Tumgik
#小説家の方はゲロ
urusura · 1 year
Text
だいしゅきホールドの人。クソつまんねー小説家とはまさに格が違った。
0 notes
patsatshit · 10 months
Text
いまの世の中の風潮的にこういう言い方をすると色々と問題になってしまうのかもしれないけれど、僕は昔から女性が苦手で、いや、苦手というか怖い存在と言った方が良いかな。フェミニズム云々とかではなく、対峙したときに生き物として畏怖の念を抱いているというか、純粋にかなわないと思ってしまう。これは男女という性別には関係のない話やけど、人って打算的やし残酷でしょう。たまたま僕はこれまでの人生でそういう女性と多く出会ってきたから、ある種のトラウマになっているのかもしれない。文筆家OBATA LEOはそんな僕が素直に話ができる数少ない女性のひとりで、彼女が自主制作しているZINEを読んだとき、年齢や性別に関係なく、この人とはもっと話がしたいと思った。だから今回のインタビューで彼女の素顔に少しでも迫っていけたら嬉しいし、それによって僕自身がトラウマを克服できたら最高!
Tumblr media
〔土井〕 そんな訳でLEOちゃん、今日はよろしくお願いします。あなたの素顔に迫りたいということで、いきなりで申し訳ないんやけど、LEOちゃんはメイクは念入りにする?それともスッピンでも平気な人?
{LEO〕畏怖の念というの、当たり前かもしれませんが自分はあまりピンとこず、それはさておき、話したいというのはとても嬉しいお言葉です。土井さんに対する自分の思いは話し出すと長くなるのでここでは割愛しますね(笑)。インタビューの最初の質問って、文章の書き出しと同じでその後の流れを決める置き石のようなものですが、無駄のない場所に置きはったなという感想です(笑)。メイク、友達や知り合いや初対面の人と会う日、休みを満喫するぞって日は絶対めっちゃします。でも誰とも会う予定ない日は日焼け止めすらせず出かけてますね……。本にも書いたんですけど、メイクって自分にとっては、したくてやってると言い切れるわけでもなければ、したくないのに嫌々やってるとも言い切れるわけでもない、微妙な行為で。川上未映子の『乳と卵』という作品で、豊胸手術について、「それは社会に思い込まされてるんや」という意見と「自分がしたいからするんや」という意見が対立して決着がつかない、という場面があります。自分もフェミニズムというものを知ったとき、そういうジレンマに陥って、なんなら「社会に思い込まされてることを全て取り除いて真の欲望を見つけたいと思う」みたいな文章まで書いたんですけど、今となってはそんなことは不可能やしあまり意味もないのかもと思ってます。
〔土井〕うーむ、良いね、出だしからヒリヒリとした緊張感があるわ、前回の小野ちん(moanyusky)のときとはえらい違いや(笑)。そう、でもやっぱりメイクって自分のなかでは割と重要で、メイクは女性だけに限った話ではないとはいえ、やっぱり男性でメイクをする人はまだまだ少数やし、僕らおっさん連中のほとんどがむき出しの顔面を晒して生活してしているのに対して、女性の多くはメイクで日々、自分の顔を変化させることができる。メスで皮膚を傷つけることなく、その日の気分で変身できるというのは、なかなかにショッキングなことで。『乳と卵』は僕も大好きやし、未だに川上未映子の最高傑作やと思ってる。あそこで描かれる能動的か受動的かという問題、実はタラウマラのご近所さんで実際に豊胸手術をした主婦の方がいて、その人は旦那が胸が大きい方が好きなんだろうと思って実際にやってみたら実は旦那の好みはそうではなかったと知って、めちゃくちゃ後悔してはった。旦那を喜ばせたいという自発的な想いが発端とはいうものの、その背後には無意識に旦那の好みに寄せていくという受け身な態度が窺い知れる。しかもそれが思い込みやったとなれば更に話がややこしくなる。ほんま人間はどこまで能動的に振る舞えるんやろうね、甚だ疑問やわ。そう言えば『乳と卵』のなかに巻子と緑子という親子が互いに自分の頭で玉子を割ってドロドロになる描写があったやん。あれって卵子を破棄したいという願望の現れやと思うねんけど、LEOちゃんの最新作『目下茫洋』のなかにも子宮を爆弾に例えて「それを運び続けることが、すなわち生きることになっている」という強烈な表現があってゲロ吐きそうになってん(賛辞)けど、それ以外の箇所も含めてあきらかに前作『ROLLER SKATE PARK』とは異質の内容になってると思う。前作から今作に至るまでの期間に何か心境の変化のようなものがあったの?
〔LEO〕なるほど!!いわれてみればストレートな比喩やのに、卵の場面でその解釈を思いつきませんでした……!殻が割れるというのが、二人の心の殻が割れるってことを暗示してるんかなぁと思ってました。あとはその卵を体にぶつけて割るという非日常的である意味馬鹿らしい行為を共有することで、関係も変わったんかなぁとか。そもそも、あの話でもなんで巻子が豊胸手術をしたいかっていうのは謎なんですよね。他の人とその話をする機会があったときに聞いた意見で妙に納得したのは、豊胸手術をすれば全てが上手くいくという願いみたいなものがあったんじゃないかというので、それは実際の土井さんのご近所さんの話を聞いて、改めて重ね合わせてしまいした。旦那さんを喜ばせるためには、豊胸手術をする以外の形もあったはずやのに、それが選ばれたという事実について、考え込んでしまいます。ZINEの内容としては、『目下茫洋』の原稿を書き始めたのは、『ROLLER SKATE PARK』と同じタイミングで2022年の9月です。でも最後の最後まで完成しきらず、また最初に出す作品で「女性の書き手」というイメージをつけたくなかったので、別の機会に回すことにしました。一年経って、やっと踏ん切りがついたので、今回出したというような感じです。なので、心境の変化は特にないですね。それどころか、2022年の9月に書きはじめるときにも、2020年とかもっと前に書いた別の原稿を原型にしたので、むしろ『ROLLER SKATE PARK』の方が異質な内容といえるのかもしれません(笑)。
Tumblr media
〔土井〕そうなんや!あの2冊は同時期に書かれたものなんや!それはびっくり!あれをがっちゃんこして1冊にしないところがニクいね(笑)。でも「女性の書き手というイメージをつけたくない」という気持ちはわかる気がする。社会そのものが「女性」というイメージを操作する機械やとしたら「女性」の書き手にとってはこのことほど煩わしくて鬱陶しいものはないよね。機械についてはドゥルーズの言葉を引くしかないけど「一方の機械は流れを発する機械であるが、他方の機械は、この発せられた流れを切断する機械である。乳房は母乳を生産する機械であり、口はこの機械に連結されている機械である」っていう、何回読んでもきちんと理解できないドゥルーズなりの概念があって、さっきの能動的か受動的かという話に戻るけど、要するに手を取り合ったかと思えば手を離すということをひたすらに繰り返すってことやんな(違ってたらすみません!)。『ROLLER SKATE PARK』が流れを発する機械やとしたら『目下茫洋』は、この発せられた流れを切断する機械やという感じかな。でもあれは確かにぶった斬りにきてるよね(笑)。そもそもLEOちゃんが「能動的」に文章を書きはじめた、あるいはそれをzineにしようと思ったきっかけは何なの?
〔LEO〕機械の例えはほんまにそうですね……。操作できないレッテルを貼られた箱のなかに勝手に分類されるときの無力さは筆舌に尽くし難いものがありますね。ドゥルーズのその文、帰り道で何回も考えてみたけど難しい(笑)。能動と受動に関しては、自分も全然答え出てないです。「能動的に」文章を書きはじめたきっかけやZINEにしようと思ったきっかけ���いまいちはっきりとはしてなくて。文章は小学2年生くらいに挿絵つきの物語を書きはじめて、3年生くらいのときに大学ノート一冊分くらいの勧善懲悪的な物語を書いてたのは憶えてます。子供向けの賞にも応募したことあったような。中学生のときは音楽の感想を書くブログに熱中してて、高校生のときは今もたまに更新してるはてなブログで書いたり、掌編を書きかけては筆を投げたりしてました(笑)。大学に入ってからも、気づいたらtumblerやGoogleドキュメントやノートに文章を書いてて、なんか書こうと思って書くよりは気づいたら書いてる(書かないとやってられない)って感じで、それこそわりと受動的な部分や習慣の部分が多いと思います。ZINEは大学に入る前から出してみたいと思ってたんですが、なかなかまとまった文章を書けずにいて、最後のひと押しをしてくださったのは他ならぬ土井さんです!
〔土井〕え、ほんまに!なんにせよLEOちゃんの文章が世に出るきっかけになれたんやったら、素直に嬉しいわ。それにしても小学校低学年から物語を書いてたというのはすごいな。僕は二十歳のときが最初で、司馬遼太郎の『燃えよ剣』をまんまギャングの抗争に置き換えた内容で(笑)。いま思い返してみてもほんまに恥ずかしい!でもその恥ずかしさの先にしかいまの自分の作品はなかったなぁとは思う。そういう意味でも勧善懲悪の物語を経た、いまのLEOちゃんが書いた小説を読んでみたいな。エッセイや日記はもちろん素晴らしいけど、僕はやっぱり根本的に「嘘」が好きやから、あなたの「嘘」つまり小説が読んでみたい。そう言えばLEOちゃんとはじめて会ったときに別役実の『ベケットといじめ』という本をオススメしてくれたやん。後に僕がイジメ体験者であることを知って、めっちゃ気にしてくれてて、ええ子やなって思ってん(笑)。あの本のなかで中野富士見中学で起きた「葬式ごっこ事件」を題材に、自殺した被害者も含めてあそこに関わった全員が何らかの役割を演じていたという指摘があったけど、いまでいう同調圧力、それかやっぱりドゥルーズの機械云々がふたたび頭をよぎる。まさにLEOちゃんの言う「箱のなかに勝手に分類される」感じで、そういうのは決して珍しいことじゃない。むしろいまを生きる者みんなが何かしらの役柄を演じてると言えなくもないし、ちょっとゾッとするよね。そう言えばLEOちゃんは『ベケットといじめ』の解説を書いていた宮沢章夫さんの演劇に役者として関わったことがあるんやろ?そのときのこと詳しく教えてほしいな。
〔LEO〕いや〜話したことに対してこんな熱量で返してもらえるのに「インタビュー」って、改めてすごいです(笑)。初めに書いたのがギャングの抗争やったんや、面白い!「その恥ずかしさの先にしかいまの自分の作品はない」ってほんまに間違いないですね。まぁ自分はまだ青二才なので、今も恥を塗り重ねてる最中ですけれども(笑)。小説、実はまさに一昨日書きはじめたところです。今回2作目のZINEを出してみて、いわゆるエッセイの形では今自分が書きたいことを表現するには限界があるなと感じて。それで、題材は現実からとるにしても、嘘の物語を書いてみようと思いました。「ベケットといじめ」のその指摘は本当にぞっとするところですよね。個々の人間の強い意志や悪意じゃなくて、場の雰囲気が人々に演じさせ、死にまで追いやるという。演劇については、当時はあまりピンとこなかったというのが正直なところでした。でも今の話でいうと、ちょうど先生の演劇に出る前に、友人が主宰してる劇団のワークショップで「目の前の相手を馬鹿にする」という演技をしたときに、普段とは違う強い言葉や嘲りの語調が自分の上に現れてきたのはびっくりしました。「役を演じる」というのは、それほど力のある怖い行為なんやと思います。「ゴドーを待ちながら」では、少年の役だったんですが、「わざと演じようとしなくていい」と言われていたので、演じるという感覚はあまりなかったし、思わず感情移入するような話でもないので、台詞をどんな風に言うべきか迷ってました。ご期待に沿えず申し訳ないのですが、実は当時の稽古のことよりも、帰ったらなんか焦りながら新書を読んでたことの方をよく憶えてます(笑)。当時はわかりやすく言葉の形で手に入るもの(知識)だけが価値あるものやと思ってて。小説という表現や、役者の人が身体に蓄えてきたものの豊かさとかに、全然思い及んでなかったです。教授としての宮沢章夫に5年も習ってやっと、価値あるものは世界のどこにでも遍在してるんやということに気づけました(笑)。先生は、街をフィールドワークさせたり、好きなものについてプレゼンさせたり、昔の映像を見せたり音楽を聴かせたりと、いわゆる「学問」的なアプローチではない授業をやっていました。それを勘違いして「楽単(単位をとりやすい楽な授業)」として舐めた態度で授業を受けてる学生も多かったですが、実際のところ受け身でも何かが身につくように親切に教えてくれるわけではなくて、街をフィールドワークする授業では、自分で実際に歩くことでしか見つけられない視点を得てきたかというところを厳しく見ていました。印象的だったのは、ただ通行人が新宿の駅前を歩いてるだけの映像を3分間くらい見せたあとに、先生ひとりが「面白いよねぇ」と笑っていたことで、このニュアンス伝わるかわかりませんが、この人は皆に全然見えてないものが見えるんやなと(笑)。
Tumblr media
〔土井〕めちゃくちゃ興味深い話がいっぱいなだれ込んできた(笑)!LEOちゃんの小説、それはヤバい、楽しみすぎる。日記専門店「日記屋 月日」でディレクターをしている蟹の親子さんともよくこの話をするねんけど、やっぱり僕らは「ほんまもんの嘘」を肯定できなくなったら終わりやと思うねん。いまはどちらかと言えば「嘘」は「フェイク」と貶されて、「ほんま」は「リアル」だと厚遇される。僕はどうしてもそういう価値観とは相性が悪い。本来フェイクかリアルかみたいな単純な二項対立からは逃れたところに小説の「語り」はあると思うねん。せやから「あの登場人物のモデルは誰ですか?」とか聞かれても返答に困ってしまう(笑)。「目の前の相手を馬鹿にする」ワークショップの話もめっちゃおもろいな。そこでLEOちゃんの脳みそに降りてきた罵詈雑言の数々……どんな感じやったんやろ、想像でけへん(笑)。『ダークナイト』でジョーカーを演じたヒース・レジャーもまさに同じような境地に立ったんとちゃうかな?ふとしたきっかけで自分のなかの底なしの悪意に気がついてしまうことはある。たまたまレジャーはそこから戻ってこれなくなったのかもしれへん。僕は『ダークナイト』が大好きなんやけど、何が凄いってジョーカーが自身の口が裂けた原因を語る場面で、あるときは「親父のせいでこうなった」と言い、また別のあるときは「妻のせいでこうなった」とか言うねん。めちゃくちゃ怖いやん。しかも最後まで明確な根拠が提示されないままに映画は終わる。「何らかの要因があって、こうなった」というのは、あらゆる物語にとって逃れ難きテンプレートやと思うけど、ジョーカーにはそれがない。すべては突発的に、因果関係なしに起こり得る。笑い飯の漫才にも優しいおばあちゃんが自分の畑の土から出てきたモグラをスコップで叩き殺す、みたいなネタ(哲夫が披露した「すべらない話」かもしれない)があったような気がするねんけど、ああいうのが一番怖い(笑)。ある種の物語に依存している人たちは何でもかんでも原因があって結果が生ずることを求めるけど、実際は人間ってそんなにわかりやすいものでもないやん。恨みとかなくても笑いながら人を刺す奴も絶対おるで。例えば自分の作品でいうと『JAGUAR』の終盤で前後の脈絡なく唐突に「常温でも冬場なら五日、夏場なら二日は日持ちしますよ」みたいな語りが出てくるね���けど、あれはほんまに自分でもわけがわからない(笑)。なんのこっちゃさっぱりやで。でも日常生活においては別に珍しいことでもなく、普通に歩いていても突然色んな言葉や考えが降って湧いては消えていくやろ。だからあのまま残してん。なんかLEOちゃんの話を聞いていると、宮沢章夫さんは講義や演劇を通じて学生たちにそういうことを伝えたかったんちゃうかなぁって思うわ。そうそう、あとあなたを見ていていつもハッとするのが印象的なファッション。すごく似合っているし、魅力的やと思うねんけど、あの独特のファッションは自分なりに考えがあってのことなん?
〔LEO〕「フェイクかリアルかみたいな単純な二項対立からは逃れたところに小説の『語り』はある」っていうの、ほんまにそうですね。小説のなかは独自のルールで動いてる一個の世界で、どんなに現実っぽい見た目してても現実ではないから、それを現実の物差しで測ってリアルか否かを問うのはなんか違うなと思います。その映画は知らなかったんですが、毎回別の説明するのめっちゃ怖いですね(笑)。宮沢先生は演劇も笑いもいわゆる「不条理」な感じなので、近いと思います。因果関係については、小説書きはじめてみてもう早速ぶつかってる壁です。いや、読んでる側のときはなんでもかんでも因果関係で解明しようとする読みはつまらんのちゃうかと思ってました。例えば、夏目漱石の「こころ」でなんで先生やKが死んだのか?みたいな問いって、物事の因果関係の層で片付く問題じゃないと思ってて、仮にあれが個別の具体的な人間に抽象的な概念を象徴させてる話なんやとしたら、そこで出来事だけ追って説明しようとするのってナンセンスやんと思ったり。でもいざ書こうとしてみると、なかなか因果関係から逃れるのって難しいですね。「すべては突発的に、因果関係なしに起こり得る」っていう土井さんの捉え方は、もしかしたら他者の捉え方を反映してるのかなって思いました。tumblerの記事とか読ませてもらってても、勝手に合理的な説明を作って納得しようとしたりするよりかは、他人は他人でわからんもんやって大前提がある気がして、清々しいなと思います。ひとが皆、自分が理解できるような形で自分の行動の意図を説明してくれるわけじゃないですもんね。ファッションは自分なりに気を遣ってるところではあります。顔が地味やから、せめて服だけでも派手にしよう、みたいな(笑)。でもZINEでも書いたみたいに、本来の自分を「粉飾」してる感覚で、つい服を買ってしまうけど、常に微妙な引っかかりがある。真剣に服が好きな人とは対立する価値観やと思うんですけど、服(やメイク)って所詮は見た目のところでしかなくて、本当に大事なものは精神のところにあるんやとも思ってて。だから、いつか坊主にして毎日同じ黒のシンプルな上下を着るみたいな日々を送れたらなとも思うんですけど、なかなか踏ん切りがつかないでいます。
〔土井〕嫌や!LEOちゃんが坊主の黒服は何でか知らんけど嫌や(笑)、ってこれも勝手な理想の押しつけやねんなぁ。ほんますんません。うちの奥さんもたまに「坊主にしたい」とか言うときがあって「嫌や」って言うたら「自分は私が嫌やって言うてもタトゥー彫ってるやん」って怒られる(笑)。人間って自分勝手やな。ファッションに関連した話で、今年の8月に大阪の音楽イベントに出演した韓国のDJ SODAさんが性被害を受けた事件があったやん。DJ SODAさんの身体に故意的に触れた奴が「あかんことをした」というのは大前提にして、僕はあのDJ SODAさんのファッションやセックスアピールと誤解されても仕方がないようなジェスチャーがとても怖い。彼女は「私は服を選ぶ時、自己満足で着たい服を着ているし、どの服を着れば自分が綺麗に見えるかをよく知っているし、その服を着る事で自分の自信になる」と言うていたけど、やっぱりそれを目の当たりにすることによって気まずさを抱える人間や、性的に興奮してしまう人間がいることも頭の片隅に置いとかないとあかんと思う。もっと言えば、彼女が派手なメイクや衣装で自身のスタイルの良さを際立たせれば際立たせるほどに、別のタイプの女性に劣等感を抱かせはしないか?僕はやっぱり筋骨隆々な男を見るのが苦手で、なんとなく目を背けてしまう。でも街中には肉体美をこれみよがしに見せつける看板を掲げたジムがどんどんできて、筋肉バカが量産される、あっ、さすがに言い過ぎた(笑)。これは僕の偏見に満ちた感想なんやけど、男女問わずキラキラした連中って、すぐに群れるし、意識的であるにせよそうでないにせよ他を排除しようとするやん。あいつイケてない、キモいとか言って。DJ SODAさんたちのようなポップアイコンの無自覚な言動が世の中に優劣の基準を植え付けて、新たな弱者を生んでるような気がしてならへん。まぁ、だからって胸を触る行為が許される訳ないし、そんな奴はどつかれたらええねん、とは思うけど(笑)。とにかく一般的に言われる強者、弱者という区分には違和感しかなくて、それは常に変動するものやし、それぞれの局面によっても変わってくる問題やからね。スーパー銭湯やホテルが刺青やタトゥーを禁止にしてるところが多いけど、僕は仕方のないことやと思う。入浴のわずかな時間に刺青だらけの奴の人間性なんか知ったこっちゃないし、ほんまは優しくて良い奴やねんとか言われても、見た目には威圧感しかないから。LEOちゃんは同性の立場からDJ SODAさんのことはどう捉えてる?
(LEO〕そうですね……。それほど詳しくないですが、現代らしい出来事やなとは思ってて、自分のなかでもいろんな考えが交差してます。DJ SODAさん個人に対して思うことは特にないですが、その人に限らず、自分を綺麗に見せたいという欲望や見た目を通して自信を得るというあり方を正々堂々と公言する風潮には違和感を感じますね。それは必ずしも社会の大多数が肯定すべき「潔白」で「正しい」価値観ではないはずです。そもそも「美しさ」は必ず「醜さ」を前提としていて、美しくあろうとすることは、他者よりも優位の場所にいたいという薄汚い欲望が剥き出しになってるあり方だと思うので。土井さんの言うように、実際にそういうものを見て、性的な興奮や気まずさを感じる人も居るわけですし、決して手放しにいいね!ってなるようなものではないと思います。と言ってみて、自分が服を買うときに感じる後ろめたさの理由がさらに明確になりました笑 つまり、自分もアプローチは違えどDJ SODAさんなんですよね。ただ自分としては、自己満足でやってるというのを、「自分が好きで能動的に選んでる」という意味で捉えてるので、他者にどう思われるか・どう扱われるかというところまで受け入れなあかんとは思っています。いや正味なところ腹がチラッと見えるような服を着てるからって腹触られたらキレてしまいます、でも腹を見せる服を着ることで自分は何を表現しようとしてるのか?って考えたら、ほんまに後ろめたい汚れた答えしか出てきません。「腹を見せるのは自分のスタイルが良いのを誇示したいから」→「スタイルの良し悪しは自分の努力で決まったわけではない」→「ほとんどただの遺伝要因にすぎない要素を自分のものかのように誇示してるのはさすがにダサすぎる」→「でもこの服を着ると自分の気分も上がるし」→「その『気分の上がり』は詰まるところ優越感だよな」→「いやでも実際これを着ていくと評判もいい」→「その『評判』に何の価値がある?」…みたいな問答を繰り返しながら、結局のところ快楽に溺れてる情けない人間です。そういう「屈託」(グレーゾーン)の部分をどんどん取り払って、ポジティブを装っていくような風潮があまり良いとは思えないですね。お風呂のタトゥーは少し違う部分もあるけど、威圧感を感じてしまう他者がいるという点では似てますね。
〔土井〕そうやなぁ、タトゥーも含めてファッションってほんまに難しいよね。そこにはやっぱり今回の僕らの話の裏テーマ的にもなってる能動的か受動的かという話と切り離せない問題やと思うし、そこには確実に実在しない何者かによる「まなざし」がべったりと貼り付いてる。ちなみにほんまの余談なんやけど、いまや作業着も私服もまったく同じで毎日同じ服装しかせえへん僕も、実は服飾専門学校に通ってた時期があって、結局なんぼやってもまつり縫いができへんくて早々に中退してん。ほんまこれどうでもええ話やったわ(笑)。とにかく今回のインタビューで気がついたことがあって、LEOちゃんのなかにも男性性があるし、僕のなかにも女性性があるということ。それが順繰り自分でも気がつかないうちに小刻みに切り替えが行われてるんちゃうかな。だから自分の行動や考えにも常に違和感がつきまとう。さっきようやくその結論にたどり着いた自分はもはやいまの自分ではないから、どうやってその結論に至ったのか、いまとなっては到底わか��からない、みたいな(笑)。その果てなき違和感に決着をつける術が僕の場合は小説なのかもしれへん。決着というか、違和感を違和感のまま提示できる裏ワザのようなもんかな。生きてたら矛盾だらけやけど、その矛盾をそのまま置いてみたり、別の角度から眺めてみたり、転がしてみたり、味見してみたりできるのが小説やな。さっきのファッションに関するLEOちゃんの問答なんて、すでにめちゃくちゃ小説的やと思うねん。小説って何も起承転結があって、ある地点で発生した問題を最終地点に送り届けて解決することが目的ではなくて、語りそのものの躍動こそが本来の醍醐味やと思うから。俗にいう解決しない物語は、独りよがりな問答から始まる。だからやっぱり僕はこれからあなたが書き上げるであろう「嘘」が楽しみで仕方ない。今回は色々と突っ込んだ話ができてほんまに楽しかった。そもそも関東から関西に戻って来たばかりで仕事も執筆活動も大変なときに時間を割いてくれてありがとう。そんなわけで最後の質問、いまのLEOちゃんの最大の楽しみは何ですか?それが聞きたい。過日Gerald MitchellのDJで踊るあなたはめちゃくちゃ楽しそうやった!
〔LEO〕なるほど……面白いです。自分のことだからって自分で全て把握してるわけでもないんでしょうね。自分(私)は把握できてると思い込んでたけど、それこそ小説を書きはじめてから深層心理を掘り返すような作業に早速飲まれてて、全然把握できてないことを思い知らされました(笑)。小説って面白いですね。いまは書き急がず、もっといろんなものを読んでみようと思ってます。最大の楽しみ!確かに音楽を聴くのはとても好きですが、最大と言われるととても難しい(笑)。若干ズレてて恐縮ですが、布団でまどろんでるときと良い夢をみてるときが一番幸せですかね。最後こんなんですみません、こちらこそ貴重な機会をほんまにありがとうございました。今後は自分が土井さんを個人的に質問攻めにさせてください。この長いインタビューを読んでくださった方もありがとうございました!
7 notes · View notes
manganjiiji · 1 year
Text
沙羅沙羅
肉体が限界を超えて、破壊され、また再生されようとしているため、痛いし、きつい。これこそが労働の喜び。さて、新しい仕事が始まっています。オー。圧倒的。強襲される、という表現でもってあらわしたいくらい、息つく間もない現���で、非常に自分に合っている。こうでないと生きている気がしない。前職を1ヶ月で辞めたが、それはもう逃れ得ないことだったと思う。死んだ気持ちで働くことに意味がない。勤務初日からコロナ(2年半ぶり2回目)で5日間出遅れたが、なんとか最初の1週を越えた。まあ、なんとかなるような気がしている。フリーターとして新しい職場に入っていくのももう10箇所以上をゆうに超えていると思う。新人としての振る舞いだけは自信がある。それでもだんだん気が抜けてゆるくなってきている、慣れとはすごい。今度の職場はとにかく同僚の数が多い。色んな人がいる。可愛がってくれる人が多い気配を察知してかなり喜色満面(気持ち悪い表現だ)である。歳も歳なので後輩指導に当たることも増えてきた昨今だが、最初は自分が後輩として甘やかされるのでスーパーミラクルご褒美タイムだなと思う。これがおそらく数ヶ月でもう次の後輩に教える立場になる。外見年齢と実年齢に乖離があるため最初はとにかく若者として可愛がられるのだが(8〜10歳程度の誤差がある)、そのうち段々実年齢がばれてくるので、その辺りでやりづらく感じる周りの人も出てくるであろうが、その頃には私も実力でもって先輩たちに並んでいないとな〜と思う。あまり今から考えているのもよくないが。若い人の多い職場であれば、社員側の事情を汲んでそちら側の思考もできるフリーターというのはまあまあ何と言うか、社員と妙な親近感というか連帯感ができる。自分ももうそちら側に行かなくてはと思う。フリーターとしてはこの職場で最後にしたい。体力の問題と持病がなければ、正社員として働く道もあったのかもしれないが、この体と頭ではそれは夢のまた夢でしかないので、ただただ駒として動くことを楽しむに留める。とにかくどんな仕事も嫌がらずに食らいついていくこと。生まれてからそれしかしてこなかった気がする。そもそも別に嫌な仕事というのは私にとっては無い。人の反応を見ていると「面倒くさい仕事」「気が滅入る仕事」「疲れる仕事」というのがあるようなのだが、私は仕事の種類によって忌避感をいだくということはたまたま無いので、何でもできる。優秀という意味の「できる」ではなくて、単にやることができる、着手できる、嫌がらずにできるの意です。駒としてのフリーターにはこの能力がけっこう重宝する。肉体労働も金勘定も接客も単純労働も、どれもこれも特に嫌だと思ったことがない。やればできる。間違えたらやり直す。スピードを求められるのはやや苦手かもと思っていたが、実際のところ、スピードは慣れればあとからついてくるので、あまり気にしなくてもいいのである。そして慣れるまでは急かされても急がなくて良い。そんなことより正確にこなすことが遥かに重要だ。まずもって何事も「正しく」行えない人間は、その後に続く行いもすべて破綻する。
