分めちゃくちゃ菌に弱いので、ストックなくなった瞬間に心も体も病むから最終的に意味はない ただ、コロナをきっかけに人類の衛生概念がアップデートされて 外食時に手の洗い方がガチだったり座席やその他共用部を除菌シートでめちゃくちゃ拭きまくってる人(私だよ)がいても“自分はそこまでしないけど、あの人はそうなんやな”くらいな世界線になってて欲しい…

こんな感じの意識の中、私は家での時間を過ごしています 今はいつも通りの我が家も ここから状況はどんどん悪くなるはず 出来ることから粛々とやろうと思います 不安な中ですがどうか皆様も お家の中では少しでも楽しい時間を過ごされますよう…

●我が家と同じように建築家と家を建てている方のブログ集はこちら。 これから家づくりをされる方は是非ご参考ください。
●当サイトはDisqusという安全なコメント機能を設置しています。お持ちのDisqus/FB/twitter/Googleアカウントでコメントをご投稿頂けますが、“ゲストとして投稿”にチェックを入れるとアカウントなしでお気軽に書き込んで頂けます。コメントは管理人の承認後に表示されます。
1 note
·
View note
Quote
怪しいインビテーション・フロム彼方 夏休みに、知らない人に誘われて、��らない人たち5人と、知らない国の知らない場所を旅することになった。twitterで、今まで全く交流がなかった人から突然誘われたのだ。なぜ誘われたのかもわからないし、なぜ、自分がその誘いに応じたのかもわからない。 当時の私は、激務で有名な会社の、最も激務と噂される部署で働いていた。会社の机で眠り、近くのジムでシャワーを浴び、充血した目でエクセルを叩く。正月もゴールデンウィークもなかった。ウイグル旅行の誘いが届いたのは、そんな折だった。 メッセージが目に入るやいなや、発作的に行きたいと返事をしてしまったが、後になって疑念が湧いてきた。メッセージの主は、いったいどんな人なんだろう。私は当時、人と絡まない孤高のスタイルでtwitterをしていたのでDMがきたこと自体初めてだった。 とにかく、行くと言ってしまったのだから、休みをとらなければならない。その時点で夏休みを取得する予定はなかった。取得できるのかもわかっていなかった。 どうしてウイグルなんかに行くんですか 休暇取得を申し出る私に対し、職場のみんなはやさしかった。みんな忙しいのに、「仕事は引き取るから」「ゆっくり休んで」と言ってくれた。しかし、旅行の詳細を聞くと、同僚たちの善良な笑顔はさっと曇った。 彼らは問う。 「どうして、ハワイでもセブ島でもなく、ウイグルなのか」 「どうして、親しい友人や家族と行かないのか」 もっともな疑問だ。私は、どうして、気が合うかわからない人々と、楽しいかわからない場所に行こうとしているのだろう。自分にもわからない。どちらかといえば、こちらが問い返したいくらいだ。 「どうして私は、知らない人とウイグルに行くのでしょう?」 私は、夏休みまでに仕上げなければいけない書類の山を見つめた。 羽田からウルムチへ 早朝の羽田空港国際ターミナルで、私は疲れ果てていた。休暇を目前にひかえる中で押し寄せる仕事の波に飲み込まれ、家に帰れない日々が続いていたからだ。最終日も仕事が終わらず、徹夜で職場から直接空港に向かう羽目になった。 今回の旅行メンバーは、男性3人・女性3人。私以外は、大学時代のサークルを中心としたつながりのようだった。それだけ聞くと、「あいのり」や「テラスハウス」のような、青春の匂いただよう若い男女の旅行なのだが、グループからはそれをかき消す不穏なバイブスが満ち満ちていた。 なかでも完全におかしいのは、グループの中に「尊師」と「レーニン」を称する人物がいることだ。