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#ハナ肇とクレージーキャッツ
japanesesketchfan · 3 months
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日本無責任時代 Nippon Musekinin Jidai
(Japan's Inresponsible Era) (1962)
A story of the rise and elopement of an unidentified irresponsible man named 平 均 Taira Hitoshi(meaning "average" in Japanese).
ハナ肇とクレージーキャッツ(Hana Hajime and Crazy Cats) is Japanese jazz, band, comedy and singer group in 1960s.
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fa-cat · 10 months
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「アダモちゃん」で人気、島崎俊郎さんが急性心不全で死去、68歳
 民放のバラエティー番組「オレたちひょうきん族」などに出演し、「アダモちゃん」のキャラクターで人気を博したお笑いタレントの島崎俊郎さんが亡くなったことが7日、分かった。68歳だった。 関係者によると、島崎さんは6日に都内の自宅で倒れ、救急搬送されたが、病院で死亡が確認されたという。死因は、急性心不全だった。数日前から体調不良を訴えていたという。 島崎さんは、1973年にお笑いタレントを目指して上京。クレージーキャッツのハナ肇さんの付き人となった。1979年に川上泰生、小林すすむと、お笑いトリオの「ヒップアップ」を結成。ギターを手にした歌謡コントで人気となり、漫才ブームの1980年に、お笑い番組で勝ち抜き、人気を博した。その後、島崎は「アダモちゃん」の人気キャラクターを確立した。 2012年5月には「ヒップアップ」メンバーの小林さんが胃がんで58歳で亡くなっている。
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liliyaolenyeva666 · 4 years
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🎼 00129 「あの頃」。
古書店で「レトロ」って文字に惹かれて 清野恵美子さんといふ方の 「昭和レトロ語辞典 (講談社 2007年)」 といふ本を読んでみることにしました。「昭和」 に流行したことばや文化が それなりに ぎっしり詰まっている この本は、昭和30年から 42年までの レ��ロなトコロがステキに書かれていました。この本の その続きがあるのでしたら(調べていないので どうか分かりませんけれど) 読んでみたいなって思っています。えっと この本は 大まかに 6つの章に分かれています。ほんのりと触れてみました。
1955
「押し屋」。
わたしの腐れ縁アメリカ人作家 キングの "デスチェインもの" に登場する 最低なおじさんのことを思い描いてしまいますけれど、朝の通勤ラッシュが ラッシュ過ぎてどうにも止まらなかった時代、閉まらない電車の扉を どうにかしていた駅員さんたちのことを言っています。さうさう、近頃は 腕章を付けた アルバイトな学生さんをホームで見かけなくなりました。
1956
「一億総白痴化」。
テレビばかり見ていると!マンガばっかり読んでいたら!なんてこどものころに良くいわれましたけれど、カニバル・コープスばかり聴いていたら!澁澤龍彦さんばかり読んでいたら!なんて誰にもいわれませんでした。元々は 大宅壮一さん (1900 9/13 - 1970 11/22) が生み出したことばです。
「ケ・セラ・セラ」。
ある日の 5月にいなくなった "ドリス・デイ(Doris Day。1922 4/3 - 2019 5/13)" が アルフレッド映画の中で 歌っていた曲です。なるようになるさ。なんて意味かなって思います。
「ゴジラ」。
この本によると 身長150m、体重25000トン となっていました。
「事実は小説よりも奇なり(と申しまして)」。
「アメリカ同時多発テロ」 や 「ケネディ大統領暗殺事件」、または うちで 必要なときに限って ふっといなくなる レコードや文庫本などを差しているのでしょう。
1957
「三種の神器」。
ガンダム、ガンタンク、ガンキャノンのことをいいます。または テレビ、洗濯機、冷蔵庫かなって思います。
「挽歌ブーム」。
チョウ・ユンファの映画のことではなささうです。原田康子さんの恋愛小説から火がついたラ・ブームのやうです。
「ミゼット」。
堤真一さんが とある三丁目か四丁目の映画で 怪獣らしき生物から逃げ惑う時に爆走していました、可愛らしい三輪トラックのことです。ダイハツ工業の製品です。
1958
「セシール・カット」。
"ジーン・セバーグ(Jean Seberg。1938 11/13 - 1979 9/8)" が出演した映画 「悲しみよこんにちは」 でのセシール役な彼女の髪型 (めっちゃショート) のことをいいます。ゴダールの 「勝手にしやがれ」 の髪型の彼女のほうがわたしはキュートだと思う (役的にも) のですけれど 「パトリシア・カット」 は流行らなかったみたいです。
1959
「カミナリ族」。
ラムちゃんや マイティ・ソーのことかなとも思いますけれど、オートバイをバリバリ言わせながら走らせていた うる星やつらのことをいいます。
1960
「インスタント時代」。
気づくと無くなっている わたしのお給金のことです。
「勝手にしやがれ」。
ジュリーの曲ではなく、ここでは ゴダールの映画のことを言っているやうです。わたし「ジャンプカット」ということば (手法) は この映画で知りました。ジャン=ポール・ベルモンドが くゆらせていた 太めの煙草の格好良さに惚れ惚れします。
「だっこちゃん」。
ツクダオリジナルって響きすらも懐かしい、ツクダのスリムなバーバママのやうなビニール人形のことです。結構長い間おもちゃ屋さんの隅に ぶらりゆらりと ぶら下がっていたやうな気もするのですけれど、この頃は とんと見かけなくなりました。
1961
「地球は青かった」。
ソ連の宇宙飛行士 ユーリイ・ガガーリンが語った有名なことばです。ここでガガーリンが嘘でも 「地球はヤバかった」 って言ってくれていたら もっと世界は違う感じになっていたかもしれません。
1962
「スモッグ」。
スモーク + フォッグ = スモッグ。
「ハイ それまでよォ」。
きっとおそらく ハナ肇とクレージーキャッツの曲のことを差しています。
「女子学生亡国論」。
