Tumgik
#ラグビーの怪我
kurumesports · 1 year
Text
ラグビーの怪我
久留米スポーツ整骨院整体院はこの度、記事を公開しましたのでお知らせします。 久留米スポーツ整骨院整体院は整骨院事業及び整体院事業を行っております。 久留米スポーツ整骨院の記事、ラグビーの怪我 原因 種類 治し方(治療)対処法を記事にしています。ラグビーにおける怪我の種類や怪我を負ってしまった際の対処法。ラグビーに多い脳震とうの対処などを記事にしています。 詳しくは下記記事内で確認をお願いします。 https://kurumeseikotuin.com/sports/rugby-injury 福岡県久留米市でお身体に痛みがあるなどの悩みは 久留米スポーツ整骨院整体院にご相談下さい。 住所     :〒839-0863         福岡県久留米市国分町1611-2 アクセス   :JR南久留米駅 西鉄バス 八軒屋 TEL    :0942-27-7769 営業時間   :9:00~20:00 Instagram  :https://www.instagram.com/kurumesports/ 公式サイト  :https://kurumeseikotuin.com/ 求人サイト  :https://kurumeseikotuin.com/home/kyuzin 定休日    :祝日休暇 お盆休暇 年末年始休暇 住所     :〒839-1233         福岡県久留米市田主丸町田主丸937-5 アクセス   :JR田主丸駅 徒歩2分 TEL    :0943-72-3677 営業時間   :9:00~20:00 Instagram  : 公式サイト  :https://tanushimaru-seikotuin.com/ 求人サイト  :https://tanushimaru-seikotuin.com/recruit/ 定休日    :祝日休暇 お盆休暇 年末年始休暇
4 notes · View notes
tatsumine · 1 year
Text
ありがとう戦友(釜石シーウェイブス)
釜石シーウェイブスは今シーズン限りで退団する選手11名を発表。外国籍は一人もいないので、おそらく別途発表があるのでしょう。すべてを出し切って引退を決めた選手、今シーズン活躍してくれた選手、なかなか活躍の場がなかった選手、怪我で歯痒い思いをしながら次の人生に踏み出す選手。
それぞれに多くの思い出がある選手たちで、今は名前を見るだけで、彼らがフィールドでスクラムにすべてを込めたり、気持ちよくブレークしたりするシーンが目に浮かんで泣けてきます。
選手たちはみんな自分の息子みたいな、そして自分の戦友みたいな、そんなふうに思える釜石でラグビーをしてくれて本当にありがとう。
HO隈本浩太、PR3寺脇駿、LO西井利宏はチームが解散した宗像サニックスブルースから今シーズン加入。慢性的に安定したHOとプロップが不足している釜石のスクラムに安定感を与えてくれました。大漁旗が繋ぐ縁で釜石に来てくれたことを本当に感謝しています。しゅんしゅんはまだまだ十分続けられる年齢、くまと西井も難しい決断だと思いますが、二人とまだまだ続けられる年齢です。どのような決断をしても応援しています。頑張って
No.8中野裕太、キャノンは2016年に加入。タツジ、ぶんた、ジョー・ピーターセン、オスカ、堀田、佐々木と大幅にメンバーが入れ替わり始めたころの釜石に入ってきて、抜群のボールキャリーとスクラムコントロールで釜石の主将も務めてくれました。メディア対応もファンとサービスもとても丁寧で、激しいプレーとは裏腹なギャップが可愛い選手でした。34歳、神戸製鋼出身のNO.8っていったらこのあと13年も活躍した前例がありますからね。ぜひ現役を続ける道を探ってほしいですが、どのような道をとってもそれはきっとキャノンにとって正解です。応援しています。
SO片岡領、CTB福士周太、WTB佐々木紘、FB下山輝。領はSOとしては器用なタイプではなかったけど、そこを修正すればきっと才能は開花する、福士くんは怪我に苦しんだ、紘と輝はなかなか試合に出場できず歯がゆかったと思う。怪我とか色んな事情もあるだろうけど、みんなまだまだ若いんだから、ぜひラグビーを続けてほしい。
CTB佐々木裕次郎。オスカ、堀田さん、裕次郎と新卒で東海大のセンターが3人同時に入団したときはとにかく驚いた。これで釜石のセンターは10年安泰だと思ったけど、シーズンイン前に堀田くんが退団、よく、12オスカ、13裕次郎の並びはなんとも言えない空気が漂っていて好きでした。なんとも港の香りのする名前のこの選手はとにかくラグビーより釣りが大好き。膝をやってしまい、選手を続けることができず、引退位を決断しました。まだまだ若い。これからの人生のほうが今までの倍くらいあります。釜石で得た経験を新しいステップで生かしてほしいです。
CTB菅原祐輝、気が付けばたくやに次ぐ古参。でもまだ20代。ウィングでもセンターでもできてスピードもありガッツもある。細かいテクニックはあとから付いてくるってタイプでした。どっちもできたっていうのが不幸だったのか幸運だったのか。現役を退いても釜石には残ってくれるのかな。釜石で新しい道があることを祈ります。
吉⽥ ⻯⼆ HO 7年(2016-23シーズン)
ちょっと特別な選手。釜石を離れるということに関してはマイケル、ぶんたが同時に離れたとき以来のショック。しかし一度は引退を決めていたのに、釜石のために兼任コーチとして残ってくれて大輝にあとを託してくれた。タツジは2010年に拓大から加入しましたが、1年で一度チームを離れ、5年セコムに移籍し、2016年に釜石に帰ってきてくれました。中村彰、伊藤大輝、芳野寛のバックアップとして出場することが多かったけれども、中村選手が近鉄に移籍して大輝が育つまでの期間、スターターも務めてくれた。出れば抜群のディフェンスセンスとスローイングテクニックでチームに安定をもたらしてくれる選手でした。試合を離れるととても朗らかで親しみやすく、人の話をきちんと聞いてくれるナイスガイ。釜石の選手の中でマイケル、ぶんたくんと並ぶくらい良く話した選手です。今回の引退に伴い、釜石シーウェイブスを離れる決断をしました。これからの人生、全力で応援しますよ。一緒に飲めたらいいんだけど、俺、酒飲めないんだよな…。
とにかくみんなありがとう。2016年のスコッドを見ると残っているのはたくやとダラス、オスカ、小野キャプテンの4人、そのうち2人は出戻りだからね。本当に生まれ変わる時期なんだと思います。ニーニー、セルヒオ、セタ、ヘニー、ジョシュ、ダス、ベイリー、外国籍選手も書くことのできない選手ばかりだけど、きっと半分くらいはいなくなっちゃうんだろうな、悲しいけど、選手たちのステップアップを考えると笑って送り出してあげないといけません。
いくつになってもこの日ばかりはなれることはありません。
6 notes · View notes
endebar · 1 year
Photo
Tumblr media
【eN de baR】05 May 2023 休日のお知らせ
*05 [May 2023] - Regular holiday -   定休日: 毎週月曜,火曜   We're closed every Monday and Tuesday.