通常、「尊師」というのは、オウム真理教教祖の麻原彰晃(本名・松本智津夫)を意味し、「レーニン」というのは、ロシア社会民主労働党の指導者であり、ソビエト連邦を建国した人物であるウラジミール・イリイチ・レーニンを意味する。 テロ、あるいは革命という形で、国家体制の転覆をめざした宗教的・政治的指導者が、なぜ一同に会しているのだろう。空港前で集合しているだけで、破壊活動防止法(通称・破防法)の適用対象団体となってしまいそうだ。 ともあれ、この時点で、今回の旅行が恋と友情の甘酸っぱい青春旅行になる可能性は限りなくゼロだ。麻原彰晃とウラジミール・レーニンが旅を通じて友情を深め、それがいつしか愛に変わる……。そんな突飛な話は、両者の思想的相違点を考慮すればおよそ考えられないだろう。 私は、国家転覆を試みる宗教家でもなければ、社会主義の革命的指導者でもない。どうしてこの旅に誘われたのだろう。ぷくぷくとふくらむ疑問と不安を乗せて、飛行機は羽田を旅立とうとしていた。 尊師とレーニン 羽田からウルムチへの長い移動中に分かったことがある。尊師は、工学の修士号を持つ知識人であり、特定の宗教とのつながりはないということだ。「尊師」というのは、極めて不謹慎なあだ名にすぎない。 では、旅の同行者にふさわしい安全な人物かというと、そんなことは決してなかった。尊師は、無邪気な下ネタをガンガン投下してくるという反社会的な性質を有していた。 例えば、北京の空港でのことだ。 「マーン・コーヒーだ!見てください!マーン・コーヒーですよ」 尊師は、北京空港内のオシャレなカフェチェーンを指差し、目をキラキラ輝かせて写真を撮りはじめた。そのとき、私は「どこにでもあるチェーン店になぜ興奮しているのだろう」と不思議だったのだが、後になって、それが低レベルすぎる下ネタであることに気がついた。もっと早く気づいてしかるべきだったのだが、工学の修士号を持つ知識人が、そんな知性ひかえめのジョークを言うとは思わなかったのだ。 他の同行者もまた、尊師の被害を受けていた。 尊師 「ちんマ!? ちんマ!?」 同行者「ちんマってなんですか?」 尊師 「ちんマというのは、ちんちんマッサージのことです」 同行者「……」 それ以来、その人は、尊師には何も質問しないと決めたという。 尊師が、大きな身体のうるさいお兄さんである一方、レーニンは、小柄でツインテール姿の、無口でちょっぴりエッチな美少女だった。 ちなみに、ちょっぴりエッチというのは、彼女が尊師の下ネタをときどき拾ってあげていたのを私が面白おかしく書き立てているだけだ。実際には、彼女は、渾身の下ネタをた���たびスルーされ、ときにはうるさいと一喝される尊師を気遣っていたのだと思う。 なので、正確には「レーニンは、小柄でツインテール姿の、無口で心優しい美少女」ということになる。それでいてソ連のコミンテルンを率いる革命的指導者であり思想家だなんて、今すぐアニメの主人公になれそうだ。 それにしても、尊師もレーニンも、私の凡庸な日常生活には絶対にあらわれないタイプのキャラクターだ。二人とも、普段は善良な労働者として社会に潜伏しているらしいので、本当は自分のまわりにもいるのかもしれないが、それを知るすべはない。 「ずいぶん遠いところにきちゃったなあ……」 あまりの非日常感にめまいがした。まだ、目的地にさえついていない。 謎の秘密結社・うどん部 新疆ウイグル自治区は、中国の最西部に位置しており、国境を接して南にはインドがあり、西にはカザフスタン・キルギス・タジキスタン・パキスタンが連なる。古くからシルクロードの要衝として栄え、ウイグル人・カザフ人などの多民族が住む、ムスリムが多い中央アジア文化圏だ。 