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#勝敗
moko1590m · 2 months
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実益実損(害)を伴わない勝敗はすべてごっこ遊び
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umedanakazaki · 2 years
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外国の方が来店され、言葉が通じないのとお腹が減っているのが重なってか随分イライラさせてしまったけど、身振り手振りで何とか伝わり、食事が始まり笑顔になった。伝えたい内容をWEBで翻訳して手紙を渡し、帰りにその国の国歌を玄関で歌ったら、また来ますねと喜んでくれた。ありがとうございます! 彼を知り己を知る。出来ることは必ずある。サービス業で白星がつくのはお互いが笑顔になったとき。 さて、本日火曜日ですが営業のため日替わり弁当あります。 #2月21日 #日替り弁当 ほっこりとする味わい #肉じゃが #柔らか牛肉 #ホックりじゃが芋 #彩り人参 お弁当のおかずになるようしっかりと味付 ご飯の上に #照焼きチキン 柔らか仕上げでご飯にピッタリ 副菜は #小エビのガーリックパスタ #揚げシュウマイ 税込550円 皆様のご注文お待ちしております。 #てつたろう #勝敗 #笑顔 #梅田居酒屋 #中崎町居酒屋 #海鮮居酒屋 #大阪グルメ #梅田グルメ #イーデリ #支援者募集中 #社会貢献 https://www.instagram.com/p/Co5DNdGy1BS/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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taiwannext · 2 years
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蔣中正寬大處理日軍戰俘政策及他的勝利演說內容
民國34年(公元1945年)8月15日,日本天皇公開承認戰敗,宣布無條件投降後,蔣中正主席隨即發表將第二次世界大戰劃下句點的一場聞名於世的勝利演說。 蔣前總統表示:「我中國同胞們必知「不念舊惡」及「與人為善」為我民族傳統至高至貴的德性。我們一貫聲言,祇認日本黷武的軍閥為敵,不以日本的人民為敵; 今天敵軍已被我們盟邦共同打倒了,我們當然要嚴密責成他忠實執行所有的投降條款,但是我們並不要報復,更不可對敵國無辜人民加以污辱,我們只有對他們為他的納粹軍閥所愚弄所驅迫而表示憐憫,使他們能自拔於錯誤與罪惡。 要知道如果以暴行答復敵人從前的暴行,以奴辱來答復他們從前錯誤的優越感,則冤冤相報,永無終止,決不是我們仁義之師的目的。這是我們每一個軍民同胞今天所應該特別注意的。」 這項演說的內容,也成為後來處理日軍戰俘的重要原則。蔣中正命令駐華日軍總司令岡村寧次在國軍前來接收之前,仍然協助維持地方治安…
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antsloveyun · 4 months
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kuribayashisachi · 1 year
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#勉強メモ
野口良平『幕末的思考』 第3部「公私」 第2章「滅びる者と生き残る者」-1、2
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*あくまでワタクシの危うい理解のもとにとったメモですので、ぜんぜん受け取り間違ってるかもしれません。 ぜひぜひ、野口良平『幕末的思考』みすず書房をお読みくださいませ!
