#潮騒
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若者たちは今日の漁の自慢をし合って大声で笑い、お互いに遠慮のない悪口を叩き合った。読書好きの若者は備附けの月おくれの雑誌を懸命に読んでいた。ある者は同じような熱心さで漫画の本に読み耽っていた。
— 三島由紀夫著『潮騒』(令和6年7月新版6刷、新潮文庫)
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波の音、陽射し、風。
気持ち良く過せたら、見た目なんかどうでも良いや

ふんどしswimmer
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Illustrations for Yukio Mishima's The Sound of Waves | Shiosai | 潮騒, by Lâm Tùng Nguyễn.
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★ 【紺屋鴉江】 「 潮騒 」 ☆ ✔ republished w/permission ⊳ ⊳ follow me! insta • x • bsky
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なぜ人は共産主義に騙され続けるのか
2019年08月20日 23時00分
なぜ人は共産主義に騙され続けるのか。私が共産主義の失敗を予見したのは小学2年生のときである。担任の先生が産休に入り、自習の時間が多くあった。私は与えられた課題に黙々と取り組んでいたが、普通の小学2年生が自習を課せられて、黙って勉強するはずがない。周りの生徒はみんな大騒ぎだったので、隣のクラスの先生が注意に来た。結局、私を含めクラスの生徒全員が罰を受けることになった。
私はそのとき、共産主義は絶対うまくいかないと確信した。私が小学2年生だった1978年当時��ソ連はまだ大国として健在で、共産主義は素晴らしいと考える人が多くいた。でも、私は彼らを信じなくなった。真面目にやってもやらなくても、みんな同じように怒られるなら、誰も真面目にやらない。結果の平等は絶対うまくいかない。そんな単純なことをなぜ大人は分からないのだろう。とても不思議だった。その11年後ベルリンの壁は崩壊し、さらにその2年後にはソ連も崩壊した。
ソ連が崩壊して以降も、数は少なくなったが共産主義を信奉し続ける人は存在し続けた。それがまた不思議だった。左翼はウソつきなのか、それとも単に学習能力がないのかという点が当時の関心事だった。正直で頭のいい人は左派にはなれないというレイモン・アロンの言葉を知ったのはその後のことである。
左翼とは何か。人はなぜ左翼になるのか。私にとって常に頭の片隅に存在し続けた謎であった。しかし、私の専門は工学であって人文社会科学ではないため、この問いは仕事として取り組むべきものではなく、ずっと放置したままだった。ところが、幸いにもここ2、3年の間に、その謎がかなり解けてきたのである。
1つのきっかけは、英語圏の政治系YouTuberのウォッチを始めたことである。そこで、欧米でも人々が左翼の横暴に苦しんでいる現状を知ることができた。それを通じて、欧米の左翼と日本の左翼の共通点を見出すことに成功し、左翼というものを一段高い段階に抽象化して理解することが可能となった。
もう1つのきっかけは、インターネット・SNSの隆盛により、大量の言語資源が簡単に取得できるようになったことである。私自身の専門分野の一つに人工知能があるが、インターネット上のビッグデータを機械学習に使えるようになったため、政治問題や社会問題に関する言説を定量的に分析できる時代になった。それにより、自らの理工系の知見を左翼の分析に使えるようになったのである。
今回はそのうち、欧米の左翼運動と日本の左翼運動の共通点から見える左翼像を紹介することにする。左翼運動は、人権、平和、寛容、多様性など常に美辞麗句を看板に掲げる。しかし、その運動の矛先は極めて恣意的に選ばれている。