みなさんの長らくの応援とお祈りの甲斐あって、障害年金の申請が通ったとの通知が来ました。これでなんとか生きていけると思います。給付はまだ先のようだけど、とりあえず通ったよということで、心から安堵。ありがとうございます。アルバイトで週4×7時間が限界の身にとって、単純計算で月の収入は最高でも10万程度なので(実際には病欠するためそこまで行かない)、そこに障害年金が加わってくれれば、どうにか、生活(家事)を維持できれば1人で生きていけるかなという感じです。長かった道のりですが、ようやく私も大人としての一歩を踏み出したのかもしれないと思います。
5年分の遡及でどのくらい貰えるのかは分からないけれど、通信制大学で福祉職の資格を取るための勉強をするという夢も現実味を帯びてきました。なんとなく人生の先が拓け、希望が見える。感謝であります。20代から30前半まではとにかく働くことで生き延びようと足掻いたけれども、そしてそれは破綻していたけれども、それでも働くことで生計を立てたいと願って奮起した日々も、それはそれで糧になっていると思います。最初から障害年金をもらいつつ無理のない範囲で働くよりは、1日13時間以上2つの職場で働いて、週休0で、ゲロ吐き散らかしながら筋肉を破壊し続けるという青春をやりたいところまでやったからこそ、今こうして落ち着けているんじゃないかなと思う。
勉強、読書、小説などの趣味は一旦すべて停止し、あんすたを数日おきに叩くに留まっている。とにかく仕事に慣れるまではこの嵐のような(体の痛みに呻く)日々が続くことでしょう。やりたいことは多けれども、実際にやれることは少ない。満足など到底できないが、それでも生きていくより他にない。最近はどうにか熱中症にならずに済む日が続いている。とにかく日中は外に出ない。朝出勤する時も夕退勤する時も、必ず帽子、日傘、サングラス、アクエリアス(2倍薄め)を徹底し、夜寝る時は24℃で毛布をかける。体力が向上すればさらにもう少しましになるはず。ポケモンスリープは2時間ごとの睡眠や、休日の寝ては起きるスタイルにまったく合致できなくて時間が勿体なく感じられてきたので、もう消してしまった。続けて6時間寝ることが絶対にできない体質の人間には、睡眠結果を見てさらに疲労を感じるのでおすすめできない。2時間細切れではなく、6時間続けての睡眠ができたら楽だろうなと思う(その体力がない訳だが)。これは使っている抗うつ薬が強力であることも関係していると思う。薬を減らしたりやめたりできれば、きっと眠れるようにはなると思うが、果たしてそれをして生きていけるのかの自信はない。再発が非常に容易な病気のため、減薬は現実的ではない。もちろん、自分の体のことなので、それでも減薬したいというなら協力するけれど、とは医師に言われている。今のところはまだこの10年続けてきた処方を変える勇気は出ない。まだもう少し生きなければ。次の目標は自炊回数を増やすこと。
2023.7.25
5 notes · View notes
czrscr · 9 months
Text
来世に乞うご期待
Tumblr media
 ──嘔吐中枢花被性疾患、通称「花吐き病」。  元はとある物語に登場する架空の病気だった。しかしその原作がとある学校の生徒間で爆発的に流行り、結果「呪い」として現実に発症。めでたく高専預かりの事件として運び込まれた。  担当したのは、特級呪術師の五条悟。彼が所持する術式「無下限」は、術師本人への干渉を端的に言えば許さない。故に適任として派遣されたのだが、そこで五条はひとつ、致命的なミスをした。  率直に言えば、潜入先にて廊下の角でぶつかった女学生に一目惚れされ、胸元で吐かれたその花にうっかり触れてしまったのだ。  あまりのスピード発症故に、無下限を張る暇もなく。正に電光石火の刹那だった。  ぎゃー! と臆面なく叫んだ後、五条はすぐさま冷静な頭脳で、己がやらかしたことを悟ったものの。しかし今ならまだ何とかなるか、とも思い直した。  この「呪い」は被呪者が片思いを患った時に、花吐き病を発症させる。故に、現在惚れた異性どころか気になる女子すらいない自分ならば、ひと��ず影響としては少ないだろう。そう皮算用していたのだが。  祓除完了後。 「おかえり、悟」  寮で夏油に出迎えられた瞬間、五条は盛大に「呪い」を吐いた。  それは小ぶりで白い花弁を携えた、イチゴの花の形をしていた。
 発症したことを自覚した五条は、まず目の前の夏油に相談した。本来ならば、医療系に詳しい家入も含むべきなのも判ってはいる──現に部屋へ戻る前に、吐き気止めと胃薬とうがい薬をしこたま譲ってもらいはした──だが、なけなしの男子高生的な意地が、彼女をも巻き込むことを躊躇させた。様は、女相手に色恋ごとなんか相談できるかこっ恥ずかしい、である。  ひとまずは夜蛾への報告もそこそこに、五条の部屋へ夏油とふたりで立てこもった。地べたへ座り込み、図書室から拝借した本や、任務前に支給された資料などを床にばらまく。俗にいう、作戦会議の始まりだ。  手始めにこの「病」の前提、対処法などを、五条が掻い摘んで夏油に説明してやる。ふんふん、などと適当に相槌を打ちつつ。彼の指先が資料のページをぱらぱらとめくる。 「にしても、こんなトンチキな呪いもあるんだね」 「トンチキ言うな。結構えげつないんだぜ、コレ」 「えっ、それは……大丈夫なのか? 確かにさっきもえらい大量に吐いてたけど」  目の前で随分と景気よく吐かれるものだから、友を心配しつつ、夏油はついマーライオンを連想していた。白髪の五条ならば、ホワイトライオンか。 「いや、もう吐き方っつーか、体内も無下限の影響下に置く方法は、吐いてる最中にマスターしたから。次はそんなでもないかもだし」 「そんなん慣れるもんじゃないよ。体に悪い」  己の愉快な妄想は棚に置いてぴしゃりとたしなめつつ、夏油が五条の顔を覗き込む。 「で、相手って硝子だろ」  迷いなく言い切られたものだから、五条も負けじと即答する。「違う」 「何でいきなり硝子なんだよ」 「いやどう考えても消去法だとそうだろ。身近な女子なんて彼女くらいだし」 「まあ俺も最初はその線かなとは思ったんだけどさ。硝子はやっぱ無いわ」 「えーっ、そうか? 別に無いことは無くない?」 「オマエ基準で考えんな。てか三人しかいねえ同級生で、んな修羅場りたくねぇわ」 「それには同感」  にやり、と夏油が意地悪く笑う。 「まあさすがに、硝子の方が無いか。もし私が女の子でも、悟は観賞用もしくはアイドル枠だって判るし」 「ガチの正論はやめろ」  ちょっぴり傷付いた自尊心を庇う様に、五条は胃を押さえる。最近自身に芽生えた男子高生のハートは、どうにも傷つきやすくて面倒くさい。  そんな五条を、はは、とからかう様に笑ったかと思えば、 「私さ、今の三人でいる空気感が結構すきなんだ」  ぽつり。やわらかい声音で、夏油が呟く。 「だからよかった。もしふたりがくっついちゃったら、さすがに遠慮しないとかな、とか思ってたから。ちょっと、ほっとした」  何だよ、寂しんぼか? そう軽口を叩こうとしたのに、目の前の夏油があんまりにも素直にしょげている様に見えて。膝を立ててうずくまっているその様が、何だか。だから、五条は──  勢いよくゲロった。  脈絡なく口から飛び出てきた花に、夏油が体ごと後ずさる。 「うわっ、マジでつるっと出てきた」 「だから言ったろ。俺プロいって」 「そんなん極めるなって。いやでも、本当に大丈夫かい?」 「まあこんくらいは別に。今回出したのもちっせぇしな」  五条は吐き出した「呪物」をまじまじと見やる。六眼でも確認したが、花自体はあくまで「呪い」を発現させる媒介に過ぎない、と結論付けた。  その花だが、小ぶりで白い花弁故に、初回で吐いたものと同じかと思ったが、どうやら違うらしい。図書室からかっぱらってきた花図鑑を浚っていた夏油が、該当の写真をおずおずと指差す。 「これじゃない? ユキヤナギってやつ」  オマケとして、写真の下に花言葉も記載されている。意味は、愛らしさ、気まま、殊勝など。 「なるほど、見たまんまってかんじだね」  次いで、ユキヤナギを興味本位でつつこうとした夏油の指先を、五条は咄嗟に握り込む。 「コラ、花には触んなよ。それ感染型だから」 「そうなのか? そいつはまた厄介な……今のところ、私別に好きなひととかいないんだけど、それでもヤバイかんじ?」 「現状で条件に当て嵌まらない場合は、潜伏して合致した瞬間に発症するんだと」 「随分と気合の入った呪いだな……」  夏油のぼやきに、まったくだと五条も嘆息した。
 かくして五条の片思い相手探しは、候補者の少なさの割に混迷を極めた。最有力の家入が早々に消えてしまった為、対象者を東京校の先輩、後輩、補助監督、果ては窓や卒業済の術師にまで範囲を広げたのだが、五条のアンテナに引っ掛かるものが一人もいなかったのだ。  そんな中、発症して三日目。 「ねぇ、もしかして庵先輩じゃないかっ?」  珍しく浮足立った様子で、夏油が五条の机を勢いよく叩く。揺れた机を押さえつつ、五条は目の前の友に胡乱な眼差しを返す。 「いや、何でだよ」 「だって悟、彼女には何だかんだ構いに行くし、何かからかってばかりだし、何だったらそれって好きな子にちょっかい掛ける小学生マインドじゃないか? って」 「「What」ばっかじゃねェか」  もうちょい証拠を固めてこい証拠を、と雑に手を振りかざせば。夏油はえー?と判りやすく唇を尖らせた。 「結構自信あったんだけどな」
 のちに、諦めきれなかった彼が「悟って、庵先輩のこと好きそうじゃないか?」と家入へ話を振ったものの。 「でも歌姫先輩、ガチで五条のこと嫌いだよ」  なんて告げた彼女の目があまりにも酷薄で。  ──あ、これはマジだ。  そう悟った懸命な夏油少年は、掲げた仮定をそっと己の胸の内へ仕舞った。
 進展が無いまま、発症して一週間後。  またもや五条の部屋にて、作戦会議が開かれることとなった。  一旦現状を整理する為、どういった場合に花を吐くのか検証を行うべく、時系列ごとに状況を紙に書き出していく。どこで、誰と、何があったか。どんな花を吐き、その誰かに対して、何を思ったか。なんてことを、すっかり丸暗記した花図鑑のとある内容と照らし合わせれば、自ずと答えは見えてくるというもので。  ここまでお膳立てされれば、さすがに当の本人は気が付いた。
「オマエじゃねェーーーか!!!」 「えっ」
 ダン! とローテーブルに力任せの拳を叩きつければ、ボールペンが放物線を描いて軽やかに飛んでいく。五条渾身の叫びに、夏油はびくりと肩を竦めた。 「なんか今すっごい冤罪掛けられなかったか?」 「冤罪じゃねえわ。ガチギルティだわ」 「なんかよく判らないが、喧嘩なら言い値で買うよ」 「喧嘩じゃないっつの。オマエの罪の話だっつの」 「だから私に何の罪があるって言うんだ」  吹っ飛んでいったボールペンを回収した夏油が、これ見よがしに渋面を作る。その彼の眉間を、五条は人差し指でまっすぐに突き刺した。 「オマエ」 「ん?」 「だから、俺の片恋の相手、オマエだっつってんの」  ぐりぐりと念を押してやれば、途端に夏油の小さな瞳がまんまるになる。音にすれば、正にきょとんだ。 「……えっ? 悟、私のことそういう意味で好きだった、のか?」  なんか違くない? というニュアンスを多分に含んで、夏油が首を傾げる。 「まあ俺も正直よく判らんというか、ダチっつーか、人間で一番すきなのは傑かなー、程度というか」 「ええ、君……友情の延長線上でこの呪いが発症しちゃったのか……なんてお労しい……」  よよよ、とわざとらしく夏油が口元を覆う。その割に、眼だけはしっかりと五条に同情を示していた。どうやら割とガチで憐れまれているらしい。常ならば拳骨のひとつでもお見舞いしてやろうかという所業だが、今は問題解決の方が先だ。五条は広い心で、夏油の視線を流してやる。 「でも私、正直悟のことはめっちゃ友達だと思ってるけど、それだけなんだが……」 「そりゃそうだろうよ。てかそうじゃないと嫌だわ。一応俺目線でも傑のことはダチ認識なんで」 「相違ないようで何より。うーん、なんかこう、両想いだってごまかせる様な方法があればいいんだけど」  とりあえず、まずは告白してみようかとの結論に至り。 「こーいう時ってなんて言うんだ?」 「好きです、付き合ってください、かな」 「好きです、つきあってください?」 「はいよろこんでー」  棒読みの五条に対し、居酒屋の様なノリで夏油が雑に応えを返す。 「どう?」 「ウンともスンともしねえ」 「やっぱダメか……」  ハナから期待していなかったが、やはり何の成果も得られなかった。「オマエの返事にムードが無さ過ぎる」「君の告り方に本気が感じられないからだよ」などと、お互いに責任を擦り付けはするものの、結局はどっちも悪かったで両成敗にしかならない。 「困ったね、出来れば友情パワーで何とかなればいいんだが……」 「それか、ダチ同士でならまずしないこととか?」 「えー……なんかあるかな……?」  それからふたりは膝をつき合わせて、やれもっと強い言葉で告れば何とか、愛してる、月が綺麗ですね、アイラビュー、それでもダメならハグでどうだ? エトセトラエトセトラ。  不毛なやり取りが続き、正直五条の方はちょっと飽きてきたくらいだった。現状そこまで不便さを強いられているわけでもない。たまに吐き気がするくらいで、何なら車酔いみたいなもんでは? などと宣えるくらい、この呪いをコントロール出来る自負もあった。  ──ならもう、別にこのままでもいいんじゃね?  額に親指を当て、真摯にうんうんと頭を悩ませている友を尻目に、そう内心で嘯いていると。  はっと何かに気付いた様に、夏油が薄い面を上げる。 「悟」 「あん?」  何だよ、と続けた言葉は、唇の先へ触れた感触に吸い込まれた。  ぐっ、と首が後ろへ傾く。ずれたサングラスの隙間から、夏油の緩く伏せられたまなこを認めた。意外とびっしりと生え揃ったまつ毛に感慨を覚えて。そうしてようやく、今の自分たちが客観的に何をしているのか、脳で判断が付いた瞬間。  五条は勢いよく夏油を引きはがし、大きく咽た。その一瞬を体の反射だけで動いてしまったことに気付いた頃には、後の祭で。いつの間にやら用意されていた夏油の手のひらで作られた皿に、唾液ごと呪いを吐き散らかす。 「あ、やった」 「……は?」  ひとまず冷静になった頭で、夏油の手から先ほど吐き出した「呪物」を叩き落す。べしゃりと床に失墜したのは、大振りで立派な花弁を携えている、黄味がかった白銀の百合だった。 「つか、触んなって言ったろこのバカ! どうすんだよ、オマエも多分感染したぞ」 「でも完治した証拠の花だし、ワンチャン無事だったりしないかな?」 「知らねーーーわ!」  五条は夏油の手をひっ掴み、用意していたアルコールをがむしゃらに噴射する。適当にティッシュを抜き取り、べしょべしょになった彼の両手を甲斐甲斐しく拭いてやれば、夏油がふふ、と小さく笑った。 「いやさ、小学生の頃、何故か「ピカ、●ュー」って言いながらチューするのが流行ってさ。クラスの半分くらいとはやったのかな? で、だから男子とのキスは割とノーカンというか、あんまり忌避感無くてね」  何だ、思い出し笑いかよ。どこか憮然とした心地で、五条はオェッと舌を出す。 「どんだけ爛れてんだよそのクラス」 「女子とはしてないからセーフだろ」 「そうか…………そうか?」 「だから私としては、ホントのファーストキスは女の子としたヤツ、って思ってたんだけど」  触れたままだった人差し指が、きゅっ、と控えめに握られる。 「でもまあ、それも今回のコレってことにするからさ、許して」  少しだけ照れた様子を見せる夏油に、五条は何となく、押し黙った。ただいま完治したばかりの病が、何故だかぶり返しそうだったので。
「──なんてこともあったね……」  けほ、と軽い咳を吐いて、夏油が苦笑する。己のしょうもなさを嘲る様な笑みだった。  彼の膝元には、赤いポピーが散らばっている。生憎この場に花図鑑は無かったが、五条の優秀な脳味噌は、彼の花に託された言葉を、よく覚えていた。 「まさか本当に発病するとは……結局ワンチャンも無かったな……」  本当にコイツ、イイ性格をしている。  これからオマエを殺す男に、感謝などと。  包帯で隠されていない六眼を、五条はこれ見よがしにしかめてみせる。その様子に何を勘違いしたのか、夏油が小さく頭を振った。 「誓って、君が疾患していた頃は普通に友情だったんだ」  ただ、と夏油が一拍置く。 「好きって言われてから気になっちゃった、典型的なパターンだよ」  なんて、遠い目をして優しく呟くものだから。  多分それで、魔が差した。  思いやり故に自分を殺すのだと思い込んでいるこの男に、胸の内を正しく、思い知らせてやりたくなったのだ。  夜明け前だからか、路地裏の奥は未だぽかりと闇が口を開けている。最も陽が遠いこの瞬間。五条の心は、確かにその暗晦へと足を踏み入れた。 「……傑」 「ん?」 「僕は今でも、オマエがすきだよ」  目の前の親友がこれでもか、と細い目を見開く。びっくりし過ぎだろ、なんて内心では吐き捨てつつ。けれど同時に、あまりにも間の抜けた表情を晒すものだから。少しだけ、かわいいと感じたことも確かで。  げほ、とひとつ。  赤いポピーがまたこぼれて。  げほ、とふたつ。  掌に吐き出されたその花々を認めて、夏油が小さく噴き出した。  ぱらぱらと彼の手から、赫と白に彩られた、鮮やかな雨を見送ったのち。
「最期くらい、呪いの言葉を吐けよ」
 あんまりにもあどけなく笑う夏油に、五条は小さく息を呑む。  そして彼の胸目掛けて、そっと中指を弾いた。
「……結局最後まで本気にしなかったな、オマエは」  物言わぬ下唇を親指でこじ開ければ、端から血が音もなくこぼれる。つう、と伝い落ちる様を、五条はただただ無心で見ていた。  ──ああやっぱりさっきの内に、キスのひとつでもしとけばよかった。  舌でも突っ込んでやれば。そうすればこの鈍感な男も、少しはこの慕情を理解出来ただろうに。いつだって俺は、自分の望みに気付くのが遅過ぎる。  夏油を救いたかったのだと気付いたのは、彼が去った後だった。触れたかったのだと気付いたのも、彼が失われた後で。だから五条は、「最後のチャンス」とやらをいつもすべて逃し続けるのだ。もうそういう星の元にでも生まれたのだろうかというくらい、己もまた、鈍かった。  故に、鈍かったなりに、呪いの言葉は上出来だと思ったのだが。 「人の決死の告白を何だと思ってんだよ、マジで」  赤いポピーと、青みがかった白銀の百合。  アスファルトに散らばっている、夏油が生み残した花弁に、��条はそっと手を伸ばす。術式を介さない指先には、確かに湿った心地を感じた。同時に、冬の空気で凍てついた冷たさも。  摘んだ花々をジャケットに突っ込み、しかりと握り込む。  彼が自身へ残した、情の忘れ形見。成れの果て。そして、愛の存在証明。  そのはずなのに、  ──せっかく両想いだってのに、なんでフラれた心地になるんだか。  すっかり軽くなってしまった体を大事に抱えて、五条は忸怩たる思いでぼやいた。
「あーあ」
 叶うならば、来世に乞うご期待、だ。
1 note · View note
k1kawa · 1 year
Text
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ考察④ キャラクター別考察その1 ヌードルスについて❶
 ここからキャラ別に色々考えていきます。初めは主人公ヌードルスから。
ご注意!
女性へのレイプといった暴力行為を話題に出しています
キャラクターをけちょんけちょんにしています
殺人に対する行動の早さを褒めてたり、主人公以前に筆者の倫理観もずれています
 ヌードルス、本名デイビッド・アーロンソンというキャラクターは私にとってかなり不思議に映ります。暴力的だし人を殺すし女性をレイプするし、最終的には密告によって意図ではないとはいえ友人たちを死に至らしめる……あれ、クズだな? でも嫌いになれないどころか実際に交流したら気に入ってしまうんだろうなぁと何となく思います。個人的にね。なのでその点を掘り下げていくのが議題その1 ということで。
・映画本編から推測するヌードルスのいいところ
 本編の初めの方で、阿片窟から中国系の店員に逃がされるシーンがあります。私は初見のとき「え、逃がしてくれるんだ?!」と思ったのを覚えています。だってはっきり言って、中国系の彼らにヌードルスを庇うメリットはありません。葬儀屋が彼を除いて全滅したのは新聞でニューヨーク中に広まったでしょうし、追われていることからヌードルスはもうニューヨークを出なければいけない。端的に述べてヌードルスはもう落ち目です。むしろ差し出して恩を売った方がいいです。私ならそうします(生き意地汚いので)。じゃあ助ける理由とは? これはもう中国系の彼らにとってヌードルスには何らかの恩があった、という背景があったと考えていいでしょう。アメリカにおいて中国系はマイノリティで迫害に晒されていたのは言うまでもなく、さらに中国には恩を返すことこそ至上、という文化があります。そう考えると中国系店員たちの行動は何ら不自然ではないのです。
→ ヌードルスは人種で(少なくとも中国系は)人を虐げない
 次にモー。彼はヌードルスの居場所を吐いた張本人ですが、よく考えてください。吐く前にもうすでに痛々しいくらいボコボコにされています。音声解説でも「この映画で一番痛いシーン」と言っていましたね。モーが吐いたのはイヴが殺されたのを知り銃口を口に突きつけられたとき。つまり強く命の危険を感じたからです。拷問に耐えかねたのではなく、死にたくないので吐かざるを得なかったのです。私なら銃を突きつけられる前にゲロります(痛いの嫌なので)。ここでモーから、たとえ半殺しにされても仲間(ヌードルス)は売らないという熱い心が読み取れますね。
 そしてヌードルスがやってきます。たぶんさらば禁酒法パーティ以来の再会。すなわち他の仲間がヌードルスの密告のせいで死んだあと。ですがモーに彼を責める様子はありません(モーの立場と性格もあるのでしょうが)。たとえ向こうが「じゃあ俺共同基金もらって逃げるから」宣言してもです。モーはわかっているのです。ヌードルスが決して私利私欲のために仲間を売ったわけではないのだと。もちろんそう思わせる背景にはマックスが計画していた連邦準備銀行襲撃があったのでしょう。
→ 仲間から厚い信頼がある
 まだ青年期です。宣言通りヌードルスは共同基金をロッカーから頂戴しようとします。でも中身は古新聞。個人的な話ですが、初見のときこのシーンが何なのかまるでわからなかったのですよね。二周目で理解しました。だってヌードルスがあまりにも冷静なんですもん。100万ドルはあったはずの中身が古新聞にすり替わってる、わけがわからなすぎてもうちょっとわかりやすいくらい動揺してくれてもいいんじゃないか、と私は思いますがヌードルスはそんなの時間の無駄で、今は逃げなければ危ういと理解しているので冷静にニューヨークを発つのです。
 遡りますが、逃亡中モーの店に行ったヌードルスは、入った時点で追手がいるであろうと考え、確認もしていない敵を罠にはめて殺害。持ち前の機転と冷静さがもたらした結果です。
→ 冷静さを失わない
 35年ぶりの友人に随分厚かましいな、と思わせる老年期はとばして少年期に入ります。人の店でトイレタイム邪魔するわ料理はひっくり返させるわ傍若無人の少年ヌードルスくん。……老年期と合わせて考えると結構厚かましいなこの人。でも許してしまう魅力というか、茶目っ気があったんでしょうね。閑話休題。ここで登場する少年時代の仲間、パッツィーとコックアイ、そしてドミニク。前の二人の生年を鑑みて同年代と思われますが、どう見てもリーダーとして扱われているのはヌードルス。バグジーからの報酬で一ドルかカツアゲかを選ぶのも彼なのですよね。
 話を進めてアパートのシーン。「親父は祈るだけ。お袋は泣き通し。電気も止められた。家に帰る理由なんてない」という台詞があります。この発言からヌードルスの家族、アーロンソン家はかなり困窮している、ということがわかります。彼の言う両親の様子を鑑みるに、下手したらアーロンソン家の一番の稼ぎ頭は子どもであるはずのヌードルスだったという可能性も浮上します。13〜15才と推測できる子どもが家族を養うだけの稼ぎを得るには、それこそ非合法な仕事に手を出さざるを得ません。まあ割には楽しそうなので性には合っていたのでしょう。以上を踏まえてグループのリーダーを務め、おそらく家族を養っていた背景が垣間見られます。
→ 責任感があり、引っ張る力がある
 少しとんで、バグジーの支配に見切りをつけ新しい商売相手を探して営業中のヌードルスとマックスたち。彼らの売り込みポイントは、海に捨てた酒の回収方法。あらかじめ酒の入った箱にウキと塩をつけるというもの。マックスの発言からして発案したのはヌードルス。そもそもヌードルスというちょっと変わったあだ名には脳みそいっぱい詰まったやつ、つまり切れ者の意が込められています。原作の『The Hoods』のヌードルスも、進学しないのを校長に惜しまれるほど成績が優秀だったと描写されています。このあだ名が変わっていないのはそういうことなのでしょう。読書家の一面も見せていますしね。
→ あだ名になるほど頭がいい
 一端の稼ぎを得たヌードルスたち。我がもの顔で街を闊歩します。しかしそれも束の間、彼らはバグジーの強襲を受けました。その凶弾で犠牲になった一番の年少だったドミニク。傷ついた彼を、危険を顧みず陰に引っ張ったのはヌードルスでした(一番近かったのはあるでしょうが)。ドミニクはヌードルスの腕の中息を引き取ります。それでもなお少年たちの命を狙うバグジー。ここ、初見だと激情に駆られたヌードルスが怒りのままバグジーを刺した、という見方にどうしてもなりがちかと思われます。しかしこのシーンを一個のカットも見逃さず見ると、そうではないとわかります。バグジーがゆっくり歩き、それを注視するパッツィー。ですがバグジーは数歩戻り、不気味な笑みを見せます。それを見て逃げ出すパッツィー。この通り、ドミニクの次に小さいパッツィーをロックオンしたバグジー、という描写なのです。実際それに気づいたマックスが動き出しています。けれども一歩早く動き、パッツィーの危機を救ったのはヌードルスだったのです。といってもぶすぶす刺してる間に冷静さを失い、何も悪くない警官まで刺してしまいますが……。
→ いざという時は誰かのために動ける
 懲役12年を過ぎて青年期です! ここら辺は前のシーンで示されたヌードルスのいいとこの復習みたいなものなので読み飛ばしても無問題です。まず12年ぶりに顔を合わせたのにマックスだと一目でわかったこと。パッツィー、コックアイはマックスの一言が寄せられていましたが、ヌードルスの様子を見るに一目でわかったのでしょう。実際髪の色や体格がだいぶ変わったペギーのこともわかりました。もはやこれは記憶力はもちろん頭の回転が早いと言えますね。ヌードルスのあだ名は伊達じゃない。
 次にジョー始末のシーン。超個人的ですがここのヌードルスが私は一番好きです。あとの場面でわかりますが、ジョーが撃たれた時点でヌードルスは作戦の概要を知らないのです。戸惑った表情こそ見せましたが、一人逃げたとわかると彼は何も言わず銃を持って飛び出し、始末しました。聞かされていないのにこの機転の良さは素直に憧れます。その後のマックスへの説得も、シンプルながらも仲間を思う強さも伺わせます。
とりあえずここら辺でまとめますと、
・ヌードルスは人種で(少なくとも中国系は)人を虐げない
・仲間から厚い信頼がある
・冷静さを失わない
・責任感があり、引っ張る力がある
・あだ名になるほど頭がいい
・いざという時は誰かのために動ける
・機転が良い
・仲間思い
 といった感じです。いいやつに見えてきたな……? そんなことはないのでこれより「ここを直せヌードルス」の項目に移ろうと考えていましたが予想以上に長くなってしまいました。別に私ヌードルスくんのポジティブキャンペーンしようと思ってこの記事書き始めたわけじゃないのに……というわけで❷に続きます。
 