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偉い人だけで準備した国会や憲法が整い、「日本」がいちおう近代国家らしくなった明治20年代。
明治20年代は《列島の精神史にとっての重大な転換期》だと、著者は言います。
これまでは、戊辰戦争や西南戦争の敗者や、「意見の違う者同士の対立があって維新を迎えたこと」に心を寄せる人たちが庶民の中にもたくさんいた。 それが、 明治27年の日清戦争後は、国民の気分が一変。したのだそうです。
「優れた者が勝ったのだ」「おれたち日本人、天皇のもと心を一つに大きな国を作るのがタダシイ」という一本調子の言説が主流になってゆく…… その様相が論客たちの精神活動史を通じて辿られます。
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-1 
まず、最高学府、東京帝国大学の大先生たちがヤバくなってくる。
-1節では、こうした先生方の精神の営みを追っていきます。 のですが、何を思って大先生方がこんなことするのかわからない。読者も理解に苦しむし、たぶん、著者にも「わかりたくもない!」のかもしれない。うわーぜんぜん楽しくない。
奇妙な”横暴正当化”の人たち。現代社会にもたくさんいる。 明治20年代からずっと続いているのかもしれない。
・井上哲次郎(帝国大学教授)
天皇の名を持ちだして、いろんなことの正当性にすえた。
そもそも天皇バンザイ教は、西洋におけるキリスト教をまねた「市民宗教」で、理屈抜きに国民をまとめようという企みだったのに、その企みを隠すかのように、天皇の肖像にお辞儀しなかった内村鑑三やキリスト教信仰を攻撃したりした。変すぎる。
・加藤弘之(帝国大学総長)
加藤は元々は幕臣で、官軍が攻めてきたときは主戦派だった。 明治になり、新政府のもとで重く用いられる。 すると急に「優勝劣敗」なんてことを平気で言い出す。 「新政府は優れていて正しいから勝ったんだよ、負けた方は自分が劣ってるのが悪いのだからだまっとけ」というあきれた理屈。
『強者の権利の競争』という(何かのギャグ?)タイトルの本を一生懸命書き、日本語、そしてわざわざドイツ語で出版したそうです。
そのほか、当時の東大(帝国大学)では、 いろんな大先生たちが 「進化論(=優れた者だけが生き残るように世の中はできているんだよねっ)」だとか 「天腑の人権なんてない」とか 「スペンサーの哲学」(弱い劣った者は淘汰されて当然)なんてものをふりまわし出していたそうで、若者たちは、これに相当影響されていった……とか。
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-2 山路愛山 VS 北村透谷
-2節では、 こういう偉い先生たちの言説を聞いて、反論した若者たちのこと。
山路愛山と北村透谷。2人の若者の発言が紹介されます。
2人は、同じように幕臣・藩士の子で、「敗者」側に生まれ、キリスト教に希望を見て受洗。知り合いでもあったそうです。
山路愛山は幕臣の子(父は函館五稜郭まで行って幕府軍に参加した人)、父は失意のあまり酒浸り。 愛山は貧しい家計を支えるため、子供の頃から働いてガッツで生きぬきます。当時翻訳されて明治ドリームを盛り上げたスマイルズ『西国立志編』を読んで、“人は生まれた境遇や身分にかかわらず、努力と忍耐で一生を築くことが出来るのだ!”という考えに大いに励まされたそうです。
わかりやすいですね、大河ドラマの主人公になりそうです。
といって愛山は、勝ち組エリートの「優勝劣敗」に大賛成かというと、少し違うようです。 のちの著書(「現代日本教会史論」)で彼は、 「敗者には敗者の自負がある!」《総ての精神的革命は時代の陰影より出づ》」と、敗者側の魂を語っているそうです。
かたや北村透谷は、 時流に乗り遅れた小田原藩士の子。無気力な父とがんばり屋だけど怖いお母さんの下で育ちます。 小学校時代に世を席巻した自由民権運動に引かれ、歴史小説を愛読しました。
透谷は繊細で、やや抑うつ傾向があったけど、東京専門学校に入ると、「政治的に万民に尽くしたい」《一個の大哲学家となりて、欧州州に流行する優勝劣敗の新哲学を破砕す可しと考えたり》(石坂ミナへの手紙)p232 と考えたと言います。
この夢がかなったら、どんなに良かったでしょう。日本の、東洋の、世界の歴史にとって財産だったでしょう。涙
透谷の短い一生は苦渋に満ちています。
まず、夢を託した民権運動が、もう目も当てられないほうへ落ちていってしまう。 運動資金を作るために「強盗をする、お前もこい」と言われた透谷は、苦しんだすえ、剃髪して仲間に断りを入れ、運動を離れたそうです。 こういう行為こそ勇気があると思いますが、透谷には大きな挫折でした。
透谷は一人になってしまいました。 「強盗はどうしてもいやだ、大義のためでも正しくないと思う」という「個人の感情」を大事にすることと、 「「優勝劣敗」は理不尽だと思う」ということ。 この二つを両方大事にすることが、仲間の中でも通じない。
《透谷は二度の敗北を味わった。一度目は共同的な個として、二度目は孤独な個として(ここ、「個としての敗北」とはどの事態を指してるのか、読解できなかったのですが)。透谷が短い生涯において希求したのは、この二重の敗北に耐えうる根拠だった。》
