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#ローマ法王
reportsofawartime · 7 months
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聖なる!聖なる!聖なるイスラエル、教皇は嘆かわしいと語る 速報|ローマ法王フランシスコの代理がガザでのイスラエルによる大虐殺を批判し、3万人以上のパレスチナ人の殺害を非難したことを受け、イスラエルはバチカンを攻撃する声明を発表した。 声明は同副官の発言を「嘆かわしい」と述べ、ガザの多くの民間人がハマスを支持していると主張し、ハマス殺害を正当化した。
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ari0921 · 1 year
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我が国の未来を見通す(75)
『強靭な国家』を造る(12)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その2)
宗像久男(元陸将)
──────────────────────
□はじめに
 
プーチン大統領は、ウクライナ侵攻という本当に
“重大な過失”を犯したものと改めて考えてしまい
ます。本人は強気のように見えますが、内心は相当
悔やんでいることでしょう。
このたびのNATO首脳会議において、さすがに紛
争当事国のウクライナの加盟時期の決定は見送られ
たようですが、スウェーデンが加盟し、4月のフィ
ンランドの加盟と合わせれば、バルト海正面の出口
はすべてNATO諸国にふさがれてしまいました。
NATOへの新規加盟は全加盟国の賛同が必要です
が、スウェーデン加盟の最終決断は、これまでロシ
アと友好関係を保持していたトルコでした。トルコ
も大きく舵を切ったとみてよいと考えますが、これ
により、黒海から地中海への出口もふさがれたこと
になります。
そして、ロシアからみた欧州正面は、バッファゾー
ンはベラルーシのみとなり、NATOに今すぐにで
も入りたいとするウクライナを含めると、すべてN
ATO諸国に包囲される形になりました。ウクライ
ナ侵攻に踏み切った理由について、ロシア側の言い
分は確かにあることでしょう。しかし、このような
状態を招いた原因を、プーチン大統領率いるロシア
側の“読み違い”や“過失”は全くなく、NATO
側に全責任があるとすることに無理があるのは明ら
かです。やはりロシアの“身から出た錆”は否めな
く、冷静に考えれば、”他の手段“はあったはずな
のです。
かつてナチスを葬った時のロシアの役割を今さら取
り上げてみても、それぞれの国、特に欧州列国は、
時代時代に“非情にも”相手を変えながら合従連衡
を繰り返し、それぞれが生き残ってきたという歴史
を有しているわけですから、まさに英国宰相パーマ
ストンの名言「永遠の同盟も永遠の敵も存在しない。
あるのは永遠の国益のみ」が、今も生きているもの
と考えます。
この結果に喜んでばかりはおれません。何度も繰り
返してきたように、このような情勢の中で、ロシア
が“乾坤一擲の手段”を使う可能性がより増大した
ことを警戒する必要があるでしょうし、ウクライナ
戦争がどのように決着するかまだまだ見通しが立ち
ませんが、ウクライナ戦争後、「南下政策」として
過去に何度も繰り返したように、ロシアが「再び極
東へ」との動きを加速する可能性もあることです。
中国は、今回のNATOの決定に対して「冷戦思考
だ」と反論したようですが、「明日は我が身」との
懸念が増大したとも言えるでしょう。NATOの東
京事務所設置については、フランスなどの反対で決
定までには至らなかったようですが、ニュージーラ
ンドやオーストラリアなども中国に対する警戒心か
らNATOと新たな枠組みを造りたいとする動きが
出ているからです。
NATOが東アジア正面に拡大し、それに我が国も
参加するような枠組みについて、現憲法下の現在の
安全保障政策の範囲の中で可能なのでしょうか。当
然ながら、「集団自衛権の行使」のような、これま
での制約を超えた様々な活動が必要になってくるこ
とでしょうから、今のうちに真剣に議論する必要が
あると私は考えます。
最後に、ウクライナの反撃について、あえて感想を
言わせていただければ、「攻撃は防御の3倍の戦力
が必要」というのは軍事作戦の常識中の常識です。
宇宙やサイバーなど戦争の領域が拡大し、装備が近
代化されても、この常識は変わらないようです。
当然ながら、ウクライナ軍にも優秀な将校たちが存
在し、様々な「見積り」や「分析」をした後に「作
戦計画」を策定し、反撃開始のゴーサインを出した
とは想像しますが、政治的な思惑から急かされたり、
ロシアの防御力を低く見積ったり、ウクライナ兵士
が外国製の兵器に慣熟する期間が短かったなどを含
めて、当初の計画通りに進まないのはそれなりの理
由があるのだと推測します。それこそが古今東西、
変わらぬ“戦場の実相”なのでしょう。現役の自衛
官諸氏もしっかり学んでほしいと願っています。
国際社会はいよいよ「分裂の時代」に突入したこと
を覚悟する必要があるでしょう。それは、“過去の
常識が未来の常識ではなくなる”ことを意味するの
でしょうが、“決定的な対立”を避けるために、
「人類の叡智」が問われる時代になったとも言える
と考えます。
▼数々の「我が国の未来を予言する書」に出会う
 
前回の最後に、外的・内的要因の克服をめざす“国
家の強靭化に向けた処方箋、いや荒治療”について
考えたいと述べましたが、さてどこから手を付ける
べきか。それ自体が途方もないチャレンジであると
改めて考えてしまいます。ただ、そうはいってもメ
ルマガなので、私自身は、引き続き、気楽にあれこ
れ思いつくままに発信させていただこうと思ってお
ります。
さて、『世界で最初に飢えるのは日本』(鈴木宣弘
著)や『2040年の日本』(野口悠紀雄著)のよ
うに、その一部はすでに本メルマガでも紹介しまし
たが、世の中には、我が国の国防、人口、食料、エ
ネルギー、経済などそれぞれの分野において、将来
を憂い、警鐘を鳴らしている書籍は山ほどあります。
中には、イーロン・マスクのように「日本はいずれ
存在しなくなるだろう」(2022年5月8日)と
断言している人もいます。
私自身は、有識者たちが日本のどのような部分に
“着目”しているかを知りたくて、迷うことなく手
に取った書籍はたくさんあります。古くは、三島由
紀夫氏や石原慎太郎氏などは独特の嗅覚で訴え、か
つ行動しました。最近では、『捨てられる日本』
(ジム・ロジャーズ著)とか『日本が消失する』
(ケント・ギルバード著)のように“危機の時代”
が眼前に迫っており、これまでの“やりかた”では
対処できないと警告している書籍もかなりあります。
『日本の死活問題』(色麻力夫著)は、一言で言え
ば、戦後の怠慢が今日の状態を招いたとして、この
ままの我が国の未来について、特に国防の面から心
配しています。そのような中で、『誰が国家を殺す
のか』(塩野七海著)は、「民主制は、民主主義を
自認する人々によって壊される」と、塩野氏自らが
振り返ってきた、ローマなどの歴史的真実を踏まえ
て「民主主義を自認する人々」の“危うさ”を警告
しています。
前回、小室氏が「平和主義者が戦争を引き起こした」
と解説していることを紹介しましたが、これらはす
べて、日本の“現在の常識”では対処できないこと
を物語っているのであり、これらの指摘はまさに慧
眼であろうと考えます。
ではどうすればよいのでしょうか? 小室氏も“歩
き出す”重要性を強調しただけで、具体的な提案は
なかったことも紹介しましたが、『国の死に方』
(片山杜秀著)も、「日本人は何を間違えたか」と
今日に至る歴史的経緯を縷々解説し、最後は「そん
なに国を死なせたいのか」とまとめていますが、そ
うならないため、つまり生き抜くための“処方箋”
については触れないまま終わっています。
このように、「我が国が国家として未来に生き残る
ために、そして現状の様々な問題を改善するために、
いかに“荒治療”するか」については、有識者とい
えども、「成案」を持っている人は少なく、当然な
がら、簡単ではないということなのだろうと考えま
す。
ところで、読者の皆様は、“これまでの人類の歴史
の中でいくつの国が消えてなくなったか”ご存知で
しょうか? このような事実は、教科書などには載
らないために通常、誰も知りません。それを知る貴
重な書籍が『世界滅亡国家史』(ギデオン・デフォ
ー著)です。消滅の理由は様々ですが、なんと48
カ国もあるようです。
少し紹介しますと、「サラワク王国」「バイエルン
王国」「リフレッシュメント諸島」「コルシカ王国」
「マスコギー国」「ソノラ共和国」など名前さえ知
らない国が多いですが、「満州国」「テキサス共和
国」(アメリカに入りたくてメキシコから独立)
「ドイツ民主共和国(東ドイツ)」「ユーゴスラビ
ア」なども含まれています。
オックスフォード大学で考古学や人類学を学んだギ
デオン氏は、「国家は滅亡する」として、「悲しい
最期を迎えた国々の物語には、命知らず、レイシス
ト(人種差別主義者)、詐欺師、常軌を逸した人、
脱税者、または勘違い、嘘、非常識な計画、その他
『バカげた失敗』と言っていい数々の愚行が登場す
る」と、滅亡に至る内的要因について解説していま
す。歴史的事実しての国家の滅亡の原因は、内部崩
壊か、外からの侵略に大別されますが、ここにある
ような内的要因が相当の部分を占めることも事実な
のです。
確かに、長い人類の歴史の中では、いくつもの国家
の「興亡」がありましたが、ここに列挙したような
内的要因が原因となった「亡」と、これらとは真逆
の要因が鍵となって「亡」を逃れ、再び「興」に至
った国々も数多くありました。
そのような中で、我が国の未来の“光明”について
多くを語る書籍もかなりあります。代表的なものと
して、『見えない資産の大国・日本』(大塚文雄著)
では日本の強みに「インタンジブルス」を掲げます。
この定義は専門的ですが、「目に見える」「可視の」
「明らかな」などという意味の「ビジブル」の逆で、
「漠然とした」「不可解な」「無形の」「実体のな
い」という意味で使われ、日本人の「よいところ」、
つまり「礼儀正しい」「弱者をいたわる」「他人に
迷惑をかけない」「他人の悪口を言わない」「自分
の功を誇らない」「あまり神がかったことは言わな
い」「何かをあるときに精魂をつくす」など、日本
人の「道徳」とか「心」を指した言葉と定義されて
います。
最近の社会現象などをみるに、このような「道徳心」
が失いかけていると心配する一方で、世界がうらや
む「見えない資産」がまだ残っており、これらを大
事する限り、日本は復活すると提案しています。そ
の意味では、日本はまさに現時点がその「岐路」に
差しかかっているのかも知れません。また、『日本
の真価』(藤原正彦著)では、「この国は再生でき
る」として、「美意識」と「武士道精神の復活」を
強調します。これらの細部については後述すること
にしましょう。
現憲法前文には、「国際社会における『名誉ある地
位』を占めたい」旨のことが書き込まれています。
それは単に、戦前のように「国際社会への『挑戦者』
とならないこと」(私自身はこのような表現自体に
も違和感を持つ一人ではありますが)を誓っただけ
なのでしょうか。いま現在は、すでに「名誉ある地
位」を占めているのでしょうか。仮にそうであった
として、その地位は今後、永遠に続くのでしょうか。
以上のような現状認識と問題意識も持ちながら、次
のステップに進んでいきたいと考えます。
▼「強靭な国家」の基本は「国力」にあり
私は、いろいろ考えた結果として、「強靭な国家」
造りの基本は「国力」という言葉に集約されると考
えるに至りました。「国力」とは、一般には「国際
関係において、ある国家がもつ様々な力の総体」と
定義され、これらの要素は、国民・政治・経済・軍
事・科学・技術・文化・情報などの能力と影響力を
指しています。
そしてこれらの相対的な位置づけによって、一般に
は「超大国」「大国」「地域大国」「中級国家」な
どとランク分けされています。他方で、「国力」自
体の定義と相対的な位置づけを数値で表す方法は多
種多様で、結構複雑です。何を強調するかについて
は、「国力」を論じた人によっても見方が分かれま
す。本メルマガの本旨から少し外れるかもしれませ
んが、長らく論争の対象になっていた「国力」の定
義や構成要素の差異の中にこそ、「国力」の本質と
我が国の未来に対する“ヒント”があるような気が
しますので、代表的なものを紹介しましょう。
その定義で最も有名なのは、「国益は国力によって
支持されなければならない」との明言を残したドイ
ツの国際政治学者ハンス・モーゲンソーだったと考
えます。モーゲンソーは、「国力」の要因を(1)地
理的要因、(2)天然資源、(3)工業力、(4)軍事
力、(5)人口、(6)国民性、(7)国民の士気、
(8)外交の質、(9)政府の質と9つ挙げています。
このうち、(1)から(5)までの地理的要因、天然
資源、工業力、軍事力、人口は、ある程度数量化す
ることができる「ハード・パワー」として換言でき、
(6)から(9)までの国民性、国民の士気、外交の
質、政府の質などは、数量化することが難しい「ソ
フト・パワー」として換言できるとされています。
この「ハード・パワー」と「ソフト・パワー」の関
係を違った形で、「国力」の要素として定義したの
が、米国CIAの情報担当次官として名をはしたレ
イ・クラインでした。クラインは、キューバ危機時
の情報分析の第一人者としての自らの経験をもとに、
当時、様々な書籍を上梓していました。日本語に訳
されたもので有名なものは『世界の「軍事力」「経
済力」の比較』(1981年)で、冷戦さながらの
各国の「国力」などを見事に比較分析していました。
私は当時また1等陸尉の若い幹部でしたが、関心を
持ってこのような書籍に目を通していたことをよく
覚えています。
クラインは、数値による「国力」を次のような方程
式で表しました。
P=(C+E+M)×(S+W)
ここでいうP=国力、C=人口+領土、E=経済力、
M=軍事力、S=国家戦略目標、W=国家意思を示
します。
つまり、「国力」は、人口、領土、経済力、軍事力
のような「ハード・パワー」と国家戦略目標や国家
意思のような「ソフト・パワー」が“掛け算された
総合力”であると定義しました。それでも当時は、
その骨幹となるのは、「ハード・パワー」である経
済力や軍事力であることが国際社会の常識となって
おりましたので、クラインの定義は、「ソフト・パ
ワー」の要素も無視できない“くらい”のニュアン
スだったと記憶しています。
その後、アメリカの元国防次官補ジョセフ・ナイが
2004年に『ソフト・パワー』を上梓し、軍事力
や経済力以外の新しい概念として「ソフト・パワー」
をより強調し、「ハード・パワー」と相互に駆使す
ることによって、国際社会の支持を獲得する有効な
手段であるとして一世を風靡(ふうび)しました。
クラインの定義によるハードとソフトの主従関係が
逆転したとの印象を受けました。
ナイ氏の「ソフト・パワー」を構成する3つの要素
は、“その地域を魅力的に見せるような”「文化」、
“国内外の人々の期待に応える”「政治的価値観」、
“他の人や国から正当かつ道徳的な権威があると見
なされる”「外交政策」を挙げています。これらか
ら、若干のニュアンスの違いはありますが、他を強
制し得る「ハード・パワー」に比して、「弾力性」
とか「しなやかさ」を(つまり「強靭さ」)有する