こんなことばが流行った時代がありました。女学生が 国を駄目にしたり滅ぼすやうな国が もしもあるのであれば それまでかなって思いますし、映画化がすぐに決まるでしょう。
1963
「巨人 大鵬 卵焼き」。
この時代に こどもたちが大好きだったもの。
「シェー」。
赤塚不二夫さんが生み出した とあるキャラクターの口癖です。わたしは イヤミがとても苦手で、おそ松くんは 自分から進んで見ません。
「鉄人28号」。
大友克洋さんの アキラのこと。元々の原作は 横山光輝さん。
「なんである アイデアル」。
植木等さんが出演した 「アイデアル洋傘」 のコマーシャルのことです。いまはもう無いみたいで、残念に思います。
「BG」。
Business Girl、つまり OLのことを言います。ボーイ・ジョージ (Boy George。1961年生まれ 双子座) のことではないやうです。
1964
「みゆき族」。
銀座の "みゆき通り" に群がった若者たちのこと。一昔前、わたしは 「みゆき座」 には よく群がっていました。日比谷、東京宝塚劇場と帝国ホテルの向かい、日比谷映画の隣にあった映画館です。階段を降りる感じがとても優雅で素敵に思える映画館でした。いい映画館だったのですけれど、今はもうありません。
1965
「エレキブーム」。
東宝怪獣 「キングギドラ」 が巻き起こした一大ムーブメントのことを言います。ギドラが放つ "引力光線" に 寺内タケシさんや 加山雄三さんらが痺れまくりました。
1966
「シュワッチ」。
M78星雲から はるばる来たぞ 我らのウルトラマンが 気が向くと発することばです。馴染みのあることばですけれど、意外と その意味が分からなかったり。
1967
「おらは 死んじまっただァ」。
有名な早回し曲、ザ・フォーク・クルセダーズの 「帰って来たヨッパライ」 です。加藤和彦さんは 本当にしんじまいました。
「これでいいのだ!」。
バカボンよりも バカボンのパパよりも 天才だった 赤塚不二夫さんが生み出した天才漫画 「天才バカボン」 に登場する バカボンのパパの口ぐせです。
「リカちゃん人形」。
1967年生まれの 香山リカちゃんは 年齢が変わらないみたいですけれど、それなりに昭和を知っている すてきな娘さんです。
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sumikko-antena · 3 years
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【芸能】 高木ブー 寝ちゃった? サイン本お渡し会中 まさかの「だめだこりゃ!」な姿に大爆笑
高木ブー ドリフ加入後もしばらくは「高木智之」の芸名で活動していたが、のち「高木ブー」に変更。「高木ブー」の芸名については、ドリフとして所属する渡辺プロダクションの先輩である「クレージーキャッツ」のリーダー・ハナ肇から、「お前は太っているからブーでいいや」という一言で、本名の「高木」に「ブー 38キロバイト (4,583 語) – 2021年6月28日 (月) 09:05 (出典 static.chunichi.co.jp) おじいちゃんだから仕方ない (出典 【芸能】 高木ブー 寝ちゃった? サイン本お渡し会中 まさかの「だめだこりゃ!」な姿に大爆笑 [朝一から閉店までφ★]) 1 朝一から閉店までφ ★ :2021/07/05(月) 08:44:33.94 2021.07.05  お渡し会の途中で居眠りしてしまう高木ブー=東京・八重洲ブックセンター本店 (出典…
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kazuyoshi1000 · 7 years
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ハナ肇とクレージーキャッツ(ハナはじめとクレージーキャッツ)は、日本のジャズ・バンド、お笑いタレント、歌手グループ。クレイジーキャッツと表記される場合もある。 元々は「キューバン・キャッツ」の名で活動を開始したが、進駐軍のキャンプ回りをしていた際、演奏中に洗面器で頭を叩くギ...
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otarulove · 5 years
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〈お元気ですか?今日は、何の日・〉 おはようございます! 「お呼びでない?こりゃまた 失礼致しました!」 終日、曇り、最高気温21℃の予報 です。 1961年の私の生まれた今日は、 日本テレビで シャボン玉ホリデー が 放送された日です。1972年10/1まで 第1期として 放送された音楽バラエテ ィ番組です。 日曜日の18:30からの30分、 白黒だったけど楽しい昭和の時間 でした。ザ・ピーナッツさん ハナ肇とクレージーキャッツさん。 スポンサー探しは 難航を極め、 牛乳石鹸がしぶしぶ行いましたが、 番組名のホリデーは 電通の堀 貞一郎氏から、牛乳石鹸への 売り込みの労を労い、 堀 貞(ホリテイ)から ホリデーとした話は、有名です。 おかゆコントや、「安田!」の キントトコントなど、 小学生の私の笑いネタになる 大切な 昭和の番組のひとつです。 今日もいろいろ頑張ります。 If were the last day of my life, I want to do what I am about to do today? よろしくお願い申し上げます。 http://www.sunny-deli-secco.com/ #小樽市 https://www.instagram.com/p/ByQ6M2LBwurmkRiMJckBmdvOU38HhP3b0zuuuo0/?igshid=98wua11s9v76
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team-ginga · 6 years
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あんたの知らない明日もある
 このところ私はバイオリズムが下がっていますが、妻も同じで、特に今日は浮かない顔をしています。
 訳を聞いてみるとーー
 娘が昨日、進学が決まっている大学の課題(自己推薦入試で11月末に入学が決まったので、そういうものがあるのです)を郵便局に出しに行った際、ふと机の上をみると、同封しなければならないアンケートが残っていた。「忘れたな」と思ってつい怒りそうになったが、ぐっとこらえて帰ってきた娘に「アンケートを忘れたんじゃない?」と尋ねると、娘は「アンケートは送った」と答えた。机の上の書類をよく見ると、それはアンケートの問いが書かれた用紙で、提出するマークシート用紙とは違うものだった。
