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#佐々木アパート
yes-keita · 2 years
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ブランシェビー 空きありません! ソーリー保存ボタンクリックタップ忘れた! ってゆー 身勝手な宅地建物取引士(未登録)より #シリーズ勝手に全力応援 の一部 :お問い合わせは、お近くの不動産やさまへ #宅建 #宅地建物取引主任者 #宅地建物取引士 #佐々木アパート #身勝手な悟空 #未登録 # #八幡平市 #二戸市 #一戸町 #滝沢市 #雫石町 #盛岡市 #岩手町 #盛岡 #雫石 # (Hachimantai-shi, Iwate, Japan) https://www.instagram.com/p/ComF1bvB3BR/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kennak · 1 year
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今年3月、大阪府和泉市のアパートで、刃物を振り回した男が、警察官に発砲されて死亡しました。大阪府警は18日、死亡した容疑者を書類送検し、捜査を終えました。 警察によりますと、和泉市のアパートに住む佐々木祐容疑者(当時39)は、今年3月、自室で70歳の母親を殴るなどしたあと、アパートの男性住人2人を刃物で切りつけるなどしたといい、さらに確保しようとした警察官に対して、スケートボードを投げつけたり、刃物を突き出すなどした疑いがもたれています。 当時、佐々木容疑者は、警察官に拳銃で1発撃たれ、殺人未遂の容疑で現行犯逮捕、同日中に死亡しました。司法解剖の結果、死因は出血性ショックで、右胸に当たった弾丸が肝臓や静脈を損傷させ致命傷になったということです。
【速報】母親を殴り、アパート住民や警察官に刃物振り回す…警察官に撃たれて死亡した男を書類送検 大阪・和泉市(MBSニュース) - Yahoo!ニュース
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少し、食べるの😂控えたら😂あんま、よくないんじゃないかな、😂まだ、生きてる、わけやしさ😂死んだら😂好き放題、食べても😂太らんし😂なにより、体、壊すことも、😂ないからさ😂
そういやさ、😂俺、前にさ、😂中野区大和町って、とこに、住んでたんよ😂でさ、その、アパートの近くにさ、【魚と加藤】という、名前のさ、😂刺し身専門酒屋、あってさ、😂そこ、よく、言ってたんよ😂佐々木と😂でさ、俺、そんとき、ちょうどさ、😂別居は、してたけど、籍が、入ってるヘレンのことをさ、段々と、忘れていってた、頃、だったんよ😂そんでさ、もう、なんか、佐々木のほうに、気持ちが、持っていかれてることがさ、やたら、悲しく、淋しくなってさ、😂そう、眼の前の、佐々木と、飲みながら😂そう、俺はさ😂号泣したわけよ😂つまり、その、ヘレンのことが、段々と、過去の、人にさ😂なってくのが、😂やたら、😂悲しく、なったわけよ😂俺😂
いや、😂実はさ😂そう、俺さ😂ヘレンが、俺から😂心変わり、してさ、😂ヘレン、出ていったわけやけどさ、😂そう、俺さ、フィッツジェラルドの、ジェイ・ギャッツビーみたいにさ、😂金持ちに、なって、もう一回、ヘレンを、こちら側に、振り向かせようと、思うて、そう、完全実力主義を、謳う、光通信に、入社、した、わけよ。😂元々さ、俺、そんなに、金を、欲しいと、思うたこと、ないんよ😂だって、そもそも、俺の、職歴さ、西村フルーツに、派遣のグッドウィルグループに、古着屋に、焼き鳥屋に、無印良品店員やで😂全部、低賃金なわけよ😂
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ykwathced · 4 months
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shunsukessk · 9 months
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��遺跡としての晴海団地」参考文献
「遺跡としての晴海団地」は日本建築学会のウェブサイト「建築討論」で2023年1月から11月にかけて連載された。もしかすると、いつか誰かの役に立つかもしれないので、参考文献の一覧をまとめておく。なお、赤字は連載内で2回以上触れたもの。
都市
磯崎新「都市の類型」、『磯崎新建築論集2 記号の海に浮かぶ〈しま〉』、岩波書店、2013年。
磯崎新「建築=都市=国家・合体装置」、『磯崎新建築論集6 ユートピアはどこへ』、岩波書店、2013年。
レム・コールハース『S,M,L,XL+』、太田佳代子、渡辺佐智江訳、ちくま学芸文庫、2015年。 ・「シンガポール・ソングライン」 ・「ビッグネス、または大きいことの問題」
藤村龍至「超都市(ハイパー・ヴィレッジ)の建築」、『SD2021』、鹿島出版会、2021年。
山岸剛『TOKYO RU(I)NS』、山岸剛、2022年。
ジル・ドゥルーズ「無人島の原因と理由」、前田英樹訳、『ドゥルーズ・コレクション1 哲学』、河出文庫、2015年。
里見龍樹『不穏な熱帯 人間〈以前〉と〈以後〉の人類学』、河出書房新社、2022年。
晴海
『万博』1938年5月号、紀元二千六百年記念日本万国博覧会事務局。
「オリンピック中止 万国博覧会の延期 閣議で承認」、東京朝日新聞(夕刊)、1938年7月16日。
『万博』1938年11月号、紀元二千六百年記念日本万国博覧会事務局。
東京都中央区役所編『昭和32年版 中央区政概要』、東京都中央区役所、1957年。
東京都中央区役所編『中央区史 下巻』、東京都中央区役所、1958年。
『観光お国めぐり 東京都の巻(上)』、国土地理協会、1959年。
東京都中央区役所編『昭和35年版 中央区政年鑑』、東京都中央区役所、1960年。
「運転手、死体で発見 血だらけ乗捨てタクシー」、朝日新聞(夕刊)、1963年12月7日。
「個人タクシーご難 晴海 三人組強盗に襲わる」、朝日新聞、1965年8月10日。
「運転手しばり放り出す 晴海 三人組タクシー強盗」、朝日新聞、1966年5月26日。
「スペインが初名乗り 万国博参加」、朝日新聞、1966年8月27日。
三島由紀夫『鏡子の家』、新潮文庫、1969年。
「カーサ晴海」、『近代建築』1977年8月号、近代建築社。
東京都中央区役所編『中央区史三十年史 上巻』、東京都中央区役所、1980年。
日東製粉社史編纂委員会編『日東製粉株式会社65年史』、日東製粉株式会社、1980年。
『第二次東京都長期計画』、東京都企画審議室計画部、1986年。
晴海をよくする会『晴海アイランド計画の提案』、晴海をよくする会、1986年。
「ソ連の一万トン客船 あす初寄港」、朝日新聞、1987年3月20日。
東京都港湾局、社団法人東京都港湾振興協会、東京港史編集委員会編『東京湾史 第1巻 通史 各論』、東京都港湾局、1994年。
小柴周一「晴海アイランド トリトンスクエア」、『新都市開発』1998年1月号、新都市開発社。
『晴海一丁目地区第一種市街地再開発事業』、住宅・都市整備公団、晴海一丁目地区市街地再開発組合、1999年。
吉本隆明『少年』、徳間書店、1999年。
茅野秀真、大村高広「再開発地区計画の活用による一体的な広場・歩行者空間形成の実現──晴海アイランドトリトンスクエアにおける実践例──」、『再開発研究』第18号、再開発コーディネーター協会、2000年。
『トリトンプレス』vol.2、晴海一丁目地区市街地再開発組合、2000年。
『トリトンプレス』vol.5、晴海一丁目地区市街地再開発組合、2001年。
「晴海トリトンで「いい日常」」、朝日新聞(夕刊)、2001年3月23日。
「晴海一丁目地区第一種市街地再開発事業 晴海アイランド トリトンスクエア」、『近代建築』2001年6月号、近代建築社。
佐藤洋一『図説 占領下の東京』、河出書房新社、2006年。
夫馬信一『幻の東京五輪・万博1940』、原書房、2016年。
渡邊大志『東京臨海論』、東京大学出版会、2017年。
晴海団地
「港に近く、高層アパート群」、朝日新聞東京版、1956年1月22日。
大髙正人「東京晴海の公団アパート」、『国際建築』1956年11月号、美術出版社。
志摩圭介「団地ずまい礼讃」、『新しい日本 第2巻 東京(2)』、国際情報社、1963年。
「団地に住んでゼンソクになった 工場ばい煙規制へ」、朝日新聞(夕刊)、1963年10月8日。
種村季弘『好物漫遊記』、ちくま文庫、1992年。
種村季弘ほか『東京迷宮考』、青土社、2001年。
中央区教育委員会社会教育課文化財係編『中央区の昔を語る(十六)』、中央区教育委員会社会教育課文化財係、2002年。
晴海団地15号館(晴海高層アパート)
小野田セメント株式会社創立七十年史編纂委員会編『回顧七十年』、小野田セメント、1952年。
河原一郎、大髙正人「新しい生活空間へ」、『新建築』1957年1月号、新建築社。
野々村宗逸「住宅公団の晴海高層アパート」、『住宅』1957年4月号、日本住宅協会。
『建築文化』1959年2月号、彰国社。 ・大髙正人「設計の概要」 ・河原一郎、大沢三郎「都市の住居:高層アパート」 ・野々村宗逸「いつまでも豊かさを」
川添登「晴海高層アパート──将来への遺跡」、『新建築』1959年2月号、新建築社。
前川建築設計事務所「晴海高層アパート」、『近代建築』1959年2月号、近代建築社。
木村俊彦「構造計画論の展開と私の立場」、『建築』1962年1月号、中外出版。
ロジャー・シャーウッド編『建築と都市 臨時増刊 現代集合住宅』、エー・アンド・ユー、1975年。
「アンケート:パブリック・ハウジングの可能性」、『都市住宅』1980年8月号、鹿島出版会。
日本経営史研究所編『小野田セメント百年史』、小野田セメント、1981年。
日経アーキテクチュア編『有名建築その後 第2集』、日経マグロウヒル社、1982年。
レイナー・バンハム「世界の建築の日本化」、伊藤大介訳、鈴木博之編『日本の現代建築』、講談社、1984年。
枝川公一『都市の体温』、井上書院、1988年。
大髙正人、小西輝彦、小林秀樹「昭和の集合住宅史(6)高密度高層住宅 広島市営基町住宅と公団高島平団地」、『住宅』1992年3月号、日本住宅協会。
野沢正光「〝ささやかな悠久〞をおびやかすもの──晴海高層アパート1958によせて──」、『住宅建築』1994年10月号、建築資料研究社。
住宅・都市整備公団、日本建築学会編『晴海高層アパートの記録』、住宅・都市整備公団、1996年。
『住宅建築』1996年8月号、建築資料研究社。 ・小畑晴治、野沢正光、初見学、松隈洋「座談会──晴海高層アパートから引き継げるもの」 ・初見学「晴海高層アパート残照」
井出建「都市に住まうことの戦後史 「晴海アパート」取り壊しと集合住宅の未来」、『世界』1998年1月号、岩波書店。
志岐祐一「晴海高層アパート 可変性検証の記録」、『住宅建築』1998年3月号、建築資料研究社。
高橋郁乃「「晴海高層アパート」は歴史館に行き、そして晴海は…」、『建築ジャーナル』1998年9月号、建築ジャーナル。
前川國男
田中誠「住宅量産化の失敗と教訓──プレモス前後」、『今日の建築』1960年9月号、玄々社。
ル・コルビュジエ『今日の装飾芸術』、前川國男訳、鹿島研究所出版会、1966年。
佐々木宏編『近代建築の目撃者』、新建築社、1977年。
前川國男、宮内嘉久『一建築家の信條』、晶文社、1981年。
丹下健三「前川先生の死を悼む」、『新建築』1986年8月号、新建築社。
伊東豊雄「公共建築の死・前川國男を悼む」、『住宅建築』1986年9月号、建築資料研究社。
宮内嘉久『前川國男 賊軍の将』、晶文社、2005年。
生誕100年・前川國男建築展実行委員会監修『建築家 前川國男の仕事』、美術出版社、2006年。 ・井出建「前川國男と集合住宅��� ・「日本万国博覧会建国記念館 コンペ応募案」
前川國男建築設計事務所OB会有志『前川國男・弟子たちは語る』、建築資料研究社、2006年。 ・河原一郎「前川國男」 ・松隈洋「「生誕一〇〇年・前川國男建築展」という出発点」
団地
島田裕康「住宅団地におけるコンクリート塊の再生利用」、『月刊建設』1996年10月号、全日本建設技術協会。
原武史『団地の空間政治学』、NHK出版、2012年。
祝祭
岡本太郎、針生一郎「万博の思想」、『デザイン批評』第6号、風土社、1968年。
岡本太郎『新版 沖縄文化論』、中公叢書、2002年。
「五輪チケット、販売済みは収容人数の42% 7割が地元」、朝日新聞デジタル、2021年6月11日。URL=https://www.asahi.com/articles/ASP6C66BZP6CUTIL05R.html
「IOC広報部長、コロナと五輪「パラレルワールド」無関係強調」、毎日新聞デジタル、2021年7月29日。URL=https://mainichi.jp/articles/20210729/k00/00m/050/117000c
ギリシャ神話
ヘシオドス『神統記』、廣川洋一訳、岩波文庫、1984年。
呉茂一『ギリシア神話(上)』、新潮文庫、2007年。
賃金
労働大臣官房労働統計調査部編『昭和33年 賃金構造基本調査結果報告書 特別集計』、労働法令協会、1960年。
「賃金構造基本統計調査」、厚生労働省ウェブサイト。URL=https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/chinginkouzou.html
銀座
東京都中央区役所編『中央区史 中巻』、東京都中央区役所、1958年。
赤岩州五編著『銀座 歴史散歩地図』、草思社、2015年。
築地
テオドル・ベスター『築地』、和波雅子、福岡伸一訳、木楽舎、2007年。
東京タワー
電気興業社史編纂委員会編『電気興業 40年史』、電気興業株式会社、1990年。
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kachoushi · 1 year
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各地句会報
花鳥誌 令和5年9月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年6月1日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
草取れば天と地しばし離される さとみ 沙羅咲きて山辺の寺の祈りかな 都 神官の白から白へ更衣 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月2日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
読み辛き崩し字祖父の夏見舞 宇太郎 滝飛沫祈りて石を積む人へ 栄子 担当医替る緊張なめくぢり 悦子 青葉木菟声を聞きしは一ト夜のみ 史子 黒を着て山法師てふ花の下 すみ子 砂丘拍動遅滞なく卯浪立つ 都
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月3日 零の会 坊城俊樹選 特選句
病院の跡へ南風の吹き抜ける 季凜 梅雨の石積むもののふの墓暗く はるか 十薬とは屍を小さく包む花 和子 もののふの山が鳴るなり青葉風 はるか いとけなき蜘蛛も浄土を知りつくし 順子 菩提寺は城を見上ぐや男梅雨 慶月 ナースらの谺を追うて枇杷熟るる 順子 階段をのぼるつま先街出水 小鳥 青梅雨のしづくすべてが弥陀のもの 光子 罠であり結界であり蜘蛛の糸 同
岡田順子選 特選句
墓守のアパート三棟蕗の雨 風頭 眼をうすく瞑る菩薩の単衣とも 俊樹 アトリエへ傾るる大樹枇杷たわわ 眞理子 真夜中の泰山木の花は鳥 いづみ 青梅雨のしづくすべてが弥陀のもの 光子 昼顔は雨の列車にゆらされて きみよ 行き先を告げよ泰山木咲けば 和子 夏菊や南無遍照と一家臣 慶月 梅雨出水過ぎて正気を歩きをり いづみ 青梅雨の真黒き句碑が街映す 小鳥
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月3日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
点ほどの人の生涯芝青し 朝子 青芝にまろぶフレンチブルドッグ たかし 海亀の孵化高精細の大画面 勝利 水郷の蛍のなかに嫁ぎゆく 孝子 子供の日クレーンは空へ置き去りに 久美子 特攻の話し聞く夜の蛍かな たかし 日輪は地球の裏に蛍の夜 睦子 青芝を犯す少年のスパイク 同 黴の中遺されしもの錆てゆく 美穂 舞ふものゝ影をも流し梅雨の川 かおり 袋ごと枇杷をもげよと檀太郎 睦子 亡き父のジャズ沁み込みし籐寝椅子 たかし  ハーレムの少年 青芝にいのちの次のスニーカー 修二
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月5日 花鳥さざれ会
少年の少女の昔あめんぼう 雪 ふる里の水の匂ひにあめんぼう 同 風みどり故山の空を吹きわたる かづを あめんぼう映れる雲に乗りゐたり 同 水馬水のゑくぼに乗り遊ぶ 泰 俊 名刹に雨を誘ふや水馬 同 売家札とれて漏るる灯蚊喰鳥 清 女 強かに生きて卒寿の髪洗ふ 同 緑陰に栄華の��室古りしまま 希 落武者の子孫が育て花菖蒲 千代子
………………………………………………………………
令和5年6月7日 立待俳句会 坊城俊樹選 特選句
紅薔薇や三國廓址の思案橋 世詩明 更衣恋に破れて捨てがたし 同 水芭蕉分水嶺の聖なる地 同 夏帽子振つて道草してゐる子 清女 鳴く顔が見たくて覗く蛙の田 同 読み終へし一書皐月の朝まだき 同 鋏手に赤き手袋バラ真赤 ただし 浦人の少年継げる仏舞 同 欲捨てて今日も元気蜆汁 輝一 紫の色をしまずや花蘇枋 同 一番星遠ち近ち蛙鳴きはじむ 洋子 手折りたる酸葉噛みつつ歌ひつつ 同 自転車を押してつつじの坂上る 誠 飛魚の羽ばたき飛べる船の旅 同 風薫る慶讃法要京の厨子 幸只
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月10日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
富士見えて多摩横山に風薫る 白陶 朽ちし色残し泰山木咲ける 秋尚 風薫るポニーテールの娘の声に 幸子 日々育つ杏とエール送り合ふ 恭子 夜も更けてたれが来たかと梅実落つ 幸子 余白には梅雨空映す年尾句碑 三無 記念樹の落ちし実梅も大切に 百合子 観音の指の先より風薫る 幸子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月12日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