0 notes
bastei · 3 years
Text
フラニーとズーイ①
 猿は二日酔いになると、二度と酒を飲まないらしい。私は二日酔いになったが、帰り際になんとなく寄ったコンビニでまた酒を買おうとしている。私が猿より馬鹿なのか、それとも私の暮らしている世の中が猿の暮らしている世の中よりも過酷だからなのか、あるいはその両方かもしれない。いずれにせよ、二日酔いになった後でも「この世はまだ生きている価値がある」と思うには大切な友達や妻の手を借りなければならない。しかし家に着いた瞬間に、玄関や風呂場で盛大に吐き散らしてしまったので、後者の支援を受けることはできない。風呂場でゲロまみれになって寝ていたが、わずかに残った慈愛の精神が私を介抱させるに至る。そして私はその日もどうにか生き残った。「あんた何歳になるのよ」と叫ばれたのを覚えている、そしてどうにか振り絞るようにして「三十歳です」と答えたのも覚えている。
 相変わらず電気ケトルでお湯を沸かしてお茶を飲んでいる。歯を磨いたり、目薬を挿したりして、ほとんど寝ようかと思ったところで机の上に置かれた本が目に留まる。フラニーとズーイ。読書の記録によれば、初めて読んだのは二十三歳のときだった。村上春樹の新訳をきっかけにして、当時早稲田町にあった「あゆみブックス」で買った気がする。当時私は早稲田大学に通っているわけではなかったが、早稲田町に住んでいた。そのことは自己紹介をやや複雑にした。大学がある以外特色はないが、好きな町だった。銭湯が三つもあった。そのうちのひとつの銭湯には人生で最悪の思い出がある。私が体を洗っていると、二つ隣の椅子に座って体を洗っていたおじさんが俄然「アッ」と叫び、飛び跳ねるように洗い場の排水溝の蓋を開けた。そしてそこに最低の下痢を投下した。そして私はそれをマジマジと見てしまった。それ以来私はその銭湯に行っていない。
 当時はフラニーの章のレーンの薄っぺらさとか、インテリ批判みたいなものを感じて説教くさい印象を中心に持った気がする。泥酔した日に会っていた友人がその面白さを語ろうとしていたので、そんなに面白い話だったのか検証しようと思って買ってきたものだ。「こんなに面白い話だったんだ!」という例の冊子の存在も忘れていた。最初からその冊子を読んでしまうと、自分の感想も偏りそうだったので最後に読むことにした。
 後少しで読み終わるところまで来ていたから、今日は夜更かしして読み切ってしまってもいいと思った。部屋の明かりはLEDの眩しいものしかなくて、キッチンのあかりだけは蛍光灯だから、スイッチを入れると何度か力を込めるようにして点灯した。妻は何故だかキッチンの明かりが嫌いだという。だからいつも料理を作るときに、鍋の中がどんな色になっているかわからなくて、煮込みすぎたり足りなかったりする。ああいえばこういう性質だから、そういうことを指摘しようものなら、だって蛍光灯嫌いなんだもんと彼女はいう。どこからか黴臭い匂いがして、排水溝の奥の方かもしれないのだが、覗き込む気にはならない。他の人はどんな感想を持っているのだろうと調べてみても、あまり有益なものは見つからなかった。こんなにインターネットが普及しているのに、サリンジャーの小説の面白さをきちんと説明できている人を探すのは骨が折れる。面白さを文章にしようとするとかなり難しい気がする。
 本を一冊読むのも一ヶ月くらいかかる。育児や仕事に追われている。自分自身が何か変わったというわけではないのだ。本来の仮面、職業上の仮面、夫としての仮面、父親としての仮面が新たに追加されただけのことだ。そしてその仮面が一致している人もいれば、恐ろしく乖離している人もいる。
19 notes · View notes
shinjihi · 4 years
Text
伊藤詩織氏が告発した山口敬之氏の独占手記
「詩織」と名乗る女性の勇気ある告発!
2017年5月29日、「詩織」と名乗る女性が、東京・霞が関の司法記者クラブで、たくさんの記者とテレビカメラを前に、私から性的暴行の被害を受けたと主張した。
「性犯罪の被害者と主張する女性が顔を出して記者会見を行った」ということで、多くの新聞、テレビ、週刊誌が大きく扱った。この女性は自らの主張を詳細に説明するとともに、2016年7月の検察の不起訴処分について検察審査会に不服申請を行った、と述べた。
この問題は、この会見に先立つ5月中旬、なぜか『週刊新潮』が「安倍総理べったり記者の準強姦逮捕状」というセンセーショナルなタイトルで報じていた。
私は、週刊誌報道の段階から一貫して疑惑を全否定し続けた。しかしメディアの大半は、「勇気ある告発をした」として女性に寄り添い、私を犯罪者と断定するかのような報道が少なくなかった。
また、複数の野党議員が国会の内外で、女性側に寄り添い、事実認識を誤った質問を繰り返した。そしてなぜか、これら野党の主張に共鳴する集団も、ネット上で女性の主張を鵜みにして私を糾弾し、私や私の家族には「死ね」などという誹謗中傷のメールが殺到した。
事実と異なるあなたの主張によって私は名誉を著しく傷つけられ、また記者活動の中断を余儀なくされて、社会的経済的に大きなダメージを負いました。私は虚偽の訴えに強い憤りを感じました。
しかし4カ月あまりの審理の末、検察審査会は9月21日、「不起訴処分は妥当」との最終結論を出した。「犯罪行為があった」という女性の主張は退けられ、刑事事件としては完全に終結した。
 
