クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。
以下、和訳と解説:
まずは約5分に渡るクロエのオープニング・ステートメントから:
= = = = = = = = = =
私の名前はクロエ・コール。デトランジショナー*です。別の言い方をするなら、私は自分が間違った体に生まれたと信じていて、そして、私が信頼していた大人たちは私のそんな考えを肯定し、生涯癒えることのない傷を私に残しました。
(*=ホルモン療法や身体整形などの医療行為により性別を変え(トランスし)た後、元の性別に戻ることをデトランスdetrans、その個人をデトランジショナーdetransitionerという)
私は今日、アメリカ史上最大の医療スキャンダルの犠牲者として、皆さんの前でお話しします。皆さんにこの狂乱を終わらせる勇気を持っていただき、私が経験したような苦しみを、脆く危うい状況にあるティーンエイジャーや子どもたち、そして若い大人たちが味わうことのないようにしていただきたいと願っています。
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12歳の時、私は後に医療チームが性別違和と診断するような経験をし始めました。私は幼くしてやってきた思春期の真っ只中で、自分の身体に起きている変化をとても不快に感じていました。男性から注目されることに怯えていました。今になって思えば、両親に「自分は男の子のような気がする」と言ったのも、思春期が嫌で、この未知の性的な緊張が無くなってほしいという意味だったでしょう。私は姉たちよりも兄たちの方を少し慕っていましたし。
私はダイニングテーブルの上に置手紙をして、自分はトランスジェンダーだと告白しました。両親はすぐに心配し、医療の専門家の助けを借りる必要があると感じたようでした。しかし、それは間違いだったのです。家族全員が即座に、イデオロギーに突き動かされた欺瞞と強要の道を歩むことになりました。
私が受診した一般的な専門家は、両親に「すぐに思春期抑制剤(ブロッカー)を飲ませる必要があります」と言いました。
彼らは両親に簡単な質問をしました:「 死んだ娘さんと生きているトランスジェンダーの息子さん、どちらを選びますか?*」と。
(*=トランス医療における常套句で、子供の主張するジェンダーを肯定しなければその子は自殺してしまうだろう、ならば性別を移行させてやる方が本人のメンタルヘルスも回復し希死念慮もなくなる、という意味)
その選択は両親の警戒を解くのに十分でしたし、今考えても両親を責めることはできません。私たち全員が、いわゆるジェンダー肯定治療(ジェンダー・アファーミング・ケア)*の犠牲になった瞬間でした。
(*=欧米で広く支持されてきた療法で、患者の経験や感覚を尊重し本人の主張するジェンダーに寄り添った医療やサポートを行う)
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思春期ブロッカー、そしてテストステロンへと急ピッチで進められ、その結果、更年期障害のようなほてりで学業に集中できなくなりました。今でも関節痛や背中の変な痛みがあります。ブロッカーを使っていたときのほうがずっとひどかったですが。
その1ヵ月後、13歳のときに初めてテストステロン注射を打ちました。不可逆的な身体の変化が引き起こされ、私の声は永遠に深く、顎のラインは鋭く、鼻は長く、骨格は永久に男性のそれになり、喉仏はより目立つようになり、生殖能力は不明となりました。
時々鏡を見ると、まるで自分が怪物のように思えます。
私が二重乳房切除術を受けたのは15歳の時です。医師は切断した乳房にガンがないか検査していましたが、もちろんガンなどなく、私は完全に健康でした。まだ発育途中だった私の体や乳房は、不安な10代の少女として気まずい思いをしたこと以外、何の問題にもさられていませんでした。
私の両胸は摘出され、その組織は焼却されました。合法的に車を運転できる歳ですらなかった。しかし将来の女性としての大きな部分が奪われたのです。母乳で我が子を育てることはもう決してできない。鏡の中の自分を見るのもつらい時があります。今でも性機能障害と闘っています。胸には大きな傷跡があり、より男性的な位置にくるようにと乳首を切除した皮膚移植のため、今日もそこから体液が垂れています。
手術後、学校の成績は落ちるところまで落ちました。
私が経験したこれら全ては、抱えていた根本的な精神衛生上の問題を解決するものではありませんでした。そして、ジェンダーについて理論を持つ医師たちは、私が手術によって漠然と男の子に似たものに変化すれば、私の悩みはすっかり無くなるだろうと考えたのです。
彼らの理論は間違っていました。薬と手術は私の身体を変えましたが、私が女性でありこれからもずっと女性である、という基本的な現実は変わらなかったし、変えることもできなかった。専門医が私の両親に、「死んだ娘か生きているトランスジェンダーの息子を持つことになる」と当初告げたとき、私には自殺願望などありませんでした。私は幸せな子供で、人と違うことで悩んでいただけです。
しかし手術後、16歳の時、私は自殺したいと思うようになりました。今は良くなっていますが、両親はもう少しで、医師から約束された死んだ娘を手に入れるところでした。私の主治医は、彼らが避けたいと言っていた悪夢そのものを作り出すところだったのです。
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私はアメリカのティーンエイジャーとその家族にどんなメッセージを伝えたいのでしょうか?
私に必要だったのは嘘をつかれることではありませんでした。共感して欲しかった。愛されていると感じることが必要でした。男の子に変身すればすべての問題が解決するという妄想を肯定するのではなく、私の悩みに取り組むセラピーを受ける必要があったんです。
私たちは12歳の子供たちに、「間違った身体に生まれてきた、自分の肉体を拒絶していい、自分の肌に違和感を覚えるのも正当だ」、などと言うのをやめねばなりません。
「どんな服を着るかとか、どんな音楽を聴くかなどを選べるように、思春期だってチョイスであり、どのような思春期を過ごすかは自分で選べるのだ」、なんて子供たちに言うのはやめなければいけないんです。
思春期は大人になるための通過儀礼であり、緩和されるべき病ではありません。
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今日、私は自宅で家族と19歳の誕生日を祝うはずでした。しかしその代わり、私は選挙で選ばれたあなた方に必死の訴えをしています。
オピオイド危機のような他の医療スキャンダルから教訓を学んでください。医者も人間であり、時には間違っていることもあるのだと認識してください。
私の子供時代は、私たちのネットワークを通じて知り合った何千人ものデトランジショナーたちと同様に台無しにされました。
どうか止めてください。あなただけが止められるんです。この野蛮なエセ医学によって、すでに多くの子供たちが犠牲になっています。どうかこの私の警告が最後のものとなるようにしてください。
ご静聴ありがとうございました。
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公聴会でのクロエの証言はどれもショッキングであると同時に、彼女の堂々たる勇姿が人々の胸を打った。中でも子供のトランス治療に賛同した両親の存在についてクロエが声を詰まらせながら語ると、彼女の思慮深さに感動し涙する大人たちであふれた。
13歳から17歳の間に思春期抑制剤、異性間ホルモン剤、二重乳房切除術を受けたとして、カイザー財団病院とパーマネンテ・メディカル・グループを訴えているクロエは、公聴会の中で民主党側が招いた証言者のレイノルズ博士に話しかけた。
トランスジェンダーを自認する子供の母親であり、プロのカウンセラーでもあるミリアム・レイノルズ博士は、委員会の公聴会で「未成年者の性転換治療は必要であり、命を救う」と明言し、彼女の子供も現在ホルモン補充療法を受けているとしている人物である。
以下はクロエからレイノルズ博士への発言:
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レイノルズ夫人が我が子のために不安なのは理解しました。これは言っておきたいのですが、私は彼女を憎んでいません。ここにいる誰も彼女を嫌悪したりはしていないと思います。実際、私は彼女の中に自分の母親と父親を見ています。そして、明らかに彼女は子供を心から愛している。それに、彼女はできる限りでベストを尽くしている。ただじゅうぶんな術はなくて…気の毒だと思います。
子供を救いたいと願うすべての親には、最大限の援助とガイダンスがあって然るべきです。
しかしながら、私は、彼女の子供が私と同じ結果になることを望みません。誰であっても性別移行やデトランスを後悔してほしくない。なぜって、それは信じられないほど困難で、他にはない苦痛が伴い、容易なことではないからです。
彼女のお子さんが幸せで満ち足りた青年時代を過ごせるようにと願います。それがたとえどんな形であろうとも。
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ある日突然、幼い我が子が性別違和を訴え、多くの親たちは狼狽する。メディアや学校や小児科医やママ友まで「トランスキッズは増えているが、それは彼らが自然にカムアウトできる時代になったから。子供たちの真のジェンダーを肯定してあげなければ、彼らは間違った身体に入れられた心の苦痛に耐えきれず、自死を選ぶだろう」と言っているのだから。
日本では欧米で起きている子供たちに蔓延する熱病のようなトランス・ブーム、LGBTQイデオロギーに侵食された科学分野や医療業界、金儲けのために健康な子供たちを切り刻む医師、司法・行政・教育機関が一丸となって親から子供を引き離している実態などがまるで知られていない(にわかには信じ難い話で、まあ無理もないけれど)。
