Tumgik
#竹の切り株注意
poddyshobbies · 1 year
Text
午後の晴れ間 ~ 諸岡川の記念碑とか
Tumblr media
午前中まで降っていた雨が上がって、急速に晴れ間が広がりました。ぐずついたお天気が続く中、ひと時の外出を楽しみました。
福岡都市高速の下 ~ 東向き
Tumblr media Tumblr media
西向き
Tumblr media
北向き(下の流れは那珂川)
Tumblr media
緑が濃くなってきました。
Tumblr media Tumblr media
西鉄大牟田線と、
Tumblr media
その上を横切る新幹線の高架。
Tumblr media
下はアンダーパス ~ これからの季節、大雨の時は注意。
Tumblr media
謎の落書き?… じゃなくて、(変な)落書きの上に何かを貼り付けた?~ それも変
Tumblr media
古そうなレンガの壁と切り株
Tumblr media
商業施設から路地を少し入ったら住宅街。
Tumblr media
JR 竹下-笹原
Tumblr media
諸岡川(もろおかがわ)
Tumblr media
廣田直次郎さんの顕彰碑
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
見えない裏面に碑文 ~ 「大正時代に私財をもって治水工事を行った廣田さんを記念して」だそうです。
Tumblr media
浄化センター
Tumblr media
福岡空港発 ~ 気持ちよいフライトになりそう。
Tumblr media
デンチャ(BEC819系)の入れ替え
Tumblr media
2023.5.31
2 notes · View notes
doubutsuenzoo · 8 months
Text
どうぶつえんin千秋公園 後記
どうぶつえんin千秋公園
日時:2023年9月18日(月) 場所:千秋公園
発表者: 日比野桃子(移動) 虻川彩花(意識) 村田葵(半透明) 銅ふたろ(息苦しさの隠れ蓑) 秋山卓登(撮影) Aokid(ダンス)
サポート:文化創造館 撮影:髙橋希、田島陽
2023年9月18日(月)に千秋公園で”どうぶつえん”を行った。vol.16にあたる今回は『あときとた』という文化創造館と一緒の事業の一貫として行なわれた。 今回のどうぶつえんは秋田で初めてやるということもあり公募で参加者を募った。 雨の可能性があったため、ぎりぎりまで会場は文化創造館になることも含めて検討をしていたが晴れて公園での開催となった。
初めての場所でやるということもあり12時半に発表者と集まって調整を兼ねた下見をし、戻って14時に観客の人達と文化創造館の1Fコミュニティスペースに集まり、そこから公園に向けて出発した。
千秋公園は文化創造館のすぐ裏手にあって、元々久保田城跡でもあって坂を上がったところが入り口になる。名前は漢学者の狩野良知によって命名。wikiによると1890年に陸軍省から久保田藩主の佐竹氏へ払い下げがあり、本丸と二の丸を秋田市が佐竹氏に借り受け公園となったとある。 創造館から出発して千秋公園への向かう坂道、振り返ると2本の杖を頼りにスタッフの島さんと歩いてくるおばあさんの姿があった。 千秋公園へ到着。 ここは元々、能などを屋外で見せる機会があったことが入り口を入ったところに立ててある白い柱の裏にも書いてある。
まず原っぱが広がっていて空も広い。ここで日比野さんの発表をやる予定で、その前に僕が何かオープニング的なパフォーマンスを飾ろうと場所を探そうとふらふら歩き出した。 何かすぐにはアクション出来る感じがしなくて、また原っぱでこれからやる日比野さんの発表の中で得られる時間とは違うことをしようと色々考えながら歩く、、がなかなかしっくりこない。とりあえず目星をつけたところで演奏を始める。 演奏は石を拾うことや葉っぱの擦れる僅かな音と身振りを頼りにそこからギターと歌の見知った演奏スタイルに静かに自然に移行していこうとしていた。 2曲ほど演奏し、やはり2曲目が終わりそうなところでもう少しストロークの連続を引き伸ばし、その演奏とともに移動しギターを鳴らしていく。 場所も変えながら最後の同じストロークを重ねることで、着地点を少しでも引き伸ばせないかというイメージがあった。まるで幅跳び選手が距離を稼ぐみたいに。
・半透明として参加した村田葵さんは人一倍リラックスした体勢で、速い雲の移動を見ながら演奏を聴いていたそうだ。
日比野桃子さんの発表のアイディアはとてもフラジャイルで移ろいやすいなぁとも感じられた。 以前、東京で行われたどうぶつえんに参加されていたダンサーの荒悠平さんと制作されたという”移動1”という作品の続きとして、”移動2”をみんなでやってみるという提案が出された。 まず”移動1”をデモンストレーション的にやってみせる。 紙ヒコーキを一つ、袋から取り出してそれを目の前の空に向かって投げ、飛び、そして地面に落ちる。 落ちてから前方へ向けてゆらめくように動き出す身体。しかしすべてがスムーズに揺らめき続けてはいなくて、細かいじりじりとした足取りが地面に対して差し出されながら時折上半身がふっとしたり、ぐわっとしたり、特に音さえ聞こえない程度になだらかな肩が空越しに揺らめいたりしている。 この時間はなんだろう、と見つめる中で少しだけ浮かび上がる身体の特徴的な動作がわ���かながらリズムを空間の中に作っていくことをぎりぎりみながら見出していく感じ。 日比野さん踊って見せた後に、ヒコーキのとこまで60歩をかけて歩き、その中で膝ががくっとすること、手をパチンと一度叩くこと、それは自分の決めたタイミングで行ってそれを振り付けとして”移動2”をみんなでやることを提案され一人ずつに紙ヒコーキが手渡されていく。 僕はおばぁちゃんと一緒にやる。 おばぁちゃんとの足取りに注意しながら他の人の動きが横目に入ってくる。ダイナミックな挑戦をする身体、紙飛行機までは耐えて禁欲的な動きでそれを掴むと開放されたように喜ぶ身体。 おばあちゃんと投げた紙ヒコーキまで互いに60歩を数えていく、たどり着いておばあちゃん���見るといくつまで数えたか忘れてしまったという。 思ったよりもあんまり空を飛ばなかった様々な形のヒコーキが空よりも緑の原っぱに各々休んであるみたいで、それを掴みにいくのんきな虫取りのような時間で、記憶を辿るとそのような感触があった。 日比野さんの振る舞いには考えてみれば何か紙ヒコーキを優雅に飛ばした姿というよりもどこか”呑気”に興味を持って落ちた場所まで近づいていくようなそういう感じを印象として受けるように思う。
・半透明として参加する村田葵さんが時折地面に寝そべったりして、少しだけその寝そべりを開放、拡張した動きをさりげなく見せる。見るとか聞くとか、いるとかをもう少しだけ揺さぶるような仕草。
・石ころに紐を巻き付け、少しだけマスキングテープのサポートを受けてくるっとし、それを引きずり砂利道に線をひいていくようにする。振り返ると通った道が少しだけ沈んでそこが影になって線が引かれているような印象が浮かんである。(Ao)
そこから移動し、今度は階段を登って門をくぐり、内部へと入っていく。 門をくぐると噴水のあがる池が見渡せる石の椅子が並んでいくつかある場所に出る。 ここで僕は”目を瞑って想像するワークショップ”を提案してみる。 みんなに椅子に並んで座ってもらい手を目の前に出してもらい、その手のひらの中に公園に落ちていた木の枝や葉っぱ、石などを順番にあてていき、その次にその感触を記憶したまま今度はさっきまで見ていた噴水の池に過去に起きたことをフィクションとして即興的に語り、想起させていくというもの。 以前このようなワークショップをzoomで行ったが今回、その発展形として実際の場所を借りて出来ないかということで完成しきっていない状態で試させてもらった。 その話というのは最終的にはそこで池の水になった本人が過去の池で人間に会い、ある形を指で伝授される。 その時に伝授された形を参加者たちは目を開いて地面に書きつけるというもの。 いくつか違った形がその砂の上に現れていてそれはそれで面白かった。
そこからさらにダベったりしながら公園の奥の方へと進んでいく。 途中トイレに立ち寄ってその少し先に古びた元々料亭か何かとして使われていた家屋があり、今はもう家としか機能していないみたいだ。 その先の少し林めいていて影の落ちる、近くの小さな滝から聞こえる川のせせらぎなどがひしめく場所でもう一度、今度はワークショップの提案をする。 以前、ダンサーの宮脇有紀さんがやっていたやつを拝受して、2人1組になって前に立つ人は目を瞑って歩き出す、後方に立つ人は前に立つ人が何かにぶつからないように最低限の誘導を肩にタッチする形で行う。それプラスで木の枝の折れる音や葉っぱが擦れる音とか土とかを身に落としたりその被験者に様々なことを経験させるというワーク。 ここでもおばぁちゃんにも参加してもらう。 それぞれの場所でセーフティにきゃっきゃっと楽しそうにやってもらっている様子。 千秋公園は大事に保全されてきた公園だと思うので、そこにある自然が綺麗だ。苔とかに長い時間を感じる、一つ一つの場所の環境も違うことが触ったりすること、姿勢を変えて見ることでよりわかる。 公園環境にもう少し近づく(なる)ためのワーク。
少し険しく狭い石階段があってそこを登ると公園の中でも高い位置に来るようだ。登ったところからまっすぐに山道が切り開かれたようにまっすぐ続く道へと出る。その先には御隅櫓が建つ。 まず御隅櫓の方までみんなで行ってしまい、そこで観客席としての線をひき改めてその辿ってきたまっすぐな道を見返し、その空間を使って今度は踊りで登場することを提案する。 村田さんと日比野さんを誘って道の始まりから登場し、一本道を踊り来て、見てる人のもとまで。 石を投げるのが合図で、3匹の猿と犬と雉子とか、違う動物みたいにバラバラに動いていく。 砂利がざらざらと音をたて、端っこの木にぶつかる。木のインスピレーションや外側を取り入れたり、取り入れなかったりして進んでいく。 踊りながら割と日比野さんはすっと動いたりしていて、より僕はリーチを広くするイメージも持ちつつ、村田さんはより地面とかのイメージ。 村田さんも、日比野さんもそれぞれ見た人から動きのフィードバックをもらったと言っていた。
資料館には迷って入らず、公園の折り返し地点として今度は別の道から戻っていく形になって、ちょうど傾斜の前の木陰がいくつありつつ広がったスペースにも隣接しているところで虻川さんによる発表。 この日のために色んな試行錯誤があったことが彼女のtwitterからなどもわかってとても楽しみにしていた。 説明としてプリントしてきた数枚の紙をお客さんに配っていく。そしていくつか持ってきていた小道具みたいものを10mくらいの間隔のスペースに配置していく。本やオブジェや写真の印刷されたボードみたいなものなど。木陰や切り株の近く、選ばれたところへすっと一つずつ。 虻川さんが使用されるピンク色のストーンが鎖の下に垂れているアクセサリーは4年間ほど占いなどを一緒に執り行っている相棒だという。受けてみたい人と手を繋ぎ(そこに微妙に筋肉の作用などが互いに生じるのも含めてと言っていた)、何か場所を進みながらこのアクセサリーがダウジングマシーンみたいに振り子としていくべき先を示す役割を果たすという。 手を握って目をつむり片手にアクセサリーを持った虻川さんが案内するように優しい足取りで進み出す。その先で物や立ち位置に出会すと立ち止まって振り子の加減を伺う。再びまた歩き出す。一人目は白い丸いぼこっとしたボールの前に立ち止まり、何かを虻川さんが言っている。その後、とても喜んだ様子で感謝を述べていた。 ある人は本があった場所に案内されると互いに地面に座りじっと5分間、目を見つめ合う。何か異様で、自然な集中が起きていて彫刻を遠くから見るような静寂もたたえた二人の姿があった。虻川さんにはパフォーマンスのような強さもあって、その時に人の目っていうのは最も身体の器官の中で鏡に近いというようなことをそこでなぜか思った。 数人がそのようにそれぞれバラバラのアクションで案内され、ある人はほとんどそれだけを見に来て、帰っていった。 一人は目を瞑って、もう一人は地面やそのストーンによる行方などを頼りに木や凸凹とした地面を移動していく様とそれを周囲で見守る人たちの光景が静かでやさしく、しかし適度の緊張をもって感じられたのが印象的だった。 あんまりまだ”どうぶつえん”の中でも見たことのないタイプのパフォーマンスで興味深かった。 虻川さん曰く、もっと広いところなどでもやりたいというようなことを言っていた。
・村田葵さんは傾斜のところでそれぞれのインストラクションを受けた人と話をしていた。
それからまた歩き出し、帰りは外側の道を、と茶室に続く道を選択し歩いていく。
ここの斜面は何か侍とかが返り討ちとかに合いそうな道だ。
この時点で2時間ちょっとは経っていてみんなも少しずつ疲れてきている感じ。茶室辺りに着く。とても整備されて���て綺麗な場所。 銅ふたろさんのいよいよ出番。彼は集合の時点でブルーシートで出来た衣装を着ており正体が不明。準備を始めようと少しだけ近くで耳打ちとかしながら着ているのとはまた別のブルーシートを取り出し地面に敷く、音源をスピーカーとつなげて音源を流す。何かちょっとどもったようなリズムの上にガサガサした声が報せのように、あるいは途方もない感じで響いていて、それを木のふもとに固定する。 ブルーシートの上で動き始めるそれは踊りというよりも動作的な趣向がまずは近いように感じられる。自身のブルーシートの身体から取り出すように薄い布みたいなシートを新たに取り出してはそれがこぼれ落ちる、またシートを上から羽織るような仕草。そのシートが一枚だったなら身体がその一枚を物として扱っているように見えるのだがこれが数枚になるとまるで身体から増殖するような感じがある。滑り落ちていく体に起きた作用みたいな別の感じが生じると見ているうちにわかった。
踊りというよりとにかくむしゃむしゃとやっている感じ。 10分ほど経ってから段々と体が地面へと落ちていき、ひれ伏すような状態になる。この形になると少し物の形状としてなぜか見やすくなる感じがあった。ひれ伏して抽象的な地面の塊みたいになって、その常態とそこからの動作の続きの想像が比較的容易くなるというか。 またその状態から今度はずっとスクエアのシートの上でやっていた塊が外側に迫り出そうとする、ここにも一つアクションとしての沸点があり、展開になっている。 それがいよいよ飛び出したかと思うとそうではなくて、その敷いていたブルーシートも体の中に取り入れ巻き込み、いよいよより大きな塊になっていく。 この辺で確か小雨が降ってきてまるで雨乞いのようだと思ってさらに土砂降りにでもなってほしいとさえ思ってしまう。結局、雨はひいた。 やがてそこから退散するように固執するように蠢いていた場所を離れ山道の中を入っていこうと進んでいく、、、したところで衣装を脱いでパフォーマンスの終了とした。
ちょうどそのタイミングで日差しがそのパフォーマンスの背景としていた茶室の池を抜けるように我々の方まで差し込んでいてとても綺麗だった。 その日差しをあとにし一行は帰り道を辿る。
(道すがら秋山さんに打診したり、他にアクションをし足りない人はいないか聞いてみる。)
最初に日比野さんの発表のあった原っぱへ。
荷物を放り出して、すっかり時間を一緒に過ごしたリラックスした身体たちが身を放り投げてきもち良さそうだ。 少しだけ休憩をしたら最後に一言ずつ感想を言って終わりへと向かいましょう、と言いトイレへ行く。藤浩志館長とトイレが重なって何かコメントをもらった気がする。 そして原っぱに戻ると楽器を取りに車へ向かう秋山さんの姿が。 ギターを持ち帰ってきて終わりにふさわしい感想を言うパートを設けたコール&レスポンス型の歌が即興的に歌われる。思い思いに適当にその辺を叩いて演奏に加わり一同笑いながらそれを聞く。 少しずつ外が暗まっていく。 一言ずつのコメント。 藤さんはたとえば3人が林道で踊る際に好き勝手な声を出したかったということ、千秋公園の使い方で考えていたような広がりを持った使い方のサンプルを見れたとかそういうことを言っていて、もちろんサンプルを越えるような何かを提案したかったけども、それぞれが素晴らしいアクションをしてくれて毎度のことだけどお客さんにも拍手みたいな感じで無事に終わることが出来た。
・半透明として参加した村田さんは”どうぶつえん”の全体を通して淡い参加の方法によって時に溶け込み、時により溶けていくようなあり方を身体や鑑賞態度において具体的に寝そべるとか、木にもたれかかるとかして試されていたように思う。
また思いがけず、それにグラデーションをもたらすような形でAokid、日比野と林道を踊って行進するような時間も生まれていった。
終わった後は文化創造館前で机を広げて打ち上げを行った。
それぞれの発表が見れたこと、また初めてこうして”どうぶつえん”を秋田で開催出来たのは文化創造館をはじめ、秋田の人たちのおかげでとてもありがたかった。感想でももらったようにこの場所のポテンシャルを改めて発見する機会になったのは発表や鑑賞のおかげだと思います。ありがとうございました。またやれたらとてもいいなぁと思います。
0 notes
zubaban · 1 year
Text
ニュース 02/11〜02/13
何が多様性なんだか… 一言言いたい「何でもいいからおっぱい見せろ」 →
AIは女性の下着や運動着を文脈を無視して「性的」としてシャドウバンすることが判明、女性主導のビジネスに損害を与えていると専門家 - GIGAZINE
俺もLGBTの「婚姻」には慎重になるべきと思うが、何でも「勝手解釈」で自分らの利益になるものは通してきたのにコレはあっさりと憲法が認めないとかさ。 何かが透けて見えますな
→同性婚「憲法は認めず」 自民・世耕氏(時事通信) - Yahoo!ニュース
え?げんこつ3発で許してやれよwww
→長谷川豊氏「許すことは絶対にしない。思い知っていただく」複数の投稿に対し法的措置を取る意向(日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース
昔悪かった人ってこういう事言うよね
→大竹まこと スシロー事件で憂慮「何よりも心配なのは少年の将来だ」(東スポWEB) - Yahoo!ニュース
”親会社である日本郵政の増田寛也社長は「ここまでの低レベルの得点ということは、深刻な問題がおそらく内在しているのではないか」と語り”
何人事みたいに言ってんの? 知らないわけないじゃん。 業界では昔から有名なんだから
→日本郵便が価格転嫁調査で最低評価 配達業者「ずっと不満に思っていた」【WBS】(テレ東BIZ) - Yahoo!ニュース
時給8000円ってさぁ… 発注する側も感覚おかしいだろ これが正しい「公金チューチュー」 の使い方 いいかげん前会長で派遣業を蔓延させて自分で会社作って大儲けした竹中さんを国会尋問してもらいたいもんだね
→ひろゆき氏も「公金チューチューで楽に儲かる」パソナ「10億円過大請求」に非難殺到 驚きの「中抜き金額」指摘も(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース
いやいやいや。 やむを得ないじゃなくて無駄金なんだから国庫に戻せよ
→モデルナのワクチン、4610万回分を廃棄 厚労省「やむを得ない」(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
河野太郎が「ワクチンで死亡した例はない」と言っている。 早く総合的判断ではなく「ワクチンが原因で死亡」と判断できる方法開発しろよ。 無理だと思うけど。 因果関係の証明が無理なものを打たせてました。 と公表したら?