この間、私は様々な判断から基本的に沈黙を守ってきた。しかし、女性が民事訴訟を提起したことで状況が変わった。これまでの沈黙の理由も含め、私は自らの見解を「当該女性への書簡」という形で申し述べることにした。
いままで私が、沈黙を守ってきた理由
詩織さん、
あなたは性犯罪被害者ではありません。そして、自分が性犯罪被害者でない可能性があるということを、あなたは知っています。
検察審査会は、一般国民から無作為に抽出された11人のメンバーによって構成されます。
そして、あなたの「犯罪行為があった」という主張と、私の「犯罪行為はなかった」という主張、さらに当局が収集した膨大な客観的な物証に基づく4カ月あまりの審査の結果、検察審査会は「不起訴処分は妥当であった」という結論に達しました。
 
これにより、刑事裁判によって私に犯罪者という汚名を着せようというあなたの企ては、最終的に失敗したわけです。
もしあなたが民事訴訟に打って出なければ、私はこれ以上の議論をしないつもりでいました。それは、これまで沈黙を守ってきた判断と同様に、傷ついているように見えるあなたがさらに傷つく危険性があると判断したからです。
しかし、あなたがあえて「不法行為があった」との主張を民事訴訟の場で繰り返すのであれば、無関係な他者を巻き込んで騒動を継続しようとするならば、私は自らの主張の中身を公表せざるを得ません。
 
それは「あなたの主張が事実と異なっている」ことを示すことを一義的な目的としますが、そのために「全く根拠がないことを事実だと思い込むあなた特有の傾向」まで指摘することになります。
残念ですが、あなたが選んだ道ですから、冷静かつ論理的に、私の主張の一部をここに示すこととします。
 
あなたの主張は、要約すれば「2015年4月3日の夜、抗拒不能な状態で意に反して性行為をされた」ということになります。そしてそれは、「飲食店のトイレから翌朝5時まで継続して意識を失っていた」というあなたの認識に立脚しています。
 
それは全く事実ではありません。また、あなたは自らの主張が正しいと立証することが絶対にできません。このことは、実は捜査段階ですでに明確に示されていました。
だからこそ検察官は不起訴処分という結論に達し、検察審査会もその判断が妥当という最終結論に至ったのです。私はこれから、その詳細を5つの事象に分けて説明します。
①「デートレイプドラッグ」
②「ブラックアウト」(アルコール性健忘)
③詩織氏特有の性質
④あとから作られた「魂の殺人」
⑤ワシントンでの仕事への強い執着
①「デートレイプドラッグ」――間違った主張のはじまり
あなたの「犯罪被害に遭った」という主張は、「私はお酒ですっぽり記憶を失くした経験はない」から、「山口氏にデートレイプドラッグを混入されたと思っている」という点からスタートしています。
 
私はそれを聞いて本当に驚きました。私はそもそも、デートレイプドラッグというもの自体を知らなかったからです。しかも、当夜の状況を見れば、私があなたのグラスにいかなる薬物も混入させることなどできなかったことは明白です。
2015年4月3日、我々は東京・恵比寿の2軒の店で飲食しました。1軒目は庶民的な串焼き店、2軒目はカウンターの寿司店。2軒とも、10数人も座ればいっぱいになる、小さいけれども明るいオープンカウンターの店で、客は店主と向き合って座ります。
1軒目の串焼き店はほぼ満席で、我々の両サイドにお客さんが座っていました。2軒目の寿司店もたくさんのお客さんで賑わっており、ほぼ満席でした。
 
当地で生まれ育った私にとって、両店は20年以上通う行きつけのお店です。あなたも記憶していると希望しますが、私はどちらの店でも、馴染みの店主やその奥さんと親しく談笑しました。
 
あの夜、あなたはいろいろな種類の酒を飲みましたね。1軒目の店に座ってほどなく、私はあなたの飲むペースが非常に早く、かなり強いお酒をぐいぐいと一気飲みのように飲むことに気が付きました。
少し心配になり、
「大丈夫ですか?」
と訊きました。するとあなたは、
「喉が渇いているので。お酒は強いほうだから大丈夫です」
と答え、その後もハイペースで飲み続けました。
私は少し驚きながらも、いい大人なのだからと、それ以上は警告をしませんでした。もちろん、私があなたに飲酒を強要したことは一切ないこともお認めになりますね?
結局、あなたは2軒の店でビール、サワー、ワイン、日本酒を飲んだ。そして2軒目の寿司店で、当夜1回目のトイレに立って、そこで酔いつぶれた。あなたは記憶を失ったのは2回目だったと主張しています。
しかし、あなたが寿司店でトイレの場所を私に訊いてから席を立ち、その後、戻ってこなかったので私はよく覚えているのです。酔いつぶれてしまった女性が、直前のトイレの回数を正確に覚えているというのも不思議な話です。
あえて2回目と主張しているのは、そう主張することで私に薬を入れる機会があったと主張するためではありませんか?
 
要するに、あの夜、あなたが飲んだ全てのアルコールのグラスは、ずっとあなたの目の前にあったのです。
 
百歩譲って、あなたがつぶれたのが2回目のトイレだとしても、ほぼ満席の客でごった返す明るいカウンター席の店で、顔馴染みの店主や従業員のいる前で、女性のグラスに薬品を入れることなどできるはずもありません。
「山口に違法ドラッグを飲まされた」
しかも驚くべきことに、あなたは薬を入れているところを見たわけでも、その後、目撃証言を得たわけでもなく、「私は酒に強いはずなのに、急に酔いが回ったから、山口に薬を盛られたに違いない」と言うのです。
失礼千万な話です。
 
あなたの言う「デートレイプドラッグ」は、その後、調べてみたところ、町の薬局で手に入るものではなく、ほとんどがインターネットを通じた取引だということですね。
私は所有していたすべてのパソコン、携帯電話、タブレットなど、ありとあらゆる物を警察に提供しましたが、違法薬物の購入や使用に繋がる物証は一切ありませんでした。
 
もし私が違法薬物を入手したり使用したりしたのであれば、日本の優秀な警察機構は何らかの手掛かりを見つけたはずですが、あなたの主張を聞いたにもかかわらず、そんなものはなかった。
串焼き店、寿司店でも捜査員が証言を集めに回ったことが確認されていますが、そこでも薬物混入を示す証言は一切なかったのです。
当たり前です。繰り返しますが、私はあなたの言う「デートレイプドラッグ」などというものは、聞いたことも見たこともないのです。
 
あなたはただ、「自分の酒量を過信して飲みすぎた」だけなのです。それはよくあることで、そのこと自体を強く責める気はしません。
しかし恐るべきは、その後のあなたの見解です。自分の飲みすぎを認めないばかりか、何の証拠もなく、「山口に違法ドラッグを飲まされた」という前提で主張のすべてを組み立てている。
 
記者会見で、デートレイプドラッグを盛られたという主張をした際に、あなたは「他に思い当たる節もある」と述べました。それは何を指しますか? 明確に示して下さい。
そんなものはあるはずがない。あなたの勘違いと思い込みなのだから。ありもしない証拠や傍証を、あたかも存在するかのように記者会見の場で匂わせるのは、卑怯なやり方です。
②ブラックアウト(アルコール性健忘)
繰り返しますが、あなたはいかなる薬物も混入されていません。ただ、飲みすぎただけです。
その一方で、あなたは記者会見で「私は酒に強く、泥酔したり酔いつぶれたりしたことはない」と主張しました。ということは、あのように泥酔してしまったのは人生で初めての経験ということになりますね。
 
それならば、あなたは酒の過剰摂取の影響下で、自分がどう行動するか、そして、その行動をどこまで記憶しているか、経験がないから類推できない。これが、今回の問題の核心部分です。
 
寿司屋でトイレに入ったあなたは、長い間出てこなかった。心配になった店の方に促されて、ようやく出てきたあなたは、見るからに酔っぱらっていました。驚いた私は、やむなく急いで会計を済ませました。
 
店を出たのは22時半から23時頃だったと思います。店を出る段階で、あなたは足元が覚束なかった。そして、店の入り口左手にあった荷物置きの棚から、あなたは自分のショルダーバッグに加えて、他のお客さんのカバンも持って出てしまったことが、あとになってわかっています。
誰が見ても、一人で電車に乗って帰すことは困難な状態でした。
 
しかし、私は当時、TBS報道局のワシントン支局長を務めていたので、ワシントン時間の午前中、すなわち日本時間の23時過ぎまでに済ませなければならない作業(メール確認やパソコンでの調査・連絡)を複数抱えていました。
神奈川県に住んでいるあなたを送っていったら作業が時間内に終わらない。しかし、あなたは自力では帰れそうにない。私はやむなく、当時逗留していたホテルで休んで酔いを醒ましてもらい、自分の作業を終えてから送って帰るしかないと判断しました。
「意識のない状態で部屋に連れ込まれた」
あなたはタクシー運転手の証言を元に、「『駅で降ろしてください』と言ったのにホテルに連れて行かれた。だからその段階で犯意があったのだ」というストーリーを作ろうとしているが、とんでもないことです。
そもそもあなたは、「寿司店のトイレ以降、記憶がない」と主張しています。あなたが相当程度酔っていたことは、あなたも認めているのです。
実際、あなたはそのタクシーのなかで嘔吐したではありませんか。嘔吐し、朦朧とした泥酔者が「駅で降ろしてください」と言ったからといって、本当に駅に放置すべきだと思いますか?
 
私が宿泊していた白金高輪のシェラトン都ホテルに到着すると、私は泥酔しているあなたがタクシーから降りるのを手伝いました。あなたはタクシーのなかで嘔吐したこともあって、傍目には少し回復したように見えました。
そして、千鳥足ではありますが、自分の足で歩きました。
 
このホテルでの移動について、あなたは「意識のない状態で部屋に連れ込まれた」と主張していますが、それはあなたが何と言おうと物理的に全く不可能です。ホテルの1階ロビーは、車寄せからエレベーターホールまで100メートルほどあります。
もしあなたの主張どおり、全く意識がない状態だったとしたら、私はあなたを抱えて、どうやって100メートルも移動したというのでしょうか? 
衆人環視のなか、正体不明の大人の女性を荷物のように背負ったり、引きずって歩いたりしたとでもいうのでしょうか?
あのホテルは、車寄せから入り口を入ると、まずドアマンや荷物係が待機しており、正面には24時まで営業している大規模なラウンジ、そして右手に曲がるとホテルフロントがあり、レセプションの人やコンシェルジェ、案内係がズラリと並んでいます。
意識を失っている、あるいは意に反して無理矢理移動させられている女性がいたとして、一流ホテルの訓練された接客のプロたち全員が、それを見逃すということがありうるでしょうか?
 
