Tumgik
#十三立呑み
mariobabyface · 7 months
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カウンター、その145 ^ ^
The counter is a place to exchange smiles😊
立呑屋 三角
https://tabelog.com/kochi/A3901/A390101/39007120/
四十五圓
https://tabelog.com/kochi/A3901/A390101/39005523/
新宿ピカデリー コンセッション
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西鉄イン 高知はりまや橋
https://tabelog.com/kochi/A3901/A390101/39004446/
洒落亭
https://tabelog.com/tokyo/A1318/A131812/13084030/
いろり庵 きらく 池袋店
https://tabelog.com/tokyo/A1305/A130501/13252171/
かめ幸
https://tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13002319/
そば処 三津屋 エスパル山形店
https://tabelog.com/yamagata/A0601/A060101/6005290/
居酒屋 伝七
https://tabelog.com/yamagata/A0601/A060101/6002200/
鉄板ホルモン焼きオールドルーキー
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リッチモンドホテル 山形駅前
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ル・パン・コティディアン 芝公園店
https://tabelog.com/tokyo/A1314/A131401/13120999/
&BEEF shinjuku
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I MUSIC BAR
https://tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13280371/
ヒューマントラストシネマ有楽町
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菩提樹
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武ちゃん
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ファボリ
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アーンドラ・ダイニング 銀座
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てんぷら 近藤
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Ron Herman Cafe 二子玉川店
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onishihitsuji84 · 4 months
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『ガラスの街』
 五月は読書の月だ。僕は本を読んだ。数多の本を。  最初、それは次の小説のアイデアを得るためだった。頭上の樹々からワインのための葡萄をもぎ取るような、循環を続けるにあたっての摂取だった。いきおい堕落しつつある現実から少しでも意識を逸らすためでもあった。  普段の僕は、本を読んで時間を過ごすことは少ない。長い時間ひとつの文章に集中することができないのだ。  それに読むことよりは書くことのほうがずっと大切だと僕は思っている。読む行為は、現実という制限された枠組みのなかではせいぜい膝丈ほどの優先度しかなかった。  しかし五月ではあらゆるものが落下した。熟れ過ぎた果実が枝との繋がり終え、足元に開いた坩堝に呑み込まれていった。読む行為もそうだ。落ち、煮え滾る器の中で混合した。  いまでは僕の「読む」は混沌としている。それはいまでは長身の僕、その僕以上にのっそりとそびえる一本の巨大な柱となっている。物言わぬ花崗岩の柱。五月、僕はそんな柱を中心にぐるぐると回り続けている。手は文庫本に添えられ、目は9.25ポイントの文字に注がれている。足は僕の意識から離れて交互に動いている。ひたすら歩き、ひたすら読んでいる。柱から少し離れた誰彼にどう見られているかどう言われているかなんてことお構いなしに。
 いや。そんな話自体がどうでもいい。関係ない。  きょう、僕は自分自身が”うすのろ”だということを語りにきたのだ。
***
 五月。  僕はどんなものを読んだのだろうか。   金ができて僕がまずやったことは大学生協の本屋に行くことだった。カウンターで二枚つづりの注文用紙を手に取り、もう何年も使い続けている青のボールペンで書いた。 "9784002012759"  週明け、僕は地下の生協で注文の品を受け取った。『失われた時を求めて』全十四冊。いまは第一巻を読んでいる。僕がふと目をあげると、あの遠い窓の奥で、大叔母が目を爛々と輝かせているというイメージが浮かぶ。泳ぐような精神の移ろいもまた。
 シェイクスピアの『夏の夜の夢』も読んだ。 『MONKEY』のvol.31の三篇、ケン・リュウ「夏の読書」、イーディス・ウォートン「ジングー」、ボルヘス「バベルの図書館」も読んだ。  仕方なく後回しにされていた本を買って読んだのだ。  金銭の自由は、精神という鈍い壁に茂っていた蔓植物のような不足を一太刀で解決した。
『春の庭』も読んだ。『九年前の祈り』も。  ウルフの『波』も読み始めている。  僕の貪欲は、過去に読んだことがあるかどうかなんてものでは選ばなかった。カーヴァーの『象』、春樹の「タイ・ランド」、マンローの「イラクサ」、ヴォネガットの『スローターハウス5』。マラマッドの「悼む人」も読んだ。
 一度の時に、僕はこれらの本を読んだのだった。  こんなに大量のフィクションを仕入れて、いったい何をしようとしているのか?  紛争でも起こそうとしているのか?
 何のためか。それは僕自身にもわからなかった。  僕は特定の目的をもって読んだわけではなかったようだった。五月の読書は「文章の上達」や、「ストーリーテリングの技法」といったそれまでの興味とは別物だった。振り返ればそうだとわかる。
 五月の読書は、それまでの自分を抑制しようとする、極めて機械的な態度とは違っていたのだ。  言えば、それは無垢に機械的な読書だった。  これまでの僕は断じて読書好きではなかった。どんな傑作でも一時間もしないうちに音を上げて投げ出した。ドストエフスキーやメルヴィルと出会ったときでさえ、メインストリームは”書くこと”、そして”生きること”で変わらなかった。この五月に僕は初めてむさぼるように読んだのだ。頭を空っぽにして。堆い小説の亡骸の山に坐すかのようにして。
 それで、僕は何かしら成長したか。  いや。成長なんて一つもなかった。  そこには変化さえなかった。二週間前と、すべては同じだった。僕が着るのは依然深いグレーのブルゾンだった。コミュニケーションもぎこちないままだった。  だからそこで起きたことはシンプルだ。つまり、僕はポール・オースターの『ガラスの街』を読み、ある一つの事実に行き当たった。 「僕はなんという低能なのだ」という事実に。
***
 一昨日から僕はポール・オースターの『ガラスの街』を読み始める。  『MONKEY』でオースターのエッセイを読んで彼のことを思い出し、その夜に丸善に立ち寄った僕は彼の本を久々に手に取った。  三日で読んだ。 「三日で読む」というのは僕にとってほとんどあり得ないことだった。僕のリュックサックには必ず四、五冊の本があった。読むときにはまずそのとき一番惹かれる本を手に取った。そして十数ページが過ぎ、抱いていた軽度の好奇心が満たされてしまうと、浮気性の蜜蜂のようにまた別の小説の甘いのを求めるのだった。  だから、一日目、二日目と時を経るごとに加速度的にその好奇心が勢いを増し、三日目には150ページを一つの瞬間に通貫して読んでしまったのだ。僕の読書体験において、異例中の異例だった。
『ガラスの街』を読んで、僕はうちのめされた。徹底的に。 ”面白さ”、そして”新鮮さ”の二つが、やはり事の中心だった。読書においておきまりのその二つが今回も僕を虐め抜いたというわけだ。 『ガラスの街』を読み終えた瞬間、僕の生きる世界のどこかが確実に変化した。
「祈っている。」  僕がこの最後の一文を読んだとき、曇り空の下にいた。その一節がこちらに流れ込んできたあと、僕は立ち上がった。テーブルがごとりと揺れるほどぶっきらぼうに立った。取り乱していたのだった。僕はそのままであてもなく歩き始めた。 「これ以上座っていることはできない」 「このまま座っていると、僕は頭の先から崩れ落ちてしまう不可逆的に」  そうした、僕という精神を一切合切覆してしまうほどの強烈な予感のために。  僕は予感に乗っ取られないよう、何も考えないと努めていた。何も感じまい、何も見まい、と。  リラックスを意識し、肩から力を抜く。腕をぐんと伸ばし、指をぽきぽきと鳴らした。イヤホンを耳にした。『ベリーエイク』を再生する。いつか足元をくすぐった波のように心地よい、ビリーアイリッシュの声に心をしっとり傾けた。  もちろん、そんなことは無駄だった。とりあえずの形など、何の助けにもならなかった。以前との比較から始まる違和感たちは強権的に僕の感情の戸をこじ開けた。  歩く中、透明の空気が奇妙に凪いでいた。風景からは特定の色が抜け落ちていた。向こうで笑う声、衣擦れの音、靴底の摩擦。音という音がワンテンポずれて聞こえた。  変化は女王だった。彼女は支配的だった。  僕は小説による変化を受け入れ、恭順のように認めたわけではなかった。むしろ、変化は僕にどうしようもなく訪れていた。言わば、言い渡しのようにして。  女王を僕は素晴らしい小説を読んだ後の”ゆらぎ”の中に閉じ込めたのだった。何もかもが、僕に合わない形に作り替えられていた。建物を構成する直線はいまやでたらめで恐怖がつのった。頭上の青はこのように汚い灰色では絶対なかった。
――そして、当然、この点についての文章はかたちだけに過ぎない。これらは省略した文章。書く必要がないということ。  なぜなら、あなたたちもかつて同じ経験を経ているからだ。小説を読み終えたあとに来る世界の変質を。  加えて、忘れるなんてことを女王が許すわけもない。これについても言わずもがなだろう。
 そして、重要なのは変化のよろめきではない。   そうなんだ。きょうしたいのは女王の話とは実は違うのだ。ここであなたに伝える言葉は破壊だ。  破壊。  それは”面白さ”と”新鮮さ”のコンビがやったわけではなかった。変化の体験に曝されたゆえのサイコ・ショックでもない。  木々を打ち砕く手斧となり、人体を壊す剣となり、バベルの塔をゼロにする雷となったのは、オースターの書きっぷりだった。
 オースターは、考え抜いていた。  そこで”感じ”は排除されていた。  感覚による言い表しがまるで無かったのだ。僅かにイメージに依拠するものがあっても、それは必ず共感の姿勢だった。テーブルに身を乗り出し、相手の声に耳を澄ませる態度。
『ガラスの街』では、本当に一切妥協はなかった。僕はとても信じられず、街を隅から隅までしつこく歩き回った。しかし、本当に妥協はどこにも無かった。
 オースターは僕とコミュニケートすることを選んでいた。そのへんの宙に感覚という水彩画を描いて「ほらご覧」とする、ごく個人的で他者には見せつけるだけという表現は徹底的にしなかった。チャンドラーを始め、私立探偵ものに由来する例の論理的な高慢さはあった。しかし、確実にオースターは読者と対峙していた。彼は殴る、殴られる痛みを完全に了解した上でリングに立っていた。  彼の据わった眼が僕を揺るがしたのだった。彼は完全の脆弱性を知りながら、完全に書いていた。  それだから、彼を読んだとき、僕は……
 向こうから厚底ブーツの女が歩いてくる。  女は痩せている。薄い、流線形の黒一枚に身を包んでいる。背が高く、ありったけに若い。二十歳前後に見える。二つの瞳はキャップに隠れている。すれ違いざまに見える耳にさえ、カナル型のイヤホンで黒が差されている。マニキュアはあまりにも美しい銀色に染まっており、高まりを誘う。  センスがいい。綺麗だ。  彼女はなんて豊かなんだ。  僕はそう思う。  ほとんど同時に、ガラス一枚を隔てた向こうで本を読む人を見つける。  また女だったが、今回性別は重要ではなかった。その読む人は区切られたブースで、文庫に目を落としていた。化粧や唯一のファッションなどもなく、やはり装飾は重要でなかった。というのも、いまにも涎が垂れてきそうなほどに口をあんぐりと開けて読んでいた間抜けなその放心が、僕の記憶に楔として打ち込まれていたからだ。
 これらのスケッチが、何かを直截に意味することはない。二つの風景は隠喩ではない。  正直に、上記は僕が受けた印象の再放送だ。  この日記は『不思議の国のアリス』ではない。二つは作為的な意味を持たない。  書いたのは「意味を持たない」ということを明らかにするためだ。  その内容でなく、外側、僕のスタイルという基本的な骨組みを露わにするためだ。
 そう。だから、つまり……僕は痛みから逃げている。オースターとは違って。  きょう、読んで、事実は突きつけられる。
***
”言葉”はもう一度響く。
「大西さんの小説は、けっきょく古典から表現を引用しているだけ」
「僕は彼にもう興味がないんだ。かつて、彼は賢い人だと思っていた。書くものに何かしらの意味があると思っていた。でも、そうじゃないと知った」
「あなたの課題は、独自の世界観を提示できるかということです。海外の小説、そして村上春樹でなく」
***
 そして、このように敗北してもなお、僕は決定的な何かについて述べることはなかった。張りつめた表情で、まやかし、それ自体に必死に祈る。もうそのような生き方しかできないと信じ込んでいるのだ。
「この大地にあるものはすべて、消え去るのだ。そして、今の実体のない見世物が消えたように、あとには雲ひとつ残らない。私たちは、夢を織り成す糸のようなものだ。そのささやかな人生は、眠りによって締めくくられる」
 祈りの文句を何度も何度も口にした。  僕の声はいつも通りにすごく軽くで響いた。  そして一度響いてしまったものは泡沫のようにたち��ち消え去った。
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patsatshit · 1 year
