Tumgik
#素描静物
onumayuki · 4 months
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「静物デッサン/豆腐、石膏立方体」 制作時間 1時間 鉛筆、画用紙 同じ形状と色味で違う素材のモチーフを描きました。質感や雰囲気を捉える鍛錬に有効です。
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yoga-onion · 11 months
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Legends and myths about trees
Legendary tree deities (21)
Skogsrå – the fatal nymph of the Scandinavian forests
The Skogsrå (Swedish: lit. 'the Forest Rå'), Skogsfrun ('the Mistress of the Forest'), Skogssnuvan, Skogsnymfen ('the Forest Nymph'), Råndan ('the Rå') or Huldran, is a mythical female creature of the forest in Swedish folklore.
It appears in the form of a small, beautiful woman with a seemingly friendly temperament. She appears like a woman from the front but seen from behind she often has a tail and a hollow back or skin like tree bark.
Those who are enticed into following her into the forest are never seen again. It was said that any human man who had intercourse with the Skogsrå became an introvert, as his soul had remained with her. If the seduced man is a hunter, he may be rewarded with good luck in the hunt, but should he be unfaithful to the Skogsrå, he will be punished with numerous accidents. He may put an end to a stormy night caused by her vengeance by firing a shot against her. Late folklore in Nyland, Finland describes silver bullets as effective means of killing a skogsrå.
Tolkien describes the Old Forest, a space filled with deep-rooted mysteries and danger in Middle-earth, as follows:
“The ground was rising steadily, and as they went forward it seemed that the trees became taller, darker, and thicker. There was no sound, except an occasional drip of moisture falling through the still leaves. For the moment there was no whispering or movement among the branches; but they all got an uncomfortable feeling that they were being watched with disapproval, deepening to dislike and even enmity. The feeling steadily grew, until they found themselves looking up quickly, or glancing back over their shoulders, as if they expected a sudden blow.”
– J.R.R. Tolkien FOTR. Ch. 6
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木にまつわる伝説・神話
伝説の樹木の神々 (21)
スクーグスロー 〜 スカンジナビアの森に住む致命的な妖精
スコーグ���ロー(スエーデン語: 森の‘ロー’)、スコグスフルン(「森の愛人」)、スコグスヌバン、スコグスニンフェン(「森の妖精」)、ローンダン ‘ロー’またはフルドラは、スウェーデンの民間伝承に登場する神話上の森の女性の生き物である。
小柄で親しみやすそうな雰囲気をした美しい女性の姿で現れる。スクーグスローは前から見ると普通の人間だが、後ろから見ると尻尾があったり、背中が窪んでいたり、樹のような肌をしていたりする。
彼女に誘われ、森へ行った者は二度と帰ることはない。スコーグスローと交わった男性は皆、魂が彼女の中に置き去りにされているため、内向的になると言われている。狩人がスクーグスローと関係を持つと、獲物に恵まれる幸運を得ることもあるが、スクーグスローを裏切った場合、様々な事故が狩人に襲い掛かる。そんな時は狩人はスコーグスローに向けて銃を撃つことによって、事故の連続を止められるかもしれない。フィンランドのナイランドに伝わる晩年の伝承では、スコーグスローを殺す効果的な手段として銀の弾丸が描かれている。
トールキンは、中つ国において根深い謎と危険に満ちた空間である「古き森」を以下のように描いている:
「地面がどんどん高くなり、進むにつれ、木々はより高く、より暗く、より太くなったように見えた。静まり返った葉の間から時折水滴が落ちる以外は、何の音もしなかった。しばらくの間、枝の間からささやき声や物音は聞こえなかったが、彼らは皆、自分たちが不愉快な目で見られているような不快な感覚に襲われた。その感覚は次第に大きくなり、気がつくと、突然の一撃を予期しているかのように、素早く顔を上げたり、肩越しにちらりと後ろを振り返ったりしていた。」
- J.R.R.トールキン FOTR. 第6章
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kennak · 20 days
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編集者注:ナショナル・フットボール・リーグのカンザスシティ・チーフスのプレースキッカーであるハリソン・バトカー氏(28歳)は、 2024年5月11日土曜日、カンザス州アチソンのベネディクト大学で卒業式の演説 を行った。彼の発言の転写は以下の通りである。 2024 年卒業生の皆様:まず、皆さんが本日無事にこの成果を達成できたことを祝福したいと思います。 あなたの高校卒業は想像していたものではなかったと思いますし、おそらく大学の最初の数年間も想像していたものではなかったでしょう。 新型コロナウイルスによるあらゆる逆境を乗り越えてこの瞬間に辿り着いたことで、この人生の苦しみは一時的なものに過ぎないという重要な教訓を学んだことを願っています。 あなたはグループとして、自分たちのレーンに留まらない悪いリーダーがいかに社会に悪影響を与えるかを目の当たりにしました。 このレンズを通して、私たちがどのようにして今の場所にたどり着いたのか、そして国民として、そしてカトリック教徒としてどこに行きたいのかを考えてみたいと思います。 始める前に最後に、講演への招待をいただいたミニス会長と理事会に必ず感謝したいと思います。 数か月前、ミニス学長が最初に連絡を取ったとき、私は最初は「ノー」と答えていました。ご存知のように、昨年、私は母校であるジョージア工科大学で卒業式のスピーチをしましたが、特に卒業式のスピーチは 1 回で十分だと感じていました。プロのスピーカーではない人。 しかしもちろん、ミニス大統領は説得力を発揮した。 [ 笑い ] この曲は、新型コロナウイルスの大惨事の中で皆さんが直面した多くの課題と、私たち高齢者が当たり前だと思っていた多くのマイルストーンを皆さんがいかに逃したかを物語っていました。 新型コロナウイルスはあなたの形成期を通じて大きな役割を果たしたかもしれませんが、それは特別なものではありません。 間違った政策と不十分なリーダーシップは、生活の主要な問題に悪影響を及ぼしています。 中絶、体外受精、代理出産、安楽死、そしてメディアにおける退廃的な文化的価値観への支持の高まりなどは、すべて無秩序の蔓延に起因しています。 私たちの国は、カトリック信仰を公に誇らしげに宣言しながらも、同時に中絶推進集会で十字架のサインをするほど妄想的な人物によって指導されています。 彼は罪のない赤ん坊の殺害に対する支持を非常に声高に主張してきたので、多くの人にとって、あなたはカトリック教徒であると同時に選択を支持する人でもあるように見えるはずです。 彼は一人ではありません。 新型コロナウイルスのロックダウンを主導した人物から、アメリカの若者に危険なジェンダーイデオロギーを押し付けている人々まで、彼らには明らかな共通点がある。 彼らはカトリック教徒です。 これは、カトリック教徒であるだけでは役に立たないということを思い出させる重要なものです。 こうしたことは、礼儀正しい社会では持ち出さないようにと言われている類のものです。 わかります、困難なこと、不快なこと。 しかし、私たちが歴史のこの時期に男性と女性でありたいのであれば、「ニース教会」が勝利の提案であるかのように振る舞うのをやめなければなりません。 私たちは常に慈善活動に基づいて話し、行動しなければなりませんが、決して慈善活動を卑劣なものと取り違えてはなりません。 ここ数年で、私は自分の考えを話すことでかなりの評判を得てきたと言っても過言ではありません。 私は自分自身がこのようなプラットフォームを持つことを想像したことも、望んだこともありませんでしたが、神がそれを私に与えてくれたので、私にはそれを受け入れ、自分のレーンを受け入れ、そこにとどまることについてのより厳しい真実を説く以外に選択肢はありません。 イエス・キリストによって設立された教会の会員として、真に、そして悪びれることなくカトリック教徒であることは、私たちの義務であり、最終的には特権です。 誤解しないでください。教会内であっても、礼儀正しいカトリックサークルの人々はあなたに沈黙するよう説得しようとします。 という受賞歴のある映画さえあったが 同じカトリック信者が製作した『沈黙』 、その映画では、主人公の一人であるイエズス会の司祭が教会を捨て、背教者として死んだとき、静かに誰にも知られずに十字架を握っている姿が描かれている。しかし神。 ベネディクト会大学の友人であるロバート・バロン司教閣下がこの映画の批評で述べたように、それはまさに文化的エリートがキリスト教において見たいもの、つまりプライベートで、隠れていて、無害なものだった。 私たちのカトリック信仰は常にカウンターカルチャーでした。 私たちの主と数え切れないほどの信奉者たちは皆、彼女の教えを忠実に守ったために処刑されました。 私たちの周りの世界は、私たちの信念が多様性、公平性、包括性の圧政に反する場合は常に自分の信念を内に秘めておくべきだと主張します。 私たちが真実を話すことを恐れるのは、残念ながら現在では真実は少数派だからです。 議会は、誰がイエスを殺したかという聖書の教えのような基本的なことを述べると、刑務所に入れられる可能性があるという法案を可決したばかりだ。 しかし、誤解しないでください。社会を悩ませている問題を解決しようとする前に、まず自分自身の家庭を整えなければなりません。それはリーダーから始まります。 神によって私たちの霊的父として任命された司教と司祭は、正しく命令されなければなりません。 今日、司祭や司教が群れを誤解させた話をすべて列挙するには時間がありませんが、私たちの誰ももう無知を責めて、ただ盲目的に「お父様がおっしゃったことです」と宣言することはできません。 なぜなら、悲しいことに、私たちがリーダーとして期待している司祭の多くは、自分の趣味を優先したり、教区名簿に掲載する犬との写真やおそろいの服装を優先したりする司祭たちと同じだからです。 私たち信徒も女性も、聖なるためには小教区で積極的に活動し、問題を解決しようと努めなければならないと考えがちです。 はい、私たちは小教区の支援に絶対に関与すべきですが、私たちが小教区の司祭たちが問題を解決するために頼れる拠り所になることはできません。 父親と息子の関係に目を向けるのと同じように、司祭とその民との関係にも目を向けるべきです。 父親として息子を導くのが私の仕事であるにもかかわらず、常に息子に助けを求めるのは適切ではありません。 聖ホセマリア・エスクリバは、司祭は奉仕するように任命されており、信徒を模倣する誘惑に負けず、徹底的に司祭であり続けるべきであると述べています。 悲劇的なことに、非常に多くの司祭は幸福の多くを教区民から受ける賞賛に依存しており、それを求めるうちに警戒を緩め、過剰に馴れ馴れしくなってしまうのです。 私のチームメイトのガールフレンドが言うように、馴れ合いは軽蔑を生むので、この過度の馴れ合いは毎回問題になることがわかります。 [ 笑い ] 聖ホセマリアは、司祭を単なる一人の人間として見たい人もいると続けます。 そうではありません。 彼らは司祭の中に、すべてのキリスト教徒、そして実際すべての名誉ある人にふさわしい美徳、すなわち理解力、正義、仕事生活(この場合は司祭の仕事)、そして良いマナーを見つけたいと思っている。 私たちが信徒として、あれこれの神学の教えを解読できるようにアマチュア神学者になることに身を投じるのは賢明ではありません――もちろん、あなたが神学を専攻している場合は別ですが。 私たちは、人生における自分の状態と自分自身の使命に意図的に焦点を当てなければなりません。 そして私たちのほとんどにとって、それは既婚男性と女性としてのことです。 それでも、私たちはすぐに使える素晴らしいリソースをたくさん持っているので、現代に合わせて曖昧に言い換えられていない、伝統的で時代を超越した教えを見つけるのにそれほど時間はかかりません。 さらに、善良で聖なる司祭はまだたくさんいますので、彼らを探し出すのは私たち次第です。 世界の混乱は残念ながら私たちの小教区の混乱に反映されており、悲しいことに大聖堂にも反映されています。 パンデミック中に見られたように、あまりにも多くの司教がまったくリーダーではありませんでした。 彼らの動機は、恐怖、訴えられることへの恐怖、排除されることへの恐怖、嫌われることへの恐怖でした。 彼らは、意図的か非意図的かにかかわらず、秘跡は実際��は重要ではないことを行動によって示しました。 このため、秘跡も受けられずに孤独死した人が数え切れないほどおり、決して忘れてはいけない悲劇です。 カトリック教徒として、私たちは民、そして最終的には教会のために命を捧げた英雄的な羊飼いたちの例を数多く挙げることができます。 コロナ禍で経験したことが適切だったという嘘を信じることはできません。 何世紀にもわたって、大戦争、大飢餓、そしてそうです、大病気さえもあり、それらはすべてある程度の致死性と危険性を伴いました。 しかし、これらの例のいずれにおいても、教会指導者は自らの召命に力を注ぎ、民が秘跡を受けられるようにした。 モロカイ島の聖ダミアンのような偉大な聖人たちは、自らの宣教の危険性を承知しており、精神的指導者としてハワイのハンセン病植民地に11年間滞在しました。 彼の英雄的行為は、理想的にはまったくユニークであるべきではないにもかかわらず、今日では何か特別でユニークなものとして見なされています。 なぜなら、父親が自分の子供を愛するように、羊飼いも自分の霊的な子供たちを愛すべきだからです。 それは、現代の使徒である司教たちにとってはさらに当てはまります。 私たちの司教たちはかつて、指輪にキスをし、彼らの言葉をすべて受け止める崇拝の群衆を持っていましたが、今では取るに足らない存在の地位に追いやられています。 さて、教区の司教や司教協議会全体が、この問題やあれこれに関する重要な文書を発表しても、誰もそれを読むどころか、一刻も読もうともしない。 いいえ、今日、私たちの羊飼いたちは、難しいことを大声で言うことよりも、公会議への扉を常に開いておくことにはるかに関心を持っています。 司教たちから連絡を受けるのは、毎年恒例のアピールの時だけのようですが、私たちは司教たちに、個人的な慰めを脇に置き、十字架を抱きながら教会の教えについて声を上げる必要があります。 私たちの司教たちは政治家ではなく羊飼いなので、仲良くしようとして世界に溶け込むのではなく、彼らも自分たちの道に留まり、先頭に立たなければなりません。 私がこのすべてを怒りから言っているわけではありません。私たちはふさわしい指導者を獲得しているからです。 しかし、これは私が自分の車線にとどまり、自分の使命に集中すること、そしてより良い父親、夫になり、世界で生きながらも世界に属さないようにするにはどうすればよいかを考えさせます。 これらの人々のために祈り、断食しながら自分の召命に集中することは、私が教会の指導者たちに不平を言うよりも、教会のためにもっと役に立ちます。 私たちの指導者たちからは非常に多くの混乱が生じているように見えるため、ミズーリ川の上流の断崖絶壁に建てられたカンザス州の小さな大学ベネディクト校のような場所で人々が参考になる具体例が必要であり、秩序ある政策がどのように世界に示されているかを示している。 , キリストを中心とした存在が成功の秘訣です。 過去 20 年間で入学者数が 2 倍に増加し、建設と活性化が常に生活の一部となっており、人々、学生、教職員が繁栄しています。このキャンパスのいたるところにある例を見る必要はありません。 これは偶然に起こったわけではありません。 伝統的なカトリックの価値観を受け入れる意図的な運動の中で、ベネディクト会は、他と区別するものが何もない単なるリベラルアーツ学校から、繁栄する光の灯台となり、伝統を受け入れると、世俗的な、精神的な成功が得られるということを私たち全員に思い出させてくれます。フォローする。 AP通信の記者たちは、ここベネディクト会のような場所や人々を叱責し当惑させようとする試みが、怒りを持たれず、むしろ興奮と誇りを持って迎えられるとは想像できなかったに違いない。 それは、一か月をそれに費やす大罪のような誇りではなく、聖霊と協力して神の栄光を現わす、神を中心とした真の誇りです。 現在世界中で共有されているその記事を読むと、自己を完全に明け渡し、キリストに向かうことで幸福が得られることがわかります。 ここカンザス州の小さな町で、私たちは自分の才能を活かしてインスピレーションを与える多くの信徒を見つけます。 ミニス学長、[アンドリュー] スワフォード博士、[ジャレッド] ジメラー博士は、まさにこのキャンパスで、キリストの光を今後何世代にもわたって明るく照らし続ける素晴らしい例です。 自分の使命にしっかりと向き合い、自分のレーンにとどまることが、この人生で真の幸福と平安を見つける最も確実な方法となるでしょう。 信徒であれ、司祭であれ、修道者であれ、私たちは人生における自分自身の状態に焦点を当てることが不可欠です。 2024 年卒業生の皆さん、皆さんは残りの人生の瀬戸際に座っています。 皆さん一人ひとりは、自分自身とこの人類存在の時代を超える遺産を残す可能性を持っています。 小さなことではありますが、自分の召命を全うすることで、神の教会が存続し、世界があなたの模範によって啓発されることを保証するでしょう。 本日ご出席の女性の皆様、素晴らしい成果をおめでとうございます。 あなたは、若い人生でこれまでに達成してきたすべてのことを誇りに思うべきです。 私があなたたちに直接話したいのは、最も悪魔的な嘘をついたのはあなたたち女性たちだと思うからです。 今ここに座って、この段階を通過しようとしていて、自分のキャリアで獲得するすべての昇進やタイトルについて考えている人は何人いますか? 皆さんの中には、世界で成功したキャリアを送り続ける人もいるかもしれませんが、あえて推測すると、皆さんの大多数は、自分の結婚と、この世に産む子供たちに最も興奮しているのではないかと思います。 私の美しい妻、イザベルは、妻として、そして母親としての使命を果たし始めたときから彼女の人生が本当に始まったと最初に言うでしょう。 私が今日ステージに立って、今の私でいられるのは、天職に身を寄せる妻がいるからです。 私は神が私に与えてくださった多くの才能に恵まれていますが、私のすべての成功は、中学校時代にバンドのクラスで出会った女の子が信仰に改宗し、私の妻となり、すべての中で最も重要な肩書きの 1 つである主婦を受け入れましょう。 [ 18 秒間の拍手 ] 彼女は私たちの子供たちの主な教育者です。 彼女は、私が夫や父親の仕事からフットボールや私の仕事を決して邪魔にならないようにしてくれた人です。 彼女は私の根幹を最もよく知っている人であり、私たちの結婚を通して、主の御心によって私たちは二人とも救いを得ることができます。 私がこのようなことを皆さんに言うのは、外の騒音を無視して人生において神のご意志にどんどん近づいたときに、人がどれほど幸せになれるかをこの目で見てきたからです。 キャリアを持つというイザベルの夢は叶わなかったかもしれませんが、もし今、彼女に自分の決断に後悔があるかと尋ねたら、ためらうことなく大声で笑って、「いや、違う」と答えるでしょう。 多くの賞賛を受け、今日このような聴衆に向けて話す機会を与えられた男として、私は自分の声を自分のためではなく、常に神のために使うように祈ります。 私が皆さんに話していることはすべて、知恵の場からのものではなく、むしろ経験の場からのものです。 私は、この言葉があなたとそれほど年上ではない、この階級、この世代、そしてこの社会において、私たちの周りに見ているものが本物であるかのように振る舞うことをやめなければならないと感じている男性の言葉として受け取ってもらえることを願っています。普通。 カトリックのサークル内にも異端的な考えが溢れています。 しかし、正直に言うと、子供を産むことで神ごっこをすることは、それが理想的な数であれ、妊娠に最適な時期であれ、何も良いことはありません。 どう解釈しても、カトリックの避妊には自然なことは何もありません。 私がより大胆かつ率直に話すようになったのはここ数年のことです。なぜなら、先に述べたように、私は夫として、父親として、そして男性としての使命に傾倒してきたからです。 今日ここにいる紳士の皆様へ:私たちの社会を悩ませているものの一部は、家庭や地域社会に男性は必要ないという、あなた方に伝えられてきたこの嘘です。 私たちは男性として、文化の雰囲気を決めますが、それが欠けると、無秩序、機能不全、混乱が始まります。この家庭に男性がいないことが、全国各地で見られる暴力に大きな役割を果たしています。 他の国では、父親の不在率がここ米国とほぼ同じではなく、暴力率が大幅に低いことにも相関関係がある可能性があります。 男性の文化的骨抜きと闘いながら、自分の男らしさを悪びることなく行動してください。 難しいことをやってください。 決して簡単なことだけに妥協しないでください。 あなたには、必ずしも楽しんでいるとは限らない才能があるかもしれませんが、それが神を讃えるものであれば、自分にもっと適していると思われるものよりも、その才能に頼るべきかもしれません。 私は内向的で、今ではアマチュアの講演者や起業家になっているという経験に基づいて話しますが、産業工学の学位を取得したときには、自分がそうなるとは思っていませんでした。 前途は明るいです。 状況は変わりつつあります。 社会は変化しています。 そして、老若男女が伝統を受け入れています。 私と私に最も近い人々を助けてきたのは私の使命であるだけでなく、伝統的なラテン語のミサを率直に支持することは多くの人にとって驚くべきことではありません。私は TLM への愛と献身を非常に声高に主張してきました。そしてそれは私たちの生活にとって必要なものです。 しかし誤解されていると思うのは、TLM に参加する人はプライドや好みから参加しているということです。 私は自分自身の経験について話すことができますが、これらのコミュニティ内で出会ったほとんどの人にとって、これはまったく真実ではありません。 私が TLM に参加しないのは、自分が他の人よりも優れていると思っているため、または匂いや鐘のため、さらにはラテン語への愛のためでもありません。 私が TLM に参加しているのは、旧約聖書の神がどのように崇拝されることを望んでいたかについて非常にこだわりがあったのと同じように、同じことが今日の私たちにも当てはまると信じているからです。 私が秩序に出会い、自分の人生の中でそれを追求し始めたのは、TLM を通じてでした。 TLM自体は別として、私たちの神聖な伝統の多くは過去のものに追いやられていますが、私の教区では、残り火の日、断食をして召命と司祭のために祈る日などが今も守られています。 TLM は非常に不可欠なので、すぐに利用できる場所に移動する場所を選ぶよう皆さんにお願いしたいと思います。 多くの人が教区や共同体について不満を持っていますが、私たちは共同体のためにミサを犠牲にするべきではありません。 たとえ教区が美しくなくても、司祭が素晴らしくなくても、コミュニティが素晴らしくなくても、私はTLMを優先します。 私が今でもTLMに通っているのは、ミサの聖なる犠牲が何よりも大切だと信じているからです。 私は、あなた方一人一人が教会の偉大な伝統の多くについての知識と遵守を再燃させたとき、自分の人生がどれほどカラフルで生き生きとしたものになることができるか、そしてそうあるべきであることがわかるだろうということを十分に承知してこのように述べています。 あなたがこの場所から進んで世界に飛び出すとき、多くの課題に直面することを知ってください。 悲しいことに、このコミュニティの善良で活発なメンバーが、卒業してベネディクト会のバブルから離れた後、結婚前にボーイフレンドまたはガールフレンドと同棲することになった無数の話をご存知の方も多いと思います。 教会を離れて神を捨てる人さえいます。 こうした話を聞くのはいつも心が痛むもので、何が起こったのか、何がうまくいかなかったのかを知りたいという欲求があります。 覚えておかなければならないのは、人生とは、小さなことをうまくやり遂げ、成功に向けて準備を整え、最高の自分になるよう絶えずプッシュしてくれる人々に囲まれることだということです。 私はいつも言っていますが、鉄は鉄を研ぎます。 これは、私たちに最も近い人たちが私たちをより良くしてくれるはずだということを思い出させてくれます。 もしあなたが自分の信仰を共有していない人と付き合っているとしたら、その人があなたを聖人になれるようどのように助けてくれると期待しますか? もしあなたの友人グループが、あなたが次の週末に何をするかだけを考えていて、難しい会話をしたくない人たちでいっぱいなら、どうやって彼らがあなたを研ぎ澄ますのに役立つでしょうか? 就職の準備をする際には、転職先について実際に考えることが非常に重要です。 司教は誰ですか? どのような教区がありますか? 彼らはTLMを提供しており、司祭としての使命を受け入れる司祭を抱えていますか? 生活費だけがあなたの選択の決め手であってはなりません。神のいない人生はまったく人生ではなく、救いのコストはどんなキャリアよりも価値があるからです。 私は将来に興奮しています。そして、あなたが人生の次の章に進む際に、私の言ったことが心に響くことを祈っています。 唯一の聖なるカトリック使徒教会を告白することを決して恐れてはなりません。なぜなら、これはイエス・キリストが設立された教会であり、それを通して私たちは聖化の恵みを受けるからです。 今日の私のメッセージは、これらのスピーチで期待されているよりも少し綿毛が少なかったことは承知していますが、この聴衆とこの会場は、私たちが何者であるか、そして私たち全員がどこに行きたいのかについてオープンかつ正直に話すのに最適な場所であると信じています。天国。 ベネディクト会大学と、それが世界に模範を与えてくれたことを神に感謝します。 ミニス大統領のような王国のために自らの役割を果たしている人々のことを神に感謝します。 本格的なカトリック大学 と 盛んなフットボール プログラムがあることを知りに来てください。 [ 笑いと拍手 ] 誤解しないでください。あなたは神の後の世界で宣教領域に入ろうとしていますが、あなたはそのために造られました。 そして、神がそばにいて、自分の使命の中で美徳を求めて絶えず努力していれば、あなたも聖人になれるのです。 キリストは王です。 ハイツへ。
全文: カンザスシティ・チーフス卒業式スピーチのハリソン・バトカー| 全国カトリック登録簿
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mistbow · 1 year
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Sorey and Mikleo at the core of Zestiria
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長谷 人間と天族の共存を象徴するのがあの2人の絆なので、どういう決着にするかはいろんなアイデアが出ましたね。
HASE: Since the bond between the two symbolizes the coexistence of humans and seraphim, there were many ideas on how to put a conclusion to their story.
