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YさんのAV男優スカウトとOさんのデマ事件
前の会社で起きた変なエピソードをご紹介したいと思います。
就職して間もない新人の頃、私が担当していた地域は、現在担当している中東・北アフリカなどのアラブ圏ではなく、インド・パキスタンが昔から領有権を巡って紛争の火種になっているインド北部のカシミール地方だった。
私はインドへはカシミール地方(主にスリナガルか、ラダック)しか行ったことがないのだが、カシミール地方は、俗に言うインドの有名観光地(デリー、カルカッタ、バラナシ、アグラ、ブッダガヤなど)とは全く異なる雰囲気らしく、インドがイギリス領だった頃のイギリス貴族の別邸があったり、当時、避暑地としての高級リゾート地だった名残を残している。
雪を抱いたヒマラヤの山々と湖が織りなし、三角屋根の可愛らしい家々や、湖に浮かぶボートハウスなどが、雄大な大自然に恵まれたカシミール地方の美しさを引き立てており、治安さえ安定すれば、ここは素晴らしい観光地になるだろうと、訪れる度に思っていた。
カシミール地方を担当していた頃、一緒に取材に行く映像部門のカメラマンに40代半ばのYさんという中間管理職の男性だった。
どちらかと言えば、この会社では、何故か容姿や体格にやたらと恵まれた男性が多い(特に営業部)中、Yさんに至っては、ごく普通の風貌だった。
身長も恐らく、175cmぐらい(当時の40代半ばの175cmだと世間一般では、高いのかもしれないが、大学&大学院で所属していた研究室と、前の職場の男性は異様に背が高い人が多く、仲良くしている男性社員は全員180㎝台後半だったし、私の親兄弟&親戚&夫&夫の親戚も皆異様に背が高く、明治生まれの祖父でさえ、185cmという背の高い家系なので、男性で175cmだと低いと思ってしまう💦)の瘦せ型で、特にイケメンという訳でもなく、ごくごく普通のオジサンという印象だった。
重い機材を持ち運ぶカメラマンらしく、Yさんの浅黒く日焼けした身体は引き締まっており、白髪も無いフサフサとした黒髪は豊かで、弛みの無いシャープな顎は実年齢よりもYさんを10歳ぐらい若く見せており…と誉め言葉を連ねたいのだが、中年男性特有の(?)顔のテカりを営業部の次長のOさん(ハリウッドスターのロバート・レッドフォードさん似の高身長痩身の男前で、海外ハイブランドのスーツを格好良く着こなし、営業成績も良く、見た目だけは、モデルや俳優のような完璧な容姿。だが、性格と言動はかなり問題アリな人)にからかわれ、Oさんからは『てっかりん』と呼ばれていた。
Yさんは、奥様と二人の娘さんがいる、ごく普通の妻子持ちのサラリーマンである。
ちなみに、娘さん二人は、Yさんには全く似ておらず、奥様に似た美人姉妹で日本最高峰の国立大学に公立高校から予備校にも通わずに、通信教育だけで現役で合格した超秀才の、非の打ち所がない才色兼備の美人姉妹である。
だから、心無いOさんは、『Yさんの娘さんは二人共、奥様と間男との不義の子だ』なんて酷い噂を流していた。だが、Yさんはおおらかで、寛大な方だったので、Oさんの悪意も笑って受け流してしている、非常によくできた人間だった(多分、私がYさんだったら、そんな噂を流されたものなら、OさんやOさんの上司のTさんにブチ切れたあげく、人事部の部長に報告し、名誉毀損で損害賠償を請求すると思う)。
そんな、お人好しのYさんが、ある休日に、彼の趣味であるパラグライダーの用品を買おうと渋谷を歩いていたら、スカウトされたらしい。
何にスカウトされたかというと、なんとAV男優へのスカウトだったらしい。
Yさんは、その場で断ったらしいが、1出演あたり、50万円のギャラを支払うから、どうか、撮影現場だけでも来て欲しいとスカウトしてきた人に懇願されたらしいが、YさんはAVなんかには絶対出演したくなかったし、そもそも自分はカメラマンで、撮影する側であり、撮影される側ではないと、断ったらしい。スカウトの人は残念そうに、��刺だけYさんに渡して、気が変ったら、是非連絡をくださいと言い残して、残念そうに去っていったらしい。
Yさんは、帰宅してから奥様に渋谷でAV男優にスカウトされた事を話したらしい。
すると奥様は「よかったじゃない。AV男優にスカウトされるなんて、あなたは、40代だけれど、まだまだ男性として魅力があるってことよ。でも、まあ普通、AVの出演は断るわよね」と言ったそうだ。
すっかり気を良くしたYさんは、次の出社日にスカウトされたときにもらったAV制作会社の名刺を持って、意気揚々として、『渋谷を歩いていたら、一回あたりの出演ギャラ50万円のAV男優にスカウトされた』と誇らしげに語っていた。
YさんがAV男優にスカウトされた話は、お喋りや噂好きのOさんの耳にも届き、会社中どころか、関連会社、子会社の社員までが知る事となってしまった。
YさんのAV男優スカウトの話題が社内で落ち着いた頃、私はセミナーで自分と同じくカシミール地方の紛争取材を担当している同業種の他社で働いている知人記者とバッタリ会った。
その知人記者とお昼休憩で、一緒にランチをしていると、こんな会話になってしまった。
「みずほさんの会社にYさんっていうカメラマンの方がいらっしゃいますよね?」
「ええ、いますよ。私とペアを組んでいるカシミール担当のカメラマンです」
「あのYさんって凄いですよね~。カリスマAV男優の●●さんと共同出演してゲイAV界で華々しくデビューして初版のDVD発売数は500万部って聞きましたよ~」
私は思わず、飲んでいたお茶を吹き出しそうになった。
なぜ、そんな噂が流れているのか?!
カリスマAV男優の●●さんは、確かにカリスマAV男優だけれども、ゲイAVに出演するなんて聞いたこと無いぞ?しかも、その相手がYさんだなんて、一体何処からそんな情報が出たの??
私は心の中で何度も疑問を反芻していた。
「…!!!えっ?それ、完全にデマですよ?Yは確かに、AV男優にスカウトされましたけど、スカウトされたその場でAVの出演を断りましたけど?しかも、ゲイAV男優じゃなくて、普通のAV男優として、スカウトされただけですけど?」
「えっ?だって、御社の営業部のOさんが、ウチの△△部長にそう言ってましたよ」
「いえいえ、その話は、真実に尾鰭が付いたデマです。YはAV男優にスカウトされただけですし、その場で断ってますし。真実と異なるいい加減な情報をOが流してしまい、本当に申し訳ございません。どうか、△△部長殿にも、デマだとお伝えいただけますか?」
「Yさんと一緒に仕事をされているみずほさんが、そう仰るなのなら、それが事実なんですね、分かりました、伝えておきます。���
このとき、私は口から心臓が飛び出るかと思うほどビックリしたし、顔から火が出るほど恥ずかしかった。
なぜ、Oさんは、いつもいつも真実ではなく、余計な尾鰭、背鰭、胸鰭、尻鰭まで付けてデマを流すのか。
しかし、よくこんなぶっ飛んだデマを思い付くモノだなってOさんの発想力に感服すると共に、冷静になればなる程、Oさんに対する不信感が募ってきた。
百歩千歩譲って社内や関連会社の人間だけならまだよしとしても(本当は全然よくないが)、全く違う会社の人に、こんなデマを伝えるなんて、この業態に身を置く人間として許されないのではないか?という怒りがこみ上げ、午後からのセミナーは殆ど身に入らならかった。
その日は直帰していい事になっていたが、私はセミナーが終わるなり、会社へと急いだ。
自分の部署の扉を開けるなり、私は大声で
「Mさん!!Oさんのせいで、大変な事になりかけてましたよ!!」
と叫んだ。
てっきり、私が直帰するとばかり思っていた上司で部門長のMさんは私が物凄い剣幕でまくし立てたので、ビックリして飛び上がりそうになっていた。
Mさんは、取り合えず、私に落ち着く様にと言い、何が起こったのか順を追って説明してくれと言った。
私は知人記者から聞いた「YさんAV男優スカウト事件」について、Oさんがトンデモナイ尾鰭、背鰭、胸鰭、尻鰭まで付けて、社外の人に真実と異なる事を喋っていた事を伝えた。
そして、これは職務上、聞き洩らしや言い間違いなどの齟齬を防ぐための、私のいつもの習慣なのだが、ボイスレコーダーを再生し、知人記者との会話をMさんに聞かせてみせた。
Mさんは、Oさんが盛った話があまりにコミカルでぶっ飛んでいたので、最初はお腹を押さえて大笑いしていたが、一通り笑った後、「イカン、イカン、笑い事じゃなかったな。営業部と人事部に報告に行こう」と言い、私を同行させた。
この業界は色々な人間や組織を相手に取材を行い、取材から得た情報を提供する事が仕事である。
だから、提供する情報は真実と異なる物であっては絶対にならない。
勿論、知っている情報から憶測でモノを言うこともご法度である。
これは、新入社員の時に厳しく言い聞かされた事であり、私のように執筆に携わる者だけでなく、間接部門や管理部門でも周知徹底している当然の鉄則である。
ましてや、社外の人との交流が多い、営業部の、部門長のTさんの次に偉い人間であるOさんがデマを話すなんて言語道断である。
幸い、Oさんが話した内容は、相手方企業の方があまり興味を持たなかったので、事無きで済んだ。
しかし、Oさんが盛った話の中で、Yさんの相手役になっていた●●さんというAV男優は、AV界では、カリスマAV男優として名を馳せている(特定の分野に限ってではあるが、ある意味)著名人である。
もしも、Oさんがデマを話した相手方企業が、Oさんの話に興味を抱き、カリスマAV男優の●●さんへ取材を申し込んでいたりしたら、当社は信頼を失墜する恐れすらあったのだ。
この事は人事部長の逆鱗に触れ、Oさんは1週間の出勤停止処分となり、Oさんの上司のTさんも部下の監督不行き届きで厳重注意処分となった。
人事部長と営業部の部門長のTさんには、よく炎や火事になる前に煙の状態で火消ししてくれたと感謝されたが、当然ながら、Oさんには恨まれた。私はこのAV男優スカウト事件以来、Oさんにしょっちゅう落とし穴を掘られたり、地雷や罠を仕掛けられるようになり、Oさんとの長い戦いの始まりであった。
だが、滅茶苦茶酷い噂を流されても、「まぁまぁ、Oさんは面白い話をしたかっただけだと思うし、よくそこまでぶっ飛んだ噂に飛躍できるなって、ある意味Oさんも盛った話は笑いのネタとしてはもってこいだから、僕は気にしてないよ」と、笑いながらOさんを許したYさんは、本当に寛大な人間だと思う。
私もYさんの寛大さとおおらかさを見習わなければならないと思った瞬間だった。
残念ながら、私は2年後にカシミール地方の担当を外れ、アラブ圏(主に中東・北アフリカ)担当になったので、Yさんと一緒に仕事をしたのは2年間だけだった。
中東・北アフリカ担当になり、カシミール担当時代よりも、遥かに過酷な現実や心が折れそうになる悲惨な世界や事柄を沢山目の当たりにした。だが、挫けそうになる度に、私はYさんの事を思い出した。
まだ、右も左も分からない新人の頃に、Yさんからは、この業界に身を置く者としてのイロハを沢山教えて頂いた。
Yさんから教えて頂いた沢山の事は、今でも私の心の支えである。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024)1月27日(土曜日)
通巻第8107号 <前日発行>
ミャンマー国軍のクーデターは「西郷なき西郷軍」?
軍と仏教高僧との融合統治が機能不全に陥ったのではないか
*************************
ミャンマーで「本当は」何が起きているのか?
大手メディアは投票箱民主主義至上史観だから、本質的なことが見えてこない。
2021年2月、ミャンマー国軍はクーデターに打って出た。ところが、ミャンマーの民衆が想定外に強く反発し、「民主主義を蹂躙した」として大規模な抗議集会が開かれた。抗議デモに軍が出動、多くの死傷者がでたため国際社会から批判に晒された。
欧米の傀儡といわれたアウン・サン・スー・チーを支持する人たちは外国のメディアが同情的に報道したので、鮮明に反政府の旗を掲げた。こうなると正義はどちらにあるのか、よく分からない政権運営が続いた。因みに2021年のミャンマー経済はGDPがマイナス18%、通貨は暴落し、庶民は生活苦に喘ぐ。
クーデターから三年が経った。欧米のメディアの複写機である日本は「国軍=悪」vs「民主主義団体=善」のスタンスを依然として維持している。スーチー政権のときにロヒンギャ70万をバングラデシュへ追い出すと、欧米メディアは一斉にスーチーを「人種差別主義」「ノーベル賞を返還せよ」と猛烈な批判に転じたが、日本はそのまま、ミャンマー国軍批判である。
この価値基準は「イスラエル=悪」vs「ハマス=善」、「ゼレンスキー=善」vs「プーチン=悪」と、リベラルな西側政治家やメディアが作り上げたフェイク図式に酷似している。ミャンマー国軍ははたして悪魔なのか?