さて。
愛山が単純で、活力に溢れているのに対し、 透谷が繊細で、物事をもっと深くみつめ、愛山のモノサシではとうてい測れないことをつかもうとしているのは、何となくわかりますが、
著者は、2人の違いはまず、「優勝劣敗」について、 愛山が「当然しかたない、世の摂理」と受けとめているのに対し、 透谷は「西洋で流行している変な考え」だと相対化している ところだと、指摘します。
つまり、透谷の方が暗くて弱々しいように見えるかもしれませんが、ずっと弾力があって、もっと高いところまで跳ね上がってものを見極めようとしているわけですね。
(でも、この心の大冒険をするには、彼は人に恵まれてなかったように思って、悲しさではち切れそうになります。健康にも恵まれていなかったのでは。彼が他人に捧げた誠実が、彼に返ってきたかと思うと……)
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山路愛山と北村透谷は「論争」をしたそうです。
愛山の高らかな文学論(頼山陽を褒め称えた内容) 《文章即ち事業なり。文士筆を揮ふ猶英雄剣を揮ぶが如し》に、
透谷が反発を表明。 《繊巧細弱なる文学は端なく湖江の嫌厭を招きて、異しきまでに反動の勢力を現はし来りぬ》
何を言い合っているのか一見、現代人にはわからないですし、 どうも愛山の方には、透谷の問題提起が全くわかっていなかったようです、いかにもわからなそうですよね。
愛山は、 人生とは、「空の空なるもの」ではなく「人間現存の有様だ」。 文学はそういうものを書くべきだ。といい、
透谷は、 いや、人生とは、「空の空なるもの」と「現存の有様」にはっきり分けたりできない、いろんな可能性や忘れ去られたことやなんかがあわさった生命そのものなんだ、と考えた。 愛山のようにはっきりきっぱり言ってしまうこと自体が、何かを排除してる、こういう奴はダメだとか、こうじゃなきゃ×だ、という排他性になってる、それはすごく怖いし、人間てそんなもんじゃないと言いたかった。
愛山も、透谷が死んでしまうと、気にして 「透谷くんは、文学は事業なんかじゃなくて「人の内心」を描くものだ、といってたけど、おれは「心が心に及ぼす影響」のことを事業だと言ってるのだから、彼の反論は的はずれだったんだ」と書いているそうです。
愛山は、その後も元気いっぱい民間の立場で歴史を描き続け、日露戦争の時には、立派な帝国主義者として発言していたそうです。
《吾人は(…)不健全なるもの、不正直なるもの、貪欲なるもの、懶惰なるものの失敗を庇護すべき理由を見ず》こういう失敗をやらかす奴を教導し、健全な国民に育て上げる帝国主義はすばらしい、と。
かたや透谷は未刊の書《『明治文学管見』》の中で、 「憲法は「信教の自由」をいうけれど、ゆるされるのは個々人の内心の自由だけで、集会、演説、布教の自由はない」 と記し、 これって自由? ここでいう内心というのは何? 内心とは? 自由とは? と探求してゆきます。
日本人の心と自由の起源を、まるでルソーがやったかのように、透谷は江戸時代、幕末を遡って探求していったのですが……力尽きて自分で死んでしまうのです。
では、こんな透谷の思想を引き継ぐ人はいなかったのでしょうか。
-3節では、透谷の孤独な闘いを受け継��だものとして、 著者は夏目漱石「こころ」を解説しています。
ちと難しかったので、理解できてないと思いますし、 長くなりますので、次回に……
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bomberheung · 2 years
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今日做觀眾😎心情確實不同 #哥哥妹妹戰敗了 #勝不驕傲 #敗不氣餒 #世界青少年武術散打錦標賽(在 ICE Indonesia - Indonesia Convention Exhibition ICE BSD City) https://www.instagram.com/p/Cl7bSB9PeSq/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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roca404 · 2 years
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. KE MA RI #球技 #勝敗なし #がんばらない #墨絵 #rkgk #illustration DAY504 https://www.instagram.com/p/ClpT1T7vD2E/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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maiteicoach16 · 2 years
