Tumgik
#野川公園_木漏れ日
kennak · 1 year
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ジャニーが同性愛者(真性の少年性愛者、児童性愛者)であり、事務所に所属する男性タレントに対して性的児童虐待(同性愛行為の強要)を行っているとの話は、1960年代から散発的に繰り返し報道されてきた。 まず、駐留米軍の「在日軍事援助顧問団 (MAAGJ)」に勤務していた頃(1958年~1966年)から、外交官ナンバーの車(クライスラー)で新宿・花園神社の界隈に繰り出し、「ケニー」、「L」、「牛若丸」といったゲイバーで遊んでいたこと、更に新宿駅南口で網を張り、田舎から出てきた少年たちに声をかけては、常宿の「相模屋」(1泊600円のベッドハウス)に連れ込んでいたことを、当時のゲイ仲間・原吾一が、著書『二丁目のジャニーズ』シリーズで明かしている。 ジャニー喜多川が最初に手がけたタレントは「ジャニーズ」の4名(真家ひろみ、飯野おさみ、あおい輝彦、中谷良)で、当初は池袋の芸能学校「新芸能学院」に所属させていたが、学院内にてジャニーが15名の男子生徒たちに性的児童虐待行為をしていたことが発覚。 オーナーの名和太郎学院長(本名:高橋幸吉。2000年6月7日に急性心不全で逝去。81歳没)はジャニーを1964年6月28日付で解雇した。 しかしジャニーが、ジャニーズの4名も一緒に引き連れて出て行ってしまったためにトラブルとなり、ジャニーらが所属中の授業料やスタジオ使用料、食費など270万円を求めて学院長がジャニーを提訴し、裁判へと発展した (通称:ホモセクハラ裁判)。 なお、当時のジャニーは在日軍事援助顧問団(MAAGJ)に在籍する下士官事務職員として、米国軍人および外交官の立場にあったが、新芸能学院との騒動は「MAAGJの公務の範囲外の職業活動」で起こった問題であるため、「外交関係に関するウィーン条約」(日本では1964年6月8日に発行)の第31条1項による外交特権「外交官は接受国の刑事・民事・行政裁判権からの免除を享有する」の対象から漏れ、訴えられた。 この裁判は長期化し、1964年から実に4年に渡って行われた。 ジャニーズの4名も実際に証言台に立っており、その証言記録は『女性自身』(1967年9月25日号)、『ジャニーズの逆襲』(データハウス刊)、『ジャニーズスキャンダル調書』(鹿砦社刊)にて再現されている。 『週刊サンケイ』(1965年3月29日号)でも「ジャニーズ騒動 “ジャニーズ”売り出しのかげに」として5ページの記事が組まれた他、ルポライターの竹中労も、著書『タレント帝国 芸能プロの内幕』(1968年7月、現代書房)の中で「ジャニーズ解散・始末記」と題してジャニーの性加害について言及した (当書はその後、初代ジャニーズを管理していた渡辺プロダクションの渡邊美佐の圧力で販売停止)。 なお、『ジャニーズスキャンダル調書』では「同性愛」という表現自体を否定しており、ホモセクハラである以上、「性的虐待」、善意に表現しても「少年愛」であるとしている。 『週刊現代』(1981年4月30日号、講談社)にて、「『たのきんトリオ』で大当たり アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異能」と題し、ジャーナリストの元木昌彦がジャニーの性趣向問題について言及。 (直後、ジャニーの姉のメリー喜多川から編集部に「今後、講談社には一切うちのタレントを出さない」と猛クレームが入り、元木は処分として『週刊現代』から『婦人倶楽部』の部署へと異動させられた。 この件については、『週刊文春』(1981年5月28日号、文藝春秋)でも、「大講談社を震え上がらせたメリー喜多川の“たのきん”操縦術」と題して報じられた。 なお、ジャニーの性的児童虐待についてメリーは、「弟は病気なんだからしょうがないでしょ!」と言ってずっと放任していた) 雑誌『噂の眞相』(1983年11月号)が、「ホモの館」と題してジャニーズ事務所の合宿所の写真を公開。 元所属タレントの告発も相次いだ。 元フォーリーブスの北公次は『光GENJIへ』(1988年12月)、 元ジューク・ボックスの小谷純とやなせかおるは『さらば ! ! 光GENJIへ』(1989年9月)、 元ジャニーズの中谷良は『ジャニーズの逆襲』(1989年10月)、 元ジャニーズJr.の平本淳也は『ジャニーズのすべて ~ 少年愛の館』(1996年4月)、 豊川誕は『ひとりぼっちの旅立ち ~ 元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記』(1997年3月)、 山崎正人は『SMAPへ』(2005年3月)をそれぞれ上梓。 タレントの生殺与奪の全権を握るジャニーの性的要求を受け入れなければ、仕事を与えられずに干されてしまうという実態が明るみに出た。 中でも『SMAPへ』は、ジャニーが行っていた性行為の内容について最も細かく具体的に描写しており、少年に肛門性交を強要していたことも明かしている。 同じく元Jr.の蓬田利久も、漫画『Jr.メモリーズ ~もしも記憶が確かなら~』(竹書房の漫画雑誌『本当にあった愉快な話』シリーズに掲載。著:柏屋コッコ、2014年1月~2015年4月)に取材協力する形で暴露している。 ジャニーは肛門性交時にノグゼマスキンクリーム、メンソレータム、ベビーローションなどを愛用しており、少年隊もラジオ番組で、錦織一清が「ジャニーさんと言えばメンソレータム思い出すなぁ・・・」、東山紀之は「合宿所はいつもメンソレータムの匂いがしてた」など、分かる人には分かるギリギリの発言をしている。 元Jr.の星英徳も、ジャニー喜多川の死後になってネット配信で、「ただのJr.だった自分ですら、何十回もやられた。 ジャニーさんが特に好んだのは、小中学生の段階のJr.。 時には平日の朝から学校を休んで合宿所に来いと呼び出され、マンツーマンで性行為を受けた。 その最中は、当時付き合ってた彼女のことを毎回必死に頭で思い描きながら耐えてた。 メジャーデビューしたメンバーは必ず全員やられている。 必ずです! 全員やられてる! そもそも断ったらデビュー出来ない」と幾度も打ち明け、ジャニーによる性被害や当時の事務所内での異常な状況を説明した。 ジャニーズの出身者以外からも、浜村淳が関西ローカルのラジオ番組『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ)の中でジャニーのことを「あのホモのおっさん」と発言したり、ミュージシャンのジーザス花園が、2009年発表の自作曲『ジャニー&メリー』で、AV監督の村西とおるもブログやTwitterで糾弾している。 ジャニーに対する感謝、愛情が誰よりも強いことで知られるKinKi Kidsの堂本剛(児童劇団の子役出身)は、小学5年生の段階で子役活動を辞め、一旦芸能界を引退していたが、姉による他薦でジャニーズのエンターテインメントの世界に触れ、自分もスターになって成功したいという感情が芽生える。 しかし成功するためには、まだ幼い小学6年生の段階からジャニーの性的な行為を耐え忍ぶしかなく、剛が中学2年生の14歳の時に奈良県から東京の合宿所に正式に転居してからは、ジャニーの性行為は更に過熱していった。 当時剛と非常に親しい関係にあった元Jr.の星英徳も、「剛は普通のJr.たちとは違うレベルの性行為をジャニーさんから受けていて、そのことにいつも悩んでた。剛が病んじゃったのはジャニーさんが原因」と、2021年6月25日の深夜にツイキャス配信で証言した。 剛にしてみれば、確かにジャニーには芸能界で大成功させて貰って感謝はしているものの、幼い頃から異常すぎる性体験を強いられ、自分の心と体を捨て去るという代償を払わされてきた訳であり、更に人一倍繊細な性格がゆえ、15歳からは芸能活動へのストレスも相まってパニック障害を抱えるようになり、長年に渡って自殺を考えるほどに苦しんだ時期が続いた。 自分で選んだ道ではあるし、ストックホルム症候群、トラウマボンド(トラウマティック・ボンディング)、グルーミングなどの効果によって、ジャニーに対して大きな感謝はしつつも、もしジャニーと出会わなければ、こんなにも苦しい思いをすることは無かった、という愛憎が入り混じった複雑な感情から、剛の自作曲『美しく在る為に』は、ジャニーへの思いや、芸能活動への葛藤が描かれた曲だと、一部のファンの間では解釈されている。 その歌詞の一部には、 「あたしが悪いなんて 云わせないの あなたが悪いなんて 云う筈がないの 人は勝手だったもの 何時も勝手だったもの 美しく在る為に 勝手だったもの」とある。 [1] 元光GENJIの諸星和己も、2016年11月6日放送のバラエティ番組『にけつッ ! !』(日本テレビ)に出演した際、千原ジュニアとの会話でジャニーについて、 千原 「数年後に大スターになると見抜くその力よ」 諸星 「違う違う、たまたま、たまたま」 千原 「先見の明がすごいんでしょ?」 諸星 「僕の考えだと、“結果論”だね。 あの人(ジャニー喜多川)の目がいいとか、見抜く力がすごいとか、“全く”無い!」 と断じ、ジャニーに対する世間の過大評価に異を唱えた。 そして番組の最後では、「ジャニーの感性はね、あれホ〇だから!」と締めくくった。 ジャニーについてはよく、「少年の10年後の成長した顔が見えていた」などと評されてしまうことがあるが、それは間違い。 確かに子供の頃は冴えない平凡な顔をした者が、美容整形なども踏まえて将来二枚目に化けたパターンもあるが、その一方、小さい頃は可愛かったのに、成長と共にどんどん劣化してしまったパターンも少なくない。 そもそも、テレビなどで頻繁に同じタレントの顔を目にしていれば、視聴者の目はその顔に慣れていく訳だから、マイナス面はどんどん軽減されていく。 ジャニーが持っていたのは権力と財力であって、人の10年後の顔はおろか、人の本質や将来を見抜けるような特殊能力、神通力は存在しない。 ジャニーは将来を予見して採用していたのではなく、ただ単に、今その瞬間の“自分の好み”の少年、個人的に性欲を感じる“ヤりたい相手”を選んでいただけであり、その少年がたまたまスターになるかならないかは、諸星が述べた通り、後からついてきた“結果論”に過ぎない。 ジャニーに個人的に嫌われれば、いくらスター性や才能がある者であっても捨てられるし、ジャニーに個人的に好かれれば、スター性の無い者であっても権力と財力でメディアにゴリ推しされ、結果、誰でも人気者になれた。 こうした、ジャニーの個人的な好み、機嫌だけで全てが操作・決定される、非常に特殊で独裁的な事務所だったため、多くのスターを製造した一方、本当に将来有望だったはずの多くの才能も死んでいった。 なお諸星はこの放送の一ヶ月後の2016年12月2日に大沢樹生と共に開催したトークライブでも、ステージ上で「俺が何で結婚しないか? ホモだから。 ジャニーみたいなものだから」と発言し、ジャニーを茶化している (諸星自身がゲイであるという部分は自虐による冗談であり、諸星はゲイではない)。 1988年~1989年にかけ、月刊誌『噂の眞相』もこの問題を数回取り上げた。 しかしジャニーズ側は、「『噂の眞相』という雑誌はこの世に存在しないもの」という姿勢を貫いていたため、全く相手にされることは無かった。 週刊誌『FOCUS』(1989年8月11日号、 新潮社)に、ジャニー喜多川が合宿所で撮影した田原俊彦の全裸のポラロイド写真が流出掲載される。 1999年10月28日号から2000年2月17日号にかけ、『週刊文春』がジャニーズ事務所に対する糾弾を14回に渡ってキャンペーンとしてシリーズ掲載。 ジャニーが所属タレントに対してセクハラ・児童虐待を行い、事務所内では未成年所属タレントの喫煙や飲酒が日常的に黙認されていると報道し、約15名もの元ジャニーズJr.が取材に協力した。 出版元である文藝春秋は、他の大手出版社と違ってジャニーズ事務所との癒着や影響力が皆無に等しかったために出来たことだった。 【キャンペーン開始の引き金的な記事】 江木俊夫 公判で元アイドルが「ジャニーズ」批判 (1999年10月7日号) 【14回のキャンペーン】 青山孝 元フォーリーブス衝撃の告発 芸能界のモンスター「ジャニーズ事務所」の非道 TVも新聞も絶対報じない (1999年10月28日号・p252~255) ジャニーズの少年たちが耐える「おぞましい」環境 元メンバーが告発 「芸能界のモンスター」追及第2弾 (1999年11月4日号・p190~193) ジャニーズの少年たちが「悪魔の館」合宿所で 「芸能界のモンスター」追及第3弾 強いられる“行為” スクーブグラビア ジャニーズ「喫煙常習」の証拠写真 (1999年11月11日号・p26~29)[1] テレビ局が封印したジャニーズの少年たち集団万引き事件 追及キャンペーン4 マスコミはなぜ恐れるのか (1999年11月18日号・p188~191) ジャニー喜多川は関西の少年たちを「ホテル」に呼び出す 追及第5弾 芸能界のモンスター (1999年11月25日号・p188~191)[1] ジャニーズOBが決起! ホモセクハラの犠牲者たち 芸能界のモンスター追及第6弾 (1999年12月2日号・p195~197) 小誌だけが知っているジャニー喜多川「絶体絶命」 追及第7弾 (1999年12月9日号・p179~181)[1] ジャニーズ人気スターの「恋人」が脅された! 追及第8弾 (1999年12月16日号・p185~187) ジャニー喜多川殿 ユー、法廷に立てますか? 「噴飯告訴に答える 追及第9弾」 (1999年12月23日号・p179~181) 外国人記者が「ジャニー喜多川ホモ・セクハラは日本の恥」 追及第10弾 (1999年12月30日号・p38~40) ジャニーズ裁判 元タレントはなぜ「偽証」した キャンペーン再開! (2000年1月27日号・p180~181) ジャニー喜多川よ、ファンもこんなに怒っている 徹底追及(第12弾) (2000年2月3日号・p165~167) NYタイムスも報じたジャ二ー喜多川「性的児童虐待」 (2000年2月10日号・p172~173) ジャニー喜多川「性的虐待」 日本のメディアは腰くだけ ピュリツァー記者が激白 (2000年2月17日号・p34~35) 【追加報道】 スクープ撮! ジャニー喜多川の素顔 (2000年3月16日号) ジャニー喜多川の性的虐待! 母親が決意の告白 「息子は私に訴えた」 (2000年3月23日号・p184~186) 新展開 ついに国会で質問されたジャニーズ性的虐待 なぜNYタイムスしか報じないのか (2000年4月27日号・p176~179) ジャニーズ疑惑 梨元勝国会で証言へ! (2000年5月4日・11日合併号・p180~181) 大手メディアがこの性的児童虐待問題をこれほどまでに取り上げたのは1960年代以来初めてのことで、その波紋は大きく、自民党衆議院議員・阪上善秀(後の宝塚市長)も、2000年4月13日にこの問題を衆議院で取り上げた [注 6]。 1999年11月、ジャニー側は名誉毀損であるとして文藝春秋を訴え、1億700万円(ジャニーズ事務所に対し5350万円、ジャニー喜多川に対し5350万円)の損害賠償と謝罪広告1回を求める民事訴訟を起こした。 2002年3月27日、東京地裁の一審判決では、「高度の信用性を認めがたい。 証人の証言はたやすく信用できない点を残している」としてジャニー側が勝訴し、東京地裁は文藝春秋に対し、ジャニーへ440万円、ジャニーズ事務所へ440万円の、計880万円の損害賠償を命じた (井上哲男裁判長)。 文春側はこれを不服として東京高裁に控訴。 これに対抗するかのようにジャニー側も控訴。 2003年7月15日の二審判決では、ジャニーの性的児童虐待に関する記述について、 「喜多川が少年らに対しセクハラ行為をしたとの各証言はこれを信用することができ、喜多川が、少年達が逆らえばステージの立ち位置が悪くなったり、デビューできなくなるという抗拒不能な状態にあるのに乗じ、セクハラ行為をしているとの記述については、いわゆる真実性の抗弁が認められ、かつ、公共の利害に関する事実に係るものである」 と結論づけられ、ジャニー側の性的児童虐待行為を認定 (矢崎秀一裁判長)。 このため、性的児童虐待部分のジャニー側の勝訴は取り消され、損害賠償額はジャニーへ60万円、ジャニーズ事務所へ60万円の、計120万円に減額された。 ジャニー側は損害賠償額を不服として最高裁に上告したが、2004年2月24日に棄却され (藤田宙靖裁判長)、120万円の損害賠償と性的児童虐待行為認定が確定した。[1]、[2] しかし各芸能マスコミは、一審の880万円から120万円に減額された事実だけをベタ記事で書いて済ませ、「性的児童虐待が認められた」という肝心の部分は書かなかった。 この問題について、懐疑主義団体「JAPAN SKEPTICS」の機関誌『NEWSLETTER 53号』にて、当時同会の副会長だった草野直樹が批判。 「マスコミの誤りというのは、『間違ったことを報じる』だけでなく、『必要なことを報じない』ことも含まれる。 そして後者の多くは、いくつかの『タブー』に縛られていることが原因になっている。 報道におけるタブーのベールを抜いた報道には、オカルト・疑似科学の類と同様に騙されないようにしよう」と訴えた。 芸能評論家の肥留間正明も、「芸能界でホモセクハラが裁判になったのは異例。 真実と認められたのも初めてで、これは社会的な事件」と語っている。 また、ニューヨーク・タイムズや、イギリスの新聞・オブザーバーなどの海外メディアも大々的に取り上げ、この問題をタブー視するなどして真実を報道しない卑怯で腰抜けな日本のマスメディアの姿勢、体質を批判した。 以後もジャニーズ事務所と文藝春秋は対立。 2006年に『武士の一分』が映画化された際、ジャニーズは文春文庫で発売されている藤沢周平の原作本の帯に、主演の木村拓哉の写真の使用を一切許可しない、という対抗措置を取っている。 また、木村が工藤静香と結婚した際にも、会見への週刊文春の参加を禁じた。 そのため、文春側は巻頭グラビアで白紙ページに木村とインタビュアーの輪郭のみを描き、ジャニーズによるメディア統制であると非難した。 2010年3月14日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「新約・ジャニーズ暴露本」開始。 2018年6月6日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「いま振り返るジャニーズの“少年愛”報道」開始。 2019年7月9日にジャニーが逝去。 その際、テレビや雑誌など、日本の主要メディアではジャニーを賛美する歯の浮くような美辞麗句のみが並べられ、まるでジャニーを聖人君子かのように崇め奉った。
ジャニー喜多川 - ジャニーズ百科事典
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yotchan-blog · 6 months
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2024/4/10 7:59:52現在のニュース
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ysformen · 1 year
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ジャニー喜多川の性的児童虐待について
ジャニーが同性愛者(真性の少年性愛者、児童性愛者)であり、事務所に所属する男性タレントに対して性的児童虐待(同性愛行為の強要)を行っているとの話は、1960年代から散発的に繰り返し報道されてきた。
まず、駐留米軍の「在日軍事援助顧問団 (MAAGJ)」に勤務していた頃(1958年~1966年)から、外交官ナンバーの車で新宿・花園神社の界隈に繰り出し、「ケニー」、「L」、「牛���丸」といったゲイバーで遊んでいたこと、更に新宿駅南口で網を張り、田舎から出てきた少年たちに声をかけては、常宿の「相模屋」(1泊600円のベッドハウス)に連れ込んでいたことを、当時のゲイ仲間・原吾一が、著書『二丁目のジャニーズ』シリーズで明かしている。
ジャニー喜多川が最初に手がけたタレントは「ジャニーズ」の4名(真家ひろみ、飯野おさみ、あおい輝彦、中谷良)で、当初は池袋の芸能学校「新芸能学院」に所属させていたが、学院内にてジャニーが15名の男子生徒たちに性的児童虐待行為をしていたことが発覚。 オーナーの名和太郎(本名:高橋幸吉。2000年6月7日に急性心不全で逝去。81歳没)はジャニーを1964年6月28日付で解雇した。 しかしジャニーが、ジャニーズの4名も一緒に引き連れて出て行ってしまったためにトラブルとなり、裁判へと発展した (通称:ホモセクハラ裁判)。 なお、当時のジャニーは在日軍事援助顧問団(MAAGJ)に在籍する下士官事務職員として、米国軍人および外交官の立場にあったが、新芸能学院との騒動は「MAAGJの公務の範囲外の職業活動」で起こった問題であるため、「外交関係に関するウィーン条約」(日本では1964年6月8日に発行)の第31条1項による外交特権「外交官は接受国の刑事・民事・行政裁判権からの免除を享有する」の対象から漏れ、訴えられた。 この裁判は長期化し、1964年から実に4年に渡って行われた。 ジャニーズの4名も実際に証言台に立っており、その証言記録は『女性自身』(1967年9月25日号)、『ジャニーズの逆襲』(データハウス刊)、『ジャニーズスキャンダル調書』(鹿砦社刊)にて再現されている。 『週刊サンケイ』(1965年3月29日号)でも「ジャニーズ騒動 “ジャニーズ”売り出しのかげに」として5ページの記事が組まれた他、ルポライターの竹中労も、著書『タレント帝国 芸能プロの内幕』(1968年7月、現代書房)の中で「ジャニーズ解散・始末記」と題してジャニーの性加害について言及した (当書はその後、初代ジャニーズを管理していた渡辺プロダクションの渡邊美佐の圧力で販売停止)。 なお、『ジャニーズスキャンダル調書』では「同性愛」という表現自体を否定しており、ホモセクハラである以上、「性的虐待」、善意に表現しても「少年愛」であるとしている。
『週刊現代』(1981年4月30日号、講談社)にて、「『たのきんトリオ』で大当たり アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異能」と題し、ジャーナリストの元木昌彦がジャニーの性趣向問題について言及。
元所属タレントの告発も相次いだ。 元フォーリーブスの北公次は『光GENJIへ』(データハウス、1988年12月)、 元ジューク・ボックスの小谷純とやなせかおるは『さらば ! ! 光GENJIへ』(データハウス、1989年9月)、 元ジャニーズの中谷良は『ジャニーズの逆襲』(データハウス、1989年10月)、 元ジャニーズJr.の平本淳也は『ジャニーズのすべて ~ 少年愛の館』(鹿砦社、1996年4月)、 山崎正人は『SMAPへ』(鹿砦社、2005年3月)をそれぞれ上梓。 タレントの生殺与奪の全権を握るジャニーの性的要求を受け入れなければ、仕事を与えられずに干されてしまうという実態が明るみに出た。 中でも『SMAPへ』は、ジャニーが行っていた性行為の内容について最も細かく具体的に描写しており、少年に肛門性交を強要していたことも明かしている。 同じく元Jr.の蓬田利久も、漫画『Jr.メモリーズ ~もしも記憶が確かなら~』(竹書房の漫画雑誌『本当にあった愉快な話』シリーズ、著:柏屋コッコ、2014年1月~2015年4月)に取材協力する形で暴露している。 ジャニーは肛門性交時にノグゼマスキンクリーム、メンソレータム、ベビーローションなどを愛用しており、少年隊もラジオ番組で、錦織一清が「ジャニーさんと言えばメンソレータム思い出すなぁ・・・」、東山紀之は「合宿所はいつもメンソレータムの匂いがしてた」など、分かる人には分かるギリギリの発言をしている。 元Jr.の星英徳も、ジャニー喜多川の死後になってネット配信で、「ただのJr.だった自分ですら、何十回もやられた。 ジャニーさんが特に好んだのは、小中学生の段階のJr.。 時には平日の朝から学校を休んで合宿所に来いと呼び出され、マンツーマンで性行為を受けた。 その最中は、当時付き合ってた彼女のことを毎回必死に頭で思い描きながら耐えてた。 メジャーデビューしたメンバーは必ず全員やられている。 必ずです! 全員やられてる! そもそも断ったらデビュー出来ない」と幾度も打ち明け、ジャニーによる性被害や当時の事務所内での異常な状況を説明した。 ジャニーズの出身者以外からも、浜村淳が関西ローカルのラジオ番組『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ)の中でジャニーのことを「あのホモのおっさん」と発言したり、ミュージシャンのジーザス花園が、2009年発表の自作曲『ジャニー&メリー』で、AV監督の村西とおるもブログやTwitterで糾弾している。 ジャニーに対する感謝、愛情が誰よりも強いことで知られるKinKi Kidsの堂本剛(児童劇団の子役出身)は、小学5年生の段階で子役活動を辞め、一旦芸能界を引退していたが、姉による他薦でジャニーズのエンターテインメントの世界に触れ、自分もスターになって成功したいという感情が芽生える。 しかし成功するためには、まだ幼い小学6年生の段階からジャニーの性的な行為を耐え忍ぶしかなく、剛が中学2年生の14歳の時に奈良県から東京の合宿所に正式に転居してからは、ジャニーの性行為は更に過熱していった。 当時剛と非常に親しい関係にあった元Jr.の星英徳も、「剛は普通のJr.たちとは違うレベルの性行為をジャニーさんから受けていて、そのことにいつも悩んでた。剛が病んじゃったのはジャニーさんが原因」と、2021年6月25日の深夜にツイキャス配信で証言した。 剛にしてみれば、確かにジャニーには芸能界で大成功させて貰って感謝はしているものの、幼い頃から異常すぎる性体験を強いられ、自分の心と体を捨て去るという代償を払わされてきた訳であり、更に人一倍繊細な性格がゆえ、15歳からは芸能活動へのストレスも相まってパニック障害を抱えるようになり、長年に渡って自殺を考えるほどに苦しんだ時期が続いた。 自分で選んだ道ではあるし、ストックホルム症候群やグルーミングの効果によって、ジャニーに対して大きな感謝はしつつも、もしジャニーと出会わなければ、こんなにも苦しい思いをすることは無かった、という愛憎が入り混じった複雑な感情から、剛の自作曲『美しく在る為に』は、ジャニーへの思いや、芸能活動への葛藤が描かれた曲だと、一部のファンの間では解釈されている。 その歌詞の一部には、 「あたしが悪いなんて 云わせないの あなたが悪いなんて 云う筈がないの 人は勝手だったもの 何時も勝手だったもの 美しく在る為に 勝手だったもの」とある。 [1] 元光GENJIの諸星和己も、2016年11月6日放送のバラエティ番組『にけつッ ! !』(日本テレビ)に出演した際、千原ジュニアとの会話でジャニーについて、と断じ、ジャニーに対する世間の過大評価に異を唱えた。 そして番組の最後では、「ジャニーの感性はね、あれホ〇だから!」と締めくくった。なお諸星はこの放送の一ヶ月後の2016年12月2日に大沢樹生と共に開催したトークライブでも、ステージ上で「俺が何で結婚しないか? ホモだから。 ジャニーみたいなものだから」と発言し、ジャニーを茶化している (諸星自身がゲイであるという部分は自虐による冗談であり、諸星はゲイではない)。
1988年~1989年にかけ、月刊誌『噂の眞相』もこの問題を数回取り上げた。 しかしジャニーズ側は、「『噂の眞相』という雑誌はこの世に存在しないもの」という姿勢を貫いていたため、全く相手にされることは無かった。
1999年10月28日号から2000年2月17日号にかけ、『週刊文春』がジャニーズ事務所に対する糾弾を14回に渡ってキャンペーンとしてシリーズ掲載。 ジャニーが所属タレントに対してセクハラ・児童虐待を行い、事務所内では未成年所属タレントの喫煙や飲酒が日常的に黙認されていると報道し、約15名もの元ジャニーズJr.が取材に協力した。 出版元である文藝春秋は、他の大手出版社と違ってジャニーズ事務所との癒着や影響力が皆無に等しかったために出来たことだった。
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benediktine · 1 year
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【阿蘇にメガソーラー次々、狙われる草原 放牧廃れ…「景観では1円にもならない」】 - 西日本新聞me : https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1065445/ : https://archive.is/m3PPT 2023/3/13 6:00 (2023/3/17 10:31 更新) #九州電力#エネルギー#農林漁業#環境#飯塚市#どうする 明日のエネルギー#あなたの特命取材班 水山 真人
 {{ 図版 1 : 阿蘇外輪山の元牧野に開発されたメガソーラー(手前)。奥は阿蘇山=2月28日、熊本県山都町(本社ヘリから、撮影・星野楽) }}  {{ 図版 2 : 阿蘇外輪山の元牧野に建設されたメガソーラー=2月28日、熊本県山都町(撮影・星野楽) }}  {{ 図版 3 : 阿蘇外輪山の元牧野に建設されたメガソーラー=2月28日、熊本県山都町(本社ヘリから、撮影・星野楽) }}  {{ 図版 4 : 阿蘇外輪山の元牧野に建設されたメガソーラー=2月28日、熊本県山都町(撮影・星野楽) }}  {{ 図版 5 : 阿蘇外輪山の元牧野に建設されたメガソーラー=2月28日、熊本県山都町(撮影・星野楽) }}  {{ 図版 6 : 阿蘇周辺のメガソーラー開発地点 }}  {{ 図版 7 : 牧野に連なる採草地だったという山頂付近で建設されるメガソーラー=2月2日、熊本県小国町 }}  {{ 図版 8 : メガソーラー建設に向け造成中の由布岳近くの草原=1月、大分県由布市 }}
 熊本県の阿蘇山を背景に、草原に大規模太陽光発電所(メガソーラー)のパネルが延々と連なっていた。
 阿蘇地域は国内最大級の草原地帯。外輪山南側の山都町で、約119ヘクタール(福岡ペイペイドーム17個分)に広がるパネル約20万枚に、太陽光が照り返る。九州最大級のメガソーラーで、2022年9月に稼働し、出力約8万キロワット。九州電力川内原発1基の約1割に匹敵する規模だ。もともとは隣接する高森町の住民約30人が共同所有し、牛を放牧する「牧野」だった。
→ {{ 阿蘇の草原、30年で4分の1減少 : https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1065449/ : https://archive.is/0ofbT }}
 「説明会が開かれ、売買は円満に進んだ」。共同所有者だった70代男性はこう振り返る。かつては農耕用として各戸が牛数頭を飼った。繁殖子牛を売った収入もあったが、農機具の機械化が進み、徐々に飼育されなくなった。草原を維持する野焼きも10年ほど前から行われていない。男性たちを含め合計三つの牧野組合が土地を売却した。
 {{ 図版 5 : 阿蘇外輪山の元牧野に建設されたメガソーラー=2月28日、熊本県山都町(撮影・星野楽) }}
 阿蘇周辺は、草原や火山を特徴とする「阿蘇くじゅう国立公園」に指定され、国が管理する。メガソーラー建設は本紙が確認しただけで5カ所に及ぶ。公園を避けるような近接地域や、国立公園内でも規制が緩いエリアで相次いでいた。
   ■    ■
 その一つ、外輪山の北側にある同県小国町。2月、牛がのんびりと休む牧野の斜面を登ると、山頂付近の草原で、約4万枚のパネル設置工事が進んでいた。国立公園内の「普通地域」ではあるが、届け出のみで建設できるエリアだ。
 牧野の組合員の男性によると、50年ほど前は約50世帯で計200~250頭の牛を飼育していたが、今は4世帯で50頭ほどに減った。建設地は私有の採草地だったが、既に使われなくなっていたという。
 {{ 図版 7 : 牧野に連なる採草地だったという山頂付近で建設されるメガソーラー=2月2日、熊本県小国町 }}
 「景観を守っても1円にもならない。所有者はお金が入る方になびいてしまう」。町役場を訪ねると、組合員でもある職員が関係者の心情を代弁した。
 同町では、別の草原1カ所でもメガソーラーが誕生。担当者は「阿蘇が世界遺産を目指すというが、明確なルールや支援策がなければ、草原維持は困難だ。メガソーラーが一般の人から見えにくい場所にあるのが救いだ…」と漏らした。
 外輪山の南側で、国立公園からわずかに外れる高森町でも2022年5月、約72ヘクタールのメガソーラーが稼働した。
 「また狙われる。そっとしていてほしい。(外輪山の内側の)カルデラ内の景観だけは守りたい」。高森町関係者は嘆く。
 背景には、使われなくなった牧野に目を付けた企業側のメリットが見える。草原は規制が厳しい「農地」ではなく「森林」扱いのため、要件が整えば森林法に基づく林地開発許可が出される。草原だと樹木伐採の手間が少なく効率的に開発しやすい事情もあるようだ。
■《大分・由布では反対運動も…迫る稼働》
 阿蘇から離れた大分県由布市。「大自然が真っ黒なパネルで覆われ、違和感ばかりだ」。貸別荘経営の気賀沢忠夫さん(79)はこう憤る。リゾート地の目の前に広がる草原地帯約20ヘクタールに、約2万4000枚のパネルが並ぶ。ここも、国立公園からわずかに外れる。
 由布岳を背景にした丘陵の牧草地で、市も景観を売りにしてきた。しかし、12年に入会権を持つ住民たちが権利を放棄し、所有権を持つ市に売却を要望。市が売却先を公募し、東京の投資会社が購入した。
牧野に連なる採草地だったという山頂付近で建設されるメガソーラー=2月2日、熊本県小国町  ただその後、地元で反対運動が起きた。市は売却撤回を試み、大分県は県民から異例の意見募集したが、計画は止められなかった。気賀沢さんら移住者や観光業者ら47人が運営会社を相手取り、運転差し止めを求める裁判を大分地裁に起こしている。
 一方で施設はほぼ完成し、3月下旬に稼働予定。反対運動の中での稼働について市の担当者は「コメントする立場にない」と話す。
 公益財団法人「阿蘇グリーンストック」(熊本県阿蘇市)の増井太樹常務理事は「観光資源にも利用される草原だが、野焼きなどの負担だけを住民が担い、利益は及ばない構造になっており、見直しが必要だ」と指摘する。(水山真人)
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country81writer · 3 years
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ケニア ワイルドライフ Wildlife in Kenya
ナイロビ 想定外に近代的な街
ちょっと町外れを歩けば、安全な野生動物くらいゴロゴロいるだろうと思っていた。 山川惣治の『少年ケニア』という古い絵物語を原作とするアニメ映画の微かな記憶もあった。 現実はと言えば、ナイロビは大量の人々で溢れ、物語に登場するマサイの酋長や大蛇など、野生のための安全なスペースは残されていない。 しかし市街中心部から10キロと離れていない場所にはナイロビ国立公園がある。
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ケニアは広い。国内にはナクルやマサイマラ、トゥルカナなどたくさんの国立公園や保護区がある。しかし、ナイロビからは相当の距離があり、仕事でやって来た者には簡単に行ける場所ではない。 そんな中で、ナイロビ国立公園はジョモケニヤッタ国際空港の進入路の直下にあり、着陸時の機内からも見下ろせる。シマウマやキリンの向こうに市街地の高層ビルが見えるという、実にユニークな場所だ。
120平方キロという広大な自然公園内のでこぼこ道をゆっくりと走り、車内から動物たちを見て回る。象以外なら各種見ることが出来る。ただし広すぎるため運に左右される。ライオンが狩りに出る早朝か夕刻がおススメだ。公園内では車両同士が動物の目撃情報を交換し合い、熟練のガイドに当たればライオンやカバ、サイとの接近遭遇もある。 ホテルで頼めば貸し切りか相乗りでツアーがあるので、同行者が初体験ならまずはこの公園を訪れることになる。
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何回目かの訪問時にタクシーをチャーターして、帰国前の夕刻に急ぎ足で回った。 そろそろ空港に向かわねばという段になって、何と運転手が公園内で道に迷った。日が傾き始め、閉園時間が近づき、冗談事で済まなくなった。 入園者が無事に退場したかなんて確認していないだろうから、ゲートを閉められてライオンでも現れたらシャレにならない。
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ドライバーの顔色が心なしか青ざめた時、金網フェンス越しの外界にポツンと一軒の人家らしきものが見えた。車から降りるわけにはいかないので、ライトを点滅し、禁止されているクラクションを鳴らし、どうにか住民を呼び寄せて道を尋ね、閉門時間ギリギリにゲートに辿り着くことが出来た。 国際空港に隣接するとはいえ、陽が落ちれば漆黒の世界になる。公園を支配しているのは誰なのか、思い知らされたサファリだった。
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近場にはもうひとつ、もっと手頃な場所がある。 そこは車でなく歩いて回る大きな公園で、藪の中を歩いていると、ホントに安全なのかという取り残され感が楽しめる。広いフェンスの中に動物たちが放し飼いにされているが、どちらがどちらを見物しているのか判然としない。 ガイドなしの徒歩では目当てのチーターは見つけられず、ぶつくさ恨みごとを言いながら帰路を歩いていると飼育員と思われる男に出合った。 『ドウシタ、何ガ見タイ?』 「チーターは何処よ。」 『見セテヤル、コッチ来イ。』 おおラッキーだ。 ついて行くとチーターエリアのフェンスを解錠して、どんどん中へ入って行く。「おいおいマズいぞ」と思ったが、一人で引き返すことも出来ず飼育員に貼り付いて進む。 小さな小屋に着いて、ここがチーターの檻かと思ったら実物が表の木製デッキで寝ているではないか! しかも放し飼いで!!
