Tumgik
#縄文時代
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
Sean bienvenidos, japonistasarqueologicos, al tercer capítulo del Japón prehistórico y seguir recorriendo sus lugares mitológicos y mágicos, una vez dicho esto póngase comandos que empezamos. - Para continuar nuestro viaje, más vale tarde que nunca, pero despacio y con buena letra. Nos trasladamos al yacimiento arqueológico de Sannai Maruyama en la prefectura de Aomori, localizada en la región de Tōhoku. - La estructura, de madera, data del periodo jomon, es una estructura que funcionó como un gran calendario, ya que algo común que tienen todas las culturas en el mundo es adorar a las estrellas en lo que respecta a la prehistoria. El yacimiento data del 3900 a.c localizado a lo largo del río Okidate en la punta de una suave colina que se extiende desde las montañas Hakkoda. - En la década de 1992, tuvieron lugar las excavaciones que han desenterrado los restos de viviendas en pozos, tumbas de adultos, niños y los pozos de almacenamiento, entre otros rastros de la vida cotidiana. Además de una hay una gran cantidad de herramientas de loza de piedra. Se han excavado una gran variedad de huesos de pescado y de animales que indican hábitos alimenticios de aquella gente, también fueron encontrados frutos secos: como castañas y nueces. Además, se han desenterrado muchas reliquias orgánicas, como productos de madera, herramientas de hueso, canastas tejidas, así como artículos comerciales como jade, obsidiana de áreas remotas y asfalto. Hay una teoría: en Iwate se crean estructuras similares para realizar la danza de los ciervos ¿Qué opinan al respecto? _ Espero que os haya gustado y nos vemos en próximas publicaciones mis amantes del mundo japonés, que pasen una buena semana. - 考古学者の日本主義者の皆さん、先史時代の日本の第 3 章へようこそ、神話と魔法の場所を旅し続けてください。 - 旅を続けるには、遅刻しないよりはマシですが、ゆっくりと上手な字で。 東北地方にある青森県の三内丸山遺跡へ移動します。 - この木造建造物は縄文時代にまで遡り、先史時代から世界のどの文化にも共通して星を崇拝しており、偉大な暦として機能していた建造物です。 この遺跡は、八甲田山系から続くなだらかな丘陵の先端、沖館川沿いに位置し、紀元前 3900 年に遡ります。 - 1992 年代に発掘調査が行われ、井戸内の住居跡、大人、子供の墓、貯蔵穴、その他の日常生活の痕跡が発掘されました。 1 つ以外にも多数の石器の道具があります。 当時の人々の食生活を示す魚や動物の骨が多数出土しており、栗やクルミなどの木の実も出土しています。 さらに、木製品、骨道具、編んだかごなどの有機遺物や、翡翠、辺境の黒曜石、アスファルトなどの交易品も発掘されています。 岩手でも鹿踊りをするために同じような建物が作られているという説がありますが、どう思いますか? _ 日本の世界を愛する皆さん、良い一週間をお過ごしください。 - Welcome, archaeological Japanists, to the third chapter of prehistoric Japan and continue touring its mythological and magical places. Having said that, put yourself in command and let's begin. - To continue our journey, better late than never, but slowly and with good handwriting. We move to the Sannai Maruyama archaeological site in Aomori prefecture, located in the Tōhoku region. - The wooden structure dates back to the Jomon period, it is a structure that functioned as a great calendar, since something common that all cultures in the world have is worshiping the stars in regards to prehistory. The site dates back to 3900 BC located along the Okidate River at the tip of a gentle hill that extends from the Hakkoda Mountains. - In the 1992s, excavations took place that unearthed the remains of dwellings in wells, graves of adults, children and storage pits, among other traces of daily life. In addition to one there are a large number of stoneware tools. A wide variety of fish and animal bones have been excavated that indicate the eating habits of those people. Nuts such as chestnuts and walnuts were also found. In addition, many organic relics have been unearthed, such as wooden products, bone tools, woven baskets, as well as trade items such as jade, obsidian from remote areas, and asphalt. There is a theory: in Iwate similar structures are created to perform the deer dance. What do you think about it? _ I hope you liked it and see you in future posts my lovers of the Japanese world, have a good week.
