Tumgik
#将軍藤小判
kennak · 1 year
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ジャニーが同性愛者(真性の少年性愛者、児童性愛者)であり、事務所に所属する男性タレントに対して性的児童虐待(同性愛行為の強要)を行っているとの話は、1960年代から散発的に繰り返し報道されてきた。 まず、駐留米軍の「在日軍事援助顧問団 (MAAGJ)」に勤務していた頃(1958年~1966年)から、外交官ナンバーの車(クライスラー)で新宿・花園神社の界隈に繰り出し、「ケニー」、「L」、「牛若丸」といったゲイバーで遊んでいたこと、更に新宿駅南口で網を張り、田舎から出てきた少年たちに声をかけては、常宿の「相模屋」(1泊600円のベッドハウス)に連れ込んでいたことを、当時のゲイ仲間・原吾一が、著書『二丁目のジャニーズ』シリーズで明かしている。 ジャニー喜多川が最初に手がけたタレントは「ジャニーズ」の4名(真家ひろみ、飯野おさみ、あおい輝彦、中谷良)で、当初は池袋の芸能学校「新芸能学院」に所属させていたが、学院内にてジャニーが15名の男子生徒たちに性的児童虐待行為をしていたことが発覚。 オーナーの名和太郎学院長(本名:高橋幸吉。2000年6月7日に急性心不全で逝去。81歳没)はジャニーを1964年6月28日付で解雇した。 しかしジャニーが、ジャニーズの4名も一緒に引き連れて出て行ってしまったためにトラブルとなり、ジャニーらが所属中の授業料やスタジオ使用料、食費など270万円を求めて学院長がジャニーを提訴し、裁判へと発展した (通称:ホモセクハラ裁判)。 なお、当時のジャニーは在日軍事援助顧問団(MAAGJ)に在籍する下士官事務職員として、米国軍人および外交官の立場にあったが、新芸能学院との騒動は「MAAGJの公務の範囲外の職業活動」で起こった問題であるため、「外交関係に関するウィーン条約」(日本では1964年6月8日に発行)の第31条1項による外交特権「外交官は接受国の刑事・民事・行政裁判権からの免除を享有する」の対象から漏れ、訴えられた。 この裁判は長期化し、1964年から実に4年に渡って行われた。 ジャニーズの4名も実際に証言台に立っており、その証言記録は『女性自身』(1967年9月25日号)、『ジャニーズの逆襲』(データハウス刊)、『ジャニーズスキャンダル調書』(鹿砦社刊)にて再現されている。 『週刊サンケイ』(1965年3月29日号)でも「ジャニーズ騒動 “ジャニーズ”売り出しのかげに」として5ページの記事が組まれた他、ルポライターの竹中労も、著書『タレント帝国 芸能プロの内幕』(1968年7月、現代書房)の中で「ジャニーズ解散・始末記」と題してジャニーの性加害について言及した (当書はその後、初代ジャニーズを管理していた渡辺プロダクションの渡邊美佐の圧力で販売停止)。 なお、『ジャニーズスキャンダル調書』では「同性愛」という表現自体を否定しており、ホモセクハラである以上、「性的虐待」、善意に表現しても「少年愛」であるとしている。 『週刊現代』(1981年4月30日号、講談社)にて、「『たのきんトリオ』で大当たり アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異能」と題し、ジャーナリストの元木昌彦がジャニーの性趣向問題について言及。 (直後、ジャニーの姉のメリー喜多川から編集部に「今後、講談社には一切うちのタレントを出さない」と猛クレームが入り、元木は処分として『週刊現代』から『婦人倶楽部』の部署へと異動させられた。 この件については、『週刊文春』(1981年5月28日号、文藝春秋)でも、「大講談社を震え上がらせたメリー喜多川の“たのきん”操縦術」と題して報じられた。 なお、ジャニーの性的児童虐待についてメリーは、「弟は病気なんだからしょうがないでしょ!」と言ってずっと放任していた) 雑誌『噂の眞相』(1983年11月号)が、「ホモの館」と題してジャニーズ事務所の合宿所の写真を公開。 元所属タレントの告発も相次いだ。 元フォーリーブスの北公次は『光GENJIへ』(1988年12月)、 元ジューク・ボックスの小谷純とやなせかおるは『さらば ! ! 光GENJIへ』(1989年9月)、 元ジャニーズの中谷良は『ジャニーズの逆襲』(1989年10月)、 元ジャニーズJr.の平本淳也は『ジャニーズのすべて ~ 少年愛の館』(1996年4月)、 豊川誕は『ひとりぼっちの旅立ち ~ 元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記』(1997年3月)、 山崎正人は『SMAPへ』(2005年3月)をそれぞれ上梓。 タレントの生殺与奪の全権を握るジャニーの性的要求を受け入れなければ、仕事を与えられずに干されてしまうという実態が明るみに出た。 中でも『SMAPへ』は、ジャニーが行っていた性行為の内容について最も細かく具体的に描写しており、少年に肛門性交を強要していたことも明かしている。 同じく元Jr.の蓬田利久も、漫画『Jr.メモリーズ ~もしも記憶が確かなら~』(竹書房の漫画雑誌『本当にあった愉快な話』シリーズに掲載。著:柏屋コッコ、2014年1月~2015年4月)に取材協力する形で暴露している。 ジャニーは肛門性交時にノグゼマスキンクリーム、メンソレータム、ベビーローションなどを愛用しており、少年隊もラジオ番組で、錦織一清が「ジャニーさんと言えばメンソレータム思い出すなぁ・・・」、東山紀之は「合宿所はいつもメンソレータムの匂いがしてた」など、分かる人には分かるギリギリの発言をしている。 元Jr.の星英徳も、ジャニー喜多川の死後になってネット配信で、「ただのJr.だった自分ですら、何十回もやられた。 ジャニーさんが特に好んだのは、小中学生の段階のJr.。 時には平日の朝から学校を休んで合宿所に来いと呼び出され、マンツーマンで性行為を受けた。 その最中は、当時付き合ってた彼女のことを毎回必死に頭で思い描きながら耐えてた。 メジャーデビューしたメンバーは必ず全員やられている。 必ずです! 全員やられてる! そもそも断ったらデビュー出来ない」と幾度も打ち明け、ジャニーによる性被害や当時の事務所内での異常な状況を説明した。 ジャニーズの出身者以外からも、浜村淳が関西ローカルのラジオ番組『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ)の中でジャニーのことを「あのホモのおっさん」と発言したり、ミュージシャンのジーザス花園が、2009年発表の自作曲『ジャニー&メリー』で、AV監督の村西とおるもブログやTwitterで糾弾している。 ジャニーに対する感謝、愛情が誰よりも強いことで知られるKinKi Kidsの堂本剛(児童劇団の子役出身)は、小学5年生の段階で子役活動を辞め、一旦芸能界を引退していたが、姉による他薦でジャニーズのエンターテインメントの世界に触れ、自分もスターになって成功したいという感情が芽生える。 しかし成功するためには、まだ幼い小学6年生の段階からジャニーの性的な行為を耐え忍ぶしかなく、剛が中学2年生の14歳の時に奈良県から東京の合宿所に正式に転居してからは、ジャニーの性行為は更に過熱していった。 当時剛と非常に親しい関係にあった元Jr.の星英徳も、「剛は普通のJr.たちとは違うレベルの性行為をジャニーさんから受けていて、そのことにいつも悩んでた。剛が病んじゃったのはジャニーさんが原因」と、2021年6月25日の深夜にツイキャス配信で証言した。 剛にしてみれば、確かにジャニーには芸能界で大成功させて貰って感謝はしているものの、幼い頃から異常すぎる性体験を強いられ、自分の心と体を捨て去るという代償を払わされてきた訳であり、更に人一倍繊細な性格がゆえ、15歳からは芸能活動へのストレスも相まってパニック障害を抱えるようになり、長年に渡って自殺を考えるほどに苦しんだ時期が続いた。 自分で選んだ道ではあるし、ストックホルム症候群、トラウマボンド(トラウマティック・ボンディング)、グルーミングなどの効果によって、ジャニーに対して大きな感謝はしつつも、もしジャニーと出会わなければ、こんなにも苦しい思いをすることは無かった、という愛憎が入り混じった複雑な感情から、剛の自作曲『美しく在る為に』は、ジャニーへの思いや、芸能活動への葛藤が描かれた曲だと、一部のファンの間では解釈されている。 その歌詞の一部には、 「あたしが悪いなんて 云わせないの あなたが悪いなんて 云う筈がないの 人は勝手だったもの 何時も勝手だったもの 美しく在る為に 勝手だったもの」とある。 [1] 元光GENJIの諸星和己も、2016年11月6日放送のバラエティ番組『にけつッ ! !』(日本テレビ)に出演した際、千原ジュニアとの会話でジャニーについて、 千原 「数年後に大スターになると見抜くその力よ」 諸星 「違う違う、たまたま、たまたま」 千原 「先見の明がすごいんでしょ?」 諸星 「僕の考えだと、“結果論”だね。 あの人(ジャニー喜多川)の目がいいとか、見抜く力がすごいとか、“全く”無い!」 と断じ、ジャニーに対する世間の過大評価に異を唱えた。 そして番組の最後では、「ジャニーの感性はね、あれホ〇だから!」と締めくくった。 ジャニーについてはよく、「少年の10年後の成長した顔が見えていた」などと評されてしまうことがあるが、それは間違い。 確かに子供の頃は冴えない平凡な顔をした者が、美容整形なども踏まえて将来二枚目に化けたパターンもあるが、その一方、小さい頃は可愛かったのに、成長と共にどんどん劣化してしまったパターンも少なくない。 そもそも、テレビなどで頻繁に同じタレントの顔を目にしていれば、視聴者の目はその顔に慣れていく訳だから、マイナス面はどんどん軽減されていく。 ジャニーが持っていたのは権力と財力であって、人の10年後の顔はおろか、人の本質や将来を見抜けるような特殊能力、神通力は存在しない。 ジャニーは将来を予見して採用していたのではなく、ただ単に、今その瞬間の“自分の好み”の少年、個人的に性欲を感じる“ヤりたい相手”を選んでいただけであり、その少年がたまたまスターになるかならないかは、諸星が述べた通り、後からついてきた“結果論”に過ぎない。 ジャニーに個人的に嫌われれば、いくらスター性や才能がある者であっても捨てられるし、ジャニーに個人的に好かれれば、スター性の無い者であっても権力と財力でメディアにゴリ推しされ、結果、誰でも人気者になれた。 こうした、ジャニーの個人的な好み、機嫌だけで全てが操作・決定される、非常に特殊で独裁的な事務所だったため、多くのスターを製造した一方、本当に将来有望だったはずの多くの才能も死んでいった。 なお諸星はこの放送の一ヶ月後の2016年12月2日に大沢樹生と共に開催したトークライブでも、ステージ上で「俺が何で結婚しないか? ホモだから。 ジャニーみたいなものだから」と発言し、ジャニーを茶化している (諸星自身がゲイであるという部分は自虐による冗談であり、諸星はゲイではない)。 1988年~1989年にかけ、月刊誌『噂の眞相』もこの問題を数回取り上げた。 しかしジャニーズ側は、「『噂の眞相』という雑誌はこの世に存在しないもの」という姿勢を貫いていたため、全く相手にされることは無かった。 週刊誌『FOCUS』(1989年8月11日号、 新潮社)に、ジャニー喜多川が合宿所で撮影した田原俊彦の全裸のポラロイド写真が流出掲載される。 1999年10月28日号から2000年2月17日号にかけ、『週刊文春』がジャニーズ事務所に対する糾弾を14回に渡ってキャンペーンとしてシリーズ掲載。 ジャニーが所属タレントに対してセクハラ・児童虐待を行い、事務所内では未成年所属タレントの喫煙や飲酒が日常的に黙認されていると報道し、約15名もの元ジャニーズJr.が取材に協力した。 出版元である文藝春秋は、他の大手出版社と違ってジャニーズ事務所との癒着や影響力が皆無に等しかったために出来たことだった。 【キャンペーン開始の引き金的な記事】 江木俊夫 公判で元アイドルが「ジャニーズ」批判 (1999年10月7日号) 【14回のキャンペーン】 青山孝 元フォーリーブス衝撃の告発 芸能界のモンスター「ジャニーズ事務所」の非道 TVも新聞も絶対報じない (1999年10月28日号・p252~255) ジャニーズの少年たちが耐える「おぞましい」環境 元メンバーが告発 「芸能界のモンスター」追及第2弾 (1999年11月4日号・p190~193) ジャニーズの少年たちが「悪魔の館」合宿所で 「芸能界のモンスター」追及第3弾 強いられる“行為” スクーブグラビア ジャニーズ「喫煙常習」の証拠写真 (1999年11月11日号・p26~29)[1] テレビ局が封印したジャニーズの少年たち集団万引き事件 追及キャンペーン4 マスコミはなぜ恐れるのか (1999年11月18日号・p188~191) ジャニー喜多川は関西の少年たちを「ホテル」に呼び出す 追及第5弾 芸能界のモンスター (1999年11月25日号・p188~191)[1] ジャニーズOBが決起! ホモセクハラの犠牲者たち 芸能界のモンスター追及第6弾 (1999年12月2日号・p195~197) 小誌だけが知っているジャニー喜多川「絶体絶命」 追及第7弾 (1999年12月9日号・p179~181)[1] ジャニーズ人気スターの「恋人」が脅された! 追及第8弾 (1999年12月16日号・p185~187) ジャニー喜多川殿 ユー、法廷に立てますか? 「噴飯告訴に答える 追及第9弾」 (1999年12月23日号・p179~181) 外国人記者が「ジャニー喜多川ホモ・セクハラは日本の恥」 追及第10弾 (1999年12月30日号・p38~40) ジャニーズ裁判 元タレントはなぜ「偽証」した キャンペーン再開! (2000年1月27日号・p180~181) ジャニー喜多川よ、ファンもこんなに怒っている 徹底追及(第12弾) (2000年2月3日号・p165~167) NYタイムスも報じたジャ二ー喜多川「性的児童虐待」 (2000年2月10日号・p172~173) ジャニー喜多川「性的虐待」 日本のメディアは腰くだけ ピュリツァー記者が激白 (2000年2月17日号・p34~35) 【追加報道】 スクープ撮! ジャニー喜多川の素顔 (2000年3月16日号) ジャニー喜多川の性的虐待! 母親が決意の告白 「息子は私に訴えた」 (2000年3月23日号・p184~186) 新展開 ついに国会で質問されたジャニーズ性的虐待 なぜNYタイムスしか報じないのか (2000年4月27日号・p176~179) ジャニーズ疑惑 梨元勝国会で証言へ! (2000年5月4日・11日合併号・p180~181) 大手メディアがこの性的児童虐待問題をこれほどまでに取り上げたのは1960年代以来初めてのことで、その波紋は大きく、自民党衆議院議員・阪上善秀(後の宝塚市長)も、2000年4月13日にこの問題を衆議院で取り上げた [注 6]。 1999年11月、ジャニー側は名誉毀損であるとして文藝春秋を訴え、1億700万円(ジャニーズ事務所に対し5350万円、ジャニー喜多川に対し5350万円)の損害賠償と謝罪広告1回を求める民事訴訟を起こした。 2002年3月27日、東京地裁の一審判決では、「高度の信用性を認めがたい。 証人の証言はたやすく信用できない点を残している」としてジャニー側が勝訴し、東京地裁は文藝春秋に対し、ジャニーへ440万円、ジャニーズ事務所へ440万円の、計880万円の損害賠償を命じた (井上哲男裁判長)。 文春側はこれを不服として東京高裁に控訴。 これに対抗するかのようにジャニー側も控訴。 2003年7月15日の二審判決では、ジャニーの性的児童虐待に関する記述について、 「喜多川が少年らに対しセクハラ行為をしたとの各証言はこれを信用することができ、喜多川が、少年達が逆らえばステージの立ち位置が悪くなったり、デビューできなくなるという抗拒不能な状態にあるのに乗じ、セクハラ行為をしているとの記述については、いわゆる真実性の抗弁が認められ、かつ、公共の利害に関する事実に係るものである」 と結論づけられ、ジャニー側の性的児童虐待行為を認定 (矢崎秀一裁判長)。 このため、性的児童虐待部分のジャニー側の勝訴は取り消され、損害賠償額はジャニーへ60万円、ジャニーズ事務所へ60万円の、計120万円に減額された。 ジャニー側は損害賠償額を不服として最高裁に上告したが、2004年2月24日に棄却され (藤田宙靖裁判長)、120万円の損害賠償と性的児童虐待行為認定が確定した。[1]、[2] しかし各芸能マスコミは、一審の880万円から120万円に減額された事実だけをベタ記事で書いて済ませ、「性的児童虐待が認められた」という肝心の部分は書かなかった。 この問題について、懐疑主義団体「JAPAN SKEPTICS」の機関誌『NEWSLETTER 53号』にて、当時同会の副会長だった草野直樹が批判。 「マスコミの誤りというのは、『間違ったことを報じる』だけでなく、『必要なことを報じない』ことも含まれる。 そして後者の多くは、いくつかの『タブー』に縛られていることが原因になっている。 報道におけるタブーのベールを抜いた報道には、オカルト・疑似科学の類と同様に騙されないようにしよう」と訴えた。 芸能評論家の肥留間正明も、「芸能界でホモセクハラが裁判になったのは異例。 真実と認められたのも初めてで、これは社会的な事件」と語っている。 また、ニューヨーク・タイムズや、イギリスの新聞・オブザーバーなどの海外メディアも大々的に取り上げ、この問題をタブー視するなどして真実を報道しない卑怯で腰抜けな日本のマスメディアの姿勢、体質を批判した。 以後もジャニーズ事務所と文藝春秋は対立。 2006年に『武士の一分』が映画化された際、ジャニーズは文春文庫で発売されている藤沢周平の原作本の帯に、主演の木村拓哉の写真の使用を一切許可しない、という対抗措置を取っている。 また、木村が工藤静香と結婚した際にも、会見への週刊文春の参加を禁じた。 そのため、文春側は巻頭グラビアで白紙ページに木村とインタビュアーの輪郭のみを描き、ジャニーズによるメディア統制であると非難した。 2010年3月14日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「新約・ジャニーズ暴露本」開始。 2018年6月6日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「いま振り返るジャニーズの“少年愛”報道」開始。 2019年7月9日にジャニーが逝去。 その際、テレビや雑誌など、日本の主要メディアではジャニーを賛美する歯の浮くような美辞麗句のみが並べられ、まるでジャニーを聖人君子かのように崇め奉った。
ジャニー喜多川 - ジャニーズ百科事典
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ryotarox · 6 months
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(「SHOGUN 将軍」女性の座り方をめぐる製作陣の葛藤、「立て膝」ではなく「正座」になった経緯とは? | THE RIVERから)
「SHOGUN 将軍」女性の座り方をめぐる製作陣の葛藤、「立て膝」ではなく「正座」になった経緯とは?
マークスは「座り方についてはたくさん議論しました」と米The Hollyood Reporterのインタビューで語っている。マークスら製作陣は、京都大学の教授を歴史の専門家として招き、同氏が持参した実際の資料をもとに、戦国期の女性には「立て膝」という片膝を立てた座り方が一般的だったことを学んだという。ドラマでも立て膝を再現するものかと思った矢先、プロデューサーの真田広之と宮川絵里子からある提案があった。 「(戦国期から)少し後の江戸時代で正座が一般的になったようですが、そしたら日本人のプロデューサーである広之と絵里子が、日本の視聴者にとっては正座が普通だと伝えてくださったんです。それが、侍映画や時代劇の風習なのだと。現代の人たちには、女性が立て膝で座るのはおかしく見えるようなんです。」 この提案により、「歴史的な正確さとジャンルの風習に対する視聴者の期待が衝突してしまった」とマークスは振り返る。葛藤の末、「文化的権限の限界」を超えていると感じたマークスは、判断を真田と宮川に委ねたのだとか。「日本のプロデューサーにお任せして、正座でいくことになりました」。 ちなみに真田はプロデューサーとして、視聴者の世代ごとの嗜好を意識した作品作りに努めたことを明かしていた。「昔ながらの作りだと若者が見ない。若者向けに現代ナイズしていくと今度は本格派の時代劇ファンが見なくなる悪循環が起こります」。座り方をめぐっても、全体のバランスを考慮した上での究極の決断だったのだろう。
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エポックメーキングな時代劇として「立て膝」も見てみたかったかも。 今までの映画でそういう描写あったのかな。 と思ったらドラマでは既にそうだった。
戦国時代の武家の女性の座り方について田端泰子本学名誉教授がコメント - オフィシャル | 京都橘大学
戦国時代の武家の女性の座り方について田端泰子本学名誉教授がコメント 2020年6月13日  大河ドラマなどで見る武家の女性が座るシーンが、正座ではなく立て膝で座ることがSNSなどで話題になっている。日本中世史・女性史を研究している田端泰子本学名誉教授の共著『身体はだれのものか 比較史でみる装いとケア』(昭和堂、2018年)で、戦国から江戸時代の肖像画をたどり、立て膝が不作法でなかったことを裏付けている。室町時代や豊臣秀吉の時代は、床は板敷き。当時の身分の高い女性の肖像を見ると立て膝やあぐらで座っている。肖像画を描かせる時には畳が敷かれていたが、立て膝のままポーズを取っていることから、正式な座り方だったと推測される。女性の衣服も、小袖は丈が短くゆったりした作りで足が自由に動かせたことからも、時代考証的に正しいと田端教授は話した。 【2020年6月13日 読売新聞・夕刊に掲載】
身体はだれのものか - 株式会社昭和堂
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ari0921 · 1 year
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)5月8日(月曜日)弐
    通巻第7741号
 岸田訪韓を評価すべきだが、韓国の外交転換こそ注目だろう
  日本は安禄山の蜂起を三年知らなかった。これが歴史の教訓である 
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孝謙、淳仁、称徳、光仁天皇の時代において、���本の最大級の外交的変化は、渤海国からの度重なる使者の来駕である。
 渤海は高麗に替わって建国された。いまの北朝鮮である。渤海使は敵対した新羅の沖合をさけるため船は日本海を縦断し、出羽から越後、能登から若狭へ漂着することが多く、太宰府へ逐一回航して丁寧にもてなし、膨大な土産を持たせた。
 競うように新羅からも使節が太宰府へ入り、最初、大和朝廷は朝貢と受け取って歓待した。文書や使節の態度から判断しても、明らかに朝貢だった。日本の宿敵の国がころりと態度を変えて来日するのだから裏にナニカアルに違いない。
 実態は朝貢を装い日本の防衛体制を観察し、また大和王朝の政治空気を把握することにあった。情報収集である。
 新羅は次第に図に乗って官位の低い大使を派遣するようになった。態度も横柄、傍若無人の無礼を極めるようになったため新羅使は太宰府で留め置かれ追い返された。
新羅の態度が横柄尊大になった背景には唐が乱れ、安禄山が叛乱をおこし、国土は荒廃し、新羅に対しての軍事的な脅威にはならなかったからだ。大和朝廷はこの情報を三年ほど知らなかった。ということは新羅使は安禄山の乱を知っていながら大和朝廷には意図的につたえず日本の反応を確かめに来た可能性がある。日本のこうした情報戦の失態はいまと変わらない。つまり韓国の対日外交激変は裏にナニカアルのだ。
 天智天皇の御代、白村江の闘いで唐の海軍に敗れ、2100名の百済高官が日本に亡命した。天智天皇は水城と防塁、城を構築し、防人を強化したばかりか、各地22ヶ所に築城 防衛力を拡充し、新羅の侵攻に備えた。
 ところが、新羅は逆に日本が攻めてくると防衛態勢を急ぎ、「ご機嫌取り」のため「朝貢」を装い屡々来日した。
 天平宝字二年九月十八日に渤海使の小野朝臣田守らが帰朝し、渤海大使の輔国大将軍・行木ら二十三名を随行した。日本海側に帰着したので越前に滞在し、疫病感染の有無を調べるためニケ月を過ごす。
 帰国十日後に小野田守に従五位上を授け、ほかの随行員六十六人にも位階を授けた。 同年十二月十日、すなわち帰国から七十日後に小野朝臣田守は安禄山の謀反を伝えた。安禄山の挙兵は755年のことだから、なんと三年間、大和朝廷は唐の政変を知らなかったのである。
 ▲安禄山の乱が日本政治にいかなる変化をもたらしたか
 小野田守は次のように上奏した。
 天平勝宝七年の十一月九日に御史太夫兼氾陽節度使の安禄山が蹶起し、自らを大燕聖武皇帝と名乗り、邸宅を潜龍宮と名付けた上、年号を聖武と改元した。安禄山は二十万の兵力を率いて忽ち洛陽を落とした。翌六月に玄宗皇帝は難を避けるために蜀の成都(現在の四川省)へ避難した。
渤海に援軍要請があり、騎兵四万をもって賊徒を平定されたしと懇請された。渤海からだと安禄山の後方を攪乱できる。しかし渤海王は派兵要請を疑い、派兵を見送った。途中から安禄山の反乱に加わったのが史思明だ。だから「安史の乱」とも言う。
 玄宗側の反撃準備が整い、ようやく官軍が乱を平定し、玄宗は長安に戻った。逃亡途中では随行した兵隊たちに不穏の空気が流れたため玄宗は愛妃楊貴妃の自裁を認めざるを得ず、長安に復帰しても嘗ての政治力は失われていた。側近は朝衡(阿部仲麻呂の中国名)だった。
 
