✿ オジャクリ★ジョージア料理
✍️白ワインビネガー大2
1 note
·
View note
はい、あーん❗️ この、リードヴォーととうもろこしのかき揚げ🌽🐂 あなたにも食べさせたい💖 新鮮なモツ料理か楽しめる❗️外苑前キラー通りのモツ酒場koganeかんで、クリエイティブなモツ料理をいただきました❗️ A new sense bar where you can enjoy about warmed “Jyunmai sake” & cuisine of fresh offal. Kogane originate from auspicious golden color. 「新鮮なモツ料理」と一緒に「純米の燗酒」を、「人肌燗」「ぬる燗」「上燗」など温度によって呼び名が変わる繊細な燗酒の世界を愉してます❗️ イタリアンミックステイストで、 【モツ×日本酒×ナチュラルワイン】の組み合わせ、最強です🌾🍺 モツをこれだけオシャレにいただけるお店は、初めてで驚きました❗️やはり仕事帰りの、感度の高い原宿系リーマンが集い、大人気の様子で、夕暮れどきには、満席の賑わい❣️ 新鮮で良質なモツ料理を中心に、和・洋・エスニックの 要素、特にイタリアンを取り入れたお料理のコースをいただきました❣️ ーーシェフおまかせ創作もつ料理コースーー 日本酒に合わせた料理長おまかせ酒肴3種盛り ¥1100 🟠ハツ元の梅水晶 🟠自家製あん肝と奈良漬にジュレポン酢 🟠サーモンといくらのゆず、塩麹 ���れも、じっくり日本酒と🍶楽しめる逸品揃い❗️自家製奈良漬と、あん肝の組み合わせがオシャレですね❗️ハツ元と梅水晶、とびっこの食感がプチプチ楽しいですね❗️ モツ料理5種盛り合わせ玉手箱 ¥2640 🟠ぷるぷる酢モツ 🟠和牛センマイと胡桃のサラダ 🟠牛ハツのタタキとパクチーのヤム風サラダ 🟠ランプレドットの水餃子 🟠モツ入りブーダンブラン 特に私が気に入ったのは、ブータンブランと酢モツ❣️ 白いぷりぷりのソーセージで、じゅわっと溢れ出す肉汁に、豚の軟骨を詰めた食感が最高でした❗️ソースは、マッシュルームとフォンドボーで、ブータンブランと良くあってます❗️酢モツも、プリンプリン❗️ 想像をはるかに超えたぷりっぷりに、ど新鮮な、旨み溢れるモツがお酢に合う〜❗️ランプレドットが入った水餃子は、ジョージアのヒンカリという料理だそうで、サルサベルデソースがまた、新しいですね❗️ランプレドットとサルサベルデ🇮🇹大好物なので、まさか、モツ酒場でいただけるなんて、嬉しかったです🇮🇹 🟠リードヴォーとトウモロコシのかき揚げ ¥930 これがまた、絶妙に旨うまです❗️ 甘ーいとうもろこしの、サクサク衣の中には、リードヴォーがゴロゴロですよ❗️ フレンチの食材として必須のリードヴォー(仔牛胸腺)は、ミルクだけで育った仔牛のもので、プリっ、フワッの食感が溜まりません❣️ 🟠テールスープのチャンポン麺 ¥1320 この締めが、感動的です❗️モツがたっぷりで アツアツの土鍋で煮込まれています❗️ 絶品スープを、チャンポン麺が見事に吸い上げ、飲み干しました❣️ 🟠ティラミス最中 ¥660 new 甘味❗️新しいデザート❗️バタークリームと合わせてたちょっと硬めのマスカルポーネクリーム。まさに和風ティラミス🇮🇹 黒豆のコーヒー煮が大人の味わい❗️ お食事後でも、軽くてペロリ💖 今まで味わったことも見たことないモツ料理新ジャンルコース 日本酒も20~30種類程ある中から、店員さんが、オススメを教えてくださいますよ❗️ 店内も料理も綺麗でオシャレなので、女子同士にも、歓迎会も、モツ酒場koganeさんなら、モツベーション爆上がリリーでしょう🌸 #モツ酒場kogane #supported#キラー通り#キラー通り商店街 #原宿ディナー #外苑前グルメ #表参道グルメ #青山グルメ #外苑前ディナー #表参道ディナー #青山ディナー #昼飲み #日本酒女子 #kogane#ホルモン好き#ホルモンヌ#ホルモン女子#レバー好き#イタリアン #イタリア好き#日本酒好き#日本酒バー #荒川リリー#lilystudio#チーズ天使 (モツ酒場 kogane(こがね)) https://www.instagram.com/p/CqaYWbSS5Vt/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
週記1
四月五日。健さんがとうとう日本に帰った。UZUには自分とマティだけ。
見送りから帰ってきた朝の八時、白く明るい部屋で横たわると空のベットが居なくなった事をより一層感じさせる。一年弱、一緒の部屋で寝ていたのかと思うとまた感慨深い。
居なくなる前に、やっぱり一度、ゆっくり話すべきだったと後悔もしたが、常に喋ってきたし、色々見聞きしてた事を、もう一度反芻する瞬間が多々。
目を覚ましたのは3時。目を覚ましトイレに行くと庭が少し広く感じた。
目をこすって、よく見ると、バーカウンターが取り外され、無残に穴が出来ていた。
フルフル震えながら家に駆け込み、寝ているマティに罵声を浴びせる。
外に連れ出し、これは何だと問い詰める。何だか言い訳をしてるマティアスを眺め、全身がフルフルと震え、健さんが旅立って数時間しか経っていない、健さんはまだ日本にも着いていない、短時間に問題起こすかと、半分呆れてきたところで、一旦中断し、一緒にハチャプリを買いに行き食べる。
ペガが訪ねてきた。
何だか彼女もイラついてる様子だったので、放置した。するとマティと言い合いしだす始末で、厭きれた自分は不貞寝を決め込んだ。
ロベルトがやって来る。案の定、マティがしでかした事に対して、文句を自分に言ってくる。勿論、自分の監督不足。(下っ端の自分が言える事ではないとは知ってるけども)窓口やるなら、しっかりやらないと。
ロベルトと少し話し、綺麗にするからと落ち着いて、帰ったのは夜の八時とか。
そこから始まるマティとの大喧嘩。自分の肉体で喧嘩で勝てるわけもないし、ドイツ語の口喧嘩を勝ち抜く程、頭も良くない。それでも、言い合いし続けていると、マティは彼女のところに行くと、準備し始める。このまま、積もり積もった喧嘩を放っておく事に、血も沸くどころか、通り過ぎ呆れていた。出ていくマティに「このままで彼女の所行くんやったら、もう帰ってくんな」と言い放った。マティも彼女と別れそうで、彼女から呼びつけられているようだった。
少しして、帰ってきたマティ。「彼女に今日行かないと伝えると、振られた。これ以上何を求める?」との嫌味に、ンな事知るか!てめえが甲斐性ないからやろとまた怒り出す自分。感情が忙しい日でした。
お互いに溜まっていた鬱憤を吐き出した。上から目線でちょくちょく言ってくるが、それでもドイツ人は年下の話を聞いてくれる。というか、聞き流してる。
お互いに落としどころを見つけ、ハグして一日を終えた。
火曜日
朝、九時前にはマティが起こしてくれ、目を覚ます。
ここで一緒にやっていくのだから、朝話したり何かを一緒にする時間を作ろうと昨日決めたからだ。起こしてくれるのは大変ありがたい。
朝十時から駐車場に花壇を作るため、庭仕事。一時間半位。庭仕事の後、マホさんから電話が入り、車で近くまで来てるとの事。米を買いに行く為に車に乗っけてもらう。ジョージアについて、話を聞きながら、家に行き、お昼ご飯をご馳走になる。三時には家を去り、家に帰る。
家に帰ると渡さんがビールと焼きそば引っさげてやってきてくれる。豚肉を買ってきてくれた渡さん。健さんがいなくなって、緊張も解けた頃だろうと言って遊びに来てくれた。とても有難く嬉しかった。
そしてアイコが遊びに来た。元気か?と丁寧なあいさつをしてくる。
渡さんが焚いてくれた火を見ながら、ビールを飲んでいく。こういう時、自分は緊張する。自分は話下手で、誰とでも健さんが喋っていた。外国人の場合は、自分は通訳だった。やはり元引き籠りの自分は、会話の仕方を学ばないといけない。英語もドイツ語もジョージア語も、ましてや日本語でさえも、少し難しい時がある。
暫くすると、ロベルトがまたやってくる。
今度もいきなりマティが昨日しでかしたことに対する文句を自分に言ってくる。信用問題だとか、クソだとか。ロベルト曰く、俺は健を信用してる。でお前を信用してる。健を信用してるからだ。と、ちょくちょく頂くお馴染みのお言葉。理解してます。散々色々言われた挙句、肩パンして帰っていくロベルト。
この後ばかりは、マティも自分が何をしたのか、それが自分にどう降りかかってきているのかをようやくわかったらしい。何度も言ったのに、結局、マティは自分の事をなめている。人の話聞く振りばかりで、自分の主張を通そうとする。
お馴染みのドイツですね。
水曜日
今日は天気が良い。太陽は暑くて、家の中はとても冷えている。彼女が仕事に向かう道中、UZUにやってきた朝八時。今日は起こされるのが七時半前。一日ごとに少しずつ早く起こされるのかと、少し考えた。
彼女は楽器をUZUに忘れて仕事に行き、九時から十時半まで庭仕事。十一時半になると、彼女から電話がかかり、楽器を今すぐ持ってきてほしいと。渡さんに置手紙を残し、楽器を持っていく。
トビリシの植物園の入り口近くのカフェに向かう。彼女に楽器を渡し、お茶をもらい直ぐに家に戻る。その後、かんちゃんとアイコが来てくれて、一緒に散歩に出る。vakeまで歩き、チョハを調べ、ピッコロでビールを飲む。アイコはそのカフェで仕事がもらえるかもしれない様だった。
家に帰ると四時半、階段の三段目をセメントで作った。これで少し整えたら暖炉横の階段は完成だ。その次はマティが解体したところを作るか、Barカウンターを奥の角の所に作るか。
バーカウンターを作るより、まず解体したところを綺麗にするのが先決かもしれないと感じている。
着々とUZUの改造を進めていくのも良いが、少しゆっくり動いた方が、色々といいのではないかと考えたり。
ロベルトが今日もやってきた。アイコとマティとアイコの弟、ワホの三人が作業していた所にきたらしい。アイコは英語も喋れる分、通訳してくれる。
それが中々色々と言われるらしく、辛��うにも見受けられた。
マティとカンチャンと自分で親子丼を作り食べて、眠りに着いた。
木曜日
今日も八時半には、マティに珈琲で無理やりにでも起こされる。感謝です。
珈琲を飲むかとお前は俺に訊いてくれた事、最近全然ないよなと、喧嘩の時に言ってから、たまに作ってくれる。
今日は健さんが帰国してからの一回目のイベント。どういった形になるのか、不安と期待と緊張でおっかない日だった。