 「娘は結構きちんとやっているのに、信じられないワタシは母親失格だ」と妻が言うので、私は「そう言えば、そんな歌があったね」とクレージー・キャッツの「ひとこと文句を言う前に/ホレ親父さん/ホレ親父さん/あなたの息子を信じなさい/ホレ信じなさい/ホレ信じなさい」という歌を歌いました。
 妻はその歌を聴きたいと言ってYoutubeで検索しました。そしたらーーちゃんとあるんですね。
 タイトルは「学生節」。作詞は西島大、作曲は山本直純。1963年発表。歌うはもちろんハナ肇とクレージーキャッツ。
 二番の歌詞に「ひとこと文句を言う前に/ホレおふくろさん/ホレおふくろさん/あんたの娘を信じなさい/ホレ信じなさい/ホレ信じなさい」とあるのは初めて知りましたが、それ以上に感心したのは「あんたの知らない明日もある」という歌詞があったことです。
 これいい歌詞だなあ。
 だって素敵じゃないですか、私の知らない明日が私の子どもたちにあるなんて。
 いや、それを言えば、子どもだけではありません。この私にだって私が知らない明日があるかもしれない……私は「より良き明日」などというものは信じませんが、それでもそう考えるとなにやらワクワクします。
 相変わらずバイオリズムは低迷を続けていますが、ほんの一瞬心が安らいだ次第です。
追記:
 ちなみに「学生節」の三番は「ひとこと文句を言う前に/ホレ先生よ/ホレ先生よ/あなたの生徒を信じなさい」、四番は「ひとこと文句を言う前に/ホレ恋人よ/ホレ恋人よ/あなたのハートを信じなさい」と続きます。
 軽佻浮薄な歌だと思っていましたが、どうしてどうして、なかなか深みのある歌ですね。
**********
 演劇ユニット・チーム銀河×モンゴルズシアターカンパニーは毎月第4日曜の14時に大阪・四ツ橋のイサオビル2階ホールで新作『リハーサル』をロングラン上演中です。
 次回公演は2月24日(日曜)です。
 また、それと並行して『改訂版・オズの部屋探し』も毎月第3土曜の18時半に大阪・緑橋の杉浦実業株式会社2階会議室でロングラン上演中。
 こちらの次回公演は2月16日(土曜)。フランス語字幕付きで上演いたします。
 みなさまのご予約・ご来場をお待ちしております。
 詳しくはこのサイトの「次回公演」のページをご覧ください。
『リハーサル』http://toura-h.wixsite.com/team-ginga/blank-10
『改訂版・オズの部屋探し』http://toura-h.wixsite.com/team-ginga/jikai
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nozacs · 6 years
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mybt-wp · 7 years
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武田鉄矢の昭和は輝いていた
9/8に放送された第194回 「武田鉄矢の昭和は輝いていた」は 「ハナ肇とクレージーキャッツ」だった。録画したそれをまた見返したおかげで、「スーダラ節」「ハイそれまでョ」「無責任一代男」が 今週の脳内ソングに。
無責任シリーズの映画で初めて植木等さんを見たので、「クレージーキャッツのリーダーで歌える俳優さん」という誤ったイメージを持っていたが、この番組で全く違うと知った。
リーダーは別の人で映画には他のメンバー全員が出ていて、そもそも元々は歌手志望で(「だからあんなに歌が上手いのか!」とここで納得)、バンドではギターを担当していたと。役者じゃなかったというのにも驚いたが、ギタリストだったというのにもっと驚いた。
でも一番の驚きは、この番組ではないが映画で 「ハイそれまでョ」 を聞いた時だ。底抜けに明るいおじさまというイメージを持っていたので、 曲の歌い出しを聞いた瞬間「何!? え、ええ!? どういうことだ、凄く上手い!? てかこんなシリアス調な曲、しっとり歌える役者さんだったんだ!?」 となったのを今でも覚えている。 失礼な奴でしかない。
「おとなの漫画」に出演していたと紹介されていたところで、とある人物の白黒写真の顔だけを見て「すぎやんに似てる」と思って見ていたら、まさかのすぎやまこういち先生でこれまた驚いた。「椙山 浩一」と書かれていても、すぎやん先生はもう「すぎやまこういち」名義でしか目にしたことがなかった為、漢字で書かれてもピンとこなかったんだよなぁ……。
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yabunirami · 5 years
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【Crazy】てなもんやのクレージー
yabuniramiJAPANとして「てなもんや三度笠」のことは書かせてもらったのですが、今回はクレージーキャッツに焦点を絞って書いてみたいと思います。 クレージーキャッツ単独として、またはメンバー個々に「てなもんや三度笠」に何度出演したのかはつまびらかではありません。 この番組はマニアのような人が現今非常に少なく、また放送リストのようなものも公開されていないので、公式非公式問わず放送リストは存在しないってことになるわけで。(もちろん澤田隆治はデータを持ってるんだろうけど) 『植木「『てなもんや』にも僕ら出してもらいましたよ。クレージーキャッツ全員で」』(「文字起こし「植木等 X 藤田まことin 1991」」・1991年9月22日放送「花王ファミリースペシャル・皆んながお呼びです!植木等のスーダラ伝説」からの書き起こしより) この流れの後、「てなもんや三度笠」のVTRが流れたのですが、それはクレージーキャッツ出演回でも植木等出演回でもなく、藤田まことと財津一郎のシーンだったんです。 だから、アタシはこれを見て、ああもう、クレージーキャッツ出演回は現存しないんだと思っていたわけで。そりゃあ、出演シーンがあればそれを流すでしょ普通は。 1970年代までのバラエティ番組の大半は消去されており、「てなもんや三度笠」も原則、ディレクターの澤田隆治が<個人的に>VTRを購入し、録画したものしか残っていません。ちなみに、Wikipediaによると再生可能なVTRは34本らしい。 300回以上の放送回数を誇り、その中で約1/10しか再生出来ないVTRの中にクレージーキャッツが出演した回があるとは思えず、もっと言えば澤田隆治がVTRを購入したのは番組の末期だということを考えても、可能性は皆無に近いんじゃないかとね。 というのもね、これは何で知ったか、たしか「植木等ショー!クレージーTV大全」の調査の時だったと思うけど、どうも1965年前後にクレージーキャッツ全員で「てなもんや」に出た、というのはわかった。わかったんだけど、それ以上がわからない。「てなもんや」の場合、サブタイトルから出演者をはかるのは不可能であり、もしかしたらゲストまで書いてくれてたテレビ番組欄もあったかもしれないけど、あの時はあまりにもスケジュール的にタイトで調べ切れませんでした。 