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#国家神道分離
herbiemikeadamski · 1 year
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, (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 12月15日(木) #友引(壬寅) 旧暦 11/22 月齢 21.2 年始から349日目(閏年では350日目)にあたり、年末まであと16日です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃‍♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . ハイ!51/53週目も週下りの木曜日💦 なかなか今週もペースが加速して ますよね✋2021年の師走前半戦も 今日が最終日です🤣😆🤣早過ぎるw . 冷蔵庫が小さいとギューギュー詰めに なっちゃうんですよね✋買い出し に行くと、つい買い過ぎちゃう😅💦 で買っといたのが奥の方にあって . 見つけれず、同じ物を幾つも買い 賞味期限が切れて腐りかけたのを 捨ててしまうという勿体ない事の 繰り返しなので冷凍庫のリースを🍧 . 頼んでしまいました💦今週の土曜 に来ます🤣😆🤣なんだかんだ物が 次々と増えて行くんだけど、熊本 に永住するんですかって聞かれるw . 今日一日どなた様も💁‍♂お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋‍ モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #観光バス記念日. 1925(大正14)年12月15日(火)先負.のこの日、東京乗合自動車により日本初の定期観光バスである「ユーランバス」の運行が開始された。 . 日本初の定期観光バスだったが、路線バス扱いであり、途中の下車観光地から乗車した場合の運賃も定められていたという。 当初のコースは「皇居前~銀座~上野」であった。  その後、経営不振により、東京乗合自動車の遊覧自動車事業は一旦休止に追い込まれたが、新日本観光株式会社(現:株式会社はとバス)  に譲渡され、同社の手によって再開された。  日本のバス事業の始まりには諸説あるが、1903(明治36)年9月20日(日)大安.に二井商会という会社が京都市内で始めたのが最初のバス事業  であるとされている。  その最初のバスは、蒸気自動車を改造したもので6人乗り、風雨や砂ぼこりなどを防ぐための幌(ほろ)もなかった。  この日を記念して、日本バス協会が9月20日を「#バスの日」に制定している。 . 以上、Wikipedia . . #友引(トモビキ). 六曜の名称の1つで、相打ち勝負なしの日のこと。  つまり良いことはないが悪いこともない日のことである。 . #大明日(ダイミョウニチ). 民間暦でいう吉日の一つ。  この日は、建築・旅行・婚姻・移転などすべてのことに大吉であって、他の凶日と重なっても忌む必要がないともいう。 . #月徳日(ゲツトクビ).  家の建築やリフォーム、土を動かすことが良いとされる吉日です。  その月の徳神様が降りてきている日。  特に家の増改築や土に関することには吉日とされる。   . #三隣亡. 九星の俗信の一つ。 建築関係において大凶日。 この日に建築をすれば火事を起こし、近所隣を滅ぼすと云われる日。 棟上げや土起こしなど建築に関することは一切忌むべき日。 「さんりんぼ」とも言う。 . #帰忌日(キシニチ/キコジツ/キシニチ/キコニチ・キイミビ). 暦注(レキチュウ)の一つ。  陰陽道では、凶星の精が人家の門戸をふさぐ日で、旅行・帰宅などを忌(イ)む日としている。  遠出・帰宅・転居・結婚・入国なども忌む日であります。 . . #年賀はがき引受開始日. . #観光バス記念日. . #妙見の縁日. . #春日若宮おん祭(#春日大社). . #国家神道分離. . #史学雑誌創刊. . . #森のたまごの日(毎月第三木曜日&11月18日). . #お菓子の日(毎月15日). . #中華の日(毎月15日). . #レンタルビデオの日(毎月15日). . #いちごの日(毎月15日). . #五十日(ごとおび). . . #ザメンホフの日(エスペラント). . #権利章典の日(アメリカ). . #オランダ王国記念日 (Koninkrijksdag). . . ■本日の成句■. #冬来りなば春遠からじ(フユキタリナバハルトオカラジ). 【解説】 つらい時期を耐え抜けば、幸せな時期は必ず来ると云う例え。 長い冬を耐えて春を待つ気持ちの表現としても用いられる。 《英国の詩人、シェリー の詩「西風の賦」の一節》 If winter comes, can spring be far behind? . . 1964(昭和39)年12月15日(火)仏滅. #高橋克典 (#たかはしかつのり) 【歌手、俳優、司会者】 〔神奈川県横浜市〕. . . (Saburou, Kumamoto-shi) https://www.instagram.com/p/CmKcPWXhFYfUZeJ-ipxaveac_niczCPAwnoAKs0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ogawa-xd · 1 year
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■サピエンス全史
もうかなり熟読しているが、少し時間ができたのでもう一度、ユヴァル・ノア・ハラリ「サピエンス全史」読み返す。至福だなぁ。
第一部 認知革命
第1章 唯一生き延びた人類種
135億年前「物理学」という物語りが始まり、38億年前「生物学」という物語りがはじまった。
7万年前、〈認知革命〉とともに歴史学がはじまった。そして1万2千年前に〈農業革命〉があり、500年前〈科学革命〉が起きた。
サピエンスは、人類のなかで唯一生き延びた種。ネコ科ヒョウ属にはヒョウもライオンもトラもいるが、人類種にはサピエンスしかいない。なぜか?
3万年前に近隣のネアンデルタール人が滅んだ具体的な理由は断定できない。しかし殺戮にせよ自然的淘汰にせよ、サピエンスの存在が関与していたことはまちがいがない。
その競争にサピエンスが勝ち残ったのは、「言語」によるものだ。
第2章 虚構が協力を可能にした
7万年ほど前に、サピエンスはその「内部構造」を変化させた。見かけこそ変わらないが、それ以降のサピエンスは認知能力(学習、記憶、意思疎通の能力)で格段に優れていた。
それ以前に���フリカを出たサピエンスはどれも成功しなかったが、それ以降の遠征は成功し、南極をのぞく世界中へくまなく進出した。
この「言葉」によるドラスティックな変革を〈認知革命〉と呼ぶ。聖書の創世記「知恵の木の実」を思わせる「言葉の獲得」だが、それ自体はたまたまサピエンスに起きた偶然の結果だった。
この認知革命が、世界の大変革につながるが、それは言葉のどんな効果によるのか。
• 存在しないものについての情報を伝達する能力
• たとえば伝説や神話、神々、宗教
• 総じて虚構、すなわち架空の事物について語る能力
実際には「虚構」は判断を誤らせる危険なものだ。だが、集団で嘘を信じることは、かぎりない力の元となった。鋭い牙や爪を持ったり、走力や筋力で勝ることより、桁違いに強大だ。
われわれはほとんど意識しないが、国もお金も人権も法律も会社も、みな虚構、擬制である。歴史の大半はどうやって膨大な数の人を納得させ、信じてもらうかという問題を軸に展開してきた。
第3章 狩猟採集民の豊かな暮らし
サピエンス20万年の歴史の19万年分、つまり95パーセントは狩猟採集のという生活形態だった。認知革命は狩猟採集の時代に起きている。
文字ももちろんなく、詳しいことはほとんどわからないが、ある程度たしかなことをあげれば、
• 農耕以前は「石器」の時代というより「木器」の時代
• 彼らは毎月毎週、あるいは毎日すべての持ち物を手で持って移動していたので、運べるのは本当に必要な所持品だけ
• 精神的、宗教的、情緒的生活は、器物や道具といった人工物の助けなしでおこなわれた
• 狩猟採集社会のもっとも大きな特徴は「多様性」
• 「群れ」と成員は一つの例外「犬」をのぞいて、すべて人だった、つまり家畜もない
• 平均的な人は、自集団以外の人を見かけたり声を聞いたりすることなく何ヶ月も過ごした。一生を通じて出会う人はせいぜい数百人程度。
• つまりサピエンスは広大な範囲にまばらに分布していた。
• 「狩猟採集」というが、一般的な「狩りをする人」のイメージよりも「採集」がメインだった
• 狩猟採集には多大な「脳」力と技能が必要で、個人レベルで見れば、その頃のサピエンスが史上もっとも秀でていた
• 一般に背が高く健康的だったが、平均寿命は30〜40歳。それは子供の死亡率が高いせいで、60からときに80歳まで生きる人もいた
• その理由は食物の多様性、感染症の少なさなど
• 感染症は農耕社会以降の家畜は由来のものが多く、そもそも人同士の距離ががまばらで感染・伝播の機会がほとんどない
• とはいえ、きびしく、情け容赦のない、欠乏と苦難の社会ではあった
最後に、狩猟採集時代のサピエンスが、平和主義者だったか好戦的な種族だったのかは興味がつきない。対サピエンス同士、対他の人類間、どちらの相手にも、平和的な好戦的か断定はできない。好戦的な部族もあったかもしれないし平和的な部族もあったのだろう。とにかく多様であった。
第4章 史上最も危険な種
しかし、餌の対象となる他の動物たちにとって、危険極まりない存在であった。
オーストラリアの例
• 4万5千年前のオーストラリアへの進出は、屈指のできごとだった。コロンブスのアメリカ発見、アポロ11号の月面着陸に匹敵する。
• それ以前にオーストラリアへ到達した人類はいなかった。
• それはサピエンスが特定の陸塊で食物連鎖の頂点に立った瞬間だった。
• 大型カンガルー、フクロライオン、大コアラ、大サイズの鳥、ディプロトドン(象サイズのウォンバット)などすべて姿を消した。
南北アメリカの例
• 最後の氷河期は、7万5千年前から1万5千年前にかけて。7万年前と2万年前の二度のピークがあった。
• 1万6千年前、サピエンスはシベリアから凍結したベーリング海を超えてアラスカをとおりはじめてアメリカ大陸へ渡った。
• それ以前にアメリカ大陸へ渡った人類はいなかった。
• アメリカに到達からわずか1000年から2000年の間に大きなげっ歯類、馬、ラクダ、巨大アメリカライオン、サーベルタイガー、象より大きなオオナマケモノなどを駆逐しながら南米南端に達する。
• この騒ぎからただ一つ無傷だったのがガラパゴス諸島。
そして第二部の農業革命に続く。
余談だが、訳者の柴田裕之(しばたやすし)氏は、自分の愛読書の主要なところで顔を出す。
• 「サピエンス全史」ユヴァル・ノア・ハラリ
• 「ホモデウス」ユヴァル・ノア・ハラリ
• 「神々の沈黙」ジュリアン・ジェインズ
• 「ユーザーイリュージョン」トール・ノーレットランダージュ
柴田さんが訳しているのなら、読む価値があるかな、などとも思う。
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ari0921 · 5 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)1月8日(月曜日)
    通巻第8084号 
書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW 
 中国の資本、土地買収、爆買いを歓迎した浅はかな日本
  移民を促進する日本政府は頭がおかしくないのか
佐々木類『移民侵略  死に急ぐ日本』(ハート出版)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 中国の「静かなる日本侵略」の現場に飛んで、積極的な取材を重ねる『突撃隊長』の佐々木類(前産経新聞論説副委員長)がシリーズの第六弾に挑んだ。
 日本支配を狙う中国共産党の尖兵が在日中国人、あるいは既に帰化した中国人工作員。その数、帰化人をのぞき76万人!
