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#東北沢散歩
tmmode · 2 years
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スタバで、本日のドリップコーヒーです🥤 #スターバックス #スタバ #starbucks #ドリップコーヒー #アイスコーヒー #ディカフェハウスブレンド #スターバックスシモキタエキウエ店 #お散歩 #下北沢駅 #世田谷区 #東京都 #東京 (下北沢駅) https://www.instagram.com/p/Clx-CeKyLm-/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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shunya-wisteria · 1 month
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夏旅2024 新潟散策 - 新発田 清水園
今年の夏は昨年に続き日本海側、新潟県へ。最初の経由地は新発田 清水園。
久々の遠出旅、急遽決まった休みの都合上あまり考える時間もないまま、そういえば昨年の夏、庄内へ出かけた際に通過した新発田が面白そう、ということで新潟方面の旅に出ました。
旧新発田藩下屋敷庭園 清水園
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清水園は新発田駅から徒歩10分弱。江戸時代、新発田藩の庭園として造園されたとのこと。このような地方の大名庭園のうち現存しているものは少なく、北陸ではこの清水園と金沢 加賀藩の兼六園だけという貴重な名勝。
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まずは書院から。靴を脱ぎ、内部を拝観可能。縁側の畳に腰を下ろし、盛夏の庭園の美しい緑を楽しみます。吹き抜ける優しい風とともに心が和む。贅沢な時間。
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引き続きお庭へ。琵琶湖をかたどったと伝わる池の周遊。池の周りには近江八景を模したしつらえも。鮮やかな緑の木々と歴史を感じさせる東屋、それらが水面に映り込む光景。自然と歴史が調和した静かで厳かなな空間が息をのむ美しさでした。お庭の満足度しては過去一な気がします、来てよかった。
蛇足
今年も酷暑で日中 外を出歩くのはしんどい、でもどこか出かけたい、と考えた際にずっと電車に乗っていれば涼しく快適にお���かけできるのでは?とよくわからない発想に至り。。。今回は青春18きっぷを使い在来線(高崎線 - 上越線 - 羽越線)経由で都内から7時間強かけていきました。
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結果、新発田へはお日様もやや陰りはじめた程よいタイミングに到着できました(それでも一通り散策して駅に戻ったころに汗びっしょりでしたが)。道中の車内は流れる景色を眺めながらうたた寝もでき最高の時間でございました。
新発田を出た後は白新線にて宿泊地 新潟へ。新潟にてへぎそばとタレかつ丼の夕食。つるつるっと食感のよいお蕎麦と甘辛いタレかつが美味でした。
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69kime · 9 days
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昨日引いてきましたよ。
北関東から東京を飛び越えて南関東まで。
今回初めての押しさんだったので若干疑心暗鬼だったのですが、テレで綿密にやり取りしてコレで岩塩を掴まされたら日頃の行いが悪いせいだと思いながら押しさんに会いました。
893の下っ端みたいな若いお兄ちゃんでした。とりあえず待ち合わせ場所で会って歩きながらネタのやり取りを行いました。
押しさんの前で茶封筒を開けて現物を確認しました。
…良かった。岩塩でも氷砂糖でもなく、それは縦割れのガンコロでございました。
押しさんに別れを告げ、最寄り駅のトイレに駆け込み早速味見(笑)
味見なのに何を思ったのか詰め10も入れてしまい高鳴る心臓に興奮したが無事に1年ぶりのkimeです。
入れ終わったら、ガツンというよりもカーっと熱量が襲ってきました。あんまりシモに来る感じでもなかったけれど十分に満足できるネタでした。
それにしてもあれですね。トイレで仕込むまでに結構とっ散らかるんですよね、私。
一連の工程を行い片付けをしてトイレを出るまで30分はトイレに籠もっていたようです。(笑)
その後はお決まりのハッテンサウナへ。職質の事を考え、新宿でも上野でもない某所へ…。
結果は、玉砕でした。そもそも土曜日の昼なのに客がいない。まあ贅沢は言えません。無事にネタを引けたので良しとしなくちゃね。
帰宅してから詰め5だけ追加してキメマンズリを朝5時まで楽しんで射精して長い長い1日が終わりました。
今の欲望はキメ友を見つけて楽しくプレイ出来る相手を見つけたいですね。
長文駄文大変失礼しました。
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asagaquru · 7 months
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GW辺りに札幌に行こうと思っています。おすすめの、絶対行ったほうがよい場所を教えていただけないでしょうか。カフェとかレストランとか美術館とか美術館とか…。あと夜パフェに行きたいので、どこを選ぶと間違いないか教えてほしいです。あともしかしたら注意したほうが良いことがあれば教えていただきたいです。
こんな質問がたまにDMでも来るので、いつも楽しく回答しています。あなたの住む街に行くときはおすすめを教えてくださいね。札幌というワードで、わたしを思い出してくれるのが嬉しい。
パフェの語源はフランス語の“完璧”から来ているそうですね。夜パフェはカフェテリアパルが間違いないです。人匙ごとに味や食感が変わり、その美味しさにくらりと来ます。パフェって素晴らしい。価格帯が高めなのにいつも行列です。札幌の夜パフェは締めパフェなので、21時ごろから混み合います。すすきのでの1件目を手早く切り上げるのがおすすめです。
他にもパルよりは価格が安めな“ななかま堂”やお酒とのペアリングを楽しむ“ペンギン堂”とかもあります。クセ強店主がやっている“ぴーぷる・ぴーぷ”は色々な掟があり、確実に終電を逃しますが札幌名物って言えば名物なのかもしれません。夜ではないですが、札幌で1番美味しいパフェは“くなう”というアパートの一室で営われる喫茶“室”で、るるぶやSNSには掲載されません。アパートの一室と言えども、黒い壁紙にレースのカーテンが揺らめくだけの内装。華美ではなく、ただただ美しいパフェは美術品のようです。その甘みに背筋が伸びる。なんだか神様との対話みたいだなと思いながら食べています。勝手に“札幌で1番天国に近い場所”と呼んでいます。
どうしましょう。パフェの話だけでこんなに行数を使ってしまいました。あなたのために続けますね。北海道でみれば美術館は多いですが、札幌に屋内の美術館は少ない気がします。札幌にある北海道立近代美術館や札幌芸術の森美術館は気になった特別展の時に行く程度です。風が寒くなければ、モエレ沼公園なんてどうでしょう。イサムノグチが作った彫刻公園です。モエレ沼まで行かなくとも、街中を歩いていると、野外彫刻をよく見かけるのも札幌の小さな楽しみです。大通公園を西に降って散歩するのも面白いかもしれないですね。札幌の中心は、大通りで分断して北と南、創成川で東と西に分断した碁盤の目のような住所をしています。札幌で定められている景観色に則った建物が整然と並ぶので、他の政令都市とは違う空気感に包まれた街並みです。https://artpark.or.jp/sansaku/
よくお一人様をしてカフェを探訪していました。上記した“くなう”はパフェとして完成され過ぎている。お一人様専用なってはしまいますが“カルメル堂”は、深海のような濃いブルーの壁紙の内側でゆったりと過ごせます。季節ごとに出す甘味が変わり、5月はプリンとラムレーズンどら焼きだった気がします。わたしは7月の珈琲あんみつが梅酒寒天が乗ってて好き。“ギャラリー犬養”は、わたしが菊水に住むひとつの理由になった喫茶店です。大通り駅から地下鉄で2駅なので行きやすいかと思いますが、住宅街の奥にあるから迷いやすいかも。聞き馴染みのない西洋の伝統的なケーキが沢山あってどれも美味しい。食べた後に河川敷を散歩するのが好きでした。“喫茶店つばらつばら”と“石田珈琲店”、“一粒の麦”も好きです。
食は飲酒に重きを置いた人間なのでレストランには疎いですが、二四軒にある“ユニヴェール エス”は友人が修行していた洋食屋です。一皿一皿がキラキラして見えるのはきっととてつもなくこだわり抜かれているからなのでしょうね。後は、また菊水になってしまいますが”プティットレジョン”はフランスの家庭料理を出すビストロです。店内を一歩入ればそこは南フランス。ここもまた美味しいです。
注意することと言えば、気温でしょうか。北海道の桜はGWに咲くので、そのくらいの気温で、風も強い日が多い印象です。GWでの札幌観光ということで、移動は公共機関を想定しておすすめしてみました。土日祝日は、地下鉄が540円で1日乗り放題のドニチカという切符が買えます。おすすめしたモエレ沼公園以外は地下鉄だけで移動できます。特にカフェに関しては地下鉄で行けるものをピックアップしてみたので、レンタカーを使用するのであればまたお知らせくださ���ね。
5月中旬以降であればライラック祭りが大通公園で開催されます。金木犀と同じモクセイ科なので、とてもいい匂いがする薄紫の花の木です。札幌市のシンボルで、自生できる南限は関東らしいですね。大通公園のベンチの横にライラックが植えられているので、花の下でゆっくりするのが好きです。今年は雪解けも早そうなので、あなたが来る頃にライラックが咲いていたなら嬉しいな。旅行から帰ったらまた、質問箱でも良いので、札幌でのお話を一緒にしましょうね。
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ichinichi-okure · 7 months
