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#名代井出ちゃんぽん中津店
bearbench-3bun4 · 2 months
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「虚無への供物」中井英夫 0021
序章
2牧羊神のむれ 01
バア「アラビク」のキミちゃんについての描写が続きます。 ここで、少年とはっきり書かれます。 しかも、19歳!? これ大丈夫?
スモモの一種である巴旦杏(はたんきょう)にたとえていますが、 この呼び方は、この当時一般的だったんでしょうか?
しかも、ここでさらに「アラビク」について男色酒場(ゲイバア)だと明らかにされます。
その頃の風俗としても、東京ですでに三十余軒、その後、十年で三百軒あまりに増えたとあります。 こちょっと、勘ぐると、昭和40年頃の風俗が解っているわけですから、それ以降に書かれた小説ということがわかりますね。
さて、 このあと、光田亜利夫(みつだありお)のことが書かれていますが、 ちょっと騙されたかんじです。
亜利夫のようなサラリーマンとあります。 ここでやっと、亜利夫が男性だとわかります。 ゲイバアが舞台として描かれているのからも、かなりジェンダークィアな小説なんでしょう。
暗かったバア「アラビク」が、吊下げ燈(リュストル)で明るくなったとありますが、 リュストルの意味がわかりません。 シャンデリアのようなものなんでしょうね。
明るくなったら、
海馬(とど)姫(まるで、アシカ科トド属に分類される食肉類のような)、 お牧の方(平安時代の女性を思わせるよう) 三田の局(?) ドレミハ夫人(下手くそな歌を歌うのたとえか)
などの大和撫子たちと言う表現は、思わず笑いたくなるような、連中ですね。
この章のタイトルのように「牧羊神のむれ」と例えたのでしょうか。
それから、 亜利夫がこの店でアイちゃんという呼び名の少年が気に入っていた。 いつも藍色のトッパーコートをいつも着てるから、アイちゃんですかね。
そのアイちゃんが、シャンソン好きでこの店で亜利夫と出会うことになる。
ところで、 シャンソン歌手として、淡谷のり子や越路吹雪と言う実名が登場するとこは、非常に面白い。 実名を出しても問題ないのか、だれもが、シャンソン歌手として認めていたということなんでしょう。
テレビも普及しているわけではないでしょうから、よっぽど、有名な歌手だということになるのでしょう。
奈々緋紗緒(ななひさお)こと、奈々村久生(ななむらひさお)がなぜ、バア「アラビク」なるゲイバアにやってきたかが、 明らかになります。
アイちゃんと会うためでした。
ところが、すれ違いで、アイちゃんとは会えません。 でも、久生は興味津々で、バア「アラビク」を楽しんでいます。
マッチの柄に黒人の少年が逆立ちしたとありますが、 マッチはあったと思いますが、柄の入ったマッチはどうなんでしょう? もう少し後の販売のような気がします。
しかも、黒人の少年がモハメッド・アリに似てるとありますが、 モハメッド・アリがモハメッド・アリに改名したのは1960年以降ですから、ここは、ちょっと時代考証を間違えているのかもしれません。
まあ、大した話ではありませんが。 作家が格闘技好きだったのかもしれませんね。
それから、かすかに響いてくるレコードの歌声に久生が素っ頓狂な声をあげます。 「リイヌ・クルヴェ」という歌手の歌声だからだそうですが、 この辺りは、全くわかりません。
と、アイちゃんのことを思い出して、 亜利夫に久生が水を向けます。
ここで、アイちゃんが氷沼(ひぬま)家の人間で、代々、当主に祟りがあるとか変な噂があることが示唆されます。 おどろおどろしく、面白くなってきましたね。
その後、亜利夫の回想が始まります。
学生時代に、一年下の氷沼蒼司(ひぬまそうじ)という秀才と顔を合わす機会も多く、知っていたのだが、 なんとその氷沼蒼司(ひぬまそうじ)とアイちゃんのこと氷沼藍司(ひぬまあいじ)が従兄弟同士だとわかります。
ちなみに、アイちゃんと呼ばれる理由は名前からですかね?
そして、洞爺丸の事件が絡んできます。 北海道いた氷沼藍司が洞爺丸の事件で家族を失い、東京に引っ越すことなったのです。
洞爺丸の沈没については、詳しくありませんが、1000名以上がなくなったというのは、大惨事ですから、ここで絡めたのか、それとも、これも伏線になるのでしょうか? わざと絡めている感じもしますね。
少なくても、氷沼藍司が東京に引っ越したことはこの後、起こるであろう事件に何らかの関係があるのでしょう。
アイちゃんこと藍ちゃんのが祟について語らないので、 洞爺丸の事件が関係しているこかと勘ぐります。
この辺りは、神秘性をもたせたかったのでしょうが、どうなんでしょう?
さて、さっきまで踊っていたキミちゃんが、久生と亜利夫の会話に割り込んできます。
このキミちゃんマスカラや青いアイシャドウなど、まるでピエロのような様子だと表現されています。
ピエロは、滑稽で、馬鹿にされる芸風ととらえられていますから、キミちゃんも、わざと滑稽さを強調したのでしょう。 裏を返せば、それなりの美少年だということなんでしょう。
アリョーシャこと亜利夫とキミちゃんの会話が続きますが、 そこに久生が割り込んで、黄色いバラは花言葉が良くないといいます。
例として、嫉妬、不貞が上げらていますが、 実際の花言葉としては、その他に、友情、献身、愛の告白、あなたを恋しますなどもありますから、 それぞれのシチュエーションで解釈すればいいのではないでしょうか? まあ、ここでは、久生がジョークで言ったのでしょう。
軽い嫉妬もあったのかも。 これから事件が起きるとしたら、この辺りが犯行動機なんだと思わせたいのかもしれません。 “嫉妬”ですね。
ちなみに、この「ピース」という黄色いバラは、第二次世界大戦後の平和のシンボルだそうです。 初めて聞きました。
亜利夫と会話をしていたキミちゃんは、割り込んできた久生を値踏みするところからも、 キミちゃんと久生は初対面なんでしょう。
会話を切り上げたキミちゃんが目ざとく、アイちゃんを見つけます。
アイちゃんこと氷沼藍司(ひぬまあいじ)がどこか遠いとこを見るような眼をしてるところが気になりますね。
つづく。
をさっきの妖艶さの演出によって、女性らしくみせているということは、
序章 1サロメの夜の続きです。
さて、バア「アラビク」で、 光田亜利夫(みつだありお)と奈々村久生(ななむらひさお)が語る場面から。
ここで、まず、奈々村久生が奈々緋紗緒(ななひさお)の芸名でかけだしのシャンソン歌手、本職がラジオライターというのがわかります。 設定が昭和29年ですから、ラジオライターですが、さしずめ脚本家っていうところでしょうか? それが、どれほどの収入になるかはわかりませんが、 少なくても、バア「アラビク」で、ストレスを発散できるということなんでしょう。
牟礼田俊夫(むれたとしお)というフィアンセがいることで、女性だというのもここではっきりします。 だから、気楽な探偵気取りでいられるとなっていますが、ざっくりとした黒白の七分コートに緑の手袋という服装は、かなりちぐはぐな感じです。多分、この人物は、主人公というよりも、狂言廻しという感じですね。
さっきも書きましたが、脚本家なんだから、これから起きるであろう事件をまるで自分が脚本を書くように、引っ掻き回すんでしょう。
光田亜利夫とも友達関係だとわかりますが、女友達という表現で、女性だということがわかります。 光田亜利夫のことを奈々村久生は「アリョーシャ」とよんでいますが、これ、なにか意味があるんでしょうか?
さて、バア「アラビク」では、踊り子のキミちゃんがピルエットしてます。 表現として、「グリッサー」と書かれていますが、これが、よくわからない。 元々、「グリッサ」といわれていた踊りが、現在バレエに使われている「グリッサード」というステップになったそうですが、これを、総称して、「グリッサー」と表現したのでしょうか?
それでなんとなく意味は通じるのですが。 前出のコレット・マルシャンも引き合いに出しているので、多分そうなんだろと思います。 まあ、それだけ踊りがうまいということなんでしょう。
七色のヴェールのように黄、赤、オレンジと変わるという表現は、 前出の“7つのヴェールの踊り”のことを表していて、実際に7つの色に変わるというよりも、 黄、赤、オレンジと変わるということで、妖艶さを演出しているのでしょう。
ただ、その後の表現にはちょっと驚かされます。 踊り子のキミちゃんに、女性特有の乳房がない。
光田亜利夫(みつだありお)と奈々村久生(ななむらひさお)が女性だとはっきり書いていながら、 キミちゃんには、乳房がないと表現してます。 このジェンダーな表現は、男性のような女性なのか、単に男性なのか。 それとも、他になにかあるか?
男であるキミちゃんをさっきの妖艶さの演出によって、女性らしくみせているということは、 やはり、キミちゃんは男ですかね。 まあ、すぐわかるでしょうけど。
これからこのストーリーを紡ぐとしどのようの絡んでくるのか楽しみです。
ここまで。
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jinsei-pika-pika · 4 months
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北村道子が語る、映画スタイリングという仕事。 好きなデザイナーの洋服を力に変える
25 May 2024
忘れられないシーンや胸を打つ映像の裏側には、必ずスタイリストがいる。もしくは、物語に没入してキャラクターの服装を覚えていない一本にも。気になる5名に聞く、コーディネートの枠を超えたどこまでも深い仕事術。連載 #映画スタイリングという仕事 より。
好きなデザイナーの 洋服を力に変える
森田芳光監督『それから』(85)、『キッチン』(89)、塚本晋也監督『双生児 GEMINI』(99)、黒沢清監督『アカルイミライ』(03)、犬童一心監督『メゾン・ド・ヒミコ』(05)など、日本映画史に残る名作およそ20本の衣裳は、北村さんの手によるものだ。
「私にとって映画は命。ファッションはすべて映画から学びました。誰かのアシスタントについたこともないし、畑が全然違うから、映画の力が100%なんです。だからドキュメンタリーに近いものは一切観ません。ちゃんとストーリーに即した衣裳デザイナーが洋服を作っていることが条件なんです」
初めて参加したのは、前述の『それから』。主演の松田優作に請われたからだが、この作品でポジティブもネガティブもさまざまな経験をする。
「松田さんが着ているのは、すベて〈コム デ ギャルソン〉。買い取って、ボタンを付け替えリメイクして。ブランドのPRがとても協力してくれて、いろいろな店舗から服を集めてくれたんです。その度に300万ぐらい自腹で払っていたので、『なぜそこまでやるの?』と聞かれたこともありました。それは〈コム デ ギャルソン〉があるからできたこと。映画をやっていると、好きなデザイナーの服をどこかで使いたくなる。それが力になっていく。デザインの力です。白いところに群青色が染まっていくみたいに伝播する。他の作品では〈マルタン マルジェラ〉(当時。現在は〈メゾン マルジェラ〉)を全部買って入れています。やっぱり好きなブランドがあると頑張れるんですよ。映画の予算は本当に少ないので、30歳からは広告仕事をめちゃくちゃやって、その稼ぎを回していました。映画貯金として、口座を分けていたほど」
服だけでなく、松田演じる高等遊民・代助の自宅の調度品や内装にも積極的に意見を出している。
「美術の今村力さんの一声で、私もタッチすることに。百合を生けるガラスの花瓶は湾曲している方がいいなど、台詞とリンクする案を考え、形にしていきました。だから、私の脚本真っ黒でしたもん。メモ書きや布を貼ったりするから。ここからここまで衣裳がいくつ必要か絵にしないとイメージがわかないので、風景画から全部描いていく。それを見た監督から『僕にくれない?』ってよく訊かれました。一般的に監督は誰も絵にしないんですが、綿密なコンテを描いていた黒澤明さんみたいなことを、私はやっていましたね。
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『それから』(85) 衣裳として参加した初の映画。劇中に登場する百合の花をいかに効果的に見せるかを考え、終盤の重要なシーンでは、花だけをカットし、平たい花瓶に生けるというアイデアを。
実は、仕事を受けるにあたり、黒澤明監督などの撮影で知られる宮川一夫さんに会いに京都へ行きました。そうしたら、『羅生門』(50)では、椿の葉と、藪の中のポイントに光が来るように、砕いたミラーを葉っぱに埋め込んだっていうんです。揺れるとキラキラするじゃないですか。『全部がリアルだったら、観客は飽きてしまう。現実と虚構を混ぜないと駄目だ』と言われましたね。その話をうかがって、ものすごく腑に落ちた。以降、フェイクより前に、リアルとは何かと、禅問答の繰り返しです。朝一番で鎌倉まで行き、どうやって葉っぱが揺れるのかをずっと観察したこともあります。映画は現象学のひとつなんですよ。フッサールの哲学。そこに水があったり、風があったり。そういうことを全部捉えてないと監督はできない。小津(安二郎)さんや黒澤さんは理解していましたよね」
ところが、大手映画会社の衣装部は、スタイリストとして加わった北村さんに非協力的だった。現場では名前も呼ばれない。すべて一人で準備しなくてはならず、無休で働いた。〈コム デ ギャルソン〉や〈ジュンメン〉のショップスタッフが厚意で知人を紹介してくれて、1カ月後には撮影を手伝うアシスタントが集結。ようやく50日目にして休むことができた。それも束の間、帽子デザイナーの平田暁夫にシルクハットの制作を依頼し、エキストラが多数出演した園遊会のシーンを撮影したが、終了後に心無いスタッフから錆びをつけられるという、陰湿な嫌がらせもあった。
「それで、もう二度と映画なんてやるもんか!と思ったの。この人たちは本当に映画を愛していない。本当に好きだったらそんなことやらないでしょう?」
ただひとり、北村さんの仕事ぶりを深く理解していたのは、森田監督だった。エンドクレジットで「衣裳コーディネイション 北村道子」と表示。公開当時は妬みに起因するバッシングもあったが、その後『キッチン』でもタッグを組み、高い評価を得る。先日再会した人物と、偶然それらの作品の話になったという。
「久しぶりに是枝(裕和)さんにお会いしたんです。90年代に、彼がその頃所属していたテレビマンユニオンから頼まれて、デビュー作『幻の光』(95)をスタイリングしたのですが、なぜかプロデューサーから出禁となり、是枝さんとも35年近くわだかまりがあって。よくよく聞くと、彼も絶縁状を送られた側みたいで。当時、若き是枝さんをカンヌに行かせようと、助監督や美術の数名が奔走していたのですが、ふと映画ポスターのアートディレクターは決まっていますか?と聞いたら、そんな余裕ありませんって。じゃあ、私が手配すると請け負い、その場でサンアドに電話し、AD葛西薫と写真家・藤井保を押さえたんですよね。
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『幻の光』(95)北村さんが撮影当日に急遽セットアップした、主演・江角マキコ、AD・葛西薫、写真・藤井保という豪華な座組みのキーヴィジュアル。夜明けのようなモノクロームが印象に残る。 DVD ¥4,180 発売・販売元_バンダイナムコフィルムワークス ©TV MAN UNION, Inc.
最後の映画衣装となった三池崇史監督の『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』(07)から20年近く経つ。再びこの業界に戻ることはないのだろうか。
「『スキヤキ〜』は猛禽類をモチーフに、黒、白、赤のコートやジャケットをエイジング込みで制作しました。またやるかと言われたら、全然その気はない。あれは若さってやつですよ、30歳から40歳ぐらいのね。それと、なんとか映画デビューしたい若い俳優がいたからできたのもあると思います。浅野忠信くん、伊勢谷友介くん、安藤政信くん、菊地凛子さん。当時の日本映画になかったファッションぽい洋服を私が持ち込んだから、若者はうれしかったんじゃないですかね。
今はなんでもデジタルだけど、人間はやっぱり努力して何もないところから作り出すものに感動する生き物なんですよ。そのときは辛いけれど、あとから考えるととても楽しかった。だからそれが人間なんだって思いますよね。集中すると、とんでもないエネルギーが出てくるんですよ。なんであんなことができたの?と自分でも不思議です。それも全員でひとつのところに向かうパワーは何よりも強い。
映画に関して言うと、『一瞬で集まって、一瞬で別れる』のが私のセオリー。一緒に山登りしようっていうやつらが集まるわけじゃない?撮影後の散るときもすごいけどね、『終わり!』って。映画なんてもう二度と嫌だっていうところまで来て終わるのがいいんじゃないですか。だから、99・8%くらいまではやろうという感じ。いま振り返ると、スタイリングを見てくれた人もたくさんいるし、著書『衣裳術』の版元であるリトル・モアの孫(家邦)さんをはじめサポートしてくれる方とも出会えたし、帳尻は合っていますよ」
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『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』(07) 重要な役を演じる伊勢谷友介と安藤政信は北村さんがキャスティング。「提案したら三池さんがOKしてくれて。名無しの権兵衛に服を作るよりも、二人をイメージした方がいい」。伊勢谷着用のコートには圧巻の刺繡が。
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『殺し屋1』(01) 山本英夫の漫画作品を三池崇史監督が映画化。垣原役の浅野は、光沢を映すため全編を通して生地から作ったシルクを着用。写真のシーンは、スパンコールとシースルーという繊細な1枚。©Mary Evans/amanaimages
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北村道子
きたむら・みちこ>> 石川県生まれ。シネフィルとしても知られ、現在の注目はアイルランドのマーティン・マクドナー。ジュスティーヌ・トリエやグレタ・ガーウィグなど女性監督も評価。「最近観た映画ではソフィア・コッポラ監督『プリシラ』の衣裳はブランド使いが上手だなと思いました」
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yoghurt-freak · 2 years
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フルーツにあうオブセ牛乳の手作りヨーグルト
あけましておめでとうございます🎍🐰🌅
今年も楽しいヨーグルト情報発信して参りますので、たくさんお役立ていただけると嬉しいですっ!!!!
ということでトップバッターは昨年最後のお取り寄せだったこちらのテンション爆上がり商品。
スペック
オブセ牛乳さん初のヨーグルト🎉
フルーツに合うようにコクを活かし、酸味控えめでとろりとした食感に仕上げられた、牛乳100%のプレーンヨーグルト。
「あれ?”生乳”じゃないの?」と思った方、素晴らしい着眼点👏
現在オブセ牛乳さんではヨーグルトの製造を行なっておらず、近くのヨーグルト専門店 バスチアンヨーグルトさんへ製造を委託している状態。
なので一旦オブセ牛乳さんで「生乳」を加熱殺菌して「牛乳」にしてから原料としてお渡しされているので、原材料欄の表記が「牛乳」になるのです🐄🥛
将来的に自社製造も目指されているそうで楽しみ!
お取り寄せ
初回分は30セット限定で、特別に信州りんごがセットになってた🍎
クリスマスイブに届いてキュンキュン🎄🎁
次回は1/14発送分でご予約受付されてるんやけど、この記事を下書きしてる時点(12/29)でヨーグルト2個セットは売り切れ。
牛乳とのセットがまだ残ってるけども、公開時まで持つかな!?
オブセ牛乳
長野県の小布施町(おぶせまち)の乳業メーカーさん。
「牛乳が一番おいしくなる殺菌方法」として80℃15分間殺菌にこだわっていらっしゃり、町内の学校給食でも長く親しまれているそう🏫
セットで牛乳も入ってたから飲んでみたけど、香りがしっかりしてて、飲み心地はまったり💓
爽やかな印象に始まり甘みに終わる抑揚のあるお味ですっごいおいしかった😋
ロゴ
三日月で眠る赤ちゃん天使👼🏻🌙
昭和25年、戦後の高度経済成長期に向かう中で創業された際、子供たちの健やかな成長を願ってデザインされたそう。
同年代に創業された乳業メーカーさんで思い浮かぶのは会津中央乳業さん。
同様の願いを込めて女の子がロゴのモチーフになってて、当時の日本の食生活の中で牛乳の栄養価の高さがいかに大きな意味を持ってたかが窺える。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧ 開封 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧
ヨーグルト
最初のゆるい部分は別の器に逃してから、本番の器へ搾り出し。
おおおおーーーすごい弾力!
ソフトクリームみたいに渦巻きが作れる硬さ🍦
スプーンですくってみるとカスピ海ヨーグルトみたいに伸びるんやけど、今まで出会ってきたものの中で一番粘りが強い😳
きめの細かさもピカイチ。
香りは特に感じず。
りんご
トッピング用に角切りに。
蜜がすごい🍎💕
こっちはいい香り。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧ 頂きます🙏 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧
ヨーグルト
もんにゅもんにゅ…
もっちもっち。
なんたる食感!
噛める!もめる!
酸味控えめって聞いてたけど、そうでもないかも。
最近のパウチもちもち系ヨーグルトってほんっっっまに酸味抑えまくってるのが多いから、「酸味控えめ」って感じる基準がだいぶシビアになってきてる。
ちなみに向井は酸味好きなので、あったほうが嬉しい😊
このヨーグルト、口の中でしっかり揉んであげるとお乳のコクがグイグイ染み出してくる🤍
粘りが強いヨーグルトって、口に含んでからお乳の味が本領発揮するまでにちょいと時差あるよなぁ。
ゆっくり丁寧に食べるほどに、どんどんおいしい💕
そして食べ続けてると酸味が舌にじわじわくる。
りんごと
角切りりんごをトッピングしてかき混ぜると、ねばねばヨーグルトが隙なくコーティング🫶
たくさんのりんごと共に一口。
うまぁぁぁぁぁぁぁ❤️❤️❤️
すごい😍
ねっっっっっとり絡みついてるから、味の一体感がすごい!!
ヨーグルトの中から果汁が湧き出してくるみたい🍎
シャクシャク、ねっとり、うまぁぁぁぁ。
両者の酸味がうまいことマッチしてて、コク→酸味→蜜っぽい甘みに移り変わってゆくのがクセになる💓
「フルーツにあう」にもいろんな考え方があると思うけど、これはおもしろい提案やなぁ。
甘党さんはここに蜂蜜かけたり、りんごをコンフィチュールにしてから合わせるのもいいかも。
わたしはシナモン振りかけたら優勝した。
あとは、果物乗せずにメープルシロップかけるのもツボやった💘
香り系の素材と相性めちゃいい。
🛒 オブセ牛乳 オンラインショップ
============================ 無脂乳固形分 9.3% 乳脂肪分 3.8% ————————————————— 栄養成分(100gあたり) エネルギー 66kcal たんぱく質 3.3g 脂質 3.8g 炭水化物 4.6g 食塩相当量 0.1g ※全量は1000g ————————————————— 原材料名 牛乳(長野県製造) ————————————————— オンラインショップ価格 ヨーグルト 1kg 牛乳 500ml りんご 2個 セットで2,280円(税込) ————————————————— 製造者 Bastian yogurt 販売者 有限会社 オブセ牛乳 ============================
セット内容
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中身
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最初はちょっと緩いのが出るので別の器へ。
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セットになってた信州りんご、蜜たっぷり🍎
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めっちゃ絡む!
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kimo1051 · 2 years
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具材の香ばしさにツルツル麺のレディースちゃんぽん¥790円は美味しいです🍜 #具材 #香ばしさ #香ばしい #ツルツル #麺#ツルツル麺 #美味しい #レディース #キャベツ #もやし #豚 #肉 #豚肉 #蒲鉾 #名代 #井出 #中津店 #名代井出ちゃんぽん #名代井出ちゃんぽん中津店 #ちゃんぽん #井出ちゃんぽん #中津市 (名代井出ちゃんぽん中津店) https://www.instagram.com/p/CcbXnXAPkvy/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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chaukachawan · 3 years
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9月10日の役者紹介
はいどうもこちら9月7日お昼下がりのクオリアです。33期です。野良の幕班員の仕事がないのでこっそり役者紹介していこうと思います。
ウチのマイメン神友ズッ友フォーエバーきびのまきび。何度バ先を聞いても人を殺すバイトと言われ、クオリアだけには家の場所を教えないよう先輩に釘をさしたらしい。それでも君は私のズッ友。
これで何度目か知らないが君のセンス全てが好きさ。でも僕の見ている君はきっと氷山の一角なんだろうね……そんな!氷山の一角だなんて!じゃあ全ての力が解放されたらどうなっちゃうの?!次回「黍、はじめて���モルカー」デュエルスタンバイ!
ふう。
やらかすと怖いから同期から先紹介しちゃお。
竹之内かの
雰囲気だけでちゃうかの汚れを浄化し、優しいアロマの香で包み込む。その柔らかな笑顔の前では皆鼻の下が伸びきるため、真剣佑さえ3頭身になるとの噂も。可愛らしい雰囲気とは裏腹に、鼻の底に潜む狂気が沸々と泡立つ。これがパンケーキの泡なのか、マグマなのか私には分からない。しかし、天然かつ一品ものであることは確実だ。
田中かほ  
彼女の笑顔は次世代のエネルギーとして日本中が期待を寄せる。余りにもにっこりかわいいために最近ビリケンさんが自信喪失中とのこと。しかし、ゆるゆるした空気に釣られてなめてかかってはいけない。すぐ様舌先の刃でとどめを刺される。ハニトラにかかった気分だよ全く。そんなとこもす
余談だが大道具の出席率は150%。1ミリも関係ない映像編集を手伝ってくれたしめちゃくちゃ優しい子。努力家な彼女には見習うべき点がおおい。
山根拓己
アラビア山脈の奥底には険しくも厳しい砂漠がある。そこに眠るオアシスを巡り、人々は幾千もの争いを繰り返していた…。争いは熾烈を極めたが、その中でも初回裏敗退を果たし、地区予選に進めなかった一族がいる。かつあげを恐れた彼らはせめて幼き者だけでも、イカダを使って赤子を海に流した。それこそが彼、しあらである。そのため、彼は30歳になったらシカゴに帰らなくてはならないらしい。
ベジ山ハム太郎
なんか野菜がいっぱい入ってる。私はハムサンドよりもたまごサンドの方が好き。多分食べ進めると中にいちごジャムとかはいってると思う。何でいちごジャムなのー?って聞いたらエヘヘへへって笑いながら「だってさー、美味しくない?ジャムってさあ、何にでも合うねんなぁ。エヘヘへへっえ、美味しくない?美味しくない?なあハク、美味しいよなぁ?なぁ?」て言うと思う。絶対。
君安飛那太
可愛い。可愛いけど可愛いと思ってはいけない。なぜなら奴はあざといからだ。前世で橋本環奈の爪の垢とか飲んだに違いない全くもう羨ましいぜ。いいヴォイスでいいキャラが繰り広げられるため君のシーンは飽きの来ない面白さがある。キレッキレな演技には見習うべきところが多い。あと可愛い。
頬張りマスト
最近上野動物園を脱走したパンダ。笹と竹の見分けに苦戦している。
#劇団ちゃうかちゃわん
オペさん
藤丸翔さん
右手にナグリ、左手に灯台、その口うねり出すは鋭きツッコミ。「1人三種の神器」というあだ名が着いたのも納得だ、その全てが一等品なのだから。彼が1人立っているだけで会話の盛り上がりが違う。一見滑りそうなボケだって彼の手に掛かればA級ギャグに早変わりするぜ。これには平野レミもびっくり。
スダチさん
うどんに入れると美味しいが、ちゃうかのちゃわんに入れるともっと美味しい。人々を釘付け、否、インパクト付けにする映像を華麗に作り続ける須田さん、その鋭い眼差しの先には一体何が見えているのか。たまに楽屋裏でお菓子をつまむ様を見かける。有能細身イケメンがお菓子もぐもぐしてるの可愛い。映像余裕持って出したかったごめんなさい
久保勇貴さん
あいも変わらず忙しそう。オムニ期間くらいまでは会う度に印象が変遷していた。今のところはダークブルーで描かれてる3日後ピンクとかになってるかも。制作会計などまとめるお仕事が多そうだけどストレスまで抱えちゃダメよ適度に除いてね。と、言っても頑張ってしまうのがくうやさんなんだろうけど。
私の本名頬張りマストなんで苗字が「ほ行」じゃないですか。そうすると大体最後に回されるんですよ。給食で好きなおかず選べるみたいなのあったんだけど大抵唐揚げとか残ってなくてなんか鯖の塩焼きでがっかり、みたいな。なんで今回はオペさんを間に挟もうと思いました。名付けてオペサンド!すだちうどんの次に美味しそう。
先輩方
敬称は略しませんが敬語は略します。あぶり焼きとかしたら出てくるかもしれないです。あぶり焼きしないでください。
でぃあっ♡さん
でぃあさんが立ち上がると風がお辞儀し、空気が弦をはり始める。その圧倒的なプロポーションの良さに空いた口がマンホールになりそう。だけど何か教え��くれる時はとっても優しい。これは33期への自慢だが私はでぃあさんと柔軟を組ませていただいたことがある。どうだ羨ましいだろうでへへへ。
ひろせんせーさん
CVが豪華とのことでこの夏話題沸騰中。たちまちTwitterのトレンドを掻っ攫い、街にはグッズが溢れかえった。何のとは言わないが演技を始めた瞬間役が憑依して、貫禄まで滲む彼の演技力たるや。因みにアドリブもツョツョっぽい。なんてこったぱんなこった。
島﨑愛乃さん
鈴を転がしたような透明な声と花を摘んだような朗らかな笑顔のこっこさん。こっこさんの歌声を例えるなら夏に雑貨屋で売ってる、ピンク色の小瓶にちょこんと詰まった可愛らしい飴。ついつい手に取ってしまい、時々カランコロンと鳴らして楽しい、でも頬張ったらゆるゆる溶けちゃう、そんな飴。
おはようさぎさん
余りにもいい人。力作業も編集も演技もラップも全部すげぇのにその上いい人だから33期の尊敬の眼差しを掻っ攫ってる。信念に少年漫画をめちゃくちゃ感じる。ぶびさぎょうで理想の恋について(私が)語ってたらいつの間にやらガウスさんが話してた。黒の組織の話に移り変わってた。なんでやねん。髪色なんでも似合ってて凄い。
土下座したい
謝りたい気持ちが先行しすぎたまずい。舞台の上ではエモを、放課後にはハケを自在に使いこなす我らがぶびチの橋本悠樹さん。私は後輩に怒らないことで定評のあるはっしーさんを悉く困らせてしまったため顔向けが出来ない。なので二度とペンキを撒き散らさないことを50回くらい誓おうと思います。私はそうなれないことを知った上ではっしーさんにめちゃくちゃ憧れている。センスもノリの良さも色々。だからなんだって話だけど迷惑かけるかもしれないが見守っててほしい🙇‍♀️
津島ヨモツさん
演出家と役者、2デッキ使いののちぇさん。31期Tシャツもドタイプです。せんびののちぇさん入れたら3デッキかもしれない。後、先輩としても優しいのが伝わってくるしお話面白いし1、2、3…あれ?もしかしてNデッキ使い?のちぇさん最初めっちゃしっかりした人かと思ったらしっかりしてるんだけど偶にふにゃふにゃしてて可愛い。
堀文乃さん
圧倒的な演技力と唯一無二の安定感を誇るカリスマらめるさん。凄すぎる人って周りの人が遠慮して近づけなくなったりしがちだけど(後輩の身分だと悪気なくそうなっちゃう)そうならないのはらめるさんのお人柄ゆえ。私たちにも積極的に絡んでくださってしかもめっちゃ優しいから「らめるさん〜🥺」ってなる。仕事あまり抱えすぎないでお体ご自愛ください🙇‍♀️
中津川つくもさん
よく絡んでくださる優しい先輩。いっぱいお話しできるのめっちゃ嬉しい!舞監としてのしっかりしたつくもさんと、普段の明るく優しいつくもさんどっちもカッコいいんだもん憧れちゃうよねー。あ、あとダンス💃がお上手すぎてポケ〜って見惚れてまう。なんて言うか…美しい。あと立て看の作り方は大体つくもさんに教えていただいた。カフェ行きたいですカフェカフェ。  
なしもとはなさん
あまりにもハマり役。はなさんがセリフを喋る度に関係ない私にまでグッとくるものがある…グッとね…こうグッと…。ぐはっ!