 すでに日本列島のあちこちに「中国人居住区」がある。もちろん、全員がスパイではなく、ごく少数だが日本に溶け込もうと汗を流す中国人も、佐々木氏はちゃんとインタビューして公平を期している。
偏見をもって中国人を見ているのではなく客観的に彼らを観察し、その背後にある中国の対日戦略を読み取ろうとする。
 沖縄の離島を購入した中国人女性がいた。
国家の研究機関に巣くう学術スパイがいる。日本国内に中国公安の闇警察がある。栃木県小山市には「中国農場」があって、横浜中華街には中国人経営の激安八百屋、埼玉県川口にチャイナ団地、列挙すればキリがないが、いまどうなっているか。スパイ中国人らはいま、いかなる陰謀を展開しているのか。
 また日本政府が推進してきた移民政策の間違い、外国人土地所有法改正、改正入管法の問題点などホットな問題のすべてを簡潔に要領よく解説される。
 それにしても、中国の資本、土地買収、爆買いを歓迎した日本人、中国からの移民を促進する日本政府は頭がおかしくないのか? 
 いま日本が相手にしているのは「共産党の意向がすべてに優先する国家レベルの反社会勢力」なのである。
 そうだ、かれらは「反社」である。
 賃金が安いからと行って深く考えることもなく中国と合弁を組んだら、当てが外れ、撤退しようにも税金だとか、労働条件とかの難癖をつけられ、「官僚主義的な小役人に窓口レベルで小突き回され、賄賂を要求された挙げ句に『身ぐるみ脱いで全部置いていけ』となる」のが落ち。
 無国籍におちいり、国家利益は顧みないメディアがグローバリズムを煽り、それを真に受けた軽佻浮薄の政治家は、なんと中国企業系列にパーティ券を買って貰っていた。チャイナの買弁政治家が目立つのは、こうしたカラクリがあった。
 外国人の土地所有規制は、大正時代に制定された「外国人土地法」の活用で切り抜けられる筈だったのだ。
しかし結果は「仏作って魂入れず」。
実効性を高める政令を制定せずに戦後のドサクサで廃止された。
 「ところがどっこい。これを補うかのような法律が戦後日本に存在している。昭和二十四年に制定された「外国人の財産取得に関する政令51号」では「外国人や外国資本による財産取得に関して制限をかけることが出来たのである」(65p)
 当該財産とは「土地、建物、工場、事業所、財産の賃借権、使用貸借の基づく借り主の権利、地上権、著作権」だった。
ところが、これも国会で審議されないまま昭和五十四年に廃止されていた。 
 移民については欧米の悲鳴を聞いた方が良い。
人道的見地から無制限に受け入れた結果、ドイツではゲルマン精神は破却され、婦女子が強姦されてもメディアは報道しない。フランスはフランス語の国ではなくなろうとしており、米国は犯罪が急増し、治安が極度に悪化した。移民反対が多数派の聲となった。
 移民促進派がリベラル、人道主義であり、移民に反対もしくは規制強化けを唱えると、排外主義、レイシストと批判されてきた。脳幹が左翼ウィルスの侵された結果である
 「客人を自宅に招くとする。土足で家に上がるのを許すのか。冷蔵庫を勝手に開けて中の食べ物を食べるのを許すのか。家のルールを守って貰うのは当たり前のことだ」(222p)
 しかし「中国系移民は、移住先で出身地や宗族単位で強い絆で結ばれた共同体をつくる。自分たちが住んだ場所が「中国である」とばかりに受けいれ国の慣習に関心を持たず、聞く耳を持とうとしない例もある」
 このまま日本は自死するのか、目覚めるのか、日本はその瀬戸際にあると佐々木氏は訴えるのである。
 そろそろトランプのように、あるいはオルバンのように、「移民を追い返せ」と主張する政治家がでてきてもよいのではないか。
 日本の深刻な状況をえぐったルポである。
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ashi-yuri · 4 months
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トマス・M・ディッシュ「SFの気恥ずかしさ」
神を信じないあなたが贈るSFへの信仰告白
昨年国書刊行会から出たSF評論集。ディッシュのSF短編集「アジアの岸辺」をむかし読んで、すごく露悪的だし悪意に満ちてるけれど、どこかさわやかなところが印象に残っていたので買って積んでた。
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同業他者の本をこう評す文章が楽しめる人は楽しめるとおもう。わりと楽しかったです。
この本は小説ではなくて治療的読書の英語で書かれた空想である。それが私にはうまく働かない。
ディズニーランドに行った疑り深い人間のように、私はつい本物でない細部に目が向かう。つまり椰子の木のコンクリートの幹だとか、すりきれた人工芝だとか、人造ライオンの生気のないうなり声だとか。しばらくすると旅行者ばかりが気にかかる。つまり、どこのどいつがこんなに手順通りのにせものを楽しめるのだろうか、楽しめるのだとしたら、本物でないから楽しいのだろうか、それとも、とても信じられないが、あえて虚構性に目をつぶっているのだろうか、と。
「SFの気恥ずかしさ」
実験・思弁小説としてではなく、いわゆる大衆小説としてのSF批判なんだと思う。現代日本に置き換えると需要層に向けてもっとピーキーになった「なろう小説」批判に近いように思える。
ただ、ここで批判される子供っぽい欲望や恨みという感情、さらにそれに対する複雑で変わりゆく眼差し自体を消費させながらすごい速度で大量の情報と欲望を集めて、メディアミックスを駆使しテキストをお金集約装置へと変えていくあまりにもファストなシステムを横目で見てると、本編は大衆小説批判としては少し古びてしまった印象
それとはまったく別にSFへの信仰告白としては100点
いまいったようなことは、どれも重要ではないと。そして、結局のところ、こういう調子で締めくくって、どこがいけないのでしょうか?たとえ完全な真実ではなくても、それは良い本をかこうとするものの信仰の祈りでなければならない。わたしはそれを信じます。みなさんもそれを信じるべきなのです。
「アイデア」「壮大なアイデアと行き止まりのスリル」
古今東西のさまざま文学と結びつけ、するどい言葉でさくさく刻んでいくのが読み物として楽しい。個別の作品がわからないので適切な批評かはよくわからない。ポーへの批判がすごい。ディックは高評価。
ポーは昔読んだきりだけど、これ聞いてなるほどと思うとともに、奇想と雰囲気いいのでポーっぽい一人称ホラー短編ゲームは楽しそうと思った。
「ポーのあきれた人生」「テーブルいっぱいのトゥインキー」
ポーとかブラッドベリとかに半分自己嫌悪に近い形で悪口言ってるときのが筆が乗ってていきいきしていて魅力的。以下、ブラッドベリの悪口から引用。
たくさんの大人たちにとってこうした短編は早すぎる埋葬をこうむった十一歳の自分に戻る戸口となり、子供たちは(ずっと昔、私がそうだったように)まるで本物であるかのようにこの魅力にとびつくのだろう。―ホステスのトゥインキーやキャンディー・コーンやストロベリーのクール・エイドが、どれもギラギラと火星のように赤色二号の怪しい光を放って並ぶビュッフェであるかのように。
「レイバーデイグループ」「聖ブラッドベリ祭」
二流作品(ディッシュ評)お焚き上げの会。文章も性格もわるくていいですね。
「ヴィレッジ・エイリアン」「最初の茶番」
ベストセラーとなったUFO連れ去り事件ノンフィクションor小説?についてのフィクション込みの論考。往年の高橋源一郎の文学探偵みたいで、嫌味と紙一重のもってまわった技巧含めて楽しかった。 ディッシュ、すごくSFを愛してるからこそSFづらして出てくるいい加減な作品のこと許せないんだろうな。
「『未知との遭遇』との遭遇」
スピルバーグの未知との遭遇の解題。宇宙戦争とかもそうだけど、結構宗教的だなあと思うスピルバーグをよく説明してくれている。最後の皮肉っぽさ、ディッシュだなという感じ。
それが本当に映画のサブテクストだとしたら、どうしてこんなにヒットしたのだろう。(中略)観客が映画の教訓に感銘を受けたからではなく、迫力ある映像、金色の仔牛としての神という、印象的な神の実像を描いてみせたからだ。我々は神の顔を見たいと渇望しても、神のために狂人になる覚悟はない。大勢の宗教者が狂気は神にいたる道だとくり返し説いてきたが、凡人にできることではない。しかし、それを映画のシミュレーションで見るなら楽しめるし、しかもその映像がSFのお約束のイメージで無菌化されていれば、なおさら考える必要はない。SFはその定義からして、重要なことを決して意味しないのだから。
「SF ゲットーへの案内」
欧米SFをくさすレムに、もっとちゃんと現代欧米SFを読んでくれ!という訴え
ディッシュは無神論者だったらしいけど、全体的にSF信仰を強く感じる。SFの価値を信じてて、SFかくあるべしというのが強固にあるからこそ、各作品をきちんと読んだうえで駄作という批判も傑作という賛辞も強く示していくそういう文章はきらいじゃない。
ディッシュの破綻してしまった人生最後の支離滅裂な小説「The Word of God」が、SFへの殉教だったのかなとSFロマンチストとしては考えてしまうところ。参照Wiki
ところで、マンハッタンについてのインタラクティブテキストであるところの「アムネジア」というテキストADVゲームの脚本書いていたのははじめて知った。
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killsmells · 8 months
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郷土無い
私には地元というものがない。ついでに実家もない。親戚の縁も薄い。今でも交流があるような幼馴染といえる人もいない。義務教育時代の同級生たちは恐らく私の生死すら知らないと思う。幼稚園から高校卒業まで京都で暮らしていたがその間家は2回引っ越し、いずれも借家であった。父も母も京都の人間ではない。2人とも住みだして長いが、三代住まねば京都人と言えないらしいのでうちは末代(おれ)までよそさんである。生まれたのは母の地元・島根県である。それも限りなく山口県に近い。確か最寄りのコンビニは山口県だった気がする。母ですら松江には中学の部活の大会でしか行ったことがないという。
早くから協調性ゼロ・言う事聞く耳持たずの自閉的お絵描き少女だったので両親には猪か山犬の子として育てられてきた。しかし彼等もまたかなり前衛的な人間であった。専門職で休日も本に埋もれた机に向かう友達0人の父に対して庭でインパクトドライバーや鉋を繰り出すDIY主婦の母、そんな2人の新婚旅行はタイとネパール、結婚当初は福井県の田舎で職場の同僚に貰ったジープを乗り回し、これまた貰い物のカワハギを台所で捌いていたという。母曰く「新婚なのに今までの人生で1番隠居のような暮らしをしていた」。確かに私の記憶でも当時の時間の流れは緩やかで、人生の終末に近いものを感じる。そんな若隠居の両親の下、幼い私は車道に横たわり、猿よけの電線を掴んで感電し、スイカを皮ごと喰らうなどして天真爛漫に過ごしていた。そんな穏やかな日々は長くは続かず、訳のわからぬまま京都に引っ越すこととなる。