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2024.2.13tue_tokyo
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7:00起床 昨夜、明日は永田町と下北沢のダブルヘッダーだから早く眠ろうと思っていたけれど、なかなか寝付けず。いろんなことを考えていた。だけど起きて青空見たら寝不足も気にならない。心情とは面白いね。
政治、とりわけ東京のことを考えるようになったのは住み始めた23年前の2001年頃。思えばさらには2011年東北大震災がきっかけだったように思う。福岡、佐賀時代は自分のことばかり見て、ちっとも想像が外に及ぶことはなかった。まったく褒められない酷い時代。
2019年の終わり、パンデミックが始まって「痛い、なぜこんなに痛いんだ?こんな状態だったんだ。いつからだったんだよ。」とダイレクトに心に生まれた痛さにようやく気付き世の中を見始める。とっくに人生はそうとう進んでいたね。酷い私の時代はずっと続いてたよ。
起きるコロナ禍が始まる頃、世界のこと、日本のこと、気候変動から始まる「全てのイシューは地続き」をつくづく実感した。その後興味を持って行き始めたスタンディング、マーチ、ダイイン、対話集会、プロテストレイヴと、その中にある様々な言葉を拾い探す努力をし始める。そして今日、たまたま二つの集会スピーチ、コールとそれに対話ライブとが重なり2つの梯子する日になった。
15:00 毎日お昼ご飯の代わりのおやつをしているからそんな毎日のルーティンは普通にして行きたいとお昼3時頃、コーヒーを入れおやつを仕込んだ。この頃くらいから朝に少し興奮した気持ちも随分落ち着いていたね。おやつとコーヒーは大事。
その後、カメラと荷物を抱え出かける。少し早く出たから散歩代わりに「LOST AND FOUND Tokyo」へ歯磨き粉を買いに歩く。おかげでよりカームダウンした気がする。いつも思っていることはなるべく熱狂しないということ。だいたいそれで失敗するし、必ずそんなことでくよくよする。
18:30 地下鉄に乗り国会議事堂前で降りる。久しぶりの国会議事堂は怪しく光っていた。いや、たぶん申し分無く思っていたら『今日の国会議事堂は穏やかな光を放っていたな』になったのかな?いくつかの集まりのコールと僧侶の人が立ち奏でる読経聞いた。様々な人の心が国会議事堂をつつむ。
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すでに始まっている国会議事堂前行動、近づくにつれ遠くてもよく通るチャント、コールが聞こえ出す。到着したと同時に小原隆治さんのスピーチがはじまりその一節の「正義を語る事を、止めよう。Let's talk about injustice.。I will not be silenced by injustice. 」が深く心に残り、しかも小原さんの歌うようなチャントに『すべてはリズムなのだ』ね。
21:00 時計を見ると21:00。まだスピーチの方は続くんだけれど、ダブルヘッダー二つ目、下北LIVE HAUSで開催されている「9Party」へ急いで向かった。入るとすぐにsakumagのメンバーでグラフィックデザイナー、ラッパーのnatsumeさんがいた。「しいねはるかさん」がライブ中。私たちも「9Party」に出演した時にご一緒したシンガー。音はもちろんのこと、しいねさんの言葉はいつも心に残る。あんな風に話せる人になりたいと毎回思うよ。その後、浅沼優子さん、佐久間裕美子さんがドイツとアメリカからリモートで対話に参加された。LIVE HAUSのスガナミさんが司会進行。思えばこんなに重要なお話で、遠くにあって間近に聞ける環境を作るスガナミさんのアクティビティーが本当に素晴らしい。とはいえ、あっという間の90分余り。もっとお二人のそしてみんなの話も聞きたかったな。
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今世界中に起きる、イシュー、クライシスを少しの時間だったけれど分かち合えたと思える時間だったよ。そして内容もさることながら、とにかく全てが優しいのだ。みんなが、その漂う全てが優しい。浅沼さん、佐久間さんのお話、エントランスに並ぶsakumagの本や地下BOOKS、バックパックブックス、ふるさとの店の本、しいねさんの歌、sakumagクルーのセレクトする音、そしてお好み焼きがくちゃん、チャーベさんが焼くお好み焼き。実際、ライブ中も対話中もずっと『ジュージュー』と素晴らしく優しいSEがフロアーに降り注いでいたね。
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23:30 家路に辿り着きふと歩数を見ると1万5千歩の文字。寝不足だし今日はあっという間に眠るなと思うも、1日の出来事を反芻するよにまた朝からを思い出していた。この日記みたいに。ただ私がこうやって日記を書いている「今」も世界はジェノサイドをタイムラインで見ている。そのことに憤りまた眠れぬ夜になってしまいそうだけど、私がいくら眠れなくなったとて辛くなったとて何も変わらない。だからこれからもアクティビティ続けようと確認した2月9日。
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明日の朝起きたら「全ては夢」だったってならないのかな?それではおやすみなさい。
チャーベさんの広島風お好み焼き美味しかったなー。
26:00就寝(たぶん)
-プロフィール- ムトウサツキ Small Circle of Friends & STUDIO75. @scof75
ムトウサツキとアズマリキの2人組。1993年、イギリスの人気DJジャイルス・ピーターソン主宰、United future organizationのレーベル”Brownswood”よりデビュー。以来17枚のフル・アルバムをリリース。2005年にはインストゥルメンタルに特化したサイド・プロジェクト「STUDIO75」をスタートアーティストのトータルプロデュースからbeat製作も多数。最新は、BASI、maco marets、kojikojiなど。Small Circle of Friends最新は12th AL” cell ”とセルフミックス “Another cell”。サツキはリユーステーラー「75Clothes」展開。2024年はSmall Circle of Friendsの30周年イヤー。13枚目のアルバムリリース予定です。音楽と服で毎日を暮らしています。
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hirokkie · 2 years
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Walking to see the Mimosa flower. #walk #walking #tokyowalk #flowers #flowersofinstagram #instaflower #mimosa #mimosaflower #yellowflowers #flowerlovers #setagaya #tokyo #japan #東京 #東京散歩 #ミモザ #ミモザの花 #世田谷散歩 #ウォーキング #ウォーキング好きな人と繋がりたい #花好きな人と繋がりたい (北沢川緑道) https://www.instagram.com/p/CpcpAH7PLly/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kennak · 11 months
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埼玉県川口市でクルド人の犯罪が激増して問題になり、その対策が川口市政の中心的課題になっている!というエントリが度々ホッテントリ入りしている。またyoutubeのゆっくり動画等でも「クルド人」「川口」のテロップが入ったサムネの動画が投稿されている。結論から言うとそんな事にはなっておらん。川口市は『広報かわぐち』という広報誌を配布しているが、この10月号で犯罪認知件数が過去最低を記録しているとの広報を打っている。https://www.city.kawaguchi.lg.jp/material/files/group/3/202310-04.pdfこの一年で白昼の強盗事件、沿道商店に突っ込む大事故や死亡ひき逃げ、クルド人による病院での喧嘩騒乱などの事件が報道されて体感治安が低下している故だ。でも実際には治安は過去最高となっている。この問題を喧伝しているのはagora出身の石井孝明というライターで、産経新聞と夕刊フジがそれを元に記事を書くという構造になっている。石井のやり方は、川口、蕨を中心として、肌の浅黒い中央アジア、東南アジア系の人間が事故や事件、不法な業務、反マナー行動をしたものにクルド人を匂わす文言を付けて宣伝するという方法だ。それ故クルド人が毎日事件や不法行為をしているように見える。そんなにクルド人は増えているのか?日本にクルド人は何万人いるのだろうか?だが実際のクルド人の数は2000人程度である。人口60万人の川口市人口の0.3%だ。「あれもこれもクルド人」の安物ネガティブキャンペーンが成功しているのである。 それで今回はちょっとこの問題の背景を説明するよ。「クルド人とは何か、どういう民族か」などは産経以外の大マスコミや大学人が記事を書いてるからそういうのを参考してくれ。 地理「埼玉県川口市」でgooglemaps検索すると川口市の県境が表示される。https://www.google.com/maps/place/%E5%9F%BC%E7%8E%89%E7%9C%8C%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E5%B8%82この一番左側の蕨駅付近が問題の舞台だ。まず、駅の東側にやたら細かい碁盤目で緑の線が入った地域があるのが判るだろうか?ここは芝2丁目と芝4丁目という地域になる。ここは一見整備された住宅地に見えるが、実は都市計画に乗っ取ったインフラ整備が間に合わなかったスプロール地域なのである。この碁盤目は元々は大正時代に田んぼを整地したものだった。緑の線は用水路跡で、今でも暗渠化された水路敷きになっている。