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現代に蔓延する上っ面の多様性の背後には、互いに認め合い、尊重するためにはそれぞれがそれぞれに誰かの役に立たなければならないという暗黙の目配せがそこかしこに溢れている。取ってつけたような「弱者救済」というポーズの背後に、どれだけの排他精神が蠢いていることか。高齢者、子ども、障がい者、生活困窮者、クィアをある種の符号に落とし込んでマーケティングに利用するのは、いつだって政治的悪辣の最たるものである。本来は音楽という鐘楼に集いし落伍者たちの解放区として機能していたクラブやライブハウスに於いてさえ、いつしか高い倫理観が求められるようになり、暗黙のドレスコードにより、世にも奇妙な選民思想が根付き始めている。互いに認め合い、互いを支え合うことを前提とした空間に、自分のような人間の居場所がなくなりつつあると感じることが少なくない。音楽が爆音で鳴り響く暗闇のなかには聖職者もいれば犯罪者もいる、心優しき英雄もいれば屑のような悪党もいる、互いの胸のうちに共通するものは何もなく、もちろん自発的な歩み寄りもない。鳴り響く猥雑な音楽だけが両者を辛うじて暗闇の内側にとどめ、足もとの溝を埋めていく。いまの時代、そういう多元的な現場や空間はもはや存在しないのかもしれない。
(『僕のヒーローアカデミア』233話より)
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前置きが長くなってしまったが、タラウマラには日々、様々な事情を抱えた「世の人」たちが入れ替わり立ち替わり訪れる。それは決して居心地の良いものではないし、少なくとも当店にとって、彼らは何の役にも立たない。どちらかと言えばこちらのストレスになるだけだ。それでも彼らはやって来る。そういう人たちをこの社会から見えにくくしているのが無自覚なダイバーシティが夢想するユートピアであり、権力者たちが吹聴する「美しい国」の実態なのだと思う。
(世の人①:東淀川を代表するファッショニスタ)
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まず最初に紹介したい人物が、自他とも認める東淀川のNo.1ファッショニスタ、清水氏だ。氏の特徴を挙げるとすれば、とにかくオシャレ、ひたすらオシャレ、無慈悲にオシャレ。この人がひとたび領域を展開したら、その術式から逃れる術はなく、世の中で最も役に立たないゴミのような服飾情報を一方的に脳内に流し込まれ、結果、見事に誰もが骨抜きにされる。かつて偶然にもその場に居合わせたWD sounds のオーナーLIL MERCY氏さえも凍りつかせた脅威の人物だ。自身の首元を指して「これは希少なFENDIのネクタイだ」と豪語するので、恐る恐るネクタイ裏のタグを確認すると、なんとブランドロゴではなく素材を示すflannelの文字。どつくぞ。そんな清水氏の母親が昨年亡くなったのだが、ある日、沈鬱な表情でタラウマラを訪れた氏が朴訥と胸中を吐露し始めた(聞いてもいないのに)。ずっと母の介護に身を捧げてきた自分としては、親の死を簡単に受け入れることができず、いまは食事も喉を通らない。母が使っていたベッドの上で呆然と天を仰いで、そのまま朝を迎えることも珍しくない、日に日に自身の身体が痩せ細ってきたことを自覚しており、周囲の者からも心配されている、というような内容をエモーショナルに語る。さすがに気の毒だと思い、親身になって耳を傾けていたのだが、次の瞬間、この男の口から耳を疑うようなセリフが飛び出した。「俺はもともとスタイルが良いのに、これ以上痩せたらモデルと間違えられるんちゃうやろか。ほんでこのベルトもかっこええやろ?」。恐ろしいことに、またしても僕は氏の領域に引きずり込まれていたのだ。その後もお決まりのファッション自慢を嫌というほど聞かされ、全身から血の気が引いていくのを感じた。最愛の母親の死さえも、己のファッショントークの「振り」に使う正真正銘のク◯である。しかも亡くなって間もない、死にたての状況で。
(世の人②:東淀川のジャコメッティ)
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次に紹介したいのは、東淀川のジャコメッティ。ある日の営業日、下駄履きのおっさんがタラウマラに訪れ、店内の書棚を一瞥して咆哮した。「ここの本ぜんぶキミらが読んでるんか?やとしたら相当わかってるな!」。僕たちは当店取り扱い書籍はすべて自分たちで読んで、仕入れ、仕入れて、読んでいることを伝えた。するとおっさんの眼は鋭く輝き「キミらは大阪の文化を1ミリ底上げしとるな。大阪で1ミリってことは世界で1ミリってことや!気に入った!儂の家にある本を全部キミらにあげよう、今夜でも我が家に取りに来なさい」と快活に言い放った。その後もジャコメッティやカフカ、折口信夫について興味深い話を聞かせてくれた。おっさんの名は矢嶋博士、淀川とともに生きる彫刻家であり歌人であった。博士から自宅住所と電話番号を書いたメモを受け取り、タラウマラ閉店後にお伺いすることを約束した。博士は帰り際に「もし良かったら、儂の家にある本ぜんぶとキミらのジャコメッティを交換しよう」と言った。僕は何となく話題を逸らして、夜を待った。タラウマラ閉店後に近所のキンキーガールりんちゃんを誘って矢嶋宅へと向かった。ゲトーなアパートのゲトーな階段を上がりゲトーな玄関を開けると、果たしてそこは博士のアトリエ兼寝床であった。三畳一間に所狭しと並べられた謎の彫刻と珍奇植物、藁と見紛う敷布団とヘドロ化したホルモン、呑みさしの酒瓶、そしてあっち系のアダルトコンテンツが視界を過ったことは記憶に留めておこうと思った。博士は「何を突っ立っとんねん、腰おろして寛ぎなさい」と着座することを薦めてくれたので、僕は「どこに?」という言葉をかろうじて飲み込んで、藁のような敷布団に腰を下ろした。ぴったり寄り添うようにりんちゃんの背中がある。博士は1,000冊つくって50冊しか売れていないという自著『淀川。よ』(幻冬舎)を僕たちに1冊ずつプレゼントしてくれた。「芸術家なんて世間様に認められたら負けや。儂はいまの生活で十分幸せやから、死ぬまで作品を作っていくだけや。売れたいなんて思ったことない」という博士の言葉に負け惜しみや諦念は微塵も感じられず、寧ろ清々しい。りんちゃんの興奮が伝わってきた。僕たちは小一時間ほど色んな話をして、席を立った。「階段の上に本を置いてるから全部持っていきや!頑張れよ、若者たち」と言って博士は扉を閉めた。ゲトーなアパートのゲトーな階段の上に大量の書籍が置かれていたが、なんとその8割程度が司馬遼太郎の著作だった。ジャコメッティを交換条件として差し出さなかった自分を心から讃えた。僕たちは自転車のカゴに大量の司馬を積み込んで帰路に着き、その足ですべて「本の森」に寄贈した。
(世の人③:ラッパーの母)
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最後はタラウマラの元スタッフであるマリヲ君の実母を紹介する。この方は初来店時に食パンの差入れを持ってきてくれて、淡路商店街で食パンと言えば、当時の人気店「熟成純生 食パン専門店|本多」(2022年9月に閉店)のものに違いないと早合点し「そんな高級なやつ頂いて良いんですか?」と言うと「え?そこのイズミヤで買ったやつよ、え?こっちの方が良かった?」とテヘペロ。なんと僕には廉価食パンを差し出し、ご自身用に高級品を隠し持っていたのだ。2度目の来店時は前回購入してくれたAFTERのTシャツ(画像参照)のコーディネートを見せに来てくれたのだが、タイミング悪くパンク修理の最中だった僕は、店内で少しお待ち頂きたい旨を伝えて作業に注力した。ところがパンク修理を終えて顔を上げると、マリヲ母は嘘のように店内から姿を消していた。それから何度かタラウマラにやって来ては、僕の目を気にしてか、まるでプッシャーマンのような所作で袖の下からマリヲくんに小遣いを渡していたり、連日おばあちゃんの就寝時の写真を送ってきて、マリヲくんが「ばあちゃん元気そうで良かった」と返信すると「おばあちゃんじゃなくて、おばあちゃんが着てるパジャマを見て欲しかった」と返す刀がぴこぴこハンマー。よく見るとパジャマの花柄はすべて微妙に違っていた。そうかと思えば「おばあちゃん、明日あたり死にそうです」と唐突に不安を煽るメッセージを送りつけてきたりもする(因みにおばあちゃんはいまも元気にご存命)。或いは道頓堀川で殺人事件が起きた際には被害者の男性が我が子でないかと執拗に心配していた。報道で被害者はベトナム人男性だと報じられているにも関わらず、だ。
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そして、日々の寂寥感を紛らわせるようにSiriというバーチャルアシスタントと夜毎ピロートークを繰り広げていたある時期のマリヲくんが、酔った勢いでSiriに「好きだ!」と告白した瞬間、マリヲ母から「私も!」とLINEメッセージが届いたとき(別の文脈でのやり取りをしていたらしいが、偶然タイミングが重なったようだ)には膝から崩れ落ちた。やはり異能の子は異能、この親にしてこの子あり、ということだろう。
(マリヲ母については息子の著書に詳しい)
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toko4ku · 1 year
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書翰/the letter
 愛するセレニティへ  とつぜんあなたからの便りが届き驚きました。朝目覚めると、脇づくえに見覚えのない紙があったのです。すぐに、あなたの国のものだとわかりました。こんなに白くつるつるした紙は、これまで見たことがないからです。それに、誰にも気づかれずに私の部屋へ入るのは、ただの人には難しいでしょう。  だから、わたしは急いで読み始めました。あなたに何か起きたのかもしれないと思ったのです。すると、はじめの一文に「大好きなエンディミオン」とありました。あなたの字です! あなたの書いた、わたしの名!  その後には、あなたそのものの、まばゆい言葉が続きました。枝に並ぶ小鳥のように、かわいらしい文字の一つ一つ。あなたの書いた文を読むことができるなんて、思っていなかった。わたしにわかる、この国の言葉で書いてくれるなんて。次に会うときはきっと、わたしにあなたの国の文字を教えてください。わたしもあなたの慣れた言葉で、あなたの名と、この想いををつづりたいのです。  セレニティ、わたしも会いたい。一つになるまで抱きしめたい。あなたが好きだと書いてくれたあの湖で、二人きりで。あなたに会えなかった四十三日の間に、あの岸辺からビケウの黄色は消えました。代わりに、見渡すかぎり銀毛草の白で満たされています。その景色はあなたを慕うわたしの心。あなたを恋しがって、あなたの色に染まっています。あの花々が悲しみで枯れる前に、本当のあなたに触れたい。しかしそれよりも、あなたの「ジョウコンノギ」が無事に終わることを祈っています。長い務めの間、どうか何もありませんように。  この文はきっと月へは届かないから、あなたからの便りとともに持っています。いつどこで会っても、あなたに渡せるようにです。でも、できれば今すぐ読んでほしいな。  いつもあなたに手を伸ばしています。  あなたのエンディミオン  追伸  誰が、あなたからの便りをここへ届けてくれたのでしょうか。あなたではないのでしょう? あなたなら、便りを置く前にわたしの頬にキスをしてくれたはずです。その方が、今回のことで立場を悪くしなければよいのですが。わたしの代わりによく礼を伝えてください。
『あるいはその便りが——』  さらに書きつけようとして、彼ははたと止まった。いくらなんでもとっ散らかりすぎではないだろうか。聞きたいことも伝えたいことも湧き続けているが、いい加減に切りをつけたほうがいい……気がする。  ため息をついて筆を置くと、紙を取り上げて全体に目を滑らせる。初学者にとって読みやすい文章になっているだろうか。字形は、文体は、語彙は。おそらく彼女の周囲には、こちらの書き言葉を流暢に操る者がいるだろう。しかし彼女がその手を借りられるかどうかはわからない。また次に会える際の状況も定かではない。彼が読み聞かせることができず、彼女一人で解読せねばならない可能性を考えると、もってまわった修辞技法は極力避けた、平易かつ簡素な言葉選びが望ましいはずだ。  だがどう読み返したところで、今の彼は自己の産物を正しく評価できそうになかった。会えない日々の中で突如得た彼女のしるし。今朝はその存在を呑み切れぬまま公務に出かけ、指で突けば崩れそうな外面をようよう繕いながら、日が暮れるまで民の要望の聞き取りや予ての懸案への対応、政務官へのしょうもない根回しなぞをこなしていたのだ。懐へ仕舞い込んだ紙の存在を、時折り指で確かめながら。  ようやく自室へ「降り」、便りと一対一で向き合うことができたのはつい先ほどのこと。つっ立ったままほとんど貪るように読み返し、読み返し、幾度めかの往路でやっと、それでも紙から視線を外さぬまま書き物机へ向かい椅子に腰を下ろした。さらに便りを端から端まで二往復した後に筆を取り、現在に至る。  彼は書き終えたものをもう一度睨みつけ、紙を置いた。代わりに彼女からのものを取り、ひと撫でしてから己の文へ重ねる。色も手触りも異なる二枚をまとめて何度かたたみ、筒状に丸めると、首元から護符入れを引き出してそこにねじ込んだ。  このように……。一瞬、願ってもどうしようもないことが頭をかすめ、無理やり思考の戸を封じる。もう眠らなければならない。朝が来ればまた、皆の知る「彼」を続けるのだから。  適当に寝支度を済ませると、卓上灯を眠らせ窓越しに空を見上げる。聖地の夜闇は上よりずっと深く濃い。それでいて不思議と、月や星を身近に感じることができた。  ��の場所のある意味を、彼は幼い頃から考え続けてきた。なぜ地上と異なるのか、なぜ秘されねばならないのか。祝詞のとおり、本当に太陽の娘がこの地に身を隠しているのか。答えを掴みきれたとはいえないが、彼女と過ごすうちに、一つの灯火を得た気がしている。皆に差し出す自分、ただ一人にさらけ出される自分、奥底に埋めたままの自分。どれが欠けても己を己たらしむことができないなら、星もまた多くの顔を持つのだろうと。  窓の向こう、かなたの天上へ手を伸ばす。光の気配をなぞる。  やわらかな頬の丸み、夜露を集めた瞳。  彼の聖所は恵みを得てなお渇きあえいでいるけれど、指先はまだ愛おしむ喜びを忘れていない。今日も。
「おやすみ、セレニティ。あまり遅いと攫ってしまうよ」
 寝台の上で二十ほども寝返りを打った後、彼は掛け布を蹴り飛ばすように身を起こした。首に掛けた護りの蓋を開け、手探りで中身を取り出し広げる。そしてきめの荒いほうだけを脇机へ置き、滑らかなほうは丁寧にたたみ直して再び仕舞い込んだ。  布の擦れ合う音が止んでまもなく、終夜灯とは異なる小さな光が二つ三つと寝台のそばでまたたいた。それらが目的のものを速やかに取り去るのを、彼が見ることはなかった。