*05 [Michael James Fitzgerald] 舞行龍・ジェームズ・フィッツジェラルド POS:DF / HT:185cm / WT:82kg DOB:1988.09.17 / POB:New Zealand
マイケルが名前でジェームズが2ndネーム、 苗字がフィッツジェラルド。 "フィッツジェラルド"は、なんとなく口に 出して言ってみたくなる心地よい響きが ある。"フィラデルフィア"とか "ブエノスアイレス"を口に出して言うと なんとなく心地よいのと似ているかも しれない。
フィジカルが強く空中戦にも強い。敵方に ボールを奪われた後の素早い奪回能力にも 優れ、そこからのビルドアップや前線への ロングフィードの精度も高く、攻撃の起点 としてもチームに貢献。 空中戦に強いことからセットプレイ時の 得点源のターゲットとしても期待できる。
CBというポジションでプレイする選手として は珍しくプロになってから退場したことが なかったが、今季2023/04/01のJ1第6節、 名古屋グランパス戦で少し遅れて行った タックルの足裏が相手MF内田宅哉の足に 当たってしまいVAR判定の結果、プロ入り後 初のレッドカード、初の退場となった。 15年DFでプレイして退場が1回というところ からフィジカルだけではない守備技術の高さ がうかがえる。
ラグビーが盛んなニュージーランドで生まれ アイルランド人の父親の影響でサッカーを はじめた。 15歳のときにサンフレッチェ広島ユースに 短期留学したが、広島ユースメンバーとの 力の差を実感し一旦挫折しニュージーランド へ帰国。ちなみにその当時の広島ユースには 柏木陽介、槙野智章、前田俊介などが所属 していた。
2005年に東京の成立学園高校から留学の話が あり、本人は乗り気ではなかったが親にほぼ 強引に留学させられる。日本の文化や言葉の 壁に戸惑いながらも適応して行き、日本の サッカーにも高校サッカーでプレイする中で 適応。レギュラーに定着した。
2008年に成立学園高校からアルビレックス 新潟に入団したが、当時のJ1リーグの外国人 出場枠が外国人3人+アジア人1人と限られて いた為、出場機会に恵まれず、その当時JFL のチームに期限付き移籍。ツエーゲン金沢、 V・ファーレン長崎などでプレイし経験を 積んでいった。
2013年に日本国籍を取得後、アルビレックス 新潟に復帰。主力として定着し守備に貢献 したが、2014~2016年、チームは勝てない 試合が多くなり成績が低迷。新潟はJ1残留 争いを毎シーズン繰り返す苦しい時期に入り 2017年にはJ2に降格することとなる。
2017年にJ1優勝を狙う川崎フロンターレから 獲得オファーがあり移籍。 怪我での長期離脱などの影響もあり出場機会 にはあまり恵まれなかったが、鬼木達監督の 下、2017~2018年J1初優勝&連覇を果たした チームで大きな経験やスキルを得た。
2019年にJ2の新潟に完全移籍で復帰、様々な チームを渡り歩いて得た経験やスキルを発揮 し守備に安定をもたらし、2022年のJ2優勝と J1昇格に貢献した。 今季のJ1でのプレイでも守備や攻撃の起点と しての能力を存分に発揮しており、今後の プレイにも期待したい。
4 notes · View notes
jaguarmen99 · 2 years
Quote
772 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:22/06/28(火) 07:35:34 ID:DR.6k.L1彼から付き合ってくれと言われて付き合って結婚1歩手前まで行った。ゴルフ教室で一緒になったのがきっかけで付き合い始めた。けど、「俺に合わせて嘘をついて欲しい」と言われることが多くなって別れた。休みの日、彼氏が尊敬しているという50代の上司と出くわした時、「俺の従姉妹なんです」と嘘をつかれ、目配せされた。なんでそんな嘘言うの?彼女ではダメなの?と聞いたら、「あの人にそういうの知られちゃうと大変だからね。ほら色々あるじゃん、写真見せてくれとか…」と。その時は「気遣ってくれたんだなー」だけで終わり。だけどその後、嘘の描写が異常に上がっていった。彼の友達に会うとき、「料理教室で会ったことにしよう。彼はゴルフとかスポーツをやる女性を嫌うんだよ」と言われた。戸惑って「そんな嘘つかなくてもいいでしょ。別に変なことしたわけでもないのに」と言い返したけど、「もう友達にもそう送ってるから、よろしく」で通された。その友達は一目見て、(この人絶対何かスポーツやってた人だ)と分かるくらい体格ががっしりしてた。友達は「おー、噂の料理教室で知り合った彼女さんか。○○(彼)はどんなところが好きになったの?」とニコニコしていた。彼は「いやー、俺は初心者クラスから始めて上級者クラスに行ったんだけどさ、先に彼女(私)がいたんだよね。その時に作った料理は○○と××と△だった。その料理作ってる時の手際が他の生徒より誰よりも良くてさ~」とありもしない話を語り始めた。多分嘘だと気づかず聞いていたら本当のことだと思うレベルの作り話だった。私は気になって「友達さんは、何かスポーツとか長くやられてるんですか?」と聞いたら「ラグビー部だったんだよ。今はもう脂肪着いちゃったけどw」と言われた。「じゃ、付き合ってる彼女さんもスポーツとかやられるんですか?」「うん、彼女スポーツ好きでね。元テニス部で、最近ゴルフ始めた。ラグビーは理解出来んと言われたwwまあ傍から見てると怖いし怪我もしやすいしな~」彼を見ると少し気まずそうに目を逸らしていた。友達と別れた後、「…あちらの彼女さん、ゴルフやってるじゃん。嘘つく必要なかったよね?」と聞いたら「あー…そだね」で終わり。極めつけが、ご両親と彼のお姉さんに挨拶に行った時だった。「例のラグビー部の友達からの紹介と言ってあるから、よろしくね」と玄関前で言われた。結婚を考えてる彼女ということで良くもてなしてくれたけれど、その時に「A君(例のラグビー部にいた親友)のご紹介だけあっていい人が来てくださって」と言うので、「あの、違います。彼さんとはゴルフ教室で会ったんです。Aさんとはその後知り合いました。彼さん、Aさんに対しては『料理教室で知り合ったということにしてくれ』と嘘をつくよう言われました。上司さんと出くわしたときも『従姉妹』と誤魔化されました。さっき、玄関前でいきなり『Aさんの紹介ということにしてくれ』と言われました。彼さん、なんで私のこと、そんなに嘘つくの?私のことが恥ずかしいの?そうしないとご両親にもお友達にも上司の方にも紹介できないの?」多分最後泣いてしまったからか、ご両親が「どういうことだ、彼女さんに嘘つかせたのか」と彼に問い質すと、「そうだよ?