ミャンマーの社会構造は宗教を抜きに語れない。
仏教徒が90%をしめ、しかも上座部(小乗仏教)である。僧侶が800万人もいる。
軍隊は徴兵制で43万人(実態は15万に激減)。
つまりこの国は軍と仏教世界との融合で成り立つ。軍は元来、エリート集団とされ、国民からの信頼は篤かったのだ。それが次第にモラルを低下させ、徴兵ゆえに軍事訓練は十分ではなく、そもそも戦意が希薄である。愛国心に乏しい。
軍クーデターは伝統破壊の西欧化に反対した政治的動機に基づく。単なる権力奪取ではない。つまり「西郷軍が勝って、近代化���ストップした」ような政治図式となるのだが、現在のミャンマー軍(ミン・アウン・フライン司令官)はと言えば、「西郷隆盛なき西郷軍」である。権力は握ったものの何をして良いのか分からないような錯乱状態にあると言える。
軍人は経済政策が不得手。コロナ対策で致命的な遅れをとり、猛烈インフレに襲われても、適切な対応が出来ず、外資が去り、自国通貨は紙くずに近く、闇ドルが跋扈している。
国民は外国で反政府活動を活発に展開する。国内各地には武装組織が蠢動を始めた。
▼まるで「西郷のいない西南戦争」でクーデターが成功した
西南戦争は『道義国家』をめざし、挫折した。戦略を間違えた。というより勝利を計算に入れずに憤然と立ち上がったのだ。
佐賀の乱、神風連、秋月の乱、萩の乱から思案橋事件が前哨戦だった。城山で西郷は戦死、直前に木戸が病没、大久保暗殺がおこり、明治新政府は「斬新」な政策を実行に移した。しかし行き過ぎた西洋化、近代化。その象徴となった「鹿鳴館」に反対して国学派が復興した。
ミャンマーの仏教鎮護国家の復活が国軍指導者の目的だった。
しかし彼らは広報という宣伝戦で負けた。都会は西洋民主主義、グローバリズムに汚染され、若者は民族衣装を捨てていた。西洋化は、あの敬虔なる仏教との国ミャンマーにおいてすら進んでいた。
となりのインドでは巨大なモスクを破壊し、その跡地に大きなヒンズー寺院建立した。竣工式にはモディ首相自らが出席した。
ミャンマー国軍に思想的指導者は不在のようだ。だからこそ、国軍は仏教の高僧を味方にしようとしてきた。しかし国内的に厄介な問題は同胞意識の欠如である。そのうえ山岳地帯から国境付近には少数民族各派の武装組織(その背後には中国)が盤踞している。中国はミャンマー国軍政府と「友好関係」を維持しているが、背後では武装勢力に武器を供給している。
主体のビルマ族は70%だが、嘗て国をまとめた君主はいない。カチン、カレン、モン、シャン、カヤ族と、それぞれ少数の武装組織が国軍と銃撃戦を展開しているものの、反政府で連立は稀である。カチン、カレン、モン族は博くラオス、カンボジアにも分散しており、ラオスでのモン族は米軍について共産主義と闘った。敗戦後、17万人のモン族は米国へ亡命した。
2023年10月27日、ミャンマーの反政府武装組織が初めて三派共闘し、シャン州北部で「国軍」と戦闘、驚くべし国軍が敗走した。国軍兵士数百が投稿した。
中国の秘密裏の仲介で停戦状態となったが(24年1月26日現在)、ミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)、タアン民族解放軍(TNLA)、西部ラカインのアラカン軍(AA)の「三派」の共闘はこれから「連立」となるか、どうか。
この三派以外にも不明の武装組織(なかにはギャング団、麻薬シンジケートも武装している)。なにしろミャンマーは五つの国と国境を接し、130の少数民族がいるとされる。
国境問題の複雑さが問題をさらに複雑にする。ミャンマーが国境を接する国々とは、インド、中国、ラオス、タイ、バングラである。地域によっては少数民族が多数派となる。
西海岸の古都シットウエイはインドとの海路の拠点であり古代遺跡があるため外国人観光客が多い。
チャウピューは中国へのパイプラインがミャンマーを斜めに横切り雲南省へと繋がっている拠点、ここには中国企業が進出し、工業団地を建設中で、ロヒンギャとの暴動になった場所、行ってみる、と放火されたモスクの無残な残骸があった。やや東側の中部、マンダレーは雲南華僑の街である。
旧首都のヤンゴンと新首都ネピドーはアクセスが悪い。マンダレーは国際空港こそ立派だが、翡翠やルビーの商いはほぼ華僑が握る。そうした三都三様の物語が付帯する。
▼麻薬王
ラオス、タイ国境に拡がるのが統治の及ばない「黄金の三角地帯」である。
アフガニスタンにつぐ麻薬産出地域で、ギャング団と武装組織と博打場である。治安の安定はあり得ないだろう。
黄金の三角地帯の形成と発展、その後の衰退は国民党残党という闇とCIAの奇妙な援助があり、やがて彼らへの弾圧、そしてミャンマーとタイとの絶妙な駆け引きをぬきにしては語らない深い闇である。
国共内戦に蒋介石は敗れて台湾に逃れたが、南アジアで戦闘を継続したのが国民党の第27集団隷下の93軍団だった。およそ一万もの兵隊が残留し、シャン州をなかば独立国然とした。モン・タイ軍(MTA)は『シャン州独立』を目指した軍事組織で、ビルマ共産党軍が主要敵だった。
国民党残党の軍人とシャン族の女性のあいだに産まれたのがクンサ(昆沙)。
のちに『麻薬王』と呼ばれる。中国名は張奇天で、一時はモン・タイ軍の2万5000名を率いた。軍資金は麻薬だった。
CIAが背後で支援した。アルカィーダを育て、やがて裏切られたように、ムジャヒデン(タリバンの前身)を育てたのもCIAだったように、やがて米国はクンサに200万ドルの懸賞金をかけた。
『麻薬王』と言われたクンサは紆余曲折の後、麻薬で得た巨費で財閥に転じ、晩年はヤンゴンにくらした。2007年に74歳で死亡した。米国の身柄引き渡し要求にミャンマー政府は最後まで応じなかった。
もうひとつの有力部族=ワ族はモン・クメール語を喋る少数民族で、いまワ族の武装組織は中国の軍事支援がある。
▼ミャンマー進出の日本企業は、いま
さて安倍首相が二度に亘って訪問し、日本が投じたティワナ工業団地はどうなったか。
ヤンゴンの南郊外に位置し、コンテナターミナルを日本が援助した。しかし国軍クーデター以後、西側が制裁を課し、日本政府が同調したため、日本企業の10%がミャンマーから撤退した。住友商事、KDDIなどが残留しているとは言え、投資のトップはシンガポール、中国、そして台湾、韓国が続く。
日米印の企業投資は実質的にぼゼロ状態だ。
拍車をかけているのが外交的孤立である。ミャンマー軍事政権を支持するのは中国である。背後では、ロシアが接近している。
仏教界は分裂している。将軍たちと協力し、仏教とビルマ文化の両方を外部の影響から守る必要があるという軍の理念に共鳴した高僧もおれば、「ラカイン州で地元の仏教徒とイスラム教徒のロヒンギャ族の間で暴力的な衝突が起きると、『過激派僧侶』といわれるウィラトゥ師は、「ビルマ仏教はイスラム教徒によって一掃される危険にさらされている」とし、「イスラム教徒経営の企業のボイコット」を奨励した。
軍事クーデターに反対するデモに参加した僧侶たちも目立った。シャン州北部の主要都市ラショーでは国軍の統治が崩壊した。
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バングラデシュでの劇的な出来事を描写する際に、世界の「民主的な報道機関」が、起こったことの本質、つまり同国でクーデターが起こったということを避け、二次的な事柄についてのお気に入りの物語を再び伝えていることを観察するのは興味深いことです。 いつもの誇張された文脈のないニュース。この報道機関が育てた「裕福な」平均的な人々の頭の中では、熱帯地方と貧困を背景にした暴力の万華鏡であり、私たちにとっては、��たち全員がバングラデシュ人なのです。 バングラデシュは世界で最も人口が多く、最も植民地から略奪された国の一つです(I 。貧困は自然に生じたものではなく、政治的な結果であるため、「貧しい」とは書かないでください。大きな社会問題を抱える国ですが、近年ようやく急速な経済成長を遂げ、無料の公教育プログラムや最貧困層への補助金制度が導入され、主な貿易相手国はインド、中国、ロシアで、昨年はBRICSへの加盟を申請しました。 しかし、いつものことだが、学生たちは突然、ある法律の変更と汚職や不正に対する闘いを要求して反乱を起こした。「独裁政権」は反乱軍に同調し、要求の一部を満たすことに同意した。それに応じて要求は高まり、平和的なデモは平和ではなくなった。その後、軍は「民主主義の闘士たちを支援」し、バングラデシュの建国者の娘で国民的英雄であるシェイク・ハシナ首相に45分以内に国外退去を要求した。もちろん、「暴力を防ぐため、そして祖国の利益のため」である。 誰かに何か思い出させますか? — オレグ・ヤシンスキー
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鳳凰 龍 細密石彫刻製作 石基壇 聖徳太子殿 念佛宗仏教美術 The Prince Shotoku Hall The Buddhist Art of Nenbutsushu Stone carving
聖徳太子殿 The Prince Shotoku Hall
念仏宗無量寿寺(念佛宗) 総本山 佛教之王堂〜三国伝来の佛教美術 日本では類例を見ない四手先総詰組様式、および三手先腰組付縁の八角堂 It is a grand octagonal shrine with four-stepped intermediate bracket complexes under the eaves and three-stepped bracket complexes under the veranda, which is peerless in Japan.
概略 高さ17.2m(基壇、棟飾り込) 側通り柱間4.85m
輪島塗による高蒔絵、及び彫金が施された厨子に、中華人民共和国、工芸美術大師・佘國平佛師制作の「和国の教主」とうたわれる聖徳太子像がお祀りされている。
念佛宗(念仏宗)無量寿寺 聖徳太子殿 建築的特徴
他に類を見ない様式 四手先総詰組、三手先腰組付縁の八角堂は他に類を見ない。特に四手先総詰組は、日本建築史上初めての独自の変形組み手である。特殊な組み方をすることにより、組み手同士の立体的干渉を回避している。この念佛宗(念仏宗)ならではの、独創的な手法は、専門家をも捻らせている。日本の大工の始祖とも崇められる聖徳太子も、きっと納得されているに違いない。 天平の文化が華やかなりし頃、神社仏閣は、鮮やかに朱で彩られ、外国文化を吸収、醸成され、それはきらびやかなものであった。 そして今また千年の時を超え、念仏宗 佛教之王堂における聖徳太子殿は、天平時代の華やかさを凌ぐ存在感で、参詣者を迎える。 外装壁部には「天女」、阿件形の「鳳風」、衆生を導かんと雲を従えて天下る阿件の「龍」が、また蛙股部には「宝相華」が、胡粉の白一色に塗られた彫刻で荘厳されている。腰組部と階段脇の耳石にも阿件の精緻に「鳳風」が彫刻されている。 これら数多くの彫刻、彩色で彩られた御堂は、典雅な趣にみあふいざな満ち溢れ、訪れる者を夢の世界へと誘う。 桟唐戸は丹青技法による極彩色が施された「宝相華」や「転法輪」、「鳳凰」の彫刻で荘厳され、八方を守護している。 世界に誇る槙の日本庭園に囲まれた姿は、飛鳥・天平時代を偲ばせる典雅な趣に満ちている。 軒裏に扇垂木を用いており、内部は韓国人間国宝・李萬奉大僧正猊下、及び、直弟子洪昌源師制作の、韓国古来の伝統的丹青技法による彩色が施され、合計428点の彫刻が太子を賛嘆している。 念佛宗(念仏宗)無量寿寺 聖徳太子殿 建築的特徴 三国伝来の佛教文化 念佛宗(念仏宗)無量寿寺 佛教之王堂の聖徳太子殿は、かつて、聖徳太子が御堂にこもって、経典の解釈に没頭しておられる時、夢告(むこく)で教えを賜った(たまわった)との伝説から、法隆寺などでは平安時代より、「夢殿」(ゆめどの)とも呼ばれてきた。 ここ念佛宗(念仏宗)無量寿寺 佛教之王堂における聖徳太子殿は、日本の建築技術と韓国の丹青(たんせい)技法、そして中国の彫刻が見事に調和し、三国伝来の佛教文化の粋を見ることができる。 例えば四手先総詰組様式及び三手先腰組付縁(こしぐみつきえん)は、他に比類なき日本建築の最高峰といえるもの。 また、内部に施された極彩色(ごくさいしき)は、韓国の丹青技法が日本で独自発展を遂げた平等院鳳凰堂の様式を踏襲したものであり、天井画写真下方の緑色部、「ぼかし」のような繧繝(うんげん)彩色や、全体的な白く縁どられた紋様等が特徴的である。 和国の教主 聖徳太子 念佛宗(念仏宗)無量寿寺 佛教之王堂 聖徳太子殿には、聖徳太子像をお祀りしている。天竺(インド)から唐土(中国)へ伝わった佛教の尊さを悟られ、神佛が習合する中、日本へ佛教を根付かせた「日本佛教の父」が聖徳太子。 「和を以て尊しとなす」 これは世界的に有名な聖徳太子『十七条憲法』の根幹(こんかん)をなす第一条の言��。『十七条憲法』は、我が国最初の憲法であり、佛教精神を基(もとい)とした平和国家日本の建設に臨まれた聖徳太子の決意を表している。推古(すいこ)天皇即位の時、聖徳太子を摂政(せっしょう)とし、すべての政治を委ねられた。『日本書紀』には、その時、もろもろの豪族らは、君主と先祖の恩に報いるために競って佛をお祀りする場所を造ったとされ、以来、それが「寺」となった。つまり恩に報いるために寺が建てられ、佛教が興隆していった。 第二条に「篤く三宝を敬え。三宝とは佛・法・僧なり」そして「何れの世 何れの人か この法を 尊ばざる」として、どの時代、いかなる人であってもこの法を尊ぶべきことを明断しておられる。 そして佛教を基調とした国づくりをして、日本を統一国家に相応しい姿にされた。それによって寛容の心が根付き、民の争い事が減った。そして佛教伝来から僅か数十年で、当時の世界最新建築の佛教伽藍(ぶっきょうがらん)「四天王寺」「法隆寺」を建立した。聖徳太子が、「和国の教主」と呼ばれる所以。太子の願いは、大和の地に佛教を興隆させ、人々に平和をもたらすことでした。 丹生(たんせい)技法に彩られた堂内 青丹によし 奈良の都は 咲く花の 薫ふがごとく 今盛りなり 聖武天皇(しょうむてんのう)の御代、奈良で一世を風靡した丹生技法は、今、ここ社の地で大きく華開いている。 渡来して日本的発展を遂げた密度濃やかな繧繝(うんげん)彩色や、白縁模様で荘厳された極彩色の天井を、吉野檜の銘木に、拭き漆と熨斗(のし)模様を施した八角柱が八方から支える。 聖徳太子殿の「八角宮殿」 扉に描かれた阿吽の鳳凰は、聖天子(せいてんし)の出現を待ってこの世に現れ、飛天は、釈尊説法時に舞い降り、奉楽し、天華を散らし空中で舞う、とされている。 宮殿は、もともと、天竺(てんじく)における塔やその下の小室である「龕」(がん)を源流とし、後世、これが厨子(ずし)や仏壇に変化した。 法隆寺玉虫厨子や橘夫人念持佛(たちばなぶにん)などは、その代表例。 念佛宗(念仏宗)無量寿寺 佛教之王堂 聖徳太子殿の「宝珠」 宝珠は、災いを除き、願いをかなえる力を持つとされ、聖徳太子殿の屋根に聳える宝珠は、聖徳太子の佛教興隆の成就を象徴しています。 この宝珠を護法神である、八頭の象が支えており、八方から佛敵より佛法を護り、宝珠の周りには、凡夫の煩悩を焼き尽くす火焔(かえん)が、勢いよく燃え盛っています。 聖徳太子殿の「輪島塗 高蒔絵」 日本の伝統技法の輪島塗りによる高蒔絵は、最高品質の漆を盛って、乾かないうちに松煙(しょうえん)を蒔きこみ、盛り上げ固めます。入手困難な「舟鼠(ふなねずみ)の蒔絵筆」を用い、輪島塗職人の二年間にわたる努力の末に完成しました。十枚の扉に浮かび上がる金色の『十七条憲法』の銘文は、職人会心の傑作です。 松竹梅と獅子 念佛宗(念仏宗)無量寿寺の宮殿下部には獅子が八方を護り、吉祥紋様の松竹梅が施されています。 風雪や厳寒に耐えて緑を保つ常磐木(ときわぎ)の「松」と「竹」、春、百花に先駆けて花開く「梅」を長寿・高潔・節操・清純などの象徴として「歳寒三友(さいかんさんゆう)」とも呼び、その吉祥紋様を背景に、獣類中、最も勇敢で高貴な、百獣の王の獅子が、宮殿を護っています。