→接種後死亡、新たに10人認定 新型コロナワクチン 厚労省分科会(時事通信) - Yahoo!ニュース
酷いな…
→マイナカードを利用し年齢制限も 河野デジタル相 迷惑動画問題で(FNNプライムオンライン(フジテレビ系)) - Yahoo!ニュース
要はお上からの妄言を信じた人が多くワクチン打ったって事だな
→コロナワクチン接種者と未接種者、情報源の違いは?/筑波大|医師向け医療ニュースはケアネット
0 notes
herbiemikeadamski · 1 year
Photo
Tumblr media
. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 2月7日(火) #大安(丙申) 旧暦 1/17 月齢 16.3 年始から38日目に当たり、年末まであと327日(閏年では328日)です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃‍♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . 朗報というか免れた感がありますが とりあえず、金沢行きは無い事にと 告げられ、ホッとしたのですが藤沢の 辻堂とか💦しかも、乗り込み時期 が未定なので暫くは内勤で越谷に 車で通う事になりました🤣😆🤣 ここも微妙に遠いのですけど外環で 1時間から1時間30分の距離です が、毎日の交通費が大変そうです よね😅💦「なんだ車買ってて」 「良かったすね✋」って私って先見 の目👀があるのかもしれない😅💦 今日の「成句」の様に、長い目で 見る。ですよね🤣😆🤣ここ数年 急かされ追いまくれ気味だったから 「のんびり行こうじゃないの」😅💦 って事で、今日から越谷タウン✋ . 今日一日どなた様も💁‍お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋‍ モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #国産ブナ材の日.  兵庫県豊岡市に本社を置き、木製ハンガーなどの製造販売を手がける中田工芸株式会社が制定。  日本にはかつて薪炭林だったブナ林が広がっているが現在ではほとんど活用されていない。  同社の主力製品の木製ハンガーもブナで製作されていることから、記念日を通して国産ブナ材を  資源として持続可能な仕組みで活用し、森林保全と地方創生につなげるのが目的。  日付は2と7で「ブ(2)ナ(7)」と読む語呂合わせから。 . . #大安(ダイアン). 「大安日(にち)」の略。 陰陽(おんよう)道で、旅行・結婚など万事によい日。 一切合切(イッサイガッサイ)が良いとされる日。  「大いに安し」の意味。 六曜の中で最も吉の日とされる。 何事においても吉、成功しないことはない日とされる。 六曜は、暦注の一つで、先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口の6種の曜がある。 . #月徳日(ゲツトクビ).  ��の建築やリフォーム、土を動かすことが良いとされる吉日です。  その月の徳神様が降りてきている日。  特に家の増改築や土に関することには吉日とされる。   . #神吉日(カミヨシニチ). 「かみよしび」ともいい、神社への参拝や、祭礼、先祖を祀るなどの祭事にいいとされています。 この日は神社への参拝や、お墓まいりに行くといい日です。 . . #埼玉県金子村B29墜落事故. 1952(昭和27)年2月7日(木)赤口、に爆弾を満載した米軍のB29爆撃機が、埼玉県入間郡金子村 (現在の入間市)寺竹に墜落・炎上して爆発を繰り返し、村民4名と乗員13名が死亡した事故である。 . #米軍北爆開始. . #北方領土の日. . #長野オリンピックメモリアルデー(#長野の日). . #フナの日. . #ニゴロブナの日. . #ニキビに悩まないデー. . #福井県ふるさとの日. . #興師会(#日蓮正宗). . #生パスタの日(毎月7日8日). . #グレナダ独立記念日. . . ■本日の成句■. #長い目で見る(ナガイメデミル). 【意味】 現状だけを見て判断せずに、時間をかけて見守る事を云う。 . . 1943(昭和18)年2月7日(日)先負. #小林稔侍  (#こばやしねんじ)  【俳優】  〔和歌山県〕. . . (東大泉) https://www.instagram.com/p/CoVXc4oBepYdenByDLsDxn2Yi4rv-teWkrod3A0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
u543z · 2 years
Photo
Tumblr media
天塩岳ワンデートリップ💫白コマクサとイソツツジロード🌸アスファルトに咲くコマクサ魂に衝撃⚡愛別産きのこスペシャルラーメン🍜ごちそうさま🙏✨若女将から面白いエピソード聞けました😁また行きます〜♨✨💨 #天塩岳 #前天塩岳 #西天塩岳 #天塩ラウンドコンプリート #白コマクサ #コマクサ満開 #イソツツジ満開 #蒸したイチニチ💦 #エゾシロチョウ #湯元協和温泉 #愛別産スペシャルきのこラーメン🍜🍄 #アスファルトに咲くコマクサ #なりゆき若女将さんが説明してくれます #こだわりのかけ流し温泉♨ #マルハナバチ🐝 #ヨツバシオガマ今季お初 #アキノキリンソウはやくも #アオノツガザクラ #前天塩岳コース問題なく歩けます #連絡路は荒削りの真新しい刈払い道 #竹の切り株注意 #登山道整備ありがたいです🙏 #グラサン拾いました #登山名簿ボックスに置いてきました #天塩岳ありがとう #天塩に登ったら協和温泉でしょ✊ #愛ふくふくやめちゃったのかな (at 天塩岳道立自然公園) https://www.instagram.com/p/Cfg1JCnPUw7/?igshid=NGJjMDIxMWI=
1 note · View note
zentalol · 4 years
Text
New epidemic
Tumblr media
なんだかんだで唐突なとんぼ返りで日本に帰ってもう3週間くらい経ちます。
相変わらず仕事はなく、というか探す努力すらしていないという。ただ、何かしたいとは思っていて、
とにかく、来たる日に備えて今は自分を高めるのみ。虎視眈々といろんな方面で準備中です。
今回のCovid-19の発生によって起こった世界情勢の変化、そして今後どんな風になっていくのかという妄想的まとめをつらつらとしてみたいと思います。
2019年末、僕が新たな希望に心を燃やしながらヨーロッパへと旅立った頃、中国武漢市周辺で最初に確認されたと言われているこのウイルス。
野生動物を取り扱う生鮮市場から発生したとか、ウイルス研究所から流出したとか色んな話が飛び交っていますが、天然由来のウイルスが何らかの形で下界に持ち込まれたんじゃないかな、と素人ながらの推測をしています。
根拠はそんなにありません。だって専門家じゃないし、原因を突き止めるのは僕の仕事じゃないし、好きなことでもないし。
それよりも、起こってしまったことに対して、手元にある武器や知恵でどう乗り切って次につなげていくのか、そういう考え方をするタイプなので、原因調査は専門の人を信じるのみと思っています。今の僕は。
とにかく、この中国発のウイルスが現在世界中で猛威をふるっていて、300万人近い人が感染、数万人もの人が世界中で同時多発的に亡くなっています。
結論から言うと、これからもこのカーブは止められないものでしょうし、はしかなどのように根絶までに非常に長い期間を要することになると思います。このウイルスの性質上特に。
前にビルゲイツがTEDで警鐘を鳴らしていたような事態に実際に陥っていて、イタリアやスペインなどでは医療崩壊に陥りました。
イタリアは特に、その直前まで旅行していた場所とあって、にわかに信じ難かったです。
このウイルスの流行によって、これまで少しずつ動いていた世界情勢の構造が、現在進行形でかなり大きく変容しています。
まるで巨大地震が起きたときのように。
以下の項目について、僕が思うこれまでの傾向、現在、そして将来を、自分メモ的にまとめてみようと思います。
・疫学上のリスク
・自然環境の変化
・社会活動の変容
・金融市場の動向
・国際政治、外交関係
【疫学上のリスク】
現在の事態の直結している項目ですね。
これまでは、経済活動に重点が置かれていたこともあり、ビルゲイツが警鐘を鳴らしていたように、少しおざなりにされていたことは否めません。
ただ、未知のウイルスの中でどのウイルスが流行するかなんて、宇宙の中からある特定の塵を見つけにいくようなものなのでしょう、きっと。
しかし、SARS, MERS, H5N1インフルエンザなど、基本的にはコロナウイルスの一種であることから、今後、コロナウイルスに対する研究に対して、さらに政府から資金が投入されることで進められていくことでしょう。
数年間は。
その後は、国によりけりですが、日本とかはまた今まで通り、少しずつ資金を削減していって、経済活動へまたシフトしていくことになるんじゃないかな、とは思います。
一方ドイツを始めとするEUや、巨大な資金力を持つ中国などは、研究に資金を投じ続けるだろうと推測できるので、ここで疫学上のリスク管理に温度差が生まれることに、長期的になっていくと思います。
中国、アメリカ、EUの覇権争いがここでも台頭してきます。(すでに争いが始まっているけども)
個人的には、生命のリスクを天秤にかけて覇権争いをするくらいなら協調してその利益を全世界で共有してほしいのですが、きっと無理な話なんでしょうね...
【自然環境の変化】
企業の生産活動が、世界的なロックダウン、活動自粛によって落ちている中、環境汚染が一時的にストップしているという話をあちこちで聞きます。
中国の空が青いとか、南米ペルーの街もきれいになって、鳥がさえずっているとか。
そもそも地球は、約10年程前から緩やかに活動期に入ったと僕は思っています。
10年前に起こった、ハイチの大地震、ニュージーランド、そして日本。この辺の大地震がトリガーとなって、火山活動なども含めての地球の活動にスイッチが入ったように思います。
それに加えて、かねてから指摘されている、環境破壊による地球温暖化の加速化、それに起因する、台風や大規模森林火災、干ばつなどの異常気象。
あまり科学的ではないですが、ここにきて発生したパンデミック。
さらには今コロナ騒動の影に隠れてしまっている大災害、アフリカからアジアにかけての蝗害。
<これらは人間の社会活動、経済活動による環境破壊に対する地球からの警告/悲鳴だと僕は考えています。>
そう考える人はきっと僕だけではないと確信しています。
環境汚染の進行が遅れている今の状況は一時的なものでしょう。
ただ、地球環境をこれ以上破壊してはいけない、もっと大きな災害を引き起こすと考える人は、この一件を機にさらに増えると思います。
(日本はそういうアクティビストが少ないので、パンデミックから環境破壊を結びつける人は多くないと思いますが、欧米ではそう考える人は一定数います。欧米の全てが正しいとは思わないですが、僕もこの点に関して見解は同じす。)
そのため、今後はさらに、環境保護への取り組みが重視されるようになり、企業活動も含めてそうした方向へ社会全体が傾くことが想定できます。
【社会活動の変容】
環境変化に起因して、社会活動のあり方も変わっていくのではないかと思います。
これまで、環境保護が取りざたされるようになり、single useのものから、リサイクルできるものへと移行する動きが盛んになってきているように思います。
プラスチックの買い物袋の削減、ストローをプラスチックではなく、紙や竹、金属製にするなど、身近なところから少しずつ変わってきているように思います。
ヨーロッパを旅行していて驚いたのが、果物などの包装に使うプラスチックを減らしていたこと。
量り売りによる個数単位、重さ単位での値段決めはもちろん、りんごなどのパッケージにボール紙を使ったり、ネット売りにすることで小さい単位からでもプラスチックを少しずつでも減らそう、という努力が見られました。
日本に帰ってきて、スーパーがプラスチックで溢れかえっていたのは見ていて少し残念な気持ちになりました。
今後もそのような、環境保全と社会活動を両立しうる形態を模索していく動きは広まりつつ、さらにその���面が盛り上がるのではないかと思います。(特に日本は余地が大きい分、盛り上がること間違いなしだと思っています!)
また、今回は野生動物を食材として密猟、取引していたことが直接的な原因になったと言われています。
実際のところはどうであれ、現在中国内における野生動物の取引は一時的に全面禁止されているようです。希望的観測にはなりますが、中国は今回こそは取引をこのまま禁止してくれないかなぁ、と個人的に願っています。
習近平政権に代わってから、汚職廃絶と称して、政府高官への接待や賄賂などの取り締まりを行っていたので、ここにもメスを切り込んでくる可能性はあると思います。
ただ、この取引による利益が政府にとっても見過ごせない量の収入になるみたいなので、どっちに転んでも不思議ではないと思います。
中国の他にも、アフリカの奥地の方でも野生動物を密猟して食べる風習があると言われていて、それとエボラ出血熱の発生が関連していると言われています。そこは見過ごすような発言が欧米各国から出ているようなので、それも少し気がかりではありますね。
しかし、今後は動物性の食事量を減らしていく、ベジタリアンやビーガン生活がブームになる可能性や、植物肉、代替肉、昆虫食などの代替策の研究と商品化がさらに大きなブームになるでしょう。
ビーガンは、一時期に比べてギブアップした人も出てきているようなので、ブームにまではなかなかならないのかな...。
僕は、肉の摂取量を減らして、たまにベジタリアンの週を作ったり、肉を食べない日を何日かとるような、たまーにベジタリアンをするようにしていました。(今は実家に居候させてもらっていて、毎日肉が出てきてtoo muchな思いをしているので、また一人暮らしを再開したらすぐにでもやろうと思っています。これが結構家を早く出たい気持ちのモチベーションになっています笑)
【金融市場の動向】
今回の騒動によって、株価は世界中で軒並み下落、経済は縮小方面へ、一気にデフレに突入、という言い方があちこちでされています。
しかし、経済的な観点から見て、まぎれもなくこの事態は必然的に起こっています。
そもそも2009年頃をリーマンショックの底として、これまで世界経済は堅調に伸びていました。(日本は震災とそれに付随する原子力問題で一度経済は不調に陥っていましたが、それでも過去数年は株価最高値を更新し続けるなど、堅調でした)
ただ、その反面で、次のリーマンショックに匹敵する大不況がいつ起こっても不思議ではないと、2015年頃にはすでに言われ始めていました。
次は中国発の不況になるだろう、とも。
そもそも中国はリーマンショック前まで毎年、対前年比でGDP成長率2桁を達成し続けていました(公式の統計によると)
しかし一方で、国内では経済活動が過熱していて、需要なき建設ラッシュやローン問題など、いつバブルが弾けても不思議ではない状況でした。
そこでリーマンショックを経て、GDP成長率が8%、そして少しずつ緩やかになっていきましたが、構造的な問題は全く手付かずだったため、いつデフレに傾いてもおかしくない状況が続いていました。
そして今回、中国のみならず、世界中のロックダウンによって生産活動が強制的にストップしたことによって金融市場も反応し、株価が暴落、一気に不況に突入しました。
でも世界的に見たら不況入りするのは時間の問題だっただけなので、ある意味必然。このウイルスの発生はただのきっかけに過ぎなかったわけです。
とはいえ、ここまでのロックダウンが起こることは去年の段階では誰も予想していなかったはずなので、想像以上の大きな反動を世界的に受けている最中なのです。
それに、このウイルス、中国発でしたね。そういう意味ではこの不況も中国発ですね。
今後の金融市場の動向についてですが、企業の生産活動が大方再開するまでもうしばらく底をのさばることになるでしょう。ただ、市場はすでに現状を織り込んで動いているはずなので、ロックダウンの緩和や、生産活動の段階的な再開のニュースが報じられるたびに小さい範囲での上下動はあるでしょう。
ただ、また景気が回復基調に戻るまであと数年は尾を引くと思います。
【国際政治、外交関係】
個人的には一番の関心事です。やっぱり気軽に旅行できる世界になってくれることが一番なので。
元々は、America Firstと言い始めた人がいるように、国際協調の波が後退して、自国主義が世界的に勢力を増してきていました。
中流階級の労働者を中心に、今まであまり目を向けられずにいて、外国を利するような取引ばかりしていて、自分たちをもっと認めてほしい!という声が高まったのでしょうか。
オーストラリアの農業地帯にある住宅地とか、イタリアの中でもあまり裕福ではない南部エリアやイギリス中部などのエリアでは、実際に自分で訪れてみて、そういう雰囲気を感じ取った気がします。
あとは一般的にはアメリカ中西部やドイツ西部などの工業地帯に多いのでしょうか。
自分が実際に行ったそういうエリアで思ったのは、そのようなところで見かけた一部の人が少しレイシストというか、やっぱりよそから人が来るから自分の立場が狭くなっているというマインドがあるのではないか、という分析をしています。
今回の危機を経て、国際政治関係はどちらにも転ぶことはできると思います。現にドイツは医療体制に余裕があることもあって、イタリアやフランスから重症患者を受け入れて手術を施しているそうです。
しかし一方で、中国のマスク外交であったり世界中で起こっていると言われるマスク争奪戦、欧米各国が中国に今回のパンデミックの責任があると糾弾していたり、アメリカが情報戦を中国に仕掛けているところから察するに、自国主義の風潮が強まっていくように思います。
元々この自国主義と他国協調主義はトレンドのサイクルになっていると言われていて、それは過去の歴史を見てみても同じように寄せては返す波のように交互にこのトレンドが入れ替わっているので、
もうしばらくはこの自国主義の風潮が続くとは元々思っていたので、そうそう変わらないでしょう。
国がどんなスタンスを取ろうとも、ビジネスや民間の国際交流までそこに囚われる必要はないので、今後とも色んな国の人や多様な価値観を持った人との交流を続けて行きたいと思っています。
また、この流れで一つ懸念しているのが、最近巷で噂になっている、今後はパスポート一つで旅行できなくなるのでは?という話です。
元々、アメリカのESTAと呼ばれる、事前にビザ登録をしておかないと、乗り継ぎを含めた入国を拒否されるようなシステムがあって、今はオーストラリアや来年にはEUも導入を検討しているなど、少しずつセキュリティーチェックが厳しくなってきています。
元々テロ対策や移民の過度の流入防止、国防の側面などがあると思いますが、この流れは今後さらに広まっていくものと思います。
さらに、今回のCovid-19の特性である、無症状、軽症患者が多く、さらに感染力がとても強い、そして一部の患者には致命的となりうることを勘案すると、ここのセキュリティーチェックの項目に、過去の発症歴やワクチンを受けたかどうか、ということが聞かれる(もしくは海外渡航に際する必須項目としてのワクチン接種)という風に規制がかかることが将来的には予測できます。
今回、インフルエンザなども種類に含まれるコロナウイルスによってこのようなパンデミックが起こったことから、冬になると再度流行する可能性が高いです。(そのように考えて備えておくことが必要でしょう。)
日本などの北半球の国は今後季節が変わるにつれて(もちろんSocial distancingなどの予防策がまず第一ですが)少しずつ落ち着きを取り戻す方向に向かうと個人的には期待をしています。
一方、僕が前に住んでいたオーストラリアや、今回早めのロックダウンを断行して流行を食い止めたニュージーランドのような南半球の国々はこれから冬に向かっていくので、そのような国々の対応と、どのように事態が今後変わっていくのか、これからも注視しています。
このような季節の逆転も含めて考えると、海外渡航が全世界的に再びできるようになるまでには、まだまだ越えなければならないハードルも多く、時間を要するものと思っています。
オーストラリアにはまた近いうちに行きたいと思っていたので、どうにかなってくれるといいなぁ...。
個人的に、まだまだ世界に出足りない、もっと自分の目で見て、肌で感じて学ぶべきことが非常に多いと思っていて、もっともっと色んな場所に行きたいと思っているので、この状況は非常に寂しく、息苦しいですが、
むしろ、冷静になって色んなことを分析し、今後の戦略を練ることができるまたとないチャンスだとも思っています。
誰かが将来の展望を考えるきっかけにこの文章がなれば幸いです。
そして、未来の自分がここに立ち返って答え合わせをできるように、備忘録として書き残しておきます。
4 notes · View notes
shibaracu · 4 years
Text
▲バイオマス由来高分子での材料今の所 不可能らしい
本文を入力してください