 かく上奏した小野田守とて、まだ安禄山が部下に殺害されたという情報を知らなかった。渤海もその後の情報を隠匿したわけではなく長安に派遣した情報員が戻らず実情をつかんでいなかった。
 唐土の異変を知った大和朝廷は太宰府に勅して「安禄山は凶暴なる胡人(ソグド人だが、当時は「胡」と称した)、狡猾である。天命に背いた反乱は必ず失敗するが、寧ろ海東へ兵を進める華もしれず、この緊迫状況を太宰府はよく理解し、たとえ安禄山が来航せずとも防衛を怠るな」とした。
 怡土城築城を任された吉備真備は工事に力を入れ、また京では渤海使の歓待宴が続いた。淳仁天皇はかれらに位階をあたえ、藤原仲麻呂は自邸で宴を催し、賑やかにもてなしたうえ夥しい土産を持たせた。
 この時に大和朝廷を支配した空気は唐が衰弱し、渤海が北から協力して新羅を挟み撃ち出来ないか、今こそチャンスではないかということだった。これは当時権力の頂点にいた藤原仲麻呂の情勢認識に欠陥があったということである。 
 
 ▲むしろ韓国がなぜ外交舵取りを変えたかの背景に謎がある。
 北朝鮮内部で何かが起きている。あるいは静かに秘密裏に中国が北への態度をかえたことを韓国が気づいた。米国からも精度高い情報を得て、日本とは修好する時期だとの判断があった。また従来の反日路線は、北朝鮮が情報操作していた。
 さて岸田首相の訪韓である。
 5月7日、アフリカ四カ国歴訪を終えて帰国したばかりの岸田首相はソウルへ飛んだ。
 ソウルの大統領府で 尹錫悦(ユンソンニョル)大統領と会談し、「元徴用工(旧朝鮮半島出身労働者)」の訴訟問題など日韓両国の課題に向き合い、関係改善を加速させる方針で一致した。
首相は会談で元徴用工問題に関し、「厳しい環境の下で多数の方々が大変苦しい、悲しい思いをされたことに心が痛む思いだ」と述べた。
 日本がこれまでの態度を軟化させたのは財産請求権である。
 1965年の日韓請求権協定で「完全に解決済み」とされたが、つねに韓国が蒸し返してきた。
ところが尹政権となって提示してきた徴用工訴訟問題の解決策で突然活路が開けた。岸田首相は「おわび」「反省」は口にせず、尹大統領も謝罪を求めることはしなかった。
 外務省幹部は「大きな前進。文在寅(ムン・ジェイン)政権では実現しなかっただろう」とする。
韓国大統領は「共通の利益」のために歴史問題と切り離して協力を進めるべきだと言い切った。
(資料編に続く。10分後に配信します)
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moko1590m · 1 year
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戦理もすべて禅境に一致すると、草鹿は確信してやまなかった。無刀流の極意がはたして近代戦に通じるか、かれの念頭にそんな疑問の浮かぶべくもなかった。 半藤一利『指揮官と参謀 コンビの研究』
禅境 の例文集 - 用例.jp
草鹿 龍之介(くさか りゅうのすけ、1892年〈明治25年〉9月25日 - 1971年〈昭和46年〉11月23日)は、日本の海軍軍人、剣道家。海軍兵学校41期生。海軍大学校24期。最終階級は海軍中将。一刀正伝無刀流第4代宗家。
剣術の達人であり、禅にも造詣が深かった草鹿は、実戦でも「手練の一撃を加えれば残心することなく退くべし」という理念を持っていた[84]。一刀正伝無刀流剣術を小南易知(無刀流開祖・山岡鉄舟の高弟)から学び、後に香川善治郎(無刀流第2代宗家)と石川龍三(無刀流第3代宗家)からも無刀流を学び、無刀流第4代宗家を継承した。第5代宗家は草鹿の弟子・石田和外(最高裁判所長官、全日本剣道連盟会長)である。
中島親孝中佐は草鹿について、「断固たる決意を示した場面を見たことがない。ミッドウェー海戦の際は泰然と腰を抜かしていたと言われていた」「博識で広島市に原子爆弾が投下された際、原子爆弾について知っていたのは連合艦隊司令部では草鹿だけだった」と語っている[85]。岡村基春大佐の妹である江草聖子(江草隆繁の妻)は、戦後に会った草鹿について「はじめてお目にかかったわけだが、茫洋として、一見、お坊さんのような感じであった」と述べている。草鹿は江草らがセイロン沖海戦で撃沈した英空母「ハーミーズ」の写真の隅に「心外無刀」と書き加えて聖子に贈っている[86]。亀井宏(作家)は戦後インタビューした79歳の草鹿をなんとなく安心感をもたせてくれる、複雑な性格で、年齢の割りに恐ろしく反射神経が鋭く、観察眼が鋭いと記している[87]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%89%E9%B9%BF%E9%BE%8D%E4%B9%8B%E4%BB%8B
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shintani24 · 1 month
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2024年8月14日
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【速報】岸田総理が自民党総裁選への不出馬の意向固める(TBS NEWS DIG)
岸田総理が来月おこなわれる自民党の総裁選に出馬しない意向を固めたことが、複数の政権幹部への取材で分かりました。このあと、記者会見を開き、岸田総理自ら説明するものとみられます。
総裁選には、石破元幹事長や小泉元環境大臣の他、茂木幹事長や河野デジタル大臣、高市経済安全保障担当大臣らが出馬に意欲を見せていますが、岸田総理を支える立場の党幹部や閣僚が総裁選に出馬することには批判的な声もありました。
岸田総理が出馬しないとなれば、総裁選の構図も大きく変わることになり、「ポスト岸田」レースは激しさを増すことになりそうです。
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岸田首相、記者会見で総裁選不出馬を正式表明 「自民が変わるため私が身を引く」(産経新聞)
岸田文雄首相は14日、首相官邸で記者会見を行い、9月の自身の任期満了に伴う自民党総裁選に出馬しないと正式に表明した。
首相は「今回の総裁選は自民党が変わる姿、『新生・自民党』を国民の前にしっかり示すことが大事だ。自民党が変わることを示す最も分かりやすい最初の一歩は私が身を引くことだ。総裁選には出馬しない」と述べた。新総裁選出後に岸田政権は退陣し、約3年で幕を閉じる。
岸田首相の在任期間は14日時点で1046日で、岸信介氏に次ぎ戦後8番目の長さとなっている。
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G7広島サミットのワーキングランチで記念撮影に応じるG7首脳。右手前が岸田文雄首相=2023年5月19日、広島市南区、代表撮影
広島から首相、期待したが… 岸田氏の総裁選不出馬表明で被爆者らは(朝日新聞 8月15日)2024年8月14日に追記
岸田文雄首相が自民党総裁選への不出馬を表明した。広島選出の総理大臣として、被爆地の声を国内、世界に向けて届けることはできたのか。(柳川迅、魚住あかり、遠藤花、編集委員・副島英樹)
広島市の松井一実市長は岸田首相の平和行政について、「ライフワークである核兵器の廃絶に向けて積極的に取り組まれた」「『ヒロシマの心』を世界に発信するために御尽力いただきました」と評価した。自民党の県議や市議と同じく、主要7カ国首脳会議(G7サミット)の広島開催などを成果に挙げた。
一方で、県内に二つある県原爆被害者団体協議会(県被団協)の理事長はいずれも、日本政府が核兵器禁止条約に署名・批准するよう訴えてきた。しかし、核保有国が参加していないことを理由に、岸田首相は後ろ向きな姿勢を示し続けた。
佐久間邦彦理事長(79)は、「これではいつまで経っても(核禁条約に)『入らない』と言っているようなもの。本当にやる気があるのか見えなかった」と振り返る。
佐久間理事長と箕牧智之理事長(82)は、8月6日の平和記念式典に合わせて開かれた「被爆者代表から要望を聞く会」で、岸田首相と面会したばかり。箕牧理事長は「被爆者の訴えを一つでも受け止めてくれるのではないかと期待していたが、淡々と聞くだけだった」と話した。
広島を拠点に平和活動に取り組むNPO法人「ANT―Hiroshima」理事長の渡部朋子さん(70)は岸田首相の3年間について、「広島にとってチャンスかもしれないとみんな期待しましたが、残念ながら広島の宰相ではなかった」と語った。
昨年5月のG7広島サミットでは、核抑止力を正当化した「広島ビジョン」も発表され、被爆地から選出された岸田首相もその文書に名を連ねる一人となった。サミットについて渡部さんは「広島が貸し舞台として使われ、肩すかしでした」と残念がる。
岸田政権が閣議決定で防衛費拡大を進めたことを「戦争のできる国にし、原発再稼働も進めた」と指摘。「核軍拡が進む状況にのみ込まれ、戦争被爆国としてのリーダーシップが見えなかった」と振り返った。
広島市安佐南区の会社員、末棟将彦さん(44)は、元々外務大臣だった岸田首相の外交に期待していたという。サミットで各国首脳が広島を訪れたことを「歴史に残る」と評価しつつ、「もう一歩、核廃絶に向けて踏み込んだ外交をしてほしかった」と述べた。
統一教会問題や自民党派閥の裏金問題など、数々の「内憂」に見舞われた首相でもあった。
「大変驚いており、本当に残念だ」。自民党広島県連会長代理の中本隆志・県議会議長は県庁で会見を開いた。「安倍政権、菅政権下の色んな問題が浮上し、対応に追われた3年間だった。裏金問題の対応では、身内である自民党議員の協力があまりに少なかった」
広島市議会の会派「自民党・市民クラブ」幹事長の山路英男市議も「国防の強化や経済安全保障は岸田政権の下で進んでいる」と不出馬を残念がる。裏金問題については、「巻き込まれた形だ」と話し、問題を受けて政治資金規正法が改正されたことについて、「党内ではだいぶ反発もあったと思うが、大きな決断をした」とたたえた。
平和記念公園を歩いていた広島市中区の山本裕志さん(67)は裏金問題について「私利私欲のための政治になっていたのでは。広島から出た首相で期待していた。もう少し国民のための政治ができなかったものか」と話した。
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GDPは百年前に「逆戻り」 それでも日本は「強兵」路線に進むのか(朝日新聞 100年をたどる旅~未来のための近現代史~③「持たざる国」の素顔)
「DIME」という安全保障のキーワードがある。 今回はこれを切り口に、「持たざる国」日本がたどってきた100年の歩みを考える。
国内総生産(GDP)は1940年代に生まれた。資源や物資など戦争を遂行できる生産力がどれだけあるか正確に把握する指標として、米英が開発した。「第2次世界大戦が生んだ数多くの発明品の一つ」と英ケンブリッジ大のダイアン・コイル教授は位置づける。
世界に占める日本のGDPは、百年前と同じ水準に逆戻りしている――。英国の経済学者アンガス・マディソン氏の研究チームは、西暦1年から今に至る世界各国のGDPを歴史資料から推計してきた。そこから浮かび上がってきたのは、そんな日本の姿だ。
日本のGDPの世界全体に占める割合は1920年は3・4%。それが戦後の経済成長で急伸。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などと称された。米国の地位をも脅かす経済力を誇った90年には8.6%に上昇した。
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上位20カ国。マディソン氏の研究チームの最新の推計結果から。1920年の中国はデータが無いため、1900年で代用。1920、90年のロシアは旧ソ連のデータを使用。ソ連以外は現在の国旗
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だが、その後、中国をはじめとする新興国の経済成長が加速。日本は人口減社会に突入して主要7カ国(G7)で唯一足踏みを続け、2022年には3・7%に落ち込んだ。歴史的な「定位置」に戻ったともいえる。
現在の日本のGDPは世界4位。米ゴールドマン・サックスによれば、さらに50年に6位、75年には12位へ転落が予想される。日本は近い将来「経済大国」の看板を下ろすことになるかもしれない。
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問われるDIMEの発想 軍事以外が軽視されていないか
一方、岸田政権は一昨年末、27年度の防衛費のGDP比を倍増させ、2%にすることを決めた。27年度の防衛費は世界5位内に入り、「軍事大国」に仲間入りする可能性がある。
問題は、この歴史的増額が果たして「国力」に見合っているのかだ。マディソン氏の研究チームの一員である深尾京司・一橋大特命教授(国際経済学)は「人類史上まれに見るスピードで人口が減少していく日本の世界における経済的地位が、当面再び高まることは考えづらい。日本が単独で防衛費を拡充しても限界がある」と指摘する。
米国防大のテキスト「国家安全保障戦略入門」には、国家は「外交、情報、軍事、経済(DIME)という四つの主要な手段を駆使して力を行使し、目的を追求する」と記述され、「DIME」の統合的運用が重要だと説かれている
「DIME(ダイム)」という言葉がある。「外交(Diplomacy)」「情報(Information)」「軍事(Military)」「経済(Economy)」の頭文字を取ったものだ。米国が安全保障の指導者育���のため設立し、米軍の将校や文官らが在籍する米国防大(NDU)のテキスト「国家安全保障戦略入門」では国家安全保障の構成要素にこの四つを挙げ、DIMEを駆使して目的を追求するとしている。軍事は大事な要素だが、それだけでは国の安全が担保できない。国力の重要な要素であるDIMEを統合して国の安保を確保する、というのが、欧米では常識となっている。
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近年では中国に対抗するため、「技術(Technology)」を加えた「DIME+T」、あるいは「金融(Finance)」「諜報(ちょうほう)(Intelligence)」「法執行(Law enforcement)」を加えた「DIME+FIL」とも呼ばれる。日本では安保を考える際、これまでDIMEという言葉はほとんど聞かれなかった。
だが日本はかつて「国力」から目をそむけて軍事偏重に走った結果、人的・物的破局を招いた。
むろん、過去と事情は異なる。安保環境の変化を踏まえた防衛力の要素は必要だろう。だが今、安保を議論するのに、軍事以外の要素が、あまりに軽視されてはいないか。
岐路に立つ今だからこそ、「国力」を重層的に、冷静に見つめる視点が求められている。
日本の安全保障にDIMEの発想はあるのか。
日本の国家安全保障戦略、乏しい経済・外交の記述
一昨年改定された日本の「国家安全保障戦略」には「外交力・防衛力・経済力・技術力・情報力を含む総合的な国力を最大限活用して、国家の対応を高次のレベルで統合させる戦略が必要である」とある。
日本はこれまで、安全保障は米国を最重視し、経済面では最大の貿易相手国・中国との協力を深めてきた。だが、その米中の対立は軍事だけでなく、経済や技術といった非軍事の分野にまで拡大。安全保障の裾野が広がるなか、日本もいや応なく「踏み絵」を迫られている。自国の国力を見つめ、「国益」を見定めていこうというのが新戦略の趣旨だ。
しかし、中身を見ると、経済や外交に関する記述は乏しく、経済安保の項目も他の記述とのつながりがない。「戦略」の一部分を担当したある省の幹部は「戦略の全体像の議論もなく、他の項目の記述も見せてもらえず、一部の項目だけ割り振られた。いわば(各省からの文章を短冊状にしてつなぎ合わせる)『短冊方式』だ」と不満をもらす。DIMEを掲げてはいるが、「軍事」に重きが置かれ、政府一体の「総合的な国力」の底上げを図ろうとの意識は薄い。
歴史的な増額を決めた防衛費の財源も宙に浮いたままだ。
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参院本会議で防衛費財源確保法案が審議入りし、答弁する岸田文雄首相=2023年5月24日
岸田文雄首相は防衛費倍増を決めるにあたり、安定財源の確保について「今を生きる我々の将来世代への責任」と訴えた。しかし、首相が確保したとする財源の大半は、1度しか使えない国有財産の売却など安定財源にはほど遠いものだ。唯一、実効性がある防衛増税は、自民党内をまとめきれず、いまだ実施に必要な法律もできていない。
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戦略の策定に先駆けて首相官邸が設置した有識者会議でも、「国力」をめぐる議論はあった。エコノミストの翁百合・日本総合研究所理事長は「防衛力強化には、持続的な経済、財政基盤強化と国民の意識の共有が大変重要だ」と訴えた。エネルギー自給率の低さや、債務残高の国内総生産(GDP)比の高さなどを挙げ、「そのリスクを認識する必要がある」とも指摘した。DIMEに通じる考え方といえる。一方で「『国力に見合った防衛力』と固定的に考えるべきではない」と積極的に防衛力強化を唱える論者もいた。だが、有識者会議は3カ月間に計4回開かれただけで議論は煮詰まらず、メンバーも不満を口にした。
戦前の日本もDIME的発想で自国の国力を見つめようとしたことがあった。(大日向寛文、編集委員・佐藤武嗣)
対米開戦前、日本の「敗戦」を予告する二つの報告が軍と政府それぞれの研究チームでまとめられていました。 第4回「予知されていた『敗戦』」は8 月15 日配信予定です。
コメントプラス
加谷珪一(経済評論家)【解説】 国家の戦争遂行能力は基本的にGDP(国内総生産)に比例するといわれます。当たり前のことですが、軍隊の維持には費用がかかりますし、実際に軍事的オペレーションが始まれば、物流など経済インフラの強さが戦争継続のカギを握ります。一般的にロジスティクスという言葉はビジネスにおける物流のことを指しますが、ロジスティクス本来の意味は軍隊における兵站(へいたん:物資の補給など)です。言い換えれば、日常的に経済活動が活発で、多くの人やモノが移動している国、もっと簡単に言ってしまえば豊かな国ほど、いざという時にこうしたリソースを戦争に転用できるので、高い戦争遂行能力を発揮する仕組みです。世界でもっとも豊かな米国が最強の軍事力を持っているのはある意味で当然のことといえますし、経済規模が小さくなれば、やはり戦争遂行能力も低下せざるを得ません。
ちなみにGDPに対する軍事費の比率は、全世界的に見ると2%程度が標準です。常に何らかの軍事活動を行っている米国や、大規模な戦争を継続しているロシアのGDP比は3.5%~4%と高くなっています。日本の防衛費はGDP比1%という制約がありましたが、岸田政権が防衛費の倍増を決めたことから2%程度に上昇する可能性が高まっています。
不気味なのはやはり中国でしょう。中国の軍事費のGDP比はわずか1.6%ですが、GDPそのものが大きいので、軍事費の絶対値は日本の6倍にもなります。中国が米国並みに軍事費をかけた場合、その金額は途方もない水準となります。
辻田真佐憲(評論家・近現代史研究者)【視点】 戦前と現在の類似性に焦点を当てた分析ですが、差異にも注目する必要があると思います。戦前の日本は、経済的にはそれほど強くなかったかもしれませんが、北東アジアにおいて高度に近代化された軍隊を持ち、自主的に行動することができました。しかし、現在の日本は状況が異なります。日本が大陸で大規模な軍事行動を起こすことなど想像しにくいでしょう。むしろ、現在の北東アジアで軍事力を誇り、主導権を握っているのは中国です。したがって、戦前の日本と現在の日本を比較するのもいいですが、戦前の日本と現代の中国を比較するという視点も合わせてもたなければならないでしょう。
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yasusaka · 2 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」令和六年(2024年)7月13日(土曜日)通巻第8327号<前日発行>
「宮崎正弘の国際情勢解題」令和六年(2024年)7月13日(土曜日)通巻第8327号<前日発行> 7月13日はノーベル平和賞受賞者、劉暁波の七回忌未亡人の劉霞女史がドイツから離れ、日本に移住する。 7月13日は、ノーベル平和賞受賞者、劉暁波の七回忌。海外の民主活動家は世界中で追悼イベントをネット中継で開催する。共同通信によれば劉暁波氏未亡人の劉霞女史がドイツから離れ、日本に移住する(事実上の日本亡命)。2017年7月13日午後5時35分、61歳の中国のノーベル平和賞受賞者は瀋陽で拘留中に肝がんのため死亡した。イベントの主宰者はこう述べている(博訊新聞網、7月12日)。「劉暁波氏は象徴であり、我々の精神的指導者でありつづける。私たちにとって、人類の良心の富と知恵の結晶であると同時に、彼の精神と愛の力は重要であり、私たちは彼を忘れることはできない」劉暁波は中国共産党の一党支配の終結と民主中国の実現を求め「憲章08」の起草に参加した。ところが中国共産党は劉を「国家政権転覆扇動」の罪で起訴し、懲役11年の判決を降した。翌年、西欧社会は劉暁波にノーベル平和賞を与えた。イベントの拠点はロンドンで開催され、セミナーの他、在英中国大使館前のデモが計画されている。記念行事の出席者は、中国民主運動海外共同会議主席の魏京生、1989年の天安門運動の学生指導者王丹ら多くの海外活動家が参加し、「北京春報」名誉編集長胡平もゲスト参加の予定。胡平は「彼の精神を追悼するため、自由と民主主義の追求を受け継ぎ、忍耐し、圧力に屈せず、戦い続けることだ。劉暁波氏は『言論の自由の殉教者』だ」と述べた。 劉暁波未亡人の劉霞は2018年7月にドイツへ出国した。爾来、六年間をドイツで過ごしたが公の場には姿を見せず、また社会的発言を抑制してきた。共同通信によれば、日本訪問の経験がある彼女は日本の生活を気に入っており、将来的には日本への移住を検討しているという。
(読者の声1)パンデミックの到来の準備:放火犯が消防署を運営している?(その2) (承前) パンデミックの準備という名前の宝くじ 世界中で何十、いや何百もの生物研究所でワクチン開発の名の下で数多のウィルスや感染性のある病原体の機能強化の研究が行われている。武漢病毒研究所が最も悪名高いが、アメリカに大多数の研究所があり、少なくとも5つの研究所ではH5N1鳥インフルエンザのウィルスの操作を行っている。この大掛かりな胡散臭い、病原体の製造加工産業は我が国の政府機関、軍隊、大学、に浸透しており、それにもちろんのことながら医薬品業界は会社丸ごと絡みとられている。(訳者注:Gain of Function 機能強化と言われているが実は動物間では感染するウィルスの遺伝子組み換えにより機能を���化して、人間にも感染、さらには人から人への感染ができるようにウィルスを改変する悪魔の研究とも言われている) そのような「研究」は多段階の過程がある。 ● 補助金の獲得、法的、知的財産権、倫理的問題の覆い隠し:ウィルスの機能強化研究はパンデミックの準備、ワクチン開発に不可欠だ、という謳い文句により問題点を覆い隠す。 ● ウィルスなどの病原体を自然の中から取得:そのままでは人間に感染する能力がないが機能強化できそうなものの確保。 ● その病原体の遺伝子を研究所で操作することにより人間への感染能力を強化し、さらには致死能力を高める。 ● 人間と同様な免疫力や人間の細胞類似の細胞を持つ動物を使いそのウィルスの進化のスピードを加速する。 ● 病原体の感染能力や病毒性の強化に成功したという研究成果を科学誌に発表し、更なる補助金の獲得を確保。 ● そのウィルスへのワクチンが開発された時の特許料を確保する為、遺伝子操作で製造したウィルスの特許を獲得する。 ● その病原体が動物や多くの人間に漏洩するのを待つ。(あるいはそう仕組む) ● 予定していたパンデミック時の対応、ワクチン開発などを一斉に有無を言わせず実行する。 このようなことは1975年の生��兵器禁止条約違反である。だがこれらの研究所は、彼らの「研究」 はワクチンを開発することにより、”急速に出現する感染症” から世界の人類を守るための研究であると虚偽の主張をしている。それは嘘だ。これらの研究所で行われている機能強化研究は動物のウィルスを遺伝子操作して自然界では滅多に起こらないことを簡単に実現させている:種を超えて感染し、人間にも感染するように、しかも人間を大量に死亡させる研究をしているのだから。煎じ詰めれば、これらの研究者達は人間には全くあるいは殆ど危害のない動物のウィルスを遺伝子操作して人間への感染力、致死性を高める研究をやっているのだ。何故だ?この研究には何ら合法的な根拠はない。これは簡単なことだ:もし世界の人類をゴジラから守る気があれば、研究所で意図的に組織的にゴジラを作り出す必要はない。ワクチン開発に必要なことだというのも筋が通らない。現に存在する病原体が心配だというなら、その病原体そのものを克服する治療法を開発すべきだ。自然に存在する病原体に対しては既に数多の治療方法がある。既存の治療薬の目的を変更したり新薬(あるいはワクチン)を開発することも含め。ウィルスに効果があることが知られている既存薬も兵装の如く多数ある。目的に適った、倫理に悖らない、正気の研究であれば、研究所で殺人兵器のようなウィルスを製造するのではなくて、既に存在する病原体の弱点をつく治療法の開発戦略に焦点を当てるべきだ。不幸なことに、正気の沙汰の研究に対しては補助金や権力が付いてこない。心配性の人たちの主張とは異なり、自然に起こるパンデミックはそうそうあるものではない。巨大製薬会社や研究者達が目指す巨大な利益は、特許、新薬、専売の製品に負うところが多い。とりわけ、毎年の定期的なワクチン接種などだ。(続く) (費府の飛行士)
(読者の声2)7月12日放送のニュース解説番組「フロントJAPAN」は宮崎正弘さんと高清水有子さんでお送りしました。 宮崎さんのテーマは「EUの分裂、NATOに亀裂」。高清水さんのテーマは「酒は百薬の長。酒に十の徳あり。我が国の常識は、世界の非常識」です。 下記ユーチューブでご覧になれますhttps://www.youtube.com/watch?v=oFHAVQGR_Z8 (新日本文化チャンネル桜)
(読者の声3)貴誌通巻8326号で「ニューズウイーク日本版でインフレは一種の課税であるからそれを招く国債発行はけしからん、と説くには開いた口が閉まらない。それなら逆にデフレを放置すればするほど日本人はお金持ちになるということになる」と記しました。そもそもインフレ・デフレに関して既存経済学は、通貨量Aと通貨・貨幣で表記できる「ものとサービス」Bの比較(バランス)をあれこれ考えているところに誤りがあります。肝心なことは今のこの世ではインフレ・デフレはAと価値量Cのバランスを考えなくてはいけないのです。特に重要なことは、CはAより「弾性値」が極めて高く、又時間軸から見ても変化が著しく大きいという事であるのですが、既存経済学はCをほぼ固定してAの変化にばかりフォーカスしているところが問題なのです。更に付記しますとCは欲望的価値Dと死活的価値E.に区分でき、インフレ・デフレがこのDで起きているのか、またはE.で起きているのかで、対処の仕方がちがって来るのですが、既存経済学はこの点に目を向けようとはしていません。 (SSA生)
(読者の声4)サロン劇場からお知らせです。 作岸田國士、演出藤井ごうの「葉桜」が上演されます。会場:目白台和敬塾内 旧細川邸サロン(東京都文京区目白台1-21-2) 出捐は村松えり、村井友映、水野小論、中丸新将、村松英子 日時 8月23日(金)19:00 24日(土)13:00/18:00 25日(日)15:00 26日(月)13:00 料金4000円★全席自由・開場は30分前 http://blog.livedoor.jp/salon_theatre/archives/34637778.html
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kuribayashisachi · 1 year
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勉強メモ 野口良平『幕末的思考』第2部「内戦」 第1章「内戦の経験──第二のミッシングリンク」-3
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あくまで抵抗する人々、蝦夷へ
えぐいえぐい戊辰戦争。
尊皇攘夷だったはずなのに、いつのまにかするっと開国派になって、急ごしらえの「錦の御旗」でちゃっかり「官軍」になり、相手を「賊軍」呼ばわりして、江戸に攻め上った新政府軍。
将軍様が降伏し、有名な西郷と勝の話合いで「江戸開城」となっても(この本では、この場面はほとんど語られない。認めてないのだ。「開城」を批判的に見ていた福沢諭吉の言い方「解城」という言葉を、著者も使っている)
納得できない幕臣たち(彰義隊)が、上野にこもって戦った。
が、長州のアームストロング砲で叩き潰される。 (えぐっ! 大村益次郎、花神とかいっちゃっていいのかー!!)
この様子を、幕府の軍艦に乗って見ていた榎本武揚や、彰義隊を脱出した大鳥圭介(京唄子とは関係ない)たちはこの軍艦で北上する。
榎本たちは、仙台まで来て、 陸上を転戦北上してきた、新選組の生き残り土方歳三と合流。 (土方は、ただのケンカ好きではなくて、新式の軍の指揮に精通していたそうだ)
おりしも、東北の諸藩は連盟して抵抗を決めてたけど、 「降伏しよう」という意見も強かった。 東北の大藩である仙台藩もしかり。
仙台で、榎本と土方は、主戦派の人たちを激励し、 かたや降伏派をも訪問して「闘おう!」と説得する。
成り行きから言って、自分がもし仙台藩の人だったら、 「そんなこと言われてもなあ~」と思うだろうなと思ってしまった。 それだけ私というか現代人は、土方たちが負けるのを知ってるので、「無駄な抵抗~」などと無意識のうちに思ってしまうのだと思う。
だが この本のこの節で一番、胸をつかれたのがこの場面だったのだ。
著者は、土方歳三を評価している。 学問の人は、だいたい「新選組」をアタマ悪い人たちとみて、馬鹿にする向きがあると思うので、前章での近藤勇への評価に加え、ちょっと驚いた。
仙台藩の「勤王恭順論者」大条孫三郎・遠藤文七郎という人に、榎本と土方は説く。
榎本「今の新政府は正しい勤王じゃありません! 薩長の策士が方便でこしらえたものですっ」
土方「利・不利の問題ではない。薩長のやり口は不正義。貴藩はそんな奴らに味方するのですか、それでいいのですか」
二人は説得されなかったが、遠藤文七郎はあとで 榎本を「胆気愛すべき、しかれども順逆をしらず」と好意的に評した。 だが、土方のことは 「斗筲の小人、論ずるに足りず」(ちんけな小者がうぜーよな) と吐き捨てたとか。
土方が京でやらかした人殺しや、仲間内の粛清を思うと、そういう評価は仕方ないように、私には思えた。
だが、
“土方が説いたのは節義”だと、著者は言う。
《ここで土方が問うていたのは、それなしにはルール自体が存在しえないルールの源泉をどうかんがえるか、ということだったろう。》 p126
え、なに? 
《それなしにはルール自体が存在しえないルールの源泉》?
立ち止まって何度か反芻する。
《ルールの源泉》 そうだ。自然にしてたら人間の群れは、弱肉強食し放題になる。でも、「そんなの悲惨だ、いい社会じゃない」 そう考えて、人間は「ルール」をつくったんだ。 「どんな手を使っても、勝てば正解じゃん」という考えにノーという心だ。
じーん。
土方はやっぱりあんまり好きじゃないけど(私の好みはどうでもいい)、著者のぶれない理非の考えが、「新選組」を再発見したことに揺さぶられた。
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1997fbp · 2 years
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2023年3月24日 松井田北中学校  閉校式
校歌に「平和」の願い 安中松井田北中3年・湯本さん調査で判明 
作詞者兄ら戦死多数《戦後77年》
本年度末で閉校する安中松井田北中(群馬県安中市、国峯智校長)の生徒が、学び舎を「平和な姿」と表現する校歌が生まれた背景を調べている。お年寄りへの聞き取りや資料から、作詞者の家族を含め地元の多くの若者が太平洋戦争で戦死していたことが判明した。こうした悲しみを背景に平和への願いを込めたとみられ、10月に開く最後の学園祭での発表に向け、さらに調査を進める。
松井田北中校歌
  煙る浅間を背にして
  緑にはゆる妙義嶺を
  望みし丘に朝夕の
  我等(われら)の祈りそのままに
  平和な姿 映えて立つ
  おお我等が北中学校
※1番のみ
 同校は終戦2年後の1947年に前身の旧細野中として設立。54年の市町村合併を経て62年に現校名になった。校歌は細野中時代の誕生とみられるが、住民だった故上原桂さんが作詞したことなどを除き、詳しい経緯は分からなくなっていた。
 同校は現在、閉校を前に全校生徒25人と教職員が細野中時代から75年間の歴史を調査している。校歌は曽祖母が上原さんのいとこに当たる3年の湯本さくらさん(14)が担当。祖母の京子さん(72)や教諭らと協力し、上原さんの長男で同校卒業生の尚さん(74)ら地元住民に聞き取りをしたり、学校に残る記録などを調べたりしている。
 その結果、上原さんが海軍軍人だった兄2人を戦争で亡くしたことや、学区内の20~40代155人が戦争の犠牲になっていたことが判明した。多くが南方戦線で戦死したという。
 上原さんは82年に57歳で死去した。穏やかな人柄で区長や民生委員も務め、地元の婦人会や青年団のためにオリジナル曲を作曲していたという。作詞時は20~30代とみられ、京子さんは「母の兄も海外で戦死した。家族や身近な人が亡くなったことが歌詞に反映されたのでは」と話す。
 悴田匡一教諭(60)も「開校当初は戦争で家族を亡くした生徒もいただろう。校歌が希望を与えたのではないか」とみる。
 湯本さんは「地元にそんなに戦死者がいたことに驚いた。歌詞の深い意味を知り、もっと学びたくなった。校歌がなくなるのは悲しい。どんな形になるか分からないが残したい」と話している。
2022/8/15 上毛新聞 https://www.jomo-news.co.jp/articles/-/160429
来春閉校の松井田北中校歌 戦争の悲しみ背景に 
平和歌う詩の秘話に迫る 誕生経緯を3年調査
2022年度末で閉校する群馬県の安中松井田北中(国峯智校長)の生徒らが学びやを「平和な姿」と表現する校歌の背景に迫る調査を終えた。作詞者の家族や地元の多くの若者を太平洋戦争で失った悲しみが背景にあることを突き止め、作曲の経緯など校歌の誕生秘話を深く掘り下げた。生徒は「閉校後も残していきたい」と話している。
 調査を担当したのは、作詞者の故上原桂さんの親類に当たる3年の湯本さくらさん(14)と悴田匡一教諭(60)。前身の旧細野中が開校した直後の1948~55年に教員を務めた土屋登さん(94)らの証言で、これまで不明だった校歌の誕生の経緯などを詳細に明らかにした。
 調査結果によると、戦争で兄2人を亡くした上原さんは、親せきで細野中の英語教師であった故上原熙さんから詩作を学び、47年ごろに歌詞のもとになる詩を書いた。学区内は20~40代156人が戦争の犠牲になったとされ、旧満州などの引き揚げ者や空襲で焼け出された人も移住。49年発行の校友会誌に亡き両親をしのぶ詩も掲載されている。
 完成した詩はこうした悲しみを背景に、新たな時代への希望を込めたとみられる。詩を読んだ熙さんが「いつか曲をつけて、みんなで歌いたい」と職員室で詩を引き継ぎ、55年に音楽教師の故伊藤貢さんが赴任して校歌制作の機運が高まった。そして、伊藤さん作曲の校歌が58年2月、開校10周年記念式典で発表されたという。
 こうした制作の背景や記録は残らず、人々の記憶から薄れたまま歌い継がれてきたが、湯本さんらの調査で再び明らかになった。調査結果は2日に開かれた最後の学園祭「北友祭」で展示発表した。湯本さんは「歌詞に細野の人たちの思いが込められていることが分かり感動した」と話した。
 学園祭では閉校後の校舎の利活用の発表やクイズなどの催し、合唱や卒業生らメッセージビデオの発表も行われ、地域住民や卒業生でにぎわった。
2022/10/18 上毛新聞 https://www.jomo-news.co.jp/articles/-/190039
廃校後の跡地活用で意見交換
中学生が市長にアイデア 安中
今年度で廃校になる安中市の松井田北中学校で生徒と岩井均市長が跡地の活用方法などについて意見交換を行い、生徒たちはそれぞれ独自のアイデアを市長に伝えました。 安中市にある松井田北中学校は、生徒数の減少などのため、今年度で廃校となり、来年度からは隣接する松井田中学校と統合されます。 廃校になることを受け、中学校ではこれまで地域の課題などについて学習を進めてきましたが、生徒たちの意見を市に届けようと27日、岩井市長との意見交換を行いました。 意見交換には全学年、あわせて24人の生徒が参加し、生徒たちはSNSを利用して、地域の魅力を発信してほしいという意見を市長に伝えていました。 続いて、生徒一人一人が廃校になった跡地の活用方法についてそれぞれのアイデアを発表しました。 生徒からは「カフェ」や「ワイナリー」、それに「アウトドア施設」などとして活用してほしいという発表があり、市長はメモを取りながら意見を聞いていました。 参加した2年生の女子生徒は、「祖父母や母も同じ中学校の出身です。廃校はとてもさみしいですが、地域の発展のために跡地が活用されることはとてもうれしいです」と話していました。 岩井市長は、「子どもたちが真剣に地域のことを考えているとわかったので、この意見を大事にしたい。現在、跡地利用は決まっていないので、白紙の状態からしっかり議論していきたい」と話していました。
2022/10/27 NHK WEB
https://www3.nhk.or.jp/lnews/maebashi/20221027/1060013207.html
「僕にしかできないことなんて、なにも無いかも」
孤独が生み出すエネルギーもあるけど、そう思わなくていい。
「僕だから、私だから出来ること」がこのまちにはある。
3月24日。閉校記念誌への寄稿者として、閉校式に参加した。
閉校に寄せて、生徒たちのメッセージを記録した映像が上映された。
記念誌に書かれた内容を生徒たちが読み上げるという内容だった。
「松井田に宿泊施設をつくりたい」と語った生徒もいた。
きっとできるはずだ。数年後、一緒に仕事ができたらうれしい。
その生徒たちの想いに仮説を立てて、閉校記念誌に寄稿した。
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ここは松井田北中学校だった場所です。
 学舎を「平和な姿」と表現する校歌の背景に迫る調査をした際に、作詞者の家族や地元の多くの若者を太平洋戦争で失った悲しみが背景にあることを突き止め、作曲の経緯など校歌の誕生秘話を深く掘り下げた。
という2022年の新聞記事が残っています。
1947年ごろに完成した詩には、悲しい記憶を背景に、新たな時代への希望を込められていました。
作詞者の「いつか曲をつけて、みんなで歌いたい」という想いが還り、1958年2月の開校記念式典で校歌がお披露目されたようです。
 こうした制作の背景や記録は残らず、人々の記憶から薄れたまま、昭和、平成、令和まで歌い継がれました。
2022年に最後の卒業生が調査して、明らかになり、同年10月2日の「北友祭」で調査結果を展示発表したそうです。並行して、生徒たちが廃校後の跡地活用案を考えたそうです。
生徒一人一人が廃校になった跡地の活用方法として、「カフェ」や「ワイナリー」、それに「アウトドア施設」等として活用してほしいという内容だったと新聞記事に記されています。
そのアイデアを10年間の時間をかけて、実現されたのが、
複合型アウトドア施設『へいわなすがた』です。
改めまして、本日はご予約ありがとうございます。
この隣のカフェスペースは全校生徒が集まって、学校給食を食べる場所でした。廃校になった後、小規模ですが、ワイナリーとブルワリーが出来ました。
窓から見える、向こうの建物がワイナリーです。
元々は体育館だった場所になります。
本日、ご予約のグランピングプランはクラフトビールが飲み放題となっております。
醸造所兼タップルームは美術室だった場所になります。
今年、2058年は校歌完成100年目の節目を記念して、校歌の歌詞がデザインされたタオルをお配りしています。ご案内は以上になります。
どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。
ルーツを知った生徒たちの想い、これを実現して次世代に還元したい。
              