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慌てて小屋に逃げ込もうとすると、 『騒グトアブナイカラ、ジットシテロ』 そう言って、手に持ったバケツから大きな肉塊を無造作に投げた。チーター君はガルガルと美味そうに食べ始める。 『 折角ダカラ、撫デテヤレヨ 』 「 冗談じゃねえ、齧られたらドースルのよ! 」 『 ダイジョーブ、ソノ鹿肉カジッテル間ハ安全ヨ 』 「 ほんとだろな、おい 」 恐る恐る撫でたチーターの毛皮は意外にソフトで、本物を触った日本人はそういないだろうな、などと思いつつ、鹿肉が切れる前に這う這うの体で退散した。
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後になって、全く無茶な事をしたと大いに反省し、じっとり冷や汗が出た。 これは飼育員の闇バイトで、閉園間近の欲求不満の来園者相手に小遣い稼ぎをしているらしい。 案内した後すぐに退場させれば言いふらす時間も無く上司にバレないので、閉園時間直前に限った裏ツアーのようだ。絶対に漏らすなと口止めもされているので公園の名は伏せる。 ケニアの動物公園で閉園間近に言い寄ってくる飼育員がいたら、馬鹿な真似はしないようにくれぐれも気を付けて欲しい。
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d-memory · 2 years
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ハロプロ研修生発表会2015~9月の生タマゴShow!~
2015/09/06夜公演@Zepp Tokyo
01.HOW DO YOU LIKE JAPAN?~日本はどんな感じでっか?~
【つばきMC】
02.ヒロインになろうか![つばきファクトリー]
03.青春まんまんなか[つばきファクトリー] 
04.笑顔YESヌード[広瀬野村一岡加賀船木堀江高瀬梁川秋山] 
05.FARAWAY[浜浦小川岸本井上ひ段原] 
06.ハピネス~幸福歓迎!~[小野仲野梁川前田秋山金津笠原]
【高瀬堀江梁川MC】 
07.Mr.Moonlight~愛のビッグバンド~[一岡加賀井上ひ横川段原船木小野田橋本堀江高瀬梁川] 
08.Danceでバコーン!
09.ダンスパフォーマンス[加賀井上ひ堀江前田秋山]
【井上ひ前田秋山MC】
10.ラーメン大好き小泉さんの唄[こぶしファクトリー] 
11.念には念(念入りVer.)[こぶしファクトリー]
【こぶしMC】 
12.ドスコイ!ケンキョにダイタン[こぶしファクトリー] 
13.アレコレしたい![小片山岸浅倉橋本小野] 
14.新しい私になれ![井上ひ横川段原船木竹村小野田]
15.TODAY IS MY BIRTHDAY[新沼一岡加賀橋本堀江島野高瀬] 
16.彼女になりたいっ!!![野村小川浜浦田口和田山岸岸本] 
17.女の園
18.Say! Hello!
19.Wonderful World
 
諸事情で夜公演だけしか入れなくなってしまってめちゃくちゃ悔しかった9月の生タマゴ。ヲタ活のバランスを取らなければと思ってはいるものの生タマゴ削るのは本当に辛いなあ( ; ; )
コレ写は引きがあんまりよろしくなかったけど見知らぬ希空ヲタさんに声かけてもらってなんとかでぃーちゃんゲット…!ありがとうございました!
今回はファミ席2階D列下手でいつもの小川ヲタと連番でした。D列!でぃー列!!ゼップの2階初めて入った気がするけど見やすかった。
・HOW DO YOU LIKE JAPAN?~日本はどんな感じでっか?~
昼公演のレポで把握してたけど最初っから加賀さんがかっ飛ばしすぎててまた惚れ直した。この曲の要のガキさんパートをこんなに自分のものにしてがっつり歌いこなす研修生います????いました!!!!;;;;;;
ステージの上下端っこに配置したツインボーカルを1番と2番で切り替えてくパート割。1番は加賀(上手端)堀江(下手端)、2番は山岸小片。りこでぃー!!堀江ちゃんも好きなのでツインで歌ってて高まる!
アイラブトーキョー!の煽りも原曲通り入れちゃったりして完全に加賀楓の曲になって��…誰よりも目立ってて凄まじかった…。
髪型はグッズ写真と一緒でちょっとパーマかけた感じ。
・つばきMC
つばきは全員に〇〇リーダーという役職を決めた。食事とか掃除とかそういう当番みたいな。
理子は2日前に決まったダンスリーダー。納得。ちょいちょい言葉に詰まりながら話しててカワイイ〜これでも実際グループのリーダーでもある理子ちゃん(p_q)
「癒しリーダーを決めましょう!」とゆめのが言い出す。せーので癒しリーダーに指名したい人を指差すもゆめのだけ自分自身を指差し残りはみんな理子を指名(笑)理子は癒しリーダーも兼任することになりました!
やっぱりゆめのがなんとなくグループに馴染めてなさそうな気がしないでもなくてちょっと心配。本人は笑ってネタにしてたけど…。ゆめさく離されちゃったの厳しいなあ。
・笑顔YESヌード
でぃーちゃん吉澤パート!ここでも!うえーん最高( ; ; )
貴方と見てたわ流れ星〜で上見上げる仕草したでぃーちゃんが美しかった。
船木梁川秋山のチビトリオのグイグイ来てる感が思った以上にすごかった。やなみん怖いな。
・FARAWAY
るるちゃんの歌はやっぱり圧倒してたな。迫力というか威圧感みたいなものは浜浦さんが半端なかったけどw
れなことひかるんのユニゾンがなかなか良い。声質が合ってるのかな。
・ハピネス~幸福歓迎!~
24期にまだ気になる子がいないので全体的にぼんやり眺める。個人的に目を引いたのは笠原ちゃんかなあ〜色白で手足が長くてスタイルが良い。
・高瀬堀江梁川MC
堀江ちゃんの女子力自慢料理トークかわいかった。冷蔵庫の残り物でパッと料理できちゃうのって女子力高い人じゃないとできないじゃないですか〜↑↑みたいなw
堀江特製みそラーメン!のドヤ感がかわいかった。
やなみんは喋り方までしっかりしすぎててビビる。この子本当に素人上がりか?
・Mr.Moonlight~愛のビッグバンド~
はい本日のメインです!!!往年の吉澤ひとみが完全に乗り移った加賀楓の姿がそこにあった……!!!!!!!
男役は以前公開されていたように吉澤=加賀、後藤=段原、安倍=梁川。女子ポジで目立ってたのはイントロ歌った高瀬、ダンスパートでは堀江船木かな。
もうなんと言うか言葉に表せないくらい加賀楓の加賀楓による加賀ヲタのためのステージがそこに出来上がってて??こんな扱いされちゃっていいの??( ; ; )
もう、とにかく、良かった!最高!!こんな素晴らしいミスムンを見せてくれてありがとうでぃーちゃん!!!
間奏のアオ!とかちょいちょい入るフェイク的なものとか全て完コピした上で加賀楓色に染めてた…この子は本当にすごい!!なんなの!!!埋もれさせるなよ事務所!!(過激派)
まわりに女の子数人侍らせてる推しの姿を見るのも良いものですね。イケメンポジ余裕でいけるやん。
・Danceでバコーン!〜ダンスパフォーマンス
このへんはあんまり全体を見ないで双眼鏡ででぃーちゃんロックオンしてたかな。この子は本当に楽しそうに踊るな〜って口元緩む。
ガシガシバキバキ踊ってこそ加賀楓みたいなとこあるのでこうしてダンスに徹してパフォーマンスできる演目があるのはいいな。でもこの子は歌でもトップクラスなんだぞすごいだろ??
ダンス選抜は24期から2人も入ってたけどどちらも引けを取ってなくてすごいなと思った。
・こぶしMC
たぐっちのジェラート話がかわいすぎて!!小学生の夏休みの絵日記かよ!?
こぶしがTIFでジェラートを売ることになり、たぐっちはソースをかける係だったけどふざけてかけすぎてしまうから結局取り上げられる。それでもどうしてもジェラートに関わるお手伝いがしたいたぐっちは「ジェラートにスプーンを付ける係」を編み出し満足。みたいなお話です。なつみちゃんのなつやすみのおもいで。
あとみなみなと浜浦さんの確執がなかなか興味深かった。イベントで全国回っても浜浦さんとれいれいがご当地ラーメンばっかり食べるからもっとラーメン以外の名物も食べたい!と主張するみなみなに対して「え〜〜??」とだけ返す浜浦さん。怖い。
・アレコレしたい!
小野ちゃんがなかなか歌えてた。
・新しい私になれ!
さおりん今回はあんまり見せ場なかったなあ。ばくわらパートでした。
いつもある中京メン選抜曲だけど結局だんむす無双だなといった印象。
・TODAY IS MY BIRTHDAY
でぃーちゃんは佐紀ちゃんパート。間奏のフェイクももらえるしおいしいね(p_q)
希空嫌いじゃないけどやっぱりまだ音程がブレがちなところが気になる。しかし唯一のファクトリーメンなだけあってなんか若干オーラ出てきたように思う。
・彼女になりたいっ!!!
まさかの17期以前のファクトリーメンによって歌われる研修生最初期楽曲。ここで涙腺が決壊しました。
以前からよく知ってるメンバーばかりで、私がでぃーちゃんを見るために今まで通ってきた生タマゴはこの子たちがメイン張ってた公演ばかりで、でもそこにでぃーちゃんの姿はなくて、っていう絶妙な切なさもあり。それでも慣れ親しんだメンバーばかりが踊ってる様子に安心感もあり。
ここで見た浜浦さんはもうハロプロ研修生の浜浦彩乃ではなくこぶしファクトリーというデビューグループの浜浦彩乃の顔をしていた。ほんとに研修生時代と顔付きが変わってた。デビューってすごいな。でぃーちゃんも早くこうなれるといいな。
そして過去最大レベルにヲタがはまちゃんちょーだいを頑張っててwwどうせなら参加しとけばよかったなと思いました!もうはまちょーできなくなっちゃうのかな。
・女の園〜Say! Hello!
歌詞をワンフレーズワンフレーズいちいち噛み締めてしまうし去年の12月の生タマゴの大阪遠征も思い出してしまうしずっと泣いてた記憶しかない。双眼鏡覗きながらも溢れて止まらなかった。
女の園のウォウォウォ♪はでぃーちゃんも歌ってたな。2人のユニゾンパートのはずだけどもう1人は誰だったんだろう。
セイハロでは浜浦さんが「無駄な経験なんてひとつもない」パートを担当してて泣く以外何もできなかった。
・Wonderful World
こぶつば含めての全員曲の最初のソロパートが加賀楓に回ってくるなんて誰が思います???でぃーちゃんが歌い始めた瞬間泣くしかないでしょ。
しかも立ち位置は最前センター。なんで??デビューしてないんだよ??デビュー組従えてそのポジションに立たせてもらえる意味は何???
歌詞の「あなた」を全てでぃーちゃんに当てはめてしまってたまらなく切なくて愛おし���なってこの世界は素晴らしいよねって思えた(ポエマー)
9月の生タマゴって例年ものすごく思い出深くなるなって思ってたけど今回も例に漏れずそんな感じでした。
おととしはおへそ初披露でまさかの大量ソロパート大抜擢だったり、去年は娘。新メンバー発表直前の公演だったから今の研修生メンバー全員を研修生として見ていられる最後だったことが猛烈に切なかったり。今回も超超超センチだったな(笑)
好きなんですよね本当に〜〜〜!加賀楓ちゃんが大好きです!!やっぱり一番に応援していたいのは君だよ!あなたがいればあなたを想えばそれだけでここはワンダフルワールドでした!
どうか彼女に明るい未来が訪れますように。訪れてくれ頼む。大好きだよ!
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spst-haru · 3 years
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[ 木漏れ日と赤花 ] . . . 初秋、木漏れ日心地よい公園に、 鮮やかな赤色の花の絨毯広がる。 . . . ==================== 📸 2021.09 Nogawa Park, Chofu, Tokyo . Nikon D5300 🥀🍃🥀🍃🥀🍃🥀🍃🥀 ==================== . . . #japan #tokyo #nogawapark #nogawapark_natureobservationgarden #nogawapark_higanbana #nogawapark_manjushage #nogawapark_redspiderlily #nogawapark_clusteramaryllis #higanbana #manjushage #nogawapark_komorebi #komorebi #東京  #野川公園 #野川公園_自然観察園 #野川公園_彼岸花 #野川公園_曼珠沙華  #彼岸花 #野川公園_木漏れ日 #彼岸の赤花 #red_flower_of_higan #花色大地 #flower_colored_ground #木漏れ日の園 #komorebi_garden #adobephotoshoplightroom #nikond5300 #instagram #photo #photography (野川公園) https://www.instagram.com/p/CV2_twpJpuk/?utm_medium=tumblr
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ari0921 · 2 years
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和四年(2022)7月26日(火曜日)
    通巻第7414号
 カリスマ性ゼロ、教養の浅薄さ。嘘の情報しか入らない孤独
   習近平はいずれ中国現代化の成果をすべて破壊するだろう
************************
 重慶にはよく行った。山あり谷あり。奇岩、高い崖の間に深い谷間、天然の要害都市だ。古代の「巴」という王朝は、この谷間のような空間に成立した。
現代では、孫悟空が空を飛ぶように崖と台地を高い鉄塔を組んだ道路が立体的につなぎ、未来都市のような空中回廊のごとき建��構造物の塊となった。メトロよりモノレールが発達し、橋が交通渋滞の原因。高速道路が無数に交錯する。
 四川省の名物は麻婆豆腐。猛暑で湿気が強く、食べ物は腐りやすいから猛烈に辛い香辛料を使用し、味をごまかす。重慶人は火鍋が得意。何回か食べたが、なじめない。胃袋がよじれる。
巴という古代王国は太陽信仰、成都の北で発掘された三星堆遺跡は古代史常識をがらりと変えた。中華四千年の歴史というのは黄河文明史であり、黄河より遠大な長江には、もっと古い文明があった。河母都遺跡などが戦後しられるようになった。
 地形的には嘉稜江に幾本もの河が合流し、三峡ダムが近いため長江の運搬ターミナルとしても重要な戦略拠点である。駐在員こそすくないが重慶には日本領事館も置かれている。
 蒋介石はこの重慶に臨時首都をおいて、終戦後は共産党と延々と「国共合作」の交渉を行った。会談の場所は重慶に残っているが、蒋介石は最後に毛沢東に巧妙に欺された。重慶は喜びが重なるという意味で政治都市としての機能を果たした。
1997年、この重慶市が四川省から分離独立し「特別市」扱いを受ける。人口が3100万、北京、上海、天津とならぶ四大重要拠点、したがって重慶市党委員会書記は、共産党に序列でも高位、現在は習近平の茶坊主、陳敏爾がトップに居座っている。そのまえは共青団のホープといわれた孫政才が赴任したが、醜聞に巻き込まれ、失脚した。
 前置きがながくなった。
重慶市書記として薄煕来が大連市長から商務部長をへて赴任したのは2007年だった。筆者はたまたま、重慶を二回ほど連続して取材したタイミングと重なり「唱紅打黒」の現場を何回も見たのだ。
 公園に市民が集まってジャズや社交ダンスにふけるのではなく革命歌を唱う。ぎこちな���合唱団の時代錯誤、薄気味が悪いが、共産党員は競って歌声大会に邁進した。というのも、薄煕来が奨励し、これが「共同富裕」の合い言葉となって、個人的野心を実現し、政治局常務委員を狙っていた。当時のチャイナウォッチャーの間では、長身でハンサムでカリスマ性に富んでいた指導者として薄の政治局常務委員入りは確実と読んでいた。
 ▲クーデタ未遂、公安vsマフィア
当時の政治情勢をいえば、習近平なぞ、「どこぞの馬の骨」でしかなく、対比的に同じ太子党でも、薄煕来には、明らかなカリスマ性があった。薄は薄一波の息子、かたや習は習仲勲の息子で、ともに親の七光りで異例の出世街道にあった。薄が先輩格であり、習は兄貴分として仰ぎ見ていた。
薄は大連市長から遼寧省省長、2004年に商務部長。そして07年に重慶特別市書記に栄転し、マフィアを相手に綱紀粛正、反腐敗キャンペーンで地元やくざをかたっぱしから逮捕し、重慶市民の喝采をあびた。大連からひきつれてきた公安局長の王立軍が大活躍し、実際にマフィア十数名を処刑した。
この王立軍が、土壇場で薄煕来を裏切り、成都の米国領事館に機密書類とともに駆け込んだ。亡命を希望したが、オバマ大統領は決断が出来ず、多くの権力闘争の機密が漏れて、薄は立場を失った。
2011年に薄煕来は夫人の谷開来が英国人を毒殺したことがばれ、突然、失脚した。カリスマに飛んだ指導者が消え、木偶の坊のように体格だけは良い男が、院政を敷いていた江沢民の眼鏡にかなった。この間に北京ではクーデタ未遂事件が起きたというが、戦車が動いたのは事実で、それがクーデタだったのか、どうかは謎である。
しかし習近平は僥倖に恵まれた。最大のライバルだった薄が不在となって、権力基盤を固めるには、反腐敗キャンペーンという武器を浸かって政敵を潰していく。最大最強の協力者が王岐山だった。
しかし軍と公安をてなづけたとはいえ、習近平に何かがかけている。
それは、カリスマ性だ。薄煕来にはあった。安倍元首相には強いオーラがあったという人が多い。トランプにもカリスマ性があり、オーラを感じた人は多いだろう。いまのバイデンにはない。
過去十年の習近平のパフォーマンスを映像で追う限り、まるでオーロがないことに気がつくだろう、また教養のかけらを感じさせない。
偉そうに思想をかたるときなど、薄気味が悪く鳥肌がたつ。個人崇拝だけを求め、中国の夢をたたえるとき、ぞっとするものを感じないか。
江沢民の三個代表論も、胡錦濤の科学的発展観も、何が何だか正確には分からないが、市場経済を発展させ、中国人の生活水準を豊かにしようとしていることだけはわかった。
 習近平は、「中国的社会主義市場経済」をぶちこわし、トウ小平路線を基本から否定した。この暴走を誰も阻止できない。諫言できないとう皇帝支配のぬきがたい体制は、間違いなく中国経済を根底的に破壊する。
その兆候が銀行の取り付け騒ぎ、不動産ローン支払いボイコット、若者たちの何もしないいう無言の抵抗。解答がすでに出始めている。
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hangorin · 3 years
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2020東京オリパラ大会の野宿者排除概要
私たちの知り得た範囲において、2020東京オリパラで排除された野宿者は145名、間接的な影響で排除された野宿者は41名、計186名になる。
交渉によって撤回させたりイベントが中止になったりして、排除が未遂に終わり、数字に含めていないケースも含めて概要を記す。
1、招致期間
2013年3月4日~7日、IOC評価委員会の東京視察が行われた。その際、国立競技場周辺の都道に置かれていた約10人分の荷物、代々木競技場周辺のテント10張と約20人分の荷物に、以下の警告書が貼られた。
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「2月27日までに撤去しない場合は不要な物として処分する。その後、3月8日までの間、この付近に放置された荷物・テントはすべて即刻撤去する。 東京都建設局第二建設事務所 代々木警察」
警告に従い、代々木公園内に移動させた荷物に対しては、公園のサービスセンターが追い出しをかけた。また、移動した路上で荷物に放火され、焼失された方もいた(この時期、渋谷近辺では野宿者の荷物への放火が頻発していた)。これらの人たちは、10日近く、寝場所や荷物の置き場所に困ることとなった。
また、同様の期間、国立競技場に隣接する、明治公園「四季の庭」で、テント・小屋に暮らしていた約10名の野宿者は、園内の一隅に集められ、周囲から見えないように白いシートで囲われた。
2、開催決定後
①明治公園
2013年10月下旬、東京都東部公園緑地事務所が明治公園の小屋に暮らす野宿者に「11月か12月に工事に入るので立ち退いてください」と勧告した。国立競技場建て替えのための関連工事ということだった。
以後、野宿者と支援者(応援する有志)は、国立競技場を管轄運営するJSC(日本スポーツ振興センター)と7回の団体交渉を行った。また、野宿者は、都の要請により2度の園内移転を行った。しかし、2年半の間には、絶え間ない圧力により、半数以上の方が公園から出て行かざるをえなかった。
また、明治公園霞岳広場・国立競技場の軒下・近場のトンネルなどで、夜だけ就寝する人も追い出された。
2016年1月27日、四季の庭を含む明治公園の大部分は東京都からJSCへ無償で貸与された。同日、JSCは、職員・警備員・警官、併せて約200名を動員して、強引に、テントのフェンス封鎖、水道やトイレなどのライフラインの停止を行おうとした。
2016年3月18日、JSCは、野宿者3名に対し、土地明け渡しの仮処分命令を東京地裁に申し立てた。申立書には、仮処分の必要性として「平成28年3月下旬までに本件土地を工事可能な状態にして施工業者に引き渡さなければ2020年東京オリ・パラ大会の開催自体が危ぶまれる状況にあること」と書かれてあった。
4月16日早朝に強制執行が着手され、明治公園の野宿者4名と支援者数名が排除された。野宿者の生活用品などの荷物は東京湾岸部にある倉庫までトラックで持ち去られた。
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身一つで追い出されることとなった野宿者たちは、明治公園として唯一開園していた、飛び地に移動した。しかし、その場所も、日本体育協会とJOCの新ビル(ジャパンスポーツオリンピックスクエア)をつくるために、2016年10月に廃園になり、東京都が追い出しをかけてきた。
工事資材の搬入が始まる中での抗議・抵抗、議員による五輪相への追及などにより、土壇場で東京都は方針を覆した。都の提案と斡旋のもとに、野宿者たちは他の公園へ移転することになった。
明治公園内にある東京体育館において、2018年7月からオリパラ(卓球会場)のための改修工事がはじまり、同年10月、建物周囲のひさしで就寝していた約12名が締め出された。
工事自体は2020年1月末に終わったはずだったが鋼板で囲ったままで五輪会場として使用した。
現在、就寝していた所にはロープが張られている。
②有明
東京湾岸の有明で、オリパラのシンボル的施設の工事によって、2名の野宿者が生活拠点へ通行できなりそうだった。2019年11月、組織委員会が通行止めを記した工事看板を説明もなく設置した。
野宿者と支援者は交渉を重ねたが、「港湾局から完全閉鎖するように言われている」(組織委)、「閉鎖とは言っていない」(港湾局)と見解が食い違った。組織委は交渉の人数を制限し、ついには逃げ回る状態になった。
2020年3月、生活場所へ通行できるように変更した工事看板が設置された。その後、五輪延期に伴って、その看板も撤去された。2021年5月、工事が開始されたが大きな影響はなく、オリパラ期間中も同じ場所で生活をつづけた。
③潮風公園
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2019年12月、私たちが潮風公園に行ったのは、ビーチバレー場の工事開始後で、すでにフェンスなどで囲われ、公園の大部分には入ることができなかった。
潮風公園には、荷物を常在させ就寝している方が5、6名いたということだった。施工業者によると、12月1日(着工日)早朝に、園内にいた2名ほどの野宿者が出て行ったという。
組織委に対して話し合いを持ったが、組織委は、野宿者が寝泊まりをしていることは認識していなかった、着工以前については関知しない、行政上必要な手続きは行った、と責任逃れを繰り返した。
品川区生活福祉課は、12月の定期巡回時に公園閉鎖に気づき、野宿者に会う術もなかったという。ホームレス自立支援法11条「適正な利用の確保」における「支援等に関する施策との連携」すらなされないままに野宿者排除が起きていた。
炊き出しも含め支援活動や野宿者の強いネットワークは、東京においては新宿・渋谷・池袋・上野・山谷など野宿者の集住地域に限られている。東京五輪の競技場がたくさん作られた湾岸エリアは、そのような網の目から漏れており、他にも排除された可能性がある。
3、開催直前
ライブサイト・聖火リレーの中止・無観客試合というオリパラの縮小に連動して、野宿者に対しての排除も抑制されたのは不幸中の幸いだった。
一方で、聖火セレモニー、そして競技会場近辺の交通規制・立入禁止による排除は行われた。
①代々木公園
代々木競技場に隣接する、公園内の広大な敷地が、大会駐車場にするために、7月16日から9月5日まで立入禁止となった。それに伴い、少なくても4名の野宿者が追い出された。
立入禁止の一部は、雨を避けられ常住できる場所だった。また、ベンチでは不特定の野宿者が就寝していた(なお、公園内のベンチは、2018年及び2021年2月、手すりで中央を仕切られた、横になりにくいものになった)。東京都は常住している方に対して「公園のほかの場所に移動してください」と言っていたが、公園内で、屋根がある場所は限られており、新たにテントを張ることも認めていない。移転した場所でも、会場周辺警備の警察官によって、テロ対策を名目に執拗に声をかけられ追い出された人もいた。ちなみに、駐車場は10台以下の利用しか見たことがなくガラガラだった。代々木競技場には自前の駐車場があり、隣接する旧・岸記念体育会館(JOC・日体協ビル)跡地もオリパラ用の臨時駐車場だったのだから必要性が乏しいものだった。
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②国立競技場周辺
オリパラ期間中、国立競技場周辺は戒厳令下のようだった。6月8日から順次、立入禁止と交通規制を拡がり、7月3日から9月16日までは幹線道路(外苑西通り)を封鎖し、地域住民を度外視してオリパラを優先する区域になった。
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競技場の近くの緑地帯に住む野宿者に対しては、4月末に、5月6月には出て行くように、都の第二建設事務所が通告。5月末、生活拠点を鋼板で完全に囲うことになると組織委が明言した。
6月18日、組織委(大会運営、警備)と都の建設局道路課、第二建設事務所と現地で話し合った。野宿者のことで組織委が現地に来たのは、はじめてだった。
組織委は、関係車両の円滑な走行とセキュリティのために7月5日には立入禁止にする必要があると言うばかりで、野宿者の人権や生活については何も答えなかった。また、代替の寝場所も提示しなかった。
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7月3日の深夜、一帯は封鎖され、雨天時に野宿者が利用していた橋の下も閉鎖された(次の日まで当事者のみ出入りはできた)。主な生活拠点であった緑地帯も、組織委の説明より前倒しで封鎖された。
そのため、野宿者2名が長期にわたり追い出されることになった。
③渋谷地区
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6月16日、聖火リレーコースの都道に置かれている、テント小屋や荷物に、東京都第二建設事務所が警告文を貼付した。
「この物件は、東京オリンピック聖火リレー(7月22日)、パラリンピック聖火リレー(8月24日)の支障となるため、至急撤去してください。撤去されない物は、支障物として移動・撤去します。」(一部区域は東京オリンピック聖火リレーのみ記載)
情報公開で得た資料によると、渋谷地区で49カ所、東京都は警告文を貼付している。自転車1台をのぞけば野宿者の物資であり、少なくても40人くらいは影響をうけるものだった。
現地の野宿者の交渉時、建設事務所は、警備上の支障になるから遠くに移動してくれ、テロリストに物を置かれてはこまる、と発言。
その後、建設事務所は、荷物置き場を渋谷区内につくるのでリレーの2、3日前までに移動してくれ(寝場所については示さなかった)と言っていたが、都内での聖火リレー中止によって、移動・撤去の話は立ち消えた。
④東京都庁舎周辺
7月23日、新宿西口にある都庁都民広場で聖火セレモニーが行われた。周辺に暮らす野宿者のうち15名ほどが、東京都第三建設事務所と警察によって、寝場所と荷物に警告文を貼付され、7月22日朝から23日夕方まで移動しなければならなかった。
また、8月20日、パラリンピックでも聖火セレモニー(集火式)が都民広場で行われた。5名ほどの野宿者のテント・荷物に対して、警告が貼付され前日から撤去を余儀なくされた。
なお、第三建設事務所は、東京マラソンで野宿者の荷物を移動させた時に、路上に残された必要とする荷物を即時廃棄して問題になったことがある。
⑤横浜スタジアム
横浜スタジアム周辺(横浜公園を含む)では約40名が夜間に就寝していた。7月24日から開始されるソフトボールや野球競技の会場準備によって、6月8日に一部が立入禁止になり、7月23日昼からは全面的に入れなくなった。
支援団体の交渉によって、横浜市が借り上げた簡易宿泊所(ドヤ)40床が、8月23日まで食事を含め無料になり36名が利用した。しかし、10名弱は利用せずに寝場所から出て行った。
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4、間接的な影響
渋谷区立宮下公園は、「2020年東京オリンピック・パラリンピックを迎えるにふさわしい公園」を改修整備の目的の1つとして2014年7月、公募を開始した。オリンピック観客の宿泊場所が不足していることを理由として、ホテルをつくる三井不動産の案が採択された。2017年3月27日、渋谷区と三井不動産は抜き打ちで公園を封鎖し、夜間就寝していた野宿者約10名を追い出した。公園を屋上につくった商業施設、ミヤシタパークは2020年7月末に開業した。宮下公園は夜間施錠し、野宿者が泊まることは出来なくなった。
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都庁の膝元にある新宿区立中央公園では、2013年から2年間で、テントなどの野宿者67人が追い出された。その後、オリパラ��視野に入れた公園整備が進められ、2020年7月16日、公園内にスターバックスやレストランなどが開業した。野宿者の追い出しは、オリンピックと一体となった公園の商業化への露払いであっただろう。しかし、詳しい事情が分からないため、今回はカウントしなかった。
5、総計
①直接的影響による排除
・国立競技場 4名
・東京体育館 12名
・IOC評価委員視察 テント20名 荷物30名
・潮風公園 6名
・聖火セレモニー 新宿 20名
・交通規制、立ち入り禁止
 国立競技場周辺 3名 荷物1名
 代々木公園 4名
 横浜スタジアム周辺 45名
計145名
②間接的影響による排除
・国立競技場
  明治公園 6名(強制排除をのぞき)
  競技場周辺 10名
  道路などの荷物 10名
・宮下公園 10名
・ジャパンスポーツオリンピックスクエア 5名
計41名
③総計
延べ186名
※同一の人が異なる時期や場所で受けた排除もカウントしている。また、追い出しへの強い圧力があったケースでも未遂の場合は含んでいない。
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trinityt2j · 4 years
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ダ-ティ・松本 不健全マンガ家歴30年[-α]史 ●はじめに  この文章は同人誌「FUCK OFF!7」において書かれたものをベースにして逐次増補改定を加えていき、いずれ歴史の証言として、[というほど大袈裟なものでは無いが…]一冊の本にまとめたいという意図のもと、近年どんどん脳が劣化していくダ-松の覚え書きとしても使用の予定。事実関係は間違いに気付き次第 訂正。同人誌発表時のものも今回自粛配慮して、実名、エピソード等を削除した箇所有り。有り難い事に某出版社よりすでに出版打診があったがまだまだその時期ではない、マンガを描く事が苦痛になったら活字の方も気分転換にいいかも…。 /*マークは今後書き加える予定のメモと心得たし。 ●前史/修行時代・1970 さいとうプロの短くて濃い日々……  1968年に上京。数カ月後東京は戦場に。熱い季節の始まりだった。 2年後親元を飛び出し友人のアパートに転がり込む。場所は渋谷から井の頭線で駒場東大駅下車、徒歩5分。地図で見ると現在の駒場公園あたり。昼間でも裸電球を付けなければ真っ暗という馬小屋のような部屋。数メートル先には当時の建設大臣の豪邸が…。前を通りかかるだびに警備のおまわりがじろり。  いつまでも友人に迷惑もかけられないのでとりあえずアシスタントでも…と手元にあったマンガ誌をひっくり返し募集を探す。幸いさいとうプロと横山まさみち氏のところでアシ募集があり両方応募。どっちか一つ通れば…と思っていたら何と両方受かってしまい、双方に条件を聞く。当時高円寺 のアパート、風呂無し4畳半の部屋で相場12000円の時代。前者一ケ月の給料10000円、後者20000円との事。給料の方がボロアパートの家賃より安いとは…!どう考えても前者は食う方法がないと判断し、後者さいとうプロへ入社。  ここに居たのはたったの半年に過ぎないけれど今思えばこれだけで本が一冊描ける位の濃い半年だった。しかしこのあと2X年分も書かねばならないことを思えば今回はいくつかのエピソードを書くだけに留めよう。  ダー松が入った時は小池一夫氏[クビ?]、神田たけ志氏や神江里見氏、きしもとのり氏[現・松文館社長]等と入れ替わりの時で、きし氏の女遊びの凄さと神江氏の絵のうまさは伝説になっていた。現在「亀有」「ゴルゴ」が歴代単行本の巻数の多いベスト1、2位だが[ともに100巻を越えた]、3位は神江氏の「弐十手物語」[70巻以上]だという事は知ってる人は少ないだろう。  当時の制作部は、さいとうたかを[以下ゴリ]をトップに石川班[ゴルゴ13、影狩り]、甲良班[バロム1]、竹本班[シュガー、どぶ等]の3つに分かれ、それぞれのキャップにサブ・チーフが一人づついて、ヒラが2~6人いるというシステムで総16名。独立し現在も活躍中の叶精作、小山ゆう、やまさき拓味の3名がそれぞれの班のサブ・チーフ。ダー松は石川班で左右1メートル以内に叶氏とゴリにはさまれ、のんびり出来ない状態で、はなはだ窮屈。叶氏はほとんどマンガ家になりたいとも思った事のなかった人で、設計事務所みたいなところで図面を引いていた人がなぜマンガプロダクションに来たのか不思議だった。格別マンガ好きというわけでもなかったせいか現在まで全ての作品が原作もので、オリジナルは一本もないのはそのせい?祭りなどの人がうじゃうじゃ出てくる群集場面が得意。 やまさき氏は大の競馬好き、現在競馬マンガを多く描くのは当時からの趣味が生きたというべきか。もう一つの趣味である風俗についてはここでは書くのは差し控えよう。小山氏は後日ここの事務の女性と結婚するが、当時はつき合っているとは誰も知らず、スタッフの一人がやめる時その女性に交際を申し込んだら、茶店に呼び出されて小山氏からと凄まれたと聞いたが嘘か本当かは不明。  ここでの生活は新入り[ダー松を含めて3名]は朝の9時前に会社に行き、タイムカードを押し、前日のごみをひとまとめして外に出し、トイレ掃除をして、16人分のお茶を2Fで入れて制作部のある3Fへの狭い階段をふらふら昇り、机ごとに置いて歩き、終れば、一息ついて買っておいたパンと牛乳を3分で食べて、やっとそれから仕事。しかし新入りの3名の内1人折茂は常に遅刻なのでいつも佐藤と2人でやっていた。佐藤も遅れる時はダー松1人で。辞めてから10年位、16人分のお茶を持って階段をふらふら歩きお盆をひっくり返す夢をよく見たものだが、実際ひっくり返したのは折茂と佐藤の2人で、よく茶碗を割っていた。 たまには夕方6時には帰れるが、普通は夜10時までで、アパートに帰って銭湯に行けばもう明日にそなえて寝る時刻、このくり返しの日々。週1日は徹夜で明け方に帰り、その時は当日の昼12時出勤。休日は日曜日のみで忙しい時はそれも取り消し。つまり休みは月3日。[これで給料2万円!]そんな日々の繰り返し。  夕方までは皆和気あいあいと仕事していたが、ゴリが夕方6時頃に「おはようさん」と現れると、全員無駄口がたたけなくなり、仕事場はシーンと静まり返り、以下その日が終わるまでは疲れる時間がただひたすら流れるのみ。 当時石川班は「ゴルゴ13」と「影狩り」を描いていたがゴリは主人公の顔と擬音のみ。マジックで最後に入れる擬音はさすがに入れる位置がうまいと感心。ゴルゴの顔はアルバムに大小取り混ぜてコピーがとってあり、忙しい時は叶氏がピンセットで身体に合わせて「これが合うかな~」といった感じで貼り付けていた。  その頃すでに「ゴルゴ」は近々終わると噂されていたが、現在もまだ続いているとは感嘆ものだ。 ゴリと石川氏が「ゴルゴ」の最終回の終わり方を話しているのを聞いたら、何ともつまらない終わり方。しかしあれから20年以上も経つ事だし、きっともっといい終わり方を考えてあるだろうなと思っていたら、先日TVで本人が最初から考えてある終わり方だと言うのを聞き、がっくり。企業秘密だろうから書かないが、作品の最初の方に伏線が数度出ているのでわかる人にはすぐわかる筈。  辞めた小池一夫氏とさいとうプロに何があったかは知らないが、漏れ聞く話では結構もめ事があったみたいだ。 「子連れ狼」で「ゴルゴ13」と同じ設定の回があった時、「小池のガキャー訴えたるー!」とゴリが吠えていたものだが、結局たち消え。さいとうプロ作品で脚本を書いた本人が辞めた後、他の作品で同趣向の作品を書いても著作権は脚本を書いた原作者のものだと思うがどんなものだろう。その回のタイトルは忘れたが、ある場所に居合わせた人々が武器を持った集団の人質となり、その中に素人だと思われていた主人公、実は殺しのプロフェッショナルがいて、次々とその集団を殺していく、といったプロットで、ミッキー・スピレーンの短編に同じような作品があり、本当に訴えていたら恥をかいたと思うが・・・。  そういえば事務の方には山本又一郎という男がいたが、後年映画プロデューサーとして 「ベル薔薇」や「太陽を盗んだ男」等を創る事になるが、この野郎が生意気な男で当時皆に対して10歳は年上、といった感じの振る舞いだったが後日俺と一つしか年が離れてなかった事を知り、そんな若造だったとは、と皆怒ったものだ。以来奴の事を「マタさん」から「クソマタ」と呼ぶようになる。  