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#海雲台海水浴場
huang0415 · 1 year
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2023【雲林兩天一夜小旅行】美食.景點親子推薦
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fukagawakaidan · 1 month
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「お化けの棲家」に登場したお化け。
1、骨女〔ほねおんな〕 鳥山石燕の「今昔画 図続百鬼』に骨だけ の女として描かれ、 【これは御伽ぼうこうに見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交をなせし形にして、もとは剪灯新話のうちに牡丹灯記とてあり】と記されている。石燕が描いた骨女 は、「伽婢子」「牡丹灯籠」に出てくる女つゆの亡霊、弥子(三遊亭円朝の「怪談牡丹灯 籠」ではお露にあたる)のことをいっている。これとは別物だと思うが、「東北怪談の旅」にも骨女という妖怪がある。 安永7年~8年(1778年~1779年)の青森に現れたもので、盆の晩、骸骨女がカタリカタリと音をたてて町中を歩いたという。この骨女は、生前は醜いといわれていたが、 死んでからの骸骨の容姿が優れているので、 人々に見せるために出歩くのだという。魚の骨をしゃぶることを好み、高僧に出会うと崩れ落ちてしまうという。 「鳥山石燕 画図百鬼夜行」高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 「東北怪談の旅」山田 野理夫
2、堀田様のお人形
以下の話が伝わっている。 「佐賀町に堀田様の下屋敷があって、うちの先祖はそこの出入りだったの。それで、先代のおばあさんが堀田様から“金太郎”の人形を拝領になって「赤ちゃん、赤ちゃん」といわれていたんだけど、この人形に魂が入っちゃって。関東大震災のとき、人形と一緒に逃げたら箱の中であちこちぶつけてこぶができたから、修復してもらうのに鼠屋っていう人形師に預けたんだけど少しすると修復されずに返ってきた。聞くと「夜になると人形が夜泣きしてまずいんです」と言われた。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
3、ハサミの付喪神(つくもがみ)
九十九神とも表記される。室町時代に描かれた「付喪神絵巻」には、「陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を訛かす、是を付喪神と号といへり」 という巻頭の文がある。 煤祓いで捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返しをするという内容だ が、古来日本では、器物も歳月を経ると、怪しい能力を持つと考えられていた。 民俗資料にも擂り粉木(すりこぎ)や杓文字、枕や蒲団といった器物や道具が化けた話しがある。それらは付喪神とよばれていないが、基本的な考え方は「付喪神絵巻」にあるようなことと同じで あろう。 (吉川観方『絵画に見えたる妖怪』)
4、五徳猫(ごとくねこ)  五徳猫は鳥山石燕「画図百器徒然袋」に尾が2つに分かれた猫又の姿として描かれており、「七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者と言いしためしも あれば、この猫もいかなることをか忘れけんと、夢の中におもひぬ」とある。鳥山石燕「画図百器徒然袋」の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれた五徳猫を頭に 乗せた妖怪をモデルとし、内容は「徒然袋」にある「平家物語」の 作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だったが、七徳の舞という、唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、2つを忘れてしまったために、五徳の冠者のあだ名がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫はこのエピソードと、囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛けて創作された 妖怪なのであろう。ちなみに土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれている妖怪は、手には火吹き 竹を持っているが、猫の妖怪ではなさそうである。 ( 高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』)→鳥山石燕『百器徒然袋』より 「五徳猫」
5、のっぺらぼー 設置予定場所:梅の井 柳下 永代の辺りで人魂を見たという古老の話しです。その他にも、背中からおんぶされて、みたら三つ目 小僧だったり、渋沢倉庫の横の河岸の辺りでのっぺらぼーを見たという話しが残っています。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収) のっぺらぼーは、顔になにもない卵のような顔の妖怪。特に小泉八雲『怪談』にある、ムジナの話が良く知られている。ある男が東京赤坂の紀国坂で目鼻口のない女に出会い、驚き逃げて蕎麦 屋台の主人に話すと、その顔も同じだったという話。その顔も同じだったという話。
6、アマビエアマビエ 弘化3年(1846年) 4月中旬と記 された瓦版に書かれているもの。 肥後国(熊本県)の海中に毎夜光るものが あるので、ある役人が行ってみたところ、ア マビエと名乗る化け物が現れて、「当年より はやりやまいはや 6ヵ月は豊作となるが、もし流行病が流行ったら人々に私の写しを見せるように」といって、再び海中に没したという。この瓦版には、髪の毛が長く、くちばしを持った人魚のようなアマビエの姿が描かれ、肥後の役人が写したとある。 湯本豪一の「明治妖怪新聞」によれば、アマピエはアマピコのことではないかという。 アマピコは瓦版や絵入り新聞に見える妖怪で、 あま彦、天彦、天日子などと書かれる。件やクダ部、神社姫といった、病気や豊凶の予言をし、その絵姿を持っていれば難から逃れられるという妖怪とほぼ同じものといえる。 アマビコの記事を別の瓦版に写す際、間違 えてアマビエと記してしまったのだというのが湯本説である。 『明治妖怪新聞」湯本豪一「『妖怪展 現代に 蘇る百鬼夜行』川崎市市民ミュージアム編
7、かさばけ(傘お化け) 設置予定場所:多田屋の入口作品です。 一つ目あるいは、二つ目がついた傘から2本の腕が伸び、一本足でピョンピョン跳ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に現れたなどの記録はないようである。(阿部主計『妖怪学入門』)歌川芳員「百種怪談妖物双六」に描 かれて��る傘の妖怪「一本足」
8、猫股(ねこまた)  猫股は化け猫で、尻尾が二股になるまで、齢を経た猫 で、さまざまな怪しいふるまいをすると恐れられた。人をあざむき、人を食らうともいわれる。飼い猫が年をとり、猫股になるため、猫を長く飼うもので はないとか、齢を経た飼い猫は家を離れて山に入り、猫股 になるなどと、各地に俗信がある。 このような猫の持つ妖力から、歌舞伎ではお騒動と化け猫をからめて「猫騒動もの」のジャンルがあり、
「岡崎の猫」「鍋島の猫」「有馬の猫」が三代化け猫とされる。
9、毛羽毛現(けうけげん) 設置予定場所:相模屋の庭 鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」に毛むくじゃらの妖怪として描かれた もので、 「毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふ か。或いは希有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなれば なりとぞ」とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陝西省陰県の西 獄華山)に住み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため 山に逃げ込んだ。そのとき、谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと「列仙伝」にある。この毛羽毛現は家の周辺でじめじめした場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖 怪のようである。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』→鳥山石燕「今昔百鬼 拾遺」より「毛羽毛現」
10、河童(かっぱ) 設置予定場所:猪牙船 ◇ 河童(『耳袋』) 江戸時代、仙台藩の蔵屋敷に近い仙台堀には河童が出たと言われています。これは、子どもたちが、 なんの前触れもなく掘割におちてしまう事が続き探索したところ、泥の中から河童が出てきたというも のです。その河童は、仙台藩の人により塩漬けにして屋敷に保管したそうです。 ◇ 河童、深川で捕獲される「河童・川太郎図」/国立歴史民俗博物館蔵 深川木場で捕獲された河童。河童は川や沼を住処とする妖怪で、人を水中に引き込む等の悪事を働く 反面、水の恵みをもたらす霊力の持ち主として畏怖されていた ◇ 河童の伝説(『江戸深川情緒の研究』) 安永年間(1772~1781) 深川入船町であった話しです。ある男が水浴びをしていると、河童がその男 を捕えようとしました。しかし、男はとても強力だったので逆に河童を捕えて陸に引き上げ三十三間堂の前で殴り殺そうとしたところ、通りかかった人々が河童を助けました。それ以来、深川では河童が人 間を捕らなくなったといいます。→妖怪画で知られる鳥山石燕による河童
11、白容商〔しろうねり〕
鳥山石燕「画図百器 徒然袋」に描かれ、【白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ】 と解説されている。白うるりとは、吉田兼好の『徒然草」第六十段に登場する、 芋頭(いもがしら)が異常に好きな坊主のあだ名である。  この白うるりという名前に倣って、布雑巾 の化けたものを白容裔(しろうねり)と名づけたといっているので、つまりは石燕の創作妖怪であろう。古い雑巾などが化けて人を襲う、などの説 明がされることがあるが、これは山田野理夫 の『東北怪談の旅』にある古雑巾の妖怪を白 容裔の話として使ったにすぎない。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編
12、轆轤首〔ろくろくび〕
抜け首、飛頭蛮とも つな いう。身体から首が完全に分離して活動する ものと、細紐のような首で身体と頭が繋がっているものの二形態があるようである。 日本の文献には江戸時代から多くみえはじ め、『古今百物語評判』『太平百物語』『新説 百物語」などの怪談集や、『甲子夜話』『耳 囊」「北窓瑣談」「蕉斎筆記』『閑田耕筆』と いった随筆の他、石燕の『画図百鬼夜行」に 代表される妖怪画にも多く描かれた。 一般的な轆轤首の話としては、夜中に首が 抜け出たところを誰かに目撃されたとする内 容がほとんどで、下働きの女や遊女、女房、 娘などと女性である場合が多い。 男の轆轤首は「蕉斎筆記』にみえる。 ある夜、増上寺の和尚の胸の辺りに人の 首が来たので、そのまま取って投げつけると、 どこかへいってしまった。翌朝、気分が悪いと訴えて寝ていた下総出 身の下働きの男が、昼過ぎに起き出して、和 尚に暇を乞うた。わけ その理由を問えば、「昨夜お部屋に首が参りませんでしたか」と妙なことを訊く。確か に来たと答えると、「私には抜け首の病があります。昨日、手水鉢に水を入れるのが遅い とお叱りを受けましたが、そんなにお叱りに なることもないのにと思っていると、 夜中に首が抜けてしまったのです」 といって、これ以上は奉公に差支えがあるからと里に帰って しまった。 下総国にはこの病が多いそうだと、 「蕉斎筆記』は記している。  轆轤首を飛頭蛮と表記する文献があるが、 これはもともと中国由来のものである。「和漢三才図会』では、『三才図会」「南方異 物誌」「太平広記」「搜神記』といった中国の 書籍を引いて、飛頭蛮が大闍波国(ジャワ) や嶺南(広東、広西、ベトナム)、竜城(熱 洞省朝陽県の西南の地)の西南に出没したことを述べている。昼間は人間と変わらないが、夜になると首 が分離し、耳を翼にして飛び回る。虫、蟹、 ミミズなどを捕食して、朝になると元通りの 身体になる。この種族は首の周囲に赤い糸のような傷跡がある、などの特徴を記している。中国南部や東南アジアには、古くから首だけの妖怪が伝わっており、マレーシアのポン ティアナやペナンガルなどは、現在でもその 存在が信じられている。 日本の轆轤首は、こうした中国、東南アジ アの妖怪がその原型になっているようである。 また、離魂病とでもいうのだろうか、睡眠中に魂が抜け出てしまう怪異譚がある。例えば「曽呂利物語」に「女の妄念迷い歩 <事」という話がある。ある女の魂が睡眠中に身体から抜け出て、 野外で鶏になったり女の首になったりしているところを旅人に目撃される。旅人は刀を抜いてその首を追いかけていく と、首はある家に入っていく。すると、その家から女房らしき声が聞こえ、 「ああ恐ろしい夢を見た。刀を抜いた男が追 いかけてきて、家まで逃げてきたところで目 が醒めた」などといっていたという話である。これの類話は現代の民俗資料にも見え、抜け出た魂は火の玉や首となって目撃されている。先に紹介した「蕉斎筆記』の男の轆轤首 も、これと同じように遊離する魂ということ で説明ができるだろう。 轆轤首という妖怪は、中国や東南アジア由 来の首の妖怪や、離魂病の怪異譚、見世物に 出た作りものの轆轤首などが影響しあって、 日本独自の妖怪となっていったようである。 【和漢三才図会』寺島良安編・島田勇雄・竹 島淳夫・樋口元巳訳注 『江戸怪談集(中)』 高田衛編/校注『妖異博物館』柴田宵曲 『随筆辞典奇談異聞編」柴田宵曲編 『日本 怪談集 妖怪篇』今野円輔編著 『大語園』巌谷小波編
13、加牟波理入道〔がんばりにゅうどう〕
雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の「画図百鬼夜行」には、便所の台があるよう 脇で口から鳥を吐く入道姿の妖怪として描かれており、【大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道郭公」と唱ふれば、妖怪を見さるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠 神名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍 とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日 は龕のの談なるべし】と解説されている。 松浦静山の『甲子夜話」では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、 その頭を取って左の袖に入れてまたとりだすと 頭は小判に変化するなどの記述がある。 「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異 にあわないというのは、江戸時代にいわれた 俗信だが、この呪文はよい効果を生む(前述 ことわざわざわい ●小判を得る話を含め)場合と、禍をよぶ 場合があるようで、「諺苑」には、大晦日に この話を思い出せば不祥なりと書かれている。 また、石燕は郭公と書いてホトトギスと読ませているが、これは江戸時代では郭公とホト トギスが混同されていたことによる。 ホトトギスと便所との関係は中国由来のようで、「荊楚歲時記』にその記述が見える。 ホトトギスの初鳴きを一番最初に聞いたもの は別離することになるとか、その声を真似すると吐血するなどといったことが記されており、厠に入ってこの声を聞くと、不祥事が起 こるとある。これを避けるには、犬の声を出 して答えればよいとあるが、なぜかこの部分 だけは日本では広まらなかったようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『江戸文学俗信辞典』 石川一郎編『史実と伝説の間」李家正文