今日は料理人のナバさんと冷やしうどんを作った。作るコストは安く上がった。
投げ銭もコストが低い分、赤字ではなかった。
暑いわりに、天気は少し曇り気味。四時には、うどんを作りに手伝いに人が来てくれ、健さんが居なくなり、UZUを知ってる人たちは、ささっと動いてくれ、安心し、色々な物事に感謝した。
それでも今日のイベントの感想は、締まりが悪い。
自分が常に準備やなんだと動き続けていたせいで、場所にまとまりがない。言い方悪く言い表すなら、皆が勝手を知らずに、自由に遊んでいる。UZUに初めて来る人が、続々と増えてきている。前までは、ビールを皆が各自持ち込んで、みんなで飲んでいたが、知らない人が増えると、皆買いたがらないのか、少なくなってきた。
それでも、古株の人らは持ってきてくれる。
この流れは、お酒でお金を取るいい機会になるかもしれない。皆が持って来なくなり、建設予定のバーカウンターが出来れば、上手いことお金が入ってくる仕組みが出来るかも。と思っている。
金曜日
今日は、連絡と渦のFacebookの管理の一日になった。何をしようか、何がしたいのか、わからなかったのもある。それとラズさんの誕生日パーティーがNozomiBarであった。
八時には起きるのが慣れてきたように思える。今日は曇り時々雨。家に引き籠ることに決め、シャワーを浴び、昼ご飯を食べ、明日のイベントについて悩んでいた。心ではラーメンをやると決めていたのだが、体と自分の甘さと、状況とで、どうしようか悩んでいた。何ラーメンを作るのか、人は足りるのか。一人で晩から翌日の晩まで耐久を抜けれるのか。色々と考えた結果、肉もベジも両方作ることに決めた。
明日、買える物で考えることにして、YouTubeで勉強する。
五時半前には家を出てBarに向かう。マティもいつもお世話になってるからお祝いしに行くと、一緒に向かう。
道中サボテンを買い、プレゼントする。
八時半には家に帰り、イベントを作り眠る。
土曜日
イベント当日、朝八時には起き上がり、生地を練る。今回は卵麺。こちらの方が良い仕上がりに持っていき易いと思っている。
そのまま、中央駅まで電車で向かい、鳥の骨、野菜、計十キロ何だかんだで買った。買い物が済み、ゾノさんと一緒に渦に帰る。前日から、手伝いますと連絡をくれた。有難い。
ここでの自分個人の問題は、説明下手。手持ち無沙汰にならないか、心配だった。実際なっていたんじゃないだろうかと思う。
四時にはスープも完成し、五時にはトッピングも完成。
ベジは味噌とタヒニで返しを作り、肉はほぼ鶏白湯のスープにチャーシューを煮込んだ醤油でオッケーとした。
麺は六時には切り終えた。
麺は細麺。卵麺で踏み込みも良かったせいか、途中で千切れたりしなかった。
途中から来た人に交代してもらい、麺を茹でる。渡さんが管理してくれていた炎のおかげで、直ぐに始めることが出来た。麺を茹でる時は沸騰した状態が大切。
それを一番上手く調節してくれるのが、とてもすごい。
かと思いきや、途中で雨が降り出す。この時ばかりは、ラーメンやるんじゃなかったと頭を抱えそうだったが、渡さん曰く、これぐらいの雨じゃ火は消えないから大丈夫だと。
そこからは雨に濡れながら、ラーメンを作り続けた。
ゾノさんとペガはホットワインをストーブで作り、アイコ、カンチャン、渡さん、自分はラーメンを作った。
協力してくれる人が固定になってきた。負担ではなかろうか。こういったイベント続きでは流石に疲れるだろうと思う。木土以外でにゆっくり気軽に立ち寄れる日を作ろうと思う。
お世話になってる感謝を込めて。恩返し程、返せる物はないが、せめて楽しんでほしい。
マティは別れた彼女と再開し、話し込んでいた。こういう時、何も彼はしない。
日曜日
今日も一日やり切った感の中、余った麺で焼きそばを作り、一日中家から出ずにダラダラと過ごした。
明日からまた一週間が始まる。
健さんがいなくなっての最初の一週間、ようやく閉幕です。
おやすみなさい。
3 notes
·
View notes
2020年11月5日(木)
ずらっと並んだボトルたち、グルジアジョージアワインの逸品である。偶然知った日本人女性のコーカサスでの奮闘ぶりと、無形文化遺産のワイン製法についてあれこれ喋ったことから、ここ数年はこの日に友人が贈ってくれるのだ。自分では買わない(買えない!)高級品、ありがたく誕生日を祝うことにしよう。O君、いつもありがとう!
朝一番で、apple watch からメッセージ。
次男は休み、他は出勤。
奥川ファームの手打ち蕎麦もこれが最後、ありがたく頂いた。
洗濯1回。
ランチを用意して出勤。
10時にラジオ体操第一。
木曜日2限は「環境論」、今日のテーマは「ゴミ問題」。廃棄物の分類、法制度の変遷、3つのRなど。ミニレポートは「あなたのマチのごみ収集について教えてください」。
IM嬢とランチセッション、用意したのは無水猪肉カレー+無水ミネストローネ。猪肉は初体験とのこと、ご飯の量が足りなかった(^^;)。
AirPods で用意したプレイリストを聴く、いい音だなぁ。作業も捗る(気がする)。
15時にラジオ体操第二。
明日の「情報社会と倫理」のレジュメ、遅くなったが何とか GoogleClassroom にアップロード。
16時に退出。
帰宅すると、O君からワインが届いていた。ここ数年の定番、感謝しかない。
西大路七条・ライフまで買物、寒くなってきたので🍢と豚汁に決定、あれこれ購入。
ストウブ・ブレイザーで関東炊き、ココットで豚汁、調理中故蓋は取れない。
三男は18時上がり、19時に息子たちの夕飯スタート。終わる頃にツレアイから連絡。
残っていた<呉春>で乾杯、その後はジョージア🍷をいただく。
録画番組がないので、今夜も米朝のDVDを楽しむ、こぶ弁慶/肝つぶし。
福岡の叔母から電話、荷物が届いたとのこと。何とか元気そうで、安心する。
心地よく酔って、誕生日の夜を楽しんだことだ。
今日も無事3つのリング完成。
5 notes
·
View notes
北朝鮮は昏睡状態のOtto Warmbierの世話に対して200万ドルの請求書を発行した
著Anna Fifield
4月25日午後4時41分
北京-北朝鮮は、米国の公式は2017年に平壌からバージニア大学の学生を飛ぶことを許可される前にそれを支払う誓約に署名することを主張し、昏睡状態のアメリカのオットーWarmbierの病院でのケアのための$ 2百万手形を発行しました。
これまで米国や北朝鮮の当局者によって開示されていなかった請求書の提示は、その積極的な戦術で知られている体制にとっても非常に驚異的なものでした。
しかし、状況をよく知っている2人の人によると、Warmbierを回収するために送られた主要な米国の使節はトランプ大統領から渡された指示に関する医療費を支払うことに同意しました。彼らはこの問題について公に議論することを許可されていなかったので、彼らは匿名性の条件について話しました。
この法案は財務省に提出され、2017年を通して未払いのままであった、と人々は言った。しかしながら、トランプ政権が後に法案を支払ったのか、それともトランプが金正日との2回の首脳会談の準備の間に成立したのかは不明である。
ホワイトハウスはコメントを控えた。ホワイトハウスの記者会長、サラ・サンダース氏は電子メールで次のように述べている。
トランプ氏は、最近の9月30日付けで、彼の政権が北朝鮮からアメリカの「人質」を排除するために「何もしなかった」と主張した。
21歳だったWarmbierは、彼が2016年3月に激しい労働で15年間の懲役刑を宣告された夜に、未知の理由で昏睡状態に陥った。
彼は、2016年1月1日の早い時間に平壌のホテルで宣伝看板を引っ張ったことから生じた罪状で有罪判決を受けました。国家に対して」
Ottoの父、Fred Warmbierは、彼が病院の法案について決して言われなかったと言いました。彼はそれが彼の亡き息子にとって「身代金」のように聞こえたと言った。
彼の裁判の後、Warmbierは、2016年3月に、北朝鮮の平壌にある最高裁で護衛されました。(Jon Chol Jin / AP)
彼の判決後、北朝鮮人はさらに15ヶ月間昏睡している学生を拘束しました、彼がその間ずっと無意識であったと2017年6月までアメリカの当局者にさえ話しませんでした。彼の状態のニュースは、当時の北朝鮮での国務省の代表、ジョセフ・ユンが率いる必死の努力を引き起こした。
[ オットー・ウォンビエル事件がトランプで急増している様子 ]
ユンと救急医のマイケル・フルッキガーは医療避難飛行機で平壌を訪れた。彼らは外来地区の友情病院に連れて行かれ、外国人だけが治療を受けている診療所で、Warmbierは「集中治療室」とマークされた部屋に横たわっていた。
FlueckigerはWarmbierを調査し、チャートの厚い山積みを持っていた2人の北朝鮮の医者に、研究室作業についての質問、彼らがしたスキャンとX線を尋ねました。
その後、彼らは無料のWarmbierとの会談が始まる会議室に行きました。
ジョージア州カータースビルを拠点とする航空会社、フェニックスエアグループのメディカルディレクターであるFlueckiger氏は、次のように述べています。
北朝鮮当局者は医師に彼の調査結果についての報告を書くように依頼した。Flueckiger氏はインタビューの中で、「サインオフできる文書を提出しないと問題が発生する可能性があることを私の印象に思いました」と述べました。
トランプ:私は「本当に信じていません」キムジョンウンはオットーウォンビエについて知っていました
トランプ大統領は28日、北朝鮮の釈放後間もなく亡くなったアメリカ人学生について、北朝鮮の指導者、キム・ジョンウンと話した。 (ワシントンポスト)
しかしアメリカ人は彼が彼のレポートにうそをつく必要はないと言った。どういうわけでWarmbierをその状態にしたとしても、彼が病院で「本当に良い治療」を受けたことは「明白」でした、と彼は言いました。壊滅的な心血管虚脱に見舞われた後、医師はWarmbierを復活させるために「最先端の蘇生法」を行いました、そしてそれは彼が褥瘡を持っていなかったことは「注目に値する」とFlueckigerは言いました。
「私は彼をそこから連れ出すために嘘をついたでしょうか。多分私は持っているだろう」と彼は言った。「しかし、私はその質問に答える必要はありませんでした。」
ユンは、しかし、より困難な苦境に直面していました。