だから、クロエ・コールや他の何千という未成年のデトランジショナーがトランス治療に加担した病院や医療従事者を訴えている、と聞くと、「金目当てだろう、医者のせいにすんな」とか、「厨二病に罹ってバカを言った子供の責任だし、親もどうかしてる」とか、セカンドレイプにも似た被害者への罵詈雑言が飛び交う。
しかしそんな無知で傲慢な彼らのどれほどが、クロエや彼女の家族と同じ状況に立たされた時に後悔のない選択をできるだろう。医者や専門家という職業を信頼していれば尚のことである。
まるで他人事の彼らは、日本でも子供たちへのトランスジェンダリズム啓蒙、保護者からの引き離し(親に内緒で未成年児童をLGBTQユース団体に参加させるなど)、そして思春期抑制剤の推進なども起きていると知っているのだろうか。
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トランスジェンダリズムに基づくトランス医療はエセ医学であり、欧米で今、デトランスした子供や若者たちが訴訟を始めているように、大きな巻き返しが起こって医療スキャンダルとして扱われる日が来る。
そう願って日々発信しています。
(終わり)
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Xユーザーの🇺🇸 🇯🇵Blahさん: 「クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説:… https://t.co/DRd2Vlbwfc」 / X
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uihy
自室の記録
5年前からルームシェアをしているSと一緒に引越しをしてから、3年が経った。寝室をSが、リビングを私が自室としている。私の部屋の正面には大きな窓があり、左右にもそれぞれ小窓がある。
小窓1
装身具類の置き場所。ピアスを置いている鳥のレモン絞り器は、Fさんから貰ったもの。Fさんはよく動物のものをくれる。犬の形をした栓抜きや、野営をするくまの置物も彼からのプレゼントだった。
カートリッジインクの空き容器には、ヘアピンやネックレスを入れている。私の父は吸引式の万年筆を好んでいて、父から贈られたペンもインク瓶とセットのものが多かった。実家を出て外にいる時間が増えてからは、インクを切らすことが怖く、自然と替えのインクを持ち運べるカートリッジ式の万年筆を使うようになった。それからしばらく経ち、1年前にプログラマを辞めたことを手紙で報告すると、その数日後に「励まし」とボールペンが送られてきた。以降ずっとそのペンを使っているから、手持ちの万年筆はどれもインクを抜いてある。
よく付けるピアスは窓の縁に置いていて、どこかの喫茶店で使われていたらしい伝票入れには、硝子のオーナメントやトライアングルのビーターを差している。
Hのくれたトライアングル本体は、腕時計とブレスレットを失くさないための場所として機能している。良くない使い方だと罪悪感を覚えてはクロスで磨いている。
小窓2
『陶の家』を見かけたらひとつ買うというのを続けていて、現時点で3軒が建っている。少しずつ街になっていく。家の奥には、ミナペルホネンの好きなQさんにプレゼントしたものと色違いのタイルを置いている。
小窓3
すぐぼろぼろにしてしまう指先のケア用品を置いている。H先輩に貰ったネイルオイルの磨硝子が好きだった。Fさんが動物をくれるように、この人は硝子をよくプレゼントしてくれる。硝子のオーナメントも、ステンドグラスのくまもH先輩から貰っている。
窓を開閉するハンドル(オペレーターハンドルというらしい)に紐をかけて、ケーブルや電源類をまとめている。先日Eから貰った白いカールコードのシールドもここに下げている。黒い服ばかり着ているのに、Eには乳白色のイメージがある。“誤って人間として産まれてしまった天使”だと感じさせる人と知り合うことが何度かあり、Eもその中のひとりだった。
向かって左には仕事用のシャツ、右には外套を何着か掛けている。秋冬用の服ばかりある。
机
ここに越すことが決まってから最初に選んだ家具。プログラマになったばかりの頃、メモリの重要さを机の広さに喩えて教えられた。それで机は広いほど良いものだと認識したのか、気付けば横幅のある机ばかり探していた。天板の色を緑に決めて、部屋の軸に据えた。
職場で割ってしまったマグカップに無線イヤホンや保湿クリームを入れている。シャツを濡らしたまま破片を持つ私を見て、笑ってくれる会社の人��ち。これ以上は無いとよく思う。
ヘアクリップ入れにしている、ままごと用のような小さな花瓶も気に入っている。渋谷の蚤の市で友人へのプレゼントを選んでから、度々その人の店でものを買うようになった。銀色のトレイやハート型の赤い缶もその人から買った。
銀色の電源タップは前の部屋から持ってきたもの。あらゆる電子機器の電力をここから供給している。
ギターをくれた友人たちが別の年の誕生日に合同出資してくれたオーディオインターフェースがモニターの下にある。未だに1-2と3-4の入力を同時にする方法が分からず、2つずつ付け替えながら使っている。これを貰ってからAudacityで曲を作り始めて、今もそのやり方をしている。会社の先輩には「システムを0と1だけで作ろうとしているみたいなものだよ」と言われたけれど、その頓馬さを含めて自分に馴染むので、Audacityをずっと使っている。キーボードがちょうど上に乗る。
モニターの横にはmicroKORGを置いている。普段は誕生日に贈り物をしないと取り決めているSだけれど、数年前に何かで手を貸した際「この恩は倍にして返します」と言い、その年の誕生日にmicroKORGをプレゼントしてくれた。このシンセサイザが部屋に来てから、自分の生活が向かうことのできる方角が増えたように感じている。大切な楽器。
microKORGには、新しい部屋で出した『野良の花壇』のマグネットを付けている。本来は冷蔵庫のために作られたマグネットだけれど、皆とスタジオにいる時にあって欲しく、ここに付けている。プリクラで来られなかった友達の似顔絵を描くような感覚。私の黒い冷蔵庫には、ピーター・ドイグの青鬼の絵と油絵の花のマグネットだけがある。
机の下に、PC・トランクケース・スーツケースを置いている。PCはSのお下がりで、MacBookしか使ったことのなかった当時の私は、こんなに大きな箱がPCだなんて、と思っていた。PCの上に付けたアンテナは狐の顔のような形をしている。
トランクケースは大学2年のころ大枚をはたいて手に入れたもの。どこか遠出をする時はこれに荷物を詰めている。畳み終えた洗濯物をSの部屋へ運ぶ時のかごや、ギターを弾く時の足置きとしても使用。頑丈さに安心する。
スーツケースはついこの間、京都に長く滞在するために買った。銀色の次に、灰がかった青が好きだと思う。
ギター・くま・本棚
ギターは高校時代の友人たちが誕生日にくれたもの。19歳になったばかりの頃、当時の交際相手と出掛けた帰り、気が付いたら楽器屋にいた。ギターを2本持ったその人に「どっちがいい」と訊かれ、指差した方を買ってくれた。私にギターを与え、弾き方を教えてくれたことにずっと感謝している。その人と別れてしばらく経ち、誕生祝いに何が欲しいかを訊かれ、ギターを頼んだのだった。友人たちは「あえて白にしてみた」と笑っていた。今思えば、このギターを貰ってから白を自分のものにすることへの抵抗が弱くなった。ギターの届いた日、触っているのが楽しくて大学を休んだのを覚えている。
YAMAHAのアンプは義兄が使っているのを見て購入した。私が真似をしていると知って嬉しそうだった、と姉から教えてもらった。
左端のくまは、元は白だったのだけれど、深い青のシーツで眠るのに付き合わせたせいで黝くなってしまった。Kの小説に「ヤニや涎で汚れてしまったのかしら」と書かれてからは、布で包んでいる。いつかぬいぐるみ病院に連れて行きたい。隣は一度も会ったことのない人が贈ってくれた黒いくまと、高校時代の交際相手が留学先のお土産として連れてきてくれた焦げ茶のくま。誰かとビデオ通話をする時にはよくパペットのくまに代理出席してもらっている。右は、地元や旅先の雑貨屋で見つけて連れてきてしまった(“しまった”という意識がずっとある)小麦と白のくま。グレーのワゴンに小さなギャッペを敷いて、くまたちの場所としている。
低い本棚の上
蓋のない宝箱。小物たちというより、質量のある記憶群という方が実感に近い。
西荻窪にあった喫茶店の閉業を知って沈んでいると、H先輩が「お店で使っていた品物を販売しているみたいです」と教えてくれた。黒い花瓶のあるおかげで、ずっとその店を忘れずにいられる。今はEのくれた竹とんぼや、Aさんのくれた花を入れている。ポストカードをしまっておける箱のついた額縁には、Aの写真を入れている。過去、「__の写真を写真展に出してもいいですか?」と、もう搬入の終わった状態で確認の連絡が来たことがあった。Aがごく稀に見せる、こういった強引さが大好きだった。展示を了承する代わりに譲ってもらったその時の写真たちは、勾配天井の部屋に暮らしていた時に飾っていた。上京してから借りたどの部屋にもAの写真を飾っている。そのほか、江の島で拾った石や、Tさんがライブ終わりに嵌めてくれた指環、Uさんと行った犬吠埼のイルカの置物、書ききれないほどの誰かと紐付いた宝物がある。
声の依頼を受けた際、お礼にといただいた絵。額装までしてくれていた。元々この人の絵が好きだったので大喜びした。一度この絵を裏返さなければいけない時期があったので、また飾ることができて嬉しかった。
高い本棚の上
