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#ヒントはピント
moji2 · 5 months
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「ピント」
キレキレッに撮りたいのに、ピントが合わない。AFもなんかいまいち、マニュアルで合わせるも、キタと思っても、ブレブレ
キレッキレッな写真撮りたいな。
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takahashicleaning · 21 days
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TEDにて
ニティシュ・パドマナバン:老眼鏡を含めた未来の自動オートフォーカス搭載メガネ
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
スマートフォンのオートフォーカスの仕組みを応用しています。
私がこれから話したいのは、最も重要な感覚のひとつ。視覚です。毎日、私たちはほんの少しずつ目のピント調節の能力を失っていて、最終的に全く調節ができなくなります。
こういう状況のことを老眼と呼び、世界の20億人が影響を受けています。そう、20億です。もし、老眼の人が身近にいなくて「その20億人はどこにいるの?」 と思うなら、ここで詳細を話す前にヒントを出しましょう。
老眼鏡や遠近両用眼鏡をかけるのも老眼が原因です。始めに、老眼に至るまでどのようにしてピント調節能力が失われるかについて述べます。
生まれたばかりの赤ちゃんは、6.5センチほどの近さまで目の焦点を合わせられます。20代半ばまでには、その約半分の調整能力の10センチ程度までになります。まだ、十分近い距離なのでその差に気づかないでしょう。しかし、40代後半までには、最も近くても約25センチ。
あるいはもっと遠くなるかもしれません。この時点を越えると読書など近見視力の作業に影響があらわれ、皆さんが、60歳になる頃には、半径1メートル以内のものがはっきりと見えなくなります。
今、皆さんの中には「彼が話しているのは、老眼になる一部の人たちのことで自分には関係ないだろう」 と考えている人がいるかもしれません。
しかし、違います。
文字通り。ここにいる皆さん全員が、もし今そうでなくてもいつかは老眼になるのです。
厄介だと思われたでしょう。老眼は、長いあいだ人類を悩ませてきました。そして、私たちは、様々な解決を試みてきました。例えば、机に向かって本を読んでいるとしましょう。もし、老眼ならおそらくこのような感じに見えるでしょう。この雑誌のように近くのものは何でもぼやけて見えます。
解決策を考えましょう。
まずは、老眼鏡。老眼鏡のレンズは単焦点で近くの物体に焦点が合うように調整されています。しかし、遠くの物体は、焦点から外れます。つまり、眼鏡を頻繁にかけたり外したりしなければいけません。解決策として、ベンジャミン・フランクリンが発明したのが 「ダブル・スペクタクル」です。
今では、遠近両用眼鏡とも呼びます。
遠くを見たい時には、視線を上に。近くを見たい時には、視線を下にすればいいのです。現在は、上下の度数を徐々に変化させ境目をなくした累進レンズもあります。こうしたレンズの欠点はどんな距離においても視界が狭くなってしまうことです。上から下に向かってこのように分割されるためです。
なぜ?それが問題かというと。例えば、はしごや階段を下りている場面を想像してみてください。次の足場を確認したくても、ぼやけている。なぜでしょう?足元を見下ろす時は、レンズの手元用部分で見ますが、手の届かない遠い位置にある次の段は、目からすれば遠方に相当するのです。
次にあげる解決法は、あまり一般的ではありません。
しかし、コンタクトレンズやレーシック手術と並んであげられるモノビジョンというものです。これは、利き目の焦点を遠くに合わせ、もう一方を近くに合わせるというものです。脳は、非常に賢いので、それぞれの視野で最もはっきり見える部分を組み合わせてくれます。しかし、両目とも少しずつ違う物を見るため両目で距離を測るのが難しくなります。
では、どうすればいいのでしょう?様々な解決策を考えてきましたが、いずれも自然なピント調節を復元することはできません。見ただけで焦点が合うということは期待できません。
なぜでしょう?これを説明するために、まずは、人間の目の構造を見ていきたいと思います。異なる距離にピントを合わせる機能を果たす目の部分を水晶体と呼びます。水晶体の周りには筋肉があり、これが水晶体の形状を変え、この形状変化が度の調節につながるわけです。老眼になるとどうなるのかというと、この水晶体が硬くなり形状変化ができなくなります。
さて、これまでに挙げた解決策をもう一度考えてみましょう。すべての解決策にある共通点で、しかし、私たちの本物の目とは異なる点。それは、どれも度数が固定であり、海賊の義足のようなものだということです。では、視力に対して、現代の義足に相当するものは何でしょう?
ここ数十年で登場し、急速に発展している 「可変焦点レンズ」と呼ばれるものがあります。
それにはいくつかの種類があります。機械可動型、アルバレス・デュアルレンズ、可変型液体レンズ。そして、電子切り替え型液晶レンズ。
これらのレンズにはメリットとデメリットがありますが、視覚的な体験については妥協はありません。
どんな距離でもシャープに見えるフルビジョンの視界。すばらしい。私たちが求めるレンズは既に存在するのです。
問題は解決したのでしょうか?そんなに単純ではありません。可変焦点レンズには少し複雑な問題を伴います。
レンズ単体では、どの距離に焦点を合わせればよいのか分かりません。私たちが必要としているのは、遠くを見ると遠くの物がはっきりと見え、近くを見ると近くの物に焦点が合うよう自分で考えるまでもなくピントを合わせてくれる眼鏡です。
私が、ここ数年スタンフォード大学で取り組んできたのは、レンズにこうした正確な判断力を搭載することです。
私たちの試作品では、まず仮想と拡張現実システムの技術を借りて焦点距離を推定します。
視線追跡機能を用いて目が見ている方向を判定し、両眼の視線方向を使って三角測量することで焦点を推定できます。
また、信頼性を高めるために距離センサーも追加しました。これはカメラになっていて視界を見渡し、物体との距離を教えてくれます。
そして、視線方向を元に距離の推定値の2つ目が得られます。
この2つの推定値を照合して可変焦点レンズの度をアップデートするという仕組みです。
次に、私たちが行ったのはデバイスを実際にテストすることでした。老眼の人を100人募り、私たちのデバイスを試用してもらい性能を測定しました。そして、私たちは、この「autofocals」が未来の眼鏡だと確信しました。
参加者はよりはっきりと物を見たり、素早くピント調節ができるようになり、これまでよりも簡単でより質の高い視力矯正体験ができたのです。簡単に言うと視覚に関して「autofocals」は、現在の焦点固定の視力矯正にあるような妥協は一切しません。
しかし、先走りするつもりもありません。まだ、私たちのチームにはやるべき仕事が多く残っています。例えば、私たちのこの眼鏡ですが、少し大きいかも?
理由の一つは、研究用・産業用の大きめの部品を用いているからです。もう一つの理由は、視線追跡のアルゴリズムの制約で眼鏡の全てをしっかりと固定することが必要だからです。
プロジェクトが進み、研究段階から会社設立に向けて、いずれは未来の「autofocals」をもう少し普通の眼鏡に近づけていく予定です。これを実現するためには、視線追跡技術の性能を大幅に向上させる必要があります。
また、より小型で効率的な電子回路やレンズを採用する必要もあります。とはいえ、現在の試作品でも可変焦点レンズの技術が優れた性能を発揮し、従来の固定的な視力補正の性能を上回ることが証明できました。
あとは、時間の問題です。近い将来。いつどの眼鏡を使えばいいのか?心配することはなくなり、ただ大切なものにだけ焦点を当てられる日が来るでしょう。
ありがとうございました。
(個人的なアイデア)
One such rocket engine, about one hundred million yen units in a unit of several hundred million yen It is real to realize the product in the price range that can not reach the price range of hundreds of thousands of yen reaching ordinary people with technologies far beyond the limits of human beings It may be an innovation that will become a plus-sam of it.
こういうロケットエンジン、ジェット機くらいのひとつ数億円単位で手の届かない価格帯の商品を庶民に手の届く数十万円くらいの価格帯に人間の限界を遥かに超えるテクノロジーで実現することが本当のプラスサムになるイノベーションかもしれません。
バリーシュワルツが言うように、労働の概念が変わり、地球に居ながら映画アバターのように!その惑星にある資源を使い。
月や火星、土星や衛星などに無人ロボット部品を送り、ゲームのように自宅にいながら共同作業しつつ仕事をすることで高額な賃金が手に入る可能性も高い。
火星や土星や衛星に関しては、有人宇宙船内を無重力工場にして惑星移動期間に3Dプリンター製造、組立を効率的に行うことが実現すれば良いが無人ならベスト。
光速で惑星間通信できるようになったとしても、火星や土星や衛星への通信は、地球からでもリアルタイムで遅延が起きるため、月面のみ、この可能性が開けます!
無重力でもあるため、洞窟に工場を建築して人間の暮らせる環境を作り出すこともできそうです。可能性は無限!この領域に限界はありません!国家や行政府の範囲外なので極端な自由もあります。命の保障はないけど!
このアイデアは、今後数十年、人間の限界を遥かに超える新産業なのでプラスサムになり、地球環境は汚染されず資源エネルギー問題も起こりません。
2020年後半くらいから様々な占いで出てきてた時代の変わり目。それが、西洋占星術で具体的に「風」の時代という形で出てきました。
私が、感じとってたインスピレーションは、たぶんこれかな?
兆しは、世界的な金融ビックバンの1970年代、IT革命のミレニアムの前から出ていたけど。
これは、これまでの約200年間。物質やリアリティの影響力優位「土」の属性の時代から、量子コンピューター、ビットやインターネットなどといった物質ではないものに影響力が増していく「風」の属性の時代に。
そして、本格的に軌道にのっていく属性は、今後200年程続くことになるのです(2020年12月22日から、2100年当たりをピークに少しずつ衰退していく2220年まで)
直前に!
Appleも何かを感じてたのか?Appleシリコン搭載Macの方は、「Mシリーズ」チップに移行してるし、符号してる。
Googleは、量子超越性を達成してきてるし、Facebookも脳波を読み取る機械の開発を発表してますし、符号してる。
イーロンマスクもブレイン・マシン・インターフェース���Brain-machine Interface : BMI)を具体的に発表。これも、符号してる。
続いて
前提として、公人、有名人、俳優、著名人は知名度と言う概念での優越的地位の乱用を防止するため徹底追跡可能にしておくこと。
人間自体を、追跡すると基本的人権からプライバシーの侵害やセキュリティ上の問題から絶対に不可能です!!
これは、基本的人権がないと権力者が悪逆非道の限りを尽くしてしまうことは、先の第二次大戦で白日の元にさらされたのは、記憶に新しいことです。
マンハッタン計画、ヒットラーのテクノロジー、拷問、奴隷や人体実験など、権力者の思うままに任せるとこうなるという真の男女平等弱肉強食の究極が白日の元にさらされ、戦争の負の遺産に。
基本的人権がないがしろにされたことを教訓に、人権に対して厳しく権力者を監視したり、カントの思想などを源流にした国際連合を創設します。他にもあります。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
権限が分離されていても、各権力を実行する人間が、同一人物であれば権力分立は意味をなさない。
そのため、権力の分離の一つの要素として兼職の禁止が挙げられるが、その他、法律上、日本ではどうなのか?権力者を縛るための日本国憲法側には書いてない。
モンテスキューの「法の精神」からのバランス上、法律側なのか不明。
立法と行政の関係においては、アメリカ型の限定的な独裁である大統領制において、相互の抑制均衡を重視し、厳格な分立をとるのに対し、イギリス、日本などの議院内閣制は、相互の協働関係を重んじるため、ゆるい権力分立にとどまる。
アメリカ型の限定的な独裁である大統領制は、立法権と行政権を厳格に独立させるもので、行政権をつかさどる大統領選挙と立法権をつかさどる議員選挙を、別々に選出する政治制度となっている。
通常の「プロトコル」の定義は、独占禁止法の優越的地位の乱用、基本的人権の尊重に深く関わってきます。
通信に特化した通信プロトコルとは違います。言葉に特化した言葉プロトコル。またの名を、言論の自由ともいわれますがこれとも異なります。
基本的人権がないと科学者やエンジニア(ここでは、サイエンスプロトコルと定義します)はどうなるかは、歴史が証明している!独占独裁君主に口封じに形を変えつつ処刑される!確実に!これでも人権に無関係といえますか?だから、マスメディアも含めた権力者を厳しくファクトチェックし説明責任、透明性を高めて監視しないといけない。
今回、未知のウイルス。新型コロナウイルス2020では、様々な概念が重なり合うため、均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!人間の概念を数値化できないストーカー人工知能では、不可能!と判明した。
複数概念をざっくりと瞬時に数値化できるのは、人間の倫理観だ。
そして、サンデルやマルクスガブリエルも言うように、哲学の善悪を判別し、格差原理、功利主義も考慮した善性側に相対的にでかい影響力を持たせるため、弱者側の視点で、XAI(説明可能なAI)、インターネット、マスメディアができるだけ透明な議論をしてコンピューターのアルゴリズムをファクトチェックする必要があります。
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kanglo · 11 months
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人間に課せられた生き方がある。
そして、己自身に課せられた生き方もある。
前者は宿命、後者は天命。
これを腹の底から理解し、全うしようとするならば、真の運命が開けてくる。
実相には、生かす側と生かされる側がある。
人間はみな、平等に生かされる側。
より善く生きれるように計らいが成されている。
己の身体も一次預かりもの。
生きている間は、魂と己の身体は一心同体。
身体からのサインはすべて生かす側からのサイン。
己の心が乱れ、思考に脳が占領されている状態では、このサインを受け取ることは出来ない。
このサイン、即ち、兆しはとてつもない重要なメッセージ。
そうそうあるわけではない。
そのサインには、良い兆しもあれば、悪い兆しもある。
それがしっかりキャッチ出来るようになれば、運が動き出す。
一方で、このサインに気付かなかったり、無視したり、まったく別な捉え方をして間違った対処をし続けるのでれば、その人生一切が無駄になる。
これ、極めて重要な真理だから心しておけ。
今世の人間を見るに、この人間に課せられた生き方も、自分に課せられた生き方も、まったくもってピントがずれている。
善悪の分別もつかない、真実を学ばない、孤独を楽しめない。
そして、己自身の天命も気付かずに無駄に生き急いでいる。
これではいくらサインを送ったところで、空振りもいいところ。
未熟な人間の張りぼての知識や経典に心酔し、モノカネに塗れ、いい加減、自分勝手に生きることを自由と称して、まったく履き違えた人生を送っている。
これ、いくら努力や苦労を担ったとしても、空振りどころかデッドボールを肚に食らい、痛みでのたうちまわるのみ。
これにいくら痛み止めを注入したところで、体に入れるものも未熟で腐敗しているものなのだから、益々預かりものの身体を蝕んでいくのも自明の理。
そろそろ良いか?もう終わりにして…。
覚醒へのヒントは、自然の中にある。
騒めく思考を止め、自然の中で畏怖の念を抱き、丹に集中し、心を鎮め、じっくりとサインが来るのを待つのだ。
人間にとって、その時間が、今、もっとも必要なこと。
金や物、無駄な情報を追いかけている時間ではない。
そのことを肝に銘じ、左脳を止め、右脳が覚醒出来るよう、あらゆる営みをここに集中させ、本当の声を頂けるよう生き方を変えます。
有難う御座います。
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fukudamakoto · 1 year
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《《 カメラのトラヤ閉店 》》 遊佐町の佐々木さんからの情報で酒田の老舗のカメラ店が閉店セールをやってると聞き、行ってきた。 閉店というのは寂しく悲しいニュースだけど、閉店セールはどこかワクワクしてしまう。 カメラ店ならなおさらである。 さて、ご主人いわく 「めぼしいものは殆ど売れちゃってねー」 という事だったが、その残った物の中から外付けレンジファインダーという極めてニッチで稀少な機材を見つけ出す。 これは昔の目測式ピント合わせのカメラのホットシューに付ける後付けのレンジファインダー。 レンジファインダーであるからして、単独で二重像合致式のピント合わせが出来る。 ここでヒントを合わせて出た数値を(フィート表示なのでメートルに換算して)カメラの距離目盛りに合わせる。 という非常にめんどくさい作業にはなるが、目測式が二重像式のレンジファインダーにもなるメリットは大きい。 絞りを開けても精密なピント合わせが出来るのだから。 しかも程度良好で古いものは二重像が薄くなりがちなのだが、この個体はとてもハッキリしている。 掘り出し物である。 閉店セールにつき半額。 実はずっと探していた物なのでこれは出会いである。 佐々木さんありがとう。 もう一個の掘り出し物はNikonF用のホットシューアダプター。 Fは巻き戻しクランク基部にバヨネットマウントさせる専用ストロボしか使えない仕様。これを一般的なホットシューに変換するアダプターである。 これもニッチだけど僕には必要な機材。 しかしこれは実は FではなくF3用であった。。。。 適合ミス。。。。 まあ非常に安かったので問題はない。 メルカリで売っても元は十分に取れるだろう。 今日はもうすっかり春の陽気で春霞の景色の中、最上川ぞいの堤防をバイクで走っての機材調達の旅でした。 #機材の話 #フクダマコトフォトグラフィー #nikonf #外付けレンジファインダー #レンジファインダー #カメラのトラヤ閉店 https://www.instagram.com/p/CpfNPdJPBUw/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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yukino-miyu · 3 years
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Glory or Dust Romaji & Kanji Lyrics (Hypmic 2nd DRB)
Feel free to repost (credit isn’t necessary just don’t claim my work as your own)
*I’m a beginner at Japanese so there may be a few mistakes (also spacing for it may be off)*
Romaji
~
Kitdoairaku Spit it out
Suru wake koko ni subete aru
Kitto kono mi wa kowareru keredo
Ten ni tsuba haku doko made mo takaku
~
Ima fukai naku Drop Out
Suru wake mohaya doko ni aru?
Kachi mogi tori nige takuwaeta
Ten ni kendosu hipunoshisu maiku
~
Kitdoairaku Spit it out
Kudake chiru kakugo sude ni aru
Kimi tachi wa dou iki iki ri chirakaru ka
Ten ni tsuba haku doko made mo takaku
~
Ima fukai naku moroku aru
Toshitemo yatsu wa soko ni iru
Katasutorofuii kaki kaeru sutoorii
Pen wa ken yori hipunoshisu maiku
~
In to in ga tsunaida sono hinto
Pinto awase utsushi dasu maindo
~
~
Kanji
~
喜怒哀楽 Spit it out
する理由(ワケ) ここに全てある
きっとこの身は壊れるけれど
天に唾吐く 何処(どこ)までも高く
~
今不甲斐なくDrop Out
する理由(ワケ) もはや何処(どこ)にある?
勝ち 捥(も)ぎ取り 逃げ 蓄えた 
天に捲土(けんど)す ヒプノシスマイク
~
喜怒哀楽 Spit it out
砕け散る覚悟 既にある
君たちはどう生き イキり散からすか
天に唾吐く 何処(どこ)までも高く
~
今不甲斐なく脆(もろ)くある
としても 奴はそこに居る
カタストロフイー書き換えるストーリー
ペンは剣より ヒプノシスマイク
~
韻と韻が繋いだそのヒント
ピント合わせ映し出すマインド
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liliyaolenyeva666 · 4 years
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(以前使用していたケータイのころの八重桜と 現在の八重桜。だいぶ様代わりしています。)
🎼 009 「Planet Telex」。
テレワークとは無縁のわたしですけれど、引っ掛かりのある仕事を家に持って帰って来ました。でも我が家で出来ることなんて 限りに限られていますから、とどのつまり にっちもさっちも どうにもならなくて ブルドックになりかけました。あれこれと悩んだ先に 以前使っていたケータイの中に 資料やヒントがピントで残っていないかな なんて思って探って見たのですけれど、肝心のものは何もなくて、半ば諦めかけながら、ちょうどテレビの中で始まりました「仮面ライダー」を見ていました(今日は 第44話「墓場の怪人カビビンガ」というお話です)。カビを殺人兵器として培養しやうと企む 少し気の長いショッカーの作戦は、人類を滅ぼしてしまおうというのが狙いだったみたいなのですけれど、カビよりも小さな "いきもの" なのか何なのかわからない "それ" が 社会や生活のすべてを支配している今の世界を思うと、ショッカーよりもオソロシゲな連中が どこかに潜んで 腹を抱えて笑っていたりするんだらうな、なんて思ったりします。
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kunihito-miki · 5 years
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我写了一篇关于疯狂相机的文章。 还张贴了街头小睡小贴士
I wrote an article about a maniac camera and snapshot shooting tip.
超マニアックなカメラ記事を書きました。スナップ撮影のヒントも書いてます!
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alexswak · 6 years
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Hikawa Ryusuke’s Akira Article(jp)
Hikawa Ryusuke is probably the most famous Japanese anime critic. He wrote an extensive article on the anime industry before and after Akira, articulating what lead to Akira and how Akira influenced the industry thereafter. This article was published in "Akira Animation Archives” which is rather hard to find in good condition, so I thought I might copy the article somewhere. It’s in Japanese nonetheless, as I’m not capable of translating such a sophisticated text, but I hope me publishing this article would lead to someone being interested in translating it. I believe it contains some pretty useful and valuable information. 