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U18 KTA杯 関東ジュニアテニストーナメント(G2) 齋藤 来実 1R 57 57 堀 陽菜子 1R 67 36 残念ながら二人とも1R敗退でした。 課題など含めて、冬の試合に向け準備していきたいと思います🎾 #毎日庭球日 #KTA杯 #ジュニアテニス #コツコツが勝つコツ #テニスコーチ #悔しい #敗退 #ともに #成長 #プリンステニス #princebeast100 #princetour100 #princephantom100 #princeと庭球日 (清水善造メモリアルテニスコート) https://www.instagram.com/p/ClJF8h1pi2-/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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moja-co · 1 month
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Q.自民党の汚職は数え切れませんが、なぜ野党はこれほどにクリーンな政治が実現できたのでしょうか?
ええ~政権についてもいないのに選挙が必要ないマスコミや出版社に信者を送り込んで使ってやりたい放題してるのが特定野党じゃないですか、くそつまらん直木賞作家や芥川賞作家連中見たらみんな極左だしイデオロギーで選んでいるとしか思えないんですが、日曜朝の偏向番組で国民を教育しようとしてますよね、その結果Corabo問題みたいなのがこの世に生まれてLGBT法案やAV法案みたいな悪法を上手く作らせて福祉に繋ぐとか言って自分たちの手下を増やそうと画策してますよね。
A.選挙に勝ってもいないのにこんなに腐敗しているのは日本の野党くらいしか知らないです。
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gu4 · 9 months
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実は昔、私はお世話になった方から「勝手に人を助けるな、「助けてくれ」とはっきり言う人しか、助けないほうがいい」と言われたことがあります。 「どういうことですか?」と聞くと、彼は次のようなことを言いました。   まず、「勝手に人を助ける」とは、はっきりと助けを求められていないのに、何となくその人を助けてしまうこと。 いわゆる「善意」に近い。 しかし「善意」は問題を引き起こしやすい。   なぜか。 一つ目、当人が失敗して反省するという貴重な経験を奪う 命に関わる失敗はまずいですが、オフィスワークでそのようなことはまず、起きません。 むしろ、失敗から学ぶことは非常に多いので、失敗する前に助けてしまうと、いつまでたっても一人前になれません。   二つ目、自分からヘルプを出せない人に未来はない ヘルプを自分から出すことは、社会人の必須の教養です。 部下には「助けてほしいときは「助けてくれ」とはっきり言うこと」と、徹底して教えましょう。   三つ目、勝手に助けると、感謝されるどころか、嫌な気持ちになるかもしれない 三番目については、不思議な気がしたので「なぜですか?」と私は突っ込んで聞きました。 すると彼は「求めてもいないのに、余計なことをするな」という人もいるし、助けると「助けるのが遅い」「助け方が悪い」「上から目線」とか、理不尽な人も少なくない、と言いました。 あるいは「助けてもらって当然」という態度をとる人もいます。   もちろん、理不尽な人はそれほど多くないでしょう。 しかし、「善意」は必ずしも、意図したとおりにならない、というのは、先輩の言うとおりだと思いました。   ですから私もよほどの事態ではない限り、 「「助けてくれ」とはっきり言う人しか、助けない」 という方針を採用しました。
「助けてくれ」とはっきり言う人しか、助けないほうがいい。 | Books&Apps
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kennak · 2 months
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色々な人から都知事選のことを聞かれるので一応書いておきますね。少し長い文章なので、興味ある人は読んで下さい。 日曜日に日本テレビの選挙特番で、東京都知事候補だった石丸伸二さんと初めて話しました。中継のせいなのか、出来の悪い生成AIみたいな話しぶり、という印象でした。いや、今時ChatGPTでももっとスムーズに会話できるので、面白かったです。本来は聡明な方でしょうから、そういう戦略だったんでしょうね。 全編はネットで観られると思うのですが、あらためて説明をすると、僕が一番関心を持ったのは、石丸さんが何をしたい人なのかということです。 たとえば石丸さんは、今後の政治活動について聞かれて国政進出を否定しませんでした。都道府県知事というのは「行政の長」です。一方で国会議員になるということは、「立法府の一員」となる、ということです。法律を作る仕事ですね。 だから知事を目指すことや、市長であることと、国会議員を目指すということは、「転職」といってもいいくらい違う仕事の話なんです。