京都の日々は正直なところ記憶から抹消したいことばかりだ。思春期の毒気が充満する精神状態に加えて己の出自が若干複雑で(ここで詳しく書くことは控えるが戸籍上イレギュラーな問題がある。ただ私の場合さほど差し障りなく生きて来れたのは時代と運が良かったと思う)どこの誰として振る舞えばいいのかわからなかった。中学生の時「男はつらいよ」を全部見たが(勉強もできない、運動もできない、周りと馴染めず友達がいないスクールカースト下層部の人間は他にやることがないのである)寅さんがフーテンできるのは帰る家があるからだと羨ましかった。京都に馴染めたらそれでここが故郷だと納得して楽になれたかもしれないが、それもできなかった。一番ネックなのは言葉だった。主に母や母方の親戚に育てられ、古い漫画を読み漁って言葉を覚えたのでべらんめえ調の標準語と中国地方の訛りが私の基本だった。関西弁が主言語の地域では私は異邦人なのである。前衛的精神の両親とも幾度となく衝突した。彼らは自分たちの思い通りにならずどんどん山犬になっていく娘に対して心の整理が追いついていなかった。人と暮らすことに不信感が募り、全てを振り切るように広島に進学した。島根に近いから関西弁を喋れなくても済むだろうと思ったのである。
来年とても円満な形で一家離散する。田舎暮らしに憧れて島根の母の実家に居候する父、京都でまだやりたいことがあるため残る母、5年前に広島に出てったきり帰る気配のない私というように西日本3拠点に散ることとなった。
それぞれが三叉路に立って「じゃっ!」と手を振り合い、それぞれの道を行くような清々しさである。バラバラで神経質のベクトルが全員違うような家族だ。共に暮らすことはそれなりに無理があったのかもしれない。今、ようやく信頼に満ちた我々にとっての家族のスタンダードができたと思う。どうだろうか。
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yamada50 · 1 year
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五重塔の真下にある荒胡子神社 平安末期より前身の江比須社として祀られていましたが、室町中期嘉吉元年(1441)に再建した本殿は国の重要文化財に指定されています 葉が落ちている冬ならではの本殿と五重塔のコラボレーションです その名の通り荒ぶる神素盞嗚命と胡子様事代主神を祀る神社です かつては厳島弁天、大願寺の子院、金剛寺の鎮守でしたが神仏分離令により金剛院は廃止されその奥の本殿のみが残され嚴島神社末社となりました #荒胡子神社 #嚴島神社 末社 #神社たくさん巡るひと @jmj_jp 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 荒胡子神社(あらえびすじんじゃ) 鎮座地:広島県廿日市市宮島町大町1−4 主祭神:素盞鳴命、事代主神 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 #神社 #神社巡り #神社好き #神社好きな人と繋がりたい #神道 #神社仏閣 #shrine #shinto #日本の風景 #参拝 #神社巡拝家 #recotrip#神社建築 #神社仏閣 #パワースポット #広島県 #廿日市市 #宮島 #嚴島神社 #えびす #重要文化財 #国指定重要文化財 (荒胡子神社) https://www.instagram.com/p/CpiDhN5vugO/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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nakanohajime · 11 months
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今でこそ世界に誇る食文化として見直されていますが、明治時代、日本の多様な発酵文化は切り捨てられかけたことがあります。神社のお供え物である「神饌(しんせん)」はそれまで各地で多様でしたが、国家神道の整備と神仏分離が進むとともに、保存食でもあった熟(な)れずしなどの発酵食は特殊なものとして周縁に位置づけられていきました。
いわば「食の廃仏毀釈(きしゃく)」があったのです。
新鮮な素材になるべく手を加えないことが日本料理の神髄かのような観念も、こうした流れのなかで形成された「作られた伝統」だと僕は考えています。純日本的でないと考えられたもの、洗練されていないもの、地域的なものが、近代の「和食」からかなりの部分、排除されていったのです。
発酵はおいしい! でもブームに危うさも 火付け役の小倉ヒラクさん:朝日新聞デジタル
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kennak · 28 days
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私の祖父は今年亡くなりましたが、あなたはそれを知らないでしょう。   実際、彼はあなたがそうしないことを望んでいたのです。   レイ・ハレルは 1930 年代にカタルーチー渓谷で 8 人兄弟の末っ子として生まれ、ピューマを追い抜き、牛を山から追い落とし、借りたジープを衝突させました。そして 90 年後の 1 月 20 日、彼は音もなくこの世を去りました。   それが彼が望んでいた方法です。   墓石は見つからないでしょう。   葬儀には誰も集まりませんでした。   彼はここにいて、70年近く連れ添った妻と共有していたポーチに座っていましたが、その後、彼はいませんでした。   塵から塵へ。 一日の授業を終えて車で家に帰る途中、おばあちゃんから電話がありました。  過去 1 年間、ガンのせいで徐々に命を奪われ、その朝彼はベッドに横たわり、残りの人生はそこに留まり続けるのではないかと思われた。 「あなたのパパの死亡記事を書いてくれませんか?」  彼女は、最愛の人を失ったにもかかわらず、常に現実的な質問をした。 伝えたいことはたくさんありました。  彼は10代の頃にスクールバスを盗み、教師の車の上でバックさせたことがあった。  彼は 1950 年に陸軍とともにドイツに派遣され、そこで空家から誤って大砲を発砲したにもかかわらず、階級を上げていった。  彼は人生のほとんどをそこで働いた繊維工場で労働組合を率いていた。  しかし、彼はそのことについては決して多くを語らなかった。  彼がやろうとしたのは、ノースカロライナ州フルーツランドで小さな生活を築き、娘たちを育て、皿洗いをし、壊れたガレージのドアを直すことでした。  彼は静かに暮らすことを目指したが、その後、同じように亡くなった。 座って執筆していると、テンプレートに詳細を落とし込んでいる自分に気づきまし た 。   死亡届は、何が重要で、何が記憶され、称賛されるべきかについて特別なプレッシャーを与えるが、新聞紙に載る名前や新聞での賞には何の興味も持たず、陰で生き続けることを目指した人生について人は何を語るだろうか。マントルピース?   ジムとコーラの息子であるレイ・ハレルは、じっと座って風が葉を散らすのを眺めて満足していたでしょうか?   レイ・ハレル一等軍曹は、財布の中のお札を金額の高い順に並べましたか?   グレースによって生き残ったレイ・ハレルは、小屋の中で正しい釘を探しながら、毎年同じ発明曲を口笛で吹き続けていました。   私は予想通りの詳細を記入して訃報を新聞社に送りましたが、それが正しくないことはわかっていました。   それは彼の生きた人生を何も捉えていませんでした。   彼が亡くなった数日後、教会の女性たちがキャセロールでテーブルを覆い、おばあちゃんが19歳以来初めて一人でベッドで寝たとき、私が戻ってきたのは、静かな生活のまったくの大胆さでした。 洗濯トラックを運転して一日を終えたレイ・ハレル。  彼の花嫁グレースは、最初の家の外で写真を撮りました。 私たちの時代の著名な人物が亡くなると、私たちのスクリーンに彼らの功績を記録した短いクリップが流れ、彼らの影響について議論するトーキングヘッドが登場します。  しかし、静かな生活は背後で音もなく流れていきます。  しかし、それらは私たちの皮膚の中にある命であり、朝食から就寝まで私たちを導いてくれます。  彼らの命が私たちを作り、世界を動かし続けているのです。 彼らは私たちが気づく前にゴミを出したり、郵便物が来ているかどうかを確認するために道路を歩いたりしています。  ビスケット生地を適切な厚さに並べる方法を教えてくれます。  春の午後、彼らは私たちの息子たちをトラクターに乗せました。  彼らは壊れたシンクを隣の人に手伝ってもらいました。  彼らは18か月の赤ちゃんを引きずり出すために川に飛び込みました。  彼らはフォークリフトに挟まれて腰を折った男性を捕まえ、そのまま抱きかかえて死亡した。  彼らは甥が自分の名前に一銭も持っていなかったとき、彼らのポケットにお金を滑り込ませましたが、恥ずかしくてそれを認めませんでした。  彼らは洗濯をしました。  彼らは床を掃除した。  彼らは子供のように庭で遊びました。  彼らは塩味のパックを食べて、夜がなくなるまで毎晩ベッドに潜り込みました。フルーツランド��ロードから離れた土地で小さな生活を営むことは最も神聖なことだから、残されたのは生き続ける人々だけです私たちは考えることができます。 私たちの周りには、派手なアメリカの個人主義、明るい照明、そして表舞台のサイレンの呼びかけを無視して、頭を下げて両手を広げた生活があります。   私は大丈夫、ここに 部屋の端からの反応があり、その満足感はまったく破壊的です。   どうしてそれだけを望むことができますか?   世界が求めています。   持つべきものは常にもっとあります。   ノースカロライナ州フルーツランドにあるグレースが幼少期を過ごした家の外でポーズをとる新婚夫婦。  その家は、レイとグレースが一緒に家を建て、住んでいる場所の道路を挟んだ向かいに建っていました。 レイ・ハレルが持っていたのは、頼もしいトラクターと、燃えるような女性だった。   彼は正午の夕食時にコーンブレッドを一口食べ、毎晩寝る前にRCコーラを飲んでいました。   彼には子供、孫、曾孫がいて、毎年クリスマスになると家がいっぱいになりました。   それで十分でした。   「私たちは良い人生を送れました」と、最後の年に私が訪問するたびに、彼はほぼ毎回私に言いました。たとえ遠くから見ると奇妙に見えたとしても、私はそれが真実であると確信していました。 やもしものことを後悔する長いリストを残したはずだ   理論的には、クリアクリークの上空にあるこの小さな生命は、もしものこと 。   