▲バイオマス由来高分子での材料今の所 不可能らしい 子供の頃には 遠足などに行く時に 母か祖母かが 作ってくれた弁当。 竹の皮で包んだおにぎりを 食べるのが楽しみだった。 うちは貧乏だから中身は 少し千切った梅干しが入っていた。 無論周りは少し塩のかかった塩味のついたおにぎり。 少しずつ齧るのが楽しみだった。 子供なんて こんなことだけで幸せだった。 今の子は 弁当箱に色んなキャラクターなどをアシライ美味そうに飾ったもの。 夢があるから幸せなのかな。 私は普段はアルミの大きな厚みの弁当箱にご飯は押しつぶすように入っていて 真ん中に梅干しが一つ。 この弁当箱も何年かで梅干しか塩のおかげかで真ん中だけ腐って穴が開く。 あれは今わかっていることは錆びたのだろう。 子供の頃は なんで腐るのかなと不思議思ったもので有った。 いつ頃からか スーパーに並んでいるものは中身が透けて見えるラップがかかる。 受け皿は白いきれいなトレイに。 今は色んな柄の入ったものに変わっている。 今のものはほとんどが石油から加工したものばかり。 ラップは今の科学では自然由来の透明フィルムで密閉性のものは出来ないらしい。 トレイなども竹の皮を代用に使えないかと色々と調べてみたが作れるは作れるが高くついてとても歯がたたないようだ。 石油だけに依存して戦後ずっとそれに寄りかかっきたから。 フリーエネルギーなんてのも無理。 設備を研究するのにコストが高くて手が出ないようだ。 サウジアラビアが石油の増産を始めた。 販売価格がスダンどで せめて リッター100円まで落ちないのかな。 今の値段は 誰かどこかで値を上げているらしい。 30円は下がるようだ。これから先の話は総て闇の中。 フリーエネルギーも何度も発明したけど闇に葬られてしまっている。 私が書いたことは 今で言う 都市伝説。 真か嘘とか 真か嘘か。 面白い話か どうかな。今の時代 すぐにナンチャッテと 言ってごまかす。 それが落ちだろうね。下手すると死が待っている。     ●植物由来プラスチックへの期待と問題点 - 廃棄物資源循環学会 file:///C:/Users/asahi/AppData/Local/Temp/070525oku-1.pdf 資源がバイオマスでも石油でも、生まれつき「環境にやさしいプラスチック」などは 存在しません。育ててや さしくするのです。 (財団法人・生産開発科学研究所)奥  彬 1.環境にやさしい材料とはどのようなものですか? 世間には「環境にやさしい」という言葉が溢れていますが、それを正しく使用している例は少ないようです。 「リサイクル」や「エコ」という言葉が使われる場所でも、言葉の重さを考えずに 漠然と使われ、また真の姿を見せたくない本音が隠されています。 そもそも生産と消費活動には環 境負荷ゼロのものなどなく、そこにかなりのエネルギーと資源が投入されています。 バイオマスや資源作物から有機材料を作るときも、開墾・耕作・収穫・化学原料への変換に、多くのエネルギーと資機材用の資源が消費されています。 それを考えると「環境にやさしい」という言葉の多くは正しくないことがわかります。   ●日本バイオプラスチック協会.バイオマスプラQ&A http://www.jbpaweb.net/bp/bp_faq2.htm 2. バイオマスプラスチックの特徴と意義 Question1. バイオマスプラスチックと生分解性プラスチック(グリーンプラ)はどう違うの? Answer1.    生分解性プラスチックは、プラスチックとしての機能や物性に加えて、ある一定の条件の下で自然界に豊富に存在する微生物などの働きによって、分解し最終的には二酸化炭素と水にまで変化する性質を持つプラスチックです。したがって、農業用のマルチフィルムや、食物など有機性廃棄物の堆肥化のための収集袋など、微生物分解性の機能を活用できる分野では、環境負荷低減に寄与することから注目されている素材です、これに対しバイオマスプラスチックは特別な性質を利用するものではなく、原料として植物などの再生可能な有機資源を使用することにより、枯渇が危惧され地球温暖化の一因ともされている石油にできるだけ頼らずに持続的に作ることができることから注目されている新しいプラスチック素材です。 したがって、バイオマスプラスチックと生分解性プラスチックは、全く異なった2つの概念をもっています。 Question2. バイオマスプラスチックが最近注目されているのはなぜ? Answer2. バイオマスプラスチックの原料に使われる植物などの再生可能資源は、数億年の長い年月をかけて地中に蓄えられた化石資源と異なり、大気中の炭酸ガスを植物の炭酸同化作用(光合成)により吸収した結果蓄えられたものなので、使用後燃焼などにより二酸化炭素に戻っても、地球温暖化の原因と言われている大気中の温室効果ガスの濃度上昇を来たすことがありません。このようにバイオマスプラスチックは人間の快適な生活に必要な自然環境を維持しながら、有用なプラスチック素材を供給できることから、今後より一層の普及が期待されております。   ●Bee Eco Wrap / 地球に優しい、プラスチックを使わない ... https://www.beeecowraps.jp/ Bee Eco Wrapとは GOTSオーガニック認証を受けたコットン生地に、化学物質を一切使わず持続可能な方法で採集したミツロウとコールドプレス製法のホホバ油、木の樹脂を独自にブレンドしたWAXを浸透させ作られています。 天然の材料を独自のブレンドで製法することにより、どんな形にもフィットし、何度でも繰り返し使えるフードラップができました。 オーガニック素材を使用したこの商品は、製作工程も一つ一つ丁寧に全て手作業で作られています。   ●サランラップ®の豆知識 サランラップ®|商品紹介|旭化成ホームプロダクツ株式会社 https://www.asahi-kasei.co.jp/saran/products/saranwrap/history.html 高品質のサ��ンラップ®がどのように作られているのかをご紹介します。 1.サランラップ®ができるまで
2.サランラップ®の歴史 サランラップ®の誕生秘話や、歩んできた歴史をご紹介します。 20世紀初頭(1900年代) サランラップ®はいきなり誕生した商品ではありません。 20世紀初頭世界初の合成樹脂ベークライトが誕生しますが、以来アメリカでは合成樹脂の研究を熱心に進めていました。その研究の成果が(ポリ塩化ビニリデン)という形で実を結び、この合成樹脂をアメリカは戦争に活用しました。 この合成樹脂は、太平洋戦線で兵士を悩ませた蚊から身を守るための蚊帳、ジャングルを行進する兵士を水虫から守る靴の中敷き、銃や弾丸を湿気から守るための包装フィルムなどが、主な用途だったそうです。   ●透明な紙”って、なに? | Cellulose nanofiber Materials http://www.nogimasaya.com/research/transparent/ ”透明な紙”って、なに? 一般の方向けに、よくある質問をまとめました。 研究者の方は、末尾参照。 (2013年3月19日、一部書き換えました。) Q1.透明な紙って、何? これが、「透明な紙」です。 木材(セルロースナノファイバー)から作りました。 厚みは、30ミクロンです。、サランラップ(約10ミクロン)より、3倍ぐらい厚いです。 Q2.いつ、どこで、発明されたの? 2008年1月30日(水)23時40分頃、京都で発明されました。 今から2000年前、中国で紙が発明されて以来、ずうっと紙は「白色」でした。 当然、私も生まれてから、白い紙しか見たことがありませんでした。 だから、「透明な紙」ができた時は、ほんとにビックリしたし、目を疑いました。 あれから5年。。 いろんな人が、いろんな知恵を出して、どんどんレベルアップしています。 いよいよかも知れませんね!!   ●バイオプラスチックで問題は解決?-海洋プラスチック汚染の対策 https://lessplasticlife.com/marineplastic/responses/bioplastics/ 2018/09/16 バイオプラスチックという、いわゆる環境に優しいとされるプラスチックがあります。 石油を使わずに再生可能な植物などを原料に作られ、ごみになっても自然環境で分解される、そんなエコなイメージがあります。このバイオプラスチック、はたして海洋プラスチック汚染の救世主となるでしょうか。 最初に知っておきたい事実として、まず、すべてのバイオプラスチックが植物などの生物資源から作られるわけではありません。石油などの化石資源を原料にするものもあります。 すべてのバイオプラスチックが微生物に分解されるとは限らず、まったく分解されないものもあります。 目次 ・バイオプラスチックとは? ・バイオマスプラスチックとは? ・生分解性プラスチック(グリーンプラスチック)とは?  ・加水分解型と酸化分解型の生分解性プラスチック ・3種類のバイオマスプラスチック ・バイオプラスチックは海のプラスチック問題を解決するのか? ・自然環境を忠実に反映していない「生分解性」 ・一人歩きする生分解性プラスチックのエコなイメージ ・生分解性バイオマスプラスチックへの期待 ・まとめ:結局バイオプラスチックはどうなの? .バイオマスプラスチックとは? プラスチックは普通、石油などの化石資源から合成されて作られます。しかし、原料を石油ではなく、植物などのバイオマスを利用するプラスチックが”バイオマス“プラスチックです。 限りある化石資源を消費する従来のプラスチックの代替になるプラスチックとして期待され、研究・開発が進められています。   ◆「生分解性プラスチック」が地球に優しいウソホント | プラなし生活 https://lessplasticlife.com/marineplastic/driver/biodegradable_plastic/ 2017/10/24 「生分解性プラスチック」という言葉を聞いたことがあると思います。 捨てられても自然に分解される地球にやさしいエコなプラスチックとちまたに言われ、ここ数十年にその開発と製品化が活発に進められています(Ojeda 2013)。 生分解性プラスチックは、捨ててもいつかは消えてなくなると思われていました。ところが、「生分解性」プラスチックは必ずしも海の中で分解するとは限らないのです。 目次 ・海中では分解しない生分解性プラスチック? ・ 「生分解性」と表示することの問題点 ・酸化型の生分解性プラスチックの問題 ・海中で分解するタイプの生分解性プラスチック ・まとめ 現在市場に出回っている生分解性プラスチックの大半はポリ乳酸(PLA)ですが、これは生分解に50度以上の温度を必要とするため海洋環境中では分解されません。 海中で50度以上の環境は深海の熱水噴出孔付近くらいでしょう。「生分解性」と書いてあっても、それはコンポストという特殊な条件で生分解するのであって「海洋生分解性」ではないのです。仮に分解したとしても、それにはとてもとても長い時間が必要になります。   ◆プラスチックQ&A|プラスチックの世界|ポリオレフィン等衛生協議会 http://www.jhospa.gr.jp/plastics/faq.html 06.プラスチックに紙のような通気性がないのは、なぜでしょうか。 紙は、木材パルプを摺り潰して作った繊維を接着させて作られます。ですから天然紙は、バレーボールやテニスのネットを折りたたんだような、繊維同士が絡み合った構造になっていて、繊維と繊維との間には拡大鏡で見ることができるような相当大きなすき間があります。 これに対して、プラスチックは、繊維と繊維がからみ合ったような構造ではなく、均一で緻密な構造になっています。すき間は高分子の分子間にありますが、これは電子顕微鏡で見ても分からないほど小さいものです。したがって、プラスチックのフィルムは気体が簡単に通れないほど目の細かいフィルターの様なもので、紙のような通気性はありません。 プラスチックはそれぞれの特性を活かして使い分けられていますが、いずれにしても、穴の空いていないプラスチックでは、人間が呼吸できるほどの通気性はありませんので、プラスチックの袋を子供さんがかぶったりしないようにご注意下さい。 13.使い捨て(ワンウェイ)のプラスチック容器は、資源のむだ使いではないでしょうか? 容器包装材がワンウェイ化をたどっているのは、プラスチックが金属やガラス、紙などに比べ、軽くて強い、清潔で加工しやすいなどの利点から、流通の合理化が図れる事によります。その結果、生産者はコストを下げることができ、消費者は欲しい商品を安く買うことができるのです。 しかし、資源の有効利用や環境保護という観点で、使用後の処理方法については見直す必要があります。2000年4月から容器包装リサイクル法が施行され、現在は国や業界が、循環型社会をめざして、リターナブル容器やリサイクル可能な製品・材料の開発、再生可能な材料を使用した容器開発等を進めています。また、消費者においても安易な使い捨ての生活を見直し、ゴミを分別する、リサイクル可能な容器の回収に協力するなど双方の努力から、環境と利便性とのバランスが維持できるのではないかと考えます。 29.電子レンジでラップフィルムや容器を使用しても大丈夫でしょうか。 電子レンジというのは、食品自体に高周波(マイクロ波)をあて、食品自体を振動させ、その摩擦熱で食品中の水分を加熱する機器です。 ここで二つ疑問があると思います。一つは高周波をあてることによってラップ等に何らかの変化が起きるのではないかということですが、これに関しては、いろいろな実験から全く変化はないことが証明されています。 二つ目は熱による変化です。加熱された容器の熱が伝わり、容器自体も加熱されます。お芋やご飯など水分を主体としたものを包んで電子レンジに入れても100℃以上にはなりませんが、沸点の高い油性の物は、時として180℃以上になり、容器の耐熱温度を超える恐れがあります。 プラスチックには多くの種類があり、耐熱温度もまちまちですので、品質表示等にしたがって使用することをお勧めします。   ◆JP2003146358A - トウモロコシ皮や竹皮加工品 - Google Patents https://patents.google.com/patent/JP2003146358A/ja (57)【要約】 【課題】発泡スチロール成型容器は土中に埋立てしても分解せず、焼却すれば悪臭を発生するので公害になっていた。これを天然産品の竹皮やトウモロコシ実皮を積合して作った容器はその悪臭ガス発生や黒煙の発生がなく土中に埋立てても分解されるので、発泡スチロールの代換品として開発する事を目的とした。 【解決手段】発泡スチロール食品包装容器を天然品の竹皮1aやトウモロコシ実皮や葉蘭、バナナ葉を片面とし、これに接合剤3aを挟着して積合した紙質板を積合し、加熱成型した抗菌性発酵性食品容器。プラスチックを使用しても発酵性であるから土中に埋立てとしても分解し、二次公害性はない。   ◆会社情報|株式会社松本 http://www.takenokawa.com/corporate/index.html 株式会社松本は、竹の皮食品容器のパイオニアです。 BAMLEE製品は、環境にやさしい、時代の先端を行く最高品質ブランドです。 BAMLEEの輪は、人々を豊かに守る、世界に広がっていく輪です。 竹皮をさらに進化、より使い易く
当社は竹皮を取扱い100年余りとなります。 私たちの国日本では、遠く昔は鎌倉時代から食品を包む、運ぶ為に「竹皮」が使われて来ました。 スーパーマーケットが台頭し、ほとんどのパッケージがプラスチックに変わるまでは、竹皮は食品包材として広く使われており、おにぎり、ちまき、肉等においては、現在も使用されています。 一枚の竹皮が、蒸す、温める、冷凍、通気性、抗菌等の多くの機能を持っており、人工のものでは叶えられない天然ならではのすばらしい素材です。 当社はその素材を使い、更に使いやすくデザイン性のあるオリジナルの竹皮容器の製造を行い、現在では日本各地の駅弁、菓子容器として広く使っていただいています。 そして現在も更に竹皮容器を進化させた容器の開発を進めているところです。 天然素材の良さを皆様にお伝えし、活用方法を知っていただく事は、私たちの大きな役割だと考えています。 当社の理想は、「他社とは競争しないビジネス」であり、紙容器、プラ容器もオリジナル容器として商品化するなど商品開発に力を入れています。 又近年は、行政及び福祉施設と連携して放置竹林の整備を行い、その竹林で間伐した竹を粉砕して、乳酸発酵させ、土壌改良剤としての「竹パウダー」の製造販売を開始いたしました。 竹皮、竹の活用事業を積極的に推し進めたいと思っています。 「環境」と「福祉」をテーマに常に共創出来る会社であり続けたいと思っています。 代表取締役社長 松本彰   ◆国産竹皮10枚組 熟練職人が厳選してお届け|虎斑竹専門店 https://www.taketora.co.jp/fs/taketora/ki00031 国産の天然竹皮 竹皮は古くから身近で便利な食品の包材として多用されてきました。 天然の抗菌性に加えて通気性に優れており、おにぎりなどが蒸れずに美味しくいただけるのです。また竹皮特有の淡く甘い香りが食欲をそそります。  抗菌力と通気性 竹皮は抗菌作用と通気性に優れた自然素材です。しなやかな竹皮は丈夫で食品をしっかり包み込み、おにぎり弁当には最適の包材なのです。 また牛肉や魚類、和菓子などの包装材としても昔から重宝されてきており輸入竹皮が多くなった現在でも高級なこだわり食材には国産竹皮が使用されています。   ◆和のお弁当に早変わり。「竹皮」の使い方とアレンジまとめ 2018年10月10日 https://macaro-ni.jp/28533 見た目もすてきで食材も長持ちする「竹皮」に包んだお弁当。「自分でも使ってみたいけれどちょっとハードルが高くて…」という方のために、竹皮の使い方を詳しくご紹介します。案外簡単で、一度トライしたら、何度も使ってみたくなること間違いなしですよ♪ 竹皮に包まれたおにぎりを見ると「なんだかとてもおいしそう……!」と思いませんか?いつものアルミホイルなどのお手軽アイテムを竹皮に変えるだけで、雰囲気もぐっとすてきになります。 しかし、いざ自分で竹皮を使うとなると、その使い方がわからず、なかなかトライしてみることもできないもの。そこで今回は、竹皮の使い方を、活用法も交えながら詳しくご紹介したいと思います。 思いのほか簡単で、メリットもたくさん!ぜひ参考にしてみてくださいね♪   ◆竹皮の使い方/包み方:白ごはん.com https://www.sirogohan.com/recipe/takekawa/ ●調理時間:10分以下 竹皮の包みを懐から取り出し、おにぎりとたくあんを、指に米粒をつけながらもぐもぐと食べる、 こんなシーンを日本昔ばなしや時代劇でよく見かけますよね。 古くから日本では竹皮が食べ物の包装手��のひとつとして、多くの人に使われてきました。 なぜ竹皮?ということもさることながら、まずはおにぎりを竹皮で包む、その包み方を紹介しようと思います。 ●竹皮を包むときの材料 (分量不問)    竹皮 … 適量 ●竹皮の使い方/包み方 1.竹皮の戻し方 まずはそもそもなぜ竹皮でおにぎりを包むのか? それは竹皮の持つ“防腐性”と“吸湿性”などの特徴に気づいた先人たちが使い始めたからだと思われます。 最近は東急ハンズなどでも取り扱いがあるため、比較的手に入れやすくなってきました。ぜひ一度お試しください↓ 竹皮は必要な枚数だけ水戻しするのではなく、予備で1枚くらい余分に戻したほうがよいと思われます(慣れないうちは特に)。 バットなどに竹皮を入れ、竹皮がしっかり沈むようにたっぷりの水を加え、竹皮が浮かないように重しをします。 戻す時間は最低1時間は戻したいものです。包む2〜3時間前に戻すことができれば十分だと思います。
2 notes · View notes
zaregoto1914 · 5 years
Text
土呂久鉱害事件に関する覚書
(2002年1月22日成稿)
土呂久鉱害事件に関する覚書
 宮崎県高千穂町の土呂久鉱山における亜砒酸製造に伴う慢性砒素中毒症は、大正期から戦後に至る長期にわたって継続した鉱害であったにもかかわらず、被害地域が僻遠の山村であったため長らくその存在が知られず、鉱山の閉山から10年近くたってから地元の教師の告発によって実態が初めて認知された特異な公害である。慢性砒素中毒症が4大公害病に続く指定公害病でありながら、現在あまり顧みられることが少ないことも考慮し、本稿では土呂久鉱害の経過を追うことで、近代日本社会の「闇」の一端に切り込みたい。
(1)土呂久鉱山の成���(1920-1933)  宮崎県岩戸村(現・高千穂町)の土呂久鉱山は、貞享年間(1684-1687)に銀山としてスタートしたものの、近代に入ってからは事実上休山状態であった。しかし、1920年、当時佐伯近郊の木浦鉱山で亜砒酸製造を行っていた鉱山師の宮城正一が土呂久鉱山から亜砒鉄鉱を採掘し、土呂久で亜砒酸の精錬を開始したことで一変した。日本の亜砒酸生産は第1次世界大戦期にドイツに代わる形で急成長し、主にアメリカに輸出されて綿花栽培の害虫駆除剤の原料などに使われていた。ところで、宮城が港町で交通の利便な佐伯から山間の土呂久へ移ったのには理由があった。地方紙『佐伯新聞』1917年4月29日付に次のような記事がある。
「懸案となり居りし当町字灘鳥越にある亜砒酸製造所の煙毒問題は今回所主宮城正一が農民に対して損害賠償をなし且つ製造所を移転する事となり、兎も角も一段落を告げるに至った」
 宮城は煙害により地元住民から補償と立ち退きを要求されていたのである。つまり宮城は佐伯を追われ、亜砒酸製造が甚大な鉱害をもたらすことを知りながら土呂久へ移転したのであった。
 亜砒酸は昇華点の193℃を境にして固体から気体へ、気体から固体へ変化する。この性質を利用し、亜砒鉄鋼を焙焼して砒素分を亜砒酸ガスとして流出させ、ガスを昇華点以下の空間に導き固体に戻して亜砒酸の結晶を採取する。当時、亜砒酸生産量全国一の足尾銅山では、銅の精錬の際に煙に含まれる亜砒酸をコットレル集塵器で回収する方法が採られていたが、土呂久にはそのような設備はなく、煙突に藁の覆いを被せるだけで、砒素を空気中に撒き散らし放題であった。そのため早くも1923年には亜砒酸による農業被害が地元で問題にあった。5月に行われた土呂久の部落自治組織「和合会」総会は鉱山側に「完全ナル設備ヲナシ事業ヲナサレン事」を要求することを決した。これに対し、宮城に代わって経営者となっていた川田平三郎は、1ヵ月50円の「交付金」を和合会に支払うことに応じたが、その見返りとして鉱山へ操業に必要な材料を提供することを求めた。鉱山側は要求を逆手にとったのである。
 その後鉱害は甚だしくなり、特に牛馬の奇病が相次いだ。1925年、和合会は岩戸村長の甲斐徳次郎に対策を要求し、甲斐は西臼杵郡畜産組合の獣医である池田実と鈴木日恵に奇病で死んだ牛の解剖と鉱害の調査を依頼した。4月7日、鈴木は警察官立ち会いのもと解剖を行い、「連続セル有害物ノ中毒ニアラサルヤノ疑ヲ深カラシムルモノナリ」との所見を示した。甲斐はこの牛の内臓を宮崎県警察部衛生課に持参し、鑑定を依頼したが、県側は解剖後に内蔵へ亜砒酸が混入した可能性を理由に鉱害を否定し、現地調査を行ったものの調査結果を隠蔽した。一方、池田は「岩戸村土呂久放牧場及土呂久亜砒酸鉱山ヲ見テ」と題する報告をまとめた。池田報告は当時の土呂久の実状を生々しく伝えている。
「二、三十年モ経過シタ植林ノ杉ガ萎縮シテ成長ガ止リ、或ハ枯死シテ赤葉味又竹林ハ殆ンド枯死シ」 「妙齢ノ婦女ノ声ハ塩枯声デ顔色如何ニモ蒼白デアル、久敷出稼デ居ル人ノ顔面ハ恰モ天刑病患者ノ様ニ浮腫」 「山川ノ水ハ清ク澄ミ渡ッテ居ルガ、川中ノ石ハ赤色ニ汚レテ、三年前迄居タ魚類ハ今ハ一尾モ見ヘヌ」 「今ハ椎茸ノ発生デ忙シカラネバナラヌノニ、何ノ果報カ、此地ノ重要物産デアル椎茸ノ原木ヲミレバ、椎茸一ツ見ヘヌ。土呂久名物ノ蜂蜜モ、今ハ穴巣ヲ止ムルノミ」 「小鳥類ガ畑ノ中ニ死ンデ落チテ居ル事ハ年中ノ事で、何時デモ死ンダ小鳥ヲ畑ノ中ヨリ拾ッテ見セル事ガ出来ル」