今回の旅程は、新疆ウイグル自治区の玄関口であるウルムチを経由し、前半は電車でトルファン、カシュガルを巡り、後半は車でパキスタンとの国境であるタシュクルガンまで足を伸ばすというものだ。 羽田からウルムチまでの移動にまる一日かかるため、実質的な旅のスタートは二日めのトルファンからになる。隣の国のはずなのに、移動の体感的にはヨーロッパと同じくらい遠い。 私たちがトルファンに到着して最初に向かったのは、ウイグル料理店だった。 「やはり我々うどん部としては、まずはラグメンの調査からですよね」 旅行の主催者である女性は、ニコニコしながらそう言った。ラグメンとは、中央アジア全域で食べられている麺類で、うどんのような麺に、トマト味のソースがかかった食べ物だ。 なんでも、今回の旅行は「某大うどん部」という、大学のうどん愛好家サークルの卒業生を中心としたメンバーで構成されているらしい。旅の目的のひとつも、ラグメンを食べることで古代中国で生まれたうどんの起源を探ることにあるのだという。 「うどん部……?」 私は思わず考え込んでしまった。特にうどん好きというわけでもない自分が誘われた理由がわからないと感じたこともあるが、一番の理由は、今回のメンバーが「うどん部」という言葉がもつ牧歌的かつ平和的な響きからはおよそかけ離れた集団のように思えたからだ。 先程言及した「尊師」と「レーニン」が名前からして不穏なのはもちろんだが、他のメンバーたちの話題もとにかく不穏だった。 「前進チャンネル」の話 中核派Youtuberが、警視庁公安部のキャンピングカーを紹介したり、不当逮捕された同志の奪還を訴えたりしている番組の話。 北朝鮮脱北ノウハウの話 中国と北朝鮮の国境地帯に住んでいたことがあるうどん部員による、脱北ノウハウの話。北朝鮮脱北者が、国境近辺に住む中国人民を襲い、金品と身分証を奪いとることで中国人として生きようとするが、中国語が話せないことからバレてしまい、強制送還されるという救いのない事件が多発しているらしい。 スターリンに乾杯した話 「ヨシ」という名前のうどん部員が、スターリンの故郷であるジョージアを訪ねたところ、「ヨシ」は同志スターリンの名前だと歓迎され、「ヨシフ・スターリンに乾杯」と密造酒をすすめられた話。 一言でいうと、うどんは関係ない。 うどんは関係ない上に、思想的にかたよっている。うどんを愛する心に右も左もないと思うのだが、一体どういうサークル勧誘をすればこんなことになるのだろう。世界がもし100人のうどん愛好家の村だったら、中核派は0名、教祖も0名、スターリンの故郷を訪ねた人も0名になるのが普通だ。 今回の旅行メンバーはたった6人なのに、公安にマークされそうな発言をする人しかいない。思想・良心の自由が限りなく認められたコミュニティであるともいえるが、うどんを隠れ蓑とした何らかの過激な団体である可能性も捨てきれない。謎の秘密結社・うどん部だ。 「こうした旅行は、よく企画されるんですか?」 私は、うどん部の背景を探るべく、おそるおそる尋ねた。 「主催者さんは、旧ソ連圏に関する仕事をしているんです。その関係で、旧ソ連の珍しいエリアへの旅行をよく企画しますよ」 「でも、どういうわけか、たまに、その旅行に行った人たちが仕事や学校を辞めてしまうんですよ」 「この前の旅行では、社会主義国家によくある、労働を賛えるモニュメントをめぐっていたら、一緒に旅行していた学生の友人が『労働意欲が湧いてきた。学校はやめるぞ』と言って、突然中退してしまったんです」 「僕も仕事を辞めたしね」 社会主義国家を旅することで、反社会性が養われてしまうとは……。 「旧ソ連圏への旅行は、うどんとは関係あるんですか?」 