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#ジョゼフの記念日
tealocanth · 2 years
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it's been 3 years since i first played idv and fell in love with our dear photographer. happy 4th character day joseph!
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garu-09 · 1 year
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I decided to draw this smol and fave hunter of many. 😊✨✨
This is Mr.Desaulnier!🥰📷
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That is all for today !
Likes , comments ,share are all appreciated ! ⊂(・▽・⊂)✨✨✨
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(DO NOT REPOST PRINT TRACE USE MY WORK ANYWHERE )
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yue-chan077 · 6 months
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「Happy Anniversary」
.⁠。⁠* Joseph Desaulniers ✧⁠*⁠。
📷🗡️🎉
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happy character day to Joseph! 📷✨
one of the main reason that made me stay an got me going in the fandom so far ! ✨
as i promised I returned today to commemorate with him ! ✨🙇‍♀️ we are down to our yearly celebration as well as drawing his skin one by one 😌😌💙
anyway- he's still my best boy ain't gonna change that fact ✨✨ old man i wish him the best and new awesome updates smh ! ✨
that's all I have for today -- damn it's one of my few first idv fanart of the year !! 😳😳✨ look forward for more ! ✨💙
( DO NOT REPOST USE TRACE PRINT MY WORK / DO NOT REPOST WITHOUT PERMISSION)
#YueArt 
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ryotarox · 2 months
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レオ・ライアン - Wikipedia
レオ・ジョゼフ・ライアン・ジュニア(英語:Leo Joseph Ryan, Jr.、1925年5月5日 - 1978年11月18日)は、アメリカの教師、政治家。1978年にジョーンズタウン事件で暗殺されるまでカリフォルニア州第11選挙区選出の連邦下院議員を務めた。
刑務所改革を行う州議会委員会の委員長の座に着くと、1970年に身分を隠してフォルサム州立刑務所(英語版)に自ら囚人として収監され実態調査を行った。連邦議員時代には、残酷な狩りが行われていると批難されていたアザラシ猟の現地調査のためにカナダのニューファンドランドに自ら訪れた。
1978年、ライアンはジム・ジョーンズ率いるカルト教団の人民寺院が、その意志を無視して信者を不当に拘束しているという訴えの調査のため、彼らが南アメリカのガイアナに入植して築いたジョーンズタウンを訪れた。 調査を終え、帰途につこうとした11月18日、ライアンら代表団は入植地から最寄りの飛行場の滑走路でジョーンズの命令を受けた信者らに襲撃され、暗殺された。その後、教団はジョーンズタウンにおいて900人以上に上る集団自殺を決行した。
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ライアンはジョーンズタウンの集団自殺(ないし殺人)を扱った映画に登場する。1979年の映画『ガイアナ人民寺院の悲劇(英語版)』ではジーン・バリーが[64]、1980年のテレビ用ミニシリーズ『Guyana Tragedy: The Story of Jim Jones(ガイアナの悲劇:ジム・ジョーンズの物語)』では、ネッド・ビーティが演じた[65]。 ライアン暗殺は、『Jonestown: The Life and Death of Peoples Temple(ジョーンズタウン:人民寺院の生と死)』(2006年)[66]や、ヒステリーチャンネルの『Cults: Dangerous Devotion(カルト:危険な献身)』[67]、『Jonestown: Paradise Lost(ジョーンズタウン:失われた楽園)』[68]などのドキュメンタリー作品で取り上げられ、また2008年にはライアン暗殺と集団自殺から30周年記念として、MSNBCで『Witness to Jonestown(ジョーンズタウンの証言)』が制作された[69]。 2012年にナショナルジオグラフィックチャンネルの『衝撃の瞬間』ではライアンの暗殺を再現した第6シーズンのエピソード「集団自殺とカルト教団集団」を放映した[70]。
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mobsprooftheweb · 3 months
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『カリコレ®2024 THE FINAL』全上映作品発表!
今夏、開催10回目でファイナルを迎える映画祭『カリテ・ファンタスティック!シネマ・コレクション®2024』(略して『カリコレ®2024』)。
まさに映画祭『カリコレ®2024』のファイナルに相応しいヴァラエティに富んだ作品が今年も集結。 新作のプレミア上映はもちろん、日本初上映作品や多彩なゲストを招いての特別上映などで今年も7月12日(金)~8月8日(木)の4週間に渡り、新宿のミニシアター”新宿シネマカリテ“にて『カリコレ®2024 THE FINAL』が開催される。   夏と言えば海! 海と言えばサーフィン! 生きる活力が漲る感動のサーフムービー!
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幼少期にシャークアタックに遭い片腕を失うというハンディキャップがあるにも関わらずサーフシーンの第一線に返り咲き、全世界に衝撃と感動を与えた映画『ソウル・サーファー』の主人公ベサニー・ハミルトンのドキュメンタリー映画『ベサニー・ハミルトン:アンストッパブル』。 家族への密着取材、過去の貴重なライディング映像を織り交ぜながら二児の母親となった現在も映画タイトル通り“立ち止まらず”に限界に挑戦し続ける孤高のプロサーファー、ベサニーの姿を追った感動のドキュメンタリー映画。この夏必見の1本。
アルゼンチンから届いた怪作!
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『クラッシュ』『Swallowスワロウ』に続く、ある女性の危険な欲望を描いた『エレクトロフィリア‐変異-』。 落雷の後遺症で雷が通り抜けた跡に血管が浮かび上がるようになったアダは、電流に性的興奮を覚えセックスでオーガズムに達すると放電のような現象も起きるようになる。彼女はその感覚を共有できる落雷経験者のグループに参加し、そこでリーダーの男フアンと出会ったことから危険な恋に落ちてゆく…! 監督はカンヌ国際映画祭批評家週間グランプリ受賞作『XXY~性の意思~』のルシア・プエンソ、主演はシネマカリテにて2020年公開『エマ、愛の罠』のマリアナ・ディ・ヒローラモが危険な欲望を快演!まさにビビビッ!とくる超刺激的な作品。
韓流ファン必見のラブ・コメ!
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お隣の韓国からは、ドラマ『親愛なる判事様』『ヒョンジェは美しい~ボクが結婚する理由(わけ)~』などで人気のユン・シユン、ドラマ『輝くウォーターメロン~僕らをつなぐ恋うた~』で知られるソル・イナが紡ぐ韓流ラブ・コメディの『私たちの恋が香りとして残る時』。 韓国の映画、ドラマ、バラエティファンにとっては、クスっと笑える要素が随所に散りばめられ、今後期待の俳優ノ・サンヒョン、人気コメディアンのユン・ジョンスやユーモラスな演技で国民的人気を得ているキム・スミ等、豪華な俳優のカメオ出演が話題の1本。 本邦初公開!!
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昨年5月にシネマカリテで公開し大好評を頂いたハンガリーの至宝メーサーロシュ・マールタ監督特集で惜しくも取り上げられなかった『日記』シリーズの第一編と言われる『日記 子供たちへ <4Kレストア版>』が日本初上映となる。 本作品は1984年カンヌ国際映画祭で女性監督としては初めて審査員特別グランプリを受賞した記念すべき代表作。 今回4Kレストア版として蘇った本作がこのカリコレ®2024のスクリーンを飾る。映画ファン必見だ。
秘密の白石晃士監督作品上映!
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日本からは2023年の大ヒット作『戦慄怪奇ワールド コワすぎ!』に続き、今夏には話題作『サユリ』の公開が控える最恐エンターテイメントの申し子、白石晃士監督の秘蔵未公開作品がカリコレ®2024にて独占上映決定! “この作品の内容は秘密ですが、ホラーではあります。しかし今までの私のホラー映画とはまた違った味わいのある、【エレガントな和製ホラー】となっております。敬愛する複数の監督の作品に多数出演された名優との刺激的な初仕事でもありました。���たしてそれが誰なのか?ぜひ劇場でご確認ください!(白石晃士監督)”と予告メッセージも届いている。 情報解禁一切なしの完全独占上映の本作はカリコレ🄬ファンにはたまらない痛快すぎる地獄へのファンファーレは劇場で鑑賞するしかない。
まだまだある新作群!
アクションあり! ハラハラあり! 笑いあり!と人気テレビドラマ『ウェンズデー』などで現在大活躍中のジェナ・オルテガが出演する『カリコレ🄬』ならではのアメリカン・コメディ・ホラー『アメリカン・カーネイジ』。
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そして『007 慰めの報酬』『オブリビオン』と話題作に出演し、昨年カリコレ®2023で大好評だった『ハイ・ヒート その女諜報員』で主人公を演じた女優オルガ・キュリレンコが、ローマ帝国に立ち向かう復讐アクション劇『ブーディカ 美しき英雄』。
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空き家になった夫の実家に移り住んだ夫婦だったが、ある日を境に夫の様子が夜な夜な豹変してゆく驚愕のホラー作! 大ヒット映画『ゲット・アウト』を生み出したブラムハウスの試みにインスパイアされ、ベルギーの製作会社により同じようなシステムの下、ヨーロッパで生み出された『ナイトマン 夜の殺人者』。
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そして、カリコレ®プレミア上映作品として、『SXSW映画祭』で観客賞を獲得し、各地の映画祭を席巻。⽶映画レビューサイトでも⽀持率91%を記録するなどコアなホラーファンはもちろん幅広い層から⾼評価を獲得した本格POVホラー『デッドストリーム』がついに日本上陸! 『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』を思わせる不穏な冒頭から始まる本作は、没⼊必⾄の主観ショットとクラシックホラー作品への愛とリスペクトが炸裂するファウンド・フッテージホラー。 主演のジョゼフ・ウィンターが妻のヴァネッサと⼆⼈三脚で監督・脚本・制作・編集まで⼿掛け、ジョゼフの⾳楽に合わせて作り上げられた渾⾝作だ。過激な企画が原因でアカウントを停⽌された崖っぷちの炎上系配信者のライブ配信中に起こる恐怖体験がノンストップで襲いかかる! 本作品の一般公開はこの新宿シネマカリテにて8月16日(金)よりロードショーで、進化系POVホラーを一足先に『カリコレ🄬』で確かめることができる。
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そして、もう1本。鬼才アレックス・デ・ラ・イグレシアの衝撃的デビュー作にして幻のカルトムービー『アクション・ミュタンテ 4K』(93年)が4K版で『カリコレ®2024』のスクリーンに蘇る。 美しい者だけが権力を握る近未来、醜悪な容貌ゆえに迫害を受け、社会に復讐を誓うテロリスト集団<アクション・ミュタンテ>は『美しいものは悪だ』を合言葉に誘拐、略奪、殺人、はては惑星もろともぶっ飛ばす勢いで、奈落の底まで突き進むシュールな映像とアナーキーSFバイオレンス満載の超怪作。 邦題を『ハイルミュタンテ! 電撃XX作戦』さらには『未来世紀ミュータント』からこのたび『アクション・ミュタンテ 4K』に改め、シネマカリテにて8月23日(金)から一般公開も決定している! ホラーファンはどちらもお見逃しなく!
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『カリコレ®2024』のために調達された超特別プレミアム上映企画!
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ファッションアイコン、セックスシンボル、そして、60年代においては女性解放の象徴でもあったフランスを代表する女優ブリジット・バルドーが今年9/28で満90歳を迎えるのを記念して9/13(金)から開催される『ブリジット・バルドー レトロスペクティヴ -BB生誕90年祭-』から先行して、『カリコレ®2024』でもバルドーの貴重な2作品…『BB生誕90年祭』でも上映する名作『裸で御免なさい』と今回、本邦初公開(日本初上映)となる新作ドキュメンタリー映画『ブリジット・バルドー 誤解』が特別上映される。
バルドーにまつわる様々な“誤解”を貴重な映像資料を駆使しビデオレターのようなユニークな手法で考察していくドキュメンタリー『ブリジット・バルドー 誤解』は、『BB生誕90年祭』の上映プログラムには入っていないため、『カリコレ®2024』だけの貴重な上映となる。 また8/4(日)12:25の回『裸で御免なさい』上映後には素敵なゲストをお招きしてのトークイベントが予定されちる。どちらもお見逃しなく。
『カリコレ🄬』10周年に花を添える特別企画『アスミック・エース meets カリコレ®SPセレクション』
“自由の国”を目指す命懸けの逃走劇を描いたガエル・ガルシア・ベルナル主演の『ノー・エスケープ 自由への国境』、ポール・ウォーカー主演、リュック・ベッソン脚本の『フルスロットル』、トミー・リー・ジョーンズ監督・主演で贈る『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』、松尾スズキ初監督作品『恋の門』、そして、井坂聡監督と浅野忠信が贈る予測不能なサスペンス『[Focus]』とアスミック・エースが贈る名作が『カリコレ🄬』で楽しむことができる。
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イベント情報!!
今回上映されるイタリアンホラーの巨匠を描いた作品『ダリオ・アルジェント PANICO』では、7/20(土)12:40の回本編上映後にホラー映画ライターの山崎圭司、是空プロデューサーの鈴木淳一を招いたトークショーが実施される!
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さらに、今回の上映に合わせ『ダリオ・アルジェント PANICO』のTシャツ2種、ポスター、そして、ダリオ・アルジェント監督アクリルスタンドのグッズを特別販売! アルジェント監督アクリルスタンド(限定100個):2,000円(税込) PANICOオリジナルTシャツ(白、黒:各M/L/XL):各3,800円(税込) PANICOオリジナルB2ポスター:1,000円(税込)
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ついに今年で最後となる映画祭『カリコレ®2024 THE FINAL』。 10周年を記念する映画祭ラストのメインビジュアルは、『カリコレ🄬』のビジュアルを長年手掛けきたイラストレーター田中梓の描き下ろし。 おなじみのメインキャラクターのアリス達が明るく登場するレッドカーペットを背景に、田中梓が手掛けた歴代の『カリコレ®』メインビジュアルが彩られているフィナーレに相応しい明るく楽しい爽快なビジュアルとなっている。
[カリコレ®映画祭事務局からのお知らせ] 記念すべき10回目の開催を迎えた『カリコレ®』ですが、今年の開催を一区切りに映画祭『カリコレ®』はファイナルとなります。 今後も時代に寄り添い続け、映画ファンの方々に楽しんで頂けるような上映を企画していきたいと考えております。 来月7月12日(金)~8月8日(木)の4週間に渡り開催される魅惑の映画祭『カリコレ®2024 THE FINAL』を是非お楽しみください! 真夏の4週間を彩る最新作、旧作、未公開作が続々上映!1本1本、丁寧に厳選した魅力的でヴァラエティに富んだ選りすぐりの作品たちが、皆様のご来場をお待ちしております。 是非この機会に“ここだけでしか観られない”あなたの1本に会いに来てください!   『カリテ・ファンタスティック!シネマコレクション®2024』 7月12日(金)~8月8日(木) 4週間! 新宿シネマカリテ (〒160-0022 東京都新宿区新宿3丁目37-12 新宿NOWAビルB1F) 入場料金:新作 1700円均一(リピート割で1,400円)、旧作 1,200円均一 [映画祭HP][シネマカリテ公式X] ©2014-2024  Musashino Kogyo Co.,Ltd  Tm.Musashino Kogyo Co.,Ltd.
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puppetic · 7 months
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― IdentityV 第五人格 ―
ジョゼフの記念日おめでとう!