       平成18年度卒業生 上原将太
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文化祭でやった、めちゃくちゃなGOING STEADYのコピーバンド。
そのせいで、翌年許可が降りなかったおかげで出来たショートフィルム制作。
卒業して1年経って、廃部になってしまった野球部。
高校野球、大学野球が終わったあと。
「野球だけの人」ではなくしてくれたのは、
間違いなく、松井田北中学校での3年間のおかげだ。
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shintani22 · 2 years
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2022年11月26日
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2022-23 Yogibo WEリーグ 第4節 サンフレッチェ広島レジーナ 1-1 INAC神戸レオネッサ@広島広域公園第一球技場 1117人/64分 上野 真実、89分 水野 蕗奈
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【マッチレポート】 Yogibo WEリーグ 第4節
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衆院憲法審査会 緊急事態の議員任期延長 意見集約図るか焦点(NHKニュース)
憲法改正をめぐり、衆議院憲法審査会では、大規模災害など緊急事態における国会議員の任期延長について、自民党や日本維新の会などから「議論は尽くされつつある」という指摘が出ていて、今後、審査会として意見集約を図るのかが焦点です。
衆議院憲法審査会は、今の国会でこれまでに3回の自由討議を行い、自民党、公明党、日本維新の会、国民民主党の4党は、大規模な自然災害やテロなどが起きた際の「緊急事態」の対応を中心に取り上げました。
このなかで4党は「緊急事態」で選挙の実施が難しい場合の国会議員の任期延長について、そろって必要だと主張し、今月24日の幹事懇談会では、これまでの各党の主張を論点ごとに整理した資料を確認しました。
4党からは「任期延長の議論は尽くされつつある」という指摘が出ていて、中には「速やかに意見集約を行って、憲法改正の具���的な条文案の作成に入るべきだ」という意見もあります。
一方、立憲民主党は、任期延長に対する党の賛否を明確にしておらず、共産党は、戦前に任期延長によって翼賛体制が作られた歴史は重いとして反対する考えを示しています。
会期末までおよそ2週間となる中、今後、審査会として意見集約を図るのかが焦点です。
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二階俊博氏に20年で50億円!緊急事態起きたら選挙中止…サッカーW杯の裏で政治家が好き勝手(smartFLASH 11月28日)
11月27日にテレビ朝日系で中継されたサッカーW杯・日本対コスタリカ戦の平均世帯視聴率は42.9%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)で、23日にNHKで放送されたドイツ戦(35.3%・関東地区)を上回った。2022年に放送された番組で最高の数字をたたき出したことになる。
ドイツ戦で “劇勝” したあと、コスタリカ戦での痛恨の黒星。誰もが一喜一憂した裏で、実は、気になるニュースが報じられていた。
政党から政治家個人に渡る「政策活動費」は、使い道を明らかにしなくていい「領収書がいらない」政治資金だ。
朝日新聞が2002~2021年の政治資金収支報告書を集計したところ、自民党の「政策活動費」は20年で総額約379兆円となっており、約5年にわたって幹事長を務めた二階俊博氏には、合計で50億6000万円が渡っていたという。
2016年8月~2021年9月までの自民党幹事長時代に約47億7000万円で、1回あたり30万~7210万円がおよそ160回にわたって支払われていた。
「政策活動費だけではありません。現在、憲法改正をめぐり、衆院憲法審査会で、大規模災害やテロなど緊急事態における国会議員の任期延長について議論がおこなわれています。
自民、公明、日本維新の会、国民の4党は、緊急事態が起きた際、国会議員の任期延長が必要だと主張しています。つまりは、なにか起きたら選挙を “すっ飛ばす” ということです。
立憲は任期延長に関して党の賛否を明確にしておらず、共産党は反対する考えを示していますが、会期末まで残り2週間、『緊急事態の議員任期延長』を突破口に、憲法改正が現実味を帯びているのです」(政治担当記者)
W杯の盛り上がりの裏で進む政治家の動きに、SNSでも危惧する声が上がっている。
《サッカーで大盛り上がりの裏では、憲法審査会が開かれて、議員の任期延長が決まろうとしている》
《W杯サッカーのお祭り騒ぎの裏で、悪巧みの政治家連中によって国民の知らぬ間に重要なことが勝手に決められやしないか、ほんとに心配で仕方ないんだけど》
《W杯でわいわいしてる裏で日本の政治家たちは動くで怖いね》
《五輪だW杯だの裏で政治が悪さするんだろ?監視しなくていいのか?》
W杯で、コスタリカ戦の戦犯探しをしている場合ではない。
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原発 停止期間除外で“実質60年以上”運転可能へ最終調整 “廃炉”を次世代原発に建て替えで新たな原発も(日テレニュース)
経済産業省が、最長60年とされている原発の運転期間の制度について、安全審査などで停止していた期間を除外し、実質60年以上運転できる案で最終調整に入ったことが分かりました。
原発の運転期間をめぐっては、2011年に起きた福島第一原発の事故後に法律が改正され、原則40年、最長で60年まで延長できると定められています。
経済産業省はこの運転期間について、再稼働に向けた安全審査などで運転が止まっていた期間を除外し、60年以上運転できる案で最終調整に入ったことが、日本テレビが入手した資料でわかりました。将来の見直しも前提に検討を進めるとしていますが、この案では、仮に再稼働するまで10年止まっていた場合、70年まで運転が可能となります。
また経済産業省は、新たな原発についても、今後、廃炉となるものを次世代とされる原発に建て替える方向で調整に入りました。
福島第一原発事故以降の原子力政策が大きく転換することになります。
「停止期間除外」を大筋了承 原発60年超運転へ―建て替えに次世代原発・経産省会議(時事通信 11月28日)
経済産業省は28日、総合資源エネルギー調査会(経産相の諮問機関)の有識者会議を開いた。原発の60年超の運転を可能にする制度改正で、運転期間から安全審査などにより停止していた期間を除く案が大筋で了承された。経産省は所管する電気事業法に規定を盛り込み、来年の通常国会に改正法案提出を目指す。
経産省は有識者会議で、今後の原子力政策の方向性をまとめた行動計画の原案を提示。次世代型原発の建設については、まずは廃炉決定した原発の建て替えを対象とすると明記した。
原発の運転期間は、2011年の東京電力福島第1原発事故後に原子炉等規制法が改正され、原則40年、原子力規制委員会の認可で1回に限り最長20年延長できると定められた。しかし、「最長60年」では稼働原発が減少し続けるため、電力の安定供給や脱炭素化には、既存原発の最大限の活用が必要と判断。東電福島原発事故後の原子力政策を大きく転換する。
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「反撃能力」の名の下に安保政策を大転換…相手を脅して抑止するのは「幻想」(東京新聞 11月23日)
<崩れゆく専守防衛~検証・敵基地攻撃能力①エスカレーション>
自衛隊と米軍が今月、3万6000人を投入して実施した大規模共同演習「キーン・ソード23」。精密誘導弾などの実弾射撃を行い、長射程化で敵基地攻撃能力への転用を念頭に置く「12式地対艦ミサイル」発射準備の手順も確認した。見据えるのは、台湾侵攻も辞さずに軍拡に突き進む中国だ。
「日米の戦力を向上させ、よりダイナミックな能力と可能性を追求し続けることが日米同盟に貢献する」。海上自衛隊鹿屋航空基地(鹿児島県鹿屋市)から自衛隊機で1時間半ほど飛行した先の太平洋上を進む海自最大の護衛艦「いずも」の艦内。在日米軍トップのラップ司令官は、自衛隊の山崎幸二統合幕僚長と並んだ記者会見で力説した。
ラップ氏の言う「ダイナミックな能力と可能性」が指すのは、ステルス戦闘機F35Bが離着陸できるよう事実上の空母化への改修が進むいずもの評価。だが、言外には日本の敵基地���撃能力保有への期待もにじむ。いずもからF35Bが発進し、長射程ミサイルで敵基地をたたけるようになる近未来図が浮かぶ。
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日本は憲法9条の下、安全保障の基本方針として「専守防衛」を堅持。自衛権の行使を必要最小限度にとどめ、攻撃を退けるのが大原則だ。日米の役割分担で打撃力を米国に委ね、日本は国土防衛に徹する「矛と盾」の関係には、周辺国との緊張を高めない狙いもあった。岸田政権は今、「反撃能力」という名の敵基地攻撃能力に手をかけ、この鉄則を大転換しようとしている。
大義にするのは、中国や北朝鮮の軍拡、軍事技術の発展による脅威だ。核に加えて迎撃が難しいとされる「極超音速ミサイル」などの開発が進み、日本の抑止力を高めなければ守り切れない、というのが論拠。7月まで防衛省で事務次官を務めた旗振り役の島田和久内閣官房参与は「米国だけでなく、日本からも反撃を受けるとなれば相手側の戦略計算を複雑にし、抑止力が向上する」と説く。
◆軍拡競争で「自分たちに刃」の懸念
敵基地攻撃能力は本当に抑止力になるのか。安全保障に詳しい東大大学院の遠藤乾けん教授は「抑止は基本的に威嚇して脅すこと。相手が脅威を認識しないと成り立たない」と解説。ミサイルが移動式の車両や潜水艦から発射される現代は標的を正確に把握しづらく、司令部も強固な地下施設などで破壊は難しいため、「(戦闘機の飛行を妨げようと)滑走路に通常弾頭のミサイルを撃っても1日で修復される。1000発持っても相手の攻撃意図をくじく能力になるのか」と疑問視する。
軍拡競争の過熱も懸念する。「日本が攻撃能力を持てば、相手はそれを上回る破壊的な攻撃力を持つエスカレーションの階段を上っていく」と明言し、「相手を脅して抑止するのは幻想だ。攻撃力が自分たちへの刃になる」と語る。
東大の石田淳教授(国際政治学)は「専守防衛という長年の宣言政策の信頼が低下し、他国の不安をかき立てる」と警鐘を鳴らす。日本と中国や北朝鮮は近接し、ミサイルに対応する時間は限られる。「何かあったらすぐに日本もミサイルを撃たなければならず、誤認による偶発戦争も起こり得る。それが怖い」と危ぶんだ。(川田篤志)
岸田政権は年末に国家安全保障戦略を改定し、日本が戦後一貫して持ってこなかった「敵基地攻撃能力」の保有を決定しようとしている。ロシアのウクライナ侵攻や中国、北朝鮮の脅威を前に、日本の安全保障に対する国民の不安と懸念は存在する。だが、敵基地攻撃能力を持ち、武器や兵器を増強していけば「専守防衛」が崩れゆくことになりかねないのも確かだ。本当に国民の安全は高まるのか。かえって国民の命を危険にさらすことにならないか。安保政策の大転換となる判断の是非を問う。
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憲法の歯止め失う「力には力」の理論、行きつく先は「核には核」か(東京新聞 11月24日)
<崩れゆく専守防衛~検証・敵基地攻撃能力②9条の規範性>
「抑止力として力を発揮するのは、圧倒的に『懲罰的抑止』だ。報復の可能性にどれだけ現実味・真実味をもたせられるかで、効果も変わってくる。だからこそ日本は核を巡る意思決定に、深く関与すべきだ」
今夏の参院選で演説中に凶弾に倒れた安倍晋三元首相は4月、月刊誌に米国の核兵器を日本で共同運用する「核共有」の議論を促す論文を寄稿した。自ら積極的に訴えてきた敵基地攻撃能力の保有に関する自民党内の議論がまとまろうとしていた時だった。
「懲罰的抑止」とは、相手に耐え難い被害を与える報復能力を示して攻撃を断念させる考え方。それは憲法9条に基づいて専守防衛に徹してきた日本の安全保障政策を大きく変容させることを意味する。
敵基地攻撃能力で念頭に置くのは、弾道ミサイルや核兵器を持つ中国や北朝鮮への対処。敵基地攻撃能力が「力には力」の論理である以上、通常の兵器だけで足りず、自民党内からは「弾道ミサイルも必要だ」との声が上がる。「抑止力の向上」は、最終的に「核には核」でなければ相手に攻撃を断念させられないという議論にもなりかねない。
政府は1950年代、敵基地攻撃に関して「防御する手段がほかに全然ない場合」に「座して自滅を待つのが憲法の趣旨ではない。誘導弾などの基地をたたくということは法理的には自衛の範囲に含まれ可能」との見解を示している。岸田政権もこの見解を基に、保有は政策判断で憲法上問題ないとの立場だ。
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だが、日弁連憲法問題対策本部副本部長の伊藤真弁護士は「当時の見解は、軍事技術が発展していなかった半世紀前の仮定に基づいた議論。軍事力を高めた中国や北朝鮮に敵基地攻撃してもそこで終わるはずがなく、相手を殲滅せんめつするまで続けなければならない」と指摘。「憲法の下で許される『必要最小限の自衛の措置』とはとても言えない」として、現代の敵基地攻撃能力の保有は憲法9条違反と断じる。
政府見解に詳しい阪田雅裕元内閣法制局長官も「発射地点をたたけば用が足りるとの前提で議論していた当時と状況が全く異なる。今は指揮命令系統などほぼ全て殲滅的に攻撃することが必要で、憲法9条の規範性が失われる」と強調する。
憲法の理念とは相いれない「力と力」「懲罰的抑止」の先には「核兵器を持った方が世界は安定する」という倒錯した世界観すら見える。(市川千晴)
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ウクライナは専守防衛…敵基地を攻撃すれば何が起きるのか 市民が犠牲、強力な武器を使われる口実にも(東京新聞 11月26日)
<崩れゆく専守防衛~検証・敵基地攻撃能力③戦争の犠牲>
ロシアによる侵攻が続くウクライナ。連日のように伝えられるのがミサイル攻撃での民間人の犠牲だ。
首都キーウ南西の都市ビンニツァ。7月、ロシアのミサイルの巻き添えで少なくとも23人が死亡。ダウン症の4歳児リザちゃんも、壊れたベビーカーと一緒に遺体で見つかった。
母イリーナさんは直前、広場を楽しそうに歩くリザちゃんのほほ笑ましい姿を交流サイト(SNS)に投稿したばかり。「私が愛したものは全て奪われ、殺された」。娘の死後、イリーナさんはそうつづった。一方のロシアは「精密ミサイルが軍施設に発射された」と強弁している。
「相手国を攻撃すれば、死ぬのは軍人だけではない。周りの建物、市民も犠牲になる。訓練でも目標からはずれることはあり、戦争なら間違いなく起こる。政治家は分かっているのか」
航空自衛隊第七航空団司令や防衛研究所戦史部長などを歴任し、地対空ミサイル部隊の指揮所運用隊長も務めた林吉永元空将補は、岸田政権の敵基地攻撃能力の保有議論を懸念する。
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「敵基地」などを狙った攻撃での市民の犠牲は、世界中で報告されている。米ブラウン大によると、アフガニスタンで米軍などの空爆で死亡した市民は2020年までの15年間で3610人に上る。国連によるとウクライナの民間人死傷者は1万6000人を超え、ほとんどが砲撃、ミサイル、空爆などによるという。
日本の「専守防衛」に基づくこれまでの考えでは、相手から攻撃されても撃退にとどめ、相手国の領域への攻撃は想定していない。このため相手国の市民の命を奪う可能性はない。敵基地攻撃能力を持てば違う。
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自民党の考えでは、敵基地攻撃能力の対象として、敵基地だけでなく司令部などの「指揮統制機能等」も含んでいる。攻撃用無人機の開発・導入の検討も進む。対象を広げ無人機も使えば、相手国の市民を巻き添えにする恐れは高まる。
林氏が危ぶむのは、軍事的正当性を巡るせめぎ合い。例に挙げるのが、侵攻されて以降ロシア領域内に攻撃、反撃したとの明確な情報がないウクライナの対応だ。「ロシアのプーチン大統領は、ウクライナからの自国領域への攻撃を待っている。核攻撃の正当性を得るからだ。ウクライナ側は分かっているので専守防衛に徹している」とみる。
中国、北朝鮮は核兵器を保有する。日本による領土内への攻撃で相手国市民に犠牲が出れば報復の口実を与えると、林氏は指摘し警告する。「敵基地攻撃は強力な武器を使わせる口実を与える。そうなれば犠牲になるのは日本の市民になりかねない」(金杉貴雄)
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岸田首相、慎重論からひょう変した過去…敵基地攻撃能力「必要」 安倍氏の「布石」と地上イージス断念(東京新聞 11月27日)
<崩れゆく専守防衛~検証・敵基地攻撃能力④水面下の布石>
敵基地攻撃能力の保有は、憲法9条に基づく専守防衛を変えるかもしれない重要な問題であるにもかかわらず、政府や自民党は水面下で準備を進めてきた。
第2次安倍政権の2018年には、相手の射程圏外から攻撃できる「スタンド・オフ防衛能力」が防衛大綱に盛り込まれ、開発費などが予算化された。周辺国にも到達可能な長射程ミサイルだが、政府は日本の島しょ部防衛のためと説明。当時の安倍晋三首相も「敵基地攻撃の目的ではない」と述べていた。
だが、実際は「布石」だった。18年に国家安全保障局次長だった兼原信克氏は今年10月、本紙に「将来は反撃能力(敵基地攻撃能力)にしたいとの思いだった。周辺国が日本を射程に収める中距離ミサイルを持つ中、日本国民をどう守るか考えた結果だ」と証言。安倍氏も昨年11月の講演会で「スタンド・オフ・ミサイルを反撃能力でも行使できるようにすべきだ」と本音を明かした。
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もともと自民党は、北朝鮮のミサイルの脅威が高まった04年以降、防衛大綱改定の度に政府への党提言で「敵基地攻撃能力の保有」を要求。保守派議員にとって悲願で「いつまで打撃力を米国に依存するのか」と不満を持ち続けていたが、政府・与党内の慎重論で実現しなかった。
潮目が変わったのは、20年6月の地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」の配備計画の中止だ。当時の安倍首相はミサイル防衛強化の行き詰まりを逆手に、代替策として敵基地攻撃能力の必要性を主張。3カ月後の首相退任前、異例の安全保障政策の談話で保有を促し、その後も最大派閥を率いる実力者として求め続けた。
「敵のミサイル発射能力そのものを直接打撃し、減衰させることができる能力の保有が必要」。20年の自民党総裁選で敗れて無役だった岸田文雄氏は21年3月に突然、敵基地攻撃能力の必要性を自らのツイッターで打ち出した。
ハト派と評される派閥「宏池会」会長の岸田氏は20年の総裁選で「法律的、技術的に本当に実行可能なのか」と慎重姿勢を示していたが、半年でひょう変。次の総裁選を視野に、安倍氏ら保守派議員の支持を得る狙いがあったのは明らかだった。21年の総裁選は、思惑通り保守層の後押しも受け、敵基地攻撃能力保有に慎重だった河野太郎氏に決選投票で勝利した。
自民党保守派の悲願と岸田首相の政治的思惑が絡み、敵基地攻撃能力を持とうとする現状について、流通経済大の植村秀樹教授(安全保障論)は「打撃力を持つ”真の独立国家”になりたい自民党と、米国の利害が一致した産物。合理的に冷静に必要性を検討したのか」と疑問を呈する。
敵基地攻撃能力の保有は、国民の代表である国会で是非を問う議論が十分に行われないまま、政府と与党の協議で決まろうとしている。(川田篤志)
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アメリカの情報頼りで戦争「当然ある」 軍事面で一体化の日本、集団的自衛権の行使容認が懸念に拍車(東京新聞 11月28日)
<崩れゆく専守防衛~検証・敵基地攻撃能力⑤安保法の次段階>
世界有数の軍事大国ロシアによるウクライナへの侵攻。世界中の軍、安全保障関係者が今、わが身に置き換えて注視している。
「現代の戦争はサイバー攻撃から始まる。それが着手の兆候になり得る」。安全保障に詳しい国会関係者は、ロシアが侵攻前に大規模なサイバー攻撃を展開していたことに注目。日本の敵基地攻撃能力に当てはめた場合、相手が実際にミサイルを発射する前でも、サイバー攻撃を「着手」と判断すれば、日本が攻撃することは可能になるとの見方を示した。
問題は、本当に相手から攻撃されるのか、日本を狙う軍事拠点はどこか、どう攻撃すれば効果的かなど、判断に不可欠な情報入手の手段。サイバーや衛星などを含め、圧倒的な軍事力と情報力を持つ同盟国の米国頼みになるとみられる。
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防衛省のサイバー部門で勤務経験のある元自衛官は「日米は軍事面でほぼ一体化している。米国から提供された情報に日本が疑義を挟み、独自で判断するのは不可能だ」と断言する
過去に米国は、誤情報や自国の利益追求で戦争に突き進んだことがある。イラク戦争では、イラクの大量破壊兵器の保有を主張したが、見つからなかった。ベトナム戦争に米軍が本格的に介入するきっかけとなった米軍艦への攻撃の一部は、米側の捏造(ねつぞう)だった。
元自衛官は「米国の情報で戦争に巻き込まれることは当然ある」と指摘。情報を米国に頼り、日本が敵基地攻撃能力を持つことはリスクと背中合わせになる。
そのリスクを高めかねないのが、他国を武力で守る集団的自衛権の行使を容認した安全保障関連法だ。岸田政権は5月、敵基地攻撃能力は「集団的自衛権としても行使が可能」とする答弁書を決定している。
「安保法で集団的自衛権の法的縛りを解いたが、実際に行使する装備は日本になかった。敵基地攻撃能力の保有は、安保法の次の段階、実践段階に入るということ」。流通経済大の植村秀樹教授(安全保障論)はそう分析する。
日弁連憲法問題対策本部副本部長の伊藤真弁護士も「米国が他国と軍事衝突した際、攻撃を受けていない日本が他国領域を攻撃する可能性がある。巻き込まれるだけでなく、日本の領土に反撃される危険がより高まる」と危惧する。
緊張状態が続く台湾情勢。日本が敵基地攻撃能力を持てば、仮に米中間で有事に発展したとき、日本も中国の標的になる可能性がさらに高まる。安全保障に詳しい東大大学院の遠藤乾(けん)教授は言う。
「日本の敵基地攻撃能力の保有はさらなる軍拡をほぼ確実に誘発する一方、相手の攻撃意図をあらかじめ封じる抑止につながるか疑わしい。抑止が破られて実際に攻められても、それを拒否できる防衛はどうあるべきかよく考えてほしい」(佐藤裕介)=おわり
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新型コロナ対策で「余った積立金」を防衛力強化の財源として活用検討(TBS NEWS DIG 11月25日)
政府は、新型コロナ対策で国公立病院を運営する独立行政法人に積みあがった「積立金」を、防衛力強化の財源に活用する案を検討しています。
鈴木財務大臣は「現時点で個別具体的な方向性は決まっていない」としながらも、関係省庁などと連携しながら検討する姿勢を強調しました。
財務省は、新型コロナ対策として病床確保などのために特例で配った補助金が国公立病院を運営している独立行政法人に使われないまま積みあがっているとして、国庫への返納を求めています。
財務大臣の諮問機関、財政制度等審議会や防衛力強化のための有識者会議の報告書では、この余った積立金について触れており、鈴木財務大臣はきょうの閣議後の会見で、「現時点で個別具体的な方向性は決まっていない」としながらも、「過去のコロナ対策で国民の手元に届くことなく独立行政法人に積みあがった積立金の取り扱いについては、関係省庁や与党とよく議論をしていきたい」と前向きに検討する姿勢を強調しました。
ただ、こうした財源も翌年以降も使えるような「安定的な財源」とはなりえないため、今後、法人税や所得税など主要な税の増税について議論は避けられない状況です。
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日本への直接攻撃なくても「反撃能力」行使可能  公明幹部「存立危機事態も含まれる」(TBS NEWS DIG 11月27日)
国家安全保障戦略などへの明記が検討されている反撃能力について、公明党の幹部は、アメリカなどが武力攻撃を受けた結果発生する「存立危機事態」でも理論的には行使できるとの認識を示しました。
公明党の佐藤茂樹外交安全調査会長は、けさ出演した番組で、相手のミサイル発射拠点などを叩く反撃能力の行使が認められるケースについて、「まさに今議論をしているが、理論的には存立危機事態も含まれる」と述べました。
存立危機事態は、アメリカなど密接な関係にある他国が武力攻撃を受け、日本の存立が脅かされる事態のことで、日本が直接攻撃を受ける「武力攻撃事態」でなくても理論的には反撃能力を行使できるとの認識を示したものです。
佐藤氏は、年末の安保関連3文書の改定に向けた自民・公明の実務者による協議で公明党側のトップを務めています。
先週の協議では、政府側が反撃能力の行使が認められるケースに存立危機事態も含まれると見解を示していました。
一方、同じ番組で、自民党の小野寺安全保障調査会長は反撃能力の攻撃目標について問われ、軍事目標に限るとしている国際法の範囲で対応するとの考えを示しました。
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NHK #日曜討論 に出席。各党が軒並み大軍拡を主張。
私は、台湾問題を絶対に戦争にさせない外交戦略が必要、ASEANに学び、どこかの国を排除するのではなく、地域のすべての国を包摂する平和の枠組みが重要と述べました。
自公も政府の有識者会議報告書も、具体的な外交戦略がなく軍事一辺倒が大問題。
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防衛費「5年間で40兆円超」で調整…27年度には「安保関連」がGDP比2%以上に(読売新聞 11月27日)
政府・与党は、2023年度から5年間の中期防衛力整備計画(中期防)における防衛費総額を40兆円超とする方向で調整に入った。5年目の27年度には、防衛に資する研究開発など安全保障関連の経費と合わせ、北大西洋条約機構(NATO)加盟国が目標とする対国内総生産(GDP)比2%以上とする方針だ。
複数の政府・与党関係者が明らかにした。中期防では、5年間で整備する自衛隊の装備や経費総額を定める。年末までに国家安全保障戦略と防衛計画の大綱とともに改定される。現中期防の総額は約27兆4700億円で、防衛力抜本強化に向け、大幅に積み増す。
防衛省は次期中期防の総額を約48兆円と提示し、財務省は約35兆円が妥当と回答した。浜田防衛相と鈴木財務相が折衝している。