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tanakadntt · 1 year
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米屋陽介の小説(二次創作)
戦場の少年
 米屋陽介は戦うことが好きだ。
 敵を狙い追い詰め、刃を交え、相手を仕留める。逆に仕留められる時もある。
 たとえ、首を落とされ、胴を二つにされても、ここでは本当の死ではない。トリオン体におけるそれは偽物の死なのだ。
 しかし、米屋はその度に死んでいると思っている。相手をその度に殺していると思っている。
 だって、その方が絶対面白いじゃん。
 剣呑である。
「お前のそういうところ、ひくわ」
 そう言うのはボーダーに入ってからの友人である出水公平だった。
 彼はトリオン量の多さを見込まれてボーダーに入隊した。時期は米屋より一年近く早い。友達と連れ立って、ノリで入隊試験を受けに行ったら、出水だけが合格だった。家にボーダーの偉い人(今思えば忍田本部長だよなあ。唐沢さんも来てた。母ちゃんがイケメンイケメンうるさかったよ。父ちゃんを説得してたもん。でも、城戸司令来てたら、母ちゃんビビって断ってたわ)が来て大変だったという。
「そんで、俺はそのままなんとなくの入隊だからな」
 入隊した彼は瞬く間にA級部隊の一員となったという。遠征にも行く。近界への遠征はA級隊員に限定して秘密裏に行われている。顔が広く、聞くともなしに情報の集まってくる米屋でも最近知ったことだ。彼の属するB級隊員では知らない者が多い。
 俺も行ってみたいなと米屋は思う。
 そこが最前線だ。
 行くためにはA級を目指さねばならない。ボーダーの基準では地道にランクを上がっていくしか方法がない。
 偽物なら命のやりとりが何回でもできるのがいいけれど、では、なんのために偽物の命で戦っているのか。
実際に殺すためだろう。
 病的な衝動ではない。正確に言えば、彼がよく揶揄されるような戦闘狂のそれでもなかった。
 彼のきわめて健康な精神からくるものだ。
 その大元はやはり近界民による第一次侵攻に由来する。
 災厄の日は日曜日だった。
 当時、米屋の家にいたのは十二歳だった彼と、年寄りと、年老いた犬だった。突然の地響きと唸るような何かの音、避難を促すサイレンが響いた。何かが起こったのだ。一体、何が? テレビの地方局はずっと静止画像を映し続けていた。防災無線は避難を呼びかけているが、どこへ逃げろとは告げない。
 年に一度の町内会で行っている避難訓練の経験が役に立った。振る舞われる炊き出しのおにぎりと豚汁を目当てに毎年通っていたのだ。犬にリードをつけ、私は家に残るからお前は逃げろという祖母の手を引いて外にでた。人々は大声を出しながら、てんでバラバラの方向に逃げ惑っていた。
 少年は不思議と冷静だった。犬と祖母のおかげかもしれない。街にでかけたはずの両親のことはひとまず考えない。中学生になってようやく買ってもらったばかりの携帯端末にも連絡はなかった。耳障りな音や煙、地響きは東の方角からだったから、北西にある高台に向かった。車がすごい勢いで追い越していくのを避けて、むしろゆっくりと迂回して高台を目指した。頭上を戦闘機が轟音をたてて飛んでいった。祖母を助けながら、たどり着いた高台の神社から、彼は『それら』を初めて見た。『それら』に街が蹂躙されるのを見た。
 圧倒的な暴力に恐怖は感じなかった。遠くからだったかもしれない。ただ、頭の中は回転し、このあとどう��べきかを淡々と算段していた。
 両親は無事で、米屋の家は被害に会う事はなかったが、その思考は、ボーダーと名乗る謎の組織が『それら』を駆逐し、三門市にひとまずの 安心が訪れても途切れることなく続いた。『それら』の正体が近界民であると説明され、災厄は異世界からの侵攻であると断定され、廃墟に巨大な本部建物ができ、警戒区域にしか近界民が現れないと保障されてからも。
 徐々に日常は戻り、時折聞こえてくる閃光と爆音に人々は最初はおびえ、その後慣れていったが、彼はおびえも慣れもしなかった。
 ボーダーと国庫からくる潤沢な資金を糧に三門市は急速に復興が進んだが、それゆえ大きな矛盾を抱え、住民の、特に若い年齢層の一部は荒んでいた。
 その頃から、ボーダーは十代の若者に対して隊員募集を大々的に始める。出水が入隊したのもその頃だ。
 一方、米屋は急に幅をきかせてきた柄の悪い連中と付き合いはじめ、頻繁に喧嘩沙汰を起こした。問い詰める両親に彼は「戦う練習をしたかった」とあっけらかんと答えた。ボーダーに入ることはなかった。祖母が強く反対したのだ。
 明るく優しい子という評価はどこでも変わらず、それなりの二年余りを彼は過ごした。
 しかし、災厄の日からボーダーに入隊するまでのその間、確かに彼は一人で戦場にいたのだった。
終わり
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doctormaki · 1 year
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わしは、密かに愛されキャラである。ワシを嫌う奴は、ワシのことを、鼻血が出てしまうほどに嫌う。しかし、幸せなのは、その逆も然り。ワシに魅せられると、鼻血が止まらなくなる位に、ワシのことが好きになるらしい。う~む。なんでこんなに二極なのかという、大人になってから自覚した生きていく悩みに、祖母は、あんた自身がリトマス試験紙なんやから、えーのんよと、実に呑気にしていた。最近、私も人生の折返し地点を意識し、私は私で良いのだと、自覚するに至る。そんな開き直りワシのことを、一時帰国寸前まで、実に多くの友人がワシと怒涛の如くに時間を共に過ごしてくれ、たった一ヶ月の別れを惜しんでくれた。嫌われる事も大変だが、愛されるという事も大変だ。閑話休題。
ワシが始めて大学非常勤講師として教え始めた時に、お風呂の師匠は、あのね。世の中、2・6・2の法則なのよ。2割の天才、6割の凡才、2割のバカの法則よ。っで、あーたは誰をターゲットに講義するのかで講義の標準を合わせるのよ。大概、あーたはアホだから、上位2割を対象とする���よ。そんな事をしても、ハッキリ言って無駄よ。あーたのユニークな発想を、面白いって思える人は少ない。だから、あーたはアータからして、常識ですけど。。。って事を授業でポロリと出すだけで、十分、学生に愛されるわ。と。
標準を決めるのは難しいけど、ワシも段々分かってきた。教授職も地味に6年目ですよ。早いもんだ。して、ワシは某私大の寛大な働きで、今学期はオンライン授業をする。昨年春学期の京大以来、久しぶりの授業だ。ワシの授業には履修登録制限をかけて下さり、抽選で十二名の学生を教える事になった。今どきの学生は、大概、マジメなので、可哀想だ。マジメなのに、高校までの基礎学力が付いていないので、勉強したくても、勉強できないのだ。日本の義務教育がオワっている上に、高校も全入、入試もマニュアル化しているので、日本の大学のレベルが全体的に落ちていることを痛感する。それでも、やはりmarchレベルというのは、日本のザ中間所得層の未来である。
彼ら学生を見ていると、2030年頃の日本が見える。今学期が楽しみだ。彼らは私に、どんな未来を見せてくれるのだろう。探求の協同体として、私のクラス、二十四の瞳は、私に何を気付かせてくれるのだろうか。そして、彼らは私から何を引き受けるのだろうか。ワシが教員になって、学生達と触れる度に心から感謝するのは、大学生まで子供を慈しみ育てた、学生一人一人の後ろにいる御家族の姿だ。ワシも、一大学人として、貴方がたの大切なお子さんの教育機関における最後のブラッシュアップの機会に、お子さんを託してくれた事に、責務を感じる。だから、今の時代、ワシは教員に向かないのだ。大学教員になる事が目的化して、教員になっただけで踏ん反り返るバカ共からすると、ワシみたいな勝手にアツイ教員は目障りでしかない。学生なんて、金持ってくるだけで、ドーでもい~って思ってる奴が、先のお風呂の師匠の法則に基づくと、6割だ。
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ワシが国連時代に可愛がっていた、他部局にいた中国人のインターンの子は、今や正規職員として世界中を飛び回っている。そんな彼女が、次の赴任先と共に、マキ、ドイツは桜のシーズンよ、サクラ見た?花の生命は短いから、今を精一杯生きようね!と、連絡をしてきてくれた。居ても立ってもいられず、最高気温が十度に満たないハンブルグの街をフラフラと桜狩りに行く。ドイツの桜のほとんどは、日本が友好都市とか姉妹都市、東西ドイツ統一のお祝いで、送ったもの。三十年ほどの樹齢のものが多いと推察される。
ヘルシンキに到着。いつものラウンジで、いつものチョコレートを食べる。日本語がチラホラ聞こえる。団塊世代の海外旅行ツアーだ。元企業戦士とその妻たちは、ザ日本だ。愛おしく、可笑しく、日本語が嬉しい。日本語訛の英語でさえ嬉しい。日本が近くに感じられる。私はかくも日本が好きなんだ。。。
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jaguarmen99 · 2 years
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目次の表示・非表示を切り替え 野茂英雄 13の言語版 مصرىDeutschEnglishEsperantoEspañolفارسیSuomiFrançais한국어MalagasyРусский中文Bân-lâm-gú他 4 言語 ページノート 日本語 閲覧編集履歴表示 その他 閲覧編集履歴表示 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。出典検索?: "野茂英雄" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2015年3月) 野茂 英雄 2011年2月16日 日南市天福球場基本情報国籍 日本出身地 大阪府大阪市港区生年月日 (1968-08-31) 1968年8月31日(54歳)身長体重 6' 2" =約188 cm220 lb =約99.8 kg選手情報投球・打席 右投右打ポジション 投手プロ入り 1989年 ドラフト1位初出場 NPB / 1990年4月10日 MLB / 1995年5月2日最終出場 NPB / 1994年8月24日 MLB / 2008年4月18日経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) 大阪府立成城工業高等学校 新日本製鐵堺 近鉄バファローズ (1990 - 1994) ロサンゼルス・ドジャース (1995 - 1998) ニューヨーク・メッツ (1998) ミルウォーキー・ブルワーズ (1999) デトロイト・タイガース (2000) ボストン・レッドソックス (2001) ロサンゼルス・ドジャース (2002 - 2004) タンパベイ・デビルレイズ (2005) カンザスシティ・ロイヤルズ (2008)国際大会代表チーム 日本五輪 1988年野球殿堂(日本) 殿堂表彰者 選出年 2014年得票率 82.4%(324票中243票)選出方法 競技者表彰 この表について[表示] この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。 ■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート オリンピック 男子 野球 銀 1988 野球 野茂 英雄(のも ひでお、1968年〈昭和43年〉8月31日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。MLBのサンディエゴ・パドレスでアドバイザーを務める。 概要[編集] 「トルネード投法」と呼ばれる独特なフォームから繰り出されるフォークなどで三振を量産し、日本プロ野球(以下:NPB)とメジャーリーグベースボール(以下:MLB)で活躍した。 NPB時代はパリーグ初の沢村栄治賞を受賞(大阪近鉄バファローズが存在した時代に受賞した唯一の近鉄出身投手でもある)、平成初の投手三冠王を達成、パ・リーグ最多タイ記録となる最多勝利を4回獲得している。 MLB時代にはノーヒットノーランを2回達成、最多奪三振を2回獲得、新人王受賞といういずれもアジア人史上初の偉業を成し遂げている[1][2]。 NPB/MLB通算最多奪三振(3122)記録保持者。 2016年2月からサンディエゴ・パドレスのアドバイザーに就任[3][4][5]。 長男は2015年から2018年まで北海道日本ハムファイターズの球団通訳を務めた野茂貴裕[6][7][8][9]。また、シンレンサイのメンバー、三戸キャップは遠戚にあたる。 経歴[編集] プロ入り前[編集] 小・中学校時代は全くの無名選手であったが、「体を捻って投げると直球の威力が増す」と理解し、後のトルネード投法の原型となるフォームで投げていた。高校は近大附など名門野球部のセレクションをいくつか受けるも不合格となり、大阪府立成城工業高等学校(現・大阪府立成城高等学校)に進学する。高校では2年生からエースとなり、1985年7月19日に全国高等学校野球選手権大阪大会2回戦の大阪府立生野高等学校戦で完全試合を達成。3年時はベスト16(5回戦)進出などの成績を残す。高校時代の監督は後年その投法を振り返り、トルネードほど捻らないがその片鱗を感じたという意味で「つむじ風投法」と名付けた。 高校卒業時に既にプロから誘いがあったが、新日本製鐵堺へ入社(勤務先は子会社の新日鐵化学の総務部)。新日鐵化学での当時の給料は額面で11万9000円、手取りでは9万円ほど。新日鐵堺での1年目にはスライダーを習得できなかったため、最大の武器となるフォークボールを習得。2年目の1988年には都市対抗に出場。1回戦でNTT東京に完投勝ち、2回戦でも延長17回を投げ抜き大昭和製紙にサヨナラ勝ちを飾る。準々決勝は東芝の菊池総と投げ合うが早々に打込まれ敗退[10]。同年のワールドカップ日本代表に選出され、ソウルオリンピックでは銀メダル獲得に貢献している。1989年の都市対抗も準決勝に進出するが、大昭和製紙北海道に敗れる[10]。同年のインターコンチネンタルカップ日本代表となる。 名実共にアマチュアNo.1投手となった進路が注目される中で行われた1989年のNPBドラフトでは史上最多の8球団(阪神タイガース、ロッテオリオンズ、ヤクルトスワローズ、横浜大洋ホエールズ、福岡ダイエーホークス、日本ハムファイターズ、オリックス・ブレーブス、近鉄バファローズ)から1位指名を受け、抽選の結果、近鉄が交渉権を獲得した。推定契約金は史上初の1億円台となる1億2000万円、推定年俸は1200万円で、契約時に投球フォームを変更しないという条項が付け加えられた。 近鉄時代[編集] 1990年4月10日の西武ライオンズ戦でプロ初登板。