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hadashigrm · 4 years
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usajimaru0916 · 3 years
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第五人格(identitiyV)より 写真家 ジョゼフ
永遠の推しです。記念日なので一年ぶりに描きました
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東北ユースオーケストラ 2022岩手公演ステージ&バックステージ・レポート
2022年3月23日(水)に盛岡市民文化ホールで開催した東北ユースオーケストラ 2022岩手公演のレポートです。
まずは開場となる17時45分前のホールの入り口です。
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19日18時に公表しました「東北ユースオーケストラ演奏会宮城・福島公演中止、 及び代表・監督坂本龍一出演キャンセル(岩手)のお知らせ」の通り、坂本監督の情報はお知らせしていたのですが、司会の渡辺真理さんも東北新幹線不通の影響を受け、出演ができなくなってしまいました。
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ロビーのリアルクラウドファンディングコーナーは準備完了。左サイドで筒形の防災セットを持ってくれているのは、岩手県出身のOGの木戸口夏海さんです。こういうOBOGによるサポートはほんとうにうれしいですね。検索したら地元北上市のWEBサイトで「地域に寄り添う音楽家へ。クラリネットで叶える夢。」という記事を見つけることができました。右サイドはプロマックスの松隈萌絵さん。今回の直前合宿から続く8日間、抗体検査の対応をしてメンバーの安全を守る重要リーダーですが、今日は支援金を募るリーダーです。
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オリジナルグッズ展開の右隣には、わたくしが著者となった『響け、希望の音〜東北ユースオーケストラ からつながる未来』(フレーベル館)の書籍販売コーナーです。岩手県民なら知らない人がいないという書店、東山堂書店さんが販売してくださいます。
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木戸口さんディレクションで撮ってもらった記念写真でわたくしが手にしているPOPの通り、なんとわたくしが司会代役となってしまったのです。もともと今回の演奏会は全国から60人の「つながる合唱団」の経費に加え、コロナ対策費と元々これまでの演奏会に比べて支出が大きかった上に、地震によって東北新幹線が利用できないことで想定外のコストが追加にかかってしまいました。急な事態のため地元や近隣のアナウンサーにあたる調整のコストを考えれば、事務局員が代役をつとめれば安上がりな上に、団員もリラックスして演奏できるだろうという意図です。
舞台袖に戻ると、田嶋詩織キャプテンと地元出身のヴァイオリン金杉果音さんが、「影アナ隊」として仲良く待機していました。
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仙台出身の大学院の一年生と盛岡出身の小学校六年生ですが、同級生の親友に見えるところが、東北ユースオーケストラ らしさですね。
続いて、開場直後からはじまるプレ・コンサートの演奏者も集まってきました。
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これまではホールの外のロビーで行ってきた「ロビー・コンサート」(通称「ロビコン」)ですが、感染拡大防止の観点から今年はステージ上でご披露するプレ・コンサートとなった次第です。
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みんな、リラックスしていい表情です。「田中さんは緊張しなさそうですね」とか、いじられていましたが、今回は地震の影響で合宿初日が移動日になり、練習を詰め込んだものの、第九は一回も通さず、本番を迎えることになる緊急事態。当日のゲネプロの時間も限られてしまったので、音楽のみで、MC含む全体の動きはチェックできていなかった不安はありました。しかし、話す分量は少ないから大丈夫かなと。
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本番前の注意事項を読む団員たちです。
まずはヴィオラの7重奏からプレ・コンサートがはじまりました。
・ヴィオラ7重奏 4つのヴァイオリンのための協奏曲よりLargo/テレマン (ヴィオラパート全員)
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このあとご紹介するステージ上のカットとのんさんとの記念写真は、これまたエコノミーな内製化で東京事務局の会社の後輩、宮川裕くんです。2013年のルツェルンフェスティバルARKNOVA松島での東北ユースオーケストラのはじまりから一緒に取り組んできました。
一方、下手の舞台袖では、
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金杉さんが一生懸命、影アナ隊の練習をしていました。負けじと声を出して歩きながら台本読みをはじめたのですが、「交響曲」は噛みやすいことがわかり、「つながる合唱団」の方々から「がんばってください」と激励くださいました。ありがとうございました。本番では、するっと言えました。
バックステージの団員連絡用のホワイトボードには、福島民報さんから福島公演中止のため事後パブリシティ用の広告素材がつくれないからと、これまた急きょ依頼を受けた団員の寄せ書きメッセージボードがあり、その前に、プレ・コンサートを弾き終えて、立っていたヴィオラ鈴木祥子さん(福島県出身)。 何を書いたのと尋ねました。
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「『漂えど沈まず』は開高健のイメージが強いけど、原典があるの?」と聞いたら、「16世紀からのパリ市の標語なんですよ。これはラテン語です」と教えてくれました。こんな記事がありました。
難にあっても決してあきらめない。まさに東北ユースオーケストラのスピリットではありませんか。いろんな意味で団員には教えられることが多いです。
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今期で卒団する祥子さんが、「さっきの演奏で直前にヴィオラの賛助演奏者の方が『魔法のマツヤニを塗ってあげるね」と7人全員のヴィオラの調弦をしてくださったんです」と教えてくれました。 ここで岩手公演と東京公演のプロの賛助演奏者をご紹介します。いつも東北ユースオーケストラの定期演奏会では、メンバーでは足りないパートはプロのお力をお借りしています。 ヴィオラは3名、武井麻里子さん、諌山翔一さん、長石篤志さん。ファゴットは、吉田早織さん。ホルンは嵯峨郁恵さんの合計5名の方々です。みなさんのおかげで音に厚みのみならず、本番でご一緒できることで、同じパートの団員の成長につながっています。ありがとうございます。
続いて、プレ・コンサートの模様を。
木管五重奏 千と千尋の神隠し/久石譲 (菅野悠衣 関根慧 田嶋詩織 五十嵐優華 中山優貴)
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・弦楽五重奏 スターウォーズ/ジョン・ウィリアムズ (渡邉真浩 石川律 千葉隆史 芦名礼佳 丹野裕理)
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・フルート五重奏 5つのフルートのための協奏曲/作曲:ジョゼフ・ボダン・ド・ボワモルティエ 編曲:尾形 誠 (阿部天音、岩渕莉奈、菅野悠衣、佐藤杏南、野口菜々水)
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・弦楽四重奏 Aqua/坂本龍一 (芦名弥生、井澤佳子、菊地彩花、誉田憲丸)
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そして、「影アナ隊」の出番です。「影アナ隊」とは、2016年3月の最初の定期演奏会からの本番前の演出です。本来ならコンサートの開演前に舞台袖で読まれる諸注意事項を、あえて団員がステージ上でお話しすることで、観客のみなさまにどんな団員が演奏するのかを知ってもらうための趣向です。東京公演だと、小学生中学生高校生大学生、3県の出身者、男女、担当楽器などバランスよく割り振るのですが、今回は田嶋詩織キャプテン以外は全員地元岩手県出身で固めてもらいました。
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右から田嶋キャプテン、先ほどご紹介した金杉さん、第1期からのメンバーで今期で卒団のトランペット遠藤寛人くん、ヴァイオリンの田口陽大くんは中学2年生、第4期生でヴァイオリンからフルートに転向した岩渕莉奈さんは高校1年生です。
続いて、これも初回の定期演奏会以来の開演前演出。団員の福島市出身の塘英純くんによる作曲のファンファーレの演奏です。最初はトランペット二重奏からはじまり、徐々に楽器が増え、本来なら2年前に披露するはずだった七重奏の作品がようやく陽の目をみることができました。
■ファンファーレ演奏 Trp.中村祐登 冨澤祥吾 Hr.千田捺月 田嶋詩織 Trb.西野蒼 Tub.東舘祐真
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演奏を聴きに舞台袖に来た作曲家です。
本番直前、団員全員が集まってきました。
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すると、このタイミングで坂本監督からリモートメッセージが飛んできました。 「みんなへ、トイトイトイ(toi toi toi)!!!」 その発音からして「トワトワトワ」のフランス語では無さそうだぞと思いながら、集まっていた団員に伝えましたら、何名か知っている団員がいました。今回ステージマネージャーをお願いしている、東京フィルハーモニー交響楽団の相原さんにお尋ねしましたら、「本番前のおまじないの言葉なんです」と即答されました。ドイツ語でした。ドイツ大使館の解説ページをこちらに。
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そして、指揮の栁澤寿男さんが颯爽と登場されました。
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ただならぬ気合いの気配に、司会代役のテンションも高まります。18時30分開演です。
相原さんにドアを開けていただき、第一声、「みなさん、こんばんは。」 あれ? モニターのスピーカーから「スーヒー、スーヒー」鼻息が聞こえるぞ。 あ! やってしもた、マスクをつけたままステージに出てしまいました。 このままダース・ベイダーのような呼吸音をお客さまに聞かせて、ホールをダークフォースに満たしてはいかないと慌てて、マイクを持つ右手でマスクを取ったものの、左耳にぶらりと垂れ下がるマスクはみっともないと、セリフを喋りながら外しにかかったら、こんどは眼鏡に引っかかってしまい、ブルブルとずれてしまった大醜態。この間「急きょ代役を務めさせていただきます。拙い進行が見込まれますが、どうぞよろしくお願いいたします」と喋っていたので、コントですね。その様子を間近に見ていた団員には面白がられたようですが。
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こちら当初予定に戻った姿です。 今回の演奏会も、坂本監督と永年おつきあいのある音響の第一人者、近藤健一朗さんがスタッフで入ってくださっており、本番前に「マスク無しでマイクチェックするから」と調整していただいていたのでした。もうお一人の坂本組と言える、レコーディング・エンジニアの第一人者オノ・セイゲンさんからも本番後、「最初なんか変な音出してるなと思ったよ」とにこやかに言われました。 こんな世界水準の一流スタッフの支えていただけている制作現場であります。
ともあれ、坂本監督からの岩手公演に集まった方々へ思いのこもった特別なビデオメッセージをステージ上から流し、ついに2年越しとなる東北ユースオーケストラ のための坂本監督作品「いま時間が傾いて」の世界初演がはじまりました。
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合奏練習ができた合宿2日目からは見違える演奏でした。東北ユースオーケストラの伝統芸、直前でなんとか間に合わせるチカラです(それがいいんだかどうかはさておき)。
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「いま時間が傾いて」は東北ユースオーケストラの十八番として演奏し続けることは間違いないでしょう。
岩手公演のゲストは女優・創作あーちすと、のんさんでした。
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こちら2回目となるステージでの出番となるのんさんとの掛け合いトークでは、3年前の同じ盛岡での共演、公開中ののんさん初監督映画作品『Ribbon』の2点のお話を伺うという以外に事前に何のリハもしなかったのですが、おかげさまで落ち着いてお話をしっかり伺うことができました。 坂本監督作曲の「母と暮らせば」「still life」の演奏にあわせての、のんさんによる6篇の詩の朗読は、本番がベストでした。特に指揮の栁澤さんに言われ、合宿中のリハで代役を務めた身としては、前半3篇のタイミングの合い方がピタリピタリと決まりすぎていて、ゾクゾクするレベルでした。
演奏会のメインとなる第九の前の休憩で、小学6年生男子は鼻血を出しました。いつかの直前合宿で貧血で倒れたらシンバルで額を切って流血、救急車を呼んだ事件にくらべたら可愛いことです。 この本番日に衣装を忘れてしまって、慌てて宿泊先に間に合った大学生もいました。過去にはスリッパのようなもので本番の舞台に出てきて、慌てて黒革靴に履き替えてステージに出た猛者もいましたからね。 第2部がはじまる入場で楽譜を持ってくるのを忘れて、慌てて楽屋に取りに戻って、一人だけ遅れてプルト(指定位置)に着いた大学生もいました。 まだ楽器を忘れて入場しなかっただけ良かった!
さて第九です。坂本監督の発案で、東日本大震災以降にも自然災害の甚大な被害を受けてしまった地域、北海道、岩手、宮城、岡山、愛媛、福岡、大分、熊本の方々の公募を中心とした「つながる合唱団」との共演になります。
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つながる合唱団の中には、東北ユースオーケストラの第1期生だったOGヴィオラの鳥居紗季さん(岩手県宮古市、前列真ん中)がお母さまと一緒に合唱参加してくれています。
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右がお母さまの昌子さんです。(25日の福島から東京への移動中に事務局合唱担当の平子さんが撮影してくださいました)
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全国から集まった人たちによる合唱との共演。 コロナ当初ではあり得ない光景です。 「希望の音」と「歓喜の歌」からなる音楽が、盛岡のホールを満たしました。
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本番に強い東北ユースオーケストラ が、今年もその力を発揮してくれました。その力を引き出す指揮の栁澤さん!
第一部でお役御免となったので客席で堪能することができた身としては、夢を見ているような心地。カーテンコールでじんわり視界がにじみました。
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慌てて戻った舞台袖では日本のトップ・ソリストの4名が大きな拍手で団員を迎えてくださいました。あらためてご紹介すると、ソプラノ幸田浩子さん、 アルト山下牧子さん、 テノール樋口達哉さん、バリトン成田博之さんです。 「素晴らしかった」「とてもユースオケと思えない演奏だった」「プロと引けを取らないレベルだった」 そんな有り難いお言葉をいただくことができました。
また、同じ舞台袖で出迎えてくださったのんさんにも、 「透明感のある声に引き込まれた」「素晴らしい朗読でした」「これからも応援しています」とあたたかい称賛の数々。一流は一流を知る、ですね。
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いつの間に本番までのカウントダウンは0時間になり、片づけしよう、「21時にバス!」の書き込みが。
こちら。つながる合唱団の本番直後。達成感がみなぎっていますね。
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合唱指導の木場義則さんが、全国を駆け回ってまとめてくださった賜物が今日、完成したのです。ありがとうございます。
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楽屋前ののんさんは団員からの感謝の寄せ書きをじっと読んでくださっていました。
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直前の二日漬け指導で演奏の質を引き揚げたマエストロともツーショット。
岩手県出身の団員たちを岩手日報文化部の藤田和明記者が丁寧に取材なさっています。
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おそらくこれまで何度も第九を取材されてたであろう藤田記者が「掛け値無しに素晴らしかったです」と言ってくださいました。本番に強いTYO! 翌日の記事は、こちら。会社の後輩、宮川くんに「司会、どうだった?」と尋ねてみたら、「お世辞じゃなくてよかったです」との返答。よかったです!
そして舞台袖では、搬出中にリアルクラウドファンディング担当の木戸口さんが本日の大事な締めの作業をしてくれていました。
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こういう姿にすら泣ける! ありがとう木戸口さん、プロ演奏会としてがんばって!