だからその点を質問されたら、答えって何パターンもないんですよ。 具体的に作りたい法律の話をするか、行政の限界の話をするか、になるはずなんです。仮に現在は意思がなく、仮定の話だったとしても、です。てっきり、そういった答えが返ってくるのかと思いました。 たとえば僕は国会議員になりたい気持ちは全くないですが、たまに取材などで「もし国会議員になったら何をしたいですか」と聞かれることがあります。その時は具体的に、作りたい、修正したい法律の話をします。曖昧に「少子化対策」とか「東京一極集中の打破」とか言っても意味がないんです。だってそれは、国会議員以外でもできうることだから。世論を盛り上げるという意味で言論人でもいいし、NPOなどソーシャルセクターで働いた方がいいことかもしれない。なぜ他の仕事ではなく、国会議員なのか。それって結局は、法律の話なんです。 だから、やりたいことが具体的な人の場合、行政と立法が混じるってことは、あんまりないんですよね。あるとしたら、何でもいいから政治家になりたい場合。どこでもいいから選挙で勝てばいいと考えている場合。(それは他の候補者にも言えます) あれ、それって石丸さんの定義した「政治屋」そのものじゃないの? 僕は安芸高田市民ではないので批判する立場にはありませんが、市長は途中で辞めてるし。 だから、石丸さんの批判する「政治屋」と、石丸さん自身がどう違うのかを何度も聞いたんです。そこを聞けば、具体的な話になると思ったからです。でもならなかった。こっちとしては不思議でした。 今回のやりとりのように「答えない」という戦略があってもいいと思います。だとしたら、選挙特番などの番組自体に出ない方がよかったと思うんですよね。 もし僕が石丸さんのアドバイザーだったら、テレビ局からの出演オファーは全て断りました。 石丸さんって、YouTubeやTikTokなど、自分が主役になれて、演出もできるメディアを中心に人気を集めてきた人ですよね。いい部分だけを見せてきた。これは別にネット特有の現象ではなく、昔からある一流俳優さんのブランディングと近いです。極力、トーク���バラエティ番組には出ない。出演するとしたら、自分に配慮してくれる司会者のいる、自分が主役になれる番組だけ。実際、うまくブランディングできている俳優さんって多いと思います。 そういう戦略でやってきたんだったら、「私を応援してくれた方にまず感謝をしたいんです」と言って、開票が始まってからは、支持者とだけ交流して、それをYouTubeなどで流せばいい。その切り抜き動画の拡散と、「2位」という結果で、さらに人気が出たと思います。一流俳優戦略を貫けばよかったのに、惜しいことをした、と他人事ながら勝手に残念がっています。 あと、もうここまで長いと読んでないかも知れませんが、石丸さん支持者の方に勝手にアドバイスを。 もし石丸さん支持をもっと増やしたいなら、石丸さんを批判する人も仲間にしていかなくちゃいけないわけです。反・石丸の人を、攻撃的にののしっても、仲間は増えないと思うんですよね。「ごめんなさい、私が間違っていました、これからは石丸様についていきます」ってならないよねえ。だったら「石丸さんの支持者っていい人が多いな。まともだな」って思われた方が絶対にいい。 政治ってもちろん最後は戦いです。敵と味方にわかれて戦うわけです。でも常日頃から戦っていたら仲間は増えません。これで失敗してきた先人がたくさんいるので、一応共有しておきますね。論破とか攻撃ではない、新しいコミュニケーションがもっと政治の世界にも増えていけばいいと願っています。(お前が言うなって言われそう。山崎怜奈ちゃんとかが言った方が説得力あるかも)何にせよ民主主義は風前の灯火かも
Xユーザーの古市憲寿さん
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moko1590m · 11 months
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女は、男が出場すらありえない「出産・育児(特に授乳等を含む初期。それに伴う子からの愛着)」という競技にリソースが割かれ、そこで圧勝しているので、他の分野まで男に勝ったら不公平。
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dummy-dot-exe · 8 months
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「インナーの勝利、マイクロビキニの敗北。」 by サテー@聖牌/OAF@syatey_12
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antsloveyun · 5 months
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ari0921 · 1 year
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カルタゴ滅亡をトレースする現代日本
◆カルタゴはなぜ滅んだのか?!