浴衣着て父似母似の姉妹 清女 香水のひそかな滴人悼む 昭子 髪洗ふ心のしこり解くやうに みす枝 白鷺の孤高に凛と夏の川 清女 梅雨じめりしたる座敷に香を焚き 英美子 知らぬ間に仲直りして冷奴 昭子 夏場所や砂つかぶりに令婦人 清女 明易や只管打坐してより朝餉 同 蟇が啼く月夜の山に谺して 三四郎 白足袋の静かな運び仏舞 ただし 梅雨しとど鐘の音色も湿りたる みす枝 答へたくなきこともあり紫蘇をもむ 昭子 本題に触れず香水帰りゆく 同 水面にゑくぼ次次梅雨に入る みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月12日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
ためらはずどくだみ束ねバルコニー 和魚 釣堀の揺るる空見てゐるひと日 秋尚 何も手に付かぬひと日や五月雨るる 秋尚 どくだみの清潔な白映す句碑 三無 十薬の匂ひの勝る生家門 聰 どくだみの苞白々と闇に浮く 和魚 五月雨にふくらんでゐる山の湖 怜
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月13日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
目を染めて麦の秋へとなりにけり 光子 短夜の夢も短き目覚めかな 文子 子の植うる早苗の列の右曲がり 登美子 バースデーソングと夏至の雨響く 実加 羅の受付嬢はちよと年増 みえこ 色街の女を照らす梅雨の月 登美子 五月雨真青な傘を買ひにけり あけみ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月13日 萩花鳥会
車椅子頼りの暮し梅雨籠り 祐子 革ジャンに沁みた青春黴生ふる 健雄 玉ねぎの丸々太る五月晴 俊文 亡き夫の捨てられきれぬ黴ごろも ゆかり 雨蛙降り出す庭で鳴き交はす 恒雄 星々に瞬きかへし舞ふ螢 美惠子
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令和5年6月16日 さきたま花鳥句会
大胆に愚痴を透かして青暖簾 月惑 紫陽花や小走りに行く深帽子 八草 まな板も這ふらし夜のなめくじら 裕章 夕まぐれ菖蒲田の白消し忘れ 紀花 屋敷林青葉闇なる母屋かな 孝江 鐘供養梵鐘の文字踊りけり ふゆ子 漣の葉裏に返る新樹光 とし江 花手水薄暑の息をととのへり 康子 風薫るいまだ目覚めぬ眠り猫 みのり 花菖蒲雨に花びら少し垂れ 彩香 短夜や二日続けて妣の夢 静子 耳かきの小さな鈴の音初夏の夜 良江
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令和5年6月17日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
登山者が供華に挿し行く地蔵尊 やす香 蟬一つ鳴かぬ光秀忌を修す ただし 桃色の若き日の夢籐寝椅子 みす枝 村百戸梅雨のしとどに濡れそぼつ 同 空き箱に色褪せし文梅雨湿り やす香 西瓜買ふ水の重さの確かなり 同 薫風や見上ぐるだけの勅使門 真喜栄 そよぐには重たき鞠や濃紫陽花 同 花菖蒲咲かせ半農半漁村 千代子 日の暮れて障子明りに女影 世詩明 香水の女に勝てぬ男かな 同 早苗饗や上座に座る村の長 同 春深し遊び心の雲一つ 雪
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月18日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
蜻蛉生る山影ふかきむじな池 芙佐子 むじな池梅雨闇の棲むところかな 要 朝まだき甘き匂ひの蛍川 千種 田の隅の捨苗萎れゆく日差し 芙佐子 大方は夏草となる畑かな 秋尚 過疎村に農大生の田植笠 経彦 行き止る道に誘ふ夏の蝶 久 蚯蚓死すむじな池への岐れ道 千種 捩花の螺旋階段傾ぎをり 斉 道をしへ夜は蛍の思ひのまま 炳子 故郷の水田へ草矢打つやうに 要
栗林圭魚選 特選句
蜻蛉生る山影ふかきむじな池 芙佐子 六月の谷戸のすみずみ水の音 三無 蚯蚓死すむじな池への岐れ道 千種 虎尾草より風生まれをり流れをり 久 どんよりと新樹映して濁り池 要 源五郎さ走る田水光らせて 久子 桑の実や落ちては甘く土を染め 三無 万緑の中の水音澄みてをり ます江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月21日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
故里の百年の家花石榴 啓子 巣作りの青鷺歌ふ高らかに 千加江 母に詫び言はねばならぬ梅雨の入り 昭子 幹太くなりたる樹々の夏の午後 雪子 衣替へして胸に白すがすがし 同 梅雨の灯に猫の遺影と娘の遺影 清女 寝返りを打ちても一人梅雨の月 同 枇杷啜るこつんころりと種二つ 希子 女子高生混じる一人に黒日傘 数幸 観世音御ンみそなはす蛇の衣 雪 観音に六百年の山清水 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月22日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
あめんぼうてふ名に滑る他は無し 雪 九十二の更衣とはこんなもの 同 白鷺のいよいよ白き青田かな 同 蛇の衣こんな綺麗に脱がずとも 同 落椿描ける女人曼荼羅図 同 殉国の遺影と父の日を終へり 一涓 青春に戻りて妻と茱萸を捥ぐ 同 門川の闇を動かす蛍舞ふ みす枝 母の日の花は枯れても捨てきれず やすえ 一番星あちこち蛙鳴きはじむ 洋子 草矢打つ程の親しき仲でなし 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月25日 花鳥月例会 坊城俊樹選 特選句
紫陽花や伐らねば夜の重くなる 要 打水はインド料理の香をのせて はるか 炎帝の満を持したる神の池 要 炎天へ柏手打てば蹌踉ひし 順子 靖国は蒼くなりけりサングラス 緋路 雨蛙虫呑みてすぐ元の顔 裕章 サングラス胸にひつかけ登場す 光子 魂となる裸電球祭待つ はるか
岡田順子選 特選句
押し寄せる蓮のひとつに蓮の花 俊樹 紫陽花や伐らねば夜の重くなる 要 凡人てふ自由たふとし半夏生草 昌文 蓮���の沖に宮城あるといふ 光子 内堀の夏草刈られ街宣車 要 混ざり合ふ手水と汗の掌 緋路 祭の準備指揮をとる大鳥居 みもざ 水馬ふたつの天のあはひゆく 裕章
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年5月22日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
蛍狩り娘の掌のがれて星となる 世詩明 更衣恋の火種を残しけり 同 少年を仰いでをりぬ青蛙 昭子 うまいとも言つてくれぬが菜飯炊く 同 子よりまづ泳ぎ出したり鯉幟 一涓 夏暖簾廊下に作る風の道 紀代美 喉鳴らし母乳呑む児や若葉風 みす枝 目に見えぬものを脱ぎたり更衣 洋子 青鷺が抜き足差し足田を進む やすえ 一院のかつて尼寺白牡丹 雪 蝸牛角を突いてゐる女 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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ichinichi-okure · 1 year
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2023.6.9fri_tokyo
ノミ、ダニ共のうごめき
12日ほど前の夜、急に全身に強烈な痒みを感じ、ひとたまりもなくシャワーに駆け込んだ。尋常ではない刺激に鳥肌を立てつつ、とにかく一通りシャワーを済ませた。 シャワーを浴びつつ考えた。これはおそらくダニだろう。部屋が散らかっていたし、アパートは木造で古い。どこかでねずみでも出たか。 シャワールームから恐る恐る出て体を拭いた。慣れ親しんだはずのマイルームが、まるで居場所のないアウェイになってしまった。もうここは奴らの王国。おれは単なるでかいエサ。その晩、体の至る所から強めの刺激を受けながら、僕には寝る場所も居場所もなかった。 具体的に述べると、布団の上に正座して接地面積を減らしつつ、布団の上の奴らを見つけようとしていた。掃除機はかけた。だが絶望的なことに、PCのマウスにすら蠢く虫共がくっついていたのだ。それは知識を得るためにPCを起動しマウスを握ったところ、つぶつぶを手に感じて気づいた。こんな無機物の上にさえいるのなら、もう安心できるところは一つもない。布団の上をちょっと掃除機かけても、すぐに周りから集まってくるだろう。結局、疲労に負けて前後不覚になり2時間ほど眠ることができたが、新たな皮膚の赤い膨らみとともに痒みで起こされることとなった。 最初の3日間はうまく対策できず、睡眠不足と体の不快感は募る一方だった。 だが深夜に順々に布団類や、床に散らかした衣服をコインランドリーの乾燥機にかけ、少しずつ安全圏を拡大していった。シャワー後は全身に虫よけスプレーを噴射したが、完全に全身に行き渡らせるのは不可能なので、まるで耳なし芳一のような心持ちであった。元来僕はディート含有のこのような薬剤を体に吹きかけるのは嫌なのだが、それどころではない。これは奴らと僕の生存競争なのだから。だが体にまんべんなくスプレーしながら、ふと自分の体が自意識から自由になるのを感じた。今やこの空間は戦場で、行動には目的があり、手段を講じることにためらうような余裕はない。そのような状態に置かれることに少しの幸福を感じる。 奴らを屠るためにはどうすればいいか。僕は必死に考えた。虫を見つけると掃除機で吸おうとするのだが、奴は恐るべき忍耐強さを見せて衣類にへばりつく。本当に、なかなか取れない。だから、高温はいい作戦だった。寝る前に布団にアイロンをかけるという新たなアイディアによって、布団が大分安心度の高い場所となった。1週間ほど経ち、ほんの少し気が抜けるようになり(まだ体はあちこちフレッシュに痒かったが)噛み跡を数えたところ、200か所ほどになっていた。 奴らは他者を食いものにすることに、いささかの躊躇いもなかった。それはだが人間が動物たちを養殖し、捕獲し、食べていることと変わりがない。だが今回食われる側になってみて気づいたことは、自然界の生き物たちの惜しみのなさだ。野生の生き物たちは常に、今回僕が被った攻撃に自らを晒している。そうして途方もない時間を過ごしてきたのだ。何ということだろう。彼らにはノミから身を守る方法がないのだ。 結局、奴らの侵入手段は、アパートの駐輪場に伸びてきていた木の枝に、僕が毎回腕を触れてしまっていたところからであった。 知識、理解がいかに大事であるか。この事実に気づかないうちは、僕はランドリーで熱処理した衣服を持って家に入る時、お土産を運び続けていた。 身の回りをきれいにしよう。それは掃除だけの意味でなく、自分の考えやアイディアを妨げるようなあらゆる物事からもだ。自分がどう過ごすのがいいのか、納得して物事に取り掛かろう。今年はそういう年にしようと思う。
-プロフィール- 佐藤 慧 37歳 東京都国立市 サックスプレイヤー instagram: https://www.instagram.com/keisatte/ twitter: https://twitter.com/satokei_sax
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ykwathced · 4 months
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leenaevilin · 6 years
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[Pics] 舞台「妖怪アパートの幽雅な日常」(butai youkai apaato no yuuga na nichijou)
visuals update under the cut^^
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Maeyama Takahisa as Inaba Yuushi (稲葉夕士)
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Komatsu Junya as Mizuki Hase (長谷泉貴)
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Saeki Ryou as Ryuu-san (龍さん) 
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Tani Yoshiki as Isshiki Reimei (一色黎明)
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Sasaki Takao as Fukase Akira (深瀬明)
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Nakamura Yukari as Kuga Akine (久賀秋音)
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Aikawa Haruki as Satou-san (佐藤さん)
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Arai Yuu as Kuri (クリ)
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Inomata Rei as Kuri (クリ)
Muroi Hibiki as Takenaka (竹中) Ishii Hideaki as Hiroshi Ojisan (博伯父さん) Mawatari Aki as Keiko Obasan (恵子伯母さん) Nagata Sachi as Eriko (恵理子) Mitsui Satoshi as Special Dancer (スペシャル・ダンサー)
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Hosomi Daisuke as Kottouya (骨董屋)
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trinityt2j · 4 years
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ダ-ティ・松本 不健全マンガ家歴30年[-α]史 ●はじめに  この文章は同人誌「FUCK OFF!7」において書かれたものをベースにして逐次増補改定を加えていき、いずれ歴史の証言として、[というほど大袈裟なものでは無いが…]一冊の本にまとめたいという意図のもと、近年どんどん脳が劣化していくダ-松の覚え書きとしても使用の予定。事実関係は間違いに気付き次第 訂正。同人誌発表時のものも今回自粛配慮して、実名、エピソード等を削除した箇所有り。有り難い事に某出版社よりすでに出版打診があったがまだまだその時期ではない、マンガを描く事が苦痛になったら活字の方も気分転換にいいかも…。 /*マークは今後書き加える予定のメモと心得たし。 ●前史/修行時代・1970 さいとうプロの短くて濃い日々……  1968年に上京。数カ月後東京は戦場に。熱い季節の始まりだった。 2年後親元を飛び出し友人のアパートに転がり込む。場所は渋谷から井の頭線で駒場東大駅下車、徒歩5分。地図で見ると現在の駒場公園あたり。昼間でも裸電球を付けなければ真っ暗という馬小屋のような部屋。数メートル先には当時の建設大臣の豪邸が…。前を通りかかるだびに警備のおまわりがじろり。  いつまでも友人に迷惑もかけられないのでとりあえずア��スタントでも…と手元にあったマンガ誌をひっくり返し募集を探す。幸いさいとうプロと横山まさみち氏のところでアシ募集があり両方応募。どっちか一つ通れば…と思っていたら何と両方受かってしまい、双方に条件を聞く。当時高円寺 のアパート、風呂無し4畳半の部屋で相場12000円の時代。前者一ケ月の給料10000円、後者20000円との事。給料の方がボロアパートの家賃より安いとは…!どう考えても前者は食う方法がないと判断し、後者さいとうプロへ入社。  ここに居たのはたったの半年に過ぎないけれど今思えばこれだけで本が一冊描ける位の濃い半年だった。しかしこのあと2X年分も書かねばならないことを思えば今回はいくつかのエピソードを書くだけに留めよう。  ダー松が入った時は小池一夫氏[クビ?]、神田たけ志氏や神江里見氏、きしもとのり氏[現・松文館社長]等と入れ替わりの時で、きし氏の女遊びの凄さと神江氏の絵のうまさは伝説になっていた。現在「亀有」「ゴルゴ」が歴代単行本の巻数の多いベスト1、2位だが[ともに100巻を越えた]、3位は神江氏の「弐十手物語」[70巻以上]だという事は知ってる人は少ないだろう。  当時の制作部は、さいとうたかを[以下ゴリ]をトップに石川班[ゴルゴ13、影狩り]、甲良班[バロム1]、竹本班[シュガー、どぶ等]の3つに分かれ、それぞれのキャップにサブ・チーフが一人づついて、ヒラが2~6人いるというシステムで総16名。独立し現在も活躍中の叶精作、小山ゆう、やまさき拓味の3名がそれぞれの班のサブ・チーフ。ダー松は石川班で左右1メートル以内に叶氏とゴリにはさまれ、のんびり出来ない状態で、はなはだ窮屈。叶氏はほとんどマンガ家になりたいとも思った事のなかった人で、設計事務所みたいなところで図面を引いていた人がなぜマンガプロダクションに来たのか不思議だった。格別マンガ好きというわけでもなかったせいか現在まで全ての作品が原作もので、オリジナルは一本もないのはそのせい?祭りなどの人がうじゃうじゃ出てくる群集場面が得意。 やまさき氏は大の競馬好き、現在競馬マンガを多く描くのは当時からの趣味が生きたというべきか。もう一つの趣味である風俗についてはここでは書くのは差し控えよう。小山氏は後日ここの事務の女性と結婚するが、当時はつき合っているとは誰も知らず、スタッフの一人がやめる時その女性に交際を申し込んだら、茶店に呼び出されて小山氏からと凄まれたと聞いたが嘘か本当かは不明。  ここでの生活は新入り[ダー松を含めて3名]は朝の9時前に会社に行き、タイムカードを押し、前日のごみをひとまとめして外に出し、トイレ掃除をして、16人分のお茶を2Fで入れて制作部のある3Fへの狭い階段をふらふら昇り、机ごとに置いて歩き、終れば、一息ついて買っておいたパンと牛乳を3分で食べて、やっとそれから仕事。しかし新入りの3名の内1人折茂は常に遅刻なのでいつも佐藤と2人でやっていた。佐藤も遅れる時はダー松1人で。辞めてから10年位、16人分のお茶を持って階段をふらふら歩きお盆をひっくり返す夢をよく見たものだが、実際ひっくり返したのは折茂と佐藤の2人で、よく茶碗を割っていた。 たまには夕方6時には帰れるが、普通は夜10時までで、アパートに帰って銭湯に行けばもう明日にそなえて寝る時刻、このくり返しの日々。週1日は徹夜で明け方に帰り、その時は当日の昼12時出勤。休日は日曜日のみで忙しい時はそれも取り消し。つまり休みは月3日。[これで給料2万円!]そんな日々の繰り返し。  