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#家族の皆様に感謝感激雨あられ
sakananoko-news · 2 years
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『さかなのこ』9/11(日) 実施 大ヒット御礼舞台挨拶 レポート
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SNSでは、「早くも下半期邦画のベストに相応しい傑作。」など絶賛の嵐が吹き荒れている本作。
この度、映画の大ヒットを記念して大ヒット御礼舞台挨拶の実施いたしました!
SNSにて事前に募集した質問にのんさん&沖田監督がお答えするQ&Aコーナーやイベントの模様をギョギョッとご紹介いたします!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【イベントスタート】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
チケット即完売・満員御礼で、上映後の余韻冷めやらぬ観客が待ちわびる会場に、のんと沖田修一監督が登壇すると盛大であたたかな拍手に包まれました。
のんさん:「おかげさまでたくさん観ていただいていると聞いて、とっても嬉しいです!」と笑顔で挨拶。
沖田監督:「観ていただいた方から、色々な嬉しい声を聞いています!」と嬉しそうな様子で幕開け。
事前に公式SNSで2人への質問を募集し、用意された質問BOXから2人が質問を引いて、時間の許す限りどんどん答えていくことに。沖田作品と言えば、実にユーモラスで魅力的キャラクターがたくさん登場し、映画を観終わった後にも心に残るシーンが数多いことでファンが多く、本作もそんな印象的なキャラやシーンがたっぷりで、読み上げられた質問には会場も共感があふれるように笑いが何度も沸きあがりました。
Q&A全文はこちら▼
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●1問目:この映画が、のんさんの演技や創作意欲にどんな刺激・影響を与えましたか?
さっそく濃厚な質問を引き当てたのんさんは「ほう!」と一言。「主人公のミー坊は好きなおさかなさんを追い求めてまっすぐ突き進む、何にも影響されない“好き”を持っている姿にすごく勇気づけられました。私もミー坊と似たところで、猪突猛進にやりたいことへ突き進む傾向にあるので、ミー坊のように生きていいんだな、そういう風になりたいな、という気持ちになりました。背中を押してくれる役柄だと感じてます!」と今回演じた主人公・ミー坊への思い入れを語りました。
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●2問目:沖田修一監督に聞きたいです。床屋の店主は何者なのでしょうか? モモコの裏設定、シングルマザーになるまでの人生があれば教えてください。
 みんなが気になっていたキャラがさっそく質問に上がって会場からも笑いが起こるなか、沖田監督は「ロケハンであのアパートがいいね、となったときにもともと横にあの理容室があって無視することができなくて。上京したミー坊が新しい“愛の巣”に帰っていくような設定だったので、隣の床屋の主人を“愛の象徴”みたいにしてみたらミー坊たちが家族のように見えるんじゃないか、床屋のクルクル回るところもミー坊の新しい生活が始まった、人生の始まりみたいになったら、と思って裏設定にしてみました。
演じているのは『キツツキと雨』で一緒に脚本を書いた守屋文雄くんで、渋い方なんでメイクをさせて「ウン」しか言わない人としてやってもらいました(笑)」と話し、モモコについては「台本には最初タカナシという悪い男がいて、酷いことをされてシングルマザーになる話を書いたんですが、あんまり面白くなかったんで思いっきりハショりました(笑)」と知られざるエピソードを明かしました。
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●3問目:ミー坊&ヒヨ、幼いころから右手をくるんくるんさせています。この仕草を2人が始めたエピソードを知りたいでギョざいます。
 子ども時代から2人がやっている仕草についての質問に、沖田監督が「走るときにあれをやると速くなる、というような話を大人になってもやろう、とミー坊とヒヨでやってくださった。大人になって最後にものんさんがやっているのを最初は気づかなくて、「あ、そっか!」と編集してて気づいたんです。やろうと決めてたんですか?」とのんに聞くと、「そうですね、子供たちと皆で走るシーンだったので、走るときはこれをやらなきゃ!と思って」���振り返りました。
●4問目:サンマを頭から食べるシーンはヒィーとなりました。実際にはどこまで食べられますか?
 衝撃的シーンについての質問にのんが「さかなクンが、本当に背骨が後ろに伸びているから頭から食べれば骨は刺さらない、と言うので沖田監督が試してくださったんです」と話をむけると、体を張って試した沖田監督は「大丈夫だったんですけど、さかなによっては危ないなと思います(笑)」とトロ🐟(吐露)。
実際の撮影にあたっては、のんが「本当に食べてるんですけど、ちょっとズルを…背骨をちょっと抜いてもらってすごく柔らかくしてもらいました。(笑)」と裏話を披露。沖田監督も「(母役の)井川遥さんもめちゃくちゃ食べてましたよね」と続け、のんさんも「美味しくてカットかかっても2人でばくばく食べました」と満足そうな様子でコメント。
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●5問目:ミー坊の口元に食べかすがついているのをお母さんのミチコが指摘するセリフはアドリブですか?
 のんさんは少し照れくさそうに「あれは…勝手に私が口元につけてたんですよね?」と聞くと沖田監督はすかさず「そうだと思いますよ!井川さんがサっとやってくださんだと思います」と即答。続けて「いつもついてて何度も井川さんがやってくださって、独り立ちさせたいけど母はどこかでまだ子供だよ、と思っている名残にも思えて良かった。井川さんは狙ったのかな?とも思い最後までわからなかったけどそのままにしました」とアドリブをそのまま採用したそうで、のんは「私よく口の周りに食べかすがつくんですよ…この間はおでこにドーナツのお砂糖が張り付いていて…(笑)」と普段のおっちょこちょいな一面を明かし会場を沸かせました。
●6問目:居酒屋でししゃもを注文したのにカペリン(カラフトシシャモ)が出てきて怒って店員に絡むシーンが、酔っぱらった昭和のおっさんぽくて大好きなのですが、監督からはどのような演技指導があったのですか?
 のんさんは「私もあのシーンすごく好きです!監督が酔っ払いの演技を目の前でやってくれたんです。それがすごく面白くてマネしました。監督が“酔っ払いの師匠”です!」と宣言、沖田監督も「2人で、酔っ払ってくだをまく練習をしましたね、昭和のおっさん感は僕がやったからですね(笑)。本番を撮っているときは、お猪口のお酒がめちゃくちゃこぼれてるのを見て大笑いしちゃいました。あそこまでならないけどな、と(笑)」と振り返り大きな笑いに包まれました。
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●7問目:のんさんは、『さかなのこ』でミー坊役以外にやってみたい役はありますか?
 のんさんは少し考えてから「(柳楽優弥演じる)ヒヨかな。“狂犬”とあだ名の付いた不良で鎖を付けていて、アウトローで暴れそうなのに縛られている、飼い主がいる、その矛盾した魅力が味わい深いなと面白かったです(笑)」と語ると、沖田監督もうなづきながら「似合いそうですね。コンパスで左手を刺さなきゃいけないですよ?(笑) ヒヨとミー坊のやりとりは微笑ましくてこっちが笑っちゃいました。柳楽さんが昭和の不良がすごい似合う、まさに昭和のスターみたいでした」と重ね、ちょっと世界線の異なる『さかなのこ』アナザーバージョンに期待も膨らむ(?)一幕も。
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●8問目:お互いにここがスゴイ、こんなところを尊敬している、というところを教えてください。
のんさんは「もともと沖田監督のファンで大好きだったので、沖田組で役を演じられて本当に幸せでした。映画へのすさまじい集中力で、それが明るいパワーでいい空気が流れていて、私も乗っかるといい演技ができる、そんな威力のある監督でした。今日お話を聞いていても、映画の随所にちりばめられた沖田監督の演出がすべてキーになる、それを直接見せていただいて凄い方だなと、本当に勉強になりました。あと、酔っ払いの演技も(笑)。現場では、ファンだとバレないように、私は役者です、演技しに来ました、と舞い上がらないよう頑張ってました。」と照れながら笑顔に。
対する沖田監督は、少し照れくさそうに「そんな冷たくならなくても!(笑) 後から(ファンだと)聞いてビックリしたんです、気づかなかったです。ありがとうございます。この映画はのんさんがミー坊をやっているから成立しているし、他に誰ができるのかと思っていたので、やってもらえて嬉しかった。(役について)一生懸命ずっと考えて練習しているはずで、でも現場でそういうところを見せないようにしているんだと思うんですが、現場でズバっと表現してくれて様になっていく。すべてOKを出してしまいそうになる、こんなことは初めてで、のんさんの凄さ。のんさんだから上手くいくことが沢山ありました。感謝です。僕もそういうことをあんまり現場では言わないように、まあ頑張ってますね、みたいな顔しているようにしてました(笑)」と振り返り、のんさんは「2人とも現場ではスカしてたんですね(笑)」と笑いながら話しました。
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時間いっぱいまで話しつくした2人から最後に一言。
沖田監督:「自分でも気に入っている作品で、また度々ミー坊に会えたら良いなと思うくらい好きな作品です。沢山の方に観ていただきたいです」と改めて語りました。
のんさん:「この映画でミー坊を演じられて、本当に嬉しくて、これから自分の宝物になっていくと感じています。“好き”を追い求めるミー坊のまっすぐさは、皆さんにも大切にして欲しいなと思いますし、皆さん一人ひとりの映画になっていくと嬉しいです。」と力を込めてイベントを締めくくりました。
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撮影秘話たっぷりで、注目シーンばかりの『さかなのこ』をまだ観ていない方は劇場へと急ぎたくなる、一度観た方もミー坊と皆の物語にまた会いたくなる、笑顔と多幸感(タコ🐙)にあふれたイベントとなりました!
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hirasen · 1 year
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#ひらせん食堂 の #超豪華ディナー ( #笑 )は、 #お隣様から頂戴した #おこわ #でございます ! #もち米モッチモチ 、 #やっぱり美味しい〜 ♪ #ご馳走になりまして #ご馳走 、 #誠にありがとうございます !! #そのほか 、 #シャレオツな器 #に入った #みそ汁 #など 、 #おらい ( #わが家 )の #料理 も #サイコー ◎ #そして 、 #キャベツの浅漬け #キャベツ #浅漬け も #シャキシャキ食感 が #ウメガッター ☆ #家族の皆様に感謝感激雨あられ で #ゴザイマーーーース ♡ https://www.instagram.com/p/CpFa7KVvAvm/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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rodbert · 3 years
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今みたいな騒ぎが起きるなんて、全く想像もつかなかった昨年の秋、私は学生時代からの長い付き合いである友人の実家に泊めてもらった。朝御飯の時、友人のお父さんが台所へやって来た。そして一言、こう言ったのだ。 「おーい、母さん、飯炊けてるか?」と。それに対し、友人のお母さんは、誰に聞かせるとでもなく、かといって客の私にもハッキリと聞こえる音量で、こうまくしたてながら、ご飯をよそって言った。 「飯炊けてるか?って、私が一日でも飯を炊かない日があった?雨の日も雪の日も、どんなに具合が悪くても、毎日炊いてますが。逆に聞きたい。私が飯を炊かなかった日が、ここ数十年で一日でもあるか?ってね!!!」 友人のお父さんは、そんな嫌味にはすっかり慣れているようで、うるせえな、という顔を一瞬したのみで、決して反抗せず、かといって「そうだな、悪かった」とか、「いつも飯炊いてくれて、ありがとう」などと言うわけもなく、黙ってご飯をかきこんでいた。その話を我が母親にしたら、我が母親もうっすら涙さえ浮かべて「分かるわ、その気持ち!」と完全同意していた。客観的に見れば、友人父に悪気は全くなく、「おはよう」と同義くらいの挨拶として聞いているわけだ。長年の信用と実績で、飯が炊けてることなんて分かっている。それでも、友人母からすると「飯が炊けてることが当たり前だと思うなよ。いや、当たり前にしてやってんのに、いちいち聞くんじゃねえわ」ということだ。 「女の言うことはいつも正しい、だけど、小うるせえ」……思考的に男性度数高めな私は、改めてそう感じたものだ。 それから現在……このコロナ禍に於いて、テレワークという形態がとれている身の上は恵まれている、という大前提は分かってはいても、本当に本当に、会社の女たちは、とにかく男どもにキレまくっている。CMなんて見ますと、��落たカシミアのセーターの袖をまくったヤンエグ(死語)パパが、綺麗なリビングのソファに座り、片手はパソコンをいじり、もう片手で赤ん坊の頭をなで、その横では私立小学校に通う聡明そうな女児がオンライン授業を受けており、それを対面キッチンから見守る美人妻。「家族との時間を共有しながら、仕事も円滑に行う。これぞ、新しい生活様式……」とか言ってるが、すいません、チーン……もしかしたら、日本のどこかにはそんな素敵なパパも1人か2人いるのかもしれないが、私が目撃した世のパパたちは、常に妻や同僚や部下の女にキレられている。 まず、話にならない窓際オヤジ。コロナ騒ぎが起きる前から、東京五輪開催時対策として、会社としてテレワークの整備をし、社員は練習を積まされてきたのに、「俺はテレワークなんてしない。客のところに足を運んでナンボで生きてきた営業マンだから」と、既に足を運ぶべき客なんていないくせに、頑なにテレワークを拒んできたツケで、いざ、出勤禁止期間となっても、テレワークが出来ないオヤジ。「何をどうすればいいんだ?」と聞かれましても、そもそも「家にWi-Fiがない」とか言い出す。「ビックカメラに行ってWi-Fi買って来い。ビックカメラのお兄さんに説明聞いてこい。buffaloってどれですか?って聞いてこい!」頭に来るあまり、ものすごい雑な女たちの暴言を真に受け「ビックカメラ。Wi-Fi。buffalo」と、そのまま黒手帳にメモっちゃって、もう手がつけられない。が、彼はその言いつけを守り、buffaloを家に設置し、無事にWi-Fiを開通させた。そして、オンライン部会に彼がヌボっと顔を出した時には「出た!!やるじゃないか!」といった意味で、女たちから拍手が飛び出した。オヤジの家の背景が、案外と洗練されていたことも女たちを萌えさせた。低レベル。 無責任男。このような非常事態になると、本当に責任感のある男と、とにかく出来るだけサボってやろうという男の二極化が激しかった。無責任男は、「ねえ、会議に入れないんだけど」などと平気で電話してくるが、そこで女たちにキレられる。「はぁ??あなたをオンライン会議のホストに設定したって私、言いましたよね?書きましたよね?あなたが開始しないから入れないんじゃないですか!大体、自分で会議招集して欲しいんですけど!そこを人にやらせておいて、入れないってなんですか?」「あ……そういうこと?ごめん、ごめん。ど、どうすればいいの?」「英語読めないんですか?『If you are host, start meeting』って文字見えません???」「あ、はいはい、スタートしますぅ」……ここでも男に悪気はなく、ただ受け身なだけなのに、とにかくキレられる。 上記のような明らかなダメンズだけでなく、組織の長と言われるおじさんたちも受難。「あの!全社通達は先ほどこのように出ましたが、当組織としては、明日からの勤務体系につき、どのように致しますか?組織長として意思表明をなさった方がいいかと思います!」などと秘書にキレられ、「えーーでもさ、他の組織はどうしてるんだろう?」などとモゴモゴ言おうものなら「他の組織は他の組織ではないでしょうか。とっとと決めてください!」とすごまれ、「出社出来る人は出社して、テレワーク出来る人はテレワークで。まあ皆、自分のやりやすい方でいいよ」なんて曖昧なことしか出てこない。その曖昧な結果にキレた秘書は、組織全員に一斉メールとして通達する際も「ハッキリしないことで申し訳ありませんが、以下が組織長のご判断です」と、ハッキリと組織長を公開処刑。 その他、ダラダラとWEB飲み会をしている夫にキレているであろう妻が、何度もPCの背後で皿を落とした?ような、ガチャン!という嫌がらせのような音を立てる瞬間にも何度も遭遇。妻にしたら、日ごろ全く家にいない夫が、いきなり毎日家にいて、場合によっては自分の部屋ではなくリビングを占拠し仕事をし、朝・昼・晩とご飯を食べるのだ。無理。その上、WEB飲み会だ?ふざけんな!という気持ちはよく分かる。が、「ウチの妻、嫉妬深いからさ。WEB飲み会に女子の参加者がいると、不機嫌になるんだ」……え???そっち???はぁ????こっちも、おたくの旦那とWEB飲み会なんて時間の無駄の極致で本当はしたくないんですけどね、社内コミュニケーションの一環でメンバーになっちゃってるだけなんすわ。嫉妬のあまり皿を背後でガチャガチャやる必要、ほんと1000%皆無なので!と叫びたいが、その声がPCを通じて聞こえたら聞こえたで地獄が繰り広げられるのでしょうね。 というわけで、小さな小さな私調べでは、「新しい働き方」なんて言いましても、実態は、女がキレまくって、男が謝りまくってる、ダサめのテレワーク2020でしかないです……でもこれも、月日が経てば、ドタバタと小競り合いを繰り広げながも、皆で何とか会社を回したなぁという思い出になるんでしょうか。
狂乱のテレワーク|henzutsuu|note
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kokoro-m · 3 years
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Never Ending Playlist
「賢い刑務所生活」に続いた「賢い医師生活」。
あまりにも愛溢れるドラマの場合、終わりというものが来るのが一年の早さほどに信じられずとりわけ悲しくなる。大好きな登場人物たちに会えなくなるから。それでも終わりを迎えてしまいました。
賢い医師生活を最初に見たシーズン1の1話、いつものように登場人物の顔と名前を一致させつつ物語を楽しむことにした。あの頃は一斉配信だったので割と早い段階で完走した組で、周りで共有できる人が少なかった。なんだかいいドラマだな、そう思って見終わってすぐなのにまた再生して、気づかぬ間にとびっきりの物語、構成、演出、音楽、その全てに魅了されました。ロマンスありきの韓国ドラマも胸に来る切なさや夢見るようなシチュエーションが詰まって最高なのに、賢い医師生活は完全に一線を画していました。これは大変なものに出会ってしまった。
ドラマはまさに、ヒーリングでした。
物語の最初で同じ病院に勤めることになった医大時代の同期5人。イクジュン、ソンファ、ジュンワン、ソッキョン、ジョンウォン。それぞれ違う分野の科を担当し、目も回るほどの忙しさの中で、一人の提案から大学時代にやっていたバンド活動をまた始めることになる。一人が選んだ月ごとの練習曲が、出会う患者と自分たちの生活とリンクするかのように、ときに背中を押し��ときに過去や未来を慰めてくれる。
ドラマを見ているとき、誰かに感情移入したり羨ましくなったりして次が見たくなる、という訳ではなかった。ただただ主演の5人(1999年大学入学組なので99ズと呼ばれている)の関係性、ゆえに繰り出される会話と空気があまりに暖かくて、ずっと見ていたいだけなのだ。もう彼らを知らない人生に戻れないという感じ。物語に特別な事件は起こらない。不条理な会長も、お金絡みで怪しいヤクザも、裏がありそうな患者だって現れない。今までの韓国ドラマで慣れている視聴者側が「何かあるはず」と思えば思うほど、このドラマの良さに気づくことになり呆れてしまうほど。そうだこれは今までのドラマじゃない、「賢い医師生活」だったんだ、と。医師と患者、取り巻く家族、出てくる人物たちの、確かにそこに存在する人生をゆっくりすくい上げるように描いた物語である。
毎度のように泣いてしまうのは、ドラマに対して情が深すぎるのは抜きにしても、人間の心の琴線に触れるのがあまりに上手すぎる脚本の完成度が大きい。どっと目頭から涙が溢れる体験はそうそうないのに、このドラマを見ていると自然と湧き上がる感情に幾度も遭遇する。誰かの言葉に、誰かの表情に自分の心が揺れ動いては抑えられない。そんな脚本を体現する出演者の俳優さんたち、通常フューチャーされる主演陣以外にも丁寧な配慮が物語を通して当たり前に感じれるドラマはこれが初めて。まず99ズの演技力と団結力は言うまでもない。見たらわかる。なるべく素に近いキャラクター設定はメイキングを見たら明瞭で、キャスティング時点で完璧。出会うべくして出会ったような5人がだんだんと砕けて役そのものの関係性のように近づく姿は動物の動画より癒しになる。やっぱり土台がないと役の膨らみには限界があるんだな、と改めて実感する。土台が固まれば固まるほど、上に乗せれるものは多くなる。経験豊富な主演陣を支えるようにとても多くの俳優さんがインターンや外科生、教授や同期役で出演されている。医療モノは登場人物や関わる人がとにかく多いイメージだったので、どうやって全てを配役してキャラクターを肉づけるんだろう、あまりに真ん中の人たちのクオリティが高すぎるし…と思っていたシーズン1序盤、これまた私の中のドラマ常識が崩れる。
とにかく、全員、上手い。余すことなく全員の演技がうますぎる。特に悲しい結末を持つ患者側の家族の方々は表情や空気の作り出し方が只者のそれではなく、完全に領域が桁違いというか、ここのこんな役で、ここまでの深みを出せるの…?と毎回衝撃。そのおかげで一切の緩みのない、本当に真摯なシーンが作られているんだなと感激でした。こんなに丁寧に作られるドラマは、本当にない。そして何と言っても豪華なゲストの数々。流石のシン・ウォノ監督、配役に一切の無駄も手加減もない。大御所ー!あの人だー!誰この人知らないけどめちゃめちゃ素敵!!そんな感想が湧き上がる中、画面からは「喜んで!」と俳優さんから伝わるような愛を感じる友情出演の多さ。韓国ドラマファンとして大興奮でした。たまらない。生み出される登場人物と彼らが持つ無数の感情が、流されることなく積み重なって一つの物語を豊かにしているんだな、と感動します。