‘80時代----「Akira」が”ANIME”にもたらしたもの
本書では、アーカイヴよしてアニメーション映画「AKIRA」の現存する制作資料を句能な限り良好な状態で収録した。完成フィルムとは異なるプロセス上熱気や思いが、そこに見えたことと思う。では、こういった成果物を生んでいった周囲の状況はどうだったのだろうか。あるいは歴史の中で「AKIRA」という作品はどう位置ずけられるのだろうか。あとがきにかえて、ここにその俯瞰図をまとめてみた。
アニメ史から見た’80年代
アニメーションは今や会社にとって、子供のための娯楽映像という存在のみの状態から完全に脱皮し、広く青年、大人へ、あるいは世界へと観客層の拡がりを見せている。
そのきっかけは、1977年、「宇宙戦艦ヤマト(映画版)」の巻き起こした”アニメブーム”である。ところが「AKIRA」の上映された1988年。。。それかれあ約10年が過ぎたころには、原初のアニメブームが持ってータ熱は冷め、明らかに大きな陰りと断層が見えていた。富野由悠季監督作「機動戦士ガンダム」(1979年作品)を産み、アニメブームを牽引した巨人ロボットアニメ作品がTVから一時撤退しているのがそれを象徴しており、オリジナリティや作家性に期待されたビデオアニメもぱっとせず、時代の節目となる兆候がいたるところに見られた時期である。
ブームを陰らせた原因は、大きく以下のつではないかと推定される。
1つ目は学生時代に「ヤマト」や「ガンダム」でアニメに目覚めたいわゆる第1世代(1960年生まれ中心)が、だいたい1982年ごろから「卒業」し始めて会社人になり、’80年代中盤ごろにはほど全員の「卒業」が完了したこと。2つ目は、娯楽性を持った新メディアとして家庭用ゲーム機(ファミコン)が五すぐ急成長したこと。これによって「ドラゴンクエスト」(’86)など高い物語性を有るし、観客が参加する句能なRPGという、アニメよりもおもしろいものを購買層が見つけてしまう。3つ目は、この時期にレンタルビデオが300~500円という価格で全国配備完了したこと。これ以後アニメはハリウッド娯楽大作と同額という、激しいコンペティションに常時さらされていくようになる。
こういった状況下では、アニメ企画も変化さざるを得ない。作品企画をたくさん回して何本か当たるものがあれば良いという風潮よりは、いわゆる”選択と集中”が行われ、セグメンテーションがシフトしていく。ひとつの例がビデオアニメの変化だ。1987年ごろまで、オリジナルビデオアニメ(OVA)の主流は「プチ劇場アニメ」であった。つまり興業規模や尺の観点からすると映画館にかけられるほどではないが、スター性のあるスタッフやキャストを前面に押し出してセールスする方向性だった。これが輝きを失った対抗策として、1988年の「機動警察パトレイバー」が30分6本シリーズの新フォーマットとブロックバスター価格(4,800円)を提示し、逆転ヒットを果たす。結果、OVAは「プチ劇場」から「デラックスなTVアニメ」へとセグメンテーションをシフトさせていった。「AKIRA」が登場した1988年は、日本のアニメーション界自体が、こういった大きなパラダイム・シフトにされされていた時期であった。この周囲状況の変化を念頭におくと、なぜ「AKIRA」がこのような作風となったか考えるとき、理解の一助となるだろう。
’80年代前半、劇場アニメの新時代到来
ビデオアニメという、”TVアニメ以上劇場アニメ以下”というジャンルが新設されたことは、逆に劇場アニメに要求される価値レベルを上げた。それと呼応するように、劇場用アニメーションは’80年代前半に新時代を迎えている。
1983年末に、成人向け以外で初のOVA「ダロス」がバンダイビジュアルから発進する。同年春には角川書店がアニメ制作に進出、マッドハウス制作「幻魔大戦」を公開する。それがキャラクターデザインに大友克洋を起用した初の作品であるのも因縁めいている。1984年には、それを迎撃するような動きがある。講談社が夏に同じマッドハウスで「SF新世紀レンズマン」を制作。だがこれは慘敗に終わる。一方、徳間書店は春にアニメージュ誌に連載されていた「風の谷のナウシカ」を原作者・宮崎駿目身が監督という形で劇場アニメ化、大ヒットとなる。
結果、��映長編漫画映画の血脈を持つ宮崎駿監督と盟友・高畑勲監督の作品をつくる目的で徳間書店の出資によるスタジオジブリが結成され、1986年の「天空の城ラピュタ」を経て1988年には「となりのトトロ」が「火垂るの墓」と2本立て興行で公開、”ジブリ” ”宮崎アニメ” というブランドこの時期に完成した。
玩具や出版に携わる会社は、アニメブームの当初は著作権のニ次使用者であった。ところがその利用側だった会社が発信側に回って一次著作者となるとともに、コンテンツを多彩な展開に使うことを開始、勝者を生み始めていった時期と見ることができる。
「ナウシカ」と同じ1984年春には、押井守監督の名を一躍有名にした「うる星やつら2ビューティフルドリーマー」が公開、その作家性を世に知らしめた。同年春には「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」が劇場公開。河森正治が弱冠24歳で監督し、それまで版権イラストでしか描かれなかったような細密な描き込みを行ったことで、大きな話題を呼んだ。
こういった”作家性” ”緻密さ” ”リアリティ重視” ”若手” ”新規参入会社” という流れの頂点に立つのが、1987年の「王立宇宙軍 オネアミスの翼」である。この映画はバンダイ制作による劇場アニメの第1作で、のちに「新世紀エヴァンゲリオン」(’95)を制作するガイナックス初の作品でもある。山賀博之監督以下、中核スタッフは大阪でSF大会用映像をつくっていたアマチュア集団ダイコンフィルムの出身で、いわゆるオタク第一世代にあたる若手だ。
彼らの劇場映画「王立宇宙軍」は、そういうパロディ色の強いフィルムになるというおおかたの予想を裏切り、市井の若者が持つ等身大の挫折と野心を当時としては画期的なリアリティをこめて描ききった野心作として公開された。
リアル系作品を貫く人の流れ
このように、’80年代の動きを追っていくと、やがて’90年代になって世界に日本発の”ANIME"の名をとどろかせるべき、ほとんどの役者(アニメクリエイターと会社)が出そろいつつある様が見えてくる。
この流れに、’80年代後半の2つの出来事を追加したい。一つはビデオアニメの覇者「機動警察パトレイバー」が1989年に映画化され、その制作現劇が後に「攻殻機動隊」(’95)をつくるプロダクションI.Gになって、ビデオシリーズから格段にアップグレードした映像を見せたこと。そしてもう一つが本書で取り上げた作品「AKIRA」---そのもたらしたアニメ映像への考え方と、人の流れである。
’90年代につながる流れを見ておこう。「AKIRA」制作末期には、スタジオジブリで「となりのトトロ」を終えたばかりの原画マン(高坂希太郎、 二木真希子、金田伊功)が参加。その”お返し”という意味か、ジブリの次回作「魔女の宅急便」(’89)には森本晃司、井上俊之らが原画で参加している。ここで森本晃司と当時ジブリの制作デスクを担当していた田中栄子が出会い、片渕須直や佐藤好春らとともにスタジオ4Cを結成。大友克洋原作・監督「MEMORIES」(’95)や大友克洋XX成・総監修の「スプリガン」(’98)生む母体となっていく。
また、「AKIRA」における出会いが北久保弘之監督作品「老人Z」(’91)を生み、大友克洋は原作・脚本・メカニックデザインを担当している(キャラクターデザインは江口寿史)。この作品には緻密な絵を描く漫画家として知られていた今敏(こん・さとし)が美術設定でアニメ初参加。今敏は大友克洋のアシスタント経験もあり、実写映画「ワールド・アパートメント・ホラー」(’91)を漫画化した作家だ。「MEMORIES彼女の想いで。。。」の脚本を経て、マッドハウスで「パーフェクトブルー」(’98)、「千年女優」(’02)を監督する今敏は、「老人Z」で北久保弘之、沖浦啓之と机を並べていたという。
インタビューページにもあるように、沖浦啓之は「人狼 JIN-ROH」(’00)、北久保弘之は「BLOOD THE LAST VAMPIRE」(’00)と、90年代未にプロダクションI.Gの成表作を監督することになる。
ここでこういった流れを全部追うことはできないが、「AKIRA」を振り出しにした連鎖反応は多い。人と人に展する技術は流れ、人の進団たる会社を媒介として継承されていくという認識は重要だ。そのように見ていくことで、作品と作品の間に血が通い、ときに遺伝子のように形質を移し替えながら進化をうながす、そういった有機的な結合が見えてくるからだ。この認識を持った上で、アニメーション映画「AKIRA」の位置ずけと、この作品がもたらしたものへの考察をもう少し進めていこう。
アニメーション界に到来した二度の”黒船”
こういう説はどうだろうか。日本のアニメーションは、”黒船”の到来を二度受けているというのは?
非常の失礼な考え方かもしれないが、鎖国をしていた日本が欧米から開国させられ、欧米文化を取り入れて”近代日本”になったように、”アニメーションの国”に”漫画の国”から黒船がやってきて、大変革があったーーーそういうイメージが、どうしても脳裏に浮かぶのである。
一度目の”黒船”とは、手塚治虫のTVアニメ「鉄腕アトム」である。手塚漫画の功績は、乱暴にまとめると、描き割りじみた平面的な日本の戦前漫画に、映画的・映像的なカット割りと構図を連想させるコマ割りを導入し、エポックをもたらしたということになる。
しかし、手塚がアニメ版「アトム」で導入したのは、逆に電気紙芝居と揶揄されたほど非映画的で、止め絵のズームや強引なカットバックでフィルムをつないだものだった。これは、漫画のコマ割りの間にある断層をそのまま持ち入んだような作法である。TVシリーズ予算の問題に対する解決案として、よく槍玉にあげられる3コマ打ち(★1)の導入よりも、このカット割りの方が後世に対する影響は強いのではないか。よく動かそう、アニメ―トしようと見せ場をつくるよい、1枚絵の密度を上げ、少ない枚数、場合によっては止めの積み重ねで見せていくという”アニメ”(呼称も省略形が似合う)の手法は、これは現在でもTV作品の主流になっている。
こう考えて来ると、二度目の”黒船”が大友克洋の本作「AKIRA」という考え方も、何となく成立するように思えてる。”アニメ”は、ここで”ANIME"(★2)への第一歩を踏み出した。。。というと、作り手側は違和感を覚えるかもしれないが、観客サイドからのこういう整理もアリと思って大目に見て欲しい。
1980年前後、大友克洋が漫画界へもたらしたショックは、かつての手塚治虫に匹敵するものがった。日本人の”日本人らしさ”を骨格、骨相とも正確にとらえた人物造形、メカニズムやビル群といったものを緻密に描き込んで厚みを加えられた世界観、映画的な構図とコマ割りなど、漫画に新しい潮流をもたらした。実際、大友克洋以前と以後では、漫画全体に密度感やリアル感という要素は、もし定量化できるとすれば明らかに増大しているであろう。
「AKIRA」以前以後の変化とその要因
問題は、アニメーション「AKIRA」の場合に何が起きたか、「AKIRA」以前以後で何がどう変化したかということに紋られていく。
まず、「AKIRA」の公開時によく言われた「2コマ打ち、リップシンクロ」については、新規技術でも何でもないフルアニメーションの本来的な定義である「画面内にあって動くべきものはすべて自然に滑らかに動かす」という観点からすれば、対費用効果を無視すれば当然の手法である。クイックアクションレコーダー(★3)も制作プロセス上の省力の問題であり、表現には影響しない。黎明期のCG導入(スペシャルパターンの回転)も、光学合成の代用的な使われ方しかしておらず、見せ場となったわけでもない。
こういった宣伝向けに言われてきたことではなく、もっと表現の根幹部分に、むしろ本質的な変革があったように思われる。
キーワードとしては、大友が漫画に与えた影響の劇合と同じく、密度感とリアル感(リアリティ)が中心に来るのでないか。
「AKIRA」で新しい試みのように言われていることは、実はディズニーを代表とするフルアニメーションの作法であった。では、それを導入して「AKIRA」がディズニーのようなアニメーションになったかというと、それとはまた違うところがおもしろい。ここで密度感とリアル感の問題が浮上してくる。ディズニー的なアニメーション作法は、教科書の1ページ目に「スクオッシュ&ストレッチ(漬しと伸び)」と書いてある。つまり、実際の自然現象を省略と誇張することによって、人間の動体に対する感覚をブーストしてある種のトリップ感を引を出すということが、彼らのアニメーション哲学というか、大前提の考え方として存在しているわけである。
ところが、これがわれわれの目からすると、このゴムのような動きはリアリティを損なうものと映る場合が多い。これはディズニー的なものを貶めているわけではなく、文化・作法の差の問題だ。では、「ゴムのようにグニャグニャしないフルアニメーション」があるかというと、それはある。太平洋戦争中のフライシャーによる短編アニメ「スーパーマン」がまさしくそうだ。ここに登場するメカニカル・モンスターは、重心を移動させながら足を出して歩くと、一瞬遅れて手がぶらつくといった、破綻なくもっともらしいアニメートを見せることで確保されたクオリティが、リアリティの震源地である。
だが、それと比較しても「AKIRA」は異なっている。「AKIRA」の場合、ショット全体が抱える重みと、それがフィルムの流れの中で生み出していくリズムが、密度感とリアリティを発生させているように思えるのである。その重みの大半は、作画(原画)段階のモーション部分もあるが、大半はそれ以前の画面の設計図であるレイアウトの段階で盛り込まれている。
ここで大きく要求されるのは、情報量の盛り込み方と取捨選択、すなわちコントロールである。
仮想映画的な考え方
アニメーションの構図は、実はアニメート優先で考えられてきた歴史がある。連続的に絵を積み重ね、軌跡を追って描くときに有利なアニメ的画面構成というものが存在する。歪みのないやや広角気味のレンズ、ピントはパンフォーカス、ライティング位置下明(平行光線の屋外)、そして足が地面につかないようややアオリ気味にして背景が楽になる空、室内なら天井が大きく映り、人物の傾きはシチサン(7:3)でという、ひどくスタンダード臭の漂う画面である。
「AKIRA」原作者の大友克洋は、自主映画で監督をつとめるほど実写映画のフィルムメイキングの演出に詳しく、漫画にもそれを仮想映画的なものとして反映してきた作家である。対して当時のアニメの水準では、そのような”仮想映画的に撮る”という考え方は、まだ主流ではなかった。レンズを意織した構図をとり、フレームを決め、ショット内に重みをもたらす飾りつけを行い、観客のエモーションを巻き込む求心力となる役者やメカの芝居といったものを細かく指定し、極力雑多な情報を少しでも多く取り込み。。。という、実写的な姿勢、考え方は、「AKIRA」の絵コンテからレイアウトいたる段階まで通底している。
そして集ったアニメーターは、その考え方に基づくレイアウトが次にアニメーション段階で求めるもの。。。当時としてはまだ夢のようであった”仮想的リアリティ”という要求条件に対して苦闘し、スタジオが解散した後も見果てぬ夢のようにそれを望み続け、各々の作品で各人なりの咀嚼で追求することを始めていったにちがいない。もちろん、そこから離れる場合もあったろうか、しかし何かを意識して離れるということは、実はその何かを求めることと、そんなに遠い行為ではないはずである。
ここで言う要求条件とは、作品に臨場感をもたらすためのものである。なぜ臨場感が必要かとさらに突っ込めば、”絵で描いた世界”に没頭して物語を世界ごと”そこにいる感覚で”楽しむためである。
ごく当たり前のことだ。だが、その一番当たり前のことも、すべて
が作り物のアニメーションのフィルム中では、実は非常にいろんなことを意識的に考え、実行しないと違成できないということなのかもしれない。
15年目の 「AKIRA」
こういった考え方がスタッフにじわじわと浸透しながら完成したフィルムが、「AKIRA」なのだろう。クリエイターたちがそこで夢見ながら違成できなかったことを追求し、続く作品でどんどnアニメーション表現を深化させ、リアリティ追求をエスカレートさせていったのが、その後15年の”ANIME”の歩みと総括できるかもしれない。
もちろん「AKIRA」だけが単独でこういう考え方をとっていたわけではない。恐らくそれは時代の要求だったのだろう。「王立宇宙軍」が代表するように、同時代的にいくつもの作品、何人ものスタッフが挑戦していった果てのことだ。だとしても、世界的知名度やセールスの成功事例として、「AKIRA」がきっかけであり分水嶺であったとは確実に言えるだろう。
結果的に作画や背景の描き込みは年を追うごとに幾何級数的に増え、人間のアクションは細かい関節部まできちんと追われ、レイアウトはパースに狂いがなく、光源は常に意識され、特殊な仕上げや撮影効果は常時ふんだんい。。。と、青天井のようにアニメーション作品の密度は濃くなる一方だ。初公開時にはあれほどリアルに思えた「AKIRA」が、今観ると非常に漫画的にも見えるのが、何よりの証拠だろう。
臨場感のせいで「リアルな作品」呼ばれるようになったがゆえに、レアリティ追求のため、底なし沼のようにアニメ作品は情報量を飲み込むようになっていた。情報量とはアニメの場合は人手そのものであり、金であり時間である。そして、スキルやノウハウは人に溜まるから、「リアル作品」とは非常に属人性の強いものとなる。その状況は、この種の作品リストから原画マンやレイアウトマンの名前を横に並べたりすれば、すぐに理解できることだろう。
15年を経過して、「AKIRA」に匹敵する新たら分水嶺は、はたしてどのような形で来るのだろうか。それには大友自身の新作「スチームボーイ」がある回答を提示してくれるのだろうか。非常に楽しみである。
次の15年を考えるために、15年前のブレイクスルーがヒントになるかもしれない。
そのためにも、本書が役立てば幸いである。
★1「3コマ打ち」---同じ絵を3コマずつ撮影して動きを設計するアニメーション技法。「打つ」というのはアニメーターがタイムシートに番号を書き込む行為を感常的に表したもの。それまでのアニメーションは、2コマ打ちが標準で速い動きのみ1コマ打ちだった(フルアニメーション=1コマ打ちは誤った定義)。3コマ打ちだと滑らかさは喪失するが、当初TVはブラウン管自体に残像があるので良い等とされたという。ところがこれはコスト削減にも直結するため、やがて劇場作品も経営者によって3コマをスタンダートとするようになっていく。
★2「ANIME」---マスコミで使われる”ジャパニメーション”という単語は、X称(ジャップのアニメーション)という説がある。事実、米国の雑誌や店頭ではほとんど目にしないため、ここでは”SAMURAI”のように日本語がそのまま英語化した”ANIME”を用いた。
★3「クイックアクシオンレコーダー」---’80年代から導入きれるようになった機械。アニメーターは何枚かの原画・動画が完成するごとに、指でパラパめくって動きに狂いがないかをチェックする。通称、「指パラ」と呼ばれる作業で、これは動きをチェックする第一段階だ。当然「指パラ」だけでは確認しきれない、複雑な動きも出てくる。米国でのフルアニメーション制作にはライン・テスト(ペンシル・テスト)という工程があり、ペイントする前に動画にブレ等の破綻がないかチェックする。フィルム撮影を使用するため、コストの関係で国内ではほとんど省略されていた(間に合わせのダミーとして線画を撮影することはあるが、目的が違う)。それを擬似的に行う装置がこれで、ビデオによってタイムシート通りに動画をビデオに取り込み、完成フィルムではどう見えるか、ペイント前にチェックする機械である。「AKIRA」のクイックアクションレコーダーによる画像が、「AKIRA DVD SPECIAL EDITION」(バンダイビジュアル)に特典映像として収録されている。
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water-fall-logic · 3 years
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 僕が写真を始めたのは小学校6年生の頃。天体写真を撮るために一眼レフを購入して貰ったのが始まりだった。しかし、親戚から譲ってもらった天体望遠鏡にはそもそもカメラマウントが付かないという大失態を犯し、あっさりと天体写真から足を洗うことになる。  行き場を失った一眼レフカメラはその被写体の矛先を風景へと変える。そこから脈々と今日まで僕の写真ライフは続く。
 デジタルに移行したのは意外と遅く、2008年のニコンD90からであった。その前にもSONY製の小さいデジカメを買ったりしたが、とてもプリントして鑑賞に耐えられるレベルではなく、当時作っていたホームページ用の写真撮影専用機という感じだった。そう、六つ切りくらいに引き伸ばすと細かいモザイクをかけているかのような画質だったのだ。ヒントでピントだと最終段階くらいか。
 D90からは、現像にお金がかからないデジタル一本になり、その後サブカメラとしてシグマのDP2xを買い、もうフィルムには戻れないな、なんて思っていたら、写真の保存場所にしていたNASが突然故障し、一瞬にして今まで撮って来た全てのデジタルデータが消えた。趣味の写真だけではない。入学式や卒業式の写真、日常の記録、子供の笑顔や泣き顔、全てが消えた。 
 その日から僕はまたフィルムに戻ることになる。イベントではOM-1を引っ張り出し、日常ではXAで撮影した。フィルム現像も復活させ白黒写真も再び撮るようになった。
 そして今、再びデジタルに戻っている。
ニコンもシグマも手元に残っているが、やはり中古で購入したリコーのGR Digitalの影響が大きいだろう。まあ、それ以上に現在家計が火の車なので、お金の掛かるフィルムはちょっと控えておこうという思考からだ。やっぱりシャッター切るのに躊躇するようだと、趣味でやっているのにストレスが溜まってしまうという悪循環に陥るからね。まあ、学生時代はフィルムの入ってないカメラで空打ちして、脳内に傑作を何百枚と生み出しては来たのではあるのだけれど……。
 フィルム時代とデジタル時代を比べた時、やっぱり一番違うのは、デジタルはボディの性能に写真(の出力)が左右されるという事だろうか。
フィルム時代は、極論ではあるけれども、ボディはただの暗箱に過ぎず、写りについてはレンズとフィルムによって決定されるものであった。しかしデジタルはフィルムの代わりにセンサが使用されるため、センサを変えられない以上、ボディそのものの影響を受ける事になるのだ。なので、昔と違ってカメラボディの陳腐化が早くなったような気がする。いずれセンサが交換式になって好きなセンサを使用するみたいな時代が来るのかしら?
 しかし僕はデジタルカメラの性能がある程度の水準に達した時からその性能に一切興味が無くなってしまった。なので、中古のコンパクトデジタルカメラで最近は楽しく写真を撮っている。そもそもフィルム時代もXAの方が出番が多かったから、多分僕にはコンパクトカメラが向いているのだろう。 
 NASについては、RAIDを組んだ。写真のためだけに。
近々そのバックアップ用にまたサーバーを立てようと思っている。
 ん? 結局お金、かかるなぁ。なんで?