後輩と喋ってくださる時めちゃ優しい。前、稽古で2人になった時私のセリフ読みにめちゃ付き合ってくれた。あとコーナンの場所もめちゃ教えてくれた。めちゃめちゃ美しくて優しい先輩。めちゃっ。
雑賀厚成さん
演技や部署で絡まない人(私)にもお疲れ様〜とか声かけてくれたり兎に角優しいシドさん。この前音響会議のお菓子くれた。やったね!喉にカセットテープ飼ってるタイプの人間。先輩曰くKing Gnuが“よすぎる“らしいので今度リクエストしようと思う。私の目の前で歌ってくれないかな…チラッ(p_-)
杏仁アニーさん  
全部署の裏方における圧倒的ハイセンス、柔らかな微笑みと眼差し、息飲む演技力、悪人のパンダでさえ涙しそうな優しさ…どの角度から見ても完璧すぎてルービックキューブが土下座するレベル。ちなみに後輩の私は頭が半分くらい地面にのめり込んでる。めりめり。センスがハンパないし仕事のキャパもエゲツない。けど無理はしないでほしいよドラゲナイ。
トニーー板倉さん
電車で鉢合わせたため奴は隣にいる。ここらへんから9月10日世界線のクオリアですどうも。魅惑のヴォイスとアフロを武器にちゃうかの奴隷となった男、とにさん。照明しかり稽古しかり全体像を俯瞰するのに長けてる人だと思ってる。面倒見良いし、1番頼りにしてる先輩。だる絡みしてごめんねウザかったら練4から突き落としてもいいよ、怪我のない範囲で。
西田幸輝さん
ゆるゆるとした空気感を醸し出しながら舌先から放たれる言葉は切れ味抜群。ギャップ萌え選手権審査員賞を受賞した経歴は伊達じゃない。ちなみに伊達巻は美味しい。頼もしき大道具の方。なんか大道具上層部って共通する空気感ないですか?え、ないかな。なかったらごめん。ないかも。声のトーン好きです。衣装も似合ってます。ちゅるちゅる。
暁あじろさん
ニトロさん。名前が美味しそうなちゃうかランキング8位くらいを飾る強者。高身長イケメン抜群の運動神経などモテる要素のよりどりみどり風見鶏パック。でもどことなく"こっち側“の雰囲気を持ち合わせてるのがいい出汁になってる。こんな失礼な私にも優しく接してくれたことからも根っからのいい人だと伺える。頼りにしてますニトロさん🙇‍♀️
山内詫助さん
オレオの何がいいってさ、クッキーの間にクリームが挟まってるところだよね。でさ、オレオさんの良いところってさ、その優しさの間に神的なセンスとマグマのような謎が挟まってるところだよね。紹介するならそんな感じの人だと思っている。ちなみにオレオさんの深淵は覗いたことないからわからない、当たり前か。
西岡克起さん
神の経路と書いて神経と読むが、そのことを実感するのがこの方。抜群の運動神経、寸分狂いの無い書、圧巻の演技力、すぐ始まるジャン負け…凄い、あまりにも凄すぎる。彼の身体には神が駆け巡っているに違いない。会話途中で「ねぇクォーリー散歩いこー」とか「自販機行こー」とか思い立ったが即行動って感じの誘い方してくれる。んで着いてくと大体楽しい。西岡さんが楽しい人だからね、これからもいっぱい話してほすぅい
かけうどんさん
誰とも共有できなかったところでシンパシーを感じるため、先祖で交流があったのかもしれない。万屋の店員と客とか仙人と弟子とか。ひねくれてると言っていたが、そのひねくれを真っ直ぐ貫けるのがロッドさんなのだろう。世間に合わせてひねくれを捻じ曲げてしまう方が実はひねくれなんじゃないかうんぬんかんぬん…あと竹川食堂行きたすぎる料理作ってくんで招待してください🙇‍♀️
高井下高井戸店さん
センスいいとか多才とか言われ慣れてるでしょ?でもなんぼあっても困るもんじゃないですからね、何度でも言いますセンスいいし多才かよ。習ってないピアノを練習したりギリシャ神話や日本史の本借りてると���ろを見た。自分が思う良いものに対して向き合ってどんどん吸収していく人なんだろうな。センス良いって結局はそういうことを言うんだろうなと思ってる。あとお化粧した時のお顔が可愛くて好き。あとロビさんとお話し出来ると嬉しくて心がぴょんぴょこするのでもっと話しかけて良いですか?
 
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kuribayashisachi · 4 years
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NHK大河ドラマ「太平記」
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NHK大河ドラマ「太平記」
  25年間お世話になってきたTSUTAYAご近所店が店じまい! ショック!
 大あわてで、3月頃から1枚ずつ借りて見ていた「太平記」(全49話)の、まだ見ていない後半を一気に鑑賞した。
 
 見るにあたって、二つの「予断をもって」見た。
 一つ目は、朝勉強の時間に岩波文庫の『太平記』(兵藤裕巳校注/底本:西源院本)を少しずつ読んでいるので、ここで読んだエピソードがドラマでどんなふうに描かれているか、ということ。
 もう一つは、足利尊氏のような悪逆なことを重ねてきた人物を、どのように“好ましい主人公"として描いているか、ということ。こちらの方を、ほとんど「執念深い」思いで睨みながら見た。
 暴虐なヒーローを「好ましい人物」として描く場合、どうしても、ヒーローからむごい目に遭わされた人たちのことを、「なかったことにする」か「そういう目に遭わされても仕方ない人たちだった」と描くことになる。
 これはまったく理不尽な話だ。
 特に、実際は残虐な「乱世の英雄」を描く場合、「天下統一を果たして戦のない世の中にするため、仕方なく戦うのだ」という物語軸で描いてしまう。このことが私にはとても恐ろしい。好ましい俳優が美化された英雄を演じ、これを愉しむ視聴者は、知らず知らず、「平和のための戦争」なんてものを疑わない習慣を身につけてしまうだろう。
                ****
 たとえば、歴史から見るに、足利尊氏たちの鎌倉幕府討伐は、結局は、関東の武士たちの利権争いなのだろうけど、ドラマの、ひたむきで凜々しい真田広之さんの尊氏は、"北条得宗家の醜い政治を終わらせ、皆が平和に暮らせる「美しい国」をつくるため"に、立ち上がるのだ、という(「美しい国」と聞くとギョッとするけど、ドラマの放映当時は、別に変な言葉じゃなかったと思う)。
 また、ドラマでは、尊氏兄弟が後醍醐天皇の2親王を監禁して毒殺する挿話や、尊氏が、新田義貞の領地を勝手に子分たちにあげてしまったことなどは、出てこない。
 それから、尊氏を「後醍醐天皇(片岡孝夫)を最後まで大事に思っていた」と設定しているために、  後醍醐天皇を悪く描くわけにはいかない。それで、取り巻きの坊門清忠はじめ公家たちを悪者にし、赤松円心(渡辺哲)だけ報償をもらえなかったのも、後醍醐帝のせいではなく「(護良親王の勢力を削がんとする)阿野廉子の企み」としていた。さらには、後醍醐たちが慢心して重い税をかけ、浮かれ騒ぎ、身を粉にして働いた武士たちを粗末に扱ったことも、もっぱら護良親王たちの振る舞いとしている。
 したがって、慢心した後醍醐天皇を諫言して没落の道を選ぶ万里小路藤房卿のエピソードも出てこない。はじめの笠置山挙兵の場面には、大和田獏さん演じる藤房卿が登場するのに、いつの間にか出てこなくなった。
 一方、尊氏の敵方に回る、北条高時の弟を擁立しようとした西園寺公宗卿が、身重の妻の前で斬り殺された残酷なエピソードも、趣を変えられ、いかにもイヤミな西園寺卿(長谷川初範)が、"後醍醐帝の暗殺を企んで"新田義貞たちに踏み込まれ、アワワと情けなく逃げ惑いながら捕らえられる……というふうになってる。
 さらには、どうしても尊氏を正当化できないところは、「心を鬼にして行った」というふうに描く。
 足利勢力と護良親王(堤大二郎)勢力の争いは、単なる利権争いなのに、ドラマは尊氏に「都の人々を戦に巻き込みたくない」といかにもな「きれい事」を言わせ、護良親王を「争いの元凶」のように物語る。
 さらには、捕らえられた親王に「そなたが"武家の世を作る大きな器量をもっている"のがわかっていたから殺そうと思ったのだ」と、尊氏に向かって言わせ、観客に尊氏の「器量」を宣伝する。
 そして、尊氏と弟直義との決裂については……。
 傍若無人な横領や婦女暴行を働く高師直兄弟を、甘やかす尊氏と、罰そうとする直義の対立から始まるのだけれど、どちらが正しいかと言えば、直義の方だろう。
 出来事史から察するに、尊氏は高師直を失脚させれば、自分の取り巻きがいなくなり(一の子分を守り切れなかったことで武士たちからの人望もなくすだろう)権力基盤が崩れて直義に押しやられてしまうからだろう。
 けれどドラマでは、
 直義を「自分のまわりを足利一門だけで固め、血筋の低い家人たちを無視した」「譲ればいいのに自分が役職にしがみついた」「桃井のごり押しを抑えることもできず、人をまとめる器量がない」という設定で描き、そして、「聞き分けがなかった」「悪い桃井たちを見捨てることができなかった」から、仕方なく尊氏は毒殺の決断をした、という描き方になっている。
 しかし、このシーンは圧巻だった。脚本も演技も。
 もともと仲の良かった兄弟の、引き裂かれるような痛みに、見ている方も巻き込まれた。高嶋政伸も真田広之も鬼神がおりてきたような演技……久しぶりに泣いてしまった。
 そうなのだ。
 これはドラマなのだから、なによりドラマを堪能すべきなのだ。
              *****
 真田広之さんは、アクションや身のこなしの美しさだけでなく、演技も充実していた。前半の純粋一途な若者から、後半、権力者になって後の、表情やものごしの変化に目を見張った。目が濁ったように動かず、笑わず、どっしりとしたたたずまい。わずかな目の色の変化で事情を物語る演技も、弟を殺してから、めっきり弱ってゆく姿も、自然ですごくうまかった。
 尊氏だけでなく、妻の、可憐な登子が、息子心配なあまり痴っぽい剣呑な妻になってゆく姿も、説得的に描けていた。
  そう思うと、俳優さんたちへの尊敬が頭をもたげた。流鏑馬のシーンも、騎馬で闘う時の腕の振り上げ方一つも真田広之はやっぱりすばらしい、とほれぼれし、兜をかぶって馬に乗って槍や刀をふりまわす俳優さんたち、どんなに大変だっただろう。改めてそういうことに、心から頭が下がった。
 
 思い返すと、他の人物たちもとても印象的だった。
「大げさな台詞回し」といわれればその通りなのだが、歴史ドラマは、身のこなし、挙措、大げさな言い回しをよどみなく語る、堂々たる声の張りなども見所になる。
 先代へのコンプレックスと、母親の過干渉に身動きのできない北条高時(片岡鶴太郎)も、癇性の護良親王(堤大二郎)も、足利直義(高嶋政伸)も、デキる悪女、阿野廉子(原田美枝子)も、存在感が際立っていた。
 「太平記」随一の「好人物」楠木正成を演じた武田鉄矢は、金八先生のイメージさながらに、実直で下の者から信望のある人物像にぴったりはまっていた。声もいいなあと思えた。勝てる作戦を、分からず屋の公家たちに蹴られ、負けるとわかっている戦に最後まで責任を全うしようとする正成。彼が長男正行を国に返す「桜井の駅の別れ」のシーン。わかりきった「見せ場」を、堂々と演じきっていて、心を揺り動かされた(昨今はネット上で、その右傾した発言が取り沙汰されていて残念だ)
 足利直冬(筒井道隆)。セリフは棒読みに近いのに、装束を着た立ち姿が堂々としているし、表情や居住まいから、父に捨てられ、横暴な役人に母を斬られた「運���の子」の悲しみや悔しさが迫ってきて、不思議な存在感だった。のちに人気を博したときと少し顔が違う。まぶたが重く、目が三白眼に見えるので、いかにも中世の武士の雰囲気だった。
 いい加減な婆娑羅大名、佐々木道誉(陣内孝則)の「わはははは」というわざとらしい大笑は、けっこう難しい演技じゃないだろうか。ヘタだったらこれほどめだっちゃうせりふもない。片身代わりの派手な素襖が似合っていた。
  イヤミな悪役、坊門清忠訳の藤木孝さん、しっかりはまっていた。どういう方なのだろうと、ググったら、もとはロカビリーの歌手だったのね。悪役で有名・・・。脇役はうまくてナンボですね。
 新田義貞は、本当にかわいそう。かっこいい根津甚八さんがずっと陰鬱な顔をしたまま、足利にお株を取られ、公家たちに勝手な要求ばかりされて、やれ負けた、時間がかかりすぎると詰られ、くやしくてたまらなかった。
 義貞は、親王をつけられて越前へ行かされるのだが、一時もりかえすものの、公家(北畠顕家)軍の援軍もないまま、流れ矢に当たって死んでしまう。石川五右衛門を思わせる、直立して真後ろにどーんと倒れる見事な最後だった。堅物美女の勾当内侍(宮崎萬純)との恋だけがほっとさせられた。
 新田は尊氏に比べ、出来事史から言っても可哀想な役回りだけど、古典太平記では、「武将の器量」とやらは尊氏と別に遜色つけずに語られてて、。可哀想で弱い感じのイメージはない。ドラマでは、楠木正成からも「新田殿にその器量はない」とか言われてしまって、ずいぶんだった。もうちょっと、尊氏を脅かす存在に描いて欲しかったなあ。
  別の語り方の太平記がぜひ、見てみたい。
 真田広之、新田義貞やったらすごくはまりそうな気がする。
 むしろ新田の方が、「良い人物」に描くのに苦労しないと思う。
 そしたら、足利尊氏には、あるがままの悪人をやってもらえるので、いいんじゃないだろうか。
2020.06.06up
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福島事務局の大塚真理さん、大いに語る。
東北ユースオーケストラ結成のきっかけは、スイスの世界的に高名な音楽祭、ルツェルン・フェスティバルから東日本大震災のための復興イベントを行いたいとの相談を受けたことからはじまります。
大震災直後から被災三県の学校の楽器を点検、修理し、音楽活動を支援してきた「こどもの音楽再生基金」では、発起人である坂本龍一さんから「子供たちによるオーケストラができないか」というアイデアが出ていました。
2013年のルツェルン主催の宮城県松島での音楽イベントに「東北ユースオーケストラ」という混成オーケストラを編成して指揮者グスターボ・ドゥダメルさんや坂本龍一さんと共演する機会があれば、日本のみならず世界に復興途上の現地の子供たちの姿が発信されるのではないか。
この大きな構想を受け止めてくださったのが、当時福島市のテレビ局、福島テレビが運営されているFTVジュニアオーケストラで事務局を担当されていた大塚真理さんでした。大塚さん無しには、「ルツェルン・フェスティバル アーク・ノヴァ 松島2013」で「東北ユースオーケストラ」が生まれることはあり得なかったでしょう。そういう意味でも、大塚真理さんはTYOの母であります。
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以来、2015年の団員募集ではチラシを抱えて地元を駆け回ることから、合宿での急病人の対応から、福島市での毎月の合同練習会で団員が出したゴミの後始末から、何から何まで気の効くサポートを受け続けて来ています。時に原発事故の話題になると、国や東電の対応や深刻な影響について声を荒げて話されることがあり、折に触れお話を伺ってきました。しかし、これまで一度もいわゆる「インタビュー」をしたことがなかったと気づきました。そこで、今年も311が近づく2月の1泊2日の合同練習会で二日に渡ってお話を聞いてみたのです。
ー 今日はあらためてお話を伺いたいと思います。まずは福島テレビ(FTV)に入社された頃の話からでいいですか?
FTVには1977年、昭和52年に入社しました。最初は営業管理部で、スポットデスクに配属されました。
(注:「スポットデスク」とは番組と番組の間に入るスポットCMの管理を行うセクションです)
その後は、制作部でサブディレクターになりました。県庁担当で「市政たより」やお母さんのための幼児教育番組「小さな世界」などの制作をしていました。弁当やお花の手配ばかりしていたので、自分のことを「弁当ディレクター」と言っていました。
鼓笛隊パレードとか、当時はジュニアオケの番組もありました。毎年土曜日午後の1時間半番組でスポンサーもついていたんです。昔は自社制作番組が結構ありました。
ー 今では地方局は東京のキー局の番組ばかりになってますからね。福島テレビは当時からフジテレビのネットワーク局だったんですか?
その頃はフジテレビとTBSの2局のネット局だったんです。最強だったですよ。ドリフターズの「8時だよ、全員集合」も「花王名人劇場」も「ザ・ベストテン」も「夜のヒットスタジオ」も金八先生のドラマも「なるほど!ザ・ワールド」も同じ局で放送していたんですよ。
ー それはすごい!わたしが子供の頃に見ていた番組ばかりです。きっと仕事も面白くてしょうがなかったでしょうね。
はい、楽しかったですから結局結婚まで10年勤めました。当時の福島だと30過ぎると結婚が遅いほうなので周りに心配されました(笑)
ー ということは今や珍しい寿退社ですね。一旦お辞めになってからまた復職されたのですね。
わたしの主人が亡くなった時に戻ってこないかと声をかけてもらいました。15年ほど前、いまとにかく困っているから事務を手伝ってくれと言われたんです。
ー 困った時には大塚さんですね(笑)
平成15年、2003年に福島テレビの事業部一年間、契約社員で働きました。そうしたら翌年の2004年からFTVジュニアオーケストラの事務局をやってくれとなりました。その頃には福島テレビの女性社員はほとんどいなくなってたんです。
ー オーケストラとは昔からつながりがあったんですか?
制作部時代、ジュニアオケの番組収録の時にタイムキーパーとして何度か手手伝ったくらいでした。だから頼むれた時も「え、オーケストラ? 音楽は知りませんよ、でも事務はできますよ、予算管理ならできますよ」と言いました。
社内の人たちはよく知ってるし、社内交渉はできる。それに営業と制作で鍛えられたので、段取りはよくわかっている。人生何事も経験で無駄なことは無いとつくづく思います。若い頃の経験が役立ちました。
ー それは大塚さん、適任ですね。でもオーケストラの運営には専門知識も必要ですよね。どうされたんですか?
そもそもトランペットとトロンボーンの違いもわからないくらいだったんです。だから必死で本を読みました。「音楽の友」など音楽雑誌を毎月読んで、フルトヴェングラー、カラヤン、ウイーンフィ���などについての本を気の向くままに読みました。特にNHK交響楽団のオーボエ奏者茂木大輔さんの本は役立ったと思います。
指導していただく先生方の話もチンプンカンプンだったので、楽譜を読めるようにドイツ語とイタリア語の対照表も自分でつくりました。「やさしいクラシック」のような入門向けのCDも片っ端から聴きましたね。
— オーケストラの運営となると、この世界ならではの業務もありますよね。
まずは一所懸命に楽譜の整理をしました。もうそれはそれは楽譜がバラバラだったんです。東京から指導に来ていただいていたパーカッションの先生、大塚敬子先生に教えていただいて、パートごとの並べ方や番号の方を教わったり、それはとても助かりました。
3年やってようやく慣れたかな。予算のこと、楽器のこと、テクニカルタームもわかるようになってきました。だんだん実務が楽しくなってきて、自分から企画が出せるようになってきたんです。
— 大塚さんにとってジュニアオケでの転機となるようなことはありましたか?
6、7年目かな。福島県文化センターでクリスマスコンサートとして竹内ひとみバレエ団とチャイコフスキーの「くるみ割り人形」の全幕をやりました。この企画を出した時は、子供たちがオーケストラピットに入って演奏するから脇役になると、先生方は反対でした。でも子供たちはやりたいと言うんです。だから押し切った(笑)。前半と後半に分けて負担を減らすようにしてね。
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— 一番思い出深いコンサートとなると、どうですか?
ベートーヴェンの第九ですね。わたしがFTVジュニアオーケストラの事務局を辞める年、2013年12月30日でした。会場が福島県文化センターという県の公共施設ですから、年末は通常28日で仕事納めなんです。それを「開けてください」とお願いして、ホールの歴史で初めてのことでした。 この時も大人は反対でした。「忙しいから駄目だへ、無理だべ」とさんざん言われました。でも、子供たちに聞くと「やってみたい」と言うんです。実際やれるんです。子供は「やるよ」と言ったら、やるんです。大人が決めてはいけないんです。
このことは、子どもたちに教えられたことです。子供たちってすごいんですよ。わたしは若い人たちにパワーをもらって生きてきた、助けられて生きてきたんです。大震災から2年��って、福島の復興への想いもありました。
わたしはジュニアオケの仕事も10年で辞めるからと言っていました。わたしの子供も大学を卒業するし、60歳から先は自由に生きるのだと決めていた。だから「歓喜の歌」である、第九をやって締めくくりたいと思ったんです。第九の合唱団も公募で大変だろうと言われたけど、好きなことだから頑張れるんです。そしてサポートしてくれる、先生や周りの人に恵まれていました。
おかげさまで演奏会は大成功となりました。
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— いつも団員インタビューで聞いている質問です。311の時、どこで何をしていましたか?
福島テレビの旧館5階の事務局に一人でいました。いつも2時40分が仕事のひと区切りがつく時間だったんです。だからその日もコーヒーを淹れようと立ち上がったら、携帯の地震警報が鳴りました。もう激しく揺れだしてびっくりしました。逃げようと廊下を走ったけど思うように前に進めないんです。すると壁が部分的に崩れてきた。譜面台は一斉にバタバタと音を立てて倒れ、階段を降りることもできず、エレベーターの角の柱につかまっていました。すると、わたしの背後でコピー機が左へ右へと走ったんです。もうびっくりして、あの時はこのまま一人で死ぬんだと思いましたね。
2回目のほうが揺れが大きくて、長く感じました。そうこうしていると、4階の秘書室の部長が上がってきた。バタンバタン大きな音を立てて動いていた防火扉を止めるためにです。
それで揺れもおさまって3階の事業部に戻ったところ、危ないので外に出ろと言われた。外に出たら、こんどは雷と吹雪になりました。 報道と制作が入っていた新館は、それほどの被害は無かったのですが、旧館が酷かった。あらゆるガラス、窓ガラスがほとんど割れたから、そのあとずーっとベニヤ板で覆うような状態が続きました。よく怪我人が一人も出なかった、奇跡に近いと言われましたね。もう壁もひび割れて「メロンハウスだね」と言って笑うしかなかった。
— 外にしばらくいたのですか?
いったん家に帰れと言われました。家族の安否を確認するために連絡を取りました。そしていったん5階の事務局に戻ったら、テレビもファックスも吹っ飛んでいましたね。ようやく鞄と靴を探して、コートを持って車に乗りました。車内のラジオで津波が発生と聞きました。被害が出てると言うけども、よくわからなかったです。車を運転しても、信号が止まっているので、渋滞はしてなかったけど、道路を渡ることすら思うままにできなくて、交差する車同士で「ごめんなさい」と道を譲ってもらったり譲ったりで、踏切の無い道を選んで車を走らせました。 水道管が破裂したところは、もう道路がわからない状態で、運転しながら足が震えました。もう自分の家が無いのではと思いながら、運転するのに必死でした。道路が陥没して軽自動車が落ちてる脇を通って抜けた時の恐怖。あの時のことを思うといまだに怖いです。 おかげさまで家はあったし、屋根も損傷受けずでしたが、電気ガス水道が止まりました。
— ご家族はみなさんご無事だったのですか?
当時23才だった上の娘が勤めていた銀行がたまたま仕事休みで、いつもはぼーっとしてる娘がセブンイレブンに買いに走ったけど、ほとんど何も無かったと報告してくれました。 78才の父は犬が飛び出さないよう抱えて、いったん家を出たそうです。 80才の母は玄関で動けないでいた。あまりにびっくりして、記憶が無いと言っていますね。もう、ぼーっとしてるしか無かったと。 家族と家は大丈夫だと実際に安否確認でき、会社に報告したらしばらく出社しなくていいと言われました。ちょうど金曜日だったので、それからしばらく家にいましたね。
— 津波のことは後から知ったのですか?
ラジオだけの情報でした。だから津波の悲惨な状況を聞いても想像できなかったですね。電気が戻ってから、テレビの映像で津波を見てショックを受けました。まるで映画のワンシーン。こんなことが起きるんだと思いましたね。家族でみんな生きているに感謝しました。
— 避難所には行かれました?
結局、避難所には一度も行かずでした。2000年問題の時に電気が止まると言われていたので、ストーブがあって、灯油もあったので寒さはしのげました。あと近所の飲めない井戸から水をもらって、ストーブでお湯を沸かして湯たんぽをつくり、その水を利用してトイレも使えました。 近所の井戸水で飲める水があるとの情報を聞きつけ、ガソリンあるうちは車を走らせてもらっていました。 やはり困ったのは水、電気でした。夜は庭の太陽光で発電する照明を家に持ち込んだり、ロウソクの生活が続きました。テレビも見れなかった。 ガスが最初に復帰して、1週間もかからなかったですね。水道は1週間かかりました。そしてうちは電気が一番最後に復旧しました。道路の反対側まで電気が来てるのに、あともう少しなのにとせつない思いになりましたね。街の中は電気ガス水道ともに全然大丈夫だったんですが。
— 原発の事故はいつ知られましたか?
大震災の週明け火曜日に会社に行って、はじめて原発がたいへんなことになっていると知りました。それまで、そんな重大なことと思わなかったです。家に帰って「どこに逃げようか、どっち方向だろう、貴重品を持ち出せるように、いつでも避難できるようにしよう」としましたね。 水をもらうために外で2時間とか平気で並んでました。原発が深刻だと思わなかった。学校行ってないから子供が外で並んでたんですよ。もうちょっと教えてくれたらと今になって思いますね。もっと広報の仕方とか方法が無かったのかと。確かにそれどころでは無かったかもとは思います。誰も経験したことの無いことだったから。福島は災害が無かったから、災害の無い県と思い込んでましたね。それに「原発は安全だ」と思い込んでいました。地震はともかく、津波の恐ろしさ。あの津波さえなければと思いますね。
— 福島市から逃げようとはされなかった?
逃げて行っても、生活の場が無いですしね。できるだけ外には出ない、窓は締める。ガソリンがあるうちは車で移動。必要以外は外に出ないとしました。 それでもしばらく余震が続きました。地震警報におびえる生活が続きました。家の中でも寝る時もジャージで、一階の和室で生活をしすぐに外に出られるようにしていました。 いつから普通の生活に戻ったんだろう。記憶はあいまいになっていくものですね。
— これもいつも団員インタビューで聞いている質問なのですが、311で変わったことは何ですか?
日々何事も無く過ごしている有り難さを感じるようになりましたね。電気ガス水道の有り難さ。そして、なにごとにも感謝です。
平凡が一番、普通が一番。
なにごとにも「ありがとう」感謝の気持ちを持てるようになり、気持ちが穏やかになったと思います。
それから、普段からの災害への備えをするようになりました。それでも、またあったらうろたえるのだろうなとも思いますけど。
— FTVジュニアオーケストラの団員の子供たちに変化はありましたか?