さらなる醍醐味は、人生において欠かせない幸せの瞬間、「食べる」!三度のご飯は元気の源、誰かが美味しそうに食べている姿はなんだか胸がほっこりするはず。賢い医師生活でも食事シーンは必見。ぽんぽん飛び交う身内ネタ混ざりの会話にサムギョプサルの焼ける音、麺をすする音、鍋いっぱいのラーメン、疲れた時に沁みるトッポッギとビール。ご飯は一人より、誰かと食べる方があったかい。韓国ドラマは何故か毎回コーヒー頼んだばっかなのに「もう行こうか」とお店を出たり、フォークを刺してもないパスタを残してお腹いっぱいと言ったり、ご飯好きには心が痛い演出が多くて何かと気になっていました。(関係ないけど、あとはニット着たまんま寝たり)ちょっとしたことで 「ああ、これは作り物だもんな」 と割り切ってしまうシ場面が多かったのです。賢いにはそれがない。どれほど嬉しかったことか!!!リアリティに忠実で、役としてのリアルを追求してくれるおかげで、物語以外に気になる暇もない。純粋に話を楽しめることが幸せ。
そうしてコメディな要素も満載なため、まるで友達との会話を思い出し笑いするかのように普段からシーンを思い出してしまうのです。あのネタ面白かったな、あんな言い方最高だったな、と。面白い友達の話を誰かに共有したくなるような気持ち。「昨日イクジュンがさ〜〜、あっ賢いの話なんだけど。」
そして、賢いシリーズに欠かせない「音楽」という大スパイス。選曲から流すタイミング、全てが完璧。「はじまりのうた」や「シング・ストリート」を思い出すような、韓国作品昇華版。どうしてこんなにぴったりな曲を、慄く。映画やドラマでも雨はいつもキーポイントになりますが、賢いでも同様。「雨」や「涙」が歌詞に多く出てきました。私が大好きなのは、「With my tears」 「Already one year」 「I like you(チョ・ジョンソクバージョン)」です。シーズン2の選曲がドタイプでした。ジュンワン恋物語曲は胸が締め付けられて聞くたびにあの眼鏡の奥のおぼろげな瞳思い出して泣きます。シーズン2の1話のギョウルとヨヌオモニ with 「Rain and You」 、正直過呼吸なるかと思いました。夕焼け見ながらの 「Already one year」 は滝涙。未見の方、涙の枯れない私をここに置いて、今すぐNetflixを開いてもらいたいです。
ビハインドを見るたび、出演者のインスタを見るたび、インタビュー記事や動画を見るたび、その顔色の良さ、監督の演出する姿、全部に「愛」が見える。愛の具現化=賢い医師生活。
迎えた今回のシーズン2は前と同様、各回放送終了後ツイッターで賢医ヲタクの皆さんが繰り広げる考察大会を私も血眼になって追いながら全力で共感しつつ、同じ温度で賢医が好きな友人に怒涛のラインをする。前シーズンの膨大なメイキングと番外編(主演5人がキャンプをするというこの世で一番平和なバラエティ動画)をYouTubeでBGMかのように再生しながらご飯を食べ、服を選び、メイクをして、仕事へ向かうのが定番。そうしていつの間にか迎えた毎週木曜、私は早寝なので23時の配信を眠らせた金曜の午前中に見て、同日二回再生して復習をするのがル���ティーンでした。これからも何度だって見れるし何度も会えるけれど、たった今あの5人は何を食べてどんな患者さんと向き合ってそれぞれがどんな道を歩んでいるか、それを追えないのが悲しくて仕方がない。
偶然にも窓の外は強めの雨が降る中で、室内の私はベッドシーツを涙の跡で濡らしましたが、物語が一度終わったからといって冷める愛で2年間過ごしていません。いつか賢い医師生活がまた始まることを祈って、信じて、また明日からの私の人生を軽やかに歩むつもりです。あー悲しい!寂しい!もう会いたい!でも再履修のしがいがある!全てのキャストさんの次回作が楽しみ!ミドヌナとイェジン様らのドラマも、ギョンホさんの舞台続報も、追う情報はたくさんあるし、これからもきっとずっと仲の良い99ズが存在しているだけで良い。このドラマに出会ったおかげで私自身も大きく成長できる気がしてならない。いつかもしも私が大成して、賢いキャストの皆さんとお会いできる世界線を目指します。日本を代表する賢いヲタクの一部でありたい。
人生で一番好きな「賢い医師生活」というドラマについて少し語って見ましたが、再度、見ていないという方は、ぜひ見てもらいたいです。必ず幸せな気持ちになれます。離脱した方もいつか戻ってきますように。このドラマを作ってくださった全てのスタッフ陣、キャスト陣、制作の方々、本当にお疲れ様でした。大きな感謝と愛だけ抱えて。
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skf14 · 4 years
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君の手術は失敗した。鮮やかだったであろう君の世界から、全ての物が消えた。
淡々とその事実だけが君から知らされた時、僕は、心にずっと秘めていた、しかし最後まで口にすることは叶わなかった君への「盲目になって欲しい」というイカれた願いを神が叶えてくれたのだと、無神論者でありながらも感謝とばかりに空を見上げた。
「結婚して欲しい。」という僕の言葉を、君はどう聞いたのだろう。全盲の人間の中には、聞こえる音、言葉に色がついて見えるようになるタイプもいるようだが、君は音も言葉も、空気の振動としか捉えないらしかった。
「いいの?だって私、目が見えないんだよ。」
「君がいい。これからもずっとそばにいたい。」
「荷物になりたくないな、」
「君の気持ちは?」
「...............」
君はただポツリ、「貴方と一緒にいたい。」そう答えた。私は君の小さな手を取り、そして抱きしめた。涙腺だけはまだ機能している君が、眼窩から涙を溢しながら、「健全なまま、貴方と一緒にいたかった。」と零した言葉には、何も答えることなく抱きしめた。答える資格など、私には無かった。私が答えない訳を、君はもしかしたら理解していたのかもしれない。
私は君に対して、外に出るための訓練をすることを望まなかった。君も、盲目の自分を外の世界に晒すことを嫌がった。情緒のない言い方をしてしまえばそれは、"利害の一致"と呼ぶのだろう。えてして君は自宅に篭り、半ば私に世話をされるだけの生き物になった。こう君を表すことに些か抵抗感はあるが、事実として、君はそうなった。私が望んだ。君も望んだ。君はあまりにも冷静で、私はあまりにも理性的だった。それが悪なのか善なのか、私には判断することが出来ない。誰かが裁くとすればそれは神なのだろうか。あぁ、味方をしてくれた神が最後に、私の愚かさを裁くとしたら、とんだ皮肉だ。いや、喜悲劇と呼ぶべきか。
"そう"なってからの君と私は、度々夜に獣と化した。君がじっと寝たままの私の身体を弄り、まるで谷崎潤一郎の「刺青」で描かれた女郎蜘蛛のように、私の身体を這い回り、捕食する姿を見て、私は著しく興奮した。それは私の元来持っていた"盲目性愛"という癖が刺激されたことも大きかったが、淑女めいた君が変貌する様を見たからでもあった。
そのおぼつかない手が、私を探し、指先に触れた温度に安堵して、爪を立て質量を確かめる。私がうちに秘めた、君には決して見せない凶暴で獰猛な、本能に蝕まれた精神が顔��覗かせて、私はそのか弱い腕を捕まえ、君を喰らう。
感覚を奪われると、他が過敏になり失った分をカバーする、というのは何も物語だけの話ではないことを、私は身をもって体験した。君は視覚から得られない情報を、その全てを持って拾い集め、私と、そして私を通じて己が世界に存在することを、確認していた。その行動は他者から見ればある意味哀れ、と思えるようにも見えるだろう。しかし私は、荒地に唯一凛と咲く百合が、天から降り注ぐ雨を少しでも蓄えようと頭を上げて空を仰ぐような、そんな神々しさと瑞々しさ、生命の逞しさを君に感じた。
ああ、真っ先に私は君の肥やしになったんだ。そう思った瞬間、私は快楽を感じ、君を掻き抱いて欲望をぶつけた。真っ暗な中、私も盲目になったように君の身体を弄って、何もない暗闇の中で、二匹の動物は互いを食い合った。
君が、運命の導きで私の手の中に収まった。何度考えてもこの事実が震えるほど勿体無く、幸せで、今まで大きな幸福も不幸もなくありふれた物事ばかりに囲まれてきた私の平凡な人生には信じがたく、ひどく不釣り合いだった。人にはそれぞれ生まれつき与えられている役割と立場があるとして、それを飛び越えてしまったような、そんな果てのない罪悪感と、優越感。とかく、人の世は他者と比べないと満足に息が吸えない。これが蟻ならば、蠅ならば、余計なことに頭を使わず、ただ生存と交配のためだけに生きて死ねるのに。
「ねぇ、あの本、読んでくれないかな。」
「ん?あぁ、いいよ。『アイのメモリー』だろ?」
「そう。聞きたいわ。」
あるところに、人語を話せるカラスがいた。カラスは大変に賢かった為、人語が話せるからと言って人に話しかけるような愚かさは持っていなかった。
カラスはある日そこらをふらふらと飛んでいた時、ある一軒家の2階の窓が開けっぱなしになっていることに気づいて、窓枠に降り立ち中を見た。中には、少女が一人、ぽつりと座ってぼーっとしていた。はて、様子がおかしい。とカラスがよくよくその少女を見た時、彼女の顔に、あるべき眼球が、二つとも嵌っていないことに気が付いた。少女の顔にはぽっかりと黒い穴が二つ鎮座していて、それは酷く滑稽にも、美しくも見えた。
「お嬢さん。」カラスが話しかけると、いきなり聞こえてきた人の声にびくりと肩を震わせた少女がキョロキョロと辺りを見回し、そして窓の方へと手を伸ばした。カラスはふわっと飛んで近くの枝に止まりながら、「お嬢さん。私を探しても無駄ですよ。私は存在し、そして存在していないのですから。」と笑った。少女も釣られて笑い、姿を探すことをやめ、「声だけおじさん」と私を呼んだ。
彼女が最後に見た景色は、己の頭上から降り注いでくる、無数の割れたステンドグラスの破片だったらしい。きらきら、ちらちらと太陽の光を反射して輝く色とりどりのそれを、避けることもなく、ただ見惚れていたそうだ。赤、青、黄色、緑、少女は拙い語彙でその美しさを私に訴え、私は、もっと沢山の色が世界に溢れていることを少女に伝えるため、海辺に住む老婆の元へと向かい、その顔から眼球を一つ、拝借した。
少女の空洞に嵌ったその球は、少女に広大な海と、その深々しい青を与えた。少女は感嘆し、目を押さえて涙を流した。少女が頭を動かすたび、涙で濡れた眼球がくる、くるりと回ってあらぬ方向を向いていた。
「勿論、フィクションなのは分かってるけど。」
君が少し申し訳なさそうな、そして不安げな顔でポツリ呟いた内容に、私は心の中で、万歳三唱していた。ごめんね、私には誠意というものが欠けているらしい。NPCじゃない人間相手に、こうも思い通りことが進むというのは、少々気持ち悪くもあり、そして大変に愉快であった。それはきっと、己の脳に対して抱いていた自信が肥え太っていくのを感じるからで、ただ、それが良いことなのか悪いことなのか、判別は付かない。誰も不幸になってない、必然だった、そう叫ぶにはあまりにも、私は汚れすぎた。
小ぶりなビー玉。模様も気泡もない、一点の曇りもない透き通ったそのガラス玉を持って、私は海に来ていた。もう吹く風はとうに冷たい季節になっており、時期外れの海になど来ている人間は皆無だった。散歩をしに来たであろう老人が私に、訝しげな視線を向けた。入水自殺をする、とでも思われていたのだろうか。にこりと笑顔を作り会釈すれば、老人は不快そうに顔を歪め足早に去っていった。
ザザ、と押し寄せる波は白い飛沫をそこかしこに撒き散らしながら、際限なく現れ、そして消えていく。私は窮屈な革靴と靴下を脱ぎ捨て、砂浜の砂を踏みしめた。指の隙間に入り込む、ぬるりとした湿った砂の粒子。久しぶりに感じるその感覚に、子供時代をふと思い出した。
赤貧、と呼ぶべき家庭だったのだろう。外に女を作って出て行った父親を想って狂った女と、二人きりで過ごしていた地獄。赤貧をどうにかする頭は、女にも、子供だった私にもなかった。
私は空腹を紛らわせようと、拾ったビー玉を舐めながら、どこからか拾ってきた小さなブラウン管テレビの中で、潮干狩りを楽しむ親子を見ていた。仮面ライダーのTシャツを着た子供はケラケラと楽しそうに笑いながら、砂浜を掘り返し、裸足で気持ち良さそうに踏みしめていた。母親、父親はそれを見守り、静かに笑う。女は隣の部屋で、よく分からない自作の儀式をしながら笑っていた。ケタケタ、ケラケラ、笑い声が反響して響き合い、世間の全てが僕と、そして哀れな女を嘲笑っているように聞こえて、僕は、己の鼓膜を菜箸で突き破った。
人間に諦めと軽蔑の心を抱いていた私が君に出会い、恋に蝕まれ、愛を自覚し、それが収束すると執着に変わることを知った。愛は、執着だ。あの女が狂ったのも、今となっては、理解くらいなら出来る気がした。欲しい、手に入れたい、他にやりたくない、ずっと腕の中に、誰のものにもしたくない。進化の過程で高い知能を得たはずの人間は、動物よりも獣らしく哀れな所有欲を万物に対して抱き、己だけではどうにもならない人に対して向いたソレは最も醜悪になった。
私は盲目に興奮する。その根底には何があるのか、自覚した当初からずっと考えていた。初めて君に目隠しをした時の、脊髄に収まった神経を舌先で直接舐め上げられるような著しい快感。そして、次第に湧き上がってきた、君から視覚が消えて欲しいという欲。
ふるり、と己の肩が震えて初めて、もう2時間近く、何もない海をただ眺めていたことに漸く気が付いて、私は足に纏わり付く砂を払い、帰路についた。
「これ?」
「あぁ、そうだよ。消毒してあるから、入れても問題ない。」
「ありがとう。嬉しい。」
君の白く細い指が、私の手のひらから海をたくさん見たビー玉をつまみあげ、指の腹でツルツルとした表面をくすぐるようになぞっていた。そして君は瞼を開け、そのガラス玉をぽい、と放り込んだ。ころり、と眼窩を転がる玉の感触が面白いのか、君はふらり、ゆらりと首を動かし傾けながら、見えるはずもない海に想いを寄せ、私の話す、海についての様々な創作を聞いていた。目は口ほどに物を言う。君が視覚を失ってから、私は以前より君の感情について、推察することが減ったような気がする。何故だろう。分からないから、というのは、あまりにも暴論な気がするが。
閉館間近の水族館にいる人間なんて、若いカップルか、水族館にしか居場所のない孤独な人、くらいだった。ある者はイルカと心を通わせ、ある者はアマゾンに生息する、微動だにしない巨大魚の前でいつまでも佇んでいる。私は手の中のビー玉と共に、館内をゆっくり回っていた。水族館なんて、目明きの君とすら来たことがなかった。私はこの空間に一人でいることを望んだ。大量の水に囲まれ、地球が歩いてきた歴史が刻まれた数多の生き物に触れることで、漠然と、母の中へ還れるような気がしたからだった。水族館と胎内は、どこか似ている。
水槽の前に置かれたベンチに腰掛けた瞬間、私は動けなくなった。丁度、目線の位置が海底になっていて、そこに、1メートルをゆうに超える巨大な茶色い魚が沈んでいた。でっぷりと太った腹に不機嫌そうな唇が、魚の愛嬌の良さを全て消していた。そしてその魚は、目が酷く白濁しており、空気の吹き出る場所に鰓を起き微動だにしなかった。
「あの、すみません。この魚、具合が、悪いのでしょうか。」
私は通りかかった清掃中の飼育員を捕まえ、魚を指差した。飼育員はハンディクリーナーの電源を消してふっと笑い、私のそばに寄って水槽を愛おしげに見つめた。
「いえ。夜なのでもう眠っているんだと思いますよ。この子は目が見えないので、普段から水槽の隅っこが好きで、よくこうしてぼーっとしているんです。」
「そうですか。この魚は、盲目なのですか。」
「えぇ。珍しいことではありませんよ。他の魚に攻撃されたり、岩や漂流ゴミで傷付けてしまったり。ただ、見えない分他の感覚が過敏になるので、海の中で���支障なく生きられるんです。」
「そう、ですか。」
「えぇ。では、引き続きお楽しみくださいね。」
盲目の魚。私がそれを見た時に抱いた感情は、ただ一つ。「惨め」だった。何故?何故、だろう。分からない。何故私は、盲目の魚を見て、惨めさを抱いたのだろう。閉じる瞼すら持たない魚はただただ空気の泡を浴びながら、水中で重たそうな身体を持て余し、ぼんやりとこちらを向いている。濁った眼球がぎょろり、と上を向き、そしてまた私を見る。
ある小説に、盲目の主人が恨みを買って熱湯を浴びてしまい、美貌が失われてしまったことを憂いて、弟子は己の目を針で突いた。というシーンがあった。鏡台の前で針を手に、己の黒目へとそれを突き立て、晴れて盲人となる描写。私は読んだ当初、まだ小学生の頃だったが、その話に、微塵も共感することが出来なかった。目明きの方が世話も出来る、何かあった時支えられる。直情的だ。と批判までした記憶がある。でも、今になれば、あれが最善の行動だったのだろう、とも思う。歳をとって少し、寛容になったのかもしれない。
気付けば、私は水族館を出て、そばの海を眺めていた。街の中の海だ。情緒ある砂浜もなければ、テトラポッドもない。ただ効率だけを求められたコンクリートの直線に、黒いうねりがぶつかってじゃぶじゃばと水音を立てている。
盲目の魚。
私は、ずっと握りしめ暖かくなっていたビー玉を海へと投げた。波の音の狭間で、ちゃぽん。と小さな音が冬の空気の中、響いた。脳を介さない行動に、今は委ねたかった。考えることに、疲れたのかもしれない。私は、一体、どこへ向かいたかったのだろう。
扉の開く音で駆け寄ってきた君は、部屋に入る私の周りをクルクルと回りながら、今日のことについて色々と質問をした。黙ったままの私に不思議そうな表情をして、「何かあった?」と尋ねる君。君の方が今も昔も、察しがいいのは皮肉なんだろうか。
「アイのメモリー、今日は出来ない。」
「どうして?水族館、行かなかったの?」
「水族館には行った。けど、無くしたんだ。ビー玉。」
「そう。いいよ、どんな魚がいたのか、話して。聞きたい。」
「魚、」
「魚、いたでしょ?」
魚。
私は、盲目の魚を惨めに思った。あの魚は大きな水槽の中でひっそりと身を潜め、知らぬ他人からは笑われ、同居人からはいないもののように扱われ、飼育員からは憐れまれていた。与えられる空気を日がな浴びて、落ちてくる餌のおこぼれを拾い、そんな状態で生きていることが、酷く惨めに思えた。
「あぁ。.........」
「......疲れちゃった?」
立ちすくんだ私を見上げた君はぺたぺたと彷徨わせた手のひらで私の顔を見つけ、撫で、胸元に引き寄せ抱きしめた。とくとくと鳴る軽い心臓の音。生きている温度がこめかみあたりからじんわりと染み込んで、凝り固まって凍った脳を溶かしてゆく気がした。
「...いや、疲れてなんかないよ。」
「貴方は、いつも一人で考えて、一人で答えを出すから。」
「耳が痛いな。」
「ここには脳が二つ、あるんだよ。ひとつじゃなし得ない考えだって、きっとある。」
「うん。」
永遠とも呼べるほど長い時間、私は君に抱かれたまま、ぐちゃぐちゃと脳を掻き回す思考に身を委ねていた。
「ビー玉、本当は、無くしたんじゃなくて、捨てたんだ。」
「うん。」
君はきっと分かっていたんだろう。何をどこまで、なのか、それは、きっと暴かない方がいい。それは言葉にしなくとも、双方が漠然と理解していた。私は君の顔が見たくなくて、顔を上げないまま、君の心臓の音を聞いていた。
「もう、こんな真似、やめるよ。」
「そうだね、やめよう。」
ぼんやりとした頭でシャワーを浴び、リビングに戻った時、ついていたはずの部屋の電気は全て消えていた。私は手探りで部屋の壁を伝いながら、廊下を進んだ。幾度となく歩いているのに、視界がないと、こんなにも覚束ない。君の寝室の扉が少し開いて、ギィ、と音を立てている。漏れ出ているのは月の光か、その細い線に指を差しいれ扉を開くと、窓が開いているらしい。冷たい風が吹いて、まだ濡れたままの髪を冷やしていく。
そこに、君の姿はなかった。普段は何も置いていない机に、メモが一枚載っている。
『来世では、共に生きましょうね。』
はるか遠くの方から、微かなサイレンの音が響き始めた。
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kurihara-yumeko · 4 years
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【小説】氷解 -another- (上)
 誰かを傷つけた後は、自分も傷を負う。
 殴った後にその手が痛むように、それは代償として、必ず負うことになる。一方的に相手を痛めつけるなんて芸当はできない。そんな勝手は許されないのだ。傷つけた分は、傷つかなくてはいけない。たとえその痛みが、平等ではないにしても。
 傷つけるとわかっていて手を下した時は、なおさら性質の悪い傷が残る。その音が聞こえてきそうなほどに心が軋んだのを感じたり、予想通り、耐え切れなくなった涙が溢れ落ちていくのを見たりするのは、そんな風に誰かを傷つけるのは、堪える。
 いつだってそうだ。特に、怒りに任せて部下を怒鳴りつけてしまった後は。
「やっぱり、ここにいたのか」
 窓辺に腰かけ、眼下に広がる灰色の街を見下ろしていると、そんな声と共に、缶コーヒーが現れた。手に取ったそれは温かく、俺は咥えていた煙草を口元から離す。
「貝塚……」
 目線を上げて顔を見やると、その男は自分の煙草に火を点けるところだった。
「お疲れさん。さっきはすげぇカミナリ落としてたなぁ。聞こえてたぞ、こっちのブースにまで」
 貝塚はそう言って、わざとらしく笑って見せる。俺は思わず、大きな溜め息をついた。
「……一週間前に、会議の資料を作るように頼んだんだよ。今日の、重要な会議に使うやつを。それが昨日になっても出来上がってこなくて、ギリギリになってやっと持って来たと思ったら、印刷はめちゃくちゃで、おまけに、数字は一年前のデータだった」
「高倉さんかぁ。可愛いし愛想もいいんだけど、仕事がいまいちなんだよねぇ」
「資料を全部作り直すには時間がなかった。そのまま使うしかないと断念したが、数字が間違ってるんじゃ、先方だってこちらを信用できないだろう。だから耐え切れず、高倉を責めちまった。『重要な会議だって言ってあったのに、どうしてこんな』ってな」
 重要な会議の資料なんて、部下に任せず自分ひとりで作成すればよかった。もっとこまめに資料作りの進捗を確認しておけばよかった。前日のうちに残業させてでも資料を完成させて、修正する時間を今日に残しておくべきだった。
 そんな後悔が、喫煙室に紫煙となって立ち込める。
「……そしたら、あいつ、なんて返事をしたと思う?」
 貝塚は煙草を咥えたままで返事をしなかった。俺は続けて言う。
「『だって、私にとっては重要なことじゃないですし』、だとよ」
「……それで、高倉さんのことを思いっきり怒鳴りつけちゃったってことか」
 そう言う貝塚の口元は笑っていたが、その目は少しも俺のことを馬鹿にしてなどいなかった。
「あんな怒鳴られたら、高倉さん、泣いちゃったんじゃない?」
「……泣いてたよ」
 俺は力なくそう答える。
 さっき見た光景が、まぶたの裏から焼き付いて離れない。高倉はまるで子供のように、大粒の涙を零して泣いていた。私は悪くない、とでも言うように、俺のことを睨んでいた。ぽろぽろ、ぽろぽろと泣きながら、本当は文句を言いたいのであろう唇から、絞り出すように「すみませんでした」とだけ言って、それでも眼光は鋭かった。俺を非難する目だった。
「可愛い女の子を泣かせちゃったら、そりゃあ、後味悪いよねぇ」
 貝塚の苦笑に、同情の色を感じ取る。