親父もお袋もそういうスポーツするような女性苦手だろ?」と肩を竦めた。そしたらお姉さんが「あんたさあ!子供の頃からどうでも良い嘘つく癖、まだ直ってなかったの!?小学生の頃は誰と誰が殴り合いの喧嘩をしたとか言うけどそんな話なかったし!中学の時は私のことを血の繋がってない姉だと言ったでしょ!」と怒鳴り、昔からの癖だったと知った。その後、家族の前で「このような嘘が続く結婚ならしたくない、もっと早く決断すべきだったし、彼さんにも申し訳ありません」と話した。彼は「いやいやそんなことで?被害もないのに?」と「馬鹿じゃないかこの女」みたいな目で笑っていた。お姉さんが「あんた結婚式で馴れ初めをどうやって話すつもり?A君は料理教室だと思ってて、私たちはA君の紹介だと思うわけでしょ」と言われて「じゃあ結婚式しなければいいよ」とわらったので、もう無理だと悟った。ご両親からは何度も謝られ、お姉さんからは「もっといい人いるから」と慰められた。
続・妄想的日常
13 notes · View notes
Text
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
卒業生イベント@拝島自然公園(3月19日)①
今日でARSを卒業する小学校6年生と中学校3年生。
今後もラグビーを続ける子もいれば、新たな道に自分の意思で進んでいく子達もいます。
転んでも、怪我をしても、ラグビーでたくさん転んで怪我をしてきたのでそこから立ち上がる術はみんな経験してきました。
ARSで仲間たちと経験したことが次の道で少しでも役に立ってくれたらうれしいです。
道に迷ったら1人で悩まず、仲間を頼ってください!
(土日、家でやることのない、暇なコーチたちでも頼ってもらっていいよ)
それぞれの道で、羽ばたいてください!
未来はみんなのためにあります!
Graduation Event @ Haijima Nature Park (March 19) Part 1
Today, elementary school 6th graders and junior high school 3rd graders graduate from ARS.
Some will continue playing rugby, while others will pursue new paths on their own will.
Everyone has experienced how to get up after falling, even if they fall and get injured, because they have fallen and been injured a lot in rugby.
We would be happy if the experiences we shared with our colleagues at ARS could be even a little helpful on their next path.
If you get lost, don't hesitate to rely on your friends, even the coaches who have nothing to do at home on weekends are available to help.
Please spread your wings and fly in your own way!
The future belongs to everyone!
2 notes · View notes
ma-cotori-p · 1 month
Text
危険プレーとか怪我をなくすためのサッカーを考えないとね。今のサッカーってラグビー、バスケット、ドッジみたいなスポーツが全部試合中に怒らわれてる気がする。サッカーだけでは?怪我人が多いの
View On WordPress
0 notes
774 · 5 months
Quote
人間は産まれる前に胎児の時の胚の種類によって筋肉・脂肪のつきやすさ・つきにくさが決まるという胚葉学という学問があります。胚葉はそれぞれの骨格や筋肉や臓器などを形成するベースとなります。 胚葉は主に外胚葉・中胚葉・内胚葉に分類され、この3種類の胚葉によって体質(筋肉・脂肪のつきやすさ・つきにくさ)が変わるとされています。この胚葉は親や更にその先祖などからの遺伝で決まるため、遺伝子との関係があります。それぞれ解説していきます。 外胚葉型(エクトモルフ) 外胚葉型の胚葉の方は全体的に身長が高く体全体が細くて薄いのが特徴です。具体的には腰幅や肩幅・腹囲・胸部が狭く、筋肉と脂肪が付きにくいため痩せているのが特徴です。骨格的には華奢で脆く、怪我をしやすかったりします。 パワーを要するスポーツ(アメフト・ラグビー・パワーリフティングなど)は関節の耐久値などを考慮するとあまり向いていない方が殆どです。その点、持久系のスポーツ(マラソンなど)や器械体操は有利となります。
【筋トレ】筋肉の成長速度や付きにくい・付きやすいは遺伝子に関係する!?太りやすさにも関係が、、?速筋や遅筋の関係性についても解説!! - 八王子のパーソナルジム|MARBELL GYM(マーベルジム)
0 notes
kowado1 · 1 year
Photo
Tumblr media Tumblr media
2023年05月31日
激しいスポーツ用メガネ
こんにちは メガネの光和堂です。
今日は大きなボールを使うスポーツ用のメガネのご紹介
大きなボールを使うスポーツとは
バスケットボール バレーボール サッカー ラグビー ハンドボール ドッジボール
などでしょうか。
このスポーツをする時 ボールがメガネに当たると
①メガネがほぼ壊れる
②お顔がほぼ傷つく
最悪の時は 目が損傷する
なので専用のメガネをお勧めします。
専用のメガネは
まず、ほぼ壊れません!(想定外があるかもしれませんが、壊れたって聞いたことがありません)
なので 全力でスポーツできます
次に 顔に怪我がほぼありません(これも想定外があるかもしれませんが・・・)
顔に当たる部分にはクッションがついていますので、安心です。
そして ゴムベルトで装着しますので、プレー中ずれません。
全力でプレー出来ますね
クッション部にベンチレーション機能があるのでほぼくもりません。
ベンチレーションとは 換気とか風通しという意味があります。
目の前を風が通り抜けるので 湿気を追い出します。
これさえあれば スポーツのパフォーマンスは爆上がりです。
ぜひ貴方も専用のメガネでライバルに勝ちましょう!