状況に詳しい2人の人によると、北朝鮮当局者は彼に彼がWarmbierを家に持ち帰ることを許す前に彼がそれを支払うことに同意することを主張して、彼に200万ドルの請求書を渡した。
ユンは当時のレックス・ティラーソン国務長官に電話をし、その法案について彼に言った。ティラーソンはトランプと呼ばれる。彼らは、200万ドルが支払われることに同意して一枚の紙に署名するよう彼らの使節に指示した、と二人は言った。
FlueckigerはWarmbierの避難の医学的側面について議論したが、彼は外交交渉について議論する権限がないと述べた。
[ 「彼は知らなかった私に語った」:トランプはオットーWarmbierの死の上にキムを擁護します ]
2018年初頭に引退した国務省のスポークスマンとユンはコメントを控えた。ニューヨークでの国連の任務に基づいて、ティラーソン、財務省、および北朝鮮の米国問題担当大使は、コメントの要請に応じなかった。
北朝鮮の手によるWarmbierの脳の損傷とそれに続く死は米国に広範囲の衝撃を引き起こしました、しかし北朝鮮が彼の世話の代償を払うと米政府が予想したというニュースはさらに反発を引き起こしました。
「これは法外なことです。北朝鮮の人権委員会の事務局長であるGreg Scarlatoiuは、次のように述べています。
FredとCindy Warmbierは、2018年のトランプ大統領の連邦演説で認められました。(Mark Wilson / Getty Images)
文書に署名し、Warmbierの釈放を確保したYunとFlueckigerは、シンシナティに若い男を両親に返すために飛びました。Otto Warmbierは6日後に死亡したが、彼の重度の脳損傷の原因は確認されていない。
「オットーウォンビエルは、彼の誤った確信や過酷な刑、そしてその事実を含む多くの点で北朝鮮に虐待されました。。。ロブ・ポートマン上院議員(Rオハイオ州)は、次のように述べています。「いいえ、米国は彼らに何も負っていません。彼らはWarmbier家にすべての責任がある。」
Sherrod Brown(D-Ohio)上院議員は、Warmbier氏は「政権の偽の訴訟手続のためでなければ、今日生きている」と述べた。
「北朝鮮政権が残酷で非人道的な方法でOtto Warmbierを治療した後、医療費請求書を発行して支払いを期待するのは問題ない」とブラウンは述べた。
シンシナティ大学医療センターで彼を診察した医師はその証拠がないと言ったが、フレッドウォンビエは北朝鮮をオットーを殴打し、拷問で拷問したとして非難した。彼の両親は剖検を行わないように要求した。
北朝鮮は、豚肉とほうれん草を食べた後にWarmbierが病気になったと主張したが、彼が与えられた鎮静剤に対して深刻なアレルギー反応を示したとも述べた。
北朝鮮のFriendship Hospitalのディレクターは、Warmbierが拷問の結果として死んだという家族の非難は「真実の完全なゆがみ」であると言いました。
「来たアメリカ人医師。。。州メディアは、昨年10月に名無しの病院長が述べたように語ったと述べた。
FredとCindy Warmbierは12月に息子の死で北朝鮮を訴え、5億1000万ドルの損害賠償金を受け取った - 金政権が支払うことはありそうもないお金。だが、コロンビア特別区連邦地方裁判所のベリル・A・ハウエル判事は、「オットー・ウォンビエの拷問、人質取り、超法規的殺害」に対して「北朝鮮を罰し、抑止するのにふさわしい」と述べた。
米裁判所は、北朝鮮に米国の学生の死亡で5億1000万ドルを支払うように命じる
裁判官は、北朝鮮はOtto Warmbierの死に対して責任があると述べた。2017年に北朝鮮の刑務所から釈放されて間もなく死亡した。 (ロイター)
ウォンビエーズはキムの息子の死のせいにしたが、トランプ氏は北朝鮮の指導者の主張は彼が学生の扱いについて知らなかったと信じていると述べた。
「私は彼がそれが起こることを許したことを信じていない」とトランプ は2月のハノイで金との2度目の首脳会談の後に言った。トランプ氏は、ウォンビエルの死についてキムに話し、キムは「それについてはひどい気分だ」と述べた。
「彼はそれについて知らなかったと私に言います、そして私は彼の言葉で彼を連れて行きます」とトランプは2月に言いました。
北朝鮮はこれまでアメリカ人を人質としてきたが、平壌が拘禁されたアメリカ人のために巨大な病院法案を脅迫したのは今回が初めてではない。
2年近く北朝鮮で開かれたクリスチャンの宣教師兼糖尿病患者、ケネスベは、彼は友情病院でのケアのために1日600ユーロを請求されると言われたと述べました。拘留中の彼の最初の病院スティントの法案は101,000ユーロに達した - 当時は約12万ドルで、Baeは彼の回顧録に「忘れられない」と書いていた。
2014年11月の彼の拘禁の終わりまでに、病院での別の呪文の後、ペは北朝鮮人が彼に30万ドルを請求するだろうと計算した。結局、彼はそれを一切支払うことなく釈放された。
1 note
·
View note
今日のランチ。カラフル夏野菜と豚肉の味噌炒めです。今日は乗っけずにご飯に並べて、ご飯にはゆかりを振って変化をつけました。 くまさんの作者さんが生んだ、在日ジョージア大使館公式キャラクター「ザザ」ちゃんのスタンプがリリースされたので早速購入!くまさんのお友達って感じでふんわりかわいい。 #お弁当 #野菜炒め弁当 #ふわふわのくま #在日ジョージア大使館 https://www.instagram.com/p/CEaDbBWJIX4/?igshid=stblspus3f3g
0 notes
April 28, 2020 at 04:05PM ニンニク最高!ジョージア料理とは
ジョージアってどんな料理が有名なの?と聞かれることが多いので、こちらの記事にまとめたいと思います。お腹空いている方、要注意です。
1、見た目はしゅうまい?「ヒンカリ」って
こちらは見た目は完全にしゅうまいまたは小籠包の「ヒンカリ」という料理。
ああ、美味しそう。
噛むとじゅわーーーーっと肉汁が溢れ出してきて、もう大変。アッツアツのまま食べるのがお約束ですが、火傷には要注意です!味は、水餃子の巨大版。見た目も可愛くSNS映えすること間違いなしなので、ジョージアに訪れた際には必ず食べてほしい料理の一つです。
どのレストランのメニューにもあるので、写真を指差しながら注文するといいかもしれません。メニューに写真が載ってないこともありますので、そんなときに備えてこの画面をスクショして、店員さんに見せるのもいいかもしれません。
2、松屋で販売され話題になった「シュクメルリ」
こちらは最近松屋食べられると話題になったニンニクと鶏肉の料理「シュクメルリ」。みなさんSNS街中で見かけたことがあるのではないでしょうか?
んー美しい。
写真からも美味しそうなニンニクの香りが感じられます。
料理が運ばれてきた瞬間の、食欲をそそるあの香り、たまりませんでした。鶏肉とニンニクって最強すぎませんか?それにチーズを加えて、ホワイトソースで煮込むって。。
ニンニクたっぷりの料理なので、デートには不向きかもしれませんが、二人揃って笑顔になれること間違いなしの一品です!
ちなみに、松屋の公式HPには、
“世界一にんにくをおいしく食べるための料理”
と記載がありました。おっしゃる通りです。
こちらが松屋のシュクメルリ
松屋公式のレシピも貼っておくので、興味のある方・ない方もぜひ一度、最強のニンニク料理「シュクメルリ」を試してみては!!
松屋公式レシピ:https://cookpad.com/recipe/6029365
3、美味しいが詰まった「ハチャプリ」
こちらは、すみません。恐ろしいほど贅沢な料理をみて興奮気味のわたしです。
手前に見えますのが、ふわっふわのパンにチーズと玉子が乗った「ハチャプリ」です。
なんと贅沢な組み合わせ。ハマったら太るこれ。
ピザでもナンでもない、外はカリっと中はふわふわのパンの上には、とろっとろのチーズがたっぷりと乗っています。そして、その上には玉子が丸ごと一個・・・夢のような食べ物です。禁断の組み合わせなので、「ハマっちゃダメ。ハマっちゃダメ。」と必死に言い聞かせながら噛みしめたのを覚えています。
きっと誰もが好きな味で、なおかつ、お手頃価格で食べられるので、ジョージアに行ったら最初に食べる料理としておすすめしたい。
4、まるでビーフシチュー「オーストリ」
一見ビーフシチューのようなこちらは「オーストリ」という料理。
牛肉を煮込んだジョージア版ビーフシチューです。
牛肉トロトロ美味しかったーー
もうこれだけでも最高に美味しいのですが、オーストリを頼むと一緒にパンが出てきて、パンにつけて食べるのはさらに最高なんです。お肉もほろほろ柔らかく、食べやすいです。寒いジョージアの冬にはぴったりの一品です。
一つだけ後悔したポイントは、「上にのっているパクチー」
注文の際に、「without the coriander(パクチー抜きで)」と伝えたのですが、、伝わっておらず、しっかりパクチー入りで持ってきてくれました。
グルジア語で調べてみましたが・・・
「პაკჩის გარეშე」
うん、わかりませんね。
パクチーが苦手な旅人さんは、どうぞこの写真を見せてパクチーを指差しながら無理!無理!と全力でアピールしてみましょう。きっと伝わるはずです。(保証はできません^^)
5、永遠とつまめる「オジャクリ」
こちらはジョージアのジャーマンポテトのような料理「オジャクリ」です。
これもパクチー抜き伝わらんかったああ・・・。
ゴロゴロっとざっくり切られたじゃがいもと豚肉の炒め物です。これはお酒のつまみにぴったりの一品です。ビールにめちゃくちゃ合う味なので、永遠と飲んで、オジャクリつまんでを繰り返すことでしょう。
お店によって味付けが異なるそうなので、中長期滞在される方は自分好みのオジャクリが美味しいレストランを探してみるのもいいかもしれません♪
6、まとめ
ジョージアの料理、いかがでしたでしょうか?美味しそうでしょ♪
「日本人の口に合う料理」とも言われているので、ぜひたくさんのジョージア料理を食べていただきたいと思います。
from WordPress https://ift.tt/3aG0uUh
via My WP blog
0 notes
1日数食日記
2020/4/3 Fri
待望のカレーうどん!ごっつウマウマウマーでかんわ!和風出汁がしっかり効いた昔ながらの味。たっぷり入った豚肉も柔らかくて旨い。朝から元気出た!ありがとう妻ちゃん!