47 notes · View notes
kensasuke23 · 3 months
Text
Tumblr media
今日は福島市で前田遺跡のシンポジウム。この遺跡はやっぱりすごい。縄文時代観がひっくり返されます。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
石器しかない時代によくこんな精巧な木製品を… あと、漆を使った彩色技術。思ったよりもカラフルだった縄文時代。
すごい。
Tumblr media
お昼は幸楽苑の中華そば。
32 notes · View notes
vegehana-food · 7 months
Photo
Tumblr media
✿ アジフライ | Aji Fry ・アジを食材としたフライ料理である。明治以降の日本で西洋料理に基づいて独自に発達した洋食のひとつであり、その後はほとんど和食と位置付けられることもあるほど、おかず、おやつ、酒の肴などとして広く普及している。 ・調理はアジにパン粉などを付けて油で揚げるのが基本で、細かい工程では様々な工夫がなされる。サクサクとした衣とふんわりとしたアジが作り出す食感が特徴で、かける調味料によって異なる味を楽しむことも可能である。また、栄養面では低カロリー・低糖質でエイコサペンタエン酸 (EPA) やドコサヘキサエン酸 (DHA) が豊富であるとされることがある。 ・日本では、縄文時代からアジが食されていたと考えられており、平安時代には行事食として用いられるなど、美味しい魚として知られていた。一方、江戸時代の日本では、揚げ物の調理方法の一つとして天ぷらが定着しており、日本の天ぷらには、欧米の揚げ物で一般的な少量の油を使用する揚げ方(シャロウ・ファット・フライング)とは異なり、大量の油を使用する揚げ方(ディープ・ファット・フライング)を用いるという特徴があった。明治時代初期になるとパン粉が伝来し、コートレット(カツレツ)やクロケット(コロッケ)といった、パン粉をまぶして熱を通す西洋料理が日本に持ち込まれる。これに、天ぷらで培った日本のディープ・ファット・フライングの技術が合わさり、パン粉を衣にして大量の油で揚げる日本のフライ調理が確立した。
7 notes · View notes
shinjihi · 1 year
Quote
世界四大文明よりも古く、 かつ人類史上最長の1万年以上も続いた 縄文文明の謎をご紹介しています。 例えば、、、 ・世界中の遺跡で見つかるのに、  縄文遺跡でだけ見つからないたった1つのもの ・教科書から消された世界最古かつ  人類史上最長の縄文文明の正体 ・縄文文明が1万年以上も続いたカラクリ など、、、、 私達が教わらなかった 縄文文明の謎を紹介しています。 https://youtu.be/1Ks_m_MOcos
https://youtu.be/1Ks_m_MOcos
7 notes · View notes
chiharukihara · 2 years
Text
Tumblr media
縄文土器 2022
oil on canvas 727×530㎜
Chiharu KIHARA
27 notes · View notes
ututumyou · 6 months
Text
カナ文字と言う言葉は何処から出来た?世界の殿方達に捧ぐ!!
Genden-TukuRich®️の世界へようこそ!VOL.251 考えてもみなかった! さかのぼる縄文時代の集落の真ん中には先祖の墓があった。 生きている人と亡くなった人が共存して先祖が生きている皆んなを守ってくれている文化があったようだ! この頃から先祖を敬う心が日本人にはあった! 素晴らしいではないか! それを祖霊信仰という! 祖霊(先祖の人)には名前がある。 先祖は守り神であるということから 神の名! もう、お分かりであろうか! 神(カ)名(ナ)と読む 日本語は一字一音一義で、 アはあと言う神様の名前であると言われた。 そういう所から来ているようだ! また一つ勉強になった。 殿方達も如何だったであろうか? 日本語は難しい、美しい! Song by Genden-TukuRich®︎ Apple music、Spotify…
Tumblr media
View On WordPress
0 notes
metal-cn · 10 months
Text
何やら、日本では、旅流行るらしい!ならば、東北歴史博物館でも、どうか?ちゅう人も?