この付近は江戸時代に作られた見沼代用水が通り、その分水も充実していた。そこで碁盤目に畔と用水路を整備して土地の権利も整理したものだ。ちょっと脱線するが、こういう整備された元田んぼ住宅地の近くにはL字の道と変形交差点を組み合わせたような地区がある事が多い。またそこには寺や神社がある事が多い。その場合、そこら辺は嘗ての村の集落があった場所である。行ってみるとせせこましい建売の中に突然田舎の農家のような大きな庭付きの家、時に藁ぶきだったりゴルビジェのサボア邸のようなやたらハイセンスの家が建っていて驚かされる事があるのでおススメだ。そこは付近の建売の元地主やマンションの大家である。この田んぼが戦後の高度経済成長期に売りに出され宅地化されたのがこの芝2、4丁目地区なのだ。元あぜ道は公道化されているのが多いが、そこから奥に入る道は幅が狭い砂利道のままだ。これは私道だからであり「その道路の権利は細切れになって付近の家の持ち主が持っている。故に権利関係がごちゃごちゃなので金を出し合って舗装工事をするという事が出来ない。更にこの路地は通り抜けが出来ない。真ん中に水路敷がある為だ。水路は元々の地主が権利を持っている筈だ。通り抜けにはそこに橋を掛けなきゃならないが、誰もその費用を負担したくないので碁盤目に見えて行き止まりの路地ばかりという事になっている。 1990年代初頭に建築基準法が改正されるとセットバックの義務と接道義務が定められた。接道義務とは、幅4m以上の道に2m以上接していない土地には建物建築不可という事である。これでこの路地の奥にある家というのは建替えが不可能になった。また、水路敷は舗装されていて道路に見えても道路じゃないのでセットバックの義務が無い。だからいつまで経っても道は広がらないから接道要件を満たす道にならない。散歩する時はこのせいで魅力的なのだが不動産的には不良である。この路地をストビューで見れば判るが、公道に面した家は新しい低層アパートで路地は4m拡幅、その奥の一軒は新しい戸建て(公道側隣家のセットバックで接道要件クリア)、その奥は築30年以上の古い戸建てや古アパート、となっている。奥の方の家は建替え出来ないので古いままなのだ。奥の方の家やアパートを借している場合、家が古くて車も入れない砂利道なので客付けが困難である。蕨駅から徒歩5~10分という好条件なのだがこういう状態なのだ。高度成長期中期の昭和30年代後半からこういうスプロール現象が問題になって規制が強化されたのだが、その前に家が建てこんだ地域なのだ。私有地である用水路の暗渠化は市が行ったが、これは下水道整備が間に合わず、水路に垂れ流しとなった為の代替政策だ。 さて、外国人というのは部屋が借り難い。これは差別の問題もあるが、家主としては万が一の時の連絡の問題、家賃不払いや退出後の内装補償、突如国に帰ってしまうリスク、それと土足の問題などがある。室内に靴を脱いで入るのは日本だけなのだ。最近じゃ米国都市部も日本式になって来てるが。だから土足で生活されて畳床等がダメになるリスクがある。故に外国人が部屋を借りるのはとても大変だ。一方、建替不可で古くて前が砂利道で引っ越しのトラックも入れない、なんていう借家やアパートの大家は客付けが全然できない。この両者の利害が一致して賃貸借契約、とあいなる。お互い「こんなボロ屋なのに高いが…」「外国人でリスクが高いが…」という妥協の産物だ。 このやたら細かい碁盤目地区はもう一か所ある。駅の反対側に線路で分断された川口市の飛び地みたいな三角の土地があるだろう。ここは芝園町と芝富士という地区なのだが、そのうち芝園町は元鉄道車両工場のUR団地(電車から見える屏風みたいな建物)、芝富士は元田んぼの細かい碁盤目地区だ。この芝富士地区は先の芝2・4丁目地区と全く同様の特徴と来歴を持っている。路地のセットバックが進んで4m以上が確保されて建替え可能になっている所が多いなど、スプロール化の程度は2.4丁目よりも改善されているのだが、それでも水路敷による路地分断などはあり、また建替不可家屋が密集する地帯もある。更にここは飛び地状態なので見捨てられた感もあり市政が行き届きにくいという特徴もある。中学校や幼稚園が線路の反対側で遠いのだ。ここも同様の理由で昔から外国人が多かった。 「蕨」なのに「川口市」であるのはこういう事で、駅の左右に川口市の不良宅地地区がありそこのアジア系の住民が住む事が増えたというのが原初としてあったのだ。「川口市は小規模の鋳鉄工場があり外国人工員を必要とした」という説明をしている記事もあるが間違いだ。鋳鉄工場地域は西川口から南側であって、蕨周辺は田んぼから住宅地に転換している。その転換が早すぎてスプロール化してしまったのだ。 始まりはヘイトデモクルド人問題がおかしな奴らの飯のタネになっている問題の根幹は在特会のヘイトデモに遡る。2009年に在特会はオーバステイフィリピン人の子息が通う中学校付近で「叩き出せ」といシュプレヒコールを上げるデモを行うようになった。この中学校や居宅は蕨駅の南側、西川口駅寄りだ。このデモに左翼運動からの転向者が合流すると一気に過激化し、「殺せ」「殺しに来た」というコールになり、警察に掴まらないような巧い仕方の暴力や、近所のヤジに対して「○○人の家だ」「お前日本から出ていけ」「殺せ」と連呼したり、お散歩と称してデモの後に落書きをしたり通行人に因縁を付けたりという行動をするようになった(後に警察官が解散地から駅まで随行するようになった)。転びアカが合流すると大抵こういう事になる。これに呼応して掲げられる旗も日章旗から旭日旗やハーケンクロイツとなっていった。そんな中で在特会は芝園団地付近でクルド人に住民が迷惑しているという情報を掴む。そこでヘイトデモの開催地は蕨駅~西川口駅から蕨駅北方になる。そこで鍵十字の旗が沢山はためき、「悔しかったらクルド野郎出てこい殺してやる」などのデモがされるようになった。但し、彼らは居住地区を知っていたから疑問なので警察がそこから外れるルートを許可していても判らなかったかもしれない。 こういう経緯で中東系や中央アジア系の人間の犯罪、不始末を「クルド」と称する動機が生まれてきた。事件が有る度に「これは在日朝鮮人」という差別デマがずっと流れていたが、それの中央アジア版だ。 もう一つの理由がトルコの少数民族問題で、トルコは親日国で、そこで問題化している少数民族のクルドは敵だ、という単純な世界観によるもの。元々国際問題を親日反日でしか捉えれない人間の頭の中なのでこれ以上はバッファオーバーフローである。そもそも少数民族問題は国家の宿痾であって国際政治学では必ず履修する項目であるのにそれを焚きつけて利益にせんとするあたり、ガソリンスタンドでタバコを吸うバカの如しである。 故にそれよりこの方ずっと「クルド」はやべぇ奴らの間の符丁となり、民族問題を理解するという動機にはならずに、彫りが濃い人間の不祥事は「クルド」とする文脈が生まれたのである。 続く https://anond.hatelabo.jp/20231004185255
蕨と川口とクルド人の問題に関して その1
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sophiatanken · 1 year
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モンゴル遠征2023
1年ぶりの投稿になります、5年の石原です。 夏休みということで田舎のおばあちゃん宅に来ていますがのんびり過ごせると思ったらなんのその、やれ倉庫の解体に墓掃除と体力仕事を任されぐっすりと眠れる日々が続いています。
���回は4年ぶりとなる海外活動について報告します。 お話ししたいことが沢山あって何を書くべきか混乱していますが特に印象に残っていることを厳選します。
今回の目的は海外登山。 モンゴルは東南アジアの国々とは違いヒルがおらず(以前のボルネオ島遠征で寝袋にヒルが侵入し血だらけになったという話を聞いていた)、大抵の山が登れば日本人初登頂という話を聞いて決めました。ありがたいことに小林、近藤、廣瀬、田宮、岡本と5人の後輩たちが志願してくれました。私を含め男子2人女子4人。上智らしい男女比で企画がスタートしました。
9/3 3隊に分かれて成田を出発しました。全員が無事に合流できるのか内心ひやひや。
初飛行機・発海外の田宮。荷物にナイフを隠し持ちしっかりと検査官に見つかっていました。
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乗り換えの待ち時間が20時間近くあったため、韓国で出国し明洞の街でサムギョプサルを食べました。お店のお母さん、プルコギって言い張ってたけどあれやっぱり注文ミスだよな、、、
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9/4 1時間近く遅延が発生し韓国・仁川空港から飛行機に乗ること約4時間。モンゴルの首都ウランバートルに到着しました。街では排気ガスをまき散らしながら大量の自動車が渋滞が起こしていました。信号も秩序もない道路を慣れた手つきで運転しているのかと思いきや現地人もまあまあな頻度で接触事故を起こしているようでした。
大通りはそれなりに整備されていますが裏道に入った途端未舗装の道路と怪しげな雰囲気が漂います。
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今回の活動では日本で予めアポを取っていたモンゴル人ドライバー、セーギーに車を運転してもらい目的地の山を目指しました。英語は全く通じませんがドライブ技術はピカイチで、道路もネットもない地の果てで山脈と長年の勘を頼りにおおよその方角を導き出していました。
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目指す山は首都から約600㎞離れたIkh Bogd。標高は3957mで山の南側から2600m地点のベースキャンプまで車で向かいます。翌日アタックザックでピストン。山頂はとても広く平らになっていて僅かに残雪があり後半は急峻な岩山のように見えました。
下の写真正面に見えているのがIkh Bogd。もう少し近づくとなかなかにかっこいい山でした。