14、三つ目小僧
顔に三つの目を持つ童子姿の妖怪。 長野県東筑摩郡教育委員会による調査資料に名は見られるが、資料中には名前があるのみ で解説は無く、どのような妖怪かは詳細に語られていない。 東京の下谷にあった高厳寺という寺では、タヌキが三つ目小僧に化けて現れたという。このタヌ キは本来、百年以上前の修行熱心な和尚が境内に住まわせて寵愛していたために寺に住みついたものだが、それ以来、寺を汚したり荒らしたりする者に対しては妖怪となって現れるようになり、体の大きさを変えたり提灯を明滅させて人を脅したり、人を溝に放り込んだりしたので、人はこれ を高厳寺小僧と呼んで恐れたという。困った寺は、このタヌキを小僧稲荷として境内に祀った。この寺は現存せず、小僧稲荷は巣鴨町に移転している。 また、本所七不思議の一つ・置行堀の近くに住んでいたタヌキが三つ目小僧に化けて人を脅したという言い伝えもある。日野巌・日野綏彦 著「日本妖怪変化語彙」、村上健司校訂 編『動物妖怪譚』 下、中央公論新社〈中公文庫〉、2006年、301頁。 佐藤隆三『江戸伝説』坂本書店、1926年、79-81頁。 『江戸伝説』、147-148頁。
15、双頭の蛇 設置予定場所:水茶屋 「兎園小説」には、「両頭蛇」として以下の内容が著してある。 「文政7年(1824)11月24日、本所竪川通りの町方掛り浚場所で、卯之助という男性 が両頭の蛇を捕まえた。長さは3尺あったという。」
文政7年(1824)11月24日、一の橋より二十町程東よりの川(竪川、現墨田区)で、三尺程の 「両頭之蛇」がかかったと言う話です。詳細な図解が示されています。 (曲亭馬琴「兎園小説」所収『兎園小説』(屋代弘賢編『弘賢随筆』所収) 滝沢馬琴他編 文政8年(1825) 国立公文書館蔵
16、深川心行寺の泣き茶釜
文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られています。群馬県館林の茂 林寺の話が有名ですが、深川2丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したといいます。『新撰東京名所図会』 の心行寺の記述には「什宝には、狩野春湖筆涅槃像一幅 ―及び文福茶釜(泣茶釜と称す)とあり」 とあります。また、小説家の泉鏡花『深川浅景』の中で、この茶釜を紹介しています。残念ながら、関 東大震災(1923年)で泣茶釜は、他の什物とともに焼失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が 化けたという同名が残るのみです。鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」には、館林の茂森寺(もりんじ)に伝わる茶釜の話があります。いくら湯を 汲んでも尽きず、福を分け与える釜といわれています。 【主な参考資料】村上健司 編著/水木しげる 画『日本妖怪大辞典』(角川出版)
17、家鳴(やなり) 設置予定場所:大吉、松次郎の家の下)  家鳴りは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に描かれたものだが、(石燕は鳴屋と表記)、とくに解説はつけられて いない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の 「画図百鬼夜行」では、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで描いており、家鳴りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。 昔は何でもないのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのような妖怪のしわざだと考えたようである。小泉八雲は「化け物の歌」の中で、「ヤナリといふ語の・・・それは地震中、家屋の震動 する音を意味するとだけ我々に語って・・・その薄気 味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし此語 はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居た もので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また) ヤナ リと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る 家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像してゐたものである」と延べ、「狂歌百物語」に記載された「床の間に活けし立ち木も倒れけりやなりに山の動く掛軸」という歌を紹介している。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』、『小泉八雲全集』第7巻)
18、しょうけら 設置予定場所:おしづの家の屋根 鳥山石燕「画図百鬼夜行」に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、 ショウケラは庚申(こうしん) 信仰に関係したものといわれる。 庚申信仰は道教の三尸(さんし)説がもとにあるといわ れ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身 体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を告げる。この報告により天帝は人の命を奪うと信じられ、対策とし て、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出さ ないようにした。また、これによる害を防ぐために「ショウケラはわたとてまたか我宿へねぬぞねたかぞねたかぞ ねぬば」との呪文も伝わっている。 石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。
19、蔵の大足
御手洗主計という旗本の屋敷に現れた、長さ3尺程(約9m)の大足。(「やまと新聞」明治20年4月29日より)
20、お岩ちょうちん
四世鶴屋南北の代表作である「東海道四谷怪談」のお岩 を、葛飾北斎は「百物語シリーズ」の中で破れ提灯にお岩が 宿る斬新な構図で描いている。北斎は同シリーズで、当時の 怪談話のもう一人のヒロインである「番町皿屋敷のお菊」も描 く。「東海道四谷怪談」は、四世南北が暮らし、没した深川を舞台にした生世話物(きぜわもの)の最高傑作。文政8年(1825) 7月中村座初演。深川に住んだ七代目市川團十郎が民谷伊 右衛門を、三代目尾上菊五郎がお岩を演じた。そのストーリーは当時評判だった実話を南北が取材して描 いている。男女が戸板にくくられて神田川に流された話、また 砂村隠亡堀に流れついた心中物の話など。「砂村隠亡堀の場」、「深川三角屋敷の場」など、「四谷怪 談」の中で深川は重要な舞台として登場する。
21、管狐(くだぎつね)  長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東 南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は鼬(いたち)と鼠(ねずみ)の中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わる個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という表現をしている。管狐を飼うと金持ちになるといった伝承はほとんどの土地でいわれることで、これは管 狐を使って他家から金や品物を集めているからだなどという。また、一旦は裕福になるが、管狐は 大食漢で、しかも75匹にも増えるのでやがては食いつぶされるといわれている。 同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐が勝手に行動して金品を集 めたり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐の場合は使う者の意図によって行動すると考えられているようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山 (きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏は それを竹筒の中で飼育し、���狐の能力を使うことで不思議な術を行った。 管狐は食事を与えると、人の心の中や考えていることを悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の 命令で人に取り憑き、病気にしたりするのである。このような山伏は狐使いと呼ばれ、自在に狐を 使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、いったん竹筒から抜け出た狐を再び元に 戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令する者がいないので、人に憑くことはないという。 (石塚尊俊『日本の憑きもの』、桜井徳太郎編『民間信仰辞典』、金子準二編著『日本狐憑史資料 集成』)
22、かいなで 設置予定場所: 長屋の厠 京都府でいう妖怪。カイナゼともいう。節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文を唱えればよいという。 昭和17年(1942年)頃の大阪市立木川小学校では、女子便所に入ると、どこからともなく「赤い 紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなければ何事もないが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があったという。いわゆる学校の怪談というものだが、 類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校の便所を使うことはないだろうから、節分の夜という条件が消失してしまったのだろう。 しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜とは、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に求められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。 寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび) (何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、 本妻がそれを妬み、旧暦正月 15 日に便所で何媚を殺害した。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に、何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神として祭祀するようになったという(この紫姑神は日本の便所神だけではなく、花子さんや紫婆(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神のルーツとするのは安易だが、影響を受けていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ、その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれてくるようである。 新潟県柏崎では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた灯明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山田野理夫『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「神くれ神くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月までまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものといえる。また、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えて いる。便所神の祭りで紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の 男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろう か、白い紙やろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったのではないだろうか。さらに、学校の怪談で語られる便所の怪異では、妖怪化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というようになり、より妖怪化が進ん でいったようである。こうしてみると、近年の小学生は古い信仰の断片を口コミで伝え残しているともいえる。 島根県出雲の佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデという が、氏子がこの日の夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝 承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるのかもしれない。 (民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙』、大塚民俗学会編『日本民俗学事典』、『民間伝承』通巻 173号(川端豊彦「厠神とタカガミと」)ほか)
23、木まくら 展示予定場所:政助の布団の上 江東区富岡にあった三十三間堂の側の家に住んだ医師が病気になり、元凶を探した所 黒く汚れた木枕が出た。その枕を焼くと、死体を焼く匂いがして、人を焼くのと同じ時間がかかったという。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
24、油赤子〔あぶらあかご〕鳥山石燕の『今昔 画図続百鬼』に描かれた妖怪。【近江国大津 の八町に、玉のごとくの火飛行する事あり。土人云「むかし志賀の里に油うるものあり。 夜毎に大津辻の地蔵の油をぬすみけるが、その者死て魂魄炎となりて、今に迷いの火となれる」とぞ。しからば油をなむる赤子は此ものの再生せしにや】と記されている。 石燕が引いている【むかし志賀(滋賀) の】の部分は、「諸国里人談』や『本朝故事 因縁集」にある油盗みの火のことである。油盗みの火とは、昔、夜毎に大津辻の地蔵 の油を盗んで売っていた油売りがいたが、死 後は火の玉となり、近江大津(滋賀県大津 市)の八町を縦横に飛行してまわったという もの。石燕はこの怪火をヒントに、油を嘗める赤ん坊を創作したようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『一冊で日本怪異文学 100冊を読む」檜谷昭彦監修『日本随筆大成編集部編