しかし、この人生こそが人生そのものであり 、  1954年に彼と私の祖母グレースが道の先にある小さな教会で結婚したときに目指したものそのものでした。 それらの訪問では、私はコーンブレッドを食べて落ち着いて話を聞きました。  時間が経つにつれて、私はこれまで知らなかった歴史を収集しました。  スクールバスが盗まれ、ジープが墜落し、牛が泥にはまってしまったことを知りました。  私は、朝鮮戦争中にドイツに駐留していたパポーが高額のトランプを獲得し、その収益を持ってヨーロッパ中を旅したことを知りました。  私は彼が繊維工場から何度も何度も解雇されたことを知りました。 "どうして?"  私は尋ねた。 「そうですね、私がイライラしていたからだと思います。」 ほとんどその通りでした。  彼は誰も聞きたくないときはノーと言い、上司たちが聞きたくないときは労働組合を結集させた。  ハーネスなしで10フィート登って自分でローラーを交換するように言われたときのように。  「私は彼らに、そんなつもりはないと言いました。」  彼らは彼を解雇し、労働組合の弁護士が介入し、彼は仕事に戻った。 「頑固なおじいちゃんだよ」とおばあちゃんは言った。 おそらくそれも正しかったのですが、世界を見て不正義と闘う物語をつなぎ合わせてみると、静かな生活は受動的な生活ではないことに気づきました。  ポーチにじっと座っていることは、世間をやり過ごすことを意味するものではありません。  彼とおばあちゃんはキャンピングカーに乗って国中を旅しました。  彼は組合の会長を務めた。  満足しているということは、盲目であるという意味ではありません。  それは、善良な戦いと利己的な戦いの違いを知ることを意味します。 「私は正しいことのために立ち上がることを信じています」と彼はトウモロコシを一口食べながら言った。  「こんなこと言うべきじゃないけど、みんな私のことが好きでした。」 "なぜ?"  おばあちゃんは尋ねました。 「あなたがそんなことを聞かないといけないとは思っていませんでした。  私は良い歳をした少年だよ。」
静かな生活のための訃報 — THE BITTER SOUTHERNER
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jinsei-pika-pika · 4 months
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流動しながら個として見つめ、判断する。 北村道子の仕事の向き合い方。
#01
北村道子
衣裳デザイナー/スタイリスト
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40年以上にわたり、映画、広告、雑誌など、さまざまなメディアで活躍する衣裳デザイナーの北村道子さん。キャストやスタッフと真正面に向き合い、ときに衝突することも恐れず、信念を持ってスタイルを貫く。そんな彼女の個性はどのように育まれ、いかにして磨かれたのだろう。仕事場としてたくさんの時間を過ごしてきたフォトスタジオという空間で、コーヒーを片手に彼女が歩んできた半生と仕事について語ってもらった。
Apr.19.2023
Michiko Kitamura
photography:Mai Kise interview & text:Tomoko Ogawa edit:Shigeru Nakagawa
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家を飛び出し、世界を分解して見る癖をつけた少女は、映画の中の洋服に出合う
— ご自身の10代、20代を振り返って、その後の人生に影響した出合いについて聞かせてください。
私は寺山修司の影響が大きいんですよ。『書を捨てよ、町へ出よう』、「親を捨てよ」を実行した人だよね。私は16歳で実家の金沢から出て、サハラ砂漠やアメリカ、フランスを放浪しましたけど、18歳になっても、30歳を越えても実家にいる人もいますよね。親だって子離れしてないじゃない。これが今の日本という文化、社会を育んでいるんじゃないかと思う。だから、自然と政治も家父長制に、政治家も世襲で引き継がれるようになってますよね。なぜ出ていくか。それは自分のアイデンティティを知るためです。知るっていう行為は、過去を見つめるしかないということなんだよね。
— たしかに、経験からしか何かを知るということはできませんもんね。
今の瞬間、何秒間という現在点で、目の前にいる他者と自分には大きなギャップがある!と思ったときに、自分のアイデンティティを知る。特に外国に出ると、相槌打って微笑んでいるだけじゃ会話は進まないじゃない。日本みたいに、同調圧力が強くないから。つまり、実家にいるということは、母親のお腹で守られている状況と近いんです。そこから出ることによって、初めて世間にさらされる。そこで、世の中を自分で分解してみる癖を持つようになる。私の場合、子どもの頃から英和、和英辞典と広辞苑を持ち歩いてたから、誰かの発言に対して、「この人の言ってることはなんだろう?」と思って全部つぶさに見るんです。そこから、言葉はこうやって進化してるのか!と発見する。もっと言えば、ブランド力にとらわれず、自分の力で学びたい高校や大学を選んでいくこと。そうすると、一人の有権者として、政治と経済とアートがどう自分の仕事と人生と結びついてるかを分析して、議論できるようになっていくんですよね。
— もともと彫刻家を目指されていて、洋服に興味はなかったそうですが、何がきっかけで衣裳の世界に入られたんでしょうか?
なぜ私が洋服をスタイリングすることになったかというと、〈シャネル〉がきっかけなんです。当時のパートナーと外国を回っていた20歳の頃、シャネル本店でスーツをオーダーしたんです。なぜかというと、(ルキノ・)ヴィスコンティの映画『ボッカチオ’70』を観て、こんなストーリーなのに、こんないい服が出てくるんだ!と思って(笑)。お金もなかったから、モリエールの銅像の前で似顔絵を描いたり、その辺に捨てられたもので立体を作ったりしていたら、お金を置いていく人がいるんですよ。フランスは、そもそもアートに対してお金を恵むという文化があるよね。2カ月くらい経つと、そこそこお金が貯まってくるんですよ。それで、一番いい服を着てシャネルに行ったら、らせん階段の上からなんか貧しい子が来たぞっていう感じで見られて、クチュールのスタッフに全身を採寸されてね。スーツ自体が欲しいというよりは、あの機能美を兼ね備えたスーツにどう辿り着くんだろう、とその過程を見たくて。今日着ている〈メゾン マルタン マルジェラ〉の初期のワンピースも、マルタンはヴィンテージファブリックを使っているから、これは私しか持ってないんです。多分、それが洋服の原点ではないかと思う。究極、ファッションも映画も、この1点の洋服が、誰に似合うのかを考えるのが面白いんです。だから、着こなしの作法をつかんで服を着ている人にはついていきます!となるよね、私としては。
— 作法をつかむには、その人の生き様が関係してきますよね。
映画の見方にも視点があるように、着る人の視点が見えるかどうか。例えば、海外の俳優で、普通のデニムをはいてるだけなのに、かっこよく見えることがあるじゃないですか。よくよく見てみると〈ギャップ〉のものだったりするんだけど、それがなぜおしゃれに見えるのか、そこに、その着こなしにおのずとその人らしさが出てくると思うんだよね。
— 北村さんが考える「良い仕事」の定義とは?
私がチョイスしたものは良い仕事、というのは冗談だけど(笑)、興味や好奇心が向かう、面白いなと思える人と仕事をすることですよ。その人が心から出てくる言葉を使っているか、誰かから借りている言葉を使っているかは、この年になるともう、すぐにわかるんです。だから、自分の言葉を使って、馬鹿馬鹿しいことを本気でやっている人に興味があるんだよね。 私は長く、社会思想、政治学、社会学、哲学の本を読み続けているんだけれど、そうすると、道草をたくさんしなくちゃいけなくなる。そこに新たな興味が出てきて、あれもこれも読まなくちゃとなることが楽しいんです。だから、何か新しいことを学ぼうとすると、なんとなくつかめるようになるまで、少なくても10年はかかっちゃうんだよね。
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他人に委ねず、自分自身でジャッジするという強さ
— 仕事の際に、自分自身に課しているルールは?
自分自身でジャッジすること。周りはダメと言うだろうと思っても、自分がいいと思うことを提案してみると、意外とオッケーが出たりして、できたものをすごく喜ばれたりもするんですよ。なぜだかはわからないんだけど。昔、平山景子さんが編集長をしていた時代の『花椿』※1 で2年間仕事させてもらえたのも、そういう私の発想を面白がってもらえたからなんだよね。子どもが行水しているようなビニールプールの素材あるじゃないですか。あれをそのまま生かして洋服にしませんか?とか、油揚げを1メートルぐらい縫い合わせて、お稲荷さん洋服にしたらどうですか?とか(笑)、捨てられた手袋を全部寄せ集めたら、ベストにできるんじゃない?とかね。それは、資生堂にはない発想だったんじゃないですか。 ※1 1937年に創刊した資生堂の企業文化誌。
— 長く活動する秘訣があれば教えてください。
やめたら生活できないから続いただけで、若い頃からそんなに仕事してないんですよ、私。目立った仕事はしていたかもしれないけれど、1年のうち3カ月は外国に出ていた時期もあったし。しかも、私、結構喧嘩してるんですよね、編集者やメイクアップアーティストと。クライアントに対しても意見しちゃうんで(笑)。我慢して黙っている持久力がないんです。自分は労働者階級だと思ってるから、偉ぶる人や権力が大嫌いなんですよ。だから、広告代理店の大げさな儀式が嫌になっちゃって、70歳でもう広告はやめました。今は、一緒に仕事したい人に頼まれたら引き受ける、という感じでやってますね。
— 師弟制度を取り入れていた時期もあったのでしょうか?
以前、マネージャーをやりたいと名乗り出てくれた人がいて、勝手にアシスタント志望という子に数人声をかけて職場に呼んでいたんです。私は好きにやりたいからとその人のオファーは断ったんだけど、アシスタントをしたいという子はもうそこに来てしまっていたから、「しょうがない。5カ月は面倒みる!」と言って。当時、私はよく免停になってたのね。それで、運転手として手伝ってもらっていました。そうしたら、いつの間にか「北村道子のアシスタントをやっている」が一人歩きして、そう言っているスタイリストが十何人になってたんです。悪いうわさの多い私の名前だったから、出すと響くらしいんだよね(笑)。自分から口説いて手伝ってもらっていた美大の学生たちは、私が留学を勧めたこともあって国外に出てしまい、それから戻ってきてないですね。
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— 創作のリソースとして、どこからインプットする機会が多いのでしょうか?