「うどんとは関係ありません。ただ、うどん部員には、真っ赤な血が流れているんです」 これまでの話をまとめると、「うどん部」とは、うどんの絆で連帯し、ときに資本主義社会から人をドロップアウトさせる赤い集団ということになる。なにがなんだか、全くわからない。 主催者の女性は、旧ソ連圏に関する仕事をしているだけあって、中央アジア文化に詳しかった。彼女は、うどん部員らしい話題として、シルクロードにおける麺の広がりについて話をしてくれた。 「トルクメン人も、カザフ人も、ウズベク人も、友人たちは口を揃えてラグメンはウイグルが一番美味しいというんですよ」 全中央アジアの人民が認めるウイグルラグメンは、たしかにおいしかった。もちもちした手延べ麺の感触と、オイリーなソースに絡まるたっぷり野菜のバランスがよく、濃い味なのにいくらでも食べられてしまう。 特に、ニンニクでパンチを効かせたラグメンは癖になるおいしさで、そのジャンクかつ中毒性が高い味わいから、勝手に「ウイグルの二郎」と命名されていた。 内装も異国情緒が爆発していた。天井から階段までいたるところがタイルやステンドグラスで彩られている。細やかな幾何学模様を見ていると、確かに中央アジア文化圏に来たのだということを実感する。 中央アジアを旅行するたびに思うのだけれど、彼らの、あらゆる場所を「美」で埋め尽くそうとする情熱はすごい。衣服やクッションの細かな刺繍、木彫りのアラベスク、色とりどりのランタン……。よくみると、料理に使うボウルまで鮮やかな矢絣模様がついている。 私は、ステンドグラスが貼られた天井を見つめた。 「遠い場所に場所にきたんだ」 そう思ったが、どういうわけか実感がなかった。足元だけが、なんだかふわふわしている気がした。 砂漠は空中浮遊する尊師の夢をみるか 午後から本格的な観光がスタートした。最初に訪れたのは、交河城址という遺跡だ。紀元前2世紀頃に作られ、14世紀まで実際に街として使われてい要塞都市だ。地平線が見えそうなほど広い。 地面の上にレンガを重ねるのではなく地面を掘って街を作ったところに特徴があるらしいのだが、これだけの土地を彫り抜くなんて、想像もつかない労力だ。中国の圧倒的なマンパワーを感じる。 遺跡が広すぎる一方で観光客があまりいないため、とても静かだ。どこまでも続く風化した街並みを歩き、静謐な空気に触れ、かつては賑わっていたであろう都市の姿を想う……そんな触れ込みの場所なのだけれど、正直言って、そうしたロマンチックな思い出は一切残っていない。 なぜなら、悠久の大地を包む静寂を切り裂くように、尊師がマシンガントークを繰り広げていたからだ。麻原彰晃がおしゃべりだったのかは知らないが、少なくともウイグルの尊師は非常におしゃべりで、一人で優に5、6人分は話していた。観光中、常にニコニコ動画の弾幕が飛んでいるような状況であり、センチメンタルな旅情の入り込む隙はない。 尊師の話は、基本的にどれも「興味深いがどうでも良く、とにかく怪しい���内容で統一されている。 ・中国の深センで売られている「Android搭載のiPhone」の話 ・中国貴州省の山奥に住むラブドール仙人の話 ・中国の内陸部では旅行カバンの代わりに尿素袋が使われているという話 ・中國の伪日本製品に書かれている怪レい日本语が好きだという話……。 気がつくと、夕暮れ時になっていた。 乾いた大地は茜色に染められて、民族音楽の弾き語りが響く。旅行者としてのセンチメンタリズムが刺激され、私はこの地の長い歴史に思いを馳せる。しかし、次の瞬間には、そんなセンチメンタリズムを切り裂くように尊師の怪しい話が炸裂し、安易な旅情に回復不可能な一撃を加える。 