理財局長に就任[編集]
2016年6月17日、佐川は理財局長に就任[20]。同年6月20日、財務省近畿財務局は、学校法人森友学園との間で豊中市の国有地についての売買契約を締結した。売却金額は非公開とされた[25][26]。
2017年2月8日、豊中市議会議員の木村真は、国が森友学園に売却した国有地の代金が公開されないのは不当だとして、開示を求める訴えを大阪地裁に起こした[26][注 1]。2月9日、朝日新聞が、払い下げの国有地に新設予定の安倍晋三記念小学校の名誉校長が安倍昭恵であること、森友学園側に契約違反があった場合、国が「1億3400万円」で買い戻す特約がついていたこと、森友学園の籠池泰典理事長が売却額が買い戻し特約と同額と認めたこと、売却額は同じ規模の近隣国有地の10分の1であること、籠池が日本会議大阪の役員を務めていることなどを報じた[28]。2月10日、同紙の報道を受け、財務省は一転して売却価格は1億3400万円であると公表した。売却価格が格安になった理由については「地下に大量のごみがあったため」と説明した[29]。
公文書改ざん[編集]
2017年2月15日の衆議院財務金融委員会を皮切りに野党の追及が始まる。日本共産党の宮本岳志は、国交省職員から土壌汚染除去費用の総額を聞き出し、佐川に対しても質問を行った[30]。
同年2月17日、安倍晋三首相は衆議院予算委員会で民進党の福島伸享から追及を受けると「私や妻が関係していたということになれば、まさに私は、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめるということははっきりと申し上げておきたい」と答弁した[31][32][33]。2月23日午後、森友学園は「瑞穂の國記念小學院」の公式サイトから、安倍昭恵の写真と挨拶文を削除した[34]。
同年2月22日、佐川と財務省大臣官房総括審議官の太田充は菅義偉官房長官に官邸に呼ばれ、国有地売却の経緯などについて説明した[35][36]。
2月17日の衆議院予算委員会、2月24日の同予算委員会、同日の同財務金融委員会のいずれかの委員会において、安倍の秘書官の一人が十数メートル先に座る佐川に歩み寄り、「もっと強気で行け。PMより」と書かれた1枚のメモを手渡した[37][注 2]。2月24日、佐川は衆議院予算委員会で「森友学園との交渉や面会の記録は速やかに廃棄した」と答弁した[21]。同日午後、内閣官房長官長官記者会見で、記者は佐川の廃棄発言について菅に質問した。菅は「面会等の記録についてはその保存期間は1年未満とされている」と示したうえで、「契約書を含む国有財産の取得および処分に関する決裁文書については30年間の保存期間が定められており、そこにほとんどの部分が書かれてある」から問題はないと説明した[38]。
同年2月26日、財務省は、国有地売却の決裁文書から安倍昭恵、鴻池祥肇の秘書、平沼赳夫の秘書、北川イッセイの副大臣秘書官らに関する記述を「できる限り早急に」削除するよう、近畿財務局の職員7人にメールで指示[注 3]。近畿財務局は同日から文書の改竄を開始した[39][42]。安倍首相と籠池の関係を指し示す記述も改竄が行われ、「籠池康博氏は、『日本会議大阪代表・運営委員』を始めとする諸団体に関与」「日本会議と連携する組織として、超党派による『日本会議国会議員懇談会』が平成9年5月に設立され、現在、会長に平沼赳夫議員、副会長に安倍晋三総理らが就任」などの文言が削除された[43][44][45]。
同年3月20日、財務省国有財産審理室は、近畿財務局職員に「局長からの指示により、調書につきまして、現在までの国会答弁を踏まえた上で、作成するよう直接指示がありました」と記されたメールを送信した[40][41]。当該メールは、元近畿財務局職員の赤木俊夫が改竄の経緯をまとめた文書(通称「赤木ファイル」)に保存されており、佐川の関与は、そののちファイルが公開されたことで明確なものになった[46]。
同年4月3日、衆議院決算行政監視委員会で、「行政文書は紙もパソコン上のデータも同様に取り扱いにしている。データは短期間で自動的に消去され、復元できないようなシステムになっている」と答弁した[47][48]。4月7日、部下の中尾睦理財局次長は衆議院内閣委員会で「自動消去という機能は基本的にない。データを削除した場合は14日間は復元可能だが、それを超えると復元できない。通常の職員はそういうことはできない仕組みになっている」と述べ、佐川の答弁を事実上訂正した。4月10日、財務省情報管理室の担当者は朝日新聞の取材に応じ、「復元は難しいが、できないとは断言できない」と復元の可能性を認めた[48]。しかし佐川は4月12日の衆議院財務金融委員会で「電子データも文書管理規則にのっとり、紙と同様に削除している。その後、一定期間が経過すれば、自動的に削除される」「専門家においてもデータの復元ができないと聞いている」と主張し続けた。また、「財務省全体として大量のデータを日々追加、更新しており、サーバーの容量にほとんど余裕がない中で、(削除されたデータは)日々置き換わっている状況だ」と述べた[48]。
同年5月15日、市民団体「健全な法治国家のために声をあげる市民の会」(代表:八木啓代)は、財務省が森友学園との交渉記録を廃棄したとして、佐川、迫田英典、田中一穂、中尾睦、武内良樹、田村嘉啓、池田靖ら7人に対する公用文書等毀棄容疑での告発状を東京地方検察庁に提出した[49][50][51](東京地検はのちに被疑事件を大阪地方検察庁特別捜査部に移送した[52])。
同年7月4日、財務省は、佐川を7月5日付で国税庁長官とする人事を発表した[3]。自由党の森裕子は「あからさまな論功行賞の人事だ。首相を守るため、『ありえない』答弁を平然と繰り返して栄転された」と反発。与党の閣僚経験者も「事実に背を向けてでも、官邸の意向に従っていれば出世できるというあしき前例になる」と述べ、起用した政府の姿勢を疑問視した。これらの声に対し麻生財務相と菅義偉官房長官は「適材適所」と口をそろえた[3][53]。
大阪地検特捜部は豊中市議会議員の木村真らが3月に行った刑事告発[54][55]を一旦は受理したものの、背任容疑の捜査に手間取っていた。そこで近畿財務局のコンピュータから押収したデータをもとに、先に公文書の変造容疑を固めることにした。同年夏から秋にかけてDF(デジタルフォレンジック)センター準備室がデータの復元および解析を行い、決済文書改ざんの痕跡を突き止めた[56]。
財務省を退官[編集]
2018年3月2日、朝日新聞が一面トップで、国有地取引をめぐる決裁文書が書き換えられている疑いを初めて報じた[4]。同年3月7日、赤木俊夫が神戸市内の自宅で自殺した[57]。翌8日、近畿財務局管財部長の楠敏志が赤木の家を弔問した[58]。
同年3月9日、佐川は麻生太郎財務大臣に、国税庁長官の職を辞し、退職したい旨を申し出た[5]。政府は持ち回り閣議で佐川の辞任を認める人事を決定した[59]。赤木の死について記者から問われると、佐川は「今日のニュースで知った」と答えた[58]。
同日夜、麻生は記者会見し、「国有財産行政に対する信頼を損なったことを踏まえ、減給20%3ヶ月分の懲戒処分を実施する」と述べ、同時に処分を科したことを明らかにした[60][22]。辞任を申し出た理由は「(1)理財局長当時の国会対応が丁寧さを欠いており、混乱をもたらした。(2)行政文書の管理について指摘を受けた。(3)書き換え疑惑のある決裁文書について、担当局長であった」の三点とされた[61]。矢野康治財務省大臣官房長の財務金融委答弁によると、額にすると約66万円の減給となり、退職金4999万円から差し引かれた[62]。
同年3月12日、財務省は「14件の決裁文書を書き換えた」ことを認め[63]、「決裁文書の書き換えの状況」と題する書き換え前と書き換え後の対照表を公表した[64]。3月13日付の読売新聞夕刊は、自殺した職員(赤木)の遺書に「本省の指示で文書を書き換えさせられた」との記述があると報じた[65]。
同年3月27日、佐川は衆参両院の予算委員会で証人喚問を受けた[66][67]。文書改ざんの指示などに関する質問に対して「刑事訴追の恐れがある」との理由により証言を拒否した答弁は40回以上に及んだ[68]。ただし、自民党の丸川珠代から「安倍総理からの指示はありませんでしたね」「安倍総理夫人からの指示もありませんでしたね」と聞かれると、それぞれ「ございませんでした」と明確に答えた。丸川は「官邸の官房長官、官房副長官、総理秘書官、安倍総理の秘書官、麻生財務大臣、麻生財務大臣の秘書官、財務省の事務次官、官房長などの大臣官房、他の局の幹部」からの指示はあったかと繰り返し尋ね、佐川はそのたびに立ち上がり「ございませんでした」と答えた[69][68][70][71]。
同年5月31日、大阪地検特捜部は、佐川ら財務省幹部38人全員を不起訴処分とした[72][73]。同年6月4日、財務省は「森友学園案件に係る決裁文書の改ざん等に関する調査報告書」を公表するとともに[74]、退職者2人を含む幹部ら20人の処分を発表した。佐川は停職3ヶ月の懲戒処分を受けた[75]。
2019年3月15日、大阪第一検察審査会は、不起訴処分とした38人のうち、有印公文書変造・同行使容疑などで佐川ら6人、背任容疑などで管財部次長の小西眞ら4人について「不起訴不当」と議決した[注 4]。しかし同年8月9日、大阪地検特捜部は佐川ら10人を再び不起訴処分とした[79]。
赤木雅子による提訴[編集]
2020年3月18日発売の『週刊文春』3月26日号が、総計15ページにわたる森友学園問題の特集記事を組み、赤木が死の直前に書いた手記全文を掲載した[80][81][82]。手記には「元は、すべて、佐川理財局長の指示です」「佐川理財局長の指示を受けた、財務本省理財局幹部、杉田補佐が過剰に修正箇所を決め、杉田氏の修正した文書を近畿局で差し替えしました」と記されていた[83][84]。
同年3月18日、赤木の妻の赤木雅子は、国に約1億700万円、佐川に約550万円の損害賠償を求め、大阪地裁に訴えを提起した[85]。雅子の弁護団は同日、手記全文を公表した[83][86]。
2021年12月15日、国は、自殺と森友学園問題に関する決裁文書改竄作業との因果関係を認め「請求認諾」を行ない、訴訟を終結させた[87]。
2022年2月9日、大阪地裁で口頭弁論が開かれ、赤木雅子は、佐川側が賠償請求を認めて「認諾」をすることを避け、尋問などで改ざんの経緯を明らかにするため、賠償請求額を550万円から1650万円に増やした[88]。
同年9月16日、赤木雅子、川内博史、辻恵らは、情報開示請求に「不存在」と虚偽の理由で不開示決定をされたとして、佐川、元理財局総務課長の中村稔、元同局国有財産審理室長の田村嘉啓の3人に対する虚偽有印公文書作成・同行使容疑の告発状を東京地検特捜部に提出した[89][90][91][92]。
同年11月25日、大阪地裁は、佐川に対する1650万円の損害賠償を求める裁判で、「公務員の個人責任を認める法的根拠は見いだしがたい」として請求を棄却した。佐川は裁判中は公の場所へはいっさい出ず、当該裁判においては代理弁護士まで出廷しなかった[93][94]。同年12月2日、赤木雅子は控訴した[95]。
同年12月27日、東京地検特捜部は、虚偽有印公文書作成・同行使容疑の刑事告発についていずれも嫌疑不十分で不起訴とした[96]。
2023年5月1日、佐川に損害賠償を求めた訴訟の控訴審で、赤木雅子は、一審で認められなかった佐川への本人尋問を実施するよう大阪高裁に申請した。またそのほかに、中村稔、田村嘉啓、近畿財務局の赤木俊夫の上司ら計4人の証人尋問も求めた[97][98]。同年9月13日に控訴審第1回口頭弁論が大阪高裁で行われ、黒野功久裁判長は「尋問を実施する必要がない」として佐川の尋問を認めず、結審した[99]。同年12月19日、大阪高裁は1審判決を支持し、赤木雅子の控訴を棄却した。判決理由で黒野裁判長は、赤木雅子が佐川に経緯の説明や謝罪を求めていることについて、「誠意を尽くした説明や謝罪があってしかるべきとも考えられるが、法的義務を課すことは困難」と言及した[100]。27日、赤木雅子側は判決を不服として上告した[101]。
佐川宣寿 - Wikipedia
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IT Report 海賊版サイトブロッキング、被害額の推定根拠に疑義あり
政府が2018年4月13日に決定したサイトブロッキングの容認を軸とする著作権侵害サイトへの緊急対策案について、一般社団法人コンテンツ海外流通促進機構(CODA)が官邸に報告した海賊版サイトの利用者数や被害額の推計には、明らかにおかしい数字や根拠不明の数字がある。
関連記事:
著作権侵害サイトのアクセス遮断を政府容認、「緊急避難」適用
政府の知的財産戦略本部会合・犯罪対策閣僚会議で示された「インターネット上の海賊版サイトに対する緊急対策」(案)は、サイトブロッキングを正当化する根拠として「月間で数千万人~1億人を超える訪問者が存在し、そのほとんどが日本からのアクセスとなっているような特に悪質な海賊版サイトであれば、被害額は、総額数百億円~数千億円に上ると推計され」ることを挙げた。その数字の出所が、以下のCODAによる推計である。
出所:知的財産戦略本部会合・犯罪対策閣僚会議「インターネット上の海賊版サイトに対する緊急対策」(案)(https://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/180413/siryou2.pdf)p.4[画像のクリックで拡大表示]
まず、明らかにおかしいのが海賊版サイトの訪問者数だ。漫画村へのアクセスの大半が日本からなのに、訪問者数が約1億6000万人と日本の人口を超えている。
海賊版サイトの多くはアクセス数やダウンロード数を公表しておらず、CODAは推計にあたって外部のトラフィック統計サイトを利用したと考えられる。CODAによる推計はイスラエルのシミラーウェブ(SimilarWeb)が提供する数字とほぼ一致した。
CODAの推計とSimilarWebの数値の比較 SimilarWeb visitsは2月、日本人比率は最新の数字。visits per visitorは米アレクサ(Alexa)の提供する米国に於ける推計。Visits per visitorの数字がないAnitubeはMiomioを参考に保守的に推計した。 漫画村AnitubeMiomio
CODA推計 利用者数約1.6億人約4600万人1200万人
SimilarWeb Visits1.64億 visits4660万 visits1200万 visits
CODA推計 日本人比96%99%80%
SimilarWeb 日本人比95.86%98.68%79.17%
visits per visitor (Alexa)10.69数値なし7.44
補正後の国内利用者数約1500万人約600万人約128万人
SimilarWebは英語版、フランス語版、日本語版のWebサイトで、訪問数や国別比率、流入元などの統計データを提供している。該当する数値は日本語で「合計訪問者数」と表示される。しかしながら英語版では「Visits」と表示されており、日本語化の際に「訪問件数」と訳すべきところ、同社が誤って「合計訪問者数」と翻訳したものと考えられる。
SimilarWebは訪問者あたりの月間訪問件数を推計していないが、米アマゾン・ドット・コム(Amazon.com)傘下のAlexaが提供するデータによると、漫画村の利用者は1人あたり月間10.69回サイトを訪問している。この数字でSimilarWebの提供する訪問数を割り戻すと、国内での漫画村の利用者は約1500万人と推定される。仮にCODAがSimilarWebの提供する数値を元に被害を推計していた場合、大幅に「水増し」された数字が官邸に報告されたことになる。