映画と本ですね。小説は眠くなるからあまり読まない。今、一番学びたいのは、古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスなんです。ニーチェについて読んでいたときに、ヘラクレイトスは偉大だと思って。ソクラテス以前のギリシャを唯一学んだのが、「神は死んだ」を主張したニーチェなんですよ。つまり、それ以前は、神を作っていたとも解釈できるじゃないですか。ワインも蒸造して、ドラッグもやって、錬金術で実験してたとされているから、多分、既存の価値観で振り返ると、ものすごく壊れてるんじゃないかと思うよね(笑)。あとはね、事実、行動、現実性を重視する「プラグマティズム」を日本に紹介した鶴見俊輔の本も全部読み返してますよ。彼は16歳でハーバードに入学して、プラグマティズムを学び、“人は矛盾してる。その矛盾こそが人間なんだ”という生き方をするんです。
— 北村さんも、“矛盾こそが人間である”を体現していらっしゃいますよね。
私、「明日になったら、同じこと言ってるかはわかんないけどね」って、よく言うんです(笑)。今日は、このインタビューに対して思ったことを答えてるだけ。取材なんかで話をするときも、言いたいことだけを言う。都合が悪い部分はどうせカットされるわけだし、口に出さないと、その瞬間のリアルな言葉にならないじゃないですか。身も蓋もないことを言ってしまえば、面白いことって活字にできないのよ。活字にしたら、固定化されちゃうから。このままの空気で、世の中の悪口を言いたい放題言ってるのが面白いわけじゃない。それを、私は風流だと思う。繰り返しになるけど、人間は十月十日、女性の子宮に閉じ込められているわけだから、そこからポンと外へ出て行かないと。閉じ込める、というのは人間をダメにする。昆虫だって、閉じ込めても外へ出ていくでしょう。人間の一番の罪は、脳が発達していることだよね。今は、デジタル化も都市設計も脳化社会が生み出しているわけじゃないですか。そこに入りたくないけど、家賃は上がっていくし、一生懸命、白井聡の『マルクス 生を呑み込む資本主義』を読みながら、どうしようかなと考えてます。
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本日のコーヒー
UCC GOLD SPECIAL
PREMIUM 炒り豆 フルーティウェーブ 150g
『発見のあるコーヒー』をコンセプトに、UCCのロースティングとブレンド技術で、コク、苦み、酸味の奥にある特別な香りと味わいを表現したブレンド。口あたりは柔らかく、余韻にはブラックベリーやブルーベリーのような甘みのあるコクが感じらる。
『UCC GOLD SPECIAL PREMIUM』ブランドサイト
UCC公式オンラインストア
個人の愉しみとしてコーヒーのある場所に行く
— 最後に、日常におけるコーヒーがどんな存在か、教えていただけますか?
コーヒーは外で飲むものというのが私の概念です。ヨーロッパだと、近くのバールでエスプレッソを一杯カッと飲むじゃないですか。そういう感じ。なので、私は美味しいコーヒーが飲める店がある場所の近くに引っ越す。そこで、バリスタが淹れたエスプレッソを飲む。あれが本来のコーヒーの旨味なので。映画も一人で観ますし、あまり人とつるまないので、個人の愉しみとしてコーヒーを飲みに行きます。ドリップコーヒーを飲むときは、バリスタが「今日はこれがいいよ」とお薦めするものをチョイスします。対面だから、店に入ってきた瞬間から人を見て、豆を挽いて、淹れる。どんな豆をどの水で、温度で、どのタイミングで、どんなカップで、ロジックがちゃんとある。そういうバリスタのセンスを感じさせる店に通う。誰かに一杯のコーヒーを淹れるのも、その人に合う一着の服を着せるのと同じような哲学がある、と私は思うんですよね。
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北村道子
衣裳デザイナー/スタイリスト
きたむら・みちこ|1949年、石川県生まれ。10代でサハラ砂漠、アメリカ大陸、フランスを放浪し、30歳頃から、映画、広告、雑誌などで衣裳を務める。1985年公開『それから』以降、数々の映画作品に携わり、2007年には『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』で、第62回毎日映画コンクール技術賞を受賞。昨年、人気シリーズ待望の第3弾となる著作『衣裳術3』(リトルモア)を上梓。第40回毎日ファッション大賞にて、鯨岡阿美子賞を受賞。
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keredomo · 11 months
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ヒロスエの手紙
 ヒロスエのごく個人的な恋文が大衆に晒されたことがひたすらに悲しい。  有名人の個人的なことが暴力的暴露に晒されることにカタルシスを覚える者の感覚がまったくわからない。ヒロスエもまた自分と同じく人間であることを想像できない思考回路がわからない。その人が与えてくれる画面越しのきらめきを搾取するばかりで、自分の側からは相手に何の幸福ももたらし得なかった者たちが、ただただ身勝手に期待し身勝手に非難し、おのれの信じてきたものを守るためだけにひどく攻撃する。ヒロスエと自分があたかも対���であるかのように非難するくせに、ヒロスエが人間であることは認めない。その大衆のふるまいが憎い。あなたが信じるものとヒロスエが信じるものとは本来別物であって然るべきなのに、ヒロスエの倫理が自分と同じでなかったことを憎んで、好き放題叩く。あまりにも醜い。
 不倫の報道があるたびに(そもそも不倫を報道することが是である社会が狂っているのだが)大衆は「婚姻制度」を揺るがす事態に動揺して、婚姻制度に反撥した個人を「死んでもよい」くらいの勢いで、思いっきり叩く。その弱さがゆえの攻撃性が私には憎くて仕方ない。婚姻制度を信じることのしょうもなさに、その思考停止に、気づく余地もなく大喜びで信仰してそれが与える正しさに淫して、そんな有様ながら自分が信じているものを信じきれていない弱さを他者への暴力という形に転化させてしまう、無恥。あまりにも愚かだ。暴力に淫する人間の無様なこと。
 「愛」とか「好き」とかの、定義がさだかでないままに流布してしまった概念を扱うのが難しいのと似て、「婚姻制度」をどの程度確固たるものとして扱うかには時代による揺らぎがある。  自我を持つ同士の思想も感性も大きく異なる二者が育む複雑な関係がなす近代以降の恋愛と、国民をふやし国を強くする糧としての繁殖を目論んであつらえられた婚姻制度とは、ほんらい別物でよかったはずだ。一緒くたにしたのは、国家が戸籍管理をスムーズに運用するためだろう。さらに道徳というものを導入し、社会の規律を守れる人間だけが正しい人間であると吹聴する。こうして悪魔的に賢い人間が作り出した婚姻制度は、人権侵害という暴力を正当化する頑丈な武器となった。元来、暴力を振いたくて振いたくて仕方ない生き物である人類はみな、大喜びでその武器を振り回し、人を傷つけまくっている。大いなる権力が認めている道理に従えばおのれもまた正しいものになれるのだと信じ、その正統性を主張することで他者を嬲る暴力の快楽に、愚衆はあらがえない。
 婚姻において夫婦間の愛情関係が維持されるべきだというのは、ロマンティックラブイデオロギーが強要する信仰にすぎない。その信仰を強化するための生ぬるいフィクションが未だに世に喜んで受け入れられているのを、白けた目で見ている。社会に促されるがままに家父長制という神を信仰させられている人間たちは、自身が信仰する神のありかたに反抗する者を断罪したくて仕方ない。セクシャリティの多様性には寛容な態度を示す者も、なぜか婚姻契約の反故については目の色を変えて激怒し暴力を行使しようとする。己の信仰が脅かされれば、安寧もまた脅かされるからだ。狂ったように、自分の信じる脆い倫理の埒外にある人間を傷つけようとする。
 何が正しいのか、何が正しくないのか、正しさの基準点を見定めて自分自身でしかと判断するには、膨大な労力がかかる。それを全うするためには、自分が生きていて手が届く範疇よりも広い世界に眼差しを開き、その無知を恥じ、愚直に学び、知るために奔走し、知がもたらす自己否定の痛みを伴いながら異和を受け入れ、おのれの状況・環境を相対化して広い意味で客観視する必要がある。その学びを怠って、ぬるま湯に浸って生きている人間に、他者を非難する権利などないはずだろう。脊髄反射で他者を叩くことなど、少しでも知性が働けばとても出来やしないはずだ。芸能人の不倫ゴシップに沸き立つ人間が「相手も同じ人間である」「その相手は自分と異なるバックグラウンド・状況に立っている者である」と考え至るだけの想像力を欠いているのは、国家が婚姻制度を「信仰」に仕立て上げたせいだけではない。阿片のように与えられたその信仰を、一度たりとも疑わなかった者の咎でもあるはずだと言いたいのだ。
 一口に婚姻といっても、個のなす一対一の関係である以上、そこに築かれる文脈は膨大なものになる。配偶者のモラルハラスメントからようやく逃げ延びた先が家族ではない他者だったのかもしれない。妊娠だけを強制される性交に苦しんでいた日々の唯一の救いが家族ではない他者だったのかもしれない。もちろん、幸せな結婚生活・家族計画もこの世にはごまんとあるだろう。しかし、それと同じように、幸せではない結婚生活・家族計画もごまんとある。  婚姻関係と家族を神聖視することは、間違いなく一つの宗教にすぎない。それがきちんとあなたに幸福をもたらしてくれているのなら、そのまま信じていてほしい。あなたが幸福であるのなら、私は何の文句もない。けれど、信仰に従った十全な幸福に浸ることが叶わず、異教徒を迫害し討伐しようとして首を刈り耳鼻を削ぎ死体を燃やすような真似だけはしてほしくない。そんなかたちでカタルシスを得たところで、結局はだれも幸福にならない。
 「個人」という概念は近代、明治以降の開化政策によって西洋から日本に導入された。それまでの日本は「共同体」を重んじる社会で、たとえば村落の夜這いのシステムは本来「夜闇にまぎれて女を襲って身勝手な快楽を得るため」ではなく「試しに知り合い同士で体を重ね、もし女性側から性的な面での合意がとれればまぐわい、夫婦となりましょう」といった至極理性的なものであった。そういう伝統を明治維新によってがらりと覆した結果、かつてのシステムが機能しなくなり、人口維持ができないことを恐れ、共同体を離れた個人間の恋愛を繁殖制度に持ち込んだのはほかでもない国家だった。  初めて国際政治の場に立った日本が直面したのは、国家の「武力的」繁栄のために人口を増やす必要があるという喫緊の課題であった。明治政府も大正政府も、戦争の可能性を視野に入れて、兵となる国民を殖やすのに躍起なのだった。それで産めよ殖やせよをやっているうちに、生殖につながる恋愛感情を利用する策を講じたのがうまくいった。その成功体験を引きずってこんにちまできていて、だからLGBTQ+のことを「非生産」として認めないばかげた与党をやっているのだろう。とっくに不戦条約を掲げているはずの憲法を改めてまで戦争を望み、非生産な結婚を望まず、女を産む機械だと言って憚らない政府に反撥するのであれば、婚姻制度自体もきちんと疑うべきではないのか。なぜ陽動されていることに気づかないのか。
 国家の敷いたレールに人生を捧げるかどうかは、個人がそれぞれに選べばいいと思う。ただし、自分が選んだ道を正しい道だと盲信し、他者に強要することだけは避けてほしい。あまつさえ、自分は国家に従っているがゆえに圧倒的に正しく、おのれの盲信に反した他者を叩く権利を持っているなどと前近代的なことを主張するのはやめてほしい。  それぞれの人生をそれぞれが選ぶことを容認し、選んだ道が同じではなかったことを責めることなく、自分だけの人生を謳歌してほしい。それがいわゆる本質的な多様性なのではないか。「多様性」は善性を大いにはらんだ言葉であるように見なされているが、まったくそんなことはない。信じる神が違う者同士が隣人となった時に、いかに共存するか、共存するための自治を対話によって確立できるか、そういう難しい話であるはずだ。一方的に叩き、相手の尊厳を貶めるのは対話ではなく暴力であり戦争の契機にすぎない。
 ヒロスエの手紙を晒すことによる公開処刑は、日本社会の幼稚さをあまりにも無様なかたちで明らかにした。ここまで、大きな社会構造の話をしてきたけれど、最後に個人の話に焦点を戻して終わろう。  誰を責めたところで、自分の人生がよくなることなどないはずだ。無為な、鬱憤晴らしの暴力を他者に振ったところで何も変わらない。見つめるべきは他者よりもおのれではないか。おのれを見つめて、愛のありかを定めるのが、人生というものではないのか。  あなたのそれは、他者を貶めることで守れる程度の安い人生なのか?