日本と同じような商人国家であったカルタゴが、完膚なきまでに滅ぼされた例を他山の石として日本人は国防を考え直す必要があると切に思うからです。
カルタゴは紀元前250年頃、地中海に覇を唱えていた大国でした。
第2次ポエニ戦争に負けて、戦勝国から武装を解除させられ、戦争を放棄することになったカルタゴは、戦後の復興を貿易一筋で見事に成し遂げ、戦後賠償も全てきれいに払い終えました。しかし、その経済を脅威だと捉えたローマ帝国によって、結局は滅ぼされてしまいました。
滅ぼされる直前、カルタゴの愛国者であるハンニバル将軍は、ローマの考えを悟り、祖国の危機をカルタゴ市民に訴えましたが、平和ぼけした市民は耳を貸そうとしませんでした。
それどころか「ハンニバルは戦争をしようとしている!」と中傷する者さえいました。しかも、最終的にハンニバルはローマに洗脳された者達によってローマに売られ、自殺にまで追い込まれてしまったのです。
平和ぼけした市民は、ローマから無理難題を次々に要求されてからはじめてハンニバルの警告が正しかったことに気が付きましたが、時すでに遅く、徹底抗戦に踏み切るもカルタゴの陥落を防ぐことはできませんでした。この間、たった3年の出来事でした。
ちなみに、生き残ったカルタゴ市民は約5万人でしたが、その全てが奴隷にされてしまいました。城塞は更地になるまで徹底的に破壊され、再びこの地に人が住み、作物が実らぬように大量の塩が撒かれたと言われています。
これはただの負け方ではありません。まさに地上からの抹殺です。
この悲惨なカルタゴ滅亡の理由は2つあると言われています。
1つは、カルタゴ市民が軍事についてほとんど無関心だったことが挙げられます。もともと自国の防衛はおおむね傭兵に頼っていた上に、国内世論も「平和主義的」な論調が強く、有事に備えて軍事力を蓄えておくといったことはままなりませんでした。
2つめは、国内の思想が分裂状態であったことが挙げられます。そもそも挙国一致して事に当たらなければ有事を乗り切ることはなかなか難しいものですが、カルタゴにはそれがなく、戦時中にハンニバルが外地を転戦している間も市民は素知らぬ顔をしていました。そして、ハンニバルを売り渡したのは、ローマに洗脳されたカルタゴの売国奴達でした。
自らの手で愛国者を切り捨てる・・・かくしてカルタゴは「滅ぶべくして」滅んだわけですが、私は今の日本がこのカルタゴに酷似している様に見えて仕方がありません。
今こそ日本の国防を真剣に考えないと本当に危ないと思います。
【対比】日本と似すぎているカルタゴの運命
カルタゴは、フェニキア人が建国した海洋国家で、現在のアフリカ大陸チュニジアに位置しています。
カルタゴは、世界一の造船技術を持ち、スペイン、シチリア島などの海外領土を支配していました。
紀元前3世紀、地中海貿易により富を蓄え、ローマ帝国と並ぶ強国となります。
BC264年、両者の中間にあるシシリー島で紛争がおこります。そして、これを契機にカルタゴとローマは、世界の覇権を賭けて激突します。この戦いは、23年間の中断をはさんで63年間続きます。(第一次ポエニ戦争、第二次ポエニ戦争)
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1867年、島国日本は、長い眠りから覚め、明治維新により近代国家への道を目指します。西洋文明を積極的に取り入れ、富国強兵に邁進します。日清・日露の戦争に勝ち、朝鮮、台湾、南樺太と領土を拡張します。
強国となった日本は、戦艦大和を建造して、世界有数の海軍を持ち、
太平洋をはさみ、超大国アメリカと対峙します。
1941年12月、日本連合艦隊は、ハワイの真珠湾の奇襲に成功します。太平洋戦争が始まります。