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しかし、思い通りにはいかないのが海外というやつですね。なんとこの山、東西に400㎞以上に渡り裾野が広がっていることが判明しました。(確かに写真にも収まっていない…)北側から南側に抜けるのに2日かかると分かり、当初の予定を変更し北側からアタックするという苦渋の決断に至りました。南側からのアクセスでは頂上まで1300mの高低差でしたが北側からだと2000mを一日でのピストンしなければなりません。北側からの登山を想定していなかったため地図はなく、スマホは圏外。登頂の可否以前に登山自体に不安を感じました。Ikh Bogdを選択した時点である意味敗北だったのではないか…切ない考えがよぎりました。
その後、思いがけず麓の別荘ゲルに遊びに来ていた子供たちと仲良くなり鬼ごっこに熱中したことで悲しい感情は吹っ飛びました。
この後とんでもない裏切りが待っているんですけどね
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翌朝4時起床で山頂まで半分弱の所にあるgreen lakeとBlue lakeを目指すことにしました。湖には古代生物のようなビラビラのひれをしたエビみたいなやつが泳いでいたり崖をヤギの群れがめえめえ鳴きながら渡り歩いていて可愛かったです。見慣れない地形や植物が散見され海外登山の醍醐味を味わうことが出来ました。出発前から楽しみにしていたモンゴルハムスターも遠目に見ることができました。
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湖から先も時間が許す限り進もうとしましたが、いくら探してもその先の道を見つけることができませんでした。当時は悔しくて南側北側…と夢に出るほどでしたが、今となってはそもそも北側から登頂する人間なんていないのだろうと開き直っています。砂とガレ場の急斜面で人が通った形跡なんてなかったんですもん。
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飲めると書いてあった沢 ヤギと共有だったけど気持ちよかったあ
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登山の後はメンバーたちがモンゴルでやりたいことを実行しました。
美しい草原
放し飼いされた馬が草をむさぼっていました。近くまで来ても絶対に触らせてくれないんですよねえ…
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憧れのゲル
宿泊した時うっすらと雨が降っていましたがしみこむ気配もなく、想像以上に快適で安心感のある居住空間でした。
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ゴビ砂漠
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夜には延々と続く草原の上に信じられないほど綺麗な星空が広がっていました。言葉にするとありきたりな表現にしかならないことが残念です。
電気が走るシャワー、モンゴルウオッカを飲み干すゆうか、鍵を投げる田宮、、、思い出があふれてきますが長くなってしまうのでこの辺にしておこうと思います。
モンゴル遠征悔しさ半分、達成感半分というところでしょうか。
後輩たちにいつかリベンジしてほしいです。
5人に沢山助けられました。ありがとう。
色々トラブルあったけどモンゴルめちゃくちゃ楽しかったわ!
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tokyomariegold · 1 year
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2023/6/3〜
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6月3日 夜中の3時頃、近くの川が氾濫して避難の警報通知で目が覚める。 部屋の前の土手の川ではなく、少し離れた小さい川の方みたいで、少しどきどきしながら雨の音に怯えて朝まで眠れなかった気がする。 今は嘘みたいに空が晴れていて月が綺麗に見えている。でも風がまた強いのか雲に隠れたり出てきたり。
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外出するとまだ昨日から電車のダイヤは乱れっぱなしで時刻表示がなかった。 待ち合わせ前にラボでもう一度、追加のネガスキャンを注文。東京駅まで歩くと電車遅れ・交通機関の乱れでとても騒然としていた。 外の階段やちょっとしたベンチで待ち合わせに疲れているひともたくさんいて、日本橋口には修学旅行生なのか制服姿の団体が体育座りをしてひたすら待たされている感じだった。2つディズニーの風船が立ち上がっていた。
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高田馬場で友人と合流し、qpさんの展示へ。 qpさんの作品を観たのは初めてかも。生活に添えたい絵だった。鴨川の様子をツイートしているqpさんが東京のギャラリーにいて不思議な感じ。白濱さんとqpさんのお散歩音声が好きだったので、お二人をお見かけできて嬉しかった。
その後は早稲田まで歩き、演博で推しの展示を鑑賞。村上春樹の新しい記念館には人がたくさん集っていた。 ゴトーへ移動して展示の打ち合わせをした。 友人は職場の同僚たちとダイエットに成功し、晴れてご褒美の北海旅行も手に入れたとのこと。網走監獄いいな〜。 わたしも来月あたりどこか金沢とか行こうかな、と思った。
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展示のことで2人で決めないといけないことを相談して、学生の時から誰かと何か共同で創作することに、自分のやりたいことを殺した上でしか進めない、苦手意識があったけれど、今日はとても楽しかった。 展示がんばりたい。 そして、友人が「とりあえす、体調には気をつけよう。」と言っていて、うん気をつけよう、と主治医に言われるより、よっぽどポジティブに健康を意識できる言葉だった。
学生の時毎日行き来していたルートを通って、みんなちゃんと写真展来てくれるかしら、と寂しくなった。
帰りはやっと電車の時刻が掲示されていた。 今回は本当に本当のアド街ック地獄案件だったな。
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6月4日 この体調不良はいつまで続いてしまうんだろう? 待ち合わせの相手がいたから今日は出か��ることができたけれど、道中から怪しくて、相手と別れてからぐるぐる絶不調。午後の予定が全てできずに家に帰ってきてしまった。
共同玄関のエレベーターホールにスーパーで余分に取りまくったであろう割り箸が6〜7膳落とされていて、家で、あれ?箸がない!!って困っちゃっている人のことを気の毒に思いながら帰宅した。 友人はもうすぐ出産するので、もう落ち着いて会えるのはしばらく最後だった。
それもあって体調不良をごまかして出かけてしまったかも。でも一緒に東京の下町の低層住宅と一部マンション開発が近くに見える風景と、台風で濁流な川を眺めておしゃべりできてよかった。 遠くに見えた、ディズニーランドだと思っていたもの、2人で違うものを見ていた。
タワーの下の喫茶店でお茶をした時に自信が起こって、誰かと一緒でよかった、と思ったのに、今、この日記を書いている時たぶん小さい地震が起こって怖かった。
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yamadaken · 1 year
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#10 OUTBREAK and ALIVE~リリースツアーの追憶
6/23・24とリリースツアーで関東に行ってきた。 ツアーの途中で、ダムダム団のドラマー鈴木さんがブログのことを話してくれたのもあって、久しぶりに更新しようと思い至った。 ツアーを振り返りつつ、少し長めに書こうと思う。 今回はSKYとして東京に行ったのは18年ぶりだった。 最初に行ったのは2000年5月の下北沢。 その後も渋谷や高円寺含め、ハイエースで何度も東京に行ったけど、最後に行ったのが2006年だったと思う。 つまり今のメンバーでは初の東京ツアー。 今のメンバーで活動し始めて15年目になるけど、活動が止まったこともあった。 2016年3月、3年の活動休止を経て再び動き始めて、2019年に4thアルバムをリリースしたあたりから、また東京に行きたいなという思いはあった。 でもお金と時間の都合をつけて東京に行くことのハードルが高すぎて、もう少し活動に勢いがついてから具体的に考えてみようと思っていたら、コロナの波が押し寄せた。 その後は東京どころか、近県もツアーを控えるムードがシーンに蔓延していって、地元でのライブの継続自体も危ぶまれる時期もあった。 ツアーの計画が具体的に動く兆しはなかったものの、これだと言える作品ができたら、それを持って必ず東京に行きたいとはずっと思っていた。 その後、コロナ禍真っただ中の2021年6月に5thアルバムをリリースしたものの、細々とライブを続けるしかなくて、アルバムを売ること自体もなかなか苦労する状況だった。 ツアーの話が出るようなこともなく、ライブ以上に作品づくりに目が向いていった。 5thアルバムが完成する少し前から、3部作の構想が出始めていたこともあって、より次の作品への意識が強くなっていたのもある。 2022年はこれまでで一番曲を書いた。 新しい曲がどんどんできていく勢いに助けられ、ライブの頻度も徐々に増えていった。 次のレコーディングの予定がぼんやりと決まり始めていた2022年6月、数年ぶりに大阪緑橋の戦国大統領でライブをした。 この日はいろんな要素が組み合わさって、とにかくよいライブになった。 これから新しいストーリーが始まるのを予感させるには十分なきっかけになった。 梅雨が明けてから始まったレコーディングは、すこぶる好調に進んだ。 コロナ禍は終息することなくくすぶってはいたものの、ライブハウスが息を吹き返し始めてきた時期でもあった。 ツアーやイベントなども徐々に復活の兆しを見せる中、ずっと心にしまっていた東京ツアーへの思いが再燃し始めた。 夏の終わりにはアルバムのリリース時期を決めた。 そこに向かってレコーディングを進めていくことで、リリース後にどんな動きをとるべきかについても少しずつ考えるようになっていった。 