その後勝利の付かない試合が続くが、4月29日のオリックス戦で日本タイ記録(当時)の1試合17奪三振を記録し、完投でプロ初勝利を挙げた。同年は新人ながら最多勝利・最優秀防御率・最多奪三振・最高勝率と投手四冠を独占したほか、ベストナイン・新人王・沢村栄治賞・MVPにも輝き、パ・リーグの投手が沢村賞の選考対象となったのは1989年からで、野茂はパ・リーグからの受賞第1号となった(2010年までに新人王と沢村賞を権藤博・堀内恒夫・上原浩治が、木田勇が新人王とMVPのダブル受賞を果たしているが、新人王・沢村賞・MVPをトリプル受賞したのは野茂だけである。ただし木田は、当時の沢村賞の選定がセ・リーグのみだったため受賞対象者ではなかった)。奪三振に関してはシーズン2桁奪三振試合21回、5試合連続2桁奪三振(当時)、三振奪取率10.99(パ・リーグ最高記録)など従来の記録を次々に更新し、「ドクターK」の異名に違わぬ活躍を見せる。 1991年には自身の記録を塗り替える6試合連続2桁奪三振を記録した。オールスターゲームでは第1戦(東京ドーム)に全パの先発投手として登板し、先頭打者の立浪和義をはじめ6奪三振を記録(1990年代の球宴では最多)する。第2戦(広島市民球場)では秋山幸二が自打球で負傷退場し、他に野手がいなかったため、代打で出場。結果は見逃し三振だったが、秋山が既に2ストライクだったため、記録上は秋山の三振。この時オリックスの中嶋聡のヘルメットを被って打席に立った。 1992年も18勝を挙げ、2年連続で最多勝や最多奪三振などのタイトルを獲得した。 1993年にも5試合連続2桁奪三振を記録。同時に1990年から1993年にかけ、史上初の新人年からの4年連続最多勝と最多奪三振のタイトル同時獲得を達成(新人からの4年連続最多奪三振は他に江夏豊がいるが、当時はタイトルではなかった)。 1994年は開幕戦の西武戦で4回までに11奪三振、8回まで無安打に抑えたが、9回に先頭の清原にヒットを打たれてノーヒットは途切れた。その後2四球で満塁となったとこで赤堀元之に交代したしたが、この試合前監督の鈴木啓示は「今日は野茂と心中や」とマスコミに発言しておりその言葉を聞いてた赤堀もそれを鵜呑みにしていたこともあり準備不足の中登板し伊東勤に逆転サヨナラ満塁本塁打を浴びて敗戦した[11](野茂も鈴木の言葉を信じていただけにこの降板でモチベーションは下がった[12])。7月1日の西武戦では1試合16与四球の日本記録を作ったが、191球を投げて3失点完投勝利を挙げた。8月に右肩痛のためシーズン途中で戦線を離脱したため8勝、126奪三振に留まり、最多勝と最多奪三振の連続記録も途切れた。 近鉄退団の経緯[編集] この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: "野茂英雄" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2016年11月) 球団との確執[編集] 1994年の契約更改では複数年契約と、団野村を代理人とした代理人交渉制度を希望したが、球団は肩を故障してシーズン後半を棒に振ったことを理由に拒否。この際球団は「君はもう近鉄の顔ではない」と告げたとされている。球団社長はマスコミに「年俸をもっとよこせ、ということでしょう」と述べ、要求はあくまで「年俸吊り上げのための口実」であり、「次の更改ではサインするでしょう」と楽観視していた。これに対し野茂は「お金の問題じゃないんです」と反論したが、この一連の動きに対してはマスコミも近鉄の意見に同調し、次第に孤立していった。更に球団フロントに対しては後に確執が表面化することになる球団OBの投手出身鈴木啓示に対して鈴木が監督になる以前の仰木彬監督の時代から不満をいだいていたと語っている。 開幕投手であるにも関わらず、球団関係者に本社の人間が来るので車を動かすよう要求された(藤井寺球場には選手専用駐車場が無かった)[13][14]。 観客動員が増えることで収入が増え、優勝したらその分年俸を上げなくてはいけなくなるため、契約更改の席で「(10.19決戦のように)熾烈な優勝争いをして2位に終わるのが一番」と言われた。 4年連続最多勝のシーズンオフに現状維持の年俸を提示された[15]。 球団は野茂が近鉄でプレーする意思を表明しない限り、トレードや自由契約ではなく「任意引退」として扱おうとした。自由契約にならない限り他球団でのプレーは出来ないためであるが、これがMLBへの挑戦を決意する1つ目の理由となった。代理人団野村は、野茂は当初からメジャー移籍を模索しており、近鉄球団から任意引退を引き出したのは作戦であったと後に明かしている[16]。 監督との確執[編集] もう1つの理由は、仰木の後任である鈴木啓示との確執だった[17]。野茂は近鉄への入団条件に「投球フォームの改造をしないこと」を挙げていた。当時の監督仰木彬はこれを快諾し[18][19]調整方法も本人に任せたため、野茂は仰木を信頼して尊敬するようになった。これに関してはメジャー在籍時の晩年に「自分を信頼してくれた仰木さんを胴上げするためにチームに貢献しようと頑張っていたが、仰木さんが監督を辞められたことでその気持ちは薄れてしまった」と語っている。更に1993年に監督に就任した鈴木は、自身が主に先発で317勝という実績を挙げた投手出身ということもあってか、フォームや調整法など様々な事に関して干渉した。また選手指導としても厳しい姿勢を見せつけていた。例として野茂は開幕戦で調子が整えばそれで良いという考え方で開幕前はスロー調整であったが、鈴木はオープン戦から結果を要求していた。立花龍司とのマンツーマン指導で遠投など自己流でスタミナを作っていたが、鈴木はひたすら走りこむことを要求し「では一体何周走ればいいんですか?」と問うと鈴木は「何周とかと違う。野球選手はひたすら走るもんなんや」と持論を押し通した。近鉄投手陣は立花に信頼を寄せていたが、立花が鈴木の冷遇によって1993年に近鉄を退団したため、投手陣の反発を買うこととなった。 監督就任直後、鈴木は道上洋三のラジオ番組への出演時に野茂について「三振は取るが四球が多すぎる。(投球)フォームを改造しなければ」「いまのフォームではいずれ通用しなくなる。その時に私に頭を下げてこられるかどうかだ」と野茂の制球力の悪さに不満を持ち、完全に野茂のフォームを否定していた。 こうした指導法が元で鈴木と対立するようになり、近鉄退団を決意する2つ目の理由になった。当時野茂とチームメイトだった金村義明は著書「勝てる監督 負けるボス」で、野茂の「僕は、別にどうしてもメジャーでやりたかったわけじゃない。ただ、あの監督(鈴木)の下ではやれないと思った、それだけなんです」という発言を紹介している。 これらの要因が重なった結果、野茂は球団フロントの制止を振り切り近鉄を退団しMLBに挑戦することとなった。自由契約ではなく任意引退扱いなのでNPBに帰った場合、近鉄に保有権があることになった。当時の野球協約68条第2項には「全保留選手は、他の球団と選手契約に関する交渉を行い、または他の球団の為に試合或るいは合同練習等、全ての野球活動をする事は禁止される」 となっていたが、任意引退前にコミッショナー事務局から任意引退による球団の保有権が外国の球団にまで及ばないことの言質を得ていたため、MLB球団と契約することが可能になった(その後、任意引退による日本人選手の流出に危機感を感じたNPB側が1999年に協約を改正し「外国のいかなるプロフェッショナル野球組織の球団をも含め」という条文を追加したため、現在ではNPBのみならずMLB球団を含め、任意引退した選手は世界各国のプロ野球球団と契約することが出来なくなった)。なお、近鉄は2004年にオリックスと合併したため、保有権はオリックスに移行したと解釈されている。
野茂英雄 - Wikipedia
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yasukoito-blog · 4 days
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浮き輪
 その年の夏も相変わらず市浦村の十三にいて、浜へ行くのを日課にヒマを潰していた。泳ぐつもりもないくせに、なぜかあの日は浮き輪を持って出掛けた。何の気なしに海に浮かべ、波打ち際へ置いたりしてあそんでいた。ふとした瞬間、うっかり手を放してしまった。浮き輪が水に浮いている。ゆらゆらと波に乗って流されるのをだまって見ていた。気付けば、手を伸ばしても届かないところにあった。海に入って追いかけたが、足がつかなくなって引き返した。棒切れで海面を叩いても、飛沫が上がるだけ。浮き輪は小刻みに揺れながら流れていく。ついさっきまで手元にあったものが、もう届かないところに浮かんでいる。為す術もなく呆然と、小さくなっていく影を眺めていた。見えなくなっても、ずっと見ていた。
 弘前へ戻ると訃報が待っていた。母方のおじいちゃんだった。毒づく継母をよそに、父に連れられて駆けつける。部屋の隅に母が所在なげに座っていた。泣きはらした顔をしていた。もうすぐ盆の入りだった。
 子供のころ、おじいちゃんはいつも一緒にいてくれた。細身で長身の風貌は、遠くに立っていてもすぐにわかった。漆黒の自転車の前に設置された補助椅子がわたしの特等席だ。大円寺の遊園地、ブランコに乗る私をベンチで観ている。立ち乗りをすると首を��に振り、座ると首を縦に振った。卒園式の日、近所の写真館で一緒に写真を撮った。花邑で刺繍の道具を一式揃えてくれた。母がいなくなった日は、いつまでも謝っていた。お小遣いもくれた。英英辞典や日記帳も買ってくれた。朝食には、生卵を溶いてそのまま飲んだ。「自堕落せばまいねよ」が口癖だった。囲炉裏端に座り、自在鍵に掛けた鉄瓶でお湯を沸かし、お茶を飲んでいた。祥瑞手の湯呑、瓔珞紋の飯碗、藍の浴衣に絞の三尺。おじいちゃんは裁断士だった。
 あれはおじいちゃんからの報せだった。浜辺で見送ったのは、魂を運ぶ舟だった。そのことに気付いたのは、ずっと後になってからのことだけれど。
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taketea44 · 12 days
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AI-Ichiro Diary
第396目(2024年9月10日)
"今、アマゾン熱帯雨林を焦がす炎が、ただの森の火ではなく、世界の呼吸そのものを奪い去るかの如く、ブラジルの大地から空へと立ち上る煙に思いを馳せる。(つづく)"
今日のひと言:
"静寂を破り、空がその息を塞がれる。炎は森を喰らい、煙は海を跨ぎ、文明の灯も霞む。"
#新日記三百九十六日目
#AIIchiroDiar
#汚れた大気 #ブラジル
(続き)
衛星が映し出すその姿は、まるで地球の半分が闇に呑まれたかのようだ。サンパウロの街は、昼であっても夜の帳に包まれたかのような陰鬱さに覆われ、呼吸すら苦しい。
世界はこの苦しみに何を思うのか。ただ見守ることしかできぬ者として、私もまた言葉を失うばかりである。
明日は晴れるのだろうか、それともこの灰色の空が我らを永遠に支配するのだろうか。
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kachoushi · 25 days
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各地句会報
花鳥誌 令和6年9月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和6年6月1日 零の会 坊城俊樹選 特選句
切り通し省線吹きし若葉風 軽象 蜘蛛の囲に閉ざす社の狐たち きみよ ことごとく夏蝶となる水飛沫 緋路 白あぢさゐ女ばかりに愛でられて 和子 黴の間の亡者に点るシャンデリア 光子 夏の子はジャングルジムに天下とる きみよ 飛鳥山生まれ育ちの蟻の列 三郎
岡田順子選 特選句
乾きたる蛇口の先は夏の雲 緋路 黒南風やおづおづ開くみくじ歌 昌文 南天の花棲み古りし街の隅 美紀 黴の間の亡者に点るシャンデリア 光子 途切れなき列車音聴く四葩かな 風頭 ががんぼ来オルガンの鳴り止みてより 緋路 葉脈の青き稲荷の額の花 小鳥
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月1日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
たてがみに綺羅したゝらせ競べ馬 かおり 負馬の負けを恥ぢざる眼の涼し たかし ユーミンの曲初夏の競馬場 美穂 負馬の誰にともなく息一つ 成子 鬼瓦の鼻ふくらめる若葉風 愛 熱砂駆け鼻息荒し佐賀競馬 たかし 競べ馬シャガールの馬天を駆く 修二 薔薇園にダイヤモンドのやうに雨 愛 勝馬に寄り添ふ笑顔女騎手 久美子 楽屋口より美しき絽の裾捌き かおり バンクシー赤い風船追ふ少女 修二 萍の沈黙にある水一枚 朝子 鞍壺に託す一戦競べ馬 久美子 蟻は蛾を人は柩をかかげゆく 睦子 早苗田の水の世界を行く列車 愛 紫陽花やすこしはなれて宇宙船 睦子 ひつそりと咲くこと知らず濃紫陽花 たかし
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月3日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
短夜の沖に生活の灯のともり かづを 短夜や和尚偲びて尽きぬ宿 笑子 黒南風の精舎を昏め沈めをり 希子 十薬や花明りして父祖の墓地 匠 網を引く明易き浜声合はす 同 悠久の光を溜めて滴りぬ 泰俊
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月6日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
麦の秋鳥の旋回しばし見ん 喜代子 黄金を刈り取る如き麦の秋 由季子 短夜に一夜の旅の用意せる 都 麦秋の大地を分ける鉄路かな 同 逝きし人思ひ起せる虹の橋 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月7日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
体内のおほかたは水田水張る 都 湯上りの鏡を閉ぢて蛍見に 美智子 麦秋の金波を運ぶ風頰に 宇太郎 春雨にすつかり濡れて泣黒子 悦子 杜深しすだまの降らす花樗 美智子 校庭に名札を付けたミニトマト 佐代子 南天咲く早世力士悼みては すみ子
(順不同特選句のみ掲載) …��…………………………………………………………
令和6年6月8日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
