Tumgik
#害獣忌避
nostalblue · 1 year
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ビア缶バリケード
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以前にも書いたが、無収入暮らしの私にとってビールはかなりの贅沢品なので購入することは皆無だ。ただそんな実情を知ってか、ゲストがお土産にくれたり、ホームステイする人が持ち込んだりで、なんやかんやで缶溜まる(韻踏)。もちろんそれも自給自足生活で有効利用できる貴重な資源なので、ダンボール空き箱に入れてストックする。
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ビア缶はアルミ製なのでスチール缶に比べ薄く、軽量で錆び難い特徴がある。耐候性が高いから、写真のように中に土を入れて並べれば簡単に花壇の外枠としてにもなるし、耐腐食性と熱伝導性を利用して薪ストーブの放熱筒を製作したのは以前記事にした通りだ。
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今回はこのビア缶を使い、猪避用のバリケードを作ってみる。構想は随分前から持っていたのだけれど、いかんせん忙しくて作る暇なくてね~(嘆)。そんな中、ワークエクスチェンジで滞在する人が来て、雨天時に屋外で農作業が出来ないので代わりに室内で行う打ってつけの作業となった。
まず缶の底の部分に水抜き穴を1箇所、円筒側面に紐通し用の穴を上下2箇所づつ開ける。後者については全ての缶で同じ位置のほうが都合がいいので、先に厚紙でテンプレートを作りそれを使う。アルミ缶は薄いのでドリルのような電動工具を用いなくても、千枚通しやキリのような尖ったもので突けば簡単に穴が開く。
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その後は紐通しして缶を連結させていくのだけれども、缶どうしを密着させてしまうと風圧で煽られそうなので、間に別の紐で瘤を作り隙間を作る事で風を逃がそうと目論む。缶の個数は少なすぎると不合理だし、多すぎると持ち運びが面倒なので、20個を1帯としてストックが無くなるまでひたすら作っていく。
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作成したこの缶帯を天気の良い日に現場に設置する。以前に猪避鉄板を設置したが材料切れで終了したその端部を起点に、防獣ネット前面へ括り付けていく。水はけし易いように缶は逆さ向きだ。今回使った350ml缶は高さが低いので、とりあえず2段重ねで周囲に一通り設置をしていき、空き缶ストックが増えたら再製作して段数を増やしたらいいと考えている。アルミ缶は軽いので防獣ネットに数段括り付けても負荷は少ないが、余り高くしても別の問題が出てくるので、せいぜい4段ぐらいまでだろうね。
帯状で柔軟性があるから設置はラク。何より空き缶利用だから材料費が少なく製作も簡単。鉄板設置と比較すると強度的には弱いが、錆びにくいから耐久性は長そう。防獣ネット下部の保護が主目的だけど、目隠し効果、視覚効果、接触時の不快音などの副次的効果も見込め、これでイノシシの侵入意欲を下げられればメリットは大きい。もちろん本気で壊しに掛かったら到底もたないけどね(笑)。
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ついでなので、2リットルのPETボトルでも同様の物を作って設置してみた。加工や設置も容易だし、幅や高さが大きくとれるのがメリット。樹脂なので錆びて腐食する心配はないが、代わりに紫外線劣化の懸念があり、どれぐらいの年月耐えられるかは横に設置したアルミ缶製と比較しながら今後観察していく。
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mr-supock · 1 year
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生態系との調和を第一に考えた忌避剤
今回、九十九里での自然体験の場作りの橋渡しとなって、開拓にも尽力いただいている敦賀さんはイノシシなどの獣害対策用の忌避剤を扱われています。
事業に対する思いを伺ってみました。
Q:忌避剤についてどんな想いもさとスタンスで活動されているのですか❓
A これまでも多くの人が獣害に悩まされていますが、画期的な解決策がありませんでした。
弊社はバイオマス発電の工程で発生する廃液を活かし、環境や野生動物を傷つける事なく共生する事を目指しています。
私は、獣害に悩む一人でも多くの人を救いたいと考えています。
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kuroiookami · 1 year
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コード98
ソーラーコード98「アリスの童話に出て来るウサギのように人間の洋服を着た動物たちが、美味しいご褒美をもらうために調教師に教えられた通りの芸を一生懸命に行う」
コードの現象化形態:一般的社会生活。社会適応への努力。新たな事や不慣れな事への挑戦。精神の感じやすさ。精神世界(スピリチュアル)の学びによる自己成長。
ルナーコード98「糸で結ばれる前の、大小様々なビーズ(パーツ)が、アクセサリーショップの作業台の上に散らばっている」
コードの現象化形態:雌伏の時。長期的な紆余曲折の体験。人生上の試行錯誤。人間関係での気苦労。家庭内でのいざこざや分裂。助けを待つ人。助けを待つ人々。避難民・難民の集団。多数の困っている人々。航空機から降ろされたロープや梯子による救出。未完成の状態。先を読む作業。将棋の対局。アクセサリーや装飾品や宝飾品や貴金属に関する不運凶事(たとえば、紛失や破損や盗難や強盗、その他のMNC)。
【コード98】 ■対向コード:278 ■統合コード:262 ■直角コード:188
コード98『ハルポクラテス』(ホルスの鷹) 186と187通りの魔法を操るハルポクラテスはコード78−コード99−コード101−コード333の「恐竜(怪獣)、鰐、蛇」に象徴される「ガーゴイル/ヒルコ/エビス/ルシファー/コロンゾン/リヴァイアサン」の上に立つ、または手で掴んで、それらを制圧している。187通りの魔法の内、最初のものは「神に全託する無為即自然、私捨即宇宙」の魔法なので、数に入れない場合は186通りの魔法となる。つまり、コード186とコード187は、そこにすべてを含む「01魔術」の万能章(パンタクル)ということになる。
コード98『おとぎの国の魔法ウサギ』(「惑星X」「ハルポクラテス」「新世界の建築士」) =コード161「聖なる目的のためにすべてを差し出す人」=コード185「悪しき旧世界の破壊から創られるまだ見ぬ新世界の礎を示す霊的教師」=コード186「不死鳥ホルス」 FAIRY TAIL
コード22、コード91、コード97、コード98、コード133、コード136、コード179、コード344の「おとぎ」(おとぎの国、おとぎ話)ですが一見良さげなこのワードがくると不運凶事が起きやすくなります。「本当に善いこと」や「平和なこと」は魔界の悪魔たちが最も忌み嫌うもので必死に打ってくるからです。
コード98「ホルスの鷹」
コード161(=コード98)『おとぎの国の魔法ウサギがX(ニビル)を指差す』(「隠されていて見えない風景」)
エピグラム:隠されていたものが発見される。これまで見えていなかったものが出現する。
地球守る 魔法うさぎは 蟹7(Code98) おとぎの国から こんにちはです ひみか
この魔法短歌は、「豪雨・洪水・浸水・河川氾濫・土砂災害」コード101と同期作動すると致命的に危険な「水害死」コード99の魔力を、コード98に強力にエネライドすることによって、致死リスクを98%低減することができます。
天鷲蝶の神天使メダリオンは、以下の7つの「蝶」のゲートを御身業の超常的フォースの出力(出撃)ゲートとして世に領ろしめす。 【神天使メダリオンのエピファニーゲート(御公現の門)】
コード97「マダム・バタフライ」
コード98「蝶ネクタイをした魔法ウサギ」
コード153「蝶ネクタイをして賓客に給仕するバニーガール」
コード181「美しい羽根を見せている蝶」
コード204「バタフライ効果」
コード325「より完全な蝶の右の羽根」
コード329「サナギが蝶に脱皮する」
以上の7コードは「地震コード」
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petapeta · 5 years
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戦時猛獣処分とは、戦争の際に動物園やサーカスに飼われていた猛獣が処分されることである。 現代でも万一動物園で飼育している猛獣が逃げ出せば、原因はどうであれ殺処分やむなしの決断が下される。 だが、戦時猛獣処分は、特に逃げ出したりしなくても、猛獣であるというだけで先に処分するというものであった。 本項目では、太平洋戦争の際のそれを中心に記述する。 時代背景 日本が太平洋戦争に入ったのは1941年12月。 実は動物園における猛獣の処分は戦前から検討されていた。 とはいえ、これは日本本土と言うよりは外地、つまり台湾などが舞台になることが想定されていた面が強い。 しかし、アメリカとの全面戦争が近づくと日本本土も無関係ではいられなくなり、「いざ猛獣が逃げ出したときには殺処分をする」ことは既に決まっていた。 1942年4月、ドゥーリットル空襲で本土が損害を受ける。 更に6月にミッドウェー海戦で日本が敗れ、太平洋方面の制海権がいよいよピンチになり始める。 日本で戦時猛獣処分が行われたのは、1943年以降。上野動物園でゾウの殺処分が決まったのが最初。 危険度に応じて、クマ・ライオン・トラ・大蛇・ゾウ等が次々殺されていった。エチオピアの国王から天皇陛下に寄贈されたライオンすら毒殺されてしまった。 方法は毒殺がメインであったが、感電・餓死・絞殺などもあった。(*1) 亡骸は食肉にされたり、軍部に解剖用の素材として提供された。 もちろん、必死になって猛獣処分に抵抗した動物園もあったようである。 みすみす市民の娯楽を殺すのが適切なのか、逆に日本が戦争に負けかねないことを印象付ける結果となるのではないかという反論もあった。 だが、 「国民の命が失われることになったら責任をとれるのか。国民より猛獣の命の方が大事か」 と言われては、動物園側も押し黙るしかなかった。 こうした記録は、戦後70年以上が経過して少なからず散逸してしまっている。 殺されなくとも、餌不足で餓死、暖房の燃料不足で凍死、空襲死、もう処分なのか普通の死なのか区別も難しくなったと言うこともあったと思われる。 時を経て動物園自体が廃園になっていたり、記録上「処分した」としか書かれておらず、調査しようにも何をどう処分したのか分からないケースもあった。実際サーカスの猛獣は、処分の記録がほとんど残っていない。 関係者も忌まわしい記録を残したくないため意図的に記録を残さず記憶の隅に封印したのではないかと言う意見もある。 明確な記録が残っているものは戦争の記憶の例として積極的な展示なども行われているが、それは動物園関係者が心の痛みに耐えながら記録を残した故のこと。 関係者に記録の散逸の責任を問うのはあまりにも酷であろう。 なお、1951年、朝鮮戦争が起こった際にも戦時に動物をどうしようかと言うことは検討され、疎開計画が作られていたが、このときは幸い日本が戦場になることはなく、僅か6年での悲劇の再現は避けられた。 ちなみに、創作物だと軍部が悪いように描かれているが、軍部が動物園に殺すよう直接命令した…と言うことは皆無でこそないもののほとんどなかったとされる。 多くは地方自治体や警察などの行政機関が命令したり、動物園が周囲に迫られて「自主的に(棒)殺処分」したものである。 もちろん、軍部が間接的な圧力をかけていた可能性や、生き延びさせようとすれば軍部が命令を出していた可能性はある(*2)が、この問題で軍部ばかりを悪者にするのは適切ではないであろう。 なぜ戦時に猛獣を処分するのか? 基本的な理屈はこうであった。 「空襲に遭った時に���が壊れたら、猛獣が逃げ出してしまう。逃げた猛獣が人々に危害をくわえたらどうするのか」 猛獣が逃げた時に真っ先に対処する猟友会などは、しばしばこの理屈で動物園に殺処分を迫っていた。 檻が壊れるほどの空爆なら、普通は中の猛獣もタダではすまない。逃げてしまったら射殺することはやむを得ないにしても、最初から殺してかかる必要があるのか、と言う問題はあった。 しかし、名古屋市・東山動物園では実際に空襲で檻が破壊され、飼育されていた猛牛が手負い状態で逃げ出して射殺されたこともある。 空襲でパニックが起これば、「危険な動物が逃げた!!」というデマが流れる可能性もある(*3)。 空襲のリスクのない動物園への疎開も検討されたが、動物園はどうしても都市部におかれがち。空襲リスクはなくならない上、設備などの問題で猛獣を飼うことのできる動物園自体が限られている。 シカやサルのように日本の野山に普通にいる動物なら、いっそ野山に放すという手も使えた可能性はあるが、ゾウやライオン、大蛇の類には使えない。 日本産のツキノワグマなら日本の野山にもいるが、人に慣れ=人を恐れなくなったクマが里に下りてきて人に危害を加え、それが動物園出身だと分かってしまえば、動物園の責任は厳しく追及される。もちろんホッキョクグマとか論外。 結局、安全性確保という観点からは、殺すのが安全確実だったのは間違いない。 だが、上記は建前に過ぎず、本当の目的は「国民全体の戦時意識を引き締めることにあった」とも言われている。 というのも、上野動物園のゾウは受け入れ先として仙台の動物園と話がつき、疎開の見通しが立っていたにもかかわらず東京都長官からの圧力で沙汰止みとなってしまったことがあった(*4)。 また本土空襲の本格化はアメリカがパラオ、マリアナの島々を攻略した1944年も後半に入って以降���対して戦時猛獣処分が実行されたのはそれ以前。最前線の戦況はともかく本土の感覚では1942年にドゥーリットル強襲があった程度ということも、この仮説を裏付けている。 戦時中、銃後の意識を引き締めることが国民には求められ、あるいは国民自らがそうした戦時意識を強めていった。 「ぜいたくは敵だ」「欲しがりません勝つまでは」と言った標語に代表される国民の戦時意識の矛先は個人のペットの犬猫にすら向けられていた状況(*5)。 ましてや猛獣となれば肉しか食べられない。ゾウは草食だが代わりにとんでもない量を食う。 「ぜいたくは敵」ならば、動物園の動物と言う「ぜいたく」は市民に目の敵にされるには十分だったのである。 結果として、本来娯楽として動物を楽しむ市民の側が動物を守ろうとしないどころか、逆に市民が動物園に動物の殺処分を要求する例すら珍しいものではなかった。 上野動物園のゾウを殺処分に追いやった東京都長官も、市民全体から動物を守るべきと言う声が上がれば、「下手に殺せば、逆に市民に無意味な不安を与えかねない」という説得が可能だったかもしれない。 猛獣たちを死に追いやったのは、猛獣を守ろうとしなかった市民たちだった…といっても、戦時中という緊迫した状況下で、市民が不安や苛立ちの心理を持つことをどうして咎められようか。 究極的な原因はと言えば、市民をそんな心理状態に追い込んだ戦争そのものと言う外ないであろう。
戦時猛獣処分 - アニヲタWiki(仮) - アットウィキ
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montagnedor · 5 years
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femme ou mere
@du-elms さん、お誕生日おめでとうございます! ヒュンマというかマムヒュンみが凄いします、ついでにジャンルを拝見してましたらうっかりラーハルト+ヒュンケル成分も。 練習でお笑い系ヒュンマも書いてましたので、そのうち投稿させていただきますね((´∀`*)) +++++