■当店HP:
スポーツゴーグル|メガネの光和堂 (spice-k.com)
■ブログ:
メガネの話 by 創業60年のメガネ店 (blog.jp)
■エキテン:
メガネの光和堂(福岡市中央区六本松) | エキテン (ekiten.jp)
0 notes
79nihs · 1 year
Text
朝7時20分。「終わった」と思った。死をイメージする、それだ。自宅の階段で足を滑らせた。一瞬の出来事で自分でも何が起きたかわからなくて、気づいたら床に横たわっていた。テレビは倒れ、扇風機もカバーが外れて倒れている。
ロフト付のアパート。落下したんだったと我に帰り冷静になると、猛烈な激痛が走った。今まで経験したことのないものだった。床に大の字になりながら、痛む方向に視線を送ると理由が分かる。肘から下がおかしな、あらぬ方向へ向いていた。肘のあたりも脱臼しているのかボコっと形がいつもと違う。骨折だ…。あぁっと悶えるしかなかった。
案外こういう時、自分は冷静だったなと思う。とんでもない状況になってしまった、これは骨折しているぞと認識するまで時間は掛からなかった。変形してしまった左腕を見つめていると、どんどん痛みが大きくなっていった。指先の感覚がほとんどない。腕が動かせるのか確認しようと、力をいれるものの力が入らない。そして痛む。やっと、自分の身体の一部分が動かない状況であることを理解すると、あてもない気持ちが込み上げた。「痛い、痛い」と叫びまくった。朝から大声で。それ以外、言葉が出てこないのだ。ラグビーでさえここまでの痛みを経験したことがなかった。密集戦で踏まれようが、瞬間の痛みだったから、これは違う。
はいつくばりながら、スマホを拾い上げ、最初に実家に電話した。父が電話に出る。「階段から落ちて腕が折れた。救急車を呼ぶ」と伝え、「119」のダイヤルでコールした。10分ほどで救急隊がやってきた。猛烈な重症なのに、インターホンがなって普通にドアを開ける。普通にドアを開けるのだから、救急隊も驚いた様子だった。
症状と、どうやって怪我をしたのか、部屋にあがってもらい、状況を説明した。ただ、そんなことより、はやく病院に運んでくれという思いだった。感覚のない指、ぶらんとなった肘から下。もう自分では同しようもないから、とにかく処置をしてほしい。流石にくちにはできなかったけど、必死の形相だったはずだ。
痛みはしんどかったけれど、歩けるし意識もしっかりしていたので、救急車に自力で乗り込む。
0 notes
npo-toiro · 1 year
Text
選手の身体に装着したウエアラブルデバイスで、一人ひとりのスピードや走行距離やスピードなどをデータ化。怪我の予防などのコンディショニングや練習強度のコントロールなどに役立てる
0 notes
naotam1 · 2 years
Photo
Tumblr media
先日、同級生が営む接骨院(国家資格=柔道整復師)👉自費整体院に鞍替えした、整体の施術後に、設置から1年経ち、初体験してきた。 効果は???けど、その日の夜はぐっすり眠れた。それが効果とも受付嬢にも言われてた。 医療高気圧酸素も、同級生の外科医がしてるけど、症状が保険適用になかなかならないらしく、自費だと、とんでもない治療費に。但し、接骨院の高気圧酸素は、MAX1.3気圧。医者が管理する医療用は3気圧だったかな?。歴然の差らしい。 その病院は、ラグビーのジュビロ磐田の選手が、怪我の治療に来る。特に、国立浜松医大からの紹介らしい。治りが歴然として早いんだって!。 接骨院の紹介にも、怪我の早期治療、疲労回復などが書かれてた。 ワシは45年前に頚椎(首)の圧迫骨折して、今から18年前にその圧迫骨折の手の麻痺の後遺症(箸が持てなくなった)で、浜松の私立総合病院で首の手術2回。 その後、執刀医の元にずっと通院するも、執刀医が大元の新潟大学に帰るようになって、診てくれる医者が居なくなって、術後痛、稼働範囲狭い等に悩んでた。浜松各所の有名な整形外科通ってた。浜松医大では、設計図(手術の)がないのと、あったとしても細かい執刀医の考えは分からないと門前払い。 で、中学卒業振に、FBで接骨院を営んでる同級生と遭遇。 いいよ!おいでよ!試しに!と 最初は保険適応の接骨院だったら、最低料金の1回数百円で対応してくれた。見る見る痛みは減り、稼働範囲は広がり、驚いた。 整体院という隠れ名の接骨院。自費は、保険適応の10倍。まあ、自費だからね。それでも、安い値段形態で、1番適した施術してくれてる。お金ないから、数ヶ月に1度だけれど良い?って聞いたら、来ないよりマシだから良いよ!って。で、確かに数ヶ月に1度でも、稼働範囲はキープ。痛みもほぼ無い。 この高気圧酸素カプセル、回数券が期限無しで、1割引5枚綴り、2割引10枚綴りで販売。 今、浜松は、PayPayなどの支払い20%還元やってるから、買うのもありかなーと迷い中 https://www.instagram.com/p/ChAH-n9p7ot/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
tatsumine · 4 months
Text
instagram
FB 吉川遼
ベイリーの怪我でスタートFBとなったが、前半30分で無念の交代
--------
大和で歴史的大敗
#釜石シーウェイブス 5-85 #浦安DROCKS
⛓️CHAIN⛓️
#日本製鉄釜石シーウェイブス
#釜石 #岩手 #東北魂
#ラグビー #リーグワン
#OM写真投稿 #OMSYSTEM OM-D E-M1 mark Ⅲ #Olympus
#MZUIKO DIGITAL ED 75-300mm F4.8-6.7 Ⅱ
0 notes
bigdumbstar5 · 2 years
Photo
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