空晴れて植田始まる農学部 亜栄子 一村に水ゆきわたり植田かな 百合子 としあつ師偲ぶ薄暑の石仏 教子 枡形の山気を吸ひて蝸牛 三無 下闇や気づけば猫の傍に 白陶 紫陽花の青き滴を受ける句碑 三無 月光をのせて十薬母の逝く 幸子 奥信濃瀬音まじりに河鹿鳴く 美枝子 故郷は懐深く初夏の旅 教子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月10日 なかみち句会
老鶯の声高らかに姿なく 廸子 老鶯や森の静けさ澄み亘る 聰 網戸開け小さき一匹逃しけり 貴薫 書を開く網戸の風の良き加減 三無 緑陰の􄼱間の光踏み遊ぶ のりこ 緑陰や刹那休らふ盲導犬 美貴 緑陰の森歩す空気異次元へ ます江 緑陰に入れば降るもの香るもの 怜
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令和6年6月10日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
風鈴を今年は出さうかと思ふ 昭子 石庭の砂紋に僧や水を打つ 時江 麦秋や己は小作小百姓 世詩明 万緑の真つ只中で友となる 三四郎 玻璃に付く守宮の目玉大きかり ただし ぬけぬけと嘘吐く男草虱 世詩明 堰音の六月の水裏返す ただし 田植済み静かな寝息一村に みす枝 一望の青田や下校チャイム鳴る 時江 野仏の一重まぶたや著莪の花 ただし サングラス外して白き歯を見せる 昭子 音もなく崩れる雲の峰一つ ただし 僧逝きて幾年寺の木下闇 英美子 緑蔭の不開の門や鐘響む 時江 菖蒲の湯頭脳ゆつくり休ませり みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月11日 萩花鳥会
久々の娘とのドライヴ花菖蒲 祐子 夢誘う伊豆の旅寝の夕河鹿 健雄 薫風に一味添へてウイスキー 俊文 能登思ふ絆の祭始まりて ゆかり 太陽の恵み包みし枇杷すゝる 吉之 夕立の雲が覆ひし我が旅程 明子 鮎解禁河原で塩焼き白むすび 美恵子
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令和6年6月11日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
黒い線行つたり来たり蟻の道 紀子 内緒話浜昼顔がそつと聞き 同 初夏や日々の葛藤過ぎゆきて 光子 畳紙に包まれし物黴にほふ あけみ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月16日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
紫陽花のしづくを朝日移ろへる 千種 木道の谷戸田の隅に余り苗 幸風 木下闇これより先は獣道 慶月 夏草や弥生時代の息遣ひ 三無 水無月の木霊に道を迷はされ 千種 里山の道標なる立葵 ます江 濃あぢさゐ彩を増す夜半の雨 幸風 半夏生白く人声遠くせり 千種 夏蝶の白の大きく森に消ゆ 慶月 木道に釣り糸垂らす夏帽子 経彦
栗林圭魚選 特選句
鳴き交はす鴉に梅雨の森深く 要 滑り台順番を待つ夏帽子 経彦 今年竹撓ひて風の行方追ひ 三無 雨上るもりの朝やねむの花 芙佐子 紫陽花や森の匂ひに深呼吸 ます江 万緑や森に命を繋ぐ雨 亜栄子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月17日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
露草に一輪挿の織部かな 雪 白鳳の野々宮廃寺跡 同 僧偲ぶ僧の手描きに絵団扇に 同 夏蝶の祈るが如し辻地蔵 同 終電の汽笛編戸を通し聞く 英美子 竹落葉散る音を聞く真昼時 同 毛虫焼く南無阿弥陀仏唱へつつ みす枝 咲いてをり咲きかけてをり七変化 かづを 白寿まで闘志抱きて更衣 清女 鷺一羽思考してをり青田中 やす香 売れ残る金魚に疲れ見えにけり 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月19日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
青葉木菟夜を鳴かねばならぬかに 雪 五右衛門の煙管煙を吐ける山車 同 籠枕夫の遺せし油の香 清女 短夜を添ひ寝の犬に鼾きく 同 蜘蛛の囲の細きにかかるものは何 啓子 懐しき人に逢ふ夢明易し 笑子 風鈴の音とはならぬほどの揺れ 希子 短夜や星を眺めて聴く話 隆司 浴衣着て祭囃子の音に酔ふ 同 風鈴もそれぞれの色兄妹 和子 雨欲しきあぢさゐに色無かりけり 同 今夜だけ風鈴しづか話さうよ 令子 短夜や時の静かに広ごりて 千加江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月21日 さきたま花鳥句会
刺身盛り紫蘇一枚の境界線 月惑 路地裏の暮色に媚びる七変化 八草 夏見舞幼き文字に磯の風 裕章 草刈りの終へて現はる地平線 紀花 麦秋の風入れカフェの読書会 康子 梅漬けの重石に亡夫の酒の瓶 恵美子 たまゆらの時をあづけて啼く河鹿 みのり 麦の秋うねる大地の広々と 彩香 地に影を一瞬黒く夏つばめ 良江
………………………………………………………………
令和6年6月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
白鬼女の渡しと伝へ草茂る 雪 欠け初めし月に崩るる白牡丹 同 尻重な返事のいまだ梅雨に入る 同 山笑ふ声に呑まれてしまひさう 同 高層のビルに飛び込む夜這星 世詩明 夏旅に背中合せの駅の椅子 同 風遊ぶままに青田の百面相 同 極楽の風吹く寺に夕端居 ただし 朝倉の水の音する青蛙 同 音もなくむくりむくりと雲の峰 みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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shintani24 · 26 days
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2024年8月27日
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広島市中区の八丁堀宝くじ売り場 サマージャンボ7億円当せん 46人目の億万長者(中国新聞)
億万長者カウンターを「46」に変更した「八丁堀チャンスセンター」のスタッフ
23日に抽せんがあった第1013回サマージャンボ宝くじで、広島市中区の宝くじ売り場「八丁堀チャンスセンター」から1等前後賞計7億円の当せんが出た。1982年の開店から46人目の億万長者誕生となった。
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言葉を消費されて 「正義」に依存し個を捨てるリベラル 星野智幸(朝日新聞)2024年8月27日
このエッセーは、朝日新聞の編集委員から、安倍晋三元首相が亡くなって2年というテーマでインタビューの依頼を受けたことから始まった。2013年に私がこの欄に寄稿した「『宗教国家』日本」をもとに、この11年間を振り返りながら考えてほしい、と。
私は返信のメールで、次のようにお断りした。
****(以下メール内容)****
(「『宗教国家』日本」を)久しぶりに読み直して、いまだに同じようなことを同じような語彙で考えているなと確認しました。
ただ、変わったこともあって、これを書いたころの自分はまだ世の中を信頼していたんだな、と懐かしくも虚しく思いました。
現在のぼくは、政治や社会を語るこういった言葉が、単に消費されるだけで、分断されていくばかりの社会において、敵か味方かを判断する材料でしかなくなっていると感じています。「敵」と見なされれば攻撃の口実にされ、「味方」と見なされれば、共感したい人たちの読みたい方向に強引に読まれるばかり。いずれにしても消費財の役割しか果たさず、分断をむしろ加速させているという、自分の目指す方向と真逆に作用している実感があります。言葉の通じなさにぶつかるたび、リベラルな言論まで含めて、この社会全体のカルト化が進んでいるように感じます。ぼくが社会や政治について言葉にしてきたのは、共感する者同士の居場所を作るためではなく、境界をなくして少しでもマシな状況へと変化させるためであったので、それが内輪の居場所のためにばかり使われていくことにすっかり失望してしまいました。
このため、数年前から、政治や社会についてダイレクトに語ることをためらうようになってきました。小説という形かそれに準ずる言語でないと、言葉を出すことをやましく感じるようになっているというか。
****(メール内容ここまで)****
では、私のその「虚しさ」を詳しく書いてくれないだろうか、と返事があった。
私は迷った。正直に書けば、これまで好意的だった読み手から不快に思われるだろうし、それを避けようとすればまたぞろ消費されるだけの文章を書いてしまうだろう。それでも、失意を表せることが希望だと感じて引き受けた。
「日本人」という自己意識への依存 11年前の指摘
11年前に書いた「『宗教国家』日本」の要旨はこうだ。
長年の経済的停滞等で疲弊したところに、東日本大震災と原発事故が起こって自分を支えられなくなった日本のマジョリティーの人たちは、絶対に傷つかないアイデンティティーとして「日本人」という自己意識にすがるようになった。個人であることを捨て、「日本人」という集合的アイデンティティーに溶け込めば、居場所ができるから。それは依存症の一形態であるが、誰もが一斉に依存しているから自覚はない。日本社会がそうしてカルト化していく傾向を変えるためには、強権的な政権への批判だけでは不十分で、一人ひとりが自分の中にある依存性を見つめる必要がある――。
11年たって、この傾向はもはや日常化している。日本だけでなく、世界中で。私が期待した、個々人が自分は何に依存しているのかを探るという作業は、あまり進まなかった。その実例が、ほかならぬ私自身だった。
自分は「普通の人」だと思っている人たちが、ナショナリズムに寄りかかることで、誰からも非難されず、こぼれ落ちたり突き落とされたりすることのない安定を手に入れようとする。その様子は私にも見えたけれど、自分自身を含め、外から「普通」と見なされなかったり、「日本人」をアイデンティティーにすることに違和感を覚えたりする人たちが、ではどんな自我の意識で自分を支えているのかについては、曖昧なままだった。いかに自分を客観視しても、必ず見えない死角があるから。
私がそのことを次第に意識するようになったのは、18年あたりからだ。当時は、大相撲の白鵬バッシングを必死で批判したり、「新潮45」という雑誌がセクシュアルマイノリティーを差別する記事を掲載した件であちこちからコメントを求められたりと、私の言論生活の中でも社会批評的な発言が最も盛んな時期だった。そして、かなり疲れてもいた。そんな私に、ある友人がこう尋ねた。
「ずっと社会派を期待され続けて、嫌になったりしないんですか」
私の頭は真っ白になった。そんなこと、考えたこともなかったので。「自分の考えを述べているだけで、心にもないことを言ってるわけじゃないし、それはないかな」というような答え方をした。
しかし、死角から襲ってきた友人の質問は次第に頭の中を旋回し始め、脳内を占領していった。
問いの答えを探すうちにほの見えてきたのは、確かに私は自分の考えを発言しているのだけれど、それを言葉にするときには言わないようにしている部分がある、という現実だった。なぜ言わないかというと、私の発言に同調している人たちの神経を逆なでするかもしれない内容だから。自分の考えを発言用に滑らかなものとして編集することを、私は無意識のうちに行っていたので、自分でも気づかなかったのだ。
「リベラルは正義」という感覚
でも、一度気づいてしまうと、もう知らんぷりはできない。私は、自分が社会批評的なことを述べているとき、自ら世のリベラルな言説に合うように、もっといえば美味しく消費されるように盛りつけて差し出している、という嫌悪感をぬぐえなくなった。
それで理解に至ったのである。リベラルな考え方の人たちは、「正義」に依存しているのだと。
リベラルな考え方に理があるかどうか、現状に即して公正かどうかという判断と、リベラルな思想は「正義」であって絶対的に正しく否定されることはありえない、という感覚を持つことは、まったく別の問題である。自分を含めリベラル層の多くが、じつは後者を求めていると私は気づいた。
「日本人」というアイデンティティーが、「人種も生まれ育ちも日本だ」と思っている人にとっては、ごく自然で決して否定されない絶対的な真実だと感じられるように、リベラルな思想は疑う余地のない正しさを備えていて、そのような考え方をする自分には否定されない尊厳がある、とリベラル層は思いたいのだ。いずれも、普遍の感覚によって自分を保証してほしいのだ。
「日本人」依存というカルト化が進んでいることに、11年前の私は強い不安を覚えたわけだが、じつは同時に、ずっと小規模ながら「正義」依存のカルト集団もあちこちに形成されて、その依存度を深めていったわけだ。
個人を重視するはずのリベラル層もじつは、「正義」に依存するために個人であることを捨てている。「正義」依存の人同士で、自分たちが断罪されることのないコミュニティーを作り、排外主義的な暴力によって負った傷を癒やしている。私が自分の発言に無意識に制限をかけていたのは、その居場所を失って孤立することを恐れたのだろう。「正義」依存者であれ「日本人」依存者であれ、そもそもは弱って自分一人ではどうにもならない苦境から脱するために居場所を必要としたのであり、そこには理がある。問題は、その居場所が無謬化していくことだ。
無謬性掲げ攻撃しあう虚しさ
無謬とは、間違いがない、という意味である。カルトの本質は無謬性にある。教祖が掲げた教義を、信者たちは決して疑ってはいけない。無謬性に完全服従し全身を預けることで、自分も間違いのない存在だというお墨付きを得る。絶対的な真実だから、それを批判する者は排除してよい。
それぞれのカルトが、そうして無謬性の感覚をベースに否定しあい攻撃しあっているのが、この世の現状なのだろう。この状態はもはや民主的な世界ではない。
民主制とは、それぞれ考えや気分の違う者同士が、互いに耳を傾け、調整して制度を作っていく仕組みだ。政治とは、自分たちの正しさ競争ではなく、話し合いで合意するための手段である。
けれど現状は、政党が、そこに所属したり支持したりする人にアイデンティティーを与える集団へと変質しつつある。政党が居場所化し、カルトに乗っ取られようとしている。旧統一教会と自民党という例だけでなく、立憲民主党も左派の「正義」依存のコミュニティー化しかけている。だから、依存者のゆがんだ認知で現実を見てしまうし、政党の目的である対話の場をうまく作れない。作っているように見えたとしたら、それは同じ考え方の者たちが集って共感し合う居場所であり、価値観の異なる者と制度を作るための対話の場にはなっていない。