Those two.
I know I have talked a lot about Sorey and Mikleo, but at the same time, I feel like I haven’t talked enough about them yet. It is certainly one of the relationships that is often talked about in the fandom, but for how much they’ve been brought up, there is surprisingly not much effort to actually analyze what makes them work in the context of Zestiria.
I would like to begin this with bringing up the core themes or ideas underlying Zestiria as a story: the specific genre name, “Passion will light up the world” (“情熱が世界を照らす”), and “Legends will someday become ‘Hope’” (“伝承はいつしか「希望」になる”). I want to keep these in mind when talking about Zestiria as a whole.
The idea of “passion” being the heart of Zestiria actually came up when the creators wanted to incorporate the “passion” of Sakamoto Ryouma, a Japanese historical figure, a low-ranking samurai in the late Edo period, as revealed by the director, Hase Yuuta, and producer, Baba Hideo. They were enamored by the fact that he was a low-ranking samurai, yet through his deeds, managed to indirectly change Japan. It was his passion and love for Japan that exactly made him think that Japan could not remain the way it was. Then, intertwining in various ways with people in various positions, the world moved on. He didn’t try to move the world, but the results of his actions moved and changed the world.
Elements from Sakamoto Ryouma’s life and personal figure can then be found in various aspects of Zestiria. We do things because we want to do it, not because we have to do it, yet both of those things are important, so how can we realize both of them without sacrificing one or the other? Sakamoto Ryouma also left his small hometown, out to the vast world. The part where he originally did not want to change Japan, but ended up changing Japan while he was pursuing his own dream. The part where Sakamoto Ryouma was thought to be able to see things “differently” from others who had lived in the same era, as well, like how Sorey is able to see the seraphim.
長谷 坂本龍馬の要素を全部スレイに持たせることはできないので、実は一部をミクリオが持っていたりします。あまりにも感情的な行動をするとユーザーさんとの気持ちがかけ離れてしまうおそれがあるので、スレイは意外と冷静で落ち着きがあります。むしろ、クールに見えるミクリオのほうが感情的ですね。
HASE: It is not possible for Sorey to have all the elements of Sakamoto Ryouma, so actually, Mikleo has some of them. Sorey is surprisingly calm and composed, as too much emotional behavior could lead to a disconnect with the player’s feelings. If anything, Mikleo, who seems cool, is the more emotional one.
Which might seem familiar, since the head writer also said the same thing, and I see this quote being thrown around a lot anyway:
山本 [...]そういう意味ではおとなしい主人公に見えるかもしれませんが、熱い思いはちゃんと持っていて、叫んだりノリや勢いだけで解決しようとはしないキャラクターにしたんです。代わりに、ミクリオをストレートに感情表現するキャラクターにして、2人で1人の主人公のような言動をとるように工夫しました。
YAMAMOTO: [...] In that sense, [Sorey] may seem like a calm protagonist, but he has passionate feelings, yet does not try to solve problems by shouting or just going with his spirit or momentum. Instead, we made Mikleo a character who expresses his emotions in a straightforward manner, so that the two of them act and speak as if they are one protagonist.
So they were concerned about Sorey being too unrelatable if he is fully modeled after Sakamoto Ryouma, who seems like someone bigger than life when you look at him throughout the history, as such, they divide the elements inspired by the figure into two characters, Sorey and Mikleo. This is because despite the fantastical framework they worked with on Zestiria, they also wanted to convey that the legends also lived in us all. That the characters that lived through those legends, were also just like us. That point is important.
――どのキャラクターも強い個性をもっていますね。 山本 シナリオチームには「物事でドラマを描くのではなく、キャラクターの心情を繋げていくドラマを作ろう」という大きなテーマがありました。勢いだけで動くのではなく、互いを思いやる部分やそのときの心情によってキャラクターからどういう言葉が出てくるのか、というのをリアルかつていねいに描こうと。なので、その言動から、スレイたちが何を考えているのかを読み取っていただけるとありがたいです。
――Every character has a strong personality. YAMAMOTO: The scenario team had a major theme, “Rather than a drama based on certain things, let’s create a drama that connects the emotions of the characters.” We do not want the characters to only act because of the momentum, but to realistically and carefully depict what kind of words the characters would say depending on their emotions and how they care for one another at the time.
――ストーリーを作るにあたって、特に苦労した部分がありましたら教えてください。 山本 やはりその心情ドラマが非常に難しくて、何度も修正しました。RPGとしては目的を提示したり、これはこういうことですよ、と書くほうが楽なんですね。事件でストーリーを繋げていくという。ただ、今回はそれよりもキャラクターの性格との整合性を重視して何度も書き直しました。セリフの収録でも、役者さんにキャラクターの細かい心情を大切にして録ってもらったので、後半になると役者さんのほうから「このセリフってこのキャラクターだと言い方が違うんじゃないですか?」という意見も出てきました。「じゃあ先に行こうぜ」と言うのか、それとも「ここにいてもしかたないよね」という語りかけにするのか、といったちょっとしたニュアンスの違いなのですが、そういうセリフひとつでもキャラクターらしさを重視していました。
――Please tell us if there were any particular challenges in creating the story. YAMAMOTO: That emotional drama was very difficult, after all, that I had to revise it many times. As an RPG, it is easier to present a goal, and write based on “this is what it is all about.” Something like connecting the story beats with certain incidents. This time, however, I rewrote it many times, focusing more on consistency with the characters’ personalities. In the recording of the dialogue, we asked the voice actors to record their lines with the importance of the detailed feelings of their characters, and in the latter half of the production, the voice actors instead would suggest, “This line would be said differently by this character, wouldn’t it?” It may be a small difference in nuance, such as whether to say, “Let’s go ahead then!” or “I don’t think we should stay here,” and even in such a single line, we focused on the character’s personality.
I know it seems like I’m not getting anywhere with this, but bear with me. So we have both Sorey and Mikleo sharing parts of Sakamoto Ryouma, but what I personally find interesting is that Sorey takes the parts of Ryouma that are more “legendary” about him (e.g. he brought upon a huge change without meaning to, he was believed to have seen something invisible that couldn’t be seen by his contemporaries) and Mikleo takes the parts of him that are more mundane (e.g. that he was full of emotions, very expressive). On the outset, Sorey as a human is regular-looking, and Mikleo, as a seraphim, has ephemeral, otherworldly qualities to his appearance... but even in the game, Sorey is the one depicted as being a child of miracles, the only human amongst the seraphim, someone who keeps going against all odds, the one Shepherd with a special end to his journey, and Mikleo is “merely” a young seraph who doesn’t even know a lot of things about his kin.
(Just like how we see things through Sorey’s eyes, and how he learns from the various humans he met and parted with along the way; when it comes to how seraphim work, we usually learn about it because Mikleo, the youngest seraph he is, is curious enough to ask about it from his seniors. You can see it in the skits in-game.)
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伝承はいつしか「希望」になる
Legends will someday become “Hope”
I’ve talked about in detail how Zestiria is hugely inspired by Shinto, and, subsequently, places a great importance on legends and history just like Shinto as a religion. The catchphrase of the game nicely illustrates this. However, one thing I’d also like to point out is that it’s easy not to think too deeply into “legend” as an English word, we tend to take words for granted after all. I don’t know if what I’m saying is making any sense, but Zestiria is a work that chooses its words very carefully and you’re supposed to read between the lines.
In the Japanese word for “legends”, “伝承”, lie implications that might not be immediately obvious to people who can’t read Japanese: that legends are transmitted, imparted, handed down (伝える), and that legends are received, taken in, accepted (承ける). There is a give-and-take relationship here, it’s not a one-way road.
The epilogue in the novel, focusing on Mikleo like in the game, emphasized more on this:
永遠に流れる時の中で、人の一生はまるで一瞬の光だ。けれど、語り継がれ、受け継がれた意志は長い時を超える。伝え続けたいと思い続ける限り。
遺跡もまた、語り続ける意志だと青年は考えていた。時を超え、未来へ伝えたい思いを形に残し、いつか受け止めてくれる人を待つ。
いつまでも、いつまでも。
その意志を余すことなく受け止めたい青年は、ひとりでここを再訪したのだ。
In the time that flows eternally, a human’s life is like an instant flash. However, the will that gets handed down and inherited transcends the long time. As long as we want to pass it on.
The young man believed that ruins are also a will that can continue to get passed on. Transcending time, leaving behind a shape of thoughts that they want to convey to the future, waiting for the right person to accept them someday.
Always and forever.
The young man, wanting to take in [to accept] all of this will thoroughly, revisited this place alone by himself.
Humans and seraphim are fundamentally different beings: time flows differently for both, humans accept external changes, seraphim stay the way they are due to their nature as incarnations of the purest hearts. To Mikleo, whose passage of time is comparatively stationary, seeing Sorey, a human, who keeps changing (growing; maturing) just makes their fundamental differences even more obvious, so of course it gives him complicated feelings on the whole matter.
Just before, they were the same height, then Sorey grew even taller than he was, as highlighted in the manga. However, the Sorey that has lived up until now, still lives on inside Mikleo anyway. After all, they’d been together all their lives up until then.
…陪神になってスレイと同じ使命を感じてなんとなくあの時僕を拒んだ理由がわかった
導師の使命も世界も知らないただイズチにいた頃のままの僕らをスレイは残しておきたかった
…As I became a Sub Lord and feel the same calling as Sorey, somehow I understood why he refused me to become one at the time.
Sorey wanted that that part of us, that didn’t know of the Shepherd’s calling nor of the world, just staying the way we were in Elysia, to still remain.
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But Sorey’s core―the reason for why he is who he is―it’s Mikleo, the one who has come to share his dream and time, who has it. To Mikleo, a seraph who will continue to be for a very long time as an untainted and unchanging heart, Sorey entrusts his dream. So that after this journey ends, he can walk with himself again.
Sorey, the childhood friend who holds the dream of seeing a world where humans and seraphim could coexist, won’t go anywhere, as long as Mikleo is there, even if Sorey changes. Even Sorey, the one who carries on the Shepherd’s burden, isn’t going anywhere, because that will is carried on to the next generations, by Rose and the succeeding Shepherds.
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Speaking of Rose, I think her role in the story as Sorey’s foil will highlight Sorey and Mikleo’s relationship even more (this is not saying that Sorey and Rose’s relationship is any less important, just that it’s a different form of relationship). Even from the character design perspective, Sorey’s gold/orange (the image color that is used for him in both the World Guidance and the manga) and Mikleo’s teal are complementary colors, their eye colors (green and purple) are also complementary colors, and they share the color blue as well, whereas Sorey’s blue and white contrasts Rose’s red and black. I believe this is deliberate, as deliberate as Rose and Lailah sharing the color red yet contrasting black and white, because from the information that has been revealed, Fujishima and Inomata as the veterans of the series were asked first to design two humans and two seraphim respectively, based on their styles, and that their characters would be the main focus of the work.
(Which I also believe is the basis for why it is Sorey [Fujishima] and Mikleo [Inomata], Lailah [Inomata] and Rose [Fujishima] in the night before final battle scene, a scene that has held importance in the entire Tales of series.)
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Also, I want you to pay close attention to the key visual for Zestiria above. I will also bring this up again:
右手は身・体の、左手は霊・心の在処
The right-hand side is where the physical body is, while the left-hand side is where the spiritual heart is.
To his left, Mikleo, the Sub Lord, and to his right, Rose, the Squire. Lailah, the Prime Lord, on the far back, evoking that distant feel of the mystical, of the legendary, in the same center as him, the Shepherd. Sorey and Rose actually have a lot in common that are easy to miss... they both grew up with seraphim, sort of, and it cultivated in their pure hearts and high resonance. They’re both humans. But it is with Mikleo, the one who’s decidedly different kin from him, that he has complementary relationship with.
Maybe Zestiria wants us to focus more on their similarities, than their differences, when it comes to Sorey and Mikleo. However, humans don’t grow if they only hear what they want to hear; they have to be challenged, and besides, if you’re going to step into the world out there, there are many kinds of people, people with different views and approaches from you. This is what is needed for Sorey to meaningfully grow. So despite the similarities, Rose is the one human who Sorey knows, outside from himself, that lives with a seraph yet rejects them vehemently at first. That each of them has their own role, to give life and to take life.
This is getting more and more about Rose instead, but I promise I have a point to make here. Besides, it was also Mikleo that managed to convince her to join, for Sorey’s sake.
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MIKLEO: We seraphim are indeed Sorey’s friends. MIKLEO: And yet we cannot say for sure if Sorey sees and hears the same things we do. ROSE: Because he's... the only human out of all of you? MIKLEO: Yes. Sorey has no human compatriots who can truly understand the burden he bears as the Shepherd. ROSE: You want... me... to join him. MIKLEO: It's ultimately your call.
Pay attention on the camera positioning, on how Mikleo is on the left on the screen talking to Rose on the right of the screen. It’s not enough for Sorey as a character who has been surrounded by seraphim his whole life, to just be surrounded by a party of seraphim, yet it was Mikleo who first realized this instead of Sorey himself. Also, it wasn’t just in the way he didn’t force her to join Sorey, but the way he was also so gentle in his word choice, even telling her that it was okay for her to be scared of him.
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This is why I like how the English trailer dubbed Mikleo as Sorey’s “voice of reason.” Sorey isn’t exactly unreasonable himself, but I think this fits nicely with the designation that in the end, Mikleo chooses to act as the “spiritual heart” to Sorey’s “physical body.” I deliberately use the word “choose” here, because, just as it was Sorey’s choice to be the Shepherd, it was also Mikleo’s choice to fight alongside him.
天族とは誰かの想い、誰かの祈りから生まれた露な<人の心>そのもの。
執行者の名を持つ天族は、その心の最も純粋な形として生まれた化身。
Seraphim are born from someone’s thoughts, someone’s prayers; they are the very bare “hearts of humans” themselves.
Seraphim bearing the name “Enforcer” are incarnations born as the purest form of those hearts.
It was implied that Mikleo, the seraph, was born from the thoughts of Michael that were paradoxically both his hope and his despair. And I’m sorry for repeating myself here, but these pages of the manga really spelled it out (I have an entire post on Sorey, Mikleo, and Growth here and here):
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SOREY: …I never… want to forget this pain… SOREY: It’s exactly because I felt pain that I was able to continue this journey. SOREY: We’re grieving, suffering because of the reality across this world… and that’s why we are able to rise up for hope. ROSE: ! SOREY: Many feelings even beyond that I had never known before were shining through! That being case, we— MIKLEO: (Humans accept [receive] something, and with that, they change their way of being.)
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SOREY: We’re not afraid to go down this road!! MIKLEO: (With time, you grow taller. With your calling, you don the mantle. If you, with all that, are willing to accept the pain that tries to dye you…) MIKLEO: (Then I, the seraph that resides within you, as the thought that you are who you are, will draw the bow together with you.)
(Another neat detail is how on the first page above, the paneling positions Mikleo on the left and Rose on the right.)
So Mikleo was born as Michael’s hope and despair, but decides he will act as the thought that Sorey is who Sorey is. The left to his right. The spiritual to his physical. The seraph to his human.
Choice indicates agency here. I will always remind people that Zenrus has never raised both Sorey and Mikleo to be the Shepherd and his Sub Lord, even though Muse did suggest that idea to him when he took them in. No, they came to accept these roles themselves. The one thing they learned from Zenrus was the dream of coexistence between humans and seraphim, basically the core idea of Zestiria itself.
And their bond is conceived to symbolize the possibilities of that coexistence.
(Speaking of Muse, I want to bring up that there are only two story-related weapons in the game (as in, weapons used/obtained through story and not by loot): the first is Lailah’s Sacred Blade, used by Sorey when fighting the hellions during the Sacred Blade Festival, and the second one is Muse’s Staff, used by Mikleo. I feel these weapons nicely represent Sorey’s connection to the seraphim and Mikleo’s connection to humans outside of each other.)
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If such seraph and human—heart and body could exist together, if the physical body could not lose sight of its own heart, could listen carefully to its voice, and could feel its presence, then humans should be able to live the way they want to live, without being tainted. Sorey, who has lived with the seraphim, is that proof.
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I won’t let you carry this by yourself.
They share their passion together, they share their inherited will together; for that, they share the burden needed to get there. Personally, despite what I might seem like, I’m actually detached when it comes to liking characters... I don’t really care about the characters individually themselves, and this might make me seem like I don’t care about them personally, but it’s more like that to me, characters cannot be divorced from the narrative and context they’re supposed to work under. Sorey and Mikleo are obviously intended to be the symbols representing what humans and seraphim (the right and the left, the physical and the spiritual, the body and the heart) can do for one another, and legends are full of those symbols. Their unspoken, unseen bond, often described as something like tacit understanding/heart-to-heart communion (以心伝心) also contributes to that feel of seeing something transcendental you often find in legends and folktales, because even words are not necessary anymore, it’s shown in every step they take for themselves and for each other.
Yet at the same time they’re also depicted just as boys. They can get to be happy over the smallest things, they get into heated arguments, they tease each other, they get worried about each other, they don’t want to lose to each other... they are so normal, despite what I’ve said about them before. They’re both symbols and realized characters that I can relate to on a more personal level, and there is multiple facets to both their characters and relationship. I think that’s the best way to show what living in harmony with the world, with the history, with everything that has been there all along without us immediately realizing it, means. They really are there to embody the themes and messages of Zestiria together.
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MIKLEO: Both iris gems and ruins are just fragments of the past. What’s important is what you get out of them. MIKLEO: “Because history is the architect of our hearts.” SOREY: Whoa, Mikleo! That was a sweet quote! MIKLEO: You think so? I’m planning to put it in the book I write one day. EDNA: Well, aren’t you full of surprises. MIKLEO: I mean, don’t you think it'd be a waste not to pass on our tale to future generations?