パワーが「ソフト・パワー」であるとも解釈できる
と考えます。
一方、私自身は最近まで知らないままでしたが、経
済学界でも論争になっていたらしく、アメリカの経
済学者のコックスとジャコブソンも「国力指数」の
再定義に取り組みました。彼らは、「国力指数」を
GDPに基づくものではなく、以下の10の要素か
ら構成される複合指数として定義したのです。つま
り、(1)軍事力、(2)政治力、(3)人的資源、
(4)天然資源、(5)貿易、(6)財政、(7)通貨
安定、(8)技術、(9)市場の大きさ、(10)国際
的な役割です。いかにも経済学者らしい分析ですが、
これにより、「国力指数」は単に経済力を測定する
ものではなく、より包括的な指標となりました。
そして、彼らはこれらをまとめるような形で、「国
力」を次のような式で指標化しました。
「国力」=GNP+1人当たりのGNP+人口+核
戦力+国際的威信
です。「ハード・パワー」に相当する経済力をさら
に細分化し、軍事力も特に核戦力に着目したことは
極めて“現実的”と言えるでしょう。この中の「国
際的威信」は、その定義が難しいとは考えますが、
この部分が「ソフト・パワー」に該当すると考えら
れます。
これらから、「国力」の定義は一様でないことがわ
かりましたが、このような定義を当てはめながら、
我が国の「国力」をどのように分析・評価すればよ
いかについては次号で取り上げましょう。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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nyantria · 1 year
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 中村氏は新型コロナのさまざまな問題点について、1時間40分ほど語った。21年6月24日の「新型コロナワクチンの接種中止を求める嘆願書」提出以来の自身の活動について「当時は風当たりが強かった」と振り返った。読売新聞の連載『虚実のはざま』やNHKの番組『フェイク・バスターズ』などで自身の言説が「デマ」とされたことに触れ、「今は違う。多くの人が少しずつ気づき始めている。これから多分、もっと研究されていくだろう」と展望した。
 主催が宗教団体であることについて「初めて。皆さんにお伝えしたいことがあった。マスクや社会的距離の確保に対して、宗教家の人に立ち上がってほしかった」と吐露した。「旧約聖書では病気イコール汚れと捉え、病人は隔離すべき対象だった。新約聖書では病人も神の愛に生きている人と解釈した。これは宗教家として理想の姿」と評じた。
 しかし、「オンライン礼拝」や「洗礼水鉄砲」などの奇行が実施されていたことを紹介し、「公衆衛生上の対策に宗教界の権威が一方的な考えを表明することは信者に大きな影響及ぼす」と警告。ローマ法王が「コロナワクチンは道徳上の義務」と宣告したことや、ロシア正教会も「ワクチンを打たないことは罪」と発言したことを問題視。ただし、「ワクチンは悪魔」との観念が根強く、接種率は低いまま。「信徒は偉かった」とたたえた。
 「病気の流行とプロテスタントの発生は密接な関係がある」と切り出し、「14世紀にペスト(黒死病)が猛威を振るった欧州では、人口の3分の1が亡くなった。マルティン・ルターは避難を拒否し、街の病人や教会員のケアに奔走した。プロテスタントにもこうあってほしい」と希望した。
 12~17歳のアフリカ系米国人の40%以上が未接種であることを伝える記事を示し、「黒人は秘密裏に梅毒の人体実験をさせられた苦い経験もあり、だまされにくいのだろう」と分析した。お寺や教会をワクチンの接種会場に使わせた例を挙げながら首をかしげ、「奈良の大仏は祈りで病気を退散させるため、国家事業として造った。祇園祭は病気払いの祭り。コロナで中止したのは本末転倒」と嘆いた。
 「オンライン法要」の写真を映すと、会場からどっと笑いが起こる。ダライ・ラマが「ワクチンを打て」とチベット仏教徒に促したことを取り上げ、「こうして政治の片棒を担いでいる。本性が透けて見える」と指弾した。
 イスラム教については、大事な金曜礼拝やメッカへの巡礼「ハッジ」を禁止しながらも、イラクやイラン、サウジアラビア、パレスチナ、マレーシアなどでは接種率が低かったことを挙げ、「比較的頑張った」と評価。一方で、イスラム教徒が体に入れてもよいとするハラル認証を「味の素」が受けながら、豚から抽出した酵素を使用していたことが発覚して問題になった「味の素事件」のように、「コロナワクチンがハラルかハラム(摂取してはいけないもの)かの考察があったのか」と問い掛けた。
 ワクチンの権威、ポール・オフィット博士は「ワクチンには中絶時の細胞が含まれている」と明言していることを紹介。「中絶を禁止しているカトリック教会のトップがワクチンを推進していることを問題視しなくていいのか」と提起した。コロナワクチンでも、ジョンソン・エンド・ジョンソンやファイザー社、モデルナ社が中絶した胎児細胞を入れているとするナショナル・ジオグラフィックの記事を示した。
 天台宗は信徒向けの教化紙に「通常ならば使用可能になるまで何十年もかかるワクチンが1年足らずで使用できるようになったことに不安を覚えるのは無理もない」といぶかりながらも、「コロナ禍収束のためには1人でも多くの方の接種が望ましいのではないか」とつづり、接種を促していることを紹介。
 浄土真宗本願寺派は信徒向けの新聞で、「危険性と予防効果を考えて、打つかどうかを個人でも判断する必要があります」と自己判断を促す。
 大本教は、薬剤師でもある出口紅(くれない)教主が「長期の影響への不安が拭えない」と懸念を示し、「正しい食事と適度な運動、十分な睡眠、土、松、梅干しや梅肉エキスの力で免疫力を高めつつ、神に真剣に祈ることが大切」と教示している。中村氏は「正しい。宗教家はこうあるべき」と絶賛した。
 幸福の科学は、故大川隆法総裁が「法話、書籍、楽曲、祈願などにはウイルスを撃墜する力がある」と法話で説き、「コロナワクチンは当てにならない」「信仰心を持つことで免疫力を高め、コロナを乗り越える重要性は増すばかり」と締めくくっている。「正しい。こうあるべき。これが宗教の意義」と中村氏はたたえながらも、「ただし、大川氏は亡くなった。打っていないと思うが、タイミングや『急死』というのは怪しい」と疑問視した。
 この後中村氏は、接種すればするほど新型コロナにかかりやすくなっていることや、マスクに何ら感染予防効果がなく、心身共に弊害をもたらし、服従の印でしかないことを膨大な資料を基に、実証的に説明。大きな拍手を浴びた。
中村医師がチャペルで講演、「(コロナ下で)宗教家たちに立ち上がってほしかった」 2023/07/17
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sskyt · 1 year
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『「呪術」の呪縛』下巻の読書ノート
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江川純一・久保田浩編『「呪術」の呪縛』(下)リトン、2017年。
第一部 呪術概念の再検討
鶴岡賀雄「「呪術」の魅力:「永遠のオルタナティブ」の来歴と可能性についての試論」
 「マギア」を人類学的・宗教学的分析概念としてではなく西欧精神史の構成要素として見て、古代ギリシアから、中世神学、ルネサンス、近世キリスト教、現代芸術に至るまで、マギアの位置づけを跡づける。  そこでは、マギアがつねに、公共宗教や哲学といった正統的な知や生き方に対して、劣位に置かれた人々による代替行為として位置づけられる。しかし、この民衆の低級知は正統知でないがゆえに、かえってそれを批判的に超える超高級知ともなりうるものであった。  近世神秘神学における神的/悪魔的/自然的という三分法が、人類学・宗教学における宗教/呪術/科学の三区分に改鋳されていったのではないか、という指摘はなるほどなあと感じ。また、世間的・民衆的な低級知たるマギアがつねに物を介するというのも、フェティッシュとの関係で興味深い。  「神秘主義」概念の検討については別稿に譲るとされているが、その「別稿」とはこれですね。→ 鶴岡賀雄「「神秘主義」概念の歴史と現状」『東京大学宗教学年報』vol. 34、東京大学文学部宗教学研究室、2017年、pp. 1–24。 https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/records/47687#  なお、本論文の中で、サラマンカ大学の学士アマドール・デ・ベラスコが持っていたグリモワール(魔術の指南書)をめぐる事件の話が出てくるが、最近、魔術のことを考えすぎて、先日、江川さんから「grimoireとは魔術書のことなんですよ」と教えてもらう夢を見た。 山崎亮「社会学年報学派の呪術論素描」
 ユベールとモースの「呪術論」は混乱に満ちた論文であり、その一因として呪術のアポリア(呪術は私的なものであるが、社会的な性格ももつ)が挙げられる。この混乱を理論的に整理したのがデュルケームの聖理論であるが、ユベールとモースは納得していなかった。 江川純一「「magia」とは何か:デ・マルティーノと、呪術の認識論」
 イタリア宗教史学におけるマジーア概念を、特にエルネスト・デ・マルティーノの『呪術的世界』とその後の転回にしたがって明らかにする。宗教学において一般的に、「呪術」は「宗教」のネガとして語られがちだが、宗教史学はこの対比・対立を認めない。  デ・マルティーノは『呪術的世界』において、呪術的世界は「自分の魂の喪失の危機とそこからの解放」という実存のドラマによって根拠づけられるとして肯定的に評価したが、この世界を歴史的時代であるとしたがゆえに、進化主義的宗教論と見分けがつかなくなってしまった。  「呪術的心性と原始的心性を混同している」という師ペッタッツォーニらの批判を受け、デ・マルティーノは後年、「呪術的世界」という想定を取り下げ、神話ー儀礼の結合物としての「呪術ー宗教現象」を探究するようになる。  注にある、「今後、20世紀の宗教学思想を振り返るときには、ペッタッツォーニ、デ・マルティーノ、エリアーデのトライアングルによる、神話ー儀礼的技術としての「呪術ー宗教」の考察が軸となるであろう」という指摘が興味深い。
 なお、A. C. ハッドンが報告したボルネオのトゥリク族の男の話(ある男は鉤形の石を頑なに手放そうとしなかった、その石は魂が自分の身体を去るのを引き留めているのだという)がラトゥールのファクティッシュのようで面白い。
第二部 事例研究:古代~中世
渡辺和子「メソポタミアにおける「祈祷呪術」と誓約:「宗教」と「呪術」と「法」」
 なかなか論争的ですごい論文であった。一言ではまとめづらいが、アッシリアの『エサルハドン王位継承誓約文書』(ESOD)の構成や文法を分析することで、誓約と儀礼、「言うこと」と「すること」の宗教的な結びつきを考察する。  アッシリア学者の重鎮オッペンハイムは、西洋人として祈りと儀礼が結びつくことに耐えられず、「メソポタミア宗教」は書かれるべきではない、とまで言う。また、ESODの誓約と儀礼という形式こそが、契約(誓約)宗教としての一神教の成立と後のキリスト教の成立にも影響を与えたという。
高井啓介「その声はどこから来るのか:腹話術の魔術性についての考察」
 叙述がトリッキーで面白い。腹話術が古代の神学者たちによって魔術として扱われ、近代に脱魔術化していった過程が示される。旧約聖書サムエル記上の「降霊術」がギリシア語に翻訳される際にἐγγαστρίμυθος(腹話術)と訳されたために腹話術の魔術化が始まった。  降霊術が腹話術と見なされることで、腹話術師は腹の中に悪霊をもつことになり、霊媒は魔女扱いされるようになる。しかし、腹話術の魔術性を否定し、単なるトリックだとしたのが、『百科全書』で数学に関する項目を多く書いているジャンバプティスト・ドゥ・ラ・シャペルの『腹話術』であった。
山本伸一「カバラーにおける神名の技法と魔術の境界」
 ユダヤ教のカバラーにおいて、正当な呪術と禁じられた魔術の境界は不分明である。このことを15世紀のカバラー文学、ルネサンスの自然魔術の影響下のカバラー、18世紀のエムデン=アイベシュッツ論争という3つの事例に即して考える。  15世紀スペインのカバラー文学の共通点は、主人公であるカバリストが終末とメシア来臨を促すために悪魔を追放しようと立ち上がるも、悪魔に騙されて取り逃がしてしまい、逆に魔術に手を染めた悪人として非難される、という物語。中2っぽいというか、『進撃の巨人』(デビルマン)フォーマットだなと。 青木健「ゾロアスター教神官マゴスの呪術師イメージ:バビロニア文化の影響と呪術師イメージの由来」
 マゴスには「呪術師」「神秘主義の達人」「放蕩」といったイメージが付与されるが、ゾロアスター教の神官の職能を検討してみると、実態は王朝に仕える官僚であり、吉凶暦や蛇占いといった副業の方がイメージの形成要因となったと考えられる。  青木健『古代オリエントの宗教』は、渡辺論文の注で、紀元前2世紀から13世紀までのオリエントの宗教史を扱うものなので、「書名と内容が一致していない」と批判されていた。 毛利晶「古代ローマにおける凱旋の儀式:トリウンプスに関する最近の研究動向を中心に」
 ローマで戦争で勝利を収めた将軍が行う凱旋の儀式トリウンプス(triumphus)。そこでユピテルの扮装をする凱旋将軍の役割は神か王か。近年の論争を踏まえて、著者は元々ユピテルの儀式であったものが後に将軍自身を讃える儀式へと変化していったと推測する。  凱旋式挙行の要件が、①命令権(imperium)、②鳥占権(auspicium)、③軍隊指揮(ductus)、④幸運(felicitas)の4つだったというのが、統治(王)・呪術(宗教)・軍事の三権が一人に集中しているようで興味深い。 野口孝之「近代ドイツ・オカルティズムの「学問」における「魔術」」
 19世紀後半から20世紀初頭に展開されたオカルティズムにおける「魔術」の位置づけを、キーゼヴェッター、エスターライヒ、シュティルナーという3人の思想を中心に検討する。  ドイツの代表的なスピリチュアリスト、カール・ドゥ・プレルの概念das transzendentale Subjektを「超越的主体」と訳しているけど、「超越論的主観」では。このドゥ・プレルの理論を援用するキーゼヴェッターはオカルティズムをGeheimwissenschaftと呼び、先人としてスウェーデンボルグを挙げている。  ちなみに、スウェーデンボルクを批判したカントの『視霊者の夢』の第一部第二章のタイトルはgeheime Philosophie(オカルト哲学)である。
寺戸淳子「「呪術ではない」祭儀:「秘義」としての聖体拝領」
 大変勉強になった。キリスト教の「聖体拝領(聖餐)」「実体変化」「神秘的肢体」といったややこしい話を基本的なところから丁寧に教えてくれるので、これらの神学的議論に関心がある人におすすめの入門的論文。  12世紀に「実体変化」の教理が確立したのと同時に、「神秘的肢体」(Corpus mysticum)論も確立していった。Corpus mysticumは元々、食べる方の「聖体」を意味していたが、秘義的ニュアンスがよろしくないため、それまで「教会」を意味していた「キリストの体」Corpus Christiと呼ばれるようになった。  12世紀に「実体変化」の教理が確立したのと同時に、「神秘的肢体」(Corpus mysticum)論も確立していった。Corpus mysticumは元々、食べる方の「聖体」を意味していたが、秘義的ニュアンスがよろしくないため、それまで「教会」を意味していた「キリストの体」Corpus Christiと呼ばれるようになった。  逆に、教会はCorpus mysticumと呼ばれるようになった。つまり、聖体と教会の呼び方が入れ替わったのである。この教会を指す「神秘的肢体」がやがて法人のような擬制的人格一般を指すようになっていった。カントーロヴィチぽいなと思ったら、カントーロヴィチが参照されていた。 佐藤清子「19世紀合衆国における回心と「呪術」:チャールズ・G・フィニーの新手法擁護論とその批判を中心として」