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test
イレリアはダイブに弱い
絶対にミアピンやティルトチャットをしない。それをしたら試合に勝っても負けたのと同じ。まず姿勢を正したまま負けることを覚える 勝っているときは出来るだけグループする。各個撃破されないように
tiltしない。勝利のために無益な行動は一切しない
勝つために無益な思考は排除する
何があっても状況における最善の行動を取るように
何をされても、何を言われても、勝利のために最善の行動を取ることを一つの技術と考える
試合後もロビーは即抜けする
試合前ロビーのチャットは見ない
ダイブはサポートがタンクをする ジリアンのultは5秒
他人を責めるのではなく、その状況下で自分の改善点を探すこと
他人を責めるチャット、ピンをしない
レーナーはjg位置気にする余裕がないため、積極的にピンやチャットで伝える。マップに映ってもレーナーは見ていないものと考える 2キルされているレーンでもcsすら取れないような状況の場合はガンクに行く。 midアサシンの場合はできるだけ序盤でこけさせるためにガンクする。hp削ってオールインしにくくする
"僕にとっての「勝ち続ける」は、「成長のループ」を安定して継続するという意味合いとほぼ重なっている" リードしているときは、とにかくグループしてタワーに圧をかけること。特に相手がデスしている場合は、グループしてシージすると確実に人数差ができるため、集団戦も勝てる可能性が高い
味方を助けようとして死なない。絶対に見捨てること
全滅したらエンドにつながる場面で数的不利な集団戦をしない
危険ピンを頻繁に打つ
育っているときは犠牲になってデスしない
"「ゲームがうまくなりたい」という純粋な情熱や動機"
"才能や適性など当てにしないで、成功や失敗も考えないで、好きならとにかくやってみればいいではないか"
"人生は一度き��だ。世間が認める成功であっても、それが自分の内側とシンクロしていなかったら、ずいぶんと空しいことのように思える"
"燃え尽きてそれで終わりになってしまうような目標を立てないこと。普段の取り組みを淡々と維持すべきこと"
"インフィルの動きには迷いがない。方針がしっかり立てられていることがよく伝わってくる"
"僕は勝負の前に「勝つ根拠」を持つことが、何より大切だと思っている"
"闘いのコンセプトを構築するとき、僕はまず、自分が持っている強い部分を並べるようにしている"
"試してみる。駄目なら、また別のやり方を考えて試す"
"すべての選択肢をやり尽くす覚悟さえあるのなら、そうそう伸び悩むことはないと思う"
"過程と検証"
"成長のループを継続することを考えてほしい。毎日の歩みがわずかであっても、安定した継続というのはそれだけで自信になるからだ"
"最近は大会に限らず、勝つことと負けることの差が自分の中であまりなくなってきている"
"負けることよりも「発見がないこと」のほうが怖い"
キャリーしている時は、積極的にアクションを起こしてゲームへの影響を強めていく タンクではなくダメージ源を攻撃する。一瞬で落とせる場合以外はタンクにスキルを使わない "practice doesn't make perfect.  Perfect practice makes perfect" バロンをとった後は全員でプッシュする 勝敗・段位・レーティングではなく成長に焦点を当てる 失敗から学ぶ 言い訳をしない AOEが強力な敵がいる時は絶対にバラけること "しかし対象が自分にとってその場だけのことでないのであれば、やはり成長することを頭のどこかに意識して事を進めたほうがよい。それが強くなる近道で、何より楽だからだ"
"そのときは駄目だとしても、成長(変化)を続けて、次のレース、次の次のレースで良い成績を出すようにする"
APを積む→スキルでワンコン力が上がる→相手にソラカなどの回復系チャンプがいる場合に有効
ロビーで構成を見てゲームプランを立てる。自分がガンクできそうなレーンだけではなく、相手がガンクしそうなレーンを予想し、カウンターアクションを取る
"成長のループにピントを絞り込むことで、僕はシンプルにゲームと向き合うことができるようになった"
"プロであれアマチュアであれ、やるべきことは結局ほとんど変わらない"
スペルシールド系はスマイトで剥がせる バロン獲得→リコール+装備更新→タワープレッシャーをかけていく
"新しい発見を毎日メモして、成長を確認する"
"今日1日を思い返してみて、何か気づいたことはないか"
"大きな発見だけでなく、小さなことでかまわない。いや、むしろ小さなことのほうが大切くらいの気持ちがいい"
"大切なのはハードルを下げること"
"1日1個"
ダイブする際はミニオンウェーブを溜めるのがポイント。例え1-1交換になってもミニオン分で有利に 集団戦のときにadcは相手がcc吐くまでは前に出ない。事前に危険なスキルを把握し、意識しておく 味方を捨てる(助けられない味方は捨てる判断をして、損失を抑えることを意識する) 落ち着いてゲームする。負けていてもひたすらファーム
15分までがjgの一番仕事ができる時間帯(ガンクなどレーナーを助ける)
中盤以降はサポートやチームと一緒にtopとbotの視界を交互に取りつつキャッチを狙う
"まずは素直に聞き入れ、試すなり考えるなりしてみる"
"その過程に、何か成長や変化のヒントが隠されていることも多い"
相手に割合ダメージが多い→HPではなくAR・MRを積む
相手にワンコン系が多い場合はマウンテンが重要
上手い味方の近くでプレーする。信頼できない味方��の少数戦を避ける
オラクルレンズの赤いレーダーはブッシュにいた場合、相手からは見えない
赤スマイト→4秒間通常攻撃で追加trueダメ+20%被ダメ軽減
"強くなりたければ、自分ではどうにもならないことは受け入れることだ"
"状況を受け入れて、自分がするべきことを考えて実行する。それが強さへの近道でもある"
味方がトロールしても絶対にtiltしない。tiltしないトレーニングだと割り切り、その中でベストを尽くす
何があっても絶対にtiltしない。感情を平静に保ち、最後まで普通にプレーすることを全てのゲームの目標にする
miaピンを炊かれても暴言を吐かれても絶対にtiltしない。
"昨日より今日、今日より明日、ひとつずつでいいので変わり続けること。大きな成長であっても、煎じつめればそれは小さな小さなひとつの成長の集合といえます" "Brain scans show that for people with a fixed mindset, the brain becomes most active when receiving information about how the person performed such as a grade or a score" "Failure is not fatal, but failure to change might be" "But for people with a growth mindset, the brain becomes most active when receiving information about what they could do better next time"
"People with a fixed mindset worry the most about how they are judged, while those with a growth mindset focus the most on learning"
積極的にタワーダイブしてキルラインを覚える "成長とは、「できないことができるようになること」、「知らないことを知ること」である" タンクはhp減ってても放置する。アサシン、メイジ、adcに張り付いて殴る リードしている時はまずタワーシージをして、壊した後に相手jgを食べる。自陣クリープは食べずに、バロンなどにつなげて試合を畳むこと。リードしている時にファームしていると逆転につながる。リードしているときはとにかく相手jgの視界をとってオブジェクトに圧をかけていくこと finishing strong better AI タイマン勝てる時間帯はどんどんjg狩りに行く
"目標は、一言でいえば、強くなること。まだまだ課題が多いので、それを克服したいです。
まだまだ強くなる余地があると思っているので、それを目指したいです"
まずミッドタワーにシージする。次にjgの視界をとってトップ、ボットのタワーシージを行う
ミッドタワー破壊からjgの視界制圧に焦点を当ててやってみる
"I love football, I've never really taken an interest in anything else" リードしている時はファームせずに、プッシュしてタワーシージするなどオブジェクトにプレッシャーをかけていく。試合のたたみ方を覚える
"ミスをしたときでも「次はできる」とポジティブに考えるほうが、囚われずに済む"
"ひたすら事実認定だけをして分析する。そして次にどうしたらいいのか方向性を決めるだけでいいのだ"
"see losses as a part of the growth process and you don't let them bring you down" "Climbing comes from improvement" "The more I knew about the game, the more I realized how much there was to know" "feel the fundamentals" "internalize the basics" "isolating basic components of a discipline" "practice them not merely until you understand them but they feel natural" "invest in loss" "losses we experience when we compete provide the greatest insights and push us to get better" "losses generate pain but that pain will provide the fuel to focus on the technical and psychological errors you've made and make corrections" "play smarter, not harder"
少数戦で自分のhpが低い場合は味方に任せて離れる
集団戦前に優先順位を決めておく adcはできるだけタンキーな味方と行動する miaピン、暴言、サレンダーなど士気を削ぐ行動をしない。どのような状況でも勝つための方法を考え続ける 相手3人の場合は確実にダイブが決まるためタワーを捨てる 頻繁にタブを見て、育っている相手やビルドを確認する オーバーステイしない。インヒビターを割ったら引く pingを出してフォーカスを合わせる 自分がキャリーしてる時はGA買う 育っている時にタワーと交換でデスしない。育っている時は飛び込まず、キルよりもデスしないことを優先する 相手がマップに映っていない場合、絶対に深追いしない。ピン炊いて引く
集団戦の立ち位置に気をつける。事前にCCの有無を確認しておく。adcの場合はCCにかからないこと。敵が倒せそうでも前に出ない。相手のフロントラインから順番に溶かしていく
レンジチャンプはカイティングする
フラッシュ出し惜しみしない
当たったら致命的なultがある場合は早い段階から砂時計、サッシュを買う
トランドルはタンクに強い
自分が育ってる場合は1v1トレードしない
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takahashicleaning · 3 years
Link
TEDにて
ニティシュ・パドマナバン:老眼鏡を含めた未来の自動オートフォーカス搭載メガネ
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
スマートフォンのオートフォーカスの仕組みを応用しています。
私がこれから話したいのは、最も重要な感覚のひとつ。視覚です。毎日、私たちはほんの少しずつ目のピント調節の能力を失っていて、最終的に全く調節ができなくなります。
こういう状況のことを老眼と呼び、世界の20億人が影響を受けています。そう、20億です。もし、老眼の人が身近にいなくて「その20億人はどこにいるの?」 と思うなら、ここで詳細を話す前にヒントを出しましょう。
老眼鏡や遠近両用眼鏡をかけるのも老眼が原因です。始めに、老眼に至るまでどのようにしてピント調節能力が失われるかについて述べます。
生まれたばかりの赤ちゃんは、6.5センチほどの近さまで目の焦点を合わせられます。20代半ばまでには、その約半分の調整能力の10センチ程度までになります。まだ、十分近い距離なのでその差に気づかないでしょう。しかし、40代後半までには、最も近くても約25センチ。
あるいはもっと遠くなるかもしれません。この時点を越えると読書など近見視力の作業に影響があらわれ、皆さんが、60歳になる頃には、半径1メートル以内のものがはっきりと見えなくなります。
今、皆さんの中には「彼が話しているのは、老眼になる一部の人たちのことで自分には関係ないだろう」 と考えている人がいるかもしれません。
しかし、違います。
文字通り。ここにいる皆さん全員が、もし今そうでなくてもいつかは老眼になるのです。
厄介だと思われたでしょう。老眼は、長いあいだ人類を悩ませてきました。そして、私たちは、様々な解決を試みてきました。例えば、机に向かって本を読んでいるとしましょう。もし、老眼ならおそらくこのような感じに見えるでしょう。この雑誌のように近くのものは何でもぼやけて見えます。
解決策を考えましょう。
まずは、老眼鏡。老眼鏡のレンズは単焦点で近くの物体に焦点が合うように調整されています。しかし、遠くの物体は、焦点から外れます。つまり、眼鏡を頻繁にかけたり外したりしなければいけません。解決策として、ベンジャミン・フランクリンが発明したのが 「ダブル・スペクタクル」です。
今では、遠近両用眼鏡とも呼びます。
遠くを見たい時には、視線を上に。近くを見たい時には、視線を下にすればいいのです。現在は、上下の度数を徐々に変化させ境目をなくした累進レンズもあります。こうしたレンズの欠点はどんな距離においても視界が狭くなってしまうことです。上から下に向かってこのように分割されるためです。
なぜ?それが問題かというと。例えば、はしごや階段を下りている場面を想像してみてください。次の足場を確認したくても、ぼやけている。なぜでしょう?足元を見下ろす時は、レンズの手元用部分で見ますが、手の届かない遠い位置にある次の段は、目からすれば遠方に相当するのです。
次にあげる解決法は、あまり一般的ではありません。
しかし、コンタクトレンズやレーシック手術と並んであげられるモノビジョンというものです。これは、利き目の焦点を遠くに合わせ、もう一方を近くに合わせるというものです。脳は、非常に賢いので、それぞれの視野で最もはっきり見える部分を組み合わせてくれます。しかし、両目とも少しずつ違う物を見るため両目で距離を測るのが難しくなります。
では、どうすればいいのでしょう?様々な解決策を考えてきましたが、いずれも自然なピント調節を復元することはできません。見ただけで焦点が合うということは期待できません。
なぜでしょう?これを説明するために、まずは、人間の目の構造を見ていきたいと思います。異なる距離にピントを合わせる機能を果たす目の部分を水晶体と呼びます。水晶体の周りには筋肉があり、これが水晶体の形状を変え、この形状変化が度の調節につながるわけです。老眼になるとどうなるのかというと、この水晶体が硬くなり形状変化ができなくなります。
さて、これまでに挙げた解決策をもう一度考えてみましょう。すべての解決策にある共通点で、しかし、私たちの本物の目とは異なる点。それは、どれも度数が固定であり、海賊の義足のようなものだということです。では、視力に対して、現代の義足に相当するものは何でしょう?
ここ数十年で登場し、急速に発展している 「可変焦点レンズ」と呼ばれるものがあります。
それにはいくつかの種類があります。機械可動型、アルバレス・デュアルレンズ、可変型液体レンズ。そして、電子切り替え型液晶レンズ。
これらのレンズにはメリットとデメリットがありますが、視覚的な体験については妥協はありません。
どんな距離でもシャープに見えるフルビジョンの視界。すばらしい。私たちが求めるレンズは既に存在するのです。
問題は解決したのでしょうか?そんなに単純ではありません。可変焦点レンズには少し複雑な問題を伴います。
レンズ単体では、どの距離に焦点を合わせればよいのか分かりません。私たちが必要としているのは、遠くを見ると遠くの物がはっきりと見え、近くを見ると近くの物に焦点が合うよう自分で考えるまでもなくピントを合わせてくれる眼鏡です。
私が、ここ数年スタンフォード大学で取り組んできたのは、レンズにこうした正確な判断力を搭載することです。
私たちの試作品では、まず仮想と拡張現実システムの技術を借りて焦点距離を推定します。
視線追跡機能を用いて目が見ている方向を判定し、両眼の視線方向を使って三角測量することで焦点を推定できます。
また、信頼性を高めるために距離センサーも追加しました。これはカメラになっていて視界を見渡し、物体との距離を教えてくれます。
そして、視線方向を元に距離の推定値の2つ目が得られます。
この2つの推定値を照合して可変焦点レンズの度をアップデートするという仕組みです。
次に、私たちが行ったのはデバイスを実際にテストすることでした。老眼の人を100人募り、私たちのデバイスを試用してもらい性能を測定しました。そして、私たちは、この「autofocals」が未来の眼鏡だと確信しました。
参加者はよりはっきりと物を見たり、素早くピント調節ができるようになり、これまでよりも簡単でより質の高い視力矯正体験ができたのです。簡単に言うと視覚に関して「autofocals」は、現在の焦点固定の視力矯正にあるような妥協は一切しません。
しかし、先走りするつもりもありません。まだ、私たちのチームにはやるべき仕事が多く残っています。例えば、私たちのこの眼鏡ですが、少し大きいかも?
理由の一つは、研究用・産業用の大きめの部品を用いているからです。もう一つの理由は、視線追跡のアルゴリズムの制約で眼鏡の全てをしっかりと固定することが必要だからです。
プロジェクトが進み、研究段階から会社設立に向けて、いずれは未来の「autofocals」をもう少し普通の眼鏡に近づけていく予定です。これを実現するためには、視線追跡技術の性能を大幅に向上させる必要があります。
また、より小型で効率的な電子回路やレンズを採用する必要もあります。とはいえ、現在の試作品でも可変焦点レンズの技術が優れた性能を発揮し、従来の固定的な視力補正の性能を上回ることが証明できました。
あとは、時間の問題です。近い将来。いつどの眼鏡を使えばいいのか?心配することはなくなり、ただ大切なものにだけ焦点を当てられる日が来るでしょう。
ありがとうございました。
(個人的なアイデア)
バリーシュワルツが言うように、労働の概念が変わり、地球に居ながら映画アバターのように!その惑星にある資源を使い。
月や火星、土星や衛星などに無人ロボット部品を送り、ゲームのように自宅にいながら共同作業しつつ仕事をすることで高額な賃金が手に入る可能性も高い。
火星や土星や衛星に関しては、有人宇宙船内を無重力工場にして惑星移動期間に3Dプリンター製造、組立を効率的に行うことが実現すれば良いが無人ならベスト。
光速で惑星間通信できるようになったとしても、火星や土星や衛星への通信は、地球からでもリアルタイムで遅延が起きるため、月面のみ、この可能性が開けます!
無重力でもあるため、洞窟に工場を建築して人間の暮らせる環境を作り出すこともできそうです。可能性は無限!この領域に限界はありません!国家や行政府の範囲外なので極端な自由もあります。命の保障はないけど!
このアイデアは、今後数十年、人間の限界を遥かに超える新産業なのでプラスサムになり、地球環境は汚染されず資源エネルギー問題も起こりません。
2020年後半くらいから様々な占いで出てきてた時代の変わり目。それが、西洋占星術で具体的に「風」の時代という形で出てきました。
私が、感じとってたインスピレーションは、たぶんこれかな?
兆しは、世界的な金融ビックバンの1970年代、IT革命のミレニアムの前から出ていたけど。
これは、これまでの約200年間。物質やリアリティの影響力優位「土」の属性の時代から、量子コンピューター、ビットやインターネットなどといった物質ではないものに影響力が増していく「風」の属性の時代に。
そして、本格的に軌道にのっていく属性は、今後200年程続くことになるのです(2020年12月22日から、2100年当たりをピークに少しずつ衰退していく2220年まで)
直前に!
Appleも何かを感じてたのか?Appleシリコン搭載Macの方は、「Mシリーズ」チップに移行してるし、符号してる。
Googleは、量子超越性を達成してきてるし、Facebookも脳波を読み取る機械の開発を発表してますし、符号してる。
イーロンマスクもブレイン・マシン・インターフェース(Brain-machine Interface : BMI)を具体的に発表。これも、符号してる。
続いて
前提として、公人、有名人、俳優、著名人は知名度と言う概念での優越的地位の乱用を防止するため徹底追跡可能にしておくこと。
人間自体を、追跡すると基本的人権からプライバシーの侵害やセキュリティ上の問題から絶対に不可能です!!
これは、基本的人権がないと権力者が悪逆非道の限りを尽くしてしまうことは、先の第二次大戦で白日の元にさらされたのは、記憶に新しいことです。
マンハッタン計画、ヒットラーのテクノロジー、拷問、奴隷や人体実験など、権力者の思うままに任せるとこうなるという真の男女平等弱肉強食の究極が白日の元にさらされ、戦争の負の遺産に。
基本的人権がないがしろにされたことを教訓に、人権に対して厳しく権力者を監視したり、カントの思想などを源流にした国際連合を創設します。他にもあります。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
権限が分離されていても、各権力を実行する人間が、同一人物であれば権力分立は意味をなさない。
そのため、権力の分離の一つの要素として兼職の禁止が挙げられるが、その他、法律上、日本ではどうなのか?権力者を縛るための日本国憲法側には書いてない。
モンテスキューの「法の精神」からのバランス上、法律側なのか不明。
立法と行政の関係においては、アメリカ型の限定的な独裁である大統領制において、相互の抑制均衡を重視し、厳格な分立をとるのに対し、イギリス、日本などの議院内閣制は、相互の協働関係を重んじるため、ゆるい権力分立にとどまる。
アメリカ型の限定的な独裁である大統領制は、立法権と行政権を厳格に独立させるも��で、行政権をつかさどる大統領選挙と立法権をつかさどる議員選挙を、別々に選出する政治制度となっている。
通常の「プロトコル」の定義は、独占禁止法の優越的地位の乱用、基本的人権の尊重に深く関わってきます。
通信に特化した通信プロトコルとは違います。言葉に特化した言葉プロトコル。またの名を、言論の自由ともいわれますがこれとも異なります。
基本的人権がないと科学者やエンジニア(ここでは、サイエンスプロトコルと定義します)はどうなるかは、歴史が証明している!独占独裁君主に口封じに形を変えつつ処刑される!確実に!これでも人権に無関係といえますか?だから、マスメディアも含めた権力者を厳しくファクトチェックし説明責任、透明性を高めて監視しないといけない。
今回、未知のウイルス。新型コロナウイルス2020では、様々な概念が重なり合うため、均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!人間の概念を数値化できないストーカー人工知能では、不可能!と判明した。
複数概念をざっくりと瞬時に数値化できるのは、人間の倫理観だ。
そして、サンデルやマルクスガブリエルも言うように、哲学の善悪を判別し、格差原理、功利主義も考慮した善性側に相対的にでかい影響力を持たせるため、弱者側の視点で、XAI(説明可能なAI)、インターネット、マスメディアができるだけ透明な議論をしてコンピューターのアルゴリズムをファクトチェックする必要があります。
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cosmicc-blues · 3 years
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2021/5/22
朝、Nからの連絡で目が覚める。その内容に飛び起きてガッツポーズ! 大慌てで支度をして、心のアンテナを調律しながら向かいます!
ちょっと胸の高鳴りが止まらないんだけれど、鈴の音を聴きながら歩いていたら落ち着いてくる。ぴょこっとした黄緑色のコケみたいのがかわいらしくて、しゃがんで写真をとる。12時ぴったりに駅に到着。改札前にはほかにも大勢のひとたちが個々に待ち合わせをしていて、人とひとが再会するところどころにぴこっと笑顔の花が咲く。改札から出てきた女のひとがお友達を見つける、とっても嬉しそうにおたがい駆け寄って、控えめながら抱き合っている。男の子たちの集団にさいごのひとりが遅れて到着する、男の子たちはまるでホームランを打ってベンチに帰ってくるチームメイトを迎え入れるように、うぇーいってさいごのひとりに肩をぶつける。そんな再会の様子を眺めていたら、泣いてしまいそうになって、上を向く。
5分になって、階段からまた大勢のひとたちが下りてくる。その中からNとKさんの姿を探す。あれれ、おかしいな、遠くからでもすぐにわかるはずなのに、と思ったら、下りてくるひとだかりの中から一本の手が挙がる。だけども、そのすぐ近くにいるはずのKさんの姿がいまだに見出せなくて、あのラピュタのパズーみたいなひとがKさん? いつもと雰囲気のちがうNの髪型と服装がチャイナかわいくて胸の♡に矢がズキュンと突き刺さる。そしてKさんと衝撃のご対面、経験的にこういうときにはそこに「関係」のような何かが発生して、居心地の悪さといったら大げさだけど、くすぐったさのようなものを感じる。それはぜんぜん悪いことではなくて、いい予感のほうがはるかに多いくらいなんだけど、Kさんの目をひとめみたとき、そこに関係のような何かがまるで発生しなくて、へぇ~って言いながらこっちを眺める生身のKさんがそこにいる。おたがいに初めましてって挨拶を交わしながら、え、これはいったいどういうことって思う。対面してひとのことを見ようとすると、そこに何かしらの機微を感じるっていうか、何かしらの関係のような何かが生じる。だけど、Kさんにはそれがまるでなくて、すんなりKさんのことを見ているし、Kさんにも見られていると感じている。え、なんだろう、あいだに関係みたいな何かがないから、おたがいにすれ違っているんだけど、それだけに相手をちゃんと見据えている? Mさんとはじめてふたりで会ったとき、Nとはじめてふたりで会ったとき、関係していくなかで喋っているじぶんの声が生身にきこえるときのことを思い出している。ふだんは関係みたいな何かの渦にからめとらて、わけがわからなくなって、その渦の流れにのまれるままに喋っているから、それは喋らせられている感じにも似ていて、じぶんでも何を言っているのかよくわからなくなる。だけども、ふたりと喋っているときは、不思議とじぶんの声が録音の声をきいているみたいにはっきりきこえていて、これと似たようなことが視線を介するだけで起きているような感じがする。じぶんの声がきこえるように、じぶんの投げ掛けている視線が見えるような。
NとKさんが今朝のことを相性抜群の夫婦漫才みたいにたっくさん話してくれて大笑いの連続! コッちゃんのこと、より子のこと、カラスのこと、不審な警備員さんのこと、お友達の野田さんのこと、Kさんの壮絶な部屋のこと。Kさんはコッちゃんはカラスをお友達と思ったんだよって言い、Nは怯えていたと思うって言う。不審な警備員さんに対して態度を豹変させるKさんのNの物真似がおもしろすぎる。それから、Kさんの部屋に入ろうとしたときのNの再現も!