アルバムの制作が快調に進んでいることも手伝って、リリースパーティーの構想も膨らんだ。 そしてそこにとどまらず、ついに東京ツアーのことを具体的に考え始めた。 とはいえ、10数年も間が空いた状況で、かつて訪れたライブハウスとの繋がりはすっかりなくなってしまっていた。 それでもやっぱり下北沢への思いが強く、ネットで下北沢のライブハウスの情報を集め始めた。 インターネットは便利で、かつてツアーで東京を訪れていた頃よりはいろんな情報が簡単に手に入ったけど、やっぱり実状というか、どんなライブハウスなのかが実感としてわからなかった。 音、雰囲気、におい、人、そこに集うバンド。 地元のライブハウスで当たり前に感じているリアルがつかめない。 東京の友達に聞いてみたりもしたけど、選択肢が多いだけになかなか的が絞れない。 この時点では東京のバンドとのコネクションもほぼなかった。 具体的な調整が進まない中、戦国大統領のスタッフさんからの連絡で、11月のライブで東京のバンドと共演することを知った。 どんなバンドなのかなと気になって動画を検索してみると、突き刺さるようにカッコいい映像と出会った。 新しい曲のミュージックビデオで、若いトリオのバンドとは思えないほど骨太でハードなサウンドに驚いた。 本当にこのバンドと演れるのかな?同名の���バンドじゃないよな? 心配になってすぐに戦国大統領に確認した。 どうも彼らで間違いないらしい。 楽しみで仕方なかった。 迎えた2022年11月5日。 東京からleroyを迎え、戦国大統領でライブをした。 戦国のサウンドシステムで体感した彼らのライブはとにかく気持ちよかった。 終始ご機嫌で、本当によく飲んだ。 leroyのメンバーともいろいろ話した。 でもあまりにご機嫌で、具体的にツアーのことを話したりはしなかった。 数日後、あらためて東京でのライブの日程のイメージを自分の中で整えた。 4月にアルバムをリリースして、5月にレコーディングをしている大阪のライブハウス火影でリリースパーティー、そして6月に東京にツアーに行こうと決めた。 そのイメージを持って、leroyのギターボーカル戸澤くんに連絡をとった。 5月のリリーパーティーに出てほしいということと、6月に東京に行く相談に乗ってほしいことを伝えた。 ともに前向きに考えてくれると返事してくれた。 その後、いろいろとライブハウスをあたってくれて、実現可能性のある5つに絞って具体的な条件を整理してくれた。 土日を前提にあたってもらっていたものの、どこのハコも週末はなかなか厳しい条件だった。 その後紆余曲折あって、最終的に四谷アウトブレイクに6月23日の金曜日に行く形で調整してもらった。 雲をつかむような話だと思っていたところからついに東京でのライブが決まった。 感謝しかなかった。 この時点で、leroyは5月のリリースパーティーにも出てくれることが決まっていた。 その後は、場所がバンドとの出会いを導いてくれた。 1月にライブを観に行って出会ったダムダム団、2月に共演したTHE OGIKIZ、leroyから紹介してもらったSoberBrownと、四谷アウトブレイクを軸に、あっという間にラインナップも決まった。 実は共演者を考え始めた時期に、別の出会いがあった。 遡ること20数年前、たまたま京都で共演したマグネットコーティングという千葉のバンドがいた。 パンクの枠に収まりきらないグルーヴィーなトリオで、すぐに仲良くなってまた共演しようと話したものの、その後ライブを見る機会はあったけど再度の共演はできずじまいだった。 彼らはもう解散してしまったとは聞いていたけど、ひょっとしたらまた違うバンドをやってたりするかもしれない。 なんとなくそう思って、ネットやSNS上を調べていったら、なんとギターボーカルだった名倉くんが、新しくmogriiというバンドをやっていることがTwitterでわかった。 SNSやネットのこういうところは本当に素晴らしい。 すぐにバンドの音源に辿り着き、彼の歌声を聴くことができた。 確か仕事の昼休みに散歩しながら聞いたと思う。 かっこよかったし、素敵だったし、何よりめちゃくちゃ嬉しかった。 名倉くんのアカウントをフォローしたら、ほどなくフォローバックがあったので、すぐに東京で共演できないかとDMを送った。 ちょっと熱い思いが滲みすぎていたDMだったかもしれないけど、すぐに返事があった。 彼も時を越えての連絡を喜んでくれたものの、仕事の関係で週末に都内に出るのは難しいということだった。 その仕事がライブハウス柏ALIVEのブッキングだった。 そしてやり取りする中で、柏に来てくれたらうちのライブハウスで共演するブッキングをするよと言ってくれた。 2daysになる想定はしてなかったので、すぐにSKYのメンバーに相談した。 3人ともスケジュールの調整はなんとかすると言ってくれた。 すぐに柏にも行く!と返事をした。 こうして東京・千葉のリリースツアーが決まった。 結果的にアウトブレイクのライブはレコ発東京編という形でやらせてもらうことになり、フライヤーやポスターもデザインさせてもらった。 並行してアルバム制作は佳境となり、とにかく忙しい日々を過ごしたものの、リリースとレコ発とツアーが楽しみで仕方なかった。 ギリギリまで交通手段や宿の手配もしてなかったけど、4人で相談してレンタカーで行くこと、民泊を活用���て4人で寝泊まりすることを決めた。 ツアーは楽しみではあったものの、不安もあった。 18年前は32歳だった自分も。来月には50歳になる。 体力的な不安だけでなく、久しぶりの遠方へのツアーへの不安もあった。 同じように車で東京に移動して、2日連続でいつもどおりのパフォーマンスができるのか? 初めてのライブハウスで、自分たちの音が出せるのか? 東京のお客さんの心に響く音が鳴らせるのか? でもレンタカーを借りて、メンバーを順番に迎えに行き、最後のメンバーを拾ってから高速道路に入った時には、そんな不安も消えてなくなっていた。 その後も高速をひた走り、心沸き立つ状態で横浜のてっちゃんの実家に前乗りした。
翌日は昼頃までゆっくりさせてもらってくるまで移動、アメ横に立ち寄ってから四谷を目指した。 そして四谷アウトブレイクに到着。 何度も連絡を取った店長“代理”の立花さんと会って、握手を交わした。 緊張感をはるかに超える高揚感。 結実の舞台は、とにかく最高の一言。 四谷アウトブレイクは想像してた通り、最高の空間だった。 ここからは本当にあっという間。 初めて観るSoberBrownに心をわしづかみにされ、 2月以来のTHE OGIKIZの熱に溶けそうになり、 1月以来のダムダム団の圧にはじき返されながら笑い続け、 先月観たのにそこを超えてくるleroyに鼓舞された。 そしてSKYはアンコールまでやらせてもらって、全部出し切った。 たくさんの人にアルバムを買ってもらった。 遅くまで飲ませてもらって、後ろ髪を引かれつつお店を後にした。 手配した近くの宿で一泊して、翌朝は浅草寺に立ち寄ってから柏へ移動。 無事柏ALIVEに到着して車を停めると、こちらに歩いてくる人が。 名倉くん! 声を上げて歩み寄り、ガッチリと握手した。 うれしくて仕方がなかった。 この日もここからはあっという間。 トッパーのmogriiでは名倉くんの歌に泣きそうになり、 naan destroying the bellyの変幻自在の音にワクワクし、 private conceptの心地よいグルーヴに酔いしれてから、 SKYは4番手で昨夜の余韻をまとってのびのびとやらせてもらいました。 ラストのheritのヘビィなビートにさらに体を揺らしてライブは終了。 ライブ後は名倉くんの計らいで、出演者のエフェクターボードを並べて愛でながらみんなで飲むという最高の打ち上げが。 この日も遅い時間まで楽しませてもらい、必ずまた一緒にやろう!と言葉を交わして、またもや後ろ髪を引かれながら宿へ。 部屋に入っても余韻がすごすぎてなかなか寝れず、2時頃までいろいろ話してた。 次の日は早めに起きて、帰路に就いた。 レンタカーを返して家に着いたら、千葉を出てから10時間たっていた。 もちろん疲れていないと言ったらうそになるけど、行ってよかった、やってよかったという気持ちが大きすぎるのと、見られた景色や出会えた人達が尊すぎるのと、念願の東京ツアーを終えた満足感が半端なくありすぎて、これまで以上に先を見つめている自分がいるのに気が付いた。 あらためて、自ら動くこと、そして縁をつなぐことの大切さを感じることができたツアーだった。
四谷アウトブレイクの立花さんは、フライヤーの裏面にコメントをお願いした際、こんな言葉を綴ってくれた。 つまり「縁」ですよね。 思えばleroyとボクの縁も四谷が始まりで。 3年前、秋元康プロデュースのアイドルバンドが四谷に出演する際、 当時の店長によりleroyとボクのバンドが謎にブッキングされたのが最初でした。 縁が縁を呼び【祭り】となって結実した今回。 間違いなく良い夜が立ち昇るはずです。 今思えば、この人予言者かよ!と思うほどのコメント! 今回お世話になったライブハウスの皆さん、 出演してくれたバンドの皆さん、 そしてライブハウスに足を運んでくれた皆さん、 本当にありがとうございました。 SKYの4人だけではやれないことが、みんなのおかげで実現できたと思います。 おかげでこれからも止まらず、歩いて行けます。 これからも変わらず丁寧に、届けていきたい。
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ari0921 · 2 years
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)3月19日(日曜日)
   通巻第7674号
中国全人代は達成不可能な数値目標が並んだのだ
  GDP成長が5%。赤字はGDPの3%以内。地方債は72兆円が上限
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 3月5日から13日まで開催された全人代では、初日に李克強首相〔当時〕が演説した。
 GDP成長目標を5%とし、22年は「コロナ禍と不動産不況にも拘わらず3%伸びた」と白々しく言い添えた。
 都市の新規雇用は1200万人、失業率を5・5%とする。インフレ抑制を3%前後とし、赤字国債の上限はGDPの3%とする。また食糧5000万トンを増産する等とおおよそ達成不可能な数値目標を並べたてた。