夕暮れのころ、 川縁で血抜きをしてから荷車に乗せられたそれを見て、子供は聞いた “ねえロカ、これ本当に食べちゃうの……ですか?” “ああ、この辺の畑をひっくり返した暴れん坊イノシシだ、悪いがさすがにおしおきさ。それにな、これはカツレツにすると凄くうまい!” 言いつつ行く荷車から血が滴るので、近所の子犬たちまでひどく興奮して付いてくる。 狩りの文化を見せてあげてください。そういったのはアバンだった。完全な普通の害獣系の動物がベストで、モンスターだったら間違っても二足歩行してるのじゃなくてす、地上世界の食の連鎖や文化として受け入れられそうなのをね。 地底深くの死者の館に育った子供は、少なくとも熟成肉を――いくらか腐らせた肉に何だろうという顔になったし、あの世界で可能な範囲に限られるが人外じみた育て方はされていなかったようなので。 “カツレツ?” “それはアバンに教えてもらえ、きっと三角巾かぶって手ぐすね引いて待ってるさ、いっぱい食えよ” 荷車の上でまだ人形のように頭部の重量比が大きく、ふらふら揺れる子供の反応に今後の成長をいとおしむような声がかかり男が振り返って返事をする間、止まった荷車の下に赤い水たまりができていくのを子供はずっと見ていた。 血の匂いに、周囲の空気がざわつくのを感じながら *** 「人間が殺すのを一番嫌がる獣は何か、知っているか?」 ある夜、夕餉の後の焚火を囲み、青年らは二人してそんな話をした 「知らんな、物心ついた頃、俺の家は既に複数名での狩りに参加させてもらえなかった。だから子供の腕力で鳥の羽を楽にむしる為に湯にくぐらせるなどいろいろ学んだ」 なるほど手際がいいわけだ。 *** “―――ヒュンケル!” その声と共に襟首を掴まれ子供の身体は宙に浮いた。と同時に先程まで座っていたところに棍棒が叩きつけられる “畜生、血の匂いで……コングヘッドか” 車に積んでいた鋤を手に男が飛び降り、それを中型の猿型モンスターに振りかざす、 あ、と子供の喉から小さな、それを制するような悲鳴が上がった。 しょうがねえんだよヒュンケル、野生のただの猿だってそうだが、頭がいい分気が立ってるとやることがヤバいんだ。飼い犬だって二匹で両側から引っ張って引き裂いて食っちまうことさえある。なまじ人間に似てるから狩人のオジサン連中だって殺すにはいい気分がしないのさ。 さあ帰ろう、レイラとアバンが待ってる。 荷車が行く。明日にもなれば引き取ってもらえるだろうという大きな死骸。あれは食べないの……ですか、と聞いた子供にぎょっとした風に振り向いた男の横顔。血が溢れた道の脇に犬たちが群がり、もうついてこない。 *** あれはロカだったな、お前も知っているマアムの父親だ。地底魔城で初めて会った時といい、血と獣の匂いの印象が強くて、優しい男だったのを忘れていた。 つまり自分に近い異物ほど忌避し、しかも殺す以外の手段を持たないのが人間、というわけだ。 ああ、当時の俺もそう感じた、そして幼いなりにますます鬱屈した。お前の幼少期と違い、俺につらくあたる人間はとても少なかったのに 「それはお前が自分自身を彼らの仲間だと認識できていなかったからだろう」 ぱちり、と音を立て火が爆ぜる 「あの小娘たちもお前にとっては異物か」 火の上で白く湯気を立てていたポットで煎れた紅茶を半魔の青年は相手に差し出す。その応えを言外に強く求めているように。それに紫色の瞳が見返した。 「そう――そうだな俺には女や、とりわけ『母』の概念が乏しい」  父が神話や英雄譚で教えてくれたものが大半で、だからそれは神か天使といったものだった、そこはこれも母の記憶をいたみ尊めているお前とさえ違う。 「多分、畢竟怖くもあるんだろう」 どこかに導かれるのも慈しみをもらうのも、きっとそれは俺にとって「懐かしいもの」にさえなりえない、いっそ「大母」的な何かに食い殺されるような、そうされてもいいような恐れと甘えが生じるばかりだ。もしただ守るだけでいい弱い存在でいてくれれば楽だっただろうに、彼女も尊敬に値するほど強くなって行くのをみれば、 そうだな、挙句彼女に抱き留めてもらうなどという無様の中でもうろたえつつ、それが母なるものの理屈に合わないほどの献身性か優しさかそんな馬鹿なとあの後言葉もなく震えていた彼女を思えば、テメーのためだからだよ、別にテメーじゃなくてもアイツはやるだろうけど、あの時のアイツはテメーのためにやったんだよそれがわかんねえかコノヤロウと大魔導士が切れ散らかしまでで、 長い、と半魔がやめさせた。 そういう話だから、 「笑っていいぞ」 そう呟くように言いカップに口をつけた彼に、 焚火の向こう半魔の青年は頭痛でもするように眉間を指でもみほぐした (了)
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heyheyattamriel · 4 years
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エドワード王 六巻
昔日の王の一代記、六巻
訓練
その日は、エドワードがアーチマジスターに召喚され、ミスリルの杖の贈り物とともに別れを告げられて塔を去る日でした。
彼の小部屋に戻って、エドワードは入門者用のローブを脱ぎ、灰色のシャツと黒いズボンに着替え、塔に締めてきた赤いサッシュを巻きました。彼はサッシュをいとおしそうに指でなぞりました。きちんとして見えるし、旅の土埃が目立ちにくいと言って彼の母がこのシャツとズボンを買ってくれたのです。モラーリンは彼に双子の葉っぱと花、小鳥と蝶を、ミスリルとドワーフとエルフの金属糸で刺繍した絹のサッシュを贈ってくれました。でも、彼は運河を超えるまで待っていました。アリエラが、とても大切なものだと言ったのです。彼女はモラーリンの古い服を切り詰めて作ってはどうかと提案しましたが、かのエルフは断固として彼女にそれを渡しませんでした。エドワードはそれを思い出しながら笑い、サッシュを彼の腰に二周巻き、慎重に端を結びました。彼は杖を取り、両親に会うために駆け下りました。
彼は二人に抱きつくつもりでいましたが、モラーリンは一人で、エドワードは立ち尽くしました。「母さまは?来て―」
「彼女は残ってお前のために馬を選びたいんだそうだ。ビーチに任せておけないんだね」
「馬?僕に!ほんと?」
「もちろんだ。モロウィンドまで歩いてはいけないよ」
「僕、後ろに乗るんだと思ってた―誰かの。見て、アーチマジスターが僕の杖をくださったの!きれいでしょう?」
かのエルフはそれを手に取って重さを確かめ、何度か振ったり突いたりしてみました。「お前にはいい重さでバランスもとれていると思うよ。私には軽いがね。どんなふうに使うのか見せてくれ。攻撃するふりをするから」彼は素手を使い、エドワードは防御の姿勢を取り、彼の攻撃を防ぐと、モラーリンの足の方に杖を突き刺しました。彼は軽々と避けましたが、少年を褒��称えました。
「メイジは短剣も持っておくべきだ。お前がトゥースを持ちたいかと思ってね」エドワードの目が飛び出しました。トゥースは、エボニーの刃と、本当のドラゴンの歯でできた柄を備えていました。エルフが鞘から滑り出させてエドワードに渡すと、彼は慎重に受け取りました。刀身は先端が曲がっていて、剃れるほど鋭い刃がついていました。マッツが時々それを借りていました。その柄を削り出したのは彼なのです。
「マッツは本当に気にしないの?」
「気にしないとも」モラーリンは彼のベルトを外して鞘を抜き取りました。蛇革でできたエドワードのための新しいベルトは、柔らかくてしなやかで、モラーリンのものと同じように、モロウィンドの黒い薔薇が留め金に描かれていました。「これは仲間たちからだ」彼は膝をつくと、サッシュの上からベルトを合わせてダガーを差しました。エドワードは彼の首に抱きついて言いました。「すごいや。本当にありがとう。あなたにも、みんなにも!ああ、それに僕、ずっとみんなに会いたかったんだ」
「我々もお前を恋しく思っていたよ。さあ、行こう。潮目を逃してしまう」
「母さまを心配させるのは嫌だな」努めて自分に心配してくれている母がいることが気楽に聞こえるように、エドワードが言いました。
「心配はいらない。明日の夜まで探しに来ないようにと言っておいた…念のためにね。だが、彼女を驚かせてやろう」
「いいね」
彼らはかなりの速さで船を漕ぎ、満潮になる前に入り江に着きました。
「トゥースの使い方を見せてあげようか?それとも、休憩の方がいいかね?」
「トゥースがいい!僕はボートで寝られるもの」
トゥースのひと噛みは冗談ごとではないからと言って、モラーリンは自分と、エドワードにもシールドの魔法をかけました。「僕、自分でシールドの魔法をかけられるのに」エドワードは誇らしげに言いました。「上手なんだよ。だけど、ヒールは全然なの」
「できるようになるさ。時間がいるんだ」
明らかに、トゥースにも時間が必要でした。どんなに頑張っても、彼はエルフに近付くことさえできませんでした。モラーリンが足を地につけたまま、ただ身体を揺らし、身を反らせたり左右に動かしたりしているだけなのに…しかも、笑いながら。鬱憤が溜まって、エドワードはトゥースを鞘に納めて杖を取ると両手で振るい、彼に強く打ち付けました。実害は何もありませんが、シールドをぴしゃりと打つ満足のいく音をたてました。魔法の効果が切れると、モラーリンは彼に打たせましたが、いとも簡単に杖を止めました。エドワードは杖を地面に投げ出して、後ろを向きました。エルフは慰めようと彼に歩み寄りました。エドワードは鞘からトゥースを抜くとエルフの心臓めがけて突き刺しました。刃は彼の手から叩き落され、くるくると回転しました。エドワードは動くトゥースを止めて掴もうとしましたが、シールド越しでも衝撃を感じました。するとモラーリンが彼の前に膝をついて左手を右膝に置きました。彼の顔はショックと信じられないという気持ちで灰色になっていました。血が噴水のように手首から噴き出しています。「お前のサッシュを貸せ!」
「僕―僕そんな―」エドワードは歯の根がかみ合わないほど震えていました。彼は気分が悪くなり、眩暈がしました。胃液が口の中に上がってきました。「つもりじゃ――な、なかったのに」血はどんどん流れています。
「坊や、今気絶しないでくれ。お前の助けが必要だ。サッシュだ。さあ、エドワード!傷口に巻きなさい。まったく、なんてこった!」彼の片方の手が手首から半分取れかけていました。エドワードは放心したように座り、全身を震わせていましたが、彼の手は開いた傷口にサッシュを巻いていました。それから、残りの部分を手と手首に巻き付けました。「私のサッシュを取って吊り帯を作るんだ」モラーリンは怪我をした腕を吊り帯に落ち着けると、片手を離しました。彼はベルトから水筒を取り出して飲み下しました。「もっと水がいる。お前の杖はどこだ?2マイルほど戻れば井戸がある。トゥースは?探しに行きなさい。怪我をするんじゃないぞ」
「もういらない」
「モラーリンの血に浸った剣はそう多くない。幸運を連れてきてくれるだろう。言われた通りにしなさい」
「満潮だ」
「ああ。ファーストホールドにジョーンのお恵みがあるだろう。片手では魯が漕げんな」
「僕が―」
「いや、お前には無理だ。力がない。ここは流れが速い、私は地面の上で死ぬ方がいいよ。エドワード、ここに留まってはいられない。血の匂いが獣を引き寄せるからな。もし私が気絶したら、充分離れて木に登るんだ。そして祈りなさい」彼は荒い息で杖に寄りかかって立ち上がりました。「離れるなよ。だが、何があっても私にしがみつくな」彼は小さく一歩を踏み出し、またもう一歩歩きました。
「ごめんなさい」
「まったくだ。アサシンに変身するにはまずい時と場所を選んだものだ。優れたアサシンは常に離脱の手立てを持っている」
「はい」エドワードは涙を流しながら鼻をすすりました。「僕、ヒールはできないけど、少しは力を回復できるよ」
「本当かい?そりゃ助かる」エドワードが唱えた呪文に、エルフは衝撃を受けました。彼は息を呑みましたが、極力まっすぐに立っていました。衝撃が去ると、いくぶん姿勢を保ちやすくなりました。「僕、もう一度できるよ」エドワードが熱心に申し出ました。
「いや。お前は大変な力を持っているが、調節する技能がいる。だが、良くなったよ」
モラーリンは歩きやすくなり、声にも力が戻りました。エドワードは心の中にある怪我の絵を滲ませようとしました。彼らはゆっくりと歩き、時々モラーリンは木にもたれて休みました。彼らに危害を与えるものはありませんでした。無言の長い旅の果てに、彼らは古い井戸に着きました。モラーリンが水筒の水を飲み干すとエドワードが水をくみ、彼も飲みました。それからもう一度水を詰めました。
「今晩はあそこで過ごそう」 『あそこ』は、大きな荒れた建物で、明らかに人はいませんでした。エルフは鍵のかかったドアを蹴りつけて開けました。中は真っ暗でした。「明かりの魔法はいる?」エドワードが申し出ました。
「いや、私は見える。力を温存して私のそばにいなさい」何かが素早く動く音がします。ネズミです!エドワードは考えるより早く二人にシールドをかけ、トゥースを抜いてエルフの背中に自分の背をつけました。1匹のネズミが跳び上がって、刃に身を投げました。モラーリンは杖を振るい、もう2匹を倒しました。他のネズミたちは逃げて行きました。
「よくやったな、坊主!」彼らは小さな窓のない部屋を見つけ、中に入ってドアを閉めました。そこにはいくばくかの薪があるようでした。おそらく、台所の隣の倉庫か何かでしょう。モラーリンは壁際に座りました。
「で、ナイフが使えるじゃないか。全部芝居だったのかね?私を油断させるための?」
エドワードは不安と恐怖でいっぱいになりました。そうしようとしてモラーリンを傷つけたのではないと抗議しながら、涙をあふれさせました。「僕、ふざけただけだったんだ、笑わせようとしたの…最初は怒ってた、だけど自分にだよ、僕がぶきっちょだから、あなたにじゃないんだ…思いついて…本当に大好きなんだ!」
エルフは怪我をしていない方の手を伸ばし、エドワードを引き寄せました。「それなら、片手なんて安いものだ」
モラーリンが優しくとんとんと彼の肩を叩いて鎮めている間、エドワードは彼の肩にもたれて泣きました。「僕の本当の父さまだ」
「エドワード、私は…」
「いいえ、あなたがそうなんです。僕の幸せを何より大事にして、そんな値打ちがない時すら僕を愛してくださる。あなたはずっと親切で寛大で、僕の利益になること以外、何も要求したことがないんです。あなたの人生を僕に捧げてくださってる。それは本当の父親がすることです。それに僕は、あなたに痛みしか与えていないのに。僕を生ませた人は、僕がその人に似ていないからって僕と母さまを忌み嫌っていました。僕たちはあなたにも似ていないけど、それでもあなたは僕たちをとても愛してくれる。あなたがいれば、僕、もっといい子になれると思うんだ。大好きな父さま」
「私はお前に攻撃する十分な理由を与えたんだよ。私はお前から母を奪ったのだから」
「僕を父親から引き離さないために、母さまを失う危険を冒したんだよ。僕のことなんか知らないのに、それに、僕の父親は憎むべき敵だったのに。それでも僕たちのことを考えてくれてる。彼がどんなにおかしいか、あなたにはわからないよ。父さまの中にはないから」
「わかった。それでも、お前の中に反感と怒りは残っているね」
「愛してるよ!」エドワードは抗議しました。でも彼は、自分の声の中に怒りを聞きました。
「そして憎んでいる」モラーリンの声はとても穏やかで、静かで、まるで天気の話でもしているようでした。
「両方はできないよ…そうでしょ?」
「どうかな?」
「傷つけるつもりなんかなかったんだ」
「信じるよ」
「僕は―僕は邪悪なの?とても後悔しているんだ、あれをなかったことにできるなら何だって差し出すよ、だけど―僕―」
「いくらか満足のいく答えだ」
エドワードの喉が嗚咽で詰まりました。彼は口がきけませんでしたが、モラーリンの肩に向かって頷きました。エルフの手が、優しく彼を撫でていました。
「アイリックはデイドラのことを話したかね?」
「悪魔のこと?いいえ。僕にあんなことさせたのは悪魔なの?じゃあ、僕は邪悪なんだ」
「お前はそうじゃないよ。だが、デイドラはあのような行動に餌をやっている。やつらはそれを―力づけるんだ。そして、お前の怒りは彼らを引き寄せる。しかし、やつらがお前に何かをさせることはできないし、やつらも、それも、お前の中にはない。つながっているがね」
「そんなの嫌だよ。どこかに行ってほしいな。どうやったら追い払えるの?」
「なぜ嫌なのだね?そこから力を引き出すんだ。それが、お前が襲ってきたネズミから身を守るために私たちにシールドをかけさせたんだよ」
「魔力のこと?あれは悪魔からのものじゃないよ」
「そうだ。だが、それを使用する能力がね。いいかい、お前の行いの一部がデイドラの餌になる。だが、それと同時にお前はそこから力を引き出すんだ。そうすれば、どのような目的で使うにしろ、その力はお前のものだ」
「デイドラを持ってるの?」
「持っているよ。それも大きなものだ。だが、皆同じものか、それ以上のものを持っていると思っている。他の者より強いのがいる、それだけのことさ。だが、そんなことを聞いて回ってはいけないよ、慎ましい行いじゃないからね」
「僕のにはどこかに行ってほしいよ!」泣きながらエドワードが叫びました。
「お前はそう言うが、それがない振りをしていたら、それが達成されることはないだろう。デイドラを持つことは、馬に乗るようなものだ。制御し続けなければいけない。デイドラはお前のことなど気にかけない。そいつはお前の痛みや、けがや、死のようなものすべてを餌にして命に代え、新しい宿主を探している。やつらは我々がするように考えたり計画を練ったりはしないし、我々と同じように時間を経験しているとは、私は考えていない。だから、デイドラが餌にする行為はその瞬間に起こり、それに捕らわれている間は、過去も未来も存在することをやめてしまう。それは非常に強い快楽に満ちた経験だが、非常に危険にもなりうる。そして、とても中毒性が高い。だから、自分のデイドラに餌付けをすることだけを考え始める。神や愛する者、自分自身のことさえ考えるのをやめてしまう。その道を行き過ぎると、他を選ぶ意思を失ってしまうんだ」
「怖いよ!じゃあ、僕は何をしなきゃいけないの?」
「恐ろしいことだよ、人間が陥る中で最も最悪の事柄だ。今夜のことを覚えておきなさい。どう感じたかを。デイドラの飢餓が何なのかを把握し、自分の行動を考えなさい。お前は若くて、とても大変なことだが、お前はその危険に直面しているからね。ああ!」エルフの体が硬直して息��乱れました。エドワードはあの傷が痛んでいるのだと思いました。
モラーリンは少し眠らなければいけないといい、エドワードに見張りをして、一時間後に起こしてほしいと頼みました。そのあとで、ドアに鍵をかけて一緒に休むことができます。
「うん、父さま…それに、僕、何かもっとできるかもしれない。僕は鍵をかけられないけど…」ドアには掛け金がかからず、開きっぱなしでもありませんでしたが、バタンと音をたてるほど揺れていました。エドワードはその後ろの壁の近くを探って、くさびを見つけました。彼はドアを閉めてくさびを木切れと一緒に差し込みました。「思った通りだ。材木を両腕いっぱいに抱えてこんなドアを通るのはおかしいもん。こういうの、僕の―ゲラルドの宮殿にあったんだ。これで何かが入ってこようとしたら大きな音で知らせてくれる。鍵の魔法の代わりにヒールを使えるよ」
「へえ、実によく考えたね」彼は剣を取り出して、横の床に置きました。「これなら二人とも眠れるかもしれん」