 きわめて明晰な論文。19世紀アメリカの第二次大覚醒の時代を代表する牧師フィニーは「新手法」と呼ばれる礼拝方式を導入して革新をもたらしたが、それは回心を意図的・合理的に促す手法であり、限りなく呪術に接近していく。  フィニーはスコットランド啓蒙思想の影響の下、自然法則の学習・応用という方法論を採用し、自らの回心の方法を「科学」あるいは「哲学」であると称した。他方で、呪術・宗教・科学の三区分で知られるフレイザーもまた、同じくスコットランド啓蒙の思潮に影響を受けていることは興味深い。  フレイザーは呪術を稚拙な科学であるとしたが、もし仮に「回心」を心理学的な技術によって達成できるようになったとしたら、それは科学なのか呪術なのか。実は科学と呪術の区別は、その知識や技術の程度の差異によるのではないのではないか。  フィニーの「祈り」についての議論も面白い。回心は聖霊の働きによるが、人間は聖霊をコントロールできないがゆえに、回心も究極的には神に委ねられている。しかし、フィニーは回心と聖霊の間に「祈り」という人間の行為を介入させる。とはいえ、人間は祈りによって神を操作できるわけではない。  フィニーによれば、祈りはそもそも聖霊の働きによって可能になるのだから、祈ることができること自体がそれが叶えられる可能性があることの証拠となる、という。ここには、祈りのアポリア(祈りは効果があるならば、祈りにはならず、効果がないならば、祈る必要がない)を解く鍵があるように思われる。 久保田浩「近代ドイツにおける「奇術=魔術」:奇術とスピリチュアリズムの関係に見る〈秘められてあるもの〉の意味論」
 19世紀ドイツで機械仕掛けの奇術を行う奇術師は、トリックを説明(klaeren)可能なものとしながら、それを驚嘆すべきものとして提示する者であり、スピリチュアリストの種明かし(erklaeren)をして詐欺を暴く啓蒙(Aufklaerung)の意義も担っていた。  奇術師がスピリチュアリストを科学的に暴いたり、宮廷からお墨付きを得た「宮廷奇術師」が登場したりと、『鋼の錬金術師』が好きな人にお薦めしたい論文。スピリチュアリストが、奇術師は本人も気づいていないけれど実は霊媒であり、本人が奇術だと思っているのも霊媒現象なのだと主張する話が面白い。
井上まどか「ロシアにおける呪術概念の検討」
 前半が現代ロシアの事典や概説書における「呪術」概念の分析、後半が16世紀に編纂された『百章』における「呪術」の用法について。「準備的覚え書き以上のものではなく」という著者の言葉通りの文章であった。  『金枝篇』の著者名が「D. D. フレイザー」となっていて、目を疑った(ロシアだとJもGもDなんですか)。それ以外にも本書は誤植が非常に多い印象。上巻目次のタイトルからして既に間違っている。
西村明「呪術としてのキリスト教受容:ミクロネシア・ポンペイ島を中心に」
 最終章でいよいよ真打ち「マナ」登場。ミクロネシアのポンペイ島における宣教でキーワードとなった「マナマン」から、マジックワードとしての「マナ」概念の歴史的形成の議論へ。  まず、宣教師は植民地主義的視点で現地の宗教的・呪術的実践を裁断するが、しかし、その視線は一方向的なものではなく、現地民もまた、自分たちの価値体系の中にキリスト教を位置づけて理解する。ポンペイ島で、二つの異なる価値体系を通訳した概念が「マナマン」であった、という話が面白い。  さらに後半、この「マナマン」(ミクロネシア)と同族語である「マナ」(メラネシア・ポリネシア)という概念が辿った数奇な運命が論じられるが、これも面白い。  「マナ」とはそもそも、コドリントンが『メラネシア人』(1891)において初めて学術的議論に導入した語で、その後、超自然的力を指す普遍的な概念として人類学・宗教学で多用されていった。しかし、コドリントンが現地調査したモタ島とバンクス諸島は、当時、ポリネシア人と宣教師の影響を受けていた。  メラネシアの「マナ」が形容詞や動詞としての含意があったのに、ポリネシアでは名詞として用いられた。メラネシアの宣教師たちは先にポリネシア語に通じていたために、「マナ」を名詞的に理解してしまった。こうして、コドリントンがやってきた頃には、既にバイアスのかった「マナ」となっていたのだ。  このように、「マナ」とは、ポリネシアとメラネシア、現地民と宣教師、そして世界各地の多様な宗教間といった、異質な価値体系を通訳=通約する概念として強力な力をもつようになっていったのである。異質な体系の間の界面に生じる通約的概念という意味では、「フェティッシュ」にも似ているように思う。
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kuroiookami · 1 year
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コード77
ソーラーコード77「運命の過酷さに打たれた向こう見ずな若者の頭に、豊かな思索家の魂が芽生える」
コードの現象化形態:社会的リーダーシップ。精神的成長や知的成長。強い精神的苦悩。精神的苦痛をともなうショックな出来事。グループや集団内における立場の上昇と責任の増加に伴う重圧。諦めずにチャレンジを続けることによる成功。精神的苦しみをともなう恋愛や、まれに離婚。
テロ攻撃に関する計画。テロリストや過激派の攻撃の失敗や計画の発覚や頓挫や逮捕。著名人の離婚、離別、不運、傷病、死。有名または実績のある作家や哲学者や科学者の離婚、離別、不運、傷病、死。有名または実績のあるスポーツ選手の離婚、離別、不運、傷病、死。スポーツ選手の頭部の負傷や、それを原因とする死亡事故の増加。
ルナーコード77「頭と足に羽の生えたギリシア神話の知恵の神(ヘルメース、足軽)が、天国と地獄の間を忙しく行き来する」
コードの現象化形態:良いことと悪いことが一挙に訪れる。プレッシャーやストレスのある状況下で、多忙さと格闘する。知的成長。知的リーダーシップ。精神世界の学びへの適性。ギリシャやローマやイタリアやフランスでの犯罪やテロ事件、あるいは国家的ネガティヴの増加。
有名スポーツ選手(特に、サッカー選手やマラソンその他の陸上選手やスプリンターやキックボクサー[一部ボクサー]や格闘家など足をメインに使うスポーツ競技の選手)を狙った凶悪犯罪やテロ攻撃。そうした人々のけが、病気、手術、入院、事故、交通事故、犯罪、犯罪被害、死亡。高級服飾ブランドの不運。高級服飾ブランドの経営者や幹部やデザイナーなどの不運(病気、事故、怪我、犯罪被害、死亡など)や醜聞、不祥事、犯罪、地位の低下、失脚(話)、辞任(話)、引退(話)など。エルメス、その他の伝統的高級ブランドにとっての良くない問題の発生。飛び降り自殺。首吊り自殺
【コード77】 ■対向コード:257 ■統合コード:283 ■直角コード:167
オズの魔法使いの主力スターゲート・コード77「天国と地獄を行き来する神の伝令にして強盗と泥棒の守護神ヘルメス(エルメス)」
コード77もコード123も、顕著な「自殺コード」です。コード77は「飛び降り自殺」や「首吊り自殺」を強く誘発し、コード123は「服毒自殺」や「服薬自殺」や、その他ガスなどの有害物質による自殺を強く誘発します。さらにそうした故意の他に類種の事故も誘発します。
ソーラーコード77「運命の過酷さに打たれた向こう見ずな若者の頭に思索家の魂が芽生える」は、人に(ときには、自殺さえ考えさせてしまう)「強い苦悩」をもたらします。
コード文にある「思索家の魂」というのは、毒盃による死を受け入れた際の哲学者のソクラテスのような死への覚悟や悟りの境地を(広義には含めて)表しています。このコードの現象化傾向の代表的なものは、事故、病気、死、金銭苦、生活苦、犯罪、犯罪被害、トラブル、苦悩、自殺、不運、逮捕…など。
ルナーコード77「兜と足に羽の生えたギリシア神話の知恵の神ヘルメース(エルメス)が、天国と地獄の間を忙しく行き来する」は、とりわけ(各界の著名な)賞の受賞者、教師、大学教授、学者、化学者、科学者、哲学者、研究家、作家、文筆家、クリエイター、ミュージシャン、デザイナー、スポーツ選手、アスリート、格闘家、泥棒、強盗、学生や若者の〈シグニフィケーター〉(=それらを表わすもの)となっています。
ヘルメースが音楽や牧畜(牧場、牛・羊・豚・山羊・鶏)の神であることから、そうした職業の人、および関係者や動物にもコード77のエネルギーは強く波及します。ヘルメースが被っている兜は、軍人(自衛隊含む)や工事関係者、パイロット、競輪・競艇・競馬の選手や野球選手など、ヘルメットを被る人、帽子に関係する人に、そして、ヘルメースが手に携えている医療のシンボルにもなっている魔法の杖は、医師・医療・病院関係者に、このコードの不運凶事[MNC]のエネルギー(現象化形態)を強く波及させます。
コード77には「天国と地獄」というキーワードが含まれていますため、容易にコード111と同語シンクロ相互強大相乗作用をともなって現象化します。
ソーラーコード111「有名な歌手がオペラ『地獄のオルフェ』(天国と地獄)の公演で、その妙技を披露し、有名な映画監督は水鏡に倒れ込んだ男(ナルシス)の最後の姿をフィルムに収める」
コードの現象化形態:有名大物歌手の体調不良・病気・入院・手術・死、その他の不運凶事の多発。有名映画監督や有名映画俳優女優の体調不良・病気・入院・手術・死、その他の不運凶事の多発。(ときに)多数の犠牲者をもたらす大地震や大洪水などの大災害の発生。水死。溺死。(風呂、温泉、川・滝・池・湖・貯水槽・ダム・貯水槽・用水路など、各種)水場での事故や重症や死。
ルナーコード111「体調不良をおしてステージに立った歌手が、歌の途中でめまいを起こしてしゃがみ込み、慌てた数名のスタッフが、走って彼の元に駆け寄る」
コードの現象化形態:有名大物歌手の体調不良・病気・入院・手術・死、その他の不運凶事の多発。
コード77は、「神の砦」の「オズ(バフォメット)の魔法使い」の「聖戦と正義の復讐の法の魔力」が、4次元を飛ばしてこの地上(3次元の人間界)にダイレクトに侵入してくるスターゲート(超時空次元接続特異点コード)です。
それゆえに、人も魔界(アカシック)も、その「奪い殺す力」を防ぐことはできません。 アレイスター・クロウリーは『第77の書 オズの書』にこう記しています。 「われらには、殺す権利あり。」
オズは火星(マーズ=ホルス)。「神の家」「戦争の砦」に満ちるコード77の力。それは大きく地を揺るがし、堅固な建物の中に居る者も死の力で脅かす。コード5の天鷲蝶の地震る神天使メダリオンとコード77のオズの魔法使い死天使アザゼルが一つになった時、その力は最強になる。エピファニー(神の力の御公現)。コード257の「イースター」(復活祭)。即ち、タロットの大アルカナ20番「最後の審判」(ホルスのアイオーン)の前に来る先触れのしるし。
「神居即自然、自然即神居」とは、別の言い方をすれば、「エヒエ・アシェル・エヒエ」(われは、在りて在る者なり)ということです。 KAMVI(カムイ われらが母なる大地のごとく)=20+1+40+6+10=77=OZ(神の砦、軍隊、超常能力、ヌーメン)
【ホルスの言葉】 王家の館とは、天の単眼から放たれる最後の審判の日の雷電を冠としてその頭上に戴く神の使徒たる魔法使いたちの無敵の砦のことである。そしてその数は77である。
【マスター・アマラルマヌの教え】 309+128=437(400[ケルビム、すなわち生命の輪の沈黙の監視者たる動物天使たちと神の人からなるイデア的世界]・30[真理と正義の女神マートの審判の広間]・7[神剣])=77(オズ、砦、軍隊、力、霊力・超能力[フォース])イルミナティの「鷲の目」はすべてを射抜く。「火よ、われと共に歩め」���コードは「不可知」の中で燃え尽きる墓標の真実を物語る。 ヘルメースよ。来たりて、その灰を集め、ヨグ・ソトートの大いなる暗黒の目の深淵に投げ込め。
おお!わが至高の魔力によりてなされるその魔法式の数は、77+152+286=155なり。 見よ、こはハムハゼルの数ではなかったか。かくて証はここになされた。 わが元にあるは「戦争と復讐の神」ラー・ホール・クートのすべての力。
われはイルミナティの最高位の女祭司、かの「緋色の女」なり。「火よ、われと共に歩め!」「汝、火の声を聞け!」 われはOZの魔法使い。77は、その力の偉大な門なり。 われは世界の三部の学、哲学・天文学・自然科学を極めたヘルメース・トリスメギストスより当然のごとく偉大なる者なり。われが「世界の救世主」であることを明かす、これなる三重の印において。 77+186+309=212 エア・フォース! フェニックス! ラー・ホール・クイト! そしてわれはサタンの蛇を捕える!!
【ホルスの言葉】 もしお前が、幸福や豊かさや満足を目指しながらも、なかなかそこに到達できず、もがき苦しんでいるのだとするなら、おそらく今のお前にまだ足りないのは、幸福や豊かさや満足ではなく、さらなる苦境や欠乏や試練なのだ。これは私がたんなる意地悪で言っているわけではなく、アカシックのエネルギー上のパラドックスについての真理なのだ。「地獄下り昇天」という言葉がある。多くの人、いや、ほとんど全ての人は、まず天国を真っ先に目指し、そしてほぼ100%近く失敗する。ゆえに、真の賢者がまず目指すべきは、天国の安楽さではなく、地獄の試練(試罪法X)のほうなのだ。終わりよければ全てよし。だから、「楽園」に向かう途中にある苦しみについては過大評価するな。聖と俗、光と闇の戦いが避けられぬ以上は、楽園を実現するために苦しみが存在することもまた避けられぬことであるのだから。そしてそれが自然の理なのであれば、逆に、苦悩するのではなく、苦しい時こそ、なんとかして笑いを生み出せ。いまいる場所に(たとえそこが地獄であっても)、超人の笑いを生み出せるように生きよ。これはコード77とコード226の教えである。 【〈哲学者の毒盃〉、あるいは〈超人の笑い〉、あるいは〈逃走=闘争線〉の術式】 77+226=303
コード5+コード77=コード82 メダリオンとアザゼルが、コード82のゲートを領しました。 このコード82は、これまでセドラという悪魔が、そこからエネルギーを吸い、そして、光の子らを苦しめるためにそのゲートを使うことが多かったのですが、今後は光の影響の方が、より強まることになります。
コード77 頭 手 足
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sweetdelivery · 2 years
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月並みだけど良い映画。カトリックについて、現在と1つ前のローマ法王について勉強になった。
人は何かを信じると強いな。としみじみ。
ちょっと面白かったのは前法王がドイツ人で(現法王はアルゼンチン人)気が短くて、異常に几帳面で、面白みに欠けるという人だったので「ドイツのジョークは笑えなくていいんだよ!」って言ったシーンが一番良かった。
世界についてちょっとまじめに考える結果になった、さすが宗教映画だなあと。またしみじみ。意外と良い映画なので時間があるときがあったらぜひ!