Oさんの魚介カリー。三人で来たものだからOさんびっくりしている。Kさんは端がいいんだよね、とNがKさんを優しく気遣う。席についたとき、Kさんとふっと目が合って、涙がうるみそうになる。注文を済ませるまえからKさんのマシンガントークが止まらない! ポン、ポン、ポーンとどんどんはなしが飛躍する。生まれ故郷の島のはなしをしていたと思ったらビールをゼリーにしてみたはなしになっていて、そのふたつのはなしを繋いだのは船の回転するスクリューが起こした泡だったりする。お友達の野田さんのはなしが何度か浮上する。Kさんはけっこうズケズケと野田さんを批判したり、もう会わないようにしようと思ったとか言う。それでもKさんは今朝も野田さんに挨拶をしていたらしくて、批判は批判としてあるんだけれど、それとはすれ違って野田さんのことをありのままに見ようとしているのかなって思う。Kさんのマイスプーン、すっごく小さくて掬えるご飯が少ないうえに、大盛りだし、ずっとずっと喋っているから食べるのが誰よりも遅い。Nとふたり、Kさんの食べ終わるのを待つんだけれど、Kさんがまたベラベラ喋りはじめて、これだから食べるの遅いんだよねってじぶんでツッコんでいる。ごちそうさまでした。
公園に向けて歩きながら、Kさんのこと一瞬で好きになっちゃいましたって伝える。Kさん、首筋に冷たい風のよぎったみたいに、きらいにならないでねって言う。野生のルンバ。Kさんは色んなものを見たり触ったりしながら歩く。まるでそのひとつびとつに挨拶をしているみたいで、じっさいに通りがかったひとにもこんにちはって挨拶をする。行きにかわいいなって思って写真を撮ったのと同じ種類らしき黄緑色のコケみたいなのにも触れる。これと同じかなって写真を見せる、うれしいな。墓場道、いい感じの葉っぱの下に赤い実が落ちている。しゃがんでその実を見ていたら、目のピントがだんだんと密かに蠢くそれに合ってきて、すぐ近くにアリさんたちの大行列ができている。
公園に帰ってくる。Nが大きくなったカモの赤ちゃんに大驚き! Kさんがいつもルリコンゴウインコのいる樹とすっと一体になる。長年この公園のことを見てきて、この樹と戯れているのはルリコンゴウインコとKさん以外知らない。かと思ったらKさん、雨も降っていないのに雨が降ったらこの池の水面に波紋ができるのかなって。まさに雨の波紋のことを考えていた矢先だったから、いきなりそんなことを口走るKさんはやっぱり超能力者なの? 雨の降っていないときでもアメンボがいれば波紋が見られるけど、いまはカモの赤ちゃんがぜんぶ食べちゃっていないって伝える。Kさんはコイたちに熱心な視線を注いでいる。Nが水面に浮かぶ赤い実みたいのをコイが食べては吐き出していることに気がつく、ベェーってすぐに吐き出しちゃう。えさをもらえると思っているのか、コイたちがどんどん集まってくる。コイからはこっちのことがどんなふうに見えているんだろう。Kさんはひらっと泳いだり、飛び跳ねたりするコイたちをみて、色んな芸があるって言う。
小学校のニワトリを見にいこうとするけれど、ニワトリ小屋のところには入れなくて、Kさんはよれよれの草花を持ち帰る。信号を渡って、100均とファミマ。メモ、こんど信号待ちのときみんなと足で踊るやつやりたい。念願のゴザがあって、ゴザを買う。青と黄色と緑。そういえばかよこさん、青の時計みつかったらください! Nに促されてボールも買う。ニンマリ。ボールも買う。Kさん造花を触りながら足に良さそうだと言う。え、どういうことって思って造花を触ってみると、たしかに足で踏んづけたら気持ちよさそう。お茶をひとつ選ぶのにもNのKさんことを想う真心みたいなのがポロっと出ていて涙がうるむ。買い物を済まして横断歩道��信号待ち。メモ、こんど信号待ちのときみんなと足で踊るやつやりたい。空の雲がどす黒い色をしていて、おおッ、きたなって気持ちが盛り上がってくる。さっそく雨が降りはじめる、Nが傘をひろげる。入る? (雨に打たれるの好きだから)まだだいじょうぶ。
屋根のあるベンチで雨宿り。大勢のひとが集まっている。何だったか忘れたけど、子どもが面白いことを言ってクスッと笑う。雨はすぐに弱まって、屋根のなかが少しずつ空いてくる。そこへTがひらひら手を振りながら登場する。(駅で雨宿りしてるってもっと早くに気づけたらな、傘あったから迎えに行きたかったな)大あくびを連発するKさんはコクッと一瞬寝かけている。Tとの挨拶がひとしきり済んで、KさんにTを紹介するときには、Kさんはまたずうっと喋りっぱなしのモードにもどっていて、Nといっしょにこれまでのいきさつをひと通りおさらいする。Nの物真似とか再現がなんど見聞きしても面白くって、面白くって大笑いするたびにKさんもいっしょに大笑いしてくれる。Kさんも気ままに笑っているのだから、いっしょに大笑いしてくれるっていう言い方も変なんだけれど、なんだか「いっしょに笑っている」という感じがして心がぽかぽかする。Kさんはわりと頻繁に、いつもこの時間なにしてる? って質問をする。じぶんのときはOさんのところにいるときだったから、ここにいるよって応えたけども、何かもっと言い方があったんじゃないかっていまになって思う。いつしかKさんの視線が一点に固定されるようになり、その視線の先にはTの目がある。KさんがTの真っ直ぐな眼差しを褒める、そう! そう! そうなの! って全力で同調する! じぶんのことのように嬉しいなぁ。と思ったら、きみはひとのはなしをよく聞けるね、おおらかだね、土地柄なのか、家族の影響なのかってKさんに褒められる。それで何故だか咄嗟に思い出したのがお母さんの家出のはなし。真夜中、お父さんと喧嘩をして激怒していても、一枚、二枚、三枚と、台所のお皿をゆっくりと丁寧に床に落として割っていく。そして、じぶんと弟を引き連れて高速道路で実家に帰る。Kさんはすごいな! そういう表現方法もあるんだなって、お母さんのことも褒める。音と形で、いちど壊れたものは直らないってことを伝える教育だったのかも、とまで。すごいなぁ、そんなこと考えたこともなかった。この家出のはなしはお母さんとの思い出のなかでもとくに好きなはなしで、いつも車に乗るときは弟と後部座席に乗っていたんだけれど、弟は爆睡しているし、子供心ながらなんかじぶんはお母さんの隣に座らないといけないような気がして、そのときはじめて助手席に座ってシートベルトをしめた。お母さんは一言も喋らずに脇見もせずに高速道路をひたすら運転して、くるりの『ばらの花』とか、フラワーカンパニーズの『深夜高速』を繰り返し大音量で流した。じぶんは音楽やその歌詞に耳を傾けながら、色んな光の過ぎてゆく高速道路の夜景をじっと眺めていた。我ながらいい思い出である。
みんなの出会いのはなしになったりして、ツイッターのはなしになったりして、そのKさんの言い回しがどうしても思い出せないんだけれど、ツイッターが歯車のようにうんぬんでみんなを結びつけてくれたんだね、とっても感動的なことを言ってくれて、Nを筆頭にわわわわわ~ってなる。Mさん、それからRとNちゃんもこっちに向かっているらしい。そしたらKさんがいきなり「Nちゃんはやれることちゃんとやっててえらいね!」ってNの肩をガシッと後ろから抱く。わああああっと泣きそうになっちゃう。巨乳になって小5と中2と高2の男の子にお願いしておっぱい触ってもらう夢みた。夢のはなしになって、毎晩眠りに就くとき、いい夢見れますようにってお祈りしていることをはなしたら、Kさんがそうだよね、お祈りって大事だよねって。その一言がとてもうれしい。
Kさんのはなしどれもテープレコーダーに録音しておきたいくらいいいはなしなんだけども、あとで思い起こそうとしても、その言葉の数々はびっくりするくらいあたまを通り抜けていて、なんとなくの印象だけは残っていても、不思議とその言い回しを思い出すことができない。Kさんのはなしには主に二種類あって、ひとつはこういうことがあったっていうある特定のエピソード、こっちのことはまだ思い出せるんだけれど、もうひとつの個別のエピソードに付随する人と人との関係性や繋がりの抽象的なはなしについては、そのどれもに深く共感しているのにも関わらず、具体的になにを言っていたのかはイマイチ思い出すことができない。とにかく大量の言葉を発しているからというのがひとつ、南方熊楠みたいにキーワードひとつではなしがどこかに飛躍して、いつかの絵しりとりのように文脈が途切れているというのがひとつ、でも、それだけではないような気がする。とにかく大量の言葉を発しているのに言葉はいらないんだ、とも言う。それでも言葉を発し続けるKさんのはなしをどうにか汲みたいと思って、とりとめもない全体像を思い浮かべる。ところどころのはなしに散りばめられた「挨拶」ってキーワード。もっとシンプルに声掛け? というか一歩その対象にこちらから素直な気持ちで歩み寄ろうとすること? そんなような何か。さいしょはKさんのことをとらえどころのない不思議なひとだなって思っていたけれど、だんだんとこのひとは、ものすごく小さくて細やかな信念みたいものをひとつびとつ丁寧に丹念に、いまにも崩れ落ちてしまいそうな積木みたいに、どうにか積み重ねようとしているんじゃないかってことを思う。やれることやっててえらいね! って言葉に、言葉はいらないと言いながら、それでも周囲の発する機微のひとつびとつを言葉にして掬わないと気が済まないKさんの律儀な性根。Kさんにいきなり歯並びきれいだねって褒められる。ほら、私もきれいなんだよって前歯を見せるKさん。そんなこと大昔に恋人に言われたっきりだから照れちゃう。
そんなこんなで雨上がり、芝生にゴザを敷いて、念願のキャッチボール! 楽しいなぁ、ほんとうに楽しいなぁ! 四人でぐるぐるボールを回し合う。そこにお待ちかねのRとNちゃんが池の石橋をてくてく渡ってくる。R髪の毛のびたね、いつものジャージだね。Nちゃんはじめまして。このあいだ思いがけずケンカの火種をつくってしまってごめんね。なんかぐるっと芝生の上で円になっていて、どっちが先に言ったか忘れたけれど、Nちゃんって呼びかけていて、Nちゃんも名前をただ呼びかけてくれる。そのたったの一言から、何でも知ってるよ、何でもわかってるよ、何にも知らないかもしれないし、何にもわからないかもしれないけど、だいじょうぶ、ぜんぶ何でも受け入れられるよって感じのすごい大きな朗らかな気持ちが伝わってきて、いい子だなって思う。Nちゃんは一人称がじぶんの名前で、それがとっても似合っている。なんとなくAさんのことを思い出す、Aさんも一人称がじぶんの名前で、いつも朗らかで、スクッとまっすぐ地面に立っていて、面倒見がよくて、良くないと思うことはちゃんと良くないよって言ってくれる。Nが「ね、みんないい子でしょ」って宝物を見せるように言うのがとてもうれしいね。Mさんから、美容室の予約があって、来てもすぐに帰ることになっちゃうから今日はやめとくって旨の連絡がくる。そのことをきいたKさんが「いいね、予約してあるから来られないってことちゃんと伝えてくれるのがいいよね」って旨のことを言う。次々とあたまを通り抜けてゆくKさんの言葉のなかで、このことはあたまにはっきりと残っている。あまりにも当たり前のことを当たり前に褒めているから、かえって耳に残ってしまったらしい。もしかするとKさんの名言の数々がすっぽりあたまを通り抜けてしまうのは、あまりにも当たり前のことを当たり前に肯定してくれているからなんじゃないかって、そんなことを思う。その当たり前のことは人と人とが関係していくうえで、うやむやに、曖昧に、何となくそこらじゅうの人に身についていたり、おろそかにされても大して気にもされないような些細なものかもしれなくて、でも、Kさんにとってのそれらは当たり前なんだけれど当たり前じゃない、当たり前じゃないんだけど当たり前なそんな些細のことを草の根の運動のようにひとつびとつ積み上げようとしているようなそんなような気概を感じる。お昼にはじめてKさんと出会ったときの不思議な感覚の謎が解けていくような感じがする。もしかしたら、あのときKさんとのあいだに感じた関係の途切れのような何かは、うやむやに関係の渦に巻き込まれるまえに、まず相手のことを関係されてしまうまえのありのままの生身の姿で見ようとする意志の表れだったんじゃないかってことを思う。ひとでも動物でも植物でもものでも、ありとあらゆるこの宇宙のものは個々にそれぞれにそれらだけの固有の光を発しているって思う。そう思っている。ナイーブに言えば、そういうものものと関係していくことは、そのひとつだけの、それだけでひとつの膨大な宇宙のようなものから、じぶん都合のものだけをつまみ食いするようなふうになってしまう。たとえば、掃除機をゴミを吸い込むための道具をみなすように。必ずしもそれが悪いことだとは思わない。人と人でも、人とものでも、関係してなんぼだと思う。関係していくなかで(たとえば、じぶんに固有の光を誰かにわかってもらえないとかして)傷ついたりすることもあるかもしれないけれど、ちょっとずつ、ちょっとずつでも、ひとつずつ、ひとつずつでも、完璧な関係なんてものはないかもしれないけれど、よりよい関係にしようとやっていきたい、そのための草の根の第一歩として、まずは関係するまえのありのままの姿を見ようとする、そんなようなKさんの気概が、ある道具をそれに求められている用途とはまるでちがう仕方で使おうとすることに表れているのかもしれない。こんなことを書き連ねるじぶん自身も、Kさんやみんなをじぶん都合のものに落とし込めているのかもしれない。この日記を書きはじめた当初、その日の空がきれいだなって思ってそのことを書こうとしたんだけれど、きれいって書いたらそれ以外の何かが欠落してしまうような気がして、そのことを書けないって書いたことををよく憶えている。それからはどう思ったとか、こう思ったとか、そういうことを書くのをなるべく差し控えて、みたものをそのままに書くようにしていたように思う。自然のこととか、じぶんとは直接あんまり関係のないひとのこととか、そういうことを。だけども、みんなと出会った頃からこの日記のあり方も変わってきた。じぶんと直接的に関係のあるものごとについても、その関係の渦中から書いていきたいと思った。きっかけは大好きなみんなのことを書き残しておきたいっていう素朴な理由なんだけれど、それは関係の渦中からしか書けなくて、いままでのようにはいかなくて、どう書いたらいいんだろうってことの以前に、どう関係したらいいんだろうってことがまるでわからなくて、そんなわからなさにさいしょのヒントをくれたのがHさんのからだを張ったさよならの仕方だった。それがものすごくうれしくって、みんなのことよくわかるような気もするし、ちょびっとしか知らないけれど、それでも、それでも、ちょっとだけでも、思っていることや感じていることを言葉やからだで表に出して伝えられたらなって思う。
友達が少ないってはなしをしたらRが意外だという。Kさんも友達が少ないらしい。でも、いまはこんなに友達できたよ! 円になってしばらく立ちばなしをしていたら肌寒くなってきて、円をひろげて6人でキャッチボールを再開する。ぐるぐる、��るぐる、隣から隣へボールを投げる。Kさんのボールをキャッチして、Rにボールを投げる。RはNちゃんに近距離にもかかわらずけっこうな速球を投げる。Nちゃん、ちゃんとキャッチしていてすごい! だんだんと野球部の練習みたいに捕っては投げ、捕っては投げが速くなる。逆回転、Rがイノシシみたいな怖い顔で剛速球を投げつけてくる。しかも、ためて、ためて、ためて、いきなり投げつけてくる。捕れたときは手のひらがジーーーン。捕れなくて池ポチャ、ボールが思ったよりも水を吸い込んで、水を切っていると、誰かがラーメン屋の湯切りみたいって、みんなラーメン屋の湯切りの真似をしている。なんて愉快なんだぁ! Kさんの胸をめがけて軽く抜いたボールを投げる、Kさんが捕り損ねると胸ポケットの小銭がチャリンと心地よい音を鳴らす。Kさんの投げ方はドカベンの殿馬みたい。このあいだTと投げ合ったときには容赦ない力の込められたボールがきたものだけど、Nに投げるときはとても捕りやすそうに投げている。またRが怖い顔で凄んでくる、顔が怖いよ~って言うと、Rはサイコパスみたいなヤバイ笑顔になり、それがもっと怖くて笑ってしまう。からだが温まるというか暑いくらいになってきて、みんなゴザのところに集まり、Rを誘って二人で投げ合おうよ。ちゃんと距離をとって投げ合う。Rにフォームがきれいって言われる。エッヘン! 真っ直ぐがいい感じにRの胸に届く。ためしにスライダーを投げたらくくっと曲がる。フォークを投げようとしたら指から抜けなくてワンバンになっちゃう、走らせてごめん!
お腹痛いのをおして来ていたTがひと足先にバイバイ。ひらひらと遠ざかって姿が小さくなってゆく。恐竜みたいとも思ういっぽう、名前のとおり蝶々みたいだなぁとも思う。またね!
ゴザに寝転がって主にKさんのはなしをきく。数時間まえからNが頻りに「Kさん今日はたくさん喋って疲れたねえ」ってKさんの背中を撫でながら優しく労わるんだけれど、Kさんのマシンガントークはいっこうにおさまる気配なし、それどころかより加速さえしているような……。ここでもNの物真似と再現が炸裂して、何度見ても大笑いしちゃう。それから今回がはじめてになる神社に参拝したときのKさんの物真似「きょうも元気で楽しいです、ありがとう!」Nが、私はお願いごとばっかしてたのにKさんはって。ううぅって、とうとう感動して泣いてしまう。それから話題は主にNちゃんとRのことに。Nちゃんがじぶんで「Nは男気あるからな」って言う。その自信にあふれた強い一言にとても好感をもてる。Rが軽くKさんに説教されるようなかたちになって、ニヤニヤしちゃう。ここでもKさんはごめんね、とか、ありがとう、とか、些細なあいさつのことを言っている。でも、きみは素直だな、飾らないところがいいよって説教しながらもRのことを褒める。同棲のはなしから、じぶんにも同棲生活が長くあったはなし、それから、頑張り屋さん、もがいているひと、あがいているひと、悪あがきしているひとが好きってはなし。たぶん、それはじぶん自身も悪あがき好きで、悪あがいているときに生き生きとしているからなんだと思う。なんでいっしょに暮らそうと思うんですかってRからの質問に、だって好きだったらずっといっしょに居たいと思うでしょって。それはそうだけどKさんが言うと不思議な感じってR。なんだかその一言が引っかかっていて、こんどどういう意味なのかきいてみたい。
重ねがさねにトイレ、Kさんの姿がふいに見えなくなってちょっと不安になる。まあ、だいじょうぶだろうと思いながらもKさんが帰ってきていないことをNに伝える。Nはとぼとぼ広場のほうに歩いてゆき、小さくなったNがぽつんと広場の片隅に立っている。空はもう暗くて、そのぽつねんとした後ろ姿を見ていたら何となく胸騒ぎがしてきて、そういえばKさんが空のペットボトルをわざわざ持っていったことが急に気がかりになってきて、じぶんもKさんを探しにいく。どこにもいないねってNと合流、星に帰ったのかな、公園を半周して元いた場所にもどってくるとKさんはふつうにそこにいる。かるく迷子になっていただけだったみたい。よかった! 信じられなかったことがちょっと悔しい!
さよならの時間、どぎまぎしながら駅に向かって歩く。それぞれに方向も状況もなにもかもちがう。Rが来たばっかりなのにもう帰るのかって。その素直な気持ちがうれしくて、それだったらうちに寄ってく? って言いたいんだけれど、早朝の朝5時から活動しているKさんとNのことを考えると口どもってしまう。そういうときにも素直に思っていることを伝えて、これこれこう思うんだけどどうってことをうやむやな関係に流されずに伝えていけたらって思う。そういうときいつも矢面に立って、どうにかしようと頑張ってくれているのがNだ。その姿勢を見習っていきたい!
まずNちゃんとRを見送る。電光掲示板の数字のことからNちゃんに、ひとよりちょっと目のいいことが唯一のとりえだよって自虐的に伝えてしまったけれど、そのことはけっこう本気で自慢に思っているよ。電車が走りだして、窓枠からNちゃんの顔が見えなくなったとき、Nちゃんがひゅっと顔を覗かせて、また(^^)/を見せてくれたとき、すごいうれしかった。階段を渡ってNとKさんも見送る。すぐに電車きて、ふたり乗る、向かい合う、いい表情、目がとってもいい、走る。
Kさんのようになりたいなって本気で思う。ちょうど10歳差、10年後、Kさんのようになれたら、いや、なってやるぞって強い決意をかためる。かためさん。
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okuizumi-risako · 6 years
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180610-12
誰もがそうであるように”いい建築”が好きだ、ただ、誰もがそうであるのかよくわからないくらいに、”空間の質”みたいなものとの対峙は、とくにそれが架空の、机の上のプロジェクトであれば尚更、難しくなっていることを感じている。質、を表現しようとすると、ついつい、機能や条件や構造などのっぴきならない事情から生み出された建築の持つ、事後的な一面、その中で起きているハッとするような瞬間、急にコントロールされたと感じたり、開けたと感じたり、意味深に重なっているオブジェクト同士の関係、などなど、そういった……事後的に起きた(あるいは意図して、余剰として起こされた)特別なことばかりに注目しようとしてしまう。けれどもこれは、愛情の対象との、むちゃくちゃに頭の中で何度もリプレイしたくなるほどの一瞬みたいに、その瞬間は温度とか角度とか距離とか天気とか全てが完璧で本当にめちゃくちゃ最高、、だったんだけれども、感情の中には実は別の、あらゆる下賤な質なものも混じっているのと同じように、何かその聖性だけを取り出して語るのには違和感を感じる状態、という感じである。聖性だけを語るのには違和感を感じると言っても、この世にあるものはほとんど、聖性だけを振り切って語るか、あるいは聖性に到達しようとして別の問題を延々語って、そこで時間が来てしまったようなことばかりで、困惑する。ただ、何にせよ、いい空間みたいなものへの神話をそれだけ取り出すと、どうしょうもなく抽象的なものにしかならない。抽象化は、本質に近づくようでいて、実は単なる省略に過ぎない気がする。削ぎ落とすことでわかるのは人間の認識がどう関わって面白いのか、というポイントだけで、その状況を生み出すことの理由にはならない。
興味のあることは何か。建築について、ずっと、「すでにある世界に建つべき彫刻(室内もあり)」みたいな認識を持っていたような気がするが、そうではなかったということ。建築は、動線と呼ばれる場所という場所を、隅から隅まで、主にアイレベルという位置で、スキャンされるように舐め回されることを前提としている。私たちの目はカメラみたいなもので、けれども、知覚はそんなに平等ではなく、勝手に何か一つのものにフォーカスし、それ以外のものを全然認識していなかったりする。その、カメラみたいな私たちが常に動き回っているということが、建築の、あるいは空間の、あるいはシークエンスにとっての、重要な一つ目のファクターになっていることを、案外忘れがちであるように思う。ブルーノムナーリの役に立たない機械では、吊り下げられた平面構成がくるくるとわずかな風に回転していて、色だとか形だとかが本当に劇的に変わっていっていた。ただ私たちは、固定された椅子に座る観客ではない。私たちは、鮮やかな黄色い面が裏側に消えていったのを、追いかけて見続けることができる。建築はこの”機械”みたいに動くわけじゃあないんだけど、その隙間を覗くか、その物同士が揃うか、線を揃えるもずらすも、覗き見るも目をそらすも、気づくも気づかないもてめえ次第だというところがめちゃくちゃ面白い気がする。「第一の部材としての身体」みたいなことが言えそうだぞと思ってみる。
建築は、鑑賞者が常に動き回っている映画です、みたいな言い方をすると、スリランカ、ジェフェリー・バワのルヌガンガのアプローチの優秀さが思い出される。地形の起伏と広さにテクニックが合わさると、シーンは何段階にも拡張される。まず、鬱蒼とした通路があるのだ。背の高い幅も広い木に囲まれていて、薄暗くて、ちらつく隙間に、向こう側にはヴォイドがある気はするんだけれども、決して視線は抜けない。右にわずかに湾曲していく通路に従って歩いていくと、建物の端と、その中間に埋め込まれた西洋風の頭像が見える。決して全貌は見えない。印象に残るのはその頭像だけだけれども、それが、壁らしきものに埋め込まれているというのははっきりとわかる。まあ、そちらには行けないので、道なりに進んでいくと、階段がある。わずかな段数で、階段の中央には木が植わっている。木の右、左、どちらを選ぶこともとくになく、素直に近い方の左側を通ればいい。ベンチが見える。ベンチ、というにはかなり大きな、しかし座る場所は片側に寄った屋根付きの休憩所があって、ああここでようやく、鬱陶しいスーツケースなどを下ろすことができる。ポーターが荷物を受け取ってくれ、それらを整理しながら、少し座るように促す。座れば、身体は、半分もと来た方角に振り返り、グラスハウスのピロティ部を向いて腰かけることとなる。一階部分は柱だけが落ち、二階は二面がガラス張りでかなり視線が抜ける、エロティックなベッドルーム。それに対し、私たちは横目で見るわけではなくて、腰かけて真正面から対峙する。荷物が運ばれ終わると、合図があって、ついにもともと進むはずであったレセプションエントランスの方に歩いていくことができる。階段をまた数段上る。婉曲した手すりが左手に、そして、さっき見えた西洋の頭像。ここで、視点は、あ、さっきの像だ、と数秒ロックされる。この数秒、気がつくのが遅れる。左手を見る、恐ろしいほど抜けたヴォイド、遠方に向かって緩やかにむくっている丘がある。丘の途中の木の下に壺が見える。その位置が、ジェフェリー・バワの墓だ。身体の力が抜けるくらいの、不意の抜けであるが、私たちはチェックインしなければならない。レセプションの入っている、大きな建物の入り口に向き直る。丘からくるりと後ろを向くのだ。建物の中は暗い。暗くて、大きめのドア型の開口が空いてい��、とくにドアはない。入り口の反対側、建物の向こうの端にも、同じだけの大きさの開口が空いている。黒い空間の中を貫いている直方体の光。そこにまた、別の壺の輪郭が影を落としている。この時には犬のお尻も見えた。その壺の方に歩く。開口を抜けると、そこは湖のほとりであった。 ここまで執拗なほどにスマートなアプローチを今までに観たことがなく、これは建築ではなく映画だ、と思った。ここを歩く私たちは、空間の意図通りだ。ただ、空間の意図通りに歩くことがいいのか悪いのかは、未だにわかっていない。どこまで抜くか?という問題がある。
少しだけ見せて、全部は見せない・自然な身体の動きに伴い、光景を変えていく・アイキャッチによって、象徴的なビューへの気づきを遅らせる・緩急をつける、狭さから広さへ、暗さから明るさへ。当たり前のことだな。ただ、アイキャッチによって「気づくのを遅らせる」というのは結構重要なことかもしれない。気づかせるための、あるいは誘導するための手法ではなくて、あなたがその光景に気づくまでの時間を数秒引伸ばすこと。
映画であればフォーカスは私たちの目ではなくてカメラのレンズであるわけだから、基本的にコントロールされてしまうということができるんだけど、現実に場を訪れる人々をコントロールしてやろうというのはなかなか難しい。余計なところで振り向くし、うつむいて歩いたり、考えごとをしていて何も見ていなかったり、おしゃべりに夢中だったりして、別に空間なんて不快でさえなければ目立ちもしないというわけだ。気にも留めない完璧な背景になることができれば、それは空間として成功しているとも言える。映画やアニメーションの世界では、フォーカスやピントはもっと作者の自由自在なものだから、遠景で見ていたあの子の虹彩の中まで飛び込んでそこに違う世界を見出したりもできるわけなんだけど、そこに身体的な速度制限がかかるのが建築なわけだ。1分間に約80m、まあ基本的に室内で猛ダッシュする人はいないってことで、80m分の世界しかその間には見られないということになる。だとしたって、われわれには遠くを見る能力も、覗き込んだり振り返ったりする自由もあるわけだから、把握できる世界はその分広がるわけだけれども。この1分間、次の1分間、そしてまた次の1分間と次々見えていく世界の中で、以前すでに見た世界との重なり、類似のビュー、伏線回収、すべての情報が新規にならずに繋がっていくような状態は面白いと思う。そのようなプログラムは一体?という感じがする。果たして?