彼らは身を寄せ合って眠りました。ドアと壁を引っ掻く音は頻繁に聞こえましたが、この小さなクローゼットに入ってくるものは何もありませんでした。モラーリンは夜の間何度かヒールを唱えました。朝になる頃には、「片腕の男としては」調子がいいと宣言しました。彼はサッシュの包帯を解いて傷を調べました。出血は止まっていて、片手を触るとまだ温かいままでした。触っても顔色が変わったり体が竦むようなことがない程度には痛んでもいませんでした。でもまだ傷口は開いたままで、片手は使えません。神経と筋肉、小さな骨の数本が傷ついていました。このような怪我の修復は彼の能力を超えていました。エドワードはその光景の中に食事をするデイドラを感じて、急いでそれを追いやりました。
モラーリンがにやりと笑いました。「食べさせておけばいい。害のない類の餌だ。もう済んだことだからね」
「飢えさせるつもりなんだ」エドワードがしっかりとした声で言いました。
「それをやってみてもいいし、代わりに制御することを学んでもいいが、それでも、神々とともに歩きなさい。我々はタワーに戻るのが最善だと思うね」
「うん。そこなら治せるよね?」
「どうかな。少なくとも今よりはしっかりくっつけられるだろう。ああ、そんなにうつむいてはいけない。もし塔に治療の力がなくても、どこかで見つけられる。スサースは戦の負傷は得意だし、塔のメイジたちよりも治療に優れていることで有名な寺院もある。それに、左手だからね」彼は乾いた血のしみがついた丸めたサッシュを持ち上げました。「この色はお前の母上が考えていた以上に実用的だったな。少しは洗い落とせるかやってみよう。こんなに用意の整わない旅はしたことがない。エボンハートの大通りをぶらぶらした時ぐらいのものさ。お前の母上に殺されてしまうな」
「僕を殺してからだよ」エドワードはため息をつきました。「少なくとも塔に戻って帰りが遅れるもの」彼らは明るい中庭に出ました。朝日は西の空に既に高く昇っていました。
「そうでもないぞ、エドワード。仲間たちが近くに来ている。聞こえるぞ。マーラ、どうかうまい嘘を思いつかせたまえ!」
ミスが中庭に馬を速歩で駆ってきました。「ここにいるぞ!」彼が他の者たちに声をかけました。「なんてことだ、怪我をしてるじゃないか!見せてみろ。船を漕いでいる途中で会えると思っていたんだが、岸で血を見つけてここまで追ってきたんだ。何にやられた?」
「デイドラだ」※
「デイドラって!一体どういうことだ!?昼日中のこんな開けた場所で?得物は何だったんだ?黒檀の大太刀か?」ミスが怪我を検めると口笛を吹きました。アリエラと他の者たちが駆け寄ってきて、彼女はエドワードを抱きしめました。「大丈夫?心配してたのよ」そして、夫の手を見た彼女の顔色は真っ青になりました。
「腕が鈍ったに違いないな。一体何をやってデイドラにこんな目に?」ミスが強い口調で訪ねました。
「この子だよ…怖がって私の腕を掴んで、シールドの呪文をしくじったんだ。彼のせいじゃない。事故だ。アリ、見ちゃいけない。エドワード、母上にお前が殺したネズミを見せて差し上げたらどうだね?」
「僕、スサースを見ていたいの」エドワードは異議を唱え、それからそのことがデイドラの養分になることを思い出しました。でも、見ていれば治癒に関する何かを学べるかもしれません。それはいいことでしょう。これは、彼が考えているよりずっと複雑なことでした。
「まあ、エドワード」アリエラが言いました。「戦いでは意識をはっきり保っておかなければなりませんよ」
「この古びた宿屋で彼がネズミを殺したんだよ。実によくやった。頭をしっかりと上げて私と背中合わせになって、両方にシールドの魔法をかけたあとにね。初めての戦闘では誰だってうろたえる。特に予想していない場合には」
最後にスサースが普段通りにやってきて、他の者たちを肘で横に追いやると、怪我の具合を調べ、シッシッという声で言いました。「なおせせせるよ。きれいな傷だっしし」彼は注意深く怪我を見ながら、腕を曲げて傷口を開きました。すると、傷口の組織の両端が触れるように手を前に出しました。彼はそれがきれいに並ぶことにとてもこだわっていました。それから、呪文を唱える間、マッツにそのまま支えさせました。外側から見える怪我の痕跡が、切り傷すら残らずに消えてしまいました。モラーリンは満足げに腕を振り、指を曲げました。「ありがとう、スサース。少し痛むが…」
「あしした、ししし仕上げをすすすするよ」
「かわいそうに」アリエラがエドワードを案じて言いました。「怖かったでしょう。それに、こんなひどい家で一晩過ごすなんて」
「僕は赤ちゃんじゃないよ。怖くなんかなかった。父さまと一緒だったもの」
※原文ではDemonの表記ですが、デイドラの意と解釈しています。
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buriedbornes · 5 years
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第37話 『白き山脈にて (1) - “屍術団"』 In the white mountains chapter 1 - “Necromancers”
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冬、雪深い季節に、エレドスティ山地に足を踏み入れる者は少ない。
麓に住む数人の狩人が、備蓄が尽きてやむを得ず食料を求めて入山するばかりである。
仮に入山しようとする者がいたとしても、無関係の者の多くは、そうした者達を自殺志願者として扱う。
そのため、道案内など頼まれようものなら、道連れを恐れ、誰も首を縦に振る事はない。
しかし、今回だけは、事情が違った。
多くの無知蒙昧な麓の村民達にとって、屍術師の集団などなおさら忌避すべき余所者だ。
私自身でさえ、置かれた状況の変化がなければ、そうした連中と同じように門戸を閉ざし、その冒涜者達と直接まみえることさえもなかっただろう。
しかし今、私は彼らと旅程を共にし、馬車に揺られながら、エレドスティの中腹へと向かっている。
村から半日ほどかけて、馬車は間もなく野営予定地に到着する。
幌の端を軽く捲って外を覗き込むと、麓の村が放つ灯光が白い斜面の先にぼんやりと小さく視界に映る。
あれは、滅びゆくものが放つ、最後の光だ。
私はその村の姿を遠目に見るごとに、死にゆくものを看取るような気持ちを抱いていた。
私が、妻や、老いた両親や、幼い我が子を看取ったときと同じように。
この冬の寒波は一層強く、そして何より、山が牙を剥いたのだ。
それは、自然の力強さだとか、野生動物の活動だとか、そういったものとは性質の異なる、この世のものとは思えない悍ましいものだった。
被害者の多くは、暗く虹色に発光するタール状の痕跡だけを残し、腕一本さえも帰ってくる事はなかった。
被害者こそ数人に留まったが、村の狩人達は完全に萎縮してしまった。
被害者達の末路を知る者はいないのだ。
誰だって、得体のしれない怪物に連れ去られ、どんな悲劇が待ち受けているのかわからない魔境に足を踏み入れるくらいなら、餓死した方がマシと考える。
私自身も、気持ちは同じだった。
狩人のワットと言えば、村で知らぬ者もいないほどの狩りの名手と謳われたものだ。
それが今では、屍術師達の手先に成り下がった、とでも言うのか。
それでも、良いじゃないか。
どうでも良かったのだ。
家族は皆、餓えて死んだ。
あとは私も後を追って、皆の待つ場所へ逝くだけだったのだ。
そこに、彼らがやってきた。
他の村民には門前払いされたそうだが、私はそうはしなかった。
相手が誰であろうと、誰が家に来ようとも、もう、どうでも良かったのだから。
この連中が帰ったら、その後自死しようか、とまで思っていたのだ。
しかし、悪魔は囁き、私は応えた。
エレドスティ山地の案内料は、今どき珍しい、金貨で支払われた。
これだけの金貨があれば、都市廃墟の闇市場に行けば、幾らでも食料を買える。
死なずに済む、生きられる。
そう思ったとき、はじめて死ぬ事が恐ろしくなったのだ。
村民達はきっと私を、家族を見殺しにした死にぞこないとして軽蔑するだろう。
金も分けずに、一人で屍術師達に取り入って生き延びた、裏切り者。
なんとでも言えば良い、それでも私は生きたいのだ。
そして連中は、この冬を越えられず、一人の例外もなく息絶えるだろう。
だから、あの灯光は、死にゆくものの光なのだ。
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私だけが、彼らの訪問を迎えたのだから、私だけが、生き延びる資格を有していたのだ。
屍術師達は、馬車を引き連れて現れた。
手綱を引き、二頭の馬を巧みに操るのは、意外にも女性だった。
はじめ御者席に座る彼女を遠目に見たときに、巨漢と見紛うほどの長身であった。
肩口で切り揃えられた銀髪の先が、黒いコートに縫い付けられたフードのファーに埋もれていた。
雪のように白い肌と切れ長の瞳が、妻に似ていると思った。
名を名乗り挨拶した私を一瞥し、彼女はそっぽを向いてしまった。
仲間との会話から、彼女はアリーセと名乗る事がわかった。
直接門戸に立ち交渉を持ちかけてきた男は、ライツと名乗った。
彼に対して抱いた第一印象は、”普通”だった。
特徴のない顔、伸ばし放題の髪をくくり、肩に垂らしていた。
ヒゲだけは丁寧に剃刀を当てているようだったが、それが逆に無個性さを強調しているようにも思えた。
鈍色のローブの中は見えなかったが、この寒い中でも厚着はしていないようだった。
交渉中も始終抑揚のない発声で、事実のみを淡々と述べていた事が印象的だった。
一方で、交渉が成立し、馬車から飛び降りてきた男は、逆の印象を与える人物だった。
男はジョゼフと名乗り、狼狽する私の掌を強引につかみ、白い歯を覗かせながら握った手を雑に振った。
短く刈り込まれ撫でつけられた髪と猟犬のような端正な容貌は、都会の社交界で幅を利かせていた男前の紳士達とやらを思わせた。
体のシルエットに沿ったハンター用のジャケットとキャップを着こなし、身振り手振りから気取りが感ぜられて、人に見られる事を強く意識しているだろう事が、余計にライツとの違いを際立たせたように思う。
馬車にはこの3人が乗り込んでいた。
そして、馬車の荷台の脇に積まれた、曰く有りげな大袋、5つ…
彼らが何の集団なのかを知っていれば、その袋が何を入れたものなのか、容易に想像がつく。
とはいえ、私はそのことを口に出す事はなかった。
袋は完全に密封されているようだったし、雪深く積もる山中においては、匂いが漂う事もないのだろう。
私は、荷台に設えられた簡易椅子の、一番外側に座していた。
その隣で、ライツが姿勢良く揺られていた。
ジョゼフは、あろうことかその死体袋の脇に鞄を放り、枕にして横になっていた。
アリーセは幌の外、御者席で馬車を進めていた。
道中、車輪の音だけが響いていたが、沈黙に耐えかねた私の質問に、ジョゼフが丁寧に答えてくれた。
彼らは”屍術団”を名乗り、人類の勝利と復興を標榜しているらしかった。
私はつい、随分安直な名だと言ったが、ジョゼフは「俺達にとっちゃ、名前なんてどうでもいいんだよ」と笑った。
屍術師達が集まり、この災禍をもたらした地底の王とやらを屠るために、各地に散在する様々な知識や技術を集め、日夜戦いに耽っているとの事だった。
組織には他にも多数の術士達がいるらしかったが、この3人のように少人数でグループを組み、任務に当たる事が多いとも聞いた。
その日を生きる事ばかりで精一杯の私にとっては、まさに雲の上のような世界だった。
彼らがどれほど恐ろしいものと対峙しているのか、想像する事もできなかった。
ただ、山中で村民が出くわしたような怪異も、彼らにとってはきっと、容易く解決してしまうような日常茶飯事なのだろうなという事は想像できた。
矮小で無力な人間には、自分で自分の未来を決める事すら叶わない。
私のようなただの狩人には、運命は変えられなかった。
己の手で己の運命を決められると信じる彼らの存在は、とても羨ましいと思った。
だから私は、仲間が消え去った山へと登っていく馬車の中でも、不思議と落ち着いている事ができたように思う。
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幌の外から馬の嘶きが響き、揺れが収まる。
馬車が目的の野営地に到着したのだ。
私は術士2人を促して先に降りてもらい、続いて地上に降り立つ。
長い時間揺られ続けていたせいか、降り立った直後に軽い目眩を感じ、私は思わず荷台に寄りかかってしまう。
エレドスティを登る道は、ここで途切れている。
車輪で踏み込めるのはここまでで、ここから先の斜面と険しい岩肌は、馬車で立ち入る事はできない。
この窪地の開けた荒れ地は、露出した土中に含まれる塩分のために雪が積もらず、狩人達が夜通し狩りを行う際にも野営のため頻繁に使われていた。
疎らに立った木の陰を見れば、ロープの切れ端や布切れが散見され、過去にここを使った者達の痕跡が確認できた。
おそらくは私自身が最後に山に登ったときに焚いた焚き火の跡もそのまま残されていた。
ライツは窪地に降り立つが早いか、すぐに石灰の白墨で荒れ地の地面に何かの図形を淡々と描き始めた。
アリーセは馬車の荷台と幹の太い手近な木をロープで手早く括り付けると、荷台に積まれたあの忌まわしき袋を次々とライツの描く図形の脇へと降ろし始める。
ジョゼフは、同様に馬車の荷台奥に積まれていたであろう折りたたみ式の椅子を取り出すと、図形の目前に揺れのないようしっかりと固定し、その上に深々と腰を下ろすと、懐中から取り出した帳面を熱心に読み込み始めた。
三者三様に、これから始まる探索に向けた準備を始めていると素人の私にもすぐに判断できた。
一方で、私自身はというと、明確な目的を持って動く3人を前にして所在なげにウロウロと図形の周囲を歩き回っていた。
時折、荷物を運び出す途中のアリーセの通り道を塞いでしまい、舌打ちされ、慌てて脇に避ける場面もあった。
やがて一通りの荷物は出し終えられ、図形を描くライツの手も止まった。
ジョゼフはそれに気づき、帳面を畳み懐中にしまい直すと、両手のひらで顔を2,3度強く打ち付けた後、気合を入れるように言葉にならぬ声を発し、ライツに声をかけた。
「やろうか、リーダー」
「急くな、結界が先だ」
そう答えたライツは、ブツブツとなにかの呪文のようなものを呟き始めた。
間もなく、光の筋がライツの指先から放たれると、窪地の周囲に積もっていた雪がその光を反射して輝き出すと、やがて私の視界はぼやけ始め、窪地全体にまるで靄がかかったかのような景色へと変じた。
「ワットさん。この窪地から外には決して出ないように」
「アンタ一人で死ぬ分には勝手だが、俺らまで見つけられたら困るからな」
ライツの説明を、ジョゼフが物騒な形で補足する。
アリーセは相変わらず無言のまま、腕組みをして山頂の方角を凝視していた。
ジョゼフは腰掛けた椅子の上で胡座をかくと、目を瞑り、頷く。
それを認めたライツが先程とは異なる呪文の詠唱を始める。
地面に描かれた図形が仄かな光を放ち始めると、アリーセが傍らの袋をひとつ軽々と抱えあげて、円形の図の中央に丁寧に横たえ、また元の位置へ帰る。
やがてライツの呪文に呼応するように図形の光は力を強め、やがて袋そのものが発光を始める。
あまりの眩さに、思わず手を翳して光を遮った。
次の瞬間、嘘のように光が去り、ライツの詠唱も途切れた。
ライツは図形の中央に歩み寄ると、袋を固く封じていた紐を丁寧に解いた。
すると、ああ、これがこの、悍ましき屍術師の業だと言うのか。
袋の中から、頬の肉が破れ、奥歯が露出した顔が覗く。
男の死体が、���りでに起き上がり、地面に手をつき、気怠げに立ち上がった。
ボロ布だけを身にまとい、体のあちこちが綻んで皮膚の内に秘めた真紅の筋肉が覗いている。
遡った胃酸が喉を焼いた。
臭いなどはない。
ただ、その悍ましさ、涜神的な情景に、心が悲鳴を上げていた。
「ジョゼフ、行けるか?」
ライツが死体に声をかけている。
当のジョゼフは、椅子の上で項垂れて、返事をしない。
直立した死体の喉がひゅうひゅうと鳴り、軽く咳払いをひとつ、そして地の底から響く呻きじみた声が発せられる。
「いつでもいけるぜ」
これが、今のジョゼフなのだ。
そこで項垂れた青年は今、ここに立つ死した者の身にその心を宿しているのだ。
耐えきれず、私はその場に吐瀉する。
馬車の中で受け取った林檎の残骸が荒れた土に撒かれる。
「おい、しっかりしてくれよ。ここからがアンタの仕事なんだ」
死体が、その見た目に反した軽口を私に向ける。
一見滑稽にすら見える、この世のものとは思えぬ一幕。
脳の奥の方が、急速に痺れて鈍磨していくのを感じる。
死体は、その立ち上がった時とは別人のような軽快な足取りで、早々に靄の結界の外へと駆け出して、そのまま見えなくなった。
ライツがその姿を見届けると、再び呪文を唱え始める。
やがて、靄の中に、鮮明な幻像が浮かび上がってくる。
風のように過ぎ去る山地の景色。
まるで、崖や岩場を駆ける猫科猛獣の瞳に映るものを覗き込むようだ。
やがてその視界は、今我々が立つこの野営地を見下ろす位置で止まる。
「視界、声、問題ないか?」
やまびこのような声が耳の中に響く。
「問題ない。ワットさん、あなたにも彼の視界と声が見聞きできているか?」
ライツの問いは非常に奇妙なものであったが、首肯する以外になかった。
ここからが私の仕事…
たとえ彼らが屍術に精通し恐るべき力を行使できたとしても、この山の地理には不案内なのだ。
だからこそ、この山に精通した案内人を、この山に生きてきた狩人を求めたのか。
震えが止まらない。
もう前に進むしかない。
これを選んだのは、自分だ。
生き残るための代償。
こうして図らずも、私は屍術師達の戦いに巻き込まれる事になった。
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~つづく~
※今回のショートストーリーは、ohNussy自筆です。
白き山脈にて (2) - “エレドスティ山地"
「ショートストーリー」は、Buriedbornesの本編で語られる事のない物語を補完するためのゲーム外コンテンツです。「ショートストーリー」で、よりBuriedbornesの世界を楽しんでいただけましたら幸いです。
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scenaritrpg · 5 years