件数と人数を取り違えた過大な報告は、SimilarWeb社による誤訳が直接の原因と考えられる。ただ、ヤフーや米グーグル(Google)の利用者数どころか日本の総人口を上回る訪問者数を報告されたにも関わらず、権利者団体の数値を鵜呑みにして、精査せず重要な政策決定の参考とした政府も、検討がずさんかつ拙速だったのではないか。
被害額3000億円は本当か
「インターネット上の海賊版サイトに対する緊急対策」(案)で検討の前提となっている事実関係は、この他にも専門家が精査したか疑わしい記載が散見される。例えば、CODAは漫画村による被害額を約3000億円と試算しているが、国内のコミック市場規模は紙と電子を合わせて年間4000億円台で推移している中で、それほど死活的な被害があったかは疑わしい。
メディアドゥホールディングスが4月13日にいくつかの電子書店における売り上げの推移を公表したが、売り上げの伸びが鈍化している程度で、4000億円台の市場に対して3000億円の被害が生じるといった壊滅的な影響があったとまでは言えない。
加えて政府の緊急対策案では、ブロッキング対象ドメインの選定基準について「他の実効的な代替手段の不存在(1.当該ドメインに含まれるサイトが、著作権者等の権利行使や削除要請に真摯に対応しない、2. 侵害者又は運営者が特定できず、権利行使や削除要請が困難である、3. 刑事訴追で起訴されてもサイトを閉鎖しない等、諸般の事情を総合的に考慮した上で当該ドメインをブロッキングの対象とすることがやむを得ないと認められる場合)」としているが、裁判所の仮処分や判決を無視するならばともかく、起訴された段階でサイトを閉鎖しないからといって代替手段がないといえるのだろうか。また名指しされた3サイトが要件を満たしているかどうかも確認できない。
3サイトのうち少なくとも漫画村とAnitubeは、CDN事業者の米クラウドフレア(Cloudflare)が日本国内にある米エクイニクス(Equinix)のデータセンター内の機材から配信しており、米デジタルミレニアム著作権法(DMCA)に基づいて開示請求や差止請求を行うことができた。Cloudflareは2018年2月、米裁判所の判決を受けて海賊版論文サイト「Sci-Hub」の配信を止めた事例がある。
国内では2011年に民事訴訟法が改正され、外国法人であっても日本で事業を行っていると認められれば、日本国内で外国法人相手に裁判を起こすことが可能となった。2013年2月には、この制度を用いて米国法人であるFC2に対して利用者の発信者情報を開示するように命じる仮処分決定が下されている。今回の緊急対策案には、名指しされた3サイトを閉鎖するために一通りの法的手段を試したのか、それらがなぜ機能しなかったのかについて十分に記載されていない。
ブロッキングの是非について、政府の知的財産戦略本部は2年以上も議論を続けてきたというが、なぜここまでずさんな前提に基づいて拙速な決定が行われてしまったのだろうか。会議体に権利者ばかりを選任し、対策によって影響を受ける事業者や消費者、法律や技術に詳しい専門家を排除したために、ずさんな報告に対して何らチェックが入らなかったのではないか。
今回明らかになったサイト利用者数の「水増し」に限らず、今回の緊急対策が事実に基づいて決定されたのか、多様な立場の専門家を入れて早急に再確認する必要がある。そして海賊版サイトを閉鎖させるために、実効性の乏しいブロッキングに絞らず、あり得る対策を事前に調査して、使える手法について幅広く共有して権利行使をしやすくすると同時に、時代の変化に追いつかず、使い勝手の悪い制度があれば、早急に改善する必要があるだろう。
楠 正憲(くすのき まさのり)
国際大学GLOCOM 客員研究員
インターネット総合研究所、マイクロソフト、ヤフーを経て2017年にJapan Digital Design入社。2011 年から内閣官房 社会保障改革担当室 番号制度推進管理補佐官、2012年から政府CIO補佐官に任用され、マイナンバー制度を支える情報システムの構築や、政府のIT戦略の推進に携わる。2015年から福岡市政策アドバイザー(ICT)、一般社団法人OpenIDファウンデーション ・ ジャパン代表理事。2016年から、ISO/TC307 ブロックチェーンと分散台帳技術に係る専門委員会 国内委員会 委員長。
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宝満宮竈門神社。別表神社。縁結びの神様。千三百五十年大祭(2013)。1360年の歴史。
太宰府天満宮の鬼門(北東)に位置する霊峰宝満山のふもとに鎮座するお宮で、神武天皇のご生母である玉依姫命(たまよりひめのみこと)をお祀りされています。
鬼滅の刃(2019年アニメ 主人公が竈門丹次郎)人気で行く人が増えた。鬼滅の刃のイラストを書いた絵馬がたくさんあった。
末社須佐神社。スサノオ。
末社夢想権之助神社。江戸時代の剣客。杖道の祖。宮本武蔵に敗れた。
神社
別表神社。(昭和23年成立。社格制度廃止後、伊勢神宮以外は、全ての神社は対等の立場であるとされた)。第二次世界大戦後、神職の人事のみに関わる区別。規模が大きい神社。現在353社。
近代社格制度。明治維新以降。第二次世界大戦後廃止。
官幣大社(65)>国幣大社(6)>官幣中社(23)>国幣中社(50)>官幣小社(10)>国幣小社(37)>別格官幣社(33)(国家に功績を挙げた忠臣や、国家のために亡くなった武将・志士・兵士などを祭神。楠木正成)。北野天満宮と太宰府天満宮は天神信仰による雷神扱いで官幣中社。
官幣=神祇官(じんぎかん 朝廷)から、国幣=国司(地方)から。
大社。大社(おおやしろ)=出雲大社。明治以降、官幣大社+国幣大社→大社。
中世社格制度。
神宮。33社。日本書記では3社(伊勢、石神、出雲)。鹿島、香取(平安時代)。
勅祭社。(ちょくさいしゃ)。16社。二十二社3、一宮6、別表14。
二十二社(1081年。上七社、中七社、下八社。勅祭4、別表神社19。伊勢神宮、奈良と京都。滋賀の日吉神社、大阪の住吉大社、兵庫の廣田神社)。
名神大社。730年。古代社格。中世以降は明神。全て式内社。
一宮神社。120社。国で一番有力な神社。国司が一番初めに参拝。平安時代後期。
総社。国司がまとめて1つの場所に神拝した神社。不明な場合もあり。
古代社格制度。
式内社。(しきないしゃ)。延喜式神名帳。927年。全国の神社一覧。
上古社格制度。
天津神(アマツカミ。ヤマト王権の皇族や有力な氏族が信仰していた神 アマテラス)。
国津神(クニツカミ。ヤマト王権に平定された地域の信仰。スサノオ、オオクニヌシ)。
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「地球意識革命・未熟者の道の啓き方~人生のメタノイア(視座転換)についての基礎編」第17回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ/講演者:藤井啓人氏 〔2023年1月13日(金)20時~〕
「地球意識革命・未熟者の道の啓き方~人生のメタノイア(視座転換)についての基礎編」第17回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ/講演者:藤井啓人氏 〔2023年1月13日(金)20時~〕チケット:
https://scic230113.peatix.com/view
https://www.facebook.com/events/1961600944047969
■日時:2023年1月13日(金)20時~22時(オンライン開催)
■講演概要:不肖藤井啓人が、その目で見て体験してきた人生のメタノイア(視座転換)の生エピソードを真摯に語ります。表向きの例としては、親の反対を押し切り、18歳で上京し、新聞配達でボロボロになりながらの浪人時代につかんだ視座転換。12年でリクルート社をノリで卒業し新天地での大失敗から得た視座転換。あこがれの米国企業での修業で辛酸を嘗めて得た視座転換。西アフリカ・ナイジェリア巡業で騙され死にかけた時に得た視座転換。アメリカ2000kmの旅の衝撃体験から得た視座転換等々、これらの他、本邦初公開の裏の話などをしながら、人生の根底に流れる思想や信条を赤裸々に語ります。未熟者が故に、生き恥を曝すべく、僭越ながら皆さんの人生の視座転換(メタノイア)の一助となれば幸いです。
■講師:藤井啓人(ふじいひろと)氏 プロフィール:
カングロ株式会社 代表取締役
●未熟者。時々、幸せを呼ぶそよ風チャリダー
■Zoomオンライン:URLは、Peatix経由によるチケット購入者に自動送信されます
■タイムスケジュール:基調講演(約90分 Q&A含)後に、講師を囲み、対話を行います。
■オープン・ダイアログ参加対象:
※どなたもご参加���けます
・SCIC正会員
・SCBC修了生&SCBC受講生 ※SCIC未会員
・一般参加(社会人) ※SCIC非会員
・特別ご優待枠
・学生(中学~大学院生)
■参加料:
一般参加者(社会人)※SCIC非会員\5,000
SCBC修了生&受講生 ※SCIC非会員\3,000
SCIC正会員 無料
特別ご優待枠 \3,000
学生(中学~大学院生)\1,000
■SCICとは:
SCIC(Shock Coherent Innovation Club)は、ショック・コヒーレント基礎講座(SCBC)修了生をベースとした会員制クラブです(ご入会頂くためには、SCBCを受講し修了証明が必要となります)。
https://scic2023.peatix.com/view
●目的:SCBC修了生同士の交流と創発の加速。私たち自身が動き、世界に奇跡を起こす
●概要:
①月例会の開催
②会員同士のコラボ醸成
③SCC訪問視察ツアーの企画
④会員の生業のサポート
⑤その他創発事 ※いずれも参加できる時に参加
⑥基礎講座の復習フォロー(基礎講座への復習参加は原則全回無料)
⑦その他、新企画(随時、投入予定)↓
https://scbc2023r.peatix.com/view
●SCICに関する問合せ:
[email protected]
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■『Shock Coherent(ショック・コヒーレント)』とは:
現代社会は今、破壊的な人間活動によって、エントロピー(無秩序・乱雑さの度合い)を加速度的に増大させています。故に、地球環境の悪化による気候変動や自然災害、絶え間ない疫病の発生、人心荒廃による貧富の格差拡大、資源収奪、世界各地で紛争や戦争が頻発化し、世界の指導者たちが核兵器の使用をほのめかす事態となり、もはや地球生命全体の未曾有の危機に陥っています。これを人々は、VUCAワールドと呼び、行先不透明な生き難い時代の合言葉となってしまっています。
このような時代において、「私は、これからどう生きれば良いのか?」と、多くの人々が、自問自答を繰り返し、五里霧中の状態に陥っています。このままでは、時代に翻弄され、本来あるべき使命を全うすることなく人生を終えてしまうことになるやも知れません。そうならないために、私たちに何が出来るのか。当講座は、そうした社会の強い要請により、30年に及ぶ研究の集大成により創発的に完成した稀有なプログラムです。
当講座では、様々な立場の仲間と共に、自分自身の「存在意義(パーパス)」を見つける5ヵ月間の不思議な旅に出て頂くこととなります。即ち、この「存在意義(パーパス)」が、自己変革への道標となるのです。そして、感性を刺激し、心を揺さぶる独自のアプローチフレームを活用し、固定観念の融解を起こし、事例や課題から自己変革へのヒントを得、仲間やファシリテイタとの多くの対話や繋がりから閃きをもらい、自身でも予期せぬ“創発”を起こしていきます。
このワークショップは、個人が真の意識変革を興すことを目的として、カングロ株式会社によって開発されたプログラムです。私たちは、この講座を多くの方々にお届けすることを使命とし、日々事業を営んでおります。そのことを通じて、真の道を啓く方が増え、社会そのものの変革を成し遂げられたら本望であります。ぜひ、講座で会いましょう。
(プログラム開発者:藤井啓人)
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2023年2月14日~2023年6月20日全10回講座
チケット: https://scbc06.peatix.com/view
■第1~5期「ショック・コヒーレント基礎講座」全アーカイブ・オンデマンド映像集(有料コンテンツ) https://vimeo.com/ondemand/shockcoherent
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★特別提供映像:
【ダイジェスト版動画⑯】「なぜビジネスにアート思考が必要なのか?世界の見方を変えるアート思考」第16回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープンダイアログ20221209【ダイジェスト版】
https://youtu.be/vFnykrdzwt4
【ダイジェスト版動画⑮】「VUCAワールドに効く個人と組織の視点の再構築~自己や地者、そして世界への認識の見直し」第15回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ/講演者:楠徳生氏 (2022年11月11日)
https://youtu.be/-wIwXLX4ZUQ
【ダイジェスト版動画⑭】「破壊と創造~壊れると、新しく生まれる/コロナ禍で悪者だった飲食店はどう変化していくのか」第14回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープンダイアログ/講演者:福本浩幸氏(2022年10月7日)
https://youtu.be/ygxXywmvQ1w
【ダイジェスト版動画⑬】大企業病への挑戦 第2章~認知科学の実践における人間性と抽象度の壁/自分を変え、常識を変え、世界を変えていく/第13回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ/講演者:内藤礼志氏 〔2022年9月9日)
https://youtu.be/qBNlFTor9hw
【ダイジェスト版動画⑫】新しい『構造』がうつ病から復活させ組織も前進させる~うつ病経験者が語る、ストレスとつき合い未来をつくる方法/第12回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープンダイアログ/講演者:堀北祐司氏(2022年8月5日)
https://youtu.be/HudMdpphjEI
【ダイジェスト版動画⑪】The 事業承継~当社流、バトンの受け方、渡し方/第11回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ/講演者:大島右京氏/2022年7月8日【ダイジェスト版】
https://youtu.be/dWnOtXQAmqw
【ダイジェスト版動画⑩】心理的安全性のリーダーシップを身に付ける方法~組織パフォーマンス最大化の処方箋/第10回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ/講演者:倉持茂通氏(2022年6月8日)https://youtu.be/DuUvRzcqJD0
【ダイジェスト版動画⑨】100年企業研究から見えてきた、コロナ禍だからこそ変えなければならないこと、変えてはいけないこと/第9回Shock Coherent Innovation Clubオープンダイアログ/講演者:小山貴子氏(2022年5月13日)
https://youtu.be/0juftCrZ1mQ
【ダイジェスト版動画⑧】人事制度のミライを探求する~ノーレイティングを超え給与を自己申告する人事制度への挑戦/第8回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープンダイアログ/講演者:福留幸輔氏(2022年4月15日)