さて半年後に先輩たちが積もり積もった不満を爆発させる反乱事件が勃発し、2年は居るつもりでいたここでの生活も、辞めるか残るかの選択を迫られる。残ればさいとうプロの現体制を認める事となるので、ダー松も退社。 しかし反乱グループとは別行動をとって一人だけの肉体労働のアルバイター生活へ突入。超ヘビーな労働の製氷工場、人使いの荒い印刷所、命綱もない高所の足場で働く建設現場等々。トラックの助手をしていた時は運ちゃんが「本宮ひろしって知ってるか?うちの息子の友達でさぁ、昔、おっちゃんメシ食わしてくれーなんて言ってきたもんだが、今は偉くなっちゃってさー、自分のビル建てたらしいよ。赤木圭一郎みたいにいい男なんだ。」とうれしそうに話してくれたが、運ちゃんには悪いがそいつは今も昔も一番嫌いなマンガ家なんだ。あの権力志向はどうにかならんか。天下を取る話ばかりだもんなぁ。  ところで後日、単行本の解説で高取英が「さいとうたかをのヤローぶっ殺してやる!」とダー松が言ったなどと書いているが、小生はそんな危ない事言った覚えはないのでここできっちり訂正しておきます。 「会社に火ィつけてやる!」位は言ったかも・・・[嘘] 。 悪口は言っても別に怨みなど無い。ところでアシスタントとしてのダー松は無遅刻、無欠勤以外は無能なアシだったと反省しきり。理想的なアシスタントとはどんなものか、それはまた別の機会に。 *入社試験はどんな事を? *さいとうプロには当時ほとんどろくな資料は無かった? *ハイジャックの回の飛行機内部の絵は、映画「大空港」を社内カメラマンが映画館で写してきたものをもとに描く。 *当時のトーンは印刷が裏面にしてあり上からカッターでけずったり出来ない。 *トーンの種類は網トーンが数種、それ以外はほんの3、4種類位しかなかった。 *仕事中のB.G.M.はアシの一人が加山雄三ばかりかけるので大ひんしゅく。好評だったのは広沢虎造の浪曲「次郎長三国志」、初代桂春団次の落語。眠気もふっとぶ位笑えた。 ダ-松が岡林信康の「見る前に跳べ」をかけてるとゴリは「何じゃー!この歌は!」と怒る。名曲「私たちの望むものは」はこの男には理解不能。 ●1 9 7 1 ~ 1 9 7 4  持 ち 込 み & 実 話 雑 誌 時 代    当時は青年劇画誌全盛時代で、もともと望月三起也氏や園田光慶氏のファンで活劇志向が強く、 主にアクションもののマンガを描いて持ち込みに行っていた。今のようにマンガ雑誌が溢れかえって、山のようにマンガ出版社がある時代ではなく、数社廻るともう行くところがない、という状態で大手では「ビッグコミック」があっただけで 「モーニング」も「スピリッツ」も「ヤン・ジャン」も当然まだない。テーマを盛り込んだ作品を持って行くと編集から「君ィ、うちは商売でやっているんだからねぇ」と言われ、アクションに徹した作品を持って行くと「君ぃ、ただおもしろいだけじゃあねぇ」と言われ 「おい、おっさん!どっちなんだ?」とむかつく事多し。この辺の事は山のように書く事があるが、有りすぎるのでパス。 *そのうち書く事にする。  ただ金属バットで頭をカチ割って脳みそをぶちまけてやりたいような奴が何人もいたのは事実。今年[’97]「モーニング」に持ち込みに行って、断られた奴が何万回もいやがらせの電話をかけて逮捕された事件があったが、そのうちトカレフを持って殴り込みに行く奴が出てくるとおもしろい。出版社も武装して大銃撃戦だぁ!などと馬鹿な事書いてどうする!とにかく持ち込みにはいい思い出が何もない。そんな中、数本だけ載った作品は渡哲也の映画「無頼」シリーズの人斬り五郎みたいな主人公がドスで斬り合う現代やくざもの[この頃の渡哲也は最高!]、ドン・シーゲルの「殺人者たち」みたいな二人組の殺し屋を主人公にした『汚れたジャングル』、陽水の「傘がない」が好きだという編集さんの出したテーマで車泥棒とブラックパンサーの闘士とのロード・ムービー風『グッバイ・ブラザー』、拳銃セールスマンを主人公にした『ザ・セールスマン』、等々10本ちょい位。  さてその頃並行してまだエロマンガ専門誌といえるようなものがなかったような時代で、実話雑誌という写真と記事ページからなる雑誌に4~10ページ位を雑誌の味付けとして描かせてもらう。当時、お手本になるようなエロマンガなど皆無で、エロ写真雑誌を古本屋で買ってきてからみのポーズを模写。マンガで裸を描く事はほとんど初めてで、これがなかなか難しいのだがエロシーンを描くのは結構楽しい。当時出版社に原稿持って行き帰りにグラフ誌をどっともらって帰るのが楽しみだった。SM雑誌の写真ページも参考になる。なお当時のペンネームは編集部が適当につけた池田達彦、上高地源太[この名前はいけてます。また使いたい]等。その数年後、逆にマンガが主で記事が味付けというエロマンガ誌が続々と創刊される。 *さいとうプロをやめたあと編集や知人に頼まれて数人のマンガ家の所へ手伝いに行く。秋田書店「漫画ホット」で『ジェノサイド』を連載中の峰岸とおる氏の所へ行き、仕事が終わったあとまだ売れてない頃の榊まさる氏も交え酒を飲む/川崎のぼる大先生のところへ数日だけ/3000円たこ部屋/小山ゆうオリオンププロ *当時のアルバイトは記憶によると時給150~200円位/大日本印刷市ヶ谷駐屯地/坂/ *一食100円/どんなに貧しい漫画家もみかん箱の上で書くやつはいない/TV萩原サムデイ *ろくでなし編集者 ●1 9 7 5 ~ エ ロ マ ン  ガ 誌 時 代 に 突 入   実話誌は意外とエロは抑え目で描くように口すっぱく言われていたのだが、以前活劇っぽい作品を描かせてもらってたが潰れてしまった出版社にいた児島さんが編集する「漫画ダイナマイト」で打合せも何にもなしに好きに描かせてもらい、ここでエロマンガ家としての才能[?]が開花する。描いてて実に楽しく眠る時間がもったいない位で、人に睡眠時間が必要な事を恨んだ程。出来る事なら一日中休まず描いていたい気分で完全にはまってしまう。  初の連載作品「屠殺人シリーズ」はこの頃から/『漫画ポポ』。中島史雄氏は大学時代にこの作品を見ていたとの事で、トレンチコートにドクター・ペッパー模様のサイレンサーつきマグナム銃で遊戯人・竜崎一也が犯しまくり殺しまくり、サディスト、マゾヒスト、殺人狂、まともな奴が一人も出てこない性と暴力の祭典。ちなみにタイトルページは描かないでいい、との事でどうするのかと思っていたら編集部が中のワンカットを拡大してタイトルページを創り、1ページぶんの原稿料をけちるというせこいやり方だった。けちるといえば、原稿の1/3にCMを入れる際、原稿料を1/3削った会社もあり。 ●1 9 7 6 ~   後に発禁仲間となる高取英と出逢い、『長編コミック劇場』で「ウルフガイ」みたいのをやろうと、怒りに震えると黒豹に変身してしまう異常体質の主人公を設定し、獣姦のイメージで「性猟鬼」なるエロマンガをスタート!しかしその号で雑誌が潰れる。この路線は今でもいけそうな気がするがどんなものだろう。  この頃の珍品に「快楽痴態公園」がある。タイガースに11-0とワンサイドで打ちまくられ、怒ったジャイアンツファンのおっさんが公園でデート中の女をずこずこに犯りまくり、その間にジャイアンツは9回裏に12-11とゲームをひっくり返してしまうのである!その時のジャイアンツの監督はもちろんミスター長嶋、先発堀内、打者は柴田、土井、高田、王、張本等々がいる。タイガース監督は吉田、ピッチャー江本、キャッチャーフライを落球する田淵、そしてあの川藤もいる。解説は牧野…… ●1 9 7 7 ~   上記2作品を含む初の単行本「肉の奴隷人形」が久保書店より発行。後にリングスの会場で逢った佐竹雅昭氏はこの本が一番好きとの事だった。  「闇の淫虐師」もこの年スタート。一話完結でバレリーナ、バトンガール等々、毎回いろんな女たちをダッチワイフのごとくいたぶりまくるフェチマンガとして1979年まで続け、単行本は「堕天使女王」「裂かれた花嫁」「エロスの狂宴」「陶酔への誘い」「終りなき闇の宴」の全5巻。ちなみに今年「闇の淫虐師’97」を『コミック・ピクシィ』にて発表。いつか『闇の淫虐師・ベスト選集』でも出したいところ。 [’98に実現、’99には続刊が出る] ●1 9 7 8 ~   久保書店より第2弾の単行本「狂った微惑人形」。収録作品の「犯された白鳥」は持ち込み時代に描いた初のバレリーナもの。結構気に入っていた作品なのに、後年再録の際、印刷所の掃除のおばさんが捨ててしまい、この世にもはや存在しない不幸な子となる。[’99に宝島スピード・ブックに本より直接スキャンして収録]  エロ、グロ、ナンセンスの会心作「恍惚下着専科」を発表。サン出版より同名の単行本発行。また同出版より「コミック・ペット/堕天使画集」として今までの作品を続々単行本化。全10巻位。これは今でも古本屋で流通しているとの事で、まだまだ世間様のお役にたっているらしい。  この年、「堕天使たちの狂宴」を描いていた『漫画エロジェニカ』が発禁処分、来年でもう20年目となる事だし、当時の人たちと集まってその大放談を収録し「発禁20周年特集号」でも創ってみようかと計画中。さて当時の秘話としてもう時効だろうから書いてみるけど、前述の『堕天使画集』に「堕天使たちの狂宴」は収録される事となり、当然修正をガンガン入れて出版されるものと覚悟していたら、米国から帰国後出来上がった本を見ると発禁になった状態のまま再録されている!以下桜木編集長との会話 ダ/いや~、いい度胸してますね。 編/だって修正してあるじゃない。 ダ/その修正状態で発禁になったんですよ 編/・・・・・ ダ/・・・・ 以下どんな会話が続いたのか失念…… それにしてもサドの「悪徳の栄え」の翻訳本は発禁後20年以上して復刻されたけれど、「堕天使たちの狂宴」は半年もしない内に単行本になっていたとはエロ本業界とは何といいかげんな世界!しかし作品そのものは、今見るとリメイクする気にもならないどうという事もない可愛い作品で、結局あれもあの時代の姑息な政治のひとかけらに過ぎなかったのだろう。いい点があるとしたら一つだけ、それまでのエロマンガになかった瞳パッチリの少女マンガ的ヒロインを登場させた事位か。今の美少女エロマンガは本家の少女マンガもかくや!という位眼が大きいが当時としては画期的だったかも。 ●1 9 7 9 ~   この年の「淫花蝶の舞踏」は「堕天使たちの狂宴」よりずっといい/『漫画ソフト』。今年出た「別冊宝島/日本一のマンガを探せ!」でベスト2000のマンガがセレクトされているが、ダー松の作品の中ではこの作品が選ばれている。教師と生徒、二人の女たちが様々な男たちの手によってに次々ともてあそばれ、闇の世界を転々として再び巡り会う時、女たちは蝶と化し水平線の彼方に飛び去り、男たちは殺し合い血の海の中で屍と化す。ダー松作品にはこのように男根が女陰の海に飲み込まれてに負けるパターンが多い。[性狩人、遊戯の森の妖精、美少女たちの宴、人魚のたわむれ・・等々]  この年からスタートの「性狩人たち」シリーズ[劇画悦楽号]はバレエ、バイオレンス、SEXの三要素がうまくからみあい、それぞれが頂点まで達する幸福な神話的作品だ。ここから派生した路線も多く、美少年路線は’83の「聖少女黙示録」へ。身体障害者路線は’80の「遊戯の森の妖精」、’84からの「美姉妹肉煉獄」へと繋がる。’81の最終話「ハルマゲドンの戦い」ではせりふなしで24ページ全てが大殺戮シーンという回もあり、中でも一度やりたかった見開きで銃撃戦の擬音のみという事も実現。こんな事がエロマンガ誌で許される時代だった。ちなみにこの回は[OKコラルの決闘・100周年記念]だが、何の意味もない。単行本は最初サン出版より、その後久保書店より「白鳥の飛翔」「少女飼育篇」「ヘラクレスを撃て!」「眼球愛」「海の女神」の全5刊。現在入手出来るのは後の3刊のみ。[「海の女神」も最近在庫切れ]  この年出た「人魚のたわむれ」の表題作は性器に{たこ}を挿入するカットを見た編集長が「・・・[沈黙]・・・頭おかしいんじゃ・・ブツブツ・・気違い・・・ブツブツ・・・」と呆れてつぶやいていたのを記憶している。たこソーニューは今年出た「夜顔武闘伝」で久しぶりに再現。なおこの作品は’83にマンガと実写を噛み合せたビデオの珍品となる。水中スローモーションファックがなかなかよい。 ●1 9 8 0 ~   なぜか「JUNE」の増刊として作品集「美少女たちの宴」がサン出版より出版され、その短編集をもとに脚本化し日活で映画が創られる事となる。[「花の応援団」を当てたこの映画の企画者・成田氏は日活退社後「桜の園」等を創る。]その際、初めて映画撮影所を見学し、せこいセットがスクリーン上ではきちんとした絵になってるのを見て映画のマジックに感心。タイトルはなぜか「性狩人」で、’96にビデオ化された。監督・池田敏春のデビュー第2作となり現在までコンスタントに作品を発表しているが、出来のいい作品も多いのになぜか代表作がない。初期の「人魚伝説」が一番いいか。  この映画に合わせて「美少女たちの宴」を2~3回のつもりで「漫画ラブラブ」で描き出すがどんどん話がふくらみ、おまけに描いてる出版社が潰れたり、雑誌が潰れたりで雑誌を転々とし条例による警告の嵐がきた「漫画大飯店」を経て、「漫画ハンター」誌上で完結したのは’83になる。この作品でクリトリスを手術してペニスのように巨大化させるという人体改造ものを初めて描く。  この年の「遊戯の森の��精」は身体障害者いじめ鬼畜路線の第2弾!森の中の別荘に乱入したろくでなしの二人組が精薄の少女の両親達を虐殺し、��行の限りをつくすむ��ゃくちゃな作品で、雷鳴の中、少女の性器に男達のペニスが2本同時に挿入されるシーンは圧巻!しかしこのとんでもない男達も少女の性のエネルギーに飲み込まれ、朽ち果てていく・・・。 ●1 9 8 1 ~   美少女マンガ誌のはしり「レモン・ピープル」誌創刊。そこで描いたのが「白鳥の湖」。虚構の世界のヒロインを犯すというコンセプトは、アニメやゲームのヒロインをずこずこにするという今の同人誌のコンセプトと同じかも。バレエ「白鳥の湖」において悪魔に捕われたオデット姫が白鳥の姿に変えられる前に何にもされてない筈がないというモチーフにより生まれたこの作品は、悪魔に男根を植えつけられたヒロインが命じられるままに次々と妖精を犯して歩き悪魔の娘となるまでを描くが、あまり成功したとは言えない。ただ人形サイズの妖精をしゃぶりまくり淫核で犯すアイデアは他に「少女破壊幻想」で一回やっただけなのでそろそろもう一度やってみたいところ。「ダーティ松本の白雪姫」はその逆をいき、犯す方を小さくした作品で7人の小人が白雪姫の性器の中にはいり、しゃぶったり、処女膜を食べたり、と乱暴狼藉![ちなみに両者をでかくしたのが同人誌「FUCK YOU!3」の「ゴジラVSジュピター」]この童話シリーズは意外と好評で続いて「ダーティ松本の赤い靴」を上記の単行本に描き下ろして収録。童話は結構残酷なものが多く、この作品も切られた足だけが荒野を踊りながら去って行くラストは原作通り。 *近年童話ブームだがこの頃もっと描いておけば「こんなに危ない童話」として刊行出来たのにとくやまれる。 「2001年快楽の旅」もこの本に収録。快楽マシーンを逆にレイプしてしまう、珍しく映画「2001年宇宙の旅」風のSF作品。  掲載誌を決めずに出来る限り多くのマンガ誌で描こうというコンセプトで始めたのがこの年スタートした「怪人サドラン博士」シリーズ。「不死蝶」シリーズや「美少女たちの宴」シリーズの中にも乱入し、「漫画ハンター」最終号では地球をぶっ壊して[その際地球は絶頂の喘ぎ声をあげ昇天する!]他の惑星へ行ってしまう。今のところ10誌位に登場。いつかこのサドラン・シリーズだけ集めて単行本化したいところ。ちなみに「サド」と「乱歩」を足して「サドラン博士」と命名。作者の分身と言っていい。 [後年、「魔界の怪人」として全作品を収録して刊行、04年現在品切れ中]  この年描いて’82の単行本『妖精たちの宴』に収録の「とけていく・・」はレズの女たちが愛戯の果てに、肉体が溶けて一匹の軟体動物と化す、タイトルも内容も奇妙な作品。作者の頭もとけていた? ●1 9 8 2 ~ 1 9 8 3   ’83年に「美少女たちの宴」が完結。全てが無に帰すラストのページは真っ白のままで、このページの原稿料はいりません、と言ったにもかかわらず払ってくれた久保書店、偉い![明文社やCM頁の稿料を削った出版社=某少年画報社なら払わなかっただろうな……と思われる……]この作品以外は短編が多く、加速度をつけてのっていく描き方が得意のダー松としてはのりの悪い時期に突入。また10年近く走ってきてだれてきた頃でもあり第一次落ち込み期と言っていい。マンガがスタンプを押すように描けないものか、などとふとどきな考えまで湧いてくる。思えば一本の作品には、いったい何本の線を引いて出来上がっているものなのか。数えた馬鹿はいないだろうが数千本は引いている筈。一ヵ月に何万本とペンで線を引く日々・・うんざりする筈です。  この頃のめぼしい短編をいくつか書くと、少女マンガ家の家に税務調査にきた税務署員が過小申告をネタにねちねちいたぶるが、アシスタントに発見された署員は撲殺される。そして板橋税務署は焼き討ちにあう、といった作品「[タイトル失念]xx税務調査」。[後日読者よりこのタイトルを「色欲ダニ野郎」と教えていただく。ひどいタイトル *編集者のつけるタイトルはその人のセンスが実によくわかる。しかしサイテ-の題だなこりゃ…。 果てるまで「おまんこして!」と言わせながら処女をやりまくる「美処女/犯す!」はラスト、狂った少女が歩行者天国の通行人を撃ちまくり血の海にする。「嬲る!」はパンチドランカーとなった矢吹ジョーが白木葉子をサンドバッグに縛りつけ、殴って、殴って、殴りまくる。段平おっちゃんの最後のセリフ「・・ブスブスくすぶっちゃいるが・・・」「打てッ!打つんだ!ジョー!」「お前はまだ燃えつきちゃいねえ!」とはエロ・ドランカーの自分自身に向けて発した言葉だったのかも。トビー・フーパーばりの「淫魔のはらわた」は電気ドリルでアナルを広げてのファック!とどめにチェーンソーで尻を切断!いまだに単行本に収録出来ず。[’98の「絶頂伝説」にやっと収録]「からみあい」は夫の愛人の性器を噛みちぎる。「危険な関係」はアルコール浣腸をして火をつけ尻から火を吹かせる。この手は『FUCK YOU!2』の「セーラー・ハルマゲドン」で復元。そういえばこの作品の序章と終章だけ描いて、間の100章位をとばすやりかたはこの頃の「禁断の性獣」より。女性器にとりつき、男性器に変身するエイリアンの侵略により地球は女性器を失い滅亡する、といったストーリーで当時聞いた話では谷山浩子のD.J.でこの作品がリスナーの投書でとりあげられ、ダー松の名はダーティ・杉本と読まれたそうな。ヒロインの少女がひろ子という名前なのでこのハガキが選ばれたのかもしれないが、作者は薬師丸ひろ子からとったつもりだったのだが・・。[別にファンではない。] 「女教師狩り」は映画館で観客に犯される女教師とスクリーン上の同名のエロ映画の二本が同時進行し、一本で二本分楽しめるお得な作品。 ’83は’80に「漫画エロス」にて描いた「エロスの乱反射」の最終回の原稿が紛失したため単行本が出せないでいたのを、またまた「仏の久保さん」に頼んでラスト近くをふくらませて「漫画ハンター」に3回程描かせてもらい、やっと’85に出版。見られる事に快感を覚えるファッション・モデルが調教される内に、次第に露出狂となっていき、街中で突然裸になって交通事故を起こさせたり、最後はビルの屋上でストリップショー。そしてカメラのフラッシュの中に飛び降りていき、ラスト1ページはその性器のアップでエンド!  本格美少年・ゲイ・マンガ「聖少女黙示録」も’83。レズの姉たちの手によって女装に目覚めた少年がホモのダンサーたちに縛られなぶられ初のポコチンこすり合いの射精シーン。そして性転換して女となった主いるが、その中の’84の「白い肌の湖」はタイトルで解る通りのバレリーナものだがポコチンを焼かれた男が、一緒に暮ら人公が手術で男になった少女と暮らすハッピーエンド。この作品は単行本「美少女ハンター」に収録されてす二人の女と一人の男に復讐するエンディングがすごい!まず男の性器を切り取り、片方の女の性器にねじ込んだあと、その女の性器ごとえぐり取る。そしてその二つの性器をつかんだまま、もう一人の女の性器にフィストファック!のあげく、その二つの性器を入れたままの女性器をナイフでまた切って、ほとんどビックマック状態でまだヒクヒクうごめく血まみれの三つの性器を握りしめるとんでもない終り方!全くダー松はこんな事ばかり���っていたのかとあきれかえる。もう鬼畜としか言い様がない!しかし「ウィンナー」を二枚の「ハム」で包むなんて・・GOODなアイデアだ、又やってみよう。 ●1 9 8 4 ~   「漫画ハンター」で「闇の宴」前後篇を描き、後日これをビデオ化。雪に包まれた六本木のスタジオで痔に苦しみながらの撮影。特別出演として中島史雄氏が絶妙の指使い、東デの学生時代の萩原一至が二役、取材に来たJITAN氏もスタジオに入ってきた瞬間、即出演で生玉子1000個の海で大乱交。カメラマンが凝り性で照明が気に入るまでカメラを廻さず、たった二日の撮影はやりたい事の半分も出来ず。撮影が終ると痔はすぐに完治。どうもプレッシャーからくる神経性だったみたいでこれに懲りてビデオは一本のみ。 この年の「肉の漂流」は親子丼もので、近所の書店のオヤジからこの本はよく売れたと聞いたが、一時よく描いたこのパターンは最近では「FUCK YOU!3」の「母娘シャワー」のみ。熟女と少女の両方が描けるところが利点。「血の舞踏」は久しぶりの吸血鬼もの。股間を針で刺し、噛んで血を吸うシーン等々いい場面はあるが、うまくストーリーが転がらず3回で止める。短編「果てるまで・・」は核戦争後のシェルターの中で、父が娘とタイトル通り果てるまでやりまくる話。被爆していた父が死んだ後、娘はSEXの相手を捜して黒い雨の中をさまよう。  またリサ・ライオンの写真集を見て筋肉美に目覚め、マッチョ女ものをこの頃から描き出す。しかしなかなか筋肉をエロティックに描くのは難しい。 ●1 9 8 5 ~   くたびれ果ててすっかりダレてきたこの頃、8年間働いてくれたアシスタント女史に代わってパワーのかたまり萩原一至、鶴田洋久等が東京デザイナー学院卒業後加わってダーティ・マーケットも第2期に突入!新旧取り混ぜておもしろいマンガをいろいろ教えて貰って読みまくる。「バリバリ伝説」「ビーバップハイスクール」「ペリカンロード」「めぞん一刻」「わたしは真悟」「Be Free!」「緑山高校」「日出処の天子」「吉祥天女」「純情クレイジー・フルーツ」「アクター」「北斗の拳」「炎の転校生」「アイドルをさがせ」「綿の国星」「いつもポケットにショパン」「バツ&テリー」「六三四の剣」永井豪の絶頂期の作品「バイオレンス・ジャック」「凄之王」「デビルマン」等々100冊以上とても書ききれない位で、う~ん・・マンガってこんなにおもしろかったのか、と感動! そこで眠狂四郎を学園にほうり込んで、今まであまり描かなかった学園マンガをエロマンガに、というコンセプトで始めたのが「斬姦狂死郎」。「六三四の剣」ばりに単行本20巻を目指すものの、少年マンガのノリは今では当たり前だが、当時はまだエロマンガとして評価されず、ほんの少し時代が早すぎたかも。’86に中断、今年’97に「ホリディ・コミック」にて復活!果たしていつまで続けられるか? →後に「斬姦狂死郎・制服狩り」、「斬姦狂死郎・美教師狩り」として刊行完結  前年末から始めた「美姉妹肉煉獄」は身障者いじめの鬼畜路線。盲目の姉とその妹を調教して性風俗店等で働かせ、娼婦に堕していく不健全・不道徳な作品で、肉の快楽にひたっていく盲目の姉に対し妹も「春琴抄」の如く己の眼を突き、自らも暗黒の快楽の世界にはいり、快楽の光に目覚めるラスト。 また、これからは女王様物だ!となぜか突然ひらめき「筋肉女」シリーズの延長としてフィットネス・スタジオを舞台に「メタル・クイーン」シリーズも開始。これは単行本2冊分描いたが、連載途中でヒロインの髪型を歌手ステファニーのヘア・スタイルにチェンジしたり、レオタードもたっぷり描けてわりと気に入っている。  10年近く描いた「美蝶」先生シリーズもこの年スタート!こうしてみるとマンガを描く喜びに満ちた大充実の年だったかも。 ●1 9 8 6 ~   この年は前年からの連載ものがほとんどだが、「エレクト・ボーイ」は空中でファックするシーンが描いてみたくて始めた初の超能力エロマンガ。コメディ的要素がうまくいかず2回で止める。この路線は翌年の「堕天使輪舞」で開花。  「夜の彷徨人」は自分の育てた新体操選手が怪我で選手生命を失ったため、その女を馬肉のごとく娼婦として夜の世界に売り渡した主人公という設定。しかし腕を折られ、女にも逆に捨てられ、そして事故によってその女を失ったあげく不能となってしまう。失った快楽を取り戻すため無くした片腕にバイブレーターを取りつけ、夜の街をさすらい次々と女たちをレイプしていくというストーリー。がっちり設定したキャラだったのにまったく話がはずまず、男のポコチンは勃起しないままに作品も不発のまま終る。  「斬姦狂死郎」が不本意のまま終わったため学園エロス・シリーズは「放課後の媚娼女」へと引き継がれる。当時見ていた南野陽子のTV「スケバン刑事・」とS・レオーネの「ウエスタン」風に料理。ラストの「男といっしょじゃ歩けないんだ」のセリフは一番好きな映画、鈴木清順の「東京流れ者」からのもじり。単行本は最初司書房から出て、数年後ミリオン出版から再販、そして’97久保書店より再々販ながら結構売れて今年また再版。この作品は親を助けてくれる有難い孝行息子といったところ。 ●1 9 8 7 ~   さいとうプロOBで那珂川尚という名のマンガ家だった友人の津田が「漫画ダイナマイト」の編集者になっていて、実に久しぶりに同誌で「堕天使輪舞」を描く。超能力エロマンガの第2弾。今回はエロと超能力合戦とがうまくミックスされ一応成功といっていい。この路線は「エレクト・ボーイ」とこの作品、そして’96の「夜顔武闘伝」も含めてもいいかも。一時、この手の作品は数多くあったが最近はめ��たに見かけない。しかし、まだまだこの路線には鉱脈が眠っているとにらんでいるがどんなものだろう。 ●1 9 8 8 ~   「放課後の媚娼女」に続いて抜かずの凶一無頼控え「放課後の熱い祭り」を2年がかりで描く。’89に完結し司書房より単行本化。そして今年’97に改定してめでたく完全版として復刊!この頃が一番劇画っぽい絵で、たった2~3人のスタッフでよくこれだけ描き込めたなと改めて感心!エロシーンがちょっと少なめながら中島史雄氏がダー松作品でこの作品が一番好き、とお褒めの言葉を頂戴する。  TVで三流アマゾネス映画を見ている内、むくむくとイメージがふくらみ、昔から描きたかった西部劇と時代劇がこれで描けると、この年スタートさせたのが「不死蝶伝説」なるアマゾネス路線。昔々青年誌の創世期にあのケン月影氏がマカロニ・ウエスタンを描いていたことを知る人は少ないだろう。俺もあの頃デビューしていたらウエスタンが描けたのに、と思う事もあったが、このシリーズでほんの少しだけその願望がかなう。  この頃、アシスタントやってくれてた格闘技マニアの鶴田洋久に誘われ、近所の空手道場通いの日々。若い頃修行のため新宿でやくざに喧嘩を売って歩いたという寺内師範は、もう鬼のような人で、行けば地獄が待っていると判っててなぜ行く?と不思議な位休まず通う。体育会系はマゾの世界と知る。組手は寸止めではなく顔面以外は当てて可だったので身体中打撲のあざだらけ、ビデオで研究したという鶴田の体重をかけたムエタイ式の蹴りをくらい、右手が饅頭のように腫れ上がる。先輩たちの組手の試合も蹴りがもろにはいってあばら骨が折れたりで、なぜこんなヘビーな事をする?と思うが、闘う事によって身体の奥から何か沸き上がってくるものがある。スリランカの元コマンドと組手をやった時、格闘家の気持ちが少しだけ判るようになった。 ●1 9 8 9 ~   ’94まで続く「美蝶」シリーズでこの年は『ノスフェラトウ篇』を描き、シリーズ中これが一番のお気に入り。同人誌の「王夢」はこれが原点。  短編では「悪夢の中へ」はスプラッタ・エロマンガで久しぶりにチェーンソゥでお尻のぶった切り!はらわた引きずり出し、人肉食いちぎり!顔面叩き割り等々でラストに「ホラービデオの規制をするバカは俺が許さん!」などと書いているので、この年が宮崎事件の年か?世間は彼が日野日出志・作のホラービデオ「ギニーピッグ」を見てあの犯罪をおかした、としてさんざんホラービデオの規制をやっといて、結局見てもいなかったとわかったあとは誰一人日野日出志氏にもホラービデオさんにも謝らす゛知らんぷり。残ったのは規制だけで、馬鹿のやる事には全く困ったもんである。先日の「酒鬼薔薇・14才」の時も犯罪おたくの心理学者が、「これはマンガやビデオの影響です。」などと相も変わらずたわけた寝言をぬかしていたが、馬鹿はいつまでたっても馬鹿のまま。少しは進歩しろよ!お前だよ、お前!短絡的で幼稚な坊や、小田晋!よぅく首を洗っとけ!コラ!  「獣人たちの儀式」は退学者や少年院送りになつた生徒、暴走族、ヤクザ達が集まって酒盛りしながら女教師たちをずこずこにしてOB会をひらく不健全作品。編集長が「また危ない作品を・・・」とこぼしたものだが、岡野さん、田舎で元気にお過しでしょうか。この頃の「漫画エロス」には「ケンペーくん」だとか「アリスのお茶会」だとかおもしろい作品が載っていたものです。「爆走遊戯」は伝説のストーカー・ろくでなしマンガ家の早見純が一番好きな作品と言ってくれたが、なぜだかわからない。人の好みはいろいろです。以上3本は単行本「熱き唇の女神」に収録。 「ふしだらな女獣たち」はフェミニストの女二人が美少年をいじめる話。これは「氷の部屋の女」に収録。 ●1 9 9 0 ~   この年の「美蝶」シリーズは『ダンシング・クイーン篇』。マネキン工場跡でJ・ブラウンの「セックス・マシーン」にのせて5人プレイをするシーンや文化祭でのダンスシーン等々結構好きな場面多し。暗くて硬い作品が多いので、この「美蝶」シリーズは肩肘張らずに、かなり軽いノリでキャラクターの動きに任せて、ストーリーも、そして次のコマさえも先の事は何にも考えず、ほとんどアドリブで描いた時もある。  「不死蝶伝説」に続いてシリーズ第2弾「不死蝶」は2誌にまたがって2年位続ける。これも結構お気に入りの一遍。 ●1 9 9 1 ~ 1 9 9 3   「性狩人たち」の近未来版、といった感じの「夜戦士」は学園物が多くなったので、マグナム銃で脳天をぶっとばすようなものが又描きたくなって始めたミニシリーズ。全5話位。松文館より単行本「黒い夜と夢魔の闇」に収録。  この年から知り合いの編集者がレディス・コミックを始める人が多く、依頼されてどうしたものかと思ったが、エロなら何でもやってみよう精神と何か新しい世界が開けるかも、という事から’94位までやってみたものの結果的に不毛の時代に終わる。与えられた素材が体験告白物という事で、非現実的なものは描けないという事は得意技を封印して戦うようなもので苦戦を強いられ、これって内山亜紀氏がやまさき十三原作の人情話を描いたようなミス・マッチングで不発だったかな。今後、もしやることがあれば美少年SMのレディス・コミックのみ。そんな雑誌が出来れば、の話だが。  いくつかやったレディコミの編集の一人「アイリス」の鈴木さんは同じさいとうプロOBで、マンガ・アシスタント、マンガ家、マンガ誌の編集、そして今はマンガ学校の講師、とこれだけ多くのマンガに関わる仕事をしてきた人はあまりいないだろう。これでマンガ評論でもやれば全て制覇だが・・・。  この頃はいつもと同じ位の30~40本の作品を毎年描いていたが、レディコミは一本30~40枚とページが多く結構身体にガタがきた頃で、右手のひじが腱傷炎になり1年以上苦痛が続く。医者通いではさっぱり痛みがひかず、電気針で針灸治療を半年位続けてやっと完治。その後、住んでいたマンションの理事長を押しつけられ、マンション戦争の渦中に巻き込まれひどい目にあう。攻撃するのは楽だが、話をまとめるなどというのは社会生活不適格のダー松には大の苦手で「お前等!わがままばかり言うのはいいかげんにしろー!」と頭をカチ割りたくなるような事ばかりで、ひたすら我慢の日々で血圧がガンガン上がり、病院通いの日々。確実に寿命が5年は縮まる。あの時はマジで人に殺意を抱いたものだが、今でも金属バット持って押しかけて奴等の脳みそをクラッシュしたい気分になる時もある。いつかこの時の事をマンガにしようと思っていて、まだ誰も描いてない「マンション・マンガ」というジャンル、タイトルは「我が闘争」。え?誰も読みたくない?  この間に出た単行本は「血を吸う夜」、「赤い月の化身」「熱き唇の女神」[以上・久保書店] /「牝猫の花園」「真夜中の人魚たち」[以上久保書店]、「美蝶/放課後篇」「美蝶/ダンシング・クイーン篇」「不死蝶/鋼鉄の女王篇・上巻」[以上ミリオン出版]。 ●1 9 9 4 ~ 1 9 9 5   ろくでもない事が続くのは厄払いをしなかったせいか、このままここにいたら頭がおかしくなる、と15年以上いたマンションから引っ越し。板橋から巣鴨へ移動し気分一新!以前からうちもやりましょうよ、と言われていた同人誌創りをそのうち、そのうちと伸ばしてきたものの遂に申し込んでしまい、創らざるをえなくなる。しかもそれが引っ越しの時期と重なってしまい大いに後悔する。しかしいろんな人にお願いして何とか一冊でっちあげ、ムシ風呂のような夏コミに初参加。これが運命の分岐点。レディコミもこの年で切り上げ、以下同人街道をまっしぐら。現在まで「FUCK OFF!」が9まで、「FUCK YOU!」が4まで計10+&冊創る。  ’95からダーティ松本の名前にも飽きてきたしJr,Sam名でも描き始める。 レディコミ時代は松本美蝶。あと2つ位違うペンネームも考案中。  この間の単行本「氷の部屋の女」「双子座の戯れ」[久保書店]、「黒い夜と夢魔の闇」[松文館]、「危険な女教師/美蝶」[ミリオン] ●1 9 9 6 ~   美少女路線の絵柄もこの年の「夜顔武闘伝」あたりでほぼ完成、今後また少し変化させる予定。しかしこの作品は超能力、アマゾネス、忍法エロマンガとでも呼ぶべきか。「グラップラー刃牙」みたいに闘技場での勝ち抜き性武道合戦までいきたかったけれど、残念ながらたどり着けず。  「冬の堕天使」は久しぶりの吸血鬼もの。都営住宅で生活保護をうけている吸血鬼母子のイメージが浮かび、そこから漫画家協会・加藤芳郎を撃つ有害図書騒動のマンガへ。吸血鬼少年が光の世界との戦いに旅立つまでを描き、「闇に潜みし者」は時空を越えて近未来での戦い。その間を描く作品を今後創らなければ。  「FUCK CITY 2006」はクソ溜めと化した近未来のTOKYOを舞台に久しぶりにダーティ・バイオレンスが炸裂!ハード・エロ劇画と同人誌風・美少女路線の合体は果たしてうまくいったかどうか?30ページほど描き足して、’97、9月にフランス書院のコミック文庫にて発売。[「少女水中花」]  「放課後の媚娼女」と「人形愛」刊行。[いずれも久保書店刊]前者は以前、上下巻だったのを一冊にまとめて。後者は近作を集めた同人時代を経ての初単行本で、同人誌を知らなかった読者はショックを受ける。メタルフアンから以下のようなお手紙を受け取る。「これはジューダス・プリーストの『ターボ』だ。ラストの『眠れる森の少女』は『レックレス』にあたる。しかしジューダスもその後『ラム・イット・ダウン』や『ペイン・キラー』という傑作を世に出した事だし、今後を期待したい」という意のダー松のようなメタルファン以外は意味不明の激励をうける。 ●1 9 9 7   同人誌「エロス大百科シリーズ」スタート!いろんな項目別に年2刊づつ計100ページ位を別刊シリーズとして出し続ければ10年で1000ページになり、以前「谷岡ヤスジ1000ページ」という枕に最適の本があったが、これも一冊にまとめて枕にして寝れば、目覚める頃は3回夢精しているなんて事に・・・などとまだたった40ページの段階で言っても何の説得力もないか。飽きたら2~3号でSTOPするだろうし・・。[推測通り「毛剃り」「美少年SM」「女装」3号でストップ中]冬にはやおい系にも進出の予定。  今年出した単行本は厚くて濃いエロマンガを集めた久保書店MAXシリーズ第2弾!「放課後の熱い祭り/完全版」と「夜顔武闘伝」オークラ出版。ともに大幅描き足して25周年記念出版として刊行。ティーツー出版よりJr,Sam名で「昼下がりの少女」、9月にはフランス書院より「少女水中花」の文庫本が出る予定で現在、この同人誌と並行して描き足し中。「斬姦狂死郎」第2部も「ホリディ・COMIC」誌にて6月よりスタート!年内創刊予定の『腐肉クラブ』なる死体姦専門のマンガ誌にも執筆予定。  さてさて25年間、旅行の時を除いて、現在まで2日続けてマンガを描かなかった事はほとんどない。これはその昔、伊東元気氏というマンガ家とお会いしたとき「今月何ページ描いた?」との問いに、「今月仕事ないんでぜんぜん描いてません」と答えたら、「そんな事じゃ駄目だ。仕事があろうがなかろうが、毎月100頁は描かなきゃ。」と言われ、以後その教えを守り[描けるページ数は減ったが]、マンガは仕事ではなくなり、朝起きたら顔を洗うのと同じで生活そのものとなり現在に至る。  今は何でも描けそうなハイな状態で、以前はたまには外出しないと煮詰まってしまうので週いち位ガス抜きをしていたものだが、最近はせいぜい月いち休めば十分の「純エロマンガ体」。[純粋にエロマンガを描くため���けの肉体、の意。ダー松の造語]  こうしてふり返ると、この路線はまだえぐり足りない、これはあと数回描くべし、なぜこれを一度しか描かない!等々、残り時間にやるべき事、やりたい事の何と多い事! 爆裂昇天のその日まで・・・      燃 え よ ペ ン !  なお続きは 1997年後期 1998年 INDEX
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innervision-dai · 5 years
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明かりが射す場所へ
その日は平日の木曜日。ボクは人が多くはないが、かと言って少なくもない原宿にいた。
街を照らすように原宿から青山へ伸びる大通りは、明るいライトアップが施されている。
そう、季節は冬。クリスマスが間近に迫る、12月21日。
でも、ケータイのディスプレイにはその日付の前に、2006年の5文字が並んでいる。
つまり今から、木村さん家のKōkiさんが生まれた頃へタイムスリップをした話です。
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この日、ボクが原宿にいた理由はタピオカやホットグを買って写真を撮るためではない。
まだ、無い時代の話だからー!ちなみに、ストロングゼロもほろよいも、まだないの。
では、あったモノをGoogleで掘ってみますと・・・。
原宿の大きな2つの通りが交差する-明治通りと表参道の交差点には眩い派手な
ネオンサイン付のビルディングがあった。(©「K.M.W」インタビュー)
って、KING OF DIGGIN’ことDJ MUROさんのインタビューに書かれていた。ではーー!