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SW2.5シナリオ 『タポの神隠し』
シナリオ名 : 『タポの神隠し』 推奨人数  : 3-5人 推奨レベル : 2-3 ジャンル  : はじめてのばんぞくたいじ 難易度   : ★★★☆☆ メモ    : 百番煎じ
●概要  “導きの港”ハーヴェス王国から北に向かって約一日。タポの村と呼ばれる農村で、ここ数か月謎の失踪事件が起きているという。  滅多に蛮族の被害も無い平和な村に一体何が起きたのか。新米冒険者達はその謎を解き明かす為、タポの村の奥地へと赴いた──。
●GM向けシナリオ概略  タポの村周辺に、レッサーオーガが率いる蛮族の小さな集団が隠れるようにして居座っていた。初めは狼や猪などの害獣や森の木のみを食べて過ごしていたが、群れが大きくなるにつれ、食料が足りなくなっていく。  そこで群れのボスであるレッサーオーガはタポの村に目を付け、ある日の夜に村長であるライアンを食い殺す。  その後村長ライアンに成りすましたレッサーオーガは、月に一度の頻度で村人を森へ誘導し、子分たちの食料としていた。  更なる群れの巨大化を目指すレッサーオーガは、これ以上に無い餌場を手にしたのだった。
●シナリオの流れ 1.導入 2.タポの村へ~村を散策 3.東の森 4.蛮族の洞窟 5.報告 6.レッサーオーガとの決戦 7.結末
●1.導入
 PC達の関係性はご自由に。朝8時に、ハーヴェス王国にある水龍の逆鱗亭の店内から描写が始まります。
 多様な冒険者が集う“導きの港”ハーヴェス王国。絢爛豪華な湾岸都市の一画にある、【水龍の逆鱗亭】にてこの物語は始まる。  木製の暖かな店内を、二メートル以上の巨体を持つ男が見渡す。  手に持った依頼書に見合った実力を持つのであろう、君達○人に大声を張り上げた。 「おい、そこの新米達! 仕事を探してるならこっちに来てくれないか!」 「まずは自己紹介をしておこう。俺の名前はナッシュ・ヴァルター」 「この水龍の逆鱗亭の店主だ」 「経験を積みたいってなら丁度いい仕事があるぜ? 話だけでも聞いてみないか」
 元々一流の冒険者であったナッシュ(熊リカント/男性/57歳)は、ハーヴェス王国でも有名な冒険者の宿の店主です。  彼の指導の下、大成した冒険者も数多くいる事から、彼は信頼に足る人物であるという事はPCも知っていて良いでしょう。  承諾すれば、ナッシュは仕事の内容について話してくれます。
「お前達にやって貰いたいのは、“人探し”だ」 「このハーヴェス王国から北に一日かけて向かった所に、タポの村と呼ばれる農村がある」 「タポの村では四か月程前から、月に一人くらいの感覚で人が消えているらしい」 「──そこでお前達冒険者の出番ってわけさ」 「依頼内容は行方が知れなくなった四人の村人の捜索」 「村の近場には魔物も出ないって聞くし、お前らみたいな新米には丁度いいだろう」 「報酬は前金一人300ガメル、達成で更に一人700ガメル支払われる」 「どうだ、受けてみないか」
 ここでナッシュが語る依頼の達成とは、「居なくなった四人の安否の確認」という事になります。  全員が生きている必要はなく、最悪死体の確認だけでも問題はありません。勿論、生きている事に越した事はないと併せて伝えて下さい。  本来であれば「失踪の謎の解明、及び解決」も必要となりますが、あくまでも村からの依頼は失踪した村人の捜索となります。  この依頼に了承したPC達に、ナッシュは一人300ガメルの前金を支払ってくれます。
●2. タポの村へ~村を散策
 ここから自由に探索が可能になります。GMは、日数計算に気をつけて下さい。  前金が支払われた段階から、72時間。それまでにPC達が囚われた村人を解放出来なければ、村人は食べられてしまいます。  タポの村へはナッシュの言葉通り、24時間で辿りつけます。それまでに買い物を行ったり、何か調べ物をしたりした分の時間はざっくり計算すると良いでしょう。
 タポの村は大きな畑が広がっており、牧歌的な空気が村を包み込んでいる。  村の東には深い森、北には鉱山としても使われている切り立った山がある。
 タポの村に着けば、見張り番である男、ベッポ(人間/男性/25歳)がPC達を出迎えてくれます。
「おお、こんな村に客人とは珍しい」 「……まさかその出で立ち、アンタ達が依頼を引き受けてくれた冒険者様かい?」 「ああ、やっぱり! アンタ達を呼んだのは俺だ!」 「俺はベッポ、この村の見張り番だ。よろしく頼むよ!」
 好青年であるベッポは、十日前に最愛の妹アンジェが神隠しにあっています。村長に扮したレッサーオーガが上手く時間稼ぎをしましたが、遂に痺れを切らしたベッポを始めとする村人達が独断で冒険者に依頼を出しているのです。  ベッポは村の立ち入りの為には村長への挨拶が必要とし、冒険者達をタポの村村長、ライアンの家へと案内します。  ライアンの家は小屋とも呼べる程度の他の村人の家とは異なり、立派な木製の家です。ベッポはその扉をノックし、大声で来客を伝えるとPC達を家の中に招き入れます。
 一人で暮らすには少々広めの空間に、木製の椅子に腰かける老人の姿がある。  何処か険しい表情を浮かべた老人は、君達を睨み付けるように覗き見た。 「……ようこそ御出でなすった」 「儂はライアン、この村の村長です」
 勿論、この時は既にライアンは死亡しており、家の中で白骨化しています。  レッサーオーガは用心深く、粗を出さない為にも率先して冒険者と話をしようとはしません。  あくまで邪険に扱い、さっさと村から出ていって貰おうとします。PC達から質問を受けても、「知らない、分からない、覚えていない」の三種類くらいしか喋りません。さっさと家から追い出そうとまでします。
 このシーン以降、ライアンと同じ場所にいる状態で、PLがライアンを怪しむ発言を行った際には、真偽判定を振らせましょう。  村で情報を集める前に行った場合の達成値は「12」。後述する情報を取得した場合は「8」になります。  もしこの真偽判定を達成した場合、一気にシーンは「●  6.レッサーオーガとの決戦 」へと移ります。
 上記のライアンとの話を終え、村長の家を追い出されたPC達をベッポが迎えます。
「アンタ達には期待してるぜ、冒険者さん」 「消えた中には俺の妹アンジェも居るんだ」 「よろしく頼むよ!」
 これ以降、PC達は自由に行動する事が出来ます。  ベッポを含む、他の村人達に聞き込み等を行う場合は以下の中から必要な項目を拾い、応えて下さい。  この辺りはGMのさじ加減で、上手くPC達を誘導してあげると良いでしょう。  特に重要になるのは、「村長の様子がおかしくなった」事と、「村長ではなく村人(ベッポ)達が依頼を出した」という事です。
「アンジェは二週間前、森へ果物を取りにいったんだ」 「…だがそれから返ってくる事はなかった」 「もう我慢ならないと、他の村人からカンパを募ってアンタ達冒険者を呼んだのさ」
「村人が居なくなってから、村長の元気が無くなっちまったんだよな」 「お疲れなんだろう」
「そういえば最近、夜に村長が出歩いてる所見てないなぁ」 「ついこの間までは、村の見回りを日課にしてたんだが」
「村の男達で森や鉱山を探したんだが、何も見つからなかった」
「この村は貧乏だから、アンタ達冒険者を呼ぶのに時間がかかっちまったんだ」 「村長は結構金を持ってるって聞いてたから期待してたんだけど、実際は無一文だったみたいでね」
 森、鉱山に向かう場合は、片道一時間かかります。  鉱山では特にイベントはありません。
●3.東の森
 東の森までは、一時間も掛ければたどり着く事が出来る。  森の木々たちの背は高く、陽が出ていてもどこか薄暗い印象を受けるだろう。
 森では足跡追跡判定、もしくは探索判定を行う事が出来ます。  足跡追跡判定は達成値7、探索判定は達成値8で判定を行い、成功した場合は以下の描写を読んでください。
 大小様々な足跡が伸びている。  その中でも特段小さな足跡が正規の道から外れて、巧妙に隠されていた獣道へ続いている事がわかる。  また、その足跡のすぐ傍に、何かを引きずったような跡も続いている。
 これは蛮族が村人を襲い、自分達の洞窟へ攫った跡です。  もし判定に失敗した場合、5時間の探索を経て自動で獣道を発見する事が出来ます。その場合は足跡などの描写は不要です。
 更に一時間ほど獣道を進めば、岩場にぽっかりと口をあけた洞窟に辿り着きます。  洞窟の内部は暗く、暗視が無ければ光源が無い限り見渡す事は出来ません。
● 4.蛮族の洞窟
 レッサーオーガの群れの子分である蛮族達の住処です。群れはゴブリン(『Ⅰ』439p)、ダガーフッド (『Ⅰ』438p)、アローフッド (『Ⅰ』437p)で構成されています。  数はゴブリンが二匹で固定、ダガーフッドとアローフッドは(PC数-1)として下さい。
 蛮族は二つのグループに分かれており、それぞれゴブリンを隊長としてダガーフッドとアローフッドが半分づついます。  半分は洞窟で待機、もう半分は狩りに出かけています。  PC達がこの洞窟の内部に侵入を試みた瞬間から、丁度30分後に狩りにでた蛮族が戻って来ます。GMはここでも時間管理を行って下さい。
 まず洞窟の入口には早速罠が配置されています。  罠感知判定、達成値8に失敗すると、5mの落とし穴に落ち15点の物理ダメージが入ります。更に穴の下には小石が散りばめられており、大きな音が響きます。  その音で蛮族の待機グループが穴から這い出し、即時戦闘となります。穴に落ちたPC達の処遇はGMに任せます。  この罠を回避すれば、蛮族の待機グループは洞窟の内部に居る状態になります。
 洞窟は一本道になっており、5分もあるけば分かれ道に出ます。  分かれ道では北、西、東に進む事が出来ます。  狩りに出かけた蛮族が戻ってきた場合、彼らは真っ直ぐに北の道を目指します。
・洞窟西:奴隷置き場  依頼承諾から48時間以内であれば、PC達の耳に金属音が聞こえます。  その奥では、壁に鎖でつながれた村人アンジェ(人間/女性/20歳)の姿があるでしょう。  彼女は蛮族に連れ去られて以降、何とか生き延びていました。  アンジェはそれ以降、PC達に同行を申し入れます。戦闘などが入る場合、蛮族は彼女を含めた中からランダムで攻撃対象を決定して下さい。  アンジェの能力はHP12、他は全て0です。  もし依頼承諾から48時間以上が経過している場合、この場所には鎖があるだけで他には何も見当たりません。
・洞窟東:ゴミ捨て場  この場所には蛮族達の生活ゴミが捨てられています。  基本的には動物の骨などです。この場所では探索判定を試みる事が出来ます。  自動成功で、獣の骨に混じって人骨も見つかります。  更に冒険者レベル+器用で判定を行い、8以上が出ればその人骨が三人分(アンジェ死亡時、四人分)である事がわかります。  この探索判定を行えば、依頼は完了したとみなされます。PC達に伝えてあげると良いでしょう。  達成値5以上で「ピアス」「指輪」「ネックレス」(売却値100G)が見つかります。これは既に死亡した村人達の遺品です。
・洞窟北:居住区  ここは蛮族達の寝床として使われており、広い地面には藁が乱雑に敷かれています。更に部屋の奥には宝箱が一つあります。また、壁には松明が掛けられており視界は良好です。  もし最初の罠で戦闘になっていない場合、蛮族の待機グループはこの場所で寝そべっています。  蛮族退治後、この場所では探索判定を行う事が出来ます。  達成値5以上で、敷かれた藁の数が確認出来ます。小さな藁の束が(ダガーフッドの数+アローフッドの数)分、中くらいの藁の束が二つ(ゴブリンの数)分ある事を伝えて下さい。  達成値8以上で、洞窟の壁に文字が刻まれている事が分かります。汎用蛮族語で書かれています。
『女 未だ 食うな』 『人族 警戒 しろ』 『次 満月 戻る』
 宝箱には鍵が掛かっています。解除判定、達成値は10です。  中には「能力増強の指輪」(『Ⅰ』329p)が一つ入っています。指輪の内容はダイスで決めるか、GMが決めて下さい。
●5.報告
 洞窟の蛮族を倒せば報告を行う事になります。この際、「誰に報告をするか」、「アンジェを連れているか」、「遺品をどうするか」で分岐があります。  ライアンに報告した場合、「お疲れ様でした」と短く言うだけで、特に労う事もせずに冒険者達を返そうとします。  ベッポに報告した場合、アンジェを連れ帰れば泣きながらお礼を言います。アンジェが死体となっていれば、ベッポはがっかりとした様子でPC達を見送ります。  どちらにせよ、「村人の安否が決定」した時点で、彼らは冒険者を見送ろうとするでしょう。
 遺品の三種類は売却する事も可能ですが、それぞれの家族に返す事も出来ます。  返した場合、エンディングで更に報酬500ガメルが追加されます。
●6.レッサーオーガとの決戦
 村長ライアンに成りすましたレッサーオーガに対し、真偽判定を試みて成功した場合、レッサーオーガは本性を顕します。  基本的には家から出る事はないので、家の中での描写となるでしょう。  見破った際、即座に戦闘を仕掛ければ奇襲を掛けたと見なせます。先制判定に確実に成功し、ライアンは自分の手番でようやく人化を解除出来ます。  ご丁寧に見破った旨をライアンに伝えた場合は、正々堂々戦う事になります。
 ライアンの瞳が怪しく輝く。 「ほう、私の姿を見破ったか」 「村人共め、勝手に冒険者なんぞ送り込みよって……全く面倒な事を」 「ここは貴重な餌場だ、簡単に手放すつもりもなければ──この事を知った貴様らを、生かして帰す道理もない」
 ここではライアンに扮するレッサーオーガ(『Ⅰ』p442)との戦闘です。PCの数が4人以上の場合は、剣の欠片を(人数-3個)持たせましょう。   レッサーオーガ は一人で、援軍等はありません。家の中といえども容赦なく魔法をぶっ放してきます。   レッサーオーガ を倒せば、最後に彼は恨み言を残します。
「馬鹿な……!」 「だが、これで終わったと思うな……!」 「私という歯止めがなくなった以上、もう、この村は……」
 更に洞窟攻略後、それをPC達が伝えた場合は更に悔恨に満ちた顔を浮かべ、呟きます。
「な、何だと!?」 「クソ、忌々しい人族共め!」 「貴様らさえ、居なければ……!」
  レッサーオーガ死亡後、ライアンの家で探索判定を行えます。  自動成功として、家の隅から人骨が一人分見つかります。これは勿論、本物のライアンの物です。  達成値9以上で、ライアンの隠し財産が見つかります。宝石が箱に入っており、全て売却すれば500ガメル相当になるでしょう。
●7. 結末
 PCが洞窟攻略(蛮族全討伐)してなおかつレッサーオーガを倒した場合は自動でエンディングを迎えます。  やり残したことがある場合、PC達にどうするか尋ね、自発的にハーヴェス王国に戻る事を選択した場合でもエンディングを迎えます。
 エンディングは特定の要素によって変化します。
【エンディングA】…レッサーオーガを倒し、蛮族を全て討伐  君達の依頼完了から数か月後。  タポの村では作物が大豊作となり、君達宛てにたくさんの野菜が届く事になる。  そこに添えられた手紙には、君達への感謝が所せましと並べられていた。  もうあの村で人が消えるような事件は起こらないだろう。  君達が、あの悪しき蛮族を討伐したの���から。
【エンディングB】…レッサーオーガを倒すも、蛮族を打ち残す。  君達の依頼完了から数週間後。  君達の耳に、驚くべきニュースが飛び込んでくる。  タポの村、蛮族により崩壊。  次に改訂されるであろう地図から、タポの村は永遠に消失した。
【エンディングC】…レッサーオーガを倒していない。  君達の依頼完了から数か月後。  水龍の逆鱗亭に、新たな依頼が舞い込んだ。  ──タポの村にて、人探しをお願いします。  タポの村では月に一回、誰かが消える。  その恐ろしい事件は、終わらなかった。
 また、上記に加えて遺品を村人に返したかの有無で、報酬金額が500ガメル変動します。
 報酬として一人1000ガメル(前金300、達成700)が支払われます。  そのほかの戦利品や、物資の売却品、遺品返却による報酬などはプレイヤーの頭数で割って下さい。  
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nostalblue · 1 year
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おどすくん3号4号&おどすちゃん1号
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数年前に我々秘密組織(謎)が技術の粋を投入して生み出した「おどすくん1号2号」は健在で優秀な成果をあげている。そのグロ可愛い容姿は圃場を狙う害獣どもに脅威を与え、そして我々にはホッコリとした癒しをもたらしている。ちなみに私が時々現場で彼らを頬擦りしていることはここだけの重要機密だ(秘密組織だけに)。スキンシップでも虐待だあハラスメントだあ言われてしまう時世だからな(悲)。
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さて調子に乗った秘密組織は「おどすくんファミリー」の増産を決定した。今回も「魂のオーブ」(ビーチボールとも言う)にさまざまなエレメント(廃材とも言う)を融合させ、新たなる防獣兵士を生み出すのだあー。
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なお今回はその開発を英国から来所した技術者(Workawayerとも言う)に託すことにした(丸投げとも言う)。以後、秘密基地(?)の工房では試行錯誤しながら(廃材を選びながら)の製造が進められた。
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そして晴天を見計らい、屋外でオーブに魔力を注入(塗料吹きつけとも言う)する最後の工程を経て、3体の新しい兵士たちが誕生した!
