Tumgik
#天然ばかり集めた魚屋
longgoodbye1992 · 1 year
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夏祭り
インスタグラムのストーリーズに見知らぬアカウントの足跡がここ一月あった。
何となく察していたが思い切ってDMを送った。
朋香だった。
ストーカーと決めつけたのは俺の元上司で、無理矢理警察に連れて行かれて被害届を出したとやり取りの中で告白した。
花束をもらったのはすごく嬉しかったらしい。
それを踏みにじって傷をつけたのは元上司だった。
怒りを覚えたが、もう関わることのない人への思いをこらえて、朋香ともう一度話せてる現状を喜んだ。
日曜日に会う約束をしたが、その翌日に突然その日に行われる地元の夏祭りに呼ばれた。
待ち合わせをして一ヶ月以上ぶりに朋香と会った。
夏服で胸にはクラス章をつけていた。
髪型が少し変わって大人っぽくなっていた。
恥ずかしそうに顔を合わせない姿を見て可愛らしく思った。
何故かペットボトルのなっちゃんをオレンジを俺にくれた。
会場へと向かう。
何となく照れくさくて互いに上手く話せなかった。
屋台が立ち並ぶ通りを歩いていると、金魚すくいの前で朋香が立ち止まった。
「金魚すくいやりたい」
「いいね、やろうか」
二人分のお金を払って網をもらった。
二十年ぶりくらいにやった俺は五匹すくうのがやっとだったが、朋香は十匹以上を容易くすくい上げていた。
「めっちゃ上手いね」
「まだまだいける」
最後は大きい出目金に網を破られてしまったが、店主にも褒められるくらい朋香はうまかった。
「初めてやったんだ」
「マジかよ。どうやって覚えたの?」
「テレビで見て覚えた」
「それであんなに出来んのか。すごいな」
「天才だからね」
朋香は笑った。
「もう一回やりたい」
「いいよ、やろか」
「次負けたらさ、罰ゲームね」
「なんだよそれ」
「食べ物奢ること!」
「ははは、いいよ。俺も本気出すから」
結果的にトリプルスコアくらいで朋香に負けた。
朋香はチーズハットグ、俺は焼き鳥を買った。
ベンチに座って二人で食べる。
「今日誘った理由知ってる?」
「なに?」
「日曜日行けなくなった」
「そっか、それでね」
「次会えるのは受験後かな」
「そっか、忙しいもんな」
「一日予定空けるって結構きついから」
そんな話をして、先生の愚痴や友達の恋バナを朋香は俺に話した。
半分くらい食べた所で朋香はチーズハットグを残した。
「俺が食べようか?」
「いいの?ありがとう」
衣がスカートの上に落ちていて、それを朋香は持っていたティッシュで集めた。
「女子力高いから」
「ほんとやね」
朋香はおどけた笑いを浮かべた。
六時の電車で帰るというので、歩いて駅まで送った。
朋香は嫌がっていたがどうしても行きたかった。
会うのはこれが最後だと思ったから。
大した会話も無く駅に着いた。
「気をつけてな」
「ありがとう。それじゃ」
朋香は振り向くこともなくホームへ行った。
帰り道、LINEが届いた。
今日はすごく楽しかったこと、他に好きな人がいることが書かれていた。
俺の気持ちには応えられない。そうも書かれていた。
それでいいと思った。覚悟はしていた。
辛いことがあったら言いなよ。
そう返した。
そしてゆずのサヨナラバスの動画を送った。
予定時刻は六時。あと僅かで僕らは別々の道。
サヨナラバスはもうすぐ君を迎えに来て。僕の知ることの出来ない明日へ君を連れ去っていく。
サヨナラバスよどうか来ないでくれないか。やっぱり君が好きなんだ。
さようなら、さようなら。また笑って話せるその日まで僕は僕らしくいるから。
まさに俺の今の歌だと思ったから最後に送った。
ポケットにはなっちゃんオレンジ。
飲みながら駅から車へ戻った。
遠くから祭囃子が聞こえた。
これでやっと区切りがついた。
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elle-p · 11 months
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P3 Club Book Shinjiro Aragaki short story scan and transcription.
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料理天国、食べたら地獄
······ったく、 何で俺がこんなこと······」
「す、すいません荒垣先輩······っくしゅん!う~げほげほっ」
「ゆ、ゆかりちゃん、大丈夫?」
ここは、寮のゆかりの私室。ピンクのパジャマにカーディガンを羽織り、つらそうに咳き込むゆかりの背を、優しく風花がさすっている。体調不良を押してタルタロスに出撃し、ゆかりはすっかり風邪をこじらせていた。そんなゆかりのベッドの横には、同じく心配そうにたたずむ美鶴と、やや所在なげに立つ荒垣の姿があった。そして荒垣の手には、彼が言った “こんなこと” の成果である、温かそうな料理がトレイに乗って湯気を立てていた。どうやら、ゆかりを心配する美鶴に頼まれ、病人食の定番となる粥を作っきてくれたらしい。
「荒垣先輩って、優しいですよね」
「んな······っ!?ま、まあ、ただの気まぐれだ。気にすんな。さっさと食っちまえ」
風花の素直な言葉に、荒垣はそれだけ言ってぶっきらぼうにトレイを差し出す。
「 うう、ありがとうございます。はふ······」
ゆかりが、一見普通の粥に見えるその料理をスプーンですくい、ぱくりと口に入れた。
「どうだ?岳羽?」
熱くないか、ちゃんと飲み込めるかと、美鶴が母親のように心配げに声をかけるが、その目の前でゆかりの表情がみるみる蕩けた。
「ぅ美味しい~っ!何これ、どうやって作ったんですか? 信じらんないー!」
先ほどまでの苦しそうな様子はどこへやら、あっという間に元気を取り戻したゆかりが、凄い勢いで手と口を動かし、器の中身はさほど間を置かずに空になってしまっていた。
「どうやってつーか、ま······適当だな。普通の粥じゃ栄養が足りねえかと思って、中華風のミルク粥にしてみた」
あっさりと荒垣は言うが、じつはけっこう手間がかかったもの。ニンニク、生姜、ネギのみじん切りをゴマ油でじっくり炒め、米と具---拍子木に切ったニンジンと大根を投入して鶏ガラスープを注ぎ入れる。あとはフタをし、沸騰したら吹きこぼれないよう弱火でことこと30~40分。米が十分柔らかくなったところで、牛乳を入れて塩で味をととのえ、できあがったものがこちらにございます、という感じ。体の免疫力を高める、炭水化物や蛋白質、ビタミンA・B・Cに β カロチンを含む、まさに完璧なる病人食なのだ。
以前から、荒垣の料理はプロ並だと真田あたりが言っていたが、その現物を実際に口にしたゆかりは、想像以上の感動を味わっていた。ゆかりは素直に、その賞賛を口にする。
「適当なんてとんでもない!荒垣先輩、もう最高ですよ!尊敬します!」
「バカ野郎······なに恥ずかしいことを······」
「なーに謙遜してるんですか?食事は人間の基本ですよ。大切なことです。それをしっかりできる荒垣先輩は立派です!もう、他の男連中にも見習わせたいぐらいですよ。人として、料理のひとつもできなきゃ駄目だって、ね」
興奮気味で止まらないゆかりの演説に、そこで突然ストップがかかった。
「ちょーっと待ったぁ!」
「!?じゅ、順平?それに皆も?」
ゆかりの部屋の入り口に、順平を先頭にして寮生の面々、すなわちこの部屋にいなかった全員が集まっていた。順平の足元からはコロマルまでが顔を出している。
「何ごとよ、いったい?」
「いや、あんまりいい匂いなんでな、つい······」
正直に真田が言いかけるが、それを体ごと遮って順平がびしっと指を突きつける。
「ゆかりッチ······貴様はオレを怒らせた!」
「は、はぁ?」
「料理ができなきゃ人として駄目?料理がお上手な岳羽サマは、オレたちが人間じゃないとおっしゃるわけだよな?」
「い、いや、別にそこまでは······。そ、それに順平がまともに料理できないのは事実じゃん」
と、そこで順平は、ちっちっと指を横に振る。
「料理が “できない” と “やらない” は違うんだぜ、ゆかりッチ。それに、オレだけじゃねえぞ、お前が傷吻つけたのはな······」
くくっと、芝居の気まんまんで順平が涙をこらえるように両目を手で押さえた。その言葉に、ゆかりが周囲をあらためて見ると。 「あ」
ベッドの脇で美鶴と風花が、顔を伏せてどんよりと暗い空気をまとっていた。
「い、いや、あの。私······別にそういうつもりじゃ······せ、先輩?風花?」
「ゆえにっ!!」
ぐわっと伏せていた顔を上げ、順平は大いに 盛り上がって高らかに宣言した。
「貴様に料理勝負を挑むっ!!」
「はぁ?」
かくて、第一回巌戸台分寮クッキング王決定戦の開催が決定したのであった (どどーん)
「という訳で、本日の司会はわたくし、アイギスがお送りするであります。いかがでしょう、解説の天 田さん」
「······みなさん、ヒマですね」
「なるほど。では、審査委員長の荒垣さん」
「······ったく、 何で俺がこんなこと······」
順平が宣言した翌々日。ゆかりがすっかり体調を取り戻し、ちょうど日曜ということもあって、ついに料理対決が開催される運びとなった。おそらく仲間内でもっとも鋭敏な味覚を持つであろう荒垣を審査委員長とし、味覚がないアイギスは司会を勤めることになっている。天田も参加をうながされていたが、「なんで僕が料理なんか······小学生に何を期待してるんです?」と一蹴し、解説者の席についている。そして、残る全員が参加者兼審査員というわけだ。
当初、美鶴と風花は徹底的に拒否の構えを見せていたのだが、「お祭りみたいなもんだし」とか、「何ごとも経験だし」とかいう順平の甘言で徐々に態度を軟化させ、ついには「······にイイとこ見せるチャンスなんだけどなー」という、とある個人名を出しての決定的なひと言で、料理対決に参加するよう洗脳、もとい説得されてしまったのであった。
「では、いよいよ競技を開始するであります。最初はゆかりさんからお願いします」
「オッケー!見てなさいよ、順平!」
意気揚々とゆかりが持ってきた料理、それは本人の自信を裏切らない見事なできばえ。見た目からして美味しそうな、幕の内弁当である。卵焼き、焼き魚、かまぼこといった幕の内弁当定番のおかずに加え、小さなハンバーグやチーズチキンカツなど洋風のおかずも入っている。もちろんご飯は俵型に成型され、上にはパラパラと黒ゴマが振りかけられている。
「うん、なかなかやるじゃねえか」
卵焼きをひと口かじった荒垣の評価に、ゆかりがガッツポーズを決め、それに続いて他のメンバ ーも横から次々に箸を伸ばす。
「焼き魚は西京味噌漬けか······いい仕事だ」
「うわあ、このかまぼこの切り方、凝ってる」
「もう、優勝は岳羽で確定か?」
立て続けに上がる賞賛の声に、ちょっと照れたような誇らしいような顔でゆかりが言う。
「あ、でもね。今回は意外なライバルがいたっつーか······私も食べてみたいんだよね、 彼の」
そのゆかりの視線の先にいるのは、自己主張が足りない気味の現場リーダーの姿。だが、前髪で隠され半分しか見えない顔に、常にはない自信がかすかに滲んでいるような気もする。
「では、続いてお願いしましょう」
アイギスに促され、2番手の料理が運ばれる。
「おお······!」
それは、ちょっとしたレストランで出してもおかしくないアサリとトマトのパスタ、ボンゴレ・ロッソであった。さっそく審査委員長の荒垣が、フォーク一本で器用にパスタを巻きつけて、ぱくりと口に入れる。
「ちょっとパスタが柔らかいが、合格点だな」
「どれどれオレにも······おおっ、美味ぇ!」
「アサリとトマトって合うのねー」
意外といえば意外だが、幼い頃に両親を亡くしてひとり暮らし歴も長い彼は、料理の腕は決して悪くないのである。ただ、あっさりした性格ゆえか、パスタや丼ものなど簡単に作れるものに限られるというのが弱点といえなくもない。
「で、次は誰だ?」
連続して出される美味い料理に、最初は苦い顔をしていた荒垣も、上機嫌になってきたようだ。やはり、楽しい食事は人を和ませる。もしかすると順平は単に、荒垣と他のメンバーとの間の距離を、少しでも縮めようとして料理対決を企画したのかもしれない。もし、そうだとしたら、その意図は十分に果たされつつあった。
だが。
そんな楽しい雰囲気は、あまり続かなかった。
「······なんだこりゃ?」
「え、えーっと、ラーメンっす」
「カップ麺じゃねえか」
荒垣の前にあるのは、お湯を入れて3分でできるカップ麺だった。ちなみにシーフード味。
「い、いやカップなんすけど!ちゃーんとオレなりの工夫があってですね。荒垣先輩のミルク粥にヒントを得て、牛乳で作ってますっ!」
荒垣がうげっという顔をする。残りの連中も、一様に嫌そうな顔を浮かべている。 「え?え?みんな何だよ?いや、マジ美味い
んだって!」
「たとえ美味くても······料理じゃねえだろ」
「順平さん、失格であります」
どこに置いていたか、アイギスが横にあった鐘をカーンと1回鳴らす。
「いいっ!?そ、そんなぁ······」
がっくりと肩を落とす順平。ただひとり、そのカップ麺をひと口すすった現場リーダーが、うんまあ不味くないよ、といった感じで順平の肩をぽんぽんと叩いていた。
「では、続いて美鶴さん、お願いします」
事態は、破滅に向かって加速していた。
「鴨肉のコンフェ、フォアグラとトリュフ添えだ。素材はすべてフランスから空輸させた」
胸を張って、 豪華な銀の皿を突き出す美鶴の顔には、しかしだらだらと汗が流れていた。皿の上の料理を凝視しつつ、荒垣が尋ねる。
「······鴨は、どれだ?」
「こ、これに決まってるだろう」
「この黒いのは?」
「と、トリュフだ」
「こっちの黒いのは?」
「フォアグラ······だと思う」
「んじゃ、こっちの黒いのは?」
「ええと······付け合せのポロ葱、か?」
聞かれても困る。
下を向いていた荒垣は、凶悪な光を目に宿らせつつ、美鶴に向かってぽつりと言った。
「全部、炭じゃねえか」
「ま、まあ多少火加減を間違えたかもしれないが、素材はいいんだ。食ってないと······」
「食えるかぁ!次だ次!」
世界の終わりのような顔をする美鶴を尻目に、アイギスが鳴らす鐘がかーんと響いた。
「俺は料理などあまりやったことがないからな。変なものを出すのも申し訳ないから、シンジの料理を真似させてもらうことにした」
続く真田の料理は、白濁したスープのようなものだった。どうやら、 荒垣が一昨日作ったミルク粥を参考に作ったらしい。
「順平も、どうせシンジの料理を参考にするならこうするべきだったな。まあ、俺も多少は自己流にアレンジさせてもらっているが」
既に勝ち誇った様子の真田に、荒垣も苦笑しつつ答える。
「くくっ、アキの料理か······そう簡単に俺の味が盗めるもんかよ」
「食べてみなければわからんだろ?」
「わかったわかった。じゃ、いただくぜ」
スプーンで粥をすくい、軽く冷ましてから口へと運ぶ。そして、刹那の間を置いて。
ぶぴゅる。
変な音と同時に、荒垣の鼻と口から白濁液が吹き出した。
「な、な、な、なんだこりゃあっ!!」
「牛乳よりも高蛋白で低カロリーなプロテイン粥だが······筋肉にはいいぞ?」
「食えるかあああああっ!!」
「最後に風花さん、どうぞ」
鐘を鳴らしつつ、 アイギスが淡々と言った。
---それから、5分後。この世のものとは思えない絶叫が、月光館学園巌戸台分寮から響き渡った。付近の住民の通報で、パトカーや救急車が出動したが、とくに事件性はないとのことで早々に引き上げたらしい。ただ、目撃者の証言によると、捜査員や救急救命士たちは一様に、口や腹を押さえていまにも嘔吐しそうな表情を浮かべていたとか。その日、どんな恐ろしいことがあったのか、口を開くものはいない。
「いいかお前らっ!料理の命は火加減!それと塩加減だ!いいな、順平!」
「う、ういっすっ!」
「あと常識だが、プロテインは料理に入れるなよ!わかったか、アキっ!!」
「あ、ああ、わかった」
「つか、山岸!なんでそこでタバスコとか入れるんだ!色を基準にして調味料足すんじゃねえ!味見しろ味見っ!」
「は、はいっ!」
料理対決の翌日。寮のキッチンでは突発料理教室が行なわれていた。こいつらの料理の腕を放置していたら、いずれ人死にが出る。事実、俺は死にかけたという荒垣の命令で、順平、真田、美鶴、風花に対し、マンツーマンで料理を教えることになったのだ。
「······ったく、何で俺がこんなこと······」
そうボヤきつつも、手取り足取り指導する荒垣の頑張りもあり、徐々に全員の料理は “食えなくはない” レベルへと上がっているようだ。
「おら、待て美鶴。焦げそうになったら、一度フライパンを火から降ろして······そうそう。落ち着いてやりゃあ大丈夫だ」
「りょ、了解した」
そんな荒垣の様子を横目で見て、風花はくすりと笑って言った。
「やっぱり、荒垣先輩って優しいですよね?」
その言葉が届いたかどうか定かではないが、荒垣は黙々と料理指導を続けていく。ただ、その横顔には、かすかに笑みが浮かんでいるような気がする。やがて、料理のいい匂いを嗅ぎつけてか、ゆかりたちが同じく笑顔でキッチンへと歩いてくるのが見えた。やはり、楽しい食事は人を和ませる。どうやら、今日の夕食も楽しいものになりそうだった。
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fukagawakaidan · 1 month
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「お化けの棲家」に登場したお化け。
1、骨女〔ほねおんな〕 鳥山石燕の「今昔画 図続百鬼』に骨だけ の女として描かれ、 【これは御伽ぼうこうに見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交をなせし形にして、もとは剪灯新話のうちに牡丹灯記とてあり】と記されている。石燕が描いた骨女 は、「伽婢子」「牡丹灯籠」に出てくる女つゆの亡霊、弥子(三遊亭円朝の「怪談牡丹灯 籠」ではお露にあたる)のことをいっている。これとは別物だと思うが、「東北怪談の旅」にも骨女という妖怪がある。 安永7年~8年(1778年~1779年)の青森に現れたもので、盆の晩、骸骨女がカタリカタリと音をたてて町中を歩いたという。この骨女は、生前は醜いといわれていたが、 死んでからの骸骨の容姿が優れているので、 人々に見せるために出歩くのだという。魚の骨をしゃぶることを好み、高僧に出会うと崩れ落ちてしまうという。 「鳥山石燕 画図百鬼夜行」高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 「東北怪談の旅」山田 野理夫
2、堀田様のお人形
以下の話が伝わっている。 「佐賀町に堀田様の下屋敷があって、うちの先祖はそこの出入りだったの。それで、先代のおばあさんが堀田様から“金太郎”の人形を拝領になって「赤ちゃん、赤ちゃん」といわれていたんだけど、この人形に魂が入っちゃって。関東大震災のとき、人形と一緒に逃げたら箱の中であちこちぶつけてこぶができたから、修復してもらうのに鼠屋っていう人形師に預けたんだけど少しすると修復されずに返ってきた。聞くと「夜になると人形が夜泣きしてまずいんです」と言われた。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
3、ハサミの付喪神(つくもがみ)
九十九神とも表記される。室町時代に描かれた「付喪神絵巻」には、「陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を訛かす、是を付喪神と号といへり」 という巻頭の文がある。 煤祓いで捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返しをするという内容だ が、古来日本では、器物も歳月を経ると、怪しい能力を持つと考えられていた。 民俗資料にも擂り粉木(すりこぎ)や杓文字、枕や蒲団といった器物や道具が化けた話しがある。それらは付喪神とよばれていないが、基本的な考え方は「付喪神絵巻」にあるようなことと同じで あろう。 (吉川観方『絵画に見えたる妖怪』)
4、五徳猫(ごとくねこ)  五徳猫は鳥山石燕「画図百器徒然袋」に尾が2つに分かれた猫又の姿として描かれており、「七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者と言いしためしも あれば、この猫もいかなることをか忘れけんと、夢の中におもひぬ」とある。鳥山石燕「画図百器徒然袋」の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれた五徳猫を頭に 乗せた妖怪をモデルとし、内容は「徒然袋」にある「平家物語」の 作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だったが、七徳の舞という、唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、2つを忘れてしまったために、五徳の冠者のあだ名がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫はこのエピソードと、囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛けて創作された 妖怪なのであろう。ちなみに土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれている妖怪は、手には火吹き 竹を持っているが、猫の妖怪ではなさそうである。 ( 高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』)→鳥山石燕『百器���然袋』より 「五徳猫」
5、のっぺらぼー 設置予定場所:梅の井 柳下 永代の辺りで人魂を見たという古老の話しです。その他にも、背中からおんぶされて、みたら三つ目 小僧だったり、渋沢倉庫の横の河岸の辺りでのっぺらぼーを見たという話しが残っています。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収) のっぺらぼーは、顔になにもない卵のような顔の妖怪。特に小泉八雲『怪談』にある、ムジナの話が良く知られている。ある男が東京赤坂の紀国坂で目鼻口のない女に出会い、驚き逃げて蕎麦 屋台の主人に話すと、その顔も同じだったという話。その顔も同じだったという話。
6、アマビエアマビエ 弘化3年(1846年) 4月中旬と記 された瓦版に書かれているもの。 肥後国(熊本県)の海中に毎夜光るものが あるので、ある役人が行ってみたところ、ア マビエと名乗る化け物が現れて、「当年より はやりやまいはや 6ヵ月は豊作となるが、もし流行病が流行ったら人々に私の写しを見せるように」といって、再び海中に没したという。この瓦版には、髪の毛が長く、くちばしを持った人魚のようなアマビエの姿が描かれ、肥後の役人が写したとある。 湯本豪一の「明治妖怪新聞」によれば、アマピエはアマピコのことではないかという。 アマピコは瓦版や絵入り新聞に見える妖怪で、 あま彦、天彦、天日子などと書かれる。件やクダ部、神社姫といった、病気や豊凶の予言をし、その絵姿を持っていれば難から逃れられるという妖怪とほぼ同じものといえる。 アマビコの記事を別の瓦版に写す際、間違 えてアマビエと記してしまったのだというのが湯本説である。 『明治妖怪新聞」湯本豪一「『妖怪展 現代に 蘇る百鬼夜行』川崎市市民ミュージアム編