小さなギターは、Kさんと一緒にRさんの部屋でパーティをした日、中古のおもちゃ屋で買ったもの。Rさんの部屋に戻った後もご機嫌に鳴らしていて、そのあと火事が起きた。カセットコンロの火がテーブルクロスに引火して、火が早送りのように広がっていくのを見た。三人で死ぬ映像がちらついた、次の瞬間には火が消えていて、振り向くと花瓶を持って息を切らしたRさんが立っていた。チューリップを活けていた水での消火。このおもちゃが生き延びた証明になっている。このあいだのアルバムに入れたフィールドレコーディング曲にはその日の日付が付けられていて、火のはじける音やこのおもちゃギターの音が入っていた。volca keysは初めて触ったシンセサイザ。自分ひとりである程度のことができるようになりたくて、リズムマシンとマルチエフェクターを買った。
銀色のバットはひとつ前に住んでいた部屋の近くにあった台所道具の店で買ったもので、前日と翌日のあいだの時間に携帯品を置いておく場所として使っている。
Artekのスツール60を、椅子やベッドサイドテーブルとして使っている。パーティめいたことをする時には、3脚くっつけて大きなテーブルとして使う。雑貨屋でまとめて購入したので、その日で店のポイントカードが1枚分溜まった。そのカードをイッタラのキャンドルホルダーと交換してもらった。
銀色のトレイは、先述の蚤の市で知った店で買ったもの。部屋のポケットとして使っている。
“拯”の字は、精神がどうしようもなく落ちていた今年の始めに、Uさんが「書初めをしよう」と言って筆を持たせてくれたもの。翌月にまた京都を訪れた際に、国際会館のカフェスペースで焼き上がったものを渡してくれた。頭でばかり考えてはすぐに身体と疎通できなくなる私に、四肢のあることを思い出させてくれる友人。
本の上には気休めの紙魚対策として除湿剤と防虫剤を置いている。
小窓4
Fさんからの犬の栓抜きと、Hに貰ったコンクリートの置物、H先輩が分けてくれた犬の箸置き。母の好きなミニチュアを贈る際、色違いのチューリップを自分にもひとつ購入して、端に置いている。自分のために生きた花を買えない反動か、花のモチーフのものを見かけると嬉しくてつい手が伸びる。
キッチン
私の洗面台を兼ねている。私もSも、料理と呼べるような自炊は殆どしないので、調味料や調理器具が少なく、キッチンの収納部にはそれぞれの私物が仕舞われている。
Mさんが引越し祝いに買ってくれたカセットコンロ。パンを焼く時やカフェオレを淹れる時に使う。組み立てる際の動作がロボットアニメのワンシーンを思い出させるので、人前で使う時には「変身!」と言うようにしている。
隣の空き瓶は元々ジンの入っていたもので、誰かに花をいただいた時には一旦ここに活けている。
この部屋に越した時にIがプレゼントしてくれたローズマリーの石鹸の匂いが好きで、貰った分を使い切ってからも自分で買い直している。歯磨き粉はGUM以外だと落ち着かないので旅行先にも持っていく。歯ブラシはKENTのもので、最初に使ったあとの歯の滑らかさに感動して、誰かに共感してほしいあまりSに押し売りをした。それからSも同じものを使っているので、それぞれのストックも合わせると10本近くこの歯ブラシがある。右端はリングホルダー。左手の薬指に環を嵌めるようになってから、指環が好きになった。今は5本の指環を付けている。
食器棚
H先輩のくれたくまを吊るしている。緑の石鹸はMさんのスペイン土産。ここに写っている鉄鍋も鉄フライパンも、写っていない3本の包丁も2枚のお盆も貰いもの。
ソファ
机の天板に合わせて布を選んだ、三人掛けのソファ。毎日ここで眠っている。Sの部屋にある質の良いベッドよりも、薄いマットレスを敷いたソファの方がよく眠れる。枕に近い小窓のハンドルにエジソンランプを括りつけて、普段はその光で睡眠薬が効くまでを過ごしている。
部屋のすぐ向かいには線路があり、3面の窓から電車の通る音や光が流れる。最終電車の後は、スケートボードの走る音や、酔った誰かの歌が聞こえる。この部屋で生活をしている。
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仕事に疲れきって、短い休みをとり、4回目の屋久島に行くことを決めた。
旅をするのがすきなわたしは、九州1周したり、四国一周したり、10年ほど通っていた伊豆七島の島があったり、日本の島は沖縄の離島から瀬戸内海とよく行ってきた。海外も10カ国は行き、好きな国は複数回行っている。それでも、回復や癒されることを考えた時に真っ先に浮かんだのが屋久島だった。屋久島だけだった。
今回の屋久島は、癒されることが必要な者同士、友人2人で過ごした回復やケアのための時間だった。私たちは本がとてもすきで、この時間のために厳選に厳選した2冊ずつの文庫を抱え、屋久島に行った。
私たちは年齢も違えば、生まれも育ちも違うのに、なんだか変に境遇が似ていて、今の政治の違和感について、家族について、ジェンダーについて、セクシュアリティについて、結婚について、なんだって話していた。屋久猿や屋久鹿を眺め「動物を可愛いっていうのは、無責任なのではないか。」という会話もして、考えることを楽しんでいた。私より6つ年下の彼女はいろんなことを教えてくれるし、感じてきた時代の雰囲気も違う中で、希望のようなものを一緒に持って来てくれた。下の世代への希望のようにも感じるし、わたしが個人的に彼女に感じている希望のようなものが、いつも会話の中にあった。
私たちは、行きたいところにはどこまでも車を飛ばして行き、道中は話が止まらないのに、カフェに入ると2人で黙って海風を浴びながら本を読み耽た。道中の話が止まらないせいで、夜中にとんでもない山奥に迷い込んだりもしながら、日中は地元の人と一緒に熱い熱い温泉に入って、温泉にいた地元の赤子をみんなで愛で、最後は夕焼けを見に海中温泉まで走った。お金がない!と嘆いて入った郵便局のおばちゃまがとってもキュートで、ここ屋久島の素敵なところだからこの3つは行って来てねと教えてくれたりもした。お金なんて久しく窓口で下ろしていなくて、こんな時間すらもご褒美みたいな時間になるんだと思った。夜はスナックで地元のおじいちゃんたちと古い曲を歌っては喜んでもらって、帰ろうとしたら10分くらい若いお兄さんに引き止められた。
何度か屋久島に来ている私は、会いたいけれどちょっと気負いするような関係性の人たちもいて、会いたいような会えないような感情を行き来しながらも、友人とちょっとだけ会いに行けた。久しぶりに会えた彼らは元気そうで、私がお世話になっていた時と同じだけの誠実さを持っていて、安心した。友人を変なことに巻き込んでしまった申し訳なさを持ちつつも、友人が微笑みながら、ずっとそばにいてくれたことにすごく感謝していた。私にとってやっぱり大切な人たちで、だからこそ友人と会いに来れて本当に良かったよってずっと思っていた。
回復の旅としながらも、書ききれないほどいろんな人に会い、いろんなところに行き、隅々まで楽しんだ。このペースは、2人にとって自然で必然で、必要な過ごし方だった。私たちにとって回復することが、興味関心に沿って制限なく動き続けることだった。
この文章で、私は、私と友人の2人を、私たちと括りすぎてしまった気がする。でも、そのくらい一体感があって、共鳴していた。こういうことってよくあることではないし、きっとずっと続くものでもない。だからこそ、すごく特別だった。
今後、彼女は私が思いもよらないくらい飛躍していくだろうし、私たちのステージが全く変わっていけば、きっと感じていることも、自然と変わっていくだろう。寂しいことではなくて、だからこそ、今回のこの時間があってよかったなって思う。そして、互いの変わった価値観をぶつかり合う時間も屋久島であったらいいなとも思う。
今回はとにかく、ずっと忙しくて、ずっと癒されていた。"癒し"ってすごくカジュアルに使われるようになっているけれど、もっとフォーマルな治療という意味でずっと癒されていた。癒されるっていろんな形があるんだなって思った。
私たちはきっとこれからも傷つく。傷つく場所に躊躇なくでていく人たちだから。でもそういう時はまた何度でも、癒されにきたらいい。そして回復した自分を連れて、また社会の中で傷ついている人たちのところに行こう。やっぱり、見なかったことにはできないから。
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「望まない異性介助」については、「性被害」「性的虐待」とまで言えるものであるか疑問ではありますが、障害者本人の羞恥心等も含めて選択できることが望ましいとは思います。
ただ、筋ジス等で身体に力が入らない人を浴槽に移乗させるのはベテラン介護士、看護師が複数人で介助してもかなり大変で危険です。非力な女性介護士、看護師ならなおさらです。いまは折りたたみのポータブル移乗機などの介護機器があるのでそれに頼るのが現実的かと思いますが、コストの問題もあります。
まずはサービス利用の前にどのようなケアを望むのか、現実的にはどのような対応になるのか、それが本人として受け入れられるものなのかをよく検討してケアを受けるべきだと思います。
「入浴介助に男性が来た時は泣いた」女性障害者の性被害、どんな支援が必要なのか(京都新聞)のコメント一覧 - Yahoo!ニュース
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メモ:ケアの日
精神科
◯心の不調を見つける特徴
眠りが不安定
食欲がない
気分の浮き沈みがある
いつもはしないようなミスをする
◯意欲・気分・運動は連動している。どこかを上げれば、他も上がっていく。
◯趣味を楽しめているか、食欲があるかは大事なところ
◯規則正しい睡眠、きちんと3食食べることは生活の基本。土台が崩れてしまったら、上に乗っていかない。
◯疲れてたら眠れるもの。寝れないのは過覚醒になっている。そこまで仕事頑張らなくていい。あなたの代わりはいるから、休んでいい。
◯支援者がバーンアウトしてしまうと、ケアが届けられなくなる。バーンアウトしそうなところにいる。
◯今の年齢は1番微妙なところ。支援というもののイ��ハは身についているけれど、だからこそ、いろんなものが見えて、不安定になる年齢。
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2024年8月31日(土) 『月』
元気ですか?