そして、今回のつながる合唱団を明るく元気にとりまとめるお二人のスーパーサポーターが、送り出しを終え、並んで座っていらっしゃいました。
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右側の平子英子さんが、普段はシエナ・ウィンド・オーケストラの事務局の方なのですが、2020年3月の第九公演が決まってから、助っ人として参加してくださっています。左側の須賀雅子さんは、以前より東京事務局としてWebでの告知更新作業や今回の団員向け旅のしおり作成に加えて、今回は「つながる合唱団」担当を担っていただいています。お二人が舞台袖の作業デスクで話をされていると笑いが絶えず、なんだか雰囲気クリソツなのです。(わたくしの心の中では「プロマックスのキャンディーズ」に続き、女流漫才コンビ「海原えいこまさこ」と名付けています)
ともあれ観客のみなさま、団員および出演者から見えるチカラ、見えないチカラの数々で岩手公演は無事成功することができました。どうもありがとうございました。
今日26日(土)の東京公演は、感謝に満ちた心で念願のサントリーホールに希望の音と歓喜の歌が響き渡ることを願っています。
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ichinichi-okure · 4 years
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2020.11.26thu_kyoto
糸のような雨の降る朝、佐倉市にあるDIC川村記念美術館へ。公開中の企画展「ふたつのまどか」をどうしても観たかった。 東京駅から小一時間ほど、車窓には草むらが広がる。受付をすませて敷地に足を踏み入れると、まさに絵に描いたような景色があった。ゆったりとした池には噴水が上がり、白鳥がなめらかに水面を進む。しっとり湿った空気のなかで、終わりかけの紅葉が艶やかだ。池に面した美術館は、中世ヨーロッパの建物のような素朴な佇まいである。
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この美術館はとても居心地がいい。慎ましやかな空間は、どこか祈りの場のような清潔さがある。声高に主張するものが何もなく、すべての調和が取れている。
企画展「ふたつのまどか」は、5人の現代美術家が、館にコレクションされている作家をひとり選び、その作品とコラボレーションする、というもの。興味深いかけあわせのなかでも、福田尚代さんとジョゼフ・コーネルを観ないわけにはいかない。 福田さんには、2013年に「本の梯子 book ladder」と題した展示、イベント、限定本の3つで成り立つ、本と言葉の催しを行ったさいに、展示をお願いし、限定本に収める作品の制作もしていただいた。その時からずっと作品を観つづけているが、こんなふうに言葉とかかわる作家を他に知らない。
福田さんが選んだコーネルの作品は、少女と猫のコラージュ。ふっくらと愛らしい女の子の足元に淡いピンクの子猫が3匹、切り貼りされている。子猫たちの輪郭はあいまいで、ところどころの毛並みと目だけがはっきりしている。 この子猫たちに導かれるようにして、福田さんの作品はある。古い切手の裏に染みでた消印やスタンプを表にして、文庫本に貼り出す。ちびた消しごむを削り出して緻密に並べる。本からひと文字、ひと文字切り取って、並べた文字は渦を巻く。古着の袖をほぐしてほぐして、糸よりもさらにほぐすと雲が生まれ、1頁1頁を折りたたんだ文庫本は、1行の言葉を残して飛び立っていく。 繊細な手作業を気が遠くなるほど繰り返すなかで、私的な記憶はいつしか霧となり、塵となる。それはどこかに消えてしまったようでいて、きっとまた戻ってくる。そのあわいに時おり浮かぶ、ほんとうに小さな声に耳を傾けているかのような心持ちになった。
もうひとつ、福田さんは美術作品と同じように回文をつくり、展示する。始まりからも終わりからも同じに読める言葉のつらなりだが、今回の展示では壁面にカタカナばかりが並んでいる。それらがすべて女性の名前であると気づいて、茫然とした。逆から読んだ文章はあたかも神話のように思える。少女を描いた絵画からはじまるこの展示全体は、女性を慈しむものでもあったのだと気づく。
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館を出ると、小雨が降っている。庭園を少し散歩してから、あずまやでお茶を飲む。ガラスの向こうでは、名残の十月桜と紅葉が重なりあっている。その下の小さな池に白鳥がいる。雨に打たれながら、じっとしている。 昨日、キュレーター小出由紀子さんのギャラリーに伺って、日本画家・林田由起子さんの絵を観たことを思い出す。林田さんは皇居にある植物のスケッチをもとに、植物画を描き続けている方だが、無心になって描いていると、ある瞬間、ああこれか、というのが来るのだという。寒椿や茶の花、蝋梅、枸杞など、描かれていた植物たちは、見れば見るほど、さまざまに語りかけてくれるようでもあった。
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-プロフィール- 村松美賀子 京都 編集者・文筆家 「生活とアート」をテーマに書籍や雑誌の企画編集・執筆を行い、展示やワークショップ等も手がける。著書に『京都でみつける骨董小もの』『京都の市で遊ぶ』、編著書『標本の本』、共著『京都を包む紙』など多数。 @mikakomrmt
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buriedbornes · 5 years
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第40話 『白き山脈にて (4) - “焦土"』 In the white mountains chapter 4 - “Scorched”
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ジョゼフが馬車の荷台に乗り込み、アリーセが収まっているものと同じ椅子を肩に担いで降りてくる。
手際よくそれをアリーセの隣に開くと、今度は山と積まれた死体の山から、袋に紐付けられた紙片を一枚ずつめくり、目当てのものを見つけたらしく小声で何かをつぶやくと、それを担いで地面の図形の中央へと乱雑に放り落とした。
そして彼は、先程と同じように開いたばかりの折りたたみ椅子に深々と腰掛けると、胡座をかいて座り直した。
一方で、ライツは幻像越しにアリーセに対して何かを指示している。
アリーセは、どこにしまっていたのか、小石のようなものを次々取り出してはミイラが横たわる部屋の隅や中央に丁寧に置いて行っている。
それはどことなく、今アリーセやジョゼフの前に設えられた図形と似ているように見られた。
「そっちはどうですかい」
ジョゼフがライツを急かす。
「もうあと2,3個と、詠唱だけだ」
そう言って、ライツがアリーセに最後の石の指示を出す。
そして、兎の視界は部屋の中央で静止する。
それに合わせて、ライツがまた聞き覚えのない呪文の詠唱を始めた。
兎の視界の中で、部屋に並べられた小石が発光を始める。
ライツは詠唱を続けながら、指先で何かを指す仕草を取り始める。
その動きと全く同じように、幻像の中の兎の指先がなぞるように動く。
呪文を終えると、ライツは今度はジョゼフの方に向き直る。
「次はお前だ」
「待ってました」
ライツは、もはや聞き覚えを感じ始めた呪文の詠唱を開始する。
これを唱えるのは、今日で3度目だ。
魔術師がどういったものなのか、私に詳しい知識はない。
ただ、これだけ立て続けに様々な魔法を駆使しながら、ライツは顔色一つ変えていない。
村ではただ一人、裂傷程度の傷なら一晩で治せるという祈祷師がいた。
彼女は、ひとつの術に、準備も含めて一日がかりであった。
そうして怪我人を癒やした後、祈祷師は3日も寝込むのだ。
それを思うと、必要な場面に対応した幾つもの術に精通し疲れ知らずであるライツの魔術師としての能力は、比較にならぬほど優れているものなのだろうという想像はついた。
それが、彼がこの一団を指揮する立場である所以なのかもしれない。
そうした思案に耽る間で、もう3体目の屍体はジョゼフの魂を吹き込まれていたのだった。
立ち上がる屍体は、最初のそれに比べて、腕の太さから半分ほどしかないような、柳のように細いものであった。
これで戦おうと言うのだろうか。
「こんな細腕で、大丈夫なんですか?」
思わずライツに聞いてしまう。
「目的に対して、最適な選択なのだ」
ライツの答えは相変わらず淡々としている。
「また補充しとかないとな」
ジョゼフが付け加えた。
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2人で2つの屍体を動かしているときは、幻像も2つ、空間に浮かび上がっている。
声もそれぞれから発されたものが一様にこちらの耳に届くし、アリーセとジョゼフが直接会話する事さえもできた。
アリーセは、好んでジョゼフと会話しようとはしなかったが。
3体目の屍体は、山を超えるのに一番時間がかかった。
肉体的な強さもなければ、空間をまたぐような特別な力もないので、当然だったと言える。
それでも、常人の倍以上の速さで登っていくのだから、十分過ぎると言えるのだが。
回廊へと到達する頃には、私達がいる野営地に朝日が刺しかけて、空の彼方が白んできていた。
一方で、屍体の目に映る空には、一向に陽光が刺す気配がない。
白むといった事さえなく、都市を覆う空全体が、真夜中のように暗く、また星の光も刺さず、ただただ吹き付ける雪と雲が変わらず空を覆っていた。
それは山の斜面の具合だとかそういった気象がもたらす差とは違う、何か非自然的な力の介在を感じさせた。
屍体は、これまでで最も無遠慮に、躊躇なく、淀みのない歩みで、回廊を真っ直ぐ突き進んでいった。
3度目ともなれば、私ももう、感覚が麻痺しつつあった。
あの悍ましい粘液どもが視界に入っても、もうさほど驚きも感じなくなっていた。
むしろ、あの頼りない屍体で、何をするつもりなのか、どうやってあの怪物どもに対抗するのか、私の興味は既にそちらへと向いていた。
まるで競走馬か拳闘を見守る観客のように、私は不思議な胸の高鳴りを持って屍体の視界を見つめていたのだ。
兎のときと異なり、今度は姿を晒して寄ってきた屍体を、粘液達は瞬く間に感知する。
すべての眼球が一斉にこちらに向ける瞬間は、さすがに怖気を感じずにはいられなかった。
呼応しあうように全ての粘液達がこちらへと向き、蠕動しながら接近し始める。
すかさず、ライツは詠唱を始める。
視界の中でかざされた右腕に、火が灯る。
その手段で、前回は失敗したのではないか?
思いかけた内容が、全く見当違いであった事は、すぐにわかった。
炎が腕を遡り、視界全てが炎に包まれる。
猛然と接近する粘液達は構わずこちらへと向かっていたが、明らかな様子の変化が見られた。
屍体の目前で前進を止めた粘液が、突然発火する。
順を追うように、屍体に近くにいる粘液達が次々と発火していく。
視界はさらに燃え上がり、やがて眩い発光がその身を包む。
腕はもはや、白熱していた。
光は強さを増し、悶えるように粘液達はのたうち回っている。
そしてあろうことか、足元の床を構成する石畳までもが赤熱し始めていた。
発光はさらにいや増しに強まって、両足が床に沈み込み始めていた。
そうして、視界はホワイトアウトした。
私は狼狽しながら視線を山頂へと向けた。
日の出に似た光が、山の向こうから刺している。
しかし、日の出は今、我々の背後から刺しているのだ。
そして、仄かに暖かな風が山頂から吹き下ろしてきている事にも気がついた。
「あの都市をまるご���焼く気ですか?!」
慌ててライツに向き返るが、なお、彼は当初と変わらぬ無表情を貫いていた。
「私も詳しいわけじゃあないですが、その、歴史的に価値があるとか、そういう…」
私は、自分でも何が言いたいのかわからず、しどろもどろになってしまった。
彼は淡々と答えた。
「我々にとって必要なものは、ただ知と力だけです。それ以外のものには何の価値もないし、時間を割く余裕もない。彼は、どうもそうではなかったようですけどね」
そう言うと、雑に幻像を指差した。
指の先には、兎の視界の中で机に突っ伏したミイラがいた。
今、がらんどうの都市の廃墟は、小さな太陽をその内に抱いて、少しずつ溶け果てていっているのかもしれない。
それにも関わらず、不思議な事に兎の視界は、先程から何の変化も見られなかった。
私には、彼らの行動が正しいものなのかどうか、もはや判断がつかなくなっていた。
あれほどの規模の大都市跡を、ほんの1日足らずで燃やし尽くしてしまうような連中なのか。
それではほとんど、災害ではないか。
いまや、彼らに対して抱いている感情は、畏敬を通り越した、理解不能な存在に対する恐怖感に至っていた。
私の感情の変化などは気にもとめず、ライツは無表情に、白光する幻像を見つめていた。
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長い時間が過ぎたように感じたが、それでも日の差す角度を見ても大した動きがなかったので、実際にはあまり時間は経っていなかったのかもしれない。
山頂からは、温風は熱風となって野営地に吹き下ろしていた。
雪山の中にいながら、ほとんど真夏の日向に晒されるような暑さで、私は外套も脱いで肌着だけになっていた。
これほどの暑さでも、ライツはなお着替えはおろか、汗すらもかいていなかった。
私の中では、もしかしたら彼自身も、そもそも人間なのではないのではないかという疑念すら湧いていた。
白光していた幻像が突然、宙空からぷつりと消えた。
それと同時に、目を閉じて項垂れていたジョゼフが目を醒ました。
「お、燃え尽きたか」
ジョゼフはまるで他人事のように、兎の方が見ている幻像を覗き込んだ。
「あ、熱くなかったんですか」
私はずっと気になっていた事をジョゼフに尋ねてみた。
「あぁ、俺は何も感じないよ。感覚は取捨選択して、不要な分はカットしている。つないでいないと熱波の術が解けるから、俺は突っ立ってただけだ。肉体が完全に焼失したから、戻ってきたって寸法さ」
そう言って、愉快そうにニヤニヤと笑ってみせた。
ライツは私達のやり取りには目もくれず、幻像越しのアリーセに対して何かの指示を出していた。
指示を受けて、兎は立ち上がると、部屋の入り口を経て、扉の外へと足を踏み出した。
何もない。
背後の一部屋とその周囲の壁面だけを残し、何もなくなっていた。
足元の地面が、まるで楕円形に切り抜かれたように石畳が残されていて、切り抜かれた先は、崖のように切り立っていた。
天井も、そびえ立っていた壁面もない。
切り立った崖の下は、まるで土中に火薬を埋めて爆ぜた跡のように抉れて窪んでいた。
遠方には、火山から吹き出された土砂のように赤熱して煮えたぎる液状のものがところどころで池を成していた。
赤黒い池と、半透明の池とか並んでいる事にも気づいた。
空は暗闇が多い、一帯が高温化した影響か、吹雪は雨へと変わっていた。
ならば、色のない池は、雨水が成した池なのだろう。
雨の中あちこちから立ち上る煙が覆い隠しきれない方角では、屍体達が駆け下りてきた、そうしてその先に私達が控えている山の頂が姿を見せていた。
こんな惨状を残した場所が、この世にあるものだろうか。
私自身、子供の頃に、本当にたまたまではあったが、村から少し離れた平原で行われた戦争を目にした事があった。
大砲が爆ぜて、地面の土が弾け飛ぶのを見た。
その時も、地面が抉れ、燃えた木々や屍体を目にした。
ただ、それと比べても、この景色はもはや、現実感がなかった。
あの日見た戦争が現世の風景ならば、これは地獄の風景だ。
およそ生き物の営み、生命のやり取りの生み出すものではない。
屍体と屍体の戦いという、村の外で繰り広げられていると聞くものの実態が、こんな現実離れしたものだったなどと、誰が想像しようものか。
耳の奥に、事務的な女声が響いた。
「研究室は無事です。回収はどうしますか?」
「そうだな… 危険性も排除したし、ここからはもう本部に任せていいだろう。戻ってきてくれ、報告書は帰りの道すがら書く」
そう言うと、ライツは馬車の側に積んであった荷物の山に向かい、帳面と筆記具のようなものを取り出し始めた。
ジョゼフが幻像のアリーセに対して何か冗談を言って煙たがられている様子だったが、私にはもう、何を言っているか耳には入ってきていなかった。
山の向こうにあった都市は、一体何だったのか。
誰がいつ頃に住んでいて、どんな営みがそこにはあったのか。
あの部屋にいた男は、一体あそこで、得体のしれない怪物達に囲まれて、何をしていたのだろうか。
あの都市に対して、どんな思いを持って、吹雪と闇の中に閉ざして、また蜃気楼で招き入れるような事をしていたのか。
そうした数々の疑問が、浮かんでは消えていった。
ただ、何を考えたところで、無意味なのではないかという思いが強まるだけだった。
屍術団の面々に質問したら、あるいはジョゼフ辺りが、気前よく丁寧な説明をしてくれるかもしれないとも思いかけた。
ただ、それも結局は止す事にした。
こんな戦いの先で、生きた人々の手に、一体何が残せるのだろう。
無力な私には、それを知る術も、変える術もない。
屍術師達は、日夜地底の軍勢と戦い続けていて、彼らが人類の未来を担っていると、人々は噂している。
しかし、その戦いが終わる気配があると言うような話は全く聞かない。
それはつまり、これだけの尋常ならぬ力を持ちながらなお、結着をつけられないほどに相手もまた強大なのだろう。
そう思えば、戦い、勝つ以外の事に関心を払っている暇などないというのも、仕方がない事かもしれない。
全ては、生き延びた先にしかないのだから。
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~おわり~
※今回のショートストーリーは、ohNussy自筆です。
「ショートストーリー」は、Buriedbornesの本編で語られる事のない物語を補完するためのゲーム外コンテンツです。「ショートストーリー」で、よりBuriedbornesの世界を楽しんでいただけましたら幸いです。
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xf-2 · 6 years
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議長、副大統領、議員の皆さん、ファーストレディー、米国民の皆さん、我々は今夜、限りない可能性の瞬間に立ち会っている。新しい議会の始まりにあたり、私は全ての米国民のため、歴史的な大躍進を達成するため皆さんと協力する気持ちでここにいる。
 何百万もの米国民が今、この偉大なる議場に集まった我々を見ており、二つの政党としてではなく、一つの国家として統治することを望んでいる。
 私が今夜示す計画は、共和党の計画でも民主党の計画でもない。米国民の計画だ。
 我々の多くが中核となる同じ約束のために運動してきた。それは、米国の労働者のために米国の雇用を守り、公平な貿易を要求することだ。国のインフラ(社会基盤)を再建し、再活性化させることだ。保健医療と処方薬の価格を引き下げることだ。適法で近代的で安全な移民制度を作り上げることだ。米国の利益を第一にする外交政策を追求することだ。
 米国政治には新たな機会がある。それをつかみとる勇気さえあればいいのだ。勝利とは、自分の政党を勝たせることではない。国民のために勝つことだ。
 今年、米国の使命の荘厳さと米国人の誇りの力を確認する二つの大事な記念日を迎える。
 6月には、アイゼンハワー将軍が大いなる聖戦と呼んだ、連合国軍による欧州解放作戦の開始から75年を迎える。ノルマンディー上陸作戦の決行日の「Dデー」、つまり1944年6月6日、我々の文明を暴政から救うため1万5000人の米国の青年たちが空から���6万人以上が海から強襲した。
 そのときの信じられないほど素晴らしい英雄3人が今夜、我々と共にここにいる。ジョゼフ・レイリー1等兵、アービング・ロッカー2等軍曹、ハーマン・ゼイトチク軍曹だ。敬意を表したい。
 2019年に我々はまた、月面に米国旗を立てるため勇敢な若い飛行士たちが宇宙を約25万マイル飛んで以来50年となることを祝う。半世紀後(の今)、旗を立てたアポロ11号の宇宙飛行士の1人が(ここに)参加している。バズ・オルドリン氏だ。今年、米国の宇宙飛行士は米国のロケットで宇宙に戻る。