夕方までは皆和気あいあいと仕事していたが、ゴリが夕方6時頃に「おはようさん」と現れると、全員無駄口がたたけなくなり、仕事場はシーンと静まり返り、以下その日が終わるまでは疲れる時間がただひたすら流れるのみ。 当時石川班は「ゴルゴ13」と「影狩り」を描いていたがゴリは主人公の顔と擬音のみ。マジックで最後に入れる擬音はさすがに入れる位置がうまいと感心。ゴルゴの顔はアルバムに大小取り混ぜてコピーがとってあり、忙しい時は叶氏がピンセットで身体に合わせて「これが合うかな~」といった感じで貼り付けていた。  その頃すでに「ゴルゴ」は近々終わると噂されていたが、現在もまだ続いているとは感嘆ものだ。 ゴリと石川氏が「ゴルゴ」の最終回の終わり方を話しているのを聞いたら、何ともつまらない終わり方。しかしあれから20年以上も経つ事だし、きっともっといい終わり方を考えてあるだろうなと思っていたら、先日TVで本人が最初から考えてある終わり方だと言うのを聞き、がっくり。企業秘密だろうから書かないが、作品の最初の方に伏線が数度出ているのでわかる人にはすぐわかる筈。  辞めた小池一夫氏とさいとうプロに何があったかは知らないが、漏れ聞く話では結構もめ事があったみたいだ。 「子連れ狼」で「ゴルゴ13」と同じ設定の回があった時、「小池のガキャー訴えたるー!」とゴリが吠えていたものだが、結局たち消え。さいとうプロ作品で脚本を書いた本人が辞めた後、他の作品で同趣向の作品を書いても著作権は脚本を書いた原作者のものだと思うがどんなものだろう。その回のタイトルは忘れたが、ある場所に居合わせた人々が武器を持った集団の人質となり、その中に素人だと思われていた主人公、実は殺しのプロフェッショナルがいて、次々とその集団を殺していく、といったプロットで、ミッキー・スピレーンの短編に同じような作品があり、本当に訴えていたら恥をかいたと思うが・・・。  そういえば事務の方には山本又一郎という男がいたが、後年映画プロデューサーとして 「ベル薔薇」や「太陽を盗んだ男」等を創る事になるが、この野郎が生意気な男で当時皆に対して10歳は年上、といった感じの振る舞いだったが後日俺と一つしか年が離れてなかった事を知り、そんな若造だったとは、と皆怒ったものだ。以来奴の事を「マタさん」から「クソマタ」と呼ぶようになる。  さて半年後に先輩たちが積もり積もった不満を爆発させる反乱事件が勃発し、2年は居るつもりでいたここでの生活も、辞めるか残るかの選択を迫られる。残ればさいとうプロの現体制を認める事となるので、ダー松も退社。 しかし反乱グループとは別行動をとって一人だけの肉体労働のアルバイター生活へ突入。超ヘビーな労働の製氷工場、人使いの荒い印刷所、命綱もない高所の足場で働く建設現場等々。トラックの助手をしていた時は運ちゃんが「本宮ひろしって知ってるか?うちの息子の友達でさぁ、昔、おっちゃんメシ食わしてくれーなんて言ってきたもんだが、今は偉くなっちゃってさー、自分のビル建てたらしいよ。赤木圭一郎みたいにいい男なんだ。」とうれしそうに話してくれたが、運ちゃんには悪いがそいつは今も昔も一番嫌いなマンガ家なんだ。あの権力志向はどうにかならんか。天下を取る話ばかりだもんなぁ。  と���ろで後日、単行本の解説で高取英が「さいとうたかをのヤローぶっ殺してやる!」とダー松が言ったなどと書いているが、小生はそんな危ない事言った覚えはないのでここできっちり訂正しておきます。 「会社に火ィつけてやる!」位は言ったかも・・・[嘘] 。 悪口は言っても別に怨みなど無い。ところでアシスタントとしてのダー松は無遅刻、無欠勤以外は無能なアシだったと反省しきり。理想的なアシスタントとはどんなものか、それはまた別の機会に。 *入社試験はどんな事を? *さいとうプロには当時ほとんどろくな資料は無かった? *ハイジャックの回の飛行機内部の絵は、映画「大空港」を社内カメラマンが映画館で写してきたものをもとに描く。 *当時のトーンは印刷が裏面にしてあり上からカッターでけずったり出来ない。 *トーンの種類は網トーンが数種、それ以外はほんの3、4種類位しかなかった。 *仕事中のB.G.M.はアシの一人が加山雄三ばかりかけるので大ひんしゅく。好評だったのは広沢虎造の浪曲「次郎長三国志」、初代桂春団次の落語。眠気もふっとぶ位笑えた。 ダ-松が岡林信康の「見る前に跳べ」をかけてるとゴリは「何じゃー!この歌は!」と怒る。名曲「私たちの望むものは」はこの男には理解不能。 ●1 9 7 1 ~ 1 9 7 4  持 ち 込 み & 実 話 雑 誌 時 代    当時は青年劇画誌全盛時代で、もともと望月三起也氏や園田光慶氏のファンで活劇志向が強く、 主にアクションもののマンガを描いて持ち込みに行っていた。今のようにマンガ雑誌が溢れかえって、山のようにマンガ出版社がある時代ではなく、数社廻るともう行くところがない、という状態で大手では「ビッグコミック」があっただけで 「モーニング」も「スピリッツ」も「ヤン・ジャン」も当然まだない。テーマを盛り込んだ作品を持って行くと編集から「君ィ、うちは商売でやっているんだからねぇ」と言われ、アクションに徹した作品を持って行くと「君ぃ、ただおもしろいだけじゃあねぇ」と言われ 「おい、おっさん!どっちなんだ?」とむかつく事多し。この辺の事は山のように書く事があるが、有りすぎるのでパス。 *そのうち書く事にする。  ただ金属バットで頭をカチ割って脳みそをぶちまけてやりたいような奴が何人もいたのは事実。今年[’97]「モーニング」に持ち込みに行って、断られた奴が何万回もいやがらせの電話をかけて逮捕された事件があったが、そのうちトカレフを持って殴り込みに行く奴が出てくるとおもしろい。出版社も武装して大銃撃戦だぁ!などと馬鹿な事書いてどうする!とにかく持ち込みにはいい思い出が何もない。そんな中、数本だけ載った作品は渡哲也の映画「無頼」シリーズの人斬り五郎みたいな主人公がドスで斬り合う現代やくざもの[この頃の渡哲也は最高!]、ドン・シーゲルの「殺人者たち」みたいな二人組の殺し屋を主人公にした『汚れたジャングル』、陽水の「傘がない」が好きだという編集さんの出したテーマで車泥棒とブラックパンサーの闘士とのロード・ムービー風『グッバイ・ブラザー』、拳銃セールスマンを主人公にした『ザ・セールスマン』、等々10本ちょい位。  さてその頃並行してまだエロマンガ専門誌といえるようなものがなかったような時代で、実話雑誌という写真と記事ページからなる雑誌に4~10ページ位を雑誌の味付けとして描かせてもらう。当時、お手本になるようなエロマンガなど皆無で、エロ写真雑誌を古本屋で買ってきてからみのポーズを模写。マンガで裸を描く事はほとんど初めてで、これがなかなか難しいのだがエロシーンを描くのは結構楽しい。当時出版社に原稿持って行き帰りにグラフ誌をどっともらって帰るのが楽しみだった。SM雑誌の写真ページも参考になる。なお当時のペンネームは編集部が適当につけた池田達彦、上高地源太[この名前はいけてます。また使いたい]等。その数年後、逆にマンガが主で記事が味付けというエロマンガ誌が続々と創刊される。 *さいとうプロをやめたあと編集や知人に頼まれて数人のマンガ家の所へ手伝いに行く。秋田書店「漫画ホット」で『ジェノサイド』を連載中の峰岸とおる氏の所へ行き、仕事が終わったあとまだ売れてない頃の榊まさる氏も交え酒を飲む/川崎のぼる大先生のところへ数日だけ/3000円たこ部屋/小山ゆうオリオンププロ *当時のアルバイトは記憶によると時給150~200円位/大日本印刷市ヶ谷駐屯地/坂/ *一食100円/どんなに貧しい漫画家もみかん箱の上で書くやつはいない/TV萩原サムデイ *ろくでなし編集者 ●1 9 7 5 ~ エ ロ マ ン  ガ 誌 時 代 に 突 入   実話誌は意外とエロは抑え目で描くように口すっぱく言われていたのだが、以前活劇っぽい作品を描かせてもらってたが潰れてしまった出版社にいた児島さんが編集する「漫画ダイナマイト」で打合せも何にもなしに好きに描かせてもらい、ここでエロマンガ家としての才能[?]が開花する。描いてて実に楽しく眠る時間がもったいない位で、人に睡眠時間が必要な事を恨んだ程。出来る事なら一日中休まず描いていたい気分で完全にはまってしまう。  初の連載作品「屠殺人シリーズ」はこの頃から/『漫画ポポ』。中島史雄氏は大学時代にこの作品を見ていたとの事で、トレンチコートにドクター・ペッパー模様のサイレンサーつきマグナム銃で遊戯人・竜崎一也が犯しまくり殺しまくり、サディスト、マゾヒスト、殺人狂、まともな奴が一人も出てこない性と暴力の祭典。ちなみにタイトルページは描かないでいい、との事でどうするのかと思っていたら編集部が中のワンカットを拡大してタイトルページを創り、1ページぶんの原稿料をけちるというせこいやり方だった。けちるといえば、原稿の1/3にCMを入れる際、原稿料を1/3削った会社もあり。 ●1 9 7 6 ~   後に発禁仲間となる高取英と出逢い、『長編コミック劇場』で「ウルフガイ」みたいのをやろうと、怒りに震えると黒豹に変身してしまう異常体質の主人公を設定し、獣姦のイメージで「性猟鬼」なるエロマンガをスタート!しかしその号で雑誌が潰れる。この路線は今でもいけそうな気がするがどんなものだろう。  この頃の珍品に「快楽痴態公園」がある。タイガースに11-0とワンサイドで打ちまくられ、怒ったジャイアンツファンのおっさんが公園でデート中の女をずこずこに犯りまくり、その間にジャイアンツは9回裏に12-11とゲームをひっくり返してしまうのである!その時のジャイアンツの監督はもちろんミスター長嶋、先発堀内、打者は柴田、土井、高田、王、張本等々がいる。タイガース監督は吉田、ピッチャー江本、キャッチャーフライを落球する田淵、そしてあの川藤もいる。解説は牧野…… ●1 9 7 7 ~   上記2作品を含む初の単行本「肉の奴隷人形」が久保書店より発行。後にリングスの会場で逢った佐竹雅昭氏はこの本が一番好きとの事だった。  「闇の淫虐師」もこの年スタート。一話完結でバレリーナ、バトンガール等々、毎回いろんな女たちをダッチワイフのごとくいたぶりまくるフェチマンガとして1979年まで続け、単行本は「堕天使女王」「裂かれた花嫁」「エロスの狂宴」「陶酔への誘い」「終りなき闇の宴」の全5巻。ちなみに今年「闇の淫虐師’97」を『コミック・ピクシィ』にて発表。いつか『闇の淫虐師・ベスト選集』でも出したいところ。 [’98に実現、’99には続刊が出る] ●1 9 7 8 ~   久保書店より第2弾の単行本「狂った微惑人形」。収録作品の「犯された白鳥」は持ち込み時代に描いた初のバレリーナもの。結構気に入っていた作品なのに、後年再録の際、印刷所の掃除のおばさんが捨ててしまい、この世にもはや存在しない不幸な子となる。[’99に宝島スピード・ブックに本より直接スキャンして収録]  エロ、グロ、ナンセンスの会心作「恍惚下着専科」を発表。サン出版より同名の単行本発行。また同出版より「コミック・ペット/堕天使画集」として今までの作品を続々単行本化。全10巻位。これは今でも古本屋で流通しているとの事で、まだまだ世間様のお役にたっているらしい。  この年、「堕天使たちの狂宴」を描いていた『漫画エロジェニカ』が発禁処分、来年でもう20年目となる事だし、当時の人たちと集まってその大放談を収録し「発禁20周年特集号」でも創ってみようかと計画中。さて当時の秘話としてもう時効だろうから書いてみるけど、前述の『堕天使画集』に「堕天使たちの狂宴」は収録される事となり、当然修正をガンガン入れて出版されるものと覚悟していたら、米国から帰国後出来上がった本を見ると発禁になった状態のまま再録されている!以下桜木編集長との会話 ダ/いや~、いい度胸してますね。 編/だって修正してあるじゃない。 ダ/その修正状態で発禁になったんですよ 編/・・・・・ ダ/・・・・ 以下どんな会話が続いたのか失念…… それにしてもサドの「悪徳の栄え」の翻訳本は発禁後20年以上して復刻されたけれど、「堕天使たちの狂宴」は半年もしない内に単行本になっていたとはエロ本業界とは何といいかげんな世界!しかし作品そのものは、今見るとリメイクする気にもならないどうという事もない可愛い作品で、結局あれもあの時代の姑息な政治のひとかけらに過ぎなかったのだろう。いい点があるとしたら一つだけ、それまでのエロマンガになかった瞳パッチリの少女マンガ的ヒロインを登場させた事位か。今の美少女エロマンガは本家の少女マンガもかくや!という位眼が大きいが当時としては画期的だったかも。 ●1 9 7 9 ~   この年の「淫花蝶の舞踏」は「堕天使たちの狂宴」よりずっといい/『漫画ソフト』。今年出た「別冊宝島/日本一のマンガを探せ!」でベスト2000のマンガがセレクトされているが、ダー松の作品の中ではこの作品が選ばれている。教師と生徒、二人の女たちが様々な男たちの手によってに次々ともてあそばれ、闇の世界を転々として再び巡り会う時、女たちは蝶と化し水平線の彼方に飛び去り、男たちは殺し合い血の海の中で屍と化す。ダー松作品にはこのように男根が女陰の海に飲み込まれてに負けるパターンが多い。[性狩人、遊戯の森の妖精、美少女たちの宴、人魚のたわむれ・・等々]  この年からスタートの「性狩人たち」シリーズ[劇画悦楽号]はバレエ、バイオレンス、SEXの三要素がうまくからみあい、それぞれが頂点まで達する幸福な神話的作品だ。ここから派生した路線も多く、美少年路線は’83の「聖少女黙示録」へ。身体障害者路線は’80の「遊戯の森の妖精」、’84からの「美姉妹肉煉獄」へと繋がる。’81の最終話「ハルマゲドンの戦い」ではせりふなしで24ページ全てが大殺戮シーンという回もあり、中でも一度やりたかった見開きで銃撃戦の擬音のみという事も実現。こんな事がエロマンガ誌で許される時代だった。ちなみにこの回は[OKコラルの決闘・100周年記念]だが、何の意味もない。単行本は最初サン出版より、その後久保書店より「白鳥の飛翔」「少女飼育篇」「ヘラクレスを撃て!」「眼球愛」「海の女神」の全5刊。現在入手出来るのは後の3刊のみ。[「海の女神」も最近在庫切れ]  この年出た「人魚のたわむれ」の表題作は性器に{たこ}を挿入するカットを見た編集長が「・・・[沈黙]・・・頭おかしいんじゃ・・ブツブツ・・気違い・・・ブツブツ・・・」と呆れてつぶやいていたのを記憶している。たこソーニューは今年出た「夜顔武闘伝」で久しぶりに再現。なおこの作品は’83にマンガと実写を噛み合せたビデオの珍品となる。水中スローモーションファックがなかなかよい。 ●1 9 8 0 ~   なぜか「JUNE」の増刊として作品集「美少女たちの宴」がサン出版より出版され、その短編集をもとに脚本化し日活で映画が創られる事となる。[「花の応援団」を当てたこの映画の企画者・成田氏は日活退社後「桜の園」等を創る。]その際、初めて映画撮影所を見学し、せこいセットがスクリーン上ではきちんとした絵になってるのを見て映画のマジックに感心。タイトルはなぜか「性狩人」で、’96にビデオ化された。監督・池田敏春のデビュー第2作となり現在までコンスタントに作品を発表しているが、出来のいい作品も多いのになぜか代表作がない。初期の「人魚伝説」が一番いいか。  この映画に合わせて「美少女たちの宴」を2~3回のつもりで「漫画ラブラブ」で描き出すがどんどん話がふくらみ、おまけに描いてる出版社が潰れたり、雑誌が潰れたりで雑誌を転々とし条例による警告の嵐がきた「漫画大飯店」を経て、「漫画ハンター」誌上で完結したのは’83になる。この作品でクリトリスを手術してペニスのように巨大化させるという人体改造ものを初めて描く。  この年の「遊戯の森の妖精」は身体障害者いじめ鬼畜路線の第2弾!森の中の別荘に乱入したろくでなしの二人組が精薄の少女の両親達を虐殺し、暴行の限りをつくすむちゃくちゃな作品で、雷鳴の中、少女の性器に男達のペニスが2本同時に挿入されるシーンは圧巻!しかしこのとんでもない男達も少女の性のエネルギーに飲み込まれ、朽ち果���ていく・・・。 ●1 9 8 1 ~   美少女マンガ誌のはしり「レモン・ピープル」誌創刊。そこで描いたのが「白鳥の湖」。虚構の世界のヒロインを犯すというコンセプトは、アニメやゲームのヒロインをずこずこにするという今の同人誌のコンセプトと同じかも。バレエ「白鳥の湖」において悪魔に捕われたオデット姫が白鳥の姿に変えられる前に何にもされてない筈がないというモチーフにより生まれたこの作品は、悪魔に男根を植えつけられたヒロインが命じられるままに次々と妖精を犯して歩き悪魔の娘となるまでを描くが、あまり成功したとは言えない。ただ人形サイズの妖精をしゃぶりまくり淫核で犯すアイデアは他に「少女破壊幻想」で一回やっただけなのでそろそろもう一度やってみたいところ。「ダーティ松本の白雪姫」はその逆をいき、犯す方を小さくした作品で7人の小人が白雪姫の性器の中にはいり、しゃぶったり、処女膜を食べたり、と乱暴狼藉![ちなみに両者をでかくしたのが同人誌「FUCK YOU!3」の「ゴジラVSジュピター」]この童話シリーズは意外と好評で続いて「ダーティ松本の赤い靴」を上記の単行本に描き下ろして収録。童話は結構残酷なものが多く、この作品も切られた足だけが荒野を踊りながら去って行くラストは原作通り。 *近年童話ブームだがこの頃もっと描いておけば「こんなに危ない童話」として刊行出来たのにとくやまれる。 「2001年快楽の旅」もこの本に収録。快楽マシーンを逆にレイプしてしまう、珍しく映画「2001年宇宙の旅」風のSF作品。  掲載誌を決めずに出来る限り多くのマンガ誌で描こうというコンセプトで始めたのがこの年スタートした「怪人サドラン博士」シリーズ。「不死蝶」シリーズや「美少女たちの宴」シリーズの中にも乱入し、「漫画ハンター」最終号では地球をぶっ壊して[その際地球は絶頂の喘ぎ声をあげ昇天する!]他の惑星へ行ってしまう。今のところ10誌位に登場。いつかこのサドラン・シリーズだけ集めて単行本化したいところ。ちなみに「サド」と「乱歩」を足して「サドラン博士」と命名。作者の分身と言っていい。 [後年、「魔界の怪人」として全作品を収録して刊行、04年現在品切れ中]  この年描いて’82の単行本『妖精たちの宴』に収録の「とけていく・・」はレズの女たちが愛戯の果てに、肉体が溶けて一匹の軟体動物と化す、タイトルも内容も奇妙な作品。作者の頭もとけていた? ●1 9 8 2 ~ 1 9 8 3   ’83年に「美少女たちの宴」が完結。全てが無に帰すラストのページは真っ白のままで、このページの原稿料はいりません、と言ったにもかかわらず払ってくれた久保書店、偉い![明文社やCM頁の稿料を削った出版社=某少年画報社なら払わなかっただろうな……と思われる……]この作品以外は短編が多く、加速度をつけてのっていく描き方が得意のダー松としてはのりの悪い時期に突入。また10年近く走ってきてだれてきた頃でもあり第一次落ち込み期と言っていい。マンガがスタンプを押すように描けないものか、などとふとどきな考えまで湧いてくる。思えば一本の作品には、いったい何本の線を引いて出来上がっているものなのか。数えた馬鹿はいないだろうが数千本は引いている筈。一ヵ月に何万本とペンで線を引く日々・・うんざりする筈です。  この頃のめぼしい短編をいくつか書くと、少女マンガ家の家に税務調査にきた税務署員が過小申告をネタにねちねちいたぶるが、アシスタントに発見された署員は撲殺される。そして板橋税務署は焼き討ちにあう、といった作品「[タイトル失念]xx税務調査」。[後日読者よりこのタイトルを「色欲ダニ野郎」と教えていただく。