ただ、1965年前後というと、どう考えても澤田隆治がVTRを購入する前であり、現存する可能性は限りなくゼロという判断をするしかなかったんです。 ところがです。澤田隆治が<個人的に>録画した以外にもたった一本、キネコという形で残っており、それは過去に一度だけメディア化されたことがありました。 実はこのキネコにはもう一本記録されていて、今回時代劇専門チャンネルでその回(第164回「賤ヶ岳の夢」)が放送された。これが何とクレージーキャッツ出演回だったんです。 それにしてもこんな偶然があるか。現存する映像はコレを除いて、そして再生可能不可能問わずすべて200回より後の回で、1~199回の、いわば「てなもんや」が脂が乗った頃で現存するのはたった一本。まァいや1/200の確率でクレージーキャッツ出演回が残ってたんだから、クレージーキャッツフリークにとっては奇跡以外の何物でもありません。 さて肝心の内容ですが、ちょっとビックリするほど面白かった。あくまで現存する映像だけの比較になりますが、もしかしたら「シャボン玉ホリデー」よりも面白いかもしれない。 ま、言うまでもなく「てなもんや」は関西コメディです。しかし、例えば吉本新喜劇の中にクレージーが混入しているみたいな違和感はまったくない。つかこれは本家でも書いたけど、そもそも「てなもんや」自体、かなりモダンな方向性の番組で、それこそ吉本新喜劇とは根本的に異なります。 まず香川登志緒による台本がすごい。つかキャラクターの割り振りが完璧なんです。谷啓によって全体像が作られ、犬塚弘が全体の進行をやり、桜井センリがそのサブ。そこに植木等が登場することで<状況>が生まれる。さらに安田伸が進行させるキャラになり、ハナ肇の登場でドラマが大きく動き出す。それに拍車をかけるのが石橋エータローっていうね。 つまりメンバー7人を誰も余すところなく完全に使い切っているんですよ。 それに澤田隆治がクレージーの登場に嬉々としているのがよくわかるのがウレシイ。 澤田隆治はクレージーを買っていたというか、「ニッポン無責任時代」を激賞していました。だから何度も失敗を繰り返していた映画版「てなもんや」で、たった一本古澤憲吾が監督をつとめた作品(「幕末てなもんや騒動」)が作られる時に「古澤憲吾さんが監督をされるなら」と素直に喜んでいたらしい。 点数が辛いことで有名な澤田隆治が、一部のファン以外からの評価が低い古澤憲吾を買っていたのはちょっと意外な感じがします。しかしそんな澤田隆治だからクレージーのキャラクターを完全に掌握した上で演出したことは確実です。 とくにすごいのが植木等の登場シーンで、あのオーラの出方はちょっと「ニッポン無責任時代」のファーストシーンを彷彿させる。マジでこれを見るだけで植木等が<スター>ではなく<スーパースター>だったのがわかるくらいでして。 歌も(おそらく現場録音で)歌っており、まずは谷啓が「ホンダラ行進曲」を歌いますが、1コーラス目(レコードテイクで植木等が歌った歌詞)を歌うのが非常に珍しい。 植木等の「ゴマスリ行進曲」は、まァいつもの感じですが、動き回りながら歌っているのが可笑しい。 最後は、これはアタシも結構ビックリしたんだけど、ハナ肇と石橋エータローで「悲しきわがこころ」を歌ってるんですよ。「悲しきわがこころ」は映画の中で歌われたことがなく、映像で歌唱シーンを見るのは初めてだった。 それだけでも新鮮なのに、石橋エータローが映像付きのソロで歌っているのも、たぶんこれが唯一じゃないでしょうか。 他にもオープニングの似顔絵とか、石橋エータローのジャズ喫茶時代を彷彿とさせるようなハッチャケぶりとか、植木等とハナ肇の息の合い方とか、書き出せばキリがないほど見どころ満載で、いちクレージー��リークとして、こんな映像が現存していたことに感謝したい。 未見の方、これは絶対に手元に持っておくべき映像ですよ。
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wasite · 6 years
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WASITE.store 2018.11.07 now OPEN 今日の海 今日は、ラマン! といっても、映画の「ラ マン」で有名な 「愛人」 じゃありません。 爽やかな朝、そんな下ネタに走るわけないじゃないですかー。 (このSNSはブログにも共有され、私の親も見ております) ラマンはラマンでも、 アジア人初のノーベル物理学賞を受賞したインドの 「チャンドラセカール・ラマン」 130年前の今日、ラマン氏は生まれました。(~1970) 「ラマン効果」 というのは、 まず光を物質に入射します。 で、光は散乱します。 その散乱した光の中には、 もともと入射した光の波長と異なる波長の光が含まれる! といような現象を発見し、 ラマン氏の名前を冠する物理効果として世界に認められました。 素晴らしい!!! この物理の効果は、今では物質分析に利用されています。 光が物質によって「ラマン散乱」したときに現れる 「光のスペクトル」(見た目や数値パターンみたいなの) これは、物質の構成分子によって違うから、 このスペクトルを調べることで、 謎の物質がなんなのか?っていう分析が出来るってわけで、 すげぇのは、 気体、液体、個体 全部わかる! ラマンにはお見通し! そっか、ラマンはわかってた。。。 わかってたはずなのに、最後に涙を落とすラマン。(あ、これは映画の方ね) わかっちゃいるけど・・・ やめられねぇ! と歌ったのは「スーダラ節」ハナ肇とクレージーキャッツ! 「わかっちゃいるけどやめられない!」 〜これは人間の矛盾をついている!〜 こう言ったのは浄土宗の僧侶をされている植木等氏のお父上で 「親鸞の教えに通じる!これはヒットする!」 と励まされたんだって!実際に大ヒット。 人間の矛盾というのは、人の関心と人気を集めるものかもしれない。 人は多くの矛盾を抱える生き物です。 そこに光を当てたら、映る影やラマン散乱で、 何かがわかるかもしれない。 まぁ人の心は物質じゃないからね。 代わりに出て来ちゃうのが、涙。 「きらり」 と光る涙には、いい恋も見つかるでしょう。 今日も、良き日を。 #WASITE #ワシテ (Wasite) https://www.instagram.com/p/Bp3SYggjm9l/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=19lgcyzdafhfs
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gagdrama · 6 years
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ハナ肇とクレージーキャッツのオシャレなユーモア。
・言葉がないのに伝わる!