しかも、4月3日は金曜日で、ロビー階では多くの宿泊客やレストランの利用客が往来していました。あなたの主張がいかにありえないかは、金曜日の夜11時に、都ホテルに行ってみればすぐにわかります。
���
実際のあなたは、2つのカバンを自分で持って、自分の足でヨタヨタと歩いたのです。もちろん、千鳥足ではありましたから、私はあなたが転ばないように注意はしましたが、移動を無理強いしたり、あるいは担いだり引きずったりは一切していません。
防犯カメラに映っているのも、「意識のないあなた」ではなく、「酔っぱらっているけれども何とか自力で歩けるあなた」です。
 
要するにあなたは、犯罪行為が行われたという主張の根幹をなす「意識のない状態が朝まで続いた」という認識の一環として、「ホテル到着時も意識がなかった」との立場をとっていますが、あなたの主張は物理的にありえないのです。
 
私の部屋がある階でエレベーターを降りたあとも、あなたは自分の足で普通に歩きました。私が部屋の鍵を開けると、あなたは私を押しのけて先に部屋のなかに入り、小走りに窓際に向かいました。そして、いきなり嘔吐しました。
あなたは、いびきをかいて、寝ていた
私は翌朝、アメリカに帰ることになっていたので、パッキング前の荷物を窓際にまとめて置いていましたが、その上にも吐瀉物が飛び散りました。
自分の荷物を汚されて少なからず驚いていると、あなたは今度は踵を返して、無言でトイレに駆け込みました。あなたの吐瀉物をタオルで拭いておりますと、トイレのなかから嘔吐する大きな音が2度しました。
 
正直に言って、本当に迷惑でした。やらなきゃならない仕事を抱えて、翌日の移動のためにパッキングもしなければならないのに、荷物をゲロまみれにされたうえにトイレを占領されている。
しかし、早く済ませなければならない作業が複数あったので、私はやむなくパソコンに向かいました。仕事が一段落してもあなたがトイレから出てこないので、私は心配になってドアをノックしました。
すると、なかからかすかな声が聞こえたのでドアノブを回すと、ドアは施錠されていなかったため、ドアを開けてなかを見ると、あなたは尻もちをついて、トイレとバスタブの間に座り込んでいました。ブラウスとスラックスは、大量の吐瀉物で汚れていました。
 
私は吐瀉物が苦手なので自分も吐きそうになりましたが、このまま放置すると喉に物を詰まらせて事故を起こす可能性もあったので、やむなくなかに入って吐瀉物をタオルで拭い、あなたを起こそうと努力しました。
あなたは謝罪ともうめき声ともつかない声を上げながら、なんとか自ら起き上がりました。そしてゲロまみれのブラウスを脱ぎ、部屋に戻るとベッドに倒れ込み、そのまま寝てしまったのです。
 
私はあなたのあまりの痴態に怒り呆れましたが、翌日着るものがないとかわいそうだと思い、トイレに放置されたあなたのブラウスのゲロを拭って浴室に干しました。
また、バスルームの床面もゲロまみれだったので、シャワーで洗い流すなどして部屋に戻ると、あなたはいびきをかいて寝ていました。
 
部屋はツインで、シングルベッドが2つありました。前日まで私が寝ていたベッドはあなたに占領され、もう1つのベッドは、ベッドメイキングを壊さないままパッキング前の衣類などを並べていました。
私が全ての仕事を終えても、あなたは相変わらずいびきをかいて眠りこけていたので、私は荷物置き場にしていたベッドの、わずかに空いたスペースに身を横たえました。
下着姿でミネラルウォーターをごくごく。そして――
部屋に入ってどのくらい時間が経ったのか。
 
私がまどろんでいると、あなたが突然起き出して、トイレに行きました。ほどなくトイレが流れる音がして、下着姿のあなたが戻ってきました。
「喉が渇いたのですが、飲み物をもらってもいいですか?」と言って、あなたがホテルの冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、自分でキャップをひねって開けて直接飲みました。
下着姿であることを全く気にしていないのには少し驚きましたが、外国生活が長いせいかなと類推したのを覚えています。
 
そして、ペットボトルの水を何度かごくごくと飲んだあなたは、私が横たわっているベッドに近寄ってきて、ペットボトルをベッドサイドのテーブルに置くと、急に床に跪いて、部屋中に吐き散らかしたことについて謝り始めました。
面食らった私は、ひとまずいままであなたが寝ていたベッドに戻るよう促しました。
 
ここから先、何が起きたかは、敢えて触れないこととします。あなたの行動や態度を詳述することは、あなたを傷つけることになるからです。
はっきり言えるのは、私はあの日、あなたに薬物を飲ませたり、いやがるあなたを部屋に連れ込んだりしなかったのと同様に、部屋のなかでもあなたの意思に反する行動は一切していないということです。
もし、あなたが覚えていることがあり、自分で差し支えないと考えるなら遠慮なく言って下さい。
誰も証明できない「密室」での出来事
もうひとつ強調したいのは、トイレから戻ったあとのあなたは、立ち居振る舞いもしゃべり方も正常で、すっかり酔いから醒めたように見えたということです。
それまでに複数回にわたって大量に嘔吐したあと熟睡したので、それで楽になったのかなと思いました。その後しばらくして、あなたはまた眠りに落ちました。
要するに、あなたは「朝まで意識がなかった」のでは決してなく、未明の時間に自ら起き、大人の女性として行動し、そしてまた眠ったのです。
 
あなたはこのことを覚えていないのかもしれない。あるいは覚えていたが忘れてしまったのかもしれない。あるいは覚えているのに黙っているのかもしれない。
それは私にはわからない。密室での出来事ですから、誰も証言してくれる人はいない。
 
しかし、1つだけ客観的な事実を示すことができます。私は一時帰国の期間中、1度もホテルの冷蔵庫の飲み物を消費していません。室内のミニバーの飲料はどれも高価で、好みのものもなかったので、飲み物はコンビニで買って持ち込んでいました。
だから、7日間の滞在で、唯一の冷蔵庫の出費こそが、あなたが飲んだミネラルウォーターだったのです。
 
このことは、ホテルの領収書によって簡単に証明できます。あなたは、未明に自分で起きて、トイレに行ったあと、自ら冷蔵庫を開け、自分の力でペットボトルのふたを開け、飲んだ。
これはあなたの「朝まで全く意識がなかった」という主張とは完全に矛盾します。
 
その後、あなたが被害届を出して、私は警察の聴取に全面的に協力しました。そのなかで、深夜のあなたの覚醒と再睡眠について何度も質問されました。
ペットボトルのことも含め、私は覚えていることを繰り返し詳細に話しました。おそらく捜査員は私から聞いたことを踏まえてあなたに確認し、その答えを踏まえてまた私に聞き直すということを繰り返したのでしょう。
何回か聴取が繰り返されたあと、捜査員は私にこう言いました。
「あなたの供述は何度聞いても詳細で矛盾がない。他方、詩織さんは朝まで記憶がなかったと言っている。双方の主張は一見矛盾しているようだが、2人ともウソをついていない可能性が1つある。それは『ブラックアウト』だ」
 
英語でブラックアウトと言えば、真っ先に浮かぶのは停電です。しかし、捜査員の言うブラックアウトは違いました。アルコールの影響で、記憶の一部または全部が欠落してしまう現象のことをいうらしい。
たしかに、酒を飲みすぎてどうやって家に帰ったか覚えていないという話は珍しいものではありません。自力で歩き、自分でカギを開け、部屋まで辿り着いて寝たが、ただその経過の記憶だけがすっぽりと抜け落ちている。
 
それでも、最初に捜査員にブラックアウトの可能性を指摘された時には、私はにわかには信じられませんでした。
というのは、トイレから戻って再び眠るまでのあなたの行動は所作も会話も全く正常で、のちに記憶を失うような泥酔した状態とは到底思えなかったからです。そのことも捜査員に指摘しました。
 
しかし、医学的に「アルコール性健忘」といわれるこの現象は、アルコールの過剰摂取によって、脳内で記憶を司る「海馬」という組織の機能だけが低下することによって起きるため、傍から見ると当人の行動は、まったく酔っていないように見えるといいます。
普通に歩き、しゃべり、飲食をしているが、その状況を記憶として脳に保存することだけができない。もし当夜、そういう状況にあったのであれば、「朝まで記憶がなかった」とあなたが主張したとしても、辻褄が合うのです。
(つづく)
(初出:月刊『Hanada』2017年12月号)
【独占手記】私を訴えた伊藤詩織さんへ「後編」
③詩織氏特有の性質――「盗撮されたに違いない」
捜査員が示した可能性は、簡単に言えば「飲みすぎて記憶が飛んでしまった」という、酒飲みにとってはよくあるありふれた話です。
しかし、しかしです。私と同じく、あなたも捜査員からブラックアウトの可能性について説明を受けたはずだ。そして、あなたは記憶がないからこそ、「ブラックアウトではなかった」と断言することは絶対にできない。
 
しかも、あの夜は人生で初めて自分の酒量の限度を超えて飲んでしまったのだから、なおさらです。
それまでの人生でアルコール性健忘の経験がなかったからといって、その現象が自分には絶対に起こりえないと断定するのは、少し独り善がりが過ぎませんか? 
そして、「自分が飲みすぎたはずはない」という無理な論理を補強するために、根拠もないのに「デートレイプドラッグ」などという違法薬物の話を思いついたのではありませんか?
 
そこで、私が指摘せざるを得ないのが、あなた特有の思考傾向です。
たとえば、あなたは朝起きてテーブルの上に私のパソコンがあるのを見て、咄嗟に「盗撮されたに違いない」と思ったと述べていますね。そしてそれが、警察が強制捜査に着手するきっかけになったとも言っています。
 
私のような仕事をしている人間は、例外なくパソコンを使っている。部屋にパソコンがあるからといって、自分が盗撮されたと思い込むというのは、あまり普通の思考回路ではない。
実際、そのパソコンは警察に提出され、盗撮映像など一切出てきませんでした。当たり前です。私は盗撮などしていないからです。
 
それから、あなたは「独自調査の結果、得られた新しい証拠を検察審査会に提出した」とも述べました。そこで例示したのがタクシー運転手の証言でした。しかし警察は、そのタクシー運転手から早い段階で聴取を行っていました。
その証言に基づいて、私は捜査員から何度も質問されている。そのことはあなたも知っている。その証言も踏まえた捜査が行われ、検察官は不起訴という判断を下したのです。
「自分は酒に強いから薬物を盛られたに違いない」
「ブラックアウトは、自分には起こり得ない」
「パソコンがあるなら盗撮されたに違いない」
「自分は初めて聞いたから、新証拠だ」
 
あなたの思考パターンには、まず強い自意識があって、自分を被害者、私を悪意ある犯罪者と思い込むことによって、全ての事象をそのストーリーにはめ込もうとしているのではないか。
その結果、冷静な判断ができなくなり、結果として事実ではないことや根拠のないことを、自ら信じ込んでしまっているのではないか。そう考えざるを得ないのです。
④あとから作られた「魂の殺人」――「レイプは魂の殺人です」
ここまでは、「~に違いない」というあなた特有の思考パターンから、私を犯罪者と思い込むに至った流れを類推しました。
 
しかしこれから述べることは、アルコールという外的要因によって起きた、いわば不可抗力的なものではありません。事後、あなたの心の内部で時間の経過とともに深まっていった、不可解な「後付けの被害者意識」についてです。
 
あなたは記者会見で、「私はレイプされました」 「内側から殺されました」 「レイプは魂の殺人です」と、非常にエモーショナルに訴えた。
しかし、その激しい怒りと憎悪は、最初から一貫したものではなかったことを証明します。それは、事後のあなたの行動と発言を精査することによって、はっきりと浮かび上がります。
 
あなたは「給水タンクに寄りかかってから朝まで意識がなかった」という前提の下で、自分がレイプされたと朝の段階で確信し、口論の末に逃げるように部屋を出たと主張している。
しかし、あなたの翌朝の行動は、明らかにあなたの主張と矛盾しています。まずは翌朝のあなたの様子について、私の覚えている限り記述します。
 
1度未明に起きたあと、再び眠りに落ちたあなたは、朝になってもう1度起きた。そして、私とごく普通の会話をし、ごく普通にホテルの部屋を出ていった。途中、1回だけ英語で少し大きな声を出しました。
「I fucked without contraceptives.」(避妊しないでやっちゃったわ)
 
急に英語で大声を出し、しかもfucked というあまり上品でない単語を使ったので、私は違和感を覚えましたが、あなたがすぐに日本語に戻ったので、特に気にしませんでした。
日本語の会話は、通常の音量で平穏な口調で、その日の予定や今後の連絡の取り方など、差し障りのない雑談でした。「口論の末逃げ帰った」というあなたの主張は、事実とかけ離れています。
なぜ「レイプ犯」のTシャツを着て帰ったのか?
しかし、もしあなたが朝の段階で私にレイプされたと思っていたのであれば、絶対にしないはずの行動をし、絶対にしたはずの行動をしていない。
まず、絶対にしないはずの行動について説明しましょう。
 
朝起きてトイレから戻ってきたあなたは、浴室に干されていたブラウスを手に、
「ブラウスが少し生乾きなんだけど、Tシャツみたいなものをお借りできませんか」
 
あなたのブラウスは化繊の薄手のもので、朝までに相当程度乾いていたため、濡れて着用できない状況ではないように見えました。
しかし、私としては別に断る理由もなかったので、パッキング途中のスーツケースを指し、
「そのなかの、好きなものを選んで着ていっていいですよ」
と言いましたね。
あなたはスーツケースから、私のTシャツのうちの1つを選び、その場で素肌に身に着けました。覚えていないとは言わせません。
レイプの被害に遭ったと思っている女性が、まさにレイプされた翌朝、レイプ犯のTシャツを地肌に進んで身に着けるようなことがあるのでしょうか?
 
私はこのTシャツの末についても、捜査員に伝えました。そして、できれば返してほしいとお願いした。
しかし捜査員は、
「いまはまだ捜査の途中だから、物品の返却についてはもう少しあとで考えましょう」
と言われました。
結局、私はそのTシャツを未だに返してもらっていません。そのTシャツの存在を認めると、自分の主張の辻褄が合わなくなるからですか?
あなたは記者会見で、自分が受けたと主張する「被害」について、「レイプという行為は私を内側から殺しました。レイプは魂の殺人です」とまで表現しました。
そこまで言うのであれば、いまのあなたは、私のTシャツを素肌に身に着けることなど、おぞましくて決してできないでしょう。
 
それならば、「あの朝のあなた」と「いまのあなた」の感情は、全く種類が異なっていることは明らかです。すなわち、あなたの強い被害者意識は最初からあったのではなく、あとから時間をかけて醸成されたものだということになります。
「レイプ犯」に送った「お疲れ様です」メールの謎
そしてもう1つ。「薬物を盛られてレイプの被害に遭った」と思っている人ならば、絶対にしたはずの行動をあなたはしなかった。それは病院での検査内容にかかわることです。
あなたは、ホテルを出て数時間後に婦人科に行ったと証言しているが、そこでどんな検査を受けましたか? 
妊娠していないかどうかだけを検査し、ピルをもらったと言っている。ホテルの部屋での、英語の独り言の内容と符合します。
19 notes · View notes
taichish · 4 years
Text
2010年代ホラー映画ベスト
★惜しくもランク外
『透明人間』(2019/リー・ワネル監督)
コメント:盟友ジェームズ・ワンの大ファンを自称する私ですが、リー・ワネルの監督としての手腕にも大変感心する。本当に上手い。しかし、『アップグレード』もそうだったけどちょいちょい陳腐な画ヅラや展開があるのが残念。いや、しかし職人監督としてはむしろそれがいいのかも。
『ババドック 暗闇の魔物』(2014/ジェニファー・ケント監督)
オーストラリアの女性監督、長編デビュー作。2作目の『ナイチンゲール』もめちゃくちゃ面白そうなんだけどまだ観られていない。女性監督であることがキモでもある本作。シングルマザーの抱えるストレスを具現化するかのごとく現れる魔物、ババドックとの闘いが描かれる。ラストの決着が好き。勝つ負けるではなく、諫めるのである。
★入りそうで入らない
『ミッドサマー』(2019/アリ・アスター監督)
日本でも異例のヒットをした本作だが、個人的には全く良いと思えず。『ウィッカーマン』の方が100倍面白い。
『ドント・ブリーズ』(2016/フェデ・アルバレス監督)
嫌いじゃないが好きでもない。しかし満席近い劇場で観客全員が息を止めて観ていたあの空間は、唯一無二の素晴らしい映画体験だった。フェデ・アルバレスはむしろこの次に撮った『ドラゴン・タトゥーの女』続編『蜘蛛の巣を掴む女』が素晴らしかったので、監督としての手腕は買っている。次作以降にも期待している。
『イット・フォローズ』(2014/デヴィッド・ロバート・ミッチェル監督)
観念的過ぎる。アートに寄りすぎている。やはりジャンル映画としてのホラーを愛している人が作るホラーが好きなのだ。青春映画と絡めていてエモいんだが、だったら監督の前作『アメリカン・スリープオーバー』で十分だ。ジョン・カーペンター『ハロウィン』からの影響があるんだろうなあ、とか好きなところもあるが、もっと怖くていいし。この監督もむしろこの次の作品『アンダー・ザ・シルバーレイク』が大好き。
『来る』(2018/中島哲也監督)
アマプラで配信された時もちょっと話題になったり、支持する人が多いらしい本作。自分も嫌いではないんだが、ホラーというよりこれはもうサイキックバトル映画だろ。『妖怪大戦争』とか『ゲゲゲの鬼太郎』みたいな方がジャンルとしては近い。何より全然怖くないのがホラー映画と呼ぶには致命的。一番怖かったのは黒木華の笑顔。
『哭声/コクソン』(2016/ナ・ホンジン監督)
これは大好きなんだが、ホラーとしてはどうか。オカルティックミステリーって感じか。最終的にはオカルトですらない感じもあったし。ファン・ジョンミンの祈祷シーンが最高。
『ゲット・アウト』(2017/ジョーダン・ピール監督)
これも大好きだけど、ホラーというよりスリラーね。なんというか、自分の中で「ホラー映画」ってやっぱり心霊ホラーじゃないとしっくりこない言葉なんだよな。もしくはスプラッターかな。ゾンビ映画ですらホラーに入れていいか微妙なところ。
『アス』(2019/ジョーダン・ピール監督)
これはダメ。つまらなかったな。やっぱり観念的過ぎてジャンル映画の面白さが十分じゃないのと、ジョーダン・ピール、売れっ子になっちゃって忙しかったのか、脚本のツメが甘すぎる。
『クワイエット・プレイス』(2018/ジョン・クラシンスキー監督)
ホラーというかSFサバイバルものよね。音に反応して殺しに来るヤツがあんなんじゃなくてもっと面白い設定だったらもっと好きだったのにな。陳腐だわ。
『キャビン』(2011/ドリュー・ゴダード監督)
コメディだよね。リチャード・ジェンキンスは最高。
『ドクター・スリープ』(2019/マイク・フラナガン監督)
マイク・フラナガンとの相性悪いんだよな。全然ホラーの監督としては評価できない。つまらない。でもこれは映画としては別に嫌いじゃなかった。が、これも『来る』と同じでサイキックバトル映画だよね。ホラーじゃない。
★10位『ダゲレオタイプの女』(2016/黒沢清監督)
銀獅子賞受賞監督、黒沢清氏の近作で最もストレートなホラー映画。フランス映画でも黒沢演出がバッチ���ハマることを証明した一作。てかむしろ日本で撮るよりピッタリハマってる感じがする。上品さとジャンル的な面白さのバランスが絶妙。結末だけ陳腐で残念だった。
★9位『ヴィジット』(2015/M・ナイト・シャマラン監督)
おいおい、早速心霊ホラーとちゃうやんけ、って感じですがシャマランは別です。唯一無二。怖がるべきなのか笑っていいのかよく分からなくなる。でも主人公たちの立場になったらメチャクチャ怖いよな。夜中目覚ましたらババアがゲロ吐きながら暗い廊下を歩いてるなんてさ。
★8位『残穢 -住んではいけない部屋-』(2016/中村義洋監督)
中村義洋監督の映画はどれも安定して面白い。本作もその見事な手腕で複雑で長い原作小説をできるだけ魅力を損ねることなく忠実に映画化している。これもまた『ヴィジット』と同じで、ただ漫然と見ていて怖いというよりは、自分事としてとらえると怖いのだ。ホラーを楽しめるかどうかはそこにかかっている。もし同じことが自分の身に降りかかったら。それをどれだけリアルに想像できるかどうか。そこがホラー向きの人間かどうかの境目だ。
★7位『死霊館 エンフィールド事件』(2016/ジェームズ・ワン監督)
やはりジェームズ・ワンはすごい。傑作だった1作目に続いてどんな続編になるのかと観てみたら、ちゃんと同じくらい面白いじゃないか。前作より更に非現実的な、若干ファンタジックな恐怖演出が増えている。ジェームズ・ワン的恐怖世界がエスカレートしているわけだが、不思議と説得力があるのだ。そしてやはり自分事としてとらえられる。もしかしたら現実にあり得るのかもしれないと思える。本作の白眉はパトリック・ウィルソンが子供たちの前でプレスリーの物真似で一曲披露するところ。クライマックス前のブレイクシーン。全体の展開の流れの作り方が超上手い。僕はジェームズ・ワンはゆくゆくスピルバーグみたいな巨匠にすらなれるポテンシャルがある。
★6位『インシディアス』(2010/ジェームズ・ワン監督)
僕が初めて観たジェームズ・ワン作品である。だから正直、思い出補正的な要素も入っているかもしれない。しかしやはり久しぶりに見返してもこれは素晴らしい映画なのだ。ジェームズ・ワン作品に欠かせない作曲家ジョセフ・ビシャラの功績も大きい。伝統的なように聞こえて実は全く新しい、エポックメイキング且つ現状唯一無二なホラー音楽家である。どうやってこの人を見つけてきたんだろうか。
★5位『霊的ボリシェヴィキ』(2017/高橋洋監督)
高橋洋ワールドについていけない人もいると思うが、中で語られる怪談の一本一本がしっかり面白いのでそこを頼りに観ていけば問題ない。ワンシチュエーションで語りのみという実験的な姿勢が素晴らしい。脚本力が光る。
★4位『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』(2017/アンディ・ムスキエティ監督)
「全然怖くない。笑えるよ」とか言う人が多い映画だが、これこそ自分事としてとらえらずホラーを存分に楽しめていない可哀相な人々の戯言だ。自分が彼らと同じくらいの子供だったとして、同じ体験をしたらどう感じる?ということをリアルに想像できるか否かがこの映画を楽しめる人と楽しめない人とを分ける。想像力の逞しい人にはしっかり怖い映画になっているはずだ。その怖がらせ方の手数の多さ、豊富さにも感心したし、何よりこの映画自体がホラー映画とは何か、という批評にもなっている。幼少時代に植え付けられたトラウマを克服することで人は大人になる。いや幼少時代に限らない。大人になってもトラウマは生まれる。それを乗り越えていくことで人は成長できる。ホラーは人間の健全な発育に必要なのです。
★3位『死霊館』(2013/ジェームズ・ワン監督)
ジェームズ・ワンが好きすぎる。やはり1作目が至高だ。ジェットコースター的なホラー映画の面白さが凝縮された傑作。恐怖描写のつるべ打ちに息つく間もない。後に『アクアマン』を監督することになるのも納得で、ジェームズ・ワンはヒーロー映画のような王道エンターテインメントを作るのが死ぬほど上手い。ホラー映画というジャンルの中でもそれを見事にやってのけている。
★2位『鬼談百景』(2016/中村義洋監督、安里麻里監督、大畑創監督、内藤瑛亮監督、岩澤宏樹監督、白石晃士監督)
『残穢』と合わせて作られたオムニバス。小学生の時によく見ていた『怪談 新耳袋』シリーズの面白さを思い出す素晴らしい短編集。短編で、因果も何もはっきりとは示されないまま終わるからこそ、後に引く怖さがある。
★1位『ヘレディタリー/継承』(2018/アリ・アスター監督)
これは嫉妬した。面白すぎる。唯一の欠点は犬だ。あの家に犬がいることを途中から忘れるくらい要らない。最後の方にもう一回だけ出てきてすぐ死ぬけど、途中まったく機能していない。犬いらない。でもそれ以外は完ぺきな映画だ。芸術的で悪趣味で不快で楽しい。
4 notes · View notes
t-u-e-n-3 · 4 years
Text
はっぴぃえんど
今回割と長いです。暇な人は読んで欲しい。
久しぶりにすごく楽しかったから。
Tumblr media
2日間の放浪記
昨日(おととい?何日か起きながらに日を跨いでいたので曜日感覚がバグってる。)
数少ない現在でも連絡を取っている高校の頃の友人(以下Tくんとする)がインスタで珍しく弱音を吐いていたので、心配で連絡をしたら今日飲みに行かないかと誘われたので、ちゃんと行った。
(優しい友達の早急な要求は本当に助けて欲しい時のサインだと俺は思う)
Tくんは映画監督を目指していて専門学校に通っていたのだが、「単位を取るための学校」というシステム自体に嫌気がさしたらしく、中退。カンボジアを始め様々な国を渡り歩き、英語もまともに話せないのに彼女さえ作ってしまう強者。最近までフランス人の女性の家に転がり込んでいたらしい。
愛すべきヒモやろう。
現在は写真を撮ることに没頭していて、近いうちに台湾に留学したいとのこと。仕事もちゃんとやっている。映画が詳しい。そんな彼のお悩み相談会が今宵、華の東京、町田で執り行われた。
焼肉屋で一通り話したあと、「お金は使ったら返ってくるものだ」というヒモらしからぬ持論でほぼ全額奢ってもらった。
俺は悪びれもせず、ちゃんとお礼をした。それはもうニコニコと。ヒモに奢られるなんて光栄だ。
嫌味ではない。
ヒモにヒモがついてそれはもう知恵の輪の如く俺らは自らの持つ考えや映画や生き方についての意見をぶつけ合ったのであった。
少しの酔いの中、俺たちは失われた青春を取り戻すべく、知らんビルの屋上に勝手に侵入し、鍵を開け(拍子抜けするほどセキュリティがザル)アルソックの影に怯えながら地上9階の屋上に出てタバコを吸ったり、町田を手に入れたななどとほざいてみたりした。みんなも自己責任を前提におすすめする。
写真見ればわかるけど、全然綺麗じゃねぇの。
まぁそれもまたいい。行為自体にに酔いがあるのよ。
次はあれだなと、もっと高いタワーマンションを指差して、さながら登山家になった2人の知能指数は雌の猿にさえ恋こがれるレベルだったであろう。
Tumblr media
もう一件寄って、適当に一杯ずつ飲んでからTくんとは別れた。彼はやる気が出たと言ってくれた。
いえいえ、こちらこそ
二軒目も奢ってくれてありがとう。
しかしそのあと自身の失態で、自分の身を精神のどん底にぶち込むことになった。深くは書きたくない。
本当に下らないことだから。
際限のない絶望に飲み込まれて、さっきまでの気持ちも忘却の彼方に連れされた。帰りたくも無くなって、今から会えそうな人に片っ端から連絡した。(本当にごめんなさい)すごく寂しかった。人と話したかった。
終電が迫る10分前、誰からもいい返事を得れないまま、もう朝までここにいようと半ば自暴自棄になって駅周辺をぶらぶら歩いてたら、別の数少ない今でも連絡を取る高校の友人(以下Sとする)が泊まりに来なと言ってくれたので、急いで経堂行きの小田急に飛び乗った。
一刻も早く助けが欲しかった。
そいつの住んでる寮に侵入して、ゲロは吐かないと言う約束でストロングゼロをこれでもかと投与した。
ありがとう、ありがとうと何度も思った。
もちろんストロングゼロに。
翌朝、目を開けると当たり前のように二日酔いがそこにいた。ゴツゴツした容姿にテンパ、イケメンとは綺麗に対角線上で重なる。気持ち悪かった。
まぁそれはSだったのだけど。
14:00ごろ急にカレー食いたくね?とSに言われて、「いや気持ち悪いし、食欲ないわ」と返したら、「んじゃ水買ってくるわお前も飲むっしょ」優しい笑みを含ませて颯爽と出て行き、ちゃんと水とカレーセットを買って帰ってきた。
水を大量に飲んでいたら「俺米炊くから」と言われ、違和感なく俺がカレーを作ることになるという間接技を決められた。
まぁ料理は好きだから良い。はっぴいえんどを流しながら作っていたら、ひどくお気に���したようで、曲が終わるまでいいなぁ、いいなぁっと言いながら炊飯器の前にいた。ここまででお察しの方もいると思うが、彼は真髄を極めた阿呆である。
ピピーと米が炊けた。
しかし、彼の家にはカレーに適した器が味噌汁の器とラーメン丼ぶりぐらいしかなかったので、嫌悪の眼差しでご飯をよそい、スプーンが無いというので呆然と箸でカレーを食った。なんか色んな国を冒涜しているようで申し訳なかった。
彼はカレーの味を絶賛してくれた。おお、ありがとう。
そして、後で500円ちょうだいねと言われた。
まぁいいけど、お前はきっとロクな死に方しない。
Tumblr media
奴に勝手に撮られた一枚
しかしここまできて、Sは何故俺がそこまで落ち込んでいたのかは聞いてこなかったので、俺は嬉しかった。
結局俺から話したら笑ってくれて、そこだけで人生自体を咎める必要はない、というようなことを言ってくれた。YouTubeで最近ずっとそんな動画を見てるらしい。
なんだよそれは。逆に心配した。
カレーを食い終わったあと、これからまさかのTとSでタバコが吸えて映画好きのおやじがいる喫茶店に行くというので、もちろん俺も同行させてもらった。
Tumblr media
代々木八幡路上にて人間観察
Tumblr media
18:00ごろの夕焼けで街がキラキラしていた
Tumblr media
これはその道中にいた危機管理能力バグ猫。
初めて野良猫撫でた。汚かった。可愛かった。
そして思った以上にその喫茶店のマスターがすごい人でめちゃくちゃ楽しかった。
映画の話もたくさんしたし、人生観みたいなことも教えてもらえた。マスター本日の名言。
「しょんぼり下を向いてたらお金は拾うかもしれんけど、車には轢かれる」
実際、病気や急アルやらなんやらで4、5回死にかけてるらしい。66歳。
すごく楽しい人だった。マァジで3時間ずっと喋っていた。全部面白い。今まで会ったオヤジの中でダントツだった。絶対また行く。
「代々木八幡 おんぶ」で検索すると出て来る。名だたる著名人がプライベートで足を運ぶらしい。
安藤さくらをおんぶしていた写真があった。
モヤさまもきたらしい。すごいなぁ。
Tumblr media
コロナの影響で21:00店を出て、居酒屋もやってないし、豪徳寺の公園で飲むかとなり、スーパーで適当に酒と食い物を買ってSおすすめの公園に行った。
Sは頑なに煎餅を欲していた。(後にほぼ残す)
以前もこの2人と飲んだ機会があったのだが、結局こいつらとは最終的に公園で飲む。民度が低い。
Sによると公園は駅のすぐ近くにあると言うので歩いて向かったのだが、結局一駅分ぐらい歩かされた。もうこいつの話はまともに聞かないと誓った。踵が靴擦れで血だるまになった。
Tumblr media
公園、謎の遊具にて
22:00ごろ公園では電話をしてる女性とかカップルとか筋トレ中毒おじさんとか、途中に変質者や奇声を上げる大学生と思しき2人など、よりどりみどりの来訪者を迎えて夜の豪徳寺のポテンシャルを見せつけられたのだが、2〜3時ぐらいになるとさすがに俺らしかいなくなった。
俺はしれっと終電を逃していたので、2人とも歩いて帰れる距離なのに朝まで付き合ってくれた。
それからは本当にずっと話していた。音楽のことは少なかった気がする。
映画、人生観、死生観、将来、嫌いな人間の何が嫌いか、昔のあだ名、女、小説、哲学、やりたいこと、人間性、とりとめなく。徒然なるままに。
途中、中学の頃の友人らも電話で召集して、社会人と社会に馴染めなかった人との論争(お互いに尊敬の念がある)をしていたらいつのまにかお酒は無くなった。
S「あぁ、そこの通りまっすぐ行ってすぐにコンビニあるよ」
俺「んじゃあ、Tと買いに行ってくるから、おまえ電話してて」
そして一駅分歩かされた。
こいつに尊敬の念は1ミクロンもない。
ワインと適当にチューハイをTが買って俺は紅茶だけ買った。
戻るとSが俺のタバコをラス1まで吸ってた。
いや無くなったら吸っていいって言ってたけどさぁ。
しかもラス1だけ残すという卑しさ。ほんとブスだ。
しかしこいつは歴とした小田急電鉄社員である。
高収入であり、福利厚生も良い。
世の中ちょろすぎるだろと思った。
結局そんなこんなで朝の6時まで話し通して、全然酔ってもいなかったし、眠くもなかった。
暗いか明るいかの違いしか俺にはなかったのだ。
電車で携帯の充電が切れて、家に帰ってこれを書くまで、色々思い返していた。
人に助けられてばかりの2日間だった。
思えば友人の手助けしたろかいと意気揚々玄関の扉を蹴り去って出てきたのに。
でも2人とも楽しかったと言ってくれたし、本当に久しぶりにお腹が痛くなる程笑った。
朝方Sは、はっぴぃえんどを流していた。
なんだこいつ可愛いすぎるだろと思った。
そして鉄棒の下で立ちションしていた。
なぜお前はそこまでして全てをぶち壊したがるのだ。
Tumblr media
2人を見送ったあとの豪徳寺のホーム。
人の気配は無く、天気も気温も心地よかった。
改めて心を許せる友人(特に同性の)は大切にしなければと思った。多くはない、が決して少ないなんて事はない。1人でもいればいいんだ。2人いたけど。
俺は運がいいのかもしれない。
将来好きなことをやってる中でその人生どうしがまた交じわることがあるなら、どれほど素敵なことか。
まだバンド辞めれないなとも思ったりした。
Tも飽きるまでやりたいことやると言ってた。こいつにはなんだか人生2回目ぐらいの謎の余裕がある。
まぁそれでいいよ。
久しぶりに電車乗ったし、俺に付き合ってくれた
2人には感謝しています。ありがとう。
自分を含め自分の目の届く範囲の人たちを大切にできるだけの心は常に持っていたいな。
帰り道緩い坂を下る途中、空は遠いけど真っ青だった。
俺はいつの間にかはっぴぃえんどを歌っていた。
5/24
6 notes · View notes
sonezaki13 · 4 years
Text
※サークル内企画「自分の過去作品をリメイクしよう!」で書いた作品です。
高2の時の作品「しとしと降る雨のリズム」のリメイクです。オリジナル版は下にあります。
中途半端なモブキャラF③
 