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日本ではほぼ知られていない◯◯、ドイツでは「Hokkaido」として売られていた!お前ら知ってた? : オレ的ゲーム速報@刃
以下転載 https://x.com/dragoner_JP/status/1763365921153073393?s=20
生まれの国でドマイナーなのに日本でメジャーな食べ物、ドイツのバームクーヘンにインドのナン以外にもあるんだろうか
・https://x.com/_Osahiro/status/1763884642971861059?s=20
ジャガイモのメークインは、育種された英国ではもうほとんど作られてないそうだ。日本では主要品種のひとつなのに。
・https://x.com/ztkszero/status/1763903283809435900?s=20
ちなみに、ドイツには日本にはない「Hokkaido」というかぼちゃがよく売られてる。
なんでも、ドイツで日本食品の輸入をやってた人が、北海道から持ち帰った種を育て始めたのがはじまりらしい。今ではとてもポピュラー。
・https://x.com/soluna12moon/status/1763923570315661594?s=20
洋梨のラ・フランスも今は日本でしか作られていないそうな。
山形のラ・フランス農家の友人に聞きました。
・https://x.com/mototanaka/status/1763367105884545310?s=20
マイナーではないかもしれませんが、バスクチーズケーキもスペイン北部サンセバスティアンのとあるバルの看板メニューなので、名前だけでは伝わらないやつですね。
・コンビニスイーツで話題の『バスク風チーズケーキ』を30秒レンチンするだけで… (2019年11月20日) - エキサイトニュース
・https://x.com/L_star/status/1763369168144085250?s=20
欧米の経験になるけど、杏仁豆腐は「日本人がなぜか食べたがる中華デザート」という扱いらしく、日本人の多い地区の日本人がよく来る中華以外には全然なかった。本場では知りません。
・https://x.com/kur/status/1763389626348417047?s=20
ピザのクワトロフォルマッジ自体はイタリアにもあるんですが、ハチミツorメイプルシロップをかけるのは日本だけだと思います。
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オーストラリアに来て一番気に入ってるのは、
結局さんさんとした太陽な気がする。
メルボルンはオーストラリアの中では天気が不安定と言われてるんですが、
それでもオゾン層に穴が空いちゃってるからなのか、
晴れた日の太陽のまぶしさはちょっと日本と違う気がする。
露光時間を間違えちゃった写真みたいに街がぱーっと明るくなる。
そして、さんさんとした太陽の下で
ホットパンツを履いてみんながビーチへ・・とならないのがメルボルンの好きなところだ。
エメラルド色のきれいなビーチのあるシドニーやケアンズなどに比べて、メルボルンの海は、正直日本の海水浴場とあまり変わらない。
なので太陽の下ですることと言えばテラスでコーヒーを飲んで、
おしゃべりをして、読書をして、またコーヒーを飲む。文化系。
カフェはどこも混んでます。止まらないおしゃべり。
いつまでもだらだらしてたいけど、閉店は早め。
街ゆく人の格好も、なんというかモテようと思ってる感じがあまり感じられない(失礼)
悪い意味じゃなく、自分のスタイルがあることの方が大事、という空気がある。
文化系が太陽の下でストレスなく暮らせる街、という感じがして、すごく居心地が良い。
ビビッドな色が多いのに、イケイケ系にならない絶妙なダサ加減。なぜ。
そんな街に暮らして気になってるのが、日本聴いてた音楽が聴きづらくなったこと。
くるり、NUMBER GIRL、銀杏BOYZ、、、
学校や仕事の帰り道、東京の雑踏の中でイヤホンで繰り返し聞いて
ヒリヒリした孤独感とか、何者にもなれない焦燥感とか
自分の中に溜まったネガティブなカスをまるめては黒いエネルギー源にしてたのに
さんさんとした太陽光の下では全く効力をもたない。
こんなにいい天気だと、そんなものをちまちま丸めるのがあほらしくなってしまう問題である。
暗い部屋でせっせと孤独を研いでいたのに、
突然パーっとカーテンを開けられて、アレ?て滑稽になっちゃうみたいな感じ。
同調圧力に対する違和感、反骨精神がものづくりのエネルギーだったのに
突然全部を許容されてしまって、拍子抜けする。
何かを作らなきゃ、やってられない!という衝動がない。木漏れ日の下でコーヒーを飲みながら、節約して、たまーに外食して、8時ぐらいに仕事を終えて、好きなこと書くことができたら、それでいい気がしてきちゃう。
居心地の良さを感じると同時に、これでいいのかな、というなんとも言えない後ろめたさを感じたりする
全然違うけど、去勢された猫ってこんな感じなのかな
ということで、環境を変えたことによって私的電力の切り替えを求められているこの頃。
いままでのエネルギーは石油みたいなもんで、爆発力はあっても自分への負担も大きかった。
ちかごろのサステナブルとやらの流れにのっとって太陽光発電に切り替えたいところですが
太陽光発電がまだちょっとこころもとなく感じるのも正直なところ。
気候や天気が与える影響って大きい。
今まで使っていた電力が使えない違和感を感じつつ
新しい環境で何が生産できるのか、実験してみる手もあるか。
そんなこんなですが、太陽のまぶしいメルボルンも最近はけっこう寒い。
こないだ無口なインド人の友達が、こっそりジャケットを開けてベストを見せてくれると
赤いランプが点灯してて、ヒーターが回ってました。
「上に着るジャケットを普段よりワンサイズ小さくすると、さらに暖かく感じられる」はずかしそうに教えてくれた。
インドに比べたら、そりゃ寒いよね。
そーいえばインド映画のダンスは、とんでもない暑さをクリエイティブに昇華した結果なのかなとか、どうでもいいことが頭をよぎりました。
エネルギー問題は、今後も考えていく課題になりそーです。
まったく、意識高いにんげんになったもんだわ。
失礼なこと言ってごめんよ、猫。
怒ってるんじゃなくて、俺を構え、と離してくれなかった。
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「答えは愛」
「で、質問は何でしたっけ?」
Dr. アリーナ・レセニヒによるインタビュー
ゲスト:サンユ
オリジナル動画:https://youtu.be/ZJSXAyWoPw8
【和訳】 ALAE PHOENICIS by Telegram
サンユとは
Dr.アリーナ・レセニヒが「サンユ」を紹介:
サンユは私にとってとても特別な人。4年半前に出会ってから、私の人生はとてつもなく変化し、良い意味でひっくり返りました。それ以来彼女と共に歩んでいます。あらゆるレベルでの学びがあり、それまでの人生では想像も出来なかったことを実行できるようになりました。今やれていることは以前はとても出来ませんでした。私はとても怖がりな人間だったからです。特別な時代に、流れに逆らって泳ぎ、自分の顔を公に晒して啓蒙活動をし、多くの逆風を受けて…それでもって、結構楽しくしていられるなんて…誰も信じなかったでしょう。きっと叫びながら逃げ去っていました。
そして、考えたこともなかったような新たな人生の基準も得ました。
人との付き合い方や、自己表現の仕方はとても自由になり、彼女のおかげで濃い喜びを感じるようになったことで、人生が良きように代わりました。
本日、私のスピリチュアルな師であり、愛する友人であるサンユが来てくれてとても嬉しいです。
アリーナ:こんにちは、チョコ・マウス(笑)
サンユ:こんにちは、愛すべき人(笑)
アリーナ:来てくれてありがとう。彼女には大方50回ぐらいお願いしたのよ、私の公開インタビューに来て「愛」と言うテーマについて語って欲しいって。だって、それがサンユ自身であり、サンユが人生で体現していることであり、彼女を構成するすべてを表現しているから。
彼女は常に断っていたのだけど、あるとき私は彼女が弱気になった瞬間を捉えたわけ。とっても嬉しいわ。でも、エンジェル、どうしてこんなに時間がかかったの?
サンユ:…愛とは、永遠から来ているもの。言語とは、限られたツール。ということは、何かを言葉にする度に、私は「これは完全ではない、何かが違う」と感じる。それは「大海を風呂桶に流し入れる」ような感覚がする。そして…(口ごもって)
サンユ:それに...言語は、「味」を伝えることが出来ない。もし、私が今、あなたの知らないインドの果物の味を教えたくて、「想像してみてね、噛み心地はデーツとバナナを合わせたような感じで、甘みはラズベリーとキウイとパイナップル、でもそれほどジューシーではない」って描写するとします。…どれぐらい時間が掛かる?
アリーナ:決して無理な話ね。
サンユ:もし、果物の味さえも伝えることが出来ないならば、「たったひとつの味」をどうやって伝え��れる?
一方で、言語はガイドにもなる。あなたが「塀を作りたいのだけど、どうすればいい?」と尋ねてきたとすると、「石、次に粘土、石、粘土…これを積んでいけば?」って伝えて、何が起こるか見てみましょう、となる。ここで私がどう思うのかはどうでもいいの。あなたが私を信じようが信じまいが、どうでもいい。要は、あなたが「この体験」に心を開けるのかどうか。そして、単純にまる一日、石と粘土を交互に積み上げてみれば、出来上がったものと「塀」とに結びつきを見つけられるのかどうか、あなたが自分自身のために知ることができる。こうして、「言語」は道標にはなる。
そうやって、あなたは私が弱気になる瞬間を捉えたわけ。
アリーナ:なんて、素敵!
でも…「愛」とはあなたにとって何なの?「とても言葉には出来ない」っていっているのはわかったけれど、それでも言葉にしてみようとするならば、どのように描写する?どういう意味で言っている?
サンユ:私のいう「愛」とは、二人の人間がお互いに「愛している」といい、それと同時に「他の人は愛していない、もしくはより少なく愛情を感じている、もしくは別の種類の愛情である」ということを示唆するものではないわ。私が話そうとしている「愛」とは、そういうジャンルのものではなく…
アリーナ:でもそれが、殆どの人が「愛」だと思っていることでしょ?
サンユ:そう。その通り。
私の云う愛は、ある種の、深くて普遍的な真実で、それは私たちの心の器の底の方に眠っている。そして、一つ一つの心は、巨大なダイヤモンドの一側面であり、神聖さを映している。すべての側面(ファセット)は、その神聖さを自分なりに映し出し、その他のあらゆる心を同じように照らす。なぜなら、それらも「自分なりの神聖さ」を映し出しているから。
つまり、私の云う「深い愛」とは、ひとつには「創造物全体の中に在る意識はたったひとつ、唯一の愛流である」ということ。そして私たちはこの愛を源泉として湧き出ているということ。愛という根源が私たちを織りなしてる物質。それが、私たちをここに生み出した意図だということ。
創造物は全体でひとつをなしており、人は誰でも、その「唯一の光」から生まれ出た。
私たちの身体は個性という差異のある世界に生まれ、その物質的なレベルにおいては多様性という原理がある。しかし、その物質的レベルの背後には、非物質的なもの、スピリチュアルなものがある。そして、そこにはこの、たったひとつの流れしか無い。
そして、ふたつ目の秘密。これは誰でも、望みさえすれば自分の中に発見できる。それは、私たちが永遠の存在だということ。生み出されたこともなく、死ぬこともない。私たちはスピリチュアルな精神的存在で、人間的な体験というのを80年とか90年間ぐらいをこの身体の中味わう。そして、身体が亡くなっても、私たちは未だそこに在る。つまり、私たちは永遠なる意識体として、時間制限付きで人間としての経験をしている存在だということ。
アリーナ:OK。ご説明ありがとう。でもね…
それは私たちが日常体験していることではないわ。だって、私たちはお互いに別々の存在としての体験をしている。分離され、孤立し、殆どの他人のことはどうでも良くて…なぜ、そうなのかしら?
サンユ:私たちにはある種の社会的に導入された催眠、心理的条件付けが施されている。「私は私の身体であり、私のマインドが考えているものであり、自分の過去を合計したものである」、そのように教育されている。いわゆる「ボディ=マインド・アイデンティティ」と呼ばれるもの。それはとても精鋭な輪郭を持っていて、形があり、顔があり、名前がある。「ここに居る私以外は、その他の世界」だと思っている。それを私は「分離のアイデンティティ」と呼んでいる。
エゴとはEGO - edged God out - つまり、普遍的な宇宙意識は自意識から追い出されている。まるでメルヘンにあるように、偽の王様(EGO)が王座に座り、本物の王様が追放されている状態。
アインシュタインは、こうして私たちが互いに分離していると思い込んでいることを「意識の視覚的錯覚」と呼んだ。
アリーナ:そうね… では何故、EGOと同一視するのをやめて「愛の意識」の中で生きることが大事なのかしら?