日本の場合、左翼の人権運動は北朝鮮による拉致被害者の人権を無視する。平和運動も、中国や北朝鮮の核開発や軍拡に抗��をしない。反原発運動も、中国や韓国の原発には反対しない。これらに共通するのは、周辺諸国が日本を侵略しやすい状態を作り出す方向に運動が向いていることである。それゆえ、日本では「左翼=反日」と理解されていることが多い。日本人の目につく左翼運動にかかわる外国人は、みな反日勢力に見えるため、外国の左翼も反日的であるとの誤解を持つ保守系日本人は多い。しかし、それは間違いである。
欧米の左翼にとっての最大の敵はキリスト教的価値観に基づく西洋文明である。であるから、イスラム教などの異文化に対するトレランス(寛容)を主張しつつ、キリスト教的価値観を弾圧する。たとえば、米国の大学では学内のキリスト教徒のサークルを解散させるなどの動きがある。また、欧米のフェミニストは女性の権利を主張する一方で、イスラム系移民の性犯罪の被害を受けた女性に対しては口封じをする。
日本と欧米の左翼に共通する点は、いずれも自らの属する社会や文化を憎み、その破壊を意図していることである。その憎悪の感情は、過大な自己評価ゆえに、周囲が自分を正当に評価していないと不満を持つことから生じている場合が多い。ただし、これは全ての左翼に該当するわけではない。左翼運動は、さまざまな種類の人間の複合体である。
私は、左翼運動の構成員を次の3つに分類している。
1.中核層
自らが属する社会を憎み、それを破壊することを目指す人たち。見せかけの理想を掲げて活動を興し、その活動が社会の破壊に結びつくよう巧みに制御する。良心は無いが知的レベルは高い。
2.利権層
中核層に従うことで、活動資金や仕事(テレビ出演など)を得ることが目的の人たち。
3.浮動層
中核層が掲げた理想に共感する人たち。正義感に基づいて行動するが、いい人と思われたいという虚栄心があることも多い。知識を身に着けると、騙されたと気づいて活動から去る。
初代FBI長官のジョン・エドガー・フーヴァー氏は、左翼(コミンテルン)を
・「公然の(共産)党員」
・「非公然の党員(共産党の極秘活動に従事する人)」
・「フェロー・トラベラーズ(共産党の同伴者)」
・「オポチュニスツ(機会主義者)」
・「デュープス(騙されやすい人)」
の5種類に分類している。(この分類は、江崎道朗氏の著書『コミンテルンの謀略と日本の敗戦』に紹介されている。)このうちの最初の3つが中核層、利権層がオポチュニスツ、浮動層がデュープスに対応する。
正直で頭のいい人は左派にはなれないというレイモン・アロンの言葉に対応させると、中核層と利権層は���正直で頭のいい人であり、浮動層は正直で頭の悪い人である。その複合体が左翼というわけである。
保守派は左翼と違って単純な人が多い。そのため、上で述べた左翼の全貌が見えていない。左翼はみな浮動層であると勘違いして甘く見る。しかし、その認識自体が完全に左翼の術中に嵌っているのである。
左翼運動が巧みなところは、その運動において浮動層を前面に押し出すことである。中核層は基本的に表に出てこない。浮動層は善良な庶民であるから、左翼運動を叩く人は庶民の敵だとレッテルを貼れる。浮動層には悪意がないから、左翼運動の真の目的が破壊であるとの批判は濡れ衣に見える。彼らには知性も感じられないから、取るに足らない相手だと保守派も油断する。
左翼運動の知性の高さは、その攻撃先の選定に見て取ることができる。例えば、日本の自然保護運動を考えよう。彼らは、ダム、堤防、防潮堤、基地建設、高速道路、リニア新幹線、地熱発電のように、日本の安全や経済にプラスになる開発行為の自然破壊は非難するが、太陽光発電、風力発電、中国の珊瑚乱獲のように、日本にとって経済的・社会的マイナスが大きい自然破壊は���題視しない。中でも、発電に関する態度の違いは、それなりに高度な知識がないとこのような見極めはできない。
さらに左翼の頭の良さは、主力は上述のような攻撃先の選択をしつつ、それ以外の勢力はある程度意見を散らしている点にも見ることができる。これにより、批判されたときに傍流の人々を引き合いに出し、批判が不当なものであると反論できるように準備している。
左翼運動は、今後もその頭脳を駆使して庶民の味方を詐称し続けるであろう。現実には、彼らは庶民に選択の自由を与えない。自分の言いなりにならないものは、弱者であっても容赦なく叩きのめす。であるから、左翼はリベラリスト(自由主義者)とは最も遠い存在である。にもかかわらず、彼らはリベラルを自称し、その称号を社会的に広く認めさせることに成功している。