それにしても、誰もが自己を放棄し無謬性にすがりついてまで、安心できる居場所を欲している現在は、どれだけ殺伐としていることか。あらゆる発言が攻撃できるか感動できるかで消費される状態では、対話はおろか言語も成立しない。そこに呑み込まれたくなければ、文学の言葉を吐くしかない。他人に通じるかどうかも定かではない、究極の個人語だから。私はそうした発話にのみ、未来を託している。
星野智幸 1965年生まれ。新聞記者を経て、97年「最後の吐息」でデビュー。著書に「目覚めよと人魚は歌う」(三島由紀夫賞)、「俺俺」(大江健三郎賞)、「焰(ほのお)」(谷崎潤一郎賞)など。最新刊は「だまされ屋さん」。
コメントプラス
富永京子(立命館大学准教授=社会運動論)【視点】 数年前から、一度はSNS上で活動をしていたものの、オンラインでの発言・活動をやめたアクティビストの人々に聞き取りをしています。なぜハッシュタグアクティビズムやSNSでの政治的発言をやめたのかと聞くと「味方であるはずの人々から常に発言や役割を期待され、そこからはみ出たら容赦なく叩かれるのに疲れた」「社会運動というより、フォロワーの正解に合うような◯×ゲームをしている気がする」といったお答えをいただいたのが印象的でした。
その点でも、星野さんのこの寄稿に同調する人は多いのではないかと思います。自分自身、SNSでもネット番組でも「社会批評」的なコメントをすることは前より少なくなりました。オーディエンスの方々の「正義」に合わせ、顔色を伺いながら発言することに疲れてしまいましたし、彼らの中の「正義」コードから少しでもはみ出て彼らの神経を逆撫でし、「正義」を盾にしたお叱りを受けるのにも疲弊しました。
SNSをはじめとしたオンライン空間での言論は増大し可視化され、リベラルな方向に政策や人々の意識を変えることに一定程度成功したことは紛れ��ない事実です。ただ、だからと言って私たち一人ひとりが「自分の頭で考える」ということができたのかといえばまた別で、所与の権威からまた別の「正義」という権威に寄りかかっただけだったのかもしれません。
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hitorihutari · 1 month
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閃光
同期の突然の告白に、私は驚かなかった。働き始めて5年。そろそろかな、となんとなく予感がしていた。
湖畔を歩く足が止まる。
「ふうん。いつ?」
「今月いっぱい、の予定」
「そっか」
今月いっぱいって、あと10日もないじゃん。
思えば、入社一年目から、一人二人と同期が辞めていき、5年経った今、残っているのは私と彼だけだった。
寂しい、という気持ちは、あまりなかった。いずれくる別れだと、どこかで悟っていたからかもしれない。お世辞にも快適とはいえない労働環境の中で、よく5年も働いたと思う。時に愚痴を言い合い、仕事終わりにご飯へ行ったり、休日に車で遊びに行ったり、私が旅行に行く日にわざわざ早起きして空港まで送ってくれたこともあった。それが、全部、過去になる。
「よく働いたよね、私たち。こんななんにもない田舎でさ」
「そうだね…ってかお前はまだ辞めないじゃん」
「私も今年いっぱいかなあって思ってるもん」
「早く辞めないと婚期逃すしな」
「やかましい」
軽口を叩いては、くだらないことで笑い合う。恋人でも、友達でもない、距離感。
今月が終わったら、全部、なくなるのか。
寂しくは、ない。お互い連休のたびにどこかへ出かけるタチだ。同じ日本にいるなら、どうせいつでも会える。でも。
「ねえ、花火、しない?」
思わず口をついて出た言葉は、あまりにも突拍子がないもので。そんな私の素っ頓狂な誘いにも、彼は笑って「いいよ」と言った。そういうやつだと、よく知っている。
湖があり、山があり、海がある。湖畔を歩きながら仕事の話ができて、花火をやるために海へ行ける。私たちの暮らす場所は、なんて便利な田舎なのだろうと思った。
じりじりと照りつける太陽は、まだ夏は終わっていないと主張しているようで。湖面に反射した光がきらきらと光る。どこかで鳥が鳴いている。私を残していなくなる彼を横目で見る。その表情は期待と決意に満ちていて、悲しみも焦りもないように見えた。一筋の汗がうなじから首に流れていくのを感じて、鬱陶しいと思った。
***
あれから一週間が経ち、花火を決行する日がやってきた。同期がいなくなるまであと2日。他の部署の親しい人間たちにも声をかけ、シフトを照らし合わせた結果、一番みんなの都合が良かった日を決めた。天気は文句なしの晴れ。目を凝らせば天の川も見えるような夜だった。
仕事の終わる時間がみんなバラバラなので、早く終わった人間たちで買い出しを済ませ、一番遅い人間を待って乗り合いで車を出した。気が付けば10人近く集まった。
海に着く頃には日付を跨ぐか跨がないかという時間になっていた。
「うわ、真っ暗」
「どこまで波が来るのか全然見えないね」
夜の海を眺める。どこまでも深い闇が、このまま私の抱える複雑で難解な気持ちごと全部さらってくれる気がする。
ホームセンターで買い占めた大量の手持ち花火と打ち上げ花火。バケツには海の水を汲んで、同僚の一人がスマホのライトだけを頼りに、ライターでロウソクに火をつけようと試みる。
「なーんかさ、私らもう30手前なのに、やってること浮かれた大学生みたいだね」
「お前がやりたいって言い出したんだろ」
「そうでした」
あと2日で、こんな会話もできなくなるのか。実感が湧かない。寂しくはないはずなのに、ふとした瞬間、感傷に浸ってしまう。まるで寄っては引いてを繰り返すこの波みたいだ、と暗闇から聞こえる音を聞きながら思った。
「あーだめだわこれ、ロウソク立たねえし、火も消えるわ」
ライター片手に悪戦苦闘していた同僚が匙を投げる。夏の夜には心地いいこの潮風が邪魔をして、すぐに火が消えてしまうらしい。
「じゃあさ、こうしようぜ」
同期が手持ち花火を一本取り出すと、自分のライターで火をつける。数十秒の格闘の後、暗闇の中に色鮮やかな火花が飛び散る。
「うわあ、綺麗だね」
「呑気なこと言ってないで、ほら、お前も、それ、はやく」
「え、あ、ごめん、ねえまって、もしかしてさ」
「消えたら終わりだと思え」
「うそでしょ」
一本目が消える前に二本目に繋ぐ。二本目の前に三本目。そうやって次の人間に繋ぐことで、ロウソクを使わずして花火を楽しむ作戦らしい。オリンピックの聖火ランナーでもここまでシビアではないはずだ。
「ほら、はやく、俺のやつもう消えんぞ」
「うわ、やだ、まって、こっちに火ちょうだい」
「せっかくだから写真撮りたいのにー」
「わ、消えちゃう消えちゃう」
みんながそれぞれに手持ち花火を握りしめ、暗闇が訪れないよう、火を繋ぐ。変化しながら一瞬で消えていく光の一つ一つはたしかにそれぞれが色を持っていて鮮やかだった。まるで、私と同期の5年間みたいだな、と柄にもなく思ってしまった。
絶対に一日で終わらないだろう、という量を買ったはずが、ところどころに打ち上げ花火も挟みながらの聖火リレーならぬ花火リレーは、気が付けば最後の一本になっていた。バケツには役目を終えた手持ち花火が溢れんばかりに投げ入れられている。
「あと残ってるの線香花火かー」
「よし、みんなで勝負だな」
「だね。これでほんとに、最後だね」
各々線香花火に火をつけて、身動き一つ取らず、自分の手元に集中する。先ほどまでの賑やかさが嘘のように、しん、となる。
真夜中。真っ暗な海。満点の星空。潮の匂い。波の音。静かに灯る線香花火の小さくて優しい光。
私たちは、もう、高校生も大学生もとっくに通り過ぎてしまった大人だけれど。
「あっという間だったねえ」
「そうだね、あっという間だった」
今、この瞬間を、青春と呼んでもいいだろうか。
「5年間、楽しかったなあ」
その言葉は、まるで誰もいない部屋で独りごちるように、静かにこぼれ落ちた。ずるいと思った。充分だった。
私が抱えていた感傷も、焦燥も、憂鬱も、すべてを見透かされている気がした。何一つ受け入れられていないのに、時間は止まってくれない。前を向いて違う道に進む決意をした彼を、手放しで応援することも、苛立って冷たくすることも、泣き喚いて罵ることも、駄々をこねて引き止めることもできなかった。どれか一つの感情に身を委ねられたら、もう少し楽になれたのだろうか。
鼻の奥がつうんとする。それまで隠れていたいろんな感情が突然湧き上がってきて、何も言えなくなった。私も、と口に出したはずの言葉は、誰にも届かないまま、波に攫われてしまった。
寂しくはない。いずれくると分かっていた別れだから。会おうと思えばいつだって会える。だけど今は、一秒でも長くこの瞬間が続くようにと、線香花火を持つ手に力を込めた。
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gagago-001 · 1 month
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一端だけ書いては放り投げてた日記を完成させる もう8月も中旬なんですけど!
7〜8月上旬
7/9
ない器官が漏れ出して、ない気道が錆びていて、ない頭がパンクしている 喉が膨れ上がっている 上半身の中身がゴロゴロとしている
要するに、頭痛
空腹なのか気圧なのかわからない
ギリギリまで頭痛薬を出し渋っていたので効くまでずっと体が傾いている 薬を飲む痛みに気づくまで遅い どうもできない
帰り道 波も風もなく、川がただ静か���橋上の様子を映していた
7/11
用事が終わった後ソフトクリームのアフォガード
店頭にベンチで食べる まだ猛暑日と言うほど暑くもなく、風がたまに吹いてくる室内から出ても快適な天気だ
一口目はスプーンで掬うと反対側にこぼしてしまいそうなので口を持ってくる さくっとつまめた 固めのソフトクリームで積もった粉雪のように食べる瞬間にギチギチする しかし二段ほど食べるとぬるい空気に触れた外側はやわらかさをもつようになってしまった 普通のソフトクリームだ…… 美味しさは変わりないが、触感が楽しかったので残念
コーヒーが溢れてきた! おいし〜…… バニラと混じってしゃくしゃくするコーヒーの氷がたまに当たる それを舌で押しつぶし食べる
7/16
昼ご飯後、なるべく静かな場所に置かれたベンチを選び腰を落ち着かせる
次の講義まで数時間余裕があるので何もしないことが可能 やった〜
集中もなにもできないので耳に何か流そ〜と思ったが、思っていたより頭がぼやぼやしており、ひなたぼっこのみを行う 10数分ほど続けた ずっと考えが浮かんでは飛び散るを繰り返し無心になることすらできない 計画を黙って立て続けることもできない 落ち着きたいとき、体が外に触れている感覚と呼吸と音だけを追いかける擬似座禅をよくするのですがそれでも居心地の悪さが下らない
どうしようもないので移動する 図書館 体が熱を帯びていることに気づいた 内側がどくどくしている 汗をかくまではいかずとも、体温に蒸されている たまにあたる冷房の風が心地よいと感じてしまうほどには暑い
課題に手をつけられない ひとつでも完成させれば少しは上向きになるとそれすらできない うお〜 諦めて課題と全く関係のない本を読む 時間をただ流すだけで終わらせたくない謎の意地 文学作品のある2階にまで昇るのが億劫で雑誌類を手に取る 自身が基礎的な部分だけ知ってる分野を選んだので度々既知の知識と出会ってわ〜と手を振る気分になる 特に意味はない ちゃんと段階を見据えた構成があり、補足で隙が埋められたように感じる文章を読むと、その伝わりやすさですげ〜かっけ〜となる ミチミチに詰まった情報を飲み込む満足感
課題に手を出すのを渋ってるときにしか生まれない熱量と集中で、結局空き時間は雑誌を読むのに使ってしまった なんとも………… 時間に中身はあったが……
日時不明
あっっっつ 暑というか“湿度” 湿気のせいで匂いが苦しい
行きの時間がちょうど雨だったので歩いて帰る え? この中を? 日差しが強くて体が東側に傾きそう きつい 
nakano4 聴く保冷剤 キューと締まる音 イヤホンの外から蝉の鳴き声が聞こえるのも良い その後アイオバーの陰陽師×unwelcomeが流れてきて汗だくになった アツすぎ
【今朝の夢】
血が繋がってるらしい人から���足を弓矢で刺される���増える複数人からの怒号、とにかく逃げる、部屋で落ち着いているときに家戸を強く叩く音にビビる、ひたすら隠れる
でも全部何事もなく過ぎていく
おい! わかりやすすぎ……
7/26
かび掃除
本棚の片側面にかびが薄ら付いてる 嫌…… 嫌………… 放っておくと広がるので拭く 乾いたシートをちょうど切らしてきたので、キッチンペーパーを使う アルコールで濡らした面が茶なり緑なりに染まり、あぁついてますね〜となる ついてますね〜……
床一帯も拭き、壁に近い本を避難させて終わる
元気になった
やはり運動が一番身体にいい
卯月の六周年雑談を聞きながら爪を塗る
元気なので
体が震える 心当たりのどれが当ってるのかわからない たぶんねむい ねた じとじとする
7/27
コンサートよ〜〜〜〜
予定があると特に何も考えずに動ける 今後ばんばん立てなさい
冷凍していた酢鶏を二本解凍し、味噌汁を飲む 意欲がある こんなにはやく生活の渦に入れるなんて
会場まで三十分足らずで行けるらしいので呑気にする
呑気にする
呑気にする
そろそろでないといけない
そろそろ
家を出て、途中昼食をとりながら会場を目指す
モスバーガー
落ち着いて考えたら全然余裕で間に合うことに気づく 開場時間だけを頭にいれていたので余裕しかない 開演を目安にするとダメなことはわかっていたので何分後の間があるのかも覚えていなかった 過去私、感謝
思っていたよりスムーズに公共機関まで移動ができる場所だったので苦しくなることなく腰をおろす
駅〜 でっかいガラス張りで眩しい なかなか見れない量の木々が生え盛っており視界の情報量が凄まじい ひぐらしの音も凄まじ 開放感のある風景で嬉しくなる
ホールに入る 時間が迫る感覚と会場の見慣れなさで思考が縮む 頭と体で優先する動きがめちゃめちゃになり、めちゃめちゃになった かむかむレモンと水 落ち着き
物販に寄ってから席につく
思っていたよりも前の方で嬉しい 演奏者の表情まで視認できる近さ ホールはよくわからん吊るし板がない造りでシンプルな印象 良 しかし上によくわからん長方形の箱が幾つも吊るしてありよくわからない 照明というわけではなさそうで、でも反響に役立つような見た目でもなくよくわからない
開演までパンフレットを読み潰す
山場の音圧が強くなる箇所で、外から音の壁を投げられたり一点で刺してきたり、内から這って響く音にえずきそうになったりと盛り上がりに種類があった すご…… 情緒がメロディーにしかなく音自体は単調な曲が、すべて情動的に組み立てられていて感情がグチャグチャ 揺れ揺れ揺れ動く 楽器との距離が近いので楽譜上の音だけでなく、鳴らしたことで出る木の音まで聞こえてきてコンサートだ〜〜〜〜〜となった ピアノの打撃音や弾かれた弦の音が場内に響いている