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lilgurlcollins · 6 months
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旅日記⑤ in South Korea🇰🇷
Busan編
釜山に旅行してか3ヶ月経ってしまいましたが、旅日記は残すべく、今更ながら思い出語り。
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何日に何したか、どこのお店行ったかの記憶が朧げなので釜山の魅力を書きます😭次の旅行はその日に書こう。反省。
釜山とソウルどちらも行った身としては、韓国に旅行してみたいけどどこ行こう?という人に、断然釜山をおすすめしたい。(美容にさほど興味のない男性は尚のこと)
釜山の魅力
①ソウルで味わえるようなご飯屋さんは網羅されてる上に、釜山ならではの新鮮な海鮮のお店が多い(し、ちゃんと美味しい)。カンジャンケジャン(写真5枚目)の艶ヤバくないですか?生臭さなんてものは一切なくて、とても美味しかった。
②都会と自然が両方ある。
釜山でいちばん思い出に残っているのは海(海雲台海水浴場:写真1,2枚目)。2枚目の電車はガイドブックに載っているので、多くの観光客が訪れるスポットだけど、予約した乗車時間までの暇つぶしで近辺を散歩していたらたまたま海辺まで辿り着けた。海青くてちゃんと綺麗だな?!!?!?!と興奮した。
Sydneyでもそうだったのだけど、高層ビルと綺麗な海が隣接している絵面が個人的にたまらなく好きで、地震大国の日本では見られない光景なのが少し残念。
③ローカルな朝ごはん屋さんが多い。
これもまた日本にはあまり馴染みのない文化だけど、海外では朝ごはんを外で食べる習慣が根付いている気がする。
美味しかった朝ごはん3選
(1)カルグクス(写真下)
カルグクス(「カル」=包丁,「グクス」=麺)は「韓国風うどん」とも呼ばれていて、味のバリエーションがとても豊富(訪れたお店はいりこの出し汁を売りにしていた)。先輩たちはソンカルグクス(温)、私はネンカルグクス(冷)を注文。優しい味のスープで目が覚めました。
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(2)ソコギクッパ(写真下)
ソコギクッパ(「ソコギ」=牛🐄)は、もやしや大根などの野菜を大釜にたっぷり入れ、牛肉と一緒に煮込んだスープ。韓国では二日酔いの日は朝に食べるのが定番らしい。個人的にはデジクッパより好みだった。
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(3)デジクッパ(写真下)
デジクッパ(「デジ」=豚🐖)は、豚骨を丸1日かけてじっくりと煮込んで出汁を取ったスープに、茹でた豚肉とねぎとご飯を加えて、たくさんの種類の薬味の中から好みの味付けをして食べる料理。西面にはデジクッパ通りというのがあるくらい人気の料理で、とても美味しかった。
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※ 「クッパ」はスープと米を混ぜた料理。お米も入ってるのでお腹も溜まる。
④観光地らしい観光地が結構豊富。↓
甘川洞文化村(山の斜面に建物が連なってて「韓国のマチュ・ピチュ」といわれている美しい村。星の王子さまのオブジェが有名)
海東龍宮寺(韓国でいちばん美しいと有名な寺。寺に向かう108段の階段を降りる(登るんじゃなくて?!)と願いが叶うらしい)
国際市場(なんか栄えてる市場。)
五六島スカイウォーク(崖の上から海上に突き出したガラス張りの展望台で、高所恐怖症の人は多分無理。)
釜山ダイヤモンドタワー(夜景スポット、たぶん日本でいう東京タワーみたいなやつ)
海雲台(釜山でいちばん有名なリゾートビーチ。海めっちゃ綺麗。今回の旅でいちばん良かったスポット)
海雲台ブルーラインパーク(4人乗りのノロノロ列車なので1人で乗ったら多分暇だけど、カラフルで可愛いし綺麗な海をずっと一望できるからおすすめ)
南浦洞(釜山のキラキラ繁華街。渋谷っぽかったです)
とかとか、他にも韓流の『サムマイウェイ』のロケ地もあって3泊4日では全然制覇できなかったくらいに観光地多い。ソウルは観光地らしい観光地が少ないイメージだからそこに関しては釜山の方が充実してた。
⑤百貨店やブランド通りもあるので、ほぼ有名なブランドやスポーツ用品店は揃っていて(調べたら多少はソウルにしかないものもあるんだろうけど)、ソウルと同じくらい買い物も楽しめる。
釜山にしかないOPTATUMのハンドクリーム、ぜひお土産に購入してください。
North faceのホワイトレーベル(韓国限定ブランド)のトップスを罪滅ぼしで兄にお土産で購入した😅(正月の航空事故の影響で福岡からギリギリ東京に到着した際、タクシー待ちの列が5時間で、韓国行きの成田便に間に合わない〜と詰んでいた妹を、国試1ヶ月切っていたのにレンタカーで千葉から迎えに来てくれました、、神)
ちなみに屋台もソウルと同じくらい栄えてて楽しかった。屋台のホットク、毎日食べたい。
⑥街の散策が苦じゃない。
個人的な印象だけど、ソウルよりも一駅間を歩くのが苦じゃなかったような気がする。たくさんご飯を食べた後、次の目的地まで二駅だから歩いちゃおう!みたいなことができて良かった。
韓国旅行はグルメメインになるので、胃もたれでしんどくなるイメージが強かったけど、歩きやすい街並みと胃に優しい朝ごはんのおかげで、たくさん食べてたくさん歩いて健康な旅!という感じでした。
⑥ソウルと比べてローカルな都市なだけあって、人との距離が近め(な気がした)。
電車にて3人で日本語で喋っていたら隣に座っていたおじさんたちから話しかけられたり、お店で鍋を突いていたら隣のお姉さんたから声をかけられたり。みんな親切であったかくてなんて素敵な街なんだ〜!と思った。
余談)
新世界百貨店の新世界スパランドもおすすめ(10種類以上のチムジルバンがあって、一番高い温度のチムジルバンは79度)。温泉のあとのご飯が美味しいっていう文化は世界共通なのか。
写真7枚目のフレーク入りヨーグルトは韓国の定番の朝ごはんで、美味しすぎるので日本でも売ってほしい。欲張ってたくさんスーツケースに詰めたら、飛行機の気圧で潰れてスーツケースがヨーグルトまみれになりました。ビニール袋に入れておくべきだった。
タラタラ感想を述べたらえげつない長文日記になってしまいましたが、大好きな先輩2人と楽しい3泊4日を過ごせて幸せな渡韓だった。
またどこか旅行しましょうね🙈
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lampofhope · 6 months
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タイ旅行VOL??
もう書いていてVOLいくつなのか分からなくなった二日目(^^;;
この日何を思ったか『海に行きたいんだよね』という一人の言葉から海を目指すことに
本人は事前に調べていたらしいのだけど、流石にタイ=海という印象がゼロだった僕は不安で仕方なかった笑
さて、海に何で行くのか?
これを調べるところから始めるのだけど、何となく日本で言う高速バス乗り場的な物があって、そこからビーチの名前と同じ地域に行くバスがあることが分かった
ビーチの名前は…忘れたので今Googleマップで見たら多分『バンセーンビーチ』(Bang Saen Beach)
バンコクから日帰りできる(このうたい文句が後で大変なことになるけれど)とあって気軽に向かうことに
バスチケットを買うところから大変!何だか分からないけれど、チケット���りの人たちが窓口から身を乗り出してタイ語で?「ウチのバスに乗ってくれぇ!」と言ってるかどうかは分からないけれど何だか激しい勧誘(^◇^;)
アルファベットで Bang Seanの文字を見つけ、カタコトの英語でバンセーンに行きたい!と伝えて3枚チケットをゲット
いくらだったか忘れたけれど、とても安かったのでものすご〜く不安になったのを覚えている(;´д`)
目的地に着くまでがまた大変
バスは走って間もなく一度停まり、そこでも数人乗ってきてほぼ満席に
そこからは高速なのかしばらく飛ばして停まらず、50分くらいしてからドライバーがタイ語で何やらアナウンスして停まり、一人二人と降りていく…
降りる時の仕組みが分からない笑 
これ好きなところで降りれるの???
不安になりGoogleマップと睨めっこ…
Bang Sean Beachが近づいてきたのに、またどんどん離れていく! このまま乗ってたらヤバいね?ということで次停まったら降りよう!!と下車
そこからはまたGoogleマップ見ながら歩く
本当に辿り着けるのかと歩くこと30〜40分?気温は34度雲一つない( ̄▽ ̄;)
お!?ヤシの木見えてきた!!着いた〜!
もうそこは4.5kmヤシの木がズラーっと続くビーチで、砂浜から少し陸側にはレンタルの椅子やパラソルが、その更に陸側には屋台が両脇にズラーっと連なっていた⛱️
まぁ日中は南国のようななんてことない海水浴場って感じましたが、夕暮れを迎えると一転…素晴らしい夕陽でした…
男三人砂浜に座り夕陽に見惚れるという笑笑
ん?そう言えば帰りのバス最終時間早かったと言ってたよね??ヤバいじゃん😱
海に太陽が沈んだら今度は帰りのバス乗り場を探す旅(T . T)
道行くタクシンドライバーなどに尋ねるも皆んなよく分からないと…そもそも英語が全く通じない( ̄▽ ̄;)
バンコク中心部を外れると英語通じないようでした
もうGoogleマップを頼りに歩く歩く歩く
前日の3万歩があったので今日はお手柔らかにと若者たちに伝えていたけれどこれはもう仕方ない。。。
バス乗り場を見つけた頃はもう真っ暗で、ようやくバスに乗り降りたのは朝バスに乗った辺り
そこからは例のごとくホテル方面に歩きながら夕ご飯を探す
流石に夕飯食べた後はタクシー🚕かトゥクトゥク🛺で帰ろうよということでトゥクトゥクに
ここでもトラブル笑
トラブルって楽しいですね♪
だいぶ高齢の運転手で、スマホも持っていない様子
Googleマップで説明したら乗れと(多分タイ語で)言われたので乗ったけど目的地から外れていく(-。-;
あれ?と思っていたら急に端に寄せて停止…まさか何か事件起きる??と思ったら、若い運転手グループに目的地が分からないから客に聞いてくれ?とタイ語で(多分だけど)
で、カタコトの英語でどこに行きたいの?と聞かれてまたもやGoogleマップで説明
若い運転手は分かった分かったと老人に伝える
老人も分かったようでまた発信してどんどんホテルに近づいてきたのにまた道を逸れていく(^◇^;)
そしてまたさっきと同様に別な運転手グループに道確認… おーいおじいさん分かってないのかよ笑
その後はようやく到着
その日もなんだかんだ言って二万数千歩は歩きましたε-(´∀`; )
さ、一眠りして翌日ってことで今日は終了☆
明日は一万歩くらいにしてくれよ。。。
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tsuntsun1221ts · 1 month
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2024.07 普賢岳・佐世保観光
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会社の出張で長崎へ、せっかくなので普賢岳登山+ドライブ
会社を辞めた同期が長崎県で働いており、周辺を案内してもらった。諫早(イサハヤ・・・指宿など九州の地名は難読なものが多いな)で合流し、彼の車で約1時間かけて普賢岳の登山口へ。まだ梅雨明けしていないが麓は非常に暑く、おそらく気温は30度超えている。車窓から見えるはずの普賢岳山頂は雲の中に入っているので、登山中も景色は期待できないだろう。
ちなみに雲仙岳とはいくつもの峰の総称を指し、その中でも平成新山ができるまでは島原半島最高峰だったのが普賢岳で、普賢岳は1つの峰の名前。雲仙普賢岳というのは雲仙山系の普賢岳という意味でいいのかな。
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車でどんどん高度を上げていき、到着した仁田峠は非常に涼しいというか、台風並みに風が非常に強い。気温は25度くらいぐらいだったが、動かないでいるとちょっと寒く感じるほど。こんな天気なので駐車場に車はまばら。
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ロープウェイ乗り場はあるが、この風ではやっていないだろう。まあ使わないけど。
【コースタイム】仁田峠(0950)→紅葉茶屋(1015)→風穴分かれ(1035)→立岩の峰(1050)→普賢岳(1100-1130)→紅葉茶屋(1140)→仁田峠(1200)
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登山口はロープウェイの脇にある。
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まずは10分ほど下り、その後登りへ転じる。最初は登りも下りもどちらも緩やかで、道も整っていてかなり歩きやすい。
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20分ほどで紅葉茶屋という分岐になるが、時計回りで岩立の峰へ向かう。
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紅葉茶屋からはようやく登山らしい傾斜になった。
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しかし傾斜はすぐに終わり平坦な道に。気温は20°cくらいと思うが、湿気がかなり高い。樹林帯で囲まれているが風はそこそこを通るのでなんとか快適に進める。
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風穴の手前でまた少し傾斜が出てくる程度か。このルートはずっと樹林帯が続いて景色もほとんど見えず、また道が結構細い。景色は見えない。
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紅葉茶屋の分岐より20分で風穴に到着。この穴から冷気が吹き出してきて、設置されている温度計は10℃を指しており、この周囲だけ異常に涼しい。
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風穴から先は急な登りとなる。
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風穴から焼く10分で登りきると稜線上に出る。周りは完全にガスに囲まれていてほとんど景色見えないが、
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すぐに目の前に平成新山らしき山陰が見える・・・裾野が少しだけ見える程度で、てっぺんはどこにあるかわからない。植生が低くなっており、このあたりからは再び風がかなり強い。5分ほどここで待っていたが、ガスがどんどん供給されて全く晴れないので、平成新山の姿は諦めて先へ移動することに。