たちまち、私の心の中で放映されていた「NHK特集 シルクロード」の映像は乱れ、テーマソングを奏でる喜多郎は、へなへなと地面にへたり込む。 砂漠で果敢にも空中浮遊を試み転落する尊師、唐突に尊師マーチを歌い始める尊師、中国の怪しいガジェット情報に詳しい尊師……。 トルファンでの私の思い出は、尊師色に染め上げられていった。 遊牧民が住む砂漠の街で不慮のノマドワーカーになる まさ��ウイグルで徹夜をすることになるとは思わなかった。 観光を終えてホテルに戻った私を待っていたのは、職場から送られてくる容赦ないメールの数々だった。 「夏休み中恐縮ですが、添付の資料につき18時までにご確認お願いします」 「確認が終わるのは何時頃になるでしょうか」 「こちらも限界です、連絡ください」 休暇を申し出たときの「ゆっくり休んでください」はなんだったのか。そもそも、今日、日本は日曜だし明日は月曜で祝日のはずだ。私が旅行にでかけたのは土曜日なので、まだ夏休みは始まってさえいない。どうしてこんな惨状になっているのだろう。 ひとつ断っておきたいのは、私の職場の同僚たちは、基本的に優しく善良な人たちであるということだ。本当に仕事が回らなくなり、やむを得ずメールをしてきたのだろう。 今回の夏休みは「正月がなかったのはあまりにも気の毒だから」と上司が、わざわざチームに根回しをしてくれてようやく取得に至ったものだ。上司のただひとつの誤算は「現場に人が足りていない」という根本的な問題は、根回しでは決して解決しないということだ。 私はその夜、ホテル近くの雑貨店でレッドブルとコーヒーを買い込み、目を真っ赤にしてキーボードを叩き続けた。 空が白み、まばゆい朝日がきらきらと射しこむ時間になっても、私の仕事は終わらなかった。他の人々には私を置いて観光に行ってもらい、一人で仕事を続けた。そんな私を気遣って、尊師が食事を買ってきてくれた。 ようやく仕事が終わったのは、太陽が高くのぼり、熱された大地が蜃気楼で揺れるころだった。 鳥の声しかしない場所 午後、観光に出ていた他のメンバーと合流し、タクシーで訪れたトルファン郊外はのどかな場所だった。乾いた土地に葡萄溝やバラ園が広がっていて、木陰で商売をするスイカ売りやぶどう売りが、こちらにおいでと手招きをする。 ぶどうはいつも無料だった。一房分を買おうとするのだが、安すぎてお金を受け取ってもらえないのだ。口に含むと、雨の降らない土地で育つ果物特有の凝縮された甘みを感じる。 観光名所とされている遺跡にはだれもおらず、車の音も人の声もしない。絶え間なく響く鳥の声を聞き、強い光が地面に落とす影を見ていると、数時間前まで仕事に追われていたのが、遠い昔の記憶のように思えてくる。 静かな場所だった。太陽が眩しくて、あたまがぼんやりした。 ふと見ると、道端でビニール袋に入れられた羊の頭蓋骨が風化していた。その後も、私たちは、農地の側溝や休憩所のトイレ等、そこかしこで羊の頭蓋骨を見つけることとなる。この土地で暮らす人々には、お弁当がわりに羊の頭を持ってくる風習があるのだろうか。 私は、以前、イランのホームステイ先で「イランでは朝ごはんに羊の脳みそのスープを飲む」「日本でいうと、みそ汁的な存在」と言われたことを思い出した。「羊の頭がみそ汁の具として扱わている地域があるなら、お弁当がわりに羊の頭をぶらさげる人々がいても不思議はない」と思う。 私は、強い日差しから逃れ、木陰に座ってこの土地で暮らしてきた人々のことを思った。日本にはまだ神話の神様さえいなかった遠い昔に、砂漠のオアシスで暮らし、羊を飼い、ときには西瓜で喉を潤していたかもしれない人々のこと。彼らの聞いていた鳥の声と、私たちが聞いている鳥の声は同じだろうか。 