Yes, the details and nitty-gritty are important, but above everything, it’s the bigger picture. What you get out of them. And what I get from them is that hope is not created but inherited. Their journey, their tale not only carries on the hope from the previous generations, but to the next generations as well.
This tale begins with them and ends with them. It is their tale after all.
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gupaooooon · 1 year
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ジェイクのステレオタイプ描写などについて
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・ジェイクのステレオタイプ描写についてを主に。ジェイクというキャラクターについて、自分なりに考えていることを。以下、だらだらと。かなりとっ散らかった書き方になってしまいましたが、残します。
・MCUムーンナイト。ジェイクが現状は……DIDのステレオタイプ描写に収まっている部分があること、その批判と懸念について。製作陣から、批判についての言及、問題意識の共有などがインタビューで為されていることが。大事なことだし、安心する。
ということを前提に、現状はステレオタイプに寄ってる/収まってしまっていることへの批判点注意点というか。自分なりの不安や考えなどを書きたい。
・↑このインタビュー記事の最後に、記事を書いたライター側によるジェイクの感想/予想があるのだけど。
ジェイクがもし、仮に「兄のような役割」なキャラクターだとしても……それはステレオタイプ描写の解消や帳消しにはならないよな、と思っている。
繰り返し出てくる「マーク達が困惑し恐れるほどの苛烈な殺人描写」、「病棟でハロウを捕まえるために罪人ではなさそうなスタッフが殺害されてる描写」……などが「暴力的/他害を厭わない」「ことフィクションで“サイコパス”(この用語の使われ方自体に問題あり)と名指されがちなキャラ造形」という偏見、ステレオタイプ描写に掛かっているのが問題の肝であって、
そこに「交代者を守るため」という理由が付け加えられたとしても、↑の解消にはならないというか。
あの問題点が非常に多い「スプリット 」だって、“守ること”が動機のひとつだったし……からの「Mr.ガラス」だった訳で。
ジェイクの描写の肝は「彼が何故その苛烈な役割を引き受けているのか」と同時に、「制裁の拳という役割、そこにある抑圧や支配」の構造……のようなものが描かれないと……ステレオタイプの脱却には遠いんじゃないかな……と。
・病棟で殺されていたスタッフは、実は酷い罪人だったという事実などが後から明かされる可能性もあるけれど、
例え相手が“罪人”だろうが、人を殺し続けることは、その役割は、辛いことであり。自分が殺した人間を「忘れられない」マーク・スペクターの姿が描かれたことが重要だし、MCUムーンナイトの好きなところなので。
コンスによる、“罪人の裁定”と“死で贖う”という手段について。そもそもの、その定まりについて。
アメミットの“剪定”の暴力性の次は……コンスの定める“制裁の拳”という在り方についてを問う,コンスという“父/支配者”の姿を問う話を……見たいんですよねほんと……続編………
・ジェイク、作中で散りばめられた要素が複雑で。
シーズン1では明かされなかった物語の多くの空白部分や時系列に。アーサー・ハロウの生死についても製作陣によって捉え方が異なっていたり。
ジェイクはほんと、まだまだ謎だらけで、それ故にステレオタイプ描写が印象深くなりがちだけれど。
以前↓の関連記事にも書いた、ジェイクと「子供の死の描写(子供を死に追いやるような描写は、ハロウやコンスとは異なり、ジェイクにはない)」 や「マークの自傷描写との繋がり」は、大事なんじゃないかなと。考えている。
・マークの自傷(を思わせる)描写とジェイクとの繋がりについては特に。「迫害者人格」を意識した、丁寧なキャラ造形が考えられていたりしないかな、とも思っている。
虐待者/加害者から身を守るための、予測と学習、模倣から。虐待者との同一化が起きること。身を守るための学習が、自らへの攻撃/自虐/自傷に転じていくことがあること。
保護者であり攻撃者でもある、そういった複雑な側面を持つ交代者がいたりすること。“迫害者人格”と呼ばれたりすること。
ジェイクにとって、マーク達は保護すべき存在であると同時に。彼にとっての、憤りや苛立ちや悲しみの対象/要因にもなりえたりしないか……と、いろいろ考えてしまう。
・コンスが封印されてからは……ほとんどジェイクが現れずにいたことも、いつか何かしら明かされるのか否か、気になる
(コンスが封印されていた状況では出てこない?ただ間が悪かった?コンスとの依存や信頼?それとも、ハロウが言うような解放の静寂/自由なるものを真に実感していたのはもしかしてジェイク?)
(Twitterに2022年7月に書いた感想の一部。抜粋/少し書き足したり整えたりしてまとめたもの。後から更に書き足したり他記事と繋げたりするかもです
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ryotarox · 4 months
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プレシジョニズム - Wikipedia
プレシジョニズム(英: Precisionism、精密派)とは、1920年代から1930年代にかけて、アメリカに存在した絵画の様式の名称。キュビスム[1]的リアリズム(Cubo-Realism、クボ・リアリズムまたはキューボ・リアリズム)やイマキュラティズム(Immaculatism、清浄派または純潔派)と呼ばれることもある。
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Aucassin and Nicolette, 1921 チャールズ・デムス
精密派の画家には、アメリカ人のアイデンティティを受け入れる者、ヨーロッパからの影響を否定する者などがいた[2]。その作品の特徴は、人工的な風景(主として都市の風景や建築物(工場、倉庫、摩天楼など)、機械)を、キュビスムの影響を受けてやや抽象化しつつも(または、抽象化に適するような題材を選択して)、写実的な筆致で描写するもので、のちの、いわゆる「スーパーリアリズム」の作品へとも接続する。特に、チャールズ・シーラーは、写真作品も制作しており、自分の撮影した写真を手本に、絵画作品を制作することもしばしばあった。このことからもわかるように、プレシジョニズムは、グループf/64の一部に見られるようなタイプのストレートフォトグラフィ(自然風景を撮影したものではなく、人工的な風景を撮影した作品)との近接性を持っている
チャールズ・シーラー(Charles Sheeler; 1883年-1965年)
ジョージ・オールト(George Ault; 1891年-1948年)
ナイルズ・スペンサー(Niles Spencer; 1893年-1952年)
ジョージア・オキーフ(Georgia O'Keeffe; 1887年-1986年)
モートン・シャンバーグ(Morton Livingston Schamberg; 1881年-1918年)
ジョセフ・ステラ(Joseph Stella = Giuseppe Michele Stella; 1877年-1946年 or 1880年-1946年)
チャールズ・デムス(チャールズ・デムース、Charles Demuth; 1883年-1935年)
ラルストン・クローフォード(Ralston Crawford; 1906年-1978年)
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「ニューヨークの風景」チャールズ・シーラー
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ブルックリン橋 ジョセフ・ステラ
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Garage No. 1 スチュアート・デイヴィス
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Untitledジョージア・オキーフ
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Highland Light ジョージ・オールト
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工場地帯の風景プレストン・ディキンソン
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Rue du singe qui pêche  チャールズ・デムス
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Red Chimneys Charles Demuth Works on Paper 1918
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ファイニンガーにちょっと似てる
Precisionism Movement Overview | TheArtStory
(DeepL訳)チャールズ・デムスは、それ以前のキャリアでは、静物画の水彩画家、本の挿絵画家、劇作家、前衛的な雑誌に短い散文を書く作家として優れていたが、「セザンヌ風」の絵画の段階から抜け出して、未来派やドイツ系アメリカ人の表現主義者、リオネル・フェイニンガー Lyonel Feininger から借用した精密主義的な手法で、より緊密に構成された教会や工場などの都市風景を創作するようになった。デムートは穀物倉庫、給水塔、工場の煙突に魅了されたが、工業化を全面的に肯定も否定もしなかった。また、ビルや高速道路沿いの広告看板にも関心を寄せていた。「アメリカは芸術に関心がない」と彼はスティーグリッツに手紙を書いている。「それでも、もし人が本当に芸術家であり、同時にアメリカ人であるならば、たとえそれが人を狂わせるものであったとしても、この無関心であることが芸術の素材となりうる」。
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patsatshit · 7 months
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世の中は空前のサウナブームらしい。各種情報メディアを駆使して街の銭湯にたどり着いた全国の猛者たちが昼夜問わず約50 - 120 ℃の高温室内で肌を触れ合わせる姿を想像してゾッとしない訳がない。合言葉は「整いました」とのことで、僕はこれを珍奇サウナ偏愛者による「型に嵌ったフロー」と誤読して勝手に溜飲を下げている。チンコだけに、風呂だけに。これはなにもサウナ好きを揶揄しているのではない。むしろ彼らは街の銭湯の隆盛に大いに貢献している。そんなサウナブームを皮切りにして、いまでは銭湯での音楽ライブやDJイベント、更にレコードや書籍を販売する催事までもが行われて、みな一様にそれなりの賑わいをみせているようだ。この数年で銭湯を舞台にしたMVや楽曲がどれだけ製作されたことだろう。これについても、関わった人たちは広義の意味でのリノベーションに一役買っている。公共性の再編とでも形容しておこうか。因みにカセットテープレーベル”Ital.”を主催するケイタくんはサウナ好きではなく、古参にして無類の(ただの)風呂好きである。とある書籍の記述により誤解を招いている可能性があったので、一応。かくいう僕も幼少期に住んでいた家の並びに銭湯があったので週の半分くらいは利用していた。お尻に石鹸を塗りたくって誰が一番速く床を滑ることができるかを競い合う「尻軽レース」に挑戦したり、友人とタッグを組んで肩車をする、もしくは自力で壁をよじ登って女湯を覗くなどの愚行三昧で、いずれも店主にこっぴどく叱られた。16-18歳の頃にはいまも豊津駅の近くにある福助温泉で深夜の清掃アルバイトもさせてもらっていた。誰もいない時間帯の業務目的とは言え、禁断の女湯に足を踏み入れるのは、性欲みなぎる多感な時期の男子として、当たり前にドギマギした記憶がある。ロッカーの片隅に置き去りにされた下着を見つけたときは興奮を抑えきれなかった。いま思い返せば老婆が使用している類の肌色のそれであったが、当時の自分としては貧相な妄想に薪をくべるものであれば、なんでも良かったのだ。バイト終わりにはトイレにこもって自身の陰茎を握り締めた。そんな日の翌朝は決まって寝坊してしまい、定刻の登校に間に合わなかった。そういう小さな欲望の積み重ねが、人を大人にするのだ。僕はいまでも家族で福助温泉に通っている。番台では当時と変わらぬ寡黙な女将さんが節目がちに帳面を捲っている。いまも昔もこの人に向かって性器をさらしているかと思うと、未熟な僕は今更ながらに不思議な感慨に浸ってしまう。女将さん、俺はちゃんとやれただろうか?やるべきこと、果たすべきことを全うできましたか?女将さんは大人になった僕を認識している筈だが、なにも言わない。もともと極端に口数の少ない方だったので、僕の方からも敢えて話題を持ち出すこともない。30年前、父親と一緒に股間を露わにしていた僕がいつしか父親になり、今度は自分の息子たちと共に股間を露わにしている。女将さんはすべてを見て、知っている。心底かなわないと思う。数十年間ずっと変わらぬ姿勢でペンを握る女将さんの手許にある帳面、あそこに世界の秘密、いや、もっと言えば「世紀の発見」がしたためられているのではないかと勘繰らせるほどの圧倒的な寡黙。安易に適温を求めてはならない。静寂の裏側で、湯は激しく沸いている。
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もう一件、自分が子どもの頃から足繁く通い、お世話になっていた近所の銭湯、新泉温泉があったのだが、昨年惜しくも閉館してしまった。電気風呂の横に鯉が泳ぐ大きな水槽があって、息子たちも一番のお気に入りだったので、残念で仕方がない。隆盛と没落。この世の均衡が保たれたことなど、かつて一度もなかった筈だ。そもそもフロー(風呂)強者が言うほど簡単に物事が整う訳がない。新泉温泉の最終営業日、もちろん親子で最後の湯に浸かりに行った。しかしそんな日に限って長男がロッカーの鍵を紛失してしまい、浴室や脱衣場を血眼になって探し回るも見つからない。僕ら家族の異変に気がついた店主やその場にいたお客さんも誰が言い出すともなく、一緒になって鍵を探してくれた。床を這いずって探しているうちに銭湯の老朽を伴う歴史が手のひらを通じて伝わってくる。今日限りでもうこの場所には通うことができないことがわかっているので、自ずと込み上げてくるものがあった。鍵は古びた体重計の裏側から発見された。その瞬間、店主以外の全員が全裸のまま快哉を叫びハイタッチした。長男もほっと胸を撫で下ろしていた。これこそが裸の付き合いというものだ。帰り際、息子たちは自分たちで描いた新泉温泉の絵と手紙を店主に手渡した。僕は「実は子どもの頃から通っていたんです」と伝えると店主は「わかってたよ、自転車屋さんのとこの」と言ってくれた。適温を求めてはならない。いつだって現実は血反吐が出るほど残酷だ。それでも僕たちは新泉温泉の湯を忘れない。店主はその日の入浴料を受け取らなかった。
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このように僕個人にとっても銭湯には様々な思い入れがあり、いまでも大好きな場所に変わりはないが、それは昨今のサウナブームとはまったく関係がないし、死んでも「整いました」とか言いたくない。そもそもが自分の性器を他者にさらすことも、他者によってさらされた性器を目の当たりにすることも得意ではない。むしろはっきりと苦手だ。世の男性の数だけ多種多様な性器が存在する。サイズ、形状、カラーバリエーション、味、ニオイ等々、どれをとってもふたつとして同じものがない。股の間にぶら下がっているという設置条件がこれまた滑稽で、あのルックスのあの人にあんな性器が、とか、あのガタイのあの人にあんな性器が……みたいな、得たくもない新規情報が視覚を通して脳内に流し込まれるので、煩わしいことこの上ない。挨拶を交わす程度だった近隣の人々とばったり銭湯で遭遇してしまったら、その日を境にして、顔を合わせるたびに性器が脳裏にチラついてしまう。実際に息子の同級生の父親数名と銭湯でチンコの鉢合わせしてしまったのだが、以降、なかなかパパたちのチンコの造形を払拭できなくなる。これはまさに不慮の追突事故、ごっチンコというやつだ。会社員時代、憧れの上司と出張先で入浴を共にする機会があったのだが、どちらかと言えば華奢に分類されるであろう上司の股間には目を覆いたくなるくらいに巨大なふたつのフグリがblah blah blah、いや垂れ下がっていたのだ。洗髪の際にバスチェアに腰掛けておられたが、信じられないことに巨大すぎるフグリはべちゃりと床に接地していた。以来、上司がどれほどの正論を振りかざそうが、客先でのプレゼン時に切れ味鋭くポインターを振り回そうが、どうしたってスラックスの内側で窒息しかけているであろう巨大なフグリを想起してしまう。程なく僕は退職した。とにかく性器というのにはそこにあるが故に素通りすることが難しく、極めて厄介なシロモノである。それが「ない」ことで逆に「有して」しまう諸問題と真摯に向き合ったOBATA LEOの最新作『目下茫洋』は、数多あるフェミニズム関連のテキストとは一線を画する。あまりにグロテスクでおぞましい、だからこそ美しいなどという常套句を粉砕する「弱さ」に貫かれた思考の遍歴。貫く我々♂ではなく、貫かれる♀の身体から滴る分泌液で書かれた紋様のようで、誌面に一定の形状で留められている訳ではない。読む者の素養に左右されるようにして、その形状は刻一刻と微細に変化するだろう。こちらは無数に排泄するが、あちらはたったひとつで対峙している。なにも戦地は彼の地だけではない。戦場は僕やあなたのすぐそばで、いまもネバっこく股を開けている。
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臍の下に埋め込まれた爆弾を抉りとるための努力を続けながら、同時にあるのかわからない最終地点に向けて爆弾を運ぶ。本当は抉り取ることはできないとわかっていても、背骨を曲げて運び続けることが、すなわち生きることになっている。『目下茫洋』
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oka-akina · 8 months
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棕櫚の姫
 そのコンクリートの塀を城壁と呼んでいた。広い広い敷地を囲って、高さもあり、壁の上には有刺鉄線が張り巡らされいかめしい。書道教室の行き帰りにいつも通る道で、城壁の作る影は湿っていた。苔が生え、蟻や蜘蛛が這っていた。蟻を目で追い、歩いていると、足元がぼこんぼこん鳴った。壁とはちがう色のコンクリートで蓋がされており暗渠だった。かつて川だったところにかけられた蓋で、ところどころ揺れる。城壁だなんて巨大に感じていたのはわたしが小さかったためだろう。
 城壁の内側は二階建ての細長い建物で、庭が広いのでぽつんとして見える。クリーム色の壁がくすんでいた。そんなに豪華な建物ではないのでかえって城だった。余計な華美は避け、質素に屹立している。ほんとうの城はこうでなくっちゃと納得し、庭の芝生がかなり禿げていてそういう滅びの気配も城だと思った。どうやらどこか大学か会社の寮であるらしく、何々寮という文字が見えた。といっても、城門はめだたないつくりで奥まったところにありそっちへ行くのはこわかった。どんな寮だか、どんな人が住んでいるのか、ちゃんと見たことはなかった。
 わたしが見ていたのは壁と棕梠シュロだった。お城の庭には一本だけ、背の高い棕梠の木があった。灰色の壁の向こうですっくと伸びている。壁よりも建物よりも高く、ぼさぼさの幹が風にしなっている。棕梠という名を知ったのはもっとあとで、わたしはあれはヤシの木だと思っていた。あの揺れ方は南国だなあと、南国のことを知らないのに感心していた。雪の降りそうな寒い低い雲の日でも、冷たい風に手の甲が痒くても、壁の向こうのヤシの木だけ南の島で、お城の中だから当然だと思った。壁の外から見上げる葉はいつも影になり、動物の毛みたいにぎゅっと密集して見えた。
 この木の下にどんな人が住んでいるのだろう。なんとなく、人魚姫の姉たちを想像した。絵本の話、もっとわたしが小さかったころの話。母が、人魚姫の姉たちが泳ぎ回るページを開いて、「この中だったら誰が好き?」とわたしに選ばせた。深い意味はなかったと思うが——人魚の姉たちは色とりどりで、きっとわたしに色の名前を言わせたかった——、わたしは青い髪のお姉さんを指した。彼女の髪の毛はそんなに長くないがAラインにふわふわ広がっていて、ひたいに垂らしたアクセサリーが大人っぽく、いちばん素敵だと思った。そうして青い髪の人魚はその一ページだけの登場で、人魚姫に短刀を渡すシーンにはいなかった。それもよかった。きっと海の底で静かに悲しんだ。悲しみはするが彼女にはその後の人生があり、死なない。青い髪の姉についてわたしは幾度も想像した。棕梠のお城にいる誰かを想像すると、彼女になった。
 やがて暗渠の町からは引越して、わたしは川に挟まれた町に住むことになった。両親が離婚し、母と二人の家になり、近くに祖母と伯母が住んでいてちょくちょく行き来した。蓋のない、どころか、おおきなおおきな川で河川敷もだだっ広い。二つの川はカーブし、町はレモンの形をしている。アーケードの商店街があり暗渠の町よりだいぶ騒がしい町だったが、学校は小さかった。わたしの学年はそれまで三十九人で、わたしが引っ越してきたことにより四十人になり、あなたのおかげで一クラスだったのが二クラスになったのだと春休み明けの転校初日に先生に言われ、自分が福音なのか災厄なのかわからなかった。
 新学期早々ずっと休んでいる子がいて、盲腸で入院しているとのことだった。クラスみんなでお見舞いの手紙を書きましょうと先生が言った。色画用紙が配られ、一人一通、工夫してメッセージカードを作るよう言われ、まだ一度も会ったことがないのにわたしも書くんですかと先生に尋ねたら、「みんなクラスの仲間でしょう」とたしなめられた。でも知らないんだよな、となりのクラスの子たちは書かないのかな、わたしが来なければひとつのクラスだったのにな……と思った。
 どうせ知らない人に書くのなら棕梠のお城にいるはずの彼女、青い髪の人魚に宛てて書きたかった。棕梠のお城の人魚たちには足があり、城壁の外では完璧に人間のふりができる。王子に恋をせず生き続け、芝生の上を駆けたり寝そべったり、真夜中、お城の中でだけ人魚に戻る。庭に水をまいて海にするかもしれない。そうか、だから芝が禿げていた。棕梠の葉ずれの音を聞きながら足の使い方を練習し、人魚の下半身がいらなくなったらお城——寮から出て行く。でも彼女たちは人間のふりも人魚でいることも好きだから、のらりくらりお城に住みつづけ、出て行かない。棕梠はどんどん伸びてゆき、葉の重さで腰が曲がる。青い髪の彼女はぼさぼさの幹をやさしく撫でてくれる。それなら手紙を書けるのだ。書けるか? わたしはなにを書くだろう?