左翼の欺瞞を示す最も有効な手段は、過去の共産主義国家が何をしたかを思い起こさせることである。彼らは、常に庶民(労働者)の味方であると自称したが、過去全ての事例において特権階級が庶民を虐げる社会が生まれる結果となった。おびただしい数の人命も奪われた。その歴史をできるだけ多くの人に直視させることが、共産主義の悲劇を繰り返さないために最も重要なことである。
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乃木坂46 齋藤飛鳥 写真集「潮騒」の水着セクシー画像 : あいどるトレジャーα
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翌日、亮司は刈払い機を持ちながら「別荘」を出て、昨夜の叫び声が聞こえたところまで歩いて行った。しかし、踏みにじられた跡はあったものの、これと言って目立ったものは見受けられなかった。また、布を引き裂く様な音も聞こえたが、その残片すらなかった。嗚呼、酔っ払っていたからかなァ…。彼はそう思うことにし、昨日やり残したところに向かって行った。
一方、寮では一週間の当直を終えた大平が、持ち込んだ教科書や下着などをボストンバッグに詰め込んでいた。嗚呼、明日からまた授業が始まる。そう思いながら当直室を出て、駐車場へ歩いて行った。
大平は、昨日出会った八坂を忘れられずにいた。向こうから手を握りしめてきたのが、彼にはこの上ない喜びだった。これまで色んな生徒や教師から肉体を求められてきたが、心の底から嬉しく思ったことはなかった。オルガズムだけが総てだった。しかし、最近になり更年期が次第にその「勢い」にも陰りが出始め、また気分にも波があると感じ始めたのだ。そろそろオ◯ニーのやり方を披露するのを止めようかとも考えていた。そんな中での、まさかの出逢い…。大平は八坂への想いを強くさせていた。
「さて、次の当直はと…」
彼はスケジュール帳を確認した。あれ?と彼は思った。
「校長かよ!?」
岩﨑が当直に入ることは滅多にないが、どういう風の吹き回しだろう? とりあえず、
「まァ、たまにはやりたいのかなァ?」
と彼は密かに持ち込んだコ◯ドームを二つテーブルに置いた。
夕方になり、岩﨑が旅行用バッグを持ってやって来た。普段は背広だが、水色のボタンダウンシャツにカーキ色のチノパンツというラフな格好だった。彼は当直室に入ると、まずはテーブルの上に置いてあったコ◯ドームに目が向いた。彼は、
「な、何よ!? 誰が置いたのよ!?」
と廊下にまで聞こえる様な金切り声を上げた。旅行用バッグに入れてある当直のシフト表を見ると、
「あ、あのどスケベ! アタシは童貞クンには手出さないわよ!」
と怒りを露わにした。その声に気付いたのか、石川が厨房から駆け付けた。彼女は、
「あらッ!? 岩﨑の旦那、いらっしゃってたのねぇ〜!」
とテンションを上げた状態で声をかけた。
「あら、忍じゃない。元気?」
「あらあら、コ◯ドームなんて大平先生用意しちゃって、旦那様のことを想って…」
「要らないわよ! アンタにくれてや���わよ!」
「え〜!? アタシ、未だ『ヴァージン』よォ〜」
「そんなの、サッサと卒業しちまいな!」
岩﨑は、石川の着ている白衣のポケットにコ◯ドームを突っ込んだ。まるで二人のやり取りは『夫婦漫才』の様だった。
石川は、今日から一週間は岩﨑には特別メニューを用意したと、献立表を示した。他の生徒には一日だけ、にんにくや生姜を贅沢に使った「豚肉のスタミナ炒め」を提供すると話したが、岩﨑にはコチュジャンをこれでもかと言わんばかりに入れた「プルコギ」にしたらしく、
「ケ◯の穴、火傷しちゃうわよ!」
と何故か喜んだ。岩﨑は激辛の食べ物が大好物だった。石川は彼のあらゆるところを知り尽くし、その都度「ツッコミ」を入れるのに長けていた。彼女は、
「ねぇ、校長? アタシ、いつまで厨房に立たなきゃならないの? 誰かイイ男、来ないかしら?」
と求人の状況を聞いた。岩﨑は、
「御免ねぇ〜、なかなか来ないのよ。一応、月給十八万以上では出してるンだけど…。イイ男だったら、アタシが食べちゃうわよ!」
と言った。
そんなやり取りをしばらく二人は続けていた。