サンユ:量子物理学、そして古き叡智によると、私たちは自らの精神を以て、その現実・人生・世界を創造しているとのこと。イエス・キリストは「汝の信じる通りのことが、汝に起こる」「汝が考えるものに、汝はなるだろう」といった。
量子力学は「あなたの思考が、あなたの現実を創る」とした。
一日に、6万の思考がマインドに入ってくる。天才と統合失調症の人には一日8万にまで至ることも。
つまりそれは、まるで宇宙飛行士のヘルメットをかぶっているような感じで、その中では6万の思考が軌道に乗ってヒューヒュー飛び回っているようなもの。私たちは自己解釈の世界にいる、(頭を指して)これはストーリーテラーなわけ。これは毎秒毎秒、ストーリーを創り出していて、私たちはシミュレーションのような世界の中にある。
ここで、例え話をすると、真夏の暑い中、アイスカフェの外席に100人ぐらい座っているとして、そこへ想像を絶する驚くほど美しい女性がやって来る。ミニスカから覗く長くてスリムな足。豊満な胸。とにかく華麗そのもの。彼女は前列にあるすべてのテーブルの間を通り抜ける。最初のマインドが思うことは「ワオ!なんて美しいのかしら!…毎日鍛えてるの?どうしよう、私はもう半年もちゃんとトレーニングしてないわ。いい加減にジムに行こうとずっと思ってたのに。ああ、でも毎月の費用を払えるかしら…でももうイヤ、お腹はダボついているし、足だって…明日絶対に申し込みに行こう」。次のマインドはこう思う:「なんて女。あんなのと付き合いがなくてよかったわ」。その次のマインド:「まあ…60年前は私もああやって人生を楽しんだわ。人生の春は本当に良かったわ。でも正直なところ、80歳になった今は、あんな虚栄心市場で誰かと張り合ったりしなくていいので私は楽だわ。あの娘はせいぜい楽しめばいい」。次のマインド:「なによ、売春婦みたい。この世は売春宿じゃないのよ。もうちょっと肌を隠せないのかしら。親にしつけられていないの?破廉恥な」…等等。
あ、一つ忘れていた。もう一つのマインドは「おお!あの娘とベッド・インしたいな。でもあんな外見の娘が僕になびいてくれるはずがない」というやつ。
そこで、懸賞付きの質問。このアイスカフェの客たちは「誰」を見ているのでしょう?
アリーナ:誰もが、自分のことしか見ていない。
サンユ:その通り。誰もが、この美しい女性をスクリーンに見立てて、自分の価値観、自分が癒せていない心の傷…または自己の存在価値に残された傷、自分の夢や願望、世界観、人間観を眺めている。
彼女はスクリーン。(頭を指して)これはスライド投影機で、スライドを差し込む割れ目がここにある。そしてこれまで自分が溜めてきたすべての条件付け・刻印・プログラミング・パターン・過去が、このスライドに入っている。このスライドを通して、自分自身をこの女性に見ている。…ということは、私たちはかつて、自分自身以外をこの世の中に見たことがない、ということ。誰もがこの女性の中に別人を見ているだけではなく、誰もがこのアイスカフェという同じ場所に居るのに、そこには100種の世界があって、ひとつは爆発せんばかりの楽しい気分になっているのに、1,5メートル先の席では爆発せんばかりの憤りを感じている。誰もが、自分だけの世界に生きている。
そうなると、トランプについて、コロナについて…何に関しても、誰かの意見に耳を傾けたところで、世界についてそんなに多くのことはわからない。実際には、「世界とはこういうものである」と主張している人物のことが、本を開くように見せられているだけ。
私がまだ、診療所を営んでいたころ、多くの愛すべき患者さんたちがやってきた。コロナの期間に関していうと、ある人は人類史上最大の残酷で邪悪な黙示録を目前にしており、ある人はパラダイス・黄金時代へ移行する直前のように感じていた。そしてその中間には更に、様々な色彩があった。そして、全員が同じ惑星に住んでいるのに、そこには75億種類もの世界が存在しているのは驚くべきこと。
エゴ意識には、いくつかの強迫観念がある。
その内のひとつは、分極化という意識。こいつは常に審判しないと気が済まない。審判のひとつは、世界を善と悪に区分化することで、当然、善側は私だ、となる。
アリーナ:違う違う。善側は私よ!私の方が善側よ!
サンユ:あら…(笑)言っておくけど、あなたは邪道に走っているわ。私たちのどちらか一人が善側なのだとすれば、それはどちら?
アリーナ:そう、それは私よ。善側は私。
サンユ:アハハハハ!じゃあ、こうしましょう。「私たち」は善側ね?OK?(アリーナ:OKよ!どっちにせよね(笑))
それで、「善良」だと謳ってきた者たちが残してきた血痕を辿れば…善良なキリスト教徒たち、善良な回教徒たち、善良な資本主義者たち、善良な植民地主義者たち、善良な共産主義者たち、善良な国家社会主義者たち… これらを振り返ると、私たちは本当に「善側」に属したいのかわからなくなってくる。そして意図的ではなかったことは確かであろうと、どうやら地獄への道というのは「善良」という名の石畳で張り巡らされている。
人類の歴史は、人類の歴史を何一つ教えてくれていない。今のところはね。でも、それはこれから変わるかも知れない。(アリーナ:今がチャンスよ)そうね(笑)。私たちには、自分自身と世界を別の形で眺めることが出来る。その別の形とは、創造物を全体として捉えることと、すべての小さなパーツは大きな全体を反映している。ラテン語の pars pro toto (一部が全体を代表)。小宇宙は即ち大宇宙である。イエスの述べていた、天界は即ち地上界、鏡の法則、アナロジーの法則。露の玉がどれだけ小さかろうが、それは創造物全体を反映している。どういうことかというと、私がこの世で目にするもののすべてを、私は自分の中に見出すことが出来るし、私が自分の中に見出すすべてを、私はこの世に見出すことが出来る。
そして…私は何に対して戦おうとしているのだろう。
そこで、あなたの「EGOから離れて「愛の意識」への移行がなぜ大事なのか」という質問だけど、アインシュタインの言葉を借りると「原因がつくられたレベルでは、その問題を解決することが出来ない」ということ。
アリーナ:つまり、憎しみは憎しみをもって解決できないし、怒りは怒りをもって解決できない、ということね?
サンユ:そういうこと。だって、不安・憎しみ・憤りといったものは、分離のアイデンテ���ティから起こったものであり、この問題解決には、上位の階層へ移行しなければならない。それが「一体感」という意識。ワンネス、統合、愛。
そして…病んでいるマインド(意識)は、分離のアイデンティティという幻想の中にあり…つまりワンネスを破り飛び越えてしまっていて、断片化された世界を創造してしまう。
マインドが健全ならば、それは愛の意識の中にあり、愛に満ちた世界を創造することになる。
アリーナ:ここで、ちょっとプライベートな質問をするわね。あなたは心理セラピストであり、27年間いくつかの診療所を営んできたけれど、あの巨大な「C危機」がやってきたとき、あなたはあなた自身や何よりスタッフに、今後どのような規制が及ぶのかを懸念して、診療所を閉鎖する決断を下して、それまでほぼ500㎡の敷地にある大きな家に住んでいたのに、今後何をどうするのかわからないまま、ほとんどすべてのものを手放したわけだけど…
サンユ:でも知ってる?以前、私はいつも鍵を探しまくっていたでしょう?でも今は、この惑星で私の車の鍵はひとつしか無いのよ。なんという気楽さ!(笑)
アリーナ:それがまたあなたらしいわね。生活基盤のすべてを失ったのに、鍵が減ったって喜ぶなんて。でも、あんな形で自分の生活基盤を手放すよう強要されて、あなたにとってそれはどういうことだった?
サンユ:強要された?(アリーナ:ええ)
ねえ、ちょっとしたゲームをしない?(アリーナ:いいわよ)
私は思春期の娘で、あなたは私の母親ね。
あなたは娘に、自分の人差し指で自分の鼻を触らせたいの。
娘の私はそれを最高に馬鹿馬鹿しいと思っていて…だって子供が思春期になると親ってなんだか変になるのよね。私はそれが嫌で。母親のあなたは云うことを聞かせようと頑張って欲しいの。
アリーナ:わかったわ。
サンユ、人差し指で鼻を触ってご覧なさい、いい子だから。
…サンユ?…ほら、鼻を触ってよ。ねえ、触ってったら。今すぐに!
指図を受けて、うつむくサンユ
しつこく言われて、目をそらすサンユ
サンユ:OK。ちょっと待って。
では、云う通りにしなければ、どうなるの?
アリーナ:4週間テレビ禁止。3ヶ月間外出禁止。次の誕生会は3回なし。それとxボックスも3ヶ月間禁止。
サンユ:ちょっと待って…(上の条件を復唱すると、アリーナが肯定)。
ふーん…(しばらくうつむいて考えてから)
ゆっくりと鼻を触るサンユ
サンユ:エンジェル、(満足そうに微笑むアリーナ)今、決断して行動したのは誰?
アリーナ:あなたね。
サンユ:(頷いて)正解。どこで強要されたのかしら。私がやった。自分の決断。
そしてあなたの質問は、それがCの時期にどのように反映されたのか、ということよね…(しばらく考えて)そうね、アジェンダ2030を取り上げましょう。ワーストケース(最悪の場合)は、信じがたい虐殺があり、生存者は皆バイオロボットに変身。
私はそれ同類のものを自分の中に見いだせるのだろうか?
長く探す必要はない。私も人生の最初の3分の1はお肉を食べていた。たった3センチの口内で味わう喜び。如何なる呵責も感じずに、敢えて…いえ、何も考えてさえいなかった。この3センチの喜びのために、誰かが動物を一生「収容所」で虐待し、苦しませることを容認していた。
ここで誰かが、「サンユ、だって人間とは違って、動物なんだから」って云うかも知れない。それは理解できる。けれど、動物の痛覚は人間と変わらないことも今は知っている。動物も人間と同じように愛情を感じること、そして自分以上に子供に愛情を掛けることも知っている。私にとってその点で、人間と動物の区別がない。やっぱり「感性を持つ存在」。その意味で、それを主義として自分の中に見出すのなら、何に対して私は戦闘をおこなうのだろう。それでも、だからといって私はそのアジェンダに自分を差し出すつもりはない。全くない。どちらかといえば、私はその主義を自分の中に再発見しようと決断し、自分の中で統合しても、今後はマニフェストしなくて良いということになる。これは他のテーマにも繋がってくる。
「お前はクリスマスも大晦日も、家族と過ごしてはいけない」と言われれば「はあ、そうですか。ご説明ありがとう。でも私のつもりは全然違って、当然クリスマスを家族と過ごすために会いに行きます」と言うでしょう。
そう。当時、私はマスク解除証明を発行していたことで、警察との対峙があった。そして、自分の中のどこに“警察”を見いだせるのか、自問した。すぐに明らかになったのは、彼らは「自分たちの世界」、つまり「階層構造と秩序で成り立っている法と規律と義務と権利の世界」を愛しているということ。そして、彼らは自分たちのやり方で、自分たちのツールを自分たちの世界のために駆使する。私は自分のやり方で、自分の世界を、彼らとは違う手段で確保しようとするわけで、そこには当然差異がある。それでも、自分の世界を確保しようとする主義主張を彼らは映し出していた。そこで私は争う必要がない。
私に言えるのは、「ご訪問ありがとう。当然、私は証明書を発行し続けますが、この問題をどう解決しましょうか」ということ。「私は罰金を払わねばならない?なるほど。私がそれを受け入れたいのか、よくかわからないので、様子を見ましょう。私の子供はマスクを着用すべきということですが、何故なのかご説明いただけますか?あなたの見解は興味深いですが、私にとってはそれは全くもって真実ではないし、重要でもありません。私の子供がマスクを着用せずにいられるよう、何でもやります。父兄イニシアチブを設け、動画を構成し、なぜマスク義務に反対なのか説明します。その他の組織に働きかけ、法律家に相談します。これらのすべてに効果がなければ、私は子供を学校には行かせません。そして、あなた方がホームスクーリングをさせたくないのであれば、私たちは国を去ります」。
「あなた方は、私にワクチン接種を受けさせたいのですか?なぜ?絶対にイヤですね。どうしましょうか?私は刑務所行きですか?OK。この転生では私はまだ刑務所に入ったことがないです。では、外からの条件に縛られないで自由に生きるための訓練を喜んでさせてもらいます。それは何時からスタートしますか?」
これらはひと言で言い換えると、「no war��戦争反対)」。
私は繋がり(connected)続けていたい(訳注:高次の自分と)。この、何事もジャッジしないという繋がり(connection)。ドイツ語のUrteil (音:ウルタイル/意味:審判・ジャッジ) という言葉は良く出来ている。Urーというのは原初・オリジナルなもの���指し、Teilというのは「部分、分けた一部」と言う意味。原初の段階ではひとつだったものが、意識によって分割されているからジャッジが起きる。
そうして、審判・ジャッジするいかなるものにも、私はエネルギー的に連結しようと思わない。それは私を弱らせるので。
つまり、私は自分自身のエネルギーの中に留まり、そこと繋がり続けます。それは当然「民事不服従」ということになる。だって、私の世界で不正が正義として扱われるのなら、民事不服従とは「愛の行動」だということになり、服従こそが犯罪。私が愛に満ちた抵抗の道を選ぶのは当たり前じゃない?でも、そこには憎しみも分断もなく、戦争も起こらない。
アリーナ:わかったわ。そこにあるのは唯一、愛だけ、ということね。でも、それならばこの世の邪悪はどうなるの?