 この池田報告は1972年に高千穂町史編纂室で発見されるまで封殺された。
 鉱害が拡大・悪化するに従い、農業では生計を立てられなくなった人々は鉱山で働くようになった。しかし、亜砒酸による健康被害は鉱山労働者に最も顕著であり、皮膚の亜砒負け、色素沈着、黒皮症、角膜炎、結膜炎、喘息、気管支炎、肝硬変などの症状に見舞われた。健康悪化に耐えられずに鉱山を辞め帰農する人も少なくなかったが、農業被害は増大するばかりで生活できず、結局収入を得るために再び鉱山に戻らざるをえなかった。あるいは椎茸の生えなくなった木を木材として鉱山に売却したり、完全に農業ができなくなった土地を鉱山に売却するという例もあった。鉱害はむしろ鉱山の事業を拡大する動因になったのである。
 また被害と加害の重層性も深刻であった。鉱山の地主であった佐藤喜右衛門は鉱山から地代を得るのみならず、自ら採掘を請け負い、地元住民を労働者として勧誘し、鉱害に苦しむ農民からは加害者として忌避された。しかし、一方で彼は鉱山のすぐ近くに住んでいたために砒素中毒症に罹り、1930年から32年の2年間に彼の一家7人のうち自身を含む5人が病死した。部落で鉱山から収益を受ける者が増えるに従い、鉱害反対の足並みは崩れていった。
(2)土呂久鉱山の展開と終焉(1933-1962)  大戦景気によって始動した亜砒酸製造は、戦後不況によって急速に不振になった。1926年にはアメリカの綿花不況のあおりで生産量が激減し、土呂久鉱山も生産中止・事業縮小に追い込まれた。一方、1930年代になると、航空機の材料の国産化をねらう中島飛行機が錫を求めて土呂久に目をつけた。1931年、中島門吉(中島知久平の弟)が一部の鉱業権を獲得し、33年には中島商事鉱山部が土呂久鉱山のすべての経営権を取得した(後に岩戸鉱山株式会社設立)。
 中島は当初亜砒酸よりも錫を重視し、1936年に錫精錬の反射炉を建設したが、この反射炉は錫から分離された砒素分が煙とともに空気中に飛散するという杜撰な代物であった。翌年、和合会は反射炉の煙害防止を鉱山側に要求し、その結果遊煙タンクが作られたが、煙害対策とは名ばかりで、実際はこれを利用して亜砒酸の採取が行われたため、鉱害はむしろ悪化した。また、経営者が変わったことにより1923年の交付金契約は無効となり、中島が和合会に亜砒酸1箱精製につき12銭の補償金を支払う新契約が結ばれたが、旧契約に比べて被害者が受け取る金額は事実上半減し、しかも補償金の分配を巡り和合会内部で対立が発生した。さらに1937年の岩戸村会議員選挙で、中島側は鉱山の会計係長を出馬させ、鉱山労働者を買収した結果、中島系候補が当選し、和合会系の現職は落選した。明治以来、土呂久出身者が議席を失ったのは初めてであった。鉱山は地方自治をも破壊したのである。
 中島傘下となって土呂久鉱山は拡大し、最盛期には約400人の労働者が働いた。特に1930年代末頃から亜砒酸は毒ガスの原料として需要が急増した。「黄二号」ことルイサイト、「赤一号」ことジフェニール・シアン・アルシンが亜砒酸を元に作られ中国戦線に送られた。深まる亜砒酸鉱害に対し、ついに1941年和合会は鉱山との契約破棄を決定した。福岡鉱山監督局は和合会に説明を求め、代表6名が福岡へ行き亜砒酸製造の中止を申請したが、監督局の担当者は「非常時には、部落のひとつやふたつつぶれても鉱山が残ればよい」と言い放ったという。結局1941年11月選鉱場の火災により土呂久鉱山は休山し、所有権も中島から国策会社へ移行した。
 土呂久鉱山は戦後1948年、銅や鉛などの採掘を再開した。再び鉱業権を獲得した中島鉱山(旧岩戸鉱山)は亜砒酸製造の再開を計画した。和合会は再開反対を決議したが、宮崎県と岩戸村の斡旋により、1954年、鉱山から和合会への協力金支払を条件に改良焙焼炉建設に同意した。土呂久婦人会は岩戸村に抗議したが、村長伊木竹喜は「鉱山のおかげで、岩戸村には鉱産税がはいりよる」と取り合わなかったという。
 鉱山がその後、1958年7月の坑内出水事故により一時休山を余儀なくされ、翌年には住友金属鉱山が中島を事実上買収したが、往時の活性を取り戻すことができず、1962年経営不振により閉山した。その間も鉱害は続き、1959年には和合会が高千穂町(岩戸村吸収)に亜砒酸製造施設の廃止を陳情した。しかし、ついに閉山まで鉱害はやむことがなかった。
(3)土呂久鉱害の告発(1970-  )  1970年、宮崎県高城町の四家鉱山で集中豪雨により鉱滓堆積場のダムが決壊し、砒素を含む鉱毒が河川へ流出するという事故が起き、宮崎県は急遽県内の休廃止鉱山の調査を行った。調査の結果、土呂久川から飲料水基準の2倍の砒素が検出された。同年12月、土呂久在住の佐藤鶴江は、岐阜のカドミウム汚染の報道を聞いて不安を抱き、宮崎地方法務局高千穂支局の人権相談に鉱毒被害を訴えた。支局は土呂久鉱山跡を調査し、彼女に鉱毒被害の事実申立書を発行したが、法務局は専門医による因果関係の証明がないことを理由に申立書を留置した。またしても行政によって鉱害は隠蔽されたのである。
 一方、高千穂町立岩戸小学��教諭の斎藤正健は、妻が土呂久出身であったことから鉱害の事実を知り、同僚とともに土呂久全世帯を対象に鉱害調査を行った。斎藤らの調査は1971年11月、宮崎県教職員組合の教研集会で報告され、新聞報道により全国的に注目された。斎藤報告は、①1913-1971年に死亡した92名の平均寿命は39歳である、②土呂久全住民の34%が呼吸器をはじめ疾患に罹っている、③土呂久の児童の体位は劣っている上に眼病が目立つ、④スギの年輪は鉱山創業期に生長が阻害されている、という驚くべき内容であった。大正期以来の鉱害がこの時はじめて公表されたのである。
 土呂久住民に不安が高まる中、宮崎県は県医師会に委託して住民の一斉健康診断を実施したが、慢性砒素中毒症に認定されたのは7名だけで、県の土呂久地区社会医学的専門委員会も健康被害と亜砒酸製造との関係性を「現在の知見では十分に説明ができない」と肯定しなかった。宮崎県知事黒木博は住友金属鉱山と認定患者に補償斡旋を提案し、1972年12月、両者間に補償協定が結ばれたが、住友の法的責任には一切触れず、補償金額は平均240万円にとどまり、しかも将来の請求権放棄を定めていた。県側は患者との交渉を外部との接触を絶った密室で行い、十分な説明をしないまま患者に調印を強要した。その後、黒木は新たな認定患者に対しても同じ内容の補償斡旋を5次にわたって続けた。しかも県は斡旋受諾者に対して公害健康被害補償法による給付を含む公的給付を中止するという「いやがらせ」まで行った。知事斡旋は補償額を抑制し、被害者の口を封じることがねらいであった。
 1973年、環境庁は慢性砒素中毒症を第4の公害病に指定したが、認定要件を皮膚障害に限定し、内臓疾患を認めなかったため、多くの被害者が認定されなかった。一方でこの頃から県外の医師による自主検診が相次いだ。同年2月には名古屋大学医学部講師大橋邦和が、74年には太田武夫ら岡山大学医学部衛生学教室が、75年5月には熊本大学体質医学研究所の堀田宣之が住民への自主検診を行った。堀田は10月にも同僚の原田正純らとともに1週間にわたる大規模な自主検診を行った。これらの検診結果は環境庁の認定要件とは裏腹に、砒素中毒による障害が皮膚に限らず、呼吸器や循環器などの内臓にまで広がっていることを示していた。
 1975年12月、5人の患者と1遺族が住友金属に損害賠償を求め宮崎地裁延岡支部に提訴した(第1次訴訟)。続く76年11月には第2次、77年12月には第3次、78年3月には第4次の訴訟が起こった。土呂久訴訟最大の問題は、1次的に賠償責任を有する鉱山師も中島鉱山もすでに存在せず、被告の住友が正式に鉱業権を得たのが閉山後の1967年で、住友自体は亜砒酸製造を行っていないことにあった。住友側は全面的に争い、訴訟は長期化し、高齢の原告が相次いで死亡していった。1984年3月に下された第1次訴訟の1審判決は「土呂久地区という山間の狭隘な一地域社会が、そのただ中ともいえる場所での本件鉱山操業により、大気、水、土壌のすべてにわたって砒素汚染され、本件被害者らはその中で居住、生活することにより、長期間にわたって四六時中間断なく、且つ経気道、経口、経皮、複合的に砒素曝露を受けたもので」あると土呂久鉱害を正確に認め、鉱業不実施を以って鉱業権者の賠償責任は免責されず、鉱業法115条の時効規定も適用されないことを理由に住友へ損害賠償を命じる画期的な内容であった。
 しかし、この1審判決をピークに土呂久鉱害は急速に風化していった。既に1980年頃には被害者の支援組織「土呂久・松尾等鉱害の被害者を守る会」が財政難による活動停滞に陥っていた。また、支援運動の中心であった総評系労組が「反公害」から「反原発」へシフトしつつあり土呂久鉱害への関心は相対的に低下した。1979年、補償斡旋を続けた黒木が受託収賄容疑で逮捕され知事を辞職し、翌年、後継知事松形祐尭は公害認定を巡る行政不服審査で県が敗訴したのを機に被害者へ公式に謝罪したが、依然として知事斡旋受諾者への公健法給付を認めなかった。一方、訴訟は住友の控訴により続き、1988年の控訴審判決は住友の賠償責任を認めたものの、補償額から公健法給付を差し引くよう命じる後退したものだった。住友はさらに上告したため、原告弁護団はついに水面下の和解交渉を行った。原告の高齢化と最高裁の状況を踏まえた苦渋の判断であった。1990年10月最高裁で原告と被告の一括和解が成立したが、住友の法的責任には触れず、賠償義務を否定し、公健法給付とは別に「見舞金」総額4億6475万円(1審判決の仮執行金と同額)を支払うという内容だった。1審判決も控訴審判決も被告の法的責任を認定したにもかかわらず、原告は訴訟の長期化に耐えることができずに訴訟自体には敗北したといえよう。
(4)総括  土呂久鉱山は、日本経済の工業化が急速に進展した第1次世界大戦期に始まり、戦間期の停滞を挟んで、15年戦争期には新興財閥の手で重化学工業の一端を担わされ、そして高度経済成長の開始により終焉した。その歴史は終始日本資本主義の発展過程に強く制約されたと言えよう。故に土呂久鉱害事件は局地的な鉱害ではあるものの、鉱山の杜撰な鉱害対策、鉱山への抵抗と依存の間で揺れる地域社会、一貫して公害の存在を隠蔽し民衆の声を潰した行政、公害反対運動の党派的分裂等々、近代日本の鉱害の一般的特筆を余すところなく有している。そしてついに根本的解決には至らず、現在も土呂久の自然が回復していないことは、鉱害が過去の問題ではなく、依然として現在的問題であることを示していよう。
《引用・参照文献》 斎藤正健「土呂久公害の告発とその後」Ⅰ-Ⅲ 『歴史地理教育』211、212、214号 1973年 川原一之『口伝 亜砒焼き谷』岩波書店 1980年 川原一之「土呂久鉱毒史」『田中正造と足尾鉱毒事件研究』5号 1982年 土呂久を記録する会編『記録・土呂久』本多企画 1993年
2 notes · View notes
xf-2 · 5 years
Link
石田総務相「NHKスクランブル化は放送制度を崩しかねない」 21日投開票の参院選でNHKの放送を契約者だけが見られるようにする「スクランブル化」を主張する「NHKから国民を守る党」が議席を獲得し、政党要件も満たしたことについて、 石田真敏総務相は23日の閣議後の記者会見で、「NHKの基本的な性格を根本的に変えて、(公共放送と民間事業者の)二元体制を崩しかねない」と述べ、受信料制度の見直しに否定的な考えを示した。 石田氏は「NHKには、災害報道や政見放送など、公共放送の社会的な使命を果たすことが求められる中で、その財源を国民から広く公平に負担いただいている」と受信料制度の趣旨を説明。「二元体制は、国会で全会一致でNHK予算が承認されるなど、これまで日本に定着してきた」と強調した。 産経新聞 2019.7.23 https://www.sankei.com/economy/news/190723/ecn1907230018-n1.html <関連記事> 東横イン、NHK受信料19億円支払い命令確定 iza 2019.7.25 https://www.iza.ne.jp/kiji/events/news/190725/evt19072517550019-n1.html?utm_source=yahoo%20news%20feed&utm_medium=referral&utm_campaign=related_link 21日投開票の参院選で「NHKから国民を守る党(N国)」は1名の当選者を出した。 しかしN国党代表立花孝志の政見放送は酷かった。「路上、不倫、カー●ックス」 の連呼より、NHKの問題点の本質をついた突っ込みをしてほしかった。 あれがなければもっと当選していたかもしれない。 また立候補者もちょっと変わり者が多すぎないか? N国党は都の区議会にも議員が多数いるだけに残念である。 しかしまあこういう俄か政党が国会議員の議席を持ったことや、 得票率2%を達成して公職選挙法と政党助成法上における 政党要件を満たした意義は大きい。 これは近年のインターネットの普及によるところが大きい。 もはやテレビや新聞など既成マスゴミの影響が弱体化している事がハッキリわかる。 既成のメディアではN国党などが当選する可能性などゼロに近いからだ。 そしてもっと重要なことは・・・ いかにNHKが国民から不信感を抱かれているか、 放送法がいかに時代にそぐわない悪法か、という事だ! さて・・・ >石田氏は「NHKには、災害報道や政見放送など、  公共放送の社会的な使命を果たすことが求められる中で、その財源を国民から  広く公平に負担いただいている」と受信料制度の趣旨を説明。「二元体制は、  国会で全会一致でNHK予算が承認されるなど、  これまで日本に定着してきた」と強調した。 ハア? まずわからないのが公共放送と民放との違いがわからない スポンサーが企業なのが民放で、国民を騙して受信料をとるのがNHKだな。 しかし経営財源の話は別にして放送内容や放送スタンスの違いはあるのだろうか? 一応こういう事だろう・・・ 民放は経営上、スポンサーや関連企業などの影響を受けやすい、 国営だと政府の影響をうけて国の御用放送局になってしまうから、 企業からも国からも独立した存在を担保するためだというのだ。 ならばNHKに問いたい・・・ NHKの報道スタンスは民放とほぼ同じで、 反日・親中韓の立場である! しかも・・・ 本社社屋内にシナ共産党の情宣機関を設置しており、 この時点で偏向報道しているから公共性などないに等しい。 つまり・・・ NHKは企業や国からも独立しているが、公共放送の名で誤魔化し、 シナ朝鮮の利益誘導の影響は思う存分受けているという事である。 だから日本を貶め、シナ朝鮮を利する報道スタンス番組制作なのである。 つい先日も、ロシア軍機が竹島付近を領空侵犯したときに、 竹島を不法占拠している南朝鮮の空軍機がスクランブルしたが、 この時にNHKニュースは「南鮮が領土主張している竹島」と放送した。 決して「南鮮が不法占拠している竹島」とはいわない。 かつての民主党の売国政権とまったく同じ発想なのだ。 これでも公共放送といえるのか? さらに在日朝鮮半島人の地方参政権付与に積極的だったり、 在日系犯罪者の本名は伏せて通名報道て、 あたかも日本人の犯罪であるかのような報道スタンスである。 だから「公共放送と民放の二元体制を崩しかねない」って既に意義喪失している。 NHKは日本国民ではなく、シナ朝鮮サマの放送局である。 ちなみに・・・ イギリス放送協会BBCも受信料で経営しているが、 受診契約拒否や不払いの国民には罰金が科せられる。 しかし国営放送としての役割をきちんと果たしているかどうか、 5年��一度国民投票で国民に信を問うのである。これでもしも、 BBCが要らないとなれば民営化や解体も選択肢にあるのである。 日本もイギリスを見習えばいいのではないか?            反日・親中韓を社是とする売国放送局、            テレビ朝やTBSなどの報道スタンスと            いったいどういう「違い」があるのだ? まず・・・ NHKは憲法13条と29条に保障された「契約の自由」精神を尊重すべきだ。 NHKが受信契約をするためには、受信契約者に対し訴訟をおこして、 結果的には受信料契約は合憲であるとしながらも、受信料契約においては・・・ NHKが裁判で勝訴してからでないと 契約できないと最高裁判決が出た。 つまりNHKは国民と受診契約する際に断られれば、 その対象者一人一人との間で訴訟を起こし裁判で争った結果、 勝訴してはじめて強制的に受信契約することができるというものだ。 この点はNHK受信契約したくない国民はしっかり認識されたい。 またNHK受信契約で訴えられた人にはN国党やメディア報道研究政策センターなどで 無料で弁護をしてくれるし、個人弁護士でも無料で引き受けてくれる所がある。           これはかなり効果のある「お札」みたいだなw 受診契約の公平性を維持するためにも最もよい方法がスクランブル放送である。 すでに衛星放送やWowWowでは実施しているから技術的には解決している。  受信料を払う者には見せるが、  払わない者には見せない・・・  これで何か問題ある? 災害放送や政権放送だけスクランブルを外せば済むことである。 それにこういう放送はNHKでなくとも放送可能だから問題ないし、 災害報道や政見放送以外にNHKでないとできない公共性って何なのだろうか? そもそもNHKが民放みたいな娯楽番組やバラエティー番組が必要なのか? しかもその報道スタンスは完全にシナ朝鮮よりの偏向スタンスであり、 日本を貶める売国スタンスなのは周知の事実である。 しかも社員の給与が民放よりもはるかに高い平均年収1800万円って・・・ 国営放送なら国家公務員並みの給与に抑えらるのである。 いったいNHKの社員にこんな高額な給与が必要な理由は何なのか? さらに、二か月から月に一度は必ずあるNHK職員の犯罪、 とくに性犯罪の多さは民間企業をはるかに越えた異常性がある。 民間企業でこんな事件多発すれば株価が下がり倒産の危機になるが、 NHKは受信料制度があるため平気で犯罪行為も犯すのではないか?  特亜系偏向報道で国民を騙し、  法外な高給に胡坐をかいて、  性犯罪を犯すのがNHK職員、  民間企業の50倍の犯罪率だ!   ↓ <参考エントリ> 犯罪率民間の50倍のNHK(日本犯罪者協会?) https://ryotaroneko.ti-da.net/e10860724.html NHKがスクランブル放送をしない理由は簡単である。 スクランブルにすることで受信契約者が激減するからである。 それ以外の理由などはまったくない、単純に収益が減るというだけである。 さらに放送法64条の規定そのものが時代遅れであり、 現在では悪法とさえいえるくらいの違法性のある法律である。 これは国会で論議して改正すべき案件である。 しかし国会でNHKの受信料問題を誰も取り上げないのである。 それは国会議員がNHKのネガキャン放送を恐れているからである。 報道犯罪の一つに切り取り報道やイメージ報道で国民に ターゲットにした人物の悪い印象を意図的に付けるのだ。 またさらに・・・ 総務省の官僚の天下り先にNHKの関連団体があるのだ。 NHKは受信料で経営しているから営利目的の事業はできないのだが、 その関連団体に営利事業を任せ結果的には利益還元できる仕組みなのだ。 そこに総務省のおエラ方が天下って暴利をむさぼるシステムができているのだ。 NHKが総務省の天下り先だからである。 ここで注目するニュースがはいってきた。 大阪市の松井知事がN国党の国会議員選出に伴い、 NHK受信契約を不当とする国会議員が当選したならば、 大阪市もNHKとは受診契約を交わさないと言い出したのである。 >松井氏は「現職議員でごねて(受信料を)払わないと表明している。  それを(NHKが)見て見ぬふりをし、おとがめなしで通るなら、一般の人は  ばからしくて受信料払われへん」と不快感を示した上で、N国党側の  不払い方針にNHKが見解を表明し、徴収手続きに入らないのであれば、  大阪市としても今後は受信料を支払わないと明言した。 <参考記事> NHK受信料「国会議員払わないなら …大阪市も払わない」松井大阪市長 産経新聞 7/30(火) https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190730-00000554-san-soci 地方自治体の首長がNHK受信料を払わないと公言したのだ。 そろそろ国会議員もこれを無視できない段階に入ってきた。 この辺で真面目に放送法64条という時代遅れの悪法を見直すべき時だな。            二点目だけが評価できる判決である。 私個人はテレビを処分して十数年経つし、まったくテレビは見ない。 スマホやPCがあればテレビがなくとも情報には全く困らないし、 NHKに限定されず様々なニュースソースから情報を得られる。 個人的にはNHKは国営放送にすればいいと思う。 それなら税金で運営できるし職員も国家公務員並みの給与になり、 今みたいな国民から公共を名乗って受信料を騙し贅沢給与になる事もない。 どうせ報道スタンスは民放とほとんど同じ反日なのだし、 シナチョンに阿った偏向報道や捏造報道も平気で行う売国放送局だし、 こんな詐欺放送にカネなど一円も出したくない国民もいるのだ。 むしろ・・・  政府御用放送局なら民放との違いが明確になって、  情弱国民も民放との報道スタンスの違いを考える  きっかけになりバカの思考力訓練にもなるからだ。 ハッキリ言ってNHKなどなくても全く困らない。 私はこの十数年テレビがなくて困った事はないし、 NHKを見る事もほとんどないが困った事は一度もない。 朝から晩までテレビ漬けになってるテレビ奴隷になってるバカ国民も、 一日一時間しかテレビを見ない勤労国民も同じ受信料では不公平だ。 ならばNHKを見たい人だけ受信契約すれば済むことである。 それがスクランブル放送であり、 公平で平等な契約システムである。 実際に世論調査でも9割近い国民はNHKにスクランブル化を賛成している。 これが国民の声として国会で議論に上がらないことがわからない。 与野党ともに何かNHKからのロビー活動でもあるのかもしれない。 NHKはスクランブル放送せよ! 石田真敏は日本国民の敵である 石田真敏を次回選挙で落選させよう!