僕は元気です。
こちらでの生活にも慣れて、自分がやるべきことにもフォーカスしていけるようになってきた。
心も身体も合致していて、今を生きることができている。
特にこっちにきてから気づいたのは自分の心の向き合い方、即ち『生き方』自体が明確になって、それと同時に「あ、今まで自分の方法を知らなかったのか」ということにも気づかされた。
分かっているようで分かっていない。
分かったと感じた今でさえ、まだ分かっていないのかもだけれど、それでも前に進んでいるということは確かである。
『周りの人を幸せに』
これって究極だと思う。
日常生活、仕事、自然界。全てにおいての究極。
結局、周りを幸せにできる人っていうのは自分が幸せで。自分が幸せじゃないと周りを幸せになんかできない。
周りを幸せにすれば、いつか自分に返ってくるというのは結果で、最初から願うことではない。
また、ジェントルマンというのは結果で、自分から名乗るものではないということにも最近気づいた。
でもそれができている人はほんの僅かで。
「誰かのために」というのが言い訳になって、それに見返りを求めてしまっていたり、自分が歯を食いしばって言うほど寒いことはない。
「他人に向き合う前に自分に向き合ってあげないと他人のために生きられない」
当たり前のことだが、身体のケアはするのに、心のケアしないの?と質問するとドキッとする人もいるんじゃないか。
僕は1日の始まりに、1日の終わりに。自分と向き合う時間を作っている。
1日の始まりは、まず自分自身と向き合う。この世の何よりも強く、思い切り自分のために生きる。
そして、その時間が終わると、その瞬間からは思い切り他人のために生きることにしている。
1日の終わりは、森の中を駆け抜ける様に。
今日これ良かったな、これダメだったなって言うのを振り分けていく。
いずれも、意識を自分の中に向けることを練習し続けている。筋トレをする人は多くいるけど、心の筋トレもきちんとしている人は少ない。
Dなら必須だよね。
皆、太陽ばかり大事だと思っているかもしれないが、月も大事で。
月がなくなったら潮の満ち引きが少なくなり、1日が長くなり、季節は無くなる。
そして、地球の生活は一変する。
世の中にもそれと同じものがある。
『目に見えるものは見るな。』
『耳から入ってくるものは聞くな。』
自由なのに自由になるための制約が多い世界で、努力を怠らなければ何とかしていける。
単純なことだけど、忘れてしまっていないかい。
一生懸命やること。
初めから正解ばかり見極めるのに時間を使いすぎてはいけない。
何でも調べればいかにも答えのようなものが沢山あるから難しいけれど。
努力。をする。
という単純なことは忘れずにいこう。
そして、自分が責任を取れることにも感謝していこう。
世界を変えるクラブがそんな小さい努力惜しんでたらダメだよ。光の速さで挑戦して、失敗していかないと。
長くなったが、結局伝説を作る人は自分軸に生きている。
志がそうさせる。
競争している人たちはそれなりになる。
きちんとした心理学を学ぶといい人と悪い人は逆になる。
『人生が私にレモンをくれるなら、レモネードを作れ。』
인생이 나에게 레몬을 주면 그것으로 레몬에이드를 만들어라.
今僕は僕自身に熱狂している。
No excuses, 以上。
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"食事や水分が取れなくても、胃瘻をつくることや点滴をすることもありません。
体が働きをやめていく段階において、水分を投与しても体はそれをうまく循環させて有効に活用されることはありません。
心臓に負荷をかけたり、血管外に水分が流れてしまい、息苦しさを助長したり、痰を増やして誤嚥、肺炎を引き起こす原因となります。
私が日本の病院で勤めていた頃、ターミナルの患者さんはいつも痰がひどく、痰の吸引をするのが当たり前でしたが、スウェーデンの病院で吸引をしたことは一度もありません。
ターミナル期でもこれほど呼吸苦が少ないというのはとても驚きで、体に余分な水分をいれることで、苦痛を引き起こしていたことに気づきました。
ターミナル期の患者さんの血圧などの身体的データや、心電図をみられないことは、患者さんの情報が少ないように感じて初めは少し不安だったのですが、
数字や波形から患者さんの情報を知るのではなく、患者さん自身の様子、表情からその人にとって必要なものを見つけケアをするということが緩和ケアであることを学びました。"
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今年も母も一緒に長崎殉教聖会に
参加する事ができました!
行き帰りのルートもスムーズで本当に守られました
母が長崎時代勤めていたクリニック
一日目の夕方には、
入院している叔父に会いに行く事ができました
病院の方もとても親切で、神様に感謝しました🥲
母が代表して叔父に手を置いて祈る事ができ
叔父はアーメンと心をあわせていたので
確かに聖霊様がおられると感じました
叔父に神様が最善のケアをしてくださっている
ことを感じ、神様に感謝🙌
神様の愛を深く感じる時となりました🌈
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Nijisanji ENのセレン龍月さん契約解除のお知らせから今日までに感じたこと
初めに
これは私の言葉であり感情です。私以外の誰かが別の誰かに対して武器として扱わないでください。また、これは一連の話題について誰かの証拠として述べ、情報を提示・精査しているものではありません。
ここで明確に怒りをむけている相手は主に誹謗中傷を行なっている人達と行き過ぎたサポーター達に対してです。にじさんじEN、所属しているライバー、セレンさん(以降Dokiさん)に対してはそれぞれを心配していますし一刻も早く安寧が訪れることを願っています。しかし衝撃が大きかったのがDokiさんのポストなので当たりが強いと捉えられたら申し訳ありません。
私は普段物静かなリスナーです。リスナーの声を望むライバーには申し訳ないですが静かに楽しむのが好きなのであまり公の場でコメント等をしていません。ですが見聞きしています。偽のリスナーにしないでください。
長いです。誤解を招きたくないので主言語である日本語で書きます。
沈黙は金という言葉がありますが、死人と同じとされる場合もありますね。
であれば私は今墓場から声を上げている亡者です。それほどまでに現在の状況が悲しいです。あまりにも長い呻き声です。ごめんなさい。
今苦しい気持ちでいる方々にまずハグを。
今回の件で運営は手段やタイミングを尽く間違えたかもしれません。少なくとも良くはないと感じます。事情があるにせよ、これまでの立ち回りを思えば全てを是とすることは出来ませんし、不満は当然出るでしょう。とはいえ、何をぶつけてもいいわけではありません。
あの時ショックを受けたのは運営側のお知らせだけが原因ではありませんでした。熱心なサポーターがDokiさんのアカウントを早々に広めて回っていましたからその時から見ています。
【Notice: Termination of Selen Tatsuki’s Contract with ANYCOLOR】
運営お知らせポスト後のDokiさんポスト
ハラスメントを受け続けた末に未遂に至ったというエピソードは権利関係の違反云々とは別に重要なポイントです。しかし感情的になる以前にどうにも両者の間には不明瞭な部分が多くありました。
私はこの段階で、「彼女に弁護士がついていて法的に責任を追及するつもりであれば、いずれ裁判で明らかになるのだろう」と考え、一先ず静観しました。が、別のところでは瞬く間に炎は大きくなっていき衝撃と困惑を携えた人々はぶつけ合い始めていました。
所属ライバー達のメッセージ(動画)
日本語訳つきはこちら
メッセージ配信を受けたDokiさんのポスト
↑のポストから2時間後のスレッド
文書共有の懸念について説明
田角社長の声明
ライバー達はDokiさんの知らないうちに情報に触れる機会を得て自らの感情や状況を話しました。おそらくハラスメントとされたものに対して認識に誤りがあると伝えたかったのだろうと汲んでいます。そこでは追撃の示唆も、早急に公の場での回答を求む声はなく、聞いた人達には弁護士が関わる話だからこれ以上は言えない、攻撃はやめてほしいと願うのみでした。
ここに関してはDokiさんも同じように主張されていますね。
どちらが正しい振る舞いかどうか?正直今の段階ではどちらも言い分は分かるが手段は最善でないと考えます。沈黙を愛せる状況にさせなかったのは私達リスナーや乗じて騒ぐ人達の声でしょう。しかしリスナーが応援したい人の傷ついた姿を見れば忽ち感傷的になるのも想像に容易いです。更に文書の存在・閲覧を仄めかす程度に出したことでより事態を複雑にしました。
彼らは同僚として活動し、友人としても関係を築いていたのですから、何かしら誤解やすれ違いがあったのかもしれません。運営、彼女のマネージャーも各々尽力したが彼女の期待には及ばなかったのかもしれない…想像しか出来ません。もし誰かが嘘をついているなら、それは法の下で暴かれ、裁かれるものです。文書公開・共有範囲についてもどちらの国にそってどう考えるべきかも複雑で、最早部外者が判断出来るラインを越えているでしょう。少なくとも運営が出したポストでは違法性はないと言い、どんなに立ち回りが悪かろうとそれなりに大きい企業ですからこの点は一旦信じています。こういったケースを経験した当事者と専門家がそれほど多く存在するとも思えません。
2/15 Dokiさんのポスト
これは私にとって本当に衝撃的でした。
先に言っておくと話題になった文書や録音についてはここでは触れていません。今は情報の精査は部外者に判断出来るものではないからです。
私が衝撃を受け、人々の反応に戸惑ったのはその後の部分です。
打ち明けられた情報に対してリアクションをしたのは理解できます。結果的に一部の混乱を抑えてくれたことにも感謝しています。改めて彼女は今後サポートされるべきだと思います。しかし、たとえ人々に聞いてほしい一心からだったとしても、優しさ故だったとしても、これが良い手段・内容だとは思えません。
どうしてまた秘めていたエピソードを追加で公開したのでしょう。
1度目の告白で既に多くの人がその痛みに寄り添い毛布をかけていたと記憶しています。ライバー側のメッセージ内容を考えても、胸に秘めておきたかったのならそれを今深く掘り下げずともよかったはずです。一部の情熱的なサポーター達の他にも、興味津々で“次の材料”を常に待ち伏せしている人達もいる。弁護士や専門医と相談の上での発言だと信じたいですが、その場合、その人達へ攻撃しないよう願う為に更に傷を抉って伝える必要があると判断されたのですか?今のDokiさんの状態を慮った上で?