自民党内では「40兆円を割り込むのは許容できない」(防衛相経験者)との声が大勢だ。政府は党の意見も考慮し、防衛力抜本強化の決意を内外に示す上で、40兆円超とする必要があるとの判断に傾いた。22年度の防衛費は約5兆4000億円で、23年度には6兆円台とし、27年度に向けて毎年増額させる方向だ。
自民党内には、国防族を中心に40兆円台半ば以上を主張する意見もある。政府・与党は12月上旬までに大枠を定めたい考えだ。
防衛省の原案では、自衛目的で敵のミサイル発射拠点などを破壊する「反撃能力」の有力手段となる「スタンド・オフ・ミサイル」購入などの関連費で5兆円を計上。この他では宇宙関連2兆円、サイバー関連3兆円などが柱となる。財務省は、費用対効果に疑問がつく予算が多いとして削減を求めるが、政治決着による積み上げは受け入れざるを得ない情勢だ。
中期防の防衛費には、防衛に資する防衛省以外の研究開発費、公共インフラ(社会基盤)整備費などは含まれない。政府はこうした安保関連の予算を計上する仕組みを創設する方針だ。防衛費に安保関連経費や海上保安庁予算を合わせ、27年度にGDP比2%以上を目指す。22年度当初予算の防衛費のGDP比は0・96%。現行の経済規模だと2%は約11兆円となる。
首相、防衛費増にコロナ予算検討 収束後に余剰金を一時転用(共同通信 11月28日)
岸田首相は28日の衆院予算委員会で、防衛費の増額財源に関し、新型コロナ感染が収束すれば、余ったコロナ対策予算の転用を一時的に検討する考えを示した。「今後、感染を収束させ、コロナ対策として大きく確保していた予算を活用することは考えていきたい」と述べた。
政府内では厚労省所管の独立行政法人「国立病院機構」と「地域医療機能推進機構」にコロナ対策で積み上がった利益余剰金の国庫返納を求める案が浮上している。
首相は同時に「一時的に税収増やコロナ対策費の活用を考えても、防衛力を継続的に維持するため、安定財源の議論は進めたい」と述べ、恒久財源の確保が必要だと強調した。
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【速報】岸田総理「2027年度に防衛費をGDPの2%に」 財務・防衛大臣に指示(テレ朝news 11月28日)
防衛力の抜本的な強化を巡り、岸田総理大臣は鈴木財務大臣と浜田防衛大臣を官邸に呼び、2027年度に安全保障関連費をGDP(国内総生産)比2%にするよう指示しました。
浜田防衛大臣:「令和9年度において、防衛費とそれを補完する取り組みを合わせ、現在のGDPの2%に達するよう予算措置を講じる」
また、岸田総理は「防衛力は将来にわたり維持強化する必要があり、安定的に支える財源措置は不可欠だ」と述べ、他の予算の歳出削減に加えて増税も念頭に財源の確保を図るよう指示しました。
防衛省は2023年度からの5年間で防衛費単体として48兆円の予算が必要だと見積もっていますが、財務省は35兆円程度に抑えるよう求めていて、折衝を続けています。
トマホーク最大500発購入へ、反撃能力の準備加速…8年前に購入の英は65発190億円(11月30日)
防衛省が米国製の巡航ミサイル「トマホーク」について、2027年度までをメドに最大500発の購入を検討していることがわかった。岸田首相は13日のバイデン米大統領との首脳会談で購入交渉を進展させる方針を確認し、「反撃能力」の保有に向け、準備を加速させている。
複数の日米両政府関係者が明らかにした。自衛目的で敵のミサイル発射基地などを破壊する「反撃能力」を巡っては、自民、公明両党は抑止力の向上に必要だとの認識で基本的に一致している。12月中に改定する国家安全保障戦略に保有が明記される方向で最終調整が行われている。
反撃能力の具体的な手段として想定されているのは、陸上自衛隊の「12式地対艦誘導弾」だ。ただ、射程を伸ばす改良が必要で、実戦配備は26年度以降とされている。
防衛省は改良された12式の配備が遅れたとしても、反撃能力を早期に確保するため、トマホークを導入したい考えだ。北朝鮮がミサイル発射技術を急速に進展させていることなどを踏まえ、最大500発の保有が必要だと見積もっている。米国の製造能力などとの関係で、購入の規模は今後変動する可能性がある。
カンボジアの首都プノンペンで13日に行われた日米首脳会談では、首相が防衛力の抜本的な強化に向けた決意をバイデン氏に伝え、トマホークも議題となった。バイデン氏は、売却先として日本の優先順位は高いとの認識を示し、米国内の手続きを着実に進める考えを強調した。
トマホークは、米軍が1991年の湾岸戦争で投入して以降、数々の実戦で使用されてきた。高性能は実証済みで、米国は売却先を厳しく限定している。米国防総省によると、英国は2014年に65発を計1億4000万ドル(約190億円)で購入した。米英豪による安全保障協力の枠組み「オーカス」(AUKUS)が昨年9月に創設されたのに伴い、オーストラリアにも売却を約束している。
◆トマホーク=米国の主力精密誘導型巡航ミサイル。射程は1250キロ・メートル以上で、全地球測位システム(GPS)衛星の位置情報を活用し、目標をピンポイントで攻撃できる。最近では2017年、18年のシリアへの攻撃などで使用された。
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中国の核、2035年までに3倍以上に 米国防省(AFPBB 11月30日)
【11月30日 AFP】米国防総省は29日に公表した中国の軍事動向に関する年次報告書で、同国が保有する核弾頭の数は2035年までに現在の3倍強の1500発に達する可能性があるとの予想を示した。
報告書は「国防総省の推計では現在、中国が保有する運用可能な核弾頭は400発を超えている」「現在のペースで核戦力の増強を続けた場合、2035年までに約1500発に達する公算が大きい」としている
ただ、それぞれ数千発ずつ保有する米国とロシアにはなお及ばない。報告書は、中国としては、米国とロシアが開発中の核弾頭と「少なくとも同等の効果、信頼性、残存性を有する新たな核弾頭と運用プラットフォーム」を開発するつもりだろうと指摘している。
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沖縄 与那国島で弾道ミサイルの飛来想定した初の住民避難訓練(NHKニュース 11月30日)
台湾をめぐる情勢など、日本周辺での安全保障環境が変化する中、日本の最も西に位置する沖縄県の与那国島で、弾道ミサイルの飛来を想定した住民の避難訓練が初めて行われました。
沖縄県の与那国島は、台湾からおよそ110キロ離れた日本で最も西にある島で、ことし8月に、中国が大規模な軍事演習を台湾周辺で行った際には、6発の弾道ミサイルが周辺の海に落下しました。
台湾をめぐる緊張の高まりが懸念されるなか行われた30日の訓練は、外国から弾道ミサイルが発射され飛来する可能性があるという想定で国、県、それに与那国町が共同で行い、子どもを含む住民22人が参加しました。
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午前10時、防災無線でサイレンが鳴り避難を呼びかける音声が流れると、屋外にいた住民たちが小走りで避難所の公民館に避難し、爆風から身を守るため、窓がない場所で身をかがめました。
また、午後には町役場で初動の対応を確認する訓練が行われ、職員らが身を守るため机の下に入ったあと、庁内放送で来庁者に安全を確保するよう呼びかけたり、住民からの電話の応対にあたったりしました。
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訓練に参加した40代の住民は、「実際に、急にミサイルが来たとなってもどうしたらいいか分からないだろうから訓練に参加してよかった」と話していました。
また別の住民は、「ミサイルの飛来は、強烈な台風が10分でやってくるようなもので、その時どう対処するかといっても無理だ」と話していました。
与那国町の糸数健一町長は、「通常の防災訓練と違って時間との勝負だと感じた。やはり、自宅の庭などすぐ飛び込める場所にシェルターが必要ではないか」と話していました。
訓練について住民からは賛成や効果を疑問視する声
与那国島では、弾道ミサイルの飛来を想定した訓練をめぐり住民から賛成する声や効果を疑問視する声が聞かれました。
このうち60代の女性は、「北朝鮮や中国のミサイルは怖いです。訓練は必要だと思います」と話していました。
70代の男性は、「反対とか賛成という話ではないが、こんなことを今さらやっても町民を守ることはできないのではないか」と話していました。
60代の男性は、「訓練は不要とは言わないが、果たしてあのようなあいまいな訓練で実効性があるのか疑問があります。『訓練をしましたよ』と示したいのだと思う」と話していました。
与那国島をめぐる動き
与那国島は東西12キロ、南北4キロの日本の最も西に位置する島で、およそ1700人が暮らします。
台湾からの距離はおよそ110キロで、日によっては肉眼で台湾の島影を見ることもできます。
島には、自衛隊の部隊が配備されています。
南西諸島の防衛力強化を目的に、周辺の島に先駆けて平成28年に駐屯地が開設されました。
島や周辺では米中の対立を背景に軍事活動が活発化しています。
ことし8月、アメリカのペロシ下院議長が台湾を訪問したことに中国が反発し、台湾周辺で大規模な軍事演習を行った際には、6発の弾道ミサイルが周辺の海に落下し、最も近いものは島から80キロの海上に落ちました。
さらに今月行われた日米共同統合演習「キーンソード」では、アメリカ軍が初めて与那国駐屯地で自衛隊とともに連絡所を開設する訓練を行ったほか、戦車と同じ程度の火力を持つ陸上自衛隊の戦闘車両が与那国空港に運ばれ、沖縄県内で初めて公道を走りました。
与那国駐屯地では、28日から再び陸上自衛隊とアメリカ軍による共同の訓練が行われています。
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台湾有事「起こる」中国人56%、日本人44% 世論調査(日本経済新聞 11月30日)
日本の非営利団体「言論NPO」と中国国際出版集団は30日、日中両国で実施した共同世論調査の結果を発表した。台湾海峡での軍事紛争について中国人の回答は「将来的には起こる」(40.5%)と「数年以内に起こる」(16.2%)の合計が56.7%に上った。
中国の国内世論が台湾有事リスクを意識していることが浮かび上がった。「起こらない」は29.9%で、「わからない」は12.8%だった。
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日本人は「将来的には」(34.1%)と「数年以内に」(10.4%)の合計が44.5%で中国人に比べて12.2ポイント低かった。「起こらない」は9.0%、「わからない」は46.3%だった。
台湾海峡で緊張が高まっている原因に関しては認識の差が表れた。中国人の52.5%が「米国」と答え、2番目に多かったのは「米国と日本」の25.8%。「台湾」(11.7%)、「日本」(4.4%)、「わからない」(3.5%)、「中国」(1.5%)と続いた。
日本人は63.7%が「中国」を挙げた。ほかは多かった順に「わからない」(28.8%)、「台湾」(2.5%)、「米国」(2.1%)、「米国と日本」(1.9%)だった。
ロシアのウクライナ侵攻を巡っては中国人の39.5%が「北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大に伴う自衛行為で間違っていない」と答えた。「ロシアの行為は間違っているがロシアの事情も配慮すべきだ」は29.0%、「国際法に反する行動で反対すべきだ」は21.6%だった。
日本人は73.2%が「国際法に反する行動で反対すべきだ」を選んだ。「ロシアの行為は間違っているがロシアの事情も配慮すべきだ」は10.4%、「NATOの東方拡大に伴う自衛行為で間違っていない」は1.1%にすぎなかった。
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相手国への国民感情はやや改善した。中国人に日本への印象を尋ねた質問で「良くない」と「どちらかといえば良くない」は合計62.6%で21年から3.5ポイント下がった。「良い」と「どちらかといえば良い」の合計は3.2ポイント上昇の35.2%だった。
中国への印象に関し「良くない」と「どちらかといえば良くない」を選択した日本人は合計87.3%で21年より3.6ポイント低くなった。「良い」と「どちらかといえば良い」の合計は11.8%で2.8ポイント高まった。
調査は22年7~9月に両国で18歳以上の男女を対象に実施した。日本は全国で1000人、中国は北京、上海など10都市で1528人から回答を得た。
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独、スターリン時代のウクライナ大飢饉を「ジェノサイド」認定へ(AFPBB)
【11月26日 AFP】ドイツは来週、ソ連の独裁者ヨシフ・スターリン(Joseph Stalin)の統治下で1930年代にウクライナで起きた人為的な大飢饉「ホロドモール」をジェノサイド(集団殺害)に認定する決議案を採決する。
決議案は、ロシアに侵攻されたことでウクライナが今冬にも食料危機に直面する恐れがあることから、「警告」として中道左派の与党連合と保守派の野党が共同で発議した。
AFPが25日に確認した草稿によると、ホロドモールはナチス・ドイツ(Nazi)による人道に対する犯罪と並び、20世紀前半の全体主義体制による「非人道的犯罪リスト」に含まれるとしている。
ドイツ議会は、11月最終土曜日のホロドモール犠牲者追悼の日に合わせて、30日に決議案の採決を行う。
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【本日(11/26)の広島県内の感染状況】(広島県)
新型コロナ 県内で3496人感染 3人死亡(26日発表)(NHKニュース)
広島県では26日、新たに3496人が新型コロナウイルスに感染したことが確認され、3人が亡くなったと発表されました。
感染が確認されたのは、▼広島市で1470人、▼福山市で631人、▼東広島市で301人、▼呉市で173人、▼廿日市市で159人、▼三原市で131人、▼尾道市で127人、▼三次市で80人、▼庄原市で77人、▼府中町で59人、▼安芸高田市で51人、▼府中市で46人、▼竹原市で36人、▼大竹市で29人、▼海田町で28人、▼熊野町で26人、▼神石高原町で16人、▼北広島���で13人、▼世羅町で12人、▼坂町で10人、▼安芸太田町で9人、▼江田島市で7人、▼大崎上島町で5人のあわせて3496人です。
1週間前の土曜日より653人増えました。
これで県内での感染確認はのべ52万5563人となりました。
また、県内では患者3人が亡くなったと発表されました。県内で新型コロナウイルスに感染し、その後、死亡した人は859人となりました。
新型コロナ 医療の現状(25日分)(NHKニュース)
25日の時点で病床の使用率は62.3%、(確保病床523床、入院患者326人)。 このうち重症患者用の病床使用率は26.8%です。 (確保重症病床41床、重症の入院患者11人)。 軽症の人や症状がない人が入る宿泊療養施設は1022室を確保し、299人が過ごしています。 (利用率29.3%)。 直近1週間の人口10万人あたりの新規感染者数は678.16人です。 現在、広島県の感染状況はレベル0から4の5段階のレベルのうち、医療体制への負荷が生じはじめていることを示す「レベル2」です。
【新型コロナ 厚労省まとめ】164人死亡 12万5327人感染(26日)(NHKニュース)
厚生労働省によりますと、26日発表した国内の新たな感染者は空港の検疫などを含め12万5327人となっています。また国内で亡くなった人は164人で、累計4万9036人となっています。
東京都 新型コロナ 9人死亡 1万3569人感染確認 前週比4112人増(NHKニュース)
大阪府 新型コロナ 6人死亡 新たに5923人感染確認(NHKニュース)大阪府内の感染者の累計は226万8975人となりました。府内で感染して亡くなった人は合わせて6719人となっています。
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140年見つかっていなかったハト パプアニューギニアの島で再発見(朝日新聞)
パプアニューギニアの東にある島で、発見以来140年間、目撃記録がなかった「幻の鳥」の撮影に、環境NPO「アメリカン・バード・コンサーバンシー(ABC)」などの調査チームが成功した。地元の狩猟者らの情報をもとに、場所を絞り込んでカメラを設置し、撮影したという。
この鳥は、ファーガソン島にすむゴクラクバト。1882年に初めてその存在が記録された。その生態などはほとんど分かっていなかったが、数はきわめて少なく、減っていると考えられていたという。
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kennak · 2 months
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発がん性の疑いがある有機フッ素化合物(PFAS=ピーファス)が全国の米軍施設や工場の周辺で検出されている問題で、環境省が自治体向けに示している対応手引の修正案を、東京新聞が独自に入手した。住民の血液検査について「かえって不安が増す可能性がある」と、自治体による検査に否定的な考えが新たに盛り込まれている。人体への影響を調べる血液検査は汚染地域特定にも役立つとされ、住民の要望も強い。環境省の方針は批判を招きそうだ。(松島京太、宮尾幹成) ◆「健康被害が生じたという事例は確認されていない」 環境省が検討している自治体向けPFAS対応の手引の修正案  手引は2020年に環境省が全国の自治体向けに通知。5項目からなり、PFASの摂取対策や排出源の特定、水道水の暫定目標値(1L当たり50ng=ナノグラム、ナノは10億分の1)を超えた際の対応などを示している。昨年から開かれている環境省の「PFAS総合戦略検討専門家会議」で、修正に向けた議論が進められてきた。  東京新聞が入手した手引の修正案では、「地域住民の健康不安への対応」の項目を追加。自治体が住民に説明する内容として、「どの程度の量が身体に入ると影響が出るかについての十分な知見はない」「摂取が主たる要因とみられる健康被害が生じたという事例は確認されていない」などを挙げている。 ◆「精神的なフォローの手法が確立されていない」  修正案はPFASの影響を調べる追加の健康診断についての考え方も明示しているが、特に血液検査には消極的な姿勢だ。  「血液検査の結果のみで健康影響を把握することは困難だ」と指摘。「検査を受けた人の精神的な面を含めたフォローの手法が確立されていない」などとして、「かえって不安が増す可能性がある」と懸念を示している。  その上で、住民の健康調査については、特定健診やがん罹患(りかん)情報などの既存統計を用いて地域的な健康影響の傾向を把握する方法が望ましいとしている。  さらに、ドイツの公的機関や米国の学術機関が、健康影響のリスクが上がるとされているPFASの血中濃度指標を上回った場合でも「必ずしも健康障害が起こるとも限らない」「将来、健康影響が発生することを意味しない」と否定的な見解を示していることを紹介している。  PFASの血中濃度基準 米国の学術機関「全米アカデミーズ」では血中で7種のPFAS濃度が1mL中20ng(ナノグラム)を超えると、健康被害の恐れがあるとして腎臓がんや脂質異常症などの検査を推奨している。ドイツ環境庁の諮問機関「ヒトバイオモニタリング委員会」はPFOSで1mL中20ng、PFOAで1mL中10ng以上と設定。日本国内では血中基準は定められていない。  伊藤信太郎環境相も6月14日の閣議後記者会見で、公費による血液検査には慎重な姿勢を示していた。 ◆公費で検査実施の自治体「知ることで不安解消」  自治体による血液検査を巡っては、水道水から高濃度のPFASが検出された岡山県吉備中央町が、全国初の公費による血液検査の実施を決定した。町の専門家委員会の提言でも、環境省の専門家会議と同様に住民の精神面への懸念が示されていたが、町は「知ることによって不安が解消されることもある」と判断した。  PFASは生物への蓄積性が高いが、数年たてば徐々に排せつされるとされている。吉備中央町では数年ごとに血液検査を実施することで、血中のPFAS濃度が減少するかどうかを調べ、摂取対策が有効か確認することも検討しているという。  ただ、検査費用の負担は大きい。吉備中央町は本年度予算に血中検査の費用として約6000万円を計上。町の本年度一般会計予算額(約118億円)の約0.5%を占める。町の担当者は「国が一度でも費用を出してくれるとありがたいという気持ちはある」と話す。 ◆環境省の対応は「むしろ行政への不信を招きかねない」  東京都内でも、血液検査の実施を求める声が上がっている。 米軍横田基地(東京都)  米軍横田基地(東京都福生市)が汚染源として疑われている多摩地域では、市民団体と京都大が2022年から23年にかけ取り組んだ血液検査で、46%が米国の学術機関が定める「健康被害の恐れがある」指標を超過。特に国分寺市では93%、立川市では75%が超えた。  国分寺市に住む卯城公啓(うしろ・きみひろ)さん(75)は、米国の指標の5倍を超えるPFASが血中から検出されたが、「自分がどういう状態かを知ることができたのは良かった」と振り返る。定期健康診断では、PFASが影響すると指摘される腎臓のエコー検査などを念入りに診てもらうように担当医師に伝えているという。  環境省が検討している手引の修正案について、卯城さんは「まずいことが判明しないようにフタをしているようにしか見えない。むしろ行政への不信を招きかねないのでは」と懸念する。  これに対し、環境省の幹部は「今は血中濃度で判断できるものがなく、仮に高い値が検出されても対応のしようがない。無秩序に血液検査をやればいいというわけではない」と説明する。 ◆現場の医療者は検査の推進に動き出す  都民の不安に応えて、社会医療法人社団「健生会」(立川市)は今年5月から、全国初の一般希望者向けに有償(1万1000円)の血液検査を開始。7月31日には、都内の医療・介護事業者などでつくる「東京民主医療機関連合会」(東京民医連)とともに都に血液検査の費用補助などを求める要請書を提出した。 8月1日に都内で開かれた専門家会議では、委員から「手引で、血液検査も一つの方法であると説明してはどうか」との指摘があった。環境省の吉崎仁志PFAS対策室長は東京新聞の取材に、「専門家会議の意見も反映して改定を進めていく。内容については作業中なので具体的には答えられない」と話した。  血液検査の分析を担当する京都大の小泉昭夫名誉教授(環境衛生学)は「血液検査でPFAS濃度を知ることが汚染地域を特定する上で重要だ」と語る。
【独自】PFAS血液検査は「かえって不安が増す」 環境省、自治体向け手引の修正案に記載 本紙が入手:東京新聞 TOKYO Web
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ari0921 · 1 year
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我が国の未来を見通す(82)
『強靭な国家』を造る(19)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その9)
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに
 衝撃的な事故ではありましたが、「やはり」とい
うべきか、事故直後のバイデン大統領の談話のよう
に「驚いてはいない」というべきか、8月23日、
ワグネル代表プリコジン氏が搭乗した飛行機が墜落
し、死亡が確認されました。巻き添えを受けた9名
の乗員乗客には気の毒でしたが、思えば、人類の歴
史はこのような事件の繰り返しでした。
プーチン大統領が哀悼の意を述べている映像も流れ
ましたが、この事件を“単なる事故”と考えた人は
皆無だろうと思います。藤井厳喜氏などは“暗殺”
ではなく“明殺”だと明言していますが、練りに練
った巧妙な手段を用いているはずなので、たぶん、
少なくとも“ほとぼりがさめる”までは事故原因が
解明されることはないと思います。
問題は、この事件が今後、凶と出るか、吉と出るか、
ますます混迷を深める可能性があると私は考えます。
「ウクライナ戦争の決着はプーチン大統領の失脚
(あるいは暗殺)しかない」と断定する考えもある
ように、この事件をきっかけに水面下で反プーチン
派が強硬策に打って出る可能性は否定できないでし
ょうし、ワグネルをはじめ民間軍事会社が戦線から
離脱する可能性もあるでしょう(すでに解体の動き
もあるようです)。逆に、本事案が“見せしめ”と
なって、ロシアがウクライナ戦争の勝利に向けて
(少なくとも敗戦を回避するため)、“一枚板”に
なる可能性もあるでしょう。
どちらに転ぶかは現時点(9月1日)では不明です
が、本事件がきっかけとなって、やや膠着状態にあ
るウクライナ戦争が再び“動き始める”可能性もあ
るでしょう。ウクライナ側の反転攻勢があまり進展
しないような状態が続けば、停戦合意(休戦)が早
まる可能性も出て来るでしょう。
「戦争はギャンブルのようなものだ」とよくいわれ
ます。“戦争によって得られる利益がそのコストを
上回ることは稀で、戦争を行なうことは常にリスク
を伴う”ことから来た言葉なのでしょうが、巷のギ
ャンブルと同様、一度踏み込んでしまうと、勝敗が
決着するまでますますエスカレートすることを歴史
は教えてくれます。
以前にも紹介したように、アメリカの原子力科学者
会が発表している「世界終末時計」は、ウクライナ
戦争が始まって以来、核兵器が使用されるリスクを
加味し、過去最短の「90秒」を指し続けています。
プーチンが核のボタンを押すに至るきっかけに、N
ATO諸国から武器や弾薬の供与を受けて戦い続け
るウクライナと決着をつけることのみならず、反プ
ーチン派を黙らせるような、ロシア国内問題の解決
まで視野に入ってくるとなれば、その“敷居”が低
くなるような気がしてならないのです。
このたびの一連の事件について、話題の生成型AI
に質問したところ、「私たちは、このような悲劇的
な出来事を未然に防ぐために、常に平和的な解決策
を模索する必要があると考えます」との回答があり
ました。まさに正論です。そのような究極の事態に
至らないような「話し合い」、その結果として「停
戦合意」に至るかどうか、ロシア・ウクライナ両国
のみならず、国際社会の“叡智”が求められている
のでしょうが、そう簡単ではないことも現実です。
いずれにしても、プリコジンという反プーチンの烽
火(のろし)を上げた“勇者”の死亡が、英雄視さ
れることを警戒して葬儀の非公開を強要したロシア
当局をはじめ、ウクライナ戦争の終末、ひいては人
類社会の未来を左右する歴史的に重大な事件に発展
する可能性もあることでしょう。
我が国にあっては、「だから『平和』が大事なのだ」
との声が聞こえそうですが、前回も指摘したように、
そこで“思考停止”しないで、「どのようにしたら
未来永劫の平和を維持できるか」について、しっか
り考え、可能な限り盤石な「備え」が必要であるこ
とを理解できる国民の輪が広がることを祈るばかり
です。
▼「食料自給率」が「国力」に及ぼす影響
 