 たとえばいつも棕梠を見上げていたこと。黒い葉。風。書道教室は畳の部屋で薄暗かったこと。流しの水がいつも細く、冷たくて、お湯は出ず、わたしは手についた墨汁をきれいに落とせなかった。黒く染まった指先をきつく握って、すれちがう人たちから隠した。なぜ隠さなければと思ったのか、わたしがあらゆる視線をおそれていたためだが、そそりたつ棕梠にはぜんぶばれている気がした。人魚を見守る南の島の木は、わたしのことだって知っていたはずだ。墨汁はいつも風呂で落とした。浴槽で足を伸ばし、そのころにはもう一人で風呂に入るようになっていた。墨の溶けた湯だからほんとうは透明ではない、目に見えない黒色の混じった湯なのだと思った。そういうことを書く。書いた。学校から帰ってきて便箋につづり、糊をなめて封をした。でもこれでは、わたしが思っていることを書いただけで、受け取る相手、青い髪の彼女に向けてなにか発信しているわけではないなとも思った。
 盲腸のクラスメイトには、画用紙を切ったり貼ったりして「飛び出すカード」を作り、おだいじにとか当たり障りのないことを書いた。
 レモンの町では書道教室に通わなかった。伯母はフラダンス教室の先生をやっており、招かれたので何度か見学したが、自分にはできる気がしなかったので(踊るのは恥ずかしい)、見学しただけだった。伯母はフラをやるからこまかいウェーブの髪がすごく長くて、想像の人魚よりも長かった。教室はおばあさんが多く、ハイビスカスの造花がたくさん飾ってあり、でもヤシの木はなかった。
 盲腸のクラスメイトとは友だちになれた。退院してすぐ話しかけられ、飛び出すカードすごくかわいかった、どんな子が転校してきたのだろうと楽しみだったと言われ、わたしはちょっと申し訳なく思った。
 だからというわけではないがかなり仲良くなった。すみれちゃんという名前で、しばしば自分の名前をSMILEと書いた。たとえば授業中に回ってくる手紙、ノートの切れ端にぎっしり書かれたいろいろの最後にSMILEとあり、それは署名だけども、受け取ったわたしには「笑って!」というメッセージにも見え、わたしはすみれちゃんの手紙がけっこう好きだった。
 きのうみた夢とか、好きな音楽とか、誰々が雑誌のインタビューでこう言っていた、ラジオでこんな話をしていた、いますごく眠い、親とケンカしてすげえムカついてる、そういう日記みたいな手紙で、いや日記でもないようないろいろで、思っていることを書くだけでもちゃんと手紙になることを知った。わたしが手紙を読むときすみれちゃんはもう眠くないし、すげえムカついた気持ちもいくらかおさまっている。その時差こそが手紙の肝だと思った。
 手紙ではたまにシリアスな悩みも吐露され、そういうときはSMILEの下に「読んだら燃やして」と強い筆跡で書かれていた。わたしはすみれちゃんの手紙を一度も燃やしたことはなかった。うちにはマッチもライターもなく燃やし方がわからなかったためで、ガスコンロで火をつけるのもこわかった。父親がいたらライターがあったろうか。ないな。たばこは吸わなかった。うちに小さな火がないのは父とは関係ない。父にはときどき会った。父も暗渠の町から引っ越したので暗渠の町に行くことはなくなった。
 中学に入り、すみれちゃんの家が建て替えすることになった。古い家をぜんぶ取り壊すからラクガキしていいよということになり、友だち何人かで誘われた。すでに家具はぜんぶ運び出されからっぽになった家の壁や床だ。油性マジックとか書道の墨汁とかカラースプレーとか、みんなでいろいろ持ってきて、こんなことは初めてだったから最初わたしたちはおそるおそるペンを握ったが、だんだんマンガの絵を描いたり好きな歌詞を書いたり、家じゅう思い思いにラクガキした。腕をぜんぶ伸ばし、肩がもげるくらい大きなマルを描いてみた。マルの中に顔も描いた。すみれちゃんの妹が壁いっぱいの巨大な相合傘を描いた。片側に自分の名前、もう片側はいろんな人の名前で、芸能人もマンガのキャラクターもあったがやがて尽きたのか、後半は「優しい人」「うそをつかない人」「趣味が合う人」と理想を並べていた。すみれちゃんは最後、床に大きく「ありがとう」「SMILE」と書き、このラクガキは家への手紙だったのかと思った。
 あとになってGoogleマップで暗渠の町を見たら棕梠のお城はなくなっていた。見つけられなかっただけかもしれないが、区画整理にひっかかったのか、暗渠の道もないように見えた。お城を取り壊すさい誰か壁にラクガキしたろうか。しなかったろう。だからすみれちゃんの家はとても幸運だったろう。そうして道の形が変わっても、地面の下にかつて川だった跡は残っているとも思った。
 あのとき人魚に宛てて書いた手紙が、このあいだ本棚のすきまから出てきて、なにを書いたかだいたいおぼえていた。恥ずかしいなと思いつつ封を開けたら、しかし便箋は白紙だった。文字はどこかに消えてしまったのか、書いたというのはわたしの思い込みだったのか、ぜったい後者なんだけど、後者なんだけど……と思う。すみれちゃんはマスカラを塗るとき、ビューラーをライターの火であたためる。小さな火を持っている。
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ペーパーウェルというネットプリントの企画に参加します。
セブンイレブン【24438044】 10/8 23:59まで
ファミマ・ローソン【DA5W82BGB9】 10/9 16時ごろまで
これは4年くらい前に書いたやつ。読んだことある人もいるかもしれない(覚えていてくださる方がいたらうれしい)。
今回のペーパーウェルのテーマが「時間」だったので、時間のことを考えながら書いた小説にしました。いやどこらへんが?って感じなんだけど、自分の中では…。過去のことを語るときの距離感、時間の長さとか流れを探りたかったというか。
つい最近読んだ川上弘美のインタビュー記事ですが、「年をとって記憶がいっぱい自分の中に貯まっているせいか、ある時期から、一瞬にフォーカスして書くよりも時間の流れを書くことが多くなってきた」とあって、なるほどなあと思いました。そして「でもコロナのもとで生活しながら小説を書いていると、なぜだか自然に、今この瞬間にフォーカスした書き方に回帰していくことになりました」と続き、とても興味深かった。
『群像』のweb記事で、「物語るために遠ざかり、小説全体であらわしていく」という題の鴻巣友希子との対談です。
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pataphysiquerecords · 3 months
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Delphine DORA 2 DAYS IN TOKYO 2024
MAY 10, 2024 (FRI) Okubo Hikarinouma open 19:00 start19:30  door 2500yen+drink Albedo Gravitas Delphine Dora solo Delphine Dora, 秋山徹次, TOMO
MAY 11, 2024 (SAT) ASAGAYA YELLOW VISION open 19:00 start19:30  door 2500yen+drink Delphine Dora solo Delphine Dora, 福岡林嗣 浦邊雅祥、福岡林嗣、南部輝久
Delphine DORA voice, keyboard instruments, etc(FR) デルフィーヌ・ドラは、フランスの作曲、即興演奏を共に行うミュージシャンであり、主にピアノ、パイプオルガン他、アコースティック、エレクトロニクスの区別なくキーボードを使用し、近年はフィールドレコーディングも作曲に取り入れている。声もまた彼女の音楽を構成するのに欠かせない要素で、神秘的かつ古代的元型と触れ合うが如くフラジャイルでイマジナリーな言語の詩を「歌」として描く。その音楽性は、異なったフォーク、ミニマル、即興音楽と通底し、英語、フランス語、ドイツ語を駆使し、その言語的元型を交錯させる。15年以上に渡り、フランス他各国のレーベルにてソロ、コラボレーションを問わず30以上の作品にレコーディング参加し、彼女自身の”ワイルド・サイレンス”レーベルの創設者でもある。
Delphine Dora Delphine Dora is a French musician, composer and improviser. Working mainly with keyboard instruments (piano, pipe organ, electronic keyboard…), her music has been enriched in recent years by the addition of field recordings to her compositions. The voice is also one of her favourite instruments, at times drawing on the language of poets, at other times on an imaginary language, a language freed of all signifiers, a voice that is fragile and embodied, archaic, mystical and free, but also plural and mutant voices that are embodied in her. On stage, she uses instruments such as the piano, organ or keyboards, and her voice, loops, various effects and mysterious sounds. Her performances are usually improvised, using voice and acoustic or electronic instrumentation, depending on the context and the place. Her iconoclastic music can be read as a work of personal cartography, based on an intuitive approach to composition and nourished by numerous approaches. For more than 15 years, she has been developing an intimate and plural musical universe, in perpetual metamorphosis, situated at the crossroads of different musical genres (folk music, minimalist music, improvised music, electroacoustic music, etc.) and languages (english, french, german, imaginary languages, etc.). A prolific musician, she has taken part in more than thirty recordings (solo and collaborations) in a variety of aesthetics on numerous french and foreign labels (Recital, three:four, Feeding Tube Records, Okraïna, By The bluest of the seas, Morc, fort evil fruit…). She is also the founder of the Wild Silence label.
Albedo Gravitas ヒグチケイコとSachikoで結成された即興ユニット「Albedo Fantastica」に内田静男(4strings)が加わったトリオ。Albedo Fantasticaのボーカルを基軸に展開するサウンドダイナミクスに、内田の変幻自在な低音の振動が加わり未明のサイケデリアが表出する。都内を中心に活動中。23年セカンドアルバム「luminescence」をリリース。
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Tetuzi AKIYAMA 秋山徹次 guitar ギターという楽器の持つ特質に、自身の欲求をミニマルかつストレートな形で加えていくことによる、原始的で即物的な意味合いを含んだ演奏を得意とする。ミクロからマクロに至る音量を、繊細に、ときには大胆にコントロールし、身体の電子化を試みる。
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TOMO hurdy gurdy / vielle à roue ハーディーガーディー奏者。東京都出身。14歳の時にギターを始める。 17歳で単身渡米。8年間米国で学生時代を過ごす。帰国後、ルーツ・ミュージック/トラッド/古楽のエッセンスと、共鳴や倍音を意識したドローン・ミュージックを軸に、ギターをはじめ民族楽器など様々な楽器で創作を行う。創作活動の過程で、千年以上の歴史をもつメカニカルかつユニークな機構の古楽器「ハーディーガーディー」に出会い、関心を持つことになる。以後、ハーディーガーディーをメイン楽器として、その楽器の可能性と独自の奏法を探求しながら、作品の制作・演奏活動を行っている。
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Masayoshi URABE 浦邊雅祥 alto sax 65年東京生まれ。 85年アルトサックスを手にする。 ソロ演奏を主とし活動。
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Rinji FUKUOKA 福岡林嗣 vocal, guitar, violin, etc 陰謀家。長年もうどうでも良いと思いつつも、生に執着し続ける男。「音楽」なんざもどうでも良いと思いつつ、各種楽器を操り、生に付随する塵芥、つまりは詩情と呼ばれるものに執着し続けている。
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Teruhisa NANBU 南部輝久 drmus ドラム、パーカッション。 現在はAural fit、熊のジョン、バラナンブ、鵺、しんらこう で主に活動。 スピード、パワー、パーカッシブから歌もののバックまで、やりたいことをやっている。
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5月13日(月) 四谷三丁目CON TON TON VIVO デルフィーヌ・ドラ来日公演 “Dive Deep with Delphine Dora” 19:00 open / 19:30 start Charge 2500yen + 1 order
Delphine Dora (from France) Archeus(ヒグチケイコ、内田静男、TOMO) MOGRE MOGRU(��い瞳、剛田武、Tanao)
フランス出身、キーボード/ヴォイス/エレクトロニクスなどを駆使して、即興~アンビエント~ミニマル~フォークを横断する斬新な表現活動で注目されるデルフィーヌ・ドラ、ヴォイス+ベース+ハーディーガーディーの異色トリオarcheus(アルケウス)、同じくトリオ編成の即興アンビエントユニットMOGRE MOGRU(モグレモグル)による音楽表現の深淵に潜るスリーマン・ライヴ。 MOGRE MOGRUはデルフィーヌ・ドラのコラボレーションで出演。
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archeus: ヒグチケイコ(vocal) 内田静男(bass) TOMO (hurdy gurdy) ヒグチケイコ(vocals)、内田静男(bass)、TOMO(hurdy gurdy)によって結成されたグループ、archeus(アルケウス)。ボーカル/ボイス、ベース、ハーディーガーディーという異色なトリオ編成での演奏は、静寂と間(ま)を感じさせる繊細な音のゆらぎ、忘れられた名もなき言語の発声、不協和な音塊のインタープレイ、ミニマルな反復の魔術、ダークで濃密なドローンなど、様々な表情の化学反応を引き起こす。 2023年に仏An'archivesよりセカンドアルバム「九相図 Kusōzu : Nine Death Stages」をリリースしている。 bandcamp: https://archeus-store.bandcamp.com/
MOGRE MOGRU(モグレモグル) 黒い瞳 Aura Noir : voice, musical saw, recorder, toy instruments, PC, etc. 剛田武 Takeshi Goda : flute, violin, percussion, electronics, etc. Tanao : guitar 2021年7月結成。レトロなアコースティック楽器とディープなエレクトロニクス&ギターによるインプロ・アンビエントユニット。愛称:モグモグ。都内を中心に「DIVE DEEP!/深く潜れ!」を合言葉にライヴ活動を行っている。これまで沖縄電子少女彩、ポーランドのポストフォークデュオKeirszenbaum、園田游(舞踏家/元グンジョーガクレヨン)、内田静男(ベーシスト/Hasegawa-Shizuo、albedo gravitas etc.)、Orienatal Love(モジュラーシンセ奏者)などスタイルの異なるアーティストとのコラボレーションも多数あり。
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spaceradior · 1 month
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Happy birthday, J'onn J'onzz
他的生日(姑且这么称呼)其实是4月24日,当天我只在微博和AO3上发布了内容,现在我要把这篇生贺在这里再发一遍。就当成是存档吧,我不觉得有人会拿翻译器阅读……但以我的英文水平,很难把整篇文章恰如其分地翻译成英语。这是以闪点宇宙为背景的故事,接受的话请阅读↓↓↓
【荣恩中心】万用地球语
warning:闪点世界观,可能存在令人不适的描写,私设如山,ooc。
summary:1985年4月24日,火星与地球首次非正式建交。
chapter 1
火星上只有一种语言。人人都会心灵感应的种族不需要第二种语言——不可能产生第二种语言。隐喻,暗语,密码——在相互理解的瞬间,它们就变成了同一种语言。那是心的语言。这当然是令人自豪的天赋:在这广阔无垠而冷酷无情的宇宙之中,高等智慧种族说不上多,也称不上少,然而绝大多数都不具有心灵沟通的能力,非得用有声语言、肢体语言、信息素语言之类之类彼此交流不可。这在星际交往中带来了多大的弊端呀!多少误解,多少纷争,多少战乱,正由于语言的壁垒而爆发!然而这对于火星人而言,不过是与生俱来的感官的一部分。每个火星孩子出生的时候,最先“听”到的就是父母的爱与感动。不少人长大后还记得那种感觉,他们往往将其描述为“温暖的海洋”、“柔软的拥抱”,依个人的审美与喜好不同,还有可能是“黎明的玫瑰色”、“小心翼翼的太阳”、“毛茸茸的弧线”。火星并非没有罪恶与痛苦的理想世界,但相互理解让他们中大多数人更为友善、更善于理解与共情、更愿意相信他人。曾经,荣恩·荣兹也是这些火星人的一员。
他现在仍然是火星人。研究所里的每个人都会认同这个结论:这头身体瘦长、浑身无毛的绿皮怪物,当然绝非人类。
荣恩·荣兹是被买到这里来的,或者说,卖到这里来的。地球语言多奇妙啊!这两句话居然是同一个意思。
当时的情况是这样的:为了以防万一,荣恩·荣兹被关在一个形制复杂的铁笼里,这个笼子的构造分为最内侧的合金栅栏笼,中间的隔热层与喷火口,最外侧的储液层连接着高压氧气瓶。整个产品完全为确保内容物充分燃烧而设计,火星人就是那个内容物。印度人研究了他整整五年,发现的最大弱点仍然是最开始的那个——火。因此火成了最可靠的安全收容措施。
出发前,荣恩·荣兹对即将发生的一切一无所知。所有知情人员都被专门调走,因为他们缺乏抵抗心灵感应的专业素养,只有一些驯服而无知的研究员留下来。迈克尔·德萨尔若无其事地敲敲火星人的房门,通知他十点钟有一场实验,涉及部分生理指标的测量,需要麻醉进行,请他提前半小时到场。荣恩·荣兹早已习惯人体实验,只是应了一声,盯着电视机里的超级英雄剧集。
“那都是骗小孩的。”德萨尔说。他无法理解火星人对地球文化的偏好,这个时代最缺超级英雄——于是超英作品层出不穷。人们渴望被拯救——人,超人,神明般的存在,非比寻常之物。
“那也不错。”荣恩·荣兹若有所思,“我们也有传说与神话……但我们极少构建纯粹虚构的东西。你们的思维方式很有趣。”
“我想那是因为人类没有超能力——绝大多数吧,也不会读心术。想象力是弱者的庇护,一层隔绝了真实世界的壳,逃避真相的手段。他们躲在自己的蛋壳里,假装自己从未出生过,会有永恒的奇迹与英雄保护他们。”
他们紧接着闲聊了两句地球的虚拟作品,德萨尔推荐了几本小说后告辞离开,因为还有许多决策要等他下达。九点二十五的时候,荣恩·荣兹到了实验室,发现研究员换了几人,但他完全不在乎,这种人总是轮换个不停。他躺上病床,熟悉的不安涌上心头,丢失意识总是令人神经紧绷。麻醉医生是个性情温和的女人,她柔和的语调总让荣恩·荣兹想起自己的妻子。那好像是很久之前的事了。棕皮肤的女人请他放松,不要紧张,不然针头扎不进去——特质的合金针头在火星人绷紧的皮肤面前仍可能弯成铁钩——接着给他扣上手环式的麻醉泵。麻醉药安静地淌进血管,火星人盯着软管里白色的液体,相比人类,他对镇静药物的抗性强得多,因此失去意识的过程被拖得极为漫长:“你在这工作多久了?”
“八年了,先生。”女人平和地说。荣恩知道这是实话,他有时候就会这样干:把某人的思想扒拉开,一边提问一边倾听,并观察人类会在什么时候撒谎。观察结果总是十分有趣。他知道女人三十四岁,未婚,有一个生病的父亲,一个劳累的母亲,以及两个妹妹和一个弟弟。比起长姐,她更像他们的父母。她不喜欢男人,也不喜欢小孩,更不喜欢自己的家,但仍旧出于某种盲目的义务抚养弟妹、照料父母。得亏德萨尔确实出手大方,发的工资足够她安全无忧地养活一家人。但是话说回来,他从来不是什么大方的人,那双眼睛,总是精明、狡黠而市侩,毫不介意从别人身上割下两块肉称称斤两。
火星人的眼皮沉重地坠了坠,最后安然闭合。又过了一会儿,德萨尔走了进来,左右看了看:“他睡过去了吗?”
“指标一切正常,先生。”麻醉医生看了一眼仪器,微微躬身,“请问您……”
“很好。接下来就不是你们的工作了。”德萨尔摆摆手,“都出去吧。”研究员们面面相觑。但是他们都是非常本分、非常守规矩的人,所以他们一个字也没多问,顺从地离开了实验室。
德萨尔带着笑容碰了碰输液管:他的皮肤比里头的液体还苍白,整体泛着一种灰蓝色或是灰紫色,而且粗糙皴裂,没有体毛,导致他看起来像个怪物。不过,他的确是人类,至少他的DNA这样说。
“做个好梦,荣恩·荣兹。”他打开对讲机,朝另一头的人交代道,“麻醉起效,开始运输。”
麻醉药物是经过多次实验与调配的。火星人免疫绝大部分细菌、病毒、毒素,以及药品。阿片类药物对他既没有成瘾性,也没有任何镇痛效果。起初他们纯粹靠火来控制场面,让所有采样过程都像是发生在屠宰场,火星人尖叫着爆发出一连串黏连而震颤的音节,如同某种复杂管乐的声响,然而节奏相当急促,而且夹了十足的怒火,显然是在骂人。好在他们一个词也听不懂,包括再之后的那些:痛苦累积到一个地步后,那音调会软化下来,断断续续的连不起来,接近某种哀求。语言不通让火星人成为一头待解剖的动物,减少了许多研究人员的心理压力——他们虽然为德萨尔工作,但毕竟只是普通人——尽管他们私下里承认,火星人的惨叫着实叫人心里不好受。他们试了很多药物,最终研发了独创的复配麻醉药,配合足以麻死一头成年大象的药量,总算让火星人昏迷过去。
德萨尔是信奉万全准备的那种人。特种麻醉药的研发当然非他本意,也绝对不是为火星人减免些许痛苦,但这项研究最终允许他平安地把荣恩·荣兹送出去:经过六个半小时的空运以及一小时车程,荣恩·荣兹坐在了俄罗斯研究所的个人专属牢房里。他坐在一把完全不符合人体工程学的金属椅子上,呆呆地望着皮肤发红、满脸络腮胡的大块头白种人,一时没反应过来这是哪儿——他问:“迈克尔呢?”
俄国人嘴角抽动了一下。那是一个忍得很艰难的笑容。荣恩提高音量:“迈克尔·德萨尔在哪里?”