職場に行く前にBOOKOFF。サンダーキャットの新譜が出たと騒ぐ人たち(音楽好きの一部だろうが)を他所目に、KANのCDを集めようというのだから、かなり世間の先を歩いていると言って良いだろう。
仕事で色々あった今日、帰っていつものコーヒー&チーズ&ナッツ&チョコ。さらに妻が買ってきてくれた小魚スナック。ありがたい。いつもありがとう。
◇生活の供:
It Is What It Is / Thundercat(Apple Music)
禁じられたいきがい / 岡村靖幸(Apple Music)
うちで踊ろう / 星野源(instagram)
幸福 / 岡村靖幸(Apple Music)
エチケット(ピンクジャケット) / 岡村靖幸(Apple Music)
エチケット(パープルジャケット) / 岡村靖幸(Apple Music)
OH! ベスト / 岡村靖幸(Apple Music)
TBEP / tofubeats (Apple Music)
The World According To George Duke / mrbq (spotify プレイリスト)
MR. LONELY / 玉置浩二 (Apple Music)
田園 / 玉置浩二 (Apple Music)
田園 / 片想い (YouTube)
よければ一緒に / KAN (iTunes)
KAN関連動画(YouTube)
回奏パズル (produced by KAN) / スキマスイッチ(Apple Music)
la RiSCOPERTA / KAN (Apple Music)
◆本日の出費 計3点 ¥401
ジョージア香るブラック ¥129
ウィルキンソンエクストラレモン ¥108
ヘルシア緑茶 ¥172
-¥8(キャッシュレス還元)
0 notes
✿ クブダリ | კუბდარი (Kubdari)
・スヴァネティ地方のハチャプリ。中に肉(羊、豚)が入っている。
・グルジア料理と言えば、ハチャプリ!グルジア語で「ハチョ」がチーズ、「プリ」がパンの意味。生地にチーズを練りこみ、さらにその中にチーズを詰め込んだグルジア風ピザ。ハチャプリは地方により様々な種類がある。
0 notes
@cafebaghdad(カフェバグダッド)
富士そばが出した「肉骨茶そば」が好評らしい。豚アバラ肉や内臓を醤油や生薬と煮込んだ料理。富士そばのシンガポール駐在員が現地でハマったのがきっかけだそう。ジョージア鍋料理の松屋といい、羊串焼きのサイゼリヤといい、客の最大公約数を重視してきた姿勢が変わりつつある。時代のうねりを感じる https://twitter.com/mesitsu/status/1205238413223292929
Twitter for iPhoneから
https://twitter.com/cafebaghdad/status/1207067005720743936
0 notes
新鮮なモツ料理か楽しめる❗️外苑前キラー通りのモツ酒場koganeかんで、クリエイティブなモツ料理をいただきました❗️ A new sense bar where you can enjoy about warmed “Jyunmai sake” & cuisine of fresh offal. Kogane originate from auspicious golden color. 「新鮮なモツ料理」と一緒に「純米の燗酒」を、「人肌燗」「ぬる燗」「上燗」など温度によって呼び名が変わる繊細な燗酒の世界を愉してます❗️ イタリアンミックステイストで、 【モツ×日本酒×ナチュラルワイン】の組み合わせ、最強です���🍺 モツをこれだけオシャレにいただけるお店は、初めてで驚きました❗️やはり仕事帰りの、感度の高い原宿系リーマンが集い、大人気の様子で、夕暮れどきには、満席の賑わい❣️ 新鮮で良質なモツ料理を中心に、和・洋・エスニックの 要素、特にイタリアンを取り入れたお料理のコースをいただきました❣️ ーーシェフおまかせ創作もつ料理コースーー 日本酒に合わせた料理長おまかせ酒肴3種盛り ¥1100 🟠ハツ元の梅水晶 🟠自家製あん肝と奈良漬にジュレポン酢 🟠サーモンといくらのゆず、塩麹 どれも、じっくり日本酒と🍶楽しめる逸品揃い❗️自家製奈良漬と、あん肝の組み合わせがオシャレですね❗️ハツ元と梅水晶、とびっこの食感がプチプチ楽しいですね❗️ モツ料理5種盛り合わせ玉手箱 ¥2640 🟠ぷるぷる酢モツ 🟠和牛センマイと胡桃のサラダ 🟠牛ハツのタタキとパクチーのヤム風サラダ 🟠ランプレドットの水餃子 🟠モツ入りブーダンブラン 特に私が気に入ったのは、ブータンブランと酢モツ❣️ 白いぷりぷりのソーセージで、じゅわっと溢れ出す肉汁に、豚の軟骨を詰めた食感が最高でした❗️ソースは、マッシュルームとフォンドボーで、ブータンブランと良くあってます❗️酢モツも、プリンプリン❗️ 想像をはるかに超えたぷりっぷりに、ど新鮮な、旨み溢れるモツがお酢に合う〜❗️ランプレドットが入った水餃子は、ジョージアのヒンカリという料理だそうで、サルサベルデソースがまた、新しいですね❗️ランプレドットとサルサベルデ🇮🇹大好物なので、まさか、モツ酒場でいただけるなんて、嬉しかったです🇮🇹 🟠リードヴォーとトウモロコシのかき揚げ ¥930 これがまた、絶妙に旨うまです❗️ 甘ーいとうもろこしの、サクサク衣の中には、リードヴォーがゴロゴロですよ❗️ フレンチの食材として必須のリードヴォー(仔牛胸腺)は、ミルクだけで育った仔牛のもので、プリっ、フワッの食感が溜まりません❣️ 🟠テールスープのチャンポン麺 ¥1320 この締めが、感動的です❗️モツがたっぷりで アツアツの土鍋で煮込まれています❗️ 絶品スープを、チャンポン麺が見事に吸い上げ、飲み干しました❣️ 🟠ティラミス最中 ¥660 new 甘味❗️新しいデザート❗️バタークリームと合わせてたちょっと硬めのマスカルポーネクリーム。まさに和風ティラミス🇮🇹 黒豆のコーヒー煮が大人の味わい❗️ お食事後でも、軽くてペロリ💖 今まで味わったことも見たことないモツ料理新ジャンルコース 日本酒も20~30種類程ある中から、店員さんが、オススメを教えてくださいますよ❗️ 店内も料理も綺麗でオシャレなので、女子同士にも、歓迎会も、モツ酒場koganeさんなら、モツベーション爆上がリリーでしょう🌸 #モツ酒場kogane #supported#キラー通り#キラー通り商店街 #原宿ディナー #外苑前グルメ #表参道グルメ #青山グルメ #外苑前ディナー #表参道ディナー #青山ディナー #昼飲み #日本酒女子 #kogane#ホルモン好き#ホルモンヌ#ホルモン女子#レバー好き#イタリアン #イタリア好き#日本酒好き#日本酒バー #荒川リリー#lilystudio#チーズ天使 (モツ酒場 kogane(こがね)) https://www.instagram.com/p/CqaX8N7Sj68/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
逃避旅行 Pt.1
七月18日。深夜、クタイシ空港からポルトガル・リスボンへ飛ぶためのバス移動。心は三日前から所在不明。ポルトガルには仕事で行く。カナさんの先輩(自分の先輩の先輩)がポルトガルのフェスに出店するらしく、自分も混ぜてもらったのがこの度の逃避旅行の始まりです。
UZUから自分を引き剥がす事に時間がかなりかかった。ガス閉じたかとか、鍵閉めたかとか、ゴミ捨てとかないと、とかとかとか、考えだせば全てが不安になってくる。必死に掃除をして、人に色々とお願いして飛び出した深夜。掃除はロシア人の友達が一緒に手伝ってくれた。
クタイシ空港からの出発はとても簡単に済まされていく。未だに心は身体から遠く離れたところに居るようだった。家に居るのか、ドイツに居るのか。
頭と体は何とか、飛行機に乗り込みスペイン・マドリードへと運ばれる。トランジットが五時間程あり、外に出る。
スペイン朝九時。地下鉄に乗り、四、五駅先で降りる。中心地まで行かず、住宅街で降りた。地下から出てくるとだだっ広い広場に出る。地理も何も知らないので適当��直感のまま動く。
直ぐに商店街らしき通りを見つけ、そこのアジア人夫婦がやっている軽食屋に入る。ビールを頼み、噂に聞いていたお通しのオリーブに感動する。オリーブも美味しかった。
少しまた街を周り、空港へと戻る。次はポルトガルのリスボンへと飛び立った。
リスボンに着くと、一度来た事のある自分だったので、何とか思い出しながら地下鉄のチケットを買い、街に出る。ホテルまで取り敢えず向かい、チェックインを済ましシャワーを浴びて夜の街へと繰り出す。リスボンのクラフトビール飲み歩きしている違う先輩の所に合流する。その先輩もフェスに向かうらしく、色々と今から参加するフェスの事について伺う。
BoomFestivalという名前で、ポルトガルにあるヨーロッパ最大の音楽フェスティバル。集まる人数は5万人以上とか。ドラッグも溢れるが、経済効果がとてもでかい様で、国も後押ししてやっているらしかった。
十一時くらいまで飲み、家に帰る。
帰る途中、ケバブ屋に入り、2.5€でケバブを買った。ドイツより安いし、味も悪くなかった。そのケバブ屋のおじさんは言った。「うちの店の肉はAランクだ」と。「ほかの店はどれもBランク、Aランクより100€安い肉を使ってるから、うちより不味い」と。その話を聞きながら、ビールを片手にケバブを頂いた。
朝六時には目を覚まし、荷造りを終え、七時に出発。
カナさんを空港まで向かえに行く。八時頃、空港から出て来たカナさん、自分を見てかなり安堵しているようだった。どうやらスペインで携帯を盗まれたらしく、連絡が取れなくなっていた。もし自分と合流できなければ、終わったと思い、大変だったらしい。取り敢えず、昨日自分が取ったバスの出発が迫っていたため、急ぎで行く。何とか間に合い、バスで会場近くの街に向かう。
七月19日、朝九時。カステロ・ブランコ行きのバス内にて。
ジョージアから逃げ出すかの様に出て来たポルトガル。旅をしている実感は全くなかった。ただ自分は何処かわからぬ遠い遠い所にやってきたんだな~というぼんやりと思った。ポルトガルの事について、地元民の事についても何も知らなかった。よく分からない言語も飛び交っているのだけれども、頭が受け止めれていない。拒否反応もない。ただパンクしたまま動いている様な感覚だった。
とはいえ、現地についてフェスに入れば、大波に飲み込まれ、流されるしかない楽があるだろうと、流れるように動いた。
ドイツ人やイスラエル人、ヨーロッパのフェス好きがその街に集まってきていた。自分達はカナさんの先輩、エリカさんが迎えに来るまでご飯を食べることにした。これまた軽食屋に入りサンドイッチを食べる。中に豚のステーキとレタス、チーズ、目玉焼きが入ったパンを食べる。中々美味しかった。ビールを飲みつつ、街を少し観光する。静かな町で、フェスティバルに来る外国人で潤う街らしく、とても綺麗な街並みだった。ポルトガルは飯が旨くて安い。人も優しいなと感じていた。
エリカさんが迎えに来た。買い出し途中らしく、その買い出しをお手伝いし、現地に到着したのは夜十時。全員と初めましての挨拶を交わし、二時まで作業に参加し、就寝。エリカさんをはじめ、りょうさん、だいさん、色んな人と知合う。ドイツ在住のチベット人の人らも一緒に今回参戦ということで仲良くなる。何だか家族みたいで羨ましかった。とうとうここまで来たかと不安定な安心感を味わった夜だった。
翌日、裸で湖を泳ぎ、作業をする。昼間は35度を軽く超える。暑い中、ぜぇぜぇ言いながら動く。
まだ中でご飯を作っていないだけ、幾分かましだった。ご飯を作り始めるともう暑くて、常に上裸だった。
仕事内容は自分は特に最年少ということもあり主にみんなの雑用を引き受けようとした。洗い物だったり、物の出し入れ、持ち運び。先輩らは凄い大人たちだった。飯に関してはしっかり旨いものを大量に作っているし、手際は皆良く、全員ヨーロッパで店長クラスの人達らしかった。
勉強になったし、中でもラーメン担当のだいさんには、良く面倒見て頂いた。良く使ってくれたし、自分も動きやすかった。とてもありがたかった。
六時間ごとのシフトで働いた後はまた六時間休憩。
休憩中に先輩と出会い、会場を案内してもらえる。
音楽のジャンルはメインはトランス、二個目はテクノとトランスの中間みたいな感じ、他にもアコースティックもあったし、会場の建築物についての説明会とかもあった。毎日ヨガマスターが朝六時に森の中でヨガを教えていた。中にあるお店屋さんも沢山あった。服やらパイプやらグッズがいっぱいあった。その中で日本人が足袋を売っていた。ワオさんという東北出身のおじさんで休憩になると毎回遊びに行った。メイン会場に近いっていうこともあり、良いChillスポットだった。
ぶっ飛びながら行ったり、クッキーを持って行って一緒に食べたり、嫌な顔せず構ってくれた。