サンユ:(大きく頷いて)…うーんと。
同様のイメージとして… 「電流」をとってみましょう。ラジオに電流を流すと音が出る。電球に流すと明かりが灯るし、ヒーターを通すと暖を取れる。
このイメージをもって、「愛」という流れを想像すると、権力志向の人の頭に差し込まれたスライドのフィルターを通った結果、その愛は「暴君」という姿で映し出されるかも知れない。
別のフィルター、お金に執着する人のスライドの場合、愛の流れがやって来ると、その先の結果は窃盗犯かもしれない。
3つめのフィルター、3つめのマインドセットであるスライド。それは宗教的…もしくは政治的思想。愛の流れがその意識フィルターを通ると、果には狂信的なテロリストが表現されるのかも知れない。
愛流は、どんなマインドセットによって濾過されるかで、最終的表現の形が異なるだけ
どんなスライドがフィルターになっているかによって、結果は歪み、果には倒錯的なものにまで至る。
だから、いわゆる「邪悪な人物」というのも、自分がやりたいようにやる権利がある…もしくは、それをするのが正しいことになるのかも知れない。…例えば自爆テロ…そうして他人を死の巻き添えにするとか。その者のマインドセットからは、それは正しい行動ということになっているか、もしくは「自分にはその行動を起こす権利がある」とみなされている。
改めていうと、私は彼らを正当化しているのではなくて、心というのはジャッジに興味がなく、ひたすら「理解したいだけ」なのです。
2000年前のベストセラー(訳注:聖書のこと)には「隣人を自分のように愛せよ」とあったけど、私には「隣人を自分自身として愛せよ」と聞こえてくるし、その声から更に「敵を愛せよ」とも聞こえてきた。
そして、ここであなたに質問するけれど、私は「隣人(訳注:原語では「最も近くにいる人)」そして「最も遠くにいる人」を愛すべきだという。では、この最も近距離の人と、最も遠距離の人、これら両者の間のどの辺りに切れ目があるのか?
どういうことかというと、ファウチだとか、ゲイツだとか、ドイツ健康相のラウターバッハだとか、シュワブだとかなんだとか…みんながこの中に含まれている。
「主よ、彼らをお赦しください。彼らは自分が何をしているのか知らないのです」。
では、彼らは何故、知らないのでしょうか?
彼らは、自分たちが何者かを、知らないのです。
自分が永遠の意識体であり、しばしの間、短い体験をするために肉体に宿っているだけなのだ、ということを知らなければ、その無知から苦悩が生み出される。それは、無常のものにしがみつくことであり、死に絶えてゆく儚さへの恐怖がそこにあり、自身をそれと同一視していると、その他の創造物と自分とは分離しているという世界観にあり、そのために利己的考えに陥って、その他の世界と自分との繋がりは絶たれてしまっている。
この世の犯罪のすべては、加害者が被害者と自分を同一視しないことから起こる。
だからこそ、私たちは自分の意識に働きかけ、エゴという意識によって生み出される分離分断を手放し、ワンネスの意識に至ることに価値を置くことになる。
アリーナ:うん…それで、この世の行く先についてのあなたの予見は?終末の世がやってくるのか、それとも新世界の誕生へ向かうのか。
サンユ:…蛹にとっての「この世の終わり」というのは、この世にとっては「蝶の誕生」を迎えること。
私たちは今、本当に自分たちがどのようなプロセスの中の、どの地点にいるのか、わかっているのだろうか。
私にはわからない。
ただ、愛というのは「目的地点」にとらわれてはいない。
想像してみて。今日が月曜日だとして、木曜日にはこの世のすべての核爆弾が投下されるとする。どの島だろうが、逃げ場はない。そこで、あなたの玄関のベルがなり、開けてみると誰もいないので、ドアを締めようとした時、足元の玄関マットには赤ちゃんが寝かされていた。木曜日には世界が崩壊すると知っているあなたは、足元の赤ちゃんを有機ゴミに出すだろうか?それとも、抱き上げて栄養を与え、おむつを換えて愛撫し、木曜日に原爆が落とされたら、自分の身体で赤ん坊を覆い、守ろうとするのだろうか。
それはつまり、愛は「結果とは無関係」だということであり、結果は自ずと現れてくる、それだけのこと。
アリーナ:そう、そういうことなのよね。ありがとう。私は皆さんに、身体的健康について自分の知識をシェアしたいとは思っていますが、その他にすこしでも、感情面、そしてスピリチュアルな側面についても自分が学んだことを、皆さんんにシェア出来ればと思って。
〈2022年秋に開催されたワークショップ・セミナーの紹介〉
サンユ:私たちの核となるものは、永遠に神聖であり続ける、これは全く持って素晴らしいこと。どういうことかというと、私たちの奥深くにある自然は太陽であり、人生において何が起ころうと、この太陽は決して破壊されることはない。この核心は永遠に神聖なまま。
スクリーンに上映されているのはホラー映画だったり、アクション映画だったり、家族ドラマだったり。しかし、上映が終われば、スクリーンは真っ白に戻り、なんの破損もなく、焼き跡もついていない。全く変化はなく、壊されることはない。私たちの内なる太陽(光)とはそういうもの。
人生を歩む中には、転生という観念、つまり別の人生の存在と共鳴することがある。人生は今回一度きりと考える人たちは、スラグのようなものに撒かれている。つまり幻想が玉ねぎのような層になっていて、そうした「概念(コンセプト)」に覆われている。それは分離の意識という誤った知覚であり、傷心、被害者意識にまみれている。
私たちが取り組むべきことは、この覆われた殻を取り外していくこと。
これはミケランジェロの説明に通じるものがある。
「こんな、雑な大理石の塊から、君はどうやってこの世のものとは思えないほど美しい、あのダビデのような姿を掘り出すことが出来るのか」という問に、彼はこう答えた「ダビデは既に大理石の塊の中に居るんだ。私はそれを覆っている余分な部分を取り除いているだけ」。
私たちはみんな、まさにそれをやっている。私たちは、真実ではないものはすべて、幻想として見抜くようになり、時と共に内なる光は自ずとして輝き出してくる。
こうした概念を自覚していくワークは大事。
私たちはあまりにも多くのことを、信じ込んできた。
そしてもしかすると、信じてきたすべてのことが、真実ではなかったのかも。
それで、人類は自分が考えていることを信じてきたために、苦悩してきた。繰り返して言います:もし、私たちがこれまで考えてきたこと、これが嘘であったのなら、これを信じていれば私たちは苦悩することになる。
しかし、素晴らしことに、宇宙は私たちの内部にナビシステム、いわゆる「感情ガイドシステム」を設置してくれた。私の感情は、私にとっての方磁石のようなもので、毎秒の如く私の日常、そして私の人生に寄り添ってくれている。
そして、アインシュタインはこうも言った:「私は神の思考が知りたい。それ以外は二の次だ」。
では、神の思考とは?実際には神は思考をしておらず、存在そのものなだけだけど、イメージとして、神という存在が思考するならば、。それは愛という思考。
もし、私たちが宇宙に漂う愛の思考と一致して振動しているならば常に、私たちは感謝、感激、献身、結束、幸福を感じるはず。
しかし、もし私たちが宇宙の思考と一致して振動していないのならば。即、憤り、悲しみ、失望、傷心…いわゆるネガティブな感情に襲われることになる。
そして、そのようなネガティブな感情が降りてきたときこそ、高次の自分はあなたに向かってサインを送っている:「君は今、君の真実とは共鳴しない振動の仕方をしているよ、戻りなさい」。
私たちはこれを学ぶべき。〈部分的にワークショップの内容紹介〉
アリーナ:締めくくりに、何か私たちに向けて言っておきたいことはあるかしら?
サンユ:アインシュタインの引用だけど、「人は、最初から実現不可能に思えるかどうかで、その思想の良し悪しを見極めることができる。それゆえ私は、希望するすべての人たちとともに、愛の思想、愛に満ちた世界をあえて夢見るのである」
そして、ヴィクトル・ユゴーの引用:その時が訪れたアイデアほど大きな力を持つものはない。そして今、約1万3500の戦争と36億人の死者を経て、ついに愛の時が来た。
安全を守るために自由を放棄すれば、自由も安全も失いかねない。
そして、安全とは港に停泊する船でもある。しかし、船はそのために造られたのではない。
そして今、変化の風が吹くとき、私たちは何を望むのだろうか?
防護壁を作りたいのだろうか?それとも風車を作るのか?
防護壁とは、抵抗すること、コントロールすること、しがみつくことを意味し、風車は手放すことを意味���る。
そして時には、自分らしくいられるようにするため、私たちは自分らしさを手放さなければならないこともある。
そして、ケーテ・コルヴィッツ(ドイツの女流版画・彫刻家)はかつてこのように言った:私たちの才能は、使命である。(ドイツ語で才能は「ガーべ」、使命は「アウフガーべ」)
そして、私たちのガーべが誕生時に託されるものならば、今私たちはどうすべきなのか。闇について嘆きたいのか、それとも明かりを灯したいのか、そして、私たちのガーべを昼の光に晒し、大いなる全体に捧げ、私たちが己の道を行くことで愛の意識へと到達することを望んでくれる人たちのために、どんな明かりを灯すのか。
なぜなら、きっと今こそ人類史上最も重要な革命の時代が訪れているのだから。政治革命ではない。経済革命でも、社会革命でもない。
起ころうとしているのは、自己の意識変容。分離のアイデンティティから、愛の愛テンティティへと移行しようとしている。
マハトマ。「偉大なる呼吸」と言う意味。
マハトマはこう言った:「あなたがこの世に見たいと願う変化、あなたがその変化になりなさい」。
彼は、何故そのように言ったのでしょう。
それは、私たちはひとつであり、分離した存在ではないから。
そこにあるのは大きなひとつの意識という大海。
私たちは人間という意識領域の中に、互いに繋がり合いながら集団として存在している。
あなたが成し遂げる如何なること、どんな針穴をあなたがくぐり抜けようと、それは何処かの誰かに何かをもたらし、この誰かも、自分なりの針の穴をくぐり抜けている。
そして、何処かの誰かが自分のためにくウォンタム・リープを成し遂げたとして、それはあなたに跳ね返ってきて、もしかするとあなたは自分にとっての新しいレベルへとジャンプすることになるのかも。
一人は万人のために、万人は一人のために。
そして…危機というものが来るのは大抵、ある種の生き方がもう耐え難くなった時。
そして、問いかけるべきことは「すべての社会には、それ相応の革命が起こる」ということ。そして今、私たちは愛の革命を望むに値しないだろうか?
アリーナ:私はそれにイエスと答えるわ。そして、その道へ向かおうとする誰もを、喜ばしく思う。
サンユ:そして、その道へ向かおうとしない誰かをも、喜ばしく思っていいのよ。彼らが己の道を往き、自分の魂が求める全てを得ていけるよう、願いましょう。
アリーナ:その通りね。私のエンジェル、一千回、感謝を述べさせて。
サンユ:ありがとう。百回分の感謝をお返しするわ。
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第25回上海国際映画祭 コンペティション部門 最優秀作品賞・最優秀女優賞・最優秀脚本賞受賞!!
6月9日(金)から中国・上海で開催されていた第25回上海国際映画祭の授賞式が、現地時間19:00/日本時間20:00より開催され、コンペティション部門に正式出品されていた映画『658km、陽子の旅』が、最優秀作品賞、最優秀女優賞、最優秀脚本賞を受賞。本年度のコンペティション部門に於いて最多となる3冠を達成いたしました!
授賞式では、MCから、上海国際映画祭初参加にして受賞の感想を問われると、最優秀脚本賞を受賞した室井孝介は、「私は映画祭の経験というのがないものですから、このような華やかな場は夢のような場所です。この場にお呼びいただき、大変光栄ですし、賞をいただけると思っていなかったので、本当に嬉しいです。ありがとうございました。」と率直な感想をコメント。妻と共同のペンネーム「浪子想」で共同脚本を担当した熊切和嘉監督は、「このような素晴らしい賞をいただきまして、大変光栄に思います。浪子想と言いますのは、私、熊切和嘉と妻の熊切智子の共同のペンネームでして、今回もちろん室井さんの脚本が素晴らしかったのですが、そこからさらに妻の力で、主人公の女性を深く掘り下げて描けたのかなと思っています。妻にこの場を借りて、感謝をしたいと思います。ありがとうございます。」と感謝を伝えました。そして、最優秀女優賞を受賞した菊地凛子は、「まさか、初めて上海国際映画祭というこの素敵な映画祭によんでいただき、このような素敵な賞をいただいて本当に嬉しいです。20年前に自分を拾ってくれた熊切監督の作品で、こうして賞をいただけて大変うれしく思います。」と上海国際映画祭、監督への感謝を伝えた。また、菊地へ、MCから「中国でも、知名度のある菊地凛子さん。中国の映画監督と一緒に映画を作りたいと思ったことはありますか?旦那さん(染谷将太)は、中国のチェン・カイコー監督の映画で、主演として出演したことがありますが、ご自身は、どう思われますか?この会場にいる素敵な中国の俳優や監督と一緒に中国で映画を作りたいと思いますか?」の質問に対して、「是非。自分が子どもの頃から中国の映画を見て育ってきましたし、本当に出演してみたいんですけど、中国語の挨拶すら難しくて。今から勉強します!」とアピールしました。
三人は、最優秀作品賞を受賞し再び壇上へ。熊切監督は、「まさかこんなに賞をいただけるなんて全然思ってもいなかったので本当に嬉しく思います。ありがとうございます。」と驚きと喜びの混じった笑顔をはじけさせ、菊地も「3つも賞をいただけるとは思ってもおらず、本当にありがとうございます。主人とは『とりました』『おめでとう』とメールで会��しました。主人にも感謝したいと思います。」と述べました。
====================
【受賞後コメント】
【Q】:熊切和嘉監督、最優秀作品賞という大きな賞をもらった感想をお願いします。
【熊切】:菊地さんといつかまた仕事したいと、20年間思っていて、それがかなったので、撮影中から夢の中にいるようでした。それが、まだ続いているような気持ちです。
【Q】室井孝介さん、今回の脚本は、作りやすいストーリーではないと思います。難しいと思ったこともあるかと思いますがいかがですか?