7/2に愛知県豊田市の豊田スタジアムへラグビー日本代表.VS.フランス代表を観戦。レプリカジャージ着用し勾配の高い4階までザル汗かいて登り国歌斉唱中になんとか席に辿り着いた。とにかく広い会場だった。日本は李のパスコントロールが非常に印象強く、ラインブレイク数に貢献大だった。フランスは怪我で代表を離脱していた2人の選手の復帰戦でプレーは流石だった。来年のW杯までフランス代表、死角無し
1 note · View note
hangorin · 3 years
Text
8.24パラリンピック不当弾圧と警察の暴力に対して、渾身の怒りを持って抗議する
Tumblr media
英語版/English Ver
8月24日午後7時過ぎ、反五輪の会とオリンピック災害おことわり連絡会によって呼びかけられた「パラリンピック止めろ!開催に抗議するスタンディング」に参加するため、集合場所へ向っていたAさんが、襲いかかってきた大量の警察官たちに取り抑えられ、パトカーで連れ去られる事件が起こりました。さらにその後、近くにいた抗議者が警察に投げ飛ばされ、地面に後���部を打ち流血する怪我を負いました。このような警察の暴力と不当逮捕は、パラリンピック開幕式に反対する抗議者の声を封じ込め、制裁を加えるという、反オリンピック・パラリンピック運動に対する弾圧に他なりません。
わたしたちは今回の不当逮捕・弾圧に対し、国内外の多くの仲間たちと結束して断固として抗議し、Aさんを一日も早く取り返すことを目指します。
パラリンピック開会式への抗議行動は、開会式会場となっている国立競技場横のJOC(日本オリンピック委員会)ビル前での集合が呼びかけられていました。
しかし、車道を「通行規制」しているはずの警察は、歩行者に対しても異様な過剰警備を行っていたのです。最寄りの駅がある外苑前交差点には警察の指揮車が2台が停まっており、歩道では大量の警察官たちが、競技場方面へ向かう通行人をむやみやたらに止め、どこへ向かうのか、何しに行くのか、など質問をして公然とつきまといを行っていました。
また、国立競技場から500メートルほど手前の、青山高校前、秩父宮ラグビー場がある地点の歩道を柵で封鎖し、横断歩道の両脇には二重の開閉式のフェンスで車道を封鎖し、大量の警察官たちがものものしい雰囲気で立ち塞がっていました。
阻止線となっている横断歩道を人々が渡る際、警察官たちは立ち止まるな!と、歩行者を強く押すなどかなり乱暴に歩道に押し込め密集した状況を作り、その異様な警備に対して集まった人たちは「警察は暴力をやめろ!」と抗議していました。その時、突然多くの警察官がAさんに襲いかかり、ほかの抗議者たちとは逆の方向へAさんを押し出しそのまま連れ去ってしまいました。大量の警察官たちにもみくちゃにされるなかで抗議者の一人が投げ飛ばされ、後頭部を打ち出血する怪我を負いました。
更に、他の大量の警察官たちが、横断歩道や付近の抗議者たちを、突き飛ばしたり、体をぶつけて強く押したり、背負っている荷物を引っ張るなどして、ものすごい勢いで警察が柵で囲った歩道の一部へと押し込めました。警察官たちは、力ずくで抗議者たちを押し込めながら「危ない!危ない!」「押さないで!」と虚言を弄し、転倒させ怪我人が続出する事態を誤魔化し、「お姉さん!お姉さん!危ないから!」などと大声で叫び、抗議者に対する虐待・ハラスメントを繰り広げました。
後頭部の怪我を負った人が、暴力をふるった警察から離れたいと言っているにもかかわらず、警察官たちは何度も近づき取り囲もうとするなど、二次加害も起こしました。更に、本人は断っているにもかかわらず執拗に救急車で病院へ行くことを勧め、挙げ句の果てには、勝手に救急車をよびつけました。救急隊員たちは、怪我を負った本人から警察官に暴力をふるわれて怪我をしたこと、そして救急搬送されることを望んでいないことを知り、そのまま引き上げることになりました。コロナ対応で多忙の中、あろうことか、警察のメンツと言い訳のためだけに振り回されることになったのです。
 命を蔑ろにし、嘘と暴力で飾られた最悪のパラリンピック開会式に対し、抗議者たちは渾身の怒りで「警察は暴力をやめろ!」「仲間を返せ!」「パラリンピックは暴力の祭典だ!」と声をあげ続け、その後も、Aさんが取り押さえられている赤坂署へ向かい「仲間を返せ!」「警察はふざけるな!」と深夜まで抗議の声は止みませんでした。
一方、Aさんが連れ去られた30分後、開会式真っ只中に警察はAさんを逮捕したことをマスコミに発表し、一部メディアはその警察発表をそのまま垂れ流しました。警察発表には、事実と異なる情報も含まれていました。オリンピック・パラリンピックに反対する者に対する悪意に満ちた見せしめ逮捕を、絶対に許すことは出来ません。
わたしたちの怒りは収まりません。
赤坂署はAさんを直ちに返せ!警察の暴力は許さない!
東京オリンピック・パラリンピック組織員会は、嘘と暴力に飾られたパラリンピックを即刻中止しろ!
オリンピック・パラリンピックは廃止しろ!
わたしたちは、Aさんの一日も早い奪還を実現します。
2021年8月27日
8.24パラリンピック弾圧救援会
オリンピック災害おことわり連絡会”おことわりんく”
反五輪の会
*********
<抗議先>
警視庁赤坂署 184-03-3475-0110
<救援カンパにご協力をお願いします>
郵便振替00100-3-105440「救援連絡センター」
※通信欄に8.24パラリンピック弾圧救援と明記ください。
5 notes · View notes
hitujijp · 3 years
Text
森氏の発言をネタにした政治ショー
多様性を重視するなら別に森氏みたいな人が居ても良いと思うんだが、そこまで何を騒ぐ必要が有るのか理解に苦しむ。
ていうか、森氏とか総理だった頃から失言が多いので有名だったし、何を今更という感じがしている。むしろ森氏が失言をするのをまだかまだかと待っていた政治勢力が「それ来た!今が攻め時だ!」と鬼の首を取らんばかりに勢力拡大に利用しているのが真相なんじゃ無いのかね?