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「おどすくん3号」は長いリーチと逞しい体格が特徴。スケルトンボディの内部にはトリプルビア缶ユニット、脚部にはツインPETボトルが装備され、ダブルソニックで敵を威嚇する。
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「おどすくん4号」はシンプルかつスリムボディーだが、コイルスプリングで出来た伸縮する脚部が特徴。その末端に装備されたロングゴールドビア缶を不安定に振動させ、長時間のソニック攻撃を可能とする。
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そして「おどすちゃん1号」はファミリー初めての女型である。それ故、開発者の注力度は高く、男型の3倍ほどの製作時間を掛けたことは他のおどすくん達には内緒である(秘密組織だけに)。とりわけ天真爛漫な外観が特徴なのは言うまでもないが、腐らずの皮(PEテープとも言う)で構成されたスカートから発せられるカサカサノイズとお転婆に鳴らされる脚部のリトルビア缶ベルで周りを翻弄する。ちなみに開発者曰く、この娘は週に2日バレエ教室に通っている(設定)らしい。ああ、孫娘を持つ爺さんの気持ちがちょっとわかるわぁ(笑)。
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mr-supock · 5 years
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生態系との調和を第一に考えた忌避剤
Q:忌避剤についてどんな想いで活動されているのですか❓
A これまでも多くの人が獣害に悩まされていますが、画期的な解決策がありませんでした。
弊社はバイオマス発電の工程で発生する廃液を活かし、環境や野生動物を傷つける事なく共生する事を目指しています。
私は、獣害に悩む一人でも多くの人を救いたいと考えています。
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zaregoto1914 · 5 years
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土呂久鉱害事件に関する覚書
(2002年1月22日成稿)
土呂久鉱害事件に関する覚書
 宮崎県高千穂町の土呂久鉱山における亜砒酸製造に伴う慢性砒素中毒症は、大正期から戦後に至る長期にわたって継続した鉱害であったにもかかわらず、被害地域が僻遠の山村であったため長らくその存在が知られず、鉱山の閉山から10年近くたってから地元の教師の告発によって実態が初めて認知された特異な公害である。慢性砒素中毒症が4大公害病に続く指定公害病でありながら、現在あまり顧みられることが少ないことも考慮し、本稿では土呂久鉱害の経過を追うことで、近代日本社会の「闇」の一端に切り込みたい。
(1)土呂久鉱山の成立(1920-1933)  宮崎県岩戸村(現・高千穂町)の土呂久鉱山は、貞享年間(1684-1687)に銀山としてスタートしたものの、近代に入ってからは事実上休山状態であった。しかし、1920年、当時佐伯近郊の木浦鉱山で亜砒酸製造を行っていた鉱山師の宮城正一が土呂久鉱山から亜砒鉄鉱を採掘し、土呂久で亜砒酸の精錬を開始したことで一変した。日本の亜砒酸生産は第1次世界大戦期にドイツに代わる形で急成長し、主にアメリカに輸出されて綿花栽培の害虫駆除剤の原料などに使われていた。ところで、宮城が港町で交通の利便な佐伯から山間の土呂久へ移ったのには理由があった。地方紙『佐伯新聞』1917年4月29日付に次のような記事がある。
「懸案となり居りし当町字灘鳥越にある亜砒酸製造所の煙毒問題は今回所主宮城正一が農民に対して損害賠償をなし且つ製造所を移転する事となり、兎も角も一段落を告げるに至った」
 宮城は煙害により地元住民から補償と立ち退きを要求されていたのである。つまり宮城は佐伯を追われ、亜砒酸製造が甚大な鉱害をもたらすことを知りながら土呂久へ移転したのであった。
 亜砒酸は昇華点の193℃を境にして固体から気体へ、気体から固体へ変化する。この性質を利用し、亜砒鉄鋼を焙焼して砒素分を亜砒酸ガスとして流出させ、ガスを昇華点以下の空間に導き固体に戻して亜砒酸の結晶を採取する。当時、亜砒酸生産量全国一の足尾銅山では、銅の精錬の際に煙に含まれる亜砒酸をコットレル集塵器で回収する方法が採られていたが、土呂久にはそのような設備はなく、煙突に藁の覆いを被せるだけで、砒素を空気中に撒き散らし放題であった。そのため早くも1923年には亜砒酸による農業被害が地元で問題にあった。5月に行われた土呂久の部落自治組織「和合会」総会は鉱山側に「完全ナル設備ヲナシ事業ヲナサレン事」を要求することを決した。これに対し、宮城に代わって経営者となっていた川田平三郎は、1ヵ月50円の「交付金」を和合会に支払うことに応じたが、その見返りとして鉱山へ操業に必要な材料を提供することを求めた。鉱山側は要求を逆手にとったのである。
 その後鉱害は甚だしくなり、特に牛馬の奇病が相次いだ。1925年、和合会は岩戸村長の甲斐徳次郎に対策を要求し、甲斐は西臼杵郡畜産組合の獣医である池田実と鈴木日恵に奇病で死んだ牛の解剖と鉱害の調査を依頼した。4月7日、鈴木は警察官立ち会いのもと解剖を行い、「連続セル有害物ノ中毒ニアラサルヤノ疑ヲ深カラシムルモノナリ」との所見を示した。甲斐はこの牛の内臓を宮崎県警察部衛生課に持参し、鑑定を依頼したが、県側は解剖後に内蔵へ亜砒酸が混入した可能性を理由に鉱害を否定し、現地調査を行ったものの調査結果を隠蔽した。一方、池田は「岩戸村土呂久放牧場及土呂久亜砒酸鉱山ヲ見テ」と題する報告をまとめた。池田報告は当時の土呂久の実状を生々しく伝えている。
「二、三十年モ経過シタ植林ノ杉ガ萎縮シテ成長ガ止リ、或ハ枯死シテ赤葉味又竹林ハ殆ンド枯死シ」 「妙齢ノ婦女ノ声ハ塩枯声デ顔色如何ニモ蒼白デアル、久敷出稼デ居ル人ノ顔面ハ恰モ天刑病患者ノ様ニ浮腫」 「山川ノ水ハ清ク澄ミ渡ッテ居ルガ、川中ノ石ハ赤色ニ汚レテ、三年前迄居タ魚類ハ今ハ一尾モ見ヘヌ」 「今ハ椎茸ノ発生デ忙シカラネバナラヌノニ、何ノ果報カ、此地ノ重要物産デアル椎茸ノ原木ヲミレバ、椎茸一ツ見ヘヌ。土呂久名物ノ蜂蜜モ、今ハ穴巣ヲ止ムルノミ」 「小鳥類ガ畑ノ中ニ死ンデ落チテ居ル事ハ年中ノ事で、何時デモ死ンダ小鳥ヲ畑ノ中ヨリ拾ッテ見セル事ガ出来ル」
 この池田報告は1972年に高千穂町史編纂室で発見されるまで封殺された。
 鉱害が拡大・悪化するに従い、農業では生計を立てられなくなった人々は鉱山で働くようになった。しかし、亜砒酸による健康被害は鉱山労働者に最も顕著であり、皮膚の亜砒負け、色素沈着、黒皮症、角膜炎、結膜炎、喘息、気管支炎、肝硬変などの症状に見舞われた。健康悪化に耐えられずに鉱山を辞め帰農する人も少なくなかったが、農業被害は増大するばかりで生活できず、結局収入を得るために再び鉱山に戻らざるをえなかった。あるいは椎茸の生えなくなった木を木材として鉱山に売却したり、完全に農業ができなくなった土地を鉱山に売却するという例もあった。鉱害はむしろ鉱山の事業を拡大する動因になったのである。
 また被害と加害の重層性も深刻であった。鉱山の地主であった佐藤喜右衛門は鉱山から地代を得るのみならず、自ら採掘を請け負い、地元住民を労働者として勧誘し、鉱害に苦しむ農民からは加害者として忌避された。しかし、一方で彼は鉱山のすぐ近くに住んでいたために砒素中毒症に罹り、1930年から32年の2年間に彼の一家7人のうち自身を含む5人が病死した。部落で鉱山から収益を受ける者が増えるに従い、鉱害反対の足並みは崩れていった。
(2)土呂久鉱山の展開と終焉(1933-1962)  大戦景気によって始動した亜砒酸製造は、戦後不況によって急速に不振になった。1926年にはアメリカの綿花不況のあおりで生産量が激減し、土呂久鉱山も生産中止��事業縮小に追い込まれた。一方、1930年代になると、航空機の材料の国産化をねらう中島飛行機が錫を求めて土呂久に目をつけた。1931年、中島門吉(中島知久平の弟)が一部の鉱業権を獲得し、33年には中島商事鉱山部が土呂久鉱山のすべての経営権を取得した(後に岩戸鉱山株式会社設立)。
 中島は当初亜砒酸よりも錫を重視し、1936年に錫精錬の反射炉を建設したが、この反射炉は錫から分離された砒素分が煙とともに空気中に飛散するという杜撰な代物であった。翌年、和合会は反射炉の煙害防止を鉱山側に要求し、その結果遊煙タンクが作られたが、煙害対策とは名ばかりで、実際はこれを利用して亜砒酸の採取が行われたため、鉱害はむしろ悪化した。また、経営者が変わったことにより1923年の交付金契約は無効となり、中島が和合会に亜砒酸1箱精製につき12銭の補償金を支払う新契約が結ばれたが、旧契約に比べて被害者が受け取る金額は事実上半減し、しかも補償金の分配���巡り和合会内部で対立が発生した。さらに1937年の岩戸村会議員選挙で、中島側は鉱山の会計係長を出馬させ、鉱山労働者を買収した結果、中島系候補が当選し、和合会系の現職は落選した。明治以来、土呂久出身者が議席を失ったのは初めてであった。鉱山は地方自治をも破壊したのである。
 中島傘下となって土呂久鉱山は拡大し、最盛期には約400人の労働者が働いた。特に1930年代末頃から亜砒酸は毒ガスの原料として需要が急増した。「黄二号」ことルイサイト、「赤一号」ことジフェニール・シアン・アルシンが亜砒酸を元に作られ中国戦線に送られた。深まる亜砒酸鉱害に対し、ついに1941年和合会は鉱山との契約破棄を決定した。福岡鉱山監督局は和合会に説明を求め、代表6名が福岡へ行き亜砒酸製造の中止を申請したが、監督局の担当者は「非常時には、部落のひとつやふたつつぶれても鉱山が残ればよい」と言い放ったという。結局1941年11月選鉱場の火災により土呂久鉱山は休山し、所有権も中島から国策会社へ移行した。
 土呂久鉱山は戦後1948年、銅や鉛などの採掘を再開した。再び鉱業権を獲得した中島鉱山(旧岩戸鉱山)は亜砒酸製造の再開を計画した。和合会は再開反対を決議したが、宮崎県と岩戸村の斡旋により、1954年、鉱山から和合会への協力金支払を条件に改良焙焼炉建設に同意した。土呂久婦人会は岩戸村に抗議したが、村長伊木竹喜は「鉱山のおかげで、岩戸村には鉱産税がはいりよる」と取り合わなかったという。
 鉱山がその後、1958年7月の坑内出水事故により一時休山を余儀なくされ、翌年には住友金属鉱山が中島を事実上買収したが、往時の活性を取り戻すことができず、1962年経営不振により閉山した。その間も鉱害は続き、1959年には和合会が高千穂町(岩戸村吸収)に亜砒酸製造施設の廃止を陳情した。しかし、ついに閉山まで鉱害はやむことがなかった。
(3)土呂久鉱害の告発(1970-  )  1970年、宮崎県高城町の四家鉱山で集中豪雨により鉱滓堆積場のダムが決壊し、砒素を含む鉱毒が河川へ流出するという事故が起き、宮崎県は急遽県内の休廃止鉱山の調査を行った。調査の結果、土呂久川から飲料水基準の2倍の砒素が検出された。同年12月、土呂久在住の佐藤鶴江は、岐阜のカドミウム汚染の報道を聞いて不安を抱き、宮崎地方法務局高千穂支局の人権相談に鉱毒被害を訴えた。支局は土呂久鉱山跡を調査し、彼女に鉱毒被害の事実申立書を発行したが、法務局は専門医による因果関係の証明がないことを理由に申立書を留置した。またしても行政によって鉱害は隠蔽されたのである。
 一方、高千穂町立岩戸小学校教諭の斎藤正健は、妻が土呂久出身であったことから鉱害の事実を知り、同僚とともに土呂久全世帯を対象に鉱害調査を行った。斎藤らの調査は1971年11月、宮崎県教職員組合の教研集会で報告され、新聞報道により全国的に注目された。斎藤報告は、①1913-1971年に死亡した92名の平均寿命は39歳である、②土呂久全住民の34%が呼吸器をはじめ疾患に罹っている、③土呂久の児童の体位は劣っている上に眼病が目立つ、④スギの年輪は鉱山創業期に生長が阻害されている、という驚くべき内容であった。大正期以来の鉱害がこの時はじめて公表されたのである。
 土呂久住民に不安が高まる中、宮崎県は県医師会に委託して住民の一斉健康診断を実施したが、慢性砒素中毒症に認定されたのは7名だけで、県の土呂久地区社会医学的専門委員会も健康被害と亜砒酸製造との関係性を「現在の知見では十分に説明ができない」と肯定しなかった。宮崎県知事黒木博は住友金属鉱山と認定患者に補償斡旋を提案し、1972年12月、両者間に補償協定が結ばれたが、住友の法的責任には一切触れず、補償金額は平均240万円にとどまり、しかも将来の請求権放棄を定めていた。県側は患者との交渉を外部との接触を絶った密室で行い、十分な説明をしないまま患者に調印を強要した。その後、黒木は新たな認定患者に対しても同じ内容の補償斡旋を5次にわたって続けた。しかも県は斡旋受諾者に対して公害健康被害補償法による給付を含む公的給付を中止するという「いやがらせ」まで行った。知事斡旋は補償額を抑制し、被害者の口を封じることがねらいであった。
 1973年、環境庁は慢性砒素中毒症を第4の公害病に指定したが、認定要件を皮膚障害に限定し、内臓疾患を認めなかったため、多くの被害者が認定されなかった。一方でこの頃から県外の医師による自主検診が相次いだ。同年2月には名古屋大学医学部講師大橋邦和が、74年には太田武夫ら岡山大学医学部衛生学教室が、75年5月には熊本大学体質医学研究所の堀田宣之が住民への自主検診を行った。堀田は10月にも同僚の原田正純らとともに1週間にわたる大規模な自主検診を行った。これらの検診結果は環境庁の認定要件とは裏腹に、砒素中毒による障害が皮膚に限らず、呼吸器や循環器などの内臓にまで広がっていることを示していた。
 1975年12月、5人の患者と1遺族が住友金属に損害賠償を求め宮崎地裁延岡支部に提訴した(第1次訴訟)。続く76年11月には第2次、77年12月には第3次、78年3月には第4次の訴訟が起こった。土呂久訴訟最大の問題は、1次的に賠償責任を有する鉱山師も中島鉱山もすでに存在せず、被告の住友が正式に鉱業権を得たのが閉山後の1967年で、住友自体は亜砒酸製造を行っていないことにあった。住友側は全面的に争い、訴訟は長期化し、高齢の原告が相次いで死亡していった。1984年3月に下された第1次訴訟の1審判決は「土呂久地区という山間の狭隘な一地域社会が、そのただ中ともいえる場所での本件鉱山操業により、大気、水、土壌のすべてにわたって砒素汚染され、本件被害者らはその中で居住、生活することにより、長期間にわたって四六時中間断なく、且つ経気道、経口、経皮、複合的に砒素曝露を受けたもので」あると土呂久鉱害を正確に認め、鉱業不実施を以って鉱業権者の賠償責任は免責されず、鉱業法115条の時効規定も適用されないことを理由に住友へ損害賠償を命じる画期的な内容であった。
 しかし、この1審判決をピークに土呂久鉱害は急速に風化していった。既に1980年頃には被害者の支援組織「土呂久・松尾等鉱害の被害者を守る会」が財政難による活動停滞に陥っていた。また、支援運動の中心であった総評系労組が「反公害」から「反原発」へシフトしつつあり土呂久鉱害への関心は相対的に低下した。1979年、補償斡旋を続けた黒木が受託収賄容疑で逮捕され知事を辞職し、翌年、後継知事松形祐尭は公害認定を巡る行政不服審査で県が敗訴したのを機に被害者へ公式に謝罪したが、依然として知事斡旋受諾者への公健法給付を認めなかった。一方、訴訟は住友の控訴により続き、1988年の控訴審判決は住友の賠償責任を認めたものの、補償額から公健法給付を差し引くよう命じる後退したものだった。住友はさらに上告したため、原告弁護団はついに水面下の和解交渉を行った。原告の高齢化と最高裁の状況を踏まえた苦渋の判断であった。1990年10月最高裁で原告と被告の一括和解が成立したが、住友の法的責任には触れず、賠償義務を否定し、公健法給付とは別に「見舞金」総額4億6475万円(1審判決の仮執行金と同額)を支払うという内容だった。1審判決も控訴審判決も被告の法的責任を認定したにもかかわらず、原告は訴訟の長期化に耐えることができずに訴訟自体には敗北したといえよう。
(4)総括  土呂久鉱山は、日本経済の工業化が急速に進展した第1次世界大戦期に始まり、戦間期の停滞を挟んで、15年戦争期には新興財閥の手で重化学工業の一端を担わされ、そして高度経済成長の開始により終焉した。その歴史は終始日本資本主義の発展過程に強く制約されたと言えよう。故に土呂久鉱害事件は局地的な鉱害ではあるものの、鉱山の杜撰な鉱害対策、鉱山への抵抗と依存の間で揺れる地域社会、一貫して公害の存在を隠蔽し民衆の声を潰した行政、公害反対運動の党派的分裂等々、近代日本の鉱害の一般的特筆を余すところなく有している。そしてついに根本的解決には至らず、現在も土呂久の自然が回復していないことは、鉱害が過去の問題ではなく、依然として現在的問題であることを示していよう。
《引用・参照文献》 斎藤正健「土呂久公害の告発とその後」Ⅰ-Ⅲ 『歴史地理教育』211、212、214号 1973年 川原一之『口伝 亜砒焼き谷』岩波書店 1980年 川原一之「土呂久鉱毒史」『田中正造と足尾鉱毒事件研究』5号 1982年 土呂久を記録する会編『記録・土呂久』本多企画 1993年
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herbiemikeadamski · 3 years