ジュニアの子どもたちのうち、自主避難でいなくなった子が3人いました。逆に浪江町から避難してきた子が一人入団しました。福島テレビの社員でも小さなお子さんのいる方は3人は辞めました。
福島県でも飯館村とか、伊達市とか、思わぬところで放射線の線量が高いです。出て行った若い人は戻らないでしょうね。もう年寄りばかりです。避難した地域は生活ができないですから。店や病院もありません。
— 今の福島についてどのように思われていますか?
福島県に中高一貫校を新設するとか言っていますが、世間の目を欺くためではないかと思ってしまいますね。政府などへの不信感もあります。東京にオリピックを呼ぶために安倍総理がいくら「原発事故はコントロールできている」とプレゼンしても、「嘘つけ!」と思ってしまいました。
除染したと言っても限界があると思います。イノシシ、豚とか、山の中を動き回って、汚染された餌を食べている訳ですから。
— つい最近、除染が来たとおっしゃっていましたね。
ようやく去年の暮れに家の近所の側溝の除染に来ました。いまだに除染土が家の庭にありますよ。大きい袋ですからね、目に入ると気が重いです。なかなか持って行ってくれないんですよ。
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(大塚さんご自宅の庭に置かれたままの除染土の写真です)
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線量が高いところからはじめて、一年くらい後にうちの家に来て、「今ごろやっても無意味なんじゃない」と、みんなそう言ってますよ。気休めのような気がする。
— 実際のところはどうなんでしょうね。
噂では癌患者が増えてると聞きますが、あまり表には出て来ないですね。最近の国の「不正統計問題」を見ても、情報に対する信頼度が落ちてると思います。都合がいいことだけ発表して、情報統制しているのではと思ってしまいますね。
沖縄の人に「福島の人はおとなしいね」と言われました。沖縄なら毎日デモだよって(笑)
— 政府や国の行政にこれだけはお願いしたいということはありますか?
本当のことをしっかり発表して欲しい。今、現在どうなってるかを知りたい。福島の街にいくら線量計があっても気休めなんだと思うんですね。
それにこれだけの事故を起こしながら、原発を、海外に売ろうとしたでしょ。いったい福島のことをどう思ってるのかと。
国ってなにを考えているのかなと悲しくなります。
ヒロシマ、ナガサキ、唯一の被爆国ですよ。
今の日本が悲しいですね。
— そんな状況の中で東北ユースオーケストラの活動はあります。どのようにお考えですか?
主役は子どもたちのことだから、大人は政治的なことを押し付けはいけないと思いますね。
でも代表・監督の坂本龍一さんは、はっきりものをおっしゃいます。偉い。勇気があると思います。影響力のある人が発信することが大事なんです。
坂本さん、凄いなって、いつも尊敬してます。
— 震災のあともFTVジュニアオーケストラの活動が続いてきたからこそ東北ユースオーケストラが生まれましたね。
震災の後、ジュニアオケは活動をやめたらどうかという話になりました。でも子どもたちはやりたい。しかし、毎週練習に使っていた福島テレビの旧館の社屋は、使えない。2011年の5月の連休明けからしばらくして練習を再開しました。もうあちこち転々と1週間ごとに楽器を運んで練習を続けました。時には関連会社の会議室で練習しました。そして、7月に定期演奏会ができたんです。よくできましたね。子どもたちが絶対やりたいて言うからね。親御さんのサポートもありました。おかげさまで福島市音楽堂が再開してすぐのコンサートを開くことができました。
— 2013年のルツェルン音楽祭の復興イベントから東北ユースオーケストラは始まりました。その立役者が大塚さんだったわけですが。
2013年のルツェルンのイベントは、無我夢中でした。自分でもよくできたと思う。子供たちのために今やらなきゃというエネルギーですね。何かをやっていたほうが、自分も楽な時期でした。止まっちゃうと駄目なんです。
わたしとしては、機会があれば子どもたちをどこかに福島の外に連れて行きたかった。そして、世界に眼を向けさせる。いろんな人を知る。ルツェルンの復興イベントは、そんな絶好の機会だと思ったんです。
しかし、FTVジュニアの先生方からも反対されました。子供たちの負担になると言うんです。大人はいつも安全パイを選んでしまう。こんな、世界とつながれる機会はないですよ。行ける子どもだけでもと、FTVジュニア以外にも近隣の高校の吹奏楽部などにも声をかけました。
ドゥダメルや坂本龍一という世界に通じる人と、松島の特別な場所で、いい経験が積めたと思いますね。
子供たちが坂本さんにサインをもらってうれしそうに笑っているのを見て、うれしかったです。
— そのルツェルン音楽祭で好評だったため、東北ユースオーケストラは一般社団法人化しました。
組織がしっかりすることはいいことです。続いていくことは、有難いことだと思ったし、何より親御さんからの信用、社会的信用が生まれます。
最初はゼロから募集をかけて人数を集めるとなった時に、集まるか不安でした。140通を超える応募の数には正直びっくりしました。
— かれこれ組織としては、東北ユースオーケストラは5年が経ちましたね。感慨深いです。
何しろ最初の夏合宿が沖縄県の宮古島だったでしょ。行動力がすごい。いろんなことを1つづつ叶えていく、その実行力には頭が下がります。最初は運営も危なっかしくってね、どうなることかと思いました。ただ夢中で子どもが演奏だけに集中できる環境をつくろうとしていました。もう大丈夫ですよ(笑)
— 最後に、これもいつも団員インタビューで聞いている質問です。今後、東北ユースオーケストラでどんな活動をしたいですか?
卒団した子どもが練習や演奏会にやってくるじゃないですか。そういう場があることが素晴らしいと思いますね。だから長く続けて欲しい。
海外公演も実現して欲しいです。よちよち歩きから始まった東北ユースオーケストラが、ルツェルン音楽祭で凱旋公演できるといいですね。あの2013年の松島のルツェルンのイベントの時のオーケストラがこんなに立派になって、と言われたら最高じゃないですか。
いち早く多額の支援をしてくれた、親日家の多い台湾公演もできたらいいですね。
東京オリンピック・パラリンピックでは何かしないんですか?
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このインタビューを行なったのが先月の1泊2日の合同練習会だったもので、土曜日の練習を終え、JA共済さんにご手配いただいた宿泊組の宿へと向かうバスを見送る団員、大塚さん、そして同じく福島事務局で団員の演奏指導もお願いしている竹田学さんです。
あらためて大塚真理さんのお話を伺って考えさせられたのは、強い使命感と子供たちへの無償の愛です。通奏低音として「大人は子供のことを、子供の可能性をわからないのだ」という姿勢があって、だから大塚さんの子供へのまなざしには上から目線が微塵もありません。とてもふらっとです。だから子供たちも大塚さんのスタンスを動物的に嗅ぎ取って自然と寄って来るんだと思うのです。
「大人の都合で子供のことを考えるなよ」は、肝に命じたいフォームです。とと同時に「子供も大人の事情を考えろよな」と言いたくなってしまうのは、大人気ないことなのでしょう。反省反省。
実際にお聞きした内容にはとても刺激的なことも含まれていて、本当はノーカット無編集で「大塚さん大いに語る」を掲載したかったのですが、それはそれで品位に悖るような気がしまして、細かな配慮ができたかどうかは別として編集をいたしました。
311から8年です。大震災は続いています。そのことを知って欲しいと思います。それが東北ユースオーケストラの存在意義の一つであるからです。
引き続き東北ユースオーケストラへのご支援をお願いいたします。
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xf-2 · 6 years
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毛沢東はソ連と仲違いした時、長年にわたって途方もない予算と将兵の養成が必要な通常兵器より、短期間に決定的な抑止力を高める核・ミサイルが効果的であると認識した。
 そこで人民の半分が餓死してでも「両弾一星」(原・水爆と人工衛星)を完遂するという決断をした。
 その根底には、中国という国家は人民(約8億人)の半分、4億人を犠牲にしても国家は生き残れるという意識であった。
 また、「政権は銃口より生まれる」と喝破したように、国共合作で国民党軍を日本軍と戦わせ、共産党軍は後方にいて増勢につなげ、続く内戦で勝利して政権奪取につなげる考えがあった。
 実際、430万人いた国民党軍は150万人となり、120万人しかいなかった共産党軍は400万人となり、累次の内戦で約800万人が戦死したとも言われる。
中華人民共和国の建国後の犠牲者
 毛沢東は建国10年後の1958年から61年までの3年間、人民公社を地方ごとに造って自給自足で生き延びることができるように大躍進運動を行う。
 しかし、公社間の競争精神は実体の伴わない過大報告となり、結果的には約2300万人が餓死したと言われる。
 毛は失敗を認めて国家主席を辞任。1962年1月の中央工作会議で劉少奇国家主席が「三分の天災、七分の人災」と述べて大躍進を批判する。
 しかし、建国以来続けてきた反右派闘争に勝利して1964年に復権する。この15年間に約950万人を虐殺したとされる。
 1966年からは10年に及ぶ文化大革命が続く。この間の政治的な痛めつけでの死亡(約2000万人)や餓死者はほぼ1億人にも上ったとみられている。
 3度の批判を生き残った鄧小平は毛の死去(1976年)後の78年末に「改革開放」の大号令をかけ、今日の大発展につながっていく。
 しかし、どこまでも社会主義市場経済で、共産主義体制の維持が前提であった。
 胡耀邦が総書記に就任(1980年2月)してチベットの惨憺たる有様に衝撃を受け、失政の責任は共産党にあるとして、政治犯の釈放や信教の自由と僧院の再建などの自由化政策を進めるが、共産党幹部の批判を受け87年1月解任される。
 続く趙紫陽も学生たちの民主化要求に柔軟な対応を示し、天安門広場に出かけ学生を説得するが失敗に終わる。
鄧小平は共産党政権維持への懸念を深め、中国人民解放軍による武力弾圧を決断し、民主的な抵抗を戦車で粉砕する(「天安門事件」、「6・4事件」とも呼称)。
 趙は3週間後(6月23日)に解任され、上海市委員会書記であった江沢民が抜擢される。
 天安門事件の死者は発表されていないが、米国の秘密文書によると、死者は1万454人、死傷者は4万人以上となっている(方政・釈量子対談「生き証人が語る 血塗られた天安門の虐殺」、『WiLL』2016.7号所収)。
 改革開放後の経済的発展は貧富の差を拡大させ、犯罪や暴動も頻発した。400万人の死刑囚収容施設は不足する状況で、死刑免除と引き換えに外国への労働者として派遣しているとも言われる。
すべてにおいてスケールが違う中国
 列挙すればきりがないが、広大な領土と巨大な人口、困難な統一、近代化の遅れ、そして何よりも言論の自由がない共産党独裁の強権政治で「物言えば唇寒し」だ。
 他方、愛国無罪が大きな「虚言」を蔓延らせる。
 日本では厚生労働省の為体で統計の信頼性が揺れているが、中国は国家ぐるみで、GDP(国内総生産)さえ疑問視されている。
 内乱や自然災害、イナゴの異常発生による蝗害などが絶え間なく起き、その都度100万単位の死者・餓死者を出してきたとされるが、何一つ正確な数字の公表はない。
 秦の始皇帝が即位したBC221年から共産党結成の直前1920年までの2140年間に160回の内乱があり、累計年数は896年で、13年おきに約6年間の戦闘が起きてきたとされる。
 また、この間に5150回の天災、うち1035回の旱魃、1037回の水害が発生。旱魃や水害は2年に1回、蝗害も含めた天災は5カ月に1回の頻度で発生してきたことになる。
 施政が行き届かない広大な領土ゆえに、何か起きれば大飢饉に直面した。1810年900万人、1811年2000万人、1849年1375万人、1876~78年1300万人の死者を出す大飢饉が発生している。
 20世紀に入ってからも、1928~30年の大飢饉では西安市のある陝西省で200万人が流民となり、1930~32年には1000万人が餓死している。
 なお、支那事変で日本軍が開封を占領した1938年、蒋介石軍が日本軍の追撃阻止のため、黄河の堤防を決壊させ、下流域(河南省・安徽省・江蘇省にまたがる54000平方キロ、北海道の6割)の水没で100万人死亡、被害者は600万人に上ったとされる(『郭沫若自伝』は日本軍の無差別爆撃と対外宣伝した)。
 このため、3省の農地が農作物ごと破壊され、河南省では1942年に凶作、続く翌年は蝗の大群発生で、300万人が餓死したという。
 こうした餓死者が出ると、得体の知れない茸も食し、子供を交換して食すこともあったとされる(易子而食…子を替えて食らう)。
中国人による中国人の斬殺
 問題は人為的な残虐行為で、『揚州十日記』がある。
 明朝滅亡時、満清の軍隊が南下して勢力を南京に及ぼそうとした時、南京政府の要所、揚州城の攻防で王秀楚という人物が家族や兄弟と逃げ回る間に体験した記録である。
 わずか10日間の出来事であるが、中国社会で昔から蔓延るあらゆる慣習が見て取れる。
 指揮官の逃亡、兵士の略奪・強姦・放火・惨殺などの暴虐、金品の強要や強奪などが展開される。
 2人の女性が逃げ回り、足が泥の中にぬかって脛まで没している。「1人が女の子を抱いていたのを、兵卒は鞭で叩いてその子を泥の中に捨てさせ、そのまますぐ追い立てて行った」。
 数十人のものは牛か羊かのように駆り立てられて「少しでも進まぬと直ちに笞を加えられ、あるいはただちに殺された。女たちは長い綱で数珠を通したように頸をつながれ、一足ごとに躓き転んで、全身泥まみれになった」。
 「どこにもかしこにも幼児が馬の蹄にかけられ、人の足に踏まれて、臓腑は泥にまみれ、その泣き声は曠野に満ち満ちていた」
 「途中の溝や池には死骸がうず高く積み上げられ、手と足が重なり合っていた。池はそのために平らになっていた」
 逃げ回った挙げ句、通りに出た。
 「通りには人の首が重なりあって横たわっていたが、真っ暗で誰が誰やら見分けがつかなかった」
 「(中略)城壁の下には死骸が積み上げてあるため、歩くのに難渋した。何度つまづいては起き上がったか知れなかった。何かに驚かされるたびに、地面に倒れて死骸の真似をした」
 彼らは掠奪や強姦ばかりでなく、火災も起こす。四方に火事が起こり、「こっそり戸外に出て見ると、畑の中には死骸が積み重なっていて、中には息絶え絶えにまだ生きているのもあった」。
 男(兵士)は幼女と男児を連れた婦人を捕えた。
 「男の児が母を呼んで食べ物をねだった。その男は怒って一撃すると、脳が砕けて男の児は死んだ。男は婦人と幼女を引いて行った」
 隠れていた場所に「数人の兵卒がやって来て引き出されたことが二度ほどあったが、その都度少しばかりの金を握らせると行ってしまった」。
 こうして10日間で80万人が清軍の刀下で虐殺されるという血腥い「大屠殺」が展開され、繁華の揚州は凄惨な生き地獄と化したという。
揚州を落とした清軍は騎虎の勢で数日後に南京に入る。南京王朝の福王や陪臣はいち早く逃亡し、文武百官はみな薙髪して清軍に降伏する。
 余談であるが、清軍豫王とまみえた揚州督鎮は「史可法ここに在り!」と大呼するが、武運拙く、ついに捕えられる。
 豫王は「降れば則ち富貴ならん」と諭すが、史可法は「われは天朝の重臣なり。あにいやしくも生を偸(ぬす)みて万世の罪人となるべけんや。わが頭(こうべ)、断つべし、身屈すべからず」と断る。
 豫王は3日間説得し続けるが、最後は涙を揮って部下に斬らせたという。
中国の極刑さまざま
 手元に『図説 中国酷刑史』(尾鷲卓彦著、徳間書店)がある。
 酷刑とは残酷極まりない刑罰のことで、中国の酷刑を可能な範囲で紹介したものである。
 「彼らは手足を釘で打ちつけられ、鮮血をしたたらせて架刑(はりつけ)にされている劫賊(ごうとう)に、これっぽちの憐みすら寄せないどころか、その“五花斬人(きりきざみ)”のさまを観賞するという奇怪な光景まで演じた」
 「街頭や横丁において、首が切り落とされた様子を微に入り細をうがって、活き活きとしゃべりたてるかと思えば、われ先に鮮血にまみれた人頭や半裸の女性の屍体を覗き込む。なかには饅頭に血を吸いこませ、それを食べて肺結核を治そうとする者さえあった」などの記述もある。
 酷刑には官刑と私刑の別があり、官刑では「拷問・斬首・絞縊・首枷・足枷・站籠(立った姿勢で首枷)・抽腸・鞭打ち・凌遅(寸刻みで切り裂く)・銃殺・見せしめ」が列挙されている。
 私刑では「吊り下げ・熱湯あびせ・目えぐり・耳削ぎ・活き埋め・舌抜き・火あぶり・沈め殺し・釜ゆで・圧殺・宮刑・人喰い・足ぜめ・頭髪そり・入れ墨・首切断・バラバラ屍体」などが記されている。
 読んでいて、「心胆を寒からしめる」どころか、こんな国家・社会があるのかと恐ろしくなってくる。日本人には���像を絶する奇想天外な国家・社会のようだ。
 本多勝一著『中国の旅』にも、「飢えた軍用犬の餌」にした話(文庫本p20)や「電線にコウモリのようにぶらさげ火あぶり」にした話(同p231)、「腹をたち割り、心臓と肝臓を抜き取って食う」話(同)などがある。
 臓器を煮て食したのは日本兵ということになっているが、筆者には日本人の行動様式とは思えない。読者はどう思われるだろうか。
 月刊誌『SAPIO』(2015年7月号)は、「毛沢東は『資治通鑑』を17回も読み、ライバル抹殺の手本としていた」とのリードで、「『人ブタ』『食人』『生きたまま肉を削ぐ』 歴史書に描かれた中国4千年『残虐の伝統』」の表題を付けた一文を掲げた。
 その中で、「人ブタ(手足を切断し丸裸で厠に放る)」「凌遅」「大量虐殺(一族の公開処刑や赤ん坊を空中に投げ槍で刺す)」「人食い」「ムチ打ち・炮烙(銅製円柱に罪人を縛り付けて焼き殺す)」「站籠」などを挿絵入りで説明している。
中国人による日本人大虐殺
 拙論の本題は中国人が日本の軍民に暴行を加え、また惨殺・虐殺した事件の検討である。いくつもあるが、ここでは3つを取り上げたい。
(1)旅順猟奇虐殺事件
 日清戦争(1894.8~95.5)間の11月21日に起きた事件である。
 近代化に邁進中の日本は、戦争においては勝利することと国際法を順守する文明国家であることを強調する必要があり、戦場に国際法の専門家を同道し、第2軍司令官大山巌大将は「我軍は仁義を以て動き、文明に由て戦ふものなり」と訓示していた。
 勝利の報が続々と届いていた矢先の惨事に、影響を最小限にする方策で伊藤博文首相と陸奥宗光外相は振り回される。
 旅順市街に突入した日本軍兵士は、3日前に生け捕りされた3人の生首が、道路わきの柳の木につるされているのを見る。鼻はそがれ、耳もなくなっていた。さらに進むと、家屋の軒先に針金でつるされた2つの生首があった。
 米国人記者も「ワールド」紙で、「日本軍が旅順になだれ込んだ時、鼻と耳がなくなった仲間の首が、紐でつるされているのを見た。また、表通りには、血の滴る日本人の首で飾られた恐ろしい門があった。その後、大規模な殺戮が起った。激怒した兵士たちは、見るものすべてを殺した」と書いている。
 清国兵は残酷を極めた方法で傷をつけ、第2軍兵士の死体を放置した。
 死者、あるいは負傷者に対して、首を刎ね、腹部を切り裂き石を詰め、左腕を切り取り、さらに睾丸などまで切り取り、その死体を路傍に放置した。これは捕虜の扱いではなく、猟奇事件でしかない。
 この残酷さが日本軍に復讐心を燃え上がらせ、生首が兵士たちの激昂を誘ったとされる。
 攻撃の包囲網を狭められた清国兵は「袋の鼠」同然となり、軍服を脱ぎ捨て便衣兵となって民家に逃げ込んだ。
 復讐心は便衣兵の徹底捜査となる。また、市民の中には武器をもつ者もいた関係から、彼らも加害者とみなされた。
 歩兵第2連隊の加部東常七上等兵は「旅順市街に闖入するや、戸々軒々、家中を捜りて、(略)小暗き家の片隅に潜む一人の敵兵。オノレッ!とばかり・・・。直突一閃! 胸板深く突き通せば、彼、苦しさの余り、我剣刃を握れり。コワ・・・仕損じたり。と力を極めて引けば、四指を落としてがくりと倒るる所を亦一刺。魂、天涯に飛んで骸のみ」と手記に記している。
 この連隊では清国兵28人を斬殺した一等兵を筆頭に、21人、17人など、11人で166人の清国兵を屠ったという(以上、井上晴樹著『旅順虐殺事件』)。
 旅順郊外の萬忠墓には被難者計1万8百余名(かなりが便衣兵か)と明記されているそうである。数はともかく、事件は両国の将兵が確認し、内外の記者数名が報道し確認している。
 しかし、非は我に有りとのことか、中国は旅順の猟奇・虐殺をほとんど報道してこなかった。
(2)昭和2年の「南京事件」
 「長江(注:揚子江の上流域)流域上下二千浬(カイリ)に亘り、三千余名の在留邦人が暴徒の迫害から遁れて、財産を捨て地盤を棄てて内地への引揚げを断行したことは、我日本としては空前の史実であり世界的にも希有の事変である」
 「彼らの我邦人に対する嫌悪と軽侮の念は、十数年来の排日によりて遺憾なきまでに蓄養された。その今日あるはむしろ予想されていなければならなかったはずだ」と悔しさを隠さない。
 これは、合法的に南京・蘇州・漢口・重慶などに居留していた日本人が昭和2年の春、中国人によって襲われ、引揚げざるを得なかった日本人襲撃事件の実相を、直後に結成した「中支被難者連合会」が証言や公文書を用いて再現した『南京漢口事件真相 揚子江流域邦人遭難実記』の「序」である。
 少し説明が必要であろう。事件発生時までの3年間、外務大臣は幣原喜重郎であった。
 上海などで中国の横暴がしばしばあり、英米などは軍艦を出動させて鎮圧してきた。しかし、幣原外相は話し合い解決を主張し、軟弱外交と批判されていた。
 こうしたことから、南京の日本領事は「北伐軍を刺激しない」「無抵抗主義で対応する方が効果的」として、荒木海軍大尉らが準備した領事館前の土嚢を撤去し、機関銃は倉庫に隠した。
 そこに事件が起き、兵士と暴徒の侵入を許し、婦人までが凌辱・強姦の「忍ブベカラザル検査」(「検査」は領事の表現)を受けたのだ。
 中国が事件を起こしても、武力対処は一切斥けた。こうした日本外交に対する思いが「今日あるはむしろ予想されて」の謂いであり、悔しさが滲んでいる。
 これこそが「南京事件(昭和2年)」と呼ばれるもので、今日、「南京大虐殺」(昭和12年)として非難されているものは、事件でなく追撃戦であった。
(3)通州虐殺事件
 北京の東方約20キロのところに通州がある。「冀東(きとう)防共自治政府」の管理下にある通州保安隊に守られて日本人居留民は生活していた。
 盧溝橋事件から3週間後の29日(1937年7月)から翌30日未明の間に、保安隊は国民党軍と示し合わせたかのように警備を解き、女子供を含む邦人257人(日本の警備隊32人を含む)が惨殺された。
 居留民たちの救援活動を取材するために、たまたま来ていた同盟通信社の安藤利男記者も襲撃を受けるが九死に一生のチャンスを得て脱出に成功し、後に『虐殺の通州脱出記』を書いている。
 午前2時半ごろ保安隊の動きが怪しいとの電話があり、その後は不通。4時頃からは銃声も聞こえる。7時ごろになると市街南方辺りで白煙や黒煙が上がり、銃砲声も激しくなる。
 8時になると、記者たちが泊まっていた近水楼の支那人ボーイが他所から口も利けない状態で駆け込んできて、「特務機関付近の通りの邦人商家、カフェー辺りで、日本人が多勢殺されてゐる。太変です・・・」の第一報をくれたという。
 また、奇跡的に生き残った人たちも、色々と証言しており、虐殺事件の状況はかなり正確に伝わっている。
 1か月後には『主婦の友』が人気作家吉屋信子をカメラマンともども派遣。その時も証拠は至る所に残っており、女性の目で子細に記録している。
 しかし、平成28(2016)年7月、現地を訪ね『慟哭の通州―昭和12年夏の虐殺事件』を上梓した加藤康男氏によると、通州市は北京市に吸収されて、「もはやこのあたり一帯に通州虐殺事件に関連した建物は何一つ残されていない。旧城内は、90年代ごろから徹底的に破壊し尽くされてきた」という。
 事件から5カ月経った12月下旬(日本軍が南京で入城式を行った1週間後)、冀東防共自治政府と日本側との間で弔意賠償金の支払いや慰霊碑建立の決着が図られた。
 都合の悪い慰霊碑はいつしか地下に埋め隠されたが、再開発で偶然に発見された。
 その状況を「北京日報」(2001.8.24付)は、「日本軍が中国を侵略した証拠、通州区で慰霊碑が見つかる」との見出しで報じたという。
 「1938年日本軍のもので、我が国の抗戦軍民が倒した日寇のいわゆる『慰霊碑』だった。・・・文字はいずれもひどくかすれているが、『大東亜共栄』など日本の侵略理論も記されている」
 「通州区の文物所所長によれば、・・・1937年7月29日早朝に通州の2万人余が蜂起、この偽政府(注:冀東防共自治政府)を占領した上、日本人五百人余りを撃ち殺した。翌日、日本軍は大規模な報復を行い、偽政府に二つの慰霊塔を立てることを要求、塔の前には慰霊碑も立てた」
 殺害者二百数十人を「五百人余」に倍増し〝抗日の成果″を誇っているし、また5か月後の話し合い決着を「翌日」として日本の傲慢な要求に見せかける中国一流の誤魔化しがある。
 加藤氏は、「南京や盧溝橋はもとより、満州各地にある旧大和ホテルに至るまでが『対日歴史戦』の遺跡として宣伝利用されていることを考えると、雲泥の差である。『通州虐殺事件』の痕跡は極めて都合が悪いので、完膚なきまでに消し去ったものとしか考えられなかった」と述べる。
おわりに
 通州虐殺事件について、「東京日日新聞」(昭和12年8月6日付、毎日新聞の前身)は、「敵は第29軍の首脳部の命を受け26日頃から通州襲撃の保安隊及び正規兵と連絡をとり、北清事変議定書によって正規兵は天津市内に入るを得ざるを以て便服に着替へて大胆にもトラックを以て続々天津付近に侵入。機関銃、迫撃砲、小銃、青竜刀などを蔬菜や貨物の下に隠して運び込み、時の到るのを待って居た」と報道している。
 天津では中国軍から攻撃を受けるや否や、日本軍が反撃に出て撃滅したため大事に至らなかったが、通州虐殺事件は天津の日本租界・軍関係機関、その他の邦人多数居留区域と共に、2年前から襲撃計画が練られていた同時多発テロであったのだ。
 同紙は「約1万5千人を虐殺し、掠奪を恣にしたうえ、日本租界を占領しここに青天白日旗を翻して天津から邦人を一掃する」ことになっていたかもしれないと書いている。
 加藤氏によると、中国共産党は、通州事件を「反正」(過ちを正すこと、即ち冀東防共自治政府の消滅)として評価し公認しているという。それなのに、「なぜ痕跡を抹殺しようとするのだろうか」と疑問が沸く。
 筆者は次のように思う。旅順猟奇虐殺事件や通州虐殺事件は、虐殺現場の目撃者があり、「事件の存在」が証明される。これらの事件を大きく取り上げると、「南京大虐殺」についても「事件存在」の「明確な証明」が求められる。
 しかし、習近平さえ英国女王の晩餐会で「存在の証明」で「友好のプレイアップ」を図ったが、逆に「非存在」の暴露になってしまい、“はい それまでよッ!”となりかねなかった。
 南京事件は大虐殺の「状況証拠」から離れていくばかりだ。いかがであろうか。
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クスノキの木が芳しい
                                           クスノキの木が芳しい
——あろ
 二十九歳の足取りは地面いっぱいの落ち葉を踏んでいます。乾いた音とともに、記憶のクラクションを鳴らしています。瞳が潤んで、リュックサックをそっと下ろしたような淡々とした微笑は十年前に成長したと考えられています。青の渋い歳月の中で、思春期の美しさは歳月の洗浄を経て、その時のように執着することはできません。大人になってからは考えが多くなく、抱き合った記憶だけがあって、純粋にお互いに話ができなくて、簡単に心の声を語り合います。数年後、私は自分がまだ誰かを愛していると思います。記憶が軽くなり、涙が桜のように頬に落ち、また3月に微笑が咲きます。
「何をお願いしましたか?」私の十七歳の誕生日に、楊容疑者は私の前に顔を寄せて、優しく紳士的に聞きました。
私は簡単に彼に私の願いを伝えました。「愛を持ちたいです。簡単に生活し、一緒に奮闘し、幸せな生活を送りたいです。一緒に仕事をしながら景勝を見物したいです。」
彼は答えを聞いてにっこり笑った。彼は笑った時に国を傾けて城を傾き、このように頭に刻みつけた。
アブと過ごした八年間は、彼を楊真っ白雲の存在と見なしていました。彼は四月に出発する時、私はどこにいても、どこにもいません。
落さん、愛している人もあなたを愛していると確信しています。離れないで捨てないですか?布さんはいつもぼんやりとベッドのそばやソファーのそばに座っています。8月の週末、いたずらをして私に聞いてみてください。雨が舞い散って、花びらを打っています。深い思索を持っています。
「私たちは一緒にいられないと思います。顔がやつれています。クズだらけです。結果のない話が多くて古いです。」彼に一言返しました。
「いい芸術の答えです。ひげを剃る時はとても魅力的です。痩せたあなたがとても好きです。かっこいいです。あなたは私があなたを愛しないと思っています。桜が舞うのはあなたの季節です。いない日はお大事に!」彼はこの話を言い終わって、指で前髪をしごいて、手提げかばんを持って、足早に出発して、私はぼんやりと彼の立ち去る後ろ姿を見ていて、彼が遥か遠い空の果てで消えてなくなるまで。
今年は2020年になりました。長江のほとりでは、澄んだ水がとても親切に感じられます。靴を脱いで、服のポケットに靴下を入れて、足を水の中に入れてみます。氷があります。春の川の水はヒマラヤ山脈の温度を持っています。遠いところの存在を感じます。遠くの誰かの親しみを感じているようです。あの人は大丈夫ですか?」私は内心で自分に聞いていますが、答えのない疑問がおかしいと思います。
立ち上がって、前に向かって、江水は足首を漫然と過ぎて、澄みきって透明な水しぶきを蹴って、孤独と夕日の相互の呼応は私に更に時間の中で遥か遠い人を思い出させます。携帯を取り出して、自分の水しぶきのために記念写真を撮ります。子供の頃はスマートフォンがなく、多くの可能性を失っていました。一枚の写真で十分です。また元の場所に戻ってビデオを見てみます。同感の映像はどれも自制多情の代入です。彼は超能力で多くの人を踊らせたり、歌を歌ったりすることができません。私の携帯の画面に現れて対話します。よく考えてみると、話をしたり、ダンスを踊ったり、歌ったりする歌は私とあまり関係がありません。人を懐かしみます。彼は道の次の角に現れると思います。
引き続き前へ歩いて、語彙の熟知している場所を忘れに来て、地面いっぱいの落葉、私の白色のレジャーシューズはそっと入って、香樟の木の芬芳芳芳馥郁、マスクをつけていて依然としてかすかな香りをかぐことができて、風が吹いて私の前髪を吹いて、木の葉はざくざくと音を立てて、昔の事の雲と煙は軽やかに舞っています。
目じりは少し湿っぽくて、私は静かにクスノキを囲んでぐるぐる回って、そっと離れて、子供の時友達と一緒に下校する道を歩いて、たくさんの人の様子が目の前に浮かんで、かすかに笑って、あれは思春期に帰って、鹿がむやみに胸をときめかす年ごろです。
15歳の時、私は一人に会いました。彼の髪は日光の下で私の好きな茶色が現れています。濃い眉毛は故郷の山脈の曲線のようです。目は前方を見ています。彼の足取りはとても開けていて、私は彼のかっこいいことを凝視しています。神様は電柱にぶつかって、本は地面に落ちています。彼は声を聞いて、私に向けて、本を拾うのを眺めています。彼の両手が私の視線の中に現れて、感電のように彼を見ました。彼は私のために本を拾ってくれましたが、表情もなく、忘れ物を渡してくれました。
日照りが長く続いていますが、八月はアブのプールで水浴びが好きです。
アブさんは水泳が好きで、彼は言いました。「水の中を全く泳いでいて、外の音が聞こえません。水の流れ以外に、自分は自由自在な魚のように感じられます。いつも子供のころのようにのんびりしていたいです。」
布は水面をボーリングし、濡れた髪をしごいて乾かし、両手で顔を拭き取り、彼は向こうの池の壁にもたれかかっています。そばの飲み物を持って行きます。彼は額を覆って笑って言いました。「プールの中を行ったり来たりするのはおかしいです。」
「いつか水泳を教えてくれる人に会いたいです。たくさんのところに行きます。澄んだ水の中で泳いでいます。」私はアブの前に行ってジュースを一杯注いであげました。
布はジュースを持って、ス��ローをくわえて、彼のところを見て、私を見て、ジュースを吸って水面を見ていてぼんやりしています。彼は言います。
私は微笑んでジュースを置いて、「どこに行きますか?」
彼は首を振りながら、「遠いところにいる」と言った。
「えっ!」私は口から出任せに答えた。
「聞かないとまた会いますか?」彼は水面をスライドしている。
「ずいぶん前にも同じ質問をしましたが、今は幼稚だと思います。なぜですか?私に電話してください。」
両手で水面をたたき、水しぶきを上げて言いました。「プールがないと、夏は暑くてたまりません。」
以前のように、毎日水道の水が冷たいです。
アブはぽかんとしていました。私の目の前の光が彼に気づきました。「あなたはまだあの汚い部屋に帰りますか?」
水の中に手を置いて、コップの半分を水に浸して、太陽の光が点々と輝いています。大学に合格すれば、すべてがよくなる。いい仕事があります。ここを離れて私のほしい人生を追いかけます。お金があったら故郷に帰ります。その部屋はきれいに掃除します。
「あなたの話を見ていると、あなたは迷いの中にいます。」アブは突然にハハと笑い、彼は言った。
私は行くところがありません。
アブさんは私の話を中断してプールにコップを投げました。両手を私の頬に置いて、目つきをしっかりと教えてくれました。「自分の夢を追いかけて、華灯の初めのところで待っています。」
私はすばやくしゃがんで、水を全身に浸らせて、また水の中から立ち上がって、水しぶきが四方にあふれます。揺れている水滴が布の上にはねています。私も髪を拭いて、顔の水を消します。
アブは避けて、笑いながら言いました。「恋をしました。」
驚きのあまり、目を開けて、「いつ結婚しますか?」
彼の微笑みは恋の蜜壺に浸り、目つきには愛の甘さがあふれていた。首をひねりながら、口を尖らせて言いました。「彼女はきっといい娘です。」
「これからはあなたを愛する人が必ずいます。春秋冬夏!」
「最近出会った人の顔がとても綺麗で、着飾っていて、彼とすれ違いました。とても魅力的です。」私は思い出にうっとりしています。
「彼と同じ品位を持ちたいです。頑張ってください。あと五、六年であなたもかっこよくて魅力的です。」布さんはこぶしを握って応援してくれました。
これからの週末に射撃場でターゲットの練習をします。半年ほど訓練して、また出会った人に会って、彼の練習をぼんやり見ていました。
彼は防音イヤホンを外して、私を見ていて、隣に行って飲み物を一杯飲んでください。彼は言います。「四、五ヶ月です。いつも私を見ています。おかしいと思わないですか?」
ジュースを吸いながら、首をかしげて、「楊凱雲さん、好きです。」
「えっ!」彼は後ろにもたれていて、語気が長く引いています。彼は興味深く私を見ています。
名前は何ですか?彼はまばたきをしただけです。
私は楊真っ白な雲の目を見ていて、両足をベンチに曲げて、両手で膝を抱えて言いました。
彼の目はさっとまばたきして、微笑みは凝結して、続いてため息をついて、整然としている歯を現します:“昇原は阿落といいます!”