ひどいタイトル *編集者のつけるタイトルはその人のセンスが実によくわかる。しかしサイテ-の題だなこりゃ…。 果てるまで「おまんこして!」と言わせながら処女をやりまくる「美処女/犯す!」はラスト、狂った少女が歩行者天国の通行人を撃ちまくり血の海にする。「嬲る!」はパンチドランカーとなった矢吹ジョーが白木葉子をサンドバッグに縛りつけ、殴って、殴って、殴りまくる。段平おっちゃんの最後のセリフ「・・ブスブスくすぶっちゃいるが・・・」「打てッ!打つんだ!ジョー!」「お前はまだ燃えつきちゃいねえ!」とはエロ・ドランカーの自分自身に向けて発した言葉だったのかも。トビー・フーパーばりの「淫魔のはらわた」は電気ドリルでアナルを広げてのファック!とどめにチェーンソーで尻を切断!いまだに単行本に収録出来ず。[’98の「絶頂伝説」にやっと収録]「からみあい」は夫の愛人の性器を噛みちぎる。「危険な関係」はアルコール浣腸をして火をつけ尻から火を吹かせる。この手は『FUCK YOU!2』の「セーラー・ハルマゲドン」で復元。そういえばこの作品の序章と終章だけ描いて、間の100章位をとばすやりかたはこの頃の「禁断の性獣」より。女性器にとりつき、男性器に変身するエイリアンの侵略により地球は女性器を失い滅亡する、といったストーリーで当時聞いた話では谷山浩子のD.J.でこの作品がリスナーの投書でとりあげられ、ダー松の名はダーティ・杉本と読まれたそうな。ヒロインの少女がひろ子という名前なのでこのハガキが選ばれたのかもしれないが、作者は薬師丸ひろ子からとったつもりだったのだが・・。[別にファンではない。] 「女教師狩り」は映画館で観客に犯される女教師とスクリーン上の同名のエロ映画の二本が同時進行し、一本で二本分楽しめるお得な作品。 ’83は’80に「漫画エロス」にて描いた「エロスの乱反射」の最終回の原稿が紛失したため単行本が出せないでいたのを、またまた「仏の久保さん」に頼んでラスト近くをふくらませて「漫画ハンター」に3回程描かせてもらい、やっと’85に出版。見られる事に快感を覚えるファッション・モデルが調教される内に、次第に露出狂となっていき、街中で突然裸になって交通事故を起こさせたり、最後はビルの屋上でストリップショー。そしてカメラのフラッシュの中に飛び降りていき、ラスト1ページはその性器のアップでエンド!  本格美少年・ゲイ・マンガ「聖少女黙示録」も’83。レズの姉たちの手によって女装に目覚めた少年がホモのダンサーたちに縛られなぶられ初のポコチンこすり合いの射精シーン。そして性転換して女となった主いるが、その中の’84の「白い肌の湖」はタイトルで解る通りのバレリーナものだがポコチンを焼かれた男が、一緒に暮ら人公が手術で男になった少女と暮らすハッピーエンド。この作品は単行本「美少女ハンター」に収録されてす二人の女と一人の男に復讐するエンディングがすごい!まず男の性器を切り取り、片方の女の性器にねじ込んだあと、その女の性器ごとえぐり取る。そしてその二つの性器をつかんだまま、もう一人の女の性器にフィストファック!のあげく、その二つの性器を入れたままの女性器をナイフでまた切って、ほとんどビックマック状態でまだヒクヒクうごめく血まみれの三つの性器を握りしめるとんでもない終り方!全くダー松はこんな事ばかりやっていたのかとあきれかえる。もう鬼畜としか言い様がない!しかし「ウィンナー」を二枚の「ハム」で包むなんて・・GOODなアイデアだ、又やってみよう。 ●1 9 8 4 ~   「漫画ハンター」で「闇の宴」前後篇を描き、後日これをビデオ化。雪に包まれた六本木のスタジオで痔に苦しみながらの撮影。特別出演として中島史雄氏が絶妙の指使い、東デの学生時代の萩原一至が二役、取材に来たJITAN氏もスタジオに入ってきた瞬間、即出演で生玉子1000個の海で大乱交。カメラマンが凝り性で照明が気に入るまでカメラを廻さず、たった二日の撮影はやりたい事の半分も出来ず。撮影が終ると痔はすぐに完治。どうもプレッシャーからくる神経性だったみたいでこれに懲りてビデオは一本のみ。 この年の「肉の漂流」は親子丼もので、近所の書店のオヤジからこの本はよく売れたと聞いたが、一時よく描いたこのパターンは最近では「FUCK YOU!3」の「母娘シャワー」のみ。熟女と少女の両方が描けるところが利点。「血の舞踏」は久しぶりの吸血鬼もの。股間を針で刺し、噛んで血を吸うシーン等々いい場面はあるが、うまくストーリーが転がらず3回で止める。短編「果てるまで・・」は核戦争後のシェルターの中で、父が娘とタイトル通り果てるまでやりまくる話。被爆していた父が死んだ後、娘はSEXの相手を捜して黒い雨の中をさまよう。  またリサ・ライオンの写真集を見て筋肉美に目覚め、マッチョ女ものをこの頃から描き出す。しかしなかなか筋肉をエロティックに描くのは難しい。 ●1 9 8 5 ~   くたびれ果ててすっかりダレてきたこの頃、8年間働いてくれたアシスタント女史に代わってパワーのかたまり萩原一至、鶴田洋久等が東京デザイナー学院卒業後加わってダーティ・マーケットも第2期に突入!新旧取り混ぜておもしろいマンガをいろいろ教えて貰って読みまくる。「バリバリ伝説」「ビーバップハイスクール」「ペリカンロード」「めぞん一刻」「わたしは真悟」「Be Free!」「緑山高校」「日出処の天子」「吉祥天女」「純情クレイジー・フルーツ」「アクター」「北斗の拳」「炎の転校生」「アイドルをさがせ」「綿の国星」「いつもポケットにショパン」「バツ&テリー」「六三四の剣」永井豪の絶頂期の作品「バイオレンス・ジャック」「凄之王」「デビルマン」等々100冊以上とても書ききれない位で、う~ん・・マンガってこんなにおもしろかったのか、と感動! そこで眠狂四郎を学園にほうり込んで、今まであまり描かなかった学園マンガをエロマンガに、というコンセプトで始めたのが「斬姦狂死郎」。「六三四の剣」ばりに単行本20巻を目指すものの、少年マンガのノリは今では当たり前だが、当時はまだエロマンガとして評価されず、ほんの少し時代が早すぎたかも。’86に中断、今年’97に「ホリディ・コミック」にて復活!果たしていつまで続けられるか? →後に「斬姦狂死郎・制服狩り」、「斬姦狂死郎・美教師狩り」として刊行完結  前年末から始めた「美姉妹肉煉獄」は身障者いじめの鬼畜路線。盲目の姉とその妹を調教して性風俗店等で働かせ、娼婦に堕していく不健全・不道徳な作品で、肉の快楽にひたっていく盲目の姉に対し妹も「春琴抄」の如く己の眼を突き、自らも暗黒の快楽の世界にはいり、快楽の光に目覚めるラスト。 また、これからは女王様物だ!となぜか突然ひらめき「筋肉女」シリーズの延長としてフィットネス・スタジオを舞台に「メタル・クイーン」シリーズも開始。これは単行本2冊分描いたが、連載途中でヒロインの髪型を歌手ステファニーのヘア・スタイルにチェンジしたり、レオタードもたっぷり描けてわりと気に入っている。  10年近く描いた「美蝶」先生シリーズもこの年スタート!こうしてみるとマンガを描く喜びに満ちた大充実の年だったかも。 ●1 9 8 6 ~   この年は前年からの連載ものがほとんどだが、「エレクト・ボーイ」は空中でファックするシーンが描いてみたくて始めた初の超能力エロマンガ。コメディ的要素がうまくいかず2回で止める。この路線は翌年の「堕天使輪舞」で開花。  「夜の彷徨人」は自分の育てた新体操選手が怪我で選手生命を失ったため、その女を馬肉のごとく娼婦として夜の世界に売り渡した主人公という設定。しかし腕を折られ、女にも逆に捨てられ、そして事故によってその女を失ったあげく不能となってしまう。失った快楽を取り戻すため無くした片腕にバイブレーターを取りつけ、夜の街をさすらい次々と女たちをレイプしていくというストーリー。がっちり設定したキャラだったのにまったく話がはずまず、男のポコチンは勃起しないままに作品も不発のまま終る。  「斬姦狂死郎」が不本意のまま終わったため学園エロス・シリーズは「放課後の媚娼女」へと引き継がれる。当時見ていた南野陽子のTV「スケバン刑事・」とS・レオーネの「ウエスタン」風に料理。ラストの「男といっしょじゃ歩けないんだ」のセリフは一番好きな映画、鈴木清順の「東京流れ者」からのもじり。単行本は最初司書房から出て、数年後ミリオン出版から再販、そして’97久保書店より再々販ながら結構売れて今年また再版。この作品は親を助けてくれる有難い孝行���子といったところ。 ●1 9 8 7 ~   さいとうプロOBで那珂川尚という名のマンガ家だった友人の津田が「漫画ダイナマイト」の編集者になっていて、実に久しぶりに同誌で「堕天使輪舞」を描く。超能力エロマンガの第2弾。今回はエロと超能力合戦とがうまくミックスされ一応成功といっていい。この路線は「エレクト・ボーイ」とこの作品、そして’96の「夜顔武闘伝」も含めてもいいかも。一時、この手の作品は数多くあったが最近はめったに見かけない。しかし、まだまだこの路線には鉱脈が眠っているとにらんでいるがどんなものだろう。 ●1 9 8 8 ~   「放課後の媚娼女」に続いて抜かずの凶一無頼控え「放課後の熱い祭り」を2年がかりで描く。’89に完結し司書房より単行本化。そして今年’97に改定してめでたく完全版として���刊!この頃が一番劇画っぽい絵で、たった2~3人のスタッフでよくこれだけ描き込めたなと改めて感心!エロシーンがちょっと少なめながら中島史雄氏がダー松作品でこの作品が一番好き、とお褒めの言葉を頂戴する。  TVで三流アマゾネス映画を見ている内、むくむくとイメージがふくらみ、昔から描きたかった西部劇と時代劇がこれで描けると、この年スタートさせたのが「不死蝶伝説」なるアマゾネス路線。昔々青年誌の創世期にあのケン月影氏がマカロニ・ウエスタンを描いていたことを知る人は少ないだろう。俺もあの頃デビューしていたらウエスタンが描けたのに、と思う事もあったが、このシリーズでほんの少しだけその願望がかなう。  この頃、アシスタントやってくれてた格闘技マニアの鶴田洋久に誘われ、近所の空手道場通いの日々。若い頃修行のため新宿でやくざに喧嘩を売って歩いたという寺内師範は、もう鬼のような人で、行けば地獄が待っていると判っててなぜ行く?と不思議な位休まず通う。体育会系はマゾの世界と知る。組手は寸止めではなく顔面以外は当てて可だったので身体中打撲のあざだらけ、ビデオで研究したという鶴田の体重をかけたムエタイ式の蹴りをくらい、右手が饅頭のように腫れ上がる。先輩たちの組手の試合も蹴りがもろにはいってあばら骨が折れたりで、なぜこんなヘビーな事をする?と思うが、闘う事によって身体の奥から何か沸き上がってくるものがある。スリランカの元コマンドと組手をやった時、格闘家の気持ちが少しだけ判るようになった。 ●1 9 8 9 ~   ’94まで続く「美蝶」シリーズでこの年は『ノスフェラトウ篇』を描き、シリーズ中これが一番のお気に入り。同人誌の「王夢」はこれが原点。  短編では「悪夢の中へ」はスプラッタ・エロマンガで久しぶりにチェーンソゥでお尻のぶった切り!はらわた引きずり出し、人肉食いちぎり!顔面叩き割り等々でラストに「ホラービデオの規制をするバカは俺が許さん!」などと書いているので、この年が宮崎事件の年か?世間は彼が日野日出志・作のホラービデオ「ギニーピッグ」を見てあの犯罪をおかした、としてさんざんホラービデオの規制をやっといて、結局見てもいなかったとわかったあとは誰一人日野日出志氏にもホラービデオさんにも謝らす゛知らんぷり。残ったのは規制だけで、馬鹿のやる事には全く困ったもんである。先日の「酒鬼薔薇・14才」の時も犯罪おたくの心理学者が、「これはマンガやビデオの影響です。」などと相も変わらずたわけた寝言をぬかしていたが、馬鹿はいつまでたっても馬鹿のまま。少しは進歩しろよ!お前だよ、お前!短絡的で幼稚な坊や、小田晋!よぅく首を洗っとけ!コラ!  「獣人たちの儀式」は退学者や少年院送りになつた生徒、暴走族、ヤクザ達が集まって酒盛りしながら女教師たちをずこずこにしてOB会をひらく不健全作品。編集長が「また危ない作品を・・・」とこぼしたものだが、岡野さん、田舎で元気にお過しでしょうか。この頃の「漫画エロス」には「ケンペーくん」だとか「アリスのお茶会」だとかおもしろい作品が載っていたものです。「爆走遊戯」は伝説のストーカー・ろくでなしマンガ家の早見純が一番好きな作品と言ってくれたが、なぜだかわからない。人の好みはいろいろです。以上3本は単行本「熱き唇の女神」に収録。 「ふしだらな女獣たち」はフェミニストの女二人が美少年をいじめる話。これは「氷の部屋の女」に収録。 ●1 9 9 0 ~   この年の「美蝶」シリーズは『ダンシング・クイーン篇』。マネキン工場跡でJ・ブラウンの「セックス・マシーン」にのせて5人プレイをするシーンや文化祭でのダンスシーン等々結構好きな場面多し。暗くて硬い作品が多いので、この「美蝶」シリーズは肩肘張らずに、かなり軽いノリでキャラクターの動きに任せて、ストーリーも、そして次のコマさえも先の事は何にも考えず、ほとんどアドリブで描いた時もある。  「不死蝶伝説」に続いてシリーズ第2弾「不死蝶」は2誌にまたがって2年位続ける。これも結構お気に入りの一遍。 ●1 9 9 1 ~ 1 9 9 3   「性狩人たち」の近未来版、といった感じの「夜戦士」は学園物が多くなったので、マグナム銃で脳天をぶっとばすようなものが又描きたくなって始めたミニシリーズ。全5話位。松文館より単行本「黒い夜と夢魔の闇」に収録。  この年から知り合いの編集者がレディス・コミックを始める人が多く、依頼されてどうしたものかと思ったが、エロなら何でもやってみよう精神と何か新しい世界が開けるかも、という事から’94位までやってみたものの結果的に不毛の時代に終わる。与えられた素材が体験告白物という事で、非現実的なものは描けないという事は得意技を封印して戦うようなもので苦戦を強いられ、これって内山亜紀氏がやまさき十三原作の人情話を描いたようなミス・マッチングで不発だったかな。今後、もしやることがあれば美少年SMのレディス・コミックのみ。そんな雑誌が出来れば、の話だが。  いくつかやったレディコミの編集の一人「アイリス」の鈴木さんは同じさいとうプロOBで、マンガ・アシスタント、マンガ家、マンガ誌の編集、そして今はマンガ学校の講師、とこれだけ多くのマンガに関わる仕事をしてきた人はあまりいないだろう。これでマンガ評論でもやれば全て制覇だが・・・。  この頃はいつもと同じ位の30~40本の作品を毎年描いていたが、レディコミは一本30~40枚とページが多く結構身体にガタがきた頃で、右手のひじが腱傷炎になり1年以上苦痛が続く。医者通いではさっぱり痛みがひかず、電気針で針灸治療を半年位続けてやっと完治。その後、住んでいたマンションの理事長を押しつけられ、マンション戦争の渦中に巻き込まれひどい目にあう。攻撃するのは楽だが、話をまとめるなどというのは社会生活不適格のダー松には大の苦手で「お前等!わがままばかり言うのはいいかげんにしろー!」と頭をカチ割りたくなるような事ばかりで、ひたすら我慢の日々で血圧がガンガン上がり、病院通いの日々。確実に寿命が5年は縮まる。あの時はマジで人に殺意を抱いたものだが、今でも金属バット持って押しかけて奴等の脳みそをクラッシュしたい気分になる時もある。いつかこの時の事をマンガにしようと思っていて、まだ誰も描いてない「マンション・マンガ」というジャンル、タイトルは「我が闘争」。え?誰も読みたくない?  この間に出た単行本は「血を吸う夜」、「赤い月の化身」「熱き唇の女神」[以上・久保書店] /「牝猫の花園」「真夜中の人魚たち」[以上久保書店]、「美蝶/放課後篇」「美蝶/ダンシング・クイーン篇」「不死蝶/鋼鉄の女王篇・上巻」[以上ミリオン出版]。 ●1 9 9 4 ~ 1 9 9 5   ろくでもない事が続くのは厄払いをしなかったせいか、このままここにいたら頭がおかしくなる、と15年以上いたマンションから引っ越し。板橋から巣鴨へ移動し気分一新!以前からうちもやりましょうよ、と言われていた同人誌創りをそのうち、そのうちと伸ばしてきたものの遂に申し込んでしまい、創らざるをえなくなる。しかもそれが引っ越しの時期と重なってしまい大いに後悔する。しかしいろんな人にお願いして何とか一冊でっちあげ、ムシ風呂のような夏コミに初参加。これが運命の分岐点。レディコミもこの年で切り上げ、以下同人街道をまっしぐら。現在まで「FUCK OFF!」が9まで、「FUCK YOU!」が4まで計10+&冊創る。  ’95からダーティ松本の名前にも飽きてきたしJr,Sam名でも描き始める。 レディコミ時代は松本美蝶。あと2つ位違うペンネームも考案中。  この間の単行本「氷の部屋の女」「双子座の戯れ」[久保書店]、「黒い夜と夢魔の闇」[松文館]、「危険な女教師/美蝶」[ミリオン] ●1 9 9 6 ~   美少女路線の絵柄もこの年の「夜顔武闘伝」あたりでほぼ完成、今後また少し変化させる予定。しかしこの作品は超能力、アマゾネス、忍法エロマンガとでも呼ぶべきか。「グラップラー刃牙」みたいに闘技場での勝ち抜き性武道合戦までいきたかったけれど、残念ながらたどり着けず。  「冬の堕天使」は久しぶりの吸血鬼もの。都営住宅で生活保護をうけている吸血鬼母子のイメージが浮かび、そこから漫画家協会・加藤芳郎を撃つ有害図書騒動のマンガへ。吸血鬼少年が光の世界との戦いに旅立つまでを描き、「闇に潜みし者」は時空を越えて近未来での戦い。その間を描く作品を今後創らなければ。  「FUCK CITY 2006」はクソ溜めと化した近未来のTOKYOを舞台に久しぶりにダーティ・バイオレンスが炸裂!ハード・エロ劇画と同人誌風・美少女路線の合体は果たしてうまくいったかどうか?30ページほど描き足して、’97、9月にフランス書院のコミック文庫にて発売。[「少女水中花」]  「放課後の媚娼女」と「人形愛」刊行。[いずれも久保書店刊]前者は以前、上下巻だったのを一冊にまとめて。後者は近作を集めた同人時代を経ての初単行本で、同人誌を知らなかった読者はショックを受ける。メタルフアンから以下のようなお手紙を受け取る。「これはジューダス・プリーストの『ターボ』だ。ラストの『眠れる森の少女』は『レックレス』にあたる。しかしジューダスもその後『ラム・イット・ダウン』や『ペイン・キラー』という傑作を世に出した事だし、今後を期待したい」という意のダー松のようなメタルファン以外は意味不明の激励をうける。 ●1 9 9 7   同人誌「エロス大百科シリーズ」スタート!いろんな項目別に年2刊づつ計100ページ位を別刊シリーズとして出し続ければ10年で1000ページになり、以前「谷岡ヤスジ1000ページ」という枕に最適の本があったが、これも一冊にまとめて枕にして寝れば、目覚める頃は3回夢精しているなんて事に・・・などとまだたった40ページの段階で言っても何の説得力もないか。飽きたら2~3号でSTOPするだろうし・・。[推測通り「毛剃り」「美少年SM」「女装」3号でストップ中]冬にはやおい系にも進出の予定。  今年出した単行本は厚くて濃いエロマンガを集めた久保書店MAXシリーズ第2弾!「放課後の熱い祭り/完全版」と「夜顔武闘伝」オークラ出版。ともに大幅描き足して25周年記念出版として刊行。ティーツー出版よりJr,Sam名で「昼下がりの少女」、9月にはフランス書院より「少女水中花」の文庫本が出る予定で現在、この同人誌と並行して描き足し中。「斬姦狂死郎」第2部も「ホリディ・COMIC」誌にて6月よりスタート!年内創刊予定の『腐肉クラブ』なる死体姦専門のマンガ誌にも執筆予定。  さてさて25年間、旅行の時を除いて、現在まで2日続けてマンガを描かなかった事はほとんどない。これはその昔、伊東元気氏というマンガ家とお会いしたとき「今月何ページ描いた?」との問いに、「今月仕事ないんでぜんぜん描いてません」と答えたら、「そんな事じゃ駄目だ。仕事があろうがなかろうが、毎月100頁は描かなきゃ。」と言われ、以後その教えを守り[描けるページ数は減ったが]、マンガは仕事ではなくなり、朝起きたら顔を洗うのと同じで生活そのものとなり現在に至る。  今は何でも描けそうなハイな状態で、以前はたまには外出しないと煮詰まってしまうので週いち位ガス抜きをしていたものだが、最近はせいぜい月いち休めば十分の「純エロマンガ体」。[純粋にエロマンガを描くためだけの肉体、の意。ダー松の造語]  こうしてふり返ると、この路線はまだえぐり足りない、これはあと数回描くべし、なぜこれを一度しか描かない!等々、残り時間にやるべき事、やりたい事の何と多い事! 爆裂昇天のその日まで・・・      燃 え よ ペ ン !  なお続きは 1997年後期 1998年 INDEX