 所属する部署も役職も異なるが同い年の貝塚は、社内で気兼ねなく話せる同僚のひとりだ。ライターを貸してやったのがきっかけで、喫煙室で言葉を交わす仲になった。
「まぁ、そんなに落ち込まないで。縞本だけが悪い訳じゃないだろ」
「……そうだな」
 どうやら、俺を励ましに来たつもりらしい。それをありがたいと感じる反面、隣の部署のやつに気を遣わせるほど部下を怒鳴りつけるなんて、と、また後悔が生まれる。放って置くとどこまでも、俺の内側から後悔ばかりが滲み出てくるような気がする。
「高倉さんの方には、井荻さんが行ってくれたから、大丈夫だと思うよ」
 缶コーヒーのプルタブを開け、一口飲もうとしたところだった。俺は思わず、動きを止めていた。
「井荻が……?」
「ちょうど定時だったから。更衣室で高倉さんと一緒になるだろうと思って、残業しないでもう帰るように伝えたんだ。あのふたり、大学時代の先輩と後輩なんだろう?」
「ああ…………」
 井荻。
 井荻沙織。
 俺は、あの澄んだ瞳に見つめられると、なんて呼べばいいのかわからない、複雑な感情を抱かずにはいられない。
 だが貝塚からその話を聞いて、多少、安堵できた。あいつが高倉の面倒を見てくれるなら、安心だ。
「そういえば高倉さん、春までに辞めちゃうんだって?」
 コーヒーを飲んでひと息ついていると、貝塚が思い出したようにそう言った。
「そうらしい。俺も次長からそう聞いた」
「高倉さん、辞めるってことを直接次長に伝えたのか。直属の上司は縞本なのに、それを飛び越して」
「『もうあんな人の下で働きたくないです』だとさ」
「ははは、そりゃあ確かに、縞本に直接は言えないよなぁ」
 貝塚は煙を吐き出しながら、朗らかに笑った。それから妙に意地の悪い笑みを浮かべると、声を落としてささやくように言う。
「高倉さんが辞めるんだったら、うちの課の井荻さん、そっちに異動させちゃおうか?」
「余計なことしなくていいぞ」
 コーヒーをあおる。缶コーヒーは、飲めないほど不味くもなければ、また飲みたいと思わせるような美味さもない。
「ああ、そうか。縞本も、春で異動なんだっけ」
「九州にな」
「大出世じゃないか」
「正直、あまり嬉しくはないな」
「寂しくなるね」
「……そうだな」
 貝塚が灰皿に煙草をこすりつけ、口から最後の紫煙を吐いた。俺はすっかり短くなった煙草を灰皿の中へと落とす。
 吹きつける風に、ガラスが小さく揺れる音がした。窓の外は曇天で、今にも雪がちらつきそうな、重たい雲で埋め尽くされている。風が強いのだろう、雲の流れが速い。
 すっかり暗くなった街を行く人々は、皆黒っぽい装いに見えた。春の訪れなど、微塵も感じさせない景色。
 だが、春は必ずやって来る。そしてその時、俺はもうここにはいない。
「コーヒー、ありがとな」
 礼を言うと、貝塚は目を伏せたまま片手を挙げて俺に応えた。もう一本吸ってから仕事に戻るつもりらしい、次の煙草を咥えていた。俺は喫煙室を出て、三階の営業部フロアに戻るため、階段に向かって歩き出す。
「――正直、もうあんな人の下で働くことに耐えられないっていうか」
 廊下を歩いていたら、そんな声が聞こえた。ちょうど、女子更衣室の前だった。
「縞本さんって、正直、人の心がわからないんだと思うんですよね。……あ、」
 更衣室の扉が開くと同時に、声の主は口をつぐむ。見れば、高倉志保だった。制服から着替え、今から帰社するところのようだ。まだ泣いていたのか、その目は赤く、潤んでいる。
 高倉は俺の顔を見て咄嗟に、もうひとりいた女子社員の後ろへと隠れた。その��うひとりは、井荻沙織だった。
 ふたりは、今日俺が叱責したことについて、話をしていたのだろう。俺は思わず、足を止めていた。高倉は井荻の陰で動かないまま、こちらを見ようとしない。何か言葉を発しようともしない。
 俺は彼女にとって、顔も見たくない相手なのかもしれない。口にした言葉が俺を非難する内容であっても、それを即座に謝罪する気にもならないのかもしれない。上司の陰口を叩くのは良くないことかもしれないが、それは恐らく、高倉の本心であるに違いない。
 こんな人間の下で働きたくないと、そう言って泣く彼女を否定するのは、間違っている。退職を決め、次長にそう告げた彼女の感情は、本物だ。それをあれこれ言うのは間違いだ。少なくとも俺に、そんな権限はない。
 だがこの苛立ちは、どこへ向かわせればいいのだろうか。
 俺は小さく息を吸い、波立つ自分の感情を抑制する。
「井荻、」
「あ、はい」
 呼ばれた井荻は一瞬、きょとんとした表情をしたが、すぐに返事をした。
「今日、行くのか?」
「はい。行きます」
 どこに、と言わなくても、井荻はそう返事をした。ちゃんと通じたようだ。
「あっそ」
 高倉のいる前で、それ以上の長話をする気にはなれなかった。俺は再び歩き始める。階段を登り、定時を過ぎたがまだ半数近い社員が残っている営業部フロアへと足を踏み入れる。
 俺の机の上には、まだやらなければいけない仕事が積んであった。目の前の書類に集中しろ。自分にそう言い聞かせる。とりあえずは、今日の会議の大失態の後処理だ。どうやって先方の信頼を回復するか。まずは、それから考えよう。
「……人の心がわからない、か」
 仕事に取りかかろうと思っているにも関わらず、先程の高倉の言葉をつい反芻してしまう。誰かからそう言われたのは、これが初めてという訳ではなかった。思い出す。土下座して、額を畳にこすりつけて頭を下げていても、罵声を浴びせられ続けたあの日のこと。
 ――あなたは自分のことが、図々しいとは思わないんですか。私たちの心なんて、あなたにはわからないんでしょうね。
 そんな風に言ったあの人の言葉を、今でもときどき、夢に見る。その言葉は後悔となって、感情を掻き乱し、俺のことを痛めつける。
 俺は誰の心もわからない。わかりようがない。たとえばそれは、上司に叱責された部下の、責任を逃れたいという甘い言い訳であり、あるいは、息子の自殺を止めることができないでいた、ふがいない親である自分たちへの怒りであり、もしくは、素直に感情を口にすることができなかった、恋人に対しての猜疑心だ。
 俺はそういった誰かの感情を、わからないままでいる。わからないから他者を傷つけ、そうして、俺自身も傷を負ってきた。傷つけたのと同じ数だけ、痛みを感じた。
 そしてそんな俺の心も、誰にも理解などされない。
 だが、わかってなんてくれなくていい。共感も同情も、必要とは感じない。ありふれた安易な言葉で癒されたいと思うほど、俺はまだ堕ちてはいない。
「……わからなくって、結構だ」
 そう、独り言をつぶやいたら、やっと仕事に取りかかる気になった。
 今の俺にはすべきことがあり、それは誰かの傷を癒すことではない。
 たとえそれが、自分自身の傷なのだとしても。
    人間が自殺するきっかけなんて、ほんの些細なことにすぎないということを、俺は知っているはずだった。
 ある年の、気が滅入るような雨と湿度の高い日々が終わらないでいた七月の初め、前職の会社で働いていた俺は、この春に入社した新入社員のひとりが自殺をしたという報告を部長から受けた。自殺した井荻公介は、俺が初めて受け持った部下のひとりだった。
 その報告を受けた時、「一体、どうして」という疑問が湧き、そして同時に、その疑問を掻き消すかのように、「人が死ぬ理由は、大層なもの��は限らないよな」と思う自分がいた。
 井荻公介が自殺した理由を、俺は知らなかった。だが、彼が時折、暗い顔をして机に座っているのを見たことはあった。かと言って、死を覚悟して思い詰めているという風にも見えなかった。俺と話をする時はいつだって朗らかであったし、冗談を言って周囲を笑わせることだってあった。時間の空いた時や飲み会の席では世間話をすることもあったが、プライベートなことを深く聞いたことはなく、たとえばまだ独身だった彼に恋人がいるのかとか、両親や家族と上手くやっているのか、そういったことは知らなかった。
 だから部長から、「縞本、最近、井荻くんに何か異変とかなかったか?」と尋ねられた時、正直に、「少し沈んだ様子の時もありましたが、深刻そうな様子ではありませんでした」と答えた。
 その時、部長が妙に神妙な顔つきになり、「そうか……」と、独り言のようにつぶやいて深く頷いていたことに、俺は違和感を覚えたが、部長の様子が何を危惧しているのかはわからなかった。後になってから思い返してみると、恐らく部長は、この時すでに、この先に起こり得るであろう未来を予想していたに違いなかった。
 井荻公介が自ら命を絶ったということはショックではあったが、それはどこか、俺の手が及ばない、遠くの出来事であるようにも感じられた。実際、その後の俺にできたことは、彼が受け持っていた仕事を整理し、他の部下たちに割り振ることだけだった。
 仕事を片付けているうちは、彼がすでにこの世にいないという事実は実感できなかった。それは葬儀に参列している時だけは別であったが、結局、社内の自分の机に座っている間は、井荻公介は病欠で長期休養しているのと変わらない気持ちでいた。彼が突然の不在となって混乱したのは最初の一週間程度で、それを過ぎてしまえばいつも通り、机に積まれていく書類を右から左へと処理していくだけだった。
 その状況が一変したのは、彼の両親が、彼の遺書を手に会社を訪ねて来た時で、そしてその時初めて、井荻公介が「上司からパワーハラスメントを受けていることが苦痛でたまらない」ということを理由に、自らの手で命を絶つと、そう書き残していたことを知った。
 俺を含め、井荻公介と同じ課に所属する社員たちは、常務と役員が待つ会議室にひとりずつ呼び出され、面談を受けた。二週間にも及んだ聞き取り調査の結果、井荻公介に嫌がらせをしていたのは課長であったということが判明し、これには多くの社員がそう証言したことによって、ほぼ確定だと判断された。
 確かに、入社直後から、課長と井荻公介は折り合いが悪かった。それは恐らく、ふたりの性格が真っ向から正反対であったということと、自身の学歴を鼻にかけている節があった課長より、さらに有名な大学を井荻公介が卒業していたということが、そもそもの原因であるように思われた。
 俺は何度か、課長が井荻公介を指導しているところに居合わせ、時に過剰なのではないかと思うほど叱責をされている時、間に入ってそれを止めたことがあった。仲裁に入ると、課長はそれ以上彼を叱ることはしなかったが、「そもそも、井荻がこんな体たらくなのは、直属の上司であるお前がしっかりしないからだ」と、怒りの矛先を俺へと向けた。
「井荻には、俺からよく言って聞かせますので」と頭を下げても、俺に対する課長の文句はすぐには止まなかった。十五分以上にわたる説教から解放され、自分の席へと戻った時、隣の席の井荻は少しほっとしたような顔をしていた。課長にはわからないように、声を出さないまま「ありがとうございます」と井荻の口元が動いた時、俺は小さく苦笑して、「別に、気にすんなよ」と声をかけたものだ。
 そうやって気にかけてはいたが、結局のところ、井荻公介は俺の目が届かないところで課長から嫌味を言われ、嫌がらせをされ、日々少しずつその心に傷を負っていっていたのだった。
 同じ課の社員たちは、自らの上司を糾弾することを恐れ、「これは同じ課の人から聞いた話なんですが……」などという前置きを挟み、あたかもそれが、直接自分が見たり聞いたりしたのではないとしながらも、課長がどんな回りくどい手を使って優秀な新入社員をいたぶっていたのかを話した。それは、まるでクラスの悪ガキが考えつきそうないかにも幼稚なものから、思わず耳を疑いたくなるようなものまであったが、結局のところ、課長からパワーハラスメントが行われていたことには違いないと、役員たちには判断された。
 そこで、ひとつの問題が持ち上がった。いけ好かないこの課長は、社長の遠い親戚筋に当たる人物だった。そういった後ろ盾があるにも関わらず、いつまでも課長のまま昇進しないのは、それだけこの課長が無能であるということの何よりの証明であったのだが、役員たちはこの課長を庇うことを決断したらしかった。課長が新入社員にパワーハラスメントをして自殺にまで追い込んだという事実は、会社の信頼の大きな損失に繋がり、ただでさえ低迷している直近の売上額がさらに低下するのは避けられない。そう考えた役員たちは、俺に貧乏くじを引かせた。
 井荻公介に対するパワーハラスメントは存在しなかった。だが、直属の上司である俺には、監督不行き届きなところがあった。
 結局、社内では「そういうこと」として処理がされた。
 俺はその責任を負い、退職勧告の処分を受けた。それはつまり、俺が井荻を死に追いやったのだと、そういう解釈になってもおかしくはない結果だった。
 その話を部長から告げられた時、いつも頼れる上司であったはずの部長が、なんとも悲痛な面持ちでうつむいていたことを、まるで昨日のことのように思い出せる。
「役員たちには抗議したんだが……。すまんな、縞本。俺の力不足だ」
「いえ……。井荻のことをもっとちゃんと見てやれなかった、俺にも責任がありますから……」
「すまんな……本当に、すまん」
「部長、もういいですよ」
「すまん…………」
 部長はこのことがよっぽど後ろめたかったのだろう、「知人に会社を経営している人がいて、その人にお前のことを雇ってもらえないか、なんとか頼み込んでやるから」と、次の就職口の世話までしてくれた。俺の処分も、懲戒解雇にならずに勧告で済んだのは、この人の尽力があったからだった。
 途端に、俺の両肩に、井荻公介の死は重くのしかかってきた。不思議な話だが、その重量を知って初めて俺は、井荻の死を実感として受け止めることができたのだった。つまりそれは、取り返しのつかない、拭い去ることのできない現実で、それは過去のものではなく、未来にまで影響を及ぼす絶対的な事実だった。
 井荻公介の両親のもとへ、謝罪のために訪ねた頃、長かった梅雨はようやく明け、代わりに俺は、容赦のない日射しに焼かれ続けていた。
 週末の昼下がりに訪れた井荻家は、外の熱気などまるで嘘のように、空気は重く凍てついていて、それは最愛の息子を突然失った両親の、怒りと悲しみが入り混じって吐き出される冷気だった。
 異様とも思えるほどの存在感を放つ真新しい仏壇が置かれた和室で、俺は井荻公介の遺影と並んで座ったその両親の前、自分が彼の直属の上司であることと、社内にパワーハラスメントの事実はなかったということを伝えた。
 その途端、ふたりは激昂し、俺のことを非難した。
「そんな言葉は嘘だ、公介は上司からのパワーハラスメントを苦に自殺したのだ」、と。
「公介は、私たちの最愛の息子は、あなたのせいで死んだのだ」、と。
「あなたが、殺したのだ」、と。
 そうだ。俺の言葉は、真っ赤な嘘だ。井荻公介を苦しめていたパワーハラスメントは実際にあった。だが苦しめていたのは俺じゃない。課長だ。俺は以前から、あの課長が気に食わなかった。俺だけじゃない。社内で課長を好いている人間なんて、恐らくいない。皆、表立って声や顔に出さないだけで、あの人のことを嫌っている。なのに、誰も口出しできなかった。だから井荻公介は死んだ。俺が、俺たちが殺したのも同然だ。見ていたのに。聞いていたのに。誰も止めなかった。誰も助けなかった。だから、井荻公介は。自らの手で、命を――。
「沙織、そこで何をしているの」
 井荻公介の母親がそう言った声で、俺は思わず、下げ続けていた頭を上げそうになった。目線だけ動かして仰ぎ見る。
 和室の入り口に、ひとりの少女が立っていた。黙ったまま、こちらをじっと見ている。高校の制服を着て、エナメルのスポーツバッグを肩から提げていた。日焼けした額に、汗で前髪が張り付いている。今日は土曜日だから、学校は休みなんじゃないのか。部活動の練習でもあって、その帰りなのだろうか。
「帰ってきたら、ただいまって言いなさいって、いつも言ってるでしょう」
 少女は俺と目が合っても、挨拶の言葉を発しないどころか、会釈のひとつもしなかった。ただ、何かを探ろうとしているような深い瞳で、俺のことを見つめていた。その仕草は、死んだ井荻公介に似ていた。それからやっと、井荻には妹がひとりいるらしいことを思い出し、この少女こそが、その妹なのだとわかった。
「もういい、二階へ行っていなさい」
 父親がそう言うと、少女は返事もしないまま、俺からふっと目線を逸らして、廊下の向こうへと歩いて行った。やがて、階段を登って行く音が聞こえてくる。
「……すみません。今のが、娘の沙織です」
 どこか落胆したような声音で、父親がそう言った。
「以前から、あまりおしゃべりな子ではなかったのですが、公介が亡くなってからは、口数がほとんど……」
 肩を落として言う父親の姿は憔悴しきっていた。ついさっき、「出て行ってくれ。もう二度と、この家の敷居を跨がないでくれ」と、菓子折りの箱を投げつけてきたのが嘘のようだ。
 だがそれは、そのひと時だけだった。父親はそう口にしたことで、息子が死んだのは、今目の前にいるこの男のせいだということを思い出したようだ。ぷつぷつと汗が噴き出していくかのように、俺への非難が始まっていく。
 俺はふたりの前で頭を下げ続けた。何を言われても、会社から言われた通りのことを、言われたように繰り返した。パワーハラスメントはありませんでした。そういった事実は確認できませんでした。
 井荻の両親はそれを否定し続けた。嘘つき、嘘つき。人殺し人殺し人殺し。息子を返して。私たちの息子を返して。
「あなたは自分のことが、図々しいとは思わないんですか。私たちの心なんて、あなたにはわからないんでしょうね」
 母親が吐き捨てるようにそう言って、それから、わっと泣き出した。今日何度目かになる嗚咽を漏らしながら、不明瞭な声で息子の名を呼ぶ。
 呼ばれた息子は遺影の中で、穏やかな笑みを浮かべている。その笑みは、もうこの先、絶えることがない。彼はずっと微笑んだままだ。実際の井荻公介は、もう二度と笑うことも、母親に返事をすることもできないのに。
「もう、お引き取りください」
 父親が、耐えかねたようにそう告げた。
「あなたが来ることは、公介の供養にはなりませんから。もう、結構です」
 窓の向こうから、蝉の鳴き声がする。母親はおいおいと泣き崩れている。俺が持参した菓子折りの箱が、ひしゃげて畳に落ちている。蛍光灯の点いていない、昼間でも薄暗い部屋で、仏壇の蝋燭の火がゆらゆらと揺れる。
 ああ。
 俺はこんな光景を、以前にも見たことがあった。
 真奈が死んだのも、こんな暑い日のことだったっけ。
 あんな風に遺影の中で、ただ静かに笑っていたっけか。
 ※『氷解 -another-』(下) (https://kurihara-yumeko.tumblr.com/post/634221127908098048/) へと続く
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kinsen-jozo · 5 years
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長岡での出来事
2016年、以前から素晴らしいと聞いていた長岡の花火を見に行くこととなった。
長岡は空襲によって多くの命を失った過去がある。この、花火師も賞賛するという花火大会は、長岡の空襲で亡くなった方々への慰霊と、世界平和への願いが込められているという。毎年空襲のあった翌日、8月の2日と3日に行われ、集客しやすい土日に開催される花火大会とは違う。
長岡で割烹を営むご家族がホテルや桟敷を手配し迎えてくれたのだった。
東京からの道中、あと少しで長岡に差し掛かる頃、10m先すら見えない土砂降りの雨に降られた。丁度その頃長岡からメールが入っていた。
「いつも花火の前は涙のような雨が降ります。不思議なことに花火の頃には雨はあがります。今日も必ず晴れますから、ご心配なさらないで、どうぞお気をつけて起こしください。」
長岡に着く頃には雨は止んでいたが、空はどんよりと黒い雲に覆われていた。
有り難いことに夜はご家族に割烹のお弁当を用意してもらえることになっており、3時半にホテルに届けてくれると言う。後で同じ桟敷で花火を見るのだから、その時に皆さんの分と一緒に持って来て頂けたら良いのではと言うと、忙しいため会場に到着するのが18時半過ぎそうなので、暗くなる前に先に食べていて欲しいからと、交通規制で道が封鎖される中わざわざ電車に乗ってホテルまで届けてくれた。ノートパソコンぐらいある木のお弁当箱には、ご飯が詰められた場所を外してドライアイスがテープで貼られていたことに心打たれた。
多忙の中お金も取らずにお弁当を用意し、後で合流するのに、明るい中で美味しく食べられるよう電車に乗って届けにいき、固くならないようにご飯の位置を外してドライアイスを貼る。その行為に何度お礼を言っても全く当然のことのように振る舞う。
こうしてあげたらいいんじゃないないか、こうすればもっと美味しく楽しめるんじゃないか。しかしそこに流れる波長は、サービスといったものでも意識的な善意とも違う、その家族の日常の中に転がってる優しさであった。この家族全員がこんなことが普通にできてしまう、生活における心のレベルが違うのだ。これはショッキングであり、大きな感激と同時に私を触発した。
大勢の人で賑わう大通りを花火会場へ歩いた。どこか長閑で、角のない丸い空気に感じ、その道中も楽しいものだった。街全体がこの花火大会に敬意をもって、成就させようとするエネルギーに包まれているようだった。
「悲しい涙のような雨が降りますが必ず晴れますから」
その言葉の通り、丁度その頃、薄暗い雲の隙間に陽が差した気がして空を見上げた。虹が出ていた。
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街に溢れる人間味ある雰囲気と、劇的な天候の変化。
何か凄いことが起きているような、何か特別なことが起きるような、そんな興奮をおぼえた。
雄大な信濃川の河川敷に集い、今日こうして此処に居られることに感謝し、一連の出来事に意味を感じ、緊張しながら花火の開始を待った。
桟敷席で作って頂いた弁当の蓋を開けた。最初に何を口にしようか迷う豪華なおかず、清潔で丁寧、心の籠った実に美味しいお弁当だった。明るいうちに食べてくださいという心遣いも、よくわかった。
この花火大会は慰霊と平和を祈願し、最初に大きな白菊が3発あげられる。厳粛なもの感じる瞬間だった。一条の光線がすぅーっと静かに空へと向かう。全ての人の視線が一点に向けられ、その始終を見届ける。手を合わせる人もいる。
空に向かう光が消え、少しの間を置き一気に大きな菊が開き、ドンッと低音が腹に響く。そして静かに散り消えて行く。
なんて美しいのだろう。背筋が伸びる思いがした。
その後、緩急つけて怒涛の花火が上がった。花火の光が、河川敷の両側に集う大勢の姿を照らす光景もまた風情ある味わい深いものだった。空には星が出ていた。
道中の大雨、虹、人の温もり、街をあげて花火を迎える様子、そんな物語を背景に、こんな情緒あふれる花火を見るのは初めてだった。花火と人の間に対話があったような気がした。厳粛な儀式のようでもあった。
静かに涙を流した。あまりに美しいからではない。言葉にしにくい、輪郭すら掴みにくい非常に抽象的なものに対する感動だった。なにか人間を感じたのかもしれない。人と人との繋がりが希薄になりがちな世相の中で、幻のように見失いかけた尊いものがその姿を取り戻し、万人の中にそれはあるのだという非常に肯定的な空気に包まれたからかもしれない。
余韻の中、その夜はいろんなことを考えた。
そして翌年もまた長岡に来ることにした。
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xf-2 · 6 years
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BSの支那人社員の余卿(よ・きょう)を少女誘拐で逮捕!静岡の未成年連れ出し札幌で発見!