楊真っ白な雲が口を覆っています。彼は素早く振り返って聞きました。「彼女がいますよね。私のことが好きですか?」
私はジュースを飲みました。彼の目を迎えて、自分の悲しみを装って、「私のことが好きな人がいない」と言いました。
彼は首を振って、「夏休みはどこに行きたいですか?」
最近悲しいです。遠くに行ってリラックスしたいです。私は頭を下げてジュースコップを見ています。
ヤンさんは立ち上がって、顔を上げて彼を見上げました。「数日間出張します。私と一緒に旅行しませんか?」
私はうれしくてたまらなく椅子から飛び降りて、「はい」と言いました。
一週間後に、私は飛行機に乗りました。彼は私の右手に座っています。
飛行機がゆっくりと飛び立つのを見ていて、窓の外の翼が都市を走っています。飛行機が都市の電線と密接に接触するのを心配して、飛行機が早く雲に届くように祈ります。
楊容疑者は私の心配を察知して、「パイロットの運転能力を疑っていますか?」
すぐ口を開けて言いました。「いいえ、ありません。私は今までこんな飛行機に乗ったことがありません。ちょっと特別だと思います。」
「えっ!」ポプラ雲は目のカバーを下に置いて、位置に横になって、とても速くて、呼吸が均一になります。
彼が寝た後、私は窓の外の景色を見ていて、だんだんつまらなくなりました。運転室に行きました。
運転室の中のパイロットはハンサムでかっこいいです。痩せた体は私よりずっと高いようです。私はそばに座って、前の星空を見ています。
黒い幕のような空には無数の星がきらめいています。銀河のリボンが見えます。こんな素晴らしい景色は見たことがありません。遠くの空をぼんやり見ています。私は空の美しさに驚嘆しています。「わあ!」
大人になったら何が一番したいですか?
彼の横顔を見て、長い間考えてみました。「生活を良くしたい、望みがない、好きな人と一緒にお金を稼いで、人生の意味を体験したいです。」
好きな人はあなたが好きですか?彼は聞きます。
私はため息をついて言いました。「まだ会っていません。いつか私を愛している人に会って、魅力の都に行きましょう。」
目的地に着いたら、たくさん行ってみてください。
ちょっと長い間、私は運転席を離れて、タオルを二つ持って楊真っ白雲のそばに帰りました。夜は少し涼しくて、彼のために覆いました。自分で豆乳を一杯飲みました。口を綺麗に塗りました。タオルで彼の左手を覆いました。
放送で目を覚まして、窓の外の空はまだ夜です。私は操縦室に行きます。飛行機がゆっくりと路面に降りるのを見ています。
前に二人がいます。彼らは雑談しています。私はパイロットと一緒に飛行機から降りました。彼は私よりず���と背が高くて、話をしています。
私はパイロットに「一緒に買い物しませんか?」
パイロットは携帯を取り出して言いました。「明日の午後は出勤します。ゆっくり休んでください。」
携帯を取り出して彼と連絡先を交換しました。楊さんは地図とホテルの情報を教えてくれました。飛行機の前の人と車で離れました。
遠くに手を招いて、車に乗せられて離れました。ホテルに行って、部屋に入ると、素敵な内装に驚きました。
私は部屋の静かな体験が好きです。壁の絵は面白いです。ソファーに座って、天井を見ています。「いつか多くのお金を稼いで、毎日このような環境の中で、とても穏やかで、私を愛する人がいます。一緒に生命の繁栄を楽しみましょう。」
バスルームに行ってシャワーを浴びて、パジャマを着替えて、ベッドの上に飛んで、すぐに寝ます。
私は目を覚まして風呂に入り、服を着て、テレビ番組を見ていました。しばらくしたら、面白くないと思い、外に出て散歩するつもりです。帽子をかぶって、マスクをして、バッグの中に唐辛子の水を入れて、シャツ、ジーンズ、白い運動靴を鏡の前で左右に見ています。とてもきれいで、ドアから出たと思います。
大都会では故郷のようにあいさつもせず、デパートの近くを歩いて街を歩いています。いろいろな色の人が来ていて、驚きました。彼らのファッションは全部違っています。ジュースを売っているところに行くと、財布の中には楊真っ白雲から何百円もくれました。マスクを外してジュースを飲んでいたら、私のほしい生活だと思いました。
多くの人が振り返って私を見ています。帽子をかぶるのが忙しいです。持っている小さい鏡を取り出して、おしぼりで頬とおでこを拭いて、リップクリームを取り出して唇を潤します。私は地図を頼りに公園に行きます。そこには多くの人が芝生に座って遊んでいます。私も芝生に座って、みんなのジョギングと遊びを見ています。私は地面に横になって、ひと言を思い付きます:あなたと国際で大都、公園の日光を体験して、緑の木の葉と風はそっと揺れ動いて、光線はまだらで、あなたは私の側にいます。
広場のスクリーンに広告が流れています。人波で沸き返る大通りを散歩しています。孤独な感じで、しばらく付き合っていた人を思い出します。寂しいです。
夕方になってから、ホテルに戻って、楊容疑者は髪が濡れてソファーに座ってテレビを見ています。彼は「食べましたか?」
彼の顔を見て、「ハンバーガーを食べたばかりです。口の中にまだ味があります。」
早く洗面してください。
私は急いで服を脱いで、一日の汗を洗い、洗い終わった。パジャマを着て、楊騷雲のそばに来た。
彼は言いました。「これから使ったパジャマとタオルはホテルに取り替えてもらいます。きれいにしてください。」
私は急いでうなずいて言いました。「初めてあなたを見た時、あなたはとても遠いと感じました。あなたは今私の隣に座っています。夢のようです。」
彼は振り向いて私を見て、言いました。「今はまだ小さいです。あなたのだらしなさに耐えたいです。ずっとあなたのそばにいて、あなたが似合うかどうか見たいです。他の人に離れないようにしてください。あなたがどれだけ自分を愛しているかを見てください。」
私は目をぱちぱちさせながら言いました。「あなたが言ったことは考えられませんでした。自分を愛することを教えてください。」
髪の毛が濡れています。母が髪の毛を乾かさないと脳卒中になりやすいと言っていますが、乾かないですか?彼の意見を聞いています。
彼は口もとを上に曲げてカーブを作って言いました。「あなたと私の関係はあまり良くないです。髪の毛を乾かしてください。」
浴室に行ってドライヤーを出して、彼の髪をふいてあげます。
ドライヤーを使うのは初めてですか?彼は優しく尋ねた。
髪の毛を洗ったら、乾かします。よく吹きませんでした。髪の毛が乱れてしまうのではないかと心配しています。
「髪を吹いてくれてとても楽しかったです。久しぶりにこんな感じを体験しました。」
「どんな感じですか?」
彼は軽く頭を振って,笑って答えない。彼のために髪を乾かしました。ドライヤーを元の位置に返します。
「今日は街をぶらつきに行きました。小さい頃は世界の街だと思っていました。市内が広いので、とても新鮮です。いろんな人種の人たちがいます。彼らの顔は私たちと違って、服も違っています。これからはここに住むことができると思います。」ソファーに座って、彼の右手を引っ張って話します。
あなたはお金をたくさん稼ぎます。帰り道が見つからないので心配です」一面の雲がゆるみ、けだるいように横たわっています。
これは私がもらった最高の卒業プレゼントです。
「三日間だけ滞在します。今回の旅行があなたの心の傷を癒してくれますように、楽しみにしています。」
「なぜ自分が悲しいのか分かりません。何かを食べて胸が痛くなり、涙がこぼれました。友情が招いたと勘違いしました。」
彼はしっかりと私の手を握って、私に言いました。「あなたは恋人が一人しかいません。恋人が一人しかいません。二人は長年あなたが持っていない友情です。あなたは大切にしました。あなたが愛したことがあります。どんなに多くの抵抗があっても仕方がないです。未来の道は孤独ですが、出会いを学びたいです。」
あなたは私の友達ですか?眉をひそめて聞く。
「眉をしかめると、眉の角に筋肉ができて悪魔のような顔になります。子供を騙したくないです。友達ではないです。いつか離れます。最近頭が混乱しています。自分で自分の面倒を見てほしいです。」
ずっとあなたを愛しています。ずっとあなたのことが好きです。初めて会ったところにいます。離れません。彼の手をしっかりつかんで、心臓の近くに置きます。
あなたは私の顔に惹かれますか?それとも私の服に惹かれますか?
全部ありますそれに、あなたの身長が羨ましいです。残念ながら、隣の人からもらった毒で、背が伸びることができなくなりました。身長が六、五メートルというのは一生耐えられないです。これからはおしゃれを習って、自分を綺麗にします。
今のあなたも醜くないです。
最近眠れなくなりました。未来はずっと眠れないかどうか分かりません。
「お供します。ベッドに入って、お話をします。」ヤングクラウドが私の王女をベッドに抱いて、彼の右側に横になって彼の話を聞いています。
この本を書いた時、哲理が分かりました。
「昔は子猫とウサギがいました。彼らは仲の良い友達です。子猫はいつも川で釣りをしています。ウサギはいつも土の中で大根を掘っています。彼らは仲がよくて、いつも一緒に食事をします。ウサギは魚を食べません。猫は大根を食べないので、魚がなくなったり、大根がなくなったら一緒に他のところに行きます。「ある日、彼らは新しい場所に行きました。黒うさぎと黒猫を見ました。彼らは離れたことがなく、快適な大きな家に住んでいます。幸せな生活を送っています。うさぎちゃんとねこちゃんは美しい生活に一瞬で魅了されました。毎日のクロウサギは大根を掘るだけではなく、まめに大根を植えています。黒猫は池を手入れしています。このように彼らの食べ物は後を絶たず、ウサギや猫のようにあちこち移動しなくてもいいです。食べ物を探したり、道を移動したりする時間を多く使わなくてもいいです。家や垣根の園を作る時間がもっと多くなりました。家具もいろいろあります。
楊さんは私を見て、続けて言いました。ウサギちゃんと猫ちゃんは喜んで彼らを受け入れました。数年後、彼らは城を建てて、もっと多くの仲間ができました。彼らはこの上なく楽しく過ごしました。」
話が終わったら寝ます。
「あなたの前では子供のように感じられます。あなたがストーリーを話してくれてとても嬉しいです。この席ですぐ寝ます。今晩一緒にいてもいいですか?」
「うん」彼は肯定しています。私はすぐに甘い夢の中に入りました。
毎日散歩に出かけて、車に乗って窓の外の都市の風景を見ています。夜、私は楊蚯雲と夜景を見て、美しい都市を見ました。「自分の青春時代にマスクをしていました。いつか私の美しい顔がきれいにならなくて、もったいないと思う時があります。」
ヤンさんは私のこの感嘆を聞いて、思わず大笑いしました。「いつかあなたはブスになるかもしれません。」
「それは大変ですね。でも怖くないです。十分なお金を稼いだら、自分の顔を綺麗にしてくれるはずです。
マスクを外してもいいです。肌がそんなに白いです。誰もおかしいと思わないし、私がいます。何が怖いですか?
彼の話を聞いて、私も自分が安全だと思って、マスクを外して、通行人はいつも振り向いて私を見ています。あの時代はまだ「振り返る率」というネットスラングがなかったので、彼がそばにいると安心しました。
その日の夜、私たちはステーキを食べに行きました。もっと遠いところを回って、ホテルに帰りました。彼に聞きました。
楊さんは雲さんに頭をなでて言いました。「もう仕事を完成しました。もし新鮮さがあれば、何日間一緒にいられますか?」
「一日二十四時間は私のそばにいるという意味ですか?」
楊さんは雲をかぶってうなずいた。私は彼の懐に飛び込んで、「お兄さんがいて、とてもかわいがります。」
楊容疑者は私を懐に抱いて、「いつ自分の部屋に戻りますか?」
何ですかちょっと迷っています。
あなたの家は狭いですが、そこはあなたの部屋です。いつも実家に頼ってはいけません。
私は経済的に自立していません。両親のところに住んでいません。どのように服を着て食事をしますか?学校の授業料までです。自分で稼いだと思いますか?あなたは私があなたを探すことができると思います。このよく知らない国際大都市の中で、見知らぬ人はあなたと仲がいいと思います。私は年下です。あなたに頼ることができます。出張のついでに、私を連れて世間を見に来てください。」
あなたの話を聞いてとても嬉しいです。私もあなたに内緒にしないで、ここ数日で一緒に過ごします。楊容疑者の表情は少しぎこちないです。
あなたの仕事は分かります。相変わらず愛しています。またお会いしましょうか?」
分かりません。
「それはすべての縁です。長く付き合っていますが、おいくつですか?」
あなたが知っていると思いました。
私は頭を振って言いました。「分かりません。」
今年は二十三歳です。
「いい歳ですね。あなたの年齢で幸せになりますように。」
重慶に帰ったら、何をするつもりですか?一面の雲が私を抱いて聞きます。
「私の仕事を続けています。給料はそんなに高くないですが、まだ若いです。公務員になりたいと思っていましたが、この様子では、全員が私が最低で、基礎も壊してほしいと願っています。不可能です。私は本を読んで良い大学を試験して、良い仕事を探し当てて、私の小さい家を装飾して、自分で大きい部屋を買って、店をオープンして、企業をします。安定収入がよくて、あちこち歩き回っています。まだ世界を見たことがありません。見に行きたいです。余生を享楽しながら、シンプルに楽しく過ごします」
楊容疑者は慎重に私を見て、「あなたが欲しいのは鐘が鳴る生活です。」
「間違いない!」
もしある日あなたが本当にできたら、私を引っ張ることができますか?
私は30代のうちに目標を達成して、毎年200万円の利益を上げて、できるだけ毎年の利益を上げていきたいです。千万円がある時に来てくれれば、歓迎します。その時のこのお金は私たちの生活費に十分です。でも、私が本当にできるようにしないと、一緒に貧しい生活を送ります。
落さん、どうしてあなたが私をあなたに要求しましたが、あなたは私に要求しませんでしたか?
私はそっと言いました。「今のあなたは何を手伝ってくれますか?あなたの羽根が豊かな時に、もし私が思い付いた目標を達成するならば、あなたは私を助けてくれます。資金を起動して儲けるのは簡単ではないです。短期的に上昇することは難しいです。
もし私が助けられなかったら?楊容疑者は慎重に質問した。
「それはいいです。私もあなたの大切な人ではありません。何か予定がありますか?」
あなたの優しさに感謝します。あなたに出会ったのは私の幸運です。あなたの秘密は守ります。絶対に言いません。」
ありがとうございます実は秘密でもないです。もう慣れました。」
私は簡単なつもりです。綺麗な奥さんを探して、このまま過ごしました。
いい計画ですね。もう適当な人がいますか?
まだ追っています
成功を求めてほしいです。
「将来的に企業を成功させたいです。これからも故郷に帰りますか?」
彼らはまだそこにいます。私はいつも帰ります。老いても重慶に残ります。江津の冬は寒いです。南岸に住むかもしれません。
「お金があったら、暖房器具をつけて、お手伝いさんが世話してくれます。まだそこにいますか?」
「もちろん、毎日がシンプルでいいです。でも、大都市の生活を見ています。故郷のあっさりした人生に慣れるかどうかは分かりません。
「だから、未来は不安です。帰って、そこで暮らしたり、家族のお供をしたりするべきです。あなたが去ったら、帰りにくいと思います。」
「わかりました。あなたの言っていることも正しいです。私のような若僧は子供の時からどこまでも家です。卒業後、広州に行きます。お金を稼いで、だんだん発展します。いつか私の会社は深センの甲級オフィスビルにいます。そこで仕事をします。
私たちはもう二日間滞在しましたが、この二日間は一面真っ白な雲があって、私と一緒に幸せです。もっと遠くの観光スポットを回ってみましたが、写真を撮っていませんでした。
「ある日あなたは作文に成功しました。私たちが歩いたところと楽しみを文字にしました。」
若い私はまだ写真の記念の意味が分かりません。もし写真を撮ったら、今出しても懐かしいと思います。
帰りの飛行機で豆乳を一杯持ってきました。ありがとうございます。リュックサックからキャンデーを二つ取り出して、彼に一つを渡しました。
彼はキャンデーを持ったことがあります。私は自分のキャンデーの包装を引き裂いて口に入れます。「一人で好きになるのはとてもいい感じです。」彼は荷物を開けました。中にアルミの金属箱があります。渡してくれました。「プレゼントは何もありません。7歳の時に銃器の使い方がとてもよかったです。この中にはシミュレーションの銃があります。記念として残してください。」
彼のプレゼントを受け取って箱を開けたら、中は小さくて精巧な米国のカートM 9111の模型で、私は模型銃のベルトを解いて、銃身を触ります。「これは全部の金属ですか?」
「金属製品は長く保存されます。」
プレゼントをくれてありがとうございます。小さい年齢の私は分かりません。私は銃を置いて、アルミの金属箱を隣のテーブルに置いた。私は続けて言います。「初めてお会いしました。その感じは本当に素晴らしいです。」
楊さんは雲にぼーっとしていて、話をしていません。
飛行機が到着した後、もう夜明けです。楊蝓雲さんからのプレゼントを他の人に渡しました。「家に帰ってこれを持ってくるのは不便です。後でください。」私は楊鳔雲に乗り継ぎをして、飛行機の明��りが次第に上がるのを見ていて、だんだん消えていきます。
私はため息をついて、渝中区に行き、ケーキを買って部屋に入りました。
私はろうそくを取り出して、全部で16本をケーキの上に挿して、ろうそくに火をつけて、願い事をして、また一気に息を吸って、ろうそくを吹き消して、私は自分に言います。「今年は16歳です。誕生日おめでとうございます。」
鏡の前に行って、「これからは苦労しても、そんなに強いお酒を飲むな」と自分に言いました。
私は酒棚のワインを取り出して、自分のために小さなコップを注いだが、酒気をかいでいて、急に吐き気がして、グラスの酒をこぼしてしまった。
「しまった、胃の調子が悪くなりました。体を養生したいです。残念ですが、このバラフェです。」私は木の栓をしっかりと瓶の口を塞ぎました。「これからも飲んでほしいです。バカです。これは半年分の給料です。」
ケーキを分けて、自分で一つ食べました。食べきれないだけでお腹がいっぱいになりました。
横になって3時間以上休んで、車で江津の周辺に行きます。ヘリコプターが私を待っています。ロープを締めて屋上に降ります。
下に下りて、ドアを開けて、ベッドに横になって引き続きぐうぐう寝て、私は疲れきっています。夜、両親が家に帰っても分かりません。勝手に何かを食べました。
夜中に目が覚めて、ロッカーの中の小霊通を充電しました。誰も連絡してくれませんでした。
ベッドのそばに座っています。この都市はとても悲しいようで、突然眠れません。そこでテレビをつけて、音楽番組のランキング音楽を聞いて、だんだん心が落ち着きました。
その日の朝早くお母さんのところに行って、毎日何十斤の唐辛子をお客さんにつぶしてあげます。私はちょうど休みになりました。そこで手伝います。毎回鉄板を上げて唐辛子をつぶしている時、井山兄さんと天蕊を懐かしみます。
私は100元を使って、車屋で自転車を買いました。午後は用事がない時に広場で練習します。
母は顔をしかめながら、「安いから、壊れやすい」と笑った。
「まずは覚えておきます。壊れたら捨てます。どうせ高くないです。」彼女を慰めながら言った。
初日はなかなか上手になれませんでした。どうしてもバランスが取れなくて、翌日はおじさんのおばさんの助けで自転車を覚えました。四五メートルまで乗れるようになりました。
自転車を覚えた後、私は川のそばで自転車に乗るのが好きです。風が襟を吹いています。私は新しい出会いを迎えています。これらの美しい記憶はここで一段落しました。
私は川のそばに立って夕日を見ています。綺麗な落日に対して、「あなたと抱き合って、あなたがくれた最高のプレゼントです。」
まぶしいと、二十九歳で、大きな木を通って、心より静かに過ごします。
 終了:2020年5月18日月曜日
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groyanderson · 3 years
Text
ひとみに映る影シーズン2 第六話「どこまでも白い海で」
☆プロトタイプ版☆ こちらは無料公開のプロトタイプ版となります。 最低限の確認作業しかしていないため、 誤字脱字誤植誤用等々あしからずご了承下さい。 尚、正式書籍版はシーズン2終了時にリリース予定です。
(シーズン2あらすじ) 私はファッションモデルの紅一美。 旅番組ロケで訪れた島は怪物だらけ!? 霊能者達の除霊コンペとバッティングしちゃった! 実は私も霊感あるけど、知られたくないなあ…… なんて言っている場合じゃない。 諸悪の根源は恩師の仇、金剛有明団だったんだ! 憤怒の化身ワヤン不動が、今度はリゾートで炸裂する!!