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. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 11月15日(月) #友引(丁卯) 旧暦 10/11 月齢 10.2 年始から319日目(閏年では320日目)にあたり、年末まであと46日です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃‍♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . 危なかった⤵️間一髪でした😓💦 山手線で居眠りこいてしまって 秋葉原で乗り過ごす所でした😅💦 月曜から、お疲れ様モードでヤバス⤵️ . やっぱり8日ぶりのトレーニングは辛っ💦 恐れていた通りの今朝はグッタリです。 こんなのが毎週だったら体がヤバス⤵️ って思っちゃうわ😓💦日曜日だけで . これなら、土日だったら💦もっとか? ってなりますよね🤚週5でやってた 時は、こんな風に疲れる事なんかない のに⤵️週一運動してる方が続かない . のが判る気がしました🤣😆🤣 「駄目だコリャ」ってなってます😅💦 今週末と次の日曜日に出来ますかね⤵️ 布団に戻って爆睡したい心境ですわw . 今日一日どなた様も💁‍♂お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋‍ モウ!頑張���しか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #横田めぐみさん拉致. 1977(昭和52)年11月15日(火) 新潟市で横田めぐみさんが下校途中に北朝鮮の工作員に拉致される。  日本政府が認定する北朝鮮以による拉致被害者。  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E7%94%B0%E3%82%81%E3%81%90%E3%81%BF . #友引(トモビキ). 六曜の名称の1つで、相打ち勝負なしの日のこと。  つまり良いことはないが悪いこともない日のことである。  ちなみに六曜は仏教とは関係なく葬式を避けるという話は迷信である。  「友人を引き込む」とされている日とされている。  友引にの日には、結婚式、入籍、七五三、お宮参り、引越し、建築、契約、納車、宝くじ購入、は問題ない日です。  験担ぎで拘るなら、凶となる11時~13時の間を避けると良いでしょう。  六曜は、先勝(センショウ)、友引、先負(センプ)、仏滅(ブツメツ)、大安(タイアン)、赤口(シャッコウ)の6つである。 . #イベリコ豚の日. 大阪府大阪市に本社を置き、イベリコ豚を中心とした貿易事業や飲食事業などを展開するTAISHI CO.株式会社が制定。 . #いいインコの日. 大阪府大阪市と東京都文京区に本社を置く文具メーカーのセキセイ株式会社が制定。 . #かまぼこの日.  全国蒲鉾水産加工業協同組合連合会が1983(昭和58)年に制定。 . #きものの日.  全国2000店の呉服店で組織する全日本きもの振興会が、1966(昭和41)年の設立の時に制定。 . #七五三.  公家や武家での習慣が一般化したのが七五三です。 . #のど飴の日.  1981年(昭和56年)11月に、日本で初めて商品名に「のど飴」と名のつくのど飴「健康のど飴」を発売したカンロ株式会社が制定。 . #昆布の日.  七五三の日に子供達に昆布を食べて丈夫になってもらおうと、日本昆布協会が1982(昭和57)年に制定。 . #生コンクリート記念日. #炉開き. #いい遺言の日. #一般鳥獣狩猟解禁日. #口腔がん検診の日. #蔵(KURA)の日. #予防争族(相続)を考える日. #目師会(日蓮正宗). #貞徳忌. . #ダブルソフトでワンダブル月間. #宇お菓子の日(毎月15日). #生命保険見直し月間(1日から30日). . #パレスチナ独立宣言記念日. #ブラジル共和制宣言記念日. #ドイツ語共同体の祝日(#ベルギー). . . ■今日のつぶやき■. #赤子は泣き泣き育つ(アカゴハナキナキソダツ) 【解説】 赤ちゃんが泣くのは当然のことで元気な証拠。 赤ちゃんは泣きながら成長してゆくものだと云う事。 . . 1999年11月15日 #富田美憂 (#とみたみゆ) 【声優、歌手】 〔埼玉県〕 《Kleissis Studyのメンバー》 . . (流山おおたかの森駅) https://www.instagram.com/p/CWRb7Y3BL2ohOzUMNZzqBW73ntDZhshwvjs46g0/?utm_medium=tumblr
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hiruzenmegata · 3 years
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近さの / なかに / はいる
※この記事はnoteに書いたものをそのまままとめて移植したものです
→もとの記事(初回)https://note.com/megata/n/n47f8d146b717
[1]
花になるなら、飾らず、まっすぐに伸びるヒマワリがいい。モードが言う。対してハロルドは、一面に咲くヒナギクを見下ろしながら、自分はこの花がいいと言う。あの花この花の区別なく、たくさん横並びで生えている、どれでも変わりないようななかのひと花でありたい、と。そんなふうにヒナギクを評するハロルドに対し、同じ花なんてないとモードは意見する。それから、こんなこともいう。世の中の不幸のほとんどは、他人と同じように扱われることに不満を持たない人々が生み出している、と。
ところが、「どこにでもいるやつなんて どこにもいない」式のことを述べたてるモードは、とてもとても極端な人物なのだ。名もなき雑草のひと花ひと花に愛情深い態度を示すような、落ち着いた穏やかな人格ではない。独善的で身勝手な狂老女、とみなされても不思議ではない。
ラブコメというジャンルはどのような構造で組み立てられているか、という話のなかで話題にのぼり、紹介された映画『ハロルドとモード』を実際にみてみた。とはいえこの映画は、いわゆるラブコメというジャンル映画ではないように思われる。家人の目につくところで自殺を演じ続ける少年ハロルドだが、ハロルドの母は、息子が首を吊ろうと手首を切ろうと銃で頭を撃ちぬこうと、まったく相手にしない。「いつものいたずらね」ということで軽く流し、かわりに精神科に通わせたり、軍人の叔父に預けようとしたりする。ただし同伴・同席はしない。ハロルドは一人で精神科や、叔父のオフィスに通わされる。 ハロルドはいつものように、知らない人の葬儀に勝手に参列する。そこで知り合った79歳の老女・モードもまた、赤の他人の葬式に参加するシュミがあった。二人は巡りあう。 モードは常に人の車を運転する。公道の街路樹を引き抜き、人の車にのせ、料金を払わず高速道路をぶっ飛ばし、白バイ警官をまいて、山に勝手に植えにいく。シャベルだって当然盗品である。しかしあっけらかんとしていて、罪の意識はない。法を犯していることぐらい理解しているだろうけど、罪を犯している自責はかけらもない。めちゃくちゃである。 惹かれ合った二人が、きちんと一夜を共にする描写(朝になって、裸の少年と老女がおなじベッドで目覚めるシーン)があるのがとてもよかったです。 「ラブコメ」のジャンル映画ではなさそうだったし、それに「恋愛」を描いているようにも思われなかった。おもしろい映画だったけどね。さあ「恋愛」ってなにか。
このごろ読んでいた嘉村磯多の「途上」という自伝小説のなかに、露骨な切れ味の描写があってハッとさせられた。中学校のなか、からかわれたり後輩をいびったり、勉学に励みつつ田舎出身を恥じらい、色が黒いことをバカにされたり先生に気に入られたり、下宿先の家族に気を使いすぎたりして、なんやかんやで学校を中退して、実家に戻ってきた。ぶらぶらしていると、近所にいる年少の少女に目が留まる。いつか一度、話したことがあるきりだが、やたらと彼女が気にかかる。そこにこの一文があらわれる:「これが恋だと自分に判った。」 そんなふうにはっきり書かれてしまうと弱い。「はいそうですか」と飲み込むほかない。 けれど、恋愛を描いている(とされるもの)に、「これが恋」って「判った」だなんて明確に言及・説明を入れ込むことは、どうなんだろう。少なくとも当たり前な、お約束なやり口ではないと思うけど。 世の中には、「恋」「愛」「恋愛」という単語の意味するところがなんであるのか今一度問い直す手続きを踏まえずに、じつにカジュアルに言葉を使っているケースばかりがある。そうすると、その場その場で「恋」の意味が変わっていくことになる。その「恋」が意味しているものは単に一夜のセックスで、「恋多き」という形容詞がその実、「ぱっと見の印象がイケてた人と手当たり次第やりまくってきた」って内容でしかないときも少なくない。 まあけど、それがなんなのかを追究するのはやめましょう。というか、いったんわきに置いておきます。
さて『ハロルドとモード』の紹介された雑談のトピック:「ジャンルとしてのラブコメ」ですが、これは単に、「イニシアチブを奪い合うゲーム」であるらしい。そういう視点で構築されている。要するにラブコメは、恋愛感情の描写とか、恋とは何かを問い直すとかじゃなくて、主導権や発言権を握るのは誰か?というゲームの展開に主眼がある。気持ちの物語ではないのだ。描かれるのは、ボールを奪い合う様子。欲しがらせ、勧誘し、迷い、交渉する。デパートのなかで商品を迷うように。路上の客引きの口車にそれなりになびいたうえで、「ほか見てからだめだったらまた来ます」って断りを入れて、次の客引きに、「さっき別の店の人こういってたんですよね」とこちら側から提示するように。 イニシアチブの奪い合い、というゲームさえ展開できればいいので、気持ちとかいらない。ゲームが展開できるのであれば、主体性もいらない。ラブコメの「ラブ」は心理的な機微や葛藤の「ラブ」ではない。奪い合っているボールの呼び名でしかない。(つまり奪い合い=おっかけっこ、が、「コメ(ディ)」ってワケ)
浮気はドラマを盛り上げる。人が死ぬのも、まさに「劇的」なハプニングだ。雨に濡れて泣きながら走り、ようやく辿りついたアパートの部屋はもぬけの殻、ただテーブルにひとことの書き置き「フランスに行きます」みたいな、そんな派手な出来事で試合はいよいよ白熱する。ところが、心理的な機微や葛藤というのはいつだってモノローグ的だので、気持ちの面での「ラブ」を描きたいなら、このような出来事たちはむしろいらない。うるさすぎる。もっとささやかで、短歌的な味わいのものがふさわしい。ひとりでいるときに、マフラーの巻き方を真似しようと試みて途中でやめたり、チェーンの喫茶店の安コーヒーの味が思い出でおいしくなったり、そういうのでいい。出しっぱなしのゴミ勝手に片づけたの、ちょっとおせっかいすぎたかなってくよくよ悩む、とかでいい。
恋愛の感情・心理がよく描写されているように感じられる物語の登場人物��、内面的な葛藤に閉じこもらざるを得ないシチュエーションに押し込められている場合が多い気がする。「ひとには秘密にしてないといけない」「誰にも言えない」という制約のある環境。仕組みとして、宗教の違いや人種や年齢の断絶、同性愛など、自分の思いを簡単にひとに打ち明けられないセッティングの話のほうが、「イニシアチブ奪いあいゲーム」からは遠ざかる。(それに、そんなようなセッティングだと、「世間の常識」が要求してくるジェンダーロールを無視して鑑賞しやすい場合も多い。)
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成功した実業家の息子であるハロルドは、経済的にも肉体的にも不自由なく暮らしている。が、なんだか欠落を抱えている。自殺遊びや他人の葬式への参加など、死に接しているときが最も楽しい。老女モードは、そんなハロルドの世界観を一変させることになる。彼女はかなりアナーキーな存在で、逮捕されるようなことばかり繰り返している。けれど悪びれない。自らの行為を、自分らしい人生を過ごしている実感を与えてくれる刺激として肯定している。
J.G.バラードに『コカイン・ナイト』という小説があって、この頃これを読みました。あ、そもそもこの記事は、最近読んだものや見たものについて、できるだけ網羅的に言及できないかと願いつつ当てずっぽうで書き出した文章です。できることなら人とのやりとりや、自分の過ごした日常についても記したいが、それがうまくできるかどうか。
『コカイン・ナイト』の主人公はチャールズで、世界中を飛び回っている旅行記者です。退屈について、カリスマについて、刺激について。さまざまな切り口から鋭い洞察が重ねられたこの名作の入り口は、ミステリーのかたちをしている。 スペインの南、ハイパーセレブたちのリゾート地で働いているはずの弟が窮地にたたされているから助けにいかなきゃ! という目的で、チャールズは物語の舞台にや��てきます。弟の状況はよく知らないけど、あいつのことだし、そこまで深刻じゃないだろう。そう高を括ってやってきました。ところがどっこい、弟、かなりやばい状況でした。 大邸宅が放火により全焼し、五人が焼け死んだ。弟にその容疑がかけられている。捕まって、留置されている。裁判を待っている。けれども、誰も、弟が犯人であるとは信じていない。警察だって例外じゃない。明らかに、弟の犯行ではないのだ。それでも弟は、自分がやったと自白しており、嘘の自白を繰り返すばかりで取り下げない。いったいなにが起こっているのか。どういうことなのか。 地域の人らはすべて疑わしい、なにかを隠しているような気がする。チャールズは素人ながら探偵のまねごとをしはじめ、地域の人々から疎んじられはじめる。チャールズにとって、地域の人々の態度と距離感はますます疑わしいものに思えてくる。そして実際、普通には考えにくい、歪んだ事態を数々目撃することになる。余暇時間を持て余したハイパーセレブたちは、事故を起こして炎上するボートを楽しそうに見つめていた。拍手さえあがる。
『ホット・ファズ~俺たちスーパーポリスメン~』という映画があって、平和な村=表向きには犯罪のない村を舞台にした話でした。「表向きには」犯罪はない、というのはつまり、法に反した行為があったとしても、届け出や検挙がなければ統計にはあらわれない、ということを示しています。
世の中にはあたまのかたい人というのがたくさんいて、俺もその一人なんだが、すべてのルールは事後的に構築されたものなのに、これを絶対の物差しだと勘違いしている場合がある。法律を破ったのだから悪い人だ、みたいな感覚を、まっとうなものだと信じて疑わない人がたくさんいる。身近に悪いやつ、いやなやつ、いませんか。自分のなかにも「悪」はありませんか。それと「被告人」「容疑者」はぜんぜん別のことではないですか。 陰謀論がささやかれている。「悪いやつがいる、たくさんいる、てのひらで人を転がしているやつと、愚かにも転がされているやつがいる、自分はその被害者でもある」そう発想する立場に対し、逆の立場に立たされている不安を訴える声もありえる。「知らず知らずのうちに、自分は、陰謀に加担しているのではないか。なんならむしろ積極的に参加しているのではないか」あんなふうになってしまうなんてこと思いもよらなかった、ってあとで口走っても遅い。
『コカイン・ナイト』の主人公チャールズは旅行記者で、世界中を飛び回っているから定住地はない。 どこかに行くと、「自分にとって、ここが本当の場所だ」と感じられる旅先に巡り合うことがある。けれどその段階を越えたむこうに、「自分にとって、世界はすべて異郷である。どこにいても、自分は単なる旅人以上のものではありえない」その境地がある、というようなことを池澤夏樹が言っていたかもしれない。言ってないかもしれない。ともかくチャールズは定住地がない。
國分功一郎『暇と退屈の倫理学』には、 遊動の暮らしをやめて定住するようになったとき、人類は、財産や文明を手にするようになった。貧富の差が生じ、法が生じ、退屈が生じた。時代が下って便利になればなるほど、退屈は大問題になってくる。 というようなことが書かれていた。遊動の暮らし云々については資料がない話だから、この本がどれほど学問的に厳密なのかはわからないけど、発想としてはおもしろいと思ったので覚えています。記憶だから、読み返すとそんな話してないかもしれないけどね。 けどまあ、ともかく、遊動し続けていたチャールズは、退屈がまさに大問題になっている地域に巻き込まれるかたちで取り込まれていく。はじめは弟の部屋を使っていたチャールズも、その地域を牛耳っているやつが用意してくれた部屋にうつるときがやってくる。その部屋にはじめて足を踏み入れたチャールズに、こういった言葉がかけられる。「チャールズ、君は家に帰ってきたんだ……」 「今の気分を大いに楽しみたまえ。見知らぬ場所という感覚は、自分にとって、常日頃考えているよりも、もっと近しいものなんだよ」
この記事は当てずっぽうで書き出した日記ではあるけれど、記事のタイトルははじめから決めている。「近さの/なかに/はいる」 ようやく、「近さ」というキーワードを登場させられました。よかった。距離についての話を引き続き。
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[3]
いつか「ア・ホロイ」というグループ展で映像作品の発表をしたときに(おれのみヘッポコな)対談イベントの相手として巻き込んだ太田充胤(医師・ダンサー・批評家)が、ちょうどその当時スタートさせていたのが『LOCUST』という雑誌だった。Magazine for travel and criticism|旅と批評のクロスポイント。 執筆者たちはみんなで旅行をしにいく。そしてその場所についての文章を書く。これを集めて雑誌にしている。参加者は批評家だけではないが、肩書は別になんでもよい。いわゆる観光ガイドでもなく、かといって思想ムックでもない。地域と時事に結びついた、批評癖のある人らの旅行界隈記集で、最近、この第三号を買いました。三号の特集地は岐阜県美濃地方。