縄文でも、どか?みたいな、ね。
0 notes
yaasita · 1 year
Text
0 notes
fda-blog · 1 year
Text
「縄文時代について(後編)」~竹末の読書メモ④
お待たせしました!昨年10月のブログ配信以来、久しぶりの投稿です。 前回(2022年10月末)のブログでは、縄文時代は、日本の古墳時代から21世紀の現代までの1700年間の8倍以上の13000年の長さであることの概要をお話しました。また、弥生時代というのは、わずか800年です。なんと1/16の短さです。・・・と言っても、現在を生きる我々からするととんでもない長さなのですが・・・
さて、青森市郊外の青森湾に注ぐ沖館川の右岸台地上にある「山内(さんない)丸山(まるやま)遺跡」はご存じでしょうか? ここでは、戦後、小規模な発掘は行われていましたが、1992年に県営野球場の建設をきっかけに大規模な事前発掘が実施されました。縄文時代前期中頃から中期(今から5500年ほど前にあたります)までを中心に、約1500年続いた大規模集落の遺跡です。その広さは35ha(東京ドームが7.5個分)、ここだけで500人近い人びとが住んでいたと言われています。1994年には、直径約1mのクリの巨木を、4.2m間隔で6本立てた大型掘(ほった)立柱(てばしら)建物跡が見つかり、同年8月には公園の計画が変更され、遺跡として保存されることになったところです。
考古学者の説によりますと、一万5千年ほど前の日本列島は、現在より温暖であったようです。したがって、現在の日本列島の北部地区での縄文遺跡の発見が続いたために、長い間、北方起源と考えられていました。その根拠は、①縄文時代の初期に東北日本を中心に数多く分布した、大型で特徴のある石槍や石斧などが北方系であること、②かねてより、縄文文化が東高西低であると考えられていたこと、などの理由から、「縄文文化は北から南へ伝播し、弥生文化は稲作を中心に、ゆっくりと北上した」と考えられていました。 ところが、近年、種子島も含めた南九州で、約一万一千年前に噴火した桜島起源のサツマ火山灰の下から、続々と縄文時代初期(草創期)の遺跡が発見され、北方起源ではすまされなくなってきたのです。 筆者の住んでいる昭島市の隣にあきる野市がありますが、その多摩川沿岸では縄文遺跡が発掘されています。そもそも昭島市では戦後、200万年前のクジラの骨が発見され、昭島市の市立図書館に隣接する郷土資料館にはクジラの骨や多数の土器が展示されています。今の東京湾から昭島市あたりまで海だったと推定されています。つまり、日本国中にはまだまだ発見されていない縄文遺跡が眠っているのかもしれませんね。
さて、唐突ですが、【図2】に「縄文カレンダー」というものをご紹介しましょう。 國学院大学名誉教授の小林達雄氏(現在85歳)が提唱されたもので、縄文文化の食料の季節変化を円に描いて表わしています。縄文人が、季節の変化を考慮して、計画的な労働を展開していた様子がよくわかります。
Tumblr media
図2:縄文カレンダー(國学院大学名誉教授・小林達雄氏提唱)
縄文時代の前半の住居形式は、地面を掘りくぼめた「竪穴式住居」の中で寝起きしていました。後に向けて、次第に「平地式」が増加していきます。 食べ物は、主に自然から集めており、クリやクルミ、トチ、ドングリなどの堅果(けんか)類、シカ、イノシシなどといった陸獣、タイ、スズキ、サケといった魚類。また、甘み不足を補うために、アケビやコクワ、ヤマブドウ、そして昆虫食も食べていたとされています。 堅果(けんか)類は地面に穴を掘って貯蔵もしていたし、ハマグリなどは、いったん煮てから干し貝にしたり、魚や肉類も干し魚や干し肉、燻製にして保存食品にしていたようです。
道具としては、東日本域では、石刃を素材とし、主に手持ちの槍の先として使用されたと推定。 ナイフ形石器類は、北海道、東北、関東などに多様な地域に存在が認められています。 土器の出現は、北と西でほぼ同時期に出現したとみられています。しかし、北も西も大陸からの伝播の痕跡はなく、列島各地での発祥とみられています。 土器の持つ歴史的な意義は、ものを入れる容器としてよりも、煮沸具としての方が大きかったようです。 動物のスジや頬肉など硬い部位の肉、草菜の植物繊維なども煮込むことによって、柔らかくなり食べることができるようになりました。また、熱を加えることによって、人体に有害な物質を除去することも可能になるので、重要なデンプン質の供給源であるトチやドングリ類も食料資源として十分に利用できるようになりました。また、貝類や魚類を土器で煮ただろうし、獣骨を煮て骨髄からスープを取り出したりもしただろうとも言われています。