7、かさばけ(傘お化け) 設置予定場所:多田屋の入口作品です。 一つ目あるいは、二つ目がついた傘から2本の腕が伸び、一本足でピョンピョン跳ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に現れたなどの記録はないようである。(阿部主計『妖怪学入門』)歌川芳員「百種怪談妖物双六」に描 かれている傘の妖怪「一本足」
8、猫股(ねこまた)  猫股は化け猫で、尻尾が二股になるまで、齢を経た猫 で、さまざまな怪しいふるまいをすると恐れられた。人をあざむき、人を食らうともいわれる。飼い猫が年をとり、猫股になるため、猫を長く飼うもので はないとか、齢を経た飼い猫は家を離れて山に入り、猫股 になるなどと、各地に俗信がある。 このような猫の持つ妖力から、歌舞伎ではお騒動と化け猫をからめて「猫騒動もの」のジャンルがあり、
「岡崎の猫」「鍋島の猫」「有馬の猫」が三代化け猫とされる。
9、毛羽毛現(けうけげん) 設置予定場所:相模屋の庭 鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」に毛むくじゃらの妖怪として描かれた もので、 「毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふ か。或いは希有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなれば なりとぞ」とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陝西省陰県の西 獄華山)に住み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため 山に逃げ込んだ。そのとき、谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと「列仙伝」にある。この毛羽毛現は家の周辺でじめじめした場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖 怪のようである。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』→鳥山石燕「今昔百鬼 拾遺」より「毛羽毛現」
10、河童(かっぱ) 設置予定場所:猪牙船 ◇ 河童(『耳袋』) 江戸時代、仙台藩の蔵屋敷に近い仙台堀には河童が出たと言われています。これは、子どもたちが、 なんの前触れもなく掘割におちてしまう事が続き探索したところ、泥の中から河童が出てきたというも のです。その河童は、仙台藩の人により塩漬けにして屋敷に保管したそうです。 ◇ 河童、深川で捕獲される「河童・川太郎図」/国立歴史民俗博物館蔵 深川木場で捕獲された河童。河童は川や沼を住処とする妖怪で、人を水中に引き込む等の悪事を働く 反面、水の恵みをもたらす霊力の持ち主として畏怖されていた ◇ 河童の伝説(『江戸深川情緒の研究』) 安永年間(1772~1781) 深川入船町であった話しです。ある男が水浴びをしていると、河童がその男 を捕えようとしました。しかし、男はとても強力だったので逆に河童を捕えて陸に引き上げ三十三間堂の前で殴り殺そうとしたところ、通りかかった人々が河童を助けました。それ以来、深川では河童が人 間を捕らなくなったといいます。→妖怪画で知られる鳥山石燕による河童
11、白容商〔しろうねり〕
鳥山石燕「画図百器 徒然袋」に描かれ、【白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ】 と解説されている。白うるりとは、吉田兼好の『徒然草」第六十段に登場する、 芋頭(いもがしら)が異常に好きな坊主のあだ名である。  この白うるりという名前に倣って、布雑巾 の化けたものを白容裔(しろうねり)と名づけたといっているので、つまりは石燕の創作妖怪であろう。古い雑巾などが化けて人を襲う、などの説 明がされることがあるが、これは山田野理夫 の『東北怪談の旅』にある古雑巾の妖怪を白 容裔の話として使ったにすぎない。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編
12、轆轤首〔ろくろくび〕
抜け首、飛頭蛮とも つな いう。身体から首が完全に分離して活動する ものと、細紐のような首で身体と頭が繋がっているものの二形態があるようである。 日本の文献には江戸時代から多くみえはじ め、『古今百物語評判』『太平百物語』『新説 百物語」などの怪談集や、『甲子夜話』『耳 囊」「北窓瑣談」「蕉斎筆記』『閑田耕筆』と いった随筆の他、石燕の『画図百鬼夜行」に 代表される妖怪画にも多く描かれた。 一般的な轆轤首の話としては、夜中に首が 抜け出たところを誰かに目撃されたとする内 容がほとんどで、下働きの女や遊女、女房、 娘などと女性である場合が多い。 男の轆轤首は「蕉斎筆記』にみえる。 ある夜、増上寺の和尚の胸の辺りに人の 首が来たので、そのまま取って投げつけると、 どこかへいってしまった。翌朝、気分が悪いと訴えて寝ていた下総出 身の下働きの男が、昼過ぎに起き出して、和 尚に暇を乞うた。わけ その理由を問えば、「昨夜お部屋に首が参りませんでしたか」と妙なことを訊く。確か に来たと答えると、「私には抜け首の病があります。昨日、手水鉢に水を入れるのが遅い とお叱りを受けましたが、そんなにお叱りに なることもないのにと思っていると、 夜中に首が抜けてしまったのです」 といって、これ以上は奉公に差支えがあるからと里に帰って しまった。 下総国にはこの病が多いそうだと、 「蕉斎筆記』は記している。  轆轤首を飛頭蛮と表記する文献があるが、 これはもともと中国由来のものである。「和漢三才図会』では、『三才図会」「南方異 物誌」「太平広記」「搜神記』といった中国の 書籍を引いて、飛頭蛮が大闍波国(ジャワ) や嶺南(広東、広西、ベトナム)、竜城(熱 洞省朝陽県の西南の地)の西南に出没したことを述べている。昼間は人間と変わらないが、夜になると首 が分離し、耳を翼にして飛び回る。虫、蟹、 ミミズなどを捕食して、朝になると元通りの 身体になる。この種族は首の周囲に赤い糸のような傷跡がある、などの特徴を記している。中国南部や東南アジアには、古くから首だけの妖怪が伝わっており、マレーシアのポン ティアナやペナンガルなどは、現在でもその 存在が信じられている。 日本の轆轤首は、こうした中国、東南アジ アの妖怪がその原型になっているようである。 また、離魂病とでもいうのだろうか、睡眠中に魂が抜け出てしまう怪異譚がある。例えば「曽呂利物語」に「女の妄念迷い歩 <事」という話がある。ある女の魂が睡眠中に身体から抜け出て、 野外で鶏になったり女の首になったりしているところを旅人に目撃される。旅人は刀を抜いてその首を追いかけていく と、首はある家に入っていく。すると、その家から女房らしき声が聞こえ、 「ああ恐ろしい夢を見た。刀を抜いた男が追 いかけてきて、家まで逃げてきたところで目 が醒めた」などといっていたという話である。これの類話は現代の民俗資料にも見え、抜け出た魂は火の玉や首となって目撃されている。先に紹介した「蕉斎筆記』の男の轆轤首 も、これと同じように遊離する魂ということ で説明ができるだろう。 轆轤首という妖怪は、中国や東南アジア由 来の首の妖怪や、離魂病の怪異譚、見世物に 出た作りものの轆轤首などが影響しあって、 日本独自の妖怪となっていったようである。 【和漢三才図会』寺島良安編・島田勇雄・竹 島淳夫・樋口元巳訳注 『江戸怪談集(中)』 高田衛編/校注『妖異博物館』柴田宵曲 『随筆辞典奇談異聞編」柴田宵曲編 『日本 怪談集 妖怪篇』今野円輔編著 『大語園』巌谷小波編
13、加牟波理入道〔がんばりにゅうどう〕
雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の「画図百鬼夜行」には、便所の台があるよう 脇で口から鳥を吐く入道姿の妖怪として描かれており、【大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道郭公」と唱ふれば、妖怪を見さるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠 神名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍 とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日 は龕のの談なるべし】と解説されている。 松浦静山の『甲子夜話」では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、 その頭を取って左の袖に入れてまたとりだすと 頭は小判に変化するなどの記述がある。 「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異 にあわないというのは、江戸時代にいわれた 俗信だが、この呪文はよい効果を生む(前述 ことわざわざわい ●小判を得る話を含め)場合と、禍をよぶ 場合があるようで、「諺苑」には、大晦日に この話を思い出せば不祥なりと書かれている。 また、石燕は郭公と書いてホトトギスと読ませているが、これは江戸時代では郭公とホト トギスが混同されていたことによる。 ホトトギスと便所との関係は中国由来のようで、「荊楚歲時記』にその記述が見える。 ホトトギスの初鳴きを一番最初に聞いたもの は別離することになるとか、その声を真似すると吐血するなどといったことが記されており、厠に入ってこの声を聞くと、不祥事が起 こるとある。これを避けるには、犬の声を出 して答えればよいとあるが、なぜかこの部分 だけは日本では広まらなかったようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『江戸文学俗信辞典』 石川一郎編『史実と伝説の間」李家正文
14、三つ目小僧
顔に三つの目を持つ童子姿の妖怪。 長野県東筑摩郡教育委員会による調査資料に名は見られるが、資料中には名前があるのみ で解説は無く、どのような妖怪かは詳細に語られていない。 東京の下谷にあった高厳寺という寺では、タヌキが三つ目小僧に化けて現れたという。このタヌ キは本来、百年以上前の修行熱心な和尚が境内に住まわせて寵愛していたために寺に住みついたものだが、それ以来、寺を汚したり荒らしたりする者に対しては妖怪となって現れるようになり、体の大きさを変えたり提灯を明滅させて人を脅したり、人を溝に放り込んだりしたので、人はこれ を高厳寺小僧と呼んで恐れたという。困った寺は、このタヌキを小僧稲荷として境内に祀った。この寺は現存せず、小僧稲荷は巣鴨町に移転している。 また、本所七不思議の一つ・置行堀の近くに住んでいたタヌキが三つ目小僧に化けて人を脅したという言い伝えもある。日野巌・日野綏彦 著「日本妖怪変化語彙」、村上健司校訂 編『動物妖怪譚』 下、中央公論新社〈中公文庫〉、2006年、301頁。 佐藤隆三『江戸伝説』坂本書店、1926年、79-81頁。 『江戸伝説』、147-148頁。
15、双頭の蛇 設置予定場所:水茶屋 「兎園小説」には、「両頭蛇」として以下の内容が著してある。 「文政7年(1824)11月24日、本所竪川通りの町方掛り浚場所で、卯之助という男性 が両頭の蛇を捕まえた。長さは3尺あったという。」
文政7年(1824)11月24日、一の橋より二十町程東よりの川(竪川、現墨田区)で、三尺程の 「両頭之蛇」がかかったと言う話です。詳細な図解が示されています。 (曲亭馬琴「兎園小説」所収『兎園小説』(屋代弘賢編『弘賢随筆』所収) 滝沢馬琴他編 文政8年(1825) 国立公文書館蔵
16、深川心行寺の泣き茶釜
文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られています。群馬県館林の茂 林寺の話が有名ですが、深川2丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したといいます。『新撰東京名所図会』 の心行寺の記述には「什宝には、狩野春湖筆涅槃像一幅 ―及び文福茶釜(泣茶釜と称す)とあり」 とあります。また、小説家の泉鏡花『深川浅景』の中で、この茶釜を紹介しています。残念ながら、関 東大震災(1923年)で泣茶釜は、他の什物とともに焼失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が 化けたという同名が残るのみです。鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」には、館林の茂森寺(もりんじ)に伝わる茶釜の話があります。いくら湯を 汲んでも尽きず、福を分け与える釜といわれています。 【主な参考資料】村上健司 編著/水木しげる 画『日本妖怪大辞典』(角川出版)
17、家鳴(やなり) 設置予定場所:大吉、松次郎の家の下)  家鳴りは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に描かれたものだが、(石燕は鳴屋と表記)、とくに解説はつけられて いない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の 「画図百鬼夜行」では、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで描いており、家鳴りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。 昔は何でもないのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのような妖怪のしわざだと考えたようである。小泉八雲は「化け物の歌」の中で、「ヤナリといふ語の・・・それは地震中、家屋の震動 する音を意味するとだけ我々に語って・・・その薄気 味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし此語 はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居た もので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また) ヤナ リと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る 家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像してゐたものである」と延べ、「狂歌百物語」に記載された「床の間に活けし立ち木も倒れけりやなりに山の動く掛軸」という歌を紹介している。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』、『小泉八雲全集』第7巻)
18、しょうけら 設置予定場所:おしづの家の屋根 鳥山石燕「画図百鬼夜行」に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、 ショウケラは庚申(こうしん) 信仰に関係したものといわれる。 庚申信仰は道教の三尸(さんし)説がもとにあるといわ れ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身 体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を告げる。この報告により天帝は人の命を奪うと信じられ、対策とし て、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出さ ないようにした。また、これによる害を防ぐために「ショウケラはわたとてまたか我宿へねぬぞねたかぞねたかぞ ねぬば」との呪文も伝わっている。 石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。
19、蔵の大足
御手洗主計という旗本の屋敷に現れた、長さ3尺程(約9m)の大足。(「やまと新聞」明治20年4月29日より)
20、お岩ちょうちん
四世鶴屋南北の代表作である「東海道四谷怪談」のお岩 を、葛飾北斎は「百物語シリーズ」の中で破れ提灯にお岩が 宿る斬新な構図で描いている。北斎は同シリーズで、当時の 怪談話のもう一人のヒロインである「番町皿屋敷のお菊」も描 く。「東海道四谷怪談」は、四世南北が暮らし、没した深川を舞台にした生世話物(きぜわもの)の最高傑作。文政8年(1825) 7月中村座初演。深川に住んだ七代目市川團十郎が民谷伊 右衛門を、三代目尾上菊五郎がお岩を演じた。そのストーリーは当時評判だった実話を南北が取材して描 いている。男女が戸板にくくられて神田川に流された話、また 砂村隠亡堀に流れついた心中物の話など。「砂村隠亡堀の場」、「深川三角屋敷の場」など、「四谷怪 談」の中で深川は重要な舞台として登場する。
21、管狐(くだぎつね)  長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東 南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は鼬(いたち)と鼠(ねずみ)の中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わる個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という表現をしている。管狐を飼うと金持ちになるといった伝承はほとんどの土地でいわれることで、これは管 狐を使って他家から金や品物を集めているからだなどという。また、一旦は裕福になるが、管狐は 大食漢で、しかも75匹にも増えるのでやがては食いつぶされるといわれている。 同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐が勝手に行動して金品を集 めたり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐の場合は使う者の意図によって行動すると考えられているようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山 (きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏は それを竹筒の中で飼育し、管狐の能力を使うことで不思議な術を行った。 管狐は食事を与えると、人の心の中や考えていることを悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の 命令で人に取り憑き、病気にしたりするのである。このような山伏は狐使いと呼ばれ、自在に狐を 使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、いったん竹筒から抜け出た狐を再び元に 戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令する者がいないので、人に憑くことはないという。 (石塚尊俊『日本の憑きもの』、桜井徳太郎編『民間信仰辞典』、金子準二編著『日本狐憑史資料 集成』)
22、かいなで 設置予定場所: 長屋の厠 京都府でいう妖怪。カイナゼともいう。節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文を唱えればよいという。 昭和17年(1942年)頃の大阪市立木川小学校では、女子便所に入ると、どこからともなく「赤い 紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなければ何事もないが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があったという。いわゆる学校の怪談というものだが、 類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校の便所を使うことはないだろうから、節分の夜という条件が消失してしまったのだろう。 しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜とは、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に求められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。 寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび) (何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、 本妻がそれを妬み、旧暦正月 15 日に便所で何媚を殺害した。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に、何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神として祭祀するようになったという(この紫姑神は日本の便所神だけではなく、花子さんや紫婆(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神のルーツとするのは安易だが、影響を受けていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ、その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれてくるようである。 新潟県柏崎では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた灯明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山田野理夫『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「神くれ神くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月までまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものといえる。また、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えて いる。便所神の祭りで紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の 男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろう か、白い紙やろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったのではないだろうか。さらに、学校の怪談で語られる便所の怪異では、妖怪化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というようになり、より妖怪化が進ん でいったようである。こうしてみると、近年の小学生は古い信仰の断片を口コミで伝え残しているともいえる。 島根県出雲の佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデという が、氏子がこの日の夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝 承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるのかもしれない。 (民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙』、大塚民俗学会編『日本民俗学事典』、『民間伝承』通巻 173号(川端豊彦「厠神とタカガミと」)ほか)