 米国は20世紀、自由を守り、中流階級のありようを一変させた。皆さんが本腰を入れれば、世界の中で米国と競争できるところはない。我々は今、大胆に勇気を持って米国の偉大な冒険の次の章に進まなくてはならない。21世紀にふさわしい新たな生活水準に一新しなければならない。すべての市民が素晴らしい生活の質をもう少しで手に入れられる。
 我々はかつてないほど地域を安全にし、家族を強固にし、文化を豊かにし、信仰を深めるとともに、中流階級をより大きく、より豊かにすることができる。
 そのために我々は復讐(ふくしゅう)や抵抗、報復の政治を拒絶し、協力と妥協、公益の限りない潜在力を追求するべきだ。
 我々は、何十年も続く政治的な行き詰まり状態を共に打開することができる。昔からの分断に橋をかけ、古い傷を癒やし、新しい連立を築き、素晴らしい米国の未来を切り開くことができる。決断は我々にかかっている。
 偉大さか停滞か、成果か抵抗か、未来か復讐か、途方もない進歩か無駄な破壊か、選ばなくてはならない。
 今夜、皆さんに偉大さを選択するよう求める。
 この2年間、私の政権は、何十年にもわたり両党の指導者が放置してきた問題に立ち向かうため、切迫感をもって歴史的なスピードで行動した。大統領選からたった2年余りで、我々は空前の好景気をもたらした。かつてないほどの好景気だ。530万の新規雇用を生み出した。製造業で60万の新規雇用を創ったのは特筆できる。誰もがそんなことはできないと言っていた。事実は、これはまだ始まりということだ。
 賃金はこの何十年で最速のペースで増え、私が身を挺(てい)して支援すると約束したブルーカラー労働者で一番伸びている。500万人近い米国人が低所得者向け食料品購入券「フードスタンプ」の支給対象から外れた。米国経済は私が就任した時に比べ、ほぼ2倍の速さで成長している。米国経済は、世界のどこと比べても圧倒的な差をつけて活況だといわれている。
 失業率は半世紀で最も低い。アフリカ系米国人、ヒスパニック系米国人、アジア系米国人の失業率も、史上最低水準だ。障害を持つ米国人の失業率も史上最も低い。歴史的に最多の1億5700万人が今、就労している。
 我々は就労世帯に大規模な減税を行い、児童扶養控除を倍にした。小規模の企業や牧場、家族経営の農場にかかる不動産税や相続税を実質的に廃止した。
 とても不人気だった医療保険制度オバマケアの加入義務違反に対する罰金を廃止した。重病患者が救命治療を受けられるようにした。未承認薬を使えるようにする法案を通過させた。
 私の政権はほかのどの政権が任期中に達成したよりも多くの規制撤廃を短期間で実現した。歴史的な減税と規制緩和の結果、多数の企業が米国に戻ってきている。
 米国でエネルギー革命を起こした。米国は今、世界一の石油と天然ガスの産出国だ。今や、約65年ぶりにエネルギーの純輸出国となる。
 24か月の急速な発展を経て、我々の経済は世界の羨望の的だ。軍は地球上で最強だ。米国は日々、勝利している。議員の皆さん、米国は強力である。我が国は活気にあふれ、経済はかつてないほど繁栄している。
 1日には、今年1月だけで雇用が30万4000人増えたとの発表があった。予想のほぼ2倍だった。米国で経済の奇跡が起きている。唯一それを止めるものがあるとしたら、おろかな戦争か政治、あるいは、ばかげた党派的な捜査だろう。
 平和と法律があるところには、戦争も捜査もあるはずがない。そんなことにはならないものだ。
 我々は国外の敵を打ち負かすため、国内で団結しなければならない。
 この新たな協力の時代は、連邦機関のポストにふさわしい高い能力を有する300人以上の候補者の指名承認で幕を開けられる。手続きは今も上院で止まっており、中には何年も待たされている者がいる。上院は行動を怠っており、これでは候補者だけでなく国に対して不公正だ。
 今こそ超党派の行動が求められる。信じるか信じないかわからないが、それが可能であることを我々はすでに証明している。
 前の議会で、両党は力を合わせ、鎮痛剤オピオイド乱用問題に対処するため前例のない法案を通過させた。包括的な新農業法案、退役軍人省の改革を通した。さらに40年否決され続けた、退役軍人省の説明責任法案を可決した。これにより、素晴らしい退役軍人に対するひどい扱いをようやくなくせる。
 そしてほんの数週間前、両党は画期的な刑事司法改革に向けて団結した。昨年、私は友人からアリス・ジョンソンの話を聞いた。私は深く心を動かされた。
 1997年、アリスは麻薬を巡る違法行為で終身刑を言い渡された。初犯で暴力に手を染めたわけでもなかったのにだ。
 その後20年以上、彼女は刑務所の牧師となり、他の受刑者により良い道を選ぶよう励ましてきた。刑務所の受刑者に大きな影響を与えた。影響はそこだけにとどまらなかった。
 アリスのケースは、判決の不平等や不公平を明確に示している。この不公正を是正する必要がある。彼女はほぼ22年間受刑し、残りの人生を刑務所で過ごすことになっていた。
 私は6月、アリスを減刑した。彼女は今夜ここにいる。アリス、ありがとう。我々にはいつだって自身の運命を決める力があることを思い出させてくれた。
 アリスのすてきな家族が刑務所の門で彼女を迎え、抱きしめ、キスを交わし、泣き、笑うのを見たとき、私は正しいことをしたと実感した。
 アリスのような話をきっかけに、私の政権はファースト・ステップ法の成立に向けて、両党の議員と緊密に連携した。この法は、アフリカ系米国人の権利を誤ったやり方で過剰に損なってきた刑法を改革するものだ。
 ファースト・ステップ法は、暴力を伴わない犯罪者が生産的で法を順守する市民として社会復帰する機会を与える。今、国中の州が続こうとしている。米国は罪が償えることを信じる国だ。
 今夜、ここにテネシー州からマシュー・チャールズも来ている。1996年、マシューは30歳のとき、違法薬物販売などの罪で35年の刑を言い渡された。その後20年にわたり、30以上の聖書の講義を修了し、法務書記となり、受刑者たちの良き助言者となった。彼は今、ファースト・ステップ法のもとで出所した最初の元受刑者となった。ありがとう、マシュー。
 今、共和党と民主党は、差し迫った国家の危機に立ち向かうために再び力を合わせなければならない。
 国土を守り、南部国境を厳重に警備する予算案を通すために、議会には10日の期間が残っている。
 今こそ、米国が不法移民をなくし、密入国を手引きする冷酷な一味や組織、麻薬密売人や人身売買組織を壊滅するために取り組んでいることを、議会は世界に示すときだ。
 今こう話している最中も、中米からの移民集団の大規模な隊列が米国を目指している。メキシコの複数の市当局が、不法移民を地域から排除するために、バスやトラックに彼らを乗せ、我が国の国境警備が手薄な場所に送り込んでいるそうだ。このとんでもない猛襲に対処するため、南部国境に3750人の部隊派遣を命じたところだ。
 これは倫理問題だ。南部国境の無法状態は、すべての米国民の安全、治安、金銭的安定に対する脅威だ。我々は、国民の暮らしと雇用を守る入国管理体制を作り出す義務がある。
 これには、規則を守り、法令を順守している、今ここに暮らす何百万人もの移民に対��る我々の責任も含まれる。合法な移民は、様々な形で我が国を豊かにし、社会を強くする。私は我々の国に、かつてないほど多くの人々に来てほしい。しかし、それは合法的でなければならない。
 不法移民ほど我が国の政治的、階級的な分断を明示する問題はない。豊かな政治家や献金者は、壁と門と警備に守られながら、国境の開放を求めている。一方で、米国の労働者たちは、雇用の減少、低賃金、教育の負担、社会保障の衰退といった大規模な不法移民の代償を払っている。
 不法移民への寛容は思いやりではない。現実は非常にひどいものだ。(米国を目指し)北上する女性の3人に1人が性的暴行を受けている。密売人たちは、我々の法律を悪用し、我々の国に入国するために移民の子供を人質として利用する。
 人身売買業者たちは、何千人もの少女や成人女性を米国に密入国させ、彼女らを売春に従事させるため、我々の通関施設間の広い地域をたくみに利用している。
 何万人もの善良な人々が、我々の暮らす街に国境を越えて流入した覚醒剤、ヘロイン、コカインなどの危険な薬物によって死んでいる。
 悪質なギャング組織「MS―13」が少なくとも20州で活動している。彼らのほとんどは南部国境を越えて入ってくる。ちょうど昨日、メンバーの一人がニューヨークの地下鉄ホームでの射殺容疑で拘束された。我々はこのようなギャングのメンバーを排除しているが、国境の安全が保証されるまで、彼らは逆流し続ける。
 年を追うごとに、犯罪的な不法外国人によって殺害される米国人は数え切れない。
 私は多くの素晴らしい「天使の母たち、父たち、家族ら」を知るようになった。誰も、彼らが耐えなければならなかったようなひどい心痛に苦しむべきではない。
 今夜ここに、デボラ・ビッセルが来ている。3週間前、デボラの両親ジェラルドとシャロンはネバダ州リノの自宅で強盗に入った不法な外国人に撃たれて亡くなった。2人は80歳代で、4人の子供と11人の孫、20人のひ孫がいた。ここには、その孫娘のヘザーとひ孫のマディソンも来ている。
 ほとんどの人はあなたたちの痛みを理解できない。ありがとう、ここにいてくれてありがとう。本当にありがとう。私は決して忘れないし、ジェラルドとシャロンのために、このようなことが二度と起こらないように闘う。
 危険な国境の管理を怠り、もうこれ以上、米国人の生命が奪われることがあってはならない。
 米移民・関税執行局(ICE)は、この2年間で、26万6000人の不法な外国人を拘束した。この中には、性犯罪にかかわった3万人や、殺人事件に関与した4000人が含まれる。
 こうした法執行の英雄の一人がここに来ている。ICE特別捜査官のエルビン・ヘルナンデスだ。エルビンと彼の家族はドミニカ共和国から合法的に米国に移住してきた。8歳の時、エルビンは父親に捜査官になりたいと言った。彼は今、国際的な性的人身売買を取り締まる捜査を指揮している。エルビンは言う。「もしこれらの若い少女たちが確実に正義を得られるならば、私は本当に自分の仕事をしたことになる」。彼と彼の同僚のおかげで、昨年、300人以上の女性らが恐怖から救われ、1500人以上の残虐な人身売買業者らが投獄された。
 我々はいつも、法執行に関わる勇敢な男女を支持する。私は今夜、ICEの英雄を滅ぼすことはないと誓おう。ありがとう。
 我が政権は、南部国境の危機を終わらせるため、良識ある提案を議会にしてきた。それは、人道支援や更なる法執行、入国時の薬物探知、子供の人身売買を可能にする抜け穴を封じること、国境の物理的な壁を含む。過去には、ここにいるほとんどの人が壁に賛成票を投じたが、壁は適切に建設されていない。私はそれを建設する。
 これはスマートで戦略的で向こうが見通せる鋼鉄の障壁であり、ただのコンクリート壁ではない。これは、国境警備隊によって必要性があると確認された場所に設置されるだろう。壁がつくられたところでは不法入国は激減すると国境警備隊は言うはずだ。
 サンディエゴ(カリフォルニア州)は、米国で最も多くの不法入国があった。サンディエゴ住民や政治指導者の要求に応じて、頑丈な壁が導入された。この頑丈な壁は不法入国をほぼ完全に収束させた。
 メキシコとの国境都市であるテキサス州エルパソは、かつて、米国内で凶悪犯罪率が最も高い都市の一つで、最も危険な都市の一つと考えられていた。今は強力な壁のおかげで、エルパソは最も安全な都市の一つになっている。端的に言えば、壁は機能し、壁は人命を救う。
 だから、協力し、歩み寄り、真に米国を安全にする取引を成立させよう。
 我々は国民の安全を守るために働いている。経済の回復を速いペースで進めなければならない。
 昨年に創出された新規雇用の58%を占めた女性たちほど、私たちの発展する経済から恩恵を受けた人々はいない。すべての国民は、これまで以上に多くの女性が働けることを誇りに思うだろう。女性に参政権を与える憲法修正が議会で可決されてからちょうど1世紀、これまでで最も多くの女性が議会で活躍している。素晴らしい。おめでとう。
 あらゆる場面で女性の活躍する機会を改善する取り組みの一環として、我々は途上国の女性の経済的自立に焦点を絞った政府初の事業も始める。
 驚異的な経済の成功を築くためには、最優先事項として、数十年にわたる悲惨な貿易政策を転換させることだ。
 我々は中国に対し、長年にわたって米国の産業を狙い、知的財産を盗んできた今、雇用と富を盗み取るのはもう終わりだと明確にしておきたい。
 我が国は最近、約2500億ドル(約27兆4000億円)の中国製品に関税を課した。財務省は今、中国から何十億ドルも受け取っている。しかし、我々を利用したと、中国を非難するつもりはない。私は、この茶番を許した我が国の過去の指導者と議員たちを非難する。私は習シー(近平ジンピン)国家主席をとても尊敬している。
 我々は今、中国との新しい貿易協定に取り組んでいる。しかしその新たな協定には、不公正な貿易慣行を終わらせ、慢性的な貿易赤字を減らし、米国の雇用を守るために、実質的で構造的な改革が含まれなければならない。
 もう一つの歴史的な貿易の大失敗は、北米自由貿易協定(NAFTA)として知られる大惨事だ。
 私はNAFTAによって夢を砕かれたミシガンやオハイオ、ペンシルベニア、インディアナ、ニューハンプシャー、さらに多くの州で男女に会った。何年もの間、政治家はより良い協定を交渉すると公約してきた。しかし、今まで誰も実行を試みなかった。
 我々の新しい「米国・メキシコ・カナダ協定(USMCA)」は、NAFTAに取って代わり、米国の労働者のために役割を果たすだろう。それによって、米国の製造業に雇用を取り戻し、米国の農業を拡大させ、知的財産を保護し、より多くの車に「メイド・イン・ザ・USA」の美しい四つの単語を誇らしげに刻印することを保証できる。
 私は今夜、相互貿易法を議会で通過させることを求めたい。他国が不当な関税を米国の製品に課したら、我々も彼らが売りたい同様の製品に全く同じ関税を課せるようにするためだ。
 両党は、米国のボロボロのインフラ再建という偉大な仕事のため団結できるはずだ。
 私は、議会がインフラ整備法案を通すことに意欲を持っているのを知っている。私は、未来の最先端産業のための投資を含めた、新しくて重要なインフラ投資を実行するための法整備で、あなたたちと一緒に働きたくてたまらない。これは選択の問題ではない。必要不可欠なものだ。
 私だけでなく、私たち全員にとって次の大きな優先事項は、医療と処方薬の費用を減らし、既往症のある患者を守ることだ。
 私の政権の努力の結果として、既に薬の価格は2018年に、46年間で最大の下げ幅を経験した。
 しかし、我々はもっとやらなければならない。米国人が、たいてい全く同じ場所で作られている全く同じ薬のために、他国の人より非常に高い金額を支払わされるのを受け入れることはできない。こんなことは間違っており不公平だ。力を合わせ速やかにやめさせたい。
 私は、医薬品開発費の負担が世界的に不公正になっている問題にようやく取り組み、米国の患者にとって公平性と価格の透明性を提供する法律を通すことを求めている。製薬会社や保険会社、病院��対し、競争を促し、価格を下げるために実際の価格を開示することも要求すべきだ。
 歴史上、米国の自由ほどの力を持って、人々の境遇を進歩させたものはほかにない。ここ数年で我々は、HIV(エイズウイルス)との闘いで目を見張る進展を遂げた。科学の飛躍的進歩は、遠い夢を手の届く距離に引き寄せた。私は、10年以内に米国でHIVの流行を確実になくすために必要な予算を民主党と共和党に求めたい。一緒に米国のエイズに打ち勝とう。
 今夜、私は全ての米国人が支持できる別の闘いに参加することも求めている。それは小児がんとの闘いだ。
 観客の中で今晩メラニアと一緒にいるのは、とても勇敢な10歳の女の子、グレイス・イラインだ。やあグレイス。彼女は4歳の時から誕生日のたびに、セントジュード小児研究病院への寄付を友人に呼びかけていた。彼女は自身が、患者になる日が来るとは思わなかった。それが起こった。昨年、グレイスは脳のがんと診断された。すぐに彼女は放射線治療を始めた。同時に地域に呼びかけ、がんとの闘いのために4万ドル以上を集めた。彼女が昨秋、治療を終えた際、「化学療法の最終日」というポスターを掲げると、彼女の医師や看護師が目に涙をためて喜んだ。ありがとうグレイス、あなたはこの部屋にいる全員の励みだ。
 多くの小児がんは新しい治療法が見つかっていない。私は、命を救う重要な研究のため5億ドルの予算を議会に求めている。
 共働きの親を助けるため、米国の子供たちのための公立学校選択制を通す時が来た。私は、有給の家族休暇を全国的に導入する計画を予算案に含める最初の大統領となることを誇りに思う。親がみな、生まれたばかりの子供と親密な絆を結べるようにするためだ。
 母親が幼児を抱く美しい映像と比べ、我々の国で最近流れた身も凍るような映像ほど、大きなコントラストを示すものはない。
 ニューヨークの議員は、生まれる寸前の赤ちゃんを中絶できるようにする法案の通過を喜んだ。こうした赤ちゃんは、生きていて感覚を備える美しい存在なのに、この世の愛も夢も決して触れられない。バージニア州の知事に至っては、その発言で、出産後に赤ちゃんを処刑する意図まで示した。
 全ての人の尊厳を守るため、私は、母親の胎内で子供が痛みを感じることができる妊娠後期の中絶を禁止する法案を通過させるよう求めている。
 無垢(むく)の生命を大事にする文化を共に築こう。根本の真実を再確認しよう。生まれた子もこれから生まれる子も、神の神聖な御姿をかたどったものだ。
 私の計画の最後は米国の安全保障についてだ。
 ここ2年以上、昨年は7000億ドル、今年は7160億ドルをかけて、我々は米軍を全面的に立て直すことに着手してきた。我々は他の国々に対して公平な分担をさせている。やっとだ。長年の間、米国は、北大西洋条約機構(NATO)の加盟国である友好国から非常に不公平に扱われてきた。しかし、この2、3年でNATOの同盟国による1000億ドルを超える防衛支出の増額を確保した。彼らができないと言っていたものだ。
 軍増強の一環として、米国は最新式のミサイル防衛システムを開発している。
 私の政権下では、米国の利益を促進したことを巡って我々が謝ることは決してない。
 例えば、数十年前、米国はロシアとミサイル能力を制限し、縮小する条約を締結した。我々が合意とルールを誠実に守る一方、ロシアは長年、繰り返し取り決めを破ってきた。それが、私が中距離核戦力(INF)全廃条約から正式に離脱することを発表した理由だ。それ以外に選択肢がない。
 おそらく我々は中国やその他を加えて異なる合意を交渉できる。もしできなければ、我々は、ほかのどの国もはるかにしのぐ費用をかけて技術革新を行い優位に立つ。
 大胆で新しい外交の一環として、我々は朝鮮半島での平和のために歴史的な努力を続けている。我々の人質は帰国した。核実験は止まった。ミサイル発射は15か月間、行われてこなかった。私が米国の大統領に選ばれていなかったら、私の考えでは、今まさに、北朝鮮と大規模戦争になっていただろう。多くの仕事が残っているが、金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長と私の関係はよいものだ。金委員長と私は2月27、28日にベトナムで再び会う。
 2週間前、米国は正統なベネズエラ政府および新しい大統領、フアン・グアイド氏を正式に承認した。ベネズエラの人々の高貴な自由の追求を支持する。マドゥロ政権の残忍性を非難する。彼らの社会主義政策は、南米で最も裕福だった国を、みじめな貧困と絶望の国に転落させたた。
 ここ米国で、我々の国に社会主義を採用しようという新たな要求を警戒している。米国は、政府の強制でも支配でも統制でもなく、自由と独立の上に築かれた。我々は生まれながらに自由で、自由であり続ける。今夜、米国が決して社会主義国にならないという決意を再確認する。
 我々が長年にわたって直面する試練の中でもとりわけ複雑なものの一つは、中東にある。