本メルマガではすでに我が国の食料自給率について
詳しく触れましたが、「国力」の観点から少し分析
してみましょう。
まず、食料自給率の主要国ランキングは、農林水産
省による2020年のデータによると、1位カナダ
(カロリーベース221%、生産額ベース110%)、
2位オーストラリア(173%、110%)、3位
アメリカ(115%、92%)、4位フランス(1
17%、83%)、5位ドイツ(84%、58%)、
6位イギリス(54%、60%)、7位イタリア(5
8%、87%)、8位スイス(49%、61%)、
9位日本(38%、58%)と続きます。カロリー
ベースでは、韓国32%、台湾31%などが続きま
すので、極端に低い数値ではないとも言えるでしょ
う。
これらから、食料輸出可能な国、つまり将来におい
て我が国が輸入対象国として期待できるのは、個々
の食料品によって違って来るとは思いますが、自給
率が100%を超えているカナダ、オーストラリア、
アメリカぐらいまででしょうか。
ちなみに、ウクライナ戦争で小麦の輸出が話題にな
っているロシアについては、西側諸国のような基準
が明確になっていないのかも知れませんが、小麦の
輸出量は世界のトップを走っています。一方、食料
品関連の輸入品として「果実・野菜」「肉類」「酪
農品・鶏卵」「飲料」「コーヒー等」、それに最近、
日本のJTグループが協力企業になっていると話題
になった「タバコ」など多岐にわたっていることも
事実です。
これらから、ロシアの「食料安全保障」の柱は、
“国内消費者への供給を維持するために輸出を制限
する”という発想になっているようですが、一方、
ウクライナ侵攻を可能にした背景には、この次に述
べるベルエネルギーと合わせて、“非軍事面の戦力
化”についても目算があって、実際にそれを行使し
ていることに着目する必要があるでしょう。
中国の食料自給率は、近年、輸入量の増加に伴って
低下傾向にあります。穀物の自給率は97%以上を
保ち続けてはいますが、食用油材料の自給率はこの
20年間で81%から25%に、大豆の自給率は6
0%から17%にそれぞれ減少するなど、食料自給
率は20年間で100%前後から76%前後にまで
落ち込んでいるといわれます。
穀物の自給率自体も、洪水、干ばつ、イナゴの被害
などから、実際の穀物倉庫の中は空ともいわれ、中
国社会科学院が「中国の食料供給不足は2025年
末までに約1億3000万トンに達する」との見通
しを示したことで、不安や買い占めの懸念も出てい
るようです。最近の福島原発の処理水放水に対抗し
た輸入禁止処置も、その背景には“国民の目をそら
す”など様々な思惑があるとみて間違いないでしょ
う。
余談ですが、少しだけ回り道しますと、福島原発の
処理水で問題になっているトリチウムは、水と結合
してトリチウム水となっているため、簡単に処理で
きません。そのため、今回の処理水の放出にあたっ
ては、トリチウム濃度を1リットルあたり1500
ベクレル以下に薄めて放出しています。この基準は、
国が設けたトリチウムの環境への放出基準1リット
ルあたり6万ベクレルの40分の1、また、WHO
(世界保健機関)が示す飲料水の基準の1万ベクレ
ルの7分の1程度にあたる水準です。トリチウムは
また、環境中で自然崩壊し、その半減期は約12.
3年といわれます。
今回の処理水の放出予定量は22兆ベクレルですが、
中国の東シナ海や南シナ海に面した4つの原発が1
年間に放出しているトリチウムの総量は約450兆
ベクレルであることはすでに判明しています。しか
もこの事実について、中国と周辺国との間で何らの
合意はなく、説明もしていません。
中国は、「通常の稼働下で排出される冷却水とは質
が異なる」などの“難癖”をつけていますが、日本
の政府がなぜ証拠となるデータを示して「それなら
ば、“すでに汚染されている”中国の海産物は輸入
しない」と反論しないのか、不思議でなりません。
自らの「国益」のために、長年、“でっちあげた歴
史”を「歴史戦」の道具として活用してきた中国で
すから、「科学的根拠がない」などの批判に“動じ
る”ことはまずないでしょう。我が国のような「世
論」がありませんので、政府のやりたい放題です。
私たちは、この機会に改めて、そのような国が我が
国の隣国にあって、今後も存在し続けることを強く
認識する必要があるのです。
長くなりました。本題に戻します。我が国は、我が
国の食料事情からして、「大事な食料を買おうとし
ない国に売る必要がない」と断言します。ちょうど
良い機会なので、食料輸出は最小限にして、備蓄を
増やす方向に舵を切り直すべきと考えています。
その理由を解説しましょう。以前、我が国の食生活
近代化、つまり洋食推進運動は、アメリカの「した
たかな食料戦略」のせいだったと解説しましたが、
我が国は、食生活そのものを米など比較的自給率の
高い食料を主とするように戻し、なおかつ長期備蓄
のノウハウを考案しつつ、必要ならば法律を改正し
て、備蓄量の増加に努めることを「食料安全保障戦
略」の柱にすべき時が来ていると考えます。その戦
略の実現が「国力」を維持するために必要不可欠な
のです。
一方、そこにはとんでもない“落とし穴”があるこ
ともすでに指摘しました。我が国は、この化学肥料
の原料の資源に乏しく、3要素といわれる「尿素」
「リン酸アンモニウム」「塩化カリウム」のほとん
どを輸入に頼っていることです。その内訳は、「尿
酸」の自給率はわずか4%のみで、残りはマレーシ
ア(47%)、中国(37%)、サウジアラビア
(5%)などから輸入しています。「リン酸アンモ
ニウム」や「塩化カリウム」に至っては自給率0で、
「リン酸アンモニウム」の輸入先は“中国がダント
ツの1位(90%)”、残りがアメリカ、「塩化カ
リウム」の輸入先はカナダ(59%)、ロシア(1
6%)、ベラルーシ(10%)と続きます(諸般の
事情から本来なら公にしたくない数値ですが、すで
に公にしている人がいますので出すことにします)。
肥料の自給率まで考えれば、自給率100%に近い
米でさえも“実質的な自給率”は11%程度、自給
率80%の野菜は実質8%程度、その他の食料品の
自給率もかなり低いとの分析もあります。「化成肥
料がダメなら有機肥料や堆肥を使えばいいじゃない
か」との考え方もあろうと思いますが、有機肥料も
見事なまでに輸入に依存しています。
今回のウクライナ戦争が小麦などの価格が異常に高
騰しましたが、食料品の価格は、気候の変動や世界
情勢に大きく左右されることは明らかで、今後、世
界人口が増えるにつれて、肥料や種苗までを含む
“食料争奪戦”が発生することは必定でしょう。し
かも我が国の生殺与奪のかなりの部分について、す
でに対立している、あるいは将来対立する可能性の
高いと判断しなければならない国々に握られている
という“現実”を直視する必要があるのです。
繰り返しますが、農業従事者の減少対策と食料自給
率の向上のために我が国は総力を結集すべきであり、
その結果として「世界で最初に飢えるのは日本」と
揶揄されるような事態を回避することに万全を期す
必要があります。そのためにも、私たちは、「『お
金を出せば輸入できる』ことを前提にした『食料安
全保障』はすでに破綻している」との認識のもと、
農業や牧畜など国内の1次産業の強化、長期的な食
料備蓄の大幅な推進など、「食料自給なくして独立
なし」との気概をもって、「国力」の維持を考える
時に来ているのではないでしょうか。
▼「エネルギー自給率」が「国力」に及ぼす影響
 