23、木まくら 展示予定場所:政助の布団の上 江東区富岡にあった三十三間堂の側の家に住んだ医師が病気になり、元凶を探した所 黒く汚れた木枕が出た。その枕を焼くと、死体を焼く匂いがして、人を焼くのと同じ時間がかかったという。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
24、油赤子〔あぶらあかご〕鳥山石燕の『今昔 画図続百鬼』に描かれた妖怪。【近江国大津 の八町に、玉のごとくの火飛行する事あり。土人云「むかし志賀の里に油うるものあり。 夜毎に大津辻の地蔵の油をぬすみけるが、その者死て魂魄炎となりて、今に迷いの火となれる」とぞ。しからば油をなむる赤子は此ものの再生せしにや】と記されている。 石燕が引いている【むかし志賀(滋賀) の】の部分は、「諸国里人談』や『本朝故事 因縁集」にある油盗みの火のことである。油盗みの火とは、昔、夜毎に大津辻の地蔵 の油を盗んで売っていた油売りがいたが、死 後は火の玉となり、近江大津(滋賀県大津 市)の八町を縦横に飛行してまわったという もの。石燕はこの怪火をヒントに、油を嘗める赤ん坊を創作したようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『一冊で日本怪異文学 100冊を読む」檜谷昭彦監修『日本随筆大成編集部編
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foucault · 10 months
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今日は店は休みです。久しぶりに奈良に来ています。本籍を奈良に置く身としては、故郷へ戻る嬉しさです。仕事があるとはいえ、合間に興福寺で八部衆の御顔でも拝めるとなおなお嬉しいところですが。
そういえば、本日2023年12月12日はちょうど小津生誕120年、没後60年。小津で奈良、といえば『麦秋』の最後、ふっと差し込まれる麦畑の中をゆく嫁入り風景のシーンですが、あれ、どこなんでしょうか。後ろに耳成山のような山が見えるので、橿原のどこかかな。
ついでの話。このごろ書きものの仕事が多くて、頼まれもの以外の文章なぞつらつら書いている場合ではないのですが、小津についてふと気になってしまったことがあり、書いておかないと本来の仕事ができなさそうなので、合間合間に記していた雑文をここに置いておきます。長いですし、結論はないし、ほとんどの方が興味のない内容かと思いますが…。
ちょっとした調べものがあって雑誌『みすず』2001年12月号を読んでいたら、木村伊兵衛が小津安二郎を撮影した写真と文章「上海で小津安二郎氏をうつす」が掲載されていた。時期は1938年1月なので第二次上海事変の翌年。小津は1937年9月に出征して中国に渡り、事変の直後12月から上海にいたようで、その時に偶然木村と出会っている(その後小津は南京・漢口と転戦する)。写っている小津が携えているカメラは、木村の稿に続いて掲載されている田中眞澄氏の文章「ライカという”近代”」によればライカA型。小津関係の文章を読むと、小津は「ご愛用のライカ」をいつも手にしていたと多くの人が書いているので(同文によると山中貞雄はコンタックスだったらしい)さもありなんと思うのだけれど、田中氏の文章を読んでいくなかで、ちょっとしたことが気になるようになった。
小津は1942年から軍の依頼で記録映画撮影のためにシンガポールに滞在し、ただまあ映画製作などできる状況でもないため、自国内では上映が禁止されていたアメリカ映画をひたすら見続け、敗戦を当地で迎えている。そしてそのまま捕虜となり、抑留生活を終え1946年1月に帰国する際に小津はライカを手放しており、「彼が再びライカを所有するのは一九五四年のことである」とある。買った件の典拠はどこにあるんだっけ、と思いつつ近所の図書館に置いてある『全日記 小津安二郎』を紐解くと、なるほど1954年3月22日の項に、
> 「出京 サンにてライカを買ふ 135.000 アメリカン フアマシー 明治屋(燻製)によつて帰る」
とある。と、ここで急に話は脇道に逸れるのだが、ちなみに隣のページ、同年4月8日の項には、
> 「駒場の東大教養学部 民芸館 青山の花屋 それから 車にて銀座に出て なごやかに夕餐を喫す 野田夫妻と江原氏同道」
と日本民藝館に行った旨の記載がある。他にも、1951年11月10日に
> 「宿酔 森昌子さん達と 陶哉 たくみに寄って大船に帰る」
や、1955年5月17日には
> 「駅にて野田氏と待合せ 上野松坂屋の民芸展にゆく」
とも。ほか、パッと目を通しただけでも1952年4月8日、同年6月15日、1953年2月9日、1961年2月2日に銀座たくみに行った記載があるし、志賀直哉や里見弴についての言及は多すぎるので略す。こういうものを読むとつくづく民藝誌において特集「小津と工藝」を組みたいなと思う。白樺派との関係や小津の映画における「巧藝品考撰」について取り上げる特集。『秋日和』で原節子の後ろにかかっている暖簾は芹沢銈介だろうか、『秋刀魚の味』で中村伸郎の後ろに置かれたやちむん?はたくみで求めたものなのだろうか、やちむんであれば誰の仕事だろうか。佐田啓二と吉田輝雄がとんかつ屋で食事をするシーンには確かに芹沢カレンダーが掛かってるな、などといつも気になるので。松竹から写真借りるといくらぐらいかかるかな…。
それはさておき。この時購入したライカが、前掲日記の1961年3月23日の項に「夕方会社帰りの秀行くる ライカ借(貸)してやる」とある通り、のちに小津の甥が譲り受け、現在は茅野駅前「小津安二郎・野田高梧コーナー」に寄贈展示されているライカIIIfとズマリット5cmF1.5なのだろう。と、ここまで長々と記して、まだ前提です。
そこでふと思い出したのが厚田雄春・蓮實重彦著『小津安二郎物語』(筑摩書房・リュミエール叢書)の冒頭。ここには小津が『東京物語』と『早春』のロケハンをしている写真が2葉��載されているのだけれど、どちらにおいても小津はバルナック型のカメラを携え、光学ファインダーをのぞいたりしている。沈胴レンズにフードをつけている様子から、あれはライカなんだろう、レンズは厚田雄春が『父ありき』において75mmを一場面で使った以外はすべて50mmだったと言っているぐらいだから同径のエルマーやズマール、ズミタールとかかな、などとうっかり思い過ごしていた。むろん『早春』については、製作年やロケハンの写真に記載されている「1955.7.20」という日付からするとまったく問題はない。しかし『東京物語』は1953年製作公開だから「再びライカを所有した」1954年では間に合わない。そう気がついて見直すと、小津が構えているカメラは、ライカIII型に似ているがファインダーの位置が違うし、そもそも1954年にあわせて手に入れたと思しきズマリットは沈胴レンズではない。
妙なことに気がついてしまったと思いつつも、ひとまずは日記記載の「サン」を手始めに調べてみようとしたが、何の会社かわからない。名取洋之助が企画編集した「週刊サンニュース」と関係はあるのだろうか。対外宣伝誌の専門家であり、銀座に店を構える森岡さんに聞いたらわかるだろうか。いずれにせよ1949年以降の小津の日記に「サン」が登場するのは、「1951年1月17日・3月21日・4月24日・11月10日、1952年4月17日、1953年6月16日、1954年3月22日(前述のライカを買った日)・10月14日、1955年4月6日、1960年7月14日、1961年2月2日(”たくみ サンに寄って三越”)」。1953年6月16日は、ちょうど『東京物語』ロケの最中だったことが気に掛かる。ほか、関係しそうな記載としては1953年3月30日に「アサヒカメラ座談会」、1954年11月5日の「シュミットに寄ってから」(当時ライカの総代理店だったシュミット商会か)、1955年2月15日「昼寝をしてゐると小尾がくる ニッコールの85m(ママ)のレンズを頼む 四万五千円を預ける」、同年3月11日「小尾に会ひ105mmのレンズを見る」、同年6月27日「小尾から電話ライカピッド(ママ。入手したライカがIIIfであれば、ライカビット SYOOMか)を頼む」ぐらいか。この「小尾」という人は何者なんだろう。
次に小津が構えているカメラの形状から何かわからないかと思い、あらためて細部を見れば、写っているカメラは戦後キヤノンが作っていたコピーライカであることがわかる。決め手はファインダーの位置。同時期の国産コピーライカであるニッカやレオタックスはライカそっくりに作っているのだが、キヤノンは誠実と言っていいのか「打倒ライカとコンタックス」の心意気の現れか、多少スタイルが違う。なお、小津が用いている機種については、この時期のレンジファインダー機は輸出用に作っていたせいか勢いがあり、すぐ新型が出るうえに、外観がどれも似すぎていて小さな写真では区別がつかない。時期を考えれば、1946年発売のSIIから1952年のIVSbの間のいずれかで、III型以降のように見受けられる。レンズもやはり形状から判断するとズマールに似ているので、1949年発売開始のキヤノン Serenar 50mmF1.9か。そう気づいて改めて調べると、「カメラ毎日」1954年6月号に掲載されている座談会「カラーは天どん 白黒はお茶漬の味」ではカメラの話がもっぱらで、その時に手にしているのはキヤノンである。このキヤノンのカメラとレンズ、そして外付けのファインダー、この時期どういう経緯で小津は使っていたのだろう。いずれにせよ、1953年の『早春』はともかく、な��1955年に「ご愛用のライカ」ではなく、キヤノンを用いているのか。
ついでに言うと、小津が鏡の前でカメラを向けて撮っているセルフポートレートに用いているカメラはコンタックス。日記をざっと読んだ限りではわからないけれど、これもいつ手に入れたのだろう。レンズはゾナーの5cmF1.5。明るいレンズがお好みと見える。こちらは姪が譲り受けたとのことで、今は先のライカと同じく茅野駅前にある。
長々と書いてきましたが、つまりはこれらが今回生じた疑問です。小津に詳しい人、どうか教えてください。
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kennak · 7 months
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相沢 友子(あいざわ ともこ、1971年5月10日 - )は、日本の脚本家。脚本家以前はシンガーソングライター、女優として活動していた。血液型はB型。東京都出身。 略歴・人物 高等学校在学中より文化放送でコンサート・リポーターを務め、詞を書いていたところソニーミュージックのスタッフに歌うことを勧められ、1991年3月、19歳の時にシングル「Discolor days」にて歌手デビュー[1][2]。その後、ホリプロ所属の女優としても活動しながら、4枚のアルバムを発表している。シンガーソングライターであり、加藤いづみとも親交が深く、アルバムにも楽曲を提供している。 デビューから長らく歌手兼女優であったが、ソニーとホリプロとの契約を解消し、フリーとなる。フリー直後に、ホリプロ時代のマネージャーに「小説を書き、賞を狙ってみては?」と勧められ、1999年に第15回太宰治賞の最終候補作に小説『COVER』がノミネートされた[2]。当時、相沢は「その当時は藁にもすがる思いでした。音楽の道がうまくいかなくて、事務所との契約が切れて、本当に一時期何もしてない時期があって。私はほぼ歌詞しか書いていなかったので、やれることといったら書くことだなと思って、小説『COVER』を書いた」と述懐している[2]。その結果をもって、前述のマネージャーの紹介で共同テレビジョンの小椋久雄に脚本執筆の指導を受け[1]、2000年に『世にも奇妙な物語』で「記憶リセット」で脚本家デビューした[2]。 2003年にアメリカ合衆国で発生した大停電を題材とするドキュメンタリー『ニューヨーク大停電の夜に』(NHKハイビジョン、構成・源孝志)で語りを務める[3]。その後、同事件をエピソードとして、2005年に源孝志と共同で映画『大停電の夜に』の脚本を手がけた[4]。 2009年に放映された『重力ピエロ』の脚本を手がけたきっかけについて、相沢がパーソナリティーを務めていたラジオ番組の常連リスナーで、伊坂幸太郎の担当編集者から、「素晴らしいからぜひ読んでほしい」と小説を送付され、即座に相沢が映像化を申し入れたとしている[5][注 1]。相沢によれば、「物語の肌触りは軽やか。けれど、世の中的な常識に人が流れされて生きていることへのロック魂が隠されていることに共感した」という[6]。伊坂は映像化に積極的でなかったが許諾し、最大の魅力を損なうことなく小説のコンテクストをそのまま映像に置換しようと努めたという[5]。なお、『読売新聞』の福永聖二は、「異論もあるだろうが、伊坂作品の精神を尊重しつつ、より自然な流れを作った」と評している[7]。 2013年に放送された『ビブリア古書堂の事件手帖』について相沢は、「ていねいに話を積み上げてファンタジックに作っていきたい」とし、古書業界の用語を各所に挿入するなどして、作品の世界観を伝えようとしたという[8]。また、剛力彩芽がキャスティングされたことについて、「たしかに栞子とは外見のイメージが違いますが、剛力さんは黙ってじっとしているとミステリアスなムードを持っている」とし、「彼女の“静”の部分を出すと新鮮なものになると確信できたので、栞子を剛力さんのイメージに近づけるのではなく、剛力さんが物語に寄り添っていけるような脚本を心がけ」たと述べている[8]。 2015年に放送された『私の青おに』について相沢は、「人の温かさが伝わるストーリー。高畠町の持っている風景の力強さを伝えたい」としている[9]。なお、主演で辻村莉子役を演じた村川絵梨は、「脚本を読んだ時から、すごく自分と重なる部分があって。そういう意味ではとても自然に莉子という役に向き合うことができました」と述べている[10]。 リアルサウンドのインタビューによれば、相沢はト書きに「私はうるさいぐらいに、『ここで相手を見る』とか、『ここで顔を上げる』とか、目の動きまで書く」とし、「あとは現場で好きにしていただいて構わないですけど、私のイメージはできる限り伝えよう」と演出に一任しているという[2]。また、以心伝心と言えるほど、互いに分かりあう役者や監督・演出家と仕事ができると嬉しいとし、『恋ノチカラ』で主演を務めた深津絵里に関して「天才的な役者さんですけど、びっくりするぐらい汲み取って返してくれて。自分の想像を超えてくるお芝居を役者さんがしてくれることもたくさんあります。お互いに響き合って、奇跡的に合致したときは感動しますね」と述べている[2]。 アーティストの友人に、加藤いづみや相馬裕子などがいる。 主な脚本作品 テレビドラマ 1999年 DG TV DI:GA「UNIVERSE」「SNOW KISS」「Love Things」 2000年 世にも奇妙な物語 春の特別編「記憶リセット」[11] 悪いこと「盗む」 やまとなでしこ[注 2][12] 2001年 17年目のパパへ[13] ココだけの話「不機嫌なめざめ」 私を旅館に連れてって[注 3][14] 江國香織クリスマス・ドラマスペシャル「温かなお皿」[注 4] 2002年 世にも奇妙な物語 秋の特別編「昨日の君は別の君 明日の私は別の私」[15] LOVE & PEACE(DVD)「君がいるだけで特別な街、特別な場所」「Thanks」 恋ノチカラ[5][16] 2003年 天国のダイスケへ〜箱根駅伝が結んだ絆〜[17] いつもふたりで[16] エ・アロール[18] 2004年 めだか[19] 2007年 秋の特別編「48%の恋」[20] 2008年 鹿男あをによし[5] 2010年 ギルティ 悪魔と契約した女[注 5][21] 2012年 鍵のかかった部屋[注 6][22] 2013年 ビブリア古書堂の事件手帖[注 7][8] 女と男の熱帯[23] 2014年 鍵のかかった部屋 SP[24] 失恋ショコラティエ[注 8][注 9][25] 2015年 紅雲町珈琲屋こよみ[26] 私の青おに[9] 2017年 人は見た目が100パーセント[27] 龍馬 最後の30日[28] 龍馬 最後の遺言 2019年 トレース〜科捜研の男〜[29] 2022年 ミステリと言う勿れ[30] 2023年 セクシー田中さん[注 10][30] 映画 2000年 世にも奇妙な物語 映画の特別編「結婚シミュレーター」[31] 2005年 大停電の夜に[注 4][4][32] 2009年 重力ピエロ[5][6] 2010年 東京島[33] 2011年 プリンセス トヨトミ[23] 2015年 脳内ポイズンベリー[34] 2017年 本能寺ホテル[35] 2021年 さんかく窓の外側は夜[36] 2023年 ミステリと言う勿れ[37] 配信ドラマ 僕だけが17歳の世界で(2020年、AbemaTV)[38] 金魚妻(2022年、Netflix)[注 8][39] ラジオドラマ LOVE = Platinum 恋愛パズル(2010年)[33]
相沢友子 - Wikipedia
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palakona · 6 months
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ビミョーな敗北感w
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2024年3月、中セ池(八尾市)iPhone11
どうも、こんにちは。3月17日(日)は、午後から降水確率が高いので、屋根付桟橋のある中セ池に行ってきました。中セ池には7時前に到着。事務所前に車を停められたので、雨だし空いているのかと思いましたが、屋根のある桟橋は結構埋まりつつありました。中セ池は長竿枡「だけ」絶好調wなのですが、ご覧の通り長竿枡(13尺〜19尺の縛り有り)は誰もいない。屋根のない釣り場は東中桟橋と東土手に一人ずつでした。
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2024年3月、中セ池(八尾市)iPhone11
午前中は天気は保ちそうなんですが、露天席に出撃してるのは二人だけで、入場者のほとんどは屋根付桟橋に席を確保しているので、僕も西中桟橋東向きに入りました。
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2024年3月、中セ池(八尾市)iPhone11
中セ池の尺数規定は8尺〜で、屋根付桟橋もギリギリ8尺が振れます。屋根の張り出しがないので、9尺もいけるかな〜。他の人はカーボン竿だと思うのですが、皆さん10尺程度は使ってるし、コシガ池みたいに屋根に竿が当たる音も聞こえませんね。コシガ池の常連さんは、屋根に竿が当たっても構わず長い竿を使ってます。そして、長柄の手網で沖で掬います。ところで、日が射すと水面がテカテカ逆光で8尺でも浮子が見えないので、浮子は舟水の「逆光オールマイティー宙」です。8尺竿は「若駒」です。
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2024年3月、中セ池(八尾市)iPhone11
全然釣れませんね…。最近は、(両手で食べる)サンドイッチをやめて、釣りをしながらコンビニのパンを食べるのですが、今日に限って食欲旺盛でパンに加えてスナック菓子をポリポリ食べてました。竿から手を離して菓子袋に手を突っ込んでいると、逆光の中で美しく見えるw逆光仕様の浮子のトップが「ツン」と綺麗な節魚信…間に合わず残念!釣り始めてすぐ��ことだったので、そのうち釣れるわと楽観したのですが、浮子がピクリとも動かなくなったw
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2024年3月、中セ池(八尾市)iPhone11
朝は日が射すこともあったんですが、天気予報通り曇りになって浮子が見やすくなった。逆光仕様の浮子は、節間の部分は逆光だと白く輝いて見やすいのですが、順光だと透明に見えて細かい魚信は取りにくい。なので、浮子を「希粋」の旧モデル(かや)の1号に替えました。パイプトップなので魚信が取りやすいかな〜。
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2024年3月、中セ池(八尾市)iPhone11
昨日行った寺口釣池では、縦に張った波除けパイプの横が鉄板なので、最初は東向きでパイプ横なのですが、魚信は朝の節魚信だけで全然っ釣れねえ。中セ池は長竿枡「だけ」絶好調。「Yahoo!天気」によれば、雨の降り始めは15時やし、長竿枡に行きたい。だが、しかし…雨降りそうやし長竿使うことないと思って、長竿枡に必要な13尺〜16尺は家に置いてきたw。なので、やむなく釣席を東向きから西向きにグルっと方向転換。東向きではエアレーション?水流が気になったので、さざ波の少なそうな場所。
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2024年3月、中セ池(八尾市)iPhone11
場所替えしても全然っ釣れねえ…。屋根付桟橋に釣人が密集(大袈裟w)しているからフィッシングプレッシャーかな?朝は二人ぐらいしか釣れてなかったんだが、ボチボチとボウズから「一抜け」したり、複数枚釣る人が出てきたので、ボウズは辛い(涙)。中セ池は、2月の新ベラ追加放流以降はボチボチ釣れていたので油断した…。北土手(コンビニ裏)の東寄りに入った人がボチボチ釣っていたので、北土手に移動。西中桟橋の根元を攻められる枡なので、なので、好ポイントのはず。釣れろ!