この本、千葉市美術館で買った。千葉市美術館ではいま、「大・タイガー立石展」が開催されている。立石紘一=立石大河亞=タイガー立石という作家については、これは子供のころ、好きで好きでしかたなかった絵本のひとつの作者として知りました。親近感、懐かしさがある。 60年代、日本のなか美術作家として活動、のちイタリアに渡り、そこで油絵もヒットしますが、同時にデザイナー・イラストレーターとしても、漫画家としても活躍。日本に戻り、絵本の仕事も手掛けるようになります。陶も捏ねます。 ナンセンス、毒々しくも軽妙で、湿度は高いんだけどしつこくない。筆運び色選びモチーフ選び影の黒さははっきりシュールレアリズム由来で、反逆児のフリをしつつジャンルの枠組みは壊さず、荒唐無稽なフリをしつつ不穏当で思わせぶり、祝祭的=黙示録的、派手好みのくせに辛気臭くすら感じられるガロ感がいつまでも抜けない。という印象。個人的には。
懇意にしている友人の家、友人なのかな、友人なんでしょうか。一緒にいる居心地はいいんだけど、話題が狭く、政治的な話も教養的な話もしない。あるのは惰眠と食卓で、生理的で予測可能なよろこびしかない。安心安全で退屈な時間を過ごす人。おれは人のことをバカにして生きてる。まあいいかそれはいま。ともかく、友人、そう友人の家を出て、千葉中央駅に到着すると、急に大雨が降りはじめた。美術館まで徒歩にしてほんの10分の距離ですけど雨はものすごい。駅ビル内のダイソーで傘を買って足を濡らして10分歩くなら値段的にもそう変わらないと判断し、駅前でタクシーに乗り込みました。「市立美術館まで」と注文します。「市立?」聞き返した運転手はメーターをつけずに発車、すぐに着いて、料金として500円を払う。車運転させておきながら500円玉1枚だけ払って降車するのは後ろめたい。ちょっと照れくさくもある。 タイガー立石の絵はいわゆるコピペっぽさというか、表面的なトレースが多い。ピカソの泣く女やゲルニカ、ダリの溶けた時計、ルソーの自画像、タンギーのうねうね、そんなものがはっきり登場する。作品によっては、モチーフらは一枚の画面にただ雑然と並んでいる。ライブハウスのトイレの壁みたく、全体のなかに中心のない、みるべきメインの仕組まれていない羅列面。 ずっと好きではあったけれど、とはいえどっぷりハマりこんだ覚えのある作家でもない。距離感としては「シュークリーム」とか「揚げ出し豆腐」みたいな。それでも、さすが小さなころからの付き合いだけあって、自分のなかに、あるいはタイガー立石をみる自分のなかに、自分自身の制作態度の原型をみるようで居心地が悪く、やはりちょっと照れくさくもあった。
もちろんカタログを買う。そのために美術館併設の書店に立ち寄った。そこで『LOCUST vol.3』を見つけたので一緒に買ったのだった。太田充胤が、「おいしい、と、おいしそう、のあいだにどんなものが横たわっているのかを考えた原稿を vol.3に載せた」と言っていた覚えがあったためだ。なんだそれ、気になる。そう思っていたところだった。 ぜんぶで7つのパートにわかれたその原稿の、はじめの3つを、ざっくばらんに要約する。 1・はじめの話題は日本の食肉史から。肉を食べることは力をつけることと結び付けられもしてきた。禁じられた時代、忌避された時代もあった。食肉への距離感っていろいろある。 2・野生動物の肉を食うことが一種のブームになっている。都市部でもジビエは扱われている。ただ、大義たる「駆除される害獣をせっかくだから食べる」というシステムは、都市部では説得力がうすい。都市部のジビエは「珍しいもの」としてよろこばれている? 舶来品の価値、「遠いものだから」という価値? 3・身近に暮らす野生動物と生活が接しているかどうかで、(動物の)肉というものへの距離感は変わる。都市部の居酒屋で供される鹿の肉と、裏山にかかってたから屠って食卓に登場する鹿の肉は、そりゃ肉としては同じ鹿肉であっても、心理的な距離の質は同じではない。
イモムシが蝶になる手前、さなぎに変態してしばらくじっとしている。さなぎの中身はどろどろで、イモムシがいったんとろけた汁であり、神話の日本の誕生よろしく、ここから形状があらわれ、蝶になるのだと、子供のころ誰に教えられたわけでもないのに「知って」いた。それは間違いだった。イモムシの背中を裂くと、皮膚のすぐ裏側に羽が用意されている。蝶の体つきは、さなぎになるよりずっと前から、体のなかに収納されている。さなぎはただ、大一番な脱皮状態を身構えてるだけの形態で、さなぎの中がどろどろなのは、イモムシや成体の蝶の体内がどろどろなのとまったく同じことだった。日高敏隆の本で知った。大学院生のころ、ひとの自作解説を聞いていたら、「イモムシがいったんその体の形状をナシにして、さなぎの中でイチから再編成しなおして蝶になるように」という言い方をしている人があった。同じ勘違いだ。 この勘違いはどうして起こり、どうして疑いなく信じ続けられるんだろう。だって、イチから再編成されるなんて、めちゃくちゃじゃないか。めちゃくちゃ不思議なことがあっても、それが「生命の神秘」や「昆虫の不思議さ」に結びついて納得されてしまえば、「ね、不思議だよね、すごいよね」で済む話になるのか。<現代人・大人たちが昆虫を嫌うのは、家の中で虫を見なくなってきたからだ>という論文を先日みつけました。隣近所の人とあいさつをするかどうかで生活の心やすさは大きく変わる。知らない人の物音は騒音でも、知っている人の物音はそんなに不愉快じゃなかったりする。「面識」のあるなしは非常に重要だから、背が伸びてもなお、公園や野原で昆虫と親しみ続ける人生を送っていれば、虫嫌いにはなっていかないだろう。けれど、そういう人生を送っていたとしても、いったん誤解した「さなぎ状態への理解」が誤りだったと、自然に気づけるものだろうか。
岐阜で供されたジビエ肉についての原稿をLOCUSTに執筆した太田充胤は高校の同級生で、とはいえ仲良しだったわけではない。今も別に、特別仲良しとかではない。なんかやってんなあ、おもろそうなこと書いてるなあ、と、ぼんやり眺めて、でも別にわざわざ連絡はしない。卒業後10年、やりとりはなかった。数年前、これを引き合わせた人がいて、あわせて三人で再会したのは新宿三丁目にある居酒屋だった。ダチョウやカンガルー、ワニやイノシシの肉を食べた。それこそ高校の頃に手にとって、ブンガクの世界に惹かれる強烈な一打になったモブ・ノリオの作品に『食肉の歴史』というタイトルのものがあったな、と急に思いついたけれどこれはさすがにこじつけがすぎるだろう。あ、 ああ、自分の話を書くことはみっともなく、辛気臭いからしたくないんだった。「強烈な一打」たるモブ・ノリオの『介護入門』なんてまさに「自分の話」なわけだが、他人の私小説のおもしろさはOK けど、自分がまさに自分のことを語るのは自分にゆるせない。それはひとつに、タイガー立石はじめ、幼少時に楽しんだ絵本の世界のナンセンスさ、ドライさへの憧れがこじれているからだ。 まとまりがなく、学のなさ集中力のなさ、蓄積のなさまであからさまな作文を「小説」と称して書き散らかし、それでもしつこくやり続けることでなんとか形をなしてきて、振り返ると10年も経ってしまった。作文活動をしてきた自負だけ育っても、結果も経歴もないに等しい。はじまりの頃に持っていたこだわりのほとんどは忘れてしまった。それでも、いまだに、自分のことについて書くのは、なんだか、情けをひこうとしているようで恥ずかしい気がする。と、このように書くことで、矛盾が生じているわけだけど、それをわかって書けちゃってるのはなぜか。 それは、書き手の目論見は誤読されるものだし、「私小説/私小説的」というものには、ものすごい幅があるということを、この10年、自分にわかってきたからでもある。むしろ自分のことをしっかり素材にして書いてみてもおもろいかもしれない、などと思いはじめてさえいる。(素材はよいほうがそりゃもちろんいいけど)結局のところ、なんであっても、おもしろく書ければおもしろくなるのだ。
こないだ週末、なぜだか急に、笙野頼子作品が読みたくなった。『二百回忌』じゃなきゃだめだった。久しぶりに引っ張り出して、あわてて読んだ。おもしろかった。モブ・ノリオ『介護入門』に接し衝撃を受けた高校生のころ、とりあえず、その時代の日本のブンガクを手あたり次第漁っていた。そのなかで出会い、一番ひっかかっておきながら、一番味わえていない実感のある作家が笙野頼子だった。当時読んだのは『二百回忌』のほか『タイムスリップ・コンビナート』『居場所もなかった』『なにもしてない』『夢の死体』『極楽・大祭』『時ノアゲアシ取リ』。冊数は少なくないが、「��うわからんなあ、歯ごたえだけめっちゃあるけど、噛むのに手一���になってしまってよう味わわん」とばかり思っていた。 新潮文庫版『二百回忌』に収録されているのは4作品。いずれも、作家自身が作家自身の故郷や家族(など)に対して抱いているものを、フィクションという膜を張ることで可能になる語り方で語っているものだ。
『大地の黴』: 生まれ故郷に帰ってきた主人公が、故郷での暮らしを回想する。かつて墓場で拾い、そして失くしてしまった龍の骨が、いまや巨大に成長し、墓場を取り囲み、そして鳴る。小さなころ、その土地に居ついている、黴のような茶色いふわふわが見えていた。地元の人の足元にまとわりついていた。いま墓の底から見上げる、よく育った龍の骨たちのまわりにもいる。
『二百回忌』: 二百回忌のために帰省する。親とは険悪で、その意味では帰省したくない。しかし、二百回忌は珍しい行事だし、すでに死んだ者もたくさん参加する祝祭時空間らしいから、ぜひとも行ってみたい。肉親はじめ自分の人生と直接のかかわりをもったことのある地元の顔ぶれは嫌だけど二百回忌には出向く。死者もあらわれる行事だから華々しいし、時間はいろんなところでよじれ、ねじれる。
『アケボノの帯』: うんこを漏らした同級生が、うんこを漏らしたことに開き直って恥ずかしがらない。そればかりか、自分の行いを正当化ないし神聖化し、排泄の精霊として育つ。(漏らしたことで精霊になったから、その同級生には苗字がなくなった!)自分のうんこの話をするのははばかられるけれど、精霊が語る排泄は肥料(豊かさ)や循環の象徴であるからリッパである。
『ふるえるふるさと』: 帰省したらふるさとの土地が微動している、どうやら時間もねじれている。いろいろな過去の出来事が出来していく。
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[4]
『LOCUST』の第三号の特集は岐阜で、おれの祖父母の実家は岐阜にある。大垣にあったはずで、いまどうなっているかは知らない。 父方の祖母が一年ほど前に亡くなった。おれの祖父=おれの父からすれば実父は施設で暮らしはじめた。住む者のなくなった、父の実家は取り壊された。父は仏壇や墓のことを考えはじめ、折からの歴史好きも手伝って、寺を巡っては話をきいてまわるようになった。寺の住職はすごい。自分とこにある墓の来歴ならしっかり把握しており、急に訪れた父が「うちの母のはいった墓は、いつ、誰がもってきたもので、誰がはいっているのか」と尋ねればすらすらと教えてくれる。 つい数代前、滋賀の彦根から、京都の寺に運んできたとのことだ。ところが運んだ者がアバウトで、京都の寺は彦根の寺と宗派が違う。それもあって、一族代々の墓ではなくて、数代のうち、そのアバウトさに異を唱えなかった人らが結果的におさまっているらしい。よう知らんけど。 続いて調査に乗り出した、母方、つまり岐阜の大垣にあった家の墓の来歴についても、どうやらごまかしが多い。ひとりの「かわりもの」のために、墓の行き先がなくなる事態があったらしい。 昭和のなかごろ、青年らは単身で都会へと引っ越しはじめ、田舎に残してきた墓をそのままにしてると数十年のちに誰か死ぬ。次は誰の番だろうかと悩むころには、あれこれ調べて動かす余裕がない。嫁ぎ先の墓にはいるとか、別の墓をたてるとか、戦死してうやむやになってるとか、ややこしいからウチは墓を継ぎたくないとか、もはやふるさとはないから墓ごと引っ越したいけど親戚全員への連絡の手立てがないのでできる範囲だけを整理して仕切り直すだとか、そういうごたごたを探査するのがおもしろいらしい。 父から送られてきた、一緒に夕食を食べることを誘うメールには、「うちの墓についての話をしたい」と書いてあって、おれはてっきり、「墓を継げ!」というような説教をくらうのかと身構えていたのだけど、全然そうじゃなかった。墓の来歴からみえてきた、数代前のずさんさ、てきとうさから、果ては戦国時代の仏教戦争まで、わがこととしての眺望が可能になった歴史物語を一席ぶちたかっただけだったみたいだ。よかった。
京都で父は祖父、父からすれば実父と、たまにあそんで暮らしている。祖母なきいま、90近い祖父と話をできるのはあとどれくらいかと思いを馳せるとき、父はふと、戦争の頃のことを聞いておこうと思い立った。いままでぶつけていなかった質問をした。 「お父ちゃん、戦争のときなにしとったん?」 祖父は15歳だった。日本軍はくたびれていた。戦局はひどい。余裕がない。15歳だった祖父は、予科練にはいった。 「軍にはいれば、ご飯が食べられるから」と祖父は笑って話したそうだ。けれど理由の真ん中は本当はそこじゃない。どうせだめになるのだ、負けるのだ。自分の兄、つまり一家の長子を死なすわけにはいかない。兄=長男に家は任そう。長男が無理やり徴収される前に、次男である自分が身を投げうとう。 きっと必要になるから、と考えて、英和辞書を隠し持って予科練にはいった。敵の言葉の辞書を軍に持ち込んでこっそり勉強するなんて、見つかったらえらいことになる。 その頃、12歳だった祖母は、呉の軍需工場で働いていた。 生前の祖母、というか、祖父と出会ったばかりだった祖母は、祖父が、長男に代わって死ぬつもりで、自ら志願して予科練にはいっていたことを聞いて泣いたという。 おれの父親は、おれの祖父からそんなような話を引き出していたそうだ。父としても、はじめて聞く話だった。 90近くなった自分の父親が、目の前で話をする。自分の身に起きたこと、戦争時代の思い出話をする。子供の前で語ってこなかった話を語る。なんだか瀬戸内寂聴みたいな見た目になってきている。極端な福耳で、頭の長さの半分が耳である。 本人は平気な顔をして、ただ、思い出を話しているだけなのである。それでも、「大井川で、戦地へ赴く特攻隊を見送った。最後に飛び立つ隊長機は空でくるりと旋回したあと、見送る人々に敬礼をした。」と、この目で見た、体験した出来事についての記憶を、まさに目の前にいる、親しみ深い人物が回想し話しているのに接して、おれの父は号泣したという。これは「裏山にかかってたから屠って食卓に登場する鹿の肉」なのだ。
戦争への思いのあらわれた涙ではない。あわれみや悲しみでもない。伝え聞いていたという意味では「知って」いたはずの戦争だが、身近な存在たる父親が直接の当事者であったことがふいに示されて、戦争が急激に近くなる。父親が急激に遠くなる。目の前で話されていることと、話している人との距離感が急激に揺さぶられた。このショックが、号泣として反応されたのではないか。食事中、口にする豚肉を「ロースだよ」と教えてくるような調子でふいに、「この豚は雌だよ」とささやかれて受けるショックと同質の、「近さ」についての涙なのではないか。感情の涙ではなくて、刺激への反応としての落涙。 これでひとまず、自分の描く分を切り上げる。思えばいろいろなトピックに立ち寄ったものです。ラブコメにはじまり、犯罪的行為と共同体の紐帯の話、内的な事件「恋」の取り扱い方、ジビエを食べること、故郷についてのマジックリアリズム。 散らかすだけ散らかしておいて、まとめるとか、なにかの主張に収束するということもない。中心がない。さながらライブハウスのトイレの壁みたく、みるべきメインの仕組まれていない羅列面。 この羅列面に対して連想されるもの、付け足したくなったものがあれば、各々が好き勝手に続きを書いてください。うまく繁茂すれば、この世のすべてを素材・引用元とした雑文になるはずです。や、ほんとのことをいえば、すでにテキストというものはそういうものなんですけど。
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benediktine · 4 years
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【危険性が高い「マダニ感染症」 昨年は過去最多の被害、ペットからの感染も】 - Yahoo!ニュース : https://news.yahoo.co.jp/feature/1728 { 2020年 } 6/12(金) 18:05 配信
2019年、マダニ媒介感染症の一つ、重症熱性血小板減少症候群(SFTS)の報告が102件と過去最多になった。SFTSは主にマダニに刺されることで発症し、重症化すると死亡することがある。死亡例は50代以上に限られるが、致死率は27%にもなる。ペットへの感染も確認されており、ネコの致死率は60?70%。西日本を中心に広がりを見せ、専門家は「いつ関東で患者が出てもおかしくない」と話す。その実態に迫った。(取材・文:Yahoo!ニュース 特集編集部)
 {{ 図版 1 : (トップ画像はイメージです) }}
■《マダニが運ぶ感染症》
 {{ 図版 2 : アライグマとその体に付いていたマダニ(右下)。アライグマは外来生物法によって「特定外来生物」に指定されている。鈴木和男さんは「市街地にも生息するので、感染症をヒトのごく近くにまで持ち込む可能性がある」と指摘する(写真:石橋俊治) }}
「ほれ、見てみ。大きいのが付いとるわ。柔らかいところにいっぱい付いとるよ」
アライグマの耳もとに付いていたのは、マダニだ。幼ダニは1ミリほどと小さいが、吸血して膨れた成ダニは7?8ミリにもなる。
和歌山県田辺市のふるさと自然公園センターの鈴木和男さんは、2002年から駆除されたアライグマの体重や性別、繁殖状態などを記録している。その数はすでに5000頭以上。感染症などの調査のため、血液も採取しており、研究者の元でさまざまな検査に活用されている。