開始10行で、人の文章をパクったところで、最後のBlogを始めたいと思います。
チィーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーース!
シラフ状態でアタシが、クリスマス間近の原宿の街に迷い込んでしまった理由、それは、
ライブを見るためです。
向かう会場は、原宿の大きな2つの通りが交差する場所から明治通りを新宿方面へ、
自遊空間やカラオケ館のネオンサインが照らす場所に・・・、小保方晴子さんの勢いで、
「あります」!!(注:ちなみに、STAP細胞はないそうですよ。)
そこは今はもう姿を消した、最大で400人が入るライブホール「原宿アストロホール」。
時刻は、午後7時前。入口を抜けて地下へと伸びる階段を降りた先にあるフロアは、
すでに後ろまで多くの人でいっぱいだった。
そんなインドの朝の通勤電車のようなフロアの一番後ろで、ボクは待った。
この年の夏に、それまで歌ってきた曲を収録した、初めてのアルバムをリリースした
「Perfume(パフューム)」がステージに現れるのを。
ボクがPerfumeを知ったのは、そのアルバムがリリースされたすぐ後くらいだった。
友人から薦められて、SpotifyやApple Musicなどのサブスクもまだない時代だから、
ショップへ買いに行った。そして、ポップさがあるエレクトロミュージックの曲にハマった。
曲を聞くだけでは飽き足らず、最近、社会問題になっている中高年の引きこもりのように
家ではずっとYouTubeでミュージックビデオを見ていた。ときめいてる女の子状態で!
そして最終的に、入ったばかりの会社のパソコンを使って、「太鼓の達人 鬼レベル」に
更新ボタンを連打してライブのチケットを手に入れたの。
でも、ボクがPerfumeを生で観たのは・・・、この日が最後となる。
この数日後に始まる2007年、Perfumeは「チョコレイト・ディスコ」さらに「ポリリズム」を
たて続けに発表し、まさに”STAR TRAIN”に乗って、”レーザービーム”のような速さで
音楽シーンを駆け上がって行く。
知らない方がSiriに聞く前に、Perfumeについて少し補足をしますと・・・
2000年に、出身地・広島県で結成。でも、長く明かりが当たらない時間を過ごす中で、
解散も視野に入り、「これでもう終わりかも」と3人の女の子も思うギリギリの状況の中で
それまでライブで披露していた曲を収録した1枚のアルバムを、「Complete Best」と
タイトルをつけてリリースする。
その後、過去の曲や新曲が次々と評判を呼び、東京で花を開かせ、そして”JPN”から
”引力”に引っ張られるように世界へと飛び出していく。
・・・以上。そんな風に書いてありました!
女性誌「anan」の、『オンナの生き方は、いつも難しい。』特集の中にー。
代わりにボクは、次に夢中になれるような、まだ広く知られていないけど良い曲を持つ
「アイドル」を探すようになった。
そうなの、アタシはPerfumeをきっかけに、アイドルのライブを見に行くようになったの。
最初は多くて月1回ほどだった。それがいつしか、毎週末へと回数は増えていった。
1つの音源&曲との出会いが、アタシの生き方を180度変えた。
その後の、”STORY”までも・・・。
そして出発はそう、広島だったの。では”時の針”を進めましょう。タイムマシンに乗って-
Tumblr media
ではーー・・・、「広島」から”So long!”な旅の始まりです。まずはーーーーー!!
主人公が不在の、アタクシ命名の”センチメンタルトレイン”に乗って出かけましょう。
ちなみにこの電車は一般に、東海道・山陽新幹線「のぞみ」と呼ばれているそうですよ。
大きくとられた車窓、広島駅のホームの向こうには商業施設や宿泊施設が見えます。
まだ出発前の列車の中に、途中の停車駅を知らせるアナウンスの声が聞こえる。
東京までの道のりの中で停車する駅の数は、全部で7駅。
その各駅で、乗客が入れ替わるように、旅の途中には幾つかの転換点が待っている。
楽しいことや嬉しいこと、悲しいことや寂しいこと。あと、”涙サプライズ!”なこともー。
ライブにおけるovertureのように、 列車の出発を知らせる発車のベルが鳴ります。
旅の全行程は終点の東京まで、距離約900キロ。日数は、およそ2500日に及ぶ。
長い旅ですが、港区女子ではないので、座席はグリーンでなく自由席。
「席を譲らないと上に上がれないメンバーはAKBでは勝てないと思います。」という、
篠田麻里子さんの教えは忘れず扉が開くと同時にダッシュして窓側の席だけは確保。
そこで、3列シートの真ん中に人が座らないように、ヤンキー座りをして威嚇です。
でも、通路側には否が応にも人が座るので、トイレへ行くのは気を遣います。なので!
マジで今回は長いのでウィンドウを閉じるなら”チャンスの順番”は今。それとも皆さん・・・
ボクに「付き合ってみます?」(©南海キャンディーズ・山里亮太さん♡蒼井優さんの言葉)
〇2012年9月~2014年3月28日
列車が、ゆっくりと静かに動き始めます。広島駅のホームが、後ろへと流れていく。
ビジネスマンはパソコンを開き、観光客は駅弁を写真に撮ったりガイドに目を通す。
窓の外を眺めているのは、アタシか、Nintendo Switchを買って貰えない子どもくらい。
出発してすぐ右手にカープの本拠地「MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島」が見える。
そのグラウンドに2015年、人気選手と一緒に、広島の街の片隅でアイドルを始めた
8人の女の子が立つことを「2013年」の時点で想像できた人は、何人いただろうか?
ボクには、できなかった。なぜなら、想像力がないことに加えて、2013年はまだ���・・
彼女たちのことを知らなかったからー!
その女の子たちの名前は、「ひろしまMAPLE★S(ひろしまメイプルズ)」という。
Perfumeが誕生した広島県で、2013年に結成されたアイドルグループです。
列車が東京へ向かって走る線路は、次の岡山駅までの間、トンネルが多く続く・・・
そんな光が射さない道の様に、ひろしまMAPLE★Sの最初も手探り状態だったという。
2代目リーダーを務めた森脇紗香(もりわきさやか)さんによると、「初期は誰も知らない
冷たい目で、『え、何?このグループ?』みたいな感じで見られたのが初披露だった」。
そして、「怖かったよね~↑↑」とIKKOさんの語尾で、当時の状況を証言しています。
オリジナル曲はなく、AKB48の曲をカバーしていたのが・・・、ひろしまMAPLE★Sの
最初だった、らしいですよ。(←モヤモヤさまぁ~ずのナレーションを入れてみました)
さらに踊れる曲が少なく、同じ曲をステージで”ヘビーローテーション”していたらしいっす。
そんな「ひろしまMAPLE★S」は2012年12月、広島市内にあるカフェにライブハウスが
併設されたアイドル劇場「STUDIO MAPLE(スタジオメイプル)」で働く女の子たちに、
お客さんが投票をする総選挙が行われて、翌年の2013年1月に「初めてのメンバーが
決定し、結成された」と、またまた森脇紗香さんがソロDVDの中で言っていましたー。
最初のメンバーの数は、エケペディアを参考にしますと14人。涙を飲んだ女の子もいた。
その中には、後にグループのセンターを長くつとめる女の子もいた。
その女の子は、いつか教えてくれた。「私ね、最初の選抜で13番?14番?だったの」と。
・・・数が合わねーよ。
あとで”UZA”いほど出てきますが、先に紹介をしておきますと、その女の子の名前は、
「小泉明音(こいずみあかね)」さんという。元メンバーの江角佳奈(えすみかな)さんが
『あかりんさん』と呼んでいたので、叶姉妹がいうグッドルッキンでない上にGuyの方の
アタシも、アイドルの気分を味わうために、アメトーーク!「パクりたい-1グランプリ」の
ザキヤマさん&フジモンさんに習って、あかりんさんという呼び方をパクりたいと思います!
そんなあかりんさんに、ボクがまだ知らない頃のひろしまMAPLE★Sについて聞きますと
「ホンマ、なんも知らんね!」、と塩対応は返してきました!
アタシにだって・・・、プライドはある!”ゼロじゃねえマイナスから””のスタート舐めんな!”
と、YZERRさんの曲「Trophy」とでんぱ組.incをMash Upしたところで、ではーーー。
昔のことを教えてくれた神対応のメンバーやTwitterと呼ばれる文献に書かれた情報で、
アタシが知らない、ひろしまMAPLE★Sの空白を埋めていきましょう。
「AKB48さんのカバー」をやり「オリジナル曲とかゼロで、むしろこれからどうなるん?」と
森脇紗香さんが不安な気持ちのまま活動をはじめて2ヶ月が経った、2013年3月14日。
ひろしまMAPLE★Sに初めてオリジナル曲ができる。
曲名は、「SUNRIZE(サンライズ)」。
そのジャケットには、14人の女の子が写っているが、まだ、あかりんさんの姿はない。
当時のあかりんさんについて結成時からメンバーに選ばれ、現在はアイドルユニット、
Meteonomiconで活動する宙音美憂(そらねみゆう・ex矢野美優)さんに聞いてみた。
「あかりんね・・・。影が薄かった!あとね、少年のようだった!!(爆笑しながら)」。
そんな陰キャで少年のようだったあかりんさんは、広島の街に秋が訪れた2012年・・・
劇場型のカフェのアルバイトがあることを知り、「バイトをしながら歌とダンスを習える」と
下心いっぱいの動機で、「アイドルになろうなんて思っていなかった」のに10代半ばの頃、
アイドルのスタートラインに立った。
”0と1の間”である、アイドルとしていつ初ステージを踏んだのかは、小学校受験に落ちた
アタシの教養では知ることができませんでしたが・・・。
ひろしまMAPLE★Sが1stシングルを発売した2013年のホワイトデーの前日、
”計算する女の子”あかりんさんは、「広島から全国に通用するアイドルを目指す」という
グループのコンセプト以上の、世界とつながれるTwitterを開始しシーンに姿を見せた。
コメント数は、わずか9件の静かな始まりだった。
川端康成の小説「雪国」の書き出しは、有名な「トンネルを抜ければ雪国だった」と
ウィキペディア��読んでボクは知りましたが、それは日本の北側のお話・・・。
日本の西側では、列車が岡山駅を過ぎた後もトンネルが多く続く。
”だけど...”暗いトンネルも、いつかは抜ける。
その明かりを探して、ひろしまMAPLE★SのメンバーのTwitterを鬼の検索をしたところ、
初代リーダーをつとめた竹下真衣(たけしたまい)さんのTwitterに見つける事ができた。
広島の街に2013年、”10年桜”が咲こうとする頃、 最初の選抜に漏れたあかりんさんが、
ひろしまMAPLE★Sのライブの様子を撮影した写真に姿が見られるようになってくる。
そして夏が間近に迫る6月30日 、ひろしまMAPLE★Sがリリースした2ndシングル
「恋のセンセーション」のジャケットに写る10人のメンバーの中に、いつの間にか・・・
最前を陣取って、ミステリーな”ハイテンション”でポーズをキメるあかりんさんがいた。
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そう、あかりんさんはグループにとって2枚目のシングルで初めて選抜入りを果たし、
ひろしまMAPLE★Sのメンバーとなった。グループの出会いは、これだけではない。
キラキラとしたエレクトロの音色でイントロが始まるのが印象的な、このCDに収録された
曲を手掛けたのは、その後、彼女たちの曲をいくつも手掛けることとなる
広島を拠点にする楽曲制作ユニット、「Oscillophone」。
特攻服に刺繍された漢字か象形文字くらいに読み方が困難ですが、「オシロフォン」と
読みます。
結成から半年、徐々にだがひろしまMAPLE★Sの形が出来上がってきていた。
まさに、ひろしまMAPLE★Sに”アイドルの夜明け”が訪れようとしていたの。
同じ6月には、この先およそ6年に渡り、自撮りが苦手と”言い訳Maybe”し続ける
あかりんさんが、Twitterに初めて自撮り写真を投稿する。
そして、AKB48が「 恋するフォーチュンクッキー 」をリリースした2013年の夏の8月、
後にグループのセンターを担うあかりんさんは、”神様も知らない 先の展開”について
Twitterに、このような言葉を残した・・・。
「メイプルらしいなにかをもっと見つけていきたいと思いますʕ•̫͡•ʔ」。
広島の県の木に指定されているメイプルに、メイプルらしい美しい色がつくのは、秋・・・
1つの曲が完成する。
それは12月11日にリリースされる3rdシングルに収録される曲、「BRIGHT!!(ブライト)」。
英語で「輝く、光る」という意味を持つこの曲を持って12月13日、ひろしまMAPLE★Sは
ご当地アイドルのNo.1を決めるイベントへ出演するため、初めて東京の地を踏んだ。
その場所は、あのPerfumeも立った「原宿アストロホール」、にぃーーーーーー!
2013年、ひろしまMAPLE★S”参上!”。
惜しくもNo.1には手が届かなかったが、トンネルの中から光を掴むように歌った。
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「終わりのない夜なんてないよ いつの日か光り輝く」!!
そして10人で足を揃えて・・・、「ずっと走り続けてゆくよ たとえ遠く離れていても」、と。
同じ冬、ひろしまMAPLE★Sは初めて単独ライブを、広島で開催する。
それがボクが知らない、2013年のひろしまMAPLE★Sだ。
色んな変化があったことが分かる。でも、ずっと変わらないモノもある。
それは、アイドルになろうと思っていなかった女の子、あかりんさんがアイドルをしている
1つの理由。それは2013年最後の日に綴られている。
「みんながいるから私はがんばれる!みんながいるから私は笑顔でステージに
 立てています!」。
この言葉は、あかりんさんがその後もずっと言い続けていた言葉です。ではーーー!
うっかり間違って読んでしまった方が、グッタリしてきた頃だと思いますが・・・
「私のことは嫌いでも、ひろしまMAPLE★Sは嫌いにならないでください!」。
”次の足跡”へ、”スカート、ひらり”して見せパンをチラつかせながら進んでいきましょう。
〇ひろしまMAPLE★S:2014年3月29日~2016年1月2日
中国地方を抜け、いま列車は水原希子さんが育った街にある新神戸駅に到着した。
ここから次の新大阪駅までは、距離約40km。およそ15分で到着するくらい、近い・・・。
年が明けて、ひろしまMAPLE★S結成から1年が経った、2014年3月29日。
この月にレコーディングを行った新曲を持って、彼女たちは再び東京へ来た。
その場所は毎週、ラッパーがヤンチャなdisり合いをする「フリースタイルダンジョン」の
収録が行われている場所でもある、新木場 Studio Coast。
「アイドル甲子園」という名がついた約100組のアイドルが出演する大型のイベントで、
ひろしまMAPLE★Sには野外のステージが用意された。
当時、地方発のアイドルを進んで見ていたボクは、広島県のアイドルが出るという事で
そのステージを見ていた。
あかりんさんはこの前日、”心のプラカード”を掲げるようにTwitterに「少しでも印象に残る
パフォーマンスができたらいいなと思います」と、ピュアな気持ちを綴っていますが・・・
心が荒みきったアタシに、この日のひろしまMAPLE★Sの記憶はほとんどございません。
悪事を働いた政治家か朝食を何回も食べるおじいちゃんくらい、記憶にございません。
でも、それがボクとひろしまMAPLE★Sの最初だった。
正直言って、自分的に引っ掛かるモノが無かったのだと思います。でもね・・・。
あのPerfumeの時のように1つの曲との出会いで、道のその先は大きく変わる。
その後のひろしまMAPLE★Sは初めて名古屋へ行ったり、またあかりんさんは自身の
DVDの中で何度も、アメリカのギャングスタ・ラッパーのようにボースティングをする・・・
「水曜日のダウンタウン」が放送開始する以前のTBSの番組へ出演したりしていた。
そんなリアルに充実しだした活動の中で、前回の東京でのステージから4ヶ月が経った
夏の7月、ひろしまMAPLE★Sは再び東京へやって来る。
今度は、6月にリリースしたばかりの通算4枚目となるシングルの表題曲を持って!
場所は、東京の下町・浅草。舞台は、その街の中心にある「浅草六区ゆめまち劇場」。
東は宮城県から西は広島県まで、ご当地アイドル7組が出演するイベントだった。
時は、アイドルブームの真っ只中。モーニング娘。やAKB48、ももいろクローバーらが
起こしたアイドルの人気は全国に波及し、広島で爆誕したひろしまMAPLE★S同様に
全国各地で過去にない勢いでアイドルが次々誕生していた。
実際、その日も暑い陽射しが朝から降り注ぐ浅草の街に、熱中症よりもアイドルに熱を
上げる人たちが、地方を拠点に活動するアイドルを見ようと開場前から行列を作った。
その内の何人が、ひろしまMAPLE★Sを知り、興味をもって集まったかは分からない。
少なくとも、アタシは公開される前の「翔んで埼玉」くらい注目をしていなかったの。
でもそれは、ライブが始まる前までのお話。
ひろしまMAPLE★Sの出演はイベント中盤だったと小動物より小さい脳で記憶している。
アイドルがシーンにバブルのように現れた時期。ルックスや音楽性、ステージングなど
個性的かつハイレベルなアイドルが多く存在していた。
その中の1組だった、ひろしまMAPLE★S。ボクが思う、彼女たちの最大の魅力・・・、
それは第一に「曲」だと思う。
このステージで、ひろしまMAPLE★Sが1曲目に選んだのは・・・
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「Boom! Boom! Miracle Emotion(ブン・ブン・ミラクル・エモーション)」!
エレクトロハウス調のキラキラとした可愛い曲と、10人という大所帯で描くダンスは、
KPPの曲ばりに、最&高だった!ただし、一つ気になることが。それはーーーーー!!
当時は、まだアイドルは黒髪がスタンダードだったと思いますが・・・
金髪に茶髪、カラコン、さらに茶髪にパーマをカブせるなど、バーレスクTOKYOか
”ハロウィン・ナイト”の気合いの入ったギャルくらい、メンバーがギラついていたわー。
当時のひろしまMAPLE★Sの持ち曲は、9曲。でも、このイベントは持ち時間が少なく
披露できたのは、オリジナル曲2曲に課題曲1曲だったと思います。
その中で選んだ1曲の新曲、この偶然とタイミングがその後、ひろしまMAPLE★Sの
軌跡をアタシが追い続ける、彼女たちにとっては黒歴史の始まりとなった。
そのライブの様子は、あかりんさんがBlogに載せています・・・
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縦に超絶長い画像でー! 写真を編集をする気ゼロ。写真の半分以上が、真っ黒!
・・・「地獄か!」(←千鳥のノブさん)
2014年は音楽認識アプリ・Shazamがまだ無い時代です。そのため終演後に行われた
物販で、運営の方に「きょう最初にやった曲はどれですか?」と知っている限りの敬語で
聞き、長テーブルに並ぶ4枚のCDから1枚だけを、まだ正気を保てていたから購入した。
当時、ひろしまMAPLE★Sはグッズを買うと無料のサイン券がもらえた。
でもね、その券を使ってメンバーと交流をもつことはしなかった。なぜなら・・・。
長テーブルの後ろで、バーレスクTOKYOみたいなひろしまMAPLE★Sの10人は、
メンバー同士のお喋りに夢中だったから!
アタシに、女子の輪に割って入る鋼のメンタルなどない!泣きながら無言の帰宅です。
でもね、購入したCDは家で何度も繰り返し聞き、そしてネットを検索して存在を知った
YouTubeで公開されていた、まだ再生回数の少ないミュージックビデオを繰り返し見た。
気が付くと、いつかのPerfumeの時と同じ、狂気のノイローゼ状態を患っていた。
そしてもう一度、ひろしまMAPLE★Sのライブを観たいと思う禁断症状を発症する
お薬の時間が必要な状態にまでなっていた。・・・テヘペロ!(^o^)ノ
広島を拠点とするひろしまMAPLE★Sが、次に東京へライブに来るのは1ヶ月後。
だから次に見たのは8月、場所は新宿ReNY。世の中的には夏休みですが、それは
子どもに与えられた特権。その日は平日であり、会場のフロアはスペースが目立った。
この前の浅草は会場に多くの人がいたから分からなかったが、ひろしまMAPLE★Sは
まだ東京にファンの方が多くはなかった。それでも、彼女たちのライブは楽しかった。
霊に憑かれたように何度も聞いた曲、「Boom! Boom! Miracle Emotion」を見るために
ライブへ行ったようなものだったけど、正気を奇跡的に取り戻して見る彼女たちの
ステージは、キラキラとした曲を軸にしたセットリストで、どの曲も自分の好みに合った。
では、メンズに生まれたからには、勇気を出さなければいけない時がある。
アタシー・・・、特典会に着弾!!
窓が広くとられた陽の光が射すロビーで行われていたひろしまMAPLE★Sの特典会は、
およそ半数のメンバーに4~5人が並び、残り半数は暇を持て余している程度だった。
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「CDきいてね」
初めて話したあかりんさん(※左上)は、アタシにCDは、BOOK OFFに売ったり、
ベランダの鳥避けに使ったりするモノではなく、聞くモノだと最初に教えてくれました。
ここまであかりんさんを中心に話を進めてきましたが、実は当時、ボクは何となくですが
「センターの女の子を推すことはないだろう」と思っていた。
それはアングラ嗜好、思春期の反抗心、もしくはゆるふわギャングがしてきた反発心で。
でも結局、この日から約4年半の時間をボクはあかりんさんを見続けることになるので・・・
あーる!!(CM「UR都市機構」の吉岡里帆さんのパクりました。)
魅力的で個性的なアイドルが次々とシーンに現れたアイドルブームの中で、ボクが
結果的に、ひろしまMAPLE★Sが東京に来るたびに見に行った理由・・・。
それは第一に、好みであるアイドルが歌うクラブミュージックを軸にしていたからです。
そして、そんな曲をノンストップ で見せるライブスタイルや、ボクが出会った時にあった
オリジナル曲9曲を毎回違うセットリストで見せるのは、今日はどんな”only today”な
セットリストなんだろうというワクワク感があった。
あと鍵っ子だったから大勢が好き、さらにブスなアタシに反比例する可愛い女の子が
いっぱいいて、そのメンバーが総じて性格がアッパーだった、などが挙げられます!
でも、さまざまなアイドルが集まる東京に於いて、ひろしまMAPLE★Sのファンは
なかなか目に見えて増えていかなかった。それでも、あかりんさんがいつも言う
「どれも良い曲」を持って、彼女たちは月1度ほどの東京のステージに立ち続けていた。
アイドルになり、ステージに立って歌っていることが純粋に楽しいように、笑顔で・・・。
そんなひろしまMAPLE★Sが、ボクはずっと続いていって欲しいと思って見ていた。
だけど、今より上へは行けるとも思っていた。その、きっと変わっていくであろう
ライブの景色を見たいと、ボクは思っていた。
中国地方を抜け新神戸駅を発車した列車の車窓の景色は、新大阪駅が近付くにつれて
田園の風景から、近代的な都市へと見えるモノが変化していく。
その景色の移ろいのように、ひろしまMAPLE★Sにも1つの変化がもたらされる。
それは秋が近づく8月24日に披露された、ひろしまMAPLE★Sにとって10曲目の新曲。
その曲は牧歌的なメロディのイントロで始まり、その後はフューチャーポップ・テイストの
曲調へと展開していく。
曲名は、「RPM(アールピーエム)」。
この曲について、宙音美憂さんはBlogでこのように書いている・・・。「新曲のRPMは、
BRIGHT!!と繋がってるんだよ!去年の今頃のBRIGHT!!で走り続けるって言ってて、
それから走り続けてきて今ここまで来たよ!これからも走り続けるよ!」。
そう、歌詞には広島というシーンの中心地から遠く離れた場所から、東京そして全国を
目指す彼女たち自身を投影した前向きな言葉が綴られている。
さらにミュージックビデオは・・・
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ダンスシーンを撮影した広島市内にある「広島市現代美術館」をはじめ・・・
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「私が歩いた場所、行って!」 とあかりんさんにオススメされた、元メンバーの
景山渚紗(かげやまなぎさ)さんと映画「転校生」ばりにゴッツンコする本通り商店街、
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宙音美憂さんと元メンバーの佐伯未来(さえきみく)さんがダッシュさせられる袋町公園、
他にも市内の”青空カフェ”や街を走る路面電車のホームなど、ひろしまMAPLE★Sが
誕生した地元・広島の街を舞台に撮影された、ストーリー仕立ての内容となっている。
誰もが知っている、世界遺産の宮島や歴史的建築物の広島城などの名所は、
ひろしまMAPLE★SがNHKではないため撮影許可がおりなかったのか使っていない。
後のユニット・MAPLEZ(メイプルズ)の最後のメンバーで、現在はアイドルユニット、
NEMURIORCAで活動をするアイリ(ex愛梨)さんは、グループを代表する曲となる
「RPM」の印象について、こう話してくれた。
「(ライブの)最後にやる曲っていう感じ!」。
この薄い感想をもらうために、いきなりステーキでお食事ができるくらいの値段の
チェキ券を買ったのはーーー、どこのどいつだい?それ・・・、アタシだよっ!
そしてこの曲を皮切りに、ひろしまMAPLE★Sはこれまでのキラキラとした曲調に加えて
ヘヴィーなロック曲、アシッドなクラブミュージックにアプローチした新曲を発表。
音楽の幅を一気に広げる。
少し涼しくなった空に”ひこうき雲”がかかる秋、ひろしまMAPLE★S はこれらの曲を
収録したシングルの、アタシにとって初めてのリリースイベントへ突入する。
その先にあるのは、この年の暮れにワンマンライブを行うことを発表した、
収容人数最大で800人を誇る、地元・広島にある「広島CLUB QUATTRO」。
各地で行う無料でライブを見ることができるリリースイベントは、その集客に繋がる、
新たに”チーム”ひろしまMAPLE★S”推し”になってくれる人と出会える可能性がある。
でもリリースイベントの中には10人のメンバーに対し、見に来た人がライザップか
とんこつラーメン屋「一蘭」よろしく個別な、10人ほどしかいない時もあった。
人が少ない余波は、元メンバーの雛里もなか(ひなさともなか)さんから、
「親衛隊ポイント、ゼロ!」とバカにされた、ひろしまMAPLE★Sの本拠地である
「STUDIO MAPLE」に行くと貰える、ファンの証を全く持っていなかった、手ぶらの
最弱生物、アタシにもくる。
ファンの方が少なかったのに同じ会場で3回もライブがあるイベントだったため、
あかりんさんより「 次も来てっ。お願い!」と” 永遠プレッシャー”をかけられた結果、
アタスィー、同じCDを買うためにお仕事を欠勤させて、いただき「まゆゆ」。
アイドルに詳しくなかったあかりんさんが、STUDIO MAPLEに入った頃に勉強したのが
「AKB48」。
CDの売り方のハウトゥーまで、AKB48から学んでいたようです。・・・偉いですねっ!!
季節は冬に向かっていた。それは年末に用意されている、ひろしまMAPLE★Sにとって
1つの目標だった「広島CLUB QUATTRO」でのワンマン���イブへのカウントダウン。
ひろしまMAPLE★Sは全国に通用するユニットを目指し、広島弁を禁止していたが、
元メンバーの川原亜美(かわはらあみ)さんはバリバリの広島弁で言っていた・・・
「絶対、成功させたいけん」!
だから、冷たい風が吹く屋外でのイベントにも、写真の撮影を解禁し、いつもの姿で
ステージに立った。
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ご紹介が遅れましたが、”Everyday、カチューシャ”でも”ポニーテールとシュシュ”でもなく
センターでキティちゃんのような赤いリボンをつけて親に叱られる人に指をさしているのが
あかりんさんです!!
キャー、かわいいー!ちなみに身長は、橋本環奈ちゃんと同じ152センチです。
そして誰1人としてアタシのカメラに見向きもしない、ひろしまMAPLE★Sの皆さんDeath.
あの「奇跡の一枚」と大違いね。オワッテルーー! \(^o^)/
話は少し脱線しますが、この頃、1人のメンバーに一度、「私にだけに来てください」と
特典会で言われたことがある。アタシのような生態系のドン底にいるファンには
橋本環奈さんより、こっちの方が奇跡。こういう楽しい出来事は、学校に1人はいる
チクリ魔ことアタシは、あかりんさんに報告です。あかりんさんは言っていた・・・
「別に気にせんでエエよ。自分が行きたい子のところに、行けば良いんよ」って。
それまでボクが見てきたアイドルは、当たり前ですが、自分のことをまず第一に
応援して欲しい、その上で他の子に行くのはあり・・・。そのように考える女の子が
多かったように思う。でも、あかりんさんの考えはちょっとだけど違った。
それが、ボクにはオモシロかった。
とりあえず特典会に参加するなら毎回一度は、あかりんさんと話をしてみようと決めた。
結果的にこれ以降、長くあかりんさんを見ることになるのですが、小さな事だったけど
これがボクがあかりんさんの軌跡を見続ける、そしてアイドルのファンになって初めて
グループのセンターを”推す”キッカケだったかもしれないと思っている。
そんなボクに”メイプルのお母さん”ともいわれた元メンバーの森遥香(もりはるか)さんは
「あかりんの髪の毛に触ったら、バイバイだからね」と、アタシをヤバイやつ認定で
教育的指導をしてくれたぜッ。
そんな2014年が過ぎようとする12月27日、ひろしまMAPLE★Sは地元・広島にある、
ライブハウス「広島CLUB QUATTRO」で、1st ワンマンライブを開催した。
後にDVD化もされた映像には、広島の街の風景と共にアイドルシーンの中心地である
東京から遠く離れた街で、上を目指すメンバーそしていつしか増えていたオリジナル曲
15曲をやりきるひろしまMAPLE★S、更に多くいたアンダーメンバーの姿が映っている。
ライブは、ひろしまMAPLE★Sの代名詞的な曲となり、その後、数々の重要なライブで
最後を飾る曲となる、「RPM」で〆られている。そして、形ができつつある2014年から
変化に富む2015年へ、ひろしまMAPLE★Sは向かって行く。
そんな出会ったこの年に撮った1枚のチェキが、手元にある。
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「これからもひろしまMAPLE★Sを\\よろしくおねがいします//」
あかりんさんは礼儀正しいですが、アタシのInstagramの「#顔をさらすのNGかよ」に、
いいね!が結構つきそうな、前衛的な写り方ですね。
広島駅を出発して約1時間半、列車は日本三大都市の1つに数えられる大阪市に建つ
新大阪駅へ着く。新大阪の駅からは、観光に適した場所を見つけることはできない。
しかし旅行者は、この駅から出発する電車に乗って人が集まる繁華街へ向かっていく。
そして、東京へ向かう列車も、ここから次の京都駅の間にトンネルなどはない。
ずっと明かりが、その真っ直ぐ伸びた道を照らし続ける。
2015年になり、結成から2年が経過した、ひろしまMAPLE★S。
彼女たちのオリジナル曲は、好みが異なる多くの人にひろしまMAPLE★Sを届けられる
可能性をもった、アプローチした音楽ジャンルを広げた12曲に増えていた。
それら多彩な輝きを放つ曲を”選んで”、毎回違う見え方をする”レインボー”を描くように
毎回セットリストを変化させて、ノンストップで見せるライブ・スタイルを続けてきた中で、
イントロから盛り上がる曲を重ねて最後はひろしまMAPLE★Sを代表曲「RPM」で〆る、
そんなライブが鉄板で盛り上がるキラーなセットリストもできた。
あかりんさんが言う、「どれも良い曲」をノンストップで繋ぐ曲間は、今でも珍しいくらい
短かったと思う。
年が変わった2015年の2月、1通の手紙がボクの自宅に届く。
それは、クラスのヤバい男子から回って来た不幸の手紙ではない。
シングル「RPM」をアコムで金を借りるなどして、ある枚数を買った方に送られる手紙。
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書いてくれたのは、あかりんさん。 その手紙には、こう書かれていた・・・。
「もっと上にいきたい」。
そして、「きっとカンタンじゃないけどみんなで力を合わせてがんばるのでこれからも
応援よろしくおねがいします!!」と、句読点なしで書いてありましたー。
あとアタシが、「東京のLIVE”は”たくさんきてくれて」とイラないディスりも入っていたよ。
では”飛べないアゲハチョウ”から変態、そして”少女たちよ”、上へ舞い上がっていこう。
街に”桜の花びらたち”が舞う2015年春、ひろしまMAPLE★Sはファンの方を増やす為に 
初めてのツアー「ENDEAVORRR(エンデバー)」へ旅立つ。
それは住みなれた我が家がある地球を離れ、宇宙へと旅立ったスペースシャトル、
エンデバー号の様に福岡・神戸・名古屋・東京・大阪を巡り、地元・広島に帰って来る・・・
総移動距離、秋葉原と東京ドームの間”1830m”のおよそ千倍、約1500キロに渡る長旅。
会場もまたキャパシティ250人の福岡・INSAを皮切りに、最後はキャパシティ800人の
広島CLUB QUATTROへ、末広がりに続いていく。
ひろしまMAPLE★Sは、新たな挑戦をする際に、いつも新たな武器を持って行く。
この初めてのツアーに用意されていたのは、あかりんさんが長く歌っていくことになる
曲の1つ、エレクトロニカの美しいメロディの、「季節はサチュレイトーン」。
サビでは、ステージのメンバーとフロアのファンの方が一緒にライブを楽しむように
シンクロして、ジャンプをしながらクラップをする楽しみ方が後にできる曲です。
大きな事務所ではない、地方で誕生したアイドルによるドでかい一歩となるツアー・・・
しかしアタシレベルの痛いファンになりますとですよ、行ったのは1ヶ所。
しかもーー、屋根を植物で覆い、壁は泥で造られた自宅から行ける範囲の、東京。
結成から2回目となるアイドルシーンの中心地、東京でのワンマンライブ。
その会場は収容人数350人の新宿Ruido K4。チケットはソールドアウトにならなかったが
多くの人が会場に訪れた。そしてそのファイナルを飾るのは、期間わずか半年で
2回目となる、広島CLUB QUATTROでのワンマンライブ。
そこでは、ひろしまMAPLE★Sで唯一のソロ曲、あかりんさんの「Echoes(エコーズ)」が
初披露。さらに、年をまたいだ1月2日に収容人数最大で1000人を超える、
東京・赤坂にあるライブハウス「赤坂BLITZ」でのワンマンライブが発表された。
新大阪駅を出てしばらく経った列車の車窓に、空へ高く伸びる建造物が見えてくる。
その正体、国宝に指定された東寺の五重塔は京都駅の到着が近いことを教えてくれる。
日本の古都に建てられた、京都駅。その街は古き良き日本の街並みが今も残る一方で
昨今の外国人観光客の増加などの影響で、新しい施設やカフェなども見られる。
そんな街のように、ひろしまMAPLE★Sのメンバーも、変化を迎えようとしていた。
実は初めてのツアー「ENDEAVORRR」の前、ひろしまMAPLE★S結成時のメンバーで、
2代目リーダーを務めていた森脇紗香さんが、翌年1月でグループを卒業することが
発表されていた。理由は、体調不良とされていた。
デーブ・スペクターさん並の金髪&カラコンというキャラ立ちした女の子だったけど・・・
一方で、リーダーとしてグループの輪やダンス、立ち位置などに目を凝らす、
本当にグループのまとめ役だったと思う。そして、あかりんさんとも仲が良かった。
だが卒業の翌年1月を前に、ツアーの終わり頃からライブを休むことが増えてきていた。
これは”大声ダイヤモンド”で叫びたくなる、「ピーンチ!」(©バカリズム単独ライブ名より)
リーダーが不在、それでも、9人のひろしまMAPLE★Sは進むことを止めなかった。
なぜなら、もっと上に行きたいから。止まることはできなかった。
そんな春が終わろうとする5月25日、ひろしまMAPLE★Sはそれまでの”神曲たち”を
1枚に集めた初のアルバム「ENDEAVORRR(エンデバー)」をリリースする。
そこには、彼女たちらしいクラブミュージックをベースにしたキラキラした曲をはじめ、
結成初期に発表したポップス、そして結成2年目に発表したロックやファンクなどの
新たな方向性を示した”NEW SHIP”な曲まで、13曲を収録した。
”365日の紙飛行機”が2回も飛行する時間を費やして増やしていったオリジナル曲。
それらの曲を収めたアルバムに加えて、ひろしまMAPLE★Sならではのノンストップで
行うライブの様子はYouTubeにいくつも上がっており、誰でもどこにいても身近に
彼女たちの魅力を”遠距離ポスター”のように見て、知るこ���ができた。
インディーズのアイドルが曲を広めるのは、SASUKEを完全攻略するくらい難しい・・・
だけど、ライブ・音源・YouTubeを含む映像の3つがあった事で、ひろしまMAPLE★Sの
”自分らしさ”は、環境が異なる多くの人に届けることができたとボクは思っている。
ひろしまMAPLE★Sと出会ってちょうど2年目の夏、ボクは初めて彼女たちの地元、
広島へ行く。
後押ししたのは、休みが続いていた2代目リーダーの森脇紗香さんが、Twitterの更新も
ついに途絶えたためだった。メンバーはいなくならない、いつかは復帰する・・・
そう朋ちゃんくらい「I BELIEVE」して、見られる可能性が高いとしたら地元であろうと、
初めて新幹線「のぞみ」に乗った。
広島で”会いたかった”、だけどステージに2代目リーダーの姿はなかった。そして・・・
この日から約1ヶ月後の8月、卒業予定だった2016年1月を待たずに森脇紗香さんは
卒業公演も行わずに、ひとりグループを後にする。
でも、広島に行ったことで初めて訪れることができた、ひろしまMAPLE★Sの拠点である
劇場「STUDIO MAPLE」には、そんな「火垂るの墓」くらい泣ける話を聞いて笑っている
ひろしまMAPLE★Sのメンバーがいた。
劇場の人気メニューである、美ら海水族館に入れる位の金額のおにぎりを握りながら。
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実は森脇紗香さんが卒業する前に、ボクが話をした時に言われた1つの言葉がある。
それは・・・、「MAPLE★Sを広めてください。宣��してください。」
”僕にできること”・・・。それは、うっかり始めてしまった、このBlogを書き続けること。
グループに何のプラスにもなっていない!ヲルタナティヴの神谷さくらさんにしか、
チラッと見たとしたと言われたことがありませんけどー。
それでもこれが、ボクが”High school days”の乙女のようにBlogを書き続けた理由の
1つである。
東京へ向かって走る列車のスピードは、速い。でも、ひろしまMAPLE★Sはそんなに
速く走ることはできない、県内を走る路面電車のように自分たちなりのペースで、
一歩ずつでこぼこ道を前に進んできた。
でもそうしたら、2015年の夏に辿り着けた、大きなアイドルフェスの舞台に!