pixiv版 (※内容は一緒です。) ☆キャラソン企画第六弾 金城玲蘭「ニライカナイ」はこちら!☆
དང་པོ་
 アブが、飛んでいる。天井のペンダントライトに誘われたアブが、蛍光灯を囲う四角い木枠に囚われ足掻くように飛んでいる。一度電気を消してあげれば、外光に気がついて窓へ逃げていくだろう。そう思ったのに、動こうとすると手足が上がらない。なら蛍光灯を影で覆えば、と思うと、念力も込もらない。 「一美ちゃん」  呼ばれた方向を見ると、私の手を握って座っている佳奈さん。私はホテルの宴会場まで運ばれて、布団で眠っていたようだ。 「起きた?」  障子を隔てた男性側から万狸ちゃんの声。 「うん、起きたよ」 「佳奈ちゃん、一美ちゃん、ごめん。パパがまだ目を覚まさなくて……また後でね」 「うん」  佳奈さんは万狸ちゃんとしっかり会話出来ている。愛輪珠に霊感を植え付けられたためだ。 「……タナカDはまだ帰って来ないから、私が一美ちゃんのご両親に電話した。私達が千里が島に連れてきたせいでこんな事になったのに、全然怒られなかった。それどころか、『いつか娘が戦わなければいけない時が来るのは覚悟していた。それより貴女やカメラマンさんは無事なのか』だって……」  ああ。その冷静な受け答えは、きっとお母さんだ。お父さんやお爺ちゃんお婆ちゃんだったらきっと、『今すぐ千里が島に行って俺が敵を返り討ちにしてやる』とかなんとか言うに決まってるもん。 「お母さんから全部聞いたよ。一美ちゃんは赤ちゃんの時、金剛有明団っていう悪霊の集団に呪いをかけられた。呪われた子は死んじゃうか、乗り越えられれば強い霊能者に成長する。でも生き残っても、いつか死んだら金剛にさらわれて、結局悪い奴に霊力を利用されちゃう」  佳奈さんは正座していた足を崩した。 「だけど一美ちゃんに呪いをかけた奴の仲間に、金剛が悪い集団だって知らなくて騙されてたお坊さんがいた。その人は一美ちゃんの呪いを解くために、身代わりになって自殺した。その後も仏様になって、一美ちゃんや金城さんに修行をつけてあげた」  和尚様……。 「一美ちゃんはそうして特訓した力で、今まで金剛や悪霊と戦い続けてた。私達と普通にロケしてた時も、この千里が島でもずっと。霊感がない私やタナカDには何も言わないで……たった一人で……」  佳奈さんは私から手を離し、膝の上でぎゅっと握った。 「ねえ。そんなに私達って信用できない? そりゃさ。私達は所詮、友達じゃないただの同僚かもしれないよ。けど、それでも仲間じゃん。幽霊見えないし、いっぱい迷惑かけてたのかもしれないけど」  ……そんな風に思った事はない、と答えたい���に、体が動かなくて声も出せない。 「いいよ。それは本当の事だし。てかだぶか、迷惑しかかけてこなかったよね。いつもドッキリで騙して、企画も行先も告げずに連れ回して」  そこは否定しません。 「だって、また一美ちゃんと旅に出たいんだもん。行った事のない場所に三人で殴り込んで、無茶して、笑い合って、喧嘩して、それでも懲りずにまた旅に出るの。もう何度も勝手に電源が落ちるボロボロのワイヤレス付けて、そのへんの電器屋さんで買えそうなカメラ回してね。そうやって互いが互いにいっぱい迷惑かけながら、旅をしたいんだよ」  …… 「なのに……どうして一人で抱えこむの? 一美ちゃんだって私達に迷惑かければいいじゃん! そうすれば面白半分でこんな所には来なかったし、誰も傷つかずに済んだのに!」 「っ……」  どの口が言うんですか。私が危ないって言ったって、あなた達だぶか面白半分で首を突っ込もうとする癖に。 「私達だって本当にヤバい事とネタの分別ぐらいつくもん! それとも何? 『カラキシ』なんて足手まといでしかないからってワケ!?」 「っ……うっ……」  そんな事思ってないってば!! ああ、反論したいのに口が動かない! 「それともいざという時は一人でどうにかできると思ってたワケ? それで結局あの変態煙野郎に惨敗して、そんなボロボロになったんだ。この……ダメ人間!」 「くっ……ぅぅうううう……」  うるさい、うるさい! ダメ人間はどっちだ! 逃げろって言ったのにどうして戻ってきたんだ! そのせいで佳奈さんが……それに…… 「何その目!? 仲間が悪霊と取り残されてて、そこがもう遠目でわかるぐらいドッカンドッカンしてたら心配して当然でしょ!? あーそうですよ。私があの時余計な事しなければ、ラスタな狸さんが殺されて狸おじさんが危篤になる事もなかったよ! 何もかも私のせいですよーっ!!」 「ううう、あああああ! わああぁぁ!」  だからそんな事思ってないってば!! ていうか、中途半端に私の気持ち読み取らないでよ! 私の苦労なんて何も知らなかったクセに!! 「そーだよ! 私何もわかってなかったもん! 一美ちゃんがひた隠しにするから当たり前でしょぉ!?」 「うわあああぁぁぁ!! うっぢゃぁしいいいぃぃ、ごの極悪ロリーダァァァ!!」 「なん……なんだどおぉ、グスッ……この小心者のっ……ダメ人間!」 「ダメ人間!」 「ダメ人間!!」 「「ダメ人間ーーーっ!!!」」  いつの間にか手足も口も動くようになっていた。私と佳奈さんは互いの胸ぐらを掴み合い、今まで番組でもした事がない程本気で罵り合う。佳奈さんは涙で曇った伊達眼鏡を投げ捨て、私の腰を持ち上げて無理やり立たせた。 「わああぁぁーーっ!」  一旦一歩引き、寄り切りを仕掛けてくる。甘いわ! 懐に入ってきた佳奈さんの右肩を引き体勢を浮かせ、 「やああぁぁぁーーっ!!」 思いっきり仏壇返し! しかし宙を回転して倒れた佳奈さんは小柄な体型を活かし即時復帰、助走をつけて私の頬骨にドロップキックを叩きこんだ!! 「ぎゃふッ……あヤバいボキっていった! いっだあぁぁ!!」 「やば、ゴメン! 大丈夫?」 「だ……だいじょばないです……」  と弱った振りをしつつ天井で飛んでいるアブを捕獲! 「んにゃろぉアブ食らえアブ!」 「ぎゃああああぁぁ!!!」 <あんた達、何やってんの?> 「「あ」」  突然のテレパシー。我に返った私達が出入口を見ると、口に血まみれのタオルを当てて全身傷だらけの玲蘭ちゃんが立っていた。
གཉིས་པ་
 アブを外に逃がしてやり、私は玲蘭ちゃんを手当てした。無惨にも前歯がほぼ全部抜け落ちてしまっている。でも診療所は怪我人多数で混雑率二〇〇%越えだという。佳奈さんに色んな応急手当についてネットで調べてもらい、初心者ながらにできる処置は全て行った。 「その傷、やっぱり散減と戦ったの?」 <うん。口欠湿地で。本当に口が欠けるとかウケる> 「いや洒落になんないでしょ」 <てか私そもそも武闘派じゃないのに、あんなデカブツ相手だなんて聞いてないし> 「大体何メートル級だった?」 <五メートル弱? 足は八本あった>  なるほど。なら牛久大師と同じ、大散減の足から顕現したものだろう。つまり地中に潜む大散減は、残りあと六本足。 <てか一美、志多田さんいるのに普通に返事してていいの?> 「あ……私、もうソレ聞こえてます」 <は?>  私もこちらに何があったかを説明する。牛久大師が大散減に取り込まれた。後女津親子がそれを倒すと、御戌神が現れた。私は御戌神が本当は戦いたくない事に気付き、キョンジャクで気を正した。けど次の瞬間金剛愛輪珠如来が現れて、御戌神と私をケチョンケチョンに叩き潰した。奴は私を助けに来た佳奈さんにも呪いをかけようとして、それを防いだ斉二さんがやられた。以降斉一さんは目を覚まさず、タナカDと青木さんもまだ戻ってきていないみたいだ、と。そこまで説明すると、玲蘭ちゃんは頭を抱えて深々とため息をついた。 <最ッ悪……金剛マターとか、マジ聞いてないんだけど……。てか、一美もたいがい化け物だよね。金剛の如来級悪霊と戦って生きて帰れるとか> 「本当、なんで助かったんだろ……。あの時は全身砕かれて内臓ぜんぶ引きずり出されたはずなんだけど」 <ワヤン化してたからでしょ> 「あーそっか……」  砕けたのは影の体だけだったようだ。 「けど和尚様から貰ったプルパを愛輪珠に取られちゃって、今じゃ私何にもできない。だってあいつが、和尚様の事……実は邪尊教の信者だとか言い出すから……」 <は!? 観音和尚が!? いや、そんなのただの侮辱に決まってるし……> 「…………」 <……なに、一美? まさか心当たりあるの!?> 「あの」  佳奈さんが挙手する。 「あの。何なんですか? そのジャソン教とかいうのって」 <ああ、チベットのカルト宗教です。悪魔崇��の仏教版と言いましょうか> 「じゃあ���河童の家みたいな物?」  とんでもない。 「テロリストですよ。ドマル・イダムという邪尊の力を操ってチベットを支配していた、最悪の独裁宗派です」 「そ、そうなの!?」  ドマル・イダム。その昔、とある心優しい僧侶が瀕死の悪魔を助け、その情け深さに心打たれた悪魔から不滅の心臓を授かった。そうして彼は衆生の苦しみを安らぎに変える抜苦与楽(ばっくよらく)の仏、『ドマル・イダム(紅の守護尊)』となった。しかしドマルは強欲な霊能者や権力者達に囚われて、巨岩に磔にされてしまう。ドマルには権力者に虐げられた貧民の苦しみや怒りを日夜強制的に注ぎ込まれ、やがてチベットはごく少数の貴族と無抵抗で穏やかな奴隷の極端な格差社会になってしまった。 「この事態を重く見た当時のダライ・ラマはドマル信仰を固く禁じて、邪尊教と呼ぶようにしたんです」 「う、うわぁ……悪代官だしなんか罰当たりだし、邪尊教まじで最悪じゃん……」 <罰当たり、そうですね。チベットでは邪尊教を戒めるために、ドマルの仏画が痛々しい姿で描かれてます。まるで心臓と神経線維だけ燃えずに残ったような赤黒い体、絶望的な目つき、何百年も磔にされているせいで常人の倍近く伸びた長い両腕……みたいな> 「やだやだやだ、そんな可哀想な仏画とか怖くて絶対見れない!」  そう、普通の人はこういう反応だ。だからチベット出身の仏教徒にむやみに邪尊教徒だと言いがかりをつけるのは、最大の侮辱なんだ。だけど、和尚様は……いや、それ以上考えたくない。幼い頃、和尚様と修行した一年間。大人になって再会できた時のこと。そして、彼に授かった力……幸せだったはずの記憶を思い起こす度に、色んな伏線が頭を過ぎってしまう。 <……でも、一美さぁ>  玲蘭ちゃんは口に当てていた氷を下ろし、私を真正面から見据えた。 <和尚にどんな秘密があったのか知らないけど、落ちこむのは後にしてくれる? このまま大散減が完全復活したら、明日の便に乗る前に全員死ぬの。今まともな戦力になるの、五寸釘愚連隊とあんたしかいないんだけど> 「私……無理だよ。プルパを奪われて、影も動かせなくなって」 <それなら新しい武器と法力を探しに行くよ> 「!」 <志多田さんも、来て> 「え? ……ふええぇっ!?」  玲蘭ちゃんは首にかけていた長い数珠を静かに持ち上げる。するとどこからか潮騒に似た音が聞こえ、私達の視界が次第に白く薄れていく。これは、まさか……!
གསུམ་པ་
 気がつくと私達は、白一色の世界にいた。足元にはお風呂のように温かい乳白色の海が無限に広がり、空はどこまでも冷たげな霧で覆われている。その境界線は曖昧だ。大気に磯臭はなく、微かに酒粕や米ぬかのような香りがする。 「綺麗……」  佳奈さんが呆然と呟いた。なんとなく、この白い世界に私は来たことがある気がする。確か初めてワヤン不動に変身した直後だったような。すると霧の向こうから、白装束に身を包む天女が現れた。いや、あれは…… 「めんそーれ、ニライカナイへ」 「玲蘭ちゃん!?」「金城さん!?」  初めてちゃんと見たその天女の姿は、半人半魚に変身した玲蘭ちゃん。肌は黄色とパールホワイトのツートーンで、本来耳があった辺りにガラスのように透き通ったヒレが生えている。元々茶髪ボブだった頭も金髪……というより寧ろ、琉球紅型を彷彿とさせる鮮やかな黄色になっていた。燕尾のマーメイドドレス型白装束も裏地は黄色。首から下げたホタル玉の数珠と、裾に近づくにつれてグラデーションしている紅型模様が美しく映える。 「ニライカナイ、母なる乳海。全ての縁と繋がり『必要な物』だけを抜粋して見る事ができる仮想空間。で、この姿は、いわゆる神人(かみんちゅ)ってやつ。わかった?」 「さっぱりわかりません!」  私も佳奈さんに同じく。 「よーするにここは全ての魂と繋がる母乳の海で、どんな相手にもアクセスできるんです。私が何か招き入れないと、ひたすら真っ白なだけだけど」  母乳の海。これこそまさに、金剛が欲しがってやまない『縁の母乳』だ。足元に広がる海水は、散減が吐く穢れた物とはまるで違い、暖かくて淀みない。 「今からこの海で、『マブイグミ』って儀式をする。一美の前世を呼んでパワーを分けて貰うってわけ。でもまず、折角だし……志多田さんもやってみますか?」 「え、私の前世も探してくれるんですか!? えーどうしよ、緊張するー!」 「アー……多分、思ってる感じと違いますよ」  玲蘭ちゃんは尾ビレで海水を打ち上げ、飛沫から瞬く間にススキの葉を錬成した。そして佳奈さんの背中をその葉でペンペンと叩きながら、 「まぶやー、まぶやー、うーてぃくよー」  とユルい調子で呪文を唱えた。すると佳奈さんから幾つもの物体がシュッと飛び出す。それらは人や動物、虫、お守りに家具など様々で、佳奈さんと半透明の線で繋がったまま宙に浮いている。 「なにこれ! もしかして、これって全部私の前世!? ええっ私って昔は桐箪笥だったのぉ!?」 「正確には箪笥に付着していた魂の欠片、いわゆる付喪神です。人間は物心つくまでに周囲の霊的物質を吸収して、七歳ぐらいで魂が完成すると言われています。私が呼び戻したのは、あなたを構成する物質の記憶。強い記憶ほど鮮明に復元できているのがわかりますか?」  そう言われてみると、幾つかの前世は形が朽ちかけている。人間の霊は割と形がはっきりしているけど、箪笥や虫などは朽ちた物が多い。 「たしかに……このおじさん、実家のお仏壇部屋にある写真で見たことあるかも。写真ではもっとおじいさんだったけど」 「亡くなった方が必ずしも亡くなったご年齢で現れるとは限らないんですよ」  私が補足した。そう、有名なスターとか軍人さんとかは、自分にとって全盛期の姿で現れがちなんだ。佳奈さんが言うおじさんも軍服を着ているから、戦時中の御姿なんだろう。  すると玲蘭ちゃんは手ビレ振り、佳奈さんの前世達を等間隔に整列させた。 「志多田さん。この中で一番、あなたにとって『しっくりくる』者を選んで下さい。その者が一つだけ、あなたに力を授けてくれます」 「しっくりくるもの?」  佳奈さんは海中でザブザブと足を引きずり、きちんと並んだ前世達を一つずつ見回っていく。 「うーん……。やっぱり、見たことある人はこのおじさんだけかな。家に写真があったなら、私と血が繋がったご先祖様だと思うし……あれ?」  ふと佳奈さんが立ち止まる。そこにあったのは、殆ど朽ちかけた日本人形。 「この子……!」  どうやら、佳奈さんは『しっくりくる前世』を見つけたようだ。 「私覚えてる。この子は昔、おじいちゃん家の反物屋にいたお人形さんなの。けど隣の中華食堂が火事になった時、うちも半焼しちゃって、多分だからこんなにボロボロなんだと思う」  佳奈さんは屈んで日本人形を手に取る。そして今にも壊れそうなそれに、火傷で火照った肌を癒すように優しく海水をかけた。 「まだ幼稚園ぐらいの時だからうろ覚えだけど。家族で京都のおじいちゃん家に遊びに行ったら、お店にこの子が着てる着物と同じ生地が売ってて。それでおそろいのドレスを作ってほしいっておじいちゃんにお願いしたんだ。それで東京帰った直後だよね、火事。誰も���ななかったけど約束の生地は燃えちゃって、お人形さんが私達を守ってくれたんだろうって話になったんだよ」  佳奈さんが水をかける度に、他の魂達は満足そうな様子で佳奈さんと人形に集約していく。すると玲蘭ちゃんはまた手ビレを振る。二人を淡い光が包みこみ……次の瞬間、人形は紺色の京友禅に身を包む麗しい等身大舞妓に変身した! 「あなたは……!?」 「あら、思い出してくれはったんやないの? お久しぶりどすえ、佳奈ちゃん」  それは見事な『タルパ』だった。魂の素となるエクトプラズム粒子を集め、人工的に作られた霊魂だ。そういえば玲蘭ちゃんが和尚様から習っていたのはこのタルパを作る術だった。なるほど、こういう風に使うために修行していたんだね。  佳奈さんは顕現したての舞妓さんに問う。 「あ、あのね! 外でザトウムシの化け物が暴れてるの! できれば私もみんなと一緒に戦いたいんだけど、あなたの力を貸してくれないかな?」  ところが舞妓さんは困ったような顔で口元を隠した。 「あらあら、随分無茶を言いはりますなぁ。うちはただの人形やさかい、他の方法を考えはった方がええんと違います?」 「そっかぁ……。うーん、どうしよう」 「佳奈さん、だぶか霊能力とは別の事を聞いてみればいいんじゃないですか? せっかく再会できたんだから勿体ないですよ」 「そう? じゃあー……」  佳奈さんはわざとらしいポーズでしばらく考える。そして何かを閃くと、わざとらしく手のひらに拳をポンと乗せた。 「ねえ。童貞を殺す服を着た女を殺す服って、結局どんな服だと思う? 人生最大の謎なんだけど!」 「はいぃ???」  舞妓さんがわかっていないだろうからと、玲蘭ちゃんがタルパで『童貞を殺す服』を顕現してみせた。 「所謂、こーいうのです。女に耐性のない男はこれが好きらしいですよ」  玲蘭ちゃんが再現した童貞を殺す服は完璧だ。フリル付きの長袖ブラウスにリボンタイ、コルセット付きジャンパースカート、ニーハイソックス、童話の『赤い靴』みたいなラウンドトゥパンプス。一見露出が少なく清楚なようで、着ると実は物凄く体型が強調される。まんま佳奈さんの歌詞通りのコーデだ。 「って、だからってどうして私に着せるの!」 「ふっ、ウケる」  キツキツのコルセットに締め付けられた私を、舞妓さんが物珍しそうにシゲシゲと眺める。なんだか気恥ずかしくなってきた。舞妓さんはヒラヒラしたブラウスの襟を持ち上げて苦笑する。 「まあまあ……外国のお人形さんみたいやね。それにしても今時の初心な殿方は、機械で織った今時の生地がお好きなんやなあ。うちみたいな反物屋育ちの古い人形には、こんなはいからなお洋服着こなせんどす」  おお。これこそ噂の京都式皮肉、京ことば! 要するに生地がペラッペラで安っぽいと言っているようだ。 「でも佳奈ちゃんは、『おたさーの姫』はん程度にならもう勝っとるんやないの?」 「え?」  舞妓さんは摘んでいたブラウスを離す。すると彼女が触れていた部分の生地感が、心なしかぱりっとした気がする。 「ぶっちゃけた話ね。どんなに可愛らしい服でも、着る人に品がなければ『こすぷれ』と変わらへん。その点、佳奈ちゃんは立派な『あいどる』やないの。お歌も踊りもぎょうさん練習しはったんやろ? 昔はよちよち歩きやったけど、歩き方や立ち方がえろう綺麗になってはるさかい」  話しながらも舞妓さんは、童貞を殺す服を摘んだり撫でたりしている。その度に童貞を殺す服は少しずつ上等になっていく。形や色は変わらなくても、シワが消え縫製が丁寧になり、まるでオーダーメイドのように着心地が良くなった。そうか、生地だ。生地の素材が格段にグレードアップしているんだ! 「うちらは物の怪には勝てへんかもしれんけど、童貞を殺す服を着た女に負けるほど弱い女やありまへん。反物屋の娘の誇りを忘れたらあかんよ、佳奈ちゃん」  舞妓さんは童貞を殺す服タルパを私から剥がすと、佳奈さんに当てがった。すると佳奈さんが今着ているサマーワンピースは輝きながら消滅。代わりにアイドルステージ上で彼女のトレードマークである、紺色のメイド服姿へと変身した。けどただの衣装じゃない、その生地は仙姿玉質な京友禅だ! 「いつものメイド服が……あ、これってもしかして、おそろいのドレス!?」  舞妓さんはにっこりと微笑み、輝くオーラになって佳奈さんと一体化する。京友禅メイド服とオーラを纏った佳奈さんは、見違えるほど上品な風格を帯びた。童貞やオタサーの姫どころか、全老若男女に好感を持たれる国宝級生人形(スーパーアイドル)の誕生だ!
བཞི་པ་
「まぶやー、まぶやー、ゆくみそーれー」  またしても玲蘭ちゃんがゆるい呪文を唱えると、佳奈さんの周囲に残っていた僅かな前世残滓も全て佳奈さんに吸収された。これでマブイグミは終了だ。 「金城さんごめんなさい。やっぱり私、バトルには参加できなさそうです……」 「お気になさらないで下さい。その霊的衣装は強いので、多少の魔物(マジムン)を避けるお守り効果もあります。私達が戦っている間、ある程度護身してて頂けるだけでも十分助かります」 「りょーかいです! じゃあ、次は一美ちゃんの番だね!」  いよいよ、私の前世が明らかになる。家は代々影法師使いの家系だから、力を取り戻してくれる先代がいると信じたい。 「まぶやー、まぶやー、うーてぃくよー」  玲蘭ちゃんが私の背中を叩く。全身の毛穴が水を吹くような感覚の後、さっき見たものと同じ半透明の線が飛び出した。ところが…… 「あれ? 一美ちゃんの前世、それだけ??」  佳奈さんに言われて自分から生えた前世達を見渡す。……確かに、佳奈さんと比べて圧倒的に少ない。それに形も、指先ほど小さなシジミ蝶とか、書道で使ってた筆とか、小物ばっかり。玲蘭ちゃんも首を傾げる。 「有り得ないんだけど。こんな量でまともに生きていけるの、大きくてもフェレットぐらいだよ」 「うぅ……一美ちゃん、可哀想に。心だけじゃなくて魂も小さいんだ……」 「悪かったですね、小心者で」  一番考えられる可能性としては、ワヤン不動に変身するためのプルパを愛輪珠に奪われたからだろう。念力を使う時、魂の殆どが影に集中する影法師の性質が仇となったんだ。それでも今、こうして肉体を維持できているのはどういう事か。 「小さくても強いもの、魔除けとか石とか……も、うーん。ないし……」 「じゃあ、斉一さんのドッペルゲンガーみたいに別の場所にも魂があるってパターンは?」 「そういうタイプなら、一本だけ遠くまで伸びてる線があるからすぐわかる」 「そっか……」  すると、その会話を聞いていた佳奈さんが私の足元の海中を覗きこんだ。 「ねえこれ、下にもう一本生えてない?」 「え?」  まじまじと見ると、確かにうっすらと線が見えなくもない。すると玲蘭ちゃんが尾ビレを振って、私の周囲だけ海水を退けてくれた。 「あ、本当だ!」  それは水が掃け、足元に残った影溜まりの中。まるで風前の灯火のように薄目を開けた『ファティマの目』が、一筋の赤黒い線で私と繋がっている。そうか。行きの飛行機内で万狸ちゃんを遠隔視するのに使ったファティマの目は、本来邪悪な物から身を守る結界術だ。私の魂は無意識に、これで愛輪珠から身を守っていたらしい。 「そこにあったんだ。やっぱり影法師使いだね」  玲蘭ちゃんがファティマの目を屈んで掬い取ろうとする。ところが、それは意志を持っているように影の奥深くに沈んでしまった。 「ガード固っ……一美、これどうにかして取れない?」  参ったな。念力が使えれば影を動かせるんだけど……とりあえず、影法師の真言を唱えてみる。 (ナウマク・サマンダ・バザラダン・カン・オム・チャーヤー・ソワカ)  だめだ、ビクともしない。じゃあ次は、和尚様の観世音菩薩の真言。 (オム・マニ・パドメ・フム)  ……ん? 足の指先が若干ピリッときたような。なら和尚様タイプⅡ、プルパを発動する時にも使う馬頭観音真言ならどうか。 (オム・アムリトドバヴァ・フム・パット!)  ピクッ。 「あ、今ちょっと動いた? おーい、一美ちゃんの前世さーん!」  佳奈さんがちょんちょんと私の影をつつく。他の真言やお経も試してみるべきか? けど総当りしている時間はないし…… —シムジャナンコ、リンポチェ……— 「!」 —和尚様?— —あなたの中で眠る仏様へ、お休みなさい、と申したのです。私は彼の『ムナル』ですから……—  脳裏に突然蘇った、和尚様と幼い私の会話。シムジャナンコ(お休みなさい)……チベット語……? 「タシデレ、リンポチェ」  ヴァンッ! ビンゴだ。薄目だった瞳がギョロリと見開いて肥大化し、私の影から飛び出した! だけどそれは、私が知っているファティマの目とまるで違う。眼球ではなく、まるで視神経のように真っ赤なエネルギーの線維が球体型にドクドクと脈動している。上下左右に睫毛じみた線維が突き出し、瞳孔に当たる部分はダマになった神経線維の塊だ。その眼差しは邪悪な物から身を守るどころか、この世の全てを拒絶しているような絶望感を帯びている。玲蘭ちゃんと佳奈さんも堪らず視線を逸らした。 「ぜ、前世さん、怒ってる?」 「……ウケる」  チベット語に反応した謎のエネルギー眼。それが私の大部分を占める前世なら、間違いなく和尚様にまつわる者だろう。正直、今私は和尚様に対してどういう感情を抱いたらいいのかわからなくなっている。でも、たとえ邪尊教徒であろうとなかろうと、彼が私の恩師である事に変わりはない。 「玲蘭ちゃん、佳奈さん。すいません。五分だけ、ちょっと瞑想させて下さい」  どうやら私にも、自分の『縁』と向き合うべき時が来たようだ。
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 ……釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩……。座して目を閉じ、自分の影が十三仏を象る様を心に思い描く。本来影法師の修行で行う瞑想では、ティンシャやシンギング・ボウルといった密教法具を使う。けど千里が島には持ってきていないし、今の私にそれらを使いこなせる力もない。それでも、私は自らの影に佇むエネルギー眼と接続を試み続ける。繋がれ、動け。私は影。私はお前だ。前世よ、そこにいるのなら応えて下さい。目を覚まして下さい…… 「……ッ……!」  心が観世音菩薩のシルエットを想った瞬間、それは充血するように赤く滲んだ。するうち私の心臓がドクンと弾け、業火で煮えくり返ったような血が全身を巡る。私はその熱量と激痛に思わず座禅を崩してしまうが、次の瞬間には何事もなかったかのように体が楽になった。そしてそっと目を開けてみると、ニライカナイだったはずの世界は見覚えのある場所に変わっていた。 「石筵観音寺……!?」  玲蘭ちゃんが代わりに呟く。そう。ここは彼女も昔よく通っていた、私達の和尚様のお寺だ。けどよく見ると、記憶と色々違う箇所がある。 「玲蘭ちゃん、このお御堂、こんなに広かったっけ……?」 「そんなわけない。だってあの観音寺って、和尚が廃墟のガレージに張って作ったタルパ結界でしょ」 「そうだよ。それにあの外の山も、安達太良山じゃないよね? なんかかき氷みたいに細長いけど」 「あれ須弥山(しゅみせん)じゃん。仏教界の中心にある山。だぶか和尚はこの風景を基に石筵観音寺を作ったんじゃない? てーか、何よりさ……」 「うん。……いなくなってるよね、和尚様」  このお御堂には、重大な物が欠けている。御本尊である仏像だ。石筵観音寺では和尚様の宿る金剛観世音菩薩像がいらした須弥壇には、何も置かれていない。ここは、一体……。 「ねーえ! 一美ちゃんの和尚さんってチベットのお坊さんなんだよね? ここにいるよ!」 「「え?」」  振り返ると、佳奈さんがお御堂の奥にある扉を開けて中を指さしている。勿論観音寺にはなかった扉だ。私と玲蘭ちゃんが中を覗くと、部屋は赤い壁のシンプルな寝室だった。中心に火葬場の収骨で使うようなやたらと背の高いベッドが一つだけ設置されている。入室すると、そのベッドで誰かが眠っていた。枕元にはチベット密教徒特有の赤い袈裟が畳まれている。佳奈さんがいて顔がよく見えないけど、どうやら坊主頭……僧侶のようだ。不思議な事に、その僧侶の周りには殆ど影がない。 「もしもーし、和尚さん起きて下さい! 一美ちゃんが大ピンチなんですーっ!」  佳奈さんは大胆にも、僧侶をバシバシと叩き起こそうと試みる。ただ問題がある。彼は和尚様より明らかに背が低いんだ。 「ちょ、佳奈さんまずいですって! この人は和尚様じゃないです!」 「え、そうなの? ごめんごめん、てへっ!」 「てへっじゃないですよ………………!!?!?!??」  佳奈さんが退き僧侶の顔が見えた瞬間、私は全身から冷や汗を噴出した。この……この男は……!!! 「あれ? でも和尚さんじゃないなら、この人が一美ちゃんの前世なんじゃない? おーい、前世さムググム~??」  ヤバいヤバいヤバい!! 佳奈さんが再び僧侶をぶっ叩こうとするのを必死で制止した。 「一美?」  玲蘭ちゃんが訝しんだ。面識はない。初めて見る人だ。だけどこの男が起きたら絶対人類がなんかヤバくなると直感で理解してしまったんだ! ところが…… ༼ ……ン…… ༽  嘘でし���。 「あ、一美ちゃん! 前世さん起きたよ! わーやば、このお坊さん三つ目じゃん! きっとなんか凄い悟り開いてる人だよ!」  あぁ、終わった……。したたび綺麗な地名の闇シリーズ第六弾、千里が島宝探し編終了。お疲れ様でした。 「ねー前世さん聞いて! 一美ちゃんが大ピンチなの! あ、一美ちゃんっていうのはこの子、あなたの生まれ変わりでー」 ༼ えっ、え?? ガレ……? ジャルペン……?? ༽  僧侶はキョトンとしている。そりゃそうだ、寝起きに京友禅ロリータが何やらまくし立てていれば、誰だって困惑する。 「じゃる……ん? ひょっとして、この人日本語通じない!?」 「一美、通訳できる?」 「むむ、無理無理無理! 習ってたわけじゃないし、和尚様からちょこちょこ聞いてただけだもん!」 「嘘だぁ。一美ちゃんさっきいっぱいなんかモゴモゴ言ってたじゃん。ツンデレとかなんとか」 「あ、あれは真言です! てか最後なんて『おはようございます猊下(げいか)』って言っただけだし」  私だけ腰を抜かしている一方で、佳奈さんと玲蘭ちゃんは変わらずマイペースに会話している。僧侶もまだキョトン顔だ。 「他に知らないの? チベット語」 「えぇー……。あ、挨拶は『タシデレ』で、お休みなさいが『シムジャナンコ』、あと印象に残ってるのは『鏡』が『レモン』って言うとか……後は何だろう。ああ、『眠り』が『ムナル』です」 ༼ ! ༽  私が『ムナル』と発音した瞬間、寝ぼけ眼だった僧侶が急に血相を変えて布団から飛び出した。 ༼ ムナルを知っているのか!? ༽ 「ふわあぁ!?」  僧侶は怖気づいている私の両腕をがっしと掴み、心臓を握り潰すような響きで問う。まるで視神経が溢れ出したような紅茶色の長い睫毛、所々ほつれたように神経線維が露出した肌、そして今までの人生で見てきた誰よりも深い悲壮感を湛える眼差し……やっぱり、間違いない。この僧侶こそが…… 「え? な、なーんだ! お坊さん、日本語喋れるんじゃん……」 「佳奈さん、ちょっと静かにしてて下さい」 「え?」  残酷にも、この僧侶はムナルという言葉に強い反応を示した。これで私の杞憂が事実だったと証明されてしまったんだ。だけど、どんな過去があったのかはともかく、私はやっぱり和尚様を信じたい。そして、自分の魂が内包していたこの男の事も。私は一度深呼吸して、彼の問いに答えた。 「最低限の経緯だけ説明します。私は一美。ムナル様の弟子で、恐らくあなたの来世……いえ、多分、ムナル様によって創られたあなたの神影(ワヤン)です。金剛の大散減という怪物と戦っていたんですが、ムナル様が私の肋骨で作られた法具プルパを金剛愛輪珠如来に奪われました。それでそこの神人にマブイグミして貰って、今ここにいる次第です」 ༼ …… ༽  僧侶は瞬き一つせず私の話を聞く。同時に彼の脳内で凄まじい速度で情報が整理されていくのが、表情でなんとなくわかる。 ༼ 概ね理解した。ムナルは、そこか ༽  僧侶は何故か佳奈さんを見る。すると京友禅ロリータドレスのスカートポケットに、僧侶と同じ目の形をしたエネルギー眼がバツッと音を立てて生じた。 「きゃあ!」  一方僧侶の掌は拭き掃除をしたティッシュのようにグズグズに綻び、真っ二つに砕けたキョンジャクが乗っていた。 「あ、それ……神社で見つけたんだけど、後で返そうと思って。でも壊れてて……あれ?」  キョンジャクは佳奈さんが話している間に元の形に戻っていた。というより、僧侶がエネルギー眼で金属を溶かし再鋳造したようだ。綻んでいた掌もじわじわと回復していく。 「ど、どういう事? 一美。ムナルって確か、観音和尚の俗名か何かだったよね……そのペンダント、なんなの?」  僧侶の異様な力に気圧されながら、玲蘭ちゃんが問う。 「キョンジャク(羂索)、法具だよ。和尚様の遺骨をメモリアルダイヤにして、友達から貰ったお守りのペンダントに埋め込んでおいたんだ」 ༼ この遺骨ダイヤ、更に形を変えても構わんか? ༽ 「え? はい」  僧侶は私にキョンジャクを返却し、お御堂へ向かった。見ると、和尚様のダイヤが埋まっていた箇所は跡一つなくなっている。私達も続いてお御堂に戻ると、彼はティグクという斧型の法具を持ち、装飾部分に和尚様のダイヤを埋め込んでいた。……ところが次の瞬間、それを露台から須弥山目掛けて思い切り投げた! 「何やってるんですか!?」  ティグクはヒュンヒュンと回転しながら須弥山へ到達する。すると、ヴァダダダダガァン!!! 須弥山の山肌が爆ぜ、さっきの何百倍もの強烈なエネルギー眼が炸裂! 地面が激しく揺れて、僧侶以外それぞれ付近の物や壁に掴まる。 ༼ 拙僧が介入するとなれば、悪戯に事が大きくなる…… ༽  爆風と閃光が鎮まった後の須弥山はグズグズに綻び、血のように赤い断面で神経線維が揺らめいた。そしてエネルギー眼を直撃したはずのティグクは、フリスビーのように回転しながら帰還。僧侶が器用にキャッチすると、次の瞬間それはダイヤの埋め込まれた小さなホイッスルのような形状に変化していた。 ༼ だからあなたは、あくまでムナルから力を授かった事にしなさい。これを吹けばティグクが顕現する ༽ 「この笛は……『カンリン』ですか!?」 ༼ 本来のカンリンは大腿骨でできたもっと大きな物だけどな。元がダイヤにされてたから、復元はこれが限界だ ༽  カンリン、人骨笛。古来よりチベットでは、悪い人の骨にはその人の使っていない良心が残留していて、死んだ悪人の遺骨でできた笛を吹くと霊を鎮められるという言い伝えがあるんだ。 ༼ 悪人の骨は癒しの音色を奏で、悪魔の心臓は煩悩を菩提に変換する。それなら逆に……あの心優しかった男の遺骨は、どんな恐ろしい業火を吹くのだろうな? ༽  顔を上げ、再び僧侶と目が合う。やっぱり彼は、和尚様の事を話している時は少し表情が穏やかになっているように見える。 ༼ ま、ムナルの弟子なら使いこなせるだろ。ところで、『鏡』はレモンじゃなくて『メロン』な? ༽ 「あっ、そうでしたね」  未だどこか悲しげな表情のままだけど、多少フランクになった気がする。恐らく、彼を見た最初は心臓バクバクだった私もまた同様だろう。 「じゃあ、一美……そろそろ、お帰ししてもいい……?」  だぶか打って変わって、玲蘭ちゃんはすっかり及び腰だ。まあそれは仕方ない。僧侶もこの気まずい状況を理解して、あえて彼女と目を合わさないように気遣っている。 「うん。……リンポチェ(猊下)、ありがとうございました」 「一美ちゃんの前世のお坊さん、ありがとー!」 ༼ 報恩謝徳、礼には及ばぬ。こちらこそ、良き未来を見せて貰った ༽ 「え?」 ༼ かつて拙僧を救った愛弟子が巣立ち、弟子を得て帰ってきた。そして今度は、拙僧があなたに報いる運びとなった ༽  玲蘭ちゃんが帰還呪文を唱えるより前に、僧侶は自らこの寺院空間を畳み始めた。神経線維状のエネルギーが竜巻のように這い回りながら、景色を急速に無へ還していく。中心で残像に巻かれて消えていく僧侶は、最後、僅かに笑っていた。 ༼ 衆生と斯様にもエモい縁を結んだのは久しぶりだ。また会おう、ムナルそっくりに育った来世よ ༽
