#ノート術
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夏ですね!いや、夏は終わってしまいました。そう、それはつまり「夏に企画されていた展示が終わっていく」ということなのです。 というわけで、お出かけ記録を書くことにしました。
まずはCLAMP展@国立新美術館です。
時系列やテーマに沿ってカラーイラストや原稿が展示してたったのですが、その精密で美しいこと!


近年の作品はデジタル/アナログ両方で制作されていましたが、どちらも印象が変わらないのがすごい。弘法筆を択ばず。 4人組の漫画家というイメージで見ていたけど、展示でその活動の全貌を見たら、漫画家というより「職人集団」だなと思いました。 カッコよかったなあ。
#絵日記#絵日記グラム#絵日記ノート#手書き日記#イラストエッセイ#エッセイマンガ#コミックエッセイ#日記#diary#illustration#drawing#draw#illustrator#sketch#dailysketch#CLAMP展#美術館#美術館巡り#comic
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ロルバーン沼
沼ってからちまちま集めているロルバーン手帳。新しいノートが増えたので、早速セットアップ。用途によって分けて使っているのですが新入りさんには読書や映像、ファッション色々の感想を主に書いてゆこうと思います😊
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4月5日(土)open 12-18
不規則営業でご不便をおかけしております。 今日 明日は12-18時で営業です。 「春のさがるまーた②展」は来週9日(水)スタートです🌷
今日はお知らせいろいろです!
1.新再入荷の本たち
2.「春のさがるまーた②展」関連企画ワークショップ、4月13日(日)はしんよんひさんとの「たまごをつくろう」ワークショップ、5月4日(日)は北林みなみさんとの「ぼくのもりを描こう」ドローイング会、ともにまだ受付中です🥚🌳 子どもさんはもちろん、大人の皆さんのご参加もお待ちしております!
3.「10年メモ」の在庫状況です。 4月に入って、かけ込み購入の方が続きました。 店頭、通販ともに、残りはネイビー、グリーンのみとなっております。 去年はグリーンが一番最初に売り切れたので、毎年違って面白いなぁと感じています。
4.店頭で賛同者を募っている「2025年 憲法9意見広告」の受付ですが、来週9日(水)までとなります。 地元紙への広告掲載ですが、県外からのお客様も多く賛同してくださっています。 皆さまありがとうございます!心強い!
5.5月はいつもの「ガルガ動物園」へ参加いたします! 今年で6回目! 昨日出来上がったDMを受け取りにガルがさんへ。 5月3日(土)スタート6月1日(日)までです! 4月は金井三和さんの個展「はるだ はるです はるなんだ 少女の夢はクロッカス」が27日(日)まで開催中です🌼 春色空間にうきうきしました! 皆さまぜひお早めに〜。 三和さんは引き続きガルガ動物園にも参加されます🦏
6.さらに三和さんも同人として参加されている、美術同人誌「四月と十月」の52号のお知らせとともに、牧野伊三夫さんの展覧会や関連のお知らせがいくつも届いていますよ。 三和さんの個展ではすでに販売されていますが、中川へは近日中に入荷いたします! 今回の号で、表紙を飾っている写真家の白石ちえこさんが退会されるそうです。 寂しいけれど、また新しいメンバーも加わっています。 バックナンバーも揃っておりますので、是非店頭でご覧ください。
ということで、本日は奥のギャラリーでペンキにまみれているかもしれませんが、お店の扉は開いておりますので、お散歩がてらどうぞお出かけくださいませ。
#新再入荷#春のさがるまーた2展#さがるまーた#講談社#しんよんひ#絵本#たまご#たまごをつくろうワークショップ#北林みなみ#ぼくのもり#ぼくのもりを描こうワークショップ#ドローイング会#10年メモ#憲法9条意見広告#はるだはるですはるなんだ少女の夢はクロッカス#金井三和展#ガルガ動物園6#gargas#美術同人誌#画家のノート#四月と十月#牧野伊三夫
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・以下上から読んでいった箇条書きメモなので詳細はhttps://web.pref.hyogo.lg.jp/gikai/iinkai/index/tokubetsu/bunsho/documents/bunsho_questionnaire1011_01.pdf ・芸術に全く興味がないどころか予算削減をしようとしている。してる。 ・そのことについて人事権などを使っているようだが、職員に大した説明なく進んでい��様子で現場の混乱がわかる ・斎藤が井戸前副知事のことが滅茶苦茶嫌いなのはわかるが、態度で表しているのがかなり子供っぽいし、周りもかなり気を遣っている印象 ・令和3年選挙で職員内で事前運動があり、その後通報されたようだが握りつぶされたとの話はかなり問題なのではないか ・その当時の選挙についての情勢に違和感があり、職員たちの間で相当困惑が広がっている様子が分かる(職員たちは違法性を感じていた様子) ・当時公用車問題で揺れていた兵庫県だが、職員が斎藤を連れて公用車で投票依頼をしに回っていた話がある ・該当職員たちが通常コースではなくトントン拍子に謎の出世をし、さらに職員たちから反感を買っている ・該当職員たちも部下に対して横柄な態度をとるようになっていた ・マニフェスト作成などもその周辺の職員がしている ・井戸前知事の周辺職員はみん��飛ばされた。 ・県庁は、基本人事課が出世できるルートになっている。筆記試験があるが加味されていないのではないかという疑問 ・はばタンPay+のポスターにある写真や、その他ポスターに自らの写真を入れる行為は、次の選挙戦をにらんだあからさまな選挙運動ではないかと職員間で疑問視されていた。 ・商工会議所、商工会にも手は回っており、今回の知事選挙に向けた活動が昨年頭からあったことが指摘されている ・昨年末から選挙戦に向けて新聞やテレビ出演を知事が希望していたのは選挙戦に向けてだろうが、「取材がなければ激怒する」という話は異様ではないか ・贈答品問題。全部ひとりで持ち帰ってしまうらしい。前知事は高額なものは全く受領しなかったので感覚が全く違った模様 ・酒造メーカーが出展したイベントで日本酒を15本以上持ち帰っている。2、30本あったのではとも。持ち帰りすぎ ・突然おにぎりを食べたいと言い、慌てて現場で米を炊かせている。怖い ・特産品のアイアンセット(約20万円)貰ってる。しかし使いにくいので、別モデルをおねだりした様子。その見返りが特別交付税の算定だったのでは?との見立てがある ・片山副知事も貰っている。片山副知事ペラペラ自慢して色んな職員に色んな事喋っている。折田かよ ・事業とは関係ない特定のスポーツウェア等を着てポスター撮影をしているらしい。掘れば出るのでは ・知事室等の前に贈答品が多数陳列されるようになっていた(前知事のときは無かったのだろう) ・自宅に持ち帰るときは目立たないように重さや大きさを気にしている。悪い認識あったのか? ・5万円を超えるものを個人的に無料で受け取っているが、秘書課を通じておねだりさせている。 ・ふるさと納税返礼品をねだって貰っている ・ホールケーキを贈呈行事としてもらった時(個人的ではなく)、井戸知事は職員にもふるまった。斎藤は一人で持って帰った。PRにもつなげてない ・斎藤県政下では「公民連携」のもと個別企業との包括連携協議が急激に増加している ・知事は絶対にお金を出さないので、食事等、知事を迎えた側が出費しなければならない ・職員たちの前で贈与しようとした地元の方を職員たちは止めたが、斎藤は遮って貰っていた ・人参ジュース1箱おねだりして持ち帰り。人参大好きだな。良いことだ。 ・絵画も貰っている。芸術興味ないんじゃなかったの ・貰ったワインの感想が出ない。色々貰いすぎて何貰ったか覚えてない ・知事の行き先と運転日誌の距離が合わない。出張先で何をしているのかは、みんな見ているはず ・土産があったほうがいいという認識が県内下で広がっていたのではないか ・ウィスキー、ロードバイク、ウェア、スーツ、野菜、海産物、椅子、寿司等等。贈答品だけで生活してたのか? ・マスコミの前で贈答品を貰おうとして、マスコミに直接つっこまれ、やめた ・高級な苺が好き。何箱も貰った。可愛いね ・職員たちも困惑しきりでウワサ広がっていた ・革ジャンはねだってももらえなかったらしい ・県議にもビール貰ってるやついねぇか?意識改革は必要 ・政治資金パーティー券についても購入要請など怪しい記述がある。私学関係者にも依頼している。ここまでくると「政治と金の問題」でしかない ・阪神オリックス優勝パレードについては金の流れが明らかにおかしい。まともなやり方で集めるのも大変だっただろう職員の苦労と、聞いていたよりも高額な請求が来たこと、不正な行為による虚無感を覚える記述が続いている。 ・聞いたことを聞いてないと言って怒るのは若いのに記憶力が心配 ・県美術館のメンテナンス休館を知らずに激怒。前年度には公開されているスケジュールを改めて経緯説明させられる。知事本人も館長に直接凸電話 ・知事就任前に決まっていた件を新聞で知り、聞いていないと激怒。いわゆる机バンバンは知事就任から2か月目のこと。 ・知事が来る現場にはサクラで人を呼んでいた。道を間違えると知事が怒るから言うことを聞いてほしい、という現場への要請もあった ・知事の視察は前知事よりもドタキャンが多い。そのときは服部副知事が来る ・お気に入りの女性職員をつけていた?よく分からない記述があるので皆読んでほしい ・出張先に三面鏡と櫛が無いと怒られる。外見をとにかく気にしている。用意された浴衣が気に入らず着たくないと駄々をこねる。10万円の浴衣を調達させる。着付けを地域の方にしてもらう予定が「俺は知事やぞ!そんな素人にさせるな!」と怒鳴り着付けのプロを呼ばせたことも。 ・例えば「空飛ぶ車」や「有機農業」など万博や●●関連の施策には部局に具体的な指示を出す。また指示通りになっていないと激し く怒り知事室へ出入り禁止にして再調整困難となり所管課を困らしていたと聞く。(原文ママ。折田が参加した空飛ぶクルマ事業は知事直轄) ・ペットボトルのお茶を出すと怒る。ペットボトルの水を飲食禁止のところで飲んで、その場に置いていく。 ・事前に決めてオッケーにして万全に準備した案を、直前に気分で変える。こういうことが繰り返されている様子 ・とにかくいろんな地域で激高しており、目撃されている。気分屋で、まるで昭和のバブル世代の頑固おやじみたいな態度をとりまくっている ・周囲は委縮して何も言えなくなっている様子。それが関係者たちにも広がっている。懇意にしている職員たちはパワハラだけではなくセクハラも握りつぶしてもらっている様子 ・政策や防災対策の会議を直前に15分で終わらせてと無茶振りするのが日常茶飯事 ・泉房穂のツイッターバトルを取り締まる条例を探す ・よく忘れ物、失くし物をする(なにこの情報) ・書類が分厚いと怒る ・渋滞に嵌ると怒る ・周辺のものを蹴る ・工事中のコーンを蹴り飛ばす ・SNSはブロックしまくっている ・怒るとタブレットを投げる。ノートPCを投げる。 ・健康診断から自己負担オプション項目をなくす(腫瘍マーカーの検査を7000円程度)どうも知事の命令により県職員だけ通常のオプション検査が受けられない模様 ・エレベーター待てなくて怒るのでエレベーター呼ぶボタンを受付に作った ・ジェラート食べたくて定休日の店を開けさせる
兵庫県職員アンケート調査を読んで気になったところと感想
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2025-2月号
アンビグラム作家の皆様に同じテーマでアンビグラムを作っていただく「月刊アンビグラム」、主宰のigatoxin(アンビグラム研究室 室長)です。
『アンビグラム』とは「複数の異なる見方を一つの図形にしたもの」であり、逆さにしたり裏返したりしても読めてしまう楽しいカラクリ文字です。詳しくはコチラをご参照ください⇒アンビグラムの作り方/Frog96
◆今月のお題は「記憶」です◆
今月は参加者の皆様に「記憶」のお題でアンビグラムを制作していただいております。記憶に残るであろう名作の数々、楽しみつつご覧下さい。
今号も失礼ながら簡易的なコメントとさせていただいております。皆様のコメントがいただけますと幸いです。

