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#芹沢銈介
holespoles · 4 months
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Dyeing calendar by dyeing artist Keisuke Serizawa.
染色家、芹沢銈介による染型カレンダー
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sazanami-sewing · 2 years
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#067 芹沢銈介てぬぐいの巾着
テプラのテープ入れ
オフィスや学校で事務用品の整理や掲示によく使われるラベルテープのテプラ。あれに「りぼん」があることを最近知った。ラベルではなくて布製(サテン?)のリボンに文字やイラストなどをプリントできるという。ギフトラッピングなどを想定して作られたみたいだけど,これ、服とか布小物のタグとして使えるのでは?
検索してみると、実際そういう用途で使っている人は結構いるみたいだった。特に既製品みたいな見た目を目指すハンドメイド作家さんに人気があるみたい。
ワタシのは完全に素人の自己満足粗雑ハンドメイドだし,タグの有無で作品の機能が大きくかわるわけではないんだけど、でもこれいろいろ遊べて楽しそう♪ ということで多色揃えてしまった。ああ、散財。
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さて、これをまとめて入れておく袋が欲しいぞ…というわけでハギレなど布素材を突っ込んでいる引き出しから、この夏に静岡の芹沢銈介美術館で買ってきたてぬぐいを選んだ。大きめの柄なので,小さいポーチとかには向かず、手拭いをそのまま全部使うのがいいと思う。
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裏地は、以前シャツ作り講座のオンラインレッスンを受講した時にキットに入ってた薄手のリネン。デフォルトの布を使わずに恐竜柄にしちゃったからそのまま残っていたのだ。白無地はワタシ的には主役にはしないけど、変な色柄が表に透けてひびかないからいいですね。
雑だけどまぁ無難かな
しばらく薄い本の原稿にかかりきりでミシンを触ってなかったので、直線縫いでダ〜ッと作れるものはリハビリに丁度いい。
作り方はnunocoto fabricさんの、2枚仕立て(裏地つき)のフリル巾着袋の作り方【体操着袋サイズ】をもとに,多少サイズはかえてある。
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簡単だと思って気を抜きまくってたので,直線がちゃんと直線になってないとかあるんだけど。
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こうやって口閉じて使ってる分にはあんまり粗は目立たん、と思う。多分。
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sayakalaine · 1 year
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#アイヌ #アイヌ紋様 #アイヌ刺繍 #アイヌ木彫 #アイヌ文化 が好きで憧れています☺️ なので、昨年の秋には1人で阿寒湖に泊まりました✨ 白老にも行きたいと思っています♪ なんと #静岡市 にある #芹沢銈介美術館 で アイヌ文化の講習会があったので 電話予約して行って来ました🚗 なかなか聴けない貴重なお話しばかりで、とても興味深かったです♪ 二風谷にも行きたくなったし、 「ゴールデンカムイ」の続きを読みたくなりました。 二風谷で撮影中の映画も楽しみです🎬 #芹沢銈介美術館 は、また改めてゆっくり訪れたいです♪ #ainu #民族 #民藝 #民芸 #伝統文化 (芹沢銈介美術館) https://www.instagram.com/p/CpTh-MkyBiy/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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tori-utsuwa · 2 years