 政府活動報告で目立った表現には「習近平同士を核心とする党中央の力強い指導」、「習同士の核心としての地位と習を中心とする党中央の権威を守る」など時代錯誤の修辞が続き、「貧困脱却堅塁攻略戦に勝利する」と抽象的で意味不明な表現がある。ようするに貧困層を減らし皆の暮らし向きが良くなるように努力すると言いたいのだ。
 内需拡大の項目では「地方政府特別債は3兆8000億元〔76兆円〕とする」とあって、表現に隠れているが、地方政府債務を新規債券発行で肩代わりし、当面誤魔化せと言っているようなものである。
 地方政府が乱発した債券は既に1000兆円を超えたと推測されている(公式には900兆円前後)。
 名指しはしていないが欧米のサプライチェーンの分断に関して「製造業の重要産業チェーンに関して国を挙げて重要な核心技術をめぐる難関を乗り越え、ハイテク研究開発と応用促進を加速する。デジタル経済をおおいに促進する」とする一方で、『外資の市場参入規制を緩和し、TPP加入交渉を推進する』とも主張している。
 同時に『金融』と『香港、マカオ、台湾』の項目で政府活動報告は何を言ったのか。
 「習近平の強軍思想」を貫徹し、環境にも取り組むとしたうえで、金融では「監督監査を強め、地域性、系統性金融リスクを回避する。大手不動産企業の経営危機に対処し、負債比率を改善し、無計画な拡大経営を防ぎ、不動産の安定成長をうながす」。
このため「地方政府の債務リスクを防止・解消し債務期限構造を改善し、利息負担を低減し、新規発行額を抑え、債務残高を削減する」とした。
 この箇所を裏読みすると不動産は無謀な計画で大借金の山を築いたが、利下げと期限を延ばして救済措置をとるという意味だろう。そして、なんとか市況の暴落を防げないものかと言っているのである。
 「昨年の不動産投資は前年比10%減。それだけでGDPは3%の下落圧力になる。それでも実質3%の成長をとげたとは信じがたい」(田村秀男氏、産経新聞3月18日)。
 ▲行政機関は無力化、重要部門は党直轄に
 「チャイナウォッチャーのなかには、これを「地方分権的全体主義」と呼ぶが、習思想などと意味不明の個人崇拝体制で行政と経済政策が、最高指導部管轄となれば、国務院以下の中央官庁の存在意義はどうなるのか? 
行政機構は無力化し、無骨格状態となり、党中央独裁、いや個人独裁の毛沢東時代と変わらなくなる。
 香港とマカオの「一国二制度」の方針を揺るがずに貫徹すると唱えながら(すでに反古となっているが)「法に基づく統治を堅持する」とした。香港とマカオの自治を踏みにじったが、「法に基づく統治」と言うのは、その後、勝手に創った共産党支配合法のための「新法」を指す。
 台湾についても「新時代の党の台湾問題解決の基本方策を貫徹し、独立反対、祖国統一促進を貫き、「祖国の平和的統一への満ちを歩む」などと「平和���統一」の美辞麗句を並べただけだった。
 金融、治安、ハイテクが共産党の直接管理となった。ここが一番重要なポイントである。
西側の制裁に対抗し、統制を強化する目的がある。つまり国務院がこれまで専管事項だった分野も共産党直轄になったわけだ。
 治安では公安、国家安全部と戸籍の管理を共産党内務工作委員会へ移管する。
 金融では人民銀行と金融監督部者が共産党のふたつの委員会に権限移管され、科学技術と教育部門が党の専門委員会の直轄となる。
 3月16日に発表された機構改革では党に「中央金融委員会」を設置し、金融安定を党が指導するうえ、「中央金融工作委員会」を別途設置し、金融システムの組織、規律を統一的に進める。国務院には名目的に「国家金融監督管理総局」が設置される。 
 人事面では新首相に経済素人の李強が任命された。前任の李克強は北京大學経済学博士号。続投する易鋼(人民銀行総裁)はイリノイ大学博士号を持つ専門家だ。
 国家副主席には韓正が選出された。王岐山前副主席は完全な引退に追い込まれた。
人民銀行総裁に居座ることになる易鋼は中央委員候補からもすべりおち、もはや飾りでしかない。胡錦濤時代に中国銀行総裁だった周小川にはやや独自政策の裁量権があったが、金融も共産党直轄となれば、政策に柔軟性を希求するのは無謀だろう。
 ▲中国が「特許大国」ですって。(剽窃世界一の国が?)
 こうみてくると以下の報道がいかに白々しいか。
 中国は米国と並ぶ「特許大国」となった、そうな。実態は研究論文と申請件数のおびただしさで、他人の論文の剽窃や横取りも多い上、これからもつれるであろう難題は、日本や米国と中国との共同出願による特許がかなり存在することである。
とくにEV、スマホ、太陽光パネル、電池、レアメタルなどの先端分野に集中している。中国はこれら共同特許も解釈変更で中国の特許としている。トヨタは中国との共同特許が30件、まるで人質ではないか。
国際学会での論文数では米国を抜いて中国が一位、以下、韓国、台湾、日本とつづき、技術大国だった日本の地位低下が顕著になった。十年後に日本人のノーベル賞受賞者はいなくなるかもしれない。
 米国企業での問題は、研究者の中に圧倒的に中国人が多く、わけてもテスラの技術陣は中国人が過半という。つまり中国人エンジニアが不在となると、世界各地で生産効率が下降する。その一方では、使命を帯びて外国企業にはたらく中国人のスパイ活動がある。
 中国の23年の成長率目標が5%となったことは見た。
 西側企業の中国撤退が続いている上、日米欧は中国へのハイテク輸出を規制し、米国はブラックリストを公表し、日欧にも協力を要請した。とりわけ半導体装置では日本とオランダが米国と協議し輸出停止を申し合わせた。
 欧米ファンドも中国から引き上げをはじめ、中国をのぞく新興工業国家群への投資に分散、米ファンドの日本向け投資は中国へのそれの二倍ちかくになった。
 ベトナム、インド、マレーシア、豪州などへ禿鷹ファンドのKKRやブラックストーンなどの巨大ファンドが投資対象を切り替えた。
 中国株への投資も海外マネーの逃避が続出している。アリババ、JD、美団など中国のハイ的企業株から足を洗っているのだ。
 かような情勢変化に直面する中国が5%成長を遂げるという習近平の方針は、張り子の虎としか言い様がない。
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shunya-wisteria · 10 months
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秋旅2023 横川~アプトの道へ
信越線 群馬側の終点 横川からアプトの道を散歩してみた。
関東近辺も紅葉が色づき始め、一度 行ってみたいなと思っていたアプトの道をこの度 散策。何気に群馬県に降り立つのは初めてかもしれない(いつも通過ばかりなので)。
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北陸新幹線(当時は長野新幹線)長野先行開業に合わせて、廃止となった旧信越本線 横川-軽井沢。その線路跡の一部を遊歩道として整備したのが、このアプトの道。 下り線の一部は今も碓氷峠鉄道文化むらの施設として、トロッコやかつての電気機関車が走る一方で、上り側は線路もはがされた歩行者専用。とはいえ錆びた信号機等、鉄道遺構も残っていることもあり、前面展望の列車に乗っている気分がしなくもない。かつて列車を苦しめた難所 碓氷峠の勾配を登っていきます、歩いて登る分にはダラダラ坂なのでそんなに苦ではないね(なお、下りは後述…)
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途中の温泉施設から先は、さらに古い信越線の旧線跡(長野新幹線開業までに使われていたのは新線)に道はつながります。レトロなトンネルを何個もくぐり、一度道をそれて碓井湖の眺望を楽しんだのち、さらに足を進め。。。
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歩き始めて2時間弱、目的地 めがね橋で知られる碓氷第三橋梁。レンガ積みの壮大な橋梁で、ここもかつては信越旧線が通っていたところ。なかなかの高さがあり、眼下に紅葉した山々のグラデーションを楽しめました。いやぁ、美しい!わき道から険しい階段を降り橋を見上げれば、某峠を攻める漫画をもとにしたゲームで見覚えのある光景に。聖地みたいなものなので、スポーツカーでお越しの方もちらほら。なるほど、車で来るのも楽しそうね。
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アプトの道はもう少し続きますが、足腰の疲れがいい感じ(嫌な感じ)にきはじめていたので、ここでUターンします。一転して今度は下り勾配。登るときは特に何も感じなかったダラダラ坂ですが、下ってみると結構 急に感じるものね。踏ん張りをきかせないといけない故に、足が辛い。。。というわけで中間地点くらいの温泉施設 峠の湯でお湯につかり小休止。冷たい峠風を浴びながらの露天風呂は最高でした(ちょっと湯温が低めでしたが、まあその分 長湯できるということでよしとしましょう)。
湯冷めしないよう速足で来た道を戻り横川駅へ。道中、くつろぐお猿さんも。
遅めのお昼に、おぎのやの峠の釜めしをいただいた後、電車に揺られ帰路へ。気持ちよく寝られました。
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kei-life · 2 years
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『久しぶりに、旅へ④(石川県金沢市方面の道中)』
福井県大野市『丸岡温泉 たけくらべ で』の朝。
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朝食前に車でひとっ走り。すぐ隣の石川県に向かって、再訪となる『山代温泉 古総湯』の一番風呂をいただいてきた。客は私一人ではあったが、当然ながら撮影禁止。ホームページの写真を拝借。静かに、最高のお湯をいただいた。
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程なく、山代温泉に泊まっているという実業家の紳士が入り、湯に浸かりながら旅や温泉の談義に花を咲かせた。こんな事も、旅の楽しみである。
丸岡温泉から山代温泉への道中に、これまた石川県の名湯『山中温泉』がある。
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今回、こちらのお湯を愉しむ時間は無かったのだが、温泉の歴史をじんわり感じられる町並みが好感触。ゆっくり町も歩きたいので、次回は泊まりたく思う。