「忘れてください」鏡像型:すざく氏
ヨルシカの楽曲名。 回転型の作例がありますね。手書き風でおしゃれです。文字の区切りが面白いように自然な切り替えとなっています。

「秘密基地に集まって」 鏡像型:ちくわああ氏
じん氏の楽曲「サマータイムレコード」のサビの歌詞より。 「秘密」「基地」が読みやすい鏡像対応になっていて、良い発見ですね。「サマータイムレコード」の回転型もよいですね。

「一夜漬け」 鏡像型:繋氏
試験の前日などに勉強量の不足を補うために徹夜で勉強するという勉強法。 「��」も「漬」自己斜め鏡像は難しそうなチャレンジングな題材だと思いますが、仕上げてしまう力が強いですね。

「思い出す度ためいきばかり」 回転型:うら紙氏
いやな記憶を思い出すと溜息がでてしまいますね。 流れが拾いにくいですが頑張って解読してほしいです。それぞれの文字はとても自然な形状で書かれています。

「薄暗い十三時、古い橋梁で 独りのうちに回想した往日の記憶」 敷詰回転型:タコぬ氏
文字列生成で。 色付き文字は、読みやすさのために敢えて白抜き文字部分から移動しています。これだけ長い文はどうやって組むのかもわかりませんね。素晴らしいです。

「昨日の夕食/思い出せない」 図地反転回転共存型: いとうさとし氏
昨日の夕食が思い出せないのは認知症の始まり?と不安になるかもしれませんが、重要な情報でないため忘れているのだそうです。 「昨日/思い」がぴったりすぎますね。「食/ない」の対応が気持ちよいです。

「エビングハウスの忘却曲線」 回転型:結七氏
人が一度覚えたことを再度覚えるためにかかる時間の節約率を時間軸で表したもの。 姫森ルーナ型ですね。●を使うと字画と飾りの切り替えがしやすいです。

「マクスウェルの悪魔」 図地反転回転型:Jinanbou氏
マクスウェルの思考実験に登場する、分子を観測できる「存在」につけられた名前。 「悪魔」は「マクスウェル」からの流れで読めるので大きく崩してもいいという判断でしょうか。実験機の形を模したデザインがよいですね。

「初恋の思い出」 回転型:.38氏
初恋の人は忘れられずに思い出として残りやすいです。 一目で楽しくなるタイポグラフィ。実はほとんど対応付けの余りがなくて驚きました。

「記憶術」 回転型:lszk氏
大量の情報を急速に長期に記憶するための技術。語呂合わせなど。 ダイナミックな作字は作者の真骨頂です。区切りの切り替えが楽しいです。

「神経衰弱」 回転共存型+振動型:ラティエ氏
主にトランプで行う遊び。英語ではconcentrationやmemoryと呼ばれます。 「神/衰」が回転共存型で見切れ表現もテクニカルですね。「経/弱」が振動型で字画の調整が絶妙です。
「メモ×ノート」 鏡像重畳型:kawahar氏
記憶のためのオーソドックスなツールと手法。 輪郭表現により、繋がっているようにも離れているようにも見え、脳が自然に切り替えて認識してくれます。

「忘れな草/勿忘草」 敷詰振動型×回転型:KSK ONE 氏
「勿忘草(forget-me-not)」の名は悲恋伝説に登場する主人公の言葉に因みます。 「れな/勿」「忘/草」の対応を実現することで全体としてもアンビグラムをなしています。筆致がよいですね。

「既視感」 図地反転回転型: いとうさとし氏
過去にどこかで見た覚えがあること。 細かく見るとかなり乱れた字画に感じますが、一目で読めてしまうバランス感覚が素晴らしいですね。

「デジャブ」 図地反転回転型: いとうさとし氏
実際は一度も体験したことがないのに、すでにどこかで体験したことのように感じる現象。フランス語”déjà-vu”のかな表記で表記ゆれが激しい言葉です。 点の多い字面ですが、頂点を点で接するように作図することでうまく切り分けています。

「ご飯はまだかのう」 回転型:douse氏
認知症になった老人を表現するときのテンプレート的セリフ。 「飯」が大胆ですね。書体選択がよいので読みやすいです。

「カコノ想起/カコノ忘却」 回転共存型:かさかささぎ氏
「忘却」とは「想起」できなくなること。 袋文字として読ませたい箇所の一部が色付きとなっていて、面白い表現ですね。絡まりあうようにも見えてきます。

「記憶屋/織守きょうや」 回転共存型:兼吉共心堂氏
織守(おりがみ)きょうや氏の『記憶屋』は第22回日本ホラー小説大賞読者賞受賞作。 本作も大胆な筆致です。筆の動きと太さの調整で読めるように調整されていますね。

「記憶の固執」 旋回型:てるだよ氏
サルバドール・ダリの代表作。 文字の区切りの切り替わりが面白いです。時計のモチーフにより点と「口」が自然に切り替わっています。

「記憶の固執」 回転型(回転共存型):つーさま!氏
「柔らかい時計」や「溶ける時計」と呼ばれることも。 溶ける時計のような柔らかい書体がよい雰囲気を出していますね。「意/幸」は点対称に近い作字をされていますが細かい差別化の工夫がありますね。

「郷愁」 旋回型:peanuts氏
他郷にあって故郷を懐かしく思う気持ち。 先行作があります。よりシンプルに記号化したような作字でかわいらしいですね。中間調で区切っている部分が工夫ですね。

「禁書目録」 回転型:douse氏
「禁書目録(インデックス)」は『とある魔術の禁書目録』のメインヒロインで、魔導書10万3000冊分を記憶しています。 「とある~」のロゴで使われている図地反転処理と隠し処理が完璧にマッチしています。「禁/録」もぴったりで驚きました。