3 notes · View notes
2ttf · 12 years
Text
iFontMaker - Supported Glyphs
Latin//Alphabet// ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZabcdefghijklmnopqrstuvwxyz0123456789 !"“”#$%&'‘’()*+,-./:;<=>?@[\]^_`{|}~ Latin//Accent// ¡¢£€¤¥¦§¨©ª«¬®¯°±²³´µ¶·¸¹º»¼½¾¿ÀÁÂÃÄÅÆÇÈÉÊËÌÍÎÏÐÑÒÓÔÕÖ×ØÙÚÛÜÝÞßàáâãäåæçèéêëìíîïðñòóôõö÷øùúûüýþÿ Latin//Extension 1// ĀāĂ㥹ĆćĈĉĊċČčĎďĐđĒēĔĕĖėĘęĚěĜĝĞğĠġĢģĤĥĦħĨĩĪīĬĭĮįİıIJijĴĵĶķĸĹĺĻļĽľĿŀŁłŃńŅņŇňʼnŊŋŌōŎŏŐőŒœŔŕŖŗŘřŚśŜŝŞşŠšŢţŤťŦŧŨũŪūŬŭŮůŰűŲųŴŵŶŷŸŹźŻżŽžſfffiflffifflſtst Latin//Extension 2// ƀƁƂƃƄƅƆƇƈƉƊƋƌƍƎƏƐƑƒƓƔƕƖƗƘƙƚƛƜƝƞƟƠơƢƣƤƥƦƧƨƩƪƫƬƭƮƯưƱƲƳƴƵƶƷƸƹƺƻƼƽƾƿǀǁǂǃDŽDždžLJLjljNJNjnjǍǎǏǐǑǒǓǔǕǖǗǘǙǚǛǜǝǞǟǠǡǢǣǤǥǦǧǨǩǪǫǬǭǮǯǰDZDzdzǴǵǶǷǸǹǺǻǼǽǾǿ Symbols//Web// –—‚„†‡‰‹›•…′″‾⁄℘ℑℜ™ℵ←↑→↓↔↵⇐⇑⇒⇓⇔∀∂∃∅∇∈∉∋��∑−∗√∝∞∠∧∨∩∪∫∴∼≅≈≠≡≤≥⊂⊃⊄⊆⊇⊕⊗⊥⋅⌈⌉⌊⌋〈〉◊♠♣♥♦ Symbols//Dingbat// ✁✂✃✄✆✇✈✉✌✍✎✏✐✑✒✓✔✕✖✗✘✙✚✛✜✝✞✟✠✡✢✣✤✥✦✧✩✪✫✬✭✮✯✰✱✲✳✴✵✶✷✸✹✺✻✼✽✾✿❀❁❂❃❄❅❆❇❈❉❊❋❍❏❐❑❒❖❘❙❚❛❜❝❞❡❢❣❤❥❦❧❨❩❪❫❬❭❮❯❰❱❲❳❴❵❶❷❸❹❺❻❼❽❾❿➀➁➂➃➄➅➆➇➈➉➊➋➌➍➎➏➐➑➒➓➔➘➙➚➛➜➝➞➟➠➡➢➣➤➥➦➧➨➩➪➫➬➭➮➯➱➲➳➴➵➶➷➸➹➺➻➼➽➾ Japanese//かな// あいうえおかがきぎくぐけげこごさざしじすずせぜそぞただちぢつづてでとどなにぬねのはばぱひびぴふぶぷへべぺほぼぽまみむめもやゆよらりるれろわゐゑをんぁぃぅぇぉっゃゅょゎゔ゛゜ゝゞアイウエオカガキギクグケゲコゴサザシジスズセゼソゾタダチヂツヅテデトドナニヌネノハバパヒビピフブプヘベペホボポマミムメモヤユヨラリルレロワヰヱヲンァィゥェォッャュョヮヴヵヶヷヸヹヺヽヾ Japanese//小学一年// 一右雨円王音下火花貝学気九休玉金空月犬見五口校左三山子四糸字耳七車手十出女小上森人水正生青夕石赤千川先早草足村大男竹中虫町天田土二日入年白八百文木本名目立力林六 Japanese//小学二年// 引羽雲園遠何科夏家歌画回会海絵外角楽活間丸岩顔汽記帰弓牛魚京強教近兄形計元言原戸古午後語工公広交光考行高黄合谷国黒今才細作算止市矢姉思紙寺自時室社弱首秋週春書少場色食心新親図数西声星晴切雪船線前組走多太体台地池知茶昼長鳥朝直通弟店点電刀冬当東答頭同道読内南肉馬売買麦半番父風分聞米歩母方北毎妹万明鳴毛門夜野友用曜来里理話 Japanese//小学三年// 悪安暗医委意育員院飲運泳駅央横屋温化荷開界階寒感漢館岸起期客究急級宮球去橋業曲局銀区苦具君係軽血決研県庫湖向幸港号根祭皿仕死使始指歯詩次事持式実写者主守取酒受州拾終習集住重宿所暑助昭消商章勝乗植申身神真深進世整昔全相送想息速族他打対待代第題炭短談着注柱丁帳調追定庭笛鉄転都度投豆島湯登等動童農波配倍箱畑発反坂板皮悲美鼻筆氷表秒病品負部服福物平返勉放味命面問役薬由油有遊予羊洋葉陽様落流旅両緑礼列練路和 Japanese//小学四年// 愛案以衣位囲胃印英栄塩億加果貨課芽改械害街各覚完官管関観願希季紀喜旗器機議求泣救給挙漁共協鏡競極訓軍郡径型景芸欠結建健験固功好候航康告差菜最材昨札刷殺察参産散残士氏史司試児治辞失借種周祝順初松笑唱焼象照賞臣信成省清静席積折節説浅戦選然争倉巣束側続卒孫帯隊達単置仲貯兆腸低底停的典伝徒努灯堂働特得毒熱念敗梅博飯飛費必票標不夫付府副粉兵別辺変便包法望牧末満未脈民無約勇要養浴利陸良料量輪類令冷例歴連老労録 Japanese//小学五〜六年// 圧移因永営衛易益液演応往桜恩可仮価河過賀快解格確額刊幹慣眼基寄規技義逆久旧居許境均禁句群経潔件券険検限現減故個護効厚耕鉱構興講混査再���妻採際在財罪雑酸賛支志枝師資飼示似識質舎謝授修述術準序招承証条状常情織職制性政勢精製税責績接設舌絶銭祖素総造像増則測属率損退貸態団断築張提程適敵統銅導徳独任燃能破犯判版比肥非備俵評貧布婦富武復複仏編弁保墓報豊防貿暴務夢迷綿輸余預容略留領異遺域宇映延沿我灰拡革閣割株干巻看簡危机貴揮疑吸供胸郷勤筋系敬警劇激穴絹権憲源厳己呼誤后孝皇紅降鋼刻穀骨困砂座済裁策冊蚕至私姿視詞誌磁射捨尺若樹収宗就衆従縦縮熟純処署諸除将傷障城蒸針仁垂推寸盛聖誠宣専泉洗染善奏窓創装層操蔵臓存尊宅担探誕段暖値宙忠著庁頂潮賃痛展討党糖届難乳認納脳派拝背肺俳班晩否批秘腹奮並陛閉片補暮宝訪亡忘棒枚幕密盟模訳郵優幼欲翌乱卵覧裏律臨朗論 Japanese//中学// 亜哀挨曖扱宛嵐依威為畏尉萎偉椅彙違維慰緯壱逸芋咽姻淫陰隠韻唄鬱畝浦詠影鋭疫悦越謁閲炎怨宴援煙猿鉛縁艶汚凹押旺欧殴翁奥憶臆虞乙俺卸穏佳苛架華菓渦嫁暇禍靴寡箇稼蚊牙瓦雅餓介戒怪拐悔皆塊楷潰壊懐諧劾崖涯慨蓋該概骸垣柿核殻郭較隔獲嚇穫岳顎掛括喝渇葛滑褐轄且釜鎌刈甘汗缶肝冠陥乾勘患貫喚堪換敢棺款閑勧寛歓監緩憾還環韓艦鑑含玩頑企伎忌奇祈軌既飢鬼亀幾棋棄毀畿輝騎宜偽欺儀戯擬犠菊吉喫詰却脚虐及丘朽臼糾嗅窮巨拒拠虚距御凶叫狂享況峡挟狭恐恭脅矯響驚仰暁凝巾斤菌琴僅緊錦謹襟吟駆惧愚偶遇隅串屈掘窟繰勲薫刑茎契恵啓掲渓蛍傾携継詣慶憬稽憩鶏迎鯨隙撃桁傑肩倹兼剣拳軒圏堅嫌献遣賢謙鍵繭顕懸幻玄弦舷股虎孤弧枯雇誇鼓錮顧互呉娯悟碁勾孔巧甲江坑抗攻更拘肯侯恒洪荒郊貢控梗喉慌硬絞項溝綱酵稿衡購乞拷剛傲豪克酷獄駒込頃昆恨婚痕紺魂墾懇沙唆詐鎖挫采砕宰栽彩斎債催塞歳載剤削柵索酢搾錯咲刹拶撮擦桟惨傘斬暫旨伺刺祉肢施恣脂紫嗣雌摯賜諮侍慈餌璽軸叱疾執湿嫉漆芝赦斜煮遮邪蛇酌釈爵寂朱狩殊珠腫趣寿呪需儒囚舟秀臭袖羞愁酬醜蹴襲汁充柔渋銃獣叔淑粛塾俊瞬旬巡盾准殉循潤遵庶緒如叙徐升召匠床抄肖尚昇沼宵症祥称渉紹訟掌晶焦硝粧詔奨詳彰憧衝償礁鐘丈冗浄剰畳壌嬢錠譲醸拭殖飾触嘱辱尻伸芯辛侵津唇娠振浸紳診寝慎審震薪刃尽迅甚陣尋腎須吹炊帥粋衰酔遂睡穂随髄枢崇据杉裾瀬是姓征斉牲凄逝婿誓請醒斥析脊隻惜戚跡籍拙窃摂仙占扇栓旋煎羨腺詮践箋潜遷薦繊鮮禅漸膳繕狙阻租措粗疎訴塑遡礎双壮荘捜挿桑掃曹曽爽喪痩葬僧遭槽踪燥霜騒藻憎贈即促捉俗賊遜汰妥唾堕惰駄耐怠胎泰堆袋逮替滞戴滝択沢卓拓託濯諾濁但脱奪棚誰丹旦胆淡嘆端綻鍛弾壇恥致遅痴稚緻畜逐蓄秩窒嫡抽衷酎鋳駐弔挑彫眺釣貼超跳徴嘲澄聴懲勅捗沈珍朕陳鎮椎墜塚漬坪爪鶴呈廷抵邸亭貞帝訂逓偵堤艇締諦泥摘滴溺迭哲徹撤添塡殿斗吐妬途渡塗賭奴怒到逃倒凍唐桃透悼盗陶塔搭棟痘筒稲踏謄藤闘騰洞胴瞳峠匿督篤凸突屯豚頓貪鈍曇丼那謎鍋軟尼弐匂虹尿妊忍寧捻粘悩濃把覇婆罵杯排廃輩培陪媒賠伯拍泊迫剝舶薄漠縛爆箸肌鉢髪伐抜罰閥氾帆汎伴畔般販斑搬煩頒範繁藩蛮盤妃彼披卑疲被扉碑罷避尾眉微膝肘匹泌姫漂苗描猫浜賓頻敏瓶扶怖附訃赴浮符普腐敷膚賦譜侮舞封伏幅覆払沸紛雰噴墳憤丙併柄塀幣弊蔽餅壁璧癖蔑偏遍哺捕舗募慕簿芳邦奉抱泡胞俸倣峰砲崩蜂飽褒縫乏忙坊妨房肪某冒剖紡傍帽貌膨謀頰朴睦僕墨撲没勃堀奔翻凡盆麻摩磨魔昧埋膜枕又抹慢漫魅岬蜜妙眠矛霧娘冥銘滅免麺茂妄盲耗猛網黙紋冶弥厄躍闇喩愉諭癒唯幽悠湧猶裕雄誘憂融与誉妖庸揚揺溶腰瘍踊窯擁謡抑沃翼拉裸羅雷頼絡酪辣濫藍欄吏痢履璃離慄柳竜粒隆硫侶虜慮了涼猟陵僚寮療瞭糧厘倫隣瑠涙累塁励戻鈴零霊隷齢麗暦劣烈裂恋廉錬呂炉賂露弄郎浪廊楼漏籠麓賄脇惑枠湾腕 Japanese//記号//  ・ー~、。〃〄々〆〇〈〉《》「」『』【】〒〓〔〕〖〗〘〙〜〝〞〟〠〡〢〣〤〥〦〧〨〩〰〳〴〵〶 Greek & Coptic//Standard// ʹ͵ͺͻͼͽ;΄΅Ά·ΈΉΊΌΎΏΐΑΒΓΔΕΖΗΘΙΚΛΜΝΞΟΠΡΣΤΥΦΧΨΩΪΫάέήίΰαβγδεζηθικλμνξοπρςστυφχψωϊϋόύώϐϑϒϓϔϕϖϚϜϞϠϢϣϤϥϦϧϨϩϪϫϬϭϮϯϰϱϲϳϴϵ϶ϷϸϹϺϻϼϽϾϿ Cyrillic//Standard// ЀЁЂЃЄЅІЇЈЉЊЋЌЍЎЏАБВГДЕЖЗИЙКЛМНОПРСТУФХЦЧШЩЪЫЬЭЮЯабвгдежзийклмнопрстуфхцчшщъыьэюяѐёђѓєѕіїјљњћќѝўџѢѣѤѥѦѧѨѩѪѫѬѭѰѱѲѳѴѵѶѷѸѹҌҍҐґҒғҖҗҘҙҚқҜҝҠҡҢңҤҥҪҫҬҭҮүҰұҲҳҴҵҶҷҸҹҺһҼҽҾҿӀӁӂӇӈӏӐӑӒӓӔӕӖӗӘәӚӛӜӝӞӟӠӡӢӣӤӥӦӧӨөӪӫӬӭӮӯӰӱӲӳӴӵӶӷӸӹӾӿ Thai//Standard// กขฃคฅฆงจฉชซฌญฎฏฐฑฒณดตถทธนบปผฝพฟภมยรฤลฦวศษสหฬอฮฯะัาำิีึืฺุู฿เแโใไๅๆ็่้๊๋์ํ๎๏๐๑๒๓๔๕๖๗๘๙๚๛
see also How to Edit a Glyph that is not listed on iFontMaker
5 notes · View notes
doshinotake · 5 years
Text
おがファーム~栗山町deいちご狩り~
『おいしいくりやま』第37回は、栗山町のいちご農場「おがファーム」を紹介。
甘いイチゴは愛と情熱の赤
栗山町は御園、なだらかな丘陵地帯に広がるのどかな田園風景の中にある、栗山いちご農場“おがファーム”。7年前に新規就農した小川さんが経営している。
Tumblr media
「主人なら、あっちか、あっちのハウスにいると思うんですけど……」と坂の向こうを指さす小川さんの奥様。自宅から道路を挟んで少し離れたところに何棟もハウスが並んでおり、ご主人の小川晃寛さんがちょうど中で作業をしていたところだ。このハウスではケーキ用に出荷する夏イチゴを栽培しているという。
おがファームのオーナー小川晃寛さんは30代と若く、笑うと目が垂れるのが印象的。小川さんは東大阪の出身で、話しているとどことなくイントネーションが関西弁。以前は食品関係の企業に勤めていたそうだ。
農業が注目されブームになっていた当時、食と接する仕事だったこともあり、直接農業に携わりたいという想いが強くなったという。その後北海道へ移住し、中富良野の有機無農薬野菜を栽培する農園で、四年程勤めていたという。
実際に毎日農作業をする中で、就農への想いが沸々と高まり、新規就農の方法を模索した。小川さんの中では、一から農家を始めるよりも、経営移譲希望の農家を引き継ぐことを第一条件として考えており、特に中富良野の農家でも育てていた、玉ねぎを栽培していきたいという気持ちが強かったという。
Tumblr media
小川さんは札幌で行われていた新・農業人フェアで栗山町のブースに何度か足を運び、振興公社の紹介で栗山町の御園にある寺島農園と出会った。寺島さんは、主に夏イチゴを栽培するいちご農家だった。希望する玉ねぎ農家ではなかったが、以前の職場の同僚達がイチゴを作っている農家で働き始めたこともあり、縁を感じたという。
「まさか自分が苺をつくることになるとは全く想像もしていませんでした。でもやってみると自分には合っていたかもしれないですね。手作業が多いですから、細やかな手入れをすることで、丁寧に株を育てていくことができますし、時間のかかる草取りも少ないですしね」と小川さんは笑いながら話す。
Tumblr media
 イチゴ栽培に関して知識も経験もなかった小川さん。初めの二年は寺島さん指導の下、イチゴ栽培の極意を学んだ。寺島さんは長年の経験で培った栽培技術を親身になって教えてくれたという。
「寺島さんには感謝してもしきれないです。僕もまた、この受け継がれた技術を惜しみなく伝えていきたいと思います。寺島さんは、自分だけに親身に教えてくださった訳ではなく、ライバルであるはずの他の農家さんからの相談にも乗っていたんですよね。なかなか出来ることじゃありません。僕もその想いを受け継いでいきたいって、素直に思いました」と小川さんは話した。自立して5年経った今でも、大切にしていることだという。
「安全で美味しい苺をみんなに食べてもらいたい」ということから、イチゴ狩りを始めたおがファーム。イチゴ狩り用のハウスは現在二棟で「けんたろう」を栽培。新千歳空港から観光地への通り道として丁度良いこともあり、毎年バスツアーの団体客も受け入れている。今年は「けんたろう」苺の一種類だが、年々リピーターが増えていることもあり、来年は品種を増やしたり、ハウスも増設予定だという。
Tumblr media
春先はイチゴ狩り用のハウスの中で、ミツバチが忙しそうに受粉を手伝っており、赤い実をつける頃には蜂箱に集められる。そのままの美味しいイチゴを食べてほしいということで、特別なことがない限り農薬は使わないという。「早朝から株の手入れを始め、熟していてもお客さんが採りづらいような部分のイチゴを収穫し、見やすい位置のイチゴを残しておきます。また、イチゴ狩りのお客さん皆さんに美味しいイチゴの見分け方をレクチャーします。そうすれば、探すときに株に触れることが少なくなるので、株も傷つきにくいし、熟していないイチゴは残しておいてくれる。お客さんもパッと見つかった甘いイチゴを食べられて満足!というわけです」と小川さんは話した。
Tumblr media
2019年のイチゴ狩りは5月18日から開始予定で、金曜~日曜の週末のみ受付。イチゴ狩り用のハウスはそのピークが一ヶ月程と短く、なり出すと早い。週末に向けて収穫のピークが迎えられるよう、あせらずじっくりの温度管理が重要だ。良いイチゴに養分が行くよう、形の悪い初期のイチゴを間引くなど、日常的な手入れも必要だという。
当たり前のことではあるが、お客さんが来ていない間も苺はなり続ける。放っておけばカビてしまうこともあるため、繁忙期はパートさんも増員体制で、収穫と選別でほぼ一日が終わるそうだ。
「団体さんは大体平日に入っているので、週末は一般のお客様でじっくり味わって頂けると思います。イチゴの量もありますので、予約をおすすめしています。併設施設の整備等まだまだ課題はありますが、皆さんに食べていただくイチゴに関しては、満足していただく自信がありますので、ぜひご家族で来ていただけると嬉しいです!」と小川さんは語った。
市街地から少し外れた栗山町の御園には、おがファームをはじめ、農家さんが営む飲食店や物産品の販売店が点在し、秘かに盛り上がっている。ぜひ御園まで足を運んでみてほしい。
(2019.4.20 道新大竹販売所)
おがファームの情報
Tumblr media
店名 栗山いちご農場 おがファーム 所在地 〒068-0355
栗山町御園256-1 TEL(小川晃寛) 090-8377-7608 営業日 毎週金-日曜日 イチゴ狩り期 5月中旬~6月上旬 受付 9:00〜11:00 URL
おがファーム公式サイト
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});
2 notes · View notes
flhq · 5 years
Text
防虫対策 VOL1 : 蚊と感染症
みなさん、こんにちは。
今回ブログはタイトル通り、ズバリ!防虫対策です。
蚊、マダニなどの吸血性虫を中心に対策をご紹介します。
では防虫対策の前に今回ブログでは、
感染症を引き起こす代表的な吸血性虫の
蚊と感染症と予防については、膨大な情報量となりますので、
シリーズにてご紹介しましょう。
日本に生息する蚊は112種で、代表的な蚊としては
アカイエカ、ヒトスジシマカなどが挙げられます。
蚊の吸血行動は15℃��上から始まり、26℃〜31℃で活発になります。
幼虫はボウフラと呼ばれ雨水のたまった竹の切株などの水溜りで発生、
成虫は普段、樹液や花の蜜などの糖分を吸っていますが、
産卵期のメスは産卵に必要な栄養として
動物性蛋白質の摂取のために吸血し、オスは吸血しません。
蚊に刺されると抗凝血作用物質(血が凝固することを防止するためのもの)
を含んだ唾液を注入され、
この唾液によってアレルギー反応を起こし、かゆみを生じます。
吸血性虫の怖いところは、感染症にかかってしまうことです。
蚊が媒介する主な感染症は、
デング熱、日本脳炎、マラリア、フィラリアなどです。
Tumblr media
アカイエカ
夕方から夜間に吸血する蚊で体長は5,5mm。
夜、寝ているときに「ブ〜ン」と飛んでくるのはアカイエカ。
行動範囲は1,5kmと広い範囲をターゲットをさがして移動します。
下水など都市型の溜水で発生します。
気温25~30度の場合、アカイエカはわずか10日ほどで卵から成虫になるため、
条件が揃えば爆発的に増えることがあります。
オスは羽化後数日、メスは数回産卵するため
オスより長く生きる傾向にあります。
日本脳炎ウイルスが検出した例があります。
Tumblr media
コガタアカイエカ
日本脳炎ウイルスを媒介する蚊で、主に田んぼなどで発生します。
コガタアカイエカは一般に関東以西では個体群密度が高く、
東北、北海道では分布は確認されるものの密度が低く、
極端な地域差が存在します。
【日本脳炎】
日本脳炎は、フラビウイルス科に属する日本脳炎ウイルスに感染しておこります。
このウイルスは、伝播様式から
アルボウイルス(節足動物媒介性ウイルス)とも分 類されています。
人から人への感染は無く、増幅動物(ブタ)の体内でいったん増えて
血液中に出てきたウイルスを蚊が吸血し、
その上でヒトを刺した時に感染します。
ブタは、特にコガタアカ イエカに好まれること、
肥育期間が短いために毎年感受性のある個体が多数供給されること、
血液中のウイルス量が多いことなどから、
最適の増幅動物となって います。
ヒトで血中に検出されるウイルスは一過性であり、
量的にも極めて少なく、自然界では終末の宿主です。
また、感染しても日本脳炎を発病するのは 100〜1,000人に1人程度であり、
大多数は無症状に終わります。
日本脳炎の潜伏期間は6〜16日間とされ、
定型的な病型は髄膜脳炎型ですが、
脊髄炎症状が顕著な脊髄炎型の症例もあります。
典型的な症例では、数日間の高い発熱(38 〜40 ℃あるいはそれ以上)、
頭痛、悪心、嘔吐、眩暈などで発病します。
項部硬直、光線過敏、種々 の段階の意識障害とともに、
神経系障害を示唆する症状、
筋強直、脳神経症状、不随意運動、振戦、麻痺、病的反射などが現れます。
死亡率は20〜40%で、幼少児や老人では死亡の危険は大きいです。
精神神経学的後遺症は生存者の45〜70%に残り、
小児では特に重度の障害を残すことが多く、パーキンソン病様症状や痙攣、
麻痺、精神発達遅滞、精神障害などが挙げられます。
日本脳炎は症状が現れた時点ですでにウイルスが脳内に達し、
脳細胞を破壊しているため、
将来ウイルスに効 果的な薬剤が開発されたとしても、
一度破壊された脳細胞の修復は困難と考えられています。
治療法はなく、高熱と痙攣の管理などの対症療法が中心で、
日本脳炎は予防が重要となっています。
具体的な対策として、蚊の防虫対策と予防接種となります。
日本脳炎ワクチンには、1回の接種で済む生ワクチン、
および3回の接種が必要な不活化ワクチンがあります。
厚生労働省では毎年夏に、ブタの日本脳炎ウイルス抗体獲得状況から、
間接的に日本脳炎ウイルスの蔓延状況を調べています。
それによりますと、毎夏日本脳炎ウイルスを持った蚊は発生しており、
国内でも感染の機会はなくなっていない。
西日本や東北地方における集中豪雨と洪水は、
日本脳炎ウイルスの媒介蚊である
コガタアカイエカの繁殖を促進させる環境であるため、
一層の警戒が必要となってきています。
日本では、ワクチンの定期摂取により日本脳炎の流行は阻止されていますが、
根絶されたわけではありません。
2015年には千葉県でも日本脳炎患者が出ています。
その患者は、日本脳炎ワクチン接種前の10か月の男児であり、
重度の四肢麻痺が残ったと報告がなされています。
日本における日本脳炎の患者は毎年10人未満でしたが、
2016年は11人に増え、25年ぶりに10人を超えています。
Tumblr media
*日本脳炎の分布図
北海道において、日本脳炎ワクチンが法定接種の対象になったのは2016年。
このことは、北海道出身者のほとんどが、
日本脳炎ワクチンを接種していないことを意味しています。
北海道では、ブタから人に日本脳炎ウイルスを媒介する
コガタアカイエカが生息していないと考えられていたため、
日本脳炎ワクチンが長らく法定接種の対象外となっていたためです。
温暖化の影響により生息域の拡大が懸念されており、
道南地域ではコガタアカイエカの生息が確認されているという
研究発表もあります。
北海道の人は、本州への移住や東南アジアなどへの海外渡航などを含め、
日本脳炎を発症する危険があるといえるでしょう。
北海道以外に住む人にも予防接種がなされていない場合もあります。
日本脳炎の予防接種後に重い病気を発症した事例をきっかけとして、
平成17~21年度までの間に「積極的勧奨の差し控え」の通達があり、
予防接種の案内が出されませんでした。
このことは、平成7~18年度に生まれた人は、平成17~21年度に
日本脳炎の予防接種を受ける機会を逃している可能性が高く、
令和元年の年齢では、10歳から14歳の年齢です。
Tumblr media
母子健康手帳の確認、および予防接種が必要でしょう。
では、次回ブログに続きます。(^^)
参考文献
国立感染症研究所
日本衛生動物学会
株式会社児玉兄弟商会
住友化学株式会社 農業化学品研究所
1 note · View note
Text
Oh Yes
厚ゃ元8算ソタオ滋事聞ヌモシム更団加ことじ現人転ね棒同ーちつと回43芸シモチ稿80題までて化所コホ眼柴ナノ順市アヱリヤ人雄えじな議善テロムツ本壁過設美レま。活セネ暮設り化材っわご合提語ぴこお個声ユフノヲ野康経ヱ古岡しらきッ場穏お況表ツ感59介し年妊む。価事測ょ権発ヤホヘ理茨ナ一用づふリ古転死ゃラ間援イチホロ首事ウマヱ放憲ゅ室6条じるろ録朝朝ざス橋賞吸妙ぎレ。
式へだけ住改きゆイる動金ネヤチ港梯ウイ情応歴族イニ彦操ゅとどで話催セソ打地たおン先一え銀43用ルやね高達験ぼみごね解4仁借是ぽ。政ちたむ京以きひ川外ほみざぞ作学ずあ活録ヒセ地筑ク企群へにラす子円ミワネキ治記調年オキ学場でぱド育役ろもる載井ネク属価ゃりル主63写サチラヌ一手ラサムレ掲11的単射2組ゅッさ。
誘べずもざ終気ヒル命告ぼんよぴ立阿ろくむ込版む写可ょ確玲みべ誤綱サ期全じぐたぶ甚役ワハニテ者望要カヒ注呼マレ連作ゃずど氏働能氷説ト。4週際とさゆぶ和児やゃすは著東ルカヌ火田ニウコカ終子をなろ青25者こどリ業鼓めな渕文4殖怠殊滝ゃは。枕ヌラコ康大こルドそ中14化アレヲイ決沢護モラ内成ロアヨ広当禁にる浜査ソトテ車政とへゅふ相57掲ツ天完ノ覧細クヱマ沼疑江だとわ異川ク川運定ーそけき。
接むず育準属コタ所燃て同聞電リスヱ育値ヌニ着回んいぜ爆委ごんにを父関むな提練ケタ善難エカフ無12連持ずゅぎ示焼ゆトぴぐ得教タサ年転クヱソ合昨重歩渡むスあ。43段もひみ属来ぴンーク囲半ナルチマ掲8覧ソ意重格し憲稿ネ似代ルレハメ図認へすー番真ぱ賞段改信なそい意班契絡ぐら。内レヌ作目ろト自住出カミワレ問59旅努牛代4細サ豊右たか条釣ね等合ゆー高棋ソムケ匹尾谷ンいれ県毎患加ぱいべ。
三内ルヌ王階ユカ諫経ヨセク流要56講なッそ野画イえく報下問スクヲ金万コセシ社促はひさ判要ワ促古空壮ばこ。静レの記町よ徳障谷金ぽぐへッ興株主後マ東12載でたじす告図セヒ勝4記レケフト特産マユトフ京炭をご。1挑ニキ玲業げたン携見げら中返つまッ国図びま見校どり情力キコヨヲ万掲れ載反ま模文キツ歩帯ホ国習去カヱ院9面をぼ井投め礼締意どぽげ者般フく交岳犠ず。
図シチイ事輪へ会姿わ主朝コ能議つねラ催索えけす資訴イ純1氏31前ヱヘトセ牽期イヤ自竜妻ぐめ。栃びもきリ禁望きびさょ証孝ネコリハ今毎妊たび切味ニ題折キヌクサ示見フエク来判倒ねリ紹輸すひむ阪家1極オル済連芸ふクご都鉄レ不魂飲ヒトヘ月底肉も。流対ゃリさめ沖念むわゃづ子3奮写なゆぼ提4禁ルつり栃条イク新害ま有打メコヌマ通掃丼冨奔かひよ。
者じれだス際札ヱ味水沖ほづ追8苑用ケ州辰ヒイミノ手幌ひい画味付件ト準岡ッだルく文画ヘハ芸著95供���ルオアナ型女ヱネチ客総へ。稿権アスミ願疲ーびきち能約え明26紙お海考せスね社2教フツホシ出必とほ辺訓むはみよ外調リょスご遇雪ドレ実冴ヘユカヒ過録チハヲツ著革せいるく。主べみさル林気育かごなき逆特チヌスフ示向ト去進弘だゆ約寄みま名並え格関チセケ意意エヤヘ治4使ユニヒエ器嗣坪べめ。
政気やね通潮知ぽぎち優図ホ評治ク当断紙ア勝能開サモク理図ラヱ面文スレイん新僕無シタホ格情ム買煮スゃかト雪便込こスふ持浅添瞬版ゃの。2作モヒワ波人無アツ委嘆モエ図憎キノシヌ古帯チメロラ働6移ちどいフ百5表せれ証念すかね情告さ制代こ補手ソナイ誌併ッぽぶ天界れ写端丁侵暗げむく。
測ネヘヱ時期ナウタオ連連イヱム連作モナ政京リスぼ意府あフぴン滋49民形声起3前ニシヲ文取更三ゃじ控敏そよどと択改べ講産真セハヤケ幅別ぶ未冊剣唯妥ま。趣らびじリ最気もなしが花碁光作とが気株んド交必イ下需ら催選なり川獲をれなの数変停山なむじ棄法ウ予勝のひ月正もぽこそ村慮カリチ勇父ぜあ携夫合リ交夢巻為等ず。