もう一つ。温泉に向かう道中で見かけてどうしても気になり、立ち寄った神社『村社 菅原神社』。
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そそり立つ巨大な杉の大木に魅力を感じ参拝してきたのだけど…。大東亜戦争後、昭和22年、昭和天皇が北陸巡幸で立ち寄られた「天覧の大杉」らしい。樹齢2300年の巨木は、神聖な空気を纏い、周辺の空気も、なにか凛とさせるものを感じた。
さて、朝の数時間を満喫し、次の宿泊地へドライブ再開。まず、金沢市。兼六園でも金沢城でもなく、市内の『長町武家屋敷』周辺を散策。
時間もやや早目であったため、人も少なく、気持ちよく散策。この日の行程、まだ先が長いので軽く散策したのみであったが、さすが加賀五百万石のお膝下。
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武家屋敷を初めとした整然とした街の創りは、威風堂々としていて、実に独特の空気感がある。有名な史跡も素晴らしいけど、生活を感じられる場所も、とても素晴らしいと再確認。こちらも出来れば、金沢市だけで1日過ごせるよう、予定を組んで再訪したい。
さらに石川県を足速に北上。
西側の海岸にある『なぎさドライブウェイ』を再訪。近年、砂浜が削られて狭くなっているという海岸は、確かに、以前来た時よりも幅が狭く感じられる。
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でも、爽快感は相変わらず。次々に訪れるドライバー皆んなが笑顔で、思い思いに波打ち際に車を停め、楽しげに過ごしている。幸せに満ちた海岸線。
願わくば、この姿を永く残して欲しい。自然の力のもとには難しい事は分かっているのだけど。
…今回はここまで。次回は『千里浜 なぎさドライブウェイ』〜輪島市までの素朴な道中など。
 
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7010333 · 2 years
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2022年振り返り
カメラロールを見ながら今年も雑に振り返る。
■1月 ・横浜エアキャビンに乗った まあまあ高くて怖かった
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・雪積もる 今の家に住み始めてから初めての積雪と思う 車が出せないくらいの積もり具合だった
・tofubeatsが人力車に乗っておじいちゃんみたいな笑みを浮かべてる写真が面白すぎてずっと見てた
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・眉毛サロンに初めて行った ブラジリアンワックスみたいなやつで形を整えた後切り揃えるやつ めちゃ痛くて涙出た
■2月 ・特に何かをしていた記録がない
・友達の家に行って子どもを構ったりしていた様子
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▲2月に何かしらの焼き肉を食べていました
■3月 ・NYCで働いている友達が一時帰国していたので遊んだ フォー食ってビール飲んだ
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・初めてデイキャンプをした 薪割るの楽しい 焚き火の匂いたまらない
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・サンダルを直した 修理に出したのは去年だったかも? ピカピカになって帰ってきた
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・旅行バッグを買った elvis & kresseというところのもの 今年買ってよかったものその1
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・パオパオチャンネルの展示を見に行った 渋谷 動画で出てきたアイテムが色々展示されててテンションあがる
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・ちゃみん会
羊のキンタマ食いました
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■4月 ・石川・福井に旅行に行った 東尋坊、越前松島水族館に行き、界 加賀へ宿泊 初めての石川福井よかった 翌日は金沢21世紀美術館に行った
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▲東尋坊
・潮干狩りに行こうと思ったが、台風で天気が荒れるとのことで中止 普通に売ってる貝を食べるpartyした
・パオパオチャンネルのイベント(パオ博)を見に行った 目の前で動くパオパオチャンネルと東海オンエア見られてよかった
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■5月 ・東京ダバインディアにてどん底会開催
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・弁理士をやっている先輩とご飯を食べた 知財実務のあーだこーだ話を仕事以外でできる人貴重だなと思った
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▲ご馳走になってしまった
■6月 ・謎会ホテルニューオータニ
・新しいレンズを購入
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・オープンキャンパスで卒業生として座談会に参加した その後先生と研究室の同窓生で東京駅飲み@丸の内ハウス あそこよかったのでまた誰かと行きたい
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■7月 ・食洗機を導入 キッチンの引き出しをぶち抜いて洗剤自動投入モデルを投入した あんま洗剤入れてくれてる雰囲気なくて手動で投入してる
・北海道に旅行 倶知安にある坐忘林という宿に泊まった 最高すぎて1ヶ月くらい住みたくなった
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・札幌に暮らす大学時代の同期と久しぶりに会ってご飯食べた 穀物祭というところ 雰囲気の良い店だった
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・大学時代の後輩の結婚式に参加 お幸せに〜〜
・家の人が感染完了してた お大事に〜〜 (自分は無事だった)
■8月 ・車から異音がして修理 ショックアブソーバー交換 出費です
・新しいレンズを購入
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・炊飯器が壊れた 出費です
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▲同じの買いました
■9月 ・祖父に会いに行く もう90超えてる 流石に元気なさそうだった 家も荒れてる雰囲気
・久しぶりに海釣り アジ爆釣
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・ふと思い立って秋田に行った お気に入りのご飯屋さん、宇宙一のレバニラを食わしてくれる店、など
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■10月 ・車検 出費です
・デイキャンプ2回目 流石にハマったと言って良いでしょう
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・どん底会@新宿らへん
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・山下達郎@横浜 相変わらず最高のパフォーマンスだった 長生きしてほしい
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・写真おじさんたちと浅草界隈散歩 久しぶりにカメラぶら下げて街歩きした
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▲結構人出戻ってる
■11月 ・鬼怒川旅行 界鬼怒川、花の宿松やに宿泊 2泊くらい旅行するのいい 東照宮の紅葉が見頃で大変よかった
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・キャンプ道具を揃え出す 流石に(ry
・ヴェイランスのジャケットを購入 めちゃ着やすくて気に入っている 今年買ってよかったものその2
■12月 ・前職の同期と忘年会 みんな元気そうでよかった 恵比寿の米福にて
・わかさぎ釣り わかさぎじゃない魚ばっかり釣れた わかさぎはうまい
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▲釣れたやつ
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▲流石に釣れなすぎて追加購入したやつ
・名古屋旅行 名古屋港水族館、愛知住みの後輩とひつまぶし 水族館寒かった!
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・かに道楽 カニだけで腹パンパンになるほど食べた
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・大学の先輩が開いたビール屋に行く 1杯だけといいつつ何杯飲んだか・・・ 勝どきに行かれた際はぜひ
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何かと大型出費の多い一年でした。(そういえば冷蔵庫も買い替えたのだった)
旅行にも結構行けたのでなかなか満足。年明けは伊豆の方に行く予定を立てています。
仕事面のことはわからん。何もわからんということだけがわかっているので来年は少しはわかるようになりたい。
みなさんの一年はいかがでしたか?