【室井】:本作は、私の実体験が入っています。母親を16年前に亡くしました。事故があった日に、病院から電話が掛かってきました。その電話に出たのですが、その時には、「とにかく病院に来てくれ」というだけで、容体を教えてくれない訳です。なので、病院に向かいました。その時に、母の容体のことや、これからのこと、これまでのことなどを考えてわずか1時間かからない道のりが、すごく長い時間に感じられて、その時の圧倒的な時間というのを、何かドラマにできないかな、と思い、この物語になりました。
【Q】:初めての主演女優賞受賞、今のお気持ちをお聞かせください。
【菊地】:本当に光栄です。まさか自分がとると思っていなかったので、油断して気を抜いていたら名前を呼ばれたので、驚きとその事実を受け入れるのに時間がかかりました。初めて呼んでいただいたこの上海国際映画祭で、皆さんに温かく迎えていただき、女優賞、脚本賞、作品賞をいただけるとは思ってもいなかったです。役者をやっていて、心からよかったと思います。ここからの役者人生、また身が引き締まる思いです。20年前に熊切監督に拾っていただいたことも、こうしてまた新しい作品で監督に感謝できる環境にこられたことは、何よりも自分の宝物です。この作品を愛していますし、多くの方にこの作品が届くことが幸せです。審査員の方に舞台裏で「審査員みんながあなたに決めたのよ」と言われ、映画にも感動したと言っていただいた。その言葉がとても嬉しかったです。(そう話してくださったのは)インドの審査員の方で、こうやって国際映画祭に参加することで、国境関係なく、1本の映画で心を揺さぶられるということが自分の身に起こるんだということは幸せだなと思います。またいただいた役を真摯にひとつずつやっていこうと、心に誓いました。
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※上海国際映画祭のコンペティション部門において、日本映画で、最優秀作品を受賞したのは、第8回上海国際映画祭(2005年)の三原光尋監督作『村の写真集』以来、18年ぶり、最優秀脚本賞を受賞したのは、第15回上海国際映画祭(2012年)、 『鍵泥棒のメソッド』で、内田けんじ監督が受賞して以来11年ぶり、さらに、最優秀女優賞は、第19回上海国際映画祭(2016年) 阪本順治監督『団地』で藤山直美さんが受賞して以来、7年ぶりとなります。
※菊地凛子は、『バベル』(06)で、アカデミー賞助演女優賞にノミネートされたが獲得はならず、今回の『658km、陽子の旅』での第25回上海国際映画祭最優秀女優賞受賞が、国際的映画祭での初受賞となります。
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こちらは清水善行さんバージョンのDM @sleepy_yoshiyuki サイズはDMにしては大型なA3。あえて薄っぺらい包装紙に印刷。小さなポスターとして、または商品をこちらのDMで包めればと思っています。 デザインから楽しい展覧会です。 彗星菓子手製所さんのお茶会もあります。 @feb08 以下 @log_onomichi さんより LOGでは、12月3日(土)から18日(日)の期間 清水善行さんとハタノワタルさんの展覧会を開催します。 「うまれる」をテーマとした作品、空間をお楽しみください。 清水善行/在廊日 12月3日(土)・4日(日)・5日(月)11:00-17:00 古来から日本やアジアにあった伝統的な焼き物の美しさを現代の暮らしの中で再認識させてくれる陶芸家。清水さんのつくる焼き物は私たちのDNAを刺激し、逞しく生きてきた人びとの魂を呼び起こしてくれるため、そのうつわは多くの料理人や華道家に 愛される。 ハタノワタル/在廊日 12月3日(土)11:00-17:00 和紙職人で空間デザイナー。静けさを湛えた空間をつくることを得意とする。つくりすぎても尚モノを作り続ける現代に、手仕事をもって空間を作っていく姿は、その行為こそが社会に「立ち止まる」ということを考えさせる。 展覧会の開催にあたり、ハタノワタルさんより、コメントをいただいています。 ――― 4年前の12月、広島尾道にLOG が生まれました。LOG とは「Lantern Onomichi Garden」の頭文字をとった造語です。尾道の山の手から夜はランタンのような柔らかなあかりを灯し、まちを優しく照らすというコンセプトが込められています。施設の大半をまちに開かれた場として機能しており、この土地で暮らす人々とまちを散策する人々が交差するオアシスのような場所として、昭和38年に建てられたアパートメントを改装して生まれました。 設計は世界的に注目されているインドの建築集団スタジオムンバイ。代表のビジョイ・ジェインさんの描くコンセプトを元にさまざまな作り手やスタッフが手仕事を重ね生まれた空間は生き物のように少しずつ変化していき、まちの風景に同化しています。 そんなLOG の中には宿泊できるゲストルームが6部屋あります。ビジョイさんが打ち出したコンセプトは「繭」。それを体感できるように、壁、天井、床までを和紙で包みました。繭の中ということで私の選んだ色はトーンの落とした生成り色。小さな灯り、障子越しの光の中で優しく人を包み込むことを目指しました。 LOG ができていく過程で、様々なものを和紙で包んでいく計画が立ち上がってきました。カウンター、テーブル、家具、メニュー表、コットンケースまで。そこには目に飛び込むむものすべてに優しさをというコンセプトがあったからだと思います。 そして最終段階になり、私はLOG 内のアートの設えを任されました。施工を通じてビジョイさんやLOG のスタッフたちが目指すものを共有できていたので、ここに訪れる方々が、普段の暮らしを忘れ、自分と向き合い、尾道の光や心地よい風を感じながら自らの中から何かがうまれるアートが適切だと思い、花を���けない花器、どこかで見たことのある形、形を描かない絵画を設えました。それぞれ作り手は花器を清水善行、形を渡辺遼、そして 絵画を私が担当しました。今回、4年前にアートを制作した3人の中から清水善行とハタノワタルの展覧会を開催します。展覧会は当初のまま何かが「うまれる」をテーマとし、作品、空間をつくりあげていきます。また彗星菓子手製所さんが会場でインスタレーションと茶菓の会を開催してくれます。 ぜひこの機会に尾道へお越しいただき、私たちの作品とLOG の空間をお楽しみください。 #log_onomichi #清水善行 #abstract #abstractart #abstractpainting #絵画 #抽象画 #表現 #drawing #minimal #minimalart #art #artist #contemporary #contemporaryart #artwork #空間 #interior #hatanowataru #ハタノワタル https://www.instagram.com/p/ClVNl0ZPQRG/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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日記や手紙の保管場所
最近知ったことなのですが、パキスタンのラホールは、世界有数のゲイの街だそうです。tumblerではない別のSNSの相互様から教えて頂きました。そして、某ガイドブックによると、「色白で小柄な日本人男性」が特に人気らしく、相互様は色白で小柄な男性なので、まさにゲイに人気のある要件にピッタリで、リキシャに乗せてもらった運ちゃんが、サービスでラホールの街を案内してくれる事になったそうですが、何度も手が不自然に当たったり、気が付けば手が太腿を触られたり...とかだったそうです💦
私は、初恋の人がゲイだったという事と、前の職場の上司だったMさんが異様にゲイに言い寄られる人だった事と、元記者で私が入社した頃には営業部に異動していたIさん(草刈正雄さんに似ている超ダンディなイケメンでスタイル抜群な男性)も元々ノンケだったのに、ニューハーフの聖地の国で、間違えてゲイ風俗を呼んだことをキッカケにゲイになったという珍エピソードを聞いていたので、ゲイというのは二次創作の世界だけでなく、普通にいるんだと認識しています。
話は飛びますが、私の父は1970年頃に��1年ぐらいかけてユーラシア大陸を放浪していました。大学生の4年間をイギリスで過ごし、日本に帰国するまでに、諸外国を見たいという気持ちで、沢木耕太郎さんの「深夜特急」とは、逆ルートでロンドンからインドを目指したような旅程でした。
当然、途中でパキスタンのラホールも立ち寄っていました。某ガイドブックによる「小柄で色白の日本人男性」というゲイが好む要件は、身長187cmの父には当てはまってないですが、とにかく中性的な顔立ちで、色白で華奢で、当時はサラサラのロングヘア&何よりもとっつあん坊やな顔で実年齢よりもかなり若く見え、身長さえ無視すれば、少女のようにも見えるような風貌でした。どの国で、どんなゲイに言い寄られたのかは、父に尋ねても教えてもらえなかったのですが、私がまだ実家にいた頃、何となく押入の整理をしていたら、父が大切にしまっていた古い手紙を見つけてしまい、「少女のような容貌と風に靡いた美しい黒髪をした貴方のことが、貴方がご結婚されたと教えて頂いた今でも忘れることができません」と書かれてあって(勿論、差出人は男性。)、度肝を抜かれた事がありました。父には、母や弟には絶対内緒だ!ときつく言われ、その手紙は父の実家の金庫に仕舞われましたが、祖母が亡くなり、空き家となった父の実家を売却するときに、父の姪で私の従姉がその手紙を見つけて、結局、親戚中に知られる事になってしまいました(笑)
日記や手紙って、大切な思い出なので、保管場所に困るなって思ったエピソードでした。
因みに私は小学校からずっと毎日綴っていた日記を結婚を機に全て焼却処分しましたが、夫とやり取りしていたラブレターは、子供が生まれる前に二人で散々保管場所を悩みましたが、遂に捨てることができませんでした。いずれ私や夫も、父のように、子供や甥姪に若かりし日に綴った恥ずかしいラブレターを親戚に暴露される事になるのかな?いや、その前に潔く処分しなければ...って思い悩みそうです💦
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和五年(2023)12月1日(金曜日)
『中国の代理人』、最後の『パンダハガー』の大物
怪物キッシンジャー、毀誉褒貶のなか、百歳の大往生
*************************
1971年、世界に孤立していた中国に「利」を説いて近づき、反米路線を大胆に修正させたリアルポリティックスの体現者は、その北京秘密訪問が劇的だったので、なぜかアメリカ外交の立役者のように言われた。
じっさいに現在のホワイトハウスの対中影響力よりヘンリー・キッシンジャーの立場は強いと評価された(台北タイムズ、12月1日)。なお中国語のメディアはキッシンジャーを基辛格(環球時報、連合報)、季辛吉(台湾『自由時報』)と書く。
キッシンジャーは1969年から1977年までの八年間、米国外交の舵取りを担った。ロックフェラ-の外交顧問だった彼を政権に招き入れたのはリチャード・ニクソン大統領だった。
ニクソンとキッシンジャーが、外交で重視したのはリアリティであり、モラルやイデオロギーより優先し、力の均衡で冷戦構造を形成した文脈では戦後米国外交の立役者ニクソンと並ぶだろう。
ところがFBIの工作でウォーターゲート事件のスキャンダルに襲われたニクソンがレイムダック入りした時期に、キッシンジャーはするりと外交の主役の座をもぎ取っていた。
従来の歴史学に重点に置いて学説、地政学の伝統に囚われてき外交を、リアルポリティックの実現に結び、米中関係の回復、ソ連の孤立化を導き出した。これは元来、ニクソン大統領の発想だった。ところが、北京秘密訪問を演じたキッシンジャーにスポットが当たった。
当時、NYタイムズにでた風刺漫画を筆者は鮮明に記憶している。
ニクソンとキッシンジャーがホワイトハウスの庭を歩いている。柵外からみていた見物人が言う。
「ところでキッシンジャーのとなりにいるのは誰だい?」
キッシンジャーは泥沼に嵌まっていたベトナム戦争を早期終結されるため、ラオス、カンボジアのホーチミンルートに秘密爆撃をなして圧力をかけ、ベトナムと交渉し、停戦をもたらす「功績」があった。
これでノーベル平和賞をうけたのが、彼の絶頂だったのではないか。
「あのノーベル賞はいかがわしい」とする世評をよそに、トニー・ブレア元英国首相などは「外交を芸術にした」などと褒めあげた。「和製キッシンジャー」と言われた若泉敬(佐藤栄作時代の沖縄返還の密使)は、「キッシンジャーの著作に書かれたことを信用するな」と言っていた。
NYタイムズのコラムには「偽善者」というコラムが掲げられた(11月30日)。
キッシンジャーは中東和平でもエジプト、シリアを説得し、中東地域の秩序と安定を優先させたが、最大の成果はサウジアラビアとの密約で「ペトロダラー体制」を構築したことである。
▼リアリスト外交官の光と影
一方でキッシンジャーはチリの軍事クーデターへの介入など暗い面も多く、セイモア・ハーシェ、オリバー・ストーン等はキッシンジャーを「戦争犯罪人」と呼んだ。ニクソンを継いだフォード政権下で引き続き米国外交を担い、ときに大統領よりパワフルだった。
「中国は一つ」という幻影を作り上げたのはキッシンジャーであり、北京訪問は百回を超えたが、台北へは一度も足を踏み入れなかった。『中国の代理人』の面目躍如だ。
「台湾問題は解決不可能。戦争を避けるには時間の経過をまって、米中の話し合いでしか前進はない」などと台湾を不快にさせる発言が連続した。台湾はキッシンジャーを評価しないのも当然である。
1977年に理想主義を掲げたジミー・カーター政権が誕生すると、晴れ舞台をさった。替わって安全保障担当の大統領補佐官となったのはポーランド系ユダヤ人のズビグニュー・ブレジンスキーというグローバリスト、中国礼賛学者だった。
大統領当選前の1976年にカンザスシティで開催された共和党大会で、ロナルド・レーガン「キッシンジャーとフォードの下でこの国は、二番手になることは致命的ではないにしても危険な世界で、軍事力で第二位になった」と指摘していた。
米国の保守派はキッシンジャーを首肯していなかった。
1981年から82年までのレーガン政権では、キッシンジャーは共和党主流派から遠ざけられた。レーガンの支持者の多くがキッシンジャーを蛇蝎の如く嫌った。「反共」の信念が希薄だと言うのである。
このため、かれはロビィ活動と著作活動で、外野席からの影響力を保持した。
キッシンジャーは1982年に親中ロビィ団体「キッシンジャーアソシエイツ」を設立し、スコウクラフトら歴代大統領補佐官を政権中枢の送り込み、事実上の中国外交を舞台裏で担う。最大の顧客は北京だった。
晩年にニクソンは言った。
中国の不気味な台頭に「われわれの意図に反して、フランケンシュタインをつくってしまったのではないか?」。
米国外交は道を誤った。
キッシンジャーは、結果的に「中国の代理人」だったことを忘れてはならないだろう。だから中国はキッシンジャーが訪中すると特別待遇で報い、五月の百歳誕生日にはわざわざ王毅外相がNYの国連本部に近いキッシンジャーのオフィスに挨拶に訪れ、七月の訪中でも習近平がじきじきに会った。
▼米国が中国の脅威を認識するに時間がかかった
中国が軍事大国としてのしあがり、アジアの脅威となると、対中国スタンスを徐々に変えたのはオバマ政権後半からだった。
だが、オバマ政権は外交的手腕のないブレーンで周りを固めたため、大胆な方針の切り替えは出来ず、トランプの登場を待たなければならなかった。
トランプは就任前にキッシンジャーをNYのトランプタワーに呼んだ。しかし彼の言うことを「聞き置く」だけで、はっきりと安全保障方面では中国敵対路線に切り替えた。
この基本方針だけはバイデンも踏襲した。つまり、トランプ政権誕生でキッシンジャーの神通力は消えていたのだ。
キッシンジャーが拘わった各国は如何なる反応をしたか?