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1981年に防衛大を卒業し陸上自衛官になった私は、事故のちょうど1年前に、千葉県の習志野駐屯地に所在する第1空挺団に配属されました。普通科群普通科中隊(当時)の小隊長として30名ほどの部下を率いる立場で、階級は2等陸尉。まだ独身で26歳でした。
 自衛隊では8月に定期異動があり、12日は駐屯地内の「隊員クラブ」で、転入隊員の歓迎会が開かれていました。私はお酒も飲んだため、駐屯地外に借りていたアパートには戻らず隊舎で寝ることにしました。
 その晩、中隊当直幹部として勤務していたのが、作間優一2等陸曹(当時36歳)でした。寝る前に作間2曹から、航空機墜落の報告を受けました。第12師団(当時)の担任区域における事故らしく、第1空挺団に災害派遣の準備命令等が発出されていないことを確認し、ひとまず眠りにつきました。
 その間、ヘリコプターからのリぺリング降下(ロープを使った垂直降下)による迅速な現場進出の必要性から、第1空挺団の出番となり、第12師団に配属しての災害派遣が翌早朝までに決していたのでした。
 朝5時前には「命令受領ラッパ」が鳴り響き、営内に残っていた我々は即座に出動準備を整えて集合、V-107という大型ヘリ6機に乗り込み、7時54分、習志野を出発しました。準備といっても、装備を詰めた背のうは常に用意してあるので、出発前に地図と乾パンを支給されたくらいです。
 6機のヘリのうち、1番機には第1空挺団派遣部隊指揮官である普通科群長以下の「救助部隊本部」の要員が、2番機から6番機にはそれぞれ隊員12名が乗り込みました。12名のうち1名は衛生隊員なので、私は3番機の小隊長として、自分の部下から10名を選抜しました。
 小隊長である私のサポート役として、普段の演習でも常に一緒に行動していた作間2曹は、もちろん真っ先に指名しました。ヘリのパイロットたちもいつになくピリピリしていて、張り詰めた空気が漂っていました。
 現場の「御巣鷹の尾根」上空に到着し、降下を開始したのが8時48分。まず1~3番機の隊員が現場に降り、4~6番機は麓の相馬原(そうまがはら)でいったん待機することになりました。空挺部隊には指揮官が“先頭降下”するという伝統があって、3番機では私がリーダーですから、最初にロープを伝って山の斜面に降り立ちました。私の次に降りたのは作間2曹です。
 空挺隊員にとってリぺリング降下は日常茶飯事ですが、急峻な斜面に着地した瞬間、強烈な違和感を覚えました。ブーツの裏にグニャッとした柔らかい感触があったんです。「なんだろう?」と思って足下を見ると、そこにあったのは人の“耳”でした。ご遺体を踏んでしまったことに気づき、すぐに“申し訳ございません”と心の中で謝りました。
 降下後、普通科群長が命令を下達しました。我々の任務は、「生存者の救出」と「地形の偵察」です。2番機の小隊と共に生存者を捜索しながら尾根を登っていきました。私と2番機の小隊長を中心に、左右各人5~10メートルほどの間隔で横一列に広がって斜面を登るのです。
■「生存者発見!」
 息を飲む光景でした。航空機燃料が燃える独特の臭いがして、岩肌には人の内臓がベタッと張り付いている。見上げると、髪の毛が付いた頭皮が木からぶら下がっていました。傾斜がきつく、木の幹に掴まりながら登るのですが、触った瞬間に滑る感じがする。見ると木全体が血と肉片で真っ赤に染まっていました。私の後ろを歩いていて、やはりその“赤い木”を触ってしまった隊員が「ギャーッ」と大声で叫びました。
 その時に私が感じたのは、「職業選択を間違えた」ということです。地獄絵図のような現場を目の当たりにして、私は「戦場の光景というのは、多分こういうものだろうな」と考えました。とても耐えられない、おれはこの仕事に向いていない、そう思いました。部下の前では表情にこそ出さないものの、それが本音でした。御巣鷹は私にとって初めての災害派遣だったのです。翌朝には慣れて、そういう気持ちは払拭されたのですが。
 同時に、隊員の誰もが「こんな悲惨な状況で、生存者なんているわけがない」と感じていました。斜面を上がれば上がるほど、まともな形を残したご遺体も少なくなっていきます。あるのは手や足だけの部分遺体や、肉片、皮膚ばかり。あまりに凄惨な場所でした。こんな事故で、到底人間が生きていられるはずがない、と。
 生存者を見つけられないまま尾根を登り、今度は別の方角に向かって下りながら捜索を続けようとした時です。無線から驚くべき情報が流れてきました。「生存者発見!」。耳を疑いました。「えっ?」と他の隊員と顔を見合わせました。
 無線を送ってきたのは、4~6番機から降りたグループでした。当初、相馬原で待機を命じられた3機は、我々のおよそ1時間後、9時45分に現場へ来て降下を開始しました。我々が降下地点から尾根を登って行ったのに対し、彼らは群長の命令で逆方向に下りながら捜索をしていたのです。そして、「スゲノ沢」と呼ばれるあたりで、麓から徒歩で登ってきた地元の消防団や松本駐屯地の第13連隊と合流し、そこで4名の生存者を発見したのです。
 尾根の上にいた我々には、「降下地点に戻れ」と指示がありました。急峻な山の中で、その辺りがかろうじて平坦になっていたからでしょう。その付近から生存者をヘリに吊り上げることになりました。降下地点に戻り暫くすると、下から生存者が運び上げられてきました。たしか事故機のトイレのドア等を担架がわりにして運んできたと思います。
 生存者4名は、あの悲惨な現場で一晩発見されずにいたので、当然かなり衰弱していました。そのうちの一人の少女、後で川上慶子さんと知ったのですが、彼女に「頑張れ!」と声を掛けると「うんうん」と頷くようなリアクションがありました。それを見て「大丈夫だ、助かる」と思いました。
 でもそこからが長かった。救出用のヘリがなかなか来ないのです。こちらからは何度も要請しているのに一向に来ない。報道陣のヘリも含め、多くの航空機が上空に飛来していたため、二次災害の危険もありました。
 結局、生存者が吊り上げ地点に搬送されてから、ヘリへの収容が完了するまで1時間近くかかりました。ヘリを待つ間、誰もがイライラしていて、そのうち、現場に到着された赤十字の女性の看護師さんから、ものすごい剣幕で怒鳴られたんです。私の顔をキッとにらんで、「もしこの人たちが亡くなったら、あんたたちのせいだからね!」と。それはよく覚えています。「おれだってどうしようもないんだ」という気持ちでしたね。
 ヘリを待ちながら、現場ではホイスト(ヘリからのワイヤによる吊り上げ)準備をしていました。赤十字の医師から、「隊員が直接抱えて上げたほうがいい」と言われて、自衛隊の茶色い毛布で生存者の体を包みました。最初に吊り上げたのは、吉崎美紀子さん(当時8歳)です。毛布に包んだまま、空挺隊員が抱えてヘリに収容しました。
 次が当時14歳だった川上慶子さん。彼女を収容したのが、私の相棒だった作間2曹でした。1人目と同じように、毛布で包んで準備をしていると“事件”が起きました。救出される生存者の姿を撮影したかったのでしょうが、なんと、いつの間にか周りにいた報道陣から手が伸びてきて、毛布を剥ぎ取ったんです。「何をするんだ!」と怒りましたが、もうヘリは真上にいてワイヤが下りてきている。仕方なく、作間2曹は毛布無しで川上さんを抱えて吊り上げられました。
 3人目の吉崎博子さん(美紀子さんの母、当時34歳)と4人目の落合由美さん(当時26歳)は、担架に乗せた状態で吊り上げました。というのも、抱えて吊り上げるには脱力した大人は相当重たく、途中で落下する恐れもあり、危険だと判断したのです。
 ここで我々はミスを犯してしまいました。3人目の吉崎さんのお母さんを乗せた担架が、ヘリから吹き下ろされる風を受けて、吊り上げた途端にグルグルと回転してしまったのです。すごいスピードで回転して、いまにも担架から体がずり落ちてしまうのではないかと気が気ではありませんでした。私は真下で両手を広げて、「万が一落ちてしまったら、絶対に受け止めなくては」と覚悟していました。
 結果的には無事に収容できたのですが、これは我々の本当に初歩的なミスです。本来、担架の把手にロープを付けて、担架が回転しないように地上の隊員がロープを保持すべきなのです。基本的な作業ですが、やはり異様な現場に平静でいられなかったのでしょうか、あの非常時に誰もそれに気づかないまま吊り上げてしまった。今でも思い出すたびに血の気が引きます。最後に落合さんを収容する際は、きちんと補助ロープを付けました。
 生存者の救出を終えたのが、13日の13時29分。そこから次の任務が命じられました。ヘリポートの構築です。獣道すらない急峻な山に、人員や救助物資を迅速に送り込むにはヘリを使うしかない。我々は上空からロープで降下できますが、以後の作業にはヘリを着陸させることが必須でした。
 普通科群長は私に、大型ヘリ(V-107)用を一つと中型ヘリ(HU-1H)用を一つ、あわせて二つのヘリポートを構築するよう命じました。我々は訓練・演習で簡易ヘリポートを作りますが、その際、なるべく広くて平坦な場所を探します。そこで私は、日航機の主翼が落ちていた辺りに目をつけました。その辺りは比較的広くて平らだったからです。ただ、航空機事故ですから、事故原因の究明のために現場検証も必要です。勝手に現場の状態を変えるわけにいかないので、現場を管轄する群馬県警の責任者を探しました。
 周りにはたくさんの警察官がいましたが、長野県警だったり警視庁だったりで、なかなか群馬県警の責任者が見つからない。ようやく見つけて交渉したところ「ダメだ」の一点張り。仕方なく、現場検証を要しない下方の地点に決定し、周辺の木を切り倒して斜面を掘削し、削った岩石や土を下側に盛るやり方で、中型ヘリ用ヘリポートのみを作ることにしました。
 我々がヘリポートを作っている間にも、続々とご遺体が運ばれてきます。やがて夜になり、13日の深夜にはヘリポートの大枠ができました。暗い中では細かい仕上げができないので、その日はその場で仮眠することにします。そして翌14日の朝3時頃から作業を再開し、7時頃にヘリポートが完成しました。
■“モミジ”
 ただ、この仮眠がつらかった。翌朝からヘリで搬送するべく、ヘリポート付近にはご遺体が集められていました。その隣で横になって眠るのですが、真夏の暑さで傷んだご遺体は、死臭を発しているんです。何度も目を覚ましました。
 14日は、完成したヘリポートを使って朝から何度もヘリが往来し、15時くらいまでに計121のご遺体を搬送しました。この数字に関しては苦い思い出があります。この日、上級部隊から連絡幹部が現場にやってきたのですが、ヘリポートの運用を指揮していた私を見るなり、「今日は何体運んだ?」と聞くのです。私は返答に窮しました。
 ご遺体といっても、五体満足なものは少なくて、手だけ、足だけといった部分遺体も多い。それを現場では努めて早く収容すべく、個別に包装した部分遺体の何体かを一緒に毛布に包んで“1包み”として搬送していました。そういう状態で“121包み”搬送したのであって、「何体か」と聞かれてもわからないのです。
 ところが連絡幹部は、即答できない私を見て、「それでも責任者か!」と叱責したのです。ロクに寝ていなかったせいもあるでしょうが、さすがに頭に来て、部下の一人に「おい、そこの毛布を開けろ!」と命じました。そして「あなたには、このご遺体が“何体”かわかるんですか!?」と聞き返すと、相手も黙ってヘリに乗って帰���ていきました。
 今思い出しても、いちばんつらかったのは「モミジ」です。ご遺体の搬送準備中、ビニール袋に入った何かが運ばれて来ました。赤くて小さくて、最初はモミジの葉のように見えました。でもそれは、血に染まった小さな子どもの掌だったのです。徐々にご遺体を見ることにも慣れていたのですが、あれは衝撃的でした。本当にかわいそうで、堪らない気持ちになりました。
 14日の15時過ぎから天候が悪化し、ご遺体の搬送作業はそこで中断しました。雨がしとしと降る中、その夜も前日と同じようにご遺体の隣で仮眠し、翌15日の朝、我々空挺部隊は任務を終えてヘリで習志野に帰投しました。ですから、私が御巣鷹山にいたのは13日の朝から15日の朝まで、48時間くらいです。睡眠も食事も不十分なまま過酷な状況にいたので、今思えばかなりストレスが溜まっていたのでしょう。
 警察と喧嘩もしました。自衛隊のヘリが運んでくるのは、ツルハシやスコップなどの工事用器材、ご遺体収容のための毛布だとか、任務に直結するものばかりです。ところが警察のヘリは、弁当やタバコ、寝袋やらをたくさん運んでくる。
 ある時、広げたままの寝袋が、ヘリの風圧で巻き上げられそうになり、近くにいた私の部下が慌てて飛び乗って押さえた。すると警察官が彼に向かって「おい自衛隊さん、寝袋に穴開けないでくれよな」と言い放ったのです。部下は休憩中だったのでタバコをくわえていました。警察官には、彼がふざけて寝袋に寝っ転がったように見えたのでしょう。私はその警察官に「馬鹿野郎! 寝袋が巻き上げられてローターに接触したら、ヘリが墜落するだろうが!」と怒鳴りつけました。
 マスコミにも腹が立ちました。川上さんの毛布を剥ぎ取ったこともそうですが、遺体の写真ばかり撮る輩もいて、思わず「いい加減にしろ!」と叱ったこともあります。とはいえ、14日の昼頃、ある新聞記者が持ってきた朝刊を見た時は、やっぱり嬉しかった。そこには、川上さんを抱えてヘリに向かう作間2曹の写真が1面に載っていたのです。
 今でこそ災害時の自衛隊の活動はメディアでも取り上げられますが、当時の自衛隊はある意味、日陰者でした。マスコミが現場にいるのは認識していましたが、我々の活動が大々的に被写体になるなんて私自身は想像もしておらず、とにかく驚きました。それと同時に、おれたちは正しいことをしているんだ、という実感が湧いてきたんです。
 ただ5年前、事故から30年ということであるテレビ局の取材を受けた際、ディレクターから開口一番、「なぜ自衛隊の到着が遅れたんですか」と聞かれたのは心外でした。そもそも当時の災害派遣は、要請を受けて初めて出動できる仕組みでした。勝手に現場に向かうことはできません。
 また、「夜のうちに現場へ行けなかったのか」などという人もいます。我々空挺部隊・普通科部隊は深夜の現場であっても救助活動することは可能ですが、輸送に任じた当時の自衛隊のヘリには暗視装置が装備されておらず、暗夜における未知の山地・森林の飛行は危険極まりないものでした。一方で12師団隷下部隊は、夜を徹してまさに暗中模索で現場に向かって山を踏破していたのです。自衛隊はできる限りのことをやったと私は今も確信しています。
■ストレス障害
 御巣鷹での経験は、私のその後の自衛隊人生にも影響を与えました。一番大きいのは、「ストレス障害」について身をもって学んだことです。実は習志野に戻った後、私は不眠症に悩まされました。
 昼間仕事をしている時はなんともないのですが、夜アパートに帰ると、暗い場所があるのが苦痛に感じられるのです。寝室はもちろん、トイレや風呂の電気もつけっぱなしにしておかないと落ち着かない。そして就寝中にふと窓に目をやると、ベランダにたくさんの人が並んで私を見ているのです。ほぼ全身の人もいれば、上半身のみの人、炭化した人など、全員、御巣鷹の現場で我々が後送に関わったご遺体のお姿そのものでした。
 もちろん幻覚だと自分自身納得しています。彼らが現れることに恐怖心を覚える反面、それほど不快には感じなかった。ただただ、「なんで現れるんだ」という気持ちでした。結局、ウイスキーをガブ飲みしないと眠れない状態が1カ月ほど続きました。
 この間は肉類も全く食べられませんでした。でも、当時の私はそれを仲間の誰にも言えなかった。あの頃の自衛隊には、まだストレス障害という概念もなかった。空挺団は、男の中の男が集まった猛者ぞろいの精鋭部隊です。年上の部下を統率する若手幹部として、弱みは見せたくなかった。上司に相談しても「頭がおかしくなったのか? 病院に行ってこい」と言われるだけだと思うと、誰にも相談できなかった。
 ただ、御巣鷹に出動した者の中で、外泊を申請して出掛けたはずの営内居住隊員が、“不気味に感じる”と言って駐屯地に帰ってきて皆と一緒に寝ているという話を聞いた時は、妙に安心しました。私はその隊員に向かって「情けない奴だ」と笑ってやったのですが、内心、「おれだけじゃない、みんな同じなんだ」とホッとしたことを覚えています。
 それからずっと後の、私が1等陸佐として連隊長を拝命した2003年、自衛隊がイラクに派遣されました。私も派遣に備えて、部隊指揮官としてストレス障害に関する教育を受け(結局私自身はイラクには行かなかったのですが)、更にその後の勤務でも、指揮官・幕僚にとって必須の知識として学びました。
 そこで、当時26歳の私が御巣鷹山から帰って体験したことが、まさに「急性ストレス障害(ASD)」の典型例だったと気付いた。それ以来、ようやく自分の経験を他人に話せるようになりました。ちなみに、ASDの状態が1カ月を超えて続く場合��「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」とされます。
 戦場や大規模災害の被災地などの過酷な状況下では、どんなに強い人間でもストレス障害になり得る。それを私は、知らないうちに自ら経験していたのです。たった48時間の任務で、私の心は壊れかけてしまった。そしてそれをひたすら隠し、一人で悶々と悩んでいた。
 現在の自衛隊では、海外派遣や災害派遣のたびにメンタルヘルスに関するケアを体系的に行っています。任務終了後の隊員を一人でストレス障害に立ち向かわせるような状態に放置することはありませんし、仮にあったとすればその指揮官は失格です。そういった意味で、この貴重な体験は私自身にとって、指揮官として大勢の部下を率いて任務を完遂する上で大きな糧となりました。
 あの悲しい事故から35年を迎える今、改めて犠牲者のご冥福と、生存者やご遺族の方々の人生に幸多からんことを、心からお祈り申し上げます。
岡部俊哉(おかべとしや) 元陸上幕僚長 昭和34年、福岡県生まれ。元陸上自衛官(防大25期)。第6師団長、北部方面総監などを経て、2016年、第35代陸上幕僚長に就任。2017年8月に退官。
「週刊新潮」2020年8月13・20日号 掲載
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end-of-olympics · 4 years