https://youtu.be/XEm-OdMYwMY
【ダイジェスト版動画⑦】「パーパスと共に生きる時代/パーパスとはいったい何なのか?宇宙の営みから壮大なタペストリーを読み解く」第7回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ/講演者:森夕花氏(2022年3月11日)
https://youtu.be/vNaK4qH94fA
【ダイジェスト版動画⑥】「部署なし管理無し評価無し、VUCA時代に挑む選択できる組織作りへの挑戦」第6回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ/金光広樹氏(2022年2月18日)
https://youtu.be/33DyPirlM7c
【ダイジェスト版動画⑤】「新規事業における企業の在り方」第5回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ/長島壮洋氏(2022年1月13日)
https://youtu.be/eM3sRZDo0Ng
【ダイジェスト版動画④】「ティール組織の作り方“レシピ”」第4回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ/嶋田崇孝氏(2021年12月10日)
https://youtu.be/JDp0srEGxGE
【ダイジェスト版動画③】「こころの病との上手な付き合い方~仕組みがわかれば予防ができる」第3回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ/中田健士氏(2021年11月5日)
https://youtu.be/_OW88883t7o
【ダイジェスト版動画②】「混ざると、新しい事業価値が生まれる。」第2回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ/星野良太氏(2021年10月8日)
https://youtu.be/fZJWaFmhAD4
【ダイジェスト版動画①】「大企業病への挑戦~認知科学の理論と実践」第1回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ/内藤礼志氏(2021年9月3日)
https://youtu.be/aV8ux6Ha-9M
■「Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ」アーカイブ・全オンデマンド映像集(有料コンテンツ) https://vimeo.com/ondemand/scic
■主催:カングロ株式会社
https://www.kanglo.co.jp
協力:サステナ塾/SDGs超実践者委員会/イノベーションサロンZ/システムD研究会/フィロアーツ研究会
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映画「自転車で地球を6周して分かったこと」上映会打ち上げライブ配信 今日20時から生配信 https://youtu.be/y-nM8QsupqY 8月11日に日野市のリテラさんで原早苗さんが映画 の上映会を開催しました。 15名の方に参加していただき、監督おぐすも上映後お話しをさせていただき、感想もいただきました。 映画について、上映会主催について、これからの活動についてお話をうかがっていきます。 【これからの上映会】 8/19,20,21 萩Ibasho映画祭 https://hagi-twincinema.org/news/20210701-2234/ 【SHONAN小楠まつりが開催されることになりました】 会場でお会いしましょう 8/27公開収録会 鎌倉市 10:00〜 2度トップ当選の長嶋議員が話す「知名度やお金がなくても志のある人を議会に送り込む方法」公開収録会 https://fb.me/e/28FUGsNSS 8/27 14:00〜上映会 藤沢市 みんなのSea-Side 飯野夫妻主催 https://fb.me/e/1ymysOIsa 8/28 11:00〜 試写会 藤沢市 シネマaloha 小田原身知さん主催 https://fb.me/e/1CMcTObkg 9/1~4 第1回ALL WIN映画祭浜松 NPOジコサポ日本主催 https://www.allwinmedia.net/about-4-1 #自転車で地球を6周して分かったこと #仮面ファイター #松本英揮 #小楠健志監督 https://www.instagram.com/p/ChUOqFBrcOG/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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松野博一官房長官が8月30日の記者会見で、関東大震災の直後に起きた朝鮮人虐殺について「政府として調査した限り、政府内において事実関係を把握することのできる記録が見当たらない」と発言した。だが、これは誤りだ。内閣府が事務局を務める中央防災会議に設置された「災害教訓の継承に関する専門調査会」が、2009年に取りまとめた関東大震災に関する報告書の中に、朝鮮人虐殺に関する記載が存在する。Advertisement
また防衛省は、関東大震災直後に当時の内務省警保局長が全国に送付した電信文を保管していることを、6月の参議院法務委員会で認める答弁をしている。この電信文は、朝鮮人による放火などの流言を事実とみなし、取り締まりを指示する内容だった。松野氏の発言について、ハフポスト日本版はファクトチェックした。記者会見での発言は?まず、松野氏の発言を振り返る。8月30日の記者会見で、9月1日に100年を迎えた関東大震災の記録に関して、共同通信の記者が質問した。「当時被災地ではデマが広がり、多くの朝鮮人が軍、警察、自警団によって虐殺されたと伝えられています。政府として朝鮮人虐殺をどう受け止め、何を反省点としているのか、併せて現在の日本社会における在日コリアンを含むマイノリティに対するヘイトスピーチやヘイトクライムをどう捉えているのかお尋ねします」と問うた。これに対して、松野氏は「政府として調査した限り、政府内において事実関係を把握することのできる記録が見当たらないところであります」と述べ、受け止めや反省点について回答しなかった。Advertisement
後半のヘイトスピーチやヘイトクライムに関する質問に対し、松野氏は「特定の民族や国籍の人々を排斥する趣旨の不当な差別的言動、ましてそのような動機で行われる暴力や犯罪はいかなる社会においても許されないと考えています」との見解を示した。続く質問で、この記者は「朝鮮人虐殺の事実そのものを否定する言説が出回っている」ことを踏まえ、政府が事実関係の調査や実態を明らかにする考えはあるかと尋ねた。松野氏は「先ほども申し上げましたとおり、政府として調査した限り、政府内において事実関係を把握することのできる記録が見当たらないところであります」と、同じ見解を繰り返した。「殺傷事件の中心は朝鮮人への迫害」専門調査会の報告書会見での記者の質問の趣旨は、「政府として朝鮮人虐殺をどう受け止め、何を反省点としているのか」ということだ。これを踏まえると、松野氏の発言は「朝鮮人虐殺の事実関係を把握できる記録が政府内に見当たらない」という意味になるが、それは誤りだ。少なくとも、内閣府が事務局を務め��中央防災会議に設置された「災害教訓の継承に関する専門調査会」は、2009年3月に取りまとめた関東大震災に関する報告書(1923 関東大震災 第2編)の中で、震災直後の殺傷事件で中心をなしたのは朝鮮人への迫害であり、流言がそのきっかけになった、と明記している。Advertisement
<関東大震災時には横浜などで略奪事件が生じたほか、朝鮮人が武装蜂起し、あるいは放火するといった流言を背景に、住民の自警団や軍隊、警察の一部による殺傷事件が生じた。(中略)(9月)3日までは軍隊や警察も流言に巻き込まれ、また増幅した>(概要・第4章)<既に見てきたように、関東大震災時には、官憲、被災者や周辺住民による殺傷行為が多数発生した。武器を持った多数者が非武装の少数者に暴行を加えたあげくに殺害するという虐殺という表現が妥当する例が多かった。殺傷の対象となったのは、朝鮮人が最も多かったが、中国人、内地人も少なからず被害にあった。加害者の形態は官憲によるものから官憲が保護している被害者を官憲の抵抗を排除して民間人が殺害したものまで多様である>(第4章2節)<自然災害がこれほどの規模で人為的な殺傷行為を誘発した例は日本の災害史上、他に確認できず、大規模災害時に発生した最悪の事態として、今後の防災活動においても念頭に置く必要がある>(同)報告書の206ページには、「官庁記録による殺傷事件被害死者数」の表も掲載されている。当時の司法省の報告書に掲載された起訴事件の被害者数は、朝鮮人233人、日本人58人、中国人は3人。「警察・民間人共同」の加害者による朝鮮人の犠牲者数は約215人と記されている。(このうち約200人は中国人だったとの説もあるとの注釈もある)「官庁記録による殺傷事件被害死者数」災害教訓の継承に関する専門調査会報告書よりAdvertisement
さらに報告書は、警視庁編『大正大震火災誌』を出典とし、当時確認された流言の事例を列挙している。同誌「第5章 治安保持」には、流言の拡散を背景に「(民衆が)朝鮮人に対して猛烈な迫害を加え、勢いが過激になり、ついに殺傷した」ことが記録されている。「朝鮮人が井戸に毒薬を投入した」、「朝鮮人が放火や略奪をし、婦女に暴行した」など、警察が覚知した流言も記載されている。内閣府の防災情報のホームページによると、「災害教訓の継承に関する専門調査会」は、過去の大災害について、被災状況や政府の対応などの情報を収集し、被災経験の継承や防災意識の向上などを目的に2003年、内閣府を事務局とする中央防災会議で設置が決まった。中央防災会議は、内閣総理大臣をはじめとする全閣僚や公共機関の代表、学識経験者で構成する。内務省の電信文、防衛省が保管関東大震災直後の朝鮮人虐殺に関する公文書の存在を、防衛省も認めている。2023年6月の参議院法務委員会では、社民党の福島瑞穂議員が、関東大震災の後に当時の内務省警保局長から全国の地方長官宛てに送付された電信文(1923年9月3日付)を示した上で、防衛省が保管しているか否かを問うた。電信文は、朝鮮人による放火や爆弾所持といった流言を内務省が事実とみなし、取り締まりを全国に求める内容だった。防衛省の安藤敦史・防衛政策局次長は福島議員の質問に対し、この文書を��省の防衛研究所戦史研究センターで保管していることを認めた。Advertisement
一方で、この電信文が流言の拡散や民衆による朝鮮人虐殺につながったのではとの福島議員の指摘に対し、警察庁の楠芳伸・官房長は「警察庁におきまして調査した限りでは、ご指摘のような事実関係を確認することのできる記録が見当たらない状況」だとして、回答を拒んだ。このように、少なくとも一般に公開されている内閣府の調査会の報告書にも、大震災後の殺傷事件では「虐殺という表現が妥当する例」が多く、朝鮮人の犠牲者が最も多かったことが記されている。さらに、関東大震災後の朝鮮人虐殺に関する公文書は存在し、政府も保管していることを認めている。よって、「政府内において事実関係を把握することのできる記録が見当たらない」とする松野氏の記者会見での発言は誤りだ。
朝鮮人虐殺「事実関係を把握できる記録ない」と松野官房長官が発言→誤り。防衛省も「文書保管」を認める国会答弁 | ハフポスト NEWS
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【朗報】虹ヶ咲生放送についに楠木ともり参戦!!!!!【ラブライブ!】
【朗報】虹ヶ咲生放送についに楠木ともり参戦!!!!!【ラブライブ!】
1: 名無しさん@トレンドロケット 2022/06/29(水) 20:27:01.64 ID:jaRM/9EI
🌈#虹ヶ咲 学園生放送🌈TVアニメ振り返りまSHOW!!
出演者のお知らせ📢
日時:7/2(土)20:00~21:30予定出演:矢野 大西 相良 前田 村上 鬼頭 楠木 田中 内田 法元※前田、楠木は番組後半から出演予定動画コメント出演:久保田 指出 小泉
詳細はこちら👀✨→https://t.co/9M1y095ORf#lovelive pic.twitter.com/ooxRPcaxdG
— ラブライブ!シリーズ公式 (@LoveLive_staff) June 29, 2022
2: 名無しさん@トレンドロケット 2022/06/29(水) 20:27:27.24…
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式部稲荷大神&旭丸大神。御祭神の「宇迦御霊神(ウカノミタマノカミ)」。3月に式部稲荷初午祭がある。
宝満宮竈門神社。別表神社。太宰府天満宮の鬼門(北東)に位置する霊峰宝満山のふもとに鎮座するお宮で、神武天皇のご生母である玉依姫命(たまよりひめのみこと)をお祀りされています。
鬼滅の刃(2019年アニメ 主人公が竈門丹次郎)人気で行く人が増えた。
神社
別表神社。(昭和23年成立。社格制度廃止後、伊勢神宮以外は、全ての神社は対等の立場であるとされた)。第二次世界大戦後、神職の人事のみに関わる区別。規模が大きい神社。現在353社。
近代社格制度。明治維新以降。第二次世界大戦後廃止。
官幣大社(65)>国幣大社(6)>官幣中社(23)>国幣中社(50)>官幣小社(10)>国幣小社(37)>別格官幣社(33)(国家に功績を挙げた忠臣や、国家のために亡くなった武将・志士・兵士などを祭神。楠木正成)。北野天満宮と太宰府天満宮は天神信仰による雷神扱いで官幣中社。
官幣=神祇官(じんぎかん 朝廷)から、国幣=国司(地方)から。
大社。大社(おおやしろ)=出雲大社。明治以降、官幣大社+国幣大社→大社。
中世社格制度。
神宮。33社。日本書記では3社(伊勢、石神、出雲)。鹿島、香取(平安時代)。
勅祭社。(ちょくさいしゃ)。16社。二十二社3、一宮6、別表14。
二十二社(1081��。上七社、中七社、下八社。勅祭4、別表神社19。伊勢神宮、奈良と京都。滋賀の日吉神社、大阪の住吉大社、兵庫の廣田神社)。
名神大社。730年。古代社格。中世以降は明神。全て式内社。
一宮神社。120社。国で一番有力な神社。国司が一番初めに参拝。平安時代後期。
総社。国司がまとめて1つの場所に神拝した神社。不明な場合もあり。
古代社格制度。
式内社。(しきないしゃ)。延喜式神名帳。927年。全国の神社一覧。
上古社格制度。
天津神(アマツカミ。ヤマト王権の皇族や有力な氏族が信仰していた神 アマテラス)。
国津神(クニツカミ。ヤマト王権に平定された地域の信仰。スサノオ、オオクニヌシ)。
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#らー活in神戸🍜 #2019年初らー活は神戸から☺️ #楠公さん参りの後 #会がお休み😭 #近くにあった高ポイント店 #コスパ高い😅 #人気メニューを店員さんに確認 #四川辣麺🍜 #チャーハンセット #生卵は途中で割って味変 #4辛🌶🌶🌶🌶 #旨辛い😋 #完食完飲😋 #お腹一杯😅 #冬なのに滝汗😅 #他のメニューが気になる #麺スタグラム🍜 #2019年度1杯目🍜 (自家製麺 製麺王) https://www.instagram.com/p/BsS8AmBgQDH/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=894jjtmfbd09
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大泉洋主演『騙し絵の牙』追加キャスト12人一挙解禁!