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カルタゴの英雄ハンニバルは、象36頭と兵士5万人を率いて、スペインを出発します。象を連れて、アルプス山脈越えに成功、ローマの本拠地イタリア半島を奇襲します。ハンニバルは、イタリアに、なんと15年も踏みとどまり、ローマを一時追い詰めます。
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「マレーの虎」山下奉文中将は、マレー半島を南下、シンガポールに侵攻します。インド兵への離反策が成功し、1942年2月15日シンガポールは陥落、イギリス軍は降伏します。
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カルタゴは、地力に勝るローマに対して次第に劣勢になります。ついに、名将スキピオ率いるローマ軍が、カルタゴの本拠地に進軍します。カルタゴは、イタリアで善戦していたハンニバルを帰国させ、本土決戦に賭けます。BC202年、天下分け目の戦い(ザマの戦い)が行われます。カルタゴの完膚なき負け戦でした。
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アメリカは、生産力、技術力で日本に勝っていました。ミッドウェー海戦を境に、戦局は逆転します。ガダルカナル、硫黄島、沖縄。日本は、敗退を続けます。本土空襲が激しくなり、広島と長崎に原爆が投下されます。日本の完膚なき負け戦でした。
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カルタゴは、ローマに無条件降伏します。
全ての海外領土は、放棄され、軍船、象もローマに引き渡されます。軍隊は、自衛のためのものだけが許されました。そして、自衛のためでも戦争する場合、ローマの許可が要ることになったのです。(この許可の項目が、後に大問題となります)
そして、50年賦で1万タラントの賠償金をローマに支払うことが決まります。
ともかく、カルタゴの町は、無事に残りました。100人会は、貴族の世襲制でしたが、戦後まもなく代議員が選挙で選ばれるようになります。
カルタゴは、民主主義の国家に生まれ変わります。
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「忍び難きを忍び、耐え難きを耐え・・・」玉音放送が流れ、日本は無条件降伏します。
日本列島以外の領土は、返還されます。アメリカが決めた平和憲法で戦争が放棄されます。(後に自衛隊が誕生します。)国土は焼け野原、アジア諸国には賠償金の支払いが必要でした。ともかく、本土決戦だけは避けられました。
日本は、天皇主権の国家から、主権在民の民主主義国家に生まれ変わります。
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カルタゴ人(フェニキア人)は、ユダヤ人やアラビア商人と同じセム語族で、最も商才があるといわれている種族です。
軍事国家への野心を棄てたカルタゴ人は、ますます貿易や商売に熱中するようになります。ローマ人は、楽しむために働きましたが、カルタゴ人は働くこと自体が人生の目的でした。奇跡の経済復興が実現します。
戦勝国ローマは、休む間もなく、マケドニアやシリアと戦わなければなりません。軍備費の要らないカルタゴは、次第にローマに匹敵する経済大国に、のしあがります。
BC191年ローマは、シリアを打ち破ります。
無敵の軍事大国ローマにとっての脅威は、経済大国カルタゴに移っていくのです。
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日本人には、勤勉さと物作りの才能がありました。
焼け原から立ち上がった日本人は、ひたすら一生懸命働くことで豊かになろうとしました。エコノミックアニマルと日本人は、陰口を叩かれます。奇跡の経済復興が実現します。