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. 2022.10.9(日)10-17時OPEN 富山の桂樹舎さんより 2023芹沢銈介卓上カレンダー 届いてます 昭和20年より約40年間続けられてきた、重要無形文化財保持者(人間国宝)芹沢銈介の型染カレンダー 卓上カレンダーは、型染カレンダーを縮小印刷したものです 2023年は昭和25年の復刻版になります 2023芹沢銈介 卓上カレンダー/1320 #桂樹舎#2023芹沢銈介卓上カレンダー#下関市#川棚温泉#うつわ好き#手仕事#うつわとくらし桃李 https://www.instagram.com/p/CjeTGKhhnVM/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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foucault · 4 months
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柚木沙弥郎先生が遠くへと飛び去ってゆかれました。
僕は柳宗悦も芹沢銈介も歴史的人物として「やなぎ」「せりざわ」と呼び捨てるのですが、柚木沙弥郎という方はやはり「柚木先生」と敬称で呼びます。謦咳に接した方は、いくら偉くともなかなか呼び捨てにできませんね…(たくみの志賀直邦さんは「柳先生」、岡山の小野善平さんは「芹沢先生」とお呼びでしたが、きっと同様の理由かと)。
『民藝』を現在のような背表紙のあるスタイルにしたのは、2020年1月号「世界の人形」特集(完売)からなのですが、柚木先生所蔵のペルーの厨子を表紙に使い、インタビューも併せて掲載しています。民藝誌を刷新し「これからの民藝」を取り上げてゆこうと決めた際、「昔の仕事の話を聞かれるよりもこれからの仕事の話がしたい」とお目にかかるたびに仰っていた柚木先生の姿が浮かんだことが、その理由でした。富ケ谷のご自宅に、お気に入りのポルトガル菓子を手土産に訪ね、たくさんのものを見せていただき、またお話を聞かせていただきました。また、話の流れで僕がメキシコに滞在したときのことをお話したところ、その時の写真、あったらぜひ見せて、と仰られるのでiPadでお見せしたところ、食い入るように細かなところまで見ているその姿、自分の次の仕事にどう取り込もうかという貪慾さに接することができたのは、とても有り難い経験でした。
なんだか、明々とした大きな鳥が飛び立ったあとのように寂しくなりますが、その寂しさは僕らが仕事を続けることで埋めてゆかねばならないのだと考えます。ありがとうございました。
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chabatayuka · 3 months
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中平卓馬 @国立近代美術館
ひとの意識って余計すぎるのかもしれない。 と、後期の作品を見ていてそう思った。意識がない(ように感じる)作品の方がずっと鮮明で、余計なものがない感じがして。
常設展で芹沢銈介の版画や型染めがたくさん展示されていたのも良かったな。全然人がいなくて贅沢だわ。
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crispy-moratta · 7 months
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ニュースペーパーの健康さを望む
花也野さんの取るに足らないことについて言語化をしてくれる姿勢がつくるストーリーズがいつも素晴らしく、ようやくそのことを本人にお伝えできたのでとてもうれしかった。一緒にTABFを回っていて、めちゃデザインというかグラフィックが好きなんだろうなというのが伝わってきて、全然出は違うが同じ学校にいてよく制作について語り合ってきた級友のような心持ちでお話しできてたのしかった。そしてそのような話をしているとき、わたしの美について思うことが最近漠然としているなという感覚もあり、自分の関心の位置捉えなおす必要を感じ、2週間くらい缶詰になりワーキングしていたのもあり、人と話すことの大切さ〜という気持ちになった。会社員時代の同じ周期を繰り返しながらままならない生活を送り続ける、つぎはぎだらけのパッチ状態 -終わらないなみ縫い編- から、会社を辞めて以前より無限に感じられる余白と孤独、、拡張する巨大な布地と裁ちばさみ -きまぐれステッチおよび時々ワッペン編- に移行して間もないが、ようやくこの大きな布地に対峙する心のあり方も見出せつつある、じきに年末であるが、やはりこのような取り止めのない日々、徒然と日記をしたためるのも悪くはないが、新聞を作るべきだと思うこの頃である。新しく伝え聞いたことを編み直すようなメディア。題材は書体でも生活の澱でも、あふれかえる漫画や映像についてでもかまわないが、取るに足らないことがうれしいことを忘れたくない。芹沢銈介がブックデザインをし、柳が編集した『工藝』 が頭に留まっている。