土器が利用されるのは、なにも食料を調理する場面だけではなく、たとえば、植物の繊維を柔らくするために湯に長時間浸け込んだり、アスファルトを溶かしたりするときにも用いられました。また、ウルシの精製をしたり、染料や顔料も焼成・煮沸し、接着材や塗料としても活用していたと言われています。
樹木についてですが、ナラやクリは縄文時代全時期を通じて重要な植物とされています。特にクリは実が食用にもなる一方、樹木は建築材料にも使われていました。それは比較的加工が容易であることと、耐久性、保存性に優れ、特に水湿に強く腐食しにくい性質があるからです。当時の人々はそれらの特性をすでに知識として獲得していたと思われます。集落の周辺にクリを意図的に植栽し、群生させ��これを管理していたと考えられています。
次に社会構造について触れてみたいと思います。 前期あたりの社会構造は母系的な社会であったと推定されています。というのは墓の人骨分布とそのDNA鑑定から、男性が集団内に婚入してくるような社会構造を有していたことが分かっています。 昔の女性にとって、出産は死の危険がともなう一大事だったでのしょう。江戸時代でさえ、出産の15%くらいは死産で、無事に生まれても、5歳までにおよそ1/4が死んでしまったと言われています。
超自然的で不可解なことを解消し、さまざまな願いを成就するために、縄文人は、祈りを捧げていたようです。森羅万象・万物に生命・精霊が宿ると考え、神格化した、あるいは人と同様な生き物に畏敬の念を持ち、その心を静め、災いを避けるために祈っていたようです。 万物への崇拝、つまり祈りを具体的に表すために、日を決めて行う儀礼である「祭祀」を行い、それを行う建物や墓地を含めた場が「祭祀場」であり、用いられた道具が「祭祀具」と言われています。 土偶は女性を表わし、とくに妊娠の姿を表わすことが多いことから、豊穣を祈る祭祀具であるとされてきましたが、これについては、ある芸術家が異を唱えており、機会があればご紹介したいと考えています。
「七歳までは神の子」といわれて、幼くして死んだ子どもはカミに返すため、葬式もせずに川原や村のはずれに捨て、あの世に送るのが通例であったとされています。 縄文人は、現代人がゴミとして遠ざける物を、汚い物、邪悪な物、遠くに捨てる物とは考えず、逆に自分たちに恵みを与えてくれた物として感謝を込めて送っていたようです。この時期、住居の入口に土器を埋めて乳幼児の遺体を埋め、再生を願うのが一般的な習俗であったとされています。 集落内には、貝塚・ゴミ捨て場・盛土遺構などと呼ばれるゴミの処理・送り(祭祀)をした場所が発見されています。ここは単なるゴミ捨て場ではなく、彼らに恵みを与えてくれた食べカスや、役目を終えた道具類に感謝を込めて、火を焚いてカミの世に送る所であり、現世は良かったと報告させて、また再び戻って来るよう祈ったとされています。
縄文人も様々なアクセサリーを身に着けていました。先日(2022年10月20日)に、NHKBSプレミアムの『英雄たちの選択』で放映されました「追跡!古代ミステリー“顔”に隠された古代人のこころ」でも、貝殻を刳り貫いた腕輪のようなものや、現代のアフリカ原住民が顔に化粧をしているような事例を紹介されていました。たとえば頭飾りとして、漆塗りの櫛や骨角系製の笄(こうがい)、耳飾り、鹿角製の腰飾り、トリの長管骨やイノシシの犬歯による足飾りなどで、装身具の着装は他者との差異を表わすと同時に、同じ装身具を着装することで、他者との同一性を示していたようです。まだ言語というコミュニケーションツールが確立していない状況であったでしょうし、そういった形で差異化をはかっていたのではないでしょうか。
ヒトの移動、渡海ルートは、朝鮮半島から北部九州の西回りルート(現在の瀬戸内海は陸続きだった)、沿海州からサハリンを経由して北海道(一部は新潟、富山、島根まで到達)へと至る北回りルート、そして南西諸島を北上してきた南回りルートが考えられています。舟は丸太を刳り貫いて造ったとされ、最近でも木を刳り貫いて造った舟を再現し、縄文時代の海洋交流を実体験している研究者もおられるようです。