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立岩の峰から普賢岳山頂まではほとんど平坦な道で、わずか10分で到着。
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晴れていれば目の前に平成新山が見えるはずだったが、相変わらずの強風とガスに巻かれていて何も景色を見ることができない。ここでもしばらく待ってみたところ、
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一瞬だけ現れた!・・・その後しばらく待ったがもう見えることはなく、下山。まぁ、一瞬だけでも見ることができて満足。
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普賢岳から紅葉茶屋まではやや急な下りで、たまに鎖も設置されている(使うほど危険な傾斜ではない)。約10分で紅葉茶屋の分岐に到着。
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来るときも通った道だが、紅葉茶屋以降は全く穏やかな道。20分ほどで登山口に到着。休憩含め、往復たった2時間くらい。今回は反時計回りに岩立の峰を経由するルートだったが、普賢岳の往復だけなら1時間あれば済んでしまうくらい短い。登山道は結構ゴツゴツした岩が多く、さすが活火山で直近も噴火した山だと感じさせられた。
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ロープウェイの展望台からおそらく島原市。車で島原市へ向かう。
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30℃超えていて非常に暑い。先ほど登ってきた雲仙岳は山頂あたりのみガスで覆われており、麓からも平成新山は見えない。ちなみに平成噴火の際に土石流がこの地点まで流れてきたとのこと。
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平成の火砕流が発生した直後、さらに麓へは土石流が発生し、当時被災した民家がそのま��残されているところを見学。完全に1回部分が埋まっており、今自分たちが立っているのは土石流によってかさ上げされた地面の上であるということがわかる。航空写真を見てみたが、平成新山から今立っているこの場所までの距離は、あまりにも近い。
その後は会社の同期の車でダラダラ運転してもらい、一般道を走って佐世保に到着。せっかくなので佐世保バーガーを食べようと思って、おそらく有名店だと思われるお店(BigMan上京町本店)で佐世保バーガーを食べる。値段は1100円ぐらいと、サイズの割にやや高額かなと感じたが、食べてみるとベーコン・卵・レタス・トマトなど全ての食材の味が際立っていて非常に美味しかった。これは満足。
同期と別れ、翌日はレンタカーで佐世保観光
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最も素晴らしかったのは九十九島観光公園。とても広いなだらかな丘で、長崎の群島を眺められる。観光バスが何台も駐められる大きな駐車場も整備されていて、実際韓国・中国からの団体観光客お訪れていた。
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白浜海水浴場。まだ海開き前?海の家などを建てている最中だった。
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九十九島観光公園のすぐちかくにある展海峰公園
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弓張岳展望台は佐世保港を眺めるのにとても良い。
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佐世保は軍港であり、この日も日米の軍艦が停泊。強襲揚陸艦アメリカだけは遠目でもわかった。泊まっていた宿からもアメリカは見えたがとにかく巨大で、横長のビルが海に浮いているかのよう。空母だともっとすごいんだろうな。
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orhpee-annex · 1 month
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生命拾いと戯れる~草加健康センターと戦後~
 「人生の楽園」と題されたテレビ番組がある。西田敏行のナレーションで、四半世紀も続いている。都会暮らしの勤め人を脱した家族が田舎に逃れてパン屋や蕎麦屋を営む様を、楽園を得たひとに見立てて紹介するという筋立てだが、子供の頃のわたしは手品に魅入るように番組を眺めていた。近年、この番組に紹介された人々の七割が元の都心に戻っているという風説が囁かれている。それ自体は驚くに足りない、だが自ら築いた楽園をあっさり放逐される寓話は、逆説的にメーテルリンクの戯曲の有名な教訓を証明しているようだ。
 草加健康センターの話をしよう。
 わたしがこの地を踏んだのは8月10日。日本がポツダム宣言を受諾した日からちょうど77年後、北千住駅から東武スカイツリーライン快速に乗ること二駅の草加駅から送迎バスで10分、或いは徒歩で一時間で辿り着くこの場所は既に多数のサウナ愛好家たちにより紹介されており、さらに付言して汚すのはしのびない。
 しかし百聞は一見に如かず。高温ながら高湿度に保たれたサウナ、真夏日でも15度を保つ清涼なハイブラの水風呂、小体な施設内で最大限に設置された外気浴の椅子。そして、サウナ室の入口と水風呂がおなじ露天スペースに設置されている為に一連の動作を円滑にする親切な導線は、灼熱の煉獄から逃れて救いの泉を得、その後微風に扇がれつつ身体に沸々と涌く余韻を��わうまでに些かの遅���もさせまいとする心遣いを表している。その快楽は、身体に即せば高温からの急激な冷却を経ての血管の急激な収縮、拡張による血流や自律神経への好影響ということになる。だが、暑さ寒さの彼岸を好んで彷徨った挙句、外気浴スペースの椅子に背を預けて空を仰いだとき、晩夏の午後の光が雲をふちどる風景をふと目にして感じる瞑想的な法悦は、ただ身体の機構に帰して済ませてよい類のものだろうか。
 走っている  火の海のなかに炎の一本道が  突堤のようにのめりでて  走っている  その一本道の炎のうえを  赤い釘みたいなわたしが  走っている  走っている  ――宗左近『燃える母』より
 思いつく限りの戦時における空襲の描写を挙げれば、どこかで必ず火の海を逃げ惑う様子であったり、水を求めて煮えたぎる川に飛び込んで落命したひとの姿に行き当たる。『方丈記』以来の生き地獄の描写である。わたしは冗談ではなしに、高温のサウナに炙られている最中、先に挙げた宗左近の詩を連想する。信濃町で、母と二人で炎のなかを逃げ惑い、つい手を離してしまったが為に母は焼け死に、詩人が悔恨から鏤刻した凄まじい詩のことを。
 だが、サウナがひとを殺すことは殆どない。わたしは自由に出口から抜けて出て、水風呂に浸かることが許されている。この水風呂も十秒以上浸かれない程に冷たく、一瞬で身体を覆う火照りを剥がしてしまう。水面に浮かぶ無数の泡が時に光の反射で無数の砕氷のように錯覚することすらある。それでもこれは八甲田山の死の彷徨ではない。
 あくまで戯れに抑えられた灼熱と寒冷の往還とその余韻はどこか生命の危機から九死に一生を得る体験に似ている。次第によっては神仏の実在をひとに確信させるに至る、真の九死に一生の体験も身体の出来事だけに焦点を当てれば急激な緊張からの解放という一連の運動であり、これが浄化の感覚を否応なく引き起こす。草加健康センターがわたしに幾度となく追体験させてくれる快楽、それは極言すれば死の恐怖を抱く手前で精密に抑制された九死に一生ということになる。
 解剖学者の養老孟子は90年代の講演集にて、くり返し「仏教の古い経典に描かれている極楽は『空腹も寒暖もない世』である」として彼の都市批判に繋げている。この極楽は日本において概ね達成されて久しい。コンビニでおにぎりもアイスも買えるし冷暖房が一家に一台備えられている世界は古人の夢見た極楽の姿をしている。日本国憲法の序文に綴文された「わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」て今日まで幸運や、反対に薄氷を渡るような危機を躱して、今日楽園を前提と出来る程の世を享受している。そして、わたし達が世に抱く不平不満も煎ずれば極楽を足場に叫ばれている。
 古人の想像力は、しかし果たして灼熱と寒冷の彼岸に戯れる、この草加健康センターのような施設にまで到達しただろうか。これはどんな古賢さえ夢にも見なかった楽園の一形態である。そしてわたしたちは他者により隅々まで保障の行き届いた施設にて生命拾いの快楽と戯れることさえ許されている。過去の悔恨も未来への恐怖も束の間忘れて、他者の承認も不要としながら独り身体的快楽の余韻に身を任せるとき、楽園のうえに更に築かれた楽園の到来に戦慄しないだろうか。
 一方、誰が語ったか人生百年の時代であると言う。地上の至るところで戦禍がやまない世に先人の建立した砂上の極楽浄土が永続すると仮定して平和裡に制度維持の恐怖に震えること自体が既に慢心であると一瞬でも掠めたひとがどれほどいるだろう。遠い未来、わたしたちは抑制された灼熱ではなく、本物の火に生命を奪われるかも知れないのだから。
 故にわたしは草加健康センターへふたたび通う。細心の注意により存続する楽園が、楽園として享受出来る限りにおいて。滅びの予感のなかで穏やかな現在はいっそうかけがえなく在る。そしてセンターの隣の自販機でアイスを贖い、舐めながら草加松原駅に至るまでの鄙びた道のりを歩き、暑さの峠を越えた夜風や虫の音に、これも優しい秋の気配を感じながら。
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kachofuraku · 1 month
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台風一過
2024・8・18
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サーファー達で賑わっていた九十九里浜やホテルは台風の被害は無かっただろうか、半月前の写真を見ながら心配している。今回の大型台風7号は房総半島を直撃したものの、この辺は夜中に雨風が強まっただけで終わった。夏休みでお盆の時期だから海水浴場は賑わっていたはずで、つくづく自然の嫌がらせには腹が立つ
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台風一過の昨日は猛暑!40度近くまで気温が上がった空には不気味な雲、と言っても普段そんなに雲を見ないから不気味かどうか解らないけど・・
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その点、夜の空は美しい。この間の上弦の月から3日経っているからこれは十三夜の月、かな?月に水が存在する事が判って、将来人類が月で暮らせるようになるかも知れないとか。こんな事を考えながら昨夜ものんびりと散歩しました。スマホはちゃんとOFFにして
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pid-b · 2 months
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日々あれこれ#139
2024年7月22日 あなたの創成 貴いというが そうは思わない ズレているとか 兆しが見えないとか タイミング そんなものでもなく 多分どこにでもあるもの 口から黒がでる無礼 無頼で無害のボディからくり出すエゴイズム 笑ってろ 気にすることはないね それが世界 その貴さ わたしのワールドとは違う無言
2024年7月23日 ここに流れる ゆったりとした ストップ 時間が好き 頭の中はフル回転してたとしても 静止と躍動の水平線 陰を追うように光が迫れば 本領発揮 コーヒーでも飲んで行こう 目まぐるしく変わるのは 頭の出来の問題で あなたも関係しているから それを鎮めてくれないか あなたの触れるスイッチ
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2024年7月25日 デリケートの海 わたし 閉ざした世界でないと入浴もできず 小さな躓きに時間が止まり世界が終わる いつも生死の間をさまよって 自死は考えない 勝手な人間と思われ思っている 怖くて怖くて閉ざして消えれば 窓の灯りとこころ あなたがいても すべてを台無しにするアクション 重いだけの���憶
2024年7月26日 知っていても どうしても導線が見えず こころが邪魔をする 平穏なひとときに指が鳴る わたしの池 奥深く 隠された疑問と 表に据え付けられた嘘 気づいたときにはもう雲散霧消 追うだけ あなたが探していたのは わたし 閉じかけのチューリップの中に 静けさを手懐けていて 深く沈んでゆく
2024年7月27日 自分でもよく分かっていない まぶしいほどの真実 おぼろげなものは見えているけど 探そうとすれば 姿を笑われ ただひとつの真実に踏みにじられ 知ってしまう こころを押し止めていても なにも分からないから 開け花 自分自身のまま どの場所からも気がづける 笑顔を呼んで 下を向くまえに
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wangwill66 · 3 months
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致命玩笑:死亡與復活秀
H:「完整的紀錄「致命玩笑合唱團」各團員的想法,以及之間有趣的軼事,是樂迷們最棒的精神食糧。」精神食糧是什麼?查查。空思妄想,想太多,空泛,就是李白「抽刀斷水水更流,舉杯消愁愁更愁。人生在世不稱意,明朝散發弄扁舟。」最佳寫照。人人需要精神食糧,提供人生再戰的勇氣和信心!20240624W1
網路資料:
致命玩笑:死亡與復活秀
本片為限制級影片,必需年滿18歲以上方可觀看
2013
2小時30分
限制級
7.6
播放
音樂雜誌評論音樂水準是五顆星,樂���道德水準只有一顆星!
1979年,傑斯·科爾曼在倫敦街頭排隊領救濟金時,認識鼓手保羅·弗格森,為找尋樂團的其他成員,傑斯相信保羅的建議,在公寓地板構築起魔法陣,以大量蠟燭增加其魔力,下場是徹底燒毀公寓…。所幸隨後,綽號「小子」的貝斯手-馬丁·葛洛弗、綽號「東北人」的吉他手-凱文·沃克加入,衝擊樂壇30餘年「致命玩笑合唱團」就此誕生。「致命玩笑合唱團」草創時,英國樂壇大都是充滿商業氣息的龐克樂團,唯一能被稱是龐克樂團的性手槍合唱團又瀕臨瓦解邊緣,崛起之時可謂掌握天時與地利!完整的紀錄「致命玩笑合唱團」各團員的想法,以及之間有趣的軼事,是樂迷們最棒的精神食糧。
今日片語 單字“food 食物” 是個常見詞,“thought 思想” 在日常對話中出現的頻率也很高。 這兩個詞搭配組成“food for thought”,字面直譯為“思想精神食糧”,即“引人深思的事情”。 若一件事情讓某人認真思考,引起深思,那此事則“give somebody food for thought”。
精神食糧,是一個網絡詞彙,意思是指讓人覺得精神充實,不虛度時光的東西。
中文名
精神食糧
定義
讓人覺得精神充實,不虛度時光的東西
你是否曾經在心情沮喪低落時沒有食慾?食慾的改變,與連帶的體重顯著變化,是處在憂鬱心情的人或憂鬱症患者可能會有的現象之一。
好比工作挫敗被主管貶低;失業覺得自己沒路用;親密愛人離自己遠去;重要親人過世後自己一蹶不振⋯⋯這些經驗都可能深深地將人拋向內心淵谷而爬不起來。
我們的內在生命是否存在精神食糧,供給自我價值感與平靜喜悅等養分?