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180903-00000004-dal-ent TBS社員、少女誘拐容疑で逮捕 静岡の未成年連れ出し、札幌で発見 9/3(月) 5:59配信 デイリースポーツ  TBS  静岡県警は2日、少女を自宅に連れ込んだなどとして、未成年者誘拐の疑いで東京都渋谷区在住のTBS社員余卿(よ・きょう)容疑者(30)を現行犯逮捕した。  逮捕容疑は8月中旬から9月2日までの間、静岡県中部に住む10代少女を、未成年と知りながら、自宅に連れて行った疑い。県警は余容疑者の認否を明らかにしていない。  TBSによると、余容疑者は2015年4月に入社し、現在は事業局映画・アニメ事業部に所属している。  同県警焼津署によればこの日午前10時ごろ、余容疑者と少女が札幌市北区の路上を歩いているところを任意同行した。少女の家族から8月中旬に行方不明の届けが出ていたという。少女はすでに自宅に戻り、容疑者は同署に移送されたという。  余容疑者を知る人は口々に「驚いた。真面目でおとなしいタイプだった」と口をそろえる。余容疑者と仕事をしたことがあるという人は、「悪い感じの人ではないが、キレがあるというよりは、可もなく不可もない印象」と証言。別の人は「社内に親しい人は多くないと思う」と話した。  同社は「社員が逮捕されたことは誠に遺憾で、関係者の方に深くおわびする。事実関係を調べた上で厳正に対処する」とのコメントを出した。
>静岡県警は2日、少女を自宅に連れ込んだなどとして、未成年者誘拐の疑いで東京都渋谷区在住のTBS社員余卿(よ・きょう)容疑者(30)を現行犯逮捕した。
またTBSか?!
少女誘拐で逮捕されたTBS社員の余卿(よ・きょう)は支那人らしいが、そもそも日本のテレビ局に支那人や韓国人や朝鮮人などの外国人がいること自体がおかしい!
公共の電波は、日本国民の財産だ!
TBSなどの日本のテレビ局は、日本国民の財産である「公共の電波」を格安の電波利用料で使用させもらっているくせに、外国人を社員に採用するのは絶対に間違っている!
テレビ局などの放送事業者は、外国人の採用を一切禁止とするべきだ。
日本は、テレビ局の外国人株主比率については規制しているにもかかわらず、なぜか外国人役職員については全く規制しておらず、日本のテレビ局は大量に外国人を採用している!
今回は、その支那人社員が少女誘拐という犯罪をして逮捕されたのだから、言語道断だ!
しかも、支那や北朝鮮や韓国は、日本の敵性国家だ。
TBSでは、報道番組(ニュース番組)である「Nスタ」も、韓国人にディレクターをさせており、日本の安全保障にも悪影響を及ぼしている!
【報道テロ組織!TBS!】
TBS「Nスタ」は、韓国のソウル出身で元韓国空軍将校の朴眞煥がディレクターをしている番組だ。
【朴眞煥】
朴 眞煥 TBSの平日夕方のニュース番組「Nスタ」ディレクター
ソウル出身 京都大学大学院修了 元韓国空軍将校
韓国で記者などを経て2005年から日本在住
平成26年(2014年)11月27日、朴眞煥ディレクターのTBS「Nスタ」は、日本の【和紙】がユネスコの無形文化遺産登録に決定した際、「和紙は風船爆弾の材料に使われ、アメリカで女性と子供を殺害した」と繰り返し報道!
平成28年(2016年)6月15日、舛添要一が辞職願を提出したその日の夕方、早くもテロ朝のニュース番組と朴眞煥ディレクターのTBS「Nスタ」が新橋駅前での街頭インタビューで「蓮舫マンセー!」を唱える同一人物(仕込み女)を8分間に連続出演させた!
上:テロ朝
下:TBS「Nスタ」
テロ朝とTBS「Nスタ」に「蓮舫マンセー!」女(仕込み)が連続出演!
(平成28年6月15日夕方5:10と5:18、新橋駅前)
TBSなどマスゴミは蓮舫をごり押し!
↓ ↓ ↓
平成28年(2016年)9月7日、朴眞煥ディレクターのTBS「Nスタ」は、蓮舫の二重国籍(違法)を追及することについて「出生を巡る問題を取り上げて資格を問う運動をアメリカでは『バーセリズム』と言って非常に軽蔑されることだ。」などと批判!
平成29年(2017年)9月12日夕に放送された、朴眞煥ディレクターの報道・情報「Nスタ」(TBS系)。
16時12分ごろ、CMに入る前に、「イスラム国戦闘員の家族に日本人か」のナレーションとともに、佳子内親王殿下がイギリス留学に出発されるときの映像が5秒程度流れた。
佳子内親王殿下が空港で関係者に笑顔で挨拶している映像だった。
また一瞬、画面右上にも「『イスラム国』家族に『日本人』?」というテロップが入った。
TBS「Nスタ」で、【「イスラム国」家族に日本人?】のテロップと「イスラム国戦闘員の家族に日本人か」のナレーション!
しかし、映像は、笑顔の佳子内親王殿下!
平成29年(2017年)12月4日放送、朴眞煥ディレクターのTBS「Nスタ」、井上貴博アナウンサー「圧倒的な軍事力を見せつけるアメリカと韓国。それに怯むことなく軍事的な挑発も辞さない構えの北朝鮮。この対立の構図は~」
【もの��言いよう】 井上アナ「圧倒的な軍事力を見せつけるアメリカと韓国。それに怯むことなく軍事的な挑発も辞さない構えの北朝鮮。この対立の構図は…」 『ICBM発射実験を見せつけ挑発する北朝鮮。それに怯むことなく軍事演習を行うアメリカと韓国』とは言わないのがまさにTBS#Nスタ
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https://twitter.com/N74580626/status/937609102192021509 雨雲‏ @N74580626 【ものは言いよう】 井上アナ「圧倒的な軍事力を見せつけるアメリカと韓国。それに怯むことなく軍事的な挑発も辞さない構えの北朝鮮。この対立の構図は…」 『ICBM発射実験を見せつけ挑発する北朝鮮。それに怯むことなく軍事演習を行うアメリカと韓国』とは言わないのがまさにTBS😓#Nスタ (動画) 18:06 - 2017年12月4日
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元韓国軍将校がTBS報道番組「Nスタ」のディレクターだった!ソウル出身で元韓国空軍将校の朴眞煥
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街頭インタビューに同一人物!TBSとテロ朝で「韓国に行くと皆優しい」「どうにかならないか」
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TBSのNスタが佳子内親王殿下の映像を流し「イスラム国の家族に日本人」のテロップとナレーション
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TBS「圧倒的な軍事力を見せつけるアメリカと韓国。怯むことなく軍事的な挑発も辞さない北朝鮮」
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日本のテレビ局が外国人を採用するのは、おかしい。
テレビ局というのは、安全保障などの観点から放送法第52条で外国人株主比率を規制するなど、外国人の影響を大きく受けないようにしている。
日本は、テレビ局の外国人株主比率については規制しているにもかかわらず、外国人役職員については全く規制しておらず、NHKも民放も大量に外国人を採用しているため、放送法第52条で外国人株主比率を規制している意味が全くなくなってしまっている!
テレビ局などの放送事業者は、外国人の採用を一切禁止とするべきだ。
テレビ局等マスコミへの在日朝鮮人の就職優遇は、「在日特権」の一つとなっている。(
詳細記事
渡部昇��氏               馬渕睦夫元大使
■動画
元外務省「放送業界は在日韓国・朝鮮人が牛耳っています」
https://www.youtube.com/watch?v=ZocyPf_gDsY
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馬渕:ある「ザイニチ」の方が私に「息子がNHKに入りました」と喜んでおられた。
まだその頃はNHKも目立たなかった。今その影響が出て来ている。
渡部:反日の「ザイニチ」系のひと。またその手の回っているひとが、非常に高い地位にいっぱいいるような気がするんですよ。
馬渕:アメリカでは、私が聞いている範囲では、テレビ局には外国人は入れない。
いかに民間の放送とはいえ、公共の電波ですからね。外国人がそれを牛耳るのはオカシイ­。
日本も本当はそうすべき。
すぐにそうすることが無理なら、「日本名」ではなく、本名で仕事をしてもらう。
「創氏改名」が嘘であること・強制ではないことを、彼ら自身が証明している。
彼らが日本名で仕事をしている。日本名で日本で生活しているでしょ。
これは「創氏改名」が嘘だった、強制じゃなかったということを証明しているんですよ。
渡部:そうです。
馬淵:日本の「公共テレビ」は職員は日本人とすべき。日本名を語って出自を隠すことは止めるべき
(以下略:
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https://www35.atwiki.jp/kolia/pages/18.html ■TBSの不祥事年表 年次 月日   内容   補足 1966 10 自衛隊観艦式中継を、TBSとRKB毎日放送の労組の圧力により放送中止 民放労連は共産党系 1968 01 米原子力空母を特集する予定だったが、スポンサーに無断で中止 1968 03 成田闘争においてTBS報道班が中核派系過激派の支援 1985 08 病死を殺人事件とし、岐阜県の男性を殺人者として報道。男性は誤報への抗議の遺書を残し自殺 1989 10 「NEWS23」第1回目に筑紫が「屠殺場」発言をし、解同から「大糾弾」 1989 10 「NEWS23」が山口組五代目継承式を無断で放送し、山口組から訴えられる 1989 11 オウム真理教の坂本弁護士一家殺害を幇助 ★殿堂★ 1990 05 TBSビデオテープ事件 1991 06 損失補填事件(証券会社に6億5000万の損失を肩代わりさせる) 1994 06 松本サリン事件で第一通報者の河野義行さんを犯人に仕立て上げ、殺人者呼ばわりを続ける 1995 01 筑紫哲也が阪神大震災で「温泉街」発言 ★殿堂★ 1 1995 05 「報道特集」でサブリミナル手法によりオウム真理教教祖の麻原の顔を挿入 1996 03 「NEWS23」で筑紫が「TBSは今日、死んだに等しい」と発言し波紋を呼ぶ 1996 04 オウム村井刺殺事件関与疑惑 殺害映像 1996 05 「ニュースの森」等でサンディエゴ事件の被害者夫人を犯人の様に報道 1996 06 TBSが放映済み映像を見せなかったとして女優の元夫が損害賠償請求で勝訴 1997 09 「報道特集」で上越市のゴミ処理場に関して虚偽報道。上越市から訴えられる 1998 01 「ニュースの森」等で帝京大学ラグビー部員暴行容疑事件無関係者を犯人扱い 1999 03 上岡龍太郎の発言に和歌山・奈良県知事がTBSに抗議文 1999 07 芸能人乱交パーティーにアナ含むTBS社員複数参加事件 1999 07 警視庁記者クラブ在籍のTBS記者が民家に侵入。女性の入浴を盗撮し逮捕 2000 04 「ガチンコ!」収録中に一般参加者の女性が着地に失敗し裂傷を負う 2000 11 「ニュースの森」等で旧石器捏造と無関係の「つくる会」を結びつけて報道 2001 06 TBS若手女子社員が、職場でのセクハラや陰湿なイジメを苦に自殺 2001 08 網走刑務所の墓地を無断撮影 2001 09 TBSがテレビ朝日の番組内容を盗用 2001 10 「うたばん」収録中にゲスト出演者が足に12針縫う怪我を負う 2002 03 「とくばん」でゲストに対し司会者がセクハラ発言を行い、BPOに抗議が殺到 2002 05 「筋肉番付」の収録中に一般参加者2名が負傷し番組が打ち切り 2002 07 神栖町ヒ素汚染問題で「旧日本軍の毒ガス兵器が原因」と捏造報道 2002 07 TBSと北朝鮮による、身代金目的の共同謀議発覚 2002 10 「NEWS23」で筑紫が「拉致被害者に過失(不作為?)があるとすれば、日本人に生まれたということでしょう」と問題発言 2002 11 筑紫が、拉致被害者に執拗な取材を行い批判を浴びた「週刊金曜日」を擁護「NEWS23」で筑紫自身が週刊金曜日の編集委員であることには触れず 2003 02 TBSメディア推進局副理事が約7000万円の所得隠し 2003 04 通り魔事件の犯人が統合失調症であるかの様に報道。某団体からTBSに抗議 2003 07 TBSが放送した豆乳ローションを作ろうとした視聴者2名が重傷の火傷を負う 2003 08 撮影中にワゴン車からカメラマンが転落し脳挫傷で死亡。スタッフを書類送検 2003 11 石原都知事の日韓併合発言で捏造テロップ ★殿堂★ 1 、2、3、4、5、6 2004 03 オウム真理教ドキュメンタリードラマでやらせ 2004 05 筑紫哲也が年金未納で「NEWS23」を一時出演休止 1 2004 06 男性アナウンサーが酒気帯び運転で物損事故 2004 06 TBSとP&Gが行った双方向CMで、応募者1万868人分の個人情報流出 2004 06 TBSラジオの番組のクイズ企画に応募したリスナーの個人情報が流出 2004 07 TBSが業者に100万円渡し、中国にある大使館への脱北者の亡命を演出未遂 2004 07 ロケバス無許可運行で逮捕者 2004 07 向井亜紀が自身の講演内容を歪曲し報道されたとしてTBSを提訴 2004 09 ネットで外国宝くじ購入、刑法違反で謝罪 2004 10 「ケータイ刑事銭形泪」で、間違って予定と異なる回を放送 2004 12 石原都知事の名誉棄損容疑で、TBS社員4人を書類送検 1 2005 01 脱北者提供「日本人拉致被害者写真」が偽物 2005 02 TBS元社員らが企業年金の減額は違法としてTBSを提訴 2005 05 TBS携帯サイトから個人情報流出 2005 05 公式ホームページに載せるコラムを新聞記事から盗用 2005 06 ドラマの解説文を外部のホームページから盗用していたこと等発覚 2005 06 「朝ズバッ!」でみのもんたの失言に激怒した番組スポンサーが降板 2005 10 東条英機の孫の発言を捏造 2005 11 「NEWS23」で台湾新幹線の開業延期問題を日本の責任にする虚偽報道 2005 11 「NEWS23」で世論調査捏造疑惑 2006 01 「朝ズバッ!」でみのもんたがボビー・オロゴンに対して人種差別発言を行う 2006 02 トリノオリンピックでTBSスタッフと中居正広がルール違反で出入り禁止処分 2006 02 男性社員による結婚詐欺疑惑 2006 02 自局・川田亜子アナ(当時)のWikipediaに、TBSが中傷書き込み 2006 03 「からくりTV」の元スタッフが番組出演者ら約540人分の個人情報を流出 2006 03 「NEWS23」でナヌムの家報道。「NEWS23」スポンサー不買運動が行われる 2006 04 大家族・青木家に数々の疑惑 2006 04 TBS系列会社「BS-i」と「C-TBS」が民放連指針違反 2006 05 白インゲンダイエットで下痢や嘔吐などの入院患者100人超 2006 06 「NEWS23」でハイド議員の靖国発言を超訳して放送 2006 07 TBSのホストから甲府FW・茂原岳人の項目で「レイプ癖は健在」等と編集 2006 07 「イブニング・ファイブ」の731部隊報道に安倍氏ポスターをカットイン 画像 2006 08 亀田疑惑の判定で世界王者、抗議6万件超 2006 09 亀田大毅の判定に客が野次を飛ばし乱闘騒ぎに 2006 09 番組取材協力者103人分のメールアドレス流出 2006 09 「KUNOICHI」収録中に感電事故、一般参加の女性が病院で手当て 2006 09 TBSが上祐オウムに会見場所を提供 2006 10 TBSアナウンサー川田亜子さんが社内の苦悩に涙する様子を放送 2006 10 「NEWS23」新キャスター・山本モナさんが民主・細野議員との不倫で降板 2006 11 世界バレー女子、6位・日本からのMVP選出に大ブーイング 2006 12 「はなまるマーケット」で便器破損の恐れがあるトイレ掃除法を紹介 2007 01 反則の柔道王・秋山成勲がヌルヌル&グローブ細工疑惑で失格処分 2007 01 「朝ズバッ!」で「不二家が賞味期限切れのチョコレートを回収し再出荷していた」と捏造 ★殿堂★ 1 2007 01 TBS特番でみのもんたが夕張視察。みのの問題発言とやらせ連発 2007 02 頭のよくなる音・ハイパーソニック音で過剰表現・論文無断使用 2007 02 「サンデー・ジャポン」で柳沢発言を不適切編集 2007 02 「華麗なる一族」にてサブリミナル効果で公明党の宣伝 2007 03 桜庭選手に失望したとのネット掲示板の書き込みを捏造 2007 03 「朝ズバッ!」の不二家報道が事実と異なるとして総務省が調査 2007 03 「新SASUKE」収録で5人重軽傷。警察に届けず事故隠し 2007 03 みのもんたが女性アナウンサーへのセクハラ疑惑。TBSの対応にみの激怒 2007 04 「サンデー・ジャポン」にて、同一人物によるやらせインタビューが発覚 2007 04 TBS取材車が池袋で駐停車禁止場所に堂々と駐車。注意で逆ギレ 1 2007 04 「イブニングニュース」で、支那大陸の砂漠化、黄砂は日本の責任と主張 2007 04 J-CASTや週刊現代など他マスコミからの取材の拒否を宣言 2007 04 伊藤一長長崎市長狙撃事件で、延々と市長の血だらけの顔を全国放送 2007 04 江口ともみさんがTBS番組収録中に事故に遭い、腎臓摘出 2007 04 番組収録中に金子昇が左手首骨折するも警察に未届けだった事が判明 2007 05 番組名「ニッポン劣島改造計画」と明記。苦情相次ぎ番組名変える 2007 05 「NEWS23」で左翼団体メンバーを「普通の学生」かのように偏向報道 1 2007 05 「NEWS23」で右翼風改憲ラップを自ら発注し情報操作した上で放送 1 2 2007 06 「ピンポン!」が盗聴工作未遂&「イブニング・ファイブ」がヘリでプレー妨害 1 2007 07 「リンカーン」で亀田興毅の自慰をモノマネ。抗議が有り翌週に謝罪放送行う 2007 08 「ピンポン!」取材陣、葬儀にTシャツ、ジーンズ・短パンで取材、遺族に謝罪 2007 08 「ピンポン!」番組内で「現役客室乗務員」と紹介された女性、実はニセ者 1 2007 09 一連の不祥事を受け役員|19人処分するも社外に向けて自主公表せず 2007 09 「ピンポン!」が民主党の主張のみ放送。舛添厚労相の出演依頼拒否を捏造 1 2007 09 神戸高3自殺に関し、学内名簿・成績表等の収集目的で「裏2ch」で取材を試みる 2007 09 「NEWS23」にて麻生太郎の発言をぶった切り編集し、歪曲報道 1 2007 09 「朝ズバッ!」のスタッフが変死。「2時っチャオ!」のスタッフが自殺 2007 10 ボクシング亀田大毅vs内藤大助で大毅反則多発、TBSも関与か 2007 10 「アッコにおまかせ」で、「初音ミク」ユーザーをオタクネタ化し批判を受ける 1 2007 10 TBS関連会社元契約社員が、盗撮目的でTBS内の女子トイレ侵入 2007 10 「ズバリ言うわよ!」が無許可で朝青龍インタビュー 2007 10 「朝ズバッ!」の男性スタッフが女子アナ盗撮で逮捕 1 2 2007 10 消えゆくアルプス民族楽器のはずが、全く消える予兆無し 2007 10 「ピンポン!」で取り上げた獣医師は抗議署名3699人も集められていた人物 2007 10 イベント応募者1033名の個人情報を流出 2007 10 「HOTEL」の再放送が4話で終了。出演者が逮捕される数日前突然の打ち切り 2007 11 「朝ズバッ!」でみのが香川姉妹祖母殺害事件で父親が犯人かの様に報道 2007 11 TBSのスタッフが「路上喫煙禁止推進区域」にて堂々と路上喫煙 2007 12 TBSが映画「南京の真実」の撮影を妨害していたことがチャンネル桜にて発覚 2007 12 TBSに批判的な記事を書かせない為に他マスコミへの情報提供の制限を宣言 2007 12 中国産ゲーム機Viiについて、中国で4000万台販売されたと虚偽報道 2007 12 「朝ズバッ!」で取材拒否VTRを放送。