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7.22wed.会場レポート&作品紹介 vol.3
・[オリンピック終息宣言]三日目。不安定な天候でしたが、報道もあり、今日も多くのお客様にご来場いただきました。密集を避けるため、入場制限を行うことがあります。ご了承ください。
・明日23日(木・祝)は「エンディング・パーティー」!! 展覧会のエンディングではありません。会期は26日(日)まで。オリンピックの終焉祝賀会です。16:00会場TOKIアートスペース集合。移動する予定です。遅れる方は、一度ギャラリーに来て情報を得るか、
https://twitter.com/end_of_olympics
https://www.instagram.com/end_of_olympics
をチェック。
飲食のカンパ大歓迎。時節柄、取り分けが必要なもの、傷みやすいものはご配慮ください。ふつうのカンパも大募集です。GO TOパーティ。
youtube
・東京新聞・毎日新聞などの取材がありました。掲載されたら、チェックしてみてね。また清水有高さんが、youtubeの動画で言及しました。
https://www.youtube.com/watch?v=s5XdGJr8Uzs&feature=youtu.be
・清水さんのyoutubeチャンネルは、電通やオリンピック利権について本間龍さんと、福島原発被害とその後、メディアの腐敗について烏賀陽弘道さんと、また日本社会の諸々について安冨さんと、たくさんの動画配信をされています。清水さんと参加作家・安冨歩さんの約30分のトークです。気遣いからか、僕の作品にも言及してますが、全体としてはオリンピックが持っている理不尽さについて語っている動画だと思います。(与那覇大智)
・今日『まつろわぬ者たちの祭り』『反東京オリンピック宣言』の筆者、鵜飼哲さんが学生2人連れて来てくれて、話しました!写真撮るの忘れました。「また来ます」とのこと。(山崎春美)
・一昨日、今日と新聞社の取材を受けましたが、初めての事(しかも美術記者ではない!)なので果たしてうまく答えられたのか少し不安。
やはり、現実的なテーマを扱っているとはいえ自分の直感に基づいて製作されたアート作品なので、目に見える部分(そこを聞きたがるんだけど)ではなく、その核になっているしかしそれでいて不確実な部分というのは伝わりにくいし、伝わっても記事には出来ない領域なのかもと思いました。
だからこそアートなんだけどね。
で、昨日の朝日の夕刊の記事、「再開発は前回の五輪のレガシーをも壊している」という部分、もう少し自分の直感を言葉にしてみると「今回のオリンピックは前回大会の否定の上に成り立たせようとしている」ということかな。
鵜飼さんも前大会の時より、今大会の方がメディアのあり方も含め全体主義的だと言っておられました。(島村宗充)
・一日いた感想です。安富さんのユーチューブ見て来た人、新聞見て来た人、そもトキを尋ねる人等々概ね好意的でした。俺は今日初めて気付いたんだけど、お向かいがギャラリー(注・ユーカリオ)で、そこに出展してる作家さんにも見てもらいましたよ。話しせんかった��ど。
今日の観客最後の方が新聞を見て来た人で、横浜自宅の東京職場の方でした。
カンバと応援の言葉を頂きまくりました。あっしの心の小箱に仕舞ってあります(しまうなー!)っていう当番報告以上でござい奉ります。m(._.)m (櫻川豊敏)
作者による出品作紹介 vol.3
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[Protest的Picturesque考(神宮外苑軟式野球場、そのあとさき)]島村宗充
神宮外苑軟式野球場とは神宮球場と隣の第二球場の裏側、絵画館正面の広い敷地にある6面の市民球場のことです。
展覧会DM裏面の地図には、神宮外苑とだけ表記されています。
現在は、オリンピックのためのサブトラックに改変されていて、オリンピック終了後、一度は野球場に戻すとのことですが、将来的には取り壊しの予定です。
私は小学校を卒業する1978年までの大半をこの地で過ごしました。
DM裏面の地図に表記されている外苑ハウスとは、その当時私が住んでいた建物の名称です。
外苑ハウスは、前回の東京オリンピックの時に、外国人記者団の宿泊施設として建てられた経緯を持ち、隣接する都営霞ヶ丘アパートの団地より高級な感じの、7階建のL字型の大きな建物でした。
今回のオリンピックは、既存施設を最大限に活用するコンパクト五輪を掲げ立候補していましたが、東京への誘致が決まったとたんに、その公約を無視する形でこの神宮外苑地区の再開発計画は動き出しました。
旧国立競技場の取り壊しが始まったあたりから、私はこの地域の行末が気になり出し、時間を見つけては足を運び、旧日本青年館、明治公園、霞ヶ丘団地と壊されてゆくのを見届けました。
外苑ハウスは当初、この開発計画からは外れていましたが、何か揉めていることを感じさせる看板が出ており、結局霞ヶ丘団地の後を追う様な形で取り壊されました。
現在、外苑ハウスがあった敷地には、THE COURT 神宮外苑という高層マンションが建ち、一部分にはオリンピック博物館が隣からはみ出してくる形で建っています。
旧国立競技場、明治公園、霞ヶ丘団地、外苑ハウスはそれぞれに前回のオリンピックと深い関わりを持っていました。
しかしそのすべては、今無くなりました。
今回のオリンピックが、一年遅れの開催であれ、中止であれ、この地域の再開発は進み、すべてを終了するのはコロナの影響もあり、予定の2030年を超えていくと言われています。
[オリンピック終息宣言]展
2020年7月20日(月)~7月26日(日)会期中無休
12時~19時(最終日のみ17時まで)
☆明日です!!☆23日(木) 16:00〜 
オリンピックの終息を祝う
[エンディング・パーティー]
We Declare the End of the Olympic games,NOW!
Art Exhibition “Declaration of the end of Olympic games”
2020.7.20.mon-7.26.sun
12:00-19:00(26th 17:00 close)
7.23.thu.holiday 16:00~Ending Party
トキ・アートスペースTOKI Art Space
(外苑前駅・徒歩5分)  
渋谷区神宮前3-42-5サイオンビル1F  
http://tokiart.life.coocan.jp
mapはこちら
http://tokiart.life.coocan.jp/map.html
TOKI Art Space (Gaienmae)
3-42-5 Jingu-mae Shibuyaku,Tokyo
http://tokiart.life.coocan.jp
access
http://tokiart.life.coocan.jp/map.html
参加作家
イケガミアツコ、伊藤カイ、川村紗智子、戸山灰、近藤あき子、櫻川豊敏、島村宗充、田島和子、堂免修、中村安子、花田伸、平井勝正、松浦延年、三木祥子、森田直子、安冨歩、山崎春美、吉川和江、与那覇大智、渡邊羊帆
パーティ演奏:天神直樹(トランペット) 渡邊羊帆(鍵盤ハモニカ) 山崎春美(声) ゴーレム佐藤(声)
IKEGAMI Atsuko/ITO Kai/KAWAMURA Sachiko/KOYAMA Kai/KONDO Akiko/SAKURAGAWA Takatoshi/SHIMAMURA Munemitsu/TAJIMA Kazuko/DOMEN Osamu/NAKAMURA Yasuko/HANADA Shin/HIRAI Katsumasa/MATSUURA Nobutoshi/MIKI Shoko/MORITA Naoko/YASUTOMI Ayumi/YAMAZAKI Harumi/YOSHIKAWA Kazue/YONAHA Taichi/WATANABE Hitsujiho/
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usickyou · 2 years
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イルクーツクにて
 リカ・アンガラの支流が凍りついた朝、私と奏さんは出かけた。じゅうぶんに厚着をして、氷点下二十度の気候にも耐えれるようインナーにインナーを重ねてぶくぶくになった姿を見て少し笑いあった。  そこは私たちの仮宿の遠くにあって、市街地からも充分に離れているため、人影はまばらだった。もっとも、人工物より自然が濃く色づくこの地に暮らす彼らには慣れっこなのかもしれない。物珍しいというふうに人々が騒ぎ立てることもなく、ただ子どもたちだけが凍った川の上ではしゃぎまわっている。叩いても踏んでも割れない、それが楽しくて仕方がないのかいつまでもその分厚い氷で遊んでいる。飽きもせず、恐れもしない、そんな光の粒の数々を私たちはずいぶん風化の進んだ煉瓦造の橋から眺めていた。  突然、奏さんがくしゃみをする。くしゅと愛らしく、少女のように。  私より早く、彼女は「寒いわけじゃないの」と言う。見ればぼろぼろと涙をこぼしているので、私はその一粒ひとつぶを凍ってしまわないよう拭った。「とても温かい、そうですね」と答えると嬉しそうに笑って、朝もやをくぐり抜けた陽光みたいそっとかがやいた。  実際のところは、ひどく寒い。この街の(特に朝の)気温は尋常ではないほどに低く、私にとっては生まれ故郷のさらに高地、滅多に行くことはなかった佐久の気候にほど近く感じられたが、しかしその深度は比べようもない。しみる、と祖父母が発していた声が記憶の底よりぼんやりと甦り、肌に”しみた”。凍えとは沁みるのだと私の体は知った。そんなこと、心についてはとうの前より知っていたのに、その両者は私という存在のうちでまるで別々の生命であるかのように振る舞った。  それらがまだ一つであったころ。今はもう遙か遠くに感じられる。  温かな景色を心ゆくまで眺めて、奏さんの涙がすっかり止むと私たちは橋を渡る。小さな、小さな喫茶店で苦いコーヒーを買って、重たいコートを脱ぐとやっと深く呼吸をできるようになる。平日の昼間、生木の香りさえ漂う店内は人もまばらで、日本人の姿はよく目立つ。しかし、今の私たちは誰からもすぐに忘れ去られるようにできている。どこにいようと、絶えず二人きりでいられる。そういうふうにも、人は変わる。思うまま、願うそのままに。 「面談は、今日?」と奏さんが訊ねた。明日であることを伝えると、「そう。大事なことなのに、ちゃんと覚えていられなくてごめんね」と続けた。 「謝罪は受け取れませんが」私は答える。「面談、ではなく友人と会うだけですよ」 「認識の相違ね」 「それは、仕方のないことです」 「ばか正直」 「それも仕方ありません」 「ねえ、文香」 「はい」 「一緒に過ごせるのね」 「はい」  私たちは手を繋いだ。カウンターテーブルの下、ふたりの体でつくる影、誰にも見つからない場所でそっと。  窓の外では、古びた自動車や時おり過ぎる人のたてる白い煙がまたたく間に大気に溶けていった。その光景には厳然さがあった。よく澄んで、そうでないことなど許さないという荒々しい態度。  だからこそ、人々の姿やその営み、奏さんとの日々を温かく感じるのだとふと思った。
 街へ戻り私たちは争った。帰るのか、またはどこかへ行くのか。  寒いから、と仮宿へ戻ろうとする奏さんを説得するのは骨の折れる仕事だったし、実際のところ私もそうしたかったが、彼女にとっては数日ぶりの外出だった。人工照明や二層の断熱ガラス越しの日射しではなく、純粋な光に触れてほしいと私は思った。あるいは冷気の放射や駆けめぐるハスキー犬の激しい息遣い、膨張した氷雪が軋むとき起きる極小の稲妻など。 「さあ、どこへ連れていってくれるのかしら」と半分、私の思い違いでなければ奏さんは心の半分でいたずらに言う。それからもう半分で、「楽しみにしてるから」と雪をそっと足蹴にする。きらきらと光が舞う。 「落胆はさせません」と私はしっかり答えた。本当は行くあてなど持っていないのに嘘をついて、連れ出したくて、そればかりを考えていたから願いが叶ったいま私は空っぽだった。急いて何かを詰め込むには(または何かが湧き上がるには)、私はこの地を知らなすぎた。私は、彼女よりほんの少しだけ日々のうちでこの地を知ったにすぎない。  イルクーツク。私たちが迷子になったその地の名前。ひと月前、ひと月と二日と十四時間(二十分五十五、五十六秒……)前より私たちは迷い続け遠くへ来た。いずれまたどこかへ行き、しかし戻ることはもうない。  長く深い迷いの内にある、ほんの、ひとときの優しい迷子。  私は歩いた。奏さんに先���じて、行くべき場所を知っていてそこにまっすぐ進んでいるというふうに、ロッジを目にした遭難者のごとく力強い足取りで。彼女は隣を歩き、よく話した。こっちにはよく来るの? あの街角、映画のセットみたいね。こんなに寒くなかったけど、パリを思い出すわ。私は一つひとつに丁寧に応じた。シベリアのパリ、そう呼ばれる街の美しい景色は少しだけ私の味方をしてくれた。セルリアンブルーの外装に見事な雪化粧を施されたアパート群や、帝政ロシア時代から続くという貴族のラウンジのようなカフェ。その隣には土蔵に似た様式の、しかし冷徹でよく冴えた白磁の内面を持つ画廊。そして、この瞬間を逃せば二度と訪れない無数の出会いが息をする書店(覗いていってもいいのよ、と奏さんは笑う。私は、準備をしてまた伺います、と答える)。  しかし、それには果てがある。私が決めた。自らの嘘は、それがいかに微細なものであろうと通りを一つ過ぎるたび、角を一つ曲がるたび首をやわく締めつける。嘘をつけない、それをあなたは美徳だと言った。私は嬉しかった。しかしそれは常なるものではない。美徳は今、欠損に変わろうとしていた。まるであの、女神のなくした腕がエーゲ海の底より浮かび上がり泥にまみれた姿をさらすように。 「申し訳ありません」と私は告白を始めた。  しかし、奏さんがそれを遮った。しい、と立てられたその美しい指に私は、たったの一すじ、ささくれを見つける。 「角を曲がるまで、ね」と彼女は続ける。私は頷き、ふたたび先んじて歩き出す。運命づけられた瞬間を渡るように、きっと袖より舞台へ踏み出す一瞬と同じ決意をもって曲がった角の先には何もない。イルクーツクの彩り豊かな街並みが続いていて、少年が二人、サッカーボールを蹴りながら私たちを通り過ぎていった。  私は何も言えなかった。彼女は「散歩、楽しかったよ」と優しく笑ってふたたび涙をたくさんこぼした。始まってしまえばすぐには止まらないそれをぬぐながら私は、そう言えば良かったと、嘘などつかず何もなくともあなたとただこの街を歩きたいのですと伝えれば良かったと後悔し、またそれを思いつかなかったことに気づく。  涙がおさまると、私たちはタクシーを拾い仮宿へ帰った。遅い昼食にポトフやライ麦のパンを食べて、それからは穏やかな午後を過ごした。
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 凍りついたままの窓を確かめて、朝が始まる。わざわざ開いて極寒の外気を招き入れるつもりは毛頭ないが、それが開くか否かは私たちの生活に多大なる影響を与えた。  まだ眠っている奏さんを起こさないよう、身支度を始める。狭い部屋だ。しかし寝食を共にするうち、彼女の琴線はゆっくりと理解されていった。たとえば、衣擦れの音は問題ない。水音も、バスルームを閉じればほとんどの場合そう。調理の音は、刃物やアルミボウルなどを用いなければ目を覚まさない。グラスは、グラスとなにかが触れ合う音はそれがどれほど小さくとも彼女の安寧なる眠りを妨げた。  プラスチックカップでのコーヒーは味気なく、苦く、目を覚ますには最適だった。あらかじめ用意していた具材を取り出し、配置を済ませる。深い眠りにいる彼女を確かめて、ローストポークやチーズ、レタスを挟んだサンドイッチで食事を手早く済ませた。連れ合いは『外套』。その心境はいかばかりであっただろうかと、このおそろしく凍える地にて少しだけ彼の無念に近づけたように思えた。 「出かけるの?」と奏さんが言う。少し驚いて、彼女がまだ現実の浅瀬にて滴をしたたらせていることを確かめると、私は「もう、時間ですから」と答える。「そう」とだけ答えて彼女は再びベッドより眠りの深い海へ潜った。  彼女の睡眠は、著しい不整にある。まる二日眠らなかったかと思えば、その後の三日間をほとんどベッドで過ごしたりした。しかし健康状態は、少なくとも肉体や数値に現れる部分については一切の問題がなかった。そういう生物になってしまったようだと、納得はできずとも私はそう理解した。たとえそれがどんなに受け入れ難くとも、生きるため人は順応する。それこそが人類の性質であると視野を広げ、ことの中心より焦点を外した。  私たちは、生きるため精一杯だった。  サンドイッチと念のための書き置きを残して、仮宿を出る。懸命に身をちぢこまらせて(雨雪が降らないことはせめてもの救いだった)、駅へ向かうと空港直通の路線バスへ乗り込む。運良く、なのか一つだけ空いていた座席に腰を下ろすとスマートフォンが震えた。それが着信���あったため、鳴り止むのを待った。ずいぶん長くかかったが、折り返しの文言を入力しているうちにトークは届いた。 『たいへんです』『空港を離れます』とたて続けに、感嘆符や絵文字の類もなく。  茜さんらしくないと思った。  それほど何か逼迫しているのだろうと、『大丈夫です。私は空港へ向かっているのですが、どうされましたか?』そう返した。  返信までは、またしばらくかかる。 『連れ去られています』『大丈夫です、おばあちゃんの道案内です』 『本当に、大丈夫ですか?』 『大丈夫です!』 『現在地を、教えていただけますか?』 『やり方がわかりません』『ごめんなさい(泣きがお)』  私は、心がやわらいでいくと感じる。 『落ち着いたら、これを試してみてください』と、現在地共有の方法を送った。それから『バスを降りたら連絡します。困ったらすぐに教えてください』とつけ加えて、それが届いたことを確かめると、すっかり市街地を抜けて広々としたものに変わっていた景色を眺めた。薄雲の隙間よりいくつもの光帯が地平に降り注ぎ、きっと、そのいずれかの内に彼女がいる。あの小さな体で、言語や出自などものともせず、温かなたましいの鼓動で今も誰かを救っている。  こんなとき、人は泣きたくなるのだと思う。  その人がその人であるという、そんな単純なことが私を強く揺るがした。  自然と頬はゆるみ、一方で背すじは伸びて、一刻も早く彼女に会いたくなる。バスを降りるより先に位置情報は届いて(!)、私は空港にてタクシーを拾いその画面を示す。運転手が頷くと、北へ、広大な道を驚くべきゆるやかさで進んだ。道路の舗装がなくなり、木造の家屋が増えていき、辺りには農地や牧草地につきものの生ぐさい香りがたちこめた。決して長くはない、散歩にちょうど良いくらい道のりの先にその場所はあった。  白くくすんだ木の柵。枯れた立ち木の向こうには、さらにくすんだ白い外壁と淡い空色の屋根。一見しただけでは家屋と見分けがつかないが、そこには宗教建築だけが有する聖なる気配があった。ひどく薄く、それこそカザン大聖堂とは比べようもないが、祈りが呼吸をしている音が感じられた。  気がつけば、タクシーは走り去っている。  おそるおそる扉を開くと、湿った空気が流れ出した。事務所の倉庫や、それよりも西早稲田のある古書店が記憶の底より甦った。有機物から生じる微少なかび。どれほど追い払おうと無限に蓄えられる水分。何よりも、成熟した木材の心地良い香り。私は数秒でこの場所を気に入ったし、泥酔した司祭が影で倒れていそうな教台も世紀の犯罪者が罪を打ち明けるべき懺悔室も、一度愛してしまえば全てのものは好ましく映った。  そこで、ひときわ美しいのが茜さんだった。  茜さんは老婆に寄り添っていた。老婆は一心不乱に、自身にしかわからない(言語理解の問題ではなく、発音そのものが曖昧だった)祈りの言葉を唱えている。それが理解できるはずもなく、しかし茜さんは真摯にその声を聞いていた。意味ではなく、その奥にあるものを聞き分けようと懸命だった。今にも、もしかして既に廃棄された小聖堂に彼女は生命の熱をちりばめた。  私は、しばらくその様子をぼうと眺めて、背後で扉が開くとやっと目を覚ます。振り返れば、年老いた男性が息を切らせて立っている。彼は腰を曲げて、左足のみに体重をかける辛苦に満ちた歩き方で私を横切った。そうして老婆に声をかけると、次いで茜さんを呼ぶ。決して伝わらない言葉をいくつか話すとその手をかたく握って、深く頭を下げる。その意味は、私にもわかった。  そうして、彼は祈りをやめない老婆を引き連れて去っていく。彼は老婆の杖で幾度も殴られるが、それでも手を離さない。すれ違う瞬間、老婆が盲いていることがわかった。灰色に濁った目は私を、あまねく事物のことごとくを映していなかった。  二人は去り、私たちが取り残される。  茜さんはしばらく迷うようだった。視線が私やこの空間をさまよい、やがて今はもういない二人へ「ちゃんと、できましたか」とつぶやいた。   私は、歩んだ。彼女の放った熱の残滓を拾い集めると、「あなたは完璧です。いつも」と答える。そうして、ここは寒いからと来た道をふたたび辿り(途中で拾えればと思っていたタクシーは、一台も通らなかった)空港から中心市街へ向かう。そこで小さなダイナーに入り昼食をとると、色々な話をした。辺りが薄暗くなる頃に私たちは別れ、そして仮宿に帰ると奏さんの姿はなかった。