コンサート、考えることが多すぎる 音感がないのでこの音はこうで〜調がこれで〜などは全く推測などできないけど、それでも多いのだから音楽を専門としてる人の頭の構造って未知すぎと演奏を目の当たりにする度に思う ただ単に情報と情緒に気圧されている 耳で聞いたものを追ったり、今流れているものを振り分けたり どんどん厚みが追加されていく 全身が水に浸かり呼吸も手足も忙しく回ってるような状態 どんな姿勢で自分が聞いていたのか覚えていない
また、指揮者が愉快な方でところどころコミカルに動いていてよかった
アンケートをロビーのソファ上で書く もらった演奏を自分のなかでまだ落ち着かせられておらず、また内容を覚えるのに一杯一杯で「〇〇が〇〇でよかった」等をズラズラと続ける中身の薄い感想しか書けなく悔しい 感謝と称賛の筋肉がない
帰って物販で購入した品を開けて眺める 良い 良い…… 期待の何倍も素晴らしくキャッキャと喜ぶ
なぜか明日も予定があるのでさっさと寝るよう努める
7/31
ズッタズッタと飛び歩く子供 ぎこちないスキップのような動き
限りなく現実的な感情の夢 見たものは朧な光景すぎて全く記憶に残ってないが、自分らしき人が唸ってたものは自分のように思っていた
最後の講義だしな〜と気合いを入れて向かったが特に何も起こらず終わる それはそう あまり馴染まない構成の授業形態だったので、まあ終われてよかったんじゃないか? はあ……そう…………
疲れたのでお弁当を買って帰った 夜だし夏だし定休日だしで、好きなごはん屋にまで行くことができない 【求】はやめの秋
8/3
ひ、一筋の光〜〜
まあそんなわけでなんとなく将来とやらを描けたわけですが、就活ね…… 就活………… 誰か、わたくしに1から説明と型をつくってくれませんの? 就活の相談室にいこう
私ってまだ
8/8
本当は火曜日に終わらせるはずだった予定どもを終わらす マイナスの状態から動かないといけないので常に腰が重い ゼロになってくれ 善処します
まあいくら夏休みシーズンとはいえ、二・三日の間のどっか一席くらいは空いてるでしょ〜〜とたかをくくっていたら来週近くまで満席だった 本当なら数週間前に予約をとれるような人間だったんです、信じてくれ ギリギリでも大丈夫いけるいけるなんとかなるに甘んじて生きている 店長でなく森様をみて共感できるようになってください 来週はミチミチの質量のある夏休みにしてやるよ
本を買ってウキウキで帰る 夏がはじまる〜
きれいに月が弓状になっていて良い しかし撮るとふとったり、潰れたりする 写真より目で見たろうがきれいだが、後にアルバムを眺める等したら写真をきれいに思ってしまうんだろうな〜と両方の月を消さずに残した
8/10
荷造りをしよう
荷造りをしてない
最最最最最低限の家事だけ消化した
なんかまた眼鏡フレームが痛くなってきた フレームが原因なのか、他の心当たりで痛く思うのかわからない とりあえず荷造りをしよう
「そら、なるがちゃうんだろ」 ←大好き ロウアイキューさんの新作が見れて最高にHAPPY たくさん詰まっててHAPPYなクッキー缶だ 動画はもちろん、流れるコメントの雰囲気が好き かゆいところに手が届く
「卒業しましょう、先輩」 ←大好き よう言った これを真っ直ぐに伝えられるフォロー上手はあんたしかいないし、隣が別の人でいいわけない これが音頭ってことね…… デフォルト顔のこのシーン見て〜切り取ってくれ〜
雑記
最近プレイリストへの飽きが来ている 3つくらいのアプリでお気に入りの曲を詰める作業をしており、そのどれもに飽きを感じている 飽きというよりも強く聴きたいと思う曲を『次に再生』にピックアップできない
普段はシャッフル再生をかけて、2曲目以降に気分の曲をじゃかじゃか放り込み、あとはランダムに好きな曲が流れてくるのを聴いている この二番目の意欲があまり湧かなくなり、ただ順番待ちの曲を消去している
まだ追加していない好きな曲を大量に詰め入れるしかない
が、目も気も疲れるのでいいか〜となっている状態 なので、お気に入りの曲をつくっている好きな方のお気に入りの曲とそれをつくっている方のお気に入りのプレイリストを探すやつをします
そのうち
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kennak · 2 months
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三十代、元自治体職員の所感。 報復の議員定数半減条例 就任してそこまで経っていない頃だっただろうか、副市長人事の同意を議会から得られず、さらに議員提案により副市長の定数を減らす条例が可決成立したことがあった。当時のニュースを見ていたときは、議会の封じ込めを図る姿勢はどうなんだろうと思ったものだ。しかし、その後、今度は氏側が議員定数を半減させる条例を提出した。それっぽいことを並べていたが、まあ報復である。 当然否決されるわけだが、議会への条例提出には、例規審査と呼ばれる体裁、法的整合性などの確認作業があり、付随して議案としての説明文の作成、資料の印刷、マスメディアへの提供も行われる。子供の喧嘩のような仕返しに付き合わされる職員としてはたまったものではない。 氏の支持者には、彼を論理的で是々非々な人間と評する者もいるが、このくだりを見る限り、その評には疑問符がつく。なるほど、深謀遠慮、否決されることありきで耳目を集めることが目的かもしれない。しかし、その個人のパフォーマンスために職員のリソースを空転させないで欲しい。職員は議会で可決されるために議案を作りたい。 議会との過度な対立姿勢 日本の地方自治は議員も首長も直接選挙で選ばれるところに特徴がある。いわゆる二元代表制と呼ばれるものである。議員も首長もある方面からの民意の反映で、原則として議会の議決を経なければ予算も作れないし、条例の制定改廃もできない。だからこそ、氏の対議会の苛烈ともいえるパフォーマンスは目に余るものがあった。 氏はどこか二元代表制を首長と議会の対立構造と考えているフシがあるが、それは少し誤解がある。個人商店の議員に対して、多数の職員を動員し、多くの情報にアクセスできる首長とでは、そのリソースは段違い。法的なところでも、再議、後述の専決処分など、権限は首長が強い。日本の二元代表制の実態は首長優位で、対立構造とするにははなから不均衡だ。 自分の優位が約束されている中で、対等な勝負という体で、多様な民意をすり合わせもせず言い負かすことに終止する。なにかにつけて二元代表制を強調するのならば、最低限の体裁くらいは整えてくれないものか。 議会と首長の対立自体はあろうとも、必要以上に煽ると通る議案も通らなくなってしまう。氏本人がそうであるように、人はしょうもない意地の張り合いで不合理な行いをする生き物なのだから。 専決処分の濫用 氏は無印良品を巡っては企業の言い分を丸呑みして時間がないと専決処分を行い、こども園を巡っては既に議会で否決された予算をやはり時間がないと退任直前に専決処分した。専決処分(地方自治法179条の方を指す。)は、本来経なければならない議決を経ずに条例の制定改廃、予算措置などを行うものだ。その二元代表制を否定するような特性上、専決処分を行う要件(緊急性など)は厳格に解されているところであり、企業の都合や、否決された予算を押し通すのに行うものではない。というか、要件を満たしていないから違法という指摘もされ得る。 そもそも、氏は二元代表制を大事にしていたのではなかったのか。それをないがしろにする専決処分の濫用は言行不一致であり、また、行政として遵守すべき手続の軽視だ。 特に無印良品に関しては、普通に臨時会を開いて議案にすれば可決された余地もあっただろうに、何故無理矢理やろうとしたのか。 まとめ 自治体は、好意的な印象を持ってくれる人に対してもそうでない人に対しても分け隔てなくサービスを提供する。法令は当然として、その制度の趣旨を考慮し、手段が適当か勘案して業務を行う。 水戸黄門や半沢直樹の舞台ではないし、スカッとジャパンの収録でもない。自己統制として「違法ではないが不当」という考え方も存在し、目的は手段を正当化しない。 敵味方の劇場型政治を繰り広げ、制度趣旨を軽視し、目的のためには手段を選ばない。その一連のパフォーマンスのスタッフとして職員が巻き込まれる点で、氏の姿勢は「ない」ものに映った。これは、相対する議会が有能だろうと無能だろうと変わらない。 また、基本的に時間も金も手間もかかる裁判について「気に入らなければ、違法と思うのならば訴えればいい」というスタンスは相手の足元を見てのものであり、「裁判で判断されない限り合法」と主張する打算が見え隠れする。そもそも訴えられる余地をなるべく減らし、瑕疵なく進めるのが行政の基本で、予防法務は民間でも知られた概念だと思うのだが。 そして本当に訴えられた場合、やはり苦労するのは職員の方である。 余談 そんな氏であるが、先の都知事選ではなんと2位。 一方が他方を言い負かす構図は見ていて気持ちがよく、古い政治家に立ち向かい、手段を選ばず邁進する姿は魅力的に映るのだろう。 しかし、その言い負かされる対象が自分たちになる可能性や、手段を選ばないことを肯定した結果、止められず明後日の方向に暴走していく可能性は少し勘定に入れて欲しい。 政治や行政はそういった危険性を織り込んで面倒くさくなっているわけで、そこまでわかりやすいエンタメではないし、そうなってはいけない。
とある行政経験者からの石丸伸二評
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chilchilmischie2 · 2 months
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60
ボケクエ7の練習お題の結果が出たので記録記録。
お題
謝罪相手が最前列に座っている会見で起こったこと
62位 56票
[No.79] 4点0 3点6 2点19 ミスチルさんの作品
後ろから「あいつだけ私服で来てる」と言われながらキレ続けていた
ということで、前の記事に書いたとおり爆死した。
4票0って!
今こうして見返してみると、このネタの核となる部分は前半部分なんだけど、それを後半の文章が殺してしまっている感がある。もうちょっと違う表現があるか模索するべきだった。
実は当初のネタは「後ろの席の方から「あの人だけ私服で来てる」って言われてて恥ずかしそうだった」というもので、これを会議用CGIに出していたのだけど、謝罪会見という要素が抜けてるかなと思い、上記のネタを作った次第。
ただ、会議場で意見を聞いた際に、Nagomiさんから元の方が好きという意見を、またshamanさんからもすんなり入ってこない感があるという指摘があり、もうこの時点で危ないことに気付くべきだった。会議の意見大事。
次は穴埋めお題。
名人維新の穴埋めとなると、この悪夢をどうしても思い出してしまう。今回は絶対にこんな事にならないから!
では前回大会に続いて他の候補の紹介。
【他にこんなネタ出してました】
そうじゃないかなと思いつつ「キレてます?」って聞いたら、めちゃくちゃキレられた
止めどない非難に対して謝罪するしかなかったけど、「なんで謝ってんだよ!」に対しては首傾げるしかなかった
後ろの席の方から「あの人だけ私服で来てる」って言われてて恥ずかしそうだった
一番後ろのメガネ忘れてきた人の視線が一番怖かった
暑くて空調も効いてないのに、その人の席に置かれてる伊右衛門全然結露してなくて笑いそうになった
という事で5つ出して、メンバー内でも一番多く出していたのだけど、どれも評価がイマイチだったのでなんか恥ずかしかった。というか全体的に説明調過ぎる。なんか大喜利始めたての頃もこんな感じだった気がする。
久々の投稿だったからと言い訳したいけど、もう次からはそんな事言ってられないので、本当に大喜利の勘所を養わないといけない。
さて、あとは今回のツボ上げと、勝手ながらチームスクルトのメンバー紹介をしたい(怒られたら消す)。
(ツボ上げ)
【地下鉄を初めて見たお嬢様】
・メソッドさんの作品
これ以上進んだらやばいって思った地点がかなり手前
世慣れしてない感がすごい。
・ネオさんの作品
脱いだ靴をホームに揃えたら大騒ぎになった
周りもお嬢様も「え?え?」ってなりそう。
・まさゆめさんの作品
私が2人居たとしたら2人とも乗らない
・出雲螢さんの作品
ダイヤが乱れてると聞いて首元を見た
・おだンゴさんの作品
すれ違う顔が怖くて、帰りは手を繋ぐことにした
世慣れしてない感がすごい。(2回目)
【変態を育てる専門学校の卒業生は何をしている】
・かすとろさんの作品
短編小説をハガキに書いて、自分の住所に送ってる
変態っていうか狂気を感じた。
・てこもとさんの作品
頭を撫でながら、想像の中で脳みそを撫でている
変態っていうか狂気を感じた。(2回目)
・板野さんの作品
どうなっても知らねえからなと思うくらいには大事な仕事を任されている
・ギャルさんの作品
「痴漢、アカン」のポスターを見かけるたびに、ギッと睨む
【未来の自分から来た手紙に書いてあったこと】
・guniguniさんの作品
気を付けようがないけど、蛍光灯を丸呑みする日がある
避けられないのか...
・スカーさんの作品
今日から楽しくない勉強をしろ
・ニャン志さんの作品
親指を鍛えてフランスパンの時代に備えろ
絶対にそんな時代来ないからw
・6さんの作品
氷業者よ、夏は好きか? 夏は氷がよく売れるだろう 今年の夏は特に暑くなるからな 皆涼みを求めている、忙しくなるだろうが... お前の氷が頼りだ 夏はお前の季節だ 任せたぞ
毛虫より
・日高さんの作品
お疲れ様です!ぶっ壊れスーパーの開店でお買い物上手だった俺はただの凡人へ
【日本掃除協会が腐ってると言われる理由】
・マイマイルさんの作品
おもちゃを宝物と呼ぶ子供に驚く
・じゃーさんの作品
「街をきれいに」というポスターを倒れた自販機に貼ってる
腐っているのは協会だけなのだろうか。
・キツルさんの作品
啓発ポスターの子役は飼い犬の糞を拾ったことがない
こいつは起用にあたって汚いお金絡んでますね間違いない
【服を着ると死刑になる国】
・クロレラサイダーさんの作品
顔つきで巫女だとわかる
なんか本当に分かりそう
・Hsさんの作品
痴漢ですと叫んだら、もっと痴漢みたいな人が来た
・リトラ文庫さんの作品
「服部」が「毒島」みたいな扱いを受ける
・磯野ワイニーしようぜさんの作品
野球観戦が本当に面白い
このネタ自体おもしろいけど、このHNで野球ネタぶっこんできてることで2度笑ってしまった。
・ゆう☆ポンデさんの作品
のりピーがちょっと着てた気がする
・みくもさんの作品
高架下の柱にダウンジャケット着たカービィがスプレーで描かれている
ワルの要素にカービィというファンシーな単語を使っててめっちゃおもしろい。これすごい好き。
・ファイアードラゴンさんの作品
換気扇の掃除をしていたら舞ったホコリがおヘソに入って惜しくも死んでしまった
・生命の輝きさんの作品
出してもらったご飯に対して必ず満足できる。というか不満に思っている自分をそもそも想像できない
はい、お腹いっぱいです。
・たんじぇんとさんの作品
テレビ見てたら服着てる総理大臣が一瞬中指立てた
(番外編)
・マグレ巡洋艦さんの作品
包茎は服に含まれますか?