以上、一万5千年以上前から一万3千年以上続いた縄文時代の生活について概説してきました。まだまだ謎の部分が多いのですが、ほとんどのことがわずか百年程度の研究で推察されてきたに過ぎません。彼(彼女)らが、現代の生活を想像することはまったくできなかったでしょう。自分たち人間の創ってきた文明の利器で自然を破壊し、同じ人間同士が殺戮を繰り返すことなど予想だにできなかったでしょう。 遥か昔のことを知ることによって、いろいろ考えさせられる良い機会となりました。
以上、前回と今回までで、ご意見やご要望があれば、下記メールアドレスに送信ください。 [email protected] 【筆者・竹末俊昭…一般社団法人ファブデザインアソシエーション【 FDA 】理事長・元拓殖大学工学部デザイン学科教授】
参考文献: ・「縄文の生活誌」岡村道雄*(講談社学術文庫、2008/11第一版発行) 岡村道雄氏*:1948年生まれ、東北大学博士課程修了、東北大学、東北歴史資料館、文化庁等歴任
・「縄文時代の歴史」山田康弘**(講談社現代新書、2019/01発行) 山田康弘氏**:1967年東京生まれ、筑波大博士課程中退、人類学者
0 notes
catdoll007 · 1 year
Text
縄文時代・弥生時代・古墳時代 📜
奈良時代・平安時代
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
0 notes
takigawa · 1 year
Photo
Tumblr media
‼️ #大平山元遺跡 「発掘調査で出土した縄文土器は世界の中で最も古い[6]とされるものがある。 縄文土器に付着した炭化物のAMS法による放射性炭素年代測定法[7]の算定で16,500年前(暦年較正年代法による)のものである可能性があるとされる[8]。また、石鏃も世界でもっとも古いもので、これは世界で最も古い弓矢の使用を示す。」 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B9%B3%E5%B1%B1%E5%85%83I%E9%81%BA%E8%B7%A1 #世界最古 #遺跡 #縄文 #縄文文明 #縄文土器 #縄文時代 https://www.instagram.com/p/CnJHTPryviw/?igshid=NGJjMDIxMWI=
1 note · View note
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
Sean bienvenidos japonistasarqueológicos, a una nueva entrega de arqueología japonesa, una vez dicho esto pónganse cómodos que empezamos. - Antes que nada:¿Qué entendemos por una excavación arqueológica? Consiste en extraer los restos materiales de las culturas del pasado a esto se le llama cultura arqueológica por ejemplo: los restos viviendas de fosa y hoyos. Los restos arqueológicos, se localizan en la  Ciudad de Narashino, en la prefectura de Chiba, los restos podrían tratarse del periodo jomon (15.000/16.000 a.c)  - Espero que os haya gustado y nos vemos en próximas publicaciones, que pasen una buena semana.  - 日本の考古学者たちよ、ようこそ。そう言われたら、くつろいで、さっそく始めましょう。 - まず、考古学的発掘とはどういうことかというと、過去の文化の物質的遺構を取り出すことであり、これを考古学的文化と呼びます。例えば、竪穴住居跡やピット跡などです。