「以前、ザンビア共和国(アフリカ)の国立公園に勤めてたことがあって、そこでカバの群れの感染症死を目の当たりにしたんよ。(帰国後)日本でも哺乳類の感染症研究がこれから必要になるはずだと思った。アライグマだけでなく在来種も含めて、感染症の動向を追える検査試料の確保が自分の役目」
 {{ 図版 3 : 鈴木和男さん。アライグマの捕獲の連絡があるたびに車で回収に出向く。往復30分で行けるところもあれば、2時間かかるところも。取材に訪れた日は7件連絡があり、8頭を回収。回収作業だけで5時間以上を要した(写真:石橋俊治) }}
2013年、鈴木さんが07年から山口大学共同獣医学部の前田健教授(当時、現・国立感染症研究所獣医科学部部長)に提供していたアライグマの血清から、和歌山県で初めてとなる感染症が見つかる。
マダニが媒介する感染症の一つ、重症熱性血小板減少症候群(SFTS)だ。
13年1月に前田氏らが国内でSFTSを初確認したことを受け、鈴木さんが集めた大量のサンプルを振り返って調べることになり、判明したという。
■《2019年、感染報告は過去最多102件》
SFTSは、主にウイルスを持ったマダニに刺されることで発症する感染症だ。発熱や全身のだるさ、下痢や腹痛などの症状が出て、重症化すると死亡することがある。これまでの死亡例は50代以上に限られるが、致死率は27%にもなる(国立感染症研究所)。2019年は全国で過去最多の102件の感染報告があった。しかしいまだに治療薬はなく、新型コロナウイルスでも注目される「アビガン(ファビピラビル)」が治験の最終段階にある。
 {{ 図版 4 : SFTSの年代別の感染者と死者 ※国立感染症研究所発表、2020年1月29日現在 : これまで国内で感染報告があった数。死亡者数は厚生労働省の「感染症発生動向調査」の届け出時点の情報であるため、正確な死亡者数はより多い可能性がある(図版製作:EJIMA DESIGN) }}
前田氏は、危機感を煽りすぎるのはよくないとしつつも、SFTSを「怖い病気だ」と語る。
「致死率だけでいうと、国内でこれほど怖い病気はしばらくなかった。SFTSは、クリミア・コンゴ出血熱(CCHF)とよく似たウイルスでマダニが媒介する。クリミア・コンゴ出血熱は発症率20%くらいで、SFTSはほぼ100%。それぐらい怖い病気っていうのが僕らの認識です」
 {{ 図版 5 : 国立感染症研究所獣医科学部部長の前田健氏(写真:石橋俊治) }}
■《いつ関東で患者が出てもおかしくない》
国内での初確認から7年。今のところ、国内で感染が確認されているのは、西日本の23府県と東京都のみ。東京都での感染報告は1例で、患者が長崎県を旅行中に感染したと考えられている。
しかしSFTSは年を追って、東へと分布を広げてきている。前田氏らの調査では、東日本にもSFTS陽性のシカがいるといい、「いつ関東で患者が出てもおかしくない」と警鐘を鳴らす。
「私たちの調査で、各都道府県のシカのSFTS陽性率が12.2%あると、毎年1名患者が出るという傾向が見え始めている。ある程度、野生動物にSFTSが広がると、ヒトの患者も出始めるのではないか」
現に、2013年にSFTS陽性のアライグマが増加し始めた和歌山県では、翌14年にヒトの感染が初めて確認されている。
「SFTSは全国にまん延はしていないけども、そのウイルスは国内どこにでもいる。昔は里山などで分かれていた野生動物と僕らのすみかの境界が崩壊したということ。今は緑が豊かに、身近になったというけど、それはイコール野生動物の隠れ家でもあるんです。近くにあればあるほど、動物たちも、マダニも僕らの近くに来てるわけです」
 {{ 図版 6 : SFTSの感染報告がある都道府県ならびに感染報告数の推移 ※国立感染症研究所発表、2020年1月29日現在 : 東京都での感染報告は1例で、患者が長崎県を旅行中に感染したと考えられている。死亡者数は厚生労働省の「感染症発生動向調査」の届け出時点の情報であるため、正確な死亡者数はより多い可能性がある(図版製作:EJIMA DESIGN) }}
■《正しく恐れることが大切》
一方で、前田氏が「危機感を煽りすぎるのはよくない」と言ったのには理由がある。
そもそも日本には、森林から都市部、水の中にまで約1800種のダニがいるが、SFTSを媒介するのは、主に野外に棲むフタトゲチマダニとタカサゴキララマダニの2種とされる。家のカーペットやお好み焼き粉などに発生するものとは、違うダニなのである。
さらに上記2種のマダニも、SFTSのウイルスを持つ割合は低い。〈ダニに刺された=感染〉と早合点してはいけないのだ。前田氏は言う。
「持ってたら怖いよ、と。だから、もしマダニに刺されて数週間以内に熱が出た場合、病院に行って『マダニに刺された』ことを告げて相談してほしい。正しく恐れることが大切だと思います」
■《判断難しく、病院がいかに気づくか》
ただし、「刺されたことを自覚するのは難しい」という指摘もある。SFTSの診断経験もある、熊本県の上天草市立上天草総合病院・感染対策室長の和田正文医師は言う。
「あいつらは刺すのがうまいんです。成虫は1週間近く肌に付いたまま血を吸っていることもあるんですが、刺されても自覚はほぼない。体に付いていても、(マダニを)イボだと勘違いして病院に来る人がいるくらいです。蚊に刺されたときに分からないのと同じ」
 {{ 図版 7 : 熊本県の上天草市立上天草総合病院・感染対策室長の和田正文医師。「マダニが媒介する似た症状の病気に、日本紅斑熱もある。重症化すると死亡することがあるが、こちらは特効薬があり、早く治療すれば確実に助かる」 }}
だからこそ、病院がいかに気づくかにかかっている、という。
「SFTSの主な症状は、だるさや高熱、食欲低下、下痢……。細菌性腸炎とかウイルス性腸炎と診断がついてもおかしくはない。患者さんの中にはインフルエンザっぽいとか、熱中症っぽいと言ってくる人もいるという話もある。医師が血液検査をしても、白血球や血小板が少ないからと白血病とか骨髄の病気を疑うケースもあります。SFTSは除外診断で、これじゃない、あれじゃないと別の病気の可能性を除外しながら、ようやく診断にたどり着く。しかも診断を確定させるには、都道府県の衛生研究所に検体を送ってPCR検査をする必要があります」
中国と韓国では、患者から医療従事者へのヒト?ヒト感染が確認されている。感染が発覚した場合は、医療従事者も現在のコロナと同じような対応が必要になるという。ただし、日本ではヒト?ヒト感染は確認されていない。
「基本的にはICUなどが整った感染症指定医療機関で治療するのが望ましいとされています。病院側も感染リスクがあるので、防護服を着るなどコロナ同様の対応が求められる」
マダニ感染症の予防については、厚労省も特設サイトに予防策などをまとめている。「野山に入るときに肌の露出をなるべく避ける」ことなどが基本だが、和田医師は、忌避剤の使用が効果的だと話す。
「基本的には、野山で地べたに直接座ったり、ダニのいる場所に長時間居続けたりすることがリスクになる。肌の露出を減らすのはもちろん、イカリジン、ディートといった成分を含む市販の忌避剤を使えばかなり防げる。とくに足元や手元も。ただ、ディートは含有率によって小児に使えないケースがあるので注意してください」
■《ネコも感染、致死率は60?70%》
 {{ 図版 8 : イメージカット。前田氏は「ネコ同士のケンカなどによって、ネコ?ネコ感染もほぼ間違いなく起きていると思います」と言う(写真:石橋俊治) }}
2016年、西日本の50代の女性が、弱った野良ネコを病院に連れていこうとして手をかまれ、SFTSを発症した。そして約10日後に亡くなっていたことが、17年夏に明らかになった。動物からヒトへの感染が、初めて判明した例である。
それまでヒトはマダニを介して感染するとされていたが、潮目が変わった。
これまで把握されているだけで獣医療関係者7人とペットの飼い主11人が感染して、その一部は亡くなっているという。前出の前田氏は言う。
「2017年は、ネコ以外にイヌとチーターの感染も確認されました。それで調査をしてみたら、致死率はイヌで29%、ネコだと60?70%にもなる。ヒト以外の動物がSFTSを発症した報告があるのは、なぜか日本だけなんです」
 {{ 図版 9 : 感染経路はSFTSウイルスをもったマダニに刺されることが中心(図版製作:EJIMA DESIGN) }}
2019年はネコの感染数が109頭で、ヒトの102人を上回った。しかし前田氏は「おそらくもっと多い。野良で死んでる子がいっぱいいると思います」と言う。
「イヌを調査したら、何の症状もなく抗体を持ってる子が結構いたんです。発症する子もいるけど、不顕性感染といって感染しても症状が必ずしも出ない。でもネコは発症してしまう。死亡率が高い分だけ、われわれも把握できていない個体が多いだろうと」
イヌやネコが感染した場合も、症状はヒトと大きく変わらないという。つまり、一目で分かるような特徴的な症状はない。
「感染している場合、唾液や尿を含め、全ての分泌物にウイルスが出てくる。ペットの具合が悪くなって介抱するときなどは、注意が必要です。子どもが弱った野良ネコを助けたところ、そのネコがSFTS陽性だったというケースもありました」
 {{ 図版 10 : マダニから身を守るためには ※国立感染症研究所への取材に基づく : 忌避剤に含まれるディートは、含有率によって小児に使用できないものもあるので注意(図版製作:EJIMA DESIGN) }}
SFTSと私たちはどのように付き合っていけばよいのか。
前田氏は、新型コロナウイルスのような急激な感染拡大の可能性については「ないですね、ほとんど」と否定する。
「日本脳炎やマラリアなど蚊については学校で教わる機会もあると思うんですけど、マダニって教わる機会がないんですよね。海外でも今、マダニがすごい問題になっている。だからこそマダニに対する教育は重要。刺されたら、感染症の可能性があるということを知ることがまず大切です」
感染症は私たちの生活のすぐそばに存在している。ただ感情に任せて恐れるのではなく、現実と向き合い、付き合っていくための“知”が今、求められているのではないだろうか。
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4.朝鮮の道路・鉄道・港
問い6:李氏朝鮮末期の状況について>4.朝鮮の道路・鉄道・港
目次は こちら
4.朝鮮の道路・鉄道・港
 道路は国家統治の基本と成る基礎的な施設です。ローマ帝国は「全ての道はローマに通じる」といわれる通り、帝国内に立派な道路を張り巡らせ、日常的な国家運営と一朝有事の際にはこの道路を活用して統治しました。この意味から、李氏朝鮮末期の時代の道路について調べました。
 以下は、『朝鮮紀行』の道に関する記述を出てくる順に記します。この記述は今の仁川からソウルへ行くときの状態です。
[首都への連絡は何につけても「道路」によって行われる。正確に言えば道路は存在しないが、この言葉を用いることにする。ソウル駐在のイギリス代理総領事ガードナー氏が親切にも25マイルの道をエスコートしてくださった。わたしは6人でかつぐ輿におさまり、7時間でソウルに着いた(51ページ)。
 (中略)
 道路は交通そのものに損なわれてしまい、はっきりしない箇所が多く、たいがいは公道3、4本分の幅をだいなしにして轍がばらばらについている。しかも深いぬかるみを避けて新たに出発している所が多い。ぬかるみは殆ど底なしである(51~52ページ)。
 (中略)
 麻浦近くではなにもかも砂地を渡らなければならない。素晴らしい牛、そして人が荷物の運び手である(52ページ)。
 (中略)
 ガードナー氏の馬よりもわたしの輿のほうがいそいそと乗り込んだ平底舟で、わたしたちは都会の下肥を郊外へ運ぶ荷牛を満載した渡し船に出会いながら漢江を渡り、荒れて勾配がきつく、汚くてぬるぬるした河岸に降りると、そこからすぐに、狭くて不潔でぬかるんで、でこぼこした麻浦の通りに入った(53ページ)。
 (中略)
 それから青いお仕着せの輿かきがかつぐ二台の輿にのってガードナー夫人と令嬢がコーフ主教、朝鮮税関長のマクレヴィ・ブラウン氏、副領事のフォックス氏とともにあらわれ、ついで人家と路地が密集してきたと思ったらわたしたちはソウルの城壁まで来ていた。二重屋根の高い城門をくぐってみすぼらしい路地を更に10分ばかり行くと、そよ風の吹く丘の頂上にあるイギリス公使館と領事部の鮮やかな赤レンガの建物に着いた(53ページ)。]
上に記述されている道路は、済物浦(仁川)と首都ソウルを結ぶ幹線道路であり、朝鮮で一番立派であってしかるべきものと思いますが、バード女史に「正確には道路は存在しない」と言わせる状態でした。
 『朝鮮紀行』の「第十章 朝鮮馬/朝鮮の道路と宿」の169~173ページには、バード女史がソウルから元山への道筋で経験したことが記されています。彼女は気の荒い朝鮮馬に乗った旅でした。その要点を引用します。
[旅人が馬または徒歩で進むペースはいずれの場合も一時間に三マイルで、道はとにかく悪い。人工の道は少なく、あっても夏には土ぼこりが厚くて冬にはぬかるみ、均してない場合は、でこぼこの地面と突き出た岩の上をわだちが通っている。たいがいの場合、道といっても獣や人間の通行でどうやら識別可能な程度についていた通路にすぎない。橋のかかっていない川も多く、橋の大半は通行部分が木の小枝と芝土だけでできており、7月初めの雨で流されてしまう(169ページ)。
 (中略)
 山間部では、道とは大方が渓流の川床に丸石をばらまいた以外のなにものでもなく、最良の場合でも、冬場のソウル・済物浦間のように、ぬかるみの深さが一フィートから3フィートにおよぶ湿地帯がある。こういった忌まわしい乗馬道は、私も広く辿ったが、朝鮮の発展に大きな障害のひとつである。
 そのうち最悪なのはソウルから元山にいたる幹線道路の山間部分で、この道路をわたしたちは四方巨里から二日かけて城隍堂までたどり、城隍堂から金剛山のそびえる地方へとわき道にはいった。(169~170ページ)
 (中略)
 川幅は162ヤード、水深16フィートのペギャン江を私たちは飛び切り工夫に富んだ造りの渡し船で越えた。この渡し船はこの川にかかった長い橋が壊れ、復旧に充当される��ずの資金は地方官僚が横領してしまった為に、やむなく必要になっている。(後略)(173ページ)]
 朝鮮の道路の状況は、幹線道路でも橋を安心して渡れないほど、酷い状態になっており、道の酷さが朝鮮の発展の大きな障害の一つになっているとバード女史にいわせています。
 道路を整備して人々の生活がしやすいようにして、国を発展させるのは、為政者の責務です。道が悪いまま放置されているのは、為政者たちに道の整備への想いが全くなかったことを示しています。関心がないだけではなく、壊れた橋を再建する金を地元の官僚が横領して、逆に道路の整備を阻害しています。そしてそれを国王も中央の政府も咎めませんでした。
 『朝鮮事情』の「第15章 科学―産業―商業―国際関係」の314~315ページには、
[商取引におけるもう一つの障害は、交通路のみじめな状態である。航行可能な河川は非常に少なく、ただ幾つかの河川だけが船を通すが、それも制限された区域の航行が許されているだけである。一方、この国は、山岳や峡谷が多いのに、道路を作る技術はほとんど知られていない。したがって、ほとんどすべての運搬が、牛か馬、もしくは人の背によって行われている。]
と記されています。また、道路に関して、フランス人のダヴリュイ主教が次のように述べていることが『朝鮮事情』の315ページに紹介されています。
[道路は理論的には三等級に分けられています。私が王の道と翻訳した第一級の道路はふつう四人が並ぶのに十分な広さであります。(中略)雨によって道の一部が流されたりします。もちろん、誰もそのような小さな不都合を修復しようとする者はいませんので、しばしば死の危険を冒し、川に転落するのも覚悟のうえで、馬に乗り、それら岩石の上に這い登らねばなりません。
 (中略)
 二級道路について言えば、その状態と道幅、それに交通の便利さは、日ごとに変化します。わるい小径としか見えなくとも、「これもまた大路ですか」と聞くと、人々はきっぱり「そうです」と答えます。すべてがこの調子です。石、岩、泥、川と、道が無いのを別にすれば、そこには何でも揃っています。 しかし、三級道路については何と言ったらいいでしょうか。その広さはせいぜい30センチで、道案内人の聡明さのいかんによって、見えたり見えなかったりするし、水田を横切るときはしばしば道は冠水しており、山中では絶壁に肌がふれるのです。
 橋について私は、二種類のものを知っています。一つは、小川の所どころに大きな石を投げ込んで作ったものです。これがもっとも一般的なものです。もうひとつの種類は、川に杭を打ちこんで作ったものです。これは、上に板のようなものをかぶせて土でおおってあり、しばしば穴があいているが、それでもいちおう橋の形をしています。夏にはよくあることですが、水かさが増すと、川の氾濫によって、すべての橋は流されるか水に漬かるかしてしまいます。そして、これがまた、旅人に途中で水浴びをする楽しみになるのです。]
 このように、朝鮮では19世紀になってもまともな道路がありませんでした。
 李氏朝鮮時代は厳重な鎖国を実施していたため、開国まで鉄道はなく、その必要性も知りませんでした。また外国との貿易も禁止されていたので、港も大きな外航船が接岸できる所は無く、沖合で停泊して小さなボートで上陸するしか方法は有りませんでした。
 これが李氏朝鮮末期の交通の状態でした。当時の政府は、国民から税を徴収して、それを王や中央の支配者階級や両班・官僚などが贅沢をするためだけに使い、国民が生活しやすくすることは眼中になく、道路や橋は荒れ放題にまかされていた様子が分かります。
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