給自己機會思索,原本支撐著自己心裡的某些部份是否只是暫時消失了?是不是有機會重新用另一種形式再次給自己力量。透過閱讀、旅行、人際互動、心理諮商等方式,給自己時間去尋找答案。
但是要相信:「能夠邊哭邊吃飯的人,活得下去。」(引自日本影后松隆子所主演日劇《四重奏》第三話劇中對白)
先慢慢地從好好吃飯、照顧好自己的生活起居開始。可以的話,做些自己平常喜歡的事,就是身處憂鬱低落之時能踏出的一大步。
抽刀斷水水更流,舉杯消愁愁更愁。
出自於李白的《宣州谢脁楼饯别校书叔云 / 陪侍御叔华登楼歌》
朝代:唐代
作者:李白
棄我去者,昨日之日不可留;
亂我心者,今日之日多煩憂。
長風萬里送秋雁,對此可以酣高樓。
蓬萊文章建安骨,中間小謝又清發。
俱懷逸興壯思飛,欲上青天攬明月。(覽 通:攬;明月 一作:日月)
抽刀斷水水更流,舉杯消愁愁更愁。
人生在世不稱意,明朝散發弄扁舟。
「精神食糧」指一種非物質的資料、思想,能夠對我們產生思考、理解,感動. . . 精神食糧一種是別於物質以外的必需品。
精神食糧便是這些思想的產物,它們通常的表現形式為書籍、音樂、藝術品什至「次文化」的動漫等。他們都為我們的平淡的人生帶來「色彩」。
改變教育方針,從孩子小時候灌輸知識,發掘興趣,才能真正解決問題。改變教育方針,從孩子小時候灌輸知識,發掘興趣,才能真正解決精神食糧缺乏的問題。
精神食糧
zhuyin[ㄐㄧㄥㄕㄣˊㄕˊㄌㄧㄤˊ]
pinyin[jingshenshiliang]
nourishment for the mind; intellectual food; mental food; spiritual food
什麼是精神食糧?優秀的圖書、影視劇作品,群眾喜聞樂見的文化活動等,這些都可以稱為精神食糧。就是人類為了滿足精神需求的事物。
每個人的精神糧食不是不盡相同的
有時候是一本書
有時候是一集電視劇
有時候是一首歌 一首詩
“精神”是人的意識,包括人們的思維活動和一般的心理狀態。如認識、情感、意志、信念、言行、行動和習慣等內容,凡是為此所需要的為精神食糧。精神食糧也有不好的,比如賭博對於賭鬼來說就是精神食糧,而沉醉其中有可能使人沉淪。
人的精神糧食是什麼`?
一、是家人對你的關心和愛護。
二、有朋友對你的支行。
三、呵呵,有女朋友在背後默默的支持你。
四、就是為了你的理解而努力吧。
大連話長精神頭意思解析:說明領悟能力強,洞察仔細,會見機行事。
邵雨薇精神糧食:
「有時候,我們要試著練習釋放悲傷,而不是只忙著帶著微笑拼命在人前綻放。」
「即使每天都得面對現實的打擊或困難,我還是希望大家都能偶爾花一個小時,做回孩子般的自己。」
「漸漸懂了,不用再為不安加油,把所學的一切盡情揮灑,享受舞台帶來的滿足。那個光彩,絕對是不安給不了的,而我,不會是永遠的菜鳥」
「以後一定還有什麼課題等著我,但管他的,現在比較重要,以後的卡關以後再說。」
「不要懷疑自己,沒有一條路是絕對正確的,你每一天選擇創造的故事都在為你寫下存在。」
「我們不一定最特別,但我們一定有機會得到幸福。對嗎?」
博客來介紹:
精神食糧:偉人故事陶冶靈魂 (電子書)
作者:馮志遠
語言:繁體中文
出版社:千華駐科技
出版日期:2023/06/01
內容簡介
《精神食糧:偉人故事陶冶靈魂》是一本關於世界各國偉人的故事集,透過這些傳奇人物的事蹟,讓讀者能夠感受到他們的成就與精神,並從中獲得啟發和激勵。
總而言之, 《精神食糧:偉人故事陶冶靈魂》是一本值得每個人閱讀的書籍。它不僅讓讀者瞭解到世界各地的偉人事跡,更讓讀者深刻體會到偉人們所帶給人類的不可磨滅的精神力量。此書可以幫助讀者找到內心的力量,面對挑戰和壓力,從中獲得啟示和激勵。這本書所涵蓋的偉人故事豐富而精彩,能夠激發讀者的思考和想像力,讓他們從中獲得成長和提升。
目錄
前言
愛國志士的故事
林則徐
虎 門 銷 煙
巧布尿壺陣
關天培
虎 門 浴 血
鄧世昌
黃海捐軀昭後人
陳天華
以身殉國,喚醒同胞
敲響警世鐘
張學良
青 少 年 教 育
少見的英才
西 安 事 變
左權
馬本齋
1.中國的夏伯陽
2.「黨就是我的母親」
3.設計殺敵
4.高紀莊血戰突圍
5.「馬本齋同志不死」
聶耳
人民作曲家
張自忠
軍人的楷模
戰鬥英雄的故事
李廣
蔔式
霍去病
楊繼業
戚繼光
猴子幫助抗倭
巧用竹槍刺倭寇
懲舅治軍紀
鄭成功
收復臺灣,流芳千苦
借潮趕走荷蘭兵
馮婉貞
馮婉貞智勝強敵
姆克瓦瓦
坦桑尼亞民族英雄
崔可夫
1.亂世從軍,兩度出使中國
2.為斯大林格勒勇敢戰鬥
3.得之不易的庫爾斯克之戰果
4.攻打戰爭的最終目標——柏林
革命先烈的故事
秋瑾
巾幗英雄鑒湖女俠
楊靖宇
1.精忠報國
2.戰重圍,巧妙跳出包圍圈
3.灑熱血,英勇不屈喪敵膽
劉胡蘭
少年黨員
董存瑞
「兒童團長」經歷
捨身炸碉堡的董存瑞
楊根思
特級英雄楊根思
黃繼光
用身體堵槍眼
邱少雲
烈火中永生
貞德
奧爾良少女
版權頁
每個人的生命中,都需要一些精神上的支援和鼓勵,來幫助我們面對人生的挑戰和困難。而書籍,可以成為一個不錯的精神支柱,帶給我們充足的知識和啟示,甚至是力量和信心。
總體而言,本書是一本非常值得閱讀的精神食糧,特別適合那些希望從偉人故事中獲得啟發和鼓勵的人。透過閱讀這些故事,我們可以瞭解到偉人們在人生中所面臨的挑戰和困難,以及他們是如何克服這些困難、發揮潛能並最終獲得成功的。這些故事可以啟發我們對生命的信心和勇氣,讓我們更有動力地面對人生的挑戰和困難。
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bearbench-tokaido · 6 months
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五篇 下 その三
東海道を離れ伊勢の参宮道に来ている弥次郎兵衛と北八。 上野の町で、一人の男に話しかけられた。
「突然ですが、あなたがたは、お江戸の方でございますかな。」 弥次郎兵衛が、 「ああ、そうだが。」 と、答える。その男が、 「私は白子辺りから、あなた方の後ろをなんとなくついてまいりましたが、道々の御狂歌を承りましておよばずながら感心いたしました。 とても、上手でございますな。」 と、褒める。 「いやなに。口から出任せでございます。」 と、弥次郎兵衛はまんざらでないように答えると、 「いや、驚きいりました。 ついこの前、お江戸の尚左堂俊満(しょうさどうしゅんまん)先生が、当地へお出ででございました。 あの先生も素晴らしかったが、あなたもさぞ名の通ったお方なんでしょうね。」 と、その男はなおも聞いてくる。 「はあ、なるほど。さようさよう。」 と、弥次郎兵衛は尚左堂俊満という名前を、なんとなく聞いたことがあるなと思いながら答える。
「それで、あなたの御狂名は、何でございます。」 弥次郎兵衛は、 「私は、十返舎一九と申します。」 と、江戸で人気の滑稽本の作者の名前を言う。 「ははあ、御高名は、かねがね承っております。 あなたが、十返舎先生でござりますか。 私、南瓜の胡麻汁ともうします。さてさて、いい所でお目にかかりました。 この度は、御参宮でござりますか。」 胡麻汁というこ男は、ちょっとびっくりして、聞いてきた。 弥次郎兵衛が、 「その通り。このひざくり毛という著述の事でわざわざ出かけました。」 と、適当に答えている。 「ああ、あれですか。あれは、傑作でございます。 ここへお越しになる道すがらも、吉田、岡崎、名古屋辺りの俳諧や狂歌をやる連中が、さぞうるさかったんでしょうね。」 胡麻汁が、聞いてくる。 「いや。東海道は宿場ごとに残らず立よるつもりですが、顔を出すと引きとめられまして、饗宴になるので気の毒ですから、みな素通りしました。」 と、これまた、弥次郎兵衛は、適当に答える。
「それにご覧の通りわざとこんな小汚い身なりをして、やはり神社仏閣に参詣する巡礼の旅行者のようにみせかけ、気楽でのんびりと風雅を第一と出かけました。」 「それは、お楽しみでございますな。 そうだ、私の宅は雲津でござりますが、どうぞ、お招きしたい。」 と、胡麻汁が、誘ってきた。 これは、面白くなってきたと、弥次郎兵衛が、 「ご迷惑でなければ、それはありがたい。」 と、答えると、 「まことに御珍客。近所の狂歌連中にも、ぜひお引き合わせしたいのですが。」 と、胡麻汁は、何かを考えている様子である。 「まあ、今夜、一泊していただくとしよう。 全く、不思議な御縁でいい人にあったもんだ。」 と、先にたって歩き出した胡麻汁は独り言を言ったあと、 「ところでここが、小川と言うところで饅頭が名物でございます。 一つ食べて、行きませんか。」 と、誘う。
しかし、弥次郎兵衛は顔をしかめて、 「いや、饅頭は懲りています。すぐに、参りましょう」 と、さっさと通り過ぎてながら、一首詠む。
名物の うまくて名高い 饅頭に くいつかんのは いかにせんかと
その歌を聞きながら、胡麻汁も慌ててついて行く。 それからほどなく、津の町の手前の高田の御堂についた。 右の方に見えるのが石井殿だ。
まな板の 上にて鯉の おどるさま これ佐用姫の 石井でんかも
左のほうには、如意輪観音堂もある。 また、国府の阿弥陀というのもある。
ここは上方から参宮に来た人が落ち合うところなので、往来はことに賑わしく、なかでも都の若い人々は普通の衣服の上にそろいの浴衣を着て、芸者のような格好をしている。 そのうえ、飾り立てた荷台を載せた馬をひきながら、歌を歌っている。 「ちちち、ちんちん。えい~い、ござれ。都の名所を~、見せよう~。 祇園、清水、やれ音羽山~。やあ、とこなあ~、よういやさあ。 ありゃあこりゃあ~、このなんでもせえ~、ちちち、ちんちん、えい~い。 地主権現の~、さくらにまくを打まわし~、霞がくれに~もの思わする~。 やあとこなあ、よういやさあ~、ありゃやこりゃや~。このなんでもせ~。」
弥次郎兵衛は黙ってその連中を見ていたが、 「おい、北八。見てみろ。すごい別嬪が見える。」 と、急に、北八のそでを引っ張る。 胡麻汁が、ポカンと見ている弥次郎兵衛と北八に、 「ありゃ、みな京都の連中じゃ。 あんなに立派な身なりをしていても、金は一文も使わねえ。」 と、言い捨てる。
その連中の一人が、胡麻汁に近づいてきた。 「すいませんが火を一つ、貸してくれませんか。」 「さあさあ、お点けなさい。」 と、胡麻汁はくわえていたキセルを差し出すと、その京の男は自分のキセルで吸い付け出した。 「ぱっぱっ。」 あんまり長いようなので胡麻汁が、 「まんだ、点かんのかいな。」 と、問いかけるが、京の男は、 「ぱっぱっ。」 と、平気で、吸っている。 胡麻汁が、 「なんじゃ、お前のキセルには、煙草が入っていないではないか。 はあ、わかった。吸い付けるふりをして、人の煙草を吸っていたな。 やめんかい。」 と、自分のキセルを取り上げる。