「想起」 振動式旋回型:lszk氏
以前あったことを思い起こすこと。 文字の太さが絶妙なので、同じ形状の文字が並んでいるはずなのに「想起」という単語が意図通りに想起されます。
「忘却の彼方」 回転型:Σ氏
記憶にあったことも覚えていないほどすっかり忘れ去ってしまうこと。映像や曲のタイトルにもなっています。 どの文字も単独で読みやすくて素晴らしいですね。字画の流れをつなげてデザイン性も高いですね。
「大きな古時計」 回転型:螺旋氏
嬉しいことも悲しいことも全部記憶しています。 かわいらしい書体でまとめられていてよいですね。「な/寺」がぴったりなのが驚きです。
最後に私の作品を。
「悪役令嬢」 回転型:igatoxin
悪役令嬢に転生した俺、生まれ変わる前の記憶でバッドエンドを回避する。
お題「記憶」のアンビグラム祭、いかがでしたでしょうか。御参加いただいた作家の皆様には深く感謝申し上げます。
さて次回のお題は「春」です。桜、花見、卒業、進級、春雨、春一番、菜種梅雨、思春期、春と修羅 など 参加者が自由に春というワードから発想・連想してアンビグラムを作ります。
締切は2/28、発行は3/8の予定です。それでは皆様 来月またお会いしましょう。
——————————–index——————————————
2023年 1月{フリー} 2月{TV} 3月{クイズ} 4月{健康} 5月{回文} 6月{本} 7月{神話} 8月{ジャングル} 9月{日本史} 10月{ヒーロー} 11月{ゲーム} 12月{時事}
2024年 1月{フリー} 2月{レトロ} 3月{うた} 4月{アニメ} 5月{遊園地} 6月{中華} 7月{猫} 8月{夢} 9月{くりかえし} 10月{読書} 11月{運} 12月{時事}
2025年 1月{フリー} 2月{記憶}
※これ以前のindexはこちら→《index:2017年~》
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2025.3.6
ミントティーを買う、洗濯ネットを買う、通帳記帳をする等の小さなタスクが積み重なったので「世界を手に入れた気分になるなー」と思う夜景のいつもの散歩コースではなく商店が多い方面へ歩く。外へ出たら風が強くとても寒かった。
昔、母が一瞬花粉症っぽくなった時にミントティーを朝晩飲むだけで治っていたことがあり、プラシーボ効果を狙って私もよく飲むようになった。ノンカフェインなので胃にも優しい。寝起きにコーヒーを飲みその後は水かお湯か麦茶か、ミントティーかイングリッシュブレックファーストのミルクティーをガバガバ飲む。
100均に寄ってクリップを買い、小さい頃のサンリオで見かけていたマロンクリームの小さなジッパーバックを見つけてついそれも買う。
小さい頃、銀座の路面店に2・3階建ての大きなサンリオがあり、毎年お正月に福袋を買いに行き、高島屋あたりでお茶の福袋を買い、サンリオの福袋に入っているリュックか斜めがけの鞄をその年の遠足や外出のバッグにしていた。何年かそのターンを繰り返し、何歳までサンリオのバッグを持っていたんだろう。幼稚園から小学生の間の全てなんだろうか。
茶色いシックな手提げについていたマロンクリームの絵。ずっとずっと使えなかった「るるる学園」のノート。
大人になってから100均で見かけるマロンクリームはあまりにも手頃で、可愛さに頭を真っ白にしても許され、最近の銀座の風景とは程遠い牧歌的な歩行者天国の道が頭に浮かぶ。銀座のガラスのショーウィンドウの向こうの顔のついた木、店内のメリーゴーランド。
あの頃の母の苦しみ、私が2025年に感じる息苦しさとは桁違いの女性差別、生きづらさ、ストレス、言語化するための単語の足りなさ、連帯のできなさ、私はたまにそれを思い、しかし私は母に救われていないの��私も母を救うことができない。
私は母に救われておらず、それを私は小説と映画とラジオから得て、ほんのちょっとだけを母に返し(何かの電車の復路の間だけ)、私は母を救おうとはしないだろう。
私も私と遺伝子が近い誰かから救われようとはしない、いつも小説と映画とラジオと美術が私を救ってくれるから。そして、もっと乱雑な、対等な、どうしようもない大人同士でだけ救われるだろう。
マロンクリームの小さなジップバックにロキソニンとEVEと常用薬のいくつかを入れ、実家の隣駅のファストフードの奥にあった小さなサンリオの、10円や20円のマシュマロ、60円くらいのけろけろけろっぴのマスカット味の棒付き飴、いちご新聞についてくる小さなマスコットのことを思い出す。
今は有楽町の高架下などにサンリオがあり、ついふらふらと眺め、誰かのお土産を買うような顔で小さな何かを買ったりする。
池袋や新宿の世界堂とサンリオ、銀座の道端に売られていた磯部焼きのお餅、へこませてしまって泣いた透明なうさぎの形の容器。母に止められたのに外に持ち出して案の定へこませてしまって、「だから言ったでしょう」と言いながら直そうとしてくれていた母の背中。
私はいつも母の期待には応えられず、しかし私は10代のうちに母を諦めた。
私は母を救わないだろう。母は父にも救われなかっただろう。母は経済的に自立していて、上等な仕立てのヴィヴィアンウエストウッドのコートを着て、ギャルソンのシャツを着て、私よりもずっと早く最新のショッピングビルに行く。
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研究の進捗に応じて随時書き込まれる実験ノートは実験が実際に行われたことを示す根拠となります。 また、学会発表や執筆論文に書くほどでもないような細かい実験操作やノウハウなどといった実験により得られるデータ以外の情報を指導教員や後輩などに伝える引継ぎ資料としての側面も実験ノートにはあります。 発表した研究に不正疑惑が持ち上がった場合、実験ノートは潔白を示すことができる唯一の物的な証拠となります。 日本学術会議では事後検証に備え、研究試料と同様に実験ノートの長期保管を求めており、学術誌によっては論文発表後、定められた期間は実験試料や実験ノートを保管することを求めていることもあります。
実験ノートを解説!目的や内容、書き方も紹介 | お役立ちコンテンツ|アカリク
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お出かけ記録の続きです。これは(これも)良い展示であった…。
恥ずかしながら作品を存じ上げず、チラシを見て「おお…」と思って来訪…。
柔らかい色合いやモチーフでありながら、映し出しているのは極めて現実的な社会問題。 「ファンタジー」というと、妖精や魔女を指してたものだと連想するけれど、本当の「ファンタジー」は想像力を通して現実を見ることなんだ��ね。 想像の手がかりとなり、気持ちと現実の橋渡しをするもの。
また、国際人権宣言のために描いたイラストレーションは、まるで祈りのようで胸が詰まってしまったな。伝えようという静かで切実な熱が、淡い画面に滲んでいた。
じっと見ていたら隣で見ていた方が、溜息と共に急に「なんか、ねえ、すごいわよねえ…」と話しかけてきて、それもまた、良かった。言わずにいられなかったんだよね。「ですねえ」と返して、また同じ絵を見た。

制作場面の動画が上映されていたので「あの水彩グラデーションのコツを真似したい」と思って見ていたんだけど、スッ…と描いて自然にグラデーションがフワ…と描かれたので歯噛みしました。 コツはきっと、“経験値”ですね…。 展示はこのあと、名古屋、大阪と続くようです。ぜひぜひ!おすすめです。
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「昨日、被害に遭った人はいませんか?」。教授の唐突な質問に大学院生たちは首をかしげ、お互いに見合わせた。どのような事件が勃発したのか分からなかったからだ。その場にいた私も何の話なのか見当もつかなかった。皆が沈黙を守る中、厳かに教授が語り出した。 「昨日、試合で日本が勝った後、国旗が掲揚され、国歌が流れたでしょう。この映像をみて精神的苦痛を受けた方はいませんか?」。呆気(あっけ)にとられている私をよそ目に、多くの大学院生たちが教授の言葉をありがたそうにノートに書き記し始めた。この人たちとは一緒にやっていけないと思った瞬間だった。今から15年ほど前の思い出である。 古い記憶が甦(よみがえ)ってきたのは、朝日新聞の「君が代暗記調査 内心の自由を脅かすな」と題した社説(7月3日付)を読んだからだった。
【新聞に喝!】朝日新聞へ 国歌の暗記はダメなのか? 日本学術機構代表理事、政治学者・岩田温 - 産経ニュース
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2024/3/18〜

3月18日 朝の電車で大阪のホテルの予約もキャンセルした。 やっぱりへとへとが慢性化してしまっていて、よくしてもらっている職員さんから、疲れてる?大丈夫?と声をかけてもらう。
色々悲しくなっているところに、不意に人事異動の通達もあり、気持ちの持ち方が行方不明。 十分すぎる予告はあったし、待ち構えていたけれど実際に通達されると驚いてしまった。 悲しいとかではないけれどショックだった。
大阪にも行けないし、なんか職場にあまりいたくなくて明日は行くつもりでなかった出張へ出向くことにしてしまった。
お財布はやっぱりクリーニングに出しに行きたい服を入れたトートバッグに入れたままだった。