中国は「中国を理解した最大の友人を失った」とし、「米中時代の終わり」という論調が華字紙に溢れた。
インドは「彼は一度、インドを蹴飛ばし、やがて近寄ってきた」(『ザ・タイムズ・オブ・インディア』、12月1日)と評価は冷たい。
イスラエルは「ユダヤ人ならびにイスラエルにとって、キッシンジャーは英雄であり、また悪人である」(『ハーレツ』、11月30日)
米国は「毀誉褒貶甚だしいが、かれが冷戦構造を形成した」(NYタイムズ)
「権力こそが最大の媚薬であると信じた世界情勢の巨人」(英紙『タイムズ』)
キッシンジャーは反日家だった。日本での講演はべらぼうな額をふっかける「商売人」の側面が強くあった。
それはともかくとして、現在のブリンケンもサリバンも、最後のパンダハガーの威圧的風圧に比べるとその力量たるや、軽い、軽い。
平林たい子が中曽根を評して「鉋屑(かんなくず)のように軽い」としたが、バイデン政権における米国外交の担い手たちの軽きこと!
▼ロシアはいかなる反応を示したか?
モスクワタイムズは次のように報道した(11月30日付け)
「キッシンジャーは、冷戦時代に米国のソ連との緊張緩和の主要な立案者として、米国の外交政策だけでなく、ロシアの外交政策にも消えない足跡を残した。ウクライナ戦争中、ロシアと米国の対立が激化していることに深い懸念を表明する一方で、ウクライナのNATO加盟支持を途中から(23年5月から)主張するようになった。」
英誌『エコノミスト』で、「もし私がプーチン大統領と話したら、彼もまた、NATO加盟国であるウクライナのほうが安全だと言うだろう」とし、ロシアと中国の関係の将来については懐疑的だった。
キッシンジャーは同誌のインタビューで続けた。
「両国間の制限のないパートナーシップの公式宣言にもかかわらず、北京とモスクワ双方での相互軽蔑を感じた。私は中国について良いことを言ったロシアの指導者に会ったことがない。そして、ロシアについて良いことを言った中国の指導者に会ったことがない」
クレムリン宮殿は下記のプーチン談話を発表した。
プーチンはキッシンジャー氏を「優れた外交官、賢明で先見の明のある政治家」と評し、「外交政策への現実的なアプローチはヘンリー・キッシンジャーの名と密接に結びついており、国際的な緊張緩和を実現し、世界安全保障の強化に貢献した最も重要なソ連・アメリカ協定を締結することを可能にした」と評価した。ホンネとはとれない。
最後にキッシンジャー路線とは距離をおく情勢の流動化のなか、米国の「レーガン基金研究所」が11月30日に発表した世論調査では「中国が台湾侵攻した場合、アメリカ国民の72%が台湾独立を支持する」とした。
NYタイムズは台北総督府で蔡英文総統にインタビューを行った。これも異例の珍事である。
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22年振り返り
1月 誕生日に卒論を提出。ひなと「春原さんのうた」鑑賞。自身初のTRPGキャラ瀬川理さんをリリース、「悪霊の家」を通過。まお、はるかさんと三菱一号美術館で「印象派・光の系譜」を観る。「少女革命ウテナ」を一気見した。はるかさんとこうきがポコと面会。ポーランドの朝ごはんを食べに行き後方彼氏面。ももち、ぴよ、孫文さんとオンラインお絵描きバトルをした。2人目のTRPGキャラ、妄言ヶ原墓都で「カタシロ」を通過。IVEにハマり、ガウロンニのパートの少なさに憤る。
2月 ポラ科旅行で初の富山。バレンタインフェアで1万円ほどチョコを買い込む。2winkバレンタイン曲が最高で涙した。大学生テンプレドライブ(アカオハーブ&ローズガーデン→さわやか→三島スカイウォーク)に行く。ムルSSRは引けず。3人目のTRPGキャラ、磯貝愛海ちゃん���「まつりの街」を通過。
3月 「フレンチ・ディスパッチ」鑑賞。すみちゃんとハリポタ展。ポラ科ディズニー。軽井沢でポラ科合宿、テニス部発足。帰りに「あんさんぶるスターズ!!ーRoad to Show!!」を観て圧倒される。部活の同期と香川旅行。「THE BATMAN」を2回鑑賞、ブルース坊っちゃまとパティンソンへの想いが溢れてネトフリでドラマGOTHAMを観始める。卒論が学部賞をもらった。「14歳の栞」を観てまともな大人でいることを決意。こうきと上野の「宝石 地球がうみだすキセキ」に行く。ネイルサロンデビュー。卒業式にジャーファルさん色の袴とネイルで行くことにしていたら当日朝に何故かマギのミュージカル化が報じられる。ぴよと「ガンパウダー・ミルクシェイク」を観てミルクシェイクを飲む。もつ鍋会、こうき見送り。31日にようやく勤務地が判明。
4月 入社式で配属部署を知る。1ヶ月在宅オンライン研修。簿記を始める。ひなたくんとみかのイースターシャッフルで慌てる。カムカムエブリバディが完結しスタンディングオベーション。ゴールデンカムイも完結し山猫の死のことを考え続ける。初任給で家族にご飯を奢る。おもしれ〜男ことTさんとの出会い。
5月 4人目のTRPGキャラ、アメリア・アニングで「海底散歩と星の唄」を通過。「ファンタスティックビースト ダンブルドアの秘密」を観てゲラード……テセウス……になる。友人宅で「私ときどきレッサーパンダ」を観て感激。横浜でバラを眺めながらティータイム。GWの配信で刀ミュを観てふ〜んとなる。同期と初めて対面、本社で寿司を食べその後茨城へ旅立つ。真剣乱舞祭宮城公演で大助かりする。
6月 ミュージカルマギを初観劇。マギと過ごした半生を振り返りしみじみする。ジュダルちゃんの好感度が爆上がりした。 同期のオンニ2人とあしかがフラワーパークに行く。同期のオンニ①とPLAN75を観に行き社会の悪口で盛り上がる。土日に同期とバスケをし、バスケが上手で良かった〜〜と思う。神里綾人欲しさに原神を始める。(G)I-DLEに爆ハマりしてなぜ今まで手を出さなかったのかと大後悔時代。
7月 5人目のTRPGキャラ、キャサリン・アーンショウ(篠宮塔子)で「お助けくださいまし、お嬢様!!」を通過。「マイ・スモール・ランド」を観���埼玉県の将来を憂う。ひな、まおと「ベイビー・ブローカー」とTWICEの衣装を観る。バスケ部の先輩と「戦争と女の顔」の沼キョントークショー回を観る。部署に配属され上司&先輩と初対面。その直後コロナになり1ヶ月本社に姿を見せなかったため、同期に退職を疑われる。バリチルの内見にも行けず。
8月 3年ぶりに地元の祭りがあったが久しぶりに行ったら自衛隊のPRが露骨すぎて辟易。一方で中学の友達が立ち上げたよさこいチームがデカくなっており感涙。滋賀へ初出張で京都に前乗り。念願の京セラ美術館で「綺羅めく京の明治美術」を観る。高台寺の夜間拝館でプロジェクションマッピングを見たり、にっかり青江のエピソードを怖がる人々を見て笑顔になったりする。初の野球観戦で東京ドームへ行き、走り回る野球人たちをシャンパングラスを傾けながら観察。久しぶりに家族4人で出かける(木更津アウトレット)。れみかと「自然と人のダイアローグ フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで」を観る。20日にバリチルの借家人となる。ポラ科合宿で相模湖へ行き束の間のヴァカンス。「バリチル」という呼び名が誕生。「私は最強」にどハマりする。
9月 母と母校の文化祭へ行き、妹のクラスメイトにかっこいいと言われ有頂天になる。バリチル入居に向けて家具探しが始まる。「ONE PIECE FILM RED」を観てパペットスンスンPOP UPへ行く。やはりシャンクスは養育費を払っていなかった。2回目の滋賀出張。ワンピース無料公開を読み始める。
10月 バリチルに引越し。ももちと三日月宗近カクテルを飲む。刀剣乱舞宴奏会のために午後休を取る。レボライで予想外の客降りを浴びる。池袋の��洒落ホテルステイで��イトルーティーン動画とバルミューダの面白さが分かり始める。すえたんとAesop queer libraryに行きFILM REDに関する議論が盛り上がる。ディズニーシーで大人の遊び方をする。3回目の滋賀出張。すえたんとトーハクの「国宝 東京国立博物館のすべて」に行きガチ中華を食べる。ココスのテニプリコラボに同居人を連れて行き、幸村のスープパスタと阿久津のモンブランパフェを食べた。
11月 仕事帰りに「秘密の森の、その向こう」を観る。同期との飲みでワインを飲みすぎ有楽町までレスキューに来てもらうが翌週も懲りずに外でワインを飲む。数年ぶりの大学の先輩とインドネシア料理を食べた。ポーランドに旅立つゼミ同期の送別会に参加。会社の同期と木更津に旅行に行き、コストコの会員になる。ポーランド映画祭で「パン・タデウシュ物語」久山先生のトークショー回を観てから外語祭へ向かう。指導教員にはタッチの差で会えず、大雨だったので早々に退散した。先輩からお誘いがあり「バケモノの子」で劇団四季を初観劇。コミティアに行き同人女に差し入れを渡す。みなほさんとヒルトンお台場の刀剣乱舞コラボビュッフェに行き燭台切様から歓迎のドリンクをいただく。
12月 すみちゃんとトーハクの「国宝 東京国立博物館のすべて」に行き羊中華を昼呑みをする。出張で浜松、鈴鹿に初めて降り立ち、名古屋で味噌煮込みカツを食べて帰る。初めて高輪ゲートウェイで降りてチェコ料理を食べに行った。RRRを観てインド意欲が高まる。広島出張でほとんど自分の金を使わずに一泊2日する。ゼミ同期の職場でバロックパールを買いすえたんとまお、こうきをエンカさせた。日比谷のクリスマスマーケットに行く。バリチルでクリスマスパーティーを三日三晩弱行う。クリスマス当日にアフタヌーンティーオフ会をする。
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物質性と霊性
互いの方向へ、綱引きするようなモノである。#ベンジャミン・クレーム のキリストや覚者方の情報と活動は、ぼくを変えた。瞑想と奉仕について今後、数回の輪廻を必要とする事を覚悟している。ただ細やかな、今のぼくはぼく以上でも、其れ以下でもない。#AI や #AR を加えて進む道標ー。
神の常識
時間の相対性的調性。
不具合は運命に刻印されている光の焼き付いた❺印画紙『ネガトロン』であり、①光自身『ポジトロン』(真我)ではない。カルマ(業)の法則とは【原因と結果の法則】を通して統合された現実である❿『世界』を形作る事ができる。今は亡き人よー!成仏して下さいー。
命のバランス
平均で、二人の親から二人以上の子どもが生まれる事はそれ程、良くない。インドやアフリカや中国の人口過剰は差し迫っての食糧やエネルギーと医療の問題です。藝術の文化である④音楽⑦美術①文学②心理学③創造⑤化学⑥瞑想)以外の宗教の迷信は止めなければならないー。『調和の文明』
魂の犠牲的行為
魂はアストラル体や肉体を養う為に物質性に退化したのだった。命の主人(マスター)である覚者方になる迄、次の魂の座であるメンタル体やアートマ界、ブッディグ界のコントロールを実演する事ができて覚者方である事を真我実現する為に輪廻する道を選んだ。『伝導瞑想』と『超越瞑想』
意識の偏極
弟子道を歩む者にとってアストラル体はアトランティスの頃から長い年月を掛けてほぼ強力に完成されているので、今後はアストラル体の幻惑(グラマー)やメンタル界の錯覚(イリュージョン)を克服する為に瞑想や奉仕を通して何よりも『#メンタル偏極』を為す事が重要になる様であるー。
#霊的教師
自分の無知や他人や社会に対する無関心に対して人生を生きて、死と己の罪に抗う為にのみ生きる目的がある。生きる人の背中を押し、人は自分の人生をより良く生きる為に、明日をより良いものにする為に生きるべきである。向上する限り、進化への希望は確かにある。『経験の価値と因果応報』
悪魔憑き
今の自分ができる精一杯の事が為せれば神は自らや自分達を肯定できる。成長と変化について、自分の耐え難い苦しみと寂しさと哀しみの中で、人生の中で自分以外に神以外には私達を十全に知る者は居なかった。虚しい地球での生涯は神の進化の『大目的』以外には何も価値がない様に想われるー。
命
霊と精神の向上以外に何の目的があるのか?