テントの中で涼んでいると色んな人が遊びにやってくる。たまに裸の女の子がやってきて、足袋を試着していく。
その頃にはもう人の裸を見ても何も思わなくなっていた。エロい気持ちは湧き上がってこない。ただ裸ってだけ。逆に下界に降りて来た時、服を着ないといけない事を少し煩わしく思ったぐらいだ。
一度、足の親指の爪が割れ、痛くて助けが欲しいくて、店に駆け込んだ事があった。
その時もお客さんを捌いてから、その後ワオさんに治療してもらった。インドのマジックプラスターとかいう軟膏を塗ってもらい、包帯で巻いてもらう。効き目は抜群。膿むこともなく、その後も問題なく仕事が出来た。
店で休憩中。
DJ達が挨拶にやってくる。ほぼ全員のアーティストがやってきてはりょうさんに挨拶していく。
Astrixという超有名なDJは毎日やって来て、ご飯を食べていく。ヨーロッパ全土に繋がるこのフェスコミュニティの繋がりの強さを垣間見た。
フェスティバルも終わり、解体まで一緒にやった。
自分らの店の解体後、お給料を受け取り、皆散り散りに去っていく車の後姿を見送り、残った自分一人木の下で全て終わった事に唖然とする。もう会場は砂埃が舞い始めていた。心は近づいてきたように思われたが、今度は砂埃と共に舞い浮いている。体は疲労困憊。一度、風邪もひいて、精神も体もボロボロの状態で、大変だった。
どうするのかも分からず、取り敢えず座り込みもらったお土産を一服。これから長い旅になる。いや、旅はそもそも終わっていなかったとショックを受けた。
これからどうすればいいのか本当に分からず、電話をかける。本当は黙って行きたかったが仕方が無く電話を掛ける。
ドイツに居る姉貴、イクちゃんだ。「今、ポルトガルの田舎におるんやけど、どうやってドイツまで行けば良いですか」自分は電話越しに助けを求めた。「出来れば陸路で」僕はお願いした。
0 notes
ジョージア旅行2017 - Part 8
いよいよ来た!これでジョージア旅行記最終回!!長いのにお付き合いいただきありがとうございます。前のパートがまだの方はこちらもどうぞ。
「ジョージア旅行 Part 1」「ジョージア旅行 Part 2」「ジョージア旅行 Part 3」「ジョージア旅行 Part 4」 「ジョージア旅行 Part 5」「ジョージア旅行 Part 6」 「ジョージア旅行 Part 7」
旅の行程は前回までで終わっているのですが、ほとんど触れていなかった食事についてをご紹介します。何を隠そう、私が今回ジョージアに行こうと思ったきっかけの一つが食事。何かで「ジョージア料理は世界で一番日本人に合う」とか「ジョージア料理は世界一美味い」などと読んだから!こりゃ、行くしかないでしょ( *´艸`)
色々出た食事オンパレード、行ってみましょう。名前は、、、分かる物だけ書きます。
まずはジョージアについてすぐの夕食。前菜?と言えるかな。左はトマトときゅうりのサラダ、パクチー入り。非常に意外だったのですが、ジョージア料理ではパクチーが使われることがとても多い!パクチーが苦手な人は、ちょっときついかもしれません。右はなすびの、、、何か(笑)
野菜のスープ。飛行機降りてすぐは、こういうのが一番嬉しい。
チーズのピザ。
左はマッシュルームのオイル焼き。ちょっとアヒージョっぽい。これ、私の大好物。右は鶏の煮込み、サツィヴィ(საცივი, Satsivi)。 鶏肉を弱火でじっくり煮込んだスープに、すりつぶしたたっぷりのクルミ、タマネギ、ニンニク、スパイス類を入れてつくるんだそうです。鶏肉ほろほろ、こういうのは、嫌いな人おらんやろ!という定番うまい。
今後、毎日、毎食出てくるパン、ショティ( შოთი, shoti)。大きな窯にパン生地をペタッと張り付けて作り、取り出すときに木の棒で真ん中を刺すから中央に穴があいているのだとか。シンプルな味で、日本食にとっての米と同じでしょうね。香ばしくて美味しいです。
そしてフルーツ盛り。実はこれも、今後の食事でこれでもか!というくらい出てきます。あんまりこれといった、食後のデザート的なものがないようで、こうしてフルーツを頂くことが多いのだとか。まぁ、あの農家の果樹園見たら、それも分かる気がします。
今回はずっと同じホテルに泊まっていたので、朝食はホテルのビュッフェ。まぁ、非常にシンプルな感じ。
翌日、ステパンツミンダに行った日の昼食は、普通の民家?みたいなところで頂きました。
真ん中にはショティ、塩気の強いチーズ。右は野菜のピクルス。そんなに酸っぱくなくて食べやすい味。あとはやっぱりトマトときゅうりとパクチーのサラダとか、なすびとパプリカの炒めたのとか。
途中で出してくれた温かいフルーツティー。フルーツこれでもか!ですが、とてもおいしかった。
これこれ、マッシュルームのオイル焼き。テッパンうまい。
タバカ(Tabaka)はローストチキンですね。塩コショウ味なら間違いないし、そえられたジャガイモがホクホク美味しい。
もう食事が終わってお腹いっぱい!というころに出てきたチーズのパイ。チーズ好きならたまらないでしょう!
さらに、珍しく出てきたデザートのケーキ。中にジャムが挟まれていて、紅茶やコーヒーに合う味。でも、お腹が。。。
さらに、最後の最後に出てきたのがフルーツ!!!もうまんまを載せてあるだけ!!!秋ということで、一番旬で、多いんでしょうね。
同じ日の夜。じ、実は帰りの車でちょっと酔ってしまい、ほとんど食欲がないという状態。この夜にしっかり食べられなかったのは本当に心残りなのです。
ショティ、その左はサラダ、右の団子みたいなのは色々な野菜とクルミを混ぜ合わせて作ったペースト。色々な種類があるみたいです。
ジョージア料理と検索したら、たいていトップ近くに出てくるのが下の写真左のヒンカリ(ხინკალი, Khinkali)。これ、皮の分厚い小籠包といった感じで、中はスープとお肉が入っています。どうやって食べるの?と聞いたら、別にルールはなくて好き好きだとか。ガイドさんは、上部のひねって分厚い生地のところにフォークを刺し、フォークの上に袋の部分を乗せる形に。んで、皮をプチっと噛み切ってスープを飲んでました。私もそれでいきました。いや、本当に美味しかったのだけど、食べられなかったのが悔やまれる。
右のお皿は確かジャガイモの焼いたやつだったかな。うまい。
こちらは中東でメジャーな料理、ケバブですが、ジョージア語ではカバビ(Kababi)。肉々しい肉が入ってます。
やっぱり欠かせないフルーツ盛り。半分に切られた小さな緑色の実、これは多分、ナツメ。日本ではなかなか食べられないかも。
体調を整えて翌日。ムツヘタへ行った日の昼食。定番ショティ、サラダ、そしてペースト。今回のホウレンソウ入りは定番のようで、 サラート イズ シ��ナータと言うんだそうです。
ハルチョ(ხარჩო, Kharcho)と呼ばれる、スパイシーな牛肉のスープ。米も入ってます。パクチーが入っていましたが、私は嫌いじゃないので美味しく頂きました。
この日のメインはこの鱒(マス)!海と言えば黒海にちょっと面しているぐらいのジョージアですが、川は国のど真ん中を横断しています。魚もちょくちょく食べるそうです。それにしても、ナイフとフォークで美しく焼き魚を食べるのは、結構難しい。
チキンのバーベキュー。
毎食後、紅茶を頂いていました。このgurieliというのが、ジョージアブランドの紅茶。
この日の夕食。ちょっと薄暗いレストランだったので、写真の色が悪いのです。すみません。
ショティ、サラダ、そして右上の黒いのは バクラジャーン・アレーハミ。 縦にスライスして焼いたナスに、クルミやスパイスで作ったペーストを巻いたもの。これ、味がしっかりしてて、他のペーストより好きでした。上に乗せられたザクロの粒がかわいい。
ちょっと酸っぱいヨーグルトのスープ。ジョージアはマツォーニ(Mazoni)と呼ばれるヨーグルトが有名。あの、一時期流行ったカスピ海ヨーグルトです。
牛肉の煮込み、 ハシュラマ(Khashlama)。絶対美味い!ってやつw
マッシュルーム!今回はチーズがのってます。個人的にはチーズなくて良い。
今までとはちょっと違った並べ方のフルーツ盛り。
最終日は農家さんを訪ねたひ。お昼ご飯はPart 7で紹介したので、夕食を。最初はもう、定番。
大好きなマッシュルーム、というかキノコ炒め。丸のままのが好き。
初日にも出たサツィヴィ。パクチーがかかってます。今回は、煮込みだけど、スープと言ってもよいかな。
豚肉とジャガイモをあえて作った料理、オジャクリ(ოჯახური, ojakhuri)。ジョージア流のジャーマンポテトともいわれるそうですが、いやもうこれ、美味いよ?
ジョージア最後のフルーツ盛り。皮むきタイプ。若干雑な配置(笑)
まるで飯テロのような投稿www 深夜に見ちゃった人はごめんなさい。こうしてみると分かるように、ジョージア料理は、国の位置と非常に密接な関わりがあります。アジア、中東、ロシア、ヨーロッパ、それぞれがちょうど交わる辺りにあるコーカサス地方は、昔から交通の要衝でした。料理もどうやら、各地のものが交わっている。派手なきらびやかさはないものの、どれも地元の食材を生かした丁寧で味わい深い料理だなあと思いました。いや、本当に、パクチーが苦手でなければ、日本人の口には合うと思います。あ、パクチー使ってない料理もあるし。
今回は、どこへ行くにもガイドさんが連れて行ってくれる、完全パック旅行(とは言え、参加したのはうちの家族だけですがw)だったので、自分たちだけで街歩きをする時間が殆どありませんでした。ちょっとだけ早朝散歩したくらいかな。料理も全部ジョージア料理のレストランで食べたのですが、本当はもっと庶民的な店やスーパーなどで色々と物色しながら買い物できたら、もっと面白い料理にも出会えていたのかもなと思います。一日くらい、フリーの日を入れれば、もっとディープなジョージアに出会えていたかもしれません。
いつも歩き回る旅が多いのに、今回かなり久しぶりに完全パック、しかも日本語ガイドさん付きにしたのは、理由があります。毎年一回はどこかへ行こうと決めているのですが、いつもは母と二人での旅行でした。それが今回は母だけでなく父も一緒だったのです。父にとっては初めての海外旅行!ただでさえ、緊張することも多くなるでしょうから、移動や言葉で出来るだけ負担を少なくしたかったのです。ハワイなどでも良かったのですが、それならお友だちとも添乗員さん付きの旅行などで行けるはず。ま、未知の国もええんやない?ということで、ほぼ私の独断でジョージアでした。
パスポートを取るところから始まり(ニヤけた写真で一回目は突き返されたw)、スーツケースはどの大きさがよいか?どんな靴が良いか?貴重品を入れるカバンはどうしようか?など、初めてあるあるを楽しみながら準備していました。あとパソコンで、一生懸命ジョージアについて調べていたなぁ。
空港の金属チェックでベルトが引っかかって焦ったり、私が爆睡している間にやってきた、飛行機の客室乗務員さんとの機内食のやり取りで、全然英語が分からず困ったり、日本では絶対にお目にかかれないような風景に素直に感動していたり、日本では完全にパン派だったのが、帰ってきてすぐは「パンは全然食べたくない」と言って、白飯と漬物を「うまい!うまい!」と食べまくったり(笑)。父なりに、良い意味での様々なカルチャーショックを受け、少なからずいろんなことを考えたみたいです。“頑固な日本人のおっさん”っぽく、怒ったりするのかな~と思っていましたが、そんなことはなく、素直に旅で出会う多くのことを受け止めている父の姿が、意外でもあり、「こういう人だったんだ」という私の新たな発見もあったわけです。これなら、また両親と一緒に旅に出るのも良いな。
そんな父が帰国後しきりに言っているのが、やはり英語を少しでも勉強したい!ということ。機内で飲みたかったコーヒーが、何度言っても通じなかったのがよっぽど応えたようで(笑)、帰ってきて暫くは「家の中ではこれから英語を使おう!」なんて言ってましたwww ま、普通に日本語での生活をしておりますが、コーヒーが欲しい時だけは「カフィ、プリーズ」と練習しております( *´艸`) あと「●●って英語で何って言うんや?」と、よく聞いてくるようになりました。
田村町教室には、実は80歳を超えている生徒さんがお一人いらっしゃって、その方も毎週とても一生懸命英語の発話の練習をされています。子どもが英語を習う場合、やはり将来役に立てたいとか、学校で英語に困らないようにとか、そういう理由が特に親御さんの中にはあるものです。でも、シニアの方々の英語学習というのは、純粋に自分自身の楽しみのためにやっていらっしゃる方が多い。ちょっと話せるようになったり、外国で使えたりなど、夢を膨らませながら、ウキウキと英語の勉強をされているのが伝わってくるのです。頑固者だと思っていたうちの父ですら、こうなのですw。人間、本当にちょっとしたことがきっかけで世界が拡がる。本当に、大人になってからの自由な旅行、自由な勉強と言うのは楽しい!