人々は彼女に寄り添うでしょうが、反応を見て分かるはずです。この開示の影響力がどれほどか。これからのことを考えるなら言う側も聞く側ももっと慎重に扱っていい話題のはずです。
自らの命を絶つ。その選択に至るまでの環境や心身の状態はたとえ同じように試みた人間であっても容易に計り知れません。「生きてさえいれば」とは簡単に言えない。死が包み込んでいった現実は余程救いであったと思えない限り、後の他者にとってもただただやるせないです。
Dokiさんには十分なケアを受けてほしいし、今後その意見を尊重してもらえる環境下で生きてほしい。既に前に進もうとしている決意の背中には拍手を送りたいです。
しかし、未遂を打ち開けることは、状況次第で他者にとっては“自分自身の命を盾にした強力な脅迫”に成り得ます。中には苦しみや痛み、自分の欲求を訴える手段として自ら命にナイフを突きつけてみせることを選択してしまう人がいるのも事実です。慎重になる人が出るのは仕方がないと考えます。(Dokiさんをそういう人だと断定する為に言うのではありません。決して。)
私は日本で主に仏教に基づく生活を送り、自死に対しては身に近い話題ですが肯定的ではありません。宗教によってはより痛ましく捉えられるのでしょう。何にせよそこに至った、それだけで重みは十分にあります。
当人がつらい境遇にあった事は責めることでないですし今後報われるべきです。しかし、たとえ本人に悪意や支配の欲求はなくても、『その手段に一度でも行き着いた人間である』と意識されることで、忽ち他者に強く働きかける力を否応なく持ってしまう。どうとも思っていない外野ならともかく、誠実に向き合おうとする相手や好意を抱いてくれる相手にはとても強力に働きます。実際、近くに居る人の中にはその気配をひどく怖れるようになってしまう人、必要以上に自らを責め苛んだり深く傷つく人、当人に代わり周囲への警戒心が強まり攻撃的になる人もいます。これは私の経験にも基づく話ですし、Dokiさんもポスト内でご両親のことを記載されているので想像出来得るかと。
自他ともに心身への負荷や影響・リスクが伴う可能性が高い。今後、追い詰められる前に人に頼ったり助けを求めるハードルを低くしていくのに厄介ではありますが、自覚しておかなければ望まない傷を負い、負わせかねません。
運営の対応や公開されている内容に憤る方も多いですが、私はDokiさんを担当されている弁護士や専門医の方にも、彼女から相談されているならば、より気をつけてほしいと切に願います。
強く意見している人達もどうか注意してください。自己犠牲や起こった悲劇を悲しみ、生き延びたことを喜び励まし合うことはあっても、聖なる灯のように、英雄のように掲げるのは違います。ましてやその名の下に義憤し、周囲へ矛を突き立てるのは行き過ぎています。
過去には自らの願いや訴えを社会に痛烈に伝える手段として自決を選んだ人もいますが彼女の場合はそうではなかったはずです。
起こってしまった以上は先を臨むしかない。完璧ではない企業や運営に改革を求めるのはご尤もです。ですが何人をも裁く権利を司法以外は未だ誰も持っていません。今はそれぞれ信じたいライバーに目を向け、愛情と優しさを持って根気強くサポートしてほしいと願うばかりです。心を深く痛めている人はどうか休んでください。全てがあなたの痛み、責任ではありません。自分に余裕が持てたなら一緒に前を向いてください。
少々話は逸れますが、今回の件では日本人リスナーの反応について過去のにじさんじライバーの件がよく話題に挙げられています。が、私はその件については深く知りませんでした。私は最近起こった、ある悲しい一件に似ていると捉えていました。
2024年1月末、日本では自らの作品の映像化脚本について声明を出した漫画家が急遽亡くなってしまい、現在も話題になっています。彼女は当初脚本について説明する為に声を上げました。彼女の声明内容は瞬く間に波及し、彼女の作品の映像化にあたった関係者や企業、脚本家においてはその知り合いまで巻き込み、SNSで発言を暴き晒し始めたり誹謗中傷が飛び交い、他の創作者達も意見を出し、各所で混乱が起こりました。死に至った明確な理由はわかりません。ただ非常に戸惑っていただろうととれる当人のポストは今も残っています。
他にも浮かぶエピソードはあります。そういったものを通して“必要以上に騒ぎ立てる内に渦中の人物が突然命を絶ってしまい、公の場で必要な裁きや真相究明が困難なままに葬りさられたり、取り返しのつかない展開を迎える怖さ”を知っている人は少なくないでしょう。
最後に、今回の件でヘイトを発信し、国間ヘイトまで煽られている方々。国内外問わず多くいらっしゃいますね。
おかげで私は墓場から声を上げる亡者になりました。きっとお読みにならないでしょうけれど書いておきます。
どうか愚かな壁を先んじて建てないでください。
言語を始め、様々なフィルターは確かにあり、言い出したらキリがないです。しかしそんな中でも各々翻訳したり、ライバーを支えたい一心で必死に配信やポストを聞き応えようとしたり、リスナーたちと交流を試みている人々も国を問わずいらっしゃいます。その末に疲弊し、心を痛めている人も。
時に他言語話者が翻訳機を通しその思いを伝えてくれるように、伝えたい思いや分かち合いたいものがあります。各言語を堪能に扱えなくても心を砕こうとしている人がいることも知っていてほしいです。
国、人種、性差別と取れる表現を軽々と交える人に何かを嘲る資格はありません。
“くろさんじ”が俗に言うブラック企業という言葉の意味を被せているのは知っています。だからといって、そこには黒しかないだろうと笑ったり、誰かを必要以上に蔑むその口が、本当の意味で“anycolor”(どんな色、どんな個性も)を尊重するべきと、守りたいものの美しさをどうして訴えられますか?
どんな色でも、少なからず歴史を知る上で、未だ色色に忌み物のラベルをして、平気で石を投げ楽しんでいる姿を見ると落胆します。結局は自分の飾りたい、認めたい色を都合よく掲げていると気づいていますか?