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arakawalily · 2 years
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宮崎県小林市特産 須木栗の渋皮甘露煮を贅沢に使い、濃厚ながら和栗の自然の甘さと、ほろ苦めのカラメルソースが抜群に合う、マロンプリンでした🌰🍮🌰🍮 両国レガートさんの季節のプリンです。日本一こだわり卵を使いました、カスタードチーズプリンのキャラクターをlilystudioでデザインさせていただきます🍮 シャインマスカットと生ハムとリコッタチーズの冷製パスタ❗️なんというクリエイティブなパスタ❗️黒いちじくのパスタも、初めていただく幸せの味わい❣️ 天才シェフが、両国にいる🇮🇹なめらかにそう思いました。レガートに、なめらかに、ひっそりと、いました🎵 両国の人気イタリアン レガートさん🇮🇹 日本一こだわり卵ときのこ、生ハムのカルボナーラ ローマ法王風も、神々しい味わい❗️🍳 美食家カメラマン村木まゆみさんが、通いつめるおすすめのお店です。こちらの宮内シェフが作り出すクリエイティブなパスタや、こだわりの一皿一皿に、感動致しました❗️今まで食べたことがない、フルーツと生ハム、チーズの組み合わせが絶妙なんですよね❗️ 村木キャメラマンのリクエストに、旬の食材を使い、宮内シェフが創作するパスタは、感動の美味しさです。今日はシャインマスカットと黒いちじくを使ったパスタをいただきました。メニューにはないので、数日前にリクエストをしてくださいね❗️ パスタには、老舗製麺所「浅草開化楼」特製の低加水パスタフレスカを使用。もちもち食感と噛むほどに香る小麦の風味の良さが特長です。一番人気のボロネーゼソースは「富士幻豚」と「足利マール牛」をたっぷりの赤ワインで煮込んでおり深い旨み❣️ そしてパティシエさんが作る季節の栗プリンも、また素晴らしかったです❗️こちらのプリンのパッケージデザインをご依頼いただきましたので、村木キャメラマンと、宮内シェフと一緒に打ち合わせをさせていただきました❗️ #プリン #両国グルメ #両国レガート#両国イタリアンレガート #両国ランチ #両国legato #両国ディナー#イタリアン#冷製パスタ#荒川リリー#lilystudio#チーズ天使#ボロネーゼ#キャラクターデザイン#村木まゆみ#プリン好き#プリ活#デザイナー#キャラクターデザイン#宮内洋#パッケージデザイン #須木栗 (両国レガート) https://www.instagram.com/p/CjWSqE-vpr2/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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room-n-blog · 5 days
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チーズトースト狂の夢
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上の画像は、いわゆるチーズトースト。 このブログを書いている私が不勉強で知らなかったのですが、チーズトーストの源流を辿っていくと、イギリスの料理の一種である「ウェルシュ・ラビット(英語: Welsh rarebit)」に行き着くようです。”ラビット”という単語が入っているもののウサギのお肉を使っているわけではなく、そしてかれこれ500年以上の歴史がある料理だったということも初めて知りました。
トーストに温かいチーズソースをかけた料理である。日本語のカタカナ表記としてはウェルシュ・レアビットとすることもある。 古くはWelsh rabbitと綴られていたが、rabbit=ウサギの肉は使用されない。見た目がウサギに近いわけでもなく、名前の由来は不明である。発祥もはっきりしないが、1725年の文献に登場するのが最も古い記録であり、1500年頃から作られていたと考えられている。 また、発祥がウェールズという確証もなく、かつてイングランド人がウェールズ人を揶揄する意味で、低品質の贋真珠を「ウェルシュ・パール」と呼んだように、チーズトーストを「贋物のウサギ肉」=ウェルシュ・ラビットと呼んだとする説もある。 ※画像および記事の引用元 ウェルシュ・ラビット https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%93%E3%83%83%E3%83%88
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さて、毎度お馴染み?私のバイブル「The Traditional BRITISH Cooking」(英国伝統料理書)に寄る、ウェルシュ・ラビット、チーズトースト編の作り方です。 ちなみにこの本でもラビット、と言ったらこのトーストを指しているようです。また、もうひとつのバイブル「ENGLISH TRADITIONAL RECIPES」(イングランド伝統レシピ)には、当然のように?載っていませんでした。 ※画像および記事の引用元 いつでもどこでも美味しい暮らし 2010-09-20 ウェルシユ・レアビット(ウェルシュ・ラビット) https://www.umemomoko.com/entry/62761920
ところで、現代は料理のレシピというのが当たり前のように書籍などの形で存在していますが、その歴史は実はそれほど古くはないとされます。もちろん、レシピという形で記録するには、一般的には文字が誕生していることが必要とされますが、古代の壁画において動物を焼いて捌く絵が描かれていたとして、それは当時における肉の調理法という意味で、料理のレシピの記録と言えば言えなくもないかもしれません。それはともかく、例えばイギリス料理の場合、テキスト記録として残る初期のレシピとはなんなのかと調べてみると、例えば次のような記載があります。
人間の営みにおいて必要不可欠なものが食事であることは言うまでもない。料理の歴史は、採取したものをそのまま食べること、煮たり焼いたりなどと加工して、食材を変化させ、口においしいものを作り出していくところから始まる。料理の歴史は人間の文化の歴史そのものと言えるだろう。しかし、王侯貴族の饗宴を除けば、料理は日々の変哲ない行為の繰り返し作業であるため、この技術を文字で伝えるテキストが書かれたのは、他のジャンルに比べて遅かった。これは、現存している最古の料理の manuscript が、14世紀末にまとめられた The Forme of Cury であったことからも理解される。cury という語は cookery という意味であるため、このタイトルの意味は文字通り『料理の本』あるいは『レシピ集』ということになる。 ※引用元 実践女子大学 学術機関リポジトリ 小柳 康子(實踐英文學 巻 61, p. 21-33, 発行日 2009-02-19) イギリスの料理書の歴史(1)-Hannah WoolleyのThe Gentlewomans Companion (1673) https://jissen.repo.nii.ac.jp/records/702
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※画像引用元 The Forme of Cury https://en.wikipedia.org/wiki/The_Forme_of_Cury
料理のレシピとしてのテキスト記録は中世以降とされていますが、素材の製法に関しては、さらに古い時代から存在しているとされ、例えばチーズの場合は、古代ローマ時代を経て、60年には、南スペインにおいて Lucius Junis Moderatus Columella という人物がチーズを作る方法をすべて記録したとされています。
イタリアの家庭料理について研究する中小路葵は、自身のサイトにおいて、キンステッドの「チーズと文明」という著作の第5章「Caesar, Christ, and Systematic Cheese Making(ローマ帝国とキリスト教 体系化されるチーズ)」に上記の記載があると指摘しています。中小路葵氏のサイトから、その一部を引用してみます。
チーズの品質管理が重要だ コルメラ Lucius Junis Moderatus Columella(4-70AD) 南スペイン出身 Res Rusticaを60年頃に記載 ・チーズ作りの過程について初めて全てを記載し、品質管理の重要性を強調 ;チーズ用の牛乳は純ミルクで、できる限り新鮮なものを ・ホエイ除去の重要性の記述 ・カードの水切り、押しつけ、塩入れのステップと、熟成期間の環境条件についても詳細に記載 ・同じベースのチーズを用いて異なる味のチーズを作る → 異なる顧客のニーズに応えることで売上を上げるマーケティング ・軽く押しつけられ、表面に塩入れがなされたローマタイプに似たチーズに、���ハードプレス」チーズが加わる ;凝乳の直後に熱い湯がカードに加えられる …ローマ帝国のチーズ生産者が熱入れを行っていたことを示す ※引用元 古代ローマ帝国は多層の文化を吸収して出来た大帝国。チーズも然り。(文化の読書会:キンステッド『チーズと文明』(5)「ローマ帝国とキリスト教 体系化されるチーズ」) https://note.com/ciaobella_aurora/n/n921577804796
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・・・といった具合で、この記事を読んでいる皆さんもご承知のとおり、チーズ自体の歴史は大変古いものなのですが、この古さに関して、記憶にある方も居るかもしれませんが、例えば6年前には、古代エジプトの墓の埋蔵品から3000年以上前のチーズが発見されたというニュースが世界を駆け巡りました。
3000年以上前のものとみられる古代エジプトの墓の埋蔵品から、「世界最古のチーズ」が発見されました。チーズは劣化していて食べられる状態ではなかったとのことですが、「このチーズをぜひ食べたい」という人がTwitterで続々登場し、話題となっています。 (中略) チーズが発見された墓は、1885年にエジプト・カイロ南部のサッカラで発見された遺跡で、その後、砂嵐で埋まってしまったために場所がわからなくなったものの、2010年に再発見されました。この墓は、紀元前13世紀頃にラムセス2世に仕えた高官プタヒメスのものといわれています。 カターニャ大学の考古学者エンリコ・グレコ氏率いるチームがこの墓を調査したところ、布で覆われた甕(かめ)をいくつか発見。そのうちの1つには白い物質が詰められていることが判明しました。発掘された白い物質が以下の画像です。 ※画像および記事の引用元 2018年08月20日 17時00分 約3300年前の「世界最古のチーズ」が発掘され、食べたがる人がネットに続出 https://gigazine.net/news/20180820-ancient-egyptian-cheese/
ただ、この世界最古のチーズは細菌で汚染されていることも判明しており、もし食べると、わりと冗談では済まない事態となるであろうことは想像に難くありません。それでもなお、「(四つんばいになって口から泡を吹いている犬のようにあえぎながら)世界最古のチーズを一口食べさせて!チーズの試食を合法化して!」と懇願する人物が登場したり、「私たちは既に呪われた棺を開けてしまいました。もはや、世界最古のチーズを食べても同じことです」と述べてまで食することを望む人物も登場するなど、世界には熱烈なチーズ狂が存在しているのだということを改めて知ることにもなるわけです。
グレコ氏がこの甕の中に入っていた白い物体を調査したところ、およそ3200~300年前のチーズであることがわかりました。あまりにも古いものであるため、このチーズが牛・ヤギ・羊のどの乳で作られたかは不明です。調査ではチーズがブルセラ症を引き起こす細菌「Brucella melitensis」で汚染されていることも判明しました。 (中略) ただし、調査ではチーズが生物兵器として培養されたこともあるブルセラ症を引き起こす細菌「Brucella melitensis」で汚染されていることが判明しており、呪いが本当にあるかどうかはさておき、食べると最悪の場合は死に至ります。
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※画像および記事の引用元 2018年08月20日 17時00分 約3300年前の「世界最古のチーズ」が発掘され、食べたがる人がネットに続出 https://gigazine.net/news/20180820-ancient-egyptian-cheese/
といった具合で、古代エジプトの時代から存在していたとされるチーズなのですが、前述したように、その後の古代ローマ時代においても食されており身近な食材であったのは確かです。例えば古代ローマ時代の哲学者であるルキウス・アンナエウス・セネカは、いわゆる「三段論法の誤り」について哲学的に論じる書簡の中で、チーズを引き合いに出して次のように記しています。
約2000年前のローマで活躍した哲学者であるルキウス・アンナエウス・セネカは、友人に宛てた書簡で以下のように記しています。 “Mouse” is a syllable. Now a mouse eats its cheese; therefore, a syllable eats cheese… Without a doubt, I must beware, or some day I shall be catching syllables in a mousetrap or, if I grow careless, a book may devour my cheese! Unless, perhaps, the following syllogism is shrewder still: Mouse is a syllable. Now a syllable does not eat cheese. Therefore a mouse does not eat cheese. 和訳:「ネズミ」は音節である。ネズミはチーズを食べる。だから、音節はチーズを食べる。間違いなく、私は気をつけなければならない。さもなくば、私はいつかネズミ取りで音節を捕まえることになるだろうし、私が油断すれば本が私のチーズを食べ尽くすかもしれない!あるいは、次のような「ネズミは音節である」というずる賢い三段論法があるかもしれない。ネズミは音節である。音節はチーズを食べない。つまり、ネズミはチーズを食べない。 ※引用元 2023年03月12日 09時00分 ネズミは本当にチーズが好きなのか?チーズよりも好きなものはあるのか? https://gigazine.net/news/20230312-mice-like-cheese-myth/
三段論法の誤りについての哲学的議論はともかくとして、当時のローマ人はすでに「ネズミはチーズを食べるものだ」と考えていたことがうかがえる、と上記の記事では指摘されています。そして、チーズのイメージといえば、丸い穴が空いた三角形のチーズを思い浮かべる人は少なくないかもしれません。トムとジェリーでおなじみの、ジェリーが好んで食べる穴が開いたあのチーズです。上記の記事は、ネズミは本当にチーズが好きなのか?ということについて記されているわけですが、これに関して、アメリカのドレクセル大学で進化生物学を研究するMegan Phifer-Rixey氏は、次のように指摘しています。
ハツカネズミは近くで手に入るものであれば穀物や昆虫、ゴミ、そしてチーズも含めて基本的に何でも食べます。しかし、問題なく食べるからといってそれがハツカネズミの好物かどうかは別の話であり、チーズはハツカネズミの好物とは言えないとPhifer-Rixey氏は指摘しています。 チーズの代わりにハツカネズミの好物だと考えられているのが、「ピーナッツバター」です。Phifer-Rixey氏は、「ハツカネズミは優れた嗅覚を持っており、ピーナッツバターはかなり強い匂いを放ちます」と述べており、タンパク質と脂肪が豊富な点もハツカネズミにとって魅力的だそうです。 (中略) ハツカネズミはチーズが好きであるという証拠はないものの、現に「ネズミはチーズが好き」というイメージは世界中に広がっています。この答えにも正確なものはありませんが、1つの仮説として「チーズは他の食品のように瓶の中で保管されたり天井からつるされたりせず、棚にそのまま置かれることが多かったため、ネズミがチーズを食べる様子が目撃されやすかった」というものがあります。 ※引用元 2023年03月12日 09時00分 ネズミは本当にチーズが好きなのか?チーズよりも好きなものはあるのか? https://gigazine.net/news/20230312-mice-like-cheese-myth/
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・・・ということで、実はここからが本題のつもりで書き始めた今回のブログなのですが、長くなってしまいました。
日本人には馴染みがない表現なのですが、欧米では「チーズを食べると悪夢を見る」と言われることがあります。これについて、2015年に大真面目に検証を試みる論文が発表されました。結論からいえば、チーズを食べると悪夢が引き起こされることを示唆する証拠は見つからなかった、とされているのですが、この「チーズを食べると悪夢を見る」というのは、英語の言い回しでは、Dream of the Rarebit Fiend と表現されることがあります。
レアビットといえば、冒頭で紹介したイギリスのチーズトーストと同じ英語表現なわけですが、この表現は、アメリカの漫画家ウィンザー・マッケイが1904年9月10日に始めた新聞漫画のタイトルにもなっています。
Dream of the Rarebit Fiend Dream of the Rarebit Fiend is a newspaper comic strip by American cartoonist Winsor McCay, begun September 10, 1904. It was McCay's second successful strip, after Little Sammy Sneeze secured him a position on the cartoon staff of the New York Herald. Rarebit Fiend appeared in the Evening Telegram, a newspaper published by the Herald. For contractual reasons, McCay signed the strip with the pen name "Silas". The strip had no continuity or recurring characters, but a recurring theme: a character has a nightmare or other bizarre dream, usually after eating a Welsh rarebit?a cheese-on-toast dish. The character awakens in the closing panel and regrets having eaten the rarebit. The dreams often reveal unflattering sides of the dreamers' psyches?their phobias, hypocrisies, discomforts, and dark fantasies. (日本語訳) 『レアビット・フィーンドの夢』は、アメリカの漫画家ウィンザー・マッケイが1904年9月10日に始めた新聞漫画である。これは、リトル・サミー・スニーズがニューヨーク・ヘラルド紙の漫画スタッフの地位を確保した。レアビット・フィーンドは、ヘラルド紙が発行する新聞、イブニング・テレグラム紙に掲載された。契約上の理由により、マッケイは「サイラス」というペンネームで漫画に署名した。 この漫画には連続性や繰り返し登場するキャラクターはいなかったが、繰り返し登場するテーマがあった。キャラクターが悪夢や奇妙な夢を見るのだが、これはたいていウェルシュ レアビット(チーズ トースト) を食べた後のことである。最後のコマでキャラクターは目を覚まし、レアビットを食べたことを後悔する。 ※引用元 Dream of the Rarebit Fiend https://en-m-wikipedia-org.translate.goog/wiki/Dream_of_the_Rarebit_Fiend?_x_tr_sl=en&_x_tr_tl=ja&_x_tr_hl=ja&_x_tr_pto=sc