「ほらお江戸の先生。ご覧になりましたか。 京の連中はとんでもないケチな連中だ。 ところで先生。さっきの連中のせいで煙草がなくなった。 もう一服ください。」 弥次郎兵衛は、あきれたように、 「京の者をケチだというが、お前もさっきから、俺の煙草ばかり吸っている。」 と、ふところから煙草を取り出す。 胡麻汁が、したり顔で、 「それは当然。私は今、煙草入れを持っていません。」 と、弥次郎兵衛の煙草を自分のキセルに詰め始める。 「忘れてきたってことかい。」 と、弥次郎兵衛が、聞くと、 「いいや、忘れたわけじゃなくて、 本当のことをいうと、煙草入れを持っていないんです。 その訳は私は、えらい煙草好きで五分おきに吸いつけるくらいだから、こりゃ自分で買って吸ってしまってはたまらんと思いまして、それから煙草入れはやめてキセルだけ持ち歩いております。」 と、胡麻汁は、自慢げである。 「それで、人のばかり、吸っているんだな。」 と、弥次郎兵衛は、すっかりあきれている。 「まさに、その通り。」 「そりゃ京の連中に輪をかけて、お前がケチというもんだ。」 と、胡麻汁が自分のふところに入れようとしていた煙草入れを、ひったくるように取り返した。 胡麻汁は、 「はあ、そうかいな。ははは。」 と、笑って、 「ところで少々、遅くなったようだ。急ぎましょうか。」 と、足を速めて行く。
周りは薄暗くなってきて、月もはっきり見えるほどになってきた。 この辺りから、良洲(からす)の宮へいける道があると聞いて、
照わたる 秋の日本 ならば今 うかれまいらん 鳥御前に
などと一首詠む。 やっと雲津について南瓜の胡麻汁が自宅に案内した。 どうやら旅館のようだ。 運良く客は泊まっていないようで奥の間に請じ入れ、かれこれともてなしてくれる。
北八は、弥次郎兵衛が自分の名前を偽っていて、どうせ又酷い目にあうのだろうがそれも面白いと、共々奥の間に上がりこんだ。 やがて湯にも入ってしまい、ゆうゆうと座敷に座っていると、やがて亭主の胡麻汁がやってきて、 「これは、おくたびれでございましょう。ようこそお出でくださいました。 しかし折あしく、この頃は悪い天気で時化が続いておりまして、いいお魚がございません。 それで当地では、コンニャクがうまいので、まあこれでもお召し上がりいただこうかと申しつけておきました。」
弥次郎兵衛は、 「もう、おかまいなされるな。」 と、主人をねぎらうと、 「そういえばこの者をまだ、紹介しておらなかったな。」 と、北八を指差す。 「そういえばそうでした。あなた様は。」 と、胡麻汁に問いかけられて、 「私は十返舎の秘蔵弟子、一片舎南鐐と申します。 ふしぎなご縁で御やっかいになります。」 と、北八は、口から出任せを言う。 ちなみに、小判一両の八分の一を南鐐(なんりょう)といい、これをまた一片とも言う。
胡麻汁はちょっと首を傾げたが、北八の話は聞き流して、 「いやいや、何にもないですから、構いたくても構えませんって。 じゃ先生、ごゆっくり御くつろぎください。」 と、弥次郎兵衛に言う。
それを待っていたかのように入ってきた女中が、 「お食事を、お持ちしました。」 と、二人の前に膳を据えると、 「御ゆるりと、めしあがりませ。」 と、ならべられた膳を見回し満足そうにうなずき、女中になにやら言って部屋を出て行った。
つづく。
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poetohno · 10 months
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時空絵巻 24頁
山が山として存在する遥か昔 川が川として存在する彼方の時代
大陸が衝突し 引き裂かれ 激動を繰り返し 雨が何千年と続き 大地が何万年と凍りついて 閉じ込められた水が命を運ぶ
大陸は命を乗せて旅に出る 散り散りになり 生命は各々が木の枝先のように成長していく
大陸と大陸が出会い 接し 重なれば 大陸という巨大な岩が海に飲み込まれていく 大陸が天へと目指して 成長の止まない樹のように 平地はやがて台地となり いつしか丘陵となり 果てに山となっていく
山を見上げてみる あれほどの高さを物語る どれほどの陸地が海に消えて行ったかを暗に示すかのように
天を別つ山は 雲を貫き 風を呼び寄せ 雨が吹き荒れ 海が共鳴し たった一つの存在が世界を変える 麓に川が陽を浴びて煌めいている
人の寿命など歯牙にもかけない 川が干上がり 山が風によって削られ 平地に還るほどの幾億の時によってもたらされる
平地を指して誰が海の底から訪れる変化を読み取れるだろう
平地に触れ 横になり 息吹に耳を澄ませ 空の震えを 大地の躍動を 知り得ることはできるだろう
果てに地上に起こる変化を察する 変化とは目に見えない場所でこそ産まれている
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frankego · 11 months
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肥宅哈比人魔戒之旅-2023紐西蘭北島行(1)踏上奇幻冰火島 「來者不善呀」 「你才是來者」
  紐航的體驗其實還算不錯.除去航班偶爾出包的狀況,各方面的服務內容及細節,讓人在飛機上就對這個國家有正面的第一印象.就像長榮航空降落前會響起長榮交響樂團的<雨夜花>一樣.
  首先,娛樂視聽內容的影片,有<魔戒>系列電影大全套,讓你無論從哪裡上機,都能把魔戒這個紐西蘭自豪的撈錢文化品牌都能看好看滿,拉高對美麗自然風景的期待;第二,提醒您可以帶回家繼續使用的拋棄式耳機和飛機餐的再生材質餐具,提醒各位旅客,這裡是愛護環境,花很大的氣力維持並與自然生態共存的國家,至少表面上是這樣啦,第三,溶入毛利神話的逃生介紹影片,讓人感覺紐西蘭是真的很在乎族群的融合與平等,決不是只有嘴上說說尊重的程度,是落實在生活中的.
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  一下機通過這個毛利文化圖騰的門牌之後,首先感覺到的就是好天氣,萬里無雲的晴空,讓人忘記在前幾週,紐西蘭可是遭受了嚴重的大雨侵襲所引發的洪患,人民的生命財產及環境都造成很大的損害,甚至一些景區也因此關閉.而晴空萬里所代表的就是
超 強 紫 外 線
沒錯,據說因為天氣太好,空氣太好,雖然氣溫還不至於感到炎熱,但紫外線已經沒經過什麼折射就直接射在人的皮膚上,當地人已經曬習慣了,對於我們嬌嫩的亞洲人來說,隔天直接就曬傷了,當我們了解到事情的嚴重性之後,馬上去超市買當地的防曬乳,後面有一天坐船遊湖的時候,因為懶得擦防曬,在船上曬了兩個多小時,晚上皮膚就又紅又痛,真的是不能開玩笑,在春夏秋來到紐西蘭,切記一定要防曬.
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露營車會附全套餐具鍋碗瓢盆及枕頭棉被
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  我們這次因為想體驗以前沒體驗過的旅行方式,於是選擇開露營車,然後訂能夠接水電的舒適營區住宿,但偶爾也會住旅館可以徹底休息的方式來做規劃,但也不是所有人都睡車上,在營地的時候也會有小木屋之類的簡易房間可以預約,讓有需要深層休息的人可以去睡.這樣執行後的感想是,還算可以接受,因為露營車旅行的方式在紐西蘭澳洲等地是行之有年,很普遍的旅行方式,早就有很成熟的商業服務發展,只要花一點錢跟提早預約,絕對可以住得舒舒服服,又有與平常旅行不一樣的體驗,前提是你可以接受公共浴廁和車上睡覺.
  但要如果說省錢,其實以我們12個人來說,跟開三台車然後全程住旅館的花費不會差太多,甚至在旺季租露營車會更貴,所以除非你是特別想體驗開露營車的旅行方式,不然其實租露營車跟開一���的車住旅館或Airbnb比起來,後者其實是比較舒服且機動性高,再加上開這麼大的車還是需要技術,所以要如何選擇還是得再三考慮.
途中休息吃的連鎖漢堡店 普 一個漢堡跟一杯奶昔花了23.3元 大概台幣450這就是外食最一般的價格
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  簡單的採買之後,我們來到 Rotorua的第一個景點兼晚餐,Mitai Maori Village毛利村,這個景點一言以蔽之,紐西蘭的小型九族文化村.就是門票包含表演及吃飯,Rotorua是紐西蘭北島中部的一個著名的旅遊觀光為主的城市,以地熱地景和毛利文化為主,周遭有非常多類似的提供文化表演的毛利村,我們當然也挑了一個看起來比較有氛圍的來體驗.
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在叢林裡划船的歌舞表演,但是因為人多又暗,所以拍不到什麼東西,現場是蠻有氣氛的.
這是毛利人的傳統烹調方式叫做「Hangi 」,就是用地熱蒸氣來烹調地瓜,馬鈴薯,肉類等等食材,也是我們等等會吃到的大餐
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  這裡舞台表演有一個很有趣得段落,就是當我們坐下後,主持人告訴我們,對於這個毛利村來說,我們雖然是貴賓,但是也是外來者,所以一開始,毛利人會表現得有點敵意,表演傳統舞蹈Haka,然後我們這群人要選出一個首領,來交換信物,展現出來到這個村子沒有敵意,大家交個朋友,毛利人確認沒有敵意之後,也會盛情款待你.接著還表演了一些毛利人的樂器,武器,戰鬥表演,舞蹈等等,整體而言還蠻有趣的,非常有代入感.
  看完表演後就是吃飯時間,是自助式的,東西還不錯,很多水煮的肉類什麼的感覺很健康,但是吃完飯後還有文化小教室的問答時間,第一天來到這裡的我們已經累得不行了,加上全英文長輩又聽不懂,我們要翻譯解釋也很吃力,所以這裡就有點尷尬的早退回營地休息了
毛利語教學 最重要的就是一句’’Kia ora’’是打招呼的萬用語
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東西都蠻好吃的,種類很多,但是肉類都有點柴.調味也不是很重,養生.
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這是紐西蘭代表性甜點「Pavlova」,就是蛋白霜做成的蛋糕(??)總之只有形狀跟蛋糕很像,吃起來就是外表是酥脆的糖,内裏是類似棉花糖,因為他的主體就是一大塊烤過的蛋白霜,成分也沒什麼麵粉,就是蛋白跟糖,然後用奶油水果裝飾,嚐過就可以,應該沒辦法常吃.