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catonoire · 9 months
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「柚木沙弥郎と仲間たち」展
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日本橋髙島屋で「柚木沙弥郎と仲間たち」展を見る。1922年生まれの現役染織家、柚木沙弥郎の作品を中心に、関連作家の作品が合わせて紹介されている。ごく一部を除いて日本民藝館の所蔵品ばかりなので、会場風景を別にして展示品だけ見れば、日本民藝館になじみのある人なら同館が髙島屋に出張してきたかのような印象を受けるかもしれない。
展示構成は、民藝運動の発生および最初期にさかのぼるプロローグ的なコーナーに始まり、1940〜70年代ごろの柚木と仲間たちによる作品を一覧するコーナー、次いで柚木作品だけを集めたコーナー、最後に萌木会の活動を紹介するコーナーで締めくくられる。萌木会とは、柚木の師である芹沢銈介を中心に結成された染織家の団体である。
この展覧会の主役たる柚木の作品の中では基本的に幾何文が好みだったが、それ以外では《型染阿吽文暖簾》が目を引いた。阿形に相当する口を開けた人の顔と、吽形の人の顔が大きく両側に配された暖簾で、ふだんは人間をモチーフにしたモノはあまり好きでないにもかかわらず、これは欲しいと思わされた。民藝というと素朴とか地味とかいうイメージが相場かもしれないが、柚木作品にはどれも明るさが感じられる。柚木本人の人柄などは知らないが、作品からは陽の本性を持つ人という印象を受けた。
今回展示されていた中では、立花長子が唯一(だったと思う)の女性作家だった。その作品のキャプションに、次のようなエピソードが書かれていた。いわく、立花は萌木会の初の女性メンバーだったのだが、これまで皆が放ったらかしにしていたような雑用を彼女はきちんと片付けてから家に帰っていたとのこと。男性中心的な世界が容易く想像できる。また、とかく民藝運動は朝鮮や琉球などの美に対する賞賛や憧れを無邪気に表明するきらいがあり、少なくとも現代社会を生きる我々としてはその手のオリエンタリズムに自覚的批判的である必要があるのではないかとも思った。
なお、チラシ等に使われている展覧会タイトルの文字は、柚木本人の手によるものらしい(会場の外で上映されていた映像から判断)。柚木へのインタビュー映像のほか、民藝運動関連映像が多数上映されていた。
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taiheitakei-text · 3 years
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自己啓発的やる気、最近のBL漫画
あらゆる全ての進捗にムカつくので頑張るしかないというのは芸大生的最後の砦感があり(芸大生じゃなくてもある気もする)この思考に陥ると、このただひたすらにやるしかない精神を増幅させてでバイタリティをあげるなんて、文学的じゃないし結局しょうもない私……みたいな気持ちにもなるが、ひとりの青年期の男として、そこには頼らないプライドの高さは捨てても良いと思った。それは例えば澁澤龍彦や三島由紀夫、ゲーテ、池澤夏樹や芹沢銈介の考えや、タイポグラフィの書物、情緒深い漫画や勢いよく血が出る系の爽快グロ漫画などからインスピレーションを受け、自分のパワーに翻訳できるのが理想だけど、時に自己啓発文が救ってくれる人生もあるということである。ただ自己啓発的なバイタリティは突発的、根本的に動機が不足していることが多く、並行して自分を見失わぬよう日記をしたためていくばかりであるが……。
かくいう私は最近BL漫画に興味がある。ななこさんの勧めで中村明日美子の同級生シリーズを読み始め、シリーズ終盤には主人公の草壁と佐条とともに一喜一憂し、他の漫画家の作品もいくつか読んだ。特に同級生シリーズの中村明日美子や新井煮干し子の作品は、禁欲的な恋愛が性的な興味や好奇心によって時にフィジカルなものに進展したりするが、常にそれらの行動が登場人物の心持ちと同一視できる行動というわけでもなく、その矛盾や葛藤を抱えつつみたいなのがうまくて良〜ってなった。そしてこの葛藤とは、BLに関わらず恋愛に関わらず、人生じゃん。ってなってしみじみしたりした。