長くなったので、また機会があれば続きを記してみたいと思います。
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※画像引用元 Dream of the Rarebit Fiend https://en-m-wikipedia-org.translate.goog/wiki/Dream_of_the_Rarebit_Fiend?_x_tr_sl=en&_x_tr_tl=ja&_x_tr_hl=ja&_x_tr_pto=sc
(野村)
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tumnikkeimatome · 10 days
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ペルシア軍を打ち破った古代ギリシャの最強陣形「ファランクス」とそれを打ち破ったローマ軍「レギオン」の戦略的機動力
ファランクスの構造と強み 古代ギリシャの戦術の要となったのがファランクスと呼ばれる密集陣形です。 重装歩兵が横長の長方形に密に並び、左手に大盾、右手に長槍を持つ編成が特徴です。 各兵士の盾は自身の左半身と左隣の兵士の右半身を守り、強固な防御壁を形成しました。 ファランクスの縦深は通常8〜16列で構成されました。 前列の兵士が倒れると、後列の兵士がその位置を埋めて前進する仕組みにより、陣形の維持が可能でした。 この堅固な陣形は、ペルシア軍との戦いで圧倒的な威力を発揮しました。 マケドニア式ファランクスの進化 マケドニア王国のフィリッポス2世は、従来のファランクスを改良し、サリッサと呼ばれる6メートルもの超長槍を導入しました。 さらに、「鉄床戦術」と呼ばれる新たな戦法を考案。 左翼が防御に徹する一方��右翼が敵戦列を破壊するという画期的な戦術でした。 アレクサンドロス大王はこの戦術を継承し、ペ…
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eigawomitekangaero · 13 days
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【イタリア映画】『自転車泥棒』デ・シーカ監督のネオレアリズモの代表作を徹底解説
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ヴィットリオ・デ・シーカ監督によるネオレアリズムを代表する作品『自転車泥棒』 その映画技法を、あらすじとともにじっくりと解説しています。
●今回の映画 『自転車泥棒』 (1948年 イタリア)
監督   ヴィットリオ・デ・シーカ 脚本   オレステ・ビアンコリ(イタリア語版)      スーゾ・チェッキ・ダミーコ      ヴィットリオ・デ・シーカ      アドルフォ・フランチ(イタリア語版)      ゲラルド・ゲラルディ(イタリア語版)      ジェラルド・グエリエリ(イタリア語版)      チェーザレ・ザヴァッティーニ 原案   チェーザレ・ザヴァッティーニ(脚色、翻案) 原作   ルイジ・バルトリーニ 製作   ヴィットリオ・デ・シーカ      ジュゼッペ・アマト 出演者  ランベルト・マジョラーニ 音楽   アレッサンドロ・チコニーニ 撮影   カルロ・モンテュオリ 編集   エラルド・ラ・ローマ 製作会社 Produzioni De Sica 配給   イタリアEnte Nazionale Industrie Cinematografiche (ENIC)      日本 イタリフィルム/松竹 公開   イタリア 1948年      フランス 1949年      アメリカ 1949年      日本 1950年
[解説] チェン・スウリー/[エンディング音楽] 駒形 英王 [ロゴデザイン] 近藤 ちはる/[イラスト] 二階堂 ちはる
チェン・スウリー 日本在住の台湾華僑3世 NHK『詩のボクシング』初代東京都代表 劇団主宰/Xアカウント @CHEN_ShuLi
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yotchan-blog · 1 month
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2024/8/22 0:01:41現在のニュース
立憲・泉氏、代表選出馬は明言せず 枝野氏と「基本的に同じ路線」(毎日新聞, 2024/8/21 23:46:13) 再犯防止に重点、「拘禁刑」が成立 改正刑法 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/21 23:45:37) インド太平洋の海自派遣、最大級 12カ国・地域で4カ月半 中国意識し安保協力 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/21 23:45:37) 〈国費解剖〉巨額の予備費、どう透明化 財務相の判断根拠示せ 大阪大・片桐直人准教授 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/21 23:45:37) 国会の審議予定、明確に 東京大・藤谷武史教授 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/21 23:45:37) 「モノのパスポート」の衝撃 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/21 23:45:37) 広がる「通商武装論」 信頼失うWTOルール、世界で単独行動 変わる潮目、日本は動かず - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/21 23:45:37) 拠点病院、病床確保へ自治体と協定 感染症に備え 政府、法改正で義務化へ - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/21 23:45:37) 未活用電波を無線LANに 総務省、技術開発を支援 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/21 23:36:17) 医療再建(上)開業医の統治不全に風穴を 遅れるデジタル活用 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/21 23:36:17) 授業にクレーム 「考えさせる問い」は嫌? - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/21 23:36:17) 洋上風力バトル2 「落選組」コスモHDの逆襲 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/21 23:36:17) 日本HP社長 岡戸伸樹氏(上) 部下から1年「総スカン」 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/21 23:36:17) BIPROGY社長が謝罪 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/21 23:36:17) 薬価制度からみる医療行政(下) 評価に患者の視点 反映を 鎌江伊三夫・東京大学特任教授 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/21 23:36:17) 生損保、25年に資本規制 市場変動に備え契約を時価評価 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/21 23:36:17) 中小企業の請求書払い、オンラインで一括完了 りそなとNTTデータ - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/21 23:36:17) 国際送金SWIFT、新規格で効率化 設立50年で初の移行へ 情報量60倍、不正も防止 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/21 23:36:17) 埼玉県の路線価0.4%上昇、2年ぶりプラス コロナ前近く - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/21 23:36:17) 民主主義が闘う「無関心」 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/21 23:36:17) 現代ジャズ進化論 佐藤英輔(1) ギターが導く変革 大衆性取り戻す原動力に - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/21 23:36:17) アース、大幸薬品株売却 「クレベリン」共同開発、業務提携は継続 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/21 23:36:17) 英アーム、サーバー向け採用拡大 半導体設計データ - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/21 23:36:17) 丑の日ウナギ高め 活鰻4割高、かば焼きは1割高 稚魚水揚げ遅れ、専門店に値上げの波 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/21 23:36:17) 「獅子心王」イングランド王リチャード1世 自国顧みず戦争に明け暮れ 佐藤賢一 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/21 23:36:17) 「尊厳王」フランス王フィリップ2世 ローマ皇帝にあやかる 佐藤賢一 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/21 23:36:17) 「赤髭帝」神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世 ドイツ王、イタリアに御執心 佐藤賢一 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/21 23:36:17) シン・ウルトラマンの物理学 最先端の「究極理論」を世界観に - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/21 23:36:17) ウォルト、自前の配送拠点閉鎖 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/21 23:36:17) 「かかりつけ医」制度化の論点(上) 登録制・人頭払いが大前提 印南一路・慶応義塾大学教授 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/21 23:36:17) ノリ共同販売の経済的意義 富山大学助教(流通論) 日隈美朱 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/21 23:36:17) 入管庁、クルド人男性を難民認定へ 札幌高裁判決受け - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/21 23:36:17) カシオ、カードの加盟店手数料安く 仏大手と連携、2%台に - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/21 23:36:17) システム外販も開始 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/21 23:36:17) 「かかりつけ医」制度化の論点(下) 専門性高い家庭医 育成急げ 葛西龍樹・福島県立医科大学主任教授 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/21 23:36:17) メール攻撃、変異型で復活 欧州摘発「エモテット」 ワコールやライオンが被害 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/21 23:36:17) 社債に戻り始めた地銀 利回り上昇、信用力で選別 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/21 23:36:17) 賢く毅然とした日中関係を - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/21 23:36:17) 「Snow Man」目黒蓮さん、体調不良で活動休止 ドラマ延期(毎日新聞, 2024/8/21 23:31:55)
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hegotthesun · 1 month
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『ドギーアンドバニー:後篇』
~追うものと追われるもの~
<前篇|中篇:新古生代/新中生代|後篇>
『昔語ル猫ノ唄』1月5日, 2019年
唐突に過去を振り返りますと、作曲を開始したのは2000年(13歳)からですが、音楽素材ブログの『レオナル堂』を公開したのは2007年3月~2008年4月頃までの僅かな期間でした。
その間に就職して仕事を優先するために閉鎖しましたが、今思えば残して置けば良かったと猛烈に後悔中であります。 「音楽で人に良く思われたいとか、音楽を積極的に人に聴かせたいとは、もう考えが及んでおりませんが、音楽の楽しさを人生から除外したくありません」という内容の文面をネットで拝読して妙に納得した今日この頃です。
『島根観光』11月23日, 2018年
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今回こそは家族との最後の旅行になるだろうということで島根県まで赴きました。
左の写真はスサノオが祭神の八重垣神社。右は国津神の代表格オオクニヌシ(恵比寿の父神)が祭られる出雲大社の神楽殿です。
神楽殿では神主による祝詞の奏上と、巫女による舞の奉納を拝見しました。
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出雲大社参拝の三日後。自宅付近で複数のカラスが尋常じゃない鳴き声で騒いでいるので表に出ると、タカが数十羽のカラスの群れと対峙しておりました。
猛禽類は鋭い爪を持ち、カラスより速く高く飛べるので、数十羽とカラスが集まっても太刀打ちできず膠着状態になったのでしょう。
数分後、タカは人質のカラスを解放して飛び去りましたが、解放されたカラス君はしばらく呆然自失としていました。
『広島観光』4月2日, 2017年
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年老いた親の付き添いで広島の厳島(宮島)まで赴きました。
特に好きでもない旅行にわざわざ同行し始めたのは、老いた親との思い出を少しでも残しておきたいと考えてのことでしたが、母の膝関節の状態も芳しくないので当分の間は旅行も控えるでしょう。
初めて旅行に同行したのは私が16歳の時でした。その頃、母は還暦を迎えようとしていたので、悔いのないように思い出を残そうと考えた次第でした。
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『井の蛙、天を仰ぐこと能わず』4月2日, 2015年
勤務先の調理場ではコックコートではなくエプロンを着用していますが、少し困った事態が往々にして発生します。
それは食材の買い出しの際、ご婦人方にスーパーの店員と間違えられて頻繁に声を掛けられることに他なりません。
お目当ての商品がどこに置いてあるのかという問いかけに、毎度のように「店員ではありません」と返答しなければならないのは非常に面倒であります。
なので、いっそのことスーパーのどこに何があるのか把握して、懇切丁寧に教えたいと思う今日この頃です。
『生き残ったのは俺たちだけらしい』4月1日, 2015年
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過去は過ぎ去りもうない。未来は来たらずまだない。
ならば精一杯、今この瞬間を生きるんだ。
『汝、己の手を穢すべからず』3月18日, 2015年
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『懇親会』12月28日, 2014年
スタジオセッション仲間の青年と、40代女性ドラマーの間で執り行われた懇親会に招かれました。
どうやら以前ドラム担当だった上海からの留学生Y君はカプコンに就職できたようです。
R&B系のベース演奏を嗜む三菱重工の社員さんとセッションしたこともありましたが、Y君と一緒に演奏したら面白い化学反応があったのではと考えたりする次第です。
楽しい時は過ぎるのが早い。そんな愉快な一日になりました。
『レタスの収穫』12月22日, 2014年
職場に設置された水耕栽培器で育てたレタスの収穫を執り行いました。
率直な感想を言うと業務スーパーで購入した方が早いと思うのですが、水耕栽培器を使用することで従業員が一丸となって小さな命を育てる優しい心が育まれたのではないでしょうか。
『君と歩いた道』10月21日, 2014年
飼い犬のカナが静かに息を引き取りました。
亡くなる前日の夜、何かを訴えかけるように私の隣に来て横たわっていました。
晩年は癌との闘病生活になりましたが、痛みに耐えてよく頑張ってくれました。
思い出をありがとうな!