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2024年3月、中セ池(八尾市)iPhone11
お昼ごはんの前に浮子にサワリがあり愁眉を開いたんだが、会長会?の団体さんと昼食時間がバッティングしそうなので、やむなく中断して食事に行った。中セ池では昼食の受付がなくなったが、場所とお湯は提供してくれるので、暖かいカップラーメンを食べられるし、コンビニ弁当も温めてくれます。食事を食べてから釣り再開。ほどなく、浮子にサワリだして釣れました!綺麗な節魚信。釣れる時はあっさり釣れるんや。朝から浮子がピクリとも動かんかったのに。
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2024年3月、中セ池(八尾市)iPhone11
ボウズを逃れてホッとして仕掛けを投入。また浮子が「ツン」と入ってアワセもバッチリ。両目が開きました~。
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2024年3月、中セ池(八尾市)iPhone11
12時過ぎに雨が降り出した。コンビニ裏に移動するときに、雨が降るまで2~3時間、東中桟橋で12尺を振ろうかと思ったが、行かなくて良かったw。
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2024年3月、中セ池(八尾市)iPhone11
2枚釣れたが、後が続かない。why?なぜ?1時間以上経ってからやっと釣れました。3枚目。カッコいいヘラですね。
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2024年3月、中セ池(八尾市)iPhone11
釣れる時はパタパタと釣れる。3枚目に続いて4枚目もすぐ釣れた。マブナですが、ホッペに丸い印が…写真撮った時はエラの中に引っ込んだが、ヒルのしっぽが見えた。
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2024年3月、中セ池(八尾市)iPhone11
グロ画像スミマセン(^▽^;)。フナが可哀想なのでヒルをフォーセップで剥がしたった。
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2024年3月、中セ池(八尾市)iPhone11
こんな好ポイントに入ってるのに4枚しか釣れてない。後から隣に入った人とか、最初から東中桟橋の根元に入った人とか好調に釣れてる。8尺は短いんかな~。9尺が正解?サワリでアワセたら鱗のリャンコや。
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2024年3月、中セ池(八尾市)iPhone11
釣れる時はいつも2枚。やっと魚信があったと思ったら2枚続けてバラすw。また次の2枚を待つ間、周りが釣れているのを、唇を噛み締めてw眺めていたら、やっと釣れる時間になったのかパタパタとまた2枚釣れましたw。
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2024年3月、中セ池(八尾市)iPhone11
ということで、3月17日は、フナ6枚でした。釣況は、釣れる人は釣れていて10枚前後。竿頭は20枚〜30枚ぐらい?場所ムラ激しく、9枚釣った人の隣がボウズとかありました。ボウズは1〜2人かな?午前中、浮子があまりに動かないので、池のスタッフのO田さんがフナの活性を上げるために「エアー出しますわ」とか言ってブクブクを出したりしました。午後は釣れてる印象でしたが雨で活性が上がったのかな。僕は6枚釣れても、両隣が10枚前後釣ってたし、西中桟橋の親子連れの息子さんの方が父親に連れられてって感じで素人っぽいのに10枚釣ったりして、ヘチの好ポイントやのに負けた〜って感じでビミョーに敗北感を味わいましたw。
では、また。
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mocci9 · 7 months
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久しぶりのひとり旅は網走へ。
昨年秋に、運良く北海道の往復航空券を当て、札幌に住む幼馴染に会いにいくプランに加えて、こういうチャンスがないと行かなさそうな場所を探した結果、最果ての網走にしてみた。
札幌駅から1日2本しか出ていないオホーツク号に乗り5時間以上。途中停車する駅には雪が降り積もり、人はおらず、このままどこに行ってしまうのか……と不安になる。孤独な旅では、家から持参した本と、セイコーマートで買ったとよとみの飲むヨーグルトだけが支え。(この旅で1番気に入った)
ようやく網走に到着したのは23時過ぎで、もちろんほとんど人はいないし暗い。駅名の「あばしり」の縦書きひらがな表記が余計に恐怖心を煽る。
ちなみに表記が縦書きなのは、刑務所から出所した人がまっすぐ歩んでいってほしいという想いかららしい。なるほど。
駅を出てホテルまで徒歩10分ほどなはずなのに、人も車も街灯もなく、整備されていない雪道と大荷物、寒さでどんどん減っていくスマホの充電という不安コンボすぎて、人生でトップに入る不安を味わった。もうどこにでも��とりで行けると思う。
次の日は流氷クルーズに乗る予定が、流氷エリアに行けないとのことで普通のクルーズに。残念だけどまた網走に来る理由ができたということで解決した。船に乗って海を進んでいくのは本当に気持ちがいい。
船から降りて、道の駅名物の網走ちゃんぽんを食べる。これが寒さで冷え切った体に沁み渡り、あっという間に完食。魚介とちょっと濃いめの味付けのスープはいくらでも飲めてしまいそうだった。もう一回食べるにはハードルが高いけど、思い出すだけでお腹が鳴る。
そして今回の旅のメイン、網走監獄へ。
ゴールデンカムイも見ておらず、この敷地内に重要文化財が含まれていることも知らなかったが、とにかく見応えがある。入り口から入り、マップに従いのんびり歩いて回ると2時間以上。
北海道の発展のために、屯田兵や開拓使だけでなく、実は囚人たちが重要な労働力として、過酷な状況で働かされていたということ、そのなかで看守も含め、多くの命が亡くなったこと。善悪は別として、事実として知っておくべきことだなと思う。
当時の様子を忠実に再現した施設内は、正直夢に見るのではと思うような怖い箇所もあるが、網走まできた甲斐があった。
夜は地元の居酒屋で鯨の刺身や鯨の竜田揚げ、エゾシカのたたきを食べて大満足。旅先ではなるべくその土地のものを食べたい。好き嫌いがなくなって本当に良かったと感じる瞬間である。
ありきたりな表現だけど、この広い世界で人間は本当にちっぽけだ。日常で出会うマイナスな人やつらい出来事なんか本当にどうでもいい。こんな自然の中でに放り込まれたら人間は無力。網走にたった2日くらいしかいなかったけど、かなり心が広くなった気がする。
そしてひとり旅は自己肯定感を高める1番簡単なものだと思う。仕事でいえば、企画立案から予算立て、タスクを洗い出して、進行管理をする。クライアントからの評価もある。ひとり旅は自分の好きなようにスケジュール管理すればいいし、自分が満足できればそれで大成功な案件だ。
編集の仕事をして3年ほど経ち、旅って媒体の編集に似てるななんて思った。旅が好きだから編集の仕事も好きだし天職に感じる。
今年はたくさん旅をしようと心に決め、東京へ帰ってきた。
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bsamngodangbralba · 10 months
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小町数人説をめぐって
陽明文庫に中世の小町の絵がある。絹本着色、縦六一・六センチ、横四一・七センチの絵を表装してあるのだが、軸心近くの裏面に「小野小町像 貞治六秊六月廿五日」と、まさしくその頃この筆跡にて記されたものが付加されている。表装そのものもそんなに新しいものでないが、表装するにあたって、この絵に本来ついていた紙をここに付加したものであろうことは、その字がまさしく貞治頃〈一三六二〜一三六七〉この事跡であることが疑いもないからであろう。
ところで、この絵は「小野小町像」となっているが、まさしく「玉造小町子壮衰書」によっている。「容貌ハ憔悴シテ、身体ハ疲痩」、「頭ハ霜フリタル蓬ノ如ク、膚ハ凍リタル梨ニモ似タリ」、「骨ハ辣チテ筋ハ抗クナリ、面ハ黒クシテ歯ハ黄バミタリ」、「裸形ニシテ衣ナク、徒跣ニㇱテ履ナシ」、「左臂ニハ破レタル筐ヲ懸ケ、右手ニハ壊レタル笠ヲ提ツ」、「頸ニハーツノ囊ヲ係ケ、背ニハーツノ袋ヲ負ヘリ」、「肩ノ破レタル衣ハ胸ニ懸カリ、頸ノ壌レタル蓑ハ腰に纏ヘリ」とある「壮衰書」の序文をのものである。ここでもまた小野小町と玉造小町を同人物とする中世の理解が確認されるのである。
先にあげた「無名抄」の文〔五〇頁参照〕の続きに「玉造の小町と小野小町と同人かあらぬ者から、人々おぼつかなきことに申して争ひはべりし時...」とあって別人説もあったことは確かだが、その多くは前述の「玉造小町子壮衰書」の弘法大師著作説を土台にしての疑問であり、中世の大勢は、あくまで両者を同じものと見、「玉造小町子壮衰書」を小野小町の事蹟を語るものと見ていたことは疑いもないのである。
近世に入っても、この傾向は変わらなかった。貞徳の「徒然草慰草」などその顕著な例だが、中期以後の随筆の類を見ても、たとえば天野信景の「塩尻」〈『随筆大成』等〉、志賀忍〈天保十一年、七九歳没〉の「理斉随筆」などは、小野小町と玉造小町を同一人と考えている。
ところが、小町という名は、実は普通名詞であって、〇〇小町と呼ばれる女性はまことに数多くいたのだ、玉造小町と小野小町もとうぜん別人だという、いわば画期的な説が新井白雅の「牛馬問」「〈温知義書〉」に提示され、人々を驚かせたのである。
古代には一国より一人づつ采󠄃女を内裏へ献ぜしこと也。既に仁明帝の前後には、小町とて召されたるもの六十余人ありしとなり。この采󠄃女を后町のうちにをらしめたまふ。故にみなみな小町と呼ばれたるなり。その人々の宮仕へをやめて古郷に帰り身まかりたる墓を、おほか「た小町塚とよびしとなん。さてこそ、国々に小町塚といふもの多し。美濃・尾張の間にさへ二三所あり。
しかるを、なべての小町を一人と思ふよりまぎれたる説多し。たとへば実方朝臣、陸奥へ下向の時、髑髏の目穴より薄の生ひ出て、「秋風の吹くにつけてもあなめ〱」の歌の小町は小野正澄が娘の小野小町なり。文屋康秀が三河掾となりて下りし時、「身をうき草の根をたえて」さそふ水あらば」とよみしは高雄国分が娘の小町なり。「おもひつつぬればや人の見えつらむ」の歌、又業平の「舞の袖」などいひしは出羽郡司小町良実が娘なり。高野大師のあひたまふ、壮なる時憍慢最も甚だし、衰ふる日愁歎猶深しと答へしは常陸の国玉造義景が娘の小町なり。かく一人ならず。故に時代其外異なる事あるのみ。中にも良実が娘の小町は美人にて和歌にもすぐれたれば、独り名高く、すべて一人のやうに伝へ来たるのみ。
まず、小町を采󠄃女をし、采󠄃女のすべてに「町」をつけてよんだといっているが、平安時代の文献にあらわれる采󠄃女は、たとえば「近江の采󠄃女」〈拾遺集〉「明日香の采󠄃女」〈大和物語〉などのごとく、国名を冠して呼ぶのが普通である上に、文献にあらわれる「町」のつく女性は前述のように后町にいる更衣であって采󠄃女ではない。小町采󠄃女説自体が出羽都司良実の娘という伝承をもとにして出来たものであり、出羽国から采󠄃女をさしだすことはなかった〈「続日本紀」「類聚三代格」〉という事実を持ち出すまでもなく、この日雅の説には従えないのである。地方に数多い小町塚の合理的説明としても弱いものである。
ところで、この白雅の説、後半になると、その多数の小町が四人にしぼられて来る。架空の人物である小野正澄とか高雄国分とか玉造義景などの名をどこから持ち出して来たのか不明だが、既に伝説化説話化している小町像のすべてを事実と認定する立場からの合理的整理であって、まったく意味をなさぬものとしか言いようはないのである。
伝承る整理しながら、また新しい伝承を生んでいる感じの「牛馬問」の説であるが、その合理的整理法に人気があったのか。それに賛同して引用している随筆が実ははなはだ多いのである。神沢貞幹の「翁草」〈『随筆大成』第三期所収〉、城戸千楯の「紙魚室雑記」〈『随筆大成』第一期所収〉、石川宣続の「卯花園漫録」〈『新燕石十種』第三所収〉、山本信有の「孝経楼漫筆」〈『随筆大成』第三期所収」、滝沢馬琴・屋代弘賢らの「兎園小説」〈『百家説林』所収〉など、いずれもこれに全面的な賛同を示しているのである。
小町に限らず、伝説的人物は、その伝説化の過程において、事蹟が膨脹し、それを全体的に把握するとなると、そこに新しい矛盾が出てくることが多い。これを予盾なく合理的に統一しようとすると、いわば原生動物の体のように多方面に膨脹したものを分割するほかはなくなる。
たとえば柿本人麿の場合にしても、「万葉集」の記述を信するかぎり人麿は持統朝から文武朝にかけて活躍した歌人であるとするほかはない。だが一方、「万葉集」が引用する「柿本人麿歌集」にはそれよりもかなり後の歌もある。「人麿歌集」に後代の歌が入っているというのは今日の学者の常識だが、人間歌集なのだからすべてが人麿の歌だという立場に立てば、「万葉集」の人麿にして、既に最低二人いたことになる。次に「古今集」の仮名序を見ると、、「おほきみつの位(正三位)柿本人麿」を「ならの御時」の歌人としている。現在では、これを「奈良時代」と解し、しかも人麿が活躍した飛鳥時代は奈良時代に接していたからこのように書いたと説明している。だが、そこに都があった「時代」と解するのはどうか。平安時代において「御時」とは天皇の治世、すなわと御宇のことであり、「ならの御時」は平城の帝の御時の意にほかならないからである。事実、この仮名序に対応する真名序(漢文の序)には「平城天子」とはっきり書かれている。「古今集」より五十年ほど後に出来た「大和物語」にも人麿が平城天皇に仕えていたとある。平城天皇は平安時代第二の天皇だから「万葉集」の人麿とは違う。これ第三の人麿ということになる。ところ、で、「古今集」から百年ほど後の第三の勅撰歌集「拾遺集」を見ると、人麿が渡唐してよんだという歌が二首見える。これ、第四の人麿である。
人麿を一人ではなく四人とすると、その間の矛盾はなくなる。しかし矛盾がなくなったところでどうなるというのだ。私が問題にしたいのはそんなことではない。実在の人麿が、その死後、奈良時代・平安時代にどのように伝説化されていったか、別のことはで言えば、後の人々の心の中に人麿がどのように生き続けて来たか、私はそれを問題にしたいのである。
小町の場合も同じである。江戸時代の学者のように小町を四人にしたり、現代の民俗学系の国文学者のように、小町と称する女が無数にいたとか、小町を名のる遊行婦女・あるき巫女・歌比丘尼のたぐいが諸国をめぐり歩いていたと言い切ることによって事足れりとし、文献に残った小町の文学と伝承について深く考えようともしないのは学問の堕落、ある意味では頽廃という評語が適切でさえある。仮に彼らの言うようなことがあったとしても、せいぜい中世の後期のことであり、「小野小町の歴史」ほ既に平安時代中期以前から始まり、中世、近世と続いていたのである。小町が、その死後も、後代の人々の心の中にどのように生き続け、どのように変容していったか、あるいはまた、時を経て変容しながらその底に変えずに生き続けてゆく、いわゆる小町的なもの、それはいったい何かということの追跡にこそ、私は意味を認めたいのである。世に虚と言い実と言う。しかし、このように見れば、人々の心の中に生き続けていたものはすべてが実だと言うほかはないのである。
以下の章において次第に明らかにしてゆくことであるが、小野小町の説明化は、彼女の死後間もない頃から既に始まっていたのである。そして十世紀の末頃には、我々が知っている小町説話、たとえば(1)雨乞説話(2)好色説話(3)男性を拒否する驕慢説話(4)衰老説話 等、そのおおむねが既に出来るがっていたはずである。だから、そのような流れの中に「玉造小町子壮衰書」を置くならば、「小町老いて後、おとろへさらぼりたりなど云ふめるは、玉造小町の事なるを混じていへるなり」〈本居内遠「小野小町の考」〉というような見方が必ずしもあたらぬことを知るのである。小町衰老落魄の説話が「壮衰書」の影響で出来上がったというよりも、既に世に行なわれていた小町落魄説話の仏教的結実として壮衰書を考えるべきではないか。「玉造」の由来を明らかに出来ぬことは残念であるが、ともかくも「小町」と表題にあるだけで人々が説明を求めないような人物の伝でなければならないこと、しかもそれが「花ノ時ヲ待チテハ玉筆ヲ秉リテ紅桜紫藤ノ和歌ヲ詠ズル」美女の伝でなければならないことなどを併せ考えれば、平安末期から中世にかけての人々の大勢的理解がそうであったように、これをも小野小町のこととするのが、最も素直な、そんなして最も妥当な理解だと思うのだが、いかがであろうか。
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littlesallywalker · 1 year
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日記2
雨。まぼろしの公園で居眠りをした。
A遠がわたしたちの庭に入る夢をみた。そんなところ。
今日の用事はあとひとつ、これが、不安で不安で。裁きの時間。
スマホ故障の彼是でlineのやりとりみんな消えてよかったです。
ぼくはそれでよかったのだとおもう。
あの人の住所もわからなくなった、
今日から。いいのだこれで今はもう。
なにもかもを売っぱらいたくなるぜ。
Instagramに写真がすごくいいなと思う方がひとりいる。
どの人もみんなみんなそれぞれみなさんいいのは勿論だけど。
プロにむかって生意気にもっていうのでなくきっと一般の方で、
ある時話しかけてくれてぼんやり話していたらその人もまた、
「あなたを見てはじめました」って君みたい。君かとおもた。
「弟子にしてください」の別の方とか...