みの発言に激怒した男性が提訴 2008 01 亀田大毅に100%責任のある追突事故を「巻き込まれた」と偽装報道疑惑 1 2008 02 住宅火災で亡くなった女児と違う、別の女児の写真を誤って使い報道する 2008 03 射幸心を煽る不適切な表現をしたとして謝罪 2008 03 富山市が高架化事業について「一方的な報道をされた」としてTBSに意見書 1 2008 03 「朝ズバッ!」で硫化水素の作成方法を報道。自殺を激増、殺人も引き起こす 2008 03 「著しい誤解や不快感を与えた」として会津若松市がTBSに謝罪・訂正求める 2008 03 生放送中に出演者が胸を強打し右肋骨を骨折。全治4週間の怪我を負う 2008 03 「王様のブランチ」生放送中 カンフー少年が頭部から流血 1 2008 04 チベット人の振りして障害者からトーチを奪おうとした中国人の自作自演に手を貸す 2008 05 元TBSアナウンサー川田亜子さんの自殺現場を、TBSだけ違う場所を撮影 2008 05 番組で紹介された「ティッシュ箱飛ばし」で、視聴者の負傷続出 2008 06 「報道特集NEXT」で「高村正彦外相が万景峰入港の全面解禁を主張した」と捏造 2008 06 「NEWS23」で問責決議案可決後の福田首相のコメントを意図的に編集 2008 07 東京都八王子市で起きた無差別殺傷事件で、被害者として報じた写真が別人 2008 07 内藤の世界戦に“亀田乱入”でTBSに抗議殺到 2008 08 井上弘社長(68)の不倫疑惑発覚 2008 09 「どうぶつ奇想天外」で死に至る危険性のある寄生虫を宿すペットを飼っている少女を紹介 2008 09 「2時っチャオ!」眞子さまジャニーズファン報道に紀子妃激怒! 宮内庁TBSへ抗議 2008 11 「アッコにおまかせ!」スタッフが小室哲哉容疑者に差し入れ。行き過ぎに謝罪 2008 11 アパワイン会で田母神俊雄氏と同席した民主党・鳩山夫妻にボカシ 1 2008 11 『余命1ヶ月の花嫁』の長島千恵さんはAV女優��判明 2008 12 幼児殺害事件の容疑者に執拗な取材。警察と弁護団双方からクレーム 2008 12 税収減り道路の穴放置報道。TBSが田原市に謝罪 1 2009 01 TBS社員のPCからTBS女子アナ××写真流出 2009 02 麻生総理講演会を印象操作して報道 2009 02 「朝ズバッ!」でみのもんたが小沢騒動に関して問題発言連発 2009 04 「朝ズバッ!」で未承諾で容姿を映されたことに対し、肖像権侵害などでTBSに賠償命令 2009 04 「情報7days ニュースキャスター」で、「これが二重行政の現場」と悪質なやらせ報道 1 2009 06 総務省が事実を正確に報道しなかったとしてTBSを厳重注意 2009 07 「キミハブレイク」の収録で深夜に荒川河川敷で打ち上げ花火。警視庁が注意 2009 08 「サンデージャポン」の大阪府強制執行報道で問題発言。BPOから勧告 2009 08 「アッコにおまかせ!」で酒井法子容疑者の息子をモザイク無しで放送 2009 10 「2時っチャオ!」の女性リポーター(38)が取材先の大津市内の女性に軽傷を負わせ書類送検 2009 10 「サンデージャポン」で、中川氏死亡の速報に「速報は注目しないでください」と発言 2009 11 「朝ズバッ!」のディレクターが市橋容疑者に突撃取材で逮捕。広報部は隠蔽 2 2009 11 石川遼が出場するゴルフ大会で、TBSのカートがギャラリーに突っ込み女性ら負傷 2009 11 内藤×亀田戦で、TBSによるリングアナ富樫光明氏への言論弾圧工作が発覚 2009 12 TBS警察呼ばず、犯人国外逃亡「ブラック紙幣」詐欺番組で論議 2010 01 TBS系制作会社の記者が個人の郵便物を盗み見、更に発信機を取り付けていたことが発覚 1 2 2010 02 TBS61.6%の大幅減益、視聴率低迷で。純損益予想でもTBSは赤字に転落 ★ 法則発動 ★ 2010 02 バンクーバー五輪・カーリング女子日本代表チームの非公開練習を盗撮、出入禁止処分 2010 02 津波警報を知らせる日本地図で対馬を除外 2010 03 朝鮮学校の授業料無償化の件でテロップを捏造 2010 04 巨人・木村拓也コーチ急死と報じ謝罪 2010 05 赤松農水大臣GW中の外遊でゴルフをしていたと捏造報道 2010 06 『NEW23クロス』にてW杯でポルトガルに0-7で大敗した北朝鮮を7-0で大勝と捏造報道 2010 08 PSPソフト『けいおん! 放課後ライブ!!』Youtubeにアップしたセガ&TBS 公式 のゲームプレイ動画をTBSがセガに無断で削除 2010 08 「朝鮮学校」無償化を捏造報道 2010 08 TBSカメラマンを在宅起訴 高知地検 2015 08 単発ドラマに登場する汚職政治家にブルーリボンバッジ ★殿堂★ 2018 09 TBS社員余卿(よ・きょう)、少女誘拐容疑で逮捕 静岡の未成年連れ出し、札幌で発見 ★NEW!!★
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photo-ccarchive · 2 years
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総本山仁和寺で開催する展覧会参加の嬉しいお話を頂き、 約2ヶ月をかけて準備をし、2021年秋の美しい季節に展示をいたしました。 制作期間が短くあたれる書籍は少なかったのですが、時間が許す限り制作と研究を同時並行しました。 黒書院という有形文化財の建物一棟を、一人で使わせて頂けることになり、 総数21点を用意し、日本に本帰国してから初めての大規模な展示となりました。 制作が始まる前に、御寺を丁寧にご案内いただき、その完成され調和している境内の空間、 そして堂本印象の襖絵もある黒書院という場に大変感激しました。 特別に観せていただいた五重塔内部や、金堂内部・背面の板絵も素晴らしかったです。 そこで (1)真言宗御室派・総本山"仁和寺(黑書院)”という歴史ある特別な場にふさわしい作品にすること (2)宝珠や孔雀など御寺にとって重要なモチーフを描かせていただくこと (3)美しい空間の調和を乱すことなく、現代の美意識を反映させること (4)作品は全て仏前に捧げるという気持ちで、これまでの半生も繕うことなく織り交ぜ、 真摯に向き合いながら描くこと、 という4点を意識して制作しました。 父方は浄土真宗、母方は神道、家族はクリスチャンと周囲の背景は様々で、 自身には特定の信仰も所属もありませんが、 
このような機会に真言宗・密教について学び、かつ すぐに制作に反映したことは、深く勉強になりました。 またこの制作をきっかけに「紙仏(しふつ)」という仏画のシリーズが、 自身の新しい作品の様式に加わったことも、とても大きな変化でした。 気持ちの良い季節となった展示会期中には、多くの方にご来場いただき、 また最終的に3点を御奉納させていただく機会も頂戴し、 1000年後にも残るようにと準備をして、とても充実した本帰国後の制作となりました。 せっかく京都に参りましたので、いつか寺社仏閣で展示をと思っていましたが、 こん��にも早く実りあるご縁を頂けて、心から嬉しかったです。 関係者の皆様、ご覧下さった皆様に心より感謝いたします。 <参考書籍> 令和に守り伝えたい仁和寺の祈り 瀬川大秀 仁和寺と御室派のみほとけ 東京国立博物館図録 もっと知りたい 仁和寺の歴史 久保智康,朝川美幸 即身成仏義  空海,加藤精一 声字実相義  空海,加藤精一 吽字義    空海,加藤精一 三教指帰   空海,加藤純隆,加藤精一 秘蔵宝鑰   空海,加藤純隆,加藤精一 般若心経秘鍵 空海,加藤純隆,加藤精一 密教入門  西村公朝 佛教の文様  池 修 曼荼羅入門  小峰彌彦 空海の哲学 竹村牧男 梵字必携  児玉義隆 祈雨・宝珠・龍:中世真言密教の深層 スティーブン トレンソン 日本の美術 No.508 孔雀明王像 原色図典 日本美術史年表 密教美術大観 1ー4巻 朝日新聞社 聖なる珠の物語 空海・聖地・如意宝珠 藤巻和宏 弘法大師の世界 別冊太陽 国家興亡の方程式 ピーター・ターチン,水原文
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令和3年度筑波海軍航空隊慰霊の集いを行いました
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9月26日(日)、令和3年度 筑波海軍航空隊 慰霊の集いを催行いたしました。
昨年に続き、コロナ禍により規模を大幅に縮小しての開催となりましたが、2年ぶりにご遺族や筑波空関係者の皆さまにもご参加いただき、開催することが出来ました。
こういった状況下の中、式に足をお運びくださった皆さまに心より感謝申し上げます。皆さまと共に慰霊が出来たことをスタッフ一同大変嬉しく思います。
また、遠方の方や高齢の方でご参加が叶わなかった皆さまからもたくさんお気持ちをお寄せいただきました。誠にありがとうございます。
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御来賓挨拶より、友の会・松井会長、笠間市・山口市長のお言葉を一部掲載いたします。
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筑波海軍航空隊友の会会長 松井方子さまのご挨拶
「(前略)先の大戦で大変多くの方たちが亡くなられました。こちらに眠っておられる若き英霊たちもまた、若い尊い命を懸けて、家族のため、そして国のために日本を守ってくださいました。戦後76年たった今日、戦争を体験された方は少なくなりました。それでも、残された私たちが慰霊をすることによって日本を守ってくださった方たちに感謝しなければならないと思います。戦争を知らない世代になりましたが、どうか次世代の方たちに慰霊を継承していただきたいと私は願っております。慰霊を継承することがこれからの日本の平和にも繋がっていくものと私は信じております。どうかこれからも慰霊祭をよろしくお願いいたします。(後略)」
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笠間市長 山口伸樹さまのご挨拶
「今日はコロナ禍という中で、たくさんの関係者の皆さまにご出席いただき、そして2年ぶりにこの慰霊祭が開催出来たこと、我々地元行政としても大変嬉しく思っております。(中略)我々行政としても慰霊祭、歴史をしっかりと後世に伝える意味で、この慰霊祭もその一つだと思っております。これからも皆さんのご協力と一緒になってこの慰霊祭をしっかり継続していきたいと思っております。」
「旧司令部庁舎は大変老朽化が激しく、県の所有物ですが、市が指定管理を受けております。県のご協力を得ながら改修を現在行っております。雨漏りをしっかり防ぐ防水、そして窓枠から雨が吹き込んで腐食してしまうこともありますので、工事をしてしっかりこの建物も後世に残していく、そういうことが必要かと思います。(中略)しっかりチェックをしながら守っていきたいと思っておりますので、ご協力ご理解のほどをよろしくお願い申し上げます。」
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来年度の慰霊祭の時期、規模については現在は未定ですが、一日でも早くこの事態が収束し、皆さまとご一緒に例年通りの式典が出来ますことを心より願っております。
また、式典の模様は11月初めに発行予定の友の会会報にも掲載いたしますので、どうぞお楽しみにお待ちいただけますと幸いです。
今後とも筑波海軍航空隊記念館をどうぞよろしくお願いいたします。
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s11emic17j · 6 years
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(有)EMICつあーずver.5.0⑦
【부산항대교(釜山港大橋)】
釜山港大橋のライトアップが見たくて行ってきました
バスツアーとかに申し込めばルートで入っているんだけど、個人で行く人はあんまいないないかもw
달뜨네でご飯食べた後だったので、そっからバスで移動する予定でした
バス停行って「時刻表とかないよね~」とか話してたら・・・
「どこまで行きますか?」と声をかけられ振り返ると・・・
長身の韓国いけめーーーーーーーーーーーーーーん♡♡♡♡♡♡
「えっとぉ~この番号のバスに乗りたいんですぅ~~(///▽///)でへでへ」
的なことを言いながら、乗る予定の番号の書いてるバス停の案内板を指さそうとしたら
高すぎて届かないの巻(俺チビだもん)
仕方がないのでニヤニヤしながらピョンピョン飛び跳ねてその番号指さしてたら
イケメン様が(わざわざ)かがんで私が持ってた地図を見てくれるの巻
イケメンがこの私の為によ?!貴重なお時間を割いてわざわざかがんで地図まで見てくれるなんてえぇぇえぇぇ~~~~
好き
どうやら私達が降りたい目的のバス停をイケメンは知らなかったらしく
「ちょっと聞いてきます、これ借りていいですか?待っててくださいね^^」
と爽やかに言い残して私が握りしめてた小汚い地図を持って反対側の道路へ
止まってた車に聞きに行ってたんだけど・・・・その間にバスが到着しちゃって
「イケメン様、このバス乗るんじゃなかったの?!?!?!やだっもう私達のことは無視して乗って!申し訳なさすぎるわ(T▽T)」
とか友達と騒いでたら、イケメン様が手招きして「こっちです^^」と
反対側の道路に行くと、こっちのバス停でこの番号のバスに乗って~と説明してくれるイケメン様
「はい(///▽///)」とホボ内容が耳に入ってこない状態でニヤニヤして話を聞いてたら
イケメン様がさっき道を聞いてた車の窓が開いて
「通り道だからよかったら乗せて行きますよ^^」と男の人・・・(゜ロ゜)ギョェ 
いや、、、さすがに知らない人、しかも男性、しかも異国の地
色々高速で考えて「いやいやいやいやいや(汗)」とお断りすると
後部座席の窓があいて、赤ちゃんを抱っこしたキレイな女の人が
「私達は家族です、大丈夫ですよ^^乗ってください」と
でも、もう一度「いやいやいやいやいや(汗)」とお断りしたところ
今度はイケメン様が「僕の姉と姉の旦那さんと子供です^^だから大丈夫ですよw」と
友達と、えっ。。。。ってなってたら、笑いながら
「だから、本当に大丈夫だからどうぞどうぞw」と
何度か押し問答があって、結果乗せていただくことに。。。
車の中で「〇〇のバス停って、そこからどこに行きたいんですか?」と聞かれたので
「釜山港大橋を見に青鶴水邊公園まで。。。」と伝えたら公園まで行ってくれることに(神)
「どこから来たんですか?大阪とってもいいところですよね^^」とか色々気を使って話題を振っていただいて
友達とあまりにも申し訳なさすぎて、何かお礼をせねばとヒソヒソ・・・・
「何か持ってる?」
「何もない、、、食べかけのフリスクくらいしかない、、、」となり
最終的に出た結論
「お金お支払いします」←何でも金で解決しようとするクズ
しかも、こんな肝心な時に私の発音悪すぎて「お金」を聞き取ってもらえず(白目)
俺のばっきゃろーーーー!!!!!ホットクの角に頭ぶつけちまえ!!!
「お金なんかいりませんよwwww」と爆笑しながら言われたので
「じゃあ、何かお礼をさせてください、あまりにも申し訳なくて」と言うと
「外国から来ているんだから困っていたら私達が助けるのが当たり前です、何もいりません^^」と
ネ申。。。
しかも、通り道だからとか言ってたのに、車の中で奥さんと
「この辺だっけ?」的な会話をしていたので、きっと通り道ではなかったのだと思います
無事に送り届けていただきました
本当に本当にありがとうございました、感謝感激雨あられです
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青マルが居酒屋さんで赤マルが目的地、ここまで乗せていただきました
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これが見たかったのです、、、、キレイそして感激倍増(;ω;)
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イケメンで親切でお姉さん美人で旦那さんやさしくて赤ちゃん可愛いとか何?!
リアル神様一家かよ!!!あの家族にこれから一生良いことがありますように(T▽T)
と、帰り道に友達と話してたら、、、「すいません、日本人ですか?」と
横断歩道ですれ違ったこれまた美人の韓国女性に声をかけられて
「どこに行きますか?」と言われたので目的の駅まで行くバスに乗りたいと伝えると
「ここのバス停は本数少ないから、あっちの方が多いです^^よかったらご案内します」と
影島は神様が集まる島ですか?
バス停に連れて行ってもらう道中に色々お話ししてくださって
お姉さんはお仕事帰りだったみたいなんだけど
こんな場所にこんな時間に日本人?ってなって迷子かと思って声をかけてくれたらしい
YOUは何しに韓国へ?
行けばわかるけど、そらそう思うわなって場所ですw
でもでも、自分が地元で海外の人を夜に見かけて迷子かなって声かける?
本当に自分は日本で海外の人にとっても冷たいなと猛省。。。
お・も・て・な・し
の精神をまるっと忘れておりました・・・
「釜山港大橋を見に来たんです」と伝えたら「あぁっ♪キレイですもんね^^」と
影島には初めて来たことを伝えたら、影島の観光地とか色々教えてくれて
「観光で釜山に来てくれても影島はあまり知られていないので寂しいです」と
次は影島を中心に観光に来ますと伝えたら凄く喜んでくださったので
いつの日か、影島つあーずを開催しようと思っております(絶対に)
そしてリアル神様が集まる島「影島」の魅力を少しでもお伝えできればと思います
釜山が大好きで何度も旅行に来てて、みなさんとっても優しくて本当に大好きですと言うと
「とっても嬉しいです^^でも、悪い人もいるから気を付けてくださいね」と
みんなそうなの、みんなそう言うんだけど、悪い人に会ったこと1度もないよ、、、
むしろ、日ごろの自分の悪態の数々を釜山に行くたびに反省しております
もっと人にやさしく生きて行かないと。。。。
そしてお姉さんは私達を無事にバス停まで送り届けてくださり、乗るバスまで教えてくださり
「素敵な釜山の思い出作ってくださいね^^」と言い残して
私達と来た方角にまた戻って行かれました・・・
きっと遠回りさせてしまったに違いない・・・(╥_╥)
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カフェにて、今日の出来事は夢か幻かとお友達と語り合う
影島の皆さま、本当に本当にありがとうございました!!!!
【원드스(wonders)】
※日本語不可・韓国語、英語メニュー
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朝ごはん食べに行ってきた♪
広安里駅と金蓮山駅の間くらいですが、これは広安里からの行き方
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ここのビルの3階です
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窓際の景色が良いお席は早くなくなるのでご注意を
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私達が行ったのはオープンしてすぐくらいですが
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他の席こんなかんじだけど
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海側全部うまっておりますw
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席に座ってメニューもらったあとレジまで注文しに行くスタイルです
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ねねねねね
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あのねあのね
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映えてる???
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美味しかったしキレイだったし朝から最高だぜ!!!!