それは、3大アイドルフェスの1つに数えられる、「@JAM EXPO2015」。
8月29日、その日の空は、朝からどんより曇った小雨がパラつく雨模様だった。
でも会場は屋根がある、横浜アリーナ。
ひろしまMAPLE★Sのステージは、午前11時と午後2時半の2回。
結成から2年半が経過していたが、まだアイドル・フェスは”Beginner”の部類。
少しずつ知名度は上がってきているとボクは思っていたけど、全国各地から
およそ80組にのぼるアイドルが集結する中で、どのくらいの人が、そのステージに
注目しているかは未知数。
ボクが会場に着いたのは、ステージ幕開けの少し前だったと思う。
ひろしまMAPLE★Sに用意された場所は、通路に設置された低いステージ。
フロアも通路の一角をロープ・パーテーションで仕切っただけの、狭いスペースだった。
・・・SHOCK!!(注:堂本光一さん主演のミュージカルのことではありません。)
でもライブが始まる、午前11時。ひろしまMAPLE★Sのステージを見ようと、フロアには
ロープ・パーテーションから溢れるほどの人がステージ前に集まった。
ライブの前から人が密集し、汗が”ジワるDAYS”!
このステージの前に、あかりんさんにボクが聞いた、1つのことがあった。
それは、2年半の活動をつづけ、オリジナル曲が増え、キラーなセットリストもできた
ひろしまMAPLE★Sに於いて、センターさらにメインボーカルを担当するあかりんさんが
一番自分たちの魅力を出せると思うセットリストは、何なのか?
あかりんさんが答えてくれたセットリストは、この大きなステージ、@JAM EXPO2015で
再現される。
持ち時間は15分、披露したのは4曲!その幕開けは、壁を壊そう!という強い思いが
テーマとなっているイントロから盛り上がるロック曲「BLAST×BLAST(ブラストブラスト)」.
あかりんさんは、間の曲は何でも良いと言っていた。ちなみにこのステージでは、
2曲目にバロック調の「乙女達のアンビシャス」、そして3曲目にエレクトロニカの
「季節はサチュレイトーン」を挟んだ。
迎えたラスト、あかりんさんが思うセットリストのベストなシメは、彼女たちを代表する曲
「RPM」で、”Party is over”!これが、あかりんさんのベストなセットリストだった。
続く午後2時半、1回目と同じく低いステージと小さなフロアだったけど、こちらにも
”Choose me!”という呼び掛けに集まるように多くの人が集結。
2回目のステージでは、ライブで鉄板で盛り上がるクラブミュージックをベースにした
イントロから盛り上がる曲を、ピコ太郎のペンとパイナップルくらいノンストップで繋ぐ
セットリストを披露した。
@JAM EXPO2015のライブは、ボクが見たひろしまMAPLE★Sの対バン・アクトの中で
好きになるキッカケとなったライブと並ぶ、トップの記憶に残る”真夏のSounds good!”な
ステージです。
ひろしまMAPLE★Sが活動を続ける時間に正比例するように、彼女たちを取り巻く状況も
少しずつですが変わり始めていた時期だったと思う。
そんな中で季節も変わり、秋が訪れた9月。
ひろしまMAPLE★Sは、2度目のツアー「P(L/R)AYERS(プレイヤーズ)」へと旅立つ。
その場所は、東京・福岡・仙台・新潟・横浜・名古屋・大阪・広島・神戸・埼玉・札幌を
巡り、そしてファイナルステージの東京へ戻ってくる、1stツアーよりも・・・
訪れる街の数は2倍、初めて北へも訪れる総移動距離およそ5000kmのロングコース。
さらに期間も、2015年9月から年をまたいだ2016年1月2日に渡る長期スケジュール。
会場も、後に何度も使う、メインフロアの収容人数が最大で500人の東京・渋谷にある
「SOUND MUSEUM VISION」を”初日”に設定。
そしてゴールは、最大で約1200人以上を受け入れる東京・赤坂にあるライブハウス
「赤坂BLITZ」に決めた。それは、ひろしまMAPLE★S史上最大の挑戦だった!
ツアーで訪れる各会場の規模も、その大半がスケールアップ。
訪れた場所によっては、集まる人の数が少ないこともあり、あかりんさんは後に
「行きたくない」と駄々をこねていたが・・・
天野名雪(あまのなゆき)さんは、音楽雑誌「marquee」の取材を受けた際に、
「初めて行った所は、お客さんが少ないだろうと思っていた。でも想像より来てくれた」、
また各会場で「お客さんが増えている」と、ステージ上からの実感を話している。
”風は吹いている”、 マイペースだけど一歩ずつ進んでいけば、ひろしまMAPLE★Sが
いつか”47の素敵な街へ”行き、その街で多くの人が集まるライブができる・・・
アタシは、そんな夢見るオトメのような”希望的リフレイン”を描いていたの。
元メンバーの丸本遼(まるもとはるか)さんも、関東に帰ってきた時に言っていた、
「来年はせめる!」。
2015年が過ぎ、訪れた2016年。街がまだ眠りの中にいる1月2日土曜日、赤坂。
時間は、「名探偵コナン」が謎解きをはじめる午後6時。ひろしまMAPLE★Sは、
グループ史上最大となるワンマンライブの舞台、「赤坂BLITZ」に立った。
3年前にゼロから始まったオリジナル曲は、活動を続ける時間に正比例するように
数を増やし、23曲にまでなっていた。
赤坂BLITZのステージでは、ライブの前半に初期に発表したアイドルらしいポップスを、
そして後半は、ひろしまMAPLE★Sらしいクラブミュージックをベースにした、
盛り上がる曲をノンストップで披露し、そして最後はひろしまMAPLE★Sを代表する曲
「RPM」で〆た。
あかりんさんは、この大舞台に「不安があった」とTwitterに書いていたが、会場は
満員にこそならなかったが、ひろしまMAPLE★Sが”ここにいたこと”を見届けようと
ボクが知る限り北海道から九州まで全国からファンの方が集まっていた。
その場所に集まった多くの人が思ったことは、たぶん共通していたと思います・・・。
ひろしまMAPLE★Sならもっと上へ行ける、そして「どこまでだって連れて行ってくれる」。
そんな、”君のことが好きだから”と集まった人たちに見守られる中で、彼女たちは
大きな発表をする。それは、例えるならば”Reborn”。
グループ名を、始まりの場所である広島の名を降ろし、「MAPLEZ(メイプルズ)」へと
改めることを最後に発表した。
〇MAPLEZ:2016年1月3日~2017年3月26日
2016年、ひろしまMAPLE★Sから「MAPLEZ」となり始まる、新しい旅。
ではアタクシも列車を乗り代えましょう。今度はー!!”恋のブギ・ウギ・トレイン”だぜ。
もちろんこの列車も一般には、東海道・山陽新幹線「のぞみ」と呼ばれております。
向かう先は変わらず東京。ホームには立ち食い蕎麦ではなく、きしめんの店が見える。
走る度に車窓から見える景色が変化する様に、ひろしまMAPLE★SもMAPLEZへ変化、
そして、あかりんさんも移動の時などにAKB48からE-girlsをよく聴くようになっていた。
それは四角形の辺の長さを答える算数の問題で、問題文に直線EGと出ただけで
「E-girls!!」と大声を出すくらい病的に。この事をきっかけに、E-girlsの4枚目の
アルバムのタイトルは、「E.G. CRAZY」に決まったそうですよ。(2ちゃんねる情報)
中国地方から関西を走ってきた列車が、東海地方最大のターミナル・名古屋駅に到着し
列車から多くの人が降りるように、MAPLEZのメンバーは8人となった。
一方で新たに乗車する人がいる様にグループは初めて2人のサポートメンバーを迎える.
その1人、中村美音(なかむらみおん)さんはPerfumeやBABYMETALのSU-METALが
通った、アクターズスクール広島の出身だ。だからどうした、と言われれば・・・、
返す言葉は一言もございません!!
とにかく、そんな新たな顔ぶれも乗せてMAPLEZは、冬へと走り出すお!(でんぱ組.inc)
ではー、心躍ることぜんぶ大好きな方は”Follow Me”。アーンド、”READY GO”です!
ひろしまMAPLE★SがMAPLEZとなり、いつものライブ活動と並行して始めた試み、
それは自らの主催によるライブ、「MAPLEZ CHALLENGE!!」。
あかりんさんと仲良しの山塚はるの(やまつかはるの)さんやモリワキユイさんらがいる
山口の山口活性学園(現:Yamakatsu)、大きなライブの前などにメンバー同士が
エールを送り合っていた東��のアイドルカレッジ、など共に上を目指して活動してきた
全国各地のアイドルと2組で行う対バン形式のライブ。
そんな活動の中で、春が間近に迫る3月20日。MAPLEZは、1つの曲を初披露する。
それは攻撃的なバキバキのエレクトロサウンドに、超重低音のドラムが合わさる曲。
タイトルは、「始発列車はまだ来ない」。
ひろしまMAPLE★Sを代表する曲が「RPM」なら、こちらはMAPLEZを代表する曲。
ミュージックビデオがないため曲をお聞かせできないが、この曲について宙音美憂さんは
「仮歌の段階から一番ヤバい曲だった!」と、クロちゃんの音程で教えてくれたしん!
作詞・作曲・編曲は、ひろしまMAPLE★Sの時から変わらずOscillophoneが担当。
そして振付けは、広島県在住のコレオグラファー・MIKKA(ミッカ)さんが手がけた
メルボルンシャッフルをベースにした、EXILEばりに激しく踊るダンスが付けられた。
MAPLEZに、Rising Sunが始まったかのように早々に射す明かり。
そしてこの曲をもって太陽が真上から照りつける初めての夏に、MAPLEZは”出航さ!”!
その幕開けは6月、東京。場所はAKB48が拠点とする秋葉原、この街にあるスペース、
「秋葉原カルチャーズ劇場」。上の階にはハロー!プロジェクトの元総合プロデューサー、
つんく♂さんが手がけるカフェがあって・・・。さらにこの日、MAPLEZが立つステージには
秋葉原を拠点とするアイドルグループ・でんぱ組.incがいるという、ゴチャついた状況。
そんなでんぱ組.incが見守る中で、MAPLEZは新曲「始発列車はまだ来ない」を含む
5曲をノンストップで繋いだライブを、ステージで披露した。
そのパフォーマンスを、元でんぱ組.incの夢眠ねむさんは、このように評価した・・・
「MAPLEZさん、バッキバキ!」。それが、この頃のMAPLEZだった。
ひろしまMAPLE★SからMAPLEZへ続く道の中で”One Two Three”と数を増やして、
24曲になったオリジナル曲のバリエーションは、まさしく”COLORFUL POP”。
そして活動に比例する様にセットリストのパターン、またファンの方の数も増えていった。
あかりんさんは休日にカラオケへ行き、「おどるポンポコリン」を振りコピで歌っていたが、
3年間、歌って踊り続けた結果、彼女たちの知名度や存在は、デビューの時とは
比べものにならないくらい広く知られるようになっていたと思う。
そんな、活動を始めて4回目の夏だった。
学校の花壇に”ヒマワリ”が咲き、”Mr. Snowman”も溶ける本格的な夏が訪れた7月2日。
MAPLEZは、新幹線「のぞみ」が名古屋駅から向かう、横浜へと降り立った。
向かう場所はE-girlsが所属するプロダクション「LDH」のある中目黒からは、電車1本で
行ける、みなとみらい21地区にある赤レンガパーク。
開催されていたのは3大アイドルフェスの1つに数えられる、「アイドル横丁夏まつり!!」。
海に面した屋外の会場。そこに設営されたステージは・・・、パスポートを持っていない
アタシは見たことがありませんが、分かりやすく言うならば、”自由の女神”レベルに
高く、そして大きい。
一方の入場料が、ディズニーのスターライトパスポートに張る金額を払って見に来た
お客さんのエリアはといいますと、 デコボコした堅い土とその上にハゲかけた芝生・・・
アイドルとそのファンが立つ場所の差が、”北風と太陽”くらい違った。
だが、ロケーションは抜群。上空には雲がほとんどかからない青空が広がり、そこから
降りそそぐ夏の暑い陽射し、ステージの上からは遠くまで広がる濃い青の海も見える。
その場所に、MAPLEZとして初めてフェスの舞台に出演する彼女たちを見るために、
幾重にも人の層が作られるほど、観覧エリアには多くの人が集まった。
その楽しい輪の中に入れないアタクシは、集まった人の一番後ろにポツンとスタンバイ。
それは、いつかのPerfumeのライブを見た時とダブる。
スカスカだったフロアも見てきた、フェスへ出演したがステージが小さな時もあった・・・
でも一歩ずつ着実に歩みを進めて、彼女たちは3年の時間をかけ、大きなステージと
そのパフォーマンスを見るために多くの人が集まる景色にまで、辿り着くことができた。
ボクは時々、彼女たちのライブをファンの方の一番後ろで見ることがある。
それはステージはもちろんのこと、フロアの様子も見たいから。多くの人が彼女たちの
ライブを見て、”CANDY SMILE”を浮かべ楽しそうにしている光景を見たかったからだ。
MAPLEZとして初めて立った、フェスの大きなステージ。でもパフォーマンスはいつもと
変わらない。変わっていたのは、彼女たちに期待する人たちでいっぱいの観覧エリア。
あとあかりんさんの髪型が1日目がハーフツイン、2日目がポニーテールだったこと。
見た目も含めて、彼女たち自身も、今の状況を大きく変えようとしていたように思う。
このステージは、後にMAPLEZに加入することになる、中野なこ(なかのなこ)さんが、
違法アップロードされた「YouTubeで見て、本当に凄かった!」と堂々と言っていました。
・・・\おーまわりさーーん/。でもねーーーーー!!
MAPLEZにとって初めての夏には、さらに”Love, Dream & Happiness”が詰まった、
”うれしい!たのしい!大好き!”なステージが待っているのです。
そのステージを前に、夏の7月23日から秋の9月11日へと向かい、彼女たちは
MAPLEZとして初めてのツアーを始める。その舞台は全て、収容人数が500人を超える
ライブハウス「CLUB QUATTRO」。
「CLUB QUATTRO TOUR 2016 -RUMBLING,PULSATION-」と題したツアーは、
広島・大阪・愛知・東京・広島の4ヶ所5公演、会場は全て過去最大の規模となった。
さらにメンバーの脈打つような思いを表現していくことをテーマに掲げ、その全公演が、
メンバープロデュースにより行われることが高らかに発表された。
ボクがひろしまMAPLE★Sと出会い、2nd ”Anniversary!!”を迎えていた。
これまでの間、ずっとボクが思っていたのはあかりんさんを始めとした彼女たちが、
ずっと続いて欲しいという思い。その思いはいつしかフロアが多くの人で埋まって欲しい、
率直にいうと「売れて欲しい」という気持ちに、自己啓発セミナーに通った人みたいに
変わっていた。
CLUB QUATTROツアーも始まり、”E.G. summer RIDER”のように夏を駆ける
MAPLEZに、もっとも暑い夏の8月がやって来た。
そして彼女たちが4年半を費やして放った”希望の光”に導かれる夏の虫さんのように
”未来を信じて”そして夢を持って、高本いづみ(たかもといづみ)さんが初めて
関西出身のメンバーとしてこの夏、MAPLEZへ加わる。
新しいMAPLEZとなり向かう先は、これまで出演が叶わない、そんな人面犬のような
信じるか信じないかはアナタ次第な”ウワサWassap!”も囁かれた舞台・・・
世界最大のアイドルフェスティバル、「TOKYO IDOL FESTIVAL」!!
この舞台に立つ意味は、 東京から遠く離れた地方、そして小さなステージから始めた
女の子たちにとっては大きい。
実際、元メンバーの川原亜美さんは「マジホンマ出たい!」と、”マジ”と”ホンマ”を重ねた
サンドウィッチマンが 「何言っているか分からない」とツッコミそうなことを言っていた。
卒業していったメンバーも含めて、多くの広島の女の子が出演を希望していた舞台。
何よりこのTOKYO IDOL FESTIVALへの出演をきっかけに、その後の活動に
弾みを付けたアイドルも過去にはいる。
そうなりますと登場するのが、前回のBlogを偶然にも読まれた方にはお馴染み・・・
近所の世話焼きおばさんこと、アタスィーーーーーーー!半年ぶりに、”ただいま!”。
まずは自撮りが苦手なあかりんさんに、「自撮りは増やさないの?」とダル絡み、
続いて当時は茶髪だった天野名雪さんに、「髪は黒い方が良くない」とイラないお節介。
その結果、デビューから4年半、MAPLEZが待ち望んだ、TOKYO IDOL FESTIVALが
近づく頃、あかりんさんは髪の毛を初めてーー・・・、
「金髪」にしたの!!TT←チョコレートプラネット
理由についてあかりんさんは、タメ口で「髪を軽い感じにしたかったの!」と言ってました。
列車での旅に於いて、魅力の1つが景色。広島から東京へ向かって走る列車は、
名古屋駅と新横浜駅の間に、最大の見所がある。
それは名古屋駅を出発して約50分後に姿を見せる、日本一高い山、富士山。
2016年8月5日、金曜日。東京のベイエリア、お台場でMAPLEZにとって初めての
TOKYO IDOL FESTIVAL 2016が華々しく幕を開けた。
ひろしまMAPLE★Sが結成される前の2010年から続くTOKYO IDOL FESTIVALは
この年、出演するアイドルの数は200組を超えた。
その中でMAPLEZに用意されたステージは、開催3日間のうち2日、計4ステージ。
この1つにMAPLEZのファンの人の記憶に、腕の根性焼きのように強く残っていると思う
時間がある。
それは8月7日日曜日、午前11時55分から正午12時10分までの15分間。
MAPLEZが立ったのは地上100メートルの高所、フジテレビ湾岸スタジオの屋上に
設営された、その名も、「SKY STAGE」。
その時間は、あかりんさんがアイドルとして活動した約6年半に渡る時間の中で経験した
数多のライブの中で、もっとも印象に残っていると話していたライブ。では・・・!!
神回を、ご覧ください!!
2016年、あかりんさん&MAPLEZ。初めてのTOKYO IDOL FESTIVAL in SKY STAGE!
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地上から100メートルという高所にあるステージ、頭上には僅かの雲しかない。
そして後ろに広がるのは、紺碧の空。
結成からの4年半、自分たちはその場所に立つことが出来るのか、心の片隅にあった
世界最大のアイドルフェスティバルへの出演が実現した時間。
希望を叶えた”Shiny girls”、7人の顔には揃って笑顔が浮かぶ。
そのステージでMAPLEZが1曲目に選んだのは、サビにこのような歌詞がある曲・・・
「無限に碧く碧く続く空の向こうへ 願いが叶うように前を向いた」。
曲名は、「ウルトラネイビー」。
想いとは、メンバーそしてステージを見届けたファンの方それぞれで違うかもしれない。
でも共通するものがあるならば、それはB��ロに書かれている歌詞と同じ想いだろう、
「キミとならきっと どんな場所にだって 行けるんだ」!
アイドルだから卒業を決める子も多い、メンバーの人数は結成時の半分になっていた。
普通の女の子から、ひろしまMAPLE★SそしてMAPLEZとしてアイドルになった
元メンバーも含めて1人1人が築き上げてきた1つの集大成の形として、7人は
TOKYO IDOL FESTIVALのステージに立つことができたのだと、ボクは思う。
あかりんさんは夏を前に「この調子でいくと、TIFは死にますね。」と話していたけど、
ステージを後ろから見ていて、多くのファンの方がキュン死したと思いました。
そんな”ショコラ”も溶ける暑い夏を通過し、そして秋へ向かい、MAPLEZが続けていた
CLUB QUATTROを舞台としたツアーも終盤に差し掛かっていた。
アタシが行ったのは9月の東京と、その1週間後に設定されていたファイナルの広島。
メンバーがプロデュースするツアーで、あかりんさんはファイナルの広島を担当する。
広島県民が、アタシが来ることに拒否反応を示していたのに、広島へ行くことを
決めたのには、あかりんさんがライブを初プロデュースする以外にも理由があった。
ファイナル公演の8日後、9月19日にひろしまMAPLE★SそしてMAPLEZの原点である
彼女たちが誕生した場所、広島にある劇場「STUDIO MAPLE」の閉鎖が決まっていた。
ツアーに合わせてイベントがあった訳ではないが、最後に”サヨナラ”しておこうと・・・
ハイパーメディアクリエーターのパソコン遣いでチケットを取り、”Express”に乗った。
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↑が現在は、ファミレスの「サイゼリヤ」に変わったことで、知っている人にはお馴染み、
知らない人にはどうでもいい”Introduction”を挟んでしまったと今、書きながら
反省をしている、「STUDIO MAPLE」です。
アタシが訪れた際は、よくその上の階にあるマンガ喫茶に宿泊していましたの・・・
元メンバーの川原亜美さんに、「泊まるなら良い場所があるけん!」と斡旋されたので。
STUDIO MAPLEの店内は、NHKやイギリス・BBCのようなジャーナリズム精神がない、
可愛い女の子にしか興味がないファンの人たちは基本、撮影はNG。
しかし折角なので、そんな”約束の場所”の内部を渡辺篤史さんになった気分で、
少し建もの探訪してみましょう。
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センターの立ち位置で、ギャルのような裏ピースをかましているのが、あかりんさん。
で、写真手前左の赤茶色のヘアが元メンバーの城谷るり(じょうやるり)さん、
右端の茶髪が天野名雪さんですね。
・・・ギャルサーか!
この写真は店内で行われたMAPLEZのライブで、写真撮影が許された時のモノです。
でもご覧の通り店内は、警察の取り調べの時に顔に向けられるライトのごとく逆光、
これがギリギリちゃんと撮影できた、まさしく”Diamond Only”な1枚なの。
そんな思い出がつまった「STUDIO MAPLE」から、彼女たちがMCの練習をしながら
歌や振付けの復習をしながら、そしてファンの方の反応に胸を高鳴らせながら、
何度かアーケードを歩いて向かった、徒歩5分程の所に広島CLUB QUATTROはある。
9月11日、秋が近づく広島の街はよく晴れていた。
そんな街でバイトをしながら歌とダンスを習えるからと、うっかりアイドルになってしまった
あかりんさんプロデュースによる、MAPLEZのショーケース。
メンバーがプロデュースする、この日までの公演は、セットリストや演出は元より
初めての様々な試みがメンバーによって考えられ、 公演は趣向を凝らしたモノとなった。
曲の大サビを”Dance Dance Dance”と3回繰り返したり、ステージからフロアに降りて
パフォーマンスをしたり、メンバーからのお土産を抽選でプレゼントしたり、
また16曲連続のノンストップライブに向けてファンの方と一緒に準備運動したりもした。
そんな個性が詰まったツアーのファイナルで、あかりんさんが掲げたテーマは・・・
ファイナルだからこそファンの人と一緒に楽しめるようなライブにする、という考えから
「MAPLEZの王道」。
あかりんさんがそのオープニングについて 、「NEW! メイプルチャレンジ 小泉明音」で
話していたプランを、スマホゲームをやりすぎて指紋がなくなった指で書き起こすと・・・
「アー写で顔を(順番にスクリーンに)映して、5・4・3・2・1系。ゼロで、あーし。」、と
江戸時代の花魁みたいな一人称で言っていたのですが・・・、事務所が却下!!
代わりに、ステージにはバックドロップ幕が掲げられた。
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そのステージは「まずはゆっくり聞いてください」という思いからグループで唯一のソロ曲、
あかりんさん独唱の「Echoes」でステージの幕は静かにあがった。決して・・・
美味しいところを1人で持っていこうとした訳ではない、と今でもアタシ信じてる!!
2曲目の始まりと共にメンバー全員が、ステージに登場。序盤はユニット曲やコラボ曲、
さらに初期の頃に発表した曲を中心に構成、後半にMAPLEZのキラーパターンである
イントロから盛り上がるクラブミュージックやロック調の曲でセットリストを組み・・・
本編の最後は、MAPLEZの代表曲である「始発列車はまだ来ない」でシメた。
そのライブはMAPLEZの王道であり、かつここまで活動してきた3年間の集大成。
公演時間は約2時間に及び、100%の力でパフォーマンスをした曲は21曲にのぼる。
ステージ終盤では、ボクが見た2年の時間の中でたぶん初めて目にしたと思う、
パフォーマンスの途中で下を向いた時などに、苦しそうな表情を浮かべるメンバーの
姿もあった。
それでもメンバーは1人も欠けることなく、再びアンコールでステージに舞い戻る。
ライブが終わった後に、この理由について聞くと、あかりんさんは言っていた・・・
「ファンの人が応援してくれるなら、私は頑張れる!」。
そしてアンコール、あかりんさんは、1曲目に東京へ行くきっかけとなった曲「BRIGHT!!」、
2曲目に、初めてのTOKYO IDOL FESTIVALのステージで歌った「ウルトラネイビー」、
そして最後は、ひろしまMAPLE★SとMAPLEZのライブを〆る王道「RPM」を選んだ。
それが、MAPLEZの秋、CLUB QUATTRO TOUR 2016-RUMBLING,PULSATION-の
クライマックスであった。
そしてこのステージでは3ヶ月後の冬、”Boom Boom Christmas”が過ぎた年の暮れに、
前年を超える収容人数を誇る、お台場に建つライブハウス「Zepp DiverCity」で
単独公演を行うと発表した。
その収容人数は最大で、バチカン市国の人口を超える2000人以上だ。
名古屋駅から走っている列車は、新横浜の駅が近づくにつれて再び、漆黒が口を開く
トンネルへと何度も吸い込まれる。距離こそ短いが、車窓を幾度も黒い闇が覆う。
冬が近付く頃、年末に単独公演をすると発表していたZepp DiverCityのスケジュールに
手違いがあることが分かり、MAPLEZは会場の変更を余儀なくされた。
変更された新たな会場は収容人数最大で1823人の、「ディファ有明」。
収容人数2000人を超えるMAPLEZ史上最大のステージは、”未来へ”と先延ばしされた。
他にも、暑い夏から寒い冬へ向かう時間の中で、世のマダムたちの大好物である
ワイドショーで取り上げられそうな、ドタバタ劇が次々重なった。
メンバーの卒業や脱退、ワイドショーにも取り上げられたフリマ問題、移動時の事故・・・
2016年、暮れの元気なご挨拶をする前に、「ごめんなさいのKissing You」級の、
”エスオー エスオー エスオー エスオー SOS”、”これは緊急事態ね レスキュー”なことが
続いたのー。
それらの問題ですが、Twitterをやっていないアタクシに、あかりんさんは・・・
「知ってる?最初の言葉は・・・、『そ』!」など楽しいクイズ形式にして教えてくれました。
・・・正解しても喜べないよっ!!いつも遅れてハートを削られるのが、アタシィー♡
でも、負った傷は、彼女たちの方が大きかった。
色んなことがあった2016年を締めくくるライブは、”Merry × Merry Xmas★”が過ぎた、
12月27日。世間は、仕事納めの日であり平日でもあった。
本州付近に低気圧が接近し、朝から冷たい小雨が降るその日、MAPLEZの8人は、
今は姿を消した東京・江���区にあったホール「ディファ有明」に立った。
単独公演だったけど、広い会場は、ボクが彼女たちと出会った時に戻るような
フロアを花道やセンターステージで潰しても空間が目立つほど、少ない人だった。
その突きつけられた現実と集まったファンの方の前で、あかりんさんはステージで
1つの発表をする。
数日後に始まる2017年に広島を離れて、東京で始まる新たなユニットに加わる事を。
この時期くらいに、ボクはあかりんさんに聞いたことがある・・・
「アイドルを辞めようと思ったことはないの?」、って。
この質問に、あかりんさんはこう答えた。「1回だけ辞めたいって言ったことがある」。
それがいつの話なのかは、ボクは知らない。
時計が回路により止まらない様に色々あった2016年も”機械仕掛け”に”Bye! Bye!”です。
渋谷の交差点で”Pink Champagne”が抜かれ、車の上でティーンが暴れる街フェス、
年越しが開催され、2017年がやって来た。
”White Angel”がいつ舞い降りてもおかしくない、寒い2017年の1月。ボクは広島にいた。
それはグループにとって、「はじめてのおふかい」。その抽選に当たったアタシはー・・・
親の付き添いなく、途中で道に迷って泣いたりしながらも、キセルをせずに電車を
乗り継ぎまして、ライブが無いのに in 広島ーーーーー!!
2017年1月22日、”Party in The Sun”day。何をやったのか、”君に秘密を教えよう”。
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歌って踊るのがお仕事のMAPLEZが、2チームに分かれてお料理!
そんなMAPLEZが作ったお料理は、当時の記録によりますとですよ・・・
左から、城谷るりさんは、こんがりキツネ色を通過しギャルのような褐色の「クレープ」。
宙音美憂さんは作る物をロール白菜からハンバーグに変更、最終的にできたのは「鍋」。
その横、あかりんさんはcookpadを鬼の検索をして作った、「しょうが焼き」。
右端、天野名雪さんはキッチンに散らかさずフライパンに運良く残った「チャーハン」。
以上、MAPLEZが一生懸命つくった、千鳥くらい「クセがスゴい!」、 料理4品でした!
出来あがった料理は、みんなで会食。感想は、もちろん「美味しい!」という賞賛の嵐。
なぜならファンの皆さんは、脳科学者・茂木健一郎センセイから学んだ・・・
MAPLEZを褒めて伸ばす、ピグマリオン効果を実践しているためです。偉ーい!!
この日から1週間後の1月29日、渋谷にあるスペース「SOUND MUSEUM VISION」で
MAPLEZは、約1年続けてきた体制で最後となる単独ライブを行った。
あかりんさんが新しいグループを始める日は、刻一刻と近付いてきていた。
その事についてあかりんさんはステージでこの日、「最後の挑戦」、そう表現した。
MAPLEZが始まった時からいるメンバーは、たった1年の間で半数になっていた。
グループが生まれ変わるように、3月に始まったツアーで新たに3人の女の子が加わる、
これでもう一度、MAPLEZは復調するのではないかと、ボクは淡い期待を抱いた・・・
でもツアーで巡った会場は、収容人数が350人の場所でも埋まることはなかった。
ツアーを終えると、あかりんさんは束の間の休息に入った。
それは次のグループに向けて、雨でも降ったら新たな花が咲くように・・・。
たった1年と少しの間に、色々なことがあり、彼女たちを取り巻く状況は180度変化した。
その変化を目の当たりにしてきたメンバーやファンの方それぞれに想いはあるだろう。
実際に来ることを止めたファンの人もいた。
それでも、あかりんさんが、そしてMAPLEZがアイドルを続けた理由は推測するなら・・・
それはきっと、あかりんさんがずっと言っている言葉だと思う。
「みんながいるから私はがんばれる!みんながいるから私は笑顔でステージに
 立てています!」。
”Snow Time”が終わり春の気配が近づく 季節に、ボクは鼻水を垂らしながらそう思った.
E-girlsと同じLDHに所属するラッパーのSALUくんは、あかりんさんがアイドルの
スタート地点に立った2012年に発表した曲「I GOTTA GO」で、こう歌っている・・・
「楽しいことだけではない でもすべて楽しもう」。そして、「あの街で勝負さ」と!
・・・ということで、ここまで読まれた方に悲報です。このBlogももうちょっとだけ、
”THE NEVER ENDING STORY”とさせていただきまーす!
〇ヲルタナティヴ:2017年3月26日~2019年3月31日
ここまで広島を出発した列車は、中国地方を抜け、関西を巡り、東海地方を通過して
約870キロの距離を、”ある車掌”さんの運転で走ってきた。
列車が停まっている駅、そこは広島からギター1本を持って出てきたミュージシャンの
矢沢永吉さんが降りた崎陽軒と港町の駅、新横浜。
その時から長い時間が経った2017年、春の足音が近づいてきた頃、あかりんさんも
料理が苦手なのに、ひとり広島から勇気と覚悟をもって東京へ来るという・・・
宇宙飛行士・アームストロング船長が言ったような、大きな一歩を踏み出した。
東京へ向かう移動の電車の中で、寝ることが趣味のあかりんさんが、どんな夢や
その先の未来を見ていたかは分からない。でもその手には未来を埋める、家族からの
メッセージがしたためられたスケジュール帳があった。ちなみにですが・・・
あかりんさんは「メイプルチャレンジ」というDVDの中で「弟の虎次郎(とらじろう)です」と
弟さんを紹介していますが、それはアタシが見たところペットのワンちゃんだったので
たぶんスケジュール帳にメッセージは書いていないと推測されます。
では東京までは近い、先へ進みましょう。
あかりんさんの最初の”ステップ”である、ひろしまMAPLE★Sのスタートをボクは知らず、
あかりんさんにバカにされた。なので今回は・・・、やる気だけは誰にも負けていません!