3月19日 人事異動の通達によって、今のお仕事のことで一喜一憂していた時間にも線引きがされた。 と、いってもやっぱり引き続き気になるものは気になるし、でももうあなたの考えるところではないから!と社会の側から無理やり思考をストップさせられている気もして、本当、お仕事のことで悩んだりしない方がいいな、と思った。
明日からの大阪行きを見送ったことを、大阪の友人へメッセージをしていて、全てに落ち込んでいるところで乗り換え駅にいいちこのポスターを見つける。 いいちこも春になっていた。 出張で都内に出たことで、このポスターを2連で掲示しているところに2回で会えた。
出張先ではまた今日も空回り元気な感じを、返事すらまともにできないおじさん達の中でやってきた。とっても疲れた。なんでだよ!ってたくさん思ってしまった。
出張先のまちは古紙の回収日で、年度末だからか教科書やノートがたくさん並んでいた。その内の“先輩の本棚”という本(教科書の副読本?)が気になった。 植物がいつも素敵なお屋敷は玄関横にミモザがかざられていた。 もしかしたらこの出張先にも来なくなるのかな、と思って、何もないまちに唯一ちょっと素敵なお菓子屋さんがあるのを気になっていたので帰りに何か買って帰ろうと思ったら火曜日が定休日。 クリオロという目黒とかにもお店がある洋菓子屋さん。
仕事のことや大阪行きがなくなって当てもない有休になってしまった木曜日のこととか、いろんなことを考えて職場へ戻ったところで一期下の方に遭遇。 「異動されるんですね、大丈夫かな、と思って…」とお話しして下さった。大丈夫じゃないなんてこと言ってられないと思っていたみたい。本当は大丈夫じゃなくて、そう言ってもらって少し泣きそうになった。 つみたてNISAのことを教えてもらったりと、よくしてもらっている異動先の部署の職員さんから「公私共によろしくね」と話しかけもらう。
空には月が半分くらいで、大阪旅行のお供にレンタルしたCONTAXで撮っておいた。 陸橋の上でセルフタイマーで写真も撮った。 全然楽しくなかった。 撮るたびに、先日のポートフォリオレビューで「フィルムで撮る意味って?」と言われた言葉が頭にアナウンスされてしまうようになった。
unextにたくさん面白そうな映画があって、でもリストに入れるだけで何も集中してみることができないんだろうな、と虚しくもなる。
どうしてこうなってしまったんだろう。

3月20日 今日はなるべく何もしないように気をつけた。 気をつけたけれど、毛布の洗濯や部屋の掃除や冬物のクリーニングやヨガや無印良品週間有効活用や久しぶりのカレー作りなどをした。
隣駅の目星をつけていたクリーニング屋さんへ、enfoldのコートなどを持って行った。 そしたら、また、こちらもシャッターが下りていてお休み!でもよく見渡したら道を挟んだところにもクリーニング屋さんがあり、そちらに出してみた(こっちは木曜定休とのこと)。 そのあと駅の反対側を少し歩いたら、またクリーニング屋さんを見つけた。 いつも気にしないでいたけれど、乗り換え駅の周りにはこんなにたくさんクリーニング屋さんがあったなんて。

なるべく何もしない、かつなるべく早め早めに生活のことを済ませようといつもと違う時間のスーパーでお買い物をしていたら、久しぶりにお隣さんに会ってしまった。かなり距離があったのに、見つかったし見つけてしまった。
大島さんが大阪で展示をされる情報を見つけ、やっぱり4月中の普通の土日にリベンジしたい。 普通に、普通に出かけてしまいたい。

無印良品でタッパーを買い直して久しぶりにカレーを作った。作業的には作り始めから片付けまでかなりいい感じでまとまった感じで作れたのでよかった。それと本物の生姜を買ってみた(いつもはチューブ)。
明日は起きれたら美術館へ行って、異動や退職される方へ渡したいお菓子を買って、ロッカーに入れる新しいフレグランスタグを買いたい。
夕方から天気が二転三転して窓の外が忙しそうだったけれど音楽を聴きながらカレーを作っていたのでそれどころでは無かった。 でも春みたい、と思って、窓の外の土手がもうだいぶ黄色いことに気がついた。春でした。

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職場で鉛筆落書き
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いまの世の中の風潮的にこういう言い方をすると色々と問題になってしまうのかもしれないけれど、僕は昔から女性が苦手で、いや、苦手というか怖い存在と言った方が良いかな。フェミニズム云々とかではなく、対峙したときに生き物として畏怖の念を抱いているというか、純粋にかなわないと思ってしまう。これは男女という性別には関係のない話やけど、人って打算的やし残酷でしょう。たまたま僕はこれまでの人生でそういう女性と多く出会ってきたから、ある種のトラウマになっているのかもしれない。文筆家OBATA LEOはそんな僕が素直に話ができる数少ない女性のひとりで、彼女が自主制作しているZINEを読んだとき、年齢や性別に関係なく、この人とはもっと話がしたいと思った。だから今回のインタビューで彼女の素顔に少しでも迫っていけたら嬉しいし、それによって僕自身がトラウマを克服できたら最高!

〔土井〕 そんな訳でLEOちゃん、今日はよろしくお願いします。あなたの素顔に迫りたいということで、いきなりで申し訳ないんやけど、LEOちゃんはメイクは念入りにする?それともスッピンでも平気な人?
{LEO〕畏怖の念というの、当たり前かもしれませんが自分はあまりピンとこず、それはさておき、話したいというのはとても嬉しいお言葉です。土井さんに対する自分の思いは話し出すと長くなるのでここでは割愛しますね(笑)。インタビューの最初の質問って、文章の書き出しと同じでその後の流れを決める置き石のようなものですが、無駄のない場所に置きはったなという感想です(笑)。メイク、友達や知り合いや初対面の人と会う日、休みを満喫するぞって日は絶対めっちゃします。でも誰とも会う予定ない日は日焼け止めすらせず出かけてますね……。本にも書いたんですけど、メイクって自分にとっては、したくてやってると言い切れるわけでもなければ、したくないのに嫌々やってるとも言い切れるわけでもない、微妙な行為で。川上未映子の『乳と卵』という作品で、豊胸手術について、「それは社会に思い込まされてるんや」という意見と「自分がしたいからするんや」という意見が対立して決着がつかない、という場面があります。自分もフェミニズムというものを知ったとき、そういうジレンマに陥って、なんなら「社会に思い込まされてることを全て取り除いて真の欲望を見つけたいと思う」みたいな文章まで書いたんですけど、今となってはそんなことは不可能やしあまり意味もないのかもと思ってます。
〔土井〕うーむ、良いね、出だしからヒリヒリとした緊張感があるわ、前回の小野ちん(moanyusky)のときとはえらい違いや(笑)。そう、でもやっぱりメイクって自分のなかでは割と重要で、メイクは女性だけに限った話ではないとはいえ、やっぱり男性でメイクをする人はまだまだ少数やし、僕らおっさん連中のほとんどがむき出しの顔面を晒して生活してしているのに対して、女性の多くはメイクで日々、自分の顔を変化させることができる。メスで皮膚を傷つけることなく、その日の気分で変身できるというのは、なかなかにショッキングなことで。『乳と卵』は僕も大好きやし、未だに川上未映子の最高傑作やと思ってる。あそこで描かれる能動的か受動的かという問題、実はタラウマラのご近所さんで実際に豊胸手術をした主婦の方がいて、その人は旦那が胸が大きい方が好きなんだろうと思って実際にやってみたら実は旦那の好みはそうではなかったと知って、めちゃくちゃ後悔してはった。旦那を喜ばせたいという自発的な想いが発端とはいうものの、その背後には無意識に旦那の好みに寄せていくという受け身な態度が窺い知れる。しかもそれが思い込みやったとなれば更に話がややこしくなる。ほんま人間はどこまで能動的に振る舞えるんやろうね、甚だ疑問やわ。そう言えば『乳と卵』のなかに巻子と緑子という親子が互いに自分の頭で玉子を割ってドロドロになる描写があったやん。あれって卵子を破棄したいという願望の現れやと思うねんけど、LEOちゃんの最新作『目下茫洋』のなかにも子宮を爆弾に例えて「それを運び続けることが、すなわち生きることになっている」という強烈な表現があってゲロ吐きそうになってん(賛辞)けど、それ以外の箇所も含めてあきらかに前作『ROLLER SKATE PARK』とは異質の内容になってると思う。前作から今作に至るまでの期間に何か心境の変化のようなものがあったの?
〔LEO〕なるほど!!いわれてみればストレートな比喩やのに、卵の場面でその解釈を思いつきませんでした……!殻が割れるというのが、二人の心の殻が割れるってことを暗示してるんかなぁと思ってました。あとはその卵を体にぶつけて割るという非日常的である意味馬鹿らしい行為を共有することで、関係も変わったんかなぁとか。そもそも、あの話でもなんで巻子が豊胸手術をしたいかっていうのは謎なんですよね。他の人とその話をする機会があったときに聞いた意見で妙に納得したのは、豊胸手術をすれば全てが上手くいくという願いみたいなものがあったんじゃないかというので、それは実際の土井さんのご近所さんの話を聞いて、改めて重ね合わせてしまいした。旦那さんを喜ばせるためには、豊胸手術をする以外の形もあったはずやのに、それが選ばれたという事実について、考え込んでしまいます。ZINEの内容としては、『目下茫洋』の原稿を書き始めたのは、『ROLLER SKATE PARK』と同じタイミングで2022年の9月です。でも最後の最後まで完成しきらず、また最初に出す作品で「女性の書き手」というイメージをつけたくなかったので、別の機会に回すことにしました。一年��って、やっと踏ん切りがついたので、今回出したというような感じです。なので、心境の変化は特にないですね。それどころか、2022年の9月に書きはじめるときにも、2020年とかもっと前に書いた別の原稿を原型にしたので、むしろ『ROLLER SKATE PARK』の方が異質な内容といえるのかもしれません(笑)。