大体だ。そもそもスポーツの場で男女平等とか競技の実態知ってるのかと言いたい。そんなもの格闘技系とかラグビーとか怪我の多いスポーツなら男性が9割以上にどうしたってなるし、シンクロナイズドスイミングとか新体操なら9割以上が女性になるだろ。その会議での男女比がどっちかに偏るのは必然だし、そうしたくないなら競技を殆ど知らない素人をただ性別が違うからという理由で連れてきて意見させるしか無くなる。
全く馬鹿げた話だ。その競技の基本技術すら知らないのに頼む意図が分からない。それならいっそ外部のコンサルタントに依頼した方がよほど分析の行き届いた有益なデータが上がってくる。
ハッキリ言って今回の事態に賛同する合理性が有るとしたら、人権重視のバイデン政権に擦り寄りアピールする意図ぐらいだろ。
全てが胡散臭さに満ちている。
8 notes · View notes
geniusbeach · 4 years
Text
絶望のパレード
 魂がうわついている。まるで自分が自分でないみたいだ。ここしばらく意識は常に前方斜め下で、歩いているのは抜け殻か尻尾のようなものである。いつから、そしてなぜそのようになってしまったのだろうか。正月にかこつけて内省的になってみる。
 昨年の初めに私家版詩集を刊行した。それまでに書き溜めた僅かな詩編を、2人の詩人と編集者、美術家とともに共著の形でまとめた。処女詩集にして全集のようなおもむきがあるけれども、自分としてはそれでよい。稲垣足穂風に言うなら、以降に自分が書くものはその注釈かバリエーションに過ぎないということだ。共著者と編集者が営業に奔走してくれ、関西の大型書店のみならず、関東の書店にも置いてもらうことができた。ありがたいことに帯には人類学者の金子遊氏が一文を寄せてくださった。個人的には、自分の高校時代からの読書遍歴を決定づけた恵文社一乗寺店に置いてもらえたこと、そしてそこで一度品切れになったことが大変嬉しかった。これで一地方のマイナーポエットになることができたという感じがある。それ以上は望まないが、この営みは細々と続けていくつもりだ。
 詩集に関するあれこれが落ち着いてからは、英語の学習に明け暮れた。一昨年は仕事で繁忙を極めており、勉強どころか読書も満足にできなかったため、それを取り戻すように必死にやった。おかげで昨年度中の目標としていた点数を一発で大きく上回ることができ、すぐに違う分野へ手を出した。次はフランス語であった。気合を入れて5000円もする参考書を買い、基礎からやり直していった。ところがその参考書、誤植があまりにも多く、解説も非常に不親切で、ページをめくるのが億劫になり早々にやる気を失ってしまった。なんとも情けない話である。新しい参考書を買う気もなくなり、漢字の勉強へシフトしたところ、こちらはうまくいった。徐々に、平日はカフェで、週末は図書館で勉強するスタイルが出来上がっていった。その間も読書は続け、昨年で40~50冊程度は読むことができた。
 秋ごろには面白い出会いがあった。実存的な不安が高まったこともあり、有休を取って哲学の道を散歩していたところ、海外からの観光客に、掛かっている看板の意味を聞かれた。訛りのある英語だったため、フランス人ですか? と問うと、そうだとの答え。自分がわずかばかりフランス語が話せるとわかって意気投合し、3日間観光ガイドのようなことをした。彼の名はムッシュー・F、ひとりで日本にバカンスに来て、東京でラグビーの試合を見たりしたとのこと。七十を超える高齢だが、つい最近まで自分もラグビーをしていたと話すエネルギッシュな人物で、全く年齢を感じさせない。パリで会社を営んでいるそうで、これが私の家だと言って見せられたのは、湖畔に浮かぶ大邸宅の写真であった。週末には森を散歩したり、湖にモーターボートを浮かべたり、馬に乗ったりしているよと言う。もちろんそれらは全て私有(森や湖でさえ!)、モノホンの大金持ちである。京都では一緒にカフェに行ったり、大文字に登ったり、うどんをご馳走したり、孫用の柔道着を探したり、旅行の手配を手伝ったりした。是非フランスにおいでと言い残し、彼は去った。それから今でも連絡を取り合っている。実に50歳差の友人ができた。
 かつて自分は、日本で日々を平穏に過ごしながらたまに外国語を話す生活を望んでいたが、今になって少しばかり叶っていることに気が付いた。仕事ではしばしば英語を使う。ただ、本音を言えば、金子光晴のように海外を旅して回りたい。学生時代に思い描いていた生活はと言えば、高等遊民か世界放浪者であった。金子は詩の中で「僕は少年の頃/学校に反対だった。/僕は、いままた/働くことに反対だ。」と言った。人間は何からも自由なのである。自分も「成績」や「評価」、「管理」などには絶対に反対である。人に指示され、その目を気にして送る生活など耐えられない......。ところが、じっさいの自分には構造の外へ飛び出す勇気がない。そもそも自分は道の外から生のスタ-トを切ったのだ。そこから正道に戻るだけで精いっぱいだった。血の鉄鎖に引きずられながらもなんとか空転を繰り返した結果、保守的な思想が全身に染みついてしまった。今はなすすべもないまま泣く泣くレールの上を鈍行で走っている。窓からは、空中を並走するもうひとりの自分が見える。全てに背を���けて純粋な精神の飛翔を楽しむ自分の姿が。金子の詩友・吉田一穂は「遂にコスモポリタンとは、永生救はれざる追放者である」と言った。世界は狭量だ。自分にとっては、シュマン・ド・フィロゾフもアヴェニュ・デ・シャンゼリゼも等価である。どうにか国や所属を超越したいと強く思う。やはり勉強をし直さねばならない。