あかりんさんが、東京で始める新しいグループの”エピソード”を、お隣の国・中国の
インターネットポリスくらい監視、チクイチ見逃さないように追い掛けたいと思います。
ちなみに東京へ来た後、あかりんさんに好きなミュージシャンを聞いたところ
思わぬ答えだったのが、星野源さん!ということでーーー!!
そのグループはまずデビューの日から発表された、その日は3月26日。ドヤ顔で・・・
「SUN」!DAY!
続いてはユニット名、その名前は「ヲルタナティヴ」 と発表された。
そして最後に公開されたのはメンバー。その数はあかりんさんに加えて4人の女の子で、
MAN WITH A MISSIONやサカナクションと同じ、5人。
目指す場所は、ケイスケホンダくらいビッグマウスに「世界」とTwitterで発表した。
ヲルタナティヴ・デビューまでのカウントダウンが刻一刻と進む中で東京へ拠点を移した、
料理が苦手なあかりんさんはといいますと、「よるごはん…」や「スフレオムライス」など
大戸屋を中心とした外食の、ご機嫌なツイートをしていましたー!
そして、その日はやって来る。2017年に春が近づく3月26日、渋谷にあるスペース
「SOUND MUSEUM VISION」で、あかりんさんがまさに”生まれ変わり”スタートをする
ヲルタナティヴはデビューを果たした。
ひろしまMAPLE★SやMAPLEZの時に出会ったファンの方から新しいファンの方までが
見守る中で行われたデビューライブは、オリジナル5曲に加えてひろしまMAPLE★Sの
2曲をカバーした、計7曲が披露された。
・・・って、怪しげな情報サイト「ロピロピ」に書いてありました。
そうなのアタシ!Twitterに登録をしていないので通知がこない、そのため仕事の間も
迷惑防止条例に引っ掛かるレベルでTwitterを見ていた結果・・・。
仕事が、死ぬ!!そのためデビューライブが見れないという、繰り返される悪夢。
そして発達しない、知恵。「助けてくださーーい!」と、世界の中心で叫びたくなりますね。
それはデビュー2日の3月27日、1stシングルのリリースを公に発表した日も同様Death.
ここまで来たら開き直って、日本人の義務の1つである勤労が”地獄でなぜ悪い”。
でもアタシ、いつまでも死んでいる場合ではない。結果、ボクがヲルタナティヴとなった
あかりんさんを初めて見たのは、デビューから4日が経過した3月30日でした。
その場所は、渋谷の商業施設・渋谷モディの中に入る、「HMV&BOOKS SHIBUYA」。
デビュー2日でCDのリリースを発表したヲルタナティヴは、ギネスブックに掲載されている
NAPALM DEATHの曲「You Suffer」くらいの超高速で、1stシングルのリリースイベントに
突入していた。ボクが初めて世界を目指すヲルタナティヴを見たのは、お金が掛かる事で
”ドラえもん”級に世界中で知られているインストア・ライブだったの。
ひろしまMAPLE★S時代は集客に苦労したこともあった、CDの販売と新しいお客さんに
見てもらう、2つの狙いがあるレコードショップで行われる無料で観覧ができるライブ。
その日は平日ながらイベントが始まる”夜”8時、観覧スペースには多くの人が来ていた。
では、ヲルタナティヴを初めて見ましょう。やる気だけは誰にも負けていないつもりですが
ブスとしての後ろめたさがあるので、最後尾でー!
ヲルタナティヴの曲は、星野源さんの”アイデア”が詰まった作品「POP VIRUS」の様な、
「オールジャンルを詰め込んだサウンド」と公式ホームページに書かれているのですが、
その通り、ポップス、クラブミュージック、”Soul”、ロックなどオリジナル曲は多彩だった。
ただ初めて聞いたアタクシの印象としましてはキャッチーさと印象に残るインパクトが、
将来、ライブ会場にダフ屋が出るには少し弱い気がした。 
MCを挟まずに、曲をノンストップで繋げるライブスタイルは、ひろしまMAPLE★Sと
MAPLEZを引き継いでいた。
フロアはデビューわずか4日ながら、コールなどが入りそこそこの盛り上がりだった。
だが難があるとすれば、それはステージの上。5人のダンスが、”Drinking”してから
”Dance”したみたいに揃っていないことに加えて、声量にもバラつきがあった。
これは最近の「アメトーーク!」、それか「ナダル・アンビリバボー」ばりに・・・やっべぇぞ!
あかりんさんが、ヲルタナティヴとなって変わったのは、曲やダンスだけではない。
衣装も!
あかりんさんは、陽キャな女子インスタグラマーかと思うお腹チラリした衣装を着用・・・
また髪の毛は、黒い方が良くないと言い続けたアタシの言葉を完全にシカトした
犬のヨークシャテリアみたいな、かわいい薄茶色だったわ。
では、ライブを見た後は、今後長い付き合いになるかもしれないメンバーに、ご挨拶へ
行きましょう。
サブスクが登場する前の時代だから、掟ポルシェさんが言う、ベテランの大人として
常軌を逸した枚数のCDを即買いして!
まずは初めて会う4人の女の子にご挨拶をしまして、最後にあかりんさんです。
ヲルタナティヴとなってから初めて会う、あかりんさんは・・・
「(他のメンバー)誰にも、名前聞かれとらんかったね!!」って、ニコッとしていました。
ディズニーシーに入園できるくらいの金額のCDを買った結果、メンバーの誰からも
興味を持たれなかったのが、アタシのヲルタナティヴの最初です。これはー・・・!
YZERRさんとでんぱ組.incを、再召喚です 。
「ゼロじゃねえマイナスからのスタート 舐めんな」、”Continues”!
ヲルタナティヴとしての活動を始めたあかりんさんだったけど、広島を拠点に活動する
MAPLEZのメンバーでもあり、ヲルタナティヴの活動が中心ながら形式上は、
2つのグループを兼任していた。
では、こんまり��片付け術に習って、アタシの気持ちも整理しましょう。
曲やパフォーマンス、メンバーの人数で選ぶなら、MAPLEZ。でも、ボクは今回、
アイドルを見るようになって初めて、「人」で見続けるグループを決めた。
このBlogを読んでしまった方が、ドン引きしているのがヒシヒシと伝わってきますが・・・、
アタシ、そんな空気に負けない!!
あかりんさんが東京でアイドル活動をすること、それは、これまで毎月だったライブが、
毎週へ変わる。さらにいきなりのリリースイベントで週一どころか休日”Nothing”で毎日。
内閣の年金問題くらいアタシの資産に不安もありますが、あかりんさんが言う
「最後の挑戦」を、あかりんさんから苦情がこないのを良いことに、可能な限り
見ることに決めたの。
完成にはまだ遠い状態でスタートしたヲルタナティヴだったけど、その環境は振り返ると、
あかりんさんがやって来たこれまでのグループの中で、最も恵まれていたと思う。
最初からオリジナル曲が用意され、その中の曲を収録したCDの発売も決まっていた、
また結成2ヶ月後には、ミュージックビデオもYouTube上で公開された。あとあと・・・
売上げランキングで知られるoricon主催の大きなイベントやテレビの音楽番組出演など
多くのレールが敷かれていた。今は未完成だけど、いつかは完成すると思っていた。
しかーし、ヲルタナティヴが始まって2ヶ月、メンバー2人が早々にグループを後にする。
春にデビューしたが、ヲルタナティヴは、夏にはヤバイTシャツ屋さんやダチョウ倶楽部と
同じ、3人になっていた。この展開には、上島竜兵さんもきっと言うだろう・・・
「おいおい、聞いてないよー!」。あとIKKOさんが、「まぼろし~」って!
ヲルタナティヴにとって初めての夏は例年と変わらず暑かったけど、アタシには、
BAD HOPより2年も早く訪れた、COLD IN SUMMERだった。
3人になったけどヲルタナティヴは、MAPLEZが4年半の長い時間を費やして、
やっと辿り着いた世界最大のアイドルフェスのステージに、デビューから5ヶ月で立った。
でんぱ組.incの「ムなさわぎのヒみつ?!」同様にアタシの胸中も、”信じらんないっ”だもの.
そんなこの夏、あかりんさんは初めてグラビアの撮影にも挑戦をした。
そのグラビアは企画と連動しており、アイドル10人が参加しファンの方の投票によって
優勝者が決まり、最終的に単独でマンガ誌のグラビアを飾れるというモノだった。
投票券はマンガ誌1冊に1枚付いているため、お金を出して投票券を買うという、
成人になって初めて知る公職選挙法に基づいた総選挙だった。
善良な国民であるアタクシですから、もちろん司法のメスが入らない程度に投票券を
爆買い!
アイドルのファンになるとCDだけでなく、雑誌も複数冊購入しなくてはならないことを、
アタスィー、初めて知ったの。女性ってホントにお金が掛かるわね。
ステラおばさん似だけど美魔女を目指してコパトーンを塗らないと”肌”を美白に
保てなさそうな夏真っ盛りの8月6日、あかりんさんは約半年ぶりに兼任していた
グループ・MAPLEZのメンバーとしてライブに出演する。そこは一度、夢破れた場所。
収容人数最大で2000人を超える、お台場にあるライブハウス、「Zepp DiverCity」。
ステージが用意されたのは前年、MAPLEZが夢を叶えたTOKYO IDOL FESTIVAL。
あのSKY STAGEから、さらに高みへMAPLEZは行くことができた。
フロアを埋める人は、全員が彼女たちのファンではない。
それでもMAPLEZを、2000近い人が見ることは揺らぐことのない事実。
「キミとならきっと どんな場所にだって 行けるんだ」と、彼女たちは1年前に歌っていたが
本当に行くことはできた。
その巨大なフロアには、MAPLEZさらにヲルタナティヴのファンの人も集まっていた。
続けることは、辛いことも多いけれど、続けないと実現できないことはやっぱりある。
色々なことがあり、魔女の宅急便みたいにおちこんだりもしたけど、そのステージに立つ
あかりんさんとMAPLEZは、元気でした!
限られた時間のライブは、MAPLEZを代表する曲「始発列車はまだ来ない」でスタート、
そして、フェスのフロアが人で溢れた@JAM EXPOの1曲目「BLAST×BLAST」を繋ぎ、
そこから、色々なことが起きてもひろしまMAPLE★SとMAPLEZを好きでいてくれた
ファンの方に”Present”をするように、「Boom! Boom! Miracle Emotion」から
「Bright!!」を、トム・ブラウンの”ギャグ”みたく合体!させた、キラーなセットリストを組み。
最後は、彼女たちを代表する曲「RPM」で〆る約20分のノンストップのライブを
2000人の前でやり切った。
たぶんMAPLEZからは見えなかっただろうが、ボクが見ていたフロアの付近では、
彼女たちがずっと言い続けていた「ファンの人全員が楽しめるようなライブ」の景色を
Zepp DiverCityの中でも垣間見ることができた。
そして屋外だったSKY STAGEと違いZepp DiverCityという屋内の会場だったけど、
顔に汗と笑顔を浮かべたファンの方たちがいる景色は1年前と何も変わらなかった。
小さなステージでゼロから始まって、Zepp DiverCityまで行くことができたMAPLEZと
比較をすると、”Down Town”にある中小企業の社長令嬢くらいには恵まれた環境で
始まったヲルタナティヴ。
でも人気の曲を封印したり、曲のセットリストが固定化したり、動画がほぼ無かったり、
その活動の差は、フットボールアワー・後藤さんの言葉を借りますと・・・
高低差ありすぎて耳キーンとなるわ。そしてアタイ、心が病む!
その結果、まず症状1・・・。 ヲルタナティヴのライブで、前方へ行くことを止める。
続きまして、症状2・・・。 特典会へ率先して行くのを止める。
あかりんさんはかつて「グループを辞めたい」と言ったことがあると言っていましたが、
ヲルタナティヴが結成された最初の夏に、ボクは、グループを見続けることを止めようと
思った。ヲルタナティヴへの熱が冷めていった。
そんな夏も終わろうとする頃、急にあかりんさんから言われた言葉がある・・・
「わらって!」。(注:モーニング娘。の飯田圭織さんパートの練習ではありません)
夏が過ぎ、列車の車窓から見える木々に明るい色がつく”季節”、秋がやって来た。
その秋は、あかりんさんが走り続けるレールに、2人の新しい女の子を連れてくる。
1人は九州でのアイドル活動を終え、カニ道楽のバイトもブッチぎった未夢(みむ)さん、
もう1人は新潟出身、小指を立ててマイクを握る女子大学生、三島凛(みしまりん)さん。
ヲルタナティヴに初めて、新メンバーが加入した。
2人はそれぞれ、ライブを見てまたCDを聞き、ヲルタナティヴへ加わる決心をした。
オーディションの期間は、2人で”Pair Dancer”もしくは南極に置き去りにされた犬の様に
支え合い、そして2017年9月2日にヲルタナティヴとなった。
この2人の加入をきっかけにグループは少しずつですが、変化を始めまーす。
ヲルタナティヴに、新メンバーの次にもたらされた変化、それは「曲」。
これまで 、オールジャンルを詰め込んだサウンド、としていた音楽性から、
老眼に加えて最近は乱視も入ってきたアタシでも、目指す方向が識別できる
新曲たちを発表する。
まずは、パンクとポストグランジにアプローチしたロック調の曲を、2曲。
続いて、EDMとハウスのクラブミュージックにアプローチをした曲を、2曲。
音楽のジャンルに縛られないのはアイドルの1つの強みではありますが・・・
ヲルタナティヴの楽曲を手掛けるOscillophoneが得意とする曲調に寄ったことにより、
ヲルタナティヴらしいと聴こえる音楽の軸が立とうとしているように感じた。
さらにステージも上また、楽屋で衣装の”スカート”をヒラヒラさせてジュリアナダンスを
踊っていた大学生の三島凛さん、幼少期からダンスを習っていた未夢さんの2人が
加わったことで、グループダンスの見え方も段違いに良くなっていった。
・・・となりますと、見た目が悪いのに加え内面もダメージジーンズくらい荒みきっていた、
アタシのメンタルも復活!
新しくなったヲルタナティヴは、10月に大阪の街を舞台にしたフェス「MAWA LOOP」、
さらに日本三大アイドルフェスの1つを主催する「@JAM」のイベントなどに出演・・・
少しずつですがこの時期、ヲルタナティヴにファンの方が増えてきた。
そして”Dead Leaf”が地面を覆い尽くし、”Snow Men”が街をかざる冬を越えて、
”桜の森”が花開こうとする結成から1年が経とうとする春、ヲルタナティヴは初めての
ワンマンライブを開催する。 
その場所は物騒タウンこと新宿・歌舞伎町にある、収容人数最大で800人のライブハウス
「Shinjuku BLAZE」。
スタート早々にメンバーが減り、3人で迎えた夏、そして秋に再び5人体制となり、
ロックとクラブミュージックの4つの新曲を発表した、ヲルタナティヴ。
彼女たちが目指す方向は、超メルヘンなうえに不思議ちゃんなアタシが思うにですよ・・・
いま世界で人気がある音楽といま国内で人気がある音楽、そんなジャンルの曲を
可愛い女の子たちがダンスと一緒に魅せるグループだと・・・、乃木坂46のCMの勢いで
思いマウス!!
そうして2018年4月1日、9曲まで増えたオリジナル曲にひろしまMAPLE★Sの2曲の、
合わせて11曲をもって、事情があって4人になったヲルタナティヴは1st ワンマンライブ、
タイトルを「THE WORLD」と名付けたステージに立った。
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紹介が遅れましたが、↑が「THE WORLD」の時のヲルタナティヴです。メンバーは左から
「ストリートファイター」のエドモンド本田のようなポーズをきめる元SKEカフェの店員さん、
相沢奈那(あいざわなな)さん!
隣は、お肉とコーラが好きな、育ち盛りの男子小学生みたいな味覚の、あかりんさん!
そしてコンプラに引っ掛かるリリックを書くラッパーをアタシにお薦めするJD、三島凛さん!
右端は、給料をネオバターロールにつぎ込んでいたワンパクな肥後もっこす、未夢さん!
直前にメンバーが脱退するトラブルがある中で開かれた、ヲルタナティヴとして最初の
ワンマンライブ「THE WORLD」。
フロアは、後方を少し関係者席で潰したけど、そのパイプフェンスの仕切りいっぱいまで
大学4年生を2回やったアタシの”予想”を上回る、多くの人で埋まった。
その勢いのままに、夏を前にした6月に2枚目のCD「ヲルタナティヴ EP」を発表する��
「ヲルタナティヴ EP」には、デビューの時に渡されたクラブミュージック調の1曲に加え、
2人の新メンバーが加入した前年の秋に発表したポストグランジにアプローチした1曲と
クラブミュージックであるEDMとハウスにそれぞれアプローチした2つの曲、
さらにエレクトロサウンドとパンクロックが融合したような新曲1曲の、5曲が収められた。
あかりんさんは、これまで11枚の音源に参加をしていますが、ボクが一番好きなのが、
この「ヲルタナティヴ EP」です。
・・・ということでー、同じCDをお酒の力を借りもせず、再び狂ったように購入。
その病は、東京だけに留まりません。ヲルタナティヴは2枚目となるCDを手土産に、
あかりんさんの地元である広島へ凱旋をします。
それはヲルタナティヴとして初めての”ツアー”、「2 SETS of BABEL」の始まり。
アタシも、「桃太郎電鉄」の祟られたビンボー神のように、その後を着いていきます。
ツアーは広島・名古屋・大阪・東京の4都市を巡る、各地でゲストを招いての2マン形式。
スタートの広島の会場は、広島市内にある収容人数が250人ほどのライブハウス、
「SECOND CLUTCH」。
ひろしまMAPLE★SそしてMAPLEZとして幾度か立った、広島CLUB QUATTROには
届かなかったけど、同じ施設の中にあるタワーレコードに、あかりんさんは帰ってきた。
そのあかりんさんを記念に、親戚のババアみたいにアタシのらくらくホンで、
”フィルム”に残しておきましょう。
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ツアーでは、新たな2人のメンバーがヲルタナティヴに加わることが発表されていた。
でもね、ホモ・”サピエンス”について書かれた論文くらい説明がややこしいので
簡潔に言いますとですよ・・・、
ツアーを経て活動に至ったのは、鈴屋もずく(すずやもずく)さん1人だけでした!!
この2018年の夏、あかりんさんは兼任していた1年と少しの時間を過ごしたグループ、
MAPLEZを卒業して、ヲルタナティヴに専任することになる。
あかりんさんがいなくなったMAPLEZについて、最後にMAPLEZへ加入したアイリさんは
「ツラかった…」と言っ・・・、いやこっちも寂しくなるので精いっぱい明るく補整をしましょう
「ツラタン!」って言っていましたー!
そんなMAPLEZは2018年の7月29日、およそ2年半の歴史に終止符を打つ。
ひろしまMAPLE★Sから数えて、約5年半での解散だった。
いつだったか、あかりんさんがいないMAPLEZのライブを、ボクは見たことがあった。
そのステージには、あかりんさんの活動の中心がヲルタナティヴになった後に、
グループに加入した何人かの新しい女の子たちもステージに立っていた。
この子たちがMAPLEZをずっと守っていてくれていたんだと、その姿を見てちょっとだけ
涙が零れそうになった記憶が、アタシにはある!気ーーー持ち悪ーーーーーーい!!
でも泣いてばかりはいられません、気を取り直して前へ進みましょう。
8月、ヲルタナティヴは2年連続となるTOKYO IDOL FESTIVALに出演、アタシは
チケットを購入したけど、出演したステージはチケットがなくても観覧できる場所だった。
そして9月、グループ結成から2度目のワンマンライブを渋谷にあるライブスペース
「WWW X」で開催。そこでは、あかりんさんと長く活動を共にしてきたヲルタナティヴの
結成時のメンバーである相沢奈那さん、そして活動が苦しい時期に加入した未夢さんが
グループを卒業をした。
・・・アタシに憑いている悪い災いをもたらす霊よ、早く身体から出ていってください!
再びメンバーが3人となったヲルタナティヴは最後にMAPLEZのメンバーであり、後に
Meteonomiconとして活動する宙音美憂さんと流川彩菜(るかわあやな)さんが、
サポートの形でグループに加わり、そして9月27日から約1ヶ月の間、活動を休止した。
それは、あかりんさんが新たな女の子たちと出会うために。
初めてその女の子たちと会ったのは、少し時間は遡り2018年8月28日だったと聞く。
ヲルタナティヴに新たに加わる女の子、彼女たちがヲルタナティヴに出会った背景は、
それぞれ異なる。
ある子はTwitterでオーディションを知って、 ある子は曲が気に入って、ある子は以前に
活動していたアイドルグループのメンバーに薦められて、ある子はメンバーに憧れて・・・
それまでの道に別れを告げて、ヲルタナティヴに加わることを決心した女の子もいた。
そして2018年に秋が訪れた、10月20日土曜日。東京・下北沢にあるライブハウス、
「下北沢ReG」で、新たなヲルタナティヴはお披露目された。
ヲルタナティヴというグループ名には、「無限大」と「型にはまらない新しいもの」という、
2つの意味が込められている。
そんなヲルタナティヴは、あかりんさんの「最後の挑戦」の場でもあった。
何度かのメンバーチェンジもあったが、活動を続ける時間とともにオリジナル曲は、
結成時の5曲から、この時で11曲まで増えていた。2枚の音源もリリースした。
そしてミュージックビデオも2本を、YouTubeで公開している。
ボクがアイドルを見始めた10数年前、インディーズのアイドルがCDを一般流通させて
ミュージックビデオを発表することは、当たり前ではなかった。
アイドルに関する情報も少なく、対バンのライブやYouTubeにアップされている映像、
また僅かの口コミなどから、見て気に入ったグループをボクは応援してきた。
そして時代は変わり、アイドルが1つのブームとして盛り上がる時代がきた。
それまでアイドルに触れてこなかったであろう人たちが、アイドルが歌う音楽を聴き、
映像を見て、アイドルのライブ会場へ足を運ぶようになった。
最大時は日本全国に、およそ3000組ものアイドルがいたとも言われている。
メジャーとインディーの垣根はあったけど、色々なタイプのアイドルがシーンにいた。
そんな状況の中で、ボクは応援しているアイドルがいなく、地方を拠点に活動している
アイドルを進んで見ていた時に、偶然見たのがひろしまMAPLE★Sだった。
そのライブは、ボクの好きな音楽の系統の曲を、偶然、ひろしまMAPLE★Sが発表した
タイミングで、その曲をライブで披露した。そして、あかりんさんと出会った。
その時から、約4年半の時間が流れていた。
アイドルを取り巻く環境は再び大きく変わったけど、あかりんさんが立っているステージ、
そして、あかりんさんと一緒に何かを達成しようとする女の子たちを見ているのは
4年半の間ずっと楽しかった。
年が変わろうとする2018年の暮れ、12月27日の夜7時を時計の針が少し回った頃、
1つの発表が、Twitterのタイムラインに流れた。
あかりんさんがアイドルを卒業することを発表した。およそ6年目の、決断だった。
アイドルをずっと続けて欲しい気持ちは少なからずあったけど正直な気持ちをいえば・・・
正しい判断だとも感じた。卒業をする日が発表のその日から3ヶ月の時間があったため
実感が湧いていなかったのかもしれないけど、不思議と悲しさはなかった。
卒業を決めたあかりんさんと会ったのは、その翌日にあった渋谷でのライブだった。
前触れのない突然の発表だったこともあって、その日は平日だったけど多くの
ヲルタナティヴのファンの方が会場に集まっていた。
あかりんさんは、そんな多くの人それぞれに様々な言葉をかけていたと思う。
ボクには、「今の気持ちは?ごめんね」と、映画「HANA-BI」のラストシーンのような
言葉を言っていた。
2019年が迫る、”Week End”の12月30日。2018年最後のライブでヲルタナティヴは、
新たな曲を披露する・・・。それはMAPLEZの曲、「始発列車はまだ来ない」。
だが広島から走り続けた列車は、もうそろそろ終着点へ着こうとしている。
その列車は、品川駅に近づくと下降線を描く。高架から地上1階に作られたホームに
停車をするためだ。到着すると、多くの乗客が列車を降りていく。
もう、ここから新たに列車に乗る人はいない。
あかりんさんに聞いたことがある。「なんで、ヲルタナティヴをやろうと思ったの?」と。
その質問にあかりんさんは、こう答えた。「やってみる?・・・って聞かれたから」。
アイドルを始めた時も、あかりんさんはアルバイト感覚だった。
でもアイドルになりたくてアイドルを始めた女の子たちが、次々と辞めていく中で、
あかりんさんが長くアイドルを続けたのは、辛いことを少しでも上回る楽しいこと、
また大好きな”歌を歌うときは”「どれも良い曲」で、その曲を聴いて自分のことを
応援してくれるファンの方がいた。それが理由だと、プラス思考にボクは思う。
あかりんさんの卒業まで3ヶ月のカウントダウンが始まった。実感は、無いままだった。
たぶん多くの人がそうであったと思うが、それでもライブが行われる会場には、毎回、
多くの人が来ていた。あかりんさんを、昔から知っている人から、最近知った人まで・・・
その人の数は平日でも多かった。たぶん無理をしていた人も、中にはいたと思う。
特典会は、あかりんさんの卒業の日が近付くにつれて、並ぶ人の列が長く伸びていった。
それだけ、誰もがなんとか自分の中であかりんさんを残そうとしていたのだと思う。
ボクもまた残された時間を思い出に残そうと思った。でもね、あかりんさんは言った・・・
「毎回を楽しめばいいじゃん!」、と、それだけ。
3ヶ月、ちょうど90日の中に用意された約50のライブはあっという間に過ぎていった。
2019年も気がつけば冬を終え、ヲルタナティヴのライブの帰りに見上げた街の木には、
いつもより早い桜の花のつぼみがつき始めていた。
あかりんさんがアイドルを卒業するまで、残すところ1週間をきっていた・・・。
そんなカウントダウンが進む中で、あかりんさんは1つの特別なステージに立つ。
決して忘れられない、東京での思い出。それは・・・。
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「あーちゃんなりの甲子園」!!
書いたのは、ひろしまMAPLE★SそしてMAPLEZと活動を共にし”Friend Ship”で繋がる
宙音美憂さん。
そうい��ばですよ、あかりんさんはかつてTwitterに、こんなことを書いていた・・・。
「あだ名、あかりんなの謎!メイプルに入ってからあかりんになってた。
  わかりにくいからあーちんと呼んでください♡」
そうなの、あかりんさんの正しいあだ名は、あーちんではないけど「あーちゃん」!
公式ホームページにも、そのように記述されている。アタシ、4年半もの間ずーーーっと
大きな間違えをしていたようです。”穴を掘”って入りたいところですが・・・、
ここまで来たら、後には引けない!このまま見なかったことにして、前へ進みましょう。
〇小泉明音なりの甲子園
いつもの春より、すこし早く桜の花が開いた、2019年3月26日 火曜日。
あかりんさんは東京で初めてのライブと言い張る、ボクが初めてひろしまMAPLE★Sを
見た、5年前の同じ頃に新木場で開催されたイベント「アイドル甲子園」に出る。
だが、そのイベント名は今回、いつもと少しだけ違う。
”メイプルのシンデレラ”と呼ばれていた、あかりんさんが立つのは、ティアラのように
自分の名前がイベントに冠としてついた、まるでシンデレラ・ストーリーみたいな
「小泉明音なりの甲子園」!これが、正式なイベント名に決まった。
これまでアイドルのグループ名がイベントに冠されたことはあったが、個人の名前が
冠につくのは、初めてのことだった。
平日の火曜日だが、渋谷の街は多くの人が往来している。その人の上に広がる空は、
いつかのお台場のように、青くよく晴れ渡っていた。
ひろしまMAPLE★Sを初めて見た時から、約5年の時間が経っていた。でも・・・
時は来た。それだけだ!(©サイプレス上野とロベルト吉野の名盤「LIVE@o-nest」より)
対バン形式のイベントは、平日にも関わらず”KIDS”じゃないと行けないような
午後5時過ぎに、1組目のアイドルのライブが始まる。
いつかのPerfumeのライブの時のように 、明治通り付近から街灯が立ち並ぶ道を歩き、
ボクが会場に到着したのは、イベントが始まってすぐの午後5時半近く。
入口を抜け階段を降り、フロアへ続く扉を開けると、強い明かりを放つ照明が、
会場となった渋谷のスペース「SOUND MUSEUM VISION」の暗闇を照らし出す。
そのメインフロアには、I Hate ”ワーク”、アイドル”ソング”LOVEずっきゅんな人が
すでに多く集まっていた。
あかりんさんを見続けてきた人の顔が、フロアには多く見ることができた。
会場では、あかりんさんと数々のステージを共にしてきたライバルたちが、イベントを
盛り上げる。
その中には、あかりんさんと長く活動を共にした、宙音美憂さん。
あかりんさんがヲルタナティヴに活動の軸を置いた後の、MAPLEZを守り続けた
流川彩菜さんやアイリさんの姿もある。その感動の裏で、アタクシはといいますと・・・
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鼻の下を伸ばした顔で、カッスカスのペンで「WO!!」とグループ名のタグを書く
当時・中学生の、ヲルタナティヴ・神谷さくらさんとチェキを撮っていたの。ご陽気に!
でも、時間は止まってはくれない。時計の針は、回転を続ける。
フロアに集まった人が2013年1月に始まった、どの時間・どの場所で・どのグループで
あかりんさんと出会ったのかは分からない。
でも、その時間に終わりが近づいていることは、誰もが分かっている。
1つのステージは僅かな時間かもしれないけど、それぞれの人にとって大切な時間、
中には、卒業の日は都合が合わず、この日が最後というファンの方もいるであろう。
ボクは、あかりんさんを4年半見てきた。たぶん長く応援している方に入ると思います。
通常なら、そんなアタシに、集まった多くの方々も気を遣ってくれそうな気もしますが・・・
「小泉明音なりの甲子園」に於いて、ヲルタナティヴが登場する午後7時45分、
アタシの目の前には、多くの人が何重にも層を成した!!\アタシ、オワターー!/
なんならボクの位置は、最後尾の方が近いくらい。そうなの、フロア・・・、そこは!
弱肉強食の世界。
アタシクラスの、ばい菌みたいな下等生物などは前を譲っては頂けないのです。
それほど、あかりんさんは男性から女性まで多くの人に愛され、応援をされていた。
そんなあかりんさんを、最後に支えたのは、この女の子たちです。ご紹介しましょう・・・
左からー!!
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一番左、hitomiさんの教えに反してご主人様を威嚇する元メイドさん、鈴屋もずくさん!
左から2人目は、同じクラスにハタチの人がいるキュートな高校1年生。神谷さくらさん!
その隣は、幽霊の「貞子」に似た髪型をして、いつも歯に真っ赤な口紅をつける・・・
かわいさとホラーが同居する新潟のオンナ、柊木ハツミさん!
センターは、もと陰キャで少年のようだったアイドル、小泉明音さん。あかりんさん!
隣の氷結ストロングを飲んだようなテンションの人は、高校を留年した桃川もも子さん!
一番���は、インスタグラムで「#そうなんや」を押し売りするニセ関西人。三島凛さん!
以上、ヲルタナティヴの可愛さを100%伝えることができたと手ごたえを感じている、
メンバー紹介でした。
あともう1人、美里由奈さんはこの日は不在。この後に卒業を決めてしまうのですが、
最後に話をした時にボクは由奈ちゃんに「アイドルになって良かった?」と聞いていた。
由奈ちゃんは答えた、「あかりんさんとかファンの人とかにいっぱい会えて良かった!」。
そしてフロアの隅には、あかりんさんと一緒に夢を追い駆けてきたアイドルたち、
MeteonomiconやNEMURIORCAの姿もある。
さらにステージの下には、6年半の時間の中で出会った多くのファンの方たちが、
あかりんさんの登場を待っている。そう、全員揃って、「期待値はYes!」。
では、「ギュンギュンと成層圏を抜けてく」ほど楽しんでいこう!
フロアからは見えないバックステージ、そこでヲルタナティヴは、大切なライブの前に
円陣を組みメンバーが1人ずつ順番に「いち に さん」と掛け声を出すのが、恒例の
慣わしとなっている。
それが終わると、SOUND MUSEUM VISIONに、ヲルタナティヴのライブの始まりを
伝える曲が鳴り始める。
その曲は歌がないインストゥルメンタル、1曲目は、「w421(ウォール)」!
アイドルになるつもりがなかった女の子が、アイドルになって約6年半が経っていた。
グループで最年少だったその女の子は、いつしかグループを引っ張る存在になっていた.
その女の子がいつも立っていた場所、そこはステージのセンター。
1曲目の終わりが近づく頃、何度も立ったステージの真ん中へ、身長152センチと
メンバーの中で誰よりも小さいあかりんさんが、小さな歩幅で向かう。
そしていつもいた最も、「明かりが射す場所へ」立った。
では、行こう。ヲルタナティヴ in 「小泉明音なりの甲子園」!午後7時45分、開幕!!
会場に鳴るのは、ギターが奏でるノイジーなポストグランジのメロディ。
イントロでステージの前方へ、歩を進めた三島凛さんが大きく声をあげる・・・
「あかりんに最高のプレゼントをしちゃいましょう!」。
2曲目は、「ギヴミーメーデー ~明解に不正解な世界の端っこの真ん中で~」。
曲のタイトルのように、あかりんさんのスタートはグループの選抜に漏れて、
スタジオの端っこやバックステージで、アイドルの世界を見ることから始まった。
だがそんなグループもまたオリジナル曲がなく、カバー曲でのライブを余儀なくされた。
この歌のサビに、「メーデーメーデー 今日も明日も たぶん明後日も」 とあるように、
広島の女の子たちは、いつの日に抜けるとも分からぬ不安の中で、
ひろしまMAPLE★Sというアイドルとして活動を続けた。
でも続けていたら、プロデューサーから初めてオリジナル曲が渡された。きっと・・・
嬉しかったと思う。そしてその曲が収められたCDを、初めてみんなで売った。
「世界の端っこの真ん中で 声を聴かせて」、そんな風に自分たちのことを思ってくれる
ファンの人ができることを願いながら・・・。
ステージでは三島凛さんが、再び曲中でフロアを煽る。「(振付けを)一緒に!」。
目の前にはその瞬間、ステージを見て一緒にダンスを踊るたくさんのファンがいた。
では、そんな多くの人と一緒に、ライブも盛り上がっていこう。
ステージの中央で、縦1列にヲルタナティヴの6人が並ぶ。
イントロが流れる、それはオリエンタルなエレクトロのメロディ。そのイントロにリズムを
刻むように、MIX(ミックス)と呼ばれるアイドルライブ特有のファンのコールが被さる。
3曲目は盛り上がりの定番曲、「今宵夢酔夢想歌(こよいゆめよいトロイメライ)」。
メインヴォーカルを担当するあかりんさんが、歌い始める。その歌詞は・・・
「きっと此処は黄金郷 夢か現か」。あかりんさんは活動を振り返って言っていた・・・
「6年半のアイドル人生が夢だったんじゃないかって感じです」、と。
夢みたいだったアイドルの世界は、ひろしまMAPLE★Sの2枚目のCDでメンバーに
選ばれた事で現実となった。それから「夢みたいだって 夢じゃない現実」を続けてきた。
広島を出た場所でもライブができるようになり、訪れたその街にも、黄金郷のように
明るく華やかなステージでパフォーマンスする自分たちのことを好きになってくれ、
応援してくれる人がいてくれた。
クラブミュージックのプログレッシブハウスをベースとするこの曲は、サビに向かって
曲調が盛り上がっていく。その最大の盛り上がりへ向かって、ヲルタナティヴは歌う。
「蝶や鳥も皆集まったなら 全て忘れ 歌え踊れ」
そしてサビで、ヲルタナティヴとこの夜フロアにいるファンの垣根を越えた人たちが、
シンクロして舞う。
お気楽���始めたアイドルだったけど、ファンの方が少しずつ増えるにつれて、
いつしか本気になっていた。増えていく自分たちの曲は、「どれも良い曲」だった。
いつかの日、あかりんさんは言っていた。「私、短大、卒業したよ!」。
別の進む道もあったがあかりんさんはアイドルを続ける道を選んだ。だから今がある・・・
最後を前に、あかりんさんを見たいと思う多くの人がフロアに集まる景色が目の前に。
曲が終わるとヲルタナティヴの6人が、頂点が不規則な六角形をステージ上に描き出す。
それは4曲目、「夏の香のパ・ド・ドゥ」の始まり。
エレクトロハウスという音楽ジャンルにアプローチしたこの曲も、スタートは静か。
「遠い とおい 夏の日 熱い アスファルトの道 君と僕がいた街」と歌うあかりんさんの声、
そして僅かなエレクトロの音だけが会場を支配する。
この曲には、こんなメッセージが込められている・・・。いつか必ず会いに行こう、例え、
遠くとおく離れていても。
遠いようで近い夏の日、たくさんの思い出をファンの方と一緒に作ってきた。
ひろしまMAPLE★Sでは、小さなフロアに溢れるほどの人が集まった「@JAM EXPO」、
MAPLEZでは、初めてフェスの巨大なステージに立った「アイドル横丁夏まつり!!」、
そして夢を叶えた「TOKYO IDOL FESTIVAL」への出演とZepp DiverCityのステージ。
さらにこの日、あかりんさんを囲む5人のように、数多くの歴代メンバーと出会ったのも
夏の日だった。
あと、どうでもイイ、夏の怪談に登場する”化物”みたいな、アタシともー・・・。
そして歌詞に心を込めて、あかりんさんがサビをファルセットで歌う!