ལྔ་པ་
 竜巻が明けた時、私達はニライカナイをすっ飛ばして宴会場に戻っていた。佳奈さんは泥だらけのサマードレスに戻っているけどオーラを帯びていて、玲蘭ちゃんの口の怪我は何故か完治している。そして私の手には新品のように状態の良くなったキョンジャクと、僅かな視神経の残滓をほつれ糸のように纏う小さなカンリンがあった。 「あー、楽しかった! 金城さん、お人形さんと再会させてくれてありがとうございました! 一美ちゃんも、あのお坊さんめっちゃ良い人で良かったね! 最後エモいとか言ってたし、実はパリピなのかな!? ……あれ、金城さん?」  佳奈さんが振り返ると同時に、玲蘭ちゃんは焦燥しきった様子で私の首根っこを掴んだ。今日は色んな人に掴みかかられる日だ。 「なんなの、あの前世は」  その問いに答える代わりに、私は和尚様の遺骨(カンリン)を吹いてみた。パゥーーーー……決して癒しの音色とは言い難い、小動物の断末魔みたいな音が鳴った。すると私の心臓に焼けるような激痛が走り、全身に煮えたぎった血が迸る! それが足元の影に到達点すると、カセットコンロが点火するように私の全身は業火に包まれた。この一連のプロセスは、実に〇.五秒にも満たなかった。 「そんなっ……その姿……!!」  変身した私を、玲蘭ちゃんは核ミサイルでも見るような驚愕の目で仰いだ。そうか。彼女がワヤン不動の全身をちゃんと見るのは初めてだったっけ。 「一美ちゃん! また変身できるようになったね! あ、前世さんの影響でまつ毛伸びた? いいなー!」  玲蘭ちゃんは慌ててスマホで何かを検索し、悠長に笑っている佳奈さんにそれを見せた。 「ん、ドマル・イダム? ああ、これがさっき話してた邪尊さん……え?」  二人はスマホ画面と私を交互に三度見し、ドッと冷や汗を吹き出した。憤怒相に、背中に背負った業火。私は最初、この姿は不動明王様を模したものだと思っていた。けど私の『衆生の苦しみを業火に変え成仏を促す』力、変身中の痛みや恐怖に対する異常なまでの耐久性、一睨みで他者を黙らせる眼圧、そしてさっき牛久大師に指摘されるまで意識していなかった、伸びた腕。これらは明らかに、抜苦与楽の化身ドマル・イダムと合致している! 「……恐らく、あの前世こそがドマルだ。和尚様は幼い頃の私を金剛から助けるために、文字通り彼を私の守護尊にしたんだと思う。でもドマルは和尚様に『救われた』と言っていた。邪尊教に囚われる前の人間の姿で、私達が来るまで安らかに眠っていたのが何よりの証拠だ。観世音菩薩が時として憤怒の馬頭観音になるように、眠れる抜苦与楽の化身に代わり邪道を討つ憤怒の化身。それが私……」 「ワヤン不動だったってわけ……ウケる」  ウケる、と言いつつも、玲蘭ちゃんはまるで笑っていなかった。私は変身を解き、キョンジャクのネックレスチェーンにカンリンを通した。結局ドマルと和尚様がどういう関係だったのか、未だにはっきりしていない。それでも、この不可思議な縁がなければ今の私は存在しないんだ。この新たな法具カンリンで皆を、そして御戌神や千里が島の人々も守るんだ。  私は紅一美。金剛観世音菩薩に寵愛を賜りし紅の守護尊、ワヤン不動だ。瞳に映る縁無き影を、業火で焼いて救済する!
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rayme-synk · 3 years
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想起-新潟
新潟駅は現在高架化事業中ですが、暫定開業直後一瞬だけ見られた組み合わせがあります。
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国鉄の汎用型気動車キハ40系列と高架駅。
この組み合わせというと、単行や2両編成は旭川とか佐賀とかでも見られますが、4両連結となると新潟が唯一と言ってもいいのではないでしょうか。
高架駅になってから新潟駅構内の保安装置がATS-P更新され、ATS-Sとその上位互換であるPsしか搭載していない車両は半ば出禁状態になったため、車両不足を補うために対応している車両を両端に据えた4両編成が組まれ、主に磐越西線方面のラッシュ運用に充てられました。(馬下と新潟の間をひたすら往復していたと思います…。)
GV-E400系が先行投入された後もしばらくは走っていましたが、単行の車両が新津に搬入された段階で、代役が立ったということでついにお役御免となりました。
前回の記事中の東三条に移動する前に写真には納めていましたが、乗っておくべきだったかなぁ…。
前回の続きです。宿泊先最寄りの燕三条駅から新潟へ向かいます。
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上越新幹線開業時に設置された燕三条駅。一般的な『国鉄時代に建設された新幹線の途中駅』という感じでしょうか。
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さすがにサイン類はJR仕様に更新されていましたが、駅構内は誘導音が鳴り響くだけのちょっと寂しい感じ。
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在来線である弥彦線の改札口は開設当初は有人だったのですが、民営化後に無人化されました。
新幹線は有人で立派な自動改札だけど在来線は無人(もしくは時間限定で有人)で簡素な改札口のみというのは、地方に行くとよくあったりします。同じ駅舎内に改札があるというのも、実は当たり前ではないことが多く、場合によっては一度駅舎の外に出て乗り換えるなんてパターンも…。
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弥彦線の主力はE127系。都市向けのロングシート仕様でワンマン設備を持っていたこともあり、かつては新潟駅を中心に活躍していましたが、えちごトキめき鉄道にほとんどを譲渡したため、中越地域では希少な存在に。所属元の新潟車両センターへの出入りのために越後線を走る以外は基本的に弥彦線を行ったり来たりしています。
ちなみに数年前までは専用の塗装が塗られていた115系が専任されていました。
現在も115系が運用されていますが、基本的にはラッシュ輸送用で、朝夕がメインです。
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※地上駅時代の新潟駅にて 左が通称『弥彦色』の115系。2両でトイレ無しの異色編成でした。
目的の列車まで時間があるため一度燕へ。
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燕市燕地区の中心駅。かつては新潟交通の鉄道路線が伸びてましたが、廃止になり、駅舎跡地は交番(奥の丸い建物)になっています。
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吉田寄りの跨線橋より。右の道路が廃線跡です。地図で見てみると田圃の中まで細長い道が続いており、廃線跡っぽさが残っています。
折り返して東三条駅まで戻り、そこから乗車したのは…。
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数少なくなった115系の最後の花形運用ともいえる信越線快速。信越線内ではえちごトキめき鉄道へ乗り入れる快速絡みで運用が残っており、前日夕方に新潟からえちごトキめき鉄道経由で新井へ→折り返しで直江津に戻り直江津運転センターに入庫→翌朝の快速で長岡へ向かい一旦長岡車両センターに入庫→小休止ののち昼前の快速で新潟へ、というサイクルになっています。
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ちなみに現在新潟にいる115系はすべて長野からの転属組で、新潟地区生え抜きはすべて廃車になっています。
現在は、リバイバルカラーとして複数あった新潟色や弥彦色など、往年の姿を見せているとのこと。しなの鉄道の残存組共々先は短いでしょうから、早いうちに各色収めたいところです。
新潟駅下車後は散策。
まずバスで古町へ。
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新潟市民のソウルフード 新潟タレカツ丼の発祥の店。
とんかつながら濃くない味は新鮮でした。
列は長いながら回転もやや速かった記憶。
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新潟といえば「ドカベン」「あぶさん」で有名な漫画家・水島新司の出身地。
商店街ではこんな感じで、代表作の銅像が建てられています。
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白山神社。旧県社格で、総本山は加賀国一宮こと 白山比咩神社。
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メインは白山大権現ですが、いろいろと合祀した関係で、いろんな神様が祭られています。
ちなみに新潟市内にはほかにも複数白山神社があるとか。
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新潟市役所ではこんな幟も。なぜか釜石のパブリックビューイングで観戦しましたがいい試合でした。
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信濃川のほとりを歩き、白山駅へ。
ちなみに新潟と新発田を結ぶ白新線の「白」はこの白山からとったもので、現在の新潟市役所が旧県庁というからも分かるように、本来は白山周辺が中心でした。
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新潟に移動。2番線がめっちゃ狭い。はよ本格開業して。
新潟からは新幹線で東京へ。
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駅舎が大規模改装されている中、ちょっと昔の面影を残す新幹線ホーム。屋根の形が『雪国』って感じです。
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実は2021年3月の改正でしれっと消えたE4系16両の全線通し。座席数の暴力。
そろそろ消えるしということで、長岡~大宮ノンストップの速達型をチョイスしたのですが、これがいろいろな意味で乗り納めになるとは思わなんだ。
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Maxは今年10月で引退することが発表されています。
新幹線ラッシュ輸送の申し子と呼ばれたオール2階建て車両も、気が付けば四半世紀近く走っていました。
「平成」がまた一つ表舞台から去りますね。
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東京で隣の乗り場にいた新旧こまちの並び。すでにE3系は秋田新幹線には入れませんが、本線ではこうした並びも見られました。
こちらも昨秋に定期運用から外され、今はどうなっているのか…。
ちなみにこいつには東北に異動してからしばらくはお世話になりました。(
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AIさくらさんはいいぞ
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ラストは弁当買い込んでひかりに飛び乗り、帰路に着きました。
しれっとイレギュラー停車駅。
この後新潟はあと2回行くのですが、それはまた今度。
えちごトキめき鉄道で国鉄急行色が復活したとのことですので、それも早いとこ乗りに行きたいところです。
ちなみに上越から東海道に乗り継ぐ間の時間でアキバに行っていたのですが、何を見に行ったかというと…。
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\アズールレーン!!!!!/
レパルスちゃんはいいぞ ボルチモアちゃんもいいぞ 今度はアイマスとコラボするらしいぞ
…2周年イベをやっていたそうです。着いたころには撤収間際でしたが。
それでは
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kimo1051 · 3 years
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ちゃんぽん¥820円は炒められた香ばしい具材の風味にモチモチ麺が美味いです。🍜 #炒め #香ばしい #具材 #風味 #モチモチ #麺 #モチモチ麺 #美味い #キャベツ #もやし #蒲鉾 #豚 #肉 #豚肉 #名代井出ちゃんぽん中津店 #ちゃんぽん #井出ちゃんぽん #中津市 (名代井出ちゃんぽん中津店) https://www.instagram.com/p/Ca4YLZaLjna/?utm_medium=tumblr
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tak4hir0 · 3 years
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皆さんは国道1号線をなんと呼んでいるだろうか。私は生まれも育ちも神奈川県中央部の綾瀬市なのだが、昔から「イチコク」と呼んできた。 しかしながら、最近になってそれは極めてローカルな呼称であることを知った。国道1号線のことを「イチコク」と略すのは、神奈川県のいわゆる湘南地域だけなのだ。 生まれてこの方、ずっとイチコクと呼んできた 日本に数ある国道の中でもトップを飾る国道1号線(正式には線をつけず国道1号)は、かつて江戸と京都・大坂を結ぶ大動脈であった東海道を踏襲する道路である。 その道筋は日本橋から京浜地域を南下し、保土ヶ谷・戸塚を経て湘南・西湘地域を西へと進み、箱根峠を越えて静岡県へと続いていく。 江戸時代に整備されたかつての主要街道、東海道を踏襲する国道1号線 私が住む綾瀬市は片瀬江ノ島で有名な藤沢市の北側に隣接しており、湘南エリアからはギリギリ外れた位置にある。とはいえ藤沢市との行き来は多く、国道1号線に接する機会もそれなりにある土地柄だ。  そのような環境において、私はずっと国道1号線を「イチコク」と略してきた。いつからかは定かではないが、おそらく周囲の人々の影響を受けて自然とそう呼ぶようになったのだろう。 大磯町には旧東海道の杉並木が残っており、なかなかに風情がある ところがだ、近年になって某キャンプツーリング漫画を読んでいたところ、国道1号線を「国1」と略しているのを見て驚愕した。 おいおい、国道1号線は「イチコク」であって「コクイチ」ではないだろう。――と思いつつも気になったのでネットを検索してみると……なんということだろう、国道1号線を「イチコク」と呼ぶのは湘南とその周辺地域だけだったのだ。 生まれてこのかた40年間、なんの疑いもなく「イチコク」と呼び続けていた身にとって、これは天地を揺るがす衝撃的な大事件であった。 京浜地域では国道1号線をニコクと呼ぶ さらに調べを進めたことろ、同じ神奈川県であっても横浜市や川崎市の京浜地域では国道1号線の呼び方が異なることが判明した。 東京都の城南地域(品川区・大田区)から川崎市、横浜市鶴見区・神奈川区にかけての京浜地域では、国道1号線と国道15号線が並走して通っている。その沿線では海側の国道15号線を「第一京浜国道」、内陸の国道1号線を「第二京浜国道」と呼んでおり、それぞれ「イチコク」「ニコク」と略しているのだ。 京浜地域において、「イチコク」は「第一京浜国道」こと国道15号線を指す 国道1号線は「第二京浜国道」であり「ニコク」なのだ イチコク圏の身からすると実にややこしいものであるが、国道1号線の歴史を紐解いてみると、この区間においては「ニコク」と呼ぶ方が正しいように思えてくる。 というのも、最初に国道の番号が定められた明治18年(1885年)の当初は現在の国道15号線が1号国道であり(旧東海道を踏襲しているのもこのルートだ)、現在の国道1号線は昭和27年(1952年)の道路法による路線指定において新たに定められた区間なのだ。 京浜地域の国道1号線はこのような変遷があったのだ 故にこの区間においては、元祖国道1号線である国道15号線を「イチコク」、新道である現在の国道1号線を「ニコク」を呼ぶのは、道路ができた順番からしても自然であるといえる。 国道1号線の略称についてアンケートを取ってみた 神奈川県内でも地域によって国道1号線の略称が異なることが分かったが、その範囲はどのように分布しているのだろうか。また神奈川県以外では国道1号線をどのように呼んでいるのだろうか。 それらの疑問を解消すべく、より広くの方々からアンケートで意見を募ってみることにした。 設問は以下の通りである。 Q1:出身地域を教えてください (できれば市町村区名も) 神奈川県湘南地域 神奈川県横浜市・川崎市 神奈川県その他の地域 東京都23区内 東京都23区外 神奈川県・東京都以外の関東地方 東海地方 関西地方 その他 Q2:現住所の地域を教えてください(できれば市町村区名も)  Q1と同じ選択肢 Q3:国道1号線をなんと略しますか?(略すとしたらなんと略しますか?) イチコク コクイチ ニコク R1 その他(自由記述) Q4:国道1号線の略称として「イチコク」という言葉を使ったり聞いたことがありますか? 自分で使う 家族や友達が使う 聞いたことがある 聞いたことがない Q5:国道1号線の略称について、思うことがあれば自由にご記入ください このアンケートをはげましひろばとTwitterで募集したところ、約500件にも及ぶ回答を頂くことができた。ご協力いただいた皆様にはこの場を借りてお礼を申し上げたい。本当にありがとうございました。 改めて設問を見直してみると、アンケートとしてはやや不十分であったと反省している。まず年齢によって呼称が異なる可能性を考慮して年代を教えてもらうべきであった。地域についても東京都の城南地域は分けるべきだったし、川崎市・横浜市も京浜地域とそれ以外で分けるべきであったように思う。 またQ3の選択肢に「R1」とあるが、これは私の父親に国道1号線をなんと略すかと聞いたら即座に「アール・ワン」と答えたからだ。国道1号線→ルート1→R1ということで、「まぁそう呼ぶ人もいるんだろうな」と思い選択肢に入れたのだが、結果的にR1を選ぶ人はごくわずかであり選択肢に入れる意味はあまりなかった。 私の父親は妙に小洒落た呼び方を使いたがる(過去記事「津軽弁が分からない」より) 「イチコク」と呼ぶ範囲は意外と広い さて、アンケートの結果を見ていこう。 まず国道1号線を「イチコク」と略す地域についてであるが、これは神奈川県藤沢市・茅ヶ崎市・寒川町・平塚市・大磯町・二宮町・小田原市にかけての、湘南・西湘が中心であることは間違いなさそうだ。 湘南・西湘はほぼすべての人が「イチコク」と呼んでいるという結果であった 任意記述のご意見を見ても、この地域では昔から自然と「イチコク」と呼んでいたことが伺える。なぜ「イチコク」なのかは分からないが、周りの人々が皆そう言っていたので、自分も「イチコク」と呼ぶようになった、というものである。 都内ではいちこくは15号のことで驚いた。 湘南ではいちこくは国道1号のことだったから。 海側からいちこく にこくだと聞き あぜんとした。騙されてたのかと思った。 by さなまささん(神奈川県藤沢市出身・東京都墨田区在住)  身の回りでも国道1号線を「イチコク」としか呼んでいなかったのですが、よく考えると省略するのであれば「コクイチ」と呼んでいても良いはずで、なぜ「コク」と「イチ」を入れ替えているのか不思議です。(寿司をシースー呼びしたりするのと同じ理由だったらどうしよう) by でこさん(神奈川県藤沢市出身・在住) 茅ヶ崎育ちです。子供の頃は「国道」って呼んでいました。国道1号線が絶対エースだったからです。高校生になって東海道線と国道134号の間に住む友人ができたり、免許を取って他の国道がある地域に車で行くようになると「イチコク」呼びもするようになりました。 by すた・けいさん(神奈川県茅ヶ崎市出身・川崎市中原区在住) 国道1号線沿いの店舗を「イチコク沿いの店」と呼んでいた。 by ぶんちゃん��ん(神奈川県茅ヶ崎市出身・東京都在住) 家族、親類、友人・知人が皆「イチコク」と呼んでいたので、大人になってだいぶ経ってからメディアか何かで「コクイチ」を聞いて一瞬何を指しているのか理解できなかった by 牛蒡さん(神奈川県中郡大磯町出身・東京都在住) 「コクイチ」と言う方が周りに多く、しかし自分は「イチコク」育ち。今さら変える気は無いので強い気持ちで「イチコク」と言っております。 by むすすさん(神奈川県小田原市出身・在住) また私が住む綾瀬市や大和市など、湘南に隣接する内陸の地域でも「イチコク」と呼んでいる人は多い。 一方で、湘南に隣接する内陸部といっても相模川より西側の厚木市・伊勢原市・秦野市では「イチコク」はあまり使われていないようだ。この地域では国道246号線(ニーヨンロク)の方が圧倒的に存在感があり、国道1号線はさほど身近ではないためだろう。 丹沢山麓においては、国道といえばイチコクではなくニーヨンロクなのだ イチコク圏は湘南地域に留まらず、横浜市においても国道15号線が並走しない地域では「イチコク」が使われている。さらには三浦半島の横須賀市でも「イチコク」と呼ぶという証言が複数あり、その範囲は私が想像していた以上に広いようである。 イチコク、が一番しっくりくる by あとむさん(横浜市戸塚区出身・東京都江東区在住) ちょっとヤンチャ系の先輩はおしなべてイチコクでした。金沢区からイチコクは少し遠いので(そしてより都会にあるので)、よりヤンチャ度が増すとして格好つけて使われてたのかもしれません。 by さなさん(横浜市金沢区出身・東京都葛飾区在住) イチコク一択かと思っていたので他の呼び方があったことに驚きました by ののさん(神奈川県横須賀市出身・川崎市在住)  家族もイチコク呼称ですし、コクイチと呼ばれているなんて全く知りませんでした。地域カルチャーの違いで何かを言われることへの憧れがついに叶うのかも知れません。 by のじょむさん(神奈川県横須賀市出身・在住) ヤンチャな人が「イチコク」を好んで使っていたということは、「イチコク」という言葉はヤンキー文化が関係しており、その辺のクラスタによって国道1号線からかなり距離がある横須賀市まで伝播したとも考えられそうである。 横須賀でも「イチコク」という呼称が使われているとは思ってもみなかった 確かにわざわざ「コク」と「イチ」をひっくり返すところとかちょっとヤンキーっぽい気もするな……と思ったが、次の投稿を見てその考えは改められた。 生まれてこの方横浜に住んでいます。国道一号線の略称は「イチコク」しか聞いた事がありません。 両親(60代、共に神奈川県出身)にも聞いてみましたが、やはり「イチコク」だと言い、「なんでそんなこと聞くの」という顔をされました。 by コアラ町さん(神奈川県横浜市出身・在住) ここで注目すべきは60代の方も当然のように「イチコク」という呼称を使っているという点である。ヤンキー文化の隆盛より前から地元に根付いていた言葉である可能性がありそうだ。 戦前の文献などでは「国道〇号」を「〇号国道」と表記するものがある。戦後に現在の国道1号線が定められてからも「1号国道」という言葉が使い続けられ、それを略して「イチコク」と呼ぶようになったのではないだろうか。個人的な憶測であるが。 ちなみに牛丼チェーンの「すき家」では、国道1号線沿いにある店舗はすべて「1国〇〇店」という店名で統一されている。すき家は横浜市の生麦駅に存在した1号店がルーツらしいので、ひょっとしたらイチコク圏の影響を受けているのかもしれない。 国道1号線沿いのすき家は、すべての地域で「1国〇〇店」という店名だ おおむね予想通りな「ニコク」の範囲 続いて国道1号線を「ニコク」と呼ぶ地域であるが、これはおおむね予想通りの範囲に収まっていた。東京都の城南地区から横浜市の神奈川区にかけて、国道15号線沿いの京浜地域である。 家の近くは、第二京浜と呼ばれていて、ニコクが一般的でした。国道1号だと、知ったのは高校生くらいかも。 by まっちょさん(東京都品川区出身・練馬区在住) 国道1号線なのに「ニコク」って変だな?とはどこかのタイミングでよぎったのですが、深くは考えないままずっとニコクニコク言い続けてきました。家族はもちろん、学校の友達もニコクで通じていましたし、むしろそれ以外の略称を聞いたことがありません。 by ケヒヒさん(神奈川県川崎市鶴見区出身・静岡県浜松市在住)    川崎に住みはじめて最初イチコクと聞いたとき国道1号線のとこかと思ってたけど、よくよく聞いてみるとイチコクは国道15号線のことで国道1号線のことはニコクと言うのを知ったときはすごい紛らわしいと感じた けどすぐ慣れた by まじんさん(関東地方出身・神奈川県川崎市在住)  一時期、横浜市鶴見区に住んでいましたが、周りの人間はニコク(二国?)と呼んでいました。このアンケートを見て、住んでた人にラインで聞いてみましたが、みんな「二国って言う」と返信がきました。 by 照り焼き地銀さん(鹿児島県薩摩川内市出身・在住) ニコク圏は地元出身者のみならず、他地域から引っ越してきた人々も「ニコク」という呼称を使っている印象だ。しかし最近では「ニコク」と呼ぶ人は減少しているらしく、略さず「第2京浜」と呼ぶ人も少なくないようである。 区内の国道1号沿いに住んで40年余りです。 うちの親も、嫁の親もニコク沿いなので、みんな使います。 一昔前よりは、ニコクを使う人が減った気がします。他地域からの流入増のため? by H+A/Sさん(東京都大田区出身・品川区在住) 略ではないですが、周りの人はみな「第二京浜」と呼んでいます。 by 匿名さん(東京都品川区出身・在住) 引っ越してきて、ニコクと呼ばれているのに驚きましたが、ニコクよりは第2京浜と呼んでる人の方が多い気がします。 