あまいお世辞たちよ、おだや🦀。。
前略遠くの歩道橋の天使魚座さま
集合住宅に一緒でいやなら向かいに住んでいーい?
窓と窓で話して。めぞん一刻感っていうかロマンティック。
はしごを渡したりぶどう食べたり糸電話したりたのし荘です。
やってトライ見たいです。おまけに二人羽織してみる?こわい。
ナイフが苦手ならハサミの術もありますよ。大丈夫。
これだけはともかく妄想ではないです。
本当にだめなら飼ってもらおかな。
でもきっと大丈夫ですよ君は。
東京のころOLさんとのアパートの夏は毎時セックス。
ちょっとなんていうか...野球部のごとし地獄でした。
誰かやかんで水もってきてください...くらい。
すっごいえろい人でぼくまだ18歳ですよ、
それでいてなんにも知らないのをいいことに、
(※ここからは有料版でお楽しみいただけます)
セックスあまり得意じゃないかもという癖?があります。
いわゆる多分コンプレックスなんでしょうね、何かが。
上手じゃないんじゃないかとすっごい考えてしまったり。
最近「お人柄ですよ」ってよく言われる度ごと内蔵の部位に、
どことなく両性具有のお祈りを見すかれてしまっているのかもと。
行為と話が破綻していますが、なんか、ありがたいことです(?)。
...まだおやつの時間ですよね、わたしは何を言っていますか?
人生で何回か突然のプロポーズをうけたうち2回、
「あなたの子どもがほしい」でおっかなくなりました。
今週あんまり不安定で大人用おしゃぶりを買いました。
��くは口淋しいみたい、たばこにまつわることすべても。
パイポよりか落ち着くのではないかって。これもヘンな話。
ちなみに今夜のじゃがたまねぎにんじん鶏を炊いたものは、
炊飯器でも作れるよ。ショウガと塩コショー(あらびき)で充分。
おしゃぶりしながら、ナンですが...。
外は雨がつよまってきた。宅配物を持ってきてくれるおねいさん、
腕章どうにしたらいいですかねと訊いたら別の腕章もってきてくれ、
試しに装着いい感じ。腕白いたくましいってわかってる気にしてる。
今日した会話、レスポンスみんなそれだけっぽいです。~fin~
あ、Twitterでモスめ師匠とお菓子のお話したんだ。
警視庁の腕章ですあしたから、グッバイ職務質問。
真新しいペンでお手紙をって。
今、というかあれからずっとメルカリで売れたレシート集めていて、
貼り合わせて展の入り口の暖簾にしようかなって謎幻想。
野球場横の市営プール、今年はひらくかな。
チャリでいこかなって。そばに温泉まであるんです。
かあさんビスケット買ってたお店はなくなった、淋し。
でもクリーニング屋さんは駄菓子屋さんも兼業されていて、
夢だった子たちとガチャガチャする性悪猫の毎日でした。
もうすぐごはんですよ、でておいで。さようなら。
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はじめお店でジャケ買いのものでした。これも学生。
スーパーの脇のレコード市へ行くのがたのしみだった。
こんなことがしたかった音でした。このファーストがいちばん好き。
キスしてください白鳥さん。
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編集 - はてなブログ
https://blog.hatena.ne.jp/zshingo/zshingo.hatenablog.com/edit?entry=6802340630907250947
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【僕の、好きな、先生♪】 
これさ、話しは、慎吾の、中学時代に、さかのぼるんやけどさ、そう、慎吾が、中学2年生のころの、担任、教師、彼は、体育指導の、顧問で、つまり、体育、担当の、先生なんだけどさ、ある日、運動会の、数日前に、皆の前で、慎吾を、立ち上がらせて、慎吾に、【岩﨑、お前、今度の、運動会の、出しものである、競技、駅伝に、出ろよ、そう、運動会の、駅伝に、いや、お前の、体育のときの、長距離ランニングの、タイムが、速いから、お前、出ろよ、岩﨑】と、😂シンゴに、ジミー大西という、あだ名を、生徒につけられ、嫌な、気持ちで、毎日、学校に、通ってた、先生😂そう、慎吾が、言うにはさ、彼こそが、忌野清志郎の、【僕の、好きな、先生】だと、慎吾、気付いた、わけよ😂数日前😂そんで、彼と、馬鹿笑い、してたんだよ、慎吾、部屋で、独りで、😂で、慎吾はさ、当時、喘息持ちで、医者からも、走る、ことを、止められててさ、😂そう、それで、ジミー大西先生が、慎吾に、名指して、指名してきた、その、もう時期、開催される、運動会の、駅伝に、一人だけ、クラスから、出すようにと、職員室で、言われた、彼の、最も、生徒たちに、お願いするのが、嫌な、ジミー大西先生は、😂慎吾に、指名、してきた、わけだよ、運動会の、駅伝の、出席者に、慎吾を、選んで、きた、わけだよ😂でさ、そう、慎吾、当時、喘息持ちだから、無理だと、みんなの前で、断った、わけよ😂つまり、ジミー大西先生の、慎吾にとって、理不尽な、指名を、慎吾、皆の前で、断った、わけだよ😂でさ、その、ジミー大西先生、それに対して、結局、慎吾の、伝えたことを、勿論、理解はしてたんだけどさ、😂そう、最後はさ、なんか、その、慎吾が、運動会の、駅伝に、出る出らんを、ウヤムヤ☁💭に、させられて、終わった、わけよ😂いや、てか、出ろと、彼は、つぶやいて、つまり、押し付けて、終わった、わけだよ、その、理不尽な、要求を、してくる、ジミー先生と、それに、たじろぐ、慎吾を、とりまく、放課後、近くの、生徒、皆が、2人の、滑稽な、やりとりを、見つめるなか、放課後の、教室から、見た外は、陽が、スッカリ、落ちてしまって、夕暮れどきの、風景の、なか、終わった、わけだよ。で、まるで、それはさ、ハタから、そのやり取りを、見つめる、生徒たちからしたらさ😂そう、それは、まるで、空に、ポッカリと、浮かぶ、白い、雲のように、☁ 💭 ☁ 見えた、わけだよ。その、幾分、風変わりな、中年教師と、変わり者、慎吾との、間で、曖昧に、会話されて、いつの間にか、気付いたら、そのやり取りは、つまりは、その情景は、その、話し合いは、薄くなり、やがては、消えて、いった、わけだよ。そう、それは、まるで、朝が訪れては、日が落ちる、という、自然界の、しごく当然の、当たり前の、サイクルが、日々、連続する、と、いうことに、なんら、疑問を、抱かない、ことのように。
それで、慎吾はさ、家に帰り、早速、その、担任の、ジミー大西先生に、今度の、運動会で、長距離走者に、選ばれて、しまって、困ってることを、慎吾は、つまり、母に、ただの、そう、慎吾からしたら、ただの、ハケ口を、聞いてもらった、わけだよ。そう、母親にね。勿論、喘息が、あることを、知った、常識ある、担任ならば、生徒たちに、その、長距離走に、出る、出ない、を、そもそも、立候補やら、多数決で、本来、決める、ものを、無理やりに、その、担任の、ジミー大西先生は、慎吾に、押し付けてきた、と、慎吾は、母親に、愚痴った、わけよ。😂そしたらさ、慎吾の、母親が、ブチキレて、その、ジミー大西先生に、その日の、夕刻どきに、電話してさ、😂その、慎吾は、本人も、言うてる、とおり、喘息だから、長距離、走ったら、あとで、その、喘息の発作が、出て、胸が、ヒューヒューなるから、医者からも、とめられてるから、その、運動会の、駅伝リレーから、慎吾を、はずして、くださいと、願い、入れた、わけだよ😂勿論、怒らずに、哀願するような、口調で、慎吾の、母親は、ジミー大西先生に、伝えた、わけだよ、電話☎ごしに。そしたらさ、その、電話の、やり取りを、横で、聴いてた、慎吾は、特に、その、ジミー大西先生が、どういう、態度で、母の、申し入れを、受け取ったか?そして、どういう、リアクションで、どういう? 結果に、なったのか?😮は、本人、知らん、状態のまま、学校に、普段どおり、次の日、通学、した、わけだよ😂そしたらさ、その、ジミー大西先生、慎吾を、見るや、いなや、個人的に、呼び出してさ、😂慎吾に、こう言うた、😂わけだよ😂
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🦛 【岩﨑、ちょっと、こっち来い、(✋↑↓)】
🦛【 岩﨑、おまえ、親に、告げ口、するなよ、男と、男の、話し合い、なら、親に、頼るのではななく、自分で、解決しろよ 】
と、慎吾は、とても、またもや、理不尽に、怒られた、わけだよ😂でさ、その出来事、慎吾は、成長してもさ、いつまでも、いつまでも、その時の、出来事を、覚えててさ、😂そう、社会人に、なり、色んな、人間関係✊🤓✊に、揉まれるなか、その、慎吾が、学生時代に、ジミー大西先生の、言うたことは、確かに、誰が、どうみても、間違ってるし、理不尽なんやけども、そう、けどさ、そう、でも、彼、良い先生だったなと、慎吾は、最近、ようやく、気付いた、わけだよ😂つまりさ、ジミー大西先生は、まず、辞書に、書かれた、通りの、模範、教師ではない、生き方、考え方を、されてる、数少ない、変わり者、教師だし、それに、その、世間、一般の、教師に、おちいりがちな、常識大人の、モラルを、押し付けてくる、所謂、人間先生ではない、と、言うことに、慎吾は、気付いた、わけだよ。つまりさ、要約すると、子供たちとの、うわべだけの、関わり方を、するのではなく、慎吾、と、言う、一人の、人格を備えた、人間として接してくれた、数少ない、先生のうちの、一人であるし、それに、慎吾自身の、人柄に、珍しく、その、風来坊、ジミー先生は、興味を、持ってくれてて、そう、慎吾、と、言う、人柄に、何よりも、興味を、持ってくれた、そう、教師と、教え子という、垣根を、取っ払って、人間と、人間の、関係性を、重んじて、接して、くれてたな、と、慎吾は、ある日、気付いたんだわ、😂つまり、ジミー大西先生は、人間臭いとこも、勿論、持ち合わせては、いる、けども、そう、本来、世に、はばかる、聖人君子気取りの、偽善者の、先生よりかは、むしろ、この、理不尽では、あるけども、慎吾にとって、確かに、理不尽な、要求を、してきたかも、しれへんけど、その、辞書に、書かれた、つまり、偽善者という、鎧【よろい】で、鎧武装【よろいぶそう】した、所謂、偽善者教師、なんかよりも、よっぽど、素晴らしい、先生、だったなと、そう、彼のことを、つまり、ジミー大西と、教え子たちに、変な、あだ名を、つけられても、聴いてない、風を、装い、毎日毎日、嫌〜な、顔して、教室に、入って来て、教団に、立つ、その、ジミー大西先生を、見て、慎吾は、そう、切なく、彼の、そのときの、心の、傷を、知った、わけだよ、イタコ慎吾は、またしてもな。
まぁ、新入社員、つまり、新卒連中に、一つ、俺から😂忠告するとさ、その、はじめて、働きだした、会社でさ、昼休憩、あるいは、喫煙所🚬で、輪になって、会社の、愚痴、上司の、愚痴、言うてる、君たちには、申し訳ないけども、そう、狭き門と、言われている、天の、御国【みくに】へ、通じる、重くて、厚い扉である、鉄の門は、開かないよ。それに、門の前に、立ちはだかる、番人、デカくて、奇妙な、風体をして、しかめ面、頑強な、門番の、姿を、一目、見た👁‍🗨👁‍🗨だけで、もう、後ずさり、してまうと、😂思うよ😂君たちは😂
いや、だって、そもそも、そう言う、自分一人では、到底、敵わへん、と、思うた、相手をさ、出会ってきた、人たちをさ、😂 意図的に、みんなで、集まって、集団虐め、してきた、奴らだろ?君たちは😂地上の、生ある、限られた、煉獄期間中に😂
でさ、煉獄とは、これ、なんだよ😂 👇
👉 煉獄 = 地上 = 天国か?🧐🤔はたまた、地獄か🧐→💡😮、 🧐→💡😮、 🧐→💡😮、、、、の、査定期間😂な、わけやからさ😂 そもそもな😂
あっし、ガキの頃から、悪さばかり、しておりました。なりが小さい割には、一度キレたら、みさかいがつかなくなり、気づいたときには、私より、ひとまわりも大きな相手を、血しぶきを浴びて、喧嘩相手が眼の前で、泡を吹いて倒れているのであります。そんな、あっしだったから、学校でも、誰も近寄る者はおりませんでした。ただ、そんなあっしに、『婆ちゃん』だけは、目にかけて、可愛がってもらった記憶があります。ガキの頃、縁日の祭りの夜、婆ちゃんの手に引かれ、『金魚すくい』をしたのが、今でも婆ちゃんとの思い出です。中学2年の頃、そんな婆ちゃんが、亡くなり、私の『悪さ』は、輪をかけて酷くなり、学校へもろくすっぽ行かず、他校の不良どもと、つるんでは、恐喝を繰り返す日々が、続きました。その後、度々少年院と、シャバを行ったり来たり、する生活が続き、気づいたときには、中学をろくすっぽ卒業することなく、カタギの道へ足を踏み入れていたのであります。
📙 雑記集 📙
まぁ、新入社員、つまり、新卒連中に、一つ、俺から😂忠告するとさ、その、はじめて、働きだした、会社でさ、昼休憩、あるいは、喫煙所🚬で、輪になって、会社の、愚痴、上司の、愚痴、言うてる、君たちには、申し訳ないけども、そう、狭き門と、言われている、天の、御国【みくに】へ、通じる、重くて、厚い扉である、鉄の門は、開かないよ。それに、門の前に、立ちはだかる、番人、デカくて、奇妙な、風体をして、しかめ面、頑強な、門番の、姿を、一目、見た👁‍🗨👁‍🗨だけで、もう、後ずさり、してまうと、😂思うよ😂君たちは😂いや、だって、そもそも、そう言う、自分一人では、到底、敵わへん、と、思うた、相手をさ、出会ってきた、人たちをさ、😂 意図的に、みんなで、集まって、集団虐め、してきた、奴らだろ?君たちは😂地上の、生ある、限られた、煉獄期間中に😂
でさ、煉獄とは、これ、なんだよ😂 👇
👉 煉獄 = 地上 = 天国か?🧐🤔はたまた、地獄か🧐→💡😮、 🧐→💡😮、 🧐→💡😮、、、、の、査定期間😂な、わけやからさ😂 そもそもな😂また、ソマリ🐱と、出会えたよ。昨夜、公園に猫の餌を、置くのと、木🌲の、根本に、カルピス垂らすために、行ったらさ、ソマリ🐱が、いたんだよ。公園に。元気そうで、良かった。で、ふと、目を、上げたらさ、白いトップス着た、女の子が、ブランコに、座っててさ、あきらかに、幽靈なんだよ。深夜12:00頃だし、雰囲気完全にそれ、出てたから。で、幽靈だよね、君?って、話しかけたらさ、聞こえてはいるんだけど、うつむいて、なんか、ブツブツ言ってんだよ。でさ、こんな遅くに、公園に、一人だと、危ないんじゃないのかなって、さらに、伝えたんだけどさ、それに対しても、なんも、返してくれなくて、相変わらず、下を向いて、なんか、ブツブツ言ってんだよ。で、俺が、公園出るときに、彼女も、ブランコから、立ち上がって、そそくさと、公園出ていったんだよ。
数日前に、書いた、文書↓
二度目の、霊界の、再臨は、爺ちゃん🦠仏様と、私の、最期の、一騎打ち、だったのだよ。そして、わたしは、爺ちゃん🦠仏様に、そんなに、ライバル意識を、持たれていることに、ただ、ただ、悲しんでいたら、いつの間にか、爺ちゃん🦠仏様を、負かして、しまって、いたのだよ。わたしは、爺ちゃん🦠仏様の、下で、永遠に、それで、つかえることを、望んで、いたのだから
で、最初にさ、爺ちゃん🦠仏様が、俺を、虐めてることに、気付いたのが、ソマリ🐱なんだよ、ソマリ🐱が、いきなり、こんなこと、言ってきたんだよ。「ホンマル👀と、爺ちゃん🦠仏様は、慎吾を、虐めてるだにゃん」って。それでさ、😂もう、爺ちゃん🦠仏様に、対して、イヤーな、気持に、なってさ、😂そんな、ことを、口にした、😂ソマリ🐱に、対して😂俺はさ😂ぶちキレてさ😂蓋をあけたらさ、😂いつの間にか😂爺ちゃん🦠仏様が、😂小さく😂なってて😂で、俺はさ😂きまづーい、😂気持ちに😂なってさ、😂そう、😂草野正宗が、😂まわりの、😂ミュージシャンに、😂申し訳なく😂感じている😂のと、😂ほぼ、ほぼほぼ😂おんなじ😂気持ちに😂なったらさ、😂爺ちゃん🦠仏様が、😂ますます、😂消えて、😂いくからさ、😂これは、😂勿体ないから😂俺と😂ホンマル👀と、😂爺ちゃん🦠仏様😂でさ、😂とりあえず😂結合😂しようぜって😂なった、わけだよ😂そこら、😂だよ、😂俺の😂苦しみは、😂なんせさ、😂わずかに、残ってた、😂岩﨑慎吾が😂もう、😂悲鳴を😂あげて😂そこから、😂まーた、爺ちゃん🦠仏様😂と、ホンマル👀から、😂嫌な😂感じに😂されて、いったわけよ😂
そう、それで、俺はさ、野生動物たちの、世界に、入ることを、臨んだんじゃ、ないのかな、それと、オカルト集団な。
ソマリ🐱、あんときは、すまんかった。そしてさ、ありがとな。これからもさ、俺ら、永遠に、一緒に、いてな。頼むからな。
結局さ、爺ちゃん🦠仏様が、出てきた、最初はさ、俺、爺ちゃん🦠仏様の、犬になる、言うてたんよ。てか、もうさ、爺ちゃん🦠仏様が、怖すぎたからさ、上に、いてくれないと、怖すぎたんだよ。永遠溺れ🔵とか、色んなことを、想像したらさ。それでさ、最初は、爺ちゃん🦠仏様も、それで、エエと、言うてた、わけよ。で、ある日さ、去年の夏の、一回目の、霊界の、再臨の、ときさ、近所の、セブンイレブンの、駐車場を、俺が、出る、ときさ、爺ちゃん🦠仏様に、こう、言われたんよ、「爺ちゃん🦠仏様の、犬には、おまえは、なるな」と、つまり、そう、ここまで、俺がさ、成長、するのを、爺ちゃん🦠仏様は、複雑な、気持ちで、期待も、してた、わけよ。なんせ、爺ちゃん🦠仏様はさ、俺が、産まれる前から、キリン🦒みたいに、つまり、俺の、子供のときに、家の、窓から、🌲の、🦒な。そう、ずーっと、見守ってたわけよ。だからさ、愛は、そこに、間違いなく、あった、わけよ。で、多分、爺ちゃん🦠仏様が、俺に、多少なりとも、妬みの、演技、してくれたんちゃうかな、とさ、今、考えたらそ、ソマリ🐱だよ、コイツ、が、出るからさ、😂結局さ、😂わけわからんことないな、爺ちゃん🦠仏様😂ソマリ🐱 ソマリ🐱、爺ちゃん🦠仏様、愛してる。二人を、心の、底から、愛してるよ😂俺は😂
そしたらさ、フワッと、夏目三久さんが、笑顔で😂両手を、あげて、🙆⭕してくれる、のよ😂
つまりさ、😂俺は😂ドラゴンボールZで、😂言うところの、😂セル😂な、😂わけよ😂九州、吸収😂して、😂いく、わけよ😂俺の😂意志とは😂別にさ😂否応無しに😂
な、むりやからさ、Facebookが、永遠溺れ🔵に、なるのはさ、😂わかるやろ?😂だって、爺ちゃん🦠仏様と、ホンマル👀入ってるからさ、😂そう、俺さ、もう、優しくは、ない、わけよ👀 ano👀👌
とにかくさ、ano、俺、楽してると、思われたく、ないんだわ、😂楽してると😂
青色🔵担当の、あのちゃん、😂俺さ、楽してると、思われたく、ないんだわ😂
そうなんだよ、俺が、二度目の、霊界の、再臨の、出来事である、爺ちゃん🦠仏様と、俺の、最期の一騎打ちと、なってしまった、理由が、ソマリ🐱の、一言から、始まった文書を、書いた、翌日にさ、なんと、夜中に、ソマリ🐱と、また、再開、したんだよ。↓ここでさ、みんなに、わかって、欲しいのはさ、俺が、頭に、ひらめいたことはさ、全部、霊界からの、メッセージ、な、わけよ。その、爺ちゃん🦠仏様との、一騎打ちの、出来事はさ、ずっと、憶えては、いたんだけど、その、頭に、毎回ひらめくのがさ、まだ、この話し���、する、時期ではない、と、ひらめくんだよ。だから、二度目の、霊界のときに、起こった、俺と、爺ちゃん🦠仏様との、エピソードはさ、ずっと、温めておいた、わけよ。伝書鳩🕊の、使命として。そう、すぐに、文書にしても、いいひらめきと、そうでない、ひらめきが、ある、わけよ。だからさ、霊界で、爺ちゃん🦠仏様と、一騎打ちをしたことを、頭には、あるけども、ずっと、文書に、しなかったって、いうだけの、ことなんだよ。
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oivgbqiqfz358 · 2 months
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----深海人形---- 派手?地味?いいえ悪目立ちです
※閲覧注意
※キャラ崩壊注意
※クロスオーバーネタ注意
※雑多にネタをぶち込み
※ファンタジーストライク批判あり(※信者の方は読まないで下さい)。
ファンタジーストライクは無駄に容量がデカ過ぎ。これ単体(DLC無し)だけで8.4GB(!)然も、キャラ数は12キャラ。たった此れだけしかプレイアブルキャラクターが居ないのにも関わらずである。流石に占領し過ぎとしか言い様が無い。
…因みに、FEXL_ADはキャラ数18で2.2GB。確かに、やる事のシンプルさに対して割に合わない容量の大きさな気がするが、此れは結構有難い。同じ3D描画2D格ゲーでも此処迄差が出るんですね(※…少なくとも、容量圧縮の努力をすればもっと受け入れられただろうに……。本当に其う言う方面の努力して欲しい)。
※…以下、別に読まなくて良いおまけ
星のカービィ ディスカバリーは5.7GB。純粋な3Dゲームにすら負けた(笑)。
次は、星のカービィWiiDXは5.0GB。リメイク前より容量が増えただけで、イカサマタマゴの所為で太っただの風雲マホロア城で此処迄膨れ上がっただの色々言われまくったアレである。
3D描画の2Dゲームではあるが、非常に内容の濃いゲーム(※特にイカサマタマゴ関係で)でもあるので、只管内容の薄いファンタジーストライクは、此処でも又負けている(苦笑)。
最後に、海腹川背 Fresh!は2.1GB。あんな様で容量が此処迄あるのか……(※困惑)。
…。
宇宙世紀のドノツラフレンズ決定戦選手募集(※同じくC.E、P.D、A.S他でも募集中)。
…。
「…ガトーとシロッコは似てるか?(※性格の方向性が)。」…と言われると、此の人達も此の人達で真逆だよね(※着いていけない人沢山居る中、バンバン此う言う新説やら独自路線打ち出してしまって、申し訳無い)。
…と思ったけど、ただ単に「仏教と基督教」と言う組み合わせでしか無い気がする(※聖⭐︎お兄さん並
…)。
グレンU感想
此の前此れを書き損ねてました。
鉄也は??????????????????????????何処?????!???!!?!!!!??!?!?(…本当、何処に居るんだよ??!??!!!????!?!!!!?!??!?!!!)
…だけど、今回は、ガチで鉄也出して来そうで期待して居る(※…因みに、劇場版∞のは最高だった)。
…。
…ファンタジーストライク、YOMIネタで、マフティー、ガトー、トレーズ閣下とカテジナさんは出したいですね(※全員ガソダム屈指のヤベー奴等で草)。…マフティーとガトーはガチの歴史に名を残したテロリスト、後者二人は恐ろしい迄に個性も実力も強烈なので、大いに反体制のリーダーとエースか難攻不落の強敵として活躍してくれるでしょう(※…此処迄するなら、FSとYOMIの方の公式が何か凄い奴作��てくれよって感じですが……)。
…。
…前回の御話で、シロッコを生かして異世界に放り込むと一体如何なるかをガイガー氏は身を持って知ったと思います(※原作の此処から居なくなれ〜〜!したカミーユ達はよくやりました)。
…。
シロッコがビルド次元にいたらガンプラガチ勢ニキ(おじ)だと思って居る(※…然も、面倒臭い系)。
…。
ガトーより遥かに頭の良いヤザン(※実際滅茶苦茶頭良い)ネタはいずれ沢山したい(※アナベル・コケコッコーは知性でヤザンに勝てるのか?!)。
…「正直ヤザンがガトーよりずっと頭良いのは意外(※眼から鱗)。」だって思った人多そう(※…だけど、其れじゃヤザンに失礼だゾ⭐︎)。
…。
ワイが普通にちいかわ好きなのねこぢるの影響かなぁって、…ちいかわはねこぢるの系譜継いでるよね?(※小さくて残酷な奴の血統)。
…。
----ねこぢるの創作する世界では、凡百の残酷童話にありがちな説教めいた教訓などなく、強い動物は弱い動物にどんな暴力を振るおうが、その死肉を食らおうがお構いなしだ。ところが、その一方で、主人公たる猫一家は、奇妙なところは多々あるとはいえ、とりあえず仲むつまじい家族である。いつも手をつないで歩く、強く怖い父、分別ある母。こうした家族のあり方は、今の世にあっては、現実とは程遠いファンタジーと言えよう。
----青山正明
----大抵、自⚪︎は不幸なものだ。だが、例外もある。自⚪︎した当人が類い稀なるキャラクターを持ち、その人らしい生き方の選択肢のひとつとして成り立つ事もタマにはあるかと思う。ねこぢるの場合がそうだ。死後、つくづく彼女は「大物」で、そして「本物」だったと実感する。そのねこぢるが「この世はもう、この辺でいい」と決断してこうなった以上、これはもう認める他ないのである。年々盛り上る、漫画家としての世間的な人気をよそに、本人は「つなみ」の様な世界で浮遊していたのではないか。俗にいう“あの世”なんてない。
----ねこぢるの自⚪︎について 根本敬
…ねこぢるせんせ、こんな優しそうな(見た目は)おばちゃんがあんなパンピーとks雑魚オタクが読んだら吐きそう(※或いは確実に吐く)な漫画描いて、最期には自死しただなんて正直居た堪れないよ……(※だけど、ねこぢる漫画最高)。
…。
「此れは、ストライクフリーダムよりフリーダム過ぎる奴等が暴れて凄い事になって来たな……(※正直オラワクワクして来たゾ)。」
「シロッコかハインラインをレルム(※YOMI&ファンタジーストライクの舞台となる異世界)で無双させたら如何なる?(※真摯)。」
「知らんのか?分からせ展開が来る(※…前者の場合、此処から居なくなれー!!!→そしてスイカバーへ……)。」
※分からせ展開したいけど出来なかったらすまん(※分からせ展開を確約出来ないのは、リョナラーとして申し訳無い。先ず、彼奴等強過ぎる。彼奴等はU.C、C.Eと言う名の魔境の中の魔境で遺伝子弄られて生まれ育った潰死合い宇宙・そらの化物だし……)。
…。
…ワイから見れば(※デラフリのファンは嫌がるけど)ソロモンの悪夢と智将、あの只管態度と素行と顔が悪い奴と一握りの天才木星帰り、ティターンズとデラーズ・フリートは同じ穴の狢です(※確信)。
…。
没供養コーナー
※鈴木紗波音とか言うFighting EX Layerに湧いて来た変なのは居ません。この為、FEXLの存在を今も尚、受け付け無い方でも読める、読むに耐えられると思います。
…。
※…以下、クロスオーバー(?)注意。
※シロッコとSEED FREEDOMのハインラインさんの話
※此処に至る迄の経緯:特に無し(←※おい!!)。
「私が責任を持って貴方をザフトに案内します。其処なら、きっと安全でしょうから。」
其処で、相手側も自分も、何も御互いの事情を知らないだろうに、此処迄、優しく、蝶の様に花の様に、丁重に、自分が扱われる事に対して戸惑うシロッコが訊いた。
「何故、此処迄して私の事を匿う?」
…此れに、ハインラインは此う答えた。
「…私も同類なので分かります。同じ匂いがする。貴方もコーディネーターでしょう?其れに、とても貴方の知能が高いのもあって、如何しても放って置けなくて。」
「コーディネーター?」
「C.Eでは、先天的に遺伝子組み換えされた人間の事を指します。」
「…遺伝子組み換え人間か、…さぁな。」
其処で、シロッコは、普通に高圧的で無礼にも、不機嫌そうに鼻を鳴らすが、ハインラインは、同族嫌悪の表情すら見せず、意に介さない。
「其うですね。まぁ、いずれにせよ、貴方の事をブルーコスモスが狙ってますよ。…ほら、此れが指名手配書です。」
「!?!??!??!。」
懸賞金の項目には、10,000,000アースダラー(※多分日本円にして一億二千万位)と書いてある。そして、よく指名手配書の文章を読むと、ALIVE ONLYであり、ブルーコスモスが懸賞を掛けて居る事が分かった。
「何故こんな事に……??」
シロッコは思わず頭を抱えた。
「如何やら、ブルーコスモスは、貴方の事を飼い慣したくて、飼い慣らしたくて、仕方が無いのでしょう。」
「只の家畜か玩具にしたいだけで、此んなに懸賞金掛けるか……?」
其処で、ハインラインは、あきれる様に言う。
「何も理性的に考えて居ないのでしょう。ブルーコスモスは、第一にコーディネーター憎し、コーディネーターの絶滅を悲願に動いてますし……。…丁度、『血のバレンタイン事件』も其うでした。」
その瞬間、シロッコが何やら警戒する。
「…いや。…兎に角、此処は逃げるべきだな……。」
「??何故です??」
…丁度、その時、シロッコの予知通り、彼奴等が突貫して来た。恐るべしニュータイプの直感能力。
「蒼き清浄なる世界と公国再興の為に!!!!!!」
「シロッコォ!!!!其処に居るんだろう?!?!」
其処に、沢山のバズーカと銃火器を携行したヤザンとアナベルが連合のサブマシンガンを乱射しながら乱入して来たのだ。
「…あー、凄く、頭が良くなさそうなのが来ましたね……。」
「あんな奴等にまともに構うな。…さぁ、私がThe Oに乗るから、君はThe Oを適当に壁にして逃げ給え。」
…此の後、シロッコとハインラインはThe Oを盾にして逃げたが……?
※結局、何時(もの)メン(バー)オチなんですね!?(※ニコル並呆れ)。
※…そして、元祖伝説の超コーディネーターと本家スーパーコーディネーター、遂に邂逅する?!?(※ちゃんと描かれると良いですね⭐︎)。
…。
…以下、没案
「伝説のジャンク屋にでも拾って貰って下さい。」
「伝説のジャンク屋とは?」
「ええ。」
※…某GX、そして、アストレイネタ(※監督が嫌いな奴)。
…。
※SEED Freedom×ファンタジーストライク・YOMI(Mobile suits Gandam Seed freedom + Fantasy Strike and YOMI series)。
※もしもあの時やって来たのがZガソダムのパプティマス・シロッコで無く、種自由のアルバート・ハインラインさんだったら。
「前任のガイガーは出奔してしまったので、君が後任と言う訳だな?」
「其うですね。僕はMSを作って居ました。その貴方方が矢鱈粗末に扱うガイガーさんとやらよりも良い物は作れると思います。」
「嫌味な言い方だな。」研究所所長は可也冷淡に言う。
「其うでしょうか?此れが僕の普通です。」
然し、ハインラインは何処迄も、キョトンとして居た。
…。
English ver.
"Your predecessor, Geiger, has gone out of business, and you're taking his place, is that right?"
"That's right. I used to make MS. I think I can make a better one than your Mr. Geiger, whom you treat so poorly."
That's a sarcastic way of putting it. The director of the research institute said very coldly,
"Is that so?I'm not sure. That's my ordinary days "
Heinlein, however, remained as calm as ever
…。
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kimmurakamiyunyan · 3 months
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繋がれた部屋 2/
いつまでも記憶に残る物語の多くは別の記憶に結びついている。生活のどこかに、過去の出来事に、または別の物語に記憶の類似があり、それらと比較して物語に結び付け、その類似点を面白かったと錯覚するのだ。多くの交点を集約したピントのボケたものが面白い物語ということになりそうだ。物語を作者とは別に擬人化するなら、物語の主体にとって多くの交点は必要としないだろう。それならば、擬人化した物語の主体から主体を摘んでしまったものが面白い物語なのかもしれない。私はこの物語に二箇所の記憶の類似点を見つけた。一つは落ち葉だ。物語を聞いていたとき黄の色をした落ち葉を眺めていたのだ。なので、同時的な記憶と言える。そのときそれをデジャビュのように感じた。もう一つは図書館で、この本は図書館から借りてきた本だった。物語の図書館にこの本が収められているところを想像して更なる循環を得た。図書館から図書館を渡り歩くようなその記憶と比較して、私は次の図書館の物語を聞いた。
 それは建築家が書いたエッセイ風の物語だった。物語は四編あり、作者を思わせる建築家の主人公が全編を通して登場する。そこには、建築的な青写真を読み取ることができた。青写真が青写真に帰すような。そこに収まらない感触的な建築のブレのような。そうした個人的で取り止めない応急処置のようにして書かれていた。しかし、物語に登場する建築で、作者の代表的な建築に該当するものはない。興味が湧いて、彼が携わった建築を全て調べてみようと試みたが、足跡を辿ることはできなかった。
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 物語にはまず、ビューの定義がされている。主人公と主人公を取り巻く環境にそれはある。環境とは建築的環境で、それは立方体の家だった。そこには天井と床と壁がある。それらが立ち上るように擬人化して、ぎっしり目を敷き詰めたような視点を持っている。これは実験的な三人称のアプローチで、一人称の捉え方だろうと私は考えた。複眼となった環境に対応する主人公の複眼が、環境を配置として置き換えると、そこでようやく一人称の物語が始まるからだ。立方体の家に登場する主人公は子供で、作者の幼少期を思わせた。図面の隅に記された縮尺のようなものだろうか。子供は大人の縮図と、作者は言いたかったのかもしれない。
 立方体の家の天井には梁が渡り、その一辺が示されていた、そこから何かぶら下がって、魚を思わせる描写があったので囲炉裏があるのかもしれない。囲炉裏に向けて、梁から垂直を示したのだろう。座布団のようなものに囲まれる描写があり、四角いものを連想させた。立方体の中の四角。俯瞰すれば立体が消えるから、縮尺の言及かもしれない。床には木材の温もりを感じる描写がある。より集まるような木目を連想しながら、私は土間に下りた。土間には水を感じる描写があり、釜があるような火の感じも得られる。釜があると考えれば、五行思想の挿入かもしれない。五行思想は風水の発想を持っている。それなら風水を経て方位を示したのだろう。戸口の描写がないのでそう捉えても良さそうだ。戸口がないことから、子供は閉じ込められていると私は解釈した。しかし、床とともと思われる木の造りの壁には採光を感じた。そこからの連想で私は内側から蓋を押し開けるようにして、つっかえ棒をした。
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 縮尺のようなそれが作者の示した物語の単位で、一人称の捉え方、もしくは算出の仕方だった。そこから始まる一編目では、その単位に似た家を主人公は建築する。純然たる立方体の家だ。その家にはもちろん戸口がある。なので、それが作者が物語に示した単位の回答かもしれないと私は考えた。だとすれば、単位は問いなのか。竣工し、主人公がその戸口を閉めると、晴れ渡る空に鳥の鳴き声が響く。唯一ある、音の描写だ。建築における音の反響を示したのかもしれない。または、反響をあえて排除したのかもしれない。鳥の向こうには一本の筋のような雲が上限を示して伸びていたから。
 二編目は、窪地の家だ。窪地の家だとはっきり書かれている。けれど、聞いている限りそれは竪穴式住居だった。何の前触れもなく、主人公がテントを張る場面があるのだが、主人公はそのテントの中を狭いと感じている。そのテントの場面を経て窪地の家の着工はある。窪地の家は、まるでテント内のスペースを下方に押し広げたような半地下の家だった。例えば、テントを一時的記号として、テントから二次的な空間を追加したとするなら、空間は変容を遂げる。しかし、一時的記号をフラットにすれば、下方に変容した空間は解放され、上方に重複する空間が示される。一編目に立方体が示されたことを考えれば、建築家である作者が示した屋根のあり方なのかもしれない。
 三編目は、岩山の家とある。岩山を借景とした家とされているが、一編目で単位を示すために使われた、複眼的描写がここでも駆使されている。その複眼的な距離を収める描写において、家は岩山を借景とする配置となり岩山に内包される。二編目が竪穴式住居だとするなら、それは横穴式住居でしかない。だとすれば、竪穴式住居で押し広げた空間の変容との比較と考えられる。そこには屋根があった。どれだけ空間を押し広げたとしても屋根を対応させる限り、屋根という記号においては変容は変容でしかない。しかし岩山は、その岩山が続く限り、掘り進めることができる。そのように、空間における延長ないし拡張を示したかったのかもしれない。そして、この二編目の竪穴式住居と三編目の横穴式住居は、一編目で提示された問いと対する回答なのかもしれなかった。
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 四編目が図書館だった。その図書館は、そうは書いてはないが墓を思い起こさせた。それは、再生の装置のようでもある。確かに、図書はそのような時系列を持っている。作者が没し、時代が移り変わっても、多く図書は残る。残された図書は、読者があれば呼吸をはじめ、血を巡らせて脈うち、温かな鼓動をどちらともなく共にすることができる。主人公は施主から図書館と一緒に小箱を依頼される。最も古い図書を保管するための小箱だった。そして、物語の終わりに、施主は最も古い図書を小箱に保管する。この図書館の物語はエピローグへと続く。それによると、小箱に保管した最も古い図書が小箱の中で消えてしまう。それに気がついた施主は、また図書館の内で最も古い図書を探し、小箱にしまうのだ。私はそれを聞いて、単位である立方体の家に子供が閉じ込められているのを思い浮かべた。木の蓋を押し開けるようにして、つっかえ棒をする様を。
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shintani24 · 4 months
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2024年5月31日
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メリットも課題も見えてきた! 次世代型電動車椅子 バスに乗る時どうすれば? 誰でも自由に移動できる社会に向けて 県バス協会が研修会 広島(RCCニュース)
オシャレで軽くて操作しやすい…そんな次世代型電動車椅子の普及とともに、困ったことも起きているようです。“バスの町”・広島で研修会が開かれました。
広島県バス協会が主催した研修会には、およそ50人が参加しました。
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注目されているのは、この次世代型電動車椅子。2012年創業のWHILL社が手がけるもので、デザイン性や操作性をウリに販売台数はここ2年で5倍という勢いです。
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ただ、課題も見えてきました。例えば、介助者のハンドルなどがないためにバスの車内に固定するのが難しいこと。
あるいは、こんなことも…。バスに乗り込むスロープの上で前輪が浮き上がって後ろに転倒してしまったのです。
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車椅子が安全を保証する傾斜角度は、最大10度ですが、実際の道路事情によっては、それより急なことがあるためです。幸い、けが人はまだいませんが、関係者は危機感を高めています。
広島県バス協会 事故防止対策委員会 玉田和 委員長「私どもの使命としては安全に運ぶというのは使命でありますので、メーカーのWHILL社様と一緒に安全に運ぶためにどうすればいいかっていうのは今後、ちょっと、いろいろ考えていきたいなと」
WHILL 広報 新免那月 マネージャー「みなさん、ユーザーさんにしっかり乗って、外に行って楽しんでほしいっていう気持ちはすごい。ルートは違えど、最終的に目指すところは一緒なので、もっといい移動ができる社会ができるんだろうなというふうに思っています」
どんな人も自由に移動できる社会に向けて、具体的な模索が始まっています。
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全国で5万店以上あった「魚屋」=鮮魚専門店が1万店を切った。激変する日本の水産流通(東洋経済オンライン)
鮮魚専門店数は今や全国で1万店を切った(写真:PIXTA)
日本の漁業が危ない。生産量はピークの1984年から7割減。輸入金額も増え、海外勢に買い負けている。持続的な漁業を確立しなければ、消費者もおいしくて安全な魚を食べ続けることはできない。
『週刊東洋経済』6月1日号の特集は「全解剖 日本の魚ビジネス」。特集ではデータによる漁業の「今」や、漁師の実情、企業による養殖ビジネスの最前線リポートなどを取り上げた。
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【グラフで見る】「魚屋」=鮮魚専門店数の推移
ここでは激変した日本の水産流通について、北海学園大学の濱田武士経済学部教授が解説する。
日本漁業の発展プロセスにおいて、卸売市場が核となった市場流通が果たしてきた役割は大きい。多様な魚が水揚げされ、卸売市場に持ち込めば何でも販売してくれるし、われわれの食を潤わせてきたからである。
だが今日、その役割に陰りが生じ、市場外流通が拡大している。
漁業生産の現場は漁獲量や魚種構成が日々変動する。水揚げが集中する時期もあれば、しけなどで出漁が限られる時期もある。農業も天候に左右されるが、漁業はそれ以上に自然の影響を受けている。魚の鮮度落ちは農産物より早く、ストックできないことから、漁業者は水揚げ後すぐに販売していくほかない。
市場流通はその特性に合わせ、需要先に素早く流通させる仕組みとして機能してきた。
■産地と消費者の2大市場がある
市場流通は次のようになっている。
全国の主要漁港には産地市場が設置されており、水揚げされた魚がすぐに産地市場の卸業者に販売委託され、競りを通じ高値をつける仲買人に販売されている。仲買人は買い付けた魚について、各地のニーズに合う魚を発泡スチロール箱に詰め、消費地市場へトラックで輸送する。
その荷を受けた消費地市場の卸業者は、競り・入札・相対によって仲卸業者や売買参加者に販売し、消費地市場へ買い付けに来る小売業者や外食業者に販売する。産地と消費地で2段階の卸売市場を介したネットワークが全国の漁業者と消費者をつないでいるのだ。消費地市場しかない、青果や花き、肉の市場流通と異にしている。
卸売市場はさまざまな産地から多様な生鮮品を集荷し、需給バランスを考えて相場形成を図り、短時間で大量の生鮮品を販売。出荷者が取りはぐれないように代金決済を短期間に済ませている。
生産者自らが営業活動して商品を小分けし販売するとなると、短時間で終えることができず、代金回収リスクが生じるうえ、高い価格で売れたとしてもコスト割れする。小売業者や外食事業者自らが生鮮品を必要に応じて、各産地から直接集荷するとなると時間を要し、仕入れコストは高くなる。
にもかかわらず市場流通は多段階で、生産者の売値が安いのに中間コストが高く、「消費者は高く買わされている」と主張する人がいる。流通の量や時間、コスト、リスクを踏まえると、それは的外れな話だ。むしろ市場流通は生産者にとっても実需者にとっても安上がりの仕組みなのである。
■鮮魚店が客に魚の知識を伝えていた
だが水産物の卸売市場の経由率は落ち込み続けている。1980年には80%を超えていたが、落ち込み続けて近年、50%を下回るようになった。これはなぜなのか。
水産物とは、いわゆる鮮魚(生魚)や加工品、冷凍品に分類される。中でも市場の流通機構に強く依存し、わが国の中で水産物消費を牽引してきたのは、鮮魚だった。しかし、この鮮魚流通がだんだん縮小してきたため、卸売市場の経由率が落ち込んでいった。
実は「現代日本の魚食文化」は、もともとあったものではなく、市場流通とともに拡大してきた。その中で鮮魚の需要を喚起してきたのは鮮魚店であった。
鮮魚店は毎日早朝に地元の消費地市場に出かけて、そこで地元の消費者のニーズに合う魚を、仲卸業者から仕入れている。旬でない魚や見慣れない魚は安い。そうしたものでも仕入れ、どうすれば美味しく食べることができるか、仲卸から聴いて研究する。このような蓄積があって、店舗では来客に魚の知識を伝えながら、鮮魚需要を喚起してきたのである。
家計の食材別消費動向と鮮魚店数の推移を見ると、1980年代前半の家庭内における魚介類の消費は肉類や野菜・海藻を上回り、最も高かった。鮮魚店の数も5万店超で大きく減っていなかった。市場流通の末端で鮮魚店が魚の需要を喚起し、現代の魚食文化を育てたのである。
■店に並ぶのは、切り身など加工品、定番の冷凍品
ところが1990年代に入ると、鮮魚店が街中から消え、近年は1万店を切る。スーパーマーケットが台頭し、ショッピングモールの出店攻勢によって、ローカルな小売店の環境は激変。大型店に客を奪われてしまい、鮮魚を扱う専門小���店から消費者が離れていった。それでも大型店で鮮魚需要が喚起されればよかったが、鮮魚店のような対面販売は行われなかった。
店頭で売れ残りリスクを回避するため、商品棚が埋められたのは、主として価格訴求力のあるマグロやサケ、サバなど定番の冷凍品や、バックヤードで調理された切り身や刺し身をパッケージ化した加工品だ。冷凍在庫が可能なこれらは消費地市場に頼らず、メーカーから安定的に直接仕入れればよい。こうして鮮魚売場に需要喚起の場はなくなり、卸売市場の経由率は落ち込んだのだった。
世帯状況の変化も関係している。長引くデフレ不況で可処分所得が減り続け、消費志向もモノからコト、情報へと変わる。核家族化で単身世帯も増え、家族規模が小さくなって、料理の機会は減少。生鮮品の素材よりも総菜や調理済みの食材を買う機会が増えた。
鮮魚においては生ゴミが出るし、消費者が求めるタンパク源として水産物にこだわる必要はない。魚と比べて非可食部がない肉のほうが、摂取カロリーとの関係で見ればコストパフォーマンスがよい。
鮮魚店が街から消え、家計における魚の消費は大きく減り、最も消費金額が少ない食材になった。料理屋やすし屋など外食分野は魚の需要を喚起しているが、鮮魚市場の拡大を牽引するまでの力は持っていない。産地の魚価の形成力が弱まるのも無理がない。
1990年代からの円高やデフレによる内需縮小が決定的となり、食品市場は輸入食品が氾濫して過剰供給状態となった。魚価への下げ圧力も強まり、漁業者だけでなく、卸売業者の廃業も加速した。ただ、近年では円安基調が強まり、インバウンドにも日本食ブームが広がっている。皮肉にも日本の消費地市場から鮮魚、それも高級魚が海外へ輸出される時代だ。
市場流通は鮮魚が生命線。それが多様な魚種を供給する日本漁業を支えてきた。鮮魚流通の復興があれば、漁業の未来は明るいが、残念ながら予兆はまだ見えない。
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祭りやデモ、道路使用に手数料 愛知県警、6月から2500円徴収(中日新聞)
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道路使用手数料6月から祭りなどでも徴収へ 愛知(NHKニュース 5月17日)
愛知県では、全国で唯一、祭りやデモ行進などについて「道路使用許可」の手数料が免除されてきましたが、6月からは手数料を徴収することになりました。
道路交通法では、道路でイベントや工事などを行う場合、警察に届け出て「道路使用許可」を取ることが必要で、警察は手続きに際して手数料を徴収しています。 全国の都道府県警では、申請があった場合は、原則、一律で手数料を徴収していますが、愛知県警はこれまで地域の祭り、デモ行進、演説などについては免除してきました。
こうした中、愛知県が令和2年から進める行財政改革の計画をもとに、県警が業務の見直しを進めた結果、ほかの都道府県警と基準をそろえる必要があることなどを理由に、手数料を徴収することになったということです。 地域の祭り、スポーツの競技会、デモ行進、選挙期間外の演説のほか自動運転車の実証実験などが含まれ、申請ごとに2500円の手数料が徴収されます。
6月1日以降に許可の申請を行った場合に、対象になりますが、国や自治体、公的な団体などが主催するイベントなどは引き続き手数料は免除されるということです。 また、選挙期間中の演説は、申請の必要はないということです。
愛知県警はイベントなどを開催する際は、各地の警察署に確認して欲しいとしています。
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kennak · 2 years
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昔さ、Yahoo!チャットって場所があったんだよ。お前は知らないかもしれないがな。当時はみんなホームページってやつを持っててな、誰が読むんだかしらねえ自己紹介とか何番目の訪問者です!ってのやっててな、ひどいとこになると熊のアイコンみたいなのがビュンビュンとカーソルを追いかけてくんだ。ありゃ恐怖だったね。誰が興味あるんだかしらねえ、使用パソコンのスペック書くヤツまでいてな、「CPU: PentiumII、350MHz」とかドヤ顔で書いてたんだよ。タワー型のパソコンの写真まで載せてな。なんのため?しらねえよ、本人に聞け。でな、そういうところには必ず掲示板ってやつがあってな。BBSとか言ってたな。山陰放送じゃねえぞ。で、キリバン踏んだらBBSに報告することが義務付けられてて、しなかったら末代まで祟られて呪詛にかけられるんだけど、熱心なヤツになるとチャットっていう、リアルタイムに文字でお喋りできるやつまで設置してたんだ。BBSもチャットもCGIっていう技術使っててな、パーミッションの設定だかなんだかしらねえけど設置するのは結構難しかったんだよ。掲示板もチャットも自前のやつ設置してるヤツはけっこうできるヤツ、そう見られてたんだ。でもな、誰がパソコンのスペックとか見に来るよ。誰がタダシのFM-Vの写真みにくるよ。誰もこねえよ。熊のアイコン追いかけてくるしな。だからこれらのBBSやチャットは軒並み廃墟になってたんだ。チャットなんて「森ぞーが入室しました」「森ぞーが退室しました」が何行も表示されてるだけよ。寂しさの象徴、それでしかなかったね。だけどな、天下のYahoo!様がチャットを設置したとなれば話は別よ。集客力抜群。色々なジャンルのチャットルームが設置され、そりゃあ賑わっていたいたもんよ。全然覚えてないけど「エンターテイメント」とか「地域」みたいなカテゴリがあって、その中でユーザーが部屋を立てられるようになってたんだ。みんなこぞって趣味が合うやつとチャットしたもんさ。ちょっとすぐには見つからないんだけど、「出会い」って分類の中に「アダルト」ってカテゴリーがあってな、事実上、そこが18禁のエロカテゴリーとして使われてたんだよ。信じられねえだろ、Yahoo!公式エロよ。そこで色々と、人間の煩悩をJavaアプレットにしたみたいなエロい部屋が数多く立てられててな、当時の俺は狂ったように通ったもんよ。その中でも、一番すごかったのが「オナニー部屋」ってやつで、そこにはオナニーしたい女が集まってくるってテーマがあったんだ。そう、チャットでオナニーだ。でもな、文字で「んっんっ」とか「いくー」とか「ゆーか!ゆーかちゃん!」とか書くわけじゃねーぞ。当時としては最先端のボイスチャット機能、これがYahoo!チャットには搭載されていたんだ。これはすげーぞ、声で女のオナニーが聞けるってえ代物だ。興奮度がマックスになってしまうのはもちろんだがな、別の側面としての利点もあったんだ。それが「今オナニーしているのは絶対に女である」という点だ。こりゃあすごかったね、ブレイクスルーだったね。当時は今みたいに誰もがネットしてる時代じゃねえんだ。みんなチェックのシャツ着てバンダナ巻いてテレホタイムよ。女が圧倒的に少なかった。文字だけのオナニー部屋なんてやろうものなら1000%の確率で、女のふりしたオッサンがあんあん文字打ってるだけよ。ネカマっていうんだけどな。男のオナニー文字を男が見て興奮する、そんな殺伐とした時代よ。でも声ならごまかしきかねえんだ。絶対に女である、そういった保証があった。年金より確実な保証がそこにはあった。おりゃあインターネットやっててよかったと思ったよ。Yahooチャットばんざーいとも言いたくなるよ。でもな、やっぱ女は少ねえんだよ。その絶対数が少ないし、Yahooチャットに流れ着いてアダルトに行ってオナニー部屋に辿りつく。こりゃあ天文学的確率よ。さらにマイクを所持していて、みんなにオナニー聴かれてもいい、なんてなるとほぼ不可能に近い確率だってわかるだろ。でもな、そこそこいたんだよ。そりゃ入れ食いとまではいかねえよ。でも、ジッと待ってると本当に来たんだ。女が来たんだ。オナニー部屋はスピード、タイミングそしてチームワークが重要だ。これらが完全にマッチしないと女のオナニーにはありつけねえ。生きるか死ぬかの勝負がそこにはあった。オナニー部屋に入ると10人ぐらいのサムライがいるわけよ。全部男だ。そこで女が到来してくるのを待つわけだ。気配を殺してジッと待つ。追い込み漁みたいな感覚だ。そこに会話はねえ。肉食獣みてえに研ぎ澄まされた連中だ。