秀一は、明日からようやく本格的に教壇に立てると、とりあえず片付いた部屋の中で、たまたま見つけたアルバムを眺めていた。それは高校時代のもので、当時所属していた陸上部で一緒だった同胞と写っていた。主に大会があった後、亮司がカメラで撮ったのだが、彼は写真が好きだった。時折、秀一と二人っきりで写っている写真もあり、彼の隣に立つ亮司は無表情だった。しかし、大会の後は緊張が緩んで一緒に食事へ行った時にはビール片手に陽気になり、その勢いであの仮住まいで激しい接吻と抱擁を交わした。
亮司の様な男(ひと)は、高校を卒業してからは一人も現れなかった。大学に進学してから間もなく、内部告発か亮司が教職を懲戒免職になったことを聞いた。恐らく、彼の妻だったのだろう。都立A高校の近くに仮住まいを借りていたのを知ったのだ。どういう経緯で知ったのかは不明だが、かなりショックだったらしい。それから亮司とは音信不通になってしまった。
秀一が教職を選んだのも、赴任した高校の何処かでもしかしたら亮司と再会できるかもしれないという思いがあったからだった。しかし、都内の高校をあちこち渡り歩いたが、彼の目前に亮司は現れなかった。いい加減、そんな思いはかなぐり捨てようと、まァ、ある程度のキャリアもあるしと軽い気持ちで私立K高校に来たのである。その間、自分も一時期は同じ教員や生徒の一部と関係を持ったり持ちそうになったりしたが、亮司の様な激情沙汰に至ることはなかった。
私立K高校では、もしかしたら何かあるかもしれないと、秀一は何か胸騒ぎがした。理事長の貢や校長の岩﨑と出会った時、そんな予感がしたのだ。また、やはり心の中では亮司に対する思いは消えていなかった。嗚呼、もし再会できたら思いっきり愛して欲しい…。
明日から本格的に始まるK高校での生活に、秀一はアルバムを閉じると両腕でギュッと抱きしめ、ローテーブルの上に置いた。クローゼットの引き戸のホックには、明日袖を通す背広が掛かっていた。
真夜中になり、岩﨑は巡視を終えると宿直室に戻った。さて、シャワーでも浴びるかとシャワー室のドアを開けようとした時、「あの声」が聞こえてきたのだ。彼は、
「な、何!?」
と周囲を見渡した。彼は脱ぎかけたTシャツを再び着て寮の外に出た。
「あッ、あん! あん! あん!」
何か鞭の様なもので叩く音が響く。校内で「SМプレイ」でもやってるのかしら!?と、岩﨑は恐怖感で震えながらもその声が聞こえる方向に歩いて行った。
雑木林に来た時、遠くの方に亮司が寝泊まりする「別荘」があったが、すでに日付も変わっている時間帯だったので照明は付いていなかった。それでも、
「も、もっと絞めて! 虐めて! 犯して!」
という声が響く。岩﨑の恐怖感は最高潮に達し、
「だ、誰かいるの!? 返事しなさいよ!」
と大声を上げた。しかし、何の反応もない。懐中電灯をあちこち向けてみるが、それに気付く気配もない。まさか、「おばけ」!? そう確信した途端、
「キャアァァァァァァ〜!」
と悲鳴を上げ、雑木林を跡にした。
その夜、岩﨑は布団にくるまって一睡もできなかった。
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栗浜陽三 (文・写真) 『九十九里浜』 より 雑誌MLMW (ムルム) No.5 (1978年5月号) 掲載記事
栗浜陽三 九十九里浜(写真)

栗浜陽三 九十九里浜(文・写真)
[上のページの画像から自動文字起こしをして、誤判読に気付いた所は修正したけど、誤判読が残っているかも知れない]
九十九里浜・しなやかな風景 写真と文 栗浜陽三
九十九里浜が、何県にあるかを知らない人でも、その名の持つ雰囲気に、何か特別のイ メージをお持ちであろうと思う。太平洋に面した、その茫漠たる長い長い浜の風物は、浜というものが持つ様々の要素を凝縮させて、 我々の期待感や夢を満たしてくれるかのように思える。しかし残念ながら今では九十九里浜の魅力の殆どは、過去のものとなってしま った。一体、十数年前の、あの素朴で夢のよ うに美しかった九十九里浜は何処に行ってしまったのか。この僅か数年の間に、都会人の荒々しい神経で浜は汚され、美しい砂の起伏は姿を消し、近代化の手は浜に沿って長々とハイウエイを引いてしまった。九十九里浜にとって、全く無意味としか思えないこのハイウエイプランを耳にした時、私は自分の心の中の大切な部分を引きさかれる思いがしたが、土地の政治家というある人は、それは芸術的