気づけば年末である……。
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episodkzz · 2 years
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芹沢銈介美術館(芹沢銈介と文字)
2023年のカレンダーニアピンで販売前。
白石館の夜間ライトアップが10月15日だった。
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ymyh · 2 years
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2022.8.2に見に行った展覧会(1):夏の謝恩展@蔵丘洞
*出展作家:パブロ・ピカソ、岡本太郎、須田剋太、来野月乙、坂田源平、井上有一、芹沢銈介、他
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holespoles · 4 years
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Keisuke Serizawa Silk book type picture dyeing "Human character axis"
芹沢銈介 絹本型絵染「人の字軸」
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sayakalaine · 1 year
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#アイヌ #アイヌ紋様 #アイヌ刺繍 #アイヌ木彫 #アイヌ文化 が好きで憧れています。 なので、昨年の秋には1人で阿寒湖に泊まりました。 白老にも行きたいと思っています。 なんと #静岡市 にある #芹沢銈介美術館 でアイヌ文化の講習会があったので電話予約して行って来ました🚗 なかなか聴けない貴重なお話しばかりで、とても興味深かったです。 二風谷にも行きたくなったし、 ゴールデンカムイの続きを読みたくなりました。 二風谷で撮影中の映画も楽しみです♪ たまたま友人も興味があるということで4人で、ついでに楽しく大人の遠足✨ #芹沢銈介美術館 は、また改めてゆっくり訪れたいです♪ ほぼ毎週1年ほど通っていた静大 と静岡駅周辺と「グランシップ��くらいしか訪れた事がなかったので、 行ってみたかった #日本平ホテル も行けて嬉しかったです♪ #静岡県 #静岡県民 #伊豆半島民 我が家から🚗で2時間前後 (静岡県 静岡市) https://www.instagram.com/p/CpTeNDKyCDL/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kaciju · 4 years
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駒場東大前にある『日本民藝館』で、
【アイヌの美しき手仕事   
The Beauty of Ainu Handiwork 】
2020年9月15日(火)~11月23日(月・祝)
を観てきた。
アイヌ独特の文様が刺繍された衣装や刀掛け帯、ネックレス等が展示されていた。
遠くからでも目を惹く大胆なデザインや色使いにハッとし、近づくとその細やかさにうっとりする。
もうその繰り返し。
とあるアイヌ刺繍を施した衣装は、袖口にだけ優しい色合いの花柄の生地が縫い合わされていた。
さらに、背中の文様と文様の間にも同じ花柄が使われているのを見つけた。
ちらりとほんのちょっぴりだけ。
この美的センスに私は、一発お見舞いされた。
帰りがけ、連れ合いが「やろうと思えば文様を左右対称に縫うことが出来るのに、どの衣装も左右非対称だった。」と言っていた。
家に帰って調べた。
「完全なるものはカムイ(神)のみ創ることができ、その領域を侵してはならない。」という事らしい。
アイヌの人々は、どんな所でもカムイ(神)を感じ、敬い、畏れを抱き生活してきた。
魔除けの意味もあるアイヌ文様を、自分そして愛すべき人を守る為にひと針ひと針縫ってきたのであろう。
それは、もはや祈り。
本日、祈りを具現化した衣装等を観てきた、そんな話。
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foucault · 6 months