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nostalblue · 1 year
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移住した経緯(その漆)
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しかし私のように賃貸アパートに独り暮らしという場合はそんな悠長にはいかない。留守にしていても家賃と水道光熱等の基本料で毎月相当額が預金から吹っ飛んでいくからだ。さらに賃貸契約更新日も目前に迫り、更新料払うことになるのは最悪なので、その前月を転居完了期限と決め移住先を探すことになった。残り僅か数ヶ月なので急かされてしまい精神的余裕がないが、新たな生活のために出来るだけ資金を維持しなければならないので致し方ない。しかしダラダラと先延ばしするのではなく、限られた期間で集中して物件探索することは作業効率や実行性が上がるのもまた事実だ。
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兎にも角にも、まずは移住先選定のための条件を決めなくてはいけない。これまで農体験などで田舎に滞在した経験も踏まえ、自分の目的や価値観に基づきリストアップしていく。
・すぐに住み始められる家屋があること(部分的なリフォーム必要は許容)。物持ちなのでそれらを配置して利用する為の充分なスペースがあること。
・菜園として利用可能な土地付き(500平方メートル以上)。住居と隣接していることが理想(近隣で土地が借りられると言う話は不明確かつ不安定なので乗らない)。
・充分な日照が得られる場所であること。
・温暖な地域であること。雪が降る地域は対象外。
・急傾斜地(崖崩れリスク)、川沿い(軟弱地盤や浸水リスク)、沿岸部(津波・強風・塩害リスク)でないこと。
・市街地と離れすぎていないこと(全てを自給できるわけでないので定期的な買い出しは必須)。
・水道(井戸でも可)、電気の供給がされること(ガスは状況による)。
・インターネットがそれなりに使用できること(テレビや携帯電話は使えなくても構わない)。
・通販で物資が購入でき、数日内に自宅まで配送して貰える環境であること。
・地域のしがらみが少ないところ。自分事に没頭したいので祭りや会合などのイベントに強制的に駆り出されないところが望ましい。
・モノカルチャーな地域はいろいろな意味で多様性に欠けるため対象外。
・現居から自力(自家用車)で引越運搬できる距離にあること(隣県までが限界)。
・物件の価格。リフォームが必要ならその費用も見込んで予算内であること。
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(その捌に続く)
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nyantria · 10 months
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知らないのは日本人だけ。欧米はビジネスの道具として「憎しみ」を操っている=鈴木傾城
2023年7月17日
https://www.mag2.com/p/money/1337107
世界史は意図的に仕掛けた「憎しみ」によって起こっているというのは、小学校の頃から教えておいた方がいい。知らなければ何度でもワナにハマってしまう。戦争の裏側にいる「黒幕」は、今も昔もこの「憎しみ」という強い感情を操り、世界中で金儲けの機会を生み出している。(『 鈴木傾城の「ダークネス」メルマガ編 』)
欧米は「憎しみ」を煽り立てて何をしているのか?
現代の世界が憎しみに溢れているのはなぜか。それは、人間がもともと「憎しみ」という感情を心に持っているからだ。この「憎しみ」に着目した国々があった。広大な植民地を持っていた欧米諸国だ。
全世界を統治した欧米諸国は、支配下においた国が自分たちに刃向かわないように、恐ろしい「仕掛け」を用意した。それが**「分割統治」**である。
1. ある国を力で征服する
2. 国民を宗教や人種で2つのグループに分ける
3. 互いに相手を憎み合わせて消耗させる
4. そして、統治者に刃向かわないようにする
これはイギリスが得意とした統治である。イギリスが植民地を放棄したあとも、対立と憎悪は消えるわけではないので、それがそのまま現代の紛争となって爆発している。
インド国内のヒンドゥー教徒とイスラム教徒。中東のイスラム教徒とユダヤ教徒。スリランカのタミル人とシンハラ人。香港の中国人とインド人。イギリスの支配下にあった国々は、ほとんどがこの分割統治時代の憎しみに今も揺れ動いている。
これを、そのまま受け継いだのはアメリカだが、アメリカは軍事国家なので「憎しみ」の使い方が違い、自分が邪魔だと思っている国の周辺国に対して「憎しみ」を煽り立て、戦争を起こして軍事に介入して破壊と復興で儲ける仕組みを取っている。
「憎しみ」を煽り立てるのはアメリカだが、アメリカに刃向かって来ないように双方が永遠にいがみ合うようにして互いに消耗させる。
ロシアとウクライナはもともと犬猿の仲だが、その「憎しみ」を煽り立て戦争をさせて、アメリカの敵であるロシアを徹底的に疲弊させているのはアメリカだ。
互いに憎しみ合わせ、そして争わせた
世界史は欧米が仕掛けている「憎しみ」による分断によって起こっていたというのは、小学校の頃から教えておいた方がいいように思う。知らなければ何度でもワナにハマってしまうからだ。
たとえば、インドを見てほしい。
インド人はよく自分たちの国を「バーラト・マーター(Bharat Mata)」と言う。「母なるインド」という意味だが、その巨大な国土はしばしば女神に見立てられる。そのために、イギリスが去った後のインド・パキスタンの「分離独立」は、女神の身体を切断するイメージとして捉えられた。
東西パキスタンはインドの腕と見られていたから、分離独立が決まった1947年には、ネルー首相がバーラト・マーターの腕をナイフで切断しようとする風刺画が描かれていた。パキスタンとバングラデシュは、切断された女神の「片腕」だったのだ。
インドがイスラム教徒を取り込めなかったのはなぜか。1877年にインドがイギリスの植民地になってから、統治者イギリスはインドのヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立を、実に巧みに煽って利用していたからだ。
互いに憎しみ合わせ、そして争わせた。
イギリスは、ヒンドゥー教徒を結束させて反英闘争を行ったガンジーに対抗させるために、イスラム教徒やシーク教徒を支援してヒンドゥー教徒と対立させた。
イスラム教徒やシーク教徒は、インドでは少数派だ。だから、強大なイギリス政府のうしろ盾を得てヒンドゥー教徒と対抗するのは合理的な選択だった。
しかし、精神的指導者であったガンジーの融和をことごとくはねつけるイスラム教徒は、イギリスの思惑通りヒンドゥー教徒の激しい憎しみを買った。それが、ガンジーの推進する非暴力主義とは別に、過激なヒンドゥー至上主義者を生み出す元になった。
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ari0921 · 7 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)11月11日(土曜日)
    通巻第7995号
 「プーチンの頭脳」と言われた、あのロシア思想家はいま
   NATOをフィンランド化、中国を分裂させ、日米同盟を離間させよ
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ロシアの政治思想家アレキサンドル・ドゥーギンは、その後、どうしているか?
かれは「プーチンの頭脳」とまで言われた。娘のダリアが父親の車で走行中に爆殺され、身代わりになったと言われた。この狭隘なロシア民族主義を謳う思想家は、しばしなりを潜めていた。
 ドゥーギンの娘ダリアはギリシア思想史に詳しく学生時代には父親の思想とは距離を置いたが、しだいにロシア地政学と民族主義に接近し、ウクライナ侵攻作戦を支持する言論活動を展開していた。
 2022年8月20日に起きたダリア暗殺は、ウクライナのSBU(保安庁)の仕業と見られるが、犯人として手配されたのはアゾフ大隊の流れをくむ活動家だったともいう。享年29歳。
 ドゥーギンは明確なロシア至上主義を唱え、「プーチンのイデオローグ」と言われるのだが、最近の発言で「ロシアの真の同盟国はイラン、北朝鮮、ベラルーシといった『のけ者国家』だ」と自嘲気味な発言もしている。
彼は「現代のドストエフスキー」、「右翼のトロツキー」、「正教会の修道士」、「第二のラスプーチン」、或いは「もう一人のトルストイ」などと毀誉褒貶が激しい。
 ひと頃のドゥーギンンはパラノイア的な地政学を主唱し、「カリニングラードをドイツに返還し、NATO諸国をフィンランド化し、日本に千島列島を返還し、日米同盟を亀裂させて日本をロシアの同盟国とせよ。中国は分裂させるべきだ」などと唱え、その神秘主義あるいはオカルト的妄言は、パラノイア民族主義、あるいはウルトラナショナリストとも見られた。
だが、ドゥーギンはプーチンの側近でもなく、クレムリンとの絆は殆どなく、「プーチンの頭脳」というのは宣伝でしかない。
ネットのインフルエンサーとして、むしろ娘のダリアの影響力のほうが強かった。暗殺標的はドゥーギンではなく、テロリストは最初からドゥーギンの娘をターゲットとしていたとは佐藤優氏の分析だ。
 ▼オカルト的な神秘主義をプーチンが好むだろうか?