↑栗浜陽三 九十九里浜(文)
栗浜陽三 九十九里浜(写真)
栗浜陽三 九十九里浜(写真)
栗浜陽三 九十九里浜(写真)
栗浜陽三 九十九里浜(写真)

栗浜陽三 九十九里浜(文・写真)
[上のページの画像から自動文字起こしをして、誤判読に気付いた所は修正したけど、誤判読が残っているかも知れない]
しなやかな風景●九十九里浜
・・・は黒ダンの前袋の両脇から黒々と毛をかき出して男らしさを競ったといい、亦、漁から浜に帰って来る舟は、長い竿を舟の両側につき出して、その先に黒褌を結びつけ、尾長鶏の尾羽根のように海風になびかせてもどって来たと話してくれた。
私がせめて十数年早く九十九里を訪れていたら、目にしたであろうこれは誠に九十九里の匂いのする昔語りであった。 それでも私は消えてゆく残り火の色を見る ように、時折浜で数少ない漁師の浜仕事や、 女達のフラミンゴの踊るような鮮やかな作業っぷりを見る事が出来た。
度び重なる私の九十九里訪問につれて、私の仕事友達や学生達が浜を訪ねるようになり、若々しい彼等の裸身が浜をにぎわすようになった。彼等はアっと いう間に海風にやけ、町中まで褌姿でのし歩き地引網を楽しみ、九十九里独特の丸板の波乗りをし、別人のように生き返った。
私は丸裸で浜仕事をする漁師をたびたび目にしたが、 この風俗は戦後アメリカ人の手前禁じられてしまったその名残りであった。中年の漁師が性器の先をワラシベや布切れで結んで褌の代用としている様も、決して雑でも奇異なものでもなく、浜の風物の中ではごくノーマルに感じられた。これは海水に濡れたままの褌の不衛生さを彼等がきらったからだという。
浜の女達はよく働いた。小柄でたくましいマイヨールの彫刻のような彼女達は、舟を浜に 引き上げる時には男以上の働きを見せた。母 親の仕事を見ている少女の背中の、赤ン坊の顔には、一刷毛はいたようにウッスラと砂が乗っていた。
十年以上訪ね続けている私の目には、浜の舟の数が年々少くなって行くのがよく解った。最初一、二年の間、浜にそびえていた何艘かのK家の船もいつしか姿を消した。民宿が急激に増え、そしてドカンと音のするようにハイウエイが浜���沿って走り、浜と村を引きさいたのである。庭から海に裸で飛び出してゆけた私達もトンネルをぬけて海に出る為に廻り道をしなくてはならなくなった。浜は見る見る中にゴミが打ち上げられ、マイカーが波打ぎわを走りぬけ、ビーチパラソルが立ち、その下で一日中マージャンをするという馬鹿げた男達が東京からやって来た。日本人は本当のゼイタクの楽しさや味わい方を知らないし、知ろうともしない。なぜ九十九里に都会生活をそのままズルズルと引きづって来る必要があるのだろうか。彼等は潮騒をきく代りに、浜でトランジスタラジオをきこうとする訳なのである。民宿になった素朴な土地の家で、海の香りを味い、あるがままの九十九里の生活に思いきり身をまかしてこそ、本当のゼイタクの楽しさではないだろうか。ハイウエイは私如き人間の知らない理由で必要なのかも知れないが、その代り、日本一のあの美しい浜の風景は二度ともどってこないのである。
K家にはその頃四年程続けて、ある外国の大使館の青い目の客が来るようになった。映画スターのような見事な美女達であった。私の友人の若者達とこの美女達は、伸々打ちとけ合う機会がなかったのだが、ある日、彼女達がK家の前庭の椅子に腰をおろして読書を楽しんでいる最中に、この若者達が海からもどってきたのである。彼等はオイルで鋼のように輝く背中をみせてタオルやマットを干し始めた。その姿を一人のブロンド娘がしみじ ・・・
↑栗浜陽三 九十九里浜(文)
以上の写真と文は雑誌MLMW(ムルム) No.5 (1978年5月号) 掲載記事『九十九里浜』より
これらの文章を読むと、栗浜は性的にも、性的な物を離れても伝統を残したままの海やそこに暮らす漁師を愛していたことが判る様だ。また、他の記事を読むと祭りについても性的にも、性的な物を離れても愛していたことが判ると思うよ。
栗浜のオリジナルは持ってないからウェブから集めた画像だけど、九十九里浜は良い画像がなかったんだ
一応拡大して補正はしておいたけど画質はちょっと残念だね
世間一般では本名の藤井千秋でイラストレーターとして有名な人なんだよ~
藤井千秋は画像検索したらいっぱい出てくるよ
2つの名前の作風の違いに驚くよー!