〔土井〕そうなんや!あの2冊は同時期に書かれたものなんや!それはびっくり!あれをがっちゃんこして1冊にしないところがニクいね(笑)。でも「女性の書き手というイメージをつけたくない」という気持ちはわかる気がする。社会そのものが「女性」というイメージを操作する機械やとしたら「女性」の書き手にとってはこのことほど煩わしくて鬱陶しいものはないよね。機械についてはドゥルーズの言葉を引くしかないけど「一方の機械は流れを発する機械であるが、他方の機械は、この発せら��た流れを切断する機械である。乳房は母乳を生産する機械であり、口はこの機械に連結されている機械である」っていう、何回読んでもきちんと理解できないドゥルーズなりの概念があって、さっきの能動的か受動的かという話に戻るけど、要するに手を取り合ったかと思えば手を離すということをひたすらに繰り返すってことやんな(違ってたらすみません!)。『ROLLER SKATE PARK』が流れを発する機械やとしたら『目下茫洋』は、この発せられた流れを切断する機械やという感じかな。でもあれは確かにぶった斬りにきてるよね(笑)。そもそもLEOちゃんが「能動的」に文章を書きはじめた、あるいはそれをzineにしようと思ったきっかけは何なの?
〔LEO〕機械の例えはほんまにそうですね……。操作できないレッテルを貼られた箱のなかに勝手に分類されるときの無力さは筆舌に尽くし難いものがありますね。ドゥルーズのその文、帰り道で何回も考えてみたけど難しい(笑)。能動と受動に関しては、自分も全然答え出てないです。「能動的に」文章を書きはじめたきっかけやZINEにしようと思ったきっかけもいまいちはっきりとはしてなくて。文章は小学2年生くらいに挿絵つきの物語を書きはじめて、3年生くらいのときに大学ノート一冊分くらいの勧善懲悪的な物語を書いてたのは憶えてます。子供向けの賞にも応募したことあったような。中学生のときは音楽の感想を書くブログに熱中してて、高校生のときは今もたまに更新してるはてなブログで書いたり、掌編を書きかけては筆を投げたりしてました(笑)。大学に入ってからも、気づいたらtumblerやGoogleドキュメントやノートに文章を書いてて、なんか書こうと思って書くよりは気づいたら書いてる(書かないとやってられない)って感じで、それこそわりと受動的な部分や習慣の部分が多いと思います。ZINEは大学に入る前から出してみたいと思ってたんですが、なかなかまとまった文章を書けずにいて、最後のひと押しをしてくださったのは他ならぬ土井さんです!
〔土井〕え、ほんまに!なんにせよLEOちゃんの文章が世に出るきっかけになれたんやったら、素直に嬉しいわ。それにしても小学校低学年から物語を書いてたというのはすごいな。僕は二十歳のときが最初で、司馬遼太郎の『燃えよ剣』をまんまギャングの抗争に置き換えた内容で(笑)。いま思い返してみてもほんまに恥ずかしい!でもその恥ずかしさの先にしかいまの自分の作品はなかったなぁとは思う。そういう意味でも勧善懲悪の物語を経た、いまのLEOちゃんが書いた小説を読んでみたいな。エッセイや日記はもちろん素晴らしいけど、僕はやっぱり根本的に「嘘」が好きやから、あなたの「嘘」つまり小説が読んでみたい。そう言えばLEOちゃんとはじめて会ったときに別役実の『ベケットといじめ』という本をオススメしてくれたやん。後に僕がイジメ体験者であることを知って、めっちゃ気にしてくれてて、ええ子やなって思ってん(笑)。あの本のなかで中野富士見中学で起きた「葬式ごっこ事件」を題材に、自殺した被害者も含めてあそこに関わった全員が何らかの役割を演じていたという指摘があったけど、いまでいう同調圧力、それかやっぱりドゥルーズの機械云々がふたたび頭をよぎる。まさにLEOちゃんの言う「箱のなかに勝手に分類される」感じで、そういうのは決して珍しいことじゃない。むしろいまを生きる者みんなが何かしらの役柄を演じてると言えなくもないし、ちょっとゾッとするよね。そう言えばLEOちゃんは『ベケットといじめ』の解説を書いていた宮沢章夫さんの演劇に役者として関わったことがあるんやろ?そのときのこと詳しく教えてほしいな。
〔LEO〕いや〜話したことに対してこんな熱量で返してもらえるのに「インタビュー」って、改めてすごいです(笑)。初めに書いたのがギャングの抗争やったんや、面白い!「その恥ずかしさの先にしかいまの自分の作品はない」ってほんまに間違いないですね。まぁ自分はまだ青二才なので、今も恥を塗り重ねてる最中ですけれども(笑)。���説、実はまさに一昨日書きはじめたところです。今回2作目のZINEを出してみて、いわゆるエッセイの形では今自分が書きたいことを表現するには限界があるなと感じて。それで、題材は現実からとるにしても、嘘の物語を書いてみようと思いました。「ベケットといじめ」のその指摘は本当にぞっとするところですよね。個々の人間の強い意志や悪意じゃなくて、場の雰囲気が人々に演じさせ、死にまで追いやるという。演劇については、当時はあまりピンとこなかったというのが正直なところでした。でも今の話でいうと、ちょうど先生の演劇に出る前に、友人が主宰してる劇団のワークショップで「目の前の相手を馬鹿にする」という演技をしたときに、普段とは違う強い言葉や嘲りの語調が自分の上に現れてきたのはびっくりしました。「役を演じる」というのは、それほど力のある怖い行為なんやと思います。「ゴドーを待ちながら」では、少年の役だったんですが、「わざと演じようとしなくていい」と言われていたので、演じるという感覚はあまりなかったし、思わず感情移入するような話でもないので、台詞をどんな風に言うべきか迷ってました。ご期待に沿えず申し訳ないのですが、実は当時の稽古のことよりも、帰ったらなんか焦りながら新書を読んでたことの方をよく憶えてます(笑)。当時はわかりやすく言葉の形で手に入るもの(知識)だけが価値あるものやと思ってて。小説という表現や、役者の人が身体に蓄えてきたものの豊かさとかに、全然思い及んでなかったです。教授としての宮沢章夫に5年も習ってやっと、価値あるものは世界のどこにでも遍在してるんやということに気づけました(笑)。先生は、街をフィールドワークさせたり、好きなものについてプレゼンさせたり、昔の映像を見せたり音楽を聴かせたりと、いわゆる「学問」的なアプローチではない授業をやっていました。それを勘違いして「楽単(単位をとりやすい楽な授業)」として舐めた態度で授業を受けてる学生も多かったですが、実際のところ受け身でも何かが身につくように親切に教えてくれるわけではなくて、街をフィールドワークする授業では、自分で実際に歩くことでしか見つけられない視点を得てきたかというところを厳しく見ていました。印象的だったのは、ただ通行人が新宿の駅前を歩いてるだけの映像を3分間くらい見せたあとに、先生ひとりが「面白いよねぇ」と笑っていたことで、このニュアンス伝わるかわかりませんが、この人は皆に全然見えてないものが見えるんやなと(笑)。