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ちょっぴり雨模様の広安ビーチと広安大橋
とゆ~わけで、今回の釜山旅行記はこれにて終了
いつも以上にアホみたいに長い旅行記でしたが
全部読んでくださった方がいらっしゃればありがとうございますm(_ _)m
いつになったら私は釜山に飽きるのかしら?と思ったりもするけど
行くたびにますます大好きになる街です、3泊とかじゃ全然足りないわ=3
一体どこまで私を好きにさせたら気が済むの?とか言いたいくらいだぜ
釜山が大好きなので、少しでも釜山の魅力をお伝えできればと思って旅行記アップしてるけど 
ちょこちょこお役に立ててるようなので、とっても嬉しいです^^
でも、私もまだまだ知らない場所とかお店も沢山あるので
もしおススメのところがあれば是非とも教えていただきたいなと思います☆彡
~終わり~
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koudelkalightnovel · 6 years
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Collections of Hiroki Kikuta’s blog
1997年秋から1999年末まで携わった、 「クーデルカ」という仕事は、僕の人生の中で大きな意味を持つ。 嬉しかったこともあり、残念だったこともあり、しかし、制作に費やした二年間は、 無駄ではなかったと、今振り返って思う。 サクノス立ち上げに助力していただいた、元セガ副社長の故藤本敬三氏の思い出。 ロサンゼルスはウエストハリウッドでの夢のようなモーションキャプチャーセッション。 胸に浮かぶままに、語るべきことは尽きない。 ここでは、写真、設定資料、デザイン画を中心に、ゲーム制作のプロセスと、 その印象を綴っている。 クーデルカのための宣伝用イラストレーション/1998 岩原裕二 部分 このサイトは、1999年12月にプレイステーション向けホラーRPGとして発売されたゲーム「クーデルカ」のディレクター菊田裕樹が、制作資料の掲載や作品解説を目的として運営するものです。ゲームをプレイしてくれたユーザーが、より深くクーデルカの世界とその魅力に親しんでもらうために、僅かなりと助けになれれば幸いです。 --- 「クーデルカ」のモーションキャプチャーは、1999年1月、ロサンゼルスはサンタモニカにあるスタジオで収録された。技術面を担当したのはフューチャーライト。普段は「ゴジラ」等のハリウッド映画のSFXを担当している映像制作会社である。遡る1998年9月、僕はイベント系を担当する人員の不足から、それを全てモーションキャプチャーで賄うという構想を建てた。全体で見れば一時間をこえるイベントシーンを、手打ちのアニメーションとスクリプトで実現しようとすれば、5人がかりの仕事となる。しかも、一向に従来のRPGの域を出ない、面白みの無い方法だ。ゲームのドラマ部分を表現するために、効果的で、目新しくて、しかも大きな省力化になる方法として、モーションキャプチャーは画期的な試みだった。無論、問題はあった。技術的に不可能だというのだ。物語の��質上、最大4人を同時にキャプチャーし、併せて音声も収録する必要があったからだ。僕はまず、日本国内のスタジオで実験をし、手応えを掴んだ。その結果、モーションキャプチャーは十分に魅力的な効果を生み出すという確信を得た。しかし同時に、僕の要求する仕様は日本国内では実現不可能であるということも分かった。だが、そこで諦めてはクリエイターが廃る。幸い、以前「双界儀」の録音でお世話になったデイブレイク社の大竹氏が、海外のコーディネイターに詳しいというので、畑違いながら探してもらったら、ロスにそれらしい技術を持った連中が居るという。早速連絡を取り、俳優のオーディション方々会いに行った。ところが実際に会ってみると、彼等も僕が考えるような仕様でキャプチャーをしたことがなかった。4人を同時に、音声もいっしょに、しかも数分に及ぶ芝居をいっぺんに収録する。そんなの聞いたことがない。しかし驚いたことに、面白そうだから是非やってみょうと、彼等は言ったのだ。新しいことにチャレンジするのが嬉しくてしょうがないスタッフ達。こうして、この前代未聞の試みは実現したのである。 クーデルカを演じてくれたヴィヴィアンとエドワードを演じてくれたマイケル。100人程のアクターをオーディションした中から選んだ人達だ。アメリカのアクターの層は厚い。皆、良い作品に出演することを夢見て、演技の勉強をし、技術を身に付け、レストランなどで働きながらハリウッド近辺で暮らしている。アメリカでは基本的に、どのような有名な役者でも、名前だけで出演が決まることはない。必ずオーディションをして、その役に本当に相応しいかどうかを確かめられる。彼等は、役の大小に限らず、それを勝ち取ることに真摯で、また仕事に臨んでも出来るだけ良い結果を残そうとする姿勢を崩さない。 セッションに参加してくれたスタッフ達。フューチャーライト側から、モーションキャプチャーの陣頭指揮にあたってくれたダン・マイケルソンをはじめ、プログラマーのランディ、エンジニアのジョン。彼等は4日に及ぶセッションの中で起った、様々な問題に素早く対処してくれた。日本側から、クーデルカのモーションを担当した竹原君。IPG側から、わざわざこのコーディネイトのためにニューヨークから駆け付けてくれたポール。そして、サウンドエンジニアのキース。 写真中央、このセッションのディレクションを全て担当してくれた、IPGから参加のデビッド・ウォルドマン。彼は日本でビデオクリップのADをしていた経歴があり、日本語が話せたため、今回の仕事に適任として選ばれた。映像制作の現場でのノウハウや、その進行に関して、彼に学ぶところは大きかった。その後、ロスでムービーキャメラマンの学校に入り、本格的に映画制作を志しているらしい。左は、デビッドの女房役のADであるクレイグ。右に居るのは、9才のシャルロッテ役を演じてくれた12才のサラ・パクストン嬢。その可愛らしさで、スタジオの人気者だった。しかし、プロとしての意識は本物で、長台詞を覚え、慣れないキャプチャーに戸惑うこともなく、見事に演じてみせた。下の写真は、キャプチャーセッションに先立つ、リハーサルの時のもの。近くのホテルで部屋を借り、本番の時と同じように、全ての芝居をチェックする。この時キャラクターはどんな気持ちなのか、何を考えながら演じればいいのかを、ひとつひとつ、押さえていく。このシーンは、クーデルカとエドワードが、オグデンとベッシーにスープを振舞われるところ。中央に、いかにも人の良いおばさんを演じてくれた人の良いおばさん、デニス・ホワイト。 スタジオというよりは工場といった有り様だが、実際すぐ横にプロップを組み立てる工房があったりした。一応サウンドステージとして作られてはいるのだが、防音がしっかりしていないため、上空を飛ぶ軽飛行機の音がうるさくて、撮影が中断したのには参った。真中に置いてあるのは、ジェームズら3人が大聖堂に入る扉が開かなくて悪態をつくシーンのための大道具。例えば、扉を叩く芝居が欲しい時に、何もないのにそういう振りだけしても、リアリティーは生まれない。扉を叩く時には、そこに扉があるべきだ。下の写真は、ゴミの山に埋もれてひっそりと稼動しているSGIのONYX。これに限らず、驚くような機材が、ごく当たり前に使われているのをあちこちで見た。聞けばそれらは全て、レンタルなのだという。こういう所にも、日本との状況の違いを感じた。右は、連日に及ぶ深夜の撮影で疲れ果てて眠りこける僕。 2000/11/25 菊田裕樹 --- ヴォイニッチ文書 部分 Emigre Document 紀元前5000年をさかのぼる昔、ブリタニアには高度な巨石文明を持った民族が栄えていた。今も島のあちこちに残るドルメンやストーンサークルは、現代科学を持ってしても不可能と思われるほどの彼らの技術力を、我々に示している。彼らはケルト人が到来するまで、全世界でも最も進んだ文化と文明を持つ民族であった。エジプトでピラミッドが建築される遙かに昔。中国、バビロニア、イスラエル、どの文化圏よりももっと以前に、ブリタニア全土に分布する巨石遺構は建てられたのである。 その力の秘密は、彼らの持つ宗教にあった。彼らは大地より湧きいでる生命の秘密に手をかける術を知っていたのである。生と死を操り、不死や、あまつさえ死者の再生をも我がものにし、労働力としての人間ならざる怪物を生み出し、高度な文明を築き上げた。それは自然の持つ輪廻の法則そのものを御する行いであり、神の為す神秘に等しい。いや、彼らこそが原初の「神」だったのかもしれない。彼らはその「神を遙かに遡る世界の成り立ちの秘密」を、文字にして書き記すことはなかったが、その祭儀や術としてのノウハウは、ケルト社会のドルイド僧に引き継がれた。ドルイド僧は古代人の残した祭儀法を基盤に、自分たちなりの技術的アレンジを加え、古代人には及ばないまでも、天地の秘密を力に変換することを自らのものとした。 だが、彼らもまた、自分たちの慣習や宗教に関して書き残すことをしない。ケルト民族の在りように関して最初に言及したのは、まさにそこを征服せんとして兵を進めたユリウス・カエサルである。しかし、彼が紀元前50年頃に「ガリア戦記を」書き記す以前に、前4世紀頃ケルト民族と親交のあったアレクサンダー大王が、アレクサンドリアの大図書館に收めるべく、ドルイドの秘儀をギリシア語で文書化させていたのである。彩飾図版を交えて作成されたこの文献は、その任に当たった人物の名を取って「エミグレ文書」と名付けられた。 この文書は閲覧を禁じられた秘密の書として王宮の図書館に保管された後、戦禍を逃れて持ち出され、数世紀の間、各所を転々とする。その間にはキリスト教の成立やローマカトリックの隆盛などがあるが、6世紀に入り、アイルランドに様々な修道院が建設され、写本事業が盛んになった結果、イタリアの片田舎に忘れられていた「エミグレ文書」は、リンデスファーン島にある写本で名高い修道院に持ち込まれた。だが、ギリシア語に堪能でない彼らは、内容の美しさや彩飾の艶やかさに目を見張りこそすれ、文書の持つ本当の力に気づくことはなかった。 9世紀に入って、度重なるヴァイキングの来襲により、蔵書の保存に危機を感じた修道院は、重要な文献を各地に避難させ始める。アイルランド生まれで敬虔な信者であるヨアヒム・スコトゥスとダニエル・スコトゥスの兄弟は、大修道院長より「エミグレ文書」を託され、その内容に驚愕した兄ヨアヒムは弟ダニエルをウェールズの辺境にあると記される聖地へ赴かせ、自らは写本を携え、フランス王の元に庇護を願い出た。弟ダニエルは聖地で修道院を建て、祈りを捧げて一生を終わる。兄ヨアヒムは碩学として歴史に名を残すが、その死後、ローマ法王庁に写本を接収されてしまう。 キリスト教を脅かす力を持ったこの文書は、ローマ法王を恐怖させ、禁断の書物として誰にも閲覧を許すことなく、書庫の奥底にしまい込まれたが、13世紀になってその損傷の激しさから、新たな写本を作る必要が生じ、当時最高の知識人として名高かったフランチェスコ会修道士ロジャー・ベーコンにその任が与えられた。彼は10年にも渡ってフランスに幽閉され「エミグレ文書」を精確に複製することを強いられたが、その過程で文書の知識は彼の物となった。秘密を守るため彼をそのまま監禁し、二度と世に出すまいという法王庁の意図とは裏腹に、彼は密かに外部と連絡を取り、自らが解読した文書の示す聖地へ赴き、生命の秘密を探る試みに取りかかるべく、着々と準備を進めていた。 彼は、先にダニエル・スコトゥスが建てた修道院を改修し、実験施設となるべきゴシックの大聖堂を建築させた。そこで彼がどのような秘術を試みたのかは、記録に残っていないが、法王庁の手を逃れフランスを脱出した彼は、二度と姿を現すことはなかった。彼は、姿を消す前に、新たな一冊の写本を残している。エミグレ文書の記述を元に、ウェールズ語の暗号で書かれたその写本は、聖地の修道院に残されていたが、16世紀になってエドワード・ケリーとジョン・ディーによって発見され、新たな写本として書き直され、さらにローマの修道院を経て、20世紀になって古物商ヴォイニッチによって再発見され、ヴォイニッチ文書と名付けられて、現在エール大学のベイニック図書館で閲覧できる。 また、ロジャー・ベーコンによって複製された「エミグレ文書」写本(原典は破棄された)は19世紀までヴァチカン宮殿の奥深くに秘蔵されていたが、1890年頃何者かに盗み出され、以後その行方を知る者はいない。ダニエル・スコトゥスが建てた修道院は1536年の修道院廃止例の後、政治犯や重要犯罪人を拘留し処刑するための施設へと転用され、聖なる場所で多くの人命が闇に葬られた。 (設定資料より) 2000/10/25 菊田裕樹 --- 2000/10/25 Hiroki Kikuta Koudelka Iasant 1879年生~没年不詳。イギリスはウェールズの田舎、アバージノルウィンの寒村生まれのジプシー。幼い頃から強すぎる霊能力を持ち、様々な怪異を起こすため、呪われた存在としてジプシーの世界から追放される。1888年9才頃ロンドンで霊能力者ブラヴァツキー婦人に拾われ、秘蔵っ子として厚遇されるが91年婦人が他界すると共に、再び放浪の旅へ。普段は霊媒として失せ物を探したりして、糊口をしのいでいる。 年は若いが、世の中の事情を一通りわきまえたところがあり、良く言えば大人、悪くいえばすれっからし。普段はあまり明るい顔をせず、大体において不機嫌そうで態度が悪いが、時折女らしいところを見せる。差別される者や愛されない者に肩入れする傾向がある。自分を表現することが下手。 (登場人物設定資料より) Notes クーデルカという名前は、著明な写真家であるジョゼフ・クーデルカから採ったものだ。口にした時の不思議な響きと、民族や国籍を感じさせないところが気に入って、名字ではなく名前として使わせてもらった。手元の資料を見ると、キャラクターデザインの岩原裕二氏にコンペ用のスケッチを発注したのは1998年の3月26日だが、遡る2月10日の段階で、僕はゲーム全体の進行手順と、シナリオの箱書きを完成させていたし、キャラクターの心理設計も完全なものとなっていた。クーデルカはジプシーの出身である。彼らはインドをもっとも古い故郷とし、放浪に生きる人々で、自分たちのことを誇りを込めてロムと呼ぶ。それは人間という意味である。一般社会の人間たちとは隔絶され、自分たちの血縁関係の中だけで生きている彼らにとって、追放はもっとも苦しい罰となる。クーデルカはその特異な能力ゆえに、子供の身でジプシーを追われることになった。僕は彼女を、どこにも安住することを許されない、最も孤独な存在として設定した。平和で豊かな暮らしの中に、彼女の居場所は無い。呪われた魔物や幽霊が跋扈する、廃虚の暗闇の中にだけ、かろうじて自分を置くべき空間を見出せる。クーデルカは、そういう悲しい存在なのである。 岩原氏はこのプロジェクトのために、100枚にも及ぶキャラクタースケッチを描いた。クーデルカだけでも数十枚になるが、そのほとんどはポリゴンによるモデル化のための制約から来る衣装デザインの試行錯誤であり、キャラクターの本質部分に関しては、最初から完成形に近いものを掴んでくれていたようだ。また、氏にはゲームの制作に先行して角川書店の雑誌で漫画連載を始めてもらい、ゲーム設定の1年後のストーリーという立体的な構成で、物語の厚みと魅力を増すことに貢献してもらった。 クーデルカのポリゴンモデルは、当時広島のコンパイル社の倒産で行き先を捜していた渡辺伸次氏に、経済的に援助するということで東京に移り住んで制作してもらった。彼は同社の仲間とCGスタジオであるD3Dを設立した。そのころの彼等には全く実績が無かったが、見せてもらったプロモーションムービーのキャラクターの動きに並ならぬ情熱を感じ、彼等と一緒に新しいチャレンジをする気になったのである。しかし実際、キャラクターのモデリングは難航した。ゲームスタッフ側の無理解も大きな原因だったが、D3D側もクーデルカほど高いレベルのモデルを作るのは初めてとあって、試行錯誤のために何ヶ月も時間が必要になった。リテイクに次ぐリテイクの嵐。最終的には、僕自身が彼等の後ろに付いて、鼻をもう少し縮めてだの、唇をもう少し上げてだのと細かく指示を出し、なんとか納得のいくものに仕上がるまでに半年近くかかっている。 モーションキャプチャーにおいて声と演技を��当してもらったヴィヴィアン・バッティカ嬢は、米サンタモニカ・スタジオで行ったオーディションの中で、クールで独特の色気があり、抑えた芝居の出来る人として選定した。ただ可愛いだけではなく、クーデルカの持つ陰の部分を表現するためである。彼女自身まだ若く経験も浅いとはいえ、その熱意と努力は相当なもので、10分にも及ぶ長丁場の芝居、何十行もある長台詞を、たった数日で完全に頭に入れて撮影に臨む辺り、なるほどプロというものはこういうものかと感心させられた。度重なる技術的不備にも嫌な顔をすることなく、エドワード役のマイケル・ブラッドベリーと現場の雰囲気を明るく盛り上げてくれたことには、感謝の言葉もない。 2000/10/25 菊田裕樹 llustrated by Yuji Iwahara このページ内の全ての画像及び文章の著作権、版権、複製権、二次使用権は全てその正当な著作者、権利所持者に帰属します。よって、無断複製、無断転載を含め、著作権法に違反する形態でのあらゆる利用を禁止します。 All Rights Reserved 1997 1998 1999 2000. クーデルカは(株)サクノス・SNKの登録商標です。 All Rights Reserved (C)SACNOTH/SNK 1999 --- Nemeton Monastery イギリスはウェールズ地方。アバースワースにほど近い、海沿いの断崖に、人気もなく廃墟と見まごうようなネメトン修道院がある。ちょっとした公園ほどもあるその敷地の中には9世紀頃に建てられたと思われるロマネスク様式を色濃く残した修道僧の宿坊をはじめ、13世紀頃に建てられた飛び梁も美しいゴシックの大聖堂、会堂をかねた図書館、鐘つき堂、屠殺場を兼ねた炊事場、処刑台に使われた東屋、近代になって建てられた宿舎などが、全体を囲む壁と一体化して並んでいる。16世紀に修道会を禁ずる制令が発布されるのを待たずして寂れ、廃墟と化したこの場所は、17世紀に入って政治的な犯罪者や虜囚などを閉じこめたり処刑したりする目的に使用された。今でもどこかに地下牢が隠されているといわれている。近代になって、訪れる者も居なくなり、荒れるに任せていたのを、ある資産家が物好きにも買い取って移り住んだが、程なくして彼は姿を消し、後には様々な憶測と噂だけが残った。あるいは、財宝が隠されたまま埋もれているといい、あるいは、悪魔が彷徨っているといい。再び廃墟と化したこの修道院を訪れるのは、人目を避ける犯罪者や一攫千金目当ての食い詰め者だけだった。 (制作資料より抜粋) ネメトン修道院初期設計図/1998 松野泰三 1998年2月の段階で、ゲームの進行に伴う、マップ全体像の設計は、ほぼ出来上がっている。八棟の建物、���下道、墓地など、全部で100個見当の区画からなる構成で、イベントと連動して移動できる範囲が拡がっていく。実は、このような閉鎖された空間を舞台として設定したのは、単に演出的な意図によるものではなく、人的物理的制約による結果なのである。例えば、高度に訓練されたグラフィックスタッフが20人居るならば、一年間に500から600枚を超える背景画を制作することが可能だ。しかし、楽観的に考えても数人が限度と思われる人材確保の現状を前提にすると、およそ100マップ200~250画面が、用意できる背景数の上限と見なければならない。一般のRPGのように、ワールドマップがあって幾つもの街があって、などという仕様は、最初から無理。そこで、極めて限定された空間を設定し、それを有効に活用しつつ、様々な雰囲気のバリエーションを提供できるような仕掛けを考案した。それがホラーRPGという枠組みだったのである。 ネメトン修道院初期設計図/1998 松野泰三 ネメトン修道院を構成する建物群は、そのひとつひとつが、建てられた年代も、目的も異なるものである。各々の建築様式の違いは、ドラマの進行と相まって、ユーザーを飽きさせないための装置として機能する。扉を開けて新しい建物に入る度に、物語が次なる展開を迎えたことを実感してもらうために。微にいり細にわたり、緻密に作り上げることが、あたかも実際にそこに居るかのような臨場感を生む。そのために最も必要だったことは、実際の建築物を参考にすることであった。 ネメトン修道院初期設計図/1998 松野泰三 物語上でアバースワースとしたのは、アイルランド側の海岸にその場所を置きたかったからだが、98年8月にスタッフを伴って訪れた実際の取材は、ウェールズの下側に位置する観光地ペンブロークシャーを中心に行った。その一帯は、草原から突然に切り立った断崖が現れ、地平線の彼方まで続く、不思議な景観の土地である。その周辺に夥しい数の修道院や城跡が存在する。あるものは往時を偲ばせて健在だが、ほとんど廃虚と化した遺構も多い。セント・デイビッド教会は、中世そのままの姿で我々の目を楽しませてくれると同時に、石造りの聖堂が持つ、独特な雰囲気を理解するのに役立った。また、垂れ込めた雲と雨が作るどんよりとした暗い空気は、実際にその場に立ってみないとイメージできないものである。近辺の修道院の壁や石組みを大量に撮影して、3Dモデル用のテクスチャーとして使ったのも、大きく意味がある試みであった。 さて、ネメトン修道院の大聖堂はゴシック建築として作られているため、本当ならば、その常として側廊が無ければならない。ゴシック建築は荷重を分散する構造にすることで壁を薄くし、ステンドグラスの設置を実現しているからである。しかし、ゲーム仕様上の制約としてプリレンダリングのマップを考えた時に、多数の柱を立体的レイヤーとして配置することが困難であるために、内部を単純な箱型にせざるをえなかった。外側から見ると、飛び梁様の補強柱が一定間隔で取り付けられているが、現実の物として考えれば、全体の重量を支えるために、壁自体もさらに厚くせざるをえないと思われる。なお、大聖堂頂部の鐘突き堂は、そのものが飛び梁によって構成されている特殊な形式だが、これは架空の物ではなく、実際に存在するスタイルであることを付け加えておきたい。 2000/10/25 菊田裕樹 --- Library : クーデルカという物語 By 菊田 裕樹 – 2000年 3月 28日Posted in: Library, Library : ARTICLE    クーデルカという物語    2000年3月 公開    このサイトを御覧の方には僕の制作した    RPG「クーデルカ」を未プレイの向きも多いと思う。    手短に説明すると、19世紀のイギリスはウェールズの    片田舎にある今は廃墟同然と化したある修道院を舞台に、    クーデルカという19才のジプシーが出会う様々な    怪異をテーマにした、いわゆるモダンホラーと    呼ばれるジャンルに属するゲームである。    僕はこの作品のコンセプトに始まり、キャラクター設計、    マップ構成、シナリオ、ムービーや    モーションキャプチャーイベント部分の    ディレクション等など、様々な種類の仕事をした。    基本的な部分の組み立てには約3ヶ月ほど要しただろうか。    全部で100冊以上の本に眼を通したが、    物語の発想の土台となったのは、    「幽霊狩人カーナッキ」という本であった。    短編集で、主人公である怪奇現象研究家カーナッキが、    様々な「怪異」と「怪異に見えるもの」に遭遇し、    あるものは解決し、あるものは良く分からないまま    終わる(笑)という、味わいのあるホラー小説集だ。    興味のある方は是非一読されたい。    さて、僕が物語を組み上げる段階でこだわるところは、    歴史上の事実を曲げないということである。    実際に起こったとして、記録に残っている様々な事件を、    相互に関連付け、その隙間を虚構で埋めていくという    やりかたが僕は大好きだ。    同じ嘘をつくのでも、まったく根拠も無く考えるのと、    事実に基づいてその基盤を組み上げていくのとでは、    細かい部分でのリアリティーが違ってくる。    だから、クーデルカという物語には、    プレーヤー諸氏が考えているよりも、    ずっと多くの史実が含まれている。    エドワードやロジャーが実在の人物である事など、    歴史に興味のある方は、調べてみられるのも一興かと思う。    1898年は科学と迷信がせめぎあう世紀末の、    まさに移り変わる一瞬を捉えて興味深い時代である。    明ければすぐに1900年、近代科学文明の浸透の    象徴ともいうべき、パリ万博が開催される。    そしてそれこそが、僕がクーデルカの続編と    目論んでいた物語の舞台なのである。    ウェールズを描くために、ロンドンやペンブロークに    足を運んだのと同じように、僕はパリやベルギーに    取材をするつもりだった。    (パリ万博に出展されていた建物が、当時の    ベルギー王の要望で買い取られ、    ブリュッセルに現存するのだそうだ)    会場から郊外を結んで建設された地下鉄と、    そこで起こる怪異。エースネクスト誌連載中の    漫画版のエピソードを終えたクーデルカが、    拠ん所ない事情でパリを訪れ、地下に巣喰う    亡霊どもの争いに巻き込まれていく。    実はクーデルカの続編は、僕の頭の中では4作目まで    出来ている。第一部イギリス、第二部フランス・・・    とくれば、第三部はアメリカである。    時代は大きく跳んで、1973年アメリカはシカゴ。    主人公は、シカゴ大学で教鞭を取る文化人類学者、    クーデルカ・ロードメル。    クーデルカの娘アメリアが後に渡米して産んだ子供で、    つまりは孫だ。ベトナム戦争末期とあって、    帰還兵が持ち帰ってしまった悪霊が、    様々な殺人事件を引き起こすのを、まだ生きている    ロジャーの助けを借りて解きあかしていく。    (ちなみにロジャーはスーツを着て出てくる)(笑)    そして第四部は1984年奈良。    関西大学で教える友人の宗教学者の元を訪れたクーデルカは    何者かに命を狙われ、陰陽師や式神と戦う羽目になる。    奈良の巨石墳墓や京都の町並みが、    雰囲気造りに一役買うだろう。    残念なことに、今のところ僕がそれらの    続編を作る予定はないが、    小説のようなものであれば、書いてもいいかなあと思う。 Story of Koudelka : Library --- Haven: On Koudelka, you served as producer, writer, and composer. What were some of the goals you accomplished in taking on these various responsibilities? Were there ways in which the project could have been better realized? Hiroki Kikuta: Let me begin by saying, whenever you divide up responsibilities among a group of people concerning the judgments that get made on a project, the end quality is bound to suffer as a result. To keep the quality high and the schedule organized on a project, it's better for as few people as possible to be making key decisions, and for them to be communicating within the group with as few conflicts as possible. The ideal situation would be for but one director to be delegated the responsibility of expressing his or her creative vision. That said, for Koudelka, I was pursuing that degree of creative control. To prepare, in gaining an understanding of the game's setting, I read about one hundred books on English history, touching on periods from the Medieval era to around 1900. It proved useful in discovering relevant episodes which could be incorporated into the story. Having several events to ground the plot in a kind of historical reality, I then started building on that foundation with some fictional events. For example, the character of Edward is based on an actual Irish dramatist named Edward Plunkett, 18th Baron Dunsany, while the woman who writes a letter for Charlotte is based on Sophie Dorothea of Württemberg. Roger Bacon is, of course, a historically famous philosopher. Also, the incident on the Queen Alice really occurred and is recorded in the captain's log of the vessel. By filling out the gaps in those historical events with fictional incidents, such as the Emigre Document and reincarnation ritual, I aimed at providing a realistic basis to the imaginary aspects of the story. Before production, some members of our staff went on a trip to Whales to gather information and capture the genuine atmosphere of the place with our own eyes. We demanded extreme accuracy in providing the background details, and we even used motion capture technology to provide culturally appropriate body language for the characters, techniques advanced enough to compete with the standards of the Hollywood industry at that time. Those challenges, which were provided by the passion motivating that project, were the real essence of Koudelka. Koudelka, "Patience," music sample I remember that I was reading the critical biography of James Cameron, who was making Titanic at that time, on the airplane to England. I was overwhelmed by his tremendous efforts to capture those startling images. At that time, I realized that it is necessary for creative work to have a degree of obsessive passion involved. I hope that some degree of that conviction had a positive result on the end product. --- As soon as it is in the year 1900, the Paris World Expo is to be held as a symbol of the penetration of modern scientific civilization. And that is the stage of the story that I was thinking as a sequel to Kuderuka. In the same way that I went to London and Pembroke to draw Wales, I planned to cover Paris and Belgium. (It seems that the building which was exhibited in the Paris Expo is bought at the request of the King of Belgium at the time and exists in Brussels.) The subway built by connecting the suburbs from the venue and the monster occurring there. Kuderuka who finished the episode of the comic version in the series of Ace Next magazine visits Paris due to circumstances that are not based, and is caught up in the strife of ghosts who nest underground.    (The first line of the Paris Metro opened without ceremony on 19 July 1900,[4] during the World's Fair (Exposition Universelle - that is what is meant by subway) Actually, the sequel to Kudelka is made up to the 4th in my head. Part 1 England, Part 2 France · · ·     If you do, the third part is the United States. The era greatly jumped, in 1973 America was Chicago. The hero is a cultural anthropologist, Kurdelka Roadmel, who teaches at the University of Chicago. Kuderuka's daughter Amelia is a child who gave birth to the United States later, that is, it is a grandchild. With the end of the Vietnam War, the evil spirits brought back by the returning soldiers will solve various murder cases with the help of living Roger yet.     (By the way, Roger comes out wearing a suit) (lol) And the fourth part was Nara in 1984. Kurdelka who visited the origin of a religious scholar of a friend taught at Kansai University is targeted to someone, and it will be fought against the Yin Yang masters and the expression god.     The megalithic tomb of Nara and the townscape of Kyoto will contribute to the atmosphere building.     Unfortunately, for the moment I have no plans to make those sequels, but if it's like a novel, I wonder if I can write it. --- RocketBaby: At what age did you become interested in music? Hiroki Kikuta: When I was ten years old, I met up with the music of Emerson, Lake & Palmer. I had never heard such marvelous music before. It was quite an impact for me. A few months later I heard that Keith Emerson was using a particular instrument called MOOG synthesizer. RB: At what age did you start writing music? HK: When I was twelve years old, the Folk blues movement came over to Japan from America. I studied Acoustic Guitar and started to create an original song immediately. I wanted to be a singer/ songwriter... if I wasn't a terrible singer. Actually, Digital equipment opened up my potential as a music composer. Without a musical sequencer, I can't create any complicated tunes. When I first acquired a YAMAHA SY-77 synthesizer/sequencer, I felt as if I got a ticket to a different world. RB: Why did you start Sacnoth? HK: I had held many original ideas about video games and visual expression for a long time. The most important purpose is to create an entertainment. When I was searching for a way to achieve my dream, I met a dominant business advisor. He introduced me to the chairman of SNK. I told him about many pitfalls that every existing RPG had. I thought those were lacking a comprehensive insight and a integrative interpretation. It is a structural defect of game production. To resolve the problem, it is necessary to get the picture of each element of game creation at the same time. I have an ability to do that. I established a company SACNOTH and took up my position as CEO in order to produce a new horror RPG project, Koudelka. But unfortunately... Though I conceived a grand scheme to realize an innovative game system and visual expression, many old staffs from SQUARE were not able to accept real change without hesitation. I say that the person who will have no change is already dead. After termination of Koudelka project, I retired as CEO of SACNOTH. It was my choice. RB: As a composer how should music effect the game? As a developer how should the music effect the game? HK: A music composer wants to create a good tune with utter simplicity. But if you want to create a good game as a developer, it is not enough. Because good music does not necessarily fit a good game. The most important problem is adjustment of each of the elements. If the visual element exactly synchronizes with the musical element, a dramatic effect will be generated.. And I take it for granted that everybody wants to hear a good melody in the end. RB: What were your influences for Koudelka? HK: In the first instance, I designed all concepts and fundamental settings of the Koudelka's world. I gathered various graphic and text materials in London and Wales. I did character design, map design, event design, scenario writing, direction of computer graphics movie, direction of motion capture... I got involved with all of the integral parts of Koudelka except battle and game system. Especially, I had no influence in battle section. I still have a great regret. I wish I could have designed it. And a quick digression, I consulted many movies and books for Koudelka. A most impressive movie is The Name of the Rose (Jean Jacques Annaud 1986). I also read the original book which was written by Umberto Eco. It is a definitely masterpiece. If you want to know some origins of Koudelka's world, you may read Carnacki the Ghost Finder written by William Hope Hodgson and The Case of Charles Dexter Ward written by Howard Phillips Lovecraft. Many fantasy novels by Lord Dunsany (His his full name and title is Edward John Moreton Drax Plunkett 18th Lord Dunsany) are also important. If you want to know about visual origin of Koudelka, see photographs created by Bob Carlos Clarke and Jan Saudek and Holly Warburton. Those are extremely exciting works. RB: How did you manage to write, direct and compose the music for Koudelka? HK: Writing a scenario. Directing a CG movie. Composing a BGM. Each of those is no more than a single face of game creation. When I imagined the world of Koudelka, I figure graphic elements and story elements and sound elements all at once. Because, those are mingled with each other organically. So I think that It is rather easy to manage multiple affairs. RB: What was the easiest aspect of working on Koudelka? What was the hardest? HK: The easiest aspect is music composing. Because I can create a music by my lonesome. It makes me free and I feel comfort. Hardest aspect is behind-the-scenes maneuvering of power game in company organization. I am so tired to do that. Let's get something straight, I am not a buccaneer but rather a creator. All aspects about creation are really pleasant for me. RB: Why do you make music? Why do you make games? HK: Music composing is a natural behavior for me. Like breathing. I usually conceive a good melody and a harmony without suffering. So I have no reason to make music. I think that it is my vocation. Meanwhile, creating video game is not my vocation. It is my wish. I want to produce high quality entertainment in the future. When I write a story and a plot, I usually suffer by myself. Though it is very hard and thorny, I feel maximum accomplishment. RB: What inspires your melodies? HK: Many great works of famous composers and musicians inspire me. If I must respect only one person or group as a music composer(s), I will take Pink Floyd. RB: What are your hobbies and why? HK: Good question. Riding bicycles is my hobby. I also love my yellow Peugeot MTB made in France. I also have some fun playing with my cat. She is extremely pretty. RB: When did you begin working at Square? HK: I began work at Square in 1991. I was twenty seven years old. In those days, the production studio of Square was placed in Akasaka Tokyo. It was small and homey, different from now. I remember that Nobuo Uematsu and Kenji Ito interviewed me in their office. We talked about progressive rock music and famous guitar player Allan Holdsworth with each other. I created sound effects for Romancing Saga at the start of my career. A few of graphic staff worked with me to design a lot of novelty sounds. We worked hard in night and day. RB: How much freedom did you have making music at Square? HK: In a sense, I had perfect freedom. Because, the planning staff of Square put none of the assignments relevant to the menu of music work and schedule in my hand. Nobody explained to me about game detail which they were producing. I had to think and imagine what kind of music was needed for our game project. Changeover,changeover, and more changeover of specifications. It was difficult to foresee the final image of it. But I did. RB: What is favorite game that you worked on at Square and why? HK: May be Seiken Densetsu 2 (Secret of Mana). I think that it was a pretty good game except for the big BUG. The multi player system was extremely fresh and delightful. In the aspect of music, I was fully challenged in regard to sound expression using 8 voice PCM system of SNES hardware. Please see and hear the opening sequence of Seiken Densetsu 2. It is so simple but so lyrical, isn't it? I am really proud of my visual direction and music composition. RB: Did Nobuo Uematsu influence your work? HK: I think there is no influence from Nobuo Uematsu. I have never taken any lessons about composing game music. The style and the melody of my music are totally conceived by myself. Just the same, every staff composer at Square were free from influence of somebody else. Originality and personality were cheerished in our studio. It was the policy of Nobuo Uematsu. RB: What are the best and worst memories that you have of Square? HK: Hmmm... Best memory... it seems a trip to MANA island of Fiji republic. After a production of the game Secret of Mana, I and my friend decided to visit an island placed in South Pacific Ocean. We played skin diving everyday and watched some corals. Those were extremely beautiful. It looks like a blue heaven. I will never forget the view of the sunset from Mana's beaches. It is one of my treasures. By the way... Worst memory is a dissolution of the game team in which I was supposed to participate. I wanted to propose an innovative game system using music and sound effects. RB: Who is your favorite Square composer and why? HK: I recommend Jin Sakimoto (Hitoshi Sakimoto). His works are extremely dense. RB: One of our favorite soundtracks of yours is Soukaigi. The sound quality and styles are some the best for a game. HK: Soukaigi has many characters of sound. I designed it with different complex styles. House music meets real performance, fusion meets folk choirÖÖ It was an adventure for me. To tell you the truth, the style of music does not a matter. I don't dwell upon it. Though I put a high value on counterpoint it does not bind me. It is only a method. In the case of Soukaigi, I was mainly influenced by East European pops like Varttina. RB: Why did you leave Square? HK: I wanted to direct not only musical expression but also visual expression. And of course, I wanted to write a fine scenario which is different from existing one. I had felt a big complaint against those juvenile works. But unfortunately, I couldn't get a chance to take a part in those kind of production works in Square. I suffered terribly for a long time. After all is said, I left Square and established new company Sacnoth to achieve my idea. RB: Do you perform your music live? HK: If I have a chance to do that, I wish to play my music as a live performance. I didn't make an attempt to do that in Japan yet. Do you want to hear my music in front of your eyes, ya? RB: Who would you like to make music with? HK: Jin (Hitoshi) Sakimoto. Because, I could not collaborate with him on composing game music when we were hired together by Square. I respect him. Except for game music composer, I want to collaborate with Allan Holdsworth, a fusion guitar player. His music is a miracle. RB: How do you think game music compares to other genres of music? HK: I think that is similar to movie soundtracks. It is important to synchronize the music with visual element. It has an expressive purpose. If you want to create a game music, don't forget to construct it as an emotional device. RB: How will the next generation consoles allow you to express yourself as composer and game designer? HK: I feel a strong attraction to X-box and Game Cube. A big visual capability makes me hot. I have many ideas to display fascinating characters using real time computer graphics. They will sing and dance and talk with real emotion. Don't you want to play the Musical RPG on Network? I want to play it. RB: What would your advice be to people who: A. People who want to create game music. HK: Listen to as much music as you can. Don't confine yourself to your room. The genre of music is meaningless. If you want to find your treasure, you must challenge the common practice at any one time. B. People who want to create games. HK: Video games are not art. They are an entertainment. You must amuse your audience first instead of amusing yourself. I am always conscious of the feeling to accommodate someone with a fun service. Can you create a lot of gimmicks for the player? If you work so hard and push yourself enough, the day will come to collaborate in some way with me for sure. Let's think of a next game together. RB: What is in the future for Hiroki Kikuta? HK: I will be involved in some new game projects that are not directed by me. I will be a technical advisor. I will create computer graphics and sounds. But soon, I hope to form my studio and develop my own game project. So now I am looking for new investors around the globe. RocketBaby would like to thank Mr. Kikuta for chatting with us.