私は、自分がよく知らない国で、そこの人と何かしら関われるような旅をするのが好きです。ここ数年は東欧が続いていますが、よく知らない、馴染みがないからこそ「行ってみたい!」が膨らみます。行って、見て、話して、聞いて、感じて、そして帰ってきてからも色々調べる。こうして、その国のことをより深く知っていく。これがたまらなく面白いわけです。
日本にいると、特に小さい子どもたちにとっては「外国人」というと、“金髪の白人さん”とか“最近よくみかける中国人”というイメージがまず最初に出てくることが多いでしょう。英会話教室に通っていれば、“外国人=アメリカ人”くらいに思っているかもしれない。なぜかというと、その情報しかないから。知らないからです。
でも、当然ながら世界には、まぁそりゃ、全然違う様々な人たちがいる。中東の空港なんかに行くと、日本ではなかなか見掛ける事のない身なりの人だったり、もうどこの国の人なのかなんて全然分からないような人をよく見かけます。そして、英語圏ではない国に行くと、英語なんか全然通じなくて、それでもどうにか現地の人と意思疎通しようと努力したり、見よう見まねでやってみる!という体験をして、メンタル強くなっていく(笑)なんてことがよくある。
英語が出来れば世界が拡がる。これは間違いないと思っています。でも、英語だけですべて分かるわけではない。世界中には英語圏とは全然違う国がたくさんあり、そこにも人が住んでいて、興味深い文化と歴史がある。一見、小さな国の小さな歴史は、自分たちとは全く関係ないように見えるかもしれない。でも特にヨーロッパやその周辺国では長い闘いの歴史の中でそれぞれの国が複雑に絡み合ってきており、何かしら間接的に、自分たちが影響を受けていることがあるかもしれない。英語を学んでいるならなおさら、「英語」ではない「世界」を知る、体験することが、自分の知見をより深め、様々な価値観を持つ人々を認める一助になると確信しているわけです。
私が子どもたちにばら撒いている小さな種。発芽するか、花が開くかは分かりません。でも、どんなことも0が1になるところから始まります。「そう言えば、英語の先生がそんな名前の国に行ってたなぁ。」 この1つの種があれば、彼らはそれを自身で育てることだって出来るかもしれない。ま、完全プライベートで自分が楽しむ旅ではありますが、「英語」とは違う何かを、この旅のお土産を通して子どもたちが拾ってくれていれば嬉しいな~と思うわけです。勿論、生徒だけではなく、保護者の方々や、このブログを読んでくれた皆さんに、何か一つでもジョージアについて興味を持ってもらえたら、私の旅の価値も上がるってもんだwww
長かったジョージア旅行記、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!今回の旅も、ちょっとマニアックなツアーを用意してくれているファイブスタークラブにお願いして組んでいただきました。ここのウェブサイト、覗いているだけで、早くも次の旅の虫がうずいてきます。どこかに、飛んでいきたい。。。や、でも年末から年度末にかけては繁忙期ですので、、、旅の思い出を胸に、全力全開で仕事頑張りまーす(^^)/
0 notes
ノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランの記念講演
ノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランの記念講演の音声が、6月5日、ノーベル財団のホームページにて公開された。 「この度のノーベル文学賞の受賞にあたり、自分の歌が一体どう文学と結びつくのか不思議でならなかった。その繋がりについて自分なりに考えてみたので、それを皆さんに述べようと思う」という言葉から始まる27分間の講演で、ディランは自身が音楽に身を投じることになったきっかけや、創作活動の礎になったという三冊の書物について語った。最後は「歌の詞は歌う為のものであり、ページに綴られているのを読む為のものではない。そして、皆さんにも、これらの詞を、聴かれるべき形で聴く機会があることを願っている」として、「詩神よ、私の中で歌い、私を通して物語を伝えてくれ」というホメロスの言葉で締めくくられている。 ◆ ◆ ◆ この度のノーベル文学賞の受賞にあたり、自分の歌が一体どう文学と結びつくのか不思議でならなかった。その繋がりについて自分なりに考えてみたので、それを皆さんに述べようと思う。回りくどい説明になるかもしれないが、私の話に価値があり、意味あるものになることを願う。 全ての始まりはバディ・ホリーだった。私が18歳のときに彼は22歳で他界したが、彼の音楽を初めて聴いた時から近いものを感じた。まるで兄であるかのように自分と通じる何かを感じたのだ。自分が彼に似ているんじゃないかとさえ思えた。バディは私が愛して止まない音楽を奏でた。私が子供のころから慣れ親しんだ音楽、即ちカントリー・ウェスタン、ロックンロールとリズム&ブルースだ。3つの異なる音楽要素を彼は絡み合わせ、そこから新しいジャンル、彼ならではの音を生み出した。そしてバディは「歌」を書いた。美しいメロディー、そして独創的な歌詞の歌を。しかも歌声も素晴らしく、様々な声色を使い分けた。彼こそがお手本だった。自分にはない、でもなりたいものを全て体現していた。彼が亡くなる数日前に、一度だけ彼を観たことがある。長旅をして彼の演奏を見に行ったのだが、期待通りだった。 彼は力強く、刺激に満ちていて、カリスマ性があった。かぶりつく様な距離で観ていた私はすっかり心を奪われた。彼の顔、手、リズムを取る足、大きな黒の眼鏡、その眼鏡の奥の瞳、ギターの持ち方、立ち方、粋なスーツ、彼の全てを目に焼き付けた。とても22歳とは思えなかった。彼には永久に色あせない何かを感じ、私は確信したのだ。すると、突然、信じられないことが起きた。彼と目が合った瞬間、何かを感じた。それが何だかわからなかったが、背筋がゾクっとした。 確かその1日か2日後に彼は飛行機事故で亡くなった。そして私は一度も会ったことのない誰かから「コットン・フィールド」を収録したレッドベリーのレコードを手渡されたのだ。その一枚のレコードとの出会いが私の人生を変えた。それまで知らなかった世界に引き込まれ、まるで爆発が起きたかのようだった。真っ暗なところを歩いていたら光がさしたかのように。誰かが手を差し伸べてくれたみたいだった。そのレコードを100回は聴いただろう。 初めて知るレーベルだった。レコードには、所属する他のアーティストを宣伝するブックレットが入っていた。ソニー・テリーとブラウニー・マギー、ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズ、ジーン・リッチー、どれも初めて聞く名前ばかりだった。でもレッドベリーと同じレーベルなら良いに違いないから絶対に聴かねばと思った。知り尽くしたいと思ったし、自分もこういう音楽がやりたいと思った。子供の頃から慣れ親しんだ音楽にも思い入れはあったが、その時点では忘れてしまった。考えることもなかった。自分にとっては過去のものとなったのだ。 この時点ではまだ家を出ておらず、いつか出たいと思っていた。これらの音楽を自分でも覚え、やっている人たちに会いたかったからだ。そして遂に家を飛び出し、自分でもその音楽を弾くようになった。それまで聞いていたラジオでかかる音楽とは違い、力強く、人生をありのまま映し出していた。ラジオでは運次第でヒットが出るが、フォークの世界では関係なかった。私には全てがヒットで、メロディーが弾ければそれでよかった。曲によって覚え易いものもあれば、そうでないものもあった。古いバラードやカントリー・ブルースは体に染み付いていたが、他は全てゼロから覚えなければならなかった。当時は少ないお客さんの前でしか演奏できず、部屋に4、5人のときや街角で弾くこともあった。レパートリーが豊富でなければいけなかったし、どう言う場面で何を弾くべきかわかってなければいけなかった。親密な歌もあれば、シャウトしないと伝わらない歌もあった。 初期のフォーク・アーティストをとことん聞き、彼らの歌を自分で歌うことで、固有の表現が身についた。そしてラグタイム・ブルース、ワーク・ソング、ジョージア・シーシャンティ、アパラチアン・バラッド、カウボーイ・ソングといったあらゆる形で歌った。そうすることで細部までが見えてくる。何のことを歌っているのかがわかるのだ。拳銃を抜いて、またポケットに戻す。馬に鞭を打って往来を駆け抜ける。暗闇で語り合う。スタッガー・リーが悪党で、フランキーがいい娘だったこともわかる。ワシントンはブルジョワの街だと知り、ジョン・ザ・レヴェレイターの低音の声も聞いたし、タイタニック号が沼の小川に沈むのも見た。仲間は荒くれ者のアイルランド人の流離人や気の荒い植民地の若造だ。篭った太鼓の音や低く鳴り響く横笛の音も聞こえる。好色のドナルド卿が妻をナイフで刺すのを見たし、多くの同志が戦死してゆくのも見た。 フォーク特有の表現を全てマスターした。気の利いた言い回しも覚えた。機材、テクニック、秘密、謎、全てが頭に入っていた。そしてそれが歩んできた決して注目されることのない軌跡も知り尽くしていた。全てを結びつけて、今の時代に当てはめることができた。自分自身で歌を書き始めた際、自分が唯一知っているフォークという表現形態を存分に使った。 でもそれだけではない。自分なりの信条、感性、培った世界観も持っていた。若い時から備わっていた。小学校で学んだのだ。『ドン・キホーテ』『アイバンホー』『ロビンソン・クルーソー』『ガリバー旅行記」『二都物語』といった誰もが小学校で読んだことのある本を通して、人生観、人間性への理解、価値観が養われた。歌詞を書き始めた時、それらを糧にした。そういった本の題材が私の多くの歌の中に入り込んだ。意図的であるときもそうでない場合もある。誰も聞いたことのないような歌を書きたいと思ったのだ。そしてこうしたテーマは私の歌の礎となった。その中でも特に私の心に残る3冊の本についてここで触れたい。メルヴィルの『白鯨』、ルマルクの『西部戦線異常なし』とホメロスの『オデュッセイア』だ。 『白鯨』は興味の尽きない一冊だ。見せ場が絶えず、印象的なセリフで溢れている。非常に読み応えのある本だ。筋書きは単刀直入だ。