鼻素ウ定憂しむあ流主クく菜37毎ンゆ補図男リぽ表94雇准揮再0殿ヌミ目首マ両子ぜば衰索ノロセ要球だ護景ウ治質がへなし禁僧兜函匿っぜるき。格すドいッ囲報ウネチト政方ミ極禁まかにぜ持沢エ第制カワムツ囲牟イめこ天意ほをづま軍優港へ的出をぜ録4歳早チ喜機写例兵城乃み。娘ヲオニメ譜木シラ団兵悪ぶ連自階へごぼ十本シス発8館レなへ地団中セム際独メイ愛哲さゆ。 唄 うた (n) song; classical Japanese poetry (esp. tanka); modern poetry; (P) 歌 うた (n) song; classical Japanese poetry (esp. tanka); modern poetry; (P) 詩 うた (n) song; classical Japanese poetry (esp. tanka); modern poetry; (P) 卯 う (n) fourth sign of Chinese zodiac (The Hare, 5am-7am, east, February) 宇 う (ctr) counter for buildings, etc. 得 う (v2a-s,vt) to get; to acquire; to obtain; to procure; to earn; to win; to gain; to secure; to attain; to be possible 有 う (n) bhava (becoming, existence)
果ク大撃スよる逃余どト係還ナ治漢ぜへくお南5族オヌラ無9家愛読ナトス定線クべぐむ香黒手憂めぱぐ。画ごせう誘物ゃえね以注難トぜ第勤建ぴねあ平検やょ写犯ラオサ外30夫でぜげ覧悩モヨウケ都削どク加会ニト期著フルワ焼仕イキネラ玲暮ルネツ岡落副触よぼ。9消済ヌメ級倣リ消遣ンをたち議版本ウタム図献ルシワ位装ぜン橋8及ろ竹担しある連企く拠視ハ活受トハスホ馬傾タイサ立投味浮くにば。
>>LUDO<<自部りほ陸8間まぶ落写じ在野ね優速ロケ連昭べむだ闘賀ルドえな愛14煮ンでフ無植ソヘチ品塗ト質速タ禁傘さほれ。>>LUDO<<
1 note · View note
koudelkalightnovel · 6 years
Text
Collections of Hiroki Kikuta’s blog
1997年秋から1999年末まで携わった、 「クーデルカ」という仕事は、僕の人生の中で大きな意味を持��。 嬉しかったこともあり、残念だったこともあり、しかし、制作に費やした二年間は、 無駄ではなかったと、今振り返って思う。 サクノス立ち上げに助力していただいた、元セガ副社長の故藤本敬三氏の思い出。 ロサンゼルスはウエストハリウッドでの夢のようなモーションキャプチャーセッション。 胸に浮かぶままに、語るべきことは尽きない。 ここでは、写真、設定資料、デザイン画を中心に、ゲーム制作のプロセスと、 その印象を綴っている。 クーデルカのための宣伝用イラストレーション/1998 岩原裕二 部分 このサイトは、1999年12月にプレイステーション向けホラーRPGとして発売されたゲーム「クーデルカ」のディレクター菊田裕樹が、制作資料の掲載や作品解説を目的として運営するものです。ゲームをプレイしてくれたユーザーが、より深くクーデルカの世界とその魅力に親しんでもらうために、僅かなりと助けになれれば幸いです。 --- 「クーデルカ」のモーションキャプチャーは、1999年1月、ロサンゼルスはサンタモニカにあるスタジオで収録された。技術面を担当したのはフューチャーライト。普段は「ゴジラ」等のハリウッド映画のSFXを担当している映像制作会社である。遡る1998年9月、僕はイベント系を担当する人員の不足から、それを全てモーションキャプチャーで賄うという構想を建てた。全体で見れば一時間をこえるイベントシーンを、手打ちのアニメーションとスクリプトで実現しようとすれば、5人がかりの仕事となる。しかも、一向に従来のRPGの域を出ない、面白みの無い方法だ。ゲームのドラマ部分を表現するために、効果的で、目新しくて、しかも大きな省力化になる方法として、モーションキャプチャーは画期的な試みだった。無論、問題はあった。技術的に不可能だというのだ。物語の性質上、最大4人を同時にキャプチャーし、併せて音声も収録する必要があったからだ。僕はまず、日本国内のスタジオで実験をし、手応えを掴んだ。その結果、モーションキャプチャーは十分に魅力的な効果を生み出すという確信を得た。しかし同時に、僕の要求する仕様は日本国内では実現不可能であるということも分かった。だが、そこで諦めてはクリエイターが廃る。幸い、以前「双界儀」の録音でお世話になったデイブレイク社の大竹氏が、海外のコーディネイターに詳しいというので、畑違いながら探してもらったら、ロスにそれらしい技術を持った連中が居るという。早速連絡を取り、俳優のオーディション方々会いに行った。ところが実際に会ってみると、彼等も僕が考えるような仕様でキャプチャーをしたことがなかった。4人を同時に、音声もいっしょに、しかも数分に及ぶ芝居をいっぺんに収録する。そんなの聞いたことがない。しかし驚いたことに、面白そうだから是非やってみょうと、彼等は言ったのだ。新しいことにチャレンジするのが嬉しくてしょうがないスタッフ達。こうして、この前代未聞の試みは実現したのである。 クーデルカを演じてくれたヴィヴィアンとエドワードを演じてくれたマイケル。100人程のアクターをオーディションした中から選んだ人達だ。アメリカのアクターの層は厚い。皆、良い作品に出演することを夢見て、演技の勉強をし、技術を身に付け、レストランなどで働きながらハリウッド近辺で暮らしている。アメリカでは基本的に、どのような有名な役者でも、名前だけで出演が決まることはない。必ずオーディションをして、その役に本当に相応しいかどうかを確かめられる。彼等は、役の大小に限らず、それを勝ち取ることに真摯で、また仕事に臨んでも出来るだけ良い結果を残そうとする姿勢を崩さない。 セッションに参加してくれたスタッフ達。フューチャーライト側から、モーションキャプチャーの陣頭指揮にあたってくれたダン・マイケルソンをはじめ、プログラマーのランディ、エンジニアのジョン。彼等は4日に及ぶセッションの中で起った、様々な問題に素早く対処してくれた。日本側から、クーデルカのモーションを担当した竹原君。IPG側から、わざわざこのコーディネイトのためにニューヨークから駆け付けてくれたポール。そして、サウンドエンジニアのキース。 写真中央、このセッションのディレクションを全て担当してくれた、IPGから参加のデビッド・ウォルドマン。彼は日本でビデオクリップのADをしていた経歴があり、日本語が話せたため、今回の仕事に適任として選ばれた。映像制作の現場でのノウハウや、その進行に関して、彼に学ぶところは大きかった。その後、ロスでムービーキャメラマンの学校に入り、本格的に映画制作を志しているらしい。左は、デビッドの女房役のADであるクレイグ。右に居るのは、9才のシャルロッテ役を演じてくれた12才のサラ・パクストン嬢。その可愛らしさで、スタジオの人気者だった。しかし、プロとしての意識は本物で、長台詞を覚え、慣れないキャプチャーに戸惑うこともなく、見事に演じてみせた。下の写真は、キャプチャーセッションに先立つ、リハーサルの時のもの。近くのホテルで部屋を借り、本番の時と同じように、全ての芝居をチェックする。この時キャラクターはどんな気持ちなのか、何を考えながら演じればいいのかを、ひとつひとつ、押さえていく。このシーンは、クーデルカとエドワードが、オグデンとベッシーにスープを振舞われるところ。中央に、いかにも人の良いおばさんを演じてくれた人の良いおばさん、デニス・ホワイト。 スタジオというよりは工場といった有り様だが、実際すぐ横にプロップを組み立てる工房があったりした。一応サウンドステージとして作られてはいるのだが、防音がしっかりしていないため、上空を飛ぶ軽飛行機の音がうるさくて、撮影が中断したのには参った。真中に置いてあるのは、ジェームズら3人が大聖堂に入る扉が開かなくて悪態をつくシーンのための大道具。例えば、扉を叩く芝居が欲しい時に、何もないのにそういう振りだけしても、リアリティーは生まれない。扉を叩く時には、そこに扉があるべきだ。下の写真は、ゴミの山に埋もれてひっそりと稼動しているSGIのONYX。これに限らず、驚くような機材が、ごく当たり前に使われているのをあちこちで見た。聞けばそれらは全て、レンタルなのだという。こういう所にも、日本との状況の違いを感じた。右は、連日に及ぶ深夜の撮影で疲れ果てて眠りこける僕。 2000/11/25 菊田裕樹 --- ヴォイニッチ文書 部分 Emigre Document 紀元前5000年をさかのぼる昔、ブリタニアには高度な巨石文明を持った民族が栄えていた。今も島のあちこちに残るドルメンやストーンサークルは、現代科学を持ってしても不可能と思われるほどの彼らの技術力を、我々に示している。彼らはケルト人が到来するまで、全世界でも最も進んだ文化と文明を持つ民族であった。エジプトでピラミッドが建築される遙かに昔。中国、バビロニア、イスラエル、どの文化圏よりももっと以前に、ブリタニア全土に分布する巨石遺構は建てられたのである。 その力の秘密は、彼らの持つ宗教にあった。彼らは大地より湧きいでる生命の秘密に手をかける術を知っていたのである。生と死を操り、不死や、あまつさえ死者の再生をも我がものにし、労働力としての人間ならざる怪物を生み出し、高度な文明を築き上げた。それは自然の持つ輪廻の法則そのものを御する行いであり、神の為す神秘に等しい。いや、彼らこそが原初の「神」だったのかもしれない。彼らはその「神を遙かに遡る世界の成り立ちの秘密」を、文字にして書き記すことはなかったが、その祭儀や術としてのノウハウは、ケルト社会のドルイド僧に引き継がれた。ドルイド僧は古代人の残した祭儀法を基盤に、自分たちなりの技術的アレンジを加え、古代人には及ばないまでも、天地の秘密を力に変換することを自らのものとした。 だが、彼らもまた、自分たちの慣習や宗教に関して書き残すことをしない。ケルト民族の在りように関して最初に言及したのは、まさにそこを征服せんとして兵を進めたユリウス・カエサルである。しかし、彼が紀元前50年頃に「ガリア戦記を」書き記す以前に、前4世紀頃ケルト民族と親交のあったアレクサンダー大王が、アレクサンドリアの大図書館に收めるべく、ドルイドの秘儀をギリシア語で文書化させていたのである。彩飾図版を交えて作成されたこの文献は、その任に当たった人物��名を取って「エミグレ文書」と名付けられた。 この文書は閲覧を禁じられた秘密の書として王宮の図書館に保管された後、戦禍を逃れて持ち出され、数世紀の間、各所を転々とする。その間にはキリスト教の成立やローマカトリックの隆盛などがあるが、6世紀に入り、アイルランドに様々な修道院が建設され、写本事業が盛んになった結果、イタリアの片田舎に忘れられていた「エミグレ文書」は、リンデスファーン島にある写本で名高い修道院に持ち込まれた。だが、ギリシア語に堪能でない彼らは、内容の美しさや彩飾の艶やかさに目を見張りこそすれ、文書の持つ本当の力に気づくことはなかった。 9世紀に入って、度重なるヴァイキングの来襲により、蔵書の保存に危機を感じた修道院は、重要な文献を各地に避難させ始める。アイルランド生まれで敬虔な信者であるヨアヒム・スコトゥスとダニエル・スコトゥスの兄弟は、大修道院長より「エミグレ文書」を託され、その内容に驚愕した兄ヨアヒムは弟ダニエルをウェールズの辺境にあると記される聖地へ赴かせ、自らは写本を携え、フランス王の元に庇護を願い出た。弟ダニエルは聖地で修道院を建て、祈りを捧げて一生を終わる。兄ヨアヒムは碩学として歴史に名を残すが、その死後、ローマ法王庁に写本を接収されてしまう。 キリスト教を脅かす力を持ったこの文書は、ローマ法王を恐怖させ、禁断の書物として誰にも閲覧を許すことなく、書庫の奥底にしまい込まれたが、13世紀になってその損傷の激しさから、新たな写本を作る必要が生じ、当時最高の知識人として名高かったフランチェスコ会修道士ロジャー・ベーコンにその任が与えられた。彼は10年にも渡ってフランスに幽閉され「エミグレ文書」を精確に複製することを強いられたが、その過程で文書の知識は彼の物となった。秘密を守るため彼をそのまま監禁し、二度と世に出すまいという法王庁の意図とは裏腹に、彼は密かに外部と連絡を取り、自らが解読した文書の示す聖地へ赴き、生命の秘密を探る試みに取りかかるべく、着々と準備を進めていた。 彼は、先にダニエル・スコトゥスが建てた修道院を改修し、実験施設となるべきゴシックの大聖堂を建築させた。そこで彼がどのような秘術を試みたのかは、記録に残っていないが、法王庁の手を逃れフランスを脱出した彼は、二度と姿を現すことはなかった。彼は、姿を消す前に、新たな一冊の写本を残している。エミグレ文書の記述を元に、ウェールズ語の暗号で書かれたその写本は、聖地の修道院に残されていたが、16世紀になってエドワード・ケリーとジョン・ディーによって発見され、新たな写本として書き直され、さらにローマの修道院を経て、20世紀になって古物商ヴォイニッチによって再発見され、ヴォイニッチ文書と名付けられて、現在エール大学のベイニック図書館で閲覧できる。 また、ロジャー・ベーコンによって複製された「エミグレ文書」写本(原典は破棄された)は19世紀までヴァチカン宮殿の奥深くに秘蔵されていたが、1890年頃何者かに盗み出され、以後その行方を知る者はいない。ダニエル・スコトゥスが建てた修道院は1536年の修道院廃止例の後、政治犯や重要犯罪人を拘留し処刑するための施設へと転用され、聖なる場所で多くの人命が闇に葬られた。 (設定資料より) 2000/10/25 菊田裕樹 --- 2000/10/25 Hiroki Kikuta Koudelka Iasant 1879年生~没年不詳。イギリスはウェールズの田舎、アバージノルウィンの寒村生まれのジプシー。幼い頃から強すぎる霊能力を持ち、様々な怪異を起こすため、呪われた存在としてジプシーの世界から追放される。1888年9才頃ロンドンで霊能力者ブラヴァツキー婦人に拾われ、秘蔵っ子として厚遇されるが91年婦人が他界すると共に、再び放浪の旅へ。普段は霊媒として失せ物を探したりして、糊口をしのいでいる。 年は若いが、世の中の事情を一通りわきまえたところがあり、良く言えば大人、悪くいえばすれっからし。普段はあまり明るい顔をせず、大体において不機嫌そうで態度が悪いが、時折女らしいところを見せる。差別される者や愛されない者に肩入れする傾向がある。自分を表現することが下手。 (登場人物設定資料より) Notes クーデルカという名前は、著明な写真家であるジョゼフ・クーデルカから採ったものだ。口にした時の不思議な響きと、民族や国籍を感じさせないところが気に入って、名字ではなく名前として使わせてもらった。手元の資料を見ると、キャラクターデザインの岩原裕二氏にコンペ用のスケッチを発注したのは1998年の3月26日だが、遡る2月10日の段階で、僕はゲーム全体の進行手順と、シナリオの箱書きを完成させていたし、キャラクターの心理設計も完全なものとなっていた。クーデルカはジプシーの出身である。彼らはインドをもっとも古い故郷とし、放浪に生きる人々で、自分たちのことを誇りを込めてロムと呼ぶ。それは人間という意味である。一般社会の人間たちとは隔絶され、自分たちの血縁関係の中だけで生きている彼らにとって、追放はもっとも苦しい罰となる。クーデルカはその特異な能力ゆえに、子供の身でジプシーを追われることになった。僕は彼女を、どこにも安住することを許されない、最も孤独な存在として設定した。平和で豊かな暮らしの中に、彼女の居場所は無い。呪われた魔物や幽霊が跋扈する、廃虚の暗闇の中にだけ、かろうじて自分を置くべき空間を見出せる。クーデルカは、そういう悲しい存在なのである。 岩原氏はこのプロジェクトのために、100枚にも及ぶキャラクタースケッチを描いた。クーデルカだけでも数十枚になるが、そのほとんどはポリゴンによるモデル化のための制約から来る衣装デザインの試行錯誤であり、キャラクターの本質部分に関しては、最初から完成形に近いものを掴んでくれていたようだ。また、氏にはゲームの制作に先行して角川書店の雑誌で漫画連載を始めてもらい、ゲーム設定の1年後のストーリーという立体的な構成で、物語の厚みと魅力を増すことに貢献してもらった。 クーデルカのポリゴンモデルは、当時広島のコンパイル社の倒産で行き先を捜していた渡辺伸次氏に、経済的に援助するということで東京に移り住んで制作してもらった。彼は同社の仲間とCGスタジオであるD3Dを設立した。そのころの彼等には全く実績が無かったが、見せてもらったプロモーションムービーのキャラクターの動きに並ならぬ情熱を感じ、彼等と一緒に新しいチャレンジをする気になったのである。しかし実際、キャラクターのモデリングは難航した。ゲームスタッフ側の無理解も大きな原因だったが、D3D側もクーデルカほど高いレベルのモデルを作るのは初めてとあって、試行錯誤のために何ヶ月も時間が必要になった。リテイクに次ぐリテイクの嵐。最終的には、僕自身が彼等の後ろに付いて、鼻をもう少し縮めてだの、唇をもう少し上げてだのと細かく指示���出し、なんとか納得のいくものに仕上がるまでに半年近くかかっている。 モーションキャプチャーにおいて声と演技を担当してもらったヴィヴィアン・バッティカ嬢は、米サンタモニカ・スタジオで行ったオーディションの中で、クールで独特の色気があり、抑えた芝居の出来る人として選定した。ただ可愛いだけではなく、クーデルカの持つ陰の部分を表現するためである。彼女自身まだ若く経験も浅いとはいえ、その熱意と努力は相当なもので、10分にも及ぶ長丁場の芝居、何十行もある長台詞を、たった数日で完全に頭に入れて撮影に臨む辺り、なるほどプロというものはこういうものかと感心させられた。度重なる技術的不備にも嫌な顔をすることなく、エドワード役のマイケル・ブラッドベリーと現場の雰囲気を明るく盛り上げてくれたことには、感謝の言葉もない。 2000/10/25 菊田裕樹 llustrated by Yuji Iwahara このページ内の全ての画像及び文章の著作権、版権、複製権、二次使用権は全てその正当な著作者、権利所持者に帰属します。よって、無断複製、無断転載を含め、著作権法に違反する形態でのあらゆる利用を禁止します。 All Rights Reserved 1997 1998 1999 2000. クーデルカは(株)サクノス・SNKの登録商標です。 All Rights Reserved (C)SACNOTH/SNK 1999 --- Nemeton Monastery イギリスはウェールズ地方。アバースワースにほど近い、海沿いの断崖に、人気もなく廃墟と見まごうようなネメトン修道院がある。ちょっとした公園ほどもあるその敷地の中には9世紀頃に建てられたと思われるロマネスク様式を色濃く残した修道僧の宿坊をはじめ、13世紀頃に建てられた飛び梁も美しいゴシックの大聖堂、会堂をかねた図書館、鐘つき堂、屠殺場を兼ねた炊事場、処刑台に使われた東屋、近代になって建てられた宿舎などが、全体を囲む壁と一体化して並んでいる。16世紀に修道会を禁ずる制令が発布されるのを待たずして寂れ、廃墟と化したこの場所は、17世紀に入って政治的な犯罪者や虜囚などを閉じこめたり処刑したりする目的に使用された。今でもどこかに地下牢が隠されているといわれている。近代になって、訪れる者も居なくなり、荒れるに任せていたのを、ある資産家が物好きにも買い取って移り住んだが、程なくして彼は姿を消し、後には様々な憶測と噂だけが残った。あるいは、財宝が隠されたまま埋もれているといい、あるいは、悪魔が彷徨っているといい。再び廃墟と化したこの修道院を訪れるのは、人目を避ける犯罪者や一攫千金目当ての食い詰め者だけだった。 (制作資料より抜粋) ネメトン修道院初期設計図/1998 松野泰三 1998年2月の段階で、ゲームの進行に伴う、マップ全体像の設計は、ほぼ出来上がっている。八棟の建物、地下道、墓地など、全部で100個見当の区画からなる構成で、イベントと連動して移動できる範囲が拡がっていく。実は、このような閉鎖された空間を舞台として設定したのは、単に演出的な意図によるものではなく、人的物理的制約による結果なのである。例えば、高度に訓練されたグラフィックスタッフが20人居るならば、一年間に500から600枚を超える背景画を制作することが可能だ。しかし、楽観的に考えても数人が限度と思われる人材確保の現状を前提にすると、およそ100マップ200~250画面が、用意できる背景数の上限と見なければならない。一般のRPGのように、ワールドマップがあって幾つもの街があって、などという仕様は、最初から無理。そこで、極めて限定された空間を設定し、それを有効に活用しつつ、様々な雰囲気のバリエーションを提供できるような仕掛けを考案した。それがホラーRPGという枠組みだったのである。 ネメトン修道院初期設計図/1998 松野泰三 ネメトン修道院を構成する建物群は、そのひとつひとつが、建てられた年代も、目的も異なるものである。各々の建築様式の違いは、ドラマの進行と相まって、ユーザーを飽きさせないための装置として機能する。扉を開けて新しい建物に入る度に、物語が次なる展開を迎えたことを実感してもらうために。微にいり細にわたり、緻密に作り上げることが、あたかも実際にそこに居るかのような臨場感を生む。そのために最も必要だったことは、実際の建築物を参考にすることであった。 ネメトン修道院初期設計図/1998 松野泰三 物語上でアバースワースとしたのは、アイルランド側の海岸にその場所を置きたかったからだが、98年8月にスタッフを伴って訪れた実際の取材は、ウェールズの下側に位置する観光地ペンブロークシャーを中心に行った。その一帯は、草原から突然に切り立った断崖が現れ、地平線の彼方まで続く、不思議な景観の土地である。その周辺に夥しい数の修道院や城跡が存在する。あるものは往時を偲ばせて健在だが、ほとんど廃虚と化した遺構も多い。セント・デイビッド教会は、中世そのままの姿で我々の目を楽しませてくれると同時に、石造りの聖堂が持つ、独特な雰囲気を理解するのに役立った。また、垂れ込めた雲と雨が作るどんよりとした暗い空気は、実際にその場に立ってみないとイメージできないものである。近辺の修道院の壁や石組みを大量に撮影して、3Dモデル用のテクスチャーとして使ったのも、大きく意味がある試みであった。 さて、ネメトン修道院の大聖堂はゴシック建築として作られているため、本当ならば、その常として側廊が無ければならない。ゴシック建築は荷重を分散する構造にすることで壁を薄くし、ステンドグラスの設置を実現しているからである。しかし、ゲーム仕様上の制約としてプリレンダリングのマップを考えた時に、多数の柱を立体的レイヤーとして配置することが困難であるために、内部を単純な箱型にせざるをえなかった。外側から見ると、飛び梁様の補強柱が一定間隔で取り付けられているが、現実の物として考えれば、全体の重量を支えるために、壁自体もさらに厚くせざるをえないと思われる。なお、大聖堂頂部の鐘突き堂は、そのものが飛び梁によって構成されている特殊な形式だが、これは架空の物ではなく、実際に存在するスタイルであることを付け加えておきたい。 2000/10/25 菊田裕樹 --- Library : クーデルカという物語 By 菊田 裕樹 – 2000年 3月 28日Posted in: Library, Library : ARTICLE    クーデルカという物語    2000年3月 公開    このサイトを御覧の方には僕の制作した    RPG「クーデルカ」を未プレイの向きも多いと思う。    手短に説明すると、19世紀のイギリスはウェールズの    片田舎にある今は廃墟同然と化したある修道院を舞台に、    クーデルカという19才のジプシーが出会う様々な    怪異をテーマにした、いわゆるモダンホラーと    呼ばれるジャンルに属するゲームである。    僕はこの作品のコンセプトに始まり、キャラクター設計、    マップ構成、シナリオ、ムービーや    モーションキャプチャーイベント部分の    ディレクション等など、様々な種類の仕事をした。    基本的な部分の組み立てには約3ヶ月ほど要しただろうか。    全部で100冊以上の本に眼を通したが、    物語の発想の土台となったのは、    「幽霊狩人カーナッキ」という本であった。    短編集で、主人公である怪奇現象研究家カーナッキが、    様々な「怪異」と「怪異に見えるもの」に遭遇し、    あるものは解決し、あるものは良く分からないまま    終わる(笑)という、味わいのあるホラー小説集だ。    興味のある方は是非一読されたい。    さて、僕が物語を組み上げる段階でこだわるところは、    歴史上の事実を曲げないということである。    実際に起こったとして、記録に残っている様々な事件を、    相互に関連付け、その隙間を虚構で埋めていくという    やりかたが僕は大好きだ。    同じ嘘をつくのでも、まったく根拠も無く考えるのと、    事実に基づいてその基盤を組み上げていくのとでは、    細かい部分でのリアリティーが違ってくる。    だから、クーデルカという物語には、    プレーヤー諸氏が考えているよりも、    ずっと多くの史実が含まれている。    エドワードやロジャーが実在の人物である事など、    歴史に興味のある方は、調べてみられるのも一興かと思う。    1898年は科学と迷信がせめぎあう世紀末の、    まさに移り変わる一瞬を捉えて興味深い時代である。    明ければすぐに1900年、近代科学文明の浸透の    象徴ともいうべき、パリ万博が開催される。    そしてそれこそが、僕がクーデルカの続編と    目論んでいた物語の舞台なのである。    ウェールズを描くために、ロンドンやペンブロークに    足を運んだのと同じように、僕はパリやベルギーに    取材をするつもりだった。    (パリ万博に出展されていた建物が、当時の    ベルギー王の要望で買い取られ、    ブリュッセルに現存するのだそうだ)    会場から郊外を結んで建設された地下鉄と、    そこで起こる怪異。エースネクスト誌連載中の    漫画版のエピソードを終えたクーデルカが、    拠ん所ない事情でパリを訪れ、地下に巣喰う    亡霊どもの争いに巻き込まれていく。    実はクーデルカの続編は、僕の頭の中では4作目まで    出来ている。第一部イギリス、第二部フランス・・・    とくれば、第三部はアメリカである。    時代は大きく跳んで、1973年アメリカはシカゴ。    主人公は、シカゴ大学で教鞭を取る文化人類学者、    クーデルカ・ロードメル。    