累計発行部数50万部突破を誇り映画化もニュースとなったミステリー小説「罪の声」の著者・塩田武士の話題作で、あの「大泉洋」を主人公にあてがき(その役をあらかじめ決めた俳優を想定して書き下ろすこと)し、表紙モデルにも起用、2018年本屋大賞にランクインされ、話題・評判ともに世間の注目を集めたベストセラー小説「騙し絵の牙」(角川文庫刊)。その前代未聞の小���が、もちろん大泉洋を主演に迎え、吉田大八監督により映画化が決定!国民的俳優と日本アカデミー賞監督との最強タッグで、邦画界最高峰のエンターテインメント作品が誕生する。
舞台となるのは、大手出版社「薫風社」。創業一族の社長が急逝し、次期社長を巡って権力争いが勃発する中、専務・東松(佐藤浩市)が進める大改革で、雑誌は次々と廃刊のピンチに。会社のお荷物雑誌「トリニティ」の変わり者編集長・速水(大泉洋)も、無理難題を押し付けられて窮地に立たされる...。しかし速水は、一見頼りないながらも実は笑顔の裏にとんでもない“牙”を秘めていた!嘘、裏切り、リーク、告発...クセモノ揃いの上層部・作家・同僚たちの陰謀が渦巻く中、新人編集者・高野(松岡茉優)を巻き込んだ速水の生き残りを賭けた“大逆転”の奇策とは!?
先日松岡茉優、佐藤浩市の参戦が発表され話題沸騰中の本作だが、この度、さらに12人の追加キャストを発表!
ミステリアスでカリスマ性のある新人デビュー作家・矢代聖(やしろ・ひじり)に宮沢氷魚。そして矢代とともに速水率いる「トリニティ」を盛り上げる超人気ファッションモデル城島咲(じょうじま・さき)に池田エライザ。
亡くなった「薫風社」社長の息子・伊庭惟高(いば・これたか)に中村倫也。その惟高の後見人で保守派の常務・宮藤和生(くどう・かずお)に佐野史郎。伝統ある薫風社の文芸誌「小説薫風」編集長であり、速水と敵対する江波百合子(えなみ・ゆりこ)に木村佳乃。江波の忠実な部下である編集者・三村洋一(みむら・よういち)に和田聰宏。編集長の速水を疎ましく思う「トリニティ」副編集長・柴崎真一(しばさき・しんいち)に坪倉由幸。改革派の専務・東松(佐藤)と手を取る大手外資ファンド代表の郡司一(ぐんじ・はじめ)に斎藤工。
ヒロイン・高野の父で、小さな書店の店主・高野民生(たかの・たみお)に塚本晋也。そして高野が接触する謎の男にリリー・フランキー。速水のよき相談相手であり、お茶の間でも人気の文芸評論家・久谷ありさ(くたに・ありさ)に小林聡美。そして、速水の前に立ちふさがる文学界の大御所作家・二階堂大作(にかいどう・だいさく)に國村隼。
若手からベテランまで、日本を代表する豪華キャストが勢ぞろい!
がけっぷち出版社で繰り広げられる、仁義なき騙し合いバトルに花を添える。
また、公開日が6月19日(金)に決定。最後に笑うのは誰か!?今夏、すべての大人が楽しめる本格エンターテインメント映画が誕生!
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【作品情報】
『騙し絵の牙』
■監 督:吉田大八
■脚 本:楠野一郎 吉田大八
■原 作:塩田武士「騙し絵の牙」(角川文庫刊)
■出 演:大泉洋 松岡茉優
宮沢氷魚 池田エライザ/斎藤工 中村倫也
坪倉由幸 和田聰宏 石橋けい 森優作 後藤剛範 中野英樹 赤間麻里子 山本學 佐野史郎 リリー・フランキー 塚本晋也/國村隼 木村佳乃 小林聡美/佐藤浩市
■配 給:松竹
©2020「騙し絵の牙」製作委員会
情報提供:フラッグ
6月19日全国ロードショー!
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写真を撮って捕まった男性
その日は、運悪く雨だった。綺麗に刈り込まれた緑の溢れる一画に、迷彩塗装された古い戦車や大砲が展示されている。湖南省株洲市にある革命烈士記念公園。誰でも自由に入れるこの空間は、晴れていれば家族連れで賑わう市民の憩いの場である。
陳思明さん(55歳)の自宅は、そこから車で10分ほどのところにある。陳さんは私を自宅に招き入れると、携帯電話をいじり、写真を見せてくれた。陳さん本人が「六」と「四」を掲げ、あの戦車の前に立っている。
六四とは、1989年6月4日を意味する。民主化を求める学生らのデモを人民解放軍が武力鎮圧した「天安門事件」の日だ。
当時、北京で起きた学生デモは、中国の他の都市にも伝播した。陳さんは既に社会人だったが、学生たちの主張に共感し、地元のデモに参加したという。
「良心を持っている中国公民として、全ての人々、次の世代の人々に歴史の真相を知らせたい。六四は私自身が経験したことですから」
「六」と「四」を掲げた写真は、去年、天安門事件を記念するために撮影した。知人を介してインターネット上に流れた翌朝、警察官から出頭を求められ、5日間の身柄拘束を受けた。写真は当然、ネット上から削除された。
陳さんは、一昨年も身柄拘束を経験している。その時は、6本と4本のろうそくを灯した。
天安門事件は、中国で今もタブーなのだ。
「(天安門事件については)話してもいけないし、記念してもいけない。真相を隠している。歴史を偽造し隠蔽している」
六四を忘れてはいけない
陳さんに話しが聞けたのは4月。事件から30年になる今年も何らかの行動を考えていると話していた。しかし、6月4日が近づいた先月末から、陳さんは警察に強制的に「旅行」させられ、自宅から引き離されている。
警察に捕まるのを覚悟で、訴え続ける陳さんは、こう話していた。
「六四を忘れてはいけない。中国人はみな六四を知るべきある。あんなに大勢が亡くなったのですよ」
「動乱」として見放された学生たちの思い
天安門事件のきっかけは、4月15日、改革派の胡耀邦総書記に死去にある。追悼のために首都北京の天安門広場に集まった学生らは、民主化を要求した。
この学生運動を、共産党の機関紙「人民日報」は、4月26日の社説で「党の指導と社会主義制度を否定する動乱」と定義づけた。さらにこの「動乱」には「旗幟鮮明に反対せねばならない」という立場を明確にした。
そして6月3日から4日にかけ人民解放軍が学生デモを鎮圧した。この際の死者について、同月に開かれた全人代常務委員会の報告では、大学生36人を含む200人余り、9月に李鵬首相が日本の議員団に語ったところでは319人とされる。しかし、実際にはさらに多数が犠牲になったとみられている。全貌は今も明らかにされていない。
香港では天安門事件の記念館も
グルメに買い物・・・多くの日本人にとって香港のイメージは活気に満ちた観光天国だろう。北京に住んでいる私には、香港と聞いただけでだけも心が浮き立つもう1つの理由がある。中国本土と違い一定の言論の自由が保たれているからだ。
4月26日。天安門事件から30年となるのを前に、事件を記念する博物館がオープンしたのは、そんな香港ならでは、である。香港や海外のメディア100人近くが、決して大きくない博物館に詰めかけた。
報道陣の高い関心を前に、六四記念館をオープンさせた市民団体の責任者、何俊仁さんは(67歳)は、熱く訴えた。
「歴史の真相を保存し、権力者に真実を伝えるのが目的です。六四の再評価を求め、虐殺の責任を追及します」
被弾したヘルメット
六四記念館には、写真や新聞といった当時の資料が集められている。その展示物の中に、1つのヘルメットがあった。
バイクに乗る時にかぶるような耳まで覆う形。赤い塗装が大きく剥げている。内側を見ればよく分かるが、頭の左後ろに当たる部分がえぐれ、穴が開いている。
ヘルメットを被っていたのは王楠さん。当時学生で、添えられている死亡報告書には、1970年生まれ、死亡当時19歳と記されている。脇に置かれた眼鏡は左のレンズが無い。六四記念館管理委員会の麦海華主さん(68歳)が、こう説明した。
「額から入った弾丸が後頭部に貫通していることを示しています。軍が発砲したことを示す物証です」
息子を失った母���
天安門事件で、頭に銃を受け死亡した19歳の王楠さん。その母は、今も北京に暮らしている。
4月のある朝、その母を訪ねた。
張先玲さん(87歳)は、「もう血圧が高くて・・・」と言いながら、ゆっくりとコップ一杯の水を飲んだ。整頓された部屋の白い壁には、眼鏡の青年の白黒写真があった。息子、王楠さんだ。
「あの日、息子は『歴史の真実を記録したい』と言って出かけました」
王楠さんは、写真を撮るのが得意だったという。
ヘルメットは息子の形見だったが、手元に置かず、博物館に寄贈した。その理由を次のように明かす。
「博物館にあれば、たくさんの人に見てもらえます。少なくとも香港の人は見られるし、大陸から香港に行った人も見られます。銃を撃って人を殺したのは、事実であり、捏造でないということの証拠になりますから」
張さんは、事件で子供を失った親たちとともに、政府との対話を求めている。
しかし、政府側は、対話には応じようとせず、張さんの行動や通信を監視してきた。特にメディアと接触させないようにしているという。「(約束して)記者たちに会おうとすると、警察の方が早く来る」といって張さんは笑う。
今も続く天安門事件
「要求は非常に簡単です。六四の真相です。殺人の真相、殺人が正しかったかどうか。なぜ殺す必要があったのか。何人殺したか、を公表し、個別の件に対し立法して解決した上で、謝罪・賠償することです」
民主化を求め天安門広場に集まった学生たちの行動を、当時の共産党の機関紙「人民日報」は「党の指導と社会主義制度を否定する動乱」と定義づけた。中国政府は、天安門事件について「1989年の政治的騒動については、すでに評価を定めている」という立場だ。
しかし、張さんは、息子の遺影の下でこう言う。
「当然、まだ終わっていません。天安門事件の母たちが1人でも生きていたら、私たちは訴え続けます」
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Dec 2019
12月も楽しかったよ。
↓さらに読む
12/1
Chuck Bettisとの”Lullaby of Obliteration(消滅のララバイ)”、 "Dialogue Catastrophe”(対話による惨事) リリース。
※アートワークは、Lightning Bolt、Black Diceの元メンバーで、Boadrumの筆頭、Soft Circleとしても知られるHisham Bharoochaが担当。
https://velladon.bandcamp.com/album/dialogue-catastrophe
12/2
吉祥寺NEPOで、��イメンのケンゴマツモトのSAD ORCHESTRAに参加。
peke君も一緒。 SO SAD ORCHESTRA。
Velladonソロ始めてから初のコンピュータを使った生演奏をしました。 ぼくはノイズ、ビートを封印、 なおかつ和声の響きで残虐の限りを尽くしました。
自撮りどーん。挑戦的な目だな。
ゴミを売りました(売れました)
https://velladon.thebase.in/items/25066898
12/3
Recording
12/4
"RIGHT"に3曲追加しました。 ご購入者様のみ聴けます。
https://velladon.bandcamp.com/album/right
12/4
真・女神転生 より、 邪教の館 を2versionカヴァーしました。
Cazquiきゅんが反応していたの、嬉しかったなあ。
https://www.youtube.com/watch?v=CL_uqcZBtOI
https://www.youtube.com/watch?v=-ew3aDqVcxo
12/5
フレーミングリップスが今年リリースしたライブアルバムが素晴らしくて、耳が幸せになりました。
12/6
Bone Machine 狂気の100枚音飛びCD DJ mix recording.