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今日は店は休みです。久しぶりに奈良に来ています。本籍を奈良に置く身としては、故郷へ戻る嬉しさです。仕事があるとはいえ、合間に興福寺で八部衆の御顔でも拝めるとなおなお嬉しいところですが。
そういえば、本日2023年12月12日はちょうど小津生誕120年、没後60年。小津で奈良、といえば『麦秋』の最後、ふっと差し込まれる麦畑の中をゆく嫁入り風景のシーンですが、あれ、どこなんでしょうか。後ろに耳成山のような山が見えるので、橿原のどこかかな。
ついでの話。このごろ書きものの仕事が多くて、頼まれもの以外の文章なぞつらつら書いている場合ではないのですが、小津についてふと気になってしまったことがあり、書いておかないと本来の仕事ができなさそうなので、合間合間に記していた雑文をここに置いておきます。長いですし、結論はないし、ほとんどの方が興味のない内容かと思いますが…。
ちょっとした調べものがあって雑誌『みすず』2001年12月号を読んでいたら、木村伊兵衛が小津安二郎を撮影した写真と文章「上海で小津安二郎氏をうつす」が掲載されていた。時期は1938年1月なので第二次上海事変の翌年。小津は1937年9月に出征して中国に渡り、事変の直後12月から上海にいたようで、その時に偶然木村と出会っている(その後小津は南京・漢口と転戦する)。写っている小津が携えているカメラは、木村の稿に続いて掲載されている田中眞澄氏の文章「ライカという”近代”」によればライカA型。小津関係の文章を読むと、小津は「ご愛用のライカ」をいつも手にしていたと多くの人が書いているので(同文によると山中貞雄はコンタックスだったらしい)さもありなんと思うのだけれど、田中氏の文章を読んでいくなかで、ちょっとしたことが気になるようになった。
小津は1942年から軍の依頼で記録映画撮影のためにシンガポールに滞在し、ただまあ映画製作などできる状況でもないため、自国内では上映が禁止されていたアメリカ映画をひたすら見続け、敗戦を当地で迎えている。そしてそのまま捕虜となり、抑留生活を終え1946年1月に帰国する際に小津はライカを手放しており、「彼が再びライカを所有するのは一九五四年のことである」とある。買った件の典拠はどこにあるんだっけ、と思いつつ近所の図書館に置いてある『全日記 小津安二郎』を紐解くと、なるほど1954年3月22日の項に、
> 「出京 サンにてライカを買ふ 135.000 アメリカン フアマシー 明治屋(燻製)によつて帰る」
とある。と、ここで急に話は脇道に逸れるのだが、ちなみに隣のページ、同年4月8日の項には、
> 「駒場の東大教養学部 民芸館 青山の花屋 それから 車にて銀座に出て なごやかに夕餐を喫す 野田夫妻と江原氏同道」
と日本民藝館に行った旨の記載がある。他にも、1951年11月10日に
> 「宿酔 森昌子さん達と 陶哉 たくみに寄って大船に帰る」
や、1955年5月17日には
> 「駅にて野田氏と待合せ 上野松坂屋の民芸展にゆく」
とも。ほか、パッと目を通しただけでも1952年4月8日、同年6月15日、1953年2月9日、1961年2月2日に銀座たくみに行った記載があるし、志賀直哉や里見弴についての言及は多すぎるので略す。こういうものを読むとつくづく民藝誌において特集「小津と工藝」を組みたいなと思う。白樺派との関係や小津の映画における「巧藝品考撰」について取り上げる特集。『秋日和』で原節子の後ろにかかっている暖簾は芹沢銈介だろうか、『秋刀魚の味』で中村伸郎の後ろに置かれたやちむん?はたくみで求めたものなのだろうか、やちむんであれば誰の仕事だろうか。佐田啓二と吉田輝雄がとんかつ屋で食事をするシーンには確かに芹沢カレンダーが掛かってるな、などといつも気になるので。松竹から写真借りるといくらぐらいかかるかな…。
それはさておき。この時購入したライカが、前掲日記の1961年3月23日の項に「夕方会社帰りの秀行くる ライカ借(貸)してやる」とある通り、のちに小津の甥が譲り受け、現在は茅野駅前「小津安二郎・野田高梧コーナー」に寄贈展示されているライカIIIfとズマリット5cmF1.5なのだろう。と、ここまで長々と記して、まだ前提です。