どうか安らかに。親愛なるカナ。
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『記録に残らない記憶』10月17日, 2014年
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どうぶつの森でフレンドと親睦を深めました。
ちょっとしたハーレム状態に恐縮しきりの村長でしたとさ。
私以外の3名の内の2名は姉妹で、当初は姉とフレンドになり遊んでいましたが「妹もまぜてやってくれ」と頼まれて妹さんも参加。
それも束の間「ちょっと離席するからその間、妹を頼む!」と妹さんのお相手をさせていただくことになりました。
他人の村で走り回って花を散らす天真爛漫な姉と比較して、しっかりとした礼儀正しい妹さんでありました。
��って来た姉に「どうだうちの妹は。いい子じゃろ?」と聞かれましたが、同意せざるを得ませんでした。
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楳図かずお氏を彷彿とさせるマリンスーツをいただきました。
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この直後に通信エラーが起きて昆虫採集のデータは飛んでしまいましたが、大切な思い出までは決して消えません。
■Ghost of Tsushima ─対馬の亡霊─
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このゲームの着想は、1274年の元寇(モンゴル帝国の日本侵攻)に際して、長崎の対馬に来着したモンゴル帝国軍3万人を乗せた艦隊より1,000人以上が対馬に上陸して蹂躙を始め、それに対して80余騎の武士が応戦したものの全滅したという史実が基になっている。
以下、ゲーム内での設定であります。
文永(十三世紀後半)、モンゴル帝国は東方世界の征服を目論み、立ち塞がる総ての国を蹂躙していた。東の果て、日本に侵攻すべく編成されたモンゴル帝国軍の大船団を率いるのは、冷酷にして狡猾な智将"コトゥン・ハーン"だった。ハーンは、侵攻の足掛かりとして対馬に上陸する。これを防ぐべく集結した対馬の武士団は、初めて見るモンゴル帝国軍の兵略によって初戦で壊滅。島は忽ち侵略の炎に包まれる。だがしかし、かろうじて生き延びた一人の武士がいた。 "境井 仁"(さかい じん) 仁は、境井家の最後の生き残りとして、喩え侍の道に反した戦い方に手を染めることになっても対馬の民を守ろうと決意する。冥府から蘇った者「冥人(くろうど)」として、あらゆる手段を使って故郷を敵の手から取り戻す為に。 「民を守ること。己を守れぬ者らを」
✽.。.:*·゚ ✽.。.:*·゚ ✽
■チンギス・ハン|Wikipedia
モンゴル帝国の初代皇帝チンギス・ハンについて、このような逸話がある。
ある日のこと、チンギス・ハンは重臣の一人である"ボオルチュ・ノヤン"に「男として最大の快楽は何か」と問いかけた。 「春の日に、逞しい馬に跨り、手に鷹を据えて野原に赴き、鷹が飛鳥に一撃を加えるのを見ることであります」と"ボオルチュ・ノヤン"は無難な返答をした。 チンギスが他の将軍"ボロウル"にも同じことを問うと同じように答えた。 するとチンギスは「否、違う」と言い出した。
「男たる者の最大の快楽は、敵を撃滅し、これをまっしぐらに駆逐し、その所有する財物を奪い、その親しい人々が嘆き悲しむ姿を眺めながら、その敵の妻と娘を犯すことにある」と答えたのだ。 ("A. ドーソン"著『モンゴル帝国史』)
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まったくもってさっぱりよく解せない考えのリーダーを持ったボオルチュ・ノヤンとボロウルに深く同情します。
ちなみに人類史において、この世で最も子孫を多く残した人物はチンギス・ハンなのだとか。
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■LiSA - "紅蓮華"|YouTube
本当の強さと、本当の優しさは同質のものだ。
優しさだけでは守るべきものを守れないし、強さだけではそれを正しく行使できるとは限らない。
だから両方そろって初めて偽善ではなく善になる。
──だから僕は優しくなれない。
守るべきものの為に、僕は強くならなくてはならない。
■『紅蓮華《鬼滅の刃》主題歌』歌詞|歌ネット
Nirvanaを彷彿とさせるドロップDチューニングのパワーコードが印象的な楽曲。
ちなみに「紅蓮華」をローマ字にすると"Gurenge"になりますが、どことなく"Grunge"(グランジ)のスペルに似ていることに気付かされます。
✽.。.:*·゚ ✽.。.:*·゚ ✽
11歳の頃に、週刊ファミ通を読んで興味を持ったニンテンドー64『ゼルダの伝説 時のオカリナ』を衝動買いして大いにハマり、後にゲームキューブ移植版で追加されたハードモード(マップの構造と敵の配置が変化)を一切の攻略情報を参考にせずクリアしようとしましたが、後半の難所「闇の神殿」の一箇所だけ、仕掛けの解除方法を発見できずにやむを得なくネットの攻略方法を確認したのが今にしては悔やまれます。
▽『ゼルダの伝説 時のオカリナ』あらすじ ハイラル王国に広がる深き森には“コキリ族”という子供のまま永遠に年を取らない代わりに、森から出ると死んでしまう種族が住んでいた。 主人公の“リンク”はコキリ族として育ったが、ある日に森の守護神デクの樹よりハイラルの危機と、これからハイラル城に向かい、そこでハイラルの運命を左右する神に選ばれし姫に出会うことを告げられる。 斯くして、時さえも越える冒険の旅は始まった。 幼馴染の少女“サリア”は、リンクを大切な友達と思う一方で、自分とリンクがどこか違っており、やがて別れの時がやってくることを察知していたようだ。 森の住民にさとられないように森を後にしようとしたリンクだったが、出口の手前にある吊り橋の上でサリアが待ち伏せていた。そこでリンクは声を掛けれ、オカリナを手渡された。 「オカリナを吹いて、思い出したら帰って来てね」 故郷を離れたリンクが初めて訪れたハイラル城下町で出会う少女の“マロン”は、ハイラル平原の中央に位置する牧場の一人娘だ。 父親と牧場を切り盛りしており、亡き母に代わって少々だらしがない父親を支えるしっかり者だが、いつか白馬に乗った王子様が迎えに来てくれると思っていたり、密かに夢見がちなところもある。 歌が大好きで、仔馬の“エポナ”を可愛がりながら、幼い頃に母から教わった唄をよく歌っている。 ■Zelda: Ocarina of Time Medley (Lon Lon Ranch, Market, Horse Race) | YouTube ***
幼馴染や救出した各国の姫君の心をわりと射止めるような気がしないでもないわりに、自分の功績を誰に告げて自慢するわけでもなく、颯爽と愛馬"エポナ"に跨り駆け去るリンクは、僕にとって永遠の憧れであり、英雄であり続けるのでしょう。🏇
「正しいことってどんなこと? 正しいことをすると……みんな喜ぶのかな」 「君の友達ってどんな人? その友達は君のことを友達と思っているのかな」 「君の幸せってどんなこと? 君の幸せはみんなも幸せになるのかな」 「君の本当の顔はどんな顔? お面の下の顔が本当の顔なのかな」 「誰もいなくなったな、鬼ごっこ。そうだ鬼ごっこがいい。鬼は逃げるだけだ。いいな」 (『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面』任天堂, 2000年)
■ドラゴンクエストⅢ ゾーマ戦|YouTube
RPGのラスボス戦のBGMを大きく分けると、勇者視点の勇敢な曲か、魔王視点の禍々しい曲のどちらかが多数のようです。
『ドラクエ3』のラスボス戦曲は、勇者視点と魔王視点のテーマが交互に入れ替わる当時としては斬新な構成。
流石は発想のレベルが違う!
そういえば小3の頃に友達と情報交換しながら攻略本なしでゾーマ城まで進行したものの、途中で無限ループする廊下の突破方法が分からずに中断。その数年後にふと未攻略だったことを思い出し、ネットで攻略サイトを参考にしながら一人でクリアした悲しい思い出があります。
『東京観光』2月4日, 2012年
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大都市東京に行くの巻。
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「龍は一寸にして昇天の気あり」
この諺は、龍の子供は僅か一寸ほどの大きさの時から天に昇ろうとする気概があることを言い表しています。
――時は2012年2月4日。単身では初めて東京まで赴くことになりました。
まずは“東京駅”に降り立ち、毎朝欠かさず“皇居”を周回しているであろう“走者”に見守られながら、“日本橋”から頭上を仰ぎ見て実に機能的なことに感嘆の念を禁じ得ず、“六本木”の“森美術館”では外連味《けれんみ》のない“前衛的な芸術”を鑑賞して一生懸命に理解したふりをしつつも、“御茶ノ水”の楽器店でギターの試奏をして“親切な店員”に「アッシュ材は音の輪郭が明瞭で立ち上がりが早い」と懇切丁寧に教わり、“渋谷”では“忠犬ハチ公”のしっぽが思いのほか太いことに意表を突かれ、さり気なく“モヤイ像”の存在感が著しく欠如していることに落胆し、“新宿2丁目”では奇天烈な内装の“ライブハウス”で奇を衒った生演奏を拝聴した上で“浅草園芸ホール”では絶滅を危惧される“江戸弁の落語”を直々に堪能できました。“浅草”の大通りにある蕎麦屋で食した蕎麦が一杯1,000円もすることに驚愕しながら表に出ると、漫画『ドラゴンボールZ』に登場する“フリーザ”の恰好に扮した一団が大通りを颯爽と駆け抜けて行きましたが、“秋葉原”から徒歩で来たのでしょうか。大変ご苦労なことであります。
さらば大都市“東京”よ。願わくば、また会おう。
『一家団欒』8月17日, 2011年
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盆休みを利用して某府で会社員(SE)として勤める兄上が実家に帰省しました。写真に写っているのは飼い犬のカナと兄上の足の裏。
私と同じく兄上は学生の頃から授業と宿題以外の勉強はせず、放課後は数時間にわたり友達とスーファミのRPGに興じておりましたが、塾に通う児童よりも成績が良好で学年トップクラスの成績を維持し、習字を習う児童よりも達筆で習字の学校代表に選出され、高校の頃は情報処理のテストで100点を取り、計算技術大会で入賞を果たし、スポーツに興味がないのにマラソンのアンカーに選出され、実家を出てからは某府の理系大学を首席で卒業し、今も府内で会社員として勤められております。
子供の頃から「兄が自分と同じ年齢だった頃、兄はもっと身体能力や知識があったはずだ」「今の兄と同じ年齢になっても、どの分野も追いつくことは不可能だ」と思い悩むことも多々ありました。
そんな小学生の頃に「実は自我があるのは自分だけで、他の人々は自我もない機械に過ぎず、自分は地球という舞台で一人芝居を続ける滑稽な道化に過ぎないのかも知れない」という話を冗談半分で兄に打ち明けたら「同じことを考えたことがある」と真剣に答えてくれたことがありました。
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SEの年収は企業規模により左右されます。100〜1,000人未満の企業の平均年収は610万円。1,000人以上の企業規模の平均年収は790万円。SEの年収は企業規模が大きいほど上昇します。
ちなみにWikipediaによるとシステムエンジニアとは日本のIT業界における特殊な体制から生じた和製英語で、国際的にはソフトウェアエンジニア、ソフトウェア開発者、プログラマー、ハードウェア技術者などの表記が正しいとのことです。
飛鳥時代
弥生時代
縄文時代
中生代
古生代
古生代は、約5億4100万 - 約2億5190万年前まで。「古生代」「中生代」「新生代」に分かれる地質時代の大きな区分の一つ。先カンブリア時代の後に相当します。無脊椎動物の繁栄から恐竜の繁栄した中生代の前までの期間を指します。
カンブリア紀:基底年代541
カンブリア紀(約5億4100万年前)に、様々な既存の生物が急激に増加しました。これを「カンブリア爆発」と呼びます。この時代の生物のほとんどは海洋に生息しており、殻や外骨格で身を固めていました。海底の砂の下を住みかにしたり、海中を泳ぎ回ったりと、様々な種類の生物がいました。腕足動物や三葉虫は最も一般的な生物で、新たな分類として脊椎動物の無顎類も誕生しました。
オパビニアはカンブリア紀に生息したハサミ状の吻(ふん。口あるいはその周辺から突出している部位)を持つ古生物。かつてはその異質な姿により、「奇妙奇天烈動物」の代表例として分類群には収まらない未詳化石として疑問視されました。後に研究が進み、アノマロカリスなどのラディオドンタ類、ケリグマケラ、パンブデルリオンとともに、基盤的な節足動物として認められるようになりました。
ヒトの持つ恐怖心という感情は、すでに魚類の頃より脳機能として天敵から逃れるためにありました。その後、哺乳類より前頭葉が発達して理性(欲望を抑える働き)が生まれました。哺乳類は群れを形成して生活を送るため、前頭葉で様々な欲望を抑え込みます。しかし、生きるために必要な欲望を抑えるためにヒトの精神は蝕まれ、精神疾患を発症するリスクが高まる傾向にあります。一方の本能だけで生きる爬虫類までの脊椎動物には、まだ前頭葉がなく本能だけで生きています。
魚類から哺乳類に進化した今も、カンブリア紀の頃と変わらず日本人は魚を生で食べます。
オルドビス紀:基底年代485.4
オルドビス紀(約4億8540万年前)は、顕生代(肉眼で見える生物が生息した時代)の5大量絶滅事変の一つにあたる大量絶滅により終焉を迎えました。このオルドビス紀末の絶滅事変は、絶滅した属の割合で見ればペルム紀末の大量絶滅に次ぐ大規模なもので、海生多細胞生物の科の22%、属の49%が絶滅し、腕足類やコケムシ類も大打撃を受けました。その他にも三葉虫、ウミリンゴ、サンゴ類、フデイシ、コノドントの多くが淘汰されました。この三葉虫は古生物で最もポピュラーな節足動物で、現代のエビやカブトガニの仲間です。
以上のように、オルドビス紀にすべての生物種の85%が絶滅しましたが、この大量絶滅の原因は現在もはっきりと断定されていません。
脊椎動物としてのヒトの始祖は、顎を持たない魚類の無顎類です。この生物は、口から吸い込んだ水を鰓《えら》でこして、その中のプランクトンを摂って生きていました。そこから無顎類は顎を発達させて、オルドビス紀に初めて顎口類に進化します。顎口類の最も原始的な魚類の板皮類は、全身を覆う甲皮を持った種で、後のデボン紀に絶滅しました。
この板皮類から軟骨魚類と硬骨魚類という二つの群の魚類が現れましたが、そのうち人類の祖先となったのは硬骨魚類です。これら二群の魚類は、今も水中生活に適応しており、その子孫は未だに繁栄しています。
ゲノム解読(遺伝子解析)の結果、人類を含む脊椎動物の起源は、頭索動物の"ナメクジウオ"か、尾索動物の"ホヤ"のいずれかのようです。ナメクジウオは頭と尾の区別がなく、口はあっても顎はなく心臓もありません。このナメクジウオとホヤのどちらが人類の起源と呼べるのかという論争もありましたが、ゲノム解読によってナメクジウオに軍配が上がり、新聞社からも「ナメクジウオが起源」と報道されました。��かしその後「必ずしもナメクジウオが起源とは断言できない」という何とも言えない研究発表がなされたようです。
約5億2千年前の海はエビやカニなどの節足動物が繁栄し、その食物連鎖の頂点にオウムガイが君臨していました。人間(脊椎動物)の祖先ナメクジウオなどの誕生したばかりのか弱い魚類たちは天敵のオウムガイから逃れるために「脳」が発達し、偏桃体が生まれました。
人類を含む脊椎動物の始祖とされるナメクジウオは、体が扁平で細長く柳の葉のような形をしており、体長は通常5cmほど。表皮が透明で脊索や神経管・内臓も透けて見えます。ナメクジウオには眼がありませんが、その代わり神経管のあちこちに光を感じる器官があります。口は腹側にあり触手によって常にふたをされた状態になっています。
餌を食べるときは、触手によって異物を取り除き食べます。咽頭は広く、その壁には多数の穴がぎっしりと並びます。ナメクジウオは、繊毛で水流を起こして植物プランクトンを水流により取り込みます。余分な水は出水孔から出されますが、餌は腸に取り込まれた後に肛門から排泄されます。
植物が地上に進出した頃は、大気中の二酸化炭素濃度は現代の15倍ほどありましたが、その後は急速に低下しました。
シルル紀:基底年代443.8
シルル紀(約4億4380万年前)に至るまで、陸上には昆虫と単細胞生物のみが生息していました。このシルル紀に多くの植物が上陸し、地上での成長を開始しました。この時代の代表的な生物に、陸棲の節足動物や最古の陸上植物があります。食卓によく上がるカニやエビは、この節足動物に分類される昆虫の仲間です。
エビやカニは分類学上の甲殻亜門で、同じ門にはオキアミ、フジツボ、ミジンコ、フナムシ、ダンゴムシなどが含まれます。ダンゴムシの動作は、まず突き当りまで歩行し、触覚が壁に触れたら右に向きを変え直進し、また壁に突き当たると今度は左に方向転換して直進します。そのパターンを繰り返しながら生命活動を存続します。最古のダンゴ���シに似た陸上の節足動物に、シルル紀後期に生息したカルバリア類がいます。
シルル紀後期にリグニンという物質を有した植物が登場しました。この植物はリグニンを合成して幹を強化し、光を求めて高く伸びるようになりました。リグニンを分解できる微生物はいなかったので、植物は腐らず地表に蓄えられていきました。
デボン紀:基底年代419.2
デボン紀(4億1920万年前)は、「魚類の時代」としても伝えられます。多種多様な魚類が海中で繁栄し、この時点で顎《あご》と鰓《えら》及び鱗《うろこ》や鰭《ひれ》を魚《さかな》は持っていました。
淡水域では棘魚類が栄えました。同時にサメの仲間のクラドセラケが誕生し、動物は海中から陸上に進出し始めました。また、この頃に両生類が誕生しました。
特にデボン紀に繁栄した原始的な魚類の一つが、体の表面が骨格化した甲冑魚とも呼ぶ板皮類です。中には全長4m以上に及ぶものもいましたが、約4億年前にサメの仲間の軟骨魚類が繁栄するようになると、この板皮類は衰退します。そしてデボン紀後期に起きた大量絶滅により姿を消しました。