 昼休み、エミはそそくさと別棟のトイレで弁当を食べ、図書室で過ごす。図書室は先生が駐在しているのでチサトたちも迂闊なことができない。
 私はエミの様子を本棟の空き教室から見ている。トイレや図書室の中までは見えないが、移動している様子は見えるのでおおよそ見当がつく。エミがいなければつるむ相手もいないので、休み時間、誰からも声をかけられない。便利だ。エミの後を離れたところからこっそり追ってみたりもした。まるでストーカーだ。何がしたいんだろう。自分が一人でいるのが嫌だからエミにすがりつこうとしているのだろうか。でも、話しているところをチサトたちに見られたらどうなるか分からない。モブキャラごときがエミと話すのはおかしい。わきまえろ。関係ないんだから大人しくしてろ。
 その日の昼休みも話しかけることもなく、終わった。と、思うということは、私はエミと話すことを試みているらしい。モブのくせに一体何の権限があってエミと話す気なんだろう。そもそも、何を話すつもりだ。話したいことなんてあったっけ。話したいこともないのに話そうだなんておこがましい。私とエミは用もないのに話せるような仲じゃない。モブのくせに図々しい。
 放課後、一人で帰っていると雨がぱらぱらと降りだした。群れて帰っている子たちや走り込みをしている運動部員が口々に騒いでいる。天気予報になかったらしい。天気予報なんて元々見てないから知らないけど。いつも折り畳み傘持ってるし。
 制鞄に手を入れて折り畳み傘を取り出そうとしたが、見つからない。まさかチサトたちの嫌がらせか、と思ったが、そういえば家に干したままだった気がする。私は大抵人のせいにする。嫌な奴だ。別に今始まったことでもないので気にしていない。仕方ない。そういう人間なのだ。モブだし。
 少し考えて例の廃工場が近くにあることに思い至った。また女子が犯されていたら嫌だな、と思いながら前回使った抜け道から侵入する。面倒臭いことに巻き込まないで欲しい。元はと言えばあんな所で犯されていたチサトが悪いのだ。薄いトタン屋根が雨音を鳴らす。パタパタと子どもが楽しそうに踊っているみたいだ。これは私の言葉じゃない。エミが昔言っていた。
「ユイちゃん」
 回想ついでの幻聴かと思ったが、確かに懐かしい声がした。間違えるはずもない。声の方を見ると、エミがいた。まだ大して雨が降ってもいないのに一足先にずぶ濡れになっていたし、顔が赤くなっていた。チサトたちのせいだろう。埃っぽいコンクリートの地面の上で膝を抱えている。
 私はしばらく、あー、だとか、うー、だとか言っていた気がする。話すことがない。話すべきことがない。でも話したい。話したい? アホか。何を話せば良い。話すべきことを話そう。ふさわしい言葉。なんだそれは。かける言葉がない。調子はどう? 今日は何されたの? 痛くない? チサトってひどいと思わない? どれを言っても不正解で不躾で無神経だ。優しくない私がいくら優しいふりをしようとしたって急に出来るはずもない。モブは所詮どれだけ足掻いてもモブだ。価値のあることなんか言えるわけがない。
「大丈夫?」
 絞り出すようにして出てきた言葉がよりにもよってそれだった。無神経すぎやしないか。馬鹿なんだろうか。馬鹿なんだ。
「大丈夫だよ」
 赤くなった顔で、くしゃみをして鼻を啜りながらエミは微笑んだ。
 言わせている。そんなのそう答えるしかないじゃん。何やってんだよ。ほんと駄目だな。モブだから仕方ないか。特に優しいエミならそう答えるに決まっている。違う。こんなことを言わせたいんじゃない。私はただ、私はただ、エミに、エミを、エミが。上手く言葉を組み立てることができない。言葉が空回りする。こんなにバカだったのか私は。
「私はエミに何をしたら良いのか分からない。何もできないでいる。私はいつもエミに頼りきりなのに」
 俯いて、ボロボロのエミから目を背けてボロボロこぼすみたいに言った。こんなのダメだ。ただのゲロだ。言葉のゲロ。
「ユイちゃんにどうにかしてもらおうと思ってないよ」
 胸の奥がぎゅっとなった。モブのくせに。
 私は言葉の裏側で「そんなことないよ」と言ってもらえることを期待していた。この期に及んで私はエミに助けてもらおうとしていた。なので、エミの言葉には面食らってしまったと同時に痛くなった。痛いとか、笑える。何が痛いだよ。そんなの感じなくて済むようにしてたくせにアホか。死ねば良いのに。死ぬ気もないくせに。こんなことで。こんなことで何悲しんでんだよ。関係ない、で済ませてたくせに。役立たずのモブのくせに。いくらエミが酷い目に遭っていても、ちくりともしなかったくせに。私は嫌な奴だ。
「何かして欲しくて、ユイちゃんと仲良くしてるんじゃないから」
 落として上げるのか。ずるい。いや、やはりエミは優しいのだ。勝手に勘違いしただけのくせに。
 思わず顔を上げると、相変わらずエミはあまり表情のない顔をしていた。汚れた鞄には、お揃いで買ったクマのマスコットがぶら下がっている。クマも以前踏まれた時よりさらに黒ずんでいるようにも見えた。そんなことを言われてしまったら、私はどうすれば良いのか分からなくなる。エミのせいだ。期待されてないのか私は。ただ甘えていれば良いのか。餌を待つ雛鳥みたいに口開けて鳴いとけば良いのか。いや、元々分からなかったくせにエミのせいにしようとしている。エミの優しさに甘えてしまおうとしている。
「ありがとう。でも、我慢しないで」
 何言ってんだ。私は。
 エミはぎこちなく微笑んだ。久しぶりに笑った顔を見たような気がした。こんな顔をさせたかったじゃない。こんな顔をさせたくて、言葉をかけたんじゃない。胸くそが悪い。吐き気がする。何の権利があって、どの口がこんなことを言っているのだろうか。我慢しないで? 馬鹿なのか。何となく聞こえの良い言葉を並べて励ましの優しい言葉をかけられたとでも思っているのか。自己満足にも程がある。本当に、鬱陶しくて、疎ましい。消えろ。死ね。私は嫌な奴だ。嫌な奴だと嫌悪するくせに何もしない自分が嫌だ。そこまで分かっているくせに、それでも何もできない自分が嫌だ。モブのくせにモブにすらなりきれない。だから嫌な奴なんだ。私は何者にもなれない。どこにも行けない。
「ユイは弱虫だ。泣いてたら強くなれないよ」
 友達が囃し立てる。昔はエミも他の子ども達と一緒に遊んでいた。私はすぐ泣いていた。転べば怪我をしていなくても泣いていたし、そんなだからすぐ物を取り上げられたり、からかわれたりして泣かされていた。泣くまいとはいつも思うのだが、涙は止まらないのだ。止めようとすればするほどますます涙は出てきて、とうとうしゃくりあげてしまう。
「嫌がってることはやめて」
 エミが私たちの間に割って入った。からかわれている私を助けるのはエミの役目で、私があんまりからかわれるものだから、エミまで皆と疎遠になってしまった。
「嫌がってることはしちゃ駄目なんだよ。『やめて』って言ってたでしょ」
 私はせいぜい一度小さな声で「やめて」と言えたくらいで、抵抗らしい抵抗もできずただ泣いているばかりだった。公園で遊んでいる学校の子たちの輪に入りたそうに眺めている時も、エミが「入れて」と言ってくれた。エミは私の声にいつも耳を傾けたくれたし、私の様子を見ていてくれた。エミが代わりに怒ってくれるし、抵抗してくれるので、私はただ守られていれば良かった。
「あなたたちだって嫌なことされたら嫌でしょ。やめて欲しいってなるでしょ」
 エミは説教臭くてウザがられる子どもだった。しかし状況によっては周囲に助けを求めたりするような賢さもあったので、エミに反撃してくるような子はいなかった。いつも、格好付けて攻撃されるくらいなら、守りに入っていたのに、チサトの時は失敗してしまったのだろう。エミはチサトに同情しすぎていた。この頃のように私のことだけを守っていればあんなことにはならなかったのに。チサトをそんなに気にかけたいならかければ良い。勝手にすれば良い。私はいつだって傲慢で自分のことしか考えていない。だから眺めているだけでいる。誰かが何とかしてくれるのを待っている。何もしなければ傷付かないし失敗しない。しかし、何もしないなんてことは結局できない。私は「ただ見ている」ということを選んでいる。なので傷付くし失敗する。それなのに自分のせいではないかのようなふりをしている。
「弱虫だから鍛えてあげ��るだけなのに。良い子ちゃんぶってつまんないの」
 私から取り上げたぬいぐるみを、その子は高く放り投げた。耳の長いうさぎのぬいぐるみだ。ぬいぐるみは木の枝に引っかかってぶら下がっている。私たちのような小さな子どもには届かない。
「エミとユイはほっといて遊ぼ」
 私たちを置いて、皆タコのすべり台へと駆けだした。エミは木に登ろうとしたが、足や手をかけられる場所が少なく、よじ登ることができない。何度も挑戦していたが、結局はずり落ちてしまって駄目だった。その時の私も眺めているだけだった。ついには帰る時間になってしまったので、エミは自分のお母さんを呼んできた。私はただ眺めているだけだった。お母さんは「あらあら」と少し困ってから、箒を持ってきて、ぬいぐるみをとってくれた。たぶんお礼は言ったと思う。何もしない私でも、それくらいはできたと思う。いや、できただろうか。私は全然ちゃんとしていないので、定かではない。もっとちゃんとしないといけないのに。
「ごめんね。私もっと強くなるからね」
 帰り際、エミはそう言った。違う。私が弱いのが悪い。いじめっ子が言っていた通りだ。
 帰りが遅いので心配して父が迎えに来てくれた。もう夕飯が出来ていると言っていた。確か父はちゃんとエミとエミのお母さんにお礼を言っていた。その時は父と母はそこまで仲が悪くなかった。両親にお誕生日プレゼントは何が良いか訊かれた時も、私はただ欲しい物をじっと眺めているだけだった。
 何でこうなってしまったのだろう。
 私はいつもただ眺めているだけだった。自分のことなのに、自分に関係のあることなのに、まるで遠い世界の出来事かのように素知らぬ顔をして、何となく欲求を匂わせている。傲慢で我が儘だ。恥をさらして生きている。恥をさらして生きているから胸を張れないのか。それとも胸を張らないから恥をさらしているのか。生まれつき狡くて卑怯な人間はいる。私が弱いのは親のせいでも、いじめっ子のせいでも、エミのせいでもなくて、私自身のせいだ。
「やっばー。すごいの見つけた」
 チサトの手下みたいな女子が濁ったジュースのペットボトルを掲げている。なんだかよく分からない固形物が浮いている。パッケージを見る限りイチゴミルクだった何からしい。
「これ絶対めちゃくちゃ前のやつじゃん」
 くすくすと笑い合っている。さっきの移動教室で棚の隙間でごそごそやっているかと思ったらこんなくだらないものを見つけてきたらしい。チサトはその様子を楽しそうに眺めていたが、そのペットボトルをさっと子分Aの手から奪った。周囲の目が好奇心で輝く。期待している。薄汚い好奇心がそのペットボトルに向けられている。どんな風にしてエミに嫌がらせをするのか誰もが気にかけている。モブは皆気になって仕方ないのだ。
 チサトは何も言わずにそのペットボトルの中身をエミがいる机の上にぶちまけた。びちゃ、と重い水分が出てきた。悪臭が教室中に立ちこめる。おぇっとむせる声があちこちから上がる。窓の近くの生徒が大慌てで窓を開ける。
 黒ずんだイチゴミルクなのか何なのかわからない液体がエミの机を伝って、スカートを、床を汚す。
「臭い」
 チサトがエミを見下ろしながら言った。いや、お前のせいだろ。えっ、何。コントか。ツッコミ待ちか。思わず内心で突っ込んでしまった。
「臭くなったじゃん」
 珍しく無表情ではなく顔をしかめている。匂いのせいだろうか。眉を顰め、忌々しそうに唇を噛みしめている。そして、エミの頭を掴むと、汚れた机の上に押しつけてごしごしと押しつけて擦った。エミを雑巾だとでも思っているのだろうか。
「とれない」
 チサトがポツリと独り言のように呟いた。エミが濁った咳をした。音からしてもしかしたら吐いたのかもしれない。エミの机の上はゲロとお茶だった何かで悲惨なことになっているだろう。その前から落書きでボロボロだったけど。
「とれない。とれない」
 頭でもおかしくなったんだろうか。いや、元からか。イカれてるよなぁ。チサトは頭おかしい。きっと虐待されて頭がおかしくなったんだ。可哀想だな。死んでた方が良かった。
「とれないよ。これ。とれない。どうすんの」
 上げようとするエミの頭をぐりぐりと机に押しつける。それでもエミはじたばたともがいている。手と足を使って立ち上がろうとするエミの体を、取り巻きたちが鼻をつまみながら押さえつけた。
「あんたのせいだ」
 チサトは怒っていた。不可解だ。どうしてここでチサトが怒るのだ。意味が分からない。全部自分がやったくせに。チサトが悪いくせに何を言っているのだろう。そんなことモブも皆分かり切っているはずなのに、誰一人チサトたちを止めない。関係ないから。にやにや笑っている子たちすらいる。モブに徹している。モブレベルが高いんだろう。すごいな。私はモブすら上手くできない。
「全部あんたのせいだよ」
 たぶん、皆これをパフォーマンスだと思っているのだろう。中世ヨーロッパでは処刑が娯楽だったというし、暇を持て余して中学生にとってはいじめが娯楽なのだ。だから誰も止めない。告発した子だって、止めようとしたふりをしただけだ。結局は役立たずのモブ。
「全部全部あんたが悪いんだよ」
 またどうせ自分に言っているくせに。一人で勝手に死んでくれ。他人を巻き込むな。誰にも迷惑かけないようにして一人ぼっちで孤独に死ね。
「死ね」
 お前がな。エミをぐりぐりと頭で机を擦る力が強くなる。机でエミの顔を押しつぶす気なのだろうか。
「死ね」
 チサトの語気が強まる。何勝手に熱くなってるんだろう。バカでしょ。自分の言葉に自分で興奮してんのかこいつ。変態かよ。
「死ね」
 チサトの顔が赤い。怒っている。怒りに震えるほどに怒っている。何にそんなに怒っているのだろうか。下らない。それをエミに押しつけているだけだ。お前なんて、エミに関係ないくせに。勝手に関係してくるな。マジで死ねよ。
「死ね」
 チサトが言葉を重ねるのに合わせて、取り巻きは冗談ぽく手拍子を始めた。重い空気を積極的に茶化していくいつものパターン。何人かがふざけて、チサトの「死ね」に「死ね」を重ねていく。本当にあるんだな。死ねの大合唱。都市伝説じゃなかったらしい。こういうの本当にあるのか。そわそわしていたクラスメイトたちまで何人か合唱に加わっている。野次馬根性か何かだろうか。しーね、しーね、とリズミカルにクラスの半分くらいが一致団結したような気がした。この団結力があれば今年の体育祭はうちのクラスが優勝だ。おめでたい。楽しみだ。合唱コンクールも優勝できるかもしれない。協力って大事だな。勝手にすれば良い。知らないけど。モブ共は本当に勝手だ。ちょっと勝手すぎるんじゃないか。私も勝手だけど。
「いや、お前が死ねよ」
 何て言おうかとか、どうやって動こうかとか、特に考えてもいなかったが、考えるより先に口と手が出ていた。
 チサトが呆気にとられている。いや、チサトだけではない。教室中が呆気にとられていた。
 一呼吸置いて悲鳴があがる。黄色い悲鳴を上げるのはいつもモブだ。チサトも私も黙っている。チサトの顔面から血の気が引いていく。自分の手の甲からだらだらと流れる血を黙って見つめている。少し黒っぽいのは静脈の血だからだろうか。手や指となるともっと勢いよく血が出るかと思った。うっかりエミの髪の毛まで一緒に切らなくて良かった。結構腕前は良い方みたいだ。プロになれるかも。カッターナイフの。
「ごめんなさいは?」
 ダンボールを切る用のデカいカッターナイフをチキチキさせながら私は言った。血が付いたら刃が錆びそうだ。チキチキ。何枚か折ったらまた文化祭に使えるだろうか。何だかチキチキ言わせるのにハマってしまって私は刃をわざと何度もチキチキ出し入れしているチキチキ。小学校の卒業証書を入れる筒をポンポン鳴らしてたのを思い出す。ポンポンよりチキチキの方がイケてる気はする。こういうのを中二病と言うのだろうか。チキチキ。知らないけど。
「悪いことしたらごめんなさいだよね」
 私は、私とエミ以外はチキチキどうでも良い。やばいじゃん、頭おかしい、等のざわめきが聞こえる。聞こえてますよ。チキチキ。何人かいない気がするから先生呼びにチキチキ行っちゃったかな。すごいな。モブのくせに役に立つんだな。あまり時間がない。でもまぁ残ったのは全員クソみたいな役立たずのモブだチキチキ。そもそももっと前に頭おかしいシチュエーションがあっただろうに、チキチキお前らは頭がおかしいんだろうか。モブだから考えないのか。関係ないもんな。仕方ないよな。ツッコミが遅すぎる。チキチキ。私は誰かのモブかもしれないが、私にとってはエミと私以外全員学芸会の木の役くらいの存在価値だ。チキチキ。チサトが可哀想なことは分かるチキチキが勝手に不幸になれば良い。犯されて殺されようが、チキチキ自殺しようが関係ない。死ねば良い。勝手にチキチキ死ね。でもエミが死ぬのはチキチキダメだ。エミを���うのはダメだ。それは私に関係がある。チキチキ。
「嫌がってることは、しちゃ駄目なんだよ」
 勝てないと思ってたけど、案外いけるじゃん。やったね。カッターナイフ全国大会優勝するかも。まぁチサトなんて屈強な男じゃあるまいし、たかが同い年の女子だ。でもチサトは背も高いし、丸腰だったら勝てなかったろう。私は装備が強いから助かった。カッターナイフの腕前が光る。カッターナイフで人を切るのは初めてなので才能があると思う。持ってて良かったカッターナイフ。
「ごめんなさい」
 チサトは顔にカッターナイフを突きつけられながら、手の甲を止血しようと必死に押さえている。目にはうっすら涙が浮かんでいる。すごい。あっさり。チサトってこんなに弱っちいんだな。カッターナイフよりも弱いとは思わなかった。もっと早くこうしていれば良かった。勝ち気な女もととりあえずカッターナイフを突きつければ言うことをきく。これってトリビアになりませんか。
「許してあげるから死んで」
 カッターナイフの刃がチサトの頬に触れた。チサトの体に力が入るのが分かった。換気のために開け放たれた窓へとチサトを押しやる。
「このまま飛び降りて自殺ね」
 頬にカッターナイフを押し当てたままチサトを窓の外に向かってぐいぐい押す。ぱらぱらと雨が降っている。外が明るいから気付かなかった。狐の嫁入りだ。こんなに明るいのに雨が降ったら虹が出るんじゃないだろうか。出たら綺麗だろうな。
 クラスのざわめきが大きくなる。でも誰も止めない。どうせその程度だということは分かっている。モブは鳴いてるだけ。そういうBGM。所詮背景。
 チサトの髪が雨で湿っていく。しとしとと優しい雨だ。どんな顔をしているのだろう。不服そうにしているのだろうか、恐怖に震えてるだろうか、諦めているだろうか。窓の下へ押し出しているので見えない。
「やめて」
 エミの声がした。
 やっぱりさすがだな。すごいよ。やっぱりここで来るのはエミなんだ。すごいな。ドラマチックだな。モブとは違う。特別なんだ。やはりエミは強くて優しいエミなんだ。
「チサトは悪くないよ」
 やっぱりそう言うんだな。まただ。二回目だよそれ。何も変わってない。エミは変わらない。私も変わらない。いや、変わったのかな。きっとエミは私のことも悪くないと言うのだろう。誰も悪くないなどと綺麗事を抜かすのだろう。エミは強いから分からないんでしょ。
「エミ、ごめんね」
 多分私はこれが言いたかったんだろうな。だってなんかいきなり自然と口から出てきたから。ヨダレみたいなもんだ。言葉のヨダレ。何を謝ってるんだろう。どこからどこまでが駄目だったんだろう。むしろ悪くなかったところが見つけられない。悪いのは何だろう。私の存在だろうか。そんな状態で謝ったって、許されるはずもない。罪が何かも分からないのに償えるわけがない。言いたい気持ちは確かにあった。でも、これは私がすっきりしたいのと一緒だ。ヨダレ以下じゃん。ゲロ��ありウンコだ。悪臭を放つ、何の役にも立たない言葉だ。
 チサトからパッと手を離して窓の外へと身を乗り出した。ぐらりと視界が揺れる。教室内のくすんだ空気と違って外の空気は澄んでいる。悲鳴が上がる。校舎中に響きわたってそうだ。
「ユイちゃんは悪くない」
 エミが私の腕にすがりついた。柔らかくて温かい。生き物。でも、ほらね。やっぱりエミはそんなことを言うんだ。じゃあ誰が悪いんだよ。誰も責めることができないなんてあんまりじゃないか。エミは誰にだってこうするんでしょ。チサトがもし自ら身を投げようとしていたって止めていたに決まっている。知らないおっさんでも止めている。言わせている。させている。私はモブのうちの一人だ。いくら暴れてみても結局はモブなのだ。役に立たない。関係ない。いや、関係できないのだ。絶対ここは死ぬところだったじゃん。人死にがでないなんてつまらない話だ。この辺りで一人くらい死んでおいた方が盛り上がる。私は誰にも助けられないし、誰も助けることができない。この状況は良くならないし、何も解決しない。何も終わらない。今までも、これから先も地獄だ。マシな地獄かもっと酷い地獄か分からないけど、地獄であることには間違いない。でもそれも結局は単なる私の期待であって、地獄すらも来ず、どこへも行けない方がリアルかもしれない。何かそんな気もする。全部めちゃくちゃになれば良かったのに。中途半端だ。結局は中途半端。
 バタバタと足音がしてクラスメイトたちが教師何名かを連れてやってきた。何か叫んでいる。私はすがりつくエミを振り放した。エミが尻餅をつく。関係ない。チサトとも関係ないし、当然エミとも関係ない。だってモブだし。思い出したようにカッターナイフをチキチキやる。もうさっきほどチキチキを好きにはなれなかった。何かな。どうなるんだろ。少年院とかかな。ほらね、やっぱり私ただの嫌な奴じゃん。それでも生きなきゃいけないんでしょ。それでもこの人生終わんないんでしょ。面倒くさい。あーあ。
 青空を背景にしとしとと雨が降っている。こんな弱い雨では何一つ切り刻めやしない。相変わらず虹は出ない。
【書いてみた感想】
・僕っ娘はあまりにもパンチが強すぎて内容を持って行かれるのでカットした。必然性がない。
・いじめの理不尽さはオリジナルの方が上。負けてる。
・どうしても「しとしと降る雨のリズム」のままそれらしい内容にすることができなかった。どう考えてもこの話は「しとしと降る雨のリズム」じゃない。でもあまり良いタイトルも思い付かなかった。今も当時も語感は気に入ってるのでよそで使いたい。
・腐った給食を用意させるために頑張ることを諦めた。
4 notes · View notes
kkv-main · 4 years
Photo
Tumblr media Tumblr media
KKV Neighborhood #17 Book Review - 2020.06.10
抱きしめたい~イギリスのおっさんたちのぬくもりと抵抗~ ブレイディみかこ 「ワイルドサイドをほっつき歩け ハマータウンのおっさんたち」(筑摩書房) review by 小野寺伝助
ブレイディみかこは前著「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」(2019年)にて〈エンパシー〉という言葉を紹介し、自分とはちがう立場の他者を想像する能力の必要性を説いた。国籍、人種、政治信条、性別。分断ばかりが進む現代において、エンパシーはとても重要だと痛感し、私は自分なりにエンパシーを高める努力をしてきたつもりでいた。が、ブレイディみかこの新著「ワイルドサイドをほっつき歩け ハマータウンのおっさんたち」を読んで、自分のなかで〈ある対象〉へのエンパシーが著しく欠けていたことに気付かされた。
その対象とは、中高年の男性、つまりおっさんである。
端的に言って、私はおっさんが苦手だ。苦手というか、嫌いだ。
(と言いつつ私も三十代半ばのおっさんではあるが、ここでいうおっさんの定義は六十代以上の引退した世代とさせていただきたい)
なぜ私がおっさんのことを嫌うかといえば、いくつか理由がある。まず、〈なんて生きづらい世の中を築いてくれやがって〉という自分の怒りの根源である、このクソみたいな世界を作り出した当事者というイメージがある。高度経済成長を支えたのは家父長制という男性中心的な仕組みと体育会系的なマッチョ思想で、そんな昭和な価値観がバブル崩壊後もゾンビの様に蔓延って社会の生きづらさを生み出していると、サラリーマンの私は痛感する。
次に〈あいつらは得して、俺たちは損している〉というおっさん世代に対する憎しみに似た被害者意識。彼等は高度経済成長の甘い蜜を吸ってバブル経済を崩壊に導き、負の遺産を残したまま引退し、悠々自適の生活へ。かたや一方、物心ついたときから不景気が続く我々世代は、少ない収入にも関わらずおっさん世代を養うための高い年金を支払う。そんなんおかしいやろ、と思わずにはいられない。これ以外にも個人的な恨み辛みも合わさって、私はおっさんが嫌いだ。
それ故に、電車の中で鼻糞をほじっているおっさんを見れば〈不潔。コレだからおっさんは困るぜ〉と軽蔑し、駅のホームでゲロを撒き散らす泥酔したおっさんを見れば〈おいおい頼むぜおっさん〉と白い目を向ける。自分だって家じゃ鼻糞をほじるし、そこら中に泥酔してゲロを撒き散らしてきたのに、だ。
「ワイルドサイドをほっつき歩け ハマータウンのおっさんたち」は、イギリス在住のブレイディみかこの夫とその友人たち、つまりイギリスのおっさんたちの日常を描いたエッセイである。
イギリスといえば、2016年にEU離脱の国民投票で離脱派が勝って世界を驚かせた。そのEU離脱を支持したのは排外的で愛国主義のレイシストなおっさんというイメージで、遠い異国でも保守のおっさんVSリベラルな若者の対立構造があるのだなぁと感じ、私はイギリスのおっさんに対してまでも勝手に嫌悪感を抱いていた。
本書で描かれるおっさんたち���、まさにそのEU離脱に投票したイギリスのおっさんたちであるのだが、読後、私はおっさんたちを全員抱きしめたくなった。おっさんたちと一緒にパブで酒を飲んで、尻を出して踊りたいと思った。
本書で描かれるおっさんたちはとても愛おしい。EU離脱派に投票したおっさん達は、街で中国人移民に対する差別から彼等を守るべくパトロール隊を結成したり、冬空のもと凍えているホームレスの青年を自宅に保護してまんまと金品を盗まれたり、排外的なレイシストではなく人間味溢れる心優しいおっさん達だったのだ。EU離脱に投票したその一票の裏には、人生の悲喜こもごもや葛藤がたくさん詰まっていた。
そして、私は猛烈に反省した。社会学者の岸政彦は著書「断片的なものの社会学」(2015年)のなかで、ある集団のことを一般化して全体化することはひとつの暴力だと言っていて、私はその通りだと思っていた。例えば、〈中国人は民度が低い〉とか〈黒人は暴力的だ〉とか〈女性は女性らしく〉とか、国籍や人種や性別を一括りにして全体化して語るのは差別に他ならないし、個を見る眼差しを捨て、特定の集団を一括りにして捉える眼差しの見据える先にあるのは戦争だとさえ思っている。
それなのに。私は中高年の男性を〈おっさん〉という一括りに全体化して、無意識に嫌悪感を抱いていた。何も知らずに、EU離脱に投票したおっさんを排外主義のレイシストだと思っていた。
ブレイディみかこは本書の中でこう言っている。
「自分より得をしている気がする者」を全力でぶっ叩きたくなるのが緊縮時代の人々のマインドセットだとすれば、そのターゲットは外国人にも生活保護受給者にもシングルマザーにもなり得るのであって、「いい時代を生きたベビー・ブーマー世代」もその一つの形態に過ぎない。(P.221)
なるほど。私は分断を嘆いていながら、ちゃっかり分断を生む思考をしていたのだ。ブレイディみかこのエンパシー力というか、個を見る眼差しは素晴らしい。世の中の差別を根絶するために、身勝手なエンパシーで満足せず、自分の中にある差別や分断を生む心にも向き合いたい。
そう思って、私が世界で一番嫌いなおっさんがインスタに公開した日常の様子を改めて見てみたのだが、星野源の楽曲に合わせて死んだ表情で犬を撫でたり紅茶啜ったりリモコンを操ったりする姿にやはりムカついた。当然、いいおっさんもいればクソみたいなおっさんもいる、よな。
そして、漏れなく我々世代��おっさん(おばはん)になってゆくのだが、年を取るのも悪くねぇなと本書を読んでポジティブに思った。
小野寺伝助  (地下BOOKS / v/acation /ffeeco woman / haus)
note https://note.com/hopeonodera
Twitter @BOOKS39595232
1 note · View note
gkeisuke · 5 years
Text
190424 『劇場版 響け!ユーフォニアム~誓いのフィナーレ~』についての思うところ
昨日、新宿ピカデリーで『劇場版 響け!ユーフォニアム~誓いのフィナーレ~』 を観ました。
悪い映画では無かったけど、諸々思うところがあり、意外と思うところをまとめた方がよさそうな外圧があったので、軽くだけ文章にしようと思います。
私は感情を失ったアンドロイドなので、ネタバレに対する配慮が欠けている節がありますが、当然ながらネタバレしかしていないのと、あんまり良いことは書いてないと思うので、以下はその点をご理解して頂いた上でお読み下さい。
■私と『響け!ユーフォニアム』
別に決めごとがあるわけではないけど、大学を卒業した後くらいから、京都アニメーションの映画に関しては、どこかで確実にふかふか団地の尾瀬みさきセンパイを誘っている気がする。他の映画はそうだったり、そうでなかったりする。
そもそも、私が相当にセンパイの影響下にある人間なのは疑いようもない事実なので、概ね感性が合ってしまう。また、たまこまーけっと(ラブストーリーではない点が重要である)以来、二人で馬鹿みたいに真剣に京都アニメーション作品、とりわけ山田尚子監督作品を深読みしちぎって、アニメーション演出のことを学んでいった大学時代でもあったりした。
新宿ピカデリーの11階から降りていくエスカレーターで「うーん……うーん……悪い映画ではなかったけど……思うところがありますね……」と私から感想を話し始めて、センパイは「これは下手くそが作ったパーフェクトグレードZガンダムですね」と返した。会話になっていない。
ただ、周りの観客の感触を聞いている限りでは概ね好評で、概ね好評なことが分からない訳ではない映画だったし、これは100回くらい繰り返したのだけど、悪い映画ではなかったのだ。