空間を中心に置こうとした時に、どうしても機能や状況がないがしろになるからダメなのだ。空間のための空間というのは建築家のためのものでしかなく、その方向に抽象化することは、核心に近づくどころか建築である理由を捨てて逃げる行為だ。オブジェでも作っとけ。ある程度の美しいものを作ることは、ある意味ではとても簡単。
言語が文化と紐付いているように、ある言語に少し触る、あるいはある言語での特殊なコミュニケーションに触れることで到達する表現の世界がある。1語聞き取れるだけで急に記号が意味を持ち始める状態。建築物は構成要素が多く、完成されたものとして放置しがちだが、大きさがゆえに案外その組成が明らかになることも多い。接合部、表面の装飾、少しだけ欠けたコンクリート、覗く小石 etc..  急に情報量を増やすことは、その建築を未だに見尽くしていない感覚をもたらす。抽象的な内部と手摺、手摺の接合部にだけやけに情報がまとわりつくなど。現実なんだから当然全部を見尽くせるわけもない。全部を見尽くさなくても「機能上必要なものは全て見終わりました」という気持ちにすぐになる人間を、その状態にしてやらない技法。この場所はもう行ったから知っている、で終わらない情報量の置き方。あなたは一度だけ訪れる特別な場所のために設計を行っているのではないかと聞かれたことがあるがまさにそうなのだろうという気がする..  繰り返し訪れることの意味を設定するとすれば、繰り返し訪れなくてはならないプログラムか、あるいはもっと知りたくなるだとか、そういう理由がふさわしいだろう。DVDボックスを買いたくなる映画。記憶のとっかかり、繰り返し観ても気持ちの良いリズム、あるいはもう一度観る必要があること。別に、建築じゃなくてもいいのだ、でも、多分図鑑でも写真でも記録でもダメ。仮想のプロジェクトとして魅力があること、というのはかなり難しい。提案からディテールまで。ひとつながりだと嬉しい。
ディテールと構成の話とつながるようで繋がらないような絶妙な位置にあるものが、空間の立体感と平面性の話、ルイジ・ギッリにトリミングされたポスターとその後ろの光景は、やけに対等で妙な存在感を持つ。手摺の向きと開口の向きが揃うことは、空間の平面性に影響を及ぼすに違いない。あるいはピクサーの、アップビューを引いていったら壁に貼ってある絵だったとかなんとか。嘘の光景と本当の光景を混ぜるような話。建築は全部本当だけれど、一瞬なんだかわからないことは起こり得る。でもそれって結局設計者のためなのか?訪れる人にとって、空間の驚きなんてもの、なんの意味があるのか。ハイ・リテラシーな人間に無意味なサイレント映画を延々見せるような設計はあまり褒められたものじゃない、プロジェクトとは果たして。機能に付随して生まれてきてしまう空間の驚くべき状態とは何か。機能でガチガチに定められたものが、人間のスケールとはまた違った、別の論理を持ち、それは人間の身体性を解放するだとかそういう話もあったけど、それにも一部は賛成で、また一部は反対というような曖昧な会釈しかできないけれど、寧ろ混入してくる風の揺れとか、勝手に演出に関与する自然物の方に、あるいは別の登場人物たちの方に興味があるね。群衆はそれだけでマテリアルであるという感じがする。大勢がいるときといないときの空間の見え方。何を解決するか。これもプログラムのヒントっぽい。そしてトリミングでもう一つきになるものは、どのくらい意味が削ぎ落とされてしまうかということ。ただの線だけになったアトランテの写真を見ましたか?あの写真の中には、得られる情報は何もないけれども、あの写真の中にあるのは確かに地球についての情報だ。そういうところにそそられる。Tender Tenderはなぜ覗くか?情報を絞った上で見る、一枚噛ませて少し抽象化する、これも時間をかさ増しするための方法っぽい。
時間のかさ増し。あなたの視線を数秒間だけロックするための手法。無駄に歩かせるアプローチ。二度同じものを見させる。まだ見終わっていない気にさせる。時間から基本的に自由であるはずの建築において、シークエンスのことを考えてみようとすると、どうやら「少しだけ時間を頂戴しますが、いいですか?」という方向につながるらしい。何にも引っかからず、シームレスに通り抜けられてしまう建築が最短のものだとしたら、さて。「遅れる」ということにもつながる。
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araihiroyuki-nigaoe · 3 years
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ヒントでピントは土居まさる!!! 
ヒントでピントは土居まさる!!!
#土居まさる #象印クイズヒントでピント #象印マホービン #テレビ朝日  #クイズ番組 #似顔絵 #illustration #挿絵 #イラストレーション #イラストレーター #illustrator #イラストレーター荒井浩之
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38nakao · 4 years
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ぐらとぐら
2020.04.14>>04.15の夢  デート、いやこんな表現やだ、とにかくすごい幸せな夢だった。幸せすぎてなにしたか忘れた。 たぶん7時半には起きてて、野原のある川沿いにあと誰か2人といて、ギターを弾いたりしてて、気付いたらひとん家の庭にいた。芝生の緑を夕日がオレンジに染め上げようとしているのがきれいで、その光に向かって帰ってく子どもの群れがその光景の尊さを加えていた。
 構図が見事で、写真に残そうとした。ポッケに手を突っ込んだらスマホがなくて、ちょっと慌てつつ撮影した。そわそわしたわたしに彼が気付いて、横向きにスマホを掲げるのを観察された。ピントがなぜか上手く合わず、タイミングを逃すんじゃないかとまた慌てた。一応撮れたとは思うけど、見返せないから分からない。
 合間は忘れたけど、お腹が空いたねみたいな話になって、野原で一緒にいたもう二人はいなくて、完全に二人きりだった。急に彼が親御さんに会いたいとか言ったんだっけ。わたしは「いやこのひとは彼氏とかじゃいから」とか両親への言い訳を考えていた。
 夏目くんはたぶん白いベッドのうえでごろりと寝るか深く腰かけるかして、何だか眠そうだった気がする。たくさん動いて、たくさん遊んだから。どちらかが、朝7時半には活動してたもんね、と言った記憶がある。わたしは無理しなくても良いよと言った。親に会わせたくなかったからだ。
 でも、夏目くんは「いや、でも今日は朝にふつうのひと(?)と会ったから最後もふつうのひとに会いたい」 みたいなお願いをされた(活字にしてみるとなんのこっちゃ。夢の中だと気が狂う、しかも恋愛の夢だからトチ狂ってる、しかもその時は気づけない)。お願いされたら聞かないわけにいかない。
 言い訳を考えてたときに既に手に取り、待ち受け画面を右往左往するだけだったスマホで、通話アプリを探す。19時を過ぎていたから、両親は既に家で食事をしているはずなので安心していた、夏目くんと二人のままだ、と思ってたのにふと「晩ご飯要らない」とメールの一通も寄越さなかったことに気付いた。
 青ざめた。やばいやばいやばい怒られる。案の定、すごく怒られた。電話しても出なくて、そのまま留守番サービスに繋がったのだが、そこに母の怒り、情けなさが凝縮されたメッセージが淡々と残されていた。先週の日曜日、実際に連絡を怠ってめちゃめちゃに怒られるという事態があったので、あまりにリアル感が強く、他の幸せすぎた時間もすっかり忘れてしまった。親に一報いれていれば、いれていれば、いれていれば。幸せのままだったのに。
 あの後、夏目くんと二人きりでご飯食べれたのに。怒られたときは電話越しだったか、何故か親がワープしてこっちに居た。その後何故か、正文おじさん一家が来た。光太郎くんと純平くんはわたしが夏休みに福岡へ帰省していたときの姿だった。わたしが怒られ終わると、純平くんが台形の面積を求めていた。
 光太郎くんが何かヒントか話してて、純平くんはそれを理解していて、ここがxで高さはUFOが飛んでる高さだから、底辺×高さ÷2で、こっちとこっちで上下に分けてどーのこーの言ってた。それを夏目くんが見てた。ここいらで完全に夢のスポットが夏目くんからいとこに変わった。その後のことはまるで思い出せないから、ここで目が覚めたのだと思う(この日記も夢の中でさんざ活躍したスマホで打っている。目が、と打とうとして「女が」と予測に出てきた。その通りだ)。
 この日記、出来るだけライブ感を出したくてあまり推敲したくないのだけど、一応読み返してみたら最初はぼかしていたのに途中から忘れて「夏目くん」と名前をくっきり出している。別に知り合いじゃないし、ただの好きなミュージシャンなだけなのだからぼかす必要もないんだけど、公開されてるもんだから気恥ずかしくて。昨日見た夏目くんの最新の日記に、飼ってる猫の名前をすぐに教えないんだけど吉岡里帆にはすぐに教えた、という自慢があった。ちょっと羨ましいなあ、可愛い女の子はいいなあと思って、その後恋愛についていろいろ巡らせ、最終的にわたしは恋愛に向いてない! でピリオドを打ったはずなのに、直後にこんな夢を見ちゃって更に恥ずかしい。でも夢の中でとても幸せだったから、忘れたくなくて残しちゃう。
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honryu-report · 4 years
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《あなたの知らない奔流中国の旅》
前書き:                                      
前から奔流の参加者の思いが募る文集を作りたいと思っていた。張さんは旅に生きていた。自分の思想を人に押し付けることなく、いつも自分らしく自由闊達に生きていた。その生き様は、一つの芸術作品のようでもある。私たちも張さんから受け継いだ精神というべきかその思想を何らかの形で残したいのだが、文字にしてしまうとそれはとても小さく見える。私たちの旅は書き尽くすことができない。しかし、今は奔流にとって大変な時。自分たちの青春の中でもっとも素晴らしい思い出を、生涯の誇りを守るために、ここで一丸となり、形のない、奔流という旅を語り合いたい。奔流は人の流れ、私たちの中への流れでもあるのだ。
そうして気づいたことは、自分を深く見つめ、深く知り、世界を深く見つめ、深く知り、世界と自分を深く思索することで、奔流の旅は私たちの未来にもつながる。 この旅の意義を社会に証明し、あなたの今まで見ることのできなかった世界とも出会ってほしい。
そんな世界を提示してくれた張宇氏に感謝!
奔流中国 参加者 2020年1月
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旅は芸術
私は旅をしたくありません。世界各国をめぐられた私の仲間たちには申し訳ないのですが、旅を積み重ねたところで善い人生を    送れることなどなく、また優れた人格を形成できるわけでもありません。むしろ若く貴重な時間を無駄にし、虚しく偽りの自信に捉われる危険性を持つ旅を、私たちは忌避すべきです。このことはアウグスティヌスが鋭く言い表しました。
「人びとは外に出て、山の高い頂、海の巨大な波浪、河川の広大な流れ、広漠たる海原、星辰の進行などに賛嘆し、自己自信のことはなおざりにしている」
(『ルネンサンス書簡集』近藤恒一編訳より抜粋)
 まさしくこの言葉の通りで、我々人間は自然の現象ではなく自らの精神の鍛錬、つまり日々の生活こそを大切にし、より善く過ごせるように努めるべきです。成し遂げたい目標があったり、大きな夢がある場合は、なおさら時間と金銭の浪費となる旅は避けるべきではないでしょうか。だから私は、旅をしている時間があるのなら、日々の日課に打ち込み、与えられた仕事を精一杯こなした方が遥かに自分のためになると考えています。それをせずに旅ばかりにうつつを抜かしているとすれば、それは現実逃避以外のなにものでもありません。
 ところで、今このように述べ上げたことは、これから私が話す内容とは無関係です。この話はここで忘れて頂きたい。私がどうしても話したいことはもっと別の問題なのです。
 ヴィルヘルム・フルトヴェングラーという人物をご存知でしょうか。彼は二十世紀を代表する伝説的指揮者で、クラシック音楽界に与えた影響は計り知れず、死してなおその威光は輝き続けています。彼の演奏は心の奥底に響き、魂を揺さぶり、ひと度その演奏を体験すれば、人は音楽そのものの意味を再考せざるを得ないと言います。彼の著書である『音と言葉』には、その偉大なる人物の心に汪溢する音楽への愛念が滲み出ています。自著の冒頭にて、彼は「すべて偉大なものは単純である」という箴言を用います。この言葉こそ私がこれから拠って立つ原点であります。
 なぜ偉大なものは単純でなければならないのか。この言葉は芸術家のためのものです。単純とは「全てを見通して正しくその全体をつかむ」という意味で、ここでの全体とは「この世界を全様態において反映する、世界の分離した一部分」です。つまり、この世界の一部分の全てを正しく見通している作品が、偉大だということです。このように世界を作品の中に単純化することは容易ではありません。不断の努力から得られる強靭な力と、意識の変化を鋭く読み取る直観がなければそれを成し遂げることはできません。芸術家にとっては、作品は単純であるからこそ偉大たりえます。
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 ところで、私は2011年9月、奔流中国グレートキャラバンの旅に出ていました。バインブルグ草原やゴビ砂漠を、時には馬で駆け、時にはギターを弾き歌を歌いました。そこでの生活は至極単純で、本���の意味での旅がそこにありました。朝起きて、日中は馬に乗り、夜は食事を火を囲みながらとり、歌や踊りを楽しみながら目的地を目指す。その生活の中にいったいどれだけの苦痛と喜びが混在していたことか!
この旅行の引率者でありNPO法人の代表である張宇氏は、「旅とはアートである」と言います。旅が芸術だと一般的には受け入れ難いでしょうが、まさに旅とは芸術そのもので、世界のさまざまな要素を時間と空間に閉じ込めて、人びとに体験させるものです。私たちが体験した場合では、���倒的な自然やそこで暮らす人びと、馬や遊牧民たち、歌や踊りとそれらの全てを通じて私たちの心の中に湧き上がる感情を要素として、限られた時間と場所に旅の芸術が集約されていました。音楽が時間の芸術と言われるに対し、旅は時間と空間の芸術と言えます。もっと突き詰めて言えば、旅とは人生そのものを有限的な世界に表現する芸術です。青く広大な空やその中を飛ぶ白鳥も、また雄大な草原やその中で咲くエーデルワイスも、あの旅の要素の一つでした。
ですから、この場合も芸術として旅を見るならば、それは単純であるべきではないでしょうか。古代シルクロードはまさに旅を人生とした人たちによって作られていきました。もちろん彼らは日々を生活する人間であり、決して旅を創り出す芸術家ではありません。ですが、私たちが体験した古代人が創り出したシルクロードへの旅は、なんと芸術的だったことか!そこには人間の人生そのものが、単純に集約されていました。人が生きていく上で求める最初の根源的なものと、日常生活を善く生きるために必要な知恵や力を、私たちは擬似的に体験したのでした。あの旅は張宇氏の人生そのものでもあり、私たちの人生そのものでもありました。思うに、全ての芸術において最も大切な始源はこの点にあります。
 つまり、どんな芸術も、最初はそれを創り出す人、または体験する人の人生そのものでした。それこそが偉大なる単純さの源であり、私たちに感動をもたらす泉です。そこから芸術は大いなる奔流となって人びとの生活を満たしていったのです。
 私ははじめに、旅などしたくはないと言いました。しかし今となっては、声を大きくしてこう叫ぶことができます。
旅をしよう。記憶に新しいあの旅が私たちに教えてように、日常を旅しよう。それが芸術にとって、また人間にとって大切なことなのだから。
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奔流の旅                               
奔流の魅力は旅、そのままの姿を体験できることだと思う。予定外想定外のことが起こるのが旅だ。人生だって同じ、予定表なんてない。思い通りにいかない事もあるし、思いがけない幸せもある。 馬が来なかったり、6時間飲まず食わずでぶっ通しで砂埃の中を走ったり、氷点下の中で寝たり、肉体的精神的苦痛が伴った。だからこそ普通の旅行では味わえない絆が生まれる。
この旅は素材であり、それを使っていかに自分の求めるものを創りあげるか。そこに他人からの評価はいらない。上手く出来たら誇らしげにその喜びを仲間と共有すればいい。上手く出来なかったら取り組むべき課題を見つけられたと喜べばいい。いずれにしろ昨日の自分よりは一歩前に進んでいる。 毎年の事ながらこの旅は参加者各個人の内に秘めた力を見事に開放させる。旅を終え、皆キラキラした目でやりたい事を語り、出発前より元気になって帰ってくる。 奔流の旅は、ひと夏の草原の思い出ではなく、新たなスタートである。
私は今年、以下のインスピレーションを頂いた。私はこの牧場を必ず設立させる。私の旅は始まったばかりだ。
それに向けてのまず第一歩は、日々の仕事を着実に頑張ること。夢を大切にし素直に生きる張さんからそれを学んだ。
  『奔流牧場』 【コンセプト】”創造”、"絆"、”国際交流”、”楽しい!”、”人材育成”、”挑戦” 【概要】日本の若者に情熱と感性を与え続けてきた奔流。たくさんのエネルギーとインスピレーションを頂き、たくさんのことを学びました。そんなパワーステーションを日本にも作りたいといこうことで設立したのがこの牧場です。忙しい日常から離れリラックスするとともに、時代に流されない美しさ強さを再認識し、新たなスキルを習得できるような牧場です。週末に家族連れて気軽に遊びに来てください! 【設立】20XX年 【場所】湘南国際村(東京から近い、古都鎌倉から近い、海が近い、富士山が見えるetc)
【施設概要】 ・牧場:乗馬 ・農園:organicな感じで。 ・Cafe/Restaurant:牧場・農園からの食材で。 ・Lounge:暖炉を囲み、夜通し語ろうぜ! ・Lodge:基本は青空ゲル(寝袋/銀紙シート提供有)。希望者はlodgeに泊まれます。 ・Dormitory:世界からの留学生が短期/長期滞在できるように。 ・Studio: Language:各国の留学生から直接指導。 Fitness:乗馬/ジム/武道/ダンス/ヨガ/水泳/ゴルフ/テニス/サーフィンetc Art:写真/映画/絵画/音楽etc Japanese culture ”道”:茶道/書道/華道etc 世界に誇る日本の”道”。 Business:第1線で活躍しているbusiness person(君達のことです。)によるセミナー講座。 料理教室:各国の食文化の継承と創造。 ・温泉/プール ・大富豪ルーム ・Gallery: 奔流中国の歴史と変遷。 遊牧民の文化や生活を写真/映画/音楽で保存。  ・茶室:日本芸術の粋。 ・図書館:世界の絵本・各種専門書・自習室。 ・診療所:健康講座・人間ドッグetc ・国際協力:海外留学・留学生の受容。そこから生まれる新たな発想とそれらが生かせるような仕事の創造。 ”医療チーム派遣”:世界の無医村へ医療提供キャラバン。 【リンク】奔流中国主催者張宇氏による”パインブルグ乗馬基地”:シルクロードの中央に位置し、世界の若者や芸術家たちが集い、旅の心を知り馬のスピリッツを共有できる奔流の本山。東方騎馬文化の保全とともに騎馬文化から生まれたファッションブランド基地でもある。
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「人馬一体」に生きる
「切り撮る」×「切り開く」=「突き抜けMAX」…!?
旅の3A,それは人生の3Aでもある―Adventure・Amazing・Art。
冒険心をもって自分自身を世界に投じるところに美しき発見があり,驚嘆がある。それは写真活動にも似て,限りない可能性から,かけがえのない意味とエネルギーに満ちた絵(私自身)をフレーミング(創造)してゆく営み(Art)でもあろう。……(略)……大学を卒業してちょうど10年,社会実践(職場)と研究活動(大学院)に股をかける両立生活は今,自分の中で間違いなく大きな節目を迎えている。「苦悩と渇望」にあって,そこにどんな風景を,どのように切り撮って焼きつけることができるだろうか?(参加動機書より)
キャラバン前に綴った私の思いである。なんとも浮き足立った感が否めない。けれども,少なくとも何かはこの旅に求めていた。頭でアレコレ空想してもダメだ,とにかく自分の足と体を動かそう,そうしたら頭と心も働くはず…そんな思いでついに奔流へ飛び込んだ。
キャラバン中,そしてキャラバン後,心の中にずっと離れず残り続けた,あるおぼろげな風景があった。この文章(旅の証)をまとめるプロセスは,その風景にピントを合わせ,できる限り見通しよく視覚化し,時を得てシャッターを切る(言葉化する)機会となった。あえて最初に屁理屈な結論を先取りすれば,私はこの旅を通じて,ある究極的な華々しい「何か」を得たというよりは,その何かに到達するための,「術」とか「コツ」というものを身につけたように思う。そのために切り撮られた風景は,全くもって想定外だったが…。
さて,中国の表玄関・上海を皮切りに,我々キャラバン隊の進路はひたすら西へ,西へと向かった。奥行きの深い壮大な自然と,そこに堆積する時の厚みにひたすら圧倒された。その我々を運ぶ列車やバスも,強い風雨や泥にまみれ,険しい地形とうまく格闘しながら,黙々と邁進し続けた。その時々の思いは,まるで流れゆく雲のように,旅仲間の思いとくっつき,変化しつつ膨らみ,ゆっくりと漂い,やがて心地よく彼方へと消え去ってゆく…そんな繰り返しだった。そしてついに,この旅の珠玉の乗り物である「馬」にありついた。
乗馬初日から,しかも初めて乗る馬で,いきなり草原を颯爽と駆け回ったあの感慨は,奇跡だと思った。そして小高い丘から見渡す蛇行川,またそこに強く差し込む夕刻の斜陽の照り返しは,ただただ雄大で,豊かで,固唾を呑むしかなかった。そんな心地に導いてくれたその馬に,私は躊躇なしに感謝と愛着を抱いた。
事態が急変し始めたのは,舞台が砂漠に移ってからのことだった。事情あって私の乗る馬は日替わりとなり,馴れない悪戦苦闘の繰り返しが余儀なくされるということもあったが,さてここからは,砂漠上の事故と二次被害を防ぐ策としてとった「基本,並足一列」のキャラバン隊の風景に,話の焦点を絞っていきたい。
容赦なく照りつける直射日光。そこは気候と地形の条件が実に厳しかった。何の潤いも楽しみもない。ただひたすら,相も変わらず馬に乗って進むだけ。次第に疲労感と徒労感に包まれる。皆,口数も少なくなる。引き戻せない辛さ。せっかく馬に乗りに来たのに…。喉カラカラ。命カラガラ。荒涼殺伐~まさにそこは「無味乾燥」地帯!