捕鯨船ピークォド号の謎めいたエイハブ船長は義足を付けた病的に自己中心的な人物で、自分の片足を奪った天敵である白いマッコウクジラのモビィ・ディックに復讐心を燃やす。大西洋から喜望峰を周り、インド洋まで彼は鯨を追う。地球の裏側まで追いかけるのだ。目指すものはあまりに漠然とし、確実なものはない。彼はモビィを皇帝と呼び、悪魔の化身と見なしている。エイハブはナンタケットに残した妻と子供に時々想いを馳せる。そして何が起きるかは予想できるだろう。 乗組員は様々な人種から成り立っていて、鯨を見つけた者には褒美として金貨が与えられる。多くの星座に纏わる記号、宗教寓話の引用や既成概念が登場する。エイハブは他の捕鯨船に遭遇すると、その船長にモビィの情報を聞き出そうとする。奴を見たか? ある捕鯨船にガブリエルというイカれた預言者が乗っていて、彼はエイハブの破滅を予言する。曰く、モビィは「シェーカー教徒の神の化身」であり、彼に関わった者達は災難に見舞われる。エイハブ船長にそう伝えるのである。また別の船のブーマー船長も、モビィに片腕を奪われている。でも彼はそれを受け入れ、生きているだけで幸せだと感じている。彼にはエイハブの執拗なまでの復讐心が理解できないのだ。この本は、同じ経験をしても人によって反応が違うことを教えてくれる。旧約聖書のからの引用が多く登場する。ガブリエル、ラケル、ヤロブアム、ビルダー、エリヤ。異教徒の名前もまた多く登場する。タシテゴ、フラスク、ダッグー、フリース、スターバック、スタッブ、マーサズ・ヴィニヤード。異教徒たちは偶像を崇拝する。中には小さな蝋の人形を崇拝するものもいれば、木彫りの偶像を崇拝する者もいれば、火を崇拝する者もいる。ピークォド号の名前はインディアンの種族が由来だ。 『白鯨』は心を揺さぶられる話である。船員の一人で語り手である男が言う。「イシュメイルと呼んでくれ」と。ある人に何処の出身だと聞かれると彼は「どの地図にも載っていない。本物の場所は載らないのさ」と言う。スタッブは何事にも意味はないと思っている。全ては起こるべくして起こるのだと。イシュメイルは生まれてからずっと帆船に乗ってきた。彼にとっては帆船がハーバードでありイエールだと言う。人とは距離を置いている。ピークォド号が台風に直撃する。エイハブ船長は吉兆だと捉える。スターバックは悪い兆しだとしてエイハブの暗殺を考える。嵐が去った直後、乗組員の一人が船のマストから落ちて溺れてしまう。これから起こることを暗示しているかのように。クエーカー教徒の平和主義の神父を装った、残忍なビジネスマンがフラスクに言う。「負傷を負った者の中には神に導かれるものもいるが、他の者は苦痛が待ち受けている」と。 全てが織り交ぜられている。あらゆる神話、ユダヤ教キリスト教聖書からインド神話、イギリスの伝説、聖ジョルジュ、ペルセウス、ヘラクレス(全て捕鯨船員)、ギリシャ神話、そして血なまぐさい鯨の解体まで。事実もまた多く盛り込まれている。地理、鯨油について(君主の即位にいい)、捕鯨産業の名士など。鯨油は王を清める聖油に使われるのだ。鯨の歴史、骨相学、古典哲学、偽の科学的理論、差別の正当化など、あらゆるものを含んでいるが、理にかなってるものは一つもない。教養のある人、ない人。幻想を追いかける、死を追いかける。巨大なマッコウクジラはシロクマの如く白く、白人の如く白い、皇帝であり、天敵であり、悪魔の化身である。モビィをナイフで攻撃しようとして片足を失った狂気の船長。 我々には物事の表面しか見えない。その裏に何があるかは解釈次第だ。船員たちは人魚の声を探して甲板を歩き回り、サメやハゲワシが船の後をつける。頭蓋骨や顔の表情を本のように読み取ろうとする。ここに顔がある。君の前に置こう。読めるものなら読んでみるがいい。タシテゴは自分が一度死んで生まれ変わったのだと言う。余分に与えられた日々は贈り物だと。自分はキリストに救われたのではないと彼は言う。キリスト教徒ではない人間に助けられたのだと。そしてキリストの復活の下手な模倣をする。 スターバックがエイハブに「過ぎたことは忘れろ」と言うと、憤慨した船長は「私に不敬を言うとはけしからん。私を侮辱するものはたとえ太陽であっても切りつける」と言い返す。エイハブもまた雄弁な詩人である。「私の揺るぎない目的までの道には鉄製のレールが敷かれていて、私の魂はその溝に沿って走るのだ」或いは、「目に見える物は全て薄っぺらい仮面でしかない」と語る。引用したくなる詩的なフレーズであり、これを超えるものはない。 そしていよいよエイハブはモビィを見つけ、銛を出す。ボートが降ろされる。エイハブの銛は血で洗礼されている。モビィはエイハブのボートを攻撃し、破壊する。翌日彼はまたモビィを見つける。再びボートが降ろされる。モビィはまたもエイハブのボートを破壊する。3日目、また別のボートが乗り込む。ここでも宗教的引用の登場だ。彼は再び現れた。モビィは再び攻撃してくる。ピークォド号に激突し、沈める。エイハブは銛の紐に絡まってしまい、船から投げ出され、海の藻屑となる。 イシュメイルだけが生き残る。彼は棺桶の上で海に浮かんでいる。というのが物語の全てだ。ここで語られるテーマとそれが暗示しているものは、私の歌の幾つかにも登場する。 『西部戦線異常なし』もまた影響を受けた一冊だ。『西部戦線異常なし』はホラーだ。これは、童心、意味のある世界への信頼、他人への関心を失う話だ。悪夢から抜け出せない。死と苦悩の謎めいた渦に吸い込まれてしまう。抹殺から自分を守っている。地球上から消されようとしているのだ。かつてはコンサート・ピアニストになるという大きな夢を抱いていた純粋な若者だった。嘗ては人生、そしてこの世界を愛していたが、今はそれを粉々に撃ち砕いている。 来る日も来る日も、蜂に刺され、ミミズに血を吸われる。窮地に追いやられた動物だ。どこにも居場所はない。降りしきる雨は単調だ。絶え間ない攻撃、毒ガス、神経ガス、モルヒネ、燃え盛るガソリンの川、食べ物を求めて残飯を漁る、インフルエンザ、チフス、赤痢。周りで命が次々と失われ、破裂弾が鳴り響く。これは地獄の下層部である。泥、有刺鉄線、ドブネズミだらけの塹壕、死体の内臓を食い漁るドブネズミ、汚物と排泄物だらけの塹壕。誰かが叫ぶ、「おい、そこのお前。立ち上がって戦え」これが一体いつまで続くか誰にわかると言うのだ? 戦争に終わりはない。自分は殺されようとしている。足は出血多量だ。昨日は人を殺し、その死体に話し掛けた。戦争が終わったら君の家族の面倒を死ぬまで見ると伝えた。一体誰が得をしているのだ? 指揮官や将軍達は名声を得て、他にも経済的に潤う人たちが大勢いる。しかし、手を汚しているのは自分達だ。同志の一人に「ちょっと待て、何処に行くんだ?」と聞かれ、「好きにさせてくれ、直ぐに戻るから」と言い、肉片を求めて死の狩の森に入っていく。普通の生活を送っている人たちが何を生きがいにしているのかもはやわからない。みんなの不安や欲望などもう理解できない。 さらに機関銃が鳴り響き、死体の一部が幾つもぶら下がっている。���や脚や頭部が転がっているところに蝶々が歯の上に止ま��ている。悍ましい傷口、あらゆる毛穴から膿が出ている。肺の傷、身体には耐えきれないほどの大きな傷、ガスを放射する死体、吐き気がしそうな音を立てる死体の数々。死がそこら中にある。どうすることもできない。自分も誰かに殺され、死体は射撃練習の的に使われるだろう。ブーツにしてもそうだ。今は自分の貴重な所有物だが、直ぐに誰かの足にとって変わるだろう。 木の間からフランス人達がやってくる。容赦ない奴らだ。破裂弾も底を尽きてきた。「そんなに直ぐにまた攻めてくるなんて卑怯だ」と言ってみる。同志の一人が土の中に倒れていて、野戦病院に連れてってやりたいと思う。他の誰かが言う。「無駄足さ」「どう言うこと?」「そいつをひっくり返してみろ。俺の言ってることがわかるさ」 その知らせを待ち続ける。戦争がなぜ終わらないのか理解できない。兵力不足が深刻化し、召集した若者達は使い物にならない者ばかりだ。それでも人員が足りないから採用するしかない。病気と屈辱で心はズタズタだ。親にも、学校の校長にも、牧師にも、政府にさえも裏切られた。 ゆっくりと葉巻を吸う将軍にも裏切られた。彼のせいで自分は暴漢と殺し屋にと化したのだ。できることなら彼の顔に銃弾を浴びせてやりたい。司令官にもだ。金があったら、どんな手を使っても構わないから奴を殺してくれた男に謝礼を約束することを妄想する。もしその人がそれで命を落としたら、謝礼は遺族に行けばいい。キャビアとコーヒーが好物の大佐も同罪だ。公認の売春宿に入り浸っている。彼にも死んでもらおう。呑んだくれの兵士が次々とやってくる。20人殺しても、20人また替えがやってくる。鼻の奥まで匂ってくるだけだ。 まるで拷問室のようなこの狂気の沙汰に自分を送り込んだ上の世代を軽蔑するようになる。周りを見渡せば同志が次々と死んでいく。腹部の傷、両足切断、坐骨粉砕で死んでいくのを見ながら思う。「まだ20歳だと言うのに、もはや誰だって殺せる。自分を狙ってきたら父親さえも殺せる」 昨日、傷ついた軍用犬を助けようとしたら誰かが叫んだ。「馬鹿なことをするな」と。一人のフランス人が喉を鳴らしながら足元で倒れている。彼の腹に短剣を突き刺すが、まだ生きている。息の根を止めるべきなのはわかっているが、それができない。本物の鉄十字に貼り付けにされ、ローマ兵に酢を染み込ませたスポンジを口元に当てられている。 何ヶ月か過ぎ、一時休暇で帰郷する。父親とは話ができない。「入隊しないのは卑怯者だ」と彼は言う。母親もだ。再び戦場に戻る際、「フランス人娘には気をつけなさい」と言う。狂気はさらに続く。一週間、或いは一ヶ月戦って、やっと10ヤード前進する。でも次の月にはまた元に戻される。 プラトン、アリストレス、ソクラテス、1000年前の文化、哲学、知恵はどうなってしまったと言うのだ?こんな事態は防げたはずだ。家に思いを馳せる。ポプラ並木を歩いた学生時代に戻る。楽しい思い出だ。小型飛行船からさらに爆弾が降ってくる。気持ちを引き締めなければいけない。何か誤算が起きるのが怖くて誰のことも見ることができない。共同墓地。他に残された可能性はない。 すると桜の花に気づく。そして自然は全く影響を受けていないことに気づく。ポプラ並木、赤い蝶々、儚い花の美しさ、太陽。自然は全く意に介さないのを目の当たりにする。