かれは多言語に精通し博学で社会理論、難解な文学、規範哲学に精通している。
ハンティントンの文明主義からアレイスター・クロウリーの悪魔主義、極左サンディカリズムから極右伝統主義と多彩なアプローチに対応してきた。モスクワ大学で教授を務めたほど博学だった。
ドゥーギンは基本的にはニヒリズムに立脚し、反自由主義革命を公然と呼びかけ、国際秩序の終焉を予言し、西側に対する完全な嫌悪感を示してきた。だからロシア人の愛国者でもドゥーギンの思想に戸惑いを感じた。
ドゥーギンの哲学的発言や政治的思想は、古典的な地政学、伝統主義、オカルティズム、フランスのポストモダニズム、ヨーロッパのニューライトなどの受け売り部分が濃厚にあって、もしプーチン大統領との共鳴部分があるとすれば、「新ユーラシア理論」である。
新ユーラシア主義を主唱するドゥーギンの考え方は、ロシアが「モンゴル帝国」のような伝統主義的なユーラシアの宗主となって、近隣諸国を包摂し統合することを理想とする。
この新ユーラシア主義がプーチンの外交政策立案に直接的影響を持ったことはない。
けれどもロシアに対する西側の長年の敵意、伝統的な陸上大国と海洋大国の間の避けられない戦い、邪悪な外国勢力によるロシア社会の転覆などとするドゥーギンの被害妄想的な地政学的分析が、プーチン政権の基本的な西洋観、歴史観と類似性があることは事実だろう。
ドゥーギンは2023年2月24日、珍しく日本のTBSのインタビューに応じ、「ロシアが勝つか、人類が滅びるかであり、ロシアが勝てば世界は平和になる」と神秘主義的預言をしている。
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takahashicleaning · 6 months
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TEDにて
ヴィージェイ・クーマー :自律的に協力し合う飛行ロボット
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
アメリカのペンシルベニア大学のヴィージェイ・クーマーの研究室で開発しているクワッドローター型の小さく敏捷(びんしょう)な飛行ロボットは、自律的に集合を作り
お互いの存在をカメラで認識し臨機応変にチームを組んで、建設や災害時の初動調査やその他様々なことをこなします。
コンピューター制御の方法は、12次元に及ぶ複雑な計算を驚くべきことに、4次元の最小スナップ軌道に変換する計算に置き換えて、しかも!、内部の高速なCPUを処理させていくことで軌道をリアルタイムで、微修正していきます。
他に、リアルタイムな高速なセンサーフィードバック技術リアルタイムな高速なモーションキャプチャー技術も導入しています。
最後には、映画007のテーマソングを自律的なロボットが自動演奏してくれます!
私が、今、手にしているロボットは、私の学生アレックスとダニエルが作ったものです。重さは、50グラムほど消費電力は15ワットで見ての通り、直径20センチほどの大きさです。
このようなロボットの仕組みを簡単にご説明しましょ。4つのローターが、すべて同じ速さで回っているとき、ロボットは空中で静止します。
4つのローターの回転速度を上げると上に加速し上昇します。ロボットが傾いていれば、当然、その傾いた方向に進むことになります。ロボットを傾けるには2つの方法があります。
この写真で4番ローターは速く。2番ローターは遅く回っています。そうするとロボットを「ローリング」させる力が働きます。一方、3番ローターの回転を速く。
1番ローターの回転を遅くするとロボットは手前側に「ピッチング」します。最後に、向かい合った2つのローターを他の2つより、速く回転させると垂直軸を中心に「ヨーイング」します。
オンボードプロセッサは、行うべき動作に対して必要となるこれらの方法の組み合わせを求め、モーターに対して毎秒600回送る命令を決めています。それがこの基本的な仕組みです。
この設計が有利な点は、サイズを小さくするほど、ロボットの動きが敏捷になることです。ここで、Rはロボットの大きさを表す数字で実際には半径です。Rを小さくすると様々な物理的パラメータが変わります。
中でも一番重要なのは、慣性。すなわち動きに対する抵抗力です。回転運動を支配する慣性の大きさは、Rの5乗に比例します。
ですから、Rを小さくすると慣性は劇的に減るのです。結果として、ここでギリシャ文字のαで表している角加速度は1/Rになります。Rに反比例するのです。
小さくするほど速く回ることができるようになります。このようなロボットを作る理由は何かというと多くの平和的な応用があるからです。
自律的なロボットが、解決すべき基本的な問題は、1つの地点から別の地点へ移動する方法を見出すということです。これが簡単でないのは、このロボットの力学的特性が極めて複雑なためです。
実際、12次元空間で考える必要があり、そのためちょっとしたトリックを使って曲がった12次元空間を平らな4次元空間に変換しています。その4次元空間は、X、Y、Z座標とヨー角からなっています。
そうするとロボットがするのは、最小スナップ軌道を求めるということになります。物理学のおさらいですが、位置の変化を微分していくと速度、加速度、ジャーク、スナップとなります。
このロボットは、スナップを最小化するようになっています。それは、結果としてなめらかできれいな動作を生み出すことになります。
また、障害物の回避も行います。この平らな空間における最小スナップ軌道を 複雑な12次元空間へと逆変換して、それによって制御や動作の実行をするわけです。
MITの物理学者であり、AIの研究者であるマックス・テグマークの言うように・・・
ロケットの話と似ていて技術が単に強力になれば良いというものではなく、もし、本当に野心的になろうとするなら、コントロールの仕方と、どこへ向かうべきかも理解しないといけません。
エリエゼル・ユドカウスキーが、「友好的なAI」と呼ぶものです。そして、これができれば素晴らしいことでしょう。病気、貧困、犯罪など苦痛というマイナスの経験を無くすことができるだけではなく、様々な新しいプラスの経験から、選択する自由を与えてくれるかもしれません。
そうなれば、私たちは自分の手で運命を決められるのです。そして、準備がないままにつまづきながらアジャイル(=機敏さ)で進んで行くとおそらく人類史上最大の間違いとなるでしょう。
それは認めるべきです。冷酷な全世界的独裁政権が可能になり、前代未聞の差別、監視社会と苦しみが産まれ、さらに、人類の絶滅さえ起こるかもしれません。
しかし、注意深くコントロールすれば、誰もが裕福になれる素晴らしい未来にたどり着くかもしれません。貧乏人は、金持ちにより近づき、金持ちはさらに金持ちになり、みんなが健康で夢を追い求めながら自由に人生を送れることでしょう。
その他に、行政府自身が社会システム全体の資源配分の効率化を目的とする保証はないため政治家や官僚は自らの私的利益のために行動を歪め、市場の失敗を矯正するどころか資源配分をより非効率にする可能性すらあります。
続いて
人間自体を、追跡すると基本的人権からプライバシーの侵害やセキュリティ上の問題から絶対に不可能です!!
これは、基本的人権がないと権力者が悪逆非道の限りを尽くしてしまうことは、先の第二次大戦で白日の元にさらされたのは、記憶に新しいことです。
マンハッタン計画、ヒットラーのテクノロジー、拷問、奴隷や人体実験など、権力者の思うままに任せるとこうなるという真の男女平等弱肉強食の究極が白日の元にさらされ、戦争の負の遺産に。
基本的人権がないがしろにされたことを教訓に、人権に対して厳しく権力者を監視したり、カントの思想などを源流にした国際連合を創設します。他にもあります。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
権限が分離されていても、各権力を実行する人間が、同一人物であれば権力分立は意味をなさない。
そのため、権力の分離の一つの要素として兼職の禁止が挙げられるが、その他、法律上、日本ではどうなのか?権力者を縛るための日本国憲法側には書いてない。
モンテスキューの「法の精神」からのバランス上、法律側なのか不明。
立法と行政の関係においては、アメリカ型の限定的な独裁である大統領制において、相互の抑制均衡を重視し、厳格な分立をとるのに対し、イギリス、日本などの議院内閣制は、相互の協働関係を重んじるため、ゆるい権力分立にとどまる。
アメリカ型の限定的な独裁である大統領制は、立法権と行政権を厳格に独立させるもので、行政権をつかさどる大統領選挙と立法権をつかさどる議員選挙を、別々に選出する政治制度となっている。
通常の「プロトコル」の定義は、独占禁止法の優越的地位の乱用、基本的人権の尊重に深く関わってきます。
通信に特化した通信プロトコルとは違います。言葉に特化した言葉プロトコル。またの名を、言論の自由ともいわれますがこれとも異なります。
基本的人権がないと科学者やエンジニア(ここでは、サイエンスプロトコルと定義します)はどうなるかは、歴史が証明している!独占独裁君主に口封じに形を変えつつ処刑される!確実に!これでも人権に無関係といえますか?だから、マスメディアも含めた権力者を厳しくファクトチェックし説明責任、透明性を高めて監視しないといけない。
今回、未知のウイルス。新型コロナウイルス2020では、様々な概念が重なり合うため、均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!人間の概念を数値化できないストーカー人工知能では、不可能!と判明した。
複数概念をざっくりと瞬時に数値化できるのは、人間の倫理観だ。
そして、サンデルやマルクスガブリエルも言うように、哲学の善悪を判別し、格差原理、功利主義も考慮した善性側に相対的にでかい影響力を持たせるため、弱者側の視点で、XAI(説明可能なAI)、インターネット、マスメディアができるだけ透明な議論をしてコンピューターのアルゴリズムをファクトチェックする必要があります。
情報技術の発展とインターネットで大企業の何十万、何百万単位から、facebook、Apple、Amazom、Google、Microsoftなどで数億単位で共同作業ができるようになりました。
現在、プラットフォーマー企業と呼ばれる法人は先進国の国家単位レベルに近づき欧米、日本、アジア、インドが協調すれば、中国の人口をも超越するかもしれません。
法人は潰れることを前提にした有限責任! 慈愛や基本的人権を根本とした社会システムの中の保護されなければならない小企業や個人レベルでは、違いますが・・・
こういう新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との
戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!
<おすすめサイト>
ラファエロ・ダンドリーア:魅惑的な未来の飛行ロボットを披露
マルコ・テンペスト:小型ドローンの群れが作り出す魔法
ラファエロ・ダンドリーア: クアッドコプターの驚くべき運動性能
すべて電動で動く人間が乗れるマルチコプター
グウィン・ショットウェル: 30分で地球を半周するSpaceXの旅行プラン
SpaceXのFalcon 9ブースターロケットが海上の無人ドローン船舶に着陸成功!!
ハワード ラインゴールド: 個々のイノベーションをコラボレーションさせる
ヘンリー・エヴァンズ&チャド・ジェンキンス: 人類のためのロボットを!
Drone Racing League ( DRL ) 101: What is FPV Flying?