そして次のような自問自答が,自分の頭を支配し始めた。
「360度見渡す限り,一体どこに方向を定めればここを切り抜けることができるのか?」
「そもそも自分は一体,何のために今ここにいるのか?」
しかし,しばらくしてふと,同じ頭の中でこんなシミュレーションもしてみた。
「この“空虚”な状況下で,ただ一人取り残されたら絶望的だ。だが,もしもここから切り抜けられる可能性があるとしたら,それは一体どのような仕方においてか?」
この問いにおいて,自分にとって絶対不可欠と実感するものが,大きく三つあった。
①キャラバン隊であるということ:【心のシャッター】
実は自分だけが苦しいのではない。皆たいてい辛かったはずだ。にもかかわらず,否,だからこそ,そこには労り合いや励まし合い,分かち合い(特に水!)が自然発生した。
やがて互いの心に動きが起こり,潤いが生じる。他人同士だった者が仲間となってゆく。そこに,先を目指すための燃料と何某かの風景が,胸の内に「切り撮られ」ていった。
②馬の存在~馬とのリズム:【人馬一体】
とはいえ,仲間の力だけで切り抜けられるほど甘くはない。何らかの術が必要である。そこであらためて,「馬」である。今ここに,途方に暮れる私と共にいる馬。その意味で,馬ははじめ私を目的地へと運んでくれる「道具」であった。しかし,自動ではない。故に手綱をしっかりと握り締め,馬を技術的に支配し,甘えさせることなく走らせるのだ。
ところが言うまでもなく,一方的な支配関係ではダメだ。馬にも体力や性格,そして心がある。こちらが縦になおも鞭打てば,そのうち馬にも限界が来る。反抗的にもなろう。だがそうかといって,そこで安易に無為に甘やかせすぎてもいけない。馬も人を見ている。いつの間にか,今度は自分が馬に支配されてしまう落とし穴と,隣り合わせなのだ。
この,支配か-被支配かの次元を超えて,馬をうまく乗りこなすというのは実に難しい。そしてキャラバン内でのこの見えざる孤独な葛藤…それは馬の数だけあったことだろう。しかしそれだけに,馬に乗るという動作には,異次元の奥深さがあるということでもある。
ところで今,「馬に乗るという動作」と言ったが,これは果たして,「人が,技術的に(うまく),馬に乗る」というだけの意味だろうか。ここで少し見方を変えれば,それは「馬が人を乗せる」,あるいはこれを,なお自らを主体として表現し直すなら,少なくとも,「馬に乗せてもらっている」という謙虚さが伴うはずの次元とも重なり合いはしないか。
馬との関わりの困難さ=奥深さが突きつけられた今,もはや私の側のvisionに沿った思惑だけで推し進めることはできない。それを相対視し,それを実現してくれるはずの馬の側の心情や呼吸に沿うこと,ひいては,馬の魂の域にまで触れ合うような私自身の息遣い,心遣いが求められるのではないか。馬は人を見ているのである。いみじくもここのところ、張氏は「なるべく馬は乗り換えず,一つの馬に乗り続けるように」と何度も強調し続けた。そしてそのことに忠実に成功した何人かの参加者の感慨は,実に豊かで,何かを見通せるほど透き通っていた。馬と格闘し,「変化」と「一体」をものにしたかれらの言葉は,心からの喜びそのものだった。馬との不可抗力的な相性の良し悪しを超え,時宜に叶ったタイミングや仕方で馬と呼吸を合わせ,「手綱」の意味を豊かにし,新たなリズムを生み出してゆくこと。この馬との共鳴,あるいはもはや,主体と客体が未分化した境地でまさに文字通り「馬が合う」こと。果たしてこれが,古より受け継がれてきた「人馬一体」の神髄に,幾ばくかでも迫るものとなるだろうか…。
③鐙(あぶみ):【足場の確保】
「人馬一体」への補足として、本能的に常に不可欠としていたものに,「足場感覚」がある。初めての乗馬。スピード感覚よりもバランス感覚に慣れない。死の恐怖がよぎる。そんな時,再び張氏の言葉で印象的だったのは,足場を担保する「鐙」への足のかけ方に関する助言だ。「足は鐙に深く入れない。いざという時,足が外れにくくかえって危険だから。けれども,  
単に足を飾りのように「置く」とか「乗せる」というのでもない。踏ん張るのだ」。
この絶妙な言い回し。力みすぎず,油断もしすぎず。心身の安定を支える「足場」は,実際私にとっては何よりの拠り所だった。しかしそこには,‘絶妙なほど加減’なるものがあるようだ。おそらくそれは,馬と私との間の,身体的・精神的な関わりや呼吸において初めて独自に見出され得る,これ以上ない相応しい着地点としての足場感覚,ではないか。
短い時間で実際に得たものは僅かだが,感じるものはとてつもなく重厚で,大きかった。キャラバン半ば,私がほんの一瞬だけ,馬と共に颯爽と駆け巡っていると体感できたある場面を今思い起こすと,私はあの時,馬に「乗る」というよりは,馬に身を預けつつ「立つ」ていた。あるいはより比喩的に表現するなら,私はあの時,大地の上を,何かに導かれながらも,「親指感覚」程度に,自らの足で一歩ずつ踏み出していたようだ。
以上の三つを,砂漠上で,馬上で,考えていた。そして次第に,このシミュレーションとその前提は,自分のこれまで/これからの生き方とも重なってくる事柄のように思えてきた。「この砂漠上で抱く空虚感は,現実の己が既に抱いてきた心の風景ではないか?」
仕事と研究の両輪を回転させてきた自分。だがその二輪車は,いつしか,ある地点から先へと進むことができなくなっていた。思うにそこには,社会における比較や評価という,値踏みの巨大モノサシが立ちはだかり,自らもその既成の枠の中で「自分の力で,(結局は)自分の満足のために」突き進もうとし,一喜一憂しながら振り回されていた姿がある。
否,もしかしたら,そのはるか前から己の内に通底していたであろう,総じて言えば,これまでの「自己拡張」的な生き方が,今や完全に頭打ちとなり,自らをある一定以上に,大きく突き破らせることができなくなったばかりか,ただただ,孤立感と虚無感という,足場無き深淵の闇に突き落としてしまったのだとさえ言える。そしてこうした自己分裂,ひいては自己無化という結末の境地は,無味乾燥にしか映らずただ徒労感に打ちひしがれていた,「あの」砂漠上での心地にピタリと重なり合ってゆくのを禁じ得なかった。
根こそぎ足元をすくわれ,もはや拠って立つ足場が失われつつある危機にあってなお,何にも揺さぶられず,流され得ない確固たる基盤や自分自身の根本的あり方に飢え渇く日々。これ自体,私の中に「生きんとする志」が潜んでいることを示しているのだろうか。けれどもこの期に及んでは,よもや己の力になおもしがみつこうとする自己執着(我執),ましてや,己の生命やそこに隠された神秘の意味を徒に投げ捨ててしまうような自己放棄,といった極端なあり方に右往左往する愚かさには,もはや甘んじられまい。
…では,どう��れば��いか?
それは,苦悩(渇望)をちゃんと「苦悩する」,ということに尽きるのではないか。新たな足場は,どこか他に予め用意されているのではなく,自らの態度のあり方においてこそ,その足元から自ずと築かれてゆくのではないか。そしてそのヒントは,あの「親指感覚」にある。力みすぎず,油断もしすぎず。自ら踏み込んで「立つ」(自力)感覚と,自らを超えるものに身を「任せる」(他力)感覚。自問自答でなく自己拡張でもない,この,ある種緊張を伴う絶妙なる呼応関係。こうして,空虚な深淵にあって「苦悩」はその足場となる。
ところで,「足場」とか「親指感覚」とは,そもそも「馬」の話から出たものだ。そしてその馬は,今や私を単に楽しませ,目的地へと運んでくれる道具のみではあり得ない。私自身の足場を常に問い,確保させた先に,私の夢や信念を叶えてくれる導き主である。否,「人馬一体」の域にあっては,既に馬は私の信念そのものであり,辿るべき道そのものだ。
今回の旅の舞台となったシルクロード,また草原と砂漠を分け隔てた天山山脈にしても,その厳しく壮大な自然条件に我々は幾度も驚嘆し,愕然とした。それまでに抱いていた,ある種のロマンティックな空想は,あの実像を前にしては音を立てて見事に崩れ去った。果てしないのである。とはいえ,我々は既にある程度備えられたコースを,主催者側の最善の配慮のもと安全に導かれていた。その意味で,旅ではあったが真の冒険ではなかった。しかし思うに,この地に初めて足を踏み入れた先代達は,いかにしてあの大地を駆け抜け,あの山々を越えて行けたのであろうか。予め用意された道など無かったはずだ。おそらく,孤独を分かち合う同志と共に描いて切り撮った希望や物語を胸に,まさに未だ知られざる「未知(みち)」なる地平を切り開いていった跡に,自ずと「道(みち)」はできたのだろう。「人馬一体」となって突き抜けたであろう,その真の冒険精神は,今回の旅から響いたメッセージであり,来るべき自らの人生の冒険に向けて,かけがえのない贈りものとなった。
「親指感覚」を起点とした乗馬奮闘記,自己探訪記,歴史追随記,未来設計図…なんとGreatなCaravanだったことか!そして今,確かな手応えとして感じている自由。現実のしがらみに束縛されつつも,真に束縛され得ない境地としての自由。かつまた真に現実へと立ち向かってゆく自由なる冒険心。この旅は非日常ではありながら,しかし,現実逃避した幻や夢物語ではない。冒険という名の私の人生そのものとして,風景を変えてこれからも続いていくのだ。
この旅を導いてくれた人、張宇氏に感謝。
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「〜過去への回帰 そして未来へ〜
 奔流中国グレートキャラバンに参加して」            
自分自身にとって「グレートキャラバン」の旅に参加するということは
まずは、「過去への回帰」でもあったかもしれません。
2011年5月6日。
私はこの日に大切なものをなくしました。
人生がちょっと複雑になってしまった瞬間。
「生きる」ことがちょっとめんどうくさくなってしまいました。
「記憶を消せるなら消してしまいたい。忘れよう。忘れよう。」
一方、「忘れたい記憶があるから忘れた記憶を取り戻したい。」
そんな欲求にかられていました。
2011年6月23日。
そんな中、14年前、まだ大学2年生だったころ、
奔流のシルクロードの旅で出会った張さんをはじめとする仲間と再会。
14年前と変わらない、でもちょっと大人になった人たちの笑顔。
忘れていたものをまず1つ取り戻した瞬間がありました。
そして、聞かされた、「グレートキャラバン」という旅のこと。
「馬で旅をする」しかも
「かつて商人たちがアジア、ヨーロッパ間を馬で走っていたであろうシルクロードを馬で駆け抜ける」
「この21世紀になんておかしな旅なんだろう」
「張さんってば最高じゃん!」
私にはちょっとした非日常が必要だったみたいです。仕事の都合をつけて参加することにしました。
そして、記憶にケリをつけるためにあることをしようと、心に誓いました。
2011年9月18日。
トルファンで合流したら、電車の中から出てくる出てくる
たくさんの学生さんたち。
14年前の記憶が一瞬で戻りました。
「おーこの感じこの感じ。19歳のときは、とにかくなにもかも新鮮ではしゃいでいたっけ」
19歳のときに初めて参加した奔流は、その後の私の人生の大きな起爆剤になりました。「あこがれの中国に初めて行けた。しかもあこがれのシルクロード。」
その後、私の学生生活といえばさらに西へ西へ。中国の隣の国、そしてまた隣の国。シルクロードをひたすら旅して、思春期をすごしたヨーロッパへ。
そこで出会った、宗教にからむ紛争、でもその状況下でも笑顔を絶やさない人々。
「この人々のことを伝えたい。」
忘れていたもの、2つめを取り戻した瞬間。
さすがに33歳になった今、あのころみたいにはしゃぐことはできなくなっていましたけど。。。心の中でちょっと興奮状態。
2011年9月19日。
さて、興奮状態さめやらぬままバインブルグ草原で出会った 
額には白い三日月の模様、そして背中につむじのあるステキな馬、
つむじちゃん。つむじちゃんは兄弟の馬とつねに寄り添っていました。
もう一目惚れ。なんてかわいいんだろう。
「運動神経ないけど乗れるのかな」
そんな恐怖、不安はなんのその。気づいたら草原を駆け抜けていました。
つむじちゃんの走るときの体温、息づかい、汗、、、
そしてちょっと張り切りすぎて自分一頭だけになってしまったとき、
兄弟を探している不安げな表情、いななき、そわそわとしている足取り。
最初は顔を近づけても全然そっぽをむいてしまうつむじちゃん。
でも1日、1日しつこくつむじちゃんを探しては乗っているうちに、そして私も兄弟を探して常に寄り添っているうちに、家族みたいな気分。最後は顔を近づけてくれました。
「かけがいのない存在」「家族」「寄り添う」「体温」「息をするということ」
「生きる」「生きている」「必死で生きて行く」
つむじちゃんにとっての「日常」。
つむじちゃんから学んだちょっとしたこと。
一方、草原は人間を寄せ付けない圧倒的な美しさと厳しさが容赦ない。
圧倒的な静寂。圧倒的な朝日そして夕日。圧倒的な星空。圧倒的な寒さ。
でも、そこに住んでいる人々、そして馬たちにとってはこれが「日常」。
私なんか1人でいたら一晩で死んでしまう。私にとっては「非日常」。
ある日見た、草原のさきにそびえる雪をかぶった山脈。南の方角。
そのさきにかつて訪れたチベットが。。。 
「ここにはなにもない」
「でもすべてがある」
忘れていたもの、3つめを取り戻した瞬間。
その瞬間、悪夢のような記憶にケリをつけるのをやめました。
一生私はこの記憶とともに生きて行く。
そしてまたここへ戻ってくる。
そして帰国後、東京である日。こんなことを感じました。
店がオープンする30分前の街のざわめきが好き。いつものざわざわ。

いつものデスクまわりのざわつきが好き。
いつものざわざわ。

日常に感謝。

日常がそこにあるから、生きていく。なんのために生きてるのかわからなくなったなんて考えちゃダメだ。

日常をこなすのが生きて行くことなんだ。
これが私にとっての日常。
���してちょっとした非日常、奔流にありがとう。
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備忘録
大学2年生の4月、偶然youtubeで西安からウズベキスタンを旅した方のスライドショーを見た。炎のような火焔山、キルギスの石人、サマルカンドの青いモスク・・世界にこのような美しい場所があることを初めて知った。中国には青い目を持つ人々が住んでいることを知り衝撃を受けた。私の中国とシルクロードへの憧れはこのとき初めて生まれた。
私は観光目的でグレート・キャラバンに参加してしまった。そのためがっかりさせられることも多かった。寝台列車の遅延や馬の到着が遅れたせいか、楽しみだったベゼクリク千仏洞や羊さらいを見ることができなかった。このことは今でも心残りだ。
しかしあるとき、私は間違っていることに気付いた。
~シルクロードの旅は観光ではない~
シルクロードという言葉は美しい響きがあるが、私の見たシルクロードはそうでなかった。草原の昼は汗をかくほど暑くなるが、朝は霜が降りるほど寒かった。映像で見た美しい天山山脈も、実際登ると吹雪と霧で前が見えなかった。横を見るとそこはもう崖だった。 シルクロードには多くの国が現れては消えた。多くの血も流れた。旅人も盗賊に襲われることもあっただろう。この旅でシルクロードはデスロードであることを悟った。
それでも古来の旅人は死ぬ覚悟でシルクロードを旅した。何故なら彼らには命をかけても成し遂げなければならない使命があったからだ。
ローマ帝国を目指しシリアまで辿り着いた後漢の甘英
仏教の経典を求めインドへ向かった三蔵法師
莫大な富を求めフビライ・ハンの元へ向かったヴェネツィアのマルコ・ポーロ
この他にも多くの旅人がシルクロードを歩いた。勿論、志半ばで倒れた名もなき旅人も大勢いるだろう。シルクロードを旅するというのは、観光などという甘い気持ちで旅してはいけないのだ。砂漠越えでの喉の渇きと腹痛が、私に教えてくれた。
馬は現代では娯楽のための生き物だが、古の時代はそうでなかった。カザフ人の遊牧民スタッフと相撲を取ったが、相手は屈強な体で私は勝つことが出来なかった。モンゴル人と握手した時、彼らの手の皮がとても厚いことに気付いた。寒暖の激しい草原に住んでいるからだろうか。遊牧民スタッフは皆人懐っこかったが、彼らには勇敢な騎馬民族の血が流れている。火器や戦艦が登場するまで、騎馬民族は世界最強の戦士だった。高速移動しながら矢を浴びせ、高い場所から敵を切り裂く。敵の反撃が始まる前に瞬時に離脱する。馬を操れるというのは、今でいえば戦車や戦闘機を操れるようなものなのだろう。騎馬民族が歴代の中国王朝を苦しめ、ヨーロッパまで攻め上がりユーラシア大陸を支配できたのも何となく理解できた。
~奔流中国~
奔流中国最大の存在意義は、自分の道を自分で創り切り開く人材を世に送り出している点だと思う。大学を長年留年したり、定職につかず、会社を退職し留学へしたり・・張さんや奔流の先輩方を見てみると、社会の枠組みにはとらわれない人が大勢いて驚かされる。先輩方の表情はとても明るく、今の自分に後悔しているという感じは見られない。
彼らは中国の雄大な大地を知ることで、そしてシルクロードを旅することで気付いたのだろうか。
 道無き道を旅したシルクロードの旅人のように自らの人生の道を創り全力で駆け抜け、そして歴史に名を残すような偉業を成し遂げる素晴らしさを。
奔流が教えてくれる、我々は確かにシルクロードを旅したのだ。
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昔から女性のハイヒールのコツコツという音が好きだった。
朝の通勤ラッシュ時の渋谷駅で、私は無限の行軍に耳を傾ける。
何故この音は心地よく体に響くのだろう。
今日、前を颯爽とゆく女性の足音を聴きながら、もしかして、と思い当たる節があった。
これは、馬のひづめの音に聞こえはしないか。
面白いことに、音だけでなくそのリズムまで、女性と馬のそれは同じに思えるのだ。流石に人にはギャロップは出来ないだろうけど。
何人ものOLが行き交うコンコースで目を閉じると、大都会でキャラバンしているように感じる。
一方でそう思うと、競うように高いヒールを履き合う女性たちが少し滑稽に思えるのだった。
東京でのキャラバンは、灰色の天井と疲れた二酸化炭素ばかりだ。
エスカレーターは一定の速度で人を運んでいく。
私は朝だからご飯を食べ、昼だからご飯を食べ、夜だからご飯を食べ、そして25時を過ぎたので眠りにつく。
私は日々螺旋階段を一定の速度で登ってゆく。
あの旅は違った。
無秩序という秩序。
例えばゴビ砂漠へ向かう道中。天山山脈越え。
身体が「ここは知らない」「ここは知らない」と呟いている。
髪もゴワゴワ。服も4日間同じ。それでも生きてる。
痛む背中と凍てつく寒さに震える。それでも眠りにつく。
お腹がすいたからご飯を食べる。身体が砂だらけだからシャワーを浴びる。
私はそんな環境の中で、飽きのきていた自分という存在を変えたかった。
変わらないことを恐れた。
しかし、そうしたある種の極限状態の中で私が気づいたことは、私は絶対に変われないということだった。
私はどんな場所にあっても、私として生きなければならない。
空っぽのままだ。
それでも、草原のただ中で、星空を見上げつつ、死にたい?と問いかけると、まだいい、と答える声がある。同時に、でも、死んでもいい、という声も。
それが「生きる」ということだと思った。
プランに沿って、完結しない限りは不満足な人生ではなく、一瞬一瞬をスライスしたときに、それだけでいいと思えるような。
何より、張さん、遊牧民の人たち、そして80人の素敵な仲間に出会えたことに感謝感謝。
愛している、
そう思えた旅だった。
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私は旅が好きだ.でも,旅にトラブルは必ずといってついてまわって,でもそのトラブルからの産物も必ずといっていいほどある.極論を言えば,私はそれが楽しくて毎回旅に出ているのかもしれない.
今回だってそうだった.馬運車が速いスピードで走れないこと,草原には鍵付きの厩舎があるわけではないこと,天候,移動中の諸問題.60人規模の団体旅行と聞いただけでも十分トラブル要素は満載なのに,それに生き物である馬が旅に付随した時,例えば馬が予定通りにこないことも,馬が夜逃げ出すことも,裕に想定の範囲内だった.
草原や砂漠での生活と,衣食住の充実が当たり前な日本での生活を比べた時,草原や砂漠でのそれは,私たちにとって決して豪勢で満足いくものとは言えなかったかもしれない.けれど皆,毎食のご飯の時,ぬるいミネラルウォーターを飲む時,腹の底から「ありがてーー」「うめーーー」と迸るような声をあげていた.極寒の中,明らかに人数と面積があっていない狭いゲルの中で「足を伸ばして眠れることって本当に幸せだよね」と話す声が聞こえた.薪ともいえぬ木々を自ら集めて火を焚いて,ギター片手に仲間たちとただ声を合わせる,それだけのことを皆すごく幸せとしていた.
何時間も草原で待ったからこそ,ご飯を何倍も美味しく感じることができたのではないか.仲間のことをより深く知ることができ,また,このようにトラブルに対する自分の反応を通してより一層の自己覚知ができたのではないか.もし日本で,大都会東京で,同じことを体験したならば,一瞬でも心底“幸せだ”“満たされている”と考えることができる人は何人いたのだろうと,そんなことを何度も考えた.
キャラバン中,馬を乗り替わった時に現地スタッフに「その馬はもう走らせないで」と言われた時があった.馬の疲労は明らかで,出来ることならすぐさま降りて休ませてあげたかった.けれど,「馬で旅をする」このキャラバンでは,休ませては,馬も人も目的地には辿り着くことはできない.馬をどう操つるかも,どの道を選ぶかも全ては乗り手次第なのだ.放牧中に馬が逃げて,皆より少し遅れて出発した日があった.常に仲間の群れが視界の中にいたこれまでとは異なり,見渡す限りの砂漠に現地スタッフ2人と私だけしかおらず,この時ばかりはまるで自分たちで道を切り開いているかのようだった.馬と自分たちだけしかいないこの状況で,馬を信じることは言うまでもなかった.馬に“乗せてもらう”のではなく,“共に歩む”感覚を覚えた.普段から馬に敬意をもって接しているが,この時ほど馬に感謝したことはない.
キャラバン中は,馬上で見える世界が多くあったように,地上にいなければ見えない世界もまた多くあった.キャラバン最後の2日間,私は仲間よりも馬に乗る時間が少なかった.馬に乗らずにいた間,私が目にしたものはゲルを手際よく片づけ,私たちの荷物をトラックに積んで何往復もしながら次の場所に運んでくれているスタッフの姿と,60人分の食事をたった2人で作るスタッフの姿だった.主催者をはじめとする見えないところでうごいてくれている多くの人の支えがあったからこそ,私たちは,「馬で旅をする」ことが実現できたのではないのだろうか.毎日気付いた時には,ご飯もゲルも荷物も私たちの目の前にある状況.「馬で旅をする」上では決して当たり前なことではないはずなのに,その状況を私たちは勝手に当たり前と捉え,甘んじていた人も少なくないのではないか.参加者のうち何人が,この“当たり前”と思わせる環境をつくってくれていた人々に,直接感謝を伝えていただろうか.私だってきっと十分にはできていない.
これまでのキャラバンで得たものとは明らかに違う今回3回目の参加.これまで同様,あの広大な大地を馬で駆けることができることに激しい興奮と達成感を覚えたのはもちろんで,3回目の参加にして,初めて「馬で旅をする」という実感が掴めたのも事実だ.しかし今回私が「馬で旅をする」ことで得たことは,自分自身の乗馬の技術上達でも,馬で駆けたいという自分の欲への満たしでもなかった.改めて自分は周りの人々に支えられて初めて生かされているのだということ,五感を奮い立たせながら生きるという困難さと大事さ,そして何より,自分の跨っている馬を,横で一緒に駆けている馬を,一緒に参加している仲間を,そして自分自身を思いやることを自然と意識することができたことだった.それは目にみえた収穫ではなかったが,きっと自分にとっては何よりも大きな収穫だったと考えている.
10日間,喉も身体もカラカラだったけれど,心だけはずっと満たされていた.もしかしたら日本にいる時の私は,喉も身体も全て満たされているけれど,心だけどこか満たされきれていないのかもしれない.
今年も奔流を提供してくれた張さんに、ありがとう!