思うところがあったので、センパイに承諾を得て、ピカデリー裏のアニメイトで武田綾乃先生のユーフォ最新作をすぐに購入した。
私は『リズと青い鳥』を試写会で観た後、ちょうど1年くらい前に『響け! ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章』前後編と『響け! ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部のホントの話』を読了している。
なので、これは映画の続きが観たいから買ったのではなく、原作の続きを知る必要があるから買ったものであることは強調しておきたい。
家に帰って読んでみたら意義のあるものだったので良かったけれど、正直開演前にパンフレットを買ってしまったのは、失敗だったかなという気はした。
重要なので何度も言うようだけど、悪い映画ではなかったのだ。
■リズと青い鳥と山田尚子の功罪
前作『リズと青い鳥』と 『劇場版 響け!ユーフォニアム~誓いのフィナーレ~』というのは、原作では一つの魂を持つ物語だ。
簡潔に説明するのであれば、原作『響け! ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章前後編』の物語を「傘木希美と鎧塚みぞれ」にフォーカスを絞った上で、一つのフィルムとして再解釈したのがリズと青い鳥だ。
原作において、今回の誓いのフィナーレで書かれた筋と、リズと青い鳥で書かれた筋は、黄前久美子の成長物語という縦軸をブラさず、二つの事象が絡み合いながら吹奏楽コンクールへ向けて進んでいく。
なので、リズと青い鳥で起こった事象に対する問題の解決に、もう少し能動的に黄前久美子が関わっていたりもして、それが黄前相談所という言葉につながる所以でもある。
私は、リズと青い鳥がリズと青い鳥であったが故に、この縦軸がブレてしまったことが、今回の誓いのフィナーレが歪な構造になってしまったことの最大の原因ではあると思っている。
歪な構造というのは、この映画が『劇場版』とラベリングされた作品であることに他ならない。
京都アニメーションの劇場作品をよくご覧の方はご存知かと思うが、基本的は、完全新作の場合「映画〇〇」というタイトルになり、総集編や再構成の劇場作品の場合は「劇場版〇〇」というタイトルになる。
『中二病でも恋がしたい!』で例えるのであれば、小鳥遊六花・改は『劇場版』で、Take On Meは『映画』なのだ。
『響け!ユーフォニアム』に関しても、リズと青い鳥は『映画』だったが、物語として同じ魂を持つ誓いのフィナーレは『劇場版」なのである。
映像化という意味では、完全新作のはずなのに『劇場版』というケースは、近年の京アニ映画ではレアな事象なのではないかという気がする。
その上で、この映画が『劇場版』であったことには、妙に納得もしてしまう。
この映画が総集編の文脈で描かれた物語だからだ。
悪い映画ではないと思ったのは「完成はしている」ように感じたからだ。
ただ、原作の物語を知っているからこそなのか、そうでないのかは分からないけれど、この物語で描かれている事象だけでは、黄前久美子の成長譚としては、ただシンプルに「足りない」のではないかと感じてしまった。
例えば『波乱の第二楽章』の物語から、こちらが勝手に想起して、補完すること自体は可能だ。
だけど、それは1本のフィルムとして美しい態度ではないと個人的には思う。
それが、本当にテレビシリーズからの総集編映画であれば、テレビシリーズで描かれた文脈を補完するのは、決してやぶさかではないだろう。
ただ、今回の誓いのフィナーレは、本来、その寄る辺がない完全新作の映像作品のはずなのだ。
寄る辺があるとすれば、先行された映像作品であり、同じ魂を持ったリズと青い鳥の物語から補完する分には筋が通る。
が、これが非常に罪な部分で、先述の通りリズがリズであったが故に、黄前久美子の物語として、あの筋を補完することを不可能にさせてしまったように感じる。
リズと青い鳥という映画に、いろいろ言いたいことはあるけれど、一言で言えば、私の人生を決定的に揺さぶった大切な作品だったとは断っておきたい。あの映画には、原作がとても素晴らしい小説であったという前提がありながらも、映画としての体験の中に、小説を読んだだけでは決して得られなかった衝動が確実に含まれていたと断言できる。
が、あの物語のフォーカスを「傘木希美と鎧塚みぞれ」に絞ってしまったが故にリズと青い鳥の文脈を、黄前久美子の物語として解釈することが非常に難しくはなってしまった。
原作では同じ魂を持つ一つの物語だったものが、映像作品としては『映画』と『劇場版』という同じ血を持つ違う魂になってしまったのだ。
多分、私の「思うところ」の全ては、最終的にココへ集約されるのだと思う。
基本的には美��の話というか、私は特に新作映画であるのであれば、その映画1本で1人立ちしているものを"美しい映画”だと思っている。
しかも、これは他でもなく『響け! ユーフォニアム』の劇場版なのだということを留意しなくてはならない。
映画としては『リズと青い鳥』を、そして劇場版としては『劇場版 響け! ユーフォニアム ~届けたいメロディ~』を送り込んだ前例があるアニメなのだ。
劇場版である『届けたいメロディ』は、テレビシリーズ2期の総集編なのだけど、実は最初の鑑賞の際に、私はちゃんと2期を観ずに臨んでしまった。にも関わらずゲロを吐きそうになった。2期を観た後にもう一度劇場へ行った。ゲロを吐いた。
あれは、2期の物語を「田中あすかと黄前久美子」にフォーカスを絞った上で、必要な描写を再構成したり、追加した結果、総集編にも拘らず、全く新しい物語のように見えてしまうという魔法のような映画だった。2期の物語自体が非常に素晴らしいのだけど、再構成だけで、1本のフィルムとして成立するほどに観え方は変わるのかと感嘆させられた覚えがある。
私が、誓いのフィナーレに、リズや届けたいメロディのような"潔さ”を無意識化に求めてしまっていたのも、うーん、わがままなのだけど、仕方がないことだと正直思ってはいる。
■愚痴を言うとすれば
演奏シーンで涙はしたんだけど、それが鎧塚みぞれが『愛ゆえの決断』のソロを吹いて、傘木希美がついていくという部分に対してだったので、だったら「じゃあ、この映画は何だったんだ」という気持ちがあった。
さっきも言ったように、リズと青い鳥を『映画』にしたのだったら、その感動の理由をそこから引っ張ってくるのは違うんじゃないだろうか。
その後の演奏パートも、テレビシリーズ、劇場版を通して、正直一番好きではなかった。ここが良かったら「いい映画だった」といえたかもしれない。
カメラワークが気にくわない。ティンパニーの作画は良かった。鎧塚ばかりを映して、傘木が極力映らないようにする、その上で一番映すべきタイミングで傘木が映ったところも良かったが。
これが完璧すぎると「全国へ行けなかった」という事実に対して、逆に説得力を失う、というのなら分からないでもないけれど。
久石奏(CV.雨宮天)さんに関しては、マジで贔屓目抜きに素晴らしかった。
久石が完全に現界していたし、前日に雨宮天さんのお話を聴いていたので、尚のことバッチリとハマっているように感じられた。
結局、リズと青い鳥がパラレルワールドの話ではなく、この誓いのフィナーレと地続きの世界であるのであれば、二本合わせたとしても、この一本だけで観たとしても、不完全な物語になってしまっているのだ。
でも、筋として決して「完成していない」訳ではないのだ……。
なので、後追いという形で、テレビシリーズで黄前久美子2年目の完全版をやって頂くか、短編映画という形で行間の物語を埋めて頂く形で、2年目の物語を一つの魂として完成させてほしい気持ちがある。
私からはそんなところですかね。あとは尾瀬みさき氏(@sawaon)のアカウントを辿って頂くと、私と飲みながら話した内容が書いてあるので、補完されると思います。(逃亡)
■追記
筋トレしながら改めて考えていたのだけど、この作品の「寄る辺」というのは、これまで石原立也監督作品としてやってきた『響け!ユーフォニアム』のテレビシリーズと『北宇治高校へようこそ!』なのではないかと思い直した。
だとすれば、やはり美学に反するのはやっぱりそうで、純粋に石原立也監督の『劇場版』があまり好みではないことは確かなのだろう。
パンフレットのインタビューでも、石原監督自身が『アニメ5話分の絵コンテを切った気分』と話していた。私は、少なくとも石原監督のやり方だと、アニメ5話分では全然足りなかったよね(でも、テレビシリーズの尺だったらめちゃくちゃいいものになってたよね。/この映画の前提にテレビシリーズがあればいい総集編だったよね)というスタンスなので、いや、テレビシリーズの文脈足せば足りてるよと言われればそうかもしれないので、ここは個人的な好みの問題なのかもしれない。
ただ、その解釈であるならば、ちゃんとテレビシリーズを観て臨んだとは言えなかったので、私が悪い部分の方が大きくなる……。
結局、山田尚子とリズと青い鳥に呪われている、囚われているのを感じざるを得ない。あの作品のことはトクベツなのだけど、どうしても気持ちよく評価できないのは、トクベツ過ぎて呪いになっているからだし、山田監督の祈りがその境地に達してしまったのを感じた映画でもあったからだ。
ちなみに、石原立也監督の『映画』である「中二病でも恋がしたい! -Take On Me-」は、間違いなく、石原監督でなければダメだった大傑作です。
なぜなら、この映画は、上で書いたような石原監督の作家性が結晶となり、京都アニメーションを引っ張り、一時代を牽引してきた「アニメと自分」との歴史と関わりを。そのまま『中二病でも恋がしたい!』という言葉に結び付けたからです。
アニメシリーズからの線どころの話ではなく、石原立也の、京都アニメーションの歴史が乗っかった文脈でもあったので、一応00年代のアニメオタクとして、あの映画は非常に感慨深いものがありました。
反面、石原立也監督の『劇場版』作品である小鳥遊六花・改は、私がこれまで観てきた京都アニメーション映画の中でもダントツのワースト作品でもあります。マジで「どうした!?」「正気か!?」と思いました。評価する点があるとすれば、ラスト1分あるかどうかの七宮智音さん初登場シーンのみです。あれは完全に『届けたいメロディ』で見せた構成の魔法を、悪い大人が悪用しようとするとああなるという例でした。
石原立也監督の『劇場版』だったからと思えば、このモヤモヤした気持ちは「好みの問題である」と一番納得がいくような気がする。
テレビシリーズを観なおしてからもう一回観に行くかは、少し悩もうと思っている。ただ、そこで一本の線として繋げたら、全然拾えるものが違うのではないかと思う。
雨で濡れた髪が黄前麻美子のようになるというのは、完全にテレビシリーズからの方が強固な文脈だった。そういう意味では、これまでの劇場版3作のどれとも向き合うべきスタンスが違って、実は異質なのがこの映画ではあったのかもしれない。準備の仕方、心の作り方を前提として間違ってしまったような気がしてきた。
もし、この文章を映画鑑賞前に観てしまった人がいれば、私は原作は読まず、テレビシリーズの1期と2期を通しで観た上で臨むことをオススメしたいです。オススメ度97%くらい。
2 notes · View notes
manganjiiji · 9 months
Text
家格は屑星の二にて候
さて。仕事が始まってございますな。ぜんぜん。ぜんぜん4時間とかです。でもいつもの通り立ち仕事(本屋)なので、まだ2回しか行っていないのでとにかく帰宅してから脚が痛い。結構、結構ね、乗換駅で歩くんだよね。毎日とくに伸縮性のないジーパンを履いているためとにかく階段がきつい。でも2回目の今日は1回目の勤務より痛みがましだったので、このままちょっとずつましになるといいですな、と思う。最近、連日5000歩ほど歩いただけで、とにかく横になった時に足にしびびび!という稲妻が走るかのような痛みが発生する。この状況になるともう動く気が起きない。よくないことだ。この痛み自体は何年も前からある、というか小さい頃からあるようなないような気もするのだが、とにかくぴりぴりとした痛みが足からふくらはぎ、太ももにかけて駆け抜けてゆく。急激に太った頃もこれが酷かった気がするので、最近また太りすぎて下半身に負荷がかかっているのであろう。だいたい62kgだと思う。60kgがたぶん、せめて私の脚が支えられるぎりぎりの体重だと思う。食べすぎているんだ。お腹いっぱいでも、空いていなくても、とくに飢餓を感じていないのに、ただ「間が持たないから」という理由で1日4食くらいになっている日がある。普段は1日2食なので、異常である。これを1日2食に戻して守ったところでとくに痩せない。特に痩せなくても、健康のためにせめて59〜60をふらふらするくらいの体重にはなりたい。危険だ。もう4年前になるのか、20kg太った。正確にはまず16kg太り、その後8kg太ったので24kg太り、4kgなんとか落として今。20kg太ったのは度を越した飲酒と暴食である。毎日が急性アル中のような状態で毎日尿失禁していた。そのおかしさを認識できずへらへらと号泣しながら生きていたため、限界を越えてどんどん太っていった。社会的にも最終的には総崩れになったが、まあいい経験だったと思う。そもそも酒が一滴も飲めないサラブレッドの家系で飲むと体調不良(頭痛ゲロ)必至だったのだが、慣らせば馴れるもので、体と脳と筋肉はぶっ壊れたが、酒が「全く飲めない」ではなくなった。人間としても様々なことを経験して全く何をやっているのか、22〜23歳のやるであろうことを32〜33歳で経験した。嵐のような日々だった。その後の反動というか、まほやくジャンルでかなり知的で成熟して落ち着いた人種と交流したことにより、わ、わたしって、かなりやばい……。ということにようやく気づき、そこからさまざまな意識改革が行われた(友人には「全く根本をわかっていない、意味が無い」と評されるであろうが)。9歳年下の同居人大学合格のための住み込み家庭教師を経て、なんとか人間としての感覚を身につけていったような気がする。そこ(同居人氏合格)からもうすぐ2年が経とうとしている。相変わらずあまり自分が「ましになった」という感覚は少ないが��病状はかなり改善したと思う。不眠に陥ることが少なくなったし、うつ状態(希死念慮を伴う)も月に1~2回、つまり2日〜4日で済んでいる。カウンセリング、主治医変更、投薬(通院)の安定、偏頭痛薬の注射、生家との距離を置けたこと、障害年金の受給が始まったこと、など、この2年で変化したことが多くある。これらの変化がなければ、今私はここまで穏やかに生きることはできていなかった。さまざまな友人がつねに物心両面で支え続けてくれたからこそであって、私の努力というのはほとんどない。本当にこんな頑固でわがままでナルシストでとくに旨味のない(コンテンツとして面白みのない)ただおちゃらけているだけの人間に、よくもまあここまで徳の高い友人達が繋がっていてくれるものだ、と思う。恩返しとしては私が元気で楽しく小説でも書いて生きていくことだと思う。小説といえばあんさんぶるスターズ!!の大人気カップリング、燐一(りんひい)のラブコメを7000文字ほど一日で書き、数年ぶり(体感)にpixivに投稿した。本当に久しぶりの事だった。Twitterで文庫ページメーカーに収まる程度の正体のない短文を書いたりはしていたが、二次創作をきちんと(対外的に姿勢をただして)投稿するのは2年ぶりくらいで、かなり緊張した。というのも、私はmusicのメインストーリーの第1部を読み終わった+αくらいの人間なので。せめてメインストーリー第2部まで読み終わりたかったのだが、結局書いてしまった。また読んだはずの第1部の記憶も怪しい。というわけで、もう石を投げて下さいという趣旨のキャプションをつけて投稿した。あんスタの二次創作をしている方々は基本的にストーリーは全履修が当たり前だと思っていると、私は勝手に思い込んでいるので、こういう半端者が書いたブツはそもそも読まれないことが多いと思う。読んでもらえてもライト層とか(キャラが好きなだけでストーリーは読まない層)。私はソシャゲのストーリーを読むのがかなりかなりかなり苦手な人間であるため、これからもすごく遅い進捗なのではないか、と思うが、あんスタのメインストーリーはかなり好きである。テーマが民主主義と主権者の政治参加の話だし、それを封建制の君主の家に生まれ、そこから逃れてきた天城燐音が大衆に訴えるという図が何よりも説得力があってよかった。明治維新で、天城燐音のような自発的に民主主義に目覚める人間がいたとしたら、日本はまあ違っただろうな、と思うが、私たちが戦後生まれだから天城燐音を創り出せるのであって、まあそれは旧日本には無理だ。民主主義ではなく、議会制度という程度の認識、江戸幕府+列藩が共和政になり、議院内閣制を採用したくらいの理解がせいぜいだったろうと思う。これは絶対王政や産業革命を経ていない日本ではごく当たり前のことと思う。よくこの、自前の頭の良さと勤勉だけで、民主主義国の歴々に立ち向かえたなあと思う。ただ、結局はトップダウン式の政治を人々が「望んでいる」のもあって、日本の民主主義というのはかなり保守的だ。今の日本の左派を見ても、「政治家は○○をしろ/するな」というだけで、自分が政治家になるとか、政治家に対して影響力のある活動をするとか、そういうことではないらしい(ように私には見える)。そもそも結局議員も世襲が強く、派閥も世襲議員を中心に回っている。このトップダウン式の1番頂点は何かと言うと、日本人が勝手に忖度している「幻想のアメリカ」だ。アメリカを初めとする欧米の意識に合わせよう、嫌われないようにしよう、というのが結局この国の大勢だ。現実的に、アメリカの核を初めとした軍事力に金を払って、防衛をアウトソーシングしているのもあり、そこにはやはり敗戦国としての力関係と悲しい自己評価の低さがあるため、「アメリカに従う」ことが与党ならびに自民党に求められることの第一義になっている。まあ私は個人的にアメリカがそんなに嫌いではないが、アングロサクソンははっきりと日本人をバカにし続けているので(というか、彼らには民主主義を生み出したという誇りがあり、日本人の猿真似など見るに耐えないと思っているだろう)、かれらの尺度でわざわざ自分たちを見なくてもいいだろうと思う。私たちは私たちの基準で世界を見ていいはずだ。そして当然アメリカより日本のほうが面白い国だし(僅差ながら)、この国に潰れてほしくないので、はやくアメリカから独立してきちんと(軍事力をバックにした)発言権のある国際社会の一員となって欲しいと思っている。17の頃から変わらない思想だ。軍事力を持つ=戦争の準備、ということで現在の日本では軍事力を持つことは忌避されているが、日本以外のほとんどの国は、どこもみな軍事力という「いざとなったら戦争してでも自国民を守る覚悟、世界すべてを敵に回しても自国民の命を優先する覚悟」を持っており、それが基本的には国家の仕事の最重要のうちの一つである。「戦争できない国」に住むということは、働いて稼いだ金の一部を税金として納めていると思いきや、捨てていると同じことだと思う。他国が攻めてきた時に、自国民を守れない政府に税金を支払っても意味がない。命の保障が国家の仕事の第一である。それは外圧はもちろん、内政においても同じ。だから人権という考え方があります。金を払ってアメリカの軍事力を頼るということは、自分たちには軍事力の決定権がないということ。イスラエルを支援しているアメリカの軍隊に多額の金を支払っている日本は、ガザ侵攻においても明確に加害者です。そのうえで、政府=国民ではないから私たちはイスラエルにNOを言い、デモをする。政府がアメリカに対して「NO」を言うことができないのでそうするわけですが、そもそも政府がアメリカに対して「NO」を言える世の中になったほうがいいと私は思います。国際社会の一員になるということは、公的にアメリカに「NO」を言える国であるということです。残念ながら、今は核兵器を持たねばそれは難しい事態となっていますが。
年始から何を長々と喋っているんでしょうね。私はbasicを読んでいないのでまだはっきりとはわかっていないのですが、結局天祥院英智がアメリカみたいなものなのかな。でも英智様よりも上に老害たちや、ゴッドファーザーなる旧世代がいるみたいだし(これは旧列強になぞらえられる)、basicでTricksterが何をやったのかがわかれば、あんスタ世界もさらに分かると思うので、basicを読むのも楽しみにしています。とにかくmusicは天城が面白い。突然の封建社会の申し子。そこからアンサンブルスクエアに飛び出してきた異分子2つ。ほかに注目株はやはり七種茨。主人公のあんずはどうなのかというと、今のところmusicでは目立った動きなし。主人公が番狂わせみたいな立ち位置だと面白いと思うんだけど、musicの第1部ではそれは天城一彩の役目だった。爽快に誰も彼をも救っていく、というか、天城燐音を救うためのスーパーヒーロー天城一彩。まさに主人公はこちらだった。ということはbasicでの番狂わせは明星スバルなのか?と思うが、そこはあんずに期待したい。あんスタは世界観構成だけではなくてキャラクターの絆や関係性も多種多様でおもしろいので、ありがたいなあと思っている。まほやくはこの点、「恋」にすべてが集約されていた(魔法使いは何にでも恋をする、恋こそが生きる理由)ので、関係性というか執着の度合いにあまりバリエーションがなかった。あんスタはユニットというものがあり、事務所というものがあり、学校があり、シャッフルユニットがあり、過去の因縁があり、過去の因縁があり、過去の因縁があるので、色々な人間が、人間との関わりに励んだり諦めたり反発したり愛したりしていて、バラエティ豊かに感じる。そもそもキャラクターが49人以上いるうえ、9年も続いているコンテンツだから、まほやくと較べることはできないのだが。ただ、まほやくのメッセージ性がかなりわかりやすいのに対して(話をしよう、よく話し合ってお互いを知った上で共に生きる道を模索しよう)、あんスタはかなりばっさりと「終わった関係」も描いており、まあ人生ってきれいごとだけじゃないよね、という冷めた、現実的に大人として生きるなら切り捨てざるを得ない人生のパーツというものを結構散りばめている気がする。まあちょっと期待しすぎかもしれないけど、三毛縞斑なんかは、見ていて痛々しいキャラクターだと思う。だからこそ桜河こはくと出逢ったことが、三毛縞斑ファンにはかなり感動的だったのではないかと思う。(この辺はよく知らないので適当ぶっこいてます。)
あんスタのスケジュール帳に日々のゲームの進捗や予定、コメントを書き込み、博文館懐中日記にその日の行動記録を書いているため、tumblrまで書きに来る気力が最近ない。上の二つをだいたい0時頃書いて寝るのが日課になっており、1月1日から続いている。
最近読んでいる本は『差別はたいてい悪意のない人がする』『客観性の落とし穴』『現代思想入門(千葉雅也)』。資本主義の〈その先〉へと、精読アレントも再開したいのだが、なぜ次から次へと新しい本に手をつけてしまうのだろう。いい加減にしてほしい。『母という呪縛 娘という牢獄』を昨晩3時間ほどで読み切ったが、何が言いたいのかわからないノンフィクションだった。というか、もし言いたいことがあるのだとして、それが私の予想通りであるならば、それは結論としては「糞」としかいいようがない本だった。児童虐待をなめている?教育虐待や精神的虐待、身体的虐待をここまで詳細にえがいておいて、なぜ「虐待」という単語が出てこないのか。虐待被害者は虐待加害者を殺すしか、もう生き延びる道がなかった、とすべての状況が言っているのに、ここにきてまだ「家族のあり方」「学歴偏重社会」だとか抜かしているのは、頭が沸いているのか?社会的養護に至れなかった被虐待児が成人してからも虐待を受け続け、トラウマケアなど遠い話で、物理的に母親という加害者から逃げられなかったという話を、ここまで「マイルド」な表現にしたのには、もはや悪意すら感じる。異常な人間が子供を虐め続けて、そのあげく子供に殺されたというそれだけの話なのに、なぜまだ子供を加害者かのように取れる余地を残すのか。異常な人間は周りがいくら何をしようが異常なまま子供を虐待するので引き離して子供を保護するしか方法がないです。こんな簡単なことをあと何千回この人生で言っていかなきゃいけないんだろう。社会との戦いは続く。私だって、「悪」なんて本当には無いよ、と言いたいよ。でもどこかで線引きしないと、誰も悪くなかったで終わるどころか、被害を訴えたやつが悪い、になっちゃうじゃん。たとえ自分がなんらかの被害を受けたとして、その憎悪の連鎖を断ち切って、自分は加害しない、と、「被害」を引き受けて生きていくのが人間ってもんだろう。好き勝手に加害して生きているやつは、逮捕されて、きちんと刑罰を受けるべき。虐待でもいじめでもなんでもそう。加害者側にも事情があった、っていうけど、事情のない人間なんかいないからね。弱いものを虐めてうさを晴らす人間の事情など斟酌する余裕はこの世にはないと思う。
2024.1.15
0 notes
xf-2 · 6 years
Link
あなたは2013年に放送されたアニメ「ステラ女学院高等科C3部(以下、ステラ)」を覚えているだろうか。萌えとサバイバルゲームをミックスさせた先駆的な題材に、ジャジーな劇伴を組み合わせたオシャレな音響演出。そして細部までこだわったエアガン描写。
 主人公は高校1年生の女の子・大和ゆら。引っ込み思案で友達のいない彼女は、高校のサバゲー部で初めての友達と出会う。ところが話が進むにつれて、彼女はゆるふわな部活動では満足できなくなり、修羅の道を歩みだしてしまう……。
 お茶でまったりしたい部員たちを「勝つための足手まとい」と怒鳴りつけ、急速に孤立を深めていくゆら。一転して最悪な空気の合宿。さらに大会本番では不正行為に手を染めるなど、主人公の転落人生は加速の一途をたどった。
 当初の萌えや癒やしを求めた視聴者は、胃痛が不可避のギスギスした展開に振り落とされ、DVD/BDの売り上げでも苦戦。収益化の方法が多様化した現在では円盤の売り上げが“計測不能”となることも珍しくなくなったが、当時ぎりぎり算出されてしまった「267枚」という数字は、一部では「1ステラ」という単位として広まったほどだ。
 あの衝撃の放送から5年が過ぎた。そして、あなたは「ステラ」のことは忘れても、あのとき味わった胃痛までは忘れていないはずだ。その「ステラ」の川尻将由監督が5年ぶりに放つ新作が、短編アニメ「ある日本の絵描き少年」である。
 同作の主人公は、漫画家を目指す少年・シンジ。本編では彼の幼少からアラサーに至るまでの成長に合わせ、登場人物のタッチが「幼児の絵」から「漫画家の絵」へと次第に変化していく。その挑戦的な手法や、監督の人生を反映したかのような生々しいストーリーは高く評価され、“第40回ぴあフィルムフェスティバル”での準グランプリをはじめ、“第10回 下北映画祭”でグランプリに輝くなど、「ステラ」ファンとしても「まさか」と思うほどの快挙を納めている。
 5年越しのこの復活劇。川尻監督は何を思い、自主制作の手法で新作アニメに挑んだのか。たっぷりと語ってもらった。
帰り道、毎日ゲロを吐いていた
――受賞おめでとうございます。いよいよ下北沢トリウッドで上映も始まりました。
川尻:いやあ、いろいろあったねえ(笑)。
――いろいろありましたか。
川尻:「ステラ」の後、「俺、ちょっともう業界で作れないな」と思って始めた自主制作だったから、「これからどうしようかな……」って気持ちは込められているよね。
――「ある日本の絵描き少年」では漫画家になるのが夢の主人公・シンジはなかなか連載の機会に恵まれません。そんなとき舞い降りてきたアニメのコミカライズ企画に飛びつくものの、連載が思い通りいかずにボロボロになっていくわけですが……。
川尻:確実に「ステラ」の経験が反映されてますよね。俺は子どものときから夢は映画監督で、ラッキーなことにチャンスにも恵まれたけど、それを自ら思いっきりふいにした。完全に力不足が原因だったけれども。
――せっかくなので「ある日本の絵描き少年」の前に、まずは「ステラ」について質問させてください。
川尻:どうぞ……。
――当時、そもそもどんな経緯で監督をすることになったのでしょうか?
川尻:実は自分でも謎なところがあるのですが、以前山賀さん※に聞いたときは、「ダンタリアンの書架」に美術で参加した際の仕事ぶりを評価してくれた、とのことでした。
※山賀博之・・・「ステラ」を制作したアニメ会社・ガイナックスの社長。山賀氏は「ダンタリアンの書架」で美術監督も務めた。
――商業作品の監督経験は無かったわけですよね?
川尻:もちろんありません。山賀さんはたまにすごい采配をするんです。「ダンタリアン」では上村泰さんも初監督でしたよね。上村さん、今では「幼女戦記」「フリクリ オルタナ」と着実にキャリアを積んでいますが。
――川尻さんにとって「ステラ」での初監督はいかがでしたか。
川尻:精神的にかなり追い込まれました。帰り道に毎日ゲロ吐いてましたね。ただ周囲は意外なほど優しかったです。当時は大学卒業から間もない25歳で、周りとは経験値に差がありすぎて、ベテランの人からは孫みたいな距離感で見られてたんじゃないかな。
――当時のインタビューでは力不足を認めつつも、主人公・ゆらが闇堕ちしていく展開は良く描けていたと自己分析されていましたね。テーマ的には「ルーザー(敗北者)の物語を描きたかった」(外部関連記事)と。
川尻:「ステラ」では前半でつまらない萌えアニメをやったけど、主人公のゆらが堕ちてヒリヒリしてくるあたりで面白くなってきた手応えはあったよね。そこがネットではめちゃくちゃ不評だったわけだけど(笑)。
――原作漫画ではもっと明るい話なので、アニメの展開には驚きました。
川尻:ゆらが堕ちていく過程は俺のネガティブ思考も反映されてると思うけど、「成長物語にしないとダメだろう」というのは、もともと原作のいこまさんの案だった。ゆらがゾンビになって※、一度とことん堕ちてから復活させようというのは当初から決めていて、ゾンビもいこまさんの案です。
※ゾンビになる・・・サバゲーでヒットしたにもかかわらず自己申告をしない不正行為。
――それは意外ですね。