ボーナストラックに、テンテンコさんとのコラボセッションのリミックスも付けました。 みんなで買おう。
Bone Machine
https://velladon.thebase.in/items/24451864
12/7-8
Recording
12/9
Velladon x Mizuki Misumi / Until the Embrace(抱きよせるまで) / from "Love Letter"
予告編 Teaserをアップ
ビデオ、音楽も予告編用に作りました。
https://www.youtube.com/watch?v=Q-vTuumNtFM&feature=youtu.be
12/10
少しおやすみ + Recording
12/11
新商品サイン入り犬用シャンプー リリース。
ポンコツVelladonが、間違えて購入した犬用シャンプーです。 (バスルームで一度使用。 いつまで経っても泡立たないので、怪しく思い、パッケージを凝視して気づきました)
1日ごとに1000円値上げしていきます。
(発売日2019年12月11日 開始価格4500円)
高くなればなるほど、狂気のオマケの内容がえらいことになります。
(クラウドファウンディングの別の姿)
オマケ付きです 一点のみ。お早めに
https://velladon.thebase.in/items/25243019
12/12
12/16のライブの準備。この日のために仕込んだ曲を全て棄てて、 30分間、地獄のビートの中で、怒りながらトレモロピッキングして叫び続けることにしました。
12/13
Black Metal DEMOの姉妹作 "BLACK METAL DEMO PIANO" CD-Rをリリース。 全曲ピアノ+αのアレンジをしています。 初回限定盤は、取り外したピアノの鍵盤が付属します。 (一点一点、鍵盤にメッセージを書きます)
超少数限定。
ジャケットは白インクを浸した針のペンで、全てVelladonの手書き。
シリアルナンバー入り。
https://velladon.thebase.in/items/25287650
12/14
"kiss xxxxxxxx"に、 新曲"Narrow,Stiff,Constrained"追加しました。 色々と窮屈な思いをされている方に捧げます。
https://velladon.bandcamp.com/track/narrow-stiff-constrained
12/15
ケンちゃんと呑む。
12/16
吉祥寺NEPO
飛田雅弘、ケンゴマツモト、Velladonで ライブイベント『Rock Drummer』を開催
3名のソロライブに加え、最後にセッションもしました。
前売予約特典として、当日のコラボセッションを録音した音源のダウンロードコードを配布。
やっぱり2人はすごい。すごかった。楽屋でバカ話して楽しかったなあ。
またやりたいね。
ロンTも売ったよ。
ギターって、やっぱり楽しいよね。
ものすごく。
12/17
Recording
良い出会いもありました。
12/18
12/25までの限定配信曲”NOEL”リリース。
お昼からRecording
12/19
福笑いつくりました。 全国のセブンイレブンで、1/4まで印刷できるようです。 無駄にパーツが多いです。
セブン‐イレブンでプリントしてください。 予約番号73914033、L カラー:30円、2020/01/04迄
東京から関西へ移動しました
12/20
KOZOBUTU SESSIONS ギャラリーイッカゲツ 【オムニバスカセットテープ】
プレオーダー開始
https://kozobutu.thebase.in
❋Klan Aileen、Wakana Ikeda Likes Fresh Lettuce 、kahjooe、山内弘太、Tanden、? meytél 、When
レーベルストア限定で、吉増麻里子のアートステッカー(3枚組・500円)を追加することができ、会期中にループ再生されていたVelladonによる書き下ろし楽曲のダウンロードコードが付属。
“Bone Machine” ふろくの音源を、96000 hz / 32bit 高音質リマスタリングしてアップしました。 折角なので、違う機材を使ってみました。
23時、桑原茂一さんのPirate Radioで、"Noel"を流していただきました。
https://www.mixcloud.com/moichikuwahara/moichi-kuwahara-pirate-radio-lies-are-sin-1220-496/
よる、
Velladon、50曲入りのEP “Hell E.P” 各サブスクリプションサービスで配信リリースしました。 iTunes、Spotify、Apple Music、Google Play Music、Amazon Musicなどの音楽配信サービスで聴くことができます。
https://linkco.re/aAfep72B
12/21
お昼は打ち合わせ
夜はBAROQUE x THE NOVEMBERS 遊びに行ってきました。 耽美で轟音で野生的でした。 やっぱり、楠本まきさんの漫画を思い出します。 ぼくは、ケンゴマツモトのことを彼氏ヅラ���て見てました。
12/22
M-1観てました。年々、他者を傷つけることで成立するようなネガティヴな笑いが減っていっているのが嬉しい。
2019年の自撮り10選アップしました。
ええとしこいたきっついおっさんのきっつい自撮り。
だがそんなの関係ね〜ぼくは生きたいように生きる。
12/23
珈琲飲んでました
12/24
Recording
12/25
ファザナドゥ風の矩形波と三角波で、 Undertaleの"Heartache"カヴァー
https://twitter.com/Velladon_san/status/1209514279780544514?s=20
アクトレイザーのフィルモアのカヴァー
https://twitter.com/Velladon_san/status/1209668817250447363?s=20
これらの暇つぶしを経て、お昼12:30に新曲アップ。
恋愛について。 Velladon x Mizuki Misumi 共作アルバム「LOVE LETTER/ラブレター」から、 『Until the Embrace(抱きよせるまで)』ビデオ公開。
https://www.youtube.com/watch?v=5AsP1GDuY2I&t=6s
モデルは마나ちゃん。Velladonワールドの秘蔵っ子。
「アッパー&ダウナーなポップチューン、ドゥーム&ストーナーなギターサウンド、室内楽を織り交ぜた切ないバラードなど楽曲ごとにジャンルの違った多彩なアルバムで聴きごたえ抜群。」 2020年 2 月 14 日に CD 発売。
CATALOG:GR-04
Genre : J-POP
Price :¥2500
予約ページ:
https://velladon.thebase.in/items/25197904
CDのアートワークは 真砂雅喜が担当します。
12/26
recording
12/27
recording
23時、桑原茂一さんのPirate Radioで、消滅のララバイから楽曲を流していただきました。
https://www.mixcloud.com/moichikuwahara/moichi-kuwahara-pirateradio-for-radio-ur-lbcr50-1227-497/
urban researchのコラム”Look Book Cook Records No.50”で、新人賞いただきました。
https://media.urban-research.jp/column/kuwahara/47174/
12/28
Velladon x 三角みづ紀 / It is snowing.......(雪が降つてゐる……)ビデオ公開。
中原中也の詩です。 去る2019年9月14日、中原中也の会大会で公開された映像です。 テーマは「演じられる中也」、講演は大林宣彦監督でした。
(「ラブレター」には収録されません)
https://www.youtube.com/watch?v=Ncl1-SOOL0M&feature=youtu.be
今年作った曲をカウントしました。面倒くさくなって途中から数えるの適当になってしまったけど、160曲ほど発表しました。(Twitterで書いた139曲っていうのは数え間違い)
Liveでしかやってない曲や、Whenでの曲を含めるともっとあります。
未発表曲含めると570曲ほど作りました。
Venetian Snares x Speedranch 全曲の公式Remix、 アレハンドロ・ホドロフスキー”Jodohaikus”全曲、 w/ mizuki misumi "love letter"、 Universe各ソロ曲、 そのほか大量に作りためている曲、 供養するための曲の群れ、 そして、まだ発表していないマル秘たくさん。残っています。
2020年は待機しているこの子たちを発表できますように。
-2019年 自選10曲(リリース順)
DEMONS(EP MIX)
https://velladon.bandcamp.com/album/demons-ep
BLACK KNIGHT
https://velladon.bandcamp.com/track/black-knight
Song For the Pussy Whipped
https://velladon.bandcamp.com/track/song-for-the-pussy-whipped
FACE
https://velladon.bandcamp.com/track/face
I want to buy so much that I can't carry it all
https://velladon.bandcamp.com/track/i-want-to-buy-so-much-that-i-cant-carry-it-all
A heartbreaking night in hope of Romance
https://velladon.bandcamp.com/track/a-heartbreaking-night-in-hope-of-romance
DARK HERO
https://velladon.bandcamp.com/album/dark-hero
Universe
https://velladon.bandcamp.com/album/universe
HELL3
https://music.apple.com/jp/album/hell3/1492407810?i=1492408022
Until the Embrace(抱きよせるまで)
https://www.youtube.com/watch?v=5AsP1GDuY2I
12/30
おせちのチャーシューつくって、通販郵送して仕事納め
12/31
ゆっくりします。
12月楽しかったよ。
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本当に終わりなのか?my日本
・・・未練とは分かつてゐるのですが、my日本に最後の日記を投稿してきました。更に「令和元年7月組」コミュにも参加。・゚・(ノД`)・゚・。
・・・実に未練だ。
・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★
本日、令和元年七月三十一日。つまり皇紀ニ六七九年六月晦日。
my日本が終わりだときいてはいますが、正直にいうとその実感がありません。
昨日、私個人のブログには以下の文章を投稿しています。
----------------
「ありがたう!my日本」
私がお世話になり、そして、とても楽しかつた最高のSNS。
それが「my日本」!
なんと令和元年七月末日で、サービス終了ださうです(T_T)
政治とか歴史とか思想とか、大事な事は一からここで、参加者の皆さんと倶に学びました。実はカミさんともここで知り合ひました(笑)
それなのに、最近はさつぱりログインもせず、何らかの貢献も出来ず・・・。
そんな私ですが、本当にありがたうございました。
管理人さん、皆さん、また何処かで(`・ω・´)ゞ
それでは!
天皇陛下 萬歳!
----------------
何事にも終わりがあるとは理解していますが、それでもやはり、いよいよ「終わり」が近づいてくれば、何か落ち着かなくなります。
「シェーン!カムバック!」と叫びたいww
どうも私は「my日本」に関してはいつでもここにあり続けてくれる故郷の様な場だと感じているようです。
率直なところ「my日本」という場は、私の人生の転機でした。
生活や仕事が劇的に変化したといふ事ではありません。
しかし、今現在の私は家庭を持ち、子供を育ててゆく上で、もしもmy日本に参加していなければ、今の私も、この家庭もなかった筈だと思っています。
これは単純にうちのカミさんと知り合ったのがmy日本だから、という事ではなく、私の内面の変化です。
というのも、私がmy日本で主に学んできた事が「日本の在り方」であり、「日本って何なのか?」「なんで天皇は偉いのか?」という事を考えるために、神代から繋がる日本の歴史、文化、物事の考え方、武道、武士道、そして皇室でも執り行われる祭祀について、my日本の皆さんと倶に学んできました。
私が学んできた事を「大和心」とか「武士道精神」とか「大和魂」と呼ぶのかも知れませんが、日本といふ家族国家の雛形は家庭にあります。
皇土の内に生きる私達とは、親から子へと生命や文化を継承してきました。
全ての家庭が円満であるという事ではないでしょうけれど、親から子への命脈はどこかで一度でも途切れると、今の私達は存在しないのです。
ただ、その事が「有り難い」のだと思うのです。
そして、その御恩に報いるために、私は学び、それを子等へと伝えたいと思うわけです。
このように文章にしてしまうと「そんな当り前の事を大袈裟だな」と思われるかも知れませんけれど、これは動かぬ事実であり、それを知ろし食し、体現なされているのが「皇統」なのです。
この御恩に報ゆため、そして、それを子等へと繋ぐため、そうだからこそ、先人は我が身を捨てて國を護り抜いたのです。いつの時代でもそれは同じです。
ただし、それは酷く損な生き方なのかも知れません。
道理を曲げないという事は、当り前の事のように誤解されがちですが、道理を通したために大東亜戦争を戦う事にもなりました。
長い物には巻かれろというのも処世術ですが、日本人の本質は至誠だと思います。これは眞心の事です。
私は祖の子として、また子の親として、そして天皇の臣民である事を自覚しているから、「仕合せ(幸せ)」とか「足るを知る」という事が少し分かったつもりでいます。そのためならば我が身一などは喜んで捨てます。
my日本に参加した当初の、私の目標は、実は「特攻精神」や「楠公精神」を理解して、私自身をそのようにする事でした。
そして、その目標はmy日本とその参加者の皆様の御蔭様で、ようやく「覺悟完了」と相成りました。
嘗て、赤穂浪士は尊皇精神からの義挙をなしました。忠臣蔵です。
しかし、世の中の流れは、長い物には巻かれろの処世術は、幕府に従順、皇室には弾圧というものでした。
しかし、その尊皇精神、大和魂といふものは表面的には消え失せたかにも見えて、その実、伏流水のように脈々と繋がり、幕末の御一新へと繋がるのです。歴史は細切れではなく、ひと繋がりであるわけです。
同じように、このmy日本も今は一旦終わりを迎えるのでしょうけれど、そこで培われた「大和魂」は、いよいよの國難に際して、一気に溢れ出す事になるのだと私は確信しています。
名残惜しいですけれど、そうだとすれば今は一時のお別れです。
このmy日本から頂いた多くの御縁や御恩に対し、碌な貢献も出来ない私ですが、御國の爲に身を捨てて働く所存です。
♪貴様と俺とは同期の櫻
離れ離れに散らうとも
花の都の靖國神社
春の梢に咲いて会はう♪
最後になりますが、やはり「ありがたう!my日本」といいたい!
では、皆さん!
すめらみこと いやさか!