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旅をする時は、いつも日記をつける。本当は家を拠点に生活している時も毎日つけたいのだが、そうはいかないのは私の怠惰によるものか。けれども、もう少し考えると本当の理由はそこにはなくて、どうやら思考に終着点を求めているか否かの違いらしい。普段の生活では頃愛を見計らって考えることをやめて、ひょっとすると次の日か、はたまた何カ月も先にその続きを始めることが少なくない。それでいいと思っているので、いつも思考の気まぐれに身を任せる。対して非日常の世界では少しだけ意図的に自分の脳みそを支配する。光をあてたい側面を意識して、そこがはっきりと見えてくることを目標に旅の毎日を過ごす。留学であれ、旅行であれ、一人旅であれ、全て同じ。ここを消化したい、これが何なのか知りたい、等、自分の中に何かしらのテーマを掲げて出かけるようにしている。だから、日記をつける。文字に起こさないと無意識のうちに考えることを放棄して、残された曖昧なものは全て美化されていくから。何かを見聞きし、感じ、考え、文字に起こし、そしてありのままを留めておくのが、私なりの旅の味わい方である。
 およそ三分の一を前置きに費やしてしまったが、私にとってのこの旅のテーマは「リベンジ」であった。そして、それを達成できたことによる深い安堵が旅の記憶の多くを占めている。この文章を書くにあたり、17日間の日記を読み返した。そこには驚きから喜び、それからちょっとした不満や焦りの気持ちまで、今読むとむずがゆく感じるような表現が並んでいた。ただ、そこには一貫した安堵の念があった。
 リベンジには大きく分けて二つの意味があった。一つは乗馬に対して、もう一つは自分に対してのリベンジである。前者は至って単純である。昨年乗馬キャラバンに参加した際、馬に乗せられている感覚を拭えないまま帰国したのが悔しかった。もう一度馬に乗り、今度こそ「私が」操って草原を駆けたいと思った。その思いをぶつけに今回の企画に参加して、自分の意思で手綱を引き、膝で胴をしめ、草原を走る感覚を知ることができた。
 後者については少し説明を要する。私は何度か短期留学を経験したり複数のサークルや団体に所属したりと、顔を出すコミュニティが比較的多い。そのどれにも愛着があり、活動中か否かに関わらず、たとえ細くとも末長い繋がりを持っていきたいと思っている。しかし前回参加したキャラバンは例外的にそう思うことができなかった。理由は「当時の自分が苦手だから」。背景は色々あるのだが、要は全く自分らしさを出せなかったため、メンバーに再会して当時の自分を思い出すのを避けていたのである。もう一度奔流に参加して、この煮え切らない思いを拭い去りたかった。そして、それは意外なほど簡単に達成された。この17日間は細かいこと抜きに本当に全力で楽しかったし、帰国後の自分は驚くほど身軽で、前回のメンバーとも約1年振りに気持ち良く会うことができた。あの馬が、大地が、空気が、食物が、星空が、仲間が、そして少し変化した自分がこれを叶えてくれた。
 主催者が意図しているものはもっと違うところにあるのだろう。けれども、今回の旅は私にとって間違いなく克服を意味していた。「理由」というものは、自分の中に見出し、向き合い、そして乗り越えうるものだということ。自分は今までそうやって生きてきたし、きっとこれからも同じように生きていくのだということを教えてくれた旅だった。
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幼い頃から他人の目が怖かった。いつだって「いい子」「いい人」で居たくて。自分がどんな風に思われているかばかりが気になって仕方がなかった。100点を取って褒められたいから勉強した。そのまま大学に入り、訳も分からず履歴書を書いて就活に失敗した。自分の中に誇れるものが何一つ無いと、漸く気が付いて愕然とした。そして私は大学を出させて貰っただけの社会不適合者になった。
中身がない。それを取り繕うための建前が日々増えていく。隣の芝が青く見えても「あれはああいう品種だから」と、常に心が壁を作る。でも本当はそうじゃない。隣人の庭が輝いて見えるのは、彼らがそれに見合う努力をしたからだと知っている。比べて私は何もしていない。自業自得だ。わかりきっていた。独り言が増えた。ちくしょう、こんなんじゃないのに。ちくしょう。本当は、本当はこんなんじゃないのに。
…じゃあその「本当」は、どこにあるのか。
1年前。内モンゴルの大草原で見た景色が心に浮かんだ。そして、旅に出ることを決めた。
旅の間私は、心に一切の嘘を吐かないことを自身に課した。くだらない自尊心に塗れ、奥底で眠ってしまった自分の感情を取り戻さなければならない。
誰からも嫌われたっていい。いい人なんて思ってくれなくていい。
自分の心のままに、生きていける場所に行きたかった。
蒙古馬に乗るということは、魂と会話することだ。
膝に力を入れ、馬のリズムに乗る。鞍や鐙の金具が当たっていても、痛みに気を取られれば落馬する。躊躇なく手綱を引ける意志と腕力がなければ馬を走らせることはできない。そこでの優しさとは、厳しさとほぼ同義語だ。生きようとする力が闘争心を生む。妬みや怒りを乗り越えた先に思いやりや協調性がある。
物言わぬ魂に触れていると、自分の心の動きが見えてくる。全ての感情が生まれ、消える瞬間が手に取るようにわかる。苦痛や寂しさ、憤りを感じている時ですら心が満たされていた。叫びたい時に叫び、笑いたい時に笑い、泣きたい時に泣く。そんな当たり前の行動がどんなに幸福だったことだろう。
ヒトは一個の受精卵から胎児に至るまでに母親の子宮の中で進化の過程を辿る。有性生殖を始めた原始生物から今に至るすべての歴史が、私たちのDNAには流れているという。
人間を野生動物と同じく考える場合、その寿命は約30年とも言われるらしい。
私の動物としての生が終わるまであと7年。
人間としての生を授かる前に用意された準備期間のうちに、私はどれだけ本能を研ぎ澄ますことが出来るだろうか。
さあ360度。「本当」を探しに。どこへ向かって走ろう。
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「しぜんと」
中央にそびえる白亜の城、回るメリーゴーランド、人々の笑顔。キラキラと輝く遊園地は、幼い私を異世界に誘ってくれる唯一の空間で、大きくなってからも暫く憧れを抱きつづけていた。しかし、旅を終えて久しぶりにその遊園地に遊びに行くと、何か違和感を覚えた。以前感じていた面白みを実感できなかった。乗り物に乗るための長蛇の列に並びながら思い描いていたのは、砂埃の中で馬を走らせていた私自身の感覚だった。
キャラバンの旅は自分の体ひとつで、異世界に飛び込んだようなものであった。視界の限り何処までも続く草原、ゴビ砂漠そして澄み切った空。耳には馬の駆ける音と風を切る音、遊牧民の声。馬の振動や体温、目に入る流砂、降り注ぐ日光。この旅では常に自分の五感と体で、世界と向かいあっていた。
だからこそ、良いことばかりではなかった。様々なことがあったが特に印象に残っているのは、速馬に乗ったときにバランスが上手く取ることが出来ず、尾骶骨周辺が裂けて出血したことだ。乗馬の最中には傷と鞍が擦れ痛む一方で馬を降りる訳にもいかず、その苦行に奥歯を噛み締めながら乗り続けた。馬は大変不便であり、車もバイクもあるこの近代に文明に逆行してまで馬での移動をする、この旅への参加を何故決心したのか自分でも分からなくなっていた。
次の日、傷休めをするため遊牧民の車で移動をすることになり、快適な車内で私は車が如何に優れているか理解した。車は運転手に従順であるし、基本的に運転の際の運転手の負担はそれほど無い上、快適である。そのように車を賛美していた時、私の乗っていた車が皆のキャラバン隊の横を追い越した。その時の車窓の光景は今でも目に焼きついている。広大な空と大地を背景に馬を駆けさせている、みんな。そのあまりの躍動感や美しさに、見知ったはずのみんなが知らない人の様に見えた。その時に私は、あの集団の一部に私も入りたいとぼんやりと思った。キャラバンは一人ではなくて、他の仲間が居て成り立つ隊列だ。自然が相手の過酷な旅路を仲間と支えあって、目的の地へ向かう。このグレートキャラバンはその様なキャラバン隊を体験できる機会で、そんな掛け替えのない経験を積みに私は参加したのを思い出した。そう考えると尾骶骨の怪我も此処でしか体験できない貴重な事柄のように感じ、遊牧民の人と一頻笑い種にしながら次の日からまたキャラバンに再参加する決意をしていった。
あの場所で起きたことは全て自分の身に直結していた。だから、こんなに生活環境の整った日本に帰ってきても、瞼を閉じれば不便で過酷であったあの旅がしぜんと思い出されて仕方ないのだ。愛している、と言える人たちに出会い、自然と己の身ひとつで向かい合う旅なんて滅多に体験できない。この旅で様々な事象に出会って、私は一回り成長した。そう確信している。
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奔流の旅で私が得たものは、乗馬体験、見知らぬ土地の旅、それらを差し置いて人々とのつながりだ。
私は無類の漫画好きである。にも拘らずアウトドア大好きな人間である。そんな裏表な人間は少数派なのではないかと思っていたが、参加初日にしてその考えが間違っていたことに気づいた。参加者の多くが漫画などに理解があったり、美術や音楽が好きだったり、文化を愛する方達で、そうした、普段から夢や理想を描いている人達だからこそ旅に惹かれる傾向があるのかもしれない、などと根拠のない考察をしてしまった位だ。日本では普段、「漫画好きなオタクキャラ」として生き、またそうした自己を過度に演出するばかりな自分は、ここに来てその云わばアイデンティティのようなものを剥奪されてしまったわけである。そんなもの普通じゃないか、と。それよりもお前の本質は何だ、と。旅の間、同行していたモンゴル遊牧民の一人が、ゴビ砂漠キャラバンの休憩中に、砂で自分に似せた埴輪のような人型を作っているのを手伝った。「これ、貴方?」と身振りで聞くと、さぁ、分からない、と言われた。ただ作っているだけ。自分かもしれないし、誰でもないかもしれない。私もそのようなものなのだろう。だだっ広い砂漠に棒人間一人書いて、これが私です、と定義すれば、それが私になる。わけもなく。
変な話だが、私は私としてではなく、定義されない一個体として、参加者や現地で出会った皆と関われたように思う。
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中国はでっかい!世界はもっとでっかい!!         
 もともと、夏休みには海外旅行に行くつもりでいた。旅行会社のパンフレットを物色していたある日、学校でポスターを見かけたのが奔流中国との出会いだった。観光地を巡るだけのツアーなら爺さんになっても行ける。どうせなら今しか行けないようなツアーに参加したい。そう思って、奔流中国、その中でも特に異彩を放っている馬の旅、キャラバンへの参加を決めた。
 今回の旅のメインイベントは、シルクロードでの乗馬キャラバンだ。世界一の大陸、ユーラシアを西から東へ横断するシルクロード。古代の人々の冒険心が切り拓いたこの道を馬で駆け抜ける、というロマン溢れる旅なのだ。
 このように書くと何だか格好いいが、キャラバンの間は、普段とは比べ物にならないほど辛いことが多かった。日差しが強いのに夜は凍えるくらい寒い。馬はなかなか思い通りに進んでくれない。体中の関節が痛くなる。パンフレットに「旅に慣れている人だけ参加してください」というようなことが書いてあるだけのことはあった。正直、最初はここまでとは思っていなかった。シルクロードの開拓者たちも、これと同じような、いや、それ以上の困難を味わったことだろう。
 それでも、キャラバン最終日の本当に最後だけだったが、馬を完全に乗りこなせたような気がした。馬の走るリズム、呼吸の音、風の匂い、全てが混ざり合って、不思議な感覚を覚えた。もしかしたらこれが、張さんの言っていた「馬との一体化」の入り口だったのかもしれない。この一瞬があっただけで、辛かったことも全て楽しい思い出に変わってしまうほどだった。
キャラバンを通して、分かったことがある。現地の空気は現地でしか味わえない。草原の風景を作っているのは、テレビや写真でもわかる要素だけではなかった。音、風、気温、匂い、時間、景色の移り変わり、全て合わせて一つの草原が出来上がっている。世界はでっかい。このような場所、このような体験が世界のあちこちにまだまだ眠っていると思うと、ワクワクしてきませんか?
 これからもたくさん、あまり人の行かないような所へ行き、誰もやったことのないようなことがしたい。ただ、その原点として、奔流中国は一生忘れないだろうな、と思う。張さん、ありがとう!
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・馬、自由
旅から帰った。
バックパックを広げると、舞い上がる砂埃とともに、旅から持ち帰った様々なモノが溢れ出た。
くたびれた乗馬ブーツ。
何かの骨。
石。
この旅に彩りを添えた、形あるモノ達は
今は家の片隅で少し居心地悪そうにしながら、日常に溶け込もうとしている。
帰国から少し時が経ち、この旅を形に残す機会に恵まれた。
そして、気づく。バックパックでは持ち帰れない、形のないものを持ち帰ってきたことに。
今やっと、おぼろげながらそいつの輪郭が見えてきている。
2010年、夏。
カラダは痛むし、馬は言うことを聞かない。不自由しか感じなかった、初めての乗馬キャラバン。
何もしなくて���勝手に群れの先頭を走る馬。周りが言うほど実は楽しくなかった、馬の旅。
見渡せば歩く気すら起きないほどだだっ広いモンゴルの大草原で
もし馬がいなければ、と思うと途端に突きつけられる、人間のちっぽけさ。
いつ暴走し出すかわからないこの馬に頼るしか、此処で生きる術はないと知った時、覚悟は出来た。
そして、知った。
勇気を出して前に進む、ということ。
命をかけて手綱を握る、ということ。
切り裂く風の中で聞いた「生きたければ、前へ進め」
まさに人生のように。
いや、そこには23年間のどんな場面よりも、はっきりとした輪郭をもって迫ってくる「実感」があった。
持ち帰ったものは、大きかった。
2011年、夏。
「グレートキャラバン」というものがあるのは知っていた。
それが復活すると聞いた時、震えた。
ここに挑戦の場がある、と思った。
今度こそ、「自らの意志」によって馬で駆けよう。
願わくば、人馬一体の境地まで。
「自由」を得るために流す血を、今度こそ厭わない。
「本当に馬で駆けるという事を知る旅に出よう。」そう、決めた。
そして、何を思うか。
今度はどんなものを持ち帰れるか。
天山山脈麓。古の隊商路。草原というより、高原。
ここにいる意味を問う。
正直に答える。
行く手を遮る馬の群れ
群れの先頭から出ようとするのを制止する声
すべてが、ひどく邪魔だった。
それらを全て蹴散らして、地上の流れ星になりたかった。
とことん、我儘になってやろうと決めていた。
それは、「自分の意志」で「全力」で駆けることでしか、ここにいる意味を確かめられなかったから。
真摯に、馬と、自分と、向き合うためにとった不器用な手段だった。
ある方法を知った。
手綱をギリギリと引き続け、群れの後方に下がり距離をとる。
駆けるのに十分な距離ができたら、手綱を一気に緩める。それがGOサイン。
一瞬で空間が縮んでいく。
キャラバン隊で進む限り、駆け足で存分に駆けるには、この方法しかなかった。
勢い余って前方の群れに突っ込んで、ひんしゅくをかうこともあった。一向に構わなかった。
ふと周りをみると、同じようにのろのろと後ろに下がる奴らがいる。
自由に駆ける味をしめ、よからぬことを企んでいる目をした、迷惑な奴ら。
なぜか、嬉しくなった。
~~~~~~~~~~~~~
自由。
その言葉の意味するところ、考えてみたことはありますか。
本当の自由を、感じようとしたことはありますか。
70人が東を向いても、おれは西へはなむける。
70人が早足なら、おれは駆け足を。
別に、人と違うことしたからって、自由でいるとは少しも思わない。
でも、人と違うことするときってのは、それなりの覚悟がいる。
それだけの力がいる。
帰国後、参加者の一人が馬について語っていた。
馬に乗りながら、他の参加者の安全に気を配っているという。
鞍を縛る紐が緩んでいないか。鐙に足を深く突っ込みすぎてないか。
金網などの障害物が無いか。地面にでかい穴はあいてないか。見つけたら、即座に周りに伝える。
それは、ただの優しさから来るお節介じゃない。単なるコミュニケーションの手段じゃない。
馬が好きで、自分の意志で共に駆けたくて、血を流しながらやっと得た、力。そして、自由。
そいつは、やっと得たそれを、自分ではなく他人のために使えるやつだった。
力と自由に裏打ちされた、本当に人のためになることだった。
「お前とは格が違うんだよ」と冗談っぽく言うけれど、それは本当かもしれないと思った。
歩く度、今でも違和感を覚える右の足首。
握ると、少しだけ厚みが増した気がする手の平。
それに対し、確実に厚みが増した尻の皮。
自由に駆けたくて足掻いた跡。
自由が拠って立つものは、いたるところに刻まれていると気づいた。
強烈な、願いや切望。
手を伸ばし、足掻き、追い求める、何か。
そこに感じる、力の無さ。
不自由の塊である自分を自覚した時、血を流す覚悟はできる。
ワレモノ注意の五体を、馬に完全に委ねる決心ができる。
わかりきった事、なんかじゃない。
心からほんとに何か為したいと思わないと、自分を縛る鎖はそもそも見えない。
不自由を自覚する機会は生まれない。
おれはそれを、馬から教わった。カラダに叩き込まれた。
頭じゃなくて、心で感じた。
そうして手が届く、自由のかけら。
もしも、あなたが馬で自由に駆けたいと思うなら
おれは、絶対に追いつけないと思わせるスピードで後ろから抜き去ってやります。
「追いついてこい」と笑顔の中ギラついた眼をして訴えます。
あなたの不自由さを、わからせます。
この四肢を賭けるに値する何かを、背中で示します。
馬と人を隔てる境界線が溶けてなくなる、この何物にも替え難い喜びを、全力で見せてやります。
今までただ目の前の行く手しか見ていなかったこの視界を、少しだけ左右に広げて。
それがおれにできる精一杯の伝え方。
次に草原に帰ってくるときは
「馬で自由に駆ける喜びを知ってもらう旅に出よう。」そう、決めた。
旅から帰った。
心の中を覗くと、もう一人の自分が真っ直ぐにこちらを見ていた。
問うている。
この旅は、何だったのか。
狂乱のあとに、残るものは何か、と。
これは、答えのない問いに答え続ける、心の中の、もう一つの旅。
~~~~~~~~~~~~~
これから・・・。
 嫌で嫌で仕方なかった。
 日本に帰りたくて帰りたくて仕方なかった。
 一刻も早く故郷の地を踏みたくて毎日イライラだけが募っていった。
 退屈で平凡な大学生活に嫌気がさし、少し別の世界を見てみたいと思っていたころに
 見つけた「馬と旅する 奔流中国」のポスター。
 このキャッチフレーズに引かれて参加する人たちはきっと変わっているに違いない。
 私のこの平凡な毎日に刺激を与えてくれるだろう。
 深くは考えずに勢いで思い申し込んだ。
 旅が始まってみるとこれまでに受けた事��無いような衝撃の連続だった。
 リアルを見ていない人に説明する事もままならない衝撃を受けつづけた。
 参加者の皆が皆、「我」をはっきりと意識してた。
 自分の中では今まで20年間それなりに色々な経験をしてきたと思っていた。
 いじめ、中学受験、登校拒否、起業、不登校、高校中退、海外生活、大学受験。
 けれどここではそのどれもが意味をなさなかった。
 肩書きは関係ない。過去も関係ない。あるのはただ「今」だけ。恐怖だった。
 その仲間達と見た中国は偉大だった。
 経済発展のまっただ中、上海の町は「希望と自信」に満ちていた。
 そして、内地では雄大な自然に人間の小ささを感じさせられた。
 山や湖、人間の手が加えられていない自然に久しぶりに出会った。
 乗馬に関しては私は何も述べる事が無い。
 ただ馬達には「おつかれさまでした。」その一言を送りたい。
 この旅の最中「馬の気持ち」というのを考え続けた。
 けれども途中で見えなくなってしまった。私に気持ちの余裕がなくなったから。
 自分の小ささに気がつかされた旅だった。
 精神的にも肉体的にも限界を超えていた。
 自信という自信は打ち砕かれ、
 私はいったい何のために生きているのかと考える日々が始まった。
 これから先私はどの道をどのように歩いていけばいいのだろう。
 「参加するんじゃなかった。」それが私の感想。
 ただ、この今感じている孤独と苦しみとむなしささえ乗り越えれば
 この旅に参加した意義が手に入り、実りのある人生が待っているのではないか。
 そのように感じる。日本に帰ってきた今、私がすべきことはなんなのだろうか。
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もともと私はモンゴルとか中国の歴史とか、そういった文化的な類のものには詳しくなくて、 今回奔流中国グレートキャラバンに参加したのも、単純に大草原で馬に乗ってみたかったからだった。
 でも草原や砂漠を延々と馬で走っている時に、少しシルクロードに想いを巡らせてみた。そこで、初めてシルクロードを渡った人たちは、もっと遠くのものを見てみたい、何があるのか知りたいという単なる好奇心から、あの長い長い道のりを越えて行ったのかなと、ふと考えた。  道なんてないから迷うかもしれないし、馬はいつ死ぬか分からないし、下手すれば自分だって死んじゃうかもしれない。そんなリスクを負ってまで、好奇心の赴くままにシルクロードを行く。正直最初は、命を賭ける必要なんてあるのかって思った。だって死にたくないもん。でもさ、実際自分が大草原と砂漠を馬で走っていると、もっと遠くに行きたいって思っちゃうらしい。  乗馬2日目のこと。「この先は岩場で危ないし、何時間かかるか分からない。遊牧民も進むことを反対している。もし落馬しても助けてくれるジープはない。そんな道を行きますか?それとも来た道を引き返しますか?みなさんが決めてください。」
そう言われて私は即座に、引き返すのだけは嫌だ!と思った。それと同時に、道が危険と聞いてわくわくしている自分がいた。リスクを楽しむなんておかしい。でも何時間かかったとしても、危険だとしても、前に進みたいと思った。戻ることはしたくなかった。  その先にどんな素敵な場所があるのだろう、どんな達成感を味わうのだろう・・・そう考えると、早く前に馬を走らせたくなるのだ。  その時、ああ、この気持ちこそがシルクロードを渡った人たちの原動力だったのかって思った。彼らにとって大事なのは、行けるかどうかじゃなくて、行きたいかどうか。そしてその行きたいところへ自由に馬を走らせることが、どんなに気持ちのいいことか。  私はまだまだ未熟で、完全に馬を乗りこなすことはできなかった。でもあの快感はやみつきになる。ずっと馬に乗って、もっと奥地へ、もっと人が足を踏み入れない場所へ行きたいと思った。人間の好奇心というのは、いつの時代も共通しているらしい。  私はシルクロードに触れて、何にも縛られない自分の純粋な好奇心を発見した。そしてこの気持ちを、日本でも大切にしたいと思った。
私たちが暮らす今の社会では、やりたいことがあっても、リスクを怖れてどうしても制限がかかってしまうことがある。でもその中を突き進んで何かに辿り着こうとすることは、命懸けでシルクロードを渡るのと同じでわくわくすることなのではないか。とりあえず行ってみよう、やってみようってすごく大事。奔流はこのことを教えてくれた。  日本人はどちらかというと保守的な人が多い気がする。だから私は、この好奇心のままに動くというわくわく感をもっと多くの人に伝えたい、そう思ってこの文章を書かせてもらった。少しでも多くの人が、奔流に興味を持ってくれますように。
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剥ぎとる
シルクロードが好きだった。日本を出てみたかった。知らないことを知り、見たことのないものを見たかった。大学3回生の春、この夏が最後だと思い、参加を決めた。「感じる」旅にしようと思った。先入観とか知識とかプライドとか、余計なものは捨てて、ありのままの自分で勝負したい。初めての海外、知らない人たち、中国語も分からなかった。他のどんな感情よりも怖さが先行していた。出港して、海の色が変わっていくにつれ、固く緊張していた心がだんだんほぐれていった。大きな世界の小さな自分を感じていた。
まるで自分が子どもにかえったようだった。素直に喜び、歌い、踊った。そして、子どもになった私は、草原や砂漠に、人の心に、美しいものに触れるうちに静けさを求めるようになった。聞いて感じているだけで満足だった。一言でも言葉を発したらうるさいような気がした。砂漠の風の音が心に染みた。自分の中で燃えている炎があった。