人類によるあらゆる暴力も苦悩も自然は気づきもしない。あまりにも孤独だ。すると爆弾の金属片が側頭部に当たり死んでしまう。排除されたのだ。削除されたのだ。駆除されたのだ。私はこの本を置き完全に閉じた。戦争小説はもう二度と読みたくないと思い、二度と読むことはなかった。 ノース・カロライナ出身のチャーリー・プールがこの話に通じる歌を書いた。「ユー・エイント・トーキン・トゥ・ミー」という歌で、歌詞はこうだ。 ある日街を歩いていたら窓の中に張り紙を見つけた 入隊して世界をこの目で見よう、と書いてあった 楽しい仲間と刺激的な場所を見るだろう 面白い人たちと出会い、彼らの殺し方も覚えるだろう 僕に言っても無駄さ、僕に言っても無駄さ 僕は頭がイカれているかもしれないけど、分別はある 僕に言っても無駄さ、僕に言っても無駄さ 銃で殺すなんてちっとも楽しそうじゃない 僕に言っても無駄さ 『オデュッセイア』も素晴らしい一冊で、そこで語られている題材の数々は多くのソングライターのバラッドに取り上げられている。「早く家へ帰りたい」「思い出のグリーングラス」「峠の我が家」、私の歌でもだ。 『オデュッセイア』は戦争で戦い終えて帰郷しようとする男の不思議な冒険物語だ。長い帰路の旅であり、途中にはいくつもの罠や落とし穴が待ち受ける。彼は呪にかかったように彷徨い続ける。常に海に放り出され、毎回九死に一生を得る。巨大な岩の塊が彼の船を揺らす。怒らせてはいけない人の怒りを買ってしまう。乗組員に問題児もいる。背信。船員たちが豚にさせられたかと思うと、今度は若い色男に変身する。彼は常に誰かを救助しようとする。彼は旅人だが、足止めを食らうことが多い。無人島に流れ着く。人けのない洞窟を見つけ、そこに隠れる。巨人に出くわすが、「お前は最後に食べる」と言われる。そして巨人から逃げる。家に帰ろうとするが、風に振り回される。容赦ない風、冷たい風、不吉な風。遠くまで行ったと思うと、風にまた押し戻される。 毎回次に何が待ち構えているかあらかじめ警告を受けるが、触ってはいけないと言われたものをつい触ってしまう。進む道が二つあったら、そのどちらも凶。どちらも危険を伴う。一方は溺れる可能性があり、もう一方は飢える可能性がある。狭い海峡に入って行き、泡の渦巻きに飲み込まれる。牙の鋭い6つの頭を持った怪物と出くわす。雷に打たれる。突き出した枝に飛びついて荒れ狂う川から身を守る。彼を守ろうとする女神や神々もいれば、彼を殺そうとする者もいる。彼は素性を幾度も変える。疲れ果て、眠りに就くと笑い声で目がさめる。見知らぬ人に自分の話をする。旅に出てから20年になる。何処かに放り出されて、置いていかれたのだ。ワインに薬を入れられたこともある。苦難に満ちた道のりだった。 色々な意味で、これらのことは誰にでも起こり得る。ワインに薬を入れられたことがあるだろう。間違った女性と一夜を共にしたことがあるだろう。摩訶不思議な声、甘い声、聴き慣れないメロディーに魅了されたことがあるだろう。遠い道のりをやっと辿り着いたと思ったらまた押し戻されたことがあるだろう。そして九死に一生を得たことも、怒らせてはいけない人を怒らせたこともあるだろう。この国中を取り止めもなく彷徨ったことだってあるだろう。そして、凶をもたらすあの不吉な風を感じたことがあるだろう。しかし、これだけでは終わらない。 家に辿り着いても事態は決して喜べるものではなかった。妻の親切心につけ込んだ悪党達に家を乗っ取られていたのだ。しかも人数が多すぎる。いくら彼が彼らよりも偉大で、大工としても、狩人としても、動物に関するに知識にしても、海男としても、何をやらせても一流だったとしても、勇気で身を守ることはできない。機転を利かせる他ない。 ゴロツキ達には彼の家を汚した代償を払わせなければいけない。彼は小汚い乞食に変装すると、横柄で馬鹿な下手人が彼を階段から突き落とす。下手人の横柄さに嫌悪感を抱くが、彼は怒りを抑える。百対一にも関わらず、彼らを全員やっつける。一番の強者をもだ。彼は何者でもない。そしてようやく家に帰ると彼は妻と一緒に座り、彼女に冒険談を話すのである。 つまりどういうことか。私自身、そして他のソングライター達も、これらと同じテーマに影響を受けてきた。そしてそれらは無数の解釈ができる。ある歌に心を動かされたのであれば、それで十分なのだ。その歌の意味を知る必要なんてない。私は自分の歌に色々なことを込めてきたが、それらが何を意味しているか案じるつもりはない。メルヴィルが旧約聖書や新約聖書からの引用や科学的理論、プロテスタント教義、そして海や帆船や鯨に関する知識を全て一冊の本に込めた際、彼もそれらが何を意味しているのか案じたとは思わない。 ジョン・ダン然り。シェイクスピアの時代に生きた詩人/聖職者は綴っている。「彼女の乳房のセストスとアビドス。二人の恋人ではなく、二つの愛であり、巣である」これが何を意味しているのかは私もわからない。でも良さげに聞こえる。自分の歌も良さげに聞こえてほしいのだ。『オデュッセイア』に登場するオデュッセウスが英雄アキレスに会いに冥府を訪れた際、平和で幸せな長寿と引き換えに名誉と栄光に満ちた短命を手にしたアキレスはオデュッセウスに全ては間違いだったと語る。「私はただ死んだ。それだけだ」と。そこには名誉はなかった。不朽の名声などない。そして、もし可能であるなら、黄泉の国の王でいるよりも、地球上で小作人の元に仕える奴隷として生きることを選ぶ。どんなに辛い人生であろうと、死ぬよりましだと語っている。 歌も同じだ。我々の歌は生きている人たちの世界でこそ生きるものなのだ。でも歌は文学とは違う。歌は歌われるべきものであり、読むものではない。シェイクスピア劇の言葉の数々は舞台で演じられる為のものであるのと同様に、歌の詞は歌う為のものであり、ページに綴られているのを読む為のものではない。そして、皆さんにも、これらの詞を、聴かれるべき形で聴く機会があることを願っている。コンサート、或いはレコード、或いは今時の音楽の聴き方でも構わない。 最後に再びホメロスの言葉で締めたいと思う。「詩神よ、私の中で歌い、私を通して物語を伝えてくれ」 ◆ ◆ ◆
0 notes
新鮮なモツ料理か楽しめる❗️外苑前キラー通りのモツ酒場koganeかんで、クリエイティブなモツ料理をいただきました❗️ A new sense bar where you can enjoy about warmed “Jyunmai sake” & cuisine of fresh offal. Kogane originate from auspicious golden color. 「新鮮なモツ料理」と一緒に「純米の燗酒」を、「人肌燗」「ぬる燗」「上燗」など温度によって呼び名が変わる繊細な燗酒の世界を愉してます❗️ イタリアンミックステイストで、 【モツ×日本酒×ナチュラルワイン】の組み合わせ、最強です🌾🍺 @kogane.sake モツをこれだけオシャレにいただけるお店は、初めてで驚きました❗️やはり仕事帰りの、感度の高い原宿系リーマンが集い、大人気の様子で、夕暮れどきには、満席の賑わい❣️ 新鮮で良質なモツ料理を中心に、和・洋・エスニックの 要素、特にイタリアンを取り入れたお料理のコースをいただきました❣️ ーーシェフおまかせ創作もつ料理コースーー 日本酒に合わせた料理長おまかせ酒肴3種盛り ¥1100 🟠ハツ元の梅水晶 🟠自家製あん肝と奈良漬にジュレポン酢 🟠サーモンといくらのゆず、塩麹 どれも、じっくり日本酒と🍶楽しめる逸品揃い❗️自家製奈良漬と、あん肝の組み合わせがオシャレですね❗️ハツ元と梅水晶、とびっこの食感がプチプチ楽しいですね❗️ モツ料理5種盛り合わせ玉手箱 ¥2640 🟠ぷるぷる酢モツ 🟠和牛センマイと胡桃のサラダ 🟠牛ハツのタタキとパクチーのヤム風サラダ 🟠ランプレドットの水餃子 🟠モツ入りブーダンブラン 特に私が気に入ったのは、ブータンブランと酢モツ❣️ 白いぷりぷりのソーセージで、じゅわっと溢れ出す肉汁に、豚の軟骨を詰めた食感が最高でした❗️ソースは、マッシュルームとフォンドボーで、ブータンブランと良くあってます❗️酢モツも、プリンプリン❗️ 想像をはるかに超えた��りっぷりに、ど新鮮な、旨み溢れるモツがお酢に合う〜❗️ランプレドットが入った水餃子は、ジョージアのヒンカリという料理だそうで、サルサベルデソースがまた、新しいですね❗️ランプレドットとサルサベルデ🇮🇹大好物なので、まさか、モツ酒場でいただけるなんて、嬉しかったです🇮🇹 🟠リードヴォーとトウモロコシのかき揚げ ¥930 これがまた、絶妙に旨うまです❗️ 甘ーいとうもろこしの、サクサク衣の中には、リードヴォーがゴロゴロですよ❗️ フレンチの食材として必須のリードヴォー(仔牛胸腺)は、ミルクだけで育った仔牛のもので、プリっ、フワッの食感が溜まりません❣️ 🟠テールスープのチャンポン麺 ¥1320 この締めが、感動的です❗️モツがたっぷりで アツアツの土鍋で煮込まれています❗️ 絶品スープを、チャンポン麺が見事に吸い上げ、飲み干しました❣️ 🟠ティラミス最中 ¥660 new 甘味❗️新しいデザート❗️バタークリームと合わせてたちょっと硬めのマスカルポーネクリーム。まさに和風ティラミス🇮🇹 黒豆のコーヒー煮が大人の味わい❗️ お食事後でも、軽くてペロリ💖 今まで味わったことも見たことないモツ料理新ジャンルコース 日本酒も20~30種類程ある中から、店員さんが、オススメを教えてくださいますよ❗️ 店内も料理も綺麗でオシャレなので、女子同士にも、歓迎会も、モツ酒場koganeさんなら、モツベーション爆上がリリーでしょう🌸 #モツ酒場kogane #supported#キラー通り#キラー通り商店街 #原宿ディナー #外苑前グルメ #表参道グルメ #青山グルメ #外苑前ディナー #表参道ディナー #青山ディナー #昼飲み #日本酒女子 #kogane#ホルモン好き#ホルモンヌ#ホルモン女子#レバー好き#イタリアン #イタリア好き#日本酒好き#日本酒バー #荒川リリー#lilystudio#チーズ天使 (モツ酒場 kogane(こがね)) https://www.instagram.com/p/CqaXYrTyrlG/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes