Tumgik
#媚薬フレーズ
suppleguide · 6 months
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ペニス増大のスピード違反CITRULLINE NEOの尖ったスペックで短期サイズUPを実現
男なら一度は女の子に言われてみたいフレーズ・・・ 「おっきい!こんなの初めて」 「こんなおっきいの入るかな~」 「だめ~、壊れちゃう~」 どうして私たち男はこんなにも『巨根 ... Copyright © 2024 デキる男の媚薬サプリ必勝ガイド All Rights Reserved. 続きを読む
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khty-khty · 9 months
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赤入れしてみる
①女の言葉遣いをどうするか。②「する」、とか、「によって」、とか、逃げ言葉をできるだけ使わない。③意味的には正直必要ないが、音的に/リズム的にあったほうがいいフレーズ(「ある種の」とか「言ってみれば」とか)をどう処理するか。あたりが大事だろうか。
***
康子はその空間が空になったのを確認してから、カフェーの喫煙所に入った。康子は一部が灰皿用にくり抜かれた茶色のテーブルに、上品かつ迅速な手付きでライターとタバコの紙箱を置いた。一呼吸おいてから康子はそのタバコ、もう十数年愛飲しているマルボロメンソールの八ミリを、普段と変わらぬ手付きで口元に運んだ。タバコはターボライターによってその先端を炙られ、康子の肺に向けて白煙を放出した。康子は壁側を向いた。
康子は年齢のせいか喫煙の習慣のせいか若干皺ばんだ人差し指と中指でタバコを軽くはさみ、その右手をテーブルに置き添えた。空いた左手でスマートフォンをいじくり、今朝夫の明人から送られてきたショートメッセージの文面を確認する。「今日は夜まで接待なので、晩御飯は大丈夫です」とある。『ところでなぜ明人はメールの文面で敬体を使うのかしら』と康子は思った。康子は二十年近く連れ添った夫のよそよそしさに、ある種の手ぬるい優しさと若干の倦怠感を読み取った。
康子は「わかりました」とだけ返信して、スマートフォンを濃紺のチュニックの下部に取り付けられたポケットにしまった。手持ち無沙汰になった左手をどうしていいかわからず、この中年に差しかかった「良妻」は薬指に重く嵌め込まれた銀色のリングを銀色のリングが薬指に重く嵌め込まれた左手を、やはりポケットにしまい込んだ。康子は左手の存在を忘れるために、煙を喫んだ。タバコを口元に近づける康子のしずしずとした所作からは、この世に対する浅くはないが深すぎもしない諦念(深すぎもしないが浅くはない、のほうが示唆的?)と、終えようとするその役割に���然と抗おうとする若干の媚態が匂っていた。
「お姉さん、これ、落としてますよ」
「え?ああ、どうも」
康子は久しく聞いていない「お姉さん」という響きにうろたえた。このカフェーのポイントカードだ。さっきタバコを取り出したときにポケットから落ちたのだろうか。夫人のにこやかな微笑ましい失態を指摘した二十代前半の青年は、それが失態であることを夫人に気づかせないように、この一室に入った目的を即座に遂行した。青年はタバコを喫んだ。
康子は青年を横目で観察した。目鼻立ちはよく、その長いまつ毛はしなやかに曲線を描きつつ、だが確固とした雄々しさを持って立っている。背丈は康子より一回り高く、おそらく百八十センチはあるだろう。若干の色味を帯びた肌は喫煙の影響をものともしない艶によって覆われて輝きを放っており、終端部が鋭角に整えられた黒眉がその顔に男性的な締まりを与えている。康子は動揺した。ポケットでスマートフォンが振動する。おそらく明人からの返信だろう。だが、康子の心臓はそのバイブレーションをかき消すように、うるさく拍動していた。
この青年は康子の視線の存在を認識しつつ、それを吐き出した煙で覆い隠すようにして、認識せぬふりをした。康子は自身から放たれる媚態の無効を知り、潔くそれを取り下げた。『けれどもそれにしては冷たすぎる。いや、冷たいのでもない。この男は単に不感症なのだ。女に興味のない性質なのだ』と康子は自らに自らのコケットリーの敗北を納得させた。康子は夫との関係においては萎えてしまったある種の情感的健康さを取り戻し、この媚態のゲームと敗北という帰結を愉しんだ。康子は青年の無関心という名の抵抗を介して、いっそう彼に興味を持った。つまり、康子はこの青年を愛したのだ。
凡庸な男が女の媚態に対して示す態度は二つに一つである。阿呆な魚のように餌に食いつくか、疑似餌かどうかを見極めるために餌を必死で吟味するか、である。康子はその凡庸さを心底憎んでいた。だがこの青年はそのどちらでもない。彼は「魚の餌」では生きていないのだ。彼は男でありながら男ではない。魚類のなりをしていながら、彼は別の類を生きている。『きっと彼は女という餌には反応しないように生まれついている生き物なのだ。魚を釣ろうとしている私ははなから失敗を義務付けられている敗北者なのだわ』と康子は思った。『だからこそ愛するに値するのだ』と同時に康子は思った。
青年は康子の思念を見透かしたように、この女に須臾の蔑視を送った。青年はこの種の女を嫌悪していた。そしてこの種の女が自分に投げかけてくる粘っこい視線の意味をすべて知悉していた。『こいつら! 僕が女を愛せないと知るやいなや蛆のようにすり寄ってくるこいつら! 異性同士の乳繰り合いを免除された僕にありがた迷惑なアジールを見出してくるこいつら!』と青年は歯ぎしりした。彼は尽きかけたタバコの最後を深く吸い込んで、喫煙所をあとにした。『だが僕は負けたのだ。僕はこの女に何も言うことはできない』。青年は自身の性指向の社会的需要が女のアジールでしかないことを思い、拳を固く結んだ。彼はいつも、この需要に供給を与えないことはできても、需要そのものを打ち砕くことはできないのだった。
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avy8d2ev · 5 years
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結局、東京タワーは見えなかった。
昔見たドラマの主人公の憧れの人はみんな東京タワーや綺麗な夜景が見える高層マンションに住んでいて、東京の会社員なんてみんなそんなもんなのだと思っていた。
23歳の節目まで半年を切って、焦って始めたマッチングアプリはわりと性に合っている気がする。異性に媚びへつらうのも苦ではないし、顔を褒められれば気分がいい。
わざわざ対象の年齢層を上げて検索すると、なんの嫌味だか知らないが、左手薬指の指輪を隠そうともしない男たちが並んだ。
その中でも比較的控えめで品のある人と会うことになった。
目黒駅前、「駅降りてエスカレーター昇るくらいで電話ちょうだい?」の言いつけの通りエスカレーターに足をかけるタイミングで通��ボタンを押す。
予定調和で、仕組まれたようにスムーズな会話は何の違和感もない。ただ涙を流したような位置にあるホクロがどうしようもなく色っぽい。それに目を奪われて逸れる私の視線を「ん?どしたどした笑」と掬い上げてはにっこりと目尻のシワを深くする。
程よく酔ってお会計前にトイレに行った時の顔が、わたしのあるゆる瞬間の中でいちばんエロいと思う。リップを塗り直した唇はなんだか「抱いてください」と聞こえてきそうなくらい人為的で、でもそれくらいがちょうどいいのかもしれない、なんてなんかの本の一節にこんなフレーズあったような気がする。
春の夜はまだ適度に寒さが残っていて助かる。無理やり取り繕った変な誘い文句を聞かなくて済むから。
「家のベランダから東京タワーと夜景が見えるんだけど、見ながらもう一杯どう?もう酔っ払っちゃった?笑」とドラマ仕立てのAVみたいな誘い文句。同じようにここでこのセリフを言われて息絶えた女はどれだけいるんだろう。
エントランスを抜け、静かにゆっくり上昇するエレベーターの中で抱き寄せられた時に薄いブラウス越しに当たったベルトの冷たさがなんだか心地よくて首元に顔を埋めた。
夜中に目覚めて外に出ると、車の走る音とたまに聞こえる救急車の音、誕生日にディナーを食べた時にレストランで見た夜景のような綺麗な景色。なんだか心臓のあたりがキューっと締め付けられた。東京に憧れるだけだった高校生のわたしが思い描いていた東京が見えた気がした。
「去年さ、離婚したって話したでしょ。まだなんか実感湧かないっていうか、自分の中で消化できてなくてさ。でもなんか好きになれそう、かもって思ったよ。ほんとに。」
そう言って抱きしめてきた彼の長い腕の中で考えたのは、これからどうやって生きてどういう人生を歩んでどういう風に死んでいくんだろう、とかいう漠然とした、でもわりと壮大な事だった。
5年後わたしは今張った複雑に絡み合う伏線を回収できるかな。難題すぎて死ぬまでに回収しきれないかもな。どうやって生きていくかなんて大きな話の正解をだれも27、8の女に求めちゃいないよって声が聞こえてきそうで馬鹿らしくなって笑った。
結局、東京タワーは見えなかった。
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oivgbqiqfz358 · 4 years
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--深海人形特別篇-- 拙作の秘話とか裏話とか
※…拙作に関する秘話と裏話故、【閲覧注意】です(※はっちゃけ過激発言とかネタバレとかで)。
※…Twitter自アカから引用して来たのが多いです(※書き下ろしあり)。
※…では、どうぞ。(※本編はPixivに!)。
[[MORE]]
…鬼滅作中では、…例外無く、人を殺して死んだ鬼は地獄に堕ちてる(※珠世さんですら)から、黒凱も死んだら地獄に堕ちてるんだろうねぇ(※…容赦は無い ※人殺しの道具が地獄に落ちるのは当然だ)、
…日本的な絆の美しさより、戦争の過酷さと悲惨さを描いて居ると言う点では、…むしろ、カラドリウスであり、銀英であり、アンデフであり、FEかも知れない(※鬼滅短剣は)。
…黒凱、単眼男子だからな(※誰得)。
…黒凱は、最低限の部分以外は、頭無惨様によるスイッチのON・OFFで動いて居る(機械)。
…鋼柱は、『汚いFEのカミュ将軍(ジーク込み)』のイメージ(…ブラックダーティーナイツ・コーディー)。
…コーディー仮面「…すまんな…(謝罪する気無し)。」
…鋼柱「…哀れな事だが、俺に此の鋼の呼吸ある限り倒す事は出来無いだろう。俺の事は鬼畜米英だと思って諦めてくれ。(※…元ネタ:カミュ将軍台詞)」
…黒凱は、其れ程、醜悪じゃない鬼(中身も なんですが、初めて見た鋼柱は「…グロッ?!(何だかバイドみたいだな?!!)」って、思うやろうな(…公式美形が異形になるのよ? ギーガー調エイリアンのような……)。
…鴻元くんも、オドオドした性格だと良いな(俺の趣味)。
…空母直結罦傑、本編よりオドオドした性格だよ(…乙骨、神通と羽黒ちゃんみたいに)。…人間じゃ無い生体機械扱いで、基本酷い扱い受けてるからね(…サラッと語られる残酷アレ)。
…人間としての、自らの尊厳を犠牲に、抗体・ワクチン研究に大いに貢献した(空母直結罦傑)。
…体に術式は刻まれていないが、反転術式を使う事が出来、魔道力学を理解する(鴻元くん)。
…(空母直結)生体部品罦傑、所謂『エンジェル パック(例のアレ)』じゃないから、ちゃんと四肢あるよ(※救済)。
…素直に生体部品罦傑は、体で抗体を生産する為に、ありとあらゆる蛇毒と多種多様な生物毒を入れ続けた事に寄り、有り難い事に長生きだよ(※人類にとっても救い)。
…其れは、まるで、『DeltaでのR-9A』みたいで良いよね?『(※サイバー忍者飛竜と全く同時期に)カプコンの基礎、柱になった偉大な忍者が醜悪な鬼になる(※…言う程では無いけど?)』、最高では無いか?(※説得)。
…尽く、メトロシティ勢が全滅する中、自分とレナだけが生き残ったり、『無惨様(バイド戦闘機とか作ったTRT並)によって単眼色薄青肌鬼にされた上に、二度も無理な魔改造されたり、潜水艦に生体部品として直結されたり、基地ガイ大変だね(……御前、前世で何かしたの? 人事)。
…『彼奴』をあんな殺し方で地獄に叩き送るしか無かったのは、『鬼を殺すと言う事についてのケジメを着けさせ無いと行けない』からです(仁義)、…何故、ゾンビ映画のゾンビ感覚で、鬼を殺しちゃ行けないか、鋼柱に分からせないと駄目だから、其う言う理由です(※…後、此れの方が面白くなるから ※暗黒微笑)。
…。
※…以下、『鬼滅短剣』で立場が逆だったら話。
…『鬼滅短剣』は、立場が逆だったら、黒凱&同改のとこは『コーディー超重自走砲(ブレド超重自走砲のパクり)』と『コーディー自走要塞(ブローン自走要塞のパクり)』だし、最後は、砲弾に使う点火薬と内燃機関を動かす為の石油に誘爆して街ごと基地ガイと他の隊員諸共爆発で消し飛ぶ(…アンデフ並)。
…鳴女亡き後の無限城(と其の残骸 と血鬼術『鋼血(こうけつ ※鉄か合金と同等の物を作れる鋼質化能力 ※弾丸どころか徹甲弾生産可)』…で、作られてるので、割と建造費用は掛かって無い(※燃費悪いけどな笑)。…自走する為の機関積まなきゃ行けないくらいデカいんですね(※元ネタと同じで)。
…元ネタには、���車格納庫とヘリポートあるけどな(※自走要塞 ※ヘリポートの代わりに、クレーン)。
…ハガー親子と二人の写真がセピア色で映し出されてエンド(※普通に悲惨 ※アンデフ通りにするので)。
…平気で味方殺しするもんな、自走要塞(※敵戦車倒すのにもたつくと敵味方関係無く巻き込んで、砲撃 ※コディの方もする)。
…鋼鬼自走要塞には、戦艦みたいな自動装填装置があるんだよ!凄いね!必要だからあるんだけどね!(※大正ゴニョゴニョ話)
…Gダラの「ア『コーディ』オン ハザード(※シーマ所属のアノマロカリス型巨大戦艦)』に掛けてるから、鋼鬼自走砲・自走要塞は、通常時から雄のアノマロカリスみたいな姿をして居るよ(※大正ゴニョゴニョあれ)。
頭無惨様「…御前達!見るが良い!新しい鬼だ!新作!(※某バイド大好きTRT並)」其れは、184cm程度の異様な海老類であった(※鋼鬼)。上弦達「…アイエエ?!?…海老?!……海老?!!ナンデ?!!?!!!(※…如何してこうなった…?…ワイが一番訊きたい…)。
…カリスマ性と愛嬌があるから良いんだ!此れで!(※…むしろ、米国面じゃなくて、英国面)。
…コーディーが、頭無惨様に寄って、鬼にされた後、アノマロカリス化にした事に、ついて行けない読者(※当たり前だ)。
…。
…川津神とかアイレムスタイルで申し訳無いとは思います(※時代に逆行奴)。…あの人達は、作中人物の尊厳より作品自体の面白さを取る方ですから(※…時代遅れっちゃぁ時代遅れか)。
…黒凱、頭無惨様系数が滅茶苦茶高いです(バイド系数のパクり 上弦は全体的に高い)。
…世のゲーマーを見てると、村より、寧ろ川津の神様を焼きたい奴が多いと思います(※…此の調子だと何時かワイも焼かれるな)。
…縁壱「…失われた自然は、そう簡単には、回復しない。何が楽しい?何が面白い?自然環境を何だと思っている?(自然愛護派日本人並)。」ウェイン兄弟「…ホント、すみません(謎の謝罪 )。」鋼柱(…えっ?何これ? ※Eco fighters? ※注:アルティメット エコロジーの海外における名称)。
…大正時代での鋼材の入手は(割と)大変そうだけど、頭無惨様は、重工業界隈か鉄工場ともコネがあって、其言うツテで調達して来るとでも思ってね(作者の癖に適当)。
…もう、読者には、御分かりだと思うが、半鋼鉄戦車鬼は、重量を如何にかしないと、畳と木材だけ作られて居る足場(限定的、無限城のみの運用だし)では、確実に早過ぎたナチ戦車マウスになる(※史実で地面にのめり込んで動けなくなった奴)。
…例の作が、サイコロステーキ先輩(作中では幸田)と尾崎の生存ルートなのは、私の慈悲ではありません。コーディーの慈悲です。本当です。其処迄、私は慈悲深くありません。適当で気紛れです(※実際、被害者だし。某武神流忍者)。
…『鬼滅短剣』の鋼柱は、所謂『(※古き良き世界と)旧秩序の破壊者(※革命的改革者)』で、かの有名な信長公は、『実力と権力と資金力(の三位一体)』で、其れをやってのけたけど、鋼柱の場合は『99%金と資源で1%が其の他』だ。アメリカは、其う言う国なのだ。其んな国で���いと世界初の原爆等作れない。
…『鬼滅短剣〜DeS』は、一日(※実質数時間)で描いた覚えがある(※あるだけ)。
…つーか、『鬼滅短剣〜DEoA.』は、実質、三週間で描き上げたんやな……(※…丁度、マスター版の完成がコーディーの誕生日から一週間後 ※本当は誕生日に完成させたかった)。
…コーディーが居なければ、サイステ先輩と尾崎の生存ルートなんて、有り得ないと思って居るので(※未だに)。
Q, ノブオ君「…『鋼の呼吸 四ノ型』は、如何して、未だに未完成なんですか?」
A,…元ネタからして(※四号機:ワイルドスネイル系列)、『未完成だから』です(※真顔)。…兎に角、初代ファイナルファイトとストZERO3とストIVとストVとガレッガ、何が何でも、ガレッガ、やろうね、ノブオ君。
Q,…黒凱改が、『本当にランダム性の強い、ただただ狂ったような攻撃パターン』なのは如何して?
A,…ノブオ君。元ネタの時点で『狂ってる』からだよ()。
Q,…僕としては、『バトルガレッガ〜黒金の咆哮』でのブラハ様mk-2の様に、黒凱改が、『頭無惨謹製名物初期不良(※突然の自壊)』で潰れて、鬼滅隊:『不戦勝』の方が良かったです。
A,…ノブオ君。こいつ様は、世の中と同じで、甘く無いよ。
Q,…何故、鋼柱は『新鋭自走砲台』と言うフレーズを笑えるの?
A…ノブオ君達の感覚では気が付き難いんだろうね。…其れに、此れ、意外と分かんない人が多いらしいね?
…其れは、相手が『ただ自走するだけの砲台(新鋭)』を自称して居るのが、思わず、可笑しかったから。
Q,…鬼滅二次小説って軟派な奴多いですよね?…twstとか言うのは、もうそれしか無いみたいだけど、
A, そうだね。人の創作をとやかく言わない方が良いよ(…大抵、人の事は言えないから)。…其れに、筆者もtwstの硬派な奴が読みたいよ(…特に。ウェイン兄弟かケツイのアリス&ユウマ染みた奴を)。…『大元の創業者』が、反ユダヤの人種差別主義者で反日で、それはそうと(今も尚)、すぐに、日本に媚を売ってくると言う要素を含めてね(←※あかん)。
Q,…『鬼滅短剣』の「…Come on!ガイ!」と『〜鋼鉄の機心』での「さあ!来い!ブラックハート!」の所は、セルフオマージュなの?
A,…よく気付いたね、ノブオくん。拙作は、割と、其う言うのが多いよ。…『ボダエソ』と『かつて彼は最強〜』の『フォース&ビット・デバイス』も似たようなもの(元ネタが同じ)だけど、『鋼鉄の鬼心』、『赫刀の咆哮』も其うだね。意外と、他所では見ないよね。
…『頭無惨様の頭無惨様たる頭無惨らしさ』を、如何描けば良いかと、模索して、悩んだ結果がアレだよ!(※鬼滅短剣〜DEoA)。
…『元ネタ』は、稼働時間20分しか無いから(※黒凱)。
…撃破後演出と最期すらパクり(※黒凱と其の改)。
…ブラハ様mk-2は「あの子の兄弟機なの?」で済むけど、元が、『基地ガイ』だと其う行かないから(…結局、『基地ガイ』殺してるんで)。
…『呪術凱旋〜CoL,…』は、全部描き上げるのに、四ヶ月は掛かった。…始めの方にある、『MASTER VER.(※ケツイ基板起動画面のパロディ)』の日付なんて、最初は、『…04/30』で、其れ以来、何度か、其の日付が『延期』になって居た程だ。第三善すら間に合って居ない(※遠い目)。酷い物である(※…作者の筆と駄目さ加減が)。
…『呪術凱旋〜CoL,〜』は、凄まじい迄の無駄な長さを誇り、其の上、本作の難易度は『ケツイ裏二周目(※ドゥーム様込み)』並に高いが、是非、最後迄、読んで頂きたい。…『呪術「凱」旋』とは、名ばかりの、甚爾・脹相・コーディー三狂で五条・恵・野薔薇三強小説です(※ネタバレ)。
…割と、冨岡SSでもある『鬼滅短剣〜DEoA.』(※…一応、優遇されてる)。
…サイステ先輩・尾崎復権SSは、非常に貴重なので、もっと、むしろ、増えて欲しい(※祈り)。…誰か、本も出してやって来れ(※他力)。
…ワイが見る限り、サイステ先輩と尾崎って、あんま(小説)作品描かれて無いですよね。何故だ?(※…さぁ、君の手で復権させよう!)
…『呪術凱旋』。…結局、基本、乙骨出す為に苦労した様なモノ(※最初は、乙骨を本編に出す気が無かった)。…だって憂太居ないの寂しい憂太憂太憂太ァアアァアア!!!!!!!!(※里香ちゃん並)
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sasakiatsushi · 7 years
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小説家蓮實重彦、一、二、三、四、
人間に機械を操縦する権利があるように、機械にもみずから作動する権利がある。 ーー『オペラ・オペラシオネル』ーー
一、
 二朗は三度、射精する。そしてそれはあらかじめ決められていたことだ。  一度目の精の放出は、ハリウッドの恋愛喜劇映画を観た帰りの二朗が、小説の始まりをそのまま引くなら「傾きかけた西日を受けてばふりばふりとまわっている重そうな回転扉を小走りにすり抜け、劇場街の雑踏に背を向けて公園に通じる日陰の歩道を足早に遠ざかって行くのは和服姿の女は、どう見たって伯爵夫人にちがいない」と気づいたそばから当の伯爵夫人にまるで待ち構えていたかのように振り返られ、折角こんな場所で会ったのだしホテルにでも寄って一緒に珈琲を呑もうなどと誘いかけられて、向かう道すがら突然「ねえよく聞いて。向こうからふたり組の男が歩いてきます。二朗さんがこんな女といるところをあの連中に見られたくないから、黙っていう通りにして下さい」と、なかば命令口調で指示されて演じる羽目になる、謎の二人組に顔を視認されまいがための贋の抱擁の最中に起こる。
 小鼻のふくらみや耳たぶにさしてくる赤みから女の息遣いの乱れを確かめると、兄貴のお下がりの三つ揃いを着たまま何やらみなぎる気配をみせ始めた自分の下半身が誇らしくてならず、それに呼応するかのように背筋から下腹にかけて疼くものが走りぬけてゆく。ああ、来るぞと思ういとまもなく、腰すら動かさずに心地よく射精してしまう自分にはさすがに驚かされたが、その余韻を確かめながら、二朗は誰にいうとなくこれでよしとつぶやく。
 なにが「これでよし」なのか。ここは明らかに笑うべきところだが、それはまあいいとして、二度目の射精は、首尾よく二人組を躱したものの、ホテルに入るとすぐに新聞売り場の脇の電話ボックスに二朗を連れ込んだ伯爵夫人から先ほどの抱擁の際の「にわかには受け入れがたい演技」を叱責され、突然口調もまるで「年増の二流芸者」のようなあけすけさに一変したばかりか「青くせえ魔羅」だの「熟れたまんこ」だの卑猥過ぎる単語を矢継ぎ早に発する彼女に、事もあろうに「金玉」を潰されかけて呆気なく失神し、気がつくと同じ電話ボックスで伯爵夫人は先ほどの変貌が夢幻だったかのように普段の様子に戻っているのだが、しかしそのまま彼女のひどくポルノグラフィックな身の上話が始まって、けっして短くはないその語りが一段落ついてから、そろそろ「お茶室」に移動しようかと告げられた後、以前からあちこちで囁かれていた噂通りの、いや噂をはるかに凌駕する正真正銘の「高等娼婦」であったらしい伯爵夫人の淫蕩な過去に妙に大人ぶった理解を示してみせた二朗が、今度は演技と異なった慎ましくも本物の抱擁を交わしつつ、「ああ、こうして伯爵夫人と和解することができたのだ」と安堵した矢先に勃発する。「あらまあといいながら気配を察して相手は指先を股間にあてがうと、それを機に、亀頭の先端から大量の液体が下着にほとばしる」。  そして三度目は、伯爵夫人と入れ替わりに舞台に登場した「男装の麗人」、二朗への颯爽たる詰問ぶりゆえ警察官ではないにもかかわらず「ボブカットの女刑事」とも呼ばれ、更に「和製ルイーズ・ブルックス」とも呼ばれることになる女に案内されたホテルの奥に位置する「バーをしつらえたサロンのような小さな空間」ーー書棚がしつらえられ、絵が飾られ、蓄音機が置かれて、シャンデリアも下がっているのだが、しかしその向こうの「ガラス越しには、殺風景な三つのシャワーのついた浴場が白いタイル張りで拡がっており、いっさい窓はない」ことから戦時下の「捕虜の拷問部屋」を思わせもするーーで、この「更衣室」は「変装を好まれたり変装を余儀なくされたりする方々のお役に立つことを主眼として」いるのだと女は言って幾つかの興味深い、俄には信じ難い内容も含む変装にかかわる逸話を披露し、その流れで「金玉潰しのお龍」という「諜報機関の一員」で「かつて満州で、敵味方の見境もなく金玉を潰しまくった懲らしめの達人」の存在が口にされて、ひょっとしてこの「お龍」とは伯爵夫人そのひとなのではないかと訝しみつつ、突如思い立った二朗は目の前の和製ルイーズ・ブルックスをものにして俺は童貞を捨てると宣言するのだが事はそうは進まず、どういうつもりか女は彼に伯爵夫人のあられもない写真を見せたり、伯爵夫人の声だというが二朗の耳には自分の母親のものとしか思われない「ぷへーという低いうめき」が録音されたレコードを聞かせたりして、そして唐突に(といってもこの小説では何もかもが唐突なのだが)「こう見えても、このわたくし、魔羅切りのお仙と呼ばれ、多少は名の知られた女でござんす」と口調を一変させてーーここはもはや明らかに爆笑すべきところだが、それもまあいいとしてーー血塗れの剃刀使いの腕を自慢するのだが、その直後におよそ現実離れした、ほとんど夢幻か映画の中としか思えないアクション場面を契機に両者の力関係が逆転し、言葉責めを思わせる丁寧口調で命じられるがまま和製ルイーズ・ブルックスは身に纏った衣服を一枚一枚脱いでいって最後に残ったズロースに二朗が女から取り上げた剃刀を滑り込ませたところでなぜだか彼は気を失い、目覚めると女は全裸でまだそこに居り、これもまたなぜだか、としか言いようがないが、そもそも脱衣を強いた寸前の記憶が二朗にはなく、なのに女は「あなたさまの若くて美しいおちんちんは、私をいつになく昂らせてくださいました。たしかに、私の中でおはてにはなりませんでしたが、久方ぶりに思いきりのぼりつめさせていただきました」などと言い出して、いまだ勃起し切っている二朗の「魔羅」について「しっかりと責任は取らせていただきます」と告げて背中に乳房が押しつけられるやいなや「間髪を入れず二朗は射精する」。  帝大法科への受験を控えた二朗少年のヰタ・セクスアリスとして読めなくもない『伯爵夫人』は、ポルノグラフィ���呼ばれてなんら差し支えないあからさまに助平な挿話とはしたない語彙に満ち満ちているのだが、にもかかわらず、結局のところ最後まで二朗は童貞を捨て去ることはないし、物語上の現在時制においては、いま見たように三度、何かの事故のようにザーメンを虚空にぶっ放すのみである。しかも、これら三度ーーそれもごくわずかな時間のあいだの三度ーーに及ぶ射精は、どうも「金玉潰しのお龍」が駆使するという「南佛でシャネル9番の開発にかかわっていたさる露西亜人の兄弟が、ちょっとした手違いから製造してしまった特殊な媚薬めいた溶液で、ココ・シャネルの厳しい禁止命令にもかかわらず、しかるべき筋にはいまなお流通しているもの」の効果であるらしいのだから、しかるに二朗は、一度として自分の意志や欲望の力によって己の「魔羅」に仕事をさせるわけではないし、彼の勃起や射精は、若く健康な男性の肉体に怪しげな薬物が齎した化学的/生理的な反応に過ぎないことになるわけだ。実際、物語上の時間としては過去に属する他の幾つかの場面では、百戦錬磨の女中頭の小春に技術を尽くして弄られようと、従妹の蓬子に「メロンの汁で手を湿らせてから」初々しくも甲斐甲斐しく握られようと、二朗は精を漏らすことはないし、ほとんど催すことさえないかのようなのだ。  つまりここにあるのは、その見てくれに反して、二朗の性的冒険の物語ではない。彼の三度に及ぶ射精は、詰まるところケミカルな作用でしかない。それでも三度も思い切り大量に放出したあと、二朗を待っているのは、今度は正反対のケミカルな効用、すなわち「インカの土人たちが秘伝として伝える特殊なエキスを配合したサボン」で陰茎を入念に洗うことによって、七十二時間にもわたって勃起を抑止されるという仕打ちである。三度目に出してすぐさま彼は「裸のルイーズ・ブルックス」にその特殊なサボンを塗りたくられ、すると三度も逝ったというのにまだいきりたったままだった「若くて元気なおちんちん」は呆気なく元気を喪い、更には「念には念を入れてとスポイト状のものを尿道にすばやく挿入してから、ちょっと浸みますがと断わって紫色の液体を注入」までされてしまう。サボンの効果は絶大で、二朗の「魔羅」はこの後、小説の終わりまで、一度として射精もしなければ勃起することさえない。物語上の現在は二朗がケミカルな不能に陥って間もなく終了することになるが、それ以後も彼のおちんちんはまだまだずっと使いものにならないだろう。七十二時間、つまり三日後まで。そしてこのことも、ほとんどあらかじめ決められていたことなのだ。  『伯爵夫人』は小説家蓮實重彦の三作目の作品に当たる。一作目の『陥没地帯』は一九七九年に、二作目の『オペラ・オペラシオネル』は一九九四年に、それぞれ発表されている。第一作から最新作までのあいだにはじつに三十七年もの時間が経過しているわけだが、作者は自分にとって「小説」とは「あるとき、向こうからやってくるもの」だと言明しており、その発言を信じる限りにおいて三編の発表のタイミングや間隔は計画的なものではないし如何なる意味でも時期を心得たものではない。最初に『陥没地帯』が書かれた時点では『オペラ・オペラシオネル』の十五年後の到来は想像さえされておらず、更にそれから二十二年も経って『伯爵夫人』がやってくることだって一切予想されてはいなかったことになるだろう。偶然とも僥倖とも、なんなら奇跡とも呼んでしかるべき小説の到来は、因果律も目的意識も欠いた突発的な出来事としてそれぞれ独立しており、少なくとも「作者」の権能や意識の範疇にはない。第一、あの『「ボヴァリー夫人」論』が遂に上梓され、かねてよりもうひとつのライフワークとして予告されてきた映画作家ジョン・フォードにかんする大部の書物の一刻も早い完成が待たれている状態で、どうして『伯爵夫人』などという破廉恥極まる小説がわざわざ書かれなくてはならなかったのか、これは端的に言って不可解な仕業であり、何かの間違いかはたまた意地悪か、いっそ不条理とさえ言いたくもなってくる。仮に作者の内に何ごとか隠された動機があったにせよ、それは最後まで隠されたままになる可能性が高い。  だがそれでも、どうしてだか書かれてしまった「三」番目の小説である『伯爵夫人』が、「二」番目の『オペラ・オペラシオネル』から「二」十「二」年ぶりだなどと言われると、それを読む者は読み始める前から或る種の身構えを取らされることになる。なぜならば、ここにごく無造作に記された「二」や「三」、或いはそこからごく自然に導き出される「一」或いは「四」といった何の変哲もない数にかかわる、暗合とも数秘学とも、なんなら単に数遊びとでも呼んでしかるべき事どもこそ、小説家蓮實重彦の作品を貫く原理、少なくともそのひとつであったということがにわかに想起され、だとすればこの『伯爵夫人』もまた、その「原理」をほとんどあからさまな仕方で潜在させているのだろうと予感されるからだ。その予感は、すでに『陥没地帯』と『オペラ・オペラシオネル』を読んでしまっている者ならば、実のところ避け難いものとしてあるのだが、こうして『伯爵夫人』を読み終えてしまった者は、いま、読み始める前から或る独特な姿勢に身構えていた自分が、やはり決して間違ってはいなかったことを知っている。二朗が射精するとしたら、三度でなければならない。二朗が不能に陥るとしたら、三日間でなければならないのだ。では、それは一体、どういうことなのか?  どういうことなのかを多少とも詳らかにするためには、まずは小説家蓮實重彦の先行する二作品をあらためて読み直してみる必要がある。数遊びは最初の一手からやってみせなければわかられないし、だいいち面白くない。遊びが遊びである以上、そこに意味などないことは百も承知であれば尚更、ともかくも一から順番に数え上げていかなくてはならない。そう、先回りして断わっておくが、ここで云われる「原理」とは、まるっきり無意味なものであるばかりか、おそらく正しくさえない。だが、意味もなければ正しくもない「原理」を敢然と擁護し、意味とも正しさとも無縁のその価値と存在理由を繰り返し強力に証明してきた者こそ、他ならぬ蓮實重彦そのひとではなかったか?
二、
 小説家蓮實重彦の第一作『陥没地帯』は、あくまでもそのつもりで読んでみるならば、ということでしかないが、戦後フランスの新しい作家たち、誰よりもまずはクロード・シモンと、だいぶ薄まりはするがアラン・ロブ=グリエ、部分的にはモーリス・ブランショやルイ=ルネ・デ・フォレ、そしてジャン=ポール・サルトルの微かな影さえ感じられなくもない、つまりはいかにも仏文学者であり文芸批評家でもある人物が書きそうな小説だと言っていいかもしれない。日本語の小説であれば、これはもう疑いもなく、その五年ほど前に出版されていた金井美恵子の『岸辺のない海』へ/からの反響を聴き取るべきだろう。西風の吹きすさぶ砂丘地帯から程近い、こじんまりとした、さほど人気のない観光地でもあるのだろう土地を舞台に、ロマンの破片、ドラマの残骸、事件の痕跡のようなものたちが、ゆっくりと旋回しながらどことも知れぬ場所へと落ちてゆくのを眺めているような、そんな小説。ともあれ、冒頭の一文はこうだ。
 遠目には雑草さながらの群生植物の茂みが、いくつも折りかさなるようにしていっせいに茎を傾け、この痩せこけた砂地の斜面にしがみついて、吹きつのる西風を避けている。
 誰とも知れぬ語り手は、まずはじめにふと視界に現れた「群生植物」について、「その種類を識別することは何ともむつかしい」のみならず、「この土地の人びとがそれをどんな名前で呼んでいるのかは皆目見当もつかないだろう」と宣言する。結局、この「群生植物」は最後まで名前を明かされないのだが、そればかりか、物語の舞台となる土地も具体的な名称で呼ばれることはなく、登場人物たちも皆が皆、お���そ名前というものを欠いている。この徹底した命名の拒否は、そのことによって否応無しに物語の抽象性を際立たせることになるだろう。  もっとも語り手は、すぐさま次のように述べる。
 何か人に知られたくない企みでもあって、それを隠そうとするかのように肝心な名前を記憶から遠ざけ、その意図的な空白のまわりに物語を築こうとでもいうのだろうか。しかし、物語はとうの昔に始まっているのだし、事件もまた事件で特定の一日を選んで不意撃ちをくらわせにやってきたのではないのだから、いかにも退屈そうに日々くり返されているこの砂丘でのできごとを語るのに、比喩だの象徴だのはあまりに饒舌な贅沢品というべきだろう。いま必要とされているのは、誰もが知っているごくありふれた草木の名前でもさりげなく口にしておくことに尽きている。
 だから実のところ命名は誰にでも許されているのだし、そこで口にされる名はありきたりのもので構わない。実際、わざわざ記すまでもないほどにありふれた名前を、ひとびとは日々、何のこだわりもなくごく普通に発話しているに違いない。そしてそれは特に「群生植物」に限らない話であるのだが、しかし実際には「誰もが知っているごくありふれた」名前さえ一度として記されることはない。凡庸な名前の、凡庸であるがゆえの禁止。ところが、ここで起きている事態はそれだけではない。かなり後の頁には、そこでは弟と呼ばれている誰かの「ここからでは雑草とちっともかわらない群生植物にも、ちゃんと名前があったんだ。土地の人たちがみんなそう呼んでいたごくありきたりな名前があった。でもそれがどうしても思い出せない」という台詞が記されており、もっと後、最後の場面に至ると、弟の前で幾度となくその名前を口にしていた筈の姉と呼ばれる誰かもまた、その「群生植物」の名を自分は忘れてしまったと告白するのだ。つまりここでは、名づけることのたやすさとその恣意性、それゆえのナンセンスとともに、たとえナンセンスだったとしても、かつて何ものかによって命名され、自分自身も確かに知っていた/覚えていた名前が理由もなく記憶から抜け落ちてゆくことのおそろしさとかなしみが同時に語られている。ありとあらゆる「名」の風化と、その忘却。覚えているまでもない名前を永久に思い出せなくなること。そんな二重の無名状態に宙吊りにされたまま、この物語は一切の固有名詞を欠落させたまま展開、いや旋回してゆく。そしてこのことにはまた別種の機能もあると思われるのだが、いま少し迂回しよう。  右の引用中の「物語はとうの昔に始まっているのだし、事件もまた事件で特定の一日を選んで不意撃ちをくらわせにやってきたのではないのだから」という如何にも印象的なフレーズは、語句や語順を微妙に違えながら、この小説のなかで何度となく繰り返されてゆく。これに限らず、幾つかの文章や描写や叙述が反復的に登場することによって、この小説は音楽的ともいうべき緩やかなリズムを獲得しているのだが、それはもう一方で、反復/繰り返しという運動が不可避的に孕み持つ単調さへと繋がり、無為、退屈、倦怠といった感覚を読む者に喚び起こしもするだろう。ともあれ、たとえば今日という一日に、ここで起こることのすべては、どうやら「昨日のそれの反復だし、明日もまた同じように繰り返されるものだろう。だから、始まりといっても、それはあくまでとりあえずのものにすぎない」という達観とも諦念とも呼べるだろう空気が、そもそもの始まりから『陥没地帯』の世界を覆っている。  とはいえ、それは単純な繰り返しとはやはり異なっている。精確な反復とは違い、微細な差異が導入されているからではなく、今日が昨日の反復であり、明日が今日の反復であるという前後関係が、ここでは明らかに混乱を来しているからだ。この小説においては、物語られるほとんどの事件、多くの出来事が、時間的な順序も因果律も曖昧なまましどけなく錯綜し、あたかも何匹ものウロボロスの蛇が互いの尻尾を丸呑みしようとしているかのような、どうにも不気味な、だが優雅にも見える有様を呈してゆく。どちらが先にあってどちらがその反復なのかも確定し難い、起点も終点も穿つことの出来ない、方向性を欠いた反復。あたかもこの小説のありとある反復は「とうの昔に始まって」おり、そして/しかし、いつの間にか「とうの昔」に回帰してでもいくかのようなのだ。反復と循環、しかも両者は歪に、だがどこか整然と絡み合っている。しかも、それでいてこの小説のなかで幾度か、まさに不意撃ちのように書きつけられる「いま」の二語が示しているように、昨日、今日、明日ではなく、今日、今日、今日、いま、いま、いま、とでも言いたげな、現在形の強調が反復=循環と共存してもいる。それはまるで、毎日毎日朝から晩まで同じ演目を倦むことなく繰り返してきたテーマパークが、そのプログラムをいつのまにか失調させていき、遂にはタイマーも自壊させて、いま起きていることがいつ起こるべきことだったのかわからなくなり、かつて起こったことと、これから起こるだろうことの区別もつかなくなって、いまとなってはただ、いまがまだかろうじていまであること、いまだけはいつまでもいまであり続けるだろうことだけを頼りに、ただやみくもに、まだなんとか覚えていると自分では思っている、名も無きものたちによるひと続きの出し物を、不完全かつ不安定に延々と繰り返し上演し続けているかのようなのだ。  二重の、徹底された無名状態と、壊れた/壊れてゆく反復=循環性。『陥没地帯』の舞台となる世界ーーいや、むしろ端的に陥没地帯と呼ぶべきだろうーーは、このふたつの特性に支えられている。陥没地帯の物語を何らかの仕方で丸ごと形式的に整理しようとする者は、あらかじめこの二種の特性によって先回りされ行く手を塞がれるしかない。「名」の廃棄が形式化の作業を露骨な姿態で誘引しており、その先では程よくこんがらがった毛糸玉が、ほら解いてみなさいちゃんと解けるように編んであるからとでも言いたげに薄笑いを浮かべて待ち受けているだけのことだ。そんな見え見えの罠に敢えて嵌まってみせるのも一興かもしれないが、とりあえず物語=世界の構造そのものを相手取ろうとする無邪気にマクロな視点はいったん脇に置き、もっと単純素朴なる細部へと目を向けてみると、そこではこれまた見え見えの様子ではあるものの、相似という要素に目が留まることになるだろう。  たとえば「向かい合った二つの食堂兼ホテルは、外観も、内部の装飾も、料理のメニューも驚くほど似かよって」いる。しかし「ためらうことなくその一つを選んで扉を押しさえすれば、そこで約束の相手と間違いなく落ち合うことができる。目には見えない識別票のようなものが、散歩者たちをあらかじめ二つのグループに分断しており、その二つは決して融合することがない」。つまり「驚くほど似かよって」いるのにもかかわらず、二軒はひとびとの間に必ずしも混同を惹き起こしてはいないということだ。しかし似かよっているのは二つの食堂兼ホテルだけではない。他にも「まったく同じ様式に従って設計されている」せいで「どちらが市役所なのか駅なのはすぐにはわからない」だの、やはり「同じ時期に同じ建築様式に従って設計された」ので「旅行者の誰もが郵便局と取り違えて切手を買いに行ったりする学校」だのといった相似の表象が、これみよがしに登場する。建物だけではない。たとえば物語において謎めいた(この物語に謎めいていない者などただのひとりも存在していないが)役割を演じることになる「大伯父」と「その義理の弟」と呼ばれる「二人の老人」も、しつこいほどに「そっくり」「生き写し」「見分けがつかない」などと書かれる。  ところが、この二人にかんしては、やがて次のようにも語られる。
 あの二人が同一人物と見まがうほどに似かよっているのは、永年同じ職場で同じ仕事をしてきたことからくる擬態によってではなく、ただ、話の筋がいきなり思わぬ方向に展開されてしまったとき、いつでも身がわりを演じうるようにと、日頃からその下準備をしておくためなのです。だから、それはまったく装われた類似にすぎず、そのことさえ心得ておけば、いささかも驚くべきことがらではありません。
 先の建築物にしたって、後になると「二軒並んだ食堂兼ホテルは、いま、人を惑わすほどには似かよってはおらず、さりとてまったくきわだった違いを示しているわけでもない」だとか「学校とも郵便局とも判別しがたく、ことによったらそのどちらでもないかもしれぬたてもの」などといった書かれぶりなのだから、ここでの相似とは要するに、なんともあやふやなものでしかない。にしても、二つのものが似かよっている、という描写が、この物語のあちこちにちりばめられていることは事実であり、ならばそこにはどんな機能が託されているのかと問うてみたくなるのも無理からぬことだと思われる。  が、ここで読む者ははたと思い至る。相似する二つのものという要素は、どうしたって「似ていること」をめぐる思考へとこちらを誘っていこうとするのだが、それ自体がまたもや罠なのではないか。そうではなくて、ここで重要なのは、むしろただ単に「二」という数字なのではあるまいか。だってこれらの相似は難なく区別されているのだし、相似の度合いも可変的であったり、そうでなくても結局のところ「装われた類似にすぎず、そのことさえ心得ておけば、いささかも驚くべきことがらでは」ないというのだから。騙されてはならない。問題とすべきなのは相似の表象に伴って書きつけられる「二」という数の方なのだ。そう思って頁に目を向け直してみると、そこには確かに「二」という文字が意味ありげに幾つも転がっている。「二」つ並んだ食堂兼ホテルには「二」階があるしーーしかもこの「二階」は物語の重要な「事件の現場」となるーー、市役所前から砂丘地帯までを走る路面電車は「二」輛連結であり、一時間に「二」本しかない。とりわけ路面電車にかかわる二つの「二」は、ほぼ省略されることなく常にしつこく記されており、そこには奇妙な執着のようなものさえ感じられる。陥没地帯は、どうしてかはともかく、ひたすら「二」を召喚したいがゆえに、ただそれだけのために、相似という意匠を身に纏ってみせているのではないか。  「二」であることには複数の様態がある(「複数」というのは二つ以上ということだ)。まず、順序の「二」。二番目の二、一の次で三の前であるところの「二」がある。次に、反復の「二」。二度目の二、ある出来事が(あるいはほとんど同じ出来事が)もう一度繰り返される、という「二」がある。そして、ペアの「二」。二対の二、対立的(敵味方/ライバル)か相補的(バディ)か、その両方かはともかく、二つで一組を成す、という「二」がある。それからダブルの「二」、二重の二があるが、これ自体が二つに分かれる。一つの存在が内包/表出する二、二面性とか二重人格とかドッペルゲンガーの「二」と、二つの存在が一つであるかに誤認/錯覚される二、双児や他人の空似や成り澄ましなどといった、つまり相似の「二」。オーダー、リピート、ペア、ダブル、これ���の「二」どもが、この小説にはあまねくふんだんに取り込まれている。オーダーとリピートが分かち難く絡み合って一緒くたになってしまっているさまこそ、前に見た「反復=循環性」ということだった。それは「一」と「二」の区別がつかなくなること、すなわち「一」が「二」でもあり「二」が「一」でもあり得るという事態だ。しかしそれだって、まず「二」度目とされる何ごとかが召喚されたからこそ起こり得る現象だと言える。  また、この物語には「大伯父とその義理の弟」以外にも幾組ものペアやダブルが、これまたこれみよがしに配されている。あの「二人の老人」は二人一役のために互いを似せていたというのだが、他にも「船長」や「女将」や「姉」や「弟」、或いは「男」や「女」といった普通名詞で呼ばれる登場人物たちが、その時々の「いま」において複雑極まる一人二役/二人一役を演じさせられている。この人物とあの人物が、実は時を隔てた同一人物なのではないか、いやそうではなく両者はやはりまったくの別の存在なのか、つまり真に存在しているのは「一」なのか「二」なのか、という設問が、決して真実を確定され得ないまま、切りもなく無数に生じてくるように書かれてあり、しかしそれもやはりまず「二」つのものが召喚されたからこそ起こり得た現象であり、もちろんこのこと自体が「反復=循環性」によって強化されてもいるわけだ。  こう考えてみると、もうひとつの特性である「無名状態」にも、抽象化とはまた別の実践的な理由があるのではないかと思えてくる。ひどく似ているとされる二者は、しかしそれぞれ別個の名前が与えられていれば、当然のことながら区別がついてしまい、相似の「二」が成立しなくなってしまうからだ。だから「二軒並んだ食堂兼ホテル」が名前で呼ばれることはあってはならないし、「女将」や「船長」の名が明かされてはならない。無名もまた「二」のために要請されているのだ。  陥没地帯は夥しい「二」という数によって統べられていると言っても過言ではない。それは文章=文字の表面に穿たれた数字=記号としての「二」から、物語内に盛んに導入された二番二度二対二重などのさまざまな「二」性にまで及んでいる。二、二、二、この小説に顕在/潜在する「二」を数え上げていったらほとんど果てしがないほどだ。とすれば、すぐに浮かぶ疑問は当然、それはどういうことなのか、ということになるだろう。なぜ「二」なのか。どうしてこの小説は、こうもひたぶるに「二」であろうとしているのか。  ここでひとつの仮説を提出しよう。なぜ陥没地帯は「二」を欲望するのか。その答えは『陥没地帯』が小説家蓮實重彦の一作目であるからだ。自らが「一」であることを嫌悪、いや憎悪し、どうにかして「一」に抗い「一」であることから逃れようとするためにこそ、この小説は無数の「二」を身に纏おうと、「二」を擬態しようと、つまり「二」になろうとしているのだ。  すぐさまこう問われるに違いない。それでは答えになっていない。どうして「一」から逃れなくてはならないのか。「一」が「一」を憎悪する理由は何だというのか。その理由の説明が求められているのだ。そんなことはわたしにはわからない。ただ、それは『陥没地帯』が「一」番目の小説だから、としか言いようがない。生まれつき、ただ理由もなく運命的に「一」であるしかない自らの存在のありようがあまりにも堪え難いがゆえに、陥没地帯は「二」を志向しているのだ。そうとしか言えない。  しかしそれは逆にいえば、どれだけ策を尽くして「二」を擬態したとしても、所詮は「一」は「一」でしかあり得ない、ということでもある。「二」になろう「二」であろうと手を替え品を替えて必死で演技する、そしてそんな演技にさえ敢えなく失敗する「一」の物語、それが『陥没地帯』なのだ。そしてこのことも、この小説自体に書いてある。
 つまり、錯綜したパズルを思わせる線路をひもに譬えれば、その両端を指ではさんでぴーんと引っぱってみる。すると、贋の結ぼれがするするとほぐれ、一本の線に還元されてしまう。鋭角も鈍角も、それから曲線も弧も螺旋形も、そっくり素直な直線になってしまうのです。だから、橋なんていっちゃあいけない。それは人目をあざむく手品の種にすぎません。
 そう、複雑に縒り合わされた結ぼれは、だが結局のところ贋ものでしかなく、ほんとうはただの「一本の線」に過ぎない。ここで「二」に見えているすべての正体は「一」でしかない。あの「向かい合った二つの食堂兼ホテル」が「驚くほど似かよって」いるのに「ためらうことなくその一つを選んで扉を押しさえすれば」決して間違えることがなかったのは、実はどちらを選んでも同じことだったからに他ならない。このこともまた繰り返しこの物語では描かれる。河を挟んだ片方の側からもう片側に行くためには、どうしても小さな架橋を使わなくてはならない筈なのに、橋を渡った覚えなどないのに、いつのまにか河の向こう側に抜けていることがある。そもそもこの河自体、いつも褐色に淀んでいて、水面を見るだけではどちらからどちらに向かって流れているのか、どちらが上流でどちらが下流なのかさえ判然としないのだが、そんなまたもやあからさまな方向感覚の惑乱ぶりに対して、ではどうすればいいのかといえば、ただ迷うことなど一切考えずに歩いていけばいいだけのことだ。「彼が執拗に強調しているのは、橋の必然性を信頼してはならぬということである」。二つの領域を繋ぐ橋など要らない、そんなものはないと思い込みさえすればもう橋はない。二つのものがあると思うからどちらかを選ばなくてはならなくなる。一番目と二番目、一度目と二度目、一つともう一つをちゃんと別にしなくてはならなくなる。そんな面倒は金輪際やめて、ここにはたった一つのものしかないと思えばいいのだ。実際そうなのだから。  それがいつであり、そこがどこであり、そして誰と誰の話なのかも最早述べることは出来ないが、物語の後半に、こんな場面がある。
 よろしゅうございますね、むこう側の部屋でございますよ。(略)女は、そうささやくように念をおす。こちら側ではなく、むこう側の部屋。だが、向かい合った二つの扉のいったいどちらの把手に手をかければよいのか。事態はしかし、すべてを心得たといった按配で、躊躇も逡巡もなく円滑に展開されねばならない。それには、風に追われる砂の流れの要領でさからわずに大気に身をゆだねること。むこう側の扉の奥で待ちうけている女と向かいあうにあたって必要とされるのも、そんなこだわりのない姿勢だろう。
 躊躇も逡巡もすることはない。なぜなら「こちら側」と「むこう側」という「二つの扉」自体が下手な偽装工作でしかなく、そこにはもともと「一」つの空間しかありはしないのだから。そしてそれは、はじめから誰もが知っていたことだ。だってこれは正真正銘の「一」番目なのだから。こうして「一」であり「一」であるしかない『陥没地帯』の、「一」からの���亡としての「二」への変身、「二」への離脱の試みは失敗に終わる。いや、むしろ失敗することがわかっていたからこそ、どうにかして「一」は「二」のふりをしようとしたのだ。不可能と知りつつ「一」に全力で抗おうとした自らの闘いを、せめても読む者の記憶へと刻みつけるために。
三、
 小説家蓮實重彦の第二作『オペラ・オペラシオネル』は、直截的にはジャン=リュック・ゴダールの『新ドイツ零年』及び、その前日譚である『アルファヴィル』との関連性を指摘できるだろう。小説が発表されたのは一九九四年の春だが、『新ドイツ零年』は一九九一年秋のヴェネツィア国際映画祭に出品後、一九九三年末に日本公開されている。同じくゴダール監督による一九六五年発表の『アルファヴィル』は、六〇年代にフランスでシリーズ化されて人気を博した「レミー・コーションもの」で主役を演じた俳優エディ・コンスタンティーヌを役柄ごと「引用」した一種のパスティーシュだが、独裁国家の恐怖と愛と自由の価値を謳った軽快でロマンチックなSF映画でもある。『新ドイツ零年』は、レミー・コーション=エディ・コンスタンチーヌを四半世紀ぶりに主演として迎えた続編であり、ベルリンの壁崩壊の翌年にあたる一九九〇年に、老いたる往年の大物スパイがドイツを孤独に彷徨する。  『オペラ・オペラシオネル』の名もなき主人公もまた、レミー・コーションと同じく、若かりし頃は派手な活躍ぶりでその筋では国際的に名を成したものの、ずいぶんと年を取った最近では知力にも体力にも精神力にもかつてのような自信がなくなり、そろそろほんとうに、思えばやや遅過ぎたのかもしれない引退の時期がやってきたのだと自ら考えつつある秘密諜報員であり、そんな彼は現在、長年勤めた組織へのおそらくは最後の奉公として引き受けた任務に赴こうとしている。「とはいえ、この年まで、非合法的な権力の奪取による対外政策の変化といった計算外の事件に出会っても意気沮喪することなく組織につくし、新政権の転覆を目論む不穏な動きをいたるところで阻止しながらそのつど難局を切り抜け、これといった致命的な失敗も犯さずにやってこられたのだし、分相応の役割を担って組織にもそれなりに貢献してきたのだという自負の念も捨てきれずにいるのだから、いまは、最後のものとなるかもしれないこの任務をぬかりなくやりとげることに専念すべきなのだろう」。つまりこれはスパイ小説であり、アクション小説でさえある。  前章で提示しておいた無根拠な仮説を思い出そう。『陥没地帯』は「一」作目であるがゆえに「一」から逃れようとして「二」を志向していた。これを踏まえるならば、「二」作目に当たる『オペラ・オペラシオネル』は、まずは「二」から逃走するべく「三」を擬態することになる筈だが、実際、この小説は「三」章立てであり、作中に登場するオペラ「オペラ・オペラシオネル」も「三」幕構成であり、しかも「三」時間の上演時間を要するのだという。これらだけではない。第一章で主人公は、豪雨が齎した交通機関の麻痺によって他の旅客ともども旅行会社が用意した巨大なホールで足止めを食っているのだが、どういうわけかこの空間に定期的にやってきている謎の横揺れを訝しみつつ、ふと気づくと、「いま、くたびれはてた鼓膜の奥にまぎれこんでくるのは、さっきから何やら低くつぶやいている聞きとりにくい女の声ばかりである」。
 いまここにはいない誰かをしきりになじっているようにも聞こえるそのつぶやきには、どうやら操縦と聞きとれそうな単語がしばしばくりかえされており、それとほぼ同じぐらいの頻度で、やれ回避だのやれ抹殺だのといった音のつらなりとして聞きわけられる単語もまぎれこんでいる。だが、誰が何を操縦し、どんな事態を回避し、いかなる人物を抹殺するのかということまでははっきりしないので、かろうじて識別できたと思えるたった三つの単語から、聞きとりにくい声がおさまるはずの構文はいうまでもなく、そのおよその文意を推測することなどとてもできはしない。
 むろんここで重要なのは、間違っても「誰が何を操縦し、どんな事態を回避し、いかなる人物を抹殺するのか」ということではない。この意味ありげな描写にごくさりげなく埋め込まれた「たった三つの単語」の「三」という数である。まだある。主人公が実際に任務を果たすのは「ここから鉄道でたっぷり三時間はかかる地方都市」だし、このあと先ほどの女の突然の接触ーー「かたわらの椅子に身を埋めていた女の腕が生きもののようなしなやかさで左の肘にからみつき、しっかりとかかえこむように組みあわされてしまう」ーーが呼び水となって主人公は「最後の戦争が起こったばかりだったから、こんな仕事に誘いこまれるより遥か以前」に「この国の転覆を目論む敵側の間諜がわがもの顔で闊歩しているという繁華街の地下鉄のホームでこれに似た体験をしていたこと」をふと思い出すのだが、そのときちょうどいまのようにいきなり腕をからませてきた女と同じ地下鉄のホームで再会したのは「それから三日後」のことなのだ。  「三」への擬態以前に、この小説の「二」に対する嫌悪、憎悪は、第三章で登場する女スパイが、いままさにオペラ「オペラ・オペラシオネル」を上演中の市立劇場の客席で、隣に座った主人公に「あなたを抹殺する目的で開幕直前に桟敷に滑りこもうとしていた女をぬかりなく始末しておいた」と告げたあとに続く台詞にも、さりげなく示されている。
 もちろん、と女は言葉をつぎ、刺客をひとり始末したからといって、いま、この劇場の客席には、三人目、四人目、ことによったら五人目となるかもしれない刺客たちが、この地方都市の正装した聴衆にまぎれて、首都に帰らせてはならないあなたの動向をじっとうかがっている。
 なぜ、女は「二人目」を省いたのか。どうしてか彼女は「二」と言いたくない、いや、「二」と言えないのだ。何らかの不思議な力が彼女から「二」という数の発話を無意味に奪っている。実際『陥没地帯』にはあれほど頻出していた「二」が、一見したところ『オペラ・オペラシオネル』では目に見えて減っている。代わりに振り撒かれているのは「三」だ。三、三、三。  だが、これも前作と同様に、ここでの「二」への抵抗と「三」への擬態は、そもそもの逃れ難い本性であるところの「二」によってすぐさま逆襲されることになる。たとえばそれは、やはり『陥没地帯』に引き続いて披露される、相似をめぐる認識において示される。どうやら記憶のあちこちがショートしかかっているらしい主人公は、第一章の巨大ホールで突然左肘に腕を絡ませてきた女が「それが誰なのかにわかには思い出せない旧知の女性に似ているような気もする」と思ってしまうのだがーー同様の叙述はこの先何度も繰り返されるーー、しかしそのとき彼は「経験豊かな仲間たち」からよく聞かされていた言葉をふと思い出す。
 もちろん、それがどれほどとらえがたいものであれ類似の印象を与えるというかぎりにおいて、二人が同一人物であろうはずもない。似ていることは異なる存在であることの証左にほかならぬという原則を見失わずにおき、みだりな混同に陥ることだけは避けねばならない。
 この「似ていることは異なる存在であることの証左にほかならぬという原則」は、もちろん『陥没地帯』の数々の相似にかんして暗に言われていたことであり、それは「一」に思えるが実は「二」、つまり「一ではなく二」ということだった。しかし、いまここで離反すべき対象は「二」なのだから、前作では「一」からの逃走の方策として導入されていた相似という装置は、こちらの世界では「二」から発される悪しき強力な磁場へと反転してしまうのだ。なるほどこの小説には、前作『陥没地帯』よりも更にあっけらかんとした、そう、まるでやたらと謎めかした、であるがゆえに適当な筋立てのご都合主義的なスパイ映画のような仕方で、相似の表象が次々と登場してくる。女という女は「旧知の女性に似ているような」気がするし、巨大ホールの女の亡くなったパイロットの夫は、第二章で主人公が泊まるホテルの部屋にノックの音とともに忍び込んでくる女、やはり亡くなっている夫は、売れない音楽家だったという自称娼婦の忌まわしくもエロチックな回想の中に奇妙に曖昧なすがたで再登場するし、その音楽家が妻に書き送ってくる手紙には、第一章の主人公の境遇に酷似する体験が綴られている。数え出したら枚挙にいとまのないこうした相似の仄めかしと手がかりは、本来はまったく異なる存在である筈の誰かと誰かを無理繰り繋いであたかもペア=ダブルであるかのように見せかけるためのブリッジ、橋の機能を有している。どれだけ「三」という数字をあたり一面に撒布しようとも、思いつくまま幾らでも橋を架けられる「二」の繁茂には到底対抗出来そうにない。  では、どうすればいいのか。「二」から逃れるために「三」が有効ではないのなら、いっそ「一」へと戻ってしまえばいい。ともかく「二」でありさえしなければいいのだし、ベクトルが一方向でなくともよいことはすでに確認済みなのだから。  というわけで、第三章の女スパイは、こんなことを言う。
 ただ、誤解のないようにいいそえておくが、これから舞台で演じられようとしている物語を、ことによったらあなたや私の身に起こっていたのかもしれないできごとをそっくり再現したものだなどと勘違いしてはならない。この市立劇場であなたが立ち会おうとしているのは、上演を目的として書かれた粗筋を旧知の顔触れがいかにもそれらしくなぞってみせたりするものではないし、それぞれの登場人物にしても、見るものの解釈しだいでどんな輪郭にもおさまりかねぬといった融通無碍なものでもなく、いま、この瞬間に鮮やかな現実となろうとしている生のできごとにほかならない。もはや、くりかえしもおきかえもきかない一回かぎりのものなのだから、これはよくあることだと高を括ったりしていると、彼らにとってよくある些細なできごとのひとつとして、あなたの世代の同僚の多くが人知れず消されていったように、あなた自身もあっさり抹殺されてしまうだろう。
 そもそも三章立ての小説『オペラ・オペラシオネル』が、作中にたびたびその題名が記され、第三章で遂に上演されることになる三幕もののオペラ「オペラ・オペラシオネル」と一種のダブルの関係に置かれているらしいことは、誰の目にも歴然としている。しかしここでいみじくも女スパイが言っているのは、如何なる意味でもここに「二」を読み取ってはならない、これは「一」なのだ、ということだ。たとえ巧妙に「二」のふりをしているように見えたとしても、これは確かに「くりかえしもおきかえもきかない一回かぎりのもの」なのだと彼女は無根拠に断言する。それはつまり「二ではなく一」ということだ。そんなにも「二」を増殖させようとするのなら、その化けの皮を剥がして、それらの実体がことごとく「一」でしかないという事実を露わにしてやろうではないか(言うまでもなく、これは『陥没地帯』で起こっていたことだ)。いや、たとえほんとうはやはりそうではなかったのだとしても、ともかくも「二ではなく一」と信じることが何��りも重要なのだ。  「二」を「一」に変容せしめようとする力動は、また別のかたちでも確認することが出来る。この物語において主人公は何度か、それぞれ別の、だが互いに似かよってもいるのだろう女たちと「ベッドがひとつしかない部屋」で対峙する、もしくはそこへと誘われる。最後の場面で女スパイも言う。私たちが「ベッドがひとつしかない部屋で向かい合ったりすればどんなことになるか、あなたには十分すぎるほどわかっているはずだ」。「二」人の男女と「一」つのベッド。だが主人公は、一つきりのベッドをそのような用途に使うことは一度としてない。そしてそれは何度か話題にされる如何にも女性の扱いに長けたヴェテランの間諜らしい(らしからぬ?)禁欲というよりも、まるで「一」に対する斥力でも働いているかのようだ。  こうして『オペラ・オペラシオネル』は後半、あたかも「一」と「二」の闘争の様相を帯びることになる。第三章の先ほどの続きの場面で、女スパイは主人公に「私たちふたりは驚くほど似ているといってよい」と言ってから、こう続ける。「しかし、類似とは、よく似たもの同士が決定的に異なる存在だという事実の否定しがたい証言としてしか意味をもたないものなのだ」。これだけならば「一ではなく二」でしかない。だがまだその先がある。「しかも、決定的に異なるものたちが、たがいの類似に脅えながらもこうして身近に相手の存在を確かめあっているという状況そのものが、これまでに起こったどんなできごととも違っているのである」。こうして「二」は再び「一」へと逆流する。まるで自らに念を押すように彼女は言う。いま起こっていることは「かつて一度としてありはしなかった」のだと。このあとの一文は、この小説の複雑な闘いの構図を、複雑なまま見事に表している。
 だから、あたりに刻まれている時間は、��のふたりがともに死ぬことを選ぶか、ともに生きることを選ぶしかない一瞬へと向けてまっしぐらに流れ始めているのだと女が言うとき、そらんじるほど熟読していたはずの楽譜の中に、たしかにそんな台詞が書き込まれていたはずだと思いあたりはするのだが、疲労のあまりものごとへの執着が薄れ始めている頭脳は、それが何幕のことだったのかと思い出そうとする気力をすっかり失っている。
 かくのごとく「二」は手強い。当たり前だ。これはもともと「二」なのだから。しかしそれでも、彼女は繰り返す。「どこかしら似たところのある私たちふたりの出会いは、この別れが成就して以後、二度とくりかえされてはならない。そうすることがあなたと私とに許された誇らしい権利なのであり、それが無視されてこの筋書きにわずかな狂いでもまぎれこめば、とても脱出に成功することなどありはしまい」。『オペラ・オペラシオネル』のクライマックス場面における、この「一」対「二」の激しい争いは、読む者を興奮させる。「実際、あなたと私とがともに亡命の権利を認められ、頻繁に発着するジェット機の騒音などには耳もかさずに、空港の別のゲートをめざしてふりかえりもせずに遠ざかってゆくとき、ふたり一組で行動するという権利が初めて確立することになり、それにはおきかえもくりかえしもききはしないだろう」。「二」人組による、置換も反復も欠いた、ただ「一」度きりの逃避行。ここには明らかに、あの『アルファヴィル』のラストシーンが重ね合わされている。レミー・コーションはアンナ・カリーナが演じるナターシャ・フォン・ブラウンを連れて、遂に発狂した都市アルファヴィルを脱出する。彼らは「二人」になり、そのことによってこれから幸福になるのだ。『ドイツ零年』の終わり近くで、老いたるレミー・コーションの声が言う。「国家の夢は1つであること。個人の夢は2人でいること」。それはつまり「ふたり一組で行動するという権利」のことだ。  かくのごとく「二」は手強い。当たり前だ。これはもともと「二」なのだから。しかも、もはや夢幻なのか現実なのかも判然としない最後の最後で、主人公と女スパイが乗り込むのは「これまでハンドルさえ握ったためしのないサイドカー」だというのだから(これが「ベッドがひとつしかない部屋」と対になっていることは疑いない)、結局のところ「二」は、やはり勝利してしまったのではあるまいか。「二」が「二」であり「二」であるしかないという残酷な運命に対して、結局のところ「三」も「一」も歯が立たなかったのではないのか。小説家蓮實重彦の一作目『陥没地帯』が「一の物語」であったように、小説家蓮實重彦の第二作は「二の物語」としての自らをまっとうする。そして考えてみれば、いや考えてみるまでもなく、このことは最初からわかりきっていたことだ。だってこの小説の題名は『オペラ・オペラシオネル』、そこには「オペラ」という単語が続けざまに「二」度、あからさまに書き込まれているのだから。
四、
 さて、遂にようやく「一、」の末尾に戻ってきた。では、小説家蓮實重彦の第三作『伯爵夫人』はどうなのか。この小説は「三」なのだから、仮説に従えば「四」もしくは「二」を志向せねばならない。もちろん、ここで誰もが第一に思い当たるのは、主人公の名前である「二朗」だろう。たびたび話題に上るように、二朗には亡くなった兄がいる。すなわち彼は二男である。おそらくだから「二」朗と名づけられているのだが、しかし死んだ兄が「一朗」という名前だったという記述はどこにもない、というか一朗はまた別に居る。だがそれはもっと後の話だ。ともあれ生まれついての「二」である二朗は、この小説の「三」としての運命から、あらかじめ逃れ出ようとしているかに見える。そう思ってみると、彼の親しい友人である濱尾も「二」男のようだし、従妹の蓬子も「二」女なのだ。まるで二朗は自らの周りに「二」の結界を張って「三」の侵入を防ごうとしているようにも思えてくる。  だが、当然の成り行きとして「三」は容赦なく襲いかかる。何より第一に、この作品の題名そのものであり、二朗にははっきりとした関係や事情もよくわからぬまま同じ屋敷に寝起きしている、小説の最初から最後まで名前で呼ばれることのない伯爵夫人の、その呼称の所以である、とうに亡くなっているという、しかしそもそも実在したかどうかも定かではない「伯爵」が、爵位の第三位ーー侯爵の下で子爵の上ーーであるという事実が、彼女がどうやら「三」の化身であるらしいことを予感させる。『オペラ・オペラシオネル』の「二」と同じく、『伯爵夫人』も題名に「三」をあらかじめ埋め込まれているわけだ。確かに「三」はこの小説のあちこちにさりげなく記されている。たとえば濱尾は、伯爵夫人の怪しげな素性にかかわる噂話として「れっきとした伯爵とその奥方を少なくとも三組は見かけた例のお茶会」でのエピソードを語る。また、やはり濱尾が二朗と蓬子に自慢げにしてみせる「昨日まで友軍だと気を許していた勇猛果敢な騎馬の連中がふと姿を消したかと思うと、三日後には凶暴な馬賊の群れとなって奇声を上げてわが装甲車舞台に襲いかかり、機関銃を乱射しながら何頭もの馬につないだ太い綱でこれを三つか四つひっくり返したかと思うと、あとには味方の特殊工作員の死骸が三つも転がっていた」という「どこかで聞いた話」もーー「四」も入っているとはいえーーごく短い記述の間に「三」が何食わぬ顔で幾つも紛れ込んでいる。  しかし、何と言っても決定的に重要なのは、すでに触れておいた、二朗と伯爵夫人が最初の、贋の抱擁に至る場面だ。謎の「ふたり組の男」に「二朗さんがこんな女といるところをあの連中に見られたくないから、黙っていう通りにして下さい」と言って伯爵夫人が舞台に選ぶのは「あの三つ目の街路樹の瓦斯燈の灯りも届かぬ影になった幹」なのだが、演出の指示の最後に、彼女はこう付け加える。
 連中が遠ざかっても、油断してからだを離してはならない。誰かが必ずあの二人の跡をつけてきますから、その三人目が通りすぎ、草履の先であなたの足首をとんとんとたたくまで抱擁をやめてはなりません、よござんすね。
 そう、贋の抱擁の観客は「二」人ではなかった。「三」人だったのだ。しかし二朗は本番では演技に夢中でーー射精という事故はあったもののーー場面が無事に済んでも「あの連中とは、いったいどの連中だというのか」などと訝るばかり、ことに「三人目」については、その実在さえ確認出来ないまま終わる。つまり追っ手(?)が全部で「三」人居たというのは、あくまでも伯爵夫人の言葉を信じる限りにおいてのことなのだ。  まだある。一度目の射精の後、これも先に述べておいたが伯爵夫人は二朗に自らの性的遍歴を語り出す。自分はあなたの「お祖父さま」ーー二朗の母方の祖父ーーの「めかけばら」だなどと噂されているらしいが、それは根も葉もない言いがかりであって、何を隠そう、お祖父さまこそ「信州の山奥に住む甲斐性もない百姓の娘で、さる理由から母と東京に移り住むことになったわたくし」の処女を奪ったばかりか、のちに「高等娼婦」として活躍出来るだけの性技の訓練を施した張本人なのだと、彼女は告白する。まだ処女喪失から二週間ほどしか経っていないというのに、お祖父さまに「そろそろ使い勝手もよくなったろう」と呼ばれて参上すると、そこには「三」人の男ーーいずれも真っ裸で、見あげるように背の高い黒ん坊、ターバンを捲いた浅黒い肌の中年男、それにずんぐりと腹のでた小柄な初老の東洋人ーーがやってきて、したい放題をされてしまう。とりわけ「三」人目の男による見かけによらない濃厚な変態プレイは、破廉恥な描写には事欠かないこの小説の中でも屈指のポルノ場面と言ってよい。  まだまだある。二朗の「三」度目の射精の���、和製ルイーズ・ブルックスに案内された「更衣室」には、「野獣派風の筆遣いで描かれたあまり感心できない裸婦像が三つ」と「殺風景な三つのシャワーのついた浴場」がある。伯爵夫人が物語る、先の戦時中の、ハルピンにおける「高麗上等兵」のエピソードも「三」に満ちている。軍の都合によって無念の自決を強いられた高麗の上官「森戸少尉」の仇である性豪の「大佐」に、山田風太郎の忍法帖さながらの淫技で立ち向かい、森戸少尉の復讐として大佐の「金玉」を潰すという計画を、のちの伯爵夫人と高麗は練るのだが、それはいつも大佐が「高等娼婦」の彼女を思うさまいたぶるホテルの「三階の部屋」の「三つ先の部屋」でぼやを起こし、大佐の隙を突いて「金玉」を粉砕せしめたらすぐさま火事のどさくさに紛れて現場から立ち去るというものであり、いざ決行直後、彼女は「雑踏を避け、高麗に抱えられて裏道に入り、騎馬の群れに囲まれて停車していた三台のサイドカー」に乗せられて無事に逃亡する。  このように「三」は幾らも数え上げられるのだが、かといって「二」や「四」も皆無というわけではないーー特に「二」は後で述べるように伯爵夫人の一時期と切っても切り離せない関係にあるーーのだから、伯爵夫人が「三」の化身であるという予感を完全に証明し得るものとは言えないかもしれない。では、次の挿話はどうか?  三度目の射精の直後に例の「サボン」を投与されてしまった二朗は、今度は「黒い丸眼鏡をかけた冴えない小男」の先導で、さながら迷宮のようなホテル内を経巡って、伯爵夫人の待つ「お茶室」ーー彼女はあとで、その空間を「どこでもない場所」と呼ぶーーに辿り着く。そこで伯爵夫人はふと「二朗さん、さっきホテルに入ったとき、気がつかれましたか」と問いかける。「何ですか」「百二十度のことですよ」。今しがた和製ルイーズ・ブルックスと自らの「魔羅」の隆隆たる百二十度のそそり立ちについて語り合ったばかりなので、二朗は思わずたじろぐが、伯爵夫人は平然と「わたくしは回転扉の角度のお話をしているの。あそこにいったいいくつ扉があったのか、お気づきになりましたか」と訊ねる。もちろんそれは、小説の始まりに記されていた「傾きかけた西日を受けてばふりばふりとまわっている重そうな回転扉」のことだ。
 四つあるのが普通じゃなかろうかという言葉に、二朗さん、まだまだお若いのね。あそこの回転扉に扉の板は三つしかありません。その違いに気づかないと、とてもホテルをお楽しみになることなどできませんことよと、伯爵夫人は艶然と微笑む。四つの扉があると、客の男女が滑りこむ空間は必然的に九十度と手狭なものとなり、扉もせわしげにぐるぐるとまわるばかり。ところが、北普魯西の依怙地な家具職人が前世紀末に発明したという三つ扉の回転扉の場合は、スーツケースを持った少女が大きな丸い帽子箱をかかえて入っても扉に触れぬだけの余裕があり、一度に一・三倍ほどの空気をとりこむかたちになるので、ぐるぐるではなく、ばふりばふりとのどかなまわり方をしてくれる。
 「もっとも、最近になって、世の殿方の間では、百二十度の回転扉を通った方が、九十度のものをすり抜けるより男性としての機能が高まるといった迷信めいたものがささやかれていますが、愚かとしかいいようがありません。だって、百二十度でそそりたっていようが、九十度で佇立していようが、あんなもの、いったん女がからだの芯で受け入れてしまえば、どれもこれも同じですもの」と,いつの間にか伯爵夫人の語りは、またもや「魔羅」の話題に変わってしまっていて、これも笑うべきところなのかもしれないが、それはいいとして、ここで「四ではなく三」が主張されていることは明白だろう。とすると「ぐるぐるではなく、ばふりばふり」が好ましいとされているのも、「ぐるぐる」も「ばふりばふり」も言葉を「二」つ重ねている点では同じだが、「ぐる」は「二」文字で「ばふり」は「三」文字であるということがおそらくは重要なのだ。  そして更に決定的なのは、伯爵夫人がその後に二朗にする告白だ。あの贋の抱擁における二朗の演技に彼女は憤ってみせたのだが、実はそれは本意ではなかった。「あなたの手は、ことのほか念入りにわたくしのからだに触れておられました。どこで、あんなに繊細にして大胆な技術を習得されたのか、これはこの道の達人だわと思わず感嘆せずにはいられませんでした」と彼女は言う。だが二朗は正真正銘の童貞であって、あの時はただ先ほど観たばかりの「聖林製の活動写真」を真似て演じてみたに過ぎない。だが伯爵夫人はこう続けるのだ。「あのとき、わたくしは、まるで自分が真っ裸にされてしまったような気持ちになり、これではいけないとむなしく攻勢にでてしまった」。そして「そんな気分にさせたのは、これまで二人しかおりません」。すなわち二朗こそ「どうやら三人目らしい」と、伯爵夫人は宣告する。二朗は気づいていないが、この時、彼は「二」から「三」への変容を強いられているのだ。  ところで伯爵夫人には、かつて「蝶々夫人」と呼ばれていた一時代があった。それは他でもない、彼女がやがて「高等娼婦」と称されるに至る売春行為を初めて行ったロンドンでのことだ。「二朗さんだけに「蝶々夫人」の冒険譚を話してさしあげます���と言って彼女が語り出すのは、先の戦争が始まってまもない頃の、キャサリンと呼ばれていた赤毛の女との思い出だ。キャサリンに誘われて、まだ伯爵夫人とも蝶々夫人とも呼ばれてはいなかった若い女は「聖ジェームズ公園近くの小さな隠れ家のようなホテル」に赴く。「お待ちしておりましたというボーイに狭くて薄暗い廊下をぐるぐると回りながら案内されてたどりついた二階のお部屋はびっくりするほど広くて明るく、高いアルコーヴつきのベッドが二つ並んでおかれている」。こうなれば当然のごとく、そこに「目に見えて動作が鈍いふたりの将校をつれたキャサリンが入ってきて、わたくしのことを「蝶々夫人」と紹介する」。阿吽の呼吸で自分に求められていることを了解して彼女が裸になると、キャサリンも服を脱ぎ、そして「二」人の女と「二」人の男のプレイが開始される。彼女はこうして「高等娼婦」への道を歩み始めるのだが、全体の趨勢からすると例外的と言ってよい、この挿話における「二」の集中は、おそらくはなにゆえかキャサリンが彼女を「蝶々夫人」と呼んでみせたことに発している。「蝶」を「二」度。だからむしろこのまま進んでいたら彼女は「二」の化身になっていたかもしれない。だが、そうはならなかった。のちの「伯爵」との出会いによって「蝶々夫人」は「伯爵夫人」に変身してしまったからだ。ともあれ伯爵夫人が事によると「二」でもあり得たという事実は頭に留めておく必要があるだろう。そういえば彼女は幾度か「年増の二流芸者」とも呼ばれるし、得意技である「金玉潰し」もーーなにしろ睾丸は通常「二」つあるのだからーー失われた「二」の時代の片鱗を残しているというべきかもしれない。  「二」から「三」への転位。このことに較べれば、回想のはじめに伯爵夫人が言及する、この小説に何度もさも意味ありげに登場するオランダ製のココアの缶詰、その表面に描かれた絵柄ーー「誰もが知っているように、その尼僧が手にしている盆の上のココア缶にも同じ角張った白いコルネット姿の尼僧が描かれているので、その図柄はひとまわりずつ小さくなりながらどこまでも切れ目なく続くかと思われがちです」ーーのことなど、その「尼僧」のモデルが他でもない赤毛のキャサリンなのだという理由こそあれ、読む者をいたずらに幻惑する無意味なブラフ程度のものでしかない。ただし「それは無に向けての無限連鎖ではない。なぜなら、あの尼僧が見すえているものは、無限に連鎖するどころか、画面の外に向ける視線によって、その動きをきっぱりと断ち切っているからです」という伯爵夫人の確信に満ちた台詞は、あの『陥没地帯』が世界そのもののあり方として体現していた「反復=循環性」へのアンビヴァレントな認識と通底していると思われる。  「このあたくしの正体を本気で探ろうとなさったりすると、かろうじて保たれているあぶなっかしいこの世界の均衡がどこかでぐらりと崩れかねませんから、いまはひとまずひかえておかれるのがよろしかろう」。これは伯爵夫人の台詞ではない。このような物言いのヴァリエーションは、この小説に何度もさも意味ありげに登場するのだが、伯爵夫人という存在がその場に漂わせる「婉曲な禁止の気配」だとして、こんな途方もない言葉を勝手に脳内再生しているのは二朗であって、しかも彼はこの先で本人を前に朗々と同じ内容を語ってみせる。一度目の射精の後、まもなく二度目の射精の現場となる電話ボックスにおける長い会話の中で二朗は言う。「あなたがさっき「あたいの熟れたまんこ」と呼ばれたものは、それをまさぐることを触覚的にも視覚的にも自分に禁じており、想像の領域においてさえ想い描くことを自粛しているわたくしにとって、とうてい世界の一部におさまったりするものではない。あからさまに露呈されてはいなくとも、あるいは露呈されていないからこそ、かろうじて保たれているこのあぶなっかしい世界の均衡を崩すまいと息づいている貴重な中心なのです」。これに続けて「あたくしの正体を本気で探ろうとなさったりすると、かろうじて維持されているこの世界の均衡がどこかでぐらりと崩れかねないから、わたくしが誰なのかを詮索するのはひかえておかれるのがよろしかろうという婉曲な禁止の気配を、あなたの存在そのものが、あたりに行きわたらせていはしなかったでしょうか」と、小説家蓮實重彦の前二作と同様に、先ほどの台詞が微細な差異混じりにリピートされる。こんな二朗のほとんど意味不明なまでに大仰な言いがかりに対して、しかし伯爵夫人はこう応じてみせるのだ。
 でもね、二朗さん、この世界の均衡なんて、ほんのちょっとしたことで崩れてしまうものなのです。あるいは、崩れていながらも均衡が保たれているような錯覚をあたりに行きわたらせてしまうのが、この世界なのかもしれません。そんな世界に戦争が起きたって、何の不思議もありませんよね。
 いったいこの二人は何の話をしているのか。ここであたかも了解事項のごとく語られている「世界の均衡」というひどく観念的な言葉と、あくまでも具体的現実的な出来事としてある筈の「戦争」に、どのような関係が隠されているというのか。そもそも「戦争」は、前二作においても物語の背景に隠然と見え隠れしていた。『陥没地帯』においては、如何にもこの作品らしく「なぜもっと戦争がながびいてくれなかったのか」とか「明日にも終るといわれていた戦争が日々混沌として終��そびれていた」とか「戦争が始まったことさえまだ知らずにいたあの少年」とか「戦争の真の終りは、どこまでも引きのばされていくほかはないだろう」などと、要するに戦争がいつ始まっていつ終わったのか、そもそもほんとうに終わったのかどうかさえあやふやに思えてくるような証言がちりばめられていたし、『オペラ・オペラシオネル』の老スパイは「最後の戦争が起こったばかりだったから、こんな仕事に誘いこまれるより遥か以前」の思い出に耽りつつも、知らず知らずの内にいままさに勃発の危機にあった新たな戦争の回避と隠蔽に加担させられていた。そして『伯爵夫人』は、すでに見てきたようにひとつ前の大戦時の挿話が複数語られるのみならず、二朗の冒険(?)は「十二月七日」の夕方から夜にかけて起こっており、一夜明けた次の日の夕刊の一面には「帝國・米英に宣戦を布告す」という見出しが躍っている。つまりこれは大戦前夜の物語であるわけだが、ということは「世界の均衡」が崩れてしまったから、或いはすでに「崩れていながらも均衡が保たれているような錯覚」に陥っていただけだという事実に気づいてしまったから、その必然的な帰結として「戦争」が始まったとでも言うのだろうか?  伯爵夫人は、二朗を迎え入れた「お茶室」を「どこでもない場所」と呼ぶ。「何が起ころうと、あたかも何ごとも起こりはしなかったかのように事態が推移してしまうのがこの場所なのです。(中略)だから、わたくしは、いま、あなたとここで会ってなどいないし、あなたもまた、わたくしとここで会ってなどいない。だって、わたくしたちがいまここにいることを証明するものなんて、何ひとつ存在しておりませんからね。明日のあなたにとって、今日ここでわたくしがお話ししたことなど何の意味も持ちえないというかのように、すべてががらがらと潰えさってしまうという、いわば存在することのない場所がここなのです」。だからあなたがわたくしを本気で犯したとしても「そんなことなど起こりはしなかったかのようにすべてが雲散霧消してしまうような場所がここだといってもかまいません。さあ、どうされますか」と伯爵夫人は二朗を試すように問うのだが、このとき彼はすでに「サボン」の効用で七十二時間=三日間の不能状態にある。  そしてこの後、彼女はこの物語において何度となく繰り返されてきた秘密の告白の中でも、最も驚くべき告白を始める。そもそも先に触れておいた、二朗こそ自分にとっての「三人目らしい」という宣告の後、伯爵夫人は「お祖父さま」にかんする或る重要な情報を話していた。自分も含め「数えきれないほどの女性を冷静に組みしいて」きた「お祖父さま」は、にもかかわらず「あなたのお母さまとよもぎさんのお母さまという二人のお嬢さましかお残しにならなかった」。事実、隠し子などどこにもいはしない。なぜなら「それは、あの方が、ふたりのお嬢様をもうけられて以後、女のからだの中ではーーたとえ奥様であろうとーー絶対におはてにならなかったから。間違っても射精などなさらず、女を狂喜させることだけに生涯をかけてこられた。妊娠をさけるための器具も存在し始めておりましたが、そんなものはおれは装着せぬとおっしゃり、洩らすことの快感と生殖そのものをご自分に禁じておられた」。ならばなぜ、そのような奇妙な禁欲を自ら決意し守り抜こうとしたのか。二朗の死んだ兄は「「近代」への絶望がそうさせたのだろう」と言っていたというのだが、それ以上の説明がなされることはない。  だが実は、そうはならなかった、というのが伯爵夫人の最後の告白の中身なのだ。「ところが、その晩、そのどこでもない場所で、たったひとつだけ本当のできごとが起こった。ここで、わたくしが、お祖父さまの子供を妊ってしまったのです」。どういうわけか「お祖父さま」は伯爵夫人の膣に大量に放出してしまう。それが不測の事態であったことは間違いないだろう。だがやがて妊娠は確定する。当然ながら彼女は堕胎を考えるのだが、「ところが、お祖父さまのところからお使いのものが来て,かりに男の子が生まれたら一郎と名付け、ひそかに育て上げ、成年に達したら正式に籍に入れようという話を聞かされました」。こうして伯爵夫人は「一郎」を産んだのだった。しかもそれは二朗が誕生する三日前のことだったと彼女は言う。やはり隠し子はいたのだ。一郎はその後、伯爵夫人の母親の子として育てられ、いまは二朗と同じく来年の帝大入学を目指している。「しかし、その子とは何年に一度しか会ってはならず、わたくしのことを母親とも思っていない。ですから、ほぼ同じ時期に生まれたあなたのことを、わたくしはまるで自分の子供のようにいたわしく思い、その成長を陰ながら見守っておりました」。この「女」から「母」への突然の変身に、むろん二朗は衝撃と困惑を隠すことが出来ない。それに伯爵夫人のこのような告白を信じるにたる理由などどこにもありはしない。むしろ全面的に疑ってかかる方がまともというものだろう。二朗は自分こそが「一郎」なのではないかと思いつく。そういえば何度も自分は祖父にそっくりだと言われてきた。容貌のみならず「おちんちん」まで。それについ今しがた、伯爵夫人はここが「どこでもない場所」であり、それゆえ「明日のあなたにとって、今日ここでわたくしがお話ししたことなど何の意味も持ちえないというかのように、すべてががらがらと潰えさってしまう」と言ってのけたばかりではないか。その舌の根も乾かぬうちにこんな話をされて、いったい何を信じろというのか。  ことの真偽はともかくとして、ここで考えておくべきことが幾つかある。まず「一郎」が伯爵夫人と「お祖父さま」の間の秘密の息子の名前だというのなら、二朗の死んだ兄の名前は何だったのか、ということだ。そもそもこの兄については、曰くありげに何度も話題にされるものの、小説の最初から最後まで一度として名前で呼ばれることはなく、そればかりか死んだ理由さえ明らかにされることはない。幾つかの記述から、亡くなったのはさほど遠い昔ではなかったらしいことは知れるのだが、それだけなのだ。まさかこちらの名前も「一郎」だったわけはない。一郎が生まれた時には二朗の兄は生きていたのだから……書かれていないのだから何もかもが憶測でしかあり得ないが、結局のところ、兄は二朗を「二」朗にするために、ただそれだけのために物語に召喚されたのだとしか考えられない。そして別に「一郎」が存在している以上は、兄には何か別の名前があったのだろう。いや、いっそ彼は「無名」なのだと考えるべきかもしれない。実在するのかどうかも定かではない「お祖父さま」と伯爵夫人の息子には名前があり、確かにかつては実在していた筈の二朗の兄には名前が無い。「どこでもない場所」での伯爵夫人の最後の告白を聞くまで、読む者は二朗の兄こそ「一郎」という名前だったのだろうと漫然と決め込んでいる。だからそこに少なからぬ驚きが生じるのだが、つまりそれは「二」の前に置かれている「一」がずらされるということだ。その結果、二朗の「二」はにわかに曖昧な数へと変貌してしまう。それどころか彼には自分が「二」ではなく「一」なのかもしれぬという疑いさえ生じているのだから、このとき「一」と「二」の関係性は急激に解け出し、文字通り「どこでもない場所」に溶け去ってしまうかのようだ。  もうひとつ、このことにかかわって、なぜ「お祖父さま」は「一郎」の誕生を許したのかという問題がある。彼にはすでに「二」人の娘がいる。その後に奇妙な禁欲を自らに強いたのは、すなわち「三」人目を拒んだということだろう。「二」に踏み留まって「三」には行かないことが、二朗の兄言うところの「「近代」への絶望」のなせる業なのだ。つまり「三」の禁止こそ「世界の均衡」��保つ行為なのであって、このことは「お祖父さま」の爵位が子爵=爵位の第四位だったことにも暗に示されている。ということは、彼はひとつの賭けに出たのだと考えられないか。確かに次は自分にとって「三」人目の子供になってしまう。それだけは避けられない。しかし、もしも伯爵夫人との間に生まれてくるのが男だったなら、それは「一」人目の息子ということになる。だから彼はおそらく祈るような気持ちで「一郎」という名前をあらかじめ命名したのだ。逆に、もしも生まれてきたのが女だったなら、その娘が果たしてどうなっていたか、考えるのもおそろしい気がしてくる。  「三」の禁止。仮説によるならば、それは『伯爵夫人』の原理的なプログラムの筈だった。「一郎」をめぐる思弁は、そのことを多少とも裏づけてくれる。だがそれでも、紛れもない「三」の化身である伯爵夫人の振る舞いは、この世界を「三」に変容せしめようとすることを止めはしない。彼女は二朗を「三」人目」だと言い、たとえ「一郎」という命名によって何とか抗おうとしていたとしても、彼女が「お祖父さま」の「三」人目の子を孕み、この世に産み落としたことには変わりはない。「一」郎の誕生を「二」朗が生まれる「三」日前にしたのも彼女の仕業だろう。やはり「三」の優位は揺るぎそうにない。だから二朗が射精するのは「三」度でなければならないし、二朗が不能に陥るのは「三」日間でなければならない。考えてみれば、いや考えてみるまでもなく、このことは最初からわかりきっていたことだ。なぜならこれは小説家蓮實重彦の第三作、すなわち「三の物語」なのだから。  そして、かろうじて保たれていた「世界の均衡」が崩れ去った、或いはすでにとっくに崩れてしまっていた事実が晒け出されたのが、「ばふりばふりとまわっている重そうな回転扉」から「どこでもない場所」へと至るめくるめく経験と、その過程で次から次へと物語られる性的な逸話を二朗に齎した自らの奸計の結果であったとでも言うように、伯爵夫人は物語の末尾近くに不意に姿を消してしまう。どうやら開戦の情報を知って急遽大陸に発ったらしい彼女からの言づてには、「さる事情からしばらく本土には住みづらくなりそうだから」としか急な出奔の理由は記されていない。かくして「三」は勝利してしまったのか。本当にそうか。実をいえばここには、もうひとつだけ別の可能性が覗いている。すなわち「四」���ここまでの話に、ほぼ全く「四」は出てきていない。しかし「三」であることから逃れるために、いまや「二」の方向が有効でないのなら、あとは「四」に向かうしかない。では「四」はいったいどこにあるのか。  伯爵夫人が「伯爵」と出会ったのは、バーデンバーデンでのことだ。「あと数週間で戦争も終わろうとしていた時期に、味方の不始末から下半身に深い傷を追った」せいで性的機能を喪失してしまったという、絶体絶命の危機にあっても決して平静を失わないことから部下たちから「素顔の伯爵」と呼ばれていたドイツ軍将校と、のちの伯爵夫人は恋に落ち、彼が若くして亡くなるまでヨーロッパ各地で生活を共にしたのだった。バーデンバーデンは、他の土地の名称と同じく、この小説の中では漢字で表記される。巴丁巴丁。巴は「三」、丁は「四」のことだ。すなわち「三四三四」。ここに「四」へのベクトルが隠されている。だが、もっと明白な、もっと重大な「四」が、意外にも二朗の身近に存在する。  二朗が真に執着しているのが、伯爵夫人でも和製ルイーズ・ブルックスでもなく、従妹の蓬子であるということは、ほぼ間違いない。このことは、ポルノグラフィックな描写やセンセーショナルな叙述に囚われず、この小説を虚心で読んでみれば、誰の目にも明らかだ。この場合の執着とは、まず第一に性的なものであり、と同時に、愛と呼んでも差し支えのないものだ。確かに二朗は蓬子に触れられてもしごかれてもぴくりともしないし、小春などから何度も従妹に手をつけただろうと問われても事実そのものとしてそんなことはないと否定して内心においてもそう思っているのだが、にもかかわらず、彼が求めているのは本当は蓬子なのだ。それは読めばわかる。そして小説が始まってまもなく、蓬子が伯爵夫人についてこともなげに言う「あの方はお祖父ちゃまの妾腹に決まっているじゃないの」という台詞が呼び水となって、二朗は「一色海岸の別荘」の納戸で蓬子に陰部を見せてもらったことを思い出すのだが、二人の幼い性的遊戯の終わりを告げたのは「離れた茶の間の柱時計がのんびりと四時」を打つ音だった。この「四」時は、二朗のヰタ・セクスアリスの抑圧された最初の記憶として、彼の性的ファンタズムを底支えしている。それに蓬子は「ルイーズ・ブルックスまがいの短い髪型」をしているのだ。二朗は気づいていないが、あの「和製ルイーズ・ブルックス」は、結局のところ蓬子の身代わりに過ぎない。そして何よりも決定的なのは、蓬子という名前だ。なぜなら蓬=よもぎは「四方木」とも書くのだから。そう、彼女こそ「四」の化身だったのだ。  小説の終わりがけ、ようやく帰宅した二朗は、蓬子からの封書を受け取る。彼女は伯爵夫人の紹介によって、物語の最初から「帝大を出て横浜正金銀行に勤め始めた七歳も年上の生真面目な男の許嫁」の立場にあるのだが、未だ貞節は守っており、それどころか性的には甚だ未熟な天真爛漫なおぼこ娘ぶりを随所で発揮していた。だが手紙には、緊急に招集された婚約者と小田原のホテルで落ち合って、一夜を共にしたとある。婚約者は誠実にも、自分が戦死する可能性がある以上、よもぎさんを未婚の母にするわけにはいかないから、情交には及べないーーだがアナル・セックスはしようとする、ここは明らかに笑うところだーーと言うのだが、蓬子は「わたくしが今晩あなたとまぐわって妊娠し、あなたにもしものことがあれば、生まれてくる子の父親は二朗兄さまということにいたしましょう」と驚くべきことを提案し、それでようやっと二人は結ばれたのだという。それに続く文面には、赤裸々に処女喪失の場面が綴られており、その中には「細めに開いた唐紙の隙間から二つの男の顔が、暗がりからじっとこちらの狂態を窺っている」だの「あのひとは三度も精を洩らした」だのといった気になる記述もありはするのだが、ともあれ二朗はどうしてか蓬子のとんでもない頼みを受け入れることにする。彼は小春を相手に現実には起こっていない蓬子とのふしだらな性事を語ってみせさえするだろう。それは「二」として生まれた自分が「三」からの誘惑を振り切って「四」へと離脱するための、遂に歴然とその生々しい姿を現した「世界の均衡」の崩壊そのものである「戦争」に対抗し得るための、おそらく唯一の方法であり、と同時に、あるとき突然向こうからやってきた、偶然とも僥倖とも、なんなら奇跡とも呼んでしかるべき、因果律も目的意識も欠いた突発的な出来事としての「小説」の、意味もなければ正しくもない「原理」、そのとりあえずの作動の終幕でもある。
(初出:新潮2016年8月号)
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rs-memomemo123-blog · 6 years
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今更知らない人にも勧めたい「アイカツ!」シリーズの楽曲たち
2012年に放送を開始して4年間にかけて放映されたサンライズ制作の女児向けアニメ作品「アイカツ!」
2016年より2年間放映された「アイカツスターズ!」
そして2018年春より放送されている現行シリーズの「アイカツフレンズ!」。
今回はこのクロスメディア展開し、筆者も人生を破壊されたアイカツシリーズには欠かせない要素である楽曲をピックアップして行きたいと思う。
まずは知らない人向けへの補足として、本作品の楽曲の歌唱は声優とは別の人間が担当している事をここに記す。
ここに挙げているものはほんの一握りと筆者の嗜好に過ぎないので少しでも興味を持って貰えるきっかけになれば嬉しく思う。
※引用している動画はデータカードダスの映像。
アイカツ!編
Signalize!(1stシーズン1クール目OPテーマ)
https://youtu.be/IqXPgqMdFN4
イントロのメロディが始まりを予感させます。夜明けなんかに聴くと気持ちがいい。
女児向け作品らしからぬ曲調と作詞の楽曲を始めに使うのがすごい。
硝子ドール(劇中歌)
https://youtu.be/EbxoEIh3aHc
所謂「アイカツおじさん」達が本記事のような議題で良く挙げるであろう一曲。
とても厨二感のあるものとなっておりカッコイイ。一体何人の女児にこの歌詞が理解出来たのだろうか…
ハートのメロディー(劇中歌)
https://youtu.be/EzPo_rMThkM
ゆったりとした曲調で等身大の女の子の恋を歌った一曲。
Kira・Pata・Shining(劇中歌)
https://youtu.be/JgoS6oyV-P4
問題作。2番歌詞には「媚薬」のワードが用いられており最早女児向けアニメ作品の楽曲ではない。違法薬物はやめよう
アイドル活動!(劇中歌)
https://youtu.be/Pzcy_683rH4
「アイカツ!」と言えば外せないのがこれ。
それぞれの作品にこの曲のような立ち位置のものが存在する(お約束になるほど。)
ちなみに初音ミクとのコラボレーション企画で初音ミクボーカルのバージョンもある。
Take Me Higher(劇中歌)
https://youtu.be/K3BPiGLTZmo
主人公達とは対立するトリオユニットの一曲。ひたすらにエモい。(個人差あり)
サビ前の特徴的なステップ(通称絶望ステップ)が滑稽な為、カメラワークにて見せない工夫がなされる・ライブイベントにて当該箇所で観客が歓喜の渦に巻き込まれるなど中々シュールな1面も持つ。
なおこのユニット(Tristar)の楽曲だが、スマートフォン向けゲーム「アイカツ!フォトonステージ!!」内シナリオにて新曲を仄めかすストーリーが存在し、長い沈黙の後実際に満を持して新曲が発表された。
放課後ポニーテール(劇中歌)
https://youtu.be/ss3Rw6ZwDUo
こちらも等身大の女の子を歌ったであろう一曲。
大人になっている我々が聴くからこそ痛いほど胸に刺さる歌詞がとてもノスタルジーで素晴らしい。
リアルタイムで視聴していた女児が成人したら聴かせて差し上げたい、きっと膝から崩れ落ちるだろう。
輝きのエチュード(劇場版劇中歌)
https://youtu.be/HnV6KQPbwOM
主人公から先輩へと向けて作られた一曲。
この曲の特筆すべき点は松田聖子の「赤いスイートピー」をリスペクトしており、聴いた事のある方は何か馴染みのあるメロディが聞こえてくることだろう。
筆者は感動のあまり劇場で顔がメチャクチャになった。
アイカツスターズ!編
episode solo(1stシーズン1クール目EDテーマ)
https://youtu.be/7kUcUetEGrU
流行りのEDMサウンドを取り入れており、放送当時から「治安激悪」と称された。
楽曲制作陣は一体女児にクラブでも通わせるつもりなのだろうか
Summer Tears Diary(劇中歌)
https://youtu.be/cAUe4xc8OxQ
一見夏の終わりの恋を描いた切ない楽曲なのだが本編を見るとまた違う歌に聞こえる1粒で2度美味しい曲。
ちなみにこの楽曲より先に
「未来トランジット」
https://youtu.be/LTxgGT_P2EU
という楽曲が発表されているが、どう推察してもこの曲のアンサーソングとなっており、非常に面白い。
Dreaming bird(劇中歌)
https://youtu.be/--Al3Ql-FM8
お約束になりつつある所謂ゴシックアイドルのカッコイイ系楽曲。
少し切なさが漂う前半からの一転攻勢がたまらない。
スタートライン!(1stシーズン1クール目OPテーマ)
https://youtu.be/lXtv-OGDQds
「アイカツスターズ!」という作品を体現している楽曲となっている。
シリーズを通して主題歌に心に突き刺さる歌詞が多過ぎる点も大人の心を掴んで離さない要因の一つだろう。
ネバギバ☆(劇中歌)
https://youtu.be/Cw9VvmBdGGI
ポップでアップテンポな一曲。とてもかわいい。(語彙力の低下)
みつばちのキス(劇中歌)
https://youtu.be/jxPjFfHRqA0
むりかわいい(語彙力消失)
みつばちが羽ばたいているような振り付けがとてもキュート。
裸足のルネサンス(劇中歌)
https://youtu.be/zcVAK7G0YJA
これまでになかったテイストのカッコイイ方向の楽曲。SoundHorizon等が好きな人には刺さるかもしれない。
アイカツフレンズ!編
アイデンティティ(劇中歌)
https://youtu.be/xgeoDAetWnY
なんだかよく分からないワードが多用されており(ピンクなうどんetc...)一度聞くと頭から離れないこと間違いなし。
しかし曲名の通りアイデンティティについて歌っている曲で深い。
おけまる(劇中歌)
https://youtu.be/k00Jkf7Lm6I
こちらもポップでキャッチーなメロディ・フレーズが頭から離れなくなるタイプの一曲。
「りょ」とか「テンアゲ」とか今使ってる人存在するんですかね…?
導かれて(劇中歌)
https://youtu.be/BxGqNNvpDxQ
今秋登場したお約束ゴシックアイドルの楽曲。よりSoundHorizonテイストが強まった気がする。
Believe it(1stシーズン1クール目EDテーマ)
https://youtu.be/BxGqNNvpDxQ
歌い出しのクセがなんだか話題になった一曲。しっとりしている進行が普通にカッコイイと思います。
番外編
AIKATSU GENERATION
https://youtu.be/fToLOhu0HvA
「アイカツ!」「アイカツスターズ!」にて歌唱を担当していた「STAR☆ANIS」「AIKATSU☆STARS!」の最初で最後の楽曲。両グループは2017年2月の武道館公演を最後に「アイカツシリーズからの卒業」という事実上の解散をしている。
以降「アイカツフレンズ!」では声優が歌唱も行っている。
この曲マジ無理しんどい尊すぎ
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catdoll007 · 5 years
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#成人の日 🎉 . ✨新成人の皆様おめでとうござい��す🎊 成人式の出張ヘアセットで岐阜の創寫舘さんへ✨ 臨機応変が苦手なのでドキドキでしたが、私のオリジナルなアレンジでも皆に好評で嬉しかったです☺️ . . 今日の #媚薬フレーズ #心を日記に綴る 🖌️#滝は流れを覆さない⛲ . . 新成人達を眺めながら、私も滝の流れの様に真っ直ぐに希望や意思を持って、マインドで考えずにスピリットに目覚めた人生を生きていこうと改めて思った日でした🧚✨✨ . . #成人式 ㊗️ #人生の門出に身を清める #振り袖 👘 #レトロマネキン #ヘアセット #出張ヘアセット #ヘアアレンジ #アップスタイル #和風アップヘア #つまみ細工 🌼 #髪飾り 🎀 #簪🍁 #フィッシュボーン 🦴 #FishBone #🍩🍩 #キキララヘア ⭐ #ローツインお団子 #薔薇ヘアスタイル🌹 #ROSEhair #蝶々 🦋 #派手髪 #アセロラヘアカラー🍒 #BeBeアップスタイル💋 #ヴィクトリーロール #VictoryRolls #catdoll🧜‍♀️ . . (岐阜 創寫舘 ) https://www.instagram.com/p/B7QovIlDYsY/?igshid=rp8pm1o34uj4
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catdoll007 · 5 years
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🛀 🎻💐 melody🎼 You’re Only Lonely / J.D.Souther 🎧 . 誰かのhappyはみんなのhappy 😝🌹🌿 自己欺瞞は保障を求めて運命をコントロールしようとし過ぎた結果だそうです...🦹🔱 . . 今日の #媚薬フレーズ #心を日記に綴る 🖌️ #人生の核は人間であってはいけない🧸🎈 . . . 🌷🧸 🇫🇷 🥖 今回のアレンジは、60年代のフランスを代表するスタイルアイコンで『セックスキトン(セクシーな仔猫ちゃん🐈)』と呼ばれた元祖小悪魔女優 《ブリジット バルドー 》のボリューミーで盛り盛りな #BeBeアップスタイル💋 のチュートリアルです👸💕 . 彼女の無造作ヘアスタイルは “ #ベッドルームヘア ” と呼ばれ、セクシーなヘアスタイルの定番なの🛀💓 . . 🦄まずはイヤーツーイヤーでフロント部分を残しておく . 🦄後ろの髪をトップでポニーテールする . 🦄ヘアカスタ7️⃣FUNWARIを全体に馴染ませる . 🦄少しずつ毛束を分けながら掴みカールアイロンで毛先から根元へ向け巻き込む . 🦄結び目辺りにボリュームパウダーをふりかけて逆毛を立てる . 🦄毛先の方からクルクルと指に巻き付けながらトップへ巻き込んでピニング . 🦄丸めた毛を縦に引っ張り出しながら軽く崩す . 🦄フロント部分はセンターでジグザグに分けてから何段階かに分けてリバース巻き . 🦄後れ毛を残しながら下からトップの方向へ巻き込んでピニング . 🦄バングは軽く逆立ててユルくカーブさせながら毛先をサイドで留める(両側同じように) . 🦄ベタつきのないツヤ感の出るキラキラシューで艶を出す . 🦄後ろ気味にヘッドアクセを飾っておしまい🎵 . . #セックスシンボル #無造作へア #ブリジットバルドー #BrigitteBardot BB #FemmeFatal #レトロマネキン #グラデーションカラー #AFBlueJeanBaby #BlueJeans👖 #コルセット #片割れ星⭐ #ホロスコープ 🌞 #射手座月 ♐ #山羊座木星 ♑ #犠牲を伴う献身からの解放 🤲 #境界を超える時世界は反転する🤸 #臨界点に達して世界が反転するポイントが突破口 #ゴールなんて無いから走り続ける🏃‍♀️ #直球で投げた言葉も相手には変化球で届くこともある #世の中は全て自分の認知と解釈で成り立っている👄 #道険笑歩 👣 #覚悟を決めてる者は強い #意志は瞳に表れる👀 #瞳は魂を映し出す鏡 #catdoll🧜‍♀️ . . https://www.instagram.com/p/B5nE7cnJKDf/?igshid=m3sxtzv23exj
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catdoll007 · 5 years
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@coppertop.ink 💗 Thank you for a nice caricature😉👍 💕 . . クルクル🌀🌀🌀ピンカールヘアスタイルに レインボーグラデーションヘアカラー🌈🦄 ランジェリーはシルキーレースでセクシーに💗 . レタリングは皆さんに投票していただいて悩みましたがサイレントアジア フォントにしました🖊️ Retro Mannequin look by Cat doll 💋 Back to Classic 🎩 . . 色んな年代を眺めてても、結局オールドハリウッドやブリティッシュレトロに還る私なので😝❤️ 40s~60sのエッセンスをモダンに取り込んだ、レトロマネキンルックな私を描いてもらいました🎨😍 . 古い時代に置いてきぼりで現代に馴染めないのではなくて、レトロとモダンを仲良く融合させたかったのです🤗💞 . . このデザインで、まずはステッカーくらいしか思い付かなかったので、グラス🥂やマグカップ☕の画像を加工してイメージしてみたら可愛い😍 インテリアや壁紙も良いね💓 そのうち、Tシャツ👕も作ろう🤭 . . そして、いつかは行きたい ウユニ塩湖 や 北欧の碧い露天温泉 Bluelagoon ♨️ Paris 🇫🇷 の MoulinRouge や世界遺産たち 🥨🧸🥖 . すぐには行けない旅先の背景に、勝手にキャラクターを溶け込ませて、マネキン旅行🌍 をさせてみたので、暇潰しに『 #レトロマネキンを探せ👒 』も楽しんでみてねん⛴️🧳💕 . Look for a retro mannequin lurking in a World Heritage site😘💫 . . . 今日の#媚薬フレーズ #心を日記に綴る 🖌️#目が覚めても醒めてもまだ夢の中💤🎠💤 . . #ビジネスロゴ #Logo 🎨 #デザイン #似顔絵 #ポートレート #レタリング #lettering 🖊️ #フォント選び #ステッカー #インスピレーション #インスパイア #マグカップ ☕ #グラス 🥂 #レトロモダン #レトロマネキン #レインボーヘアカラー 🌈 #グラデーションカラー #ランジェリー #シルキーレース #ヴィンテージファッション #オシャレさんと繋がりたい #ピンカール 🧷 #ピンナップガール #ピンナップドール #レトロヘア #世界遺産 🇫🇷 . . https://www.instagram.com/p/B5MwtCGJIsz/?igshid=os99pucue5w2
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catdoll007 · 5 years
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#コカコーラ 🍹 melody. Desperado / The Eagles🃏 #ならず者 ♦️♠️♥️♣️ . . 今日の#媚薬フレーズ #心を日記に綴る 🖌️#心と体と気持ちと行動を一致させよう 🐾 . . 今回は #フィッシュボーン (魚の骨🦴)ヘアスタイルに #ベレー帽 を合わせたアレンジで #CocaCola さん🍹へ工場見学に行って来たよ🍋 . 🦄フロント部分は残しバックをセンターで左右に分ける . 🦄片側の毛束を2つに分け外側の髪の毛を少量ずつ掴み反対側の毛束へと混ぜていく . 🦄両側それを下まで繰り返す . 🦄ゴムで留めたら上の方から髪の毛を軽くひっぱり出して魚の骨の形にしていく . 🦄フロントは横に流して毛先をクルクルと丸めてピニング . 🦄ベレー帽を後ろめで被りバランスを整えておしまい🎵 . . #ベレー帽アレンジ #セルフヘアアレンジ #ピンカール #クラシカルを極める #ピンナップガール #ピンナップドール #ヴィンテージヘアメイク #TheVintagehairchallenge #レトロマネキン #派手髪女子 #ヴィクトリーロール #Victoryrolls #PinUpstyle #デジタル自販機 #レトロヴィンテージ #ブリキ看板 #アメカジ #炭酸飲料 #ジュワジュワ #bubble #catdoll🧜‍♀️ #Pillaroflight💫 . . (コカ・コーラセントラルジャパン東海工場) https://www.instagram.com/p/B4766KtJ1oP/?igshid=6u570tm008l
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catdoll007 · 5 years
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#神無月 #MoonRiver 🌛 . このセレブをお手本にした #ヘアアレンジカタログ 📖 すっごく大好きなの💗 40's ~ 60'sくらいのレトロなヘアメイクが可愛い過ぎるんだ💋 やっぱり私はここへ還るわ😸 #BacktoClassic . . 今日の#媚薬フレーズ #心を日記に綴る 🖌️ #毎瞬が新たな始まり ☘️☘️☘️ . . 私は私を存分に生きる❤️ 自分軸がブレなければ、外野の言葉が私の人生に影響を与えることなんてないのよ😘💋 全ては自分次第🦋 チャンスはチャンスの顔をしていない🙃 . . . マリリンモンローやブリジットバルドーのふんわりヘアスタイルが素敵すぎる😻 美し過ぎる😻 ここにヴィンテージカーまであったら理想的なんだけど、無いからいつもお客様の車に便乗している悪い子ちゃんです😝 最近のセレブも良いけど、先駆けとなったファッションアイコン達には誰も敵わないね👗 old hollywoodの映画📽️とか観てると 自分がこの時代にタイムスリップしたみたいになれてキュンキュン😍😍しちゃう💞 いつかスペイン広場でジェラート🍦食べたり、NY5番街でショーウィンドウ🧸を眺めてるオードリーの真似してみたいなぁ~🥖🥄 . 二人が万引きしたお面🎭は、狐さん🦊だと思ってたら、猫🐱と犬🐶だったのね☘️ . . #自分を愛せない人は他人も愛せない #美しさは内面から #オードリーヘプバー #AudreyHepburn #グレースケリー #GraceKelly #マリリンモンロー MM #紳士は金髪がお好き #詐欺師は高級ホテルがお好き #BrigitteBardot BB #ブリジットバルドー #パリジェンヌ #セックスシンボル #ツイッギー #Twiggy #ミニスカ女王 #ファッションアイコン #ティファニーで朝食を 🧸 🍽️ 🐈🎭 #ローマの休日 #ジェラート 🍨 #真実の口 #一匹狼 🐺 . . https://www.instagram.com/p/B3FXuKLjwBf/?igshid=ghx5063cicef
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catdoll007 · 5 years
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#時間は命の一部 🧚 melody🎼 TheSoundOfSilence / SimonGarfunkel 相反する矛盾の多くのものが衝突したら調和なんて生まれるのだろうか?🤔 . 情報は自分が必要とするものだけを選択して取り入れていれば良いの😺👌💫 不必要な情報を出来る限り取り入れないようにしておくことは、安穏な日々を過ごすためにも大切ね😘💓 . 古い視点に留まらず、どうでも良い部分にフォーカスしないのがポイント🤗 誰もが他人の夢を生きてる時間なんて無いの🎠💤 古い世界は終わって新しい世界を迎えてます🎈✨ . . 今日の#媚薬フレーズ #心を日記に綴る 🖌️#陰と陽や光と影は同居や共存はできない ☯️ . . #矛盾 #陰陽 ☯ #バランス #中庸 #調和を保つ #斎藤一人 #陰極まれば陽となり陽極まれば陰となる #片側だけが悪い争いはない ⚔️ #人間万事塞翁が馬 🐎 #偽者同士からは何も生まれない 🐣 #全ては必然 #未知の領域 #ブレない信念 #取捨選択 #情報の断捨離 #穏やかな暮らし #愛とは死を看取る事 #側にいる人を大切に #物事は愛か恐怖かで判断できる #手に入っても好きなものが本当に好きなもの 💖 . . ぷぷっぴどぅ😘💋 今回はマリリンモンローのシフォンスカーフを使ったターバンヘアアレンジ💕 . 🦄イヤーツーイヤーで分けてフロント部分を残しておきます . 🦄後ろの髪の毛はスカーフで隠すのでクルクルとネジってピンで留めておきます . 🦄フロントはアイビル @aivil___ のDHセラミックアイロンで何段階かに分けて毛先から根元まで巻いておく . 🦄巻いた髪をクシュクシュと纏めて形を整えながらピニング . 🦄シフォンスカーフを折り畳んで頭に被せトップをピンで固定する . 🦄後ろのスカーフがズレないように中央で一度結んでネープ部分をピンで固定する . 🦄中央から横へ適度な大きさで山折りして���部分をピンで留めていく . 🦄バランスを整えておしまい☘️ . . #Catdolllife #ターバンアレンジ #ピンナップガール #レトロマネキン #派手髪 #サンセットヘアカラー 🌇 . . https://www.instagram.com/p/B3r91mqpU33/?igshid=1fkn8hj35cqaj
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catdoll007 · 5 years
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#コカコーラ 🍹 melody. Desperado / The Eagles🃏 #ならず者 ♦️♠️♥️♣️ . . 今日の#媚薬フレーズ #心を日記に綴る 🖌️#心と体と気持ちと行動を一致させよう 🐾 . . 今回は #フィッシュボーン (魚の骨🦈🦴)ヘアスタイルに #ベレー帽 を合わせたアレンジで #CocaCola さんへ工場見学に行って来ましたよ🍋 . 🦄フロント部分は残しバックをセンターで左右に分ける . 🦄片側の毛束を2つに分け外側の髪の毛を少量ずつ掴み反対側の毛束へと混ぜていく . 🦄両側それを下まで繰り返す . 🦄ゴムで留めたら上の方から髪の毛を軽くひっぱり出して魚の骨の形にしていく . 🦄フロントは横に流して毛先をクルクルと丸めてピニング . 🦄ベレー帽を後ろめで被りバランスを整えておしまい🎵 . . #ベレー帽アレンジ #セルフヘアアレンジ #ピンカール #クラシカルを極める #ピンナップガール #ピンナップドール #ヴィンテージヘアメイク #TheVintagehairchallenge #レトロマネキン #派手髪 #七変化女子 #ヴィクトリーロール #Victoryrolls #PinUpstyle #デジタル自販機 #レトロヴィンテージ #ブリキ看板 #アメカジ #炭酸飲料 #ジュワジュワ #bubble #Catdolllife . . (コカ・コーラセントラルジャパン東海工場) https://www.instagram.com/p/B4766KtJ1oP/?igshid=1i9nf17afn0cn
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catdoll007 · 5 years
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@coppertop.ink 💗 Thank you for a nice caricature😉👍 💕 . . クルクル🌀🌀🌀ピンカールヘアスタイルに レインボーグラデーションヘアカラー🌈🦄 ランジェリーはシルキーレースでセクシーに💗 . レタリングは皆さんに投票していただいて悩みましたがサイレントアジア フォントにしました🖊️ Retro Mannequin look by Cat doll 💋 Back to Classic 🎩 . . 色んな年代を眺めてても、結局オールドハリウッドやブリティッシュレトロに還る私なので😝❤️ 40s~60sのエッセンスをモダンに取り込んだ、レトロマネキンルックな私を描いてもらいました🎨😍 . 古い時代に置いてきぼりで現代に馴染めないのではなくて、レトロとモダンを仲良く融合させたかったのです🤗💞 . . このデザインで、まずはステッカーくらいしか思い付かなかったので、グラス🥂やマグカップ☕の画像を加工してイメージしてみたら可愛い😍 インテリアや壁紙も良いね💓 そのうち、Tシャツ👕も作ろう🤭 . . そして、いつかは行きたい ウユニ塩湖 や 北欧の碧い露天温泉 Bluelagoon ♨️ Paris 🇫🇷 の MoulinRouge や世界遺産たち 🥨🧸🥖🌛 . すぐには行けない旅先の背景に、勝手にキャラクターを溶け込ませて、マネキン旅行🌍をさせてみたので、暇潰しに『#レトロマネキンを探せ👒 』も���しんでみてねん🙆‍♀️⛴️👜💕 . Look for a retro mannequin lurking in a World Heritage site😘💫 . . 今日の#媚薬フレーズ #心を日記に綴る 🖌️#目が覚めても醒めてもまだ夢の中 💤🎠💤 . . #ビジネスロゴ #Logo 🎨 #デザイン #似顔絵 #ポートレート #レタリング #lettering 🖊️ #フォント選び #ステッカー #インスピレーション #インスパイア #マグカップ ☕ #グラス 🥂 #レトロモダン #レトロマネキン #レインボーヘアカラー 🌈 #グラデーションカラー #ランジェリー #シルキーレース #ヴィンテージファッション #オシャレさんと繋がりたい #ピンカール 🧷 #ピンナップガール #ピンナップドール #レトロヘア #世界遺産 🇫🇷 . . https://www.instagram.com/p/B5MwtCGJIsz/?igshid=18trk9ox97gn7
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catdoll007 · 5 years
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🛀 🎻💐 melody🎼 You’re Only Lonely / J.D.Souther 🎧 . 誰かのhappyはみんなのhappy 😝🌹🌿 自己欺瞞は保障を求めて運命をコントロールしようとし過ぎた結果だそう...🦹🔱 . . 今日の #媚薬フレーズ #心を日記に綴る 🖌️ #人生の核は人間であってはいけない 🧸🎈 . . 🌷🧸 🇫🇷 🥖 今回のアレンジは、60年代のフランスを代表するスタイルアイコンで『セックスキトン(セクシーな仔猫ちゃん🐈)』と呼ばれた元祖小悪魔女優 《ブリジット バルドー 》のボリューミーで盛り盛りな #BeBeアップスタイル💋 のチュートリアルです👸💕 . 彼女の無造作ヘアスタイルは “ #ベッドルームヘア ” と呼ばれ、セクシーなヘアスタイルの定番なの🛀💓 . . 🦄まずはイヤーツーイヤーでフロント部分を残しておく . 🦄後ろの髪をトップでポニーテールする . 🦄ヘアカスタ7️⃣FUNWARIを全体に馴染ませる . 🦄少しずつ毛束を分けながら掴みカールアイロンで毛先から根元へ向け巻き込む . 🦄結び目辺りにボリュームパウダーをふりかけて逆毛を立てる . 🦄毛先の方からクルクルと指に巻き付けながらトップへ巻き込んでピニング . 🦄丸めた毛を縦に引っ張り出しながら軽く崩す . 🦄フロント部分はセンターでジグザグに分けてから何段階かに分けてリバース巻き . 🦄後れ毛を残しながら下からトップの方向へ巻き込んでピニング . 🦄バングは軽く逆立ててユルくカーブさせながら毛先をサイドで留める(両側同じように) . 🦄ベタつきのないツヤ感の出るキラキラシューで艶を出す . 🦄後ろ気味にヘッドアクセを飾っておしまい🎵 . . #セックスシンボル #無造作へア #ブリジットバルドー #BrigitteBardot BB #FemmeFatal #レトロマネキン #グラデーションカラー #AFBlueJeanBaby #BlueJeans👖 #コルセット #星読み ⭐ #ホロスコープ 🌞 #射手座月 ♐ #山羊座木星 ♑ #犠牲を伴う献身からの解放 🤲 #境界を超える時世界は反転する 🙃 #臨界点に達して世界が反転するポイントが突破口 #ゴールなんて無いから走り続ける 🏃‍♀️ #直球で投げた言葉も相手には変化球で届くこともある #世の中は全て自分の認知と解釈で成り立っている 👄 #道険笑歩 👣 #覚悟を決めてる者は強い #意志は瞳に表れる 👀 #瞳は魂を映し出す鏡 #Catdolllife 🧚 . . https://www.instagram.com/p/B5nE7cnJKDf/?igshid=7jy6nbf7hvmi
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catdoll007 · 5 years
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@coppertop.ink 💗 Thank you for a nice caricature😉👍 💕 . . クルクル🌀🌀🌀ピンカールヘアスタイルに レインボーグラデーションヘアカラー🌈🦄 ランジェリーはシルキーレースでセクシーに💗 . レタリングは皆さんに投票していただいて悩みましたがサイレントアジア フォントにしました🖊️ Retro Mannequin look by Cat doll 💋 Back to Classic 🎩 . . 色んな年代を眺めてても、結局オールドハリウッドやブリティッシュレトロに還る私なので😝❤️ 40s~60sのエッセンスをモダンに取り込んだ、レトロマネキンルックな私を描いてもらいました🎨😍 . 古い時代に置いてきぼりで現代に馴染めないのではなくて、レトロとモダンを仲良く融合させたかったのです🤗💞 . . このデザインで、まずはステッカーくらいしか思い付かなかったので、グラス🥂やマグカップ☕の画像を加工してイメージしてみたら可愛い😍 インテリアや壁紙も良いね💓 そのうち、Tシャツ👕も作ろう🤭 . . そして、いつかは行きたいウユニ塩湖や北欧の碧い露天温泉Bluelagoon♨️ Parisの世界遺産やMoulinRouge🥨🧸🥖🌛 . すぐには行けない旅先の背景に、勝手にキャラクターを溶け込ませて、マネキン旅行🌍をさせてみたので、暇潰しに『#レトロマネキンを探せ👒 』も楽しんでみてねん🙆‍♀️⛴️👜💕 . Look for a retro mannequin lurking in a World Heritage site😘💫 . . 今日の#媚薬フレーズ #心を日記に綴る 📍 #目が覚めても醒めてもまだ夢の中 💤🎠💤 . . #ビジネスロゴ #Logo 🎨 #デザイン #似顔絵 #ポートレート #レタリング #lettering 🖊️ #フォント選び #ステッカー #インスピレーション #インスパイア #マグカップ #glass #レトロモダン #レトロマネキン #レインボーヘアカラー #グラデーションカラー #ランジェリー #シルキーレース #ヴィンテージファッション #オシャレさんと繋がりたい #ピンカール #ピンナップガール 🧷 #ピンナップドール #レトロヘア #世界遺産 . . https://www.instagram.com/p/B5MwtCGJIsz/?igshid=eik5t6904yd0
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