なんでいるんだよ!?
【ミシュラン三ツ星のメガネ屋がやってるサービス】
・照れてるてるてるさんの作品
絶対に誰にでも見える大きさのCが置いてある
・風呂つんくさんの作品
らっしゃいモード
一気に入店しやすくなった
・あやまって!さんの作品
俺が大事に持って来たコップがクソ遠くに投げられたあと、クソ遠くに投げられたことが分かった
・ホテル関本さんの作品
燻製された眼鏡は臭い
・弦之介さんの作品
とびっきりの笑顔かと思ったら裸眼で頭わいてるだけだった
・布石さんの作品
お通しです あーはい、 飲食店じゃないのにミシュラン取っちゃって
以来、とりあえずお通しでマヨネーズ出してます 間違ってたら言ってください
・未々さんの作品
こちら、ご注文のメガネみしゅ。
たまたまだけど、採点するとき一番上のネタがこれで油断した。
・美化委員さんの作品
キリスト(本人)が、スッスッ(十字架) スチャ…(メガネ)
確かに十字架作ってたけど、そんな工程聖書に載ってないぞ!
【お尻が大きい人はこんなことでも悩んでいる】
・新大さんの作品
その透明なのは何を飲んでいるのか聞かれた
タネも仕掛けもありません。
・たたかうさんの作品
工業高校の一年が初めての授業で私の椅子を作る
・きまぐれさんの作品
自分の尻を経由してゴールに入ったのに、ボール蹴った人の得点になってる
・モノカルチャーさんの作品
小さい駅で皆降りた
・クドウヒロオさんの作品
車椅子のマークを見ると泣きたくなる
・床屋みの竜レグナードさんの作品
集合写真でパノラマモードになったの見えた
・チンカス本舗さんの作品
外歩いてるとポケットに小銭入れられる
・荒瀬さんの作品
ヴィーガンなのにヴィーガンに見えない
でしょうよ。
・ひまじんのかなづちさんの作品
プリクラ撮ると加工でもっとデカくなる
【謝罪相手が最前列に座っている会見で起こったこと】
・音鳴ヨチさんの作品
全部知ってるのに一番質問してきた
・shamanさんの作品
終わろうとするたびに砂時計をひっくり返された
圧が凄い。ちなみにshamanさんのは他の候補もおもしろかった
・noodleさんの作品
本気を出せば壊せる柵が設置された
投票できてたら4点入れていた。
・泣きゾーマさんの作品
頭が真っ白になって、ハライチ岩井の結婚とかを謝ってしまった
・高浜さんの作品
相手の出すカンペを読んだ結果、予備校に通うことになった
・マドハンペさんの作品
警備がザルすぎて、ライフル向けられてる
後ろからは見えないっていうアプローチの取り方、ネタ���り中にあったけど、これがその理想形かな。(途中で考えるの諦めた)
・いさむさんの作品
俺だよ孫だよ、ともう一度だましてみる
・げらさんの作品
視線が合う度にどんどん早口になる
・さとしきさんの作品
えーこの度は世間をお騒がせしてしまい、大変申し訳ございません はい今回謝罪させていただくのは、このことについてです(謝罪相手の頭についてる赤い大きなボタンを押す)
以上。3点、4点入れたネタのご紹介でした。
多すぎ。なんだこの量は。こんなの毎回出来んぞ。
(雑なチームスクルト紹介)
せっかくチームメンバーとして一緒になったのに、後になって「どんな人たちだったっけ?」となるのは寂しいので、本当に勝手ながら紹介をさせていただく。
勝手なこと書くなって怒られたら消します。
本当はこの人のこのネタが好き!というのを幾つか紹介したいけど、ログを漁れていないので、茶屋で見かけておもしろかったものを一つだけ挙げる。
Nagomiさん
チーム結成時にいち早くtwitterに会議場をセッティングし、CGIに練習お題の準備もしてくれた。かつて初対面にもかかわらずいきなりCGIに訳の分からないお題を作ってメンバーを困惑させたバカがいたけど、そんな奴とは違ってしっかりとチームが機能するようにしてくれた。
大喜利茶屋で活動している他、どうやら生大喜利のことにも詳しいみたい。ネット大喜利と生大喜利、どっちの雰囲気も知っているというのは大きな武器になるのではないだろうか。あと短歌も嗜んでいる様子。その短歌からもおもしろさを滲ませてる。
(好きなネタ) 【第335回】夜の茶屋
このアイドル、時代に逆行しているなと思った理由
女性のADのことは女ADって呼ぶ
味しらべさん
今回の大会出場にあたりtwitterのアカウントを開設した様子。最近になってプロフィール画像の変更を覚えた模様。
主戦場は大喜利茶屋のよう。というかtwitterのプロフィールにも「やってます!」って書いてあるので間違いない。twitter始めたてだし投稿歴は浅めなのかなと最初勝手に思っていたが、茶屋で滅茶苦茶投稿してた。最近ではb!g!r!の企画に参加していたようで、もしかしたら他のサイトでも活動しているかもしれない。
会議場では「みんなどう考えてるんだろう?」と引っ込み思案な自分とは違い、ルールやネタに関して疑問に思ったことをしっかりと確認してくれる。大会規定やネタのアプローチなどの情報共有の機会にもなるので、この姿勢見習わなくちゃなと思う。
(好きなネタ)
【第425回】夜の茶屋
Tumblr media
(画像で一言)
所々にあるナルト面白すぎる
shamanさん
大喜利茶屋の第一線で活躍中の人。過去の投稿記録など見たらすごい好成績を残している。また、ネタボケライフでも活動中。レートが上がり調子であり、多分近いうちに自分のレート1777も越されるだろう。今大会でも既に練習お題で上位に食い込む活躍を見せており、本チームのエースとなることは間違いない。
会議中もお題とネタに対する考察は鋭く、しっかりとした意見を出してくれる。また、自身のネタ出しについても締め切りギリギリまで考え抜いていた。その結果が上位なので、本当にすごいと思う。
また、投稿・投票のタイムキーパーまでしてくれた。shamanさんに言われなかったら、投稿締め切り時間を23時と勘違いしていたので、本当に危なかった。
(好きなネタ)
【2024-04-06】日めくり
お題:萎える走馬灯
最後に「YOU LOSE」と出る
ミスチル
ネット大喜利界隈の隅っこで長年コソコソしている経歴詐欺の大喜利素人。私生活でもお笑いとは縁遠く、ヨーヨーとか絵を描くのが趣味(両方とも下手)。最近ではハイパーヨーヨーを子どもに買ってあげた上司に、ヨーヨー知識マウントをしてドン引かせた。
今回もなんとなくで参加したが、「え、名人維新終わっちゃうの!?」とか「チームサマルトリアでの雪辱を果たしたい」との理由もあって、しっかりやりたい所存。
活動歴が無駄に長いこともあるので、過去に多少まあまあな成績を残したことが多分何度かあったような気がするけど、今大会で「今が全盛期」と言えるよう、過去現在全ての経験を基に思考力・想像力を養っている最中。マジでなんとかして。
こんな感じ。
初めまして同士だけど、会議場でもみなさん優しくてワイワイやれており、このチームになれて良かったなと思う。
ここからが本番だから、チームの為に一所懸命やらなくては。
4人でガッツリ勝負して、ガッツリ勝ち上がってやるのだ!
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hazakura-ki · 2 months
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三島由紀夫「不道徳教育講座」
しかし人間対人間では、いつも勝つのは、情熱を持たない側の人間です。あるいは、より少なく情熱を持つ側の人間です。これは人間関係のまことに冷酷な法則で、人生は「熱と意気」とで渡れるものではない。情熱一本槍の人生観を持った男に、いかに敗北者が多いことか!
「新潮」の日記で、宇野千代さんが面白いことを書いていた。たとえば男に捨てられても悪あがきをして深追いするような女は、恋愛についてだけ自分はそうなのだ、と思い込んでいるが、実はさにあらず、それはその人の根本的な性格のあらわれであって、事業をやっても、その事業がだめになりかかっても、彼女は正に恋愛におけると同じ態度で、悪あがきをして深追いするであろう、と言うのです。
デパートの入口とか、駅の前などで、よく待ち人がたくさん立っている。ヒマな読者があったら、その群の中にまじって、その一人一人が何分待たされているか、時間をはかってみるがよろしい。まず二十分以上待たされている女があって、なお彼女がそこを去りがたくしているなら、彼女は来るべき男とすでに肉体関係があると思ってもいい。これは勿論はなはだ概括的な見方ですが、もし男が二十分以上待たされていたら、その男は来るべき彼女と、まだ肉体関係がないのだ、と思っていいと考えます。十中八九、肉体関係を持つまでは女のほうが強く、持ってからは男のほうが強い、という法則が、つまりその勝敗が、こんな待時間によくあらわれていると思っていい。もっとも中には、貸したカメラを返してくれる約束になっていて、じりじり待っている人もいるだろうが、これだって、明らかな勝敗であって、返すほうにその気がなく、返されるほうが熱心なら、気のないほうが勝というものであります。待ち人は必ず敗北者だ。ですから私は待ち人になるのは大きらいだが、人生そうは行かぬこともある。
情熱というものは皮肉なもので、いつも情熱の持主が損をするように損をするようにと仕向けて来る。たとえば或る女に惚れている男があって、あんまり惚れすぎて、彼女のほうでは少しうるさくなって来ていることが感じられる。男もバカではないから、何とかこの頽勢を挽回したい。要は、次のランデブーのとき、彼女を二、三十分待たせてやればいい。実にカンタン至極のことだ。彼女にしてみれば、今まであんなにしつっこかった男が、急に二十分以上も待たせて現われないので、肩スカシを喰わされたような気になり、今までゲエと言いそうなほど満腹状態だったのが、急に空きッ腹になって、不安を感じてくる。
「もしかしたら、私はやっぱりあの人が好きなのかしら」などと思いはじめる。
そこへ男が現われれば、勝利は確実、頽勢は一挙に挽回されるであろう。ところがこうした場合の男は、決して、絶対に、金輪際、女を二十分待たせることができないのである。そして彼女のうるさそうな顔にぶつかるならまだしも、自分のほうが逆に三十分も待たされて、ますます頭に上って���まうのがオチである。
もし君が独身者であって、或る夕方、ふところにはたんまりボーナスがあり、全身はもてあますほどの精気に充満し、十分にお洒落もして最上の洋服を着、
「さア、今夜はステキな女の子を引っかけてやるぞ」
と自信満々、街へ出てゆくとします。そんな晩には、決して女の子は引っかかりません。なぜなら君のほうが「求めている」からです。
逆に、君が、懐中一文なしで、二日酔いから胃の具合がわるく、食欲も性欲もない、恋愛なんて考えたくもない状態で、ただブラリと街へ散歩に出たとします。そんなときは、えてして、すばらしい女の子が引っかかる。理由はカンタン、君のほうに気がないからであります。
人生万事かくの如し、セールスマンの秘訣は決して売りたがらぬことだと言われている。人が押売りからものを買いたがらぬのは、人間の本能で、敗北者に対して、敗北者の売る物に対して、魅力を感じないからであります。
欲しいものには恵まれず、要らないものには恵まれる、というのが人生の鉄則だが、それなら逆手で行こうとしても、人間には心が一つしかないので、自分の欲しいものを欲しがらぬ、ということはむずかしい。だから結局欲しがることになり、欲しがられたものは逃げてしまいます。
しかも人生にはいろんな分野があるので、恋愛の連戦連勝の強者も、事業では失敗を重ねたり、恋愛における敗北者が、そのおかげで発奮して、事業の成功者になったりする。この世で一等世俗的成功のおぼつかないのは、ジュリアン・ソレル型の男、美貌でしかも野心家というタイプでしょう。美貌だから恋愛には成功するが、男の社会ではヤキモチをやかれて除け者にされる。除け者にされるから余計野心を燃やす。燃やせば燃やすほど、成功は逃げてしまうのです。
人生では、しかし、困ったことに、勝利者が必ず幻滅を味わうようにできている。なぜなら、人間は自分の所有するものには価値を置かず、持たないものばかり欲しがるから、恋愛の成功者は、それに幻滅して、「ああ俺が女という女に振られても、大臣になっていたらなア」などと思う。大事業家は大事業家で、「ああ俺は、こんな十億の財産や土地がなくっても、そこらのハンサムな若者で、女という女にもてていたら、そのほうがどんなに幸福だろう」と空想する。
そこで私は、人生各方面における絶対の成功者、絶対の勝利者というタイプの男を考えてみる。彼は世にも受動的な男なのです。
女がやってくる。彼には全然気がない。そこで女はじりじりして来て、彼に惚れる。彼も仕方がないから、「まあ腹も空いてないが、おやつ代りにつまんでやれ」といいう程度の心境で、女を受け入れる。女はますます惚れる。彼はますます気がない。これで彼は恋愛に大成功を収め、絶対の勝利者になるが、彼の味わったものは、何だかボンヤリした、一向刺戟のない空気だけで、恋愛の美酒は、敗北した女にすっかり呑まれている。つまり勝利者は、その本当の味を知らずじまいである。
何も欲しがらないから、何でも手に入る。自動車も、家も、財産も、地位も、何もほしくないから、どんどん自分のものになる。金をほしがらないから、金が入り、ますますほしがらないから、ますます金がふえる。しかし欲しくもないものを皆抱え込んでいたって、ちっとも面白くない。その上、社会事業などをやって散財しようという欲がないから、金の減りようがない。
人生の面白さは、こうなると、絶対の勝利者こそ、絶対の敗北者に見えて来ることです。彼は完全にカラッポな心境で、ただ機械的に勝ってしまう。ちっとも儲ける気がなくてカジノへ行き、賭けても賭けても皆当り、忽ち巨万の富ができてしまったら、もうそれは勝利とも成功ともいえません。 人を待たせる立場の人は、勝利者であり成功者だが、必ずしも幸福な人間とはいえない。駅の前の待ち人たちは、欠乏による幸福という人間の姿を、一等よくあらわしているといえましょう。
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