エネルギーについても同様のことが言えるでしょう。
今年は格別に長く、暑い夏を迎えています。気象庁
も「異常���夏」であることを宣言しました。まさに
地球の「気候変動」のせいにしたくなる気持ちを否
定するものでありません。
一方、ガソリン価格高騰は話題になりますが、この
酷暑の中で、ほぼ毎日24時間、エアコンをかけっ
ぱなしで快適な日々を過ごしている“贅沢”に不安
を感じている国民はほんのわずかであろうと想像し
ています。
すでに紹介しましたように、主要国のエネルギー自
給率のランキングは、1位ノルウエー(700%)、
2位オーストラリア(320%)、3位カナダ(1
76%)、4位アメリカ(98%)、5位イギリス
(70%)、6位フランス(55%)、7位ドイツ
(37%)と続きます。
国際情勢がどのようになろうと、エネルギー供給の
面で全く懸念する必要がないのは、4位のアメリカ
くらいまでで、それ以下については何がしかの影響
を受けることは必定です。現に、天然ガスの供給を
ロシアに依存していたドイツがウクライナ戦争で多
大な影響を受けたこともすでに紹介した通りです。
ちなみに、ロシアは天然然ガス、原油、石炭などの
生産量が世界のトップクラスで、エネルギー自給率
は188%(2015年)といわれます。また中国
は、国内のエネルギー資源は決して豊かとはいえま
せんが、石炭、石油、天然ガス、原発、再生可能エ
ネルギーからなるエネルギー供給体制を絶えず改善
し、エネルギー自給率を常に80%以上を保っている
ようです。
それに対して、元来、エネルギー資源小国の我が国
のエネルギー自給率は年々低下傾向にあり、先進国
では最下位、世界水準で言えば34位の11.8%
にしか過ぎません。しかし、実質は7%であるとか、
原発の再稼働を認めなければ4%しかないといわれ
ます。つまりエネルギーの供給のおおむね9割を諸
外国に依存していることになります。そして、近年、
再生エネルギーのシェアが増えているとはいえ、エ
ネルギー供給の約83%は、石油、石炭、天然ガス
などの化石燃料に依存しています。
大東亜戦争においては、“石油”を求めて「南進」
したように、過去も現在も、そして将来も、エネル
ギー資源の安定確保は「国力」を維持するための死
活問題であることは論を俟ちません。
すでに紹介しましたので細部は省略しますが、その
根拠が怪しい“脱炭素”という「気候変動」対策の
ために、欧州列国同様、国を挙げて取り組むような
“ゆとり”は我が国にはないと考える必要があるで
しょう。「国力」を維持し、将来にわたって「強靭
な国家」を造るためには、安全保障など他の施策へ
の影響を考慮しつつ、エネルギー資源の安定確保を
最優先すべきと私は考えます。
「気候変動」対策については、中国のように、“し
たたかに”可能な範囲で各施策に反映すべきでしょ
う。環境団体から「化石賞」を受賞するような“国
益とは全く無縁の不名誉”よりも、もっと優先すべ
きことがあることについて全国民が認識することが
肝要です。
どこまで行っても、我が国の未来は“難問山積”と
いう印象を持ちますが、私たちは知恵を出し合って
乗り越えていく必要があるのです。その成否は、国
内的には「政治力」、対外的には「外交力」が握っ
ているといって過言でないと思いますが、それらを
司る政治家の先生方や官僚の皆さんは、これまで繰
り返し述べてきたような課題認識とか問題意識を保
持しているのでしょうか。今回はこのぐらいにして、
次回、そのあたりを少し掘り下げてみたいと考えて
います。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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nyantria · 3 years
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@mariya88truecolours
日本という国は…
カーチス・ルメイ - Wikipedia
>ルメイが東京空襲に成功すると3月10日にアーノルドは「おめでとう。この任務で君の部下はどんなことでもやってのける度胸があることを証明した」とメッセージを送る[14]。またルメイに「空軍は太平洋戦争に主要な貢献をなしうる機会を手にした」と賛辞を送った[15]。戦後、ルメイは「我々は東京を焼いたとき、たくさんの女子どもを殺していることを知っていた。やらなければならなかったのだ。我々の所業の道徳性について憂慮することは――ふざけるな」と語った[16]。
>焦土作戦は、東京や大阪、名古屋等の大都市を焼き払った後は、富山市や郡山市などの地方の中小都市[17] も対象となった。これらの空襲は日本国民を震え上がらせ、日本側から「鬼畜ルメイ」「皆殺しのルメイ」と渾名された[注 2]。
>戦後ルメイは日本爆撃に道徳的な考慮は影響したかと質問され、「当時日本人を殺すことについてたいして悩みはしなかった。私が頭を悩ませていたのは戦争を終わらせることだった」「もし戦争に敗れていたら私は戦争犯罪人として裁かれていただろう。幸運なことにわれわれは勝者になった」「答えは“イエス”だ。軍人は誰でも自分の行為の道徳的側面を多少は考えるものだ。だが、戦争は全て道徳に反するものなのだ」と答えた[21]。また自著でもこう述べている――「焼夷弾空襲での民間人の死傷者を思うと、私は幸せな気分にはなれなかったが、とりわけ心配していたわけでもなかった。私の決心をなんら鈍らせなかったのは、フィリピンなどで捕虜になったアメリカ人―民間人と軍人の両方―を、日本人がどんなふうに扱ったのか知っていたからだ」[22]。
----
>1964年12月7日、日本に返還されたばかりの入間基地(旧・ジョンソン基地)で、勲一等旭日大綬章を浦茂航空幕僚長から授与された[注 3]。理由は日本の航空自衛隊育成に協力があったためである[28]。12月4日の第1次佐藤内閣の閣議で決定された[29]。叙勲は、浦がルメイを航空自衛隊創立10周年式典に招待したことを発端とした防衛庁の調査、審査に基づく国際慣例による佐藤内閣の決定であることが明かされている[30]。推薦は防衛庁長官小泉純也と外務大臣椎名悦三郎の連名で行われる[31]。防衛庁から首相佐藤栄作、賞勲局へ叙勲が適当であるという説明があった[32]。勲一等旭日章という種類の選定は大将という階級から慣例に基づいたものである[33]。
>ルメイが東京大空襲や原爆投下を行った部隊の指揮官だったことから授与に対し批判も大きく、現在でも「勲章は返還するべきである」と唱える者も居る。当時、日本社会党、原水爆禁止団体、被爆者などから国民感情として納得できないという声が上がった[28]。国会でも叙勲に対し疑問視する声があった[34]。東京大空襲や原爆から叙勲は不適切ではないかという質問に佐藤は「今はアメリカと友好関係にあり、功績があるならば過去は過去として功に報いるのが当然、大国の民とはいつまでもとらわれず今後の関係、功績を考えて処置していくべきもの」と答える。小泉は「功績と戦時の事情は別個に考えるもの。防衛庁の調査でも当時ルメイは原爆投下の直接部隊の責任者ではなく、原爆投下はトルーマン大統領が直接指揮したものである」と説明している。佐藤もそれらを理由に決定を変える意思はないと表明した[35]。ルメイは12月7日に防衛庁で小泉を訪問予定であった[29] が、当日は事務次官三輪良雄が代理で面会している[28]。[注 4]
>勲一等の授与は天皇が直接手渡す“親授”が通例であるが、昭和天皇は親授しなかった。後年『NHK特集 東京大空襲』(1978年3月9日 初回放送)でのNHKの取材で戦争責任についての問いにルメイはその勲章を見せた。
カーチス・ルメイ - Wikipedia
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manganjiiji · 4 years
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旅ということばは不思議だ。「たび」のやまとことば的語源はなんなのかと考えたが思いつかない、インターネットに頼れば、語源は不詳で、その場を離れること、それはつらく苦しいことと考えられていたというようなことが見られる。真偽はおいておくとして。漢字としては、旅は旅団の「たび・いくさ」であり、移動する軍隊のまとまりをさす。左側の「方」が軍旗をあらわし、右側が大勢の人をあらわす、会意文字だと言う。会意文字というのはわたしにもわかりやすく、ありがたい。たび。たとえばお子は今、私たちの家に旅をしているのだ、と思った。それは間違いなく「いくさ」の一部である。かれ(彼女)は日夜、一秒も休むことなく戦っている。夢の中でさえも苦しんだり、いっとき力を得たり、また萎んだり、寝ている間もたたかいは続く。今まさに、長い戦いの中で、ひとつでも多くのものを勝ち取ろうと(という意志を持っている訳ではなく、行動として)もがいて、あがいている。それは彼女の望んだことではなく、ほぼ完全に天災である。のぞまぬ試練にのぞまぬ成長。諦観、虚無、葛藤、身を焼く苦しみ、自死への渇望、そのようなあまたの敵とたたかいながらも、日々の中で一瞬だけ感じ取れるやわらかな風、しずかな朝日、お気に入りの色をもつ野の花、そういう小さでささやかな宝物を必死で集めていくしかない。希望の、原材料となるものたち。それからどうやって今後身を立ててゆけばよいのか、何を手に入れるべきか、何を手に入れられるのか、明日について考えるとは、そのげっそりとなる問題についても考えることで、存在そのもの、命そのものへの課題と、われわれと同じように日夜直面することも、またしなければならない。人間一人に課される重荷としては、重すぎると思う。そしてこうした問題は、たいていの場合、人間としてのかたちを形成する段階、いわゆる少年期、若年期に集中して起こるのだから、わたしたちはときおり、ひとたまりもなく、これらに負けて「やられて」しまう場合もある。それに耐えて生き延びること、それは本当に生半可でない努力と、苦しみとの引き換えでしか得られない。この世の中にはさまざまな人がおり、運良くそうした荒涼とは無縁で成人できる者もいる。さまざまな要因が作動し、影響しあって、ひとつの状況を作り上げてしまう。そしてそれは時に、武器も持たないはだかの子供を、突然旅へ行かせることを余儀なくさせる。ここは豊かの国だということになっているが、それはあくまで豊かな暮らしを享受する人間が多いという意味であって、それが享受できない人間もいる。いるし、母数がそもそも多いため、豊かでない人間の数も相当なものになってしまう。毒素の入っていない水道水を飲むことはできるが、日夜身を焼かれる苦しみと、自死へ向かうこころと戦い続けることを義務付けられて生まれることは、私は豊かなことだとは思えない。豊かをくらべることはできない。勿論。ただ私が十代の頃、たとえばほとんど水も飲めない、5歳にならずに空腹のまま死んでいく子供が一定数ある地域に生まれたとして、今とどちらがつらいのだろうということは何度か考えてしまった。身体的な苦痛はもちろん精神も蝕むと思うが、それは、身体的・精神的暴力を受けながら苦しみの中を生き延びて、成人したら豊かな国日本の一員としての立派なはたらきを要求されることと、どちらが辛いのだろう、とか。本当に若い頃の詮無い思いつきなので見逃して欲しいけれど、私はどうしても汚い水を飲んで、栄養も満足に取れず、日々ぼーっとして、3歳で苦しみながら飢え死ぬ人間に生まれたかった、ということを何度も思っていた。その考えは本当に幼いもので、私もほうぼうを「旅」するうちに、今のたくましさやふてぶてしさ、もとからの楽天により、こうして楽しく落ち着いた毎日を過ごしているのだが、渦中の人間にとっては、何がどうでも、この世の全てがたまったものではないと思う。旅とはつらく苦しいこと。それを何度も繰り返して(安心してとどまれる場所がないのだから仕方がない)、わが旅団は兵力を確固たるものとしなければならない。なぜか。生きていくために。この「生きていくため」という目的さえなければ、苦しみはいつでも放擲できる。だからみな自死へ惹かれるこころとたたかっている。生き延びて苦しみを引き延ばした方がいいのか、死んでとりあえず目の前の苦しみからのがれたほうがいいのか、私は他人の人生に責任は取れないのでどうとも言えないが、少なくとも私と出会った人には生きていてほしいなと思う。それはその人に「苦しみ続けろ」ということと全く同義だが、私は、人が死ぬことが嫌いである。なぜなら、その人と永遠に、関係を繋ぐことが出来なくなってしまうから。私の味方がこの世から一人減ることは、私の生存戦略にとっても大きな痛手だから。そして、死ぬと、可能性としてのその人の将来の「幸せ」もなくなってしまうから。私はいつでも、誰にでも、一つでも多くの「幸せ」を獲得してほしいと考えている。とくに業火の中をはだしで走り、打擲されながら生き延びてきた人間にとっては、絶対に、青空の下で笑う未来を、私が贈れるものなら贈りたいと思うほどである。
昨日は随分とみなで羽目を外して夜中まで笑い転げた日だった。笑うことは私に制御できることではなく、とにかくおかしいと笑ってしまう。人を笑わせることも好きだし(得意な気持ちになる)、ひとつでも多く「面白い」「楽しい」という気持ちを積み重ねて生きていきたい。そのことのためだけに生きている。心許せる友人と、愉しみを共有すること。悲しみも苦しみも共有した上で、同じことに感覚を揃えて笑うこと。それは泣きたくなるような幸福なのである。ただし私はもう自分の幸福のために生きる時期は過ぎたと思っているので、こういったことは、はやイクストラボーナスである。私には私のやるべき事があり、それは私がやりたいからやっている。畢竟、やりたいことをやりたい、というのが私の生きる目的で、その生のなかでそうした愉悦の瞬間が多くあれば、やりたいことにもますます精が出る。生活(人との共存)があり、仕事(人への奉仕)がある。そのどちらもが、どちらをも支え合って、作用し合っている。どちらかが上手くいけば、悲しみや苦しみはある程度切り抜けられるが、どちらも上手くできない時には、果たして人間は潰れやすい。潰れずに生きていくことが、今の私にとってはとりあえずの目標です。
あまりにも長く生きてしまったな、という感慨がある。これまで多くのことがあり、私はそれらをなかなか覚えていられない。かなりの部分を取りこぼしている。とにかくわたしが生まれたのははるか昔であり、育ち、働き、今日に至るまで、何人の人といったい言葉を交わし、ともに働き、さまざまな感情の交換をしたろうか、と思うと、気も遠くなる。そしてそれは生活においても仕事においてもそうで、まだまだこの先も続く。
今日は一日寝てしまった。頭を使いすぎたと思う。そのぶん体が鈍っているのでやや危機を感じる。早寝して、明日は朝に起き、できる限りの活動なるものをしたいと希望している。今日はゲームも漫画も何も無し。疲れている時は休むに限る。ふと気づいたが、いわゆる学術的な知識に接している時や、文学を楽しんでいる時、つまり昔からあるコンテンツを消費しても、このように1日倒れることにはならない。脳の違う部分が刺激されているのだとしたら、ゲームや漫画やその他の「視覚的な」(と便宜上いうが)娯楽を享受している体は、そうでない体よりも、疲労が大きいのかもしれない。小さい頃に本を読む習慣をつけさせるのは、疲れにくい娯楽に親しむという点で有効なのだろうか。私はとにかく漫画ばかり読んで育ってきたので、もう、脆いということばがぴったりな程に疲れやすい。さいわいゲーム文化には触れずに育ったが、その点の感受性や知識は薄い。まあ、これは質的な問題ではなく、程度の問題だと思う。コンテンツと己との間のコミュニケーションをどの程度の深さで取る、と自分の中で判断しているかの話かな。
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innocent-3 · 4 years
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「狂乱苦悩の真崎甚三郎」より
(引用者注:1934年4月、実弟白上佑吉の収賄事件を契機に林銑十郎陸相が辞意を漏らす。取材の一環で著者は皇道派の首脳・真崎甚三郎教育総監邸を訪ねる)
 …
 玄関の呼び鈴を押すと女中が出て来た。ちょっと会釈して引っこんだ。左手の応接室には電気がついている。来客らしい。間もなくさきの女中が出て来て「こちらで暫く」といって、玄関つきあたりの八畳ぐらいの座敷に案内し、茶など運んで来た。先客はなかなか帰らない。もう十時はとうに過ぎた。十一時近い。やっと客の帰る気配がして、玄関で真崎が「やめたくても勝手な真似はさせんから大丈夫だ」と言って笑いながら送り出した。さァ、こっちの番だ。襖のあくのを待っていたが、真崎は部屋に入って来ないで、廊下づいたに座敷の横壁に取りつけてある電話にかかった。相手はわからない。
「いま秦が帰ったところだ。どうも真意がわからぬという。……いや、そうじゃない。表面は困った、困ったと言っているそうだが、何しろ起訴されて懲役刑の求刑を受けたというだけだから、それですぐどうというわけにはいかぬ……そうだ、そうだ。裁判が確定したというのではないから秦が手をまわして検事局の方を調べさせたが、検事は口が堅くて裁判の見通しについては何もしゃべらぬらしい。警視庁の方では物になると言っているがこれも観測だけだからね。……それに妙なことに白上と兄弟だということは、世間ではあまり知らないらしい。けれども、これはすぐ暴露することができる。…‥それで番町の方から極力この際は進退を明らかにして、一応辞めた方がよいということを口説かせている。それには相当に耳を傾けている模様だ。…‥ナニ、そうだ、そうだ。ところが秦には辞めそうな口振りは一切見せぬという。…‥イヤ、秦も随分突っこんで勧告はしたらしい。彼のことだから少しアクがきき過ぎて、かえって気を悪くしたのかもしれぬ。だが、機会は今だよ、いい機会だ。ナニ?俺にはそうはいえない。会えばまあ慰留の言葉になる。そうすればそれにつかまって来るかもしれぬ。だから今しばらく俺は会わぬ方がよい」
「……ナニ、下落合でもそう言われるのか、こちらからはまだ申しあげていないんだが、それは困ったな。荒療治だよ、それでなくてもうるさい奴がいるから、俺ではだめだ。それより貴様もう一度出ろ。もう病気も癒ったのだし、従来のことは何でもわかっているんだから、俺よりは貴様の方がよい。……ハハハ。……まあ、もう少し情勢を見てからにしよう。下落合には貴様からよく話しておいてくれ、俺より貴様だよ、ハハハ……」
 かなり長い電話であった。最初は何気なく聞いていたが、その話の内容は実に重大なことである。林陸相追い出しの陰謀をやっているのである。いろいろな符牒を使って話しているが、筆者にすぐわかるのは下落合とは武藤信義、番町とは柳川平助である。先客は憲兵司令官秦真次である。要旨は説明するまでもないが、林の実弟白上裕吉が疑獄事件に連座している問題である。真崎らはこれを種に林を辞めさせ、その後任には教育総監の真崎をすえようとしているのだ。それを真崎は俺は困る、貴様がいいと言っているところからすれば、電話の相手は荒木貞夫以外にない。
 林は近衛師団長から朝鮮軍司令官になり、いわゆる越境事件で名をあげた。荒木が五・一五事件で辞任するつもりで林を朝鮮から呼んだ。林は大臣になった気で東京に着いてみると、荒木が留任することになっていた。今さら朝鮮に帰すわけにもいかないので、武藤が教育総監を辞めて林をその後任にした。…
(引用者注:荒木がその1933年初春病を得て辞意を漏らした後)…後任を誰にするか、武藤は軍事参議官だが、皇道派の総帥だ。その意見をきくと真崎か林かの何れかにせよ、何れにしても異議はないという。真崎は参謀次長を辞めて、これまた軍事参議官でいたから、一番てっとり早いが、林は一度大臣にするつもりで、朝鮮から呼んだ関係もあるから、林を大臣にし、真崎を教育総監にして林を監視させることにした。
 林は五・一五事件で中央にもどり、荒木の発病という偶発事故によって陸相を拾ったのである。拾ったというよりむしろ皇道派の傀儡として登場したといった方が適切であろう。彼は東京湾要塞司令官として、首の座にすえられていたのを真崎が武藤に生命ごいして浮かび上らせ、近衛師団長という師団長最高の地位にまで進んだ。これはもう林の器量にもよることだが、真崎は林にとって生命の親である。林の方が一年先輩ではあるが、以来真崎の頣使に甘んじてきた。だから真崎としては、林が陸相になっても、自分が三長官の一員としてにらんでおさりすれば、勝手な真似はさせないという自信があった。一には荒木、真崎に対する風当りが強くなって来たから、林という無色な者を陸相にしておけば、自分達も木陰でゆうゆうと昼寝ができることも計算に入れていた。
 ところが、林は呉下の阿蒙ではなかった。柳川次官、山岡(重厚)軍務局長、秦憲兵司令官などは相手にせず、第一旅団長から永田鉄山をもってきて、軍務局長にすえた。そのかわり小畑敏四郎は大学校幹事、つまり副校長にし、山岡は他所に飛ばすというのを、真崎が「相成らぬ」といって、整備局長に横すべりさせ、永田を監視させる。秦憲兵司令官も転任させず、宇垣時代に、小磯のために軍務局長を横どりされて、悶々の中にいた林桂を教育総監本部長にした。林は頭もよく仕事もできる。惜しいことには背骨があまり堅くない。だから使い方如何では随分役に立つのである。
 こんな風に、真崎オンリーでなくなった林に対して、皇道派はまなじりを決して怒った。「忘恩の徒なんたることをする」と。だが、いったん大臣となればいかに忘恩呼ばわりしても、そうやすやすと追い出すことはできない。そこに降ってわいたのが白上問題である。本来なら林が気にすることではない。しかし、林もちょっと皇道派の脈を診てみようとという気になった。それは林の自発的意思ではない。渡辺錠太郎から知恵をつけられたのだ。そこで柳川の前で困ったふりを見せたので、これ幸いと皇道派は一斉に起って、排撃の狼火をあげたのである。薬がききすぎて、林も少しとまどいした。真崎、荒木の深夜電話はこういう経緯を知っていなければ面白くない。
 さて、筆者はこの電話を全部きいた。盗聴でも何でもない。待っている部屋の隣の廊下で、声高に話しているのだから、荒木の応答は聞こえないが、真崎の言分はいやでも聞こえる。それで最初のうちは感激して聞いていた。これほど重大な秘密電話を、新聞記者の前で堂々とかけている。よほどの信用がなければできないことだ。いや、おれはその信頼に応えてやる道義的義務がある。たとえ画策していることが正しいことでなくても、他人から信頼されて何もかも打ちあけられたとなれば、首が飛んでもこの秘密は厳守してやらなければならぬと決心した。ところが、電話がすむとこんどこそ、こちらに来るものと期待していた真崎が、隣室の居間に行ってしまった。三尺の廊下をへだてた隣室である。
 それから一、二分たつかたたないうちに、隣室で「ピシャッ」という音がした。明らかにビンタをやられたのだ。そうするとドタリ、バタリという騒音になった。女の悲鳴になる。夫人らしい声でしきりにかき口説いている。それも涙声だ。そうすると真崎の声で「これですべてはぶち壊しだ、何としてくれる。新聞屋など入れて……」と怒髪天をついているらしく、上ずった声音だ。そしてまた、ピシャリ、ドタリである。百年の恋が一時にさめるというのは、筆者のこのときの心境であった。「何だ、俺のいることを知らずに電話していたのか」と思うとおかしくもあるが、畳の上に投げつけられ、足蹴にされている女中や、思いきりビンタを張られている夫人のことを考えると知らぬふりもできない。筆者は立ちあがって、真崎のいる部屋に飛びこんだ。
「閣下、待ってください。隣室で何もかも聞きました。しかし、これは全く善意の行きちがいです。私は案内されて部屋にとおり、お茶まで頂戴して先客の帰られるのを待っていた。こっそり忍びこんだものではない。それでは女中さんが無断で案内したのかといえば、そうではない。ちゃんと一度引き返して、多分閣下の御許しを得て――待たせておけとか何とかいう御命令で私を案内したのでしょう。あるいは閣下は女中さんに、今夜は会えないと断られたのかもしれません。女中さんは私がお訪ねして、御在宅のときには一度も玄関払いを食わせたことがないから、閣下のお言葉を聞き間違えて、いつもの通り上げたのだろうと思います。あるいは閣下はお話に夢中になっておられて、私の待っていることをお忘れになっていたのかもしれません。
 いずれにしても、閣下の面会謝絶の御意思が女中さんに徹底していなかったことは間違いないと思います。だからこの場は誰も悪意をもってやった者はない。私も只今の電話がいかに重大な意義を持つものかは十分想像ができます。けれども今にして思えば全く偶然に聞いたまでです。もし新聞記事にするなら随分反響がありましょう。しかし、私は取材の意思なくして、偶然ころがって来た材料をもって記事にするようなことは断じて致しません。これは誓います。私の良心が許さないのです。だから全部聞かなかったことにします。もちろん他言も致しません。御安心下さい。念のために申しますが、私は今夜社に帰りません。ここで政治部長は今夜は何もないから、社に寄らずに帰ることを電話します。電話がすんだら応接室に行きます。閣下も御迷惑ながら来て下さい」
 筆者は廊下に出て社に電話して応接室に行った。さきほどまでは上気していた真崎の顔が青くなっている。しょんぼり椅子にかけている。
「やあ、失礼しました。今夜は私もとんだところに飛びこんでしまって……」
 と頭をかきながら笑ったが、やはり顔面筋肉は幾分硬直しているのを覚えた。真崎はうつむいてしばらく何か考えているようだったが、突然椅子を立って、
「高宮君、今の話は是非秘密にしてくれ、このとおり頼む」
 というと敬礼した。びっくりして、こちらも立ち上って、
「大丈夫ですよ。私は断じて他言も致しませんし、新聞にはもちろん書きません。ご安心下さい」
 と頭を下げると真崎は筆者の手を堅く握って「おい、頼むぞ、頼むぞ」と言って打ち振った。その手の感触はつめたかった。筆者は電話したとおり社に帰らず自宅にもどった。けれども何となく後味がわるい。約束したからにはそれは破らない。とはいえ、真崎とは何者だ。師団長のころからあれほど真面目な話をしていた男が、実はとんでもない食わせ者ではなかったか。悪党だとしても小悪党だ。大悪党なら夫人を殴ったり、女中を叩きつけてわめくような真似はしないはずだ。たとえ「話を聞かれたか、失敗だった」と思っても、ゆうゆうと筆者の前に現れ、「やあ、待たせたね、あっちに行こう」と応接室に行き「今夜はいい台詞を聞かせたね。あれはまあ秘密にしておいてくれよ」ぐらいにして、あとは平然と話をしていたなら、筆者のような単純な男は、太ッ腹な将軍という気になって、従来以上の尊敬をしたに違いない。
 それから数日後、筆者は真崎の家を訪ねた。まだ陽のある午後だった。真崎はもう帰宅していた。刺を通ずると先夜の女中のかわりに夫人が玄関に出て来た。気軽く面会を申しこむと夫人はいったん引っこんだが、こんどはちゃんと玄関に正座して、
「お取りつぎ致しましたが、これまで長い間ご交際を願っておりましたが、これから先は会っても利益はないから、お断��してくれと申します」
 思いなしか夫人は緊張の顔色である。
「……利益はないから……利益はないからと仰せられるのですか」
「はあ、さように申しております」
「それでは今までは、閣下は閣下の利益のために、ご交際下さったというのですね」
 と念を押したが、夫人は何とも答えない。
「わかりました。私は閣下とのお約束は忠実に守るつもりでした。あれから後の朝日新聞を見て下されば、私が食言していないことがわかりましょう。しかし、閣下がそのような気持でしたら私も考えなければなりません。すみませんが、もう一度会いたいと頼んでみて下さいませんか」
 夫人はしばらく黙っていたが「とてもだめでしょう。今日はこのままで御引きとり下さい」と遠慮がちにいう。
「致し方はありません、それでは確かに閣下にお伝え下さい。ふたたび私は閣下に面会は求めません、たとえ閣下から申しこまれても私は会いません。これだけをどうぞ」
「承知致しました」
 それっきり筆者は彼の生前一度も会わない。そして真崎という人間に対しては、今日でも憎悪と侮蔑を感ずる。真崎と絶交してから、まもなく荒木を訪ねた。荒木は機嫌よく迎えた。
「おい、先夜はえらいところを聞かれたらしいね、真崎が弱っていたぞ」
「真崎閣下とは絶交しました。あんな狸爺は軽蔑します」
 というと、「まあ、そう怒るな」と言って快く笑う。何のくったくもない。ああ、これは真崎より人物は一枚も二枚も上ではないかと思った。…
 (高宮太平『昭和の総帥』、1973年、189-190頁) 
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shakuhachi-kataha · 4 years
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尺八空白の100年間に何があったのか!?
From the mid 1200s to the mid 1300s, why is Shakuhachi missing from historical sources? !
 