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待續
p,s,在吃飯的時候,因為我和肥宅弟跟其他國家的旅客併桌,所以吃飯途中就和他們一邊閒聊,他們聽到我們是從台灣來的就問我們,台海近況是不是不太好?你們有感受到中國的威脅嗎?我們只能用破英文笑著說哈哈我們從小聽到大已經習慣了沒在怕啦哈哈哈,後來我們在其他營區公共廚房煮東西時也會和其他人閒聊,其他國家的人也會問到這個問題,看起來當下全世界都認為我們台灣就是太平洋島鏈上的火藥庫wwwww
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kachoushi · 1 year
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各地句会報
花鳥誌 令和5年10月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年7月1日 零の会 坊城俊樹選 特選句
あぢさいや錆ゆくときもずぶ濡れて 光子 雨に白く汚されてゐる木下闇 緋路 サイレンも街騒もまだ梅雨の底 久 鉄骨が叩く鉄骨濃紫陽花 緋路 見覚えのビルはもう無くサルビアに いづみ 夏草のつぶやくやうな雨であり 和子 鉄条網梅雨の蝶さへ寄せつけず 同 支へ切れぬ天へ石柱梅雨深し 昌文 飛石をぬらと光らせ五月雨 久 その人は梅雨に沈みながら来る 順子 五月闇不穏な波の来るといふ はるか
岡田順子選 特選句
列車音遠ざかるとき浜万年青 はるか 庭石は梅雨のものとて黄泉のもの 俊樹 サイレンも街騒もまだ梅雨の底 久 鉄骨が叩く鉄骨濃紫陽花 緋路 雨の日の桔􄼷のうしろすがたかな 美紀 萱草のそびらに恩賜なりし闇 光子 潮入りのみづは昔や通し鴨 いづみ 支へ切れぬ天へ石柱梅雨深し 昌文 瞬ける雨粒蜘蛛の囲の銀河 緋路 雨に白く汚されてゐる木下闇 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月1日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
鹿の子啼く隠れの島に入日濃く 修二 たはむれの莨にむせし桜桃忌 久美子 寂しさを下から崩すかき氷 朝子 茉莉花の別れ際こそ濃く匂ふ 美穂 不如帰久女の夢と虚子の夢 修二 首の無きマネキン五体暑き日に 愛 蟬生る瓦礫の闇の深きより かおり ひまはりの花と育ちて銃を手に 朝子 バレエ団の窓へブーゲンビリア満つ 愛 蔓薔薇をアーチに育て隠居せる 光子 うつし世のものみな歪み金魚玉 かおり バス停のバスまで覆ふ夏木かな 勝利 梅雨空にジャングルジムがひつそりと 修二 襖絵の孔雀の吐息寺炎暑 勝利 君嫁して香を失へり花蜜柑 たかし
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月6日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
らつぱ隊香り奏でる百合の花 さとみ 風鈴が相づちを打つ独り言 都 香水に縁の無き身や琥珀色 同 身ほとりの置き所無き土用の入り 同 滴りの奥にまします石仏 同
(順不同特選句のみ掲載) ……………………………………………………���………
令和5年7月7日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
黒塀や蔵してをりし八重葎 宇太郎 ふりかへる砂丘の海の線は夏 同 葛切や玻璃にスプンの当る音 同 夏草の中の林道下りけり 同 ソーダ水斜めに建ちし喫茶店 同 向ひ風麦藁帽を光背に 同 白服を吊りたる明日の再会に 悦子 浜昼顔一船置きし沖を恋ふ 同 白南風旅の鞄をコロコロと 美智子 足跡や巡礼のごと砂灼けて 栄子 紫陽花やうた詠むくらし悔もなく すみ子 玫瑰の咲くや砂丘の果の路 益恵 躊躇なく風紋踏んで白い靴 都
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月8日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
早苗饗や手足を伸ばす露天の湯 幸風 はらからや薄れゆく過去心太 百合子 一品を後からたのむ心太 秋尚 青楓雄々しく抱ける年尾句碑 三無 天草の歯ごたへ確と心太 文英 朝顔に護符つけ市の始まりぬ 幸子 朝顔のつぼみ数へて市を待つ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月10日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
西日射す鏡に海女の手櫛かな 昭子 兜山古墳を包む大夕焼 ただし 良き事の有りや無しやの今朝の蜘蛛 信子 信州に梅雨のかけらの雨が降る 三四郎 石も又涼しきものの一つかな 昭子 香水や周囲の心独り占め みす枝 梅雨寒や口を預けて歯科の椅子 信子 うなだれて少年の行く片かげり 昭子 僧逝きて久しき寺の夏椿 英美子 猛暑日や万物すべて眩しめり みす枝 天近き牧牛の背や雲の峰 時江 コップ酒あふる屋台の日焼顔 英美子 サングラス外し母乳を呑ませをり みす枝 かぶと虫好きな力士の名をつけて 昭子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月10日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
芋焼酎醸す香りの満つる街 三無 団扇さし出かける孫の下駄の音 ことこ それぞれが里の焼酎持ち寄りて あき子 老媼の団扇頷きつつ動く 和魚 児に送る団扇の風のやはらかく ます江 店先で配る団扇の風かすか ことこ 泡盛の味覚えたりこの良き日 同 団扇手に風のざわめき聞く夕べ 廸子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月11日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
沖縄の鳳梨乾いた喉癒す 裕子 青空や収穫の日の夏野菜 光子 夕暮れは車窓全開青田風 紀子 貝釦一つ無くした夏の暮 登美子 まだ聴けるカセットテープ夏深し 同 雲の峰送電線は遥かなり 令子 夕焼に路面電車が揺れてゐる 裕子 鐘を撞く寺は山上雲の峰 令子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月11日 萩花鳥会
透き通る海は自慢よ海開き 祐子 救助士の臀筋たくまし海開き 健雄 夏草や一対すべて青の海 俊文 生ビール久方ぶりや子とディナー ゆかり 引く波に砂山崩る海開き 恒雄 天の川点滅飛機の渡りゆく 美惠子
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令和5年7月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
羅を纏ひしものの身の一つ 世詩明 天国も地獄も自在孟蘭盆会 同 風の盆男踊りの笠深く 幹子 盆の供華華やいでゐる村の墓地 同 ギヤマンの風鈴揺れる蔵の街 嘉和 古団扇思ひ出の新しき 雪 縁側に男冥利の裸かな みす枝 ナツメロを口ずさみつつ草を引く 富子 蓮開く様自力とも他力とも やす香 神主の大きな墓を洗ひけり ただし 在りし日のままに夏帽吊し置く 英美子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月16日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
田舎家の土間のだんまり朝曇 要 炎帝の遣はす鴉黒く群れ 千種 会釈する日傘に顔をなほ深く 同 夫恋ひの歌碑を見てより秋近し 炳子 飴色に枯れ空蟬の垂れ下がる 久子 古民家の故郷の匂ひ壁に黴 経彦 三猿の酔ふ草いきれ庚申塔 眞理子 古民家の茅屋根匂ふ炎天下 三無
栗林圭魚選 特選句
蓮花の水面の余白空の青 亜栄子 カラフルな浮輪乗り合ふ市民バス 久 じやぶじやぶと揃ひのティーシャツ水遊び 三無 咲き足せる泰山木の真白かな 秋尚 森少し膨らませをり蟬しぐれ 慶月 水音に誘はれつつ灼くる道 眞理子 惜しげなく涼しさ放つ水車小屋 要 ひとときの静謐滝に対峙して 久子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月19日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
マッカーサーパイプ咥へてアロハシャツ 千加江 遠雷や織部の茶碗非対称 泰俊 二業地に一の糸鳴る夜涼かな 同 悠久の光り湛へて滴れり 同 青田風満目にして夕仕度 清女 脱ぎ様のまことしやかに蛇の衣 雪 退屈をもて余しゐる古団扇 同 洗ひ髪訪ふ人も無く待つ人も 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月21日 さきたま花鳥句会
沢蟹の渡る瀬石に日の名残り 月惑 空蟬や辞書に挟まる紙兜 八草 家眠る厨にひとりバナナ剥く 裕章 山の水集め男滝の帯となる 紀花 どら猫にまさる濁声夏の風邪 孝江 炎天に心字の池面雲動く ふゆ子 打水や土の匂ひの風生まる 康子 行くほどに街路華やぐ百日紅 恵美子 睡蓮の葉を震はせて鯉の道 みのり 八の字を書きて茅の輪を潜りけり 彩香 誘蛾灯今は無人の故郷駅 静子 枇杷熟るる眷属訃報また一人 良江
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令和5年7月22日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
半夏生何処が嫌ひと云はれても 雪 蛇にまで嫌はれさうな蛇苺 同 何処をどう突いてみても蟇 同 お隣りは今はの際と虎が雨 一涓 師の友は文教場址合歓の花 同 守宮まづ招き入れくれ舎入門 同 忘れじの人今も尚蛍の夜 同 入道雲天下制する勢あり みす枝 藍浴衣片方だけにピアスして 昭子 サングラス外して妻は母となる 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月23日 月例会 坊城俊樹選 特選句
空蟬や地中の記憶あるらしく 要 靖国の坂みんみんの急くに急く 昌文 炎天に零戦仰角三十度 佑天 鳥居へとまぬがれがたき炎天を はるか その日近付き靖国の灼けてをり 慶月 みんみんの高鳴く魂の声として はるか
岡田順子選 特選句
熱き骨ぽきぽきたたみ日からかさ 眞理子 真白な祢宜の出て来し木下闇 政江 笛の音の遠くに生まれ夏の果 光子 零戦を撮る少年の夏休み 慶月 下乗せし老女紅濃く夏詣 同 英霊に七日の魂の蟬時雨 政江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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thirdheaven3 · 1 year
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#真壁一騎生誕祭2023
  「真的在顧攤啊,一騎。」   「為什麼還是過來了啊⋯⋯不是說了晚點會合再一起去逛就好了嗎?」一騎嘟囔著表示不滿。
  人聲鼎沸的祭典會場,吃的玩的攤販琳琅滿目。而「器屋真壁」幾個手寫字掛在攤位上,和陳列在前的各式陶器一起,安安靜靜地,在偏離中心區域的一側駐足。   不像樂園喫茶隨時高朋滿座,攤位前沒有其他客人,手邊也沒事可做,分散不了注意力的情況下,器屋的新手攤主顯得有些坐立難安。要如何像其他攤位一樣自賣自誇,一騎大概一生都學不會。
  和攤主的無奈成反比,唯一的客人倒是相當理直氣壯。   「駕駛員的資料我全都會掌握,更何況陶藝也是文化保存的一環,你參與其中是好事,當然應該要來親眼看看。」
  出現在祭典攤位前的皆城總士,和國中三年級的夏天一樣,身穿海松茶色的浴衣,長髮簡單地束攏在背後。一騎也依然穿著國中時那件灰白色的浴衣,然而兩人的下襬長度,已經開始顯得有些侷促。還在成長中的少年們,到了明年的這個季節,或許就該配合身高的增長,購置大件一點的新裝也說不定。 ✽✽✽
  兩天前,總士一如往常地在午休時間造訪樂園喫茶。時間還早,店內只有兩三桌客人,擔當主廚的一騎不慌不忙地走出備餐檯,在這位常客點餐前,便行雲流水地送上主廚本人親自調豆、烘焙的樂園咖啡。
  「總士,後天的祭典,原本不是約好在入口碰頭嗎?」咖啡送上吧台桌時,一騎像是想到什麼似地開了口。「跟你改約晚一點可以嗎?」   「怎麼?可以是可以,不過這邊不是也會提早打烊嗎?還會有什麼事情耽擱?」   在祭典這天,代理店長溝口先生會在門口的黑板上寫下「晚餐時段不營業」,畫上煙火的圖案,讓店員們各自回家,準備祭典工作,或是準備享受祭典。
  「不是這邊的事。是這次爸爸也要出攤,我在想應該要跟他輪流顧攤才對。」   「原來如此。」總士點了點頭表示同意。真壁司令雖然不會因為埋首於戰鬥就忘記和平的重要性,不過他確實該在這天好好放鬆一下,走一走,看一看這一年一度的祭典。看一看他和夥伴們所守下來的,名為文化的遺產,所謂平凡的不平凡。   在分攤別人的重擔這一點,一騎從來不落人後,更何況對象是自己的父親。
  「攤位的規劃我知道,到時候我會過去找你。」   「咦?啊,不、不用啦⋯⋯」一騎的態度突然顯得有些古怪。   「嗯?」
  總士不覺得自己說的話有什麼不對勁,讓一騎需要支支吾吾地拒絕。如此一來,反而讓人覺得可疑。
  「沒有,呃,反正都是要一起逛攤的,你不用特地跑過來啊,哈哈哈⋯⋯」   在一騎不自然的乾笑聲中,總士很快便導出了結論。「難道說,這次除了司令的作品之外,也有你做的嗎?」   「呃,欸⋯⋯為什麼⋯⋯」一騎吞吞吐吐,卻沒辦法否定這個推測。   自從視力恢復之後,一騎不時會跟真壁司令學著拉胚。就他自身的審美觀來看,比起出自父親之手的那些堪稱「藝術」的奇形怪狀器皿,自己做的陶器雖然樸素,還算能歸類在日常用品的範圍內。不過��些試誤學習的成品,被父親獻寶似地扛到攤位上,擺在人前,果然還是令他莫名地不自在。   「我懂了,那就這麼說定了。」總士不由分說地下了決定,抬起咖啡杯啜飲一口溫熱的咖啡。誠實確實是美德,不過一騎的表現也未免太好懂。   「喂!誰跟你說定了!」
✽✽✽   「所以,這個和這個,還有這個,是你做的,對嗎?」總士傾身向前,指出幾件器皿,有茶杯大小的,也有淺盤狀的。
  「你真的看得出來啊⋯⋯」看著總士的百發百中,一騎忍不住脫口而出。   雖說父親的作品外觀大多很「藝術」,不過用著同樣的陶土,進同樣的窯燒製,上同樣的釉,真壁史彥又不像溝口把「一騎咖哩」當成招牌似的大張旗鼓宣傳兒子的作品。陶器只是按照用途簡單地分類擺放,一眼看過去,風格倒也沒那麼大的差異。即使如此,總士在下結論之前,幾乎沒有猶豫。
  「就覺得出自你手的應該會是這種作風吧。如果我對陶藝有更深的認識,或許可以做出更精準的判斷。」總士的語氣彷彿訴說著這一切自然到沒有必要大驚小怪。   就算總士每次都說駕駛員的資料全都在他掌握之中,這種判斷力還是有點超出規格了吧,一騎心想。
  總士從懷中掏出錢包,並指向一只茶杯和一盞淺碟。「我要這個和這個。總共多少錢?」   兩件陶器的釉色都是帶著褐色調的暗藍,湊成一組蠻剛好。當然,這兩件都是一騎的作品。   「咦?你要買嗎!」   「怎麼了?不就是要賣才來擺攤嗎?」   話雖是這麼說沒錯,但是自己的作品被拿出來展示已經夠難為情,總士還真的一本正經地掏錢要買,更讓一騎慌亂。
  「真的要的話做給你就是了,你不要買啦!」到店裡吃飯的餐錢是一回事,自己和總士變成有金錢往來的關係,怎麼想都很奇怪。   「那可不行,勞動應該要得到同等的報償,這才是職業的意義。」總士停下說教的口氣,「而且,這是我自己想要,自己挑選的,跟『你給我的』,意義不一樣。」
  「⋯⋯」   「你⋯⋯你之前不是說我的房間什麼都沒有嗎?用一些手作品,應該比較有生活感⋯⋯」   自從第一次走進亞爾維斯基地內部那間距離自動販賣機11步距離的房間,直到現在,房間內的無機質感毫無變化。要是總士不在,要是收起那張合照,那就只是一間艦艇內的空房而已。
  「⋯⋯500圓就好。」一騎低聲說道,向面前的「客人」攤開掌心。   「嗯⋯⋯我知道了。」總士把銅板按進對方的掌心,嚴肅的臉上浮起一絲笑意。
  「啊,不過等下拿著逛攤不方便吧,要先留在攤子上嗎?」一騎提議道。考慮到祭典上的各種活動,把沉重的易碎品帶在身上應該不是個好選擇。   「這麼說也是,可以先幫我包起來收著嗎?」   「包起來?」   「我怕晚一點遠見和卡農來的時候會把我挑的買走。」   「遠見?你⋯⋯你該不會告訴遠見他們了?」一騎心裡一驚。   「嗯,剛才出發時碰到他們去接美羽回家,說是會晚點到。」   「我不是在問這個!」   「遇到劍司和咲良的時候也說了。」   「你⋯⋯為什麼要說啊!總士!」 ✽✽✽ 2023.09.21 一騎生日快樂! 靈感來自於Behind the Line廣播裡,石井さん和小林さん提到,如果一騎擺攤賣陶器,會有誰來買的話題。 大家都會買吧!我也想買!