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ミコとマチ
リビングで目が醒めた瞬間あわてて手元のスマホで時間を見た。5時31分、やばい、40分には家を出ないとバイトに遅刻する。渾身のスピードで歯を磨いて顔を洗い自室に駆け込みばたばたとスウェットを脱ぎ床に脱ぎっぱなしの縒れたデニムを穿きYシャツを全力で着て一張羅の苔色のカーディガンを羽織ってほとんど空っぽのリュックを背負う。化粧は諦めて大きめの風邪マスクでごまかすことにした。幸い原稿を作成してるうちに座椅子に座ったまま寝落ちしていたので髪は乱れていなかった。平日ならマチが起こしてくれるのに、今日は土曜日だから私の部屋の向かいの彼女の部屋で、マチは一週間分の疲れを取るべく昼までおねんねだ。私は「いってきます」とぼそっと呟いて全力でドアから飛び出しオレンジのチャリに跨がり立ち漕ぎで駆けた。早朝の澄んだ空気を抜ける冷たい風が私の全開のおでこに当たる。三月の霞がかった曖昧な風景を私は右、左、右、とぐっとペダルを踏んで追い越して行く。それにつれ眼がだんだんと冴えて来た。息を切らしぐんぐんと駅までの道を走りながら私は書きかけの原稿の続きのことを考え出していた。どきどきと小さな心臓が高鳴り血が巡り、私の身体に熱が漲ってくるのを感じる。まだ人がまばらな駅前のロータリーを抜け、高架を潜り、なんとか出勤時間ぎりぎりに店に着いた。ドアを開くとコーヒーの温かくて甘い香りがふわっと鼻を突く。これを嗅ぐと私の頭はたちまちだらしがなくてうだつの上がらないワナビー女から「「鯤」のウエイトレスモード」にかちっと切り替わる。「おはようございますっ」私は店に入るなり弾丸のように一直線にバックヤードに突っ込みエプロンを着る。「おー、毎度のことながら作家さんは朝に弱いねえ」店長の蓮さんが茶化す。「朝まだなんだろ?これ食っちまえ」蓮さんは厨房からカウンター越しに私にロールパンを投げ渡した。「いただきます」私は風邪マスクをぐいとずらし、拳大のそれを口に詰め込んだ。それから蓮さんに渡された水をぐっと飲み干す。「鯤」は駅前の喫茶店なので、平日は開店するなりモーニングをしにくるサラリーマンなんかがぞくぞくと来て大童なのだが、今日みたいな休日は最初の30分なんかはかなり暇だ。コーヒーにつけて出すゆで卵もいつもならあらかじめいくつか小皿に分けて置くのだけど、今日はカウンターのバスケットにまだこんもりと盛ってある。その光景はまるで平和の象徴のような安心感を私に与える。しばらく待っても客が1人も来ないので、私はトイレで簡単な化粧を済ませ、カウンターにかけて蓮さんが淹れてくれたアメリカンをゆっくりと飲んだ。「原稿はどんな感じ?」「うん、方向性はだいぶ定まってきたからあとはそれを形にしていくだけかな」「なるほど、ついに俺の息子がミコが手がけたゲームをやる日がくるんだなあ、あっ今のうちサイン貰っとこうかな、店に飾るわ」「蓮さんってば気が早すぎ」蓮さんはことあるごとに茶化すけど、芯のところでは私のことをそのつど気にかけてくれているのが私にはありありとわかった。嬉しいことだ。
そうしていると、程なくして客がちらほらと入り出した。休日の朝は老人ばっかりだ。常連のみんなはお話し好きで、四方山話や身の上話を滔々と聞かせてくださる。いつものように私は給仕や食器洗いをこなしながらそれにふんふんと頷いた。でも頭の中は原稿の続きのことでいっぱいだった。先週、駆け出しライターの私に初めてクライアントからSNSのダイレクトメッセージで、ソシャゲのシナリオの執筆依頼が来たのだ。それは聞いたことないような小さな会社で、その依頼されたゲームも予算的にみてメインストリームに敵うポテンシャルがあるとはとうてい思えなかったが、なにせ執筆の依頼が来ることなん��初めてだったので、私は半端ない緊張ととめどなく沸いてくる意気込みでここ一週間ギンギンだった。原稿のことを考えると下腹のあたりがヒュンとする。これは誰もが知っているRPGのシナリオを手がけるという私の夢への第一歩だし、なにより、就職せずに創作活動に専心することにした私の決意が報われた心持ちだった。それはどう考えてもぜんぜん早計なのだけれど。とにかく、私は今とても浮かれていた。
正午前あたりから客足が徐々に増しなかなか忙しなり、あっという間に15時になった。退勤まであと1時間だ。
「いらっしゃい。おっ荘くん」だしぬけに蓮さんの朗らかな声が厨房から客席に向け広がる。荘くんが来ると、蓮さんは私を茶化す意味でわざと私に呼びかけるような声音で叫ぶのだった。これもいつものことだ。
私はお気に入りの窓際の2人がけのテーブルにギターケースをすとん立てかけて座る荘くんのところへ注文をとりにいった。心臓の音が高鳴るのが荘くんにばれている気がした。
「いらっしゃい、今日はスタジオ?いよいよ来週だね。」
「そうだな、あっ、チケット忘れんうちに今渡しとく」
荘くんにひょいと渡された黄色いチケットにでかでかと、
「jurar 初ワンマン!」と書いてあった。その楠んだチケットのデザインは全体的に少し古くさい気がした。
「ついにだね」
「うん、絶対に成功させるよ、やっとここまでこれたんだ。そろそろ俺たちもプロへの切符を勝ち取りたいな」
「うん、私応援してるから」荘くんの襟足から煙草とシャンプーの混じったえも言われぬ匂いがかすかに漂う。それは、ほんとうのほんとうに良い匂いだ。
「サンキュな、ミコちゃんも頑張ってるもんな、俺も負けてらんないよ。あっ、そうそう、そういえば…明後日柴さんにアクアマターのライブ来ないかって誘われたんだけど、ミコちゃんあのバンド好きだったよね、もし暇だったら一緒に来る?蕗川ビンテージだよ。柴さんももう一人くらいだったらチケット用意できるから連れて来ていいって」
「いいの?行きたい!」
「よっしゃ、じゃあまたラインするわ」
「まじか…」私は心中でひとりごちた。まさかのまさか、こんな地味な女が荘くんにデートに誘われたのだ。注文伝票をレジに持って行き蓮さんのほうをちらと見てみた。すると蓮さんははにかみながらしゅっと素早く腰のところでガッツポーズを出した。私は心中でもう一度、「ま、じ、か…」と丁寧にひとりごちてみた。
荘くんはブレンドを急いで飲み干して会計をし、「じゃあ」と去って行った。そうこうしているうちにやがて退勤時間となり、出勤してきた蓮さんの奥さんに引き継ぎをして、私はタイムカードを切った。「お疲れさまです」挨拶をして表口から店を出ると、スプリングコートのポケットに両手を突っ込んで含み笑いしているマチが立っていた。目が合った私たちはそのまま見つめ合った。一瞬、時間が止まったようだった。ピィ、ピィ、とけたたましい鳥の声が、狭い路地裏にこだました。
「オハヨ」マチは宣誓のように右手をしゅっと突き出してそう言った。
マチの手は真っ白で、春のひかりをぼんやりと帯びていた。ぼんやりとその手を見ていると、なんだか眠くなった。
「マチ、何してたの?」
「さんぽ」
「起きたばっかり?」
「寝すぎちった」
私は自転車を押してマチととぼとぼと散歩した。外は朝は肌寒かったけれど、今は歩いていると少し汗ばむほどの気温まで上がっていた。電線と雑居ビルたちに乱雑に切り取られた街の高い空を、鳴き交わしつつひっきりなしに飛び交う春の鳥たち、私たちはゆっくりと歩きながらそんな風景を見るともなく見ていた。
私たちはそれぞれあたたかい缶コーヒーを自販機で買い、駅から少し離れたところにあるたこ(多幸)公園へたどり着いた。私とマチは予定のない天気のいい日にはよくここで何となく過ごす。
「そういえばさ」
「ん?」
「さっき店に荘くんが来てね」
「なになに?」ブランコに座っているマチは両足をばたばたとせわしなく蹴っている。
「「明後日アクアマターのライブに誘われたんだけど一緒にこないか」って」
「デートか!」
「そういうこと」
「やったー!」マチはブランコからたんっと飛び降りて両腕を上にぐんと伸ばして叫んだ。
「いや、誘われたの私だし」
「わがことのようにうれしいっ」
「よーし今日はなべだー」マチは私に背を向けて起き上がった猫のように盛大なのびをした。
「なべ、若干季節外れじゃない?」
「めでたい日は鍋パって相場がきまってるのよっ。ミコの恋愛成就を祝って今日は私のおごりで鍋だー」
「マチってば気が早すぎ」
私たちはスーパーでたくさん鍋の具材と酒とつまみを買って、大きなレジ袋を2人で片側ずつ持って帰った。2人でわいわい作った鍋は多すぎて全然食べきれなかった。飲みまくって酔いつぶれた私たちはリビングでそのまま気を失い、翌朝私は風邪を引いていた。私がなにも纏わず床で寝ていたのに対して、マチが抜け目無く毛布を被ってソファーを独占していたのが恨めしかった。
荘くんは待ち合わせの駅前のマクドナルドへ15分遅刻してきた。10分でも20分でもなく15分遅れるというのがなんだか荘くんらしいなと私は妙に感心した。「蕗川ビンテージ」は私の家の隣町の、駅のロータリーから伸びる商店街の丁度真ん中のあたりにある。私はこの街に来たことがなかったのでライブハウスまで荘くんが先導してくれた。風は強く、空は重く曇っている。商店街や幾本かの路線でごちゃごちゃしたこの街は、私とマチが住んでいるところに比べてなんだか窮屈な感じだった。前を歩くやや猫背の荘くんに付いて駅からしばらく歩くとやがて「蕗川ビンテージ」に辿り着いた。荘くんが「あそこ」と指を指してくれなかったら私はそれがそうだと気付かなかっただろう。「蕗川ビンテージ」はどう見てもただの寂れた雑居ビルだった。よく見ると、ぽっかりと空いたビルの地下へと続く入り口の前に「アクアマター」のワンマンの掲示があった。その入り口の前に、いかにもバンドマンといった出で立ちの5人の男女が談笑していた。若いのか、それとも私たちよりずっと歳上なのか、いまいち判然としない風貌の人たちだった。その5人はやって来た荘くんを認めると手を振り、荘くんはそれに応えて私をほったらかしてポケットに手を突っ込んだまま5人に駆け寄った。荘くんが1人の男の横腹を肘で小突く、するとその男は笑いながら荘くんにヘッドロックを決め、ほかの人たちもげらげらと盛り上がった。どうやら荘くんととても親しい人たちらしい。少し話すと荘くんは突っ立っている私のほうに戻って来た。それから私の手を引いて、地下への階段を降りて行く。荘くんが近い、かつてないほどに近い荘くんのうなじから、シャンプーと煙草が良い塩梅に混じった私の好きな匂いが漂ってくる。匂いはたしかに近いけれど、暗すぎて当の荘くんの姿がよく見えない。なにかがずれている気がした。私たちは、どこか歪な気がした。私たちが、というか私だけが明らかに場違いだった。「マチは今どうしているだろう、そろそろ帰ってる頃かな、晩ご飯は私がいないから今日は外食なんだろうな」好きな男に手を引かれているというのに私の頭に浮かんで来るのはマチのことだった。やれやれ。
2人分のチケットを荘くんが受付の初老の男に手渡す、そして荘くんはまたその男としばらく談笑し始めた。「ちょっとお手洗い行ってくるね」と私はその間に用を足した。戻ってくると受付の前に荘くんを中心に人だかりが出来ていた。荘くんの周りにおそらく10人以上はいたが、その中の誰1人として私の知っている顔はなかったし、荘くんを含め、そこに誰1人として私のことを気にする人はいなかった。私はまるで透明人間にでもなったかのような心持ちだった。あそこで人の輪に囲まれ楽しそうに話しているあの人はいったい誰なんだろう。いつも「鯤」に来て親しく話してくれるあの人。私がいつか「アクアマター」が好きだとこぼしたことを覚えてくれていて、デートに誘ってくれたあの人。でも冷静に考えると当たり前のことだったのだ。界隈で突出した人気を誇る若手バンドのフロントマンの荘くんと、街の隅でこそこ���と暮らしている私みたいな誰も知らない地味な女なんて、そもそもステージが違うのだ。私は知らないライブハウスの柔らかくて厚い防音材の壁にもたれながら、誰にも知られず夜空でひっそりと翳りゆく月のように、緩やかに卑屈になっていった。誰かここから連れ出してくれないかな、これがまさしく「壁の花」ってやつね。卑屈の次にやってくる自嘲。思えば幾度も覚えたことのある感覚だ。いままでに縁のあった男はみんな、折々こんな風に私のことをないがしろにした。
ほどなくしてライブが始まった。ライブは、よかった。横にいた荘くんは頻繁に何処かへ消えた。たぶん、知り合いの誰かと話しに行っているのだろう。そう、ここでは私以外のみんなが知り合いなのだ。ライブの終盤、ストロボが瞬くクライマックスの轟音の中荘くんは強く私の手を握ってきた。私はそれを知らんぷりした。スモークの甘ったるい匂いがやけに鼻についた。ライブ自体は、本当によかった。
外に出ると小雨が降っていた。荘くんはライブの終わりからずっと私の手を握ったままで、駅の方へ私を引いて歩いていく。私はなにも考えずにそれに従う。疲れて、頭がぼーっとしていた。商店街の出入り口のアーチの辺りで、荘くんは「じゃあいまからウチで飲もっか」と切り出した。私はまっぴらごめんだと思い「えーと今日はもう帰ろうかな、明日も朝早いし…」と丁重にお断りした。
「別にいいじゃん、ご近所さんなんだしバイトは朝、俺の部屋から出勤すれば」荘くんはしつこかった。
「いやーやっぱ何だか悪いしルームメイトもいるんで今日は家に帰ります。今日はほんとにありがとう」
私は返答に窮して言い訳にならない言い訳を口走っていた。そのとき私ははっと息をのんだ。荘くんは怒っていた。彼の表情こそ変わらないが、私なんかにプライドを傷つけられたこの男が激怒しているのがわかった。
それから突如荘くんは声を荒げ
「んだよ、俺とヤりたいんじゃなかったのか?」
と今まで私が聞いたことのない荒荒しい声音で言い放った。そのとき私は頭が真っ白になった。私はこの人が何を言ってるのかわからなかった。信じられなかった。この人も自分が何を言っているのかきっとわからないに違いない。そうであってほしい、と私は願った。
私はいつの間にか私の肘を強く掴んでいた彼の手をばっと振り切り、夢中で駅まで走った。後ろであの人がこっちに向かってなにか喚いている気がした。私はそれから逃げるために全力で走る。とつぜん視界がぐにゃあと歪んだ。音のない雨は、いつのまにか本降りになっていた。頬を伝って落ちる生温いものが春の雨なのかそれとも涙なのか、わからなかった。
マチは私に何も訊ねなかった。あの夜ずぶ濡れで帰ったきた私の
様子を見て何となく察したのだろう。お風呂から上がってきた私に何も言わずに中華粥を作ってくれた。荘くんはあの日以来鯤に来ることはなくなった。蓮さんは
「まあ今回は縁がなかったってだけさ。月並みな言葉だが男なんて星の数ほどいるんだぜ」と慰めてくれた。