 
鎌倉時代(1200年代半ば)から室町時代(1300年代半ば)にかけてのいわゆる中世 middle Ages に尺八 shakuhachiという楽器のことが記された史料が無いのだそうだ。
 
まずは、尺八研究家の本に記載された文章を抜粋すると…
 
 
 
 
山口正義 『尺八史概説』(2005年)によると、
「9世紀半ばから16世紀初頭までの間は尺八の歴史上大きな空白期間であり、古代尺八と尺八(一節切)の間には諸説あり、定説までには至っていない。」
 
 
 
上野堅実 『尺八の歴史』(2002年)によると、
「十三世紀半ばから十四世紀半ば過ぎまで尺八の消息は跡絶えるものの、(略)」
 
 
井出幸男氏の論文『中世尺八追考 伝後醍醐天皇御賜の尺八を中心に』(1992年)には空白の六十五年間(中略)実体は不明と言わざるを得ない。と書かれている。
 
 
 
 
尺八研究家の山田悠氏が残した「尺八・虚無僧編年史」(虚無僧研究会機関誌「一音成仏」第47号 2017年)によると1252年の「十訓抄」から1408年の「山科教言卿記」までは実際に尺八が吹かれていたという史料はない。
 
 
 
 
山口氏の空白期間はずいぶん長いですが、およそ百年、
空白! 消息は跡絶える! 実体は不明!
Blank! Disappear! Unknown!
 
ということで、上野氏の言う13世紀半ばから14世紀半ば、歴史上何が起きたのか調べてみました。 
I looked into what happened in history from the mid-13th century to the mid-14th century.
 
 
12~13世紀といったら鎌倉時代。本格的な武家政権による統治が開始した時代です。鎌倉時代から室町時代にかけては芸能史的にみても、貴族社会を中心とした芸能が衰退して行く一方で、庶民の中から新たな諸芸能が誕生し発展していった時代でもあります。
 
 
 
 
1247年からスタート♪
1247年 宝治合戦(鎌倉幕府の内乱 Civil war)
 
 
1257年 関東地方南部 M7 なんといきなり大地震 big earthquake!
 
 
1268年 北条時宗が執権に就く。
 
 
1272年  二月騒動
(蒙古襲来の危機を迎えていた鎌倉と京で起こった北条氏一門の内紛 Infighting)
 
 
元寇(蒙古襲来 Mongolian invasion)
 1274年  文永の役
 1281年  弘安の役
(当時モンゴル高原及び中国大陸を中心領域として東アジアと北アジアを支配していたモンゴル帝国<元朝>およびその属国である高麗によって2度にわたり行われた対日本侵攻の呼称)
 
 
1285年 霜月騒動(岩戸合戦)(鎌倉で起こった鎌倉幕府の政変 Political change)
  
1293年 平禅門の乱 (鎌倉で起こった政変 Political change) 
 
 
1293年 鎌倉大地震 なんと再び大地震 big earthquake!
(関東地方南部に被害をもたらした地震。震源域は鎌倉周辺、規模はM7以上と推定23,034人もの死者)
  
 
1305年 嘉元の乱 (鎌倉幕府内での騒乱 Riot)
 
 
1331年 - 1333年元弘の乱
(鎌倉幕府打倒を掲げる後醍醐天皇の勢力と、幕府及び北条高時を当主とする北条得宗家の勢力の間で行われた全国的内戦  National civil war)
 1331年 後醍醐天皇、山城国笠置山で挙兵する。
 1333年 5月11日 小手指原の戦い
 1333年 5月12日 久米川の戦い
 1333年 5月15日 分倍河原の戦い
 1333年 5月16日 関戸の戦い
 1333年 5月22日 東勝寺合戦。北条高時ら、自害して鎌倉幕府滅亡 
     Destruction of the Kamakura Shogunate。
1331年 光厳天皇が即位する(北朝の初め)
 
 
1331年 京都に天然痘が大流行していた。Smallpox outbreak
1333年 元弘の乱戦没者とみられる人骨が多数確認されているが結核であったことが判明。tuberculosis outbreak
天然痘、結核と感染症が流行っていた! 
 