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mana612 · 6 years
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死んでました。
風邪というべきなのか、熱や頭痛やら鼻水やら一気に押し寄せて、死んでました。
遡ること2週間前、オガワさんのオラクルカードのセッションに行ってきたのだけど、なんとなく、その頃から体はだる重くて、少々へろへろな感じでカードを引かせてもらった。
出てきたカードは、
【time has come】 【i am yes】
時が来た、来ましたか。私はイエス、高須クリニック。
オガワさんから「完璧ですね」「どんどんいってください」のありがた〜〜いお言葉いただいたのに、当の本人は呑気なもので。
1990年2月、新日本プロレス東京ドームでの、猪木・坂口対、橋本・蝶野のタッグマッチ。試合前のインタビューで橋本が放った名台詞、「時は来た。それだけだ」を思い出していたのだ。
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(最後に蝶野が笑いをこらえる所がポイント。)
それからあれよあれよと具合がどんどん悪くなっていき、歩くのさえしんどくなってしまった。
でもタイミングとは上手くできているもので、もともと長めの休みをとっていた時期と重なり、じっくりと体を休めることができた。 尊敬する哲学者、内田樹先生が「風邪は社会性を持つ病である」と言っていたのを思い出す。 そう言えば風邪を引くときは大抵、土日、GW、正月、盆休み、有給休暇の時なのだ。 なんだよ、空気読むの上手かよ。
でも今回の風邪はいつもの風邪と少し違っていた気がする。
何かのウィルスが外から入ってきたというより、自分の内側から自ら熱を出したような気がした。 これがいわゆる、あの俗にいう、あの噂の!デトックスちゃんなんですかね。 しんどいでしょこれ。辛いわ。 これまでデトックスの時期に入った方々に、ま〜気軽に「きたね〜よかったね〜☆」と呑気に言ってきましたが、反省しました。そんな気軽にめでたく言うもんやあらしまへん。辛いんだからもっと労わってあげなさいよ。はいすみませんでした。土下座。
しかしただただ寝てるだけの生活は、それはそれで暇なもので。アイホイ先生には大分お世話になりました。
横になりながら、改めて自分のホロスコープを調べてじっくり眺めたりした。
一般的な天体に加え、キロン、リリス、ジュノー、パラス、ベスタ、バーテックス…etc なかなか面白い。もっと詳しく勉強したら、生まれてから死ぬまでの私の設計図が、解明できるのだろうか。
そしてなぜか、優しい綺麗な音しか聴きたくなくなり、ピアノ音楽やクラシックばかりYouTubeで聴いていました。のだめカンタービレなんか超面白いもんね。1話から最終回、パリ編、映画版の前編後編全部見た。なんならこのサイクル50周くらいした。大好きか。
あんなに激しく愛し合った(←?スカパラが、遠のいていく…
スカパラね、もう年末までのライブスケジュールね、決まってるんですよ。
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(出典:http://www.tokyoska.net)
なんだこのスケジュール。休みないの?なんなの?止まったら死ぬの?マグロか?回遊魚か?だから最近さかなくんさんとコラボしてんのか。
なのに私まだ一枚もチケ���トとってないの。なんなら一切行く気しない。友達がびっくりしてるんですよ。何事かと。
そういえばアーユルヴェーダの蓮村先生に、私は音に敏感だと言われていた。 思い起こせば小さい頃、とにかく大きい音や刺激のある音がキライで、周りが引くほど大泣きしていたのだった。なんでアンタはそんなに怖がっていたのかと、未だに家族に言われることがある。 理由はわからないけど、少しずつ少しずつ、本来の自分というものに戻ってきたのかもしれない。
音以外にも、出来ないことや、実は我慢していたことなどが、以前よりはっきりわかってきた気がする。 嬉しいけれど、この十何年頑張ってきて積み上げてきたこと、例えば苦手だけど克服しようとしてきたこととか、出来なくなってくるのでしょうかね… 既にその気配がチラホラと出てきてますよ。やばいですよやばいですよ。 本当に頑張ってきたのに。
何度もこちらで言ってきたとおり、アテシ普通の人の数十倍、社会性ないんですよ。めちゃくちゃ努力して周りに馴染めるようにやってきたけど、今それが音を立てて崩れていっています。
積木くずし。…パンチパーマ入れたろか。
そう、頑張ってきたことの一つに【組織で働く・人と関わる】ということがあった。これは、学校を卒業してから今に至るまで最大の苦手分野。難関だった。
私と会ったことのある方ならわかると思いますが、私は、人と顔を合わせて話すことが非常に苦手で。
できれば顔なんて見て欲しくないし、下を向き合うか、テレパシーで話が出来ればいいのにと常日頃思っている。
そして人の話を覚えておくことも非常に苦手で、今でもこの部分にはいつも悩まされているけども。
親からも友達からも、コミュニケーションが大前提であるグラフィックの仕事は辞めた方がいいと何度も言われたけど、何故か辞める気持ちには一切ならなかった。出来ることはいつでも出来るから、出来ないことをしてみたい。その一心でしがみついた。
数えきれない程泣いて、歯をくいしばってしがみついたおかげ…なのかはわからないが、5年程前、日本で初めて設立された某クリエィティブエージェンシーのグループ会社に採用になり、そこで2年程働かせてもらった。
《恋のチカラ》というドラマをご存知だろうか? 2000年のはじめにフジテレビで放送された、深津絵里さん、堤真一さんが主役の広告会社を舞台にした恋愛モノなのだが、その堤真一さんが大手から独立し、新しく設立した広告会社が、このエージェンシーをモデルにしたものなのである。
中学生の時、ハマりにハマったドラマの舞台の会社に入れたことは、伊藤の人生の中で唯一の自慢である。ミーハーと思われようが全く構わない。後世まで語り継ぎたい。誰に。
下っ端の下っ端だったけど、途中でデザインの仕事を辞めていたら、日本のデザイン界のトップを走る素晴らしい方々の素晴らしい仕事ぶりを側で見ることは出来なかったかもしれない。
私を採用してくれた堤真一…もといボスには心から感謝している。
ごくたまに社会人1,2年目くらいの方と会い、うまくいかず会社を辞めようかと悩んでることを打ち明けられた際は、私の1,2年目の凄まじい武勇伝を話すことにしている。大抵爆笑して元気になって帰っていく。
私のようなク×みたいな人間でもなんとかやっていけますよと。
なんとかやってったら、その先に見えてくるものもありますよと。
ただ最近、その、歯をくいしばってやってきたことが、前述の通り出来なくなってきたり、もう必要がないのかもしれないような気がしてきた。
最初はすごく戸惑っていたし、いまでもその戸惑いの中にいるし、なんなら戻るまいと抵抗する自分だっている。
でも抵抗してもしょうがないのでこのまま、まさに 玉ねぎの皮を一枚一枚むいていくように、本来の自分になっていこうと思います。本当の自分とやら が何かはわからないけれど、ずっと望んでいたことだから。
いい意味であきらめる。出来ることをやる。無理をしない。オガワさんや、しーさん、かおりさんから教えてもらった事をようやく、言葉でなく、心や体全身で味わって、実感しています。
出来ることを伸ばしていい。思い切り逃げて、心から安心できる方角へ行ったって構わない。出来ないことを頑張ることだって勇敢だ。
10年走ってきてようやく見えてきた。頑張るひとも、踏ん張るひとも、休むひとも、すべてすべて、まずは「いいんだよ」と言ってあげたい。今感じているあなたのその思いそのものが素晴らしいと。
何か一つ、出来事が起き、何か一つでも、心の中で感じることがある。それだけで花丸や。
私なりの【YES】を見つけられた気がする。
随分回り道したな。
でも、回り道した中で見た風景もなかなか面白いものだった。
そこでしか感じることのできない風、不思議な羽を持つ鳥、虹色の雨。
沢山の出来事に笑顔で手を振りながら、今、ふりだしのようなふりだしでないようなはじまりの場所にえいっと足を踏み入れた。
来ましたね、time has come。
来ましたんでよろしくお願いいたします。 来たとかいいつつ、お送りしなければならないデザインのデザインあれやこれや、ご依頼いただいている皆様に一切来てませんよね。
本っっ当にすみません。土下座。
もう暫くお待ちください、順次進めて参ります。よろしくお願いいたします。
現場からは以上です。
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kunugihay · 3 years
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・ 飲食店をやりたい !と母はよく言います 。 これまで僕がお店を開けてから 一緒にお店に立った事がなかったので この機会に '食堂おもに' を企画しました 。 この三島のお店が無くなる前にここで開催できたことに本当に感謝 感激しております 。 来てくださいました皆様 本当にありがとう! '食堂おもに' はこれからいろんなところで出現予定です。 ・ ・ もう一つ 、 子供は無償の愛だよ 。と母はよく言いますが 子供からしても親は無償の愛です 。何でもしてあげたくなる 何かしてあげたい 切っても切れないご縁や絆が家族 。 身近なとこの平和が広がり 地球全体 宇宙全体に満ち満ちてゆく日を祈って これからも楽しく前向きに活動していこう!と 食堂 おもにを終え思った次第であります 。 ・ ・ ヨシ!明日の営業で今年の営業は終了です。どうぞ宜しくお願いします🤲 そして 来年の始まりは 「パンとスープと茶と菓子 」 の料理会です! まだお席ご用意できますので ご予約ドシドシお待ちしております。 ・ 2021/1/3(日)・4(月) 11:00-15:00 (L.O 14:30) (雨降り喫茶と民藝) https://www.instagram.com/p/CJYv_rwsUkp/?igshid=b64lx8jzmibj
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theatrum-wl · 6 years
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【アンケート企画】 「2017年の3本」
WLでは読者のみなさんから2017年に見た舞台作品の中で印象に残った3本を、その理由などを書いたコメントとあわせて募るアンケートを実施しました。WLスタート以来毎年行っているこの企画、3回目の今回は20名の方にご参加いただきました。掲載は到着順です。
雨宮 縁(会社員) ・劇団四季『ノートルダムの鐘』(四季劇場〔秋〕) ・ホリプロ『パレード』(東京芸術劇場 プレイハウス) ・ホリプロ『ファインディング・ネバーランド』(東急シアターオーブ ) 『ノートルダムの鐘』は何が悪なのか? 怪物は誰なのか? 人間の業と差別について圧倒的なクワイアの歌声で問われる秀逸な作品。 ミュージカル『パレード』はストレートプレイを見ているようなミュージカル。アメリカ南部で起こった実話の冤罪事件をミュージカル化した異色作。ある少女殺人事件をきっかけに人種差別や成功者への妬みなどから警察やマスコミ、政治家様々な立場の人達により犯人に仕立て上げられていく恐ろしさ。これが物語ではなく実話であるというさらなる恐ろしさに声が出ない程の衝撃だった。実力者ぞろいの出演者達で見応え満点だった。 ブロードウェイミュージカル『ファインディング・ネバーランド』は来日公演。ミュージカルらしい作品。イマジネーションの世界は自由だと夢のあるミュージカル。窮屈な現実から解き放される感動作で前向きな気持ちにしてくれます。(年間観劇本数:24本)
小田島 創志(大学院生・非常勤講師) ・KAAT『オーランド―』(KAAT神奈川芸術劇場) ・やみ・あがりシアター『すずめのなみだだん!』(小劇場てあとるらぽう) ・地人会新社『豚小屋』(新国立劇場 小劇場)  1.KAAT『オーランド―』…ジェンダー、言葉の意味、文化慣習、時代精神などの脱自然化を、舞台上で緻密に表現。観客の想像力を喚起する役者さんの演技も白井さんの演出も圧巻。「男である」「女である」のではなく、「男になる」「女になる」というボーヴォワール的な価値観を、演劇的にスタイリッシュに表現していて素晴らしかった。 2.やみ・あがりシアター『すずめのなみだだん!』…個人と社会、個人と宗教の関係性を、コミカルかつ丁���な言葉を紡いで描い��意欲作。テーマが複層的で、観客側の思考を誘う。 3.アソル・フガード『豚小屋』…個人よりも集団が過剰に優先され、個人の犠牲の上に集団が成り立つ状況下で、戦争に駆り立てられる庶民の「受難」を、北村有起哉さんと田畑智子さんの壮絶な演技で伝えていた。(年間観劇本数:53本)
豊川 涼太(学生) ・ロロ『父母姉僕弟君』(シアターサンモール) ・木ノ下歌舞伎『東海道四谷怪談 通し上演』(あうるすぽっと) ・ままごと『わたしの星』(三鷹市芸術文化センター 星のホール) 今年の3本を選んでみると、全てが再演(初演はどれも観ていない)だった。 特にロロ『父母姉僕弟君』はキティエンターテイメントプロデュースで、より大きなサイズで大きなスケールで上演できていた。 他の方々も語るように、再演賞を設ける等、演劇界全体で再演文化の定着に力を入れて欲しい。(年間観劇本数:50本程度)
なかむら なおき(観光客) ・月刊「根本宗子」『スーパーストライク』(ザ・スズナリ) ・劇団四季 『ノートルダムの鐘』(四季劇場〔秋〕) ・こまつ座『イヌの仇討』(紀伊��屋サザンシアター TAKASHIMAYA) 『スーパーストライク』は良し悪しの前にもっとも欲していることが届く作品だったので。『ノートルダムの鐘』はあえて出来事だけを表現して観客に判断を任せているのが面白かった。そして『イヌの仇討』は忠臣蔵を下敷きに目に見えない得体の知れない大きな力を描いていて続々としたなぁと。あ、これらは趣味です。 で、上演された作品を見ると、今の世の中に応答するような作品が多いように思うのです。そして小劇場界隈で育ってきた演出家が大劇場の演出を務めるようになってきているように思うのです。また少し変わったかなぁと思うのです。(年間観劇本数:100本ぐらいですかね)
北村 紗衣(研究者) ・ケネス・ブラナー演出、トム・ヒドルストン主演『ハムレット』(RADA) ・カクシンハン『マクベス』(東京芸術劇場 シアターウエスト) ・モチロンプロデュース『クラウドナイン』(東京芸術劇場 シアターイースト) 今年は『ハムレット』を6本見て、アンドルー・スコット主演版や川崎ラゾーナ版なども良かったのですが、ヒドルストンの『ハムレット』が一番好みでした。ハムレット以外の若者役を全員女性にするキャスティングが効いていました。カクシンハンの『マクベス』はまるでゴミみたいなセットでしたが、内容はゴミとはほど遠いエネルギッシュなものでした。『クラウドナイン』は大変面白かったのですが、あまりよく考えずに「レズ」とか「少年愛」などという言葉を使っているマーケティングは大変残念でした。 (年間観劇本数:121本)
町田 博治(会社役員) ・青☆組『グランパと赤い塔』(吉祥寺シアター) ・小松台東『山笑う』(三鷹市芸術文化センター 星のホール) ・ SPAC『アンティゴネ ~時を超える送り火~』(駿府城公演特設会場) 『グランパと赤い塔』 吉田小夏が人の綾なす思いを紡ぎ、丁寧に織り上げられる。 背筋が伸び厚みと洒脱さを合わせ持つ老紳士を佐藤滋が見事に演じ、福寿奈央の初老の妻も見事。二人が作品に一本の筋を通す。 裏の主役とでも言うべき女中役を大西玲子が、目線、ことば、仕草、身体で見事に演じていた。役者が皆素晴らしい。 『山笑う』 兄と妹、地方と都会、肉親ゆえの諍い。 静かに光る小さな宝石の様な作品。 松本哲也の演出がシリアスさと笑いをバランスさせ絶妙。厚みのある演技、役者達のバランスも絶妙。 『アンティゴネ』 冒頭女優石井萠水がミニ・アンティゴネを演じ客を引き込む。 舞台は一面水。灯篭が浮かび明かりが揺れる。あの世と現世の境としての水、水上で舞台が静かに進む。背後に投射された動きが影となり、台詞、歌唱が絡み、幻想的。 「弔い」にこだわるアンティゴネ、最後、円く連なってゆく静かな盆踊りが弔いを暗示胸を締め付ける。(年間観劇本数:299本)
文月 路実(派遣社員・フリーライター) ・ゴキブリコンビナート『法悦肉按摩』(都内某公園) ・NODA・MAP『足跡姫』(東京芸術劇場プレイハウス) ・ 範宙遊泳『その夜と友達』(STスポット) 「五感を総動員する」と謳っていたゴキコンの本公演は、まさにその通りの悪夢だった。入り口で目隠しされ、何が何やらまったくわからない状態で味わう地獄。四方八方から泥水や血糊や汚物や虫が飛んでくる。突然役者が飛び出してきて身体の上に載る。内容はいつも通りのひどい話だ。テント内はかなり暑く、なにやら異臭がすごい。終わったときには頭に虫がとまり、レインコートは泥や血糊でぐしょぐしょ、汗で眉毛が半分消えておったとさ。そんなに過酷だったのにもかかわらず爽快感を覚えたのは不思議。普段使わない感覚を刺激されたからか。これこそが演劇の力なのでは。『足跡姫』は勘三郎へのオマージュ。ここ数年の野田作品のなかで一番ストレートに「想い」が伝わってきて、純粋に美しいと思った。『その夜と友達』は、生きづらさを抱えた「夜」というキャラクターが個人的に刺さった。「しんどさ」を知ってしまった人間にも希望はあるのだと信じたい。(年間観劇本数:42本)
永田 晶子(会社員) ・努力クラブのやりたくなったのでやります公演『フォーエバーヤング』(人間座スタジオ) ・燐光群『湾岸線浜浦駅高架下4:00A.M.(土、日除ク)』(ザ・スズナリ) ・dracom Rough Play 『ぶらんこ』(OPA_Lab) 上演日順です。 ・説明が削られ、描くべきことだけ残った合田団地氏の劇作は、努力クラブの魅力のひとつです。同世代の俳優による静かな演技で、人生における中途半端な時間の儚さをより楽しめました。 ・燐光群の公演で、劇場という閉ざされた空間が持つ危うさを確かめました。戯曲に負けない強い演技と、暗闇にわずかな光を感じるラストシーンが印象的でした。失われた街に思いを馳せる機会にもなりました。 ・既存戯曲を本読み一回・稽古一回で上演するラフプレイを観て、演劇は一度きりの瞬間に在ると思いました。会場全体に広がる「わかりあえなさ」に、戸惑いつつも笑いました。戯曲を忠実に辿ろうとするデッサンのような行為は、dracom の新作での慎重な表現にも繋がっていたと思います。(年間観劇本数:100本くらい)
青木 克敏(地方公務員) ・SPAC『アンティゴネ〜時を超える送り火〜』(駿府城公演特設会場) ・ロシア国立サンクトペテルブルク マールイ・ドラマ劇場『たくらみと恋』(世田谷パブリックシアター) ・NAPPOS PRODUCE『SKIP〜スキップ』(サンシャイン劇場) あまりぱっとしない演劇状況に思えました。その中で、SPACの宮城聰さんの取り組みは素晴らしいものに感じています。アンティゴネは構成がしっかりとしていて分かりやすいかったですが、私の価値観を揺るがしてくれるほどの感動を、与えてくれました。たくらみと恋では、俳優陣をはじめとして芸術レベルの高さを見せつけられました。そして、スキップ。なんだかんだ言っても、キャラメルボックスは、夢と希望をいつだって分かち合おうと走り続ける劇団です。(年間観劇本数:32本)
矢野 靖人(一般社団法人shelf代表理事・芸術監督) ・WORLD STAGE DESIGN『The Malady of Death』(台北国立芸術大学) ・HEADZ『を待ちながら』(こまばアゴラ劇場) ・SCOTサマーシーズン2017『サド侯爵夫人 第二幕』(新利賀山房) The Malady of Death”はバンコクの盟友、僕がいちばん信頼している僕自身のプロデューサー的存在でもあるリオンが演出する作品とあってわざわざそれを観るためだけに台湾まで行った作品。そういうことが出来る/したいと思える仲間がいることに感謝。今年いちばん記憶に残っている。デュラス晩年の最後の恋人は実はゲイで、しかし献身的にデュラスを愛し、デュラスに尽くしたという。美しく儚い作品だった。鈴木忠志「サド侯爵夫人 第二幕」はこの超絶技巧のこのアーティフィシャル(人工的)な日本語台詞をねじ伏せた俳優陣に快哉。久しぶりに劇場で観劇した飴屋法水さんの「を待ちながら」はこちらが思っていた以上に泣けるほどに清々しくベケットで。選外に1作品、APAFワン・チョン氏演出の「Kiss Kiss Bang Bang2.0」を。ノンバーバル且つインターナショナルな演劇の新たな可能性を垣間見せてくれた。(年間観劇本数:43本)
野呂 瑠美子(一観客) ・劇団昴ザ・サードステージ『幻の国』(サイスタジオ大山第1) ・劇団チョコレートケーキ『熱狂』(シアターウェスト) ・文学座創立80周年記念公演『中橋公館』(紀伊国屋ホール) どの時代をどういう切り口で、どのように選ぶかは作者の意識と力量による。劇団チョコレートケーキの古川健さんは、大きな歴史の流れを巧妙に切り取り、多大な資料を元に、新たに肉付けをして、その時代がどんなであったかを観客に見せてくれる。『幻の国』『熱狂』ともに、3時間ほどの舞台からは、困難な時代に置かれた人々の思いと息遣いが伝わってくるようであった。文学座の真船豊の『中橋公館』も、殆ど知られることがなかった、外地・北京で敗戦を迎えた日本人の様子をよく伝えていて、感心した。どの作品も、過ぎ去った時代を描きながら、実は現代をきちんと映し出している秀作揃いで、感動とともに、印象深い作品となった。最近あまり見なくなった歌舞伎だが、今年は仁左衛門の『千本桜』がかかり、おそらく彼の一世一代の知盛であろうと思われて、拝見した。人生は速い。(年間観劇本数:80本)
片山 幹生(WLスタッフ) ・SPAC『病は気から』 (静岡芸術劇場) ・ゴキブリコンビナート『法悦肉按摩』 ・平原演劇祭2017第4部 文芸案内朗読会演劇前夜&うどん会  「や喪めぐらし」(堀江敏幸「めぐらし屋」より) ノゾエ征爾翻案・演出のSPAC『病は気から』は17世紀フランス古典主義を代表するモリエールの喜劇の現代日本での上演可能性を切り拓く優れた舞台だった。ゴキコンはいつも期待を上回る斬新で過激な仕掛けで観客を楽しませてくれる。高野竜の平原演劇祭は昨年第6部まで行われ、いずれも既存の演劇の枠組みを逸脱する自由で独創的なスペクタクルだったが、その中でも文庫版200頁の小説を4人の女優がひたすら読むという第4部の企画の体験がとりわけ印象的だった。食事として供された変わったつけ汁でのうどんもおいしかった。(年間観劇本数:120本)
kiki(勤め人) ・日本のラジオ『カーテン』(三鷹市芸術文化センター 星のホール) ・あやめ十八番『三英花 煙夕空』(平櫛田中邸/シアトリカル應典院) ・風琴工房『アンネの日』(三鷹市芸術文化センター 星のホール) カーテン:この一年で拝見できた日本のラジオの作品はどれも面白かったが、結局一番好みにあったのがコレ。劇場の使い方や題材の面白さに加えて、奥行きのある人物描写で15人のキャストの魅力が充分に生きた。 三英花 煙夕空:あやめ十八番初の二都市公演で、東京と大阪の会場がどちらも物語によく似合いつつ印象はガラリと変わって面白かった。音の響きや照明も変わり、キャストも変わって、東京公演では濃密な仄暗さが、大阪公演ではエッジの効いた明暗がそれぞれ印象に残った。 アンネの日:風琴工房の題材への取り組み方にはいつも心惹かれるが、観る前には地味だろうと思っていたこの作品がこの一年で最もツボにハマった。描かれた人々の誠実さと強さ、それを演じるキャスト陣の説得力が魅力的だった。(年間観劇本数:155本)
りいちろ(会社員) ・第27班 キャビネット公演B『おやすみ また明日 愛してるよ』(シアターミラクル) ・コマイぬ『ラッツォクの灯』(石巻 GALVANIZE gallery) ・アマヤドリ『青いポスト』(花まる学習会 王子小劇場) 2017年も足を運ぶ先々に多彩な舞台の力がありましたが、中でも常ならぬ舞台の密度や呼吸を感じた3作品を。 この一年、くによし組や劇団ヤリナゲ、劇団普通、KAZAKAMI、遠吠え、キュイなど若い作り手たちの作品にも心惹かれつつ、てがみ座『風紋』、風琴工房『アンネの日』、青組『グランパと赤い塔』、うさぎストライプ『ゴールデンバット』、ワワフラミンゴ『脳みそあるいてる』など実績のある作り手の更なる進化を感じる作品も数多く観ることができました。FunIQの5人の作演での連続上演の試み,ロロの「いつ高シリーズ」やシンクロ少女の『オーラルメソッド4』のように過去作品と新作を合わせて上演することも作品の世界観を再認識させ作り手の進化を感じさせる良いやり方だったと思います。またあやめ十八番や水素74%などの歴史建造物での上演にも、スイッチ総研の諸公演やガレキの太鼓ののぞき見公演などの企みにも捉われました。(年間観劇本数:315本)
矢作 勝義(穂の国とよはし芸術劇場 芸術文化プロデューサー) ・ イキウメ『天の敵』(東京芸術劇場 シアターイースト) ・TBSテレビ『俺節』(TBS赤坂ACTシアター) ・風琴工房『アンネの日』(三鷹市芸術文化センター 星のホール) 『天の敵』は、戯曲・演出・美術・俳優など全てのピースが寸分の狂いもなく組み合わされた、これまで観たイキウメ作品の中で一番素晴らしい舞台でした。 『俺節』は、主演の安田章大の歌・芝居ともに素晴らしく、回りを固める小劇場系の俳優も一丸となり、見事に劇世界を支えていました。何と言っても、脚本・演出の福原充則の仕事ぶりが充実していました。 風琴工房の詩森ろばさんは、2017年の1年間で多数の作品を生み出していましたが、なかでも『アンネの日』は、教養エンターテイメントと名付けたいと思います。事実の羅列や解説にとどまらず、それをエンターテイメントに昇華しながらも、一つの物語として創り上げられたとても素敵なものでした。 番外として、自身の劇場制作の、青木豪作、稲葉賀恵演出の「高校生と創る演劇『ガンボ』」と桑原裕子作・演出の穂の国とよはし芸術劇場プロデュース『荒れ野』を上げておきたいと思います。(年間観劇本数:132本)
須川 渡(研究者) ・ dracom『空腹者の弁』(ウイングフィールド) ・山下残『無門館の水は二度流せ 詰まらぬ』(アトリエ劇研) ・アイホールがつくる「伊丹の物語」プロジェクト『さよなら家族』(AI・HALL)  今年も関西で多くの作品を観ました。劇場の閉館はたびたび議論になりますが、dracomと山下残はこの問いかけに作品という形で応答していました。dracomはウイングフィールドという場所で演劇を続けること、山下残はアトリエ劇研がなくなることの意味を、どちらも非常に挑戦的な方法で示していました。『さよなら家族』は、伊丹という場所と時間をかけて丁寧に向き合った秀作です。スタイルは様々ですが、観客である私も、同じ場所にとどまって演劇を観続けるとはどういうことかに思いを巡らせた1年でした。 (年間観劇本数:133本)
かいらくえんなつき(演劇ウォッチャー) ・ロロ いつ高シリーズvol.4『いちごオレ飲みながらアイツのうわさ話した』(こまばアゴラ劇場) ・悪魔のしるし『蟹と歩く』(倉敷市立美術館 講堂) ・範宙遊泳『その夜と友達』(STスポット) 2017年も前半は大阪にいたので、関東近辺の演劇はそこまで多くは観ていません。とはいえ、ここにどうしても挙げたいと思う関西の作品に出会えなかったのは、残念。 選んだのは今後ずっと忘れないだろうなと思う観劇体験だったものです。 この他に挙げられなかったのは、FTで上演された『忉利天(とうりてん)』 (構成・演出・美術:チェン・ティエンジュオ)。 これだけをみていうのもと思いますが、それでもいいたくなるぐらい、中国の勢いを感じさせられ、それと裏返しの日本の閉塞感を感じました。 2017年は(も?)色々と区切りとなる出来事の多かった1年だったような気がしています。 毎年同じようなことを書いている気がしますが、2018年はもっともっと新しい刺激的な作品に出会いたい!!(年間観劇本数:おそらく150本くらい)
薙野 信喜(無職) ・ Schauspiel Leipzig『89/90』(Berliner Festspiele) ・Akram Khan Company「Until the Lion」(Main Hall, ARKO Arts Theater) ・日本総合悲劇協会『業音』(西鉄ホール)  2017年は、海外で観た20数本の作品の印象が強い。パリで観たオペラ・バスティーユ『ラ・ボエーム』、オデオン座『三人姉妹』、コメディ・フランセーズ『テンペスト』、ベルリンドイツ劇場『フェードル』『しあわせな日々』、ソウルで観た Yulhyul Arts Group『Defeat the ROBOT 3』、明洞芸術劇場『メディア』の印象が強烈だった。
九州に来演した作品では、ヨーロッパ企画『出てこようとしてるトロンプルイユ』、サードステージ『舞台版ドラえもん のび太とアニマル惑星』、イキウメ『散歩する侵略者』、トラッシュマスターズ『たわけ者の血潮』 などが楽しめた。 九州の劇団では、劇団きらら『プープーソング』、そめごころ『ちずとあゆむ』、転回社『夏の夜の夢』 がおもしろかった。(年間観劇本数:156本)
でんない いっこう(自由人) ・東京芸術劇場『リチャード三世』(東京芸術劇場 プレイハウス) ・新国立劇場『プライムたちの夜』(新国立劇場小劇場) ・文学座『鳩に水をやる』(文学座アトリエ) 1.リチャード三世の人格形成に身体の障害を前面に出さなかったし、最期の苦しみを、脳内の様子が突然飛び出し襲い掛かるような映像と音響で訴えたプルカレーテ演出の意外性が惹きつける。 2.人は何に向って本心を言えるのか、自身の老後は応答するロボットを考えていたが、人型のAI・スライムなら2062年でなくとも頷けてしまう身近な物語であった。人を失した悲しみ、本来わかりえない存在、一個の人間。 3.童話作家だった男、今は認知症の鳩に水をやる男。誰にわかると言うのだ、その内面の心理が。過去を生きている男に通じる回路を持たない今を生きてる者達。次点は若い俳優、演出家の成長が嬉しい『その夜と友達』『ダニーと紺碧の海』『ナイン』気になる劇作・演出家で楽しかった『ベター・ハーフ』大野一雄に惹かれ、その時代の映像が見たくて、疑念を持ちながら観たのに何故か後半引き込まれてしまった『川口隆夫「大野一雄について」』等がある。(年間観劇本数:27本)
小泉 うめ(観劇人・WLスタッフ) ・点の階『・・・』(京都芸術センター 講堂) ・風琴工房『アンネの日』(三鷹市芸術文化センター 星のホール) ・神里雄大/岡崎藝術座『バルパライソの長い坂をくだる話』(京都芸術センター 講堂) 前半は人生最高ペースの観劇本数だったが、後半は落ち着いて、おしなべてみれば例年並みの本数になった。そのため見逃したと思っている作品も多い。演劇が演劇であるが故の悔やみである。 『・・・』 ファンタジーという言葉だけでは済まされない不思議な観劇体験となった。窓の外の雪や隙間から入ってくる冷たい空気までもが演劇だった。 『アンネの日』 詩森の戯曲はいつも緻密な取材力とそこからの跳躍力に支えられているが、この戯曲からは一人の女性として、ひいては一人の人間としての彼女の姿が明瞭にうかがえ、彼女の代表作となるだろう。 『バルパライソの長い坂をくだる話』 神里のターニングポイントと言える。再び上演される機会もあるだろうが、あの場所であの役者陣でのスペイン語上演は、当然のことながら二度とないものを観たという印象が強い。 西日本での観劇も例年よりは少なかったが、結局KACで上演された2本を選んでいるあたりも私らしいところか。(年間観劇本数:355本)
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