・ビジュアルだけで伝わる面白さはMr.ビーンズに通じるものがある。
・ハエたたきでドラムを叩き、更に叩いたハエを食べちゃう。
・すご〜〜く気が抜けた演奏。これだけで面白い。
・急に歌い出す。と思ったら「あああ〜驚いた〜」ズートピアの怠け者だ!
・散々ふざけてからの、軽快な音楽。このメリハリはずるい。
・ドラムが話と話の間を区切るスペーサーの役割を果たしている。
・アメリカ的な音楽の中に、日本のおっちゃん的音楽も入ってきて洒脱。
・日本のとぼけたオッチャン精神と外国の文化への憧れのごった煮。
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sighkingu · 11 years
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クレージーメキシコ大作戦 (Mexican Free-for-All aka Operation Crazy Mexico) (1968; Tsuboshima Takashi)
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yabunirami · 6 years
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【blog】やるねヱ!トモロヲ!
『とんでもない。その時点でかなりの有名人です。おそらく監督の友人かなんかで特別出演みたいな感じだったんでしょうね。ちなみに僕の役名が「客H」で、その人は「客I」だったんで、僕の方が格上だと言いふらしてました(笑)』(2013年1月20日更新「アタシが始めて映画に出た日」より) これはアタシがピンク映画のエキストラとして出演した時のことを書いたエントリの一節です。 この時はボカして書いたけど、この映画で<客I>を演じた俳優は田口トモロヲだったんです。 田口トモロヲ?そう、あの「プロジェクトX」でナレーションをつとめた、あの田口トモロヲです。 これはWikipediaで知ったんだけど、この人元は漫画家だったらしい。しかしアタシが知ってるのは役者になってからで、塚本晋也監督の「鉄男」で一気に注目俳優に仲間入りしました。 ちなみに上記ピンク映画が作られたのは1990年代前半であり、「鉄男」は1989年。つまり田口トモロヲはすでにかなりの知名度があったわけでして。 アタシが最初に田口トモロヲを認識したのは「シャボン玉が消えた日」というスペシャルドラマでした。 タイトルからも何となくイメージ出来ると思いますが、これは伝説的バラエティ番組「シャボン玉ホリデー」の裏側を描いたドラマで、「シャボン玉ホリデー」の代表的な作家である青島幸男(演・萩原流行)とその弟子でやがて優秀なコント作家になる河野洋(演・永島敏行)の関係が縦軸になっていました。 クレージーキャッツの<リーダー>であるハナ肇を演じたのはコント赤信号の<リーダー>だった渡辺正行、谷啓役は小倉久寛(これは意外と良かった)、犬塚弘は嶋田久作が演じていましたが、これ、植木等役を所ジョージが演じる予定だったんです。事実ドラマの製作が発表された時は「所ジョージが植木等を演じる」と報じられていた。 ところが急に所ジョージが降板した。一説では台本を読んで断ったらしいけど、本当のところは知らない。 そこで代役に抜擢されたのが「鉄男」で注目株になっていた田口トモロヲだったんです。 これも知らなかったんだけど、Wikipediaによれば田口トモロヲは植木等を敬愛していたらしい。だから本人的には良かったかもしれないけど、アタシ的には、やっぱ所ジョージでやって欲しかったなぁと。 以降、田口トモロヲは<アングラ系役者>として地味に活動していましたが(ま、そうはいっても別にアングラ劇団出身でもないし、アングラ志向みたいなのもなかったと思うけど)、「プロジェクトX」のナレーションを担当したことで檜舞台に現れた、みたいになった。 ま、それはいいんです。今回こう言った文章を書こうと思ったのは、田口トモロヲ監督作品にかなりぶっ飛んだからなんですよ。 田口トモロヲが監督をつとめたのは計3本。最新作こそ違いますが、一作目と二作目はいずれもみうらじゅん原作で、どちらも完全な青春映画になっています。 正直ね、今くらい真っ当な青春映画を作りづらい時代もないと思う。つか時代背景抜きに青春映画を真正面から観れる層が相当限られているはずです。 にもかかわらず、どちらも<正調>で描いているのがすごい。つまり小賢しい斜めからの視点を抜いているんですよ。 一作目の「アイデン&ティティ」はロック映画としての要素も強いんだけど、これほどキチンとした青春ロック映画は観たことがない。何度も言うようにアタシはロックには興味ないんだけど、この映画にはロックの良さが全部抽出されているような気がする。 以前アタシは「ロック的思想」ってエントリを書きました。まァたしかにあれだけ読めばまるでロックを馬鹿にしてるように思えるかもしれないけど、好みでないだけでロックはロックとして素晴らしい。つかこの映画を観てもらえればアタシが本当に言いたいことがわかるはずです。 二作目の「色即ぜねれいしょん」はさらに<正調>度合いを増しており、見事な<青春童貞映画>になっている。つか「色即ぜねれいしょん」を観れば田口トモロヲの監督としての力量が嫌でもわかります。 一番感心したのはキャンプファイヤーのシーンで主人公が空気を読めずにフリーセックスがどうたらと語り始めるところです。 こういう「登場人物の行動があまりにも青臭くて見てられない」シーンってのはね、青春映画には必須なのですが、しつこくやられると見てる側が恥ずかしくなりすぎて見るのを止めてしまうんですよ。 