「君のいない いない 夜がまた 訪れて消えていっても 忘れないでね」。
君とはきっと、ファンの方にとってのあかりんさん、そしてあかりんさんにとっては
自分のことを応援してくれた全ての人のことを指す、そうボクは思う。
そんなステージにいるあかりんさんを、毎年違う景色を描いてきた夏の日のように・・・
キラキラとしたエレクトロハウスの音色と、照明の光が明るく照らし出した。
ヲルタナティヴのライブはこの日も、あかりんさんが長く続けてきたノンストップで行く。
ではそろそろ、ヲルタナティヴのキラーチューンを始めましょう!5曲目は・・・
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「飴色リズム(あめいろリズム)」!!!!!!!
4曲目「夏の香のパ・ド・ドゥ」のベースとなっているエレクトロハウスから派生した
音楽ジャンルである、コンプレクストロにアプローチした曲。
その特徴は、曲の始めから終わりまでのおよそ4分間、とにかくアッパー!
イントロで三島凛さんが「盛り上がっていくよー!」 とフロアを煽る通り、ヲルタナティヴの
ライブを確実に盛り上げる・・・、きゃりーぱみゅぱみゅさんとでんぱ組.incリスペクトで
”きらきらキラー”な”キラキラチューン”。
Bメロでは、ステージ上のメンバーとフロアを埋めるファンの人たちが夏のEDMフェス並に
プチャヘンザ・スタイルでジャンプ、時間の進行を忘れるようにみんなで盛り上がる。
歌詞に、「時が赦すなら止まっていたいの それ以上は望まないわ」とあるように・・・。
あかりんさんがアイドルとなり活動した6年の時間の中で、残した曲の数は36曲に上る。
リリースしたCDの数は11枚、ミュージックビデオは9本。その1曲1曲に思い出がある。
宙音美憂さんは「始発列車はまだ来ない」、 流川彩菜さんは「アイソレーター」 、
アイリさんは「ENDEAVORRR」、そして「どれも良い曲」と言うあかりんさん・・・
そんな自分たちでも好きな曲が分かれる良い曲を、毎回作ってくれる人がいて、
その曲をステージで魅力的に見せることができるダンスを考えてくれる人、
また照明を考えてくれる人、音響を整えてくれる人など多くのスタッフがいた、
何より、それらの曲を好きになってくれるファンの方がいたからこそ彼女たちは・・・
「夢から醒めてないで」 、アイドルとして活動を続けてくることができた。
そのバトンはきっと、これからも受け継がれていくだろう。
この曲は、柊木ハツミさんが一歩前に出てステージのセンターで1人ダンスを踊る・・・
その後ろに、ヲルタナティヴの他のメンバーが立つフォーメーションで終わる。
曲が終わると同時にメンバーが立ち位置を移動、ステージ前方に2人、後ろに4人の
台形を描く。
聞こえてくるのは、シンセサイザーが鳴らす清んだメロディとストリングスを弾く音、
そしてあかりんさんの歌声。6曲目はトロピカル・ハウス調の曲、「かえろうよ」。
「街の喧騒 通り過ぎた風 季節の始まり連れて ずっと彷徨っていた心 撫でるよ」、
そんな歌い出しのように、故郷・広島を旅立ったあかりんさんは、春に連れられるように
街の喧騒がざわめく東京へ、最後の挑戦をするために来た。
彷徨っていた心もあっただろうが、この街にも一緒に夢を追いかける仲間がいた。
そして、自分の夢を応援してくれるファンの方がいてくれた。
「いつか見た夢が 記憶の奥の奥 同じように煌めくよ」
広島と東京で見続けた、煌めく夢。それは、ファンの方にとっても明るく煌めく夢のような
時間だったと思う。でも、あかりんさんはいつかの日に、こんなことを話していた。
「友だちと遊ぶ暇があまりない」のが悩み。6年半もの長い時間を、非”日常”の世界で
過ごした。
サビに向かい盛り上がるこの曲は、最後にヲルタナティヴとフロアにいるファンの方が
ユニゾンで、こんな歌詞を歌って曲の終わりへと向かっていく。
・・・「かえろうよ」。
では、ヲルタナティヴの「小泉明音なりの甲子園」も、そろそろ終わりへ向かいましょう。
最後を〆る曲は、疾走感のあるエレクトロのメロディにPunkサウンドが融合した・・・
7曲目、「Wonder Wander Lander(ワンダー・ワンダー・ランダー)」!
イントロでヲルタナティヴの6人がステージ前方に進み、6人揃ってフロアを煽る。
曲は、こんな歌詞で始まる・・・。「煌めいて見えるのが 描いた夢だ」!
一握りの女の子しか立てないステージのセンターで歌うことは、夢のような時間であり
またその時間を共有する大勢のファンの方が、あかりんさんの周りにはいた。
アイドルを目指していなかったまだ10代だった女の子は、ステージのセンターを任され、
歌をレコーディングして、CDをリリースし、またミュージックビデオの撮影もした。
そして全国に通用するアイドル・グループとして、幾度もツアーを行い、北は北海道から
南は福岡までを巡った。
さらに、ワンマンでのライブは、最初は広島の街中にあるイベント広場だったけど・・・
そこから目標だった広島CLUB QUATTRO、東京・赤坂BLITZまで辿り着いた。
アイドルになったからには出演したかったTOKYO IDOL FESTIVAL、一度は夢破れた
収容人数最大で2000人を超えるZepp DiverCityステージへも立つことができた。
テレビにも出演したし、インタビューも何度も受けた、嫌だったけどグラビアも飾った。
もしかしたら「その輝きが眩いなら 目指すは最果て 」と歌う、ヲルタナティヴが目指した
最果て、世界だけがあかりんさんが現実にできなかった夢なのではないだろうか・・・。
「僕らの想いが光るのは あの日の夢とWonder Lander」
ファンの人たちの想いも乗せて、6年半という時間の長さを飛び続けたあかりんさんが、
アウトロで宇宙のキラ星の様に手を瞬かせ、そして着陸船のようにステージの上で
静かに動きを止めた。ヲルタナティヴの6人が、ステージを降りる。
「小泉明音なりの甲子園」でヲルタナティヴは、過去の曲ではなく、あかりんさんが
走り続け、そして辿り着いた今の曲でステージを作った。
初めて見た「アイドル甲子園」で印象に残らなかった女の子は、いつしか多くの人を
魅了し、”恋”い焦がれられる女の子になっていた。だが、まだこれで終わりではない。
再び、あかりんさんがステージに立つ。今度は1人で、ステージのセンターに。
この日、特別に用意されたあかりんさんのソロステージ。その時間にあかりんさんが
選んだのは、ひろしまMAPLE★S時代に発表したソロ曲「Echoes(エコーズ)」。
規則的に鼓動する4つ打ちのビートに、キラキラとしたエレクトロポップのメロディーが
融合・・・、そしてそこに、可愛らしくも透明感のあるあかりんさんの歌声が重なる。
そうだった、ひろしまMAPLE★Sの曲、MAPLEZの曲、そしてヲルタナティヴの曲は・・・
あかりんさんの歌声があって1つの完成形となっていた。
あかりんさんのヴォーカルは、グループの大きな武器の1つだった。
そんなたった1人、ステージに立って歌うあかりんさんを、青色のライトが包む。
そして歌が2番に入ると、フロアから手拍子の音が沸きたつ。
あかりんさんは歌う、「鳴り止まない唄 ここからそっと また歩き出すよ」。
あかりんさんはアイドルを卒業して、ここまでには無い新たな道へ歩み出す。
その存在は、仲間にとって頼れる心強い存在、後輩たちにとっては目指す姿、
ライバルにとっては同じ夢を志した仲間、そしてファンの方にとっては希望だったと思う。
曲の最後のサビ、かつて「うさぎのおめめは?あかりんりん」と自己紹介をしていた
あかりんさんの周りを、月を周回する無数の瞬く星のように、ミラーボールが発する
明かりが、ゆっくりと輝きをもって回転した。
そして歌が終わり最後のMC・・・。「ファンのみんながいるから私は頑張れる、
ファンのみんながいるから私は笑顔でステージに立てています」、と言い続けてきた、
あかりんさんが集まった多くのファンの方に向かって、ありったけの想いを言葉に込めて
言う・・・!
「これまで頑張って良かった!」。
そのあかりんさんの顔は、笑顔だった。ライブの最後に、いつも歌っていた「RPM」の
曲の始まりと同じように。
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- あとがき -
2019年3月31日、白金高輪 SELENE b2。ヲルタナティヴの3回目となるワンマンライブ、
「ヲルタナティヴ 3rd Oneman Live “Wheel of Fortune”」 をもって、あかりんさんは
自身のアイドル人生に終止符を打った。
数日前までテレビでは、その日の天気を雨と告げていたが、よく晴れた日だった。
午後4時半にスタートした、あかりんさん最後のステージは、その前に広がるフロアに
男性をはじめ女性、新旧のファンの方、元メンバーの水瀬もも(みなせもも)さんなど
多くの人がいた。
6年半前は多くなかったが、時間が経ち最後は多くの方に見守られて、あかりんさんは
ステージのセンターに、この日も立った。そのステージで、あかりんさんは言った・・・
「ひとりで歩いた道なんて、どこにもなかった」、そして「これまでムダじゃなかった」と。
6年半に渡る、アイドルとしての活動は広島で始まり、そして東京で幕を降ろした。
あかりんさんと同じ広島で育った現在、BABYMETALで活動するSU-METALこと
中元すず香さんがアイドルグループ「さくら学院」を卒業するまでの最後の1年間、
ボクはほぼ全てのライブを見に行ったが、東京駅に近い有楽町の東京国際フォーラムで
行われた卒業公演のステージでファンの人の前ではずっと笑顔だった中元すず香さんが
公演が後わり、ステージを降りた瞬間に泣き崩れたという話が大好きなのだが・・・
あかりんさんもまた、卒業のステージでは最後まで笑顔で涙を見せることはなかった。
三島凛さん、鈴屋もずくさん、桃川もも子さん、柊木ハツミさん、神谷さくらさん・・・
ヲルタナティヴの5人は本番前に涙を流したりもしたが、ライブが終わった後には、
口を揃えて言っていた。「ライブ中、本当に楽しかった!!」。
そんな、あかりんさんの卒業のステージの前に、ボクは1人のファンの方と出会った。
それはオーストラリアから来日した、外国の方だった。その方はボクに教えてくれた・・・
「明音ちゃんの卒業の時は、絶対に(日本へ)来ようと思った。」、と。
あかりんさんの夢の最後のピースである「世界を目指す」という目標もまた、ボクは、
実現できたのではないかと思うことに決めた。
900キロに渡り全速力で走ってきた列車が停まる。そこは終点の場所、東京駅・・・
ボクは列車を降りる。きっとだけど、忘れ物はない。
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”ここにいないあなたへ”
2006年12月から始まった、ボクのおよそ12年に渡るアイドル・ファンとしての時間。
さまざまな女の子と出会い、そして別れを繰り返してきた。その時間の中で・・・
3分の1を超える4年半という、もっとも多くの時間を過ごしたのが、小泉明音さん。
あかりんさんだった。
出会いは今も、偶然とタイミングが合わさった、ミラクルだと思っている。
その出会いにより、モヤモヤする事もあったし、悔しい気持ちを持ったこともあったし、
残念な気持ちになったり、また心の中で怒りを感じたこともあった。
でも振り返るとそれ以上に、あかりんさんを見ていた時間は楽しい事でいっぱいだった。
あかりんさん卒業の日から3ヶ月が経った先月、ボクの自宅に手紙とDVDが届いた。
手紙を書き、DVDにメッセージを込めてくれたのは、あかりんさんだ。
その手紙の中であかりんさんは、長い時間を振り返って、前述したように・・・
「6年半のアイドル人生が夢だったんじゃないかって感じです。」と書いていた。
そんな���紙そしてDVDで、あかりんさんは共通して1つの質問をボクにしている、
「私のいないアイドル界どんなかんじですか?」、と。
最後に、あかりんさんから貰ったこの質問に答えてボクのBlogを終わろうと思います。
あかりんさんがいない今のアイドルシーンは・・・
ボクにとっては意味を持たない。アイドルのライブへ行くのは、終わりにしたよ。
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theatrum-wl · 6 years
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【劇評】【レポート】どこにもない演劇のまち、西和賀:東北の湖畔の町で見た演劇の風景
第26回  銀河ホール地域演劇祭(2018/09/01-09/02) 片山 幹生
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〔西和賀町文化創造館銀河ホールの空撮。手前は錦秋湖〕
岩手県と秋田県の県境、奥羽山脈のただ中にある西和賀町は人口5000人ほどの小さな町だ。この町には客席300ほどの公営の劇場、西和賀町文化創造館  銀河ホールがある。この劇場では1993年の開館以来、毎年地域演劇祭が開催されている。第26回銀河ホール地域演劇祭は2018年9月1日(土)と2日(日)に開催され、4団体4作品が上演された。今回上演された4作品はすべて宮沢賢治の作品だった。本稿ではこの4作品の舞台評のほか、銀河ホールというユニークな地方公共劇場の活動と地域演劇祭の様子について紹介していきたい。
劇団あしぶえ『セロ弾きのゴーシュ』
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〔劇団あしぶえ『セロ弾きのゴーシュ』〕
銀河ホール地域演劇祭の最初の演目は、島根県松江市の公設民営劇場〈しいの実シアター〉を拠点する劇団あしぶえの『セロ弾きのゴ��シュ』だった。あしぶえは2016年に創設50年を迎えた長い活動歴を持つ劇団だ。『セロ弾きのゴーシュ』はあしぶえが28年にわたって上演し続けている劇団の最重要レパートリーであり、アメリカ、カナダの演劇祭でいくつかの賞を受賞している。
『セロ弾きのゴーシュ』の筋立てはごくシンプルなものだ。しかしあしぶえの公演ではそのシンプルな物語が、ミニマルな舞台美術とストイックな演出によって、さらに研ぎ澄まされたものになっていた。徹底的に磨き抜かれた鉱物の結晶のような美しさを持つ舞台だった。張り詰めた緊張感が最初から最後まで維持され、冗長さはまったく感じられない。
自尊心を徹底的に打ち砕かれ、絶望で自暴自棄の状態に陥りそうになりながら、ぎりぎりのところでゴーシュは破滅への転落をまぬがれた。夜中にゴーシュの家にやってきた何匹かの動物の前で演奏することで、ゴーシュのセロは上達し、自尊心を回復する。次の演奏会でゴーシュはそれまで自分を罵倒していた指揮者から賞賛を受ける。彼はそれまで自分がどれほど傷ついていたことさえ気がついていなかった。演奏会が終了し、帰宅して一人になったときになってはじめて、ゴーシュは自分を絶望の淵から救い出してくれた動物たちの無償の優しさに気づく。
劇の最後で彼の口から漏れる感謝の言葉の真実に、私は強く心打たれた。
俳優の表現のあらゆるディテールにまで注意が払われていることが感じとることができた舞台だった。きびしくコントールされた俳優の演技は、ゴーシュの情念の動きを精密に、ダイナミックに描き出している。ゴーシュの絶望ともがき、いらだちが、舞台から豊かなニュアンスとともにまっすぐ観客席に伝わってくる。ゴーシュ役の俳優の演技にひきこまれ、観客の多くはゴーシュの重苦しさを共有していたに違いない。
なぜゴーシュが動物たちの出会いによって停滞から抜け出せすことができたのか、動物たちはなぜゴーシュの家にやってきたのか、そしてゴーシュが最初にやってきた猫に対して謝罪しなかったのはなぜなのか。いくつもの「なぜ?」に対する回答はあしぶえの舞台でも宙ぶらりんのまま提示されない。『セロ弾きのゴーシュ』はハッピーエンドの物語だろうか。ゴーシュに感情移入していた観客は、ゴーシュの演奏の成功にカタルシスは感じた者もいるだろう。終幕のゴーシュは確かに絶望からの解放を味わっていた。しかしその解放感は愚かで未熟な自分へのいくばくかの悔恨を伴っている。彼は喜びよりは、深い虚脱感をあのとき味わっていたのではないだろうか。そんなことを感じさせる演出だった。
物語を舞台化するにあたって、雑多な情報を持つ俳優の身体や舞台空間が、作品を過剰に説明的なものにし、そのノイズによって語りの持っていた本質的な魅力を損なってしまうことがままある。あしぶえの『セロ弾きのゴーシュ』は、これとは逆だ。俳優の存在と舞台空間の抽象性が、物語の純度をさらに高め、作品に内在する象徴性を際立たせることに成功している。ほぼ唯一の具象的美術であるチェロの存在が、この舞台ではなんと雄弁なことか。28年に渡る上演のなかでテクストと真摯に向かい合ってきたからこそ、到達することができた表現の逆説だろう。強くて美しい舞台だった。(9月1日14時開演@銀河ホール)
劇団田中直樹と仲間たち『水仙月の四日』
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〔劇団田中直樹と仲間たち『水仙月の四月』〕
地域演劇祭、二本目は西和賀在住の〈田中直樹と仲間たち〉による『水仙月の四日』を見た。この公演は田中ひとりよって語り、演じられる人形芝居だった。
田中直樹はもともとは地元の劇団ぶどう座に所属していたが、考え方の違いからぶどう座を離れ、ソロで公演を行っていると聞いた。会場は銀河ホールに隣接するUホール。Uホールの建物は円錐形のとんがり屋根と赤い壁の可愛らしい建物で一階は図書館になっている。二階のUホールは円形平面で、リハーサル室・会議室として利用されている場所とのこと。観客は床に座って見るが、今回の公演では後ろの壁際に何脚かパイプ椅子が用意されていた。
『水仙月の四日』は吹雪の一夜を雪原でやり過ごす少年の話だ。舞台が始まる前に田中から、タイトルの「水仙月」と作品冒頭で出てくる「カリメラ」という語についての説明がある。これらの語はいずれもは宮沢賢治の造語で、水仙月は2月から3月の雪深く寒い時期、「カリメラ」は「赤砂糖を一つまみ入れて、それからザラメを一つまみ入れる。水をたして、あとはくつくつくつと煮る」とテクストにあるので、おそらく「キャラメル」を指す。
『水仙月の四日』は日本有数の豪雪地帯であるこの付近の人々にとっては、とりわけその情景がはっきりと思い浮かぶ作品に違いない。田中直樹は赤いケット(毛布)をかぶった少年とその少年を見守る雪童子を15センチほどの小さな人形に演じさせた。これに対して吹雪のアレゴリーである雪狼は人間の顔と同じくらいの大きさの仮面、そして大吹雪のアレゴリーの雪婆は人間をすっぽり覆い尽くす大きさの紙製の面で表現していた。雪婆が登場する場面では照明が暗くなり、蛍光ライトで雪婆の巨大な顔が白く照らし出される。小さい子供たちは狭い舞台を走り回る雪狼と雪婆を怖がっていた。
少年と雪童子を小型の人形にしたことで、白くて厳しい大自然に翻弄される人間の様子が強調された。また白い美術のなかでの少年の着た鮮やかな赤のケットの色彩の対比も印象的だった。小品だが配慮のいきとどいた工夫の数々によって、大人の観客も子供の観客も異世界に誘う、優れた演出の公演だった。人形と紙製の大きなオブジェ、紙吹雪といった材料はこの作品の上演を考えると定番的な素材だが、そのスペクタクルが作り出す幻想は、宮沢賢治の物語を冗語的に説明するのではなく、その語りの美しさをより印象的に引き立てるものになっていた。(9月1日15時半開演@Uホール)
栗田桃子(文学座)ソロ朗読劇『銀河鉄道の夜』
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〔栗田桃子(文学座)ソロ朗読劇『銀河鉄道の夜』〕
銀河ホール地域演劇祭の二日目(9/2)の最初の演目は、文学座の栗田桃子によるソロ朗読劇『銀河鉄道の夜』だった。
会場は銀河ホール。舞台にはいくつものキャンドルが並べられ、中央に椅子が一脚置かれている。背景には静止画の映像が映し出される。栗田はときおり、椅子を立ったり、座ったり、あるいは歩き回ったりしながら、声色で人物を演じ分けて朗読する。
動きもスマートだし、朗読も達者ではあるが、その動作や声色の変化がことごとく定型的で、テクストに書いてあることをそのまま冗語的、説明的になぞっているに過ぎない。テクストの記述に反射的に反応するような中途半端な工夫は、かえってテクストの世界を矮小化し、観客が世界に入り込むことを妨げてしまう。あれなら座ったまま普通に読んだほうがまだ聞き手の想像力を刺激することができるだろう。広い間口の舞台で栗田の芝居が空回りしていた。栗田桃子という魅力的な女優を使った朗読劇がこんなありさまなのはいかにももったいない。演出家あるいは演者の作品に対する思い入れや独自の解釈などを感じとることができない退屈な朗読劇だった。「朗読劇ってこんなものだろう」という演出家の作品に対する取り組みの甘さを感じてしまう。
演出の単調さと照明の暗さで、五分もすると猛烈な眠気の波が襲いかかってくた。私の周囲の観客にも観客も落ちていた人がかなりいた。公演後のアフタートークで宮沢賢治記念館の学芸員と演出の西本由香の話があったが、このアフタトークでも西本の話ははなはだ曖昧模糊としていて、学芸員の語る興味深いエピソードとの対比で、演出家の作品への関心の薄さが露わになっていた。(9月2日14時開演@銀河ホール)
劇団ぶどう座『植物医師』@ぶどう座稽古場
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〔劇団ぶどう座『植物医師』〕
銀河ホール地域演劇祭で最後に見た演目は、この地を拠点に1950年以降活動を続けているぶどう座の『植物医師』だった。これは他の上演作品のような翻案ではなく、宮沢賢治の書いた短編戯曲の上演だ。私はこの戯曲を読んだことがなかったし、上演を見たことがなかった。ぶどう座は、近年は主宰の川村光夫が高齢(現在96歳)のため実質的に引退状態で、かつてと比べると活動力が大幅に衰えているという話を聞いていたのが、この『植物医師』の公演はその衰退ぶりを感じさせない充実した内容の公演だった。
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〔ぶどう座稽古場〕
公演会場は1960年代に建てられたというぶどう座の稽古場である。まさに芝居小屋といった風情の公演会場に、芝居が始まる前から心が浮き立つ。稽古場は北上線の踏切のすぐそばに、踏切の番小屋のように建っている。舞台の間口は6メートルくらいか。舞台奥の壁はさまざまな色の大きな布で覆われている。客席は板間平面と三、四段の段状、詰めれば40人ぐらいは座れると思う。
芝居の始まる前に、劇のオープニングで歌われる宮沢賢治作詞の《花巻農学校精神歌》の練習があった。観客もこの歌を一緒に歌うようにうながされる。これは楽しい趣向だった。
『植物医師』は上演時間30分ほどの小篇だ。岩手のとある村に《植物医師》を名乗る人物が引っ越してきて、植物病院を開業する。しかしこの植物医師の専門家としての知識はどうもいい加減なもののようで、いかにもうさんくさい人物だ。開業した植物病院に村人たちが次々とやってきて、枯れてしまった稲の治療法を訪ねる。植物医師はでまかせのいい加減な対処法を村人たちに伝え、お金を取る。いんちき治療法で易々とお金を稼いだ植物医師だが、彼の処方では稲の被害は収まるどころか、ますます拡大していく。村人たちが医院に戻ってきて植物医師を詰問する。植物医師は口舌でなんとかそれらの非難を丸め込もうとするが、最後には言い返す言葉もなくなり、村人たちの怒りの言葉にうなだれてしまう。善良でお人好しの村人たちはうなだれた植物医師を見て、彼に同情しはじめる。そして先ほどまでの怒りを収め、植物医師を許すのだ。その許しの言葉は、植物医師にとっては怒りにまかせた批判の言葉よりもはるかに重く感じられた。植物医師はますます打ちひしがれてしまう。
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〔ぶどう座稽古場内部〕
村人たちが入れ替わり立ち替わり植物医師のもとを訪れ、アドバイスを求める場面では、民話によく見られる同種のやりとりの反復とそのエスカレートが、笑いの効果を作り出している。岩手弁のユーモラスな響きがさらに場面の喜劇性を高めていた。不正に対する怒りと非難よりも、不正に行った人間への大らかな優しさと許しこそが力を持つという宮沢賢治らしい倫理が結末で提示されるが、最後の場面の急転が作り出すドラマの力強さと素朴さに心打たれた。村人たちの許しのことばが発せられるたびに、かがんだ体がどんどん下がり、苦悶と戸惑いの表情が深くなっていく演出と演技は見事だった。
芝居小屋の雰囲気もこの作品の上演にいかにもふさわしいものだった。まさに岩手で岩手の人たちによって演じられることによって、この『植物医師』はいっそう味わい深い作品となっていた。この地でのぶどう座の活動の歴史が染みついた稽古場で、この作品を見られて本当によかった。
終演後には稽古場内で打ち上げがあり、私も短い時間ではあったが、出演メンバーとぶどう座の旧メンバーの方々と座を囲んだ。『植物医師』は主宰の川村光夫演出でもかつて公演をおこなったが、それは27年前のことだと言う。今回の公演の演出を担当した菊池啓二さんに「今回の上演は川村さんの演出を蹈襲したものなのですか?」と聞くと「いや、前の上演はもうだいぶ昔の話で、私も見ていないし。まあ川村風にはやりました(笑)」と仰っていた。
今回のキャストには二十歳台の青年も二名参加していた。彼らは昨年から活動を始めた銀河ホール演劇部の部員だと言う。銀河ホール演劇部は、アートコーディネイターの小堀陽平氏の主導で昨年から活動を始めたサークルだ。小堀さんは「ぶどう座の表現は、この地域の人たちの身体と言葉、感覚に根ざしたものなので、銀河ホールで演劇部を作って活動をはじめましたが、外からやってきた僕たちが作る演劇が、ぶどう座を引き継ぐものにはなり得ないように思うのです。やはりぶどう座は土地の人が継承していくものだと考えています」というようなことを言っていたが、実際に公演を見るとそれが実感できる。
地域演劇祭の締めくくりでこの公演を見、そして短い時間ながらぶどう座の人たちと交流の時間を得ることがでいたのは私にとってはとても有意義なことだった。(9月2日17時開演@ぶどう座稽古場)
地域演劇祭と西和賀町文化創造館 銀河ホールの活動
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〔銀河ホール(後側)とUホール(手前側)〕
西和賀町文化創造館 銀河ホールのことを私が知ったのは二年ほど前のことだ。この劇場が、年に一度の地域演劇祭のみならず、地域に根ざした様々な演劇活動を積極的に行っていること、この地を本拠とする60年以上の伝統を持つぶどう座という劇団があること、劇場の活動の軸となっているのが東京出身で日芸OBのまだ若い青年であることなどを知ったことで好奇心をかき立てられ、いつか訪ねてみたいと思っていた劇場だった。演劇は都市のものという固定観念があった私にとって、東北の山間にある小さな劇場で多彩な演劇活動が行われていることが驚くべきことのように思えたのだ。
銀河ホールはJR北上線ほっとゆだ駅から歩いて数分のところにある。ほっとゆだ駅は北上駅から50分ほど。東京駅から北上駅までは東北新幹線で2時間半から3時間かかるので、東京からだと4時間ぐらいで銀河ホールに行くことができる。地図からの印象より案外近く感じられる。
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〔北上線ほっとゆだ駅。駅舎に公衆温泉が附属している〕
西和賀町文化創造館は、銀河ホールのある本館とUホールの別館からなっている。約三百席の銀河ホールの客席はゆったりとしていて、舞台までの距離も遠くない。暖かみのある落ち着いた木製の内装で、芝居を楽しむには理想的な空間だ。劇場の背景に広がるダム湖、錦秋湖の風景が美しい。錦秋湖の湖畔には、野外ステージもあった。
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〔銀河ホールの裏手にある野外湖畔ステージ。後ろは錦秋湖〕
人口5000人程度の自治体でこんな立派な公共劇場を持っているところはそんなにないのではないだろうか。西和賀町で演劇が特権的な文化活動になっているのは、この町で60年以上活動を続ける劇団ぶどう座の存在に負うところが大きい。ぶどう座は川村光夫という優れた演劇人のもと、地域演劇の担い手として充実した活動を行い、戦後日本演劇史に重要な足跡を残した。このぶどう座の活動実績があったからこそ、銀河ホールという公共劇場の建設が可能になったのだ。
西和賀町文化創造館(当時はゆだ文化創造館)は1993年に開催された〈第8回国民文化祭いわて’93 〉の会場として建設された。この国民文化祭を兼ねたかたちで〈第1回銀河ホール地域演劇祭〉が行われ、以後、地域文化祭は毎年秋に開催されている。当時、湯田町(2005年に沢内村と合併して西和賀町となる)の役場の職員で、この劇場運営の中核だった新田満氏に話をうかがったのだが、開館から2000年代半ばまでの銀河ホールの活動は目覚ましいものがある。毎年の地域演劇祭の開催のほか、町民を対象とした演劇学校、小中学校での音楽劇制作、行政的区画を超えた高齢者による演劇公演、そしてロシアとアメリカの演劇人を招聘し三週間にわたって行われた大規模な国際的演劇交流事業など、地方の小さな町の公共劇場としては驚異的な活動を展開していく。
しかしこの初期の黄金時代は、こうした活動に��意をもって取り組んできたキーパーソンの退職とともに終焉を迎える。地域劇団として銀河ホールの活動に大きな影響を持っていたと思われるぶどう座も、主宰の川村光夫の高齢化とともに、活動力が低下していった。おそらく湯田町が沢内村との合併で西和賀町となり、役所内の組織にも大きな改編があった2005年以降、銀河ホールの活動は停滞期に入ったように思���れる。
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〔銀河ホール内部〕
西和賀が演劇のまちとして再活性化しはじめるのは2011年以降のことだ。きっかけは2012年以降現在まで継続的に行われている《ギンガク》という学生演劇合宿事業だ。この事業の立ち上げで中心的な役割を果たしたのが、当時、日芸の大学院生だった小堀陽平さんだ。今回の滞在では小堀さんからも彼と西和賀町との関わり、銀河ホールの活動について話を聞いた。
彼は2014年以降、地域おこし協力隊の一員として西和賀町に移住し、《ギンガク》の活動のみならず、銀河ホールを核としたさまざまな演劇事業を企画・遂行していく。地域おこし協力隊の3年の任期が終了した2017年度以降、西和賀町は「銀河ホール アートコーディネーター」という職を小堀さんに用意し、彼は西和賀の嘱託職員として採用された。町の彼に対する信頼と期待の大きさがうかがわれる。
アートコーディネイターとして彼が担当する業務は文化事業全般に関わるものだが、演劇に関わる事業としては、地域演劇祭のほか、学生演劇の合宿《ギンガク》、小中学校での公演・ワークショップ、高校演劇アワード、地域中学への演劇指導、銀河ホール「演劇部」の活動、そして貸し館業務など多岐にわたっている。今後やりたい事業としては、シニア演劇、温泉・観光と組み合わせたイベント、アーティスト・イン・レジデンスなどを挙げていた。
ほっとゆだ駅から銀河ホールにかけての道に「どこにもない演劇のまちをつくろう」と書かれたのぼりが立ち並んでいるが、町外からこの町にやってきた地域おこし協力隊の青年たちがもたらす刺激によって、西和賀は演劇のまちとして新たな一歩を踏み出そうとしている。
第26回銀河ホール地域演劇祭
2018年9月1日(土)- 9月2日(日)
会場:西和賀町文化創造館(銀河ホール・Uホール)/劇団ぶどう座稽古場
主催:銀河ホール地域演劇祭実行委員会
後援:西和賀町観光協会・西和賀町芸術文化協会・西和賀町教育委員会
総合舞台監督:内山勉
テクニカルスタッフ:アクト・ディヴァイス
宣伝美術:髙野由茉 小堀陽平
特別協力(記録撮影):森山紗莉
劇団あしぶえ/島根『セロ弾きのゴーシュ』
9月1日(土) 14:00~@銀河ホール
出演:松浦 優海、門脇 礼子、上田 郁子、有田 美由樹、伊達 生、有田 美由樹、門脇 礼子、原田 雅史、上田 郁子、川村 真美、牛尾 光希、岩田 和大
演出:園山 土筆
舞台/照明:稲田 道則、岡本 敦、門脇 礼子、長見 好高、原田 雅史
音響:福井 健吾 前村 晴奈
小道具:上田 郁子
衣装:有田 美由樹 川村 真美
制作:前村 晴奈
劇団田中直樹と仲間たち/西和賀『水仙月の四日』
9月1日(土) 15:30~  総入替え2回上演@Uホール
出演:田中 直樹、田中 宏樹
演出/美術:田中 直樹
照明:小堀 陽平(銀河ホール)
雪布操作:田中 真理子
協力:湯田ドライブイン
栗田桃子(文学座)ソロ朗読劇/東京『銀河鉄道の夜』
9月2日(日)14:00〜@銀河ホール
出演:栗田 桃子(文学座)
演出:西本 由香(文学座)
照明:賀澤 礼子(文学座)
映像・音響:西本 由香(文学座)
美術:米澤 純(Jun's Light Candles)
劇団ぶどう座/西和賀『植物医師』
出演:真嶋 実、池田 慣作、菊池 啓二、高橋 節子、高橋 守、三浦 勇太
演出:菊池 啓二
舞台美術:内山 勉、新井 真紀
音響/照明:真嶋 陽
小道具:髙野 由茉
●片山 幹生(かたやま・みきお)1967年生まれ。兵庫県神戸市出身、東京都練馬区在住。WLスタッフ。フランス語教員、中世フランス文学、フランス演劇研究者。古典戯曲を読む会@東京の世話人。
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tagchan · 3 years
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「ととと便り」2022年2月21日 『盛岡の朝を歩こうマンデー』 今朝は久々にゲストさんと一緒に歩こうマンデー! 今回は3人参加。 やはり、みんなで歩くと楽しいですね。 しかし、今朝は寒かった! 7時頃に出発しましたが-5.7℃ 手袋してても手が冷たくてポケットにずっと突っ込んでました。 まずはホットライン肴町へ。 つい先日3月末での閉店を発表したホームセンターを紹介。 とととから近い方の肴町の入り口にありますからね。 ここが閉店するのは残念です。 閉店後はどうなるのかなー、この建物。 ホットライン肴町を歩きながらお店の紹介。 盛岡八幡宮の参道と交差するところで八幡宮を見ると 赤い鳥居と白く雪の積った本殿がかっこいい。 やっぱいいですね、ここの景色。 雪が舞う中の岩手銀行赤レンガ館もいいですね。 中の橋を渡ると、中津川に白鳥が。 明治橋付近よりもたくさんいますね。 鶴ヶ池横を通ってガス灯を紹介しようと思ったら一つ消えてた。 近くの二つはついてたので故障かな? ガス漏れじゃなきゃいいけど。 節分の時期から飾られている櫻山神社のジョジョ鬼。 やっと見に来れました。 しかし、ほとんど読んでいないから、この白猫みたいなキャラが誰だかわからない。 ゲストの皆さんも誰も知らなかったです。 桜山のお店があるエリアの方を見たら 「遠野食堂ラムジン」というお店が新しくできてました。 間もなく開店するらしいです。 楽しみですね。 でも、ここ前は何だったっけな? リーベを目指して来たのですが、 ときどきある月曜休みに当たってしまいました。 残念。 ゲストの皆さんにいくつか次の候補を上げたら カナディアンブレックファストが食べられる「Brunch Morioka」さんへ行くことに。 県庁方面を通り、 ちょっと寄り道して、とととの大家さんである三田農林の本社が入っているビルを紹介。 飯坂真紀さんが「塔のあるビル」みたいな前で描かれていますが、 確かにかっこいい! 裁判所前を通り、石割桜を見る。 冬場はあまり意識してみることがないので久しぶり。 桜が咲くのが待ち遠しいですね。 公会堂前を通ったら原敬の胸像があったのですが ゲストの皆さん、「原敬先生像」の先生がついてるのにビックリしてました。 確かに他に見たことないかも。 この胸像に雪が積もるとモヒカンみたいになるらしいのですが、 もうあまり降らなそうなので今年は見られないかも。 紺屋町番屋を通り、「Brunch Morioka」さんへ。 ちょうど開店時間に着いたみたいで、店員さんが階段を降りてきたとこでした。 お店は2階にあるのです。 何か声をかけられたのですが、よく聞こえなくて 「大丈夫ですか?入れますか?」と返したら 店員の女性の方(日本人)が「あら、外国の方だと思って”Good morning!”って言っちゃった(笑)」と。 ニット帽被ってマスクしてると目しか見えませんしね。 外国人のお客さんも多いでしょうからね。 お店に入った後に、「外国人に間違えられてましたね」って話になったので ニュージーランドにワーホリに行った時に、語学学校の見学に行った時のことを思い出しました。 実際の授業に混ぜてもらって、サウジアラビア人の方と話したのですが 「どこから来たの?」と聞かれたので「日本だよ」と答えると 「嘘だろ。中東の人かと思った」と言われました。 「なんで?」と聞いたら 「めっちゃ毛深いじゃん!」と手を見ながら言われましたとさ(笑) Brunch Moriokaではカナディアンブレックファストを食べながら いろいろ話して結局1時間以上長居してしまいました。 外国人のアルバイトスタッフもいましたし、一人で行ったら店員さんと英会話できますよ。 朝散歩&朝食食べながら深い話、いいですよ。 ぜひ一緒に盛岡の朝を歩きましょう! #ととと 盛岡の泊まれるたまり場 #ととと盛岡 #ととと便り #ホームセンター肴町 #盛岡八幡宮 #岩手銀行赤レンガ館 #櫻山神社 #ジョジョ鬼 #三田農林 #石割桜 #原敬先生像 #BrunchMorioka 旅のひとと地元のひとがつながる場 泊まらなくても使えるたまり場(シェアリビング&キッチン) 飲食物持込自由 自炊可能 街歩きが楽しい町、盛岡 岩手山がきれいに見える町、盛岡 南部藩の城下町、盛岡 古い趣のある建物が多い町、盛岡 素晴らしい庭園のある町、盛岡 素敵な喫茶店が多い町、盛岡 自家焙煎コーヒーが楽しめる町、盛岡 秋には鮭が遡上する町、盛岡 樹木を見て歩くのも楽しい町、盛岡 盛岡町家のあるまち並み、鉈屋町(なたやちょう) #鉈屋町 #natayacho #なたやちょう #盛岡 #岩手 #morioka #iwate #もりおか #iiiwate #岩手においでよ #盛岡のととと #盛岡ゲストハウス #岩手ゲストハウス #iwatehostel  (Brunch Morioka) https://www.instagram.com/p/CaPbmoopY9u/?utm_medium=tumblr