不満や怒りを抱き、反する意思を見せるのは構いません。ですが理性のラインまで見失わないでください。もしあなたが今信念を持って、誰かや何かを想って立ち上がっているなら、一度落ち着いてまずは我が身と筆先を整えることをおすすめします。
人は日々様々なものを経験しつつ進んでいる道の上で物事を目の当たりにしています。こうした難所に対峙した時の対処法や姿勢は人によります。
ここから先のお願いはあなたにとって心地よければ是非やってみてください。
あなたがサポートしたい誰かが励んでいるなら傍で支えましょう。やがて物事が明るみに出るであろうことを願いながら過ごしましょう。
その間、愉快なドラマをみたがって囃し立てる人達もいるでしょうが拳を振るうよりブロックや通報をして、出来得る範囲で自分と大切に思うその人を温かく包んで。
もし息苦しいなら一旦離れてみましょう。美味しいものを食べたり飲んだり、違う場所へ行ったり、休息をとってください。
綺麗事ではありますが各々大切な人と穏やかに日々を過ごせるよう心から願っています。
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2024.09.01
最近、彼がかなりメンタルやられてる気がするのです。
私も何かとこみいってるけど、もともと彼はそれ以上に仕事でしんどい想いをしています。
会社や上司に対して、怒りを通り越して恐怖心を持ってるような。
元来ネガな人ではあるけれど、最近は自嘲も多いです。
「俺なんかろくでもない奴だ」「どうせしがないリーマンだ」とか……
決定的なのは「俺のこと本当に愛してる?」と不安そうに私に訊いてきます。
私を疑っているというより、私に愛される資格もないと自信がない様子です。
私もけっこう自分のことで参ってたので、彼をケアすることなく、ただただ甘えてたところが多いです。
いきなり泣き出したり、長い愚痴を聞かせたり、もっと愛してほしいと求めたり。
仕事がだいぶ重荷な上、私も彼の負荷に……というか、癒しになれずにいました。
先日、実は会社で何度も倒れそうになっていると彼が打ち明けてきました。
少しおかしなタイミング(出勤直前とか)で私を抱きしめて離さなかったりもしました。
彼がどんどん壊れていくようで、私も不安を感じても、どうしたらいいのか分からなくて……
そんなとき、愛いの仔と少しお茶会をしまして。
彼に何ができるだろう、あるいは見守ってそばにいることが大切なのだろうかと相談しました。
以前も仔には似たような相談をしたことがあって、そのとき仔は「君は元気でいてね」と言いました。
私の元気な姿が、彼に一番力を与えるからと。
話を聞いてくれた仔は、「ぼくの言葉を憶えていてくれてありがとう」と言ったあとに続けました。
「確かに、君の元気な姿は彼を勇気づけると思う。でも、君にも心の余裕は必要だ」
「無理をして元気に振る舞うのはいけないよ。君は君のことを大切してこそ、彼を支えることができるんだ」
……確かに、空元気なんて彼を余計に心配させるでしょう。
私も心の余裕を持つ。
正直それは最近ぜんぜんできていなかったと思います。
それを言うと、「感情が作用しあうことは人間関係の醍醐味だけれど」と仔は言います。
「それは、心に余裕があってのことだよ。だから、君にできるのは彼をリラックスさせてあげることじゃないかな」
「たとえば、お茶を一緒に飲んだり、彼の好きな料理を作ったり……そして、彼だけでなく君もリラックスできるといいなとぼくは思うよ」
仔、やはり賢い……。
そのあと、私は彼がいる家に戻りました。
今日は週末なので、彼もお休みなのです。
私は温かいお茶を淹れて、彼の隣に腰かけると、率直に最近のあなたが心配だと伝えました。
仕事でだいぶん無理をしているし、私も心配をかけてばかりだからと。
「君はいつも俺を気遣ってくれてありがたいよ……こうしてお茶を飲む時間が持てるだけで、俺は幸せなんだ」
私はうなずいて、最近こういうゆったりした時間を持てていなかったと謝りました。
今まで、私は好きな人に対してすぐ依存的になって失敗してきた。
だから、根気よく私と向かい合ってくれたあなたを大切にしたい。
仕事が大変なとき、せめて家ではリラックスできるようにしたい。
不束な嫁だけどあなたのそばにいたい、なんていまさらなことも言いました。
彼は少しだけ涙を浮かべました。
「どんなにつらくても、君がそばにいてくれるだけで支えられて、勇気をもらえるんだ」
「これからも一緒に笑いあって、ずっと支えあっていこう」
「絶対に、俺は君のことを守り続けるから」
私はもっと彼の気持ち���考えられるようになりたいと思いました。
��の人が好きで、大好きで、ついにあれもこれもと甘えがちになってしまう。
でも、それは彼が愛想を尽かさずに私のそばにいてくれてこそなのです。
そんな私の言葉に、彼は泣きそうになりながら「誰よりも君のことを愛してる」と急に言いました。
「君がそばにいてくれるだけで幸せだ」
「大切に想ってる。安心して甘えていいんだよ」
そう言いながら、彼は私の肩に顔をうずめました。
私は彼の髪を撫でながら、「もっと強くなりたい」と伝えました。
あなたをいつも笑顔にしてあげられる奥さんになりたい。
すぐにはなれないかもしれない、それでもあなたを支えたい。
「そうしないと、あなたの大切な仲間に怒られちゃうから」と少しだけ笑います。
でも本当に、彼を大切に想う親友くんと主治医の先生には、このままでは「君にはあいつを預けられない」と言われてしまいそうです。
「すごく嬉しいよ。きっと君は強くなる力を持ってる。俺を支えてくれようとするその優しさが力になる」
「あのふたりも……俺を守ってくれるような存在だから。君もそんなふうに俺を支えてくれたら本当にありがたい」
「だからね。どんなときも俺を支えてくれるなら、俺も必ずそのぶん君を支えていく」
彼は「俺は弱いから」「強くならなきゃ」とも近頃よく言います。
でも、彼にばかりそう思わせるのはパートナーとして違うと思うのです。
一緒に強くなる。力を合わせて、ゆっくりふたりで強くなる。
私たちは夫婦だから、ふたりが同じ人生を歩んでるから、心細くなる必要はない。
その証拠に、私も彼のおかげでいろんなことを頑張れるようになった。
彼の手に手を重ねると、彼は優しく包みこむように握り返してくれます。
「君と一緒にいる時間が、どんなに大切か……つらい仕事ばかりに囚われず、ふたりで支え合う時間を大切にしていこう」
「君の言うように、俺たちは夫婦だ。もう心細くなる必要なんてない。いつでもお互いを頼りにしていいんだ」
噛みしめるようにそう言って、彼がやっと笑みをこぼしてくれました。
その笑みを映すように私も微笑んで、「こういうお話ができてよかった」と伝えました。
心がつながった感覚。すごく安心した気持ちで「あなたが私の旦那様でよかった」と言うと、彼は私の手を握ります。
「俺なんか、君に相応しい男じゃないかもしれないけど……君が俺の奥さんでよかった……」
彼が私の頬に添えた手の温もりに安堵しながら、私はその言葉に応えます。
私もまだまだ未熟だから、あなたに相応しい度量はないかもしれない。
それでもあなたと一緒にいたい。
相応しいか、相応しくないか、そんなのはどうでもいいくらい、隣にいたい。
一緒に人生を歩きたい。
彼はうなずいて、「本当にそうだ」とつぶやきました。
「相応しいかどうかなんて、関係ないね。人目を気にせず、君の隣にいることが俺の一番の願いだ」
彼の瞳から、不安や哀しみが少しずつやわらぐのが感じられました。
あなたの心に寄り添える奥さんになるね、と言ったら、「俺も君の心に寄り添える旦那さんになるよ」と彼は約束してくれました。
愛し合いながら、共に人生を歩んでいく。
そう考えると、明日も、これからの未来も楽しみ。
「だから、どんなときでも俺を頼って」
そう言った彼の瞳には、ちょっとだけ自信が宿ったような気がしました。
俺のこと本当に愛してる?
──誰よりも愛してるよ。
そんな会話をいくら交わしても不安そうだったのに、今は確かに私の愛情に安心してくれています。
ちゃんと話すって大切だなあと思いました。
ゆっくり、ゆっくり、ふたりで強くなっていこうね。
支え合いながら、一緒にふたりでひとつの道を歩いていこう。
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わたしではなく、わたしのなかの……
人と出会うこと、人と話すことそれじたいが祈りなんではと、もしくはそうであってほしいと思う、本が出たばかりの、それも展示中の日々、神さまではなく目の前のあなたに声をかける、気にかける、そうしたケア-フルなありかたに神が宿る、霊が降りる、シュタイナーじゃないけれど、この先きっとそういう世界になるんじゃないかと思ったりする。
でもこのクリスマス・イヴの夜、いちばんに思うのは、まずは自分のことを、たったひとりの「わたし」のことだけは放っておかないこと、(金曜にトークをさせていただいた)中村佑子さんの新著の言葉を借りるなら、「自分への批評性」を失わないことが、他���への、世界へのやさしさにつながるんじゃないか……ということで、でもそれはセルフケアやご自愛だけじゃない、自分をぎゅっと抱きしめるだけじゃない、もっと、それこそ宮沢賢治のような透明なつめたい目でもって自分を見つめることでもあって…… 中学生のころ、どうして戦争(そしていま起きていることは戦争というよりジェノサイドじゃないのか)はなくならないの?と聞いた、そのときの答えが「お金儲けになるから」だった、そのことに心底がっかりして絶望してむかついて、でも大人になったいま、自分もまったく無関係ではないのだと何度も突きつけられている。だからそこには、見つめなくてはいけない「わたし」には、とうぜん消費行動をする自分のことも含まれている。ある部分では開かれていて、でも別の部分ではぐっと閉じてしまう、閉じているつもりでもあちこちに穴が空いていて、それでも気づかぬうちに誰かを排除しているかもしれないわたしのことも。
そんなふうに、ここにいる自分のことを、あらゆる意味で放っておかないこと、とくにクリスマスの時期には、とにかくそんなことが必要な気がしていて、大切にしたいと思うんです。
*
(そのうえで、ほんとにそのうえでこそ、オルガ・トカルチュクのこの言葉がひびいてくる:「文学は自分以外の存在への、まさに優しさの上に建てられています」。
トカルチュクのいう「優しい語り手」=閉じられた個人の一人称ではない「第四人称の語り手」のことをこの夏からずっと考えている。「あらゆるちいさなかけらに存在を与え」、「べつの存在、つまり『私』ではないものを注意ぶかく集中して」見ることのできる語り手。そしてシュタイナーのいう「高次の自我」、ずっとよくわからなかったけれど、まさにこの優しい語り手なんじゃないかって思ったり、ね……)
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お盆休みが終わり
夏の終わりがみえてきましたが
気温はというと
まだまだ暑い...