by しんいちさん(大阪府大阪市出身・東京都品川区在住) 「ニコク」のランドーマークである、昭和16年(1941年)に架けられた響橋 また第二京浜国道の略とはいえ、国道1号線を「ニコク」と呼ぶのはやはり少々特殊である。地域外の人には通じないことが多く、会話ではより分かりやすい呼び名を使用する人もいる。 ニコク、が正しい略称だと思いますが、その由来や成り立ちを知らない他人に伝えるときに伝わりにくいので、イチゴウ、イチゴウセン、などと呼んでいます。 高輪付近では桜田通と呼んだりもしますが、イチコクは15号のことなので、イチコクとは絶対に呼びません。 by きあれこさん(東京都港区出身・大田区在住) 関西出身者に「ニコク」が通じない。東京人でも国道1号(第二京浜)を日常的に使う人にしか通じない気がする。気がするだけで本当は通じるのかも知れないけど。不安なので「第二京浜」と言うようになってしまってとても悔しい。 by くさちびさん(東京都品川区出身・大田区在住) このように「ニコク」に関して寄せられたご意見には熱いものが多く、ニコク圏の方々のこだわりと葛藤が伺える。 イチコク圏の私としては国道1号線の略称は「イチコク」しかないと思っていたのだが、国道1号線の歴史を知った今では旧国道1号である15号線を「イチコク」と呼ぶのは適切だと思うし、現在の国道1号線を「ニコク」と呼ぶのもやぶさかではない次第である。 ただし、国道1号と15号の合流点である「青木通交差点」からその先は、「イチコク」であることは譲れない。 「ニコク」は国道15号線の終点にあたる「青木通交差点」までだ 東海地方は「コクイチ」が断トツ お次は箱根峠を越えて西へと進もう。東海地方では「コクイチ」と呼ぶ人が圧倒的多数であり、現在は他地域に住んでいる人も、東海地方出身者はもれなく「コクイチ」と呼んでいる。特に静岡県民のコクイチ率は、なんとなんとの100%であった。 静岡県ではすべての人が国道1号線を「コクイチ」と呼ぶのだ 今回のアンケートにおいて東海地方の方々が口をそろえて言っていたのが、「コクイチ」以外の略称があるなんて知らなかった、というものである。 コクイチ以外に略称があるなんて、考えもしなかったです… by にゃん太さん(静岡県沼津市出身・在住) コクイチ以外の略称をこのアンケートで初めて知りました by まなさん(静岡県富士市出身・在住) 「コクイチ」以外の選択肢があることに驚いた。 by わいさん(静岡県静岡市出身・海外在住) 国1の略称が「コクイチ」以外にあること自体、びっくりです。少なくとも私の周りでは他に聞いたことがありませんでした。 by けろけろさん(静岡県静岡市出身・浜松市在住) 「コクイチ」以外の呼び方(略し方)があるなんて考えたことすらありませんでした by しおんさん(静岡県袋井市出身・在住) 他の略称があるとは思わなかった by 麻生さくやさん(静岡県浜松市出身・在住) コクイチ以外きいたことなかった by 匿名さん(愛知県豊橋市出身・在住) コクイチ以外の略し方があること自体まったく知らなかったし考えたこともなかった。 by おやいずさん(愛知県岡崎市出身・在住) これはもう、東海地方ではコクイチ以外の呼び方なんてありえないというレベルである。 どうやら親の世代から「コクイチ」という呼称が付け継がれ、完全に地域に根付いているようだ。 親が「コクイチ」と行っていたのでそのまま覚えました by みまりさん(静岡県静岡市出身・在住) 静岡県民にとっては国道一号線と書いてコクイチ。 by adiasさん(静岡県藤枝市出身・神奈川県在住) コクイチは静岡ローカルな言い方だって聞いた事があります。 by ずっきーさん(静岡県静岡市葵区出身・東京都文京区在住) ちなみに私が「コクイチ」という呼称を知った漫画の作者も静岡県の出身であり、漫画の台詞として「コクイチ」を出したのもごく自然なことだったのだろう。 静岡県の国道1号線はやたら長い上に風景の変化が少なく、走っていて結構つらい 東海地方において「コクイチ」は強いこだわりをもって使われているようで、それ以外の呼称を使おうものならよそ者扱いされること請け合いだ。 仕事ですこし東海圏にいたが、つい国道1号をイチコクと言ってしまうと、また横浜出身者が!みたいな横浜出身者あるあるの一つみたいな責め方をされた(笑) by 県庁所在地と政令指定都市出身は出身を市名で名乗っていいと思う委員会さん(横浜市出身・在住) ちなみに東海地方以外の方からは、「コクイチ」は国家公務員採用一種試験を連想するという意見が多数寄せられた。 関西地方は「イチゴウセン」が多い(ただし京都市は通りの名) 最後は国道1号線の西端にあたる関西地方である。アンケートを見てみると、関西ではあまり略さずに「1号線(イチゴウセン)」あるいは「1号(イチゴウ)」と呼ぶ方が多いようだ。 また京都と大阪を結ぶ国道であることから、ご年配の方は「京阪国道」という呼称を使う人もいるという。 略す方が違和感あります。 by わかばっ!さん(大阪府枚方市出身・在住) そもそも略す人は周りにいないですね 京阪国道という人はお年寄りなどでいます by てっちりさん(大阪府守口市出身・静岡県浜松市在住) ただし京都市に限っては国道1号線という言葉自体ほとんど使われておらず、「五条通」など通りの名前で呼んでいるという。 学生時代京都に住んでいたので、イチコクもコクイチも全く通じず、五条通と言ってやっと通じる(京都市内の国道一号線もなかなか複雑…) みつるさん(神奈川県厚木市出身・在住) 京都市内の道にはほとんど名称が付いているため、国道と兼用されている場合でも国道とは呼称しないことがほとんどです。国道1号線も堀川通や五条通、九条通と兼用されており、「国道1号線」という呼称では位置が曖昧であるため使われないのかと思います。京都市内で国道1号線が何度か直角に曲がることも「国道1号線」という呼称を使いづらい(ひとつの道と認識しづらい)一因かもしれません。 ぴかーどさん(京都府京都市出身・大阪府吹田市在住) 京都市内の地図を見てみると、国道1号線は碁盤目状の通りをカクカクと折れ曲がっている。なるほど、確かにこれでは国道1号線というだけでは場所を特定しづらく、通りの名で呼ぶ方が簡潔だ。 こうも折れ曲がっていると、通りの名前で読んだ方が分かりやすい とまぁ、関西地方では国道1号線をあまり略すことはないようだが、大阪から北九州の門司を繋ぐ、かつての山陽道を踏襲する国道2号線は「ニコク」と呼ばれているという。 しかし国道2号線の別名である「第一阪神国道」から「イチコク」と略す人もおり、その場合は国道43号線が「第二阪神国道」であり「ニコク」なのだとか。 京浜地域の国道1号線と同様、阪神地域の国道2号線においても呼称の相違があり、こちらもまた一筋縄ではいかないようである。 阪神地域もまた、国道2号線の呼称問題を抱えているのだ 国道の呼び方あれこれ 今回は私の個人的な興味に基づき国道1号線の略称について調べてみたが、寄せられた回答を見ていると、それ以外の国道も各地によってさまざまな呼び方があるようだ。 基本的に1桁や2桁の国道は「〇号線」読みが多いようだが、3桁になると数字で呼ぶようになる。私の周辺でも国道246号線を「ニーヨンロク」、国道467号線を「ヨンロクナナ」というし、他にも国道36号線は「サブロク」、国道156号線は「イチコロ線」などと呼ばれているようだ。 興味深いところでは国道23号線を「メイシ」や「メイヨン」(名四国道)、国道258号線を「リャンウーパー」(麻雀用語から?)、国道122号線を「ワンツーツー」(なぜ英語?)など、各地に独自の呼称があるようである。そのような各地の国道呼称を調べてみるのも面白そうですな。 余談だが、国道15号線沿いにあるJR鶴見線の、その名も「国道駅」 この駅が実にシブく、素晴らしいたたずまいを見せていた
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文科省汚職:私立大学研究ブランディング事業と裏口入学、JAXA
谷口浩司の妻です。 乳癌を患って治療中なので皆様に直接対応が出来ないことを最初にお詫び申し上げます。 病気を患うまでは仕事をしていましたが、今は自宅から出たり出られなかったり体調次第の生活です。癌の療養のため主人は職場に近くに部屋を借り、二人の時間を多く取ることを優先してくれていました。 出来る仕事は自宅でするようにしていたため、仕事のミーティングもマンションにあるラウンジで行っており、私も仕事関係のことを直接見聞きする機会が多くありました。 そのため今回の逮捕・起訴には大変驚いています。 事件の真相が知りたい、というのが私の率直な気持ちです。 そのための第一歩として自分から声をあげるためにホームページを開設しました。 お問い合わせ先:[email protected]
今日は8月15日なので不謹慎に思える写真は削除させて頂きました。 更新予告 原子誠一氏について
疑問の前提
東京医科大学臼井理事長の前に二人の人物がいます。 一人は、医師で衆議院議員。 一人は、悪徳ブローカー。 佐野太官房長には大学のために便宜を図ってもらいたい。 JAXAの川端和明氏には大学の記念講演に宇宙飛行士 を派遣してもらいたい。 あなたが臼井理事長ならどちらの人物に頼みますか? 私は事件は初めから無かったと信じています。
1.吉田統彦先生 立憲民主党衆議院議員:20180723
報道では、谷口浩司が佐野太局長と臼井理事長を事件のために紹介したとなっていますが、実際の紹介者は立憲民主党の吉田統彦代議士です。日時場所は 2014年6月24日、代官山小川軒 吉田統彦先生主催による佐野太審議官就任祝いで12人くらいの会食です。この席で佐野太氏と臼井正彦氏が初めて名刺交換しています。就任祝いの同席者には病院事業評価研究会にも名前がある千葉大学医学部附属病院長の山本修一先生がいました。 2014年8月23日、すっぽん料理田吾作 (駒場東大前) 吉田統彦先生により東京医科大学の臼井正彦理事長に谷口浩司が紹介されました。このお店は臼井先生が頻繁に通い懇意にしているお店です。 2014年10月3日、銀座寿司久寿美 吉田統彦先生の仲介により東京医科大学の臼井正彦理事長が川端和明JAXA参与に宇宙飛行士の斡旋をお願いする。谷口浩司同席。その後、皆で銀座クラブ活動へ。 以降、吉田先生による食事会が定期的にあるのに、2017年5月10日に三人だけで会って受託収賄事件を起こすというのは非常に不自然です。 2017年10月20日の衆議院選挙以降は、吉田先生主催の食事会は頻繁にあり、私立大学研究ブランディング事業採択時期とも重っています。A氏は「この事件に吉田先生の関与が無いのであれば、事件そのものが存在し��い」と主張したそうですが特捜には無視されました。 その後、谷口浩司、佐野太、臼井正彦の三人の関係による事件として起訴されました。 また、谷口は羽田雄一郎先生の秘書として活動してきたにも関わらず、「悪徳ブローカー」としか報道されていません。 政治家案件だと特捜やマスコミは隠すのですか?
費用申請の仕方 (削除) 谷口浩司が事前に予算申請してから中井洽先生、羽田雄一郎先生、吉田統彦先生等の議員と飲食等の接待を行っていた記録です。 吉田統彦先生が常時連れていた官僚が川端和明氏。 産経新聞(文科汚職)飲食費負担会社、「同じ人ばかり」指摘 過剰接待認識、裏付け(8月14日) 羽田先生と吉田先生のことですか?
1- 2.吉田統彦先生 接待主催者:20180801
2015年11月5日、吉田統彦先生と戸谷一夫氏のメールです。この時は7人が会食し、内6名が銀座クラブ活動隊です。メールCCには、谷口浩司、日高正人、川端和明のメアドが入っています。下をクリックするとメールのPDFがを見ることが出来ます。特捜は7月4日にこのメールを押収しています。
先生と次官のメール
NHKは「戸谷一夫事務次官が、贈賄側が設けた飲食接待の場に同席していたことが、関係者への取材でわかりました」と頑なに報道をしていますが、メールを読めば吉田統彦先生が設けた飲食接待の場というのは一目瞭然です。
1-3.吉田統彦先生と臼井先生 
吉田統彦先生は、東京医科大学の臼井正彦前理事長から政治献金をたくさん貰っています。団体からも個人からもです。しっかり調べて下さい。 谷口は臼井さんからお金を貰ったことはありません。 (写真は @cyokuriさんのTwitterより)
2.羽田雄一郎先生 国民民主党参議院議員:20180724
2018年6月下旬、羽田雄一郎先生、佐野太氏、谷口浩司、A氏の四人が赤坂の焼肉屋で会食し、2017年10月から続いていた特捜の捜査について佐野さんから説明を受けました。谷口への捜査は2017年10月26日から始まっています。担当は特捜の田淵検事で、最初から「佐野太」について聞きたいと言われていましたが事件については語らなかったそうです。 事情聴取後、谷口から羽田先生に報告を上げ、佐野さんにも事情説明を求めています。 2018年5月中頃、佐野さんから「松野博一前文科大臣に呼ばれ特捜の捜査が終わったと告げられました。」という報告が急にありました。 羽田先生は、「松野さんが事情を知っているなら直接話しを聞きたいので、会えるようセッティングをして下さい」と佐野さんが同席した上で説明を受けられるように求めました。 このようなやり取りが谷口の逮捕前にあったので、羽田先生は谷口が文科省汚職に関係していないことはよく知っています。
谷口浩司の名刺(20180813追加) e-mailが参議院から支給される議員本人又は秘書が使用する物なので、官僚は本物の羽田雄一郎秘書と認識します。永田町や霞が関にはブローカーが暗躍するので見分けるためのモノサシです。
2-1.羽田雄一郎事務所の台所事情(3億円の借金):20180809
Subject: 谷口浩司の妻です From: 〇〇〇@yahoo.co.jp To: [email protected] Date: 2018/7/30, Mon 22:50 須田慎一郎様 須田先生の報道は興味深く見させていただいています。 情報について様々な分析をしているので、私も非常に参考になっているところです。 「裏口入学問題で羽田雄一郎の名前が国会閉会まで出なかったのは変。谷口容疑者は羽田の政策顧問。谷口氏のような人が出入りするので先代からの秘書も辞めた。また谷口氏は特別通行証がないと入れない国会で目撃され、貸したのは羽田事務所」 さて、羽田事務所の秘書が辞めた件について、正しい情報を送りたいと思い連絡しました。 佐藤清人さんの退職について 使途不明の借金を繰り返 し、返せなくなり行方不明になりました。 半年後くらいに自宅に隠れているところを発見されています。 借金額は、民主党顧問弁護士を入れて調査したところ約3億円あり、全て羽田雄一郎が肩代わりしています。 この問題を最初に厳しく追及したのが谷口で、顧問弁護士との折衝も谷口がやりました。 証拠となる佐藤の借用書(名刺に自著)を添付します。 中段の名刺に名前のある則竹功雄氏が、最後の方での一番の被害者です。 名古屋食糧という会社の社長で、谷口に佐藤の借金についても繰り返し相談していました。 証言を取りたい場合は、則竹功雄氏が一番よいでしょう。 谷口名義でも500万円貸しており、借用書を私が所持しています。 最後に 誤解なきよう書いておきます。 谷口は羽田先生の側近中の側近であり、民主党分裂後の神津連合会長との会席には必ず谷口が同行しています。 相互の連絡窓口は、谷口の携帯番号と神津会長秘書携帯番号でした。 この携帯は押収されずに保持していますので、連絡記録はいつでも立証できます。 谷口〇〇
Subject: RE: 谷口浩司の妻です From: Etsuko Suda ([email protected]) To: 〇〇〇@yahoo.co.jp; Date: 2018/8/2, Thu 10:37 谷口〇〇 様 須田慎一郎です。 このたびは、非常に丁寧なメールを頂戴いたしまして、 誠にありがとうございます。 メールでのご指摘、ご説明につきましては、私も全く 知らなかったことなので、とても参考になりました。 しかし、そうなってくると謎なのは、なぜ特捜部は谷口氏 を〝政界ブローカー″に仕立て上げようとしているのか、 その狙いは何なのか、です。今後は、そのあたりのことに ついても、取材を進めていこうと思っています。 さて、そこでお願いなのですが、今後何らかの形で情報提供、 あるいは取材対応をしていただくと私としましても、非常に ありがたいです。(直接お会いする形でも、メールを通じて でも) 一度、ご検討いただけないでしょうか。 末尾になりましたが、奥様もいろいろと大変な状況に置かれ ていることと思いますが、くれぐれも御身を大切にして下さい ませ。 心より、病気快癒を祈っております。 須田慎一郎 〒110-0016 東京都台東区台東1-2-1-3705 須田慎一郎事務所 TEL 03(6662)8940 FAX 03(6662)8941
2-2.羽田雄一郎先生の出口戦略:20180811
羽田雄一郎先生が個人的に肩代わりした3億円の借金を返すために谷口浩司に下された命令が、一般社団法人スポーツコンプライアンス教育振興機構の設立と、一般社団法人病院事業評価機構(仮称)の設立です。 そのため文科省の官僚も厚労省の官僚も非常に協力的にフォローをしてくれたとのことです。 もし、谷口が多くの官僚との会食や交渉等で逮捕されるのであれば、これら一般社団法人との関連性や政治家の関与、役割も含めて捜査する必要があるでしょう。 これだけ次官クラス、局長クラスが登場して「政治家が何も知らない」ということがあるのでしょうか? スポーツコンプライアンス教育振興機構や病院事業評価機構等の一般社団法人を作り、どのように3億円を返していくつもりであったのかは私では知ることが出来ません。 谷口にもそのロードマップや出口戦略は分からないでしょう。 羽田雄一郎先生には多くのスポンサー企業がいるため、集金システムさえ作れば良かったのかもしれませんが、佐藤清人秘書が借金したという3億円がどこに消えてしまったのかも分からないので、深い事情は分からないのです。 少なくとも私立大学研究ブランディング事業への便宜供与や宇宙飛行士の斡旋程度では、文科省の事務次官や厚労省の事務次官が谷口と会う理由は無いと思います。 佐野太さんや川端和明さんでは「トカゲのしっぽ」にもならないのでは?と思ってしまいます。
羽田雄一郎理事、馳浩理事(元文科大臣)、川端和明文科省国際統括、髙橋道和スポーツ庁次長が出席した一般社団法人スポーツコンプライアンス教育振興機構の設立パーティーです。 打ち合わせの会食には文科省戸谷次官が出席してます。 病院事業評価研究会は、主催羽田雄一郎(元国交大臣)、田村憲久(元厚労大臣)、オブザーバー参加厚労省武田俊彦医政局長、文科省義本博司高等教育局長。 打ち合わせの会食には厚労省蒲原次官が出席しています。
4. 5月10日の録音データ:20180726
5月10日録音データは、谷口浩司が記録や議事録のために仕事中はずっと録音していたものです。 谷口は拘留期間中に録音を何度も聞かされ、間違いなく自分が録音したものであることを確認していたと弁護士から聞きました。 この録音データは検察に任意提出されたと弁護士から聞きましたが、提出者は谷口の実兄又は実兄が勤めるアイシン共聴開発株式会社だと私は考えています。 また、この録音データを谷口元に渡したのは私です。 谷口浩司の録音データは私が毎回チェックをして、チェックの終わったデータから谷口元に渡していました。私の体調が悪化した時には谷口が直接実兄に渡していたこともあります。 そのため、全てのデータ管理は谷口元がしています。 谷口は、「なぜこの録音で逮捕されるのか分からない」と弁護士に伝えていました。 録音データが何者かによってアップされたとニュースでやっていましたが、この録音データを持っているのは、私が知っている限り実兄の谷口元(はじめ)、アイシン共聴開発株式会社、東京特捜の3者だけです。 真実を知る人 谷口元(はじめ)連絡先 埼玉県さいたま市西区三橋6-123-12 048-620-5966 090-5429-7477 TBSへ���質問(20180804) 「どうして音声があるんだろ?しかもTBSに流れるってなんで?」 文科省汚職密談音声を入手 TBS| 2018/7/26(木) についてのブロガーの疑問です。 7月26日未明に録音データが何者かにアップされ、同日昼前のTBS番組S「ひるおび!」ではもう音声が流されていました。音声を流したTBSは、どうやってこの音声が本物だと短時間で確認出来たのですか? 音声データが本物であると短時間で確認出来た理由を教えて下さい。
5.アイシン共聴開発株式会社 日高正人社長:20180726
NHK報道で、「前局長は、谷口元役員と家族ぐるみのつきあいがあり、飲食の接待のほか、ゴルフバッグの提供を受けたこともあったということです。」とありましたが、飲食費の接待等がもし本当にあったとしたら、支払いは全てアイシン共聴開発株式会社によるものです。 私たちのマンションもアイシン共聴で契約しました。社長の日高正人氏も同じマンションに住んでいました。 アイシン共聴での役割分担は、顧問の谷口浩司が新規事業開発を担当、実務担当として実兄の谷口元が専務取締役に就任しました。 ゴルフバックは、日高正人社長が佐野太氏に誕生日プレゼントとして贈ったものです。 日高正人社長と安河内朗氏・アイシン共聴顧問は、ともに一般社団法人スポーツコンプライアンス教育振興機構の社員を兼ねてます。この団体は、NHKが不正疑惑の舞台として取材している団体ですが、馳浩元文科大臣のブログ(2016年6月27日)にあるように、羽田事務所の谷口として大臣室に行っており、全て適正な手続きにより設立した団体です。
川端和明さんが逮捕された事件でも、やはり全ての飲食接待の費用はアイシン共聴で支払われており、多くの場合、日高正人社長が同行をしていたからです。日高正人社長と川端さんだけで出かけることも多くありました。 アイシン共聴開発株式会社HP ※アイシン共聴開発株式会社はNHKアイテックから資本と役員が入っているNHK関連企業。
6.原子誠一と渡辺克也 総務省総務審議官:20180727
アイシン共聴の顧問には、原子誠一氏という方がいます。原子誠一氏は渡辺博道衆議院議員の秘書もしています。原子さんの顧問料は月額50万円で、原子さんの連れてきた有園さんという女性の方も50万円もらっているので、原子さんには合計月額100万円が渡されています。 原子誠一氏は、2011年6月にソフトウエア興行の脱税事件で特捜に逮捕されたことがあり、それ以来、特捜への情報提供者として太いラインがあると自慢をしていました。 原子誠一氏は、総務省総務審議官の渡辺克也氏と懇意にしています。そのため谷口も渡辺克也審議官とご一緒する機会が多々あり、その記録はこの章末尾に付けてあります。渡辺さんに頼まれて、2017年4月12日御酒塾にて羽田先生との会食をセッティングしています。 原子誠一さんは渡辺審議官にDOCOMOを紹介してもらい、DOCOMOからの紹介で株式会社ミライト、株式会社協和エクシオ、日本コムシス株式会社に営業に行っていました。この内数社とアイシン共聴開発株式会社は契約しています。(特捜に情報提供済)
2017年3月10日 新橋 酒処里味 渡辺克也 + 谷口浩司 = 逮捕されない
新橋 酒処里味 川端和明 + 谷口浩司 = 逮捕
新橋 酒処里味 義本博司高等教育局長
谷口浩司と渡辺克也・総務省総務審議官の会食記録(2017年) 2月17日 18:30~23:30 四谷 御酒塾 3月10日 18:30~23:30 新橋 酒処 里味 4月12日 19:00~23:00 四谷 御酒塾(羽田雄一郎参加) 5月22日 18:30~23:30 四谷 御酒塾 7月18日 19:00~23:00 新橋 酒処 里味 8月10日 18:30~23:30 四谷 御酒塾 10月23日 19:00~23:00 四谷 御酒塾 谷口浩司と渡辺克也・総務省総務審議官の面談記録(2017年) 1月19日 11:00 総務省電波部長室 2月14日 14:00 総務省電波部長室 3月 2日 15:00 総務省電波部長室 5月25日 11:00 総務省電波部長室 7月 7日 15:00 総務省総合通信基盤局長室 8月 1日 11:00 総務省総合通信基盤局長室 10月 4日 11:00 総務省総合通信基盤局長室 10月18日 10:30 総務省総合通信基盤局長室
7.一番、家族ぐるみで付き合った官僚:20180728
2016年~2017年に一番仲良く付き合っていた官僚は経済産業省の伊藤政道氏と「伊藤きわ」さん夫妻です。 家族での会食回数は2年間で100回を越えており、金額も140万円を越えています。毎週のようにマンションのラウンジで食事をしたので証拠はヒルズに残っています。赤ちゃん出産時に20万円くらいのベビーカー等もプレゼントしています。写真はバースデーをラウンジで祝った時のものです。 伊藤政道夫人「伊藤きわ」さんへのエステ接待(20180811更新) 2017年1月16日0時41分出産、2月から体形を戻すためにエステ接待を求められる。 場所:ヒルズスパ 料金:一回2万円強(消費税別) 2017年3月1日 12:00より 2017年3月11日 13:00より 2017年3月18日 16:00より 2017年3月25日 18:00より 2017年4月8日 16:30より 2017年4月23日 16:30より 2017年5月7日 16:45より 2017年5月20日 16:30より 2017年5月28日 16:45より 2017年6月3日 16:30より 2017年6月11日 16:30より 2017年7月9日 11:30より 2017年8月18日 11:00より 2017年9月16日 11:30より 記録に残っているのはこれだけです。正確な数字はヒルズスパに「きわ」さんのカルテがありますので特捜で調べて、伊藤政道氏に何らかの利益供与を求めていないか調べて下さい。 マッサージの日には夫婦で食事していたので飲食費も正確に調べられます。 費用を出していたのはヒルズに住んでいた日高正人社長です。日高正人社長の妻も一緒のエステによく行っていました。
伊藤政道氏の妻「伊藤きわ」さんが原子誠一さんの紹介者です。 伊藤きわ(旧姓熊谷)さんは、野田佳彦元総理の秘書をしていました。野田佳彦氏に大樹総研の矢島義也会長を紹介したのも、きわ女史だと本人から聞きました。20年くらい前に矢島さんと付き合っていた時があったと言ってましたが真偽の程は分かりません。 原子誠一さんとソフトウエア興行のことも良く知っており、原子さんは特捜による逮捕・拘留中に完全に証言を拒んだので、野田佳彦は原子さんのおかげで総理になることが出来たと、原子さんのことをとても自慢していました。 真実を知る人 原子誠一衆議院議員秘書連絡先 東京都国分寺市新町二丁目17番12 090-2460-0012 原子誠一さんが特捜へ最初に録音データを提供した人だと谷口は考えています。多分、2017年9月か10月のことだと予想しています。原子さんが不正入手したデータなので特捜は公表出来ません。 谷口によると原子誠一氏に一方的に敵対されいたようです。 敵対していた理由は原子誠一がスポーツコンプライアンス教育振興機構を乗っ取るためです。 谷口はスポーツコンプライアンス教育振興機構から解任されていますが、解任時の総会では原子誠一、日高正人、安河内朗が解任決議に賛成しています。(議決議事録を後日アップします)
8.読売新聞:20180729
読売の社説(7月27日)には「佐野被告も、谷口被告から接待を受けていた。特捜部には、癒着の全容解明を求めたい。文科省も、科学技術行政などに影響がなかったか、調査を尽くすべきだ」とありました。
読売新聞は写真を見て「佐野被告も、読売新聞から接待を受けていた。特捜部には、癒着の全容解明を求めたい。読売新聞も、取材や報道に影響がなかったか、調査を尽くすべきだ」と自社のことを書けるのでしょうか。
谷口撮影(2017年11月9日) 翌日の読売新聞の答えは、薩川碧さんを自社サイトから消すことでした。
2017年11月9日。私立大学研究ブランディング事業採択日2日後です。カウンター中央に録音機が置いてあるので不正を疑った取材活動かもしれません。
9.日高正人社長の重要性:20180730
川端さんが逮捕された26日夜「5.お金を出したのはアイシン共聴開発株式会社」を公開しました。 28日くらいから「電気通信工事会社が関与」等の報道が急に出始めました。 27日までは「コンサルタント会社に便宜を図るなどした見返りに」谷口浩司容疑者が接待をしていた、というのが定型句で、それ以外の存在は全く書かれていません。 <文科省汚職>受注希望業者も同席 前統括官に便宜依頼か 7月29日(日) 2時0分-社会(毎日新聞) 「関係者によると、この業者は西東京市に本社があり、無線設備や火災報知機の取り付けなどの業務を扱っている。同社には以前、谷口元役員の兄が在籍しており、元役員とも密接な関係があったという。特捜部は、この業者からも任意で事情聴取している模様だ。」 特捜部は、この業者からも任意で事情聴取している模様だ、と報道されたのが特に不自然です。 「アイシン共聴開発株式会社」の任意事情聴取が今頃はじまる理由が分かりません。 当ホームページで公表したから特捜に社名が知られたわけではないからです。 これまでは隠す必要があった、と思っています。 そうでなければ、谷口と佐野さんが逮捕された7月4日に、日高正人社長への家宅捜索と事情聴取が始まっていたはずです。 次章は、私がそう思う理由です。 真実を知る人 日高正人連絡先 090-7248-3113
10.日高社長はいつも主役級:20180730
佐野さんのゴルフにも、川端さんの会食にも、議員のクラブ活動にもお金持ちの日高社長が同行します。 日高社長は大物政治家との飲みに行っても酔うと中央席に陣取るため、席次にうるさい人の前には出せない、と谷口が困っていました。 特捜は同様の写真を多数押収しています。
酔うとオラオラになる日高正人社長(2015年7月)
少し酔っているだけなら控えめです
2017年5月28日 谷口浩司、佐野太氏、安河内朗氏、日高正人氏
これらのゴルフは接待でなく、休日のスポーツ活動��あると特捜にも理解されています。佐野さんのプレ���代はもちろん自己負担です。そうでなければ、ここに写っている日高社長と安河内朗顧問はとっくに逮捕されています。 しかし、谷口、佐野、臼井会食があった5月10日以降、毎月4人でゴルフに行っていたことも事実です。 谷口関係者の多くが家宅捜索や事情聴取を受けていますが、日高正人社長や安河内朗氏にはありませんでした。 しかし、このHPで7月26日に名前を暴露した後は、任意聴取が始まっています。 なぜ特捜は日高社長を隠していたのですか?