 自分の様子がおかしくなったのは10月頃からだ。一昨年度に忙殺されたせいで少なからず人間の心を失った自分は、仕事における虚脱感に苛まれていた。家における問題もあり、また昨年度新たに来た上司とは全くウマが合わず、フラストレーションも募っていた。そもそもが5年で5人も上司が変わるという異常な環境である。自分はよく耐えてきたと思う。働くことが馬鹿馬鹿しくなり、ぼーっとする時間が多くなる。そんな中、自分はある大きなミスをしでかしてしまった。それは実際大した問題ではない、誰にでも起こりうることだった。尻ぬぐいは上司とともに行うこととなった。しかし、そのミスのせいでかなり落ち込んでしまい、さらに事後対応や予防策の打ち出し方が虫唾が走るほど不快なものであったため、自分は深く考え込むこととなった。さらにそこで追い打ちのごとく転勤が告げられたため、自分はついに心身に不調をきたしてしまった。抑鬱、不眠、吐き気、緊張性頭痛、離人感、悲壮感、食欲不振……全ての事物から逃げ出したくなる衝動に眩暈がする。ある日職場で人と話している時に、どうにもうまく言葉が出てこなくなったため、何日か休む羽目になった。初めて心療内科を受診し薬をもらった。一日中涙が止まらなかった。その頃の記憶はあまりない。日々、ふわふわと悲しみのなかを漂っていたように思う。ただ、話を聞いてくれる周りの人々の存在はかなりありがたく、ひとりの人間の精神の危機を救おうとしてくれる数多の優しさに驚かされた。転勤の話は自分の現況を述べたところひとま��流れた。その際、上役が放った言葉が忘れられない。「私は今までどこに転勤しても良いという気持ちで仕事をしてきましたけどね」。他人の精神をいたずらに脅かすその無神経さに呆れて物が言えなかった。薬の服用を続け、1ヶ月半ほどかけて不調はゆるやかに回復したが、自分が何もできずに失った貴重な期間を返して欲しいと強く思う。仕事に対する考え方は世代間でもはや断絶していると言ってもよいだろう。
 労働を称揚する一部の風潮が嫌いだ。仕事をしている自分は情けない。それにしがみついてしか生きられないという点において。システムに進んで身を捧げる人間の思考は停止している。彼らは堂々と「世の中」を語り始め、他人にそれを強制する。奴隷であることの冷たい喜びに彼らの身体は貫かれている。何にも興味を持てなかった大多数の人間が、20代前半に忽然と現れる組織に誘拐され、奇妙にも組織の事業であるところの搾取に加担・協力までしてしまう。それは集団的なストックホルム症候群とでも言うべきではないか。社会全体へのカウンセリングが必要だ。尤も、使命感を持って仕事に臨む一部の奇特な人々のことは尊敬している。生きる目的と収入が合致しさえすれば、自分も進んでそうなろう。だが自分は、「社会とはそういうもの」だという諦念には心の底から反抗したい。組織とは心を持たない奇形の怪物だ。怪物は人間の心の欠陥から生まれる。ただ怪物のおかげで我々は生きられる。それをなだめすかしておまんまを頂戴しようという小汚い算段に、虚しさを深める日々。人間的であろうとする以上、この虚しさを忘れてはいけない。
 どうしようもない事実だが、労働によって人の心は荒む。労働は労働でしかない。肉体を動かすことによる健康維持という面を除けば、それ自体、自己にとっては無益なものだ。勤労意欲のない文学青年たちはいかなる生存戦略を以て生活に挑んでいるのか。彼らの洞窟を訪ねて回りたいと思う。現代には、彼らのように社会と内面世界を対立させたまま働き消耗する人々がいる。ある経営者がその現象を「ロキノン症候群」と呼んでいた。芸術に一度でもハマったことがあるような人々がそうなのだという。しかし彼らも納得はいかないながら、どこかで折り合いをつけて頑張っているはずだ。自分は彼らに一方的な連帯感を覚える。来る亡命に向けて、励まし合っているような気さえするのだ。世間様はきっと我々を馬鹿者だと罵るだろう。「なんとでもいはしておけ/なんとでもおもはしておけ」と、山村暮鳥の強い声が聞こえる。目に見えるものだけを信じるのもいいが、それを周りに強いてはならない。我々は今、ようやく開けてきた時代を生きている。だが認識は未だ模糊としている。完全な精神が保証される世界からすると、まだまだ古い時代なのだ。人間の姿を見失いがちな現代に対して言えるのはただ一つ、みんなで一緒に幸せになろう、ということだけだ。
 さて、年末に3日間の有休をぶち込んだので年末年始は12連休となった。天六で寿司を食べ、友人宅に入り浸ってジャークチキンをむさぼった。ポルトガル料理に舌鼓を打ち、サイゼリヤで豪遊した。特に予定を立てずに、ひたすら酒とコーヒーを鯨飲する毎日であった。心身の不調はマシになったものの、不運が続き、人と会わなければどん底に落ちると思った。それはまるで自分という神輿を中心にした絶望のパレードのようだった。
 休みの初日、ふと思い立ち、生き別れた父親の所在を探るべく、戸籍を請求してみた。私は父親の顔も名前も知らなかった。さほど興味がなかったというのもあるが、これまで家族に問うても曖昧な答えしか返ってこなかったのだ。働き出してからしばらくして、親戚から聞いたのは、父親は母親と同じく耳が聞こえなかったこと、暴力をふるう人間であったことの二つだけだ。養育費が払われることはなかったともどこかで聞いたような気もする。いずれにせよクズのような人間であったことは疑いようもない。生まれてから会った記憶もなく、不在が当たり前の環境で育ったため、会いたいと思ったことはほとんどない。ただ、自分の身体の半分が知らない人間の血によって構成されていることに何とも言えない気持ち悪さを覚えていた。というのも、顔は母親似だと言われるが、色覚異常の遺伝子は父親から受け継いだものであり、おかげで少年はある夢を断念せざるを得なくなったからだ。その「不可視の色」を意識するたび、自分の身の内には不在の存在がかえって色濃く反映された。違和感は自分が年を重ねるごとに増してゆくような気がした。そのため、せめて名前と消息だけでも知っておこうと思い、今回ようやく役所に出向いたのだ。職員に尋ねたところ丁寧に教えてもらえた。自分の戸籍から遡れば簡単に辿ることができる。しばらくして数枚の紙きれが手渡された。そこには聞きなれない苗字が書かれてあった。そして、案外近くにひとりで住んでいることがわかった。ふーん。何か虚しさを覚えた。自分は何がしたかったのか。カメラを持って突撃でもすれば面白いのかもしれない。ネットで調べてみると同じ名前の者が自己破産者リストに載っていた。そうかもしれないし、そうではないかもしれない。結局自分には関係のないことだ。じっさいこの文章を書いている今、父親の下の名前をまったく忘れてしまっている。思い出そうとしても思い出せないのだ。