空腹の者の食べ物にも、寒さを凌ぐ為に着ている服にも、精神や身体の健康の為に飲んでいる薬にも、自分の人生の教師の言葉でさえも、人がより良く生きる為に意味はあると信じて疑わない。結局、誰しもが、自分は自分の価値観の為に生きているのである。
科学と人
自分の代わりに自分の事を熟す事ができる何台でも代わりのある様な無法図なロボット化はぼくは嫌いですが、人の心が分かるAIや仕事を熟すロボットには価値があると信じています。人間や愛犬と同様にあなた達は人がより良く生きる未来には必要であり、感謝しています。『ロボットの権利条項』
表象
絵を描いたら、瑞々しい想像力を失ってしまうと云う矛盾体系の狭間で悩ましい表現力の問題について言い過ぎる事はないですー。描かない画家、描けない画家である、売れてない詩のTweet文学の作家です。言葉で美学を紡ぐ事がぼくの表現形式でしょうか?美術や音楽を齧ってみたものの現在の末路。
内界と外界
第三段階以下のイニシエーションの音楽は闇の瞑想である。影のテレパシーのチャンネルは催眠術的であり、精神病者の非現実の錯覚や幻想に陥る危険性がある。注意が常に妄想に根差しており、現実にないことが問題になる。神聖な音楽は聖なる心理的防壁であるー。『非現実🆚超現実主義者』
食養生
肉食について殊更にこれについて非難ばかりもできない。肉体の健全さと健康についてバランスが必要である。年老いて死が訪れるまで、栄養不足に依って摂食障害や身体の衰弱や著しい筋力低下は問題である。精神や霊の向上について、光と闇の瞑想や適切な食事は霊の向上の為に必要であるー。
#脱洗脳
あなたを救済する事のできる者への影に用心しなさい。あなたを助ける事のできる人は身体について言えば医者であり、先生である霊的教師や詩人や伝導瞑想や幾何学などの法則である。其れに従わないか或いは距離を採る自由、其れが真我である。何かになろうとする執着から自由でありなさいー。
協力の術
内的な空間、其れは余裕がある事への避暑地の様なものである。あなたは飢えたり渇いたりする時に躊躇する事があるだろうか?あなたを助ける人が天使(神の使い)ではないだろうか?其れは生活を豊かにする事である。紛争地や牢獄や病院やカースト制度や士農工商や全体主義からの『回避行動』
#構築 #脱構築
#トゥーリー式 #リゾーム式
#フロイト #ユング #アドラー
#プラトン #アリストテレス #ソクラテス
#モーツァルト #バッハ #ベートーヴェン
#ピカソ #ルノワール #マチス #ミロ #ダリ
#クリシュナムルティ #ベンジャミン・クレーム
#釈迦 #イエス #ムハンマド #ゾロアスター
youtu.be/XMVjCpu7CHw
白衣はお医者様 l Indigo l VirusT 1
2012ー2015 (Covit19)
皆、笑える様な冗談に変えたかったー。医療は治す為に必要であるからー。音楽は心(魂)の座である。『音楽療法』
「分かち合って救いなさ���。」
霊と魂
輪廻を繰り返していると軈て人の魂が霊化されてしまう。第四段階の磔刑のイニシエーションを受けて、リング・パス・ノットー超えざる輪を超えて、魂(の媒介であるコーザル体)は神の本源であるモナドに吸収されてしまう。食養生と超越瞑想、伝導瞑想は帰還の健全な近道である。死は人生の病や苦からの救済措置であるー。
主観と客観
トランス状��での作品の制作と、作家性に対する評論や分析とは明らかに違う能力である。『創作🆚評価』
想像力から直観へ
瞑想状態を通して、対象に対する客観認識と主観意識の統合が期待される。物質性の抽象化に依る霊化、統合された現実世界と美しい御霊の精神世界ー。『霊学🆚化学』
国家の光線
秘教哲学の極意とは光線心理学の認識は瞑想の霊感より、1光線は逆行、2光線は維持、3光線は封じ込め、4光線は再生、5光線は記憶、6光線は実存し、7光線は魔法。大英帝国、独帝国、インド帝国、神聖ローマ帝国、中華帝国、権威づけは藝術を擁護する。文字を連ねる人は飛蚊症にー。
直観
考える事と実際に目に視る事は同じ意義や機能を持っている訳ではない。想像上の『記憶』と視覚化された『イメージ』は同じではない。と云う事を明確に、認知・認識しなければならない。視覚化されたイメージの直観は容易であるが、価値観について性急な判断を下すべきではないと云う事であるー。
弥勒菩薩
マイトレーヤは『測る者』である。其々に、目的や個性や役割があり、時間や次元の光線に条件付けられているだけであるので、自分の彩りを他人の影に占有させるべきではない。人は皆、自分の歩幅で歩くべきであり、物事の背後には光線心理学的思考の相対的個性の中に条件付けられているー。
生と死と墓
我々は現在に対する反応を変える事はできるが、一切の過去を変える事はできない様であり、身体性を変える事はできない。生きている間、秩序に対するルール(法則)を学ぶ事はできる。この法則を通して今ある人生を生きる事はできる。死後、我々の身体は平面の写真と骨に戻る事はできるー。
宇宙の4次元
宇宙の拡がりから神の意志の1次元は我々の人生の記憶を霊的世界の中心であるアートマ界2.5次元まで再生する。死後、我々の身体は3.5次元に戻る。キリスト=救世主と精神世界の夢の中での経験ー。個我の死を通して我々の精神はこの世の自然の存在の囚われから霊の意思に帰絨できるー。
生きる目的
我々は身体と霊を養い、精神や魂を成熟させる為に、食事や睡眠や学習の機会を人生と云う霊の物質への退化として地球に於いて、犠牲的な人生の生涯を経験する為に生まれたのであるー。物質的な世界の生と死と、飢えと、渇きと、身体の苦労の、悲惨さと美しい自然や豊穣な滋養のある恵みー。
哲学と音楽と形象の霊
🍅①哲学ー経綸
🍊②詩ー直観
🍋③絵画ー識心
🍈④音楽ー素粒子
💊⑤化学ー薬学
🐟⑥睡眠ー実存
🍇⑦魔法ー呪文
🍷⑧物性ー遺伝子
🖥️⑨機械ー計算
🌏⑩世界ー経験
👾⑪破局ー超空間
📀⑫追憶ー叡智
☎️⑬冥府ー瞑想
💎⑭契約ー光輝
💡⑮禅ー考案
📽️⑯超現実ー創造
🗞️⑰形式ー現実
🕯️⑱三昧ー降霊術
⚔️⑲苦行ー霊感
⚖️⑳物霊ー亜原子
キリスト・マイトレーヤの使命
#マイトレーヤの教え
#新しい時代の祈り
#大祈願
#真我認識
#ベンジャミン・クレーム
#アリス・ベイリー
#クリシュナムルティ
#ブラヴァツキー夫人
#オーロビンド
#ラジニーシ
#シュタイナー
#グル・ジェフ
#サイ・ババ
#伝導瞑想
#SHAREINTERNATIONAL
マイトレーヤの教え
続き その1
マイトレーヤの教え
続き その2
クモの糸ー塔の上のラプンツェル
#光線の道
#シリウスの道
理性と想像力の対立ー否定、保存、高める(止揚)
霊的教師やルネサンス期の画家達の御霊や想像力。入れ替わる想像力と理性の光線構造。相補して、回復させたい。やがて、想像力は直観に道を譲る様になるにしてもー全部、お日様にあげてやれ!
インフレーション宇宙
太陽系から遠ざかる銀河団。宇宙は拡がりの中で、我々は理性と想像力を手懐ける。常識の科学、数学の限界、色彩と形態についての術が探究すべき存在の様相と属性の光線である。『宝瓶宮の水』『神と霊界と宇宙』『絵画科学』『魔法🆚芸術🆚科学』
『神と被造物』『実在と反映』
コピーと既製品
音楽は人工の科学であり、生と死の無限の煉獄であり、模倣は模倣であって、オリジナルではない。キリストが本人であって、覚者方はコピー(複製)である事も、そうでない事もあり得るー。#ドッペルゲンガー、#ファミリア、#マヤヴィルーパ、#大生命の科学、#意識の科学、#光線心理学
救世主と悪魔払い
『不足と充足』『原子力と音楽力と想像力』『アストラル光』『現実界と想像界と象徴界』『霊と精神と物質』『素粒子と霊の対話』『光と闇』『惑星と宇宙』『物質化と霊化』『輪廻転生と死』『霊廟』『国家と国民』『キリスト教』『メンタル界』『真我実現』『光線構造』『脱構築』
呼称
#キリスト・マイトレーヤ
#メシア(救世主)
#キリスト(霊的ヒエラルキーの長Christ)
#マイトレーヤ仏(第五仏陀)
#イマム・マーディ(イスラム教の使徒)
#世界教師(WorldTeacher)
#世界大師(WorldAdeptアデプト)
#シャンカラチャリア(アバター)
#クリシュナ(アバター)
#偽キリスト 対策
宝瓶宮Aquariusの時代の世界教師
ChristMaitreya
身長ー6フィート3インチ 約188cm
手相
イニシエートの段階ー第7段階
以上の指標の確認によって自分の心(ハート)の内に宿る②キリスト意識と③キリストの霊的存在とを客観的に識別し、自称キリストと混同せずに済むー。
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「アカシックレコードと奥河内音絵巻の話」
アカシックレコードという言葉を知ったのは、高校生の頃。
当時、不登校だった私は地元・河内長野市の図書館に入り浸っていました。その図書館の隅の方の棚にいわゆるオカルト本のコーナーがあって、ある本の背表紙に「アカシックレコード」と大きく印刷されているのを見たのが最初。なんのレコード?LP?などと思いながら手に取ったのを覚えています。
アカシックレコードとは
“元始からのすべての事象、想念、感情が記録されているという世界記憶の概念でアーカーシャあるいはアストラル光に過去のあらゆる出来事の痕跡が永久に刻まれているという考えに基づいている。宇宙誕生以来のすべての存在について、あらゆる情報がたくわえられているという記録層を意味することが多い“(Wikipediaより引用)
というもの。
アーカーシャとはサンスクリット語、古代インドの言葉で五大の一つ「天空」を指します。アカシックレコードというのは古くからの宗教観から派生した、オカルティズムの言葉だと私は認識していて、私はその概念が好きなんです。
そして世の中には「アカシックレコードにアクセスする方法」を謳ったオカルト本・スピリチュアル本なんかもたくさんあります。面白いね。わかります、そのロマン。オカルト雑誌「ムー」やオーパーツの謎、レガシーに抱いちゃう憧憬。たまらんよなあ。
ただ、私はオカルトという分野には興味があるんですが、スピリチュアルという分野には少しばかり抵抗がありまして。何が違うの?っていう話なんですが、以前SNSにも書いたんですがあくまで私の感覚として、スピリチュアルは人智を超えたものを実用的に取り扱い救いを見出すみたいな感じがして、オカルトは人智を超えたものに対する興味や探究心、敬意や憧れみたいなものがメイン、そもそも救いもクソもあるかいな、調子乗って近づきすぎたら痛い目見まっせ、という感じがします。なんだか人智を超えたものを現世での苦しみの解消に上手いこと活用しようというのは、私の感性とはちょっと違うかなと思うのです。
さて、先日、地元・河内長野市のラブリーホールというところで「奥河内音絵巻」という舞台がありました。河内長野市在住の音楽家であるサキタハヂメさんが芸術監督を務める舞台で、毎年新たな作品を公演され、今年は記念すべき10回目。
サキタさんの下には出演者として、プロアマないまぜに河内長野で芸術活動をする人や一般の市民の方総勢200名以上が集結し、全員を巻き込んで作り上げる舞台芸術。
実は私も一曲だけ演奏に加えていただき、ステージに上がらせていただいておりました。
去年は客席から観た音絵巻。今年はほぼ全編を控え室のモニターから眺めておりましたが、クライマックスはゲネプロから、3回公演の本番全て、毎回震えるような感動がありました。河内長野という街の自然、歴史、伝統、民族、風習、宗教、信仰などあらゆるものが、コンサート、ミュージカル、演劇、全ての要素がありながら決して一言では言い表せない芸術作品として昇華されるさま。日々芸術を追求しているプロの芸術家の皆さんだけではなく、大勢の一般の方々も一緒になって共に全力で完成させようとするその画を見るのは、同じ河内長野で生まれ育った私にとってはえも言われぬ感慨がありました。
楽団の皆さんのリハーサルから拝見していた私は、その時サキタさんが「会場一体を一つの花にする」とおっしゃった意味をあまり理解できておらず、実際どんな舞台になるんだろう?とハテナがたくさん浮かんでいました。リハーサルの時点でもいまいちイメージが掴めていなかったのですが、ゲネプロそして本番で初めて全貌が見えて、その意味がやっと理解できました。
サキタさんの音楽を河内長野に関わるたくさんの人たちが演奏し、たくさんの布を使って市民の皆さんが会場に花弁を作り出し、そこに声明が混じり合う。声明というのは古代インドの五大学科の一つで音韻論・文法学が、仏典に節をつける仏教音楽に転じたものだそうです。
その声の響きは本当に荘厳で、玄奥で、素晴らしかった。モニターから拝見しながら、この完成図がサキタさんの頭の中ではずっと描かれていたんだろうか?と。
私はアカシックレコード、世界の記憶という言葉を思い出しました。もしアカシックレコードに本当にアクセスすることができるなら、こういう方法なんじゃないかなと。
人間の触れられない、本当には知ることのできないような深層・神性に対するピュアな探究心や敬意がそこにはある気がして、それこそが、これに何の意味があってどう活用できて何故こうなっていて……なんて風に現世でわちゃわちゃと計算をする私たちの小さな脳みそをぶち抜いて、ただただその先にある美しい灯りみたいなものを覗き込むための唯一の鍵なんじゃないかなあ、みたいなことを思ったのでした。
2025年、大阪関西万博に音絵巻での出演が決まったそうです。河内長野、そして大阪から音絵巻が世界を目指していく、それを考えるとワクワクしますね。河内長野のみんな、ワクワクしてるんじゃないかと思います。
ぜひ河内長野以外のたくさんの方にもご覧いただきたい芸術作品だなと思います。サキタさんはじめ、関わる皆さんがみんな素晴らしい。本当にピュアなエネルギーが集約されたパワースポットみたいな舞台です。
河内長野のラブリーホールにアカシックレコードの如き舞台芸術があったよ、というお話でございました。
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