この頃の植物は、乾燥した気候にも適応し始め、それまで簡易的だった構造を一転させ、より複雑な構造の植物に変化し始めました。
石炭紀:基底年代358.9
石炭紀(約3億5890万年前)に両生類の陸上進出が始まり、石炭紀後期に爬虫類が誕生しました。この頃に翅の左右の幅が60㎝を超える巨大昆虫オオトンボが現れました。
〝ヤゴ〟は肉食性の水生昆虫。トンボ目の幼虫を指す通称です。語源は成虫のトンボを表す「ヤンマの子」を略して「ヤゴ」と称されたようです。
成虫のトンボは空中の生活に適応した陸生動物ですが、幼虫のヤゴは水中に生息します。不完全変態なので、基本的には成虫とさほど変わらない構造をしているはずで、余計な付属肢がありもせず、翅も小さなものが背面に出ています。しかし、その外見は成虫と大きく異なり、軽やかに空を飛ぶトンボからは想像できない姿形です。ヤゴは肉食で、主に小型の水棲昆虫を食べ、時には小魚の体液を吸うこともあります。
幼虫の頃のヤゴは向かうところ敵なしですが、成虫のトンボになると多くの天敵に捕食される危険にさらされます。
それでも自身の命が燃え尽きる前に、繁殖のために水中から陸上に進出します。
◆小学校高学年・中学生のページ/成虫の生活
オスの生殖口は腹部の末端にありますが、そこから直接メスに精子は渡しません。オスは腹部の基部近くにある副性器に一旦精子を移します。さらに確保されたメスが腹部を折り曲げて、生殖口をオスの副性器にくっつけることによって交尾が成立します。
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トンボは交尾の時、オスとメスが合わさってハート形の体勢になります。交尾時間は種によって異なり、数秒から6時間ほどかかるものもいます。
生物は他の生物を捕食し続けないと生命を維持できません。それでも生体の活動には限界があります。その寿命が尽きる前に、自分の遺伝子のコピーを残す必要があります。
単細胞生物や一部のイソギンチャクなどは細胞分裂で自分自身のコピーを残しますが、節足動物や脊椎動物は交配によってコピーを残します。細胞分裂の場合は交配相手がいなくてもコピーを残せますが、その代わり遺伝子の配列はコピー元と同じなので、特定の気候変動やウイルス感染などの条件を満たすとすぐに絶滅してしまうリスクが伴います。
一方の交配では、両親から50%ずつ遺伝子を受け継ぎます。これにより様々な気候変動に対する耐性や、ウイルス抗体を持つ遺伝子のバリエーションを増やして子孫の生存率を高めることができます。
ちなみにトンボとゴキブリは、地球に突如として出現してから進化しないまま温暖な地域に広く分布し、強靭な生命力で繁栄した昆虫として知られます。また、どの種から進化したのか長らく不明な点も特徴です。
約2億5千万年前から存在したといわれる世界最古の有翅昆虫ゴキブリも、トンボと同じく酸素濃度の影響を受けて初めは60cmほどの大きさだったようです。ゴキブリの胸部には食道下神経節という脚を動かす神経があるので、脳を切断されても生き続けます。まさに初登場にして完成形の生物といえるでしょう。
このゴキブリも食卓によく上がるカニやエビと同じ節足動物です。
殻付きの卵を産む生物が現れたことで、脊椎動物が陸地全体に広がりました。ヒトを始め、陸上の脊椎動物の手と足は、魚類の「胸びれ」と「腹びれ」が進化したものです。
つまり進化次第では「背びれ」や「尻びれ」も手足となり、ヒトは"阿修羅"のように6本腕になっていたのかも知れませんね。
ペルム紀:基底年代298.9
ペルム紀(約2億9890万年前)に棘魚類が絶滅し、両生類・爬虫類・単弓類(哺乳類型爬虫類)が繁栄しました。それと入れ替わりに、三葉虫類とウミサソリ類が絶滅しました。
そうしてペルム紀末に、史上最大とされる地球規模の大量絶滅が起こりました。
◆『天地創造』エンディング|YouTube
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梵我一如
2020年12月、JAXA(宇宙航空研究開発機構)は、宇宙探査機「はやぶさ2」の持ち帰った小惑星リュウグウの砂を分析し、アミノ酸20種類以上を発見。このアミノ酸は46億年前の地球にも存在した。人間の生命の基となる物質が、宇宙由来である可能性を示唆された。
ビッグバンにより宇宙が創られた際の物質で天体は創られ、さらに地球上に海が生まれました。そうして海の中で誕生した生物もまた海に含まれるアミノ酸によって構成されます。
インド哲学《仏教》の「人(我)と宇宙(梵)は同質」という解釈はあながち間違いではないのかも知れませんね。
先カンブリア時代から全ての動植物は、単細胞生物から多細胞生物に進化し、ぞくぞくと自分自身のコピーを増やしました。
つまり人類皆兄弟どころか植物も脊索動物も節足動物も皆一様に血肉・細胞を分けた兄弟と解釈できます。
インド思想《仏教》の梵我一如(ぼんがいちにょ)には、ブラフマン(梵)とアートマン(我)という二つの概念があります。
◆梵(ブラフマン:宇宙全体の原理) ◆我(アートマン:個人の原理) 「梵」とは、自然そのもの、遍在する原理、または真理。 「我」とは、身体の内側にある不変の実体、個人の魂。
このように個の根源であるアートマン(我)に対し、宇宙全体の根源をブラフマン(梵)と呼びます。
東洋思想の礎となったインドの思想は、宗教と哲学の間に明確な境界線はなく、あえて宗教的な表現でブラフマンを表すと「宇宙の創造主」となり、哲学的に言い換えると「全ての原因」と表現できます。
悟り
出家した釈迦は、まず師のもとで修行に励みました。禅での解脱をはかる修定主義でしたが、釈迦は忽ちそれを会得しました。しかし、これだけでは「苦」の解決にはなりませんでした。
「自らで答えを見つけなければいけない」と考えた釈迦は、呼吸制限や断食といった過酷な修行に取り組みます。肉体の苦痛によって精神的解放を得ようとする苦行主義の修行です。この苦行は想像を絶し、手足は枯れ枝のようになり、背骨は浮き上がりました。苦行主義は全く無益なもので、悟りを得るどころか心身が衰えるばかりでしたが、5人の修行仲間ができました。
ある日、釈迦は苦行主義では解決しないと考え始め、修行を放棄して川で身を清めました。今にも力尽きそうな釈迦でしたが、近隣の村の少女からヤギの乳粥を供養されました。心身ともに衰えた釈迦でしたが、乳粥のあまりの美味しさに驚き、気力を回復します。5人の修行仲間は乳粥の供養をほどこされた釈迦を堕落者扱いしました。
しかし、釈迦は菩提樹の下で瞑想し、悟りの境地に至りました。
釈迦は「悟り」を啓きましたが、肝心の「悟り」が何なのかまでは経典に記しませんでした。
「悟り」は言葉で説明したところで、その人自身が実感しないと理解できないと判断したからです。
《西洋哲学》は問題提起したまま解決せず終わるフランス映画のごとく哲学者自身の発狂や自害に終止しましたが、《東洋哲学》は「悟り」の概念という問題解決に至ったのが特徴と言えるでしょう。
釈迦は35歳で悟りを啓き、その後80歳で亡くなるまで《仏教》の教えを説き続けました。
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『運命の赤い糸』5月1日, 2019年
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■令和元年二日目。伊勢神宮で賜った世界一シンプルと名高い御朱印
2019年5月2日(令和元年二日目)。
興味本位で伊勢神宮に初参拝する前日に、数年前まで飼っていた犬が夢に現れました。
目前に件の飼い犬が居ましたが、再会できた喜び以前に鈴緒のような紅白の紐が飼い犬の前足に巻いてあることに気付きました。
不審に思いながら手を伸ばしたら、自分の腕にも同じように紅白の紐が巻き付いていたのでした。
その時、「私が今世でこの犬と出逢ったのも予め"運命の赤い糸"という縁で結ばれていたからだろう」と紐付けて結論付けた次第であります。
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幾度となく飼い犬との意思疎通を試みたが、7割くらいは理解に及ばなかった。
犬は純粋無垢な���でどこまでも飼い主を��頼するから飼うのは荷が重い。
時々「俺はお前が思ってるほど善い奴じゃないんだよ」と言いたくなるが伝えようがない。
でも僕はお前の飼い主になれて嬉しかったよ。
当時12歳の僕は、君に子を産ませ、それを売って金を稼ごうと考えていたけれど、もちろん君はそんな事とは知らずに生まれて来た。
毎日を純粋に生きる君と暮らす中で、僕は自分の傲慢さに気付き、そうして考えを改めた。
僕は君の飼い主になれて幸せだったけど、君は幸せだったのだろうか。
少しでも君を幸せに出来たのならいいのだけど。
今となって言えるのは「生まれて来てくれてありがとう」ということくらいだ。
もう二度と生き物を飼うことはないだろうけど、思い出を沢山ありがとうな!
どうか安らかに。親愛なる"カナ"。
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※思い出のイメージ画像(『ビルシャナ戦姫 ~一樹の風~』, アイディアファクトリー)
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■ジェリーフィッシュ (feat. ローラーガール) | YouTube
いつの日か、かならず“森羅万象”が無に帰すとしても、この世に生まれ「生きる」ことは決して無為ではないと筆者は確信しております。
君とすごした日々は、君のいないこれからも、かけがえのないものであり続けるのでしょう。
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名刺文学特別審査員賞!
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“今日はありがとう! お待たせしちゃって、ごめんね😢 またあそびにきてね😊”
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■"大道寺知世"《カードキャプターさくら》
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ari0921 · 2 years
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和四年(2022)10月3日(月曜日)
     通巻第7481号
 ロシア、東部四州を併合。ウクライナはNATO加盟を声明
  ウクライナ戦争の決着の筋道が見え、プーチンが初めて停戦を呼びかけた
************************
10月1日、ロシア国防省はウクライナ東部ドネツク州の要衝リマンから撤退したと発表した。前日にプーチン大統領はドネツク州とルガンスク州、南部のヘルソン州とザポロジエ州をロシアに併合すると宣言し、「永遠にロシア国民だ」とのべたばかりだった。呼応するかのようにローマ法王も停戦を呼びかけた。カソリック総本山の呼びかけはウクライナ向けの発言である。
四州の併合に関して西側は一斉にプーチンを批判した。
同日、ウクライナはNATO加盟を声明し、欧州の旧東欧メンバーが直ちに支持を表明した。
ポーーランド、チェコ、スロバキア、モンテネグロ、北マケドニア、ルーマニア、そしてバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)の九カ国である。
ところが英独仏など主要メンバーの反応はないに等しかった。しかし、ようやくウクライナ戦争の決着の筋道が見え、プーチンは停戦を呼びかけたことは注目して良いのではないか。
ゼレンスキー大統領は、リマン奪回を宣言し、一方、ロシアは当該地区からの『戦略的撤退』を認めた。
ロシア国内では予備役招集に反撥し、およそ20万人が国外へ逃げ出した。
またスウェーデンにつづいて、イタリアで保守政党の躍進があり、10月2日の」ラトビア選挙でも保守系が第一党となり、親ロシア政党は議席を失ったようだ。動きが加速されている。
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dailynewsdrawings · 3 months
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11.03.2024
ローマ法王、ウクライナは「白旗を掲げ」ロシアとの戦争を終わらせるべきだと発言し怒りを煽る
Pope provokes outrage by saying Ukraine should ‘raise white flag’ and end war with Russia
https://www.theguardian.com/world/2024/mar/10/pope-francis-criticised-for-saying-ukraine-should-raise-white-flag-and-end-war-with-russia
引用 : The Guardian
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takahashicleaning · 3 months
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TEDにて
シャロン・ブロウス: 今が一神教を取り戻す時?
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
世界が制御不可能に見える時、宗教は、それと無関係に見えます。あるいは、問題の一部のように思われるかもしれません。
しかし、ユダヤ教のラビであるシャロン・ブロウスは、現代における我々の生活のニーズを満たすために宗教を改革できると考えています。
この情熱に満ちた話で、ブロウスは一神教活性化のための4原則を示し、暴力、過激主義、悲観主義などの感覚を麻痺させるような暗い現実に対抗し、あらゆる一神教が希望に満ちたカウンターナラティブとなり得ると語ります。
古代エジプトは、紀元前30000年に集団が形成され、その後、紀元前3000年に人類最初の王朝が誕生。エジプトの主神であったアメン神は多神教で世界最初の中央集権国家として現在では知られています。
その後、「アクエンアテン」が推進したアテン神を中心とする一神教が、人類史上初の一神教として誕生。
合議制の多神教である神官と言われる人々が政治に口を出すために、破壊的イノベーションにより誕生したかもしれません。一部。大統領制や政教分離です。
しかし、一神教はエジプトでは破壊されてしまい。モーゼの出エジプト記になり、古代ユダヤ教になったと知られています。参考までに、一般的には古代中国は、紀元前2000年。古代ローマは紀元前500年です。
2004年の春(一神教での話です)
日本では、神仏習合で多神教なため、戦国時代には、すでに解決しているので参考程度にどうぞ。
私は、新米ママであると同時に若いラビでした。そして、世界は大混乱でした。皆さんも覚えてると思いますが、毎日、私たちはイラク戦争で起きた悲惨なニュースを耳にしました。全世界に広がるテロの波があり、まるで、人間性が制御不可能に��ったかのようでした。
私は、マドリードの地下鉄で発生した組織的な連続爆発についてのニュースを読んだ夜のことを覚えています。私は起きて、6ヶ月の娘が愛らしく寝ているベットに向かいました。そして、彼女の呼吸のリズムを聞き、私の体を切迫した感覚が駆け抜けるのを感じました。
私たちは、政治、一神教、人口、そして、イデオロギーの構造が激変する時代を暮らしていました。
全てに危うさを感じました。こう考えたことを覚えています「いったい私たちはどのような世界にこの子を産んだのだろう「母、そして、一神教の指導者として、私はどのように解決するべきだろう」
もちろん。急激に変化するこの世界で一神教が主戦場となることが明らかだとは分かっていました。そして、一神教が問題の重要な一部であることは、すでに明らかでした。私の問いは、一神教が解決策の一部にもなり得るか?でした。
歴史を遡ってみると、人々は、一神教の名のもとに恐ろしい犯罪や残虐な行為をしてきました。
そして、21世紀に入ってから、明らかに、一神教的過激主義は、その勢いを再び増していました。我々の研究は、過去、15年から20年の間。
敵対心や一神教関連の暴力が全世界で増加していることを示しています。
しかし、これを証明する研究すら不要です。なぜなら、皆さんの中でこう聞いて驚く人はどのくらいいるでしょう。爆発や銃撃のニュースを聞いた時。
犯人が銃撃する直前や爆弾を投げる直前に最後に口にした言葉が、神(アラー)の名であったと。
今の時代。また、誰かが、神への愛を証明するため、他人の命を奪ったと聞いてもあまり驚く人はいません。
アメリカの一神教的過激主義の例は、白人の反中絶キリスト教過激派が、コロラドスプリングスのプランド・ペアレントフッドを襲撃して、3人を殺した事件があります。サンバーナーディーノでオフィスパーティーに入り込んで14人を殺した。イスラム国に感化されたカップルの事件も同様です。
また一神教的過激主義が、暴力につながらないとしても、一神教は、政治分裂のくさびを打ち込む争点として利用され、皮肉にも女性軽視の正当化やLGBTへの差別、人種差別、イスラム恐怖、反ユダヤ主義へと発展します(すべて一神教での話)
一神教や信仰の未来を心配するならば、こうした現状を深刻に捉える必要があります。私たちは、これが一神教の大失敗なのだと。はっきりと言うべきです。
しかし、大事なのは、これが、こんにちの一神教の唯一の問題ではないことです。
同時に我々には、過激主義に強い力(パワー。ライトサイドの方)をもって、対抗する一神教が必要です。
一神教は、2つ目の致命的な現象で苦しんでします。私はこれを一神教のマンネリ化と呼んでいます。私たちの組織と指導者が囚われている、ただ機械的に暗記したパラダイムには、生命がなく、ビジョンがなく、魂がない状況です。
この意味を説明します。
ラビになることの大きな幸福の一つは、ユダヤ教の結婚式の時に、キャノピーの下に、新郎新婦と一緒に立って、彼らが互いに見つけた聖なる愛を神聖なものにする宣言を手伝うことです。経験があれば思い出してみてください。または、ただ、想像してみてください。結婚式当日のキャノピーの下での経験と6年、7年後の記念日の気持ちはどう違いますか?