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negipo-ss · 6 years
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焼きそばハロウィンはいかにして無敵のアイドルになったのか(2)
 ごうごうと音を立てて裏庭の果樹園が赤く蠢いていた。永遠に収穫されることのなくなったりんごたちは次々に燃え落ちていった。光線を歪めて通すガラス窓がちらちらと女性の顔に炎を落としていた。質素なドレスからむき出しになった上腕を伝い、デスクの上へとおびただしい血が流れていた。その女性はみずから三重四重にナイフで切り口を開いて、金属のボウルに血を溜めていたのだった。ふわりと娘の方を振り向いた彼女のかんばせは、尊い使命を神から与えられて、地獄に遣わされた人の純真を示すヴェールのように白く輝いていた。最も高い天にたなびく雲よりも美しく結われたプラチナ・ブロンド。晴れた日のエーゲ海の上下を混ぜ合わせてしまったような知性に溢れたブルーの瞳。  ボウルから血をおさない娘に何口か含ませると、「絶対に声を出してはだめよ」とその女性は言った。腕の痛みで眉はひどく歪み、額には乱れた前髪が数本張り付いていた。娘はこくこくとうなずいた。母親が言うことを忠実に守るために、口元には両手が当てられて、目には涙が浮かんでいた。母親が「いい子」と言って微笑んだのを見て、ああ、愛しいママ、とその娘は思った。ママが苦しむのを、見たくない。ママが喜んで、嬉しい。  その娘は、かつての志希だった。  そうだ、これはあたしの物語だった、と志希は思った。志希はその鉄臭い液体を口いっぱいに含み、母親の言う通りベッドの下に潜り込むと息を殺した。そこにはカビ臭い本が何冊もあって、それは志希が数ヶ月前にそこに隠したあと、忘れてしまった本たちだった。志希の母親は「いい子だから。きちんと、隠れていてね」ともう一度言いながら、悲痛な表情で彼女の手を握った。血でいっぱいのボウルが横っちょに押し込められた。志希は本の内の一冊を大事に抱えて、ついでボウルを脚の下に隠した。  こく、と血を少しだけ飲んだ。 「ごめんなさい」と彼女は言った。 「許してね。力のない私を許してちょうだい」と、囁いた。  そうして彼女が足早に去っていくのを志希は見送った。  自分の息がうるさすぎて、ごうごうと知恵の実が燃えていく音は遠くなった。  やがて重々しい足音で、数人の兵士たちがやってくる。全員が、統制された動きで部屋を荒らし回った。クローゼットに整然と並んでいたお気に入りのドレスたちは床にぶちまけられ、踏みつけられた。ベッドシーツはめちゃくちゃに切り裂かれ、本棚の本も同様にすべてが投げ捨てられた。がしゃんと窓が割れる騒々しい音がして、家具たちが外に放られているようだった。  志希はそれらをすべて、そのベッドの下の小さな隙間から見ていた。こく、と血を飲む。ボウルの血を口に含めば、まだ少しは、保つはずだった。誰に祈ればいいのか、志希にはもう分からなかった。  そして、母親が戻ってくる。  母親は自分の脚で歩いていない。  つま先はずるずると引きずられている。二人の兵士たちが彼女の両脇をきっと抱えている。そして、彼女は木でできた床に打ち捨てられる。志希の愛したドレスと同じように、本たちと同じように。死の直前、ひどい苦悶に喘いだであろうその美しかった顔や目に、もはや生命のしるしは無く、志希は約束を破って、「ママ」と小さな声で呟きながら、ベッドの下からその死体に手を伸ばした。志希の周囲で、正体のわからない激しい火がぼうぼうっと燃え盛っている気がした。  伸ばされた彼女の手は、炎の向こうで、親しい人にそっと取られた。 「志希」と美嘉は言った。涙で歪んだ視界の奥で、志希は母親の代わりに美嘉を見つけた。  すべてはかつてあった真実が夢に溶けた姿だった。  友愛に満ちた顔には、不安が滲んでいた。ベッドから離れて光るデスクライトだけに照らされて、美嘉の尖った鼻が作る陰翳は、記憶の中の母親のそれに少しだけ似ていたが、おさなさが濃かった。  志希はじっと美嘉の輝く瞳を覗いて、微笑んだ。「泣いちゃった」と、くすくす笑った。そのまま、ぐす、と鼻を啜って、「あー」と意味なく呻きながら人差し指で目の下を拭い、 「美嘉ちゃん台本見てたの? 今何時?」 「一時過ぎ」 「明日も撮影なんだから、早く寝ないとだめだよ」  ふ、と美嘉は笑って、「いつもとなんだか、逆だね」と静かに言った。  そっと美嘉が手を離したとき、志希の手はわずかに空を掻いて、去っていったそれを求めた。求められた美嘉の温もりは、デスクライトをか、ち、とゆっくり消したあと、志希のベッドへと戻ってきた。  志希は美嘉の胸元に抱かれて、少し恥ずかしそうに「ちょっと、美嘉ちゃん」と言った。「お母さんの夢を見ていたの?」と美嘉は聞いた。短く迷って、志希は柔らかな美嘉の胸の中でうなずいた。 「志希のお母さんは、どういう人?」 「……よく、覚えてない」 「そう」  美嘉はそのまま黙って、腕の中の志希の頭を撫でていた。  いつまでも、ゆっくりと撫でていた。  やがて、発作がやってきた。悲しみの発作が作る苛烈な嵐に、志希はほとんど息ができなくなった。ぎゅうっと美嘉のシャツを握りしめて、志希は激しく嗚咽した。その泣き方には、激しい生命の力が込められていた。生きるためには、そうするしかなかった。 「ママ」と、志希は母親を求めて泣き続けた。  結局のところ、志希はそういう星の下を選んで、産まれてしまったのだ。
 * * *
 何時間も回り続けるように精巧に作られた独楽が回転しているとき、巨大な運動エネルギーを秘めたまま一見静止しているように見える。それと同じように、美嘉は志希の方を向いたあと、口をくっと結んで動かなかった。心中の感情がこれほど苛烈に渦巻いているひとを見たことがなかったから、志希はその熱量の凄まじさに気がつくと、食べかけのゼリーが載っていたスプーンを咥えたまま、動くことができなくなった。  やがて、野生の動物の子どもが襲われた瞬間の母親のように、美嘉は素早く立ち上がると一言も言葉を発さずにベンチから立った。「え」と志希は小さな悲鳴めいた声を上げると、「ゼリー……」と呟いて、手元のそれを大事そうに両手で持ち、そのまま焦ったようすであとを追いかけた。  きめ細かい乾いた土の上を早足で歩く美嘉に小さな歩幅で走って追いつき、志希は「美嘉ちゃん、ゼリー」と言ってそれを差し出そうとした。美嘉は「いらない」と言うと、「着いてこないで」と表情のない声で彼女を拒否した。志希は「う」とひるんで、それでも「美嘉ちゃん……」と呟きながら美嘉の肘をそっと取ろうとした。  ばし、と腕を払われて、志希が持っていたゼリーが土の上にカップごと飛び散った。二人の向いからちょうどやってきた室内犬が低い声で唸りはじめ、その飼い主の子どもは慌てて犬を抱えると、足早に去っていった。 「どうせ、アタシがなんで怒ってるかもわかんないんでしょ」  美嘉に言われて、志希は答えを探そうと必死に頭を巡らせた。志希は半年ほどの彼女との付き合いの中で、何度も何度も美嘉を怒らせたことがあった。ふざけてわざと怒らせたことも、意図せず怒らせたことも、怒っている理由がぼんやりとわかるときもわからないときもあった。しかし今日ほど彼女を怒らせた理由が知りたいと思ったことはなかった。彼女がその魂の底から真剣に怒っていることがわかったからだった。  ほとんど一番に大事な友人にどうしても何かを言わなければならないはずなのに、なんと言っていいのかわからずに志希は下を向いた。  美嘉は、ふっ、と鼻で笑った。「……ごめんねも言わないんだ」と、掠れた声で言って、志希を見つめた。志希は何も言えずに眉を寄せて、何か見るべきものを探し、しばらく地面の上で飛び散ったゼリーが一列の蟻に運ばれていくのをじっとなぞっていた。やがて視野の端をかすめた何かに気づくと、ゆっくりと顔を上げ、その視点は美嘉の手に留まった。  志希は美嘉に駆け寄ると「ちょっと!」と美嘉が振りほどこうとするのに構わず、彼女の手を引いて近くにあった水飲み場まで連れて行った。蛇口を捻って水を出すと美嘉の左手をその下に寄せた。美嘉の手のひらは、文香に倒されたときに傷ついて、皮膚が人差し指の爪ほどの範囲でめくれていた。その傷口に、美嘉は冷たい水が触れたときに初めて気づいたのだった。桃色の皮下組織が乾いた土の下から現れて、「いつっ」と小さな声で美嘉は呻いた。志希は何も言わないまま、大事そうに傷口を水の下で何度か拭うと、綺麗になったその手に顔を近づけてよく確かめてから、美嘉を見上げた。 「なに?」と美嘉が言うと、志希は「バンソウコー、ない」と悲しそうに言った。美嘉はため息をついてタオルハンカチで傷口を拭いながら近くのベンチまで歩いていき、バッグを片手で探ると絆創膏を取り出して志希に渡した。それが自分の親指の付け根へと丁寧に貼られるのをじっと待った。  すべてを終えると、志希はほっと息を吐いた。美嘉は手を引いて「ありがとう」と言った。志希は美嘉におびえているかのように、何も言わずそのまま地面をつま先で軽く擦っていた。 「なんで今日、レッスンに来なかったの」と美嘉は言った。  志希はびくりと身を固くした。数秒のあとにもう一度、拗ねたように土をかき回し初め、やがて「……忘れてた」と一言言った。  はああ、と長いため息を美嘉はついた。 「……ちょっと勘弁してよー、ほんとにもー……あのさ」  美嘉は立ち上がると、ずっと地面を向いていた志希の視線をひらひらと治療の終わった手のひらで遮って上を向かせた。「何回も何回もチャットで言ったでしょ。明後日は最終確認だよー、明日は最終確認だよー! って。志希は全部振り覚えてるかもしれないけど、アタシは不安なの。文香さんは……」  美嘉は一瞬言葉を区切って、何か痛みに耐えるかのような表情をした。志希が不思議そうにそれを見つめているのを無視して、 「文香さんはかなりダンスが不得意だし、三人で合わせる機会はすごく大事だと思ってる。明日からの本番で、失敗しないように」  新たなため息が美嘉の口から音もなく出ていった。 「……ま、ほんとは志希もちゃんと分かってるよね……」  美嘉は志希の青い目を覗き込んだ。「なんで、忘れたの? なにかすごく大事な用事があったの? それでいつもみたいに頭からスポーンって抜けちゃったんでしょ」  はく、と志希の口が動いた。「怒らないから、言ってみな」と美嘉は小さな笑みを口元に浮かべて言った。  長い沈黙があった。 「……マ、ママ、に……呼ばれたの」と、志希は途切れ途切れに言った。 「……どういうこと?」 「……あの、ママ、今日東京に出てきたから、それで……最近はどうしてるのって、何か変わったことない、って、電話で……言われたから……あ……」  志希はベンチに座ったまま、美嘉を見上げていた。彼女の顔が変わっていくのを、どうすることもできずに見つめていた。そして、「死ね」と彼女に言われたとき、もともと白かった顔色はまっしろに変わって、口元は悲鳴の形を作り、首だけが二、三回、静かに振られた。 「馬鹿みたいじゃん」と美嘉は言った。 「アタシ、馬鹿みたいじゃん!」と、叫んだ。絆創膏が貼られたばかりの握りしめられた拳が、ぶるぶると震えていた。 「ほ、ほんとに呼ばれたんだよ! ほんとだよ!」と志希が必死の声で言うと、「アンタアタシにお母さんは死んだって言ったでしょ! それも忘れたって言いたいの!?」と美嘉は叫んだ。  小さく風が吹いて、二人の頭上を覆うクスノキの枝がざあっと揺れた。激しい太陽の光が木々の間から顔を出し、呆然と立ち尽くす志希の姿をつかの間、真実を暴くかのようにぎらっと照らした。怒りのあまりに美嘉の声は震えて、両眼には今にも溢れ出しそうなほど涙が溜まっていた。 「志希、マジ、なんなの? 全部ウソなの? ……沖縄で同じ部屋、泊まってさ、アイドル楽しいね、ずっとやっていきたいねって語って……あの夜……」  光る瞳を残酷な形に曲げて、志希を睨みつけたまま、ぐ、と言葉に詰まり、また口をひらいた。 「アタシだけが本当のこと言ってたの? アタシだけがアンタに騙されて馬鹿みたいに身の上話して……ねえ、志希」  美嘉は笑った。途轍もない悲しみを隠して、涙を零しそうになりながら笑っているので、志希はその凄惨なようすにほとんど耐えられなくなり、く、と唇を噛んだ。 「志希、アタシのこと馬鹿にしてるでしょ」 「してない」 「馬鹿にしてる! アタシの何もかもを、志希は絶対馬鹿にしてる! 馬鹿だ、馬鹿だ、真面目に人生語っちゃって、アイドルなんて真面目にやってって、馬鹿だって!!」 「馬鹿になんかしてない!」 「もういい! 志希なんか死ね!」と言って踵を返すと、美嘉はそのまま早足で歩き始めた。 「……なんでそんなこと言うの……」  志希がそう声をかけたとき、美嘉はついに両腕のすべてを使って志希からは見えなくなってしまった顔を拭った。とうとう溢れ出した涙を、どうにかしようと努めながら、その場から消えゆこうとしているようだった。去っていくその背中を見つめて、「ほんとなのに!」と志希は叫んだ。ぐっと涙をその瞳に湛えて、「あたし、ママいっぱいいるんだもん、ほんとだもん。い、今のママに呼ばれたんだもん!」ともう一度叫んだあとも、美嘉が脚を止めないのを見た。  そして、何もかもが決壊した。 「美嘉ちゃんの馬鹿ー!」と大声で詰ったあと、志希は子供のように泣き出した。嗚咽しながらぽたぽたと地面に落ちていく涙の粒をどうにかしようともせずに、ぎゅっとカーディガンの袖口を握りしめたまま志希は泣いていた。ああーという長い泣き声は公園の隅々まで響いて、遠い通路から脚を止めて彼女を見ている人々が何人もいた。志希はそのまま泣きながら立ち尽くし、葉の間の小さな隙間から漏れる燦然とした光を全身に点々と受けていて、やがてそのままどこかへとふらふら歩き出した。美嘉とは違う道を選び、泣き声のトーンをまったく落とさないまま十メートルほど歩いたところで、早足で戻ってきた美嘉が志希に追いつくと、その両手を握って「ほんとなんだね」と言った。 「ほんとだって、言ってるのに!」と志希は言って、振りほどこうと少しだけ暴れた。 「わかった」  美嘉はもう泣いてはいなかった。しゃくりあげる志希を、前からぎゅっと抱きしめて、後頭部をやさしく撫でながら「ごめんね、信じなくて」と耳元で囁いた。そのまま火を放ち続ける石炭のような志希の感情が落ち着くまで、目をつむって抱き続けていた。
 子どもたちの陽気な声が空へと抜けていった。美嘉と志希の二人は疲れ切って、出口近くの噴水の縁に座り込み、一歩も動けずにいた。志希は赤い目をして、ぼうっと噴水がきらきらと落ち始めた太陽の光を反射するのを眺めていた。時折、彼女はきらりと美しく輝いた。美嘉はじっとその顔を見つめながら、 「志希のお母さん……いっぱいいるのね」  さらさらとした水音に、志希は沈黙を乗せて答えた。 「何人いるの、お母さん」 「……わかんない。もう数えてない」  はあーっと、美嘉は呆れてため息をついた。「ちょっとそれホントでしょうね……」と呟いたあと、テレビヒーローの真似をしながら追いかけっこをしている小さな子どもを眺めながら、「アタシにはわからん世界だなー」と言った。 「お母さんと、何の話してたの?」 「今度、焼きハロでやるライブ、インターネットとかで流れるかもしれないよって。だから見てねって」 「おーっ、いいじゃん」 「言おうとして……なんか怖くて、話せなかった」  がくっと下を向いて、「すっぽかされ損じゃん、アタシ……」と、美嘉は軽く笑った。  拗ねたようにずっときれいな水の流れを見ている志希を、美嘉はもう一度見上げた。きっとこの子は、どこかの喫茶店でお母さんと話しているときもこうなんだろうなと思った。目の前で起きていることに、とことん興味のなさそうなその視線。たどたどしい返答。退屈そうにほうっと吹かれる、ただ生きるための微かな吐息。だがその中心で、何かを求めようとする強い願いが燃え盛っているのを、少なくとも美嘉だけはもう知っていた。 「美嘉ちゃんはさー」 「ん?」 「美嘉ちゃんがアイドルやってるのをすごーく見てほしい人っている?」 「んー、このアタシを日本中に見せつけてやろう! とは思ってるけど」 「うまくできてる?」 「どうだろうね」  美嘉はくすくす笑った。「努力はしてるよ。マジで」 「……あたし、アイドルやっててほんとにいいのかなー」 「なんで?」  志希はゆっくりと美嘉の方を向いた。水面が彼女の顔を怪しく照らしていた。 「ママ、あたしがアイドルやってるってこと、知らないんだ」  またそのパターンかー! と美嘉は思った。くうー、と下を向いて、ガシガシ頭を右手でかきむしったあと、 「あのさ、実は文香さんも――」  ぐううう、ととてつもなく大きな音が美嘉の声を遮った。着崩したシャツのおなかのあたりを抑えて、志希は少し悲しそうに美嘉を見た。美嘉はしばらく目をぱちぱちとさせていたが、にこりと笑うと、「アタシの家、行こうか!」と陽気に言った。 「美嘉ちゃんのアパート? 手料理?」 「手料理は正解。アパートは不正解」  美嘉は勢いよく立ち上がると、志希に手を差し出して「行こ」と言った。志希は吊るし売りの人形のように美嘉を見上げたあと、弱々しくその手を取った。
「なんか、幼稚園みたい」と志希は言った。 『児童養護施設 飛翔』と書かれた看板の横の壁に、子どもたちがペンキで描いた絵が連なっていた。志希はそれに顔を近づけながら「美嘉ちゃんはどのへん描いたの」と聞いた。 「その壁建て直したのけっこう最近だから、アタシのはないよ」 「なあんだ」  つまんないの、と言いながら、志希は熱心に横歩きをして、壁をじっと見つめていた。美嘉は腰に手をかけると、ふふ、と笑って、何棟もの宿泊棟へと視線を移した。裏庭で遊んでいるのだろうか、姿の見えない子どもたちの声が建物に反響していて、美嘉は活気を感じた。 「おっ、美嘉ねえじゃん!」  遠くから声をかけられて、美嘉は志希の先から歩いてくる少年のほうを振り向いた。志希もそれに気づいて、壁から離れると美嘉の後ろにさっと隠れた。 「トオル、今部活終わり?」 「そうだよもー、めちゃつかれた」  巨大なバッグを背負い直すと「昨日ぶり〜」と言ってトオルは美嘉に上腕を差し出した。ごつ、とぶつけて「いえい」と二人は親しげに声を合わせた。 「美嘉ねえの友達? こんちは」と、トオルは子供らしさの微かに残る笑顔を志希に向けた。 「トオルは志希の二個下だよ、バドミントンがうまいんだ」と、美嘉が志希に紹介すると、志希は「こんにちは、一ノ瀬志希です」と小さな声で挨拶した。差し出された大きな手を恐る恐る握る。 「志希はねー、アイドル仲間」 「うおー、マジか!」  トオルはぱあっと顔を輝かせると、「一ノ瀬さん、お会いできて感動っす!」と言うと、握ったままの手をぶんぶん振り回した。志希はあうあうと焦ったあと、さっと美嘉の背後にもとのように隠れてしまった。 「ちょっとアンタ、あんま乱暴しないでよ。つうかアタシも一応アイドルなんだけど、なんだと思ってんの?」 「やー、本物はやっぱ全然違うね! めちゃかわいい!」 「あんま調子乗ると彼女に言いつけるよ。昨日ライン交換したんだから」 「すみません、やめてください」  神妙な言葉とは裏腹にあははと笑うと、トオルは口元に手を添えて、小声で「ほんとは初彼女のことみんなに自慢しにきたんじゃないの〜?」と美嘉に囁いた。 「初彼女……」  志希は目を丸くした。数秒ほど固まった美嘉は全身を真っ赤にして「んなわけないでしょ! バカ!!」と叫び、既に宿泊棟のほうまで逃げていたトオルを追いかけていった。 「昨日のお返し〜! 美嘉ねえのアホー!」  トオルが宿泊棟に駆け込むと、はー、とため息をついた美嘉はとぼとぼと戻ってきて「ごめんね、バカで」と志希に謝った。 「美嘉ちゃん、昨日も来てたの? よく戻ってきてるんだ」 「ん? んー、今日はほんとにたまたまだよ。アタシは家が場所的に近いからすぐ来れるっちゃ来れるけど、フツーは一回外に出たら、あんまり戻らないかな」 「なんだか、不思議な家だね」  志希の正直な感想に、美嘉は少しの間黙った。黄金に色を変えつつある太陽光線が、ピンクに染められた髪を掠めて志希の瞳を焼いたので、志希は微かに目を細めた。「そうかもね」と言って、美嘉は猛烈な光の中心で笑い声を上げた。 「さて……チサはどこにいるかな……」  美嘉は志希を促して敷地の中を歩いていった。何人もの子どもたちが美嘉を見つけると親しげに挨拶をして、志希はそのたびにたどたどしく自己紹介をした。女の子たちばかりが遊んでいる場所をいくつか通ったあと、美嘉はついにちいさな図書室の暗がりで、赤い絨毯の床にぺたりと座って図鑑を読んでいる女の子を見つけた。 「チサ」  図書室の中にはほかに誰もいなかった。からからと引き戸を大きく開けながら、小声で美嘉が彼女の名前を呼ぶと、チサは顔を上げて、「美嘉ちゃん」と嬉しそうに言った。 「あさ、起きたら美嘉ちゃんいなくて、悲しかった」 「あはは、ごめんね。お仕事があって忙しかったんだ」 「そっかー……」  チサは下を向いて、「わがまま言って、ごめんなさい」と言った。「昨日の夜、アタシに帰るなってみんなが言ったこと?」と言いながら、美嘉は靴を脱いで中庭から図書室へと上がった。 「大丈夫、遅刻とかはしなかったから」と、チサの頭をぽんぽんと叩いた。チサは悄然として床を見ていた。美嘉は苦笑いを浮かべながら「さて」と言った。  じゃじゃーん、と、美嘉は大きく手を広げて志希を指し示した。 「アタシが連れてきた、この子は一体誰でしょう!」 「……知らないおねえさん」 「や、まあ、見たことないだろうから、そうなんだけど」 「美嘉ちゃん」  志希も訝しげに美嘉を呼んだ。美嘉は志希に向かって笑みを浮かべ、 「覚えてない? 夏休み子供アイドル相談室で、石鹸のつくり方を聞いてきた……」  あ、と志希は声を出した。 「そうか、キミはあの子か」と、靴を脱ぎながらふふ、と笑うと、急に自信に満ちた態度で図書室に上がった。膝で立って目線を合わせ「こんにちは」と挨拶をすると「一ノ瀬志希です。夏休みのラジオ番組で、キミの質問にこたえたのは、あたしだよー」と言うと、床に置かれていたチサの手にそっと触れた。  チサはぼうっと志希を見ていたかと思うと、ぱあっと顔を輝かせた。「石鹸、できました! あぶないって言われたところは先生たちに手伝ってもらって――」と、流れる川のように喋り始めた。やがていくつかのあらたな質問が溢れ出て、志希はそのひとつひとつに丁寧に答えていった。美嘉は微笑みながら二人のようすを見ていたが、志希に「ご飯作ってくるから」とひとこといい添えて、図書室を出ていった。  中庭を楽しげな長い影が、小さな鼻歌と共に横切っていった。
「ハンバーグ美味しかった? 時間かかっちゃってごめんね」 「ううん。みんなとお話してたから、楽しかったー」  皆に挨拶を済まし、二人は施設をあとにしていた。日はすっかり暮れて、薄暗い中に街灯がぽつぽつと点いていた。志希はカーディガンのポケットからセロファンの袋に包まれたマーブル模様のきれいな直方体を取り出すと、街灯にかざしてほうっと息を吐いた。 「いいなー。それ半分に切ってアタシにもちょうだいよ」 「絶対だめ」 「ええー」  けち、と言いながら、美嘉はとても嬉しそうに笑った。志希は赤く細いリボンを少し緩めて、すっとその香りを鼻腔に満たした。 「ダージリン、ヘーゼルナッツ、ハニー。このブラウンはココアか……」  しばらく余韻に浸ると、大事そうにそれをポケットに戻して、 「きっとこれで身体を洗ったら、お菓子みたいになっちゃう」と言うと、泡だらけになった自分を想像したかのようにふふふ、と笑って、くるっと回った。 「美嘉ちゃん、ありがとう!」と美嘉の目を見て言い、また歩き出した。美嘉は驚いてしばらく立ち止まっていたが、「びっ……くりしたあ。志希がお礼を言うなんて……」と、あとを追った。 「次はごめんねが言えたらもう一歩成長かな……ていうか、元気が戻ってよかったよ」 「んー、どうだろにゃー」  志希は機嫌の良い子どものように大きく手を振って歩く。しかし、目を細められ、口元は薄い冷笑を作っているのがわかった。いつまでも消えないそのアンバランスさがひどく哀れに思えて、美嘉は悲しくなった。 「ママ……ママたちね、きっとみんな、あたしのこと嫌いだと思う」 「……なんで?」 「みんなあたしがほんとうの子どもじゃないということを、おなかの底からよくわかってるんだと思う。だから嫌いなの」 「……そうかなあ」  言葉を区切ると、近くの草むらで秋虫が鳴く声がはっきりわかるようになった。美嘉は次の街灯が自分の身体を照らし始めるところまで黙って歩いた。 「アタシは逆に血縁のことなんて信じてないから、もっと大きなつながりのほうを強く信じてるよ。だから志希は大丈夫だと思うんだけど」 「大きなつながり?」 「愛だよ、愛」 「うっわ」  恥ずかし、と茶化すと、にゃははと笑った。 「まー、よくわからないけど、今日のあたしは、アイドルできてた! すっごく嬉しかった!」  たたっと走って、次の街灯に先にたどり着くと、 「だから、あたし、アイドルを馬鹿になんかしてないよ。美嘉ちゃんのこと、馬鹿になんてしてない」 「もー、わかったから」  その街灯に美嘉が歩み寄ったので、二人はお互いがはっきりと笑っていることを知った。 「早いとこお母さんに言いなよ」 「努力しまーす」 「ったく、保護者の同意書どうやってくぐり抜けたのよ」 「署名のギゾー」  何かを言いかけた美嘉はぴた、と止まって、数秒してから「忘れてたあ……」と座り込んだ。 「なになに、なにかトラブル?」 「今日の練習、文香さんも来なかったんだよ」 「ほほー」 「午後に文香さんち行ったんだけど、『親にやめろって言われたから、アイドルやめる』って言われちゃって」 「あは〜ん、で、それを今の今まで忘れていたと」  志希はふむふむ、と何かを考える振りをしながらくるくると視線を動かしていたが、やがて、「美嘉ちゃんは、馬鹿なのかにゃ?」と言った。美嘉はゆっくり立ち上がると、思い切り振りかぶった拳を志希の頭に振り下ろしながら、「お前が言うなっ!」と叫んだ。
 その駅のホームに降り立ったとき、志希はすうっと一息空気を吸い込んで、立ち止まった。「どうかした?」と美嘉が聞いて、志希は首を振ってこたえた。炎が暴れ狂う匂いだ、と志希は思った。どこかでだれかの財産と生命が、燃えているのだ。蛍光灯に照らされながらとんとんと階段を降りていく、志希の顔は暗い。  東口を出ると、美嘉は「ちょっと、とりあえず作戦立てよ、作戦」と言った。 「ファミレスはそこにあるけど、えーと……」と、スマートフォンを取り出して操作していると、志希は「美嘉ちゃん」と遮った。 「文香ちゃんの家って、あっちのほうだったりする?」 「ん、んー? 多分そうだと思うけど……」  志希が指さした方で、空や建物が恐ろしげに赤く照らされているのが美嘉にもわかった。遠く、何台もの緊急車両のサイレンが聞こえた。「行こう」と、微かに不安の滲む声で、美嘉が言って走り出したとき、志希はその場で過去の体験がぐわあっと自分を追い越していくのを感じた。あの燃え盛るりんごの木々、てんてんとボウルに血液が落ちる音、本に生えたかびの臭い、錆びた鉄の味、床に捨てられたママの美しかった瞳が、恐怖に歪んであたしを見ていて、彼女はその口を開き「いい子」と――。 「志希!」と激しい声で呼ばれて、はっと顔を上げた。「くっ」と声を漏らすと志希は美嘉を追って走り始めた。  やがて、二人はその家にたどり着く。 「嘘でしょ……」と美嘉は最後の角を曲がると呟き、志希は「ああ」とその激しさに絶望して、声を上げた。  分厚い人垣の向こうで、鷺沢古書店は燃えていた。屋根は柱を何本か残して既に落ち、二階にあったはずの文香の居室は跡形も無くなっていた。一階の店舗部分からは今もめらめらと恐ろしい勢いで炎が吹き出し、庭木のいくつかはすべての葉を落としていた。太い電線がまさしくちょうど焼け切れて、ばぢん、という何かを切り落としたような音が辺りを裂いていった。何もかもが燃え尽きていく凄まじい臭気が空間を満たしていた。  美嘉がだっと駆け出して人混みをかき分け、そこに近付こうとすると、すぐに警察の張った黄色い規制線に遮られた。開けた周囲をぐるりと見渡し、救急車、消防車、警察車両がすでに到着して、必死の消火活動が行われていることが分かった。 「すみません!」  美嘉はテープを広げようと忙しく働く警察官に声をかけた。「危険だから、少し下がって!」と強く言われた。 「友達が、住んでた家なんです! けが人とか……どうなったのか教えてください!」 「なんだって……近所の人には、持ち主が帰ってこない空き店舗だと聞いたけど」  その警察官が無線でどこかへ連絡し始めたとき、美嘉はぎゅうっと両手を胸の前で組んだ。文香がまだ見つかっていないということがはっきりと分かったからだった。 「お願い……」  美嘉の開ききった目は燃え盛る火宅をじっと見つめ、震える喉からは悲しい祈りが漏れ出た。そうやってぼうぼうと踊り狂う炎が何もかもを奪っていくのを、力無く見守っていた。祈ることしか、彼女にはできなかった。  志希は、そうではなかった。  志希は美嘉が背中を丸めて、全霊で何かに祈っているのを見つめていた。やがて、ふ、と踵を返すと、元来た道を走って戻った。冷たい空気が肺で暖められて、彼女の周りに形無くたなびいていた。いくつもの街灯が、規則的に彼女の冷静な顔を明滅させていた。角へと立つたびに、彼女は、すん、と鼻をうごめかした。  四つの角を曲がり終わると、彼女は人通りの少ない道へと出た。誰も目にすることのない狭いビルとビルの間で、やがて志希は目的のひとを見つけた。  かちゃ、と、ノブが回される音が鳴った。  乱れた呼吸を、ふ、ふ、と戻すように努力して、志希はその奥を見つめながら、ふ、と自嘲気味に笑った。  通る者のいない路地を囲む植木鉢と、枯れた植物の奥、トマソンと化したドアの奥、ブゥーンと低い音で鳴る室外機、ゆっくりと回るガスメーター、なにかよくわからない液体の汚らしい流れと、何年もの間繰り返し捨てられて拾うもののいない缶や瓶のごみのさらに奥に、まさにそこに、文香はいた。  焼け焦げて濡れたストールに身を包んで、服も炭で汚れていた。背を壁にぴたりとつけ、地面に座り込み、小さな空間で彼女は一心不乱に広げた本を読んでいた。角が焼けてしまったその青い表紙のソフトカバーを、文香はまるで数日ぶりの食事をしているかのように、大事そうに一行一行をなぞっていた。志希が目の前に現れたことにも気づかない様子で、時折その文を小さく声に出して読み上げていた。  そして、今や彼女がふつうの人間ではないことは明らかだった。その頭で、猫のような大きな耳が揺れていたからだ。  文香が感覚の一切を集中してその本に身を投じているのに、その耳だけが別個の意志を持っているかのようにく、く、と動いた。志希がちり、と音を鳴らして耳に下がっていたピアスを片方外すと、文香の右耳がこちらの方を向いて、あたかも獲物を凝視する一匹の肉食獣であるかのようにそのまま止まった。志希はピアスについていた小さなアンプル状の装飾���ぱきっと砕いて開けながら「キミも、そうだったんだね」と文香に向かって言った。  瓶の中で、ぬらりとした液体が怪しげに揺れていた。  パトカーが一台サイレンを鳴らしながら現れて、志希の姿をばあっと照らした。その光を志希は一瞬眩しそうに見つめて、そのまま猛スピードで通り過ぎていくのを目で追った。  文香のいる谷間に一歩入りこんでから、志希は液体をこくりと飲み干した。志希の身体は、それで仄かな緑色に光り輝きはじめ、両側の壁面を美しく照らした。  ぴちゃ、ぴちゃ、とローファーで汚水を踏みしめて、志希はその隙間のもっとも奥へとたどり着くと、文香の頭をやさしく撫でた。彼女の頭で、ぴ、ぴ、と大きく動いていた耳は、志希が両手でそれをそっと包んで、何事かを唱えながらゆっくりと触っていると、やがて透明になっていき、消えた。 「あたしたちみたいなのが、アイドルだなんて、笑えるよ」と言って、志希はほんとうに笑った。  文香は志希のやわらかな光にようやく気づいたのか、顔を上げると「志希さん」と言った。  猛烈なスピードで近づく電車の前にみずから佇む人は、頭の中が後悔でいっぱいになり、自分がなぜそこにいるのかついには理解できなくなる。それと同じように、文香は何もわからないようすで志希の表情を反射するかのように笑みを浮かべた。口元は笑っているのに、すだれのようにすべてを覆い隠す前髪の奥で、ロシアンブルーのそれのような瞳が彼女の魂を映しているかのように悲しげに瞬いていた。
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cosmicc-blues · 3 years
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2021/9/24
朝、目覚ましで目が覚める。ジュデーーーックス!! 窓からの陽射しが燦々。歯磨きをしながら、きのうのプロ野球の結果を流し見ていると、暴力沙汰からの移籍いらい迷走していた中田翔にホームランが出ている。しかも、2打数1安打1四球2打点の大活躍、やったね! そとは雲ひとつない快晴、雲ひとつない快晴と記したのはいつぶりだろう。まっすぐな陽射しは熱気球を生みそうなほどの。ゴミ収集車にぶん投げられたゴミ袋がパンッと破裂する。公園ではお母さんと小さな娘が寝そべるように空を見上げながらブランコを漕いでいる。並木道では木漏れ日の光と影があっちこちで踊っている。
昼、明太子と大葉のパスタ。芝生の公園と小山の古墳を散歩する。芝生の公園の水場ではスズメが遊んでいて、スズメがぴょこぴょこ動くたびに水面に円い波紋ができる。夏のあいだ小山の古墳はまったく影に覆われていたのが、緑がちょっとだけ透けてきて、小さな木漏れ日がそよ風に揺れているのが見られるようになる。数匹のツクツクホーシが鳴いている。散歩の帰り道、高速道路と平行する川の水面の反映が鉄橋の裏にゆらゆら動いていて、それをジッと見ていると、川のずっと先のほうを電車が通過している。
午後、ガーン、ガーンと除夜の鐘のような鈍い音が連続して響き渡る。何かと思って窓を覗きに行くと、高層ビルの工事現場でハンマーみたいな重しを落としては引き上げる重機がHの字の鉄杭を叩いて地面にめり込ませている。すげえ、すげえ、と、みんなを窓辺に寄せ集めて工事模様をしばらく見学する。
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