 我々の取り組みは、原則にのっとる現実主義に基づいている。何十年も進展がなかった信用できない理論ではない。だからこそ我々の政権は、イスラエルの真の首都を認め、誇りを持ってエルサレムに大使館を開いた。
 我々の勇敢な兵士は今、ほぼ19年間にわたって中東で戦ってきた。アフガニスタンとイラクでは7000人近い米国人の英雄が命をささげた。5万2000人以上の米国人が重傷を負った。我々は7兆ドル以上を中東での戦闘で費やしてきた。
 大統領候補として、私は新しい取り組みを声高に約束した。偉大な国は、終わりなき戦争はしない。
 私が就任した時、イスラム過激派組織「イスラム国」はイラクとシリアの2万平方マイル以上を支配していた。今日、血に飢えた怪物の支配から、我々は実質的に全領土を解放した。
 「イスラム国」の残党を壊滅するため、同盟国と連携して取り組んでいる今、我々のシリアにいる勇敢な戦士に温かい「お帰りなさい」を贈る時だ。
 私はまた、アフガニスタンで政治的解決を、可能なら実現させるための交渉を加速させてきた。敵対勢力もまた、交渉が行われていることをとてもうれしく思っている。我々の軍は比類なき勇猛さで戦ってきた。そして、彼らの勇気のおかげで、我々は今、この長く血を見るような紛争の政治的解決となりうることに取り組むことができる。
 アフガニスタンで私の政権は、(旧支配勢力)タリバンを含む数多くの勢力と建設的な対話を行っている。これらの交渉が進展すれば、我々の軍の駐留部隊を減らし、テロ対策に集中することができるだろう。我々は実際にテロ対策に集中する。(和平)合意を実現できるかどうかはわからない。しかし、20年に及ぶ戦争を経て、少なくとも和平達成に向けて努力する時が来たことを我々はわかっている。相手も同じことをしたいと思っている。その時だ。
 敵味方の区別なく何より重要なのは、国民を守ろうとするこの国の力と意思を疑ってはならないことだ。18年前、テロリストたちは米駆逐艦「コール」を襲撃した。そして先月、米軍はこの襲撃の首謀者の一人を殺害した。
 我々は今夜、トム・ウィバリーが参加してくれたことを光栄に思う。彼の息子で海軍上等兵のクレイグ・ウィバリーは、我々が悲劇的に失った17人の乗組員の1人だった。トム、我々はいつでも、駆逐艦コールの英雄たちを記憶にとどめると誓う。ありがとう、トム。
 私の政権は、世界で有数のテロ支援国家であるイランの急進的な政権に立ち向かうため、断固とした態度で行動してきた。急進的な政権だ。彼らは本当に悪いことをする。
 この邪悪な独裁政権が核兵器を決して保有しないことを確実にするため、私は破滅的なイラン核合意から米国を撤退させた。そして我々は昨年秋、米国が一国に科すものとしては最も厳しい制裁を発動させた。
 我々は、米国に対して死を唱え、ユダヤの人々に対して集団虐殺を行うと脅す政権から目をそらさない。反ユダヤ主義という卑劣な害毒、その悪意に満ちた信念を広める人々を、決して無視してはならない。我々は一致団結し、こうした憎しみがいかなる場所で生じたとしても、立ち向かわなければならない。
 わずか数か月前のことだが、(東部)ピッツバーグのシナゴーグ(ユダヤ教礼拝所)「生命の木」で、ユダヤ系米国人11人が反ユダヤ主義の襲撃によって残忍な形で殺害された。SWAT(警察特殊部隊)のティモシー・マットソン隊員は銃撃のさなかに突入し、7回撃たれながらも犯人を追跡した。そして非常に成功した。ティモシーは12回目の手術を受けたばかりで、さらに多くの手術を受ける。しかし、今夜、我々と共にここにいるために駆けつけた。マットソン隊員、ありがとう。我々は、永遠に感謝する。本当にありがとう。
 今夜、ピッツバーグの事件の生存者ジュダ・サメットも参加している。彼は、虐殺が始まった時にシナゴーグに到着した。しかし、彼は昨秋、死を免れただけではない。70年以上前、ナチスの強制収容所でも辛うじて生き残ったのだ。今日はジュダの81歳の誕生日だ(拍手。誕生日を祝う歌が歌われる)。彼らは私のためにそうしてくれないよ、ジュダ。ジュダは、約75年前、強制収容所で10か月間過ごした後、家族と列車に乗せられ、別の収容所に行くと言われたまさにその時を、今でも思い出すことができると言う。突然、列車がキーッと音を立てて止まった。1人の兵士が現れた。ジュダの家族は最悪の事態を覚悟した。そのとき、彼の父親は大きな喜びの声を上げた。「米国人だ、米国人だ」と。
 今夜ここにいる、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を生き抜いた2人目の人物のジョシュア・カウフマンは、ダッハウ強制収容所の捕虜だった。彼は、家畜運搬車の壁の穴をのぞき、米兵が戦車で続々とやって来るのを見たことを覚えている。ジョシュアは「私にとって、米兵は神が存在するという証しであり、彼らは空から下りてきた。彼らは天国から下りてきた」と回想する。
 今晩、私はまず、第2次世界大戦中の「Dデー」(ノルマンディー上陸作戦の決行日)に戦った兵士3人を称賛することから始めた。そのうちの1人がハーマン・ゼイトチクだった。
 だが、ハーマンの物語はもっとある。ハーマンはノルマンディー海岸を急襲した1年後、ダッハウ(強制収容所)の解放を手助けした米兵の1人だった。彼は、この世の地獄からジョシュアの救出を支援した米国人の1人だった。75年近くがたち、ハーマンとジョシュアは今夜、ギャラリーの中に共にいる。米国の自由発祥の地であるこの場に、隣り合って座っている。ハーマンとジョシュア。あなたたちが今晩ここにいることにとても感謝している。
 1944年、Dデーの早い時間帯、英仏海峡の暗い空の下で米兵が作戦に着手した時、彼らは18、19歳のただの若者だった。不安定な上陸用舟艇で、戦争の歴史の中で最も重要な戦闘へと突き進んでいったのだ。
 彼らは、その時を生き残れるのかわからなかった。年を重ねられるのかもわからなかった。しかし彼らは、米国が優勢でなければならないことはわかっていた。この国家、そして、まだ生まれていない世代(のために戦うこと)が彼らの大義だった。
 なぜ彼らはそうしたのか。米国のため、私たちのためにそうしたのだ。
 共産主義への勝利、科学と発見の大いなる飛躍、他の追随を許さない平等と正義への前進――。全てが、先人の血と涙と勇気、先見の明のおかげなのだ。
 この議事堂に思いをはせよう。あなたたちより前に(ここにいた)議員たちが、奴隷制に終止符を打ち、鉄道や高速道路を建設し、ファシズムを打ち倒し、公民権を獲得し、悪の帝国を屈服させるために投票を行った、まさにこの議場に思いをはせよう。
 今夜ここには、この壮大な共和国の各地から来た議員たちがいる。メーン州の岩石の多い海岸やハワイ州の火山の峰々から。ウィスコンシン州の雪深い森やアリゾナ州の赤い砂漠から。ケンタッキー州の青々とした農地やカリフォルニア州の黄金の砂浜から。我々は共に、歴史上最も類いまれな国家の議員を務めている。
 我々はこの瞬間、何をしようとしているのだろうか。我々はどのように記憶に残るのだろうか。私はこの議会の男女に求める。目の前にある機会を見よ! 最も感動させる偉業が、まだこの先にある。最も刺激的な旅が、まだこの先に待ち受けている。我々の最大の勝利はまだ先のことだ。我々の夢はまだ始まっていない。
 我々は、不一致によって規定されてしまうのか、勇気を持って違いを乗り越えていくのか、選ばなくてはならない。
 我々は、受け継いできたものを無駄遣いするつもりなのか、あるいは、米国人だと誇らしげに宣言するつもりなのかを選ばなければならない。我々は信じられないようなことをする。我々は不可能なことに挑む。我々は未知なるものに打ち勝つ。
 今こそ米国の想像力を再び燃え上がらせる時だ。最も高い頂を目指し、何よりも輝く星を目指して目標を設定する時だ。我々を市民として、隣人として、愛国者として結びつける愛と忠誠、そして記憶の絆をよみがえらせる時だ。
 これが我々の未来であり、運命であり、選ぶ道だ。私はあなたたちに偉大さを選ぶよう求めている。
 どんな困難に直面しようと、どんな難問が降りかかってこようと、我々は共に前進しなければならない。
 我々は、心の中に「米国第一」を掲げなければならない。魂の中に自由を息づかせなければならない。そして、神のみもとにある一つの国として世界各国の希望であり、期待であり、光であり、名誉であるべきだ――という米国の運命にいつでも信念を持ち続けなければならない。
 ありがとう。みなさんに、そして米国に神のご加護がありますように。そして、おやすみなさい。
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dancerkochan · 2 years
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🇨🇱09/18チリ独立記念日🇨🇱 スペインを征服したナポレオンは兄のジョゼフ(ホセ1世)をスペイン王に据えたが、南米のスペイン植民地はホセ1世への忠誠を拒否し、1810年のこの日、チリのサンチアゴに植民地統治を行う政治委員会を設立することを決議しました。この自治政府はペルー副王アバスカルの派遣した軍により崩壊したが、アルゼンチンに亡命した独立指導者が他の南米諸国の援助で抵抗運動を展開し、1817年にチリに侵攻した独立派の軍隊がスペイン王党派の軍を撃破、1818年2月12日に独立宣言を果たしました。 https://youtu.be/GKEbA53iBX4 🇨🇱 09/18 Chile Independence Day 🇨🇱 Napoleon, who conquered Spain, placed his brother Joseph (Jose I) as King of Spain, but the Spanish colonies of South America refused to be loyal to Jose I, and on this day in 1810, in Santiago, Chile. It resolved to establish a political committee to govern the colony. The autonomous government was destroyed by an army dispatched by Deputy King Abascar of Peru, but an independent army invading Chile in 1817 when an independent leader in exile in Argentina developed a resistance movement with the assistance of other South American countries. Defeated the Spanish royal army and declared independence on February 12, 1818. https://www.instagram.com/p/Cin9_lpvZpT/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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victorlovea · 3 years
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ジョゼフさんの記念日おめでとうございます 月下の紳士🎩🐺💞血祭り🩸🌹 〔Joseph💕 marry🥀〕 #Joseph #bloodyqueen #bloodyqueencosplay #identityvjoseph #identityvmary #josephcosplay #ジョゼフ  #第五人格  #TikTok #identityv  #第五人格cos #第五人格❤ ️  #cosplay #identityvhunter #identityvcosplay #제5인격팬아트 #cosplayer #第五人格コスプレ #identityvmeme #Identity5 #제5인격 #cosplaying #identityvedit #第五人格cosplay  #cosplayersofinstagram #คอสเพลย์ #Косплей #코스프레  #제5인격  #角色扮演 #gamecosplay https://www.instagram.com/p/Ca95XiWPQRy/?utm_medium=tumblr
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akutukarino · 3 years
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読書メモ26
トゥーロンを出航したヴィルヌーヴはフランス・スペイン連合艦隊を率いて西インド諸島を経由してスペインのカディス港へ。ネルソンは7月まで追跡したが翻弄されて終わる。
ナポレオンはヴィルヌーヴにそのまま英仏海峡に突入を求めたがカディス港に入ったことで諦めて、代わりにカリブ海に向かうように命じる。そこでネルソン艦隊を引き寄せて隙を見て英国に上陸する作戦だった。しかしヴィルヌーヴは拒否。怒ったナポレオンに解任される。後任はかねてから出世を望んで売り込んでた野心家のロジイ海軍中将を指名。10月18にそのことを知ったヴィルヌーヴ、自暴自棄になって21日に独断でカディスを出航してしまう。
こうしてトラファルガー沖海戦が始まった。
フランス艦隊の動きを監視していたネルソンはすぐに艦隊を動かし歴史的な命令を発する。「英国は期待する。各員がその義務を果たさんことを」
ネルソンは旗艦ヴィクトリーを先頭に左の縦列を率い、右縦列はロイヤル・ソヴリン、僚友コリングウッド中将に任せる。ヴィルヌーヴは敵の迅速な動きに慌てて逃げようとして陣形を乱してしまう。やむを得ず全艦左回頭して横列で戦うことに。
5時間にわたる乱戦でヴィルヌーヴ艦隊は20隻を失い11隻がカディス港に逃げ込む。ネルソン艦隊は無傷の完勝だった。しかし最終段階になって先頭のヴィクトリーに敵の攻撃が集中、僚艦のテメレールを先頭に出しましょうという部下の進言を無視してしまう。ヴィルヌーヴの旗艦ビュサントールと撃ち合いながらその背後に出るが、フランス艦ルドゥタブルに阻まれ、そのマストに配置されていた狙撃手にヴィクトリーの甲板に立つ目立つ提督の軍服を見つけてしまう。
ネルソンは目立ちたがり屋だった。
当時、勲章を日常的に胸につける習慣はナポレオンがひろめていたが海軍ではあまりないことだった。プロイセンの鉄十字は1813年のこと。
ネルソンは四つの勲章をつけていた。うち二つはネルソンにためにわざわざ新規で制定された特別製のものだった。
海戦で大勝しながらネルソンは狙撃手の銃弾を受けて倒れた。愛人エマと子供の行方を最後まで心配しながら「神に感謝します。私は義務を果たしました」と呟いて絶命する。
エマは愛人ゆえに遺産を受け取れずに貧しい中で死去、しかしその娘は牧師と結婚し堅実に生きたという。
ヴィルヌーヴは海戦で捕虜になり、英国へ。ネルソンの葬儀に参列後帰国を許される。しかしフランス海軍は彼の復職を許さずに、レンヌのホテルで死体となって発見される。自殺とされているが暗殺という説もある。
カディスに戻った艦隊は結局、ロジイの指揮下につくが、制海権を失ったフランスにもはや活躍の場はなかった。ナポレオンは英国侵攻を諦めてオーストリア戦線に向かい艦隊は忘れ去られた。
1808、ナポレオン、スペイン王室の内紛に介入。兄のジョゼフを王位につけるもそれが国民の反感を買い、全土でゲリラが蜂起。(ここでゲリラという言葉が生まれる
カディスも安全ではなくなり、スペインの軍艦は全て敵に回りロジイも投降。フランス艦5隻がスペインに取られた。ロジイはその後王政時代まで生き残って、うまく立ち回り要職を歴任した。
ロジイ艦隊を救出するためにデュポン中将の軍隊が向かうがバイレンで大敗、降伏。ナポレオンにとって初めての降伏で、ナポレオンは激怒しデュポンを投獄。彼はナポレオン失脚後に復帰して王政時代には閣僚を務めて栄進した。
ネルソンの旗艦ヴィクトリーは現存しており今も英国軍籍にある。記念艦
僚艦テメレールは解体されたがその最後の姿はジョゼフ・ターナーの有名な絵画「戦艦テメレール号」として残っている。
感想:ネルソン、最後がなんかあっけない。ヴィルヌーヴはかわいそうな最後だったな⋯⋯絶対キャラクターにするならタレ目下がり眉の幸薄そうな顔だな⋯⋯描けそう⋯⋯
こういうの見てると戦艦が人気なのもわかるよな⋯⋯かっこいいもん⋯⋯名前とか
トラファルガーの海戦ってこんな話だったんだな⋯⋯そうか⋯⋯。
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koudelkalightnovel · 6 years
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Collections of Hiroki Kikuta’s blog
1997年秋から1999年末まで携わった、 「クーデルカ」という仕事は、僕の人生の中で大きな意味を持つ。 嬉しかったこともあり、残念だったこともあり、しかし、制作に費やした二年間は、 無駄ではなかったと、今振り返って思う。 サクノス立ち上げに助力していただいた、元セガ副社長の故藤本敬三氏の思い出。 ロサンゼルスはウエストハリウッドでの夢のようなモーションキャプチャーセッション。 胸に浮かぶままに、語るべきことは尽きない。 ここでは、写真、設定資料、デザイン画を中心に、ゲーム制作のプロセスと、 その印象を綴っている。 クーデルカのための宣伝用イラストレーション/1998 岩原裕二 部分 このサイトは、1999年12月にプレイステーション向けホラーRPGとして発売されたゲーム「クーデルカ」のディレクター菊田裕樹が、制作資料の掲載や作品解説を目的として運営するものです。ゲームをプレイしてくれたユーザーが、より深くクーデルカの世界とその魅力に親しんでもらうために、僅かなりと助けになれれば幸いです。 --- 「クーデルカ」のモーションキャプチャーは、1999年1月、ロサンゼルスはサンタモニカにあるスタジオで収録された。技術面を担当したのはフューチャーライト。普段は「ゴジラ」等のハリウッド映画のSFXを担当している映像制作会社である。遡る1998年9月、僕はイベント系を担当する人員の不足から、それを全てモーションキャプチャーで賄うという構想を建てた。全体で見れば一時間をこえるイベントシーンを、手打ちのアニメーションとスクリプトで実現しようとすれば、5人がかりの仕事となる。しかも、一向に従来のRPGの域を出ない、面白みの無い方法だ。ゲームのドラマ部分を表現するために、効果的で、目新しくて、しかも大きな省力化になる方法として、モーションキャプチャーは画期的な試みだった。無論、問題はあった。技術的に不可能だというのだ。物語の性質上、最大4人を同時にキャプチャーし、併せて音声も収録する必要があったからだ。僕はまず、日本国内のスタジオで実験をし、手応えを掴んだ。その結果、モーションキャプチャーは十分に魅力的な効果を生み出すという確信を得た。しかし同時に、僕の要求する仕様は日本国内では実現不可能であるということも分かった。だが、そこで諦めてはクリエイターが廃る。幸い、以前「双界儀」の録音でお世話になったデイブレイク社の大竹氏が、海外のコーディネイターに詳しいというので、畑違いながら探してもらったら、ロスにそれらしい技術を持った連中が居るという。早速連絡を取り、俳優のオーディション方々会いに行った。ところが実際に会ってみると、彼等も僕が考えるような仕様でキャプチャーをしたことがなかった。4人を同時に、音声もいっしょに、しかも数分に及ぶ芝居をいっぺんに収録する。そんなの聞いたことがない。しかし驚いたことに、面白そうだから是非やってみょうと、彼等は言ったのだ。新しいことにチャレンジするのが嬉しくてしょうがないスタッフ達。こうして、この前代未聞の試みは実現したのである。 クーデルカを演じてくれたヴィヴィアンとエドワードを演じてくれたマイケル。100人程のアクターをオーディションした中から選んだ人達だ。アメリカのアクターの層は厚い。