#栗浜陽三#九十九里浜#ムルム#六尺褌#ふんどし#褌#藤井千秋#kurihama youzou#youzou kurihama#fujii tiaki#loincloth#japanese national costume#japanese underwear#common japanese daily underwear#japanese formal wear#MLMW
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世の中が騒々しく、すさんでいる時にこそ、一人心を落ち着け、戦争や年金や失業や憲法とは遠く離れた物語の世界を、旅したくなる。今、人間社会があれこれと大変なのは分かった。だからせめて夜のひとときくらい、本のページの静けさに心を泳がせる自由を、存分に味わいたいのだと、誰にともなく訴え掛けたくなる。
— 小川洋子著「異界を旅する喜びを味わう──『家守綺譚』」(『博士の本棚』2016年5月Kindle版、新潮文庫)
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ボッチって
孤独ではない
元?国民的アイドルの方が起こした大事件。騒がれてますが、私は全く興味がないのでニュースの見出しだけチラ見・・・もっと騒がなきゃいけない事があるよね。
この事件でもそうだったけど、年齢は関係なく人とワイワイ集まるのが好きな方、その逆に苦手な方と大きく分けて2つ。大雑把すぎかな?(笑)もう1つ加えるとしたら、日本的に ” 体裁 ” を気にして、本意とは裏腹にお付き合いで集まりに参加したりと。
まあ、そんな感じで2分されますけど、近年日本で流行ったキャンプブームも、グループで楽しむ方もいれば、ボッチキャンプとかで一人で楽しまれる方もいたり。不思議なのは、” ボッチキャンプ ”と言ってはいるけど、シングルの方々が集まって集団キャンプをしていたりする。ちょっとクスっと笑ってしまう。いえ、バカにしてるんじゃないですよ!(笑)
このようなキャンプでも 「日本らしいな~・・」 と感じる面が沢山あります。まあそれは、私のような日本社会不適合者でなければ感じないと思うけど、異国にいると日本の文化と言うか風潮が改めて良く分かります。
良い悪いじゃないよ
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たまにメディア関係の人から「『明治神宮の木を切るな問題』に関し、神社界はどれだけ騒ぎになってるんですか?」などと聞かれるんだが、ウソはつけんので「別に特に騒ぎになってないです」としか答えようがなく、彼らは潮のように引いていき以後何の連絡もないというのがお約束である。
XユーザーのOGAWA Kandaiさん
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2022年GWツーリング 奥尻島に行って参りました その③
奥尻島ツーリング第3回目です。投稿が億劫になる前にどんどん更新します。
ただひたすらに稜線を走り現地の店でご飯、温泉を堪能してからの絶景地でのキャンプ。これ以上の経験ができるところはなかなかありません。まずどこに行っても人がいません。GWだというのにどこもガラガラです。(それはそれで心配になるのですが)数少ないキャンプ所ですら私含め2人と快適すぎました。
2025年2月現在、昼食をいただいたお食事処 潮騒ですがGoogleMapを見てみると臨時休業となっており心配です。また食べに行きたいと思っていますのでどうか無事でありますように…
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矢頭保 写真集『OTOKO』(1972) より

引用元のキャプション:TAMOTSU YATO, 1960'S MALE PHYSIQUE & HORSE 矢頭保 Otoko
矢頭保 出版物目録
『体道~日本のボディビルダーたち』 『Young Samurai~Bodybilders in Japan���, ウェザヒル出版社(1966年)
『裸祭り』, 美術出版社(1969年),英語版 『Naked Festival』, John Weatherhill 出版(1969年)
『OTOKO: Photo-Studies of the Young Japanese Male』, Los Angeles: Rho-Delta Press, 1972

古民家を移築。ここにドナルド・リーチも住んでいた。ジョン・ウィザビーはウェザヒル社の社長。矢頭の後援者。三島由紀夫を米国に紹介した。三島の「潮騒」等の翻訳家。リーチや矢頭と肉体的交友があった。三島とはなかった模様。
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