アメリカの核の傘に入り、軍事費もいりません。戦勝国アメリカは、ソ連との冷戦を戦わなくてはなりませんでした。
10%を超す高度経済成長が続きます。日本は、世界第二位の経済大国になります。
ソ連が崩壊し、日米の経済摩擦が激化します。
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BC187年、カルタゴは、50年賦と決められた賠償金を一括払いしたいと申し出ます。いくら叩いても不死鳥のように蘇る、カルタゴ人の経済力に、ローマ人は、羨望と恐怖心を抱きます。ポエニ戦争の悪夢がふと蘇ります。
経済大国カルタゴの最大の悩みは、隣国のヌミディアでした。ヌミディアは、騎馬兵団で有名な、戦争に強い国です。自衛力しか持たないカルタゴを侮り、その領土を侵犯します。
カルタゴは、ローマに調停を頼みますが、黒幕のローマはもちろん取り合いません。ついに、カルタゴとヌミディアの間で戦争が起こり、平���の国カルタゴは、敗北します。
ローマの事前許可のない戦争開始は、条約違反でした。
ローマは、カルタゴに対して、突然宣戦布告をします。
驚いたのは、カルタゴです。ローマの許しを得ようと、300人の貴族の子供を人質に差し出します。しかし、8万人の世界最強のローマ兵が、上陸し、カルタゴに進軍します。
カルタゴの使者が、「どうすれば、許していただけるのですか?」とローマの司令官に聞きます。
「全ての武器を差し出せ。」司令官は、答えます。
カルタゴは、20万人分の鎧、投げやり、投げ矢、2000の石弓を司令官に差し出します。
すると、司令官は、最後の要求を使者に言い渡します。
我々は、カルタゴの街を根こそぎ破壊することを決めた。
カルタゴ人には、今の街より10マイル内陸部に
新しい居住地帯を造ることを許可しよう。
使者からローマの意向を聞いた20万人のカルタゴ人は、驚愕して、嘆き悲しみ、最後に激怒します。
「こんなひどい仕打ちがあろうか。街を破壊するだと。
内陸部に引っ込めだと。どうせ死ぬなら戦って死のう!」
カルタゴ人は、丸腰で戦う覚悟を決めます。返事の猶予期間の30日間、密かに戦争準備がすすめられます。
武器職人は、連日徹夜で武器を作ります。
若い女性は、長い髪を元から切って石弓の弦が作られます。
こうして、始まったのが、第三次ポエニ戦争でした。
(戦争というより、ローマによるカルタゴの民族浄化です。)
カルタゴは、ここで奇跡的な粘りを見せます。なんと丸腰で三年間ローマの猛攻を食い止めたのです。
しかし、戦闘と飢えと疫病で、20万人のカルタゴ市民は、10万人に減ります。
そして、ついに、ローマ兵は城壁を破り、街へ進入します。
女、子供までがレンガを投げて抵抗しますが、5万人が虐殺されます。
ビュルサの砦に逃げ込んだ5万人のカルタゴ人は、オリーブの枝を掲げて投降します。
彼らは、一部が処刑され、残りは奴隷として売られます。
カルタゴの街は、十数日燃えつづけ、灰は1メートル積もります。カルタゴの復活を恐れたローマ人は、この地に塩を撒き不毛の土地にします。
700年続いた経済大国カルタゴと世界の富を独占したカルタゴ人は、BC146年こうして滅んだのです。
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leomacgivena · 3 months
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「競争させる」って本当に難しいのよな。いかにして敗者も相変わらず競争につなぎとめておけるか。これができずに「勝者のみ」になった世界に果たして何が残るのか、ということで。
Xユーザーのdesean takahashiさん
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