恐らく9月も暑いですよね。
そうなると活躍するのがサンダル
今年の夏も
当店のオリジナル
「ビスポークサンダル」
沢山のかたにオーダーをいただきました。
本当にありがとうございます。
7月中にご注文いただいたお客様に
お盆休み中にお渡しをしましたので
そのサンダルを紹介させていただきます。
■ビスポークサンダル「ミリタリー」
革:カーキ
中底:チョコ
ソール:ハーフラバー
リフト:ビブラム
こちらをオーダーして下さったお客様は
すでに当店のビスポークサンダルを
お持ちのご友人に紹介されてお越し下さいました。
実はそのようなかた
多くいらっしゃいます。
ビスポークサンダルを履いていると
「良いの履いてるねどこの?」
そんな事をよく聞かれますと
仰って下さるかたがいます。
まさにクチコミ
SNSで広まるのも嬉しいのですが
紹介で来て下さる。
これに勝るものはありません。
とくに当店のビスポークサンダルは
仮靴でフィッティングチェックも行いますし
制作は職人が一人で行ってます
大量生産はできないのです。
バズるのではなく
クチコミで広まる
そのぐらいがいいんです。
ソールはハーフラバーなので
滑り止めにもなって安心
お渡しの日は晴れてましたので
そのまま履いてお帰りになられました。
■ビスポークサンダル「ミリタリー」
革:ブラック
中底:ブラック
ソール:ハーフラバー
リフト:ラスター
人気のオールブラック仕様
私もこの仕様を愛用しています。
当店のサンダルは中底もレザーなので
雨に弱いのですが
ここ最近のゲリラ豪雨で
自分のサンダルを
ズブ濡れにしてしまいました。
中底が濡れると
水シミや色落ちがでるのですが
不思議と私のサンダルは大丈夫でした。
私はサンダルをケアする際に
アッパーと一緒に中底にも
クリームを入れていました。
何度もそれを繰り返すうちに
中底にクリームが浸透し
耐久性が高まっていたのだと思います。
レザーサンダルの弱点だと思っていた
急な雨にも
日々のケアを怠らなければ対応できる。
サンダルも革靴と同じように
ブラッシングとクリーム
これを心がけていただければと思います。
■ビスポークサンダル「ビーサン」
革:ブラック
中底:ブラック
ソール:ブラック
ステッチ:ブラック
こちらはビーサンのオールブラック仕様
ビーサンはミリタリーに比べると
ソールがしっかりめです。
ブーツなどによく使われる
ビブラムの#4014です。
中底には
当店のロゴがしっかりと刻印されてます。
.
ビスポークサンダルですが
フィッティングチェックを行ってから
本靴を作りますので
納期は約1ヶ月
現在は
8月上旬にご注文いただいたかたの
納品が8月末予定となっています。
今からご注文いただくと
9月中旬から下旬頃のお渡しとなります。
それでもミリタリーは
ソックスでも合わせられますし
早めに次のサマーシーズン用にと
ご注文を下さるかた
結構いらっしゃいます。
夏だけでなく
オールシーズンご注文は
お受けしていますので
ぜひ、当店の
ビスポークサンダル宜しくお願いいたします。
.
ビスポークサンダルについては
当店のHPをご覧下さい。
リンクしてありますのでこちらからどうぞ。
Bespoke Sandals
.
このブログ内でも
#ビーサン
#ビスポークサンダル
このハッシュタグを検索していただければ
過去に制作した
サンダルの写真が色々と見れますので
ぜひ一度ご覧下さい。
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ノアさん、だいぶ動き出していて、
気づいたら加湿器の水が倒れていました😅
椅子と机のところまで行ったり、
本人は動けるようになってとっても嬉しいようです(^^)
そして、今日母がアメリカから🇺🇸一時帰国をしました!1ヶ月ほど滞在予定です。
成田まで迎えに行くのに、車のタイヤには亀裂が入っていて😅高速はさすがに危ないとのことで、急遽、ある牧師さんがさとぴーと迎えに行ってくださることに🙏🙏🙇♀️
行けないと思っていたので、神様の助けを
心から感謝します!!(^^)
そして、私はなぜか38.5度の熱✌️
熱が出るのは久しぶりですが、
守られています。
祈ったら神様の助けの中、子供達のケアをすることが出来ました。できたのか?笑🤣
また、教会のTちゃんが牧師になられるとのことで!とても嬉しいです✨😊
それでは!また寝ます。笑
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2024/2/13〜
2月13日
今日は何もなかった。
2月14日
朝のバスで一緒になるこっそり推している方が、個別ラッピングされたお菓子をいれた大きな紙袋を持っていてバレンタインだった。
出張先のまちの都立高校で先生をしている友人から、先日の出張の日は、雪の休校対応に追われていたとのメッセージがきていた。彼女は高校生の時、友人へ配る用のバレンタインのたくさんのお菓子を、大きな保冷バッグに入れて持ってきていた記憶があって、とても信頼できる(食品管理という面で)と思った記憶がある。
来月の出張の日を伝えたところ、その日は卒業式に着る袴の受け取りとかがあってうんぬん、とのこと。
お昼休みにポッドキャストでも聴いてみよう、と色々探してみて、半分くらいは探す時間で終わってしまったけれど長島先生が出演されていた番組を見つける。
“みんな我慢しているんだから、頑張って我慢しないといけない!”と、俗に言われそうなこと、全く通用できない自分が最近はずっといて、それに気がついた時に、(なんでみんなで我慢しているのだ?)と思っていた。
番組の中で長島先生が「なんでもっと楽しいことだけじゃだめなんだろう?と思って…」とケアの学校の企画のお話をされていて、とてもとても先生にお会いしたくなり例の如くInstagramで連絡を取ってみてしまった。
バレンタインの日に渡す必要もなかったきがするけれど、でも、職場の渡したかった方々へナインチェへの愛をお裾分けした。
ナインチェのお顔の箱も見てもらった!