“这里是俄罗斯。”大胡子男人说。他的英语卷舌音很重,荣恩懵了一下——这时候他注意到环境的变化,异常的气温与湿度、奇怪的外国人均表明他身处异乡。他一下子理解了自己的处境,并且毫不迟疑地破口大骂。
遗憾的是,他要骂的人远在天边。俄罗斯人敲了敲玻璃,命令他安静一点。荣恩·荣兹的英语不算很好,印度语倒是上佳:他总是很有学习精神,而且很有语言天赋,能迅速依靠心灵感应建立词句与含义的链接。听力方面——整个研究所内只有所长德萨尔发音相对标准,大部分研究员都是本地人,说话仍然带着浓重的印度口音,他也习惯了这样发音;电视剧与电影又大多是美国人拍的。因此这句话他一样没能听懂。鉴于他骂的是火星语粗口,俄罗斯人也不知道他在说什么。两次警告无效,俄国人拉下了窗边的闸门——牢房的四面墙喷出火焰,火星人惨叫起来。这就是人类与火星人的第二次建交过程,场景非常不体面,也相当不友好,充满了误解与隔阂。
chapter 2
那么,让我们来谈谈第一次建交吧:那得倒回五年前,也就是1985年。那是一个闷热的夜晚,俄德博士正在进行最后的调试。他正在建造一部伟大的机器,并且坚信跨维度传输技术的成功将影响整个人类世界,怀抱着青史留名的期待与拓展科学边界的崇高精神,他热情洋溢地完成了自己的工作。德萨尔要求他带来“其他世界的东西”作为成功的证明,而俄德野心勃勃,想要带来“活物”。在完成自己疯狂科学家式的幻想之前,他其实完全没有细想过要是真的外星生物——甚至外星人降临地球后要怎么做,万一他们怀抱敌意,科技水平远超地球,或是携带致命细菌病毒怎么办?真正目睹那个场景之前,他胸腔中只有纯粹的兴奋与喜悦,以及对未来的美好幻想。这里不得不提一句,要是他再过几年才研发成功,可能会对这个选项警惕些:当时流行的科幻电影中出场的外星人虽说与人类外貌大相径庭,却总是友好善良,还会被充满内乱与纷争的人类吓个半死。总之,他信心满满地按下了按钮。
他们还未为原型机命名。甚至,跨维度传输技术这个词也没有得到学术界的广泛认可:早在1954年,一位量子物理学家就提出了平行宇宙理论,这个概念就和量子物理这个神秘莫测的词一样,成为了科幻作品的宠儿。但假若谁宣称自己见证过平行世界,那一定会被人当成疯子的呓语,叫人笑掉大牙。绝大多数人不知道的是,尽管因为连绵的战火,他们世界的民用科技比大多数平行宇宙的地球还低一些,但世界上从不缺乏高科技,只是它往往掌握在少数人手中:譬如德萨尔。他招揽了郁郁不得志的俄德,获得了他的忠诚与智慧——可能没那么忠诚,这不是每个人都有的素质——但俄德毕竟不是个逆反的人,德萨尔为他提供食宿、实验室、助手、研究材料,离了这白皮肤的印度人,他上哪儿去找这样的好地方?
机器忠实地运转起来。在正式工作之前,它首先要经过一连串准备程序,以正确地构建通往另一个世界的通道。俄德博士紧张地把手插进兜里,好把汗水抹在衣兜内衬。有十几名安全人员站在他身后,更有两人一左一右地护住他,十几双眼睛盯着嗡嗡作响的机器,但仅有俄德博士一人陷于极度的紧张与振奋之中。
在机器运转的同时——同时,这词不太准确,时间是相对流动的,特别是跨维度讨论的时候——某个遥远的火星上,正举行着一场葬礼。一个火星人将灰烬扬起,让它们随着狂风与红沙一同离去,同时念诵起死者的名字。他没有选择使用心灵去呼唤,因为他们正是因此而死;他选择了使用有声语言,因为再没有人能倾听心声,只有回音能令他略感宽慰。这位幸运而不幸的火星人正打算研究一下自己接下来该做什么——哭个半小时还是发呆,或是辱骂神灵和苍天一个小时,鉴于此刻所有事于他都失去了意义,因此他可以做任何事——的时候,他眼前一亮,又一暗。
这可是真咄咄怪事!火星人大吃一惊,本能地挣了一下:没用,他好像被塞进了某个极细的管子,压缩成一条长长的细线,并且迅速移动着。无形的管道压抑而狭窄,他呼吸困难,眼前发黑,恍惚间认为这是死亡。因此他放弃了挣扎,品味到某种解脱:赫隆米尔啊!爱之神,艺术之神,火之神——死亡之神!您终于垂怜于我,不独留我一人苟活于世!这个猜想当然是完全错误的。机器预加载了十分钟,正式运转了一秒钟后,火星人头昏眼花地出现在了传送区域内。
按设定的程序,舱门开启前要填充大量的麻醉气体,直到异星生物昏迷为止。若是它拒绝昏迷,那就得通入毒气,这是为了在场地球人的生命安全考虑。想法是好的,现实相当残酷:火星人只迷茫了一小会儿,在吸入一口高浓度混合麻醉气体后决定立刻离开,他反转自己的相位通过舱门,在机器外现形,有点恼火地跟面前的人打了个招呼——出于防止误会的好意,他的声音直接在俄德颅腔里���起:“这是哪儿?你是谁?我……”
俄德博士尖叫起来。他叫得无比惨烈,骇得火星人退了半步:我还什么都没做呢!
荣恩·荣兹是个火星人,这意味着三件事:一,他知道外星人的存在,不害怕未知生物;二,他善于变形,从不以貌取人;三,他有超能力,无惧与人交流沟通。而俄德博士是地球人。这意味着另外三件事:他叶公好龙式地憧憬外星人,真看到了却吓得连滚带爬;面容冷峻、绿色皮肤、脊背与手臂生着棘刺的细瘦人形不在普通地球人的审美光谱内;他是个年事已高、身躯脆弱的人类,遇上怪事的第一反应总是自保。结果是:俄德惊恐万分地从衣兜里掏出枪,本能地扣下扳机。他的手腕发颤,手指发软,子弹只打中了天花板,但这声枪响象征着一道命令:他的身后,负责保护他与处理外来物的专员抬起枪口。
“我没有恶意!”荣恩·荣兹立刻高呼,回应他的是连绵不绝的子弹。这东西虽然伤不到他,但打在身上还是有点疼的,故而他很快丧失了耐心,双目迸发红光,专员们被烧融的枪支烫得吱哇乱叫。而俄德博士像一个正统的疯狂科学家那样,只擅长制造烂摊子,不擅长收拾自己带来的超级生物。他瘫坐在地,好半天才凝聚起逃跑的力气,连滚带爬地缩到门口按下警报器,等待更多支援的到来。他们大大低估了外星生物的强度——也是因为没人对俄德博士的研究怀有信心——手忙脚乱地抛掷自己携带的武器。伟大的机器在第一发手榴弹后炸毁了小半边,俄德博士发出一声凄惨的哀叫。火星人被闪光弹逼退半步,但很快就恢复过来。催泪弹和毒气弹都不适合使用,火星人动得又快,靠得又近。他们差一点点就输了:要是这样,历史就会永久性地改变。但混乱之中,有个专员惊慌地四处射击,一枚子弹击穿了维度穿越机器的发动机,液体燃料的部分汩汩流出,被火花点燃。那绿皮怪物猛地缩到墙边,发出一声惊惧的怒吼。那声音贯穿在场所有人的心脏与耳膜,震得他们脑壳隆隆作响,俄德博士尖叫起来。
“火!”他惊呼道,“这东西怕火!”
这就是荣恩·荣兹躺在这里的原因:他有恐火症。火是人类最容易获得的武器之一。在生理意义上,他当然比人类强得多,只是仅此一点就叫他在人类面前全无抵抗之力。曾经,在极度的恐慌中他失去了自控能力,杀死了几名专员,然后被赶来的支援人员用薄膜控制住;现在,他连人带椅子翻倒在地,因为升腾的火焰而缩成一团。
大胡子男人说了什么。他听不懂,也听不见对方心里的声音:毫无疑问,心灵力场抑制器。德萨尔的技术。既然他卖了自己,当然也可以打包卖一些技术。
在之后的日子里,他学会了俄罗斯语。这没有使他的处境好上半分:德萨尔把他放出来可不是因为他学会了英语或者印度语,而是觉得有火星人的自主配合更方便某些研究。荣恩·荣兹不理解如果无法沟通,语言还有何意义?为什么他念出了正确的单词,组织了正确的语法,表达了正确的意思,却没有人听得懂——没有人愿意听——没有人在听他说话?为什么他尝试交流,却没有得到任何回音,只得到暴力与更多的暴力?
如果德萨尔在这里,就会回答他:是没有意义的。巴别塔的倒下,意味着人类从根本上无法相互理解,更何况去理解外星人呢?
荣恩·荣兹不再想学习语言。他扭过脸躲避火焰,竭力蜷缩起来,不受控制地尖叫与挣扎:至少他确定,学会一门新语言救不了他。
chapter 3
特斯-亚当意识到自己在被某人拖着走。面部的拘束被取掉了,但他嘴里还残留着冰冷的金属味,以及血腥味:他自己的血。为了张嘴念出咒语,他做过很多次尝试,磨得舌头与口腔鲜血淋漓。那只手一下子松开了:你醒了?那就自己走吧。
声音是直接在颅骨内侧响起来的。他一开始以为对方说的是英语,但细细揣摩,却不是他所了解的任何一门语言。事实上,他好像压根就没听出什么单词,只是本能地理解了对方的意思。他困难地站起来,捂住自己空落落的右臂,唤起咒语才获得些许安全感:“你是谁?”
那是一头……一只——一个人形生物。个子比他还高,但瘦得多,浑身赤裸,灰绿色皮肤上不见一根毛发,沾了许多赤红的血。它转过脸的时候,露出一对分不出瞳孔与虹膜的红眼睛。它的声音有些低沉,似乎是男性:“是我救了你,你该感激我,黑亚当。他们是这样叫你的吧?”
黑亚当的思绪有些混乱。他还记得可恨的印度人,冰冷的雪地,拿枪的士兵,穿着白大褂戴口罩的研究员,不记得这只绿色的生物是什么。但是他基本能确定对方说的是真的:那些俄罗斯人在惨叫。把他当成实验动物、超能力个体的研究员在惨叫,奔跑,然后变成一堆肉块,或者莫名地瘫软下来抱着脑袋尖叫。这座研究所已经变成了血腥的地狱,但他并不讨厌,反倒觉得畅快:他老早看这帮俄罗斯人不爽了。
“你也是他们的实验品吗?”
“我比你来得早多了。”绿色生物看了他一眼,“我来自火星。”
他简略介绍了一下自己的经历,许多地方寥寥带过,但黑亚当大致勾勒出故事的雏形:不幸的外星人流落地球,被人逮住做活体实验,为俄罗斯人的超能力研究贡献力量。他在这待得更久,受过更多折磨,他完全没详细描述人类对他做过什么,只是在虐杀人类时露出阵阵冷笑。火星人扯出一个人的心脏,又把它放进另一个的嘴里,将两个人拧成一股让骨头发出刺耳的声音。那只绿色的手可以穿过人的身体而不留下一滴血,也可以不撕开颅骨就捏爆人的脑子。五根手指虚虚插进人脑袋里的时候,会让人发出怪异的嗬嗬声,然后撕扯抓挠自己的脸和身体,把脑袋往墙上地上撞。死得最安详的是开枪自杀的那些,他们被同伴的死吓崩溃了。荣恩.·荣兹笑得极为狰狞,扭曲的面容浮现纯然的快意,那是掌控局面的得意与复仇的狂喜。“你瞧,亚当。”火星人笑着,扯下一个不住求饶的研究员的胳膊,“非得这样他们才明白事理,这是为什么啊?”
“求求你……”那人嚎了几声,又被打碎几颗牙,只能哀哀叫唤,说话也含糊不清,带得卷舌音更为严重,“求求你,我错了,我没对你做过什么!我只是个助手……我很抱歉,求你放过我,我……”
“我也很抱歉。”荣恩·荣兹用火星语说,声音几乎是温和而谦逊的,就如同他过去一般,“我听不懂。”
荣恩·荣兹扭断他的脖子。
确认方圆几公里没有人类生命迹象后,荣恩迟缓地感觉到冷。狂怒与狂喜的热血褪去,冰冷而新鲜的空气抚过他的皮肤。他变幻身形,给自己造了身过得去的衣服,打量了一下旁边飘着的大块头:“你不离开这里?”黑亚当也杀了一些人,不过没他多,花样也没他新。
黑亚当静静地落下来。他直觉这就是自己最需要的援手:一个和本地任何势力都没有关联的外星人,一个力量强大的超级生物,一个同样仇恨迈克尔·德萨尔的人。他似乎无意结交什么人,却把自己救了出来。
“无论身份与意图如何,有一件事不会改变:你是我的救命恩人。”黑亚当说,“我是坎达克的国王,若你来到我的国家,我与我的人民将盛情款待你,将你当成最尊贵的客人。我知道你或许憎恨人类,正如同我憎恨德萨尔和这帮俄罗斯人。但是,人类并不都同他们一样狡诈残忍,我会向你证明,我们也可以是最忠诚的盟友。”他伸出手,等待火星人的反应。
荣恩·荣兹望向那双眼睛。特斯-亚当有一双坚毅的黑眼睛,现出十足的坚决果断,那是一双为了某物可以牺牲任何人——包括自己的眼睛。他轻柔地探入他的记忆,看见白皮肤的印度人与冻僵的女人,看见被屠杀的军队,然后看见坎达克。这个位于埃及与以色列之间的小国因自身资源而饱受外敌的折磨,在这个混乱的世道上仅靠国王一人勉力支撑。但荣恩一点也不关心石油。他几乎浑身战栗:那干燥的空气,卷着尘土的风,连绵的沙漠与玫瑰色的黎明——啊,那令他想起——
“好啊。”火星人露出一个极为得体的笑容,握住了坎达克国王的手,“我很乐意。”
*本文中出现的所有时间点与设定若与读者所知的历史存在冲突,请记住:这是一个发生在已不存在的宇宙的不存在的故事。
**在那之后,荣恩·荣兹意图占有坎达克,杀死了特斯-亚当。
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onumayuki · 6 months
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「静物デッサン」
鉛筆、画用紙
制作時間 20分
パン等身近な果実は初めてデッサンを学ぶ人に最適です。
鉛筆で思い切って色を載せるのが苦手な人は茶系のモチーフ等で慣れると良いです。
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chaukachawan · 2 months
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こんちゃ、あろハムです
つい1年前の今頃は演劇のえの字も頭になかったのに偶然が重なって今では舞台に立って新入生を演劇に勧誘している。人生って本当に不思議なもんですねえ〜。さて、本題の役者紹介ですが、あれ?独断と偏見シリーズ流行ってるの、、、?結構色々考えたのですが皆面白いのを書いてくれてるのでこれまでふざけてた分今回くらいは自分が感じていることを素直に書いてみるのも良いのかも知れませんね。たまには、ね。さ、前置きはこれくらいにして、耳の穴かっぽじいて聞いて下さい。
園堂香莉(夢の住人α)
本当、器用な役者さんなんだなと今公演特に感じました。今回の3役とも全く性質が違うのに飄々とこなしてしまうなぽりが羨ましいです。実は稽古の時エレベーターガールのなぽりが好きすぎて気付かぬうちにガン見していたことは墓場まで持っていきます。エレガのマイムいつの間にあんな上手くなったの?5月にあるvaundyのライブ、どうだったかまた感想言いますね。
水琴冬雪(東雲)
私の演劇を好きになるキッカケを作ってくれた先輩なので、今公演でやっと役者として同じ舞台に立てるのが凄く嬉しかったです。役者として理想的すぎる発声と滑舌を持っているので演技しているところを見て自分なりにもこそっと真似してみますがまあー近づけないですよね。いつか背中が見える日が来れば良いな。あ、噛んで落ち込んでるベガさんも素敵ですよ。
緒田舞里(二宮光)
ちゃうかの大量の仕事をやりながら主役するってどんな生活、精神力してるんですか?絶対疲れてるはずなのに演技中全然そんな姿を見せないのは何故ですか?まりおさんの声の震わせ方、表情、目線の使い方がめっちゃ好きです。みんなの魅力を引き出すキャスパ、素敵すぎました。とにかくお疲れ様でした。ゆっくり休んでください。
たぴおか太郎(弁護士)
ちゃうかをイメージすると大体一番最初になすかさんが出て来ます。(withちいかわTシャツ)異議なし、毎回幕裏で笑っていました。あのなすかさんの通る声だからこそ6発6中でウケたのだと思います。オムニからお世話になっているのでなすかさんに褒められると尻尾振って喜んじゃいます。仕込み週になるとほぼ毎日全体LINEで謝ってるなすかさんが大好きです。
肆桜逸(検察官)
唯一の学科の先輩です。体験稽古でめっちゃ優しく話��かけて下さって、それが���ければ私はちゃうかに入ってなかったかもしれません。重い物持ってる時とか仕込みの時とか一番皆に声かけしてくれている優しい先輩です。オムニの時から思っていたのですが、ボケ寄りの役をやってるスチルさんめっちゃ好きです。あと、今公演の場転で行き詰まった時すぐ解決策を出してくれるのがすっごく頼もしかったです。でもキャスパのカウントを勘違いしていて呆然としていたスチルさんもなかなか良かったですよ。
帝京魂(深山登)
今公演で1番関わりがあった役者です。こんの爆発力のある演技を間近で見てみたいなあとは前々から思っていたのでそれが叶って嬉しかったです。演技している時の表情とか目つきが「入っている」感じがして役者として悔しかったです。あんな素晴らしい演技をするもんだから、私の存在感が消える!負けたく無い!と思って必死に練習しました。あと、この前サッカーマシンガントークしてごめんなさい。でもあれは聞いてきたこんが悪い。
縦縞コリー(市原優)
2公演続けての主役、本当にお疲れ様でした。こりの演技を見てると「ああ〜主役だなあ〜」とひしひし感じます。主人公、という言葉がお似合いです。新入生が入ってきても変わらず主演の座に立ち続けて下さい。恐らくこりは自分の中でこう演じたいとイメージしたものをそのまま演じることができる役者さんなんだろうなと勝手に思っています。凄いなああ。私もそうなりたい。線形なんてものも簡単に攻略できるんだろうなあ。
大福小餅(裁判長)
本当に、本当に頑張ったよね。舞監としても、役者としてもめちゃくちゃ頑張ってた。ここは手を抜いてもいいかな、こんくらいで良いかみたいなことを絶対にしない。キャスパも夜遅くまで残って、周りもほとんど帰ってるのに、すごく疲れてそうだったのに、「私出来てないからまだやりたい」って言ってたこふくの顔が忘れられません。こふくを傷付けるような人は私が絶対に許しません。みんなでこの可愛く勇ましい舞監をこれからも全力で支えていきましょう。
苔丸(村上)
器用すぎる。役者としても裏方としても。かっこいいと可愛いを両方バランス良く兼ね備えた役者さん。毎公演本当見事に違う役を演じていて、稽古初日どんな演技をしてくれるのか楽しみでした。色んな役をやってみたいとは思っても実際にやるのはめちゃくちゃ難しいし、苔丸にそういう色んな幅の役が任されるのは恐らくこれまでの演出全員「苔丸なら出来る」と大きな信頼を寄せているからなんでしょう。今公演、役の相談にも乗ってくれてありがとう。役者としても人としてもすごく信頼しています。
岡崎仁美(七瀬マイコ)
先輩としての頼もしさもあるのにたまに同期と勘違いしてしまうような可愛さを持っている方です。今公演の役、恐らくカヌレさんじゃ無いとあんなあどけない無垢な少女にはならなかったでしょう。カヌレさんじゃ無かったら誰がやってたんだろ。想像つかない。立て看、良すぎです。めちゃくちゃ好き。あれに顔はめて写真撮れなかったのが心残り、、、。次もまた看板作ってくれますよね?