  
1334年 建武の新政。後醍醐天皇による親政。
 
 
1335年 中先代の乱
(北条高時<鎌倉幕府第14代執権>の遺児時行が、御内人の諏訪頼重らに擁立され、鎌倉幕府再興のため挙兵した反乱 Rebellion)
 
 
1335年- 1336年 延元の乱(建武の乱)
(後醍醐天皇の建武政権と足利尊氏ら足利氏との間で行われた戦い war)
 1336年 多々良浜の戦い
 1336年 湊川の戦いで、楠木正成が戦死。
 
 
南北朝時代
南朝
1348年 四條畷の戦い(南朝と室町幕府<北朝>の戦い war)
 
 
北朝
1338年 足利尊氏、征夷大将軍に補任され、京都に幕府を開く(室町幕府)。
 
 
1351年 観応の擾乱
(足利政権<室町幕府>の内紛によって行われた戦乱 war)
 
 
1361年 正平地震、大津波。南海トラフ沿いの巨大地震と推定 M8.3
ひゃ〜またもや大地震に今度は津波も!big earthquake and tsunami
 
 
1394年 室町時代はじまる
 
 
 
と、この約百年、内乱、内紛、蒙古襲来、政変、騒乱、戦い、戦乱、擾乱…とありとあらゆる戦争混乱を指し示す言葉が並んでおります。 
 
 
 
そして災害!
1257年、1293年、1361年と約百年の間に三回のM7以上の大���震!
And disaster! Three major earthquakes above M7 between 1257, 1293, 1361 and about 100 years!
 
 
 
加えて疫病!
天然痘、結核、古来からあるハンセン病に麻疹。
Smallpox, tuberculosis, leprosy, measles.
 
 
モダンメディア55巻11号 加藤茂孝 第 2 回「天然痘の根絶-人類初の勝利」によると、
「京都市左京区、京都大学の近くに百万遍という地名がある。お寺の別名である。すなわち、浄土宗大本山百万遍知恩寺。鎌倉時代末期、後醍醐天皇の時代(1331 年)に大流行していた天然痘 Smallpox を鎮めるためこの寺は百万遍念仏を行い、見事に鎮めて、天皇より「百万遍」の寺号を賜った。近代医学導入以前においては、染症の大流行時には、鎮静を祈祷のために読経(どきょう)が繰り返された。浄土宗・浄土真宗が隆盛した倉以降は読経の代わりに念仏が多くなった。この百万遍はその典型例である。1331 年といえば、後醍醐天皇にとっては失敗した倒幕運動の元弘の変を起こした元弘元年(8 月)である。この変により後醍醐天皇は岐島に配流になるので百万遍の話は 8 月以前の話である。2 年後の1333 年、天皇は隠岐島を脱出し、足利尊氏、新田義貞の挙兵により鎌倉幕府は崩壊する。疾病と戦乱は、いつの世にも人々を苦しめてきた。」
 
百万遍の読経で見事に鎮まったとのこと!
 
 
そして今現在はどうか調べてみたら4/7日のFBのとても有り難い法話↓
https://ja-jp.facebook.com/hyakumamben.chionji/photos/a.705541216285852/1442921125881187/?type=3&theater
 
 
そしてハンセン病、麻疹(はしか)は、
 
ハンセン病 leprosy・日本では、古代・中世にはこの病気は仏罰・神罰の現れたる穢れと考えられており、発症した者は非人身分に編入されるという不文律があった。これにより、都市では重病者が各地の悲田院や奈良の北山十八間戸、鎌倉の極楽寺などの施設に収容され、衣食住が供された。
麻疹 measles・古来ほとんどの人が一生に一度はかかる重症の伝染病として知られ、かつては「命定め」とよばれて恐れられたため、全国各地に麻疹に関する民間信仰が伝わっている。(wikipediaより)
 
 
 
 
戦争に、災害に、疫病に。。。
もうここまで来ると想像がつかないです。
みんなどうしてたの?
War, disaster, infectious disease. . .I can't imagine it anymore.
   
そして忘れちゃいけないのが宗教!
And religion!
 
 
まさにこの頃、続く戦乱で厭世観が強まり、魂の救済が求められるようになり、仏教の一般大衆化も進んだ。
The war that followed at this time resulted in increased pessimism, the need for soul salvation, and the spread of new Buddhism.
 
 
 
 
浄土宗、浄土真宗、時宗、臨済宗、曹洞宗、などなど。
 
 
 
この頃描かれた絵画には、遊行聖 (Alms monk) が登場します。虚無僧(komuso)の前身といわれる暮露 (boro)もその仲間です。これらの絵について詳しくはまた次回。
融通念仏縁起絵巻
法然上人絵伝
一遍上人絵伝
Tumblr media
『一遍上人絵伝』(1299年)  国会図書館より
真ん中あたりにいる四人組みが暮露の集団と言われています。
これが虚無僧の前身?謎ですよね。
今後のミニ講座で解明していきます!
  
 
ここでやっと最初の疑問に戻りますが、
なぜこの百年間、尺八に関する史料が無いのか、まとめると…
 
 
 
平安期以降、尺八が雅楽で用いられる事は絶えて無くなっていた事が伝えられていおり、貴族社会を中心とした芸能が衰退して行く一方で、庶民の中から新たな諸芸能が誕生し発展していった。ということは権力の象徴である「文字」と「史料」が繋がることを考えると、この頃の尺八奏者たちは文字の持たない人々だった。書いた物を「所持する、保存する、持ち歩く」などしなかったので史料など残っていない!
そして、続く戦乱に政権交代、以前当然のようにしてあったものがすっかり無くなるという事が起きる変革期であった。大きな災害もそれに加担しているかと推測します。史料があったとしてもどさくさに紛れてどこかへいってしまったか、燃えてしまったか、消えてしまった。
 
 
 
 
そしてその百年後すぐの14世紀半ば、1358年に懐良親王よって書かれた『芳野拾遺物語』には尺八愛好の記事が書かれている。尺八は民衆から再び宮廷貴族社会へと戻ってきたのでは、と推測される論文が井出幸男氏の『中世尺八追考』によって記載されている。 
 
  
 
ま、よかったというか、なんというか。
 
 
 
 
それにしても、こんなに色んなことがあってもよくぞ生き延びたと褒めてあげたい尺八ちゃんです。
多分、このコロナ騒動でも生き残るかな…。
いや、古代尺八が消えたように、違う形で残るかもしれない…。
 
 
 
 
 
消えた百年、長かったですね。
 
話はもっともっと膨らんでいきそうですが、この辺りで…
 
 
 
ともかく、全ての人が救われるように新しい仏教が生まれたように、精神的にも皆が救われる、人の心を変える何かがこの困難で生まれる事を願いつつ、平等に全ての人が支援を受けれる事を願うばかりです。
 
 
 
 
...
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chikuri · 5 years
Quote
去る4月、中国の温家宝総理が訪日した際に発出された日中共同プレス発表の第三項に、「台湾問題に閲し、日本側は、日中共同声明において表明した立場を堅持する旨表明した」という一文がある。ここでいう「日中共同声明において表明した立場」とは、具体的にどのようなものなのか。英語でInstitutional memoryという言葉がある。特定の組織が、当該組織に属したことがある個人ではなく、組織として継承している過去の記憶のことである。今年は、日中国交正常化35周年に当たる。35年前に国交正常化を合意した日中共同声明の主要な争点の一つであった台湾問題についての日本政府の当時の交渉記憶が正確なものかどうかを、この機会に改めて検証してみる必要があるように思われる。    「中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する。」 右に引用したのが、台湾の地位について合意された日中共同声明第三項である。同項は、1972年9月、北京での国交正常化交渉において最後まで残った争点であり、また、共同声明の中で今日でも実体的意味を持っている唯一の規定なのである。(当時筆者は、条約課長として、田中総理、大平外相に随行し、高島条約局長を補佐して中国側との交渉に参画した。) そもそも、中国との国交正常化を公約に掲げて72年7月に登場した田中内閣が対応を迫られたのが、当時中国政府が国交正常化の前提条件として提示していた対日復交三原則であった。このうちの第一原則、すなわち中華人民共和国政府が中国を代表する唯一の合法政府であると認めることは、戦後わが国が外交関係を維持してきた台湾に存在する中華民国政府との公的関係を、「一国一政府」という国際法の原則に従って終了させることを意味した。これは、日本政府にとって、大きな政治的決断を必要とする問題であったが、中華人民共和国との国交正常化を実現しようとするのであれば、いずれにせよ避けて通ることはできない関門であった。 対日復交三原則の第三原則は、わが国が1952年に中華民国との間に締結した平和条約は、不法、無効であり、廃棄されなくてはならない、とするものであった。この主張は、中華人民共和国 (1949年に樹立宣言) の立場からすれば当然とも言えるが、他方、わが国としても、戦後わが国の国際社会復帰の枠組みの一環であった日華平和条約が不法、無効と認めるわけにはいかないことは明白であった。この双方の立場の違いを克服するには、交渉当事者の現実主義と外交的智恵を要したが、決して不可能なことではなかった。実際にも、この問題は、共同声明発出直後に行われた記者会見において、大平外務大臣が「日華平和条約は、日中国交正常化の結果として、存続の意義を失い、終了したものと認められる」との一方的声明を行う(これに対し、中国政府が意義を唱えない)ことにより解決したのである。 第二原則は、台湾の地位に関し、先に引用した共同声明第三項の前段に述べられている中華人民共和国政府の立場を認めることを求めるものであった。この台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であるとの中国の立場を受け入れることには、三つの基本的問題が存在した。第一は、1949年に誕生した中華人民共和国は一度も台湾に実効的支配を及ぼしたことはなく、同地域は、中華人民共和国の支配を拒否する国民党政権 (当時) によって継続的に統治されてきている、という政治的現実である。第二は法的な問題である。台湾の法的地位に関しては、サンフランシスコ平和条約がわが国の領有権を含む「すべての権利、権原」の放棄を規定するに止まり、同地域の最終的帰属を定めなかったという経緯がある。これは、1949年以降の中国が、大陸を支配する中華人民共和国と台湾を支配する中華民国の二つに事実上分裂した事態の下で、サンフランシスコ平和条約の当事国である米国その他の連合国の間で、台湾をいずれの中国に帰属させるかについての合意が得られなかったことによるものである。そして第三が、日米安保体制に係わる問題である。 日中国交正常化に先立つ同じ1972年の5月に沖縄の本土復帰が実現したが、沖縄返還交渉において米国との間で最大の争点となったのは、返還後の同島の米軍基地に、安保条約に基づく事前協議制度が変更なしに適用されるのかどうか、という問題であった。これが、いわゆる「本土並み」返還の問題である。 事前協議制度の下では、わが国が攻撃されていない状況において、米軍が戦闘作戦行動を目的として在日基地を使用するためには、事前に日本政府の許諾を得る必要がある。日本政府は、当然この事前協議制度はそのままの形で沖縄の米軍基地にも適用されるべきである、との立場で対米交渉に臨んだ。しかし、韓国、中華民国(台湾)との間に相互防衛条約を結んでいる米国としては、万一朝鮮半島あるいは台湾海峡有事の際に、事前協議に基づく日本政府の許諾が得られず、沖縄の米軍基地の使用が著しく制約されれば、韓国、中華民国に対する防衛義務を効果的に果たせなくなることが懸念され、そのような事態は是非とも避けなくてはならない、という軍事上の要請があった。 そもそも安保条約は、日本防衛と同時に、条約上は極東と呼ばれる、わが国を含む東アジアの安全を確保する地域的安全保障システムの中核という性格を併せ持っている。しかし、この地域的システムは、朝鮮半島や台湾地域の平和と安全の重要性について日米両国が共通の認識を持たなくては機能しないことは明らかである。したがって、沖縄の「本土並み」返還を実現するためには、事前協議制度は維持しつつ、別途何らかの方法で、地域的システムとしての安保体制が、いざというときに機能不全に陥ることはないことを示すことによって、米国の懸念を取り除く必要があった。そのために考え出されたのが、1969年11月の佐藤栄作総理(当時)の訪米時に発出された日米共同声明である。(この間の経緯については、東郷文彦「日米外交三十年」に詳述されている。) 同共同声明の第四項において、「韓国の安全は日本自身の安全にとって緊要である」と同時に、「台湾地域における平和と安全の維持も日本の安全にとって極めて重要な要素である」との総理大臣の認識が表明されている。更にこれを受けて第七項は、次のとおり述べている。    「総理大臣と大統領は、施政権返還にあたっては、日米安保条約及びこれに関連する諸取決めが変更なしに沖縄に適用されることに意見の一致をみた。これに関連して、総理大臣は、日本の安全は極東における平和と安全なくしては十分に維持することができないものであり、したがって極東の諸国の安全は日本の重大な関心事であるとの日本政府の認識を明らかにした。総理大臣は、日本政府のかかる認識に照らせば、前記のような態様による沖縄の施政権返還は、日本を含む極東の諸国の防衛のために米国が負っている国際義務の効果的遂行の妨げとなるようなものではないとの見解を表明した。大統領は、総理大臣の見解と同意見である旨を述べた。」 すなわち、極東の平和と安全についての日米の認識の共有を確認することにより、日本側は、事前協議に際して「ノー」と言う(戦闘作戦行動のための基地の使用を認めない)権利を留保しつつも、実際にその権利を行使する可能性は極めて小さいという政治的保証を米側に与え、「本土並み」返還への合意を取り付けたのである。なお、訪中の一ケ月前の八月未にハワイでニクソン大統領と会談した田中総理は、中国との国交正常化は安保条約と関わりない態様で行う旨を述べて、同大統領の了解を得た経緯があるが、これは、右に触れた日米共同声明を念頭に置いてなされたものである。 以上の背景を踏まえながら、わが国として、台湾問題に関しどのような立場をとるべきであろうか。これが、当時の外務省事務当局に与えられた課題であった。 台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であるとの中国の主張を受け入れた場合は、台湾に対する中国の武力行使は国際法上内戦の一環(正統政府による反乱政権に対する制圧行動)として正当化され、他方、台湾防衛のための米国の軍事行動(中国の国内問題への違法な干渉)をわが国が支援する法的根拠が失われてしまう。これは、まさに地域的安全保障システムとしての安保体制の崩壊を意味する。わが国がこのような立場に立たされることは、中国が武力による台湾「解放」の可能性を排除しないとの立場をとっている以上、どうしても避けなくてはならないことは明らかであった。そこでわが方が中国側に提示した共同声明の台湾問題に関する原案は、まず前段において、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であるとの中国の立場を引用し、後段で、「日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重する」としたのである。北京の人民大会堂で開催された第一回外相会談において、日本側は共同声明案を提示し、高島条約局長(当時)が大平大臣の指示に基づいて逐条的に案文の説明を行った。台湾については、サンフラン シスコ条約の下で全ての権利、権原を放棄したわが国は、同島の地位について発言する立場にないとの認識を述べた。 日中交渉の七ヶ月前の二月にニクソン大統領が訪中し、米中和解を謳う歴史的な上海コミュニケが発出された。その中で台湾問題について、米側は、「米国は、台湾海峡の両岸のすべての中国人は、中国は一つであり、台湾は中国の一部であると主張していることを認識する(acknowledge)」と述べるに止まった。日本としては、この米国の立場から踏み出すわけにはいかない、というのが共同声明案を起草した外務省(条約局) の考えであった。(ちなみに、わが方の照会に対する米側の非公式の説明は、「アクノレッジ」とは、文字通りアクノレッジという意味であり、それ以上のものではない、とのことであった。すなわち、中国人が主張している事実を認めたのであって、主張そのものを認めたものではない、という意味であると理解されたのである。) さて、「中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重する」とのわが方案に対し、中国側の回答は、「ノー」であった。このような厳しい反応は、台湾に対して強い影響力を有している国は米国に次いで日本との実情を考えれば、予想されないことではなかった。したがって、訪中前に条約局は、中国がわが方案を拒否した場合に備え、ぎりぎりの第二次案を考えておく必要があると判断したのである。そして、そのような案としてわれわれ事務当局がポケットに入れておいたのが、当初案の末尾につなげて「ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」との一文を加えたものであった。 わが国が降伏に際して受諾したポツダム宣言 (日本の降伏条件を規定した宣言として、1945年7月26日付で米・英・中華民国三国首脳により発出)は、その第八項 (領土条項)において、「カイロ宣言ノ条項ハ履行セラルべク」と規定している。そして、同じ三国の首脳が1947年11月に発出したカイロ宣言は、台湾、膨湖諸島は中華民国(当時)に返還することが対日戦争の目的の一つであると述べている。「一つの中国」という立場から、中華人民共和国政府が中国を代表する唯一の正統政府と認めるのであれば、カイロ宣言にいう「中華民国」とは、中華人民共和国が継承した中国である。したがって、カイロ宣言の履行を謳っているポツダム宣言第八項に基づく立場とは、中国すなわち中華人民共和国への台湾の返還を認めるとする立場を意味するのである。 姫鵬飛外相を通じてわが方の第二次案を受け取った周恩来総理は、これを受け入れる決断をした。中国側の同意を知らされたわれわれは、筆者を含め、これで正常化交渉はまとまったと感じた。ポツダム宣言第八項に基づき、台湾の中国への返還を認めるとの立場は、次の二つのことを意味している。第一に、台湾の最終的地位は未解決であるとの認識である。これは、台湾が中華人民共和国の領土の一部になっているとする中国の立場とは異なるものである。しかし、中国にとってより重要な第二の意味は、台湾が中華人民共和国政府によって代表される中国に返還されるのをわが国が認めることであるから、「二つの中国」あるいは「一つの中国、一つの台湾」は認めない(すなわち、台湾独立は支持しない)、ということである。周総理は、この日本の第二次案を正確に理解し、台湾の地位に関する法律論よりも、日本が台湾の中国への返還にコミットしたことが持つ長期的かつ政治的意味を重視したものと思われる(すくなくとも筆者はそのように考えている)。また同総理���、結局台湾問題の鍵を握っているのは米国であり、その米国が譲れない線を越えて日本が譲歩することはあり得ない、と判断したのであろう。 このようにして合意された日中共同声明第三項については、時の経過と共にinstitutional memoryが薄れ、不正確な理解の侭に議論が行われる傾向がある。 誤りの第一は、同項の日本国政府の立場表明の重点は、後段のポツダム宣言への言及部分ではなく、前段の「中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し」の部分にあり、かつ、その趣旨は、中華人民共和国政府の立場を受け入れたものとする解釈である。この解釈が正しくないことは、すでに述べたとおり、当該部分がまさに中国が拒否したわが方の第一次案であったという交渉経緯に照らせば明白である。中国は、「十分理解し、尊重し」の表現は不満足と考えたからこそ、受け入れなかったのである。 第二の誤りは、同項全体が中国の立場を認めたものであるから、台湾の地位をめぐる問題は中国の国内問題と認識されるべきであり、したがって、台湾は安保条約の対象外(同条約で言う「極東」 の範囲から除かれる) とする議論である。この点については、政府統一見解として行われた、次のような大平外務大臣の国会答弁(1973年衆議院予算委貞会議録第五号) があることに留意する必要がある。    「中華人民共和国政府と台湾との間の対立の問題は、基本的には (傍点筆者) 中国の国内問題であると考えます。わが国としてはこの問題が当事者間で平和的に解決されることを希望するものであり、かつこの問題が武力紛争に発展する可能性はないと考えております。なお安保条約の運用につきましては、わが国としては、今後の日中両国間の友好関係をも念頭において慎重に配慮する所存でございます。」 右の統一見解は当時慎重に準備されたものであり、これをより平易な表現に書き直すと次のようになる。    「台湾問題は、台湾海峡の両岸の当事者間の話し合いによって平和的に解決されるというのがわが国の希望であり、その結果、台湾が中華人民共和国に統一されるのであれば、わが国は当然これを受け入れる(それが共同声明第三項の意味である)のであって、当事者間の平和的話し合いが行われている限り、台湾問題は第三者が介入すべきではない中国の国内問題と認識される。    「基本的には」とは、そのような意味である。こうした認識を踏まえれば、武力紛争の可能性がないと考えられる現状では、台湾をめぐり安保条約の運用上の問題が生じることはない���しかし、将来万一中国が武力を用いて台湾を統一しようとして武力紛争が発生した場合には、事情が根本的に異なるので、わが国の対応については、立場を留保せざるを得ない。」 多少説明が長くなったが、以上が日中国交正常化に際して政府がとった立場であり、日中共同声明第三項の意味である。その後35年の間に二つの変化が生じた。一つは、米中国交正常化が実現し、米国の条約上の台湾防衛義務は消滅したことである。しかし、米国の行政府は、国内法(台湾関係法) によって、有事に際しては適切な対応を義務づけられているから、米台関係の問題の本質は変わっていない。二つ目の、そしてより重要な変化は、台湾における民主主義の定着である。その結果、台湾住民の圧倒的多数は政治体制に関する基本的価値観が異なる本土との統一を望まない、という現実を無視することの不条理が一層明らかになってきている。このような状況の下で東アジアの平和と安定を確保していくためにわが国がとるべき道は、一方において、本稿冒頭で言及した4月の日中共同プレス発表のとおり、日中共同声明に表明されている立場を今後とも堅持する(必要に応じ、わが国は台湾独立を支持しない旨を台湾当局に明確に伝えることを含む)ことであり、他方中国に対しては、台湾問題の平和的解決が日中両国が目指す「戦略的互恵関係」に欠かせない要素であることを訴え続けることであろう。 国際関係においては、時にはいかに努力しても解決できない問題が存在する。そのような場合の唯一の策は、無理に現状を変えようとせずに、辛抱強く時が経つのを待つことである。時間が現状を変え、当初は見えなかった解決策が浮かんでくることが期待できるようになる。台湾問題は、そのようなケースのように思われる。 (編集者注. この論文は『霞関会会報』2007年10月号に掲載されたもので、同会報および執筆者の了承を得て転載しました。)
台湾問題についての日本の立場-日中共同声明第三項の意味-栗山尚一(元駐米大使)JIIA -日本国際問題研究所-コラム/レポート
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