〔土井〕めちゃくちゃ興味深い話がいっぱいなだれ込んできた(笑)!LEOちゃんの小説、それはヤバい、楽しみすぎる。日記専門店「日記屋 月日」でディレクターをしている蟹の親子さんともよくこの話をするねんけど、やっぱり僕らは「ほんまもんの嘘」を肯定できなくなったら終わりやと思うねん。いまはどちらかと言えば「嘘」は「フェイク」と貶されて、「ほんま」は「リアル」だと厚遇される。僕はどうしてもそういう価値観とは相性が悪い。本来フェイクかリアルかみたいな単純な二項対立からは逃れたところに小説の「語り」はあると思うねん。せやから「あの登場人物のモデルは誰ですか?」とか聞かれても返答に困ってしまう(笑)。「目の前の相手を馬鹿にする」ワークショップの話もめっちゃおもろいな。そこでLEOちゃんの脳みそに降りてきた罵詈雑言の数々……どんな感じやったんやろ、想像でけへん(笑)。『ダークナイト』でジョーカーを演じたヒース・レジャーもまさに同じような境地に立ったんとちゃうかな?ふとしたきっかけで自分のなかの底なしの悪意に気がついてしまうことはある。たまたまレジャーはそこから戻ってこれなくなったのかもしれへん。僕は『ダークナイト』が大好きなんやけど、何が凄いってジョーカーが自身の口が裂けた原因を語る場面で、あるときは「親父のせいでこうなった」と言い、また別のあるときは「妻のせいでこうなった」とか言うねん。めちゃくちゃ怖いやん。しかも最後まで明確な根拠が提示されないままに映画は終わる。「何らかの要因があって、こうなった」というのは、あらゆる物語にとって逃れ難きテンプレートやと思うけど、ジョーカーにはそれがない。すべては突発的に、因果関係なしに起こり得る。笑い飯の漫才にも優しいおばあちゃんが自分の畑の土から出てきたモグラをスコップで叩き殺す、みたいなネタ(哲夫が披露した「すべらない話」かもしれない)があったような気がするねんけど、ああいうのが一番怖い(笑)。ある種の物語に依存している人たちは何でもかんでも原因があって結果が生ずることを求めるけど、実際は人間ってそんなにわかりやすいものでもないやん。恨みとかなくても笑いながら人を刺す奴も絶対おるで。例えば自分の作品でいうと『JAGUAR』の終盤で前後の脈絡なく唐突に「常温でも冬場なら五日、夏場なら二日は日持ちしますよ」みたいな語りが出てくるねんけど、あれはほんまに自分でもわけがわからない(笑)。なんのこっちゃさっぱりやで。でも日常生活においては別に珍しいことでもなく、普通に歩いていても突然色んな言葉や考えが降って湧いては消えていくやろ。だからあのまま残してん。なんかLEOちゃんの話を聞いていると、宮沢章夫さんは講義や演劇を通じて学生たちにそういうことを伝えたかったんちゃうかなぁって思うわ。そうそう、あとあなたを見ていていつもハッとするのが印象的なファッション。すごく似合っているし、魅力的やと思うねんけど、あの独特のファッションは自分なりに考えがあってのことなん?
〔LEO〕「フェイクかリアルかみたいな単純な二項対立からは逃れたところに小説の『語り』はある」っていうの、ほんまにそうですね。小説のなかは独自のルールで動いてる一個の世界で、どんなに現実っぽい見た目してても現実ではないから、それを現実の物差しで測ってリアルか否かを問うのはなんか違うなと思います。その映画は知らなかったんですが、毎回別の説明するのめっちゃ怖いですね(笑)。宮沢先生は演劇も笑いもいわゆる「不条理」な感じなので、近いと思います。因果関係については、小説書きはじめてみてもう早速ぶつかってる壁です。いや、読んでる側のときはなんでもかんでも因果関係で解明しようとする読みはつまらんのちゃうかと思ってました。例えば、夏目漱石の「こころ」でなんで先生やKが死んだのか?みたいな問いって、物事の因果関係の層で片付く問題じゃないと思ってて、仮にあれが個別の具体的な人間に抽象的な概念を象徴させてる話なんやとしたら、そこで出来事だけ追って説明しようとするのってナンセンスやんと思ったり。でもいざ書こうとしてみると、なかなか因果関係から逃れるのって難しいですね。「すべては突発的に、因果関係なしに起こり得る」っていう土井さんの捉え方は、もしかしたら他者の捉え方を反映してるのかなって思いました。tumblerの記事とか読ませてもらってても、勝手に合理的な説明を作って納得しようとしたりするよりかは、他人は他人でわからんもんやって大前提がある気がして、清々しいなと思います。ひとが皆、自分が理解できるような形で自分の行動の意図を説明してくれるわけじ���ないですもんね。ファッションは自分なりに気を遣ってるところではあります。顔が地味やから、せめて服だけでも派手にしよう、みたいな(笑)。でもZINEでも書いたみたいに、本来の自分を「粉飾」してる感覚で、つい服を買ってしまうけど、常に微妙な引っかかりがある。真剣に服が好きな人とは対立する価値観やと思うんですけど、服(やメイク)って所詮は見た目のところでしかなくて、本当に大事なものは精神のところにあるんやとも思ってて。だから、いつか坊主にして毎日同じ黒のシンプルな上下を着るみたいな日々を送れたらなとも思うんですけど、なかなか踏ん切りがつかないでいます。
〔土井〕嫌や!LEOちゃんが坊主の黒服は何でか知らんけど嫌や(笑)、ってこれも勝手な理想の押しつけやねんなぁ。ほんますんません。うちの奥さんもたまに「坊主にしたい」とか言うときがあって「嫌や」って言うたら「自分は私が嫌やって言うてもタトゥー彫ってるやん」って怒られる(笑)。人間って自分勝手やな。ファッションに関連した話で、今年の8月に大阪の音楽イベントに出演した韓国のDJ SODAさんが性被害を受けた事件があったやん。DJ SODAさんの身体に故意的に触れた奴が「あかんことをした」というのは大前提にして、僕はあのDJ SODAさんのファッションやセックスアピールと誤解されても仕方がないようなジェスチャーがとても怖い。彼女は「私は服を選ぶ時、自己満足で着たい服を着ているし、どの服を着れば自分が綺麗に見えるかをよく知っているし、その服を着る事で自分の自信になる」と言うていたけど、やっぱりそれを目の当たりにすることによって気まずさを抱える人間や、性的に興奮してしまう人間がいることも頭の片隅に置いとかないとあかんと思う。もっと言えば、彼女が派手なメイクや衣装で自身のスタイルの良さを際立たせれば際立たせるほどに、別のタイプの女性に劣等感を抱かせはしないか?僕はやっぱり筋骨隆々な男を見るのが苦手で、なんとなく目を背けてしまう。でも街中には肉体美をこれみよがしに見せつける看板を掲げたジムがどんどんできて、筋肉バカが量産される、あっ、さすがに言い過ぎた(笑)。これは僕の偏見に満ちた感想なんやけど、男女問わずキラキラした連中って、すぐに群れるし、意識的であるにせよそうでないにせよ他を排除しようとするやん。あいつイケてない、キモいとか言って。DJ SODAさんたちのようなポップアイコンの無自覚な言動が世の中に優劣の基準を植え付けて、新たな弱者を生んでるような気がしてならへん。まぁ、だからって胸を触る行為が許される訳ないし、そんな奴はどつかれたらええねん、とは思うけど(笑)。とにかく一般的に言われる強者、弱者という区分には違和感しかなくて、それは常に変動するものやし、それぞれの局面によっても変わってくる問題やからね。スーパー銭湯やホテルが刺青やタトゥーを禁止にしてるところが多いけど、僕は仕方のないことやと思う。入浴のわずかな時間に刺青だらけの奴の人間性なんか知ったこっちゃないし、ほんまは優しくて良い奴やねんとか言われても、見た目には威圧感しかないから。LEOちゃんは同性の立場からDJ SODAさんのことはどう捉えてる?
(LEO〕そうですね……。それほど詳しくないですが、現代らしい出来事やなとは思ってて、自分のなかでもいろんな考えが交差してます。DJ SODAさん個人に対して思うことは特にないですが、その人に限らず、自分を綺麗に見せたいという欲望や見た目を通して自信を得るというあり方を正々堂々と公言する風潮には違和感を感じますね。それは必ずしも社会の大多数が肯定すべき「潔白」で「正しい」価値観ではないはずです。そもそも「美しさ」は必ず「醜さ」を前提としていて、美しくあろうとすることは、他者よりも優位の場所にいたいという薄汚い欲望が剥き出しになってるあり方だと思うので。土井さんの言うように、実際にそういうものを見て、性的な興奮や気まずさを感じる人も居るわけですし、決して手放しにいいね!ってなるようなものではないと思います。と言ってみて、自分が服を買うときに感じる後ろめたさの理由がさらに明確になりました笑 つまり、自分もアプローチは違えどDJ SODAさんなんですよね。ただ自分としては、自己満足でやってるというのを、「自分が好きで能動的に選んでる」という意味で捉えてるので、他者にどう思われるか・どう扱われるかというところまで受け入れなあかんとは思っています。いや正味なところ腹がチラッと見えるような服を着てるからって腹触られたらキレてしまいます、でも腹を見せる服を着ることで自分は何を表現しようとしてるのか?って考えたら、ほんまに後ろめたい汚れた答えしか出てきません。「腹を見せるのは自分のスタイルが良いのを誇示したいから」→「スタイルの良し悪しは自分の努力で決まったわけではない」→「ほとんどただの遺伝要因にすぎない要素を自分のものかのように誇示してるのはさすがにダサすぎる」→「でもこの服を着ると自分の気分も上がるし」→「その『気分の上がり』は詰まるところ優越感だよな」→「いやでも実際これを着ていくと評判もいい」→「その『評判』に何の価値がある?」…みたいな問答を繰り返しながら、結局のところ快楽に溺れてる情けない人間です。そういう「屈託」(グレーゾーン)の部分をどんどん取り払って、ポジティブを装っていくような風潮があまり良いとは思えないですね。お風呂のタトゥーは少し違う部分もあるけど、威圧感を感じてしまう他者がいるという点では似てますね。
〔土井〕そうやなぁ、タトゥーも含めてファッションってほんまに難しいよね。そこにはやっぱり今回の僕らの話の裏テーマ的にもなってる能動的か受動的かという話と切り離せない問題やと思うし、そこには確実に実在しない何者かによる「まなざし」がべったりと貼り付いてる。ちなみにほんまの余談なんやけど、いまや作業着も私服もまったく同じで毎日同じ服装しかせえへん僕も、実は服飾専門学校に通ってた時期があって、結局なんぼやってもまつり縫いができへんくて早々に中退してん。ほんまこれどうでもええ話やったわ(笑)。とにかく今回のインタビューで気がついたことがあって、LEOちゃんのなかにも男性性があるし、僕のなかにも女性性があるということ。それが順繰り自分でも気がつかないうちに小刻みに切り替えが行われてるんちゃうかな。だから自分の行動や考えにも常に違和感がつきまとう。さっきようやくその結論にたどり着いた自分はもはやいまの自分ではないから、どうやってその結論に至ったのか、いまとなっては到底わかわからない、みたいな(笑)。その果てなき違和感に決着をつける術が僕の場合は小説なのかもしれへん。決着というか、違和感を違和感のまま提示できる裏ワザのようなもんかな。生きてたら矛盾だらけやけど、その矛盾をそのまま置いてみたり、別の角度から眺めてみたり、転がしてみたり、味見してみたりできるのが小説やな。さっきのファッションに関するLEOちゃんの問答なんて、すでにめちゃくちゃ小説的やと思うねん。小説って何も起承転結があって、ある地点で発生した問題を最終地点に送り届けて解決することが目的ではなくて、語りそのものの躍動こそが本来の醍醐味やと思うから。俗にいう解決しない物語は、独りよがりな問答から始まる。だからやっぱり僕はこれからあなたが書き上げるであろう「嘘」が楽しみで仕方ない。今回は色々と突っ込んだ話ができてほんまに楽しかった。そもそも関東から関西に戻って来たばかりで仕事も執筆活動も大変なときに時間を割いてくれてありがとう。そんなわけで最後の質問、いまのLEOちゃんの最大の楽しみは何ですか?それが聞きたい。過日Gerald MitchellのDJで踊るあなたはめちゃくちゃ楽しそうやった!