 *
 凍えている。何もかもが、私も奏さんもこの街も国も世界や宇宙の全て、スマートフォンを持つ手が震えている。彼女は応えない。コール音ばかりが続く。電源を落とすか室内に置き去りにされているか、だとしたら意味は明確だった。捜さないで。それならば、私は捜す。追いかけないで、そっとして、私を見つけないで。私は見つけだす。必ず。あなたがしてほしくないこと、してほしいこと、それらはかつて等しかった。  今、彼女は笑いながら涙をこぼす。  すべてがおかしくなってしまった。時は逆巻きに流れたりしない。地球は自転を続け、大地も空も水や草木も絶えずそこにあり、北緯58度の凍える地は人の命などたやすく奪う。しかし、私たちの何もかもは狂ってしまっていた。狂人の目には、世界が正しければ正しいほどいびつなものばかりが見える。  失うとは、そういうことだとやっと知った。  私は走った。仮宿の周辺や奏さんの知る場所、あるいは彼女がいてくれたらと、温かな湯気のたつマグカップを両手にした彼女に「待っていたよ」と笑ってほしい、そういう明かりの内にことごとく踏み入り、幾度もひどい落胆を味わった。そうして驚くべき早さで日は沈んだ。「どうか、どうか」と私はくり返した。そのたび立ちのぼる呼気はオレンジの街灯を浴びるとまたたく間にきらめく氷の細粒と化し、救われるように消えていく。それを眺めている。私は、気がつけば立ち止まろうとしていた。膝をつき、凍りついた根雪を掘り返し大地に口づけをする間際にいた。それでどうなるだろう。もしかして、運が良ければ命は助かるかもしれない。しかし私たちは終わってしまう。未だ鳴り続けるコール音はその瞬間に途絶え、育んだあらゆる実りは枯れ果て、私たちは今生の果てまで出会うことなくまた天寿を全うした宇宙が縮退し消滅するまで、それからも、二つの命は離ればなれになってしまう。  そんなのは、いやだった。  光を蹴りつけ、走った。どうすればいい、何もわからず、しかし私たちはまだ生きている。一歩ごとに脚の骨は砕かれるように痛み、寒気に喉を焼かれ、肉食動物に追われる野兎の鼓動をくり返し、それでも走り続けてはいられる。もしかして、とうに生ける屍であろうと、それでもまだ、私たちはまだ。 「終わっていない」と口にする。すると、その時が近いことが私にはわかる。北の空の星が一つ落ちると、地の底より伸びた骸の五指が足首を掴み私を引き倒した。  私は這いずった。立ち上がれなくとも走ることはできる。まだコール音が聞こえている、その合間よりぐうぐうという振動が雪を伝った。スマートフォンには通知が、茜さんからのトークが届いた。息を切らせた亀が兎を追い越すその速度でそれを掴み、名前を呼ぶ。すぐに彼女と通話が繋がると、「助けてください」と言う。あの老夫婦にとってそうであったように今、彼女は私にとって唯一なる神様だった。  うわごとのように全てを伝え、もう一度「助けてください」と言った。彼女の返事は私を立ち上がらせ、そして「茜さん、どうか」と通話を終えた。  再び走り出し奏さんへのコールを始めた(それはまだ繋がっている)スマートフォンにある位置情報が届く。リカ・アンガラ。私たちが眺めたような支流ではなく、市街地よりほど近くにある本流。人を生かし、包み込みまた滅ぼしさえする永遠の流れを私は目指した。茜さんがどのような手段、理由を持っているか、それは今置き去りにされた。明日、奏さんをまじえ三人で、あるいはより多くの人々と言葉を交わすことさえ私は夢に見た。それは希望であり同等の恐怖だ。  果たして、そこには橋がかかっている。たもとより等間隔に、ほの白い街灯がそれぞれ孤独に並ぶその途中に奏さんはいた。光と光の間隙、最も暗い場所に彼女は立っていて、手にした明かりに照らされた表情はぼやけて見えた。 「奏さん」と私は呼ぶ。その声は、数十メートルをたやすく越える。  彼女は顔を上げる。私を一瞥すると、スマートフォンに触れる。私の手のひらにあるそれのコール音がついに止み、『文香』と聞こえた。 「あの」と私が言い、『うん』と彼女が答える。それきりしばらく言葉は止んだ。私は息を切らせていて、凍りついた喉が砕けるように痛んでいて、未だ捜していた。彼女にかける言葉を捜していた。見つけました。心配をしました。何をしていたんですか。どうしてこんなところへ。寒くはありませんか。どこか痛みませんか。もう離れないでください。近くにいてください。あなたがいなければ私は無です。奏さん。私は、あなたが大切です。あなたの大切な人があなたを大切に思うより、それよりも、強く。けれどやっと、あの喪失より���十三日を経て私は初めて、「帰りましょう」と彼女に言えた。それはダイナーを出ようとする間際に茜さんが言ってくれた言葉であり、私の心臓で成長を続けていた病巣だった。  それが剥がれ落ち、血が吹き出す。ひどく痛めつけられた喉の奥より流れ出した血はゆっくりと体内を下り、生臭い、腐敗した金属のような香りとして脳を揺さぶった。嘔吐をしないように、せめて口内にたまった血を吐き出せばそれは漆黒の、この空の夜と同じ色をしている。 『私、祈っていたの』と聞こえた。彼女の声は今、限りなく近いまったくの別人のものとして聞こえた。『日付が変わるまでに文香がここに来てくれますようにって。叶うなんて、思わなかった』  そうして彼女は小さく笑った。私は、そんなものいらなかった。そんな、誰かの笑い声を聞きたくなかった。笑いながらこぼす涙を見たくなかった。奏さんに会いたかった。ずっと、そばにいながらも失われ遙か遠い世界をさまよう奏さんに会いたかった。  私は、あなたを捜している。 『ありがとう、文香』と彼女は言う。 「やめてください」と私は答える。歩き出す。しかし凍える大気が、とうに使い果たされた肉体が、私を阻害する。一歩はもう、絞首刑台を拒みながら登るような重みだった。 『出会えて良かった』 「聞きたくありません」 『楽しかったよ』 「そうではありません」 『あなたが好きよ』 「私たちに必要なのは、もっと」 『愛してるって、言ってくれないの』 「伝えます。あなたを抱きしめて、何度でも」 『残念』  そう言って彼女は欄干を乗り越え、すうと飛び降りた。それはあまりに優雅で、私に微塵の時間さえ与えてくれなかった。  私は名前を、呼ばなかった。応える人は、たった一人のあなたはもういなくなった。リカ・アンガラの冷酷な流れに還っていった。全てが終わったとわかると、心は可能性を旅した。もし、彼女に触れられていれば。朝、異変に気付いていれば。もっと早くから捜していれば。この街に来なければ。国を越えなければ。少なくとも日本にて暮らしていれば。誰かと共にいれば。ふたりきりにさえならなければ。失わなければ、失いさえしなければ、私たちは。  やがてそれすらも過ぎ去ると、放棄された肉体は地に伏し終わってしまった世界を眺めた。氷雪の上には、私のスマートフォンが転がっていた。その画面は、未だ通話を示していた。  まだ、繋がっている。  私はそれを耳に当てる。ほとんど感覚が消えているために、つぶすほどに押しつける。かすかな、規則正しく聞こえる何かの旋律にぼうとしたノイズが紛れると、私の体を青白い風がひと撫でした。 「奏さん」と呼んだ。応えはなかった。私は立ち上がり見下ろす。彼女が飛び立った欄干より、その光景を見る。彼女はそこにいて、泣いている。声もあげず、膝を丸めて。その体を、白銀の氷が抱きしめている。大いなる流れはせき止められ、彼女の命は還らなかった。終わらなかった。私たちは、まだ、続いていられた。  私は飛び降りる。彼女がしたように、そうして手ひどく体を痛める。凍えていて、また全身が絶えず鞭打たれるように痛んでいてどこがどれほど傷ついたのかは判然としないが、しかし、彼女も同じであることは容易にわかった。だから、私は彼女へ近づく。この薄い氷が(その下で流れる水の様子さえはっきりと見える)割れないことは、信じられた。  私は這いずり、時が流れる速度でやっと、彼女に触れた。彼女は泣いていて、もう笑っていなかった。彼女の涙があふれていた。それはこぼれては凍りつき、失われたものと混ざり銀の星になった。 「あなたを、愛しています」と私は言った。そうして震える手を、小指より薬指、中指、人差し指そして親指までを繋げると自然に手のひらが重なり、そのとき、彼女は声をあげて泣きはじめた。おそろしい、なくした心の半分を悼む叫び声を絶え間なくあげ続けた。  私は彼女を抱きしめ、まくしたてた。帰りましょう。私たちの仮宿へ。ひとまず眠り、朝には軽い食事をして、そうしたら出かけましょう。この街を、ただ歩きましょう。少し寒いかもしれませんが、大丈夫です。そう、あなたに見ていただきたい場所があるのです。それに、茜さんにも会いたい。たしか帰国は夜の便だと言っていました。三人で夕食、もしかして昼食になるかもしれませんが、ご一緒しましょう。その後はまた仮宿へ戻り、眠りましょう。そんな日々を、心ゆくまで過ごしましょう。そうしたら、それから。それから。  彼女はくり返し、一言ごとに頷き、帰りましょうとふたたび私が言うと「うん」と心臓で答える。ひとつ息をついで、「ありがとうございます」と私は言う。氷上の星が一度またたく。
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(from)
『my dear dark blue e.p.』 https://funenbutsu.booth.pm/items/1074856
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fumihiroibuki · 4 years
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live schedule
ーAugust, 2024
8/10(土) あいみょん @ROCK IN JAPAN FES. 2024 8/11(日) 星野源 @ROCK IN JAPAN FES. 2024 8/17(土) 星野源 @SUMMER SONIC 2024 TOKYO 8/23(金) KIRINJI “2024 KIRINJI Live in Taipei” @台湾 8/25(日) KIRINJI “LaLaLa Festival 2024” @インドネシア 8/29(木) KIRINJI “HORIPRO × ライブナタリー Presents “Baby Steps. -3rd step-”” @Zepp Shinjuku 8/31(土) KIRINJI “Slow LIVE '24 in 池上本門寺” @東京 池上本門寺
ーSeptember, 2024
9/7(土) 中村佳穂 “30th Sunset Live 2024 -Love & Unity-”  @福岡 芥屋海水浴場 9/14(土) いきものがかり “ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2024 in HITACHINAKA”@ 国営ひたち海浜公園 9/21(土) fumihiro ibuki & friends vol.24 @用賀 キンのツボ 高木大丈夫(g & vo), 佐々木詩織(vo), 中田海都(g), 林あぐり(b), 伊吹文裕 (ds) 9/28(土) あいみょん AIMYON TOUR 2024-25 "ドルフィン・アパート" @千葉 LaLa arena TOKYO-BAY 9/29(日) あいみょん AIMYON TOUR 2024-25 "ドルフィン・アパート" @千葉 LaLa arena TOKYO-BAY
ーOctober, 2024
10/8(火) あいみょん AIMYON TOUR 2024-25 “ドルフィン・アパート” @福岡 マリンメッセ福岡A館 10/9(水) あいみょん AIMYON TOUR 2024-25 “ドルフィン・アパート” @福岡 マリンメッセ福岡A館 10/12(土) KIRINJI “京都音楽博覧会2024 in 梅小路公園” @京都梅小路公園 10/14(月・祝) モノンクル @東京 COTTON CLUB 10/19(土) あいみょん AIMYON TOUR 2024-25 “ドルフィン・アパート” @兵庫 神戸ワールド記念ホール 10/20(日) あいみょん AIMYON TOUR 2024-25 “ドルフィン・アパート” @兵庫 神戸ワールド記念ホール 10/25(金) ずっと真夜中でいいのに。 “やきやきヤンキーツアー2 ~スナネコ建設の磨き仕上げ” @岐阜 長良川国際会議場 10/26(土) あいみょん AIMYON TOUR 2024-25 “ドルフィン・アパート” @静岡 エコパアリーナ 10/27(日) あいみょん AIMYON TOUR 2024-25 “ドルフィン・アパート” @静岡 エコパアリーナ
ーNovember, 2024
11/4(月・祝) ずっと真夜中でいいのに。 “やきやきヤンキーツアー2 ~スナネコ建設の磨き仕上げ” @松山市民会館 11/9(土) あいみょん AIMYON TOUR 2024-25 “ドルフィン・アパート” @神奈川 Kアリーナ横浜 11/10(日) あいみょん AIMYON TOUR 2024-25 “ドルフィン・アパート” @神奈川 Kアリーナ横浜 11/13(水) ずっと真夜中でいいのに。 “やきやきヤンキーツアー2 ~スナネコ建設の磨き仕上げ” @札幌文化芸術劇場hitaru 11/15(金) ずっと真夜中でいいのに。 “やきやきヤンキーツアー2 ~スナネコ建設の磨き仕上げ” @旭川市民文化会館 11/16(土) あいみょん AIMYON TOUR 2024-25 “ドルフィン・アパート” @東京 有明アリーナ 11/17(日) あいみょん AIMYON TOUR 2024-25 “ドルフィン・アパート” @東京 有明アリーナ 11/23(土・祝) あいみょん AIMYON TOUR 2024-25 “ドルフィン・アパート” @新潟 朱鷺メッセ・新潟コンベンションセンター 11/24(日) あいみょん AIMYON TOUR 2024-25 “ドルフィン・アパート” @新潟 朱鷺メッセ・新潟コンベンションセンター
ーDecember, 2024
12/7(土) あいみょん AIMYON TOUR 2024-25 “ドルフィン・アパート” @広島グリーンアリーナ 12/8(日) あいみょん AIMYON TOUR 2024-25 “ドルフィン・アパート” @広島グリーンアリーナ 12/14(土) あいみょん AIMYON TOUR 2024-25 “ドルフィン・アパート” @愛知 ポートメッセなごや第1展示館 12/15(日) あいみょん AIMYON TOUR 2024-25 “ドルフィン・アパート” @愛知 ポートメッセなごや第1展示館 12/21(土) あいみょん AIMYON TOUR 2024-25 “ドルフィン・アパート” @宮城 セキスイハイムスーパーアリーナ 12/22(日) あいみょん AIMYON TOUR 2024-25 “ドルフィン・アパート” @宮城 セキスイハイムスーパーアリーナ
ーJanuary, 2025
1/8(水) あいみょん AIMYON TOUR 2024-25 “ドルフィン・アパート” @北海道 北海きたえーる 1/9(木) あいみょん AIMYON TOUR 2024-25 “ドルフィン・アパート” @北海道 北海きたえーる 1/11(土) ずっと真夜中でいいのに。 “やきやきヤンキーツアー2 ~スナネコ建設の磨き仕上げ” @宮崎市民文化ホール 1/18(土) あいみょん AIMYON TOUR 2024-25 “ドルフィン・アパート” @愛媛 愛媛県武道館 1/19(日) あいみょん AIMYON TOUR 2024-25 “ドルフィン・アパート” @愛媛 愛媛県武道館 1/25(土) あいみょん AIMYON TOUR 2024-25 “ドルフィン・アパート” @��庫 神戸ワールド記念ホール 1/26(日) あいみょん AIMYON TOUR 2024-25 “ドルフィン・アパート” @兵庫 神戸ワールド記念ホール
ーFebruary, 2025
2/1(土) あいみょん AIMYON TOUR 2024-25 “ドルフィン・アパート” @沖縄アリーナ 2/2(日) あいみょん AIMYON TOUR 2024-25 “ドルフィン・アパート” @沖縄アリーナ 2/12(水) あいみょん AIMYON TOUR 2024-25 “ドルフィン・アパート” @大阪城ホール 2/13(木) あいみょん AIMYON TOUR 2024-25 “ドルフィン・アパート” @大阪城ホール