川尻:実を言うと、制作中に音付けのほうが面白くなっちゃったんですよ。曲や音響をどうするかを音楽に造詣が深かったプロデューサーさんと組んで、ひたすら音にこだわってました。だから中盤以降はサポートしてくれたスタッフにお任せしてしまった部分も多く、今になって、「もっとできることがあったのでは」と反省点は多いです。それでもたまに「あれが好きだった」と言ってくれる人が現れると、ちょっと救われた気持ちになりますね。
自主制作を選んだのは、もう業界では作れないと思ったから
――そこから紆余曲折があり、自主制作をやることになったと。クレジットにある“株式会社ねこにがし”とはどういう会社なのでしょうか?
川尻:吉祥寺トロン※を退社したタイミングで起業しました。義父の印刷会社の子会社という形になっていて、大きな会社ではありません。なんとなく業界では監督をやらせてもらえないだろうなあと思ったときに、会社化すれば「製作費が経費になる」「個人よりも他のスタジオに依頼しやすいはずだ」と気付いたんです(笑)。
※吉祥寺トロン・・・ガイナックスを親会社に持つCG制作会社
――「ある日本の絵描き少年」では主人公の画力向上に合わせて、途中から商業アニメのような映像になっていきますけど、製作費はどのくらいでした?
川尻:ちゃんと計算してませんが、合計で100万~150万円くらいです。
――クレジットには「ステラ」でキャラクターデザインを担当した梅下麻奈未さんのお名前もありますね。
川尻:せっかくなので、数カットですがお願いしてご参加いただきました。参加してくれたプロのアニメーターは2人だけで、「ステラ」で作画監督をやった大村将司さんも描いてくれています。大村さんは困っていたときに「やりますよ」と引き受けてくれて本当に助かりました。漫画パートの後半部分や最後のシーンを担当しています。
――主人公の成長に合わせて、登場人物が「幼児の絵」→「小・中・高生の絵」→「美大生の絵」→「プロ漫画家の絵」……と、さまざまな絵で描かれます。このアイデアはどのように生まれたのでしょうか?
川尻:アイデア自体は大学時代からありました。子どもの成長と発達科学についての本を読んで、成長していく様子をアニメで表現してみたら面白そうだと思ったんですね。「ステラ」が終わって「この後どうしようかな」ってときに地元の友達と一緒にやろうよという話になりました。それが2014年ごろです。
――そこから完成まで結構時間がかかりましたね。
川尻:シナリオにむちゃくちゃ悩みました。それに制作開始と前後して「6才のボクが、大人になるまで。」という映画を見てショックを受けたりもした。これは制作に12年かかっている異色作で、子どもの成長や親子の関係性を描くために、1年に1回、同じ役者と共に12年間にわたり断続的に撮り続けた作品です。同時期に見た「コングレス未来会議」もアニメと実写を独創的に融合させた映画で、見たときに「やられた」と思いました。
――確かに、どちらも「ある日本の絵描き少年」と重なる部分のある作品です。
川尻:すばらしい作品を見ると、どうしても「どうせああはなれない」という気持ちが生まれます。それでも「ある日本の絵描き少年」では、主人公のシンジはそれなりに、子どもが喜ぶくらいの絵は描けてるじゃないかと示したかったんですよね。別に大した才能はなくても、そこは肯定してあげたい。
 エンドロールでいろいろな絵を使っているのも同じ理由です。絵にはヘタウマもあれば単に下手なのもある。うまい絵だけを取り上げるのではなく、世の中にはいろんな人のいろんな段階の絵があって、それが他人からの評価とは関係なく存在しているんだと。創作すること全般を礼賛したいと思ったんです。
物語の主人公になりえないような人を描きたい
――「いろいろな絵」ということでいえば、作中では障害者アートが重要な位置を占めていました。
川尻:悩んでいた時期にいろいろと取材をしていて、愛成会という福祉団体が月に1回開いている、障害のある方たちを対象にしたお絵かきイベントの存在を知りました。そこでの体験にとても刺激を受けました。
――主人公の友人に知的障害のあるマサルくんが出てきます。
川尻:マサル役は知的障害者専門の芸能事務所アヴニールさんの紹介で、俳優のあべけん太さんに演じてもらいました。マサルの母役もダウン症のお子さんを持つお母さんで、取材を進めていく内に「この人の声しかない」と思って、お願いしました。作品には取材時にヒアリングした内容も盛り込んでいます。
――マサルくんがおもむろに自分の髪をむしってしまう描写がさらりと描かれていて、キャラにすごくリアリティーを感じました。
川尻:ああいうところだよね。作るのに時間をかけてよかったなと思うのは、制作中に自分のシナリオに飽きれたところかもしれない。髪のシーンもですが、作画時にシナリオにはなかった要素を盛り込む余地ができたのは良かったですね。
――障害者アートを扱うアイデアは最初からあった?
川尻:そうですね、かなり最初のほうからあった。自分にはやはり物語の主人公になりえないような人を描きたいという思いがあるんです。最終的に成功者になるわけでもない、何者にもなれない人をテーマに描きたいといつも思っていて。あるいはクリエイター崩れの、でも絵描きのピラミッドの中では一番多い層みたいな人のことです。
 シンジとマサルはある意味対極のキャラクターとして設定しています。主人公は商業的な方向に進んでる人物にしたかったので、現代美術とかよりは漫画家。そしてその対比として障害のある子を置きたかった。主人公はマサルたちのアウトサイダー・アートに触れて、社会の評価とは関係なく描かれる、創作欲に対して純粋な人に引かれていくんです。
――それは川尻監督自身もそんな風に創作と向き合いたいから?
川尻:そうかもしれない。作りたいのに作れない人は、自分を卑下する自己破滅型の人が多いと思うんです。鬱っぽくなり、そこから抜け出せない。俺もまさにそういうタイプなんだけど。でも、例えそれが成功につながるものではなかったとしても、「絵を描く」っていうのはその人だからできたことだから。せめてそこを自己肯定できれば、取りあえず最初の「何かを作る」第一歩が踏み出せる。その応援ができるような作品を作りたかったんです。
――ところで、「シンジ」と聞くとどうしても某ロボットアニメの主人公を思い浮かべてしまうのですが……?
川尻:「『エヴァ』ですか?」とよく聞かれますが、実は「エヴァ」ではなく北野武監督の「キッズ・リターン」からいただいています。「マサル」の名前もそちらからです。「キッズ・リターン」はその名の通り、子ども時代を回想していく話。子ども時代に忘れてきたものに再び触れるというストーリーを考えたときに、それならしっくりくるのはシンジとマサルだなと。
――そっちのシンジだったとは。北野作品は昔から好きでした?
川尻:「キッズ・リターン」を見たのはそれこそ中学生のころ。全作見てるので、そういう意味では結構影響を受けてるかもしれません。北野作品はどれも好きで、一般にはそれほど評価されていない「TAKESHIS'」とかもお気に入りです。
もし「ステラ」を作り直すとしたら
――もし今「ステラ」を作り直すとしたら、どんな展開にしますか?
川尻:今だったらJKラッパーのバチバチのバトルの話にしてたね。
――最先端という感じはしますね。「ゾンビランドサガ」で見た気がする(笑)。
川尻:ま、また先にやられてしまった……。でも山賀さんにも言われたけど、当時はやはりちゃんと監督の仕事をしてなかったんだよね。たぶん「こうしたい」って言い切って、それで周囲を説得できていれば、何かもっと良い方向にはできたんだろうなと思う。
――当時はなぜ言い切れなかったのでしょう。
川尻:単純に未熟さもありますけど、実はキャラクターにあまり愛情を持てないんです。サイコパスっぽいと思われるかもしれないけど。極端にいえば、そのキャラが「別に死んでもいいじゃん」と思ってしまうし、「ステラ」のゆらにしても、年端もいかない子の暴走を引いた目線で見てしまう。そしてあそこまで堕ちちゃったら、そんな簡単に部に戻るべきじゃないよなとも思う。その気持の折り合いが当時はちゃんと付いていなかった。
――ラストで無理やり仲直りするのは嘘っぽいと感じた、ということでしょうか。
川尻:それもあるし、人生って部活に戻ることが全てじゃないよなと(笑)。これは本編ではボツになってしまったけど、ゆらの感情が爆発して、「頑張って自分なりにやろうとしたけど、もう無理ですよこんなの」って、わーっと1話の独白で見せていたような部分を初めて表に出すラストも考えていました。その案ではゆらの妄想が現実になる超常現象も起こらず。先輩・そのらが「お前そんなキャラだったんだ」って爆笑する。単にそのらがゆらの存在を受け入れてあげるという終わり方でも良いんじゃないかと。
――あー、確かにその終わり方もきれいだったかも。
川尻:もともとトラジコメディー(悲喜劇)が好きなので、悲惨な展開もちょとコメディーのつもりで描いていたところはありました。それが伝わりきらなかったというのはあるかもしれない。「ステラ」でみんなが流しそうめんを楽しんでいるのに、ゆらだけ「私がやりたいのは流しそうめんなんかじゃない、サバゲーだ」って心の中で吐き捨てる場面とか、自分ではギャグのつもりだったんだけど(笑)。
――アニメでそういう表現をやろうとすること自体、ちょっとめずらしい気がします。
川尻:90年代後半からそういう空気を持ったアメリカ映画の作品群が現れてきて、そこにとても影響を受けています。監督名でいうと、ポール・トーマス・アンダーソン、チャーリー・カウフマン、トッド・ソロンズあたり。彼らは同じシーンに哀愁と笑いが同居しているように描くんです。こういったジャ���ルを「クウォーキー」と呼ぶと最近知りました。それで最近は自分でも「クウォーキーアニメ映画監督」を自称する��うになりました(笑)。
 あるいは90年代以前の作品だけど、「ガープの世界」(1982年公開)もとても悲惨な話なのに、演出がすごい引いた目線で笑えたりする。以前山賀さんに「そういうのをアニメでやりたいんです」と伝えたら、「いや、それ俺が昔やってたんだよ」と言われて。山賀さんいわく、「王立宇宙軍」ではまさにジョージ・ロイ・ヒルを参考にしたっていうんですね。
 「王立」のころのアニメというと、子どもに見せたい教養的なやつか、ただひたすら面白いエンタメのどちらかしかなかったと。そのどちらでもない、当時のアメリカ映画では既に表現されていたやつをアニメでやろうとしたのが「王立」だったというんです。
――「王立」は画面はエネルギッシュだけど、テーマを完遂するためあえて抑制された演出やストーリーにしてる感がありますよね。
川尻:山賀さんは「その後『AKIRA』に全部持っていかれた」と笑ってましたけどね(笑)。当時でいう“大友”の座を今も「ウル」※で狙っているのでしょうね。
※「蒼きウル」・・・「王立宇宙軍」の続編。山賀監督作品として2022年公開予定(関連記事)。
アニメは業界を出ても作れる
――「ある日本の絵描き少年」を受けて、今後はどんな作品を作っていきたいですか。
川尻:今って山賀さん、大友さん、今 敏さんみたいな、あのテイストをアニメに持ち込む人が新しい世代にはあまりいない気がしていて。いないのなら、自分が「クウォーキーアニメ映画」として、その位置に収まる作品を作りたいという気持ちがあります。
 今回アヴニールさんと密に組んでやれたので、このままもっといろいろできる気がしています。取材で障害のある方のお話を聞いていると、「自立したい」とか、「親離れ子離れ」という結構難しい問題を抱えていることが多かったんですね。
――切実で、普遍的な問題でもありますね。
川尻:親離れって、セックスと暴力の映画を見てなんとなく大人になることだと思うんです。タランティーノの映画を親は嫌悪するけど、俺は好きなんだっていう。それを経てやっと親と離れられる。そういうジャンルの映画を障害のある方と組んでやれれば、面白いものができるんじゃないかと。障害のある主人公が最初はなめられてるんだけど、実はめちゃくちゃ強い殺人マシンだったとかね(笑)。
――次回作はもう準備中?
川尻:ちょっと毛色が変わりますが、恋愛ものの長編企画を練っています。3月に香港アジア映画投資フォーラム(HAF)への参加が決まっていて、そういうところなどで出資が得られれば……という感じです。次回作ではデザインで男女の性差を表現しようとしています。
――「ある日本の絵描き少年」のようにキャラごとに絵柄が違うとか?
川尻:その発展形だね。キャラごとに別の漫画家の絵柄のようになっていて、その違いに惹かれ合う。いろいろな絵柄が同居する画面になると思います。でもそれって今月公開される……
――「スパイダーバース」みたいですね(笑)。
川尻:それは分かってるんだよ! でも「スパイダーバース」の前からアイデアはあったの!
――「スパイダーバース」はともかく、実現したら面白い作品になりそうですね。
川尻:興味を持ってくれたアニメーターやアニメーター志望の方がいましたら、ぜひご連絡ください。それから、最後にこれは言っておきたいというのがありました。ぴあフィルムフェスティバルで入選した「Good bye, Eric!」という作品がありまして。これを作った高階匠監督は元アニメ会社の制作進行だったそうなんです。受賞会場でお会いしたときに元同業者だったこともあり、「お互いいろいろありましたね」とお話させていただきました。
 それでつくづく思ったのが、アニメ業界で寝る時間もなく身動きが取れなくなっていくぐらいなら、いつか自分の作品を作りたいという気持ちさえあればアニメ業界を出ても作れるということ。俺が言うのもアレだけど。見かけにこだわらず、いろいろ作ってみたら良いんじゃないかなと。
2 notes · View notes
17memorial · 3 years
Text
進歩 2021.5.29
辛いことほど記したくなる性分なのかもしれない。最後に日記を記してから、随分と時間が経ってしまった。あれから私は高校を卒業し、大学一年になった。一人暮らしの部屋はようやっと兄弟の重荷、多数と生活をしないことによるタスクの減少から、かなり時間の余裕が生まれる。そんな気がしていた。というかその点は事実そうだった。一人暮らしがそうそう楽ではない覚悟はあったが、それなりにも自身の気が楽になる生活ではあった。メンタル面は以前よりも改善され自身がいかに恵まれた環境にいるかを十分に理解できている。料理は自分の分だけで良いし、家事掃除も急かされず、誰かの分まで余計にやる必要もない。食器は以前よりも少ない量を片せばシンクは綺麗だし、掃除機もかける面積は少ない。大学の授業がご時世のせいで遠隔ばかりで手応えがないのは些か問題だが、この環境なら満足に学習ができる。だが美術大学という場に入ってはやくも2ヶ月ほどは経つ。しかしここで自身が「自分が何をしたいのか分からなくなっていく」感覚が、今日、脳天を突き破って洗面所を滑り落ちた。
そもそも、私が一人暮らしになったのは「実家と大学の距離」と「環境」であった。家庭環境に金銭的な不備はない。金銭的な不備がなければ人生に余裕くらいあるだろうと思われるかもしれないが、何しろ私の金ではないから、当然一人になれば金銭的な危機は当たり前にある。それは良いとしよう。私は金銭で解決できない。所謂「めんどくさい精神」が不貞腐れている状態にあるのだ。
いつかみた文面では「鬱の時に書く日記ほど最悪なものはない」と知ったのが、おおよそ中学一年位だろうか。私は愚かにも中学二年~高校一年まで酷い鬱になり、不登校と不良行為の最悪陰キャであった。好きなものは絵を描くことと文を書くこと読むことで、これが私の人生の最悪の癌であり私の薬であった。そう言う時期に、欠かさずしっかり日記をつけていたのだから、馬鹿。
絵は好きだ。自分の見たいものを見えるようにするために趣味で描いてきた。これで生きようとは思った事がなかった。そう思うようになったのは、中学二年生くらい。ある絵描きに心の底から憧れた。その人を真似てハンドルネームを作り、それをもう5年弱は使い続けている。その人を見て思った。私もこうして、いつか誰かの手を引く様な絵描きになりたい。その思いは持ち前の執着か一途かよく分からない意思で、私をその人と同じ大学に入れるほど「絵描き」と言う職に身体を焼き付けていった。今でもその煤がしつこくまとわりつくのを、よしとしている。
字書きは私の「軸」であった。言うよりは、支柱かもしれない。絵描きより先に志した夢がそうだった。しかし小学校低学年の時の作文は見るに堪えない。☆とか余裕で使ってた。携帯小説やインターネットを愛する品性最悪のクソマセガキだった。その私が初めて真剣に、ようやっとまともな文を綴り始めたのは、星のカービィの二次創作小説だった。人生で初めて書き切った長編小説だった。400字詰め百枚の原稿用紙のセットに、一生懸命鉛筆で書き込んだのを覚えている。わかっていた。二次創作を書くばかりでは、しょうみ何の解決にもならない。その長編を書き切った頃、私は字書きとしてのオリジナリティを求めるために、一次創作へと身を乗り出した。そんな矢先、自分にしては良いアイデアだと、これを早急に書き留めなければと自前の原稿用紙を学校で取り出そうとしたところ、迂闊にも私はそれを切らしていた。恥ずかしながらと担任に「原稿用紙を一枚でも良いので、くれませんか」とお願いしたところ、「お前は無駄にするからダメだ」と半笑いで返されてしまった。私は悪い冗談だと思って「ええ、良いじゃないですか」と言ったが、どうやら本気で「無駄にされる」と言う心持ちだった教師は、結局私に原稿用紙を一枚もくれないままだった。ろくに作品を読まれていたわけではない。読ませたこともない相手に「原稿用紙を無駄にされる」と判断された私は、小学生の幼さと、その言葉が嫌に胸に刺さって「もう小説家なんて無理だ」とそこで完全に諦めてしまった。それ以外になりたいものなんて当時はなかったし、結局は私は小学校卒業の際、全校生徒保護者の前で発表する「将来の夢」のスピーチを、虚勢の乗った「小説家」という文で乗り切った。ひどく後味が悪かった。当時、これ以上にもなく惚れていた男の背中も、無言で見送った。
その夢を諦めたのが、およそ小学4年だったか。それから中学2年生まで、具体的な夢は一つとして浮かばなかった。中学一年の終わりから学校にも行かず、小学生の時から仲の良かった友人とは険悪になり、クラスの端っこにいる様な人間からは訳の分からないレッテルを貼られ、表向きはやれ友情だの仲間意識だのと声高に言う割には、根っこにギトギトと、中学生にしてはませた人間関係のゴシップを咀嚼する気持ちの悪い陰湿な人間の煮凝りの様なクラスと、気色の悪いステレオタイプの教師に苦しめられ、あるいは信仰宗教に首根っこを掴まれてるとは知らずに、自身を聖人と勘違いしている様な兄貴にバカにされながら渋々生きてきた。強いて言えば、当時の部活は放送部であったが、そこがとても居心地の良い場所であった事くらいだ。何よりも人間関係の全てが嫌になった。言語が通じる人間が気持ち悪くて仕方なくなった。全ておしまいだ。そう割り切って寝込み、それでも細々と日記を書いて生活した。中学二年生も終わりに近づくある日、細々と日記を続けて行くうちに私はふと思い立った。これが続くなら学校だって続く。まぁ無理だったが、出席も成績も足りない私は、そもそも人間関係に失望し切っていたのもあり高校に行く気はなかった。英語を独学で学び、母の実家であるフィリピンで場所を借りて細々と絵を描こう。そう言う風に思っていた。当時英語と国語だけは良い点を取れていたので、母も了解していたし、そのつもりだった。それでもお節介に教師は私に進学を勧めた。元はと言えばお前の授業が嫌なのもあるのに、何様だと思ったが、高校の全ては今となっては何もかもが最高だったから、その点においてはただ一つ唯一評価できる。素直に。
そうして女子校に入学した。初めは誰とも話したくなかったし、話さなかった。自己紹介とか嫌いだ。今でもそう。自己を紹介というのが好きではない。初対面の掴みのために自分を差し出したくないからだ。だから今も、自己紹介の時は「特別何というものはありませんが、強いて言えば家事掃除を好んでやります」と言う。「偉いですね」から特に発展しないからだし、大体の人は「私は苦手です」と自己に挿げ替えたところを「ですよね」と言えば全て終わる。実際「好んでやる」よりは「やるのが苦しくないだけで別に好きでもない」し。自分を最大限曝け出さずに済む。家事掃除をやらないのはヒモか金持ちか怠け者か俺の兄貴くらいだと思っている。
高校は最高の場所だった。色々なものの刺激を受けた。自分より絵の上手い人間を妬む心もなく、いつも純真に感心していた。やりたい表現を誰もが楽しんで表現したり、理想のためにみんなで苦悶した。私は美術系統における提出物はいっとう早い人間だったので、いつも納期に余裕を持って提出したをしては、追い詰められた友人を煽り応援し、また身内ノリで許されることのギリギリ全てを責めた。どこへいってもクソガキだった。軽音だってやった。軽音は私のやりたい表現の一つだったが、この道の地が固まるのは少し時間がかかった。初めは自分の入ったバンドが4回くらい解散した。こいつはずっと一緒にやってくれると信じた人も、惜しく舞台を降りたこともあった。本当にダメなのかもしれない。私は音楽に歓迎されていないかもしれない。それでもようやく、かき集められる様にして一欠片のバンドができたのは、高校一年終わりのギリギリくらいだっただろうか。ひどく時間がかかった。そうして果てにできたバンドを私は離したくなかったし、自分と軽音をやってくれる数少ない人間を愛してやまなかった。高校の生活は、時間を追うごとに艶を増して、その思い出の一つも落として行きたくないほど全てが愛おしく輝いていた。私の知らない表現を一緒に楽しむ人がいて、私の表現を心から楽しむ人と、応援する人がいた。こんなに幸せで良いのかとむしろ苦しんでしまう時があったほど。私は確信があった。「絵で生きていく」と言う強い意志が、覚悟が高校で養われた。夢でも良い。これが大学で打ち壊されることがあるかもしれない。それでもこの思い出は一片も無駄がない。その高校から卒業してしまう瞬間なんてのは、もうたまらなかった。惜しすぎて実感がなかった。正直、今もない。目が覚めて制服に腕を通して、いつもの駅へ向かう事になっても、きっと一切の迷いもなく、私は自分の教室へ行くと思う。
こうして思い返すと、なぜ今こうして自分が五里霧中に陥っているのか逆に分からないくらいだ。今こうして美大に入り、自分の学びたいことを学んでいる。その先駆けの時期というのに、ありとあらゆるビジョンが浮かばずにいる。自身の表現を固める必要はないのかもしれない。しかし打つべき文字を打つことに何故だか気が重くなり、重ねるべき線を重ねるのに迷いがある。日々余裕がある生活のはずが、何が余裕かと無性に困惑している。与えられた自由に怯えているのか、あるいは一つ明確に、切れかけの蛍光灯の様に浮かんでは消える思想が、チラチラと脳裏をよぎる。私は絵も文も中途半端過ぎるのではないか?もちろん、それは今与えられた環境に出来る力を持って全力で臨めばいい。わかっているが、私は本当に「絵を上手くしたい」のだろうか。私は本当に「文を書くことが好き」なのか?何故好きだったのか、仄暗い洗面所の鏡に映る自分を見るうちに、「自身が何を望んでいるのか」何も分からなくなってしまった。焦る必要はない。そう思っても良いかもしれないが、ここでじっとしている場合でも、怠けている暇もない。そんな気がする。
自分のことは自分がよくわかると言うが、自分の何が分からないのかをわかるのも自分なわけだ。私は何を渇望すれば良いのか。私は何になりたいのか。尽きず精神の揚げ足を取り続けている。この不安を誰かに取り除いてほしいわけではない。助けてと声を上げたいわけではない。他人の声ではどうにもならない苦悶なら、この世にごまんとある。おおよその人間は、解決を決めてから不備の確認の様に人に相談をする。私はそんな人間になりたくない。自己純度の高いまま、全てを決めていたい。だから、この不安はただの独白であり、助けではない。私がただ痛みを露見させ、誰の声も求めない。後味最悪の、言うならゲロの見せ物なのだから。そこで不快になれば良い。ただ、もし。これが一つの文として「成っている」ならば、その声だけは嬉々として受け入れようと思う。ご都合は万能薬だから。
0 notes
fuyuubutu0 · 4 years
Text
デレステ コミュなど感想まとめ
最初はマイクラのBGMとしてなんとなく聴いていたが、いくつか強烈に印象に残る物があったので感想を残す。 ニコ動で気になったのを適当に見てるので順序などはばらばら。
デレステ侮りがたし。
クレイジークレイジー
一ノ瀬志希と宮本フレデリカがメイン。
「わからない事は楽しい事」な志希と、「”つまらない本当”よりも”楽しいウソ”が良い」なフレデリカがお互いの「分からない」部分を好き合う話だと解釈した。
志希の事が意味不明だと思えば思うほど彼女に夢中になっていく。こういう思考を絡めとられる感じがすごく好き。
自分を他人に一般化されるのが不快なのは凄くよくわかる。
一般人の体現である記者が最終的に「よくわからんけど、それが彼女らの魅力」だという結論にたどり着いたのもまた良い。 本当にわかってるのか記事にするために無理やりそう結論付けたのかは分からないけど。
しっかり者の桃華がすごくかわいい。 一部のファンから「ママ」と呼ばれるのに納得してしまう。ロリらしからぬ気品と面倒見の良さ。
とんでいっちゃいたいの 2021/5/30
かな子、フレデリカ、志希、愛梨、里奈が南国で撮影に挑むコミュ。
お互いをしっかり理解しあっているフ��志希にかな子が関わっていく。
夜の海岸でのフレデリカと志希の会話はとても暗喩的だった。今が楽しい分、後に思い出すと戻りたくなる。そんな感情を嫌うフレデリカと今にしか興味が無い志希の対比。 レイジーレイジーでフレデリカが重視していた「楽しいウソ」がかな子によって「楽しい本当」になった。
MVをモンハン風にしたMADがとても秀逸だった。
ストーリーコミュ第33話「Missing,If you want」 
志希の人物像を浮き彫りにするコミュ。 志希の特異さに目が行きがちだが、他アイドルのキャラ像も少し把握できる。
「酸素と水素がくっ付くと水になる。酸素と水素は燃えやすいが水は燃えない。そして、一度水は元に戻らない」が変化を全く恐れない志希を表していた。
飛鳥と志希の「安易にカテゴライズされたくない」は凄く共感できる反面、「社会に適合しようとしない奴らだ」という見方もしてしまう。
志希は特異だけど「アイドルとして変化を望んでいる」という点では全員同じ。
sing the prologue 11/22
シンデレラガールズ劇場EXのEDに使われていた曲。 何度か聞いて気に入った。
コミュ自体はいたって普通。 アイドル達がフリマとライブを兼ねたイベントに参加することになり、自分が持っている雑貨を持ち寄る。フリマではアイドル達の特色を生かし、フリマを盛り上げる。ライブも好評。 一つだけ気になったのがこずえの能力。カードの透視を10回連続で正解している。何者だこの子。
動画のコメントなどを見てみると、コロナの影響でMVがアニメになったりコミュに声がついてなかったりするらしい。 いつか実装されてほしい。
Secret Daybreak 11/28
質の悪い映画撮影に反対の美波の父親とそれに反発する美波。そんな美波を見て、奏では美波の愚痴を引き出す。 19歳と17歳の等身大のやりとりが描かれていた。
気高い雰囲気を醸す二人のやり取りがとても美しく尊かった。何度か見たくなるコミュだ。
さよならアンドロメダ 12/9
森久保、凛、亜季、ちとせ、アナスタシアが劇に挑むコミュ。 まるで一つの小説のようなコミュで、劇は幻想的かつ希望にあふれた物語だった。
特に森久保の成長にスポットが当てられていて、彼女の悩みと成長が劇中の「アルバ」と呼応していた。 森久保だけではなく、他のアイドル達も劇を経て新しい一面を得た。 亜季は大人びた一面を得られたし、凛は劇を通して図らずも人との距離感を見直したのだと思う。 アナスタシアとちとせは、本来の自分をより前面に押し出した演技だった。 劇はアイドル達が成長する機会として描かれていたが、劇自体も魅力的だったので、とても見ごたえがあるコミュだった。
劇中の「幸せを願うことがどうして苦しいんだ」を聞いて、「苦しさは幸せの最初の段階なんだ」と思った。
現実を一旦離れ、幻想的な景色を巡り、人との出会いをもたらすことで「自分」という一本の糸を紡ぎなおす場。 それが列車「アンドロメダ」だった。
劇中の車掌が列車を降りる場面が印象的だった。「なりたかった自分」の先へと歩みだすカルロが、夢の連続性を体現していて輝いていた。
日本語下手なアナスタシアを残しつつ、劇の「イレーネ」を演じられる上坂すみれさんの演技力に驚いた。
GO Just GO
事務所のアイドルが全員でリゾート地でバカンスを楽しむコミュ。
アイドルが沢山出る上にとても楽しいコミュなので、しょっちゅう見ている。
特にりあむと心のやり取りが好き。
ストーリーコミュ第41話「Go! Go! Super Girl!」
裕子メイン+セクシーギルティのやりとりが見られるコミュ。
裕子のアホ可愛さや無垢な優しさ、裕子に付き合ってあげる雫と早苗に癒される。
ストーリーコミュ第60話「Enjoy my Life !!」
りあむメインのコミュ。
りあむの人間関係に対する考え方にものすごく共感できる。 自分を美少女化したらこんな感じだろうか。 久川姉妹やベルベットローズとの絡みもよい。
ストーリーコミュ第65話「Story of Your Life」
ちとせメインのコミュ。 死やアイドルへの執念を扱っているので内容がゲロ重い。
ちとちよはやっと、依存の先へ進めたんだと思う。
ほたるの見方がガラッと変わった。 呪いがあるからアイドルを続けられる。それは前向きな執着や拘泥。 アイドルとしての限界が来たとき、ほたるはどうなるんだろう。
「一度呪われたら、光にたどり着くまで向かって手を伸ばし続けるしかない」はよく分かる気がする。 物凄く面白いアニメや小説を見終わったあとの寂しさがまさにそう。 空いた穴を埋めるためにまた読む、見る。そして失う。 それの繰り返し。
ちとせの新しい曲「beat_of_the_night」はKeyの麻枝准が作曲している。最初の歌詞を聞いた時点で「ああ、これはだーまえだ」と分かる。 作詞作曲家としての彼はまだ好感が持てる。
0 notes