そこでふと思い出したのが厚田雄春・蓮實重彦著『小���安二郎物語』(筑摩書房・リュミエール叢書)の冒頭。ここには小津が『東京物語』と『早春』のロケハンをしている写真が2葉掲載されているのだけれど、どちらにおいても小津はバルナック型のカメラを携え、光学ファインダーをのぞいたりしている。沈胴レンズにフードをつけている様子から、あれはライカなんだろう、レンズは厚田雄春が『父ありき』において75mmを一場面で使った以外はすべて50mmだったと言っているぐらいだから同径のエルマーやズマール、ズミタールとかかな、などとうっかり思い過ごしていた。むろん『早春』については、製作年やロケハンの写真に記載されている「1955.7.20」という日付からするとまったく問題はない。しかし『東京物語』は1953年製作公開だから「再びライカを所有した」1954年では間に合わない。そう気がついて見直すと、小津が構えているカメラは、ライカIII型に似ているがファインダーの位置が違うし、そもそも1954年にあわせて手に入れたと思しきズマリットは沈胴レンズではない。
妙なことに気がついてしまったと思いつつも、ひとまずは日記記載の「サン」を手始めに調べてみようとしたが、何の会社かわからない。名取洋之助が企画編集した「週刊サンニュース」と関係はあるのだろうか。対外宣伝誌の専門家であり、銀座に店を構える森岡さんに聞いたらわかるだろうか。いずれにせよ1949年以降の小津の日記に「サン」が登場するのは、「1951年1月17日・3月21日・4月24日・11月10日、1952年4月17日、1953年6月16日、1954年3月22日(前述のライカを買った日)・10月14日、1955年4月6日、1960年7月14日、1961年2月2日(”たくみ サンに寄って三越”)」。1953年6月16日は、ちょうど『東京物語』ロケの最中だったことが気に掛かる。ほか、関係しそうな記載としては1953年3月30日に「アサヒカメラ座談会」、1954年11月5日の「シュミットに寄ってから」(当時ライカの総代理店だったシュミット商会か)、1955年2月15日「昼寝をしてゐると小尾がくる ニッコールの85m(ママ)のレンズを頼む 四万五千円を預ける」、同年3月11日「小尾に会ひ105mmのレンズを見る」、同年6月27日「小尾から電話ライカピッド(ママ。入手したライカがIIIfであれば、ライカビット SYOOMか)を頼む」ぐらいか。この「小尾」という人は何者なんだろう。
次に小津が構えているカメラの形状から何かわからないかと思い、あらためて細部を見れば、写っているカメラは戦後キヤノンが作っていたコピーライカであることがわかる。決め手はファインダーの位置。同時期の国産コピーライカであるニッカやレオタックスはライカそっくりに作っているのだが、キヤノンは誠実と言っていいのか「打倒ライカとコンタックス」の心意気の現れか、多少スタイルが違う。なお、小津が用いている機種については、この時期のレンジファインダー機は輸出用に作っていたせいか勢いがあり、すぐ新型が出るうえに、外観がどれも似すぎていて小さな写真では区別がつかない。時期を考えれば、1946年発売のSIIから1952年のIVSbの間のいずれかで、III型以降のように見受けられる。レンズもやはり形状から判断するとズマールに似ているので、1949年発売開始のキヤノン Serenar 50mmF1.9か。そう気づいて改めて調べると、「カメラ毎日」1954年6月号に掲載されている座談会「カラーは天どん 白黒はお茶漬の味」ではカメラの話がもっぱらで、その時に手にしているのはキヤノンである。このキヤノンのカメラとレンズ、そして外付けのファインダー、この時期どういう経緯で小津は使っていたのだろう。いずれにせよ、1953年の『早春』はともかく、なぜ1955年に「ご愛用のライカ」ではなく、キヤノンを用いているのか。
ついでに言うと、小津が鏡の前でカメラを向けて撮っているセルフポートレートに用いているカメラはコンタックス。日記をざっと読んだ限りではわからないけれど、これもいつ手に入れたのだろう。レンズはゾナーの5cmF1.5。明るいレンズがお好みと見える。こちらは姪が譲り受けたとのことで、今は先のライカと同じく茅野駅前にある。
長々と書いてきましたが、つまりはこれらが今回生じた疑問です。小津に詳しい人、どうか教えてください。
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honnakagawa · 4 years
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8月1日(土)open 12-19 梅雨明けしたそうですね。 今日も暑くなります。 皆さまどうぞお気をつけて。 目から涼しく。 遠巻きに眺めていた、古い本の山に挑んでゆきますよ。 #本中川 #本屋 #松本 #古い本 より #芹沢銈介 #御滝図のれん (本・中川) https://www.instagram.com/p/CDVP3y7BufB/?igshid=fffc0h46gsvv
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