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fukurabi9 · 1 year
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 1116 自論
「人生には、ロマンと、スリルと、メルヘンが、必要である!」これは、ひかるの自論である。 ロマンについては、別に書いた通り、スリルも、命を張れる生き方をすれば当然。 さて、ひかるにとって、メルヘンの世界とは? やはり、ひかるのメルヘンは、南の小さな島にしか求められません。 生きる厳しさ、激しさを教えてくれた、台風に遇いたい! 灼熱の太陽エネルギーを浴び、風と戯れ、小鳥達や、百面相の雲と語り合いたい。 そうだ、命を誕生させてくれた、母なる海の世界もある。 華やかで、色とりどりの熱帯魚達、格好良くないけど、ナマコも、クラゲもいるだろう。 ヒトデは手が五つ、五回も握手を交わせるなんて、おまえは幸せものだ。 人が親類に見えるのか、擦り寄って来る、小さな耳かきヒレのタツノオトシゴ君、泳ぎが下手で、立ったまま流に漂い、どうやって、家に辿り着くのだろうか? 魚達の親子は夜、どうやって寝るのだろうか? また、イソギンチャクに隠れんぼする、真っ赤に白い、派手な縦縞のクマノミちゃん。 卑弥呼の世界で、ボスクマノミは、自然にメスになり、ボスの座を降りると、自動的に、オスに性転換するとの事。 オスを従えての女王様。 スズメダイ、ベラ等は、クマノミと逆、ボスはオスになり、今までメスだった魚が、ボスになると、性転換するとの事。 便利というか、人間の世界では考えられない、厳しい世界だ。 周りには、光柱ライトの中、テーブルサンゴの舞台狭しと踊り狂う魚や、薄暗い根元では、魚体をくねらせ愛し合う魚あり、コバルトスズメの団体は、一斉に向きを変え、一糸乱れぬ行動、光に映える魚体の見事な模様は、立体ラインダンスを演出してくれます。 おちょぼ口の針千本が、小ビレをばたつかせ、警戒警報! 突然現れる、わんぱく小ザメ、しかし枝サンゴへひょいと入れば、絶対安全。 ビー玉ほどの小魚とて、恐れる事はありません。 ちょこちょこと出入りしながら、揶揄する小魚達に、小ザメは仕方なく、「今に見ていろ、痛い目に合わせてやるぞ!」と、威嚇しながら捨てぜりふを吐き、退散。 見ているだけで、時を忘れさせてくれます。 退職金で、小さな船を買い、風のない日は釣り三昧。 そして風が出れば、畑を耕し、汗を拭かせよう。 果て無き宇宙の天の川の下、母なる大河、黒潮に身を委ね、ゆったりとした時浴の中、春には一斉に産卵する、魚達の出産に立ち合う気ままな生活。 子供の頃不自由した飲料水も、同じ町内の島、東洋のアマゾンと呼ばれる、西表島の豊富な水が、海底パイプで引かれており、枯れる事はないでしょう。 人生劇場***本土では考えられない、年間日射量、畳2枚分のソーラーで必要な電気は賄えるはず。 水と電気さえ確保出来れば、あとは大自然の恵みで十分、待つのは、贅沢過ぎる、心豊かな生活のみ。 定年後も夢があり、自分の思った通り、楽しく過ごせる。 これぞ、メルヘンの世界ではないだろうか。
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nui-and-me · 1 year
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230816 2023のなつやすみ
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夏休みの思い出。
書き始めたら結構長々なってしまいました
8/9
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いつも帰省の時は自分達で持ち帰るおもちゃとかをカバンに詰めさせるんだけど、ぬいは今回なぜか「かえるくんも連れて行く」と。
かばんからはみだすかえる@目黒駅
たまたま母が東京で用事があったので、一緒に帰ろうとそれに合わせてお盆一足お先の9日に帰省したけれど、それでも東京駅は思ったより混んでいた(母は上野から乗車)
なんか新幹線乗り場で、些細なことから息子達2人が大喧嘩しはじめて周りの目が痛い。こういうとき人様から私はどういう母に映っているんだろう。大人1名に暴れん坊2名はつらい、ここ最近2人が永遠に喧嘩しているのでかなり疲れが溜まっている。帰省でその気持ちは癒されるのかなあ、とか思いながらぐったりして帰った。
台風の影響らしく、新潟、天気は良いが底抜けに暑い。
8/10
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日中少し近所の散歩へ。涼みがてら寄ってしまったお店のおもちゃ売り場で「欲しいいいいい!!!」とぬいに絶叫される。なだめたり怒ったり最終的には母が「ぬっちゃん、我慢しなくちゃいけない時ってあるんだよ?もしそれがわかって、今度からこんな風にお店で泣いたりしないって約束できるなら、お約束のご褒美に今日は買ってあげる」としびれを切らして買ってくれたが、こんなふうに我が子がおもちゃ屋で絶叫する子になってしまうとは...育て方間違ってんのかなと凹む。
ぬいは我慢弱いと思う。わがままというより我慢弱いという言い方の方がしっくりくる(そういう表現があるのかわかんないけれど)甘やかしてるつもりもないんだけどな...
夕方、同じく帰省中の親友親子と海へ夕日を観に行く。台風の影響か風があり、雲ひとつない空で信じられないくらい美しい。でも見にきている人は皆無!!!勿体無いなあ!と思っちゃう。
これぞ夏休みな体験
8/11
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早起きつむぐと朝から散歩。
稲が青々と茂る田んぼ道まで。昨日の夕日に引き続き美しい景色が広がる。ここが通学路だったんだよなーと思うと贅沢だなあと思うけど、当時は雨の中風の中吹雪の中歩いて通わなくてはならないこの吹きっさらしの道が憎かった。苦笑
パパも帰省し、夕方からは大きなプールへ。恐らく小学生のときぶりに行ったんじゃなかろうか。何も変わってなくてすごく懐かしい。はしゃぐ息子達を通して、あの頃はしゃいでいた気持ちまで思い出した。
8/12
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とにかく連日東京より暑い新潟。今年の夏は少しおかしい。
海に行きたいけれど、暑すぎて日中海水浴に行ったら溶けて無くなってしまいそう。
とはいえどこにも行かないっていうのはつらいので、隣町の大きな公園にあるじゃぶじゃぶ池に行ってきた。東京のじゃぶじゃぶ池から見たら信じられないスケール感だった。笑 家の近くのそれをじゃぶじゃぶ池というなら、ここはじゃぶじゃぶ湖って感じ。
しかし、あまりに暑くて私は後半熱中症気味に。。。最近とにかく暑さに弱い、暑いところに出るのが怖い。なんてひ弱なんだろうって思うけれど、毎日エアコンが効いた自宅でデスクワークしてたら弱るよなとも思う。
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夜は今回の帰省のメインイベントともいえる、母還暦の食事会へ。街のお寿司屋さんを予約したんだけど、同級生の家、という地元味溢れるシチュエーション。同級生、わざわざ席まで挨拶に来てくれたけれど、気恥ずかしさしかない。苦笑 変わらないねって言われたけど(ビジネストークもあるかと思う。苦笑)向こうも全く変わってなかった。
母に赤いちゃんちゃんこを着せ、事前に用意したプレゼントや還暦グッズ(似顔絵入りの赤いマフラータオル)をみんなで身につけて写真を撮った。
60とはいえ会社勤めでもないし、何も変わらぬ母。多分ずっとこのままいくんだろう。人生を謳歌しているように見えます。
8/13
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行くならとにかくめちゃくちゃ早起きしていかないと!と言って前夜に予告した通り、5時半頃起きて支度し、ぬいつむぐを6時頃起こし、7時前から海に行ってきた。
流石に人は少ないし、日差しもまだ低く暑さもゆるい。こんなに早い海ははじめてだったけど、良い。
9時くらいには日差しが痛くなり、砂も熱くなり、まだ遊ぶと言っていたけれど疲れも出てくる10時過ぎには退散。
はやく行ってはやく帰るに限るね!!!地元民だからこそのスケジュール感!!!
夜は最終日ってことで花火までして、新潟の夏休みを満喫した。
8/14
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群馬に移動日
午前中のうちに家の近くでお土産などを調達(お菓子屋さんが入っている建物、本を読んだりできるスペースがあるんだけど景色がいい。田んぼと山しか見えないけど!笑)
夕方の新幹線で群馬へ。
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群馬に着いた途端、猛烈な雨。
うち以外の親戚は来ていないとのことで、パパたっての希望で日帰り温泉に行ってきた(最近パパは温泉づいている)
雨上がりで少し涼しく、露天風呂が気持ち良い。
8/15
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ぬいとつむぐに会いたいと、いとこ達3人が遊びにきてくれた。2人ともすごい嬉しそう。散々走り回って遊んでもらう。
いつもいとこ達はうちのちびっ子に優しい。
この日の夕方帰京だったので、短い時間しかいとこ達と遊べず、ぬいとつむぐは「もっと群馬にいたかったのに!」と怒っていた。
義実家の滞在ってどうしても短くなりがちよね〜、、、苦笑
夕方帰京。
田舎の環境は美しいし素晴らしい、けどやっぱり人も多くて忙しなくてごちゃごちゃしてるのに、東京に帰ってくるとホッとしている自分がいる。
なんでだろうね。
36歳、18で東京に出てきたことを考えると、もう人生の半分をこの街で過ごしていることになるんだ。
帰省から戻ってきた時はいつもそんなことを思う。
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