11.東証一部 PCIホールディングス
:20180731
アイシン共聴開発株式会社赤坂事務所は、〒107-0052東京都港区赤坂1-11-28 ユニゾ赤坂一丁目ビル10階(現 M-City赤坂1丁目ビル)に2018年2月までありました。 同居していたのがスポーツコンプライアンス教育振興機構とPCIソリューションズ総合研究所(代表取締役 中野康彦・ソフトウエア興行出身)です。 スポーツコンプライアンス教育振興機構のHPには、天野豊美PCIホールディングス社長が理事であることが公表されています。PCI全社を挙げての協力体制です。 原子誠一と渡辺克也総務省総務審議官が飲みに行く時にはPCIの中野康彦氏かアイシン共聴の日高正人社長が同行し、会食と銀座クラブ活動の費用を負担しています。 谷口浩司、川端和明さんが渡辺克也さんと一緒に行く機会も多かったそうです。 PCIはアイシン共聴開発株式会社にもお金を出していた関係の深い企業です。
御神塾は渡辺克也審議官が会員となっているメンバー制のお店です。 253,540円の領収書は途切れてますが金額的には銀座クラブ活動の領収書だと思います。
宝塚OGたちが日替わりで出演する「L'Age d'Or de la Chanson~シャンソンの黄金時代~」の領収書です。これは羽田雄一郎先生の趣味である宝塚鑑賞活動に協力してもらった分の領収書です。
これまで報道にPCIホールディングス等の名前は出てきません。
13.産経ニュースの接触官僚リストを公開:20180806
2013年10月7日厚労省大臣室にて 左から故中井洽先生、谷口浩司、田村憲久厚労大臣
中井先生への報告 病院リート、官僚説明・外国人投資家への宣伝 田村大臣と三井秀範審議官は、中井先生の親戚ということもあり、大���熱心にご指導して頂きました。 大臣から紹介された梶尾指導課長とは勉強会を始めました。局長クラスには大臣マターということで順次説明中です。原医政局長だけ明確な反対派です。 国交省の小林靖課長がリートの責任者で、ヘルスケアリートだけでなく病院リートの検討会を別途立てる必要があることを説明しています。 金融庁には病院リートの特殊性について説明し理解してもらいました。 DBJ藤井副社長は病院リート積極派です。栗原美津枝さんがこの分野のエースなので「いつでも活用して下さい」とのことでした。 外務省の越川官房長の手配で、6月ニューヨーク公使、9月ロンドン大使のアポ打診中です。担当は北米局の中島課長補佐です。シンガポールや香港についても調べてもらっています。 文科省は国立については難しいが私立大学病院リート化については賛成出来るそうです。 以上 面接にて説明した官僚リスト一覧を添付します。 谷口浩司
官僚リスト
14.厚労省・文科省は説明を! 病院事業評価研究会
: 20180807
中井洽先生により始められた病院リート研究会は、病院リート化の前段階となる病院運営のためのガバナンス研究会「病院事業評価研究会」として2018年6月27日参議院議員会館にて開催されました。 下記は6月26日、厚生労働記者クラブにて告知されたものです。 当日、田村憲久衆議院議員、羽田雄一郎参議院議員、椎葉茂樹厚労省審議官、義本博司文科省高等教育局長の出席を得て勉強会は開催されました。研究会配布資料はマスコミにも配布しています。 谷口浩司は研究会事務局として配布資料の説明を研究会で行っています。(当日の録音��)
厚生労働記者クラブ告知資料          プレスリリース用資料 病院事業評価研究会について 研究会開催の趣旨等 研究会名称:病院事業評価研究会 研究会趣旨:「病院運営のためのガバナンス」の具体化に向けた検討を行う。 (検討内容) 1.病院運営全体の意思決定の在り方を含む病院運営のためのガバナンス体制の定義 2.「医療安全管理体制のガバナンス」と「病院運営のガバナンス」の区別と連携 (開催日時) 平成30年6月27日(水)17:30~18:30 参議院議員会館B101会議室 (事務局・問合せ先) 病院事業評価研究会事務局(羽田雄一郎参議院議員会館事務所内) 担当:谷口浩司 FAX:03-3507-0066 携帯:090-9957-1310 主 催 田村憲久  衆議院議員 羽田雄一郎 参議院議員 オブザーバー参加者 武田俊彦 厚生労働省医政局長 義本博司 文部科学省高等教育局長
配布資料
(PDFの配布は終了しました)
6月27日の研究会には、厚労省からは 椎葉茂樹 審議官(医政、精神保健医療、災害対策担当):武田局長代理出席 樋口浩久 医政局医療経営支援課長 染谷 輝 医政局医療経営支援課医療法人指導官 が出席しています。 この研究会の準備ために、事前に病院ヒアリングが行われています。 谷口浩司、染谷輝医療法人指導官の二人で国立国際医療研究センターを訪れヒアリングしています。 厚生労働省医政局医療経営支援課医療法人指導官 染谷輝 TEL:03-5253-1111(内線2640)03-3595-2261(直通) FAX:03-3580-9644 e-mail:[email protected] 飲食接待 この研究会のための事前相談となる会食が、谷口と官僚とで2017年10月10日に行われています。 会食場:花ぶさ 東京都千代田区外神田6-15-5 出席者:蒲原基道厚労省次官、義本博司文科省高等教育局長、川端和明文科省国際統括官 悪徳ブローカーと言われてる谷口浩司へのこのような厚遇の理由を、厚労省と文科省は不正があったのか無かったのかを含めて説明して下さい。 蒲原基道・前厚労事務次官は「会費制で5千円か1万円か支払った」、「病院運営の話はなかったと記憶している」と述べたと報道されています。 谷口の記録を見ると、2017年10月10日花ぶさのお会計は104,603円でした。 蒲原次官の払った会費の領収書はあるのでしょうか? 蒲原次官は、厚労記者クラブでプレスリリースして「病院運営の話」のためにに病院事業評価研究会を盛り立ててくれました。 産経新聞だと便宜を期待しただけ(ニュースにリンク)で逮捕ですね。 病院事業評価研究会は厚労省によって便宜が図られた案件ですが、便宜を図ったのは誰ですか?
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 通りの人が少し減った。屋台の店灯りが反射して、石畳がつやつやしてみえる。結花はその石畳を真新しいサンダルで踏んで歩いていた。サンダルだけじゃない、浴衣もお父さんにねだって買ってもらった新品だ。去年まで白地だったけど、今年はちょっとお姉さんっぽい紺色の花柄。……だけど結花の隣にはだれもいない。だって、と口がとがりかけたのを綿菓子をくわえてごまかす。  だって、由利ちゃんも誘うって言うんだもん。私あの子とあんまり仲良くないの、陽ちゃん知ってるはずなのに。  つまるところ喧嘩して、一緒に行こうって言ってたのが一人になってしまったのだ。お母さんが心配してお兄ちゃんに一緒に行くように言いつけてたけど、お兄ちゃんも自分の友達のところに行ってしまった。口止め料もらったからいいけど。いいよべつに。もっとふんだくってもよかったけど綿菓子でゆるしてあげる。  ぽん、と軽い破裂音の後ひゅるるるるるるとおなじみの音が聞こえてきた。ふり仰ぐと竹林の間にちょうどぱっと花火が開いたところだった。緑一色の大輪。遅れてドン、と爆発音。次々にひゅるるる、ひゅるるるると花火が咲いていく。赤とか金とか、ちょっと変わった土星型とか。  しばらく見とれてしまってからはっとして花火と逆方向に歩き出す。べつに、去年も見たし。もう見飽きたし。陽ちゃんたちは見てるだろうけどさ。  ちょうちんの並ぶ石段を上がり、鳥居をくぐった。ここなら誰もいないと思ったけど祭見物ついでに来た参拝客が並んでいてそこそこ混んでいた。これ以上人のいないところを探すのもつかれる気がしたので、お行儀は良くないけど石段の一番上に腰かけた。あっ浴衣よごれるかな。……ま、いっか。誰も見ちゃいないんだし。  ちょっと遠い花火を眺めながら綿菓子を食べる。あ、咲いてからきらきらってするやつだ。加奈ちゃんが好きだって言ってたやつ。こっちはなっちゃんが好きって言ってた……。去年みたのとおんなじのばっかり、あーつまんない。今年もみんなで見に行ってるんだ、よく飽きないなー由利ちゃんたちい。  手持ち無沙汰になってしまいどうしようかな、と参道に並ぶ屋台の屋根を眺める。帰っちゃいたいけど今帰ったらお兄ちゃんが私と一緒にいないの、お母さんにばれちゃう。いまさら河川敷まで行くのもいやだなあ。  参拝客もほとんど降りてしまって賽銭箱前に数人残るだけになっていた。ここはここで落ち着く場所になりそうだけどずっといるのも退屈だし……。  同い年くらいの子が白狐のお面をつけながら歩いていた。え、お面。500円ぐらいして高かったからやめといたのに。買えるなんていいなあ。おこづかいいっぱいもらったのかな。さっき見たお面屋さんには無かったからよそのかな。見ているとおかっぱ頭の後ろでひもを結ぶのに手間取ってそのまま石段まで来てしまった。 「待って、危ないっ」  足をすべらせて「わ」と両手があがったところを無我夢中でつかんで引っ張る。女の子はその場にしりもちをついて、結花は砂利にひざをついてちょっとすりむいた。 「いたた……。ごめん、ありがとう」 「ちゃんと前見んとあぶないよ……」  女の子はこまったようにくしゃっとしてわらった。  見たことない顔だから、やっぱり地元の子じゃないと思う。お面のひもを後ろで結んであげた。 「はいできた。しっかり結んどいたでね。外す時はほどくんじゃなくてそのまま頭ぬいたほうが楽やよ」  ありがとう、とまたくしゃりとわらう。 「そうだ名前は? どこ小? 親は? 今日来とらんの?」 「あっ、えっと……」 「あごめんちょっと一気にききすぎたわ。私結花。早瀬結花。元町東小四年」  女の子はなんだかだいぶこまった顔をした。あ、これはもしかして。ピンと来た。 「親にだまって来たんやろ。大丈夫、私もにたようなもんやし誰にも言わんから」  ぱあっと顔が明るくなる。 「わたし篠田葛葉。小学校は……ちょっと遠いとこ」  くずは、呼ぶとちょっと嬉しそうに���こにこする。ゆかちゃんと呼ばれて妙にくすぐったかった。聞き慣れない声で名前呼ばれることってあんまりないし。っていうかちゃん付けとかひさしぶりすぎる。低学年までじゃない? 学校によるのかな。 「もしかして、ゆかちゃんもひとり?」 「ゆかでええよ。お兄ちゃんどっか行ったでさ」 「じゃあ一緒にまわろ」  手を差し出された。……別に、誰か一緒にいるならまわりたいとか思ってたわけじゃないけど。葛葉が一人でまわるの嫌ならつきあってあげないこともないんだから。それだけだからね? 誰にというわけでもなく言い訳しながら「うん」と応えてその手をとった。
 葛葉があまりにじっと見ていたので綿菓子の残りは葛葉にあげた。 「ご、ごめん気になって。ありがとう」 「ええよ、もうそれ飽きたで。食べたことないの?」 「うん、こっちの方あんまり来んでさ……」  さっそく頰につけてしまってあわててぬぐっている。お面買えるくらいお金持ちなのにもっと安い綿菓子を食べたことないなんて。変なの。あれかな、加奈ちゃん家みたいに晩ごはん入らなくなるから屋台で食べ物は買いませんって言われてるのかな。  独特の香ばしい匂いが鼻をくすぐる。ああいいにおい。300円かあ、でも6個入ってるからお得かな。 「私あれ食べたい。くずはも食べる?」 「たこ焼き? うーん。わたしはあっち食べるでええわ」 「かき氷? それ食べ終わってからにせな溶けてまうよ?」  たこ焼き屋の前に並び、1パックを受け取って戻ると葛葉はほっぺたをパンパンにしてもごもご言っていた。おかえりって言ったんだろうか。綿菓子食べてからにしないとって言ったけどそんなに焦ってつめこむことないじゃない。 「だ……だって食べたいでさ」 「そんなに詰め込んだら食べにくいやろ……。後にしよ、あとに。私も食べたいし」  ほっぺたをふくらませたままもごもごしている葛葉の隣であつあつのたこ焼きを頬張る。はふはふしていたら隣から強い視線を感じてつまようじを一本渡した。一回あつっと声が聞こえてからはふはふする。  屋台の屋根の隙間からしばらく花火を眺めて、それからいろんなお店をまわった。  金魚すくいで結花が今までで最高の3匹捕獲を達成しガッツポーズをしている横で葛葉は三枚目のポイを破っていた。店番のお兄さんのトークが面白くてつい立ち止まった輪投げ屋では葛葉がぜんぶの輪を大当たりの的に通して大きな袋いっぱいのおもちゃをもらい、結花は全部暴投、かろうじてラムネ菓子一個を手に入れた。射的は結花も葛葉もノーコンで参加賞のちょっと大きめのあめ玉を一個ずつもらった。あめ玉をなめながら列に並び、葛葉はブルーハワイ、結花はいちごのかき氷を買った。 「なんでブルーハワイにしたん。もうブームすぎたやろ」 「わたしが食べたことないでよ。いちごは定番すぎやない?」  べー、としてくる舌が真っ青だったのでべー、と真っ赤な舌でお返ししてやった。しゃくしゃくとストローで氷のまだ白い部分を刺す。 「次どこ行く? ヨーヨー釣り? スーパーボールすくいもあるよ」  葛葉がまわるのにつきあうつもりだったのに、いつのまにか結花の方が葛葉をひっぱって歩いていた。スーパーボールに興味津々だったので連れて行く。 「これがスーパーボール? もっと大きいのかと思ったのに」 「見たことないの? これね、地面に思いっきり投げつけたらすっごい飛ぶんやよ」  さっき金魚すくいでポイをかたっぱしからダメにしたこともあって、お店のおじさんからポイのつかいかたを教えてもらってからスーパーボールすくいをはじめる。金魚だったらポイ1枚で3匹もすくえたのにスーパーボールは水流のせいもあって3個すくうのに3枚つかい切ってしまった。葛葉はほぼ枠だけになってしまった3枚目のポイでなんとか一個、オレンジ色がかった透明のをすくいあげていた。 「けっこうまわったね。くずははまだ時間大丈夫?」 「そろそろだけど……。そうだ、行きたいお店があるんや。こっち」  ぐい、とひっぱられて立ち上がる。とったばかりの緑のキラキラしたスーパーボールをためつすがめつしていたのを急いで袋にしまう。葛葉は先に人混みに駆け出している。待ってって、はぐれちゃうじゃない。  白地に鞠の描かれた浴衣を追いかけて、人混みをすり抜け追いかける。途中で見知った顔がいたような気がしたけどあいさつもそこそこに通り抜けた。こっちは鳥居に近いほうだっけ、河川敷に近い方だっけ。方角もわからなくなったころにやっと葛葉は足を止めた。屋台の並ぶ通りからちょっと奥に入ったそこそこ人通りのある路地裏。一軒のお店の前で手まねきする。藁の生垣がぐるっと敷地を囲っていて中は見えない。 「屋台やないの? 立派そうなお店やん」 「入って。大丈夫やよ、今日お祭りやで子どもが入っても誰も気にせんよ」  それ、普段は子どもが入るとこじゃないみたいじゃない。葛葉がためらいなく入っていってしまって取り残されてしまう。周りは知らない大人ばっかりだ。呼んでも葛葉は出てこない。……中で待ってくれてるならずっと待たせるのも悪いし。別に心���くなったわけじゃないんだから。自分に言い聞かせて足を一歩踏み入れた。  ひかりが見えた。  暗い藁のアーチをくぐった瞬間、ふわっとやわらかい光に包まれた。  はっと顔をあげて息をのむ。壁一面、高い天井まで、そして天井にもたくさんの風鈴がさがっていた。柄はひとつもついてないけどオレンジ色の照明に照らされてつやつや光っててとてもきれいで、まるで宝石みたいだ。藁のすきまからふきこんで来た風にゆられて風鈴がいっせいに音を鳴らす。 「わあ……!」  思わず声をあげた。すごい、すごい……水の中にいるみたい。シャラシャラと水流みたいに音がふきぬけていく。風がおさまりまた静かになっていく。チリ、チリンとひかえめな音がいくつか残る。  壁一面の風鈴に見とれる人の間から葛葉のお面がひょっこりのぞいた。ちょっとずれて顔も見える。結花に気づいて「あ」と口が開きうれしそうにはにかんだ。 「よかった、ついてきてる」 「急に走らんでよ。はぐれるかと思ったやん」 「ごめん。あんまり時間なかったでさ」  こっち、と手をひかれて人混みに入った。何かに並んでいる大人の足もとをくぐりぬけて奥の建物に向かう。そっちにもお店があった。  結花たちの身長からはちょっと高すぎる受付台を、葛葉がこんこんとたたいて窓口の店員さんを呼ぶ。すっとガラスの窓が開いて和服姿のおねえさんが身を乗り出した。葛葉はおもいっきり背伸びしてできるかぎりおねえさんに顔を近づけて何か言い、おねえさんはにこにこと優しげにほほえんで頭をひっこめた。 「何、くずは。買うの?」  うん、とうなずいて窓口の方に向き直りそわそわと見つめる。  大人たちの列の方はさっきより短くなったと思ったらまた人が来てもっと長くなった。あっちで何を売ってるんだろう。誰もこっちに気づかないどころか見もしないけど。なんでだろう……? 「はい」 「ありがとう! これお代」  声がしてふりかえると、戻ってきたおねえさんが葛葉に包みをわたしているところだった。手のひらサイズでぽっこりふくらんだ茶色い紙袋。おみせのなまえも中身のなまえも書いてない。 「はい、ちょうどおあずかりしました。良いひとときを」  ガラス窓がすっとしまっておねえさんの姿はまた見えなくなった。葛葉はうれしそうにぎゅっと包みをだきしめて、それから結花の方にそれを差し出した。 「……え?」 「あげる。ゆかに、プレゼント」 「え、でも……」  予約までして、楽しみにしていたものじゃなかったの? どうして私にあげようなんて。 「今日すっごくたのしかったでさ」 「そんな、もらえんよ。こんな高そうなん」  いいから、と包みを押し付けられて受け取った。何かまるくてかたい……包み紙のがさがさする音にまじって爪のあたったコンと硬い音が響いた。ガラス……? 「……ひとは終わったら、すぐ忘れてまうでさ。これはおまじない」  包み紙の上に葛葉の手がのる。何を言ってるのかわからなくて、結花は葛葉の顔を見た。 「忘れんとって。できたら覚えとって。それで……」  葛葉が顔をあげて、目があった。視界の端に真っ白な尾がちらりと見えた。 「それでまた会ったら、今日みたいに一緒に──」
「結花! 雨降ってきたで帰るぞ!」  すぐ近くで大きい声がして、気がついたらずぶぬれになっていた。ばちばちと石畳を雨粒がたたいている。お兄ちゃんも傘はもっていなかったみたいでずぶぬれだ。周りの人もうちわを傘代わりにして走っていく。 「ごめん、もう帰るね、……あれ……?」  誰かさっきまで一緒にいたはずなのに、そこには誰もいなかった。ぎゅっと包みを抱きかかえて「あ」と思い出す。そうだ葛葉、葛葉は……? 「どうした、早よ帰ろう、風邪ひくぞ」 「待ってお兄ちゃん。女の子見なかった? 狐のお面つけてる……」 「見てない。もう帰ったんやないか。ほら帰るぞ」  腕をひっぱられて走り出す。浴衣に雨がしみこんで寒くなってきた。葛葉は本当に帰ったのかな。はぐれただけで、雨の中寒いのにまだ探してたりしないかな。 「晴れてたのになあ急に降り出して──」
  ズドン! 「きゃっ」 「わっ!」
 ピシャッと一瞬ものすごく眩しくなって、すごい音がした。地響きもあったし耳がきんきんした。 「かみなり、かみなりが近くに落ちたんだ。早う帰ろう。危ない」 「待って、落とした……」  濡れた包みを拾い上げてはっと息をのむ。やだ、嫌だ。まって……。  がちゃり。  にぎりしめた包みの中で、何かがこすれる音がした。
🎐
 軒先に風鈴をぶらさげて、網戸を閉めた。蝉もうるさいし、もうだいぶ暑いけど今日はもう少しだけ窓を開けておこう。……別に風鈴の音が聞きたいとかいうわけじゃないけど。っていうかこれそもそも音しないし。  風鈴には金色の線がたくさん入っていた。  あの後結花は割れたガラスを袋ごとずっと宝箱に入れて保管していた。両親にもう捨てようと言い聞かされても譲らず、成人して家を出る時も持ち出してきてしまった。「金継ぎ」という技術を知って雑貨屋で道具を揃え、見よう見まねで破片をつなぎ合わせたのが去年の夏のこと。コツンコツンと金具があたる音がするだけで響きもしないけど、あの日の稲妻がはしったような線を、結花はとても気に入っていた。去年は何もなかったけど。今年こそ何か……。もしかしたら。  インターホンが鳴って窓辺を離れる。宅配便だ。昨日注文しておいたやつ──
 どこかでチリンと音がした。 ▫︎ ▫︎ ▫︎ ▫︎
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olympicnic · 4 years
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2020年3月25日 OLYMPICNIC in KOGANEI
 11時過ぎに集合。武蔵小金井駅改札前に置いてある、オリンピックパラリンピックまでのカウントダウン時計(?)がちょっと寂しい。(まだ今年やる設定のまま動いていた)
 延期になったねー、という話をしながらドンキへ買い出しに。明治がオリンピックの公式キャラクターとコラボした商品を出していたので、それらを数種類、それとコロナビール(小)を6本。
 フェスティバルコートでお昼を食べる。座れる場所もあるし、一応憩いの場っぽさはあるけど、ほとんどの人はせわしなく通り過ぎてくのが印象的だった。目の前に新しく建つタワーマンションの圧がすごい。晴れてて暖かく、ふつうにピクニックぽかった。
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〈ダンボールハウス作り〉
 集めておいたダンボールを上の原公園へ運ぶ。公園の中でもあまりこどもたちが遊んでいない、ちょうど桜が綺麗に見えるスペースで、早速ダンボールハウスを作り始める。まずは自分たちで新国立競技場型のダンボールハウスを作ろうと試みた。理想的なゼロ型(?)にするまで少し時間がかかった。
わちゃわちゃしているうちに子供達やお母さんが集まってきた。マジックでひたすらダンボールの外壁を塗る男の子、元々公園内の林を使ってお家ごっこをしていたが、友達にお家を追い出され、ならばダンボールで自分の家を作る!と意気込む女の子、娘の描いたお城のデザイン画を忠実に再現しようと工夫を凝らすお母さん。
最終的には国立競技場ぽいやつ、ふうちゃんデザインのお城、みーちゃんのおうち(煙突つき)、電車、タワーマンション、といったかんじのものが並んだ。最初の方は親子連れが多かったが、近くに学童がある公園で、途中その学童のこどもたちが急に増えてかなり賑わう。年齢もさまざま。ダンボールが足りなくなり、駅前のニトリに補給しに行くなどした。あっという間に時間が過ぎた。
 最終目標はフェスティバルコートまで作ったダンボールハウスを運ぶ事。大人3人こども1人、手で運ぶ(+自転車1台)ので、全部は運べず、泣く泣く選別する。ダンボールハウスを運ぶ様子はかなりシュールだった。ダンボールハウス搭載した強そうなママチャリが先頭を切り、ダンボールハウスを被った2人がヨロヨロと後に続く。(運びやすさとモチベーション維持のため、かぶった方が良いと判断。)それを両手にダンボールを持ったカメラマンが追い回す。花に水をあげているおばさんが落ちたダンボールを拾ってくれたり、警備のおじさんが(ダンボールの窓越しに)話しかけてくれたり、、車がなくて逆に良かったと思う(疲れたけど)。かなり面白い行列、珍道中だった。フェスティバルコートについた時も、通りすがりのこどもが近づいてきた。フェスティバルコートの中にある、旧星野邸の庭の名残である三本の木の下にダンボールハウス群を設置。何か言われるんじゃないかとヒヤヒヤしながら、急いで写真撮影。今年完成(予定)のタワマンと一緒にダンボールタワマンの写真をパシャリ。
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〈CAFE〉
 CAFE CHILLのお店をお借りして、オリンピック関連の映像上映とコラージュをそれぞれ。コロナビールやカフェの飲み物を飲みながら。コラージュは今年・過去のオリンピックのポスターや、その時代の記事などを集めたものからの切り抜きを、それぞれ思い思いにA3の紙に貼り付けていった。意外とコラージュもこだわり始めると時間がかかった。途中すごろく(ふうちゃん作)でみんなで遊ぶ。オリンピクニックシールを一人一枚ずつ配布。映像も、完全にながら見だったけど、それを見ながら話すなどした。ぽつぽつお客さんが来ては帰る。ちょうど今年のオリンピック延期発表の翌日だったこともあり、話は尽きなかった。
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After OLYMPICNIC▶︎
 美味しい坦々麺を食べに行こう!と思ったらまさかの定休日でした。「絶望のパスタ」という文字に惹かれた別のお店へ(坦々麺が食べられなくてまさに絶望してた)今後やりたいことなどについて話す。手榴弾投げをどうするかとか、みんなでオリンピック憲章を演奏したいとか、上映会したいとか、、、オリンピックは延期になったけど、やりたいことは尽きない。 〈感想〉
 ダンボールハウス作りは、もっと「怪しい(見知らぬ)大人がなんか作ってる・・」という感じで怪しい目で見られるかなと思ったけど、そんなことは気にせず興味ある子はめっちゃ興味津々で面白かった。こどもたちの反応はそれぞれ違って結構おもしろい。そしてダンボールハウスを運んだのも結構楽しかった。警察の前とかを通るときはヒヤヒヤしたけど、通りすがりのみなさん暖かく見守ってくれた(と勝手に思うことにした)。コラージュは、素材探しの時に結構案が浮かんで、もっといろんなパターンを改めて作りたいと思っている。映像は全然ちゃんと見れてないので、今後も何かやるときに流したい。シチュエーションによっても感想変わるかもしれないと思った。そして新型コロナとか、オリンピック延期とか、本当に今後どうなるかわからない状況になりつつあるときに、こういうただ楽しくやりたいことをやること(OLYMPICNIC)があって良かったなと思った。(t)
 ダンボールハウス作りは、いきなり何の前触れもなくそこでやったので、うざがられるというか、侵略者、みたいに感じになっちゃうかな、と思ったけど、わりと自然にみんな寄ってきてくれた。元々林でお家ごっこをしてたけど、友達に追い出された女の子(みーちゃん)が、ここにみーちゃんのお家建てる!と作り始めてくれた。お母さんも結構ノリノリだった。もう一人のお母さん、「今家に子供も大人も篭ってて、ストレスたまってて。いくとしても近くの公園しかないでしょ。だからこういう事やってくれるのはありがたいです。」と感謝された。お母さんとかに、何をやっているんですか?と聞かれた時、なんと答えれば良かったんだろう。ダンボールハウス作りたくて作ってます、と言っちゃったけど。OLYMPICNICの説明も丁寧にした方が良かったのだろうか。カフェのあの空間はすごく良かったと思う。みんなそれぞれがやりたい事やってる感じが。映像もバックグラウンドで流れていて良かったなと思う。ちゃんとみる時間もあれば良かったけど。次やるときはすべてがもう少しゆったりしたタイムスケジュールでもいいかも。コラージュは楽しかった。もう少し時間をとって埋めて行きたかった。(m)
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