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ichinichi-okure · 1 year
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2023.5.24wed_tokyo
9年ぶりの京都旅行から東京に帰ってきて2日経った。2日経ったというのに、旅での興奮はまだまだ覚めそうにない。何をしていても京都の事を考えてしまう。今回の旅の目的は、京都dddギャラリーで5/21の日曜日まで開催していた展示を見に行く事だった。目的はこの展示だけだったので、他はノープランという無計画な旅。
新幹線とセットの宿を取ったので、こちらも全然こだわりは無い。“ギャラリーに一番近い場所から“という理由だけで泊まったビジネスホテルだった。月曜日は一日フリーの予定で、特に何も決めていなかった。日曜日の夜、京都にいることをインスタのストーリーに投稿すると、とても久しぶりの人からDMが来た。
彼の名前は、トマ。去年度まで藝大に留学していた友達だった。わたしたちは約1年前に出会い、荒川の土手でピクニックをしたり、ファンシーな中華喫茶にご飯を食べに行く仲だった。だけど、秋ぐらいからお互い忙しくなり、全く会うことも連絡する事もしていなかった。トマは、5月から京都の大学に入学したらしく、わたしが京都にいるのに驚いて連絡をくれたらしい。そして、次の日に朝ご飯を食べる約束をした。
月曜日、京都の四条のバス停で、203番のバスを待っていると1人の女性に英語で話しかけられた。もしかして困っているのかな?と思い、色々と質問した。どうやらその人は、わたしが京都のバスに乗るのに困っているのだと思い、話しかけてくれたようだった。とても笑顔が素敵なその人は、わたしが大丈夫だと知ると別のバスへ乗っていった。東京にいて、そんなふうに話しかけられることはあまりないから、正直びっくりしたけど、なんだか嬉しかった。
そして、やっと203のバスが来た。早速飛び乗り、市バスマップを見ていると、数分後、「ん?」と思った。思っていた方向と違う気がしたのだ。でも、確かにわたしは203番のバスに乗っているし…。不安になったので、信号待ちの間に運転手さんに話かけることにした。運転手さんは行き先を聞き、「このバスだと遠回りなんですよ!今ここで降りて、あの向かいの203番バスに乗ってください!!」と、言って停留所なのかもわからない場所で、運賃も取らずに、扉を開けて下ろしてくれた。運転手さんの起点が効く、素早い決断力に圧倒された。そして無事、本来乗りたかったバスへ乗り、無事にパン屋さんへ到着した。
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そこでわたしたちは、美味しいパンと、コーヒーを飲み食いしながら、一瞬も止まらないおしゃべりをした。そのあとは、そこから歩いて数分のトマおすすめの岡﨑神社へ行くことになった。岡崎神社は、ウサギが有名な神社のようで、石でできたうさぎが沢山いた。しかも、結構可愛かった。岡崎神社を訪れる人は少なく、人が多かった四条とは全然違う町みたいだなと思った。岡崎神社の中を越えると、お寺がいくつもあり、その先は墓地だった。この場所はトマのお気に入り散歩コースらしく、わたしは言われるがままどこまでもついて歩いた。大きな石の階段を登ると、真っ赤な紅葉の木が沢山あった。思わず、「わぁ!綺麗!!!」と言ってしまうほど美しくて感動した。こんな真っ赤な紅葉は初めて見たかもしれない。同時に、今まで14歳、21歳と、京都を旅していたけれど、わたしは一体何を見ていたんだ?とも思った。そのまま歩いていると、より緑が深くなった。素敵なお庭の中を歩いていると、オレンジ色のキノコを発見した。思わず2人ともキノコを見ながら、「かわいいね~!」と、立ち止まって見入っていた。とても発色が良いキノコ。空気もとても澄んでいて、気持ちが良かった。
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そしてその時、気がついた。「わたし、これを求めていたのかも!?」と。東京で知らぬ間に疲労していた事にも気が付かず、自分が京都の自然に癒されていることを体感したのだった。そして、どんどん元気に、わたしの身体は軽くなって行った。次、京都に来るときには、何も決めず、ただバスで京都をぐるっと回ったり、友達と鴨川でアイスクリームを食べたり、そういうことがしたいと思った。
昼過ぎ、トマと解散し、またバスで四条に戻り、コトバトフクへ向かった。バス停から歩いてさっきのパン屋で買っておいたプレッツェルをかじりながら、扉の外で13時の開店を待った。そして13時になり、ドアが開いた瞬間、店員の藤井さんは、わたしの顔を見て「わぁ!」と驚いた。9年ぶりの再会だった。前回会った時は、話していたら閉店時間になり、近所にある小籠包屋さんに連れていってくれたのだった。当時、初めての1人旅で心細かったので、今思い出してもありがたかったし、嬉しい時間だったなあと思う。素敵な店内も変わらずで、色々と迷ったが今日はKIKKOUの石がついたピアスを買った。おしゃべりは全然止まらなかったけど、まだ行かなければならない場所があったので店を出た。素敵なお店があって、そこが変わらずその場所に居てくれるありがたさが沁みた。
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またバスに乗り、今度はitouへ。バスに乗りながら大きな鳥居を抜けた。京都の日常ってやっぱすごいなあと思った瞬間だった。バスから降りると、無性にソフトクリームが食べたくなり、バス停の近くのマクドナルドでソフトツイストを買った。140円という金額に驚きつつも(昔は、100円で買えた気がする)、食べながらitouへ向かった。階段を上がり店に入ると、穏やかな店主の方が「こんにちわ~」と、迎えてくれた。色々な人に「京都へ行ったらitouに行って!」と、言われていた理由がなんかわかる気がした。そして、気がついたら一目惚れした、よくわからないハンガーを買っていた!
夜の新幹線で東京に帰るというのに、今度は叡山電車に乗って出町柳へ向かった。itouから一乗寺の駅までの10分くらいの道は、とても独特で面白かったので時間があったら散歩したかった。9年ぶりの出町柳の駅は、なんだか少し変わった気がした。見覚えのある、駅前のレンタルサイクル屋さんを見つけて少し安心した。鴨川の橋で、アレックスと待ち合わせ。アレックスは、京都に交換留学で来ている子で、春のZINE祭りで出会った。わたしたちは、ひたすら鴨川沿いを歩いた。とても綺麗な鴨が居た。他にも色々な鳥が、のびのびしていた。鴨川の近くにいる人間たちも、みんな好きなように過ごしていて、その光景がとても好きだった。
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だいぶ歩いたので、アイスを買いにファミリーマートへ。また鴨川に戻り、地べたに座ってアイスを食べる。アイスを食べながら、色々な話をした。「なんで日本を選んだの?」と聞くと、「わたしも同じ質問をしようとしていたよ!なんで、ドイツへ行きたいの?」と聞かれた。自分でもよくわからなかったけど、昔からドイツという国になぜか惹かれていた。初めてドイツに興味を持��たのは、母の友人の娘のモニカの影響だと思う。モニカは、ドイツと日本のハーフで、ドイツにずっと住んでいる。わたしより10歳くらい年上だった。モニカ達と下北沢へ行った時、質問をされた。「なんで、日本の女の子は、みんな同じような服を来ているの?」と。当時中学1年だったわたしは、すぐにその意味は分からなかったけど、ずっとその事が印象に残っていて、古着を買い始めたのはその頃だったような気がする。“みんなと同じが良い”という世界で生きていたわたしには、結構な衝撃だった。モニカは、むしろそんなことは、覚えていないだろうな。アレックスと、もっと話していたかったけど新幹線の時間なので、バス停でハグをして解散。バスで京都駅へ向かった。時間はあまりなかったけれど、柿の葉寿司をルームメイトのお土産として購入して、新幹線へ飛び乗った。
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ープロフィールー サリー★ 30歳 東京の東側 プリンター、ONLY CHILD CLUB部長 @pandahousedayo
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flamingo-rex · 2 years
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2022.10.31
昨夜のライブの後、
シャケさんと久々に飲みながら、軽く打ち上げ。
色んな話に花が咲く。
気付けば出逢いから27年だもんな
嬉しい事も、悲しい事も、昔話も、未来の話も
気付けば、朝5時前。
やべぇ!寝よう!と。
それでも3時間半で目が覚めるショートスリーパー
10時にはラッキー🐕散歩も兼ねて、海沿いドライブ
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軽く飯食って、機材積み込んで…またね!と
シャケさんは帰路へと車を走らせた。
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午後からは、ボーカルのレッスン。
昨夜のライブに京都から駆け付けてくれた生徒さんと
久々の対面レッスンです。
いつも、オンラインでのレッスンだから
対面だと、やっぱやりやすいし、癖やポイントが
よく分かるね(^^)
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兵どもが夢の後…今日は暇やろな…と、思ってたら
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相変わらずで、安定のサプライズ!!
下北沢CLUB251、BAR?CCO、440となどを手掛ける
SHIGEさん登場!!
持って来たぜ〜!!と、持参してくれたのは
20kgのダンベル!!!(笑)
東京から直で尾道入り。
そして、コインパーキングに車を停めてから
駐車場から、この重たいダンベルを
手で運んでくれたのだ!
それ自体がトレーニングやん!って距離ですけど
コレはKaz.しかいねぇな!と思った!と
20kgダンベルを東京から持ってくる先輩SHIGEさん
やべぇ〜っす!さすがっす!(^^)
ホンマにありがとうございました😊
連日、カッケー先輩に遊んで貰って楽しい時間(^^)
ココは尾道か?って言う登場人物ばかりでした
よし!明日から20kgダンベルで鍛え直します!!
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