「色即ぜねれいしょん」でのこのシーンでも案の定主人公は笑い者になるのですが、「笑われる主人公」の描写の後でサッと切り替えている。つまり恥をかいた主人公の心情描写をしてないんです。 そんなしつこく描かなくてもわかるでしょ?というね、観客への信頼が見てて気持ちがいいんですよ。これが出来る監督って意外といないから。 漫画家からスタートして、ミュージシャン、役者、ナレーターといろんなことをこなしてきた田口トモロヲですが、もしかしたら資質が一番高いのは映画監督かもしれない。 良い意味で役者出身監督にありがちな力みがない。下手な作家性なんてもんにこだわってないところは本当に好感が持てます。作家性なんてくだらないことよりも、どうやったら面白い映画になるのかを俯瞰で見れる人とかなかなかいないんだから。 そういや、「��よっこ」の時に褒めた峯田和伸の役者としての才能���発掘したのも田口トモロヲなんだよね。うーん、やっぱそっちの方が才能あるよなぁ。
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yabunirami · 6 years
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【blog】惚れ込みすぎるのも
たしかに、渥美清は寅さんに殉じ過ぎた、もっと他の役もやるべきだった、みたいな話はよく聞きます。 しかしアタシは天邪鬼なので、ちょっと違うふうに思ってしまう。つまり「山田洋次が渥美清に固執し過ぎたのではないか」と。 山田洋次と渥美清は「男はつらいよ」を始めるまで、ともに「優秀な人材だが、世間的な意味での代表作がない」と目されている人物でした。 渥美清と組むまではの山田洋次はもっぱら「ハナ肇映画専属監督」のような存在だった。「馬鹿まるだし」をはじめとしたハナ肇主演作が「そこそこ」当たったからです。 しかしそれ以上に大きかったのは、ハナ肇が山田洋次の才能に惚れ込んでいたからでしょう。 この時点ではハナ肇と山田洋次では圧倒的にハナ肇の方がネームバリューが強い。「そこそこ」観客が詰めかけたのも「山田洋次監督作品」だからではなく「ハナ肇主演映画」だったからです。 となるとどうしてもハナ肇及びハナの所属する渡辺プロダクションの意向が反映される。ハナ肇が山田洋次を買ってる、となれば松竹としてもハナ肇主演作は山田洋次を監督に据えるしかないわけです。 言うまでもありませんが、ハナ肇はクレージーキャッツのリーダーで、ということはバンドマンだったわけです。つまり「成り行き」で演技を始めただけで根っからの演技者でもなければ、本格的に演技を志したこともない。しかも植木等や谷啓と違って不器用なタイプです。 役柄にハマった時はものすごいエネルギーを発散するが、演技者ではないから幅はすこぶる狭い。すこしでもズレたら稚拙な感じが出てしまう。 その点渥美清は、その達者な演技は若い頃から認められており、「男はつらいよ」という決まった範囲の内容でも幅を出すことが出来る。 実際そうだ違うってことじゃないですよ。でも山田洋次は「渥美清はハナ肇の上位互換」と思っていたんじゃないかと勘繰ってしまうのです。 山田洋次監督・ハナ肇主演映画はどうしても似通った内容になってしまいました。 その理由は、もちろんハナ肇の不器用さもあるんでしょうが、それ以上に山田洋次が「無法松の一生」や「おとうと」や「あにいもうと」の世界観を好み過ぎていたのはあると思う。そういう役柄を演らせている限り、ハナ肇の稚拙さは浮き彫りにはならないわけで、山田洋次にとってハナ肇は「ベストではないがベター」な役者であったことは疑えません。もちろんスターだったハナ肇とコンビを組むからこそ、自分のやりたい作品が作れるというのもあったと思うし。 ところが「男はつらいよ」から「ベターではなくベスト」な渥美清と組むことになった。ま、実際組んでみてベストだとわかったって感じなのでしょうが、ついに自分のやりたい世界観を完璧にやってくれる役者に巡り逢えた山田洋次は「これで、行ける!」という強い確信を抱いたはずなんです。 山田洋次は渥美清に惚れ込んだ。ハナ肇が山田洋次に惚れ込んだ以上に惚れ込んだ。絶対離してなるものか、と。 しかし山田洋次と渥美清がコンビを組む以上、作るのは「男はつらいよ」しかない。松竹としても新シリーズを立ち上げるよりも確実に動員が見込める「男はつらいよ」を望む���当然のことです。 また山田洋次にしても渥美清にしても「男はつらいよ」はけして好ましくない作品ではない。内容的にもですが、何より「男はつらいよ」によって山田洋次も渥美清も不動の位置に押し上げてくれた作品だからね。 渥美清ほどの喜劇役者はいない。山田洋次の中でシリーズを重ねる毎にその思いが強くなったと思うんです。 しかし強烈に渥美清に入れ込むあまり、他の喜劇役者が目に入らなくなったのではないか。渥美清さえいればそれでいい、と思い込み過ぎたんじゃないのか。 渥美清が長い間、これといった代表作に恵まれなかったのは、渥美清に心底惚れ込んだスタッフに巡り逢えなかったからです。 上手い喜劇役者と誰からも認められながらも、渥美清に惚れ込み、渥美清のために映画を作る、というような人に出逢えなかった。「拝啓天皇陛下様」など渥美清を活かした佳作を作った野村芳太郎でさえ、渥美清に惚れ込んで、という感じではなかった。むしろ持て余している、という感じではなかったかとも見受けられる。 映画会社専属ではなかった渥美清は各社を股にかけて主演映画を作っていましたが、こう言っちゃ悪い言い方ですが、渥美清は<その程度>の役者だと見られていたんです。