皆、良い作品に出演することを夢見て、演技の勉強をし、技術を身に付け、レストランなどで働きながらハリウッド近辺で暮らしている。アメリカでは基本的に、どのような有名な役者でも、名前だけで出演が決まることはない。必ずオーディションをして、その役に本当に相応しいかどうかを確かめられる。彼等は、役の大小に限らず、それを勝ち取ることに真摯で、また仕事に臨んでも出来るだけ良い結果を残そうとする姿勢を崩さない。 セッションに参加してくれたスタッフ達。フューチャーライト側から、モーションキャプチャーの陣頭指揮にあたってくれたダン・マイケルソンをはじめ、プログラマーのランディ、エンジニアのジョン。彼等は4日に及ぶセッションの中で起った、様々な問題に素早く対処してくれた。日本側から、クーデルカのモーションを担当した竹原君。IPG側から、わざわざこのコーディネイトのためにニューヨークから駆け付けてくれたポール。そして、サウンドエンジニアのキース。 写真中央、このセッションのディレクションを全て担当してくれた、IPGから参加のデビッド・ウォルドマン。彼は日本でビデオクリップのADをしていた経歴があり、日本語が話せたため、今回の仕事に適任として選ばれた。映像制作の現場でのノウハウや、その進行に関して、彼に学ぶところは大きかった。その後、ロスでムービーキャメラマンの学校に入り、本格的に映画制作を志しているらしい。左は、デビッドの女房役のADであるクレイグ。右に居るのは、9才のシャルロッテ役を演じてくれた12才のサラ・パクストン嬢。その可愛らしさで、スタジオの人気者だった。しかし、プロとしての意識は本物で、長台詞を覚え、慣れないキャプチャーに戸惑うこともなく、見事に演じてみせた。下の写真は、キャプチャーセッションに先立つ、リハーサルの時のもの。近くのホテルで部屋を借り、本番の時と同じように、全ての芝居をチェックする。この時キャラクターはどんな気持ちなのか、何を考えながら演じればいいのかを、ひとつひとつ、押さえていく。このシーンは、クーデルカとエドワードが、オグデンとベッシーにスープを振舞われるところ。中央に、いかにも人の良いおばさんを演じてくれた人の良いおばさん、デニス・ホワイト。 スタジオというよりは工場といった有り様だが、実際すぐ横にプロップを組み立てる工房があったりした。一応サウンドステージとして作られてはいるのだが、防音がしっかりしていないため、上空を飛ぶ軽飛行機の音がうるさくて、撮影が中断したのには参った。真中に置いてあるのは、ジェームズら3人が大聖堂に入る扉が開かなくて悪態をつくシーンのための大道具。例えば、扉を叩く芝居が欲しい時に、何もないのにそういう振りだけしても、リアリティーは生まれない。扉を叩く時には、そこに扉があるべきだ。下の写真は、ゴミの山に埋もれてひっそりと稼動しているSGIのONYX。これに限らず、驚くような機材が、ごく当たり前に使われているのをあちこちで見た。聞けばそれらは全て、レンタルなのだという。こういう所にも、日本との状況の違いを感じた。右は、連日に及ぶ深夜の撮影で疲れ果てて眠りこける僕。 2000/11/25 菊田裕樹 --- ヴォイニッチ文書 部分 Emigre Document 紀元前5000年をさかのぼる昔、ブリタニアには高度な巨石文明を持った民族が栄えていた。今も島のあちこちに残るドルメンやストーンサークルは、現代科学を持ってしても不可能と思われるほどの彼らの技術力を、我々に示している。彼らはケルト人が到来するまで、全世界でも最も進んだ文化と文明を持つ民族であった。エジプトでピラミッドが建築される遙かに昔。中国、バビロニア、イスラエル、どの文化圏よりももっと以前に、ブリタニア全土に分布する巨石遺構は建てられたのである。 その力の秘密は、彼らの持つ宗教にあった。彼らは大地より湧きいでる生命の秘密に手をかける術を知っていたのである。生と死を操り、不死や、あまつさえ死者の再生をも我がものにし、労働力としての人間ならざる怪物を生み出し、高度な文明を築き上げた。それは自然の持つ輪廻の法則そのものを御する行いであり、神の為す神秘に等しい。いや、彼らこそが原初の「神」だったのかもしれない。彼らはその「神を遙かに遡る世界の成り立ちの秘密」を、文字にして書き記すことはなかったが、その祭儀や術としてのノウハウは、ケルト社会のドルイド僧に引き継がれた。ドルイド僧は古代人の残した祭儀法を基盤に、自分たちなりの技術的アレンジを加え、古代人には及ばないまでも、天地の秘密を力に変換することを自らのものとした。 だが、彼らもまた、自分たちの慣習や宗教に関して書き残すことをしない。ケルト民族の在りように関して最初に言及したのは、まさにそこを征服せんとして兵を進めたユリウス・カエサルである。しかし、彼が紀元前50年頃に「ガリア戦記を」書き記す以前に、前4世紀頃ケルト民族と親交のあったアレクサンダー大王が、アレクサンドリアの大図書館に收めるべく、ドルイドの秘儀をギリシア語で文書化させていたのである。彩飾図版を交えて作成されたこの文献は、その任に当たった人物の名を取って「エミグレ文書���と名付けられた。 この文書は閲覧を禁じられた秘密の書として王宮の図書館に保管された後、戦禍を逃れて持ち出され、数世紀の間、各所を転々とする。その間にはキリスト教の成立やローマカトリックの隆盛などがあるが、6世紀に入り、アイルランドに様々な修道院が建設され、写本事業が盛んになった結果、イタリアの片田舎に忘れられていた「エミグレ文書」は、リンデスファーン島にある写本で名高い修道院に持ち込まれた。だが、ギリシア語に堪能でない彼らは、内容の美しさや彩飾の艶やかさに目を見張りこそすれ、文書の持つ本当の力に気づくことはなかった。 9世紀に入って、度重なるヴァイキングの来襲により、蔵書の保存に危機を感じた修道院は、重要な文献を各地に避難させ始める。アイルランド生まれで敬虔な信者であるヨアヒム・スコトゥスとダニエル・スコトゥスの兄弟は、大修道院長より「エミグレ文書」を託され、その内容に驚愕した兄ヨアヒムは弟ダニエルをウェールズの辺境にあると記される聖地へ赴かせ、自らは写本を携え、フランス王の元に庇護を願い出た。弟ダニエルは聖地で修道院を建て、祈りを捧げて一生を終わる。兄ヨアヒムは碩学として歴史に名を残すが、その死後、ローマ法王庁に写本を接収されてしまう。 キリスト教を脅かす力を持ったこの文書は、ローマ法王を恐怖させ、禁断の書物として誰にも閲覧を許すことなく、書庫の奥底にしまい込まれたが、13世紀になってその損傷の激しさから、新たな写本を作る必要が生じ、当時最高の知識人として名高かったフランチェスコ会修道士ロジャー・ベーコンにその任が与えられた。彼は10年にも渡ってフランスに幽閉され「エミグレ文書」を精確に複製することを強いられたが、その過程で文書の知識は彼の物となった。秘密を守るため彼をそのまま監禁し、二度と世に出すまいという法王庁の意図とは裏腹に、彼は密かに外部と連絡を取り、自らが解読した文書の示す聖地へ赴き、生命の秘密を探る試みに取りかかるべく、着々と準備を進めていた。 彼は、先にダニエル・スコトゥスが建てた修道院を改修し、実験施設となるべきゴシックの大聖堂を建築させた。そこで彼がどのような秘術を試みたのかは、記録に残っていないが、法王庁の手を逃れフランスを脱出した彼は、二度と姿を現すことはなかった。彼は、姿を消す前に、新たな一冊の写本を残している。エミグレ文書の記述を元に、ウェールズ語の暗号で書かれたその写本は、聖地の修道院に残されていたが、16世紀になってエドワード・ケリーとジョン・ディーによって発見され、新たな写本として書き直され、さらにローマの修道院を経て、20世紀になって古物商ヴォイニッチによって再発見され、ヴォイニッチ文書と名付けられて、現在エール大学のベイニック図書館で閲覧できる。 また、ロジャー・ベーコンによって複製された「エミグレ文書」写本(原典は破棄された)は19世紀までヴァチカン宮殿の奥深くに秘蔵されていたが、1890年頃何者かに盗み出され、以後その行方を知る者はいない。ダニエル・スコトゥスが建てた修道院は1536年の修道院廃止例の後、政治犯や重要犯罪人を拘留し処刑するための施設へと転用され、聖なる場所で多くの人命が闇に葬られた。 (設定資料より) 2000/10/25 菊田裕樹 --- 2000/10/25 Hiroki Kikuta Koudelka Iasant 1879年生~没年不詳。イギリスはウェールズの田舎、アバージノルウィンの寒村生まれのジプシー。幼い頃から強すぎる霊能力を持ち、様々な怪異を起こすため、呪われた存在としてジプシーの世界から追放される。1888年9才頃ロンドンで霊能力者ブラヴァツキー婦人に拾われ、秘蔵っ子として厚遇されるが91年婦人が他界すると共に、再び放浪の旅へ。普段は霊媒として失せ物を探したりして、糊口をしのいでいる。 年は若いが、世の中の事情を一通りわきまえたところがあり、良く言えば大人、悪くいえばすれっからし。普段はあまり明るい顔をせず、大体において不機嫌そうで態度が悪いが、時折女らしいところを見せる。差別される者や愛されない者に肩入れする傾向がある。自分を表現することが下手。 (登場人物設定資料より) Notes クーデルカという名前は、著明な写真家であるジョゼフ・クーデルカから採ったものだ。口にした時の不思議な響きと、民族や国籍を感じさせないところが気に入って、名字ではなく名前として使わせてもらった。手元の資料を見ると、キャラクターデザインの岩原裕二氏にコンペ用のスケッチを発注したのは1998年の3月26日だが、遡る2月10日の段階で、僕はゲーム全体の進行手順と、シナリオの箱書きを完成させていたし、キャラクターの心理設計も完全なものとなっていた。クーデルカはジプシーの出身である。彼らはインドをもっとも古い故郷とし、放浪に生きる人々で、自分たちのことを誇りを込めてロムと呼ぶ。それは人間という意味である。一般社会の人間たちとは隔絶され、自分たちの血縁関係の中だけで生きている彼らにとって、追放はもっとも苦しい罰となる。クーデルカはその特異な能力ゆえに、子供の身でジプシーを追われることになった。僕は彼女を、どこにも安住することを許されない、最も孤独な存在として設定した。平和で豊かな暮らしの中に、彼女の居場所は無い。呪われた魔物や幽霊が跋扈する、廃虚の暗闇の中にだけ、かろうじて自分を置くべき空間を見出せる。クーデルカは、そういう悲しい存在なのである。 岩原氏はこのプロジェクトのために、100枚にも及ぶキャラクタースケッチを描いた。クーデルカだけでも数十枚になるが、そのほとんどはポリゴンによるモデル化のための制約から来る衣装デザインの試行錯誤であり、キャラクターの本質部分に関しては、最初から完成形に近いものを掴んでくれていたようだ。また、氏にはゲームの制作に先行して角川書店の雑誌で漫画連載を始めてもらい、ゲーム設定の1年後のストーリーという立体的な構成で、物語の厚みと魅力を増すことに貢献してもらった。 クーデルカのポリゴンモデルは、当時広島のコンパイル社の倒産で行き先を捜していた渡辺伸次氏に、経済的に援助するということで東京に移り住んで制作してもらった。彼は同社の仲間とCGスタジオであるD3Dを設立した。そのころの彼等には全く実績が無かったが、見せてもらったプロモーションムービーのキャラクターの動きに並ならぬ情熱を感じ、彼等と一緒に新しいチャレンジをする気になったのである。しかし実際、キャラクターのモデリングは難航した。ゲームスタッフ側の無理解も大きな原因だったが、D3D側もクーデルカほど高いレベルのモデルを作るのは初めてとあって、試行錯誤のために何ヶ月も���間が必要になった。リテイクに次ぐリテイクの嵐。最終的には、僕自身が彼等の後ろに付いて���鼻をもう少し縮めてだの、唇をもう少し上げてだのと細かく指示を出し、なんとか納得のいくものに仕上がるまでに半年近くかかっている。 モーションキャプチャーにおいて声と演技を担当してもらったヴィヴィアン・バッティカ嬢は、米サンタモニカ・スタジオで行ったオーディションの中で、クールで独特の色気があり、抑えた芝居の出来る人として選定した。ただ可愛いだけではなく、クーデルカの持つ陰の部分を表現するためである。彼女自身まだ若く経験も浅いとはいえ、その熱意と努力は相当なもので、10分にも及ぶ長丁場の芝居、何十行もある長台詞を、たった数日で完全に頭に入れて撮影に臨む辺り、なるほどプロというものはこういうものかと感心させられた。度重なる技術的不備にも嫌な顔をすることなく、エドワード役のマイケル・ブラッドベリーと現場の雰囲気を明るく盛り上げてくれたことには、感謝の言葉もない。 2000/10/25 菊田裕樹 llustrated by Yuji Iwahara このページ内の全ての画像及び文章の著作権、版権、複製権、二次使用権は全てその正当な著作者、権利所持者に帰属します。よって、無断複製、無断転載を含め、著作権法に違反する形態でのあらゆる利用を禁止します。 All Rights Reserved 1997 1998 1999 2000. クーデルカは(株)サクノス・SNKの登録商標です。 All Rights Reserved (C)SACNOTH/SNK 1999 --- Nemeton Monastery イギリスはウェールズ地方。アバースワースにほど近い、海沿いの断崖に、人気もなく廃墟と見まごうようなネメトン修道院がある。ちょっとした公園ほどもあるその敷地の中には9世紀頃に建てられたと思われるロマネスク様式を色濃く残した修道僧の宿坊をはじめ、13世紀頃に建てられた飛び梁も美しいゴシックの大聖堂、会堂をかねた図書館、鐘つき堂、屠殺場を兼ねた炊事場、処刑台に使われた東屋、近代になって建てられた宿舎などが、全体を囲む壁と一体化して並んでいる。16世紀に修道会を禁ずる制令が発布されるのを待たずして寂れ、廃墟と化したこの場所は、17世紀に入って政治的な犯罪者や虜囚などを閉じこめたり処刑したりする目的に使用された。今でもどこかに地下牢が隠されているといわれている。近代になって、訪れる者も居なくなり、荒れるに任せていたのを、ある資産家が物好きにも買い取って移り住んだが、程なくして彼は姿を消し、後には様々な憶測と噂だけが残った。あるいは、財宝が隠されたまま埋もれているといい、あるいは、悪魔が彷徨っているといい。再び廃墟と化したこの修道院を訪れるのは、人目を避ける犯罪者や一攫千金目当ての食い詰め者だけだった。 (制作資料より抜粋) ネメトン修道院初期設計図/1998 松野泰三 1998年2月の段階で、ゲームの進行に伴う、マップ全体像の設計は、ほぼ出来上がっている。八棟の建物、地下道、墓地など、全部で100個見当の区画からなる構成で、イベントと連動して移動できる範囲が拡がっていく。実は、このような閉鎖された空間を舞台として設定したのは、単に演出的な意図によるものではなく、人的物理的制約による結果なのである。例えば、高度に訓練されたグラフィックスタッフが20人居るならば、一年間に500から600枚を超える背景画を制作することが可能だ。しかし、楽観的に考えても数人が限度と思われる人材確保の現状を前提にすると、およそ100マップ200~250画面が、用意できる背景数の上限と見なければならない。一般のRPGのように、ワールドマップがあって幾つもの街があって、などという仕様は、最初から無理。そこで、極めて限定された空間を設定し、それを有効に活用しつつ、様々な雰囲気のバリエーションを提供できるような仕掛けを考案した。それがホラーRPGという枠組みだったのである。 ネメトン修道院初期設計図/1998 松野泰三 ネメトン修道院を構成する建物群は、そのひとつひとつが、建てられた年代も、目的も異なるものである。各々の建築様式の違いは、ドラマの進行と相まって、ユーザーを飽きさせないための装置として機能する。扉を開けて新しい建物に入る度に、物語が次なる展開を迎えたことを実感してもらうために。微にいり細にわたり、緻密に作り上げることが、あたかも実際にそこに居るかのような臨場感を生む。そのために最も必要だったことは、実際の建築物を参考にすることであった。 ネメトン修道院初期設計図/1998 松野泰三 物語上でアバースワースとしたのは、アイルランド側の海岸にその場所を置きたかったからだが、98年8月にスタッフを伴って訪れた実際の取材は、ウェールズの下側に位置する観光地ペンブロークシャーを中心に行った。その一帯は、草原から突然に切り立った断崖が現れ、地平線の彼方まで続く、不思議な景観の土地である。その周辺に夥しい数の修道院や城跡が存在する。あるものは往時を偲ばせて健在だが、ほとんど廃虚と化した遺構も多い。セント・デイビッド教会は、中世そのままの姿で我々の目を楽しませてくれると同時に、石造りの聖堂が持つ、独特な雰囲気を理解するのに役立った。また、垂れ込めた雲と雨が作るどんよりとした暗い空気は、実際にその場に立ってみないとイメージできないものである。近辺の修道院の壁や石組みを大量に撮影して、3Dモデル用のテクスチャーとして使ったのも、大きく意味がある試みであった。 さて、ネメトン修道院の大聖堂はゴシック建築として作られているため、本当ならば、その常として側廊が無ければならない。ゴシック建築は荷重を分散する構造にすることで壁を薄くし、ステンドグラスの設置を実現しているからである。しかし、ゲーム仕様上の制約としてプリレンダリングのマップを考えた時に、多数の柱を立体的レイヤーとして配置することが困難であるために、内部を単純な箱型にせざるをえなかった。外側から見ると、飛び梁様の補強柱が一定間隔で取り付けられているが、現実の物として考えれば、全体の重量を支えるために、壁自体もさらに厚くせざるをえないと思われる。なお、大聖堂頂部の鐘突き堂は、そのものが飛び梁によって構成されている特殊な形式だが、これは架空の物ではなく、実際に存在するスタイルであることを付け加えておきたい。 2000/10/25 菊田裕樹 --- Library : クーデルカという物語 By 菊田 裕樹 – 2000年 3月 28日Posted in: Library, Library : ARTICLE    クーデルカという物語    2000年3月 公開    このサイトを御覧の方には僕の制作した    RPG「クーデルカ」を未プレイの向きも多いと思う。    手短に説明すると、19世���のイギリスはウェールズの    片田舎にある今は廃墟同然と化したある修道院を舞台に、    クーデルカという19才のジプシーが出会う様々な    怪異をテーマにした、いわゆるモダンホラーと    呼ばれるジャンルに属するゲームである。    僕はこの作品のコンセプトに始まり、キャラクター設計、    マップ構成、シナリオ、ムービーや    モーションキャプチャーイベント部分の    ディレクション等など、様々な種類の仕事をした。    基本的な部分の組み立てには約3ヶ月ほど要しただろうか。    全部で100冊以上の本に眼を通したが、    物語の発想の土台となったのは、    「幽霊狩人カーナッキ」という本であった。    短編集で、主人公である怪奇現象研究家カーナッキが、    様々な「怪異」と「怪異に見えるもの」に遭遇し、    あるものは解決し、あるものは良く分からないまま    終わる(笑)という、味わいのあるホラー小説集だ。    興味のある方は是非一読されたい。    さて、僕が物語を組み上げる段階でこだわるところは、    歴史上の事実を曲げないということである。    実際に起こったとして、記録に残っている様々な事件を、    相互に関連付け、その隙間を虚構で埋めていくという    やりかたが僕は大好きだ。    同じ嘘をつくのでも、まったく根拠も無く考えるのと、    事実に基づいてその基盤を組み上げていくのとでは、    細かい部分でのリアリティーが違ってくる。    だから、クーデルカという物語には、    プレーヤー諸氏が考えているよりも、    ずっと多くの史実が含まれている。    エドワードやロジャーが実在の人物である事など、    歴史に興味のある方は、調べてみられるのも一興かと思う。    1898年は科学と迷信がせめぎあう世紀末の、    まさに移り変わる一瞬を捉えて興味深い時代である。    明ければすぐに1900年、近代科学文明の浸透の    象徴ともいうべき、パリ万博が開催される。    そしてそれこそが、僕がクーデルカの続編と    目論んでいた物語の舞台なのである。    