夏の光にまみれてきらきらする西瓜の皮と、そばに落ちる暗い影を眺めていると無気力が押し寄せてきて、労働の意義も経済成長の意味もわからなくなった。 私はふと、今回の旅行について話したときの、同僚たちの反応を思い出した。 「どうしてウイグルなんかに行くんですか」 彼らの疑問は、要するに「その夏休みの使い方に、確かな価値はあるのか」という点に集約できる。たまの休みなのだから、確実に楽しく、気分良く過ごせる場所に行くべきだ。彼らはそういっていたのだろう。 同僚たちの疑問に対し、そのとき私は答えることができなかった。 職場の同僚たちは「この先、生き延びるにはどうすればいいか」という話をよくしていた。真夜中から始まる飲み会で、明け方の6時や7時まで話す人もいた。生き延びるとはなんだろう。 生産性が自分の人生を覆い尽くし、人間性がわかりやすい価値で塗りつぶされていくのを受け入れること。「使える」人とだけつるみ、評価されること。夏休みはハワイに行くこと。 生き延びるとは、きっとそういうことだった。 忙しいことには慣れていた。仕事に慣れてしばらくたったあるとき、もう必要がないからという理由で、少しずつ集めていたアンティークの食器や学生時代に好きだった小説を捨てた。重要なのは、「役割」を果たすことであり、社会の共通言語で話すことだと考えた。 でも、私は突然、久しぶりの夏休みを、確実に楽しい場所ではなく、楽しいかよくわからない場所で過ごしてみたくなったのだ。知らない人に誘われて、どういうわけか、そういう気持ちになったのだ。 農家のおばさんからもらって持て余していたぶどうを一粒、口に含んだ。日本のものとは全く違う、知らない味がした。 星降る夜行列車に乗って 疲れからか、やたらと物憂げな気持ちになっていたところに、尊師の「バ〜ニラ、バニラ高収入〜!」という歌声が響いてきて、現実にひきもどされた。そろそろ、この街を離れる時間だ。 それにしても、すっかり考え込んでしまった。私は、「うどん部の旅行に参加した人は社会からドロップアウトしがちである」という話を思い出した。 葡萄溝の木陰で、やたらとメランコリックな気持ちになったのも、この旅行の危険な効果だろうか。このままでは、謎の秘密結社・うどん部の陰謀の思う壺だ。 夜行列車で過ごした夜は、楽しかった。 トルファンのぶどうで作った珍しい白酒をたくさん飲んで、加熱する仕掛けが施されたインスタントの火鍋をつついた。 普段は飲まない強いお酒にはしゃぎすぎて寝てしまい、気がつくと真夜中だった。 夜行列車の窓から空を見上げると、満天の星空だった。肌寒い寝台で、毛布をだきしめながら、流れていく星空を見つめた。まばたきも、呼吸もできなかった。体中の神経が粟立ち、スパークした。 私は、冷凍されていた自分の人生が、急激に自分の身体に戻ってくるのを感じた。 もしかして、私は、生き延びることから遠ざかっているのだろうか。 このときの私はまだ、自分がその数カ月後、仕事を辞める運命にあることを知らなった。 (カシュガル編につづく) 補足とおしらせ ウイグル旅行記は、長くなってしまったので数回に分けて書きます。今後の予定はこんな感じです。 ・ カシュガルで公安警察から"重点旅客"として熱烈歓迎されてしまった話 ・ ウイグルの果てでゾロアスター教の遺跡を探し、廃墟の温泉に入った話 ・ 突如の軍事パレード開始により限界帰国チャレンジを強いられた話 旅の写真は、twitter(@eli_elilema)にもあげているので、よかったら見てみてください。 ※ 尊師はとても良い人でした。
https://note.mu/elielilema/n/nb8baf42077cd
10 notes
·
View notes