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ー2023 1/14(土) ずっと真夜中でいいのに。 “ROAD GAME『テクノプア』~叢雲のつるぎ~” @国立代々木競技場第一体育館 1/15(日) ずっと真夜中でいいのに。 “ROAD GAME『テクノプア』~叢雲のつるぎ~” @国立代々木競技場第一体育館 2/4(土) Awesome City Club “HIGH FIVE 2023” @Zepp Sapporo 2/5(日) fumihiro ibuki & friends vol.19 @札幌 live & bar After Dark 高木大丈夫(gt&vo), 宮川純(key), 林あぐり(bs), 伊吹文裕(dr) 2/24(金) fumihiro ibuki & friends vol.20 @神奈川・元住吉POWERS2 高木大丈夫(gt&vo), 宮川純(key), 林あぐり(bs), 伊吹文裕(dr), 佐々木詩織(guest vo) 3/2(木) 下北沢SHELTER & 山﨑聖之(dr) presents「あなたのドラム、詳しく聞かせて? Vol.12 - Guest:伊吹文裕」 @下北沢SHELTER 3/5(日) 中村佳穂 TOUR うたのげんざいち ✌ NIA・near Special ✌ @NHK大阪ホール 3/8(水) 中村佳穂 TOUR うたのげんざいち ✌ NIA・near Special ✌ @渋谷Bunkamuraオーチャードホール 3/19(日) あいみょん @沖縄 HY SKY Fes 2023 3/24(金) LAGHEADS 2nd ALBUM Where is “LAGHEADS”? RELEASE PARTY 〜聴きに来て、ゼッタイ〜 @渋谷CLUB QUATTRO 4/7(金) あいみょん AIMYON TOUR 2023 -マジカル・バスルーム- @神奈川 よこすか芸術劇場 4/12(水) あいみょん AIMYON TOUR 2023 -マジカル・バスルーム- @長崎ブリックホール 4/14(金) あいみょん AIMYON TOUR 2023 -マジカル・バスルーム- @鹿児島 川商ホール第一 4/18(火) あいみょん AIMYON TOUR 2023 -マジカル・バスルーム- @沖縄コンベンション劇場 4/19(水) あいみょん AIMYON TOUR 2023 -マジカル・バスルーム- @沖縄コンベンション劇場 4/26(水) あいみょん AIMYON TOUR 2023 -マジカル・バスルーム- @香川 レクザムホール 4/27(木) あいみょん AIMYON TOUR 2023 -マジカル・バスルーム- @愛媛県県民文化会館 4/29(土) 秦 基博 CONCERT TOUR 2023 -Paint Like a Child- @群馬 高崎芸術劇場 5/1(月) あいみょん AIMYON TOUR 2023 -マジカル・バスルーム- @群馬 高崎芸術劇場 5/4(木・祝) 秦 基博 CONCERT TOUR 2023 -Paint Like a Child- @福岡サンパレスホール 5/6(土) 秦 基博 CONCERT TOUR 2023 -Paint Like a Child- @熊本城ホール メインホール 5/9(火) あいみょん AIMYON TOUR 2023 -マジカル・バスルーム- @福井フェニックスプラザ 5/11(木) あいみょん AIMYON TOUR 2023 -マジカル・バスルーム- @富山オーバードホール 5/12(金) 秦 基博 CONCERT TOUR 2023 -Paint Like a Child- @高知県立県民文化ホール 5/14(日) 秦 基博 CONCERT TOUR 2023 -Paint Like a Child- @香川レクザムホール 5/16(火) あいみょん AIMYON TOUR 2023 -マジカル・バスルーム- @三重県文化会館 5/18(木) あいみょん AIMYON TOUR 2023 -マジカル・バスルーム- @愛知 センチュリーホール 5/19(金) あいみょん AIMYON TOUR 2023 -マジカル・バスルーム- @愛知 センチュリーホール 5/20(土) 秦 基博 CONCERT TOUR 2023 -Paint Like a Child- @愛知 センチュリーホール 5/23(火) あいみょん AIMYON TOUR 2023 -マジカル・バスルーム- @宮城 仙台サンプラザホール 5/25(木) あいみょん AIMYON TOUR 2023 -マジカル・バスルーム- @秋田 芸術劇場ミルハス 5/26(金) 秦 基博 CONCERT TOUR 2023 -Paint Like a Child- @岡⼭市⺠会館 5/28(日) 秦 基博 CONCERT TOUR 2023 -Paint Like a Child- @広島⽂化学園HBGホール 5/29(月) あいみょん AIMYON TOUR 2023 -マジカル・バスルーム- @大阪フェスティバルホール 5/30(火) あいみょん AIMYON TOUR 2023 -マジカル・バスルーム- @大阪フェスティバルホール 6/2(金) 秦 基博 CONCERT TOUR 2023 -Paint Like a Child- @北海道 札幌⽂化芸術劇場hitaru 6/4(日) ずっと真夜中でいいのに。“活動5年記念 生配信LIVE” 6/5(月) 梶原 順(g) SESSION w/杉村謙心(g), 川内啓史(b), 伊吹文裕(dr) @高円寺JIROKICHI 6/9(金) 秦 基博 CONCERT TOUR 2023 -Paint Like a Child- @埼玉 大宮ソニックシティ 6/13(火) あいみょん AIMYON TOUR 2023 -マジカル・バスルーム- @兵庫 神戸国際会館 6/14(水) あいみょん AIMYON TOUR 2023 -マジカル・バスルーム- @京都ロームシアター京都 6/16(金) 秦 基博 CONCERT TOUR 2023 -Paint Like a Child- @石川 本多の森ホール 6/17(土) Awesome City Club “さよなら中野サンプラザ音楽祭” @東京 中野サンプラザ 6/18(日) 秦 基博 CONCERT TOUR 2023 -Paint Like a Child- @神奈川県⺠ホール 6/19(月) あいみょん AIMYON TOUR 2023 -マジカル・バスルーム- @北海道 函館市民会館 6/21(水) あいみょん AIMYON TOUR 2023 -マジカル・バスルーム- @北海道 札幌文化芸術劇場 6/22(木) あいみょん AIMYON TOUR 2023 -マジカル・バスルーム- @北海道 札幌文化芸術劇場 6/23(金) 秦 基博 CONCERT TOUR 2023 -Paint Like a Child- @大阪フェスティバルホール 6/25(日) 秦 基博 CONCERT TOUR 2023 -Paint Like a Child- @福島 いわき芸術文化交流館アリオス 6/30(金) あいみょん AIMYON TOUR 2023 -マジカル・バスルーム- @栃木 宇都宮市文化会館 7/1(土) 秦 基博 CONCERT TOUR 2023 -Paint Like a Child- @宮城 仙台サンプラザホール 7/3(月) 秦 基博 CONCERT TOUR 2023 -Paint Like a Child- @渋谷 NHKホール 7/4(火) あいみょん AIMYON TOUR 2023 -マジカル・バスルーム- @広島文化学園HBGホール 7/5(水) あいみょん AIMYON TOUR 2023 -マジカル・バスルーム- @広島文化学園HBGホール 7/7(金) あいみょん AIMYON TOUR 2023 -マジカル・バスルーム- @岡山 倉敷市民会館 7/9(日) 秦 基博 CONCERT TOUR 2023 -Paint Like a Child- @秋田 あきた芸術劇場ミルハス 7/12(水) あいみょん AIMYON TOUR 2023 -マジカル・バスルーム- @福岡サンパレス 7/13(木) あいみょん AIMYON TOUR 2023 -マジカル・バスルーム- @福岡サンパレス 7/15(土) 秦 基博 CONCERT TOUR 2023 -Paint Like a Child- @奈良 なら100年会館 7/17(月・祝) 秦 基博 CONCERT TOUR 2023 -Paint Like a Child- @兵庫 神⼾国際会館 7/19(水) あいみょん AIMYON TOUR 2023 -マジカル・バスルーム- @東京ガーデンシアター 7/20(木) あいみょん AIMYON TOUR 2023 -マジカル・バスルーム- @東京ガーデンシアター 7/22(土) 秦 基博 CONCERT TOUR 2023 -Paint Like a Child- @東京国際フォーラムホールA 7/23(日) あいみょん AIMYON TOUR 2023 -マジカル・バスルーム- @東京国際フォーラムホールA 8/11(金) ハナレグミ @RISING SUN ROCK FESTIVAL 2023 in EZO 8/12(土) あいみょん @ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2023 8/18(金) ずっと真夜中でいいのに。 @SONICMANIA 8/19(土) 星野源 @SUMMER SONIC 2023 TOKYO 8/20(日) ずっと真夜中でいいのに。 @SUMMER SONIC 2023 OSAKA 8/21(月) 大貫妙子 コンサート ピーターと仲間たち @恵比寿 ザ・ガーデンホール 8/22(火) 大貫妙子 コンサート ピーターと仲間たち @恵比寿 ザ・ガーデンホール 8/25(金) あいみょん @SWEET LOVE SHOWER 2023 8/27(日) ずっと真夜中でいいのに。  @SWEET LOVE SHOWER 2023 9/2(土) いきものがかり “アニメ『NARUTO』20周年記念 NARUTO THE LIVE” @ 東京 幕張メッセ 9/6(水) 秦基博 “HATA EXPO Livehouse Circuit 2023” @ 大阪 Zepp Osaka Bayside 9/15(金) 挾間美帆 m_unit 日本ツアー 2023 @ 栃木 那須野が原ハーモニーホール 9/16(土) あいみょん “ロックロックこんにちは! 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sugarsui · 2 years
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2022/4/10
 佐々木朗希が完全試合、13者連続奪三振日本新記録、19奪三振タイ記録とこんなことがあっていいのかと思えるほどの出来事が詰め込まれた日だった。ロッテなんて不名誉な記録ばかりが増えていくばかりで、こんなことがあるのかとただただ感慨深かった。完全試合を達成した瞬間に涙を流し、あとでもう一度見返して、もう一度泣いてた。
 さて昨日のイベント振り返り日記。私が行ったのは、ミュージックレイン三期生の初のイベントで、日々荘というアパートで同棲する五人の日常というテーマをもとに、私服、セットに私物など置かれているものだった。私が好きな宮沢小春は、カメラ、新明解国語辞典などを持ち込んでいた。最初に朗読劇、今後も継続的にこのコンセプトでイベントをやるということで事前に集めていたアンケートの読み上げ、橘未來の中国語日本語クイズ、夏目ここなの10人ぴったりクイズ、最後に月下儚美を披露と1時間半でぎっちりとした内容だった。
 私が観たのは昼の回で、写真にあるようなまさに天気にふさわしい春服でとても良かった。
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 途中のアンケートを紹介する場面では進行役ということもあり、他の人の話を適当にあしらったり、他のコーナーではとても楽しそうにしていて良かった。あと初めて生歌を聞けた。以前、ライブの配信を聞いた際に、CDのものとは違った情動強めの歌い方をしていて、こういうふうに歌うのかと驚いていたが、それがより洗練されて張りと伸びやかさがさらにのせられていてとても良かった。キャラというよりかは、本人の感情100%という具合。
 という具合に、イベントそれ自体はとても楽しかった。それと同時にやっぱり私は推し活なるものに向いてないかもしれないと思ってしまった。この日記を書く理由の一つは、宮沢小春と出会ってしまって、ドゥルーズがいうような出来事、従来の歴史の蝶番が外れ特異なものごとが生起してしまったこと、が生じてしまってから私自身がどのような末路を辿るかを自分のために残しておくということ。
 1月くらいに起きたこの出来事から、じゃあどう向き合うかと考えた結果、できる限り差別的な構造や関係に陥らないように自分の仄暗さを延々と見つめ続け、自己を作りかえ続けることにした。この時点で、一般的に共有されている推し活のあり方とはどうやら違いそうだぞとなっていたが、ジェーン・スーは「地獄は楽しいぞ」と背中を押してくれて、とりあえずこれで来ていた。
 しかし、今回のイベントを終えて、イベントそれ自体は楽しかったけど、感想を検索するとでてくる、推しを見られて至上の喜びだった、これまでの苦労が全て報われたというものを多く見かけて私にそうした感情が全くなかった。喜びや楽しさという点で言えば、本を読んだり、音楽を聞いたり、考え事をしていりするほうがより大きな喜びを感じられる。私が推し活なるものに何を期待していたのか、オタクであることに何を思っていたが全く分からないけど、自分もそうした喜びを全く共有できなかったことに、なんだか強い疎外を感じてただただ悲しくなってしまった。推しそれ自体がいなくても私の人生は問題なく回り、健康に生きられるし、時間を共有することの楽しみが他のものよりも全く劣ったものだとわかってしまったことに悲しくなってしまった。
 Good Dog Happy MenのGroria Streetから愛を込めて#2という曲の歌詞は「遅れてきた俺は見事あぶれ日銭を稼ぐだけの冴えない暮らし。楽園だなんて聞いてたのに目に映るのは亡者の長い列と不気味な時計塔」から始まり、「何かが微笑むと聞いてこの街に来た。誰かが微笑んでる気がしてこの街に来たけど。何かが微笑むと聞いてこの街に来た」と締めくくられる。そんな歌詞のような気持ちとともに、来月もイベントがあるようなのでとりあえず申し込み、疎外感があるということは疎外されていない状態が何か自分のなかに措定されていたということであって、それを考え続けてみる。
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arthouseguide · 2 years
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巡回上映【現代アートハウス入門 ドキュメンタリーの誘惑】上映7作品中、6作品決定!
巡回上映【現代アートハウス入門 ドキュメンタリーの誘惑】 上映作品7作品中、6作品が決定しました❕❕ 古典的名作からコンテンポラリーな傑作まで✨ぜひこの機会に“ドキュメンタリー”の多様な方法と視点の面白さをご堪能ください。 残り1作品やゲストによるトークイベントについては、続報をお楽しみに😊
°˖✧ LINEUP ✧˖° ※製作年順 ・ ❶ ルイジアナ物語(原題:Louisiana Story) 監督:ロバート・フラハティ|1948年|アメリカ|78分 ・ ルイジアナの広大な湿地帯で両親と暮らす少年アレクサンダー。自然と野生動物に囲まれた生活は、父親が油田掘削の許可書にサインしたことで大きく変わっていく…。『極北のナヌーク』『モアナ』などで知られるロバート・フラハティ監督による物語映画として世界映画史にその名を刻む本作だが、もとは石油会社のPR映画だった。野生のワニやアライグマなど“ドキュメンタリーバリュー”もたっぷり。 ・ ❷ 1000年刻みの日時計 牧野村物語 監督:小川紳介|1986年|日本|222分 ・ 三里塚から山形・牧野へ移住し、田畑を耕しながら映画制作を続けた小川プロの13年の集大成。稲の生殖の営みや水田のなかの考古物の発掘など科学的アプローチに加え、村に何世代にもわたって語り継がれる口承の物語��、土方巽、宮下順子、田村高廣ら職業俳優とともに、牧野村の人びとが“ドラマ”として演じてみせる。1000年という歴史と牧野の風土が編みこまれた、映画史上類を見ない傑作。 ・ ❸ セザンヌ(原題:Cézanne) 監督:ジャン=マリー・ストローブ、ダニエル・ユイレ|1989年|フランス|50分 ・ 詩人ジョアシャン・ガスケによる評伝「セザンヌ」に記された空想的な対話の朗読に重ねて、セザンヌゆかりの土地やセザンヌの絵画が映し出される。実物の絵画を直接撮影している点では記録映画であり、ガスケによって虚構化されたセザンヌという人物の言葉を劇的に再虚構化している点では劇映画にも近い。ポール・セザンヌの過激な絵画観に、過激な映画作家ストローブ=ユイレが肉迫する。 ・ ❹ 書かれた顔(原題:The Written Face) 〈4Kレストア版日本初上映〉 監督:ダニエル・シュミット|1995年|スイス、日本|89分 ・ 歌舞伎界で当代一の人気を誇る女形、坂東玉三郎。「鷺娘」「積恋雪関扉」といった舞台や、芸者に扮した彼を2人の男が���い合う劇「黄昏芸者情話」が挿入され、玉三郎の秘密へと観る者を誘う。俳優の杉村春子や日本舞踊の武原はんの談話、現代舞踏家の大野一雄の舞いなども。現実と虚構さえもすり抜けていくシュミットのスイス・日本合作となった本作では、青山真治が助監督を務めた。 ・ ❺ SELF AND OTHERS 監督:佐藤真|2000年|日本|53分 ・ 1983年に36歳で夭逝した写真家、牛腸茂雄。郷里の新潟、ときに死の不安に苛まれながら写真家生活を営んだ東京のアパートなどゆかりの地を巡り、彼が遺した痕跡を辿る。被写体の眼差しを焼き付けたようなポートレート、姉に宛てた手紙、そして、見つけ出されたカセットテープ。しだいに彼の不在そのものがかたどられていく。撮影に田村正毅、録音に菊池信之が参加。手紙の朗読を西島秀俊が務めた。 ・ ❻ 物語る私たち(原題:Stories We Tell) 監督:サラ・ポーリー|2012年|カナダ|108分 ・ 太陽みたいに明るく無邪気だった母ダイアン。彼女が亡くなったとき、末っ子のサラはまだ11歳だった。「サラだけがパパに似てない」、ポーリー家おきまりのジョークにサラは少し不安になる。母の人生の真実を探り出そうとカメラを向けると、みんなの口からあふれ出したのは彼女の知られざる恋について——。俳優で映画監督のサラ・ポーリーが、自身の出生の秘密をウィットとユーモアをこめて描く。 ・ ⭐・⭐・🌛・⭐・⭐・⭐・⭐ ・ 巡回上映【現代アートハウス入門 ドキュメンタリーの誘惑】 ・ ❖開催劇場情報❖ [東京] ユーロスペース 10/22㊏〜 [愛知] 名古屋シネマテーク 11/12㊏〜 [大阪] シネ・ヌーヴォ 11/3㊍〜 [京都] 京都シネマ 11/11㊎〜 [鳥取] ジグシアター 12/3㊏〜 ・ ❖アンケート回答者❖ ※五十音順・敬称略 入江悠、小川紗良、小田香、草野なつか、小森はるか、島田隆一、白石晃士、瀬田なつき、想田和弘、富田克也、広瀬奈々子、深田晃司、藤元明緒、甫木元空、松林要樹、三宅唱、山中瑶子、横浜聡子 ・ アンケート結果は公式サイトにて掲載中▶ https://arthouse-guide.jp/
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