でもそれを言うならば女だってそうだ。それこそ私は荘くんにとって星の数ほどいる「都合のいい女候補A」にすぎなかったんだ。私はまた卑屈になっていた。このことをマチに話すと「処置無しね」の表情をされた。マチの「処置なしね」の表情。白いつるつるの眉間に少し皺が走りいたましげに私の顎辺りに視線を落とすこの仕草が私は密かに好きだ。ソシャゲの依頼はなんとか納期に間に合ったが、私は次の賞に挑む気力が沸かなかった。スランプに陥ってしまったのだ。なんだかどうしても力が入らなくて、私は湯葉のようにふやけてしまっていた。このままなんの意思も目的も持たず、たゆたうクラゲのように何処かへ攫われてしまいたかった。あの失恋で、まるで私とこの世界とを繋いで私を立たせているピンと張った一本の糸が、ぷつりと切れてしまったようだ。私は休みの日のほとんどを寝て過ごすようになった。
私が一ヶ月以上もそんな状態だったので、放任主義のマチもさすがに見かねたらしく、「ミコ、餃子をやろう」と私に切り出した。パジャマの私はソファでクッションを抱いて寝転びながら「うぇえい」と曖昧に返事した、ミコが「マチはかわいいなあ」と言って後ろから抱きつこうとしてきたが私はそれをひょいと躱し、勢い余ったマチはフローリングでおでこを打ち「ぎゃっ」と叫んだ。そのとき私に被さったミコの身体はとてもひんやりとしていた。
餃子の買い出しから仕度まで殆どミコがやってくれた。私はソファに寝転んで夕方のニュースを見ながらミコが手際よく餃子を包んで行くのを背中で感じていた。辛い時は甘えられるだけ相手に甘えるのが私たちの生活の掟なのだ。私とマチは、いまままでずっとそうやってきた。
「いざ!」待ちくたびれて私がうつらうつらし出した時にマチは意気込んで餃子を焼き出した。しゅわあと蒸気が立つ音とともに、むわっとした空気がリビングに立ち込めた。私は薄目でせかせかと餃子を焼くマチの背中を見ていた。「このまま帰りたくないな」そんな素朴な気持ちが不意に、去来する。私たちには他にいるべき場所があって、いつまでもこの生活が続くわけないのはお互い、何処かで理解していた。けれど私たちはそれに気付かないフリをしている。
マチの背中って小さいんだなあ。そんなことを考えると何だか目頭が熱くなってきたので、私は寝返りをうち、狸寝入りを決め込んだ。クッションに顔を埋めてきゅっと眼を瞑っていると、まるで幽霊になって、空中を漂いながらミコのことを見守っているような、ふわふわと暖かくて寂しい気持ちになった。
「ほらほら引きこもりさん、餃子が仕上がって来たわよ。テーブルにお皿とビール出しといて」
「あいさー」
テーブルの皿に綺麗に連なって円になっているマチの餃子はつやつやでぱつぱつだった。マチは餃子の達人だ。マチよりおいしい餃子を作る女を私は知らない。
「じゃあ、餃子にかんぱーい」
「かんぱーい」
最初の一皿を私たちはあっという間に平らげた。
「じゃあ第2波いきまーす」
「いえーい」
マチは餃子をじゃんじゃん焼いた。私がもう食べられないよと喘いでも取り合わず焼きまくった。マチは何かに取り憑かれたようにワインを呷りつつ、一心不乱に餃子を焼き続けた。「餃子の鬼や…」私がそう呟くとマチはこっちを振り向いてにいっ、と歯を出して笑った。
餃子パーティも無事に終わり、私たちはソファで映画を見ながらワインをちびちびと飲んでいた。
「ミコ、この映画つまらないね」
マチがずっと見たいと言っていたから私がバイト終わりに借りてきてあげた映画だった。
「たしかに、脚本は悪くないけど演出が単調だね」
マチは冷蔵庫から新しい缶チューハイを持って来てぐびと勢い良く飲んだ。それから酒の勢いを借りたようにこう言った。
「ミコ、屋上に行こうか」
私は缶ビール、マチは缶チューハイを片手に最上階の廊下のフェンスを跨いだ。マチは私の手を引いて真っ暗で何も見えない中、屋上へと続く鉄骨階段を上がっていく。あれだけ餃子を焼いたにも関わらずマチの手は冷たかった。たん、たん、と微妙にずれたふたつのゆっくり階段を踏む冷たい音が闇の中密やかに響く。酒気を帯びたマチのにおいがする。なんだか懐かしいにおいだ。毎日のように嗅いでいるはずなのに。私はマチをぎゅっと抱きしめたかった。
屋上は無風だった。しんとしていて、まるで世界が止まったみたいだった。私たちの住むマンションは台地のてっぺんに建っているので、屋上からは街が良く見渡せる。酒の缶を持った私たちは並んで囲いの柵に凭れて、街の灯をぼんやりと眺めていた。不意にささやかな音で聞き覚えのあるイントロが流れ出した。最初はか細い月明かりのような調子のその曲は、やがて雲の隙間から抜け出して鮮烈な満月となる。
「Tomorrow never knows」
私はこの曲を聴いた時にいつもこんな印象を受ける。いつかマチはこの曲のことを夜の森の奥で誰にも知られずに燃える焚き火みたいと言っていた。思えば、性格がまるで違う私たちを繋ぐきっかけとなったのはこの曲だった。
あれは私がまだ大学一年生のときの冬だった。私はサークルの先輩に合コンに来てくれと頼まれて不承不承承知した。相手は同じ大学の違うサークルの連中だった。明らかに人数合わせで参加した合コンだ、面白いはずもなく、私はうんざりした。いつ「じゃあ私はこの辺で…」と切り出そうかずっと迷っていたが、二次会のカラオケにも流れで行くことになってしまった。そしてそのカラオケに遅れてやって来たのがマチだった。先輩の説明によると、マチは男側の知り合いだそうだ、それで先輩とも面識があったので呼ぶ運びとなったのらしい。部屋に入って来たマチを見て私は「きれいな女の子だなー」とうっとりとした。マチは空いていた私の横にすとんと座った。思わず頬が緩むようないいにおいがした。スキニーを穿いた華奢な脚のラインが綺麗で、横に座っていると、私の若干むくんだそれと比べずにはいられなかった。マチは終止にこにこしていた。男たちは明らかにみんなこの場で一番綺麗なマチを狙っていた。私は半ばいやいや参加したとはいえ、やはりみじめな気持ちだった。下を向いて鬱々としていると私にマイクが回って来た。あまり歌は得意ではないのだが…と思いつつ私は渡されたマイクを掴み、ええいままよとミスチルの「Tomorrow never knows」を歌った。歌っている時にマチがじっとこっちを見ていたのを不審に感じたが私は気付かないふりをして歌いきった。合コンはつつがなく終わった。解散してターミナル駅のコンコースを歩く私たちの集団は1人ずつ空中分解していき、やがて私とこの初対面で良く知らないマチという女の子だけが残った。私たちは無言で微妙な距離を保ちながら並んでしばらく歩いた。
「私って合コンとか苦手なんだ~」やにはにマチが間延びした調子で呟いた。それからふわあと大きなあくびをした。私はその様子を見てなんて美しいひとなんだろうとうっとりした。合コンのさなか、表面上は取繕っていたが、明らかに退屈そうにしていたのも見て取れたので、私はマチに好感を抱き始めていた。
「なんか私同世代の男の子って苦手だな、何話したら良いかよくわからないし」
「私もああいう場は少し、苦手」
「ねえ、お腹空かない?」
「ちょっぴり」
「ラーメンでも食べにいこっか」
「うん、いいよ。この辺?」
「うん、北口からちょっと歩いたところにおいしいラーメン屋があるんだ。塩ラーメンなんだけど、大丈夫?」
「大丈夫、塩ラーメン好きだから」
「それではお嬢さま、エスコートいたします。」
とマチは腰を落として片足を後ろに引く紳士の挨拶のポーズをした。
「で、では、よろしく」
私もコートの腰のところを両手でつまんで膝を曲げ淑女の挨拶でぎこちなく応じる。
私たちは改札の前で踵を返し、ラーメン屋へと向かった。
「ミスチル、好きなんだね」
「うん、親の影響なんだけど」
「私も好きなんだ。だから、君がさっき歌ってたとき嬉しかった。周りに音楽の趣味が合う人がいなくってさ、ミスチルとか今の若い人もうあんまり聴かないもんね」
「うん、カラオケとか行くとみんな今時の曲ばっかり歌うもんね。特に合コンなんかだと顕著」
「男も女もなんだかんだ言っても最終的に画一性を自分に強いたほうが楽なのだということなのかも知れんね。ところで君、名前は?」
「私はフジサワミコ。あなたは?」
「私も名前二文字なんだ。湊マチ」
「みなとまち」
「マチでいいよ」
「わかった、私のこともミコって呼んでよ」
「そうだ、ハタチになったら一緒に飲みにいこうよ。ライン交換しよ」
それがきっかけで私たちはことあるごとに2人でつるむようになった。私がこっぴどく振られた時も、マチの就活が難航を極めていたときも、いつも酒なんかを飲みながら互いに慰め合った。ルームシェアをしようと言い出したのはマチのほうからだった。それ���私が就職を諦め夢を追うことにするとマチに打ち明けた次の日だった。
「私はミコがどんなでもそばにいてあげるよ」
マチはことあるごとにこんなことを言うのだった。
「どんなのでもって、もし私がアメーバみたいな真核生物でも?」
「アメーバでも好きだよ」
「私も、マチがアメーバでも好き」
赤ら顔の私たちは屋上で「Tomorrow never knows」を歌った。
「はーてしなーいやみのむーこうへーおっおー てをのばそー」
呂律の回らない舌で私たちは叫びながら柵の向こうへ両手をぴんと伸ばした。伸ばした指の先に、滲んでぼやけた街の灯りたちが、きらきらと輝いていた。
私はそのプロポーズを受けることにした。相手は麗さんという人で、マチの紹介で知り合った10歳上の高校の生物の教師だった。マチはあの失恋以来落胆している私を励ますために、荘くんとは真逆のタイプの男を紹介してくれたのだった。交際は、以前の私ではとても考えられないくらいにうまくいった。私は素敵な男をあてがってくれたマチに心の底から感謝した。彼はとても良く尽くしてくれたし、私も彼のことがとても好きだった。彼と付き合い出してから、彼の家に泊まって部屋に帰らないこともしばしばあった。そして私と対照的にマチはその頃からだんだんと不安定になっていった。なにかといらいらしてたまに私にあたるようになったのだ。私は何故そうなったかマチに聞くこともなかった、何となく察しがつくだけに余計聞く気がしなかった。喧嘩も私が帰らなくなった日のぶんだけ増えていった。
ある日3日間麗さんの家に泊まってから帰ると、私の部屋のものが全部廊下に放り出されていた。
「なにこれ」私はこっちを振り向きもしないリビングでソファにかけてテレビを見ているマチに問いかけた。
「もう出て行くのかと思って部屋を片付けといてあげたよ」
「ばかじゃないの?ほんとガキだね」
なんてみっともないんだ。私にいつまでもこだわって、ばかばかしい。
ずかずかと歩いてリビングに入ると不意にマチが振り向いてこっちをきっと睨みつけたので私は立ち竦んでしまった。
「ミコ、ミコの夢は、努力は何だったの?なんで…そんなに簡単に諦めるの?」
マチの声は掠れていた
「前にも言ったけど私には才能がないんだしもう筆を折ったんだよ」
「なんでも手に入れることのできるマチには私のことはわからないよ。知ったような口を聞かないで」
私はいつしか心の何処かで自分の夢と、マチから解放されたいと思い始めていた。
「そういえば言ってなかったんだけど私あの人にプロポーズされたんだ」
マチはまたテレビの方を向いて石像のように固まって何も言わなかった。
「おめでとうとか、ないの?」
マチは依然としてだんまりだった。
そのとき、私の頭のなかでぐわん、という音がした。誰かに後頭部を殴られたような衝撃だった。それから涙が、とめどなく溢れてきた。私は泣きながら廊下に放り出された荷物を出来る限りまとめた。それから麗さんに電話をしてワゴンを出してもらい部屋の私の家具や持ち物を全て、3往復して麗さんの家に運んだ。それっきり、あの部屋には二度と戻らなかった。それはあまりにもあっけない幕切れだった。麗さんは「人のつながりなんて、そんなもんさ」とやけに達観した口ぶりで私を慰めてくれた。3ヶ月後に披露宴の招待をマチにラインしてみたが既読すら付かなかった。
「もう、終わりにしよう」
別れを切り出したのは英治のほうからだった。英治はセックスが終わってしばらくして呟くようにそう言った。実のところ私は、英治のほうからそう言ってくれるのをずっと待っていた。いかにも安ラブホテルの調度品といった感じのチープなガラスのテーブルの上の、パフェ皿の底に残って溶けたソフトクリームがピンクの照明を反射しててらてら光るのを、私は裸でシーツも被らずに茫然と眺めている。英治がシャワーを浴びる音が聞こえる。英治が上がったら私もシャワーしなくちゃ。…どうしてこうなっちゃったんだろう…どうして。やにわにテーブルに起きっぱなしのスマホが震え出した。ガラスの上でがちゃがちゃ騒ぎ立てるそれに私はいらっとして。ぱっと手に取った。その画面には「麗さん」と表示があった。
「来月の裕太の体育祭どうする」
メッセージの内容はこれだけだった。私はスマホの画面を暗転させて枕元にぽんと投げ捨てベッドに潜り込んだ。麗さんと英太にはもう一年以上会っていなかった。毎日仕事漬けで夫と子供を捨てて出て行き、愛人と日中に安ラブホにしけこんでいる私のような女が今更どの面下げて元伴侶と息子に会いに行けばいいんだ。いやだ、このままなにもしていたくない。この地の底のような穴ぐらで、誰にも干渉されずにずっと踞っていたい。
「ミコ、ミコ、ミーティングに遅れちゃうよ。起きて」
そうだ、私は次の作品の企画ミーティングに行かなければならない。何せビッグタイトルのナンバリングだ。集中しなければ。
ミーティングはかなり難航したもののなんとかまとまった。私も英治も、いつものようにメンバーに振る舞った。私たちの関係に気付いている人は、どうやら1人もいないようだった。帰りがけに私と英治は小さな居酒屋に寄った。ここは私たちが関係を持ちだしたころ英治が教えてくれた店だ。
「今度のプロジェクト、うまく行くといいな」英治は燗を呷って少し上機嫌になっていた。昼間のラブホテルでの言葉を取繕うためなのかもしれない。
「なんたってミコには実績があるもんな。大丈夫、ミコならこの先一人でもうまくやっていけるさ」
「聞きたくない…」
「え?」
「「聞きたくない、そんな言葉」」
私は思わずそんなことを口走りそうになったが、かろうじてそれを飲み込んだ。
「英治はどうなの」
「どうって?」
「この前も辞めたがってたじゃん。この仕事、自分に向いてると思う?」
そうだ、私が英治の仕事や家庭の愚痴を聞いてあげるようになったのがこの関係の始まりだった。
「うーん…向いていようが向いてまいが、俺にはやるしかないな。やっぱり何度も言ってるけど、自分の夢のために邁進してきたミコと俺はスタンスが違うよね、それに俺…」
「俺?」促しても英治は先を言うのを躊躇うので私はいらいらした。握りしめた水割りを私はぐいっと飲んだ。
「俺…2人目ができたんだ…」
「ふうん、おめでとう、ね」
「そうなんだ、だから、この関係もそろそろ潮時なのかなって。」
私はカウンターに万札を叩き付けて店をあとにした。なにも英治に腹が立った訳ではない。私は全てがいやになってしまったのだ。夢も、仕事も、家族も。
「違う…私は…私は…」
私は無意識にそう呟きながら明後日の方向へ駆け出していた。後ろで英治が私を呼びかけながら付いてきていたが私はその声がしなくなるまで走り続けた。走って走って、私は知らないバーに駆け込んだ。それからジャックダニエルのロックを注文した。なにも考えたくなかった。ぼうとそれをちびちびなめていると、やにはにスマホがポケットのなかで震えた。英治がなにか取繕うためのメッセージを送ってきたのかと思い私はうんざりしながら画面を見た。しかしそこに表示されていた名前は「英治」ではなく「マチ」だった。