ウェールズを描くために、ロンドンやペンブロークに    足を運んだのと同じように、僕はパリやベルギーに    取材をするつもりだった。    (パリ万博に出展されていた建物が、当時の    ベルギー王の要望で買い取られ、    ブリュッセルに現存するのだそうだ)    会場から郊外を結んで建設された地下鉄と、    そこで起こる怪異。エースネクスト誌連載中の    漫画版のエピソードを終えたクーデルカが、    拠ん所ない事情でパリを訪れ、地下に巣喰う    亡霊どもの争いに巻き込まれていく。    実はクーデルカの続編は、僕の頭の中では4作目まで    出来ている。第一部イギリス、第二部フランス・・・    とくれば、第三部はアメリカである。    時代は大きく跳んで、1973年アメリカはシカゴ。    主人公は、シカゴ大学で教鞭を取る文化人類学者、    クーデルカ・ロードメル。    クーデルカの娘アメリアが後に渡米して産んだ子供で、    つまりは孫だ。ベトナム戦争末期とあって、    帰還兵が持ち帰ってしまった悪霊が、    様々な殺人事件を引き起こすのを、まだ生きている    ロジャーの助けを借りて解きあかしていく。    (ちなみにロジャーはスーツを着て出てくる)(笑)    そして第四部は1984年奈良。    関西大学で教える友人の宗教学者の元を訪れたクーデルカは    何者かに命を狙われ、陰陽師や式神と戦う羽目になる。    奈良の巨石墳墓や京都の町並みが、    雰囲気造りに一役買うだろう。    残念なことに、今のところ僕がそれらの    続編を作る予定はないが、    小説のようなものであれば、書いてもいいかなあと思う。 Story of Koudelka : Library --- Haven: On Koudelka, you served as producer, writer, and composer. What were some of the goals you accomplished in taking on these various responsibilities? Were there ways in which the project could have been better realized? Hiroki Kikuta: Let me begin by saying, whenever you divide up responsibilities among a group of people concerning the judgments that get made on a project, the end quality is bound to suffer as a result. To keep the quality high and the schedule organized on a project, it's better for as few people as possible to be making key decisions, and for them to be communicating within the group with as few conflicts as possible. The ideal situation would be for but one director to be delegated the responsibility of expressing his or her creative vision. That said, for Koudelka, I was pursuing that degree of creative control. To prepare, in gaining an understanding of the game's setting, I read about one hundred books on English history, touching on periods from the Medieval era to around 1900. It proved useful in discovering relevant episodes which could be incorporated into the story. Having several events to ground the plot in a kind of historical reality, I then started building on that foundation with some fictional events. For example, the character of Edward is based on an actual Irish dramatist named Edward Plunkett, 18th Baron Dunsany, while the woman who writes a letter for Charlotte is based on Sophie Dorothea of Württemberg. Roger Bacon is, of course, a historically famous philosopher. Also, the incident on the Queen Alice really occurred and is recorded in the captain's log of the vessel. By filling out the gaps in those historical events with fictional incidents, such as the Emigre Document and reincarnation ritual, I aimed at providing a realistic basis to the imaginary aspects of the story. Before production, some members of our staff went on a trip to Whales to gather information and capture the genuine atmosphere of the place with our own eyes. We demanded extreme accuracy in providing the background details, and we even used motion capture technology to provide culturally appropriate body language for the characters, techniques advanced enough to compete with the standards of the Hollywood industry at that time. Those challenges, which were provided by the passion motivating that project, were the real essence of Koudelka. Koudelka, "Patience," music sample I remember that I was reading the critical biography of James Cameron, who was making Titanic at that time, on the airplane to England. I was overwhelmed by his tremendous efforts to capture those startling images. At that time, I realized that it is necessary for creative work to have a degree of obsessive passion involved. I hope that some degree of that conviction had a positive result on the end product. --- As soon as it is in the year 1900, the Paris World Expo is to be held as a symbol of the penetration of modern scientific civilization. And that is the stage of the story that I was thinking as a sequel to Kuderuka. In the same way that I went to London and Pembroke to draw Wales, I planned to cover Paris and Belgium. (It seems that the building which was exhibited in the Paris Expo is bought at the request of the King of Belgium at the time and exists in Brussels.) The subway built by connecting the suburbs from the venue and the monster occurring there. Kuderuka who finished the episode of the comic version in the series of Ace Next magazine visits Paris due to circumstances that are not based, and is caught up in the strife of ghosts who nest underground.    (The first line of the Paris Metro opened without ceremony on 19 July 1900,[4] during the World's Fair (Exposition Universelle - that is what is meant by subway) Actually, the sequel to Kudelka is made up to the 4th in my head. Part 1 England, Part 2 France · · ·     If you do, the third part is the United States. The era greatly jumped, in 1973 America was Chicago. The hero is a cultural anthropologist, Kurdelka Roadmel, who teaches at the University of Chicago. Kuderuka's daughter Amelia is a child who gave birth to the United States later, that is, it is a grandchild. With the end of the Vietnam War, the evil spirits brought back by the returning soldiers will solve various murder cases with the help of living Roger yet.     (By the way, Roger comes out wearing a suit) (lol) And the fourth part was Nara in 1984. Kurdelka who visited the origin of a religious scholar of a friend taught at Kansai University is targeted to someone, and it will be fought against the Yin Yang masters and the expression god.     The megalithic tomb of Nara and the townscape of Kyoto will contribute to the atmosphere building.     Unfortunately, for the moment I have no plans to make those sequels, but if it's like a novel, I wonder if I can write it. --- RocketBaby: At what age did you become interested in music? Hiroki Kikuta: When I was ten years old, I met up with the music of Emerson, Lake & Palmer. I had never heard such marvelous music before. It was quite an impact for me. A few months later I heard that Keith Emerson was using a particular instrument called MOOG synthesizer. RB: At what age did you start writing music? HK: When I was twelve years old, the Folk blues movement came over to Japan from America. I studied Acoustic Guitar and started to create an original song immediately. I wanted to be a singer/ songwriter... if I wasn't a terrible singer. Actually, Digital equipment opened up my potential as a music composer. Without a musical sequencer, I can't create any complicated tunes. When I first acquired a YAMAHA SY-77 synthesizer/sequencer, I felt as if I got a ticket to a different world. RB: Why did you start Sacnoth? HK: I had held many original ideas about video games and visual expression for a long time. The most important purpose is to create an entertainment. When I was searching for a way to achieve my dream, I met a dominant business advisor. He introduced me to the chairman of SNK. I told him about many pitfalls that every existing RPG had. I thought those were lacking a comprehensive insight and a integrative interpretation. It is a structural defect of game production. To resolve the problem, it is necessary to get the picture of each element of game creation at the same time. I have an ability to do that. I established a company SACNOTH and took up my position as CEO in order to produce a new horror RPG project, Koudelka. But unfortunately... Though I conceived a grand scheme to realize an innovative game system and visual expression, many old staffs from SQUARE were not able to accept real change without hesitation. I say that the person who will have no change is already dead. After termination of Koudelka project, I retired as CEO of SACNOTH. It was my choice. RB: As a composer how should music effect the game? As a developer how should the music effect the game? HK: A music composer wants to create a good tune with utter simplicity. But if you want to create a good game as a developer, it is not enough. Because good music does not necessarily fit a good game. The most important problem is adjustment of each of the elements. If the visual element exactly synchronizes with the musical element, a dramatic effect will be generated.. And I take it for granted that everybody wants to hear a good melody in the end. RB: What were your influences for Koudelka? HK: In the first instance, I designed all concepts and fundamental settings of the Koudelka's world. I gathered various graphic and text materials in London and Wales. I did character design, map design, event design, scenario writing, direction of computer graphics movie, direction of motion capture... I got involved with all of the integral parts of Koudelka except battle and game system. Especially, I had no influence in battle section. I still have a great regret. I wish I could have designed