上手いけど、渥美清のために全身全霊をかけて臨む、というほどの存在ではない、と。 山田洋次のやりたい世界観と渥美清という役者とのマッチングは認めるけど、渥美清が他の喜劇役者が眼中から消えるほどの才能の持ち主だったかは、やっぱり疑念が拭えないわけで。 山田洋次が他の喜劇役者にもっと目を向けていたら、何かが変わっていたと思う。実際「おとうと」で主演した笑福亭鶴瓶は山田洋次の世界観と見事にマッチしていたし、こないだも書いた大泉洋も山田洋次の世界観の体現者になりうる人です。 笑福亭鶴瓶にしろ大泉洋にしろ、渥美清死去後に山田洋次が出逢った人です。しかし渥美清存命中にも、もしかしたら「渥美清ほどであるかはわからないとしても、自分の世界観を表現出来る」喜劇役者に巡り逢えたんじゃないのか、と。 何というか、山田洋次が一番脂が乗っていた年齢の頃に、ほとんど「男はつらいよ」しか撮ってないのが、今となってはものすごくもったいないと思うんですよね。山田洋次ほどの才能があれば、まったく違った傑作を生み出せたんじゃないかと。 谷啓主演で予定されながら結果ボツになった映画とか見たかったな。ああいう、山田洋次的でないものを何作か撮れば、また違った展開があったようなね。
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yabunirami · 6 years
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【15thAnniversary】vol 08 アタシが生まれた頃の紅白歌合戦
1969年12月、のちに国民的作品になる一本の漫画が小学館の学習誌で連載を開始しました。 なんて書くと大仰だけど、もちろん藤子不二雄(当時はこの名義での発表だったんだからこれでいい)作「ドラえもん」です。 初期の「ドラえもん」はあまり整合性が考慮されておらず、連載も全5誌での同時開始だったのですが、それぞれ別の物語が用意されています。つまり「ドラえもんとのび太の出会い」は全部で5種類あるっていう。 てんとう虫コミックス1巻に収録されたのは「小学四年生」版ですが、それとは別に4つの始まり方があるわけで、しかしそれらは簡単に読むことは出来ませんでした。 その後「藤子・F・不二雄大全集」に幻の初回もすべて収録されるに至るのですが、2000年代半ばまでは当時発刊された雑誌を古書店で購入するなり国会図書館で閲覧するなりしか読む方法がなかったんです。 たしか1990年代の終わりだったと思うけど、アタシは幻の初回が収録された、1969年12月発行(1970年1月号)の「小学三年生」を古書店で購入しています。 高いってほどでもなかったと思うけど(何しろ背表紙がない)、ま、よっぽど、読みたかったんだろうねぇ。 しかしアタシが刮目したのは「ドラえもん」ではありませんでした。もちろん幻の初回も読んだけど、ああなるほど、と思っただけ。そんなもんだよね。 とにかく「ドラえもん」を差し置いて滅多やたらに面白かったのが、巻頭で特集されていた紅白歌合戦の記事だったんです。 1月号(12月の頭の発売だから校了は11月半ばくらい?)ってことで紅白の「予想」出場歌手の一口コメントが載っているんですが、これが面白いんですよ。 あくまで「予想」なんで、本人に取材しているわけではない。今でいうならトリビア的な話を編集部でこさえた、こさえたっていったら創作みたいだけど、どっかから情報を集めて、あれこれ書いてあるっつー。 ざっと紹介するなら 赤組 ・梓みちよ『ニックネームは「どびんのふた」だって』 ・越路吹雪『100万人にひとりといういいのどだ』 ・森山良子『フォークソングの女王。歌がうまい』 ・由紀さおり『ル、ル、ルの夜明けのスキャットだ』 白組 ・アイ・ジョージ『スペイン人のバンドを作って大はりきり』 ・美川憲一『おりめただしいマナーで有名』 ・千昌夫『高校時代は応えん団のあばれんぼう』 ・三波春夫『きれいな、いしょうで歌いまくる』 ・フランク永井『しぶいのどをきかせるといっている』 「いっている」というぐらいだから「いっている」んでしょうね。他の人はどうかわからないけど、少なくともフランク永井だけはガチってことですよね。 あと「夜明けのスキャットだ」もある意味ガチか。つかもしコメント取りに行って、由紀さおりがいきなり「ル、ル、ルの夜明けのスキャットだ」と言い出したら確実に病院送りですよ。 そういや、ま、さんまの話だから話半分なんだろうけど、さんまと大竹しのぶが付き合ってた頃、大竹しのぶが「実力派女優」という肩書きに憤慨してた、みたいなことを言っててね。 本人的には「美人女優」と書いて欲しかったみたいだけど、どうも美人とは言い難い人にたいして「実力派女優」とか「実力派シンガー」なんて風潮は、たしかにあるもんね。(まァ大竹しのぶは別に美人女優でも問題ない範疇だと思うけど) それと同じニュアンスを森山良子のコメントに感じる。小学三年生向けだから(あとこの時代だから)「歌がうまい」だけど、これってつまり「実力派シンガー」ってことでしょうが。 ま、それでもこの程度なら悪意までは感じないんだけど、ちょっとコワいのが ・佐良直美「ボーイッシュなスタイルがよくにあう」 ・三田明「顔がきれいになったとひょうばん」 対象読者が小学三年の雑誌で、こんなこと書いていいのか?つかこれ、あからさまに悪意込めてるだろ。 まあ佐良直美はわざとじゃないだろうけどね。つか佐良直美が「そーゆー噂」(どーゆー噂かは各自検索してください。