衿君(夢の住人β)
実はちゃうかイチオシの役者です。公演ごとの私の推しキャラは大体エリックがやってます。普段は割と大人しめ(周りがうるさい)なのに皆をツボらせたときのウケ方は間違いなくちゃうかイチだと思う。静と動の演じ分けがめっちゃ上手い。だから人の注意が飽きることなくエリックに注がれるんだと思う。ラジパ、後ろでやってたから一回も見れ無かったけど写真で見てビックリしました。あんな笑顔してたんですね。あの写真は今公演1番のお気に入りです。
海泥波波美(夢の住人γ)
この人は何にも考えてなさそうに見えて(失礼)人の観察力がすごいなと思います。だから適当に言っているように思える発言でも実はそのおかげでちゃうかの空気は澱みなく流れてるんだと思う。今公演のあさぎの不気味なシーンちゃんとめちゃくちゃ不気味で大好きです。あの笑い方、良いですよねえええ。あそこで空気がひゅんっと変わる感じが大好き。楽ステのアドリブめっちゃ面白かった。回転扉が回らなくなって焦ってる時のあさぎの顔が忘れられません。
七枚目(郷田)
マキマさーん!チェンソーマン見たことないけどマキマさんだー!郷田さん好きぃいい!私も郷田さんに肩揉んでもらいたいよーー!ぜーんぜん怖くないよ!って言って欲しいよおお!って感じでみそかの演技は脳死しちゃうくらい好きです。通しの時とかずっと周りでウロウロしててごめんね。みそかの優しさと強さを兼ね備えた声が大好き。毎回言ってるけど。一生役者していて下さい。
ミル鍋(施設長)
相変わらず動きの付け方が上手すぎる。実は今公演からゆにの動きをパクってます。というか、ここ動きどうしようって思ったらゆにならどうするかなとイメージしてからその動きを真似してます。バレて、、無いよね!?多分まだ言われたことないから大丈夫。今回も動きに関することでゆにに相談させてもらったら、良いアイデアを即座に言ってくれました。流石です。吹田で一緒に練習したの楽しかったね。またやろう。製図なんてくそくらえ。
西峰ケイ(八戸)
面白すぎです。らびの面白さがフル発揮出来る役を見れてめっちゃ良かった。あの漫才、本当に驚きました。内容もさることながらテンポ感、間、動きの付け方、完成度が凄すぎてちゃんと面白かったし、あんだけお客さんを笑わせるの普通じゃないよ。ずっと練習してたもんね。なのに、そこだけじゃない。二宮と八戸のあの2人のシーン、周りからも散々言われたと思うけど本当に良かった。2人とも演技してるようには思えない空気感だった。あのシーンが今公演で1番のお気に入りです。
あろハム権左衛門(黒川)
キャラメルメル
白子(演出補佐)
誰よりも演劇への想いが熱く、そして演技指導をする時の「こんな感じ」が、レベル高すぎる生粋の演劇サイボーグ。役のことで相談した際、わざわざ私の役の解釈を色分けした台本を作ってくれた。あれは本当に助かりました。白子には前公演も今公演も助けられてばかりです。次の公演は役者として出てくれるのでしょうか?楽しみにしています。あ、授業の方も演劇と一緒にちゃんと頑張りましょうね。
近未来ミイラ・唯端楽生(演出・脚本)
もう散々褒めたしいっか。嘘です。褒め足りません。メガホン持ってスクランブル交差点のど真ん中で「俺は天才なんだぞおおおお!」って言ってもお釣り帰ってくるくらい天才です。ミイラの脚本は、こんな感じのストーリーを描きたいからこのキャラを作る、じゃなくてこのキャラの人生、生き様を描こうとして気づいたらストーリーが出来ていたって感じがします。付け足しのキャラクターがいない。ひとつのキャラクターがいなくなっちゃうだけでもストーリーが壊れてしまうような繊細で美しい作品。黒川の解釈を聞いたらめちゃくちゃ長文ですっごく分かりやすい表現で説明してくれたとき感動しました。ひとつひとつのキャラクターにこんな細かい想いが込められているとは思ってなかったです。出来れば他の人のアドバイスとか指摘とか一切聞く耳持たずにみいらの感じたこと、書きたいことをそのまま書き続けて欲しい。演劇のルール、文学のルールとかにとらわれない自由な作品をこれからもずっと描き続けて欲しいなあと勝手に思ってます。
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xiudi1985 · 5 months
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Slash:Aragorn/Boromir
作品标题:《窄路》
等级:G
警告和说明:
清晨,我做了一个短梦,它像生活一样,没有答案,但我知道,它孤寂又坚定。
梦的记录,波洛米尔视角,死亡描写。
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烛火昏暗的王庭尽头有两个棺材,阿拉贡和波罗米尔头对头地躺在他们自己的棺材里,手交叉着放在各自身体的胸口。如果乍一看,会不知道他们是在试躺,还是已经去世了。
他们老去的身体被那些尊重爱戴他们的人民照顾得非常洁净,连胡须上亦擦上了芬芳的香膏,被擦拭过无数次的老去的身体,换上了最干净的、属于他们的最后一套,刚铎皇室的礼服。
烛光像一串星星点点的锁链,从白色城市的第七层开始串连,一直连串到了顶层的王庭,摆在了华贵棺椁的四周,星烛的光芒随着微风在夜神的手指间轻轻摇曳,但却不会过分的强烈,生者不愿用太强烈的光线去打扰死者的安眠。
法拉米尔来召唤他们,把国王和统领从棺木的卧榻中唤醒,他比他们先去往了自己的路,但却愿在此地逗留,仅为他心底所爱之人做最后的指引。
波罗米尔惊讶地发现自己的灵体轻飘飘的,他没有了沉重的盔甲,也没有了那些过于繁琐的贵族衣饰,他的身体那样轻盈,仿佛吹一口风就能乘风快步去任何地方,他这一辈子都不曾这样轻快过,轻得连自己都在一时之间亦难以适应。
他好奇的在棺木中看一看自己与阿拉贡死去的脸,摸摸他自己的脸颊上,那些眼角处如冬日的冰层上裂缝般的皱纹。他自己的嘴角抿成了一条直线,庄重又严肃,那条直线一如他生时那样,是一个人一生的性格一个具象的概括,就像波洛米尔自己一旦决定好了就一往直前,就很少再走去弯路。
然后他俯身,像最忠诚的骑士和最坚贞的爱人般,单膝跪下,在国王高贵如睡去的脸庞上亲吻他遍布皱纹的额头和雪白的头发,握住国王枯朽骨瘦的手,拇指爱恋地摩挲上面岁月的斑纹,把头贴在他的心口,闭上眼睛倾听他永不再为他跳动的心。
阿拉贡的亡灵从后面搂住他的腰,脸庞垫在他的肩膀上,亲吻他卸去了所有担子的肩头,好像在提醒波洛米尔,不要为他而陷入悲伤,他还在这里。
停灵室里有哭泣的妇女和孩童,门廊处贮立着守灵的沉默的卫兵,低低的哀伤挽歌,用人类和精灵的两种语言在长厅中吟诵,刚铎的挽歌不会抹去他们的国王与统帅生活过的来处与历史,用传颂的歌谣铭记他们对这座城市不可磨灭的责任与爱,今夜的悲伤只因为两颗星辰永恒的陨落。
不远处的大厅里有永远数不清的人影,不同衣着不同种族的人们来来往往,为葬礼准备各种各样的事,死者在生的世界中永不得真正的安静和安宁,一个国王和一个统帅永远不可能只属于他们自己。
过来,过来,我们不能再做久留,无需担心,无需忧惧,白城的未来自有它自己的命运。
法拉米尔对他的兄弟与国王呼唤道,刚铎的三杰这次真的要远行。
他们穿过宫墙上有无数栩栩如生古画的王庭,穿过存储了新旧书卷的古老刚铎档案馆,穿过陈列整齐的兵器馆,与蓄养了无数肥硕健马的马厩,穿过在角落遗落了孩子们木剑和木刻玩具的花园,穿过那些长长的,长长的,有拱形穹顶的连廊。
再往城市的下层走去,街上的人群越来越密了,千家万户手心中点一盏烛灯,把白色散发了贞洁香气的鲜花铺满道路的两旁,人们自发向王庭的方向走去,无言的泪水蘸湿了素白的衣襟,哀悼他们的国王与统帅的逝去。
只有他们与人群擦肩,在活人当中一路逆行,穿过那些纷扰的人群,穿过那些贩售新鲜苹果的水果店、发出香气的面包房,冒着滋滋诱人油脂味的肉铺、飘出醇厚酒香的酒馆、生起风箱冒着火星有金属锻造声响的铁匠的打铁铺……穿过白城他们走过无数次,他们的马蹄踏上过无数回,有新的翻修痕迹的石板路,旧的石头被压在新的石头之上,新的城墙上再没有战争的阴影,老的房子里诞生出一个个新的生命,刚铎的历史在轮回与继续,而新的迭代并没有断层。
他们一前一中一后,穿过佩兰诺平原上那些足足半人高、凄凄的青草,萤火虫萦绕身旁,发出微光守护着前行的灵体,他们走过浪花澎湃的安度因大河,无数的烛灯被人们放在一艘艘纸折的小船上,卷入瀑布的激流,为他们的西去送行。
法拉米尔把他的王和他的兄长带到一条岔开多条小道的岔路口,波罗米尔想跟上去,但法拉米尔的脚步却走进其中一条路远去了。他消失在迷雾中,迷雾在波罗米尔脚下遮盖了法拉米尔的去处,像一个阻止他向前穿不过去的关卡。那脚步声明明离他不远,波罗米尔却怎么也不能像小时候那般,总能追上他,像一个兄长那样去带领他。
我的兄弟,你要去哪里?
他回头,发现他的爱人也没有再跟在他身后,他的身影离散在迷雾轻漫的丛林里。
我要提前去往我自己的路了,我已逗留得太久。
法拉米尔的声音在迷雾中回答。
亲爱的波洛米尔,你也一样,我的兄弟。这是我们每一个人都只能自己走过的一条窄路,没有任何人可相伴和代替。原谅我,即使是我,与你一母同出,一父养育,自小亲密无间,也不知道属于你的那条孤路的样子,这只能由你一个人知道,但我依然为你祝福,愿我们在路的末端仍旧能顺利相逢。说完,他像一支弦上待发的箭矢,像一头磨好了利爪要扑进丛林中的灵豹,在拉弓至满的声响中,箭的尖锐划破了树林里冷冷的空气,法拉米尔的步子远去了。
我的爱人,你呢?你在哪儿?
风从树林中吹过,每一片叶子的响动,和踩在积叶层上靴子的脚步声,都无言地代替了人声的回答。那声音像阿拉贡生时风一般的脚步,他的国王变回了游侠,变回了那个在中洲的诸多城池中游历,留下无数传奇功绩、智慧骁勇的梭隆吉尔,变回了曾生活在精灵的幽谷中,年轻英俊的人类男子。他穿梭得那样快,那样急,那样灵巧而随心所欲。在路的另一边,在另一个由树林相隔的通道中,他仿佛化身为一阵疾速的西风,一匹驰骋平原的黑马,一只翱翔天穹的灰鹰,向着夜空中的星辰追去,与万物霜天竞自由,他自由自在,无拘无束,无影无形,神行客在无穷的林间迈着如乘风步速般的长腿,寻找他自己的路去了。
我在这儿,跟上来,跟上来。
风的低语,树林的低语。草木和苔藓湿漉漉的气息,老旧的、他自己白树护臂上皮革的味道,像阿拉贡通过其他形式的声音与气味,对波罗米尔灵魂的引领。
波洛米尔形影单只,茫茫然、赤手空拳地走在这条只有他自己的路上,他没有一匹能疾驰的快马,没有坚固的圆盾,亦没有可保护自己的佩剑,甚至没有一把贴身的匕首。道路在他脚下蜿蜒向前,他这一生不乏勇往直前独行的经历,这一次却难得的惴惴不安,把心沉进喉咙里。
那些雾气在他脚边散开了,把干枯的路途其他部分露了出来,他在脑海中想象过一番走这条他自己的路的风景,却未曾料到是这样的枯乏,没有河床,没有绿树,没有任何惊心动魄的瑰丽景象——这条灰色的土路只是异常的狭窄,两边是无穷尽的单调的岩石,路的中间是层层叠叠,大大小小的,无数破碎的石块,通向未知的漆黑的一片,脚下的浓雾再次漫了上来,催促他前行,路上枯树黑色的枝丫和两边带刺的荆棘,像一只只扭曲的爪子,把他拖进这未知的崎岖。
波罗米尔踏在割脚的碎石上,往前走啊走啊,路上的浓雾渐渐从浓白色变成了深灰色,道路变得越来越窄,冰冷的空气中落下无数的尘灰,他往脸上一摸,放到鼻底嗅闻,手指上沾染到那些火烛与烧纸的灰烬。这死后的世界窄到只能容他一人通过,他高大的身躯折断那些干枯坚硬的树枝,尖利的荆棘勾破他贴身的里衣,在他透明灵体的皮肤上留下划伤的痕迹。他抬头,看不见天空的影像,没有月光,没有星光,没有萤火虫的亮光,也没有人造的烛光,这昏暗的路上没有一丝守护亡者的光线,连声音也穿不透这封闭的石岩森林。这条路越来越冰冷,冻得波罗米尔咬紧了牙关,抵御这卸去他不存在的体温的寒冷。刺骨的寒风从枝丫的缝隙中灌进来,从他灵体上的千疮百孔中筛漏而过,这口狂风吹得他轻飘飘的灵体东倒西歪,冰冷得灵魂仿佛都要凝固了。凄厉的风声听起来像吹进布满了岩石的洞口,在这狭窄的孤路上,发出野兽般怪异的嚎叫。
波罗米尔走了不知有多久,长到超过他一生中所有旅行的时间。在凝滞的黑暗中他失去了时间和空间、方向的概念,因为时间对逝者没有意义,狭路也仿佛没有尽头。或者他根本就没有走出多远,用碎石划在枯树树干上的痕迹记号,总会重复的出现在其他好像没有路过的枯树上,总是同样的匮乏风景让他麻木又疲劳。
波罗米尔,波罗米尔,你要往何处去?你为什么孤身一人走在这里?
窄路中有低哑的声音在询问他,那声音像从道路两旁的岩石与枝丫里传来,又像从地底的低洼里发问。这些窄路上的风景似乎在他记忆里出现过,从陌生开始变得似曾相识。
我要去往我自己的归途,这条道路只能靠我自己前行。
那条路上有什么样的答案,值得让你在这鬼魅般的狭窄黑暗里去前进找寻?你有没有想过,如果根本没有答案呢?如果这真实的答案只会令你再次绝望呢?死亡的阴霾让你太劳累了,一个人的困倦会令你变得更加固执,别再往前面去,那里的路只会变得哪怕只是你的灵体也不能承受的狭窄,寻梦的答案也会变成残酷的梦魇,让你再次迷失与堕落,直到灵魂都属于这条无人的孤路,永远永远的沉寂,孤胆英雄一意孤行的白骨葬身之所,从来是无人问津也无人再记起。
你现在还可以回头,往有光的来路回去,重新走一条轻松的没有痛苦没有炽烈情感也没有负担的道路。法拉米尔和阿拉贡还会在那里等你,你的城市也依然会张开怀抱欢迎你,你的兄弟与你的国王,他们会为你升起温暖的篝火,和你重叙从前的故事,在树林中给你带来可信赖的同伴之间充满欢笑、快乐、安全的宽慰与解乏,与你一同再去寻找是否还有另外许多条——全是鲜花,光明,笑声与掌声的荣耀之路,他们与你一同在路上,而不是你此刻一人走入这片无人充满未知凶险的黑暗中;或者原路返回米那斯提力斯,当做从来不曾故去,栖身于那些好走的宽路,或许那里再没有法拉米尔,也没有阿拉贡,你认识的人们会一个个死去,但你的人民亦欢迎你继续留在那个美丽又难以摧毁的白色城市,回到羊皮纸卷的故事中,作为一个时不时会显灵带来神迹的传说,为你的民传颂,回到城中无数座为你立起的巨大石像中,永远的保护他们。
不,我的兄弟与国王不会再在原处了,他们也有自己要走的路途,不管我们如何陪伴对方,形影不离,在低潮时为对方带去欢笑和安慰,在黑暗中互相支撑,是彼此生命的过客或归人,终究到底,每一个人都有自己要承受的命数,每一个人都有自己要独走的路;也没有一个往生的亡灵会执着的一直留在旧处,曼督斯的殿堂才是我们灵魂最后的归所;白色的城市会有它新的人类守护者,那是人类的爱、希望、勇气与信心组成的刚强血线,不会因为任何人的离去就消散,强大到足以保护它的平静安宁。
希望?
那声音带着轻蔑,染上一丝无情的嘲讽。
难道你就不曾想过,希望仅是你太过绝望中的头脑里苦苦抓住的幻境,是凄风厉雨中冻僵的人关于火苗的幻想,这火苗甚至不曾真的有实体地存在过,未等到飓风来袭,只需轻轻一戳就破灭了。波罗米尔,你就没有想过,你早就在阿蒙汉就陨落了。你的王怯懦,自私,优柔寡断,从来不敢认领他自己的身份,害怕他与先祖一样带来灾难的血统;而你愚蠢,傲慢,自负,武断,一意孤行,不管出于哪种原因,最终也无法抵抗欲望的诱惑——他对自己血脉职责的摇摆与犹豫,和你深陷绝望中的贪婪和动摇,彻底的帮助了我,使你们之间分崩离析,使你走向你最终堕落的命运,纵使别人原谅,但只有你自己最清楚,哪怕连死亡,也无法洗去你自己都无法容忍的耻辱与错误。
还有————还有——————还有………
那声音继续怨毒地嘲笑。
阿拉贡甚至从来没有爱你,一点一丁也不爱你,一天都没有,一刻都不曾。你不属于他,他也不属于你,你们是两条注定不同的平行线,从来不曾兼容与交叉。你们一起度过的岁月仅是你在迷途中的幻想。在生时你在无法告知于人的苦闷中的期盼,无人引领的臣属,无人保护的人民,无人接管的城邦,无人倾诉的你藏在心底的肮脏的欲望;在死后你在无法离开的死亡窄路中徘徊与守望,用固执到惊人的幻觉堆砌出没有发生过的爱情巢穴,为你的爱人用一块又一块的碎石建设那一座从不存在的——有你们共同生活痕迹的池城。这幻梦太真实了,真实到你自己去相信了它,也让我看去了很多因人类欲念丛生、爱而不得、丑态百出的笑话。
你究竟是谁?!
波罗米尔厉声低吼,条件反射去拔他腰间不存在的利剑,但却只能摸到一场空。
你不认识我吗?
那声音令人颤栗地低笑了,它的笑声能使人心底最深的恐惧从每一根毛细血管中渗出。
我是这尘世间被欲念冠予姓名的爱与美;我是深坑的黑暗中唯一闪耀的星辰;我是至高无上,无处不在,无所不能,这庸碌世界芸芸众生皆渴盼的——强大而至尊的欲望。
巨大的火眼出现在波罗米尔的眼前,与他直面,末日火山的熔浆像无数条翻到地面上的火舌触须,在它身后熊熊的喷涌。
不可能,不可能——!!!为什么他会在他的归途尽处见到它?
波罗米尔摇头,他早就知晓,在多年以前,他所踏上的那个旅程的最后,霍比特族的持戒者把它丢进了末日火山,魔戒已被摧毁,魔眼就此远离中洲大地,被驱逐至虚空之境。王者归来,人类迎来了由他们来守护的第三纪元的序章。他在阿蒙汉被王者之手所救治,互相坦诚了对彼此无法割舍的爱,从此他一心一意追随他的队长,他的兄弟,他的王,与他共赴每一场战役,直到他们都再次见到了,欢迎他们的刚铎的白塔。他与他在刚铎的王庭中再度生活了一百多年,相爱相亲,直至死去。
怎么不可能?你们人类居然妄想完全的消除我,岂知道这天下最难断绝的,恰是你们源源不绝生生不息的欲望。欲望从第一纪元存在的很久之前便开始有了,有生命的地方就有它,且欲望不会局限于哪一个物种,不管它在哪一个纪元暂时蛰伏断代,只要生机还在,都能见缝插针的复活,欲望之火将借尔等之体,按照它自己的意愿去酷烈燃烧;在爱欲情仇、权欲野心中,在私欲,利益、不信任、不一心、不合作里,得到使它膨胀的黑色养料,用你们本心中的疑虑惊惧、人各为己去顺势挑拨,再起兵戈,带来堕落、纷争、失败与死亡。如此喜闻乐见的悲观反复上演,你们将次次一败涂地,输得爬都爬不起来,直到永恒。
巨大的火眼已凑到波罗米尔眼前了,它黑色的竖瞳如地狱的深渊凝视他的灵魂,将他的躯体吞噬进火焰的残影里,将他的魂灵放到长长的火焰上炙烤。
你看啊……波罗米尔……那才是你与你的城市真实的命运。
狭窄的虚空之境张开了它的巨口,在那个虚空之境中,波罗米尔看到自己河边的兄弟,法拉米尔在幽蓝色的河面上,在噩梦成真的迷梦中,见到那条无人的小船。
而波罗米尔不在船里,他的尸身早被安度因河中的游鱼分食,骸骨在瀑布超自然的巨力拍击下变成无数块捡不起来的碎片,任由命运的洪流推向各处。他的白骨沉入河底淤积的泥沙中,裹挟着和河底卑贱无名的碎石混合在一起,和死在河底的远古的各种种族的战士的骨头、残破的刀剑、战船的支架、河底的无数的无用的垃圾混在一起,永无人能寻找,无人可打捞,随着时间的流逝永无人再提起。
大河的浪花将碎裂成两半的白号冲到岸边。波罗米尔站在法拉米尔面前,他做了很大的肢体动作,喊叫着呼唤他的亲生兄弟,但法拉米尔在这虚空之境的扭曲时空轨道中看不到他。法拉米尔穿过波罗米尔试图拥抱他的的灵体,悲伤地捡起河滩上的白号,将它双手捧着,交给他们的父亲。
我的长子啊……我那残破国度和残破生命中唯一的企盼……我的爱,我的火,我生命的烛芯。让我如何不能不悲伤,让我如何能不为你哭泣!
那向来坚毅如石像的老人捧着他的白号,把碎裂的两半摊在自己掌心,裹在银灰色裘皮下的巨大身躯痛苦地颤抖,控制不了的悲声令他更加苍老。
我父,我父……
波罗米尔跪在他脚下,一只手捧住德内瑟尔的脸庞,一只手放在他僵硬的肩头,本能地想替他记忆中已经逝世多年的亲父分忧。
他矜矜业业做到了一个坚韧的人类爱国者能做的极限的亲父啊,在他原来的世界中等回了中洲的王者,花了一段时间与他的老旧识解开多年前的死结,承认了他的儿子和阿拉贡的关系,也不再一再因自己的旧念陈观苛责他的次子法拉米尔,比之前更爱更珍惜他的两个儿子。他陨落在刚铎的王庭中,前摄政宰相庄重的寝床上。
请你不要为我悲伤和绝望,让我拭去你脸庞上的泪水,抚平你额间与眼角的皱纹。执起我手中雪亮长剑,依然尽责去保卫我们爱的城市。
然而,他却连为他擦拭下巴上的泪水都做不到,透明的眼泪从他透明的指尖一串串掉落到地上,狠狠扎痛波罗米尔的心。
逃命吧——逃命吧——
烟雾中幽蓝色的场景发生了变化。
我们的城市没有希望了,洛汗没能和我们站在一起,北方骠骑之国的兵马尽数折损在圣盔谷。甘道夫与他的捷影葬在被萨茹曼攻占了的树人的森林,那些最后的树木被砍伐了烧完了,留下了黑漆漆的死去的焦枝,巫师灿若星辰却断裂成两半的法杖照不亮这黑暗。霍比特人们被抛进末日火山,骸骨变成了空中飘散的灰烬。莫瑞亚的深坑中埋葬了勇猛抵抗到底的红发矮人金姆雳,他与他破碎的巨斧、同族矮人们的尸体躺在一起。逐日的莱格拉斯,余生将再也无法用他锐利的精灵眼睛再看一眼他心爱的太阳,他的族人九死一生才将他带到灰港西去的乘船上,他不甘,他不甘!精灵王子的悲声在灰色的海面上痛苦的回响。阿拉贡亦没能带回亡灵大军,尽管他东奔西走,疲于奔命,却终究像每一次那样,晚了最后一步,无冕之王回不到他的王座上。
我们不再有任何希望了,刚铎的人民啊——逃命吧!逃命吧!!!