〔LEO〕なるほど……面白いです。自分のことだからって自分で全て把握してるわけでもないんでしょうね。自分(私)は把握できてると思い込んでたけど、それこそ小説を書きはじめてから深層心理を掘り返すような作業に早速飲まれてて、全然把握できてないことを思い知らされました(笑)。小説って面白いですね。いまは書き急がず、もっといろんなものを読んでみようと思ってます。最大の楽しみ!確かに音楽を聴くのはとても好きですが、最大と言われるととても難しい(笑)。若干ズレてて恐縮ですが、布団でまどろんでるときと良い夢をみてるときが一番幸せですかね。最後こんなんですみません、こちらこそ貴重な機会をほんまにありがとうございました。今後は自分が土井さんを個人的に質問攻めにさせてください。この長いインタビューを読んでくださった方もありがとうございました!
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土地建物を自主管理している大家です。こちらの引用の入居者様がお亡くなりになり、その後の処理を進める中で、残されたお部屋の収納の奥から身元不明の御遺骨(本骨と胴骨)がでてきて、大変困りました。後悔の記録。 この入居者様がお亡くなりになった。 今さっき最後の病院に行ってきたのだが、相談員さん曰く、「本人が希望されていた終活はできただろう」とのことで、それだけはよかったけれど。 お医者さんほどではなくても、生活を支える不動産管理の仕事をしていると、人の儚さを痛感する機会は多いね。 まず、引用ツリーでは触れていなかったのだけれど、今年1月に一瞬入居者様(おっちゃん)がご帰宅されたタイミングがありました。 その際に僕は大家業の仕事の中で一番嫌な仕事をした。つまり、「賃借人死亡時に退去とし、残置物も放棄する」旨の退去届を預かった。 当日は大変気が重かったのだけれど、入居者様は「病院まで何度も来てもらって助かりました」「(亡くなった時は)迷惑かけるけど宜しく頼みます」と署名してくれた。足がかなり痛むようだったけれど、思っていたよりはお元気で、もう少しで退院できるのではとも思った。 先にお伝えしておくと、この入居者様はもともと仕事熱心な方だったのだが、ご持病で生活保護をうけていた。そして、親族はもういない、と聞いていた。(ちなみに保証会社にも入っていない。滞納は一切なし。きっちりされた方) で、先程の引リツの日。病院の相談員の方から「よくない話なんですけど」とお電話をいただいた。「ご親族ではない方に、あまり伝えるべきではないのですが、大家の◯◯さん(僕)には早めにお伝えしようと思って」 足を切る手術の前日に急に容態が悪くなって、お亡くなりになった。そうか、、、。 前述の退去届を預かっていたからといって、問題は全く簡単ではない。特に残置物は賃借人が所有権放棄していても、相続人に相続されるので、全相続人の意思確認が必要。通常だったら、親族を特定して、連絡を試みて誰が死亡届を出すかで揉めて(死亡届を出さないと法律的には死亡していない。 経験上大家になりがち)、火葬して、並行して本籍しらべて、相続人を特定して、という仕事があるが、今回は生活保護者だったので役所がある程度担ってくれる。 役所からの連絡を待つこと1ヶ月。(その間、部屋はそのまま。ゴミも冷蔵庫の中身も部屋にそのままにしておくしかない) 3月上旬に連絡があった 相続人は1名、曰く 「一切関知しない、相続しない」「そっちで勝手にやって。賃貸契約は終了、残置物勝手に撤去して」「もう連絡してくるな」 という感じだったらしい。困った。書面はまずもらえない。相続財産管理人の選任申立ては予納金30万くらい、下手したら1年くらいかかる。コストと時間、、、。 再度、役所の担当者に相談したら「先方の様子的に、大家さん側で処分していただいてもいいと思います。」「本人様も同意されていることですし」との見解をもらう。そこで3月xx日相談残置物を保管すること、それ以降に処分することを、を相続人に伝えてもらうことにした。 (この部分の判断についてはすみません。適切ではないかもしれません。) そして、xx日になって、1時間かけて貴重品等は無いことを確認し、ひたすら写真に記録したあと、業者さんに事情を説明して残置物を撤去してもらった⋯⋯。 業者「すみません、さすがにこれは回収できません」 収納の奥から身元不明の御遺骨(本骨と胴骨)がでてきたのだ。大きい胴骨箱と小さな本骨箱。 ない、ない、ない。。。。別で保管していた書類はノートなどばかりで、ない。「死体埋葬・火葬許可証」が、ない。ご位牌などもなく、誰のものかもわからない。いつのものかもわからない。これはマジでやばい。遺骨は祭祀財産だ。(法定相続とは別枠 「(おっちゃん、それは聞いてないよ⋯⋯)」 撤収する業者。部屋中央にぽつんと残る、本骨箱と胴骨箱。手を合わせる。どなたのものなのか。。。 そして記録を残しておくため、バチがあたるかもと思いながら写真を撮る。時間を記録する。 まず、地元の警察に電話。若そうな方がでてきたので、今までの経緯を説明。すると「お部屋の中ですし、拾得物でもないんでー。大家さん側でなんとかしてくださいー」 マジか。(連絡した記録を残す 役所に電話。 僕「ご遺骨が発見されました、こればっかりは相続人様にもう一度連絡してください!!」 役「わかりました。でも恐らく難しいと思います。また連絡します。」 (数日後) 役所「全くダメでした。」 僕「⋯⋯御遺骨、どうしたらいいでしょうか」 役所「⋯⋯大家さん側でなんとかしていただくしか。こちらではなんとも。」 これは完全にまずい。お部屋にそのままにはしておけない。 (誰のものかわからないが、おっちゃんの親族、大切なひとのものなんだろう。ご両親か。箱の新しさからご兄弟か) 生活保護者で身寄りがない場合、ご遺骨は1年斎場に保管されて、その後、地元で有名な寺Aに納骨されるらしい。「納骨するなら同じ寺にしてあげたい」 寺Aに電話してみる。おじさんがでる。 寺A「胴骨は無理」「今は3寸 9cmくらいの本骨箱のみ」「え、身元わからない?え、死体埋葬・火葬許可証がない?そんなの、まずどこも受け入れられないよ。無理」 僕「⋯⋯。」 そこからひたすらネットで「無縁遺骨、納骨、引取り」で調べて電話しまくる。 が、全て「死体埋葬火葬許可証がないと無理」 13件くらい電話をかけて、諦めた。いや、諦めたというか、大きな寺やネットに綺麗なwebがあるようなお寺はそもそも無理だと思った。地元に根付く、小さなお寺を、足で探すべきだろうと思った。 そして、昨日、朝からgoogle mapを頼りに、近隣の寺をまわる。1件目、受け入れていない。2件目、 許可証ないと後々トラブルになるから無理。3件目、住職不在。1日では見つかるわけないか。もう昼過ぎ。4件目、インターホンを押す。女性の返答。 住職の奥様らしき人がでてくる。 「どうされました?」 今までの経緯をすべて話す。警察や役所に相談しても難しかったこと。埋葬許可証がないこと。 なんとか納骨、供養してあげたいこと。 奥様「うちは無縁さん、5万円かかりますけれど」 僕「(!!!)お願い致します」 奥様がご住職を呼んで説明する 住職「それはお気の毒に。。大変ですね。今回はもう1万円のみいただけたら、寺の中央の無縁さんのところに納骨させていただきますよ」 僕「ありがとうございます」 住職「1時間後、14時に持ってきていただけますか」 僕「ありがとうございます」 有難い。急いで物件に戻り、紙袋に御遺骨をいれて、引き返す。袈裟に着替えた住職がでてきてくれた。無縁墓に向かう。 住職がお墓を道具をつかってあけていく。遺骨は横の台におかせてもらう pic.x.com/aGkt2BlPvB 住職「本骨と胴骨、一緒にして大丈夫ですか。」 僕「はい」 住職が胴骨箱から収骨袋を出す。 住職「これ下から支えるようにして持ってください」 僕「はい」 そのときの胴骨収骨袋の、御遺骨を支える手の感触。なんとも言えない。そのお寺が浄土真宗だったので、南無阿弥陀仏と唱えながら持っていた。 住職が本骨を胴骨の収骨袋におさめる。全部はいった。住職に収骨袋を手渡す。その時、胴骨箱内側の一番底に折られた紙が見えた。まさか。 死体埋葬・火葬許可証だった。 ごめんなさいごめんなさいごめんない。信じられない。ここにあったのか。ごめんなさい。内容を確認すると入居者様の2つ上の姉だった。13年前に亡くなっていた。 弟と一緒の寺Aに本骨だけでも納めることができたのに、、、別々にしてしまった、、それまで「身元不明の御遺骨」だったのが どなたのものかわかると、重い罪悪感で苦しくなってきた。取り返しのつかないことをしてしまった。 お姉さん、おっちゃん、許してく��⋯⋯。住職の御経、ご焼香をする。手を合わせる。 失敗した気がする。適切でもなかった気がする。今回ばかりはバチが当たらないようにと祈るしかない。おわり。 補足です。一番神々しかったのはご住職。僕の話をそのまま聞いて、本当にすっと、受け入れてくださった。その時点では誰の遺骨なのかも分からず、許可証もないのに。拝む気持ちになった。(おまけに最後やはり1万円では悪すぎると思い、お札数枚を手渡そうとしたら「いや1万円で結構」と言われた。
XユーザーのKeitom土地が好きさん
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インクの耐光性
万年筆ユーザーになって20年経ったことに気が付いた。20年?? まじか。
万年筆を日常使いしている。ボールペンで書くべき書類はボールペンで書いているが、万年筆は常に2本はインク入れてデスクに置いて使っている。予定もアイディアも各種のメモやなんかも万年筆で書いている。その他のペンも普通に使うが万年筆も常時スタンバイしてあるという状態を20年続けた。
私は昔文具業界にいて、万年筆を売っていたため売るためには商品の理解をせねばならないので使いはじめた。なので、おそらく万年筆まわりのことを全く知らん人に比べたら知っている方で(商品解説とかも年単位で書いていたので)、ゴリゴリの万年筆オタクよりはライト、という感じだと思う。現在は文具業界にいないので、最近の流行は追っていない。ハンズやロフトや文具店で並んでるのを見て「カジュアルな商品増えたな~」とぼんやり見ているぐらいだ。
昨今「インク沼」みたいな言い方で、万年筆インクを万年筆での筆記以外でいろんな楽しみ方をされている人が多い。画材として使われることもあるが、その中で時々話題になるのが耐光性のことだ。
退色の速さは「絵」は「飾って見るもの」としての役割があるため光にさらされる量が多いことに原因がある。現在流通している万年筆インクは基本的には染料インクなため、そもそも耐光性はあまりない。万年筆用顔料インクもあるし長期保存用公文書向けみたいなインクもあるが、お絵描きなどで使われやすい透明感あるカラフルな色たちは染料インクだ。なので光には弱い。光にさらされた場所では爆速で退色していくだろう。
とはいえ、手帳やメモやちょっとしたスケッチで万年筆を使っていて「昔書いたものが消えてる!」という経験はない。昔の手帳を開いて普通に読める。これは「書いたものを飾っておく」ことはしていないからである。帳面を閉じて収納しておくと光に当たることがないからである。あ、でも蛍光インクとかはあんま使ってないからわからないな。ペリカンから蛍光マーカー風に使えるハイライターインク出てたと思うがああいうのの持ちはどんな感じなんだろうね。 染料の話を詳しくやろうとすると化学反応がどうとか分子がどうとかの話になるのでこれ以上踏み込むのはやめる。
「常時見えるところに出しっぱなし」でないなら、時間経過で色が消えちゃう! ということはそんなに顕著に起こることではない。50年100年残そうと思ったらまた違うかもしれないが。最近はめっちゃ淡~い色の万年筆インクも増えているのでそういうのの経年退色具合はわからないが、万年筆メーカーから出ている文字筆記を前提とした基本色な万年筆インクはだいたい安定している。写真アルバムのように、たまに見返すものとしてならある程度長期間保持できる。要は「光に当てない」だ。
インクの話をしたが、紙のほうも長期保存に関しては重要で、紙の劣化も結構早い。インクの色はのこっていても紙が酸化して黄ばんだり保管状況が悪いとカビたりする。耐光性よわよわ前提のインクは「光に当てない」で延命させられなくもないが、紙の質が悪いと物体そのものが劣化する。 作品を長期保管するのに適した手段は、「アシッドフリーの紙を使用し、湿度・温度が安定した暗い場所で保管する」。これは万年筆インクで書く用途に限らず、絵や標本物や書籍や書類や「ちゃんと残す」ことを目的にしたものなら必要なことだ。
というわけで(?)、私が20年ほど前に帳面に万年筆で書いた適当なスケッチとメモです。私は文字を書くためにインクを選ぶので明るい鮮やかな色や淡い色はほとんど使ってない。暗めの色が多いので鮮やかな色の劣化具合というのはあまり参照できないが、手帳やノートに書く用途なら全然普通に色は残るよ。