千葉県習志野市にあるこの遺跡は、縄文時代(紀元前15,000~16,000年)のものと思われます。 - 気に入っていただけたでしょうか、また今後の記事でお会いしましょう、良い一週間をお過ごしください。 Welcome, Japanese archaeologists, to a new installment of Japanese archaeology, and once that's been said, make yourselves comfortable and let's get started. - First of all: What do we mean by an archaeological excavation? It consists of extracting the material remains of the cultures of the past, this is called archaeological culture, for example: the remains of pit dwellings and pits. The archaeological remains, located in Narashino City, Chiba Prefecture, may date back to the Jomon period (15,000/16,000 BC). - I hope you liked it and see you in future posts, have a nice week.
44 notes · View notes
kensasuke23 · 7 months
Text
Tumblr media
今日、会津若松市に行ったのは福島県立博物館の企画展観賞のため。「伝える–災害の記憶」という展示が今日から始まりました。
Tumblr media Tumblr media
関東大震災から100年ということで、災害がどのように伝えられて来たかを展示しています。
Tumblr media Tumblr media
一番目を引いたのは東日本大震災の震災資料。まだ新しい記憶です。10年以上も経つのに。
Tumblr media
こちらも見たかった展示。最近、縄文時代の木製品に興味を引かれます。
Tumblr media
良い展示でした。
14 notes · View notes
yanko6163 · 1 year
Photo
Tumblr media
【あんこう鍋】 ここ数日 ぐっと寒くなりましたね。 こんな時は、鍋‼️ 縄文時代から食べられている方法。 みんなでお鍋を食べると 心も身体もあったまりますよね💕 ということで 今日は良いあんこうを 見つけたので あんこう鍋にしてみました。 肝はハイカロリーなので 今回は見送り。 お供は、何にしようかな? #鍋 #縄文時代 #あんこう https://www.instagram.com/p/CmVlHlBS1V0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
highlandfeet · 2 years
Text
言葉と共に、掘り続ける私たちの物語を発掘していくドキュメンタリー「映画 掘る女 縄文人の落とし物」
縄文の銀座とも呼ばれる、八ヶ岳山麓の南側から西側にかけての広い裾野に数多にある縄文遺跡。現在でも各地で発掘調査が行われていますが、実際に発掘作業に携わる方の多くが女性であることに気が付かれるかもしれません。 2017年にNHKで放送された「八ヶ岳の縄文遺跡ー身近な場所にある縄文人の暮らしの痕跡」という動画を見つけた😁ちょっとしたお手伝いのつもりが、発掘のおもしろさに目覚めてしまう人、少なくないよう😆八ヶ岳の縄文遺跡 | 動画で見るニッポンみちしる | NHKアーカイブス https://t.co/fSHdCh9408— 北杜市考古資料館 (@hokutoshi_kouko) June 17,…
Tumblr media
View On WordPress
0 notes
chiharukihara · 2 years
Text
Tumblr media
縄文土器 2022
oil on canvas 652×530㎜/F15
Chiharu KIHARA
7 notes · View notes