私は反射的にスマホをカウンターに伏せて置いた。そしてウイスキーを飲み干しておそるおそる画面をタップして内容を確認すると。
「久しぶり、突然ですみません。今度会えませんか。」とあった。
私は胸がざわざわした、けれどもう何も考えないことにした。すぐにマチに「いいですよ」と返信した。
待ち合わせは2人が分かりやすい場所が良いとのことで「鯤」にした。私は待ち合わせの時間より少し早くに鯤に来た。
「いらっしゃい。おお、ミコ」
蓮さんは最近白髪が増えたものの相変わらず元気だった。私は鯤には昔のなじみで今でもたまに来るのだ。
「ごぶさたじゃないか。仕事忙しいのか。なんか、顔が疲れてるぞ」
「うん、ちょっと最近いろいろあって、でも大丈夫だよ、ありがとう」
蓮さんはいつでもぶれずに蓮さんなので話していると私は安心する。蓮さんって私にとってオアシスのような人だ。
「今日ね、マチと会うんだ。ここで待ち合わせしてるの」
「マジで!すごいな、何年振りだ?」
「10年振り…」
「そうか、あれから10年も経つのか…なんかあっというまだな」
「うん、いろいろあったね」
本当にいろいろあった。でも、私とマチの時間はあの時のまま止まっている。私が部屋を飛び出したあの日のまま…マチはいったいどうしていたのだろう。
私は緊張してテーブルにかけて俯いていた、しばらくしてドアに取り付けたベルがからん、と鳴った。顔を上げると、入り口にスプリングコートを着たマチが立っていた。そのシルエットは背後から射す春の陽射しに象られていた。
「おおお、マチちゃん!久しぶりー!」
「マスター、お久しぶりです。」
「相変わらずべっぴんさんだね。ここに2人がいるとなんだかあの頃に戻ったようだな。ゆっくりしていってな」
「マスターも相変わらずみたいで。ありがとうございます」
マチははにかんだように微笑みながら、私の向かいに掛けた。私は気恥ずかしかった。何を話したらいいのか全くわからない。マチもそうなのだろう。ずっとそわそわして後ろを振り向いたりしていた。私はマチが少しだけふくよかになっていることに気が付いた。
しばらくしてマチが話し始めた。
「最近いろいろあって考えたの…私どうしてもあのときのこと謝っておきたくて…寂しくてミコを傷つけることしかできなかった。ミコがいないとだめなのは自分のほうなのに、そして、そう思えば思うほど心細かった。こんな風にミコを呼び出して謝るのも独りよがりだけど。どうしてもそれだけは伝えたくて、ほんとにごめんね、ミコ」
そう言ったマチの眼から涙がひとすじ流れ落ちた。
そうか、みんな寂しかったんだ。私とマチだけじゃない。麗も、英治も、それから荘くんだって。ミコの涙を見て私のなかで何かがはらりと落ちていった。それはたぶん、いつの間にか私の心に巣食っていた「あきらめ」のようなものだった。
「いいんだよ、マチ、もういい」
「あ、あり、ありがとう、ミコ、うわーん」
マチはぐしょぐしょに泣いてバッグから出したハンカチで顔を抑えていた。ほかの客もびっくりして、カウンターに掛けているおばあちゃんも「あれあれ」と茶化してきた。私もつられて泣きそうになったがこらえてマチの手をとって店の外へ出た。
私は泣き止んできたマチの手を引いてしばらく歩いた。
「見てマチ、ここのスーパーでよく買い物したよね」
「あっこの公園覚えてる?よくブランコ漕ぎながら酒飲んだよね」
マチは鼻をすすりながら「うん、うん」と相槌をうつ。
春の気持ちのいい暖かい風が、懐かしい気持ちを呼び起こす。マチの手は、あの頃と同じで冷たい。
私はマチの手を引きながらマチとの部屋を後にしてからのことを吶吶と話した。結婚して間もなく、昔穫ったグランプリの作品を目にしたディレクターに大手ゲーム会社のシナリオライターとして抜擢されたこと…麗さんとの子供が産まれたこと…仕事が多忙なのが原因で離婚したこと…仕事が忙しすぎて疲れていること…同僚の不倫相手との関係が終わったこと…
マチは私のところどころくすりと笑いながらただ聞いてくれていた。
「ぜんぶミコだね」
「え?」
「恋愛でポカするのも、仕事や夢に疲れて参っちゃうのもぜんぶあの頃と同じミコだ。ミコは私が知らない間もミコをやってたん��ね」
「たしかに、全部わたしだ。わたしらしい…わたし」
そしてマチもずっとマチだ。あの頃と同じ、強い肯定も否定もせずただ私に寄り添ってくれる。そんなマチを見ていると今日の朝までずっと私を苛んでいた罪の意識や漠然とした憎悪が緩やかに解れていった。
「ねえマチ」
「ん?」
「屋上に行かない?」
私たちの住んでいたマンションはまるでタイムスリップしたかのようにあの頃と同じで、どこも全く変わっていなかった。
いけないことと知りつつ、私はマチの手を引きそうっと忍び足で、屋上への階段を昇る。
私たちは昔のように並んで囲い柵によりかかり街を見渡した。
「どこもかしこもなーんにも変わっていないね」
「そだね、あ、でも私は少し変わったかも」
「どんなところが?」
「私、結婚するんだ。式は挙げないことにしたんだけど。それでね、今お腹に赤ちゃんがいるの」
「え?」
私は不意をつかれて唖然とした。
「何ヶ月?」
「3ヶ月」
「えーっと…夫さんはどんな人?」
「優しい人だよ、今の職場で知り合ったの」
「おめでとう、マチ」
「ありがとう、ミコ」
私たちは手を繋いだまま顔を見合ってくしゃっと笑った。
「これ、覚えてる?」
私はスマホのプレーヤーを開いて再生をタップした。
「うわ、懐かしい、私今でも聴いてるよ」
「私も聴いてる」
あの夜この屋上でマチと一緒に歌った…そしてマチと私を繋ぐきっかけになったこの曲。
「Tomorrow never knows」
私たちはあの頃を思い出しながら小さな声で一緒に歌った。これまでと、これからの全てが、発酵するパン生地みたいに私のなかでふわり広がって行った。
心のまま僕は行くのさ、誰も知ることのない明日へ
そうだ、私とマチは私とマチのままで、あの頃のような万能感はなくともしっかりと歩いて行くんだ。癒えない傷を抱えながら。あらゆる柵に絶えながら。
私たちの目の前には、霞がかってぼやけたなんでもない街が広がっていた。
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テント泊デビューは笠取山
「初めてのテント泊に最適」と噂の奥秩父にある笠取山で、念願のテント泊デビュー。テントは購入から7ヶ月、バックパックは購入から1年…。4月から5月に跨がるこの日、ようやく陽の目を見ることと相成りました。
たまたまだけど、全員青系のバックパック。左脇のOSPREYが私のもの。
1番容量が少ない(52L)のに大きく見えるのは、何故???
ちなみにOSPREYとはミサゴという鳥のことなんだそうですね。
だから鳥のマークなのか…今さらだけど。
今回はリーダーが車を出してくれたので、バスではアクセス出来ない作場平口からスタート!
GWにも拘わらず道がずっと空いていたので「笠取山も今日は人が少ないのかな」思いきや、臨時駐車場はなかなかの混み具合でした。
この登山口の手前にはベンチと公衆トイレもあるので何かと安心です。
ここから山頂までは2時間ほどの道のりですが、登山道は非常によく整備されていて、案内版も多く出て来ます。
とは言え、15キロ(何かパッキングを間違えた)を2時間背負って歩くので、今回は迷わずトレッキング・ポールのお世話になりました。
このような細い沢を何度も渡ります。
「源流のみち」と言うだけあって、水がとっても綺麗♬
ほどなく、一休坂分岐に到着。ベンチで休む人達がいました。
ここは山梨県の筈だけど、東京都水道局が管理しているんですね。
ここ数日、結構雨が降ったので水量は豊富ですね。
晴れて暑くなって来たけれど、沢の音に癒されます。
何度か沢を渡って、ヤブ沢に到着。
テント場まではあと20分ほどですが、ベンチで少し行動食を摂りました。
この辺りにはモフモフの苔の生えた岩も。触ると気持ち良い♬
途中、大菩薩嶺が見える尾根がありました。綺麗な山容ですね。
程なく、テント場が見えて来ました!
ちなみに道の左手に見えるのはバイオトイレ。臭くなくて綺麗でした。
ここが笠取小屋です。
ビール(500円)やコーヒー&ソフトドリンク(200円)の販売もしています。
テントは1張り700円。
小屋の前の広場。テーブルとベンチがあり、夕食・朝食はここで食べました。
水場はこの下にありました。
小屋の裏手の綺麗に整地された場所を指定され、さっそく設営。
家で何度か練習はしたものの、先にペグを打たなかったせいでポールの組立に苦労しました。
長辺入口に拘ってのNEMOのアトム2Pでしたが、何だか一人で場所取ってますね…。
昼食を作るため、水を確保。
うっかり1Lのプラティパスを持参したけれど、2Lの方を持ってくれば水汲みも一度で済んだな…と気付いたのでした。
お昼は五木の「熊本もっこすラーメン」。
マルタイの棒ラーメンは2食入りですが、これは1食入りなので薄くて持ち運びに便利です(麺もマルタイよりやや太め)。
普段はラーメン断ちをしているので、山で食べると格別なのです。
テントを張った場所の正面に低いテーブルがあったので���そこで作りました。
ランチの後は、笠取山の山頂へ向かいます。
先ずは歩きやすい木道で雁峠分岐まで。やっぱり東京都水道局の管轄なのね。
何故かと言えば、ここには「小さな分水嶺」があるから。
ここに降った雨粒は3方向へ分かれ、多摩川、荒川、富士川となるそうで。
多摩川側の水は先ほどの沢→奥多摩湖→多摩川となって東京都民の口に入る。だから東京都水道局。なるほどね。
詳しい説明はこちらをご参照くださいませ。
私もここに降った水を飲んでいる訳ですね。
ほんの数センチずれただけで、違う川へと流れ込むとは面白い…雨粒の運命。
南アルプス方面も見えました。
さあ、いよいよ山頂アタックです。
これがかの有名な急登なのね…。ほぼ一本道ですな。
斜面の中腹にて。下から撮って貰うとこんな感じ。
ここでも迷わずポールを使います。リーダーはテントに置いて来たそうで。
見下ろすと、まるでゲレンデにいるかのよう。直滑降したくなっちゃう!
ここを登っている途中、山頂から戻ってくる女性と少し会話しました。
一休坂分岐やヤブ沢他、ベンチがある毎に座っていた方だなと思ったら、
登山靴のつま先が両方ともパッカン(剥離)してしまったのだそう。
だから気になってベンチがあるごとに座って様子を確認していたのね…。
何でも、山小屋でもらったガムテープでグルグル巻きにして応急処置したとか。
実際に目にしたのは10年前の屋久島以来だけど、可能性としてある事なのね。
やっぱりダクトテープと予備の靴紐を持ち歩くのは続けようっと!
山頂(山梨県側)に到着。本当の山頂は更に奥なのだそうです。
ここの尾根が、山梨と埼玉の県境なのですね。
先ほどよりも雲が増えて、真っ正面の富士山が殆ど隠れてしまいました。
リーダーがお湯を沸かしてくれたので、粉末のカフェ・オ・レを!
他に誰も居ない山頂で、優雅な時間を過ごしました♬
ちなみに、本当の山頂(埼玉県側)はこちら。1,953m。渋い!
ここまでの道は思っていた以上に険しく、切れ落ちている箇所もありました。
ここからの景色も良し。
手前の岩の模様が不思議…というか、不気味。
お次は「水干(みずひ)」に向かいます。
ここはあと数週間でシャクナゲ(石楠花)ロードになりそうですね。
水干へのショートカットルートを下って来ました。
ここもなかなか急な坂でした…靴紐締めてなくて、つま先が痛い。
水干に到着。奥の洞穴へとしみ出した一滴が、多摩川の源流だそうです。
先ほどの分水嶺に降った雨水が、地層を通ってここに出て来る…と。
東京湾まで138km、長い道のりですね〜。
詳しくはこちら。多摩川の最初の一滴、しかと見ました!
テント場へ戻り、夕飯と朝食用の水を汲みに。
先ほどは気付かなかった水芭蕉が咲いていました。もう終わりかけですね。
夕飯は豪華メニュー。ステーキ、お餅ピザ、キノコソテー、水餃子…。
お肉は生藤山で見て以来、頭に焼き付いてしまった私のリクエスト。
リーダー、2キロもある鉄板を運ばせてゴメンナサイ…。
A4ランクの希少部位、とっても美味しかったです!
私は4種のキノコソテーと具沢山のポテトサラダを担当。
なんちゃってコーラと共に頂きました。
本当はデザートも用意されていたのですが、満腹なので明日の朝食後に。
夕飯を食べている途中から霧が濃くなり、星空は拝めませんでした。
テントの中。メルカリで買ったCARRY THE SUN(キャリー ザ・サン)。
吊る仕方が逆ですね。帰って写真見て気付きました。
家で試しに吊した時は正しく出来てたのに…テンパってたな、私。
それなりに明るかったから全然気付かなかった…。
天井には予めガイラインを張っておき、靴下などを干しました。
それにしても、回りのイビキが煩いな〜。耳栓持って来て良かったよ〜。
本当は御来光を見る予定でしたが、21:30頃から雨が降り出し、明け方まで。
そのまま朝食だけ食べて下山も寂しいので、霧の中を分水嶺まで散歩。
昨日は別の山のように、南アルプス方面も真っ白になっています。
これが昨夜頂く予定だったデザート。杏仁豆腐の苺添え。
山での食事とは思えません…。持ち寄り料理、楽しいですね。
食後は、木々からポタポタ降ってくる水滴と闘いながらのテント撤収。
濡れたテントを片付けるのは確かに大変だったけれど、
初めてのテント泊でコレを経験しておけば、次回以降は楽になるはず!
お陰で、パッキングについて改善すべき点が浮き彫りになりました。
帰りはお喋りしながらノンストップで一休坂分岐まで。
往きは気付かなかったけれど、オオカメノキの花が綺麗に咲いていました。
作場平まで降りると、昨日山頂手前で会話した女性に遭遇。
大型のバイクにテントを括り付けて荷造り中とは…格好良すぎる!!!
下山後は「道の駅たばやま」にある「丹波山温泉のめこい湯」でサッパリし、
リーダーの希望で奥多摩湖沿いにある定食屋「島勝」さんへ。
テレビでも取り上げられる有名店らしく混んでおり、外で少し待ちました。
こちらの人気メニューは「とろろめし定食」(写真奥)らしいのですが、
店名からトンカツの店と勘違いしていた私はすっかりカツの口になっており、
たまたまカツ丼定食があったので迷わずそちらを注文しました。
ちなみに他の3人は、ちゃんと名物の定食を食べていましたよ。
それにしても、今回は完全に肉食旅だったなぁ。
はぁ〜、体重計に乗るのが怖い…(しっかり増えてた)。
初めてのテント泊、星空と御来光はお預けとなったものの、
雨の降る夜を経験出来たのは、ある意味収穫。
帰ってからの道具の後片付けが大変だったけれど、それも経験ということで。
まだ少し先になりそうですが、次回のテント泊が楽しみです♬
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