もし、運のいい人なら、16〜17年間は同じかもしれません。普通の人なら、多分記念日の朝に起きてお気に入りのレストランの予約もカードの用意も忘れたことに気づくと思います。そして、ただ相手も忘れていて欲しいと願います。
一神教の祭式や儀式は、主に記念日となるようにデザインされていて、あなたが一神教とまず最初に出会った聖なる目覚めの経験の思い出を入れておける器のような役割をつとめます。問題は何世紀か過ぎると、記念日はまだカレンダーに残っているけど、愛はずっと前に死んでしまったことです。
そして、私たちは、何の意味もないことばを終わりなく、意図もなく繰り返すだけです。言われるがままに立ったり座ったりして、執拗に守られた教義にすがり、完全に現代の現実とはかけ離れたおざなりの実践を行います。なぜなら、単純にそれが今までやってきたことだからです。
アメリカで一神教は衰退しています。
全体を通して、教会、ユダヤ教会、モスク。すべてが伝統の中核である組織に興味がないばかりか、一神教そのものにも全く興味のない若い世代との関わりを維持することが大変さだと嘆いています。
彼らが、理解しないといけないのは、一神教の過激主義の暴力に呆れた世代の人たちがいること。一神教のマンネリ化の虚しさから自ら一神教を拒絶した人がいることです。
もちろん、そこには明るい面もあります。一神教生活における危機とも言うべきこの二つのトレンドの中で、12〜3年前。私は戦争の勃発する世界で何らかの方法でユダヤ教の伝統の精神を取り戻し、意味と目的のある存在にすることは、できないかという試みを始めました。
こう考え始めました。
もし、今の世代の素晴らしい思想家たちの力を取り入れ、大胆で力強く想像力豊かに考えたときに、次世代の一神教生活がどのような姿になるだろうかと。私たちには、お金も場所も計画もありませんでしたが、電子メールはありました。友達のメリッサと一緒に座って、何人かの友達と同僚にメールを出しました。基本的な内容はこう「あなたが、一神教を捨てる前に一緒にユダヤ教の教えを改めて考えてみませんか?今週の金曜日の夜に会いましょう」
20人くらいの人が、来てくれることを期待していたら、その日。135人の人が参加しました。そこには、皮肉屋、信仰を探している人、無神論者、そして、ラビがいました。多くの人は、その夜が人生で初めての意味のある宗教的経験だったと言いました。
そして、私はそういう状況に置かれたときの唯一の合理的な選択をして、仕事を辞めて一神教を新たに見直し再建するという大きな夢を追い始めました。この活動を「イカール(IKAR)」と呼びます。
「基本」または「物事の中心」という意味です。
一神教界の中でイカールは独りではありません。そこには、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、正教会の指導者たちがいます。ちなみに、その多くは女性で我々の伝統の核心を取り戻そうと考え、いま一神教が解決策の一部になる時だと固く信じる人々でした。
私たちは、聖なる一神教にたち戻り、全ての一神教に暴力や原理主義を正当化する材料が、含まれていることに気づきました。
また、共感や共存、優しさを正当化する材料も同時に含まれていました。誰かが憎しみや復讐の教えとして、経典を読む時に私たちはその同じ経典から愛や赦しの教えを受け取ることも可能です。
私は、今や東西海岸にある新興ユダヤ教コミュニティをはじめ、様々なコミュニティーたち。女性のためのモスク、ニューヨークとノースカロライナにある黒人教会。正義と平和のメッセージと共に我が国を横断する修道女を乗せた聖なるバス。これらが、信仰の精神を共有していて、それが、今、この国で再興した一神教の形をとり新たに浮上していると知りました。
具体的な信仰の経典や一神教活動は、これら個々のコミュニティ。それぞれ、とても違う一方、そこには一貫して、それらを繋ぐ糸が見えます。
4つの原則を共有したいと思います。
まず目覚め。気づきです。
私たちは、今、地球のあらゆる場所で起きている世界中の悲劇の情報にアクセスできるという前例のない世界に暮らしています。12時間以内に、20万人の人々が、トルコの海岸にうち上げられたアイラン・クルディ君の死体の写真を目にしました(今では自動削除されます)私たちは、みんなこの写真を見ました(今では自動削除されます)このアレッポのビルの瓦礫の中から救出された5歳の男の子の写真を見ました。
こういう写真を見ると何か行動をとる必要性に迫られます。
ユダヤ教に伝わる話ですが、道を歩いていた旅行者が美しい家が燃えてるのを見てこう言います「こんなに綺麗な家が燃えているというのに、なぜ誰も気にしないの?」私たちはこのように世界が燃えているなら心と目を開いてその鎮火を助けることが責任であることを悟るように学びます。
これはとても難しいことです。心理学者たちは、私たちは世界の崩壊を知るにつれ行動しなくなるといいます。これを精神的麻痺と言います。私たちは、どこかで精神的に心を閉じてしまうんです。どこかで一神教指導者たちは、人々を居心地悪くするのが我々の仕事であることを忘れました。
人々の目を覚まして無関心から引っ張り出し、苦痛に向きあわせ、そして、私たちはやりたくないことも敢えてやり、見たくないものも見るのだと主張するのです。なぜなら、社会の変化が起こるのは家の火事に気付けるよう目が覚めている時だけだと知っているからです。
次の原則は、希望です。
希望はどんなものか?希望はナイーブではありません。希望は中毒性のある麻薬でもありません。希望は悲観主義的な政治と絶望の文化に対抗する唯一で最大の行為かも知れません。希望は私たちを制約し押し込めていた場所から解放すると同時に「もう一度夢を見て、可能性を考えることができる。彼らはあなたをコントロールできない」と教えるからです。
この夏。シカゴ南部のアフリカ系アメリカ人教会で私の友人であるオーティス・モスの説教を聞くために、私よりも数センチ背の高い13歳の娘を連れて行き、そこで希望を見ました。その夏、すでに3千人がシカゴで1月から7月の間に銃撃に遭っていました。その教会に入ってモス牧師の説教を聞いて、説教が終わったとき、この100人の力強い女性たちで構成された美しい女性聖歌隊が立ち上がって歌い始めました。
「私はあなたが必要です。あなたは私が必要です。愛してます。生きるためにあなたが必要です」私は、その瞬間。これが一神教のあるべき姿だと気づきました。人々に目的意識。希望の感覚を与え、彼らと彼らの夢が本質的に重要であるという感覚を取り戻させるんです。彼らは、重要ではないと言い放つこの世界においてです。
3つめの原則は力強さです。
ラビの伝統的教えでは、ポケットに2葉の紙を入れて歩き回ります。
1つには「私はほこりと灰にすぎない」自分が全てなのではありません。私はすべてをコントロールできないし、自分1人では、成し遂げられません。
もう一枚には「私のためにこの世界は作られた」自分ではすべてのことができないのは真実ですが、必ず何かはできるということを述べています。私は赦すことができます。私は愛せます。私は参加でき、抗議することもできます。私は会話に加われます。
私達は、今も一神教的儀式や姿勢を保ち、無力な人と力のある人の間のパラドックスを繋ぎとめています。ユダヤ人のコミュニティでは、私たちが完全に地面に伏せている唯一の時は祭日の間です。これは完全に神に従うという意味です。今、私たちのコミュニティでは地面から立ち上がるとき手を天に上げて立ちます。
そして言います「私は強い。私は偉大だ。私は価値がある。私は全てをできるわけではないけれど何かはできる」
私たちは、目に見えない存在で無力であると信じさせる世界では、一神教社会と一神教的儀式が、思い起こさせてくれるのは、私たちがこの地球上で与えられた時間がどれほどであれ、与えられた才能や祝福がどんなものであれ、どのような助けに手が届こうと関係なく、私たちは、それを使って世界をより公正でより愛情のあるものにできるし、そうしなければなりません。
最後となる4つめの原則は互いに関わりあっていることです。
数年前。アラスカの海岸を歩いている男がサッカーボールを拾いました。そのボールには日本語の文字か書かれていました。彼は、それを写真に撮ってSNSに載せました。そして、10代の日本人の子が彼に連絡してきました。彼は、日本で起きた破壊的な津波ですべてを失いましたが、その太平洋を渡って流された後のサッカーボールを取り戻すことができました。
世界は本当に狭くなりました。人間として私たちがどのように繋がっているかに気づくのは難しく。私たちが知っているように、行き過ぎた個人主義の嘘から最大限に恩恵を受けるのは抑圧のシステムです。
これはどういうことでしょう。黒人の青年が警察に嫌がらせされても、私は気にしないでいて平気なはずです。なぜなら、白人に見える私のユダヤ人の子供たちが黒人のように運転中に警察に呼び止められる事はおそらくないからです。でも違います。これは私の問題でもあるのですから、そして、性転換者への嫌悪やイスラム教への嫌悪。
あらゆる形の人種差別も全部私たち一神教の問題です。反ユダヤ教も私たち一神教の問題です。なぜなら、エマ・ラザロは正しかったからです。みんなが自由になるまでは誰も自由ではない。というエマ・ラザロの言葉は正しかったのです。
私たちは、みんな共に生きています。そして、今、これらの4つの原則。目覚めと希望。力強さと相互関係の交差点のどこかに複数の宗教にまたがる正義の動きが芽吹き、カウンタートレンドとして存在を主張し、一神教がこの世界に良い影響を与える力になれるしならなければならないと訴えます。
私たちの心は、過激主義という一神教の過ちに傷つきます。
私たちにふさわしいのは、マンネリ化した欠陥一神教以上のものです。今は、一神教指導者や一神教団体が、この国と世界が渇望する精神的、文化的な変化を先導するべき時期です。
愛と正義、平等に向かって、そして、すべての人の尊厳に向かっての変化が求められています。私たちの子ども達は、それ以上の世界を求める資格があります。
ありがとうございます。
2018年では、サピエンスは20万年前からアフリカで進化し、紀元前3万年に集団が形成され、氷河のまだ残るヨーロッパへ進出。紀元前2万年くらいにネアンデルタール人との生存競争に勝ち残ります。
そして、約1万2千年前のギョベクリ・テペの神殿遺跡(トルコ)から古代シュメール人の可能性もあり得るかもしれないので、今後の発掘作業の進展具合で判明するかもしれません。
メソポタミアのシュメール文明よりも古いことは、年代測定で確認されています。古代エジプトは、約5千年前の紀元前3000年に人類最初の王朝が誕生しています。
最後に、マクロ経済学の大目標には、「長期的に生活水準を高め、今日のこども達がおじいさん達よりも良い暮らしを送れるようにする!!」という目標があります。
経済成長を「パーセント」という指数関数的な指標で数値化します。経験則的に毎年、経済成長2%くらいで巡航速度にて上昇すれば良いことがわかっています。
たった、経済成長2%のように見えますが、毎年、積み重ねるとムーアの法則みたいに膨大な量になって行きます。
また、経済学は、大前提としてある個人、法人モデルを扱う。それは、身勝手で自己中心的な欲望を満たしていく人間の部類としては最低クズというハードルの高い個人、法人。
たとえば、生産性、利益という欲だけを追求する人間。地球を救うという欲だけを追求する人間。利益と真逆なぐうたらしたい時間を最大化したいという欲を追求する人間。などの最低生活を保護、向上しつつお金の循環を通じて個人同士の相互作用も考えていく(また、憎しみの連鎖も解消する)
多様性はあるが、欲という側面では皆平等。つまり、利益以外からも解決策を見出しお金儲けだけの話だけではないのが経済学(カントの「永遠平和のために」思想も含めて国家や権力者は透明性を究極にして個人のプライバシーも考慮)
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reallypaleninja · 4 months
Text
イエスが生きていると、パウロは主張しているのです。
使徒言行録25・13-21
イエスが生きていると、パウロは主張しているのです。
使徒たちの宣教
その日、25・13アグリッパ王とベルニケが、フェストゥスに敬意を表するためにカイサリアに来た。14彼らが幾日もそこに滞在していたので、フェストゥスはパウロの件を王に持ち出して言った。「ここに、フェリクスが囚人として残していった男がいます。15わたしがエルサレムに行ったときに、祭司長たちやユダヤ人の長老たちがこの男を訴え出て、有罪の判決を下すように要求したのです。16わたしは彼らに答えました。『被告が告発されたことについて、原告の面前で弁明する機会も与えられず、引き渡されるのはローマ人の慣習ではない』と。17それで、彼らが連れ立って当地へ来ましたから、わたしはすぐにその翌日、裁判の席に着き、その男を出廷させるように命令しました。18告発者たちは立ち上がりましたが、彼について、わたしが予想していたような罪状は何一つ指摘できませんでした。19パウロと言い争っている問題は、彼ら自身の宗教に関することと、死んでしまったイエスとかいう者のことです。このイエスが生きていると、パウロは主張しているのです。20わたしは、これらのことの調査の方法が分からなかったので、『エルサレムへ行き、そこでこれらの件に関して裁判を受けたくはないか』と言いました。21しかしパウロは、皇帝陛下の判決を受けるときまで、ここにとどめておいてほしいと願い出ましたので、皇帝のもとに護送するまで、彼をとどめておくように命令しました。」
答唱詩編
詩編103・11+12、20+21
心を尽くして神をたたえ、すべての恵みを心に留めよう。
詩編103
103・11天が地より高いように、 いつくしみは神をおそれる人の上にある。 12東と西が果てしなく遠いように、 神はわたしたちを罪から引き離される。
20神の使いよ、神をたたえよ。 みことばを聞き、これを行う者よ、神をたたえよ。 21天にあるものよ、神をたたえよ。 み旨を行うしもべたちよ、神をたたえよ。
福音朗読
ヨハネ21・15-19
アレルヤ、アレルヤ。聖霊はあなたがたにすべてを教え、話したことをわからせてくださる。アレルヤ、アレルヤ。
ヨハネによる福音
イエスは、弟子たちにご自身を表され、食事を共にされた。21・15食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。16二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。17三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく��っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。18はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」19ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。
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