Drone Racing League ( DRL ) : Gates of Hell The Dream Takes Form
Drone Racing League - Episode 1: Qualifying Round (Level 1: Miami Lights) - DRL
Drone Racing League - Episode 2: Semi-Finals (Level 1: Miami Lights) - DRL
Drone Racing League - Episode 3: Finals (LEVEL 1: Miami Lights) - DRL
Carbon Flyer: The Ultimate Crash Proof Video Drone
CyPhy LVL 1 Drone: Reinvented for Performance and Control
Intel’s 500 Drone Light Show
<提供>
東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
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benediktine · 6 months
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【チャリを交通の主役に 魅力発信、片山右京の挑戦 疾走チャリノミクス(1)】 - 日本経済新聞 : https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFK132ME0T10C21A2000000/ : https://archive.is/XQzTa 2021年3月21日 2:00 (2021年3月22日 2:00更新)
環境に優しく、健康によく、密も避けられる夢の乗り物――。脱炭素や新型コロナウイルス禍で改めて脚光を浴びる自転車。チャリンコと侮るなかれ。IT(情報技術)などの最新テクノロジーを取り込み、自転車経済圏は国内外で広がる。競技から開発、安全対策までそれぞれのフィールドを全速力で走るチャリダー(自転車乗り)を追う。
■《自転車競技の中心にカミカゼ右京》 東京五輪の競技運営責任者に、新設するプロリーグのチェアマン――。いま日本の自転車競技界の中心には、元F1レーサーの片山右京(57)がいる。かつて怖い物知らずの走りから「カミカゼ・ウキョウ」と呼ばれた男だ。
 {{ 図版 1 : 東京五輪の自転車競技スポーツマネジャーも務める片山 }}
「あなたの街へ興奮と感動を届けます」。こんなうたい文句で3月27日にシーズン1年目の幕を開ける自転車ロードレースのプロリーグ、ジャパンサイクルリーグ。新設に汗をかいた一人が片山だ。チェアマンとして組織体制作りやスポンサーの獲得に奔走。メインスポンサーには不動産大手の三菱地所が就いた。「多くの人たちが自転車に関心を持ち、スポーツとして応援しようとしてくれている」
人生最初の挑戦は小学校5年生の時、三重県から神奈川県の自宅まで走破した自転車旅行だったという。いったん遠ざかったが、F1レーサー時代、体力トレーニングで再び自転車に乗るようになった。引退後はその魅力に取りつかれ、数々の市民ロードレースに参加。2012年には自らロードレースチームを立ち上げた。「40代半ばから本格的に始めても、毎年記録が上がったり、200キロメートル以上走れたりする。頑張った分だけ確実に力がつき、生きてるという感覚をもらえる」
■《登山で環境破壊に危機感》
自転車に託すのは競技への思い入れだけではない。F1引退後、自転車とともに登山にのめり込み、キリマンジャロなど世界6大陸の最高峰登頂に成功した。だが、そこで見たのは消えゆく氷河やプラスチックゴミなどの環境破壊だった。
人力でペダルをこいで進む自転車は二酸化炭素(CO2)を一切出さない。脱炭素への意識が世界的に高まるなか、究極のクリーンモビリティとして注目され始めた。片山は「今後30年で公共交通の構造が変わり、自転車はその中心の一つになる。皆が自転車に乗って動き回るようになれば、自動車が入りにくい裏通りの価値も変わる」と訴える。
■《日本の自転車利用、拡大の余地》
特定の移動手段の利用頻度から算出した「交通分担率」をみると、日本の自転車は13%。最も高いのは自動車の48%だが、国土交通省の調査によると、自動車の移動距離は5キロメートル未満がうち43%を占める。同省は「短距離の移動で今後、自動車から自転車へ交通手段がシフトする可能性がある」(道路局)とみている。
 {{ 図版 2 : 日本の交通分担率の内訳 主要国の交通における自転車分担率 }}
■《車椅子に乗る15歳の社長》
「自転車産業はITとの融合でもっともっと成長する」。シェアサイクル事業、チャリチャリを展開するneuet(ニュート、東京・港)の社長、家本賢太郎(39)は、真っ赤な自転車が並ぶ本社内のガレージで力を込める。家本は15歳でネット関連のコンサルティング企業、クララオンライン(同)を立ち上げた異色の経歴を持つ。
 {{ 図版 3 : クララオンラインとニュート社長を兼務する家本(東京・港) }}
脳腫瘍の手術の後遺症で14歳から18歳まで車椅子生活を送った。電車など公共交通機関での移動に大変な不便を感じ、「移動に選択肢があることは幸せと感じるようになった」。特に羨望のまなざしで見たのは、自らの力だけで自由に移動できる自転車だ。
車椅子生活を終えた後、自転車は家本の趣味になる。そしてITを武器にアジアへ事業を拡大した際、中国で目の当たりにしたのはシェアサイクル事業の勃興だ。鍵となっていたのが、あらゆるモノがネットにつながるIoTだ。ITに精通した家本は「これなら自分にもできる」と思い立つ。
■《ITからシェア自転車に》
17年秋には福岡市でシェアサイクル事業を展開しようとしていたメルカリから「一緒にやりませんか」と声がかかり、IoT関連のサポートなど裏方仕事に携わった。そして19年夏、「ここから先は僕にリスクを取らせてほしい」と事業譲渡を持ちかけ、チャリチャリとして再スタート。今は名古屋、東京と事業を広げ、専用駐輪場(ポート)は430カ所、保有台数は2000台に達した。
 {{ 図版 4 : シェアサイクル「チャリチャリ」の専用駐輪場は430カ所に達した }}
チャリチャリはITの塊だ。利用者はまずスマートフォンにアプリをダウンロードし、付近のポートにある自転車を探す。見つけたらサドルの下にあるQRコードをアプリで読み取り、解錠。利用後は近くのポートに駐輪し、施錠する。料金は1分4円で、アプリに登録したクレジットカードに課金される。24時間365日利用できる。
全地球測位システム(GPS)が搭載されているため、万が一ポート以外に放置されても、すぐに見つけ出せる。買い物や通勤などの短距離移動はシェアサイクル、サイクリングなどの遠出は自分の自転車と住み分けが進めば、「日本が長年抱える放置自転車の解決につながる」。
日本のシェアサイクル事業は地方自治体が関わっていることが多いが、チャリチャリは行政から補助金を一切貰っていない。自立には利用率の向上が必須で、昼間人口の多さや人口密度の高さに加え、公共交通機関の乗り換えが不便な場所などを狙ってポートの候補地を探す。「シェアサイクルが日本でちゃんと事業として成り立つことをみんなに見せたい」
■《環境派市長「パリをつくり替える」》
チャリノミクスは国境を越える。「環境保護を進めるため、今すぐパリをつくり変えなければいけない」。市長のアンヌ・イダルゴ(61)は自転車でパリ中心部を疾走する。優先レーンを作るなどして、全ての道で24年までに危険なく自転車を利用できるようにする目標を掲げる。
 {{ 図版 5 : イダルゴ市長は環境保護のため、市民に自転車の利用を呼びかけている(パリ)=ロイター }}
14年に就任したイダルゴは環境派として、セーヌ川沿岸の一部を自動車進入禁止にするなどの政策を取ってきた。コロナ禍で人との接触を避ける動きが強まったのをきっかけに自転車の利用を一層促す。20年には自転車用レーンを60キロメートル分延ばすと表明した。
かつて自動車で混雑していたルーヴル美術館前の有名なリボリ通りはいまや、自転車で混み合うほどの様変わりだ。「大気汚染や騒音が著しく減っている」。イダルゴは胸を張る。
フランス政府も自転車の利用を後押しする。コ���ナ発生後、自転車の修理費を50ユーロ(約6500円)まで補助すると発表した。一時は数カ月待たないと予約が入らないほど修理業者がにぎわった。市場は爆発的に拡大している。仏テレビLCIによると、20年の仏自転車販売台数は330万台と19年比3割近く増えた。
■《自転車経済、年7%で成長》
今後も世界的に自転車市場の拡大は続きそうだ。英調査会社テクナビオによると、20年の世界の自転車市場は約540億ドル(約5兆9000億円)で、25年まで年平均7%で成長するという。
 {{ 図版 6 : スポーツ自転車が大きく伸びている(1店舗あたりの国内販売台数の前年比) }}
日本国内の20年の自転車市場規模(国内生産と輸入の合計)は約1300億円。最近では特にスポーツ自転車の伸びが大きい。野村証券チーフエコノミストの美和卓(53)は「スポーツ車は単価が高いだけでなく、ヘルメットやライトなどを追加購入しないと走れない。アパレルや付属品など周辺市場の広がりに期待できる」と話す。自身も約15万円でロードバイクを購入し、本体以上のお金をかけてギアやホイールを好みの部品に取り替えた。
 {{ 図版 7 : ロードバイクで通勤をする野村証券チーフエコノミストの美和(東京・千代田) }}
前日のニューヨーク市況のチェックから始まる美和の朝は早い。西東京市の自宅から東京・大手町の職場まではロードバイクで1時間半。夜の喧噪の名残ある新宿の繁華街を抜け、大手町が近づくころには皇居のお堀に反射する荘厳な朝日が見えてくる。6時過ぎに会社近くの駐輪場に愛車を止め、サイクルジャージからジャケットに着替えると、今日も美和の一日が始まる。
=敬称略、つづく
(生田弦己、松本萌、福井環、パリ=白石透冴)
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yamada50 · 1 year
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秀吉公薨去によって未完になった千畳閣 嚴島神社境内を見下ろす高台に桁行13間奥行8間の巨大な入母屋造本瓦葺でその巨大さから「千畳敷」とも呼ばれる豊国神社が鎮座します 豊臣秀吉公が毛利輝元に命じて建立させ、実際は毛利氏の軍司、安国寺恵瓊の指揮で造営されましたが朝鮮出兵により一時中断したのちそのままの姿を今に伝えているようです この千畳閣が現在本殿とされていますが神仏分離令以前は大経堂で中央には須弥壇を擁します 明治以後は豊臣秀吉霊神を祭神とし嚴島神社末社豊国神社となりました その後大正7年に加藤清正公霊神を合祀しています この千畳閣は国の重要文化財に指定され、世界遺産の構成資産にも指定されています #豊国神社 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 豊国神社(とよくにじんじゃ) 鎮座地:広島県廿日市市宮島町1-1 主祭神:豊臣秀吉公、加藤清正公 社格:無格社 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 #神社 #神社巡り #神社好き #神社好きな人と繋がりたい #神道 #神社仏閣 #shrine #shinto #日本の風景 #参拝 #神社巡拝家 #recotrip #御朱印 #御朱印巡り #御朱印好きな人と繋がりたい#神社建築 #神社仏閣 #パワースポット #広島県 #廿日市市 #宮島 #世界遺産 #国指定重要文化財 #千畳閣 #厳島神社 (千畳閣) https://www.instagram.com/p/CpXsq8gvY7W/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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