摄政王站在白色城市的顶层拿着刀剑大喊,身后是抵抗的白城的卫兵,脚下有无数死去的战士尸身。弓箭兵们拿起弓箭向天空和地上射去,但他们被火红的天空中骑在纳兹古尔身上的魔兵之箭射倒,弓箭射穿了白城战士们的胸口,脑袋,铁甲在来自空中的战斗力下脆弱得不堪一击。他们一个接一个站起来反抗,又层层叠叠的倒下去。而站在城头上发了疯绝望的老人德内瑟尔,还拿着他的巨剑,在与他失守的城邦一起做最后的无望抵抗。
波罗米尔回首,熊熊火焰从夏尔一路烧过来,烧毁了那些霍比特人精心栽培的农田,烧毁他们那些可爱的洞穴式农庄,烧到了刚铎混乱的城池中。门被玄铁的巨柱撞开了,在火蛇中成群结队穿着黑甲的强奥克冲进来,身后跟着挥舞巨型狼牙棒的洞穴巨魔,一只又一只身��锁链的巨象,远方海��的船早早地埋伏在每一个能包围刚铎的渡口,海盗们狞笑着从高高的城墙上一堆接一堆的爬上来,完成对这个城市的四面包抄。
强奥克们在波罗米尔眼皮底下尽情地洗劫他的城市,无数的敌人杀死他的战士,蹂躏他的人民,奸杀他城中的妇女,无数被残杀的人类的血在城市白色的街道上汇成了血海,浓郁的血腥味渗进千年的白色石板路,万年的雨水都冲刷不干净。
波罗米尔发出咆哮的怒吼,然而他的灵体握不住一把刀剑,拿不起一支枪戟,握不住一张弓箭。泼天的从活生生的人类身上溅出来的滚烫血液,穿过他的灵体,一个个刚铎逃散的人民,与在无情的屠戮中的强奥克,反复穿透他的灵体。人们挣扎着嘶吼哀嚎着,在他灵体内反复的穿梭,他却无法像一个战士那样勇猛战斗,冲锋杀敌。
他身上恢复了很久的三个箭伤开始了火烧般的痛苦,痛楚越来越揪心,黑黝黝的箭孔中流出了泪一般的血,白城的统领在火烧的剧痛和心焦中跌跌撞撞,用他透明的手指去抓那些永不能握住的武器,眼睁睁看着那些他不能保护的人民被生生劈开,被钉在洞穴巨魔的狼牙棒上像玩具般挥舞在空中,被高高抬起象足的巨象踩踏成肉泥,被海盗的弯刀抹开了脖子——就在他眼前,数不清的生命被残酷地杀死。
我绝不会让我仅剩的儿子被这样羞辱!!
在滚滚的黑色浓烟中,摄政宰相绝望的呐喊,法拉米尔被他抱在手中,他身上的盔甲上扎满了弓箭,高贵勇敢的法拉米尔低垂着头颅,早已没有了气息。德内瑟尔痛苦地擦去他小儿子额头上凝结的黑色血块,理好他贴在额头上肮脏了的金色卷发,给他作为一个刚铎战士与摄政王的孩子最后的尊严与宽慰。
不——不————我父,我的弟兄————不要在我眼前亲身走进这由无望建构的坟墓————
波罗米尔奔上城楼,疯了一样试图再度阻挡这注定的悲剧。但他的脚步如走在吸了水坠了铅的海绵陷阱中一般沉重无力。刚刚走在窄道中的拥挤感再度在他的灵体之躯上裹挟上来,压迫感的紧窒空气像一只命运之手,将他不断试图冲上前的身躯无情的推开。
我的孩子啊……和我一起去吧………
陷入疯狂与绝望的老人生起来柴火,将油倒在自己和法拉米尔的身上,他紧紧地抱住他的儿子,吞噬的火焰是一道绝望中的屏障,让他和他的儿子免受强敌的侮辱。
希望在哪里?
希望在哪里?
波罗米尔深陷他经历过的绝望阴霾,跪在燃烧的城市中泪流满面,然而还不等他从悲痛中回神,不祥的号声吹响了通红的天际。
刚铎的旧部啊,你们所期盼的伊西铎最后的血脉在这里————
波罗米尔定睛,瞳孔在难以置信中暮地放大。
阿拉贡的头颅被悬挂在七颗星辰的黑色王旗的旗笙上,拥有伊西铎血脉的未冕之王永远紧闭上了他灰蓝色的眼睛。奥克们挑着他们刚铎的王旗,挑着刚铎未来国王的头颅,耀武扬威的去收服这个直面魔多阴霾、代表人类最后抵抗的城市。
阿拉贡————
我的爱人…………
波罗米尔的心脏被捏碎了一般,接二连三巨大的绝望与痛楚令他跪着伏趴在地上,他向前伸出手掌抓握着空气,鼻管呛在他箭孔中流出的血海里,统帅的眼睛死死的看着阿拉贡苍白失去血色的脸庞,他昏沉又痛到麻木的身体在血海中抽搐着,拳头不停畸形地反复握起。波罗米尔的鼻子不能呼吸,他张大了嘴呼喝,吸进了火焰味、人肉烧焦味、城市焚烧的灰烬味、血腥味的黑雾,喉咙中如堵上了尖锐的碎石,痛苦到不能发出悲音。
不知道过了多久,那些黑色的浓郁烟雾又消散了。一面应属于洛林的水镜出现在他面前,从水镜中飘出了一层层白色仙境般的雾气。香甜的焚香混合了安息香、没药、公丁香、乳香、王叶草味道的乳白色轻烟弥漫了上来,那味道像是刚铎王庭里他与阿拉贡的寝宫中常年用的熟悉香料味。那味道催情,每次他与阿拉贡点上这样的香料在他们的寝宫,便注定了这样的夜晚是他们会互相叠靠在对方身上,在对方有力的臂弯中,在对方强壮的怀抱里,在情事中纠缠索要到分不清你我的汗水淋漓。
波罗米尔,不要恐惧……这一切都不是真的………
像宽慰他刚才经历的恐惧无望,阿拉贡的粗糙手指划过他的脸庞,停落在他微张的干燥唇间,爱抚波罗米尔颤抖的舌尖,爱人轻颤的羽睫,在烟雾中低垂的灰蓝色眼眸,让波罗米尔几乎要忍不住用牙齿含咬住他的指尖。
阿拉贡………
为我停留,永永远远与我一起留在这些石头做的窄路里。
波罗米尔翻身后退了几步,瞪着眼前用他挚爱形象行骗的幻影。
留在这里,留在这里!让我在这里爱你。爱人,你不渴望我永久不变的爱情吗?凡尘俗世万般变化,世人皆不可信,唯有我的爱坚如磐石,不会摇摆于任何的试炼,不会像潮汐现象下的潮水反复褪去,它只会如河水褪去后河床上的碎石,万年不变,不会转移。让我们将新的行宫建立在这窄道的碎石之上,从此在这儿彻夜交颈,我会让你幸福到颤栗,忘记所有生前身后的惊慌与忧愁,忘记你的身份、责任和担子,要寻找的答案。我会给你一个,人类能许诺到极限,永不改变的热爱。只要你的欲望和灵魂,从此以后只属于我,脚步不再前行,做我的荒坟中,永不反抗不会褪色的傀儡。
波罗米尔嘴唇颤抖,他爱人的形象用他熟悉的声音低语道。
或者你喜欢更多的,更不一样的阿拉贡。
欺骗者的身形往后退去,露出身后黑色的窄路,阿拉贡苍白赤裸的身躯一个又一个叠在路上,像米袋中倒泄出来的雪白米粒,形成了用躯体做的巨山。
阿拉贡们的手从四面八方拉扯住他,他们的手像焦黑的枯枝,在波罗米尔的胳膊与腿上留下灰烬的印记,试图用无数的身躯,把他的魂灵深深推埋进窄道地底的石路里。
每一个阿拉贡都有他自己的经历和故事,每一个阿拉贡都恳求波罗米尔永远地留在这里。每一个阿拉贡都诱惑他,说好了什么都应承他,只要他的灵魂在这碎石,烈焰、浓烟、屠戮、欲望、情爱组成的陷阱中,在无休无止会重复性上演的悲剧和沉沦中,做这欺骗者永远的囚徒。
来吧……选一个你想要的阿拉贡……选一个你喜欢的国王……我会绝对的成全你……完完全全的满足你……
然而波罗米尔厉声喝道,魔苟斯的帮凶,索隆的残影!你的舌头不配玷污我的国王我的阿拉贡的姓名!哪怕我只剩下一颗头颅,我也要咬断你妄言的舌头!你不是我的爱人,不是我的兄弟,也不是我的国王。你将我的国王与爱人形容如我床榻上免费的娼妓,没有他自己的意愿与意志,可以被随心所欲的玩弄和摆布——但是我不是。我不是这样去爱他,他也不是这样来爱我,你既不了解,也不知道我们之间的爱的样子。你诱惑我再次经历绝望,妄图令我再次沉沦。但我知道,我们白色的城市并没有被战火摧毁,它被它爱的人们重建与守护,我的父兄亦没有在战事中陨落,阿拉贡活着回归了他的城池。
哈!那么,你的阿拉贡究竟在哪里呢?你如何可以笃信那些爱?他甚至不在此路中,不与你同行,不在你的末路,你的国王像你生时那样,永远地无情地抛弃了你!
魔鬼,你以为我会困顿于恐惧,困顿于自己的情欲,困顿于你制造的梦魇与质疑,困顿于你复制出来的粗糙赝品,但是你完完全全的错了。我的阿拉贡就在我心中,不多不少,只有一个,独一无二,有他自己的人格和尊严、彷徨与责任,有我值得用一生去独爱他的地方。在我们一起度过的岁月中,我看得到他,他也看得到我,爱是我们相互馈赠与对方的珍品。而我将会在只属于我自己必走的窄道上,义无反顾的前行,直到能找到我的出路为止,哪怕饱受折磨,我也不会再退却半步——哪怕末路没有光,未来没有伙伴,嘴唇无法交流,穷途没有希望。
那声音不再低语了,窄路像一个拳头一样猛地剧烈收缩了起来,把波罗米尔的灵体紧紧攥住。那路那么的窄,那么的难走,尖利的碎石膈进他的躯体,把他扎成一个漏筛,那条窄路挤压他的器官,挤压他流出脓血的箭孔,对他的摧残变本加厉,让他渺小无力如巨拳中的蚍蜉。
在条条时空交错的幻象之中,他看到了他与阿拉贡各种各样的结局,有时他们不能相守,有时他们共同扶持到生命的最后。
属于他的生命记忆,像碎片一样淹了上来。
他们共同历经圣盔谷的浴血战役,一起率领亡灵大军,赢得人类纪元序章的胜利。
在王庭的新年舞会上,他与阿拉贡共舞,统帅喝了太多酒,踩错了舞步,很糗的歪在他的国王的怀抱和欢笑声中,他搂着他的腰,醉在他舌头上的酒液里…………
也有不属于他的记忆出现在他的脑海中。他的国王娶了林谷中的女精灵暮星公主,他的肩头上有他与她的孩子,但像一个最忠诚永守诺言的兄弟那般——他的王终其一生戴着履行刚铎逝去英雄波罗米尔的白树护臂。在对刚铎的责任上,阿拉贡永不抛弃,波洛米尔祝福他余生的幸福。
无论如何,对那个信守陈诺的人,他都会用所有生命去追随他。
他的领袖,他的兄弟,他的国王。
他用一整颗心去热爱过、让他无怨无悔的爱人。
众多的记忆混合在一起,难辩真假。
他甚至再次分不清,自己究竟是战死于阿蒙汉,还是老死于他与阿拉贡共同生活的王庭之中。
但他又想,真假又有什么关系呢?
无论真假,我都热爱,无论真假,我都坦诚,绝不再放下与回避——只要我真心热爱,所有的所有,都不再是问题。
——那么无论真假,我都会继续在我的孤路上前行,无论它是何等狭窄,何等给与我那些我不能承受的伤害,狭窄到只能容我一人探行。
成团的黄色琥珀将波罗米尔包裹了起来,他变成了琥珀中被凝固的蜜蜂,蜂翅上黏腻了沉沉的油脂。然而那只再无所畏惧的蜜蜂勇敢的用他的尾针,像一把劈开混沌天地的利剑般,划开了那片不可战胜的浓稠的黑暗与黏滞。
那么归根结底,一个人的希望到底在哪里呢?
从他心底有一个声音在替他回答。
在那些坚守的内心中,在无法轻易忘怀的回忆里,在不退却的步伐里,在不甘的笔尖上,在世界上五湖四海的人们的爱中,在一个个落笔开花的传说里。
在心灵敞开的互相深度链接,在生命燃尽了的亦不舍弃。
金黄色的琥珀变成了一朵金色的莲花,莲花的花瓣温柔的包起,将波罗米尔破碎如一颗残齿的血污身体包笼在它层层叠叠的花瓣里。
金色的莲花漂流在血海流淌的碎石窄路上,带着波罗米尔的灵魂驶向路的尽头,那针眼般细小的洞口。
但那里依然有丝一样的光线,尽管它如此的微弱,如此的细小,已至到会让人忽略,但波罗米尔真的看到了它。
——他的光,他的希望。
蜜蜂在莲花的花瓣中冲向那个狭小的洞口,义无反顾冲向他灵魂尽头的黎明,。融化了他的翅膀,而和梦魇中的不停下坠感不同,浓雾被甩在了身后,黑血从他的灵体上被抹除,他的灵魂再次变得向上飞升的轻盈。
一个有白花香味的怀抱稳稳的接住了他。把他好好的、安全的、抱在自己怀里,那是他最熟悉的国王的怀抱。
尽管诸多磨难,经历了各自生命的各自挣扎和历炼,他们依旧会找到自己路途的出口,他们依旧会再见。尽管会迟到,但绝不会不到,他们终究会在各自灵魂踏上的路的尽头,在曼督斯的殿堂再次重相聚。
所以这就是真实的最后了吗?
阿拉贡温柔的灰蓝色眼睛看着他的绿眼睛,他在他眼中看得到一样真诚的爱恋与依恋。他像他一样,生前或生后,都最坚定的选择他,作为自己独属的爱人。而眼前的阿拉贡,波罗米尔确定他不是虚空之境中的欺骗者,而是他那个唯一的爱人。
更多熟悉的故去的人们上前,与他一一相拥,他的兄弟法拉米尔,他的母亲芬杜伊拉丝,他的父亲德内瑟尔。
欢迎你的归来,我挚爱的人。
轻轻的吻落在波罗米尔的额头。
Fin
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kennak · 3 months
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多くの人たちと同じように、ずっと、悲しんでうろたえて、ときどき泣きながら、日々を過ごしていますたくさんの漫画家さんや関係者や漫画を好きな人が、悲しんだり怒ったりしている慎重に誠実に言葉を選んで自分の考えを綴っている人もたくさんいるでも当たり前なんだけど、どんな人の言葉にも過不足がある 今回はなおさらその過不足が大きい自分の場合もひどかった、こんな目に遭った私は別にイヤな目には遭わなかった、みんないい人だったみたいな好悪りょうほうの事例が乱立していっても、この出来事への何かの足しになるのかどうかもわからない芦原さんに家族近親者がいるとして、今後、この業界全体の改善が進まなければ遺された人は傷付き続けるだろうけど、救いがないのは、今後改善が進んだとしても遺された人はきっとまた同じように傷付くだろうことです改善されていけば、「ならば、どうして、彼女が命を絶つ前にそういう改善がなされなかったのか」という思いがつのるばかりだと思うのでなので、 自分なぞがここに何か言い足したりしても、さらに同様の過不足というか、なんなら「お前は黙ってろ」くらいに思われるかもしれないでもこれは自分自身のために書くだから不愉快を感じた人は何も言わず静かに黙って外して済ませてください、今回はとくにここから、長いです多くの作家さんがどうにか言葉を発しようとしているのは、誰もが「自分にも同じ問題が起きた、起きたかもしれない」「自分のことのようによくわかる」からで、多分にもれず、自分にも覚えのある種類の問題ですそして自分が現役の時に(リアルタイムでの漫画連載時に)今回みたいに、同業の作家さんがこんなことで命を絶つなんて出来事があったら、とても平常心を保てないことが想像できるだから、今、現役で連載の執筆をしている作家さんは、自分なんかとはケタが違う動揺に見舞われ続けていると思いますでも言及したくないな、という思いも強いです言及すると、このことは自分の手の中からうしろに放って、もう言及したので済んだこと、にしてしまう心が伴うんですよねそれがイヤで、言及したくない、言及できない語るのもつらい、でも語らないのもつらい、という心もちは、多くの人の言葉や沈黙からも察することができて、「どうしたってこの出来事も遅かれ早かれ“後景”になっていってしまう」ということがわかっていて、そのことも含めて、皆が、うろたえて悲しんでいるのではないかと思いますでも1週間以上経って、当事者である大きな企業2社の現在の態度もあわせ考えて、このままだと、事態がどんどん良くない方向にしか動かない、というか何も変わらない、のではないかというおそれも、今、ものすごく大きいです何から書き綴る?また名前を持ち出して申し訳ないのだけど、庵野さんがそれまでに見たことないほど激怒したのを見たことがあります怒られた相手は、“美大生”だったか“クリエイター志望”みたいな子だったのかなあ… シチュがめんどくさいんだけど、『沈没』連載の頃に、大西信之さんの個展に僕と僕のスタッフさんが噛んだことがあって、その時に庵野さんと樋口さんが一緒に遊びに来てくれたのね その流れで、大西さんが引っ張ってきた会場のギャラリー含めて飲み会みたいな流れになって、メインの大西さんが早々に酔い潰れて離脱、なんか知らんけど2次会にまで庵野さんは流れてくれて、僕と僕のスタッフ、庵野さん、あとギャラリーに居た知らん人が何人か、みたいなわけのわからんメンツで飲んでいたときに、多分、庵野さんの前に座ることになった「“美大生”だったか“クリエイター志望”みたいな子」が、「何か創りたいと思うんですけど、創って世に出したらそれで評価が定まっちゃうし、自分の可能性を限定するみたいになっちゃうんで、なかなか作れないんすよね」みたいなことを、庵野さんに“相談”したんだと思うんですよね いくら酒の席でも、相手と話題を選びなさいよ、と思うんですけどね庵野さん、みるみるうちに、会って以来見たこともないようなおっかない口調になって来て、「そんなの、創って、恥をかいて、地獄を一度見ればわかります! 地獄見てください!」「地獄を味わったこともないくせに、何も作らないままグダグタ言ってても何も始まりませんよ!」というようなことを話していましたあのとき怒られていたあの彼は、どうしているだろう?かつて居た場所贔屓、かつてしていた仕事贔屓になってしまうけど、多くのクリエイションの中でも、やっぱりとりわけ漫画は、特別…という言葉を選ばないでおくなら、特殊な表現手段なんだと思います「作家個人ひとりに負うところ」が異常に多すぎる表現媒体なんじゃないかと思います漫画家を含めて、作家としての個人の名前が前面に出る仕事(そこには、だから、庵野さんみたいな人の仕事と名前も入るのはわかるでしょう)、そういう仕事は、やっぱりちょっと、特別、もとい、特殊なんです日本語でそれを括るなら、それが、“原作”“原作者”ということになるのかもしれませんその中でも日本の漫画はちょっと特殊すぎます作家個人が、ひとりだけで、ストーリーを考え、絵を描き、俳優を演じ、効果音を当て、お金の管理もして、ひとりで物語を構築する もちろんアシスタントスタッフは存在しますが、決定権というか決定の責任は漫画家個人にものすごく集中しています映画に例えるなら、監督、脚本、カメラ、美術、俳優全員、衣装、音響、編集、予算配分とスケジュール管理と会計処理と税務、すべてをひとりでこなして毎週映画を作り上げて納品するようなものです 狂気の沙汰ですよ映画の作業で残っているのは、そのフィルムに、オープニングタイトルとエンドクレジットを付け、宣伝し、配給し、チケットをもぎり、上映し、パンフとコーラとポップコーンを売ること それらは“プロデューサー”“配給会社”が担うことなのだと思うし、漫画に例えるならそれは主に出版社と編集者が担ってくれていますでも本当は、漫画の編集者は、多くの場合、作家が物語を創る作業に、もっと深いレベルで関わってくれているんですけどね そこがまた複雑でわかってもらい難い出版社と編集者の話はまたあとで“原作者”は、物語を構築するときに、それぞれの、自分だけが潜れる地下に潜って、自分だけがすすれる泥水をすすりながら、そこで手にした意味不明なんだけど意味あるものを地上に持ち帰って、地上の人にわかる言葉に翻訳して綴って、披露目る、そういう作業を繰り返していますそういう作業の最前線に自分もいた感触は、今でも残っています作家それぞれにもちろん技量や実績の差はあって、日本人なら多くの人が作品名や名前を知っているレベルの一騎当千の猛者もいれば、自分みたいに「はい、あの、なんとか銃は撃つくらいはできます…」みたいなヘッポコまでいるわけだけど、それでも、「商業漫画の連載」ってやっぱり別格の世界で、個別に、エゴのレベルで、あの人やあの人の創るモノとは気が合う合わない好き嫌いみたいなことはあるにしても、みんなが互いに、“最前線で戦っている同士”だっていう共感は持っているように、僕は、思います今もそうだよね?だから、みんなが今、人ごとと思えなくて、悲しんで、うろたえて、怒っているんだと思います“原作者”が自分の体と心を使って何をしているかというと、自分と外界の境界線を最大限にぼやかして自我をゼロに限りなく近付けて、なおかつ、「自分」が信じるものを出していかないとならないので、それは細胞の集合体である生き物の生存の定義に反する作業、「死」に触れる作業なんですよね自他境界を緩めると自我が世界に溶けちゃうんですよこのおそろしさは、もしかしたら、作家のもっとも親しい人にも理解してもらえないことなのではないかと思いますだからものすごい孤独を伴う何度も引き合いに出してすみませんが、庵野さんが死ななかったのは本当にたまたまだった…という話は、本人も何度もしていますみんな、そうなんですよ自分とて「あれはたまたま死ななかっただけなんだな」と思い返す出来事はひとつきりじゃあない生きている人は、「たまたま死ななかっただけ」なんですそういうエッジの上を進み続けることになるんですそして、作家が、地下に、海に、深く潜る際には命綱が絶対に必要で、多くの場合はそれは“編集者”“プロデューサー”が担っているのね船の上、陸の上で、命綱を握っているその安心感があるから、作家は“潜って”いけるんです漫画家にとっても、編集者の存在ってものすごく重要ですでも編集者は漫画家にはなれない 逆も同じです 多くの場合それは互いにじゅうぶんわかっていて、その中で信頼関係と仕事のしかたが構築されながら、作品は創られる編集者って必要なんですよ、ほとんどの場合佐藤さんはたしか「自分は編集者は要らない」と言い切っていたと思うんだけど、そんな強者はひと握りで、多くの場合は漫画家は編集者と二人三脚ですそれでも、ときに、しばしば、行き違いやコンフリクトは生じてしまう作家が、出版社への異議を唱えたり意見を述べると、それを出版社に属する人が「自分への攻撃だ」と認識することが多いのかもしれませんそうではなくて、個人である作家は、「あなたが属しているシステムの構造に異議を唱えているのだ」と言い続けているのだけど、その平行線がずっと続くことが多いですもう10年以上も前に、佐藤さんや雷句さんが、それぞれの考えとやりかたで、出版社や漫画業界のあり方に疑問を投じて、それは大きな波紋を起こしましたワタクシごとなんだけど、雷句さんのアクションの際に僕も僕の考えを書き述べたら、少年サンデーの編集者から「部外者が好き勝手にものを言わないでもらいたい」というメッセージをもらいました 当時の自分の文章を読み返すと、下手な文章だなと思うので「文章が下手だ!」