クーデルカの娘アメリアが後に渡米して産んだ子供で、    つまりは孫だ。ベトナム戦争末期とあって、    帰還兵が持ち帰ってしまった悪霊が、    様々な殺人事件を引き起こすのを、まだ生きている    ロジャーの助けを借りて解きあかしていく。    (ちなみにロジャーはスーツを着て出てくる)(笑)    そして第四部は1984年奈良。    関西大学で教える友人の宗教学者の元を訪れたクーデルカは    何者かに命を狙われ、陰陽師や式神と戦う羽目になる。    奈良の巨石墳墓や京都の町並みが、    雰囲気造りに一役買うだろう。    残念なことに、今のところ僕がそれらの    続編を作る予定はないが、    小説のようなものであれば、書いてもいいかなあと思う。 Story of Koudelka : Library --- Haven: On Koudelka, you served as producer, writer, and composer. What were some of the goals you accomplished in taking on these various responsibilities? Were there ways in which the project could have been better realized? Hiroki Kikuta: Let me begin by saying, whenever you divide up responsibilities among a group of people concerning the judgments that get made on a project, the end quality is bound to suffer as a result. To keep the quality high and the schedule organized on a project, it's better for as few people as possible to be making key decisions, and for them to be communicating within the group with as few conflicts as possible. The ideal situation would be for but one director to be delegated the responsibility of expressing his or her creative vision. That said, for Koudelka, I was pursuing that degree of creative control. To prepare, in gaining an understanding of the game's setting, I read about one hundred books on English history, touching on periods from the Medieval era to around 1900. It proved useful in discovering relevant episodes which could be incorporated into the story. Having several events to ground the plot in a kind of historical reality, I then started building on that foundation with some fictional events. For example, the character of Edward is based on an actual Irish dramatist named Edward Plunkett, 18th Baron Dunsany, while the woman who writes a letter for Charlotte is based on Sophie Dorothea of Württemberg. Roger Bacon is, of course, a historically famous philosopher. Also, the incident on the Queen Alice really occurred and is recorded in the captain's log of the vessel. By filling out the gaps in those historical events with fictional incidents, such as the Emigre Document and reincarnation ritual, I aimed at providing a realistic basis to the imaginary aspects of the story. Before production, some members of our staff went on a trip to Whales to gather information and capture the genuine atmosphere of the place with our own eyes. We demanded extreme accuracy in providing the background details, and we even used motion capture technology to provide culturally appropriate body language for the characters, techniques advanced enough to compete with the standards of the Hollywood industry at that time. Those challenges, which were provided by the passion motivating that project, were the real essence of Koudelka. Koudelka, "Patience," music sample I remember that I was reading the critical biography of James Cameron, who was making Titanic at that time, on the airplane to England. I was overwhelmed by his tremendous efforts to capture those startling images. At that time, I realized that it is necessary for creative work to have a degree of obsessive passion involved. I hope that some degree of that conviction had a positive result on the end product. --- As soon as it is in the year 1900, the Paris World Expo is to be held as a symbol of the penetration of modern scientific civilization. And that is the stage of the story that I was thinking as a sequel to Kuderuka. In the same way that I went to London and Pembroke to draw Wales, I planned to cover Paris and Belgium. (It seems that the building which was exhibited in the Paris Expo is bought at the request of the King of Belgium at the time and exists in Brussels.) The subway built by connecting the suburbs from the venue and the monster occurring there. Kuderuka who finished the episode of the comic version in the series of Ace Next magazine visits Paris due to circumstances that are not based, and is caught up in the strife of ghosts who nest underground.    (The first line of the Paris Metro opened without ceremony on 19 July 1900,[4] during the World's Fair (Exposition Universelle - that is what is meant by subway) Actually, the sequel to Kudelka is made up to the 4th in my head. Part 1 England, Part 2 France · · ·     If you do, the third part is the United States. The era greatly jumped, in 1973 America was Chicago. The hero is a cultural anthropologist, Kurdelka Roadmel, who teaches at the University of Chicago. Kuderuka's daughter Amelia is a child who gave birth to the United States later, that is, it is a grandchild. With the end of the Vietnam War, the evil spirits brought back by the returning soldiers will solve various murder cases with the help of living Roger yet.     (By the way, Roger comes out wearing a suit) (lol) And the fourth part was Nara in 1984. Kurdelka who visited the origin of a religious scholar of a friend taught at Kansai University is targeted to someone, and it will be fought against the Yin Yang masters and the expression god.     The megalithic tomb of Nara and the townscape of Kyoto will contribute to the atmosphere building.     Unfortunately, for the moment I have no plans to make those sequels, but if it's like a novel, I wonder if I can write it. --- RocketBaby: At what age did you become interested in music? Hiroki Kikuta: When I was ten years old, I met up with the music of Emerson, Lake & Palmer. I had never heard such marvelous music before. It was quite an impact for me. A few months later I heard that Keith Emerson was using a particular instrument called MOOG synthesizer. RB: At what age did you start writing music? HK: When I was twelve years old, the Folk blues movement came over to Japan from America. I studied Acoustic Guitar and started to create an original song immediately. I wanted to be a singer/ songwriter... if I wasn't a terrible singer. Actually, Digital equipment opened up my potential as a music composer. Without a musical sequencer, I can't create any complicated tunes. When I first acquired a YAMAHA SY-77 synthesizer/sequencer, I felt as if I got a ticket to a different world. RB: Why did you start Sacnoth? HK: I had held many original ideas about video games and visual expression for a long time. The most important purpose is to create an entertainment. When I was searching for a way to achieve my dream, I met a dominant business advisor. He introduced me to the chairman of SNK. I told him about many pitfalls that every existing RPG had. I thought those were lacking a comprehensive insight and a integrative interpretation. It is a structural defect of game production. To resolve the problem, it is necessary to get the picture of each element of game creation at the same time. I have an ability to do that. I established a company SACNOTH and took up my position as CEO in order to produce a new horror RPG project, Koudelka. But unfortunately... Though I conceived a grand scheme to realize an innovative game system and visual expression, many old staffs from SQUARE were not able to accept real change without hesitation. I say that the person who will have no change is already dead. After termination of Koudelka project, I retired as CEO of SACNOTH. It was my choice. RB: As a composer how should music effect the game? As a developer how should the music effect the game? HK: A music composer wants to create a good tune with utter simplicity. But if you want to create a good game as a developer, it is not enough. Because good music does not necessarily fit a good game. The most important problem is adjustment of each of the elements. If the visual element exactly synchronizes with the musical element, a dramatic effect will be generated.. And I take it for granted that everybody wants to hear a good melody in the end. RB: What were your influences for Koudelka? HK: In the first instance, I designed all concepts and fundamental settings of the Koudelka's world. I gathered various graphic and text materials in London and Wales. I did character design, map design, event design, scenario writing, direction of computer graphics movie, direction of motion capture... I got involved with all of the integral parts of Koudelka except battle and game system. Especially, I had no influence in battle section. I still have a great regret. I wish I could have designed it. And a quick digression, I consulted many movies and books for Koudelka. A most impressive movie is The Name of the Rose (Jean Jacques Annaud 1986). I also read the original book which was written by Umberto Eco. It is a definitely masterpiece. If you want to know some origins of Koudelka's world, you may read Carnacki the Ghost Finder written by William Hope Hodgson and The Case of Charles Dexter Ward written by Howard Phillips Lovecraft. Many fantasy novels by Lord Dunsany (His his full name and title is Edward John Moreton Drax Plunkett 18th Lord Dunsany) are also important. If you want to know about visual origin of Koudelka, see photographs created by Bob Carlos Clarke and Jan Saudek and Holly Warburton. Those are extremely exciting works. RB: How did you manage to write, direct and compose the music for Koudelka? HK: Writing a scenario. Directing a CG movie. Composing a BGM. Each of those is no more than a single face of game creation. When I imagined the world of Koudelka, I figure graphic elements and story elements and sound elements all at once. Because, those are mingled with each other organically. So I think that It is rather easy to manage multiple affairs. RB: What was the easiest aspect of working on Koudelka? What was the hardest? HK: The easiest aspect is music composing. Because I can create a music by my lonesome. It makes me free and I feel comfort. Hardest aspect is behind-the-scenes maneuvering of power game in company organization. I am so tired to do that. Let's get something straight, I am not a buccaneer but rather a creator. All aspects about creation are really pleasant for me. RB: Why do you make music? Why do you make games? HK: Music composing is a natural behavior for me. Like breathing. I usually conceive a good melody and a harmony without suffering. So I have no reason to make music. I think that it is my vocation. Meanwhile, creating video game is not my vocation. It is my wish. I want to produce high quality entertainment in the future. When I write a story and a plot, I usually suffer by myself. Though it is very hard and thorny, I feel maximum accomplishment. RB: What inspires your melodies? HK: Many great works of famous composers and musicians inspire me. If I must respect only one person or group as a music composer(s), I will take Pink Floyd. RB: What are your hobbies and why? HK: Good question. Riding bicycles is my hobby. I also love my yellow Peugeot MTB made in France. I also have some fun playing with my cat. She is extremely pretty. RB: When did you begin working at Square? HK: I began work at Square in 1991. I was twenty seven years old. In those days, the production studio of Square was placed in Akasaka Tokyo. It was small and homey, different from now. I remember that Nobuo Uematsu and Kenji Ito interviewed me in their office. We talked about progressive rock music and