乗った時急に背が高くなった気がした。視点が高い。遊牧民はこれを毎日見ているのか。自然を征服したような気がする。馬で駆ける。心地よい緊張感が体をまとっている。ぴりりとした空気。油断は許されない。砂ぼこりがもうもうと巻き上がる。圧倒的な迫力。すごい。馬の脚が砂にめりこむ。穴を飛び越え、よける。躓きそうになる。しかし馬はどんなに疲れていても止まらない。走り続ける。すごいことをやっている実感があった。馬とともに何かを飛び越えた気がした。叫びたかった。ためらいや躊躇など遥か遠くに行ってしまって、そのときやるかやらないかだけしかなかった。それまで馬と私の間にはなにもなかった。そこでつながりができた。張さんに、私が乗って馬は重くないのかと聞いた。張さんはふっと笑って、「重いよ」と言われた。そうか、重いのか。馬は私の重さを引き受けた。私はその重さを分かって乗っていただろうか。
私の馬は1日目、全く走ろうとしなかった。それは私が馬がかわいそうだと思って接していたからだろう。馬が痛いだろうと手綱を緩め、出発の時も腹を強く蹴ることはしなかった。馬を心の底で怖がる気持ちを「馬がかわいそう」という態度で覆い隠していた。しかし、一日走って分かったことがあった。馬は犬や猫のようなペットではない、中途半端な感傷や動物愛護の視点からは何も見えてこない。態度を変えた。何よりも指示を明確にしようと心がけた。甘さを捨てた。2日目、馬は見違えたように指示に従うようになった。同じ馬とは思えないほど。馬の目。優しく、そしてさびしそうな目。静かに遠くを見つめている目。馬には私の気持ちなど全てお見通しだったのだ。未熟な心の乗り手になど従うものかと。冷静に、しかし情熱的に、自分のはやる心を抑えて手綱を引く。
多くのことを気がつかないままセーブして生活していたことに気がついた。感動することを、そのまま受け止めることを忘れていた。できないと思ってやらなかったことが多すぎた。最後なんかじゃなかった。もう始まっていた。始まりだった。やりたいことをやるために生きているんだと分かった。もっともっと自由に生きたいと思った。
本当に生活に必要なものってもっと少ないのかもしれない。ただ頼りになる自分があればいい。旅はまだ終わらない。
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旅と日常
 結局、奔流は自分に何を教えてくれたのか、それについて綴っていこうと思うのですが、この文章から私の考える馬との旅の意義、そしてそこから浮かび上がる日常での生の有り様を汲み取って頂けると幸いです。
 日常とは飽きるものです。私は生活の中での刺激のなさにうんざりしていましたし、何に対しても無感動のきらいがありました。生きている実感がないというのが適切であり、自分が存在しているといえるのかわかりませんでした。でも、それが他者への不信から生じる私の反応だということは自分でもわかっていました。今のままでは無感動の日々が続いてしまうため、何かに能動的に関わらなければと思い、偶然にも参加することとなったのがこのグレートキャラバンだったのです。馬や中国にこだわったわけではないのですが、結果としてこの旅は強い影響を与えてくれました。
 「馬に乗ると見える世界が変わる」と旅の中で何度か耳にしましたが、ただ物理的に視点が高くなるというわけではありません。馬上での視点は遊牧民やシルクロードの商人の視点であり、そこにおいて私は日常の自己を超越しています。つまりこの自己の他者化、相対化が可能となっているのです。新疆での馬の旅は、日本で生活を送る私を見つめる良い機会となりました。遊牧民としての可能性にある私、もはや旅の生活を新鮮な刺激とは認められない私はいたのです。しかし興奮させる刺激とは感動に必要なのでしょうか。いえ、そうとはいえません。旅の中で私は懸命に食べ、馬に意志を伝え、仲間と語りました。食事、乗馬、団欒、睡眠の繰り返しの中でも私は生きている実感をもつことができました。これは馬との旅の中でだけの感覚では決してないはずです。
 旅は普段の倦怠から逃れるリフレッシュの場ではなく、むしろ日常を見つめる時間を提供する積極的な意味をもった場であり、逆説的ですが普段よりも自分の日常に近寄れたように思えます。食事、勉学、音楽、睡眠に満たされた毎日に自覚的、能動的に生きることが実存感覚と密接しており、行動の内容よりも自分の主体的な在り方こそが重要なのだと、馬の背中で気付きました。他者から受け取るときも然りです。他者から伝達されるというのではなく、他者から受け取るといった主体性が肝要であるはずです。馬と同様に世界はそれに語りかけることなしに乗りこなせません。世界の中にあっても、その美しさを感じるには能動性が必要不可欠なわけです。
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中国の夜から
 中国でわたしは闇に包まれた。光といえば星以外に見当たらず、目を開こうが閉じようが大差はなかった。そこにあったのは恐怖と同居する心地よさであった。
 人はわたしを他の誰でもないわたしとしようとする。ここにいるのが自分でなければいけない理由、すなわち他人に決して取って代わられることのない自分の確証を欲するのだ。なぜなら、その確証を得られなければ、わたしとしての存在を否定され、何者でもない誰かであることを認めざるを得なくなるからだ。この欲求に基づく行動は光を求める行為といえよう。より強い光の中に自己を置くことで、わたしの輪郭はより鮮明に浮かび上がり、外界とわたしとの差異をよりはっきりと確認することができる。ここに今確かにいるという感覚は得られるだろう。
 ところで、奔流の重要な語句の一つに「人馬一体」というものがある。「自分の行きたいと思うように馬が進んでくれた」と誰かが言っていた。しかし、騎手と馬との意志の一致という意味は、この言葉に似付かわしくない。この言葉が指し示すのはもっと高度な次元での「一体」ではないのかと考えた結果、「人と馬との存在の一致」と説明する考えに至った。
 人の視点からすると、人は自己であり、馬は他者である。だが不思議なことに乗馬を媒介としてそれらは溶け合う。ここにおいて人は乗馬中にも関わらず、馬に乗っていない。自己も他者もいなくなっているが、代わりに「自己と他者」という一つがいる。この状態こそが「人馬一体」ではないか。わたしはもはや自己ではなくなっている。冒頭で闇について触れたが、この存在の溶け合いは闇に身を置くことを比喩としても差し支えないだろう。闇の中では自分の手すら見えず、自己と他者には境界が見当たらない。自己と他者は混ざり合っているのだ。その時、確かに自己を保持し続けられない恐怖はあるが、同時に世界に拡散されるような快感すらある。
 大衆社会、没個性、一般人などの言葉に対してわたしは悪い印象を抱いていて、人は何者でもない自分であるべきだと考えていた。そして今もそう考え続けている。だが、ただ単に光を求め、それを浴びて生きるというのも違うように思えてくる。「人馬一体」が代表するような自己と他者との存在の関わりの肝要さを発見したからだ。ここで注意したいのは、闇にある自己と他者の関係は自己の埋没とは区別されなければならないところである。溶け合いと埋没という語からもその相違は歴然としている。埋没の際には自己は自己としてあり続けるのだが、世界でそれは覆われ視界に入っていないだけのことなのだ。この状態の快楽と闇での快感もまた区別しておきたい。快楽は自己を埋没させることで得られた、これもまた自己を表面的に覆う快に過ぎないが、快感は自己と他者という一つの存在で湧き上がり、その存在の内部で揺蕩っている快である。エピクロスが唱える「心境の平静」は、わたしがここで述べた快感から基づくものであると認識し、わたしは彼に賛同の意を表する。
 蓋し、存在は自己の唯一性を追求するものであり、その活動の結果として自他をより強烈に色分けしてゆく。そのことについて反対はしないし、わたしも例外でなくそのような存在であることを否めない。問題はその自他の完全な分離から感じる不快である。ここでいう不快とは疎外や孤独を感じていることなど、状況に応じて生じる好ましくない感情を指していると考えてもらいたい。自ら望んだ結果であるにも関わらず、不快を感じるとは皮肉なものだ。わたしはこの不快を見てみぬ振りをする仕方ではなく、根本から快に覆す可能性を「人馬一体」の中に見た。逆説的ではあるが、存在が自己を自己とあらしめんとする際には、同時に自己と他者の綜合が存在の精神の涵養という面において必要となっているのである。
絹の闇は優しく、世界は一つとなる。
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旅が好きになった。
この安全で,快適な日本を出て,旅に出る。それは非常に馬鹿げていて,非常に贅沢なことなのかもしれない。
でも,旅は人を強くする。
どんなトイレでも使えるようになるし,並の不潔さには慣れる。どこででも眠れるようになるし,寒さだって我慢できるようになる。つまり,不自由さに直面して,それを乗り越えられるようになる。
文化交流とか,他者の理解ってこういう所から始まるのかな,とふと思うことがあった。自分が感じている不自由さも,原地の人にとっては既に「住めば都」状態なのだ。そんな生活は不自由なようで,実は意外な喜びに満ちている。食事のおいしさ,水の気持ちよさ,音楽の美しさ,本当にたくさんあった。だから,社会の教科書を開くだけでは違う国の生活は理解できないのだと感じた。そこは,ただの不自由な汚い世界ではないし,ロハスで優雅な自然生活,というのももちろん幻想だ。現場で自分が感じる様々な感覚が積み重なって初めて,文化は交流し,現地の人を少しは理解できるようになるのかな。とにかく,自分から一方的に持ったイメージなんて大した物でないのだと思った。
現場主義の重要性,なんて表現をしてしまうと思い出は一気に乾燥して,変なゼミ資料みたいになってしまうのだけれども。でも,グローバル,なんてキーワードのもとにズームアウトしすぎると,案外こういう所から足下を掬われるのかもしれない。
ここまでだったら,別に一人旅でも感じられたかもしれない。でも,集団の旅だからこそ起こる出来事だってある。
精神的,肉体的疲労の前ではその人の持つ内面の多くが表に出てしまう。集団生活の中で,強さ,弱さ,色々な側面が,乱暴に暴きだされる。テント移動,薪集め,緊急の対応。どれだけ状況を良くしたいのか,全体の中で自分には何ができるのか。リーダーとかフォロワーとか,さんざん講義され,勉強してきたかもしれない。でも案外,乱暴で粗野な形をとってそれらは試されるのだ。都会のビルのなかでは,なかなかその人の内面なんて閉じ込められたままだ。だから,一回旅に出て,自分の内面,他人の内面がぶちまけられる様子を目にうつして,(すごく恥ずかしくなったりして),そしてまた成長できたらいいのかなと思った。
そして,その人の内面がさらけ出される状況では本当に暖かい触れ合いだってあるのだ。
疲れて,自信も持てず,旅に不安を感じていた時。自分にできることはないのかと探して,それはあまりに小さい気がしてどうしようもなかった時。そんな時に,ふと一緒に食事を食べてくれたり,お茶をもってきてくれたり,そういう経験の中で僕はとても人間的な暖かさを感じた。
誰かにそんな暖かさを,僕もあげられるのだろうか。
なんて原始的な強さ,優しさなんだ。
旅に出て,感じて,そして帰ってきて研鑽する。また旅に出て,感じて・・・
とても健康的で,生産的な生活だと思う。
どうやら,本当に旅が好きになってしまったようだ。
~~~~~~~~~~~~~
馬と人との関係は何か。 馬は私達に何を与えてくれるのか。 現代社会での日本の馬の役割は昔のように移動や仕事としてではなく、ほとんどが人間社会に組み込まれ、人間によって飼育され管理されている。馬といったら何を想像するかと日本人に聞けば、ほとんどの人が競馬か乗馬と答えるだろう。それは、私達が身近に馬に接することができるのは競馬や乗馬くらいしかないせいではないか。「馬で旅にでる」という感覚は交通機関が発達している日本で持つのは難しい。魅力的でちょっと好奇心をくすぐるこの言葉、「馬で旅をする」これだけを頼りに私はこの旅に参加した。それは想像を超えるものであり、期待以上の満足感と喜びで満たされた。 今回のキャラバンはかつて交易の路シルクロードに添って歩んでいく。それは、日本のコンクリートではなく、道があるわけでもない。ゴールもなく右や左、振り返っても前も後ろもない世界であった。道無き道を自ら決めて進んでいくのである。ひたすら自分の信じた道を進み行き、道標となっていくのだ。バインブルグ高原では遠くの小高い山々に囲まれ馬で群れとなり、時には馬の腰まで浸かる川を渡り、時には息を飲むほど美しい川に映る夕日を見た。ゴビ砂漠では越えても越えても続く砂漠の山を、埃を被りながら何十頭もの馬で一列になり、何時間もの間進み歩いた。この中で馬と自分だけの道を切り開いていくのだ。 このキャラバン中は何十頭の馬の群れの中でも乗り手は馬のことも考えながら、各々のペースで進み行く。馬を休ませるのも走らせるのも自分次第なのである。 これは日本の乗馬クラブでは決して出来ないことである。まず、馬の数をそろえることから難しいだろう。 もちろん日本の乗馬クラブの外乗も素晴らしい点はいくつもあるが、ある程度決められた大きな柵の中を、誰かが何度も通った補正された道を歩いている気がしてしまう。しかし、ここは違う。キャラバンは全く異なる。何も囲われていない地を自分で決め進んで行く。しかも自分だけのペースで。また、このキャラバンでは決められた馬に乗るわけもなく、同じ乗り方を教わることもない。乗る姿勢や馬をきれいに見せることを習うわけでもない。 参加者全員が自分の道を自ら決め、馬から乗り方を教わり、身につけていく。ただ、自分の好きな道を好きな乗り方で馬と決めていく。それだけだ。たとえ初日に馬に乗る事が困難であった人も時を増すごとに自分の持ち馬を知り、試行錯誤しながら人馬一体に近づいていく。ここも日本の乗馬と異なる点である。一時間ほど馬に乗り、また午後に他の馬に乗るというのではなく、同じ馬に1日中朝から夕方まで縦の揺れの中にいるのだ。しかも数日間。だからこそ、人からではなく馬から教わることで身体を通して学ぶことができる。私はこれがグレートキャラバンにしかないもので、一番の魅力な点だと思う。大自然の中で人が自然と馬に慣れて、乗り方も道筋も自分と馬で決めていくのだ。今までずっと出来無かったことで、挑戦したいことの一つが叶えられたのだ。
この感覚は一ヶ月、二ヶ月経った今も覚えている。このキャラバンに参加して馬の大切さと騎乗の楽しさと喜びを再び実感することができた。想像以上の実体験があったからこそ帰国してからの寂しさと空虚感は大きかった。見えるようで見えない道を進む乗馬と普段の生活を照らし合わせて日本の日常生活に戻った。いつかまたこのキャラバンが開催されれば参加したい。完全にキャラバン中毒になってしまったようだ。
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なんで今私ここにいるんだろう?って自問自答しながら旅を続けて
時には酒におぼれた夜もありました。
でも最終日、ハッと気付いたんです。これは“トキメキ体験ツアー”だと。
奔流にはいろんな人間が集まる。入れ替わりもあるが最大で70人の人間が
同じ土地で、同じ空気を吸い、同じ飯を食べ、同じ生活をする。
70人の人と一気に知り合えるなんてそうそうない。
旅で出会った全員と仲良くなれたわけじゃないし、
一言二言しか話さないでよく知らないままの人もいるけど、
とにかく奔流にはいろんな人間、いろんな考え方、いろんな知識を持った人がいるなぁ、ってすごく刺激になった。
70人も集まれば、その中でそりゃあ魅力的な人もいたし、気が合う人が現れ、
彼らと話していると楽しくって嬉しくって、毎日トキメキだらけだったように思う。
帰国後facebookで友人ポチ���らの質問に
「自分が失ったらいけないものは何?」という項目があったんだけど、
それ、自分の場合は“トキメキ”かな、と。
トキメキって恋愛感情ももちろんあるけど
人間として好きになったり、見た景色にときめいたり、
羊のお尻にキュンキュンしたり、いろんなものにときめくことが
私の中ですごく大切なことなんじゃないかって考えた。
ときめくって言葉を辞書で引いてみた。
“期待や喜びなどで胸がどきどきする”“心が躍る”
ドキドキしたり、ワクワクするようなことが無くなった毎日だったら
楽しくないじゃないか。生きているのに。旅行はドキドキワクワクが倍増する。
しかもツアーは奔流。ときめかない訳がない。
お金に換算するのはえげつないけど、結局自分の勘違いでこの旅に20万という大金を払って良かった、と思う。
旅が終わってからも、ときどき集まって遊んでもらって、ずっとつながっている感じ。
今もすごく楽しい。奔流友達大好きです。
一言で言うと、
奔流中国、ありがとう!!
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一人対一頭
馬は私をドキドキさせるのだ。
自分を乗せて歩き始めたとき、ものすごいスピードで駆け出したとき、馬が止まらないとき、馬上で出発を待つとき、
馬上だけではなく、馬のそばにいるどの瞬間にも心は高揚していた。
一方でケガや死に対しても警戒している。相手は動物なのだから。
調教によってある程度の扱い方や性質は把握できているため、「乗り物」として支配することは可能であるが、自動車や自転車とはわけが違う。個々の性格も違う、替えの部品なんてない乗り物の中では危険性に溢れた存在なのだ。
そんなリスクと同時に、生きた彼らとやりとりにドキドキするのだ。
乗れば彼らが呼吸をし、熱を持っていることがわかる。生きているのだから当たり前なのだけど馬に乗ることが同じ生物とのやりとりであることが実感できて嬉しいのだ。
乗馬キャラバン一向を後ろから眺めていると、一人対一頭とのやりとりが50以上の群れをなして走っている光景は圧巻だった。
もちろん自分の力だけで馬を走らせていたわけではない。馬の習性をよく利用した遊牧民達の下でキャラバンは統率されていた。
遊牧民の人が走りだせばまわりの馬が走りだし私の馬も勝手に走り出す。そんなときはいつもぐっとたずなを後ろに引き、減速の指示をする。 もっと一人対一頭のやりとりをしたいからだ。
群れの後方まで下がったところで走れと馬のおなかを蹴る。「待ってたぜ」と言わんばかりに馬はスピードを上げて駆け出す。
草薮や他の馬に激突しないようにコースを考え指示して、減速させないように馬の跳ねるテンポに合わせて体を動かす。
スピードへの恐怖はいつだってあるけれど、スピードを恐れたら姿勢が乱れて馬の走りを阻害するので走る速度を上げることに集中する。
自分の体が限界を超えたっていいからもっと走れと感じていた。
駆け足の間は否が応でも馬と自分のやりとりが激しくなるのだ。
広い砂漠の真ん中で群れから離れ、物理的にも精神的にも一人対一頭になれる機会があった。
この馬はこの砂漠を抜けるために必要な手段であるし、私は馬にとって最適なルートと走りを選択しなくてはいけないことを感じて馬で旅をしている実感が深まった。
そんなドキドキさせる行動と環境がこの旅に求めていたものなのだ。
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奔流とは (張宇氏のFBより) 奔流は毎回必ずしも同じ形でない。だけど、奔流は目指す形がある。屈折しながらもいつか必ずそれに成るように努力する頑な姿勢が、それが奔流である。 奔流の理解は必ずしも同じものでない。そこにそれぞれ人間の生い立ちがある。だけど、泥でも沼でも、奔流を汚すことができない清らかなところ、それが奔流である。 奔流に求めるものは必ずしも同じものでない。奔流が求められるものを応えるために存在したわけでもない。だけど、奔流は、もっとも大切なものに気づかせてくれる。「人」の中のなにかを呼び起こすことができる。 奔流が必ずしもすべての人は必要とは感じない。大樹でも、野薔薇でも、弱草でも、必要とする人もしない人も居ると同じように。だけど、そもそも奔流がだれかが必要のために存在しているわけではない。奔流は尊厳のために存在している。 奔流は自由である。社会主義の崩壊と同じように、奔流の自由は、人々はより強い人間を目指す、より賢い社会を目指す、ことが絶対必要条件である。だから、自己堕落が奔流じゃない。 奔流はまた必ずしも自由ではない。自由を選択する人には最大の自由がそこにあると同時に、自由を選択しない人にも自由でなくても生きていける道はそこにある。 奔流は、傲慢、貪欲、堕落愛、原始的、保守的、非民主的である。 奔流は、尊厳、渇望、ブラトン式愛、固執、超時代的、反政治的でもある。 奔流は一種の無為の中で為したものである。
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記憶は草原の風のように、砂漠の砂のように消えていく。 もう忘れてしまったことがたくさんある。 音も、景色も、日程も、遊牧民の名前もすべて曖昧になってしまった。 しかし、形のない大きな感動は、今も心に焼き付いて離れない。 いつかまた同じ場所に戻ったとしても、同じ記憶は蘇らないだろう。 生きものは、常に変わってゆくのだから。 人間であっても、動物であっても、植物であっても。 自分が変わる。仲間が変わる。自然は秒単位で移り変わり、二度と同じ景色を作り出さない。 馬と私、息を切らせて駆け抜けた。愛おしくなったりいらついたり、まるで人間同士のように。 人間と人間、音楽や景色を通じて、ことばに出来ない感覚を共有した。ぐっと本能的に、まるで動物のように。 まためぐり合うとき、私たちは必ずどこか変化していて、同じような感覚は戻らないかもしれない。 それでもまた、新鮮な喜びを見つけ合えるようなお互いでありますように。 キャラバンは終わらない。
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世界で一番海から遠い場所               
 焚き火を囲む宴会の活気を遠くに聞きながら、地平線の彼方まで広がる草原の暗闇に一人ぽつんと仰向けになり、広大な星空を眺めていると少し離れた暗がりからぬっと人が現れて宴の方へと帰っていった。どうやら用をたしていたようだ。キャラバンの旅では男女問わず青空トイレが基本、とはいえとうとうライトも持たず星の明りのみを手がかりに用を足せるようになったんかぁ、なんてその人の耐性にいたく感服してしまう。しかし暫くしてから「柵の近くでしたから踏まないようにね!」っと大声で後発のトイレ隊に注意を促すのが向こうから聞こえると、ドキっとしながらつくづく思う「ちょっと遠いし汚いが便所はあるからそこでしたらいいのに。」と。言語を絶する大草原、彼方に霞む荘厳なる山々、息をのむ満天の星。ここはバインブルグ、トイレからも最も遠い場所。
 この旅に参加しようとした動機が何だったのか忘れてしまった。というよりそんなもの端からなかったと言ったほうが正しいかもしれない。別段見たいものがあったわけでもやりたいことがあったわけでもない。ただどっかに行きたかった。だから道中で知り合った仲間が堅牢で明確な参加理由を持っていることを知って感心しつつも幾分ばつが悪かった。この旅で生まれて初めて馬に乗った、数日乗っただけでえらそうなことは言えないけれど馬を操ることは自分自身をコントロールすることのように思える。不安や恐怖、焦燥や慢心���いった雑念を心から取り去り馬に心を開くことが重要で、それが上手くいかないと馬も言うことをきかない、しゃくしも馬もとはよくいったもの。もしかしたら乗馬は禅のようなもので張宇氏の言う「人馬一体」とはその一つの境地であるのかもしれない。馬との旅はこれまでの自分の旅の中でも最も自己と向き合った旅だったかもしれない。
帰ってきた今、今回の旅を思い返せば旅に出る前に思っていた以上のものを得られたと思う。美しい風景とか異文化体験はもちろん、乗馬の感動、個性豊かな人達との新たな輪、信じられない程険しい山道を車で十時間かけて越えても折れない心、腹ブレーク。キャラバンでは信じられないようなハプニングが平気で起る。追い詰められたら人間誰でも地が出るもんで、そこでホントの自分に気付く。本性を鍛えるには、安全でルーティンな日々や紋切り型の海外ツアーでは決して成し得ない。やっぱり追い詰められなきゃいけないと思う。
驢馬が旅に出たところで馬になって帰ってくるわけではないと言う。例え驢馬は驢馬でもきっと旅に出る前よりもたくましい驢馬になって帰ってくる。そんなお金じゃ買えない価値がある、自分だけの旅は是非奔流中国で。
「驢馬が旅に出たところで、馬になって帰ってくるわけではない。」そんなアイロニカルな
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