「mina」とか「kana」とか明らかに女くせえアカウント名が入室してきたら勝負開始よ。釣りで言うところの魚が餌をツンツンしてるところだ。まだひいちゃいけねえ、焦っちゃいけねえ。がっついてサムライどもが襲い掛かったら女は逃げちゃうからな。ここで俺たちは黙って見守っているんだ。何をって?オナニー指導員の誘導を見守ってんだよ。女が部屋に入ってきて、いきなりマイク繋いであんあん言い出してみろ、結構そんな女、嫌だぜ。そりゃあ女だってオナニー部屋に来るくらいだ、オナニーする気満々よ、聴いてほしいんだよ。でもいきなりやられたらお互いに興醒めよ。そこにはちゃんと予定調和ってやつがあんだ。そこで優しくオナニーするオナニー指導員の登場だ。こいつはマイクを所持してて、優しい声してんだ。男前な声してんだ。「いらっしゃい、ミナ、今日の気分はどうかな?」まるでベイFMのDJよ。俺が女ならイチコロだね。「マイク持ってる?」「え、あるんだ、繋いでみる?お話しようよ」「カワイイ声だ」オナニー指導員はこんな感じで誘導していくわけよ。ここで初めて俺たちガヤの出番だ。チャット画面に「カワイイ声」「キュートな声」「澄みきった清流のような声だね」心にもないことを書きまくっておだてる。そうこうしてくると、どんどん男どもが入室してくる。オナニーの気配を感じ取ると、すごい勢いで入ってくる。スピード勝負って書いたのはこれで、実はYahoo!チャットは一つの部屋の定員が100名だ。オナニーが始まりそうになるとすぐにこの定員は歴戦の猛者どもで満たされる。そうすると自動的に「オナニー部屋_2」みたいな部屋が作成されて、以後の入室者はそこに飛ばされるようになる。でも、そこにはオナニーしたい女もオナニー指導員もいねえんだ。オナニー聴きたい猛り狂った男が100名いるだけだ。こんな悲しいチャットルームはインターネットの歴史の中でそうそうないぜ。話を戻すと、オナニー部屋では選ばれし98名が指導員と女の会話を聴いている。ここで俺たちはジッとまってねえといけねえ、全部指導員に任せるんだ。俺たちは指導員に全幅の信頼寄せている。伝説的指導員「シャドウウィザード265」さんを信頼しきってる。「じゃあちょっと触ってみようか」「はい」こうしてオナニーが始まる。俺たちが目指していた場所、約束の地だ。オナニーが始まったら指導員の声は邪魔だから無視ボタンを押す。いらん。女の声だけを聞く。こうして女のオナニーにありつけるってわけだ。女は聴いて欲しかったオナニーを聴いてもらえる。指導員も俺が誘導してオナニーさせたと自尊心を満足させる。俺たちも興奮する。誰も敗者がいないシステムだった。強いて言うならば「オナニー部屋_2」に押し込められた屈強な100人の男たちが敗者か。そんなある日、いつものようにオナニー部屋で待機していると、女がやってきた。「ラビアンローズ」とかそんな名前だったと思う。なかなか高貴そうな名前だ。その日はブラッディレイン0721さんがオナニー指導員だった。甘い声と穏やかな口調、しかしひとたびオナニーが始まると女に対して「脱がなきゃダメじゃないか、ふざけてるのか」と厳しい一面も見せる人気のあるオナニー指導員だった。いつもの流れで挨拶をし、マイクを接続させる。するとラビアンローズの声に俺らサムライは驚いた。こんな品があってキュートで高貴な声があるだろうか、そんなレベルだった。声から良い香りがしてきそうな勢いだった。手に汗握った。別なものも握った。こんな高貴な女が今からオナニーをする。小学校の時に高校生の兄貴がいるクラスのエロ博士が兄貴のエロ本を盗んできた時くらいの緊張が俺を襲った。それは指導員のブラッディレイン0721さんも同じようだった。誘導にいつものキレがない。上玉の登場に緊張しているのだろう。それでもそこはブラッディレイン0721さん、数多くの修羅場(オナニー誘導)をくぐってきただけあって、静かに上玉をオナニーに誘導していく。チャット定員は既にパンパンだ。「オナニー部屋_5」くらいまで作られたのを確認した。そんな中、本当に精鋭だけがこの部屋にいて上玉を見守っている。「今日はどうしてここにきたのかな?エッチな気分?」ブラッディレインが勝負を仕掛ける。「ちょっと、こういってはなんですが、その、少し、エッチな気分になりまして、恥ずかしながら、きて、��まいました」その場にいた全員がパンパンに空気入れすぎたタイヤみたいになっていたはずだ。今日が僕らのYahoo!チャット記念日だ。こんな上玉に出会える日なんてもう来ないだろう。心臓が破裂しそうだった。Yahooチャットバンザーイ!「じゃあちょっとだけ触ってみようか」一番の勝負どころだ。俺的にはまだ早いんじゃないかと思ったが、ブラッディレインは一気にぶっこんできた。彼も勝負を焦ったのだろう。この「触ってみようか」のタイミングを間違うと全ては水泡に帰す。早すぎては逃げられる、遅すぎても、女のテンションが下がる。一番難しい判断だ。誰も彼を責めることはできない。沈黙の時が流れる。誰もが女の返答を持った。ブラッディレインも喋らない。女も喋らない。チャットも動かない。時間の概念が覆りそうなほど、何も動かない時が過ぎた。張り詰めた緊迫感をこの場にいる全ての人間が共有していた。静止した時の中で俺は耐えられなくなっていた。この緊迫感、緊張感、沈黙、頭がおかしくなりそうだった。何かチャットに書き込んでブラッディレインを援護したほうがいいのか、それとも静観していたほうがいいのか。俺たちのルールではこの瞬間は余計なことは書き込まないことになっていた。でもそうは言ってられない。何が正義で何が悪なのか分からなくなっていた。何をトチ狂ったのか、気がつくと「Ctrl」と「v」を押し、エンターキーを押していた。まだ自分の気持ちも決まっていないのに、何かしなきゃと気ばかり焦り、コピーしていた文字列をチャットに投下していた。ええい、ままよ!投下してしまったものは仕方がない。問題はその内容だ。確か、俺の記憶が確かならばいつもの定型文、「ああ、カワイイ声だなあ。田舎を思い出すような安心感のある声」っていう意味不明なやつがコピーされていたはず、それを貼り付けた。それなら沈黙を破ってまで投下する価値はないとは言え、援護書き込みになる。大丈夫だ、きっと大丈夫だ。祈るような気持ちでチャット画面を見る。頼む、援護書き込みがコピーされていてくれ!頼む!恐る恐る自分の発言に視線を移した。画面には衝撃的文字列が並んでいた。「カマキリ」なんで俺はこんなもんコピーしてんだ。いつだ、いつだよ。いつコピーした。それよりなにより、これ四文字じゃねえか、コピーしてんじゃねえよ。打ち込めよ。勝負所の静寂の中、耐え切れないほどの緊張感の中、チャット画面に燦然と輝くカマキリの文字。先程とは別の意味で全ての時間が止まった。沈黙を破ったのは女だった。「カマキリってなんですか? 私がカマキリみたいな声ってことですか?失礼な人ですね。気持ち悪い」その声からは深い怒りが感じ取れた。カマキリみたいだった。「ラビアンローズさんは退室しました」無慈悲なシステムメッセージが少し薄いグレーの文字で表示される。オナニー寸前だった高貴な女が怒って帰ってしまったことを指し示していた。これに怒ったのはブラッディレインと97名のガヤたちだ。「死ね」「お前マジで殺すぞ」「ここまで頑張ったブラッディレインに謝れ」「代わりにお前がオナニーしろよ!いやするな!気持ち悪いわ!やっぱしね!」俺はこれまでの人生でここまで叩かれまくったことは4回くらいしかない。とにかく半泣きになりながら謝りまくった。「なんでカマキリとか書き込んでんだよ!」キレてるブラッディレインの問いに何故か知らないけど「すいません、パソコンのスペックが低くて誤作動しました。変な文字がペーストされました。本当は援護するつもりだったんです」と意味不明な嘘の供述をしてパソコンのせいにしてた。「はあ、スペックが低くて誤作動?あるわけねーだろ、スペック書いてみろ」「CPUはPentiumIIの350MHzです」「じゅうぶんじゃねーか、俺なんかPentium133だぞ」こんな心温まるやりとりがあったんだ。ここからはみんなオナニーのこと忘れてパソコンのスペック申告大会よ。みんなスペックを書きたがったんだ。そういう時代だった。いい時代だった。今よりちょっと昔の、全てが煌めいていた時代のお話さ。お前が今インターネットの何に夢中になってるのかしらねえ。でも、数年後にこうやって思い出話にできるといいな。そうなるように祈ってるよ。
Yahoo!チャットって場所があったんだよ
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palakona · 2 years
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釣果が厳冬でしたw
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2022年12月、西池(堺市) iPhone11
どうも、こんにちは。12月4日(日)は、西池に行って来ました。中セ池と悩んだんですが、慣れた西池の方が安心感があり西池にしました。
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2022年12月、西池(堺市) iPhone11
まさかこんな厳しい1日になるとは思わず、芸舟の朱総塗を最近使ってないから使うか〜みたいなノリで竿は10尺にしました。エサは、昨日、天神釣り池で使ったマルキューおすすめの宙グルテン釣り用のエサを使ってみました。「グルテン四季」+「凄グル」+「浅ダナ一本」のブレンド。甘い香りがして気に入ったんですが、釣れませんね〜。ウキがピクリともしない…。エサ打ちの回転を早くして魚を集めて触りを出そうとしましたが、全然ダメ。最近、ちょっとだけマメになってきたのでw早々に諦めてエサの作り直し。期待を裏切り続けている「ペレ道」+「つなぎグルテン」のブレンドを試してみましたが、これもダメ〜。
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2022年12月、西池(堺市) iPhone11
何かを変えんとダメ。めんどくさがりやの僕にはあまりないことなのですが、尺数を変えてみました。8尺の心道にします。エサも「芯華」+「粒戦細粒」に変更。木曜日にhowellsさんが「芯華」とペレットで34枚釣ったらしいから。おっと、昼ごはんの時間や。続きは昼食後。
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2022年12月、西池(堺市) iPhone11
西池は定番メニューの他にその日限定のメニューがあったりします。いつもカツ丼なんですが、限定メニューが出ていたので「おすすめセット」にしてみました。親子丼+ミニうどんなんですが、美味しゅうございました。食事とか弁当が美味い釣池は良いですね。
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2022年12月、西池(堺市) iPhone11
昼食後に午後の釣り開始。期待の「芯華」+「粒戦細粒」も釣れず。ポツポツ釣ってる人もいるが、全体的に釣れてない気がする。昨日、天神釣り池で一緒で、今日は、釣りクラブの人たちと来ているFさんが見に来てくれたが、屋外の方も釣れてないらしい。Fさんも2枚しか釣ってないとか。Fさんはダンゴで釣ってるらしい。ウキがほとんど動かん…真冬の釣り?「芯華」に「わたグル」を混ぜてみることにした。グルダンゴ。触りがないときはハリスを伸ばすんだっけ?ハリスも下鉤40cmと西池の規定いっぱいまで伸ばした。そんな努力が実を結んだのか、ついにキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!。っていうか、ここまでスレ2枚でした。ウキに触りがないので、普段はやり過ごす触りでアワセてしまうのでスレが多かった。今度はちゃんと口に掛かってる。やっと釣れた〜。
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2022年12月、西池(堺市) iPhone11
もう、疲れましたw。大好きな釣りに来ているのに、「釣り堀でボウズやったらどうしよう」なんてプレッシャーを感じてドキドキしたり…。あれだけ釣れなかったのに、30分ぐらいの間にパタパタと2枚追加。釣果は3枚になりました。Fさんがまた様子を見に来てくれたんですが、今日は仕事?のhrkさんが「ガオさん(僕のTwitterのハンドルネーム)釣れてるんですか?」ってメールで聞いてくるので聞きに来てくれたらしいw。釣れてホッとしてたので、「3枚ですっ」とお答えしたら「同じや」と。Fさんは昼から1枚しか釣れてないらしい。屋根付釣り場も釣れてないが、屋外も釣れてないみたい。その後は時合いが終わったのか、パタリと釣れなくなり、15時を過ぎたら竿を納めるつもりだったが、ちょっとだけ粘ってたら15時20分ごろ「上がりベラ」が釣れたので終了としました。
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釣果は4枚になりましたがスレも4枚…なんせ釣れないので、いつもはアワセない小さい魚信も取りにいったから。
では、また。
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higashiazuma · 4 months
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じゃれ本 3冊目の作品
「じゃれ本 オンライン試用版」を使ったセッションで紡がれた物語たちです。前の文の前後関係がわからずに何かを書こうとするとこうなります。参加した本人たちはめちゃくちゃ楽しかったです。
お題:特になし ページ数:6P
『透明化学現象』
透明化学というのは正しくは「トウメイ」と「バケガク」に分けられる。すなわち化けるのである。何がって、僕らが。透明に。僕ら狸にとってバケガクの習得は命綱のようなものだ。
狐たちは狐たちで何やら研究しているようだが、そこは僕ら狸のほうが一歩分野に秀でていると自負してもいいだろう。 ただ、しょうがないことだけど例外はいるのだ。 この間なんかは…
『最も完璧なアライグマと狸の区別の付け方』と言う我ら狸の宿願に対し、 「食べたら分かるんじゃない~」 「たぬきうどんときつねうどん見れば一発だもんな~」  と狐と盛り上がっている仲間がいたのだ!
そんな捕食者目線で区別をされてはたまったものではないんである。熊連中なら確かに、多分骨とか肉とか舌触りとかで区別も付けるんだろうけど。
僕はそんな考えを振り払うように身震いした。 そんなことにならないよう、僕自身もこの『透明化学現象』をしっかと解明し、学習し、修得しなくてはならないのである。 試しに尻尾だけを消してみることにした。
…… ……………
消えない。 終わった。人類の尊厳は失われた。これから僕は尻尾を活用すべく四脚の哺乳類としていかねばならぬのだろう。 「バカ?」 近くを通った姉のツッコミはもちろん耳に入らなかった。
『眩しいiPad』
俺はいつものように、枕元にiPadを置いて動画を再生しながら寝ようとしていた。 何のことはない、いつもの日課だ。 だがその日に限って、猫がやけにiPadを気にしていた。
『ゴロ……ゴロゴロ……にゃお……ん……ゴロゴロ」  と言うかうっとりしている。  なんだコレ。俺の猫――猫は誰のものではなく猫自身のものであり、それでもあえて言うなら神のものだ――が寝取られた!
「へいsiri!」「聞き取れません」「Heysiri!」「聞き取れません」そりゃそうだ、俺だって俺より猫が良い。より好きなモノや場所を選ぶのは生き物としての道理だ。多分iPadだってそうなんだろう。
「ンマ~ォ」ポポン! このSiriめ、いけしゃあしゃあと猫の声には反応しやがる。 「ナ~」「猫には難しいかもしれません。」 「ルノァ~」「重機ならば可能でしょう。」 待て、何の話をしている。
問い詰めたいが、Siriにも猫にも言葉は届かない。おかしい。人類こそが言語を発明したのではなかったのか。それは人類の驕りだというのか。 答えて欲しいが相も変わらず1台と1匹は2人(?)の世界だ。
何となく傍をうろついてみたが世界に入り込めそうにない。俺は耐えかねてAlexaを呼んだ。
『はがれない毛布』
「こ、これは僕の大事なものなんだ! 例えるならライナスの毛布さ」 「なんの例えにもなってない! まんまじゃない!」  幼い子たちが揉めている。  発端は1人が布団から出て来ないことであった。
半泣きになりながらも毛布にひっついている子どもは、やがて2人になり3人になり、一ヶ月も過ぎれば部屋中の子どもたちがすっかり布団から……正しくは毛布にひっついて離れなくなってしまった。
紛れもなく一大事である。レスキュー隊がやって来て子供たちを救助しようとしたが、一人、また一人と毛布の餌食になっていく。うんとこどっこいしょ、うんとこどっこいしょ。それでも毛布は剥がれません。
しまいには軍隊まで負けてしまったのです! 「オトナもこんなものなのね」 「そこは毛布の吸引力がすごいって言ってあげなよ」 と、一足先に飛び出した子どもたちが楽しそうに笑ったのでした。
大人たちもおずおずと目を見合わせ、お互いを探るようにへへっと笑ったりして少しだけ言い訳めいたものをごにょごにょと口の中で呟いてから、誰からともなく足は徐々に毛布へと向かっていくのです。
こうして地球人類全ては毛布につつまれました。 地球をヌクモリティが包み、スヤみが覆ったのです。 かくして地球《ガイア》自身もヌクモリティに包まれる事により、恒久的な世界平和が実現したのでした。
お題:ランダム縛り 6P
『極端な化粧水』
いつものツルハドラッグで、私は目を疑った。 いつもの化粧水を買おうとしたら、その隣になんと、50円の化粧水と50000円の化粧水が並んでいるのだ。 ご丁寧に、50円のほうにはオススメPOPまである。
ツルハドラッグは住宅街を中心に展開している真っ当な対応とポイント制度が売りのドラッグストアであって、こんなアホみたいな煽りで商売をする店ではない。 値段をつけるにしてももうちょっとあるはずである。
「いくらなんでも化粧水が1400万円はさすがにないだろう……円高もバカにならないってことか?」印刷ミスかと思ってSNSに投稿しようかという気がよぎるが本当にその値段だった。分割ローン払いもある。
しかし…これだけの金額を出すだけの価値はあるということなのか?突拍子もない値段過ぎて感覚が麻痺してきている。そうだなあ、宝くじでも当たったら考えてみなくもない。万が一にも当たったら、だ。
そういえば、先週買ったスクラッチくじが財布にあったな… そう思い、その場で番号を確認してみた。なんときっかり5万円当たっている! つまり、買おうと思えば買えなくもないのだ!どうする!どうするんだ私!
5万あったらできるおしゃれ……ほら考えてみて。ネイルサロン。うんうん、キルティングネイルとか高いのも行けそう。美容室でアンニュイカールを指定……医療脱毛……はちょっと無理かな。
『好きな人の側に行きたい麻酔銃』
あたし、麻酔銃! (製造)年は2124年のレトロ型。 ある日研究室の保管庫から取り出されて……ええーークマ退治ですって~~!?!?
さすがに一世紀も前の麻酔銃に凶暴な遺伝子組み換えクマの退治はちょーっと荷が重いかな……!? でも博士は期待してくれている。おっと、緊張で麻酔の塩酸エトルフィンが溶け出……
危うく早々に博士から退治してしまうところだった。これでも麻酔銃としての自覚と自制は人一倍あると自負している。クマでもゾウでも持ってこいという気持ちがたかまってきた。
それでも、あの人の事が忘れられない。自分の銃としての役目を身に刻んでくれた、あの人の事が。 博士は私を手に取ると、舌なめずりするようにこう言った。 「サメを撃つぞ」 サメ!?サメに銛じゃなく私を!?
そんなぁあ~~! だってこの私麻酔銃は生まれてこの方水中戦はこなしたことがないのだもの。 無理無理カタツムリ。無理めの無理~~~! しかもSAME!? 絶対中盤に効かなくて悲しい気持ちになるヤツ!
たとえあとで「効いてやがらなかった!畜生!」みたいなことになるのがわかりきっていたとしても。サメの動きを少しでも止められるなら……っ! もしアホみたいな映画だったら倒した判定もワンチャンない?
『口にくわえるワサビ』
くわえるものではないことくらいよく分かっている。現在進行形で鼻だってかなりやばい。でもそうでもしないと眠気に耐えられないのだ。カフェインなどもう効かない。もっと物理に近い刺激がないと無理なのだ。
タバコも試した。自分には向かないらしく、せき込むだけだった。 唐辛子も試した。口が痛くなるだけだった。 コーヒー豆直食いも試した。全く効かず、眠くなるだけだった。 もう、これしかないのだ。
ペロリ。 鼻にツーンと来る刺激。爽やかで芳醇な香り。目に優しいyellowgreen。 いや目に優しいと落ち着いちゃうからダメだな。でもそれ以外全てが完璧だ。
電子タバコならぬ実ワサビというわけである。眠気覚ましにメンソールの時代はもう過ぎ去った。天然由来・清水で育ったワサビをくわえる時代なのだ。「S&Bワサビ、10番」そんなふうにコンビニで買う時代も近い。
普及が進めばデザインの多様化も進む。清水育ちをアピールするための原木(?)デザインからポケットから取り出しやすいスマートなデザイン。敢えて見せるための吊りデザインなどもあるようだ。
今や口にくわえるワサビは日本における一大ムーヴメントとなり、クールジャパンとして海外のニュースでも(面白半分に)取り上げられた。 だが俺は気付いてしまっていた。ワサビの刺激では物足りないということに…
『証明された鮭』
「ついにアラスカから認められた!」  生け簀の鮭の帰化が認められた。鮭たちの出身地をノルウェーからアラスカにすることで、こいつらは「キングサーモン」となる。今の時代、情報という衣が本体だ。
そうと決まれば早速手続きを進めようではないか。ご出身は? アラスカです。ふふふ、早く誰か聞いてくれないか、ご出身を。おやノルウェーからですか? いいやアラスカなんだよ、この度帰化が認められてね。ふふふ
ノルウェーからでもアラスカからと名乗れる、誠に良い制度が出来た物ですな。鮭たちは顔を見合わせて笑った。これで箔がつくというものだ。 だが、それを黙って見過ごさない者がいた。 タラだ。
タラはタラ目タラ科タラ亜科の魚類である。 必ずかの邪智暴虐な鮭達を除かなければならぬと決意した……いや、除くのはちょっと穏やかじゃないな。 もうちょっと穏やかな解決方法、例えばそう……
つまり……そう、遺伝子を編集するのだ。川にバクテリオファージを送り込み、緩やかに、穏やかに、邪知暴虐な鮭どもを品行方正に脂ののった鮭に変えてみせるというのである。 祈るように目を閉じて結果確認する。
結果は成功と言えるだろう。彼らは従順で脂ののった実に良い鮭になり、我々は大いに喜んだ。めちゃくちゃうまい。そして、その結果がやがて「我々」にも出始めた。
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