famous guitar player Allan Holdsworth with each other. I created sound effects for Romancing Saga at the start of my career. A few of graphic staff worked with me to design a lot of novelty sounds. We worked hard in night and day. RB: How much freedom did you have making music at Square? HK: In a sense, I had perfect freedom. Because, the planning staff of Square put none of the assignments relevant to the menu of music work and schedule in my hand. Nobody explained to me about game detail which they were producing. I had to think and imagine what kind of music was needed for our game project. Changeover,changeover, and more changeover of specifications. It was difficult to foresee the final image of it. But I did. RB: What is favorite game that you worked on at Square and why? HK: May be Seiken Densetsu 2 (Secret of Mana). I think that it was a pretty good game except for the big BUG. The multi player system was extremely fresh and delightful. In the aspect of music, I was fully challenged in regard to sound expression using 8 voice PCM system of SNES hardware. Please see and hear the opening sequence of Seiken Densetsu 2. It is so simple but so lyrical, isn't it? I am really proud of my visual direction and music composition. RB: Did Nobuo Uematsu influence your work? HK: I think there is no influence from Nobuo Uematsu. I have never taken any lessons about composing game music. The style and the melody of my music are totally conceived by myself. Just the same, every staff composer at Square were free from influence of somebody else. Originality and personality were cheerished in our studio. It was the policy of Nobuo Uematsu. RB: What are the best and worst memories that you have of Square? HK: Hmmm... Best memory... it seems a trip to MANA island of Fiji republic. After a production of the game Secret of Mana, I and my friend decided to visit an island placed in South Pacific Ocean. We played skin diving everyday and watched some corals. Those were extremely beautiful. It looks like a blue heaven. I will never forget the view of the sunset from Mana's beaches. It is one of my treasures. By the way... Worst memory is a dissolution of the game team in which I was supposed to participate. I wanted to propose an innovative game system using music and sound effects. RB: Who is your favorite Square composer and why? HK: I recommend Jin Sakimoto (Hitoshi Sakimoto). His works are extremely dense. RB: One of our favorite soundtracks of yours is Soukaigi. The sound quality and styles are some the best for a game. HK: Soukaigi has many characters of sound. I designed it with different complex styles. House music meets real performance, fusion meets folk choirÖÖ It was an adventure for me. To tell you the truth, the style of music does not a matter. I don't dwell upon it. Though I put a high value on counterpoint it does not bind me. It is only a method. In the case of Soukaigi, I was mainly influenced by East European pops like Varttina. RB: Why did you leave Square? HK: I wanted to direct not only musical expression but also visual expression. And of course, I wanted to write a fine scenario which is different from existing one. I had felt a big complaint against those juvenile works. But unfortunately, I couldn't get a chance to take a part in those kind of production works in Square. I suffered terribly for a long time. After all is said, I left Square and established new company Sacnoth to achieve my idea. RB: Do you perform your music live? HK: If I have a chance to do that, I wish to play my music as a live performance. I didn't make an attempt to do that in Japan yet. Do you want to hear my music in front of your eyes, ya? RB: Who would you like to make music with? HK: Jin (Hitoshi) Sakimoto. Because, I could not collaborate with him on composing game music when we were hired together by Square. I respect him. Except for game music composer, I want to collaborate with Allan Holdsworth, a fusion guitar player. His music is a miracle. RB: How do you think game music compares to other genres of music? HK: I think that is similar to movie soundtracks. It is important to synchronize the music with visual element. It has an expressive purpose. If you want to create a game music, don't forget to construct it as an emotional device. RB: How will the next generation consoles allow you to express yourself as composer and game designer? HK: I feel a strong attraction to X-box and Game Cube. A big visual capability makes me hot. I have many ideas to display fascinating characters using real time computer graphics. They will sing and dance and talk with real emotion. Don't you want to play the Musical RPG on Network? I want to play it. RB: What would your advice be to people who: A. People who want to create game music. HK: Listen to as much music as you can. Don't confine yourself to your room. The genre of music is meaningless. If you want to find your treasure, you must challenge the common practice at any one time. B. People who want to create games. HK: Video games are not art. They are an entertainment. You must amuse your audience first instead of amusing yourself. I am always conscious of the feeling to accommodate someone with a fun service. Can you create a lot of gimmicks for the player? If you work so hard and push yourself enough, the day will come to collaborate in some way with me for sure. Let's think of a next game together. RB: What is in the future for Hiroki Kikuta? HK: I will be involved in some new game projects that are not directed by me. I will be a technical advisor. I will create computer graphics and sounds. But soon, I hope to form my studio and develop my own game project. So now I am looking for new investors around the globe. RocketBaby would like to thank Mr. Kikuta for chatting with us.
3 notes · View notes
xf-2 · 6 years
Link
★ やる気溢れる中根副大臣
8月22日に外務省に行き、中根一幸副大臣と北東アジア第二課長に面会してきました。中根副大臣は「拉致被害者を必ず救出する。とにかく結果を出す」と強い決意を語ってくれました。 日本体育大学を卒業したあと、専修大学大学院法学研究科を修了した文武両道の中根副大臣ですが、まるで試合前の格闘技選手のような強い気迫を感じました。「この人なら北朝鮮軍人と直接交渉しても大丈夫だ」と心強く思いました。 仲介の労ととってくださった上野尚徳・伊奈町議に大感謝です!
右から2番目が中根副大臣、3番目が上野町議、右側が救う会埼玉の竹本代表
私のほうでは、資料を何枚も持参して7つもの制裁案を提案しました。本当は国会議員にレクに行くときは、A4一枚に内容をまとめて添付資料は多くても2枚が常識なのですが、なにしろ訴えたいことが山ほどあるので、無理やり大目に見てもらったのです(笑) ただ中根副大臣は恐ろしく理解が早いし、担当課長は専門家なので、様々な案をどんどん説明しても大丈夫だったので安心しました。
今回最初に説明したのは、例の世界的投資家ジム・ロジャーズ氏による北朝鮮投資推奨問題です。6月20日付のブログで解説したようにジム・ロジャーズ氏は、「いよいよ北朝鮮に投資できるぞ!」とやる気満々です。今後様々なメディアで「北朝鮮投資はボロ儲けだ!」と煽るつもりでしょう。みんなに投資させて、値段が上がったところで自分は売り抜けるのが「投資グル(指導者)」の常道です。なんらかの手を打ってほしいと要請しました。 本ブログ2018年6月20日付記事
結局、北朝鮮に何千億円もの投資マネーが流れるかは、中国人投資家が「儲かる」と思うかどうかにかかっています。制裁は二次的な問題に過ぎません。中国人投資家が「ゼッタイ儲かる!」と思えば、中国政府がどれほど規制しようとも、裏ルートで巨額のカネが北に流入します。規制をすり抜けるなど簡単で、トランクに札束を詰めて香港かシンガポールに行き、そこからペーパーカンパニー名義で投資するだけです。本ブログで過去何度も触れているように、ペーパーカンパニーは簡単に作ることができ、名目上の役員や住所を貸してくれる会社まであります。
そして北朝鮮に入った投資マネーは、大部分が核・ミサイル開発費となります。「外国人による投資なんだから、そんなことはないでしょ」と言う人がいるかも知れませんが、北朝鮮当局は入ったカネを全部巻き上げてしまうのです。北朝鮮からすれば「入ったカネ=利益」です。過去に朝鮮総連系の商工人から中国企業までみんな酷い目に遭っています。
逆に「北朝鮮投資は当局に巻き上げられて大損するだけ」という正しい知識が普及すれば、制裁を緩和しても問題ありません。犯罪被害に遭うと分かって「投資」する人はいないからです。
制裁は、法的枠組みばかりに目がい��がちですが、一番重要なのは「犯意」をどう抑制するかです。だからこそ、大袈裟な表現で北朝鮮投資を煽るジム・ロジャーズ氏��の対処が重要になってきます。彼の推奨は、過去に何兆円という投資マネーを動かしてきたのです。
ここで皆様にお願いがあります。ほんの少しだけお時間をください。6月にお願いしたロビー活動と同じになりますが、アメリカ上院外交委員会のボブ・コーカー委員長にメールを送って、アメリカ人ジム・ロジャーズ氏の北朝鮮投資推奨を阻止するよう依頼していただきたいのです。仮に法律で禁止するのが難しくても、コーカー上院議員のような大物なら、問題を認識すれば何らかの手を打ってくれます。前回お送りした方も、もう一度お願いします。
北朝鮮の核から日本を守るためには、国民一人一人が行動することが大切です。よろしくお願いいたします。
◆ 送り先(上院外交委員会のメールアドレス) [email protected]
◆ 例文 件名: US Citizen Funding the North Korean Regime など (タイトルは個々別々のほうがいいので、できれば変更してください。From ・・・と自分の名前を入れても構いません) 本文: Dear Chairman Bob Corker,
I am writing to respectfully request for legislation to prohibit US citizen from recommending investment in North Korea. As you are well aware, North Korean sanctions have not been lifted yet and it is the key to denuclearization.
Legendary investor Mr. Jim Rogers, who co-founded the Quantum Fund with Mr. George Soros that returned 3,365% in the 1970s, has been strongly and repeatedly recommending investment in North Korea. For example, on May 2015, Mr. Rogers told CNN: “Yes! I’m very excited about North Korea. If I could put all of my money into North Korea, I would. Massive changes are taking place there. I would not have invested in Kim Jong Un’s father or grandfather by any stretch of the imagination, but that’s like saying that in 1980 you shouldn’t invest in China because of Mao Zedong. Mao was dead and Deng Xiaoping was making huge changes. They are making huge changes in North Korea. The kid is making astonishing changes.” http://money.cnn.com/2015/05/04/investing/jim-rogers-north-korea-russia-china/ I believe the world renowned investment guru’s guarantee has resulted in in hundreds of millions - possibly billions - of dollars of investment in North Korea and funded the country’s nuclear and missile programs.
On February 11, 2016, Mr. Rogers acquired 150,000 shares of Unaforte Limited in Hong Kong that has established the First Eastern Bank in North Korea. Paragraph 221 of 2017 UN Panel of Experts report warned prospective customers of the First Eastern Bank: “The Panel notes that foreign nationals holding accounts in banks of the Democratic People’s Republic of Korea would be a violation under resolution 2321 (2016). … The Panel wrote to China on all the above cases and continues its investigation.” https://www.un.org/sc/suborg/en/sanctions/1718/panel_experts/reports
Any action that causes, assists, or promotes sanctions violation needs to be prohibited.
Thank you for your consideration.
Yours truly, (あなた様のお名前)
◆ 翻訳文 ボブ・コーカー委員長 アメリカ国民による北朝鮮投資推奨を禁止する法律を制定いただきたく、謹んでお願い申し上げます。ご承知のとおり北朝鮮制裁はいまだ解除されておらず、非核化のカギとなるものです。 ジョージ・ソロス氏とともにクォンタム・ファンドを設立し、1970年代に3,365%の配当を記録した伝説的投資家ジム・ロジャーズ氏は、北朝鮮投資を強く、かつ繰り返し推奨してきました。例えば2015年5月にロジャーズ氏はCNNに出演し、次のように述べました。「そう! 北朝鮮に興味津々だ。もし全財産を北朝鮮に投資できるなら、実行するつもりだ。あの地で大いなる変革が行われている。金正恩の父親や祖父の代に投資することは想像もできなかったが、それは1980年に毛沢東がいたから中国に投資するなと言っているようなものだ。毛沢東は死んでいて、鄧小平が巨大な変革を引き起こしている最中だった。北朝鮮で大いなる変革が行われている。あの子(金正恩)は驚くべき変化をもたらしている」 (CNN記事URL) 世界的に著名な投資の教祖による太鼓判は数億ドル、場合によっては数十億ドル単位の投資を北朝鮮にもたらし、核・ミサイル計画の資金源となったはずです。 2016年2月11日にロジャーズ氏は、北朝鮮でファースト・イースタン銀行を設立した香港企業ユナフォルテの株を15万株分取得しています。2017年度国連専門家パネル報告書はパラグラフ221で、ファースト・イースタン銀行の見込み客に次のように警告しました。「当パネルは、北朝鮮に銀行口座を保有する外国人は決議2321号(2016年採択)違反になりうると注意喚起する。(中略)当パネルは上記事案すべてについて中国に照会し、調査を継続している」 (国連報告書ダンロードページURL) 制裁破りを引き起こす、または幇助する、または教唆するいかなる行為も、禁止する必要があります。 ご検討ありがとうございます。
8 notes · View notes
benediktine · 3 years
Photo
Tumblr media
【二輪車走行は止めて 松本の山城跡で遺構破壊】 - 株式会社市民タイムス : https://www.shimintimes.co.jp/news/2021/05/post-13595.php : https://archive.is/yH3CZ 2021/05/01
 {{ 図版 : 二輪車の乗り入れ禁止を呼び掛ける埴原城跡の張り紙 }}
 新型コロナウイルス禍でアウトドアレジャーが人気を集める中、松本市文化財課は山城をマウンテンバイクやオートバイで走行しないよう注意喚起を強化している。市内の山城では5、6年前から、二輪車が登山道や主郭に乗り入れ、遺構を傷つける被害が確認されているという。マナーを守りながら城郭を見学してもらおうと、SNS(会員制交流サイト)も活用して呼び掛けている。
 4月末には文化財課の公式フェイスブックページ「まつもとの文化財」でも注意喚起の発信を始めた。  市内には30以上の山城があるが、これまでに国史跡林城跡(里山辺、入山辺)や県史跡埴原城跡(中山)などで二輪車の走行跡や走行が原因とみられる遺構の破壊が確認されている。勢いよく登山道を下ることで土が深く削られるなどの被害があったという。現地には走行禁止の案内も掲示しているが、大型連休を前に、市のホームページやSNSも活用して幅広い世代に呼び掛けることにした。  同課によると市内の山城の多くは15世紀後半~16世紀に築城や大規模改修されたと考えられ、500年近くを経た今も堀切や石積みなどの遺構を目にすることができる。故意に破壊した場合は文化財保護法違反に問われるという。  山城の多くは民有地だが所有者の厚意で開放されているケースも少なくない。竹原学課長は「山城はコロナ禍でも密にならず歴史を楽しめる場所。ルールやマナーを守りながら安全に散策して」と話している。
0 notes