ちなみにご本人は完全否定されています)で徹底的にやられて半分芸能界引退まで追い込められたのはだいぶ後の話だけど、それでも、やっぱ、この頃からそーゆー噂があったのかねぇ。 これは余談だけど、2010年に発売された、アタシも少々お手伝いした「植木等スーダラBOX」にね、当初佐良直美さん(ここからゲンキンに「さん」付け)が出演した番組も収録される予定だったんですよ。本人に連絡したらたいそう喜んでくれたそうなんだけど、まったく別の事情で佐良直美さん出演の番組はオミットされた。 ま、アタシのせいでは一ミリもないけど、何だか申し訳なくてね。 歌手としてだけではなく女優さんとしても良かったんだけどねぇ。「ありがとう」なんかでも主演の水前寺清子よりも佐良直美の方が良いもん。 ま、今後もコラム期待しています!ってそれは佐良直美じゃねーって。 何でしたっけ?あ、そうそう紅白でしたね。 もうひとりの三田明のはなぁ。こっちはさすがに悪意ありまくりでしょうが。つか三田明と言えばもともと「キレイな顔立ち」で有名だったんだから、わざわざ「ひょうばん」もクソもないと思うんだけど。 こんなのを読んでしまってね、ああもう、1969年の紅白見たいなァとずっと思ってたんだけど、なかなかビデオが手に入らなくてね。ツイてないのかアタシが録画環境を整えてから、めっきり昔の紅白の再放送をやらなくなったし。 しかし偶然にもその前年の、つまり1968年の紅白のビデオを手に入れた。1968年っつーことはつまりアタシが生まれた年なわけでもありましてね。 見てるとやっぱり思っちゃうんです。アイ・ジョージが出てくると、ああこの人、スペイン人のバンドを組んだのかぁとか、いやそれはいいんだけど、大はりきりだったんだなぁとかね。 もちろん三田明が出てくると、この頃よりさらに顔がきれいになったのかとか。 この年の紅白は完全にコント55号の紅白って感じで、他にも応援団としてクレージーキャッツやドリフターズもで出てきて応援コントをやるんだけど、55号が完全に食っちゃってる。すげぇなぁ55号。なんか若い頃の欽ちゃんって若い頃のさんまに似てるし。 つか1968年と言えばクレージーキャッツの凋落が始まった年で、ゴールデンウィークに公開された「クレージーメキシコ大作戦」がコケて、前年まで「歌手」として出場していた紅白も落選して応援団に回ったと。 とはいえコントの一景として「恋の季節」を歌ってるんだけどね。もちろん替え歌だけど。(「♪ こォいはァ ワタシィのォこォいは〜」が「♪ ゴォリラァ 世田谷のォゴォリラ〜」(←もちろんハナ肇を指す)になるのが可笑しい) アタシ的に一番良かったのは江利チエミのシーンでして。この年の紅白では「八木節」を歌ってんだけど、これがいいんですよ。 しかも思ってたよりかわいいんです。途中で神田の藪そばらしきところから中継が入って、そこのユニホーム(?)を着て江利さんが出てくるんだけど、これが特にかわいい。あんまり見た目的な興味はなかったんですがねぇ。 で、江利チエミといえば美空ひばりなんですが(そうか?)、怖かったねぇ美空ひばり。いやけして美空ひばりも嫌いじゃないですよ。特にジャズナンバーを歌ったのとか好きだし。 でも怖いんです。大トリで出てくるんですが、まったく流れを無視したような登場のしかたで、しかもまったく大トリにふさわしくない歌(「熱祷(いのり)」)を歌うんです。小林信彦の「日本人は笑わない」の中に「お祝いの場でまったく場違いな歌を歌う」美空ひばりの姿が活写されているけど、もうまさにそれですよ。もうなんじゃこりゃとしかいいようがない。 ま、それはともかく、この頃の紅白ってね、素直に面白いんです。 そういや2017年12月に放送された「アナザーストーリーズ 運命の分岐点『紅白歌合戦 知られざる舞台裏』」でね、「昔の紅白は紅組と白組が本当に戦うかの如く殺気立っていた」みたいな話が出てたけど、そういう緊迫感はたしかに感じる。 今は男性アーティストと女性アーティストが仲良くやりすぎで、まるで「合戦感」みたいなのがないし、それなら別に紅白に分ける必要もないんじゃないの?とすら思うもんね。 あと、これも今の紅白にはまったくないことなんだけど、とにかくステージと客席との一体感がすごいんです。 考えてみれば紅白だって客を入れて収録する、一種のライブなわけですよね。そうなると客も出演者の一部なんですよ。 1968年の紅白を見てて痛切に思うのが、ああこの頃の観客って、本当にこの日を待ちわびて、��してこの瞬間を本気で楽しんでいるんだろうなってのが手に取るようにわかることなんです。 もう時代が違うからしょうがないのかもしれないけど、今の観客はもっと醒めてるもん。雲の上の大スターが誕生しづらいという事情もあるだろうけど、興味のあるアーティストには熱狂するけど、あとはどうでもいい、みたいな空気を出しすぎている。 そうなると、どうしても会場が白々とした空気になりやすい。つまり観客自体をどうにかしないと、いくら民放ノリで頑張っても「面白い紅白」にはならないと思うんですよ。 だからさ、もういっそ、開き直っちゃってね、観客全員サクラにしたらどうですかね。お前らギャラ払うんだから、本気の本気で番組を盛り上げろ、と。 つか大物アーティストを招聘したりするより、そっちの方がよほど有効なカネの使い方のような。 (初出 2004年6月15日更新「紅白(2005年に「『小学三年生』にみる1969年の紅白歌合戦」に改題)」、2004年6月18日更新「美空(2005年に「1968年の紅白歌合戦」に改題)」、2009年1月2日更新「やっぱり年の瀬は紅白」他・改稿 2018年7月9日)
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