it. And a quick digression, I consulted many movies and books for Koudelka. A most impressive movie is The Name of the Rose (Jean Jacques Annaud 1986). I also read the original book which was written by Umberto Eco. It is a definitely masterpiece. If you want to know some origins of Koudelka's world, you may read Carnacki the Ghost Finder written by William Hope Hodgson and The Case of Charles Dexter Ward written by Howard Phillips Lovecraft. Many fantasy novels by Lord Dunsany (His his full name and title is Edward John Moreton Drax Plunkett 18th Lord Dunsany) are also important. If you want to know about visual origin of Koudelka, see photographs created by Bob Carlos Clarke and Jan Saudek and Holly Warburton. Those are extremely exciting works. RB: How did you manage to write, direct and compose the music for Koudelka? HK: Writing a scenario. Directing a CG movie. Composing a BGM. Each of those is no more than a single face of game creation. When I imagined the world of Koudelka, I figure graphic elements and story elements and sound elements all at once. Because, those are mingled with each other organically. So I think that It is rather easy to manage multiple affairs. RB: What was the easiest aspect of working on Koudelka? What was the hardest? HK: The easiest aspect is music composing. Because I can create a music by my lonesome. It makes me free and I feel comfort. Hardest aspect is behind-the-scenes maneuvering of power game in company organization. I am so tired to do that. Let's get something straight, I am not a buccaneer but rather a creator. All aspects about creation are really pleasant for me. RB: Why do you make music? Why do you make games? HK: Music composing is a natural behavior for me. Like breathing. I usually conceive a good melody and a harmony without suffering. So I have no reason to make music. I think that it is my vocation. Meanwhile, creating video game is not my vocation. It is my wish. I want to produce high quality entertainment in the future. When I write a story and a plot, I usually suffer by myself. Though it is very hard and thorny, I feel maximum accomplishment. RB: What inspires your melodies? HK: Many great works of famous composers and musicians inspire me. If I must respect only one person or group as a music composer(s), I will take Pink Floyd. RB: What are your hobbies and why? HK: Good question. Riding bicycles is my hobby. I also love my yellow Peugeot MTB made in France. I also have some fun playing with my cat. She is extremely pretty. RB: When did you begin working at Square? HK: I began work at Square in 1991. I was twenty seven years old. In those days, the production studio of Square was placed in Akasaka Tokyo. It was small and homey, different from now. I remember that Nobuo Uematsu and Kenji Ito interviewed me in their office. We talked about progressive rock music and famous guitar player Allan Holdsworth with each other. I created sound effects for Romancing Saga at the start of my career. A few of graphic staff worked with me to design a lot of novelty sounds. We worked hard in night and day. RB: How much freedom did you have making music at Square? HK: In a sense, I had perfect freedom. Because, the planning staff of Square put none of the assignments relevant to the menu of music work and schedule in my hand. Nobody explained to me about game detail which they were producing. I had to think and imagine what kind of music was needed for our game project. Changeover,changeover, and more changeover of specifications. It was difficult to foresee the final image of it. But I did. RB: What is favorite game that you worked on at Square and why? HK: May be Seiken Densetsu 2 (Secret of Mana). I think that it was a pretty good game except for the big BUG. The multi player system was extremely fresh and delightful. In the aspect of music, I was fully challenged in regard to sound expression using 8 voice PCM system of SNES hardware. Please see and hear the opening sequence of Seiken Densetsu 2. It is so simple but so lyrical, isn't it? I am really proud of my visual direction and music composition. RB: Did Nobuo Uematsu influence your work? HK: I think there is no influence from Nobuo Uematsu. I have never taken any lessons about composing game music. The style and the melody of my music are totally conceived by myself. Just the same, every staff composer at Square were free from influence of somebody else. Originality and personality were cheerished in our studio. It was the policy of Nobuo Uematsu. RB: What are the best and worst memories that you have of Square? HK: Hmmm... Best memory... it seems a trip to MANA island of Fiji republic. After a production of the game Secret of Mana, I and my friend decided to visit an island placed in South Pacific Ocean. We played skin diving everyday and watched some corals. Those were extremely beautiful. It looks like a blue heaven. I will never forget the view of the sunset from Mana's beaches. It is one of my treasures. By the way... Worst memory is a dissolution of the game team in which I was supposed to participate. I wanted to propose an innovative game system using music and sound effects. RB: Who is your favorite Square composer and why? HK: I recommend Jin Sakimoto (Hitoshi Sakimoto). His works are extremely dense. RB: One of our favorite soundtracks of yours is Soukaigi. The sound quality and styles are some the best for a game. HK: Soukaigi has many characters of sound. I designed it with different complex styles. House music meets real performance, fusion meets folk choirÖÖ It was an adventure for me. To tell you the truth, the style of music does not a matter. I don't dwell upon it. Though I put a high value on counterpoint it does not bind me. It is only a method. In the case of Soukaigi, I was mainly influenced by East European pops like Varttina. RB: Why did you leave Square? HK: I wanted to direct not only musical expression but also visual expression. And of course, I wanted to write a fine scenario which is different from existing one. I had felt a big complaint against those juvenile works. But unfortunately, I couldn't get a chance to take a part in those kind of production works in Square. I suffered terribly for a long time. After all is said, I left Square and established new company Sacnoth to achieve my idea. RB: Do you perform your music live? HK: If I have a chance to do that, I wish to play my music as a live performance. I didn't make an attempt to do that in Japan yet. Do you want to hear my music in front of your eyes, ya? RB: Who would you like to make music with? HK: Jin (Hitoshi) Sakimoto. Because, I could not collaborate with him on composing game music when we were hired together by Square. I respect him. Except for game music composer, I want to collaborate with Allan Holdsworth, a fusion guitar player. His music is a miracle. RB: How do you think game music compares to other genres of music? HK: I think that is similar to movie soundtracks. It is important to synchronize the music with visual element. It has an expressive purpose. If you want to create a game music, don't forget to construct it as an emotional device. RB: How will the next generation consoles allow you to express yourself as composer and game designer? HK: I feel a strong attraction to X-box and Game Cube. A big visual capability makes me hot. I have many ideas to display fascinating characters using real time computer graphics. They will sing and dance and talk with real emotion. Don't you want to play the Musical RPG on Network? I want to play it. RB: What would your advice be to people who: A. People who want to create game music. HK: Listen to as much music as you can. Don't confine yourself to your room. The genre of music is meaningless. If you want to find your treasure, you must challenge the common practice at any one time. B. People who want to create games. HK: Video games are not art. They are an entertainment. You must amuse your audience first instead of amusing yourself. I am always conscious of the feeling to accommodate someone with a fun service. Can you create a lot of gimmicks for the player? If you work so hard and push yourself enough, the day will come to collaborate in some way with me for sure. Let's think of a next game together. RB: What is in the future for Hiroki Kikuta? HK: I will be involved in some new game projects that are not directed by me. I will be a technical advisor. I will create computer graphics and sounds. But soon, I hope to form my studio and develop my own game project. So now I am looking for new investors around the globe. RocketBaby would like to thank Mr. Kikuta for chatting with us.
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