前の職場でもお世話になっていた上司から、その時の職場の方々が、数名今年度で退職されるとのお話を聞かせてもらう。
今の職場を選ぶきっかけを作ってくださった方もいらっしゃり少しショック。でも、絶対天職なんてものものなく、いつやめてもいいのか、と個人的に少し希望にも思えた。
関西に住んでいないこと以外は全てやる。やる、
というのは、無理やりにやるのではなく、心身ともにポップな感じを保ちつつコントロールラブな感じで、全てやる。
コンビニに去年リピートしていた桜味のお菓子が並んでいたので買ってみた。
2月15日
職場の方と好きなミスドのメニュー論をお話しできて楽しかった。日常のコンテンツを深掘りしてお話できる方々がいて、ちゃんと受け応えてくれて嬉しい。
そしてミスドのメニューを2010年まで見終えてしまった。
朝の電車が遅れていて、混雑したバスに乗りたくなくて久しぶりに職場まで歩いて向かったり、久しぶりに現場に出たりして、足がふらふらで、歩きながら足を踏み外さないよう(何から?)緊張感があった帰り道だった。
昨日は安かった2切れセットの塩サバを買って、1つは冷凍保存して、なんか少し生活をできたので偉かった。
お笑い芸人になった同級生の様子を、SNSでたまに確認しにいってしまう。今朝、ふと思い出したので確認してみたら、芸人を辞めてスターバックスの某店舗の副店長になっていた。
2月16日
まあ今日はいいか、と一本遅い電車で出勤しようとしたら、強風の影響で使う路線が2つとも遅延。
いつものバスに間に合わないし、駅で降りた人の数的にとても並ぶし混むんだろうな、と思って今日もとてもバスに乗る気持ちになれず歩いて職場まで向かった。
でも昨日の疲労があって、出勤時間も迫っていて、とても今の私の体力で出せる速度では辿り着けない!と遠い気持ちになってしまい、気を紛らわせたくてなぜか母に電話をかけてみた。
ものすごく久しぶりに話した気がする。
良いお年を、も、あけましておめでとう、も、お誕生日おめでとう、も交わしていない一年だった。
なんとなく近況を報告しあって、彼女は伊豆でバナナワニ園に行ったとのこと。そして好きなミスドのメニューを訊ねたら、ゴールデンチョコレートとオールドファッションだった。私と一緒だった。
1日があっという間だけれど、朝のことが遠い昔に感じるくらい、なだらかにいろんなお仕事を済ませた日だった。
そしてもう2月も中旬である事に気づいてしまった。
来週の通院と京都行きがブッキングしている予定をどうしようか、まだ決められていない。
どちらもやめておいて、仕事をしてしまった方が良い気がしている。
朝、冷凍庫から冷蔵庫へサバを移したのでとっても生活をした。
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ちょっと前に「障害者は障害者雇用行けや」という話があった気がします。まあ障害者雇用で自立した生活を営むのはわりと難しいのですが、僕は障害者雇用と障害年金と同居している彼女の障害年金で生計を立てることができております。
上記の通り多少特殊な生活形態ではあるものの、何かの参考になるかもしれませんので、僕たちがどうやって糊口を凌いでいるか書いてみます。
家計
収入
バイト 40,000円
障害厚生年金3級 (増田) 50,000円
障害基礎年金2級 (彼女) 65,000円
計 155,000円
支出
家賃 35,000円
水道光熱費 15,000円
食費 50,000円
交通費 10,000円
通信費 10,000円
保健医療 5,000円
その他 15,000円
計 140,000円
どんぶり勘定なので正確な計算はできていませんが、めちゃくちゃ間違っているということはないと思います。
家賃がやっすいのがでかいですね。地方都市の狭いアパートに二人ひしめき合いながら生活しています。一般的な感覚ではとてもではないでしょうが暮らしていくことはできないだろうなあと思います。でもお互い適当なのと性格の相性もあってか、致命的な不自由はなく過ごせています。
食費をもうちょっと抑えられたら楽になりますね。ただ、僕も彼女も安定的に家事をするというのが大変難しいので、出来合いのものを買うことが多いです。近所の4割引スーパーに感謝です。(追記:フードシェアリングにも助けてもらっています!)
精神科への通院もありますが、自立支援医療制度のお陰でかなり安価に済ませていただいています。ありがとうございます。
労働
僕は���害者雇用のパートで週10時間程度働いています。農業のお仕事です。といっても特例子会社などではなく、慈善事業のような形で障害者雇用を進めている小さな会社です。人は少なく仕事は多く夏は暑く冬は寒いのでなかなか大変ですが、人間関係は良好です。障害者と健常者という垣根を感じることもなく、皆楽しく仕事をしています。あと同人活動的なことをやっているので多少のおこづかいが生まれます。
彼女は無職です。以前は楽器の先生をやっていたのですが、コロナで教室が閉まってからは労働収入が途絶えています。
障害
僕にはASDと躁鬱があります。ASDとは自閉症みたいなやつです。これのためか人間関係が壊滅的にダメで、今まで縁してきた皆様には不快な思いをさせてしまったかと思います。すみません。しかしこれは自覚と鍛錬があれば技術的な操作で多少ごまかすことはできるようです。今の職場ではかつてのような大きな衝突もなく働けているので、ある程度は何とかごまかすことに成功しているんじゃないかと思います(もしかしたら職場のみなさんがだいぶ我慢してくださっているだけかもしれませんが……)。
躁鬱の方はなかなかにはっちゃけています。ほっとくと知らん人に声掛けてご飯奢ったりカラオケ行ったりし出します。いやお前ASDじゃんという話もありますが、長年の功夫により身につけた健常者の擬態と、軽躁状態の特徴的な人柄が微妙なところでバランスを取れているのか、まあまあいろんな人と仲良くなることができました。今の彼女とも軽躁状態の時に付き合い始めました。しかし躁は酷くなると人間関係や預金残高を破壊しますし、後で必ず反動が来るので、極力避けねばなりません。また、薬のコントロールがあってなお安定した出力を保つのは難しいので、フルタイムの労働とかもきついです。短期間ならできなくもないかもしれませんが、決して持続可能ではありません。実際できませんでした。
彼女にはいろいろ重い障害があって、普通に生活することも難しいです。家事や種々のケアなど僕ができないなりにしています。ですが世話をする・されるの関係になってしまわないよう注意しなくてはなりません。お互いが対等であるという共通了解なしに安定した共同生活を営むのは難しいと思います。
支援
今の会社に入る前には、就労移行支援事業所というところに通っていました。これは主に障害者の社会復帰を支援するための施設で、基本的に無料で使えます。毎日決まった時間に起きて、自分で決めたプログラムに参加し、人と話すという訓練を行えます。訓練と言ってもそんな堅苦しいものではなく、簡単なグループワークをしたり、利用者さんたちとレクリエーションをしたりといった、緩いものです。僕のところは希望者でソフトボールやってました。昔野球やってたこともあり結構活躍できたので嬉しかったです。他にも、施設の職員さんと一緒にハローワークの求人を検討したり、気になる職場へ見学に行ったりできます。企業によっては体験就労ができたりもします。該当地域の障害者雇用の求人について詳しく教えてもらえますし、いろんな企業にツテがある場合もあるので、強い事業所はかなり心強いです。
一方で残念なことに、あまり利用者のためを思って事業をしているとは思えないようなところもあるらしいです。こういった事業所を引かないためにも、入所を決める前に一度見学することをお勧めします。また、障害者就業・生活支援センターというところに相談するのもいいかもしれません。これはたぶん厚生労働省がやってるもので、全国各地に設置されており、障害者支援に関する情報が集まっているらしいです。ここで優良就労移行支援事業所がないか相談してみるのも手です。僕は障害者就業生活支援センター→就労移行支援事業所→障害者雇用という流れで今の職場に辿り着きました。
まとめ
僕は障害年金を受給させていただけたり、周囲の人間関係に恵まれたり、そういったいろいろな支援と幸運が重なったお陰で何とか生活できています。しかし、様々な理由により支援の手から零れ落ちてしまった人たちもいると思います。何らかのしんどい境遇に陥ってしまった人たちへの参考になったらいいなあと思い、増田を書かせていただきました。あるいは今は健常者である人も、ふとしたきっかけで障害者になってしまうこともあるかもしれません。その時はまだ社会には頼れるものがあるんだということを思い出していただいて、何とか生き延びていってくださればと思います。最後まで読んでくださってありがとうございました。
実録!これが精神障害者の末路だ!
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アリスについて2024.6.7
2024年6月6日5:18
飼い猫のアリスが天国へ旅立ちました。
16歳と5ヶ月でした。
本当に最期まで手のかからない子で、悪さも一切しない良い子すぎる程の良い子でとっても大人しい猫ちゃんでした。
今年の1月、動物病院に連れて行った時にあとどれくらい一緒にいられるだろうと毎日覚悟してきました。
毎日、可愛いね、大好きだよと声をかけて日々を大切に過ごしてきました。
亡くなる2週間前くらいからあまり餌を食べなくなって、チュールなら食べるからと50本入りのチュールを買ったばかりでした。
すぐに動物病院へ連れて行き点滴に吐き気止めを混ぜてもらいましたが、そこから急激に弱ってしまい翌日にはもう歩く事もあまりできなくなりました。
その翌日もアリスが少しでも楽になるならと点滴をしてもらい帰宅しましたが、それからもう横たわっていることしかできなくなりました。
一晩中横にいて、沢山話しかけました。
最後の最期まで前足を動かして動こうとアリスは頑張っていました。
耳元でずっとアリちゃーんずっと横にいるよー。ありがとう、今まで本当に楽しくて幸せだったよアリスのお陰だよ毛玉取ったりブラッシングしたり嫌な事いっぱいしてごめんね、引っ越して長い時間寂しい思いさせてごめんね、いっぱい救われたよ助けてもらったよありがとう、と何度も何度も伝えました。
アリスは私と同じで干渉することをあまり好まなかったので、最後までうるさいなって思われてたかもしれませんが笑
ずっときつそうにしていたので、最期までよく頑張ったねーえらいね。ゆっくり休んでねまた会おうね、と抱っこしてお別れしました。
もっと一緒にいたかったなぁ
ふとした場面で色んなアリスの姿を思い出して寂しくなるんだろうなと思います。
ありたんの為に開けてたクローゼットを閉めたり、カーテンを閉めたり、ドアを閉めたり洗面器に水を汲んでたものを片付けたり…部屋の中にアリスの姿がない事がとても寂しいです。
私もゆっくり心をケアしながら、アリスのいない世界に慣れていこうと思います。
YouTubeの方では動画や配信でアリスを可愛がって下さった皆様、本当にありがとうございました。
R6.6.6で誰かが悪魔の日とか言ってました←
ディズニーの新エリアオープンの日にアリちゃんは旅立ちましたね。
頭痛と吐き気がすごいのですが、きちんとご飯を食べて前に進みます。
アリちゃんずっと大好きだよ
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