これは10年ぐらい前

ちなみに紙はスピカ レイドボンド。
インクの色は普通に残っているんですが、さすがに経年で帳面の天・地・小口は黄ばんだりシミができたり劣化している。紙の筆記面は大丈夫でも、帳面を閉じた状態で光が当たるフチ側は劣化するので。(目で見ると一目瞭然なんだけど写真にとるとよくわからん感じなので画像はないです)
長くなったので雑にまとめますが、「万年筆用染料インクも光に当てなければまあまあ長期間持つよ」です。
繰り返してしまうけど最近流行りの淡い色の万年筆インクは昔はあんまりなかったし使ってきてないのでわからん。最近少し使ってみているので、色がちゃんと残るかどうかはまた10,20年後になってみないとわからん。
あまりにも当たり前のこと過ぎるのであれなんですが、光に当てつづけるとたいていのものは劣化します。印刷物だって普通に退色するからね。屋外掲示物用に使われる耐紫外線インクで印刷するならそれなりに持ちはしますけども。
あと染料ではなく顔料だとしても、薄めて塗ったり書いたりすると耐光性は下がるので淡い色の絵はだいたい光に弱い。顔料の密度・濃度で耐えているだけなので厚ければ強い、薄ければ弱い。
顔料とか染料とか原材料・種類によって耐光性に差はあるけどすべてにおいて絶対言えることは、「作品を大事に思うなら光に曝し続けるなちゃんとしまえ」。光が当たらず適正な湿度と温度が保てるとこにしまいましょう。あとは作品が完成したら写真を撮るかスキャンしてデータにして残せ。印刷して複製を作れ。
美術館とかは客としていくから作品等を「見る場所」と思ってしまうけど、博物館施設の根本は「ちゃんとしまっとく場所」だからね。残したければちゃんとしまおう。
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ミュシャ展 マルチ・アーティストの先駆者

天童市美術館で「ミュシャ展 マルチ・アーティストの先駆者」を見た。
ポスターのデザインは、山形市にある東北芸術工科大学のグラフィックデザイン学科の学生によるコンペで決まったものとのこと。このような地元の大学との協働はとてもいい取り組みだと思う。「選択と集中」などという益体もないお題目が聞こえてくることもままあるが、選択も集中もさせず全国各地津々浦々に大学やミュージアムが存在することが大事。

展示は、ミュシャがパリで生計を立てるために始めた挿絵の仕事から始まる。
雑誌の表紙。


書籍の挿絵。

書籍の表紙。

ポストカード。

蔵書票。

挿絵の次は華やかなポスター類のコーナー。



《スラヴ叙事詩》展のポスター。

これはチェコの作曲家たちを描いたカレンダー。

四季の連作装飾パネル。

ポスターの次は生活の中のデザイン。下はレストランのメニュー。絹に刺繍をしたもの。

有価証券。ミュシャに詳しくなかったので、このようなモノのデザインも手がけていたのかと驚いた。

紙幣や郵便切手。

切手。

パッケージデザインの数々。

箱の形で展示ケースに収まっていたものも。

立体もある。贈答用品や装飾用品。



このあと、ミュシャがごく若い時期��描いたものが少数展示されていた。この下の写真は初恋の人のイニシャルをデザインしたものとか。

ミュシャのノートの複製。

挿絵やポスターのような複製を前提とした仕事が目立つミュシャだが、素描や油彩など、いわば一点ものも残っている。最後のコーナーではそのような作品が集められていた。素描が特に気に入った。
本番では不採用になった習作。

この下2点、若くない女性がモデルなのはめずらしい気がする。


働く少女2点。


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