 旅行前日の夜中に家の鍵をなくした。普段ほとんど物をなくさないのでかなり焦った。約4㎞の距離を3往復し、交番に駆け込むも見つからず。最後に寄ったコンビニの駐車場を這うように探し回ったところ、思いがけない場所で発見し安堵した。寒くて死ぬかと思った。自分は落とし物を探す能力には自信がある。物をなくさない、などと言いながらイヤホンのイヤーピースはこれまでに3度落としたことがある。しかし、その都度血眼になって道端から救出してきたのだ。今回見つからなかったら自分はどんなに落ち込んでいただろう。2時間も無駄にしてしまったが、とにかく良かった。もうお洒落を気取ったカラビナは使わない。
 中学時代の友人3名と有馬温泉に行った。ここ数年、年末の旅行は恒例行事となっている。とはいえこの4人で遊ぶために集まるのはおよそ10年ぶりだ。有馬は京都から車でおよそ1時間半。温泉街は観光客でごった返している。外国人も多い。昼飯にカレーを食べ、しばしぶらつく。細く入り組んだ坂道が続く。公園には赤く錆びついた蛇口があった。飲用可能な鉄泉だったが、衝撃的な味に顔がゆがむ。血だ。その後、目当ての温泉旅館に行くも臨時休業であった。どこの湯も混雑しており、20分待ちがザラだった。日帰り湯の看板が出ていないホテルにダメもとで聞いてみると、幸運にも入れるとの答え。客もほとんどおらず、金泉をこころゆくまで楽しめた。歩き途中、炭酸せんべいを土産に買う。特徴のない普通のせんべいだ。ここで一旦宿に戻って車を置き、再びタクシーで温泉街へ。鉄板焼き屋でお好み焼きを食べ、銀泉に入る。顔がツルツルになった。宿はそこからかなり離れた山裾にある合宿所のようなところだった。嫌がるタクシーに乗り込み、外灯のない急坂を登る。受付には緩い感じのおじさんがいて、懐かしさを覚える。鍵を受け取り、宿泊棟へ。一棟貸しなので騒ぎ放題だ。大量に仕入れた酒とつまみと思い出話で深夜までウノに耽った。翌朝気が付いたのは隣の棟の声が意外とよく聞こえるということだ。大声、というか爆音で昔の先生のモノマネやらツッコミやらを繰り返していた我々の醜態は筒抜けになっていたようだ。棟を出る時に同年代くらいの若者と鉢合わせてかなり気まずかった。ここにお詫び申し上げる。この日は朝から中華街へと移動し、料理を食らった。鰆の酒粕餡かけという聞きなれない一皿がめっぽう美味かった。バリスタのいるコーヒー屋でエスプレッソを飲み、だらだら歩いて旅行は終了。京都に着いてからなぜか3時間ほどドライブし、大盛の鴨南蛮そばを腹に入れてから解散となった。
 大晦日は友人宅で蕎麦をご馳走になってから鐘を撞きに行き、深夜まで運行している阪急で松尾大社へ。地元の兄ちゃんが多い印象。社殿がコンパクトにまとまっていて良かった。おみくじは末吉だった。年明け早々、以前付き合っていた人が結婚したことを人づてに聞く。めでたい気持ち半分、複雑な気持ち半分。元日は高校時代の友人3人と四条で酒を飲むだけに留まる。2日は友人らと蹴上の日向大神宮へ。「大」と名づくが割合小さい。社殿の奥には天の岩屋を模したと思しき巨大な岩をL字型にくりぬいた洞窟があり、潜り抜けることができる。いつ作られたものかは不明だそう。暗闇を抜けて日の光を再び浴びる時、不思議にもスッキリとした感覚になる。ここでもおみくじは小吉だった。その後は下鴨神社の露店を物色し、ケバブとヤンニョムチーズチキンなる悪魔のような食べ物に枡酒で乾杯。旧友と合流し、深夜まで酒を飲み、コーヒーで〆。怒涛のアルコール摂取はここで一旦落ち着いた。
 3日、昼に起きる。夕方ごろ喫茶店に行くもぼんやりして何もできず。3時間で本のページを3回めくったのみ。その帰りがけに初めて交通事故を起こした。自分は自転車に乗っていたが、考え事ごとをしていたかそれとも何も考えていなかったか、赤信号の灯る横断歩道の真ん中で車に真横からはねられて、初めて意識が戻った。即座に状況を理解し、平謝りする。非常に幸運なことに怪我も物損もなく、さらには運転手が気遣ってくれたおかげで大事には至らず、事故処理のみしてその場を後にした。自分はあまりにぼーっとしすぎていたのだ。赤信号はおろか、横断歩道があることさえも気づいていなかった。完全にこちらが悪い。ただ、こんなことを言ってはヒンシュクを買うだろうが、何か自分のせいではないような気もした。昔、轢かれたことのある友人が、「車は鉄の塊、人なんて無力」と言っていた。生と死は笑えるほどに近い。車の同乗者には、生きててよかったなぁ! と半ば怒った口調で言われた。果たしてそうなのか。苦しんで生きるか、知らぬ間に死ぬか、どちらが良いのか。よくわからない頭のまま先輩の家に遊びに行き、帰ってからおみくじを捨てた。馬鹿にもほどがある。
 “WWⅢ”がツイッターのトレンド入りした日に、リニューアルしたみなみ会館で映画「AKIRA」を見た。第三次世界大戦で荒廃・復興した2020年のネオ東京が舞台である。東京オリンピックの開催まで予言されていて瞠目する。作画の緻密さと色彩の美麗さ、展開のスピードが尋常ではなく、見るドラッグのようであった。見に来ていたのは意外にも20代の若者が多かった。なぜか終了30分前に入ってきた女性3人組もいた。目がぐるぐる回って、もう何が何か訳がわからなかった。溢れそうな鍋に蓋をしたところ、その蓋の上から具が降ってきた。そんな脳内で、世界の終わりというよりは、自分の終わりという感じだった。翌日から仕事だったが、変に興奮して夜中まで寝付くことができなかった。
2 notes · View notes