と言われるならわかるんですが、的外れなことも誹謗中傷も書いておらず、何がそんなに相手を不愉快がらせたのかは今もよくわかりませんあれからもう15年以上も経っていて驚きます当時から知っている何人もの有能な編集者が、そのあいだ、作家や作品をないがしろにして仕事をしていたわけがないことはじゅうぶんに知っていますでも漫画家も多忙だけど編集者だって忙しい余計なことに煩わされる余裕なんて無いんですよ編集者はかなり強く担当作家と二人三脚を組んでくれるし、愛する作家を愛するけれど、いっぽうで、関わりのない作家に冷たい面がある(会社の人間として振る舞う傾向がある)それは当たり前なんですけどねでも、編集者がおおぜいになった時に、作家もそこにいるというのに、作家の前で他の作家の悪口や噂話をするのはやめてほしかったああこの人たちは、自分の居ない場所では自分の悪口を言って笑っているんだろうな、という想像ができてしまう何かのおりに、いったん、作家と編集者(出版社)の対立が外部にあらわになると、漫画家は多くの場合に、「組織/おおぜい/システムvs個」の、“個”の側にたったひとりで立たされることになる二人三脚していた相手、個人だったはずの編集者が引っ込んでしまって、代わりに、組織である出版社が出てきてしまう芦原さんが言い残した「攻撃したかったわけではない」という言葉は、誰か個人を攻撃したかったのではなく、「組織vs個人」になってしまい、個人として困っている、ということを述べたかったはずです「パーソナルとマスの問題」なんだけど、マスの中で(組織の中で)個人(パーソナル)として、その理解で組織と個人の問題を捉えて、そして言語化できている人は多くない大きく括れば、これはハラスメントの問題に属しますパワハラは、立ち位置の不均衡を素地にして起こるこちらは個人、向こうは組織その不均衡を、多くの場合、組織(強者)に属する人は理解しきることができないヒトが2人以上存在する限り、どちらかが強い、あるいはどちらかが組織に属している度合いが強いので、パワハラが存在する可能性があって、同時にその不均衡の構造は、なかなかすべては語られ得ないのだと思います日本には、作家にエージェントが存在しない作家と編集者(出版社)の間にエージェントが居れば、また話は違うのかもしれないんですが、多くの場合はエージェントの役割を編集者が兼ねているんですよね何かあると二人三脚していた相手だと思っていた編集者が組織の中に引っ込んでしまうので、作家はひとりぼっちになってしまう取り残されてしまうんです今回の問題の実際のディテイルは、原作の改変ですけど、でも重要なのは改変の良し悪しじゃない改変の度合いに関与できないことが問題なのであって、改変がいけないわけじゃない「良い改変」とか「悪い改変」とかがたくさん例示されても意味がない良い改変だとしても原作者が納得しているか、もしかしたら逆に不本意な気持ちになるか、それはまったく別の問題だから「改変する」「改変しない」じゃなくて、原作者個人が取り残さないようにすること、追い詰められて孤立しないでいられることです取り残され追い詰められるのは個人なので組織を背負っている、全体に繋がっている、ほうの人は個人よりは孤立しない仕組みになっているのだから組織のエラーと、個人のエラーをごっちゃにして峻別出来なくなってしまっている今回生じているのは組織のエラーです 個人のエラーはそれに付随して起きたことでしかないそうすると、得をするのは時に応じて組織に溶け込める人間で、損をするのは“個人のまま”の人間、組織と個人を別々のものだと考え続けている、組織に溶けることなど知らない個人、なんです漫画家はそのほとんどすべてが後者です生前の芦原さんの対応には、見聞きできることを見聞きする限り、ひとかけらの瑕疵もない死を選ばずに済んだ道があったはずだそのことが余計に悲しくて悔しい相対することになってしまった脚本の人の心身の安全は守ってあげなきゃならないけど、死なないで良いんで「死ぬしかなかった苦しみ」「作家が味わった地獄」に関しては、芦原さんが味わったのと同様に味わってもらえないものだろうか、「地獄を見たらわかります」、とは思いますもちろんそのとき重要で必要なことは、プロデューサーやテレビ局は、それでも脚本のひと個人の命をちゃんと守りきることなんだよそこを怠ってはならない大きな話として、私たちの社会が、弱者をすくいあげる、ハラスメントに対応する、そういうことがもう出来なくなっているのでは、という視座が要るように見える“個”への、唯一無二への敬意が欠ける場合が多いというか、“原作”を構築するのは個人で、でも現代は“解説動画”とか“読み解き”とかをアピールする環境が大きく整っていて、そういうジャンルに足を踏み込む人はとても多い何かを楽しもう消費しようとする人々にとっては、原作も、読み解き動画も、面白ければ別にどっちでも良いと思って楽しむことも多いんじゃないかと思う“原作“は希少なのだ…という認識を分かち合い続けるのはとても難しい現代の世界は、余計に、“原作”の稀少さがないがしろにされていく素地があるんじゃないだろうか明日から全てが改善される改革なんてあるわけがないし、できるわけがないだろうだから少しずつでも良くならないといけないわけなのだけど、それはかなり強固な意志で重いハネ車を動かし始めなければならないことなので、今、やらないなら、やっぱりやらないのだろうこれ以上の解決や改善を試みないということは、「今のままでヨシとする」という意思表示と合意を意味するわけだからこれ以上は未解決のままでも、漫画の文化はたいして変わりなく続いていくでしょう 今でもまだ豊潤だから今までどおり、声にならないところで、誰かが割りを喰って、不満や悲しみを抱えながら、時々誰かが死んでしまったりしながら、続いていくのだと思いますでもやはり、どうか、少しずつ、少しでも、状況がマシになってくれまいかもし改善がなされないのだったら、物語を創りたい、商業漫画を描きたい、と考えるひとは、「この世界はこういうものなのだ」と心して近付く、あるいは近付かない、それを「自己責任」で判断して生きていってもらうしかないもうひとつもうひとつ、自分が抱えているジレンマは、じゃあ距離を置いた漫画の世界の話には言い及ぶクセに、今お前が属している飲食業の暴力にはダンマリかよ、という自問自答があります卑怯なんですよね、これ今、自分が属している業界に関しても、言葉を綴るべきなんだと思います 今回とても思いましただからこそ、多くの現役の作家さんが、言いたいことすべてを言えるわけはなくて、なのに、多くの人が考えに考えて、自分の言えること、言うべきことを発しようとしていることも含めて、何もかも、痛いくらいにわかりますこのへんで幕引きみたいになって、またここから15年くらい、何も変えられないようになってしまうよりは、もう少し、言葉にして、言葉がまとまって、何かが少しでも変わったほうが良いのにな、と思います
芦原妃名子さん 2024年1月29日 - 一色登希彦/ブログ 
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me--me--me · 2 months
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ポケモンSV!🌸スグリがいっぱいコレクション編🫐
👆おむらぁいすに貰ってた猫ミームミータマ(可愛い)
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👆ダチ達と過ごす美しき日々(ワロタ)
拙者てゃ、けーちゃん、おむのイツメンすこすこ侍。
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おはこんハロチャオ! ᕲ(˳⊙̿͆˳)ᕳ みーくんです( ΦωΦ )
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おいッ‼️みー太郎テメェッ‼️忘れてねぇだろなァ⁉️😡👇
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👆覚えとるよ🐈‍⬛🎶 ホントォ?>😅
上記のような口約束は簡単に責任を作れる呪いの言葉なので迂闊に発しない方が身の為というのが今回の教訓です。ッてもスグリはやっぱり可愛いので久々に記事を書いてくぞ‼️ほぼ三ヶ月近く空けやがってよ‼️
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👆マジでこれといって特に見所が無いミー太郎VSスグリ戦(30秒録画を継ぎ接ぎしてるのでお見苦しくてスマソ)
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さっそく完走した感想なんですけど僕はね、これでもちょっと重めの記事を書こうとしていたんです。藍の円盤がね、まぁ結構ね、重かったじゃないですか。スグリに感情移入が出来るか否かで大分その辺の受け取り方は変わって来るとは思うんですが。人によっては最悪ただの拗らせたクソガキで印象が終わってしまう場合すらある。
だからね一応、本当は真剣にド真面目な記事を書こうとしていたんです。していたんですよ。(過去形)
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番外編を遊ぶ前までは。(キビキビ)
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👇本来この記事を書こうとしていたテンション。
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👆いま冷静に見直すと論点がズレてる気がするし書き口調が段々と飲み屋で酔った面倒くさいオッサン上司になってしまっているので止めて大正解。こんなん長々と綴ってたら読み手が胃もたれするゾ。上司という言葉で思い出してしまった最近マジで転職したい。
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番外編はキタカミが舞台として戻って来たのもあって、藍の円盤の補足でスグリ休学までの過程に対して匂わせ程度でも仄暗い話も来るかな?って身構えてたんですよね。とはいえ流石にスグリにスポット当たり過ぎかとも思ったので、あくまでメインはホームウェイ組で三人がスグリに助言してくれたりするのかな?とか。
したらね。唐突にギャグホラーが始まるもんだから温度差でブッ倒れたミー太郎はキタカミの公民館に用意された自室に戻り、畳の上に敷かれた質素であるが清潔な布団に潜り、瞼を閉じて深く深く考えた…
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―…スグリ、俺らって本当に色々あったし…お前の事、俺なりに寄り添って沢山考えてみていたけど…―
畏まった堅苦しい言葉の羅列を並べる段階は、とうの昔に過ぎ去ったもので、そんなちんけな文字よりも今必要なのは前を向く事なのだ。スグリにも。俺にも。
スグリ、俺はさ…―――
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お前が笑って明日を迎えてくれるなら、それで良いよ。
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感動の再会。挨拶がてら猫吸い宜しくスグリ吸い。髪型そのままなんかーい。
番外編はホームウェイ組メインかと思いきや割とガッツリとスグリが関わってて笑ってしまったが、そういや藍の円盤だと闇堕ちスグリとはそれなりに関わっていたものの光堕ちスグリとは一瞬しか絡めてなかったもんな…お前気づいたら失踪(休学)してたもんな…。
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ここの掛け合いザ・少年漫画のようで大変◎。心做しかスグリも主人公に頼られて嬉しそうに見える!
前述でギャグホラーとは書いたものの、おばあちゃんのお餅催促のくだりとか要所要所では従来通り怖い演出を踏襲して来るのは流石ゲーフリ。子供泣くぞ。
特にお餅は「ひぐらしのなく頃に」のおはぎのくだりを思い出した平成&昭和生まれトレーナーは多かったのではないか。
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tumblrで画像付きの記事を書いた事あるブロガーの皆様なら薄々この詰めッ詰めな画像見て察してらっしゃるかと思うのですが画像転載数がとうに上限の10枚超えてるのでもうこの記事は限界です。そんな…!🐣
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ホームウェイ組に触れれてなかったがペパ先は愛が重くて刺さる人には刺さった男だろうなと思うし(お前この刺さ���系の言い回し好きだな)ネモちはヒソカネモちのままで実家のような安心感があり、私的にMVPだったのはボタちゃんで主人公ん家のオヤツに駆け寄る程はしゃいでたり、礼儀が少々なってない場面でペパ先に窘められたりとメスガキ過ぎて可愛かったのでホームウェイ組で最初に特別講師に呼んだりしてました。ボタちゃんの特殊会話での主人公へのお礼もまた良いんだよな(涙)
まあ結局三人とも好きなんだが。
ゼイユは相変わらずイイオンナだったしな。番外編だと出番少なかったのが若干寂しかったが碧と藍で露出が多かったのでバランスとっての事かなと自己解釈。
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四天王とか更生スター団とか諸々書きたい事は沢山あるが記事内容がごっちゃになりそうなので割愛‼️
…するが、ブルベリ四天王についてはちょっと書く。僕はおタロとアカマツが特に好きです。おタロはキャラビジュ出た時点でもう好きだったんだが、アカマツ…!真っ直ぐで素直な少年に弱いのだ俺は…!!特にあの空気が最悪の状況下だったから一筋の光みたいに見えていた。
ギスギス四天王時代のカキツバタとスグリに対してのアカマツの 「 そーゆーの! マジで めんどくさいよ!!」 マジで好き。
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あとパルデア四天王の方だけど特別講師のポピーちゃんとの特殊会話可愛すぎない❓マジでオススメ。
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こっからメッチャ自己満余談。(ケジメ的なのも含む)
癒しを求めて最近は某美少女ゲーってか所謂ブルーアーカイブにハマりまして勿論キャラの可愛さも要因だが〝エデン条約〟というストーリー(序盤は良くある?美少女ものなんだけど中盤辺りから血を見る展開に…)と各総力戦の戦闘曲がガチで良い‼️因みに僕はBGMから入った人間。(マルク好きはゴズ戦の曲を聴きなさい多分絶対好きだから) んでね。
久しぶりに(2年ぶりぐらい?)Xで新規垢動かしてるぐらいには絵の方ちょっと頑張ろうかなと思えてるので暫くブログの更新を休止します。
なので本当、そういやこんなブログあったな〜って思い出したら立ち寄ってくれよな💋♡ イツメンの皆はdiscordまた声掛けると思うので不定期的に遊ぼうネ★🤪(なんて身勝手な野郎だ)
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更に余談も余談ですがBlueSkyの方に一瞬だけナポ男の垢で生息してました(支払い関係の都合で近々会員を抜けてしまう&少々自分が描くものに思うところがあり現在更新停止)。ポイピクにも同じ絵➕気に入らなくて消した絵を載っけてますがブルスカにはポイピクのURLすら貼っていなかったと思うので同一人物ですよとだけ。賑やかで優しい界隈でした。推しを推す皆様に幸あれ!
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とはいえ描かなくなった=もう動画を見てないという訳でもなく、コメントは基本しないので陰ながら応援のスタイルにはなりますが一視聴者は継続してます。これは船長♡にも言える。
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ほなばいにゃら!🐈‍⬛ (2024/03/25)
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gupaooooon · 1 year
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MCUムーンナイトの「静寂」「QUIET」について
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・MCUムーンナイト4話で、アーサー・ハロウが印象的に語る「静寂」「静寂の朝」と、その解放、について。MCUムーンナイトでの「QUIET」の描写・扱われ方について。以下いろいろと。
うまく纏められなくて、話がいつも以上に散らかってる気がするけども。書く。
・ハロウが語る、コンスがいなくなった朝、「The quiet was liberating.」、「静寂」「静寂の朝」として語るものについて。
あれらの台詞はムーンナイトのコミック(レミーア期)の「QUIET.」「FOR THE FIRST TIME IN A LONG, LONG TIME, OUR MIND IS QUIET.」を意識した台詞なのだろうなと、思うんですが。
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MCUムーンナイトにおいては、コミックとは違う印象を抱く描写が連なっていて……葦の原野での描写含めて、DIDに纏わる製作陣の姿勢など、いろいろなものが込められている気がするな、と。
・ムーンナイト3話。コンスが神々の怒りによって自分が石像に封印されるリスクについて話すと、「俺は構わないな(That doesn't sound so bad to me.)」と返すマーク。
その後のエネアドでは「コンスが好むのは苦痛の旋律だ」と話し、身体の制御権を奪われ、声を奪われ……「人形扱い」に疲弊するマークの姿が、会議を通して描かれている。
3話は、冒頭の少年の死を含めて、コンスからマークに対する……支配や抑圧や苦痛についてが描かれ。かつ最後は、ハロウによるコンスへの複雑な心境が表れているような……勝利宣言のような台詞……で締め括られる。
そしてムーンナイト4話。
自分と同じように“化身ではなくなったマーク”に対して、「コンスが去った日の朝」をよく覚えていると、「解放の証」としての“静寂”をハロウが語る訳ですが。
物語として、マークがコンス封印で……静寂を感じるような描写は特にはなく……
ここでハロウが語る“静寂”なるものを、マークが体験するのは……そのような描写が出てくるのは。その後の銃殺後、ドゥアト(の病院)で目覚めたとき。
呼びかけてもスティーヴンから返事がない“静寂”。
それは圧倒的な孤独と不安と恐怖であり、解放などとは違う。大切な存在を失った、スティーヴンの存在を確認できないこと→「静寂」という演出。
そして、5話6話での“葦の原野”での、スティーヴンを失った先にあった“楽園”についても……マークが「とても静かだ」「It's so quiet.」と語る描写があり……マークが選ぶのは楽園ではなく、スティーヴンと共にあること。
・マーク・スペクターにとっての「静寂」は、スティーブンを見失うことで味わう“恐怖”“不安”であったし。葦の楽園の“静けさ”も、その延長線にあるような演出なのではと。
そして2人に訪れる朝は、“静寂の朝”ではなく。ハロウ医師/病棟から解放された先にあるもの、「お互いの名を呼び、確かめ合う、共存の朝」である訳で。
・この「静寂とは何を意味するのか」「静寂の朝、解放の朝……としてハロウが語るような事象は、物語では真逆の演出として印象付けられている」のでは、ということについて。
DIDを扱う作品として、ハロウ医師の存在と配置込みで。製作陣のインタビューなどで触れられている通り……「統合を絶対視すること」への批判的な視点が込められた文脈のひとつなんだろうな、と。
(この辺りの視点は↓の記事でも書いたので、繋げておきたい) 
・また、この「静寂の朝」の印象的な演出。ハロウのコンス/化身に対する執着が漏れ出てるような振る舞いを考えると。
アーサー・ハロウにとってコンスが去った朝は……解放というよりは、ある朝突然訪れた“放棄”で、孤独を味わった朝でもあったんじゃないかなあとも。彼が“化身であること”に執着している/救いを見出そうとするようにみえるのも、そう考えるとしっくりくる気もするし、
コンスとハロウの、トキシックなホモソーシャルな関係性を表す演出でもあったのかな。
アーサー・ハロウは……神と、制裁の拳として扱われる人間との歪な関係性。抑圧者との同一化。ひとつのバッドエンドルートとして提示されているキャラクターであるなと、改めて思う。
・コミック(レミーア期)のラスト。「静寂」「解放」の最後に「雨」が降ってきていて……それは長い長い砂漠を抜け出した恵みの雨であり、癒しの象徴なのだろうけど。
MCUムーンナイトにおける「雨」は、今のところ、弟を失った日の象徴、マークにとってのトラウマの原点であるので。
「静寂」に続いて「雨」の描写/演出も、コミックとは違った……真逆の味わいを持ってる気がするのが、面白い。
・MCUムーンナイトのアッセンブルを観たときにもいろいろ書いたけど、コミックの要素を魅力的に扱いつつも、
現実の精神疾患を扱っている物語であること。実写/ドラマの持つ影響力について。注意深さを持って作られていると感じられるのが……とても好きだ
 
(Twitterに2022年7.8月に書いた感想の一部。抜粋/少し書き足したり整えたりしてまとめたもの。後から更に書き足したり他記事と繋げたりするかもです)
関連記事
(TwitterのMCUムーンナイト感想まとめは↓)
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